Tumgik
#平底フラスコ
sumisato2renen · 1 year
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色々混ざっているメモ3
所感といろいろなメモのあれそれ
平文門さんについての所感
文門さん本人に関しては、膂力と霊力は器として凄まじいものがあるのは勿論だけど、
5面の戦いを開始する際に展開するあの空間を作ったり、 (連縁作中でああいった空間を作る術っぽいのを使うのはゲーム上、  現状文門さんだけっぽい、他の人は通常弾幕時は普通に今居る場所なので) (製作段階で六面ボスだった時の名残かもしれないけれど…) 繋馬さんを(小さくして)自由に出し入れしたりする術とか色々出来るっぽいし、
ホムンクルス研究関連や、闡裡に関しても伝承的な意味での見聞を色々知っているみたいだし、 知識量はかなり有るのだと思う。
……ただ、それを覆す勢いでそれらを活かす為の頭の回転がどうしようもないレベルで残念なんだろうなあ……っていう。 (天影戦記の会話を見るに) TRPGでいう、頭の回転(Intelligence)は低いけど、教養(Education)は滅茶苦茶有るタイプなんだろうなっていう。
少なくとも平の当主としての立ち振る舞いや、 大将としての在り方や必要な作法・教養はきっちり叩き込まれている様に感じた次第。 そういう場面でのは行いなんかはしっかり解っておこなっていそう。 強さにしても敵からしたら、颯爽とやって来て鉄身での装甲モードで弾幕効かないは弾き返すは、 しかもその後平然と立ってたり、鬼の血入ってるあの怪力による鉄棒で薙ぎ払われるとか…… そして体力がめっちゃ有ってなかなか倒れないっていう……文門さん、もとい将門公の器の性能が本当にヤバいなっていう。 フィジカルおばけは伊達じゃない。 そんなのがやって来たらたまったもんじゃないだろうなぁ…そりゃ戦線巻き返すか~とか簡単に言えてしまうわなと。 EDでツグミさんも伊代真さんもその辺は当然出来ると思っているのか 普段と違って言葉を差し込まないあたり、文門さんに対する信頼が出てて好き。 けど平の人達ってみんな「物理」のパラメーターの伸びが凄そうというか。 鬼と渡り合う巌門さんしかり、蝶鬼さんの修行成長速度や文門さんは(将門公用特別仕様)言わずもがな…… 攻撃力や防御の特化で最大値が振り切れてて凄そう。 パラさんも元が文門さんの肉体だから鍛えればワンチャンあるのでは?(物理方面で) でも「不老」だから筋力そのものがそもそも育たない可能性もある? けどやっぱり「ホムンクルス」だから知識面をどうにかしたいんだろうなあ… 生態上の忘却度合がネックだから、まず知識・記憶の固定化(外付けなり生態強化なり進化なりで)が課題? 鶴喰さんが蜻蛉乃城に関わった際の「餌」だった人も、「平氏」の関係者だったんだろうか? だとすると平氏の「誰」だったんだろう? 当主である文門さんやその補佐をしていた蝶鬼さんが知らない所を見ると、 個人で「蜻蛉乃城」に関わっていた方だったのかな(または他の平氏を出し抜いて新皇になろうとしていたとか?) 今はどうしているんだろうか? 無関係の人の可能性も? 文門さんは両親から一字ずつ名前をもらっている良いよねっていう。 祖父である巌門さん、息子夫婦を殺されるは、 平の当主筋として平一族同胞をかなり亡くしていて 悲しみ方面に感情振り切れてそうというか… ヤゴさんもその辺りを知っていたからこそ ホムンクルス生成実験関連や(親を失った文門さん)孫を使っての復讐ともいえる 手段を選ばない倫理を吹っ飛ばしたような側面が有るけれども 友として、あまり口を挟んだり反目したりせず協力していたのかなとか。 むしろ協力的に関わる事で精神的な負荷を減らす方向で (特に子供であった文門さんや蝶鬼さんのメンタル面の軽減的な意味で) 立ち回っていたりしたんだろうか? 蝶鬼さんと文門さん 蝶鬼さんに関しては、 霊烈傳のメモにおいて「信頼できる重要な仲間の一人」ってあったので、 当時、儀式に失敗し既に放逐した蝶鬼さんは、 「霊烈傳の時点」でも「文門さんにとって大事な存在である」という事実は明示されている。 それと「重要な仲間」とあるので、他にも色んな人がいるんだろうし、 平一族の人たちが全体的に気になる。他にもどんな人がいるんだろう? 子供の頃からの長い付き合いで、(幼馴染みみたいな認識?)公私共にサポートしてくれて 蜻蛉ルートEDからするに、普段は「文門さん(さま?)」って呼んで募っていたみたいだし そんな人が(おそらく)目の前で自分の(計画の)為に死ぬとか、 計画の為に全てを捧げていた文門さんであっても、(霊体で復活するって解ってても) 精神的にかなりくるものが有ったんじゃないかという。
捨てたっていうのも、
計画頓挫の大きな一因になってしまい他の平勢から責められそうというか、 そういう敵意とか諸々から蝶鬼さんを守る為に放逐したのかなあという。
その「側近」である蝶鬼さんが、「計画成就の目前」で「台無しにしてしまう」 (霊烈傳のメモの時点で、立て直す手段が無い。伊代真さんとの初対面時の時も気落ちしている面が見られる)
文門さんや蝶鬼さんの様に、都に親兄弟的な家族を奪われて復讐に燃える人や、 長年都に対し怒りを湛える人・おそらく前当主?である巌門さんに対し忠誠のある人なんかもいただろうし。
そういった人達の失敗の失望や怒りや、やり場のない負の感情もろもろが、 一気に蝶鬼さんに向かう事も考えられるだろうし。
まあ、霊界(冥界)側からみれば「取引」という形であってもご都合過ぎる魂と生死の冒涜みたいな行為の塊、 (多くの死生観でも「自殺」は罪深い・業が多いとされる事案だし、  死んでしかも輪廻に還らない気満々という態度が、霊魂を管理する側から見たら図々しいにも程がある面)
(しかも霊魂を大量に集めて大怨霊とされる人物の復活をもくろむ・「転生」等ではなく「反魂」に近い) のような案件だから (声の件は悪意と復活封じの意味合いなんかもあるだろうけど、それでも霊界側から見たらてぬるい仕打ちの様な気がする) 復活した先で様々な苦しみを味わえ的な。
无現里における「霊界」の面々も気になる。
平の一族が霊界と取引を行う為に使った手段は、代々伝わる『家宝』の内の一つだったりしたんだろうか? または技法や術式なんかが伝わっている系?
ともあれ話せないので事情を説明出来ないだろうし、 (霊体だから筆記が困難そう・ガライヤさんとの修行でその辺は可能になってそう?) 負の面を抱えた集団の中に置いておくより安全で安心できるというか、 頭目(当主)である文門さん自らがそうして示しをつけたとすれば、 他の面々も表面上は何かをする事も出来ないだろうし。
霊烈傳で将門公の復活に文門さん自身も失敗はしているけど、 无現里においては「『闡裡』に阻まれた」というのなら、 割と致し方ない感で許容されそうな感じもある。 (自分達の生きている世界の管理者だし)
黒巫鳥さんに負けて、平の屋敷にまで取り立てられに来られているけれど、 文門さんが勝てないなら平の他の一族さん達も勝てないんだろうし、 情けなく思われる事はなさそうではある。
というか既に勝負けしかけて、一族ぐるみで負けている可能性が多大にありそう…… というか黒巫鳥さんに気圧されてそう。 黒巫鳥さんに盛大に吹っ掛けられてそう……oh……
ガライヤさんから見ての文門さんが「少し変わった」という印象は、 シオンさんに魂を少し食べられた事ととかも 影響が有ったりするんだろうか?
ガライヤさん曰く、前とだいぶ性格が変わっているようだし。
能力使って霊媒師をしていた(魂を遷す能力の練習的な?)とはいっても、 平にとって偉大とも言える将門公をその身に起こすっていうのは覚悟があっても 思う所は有ったかもしれないし… (なんだかんだで魂が入る訳で、徐々に文門さんの魂自体が消滅しそうな感じがする)
「負債の恩」としている辺り、恩を「感謝」ではなく「義務」として捉えてそうな部分もありそうというか、 「祖父等」とあるので平の他の一族内で力のある人達の意思とかも関わってそうだし。 失敗した事で、開き直るというより、 肩の力が抜けて文門さん本来の地の部分が顔を覗かせる様になったのか… というのも有りそうだけど、 霊烈傳の失敗も「全然めげてない」との事だから、キャラメモでの意気消沈ぶりを鑑みると、 やっぱり伊代真さんとツグミさんの存在が大きそうというか、大分持ち直したんだろうなと感じた。
パラさんと文門さん
・今現在のパラさんの体は、時が止まった「文門さんの幼い肉体(不老)」 ・「赤ん坊の頃が一番知識が有る」ホムンクルスの大事な時期を、体を奪われる事で台無しにされた ・スペル牌「フラスコ越しの世界」が有るので文門さんはフラスコ越しに外を自身で見たことが有る ・既にお互いの肉体に魂が癒着しているので剥がすのは命に関わる(それだけ長期間の時間が流れている)  (多分、遷した魂を器に馴染ませる為に時間が必要・徹底して同化させる必要性が有った?) ・文門さんがパラさん(ホムンクルス)の器(肉体)に魂を遷したのは「幼少期」 ・パラさんが体を奪われたのは「赤ん坊の頃」
なので交換当時の状況として
○フラスコの中の小さな赤ん坊のパラさんの肉体(IN 幼少期の文門さん) ○反逆封じの為に厳重に封印された幼少期の文門さんの肉体(IN 人智を超えた知恵を持っているパラさん)
という認識でいいのかな…改めてみると非常にややこしい!
パラさんに関して対処、
不老でもその末が知識と心が赤ちゃん状態っていうのは残酷な仕打ちではあるんだよな… 文門さんが「時が止まったその体」という言があるから、何か肉体に処理が施されている、 もしもの時に活動する予備体的な意味で、文門さんの肉体を保持する為に、 誰でもいいから魂を入れておきたかったのか?とかも考えられるけれど、
「人智を超えた知恵を持っている状況は危険すぎるから、平に逆らえないよう厳重封印」 なので、「恨み節全開の記憶が消える・危険な知恵がなくなる」くらいの状態 (つまるところ知識と心が赤ちゃん状態)なったら、 封印解いてなにがしかの策なり対応なりする・してくれる予定だったんだろうか?
用が有るのはホムンクルスの「肉体」なので、その「中身」の意思・魂であるパラさんは 別に「必要無い」わけで……無くても問題ないなら即時消滅させられてもおかしくない、 むしろ邪魔でしかないので用済みとして処分・消去すればいい存在なのだけれど、
その辺の別の適当な器じゃない、わざわざ今までの自分の肉体(不老の器)を提供する所というか、 「創造者・作製者」の立場からすれば、むしろ損というか、そこ迄「道具」に対し優しくする・親切にする必要は 本来無い様にも感じるので…
巌門さんと文門さんは何を思ってそういう処置をしたんだろうか? あまり怖い意図はないように感じたというか… それとも文門さんが巌門さんにそう嘆願したりしたんだろうか? 両親を失った子供心に、産まれた・創られた魂を殺すっていうのもキツイと思うし… (行われたのは文門さんが子供の頃だったし…)
割と二人の事を考えると、 本当の意味で「捨てる」という事はしない人な感じがする。
そんな感じを伊代真さんとツグミさんは感じ取っている、みたいな。
そういう所も含めて、やっぱり新帝組は好きっていう。 ガライヤさんの所感 ガライヤさんの所感壬鳥さんとガライヤさん兄弟だったりとかするんだろうかっていう。 といっても、おでこ付近の渦っぽい?髪型が似てるなあ……的なところしか理由ないっていう。 けどJynXさんは鵐家とか一部のキャラ造形を見るかぎり、(鵐家の髪型・都の銀髪関連とか) 関係性の有るキャラ達には見た目的に関連性を持たせている様に思うので そういう方向性も有るかなあという。 もし兄弟(家族)的な関係性が有ったとして考える、 ・二人の年齢はわからないし、現状二人が「本来の親の存在にあたる人(の情報)が不明」。 ・人間であるガライヤさんが妖怪・妖怪連合とかそういう存在の身近に居る事の違和感。 ・「鳥の名を持つ者は自然と人々の上に立ってしまう」 二人とも本来的に「鳥の名」を持っている。という前提をもって考えるなら、 壬鳥さんは真名探り師が本当の名を見つけているから「鳥の名」持ちとして力を奮っているけれど、 ガライヤさんは拾われた上で名づけられたものだった場合、真名は判っていないだろうし 名前は自身が自覚する事と、自分以外に呼ばれて初めて機能し、そして自身が認識するものだから、 ガライヤさんは本来の名前で無い為、 壬鳥さんほど凄まじい作用はない? 現在の名前が「蓋」の状態になっている? けれどうっすらと既に、その下地として実は「鳥の名」は発揮されており、 ガライヤさんが連合の幹部として既に多くの部下の上に立つ立場にいる事や、実力は凄いある事、 当初は「���雄になる事を目指して新皇の座を狙っていた」という部分に顕れている? なんだかんだで二人とも「強い人に対し好戦的・挑戦的」。 曲名も「ヒーロー見参!!」でヒーロー願望として顕れている感じもあるし、 壬鳥さんは都を是正して民を救っているという意味では「救世主(ヒーロー)」とも見る事が出来る。 背中の羽は「とある神社の御神木」と明記されているけれど、わざわざ「とある」とまであるので 自身がリーダー(神主ではない?)を務めている神社ではなく「別の神社」? 无現里には結構な数の色んな神様の神社があるんだろうか? 海仙さんが言っていた「まぁ僕らのほうが年上だしな、どちらかといえば僕らのほうが親なのかもな」 という言葉が、長生きでガライヤさんが小さい頃から見守ってきたという感じの 割と保護者的な意味合いもほんのり含んだ「親」という言葉のチョイスだったりするんだろうか。 ガライヤさんが拾われた子的な意味で。 もしガライヤさんが拾われた的な子供だったとするなら、 自分が「捨てられた拾われ子」だったから、拾われなかったら死んでいたかもしれない経験があるからこそ、 野垂れ死にしそうだったクラウゼさんを放っておく事が出来なかったのかな、とか。 けど正直わからないから、金章がとても楽しみだったり…なにか色々判明するといいな!
柏木薫さんのあれそれ
弓懸無し且つあの速度であれだけの量の弓矢を放てたり、 敗れてボロボロな状態でも関東圏と関西圏を足したくらいの広さを誇る都全体に、警戒の赤霧を漂わせたりと、
柏木さんも大概人間辞めているレベルの力量をお持ちだと思うというか 実力で衛門督になったのはガチなんだろうなあという。 というか普通に考えても強いよ柏木さん……
それを大したことないと言い切ってしまえる自機勢の力量が異色なんだろうけれど。
ゲームしていると麻痺しがちだけど、无現里において空を飛べる人はそう多くないみたいなので、 (无現里でも能力を持っている事自体珍しいっぽい・ほとんどの人が持ってない) 割と連縁(无現里に於いて)で「空を飛べる」・「弾幕が撃てる」・「スペル牌勝負が出来る」方達は 一定以上の実力が有ると見て良いんだと思う。
何故「衛門督」もとい警護を志すようになったんだろう? 最初こそ華やかな(雅な?)皇族警護という職に憧れてなったけど、 大鏡の力が切られて腐敗しきっていた都の現状を正常に理解出来る様になって うんざりしていた所を壬鳥さんに勧誘された?
その辺考え始めると都ルートの人達年齢いくつ位なんだろうという疑問が…
大鏡の洗脳効果が既に切れていても、少なくとも癒着や腐敗ぶりを受け入れていた者も居た中で それらに正しく憤慨出来る&殺してでも現状を変えなくてはいけないと思える クーデターに率先して参戦を決断する辺り、柏木さんかなり苛烈とまではいかないまでも 都が好きというか大切に思う心はしっかり有るんだろうなという。
クーデターの誘いを受ける前から衛門督だったのか、 それとも誘いを受けてからクーデターをスムーズに行う為に、衛門督になったのか。
少なくとも柏木さんの台詞の端々に衛門督という職に誇りは持っているのは感じ取れるから前者っぽい?
もし最初は憧れや誇りを持って勤めていた・目指していたけど鏡の力が切られて、 護っていたもの(警護するであろう)が醜悪で不快な存在である事に 徐々に違和感・戸惑いから確信に至る過程があったら、 間近で目の当たりにする分 精神的に相当きつかったのではなかろうか… けどその辺は年齢が判らないと判断しかねるので保留。
誘いが有った時もお互い弓を扱う者としてその力量を把握していて 壬鳥さんが元帥だった頃から見知っているだろうし、 共に狂っている都の現状について吐露していたりしたのかな?
まあクーデター後は規模も予算も縮小されてしまっているんだけどな! 帝の身辺警護的な側面から見て旧王朝の遺物(大嫌いな先帝を想起させる)的なところも有るから、 それだけでも十分すぎる程に、壬鳥さん的には解体したい気持ちが多分に有りそうだけれど……
けど壬鳥さんも最終的に五衛府は潰す気はなさそうにも感じる。
そもそも刑事(軍事)的組織は一強にすると腐敗していくものだし(犯罪隠匿)、 互いに互いを監視したり切磋琢磨していく可能性もあるだろうし (元は両方腐敗の近くに存在した組織だけど、身辺警護=先帝を思い起こす分、当たりが強そう)
色々有ったけどあそこまで上り詰めた柏木さんが頑張れる・壬鳥さんはその過程を知っている事を思うと、 無くさない事そのものが、柏木さんに対するクーデターに協力してくれた感謝の形なのかもしれない?
皇御軍の気風(軍隊的な)に馴染めないけど都は守りたいという人達の受け皿にも成り得るだろうし
作品中に明示されてはいないけれど、五衛府の人達に慕われているかもしれないし…… というか他の五衛府の皆さんもやっぱり肩身が狭いんだろうか… 柏木さんと五衛府の明日はどっちだ!
けど舐められる事に関しての一番の問題は 柏木さんのひととなりとコミュニケーション力に因る所が大きいんだろうな…
ゲーミング濃霧とかやっちゃう位だしな…
情報伝達がしっかり為されていないっぽいのは肩身の狭さの問題として、 警護を旨とする仕事で顔と名前の記憶があやふや曖昧だったりするのは、 (指名手配犯や注意人物の把握・貴人などの安全確立や立場としての振る舞いを行う為に) 人の上に立つ立場として結構致命的であると思うのだけど、
そういった事が苦手な側面は柏木さん本人の能力的問題なのか、なにか由縁ありきなのか? または能力の瘴気の影響とか、「濃霧=周りが見えない(見えていない)」の暗喩だったりとか?
大鏡が割れた後は利き腕が逆(本来の形に戻る)になるけれど、筋肉回り大丈夫なんだろうか? 天影戦記は繰り返しの物語だから、それを見る事が出来るのは後日になるんだろうけれど。 壬鳥さんもそうだけど、弓術を扱う人って立ち姿がとても綺麗なので、 柏木さんめっちゃ姿勢良いんだろうな。
曲名も副題も優雅で良き。
個人的にご飯しっかりいっぱい食べて幸せになって欲しい…
ゼノアさんのあれそれ
「Xeno a」の「a」が離れている事はJinxさんが仰っていた「考察どころ」との事。
Xenoは別の単語の上に来ることで初めて意味を成す単語。接頭詞。
「a」は一番目・単位・数えられる存在などを指す。 「A to Z」や「A to Z of」などで「始めから終わり」「すべて」の意味も。
「Xeno」自体は「異人・異物・奇妙な・異種・外来」幽霊を指して使われる事も。 「Xeno」は「Xenos(古代ギリシャ語)」由来=「変わった・奇妙なもの・外国人・外国の・客・外国人・不思議な」 他の世界から訪れた客人(まれびと)的な感じ?
レイくんがゼノアさんを「仲間」?的なニュアンスで言っているので、 Jinxさん曰く天影戦記の「サブイベントはだいたいゼノアのせい」との事も含めて 存在そのものが文字通り Android (オペレーティングシステム)的な能力の役割や在り方なひとなんだろうか?
「無(无)への問い」的な要素関連や宇宙創造の法則関連の式的なもの、 ちょっとした神道関連や仏教(霊魂云々)を含む 宇宙科学論を思わせるキャラ達などが漂う連縁のなんかあれそれ。
量子宇宙論から見る「無=无現里」?
ゼノアさん=人間原理 雀巳さん=モナド(一元論) 頬赤さん=Dualism(二元論)
藪雨さん=宇宙ひも M理論 玄鳥さん=超弦理論 クラウゼさん=原始ブラックホール
なんとなくそれっぽい様なものをあげてみる。 他にもなんか色々含んだ人がいるのかもしれない?
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リカシツ常連さんにベタ稚魚5匹いただきました。 平底フラスコの個室を完備しております(๑˃̵ᴗ˂̵) . . #リカシツ #理科室蒸留所 #リカサンポ #平底フラスコ #ベタ #稚魚 #個室 #アクアリウム #ベタリウム (リカシツ) https://www.instagram.com/p/CEyTDfolAbZ/?igshid=156lsvfglo5wy
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wacofurudougu · 2 years
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2022.1.31(月) 今日と明日は定休日です 次の営業日2月2日(水)にお会いできたら嬉しいです😊 先週末、昨日の日曜日営業も、お立ち寄りくださいました皆様、ありがとうございました‼️お久しぶりの方や県外•ご近所さん、お話ししたり楽しかったとお言葉いただいたり嬉しかったです。 先日ご紹介した理化学の道具、愉しくて店内にある他の理化学品にお花を生けてみました📸🌸🧪🌷🔬🌼 pic1は試験管と試験管立て🧪 花束ではなく、一本ずつ生けたい時に便利♪ 複数違う種類のお花を愉しむのにいかがでしょう 金属の試験管立てもかわいいです🥰 大きなメスシリンダー。計量カップとしてたくさん入るのでジャグのような使い方とか🤔こんな風に花器にいかがでしょう💐 大きなお花やちょっとした花束も入るサイズ❤️ pic3は理化学じゃないけど、 陶器のインク瓶?茎の短いお花に生けるのに良いです。口が広いので洗いやすい✨ 最後は丸いフラスコ 底が平らになっているので、自立してくれるのが良いです 口に縁があるので、麻紐を巻いて吊り下げられるようにしました🪢 引っ掛けたり吊り下げて、お花を飾っても素敵です☺️ お花は先週末、近所のマゴメコーヒーさんの月一花屋@ thrift_flowersさんで求めた子たち💐 《今後の予定》 31日(月)定休日 1日(火)定休日 2日(水)12-18時 3日(木)12-18時 4日(金)12-18時 5日(土)12-18時 ※お茶とコーヒー道具最終日 6日(日)定休日 🌸🧪🫖🌷☕️🍵🌼🔬 「お茶とコーヒーの道具」 場所:nakwach店内 千葉県鎌ヶ谷市馬込沢3-34 東武アーバンパークライン馬込沢駅西口徒歩3分 水木金土曜日12:00-18:00(休:日月火) #コーヒーのある暮らし #お茶のある暮らし #お茶 #理化学 #メスシリンダー #フラスコ #試験管 #暮らしの道具 #ていねいな暮らし #丁寧な暮らし #日々の暮らし #おうち時間 #暮らし #暮らしを楽しむ #インテリア雑貨 #インテリア #馬込沢 #千葉古道具 #千葉雑貨 (古道具ナクワチ) https://www.instagram.com/p/CZX9OsyvMJx/?utm_medium=tumblr
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hinatango · 3 years
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「アイユ」
運ばれる、ということに異常な抵抗を持つ。たとえばリフトで夏山の傾斜を昇ること。(飛び降りたくなる)
静かに走る不気味な乗り物に乗って(運ばれて)知らない街に行く。そこは坂が多い場所で、平坦な道だけを選んでいたら海辺に出た。この街は海には面していないはずだが、この数年で「掘り立て」られて海辺ができたらしい。(以前この国では土地が必要で海が「埋め立て」られていたことがある) 海辺に住めるとなると都市から人が流れてきた。一極集中を回避するための政府の政策だ。とやかく、わたしは底も先も見えない海が怖いので住みたいとは思わないが。
たとえばあの子と一緒に来たのなら、テトラポッドの上でラジオでも聴くだろうか。わたしは歩くほか何もなくただ考えていた。呼吸がおなじだねと息継ぎをしていたあの子の髪はいまも磯の匂いがするだろうか。眼を開けていても眠っているみたいに吐く息が今も続いていてほしいと他人事に思う。わたしは知らない街に行くたびにあの子がいたらと考えた。わたしにとってそのことは、その地にしか生えていない植物を見つけることと何ら変わらないことだった。
ー海を見ていた。海の肌は灰色だった。海の向こう側に来てしまったことに気づく。雨が降る。視界が白黒になると、その光景を網膜に焼き付けようとしたが、努めずとも付いて離れなかった。雨は海にのまれていく。その様が海の怖さを引き立てるのでわたしは雨粒にすら同情した。フラスコに液体が勢いよく入ってしまったような寂寥が溢れると、やはりこの街には人ひとりいなかった。
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hint-lab · 4 years
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消費から参加へ、そして制作へ
現代の情報技術が可能にした現実空間
キュレーターのマリサ・オルソンは、ポストインターネットという用語によって「情報空間」と「物理空間」の境目が曖昧になった社会状況を指し示した。そして、これまでポストインターネットアートの多くは、「情報空間」と「物理空間」という二つのレイヤーの移動を問題にしてきた。ポストインターネットアーティストは、その境界を横断する。しかし、物理空間を3Dスキャンすることで情報空間へと移行させることや情報空間を物理空間へ反映させようとする行為は、端的に言えばサイバーパンク的な想像力の延長線上にあり、過去の想像力を現代の技術的環境で実現しようとするものに過ぎない。それらは想像力のレベルで、何も刷新していない。
僕の考える現代社会の特徴は「情報空間」と「物理空間」の境目が曖昧になったというよりも、むしろ「情報空間」と「物理空間」が入れ子状にフィードバックループを形成しながら相互生成することで、「現実空間」を仮設的に瞬間的に構築している点にある。僕たちは事後的に「情報空間」と「物理空間」を区別するが、実際は持続する一つの「現実空間」を経験している。
僕たちは「現実空間」を、ユークリッド幾何学で記述されるような客観的かつ数量的なものとは考えていないし、主体の心理的な体験空間であるとも考えていない。「現実空間」は「情報空間」の部分的かつ瞬間的な現勢化であり、現勢化するや否や未だ現実化していない問題提起的な潜在的「情報空間」として再度問い返される。「物理空間」は即座に「情報空間」の素材として可変的かつ流動的な課題へと変化する。そしてまた、僕たちは「情報空間」を別の仕方で「物理空間」へ転用しようとする。そのループの中で、僕たちは仮設的な「現実空間」を体験している。
近代以前から固定的に考えられてきた「主従関係」や「一と多」などの二項対立は、主と従を繰り返し反転しながらその二項自体が変化しつづけることで、確定的な定点という地位を剥奪されている。僕たちは観察する主体でもなければ、行為する主体でもない。主としての僕たちが従としてのTwitterやFacebookのタイムラインに情報を追記することもあれば、主としてのTwitterやFacebookのタイムラインが従としての僕たちの身体を動かす時もある。主と従は常に入れ替わりながら相互に変化をもたらす。言うなれば、映画のカメラ視点は常に奪い合いの状態にある。
複数の虚構と実在性
このような構造上の変化は、IoT(Internet of Things)とブロックチェーンの融合によって電気機器が自律的に人間や他の電気機器に働きかけるようになれば、より明確に可視化されるだろう。例えば、必要な食材のリストを登録すれば、冷蔵庫が無くなりそうな食材をセンサーで感知し、ブロックチェーンを用いて自律的に取引を行うことで、食材を常に一定の状態に保ったり、過去のショッピングデータや健康状態のデータをネットワークから自律的に取得し、おすすめ商品を取引したり健康状態を補完するための食品をリストに自動追加するかもしれない。モノたちは観察される対象ではなくなり、自律的なユニットとしてコミュニケーションをし、取引を行い、動き出すだろう。現在でさえ不可視な部分が多いとはいえ、構造上は「物理空間」と「情報空間」が相互生成する中で、無数の自律的なモノたちがうごめく「現実空間」の実在性を経験しているのだ。
ポストインターネットアートが社会的に影響力を持たず、Pokémon GOが一世を風靡しているのは、Pokémon GOが現代社会の特徴をうまく捉え、「情報空間」と「物理空間」がフィードバックループを形成しながら一つの「現実空間」を生み出しているからであり、人間を主となるプレイヤーとしてだけでなく、情報によって動かされる拡張機械として扱っているからである。時代に対する感度が高いと無条件で考えられている既存のアーティストの方が過去の想像力からの引用に傾倒し、現代社会で起こっているドラスティックな変化に対応できていないのだ。しかし誤ってはならないのは、構造上の転回が先にあって、Pokémon GOはその転回を「拡張現実」として可視化していることである。
「情報空間」と「物理空間」のフィードバックループは、技術的には3Dプリンターによる「情報のモノ化、モノの情報化」やビットコインなど仮想通貨の流行、IoTとブロックチェーンによる脱中心的な分散自律型システム、TwitterやPeriscopeによる個々の虚構制作、あるいは時事的なトピックとしてBrexitやドナルド・トランプの勝利に象徴される。上記の例は「一つ正しい現実と間違った複数の虚構」という環境から、「複数の虚構があり、各々がどの虚構に実在性を感じているか」という環境へと変化したことを示している。
例えば、仮想通貨の流行は、最も流通する貨幣がたった一つの正しい現実であるという常識を崩し、最も共有されている虚構に過ぎないことを示している。そもそも貨幣とは、共有された虚構という特徴を持っており、使用されているから使用できるというトートロジーによって機能している。しかしこの構造上の変化は、第一に貨幣の形式が仮想通貨の登場によって相対化され、僕たちが理論的な水準ではなく実践的な水準で、貨幣の虚構性について理解するようになったことを意味している。そして第二に、各々の虚構を成立させる条件は、各々において異なるということを示している。法定通貨であれば国家の安定性や歴史の蓄積が信頼を担保するだろうし、ビットコインであればデジタル暗号を解読されない為のセキュリティ技術であったり、P2Pでのトランザクションを成立させるブロックチェーンの設計が信頼のプロトコルである。
上記の構造上の変化を、人々が各々に都合の良い虚構を生きるようになったとして非難することは容易であるし、「ポスト真実」の時代と名付けることもできるだろう。しかし「複数の虚構と実在性」という図式は、そもそも「近代社会システム」が格差を隠蔽することで共有されている一つの虚構に過ぎないことを浮き彫りにもしている。近代社会システムは、「自由」という理念が労働力を売り渡すという自由すら内包することで、資本家/労働者という主従関係を隠蔽し、利己的な主体が功利主義的に利害計算することで、社会が調和するという神話によって保たれていたのだから。
世界を認識する枠組みとしての制作
僕たちは、この不可逆な時代の変化を「透明なコミュニケーションによる共同主観的な共同体の再建」という課題で捉えるのではなく、素朴に「差異を肯定」するのでもなく、各々の虚構を継続可能な仕方で制作しつづけることにしよう。現代の環境を考慮した上で、別の仕方で規範性を、継続可能性を、安定性を制作するという課題に挑戦しよう。他者が用意した虚構を消費することでも、そこに参加することでもなく、各々が制作することにしよう。そのために必要な武器は揃っている。僕たちがしなければならないことは、過去の想像力に基づいた表象を描いて年配世代から評価されることでもなければ、構造上の変化を単純な仕方で表象することでもない。それは構造上の問題を、無意識的な領域から意識的な領域へと引き上げ、操作可能性を自覚し、複雑な状況を複雑なまま、様々な仕方で表象することである。
自覚しなければならない問題は、構造上の転回が生じているということだけではなく、それが僕たちの実践において何を変化させるかである。僕の考えでは、第一に「観察から制作へ」と世界の枠組みが変化する。第二に、「人からモノへ」という一方方向の制作の図式は崩れ「人間も含むあらゆるモノたちが同一平面上で相互に制作し合う」ようになる。第三に、近代における制度や文脈を前提にしていたありとあらゆる物事は、僕たちに再定義を要求する。
もちろん「観察から制作へ」という枠組みで世界を捉えていたのは、今日生きる僕たちだけではない。いつの時代であっても科学者にとっての「物理空間」は、リテラルなモノが敷き詰められた場としてだけでなく、様々な複合的な謎に満ち満ちた場として立ち現れているし、工学者にとっての新たな技術は、便利で快適な新しい「商品」としてだけでなく、次なる課題や目的を生み出す「プロトタイプ」として見えるだろう。また美術家にとっての他者の傑作は、ただ美しいだけでなく、次なる挑戦を突きつけるものとして現前している。つまり、彼らにとって現前しているものは〈今ここ〉にあるだけでなく、謎やプロトタイプや課題として即座に過去と未来へ折り返されている。
科学者やアーティストは、合理的に説明できる領域から神秘主義者さながらに、一歩先へと非理由的に飛躍する。徹底的に説明しきること、説明によって理由律の限界を定めること、そこから勇気をもって一歩踏み出すこと。彼らに共通しているのは、消費ではなく制作という視点でモノを見ていることだ。そして、制作という視点でモノを見ることによって、初めてリテラルなモノではない側面が浮き上がってくる。制作者にとって、モノは「商品」という形に画一化、フォーマット化されない余剰を持っている。モノは情報へとデコードされ、再度情報はモノへとコード化される。それも各々が、別々の仕方で。つまり、熱力学第二法則は物理空間上では成立しているにせよ、制作者はモノから無数の潜在的な形式や課題を引き出し、再度別の仕方で時間を折り返すのである。そして、上記の構造上の転回の後、世界を認識する枠組みは、消費から参加へ、そして制作へと、一般化しつつあるのだ。
魅惑するモノたちの声
構造上の転回の後、モノ、情報、人間は水平的な存在論的役割を持つことになる。道具は人間の感性を拡張するものとして人間に対して従属的な立場に留まっていないし、空間は人間の目的によってモノが道具としてネットワーク化した結果生じるものではなくなる。芸術作品は、もはや既存の制度と文脈を前提にするだけでは、その同一性が担保されない。
水平的な存在論の元では、自律的なモノたちが制作、交換、取引を媒介にすることで、主従関係を奪い合いながら局所的なネットワークを形成する。科学者はモノたちが湛える謎に魅惑され、実験室の中で、フラスコや試験管やピペットに囲まれながら、モノの声を聞かされる。モノが人間を動かしているのであって、決して人間が主体的にモノの声を聞くわけではない。身体は動かすのではなく、動かされる。モノはリテラルにそこに実在するだけでなく、無数の声であり、無数の情報であり、無数の虚構を湛えていると同時に誘惑であり、媚態なのである。
また、その声は反復可能な形に整えられ、工学者はその声を工学的に利用可能な水準に安定化するよう呼びかけられる。国際学会は組織を作り、国際的な互換性を高めるために規格化する。情報はアーカイブされ、図書館の一室、あるいはWorld Wide Webの網の上に蓄積されていく。そうして、モノはその機能を、その目的を拡張される。その謎を、その秘密を、人間によって部分的に明かされながら。そして、その結果作られた「商品」「プロトタイプ」「道具」「芸術作品」は、制作者によって再度モノへと折り返され、繰り返し反復しながら差異を生み出し拡張していくのである。
モノの拡張、そして人間の五感の拡張、それは固定的な主従関係にあるのではなく、並行的に協働しながら進化する。何故なら、モノはモノと協働し、相互生成もしているのだから。人類は初めから今の形で自動車を知っていたわけではない。そのようなイデアは存在しなかった。幾何学、物理学、工学、化学、車輪、蒸気機関の発明が、それぞれの潜在的な課題を湛え、それらが出会い、結合することで、蒸気自動車を生み出したのである。さらに、蒸気自動車のもつ魅惑がガソリンエンジンを、その熱を冷ますための冷却技術を、高度な計算が可能なコンピュータや計測装置がより空気抵抗の少ないクールなフォルムを、そしてそれらのモノとモノの結合が、現在の自動車を生み出した。そして、今も自動車は、あるいは自動車を構成する各々のモノたちは、制作者たちを魅惑し、課題を湛え、様々な周辺的な技術と結合しながら、異なる仕方で変容しているに違いないのだ。
近代的な制度と文脈の死
モノは謎として課題や機能だけを仄めかすのではない。ある人は高機能マイクロフォンをその本来の機能を全く無視し、そのマイクロフォンの持つフォルムとイメージから機能や目的を転倒し、神を召喚する棒として神聖化するかもしれないし、ある人は微かに放たれるノイズから、異なるモノとの結合可能性を感じ、その結合によって、〈今ここ〉からは想像もつかないクリアでドープな音を再現するサウンドシステムを生み出すかもしれない。ただの便器が『泉』になるように、異なる空間ではコンビニでのレジ打ちの技能が異なる機能や価値を持つかもしれない。常に余剰に目を向け、転用の可能性を忘れないことだ。
一般的にモノからいかなる情報が引き出されるかは明示できない。自動車のイデアが存在しないように、最終目標や究極の形相は存在しないのだから。そして、車が人間の足を拡張し、電話が耳と喉を拡張しているように、モノは人間の感性を拡張しているが、同時に人間もモノの機能やイメージ、フォルム、目的を変容している。あるモノが別のモノとの結合可能性を湛えていることが、潜在的に可能な空間を切り開き、人間がその媒介となることによって、現実空間における機能や目的が転用され変容していくのである。
かつて人間は、不当に重要な役割を自らに課していた。今や人間は、世界を安定的な定点から観察し消費することはできない。観察するためには、人間を安定的な実在として扱い、記述する地位を与えなければならないからだ。つまり、人間が主であり、動物、植物、無機物が従属する図式を必要とするのだ。同一平面の元、モノと情報と人間は各々が自律的な役割を与えられ、それぞれが主と従を相互に奪い合いながら相互生成している。人間も含め世界を構成する全ての演算子は、観察するという特権的な地位を与えられていない。むしろ、全ては自己制作的であり相互制作的なのである。それは同時にあらゆる領域における定義の再編成を僕たちに要請するだろう。なぜなら、そもそも人間が自らのシステムを「感性」「悟性」「構想力」「理性」と整理し、世界を現象や確定記述の束として扱ったり、その外側をモノ自体として不可知に定めることを通じて、様々なモノの定義がなされていたからである。つまり、人間は不当に特権的な場所から、観察し、定義し、消費して、あらゆるモノたちへ光を注ぎ込んでいる気になっていたのだ。
僕にとって、カンタン・メイヤスーを初めとした相関主義批判の重要性は、現代社会の複雑性が相関主義的な世界認識で捉え切れないのを明示したことにある。近代以降、「芸術作品」は自律的かつ単独的であるが故に普遍的価値を持つというロマン主義的な前提の上に組み立てられている。あるいはその延命装置としての関係性やプロセスに関する「芸術作品」に対して、現代哲学が疑問符を付け、再度「芸術とは何か?」という問いが問い返されていることは、消費から制作へと認識の枠組みをシフトしてしまえば、当然浮上するのである。近代的な枠組みの死は、〈人間の死〉と同時に、「鑑賞する」という特権的な態度の死を意味している。更に言えば、既存の論理に基づく「芸術の自律性」の死を意味している。何故ならそれらは、近代的な制度や文脈を前提としているのだから。
無数の異なる身体のためのブリコラージュ
これからの芸術は、既存の制度や文脈を前提にすることはできない。それにも関わらず、歴史や文脈は悠然と存在している。僕たちにはなにも残されていないように見える。あらゆる物事は既に開発されきっているように思われる。人々は「分からない」というよりも先に、既存のカテゴリーに基づいて「分かる」と発してしまう。あらゆるモノたちが既存のカテゴリーに安易に収められてしまう状況はアートにとって、非常に困難な状況である。その状況下では、奇抜な行動や新しい試みは素朴に存在することができない。僕たちは、素朴な神秘主義者として振る舞うことができない。
しかし本来、芸術作品は「非芸術作品」を経由することでしか芸術作品になることができないのだから、現代のアーティストも説明のつかない未だ認識できないモノへと歩を進めなければならないのは、過去のアーティストと同様である。僕たちはあらゆる行為がカテゴライズされてしまう時代を引き受け、まずは頭をクールに保ち、そして様々なダンスを身につけることにしよう。徹底的に説明すること、そして余剰への愛を捨てないこと。過去の文脈や制度を学び、しっかりと整理すること。シャーマンのように、動物や植物、モノたちとの交流の道を絶たないこと。複数の環世界を横断するための身体を開発することだ。「分かる」ことから「分からない」ことへと進むために。理由律による世界から非理由律による世界へと進むために。
僕たちは神話的世界を再度、現代の技術によって別の仕方で蘇らせようとしている。人間は上からモノたちを観察し、消費する立場を失った。しかし、悲しむことは何もない。むしろ、人間を含めたあらゆるモノたちが能動的に、並列的に、自己制作的に、自律していながら、相互生成、共進化し、協働している世界が開かれているのだから。過去の枠組みで世界を額面通りに認識し、今にも溢れ出しそうな余剰を抑圧しようとする人々はまだ存在するし、これからも存在しつづけるだろう。僕たちは彼らとも協働していけばいいのであって、彼らを敵だと思う必要はない。僕たちは新しく始まったばかりのこの世界で、これからの芸術について思考し、対話し、実践していこうと思う。世界を止めるのではなく動かそう。僕たちは額面通りの世界から、イメージやフォルム、機能や目的、魅惑に満ち満ちた神話的世界へと、別の仕方でもう一度放浪するのだ。この近代化された身体をもって、習慣を解きほぐしながら、あらゆる時代、地域を移動し、あらゆる素材をブリコラージュし、無数の異なる身体を作り上げていくように。
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science-assistant · 5 years
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<薬品庫>  側面の棚 3/3
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・アクリル板 ・アクリル箱
・プラダン (黒) ・木炭 
・キャンプ用ガスボンベ
・ロウの状態変化セット
・リービッヒ冷却器的なもの
・フラスコ真空鈴セット
・小瓶 ・平底フラスコ
・露点湿度計 ・謎のガラス器具
・秤 (Max2kg) 
・ザ・ヴォーテックス (角運動量実験器)
・洗濯のり ・ガスコンロ
・電熱線プレート ・砂
・謎のガラス器具
・不凍液 (エバポレーター用)
・光電効果実験装置
・電気回路のフラッシュカードセット
・静電気動電気変換実験器
・でかいモーターのモデル
・回路カード実験セット
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katana · 4 years
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実際には、歴史上フラスコの底の形をした円形ブラウン管の直径の解像度を表した経緯から、現在でも水平長ではなく、画面外接円の直径となる、対角線の精細度として表示される
画面解像度 - Wikipedia
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astavt-eretah · 5 years
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ソウル・ラメント
1  綺麗なものが好き。璃々は思う。意志を持たないものは美しい。人は、写真になると美しいが、絵になるともっと美しい。  璃々はジアゼパムを一錠、シートから取り出して、水で飲む。人が薬を求めるのも、自らの意志を剥奪したいからじゃないかしら? 人がお酒を飲むのは、何かを得たいからじゃない。脳細胞を殺したいからだ。明日明後日のことより今日や今が美しいのは、それが失われるものだからで、過去が美しいのは、それが失われたものだからだ。過去は、意志を持たない。それ故に尊い。本当は、失われたと思っている過去が私たち自身なのではないか? 私たちは無機物に帰りたいと思っている。失われたものこそが、本当は永遠。私たちは過去へ過去へと帰りたいと思っている。それが出来ないから薬を飲む。あるいはお酒を飲む。  ジアゼパムをもう一錠。今度は噛んで飲む。甘味のなく、苦い、ラムネのような味がする。それを飲み下すと、璃々は煙草に火を着けた。  璃々の緩く閉じられた唇からメロディが漏れる。部屋の真ん中に置いたツイン・リヴァーブからジーッというノイズ音がずっと漏れている。彼女は本当は、ツイード・カラーのアンプ、ベースマンや、フェンダー'57デラックスの見た目が好きだったのだけど、無骨で、どこか可愛らしい、黒いツイン・リヴァーブの見た目には、何故か頬ずりをしたくなった。そこから出てくるサウンドが青く柔らかな波を保っていることも、彼女がツイン・リヴァーブを好きな理由だ。  外では淡く、白い雪が降っている。部屋の中は暖かい。彼女は時々愛の世界にいた。音楽を聴いているとき、画集の頁を何の気なく捲っているとき、突然それは訪れる。信じることのセンシティブさ。「誠実さ」という言葉が、普段の璃々は嫌いだった。それは透明なフラスコの中でただよう透明な気体のように、ラベルに拠ってしか識別出来ないものだった。例えば、ある芸術作品が高値で売れるのは、それを作った芸術家が制作に際してとても「誠実」だったからだろう。そうでなければ……璃々は思う……一番美しいのは、どう考えても自然の造形だし、そして工場生産のレディメイドだ。ゴッホの絵が高価なのは、ゴッホが狂気と言えるほど誠実に絵を描いたからだ。あるいは、そう信じられているからだ。人はそこにある美しさそのものよりも、絵に込められた思いに感情移入しがちだ。「思い」なんて見えやしないのに。ねえ、……璃々は誰にともなく語りかける……全ては愛によって描かれている。この世界の全ては。どんなイラストだって。贋作だって。……そう思いながら、璃々は、物ごとの、普段とは違う側面を見ている。あるいは普段とは違う場所から物ごとを見ているように感じる。  璃々は膝に乗せていたギターに目を落とす。シングル・カッタウェイのホワイト・ファルコンで、ビグズビーのアームが付いている。真っ白だったボディとヘッドをシーフォーム・グリーン(初音ミクの髪の色)に塗装し直して、元は金色パーツだったものを、全て銀色のパーツに交換してある。とっても美しい、愛おしい愛おしいギター。アンプの前に座り込み、ギターを抱いていると、何かに守られている気がする。璃々はどんなに長くても二週間に一回は弦を交換する。使っている弦はロトサウンドだ。一番、ぴんと張り詰めた、きらびやかな音がする。それなのに耳障りじゃない。張り詰めてはいるけれど、その中に、太い、柔らかさがあるような感じがする。元はアーニーボールを使っていたのだけど、友人の入谷からロトサウンドの存在を教えてもらって、それ以来、ずっと気に入って使っている。プロのベーシストをしている友人の間宮も、ロトサウンドを使っていて、入谷も元は間宮にロトサウンドの弦を教えてもらったのだそうだ。  璃々は三弦を軽く引っ張る。弦が少し錆びている。璃々は少し錆びかけた弦の音も好きだ。それ以上錆びると、弦が「死んだ」状態になるのだけど、錆びきってしまう前の特有の、少し丸く、同時に擦れたような音も、璃々は好きだった。それからロトサウンドの弦が好きなのは、張ったばかりの時の音が、他の弦に比べてギターに一番馴染んでいるように感じたからだ。 §  僕は単調なドラムマシンの音に合わせて身体を揺らしていた。廉価なドラムマシンなので、四拍子の音しか鳴らない。四拍子のリズムに三拍子のギター・リフを乗せたりするのは楽しかった。でも今は、ただ単に、ドラムマシンの音だけを鳴らしていた。リズムは多くを教えてくれる。僕たちの身体の中にある、根源的な「生」とはリズムだ。音楽を聴けること、踊れることは有機的生命体の特権だと、大好きな小説の一節に書いてあった。そして、生命が音楽を作るのではなく、生命とは音楽の副産物なのだ、とも。……リズムが胸の奥で身体と同調して、疼き始めると、僕は傍らに置いてあったテレキャスターを手に取る。  僕はリズムに合わせてコードを繋げていった。ギターの六弦全部を使って。不穏なコード、美しいコードを次々と。C7-A7-Ddim7-B7-Edim7-C#7-B7-G7。それから、四弦を押さえたDコード、スライドさせてE、Dコードから中指を外してF#m、開放弦を使ったB7、再びD、E、そしてC#m7、A、G#7、F#m、B7、そしてまたDに戻る。D-E-F#m-B7-D-E-C#m7-A-A-G#7-F#m-B7。美しいコード進行を見付けることは、新しい花を咲かせることに似ている。心の底から指先を伝ってコードの花は咲く。  多分、教則本には書かれていないような、定型を外れたコード進行だろう、と思った。僕にはコードの知識が殆ど、全くと言っていいほど無かった。本当はいろんな音楽の知識を身に着けたかったのだけど、僕の灰色の脳細胞は、まず体系立った基礎というものを全く受け付けなかった。何も勉強することなく、瞑想するように、あるいは泳ぐようにギターを弾けたら、どんなにいいだろう。  璃々は窓の外の青に擦れた空を見る。空は、遠いとは言っても壁なのだ。私たちは部屋に閉じ込められているだけでなく、地表という監獄に閉じ込められている。それでも、自由に限りがあるなんて誰が決めたのだろう? 璃々は、決まり事を嫌っていた。決まり事通りの、決まり切った結果、と考えると恐ろしくなった。  僕はこの頃、声が出にくくなった。声というものは、年齢や、筋力よりも、その時々の身体や感情の状態に、大きな影響を受ける。強ばった身体からは、伸びのある声が出ないし、憂鬱な心からは灰色の声しか出ない。僕は今、軽い絶望を抱えているような気がしていた。多分年齢の問題ではないだろう。僕は32歳だ。それはとても素敵な年齢だと思う。僕は歌うことが好きだ。と言うより、歌うことが生きることだ(書くことや、音楽を聴くこと、ギターを弾くこともまた、生きることだけれど)。今はまだ、若い頃と全く同じように歌えるけれど、歳を取って、歌えなくなるかも知れない、という不安を、僕はうっすらと抱えていた。でも、例えばビョークは50歳を超えても、エモーショナルな、人を惹き付ける、そして幼女のようなとも、老女のようなとも付かない、不思議な震えるような声で歌っている。あんな風になりたい、と僕は思う。心の底からの感情を、歌声に満遍なく滲ませられるように。 §  僕は白い薬を飲んで待っていた。近頃では薬もあまり働かない。コリシディンの瓶がデスクに並び、MacBookが真空管の樹林に囲まれているように見える(コリシディンの瓶は、スライド・ギターを弾く時に使用する人が多いのだけど、僕は今のところスライド・ギターには興味がないので、溜まった瓶は全て地下一階の楽器屋『サクラメント』に引き取ってもらっている)。ディスプレイではカーソルが点滅し続けている。片言の点滅。そこに言葉を乗せて、僕は言葉をスウィングさせる。スピーカーからはルー・リードの、チャンスを掴んだ瞬間のような人の、また死を垣間見てきた人のような、苦い声が拡がり、空間に線を引いている。こんな歌だ。 Teenage Mary said to Uncle Dave I sold my soul, must be saved Gonna take a walk down to Union Square You never know who you're gonna find there You gotta run, run, run, run, run Take a drag or two Run, run, run, run, run Gypsy Death and you Tell you what to do  ペリエを入れたグラスに口を付ける。ぬるい。湿地林の植物の樹液のような味だ。(食堂の方で花が咲くような気配がする。)僕は椅子の傍に置いたギターアンプの電源を入れる。フェンダーの、出力の低い真空管ギターアンプだが、音は素晴らしい。アンプの中にはパルスが溜まっている。電源を入れるとパルスがふわっと飛び出す。パルスは波となり、僕の部屋を満たす。ギターを弾くとはそういうことだ。数秒経って、アンプから目覚めた祈りのようなノイズが鳴り始める。この数秒間が好きで、僕は真空管アンプを使っているのかもしれない。他に、デスクの端にクリーム色の小さなトランジスターアンプを置いてある。そちらからは、もっとガチャガチャと、チープなプラスチックのおもちゃみたいな音がする。僕はどちらも好きだ。  テレキャスターを手に取る。「つまり、この重さなんだ」というように、僕の身体に、それはすっぽりと収まる。チェリー・バーストのアメリカン・デラックス。アンプの音量を最大にし、ギターのヴォリュームを絞って、リア・ピックアップに合わせ、セルロイドのピックを手に取る。GコードとCコードを交互に弾く。黄色く、空間の粒子が弾けるような音がする。細かな金属片が空中に拡がっていく。Dコードを交ぜる、とGコードが暗く響くようになる。Dコードは金色に青を散らしたような音。アメリカン・デラックスは銀の鈴を弾いたような音がする。普通、テレキャスターはもっと、ガラスのような音がするものだと思うのだけど。 §  優しい気持ちを共有出来ることは本当に本当に稀だ。私は時々ファンタジーの中に生きている。様々なファッションがモノクロに、平坦になっていく。全てが絵みたいになっていく。現実の世界はモノクロなのに、絵の中は胸の内から笑いのさざ波が広がってくるほどにカラフルだ。  初めは僕がバンドを作りたかった。そこで間宮と璃々を誘った。でも僕のギターの腕前(付け加えればヴォーカルの技術も)は十年間少しも上がらなかった。間宮はベーシストを本業とするまでになったし、璃々は様々なスタイルのリズム・ギターやギター・ソロを弾けるようになった。でも、妙なことに、間宮と璃々は、僕の不器用さ自体を評価してくれているみたいだ。  入谷には独特のセンスがあった。こんなことを言うと彼は嫌がるだろうけれど。彼は細かい周期での躁鬱病者だった。それに加えて、大きな周期での躁鬱もあった。彼は薬を必要としすぎていた。彼は誰の影響も受けなかった。あるいは、良い影響だけを貪欲に吸収していた。彼は夢想家だった。しかし殆どの時間、彼は夢見ることが出来なかった。最も暗い場所からの静かな叫び。それは誰の耳にも届かない。だが稀に、心の一番深い場所からの声を形に出来る人がいる。それが彼だ。もちろん彼は否定するだろうけれど。  彼はいつも、雨が降るような音がする。 2  僕は薬を飲んで待っていた。その間にテレキャスターと、赤いエピフォン・カジノのチューニングとオクターブ・チューニング、ネックの調整と弦高調整を終わらせる。弦交換をしようと思ったけれど、やめた。まだ張り替えて三日しか経っていない。  ツイン・リヴァーブの上に置いた飲みかけのコーヒーカップに手を伸ばす。冷たい。飲んでみて、僕は喉が渇いていたことに初めて気付く。  冷蔵庫を開けて、緑色の瓶に入ったペリエを瓶のままで飲んでいると、ドアベルが鳴った。ドアを開けると、紫色に発光する煙を背景にして、璃々が立っていた。白いハードケースだけを黒い手袋を嵌めた手に持って。コーラルピンクのダッフルコートに同色の口紅を付けて、ケースが重かったのか頬が上気しているのに、おそろしく冷たい眼付きをしている。一瞬、その眼を覗き込むと、覗き返された。その眼が少しだけ細められる。それから、彼女は唇だけで、にっと笑う。眼の色が、黒から深い青に変わったように感じる。 「こんにちは、入谷くん。元気そうね」 と、少し擦れた声で囁くように言う。彼女の声は暖かく響く。 「うん。どうぞ、璃々」  僕は少しだけ仰け反った格好で、ドアを押さえながら言う。  璃々は部屋の中に入ると、ギターのケースを床に置き、コートを脱いで、ソファの背にかける。コートの下には、薄い灰色の、オーバーサイズの、まるでパジャマみたいなスウェットを着ていた。璃々は襟の中に入れていた長い髪を、両手を使って引き出した。  彼女は小さくハミングしながら、すぐさまギターケースを開き始めた。ギターのネックを持ち上げながら、思い出したように、テーブルの上に置いたペリエの瓶に目を遣って、 「それ、入ってる?」 と言う。 「僕が今飲んでたやつだけど」 「ちょうだい」  僕がペリエの瓶を璃々に渡すと、彼女はスウェットのポケットからピルケースを出して、中に入った小さな白い薬を一錠口に含み、瓶のままのペリエで飲み下した。それから、もう一錠飲むか、迷うように首を傾げたけれど、結局ピルケースをポケットに戻した。僕の方を見て、 「ねえ、入谷くん。私たちは不安を飼っているよね。何だかナイーブな部分での共感みたいなものを、今感じるの。錯覚ではないと思うのだけど」 と言う。僕は、いつもの癖で、壁に凭れて立ったまま、璃々を見下ろしていた。客人が来ると、それがどんなに親しい誰であれ、僕の思考は変化した環境に適応するまでの間、停止してしまう。「共感」と言われて「そうかな」と僕は小さく呟く。璃々は、 「不安というのは、本当の美しさの裏返しじゃないかしら? 美しさは本質的には一つだと思うのだけど、私たちはそれを、そこから切り離されたものとしてしか感じられないのではないかしら?」 と言って、愛おしそうに青いホワイト・ファルコンを手に取る。 「故に孤独は美しい。あるいは美しさの唯一の現れである。そう思わない?」  僕は黙ったまま、俯いた璃々の眼を覗き込んだ。錯覚ではなく彼女の眼は青みがかっていた。一度眼を瞑り、開くと、彼女の瞳には、確かな、鋭い理性が宿っていた。  僕はコーヒーを沸かそうかと考えたけれど、ギターを眺めていると、何故だかワインを飲みたくなってきた。  僕が赤ワインのボトルをワインセラーから出してきて、テーブルの上に置くと、それを横目で見ていた璃々が、今度は満面の笑みを浮かべた。  ワイン・グラスが無いので、普通のグラスを二つ出して、栓を抜いて、なみなみとワインを注いだ。一つのグラスを璃々に渡し、僕は自分の分を一気に半分ほど飲み干した。璃々が「薬あげようか?」と言うので、一錠貰い、ワインで流し込んだ。頭の中にじんわりとした紫色のものが拡がる。やがてそれは藍色になり、明るい水色になる。  僕はテレキャスターを手に取った。  璃々はワインを一口飲むと、グラスをツイン・リヴァーブの上に置いて、ギターのケーブルを、アンプの右側のプラグインに差し込んだ。  僕は左側にケーブルを差し込んで、ヴォリュームと音色を調節した。頭の中で器楽隊のパレードのような緑色の耳鳴りが鳴っている。僕はそれに合わせて、まずCのコードを弾いた。璃々がまるで砂漠に舞う青いラメのような乾いてカラフルなストロークを織り交ぜる。僕たちは顔を見合わせて微笑み合った。璃々は座ったままで弾いている。僕は緑のストラップを肩にかけて、壁に凭れて弾いている。段々指先が勝手に踊り始め、自分たちが弾いているのか、アンプが勝手に空間的なタペストリーを織り成しているのか分からなくなってくる。頭の中で色のない虹が渦巻いて、視界に透明な雨が降ってくる。  空白。璃々は膝の上に置いたギターに折り重なるようにして眠っている。アンプからフィードバックの単調な音が流れ続けている。空白。僕は立ったままで煙草を吸っている。璃々は世界の美しさについて僕に問う。空白。空白。でも僕は僕の空白を誰かに触れて欲しいだけかもしれない。頭の中に排水溝があって、薬とお酒の一瞬の陶酔感は、僕に関わりの無い場所に流れ落ちてしまい、あとには乾いた空虚感だけが残るみたいだ。璃々が寝言で、何事かを呟いた。  僕は突発的な鬱を予感した。冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出す。頭の中の虚を満たさなくては。僕は風邪薬の瓶を洗面台の上の、鏡の裏の棚から出してきて、手の平に十錠出した。ビールと一緒に飲み込む。急がないと。僕は、生きることがどうでもよくなってしまう。顔に嫌な汗を掻いてくる。床で寝ている璃々が大きな、乾いた布の固まりのように見えてくる。璃々が動いた。そして僕を見て、眼を丸くして、「大丈夫じゃなさそうだよ、入谷くん」と言う。僕は手の平の上にさらに十錠風邪薬を乗せていた。璃々が見ているのも構わずに、またそれをビールで喉に流し込む。ギターが死んだ木の歪な固まりに見えた。僕は璃々に向かって微笑を作り、 「どうしよう、璃々」 と言う。言いながら笑ってしまう。泣きたくなる。何もかも、そんなはずじゃなかった、という気がしてくる。と、不意にフィードバックの音が止まり、微かな、青い波のような音が流れ出す。璃々は目を瞑り、 「ねえ、入谷くん」 と呟くように言う。青い波は、僕の世界に流れ込み、世界の外に流れ出していく。 「私も同じなんだ」 そして、彼女はギターを床に置いて、立ち上がった。サイズが大きすぎるスウェットがずり落ちて、肩と鎖骨が半分見えている。璃々は自分の肩を両手で抱くような格好をした。 「とても孤独なの。孤独が美しくても、孤独は孤独で、とっても孤独で、それでも目を瞑って、私は入谷くんのことを考えるよ。何もかもがどうでもよくなったとき、死にたくなったとき、私は入谷くんのことを考える。それから入谷くんの雨の音のことを」 「雨の音?」  僕の鬱の予感は遠ざかりつつあった。 「そう、入谷くんにしかない、音。入谷くんのギターの中にも、言葉の中にも、歌の中にも、必ず存在する、その、音。私なんかには全然無い、音」 「それは璃々にだって」 「私なんかはちょっと賢しらなだけよ。私は、でも、孤独で、いいえ、虚ろで、その空っぽをいつも入谷くんに満たしてもらっている。それだけよ。ねえ、入谷くんは生きている。そのことを、忘れないで欲しいの」  璃々が僕に向かって片手を伸ばし、僕はその指先に軽く触れた。その瞬間、僕は、軽い、黄色い目眩がした。気が付くと、璃々がビールの缶を持っていた。彼女はにっこり笑ってから、ビールを一口だけ飲む。それからすっと目を細め、「あなたはお酒を飲み過ぎるわ」と言った。それから僕にビールを返し「目が覚めたけど、眠い」と言って、ギターのストラップを肩にかけて、ソファに座り込むと、心から愛おしそうにホワイト・ファルコンを胸に抱いた。 §  世界は私の分だけ存在する。生きているということは、即ち世界が在るということだ。もちろんこれはひとつの考え方に過ぎない。世界にはまた、私には知れない膨大な部分が存在する。私の中にも。入谷くんは、何もかもを分かりきったと思っている私の心の、眠ってしまった部分を覚ましてくれる。  また、温かい時間がやってくる。 「何かが違う」といつも僕は思っていた。いつも何か違和感があった。その違和感をうまく言葉に表すことが出来ない。あるいは……それにぴったり適合する言葉が存在したなら、僕は書くことをしなかったかも知れない。僕はある意味、言葉の不完全性に支えられ、生きている、と言えるのかも知れない。書くことは、生きることだ。  けれど、璃々と話していると、違和感とはまた違う、何か、冷たい温かみのようなものを、自分の中に感じる。違和感では無く、それこそが僕の探していたものかもしれなくて……。  僕は台所の椅子にかけた、僕の黒いダッフルコートを持ってきて、眠ってしまった璃々にそっとかける。僕の中に温かい、幸せのさざ波のようなものが腕を伝って、胸の方まで流れてくる。 「璃々、ありがとう」 僕は小さく、呟いてから、部屋の壁際に置いたセルロイドの椅子に座り、ギタースタンドに立てかけたままだった、エピフォン・カジノを手に取る。アンプの音を小さく絞る。それから静かな音で、璃々がよく弾いてくれとせがむけれど、普段は滅多に弾かない『ソウル・ラメント』を弾き始めた。
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平底フラスコ × チューリップ . 絶妙なY字バランスで咲いております(。-_-。) Yになっていませんでした・・・。 . . #リカシツ #理科室蒸留所 #チューリップ #おやゆび姫 #Y字バランス #平底フラスコ (リカシツ) https://www.instagram.com/p/Bt8BZErHD4g/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=11eoirw1o1jgo
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アレカヤシ × 野道 . 平底フラスコ300mlだと根っ子が見えるので可愛い(。-_-。) https://sekiyarika.heteml.jp/rikashitsu.jp/online-shop/products/list60.html . . #リカシツ #理科室蒸留所 #リカサンポ #リカロマ #リカラボ #リカドリ君 #多肉植物 #ビーカー #試験管 #フラスコ #平底フラスコ #ヤシの実 #種子 #水耕栽培 #清澄白河 #森下 #門前仲町 #深川 #リカシツみたい #アレカヤシ (リカシツ) https://www.instagram.com/p/Btwwr25nYMr/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1we5ys9l19wn3
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2019 新年明けましておめでとうございます。 . 今年は猪とメスシリンダーの年だと思っております、理由は聞かないでください。 ちなみにオスシリンダーはありませんので注意してください(。-_-。) . リカシツ 1/7(月)より営業スタート、理科室蒸留所 1/11(金)より営業スタートです。 . . #リカシツ #理科室蒸留所 #リカサンポ #リカロマ #リカラボ #リカドリ #リカサン #清澄白河 #森下 #門前仲町 #深川 #メスシリンダー #平底フラスコ #丸底フラスコ #ドライフラワー (リカシツ) https://www.instagram.com/p/BsPx3_cHS26/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1vprff1nypole
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平底フラスコでアボガドの水耕栽培をしてみました。 . アボガドが可愛い(。-_-。) . . #リカシツ #アボガド #平底フラスコ #水耕栽培 #清澄白河 (リカシツ)
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リカシツから生まれた理科室蒸留所にて珈琲の実験中(。-_-。) . 水出し珈琲のレシピを私立珈琲小学校の吉田さんと決めております。 . 理科室蒸留所 http://distillery.rikashitsu.jp . . #リカシツ #理科室蒸留所 #リカラボ #リカロマ #清澄白河 #平底フラスコ #取手付き #私立珈琲小学校 (リカシツ)
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やはりヒヤシンスの季節です。 本日は植物培養フラスコのご案内、写真の左の二個がフラスコで真ん中と右端はコニカルビーカー、残りは平底フラスコです。 こぼし口が無いとフラスコと呼び、口が付くとビーカーと呼ぶ。 でもヒヤシンスには関係ないことのようです(。-_-。) . SEKIYAコニカルビーカー https://sekiyarika.heteml.jp/rikashitsu.jp/online-shop/products/list34.html . 窓ガラスはAGCの“のみち”と言います。 . #リカシツ #rikashitsu #AGC #のみち #ヒヤシンス #コニカルビーカー #サボテン #平底フラスコ (リカシツ)
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リカシツ広報の“関谷りか”です。 ヒヤシンスという名の球根の季節がやってまいりました。 . 人気のコニカルビーカー300mlのご紹介。 https://www.rikashitsu.jp/online-shop/products/detail243.html . この時期は「コニカルしてる?」「コニカルしちゃたよー」などの声がよく聞かれると思いますが正確には「コニカルビーカーでヒヤシンス育ててる?」「コニカルビーカーでヒヤシンス育てちゃったよー」の意味だと思います(^.^) . リカシツは火曜・水曜が定休日でございます。 それでは良いコニカルライフをお過ごし下さい・・・。 . . #リカシツ #理科室蒸留所 #リカサンポ #清澄白河 #森下 #平底フラスコ #ヒラフラ #コニカルビーカー #ヒヤシンス #球根 #コニカルライフ (リカシツ) https://www.instagram.com/p/B8p8RRCl1hH/?igshid=3ppvacg18di6
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いよいよヒヤシンスの季節が到来しました。 . 人気の平底フラスコ300ml ブランクのご紹介。 https://www.rikashitsu.jp/online-shop/products/detail314.html . . #リカシツ #理科室蒸留所 #リカサンポ #清澄白河 #森下 #平底フラスコ #ヒラフラ #丸底フラスコ #ヒヤシンス #球根 (リカシツ) https://www.instagram.com/p/B8n-qsml300/?igshid=o8fahlr573ed
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