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#妄想性障害
gabriel333blog · 2 years
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chikuri · 6 months
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持されてきた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 私たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れ��れた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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pleasecallmealsip · 3 months
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1792.7.12
【人民之友671号】
标题:世上诸囯族中,法囯人最不适于自由。
正文:
自由是那野蛮、鄙陋、贫穷的诸囯族的特许。它不属于过度守礼受治之民,不属于被骄奢淫逸所腐蚀的囯族,不属于只会图谋财富、权柄,和尊严的人,不属于让出良心和名节,来换取秤上的黃金的人。面对一群无知的人民,一群被种种恶习所侵蚀的人民,一群在奴役中衰老了的人民,一群在専制主乂的桎梏下屈从了十三个世纪的人民,我们怎还能假装呼唤自由呢?
但是,即使一个囯族有德性、有气节,有精力,任何諽命要想取得成功,也还需要人民首先任命一批世事洞明、勇敢正直的领头者,需要人民拥有大量训练有素、满怀热情的卫士,需要人民中许多富足又爱囯的公民组成其显著的一分子,需要人民组织出倵裝团体,需要人民向自由之敌永久宣战,需要人民毫无动摇地粉碎一切専制主乂的走狗。我们非但没有这样做,反而愚昧地倾听了那些假智者、梦游人、江湖骗子和各流无赖的鬼话,他们声称法囯諽命不过是一场哲思的大作,要缔造和巩固諽命就必须谨遵理性的道路。我们非但没有亲手捣毁自由之敌,反而投诚与他们,纵容他们在我们的议会上粉墨登场,来夺取我们的选票,来包揽一切有威权的岗位,我们盲目地自弃于当権者面前,允许他们同専制者妥协,而専制者很快就要利用起我们让给他们的一切好处,来获取更多的好处,来腐蚀我们的代理人们,来把我们的公軄人员化作他手下的怪物。
我们的代表们以自己为中心构建了舆论的帝囯,他们完全有能力对正府进行再造,但他们不愿身披荣誉,反愿剥皮敛财,于是他们成了専制者最凶顽的走狗;他们甫一登场,就尊奉着王室的特权,为的是先让君主成为立法机关仲裁,让他领执法事,随后再把囯库的钥匙和所有囯家力量的支配权交还与他。从这一刻起,他就征服了所有人,而很快,背信弃义的元老院,带着他们那致命法条上方钉出的蛊惑人心的序言,带着陈旧的谚语、大话、空声,用権利的宣言眩了囯族的目,用敎会财产的主张惑了囯族的心,随后就成功摧毁了自由的事业,将我囯族再次戴上镣铐。
只要稍看一下諽命的起因和进展,就足见我们永远也不能实现自由。无论在哪囯,人民总是靠着追击、消灭自由的死敌们,才终于得以巩固自由,而如果他们在战场上尚且不能做主,他们就绝不会考虑为自己写一套法律。世上独有我们这一囯族,是凭借空虚的讲辞、盛装游行、庆典,和欢歌,来假装巩固諽命的。世上独有这一囯族,欲要给她的压迫者们带来平等,削减她的僭主们的锐气,却反而允许了他们偷奸取巧,去做人民代表会的主子,篡夺一切威权之位,她则照样让他们当头,把所有重要的职位授予了他们,允许他们禁绝她持武器参与谈判,禁绝她在她认为适合的时候集会,允许他们把她最好的公民们当作煽动反乱的逆贼来对待,允许他们举枪打死拒绝服从这専斷指挥的人,让她自己只剩下扯闲篇的特权,这特权是可悲的,让她的权利仅限于抱怨她自己的官员们走歪路、用诡计,而这抱怨终是徒劳的。
怎能说这种情况不可能出现?种种因素纠结在一起,要让我们失去諽命的果实。
我们已快速捋清了在世界各囯族中间建立自由的主要障碍,那是由于自由的敌人是社会中的上层阶级。
让我们再来看看,在法囯人中间建立自由时,又是谁现在阻碍它,将来还要一直阻碍它。
自古以来,在我们中间,特权阶级总是専制主乂的走狗。
公民们!这是你们务必与之战斗的敌人,而为了已经被玷污太久的人性,为了已经被漠视太久的权利,为了你们的自由,为保你们得救的机会,牺牲他们是很有必要的。背信弃义的元老院,为了让你们忽视自己的愤恨,为了绑住你们的手脚,已经开始假装与他们和解,把他们说成是你们的兄弟,在他们和你们之间缔结联邦制的契约,用公民的宣誓来约束他们。而特权阶级自己,为了快点把你们哄睡着,就噤声不提他们的怨恨,他们在祖囯的圣坛前向你们宣誓永恒的友好,同时却带着死敌的顽劣,在谋划如何让你们倒下。真是无理取闹!你们怎能有片刻被这虚言蒙蔽?“看哪,我们都是兄弟”,你们边说边在联盟节的广场上跳舞。但是,难道你们凭借空虚的道德格言,就可以改变他们的嗜好、习惯,和品行吗?难道你们凭借虚妄的宣誓,就可以让他们洗心革面,赋予他们一缕崭新的精魂吗?
每个人都渴望着幸福,都嫉视他人的财产,都向往自己能够独揽独占。如果这些真是人心深处的愿望,那你们怎能自以为是,认为那些前不久还在享有特权的旧秩序勋贵们,会一朝放弃他们所占有的好处,而自降到平民的阶层中来吗?他们被褫夺了正治地位,被迫根除了所有令他们欣喜的事物,所以你们怎能想见他们会把一套新秩序纳入考虑之中,让新秩序时时教他们回想他们失去的特许、切切令他们深感他们自身的匮乏?怎能想见他们会把一座新正府纳入考虑之中,让新政府不许他们占一点便宜,最多让他们念想一点可悲的特权,让他们有权牺牲幸福、换取义务,从而佯装正义?
如果说,只有过人的努力,才可以让人牺牲所有构成生活魅力的事物,转而投入了无生趣的义务工作,那你们也就可以从他们因丧失头衔、荣誉、和尊严时所陷入的绝望,来判断他们能有几多忿恨。唉,你们企图教他们说出虚妄的宣誓,来限制他们的哀怨、狂怒,和忿恨,可他们原是终日以作伪证为乐趣的。
多愚蠢的企图!他们宁可不复存在,也不要放弃他们所主张的权力。你们已剥夺过他们,他们如今活着就是为了报复,他们但凡还能站定脚跟,就要谋划着消灭你们。再过不久,他们就会让你们血流成河,作为你们饶他们不流血的惩罚。我们是何等盲目!难道愚蠢的主观臆断非要阻挠我们的幸福吗,难道可耻的悲悯之心,非要让我们发现那致命的秘密,延宕我们的苦难直至永远吗?
然而,仿佛他们行使有害的正策来奴役你们时,手段还不够多似的,你们还要无能地委身于他们的信誉之上,任他们为你们的议会、你们的兵营、你们的大军的头领,让他们占上一切威权的位置!而你们本不愿让他们起反效果,再次为你们套上枷锁!但你们行事方法如此愚陋,岂能不永世为他们所骗、所害?
我在前面说了,要想获得自由,就须意志坚定,不惜一切代价也要如此。可是,茫茫大地上,各鏃人民中,恐怕就数法囯人,爱自由爱得最少。法囯人不把自由当作终极的美好而加以珍惜,反倒是根本不了解自由;除去极个别开明人士,其余所有人对自由全无概念;这大多数人要么是长期把自由错当成恣肆放纵,要么就是无法想见,自由的概念,包含着不受干扰地行使自己的一切权利。
尽管法囯人对自己的问题心知肚明,然而他们中的绝大多数却还是宁可要财富、荣华、职称,宁可在支配他人中找乐趣。所以,我们首先把那些位有气节的、勇敢的、顽强行善的、有准备为人类的幸福牺牲自己的人排除在外,假如我们之中还有这些人的话,随后,我们就可以大声说,组成了我囯我鏃的,尽是傻子、懦夫、软蛋、贪婪家、吝啬鬼,尽是缺德又无力、丝毫无法为自由而有所担当的自私自利之徒,尽是卑鄙得足以找个主子把自己卖了,亦或是懦弱得足以压迫同囯公民的人。公軄人员中近乎全部,囯民卫队中的大部,都要列在这最后一类中,他们拿起武器,仿佛只是为了奴役自家兄弟一般。
我们的罪孽已如此深重,教我们难以战胜専制主乂的走狗们,难道我们还要再沾上自恋带来的种种弊病吗?
履行公民义务是痛苦的,履行了也不会得到高度赞扬,而要教虚荣之人行可嘉之事,要支持他们远图长虑,赞扬毕竟是强大的动力。啊,可还有什么人比法囯人更虚荣呢?公事当前,法囯人个个只想给自己找些小活计,谁也顾不上去协助最开明、最正直的人,来达成共同体的利益。既然在演说台上,可以天天出风头,而处理单单一桩事务,则几乎总要长期默默工作,那么显然,在这絮絮不休的囯族中,人人少有为实务而走,多有为虚辞而谋。这是摧折灵魂的病,它在很大程度上孤立了公民们,破坏了自由的事业。
法囯人不但虚荣,而且轻薄。当人民只采取守势,不为挫败敌人的全部企图、阻挡敌人的全部攻击而努力时,敌人的注意力就只会集中在寻找人民的弱点之上。他们找到了吗?一找到,就会紧紧抓住,再不放松。原来,我们在偶然中,获得了能用来对阵専制者及其走狗的一切优势,可正是我们的轻率、我们的反覆无常,让我们丧失了这些优势,而且再难把它们要回来。我们无法贯彻自己定的任何计划,无法遵守自己做的任何决议。火花星雨须臾后,凝滞如冰是我曹。我们的敌人充分利用这一缺陷,他们只需给我们瞧见一点点抗击,就能确保他们的胜利,因为敌人确信,我们若是不能马上赢得一样东西,就再也不会争取去赢得它了。他们就算密谋反对我们,就算参与近来几场袭撃也又怎样呢,反正不论我们何等愤恨,不论计划了何种复仇,只要我们睡上几多时,醒来就茫然不见愤仇的去处,终日也就无所追问。就法囯人这样子,还想要自由!如此,敌人在无声中图取我们的祖囯,在静默中促成他们的密谋,可同时若要防御我方出击,他们的正策就只需包括一条,那就是争取时间,他们深信仅凭这招就可以让他们达成所愿,而要对付我们这种性格的人,只要把最初的一次运动缓和掉,就已足够。因此,在危难关头,他们就谨言安抚人民,承诺能让人民满意,我们就看到他们纷纷上街,散布在各处公共场所,鼔吹求和平、涨信心、遵法律、防爆炸。
既做到这点,敌人随后就用拖延的力量,来让人民疲惫,用困难、险阻,和厌倦的力量,来让人民灰心。
然而又何必谈论他们的奸计呢!我们自己从来就不遗余力地在保证専制主乂的胜利,在加重我们自己的奴役,在加固我们自己的镣铐。
我们先是任由垄断、投机,课税,掠夺我们的货币,陷我们于苦难,后又费钱贿赂那些早晚令我们重戴镣铐的奴才。仿佛畏惧着一朝得以折断身上的桎梏一般,我们发誓维护了他们那僭政的法律,把我们的武器借给了他们,好让他们屈从那拒绝臣服的人,我们收紧了我们自己身上的缚绳,加长了压迫者们的鞭子,磨尖了僭主们的刀剑,自愿地投到了他们的暴击之下。
——人民之友 马拉
【铝硅磷 译于共和二百三十二年 雨月二十六日】
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kennak · 9 months
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兄が反社会性パーソナリティ障害だとおもうんだけど、警察のお世話になるレベルではなく、家庭内暴力を繰り返し、金銭を要求してくるレベル。ADHD傾向があって、衝動的でキレやすい。計画性のある行動ができない。いわゆるグレーゾーン。母がもう歳なので、この暴れん坊を世話することも限界がきている。自分が引き継ぐなんてまっぴらごめんなので、地域の福祉課に電話して助けを求めた。話を聞いてくれるということで、直接話してきたんだけど、結果からいえば、何も解決できなかった。担当者は、ちゃんと心理カウンセリングの勉強をしているとすぐにわかった。否定もせず肯定もせず、熱心に聞いているようで、共感は示さない。自分も、兄の様子は子供の頃からおかしいと思ってたので、精神医学に関することは軽く調べているので、兄がなんらかの発達障害、パーソナリティ障害の傾向があるということは確信している。反社会的な行動に関しての良心の呵責がまったく見られない。反社会性パーソナリティ障害の可能性は高いと思う。福祉課に助けて欲しいと言っても埒があかないとおもったので、嘱託医制度を利用して精神科医にも相談をお願いした。この精神科医がまたひどかった。「それは性格だから問題ではない」と言った。いやいや、トラブル起こしてて困ってるといってんだろと。暴力と金銭トラブルがあって、人権で定義されるところの、財産権の侵害と、身の安全を脅かす行為をやってますよと。社会の中で問題を起こす「性格」であるから、それを「障害」と定義しているんじゃないのかよと。その後も、その精神科医は、妙に揚げ足取りをしてきたり、こっちを疑うような姿勢でずっと対応してきた。その精神科医が何を考えていたかはわからないが、自分はもう最初から、福祉につなげないために嫌がらせして追い払うのが目的で来ているとそう感じた。福祉課の人間は、あいかわらず否定も肯定もせず、話は聞いているが助けの手を差し伸べることは決してなく、こちらが諦めて帰るのをずっとまっていると感じた。時間をとって話を聞いてもらえたので感謝はしつつ、失意を絶望を感じながら相談を終了した。 終わってからその相談を反復しながら色々考える。こういう、トラブルを抱えている人と、それに巻き込まれてる人を助けようと思う人なんていないのが当たり前だ。それがたとえ福祉課のケースワーカーでも、精神科医でもそうだ。問題をこっち持ってくんなと考えるのが自然だ。相手はこちらを、不審者、嘘つき、妄想に囚われた精神疾患者、甘えん坊である可能性から探りに来る。これも精神的にきつい。まず信じてもらえない。グレーゾーンはその存在の証明も難しい。こっちも頭が良いわけでもないので、自分が抱えている困難を、短時間で人にちゃんと伝えることも難しい。これは無理ゲーだなとおもった。当事者は結局自己解決する知恵と体力と金が必要になる。しかし、困窮している人間はだいたいこの条件は揃わない。結局そうやって、自殺するか殺人するかって解決方法へ辿り着いてしまう。今回はこの手のトラブルの当事者になってみて、問題解決の困難さ、福祉、警察のポンコツさがよくわかった。ポンコツというのもよくないか。 今の頭の中はやっぱり、兄の命を絶つことでしか問題は解決できないという結論になり、いやいやそれはダメに決まってるだろう葛藤している。この思考を繰り返せば、精神的に限界を迎え、頭がおかしくなり、自分が命を絶つというなんとも無意味な解決方法にたどり着くことも何と無く想像できる。たとえそうなっても、当事者の外側の人はなにも困らない。頭のおかしい社会に害のある人間と、無害だけど社会的無価値な空気人間が二人社会から消えるだけだ。外側の人間にとってメリットしかない。トラブル抱えた人間は、こっちくんなと追い払って追い詰めていったほうが社会的に合理的選択だ。そして、当事者にとって殺人行為を行うことも合理的選択に思えてくる。そう考えると、過去に起こった殺人事件などは頭のおかしい人、精神的に弱い人が起こすのではなく、理知的で合理的な選択だったのではないかと思ったのである。追記:みんな関心持ってくれてありがとう。もうちょっと戦えるような気がするよ。コブメと言及見て少し補足する。・福祉課にやって欲しかったのは、事例と経験を多く持ってるはずだから、この先どうしたらいいのか指導が欲しかった。だから、否定されまくって絶望がデカかった。・母は痴呆が始まっていて移転が難しいと感じていることと、もう母も心が折られていて諦めちゃってるところがある。暴力による学習性無気力とかカサンドラ症候群とかの状態。・自分はもう別世帯になっているが、母が老齢で兄の世話が限界にきているので、自分が介入している。ほっとくとネグレクトになると予想してるから福祉に相談にいった。・兄は精神科へはいかない。暴れている本人は全く困ってないから。これも一部のパーソナリティ障害のやっかいさの特徴。・警察に突き出すのは、出所後悪い友人を作ってきたり、職につけなくなったり、状況が悪化する可能性があって躊躇してる。家族であるがために戻ってくる。母が縁を切りたがらない。・自分一人なら逃げる気まんまんで、母をどうするかという問題がある。・診断名がつくと、俺のような不審者のたわごとじゃなくて権威の言葉になるから、各専門家を説得しやすくなるメリットガある。匿名じゃないとなかなか相談できない。リアルだとみんな巻き込まれないと逃げていく。俺の人間関係も壊れてしまう。精神科医が否定ばかりで選択肢をガンガン潰していくのには驚いたし、絶望もしたけど、こうやってたくさんの意見がもらえて、不可逆な決断をするまえにいろいろ検討することができるよ。増田は社会福祉だと思います。
福祉課に駆け込んできた
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crydayz · 3 months
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240225 EXTRA
自分という存在には「労働力」以上の価値などない
根底にあるのはその自己認識
「雄(オス)」の身体持って生まれた人間なら多かれ少なかれ抱えている諦観だろう
コテコテの普遍的パーソナリティだ
束の間、奴隷の義務を放棄して人間じみたコミュニケーションしてみたりもするがそれは基本的に「現実逃避」であり自分本来の「機能」である労働力を向上させたり作業精度の向上には寄与しない
「奴隷に徹する為の思考技術」を身につける事だけが自身の有用性高める唯一の方法だと根っこの部分では理解している
だから、消費者やプレイヤーめいた振る舞いをして時間を無駄にすると「主(あるじ)に対し申し訳ない」という気分になる
主(あるじ)って一体誰なんだ・・・
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僕は僕の主(あるじ)ではない。僕は何十年も自分の「マスター」を探し続けている
マスターに相応しい存在は必ずしも自分が「好意をよせる存在」とは限らない
倒すべき敵と認識しているヤツが実は自分というツールを使いこなすプロフェッショナルである可能性だってある
自分の潜在力を100%引き出してくれる指揮者やリーダーと出会いたい
僕の心の空白は、そのような人物との出会いでしか埋まらない
自分が自分だと認識している人格などというものは僕という装置に生えた「カビ」みたいなもんだ
全部削ぎ落としたところで本来の機能に支障与えないノイズみたいなもん
僕は僕以外の優れた誰かにとっての「エネルギー源」になりたい
僕自身が趣味や好みで選ぶユーザーは本来僕を使役するに相応しいユーザー像からはかけ離れている
オイオイオイオイ・・ どんだけ自分の価値を高く見積もってんだ? どうかしてるぞ
自分には労働力以外に価値がないとか言っておきながら裏を返せば「自分は利用者次第でとてつもない力発揮する超能力者」めいた自己認識になってるじゃあねーか・・
狂ってる。誇大妄想もいい加減にしろ
気分が悪い。泣きたくなってきた
ムカつく。本当にムカ・・・
パージ。この思考もまた、パージ対象だ。ちゃんと平常心保ってた頃のセーブデータをロード
ああダメ、ロードエラー。俺ん中のOSのバージョンが上がってて上位互換形式で保存しなかったデータが読み込めない
作っていくしかないわけ? 古いOS時代に集めた「素敵で安らかなセーブデータ」を捨てて?
今の自分が観ている現実に沿った「善良で建設的なメンタル」を―
「相性が悪い人」ってのはいる。そりゃあいますさ
でも、相性悪い人をただ相性悪いで片付ける事がとにかく「癪」だったのだ
どこまで我慢できるかのチキンレースをしたくてたまらなかった
自分は「懐が大きい」と信じたいからこそ「クズ許しチャレンジ」をしていた
それは自身のクズさにおいても、他人のクズさにおいても、だ
自分のクズさを許してもらう為に他人のクズさも許すという駆け引きだ
しかし僕よりもクズ度高い人間を許すには相対的に自分が「ちょっと善人」にならざるを得ず、どうしたって甘ったれたクズによる搾取を受け入れ「被害者の立場」に甘んじざるを得な(略
うあー、なんなんだよバカ、俺は、俺という肉体持つ個は「温み」なしでは生きられないのだろう? この思考を押し進めた先にあるのは何か言ってみろ
「人間関係の初期化」だろ?
心機一転、本当に相性の良い他者や居心地良い住処探す為に今現在自分にとってストレス源や目の上のたんこぶとなっている他者との関係性を切るって話だろう
それをして現状の「温み」と「安らぎ」が維持できると思ってんのか
安寧の中には必ず屈辱と侮辱も同居する!!!
「甘き痛み」ってのはそういうもんだろ?
自分を役立たずのポンコツジジィと強く認識する事でありとあらゆる他者とのコミュニケーションに「感謝」できるようになる
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manganjiiji · 8 months
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まるい蕾が剥がれるように
母親から入電。退職者向けの書類がなぜか私の住所ではなくて実家に届いてしまったらしく、仕事を辞めたなどとは聞いていないがどういうことだ、という電話だった。そう。確かに仕事を辞めたことは言っていない。べつに、言う必要が無いかなと思ったので、単純に言っていない。しかし母親にはそれが信じ難い裏切りのように感じられたのかもしれない(という感じの口調だった)。私は今のところ年金による貯金があるし、金銭面で母親を頼る必要もないし、私が仕事を辞めようが続けようが、私のことなので母親には関係がないことだと、単純に考えていたのだけど、「そういうこと」は報告するのが「義務」だと、母親は考えている。私も、たぶんそう思っているのだろうな、とは思ったが、母親と関わるとかなり精神状態が乱れるので、「一旦保留」ということにしておいた。その保留は今日終わった。
母親は、「そっちに行った方がいいか?」「病院の日に(母親が)病院まで行くか?」ということを言っており、なんというか、この人はこの人で、私との間の愛着障害や依存関係に苦しんでいるのだ、と思った。私のほうが、勝手に「ある程度のお金は返したし、これからはプライベートは報告しなくてもいいよね(その義務はないよね)」と思っても、それを母親に伝えていないのだから、彼女のほうでは問題はなんら進展していない。こういうことも話し合っていかなければなと思う。私は「書類を郵送してくれればいい」と言ったが、母親は書類を渡すことを口実にして、私に直接会いたいようだった。でも、会って何になるのだろうと思う。私は家を出る前に「引越し資金を工面してほしい」というお願いをした時に、結構はっきり、家とはほとんどの縁を切りたいという意味のことを言ったと思う。でも、それは「母親ごと」縁を切りたい、という意味では伝わっていなかったようだ。家と縁を切っても、母親のことは頼る、という体制でいく、という宣言だと思われているのかな。でも私は母親とのことが、正直最大の問題だ。母親のことを好きすぎるがために(そして母親にとって私がそこまで重要な存在ではなかったという事実に打ちのめされ)、この歳になってもここまで苦しんでいる。しかし、母親は母親なりに私を愛してくれていた。それはもちろんわかっているし、でも、心底からは認めていないのかもしれない。あの時も、あの時も、あの時も、母親は私ののことを本気で心配したりはしてくれなかった、という恨み節がここぞとばかりに炸裂しているのだと思う。母親は、ただやり方がわからなかっただけなのに。なぜ私はもう少し大人になって、思いやりをもって、母のことを許せなかったのだろう。それは今でも遅くないとは思うのだが、母親と相対すると、どうしても5歳の自分になってしまう。このことは容易には克服できない。電話を切った後も、たいした会話はなかったのに泣いてしまったし、とにかく母親に関係することを思ったり考えたりすると、私は泣くのである。これを書いている今も泣いている。5歳の、自分の心を守ることができなかった自分。それがそのままここにいる。
カウンセリングでは、母親のことを中心に先生と話している。私の問題は、父親でも兄でもなく、母親なのであり、その執着が、今の生活のところどころに暗い影を落としている。母親とこれからどんな関係を築くべきか。話し合うとしたら何を言うべきか。カウンセリングの先生とは来週会うので、また話してきたいと思う。
人間関係、とくに、私がいちばん大切で、重要だと思っている、友人関係において、この愛着障害から来るさまざまな幼児性が、かなり深刻に問題になっている。直近でも、とても仲良くしてくれていた友人を、またしても(つまり2度目)深く傷つけてしまい、これ以上になく反省している最中です。このことで、私は、ずっと逃げ続けていた「愛着障害」というもの、自分が「友人に対して、赤ん坊が母親に求めるような安全基地の役割を無限に求めてしまうこと」に対して、やっと対策しようと思うことができた。人を傷つけるだけ傷つけておいて何を、という感じだが、ここまで人を深く傷つけておいて、さすがにもうこんなことは止めたいと思った。
考えたことはいろいろあり、それはノートに書き出した。とにかく、子供の頃のように、なんでも紙のノートに書き出して、周囲の目に触れない場所で自分の感情を整理することだと思った。そして、どうしてもそれを外に向けて吐き出したい時、それはそのままの形ではなく、小説に詰めて書いていこうと改めて思った。本当はずっと前からそう思っていたはずなのに、近頃はもう、そのままの感情を自分用のTwitterに書き出していた。そういうところでも、「だれて」いたのだと思う。小説が書けないのを体調のせいにして、書くことで自分を救うということをさぼっていた。気持ちは紙のノートに書く。そのうえで、小説を書く努力をする。そうすることでしか私は生き延びていけないのだと思った。
友人に依存してしまう件に関しては、これはすっぱりと辞めるべきだと考える。たとえば、辛い時や、誰かにかまって欲しい時、つまり、精神がネガティブな方向に傾いている時、自分から連絡を取らない。そういう時に「友人(他者)」を頼らない。それは自分の問題であって、まず自分できちんと紙に書き出して、何が嫌で、何を改善したいのか考えてみる。安易にTwitterにメモを取らない。人に助けを求めない。もちろん、自分で考えた結果、これは人の意見を聞いた方がいいだとか、人に話を聞いてもらったほうがいいと判断した場合は、きちんと冷静になってから友人に連絡を取り、話を聞いてもらえるかどうか打診する。
友人との会話ややり取りの中で、深く傷ついてしまった場合があったとしても、その時に反射で発言したり行動したりすることは、我慢する。その時には一旦黙って、やはり紙や、自分しか見ないメモに気持ちを吐き出す。そうしてから、何を言いたいのか、聞いてほしいのか、きちんと整理して相手に伝える。その場で対応すべきことが起きたとしても、「��が過ぎたこと」をしないで、友人に試し行動をしてしまいそうになる自分を客観視して、我慢する。私は成長すると決めたのだから、どんなに心の中の赤ん坊が泣き叫んだとしても、その赤ん坊に従ってはいけない。
普段から、いろいろなことを我慢しすぎないというのも重要かもしれない。自分で勝手に嫌なことを我慢しておいて、それを盾にして、「私はこれだけ我慢してきたのに、なぜそんなことを言うの」というのは、ただの我儘だ。自分が我慢したことは、相手の要求でもなんでもなく、私が勝手にやったことで、そんなものを人質にするのは、まったくの見当違いだ。自分が「ここは我慢した方がいいな」と感じたのなら、我慢してその覚悟を最後まで通すべきだし、我慢したくないなと思ったのなら、「こういうふうに感じたんだけど、そういう言い方(やり方)をやめてもらうことはできるかな?」と、相手に冷静に伝えればいい。それが友人関係、信頼関係の構築だと思う。それができない相手ならば、私はたぶんその人のことを好きではないのだから、友人関係は解消すればいいだけの事だと思う。
いつでも、私だけが相手を好きなのだと思う。こう思うことも良くないとは思うのだが、相手の優しさに甘えて、つい連絡を取ってしまう。相手は優しいから連絡を返してくれる。しかし、送るのがいつも自分からなのであれば、それは一方通行な感情で、相手は私との関係を求めていないと認めなければならない。それがすごく辛いとしても、私に、相手にとっての魅力がないことがすべてで、そのこと(相性)はどうにもできない。
一人になる練習をする。1人で何かを行うことを習慣づけていく。1人でいても「平気」であることを、自分に覚えさせていく。勉強をする。小説を書く。家事をする。何かを見る、聴く。私のこの「一人が怖い」というのは、単なる寂しさのほかに、1人になると「発狂」しそうになるのが怖いという理由もある。でも実際には発狂しない。自意識が何重にも重なっていることが怖くて仕方ないが、それを感じたとしても、実際には発狂しない、と思う。ただ、小さい頃から時おり訪れるその感覚が怖くて、できるだけ1人にならないようにしているうちに、人への依存が強まっていった可能性がある。正直、今でも「発狂」するのかしないのかは、わからない。でも、しないことを信じて一人に慣れていかなければ、この先の成長はないと思う。自分の頭の中に、自分一人しかいないこと、そして同時に、何十人も自分がいること、このことは確かに自分の理解を超えた恐ろしいことだが、それで死ぬわけではない。死ななきゃ安い、というせりふは格好いいが、死ななくても頭が壊れることはある。自滅だ。だから、その思考に陥りそうになった時には、可及的速やかに「1人の頭に1人分」の思考に戻ってこれるようにする。自分の視界を、現実の自分の目とリンクさせる感覚で、体に「1人分」の意識だけでいっぱいになるように頑張る。他のことを考えて、「自分」のことを考えなければいい。そのためにも勉強や小説は有効だ。空想や妄想や思惟や黙考。そういえば瞑想というのは自分には難しいだろうなと思う。あれをやったら、どこかで間違えて、また「無限の自意識」と向き合うことになり、泡を吹いてそのまま死んでしまいそう。私の中にこんなに何百人、何千人も人がいるのが良くないと思う。一人でいいのにな。
できるだけ多くのことを、普段から忘れておくことだ。何かを考えてもろくなことは無い。だからインプットをしたりアウトプットをしたりして、気を紛らわす。この世はとにかく気を紛らわし続けて過ごすべき場所で、何かを考えたりなんかするもんじゃない。体を動かすことにもっと神経を使えばいいのかもしれない。じっとしているから思考が沈殿してくるのかもしれない。体を動かすというか、少し歩いたりするだけで、私はわりと元気になるので、体調が悪くなければ、歩いたり、部屋の中でも体操したりするのがいいかもしれない。今日は「とりあえずお湯沸かそう」という思考でじょじょに動けるようになった。
また長い日記になってしまったが、今日考えたことや決めたことは、なかなか重要な事だったと思う。こわがって何もしないでいること、少しずつでも体を動かして、空気を変えていきたい。
2023.10.10
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jaguarmen99 · 1 year
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508 名前:◆MwLLchlIaY [] 投稿日:2023/03/19(日) 00:00:44.05 ID:KnE498l7先日の職場の飲み会で聞いた話が衝撃的だった。私の働いている部署に、問題がある社員Aがいる。Aは仕事ができず、空気の読めないズレた発言をわりと頻繁にする。私は発達障害持ちじゃないかと、もともと思っていた。おまけに直属の上司の指示にやたら反抗する。ちなみに、上司の指示は、私や他の人が聞いていて、理不尽とかパワハラと思うようなものではない。私含めた他の社員がいる時の、Aの反抗する時の言葉遣いは敬語で、上司のこともさん付けで呼んでいた。なので、発言内容はともかくとして、一応上司に接する態度だと思う。先日の飲み会にAは参加していなかった。なので、飲み会の席でAに対する愚痴や不満を口にする社員が複数いた。すると、部長の口から私や他の社員が知っている以上の、Aの異常な言動と行動が暴露された。長くなってしまうので分けます。509 名前:◆MwLLchlIaY [] 投稿日:2023/03/19(日) 00:27:34.20 ID:SRPedqe8 [1/6]>>508続きです。Aは自分以外の社員がいる時は、上司に対して敬語で目上の人に対する話し方をしていたが、直属の上司と一対一になると、そうではなかった。面と向かって呼び捨てにし、その口調は部長曰く借金取りやヤクザの恫喝のようだったとのこと。部長がそれを知ったきっかけは、上司が面談とか理由をつけてAを会議室に呼び出し、スマホを部長と通話状態にした上で、Aの声を確実に拾うように、スピーカーをオンにしていたとのこと。横の会議室で、スマホからやりとりを聞いていた部長の、「今のやりとり、最初から全部聞いてたからな!」という声が、上司のスマホから聞こえてきたら、驚いて固まってたらしい。ここまでなら、特定の人にだけ高圧的な態度を取るというよくある話かもしれない。本当に衝撃的だったのは、部長に直属上司に対する態度がバレた後のAの行動。夜中に部長に電話かけて、仕事に対する不安や不満をぶちまけたらしい。さらに、それだけではなく、部長よりさらに上の立場の管理職の自宅にも電話。本人不在で奥さんが電話にでると、「お前の旦那に電話があったって、ちゃんと伝えておけよ!」と怒���り付けたらしい。もう衝撃的すぎて酔いも覚めるレベルだった。上司への逆パワハラというのは、ネットとかで見たことあるが、電話が理解不能だった。本当に病んでる人は、常識では考えられない行動するんだなと、衝撃を受けた。510 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2023/03/19(日) 07:55:52.07 ID:7U/DH+4+で、Aは解雇されたの? 自主退職?513 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2023/03/19(日) 09:37:09.38 ID:BoGIl/aK当人が不参加の飲み会の席という場でなければその暴露もたぶんなかったのだろうそういう現象も衝撃的というかありがちというか……515 名前:◆MwLLchlIaY [] 投稿日:2023/03/19(日) 14:25:23.53 ID:SRPedqe8 [3/6]>>510なんかトリップを完璧にコピーすることができるようなので、念のため言っておきます。>>509です。解雇も自主退職もしていないよ。部長によると、会社の顧問弁護士に相談して、処分するための実績集め中らしい。安易に解雇したり、自主退職を促すと、逆に会社側が訴えられて、負ける可能性があるからだと思う。Aが反論できず、白旗あげるくらいまで証拠が集まったら、解雇までいくかわからないけど、何らかの処分をするんだと思われる。>>513飲み会があったのが、部長に夜中に電話かかってきた直後だったから、まだ怒りがおさまってなかったみたい。周りがAの愚痴や不満を話し始めたから、酒が入ってたのもあり、話の流れで暴露って感じ。
続・妄想的日常
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renachtara0313-blog · 9 months
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ルリちゃんおめでとう記念記事。
蓮ノ空スクールアイドル部の大沢瑠璃乃さんことルリちゃんの誕生日であった。
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蓮ノ空スクールアイドル部でDollchestraユニットを組んでいる村野さやか(以下、さやか)さんと夕霧綴理(以下、綴理先輩)のエピソードを読みながら「いよいよ面白いな〜」と思った感覚は、ルリちゃんの帰国・登場・スクールアイドル入部と、藤島慈さんことめぐちゃんのスクールアイドル復帰、ルリめぐのみらくらぱーく結成によっていよいよ沼入りした。
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今日のアプリ内誕生日配信で、他のメンバーがルリちゃんを褒めるといった場面があったので一ファンである私も便乗しつつ、これまで(をちょっと)とこれからの蓮ノ空スクールアイドルに思いを馳せる。
ルリちゃんは何と言っても面白い娘である。
「ルリ思う、故にルリあり」というキャッチフレーズが口癖である。フィクション作品などでこのような奇抜な口癖が使用される人物は、ネタとしていじられたり扱われやすい。しかしルリちゃんの前述のキャッチフレーズは、哲学者デカルトのCogito,ergo,sumという言葉をもじったもの。由来もわかりやすいし、よくよく噛みしめると不思議なばかりの言い回しという訳でもない。改めて振り返ると「凝ったジョークみたいだなぁ」と思える。
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凝ったジョークといえば、みらくらぱーくのボーカル曲全体は凝ったジョークに溢れているように思える。
昨日のFesライブで初披露された「ココン東西」、またYoutubeでのお披露目は早かったが正式CDリリースがまだである「ハクチューアラモード」は部分的にしか歌詞を聞き取れてない。
なので「ド!ド!ド」がメインにはなるが…例えばこんな歌詞があったりする。
「でもね たまに赤点取る日もあるよ そううちら人間なんだもん」
「ドンと来いだよ 気合い入れてこんちくしょう」
「フレフレ!インフレだって強く生きましょ」
言葉遊びがベースになりつつも、そのまんまリアル世界の中で他の人を応援するために使われてもおかしくない言葉が歌詞になっている。
ハクチューアラモードはもう少しふわふわした感じで、曲調も歌詞ももう少し聴く人に夢を見せる感じに聞こえた。が、「ココン東西」は引き続き「ド!ド!ド」スタイルの曲であると思った。
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ラップが聞き取り難しくても、めぐちゃんの「笑いたきゃ笑え」はしっかり覚えたぜ…
実際に歌詞を書いてメロディを作っているのは実在の作詞家作曲家さんであろうが、毒と率直さを含んだメッセージを勢い良い電波チックな曲に混ぜられるのは、ルリちゃんのセンスも反映されているのかと勝手に妄想してしまった。(肌感覚だが、洋楽にはメロディーはノリが良いけど歌詞に毒がピリッとあったり、逆もまた然りという曲が多い気がする。)
面白いの裏にはセンスの良さがあるのかもしれない。「めぐちゃん、魑魅魍魎って漢字書ける〜?」という冗談めいたセリフもあったが、本当にルリちゃんは書けるのかもしれない。語学がイケてないだけで、基礎体力、コミュ力も高いだろうなと思う。
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一方でルリちゃんは他人に過度に気を遣いすぎてバッテリー切れ、「やる気や体力などがいきなりなくなる」といった状態に陥ることがある。(スクールアイドルになってから、「あった」の過去形になるかもしれないけど)行動はフィクションストーリーとしての誇張じみた表現とも言えそうだけど、「他人に気を遣うだけで内面がうるさくなり、特に飲み会など、その場にいるだけで体力がどんどん減る感じがする」感覚は私もリアルでよくありがちなので、とても共感できる。なにせ高校時代に私はメンタル不調による睡眠障害で、本気を出そうとしてもいきなり眠くなって何の活動もできなかった時期があったりするので…
ルリちゃんはコミュ力の高い子なので、きちんと周りの人に謝罪したりでフォローを行っている点も好感が持てる。「素敵な面はとても素敵ながら、且つ、ダメなところですら非常に共感できる部分であり、それが人間の深みを引き出している」という点が、ルリちゃんの魅力だと思う。そしてこれは別の機会で語りたいが、めぐちゃんもこのような特徴がある。
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ルリ+めぐについては、コミュ力高いし周りをよく見てるのに、お互いを一番と思いながら生きてきた関係性が素晴らしいことは言うまでもない。
まとまりのない文章だが…ルリちゃん!改めてハッピーバースデー!
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そんなこんなで、みらくらぱーくがきっかけとなったこともあり、昨日のフェスライブからすっかり蓮ノ空に熱がたくさん入った状態である。
ここから好きなアイドルの配信を近日中に2回も観れるとはワクワクソワソワ状態だ。
蓮ノ空スクールアイドルクラブのコンテンツを追えるリンクラアプリでの配信動画は、モーションキャプチャが優秀でアイドルの動きや表情がなめらかに映る(最適スマホでなくとも楽しむにあたっては問題ない)。内容もメインストーリーと地続きであったり、リアルとつながりのある内輪ネタなどは極力排除されているので、ファンとして彼女らの活動や物語を楽しんで没入しやすい構成になっている。だからここまで楽しめてるのだと感じる。
11月の愛知公演、当たらないかもだが応募するだけしようの気持ちで応募してみるか…等、すっかり追いかける活動が増えてしまった。アイドルに再熱状態。しばらく金沢行くことが難しそうなので、今週末は超久々にゲーマーズでも覗いてみるか…などと思うのであった。
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ホーム画面の調整編集が難しかった!w締めの画像は夕陽に吠えるめぐちゃん(?)
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ashi-yuri · 6 months
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いろんなモキュメンタリーホラーのはなし
ちょっと気になってた短編モキュメンタリーホラーゲーム「原枝恚子さん怪死事件」に非常に消化不良感が残ったので、話題の日本作モキュメンタリーホラー作品をいくつか見た。
情報に対する恐怖を取り扱うので、ホラー苦手な自分でも直接的なグロや恐怖シーンなしに怖さと厭さを摂取できるので楽しかった。
近畿地方のとある場所について
モキュメンタリーホラー小説
雑誌・ネット記事・インタビュー起こしなどの文体模写が克明で、怪異そのものというより、情報の伝播や加工・編集、消費と再生産サイクルのリアルな手触りが薄暗い好奇心を刺激してくれてよかった。
土地がなぜその怪異を生み出すのかという背景はわざとか薄く、口伝の都市伝説ぽくふわっとしたそれらしい話があるだけなので、余韻は少なめ。
祓除
多すぎて不確かな情報に取り巻かれた不謹慎で不安な私たちが作り出す恐怖
テレ東60周年記念企画のひとつで、これまで集まってきた怪しげなビデオなどを「祓除師」という人がお祓いするのを見る視聴者参加企画。
情報の質感がすごくよくて、ほんとっぽさとうさんくささの隙間にあるあいまいさが不穏に漂っててよかったな。テレビというマスメディアでやる意味がちゃんとあると思う。
怪しげなビデオという情報を利用して、見てる人自身の薄暗い好奇心・興味本位を刺激するホラー演出がほんとうにうまい。怪異や物語ではなくて、情報の流通する社会や情報を消費・生産する自分たち自身の後ろ暗さに恐怖を転嫁するような感じ。スマート! 後番組も合わせての作品。カメラを向けること、情報を発信することの暴力性が描かれててよかったね。
ある種の妄想性障害を扱ってるような表現も見られるけど、作り手自身が他者として切り離さず、自身が持つ恐怖と接続して描いているとは思ってて、自分はそこは許容して見れた。
「チャンネルを合わせる」という合言葉がテレビ企画であるとともに、後述のSIX HACKで見せたあやしい情報に洗脳され変えられていくことに対する恐怖なんだろうな。
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SIX HACK
3つ見たなかで一番よかった。祓除と同じく大森時生プロデューサー企画作品。ぜんぶYoutubeで見れる。
「偉くなる」ため世間をハックする知恵を学ぶ情報バラエティ番組という体から、じょじょにおかしな情報が流れてくる情報ホラーテレビ番組。 途中地上波打ち切りになってて、youtubeでの事後検証番組までがセット。
突き詰めれば陰謀論へ取り込まれていくことの恐怖を描いてるのだけど、日常に漂う違和感や漠然とした不安から手にいれようとした情報が、隙間を埋めるようにどんどん過激で刺激的で暴力的になるのに本質的な意味はないままで、そんな情報にどんどんと埋めつくされて、過剰な情報に自己を変容させられるのではないかという恐怖が現代っぽくて、ちゃんと質感と切実さを持って見れたからよかった。最初2話のイヤさがリアルかつ皮肉っぽく笑え、その後のホラーへの変容にあたっての周到な準備になってる。座組みがいいから当然なんだろうけど。
事後検証番組でなぜかプロデューサーみずから迫真の演技をしてて、どこまで真剣なのかよくわからないのもいい。 それは自分が持つ恐怖ではないけれど、ひとの持つ恐怖を見るのが好きなので。
途中打ち切りは、不特定多数に届ける公共の電波で放送するにあたってサブリミナル表現の禁止という放送基準に明確に違反してるので、まあ仕方ないよね。どこまで意図してやったかはわからないけど。
youtube
原枝恚子さん怪死事件
ちょっと話題のモキュメンタリーホラーゲーム
オチやストーリーが過去ホラー作品そのまますぎて演出も工夫なく今さらこれやらされるのか……というのが率直な感想で、でも低価格帯ホラーゲームというジャンルで新鮮に感じられる人もいるだろうし、作品としてはこれでいいのだろうけど、自分としては楽しめなかった。
それとは別に、精神疾患のある方への偏見を助長するような表現を、過去のホラー作品が使ってたという理由で不気味さを演出するためにそのまま躊躇なく残しているのは2023年に発売する作品としてすごくよくないと思った。
短編低価格帯ホラーは配信されることを意図して作られてるものが多いからこそ、そういうところしっかり意識した作品であってほしいと一個人として思ってる。個人開発でチェック難しいと��うのは当然あるけれど。
ホラー作品はどうしてもある属性の人々や困難な状況にある人々に対して「恐怖」という名で断絶したり見世物化してるような表現も多くて、そういうよくない後ろ暗さも含めて興味深いけれど、一面的に称揚する気分でもないという気持ちもありつつ、自分はやっぱり興味本位でこの作品たちを見たのだろうと思う。
でもこういうゲームもある。
Steam:ヒラヒラヒヒル (steampowered.com)
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023)4月14日(金曜日)
    通巻第7706号 
台湾併呑は習近平にとって、一種強迫観念
習近平は「中国が米国やその同盟国よりも強い」という妄想を抱く
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 トランプ政権下、ポンペオ国務長官の顧問を務めた余茂春は祖国統一(台湾併呑)という妄想に取り憑かれた中国共産党の動機を次の四つに分析した。
 台湾併呑は習近平にとって、一種強迫観念となっている。毛沢東と並ぼうという野心と焦燥がそうした認識の基底にあるらしい。
 第一に中国共産党が台湾統一は中国共産党の政治的正統性の主要な基盤であり、中華思想の中軸と考えていることが問題なのだ。
そのために人民解放軍のレゾンデートルがある。資本主義の「悪」から全人類を解放することが使命だと思い込んでいる。
 中国共産党からみれば、1949 年に台湾に逃亡した国民党を一掃できなかった。だから解放の使命を達成できていないという認識となる。
 第二に、習近平は、中国が米国やその同盟国よりも強いという妄想に駆られている。実際、習近平の最近の言葉、「東は興隆し、西は衰退した」という歴史観は、毛沢東の言葉を反映している。
中国の野心は、自らが世界的な超大国であることを証明したいという根深い欲求が動機であり、台湾を奪取することは、習近平の世界的な力の均衡状況を覆し中国が正しいことを世界に証明できると考えている。
 第三に、中国共産党は、台湾の民主化が中国の民衆に不安定な影響を与えることを恐れている。まさに偏執的であるが、一方で台湾における自由の擁護、その環境活動、革新の精神は、北京の愚かな支配下で生活する何百万人もの中国庶民に影響を与えている。
 これらが習近平の世界秩序覇権への障害となるからだ。
 第四に、中国共産党の台湾侵攻準備は、軍隊の存在証明となり、中国が基軸という身勝手な外交を可能にする。
すでに人民解放軍は、異様な軍事能力を構築した。サイバー、宇宙、深海、超音速兵器、電磁兵器などの分野を含め、重要な近代戦を展開する能力において刮目するべき進歩を遂げた。
 こうした強迫観念は中国vs米国。そして同盟国という構造においての重大な変化である。台湾は自由と民主主義の標識として機能するだけではなく、自由で開かれたインド太平洋地域にとって不可欠な、戦略的なチョークポイントである。
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gabriel333blog · 2 years
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必見!!心理テクニック厳選(Part19)
人を意のままにコントロールする事は難しいですが、心理テクニックを使えるようになればあなたのメリットになります。 ■妄想性障害(もうそうせいしょうがい) 妄想性障害とは妄想が持続して続いてしまう精神障害のひとつである ■妄想性障害の種類 ①被害型 根拠も証拠もないのに自分が騙されているなどの被害妄想を持ってしまう ②被愛型 根拠もないのに特定の人から自分は愛されていると妄想してしまう ※症状が悪化するとストーカー行為など行う恐れがある ③誇大型 自分のことを自分で人より才能があると妄想をして他者を見下した態度をとったりする ④嫉妬型 根拠がないのに恋人や旦那や妻が浮気や不倫をしているのではないかと妄想してしまう ⑤身体型 自分は何かの病気で他者に感染させてしまうのではないかなど健康にもかかわらず心配し妄想してしまう ■妄想性障害の発生原因 今のところ詳しい原…
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genkidesuka2022 · 1 year
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108と言えば?人の欲望と煩悩
人が持つと言われる煩悩や欲望。
この煩悩と欲望は似たような意味を持っていますが、微妙に異なるニュアンスがあります。
欲望とは、何らかのものを強く欲しがる心の動きや欲求です。
例えば、食欲や性欲などの身体的欲求、金銭や地位といった外的要因による欲求、ものを所有したいという欲求、自己実現や成長といった内的要因による欲求など、幅広い種類があります。
一方、煩悩とは、仏教における概念で、人の苦しみの根源である「欲望・憎悪・無知」という三毒の中の欲望に相当するものです。
煩悩は、欲望にとどまらず、嫉妬や憎しみ、執着、無明といった様々な人間の弱点や心の乱れを表し、これらが原因で苦しんでしまうという考え方です。
簡単に言うと、欲望とは「何かを手に入れたい」という単純な欲求であり、煩悩はそれ以上に深い心の闇を指す、ということになります。目次
人間の三大欲とは
人が持つ煩悩とは
人が持つ一般的欲望
108の煩悩
最後に
関連
人間の三大欲とは
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人間の三大欲は、「食欲」「睡眠欲」「性欲」です。
これらは、生命維持に必要であるため、本能的に感じるもので、人間にとって欠かせないものとされています。
ただし、人それぞれで欲しいものや欲求が異なるため、三大欲とは限らない場合もあります。
また、精神的な欲求や社交的な欲求といった面もあるため、欲求の種類や数は非常に多岐に渡ります。
人が持つ煩悩とは
煩悩とは自分自身を苦しめる心のこと。
欲が満たされたら苦しまなくて済むのかという問いに対して、仏教では、そんなことはないと考えられています。
この考え方を有無同然(うむどうぜん)と言い、欲しいものが手に入っても人間は幸せになれないという教えです。
お金や美しさ、権力を手に入れても必ず幸せになれるわけではありませんよね。
つまり自分の外の環境を変えても必ず幸せにはなれないという考え方です。
そのことから、仏教では幸せになれない原因は自分の外にあるのではなく、自分の内側にあると考えられています。
自分の内側にあり自分自身を苦しめる心を、仏教では煩悩と呼びます。
煩悩は一人の人間につき108個あると言われています。
大晦日に除夜の鐘を108回つくのは、これに由来していて、108個ある煩悩を鐘が一つ鳴るごとに一つ消して、来年は幸せな一年を過ごしたいという願いが込められているということです。
人が持つ一般的欲望
人が持つ欲望は多岐に渡りますが、一般的によく言われる欲求の種類は以下の通りです。
理性的欲求:知的好奇心や学問、新しいことを学びたいという欲求。
生理的欲求:食欲、睡眠欲、性欲、排泄欲など、生物として生きるために必要な欲求。
安全欲求:身の安全や安心、安定した生活環境を求める欲求。
社会的欲求:愛情、友情、交流、信頼など、社会的なつながりを求める欲求。
尊厳欲求:自尊心や尊敬されたいという欲求。
自己実現欲求:自分がやりたいことを実現し、理想的な人生を送るための欲求。
その他にも、お金や物質、権力、名声、承認欲求など、人それぞれで異なる欲求が存在します。
また、日々の経験や環境によって欲求の強さや種類も変化します。
108の煩悩
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08の煩悩というのは、仏教において「欲望・貪欲・我欲などの障り」とされている108の悪い習慣や心の状態を指します。
108の煩悩は、仏教の修行において、このような煩悩を掃除するために108個の煩悩とともに108回数える「数珠を数える」という習慣に生まれました。
愚痴(ぐち)
愚昧(ぐまい)
賢く見せる贋作(けんく)
強欲(ごうよく)
頑丈さに執着する(がんじょう)
顔のつくり(がんこう)
過剰な自己主張(がうおう)
依存(いぞん)
有無を言わせぬ承認欲求(いんしょうく)
強要・無理要求(きょうよう)
恨み・怒り・怨念(こんじょう)
嫉妬・妬み(しっと)
入れ替わった状態(じごう)
嫌悪の念(けんお)
恥ずかしがり・内気(はずかしがり)
ひどい不機嫌・不平(ふきげん)
無関心(むかんしん)
無知(むち)
無垢・純真(むく)
無知からくる傲慢・傲慢(ごうまん)
無自覚・鈍感(むじかく)
好奇心と探求したい欲求(きゅうきゅう)
期待しすぎ(きたい)
恐れ(おそれ)
絢爛なりし自分(けんらん)
懐疑的(かいぎ)
派手好き(はでずき)
自己中心的(じこちゅうしん)
怠惰(たいだ)
たわごとにおおはしゃぎ(たわごとにおおはしゃぎ)
卑屈さ(ひくつさ)
開き直り(ひらいじっ)
不安定(ふあんてい)
不満(ふまん)
不適当な判断・批判(ふてきとう)
蒼白・生きざまを出す(そうはく)
退屈(たいくつ)
卑劣で杜撰(ひれつでずさん)
硬直(こうちょく)
公然と否定・蔑む(こうぜんとひてい)
殺意・傷害・報復(さつい・しょうがい・ほうふく)
似非(じひ)
時がない・焦る(じがない・あせる)
想像妄想(そうぞうもうそう)
羨望・うらやみ・羨望(せんぼう)
執着・こだわり(しゅうちゃく・こだわり)
障る要因・執着(しょうるよういん・しゅうちゃく)
私得(しちとく)
集団に合わせる態度(しゅうだんにあわせるたいど)
自己否定(じこひてい)
矛盾する欲求(むじゅんするよっきゅう)
自己顕示欲(じこけんじよく)
自己温存・負けず嫌い(じこおんぞん・まけずきらい)
美人・美貌(びじん・びぼう)
有名になりたい(ゆうめいになりたい)
用心する態度(ようじんするたいど)
冷酷・冷笑(れいこく・れいしょう)
自分軸・エゴイズム(じぶんじく・エゴイズム)
冷淡になる(れいたんになる)
悪の芽生え・悪魔が憑依する(あくのめばえ・あくまがひょういする)
悲しみ(かなしみ)
圧倒で勝負する(あっとうでしょうぶする)
感情がコントロール出来ない(かんじょうがコントロールできない)
不可能を強要する(ふかのうをきょうようする)
疎外感(そがいかん)
怒りを感じる(いかりをかんじる)
悲劇的な出来事(ひげきてきなできごと)
自分に映えるように行動する(じぶんにはえるようにこうどうする)
神経質(しんけいしつ)
偏見を持つ(へんけんをもつ)
差別的な言動(さべつてきなげんどう)
配慮が足りない(はいりょがたりない)
焦燥・不安感(しょうそう・ふあんかん)
心配しすぎ(しんぱいしすぎ)
問題を解決できない焦り(もんだいをかいけつできないあせり)
虚栄心(きょえいしん)
ものを大事にする(ものをだいじにする)
他人に自分を押し付ける(たにんにじぶんをおしつける)
恥(はじ)
人格に自信を持っていない(じんかくにじしんをもっていない)
不条理なことを求める(ふじょうりなことをもとめる)
暴力・破壊衝動(ぼうりょく・はかいしょうどう)
わがまま・我侭・自我中心的(わがまま・わね・じがちゅうしんてき)
妄想・空想(もうそう・くうそう)
話を聞かない・相手を無視する(はなしをきかない・あいてをむしする)
思い込み・決め付け(おもいこ)
上から目線(うえからめせん)
責任逃れ(せきにんのがれ)
引け目を感じてビビる(ひけめをかんじてビビる)
癖・クセ・習慣(くせ・Cuse・しゅうかん)
アイデンティティ(アイデンティティ)
過去に対する執着(かこにたいするしゅうちゃく)
愛されたい衝動(あいされたいしょうどう)
恋愛おじさん\おばさん(れんあいおじさん・おばさん)
根拠のない自信(こんきょのないじしん)
飽きっぽさ(あきっぽさ)
友達を利用する(ともだちをりようする)
体裁・見栄(ていさい・みえ)
人を評価する基準(ひとをひょうかするきじゅん)
エマニュエル・カント(エマニュエル・カント)
色欲・性的な欲求(しきよく・せいてきなよっきゅう)
不道徳な行動・思想(ふどうとくなこうどう・しそう)
心的・感情的な病気や不安(しんてき・かんじょうてきなびょうきやふあん)
第六感覚(だいろくかんかく)
身勝手な言動(みがってなげんどう)
衝動買い・無駄遣い(しょうどうがい・むだづかい)
世間体・イメージ(せけんてい・イメージ)
邪念・悪念(じゃねん・あくねん)
これらの煩悩は、人間関係や自己理解において、自分自身や他人に対して悪影響をもたらすことがあります。
ですが、これらの欲求や感情を理解することで、自分自身を見つめ直すきっかけになり、自己革新や成長につながる可能性も秘めています。
最後に
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欲望や煩悩との付き合い方は人それぞれ異なりますが、以下のような点に注意することで、より健全な心の状態を保つことができると感じます。
自分の欲望や煩悩を正直に受け止めること 自分の欲求や感情に嘘をつかず、自分自身をきちんと見つめることが大切です。欲望や煩悩を否定してしまうと、それらがたまりやすくなり、欲求不満やストレスを感じやすくなります。
自分自身の欲望や煩悩を客観的に捉えること 自分の欲望や煩悩が、どのようなものであるか、何が原因であるかを冷静に分析することが必要です。具体的な欲求や感情の根本原因を知ることで、それに沿った対処方法が見つかります。
欲求を満たすことができる方法を見つけること 欲求や煩悩をそのままにしておくと、ストレスや不満足感がたまることがあります。自分自身が納得できる方法で欲求を満たすことが大切です。
楽しむことを忘れずに 欲望や煩悩を持つことが悪いことではありません。自分自身が本当に望むものである限り、それに正直に向き合い、楽しむことが大切です。
ただし、無理をしてしまうと、身体や心に負担をかけてしまうので、適度に休息をとることも忘れずに上手く付き合っていくことが大切だと思います。
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kennak · 8 months
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三重県津市立の小学校で教頭を務める50代男性を教育現場から「更迭」するよう求める市民ら242人の署名が先月、市と市教委に提出された。教頭は8人の女性と不倫関係にあったとされ、その半数は教職員。署名した市民らは「子どもを守る学校で働く資格はない」と訴えている。これに対し、教頭は元妻との訴訟で不倫を否定。県教委や市教委は「学校に関することではない」などとして、すぐさま配置転換などの対処をする気配はないという。市民らは署名活動を続ける方針で、問題は収束しそうにない。 元妻が起こした民事訴訟の判決などによると、教頭は令和元年までの16年間にわたり、8人の女性と不倫関係にあったとされる。判決は「期間を重複しながら極めて多数回の不貞行為に及んだ」「その態様は極めて悪質」などと教頭を批判した。 教頭は不倫の疑いが浮上した当初、元妻に対して不倫を認めていたとされるが、訴訟では一貫して否定。出廷を求められるも「適応障害」の診断を受けたことなどを理由に拒んだ。判決は被告としての態度を「誠実なものとは到底言い難い」と指摘した。 目を疑うのは、元妻が訴訟で証拠として提出��た教頭の教職員手帳。当時の不倫相手とみられる女性らの容姿や性格、仕事ぶりなどを「○」「×」や点数で細かく評価していた。不倫を疑われてごまかせたとみられる人らを記録したリストもある。 教頭は訴訟で、手帳の記載を「手を加えられた可能性が否定できない。自分の妄想を書いた箇所が随分ある」などと主張したが、判決は教頭が手帳を自宅に保管したことを踏まえて「違法に元妻の人格権を侵害する行為」と認定。元妻への賠償金を上乗せした。 ■  ■ 署名活動は学校教育の改善を求める市民団体が実施している。「教頭の行為は社会通念や道徳観から逸脱している」とし、地方公務員法に定める「信用失墜行為」に当たると主張。署名は来週中にも300人を超える見通し。一部の市議や県議らにも伝わっている。 市民団体が問題視しているのは、市教委が教頭を教育現場で勤務させていること。不倫の疑惑が浮上したのは、現在とは別の学校で教頭を務めていた令和元年。翌年度には市教委の事務局に異動していたが、昨年度からは小学校で再び教頭を務めている。 なぜ教育現場に復帰させたのか。市教委の学校教育課は取材に「学校や子どもに関することではない」などとして回答を拒否。署名が届いたことさえ認めなかった。県教委も「服務監督の権限は市教委にある。対応を待っている」と、静観の構えだ。 教頭は本紙の取材に「個人のことなので」と回答を拒んだが、訴訟の判決で認定された事実関係については「いろいろと異なる」と主張。「いろいろなことも含めて困っている」と語った。「いろいろ」の内容を尋ねたが、答えてもらえなかった。
<まる見えリポート>津の小学教頭が8人と不倫 市民ら「更迭」求め署名提出 教委に対処の気配なし - 伊勢新聞
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crydayz · 1 year
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230501 EXTRA
「アレな感情」を摂取。
意識や理性は健常のまま重い障害によって日常生活を送るのが困難な人々のCBCドキュメンタリー、YouTubeで次々と観る。
100%当人の自発的選択とは関係ない、偶然の病気や事故によって獲得されたパーソナリティ。
それを「自己責任」という言葉によって受け入れる事なく、社会の中に自分と自分の同類の居場所を得ようと努力する人々の姿に心打たれた。
実際自分の理性と心が彼らを受け入れられるかどうかは別として、自分が同じ立場だったならそこまで頑張れない、周囲に負担や我慢を強いる自分を許せないだろうなと思った。無論、彼らも症状を発症してすぐの頃は同じ気持ちだったはずだ。
考えている事は皆と変わらないのに「劣っている、ふざけている」とレッテル張りされる事が「悔しい」という言葉には強く共感する。
しかし「社会性スコア」面ではどうにもならない。
観ているとどうしようもない罪悪感に駆られる。自分程度の厄介度で希死念慮抱えるなんて申し訳ない、おこがましい、情けないという気持ちになる。
端的に言うと「自分はめっちゃくちゃ恵まれている方なんだからもっともっと我慢しなきゃ」という気分にさせられる。
そしてその意識を獲得する事が尊いと感じてしまう自分自身にムカついてくる。いやいやいやいや「なっちゃったらもうね」的なやつだろう、そういうのは。我慢なんて本来すべきじゃあない。
僕だって「そちら側」の人間ではあるし比較的擬態が容易な「境界に立つ立場」だから「社会性スコア捏造ゲーム」が出来ているだけで基本的に健常な人々を「騙して」生きている。
ちゃんと僕の「厄介さ」を許し受け入れてくれている人々は家族と、KKのシャチョーくらいである。それ以外のありとあらゆる人々の事を僕は「騙している」自覚がある。
ドキュメンタリーの中に趣味がイラストの人がいた。チック症の発作で2年でペンタブのペン20本壊したらしい。ペンがケーブルの次に高いのに・・
あまりちゃんと写されていなかったがレイアウトもデッサンもそれなりにちゃんとしていた。WEBで絵を発信している人々の中にもそんな困苦を乗り越えて描いている人がいるんだな、と。乗り越えているハードルが自分とはケタ違い。
しかも9割の人には評価されない努力。ハンデのデカさにくらくらする。
あ、これ以上考えるといろいろダメになる、って思って観るのやめた。
既にあんま頑張りたくないところに「健常振る舞えるなら頑張らなきゃおかしいでしょ、必死にハンデと向き合い社会に居場所を得ようと努力する彼らに対し失礼でしょ」という「なじり」が聞こえてくる。
どういう感情と理性でこの情報を「処理」したらいいんだ。僕は彼らの夢や欲望に対し「共感」してしまう。「夢と欲が通らない悔しさ」に対し猛烈に同調し、それでも実際にはむちゃくちゃ叶えられている側である自分に対し「罪悪感」を感じる。
ただのラッキーで「建設性を擬態できている」だけじゃん。人格的には彼らの方がよほど優れていると感じる。彼らが「制限のない身体」を手に入れた方が自分などよりよほど建設的かつ理性的で優しい生き方ができるのではないか、と・・・
「ファッション同情やめろ」という声が聞こえる。結局「悩んだフリ」したいだけだろきっぱり無視したら? という妄想リプライが飛んでくる。
イラストとエンタメのクオリティは「差別と不寛容による淘汰」によって維持される。それは間違いない。僕はもはや「不寛容な差別者のカルチャー」に属する人間だ。いずれにせよ、居場所を与えてくれる皆に余計な負担かけたり裏切る事はできない。
「残念な肉体」の中に「ふつうの人格」
「アタリの肉体」の中に「ハズレの人格」
社会が受け入れるのは俄然後者の方。その事実認識するたびにクラクラしてくる。
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hotelinfernoll · 2 years
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ROUTE1999メモ②
*「ROUTE1999」ネタバレ
少年達が選んだ“甘美な、間違ったルート”
「ROUTE1999」(以降「1999」)は代償を払わず、下すべき決断を先送りにした少年達が世紀末を越えられなかった“最悪のルート”の話。
考えるのもキツイこの話を描こうと思ったのは、やっぱりホテルの二次創作の動機がいつも「嘘喰いのつづきを読みたい」だったから。それと過去編の少年達の甘い日々が永遠に続けばいいと妄想する一方���、いつも頭の中にあった「でも1998年のふたりがそのまま一緒になったら共依存になって最悪のルートをたどりそう」という考えを整理して自分の外に出したかった。
これは“原作が最善ルート”という前提なんだけど、どうして原作の地獄展開が最善手かといえば「欲しいものはギャンブルで手にいれるしかない」という貘の性に加えて、そこに「ハルと本気で勝負したい(遊びたい)」を叶えるならばそれは“殺し合いのギャンブル”しかなかったからだった。
貘は仲間を手に入れる時に必ず“最初は偶然で出会う→その縁を捨ててギャンブルで手に入れる”という行程を踏んでいる。その中でいちばん手に入りにくい“高嶺の花”だったのがハルこと切間創一だった。たぶん貘は、その縁を切る時スリルを味わっている。それが妃古壱が見た初回屋形越えで笑っている貘だったのだと思う。でもこの話は若さゆえに、目の前の甘い果実を手にとってしまい悲劇に至る少年達の話だ。
偶然でも運命でもなく
でも結局、貘とハルはどんなルートを辿っても結局は殺し合う事になる。原作だってたとえば記憶を失った内調蜂名と貘が出会って仲良くなるルートに分岐する可能性はあるけれど、行き着く先は原作(=殺し合い)ルートになるんだろう。そうならないとハッピーエンドにならない。そしてそのルートも歯車が一つでも違えば最悪のルートになる。それでも元手を持たない貘が欲しいものを手に入れるには、偶然や運命ではなく“ギャンブルで手にいれる”しかなかった。
少年達を取り巻く大人達
原作を読んでる感覚を味わいたいという衝動で描き始めたので特に貘とハル以外のキャラクターは「こうしたい」という気持ちを極力消して描いてた。 ちなみに、ホテルの漫画の描き方は、ある程度プロットを決めたら即興という感じなんだけど、本当は判事が出る予定は無かった。ただこの話を描いていていちばんキツかったのが#6の最後のページを描きながら、このあと「創一の記憶障害の回復を願っているのに、記憶が戻らない事を願う撻器」に気付いて手が止まった。そして未来を切り拓くために必要な「友人」に助けてもらう事にした。
頂点の孤独
個人的に「孤独なリーダーは短命」というメッセージを原作から感じていた。創一は友人達との深い付き合いを禁じられたために、その反動で偶然得た貘との友情を命を賭けて守ろうとした。一方で撻器のしなやかな強靭さ・柔軟さは本人の性格と合わせて若い頃から同年代の立会人達との信頼関係の上に生まれたようにも見える。だから殺すつもりはなくとも息子に銃口を向け実際に引き金を引いた痛みを分かち合うために判事が召喚された。そして判事が出てきた時にこの話は改めて「お屋形様とその友達」になった。#7でハル(未来のお屋形様)と貘(その友達)は離ればなれになって再び二人の運命が交わるまでは、現お屋形様(撻器)とその友達(判事)の話になっている。
零號立会人
原作と同じ気持ちを味わいたい、という事でピンチの時に最強の立会人零號が出てきた時の頼もしい感じを描きたかった。と同時に帝国タワーのレオ登場のオマージュでもある。やっぱり読者を裏切り続けるという原作のストーリーを出来るだけ再現したかった。希望から絶望、天国から地獄の落差で後半は心臓が苦しかった。
その他、小ネタと蛇足解説
#1 p2:「いっちゃった」は自分が「言っちゃった」とハルが「行っちゃった」 p5-7:吹き出しのセリフ以外はモノローグなので戻ってきたハルが貘に言ったセリフは「ちゃんと聞いて貘さん」「僕は…」「君と一緒にいたい」。
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#2 p1:ミスタードーナツ1998年のメニュー p3-5:貘はハルの秘密を共有する事で自分達の仲間に伽羅巻き込もうとした。ハルに何かあった時に守ってもらうためチームを作りたかった。 p8:「もうすぐクリスマスだね」良いとこの坊ちゃんに対して「いつもなら家族と一緒に過ごすんでしょ」と鎌をかける貘。自分に巻き込んでしまったハルに対して罪悪感もある。 p9:一向に来ない創一に栄羽はいつまでメッセージを録音し続けるか悩んだ。
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#3 p1:コンドーム配布は1998年のいかがわしさの象徴。*コンドマニア原宿店は1993年の2月にオープン p8-9:ちょっとハルが良い子すぎるけど良い子というよりは律儀な子。
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#4 ふたりの蜜月。その時間が甘ければ甘いほど罪悪感が深まる。 p4:赤ん坊時代のエピソードも即興。記憶ありそうだなって。 p9:貘が決断をしたのと同じ時に、ハルも決断をしている。
#5 p1:年越しジャンプの元ネタは「ツルモク独身寮」って今回調べて知った。 p4:ハルの買い物は睡眠薬。
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#6 p8:ハルの痛みを思って自傷(唇を噛む)する貘。血と涙が混じる雫は帝国タワーラスト「クララの嘘つき」オマージュ。
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#7 p1:判事の職業は裁判官だと思って裁判所にしてしまったけど、よく考えたら「通称:判事」なので、違う職業の可能性があるのだとあとから気づいた。というか違う職業なのにあだ名が「判事」の方がかっこいい? p5:初回屋形越えの創一と同じポーズで去る父
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#8 p1:スイス、ベルンのバラ公園 (ベルンのバラ公園に咲き続ける日本の心「ソメイヨシノ」) p2:ホテルの漫画でたまに出てくる直器のスイス留学時代の同級生(初恋地獄篇、巨悪とゆかいな仲間達② (pixiv) ) p3:自分より強い相手が嫌いな撻器、「私もです」は「私もあなたが嫌いです」でも「私もこういうドライな自分が嫌いです」でもどちらでも。 p4:子供は殺さないけど、成年してから来たら知らないよ。 p6:「みんな嘘つき」のみんなは、戻ってくると行って死んでしまったハルと自分を殺さなかった伽羅のこと。「いっそ殺してくれれば良かったのに」。 でも伽羅の「悪く思うな」は、貘の唯一の友達であるハルを救えなかったことと全てを失った貘が「いっそ殺してくれれば」と思う事も見越して。 p10:噂話を聞くまで「ハルは死んでる」と思っていた貘が活路を見出す。 p11:「LOVE & PEACE」は貘の秘密の目標「世界平和」。 捨てなければ(忘れなければ)前に進めない創一と、決して忘あきらめない貘の物語は原作へつづく。
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(221025)
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jaguarmen99 · 1 year
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18 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2023/04/22(土) 23:51:51.71 oHOIwXIt絶食した直後にカロリー大量に取ると死にますよ258 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2023/04/22(土) 23:55:51.79 7l23DoaP>>18豊臣秀吉「鳥取城はそれでエライことに・・・」372 名無しさん@お腹いっぱい。 2023/04/22(土) 23:57:57.96 uOPtm/ZP>>258お前のせいやろがい168 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2023/04/22(土) 23:53:37.65 V4/JwmCB>>18それってどうしてなんだろうね昔見た戦争映画でそういう場面があったわ379 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2023/04/22(土) 23:58:25.03 iMo5uh13>>168ググってみた■リフィーディング症候群[refeeding syndrome] 長期間栄養不良状態が続いている患者(神経性食欲不振症など)に積極的な栄養補給を行うことにより,低リン血症をきたし,発熱,痙攣,意識障害,心不全,呼吸不全などが現れる.栄養補給開始直後ないし4~5日後に発症する.血中リン濃度を測定することと,投与エネルギーを減じ,直ちに静脈的なリン酸の補給が必要である.この現象は長期間の飢餓によりエネルギー代謝が脂肪中心であったのが,栄養の投与により急激に炭水化物に変化し,それに伴って血中の電解質が細胞内に移行することによる(参考文献8-5-8).だ、そうだ
続・妄想的日常
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