Tumgik
#外観こんなだけど、通常営業中の喫茶店
arcadebroke · 9 months
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palakona · 1 year
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特等席のはずが…(つД≦。)°
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
どうも、こんにちは。12月21日(水)は、西池に行ってきました。平日なので席はあるでしょうが、前回、前々回と釣況厳しく午前中ボウズだったので、以前のように喫茶店でモーニングサービスを食べてから半日釣行する余裕もなく朝から釣行です。早朝、お寺に参ってから西池に行ったので、営業開始から30分以上経っていましたが、何と!禿頭(とくとう…何、この変換w)じゃなくて特等席の73番が空いていました!西池は屋内の73番と仕切りを挟んで屋外の72番が特等席で、数も型も出る釣り座です。今日は絶対釣れるわw大助も期待できると楽観的な僕。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
うどんを作るのは3回目になりましたが、食用色素を入れて赤く染めてみました。以前、西池で常連さん(足を組んで釣る、痩せたおじいさん)が赤いうどんで釣ってるのを見てカッコいいなとw。僕にも作れましたみたいなw。ハサミで切る時に加減がまだわからないので、長さが不揃いでトレーの長さに合っていない…。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
シャア専用…いつも同じネタでスミマセンw。朱塗の竹竿です。芸舟の10尺。めんどくさがりで仕掛けを作り直したりしないんですが、数も型も期待できる73番席に入れたので、今日の僕は違うw。いつも釣友さんに批判されているwクッション付きの三叉を外して、真鍮の中通しのオモリ巻き?もやめて(真鍮の自重が重いので、舟水のウキの感度が良すぎてオモリが乗らない)、シンプルな仕掛けにして、舟水の極細ソリッド浮きの10番でエサ落ちメモリを下から四つ目にキッチリ合わせました。ハリスも下鉤は西池の規定いっぱいの40cmで真冬スペシャルですw。これで両うどんで振り込むとエサ落ち目盛から4目盛ずらしでウキのトップが4〜5目盛ほど出るのでウキの馴染みはエサ落ちから3〜4目盛。バッチリやん。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
なので、絶対釣れるはずなのですが、ウキが全然動かへん…。周りは、釣れへん釣れへん言いながら、少ない人は2枚ぐらい、多い人はポツポツ釣ってる。特等席に入って釣れてない僕って…。僕の対面の27番に入った人は、対岸の特等席なので20分に1枚ぐらい?のペースで釣ってる。検寸に行ってなかったので大助は出なかったみたいだが。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
お昼ご飯は他人丼+ミニうどんにしました。美味しかった〜。最近はカツ丼より他人丼が好きです。午後の部も全く釣れない。アワセ切れが2回あったぐらい。喰ってたんかなあ。喰い魚信がでなくて、触りと糸スレだけ。時間が刻々と過ぎる中、ボウズのストレスに苛まれていると、水上淡水養魚場のトラックが到着して新ベラ放流が始まりました。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
新ベラ放流って茨木新池や水藻フィッシングセンターみたいな土管放流(トラックと池を管でつないで流すやつ)って思ってましたが、西池はバケツなんですね。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
11月放流分も大助サイズで40cm以上でしたが、今回も大助サイズで35cm〜40cmって貼り紙に書いてたけど、尺半サイズも混じってました。手前のやつは尺半ありそうですよね。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
水温8℃以下…どっかのブログで西池は水温8℃以下になると難しいって書いてたけど、僕のウキが動かへん。確かに渋かったけど、周りは2枚ぐらいは釣ってたけどなあ。赤いうどんがアカンのでしょうか?魚は匂いに敏感らしいから、食用色素を入れたのがアカンとか?過去2回も難しかったけど、特等席でもない釣り座で自作のうどんで釣れたけどなあ。うどんに食用色素で黄や赤に染めるのもフツーに行われていると思うし、そもそも赤い安定液も売ってるのに。
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2022年12月、西池(堺市) iPhone11
結局スレ2枚でボウズ。最後の一投で釣ったスレは、多分、新ベラ放流の大助で尺半ぐらいありました。最後にドラマになったかと期待しましたが、そもそも魚信が糸スレの魚信やし、網に入れて確認したらやっぱり胸ヒレの所に鉤が刺さってました。(ノ_-;)ハア…
ということで、どんなに真冬でも73番でボウズなんて聞いたことないですが、僕はボウズでした(悲)
では、また。
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lunahoshisolar · 20 days
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弦巻マキと私が怪談をする理由
「モカちゃんだよね?帰国子女でイギリス育ちって、マジ?」
転入初日の転校生の私の周りはきっとそういうセリフで溢れかえるのであろう。宮舞モカは、脳内で同じ景色のイメージを繰り返した。「モカ」という、自身の本名で弄られることもあるかもしれないが、その時は、「モカちゃん、モカ好きだったり?」と意地悪く聞かれてもこう答えるつもりだ、「まあ、実は」。
キャラ付けは、唐突な理由であったとしても、やぶさかではないのだ。
宮舞モカはいわゆる「陰キャ」だ。陰気なキャラ、陰の気を纏うキャラ、陰気な雰囲気なキャラ、陰険不粋支離滅裂……自分をそのように定義してきたのはモカ自身であった。
もしモカの守る強い自我が壊れるとするなら、陰を圧する程の陽気を身に纏った「陽キャ」によるものである、とはモカにとっては自明の理であった。陽の気を圧倒する陰の気で武装すればモカの自我は守られる。だから、モカは「陽キャ」に対抗できるだけの陰の気を使い、陰気に陰で人目につかないところで論理を講じれば良いだけだった。
それがモカの考え得る「最適の生存戦略」であった。モカは生き残らねばならなかった。
情報収集のためにモカは引っ越したばかりの土地で一人散策をした。
一人行動が肝で、これは「学校で一人で行動していても猫好きな自分は気質が猫的であるから」と上手く納得してもらうために、考えた設定だった。
母がイギリスで可愛がってた野良の黒猫は、その為に「モカの唯一の親友なのだ」とモカは母にわがままを言い、日本に連れ帰ってきてもらった。モカの唐突な強い自我に驚いて母親はもちろん、快諾した。
しかしもちろん、これは嘘だった。イギリスの話を聞かれたら、猫といたから寂しくなくて、友達が居ないんだとか、居なくても平気とか、自分の話を避けたくて作った設定だったのだ。別に猫が居たから友達を作らなかったんじゃなくて、アニメの話をする友達をネットでだけ作って、引きこもりを家族に心配させないためだけに家にいる趣味を作っていたら、こうなってしまったのである。
音楽を聴くのが好きだったわけじゃあない。黙っている言い訳が欲しかったのだ。ヘッドホンをつけて、下を向いていたい。しかし、そうやって快適に無挙動でいるために世界観を領域的に展開する完璧な選曲のプレイリストは、気付けば独自色が強く、自我を感じずに居られぬ趣味の様相を放ってしまった。ここまで蓄えた知識を、使わない陰キャではない。ネットDJを、始めた。ショート動画を投稿して、猫ミームに乗せた自分のニッチな趣味の、わかる人にはわかる感じがある、そういう音源を加速させたりノイズを入れたりした、ヤバい感じ、普通じゃない感じの音源がコメント欄で、「ヤバい」と賑わうのが、モカは爽快であった。
モカは承認欲求を醸造した。
一挙手一投足がキャラ立てしていなければならなかった。
それでないと全て夢が晴れてモカは現実が見える。嘘は少し真実が入っていて美化されていれば、趣味がいい表現方法になる。もしモカが、ただ単に英語を喋れるアニメオタクとバレてしまってはいけない。それをモカ自身も気づきたくないしモカが気付かなければ突っ込まれることもないだろう、だって陰キャだから。
そうやって、自我の強さを隠せぬまま、モカは新しい町の一角で寂れたカフェに入った。しかし、思ったより中が小綺麗であり、そこに予想外で慄いてから、顔涼しく自我論理を整理して気分を落ち着かせていた。ちなみにもちろん、モカを注文した。
気分が落ち着いてからモカは思い出す。時間差でジワジワ襲ってくる本当の問題はそのカフェモカを持ってきたのが金髪の少女だった事であり、しかも……
「(えっ……同じ制服なんだが……?)」
……モカのこれから通う、学校の制服を着ていた事であったのだ。
宮舞モカは、いわゆるハーフ、ではない。純日本人の「純ジャパ」であるから、「帰国子女」属性だった。
これはこれから通う学校で既に外国情緒枠が埋まっていて、しかもそれを外見で即捕捉出来てしまう「パッシブスキル」としての「外国情緒」枠である。宮舞モカ、彼女のように、「アクティブスキル」として、使う武器として、コマンドを押さないと発射されない「外国情緒」じゃない。ここまで来ると下位互換で呪いに近いのだ。「英語出来るマウント」で、押し通すしかないのだ。
しかしそれにはこのブロンドの少女が、英語ができるのかできないのかを判断しなきゃいけない。この日本で私以外に英語ができる人がそんなにいるわけないから、私が話しかけて判断しなきゃいけない。
ーーハードルが高すぎる……。それじゃあ、外見を。
「パッシブスキル」を盛るしか。それしかないのである。アニメ属性として、「海外育ちはエロくて無意識だ」なんてものがあるのだ。こいつは、使わない手は無いので、日本で「ドM」の象徴のチョーカーとか、日本育ちでは珍しい「谷間の露出」、そういう私が英国でもやってない格好を日本国でやることにした。
幸い髪も切って、インナーカラーを入れて(アニメでも流行ってる)、そうすれば、大人しくて怖く無いけど外国人的でかっこいい「私」が生まれ、金髪の子にも客だったのがバレず済む。今日起こったことは転生モノの小説の、転生前に突然起こるトラッ���の接触事故だったのだ。金のトラックに私は事故って、今、神の恩寵により理想の自分自身に生まれ変わったのだ。そういう流れで私の事前知識系チート人生が始まる。
……はずだったのだ。その少女は、私のクラスに居た。そして、帰国子女設定を盛り過ぎたせいで、陰キャ隠しのための「大人しいクール系」設定が化学反応を起こして、「日本語が苦手」だと先生に思われてしまった私は、クラスで唯一英語が出来るその少女の隣の席を任命されてしまった。そしてその少女にマシンガントークで英語で話され、私の「一目置かれる黒猫少女」という夢の学園生活は終わりを告げた。
ーー絶対今浮いてんじゃん。
ーー絶対怖がられたな。
もうキャラ変更が容易に出来なくて、脳内の自由が、アイデンティティの可変性が私からは消え去っていったと感じていた。思ってた流れではなく無意識に、「興味のなさそうな生返事をする無気力系無言威圧主人公」に私はなっていたのであった。
「日本語は、どれくらい出来る?今言ってること、わかるかなー?この後の授業とか、先生に相談する?あ、英語で言い直そう!えーっとねー」
「あ、えっと、弦巻、さん……だっけ、私、日本語出来るから……気を遣わないで、ね」
「うっわー!日本語ペラペラじゃーん!やばー!心配したの恥ずかしすぎる!みんな、モカちゃん日本語めっちゃうまい!」
ーー何故……
何故全てが、悪い方向へ行くんだ?「英語めっちゃペラペラ」の想定はしたが、「日本語めっちゃペラペラ」は想定せず、日本語のうまさで弄られるのも想定せずにいた。
「あはは……私、アニメ好きの陰キャですので〜……ははは……」
もうクソ喰らえで私は、自ら白旗を上げ、セルフハンディキャップという完全なる防御技を繰り出すに至った。セルフハンディキャップとは、自分自身の自我を守るために敢えて自分を「最初からできない奴」と定義して、自分や他人からの失望に先制して釘を刺す行為だ。
「マジで!?私、バンドやっててさー!アニソンめっちゃ弾いてるよー!ギュンギュンって、ムスタングでね!エレキギターなんだ!」と弦巻マキは金髪を振り乱して陽キャに語った。早口語りもこいつがやれば可愛く済むようだ。もう脳内にさえ私の居場所は無い。
「そうなんだ……なんか、すごいね、弦巻さん……私なんか、一人でネットでーー」
「あ、弦巻さんじゃなくってマキでいいよマキマキとかマッキーとか」
心が完全にポキリと折れた。三つの選択肢、多すぎる。私には何もわかることができない。
今、自分が猫だったら奇声をあげて飛び上がってそこら中にあるものにぶつかりまくり部屋を出ていた。本当に人間でよかったと思うし、もう黒猫女子なんてクソ喰らえと感じていた。人間万歳だ。
「じゃあ、マキ、さん、は……えと、���山あるんだねえ、好きなこと……」
嫌味のつもりで言った。早口でうざい、と言うつもりで。弦巻マキは笑顔で頷いて、私は消えたかった。私が昔言われたことは、彼女にとっては褒め言葉に感じるのだ。私はやっぱり普通じゃ無いのだ。やはり私は新しい自我を創り出し、その中で完璧にキャラになり切って生きなきゃいけないのだ。
宮舞モカの肉体とキャラという棺桶に生きるアンデッドだ、私は。スクールカースト外の最下層で、人々に生かしてもらわなきゃいけない、精神的インプレゾンビなんだ。建物の中に生きている血肉の気配と音だけで駆けつけて必死に這い上がる腐乱死体だ。頭の中で一番大きな雑音の「弦巻マキ」に、本能で追い縋るしか私は出来なくなってしまっ��いた。
そんな風に、私は彼女の父親が営む「喫茶マキ」の常連になっていた。
放課後、隅っこで、店を手伝う弦巻マキの淹れたモカを飲み干し、おかわりを気付いて淹れてくれる弦巻マキとの無言の交流を「特別さ」の演出のために知らぬ顔で用意した。幸い、ノマドにオタク陰キャをさせてくれるだけの物質的優位性を私は確保出来ていて(スマホ、タブレット、ノートパソコン、ファイルのクラウド連携等)、私はずっと殻に篭ることができた。猫が懐く時のように、距離を置きながら空間を共有した。庇護欲に頼りたかったからだ。でも、弦巻マキは私を庇護しなかった。
「モカちゃ〜ん、今日も、閉店まで居てくれたね」
弦巻マキは笑顔で身を乗り出しながら、向かいに座る。これは、毎日の日課になった。彼女は、私が彼女のために閉店間際まで店にいると思っているらしい。そのポジティブな陽キャ思考の恩恵で私はほとんどの文脈を自分で作ること無しに受け身に築かれた、対等なる友情を享受した。
「うん……マキちゃんが居るから……えへへ……迷惑かなぁ……」
迷惑なわけがない。弦巻マキは、思っていたよりも、静かな時間を好むタイプだったからだ。
学校では明るく音楽や友達の話をし、ギターを練習して、時には歌ってから、家に帰る。父親のためと思われた喫茶店での手伝いは、むしろ自分のために行なっているようだった。コーヒーを淹れ、掃除をしながら、完全に「ここにいない」、空想の世界に旅立った虚な目をした弦巻マキを、そのうち地蔵のように意思なく座る宮舞モカに対して頻繁に見せるようになったからである。
そして、毎日毎日閉店後に自分の向かいに座る時、私に対して「何か」確認するような目線を向けることが増えていたのだ。
それが何かわからない。しかし、私にそれに同意する以外やることは無い。私は意思無く、彼女の意味のある目線に同意するように目を合わせ続けた。
……今思えば、猫同士がお互いの存在を確認し合う時にそうするようにだ。
「迷惑なわけないよ、私って……、学校での時が、全部の私じゃないし。それを見てる人がいると、ちょっと救われる、自分は普通じゃなくても居場所がありそうだから……なんちゃって。重いかも!」
どきり、とした、普通じゃない弦巻マキと言われると私もそうだと言われた気がした。
だから、私はそう言い、続けた。先に言って、認めちゃえばいいと思っていた。
「わかるよ。私も普通じゃない部分あるし、シャーロック・ホームズだってさ、普通じゃない……そう言う人が、普通じゃない視点だから普通じゃない事件を任されて」
シャーロック・ホームズが特段好きなわけじゃなかったが、その英国で一番愛された虚構の人物になれば、虚構の中に住む自分が愛せるきっかけになると思った。私は、自分を構成するもの全てが、消費され得る要素に格納されてなければ、安心して生きることは出来なくなった。
そして、シャーロック・ホームズを引用する私を弦巻マキはとても愛していた。引用する度に拡がる瞳孔を私は決して見逃しはしなかったし、それは私を安心させた。
「モカちゃん、詩人だよー!モカちゃんってシャーロック・ホームズ大好きだよね。流石、イギリスの帰国子女って感じ!私と違って、すっごい、頭いい感じする、教養っていうの?かな〜、うんうん」
また私は、安心した。私が持つものが弦巻マキに無い要素ならば、彼女は完全なる存在であるために私を必要とし続けるだろうと考える。
私が彼女を完全にする、ピースでなくてはならない。弦巻マキを構成する欠けたピースは、私が全て推理して突き止めねばならない。そして、それを全て合わせて、答え合わせをするのだ。今この時のように。犯人は、必ず全てを自白しなければならない。弦巻マキの罪は、私が一番知ることになる。
「それでさ、アーサー・コナン・ドイルって、すごいオカルティストだったっていうのもモカちゃん勿論知ってると思うんだけどさあ」
何?
「うん、そうだね、オカルトエンドの話とかあるしね」
心臓が早鐘を打つ。この入り方はなんだ?
「うんうんうん、そうそう!未知を探求して証明する人が、証明出来ない現象に対してこの世界以上の存在を認知して知覚してしまう、その在り方がすっごくいいと思うんだ!私の持論だけど……」
「わかるよ。私も、この世界がなんだよって思うし、さ……この世界の原理なんて、ぶっちゃけ超自然の前ではゴミカスに過ぎないしね、あはは」
「そうだよ!!」
えっ?弦巻マキは興奮している。私はこれが何かわかっていないが、彼女の呼吸、空気感、リズムを体の方が既にわかってしまっていた。
毎日毎日擦り合わされた充満された空気の密室で、私たちは重なり過ぎていた。
だから、口を突いて、彼女の求める事が体全体で勝手に出てきてしまっていた。私は言った。
「なんていうか、目に見えるものなんか全部虚で、全部幻想なんだよね。全部意味なんてないよね」
……弦巻マキの頬が紅潮してゆく。私は弦巻マキの何かのスイッチを押してしまったようだった。
金髪のエメラルドの瞳の、繊細で柔らかいマキ、頬の肉が幼さを感じさせる。
彼女の前で私は、彼女の肺を満たし続ける「空気」で居続けるしかない。彼女は大きく息を吸い言った。
「それって、本当そうだよねー!私も、たまに逃げ出したくなるの、私っていう存在から。でもね、私という存在って本当は儚くて……本当はすぐ消えちゃう、霧に映し出された幻想で、まやかしなんだって思うと救われるの。だから、この社会を生き抜くために私たちは、ぶっちゃけ非日常の真実に向き合い続けねばならない」
弦巻マキの本気の時だけ使うテナーの声が、私の鼓膜を揺らす。平衡感覚がおかしくなりそうであった。もし、私が猫だったなら、よぼよぼと足腰が不確定に揺れたであろう。
「モカちゃんって、猫ちゃんとしか仲良くないじゃん?特に黒猫って、不幸の象徴としてヨーロッパで狩られ続けたけど、私、それってモカちゃんがワトソンくんをすごく可愛がってる理由なんじゃないか?ってずっと思ってたの。自分を重ねるって言うのかな!?そして、それが今わかった、やっぱりそうだったんだ!すごいすごい!モカちゃんやっぱり詩人だ!詩は、オカルティストが暗号を隠す一番愛された手段だから!モカちゃんは、生き方がタロットカードでグノーシス的なのだ!」
金切り声を上げて、マキは大喜びした。マキの唐突なラップバトルに、私は加勢した。
「そうだよ!全ての生きとし生けるものの行為は霊的実現で、生命の樹を上に辿る知恵の道なのだ!」
もう弦巻マキは、ギターさえ必要としていない。ギュエェー!とギター顔負けのリフを喉から搾り出し、弦巻マキはのけぞり膝をついたのだ。ギターのムスタングは、彼女が社会的顔を保つための、彼女の身代わりで、ガワだったのだと思い知った。
もう彼女を止められる人はどこにも居ない。
マキは続けた。止まったらきっと、息が出来なくなって絶命する。
「私静電気すごい起こる体質でさぁ〜!たまに、静電気でビビッて髪の毛逆だっちゃってアンテナみたいになるんだ!妖気、感じてんのかな〜?人間はみんな体に電気が通ってるんだけど、霊もプラズマとか電気的エネルギーだって説があって、実際埃っぽいとこで出やすいらしいんだよね。だからモカちゃんもいつも埃っぽいの?」
「エッ、うんそうだよ当たり前じゃん!やっぱりその方がインスピレーション湧くから!チャンネル合うっていうのかな!すごいよね!」
はあー、と弦巻マキがため息をついた。これは私でも解るが絶対恍惚の吐息である。
「実はさ、モカちゃんといる時の方が静電気酷くなるんだよね」
前情報を元に弦巻マキの頭頂部に目をやると、やはり、毛が二本アンテナのように逆立っている。
嫌な予感がする。私はホラーは大の苦手なのだ。深夜に怖い話やスレを読み漁るのは自傷としてのホラー鑑賞なのに。
「これから毎日、うちで夜まで怖い話しよ!」
私は、完全に諦めた。
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helloharuo-diary-2023 · 3 months
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思い出を振り返る
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Tuesday 11 February 2014
2014年1月9日(木)夜10時4分、おかあさんが92歳で亡くなった。おかあさんは、自分の母のことではない。ハルオは、26歳の時人生のターニングポイントを迎えた。それはカメラマンになる修行を始める時だった。キーパーソンは、カナダ人のジョン。ジョンとの出会いは、ハルオが当時勤めていたカメラ量販店(24〜26歳)でのことで販売員(ハルオ)とお客(ジョン)の関係から始まった。そのジョンにカメラマンになりたいと伝えるとジョンはある女性を紹介してくれた。その女性は、ハルオが師事する事になったカメラマンGが手掛けていた雑誌の編集者をしていた。ハルオは、ジョンを介してその女性と会いまもなくカメラマンGを紹介してもらい彼の元で働きながら写真を学ぶことになった。
ハルオは、当時国分寺に住んでいた。カメラマンGの仕事場は中目黒にあった。一方ジョンは中目黒に近い下北沢のアパート「葉隠荘」に住んでいた。そのアパートは、いわゆる外人ハウスで管理人がいなくある意味無法地帯のアパートだった。そのアパートがあった敷地内におかあさんが営む一杯飲み屋「小料理 小千谷」があった。ハルオは、国分寺のアパートをキープしながら葉隠荘(3畳部屋)に移り住んだ。そしておかあさんと出会った。おかあさんは、当時70歳だった。1991年のことだ。「小千谷」とはおかあさんの生まれ故郷新潟県小千谷のことだ。「小千谷」カウンターに5席ほどの小さい飲み屋でおかあさんが一人で切り盛りしていた。メニューは、300円と600円のみ。瓶ビール(大瓶)500円。おかあさんは、自分のことを『昔はあばずれ、今は聖母マリア』と言った。そして『おかあさん』と呼んでと言われる。おかあさんは、外国人しかいない葉隠荘に日本人がやって来たことが嬉しかったのだろうかハルオとおかあさんはすぐに打ち解けて仲良くなった。「小千谷」は夕方から12時まで営業していたので仕事が遅くなった時でもお店は開いていてよくハルオはおかあさんに会いにお店に寄った。おかあさんは昔の下宿屋のおばちゃんみたいな存在だった。おかあさんは世田谷区に住まいがあり旦那さんと暮らしていたが葉隠荘にも1室部屋を持っていた。その部屋はジョンの部屋(6畳部屋)の隣りだった。ジョンもハルオも20代後半の血気盛んな時期で週末となればどこからともなく外国人たちがジョンの部屋に集まりテクノミュージック(後にトランス)を聞いて騒いだ。ボロアパートの葉隠荘だから音は筒抜けでおかあさんは最年長でテクノを聞いていたことになるだろうか。聞くだけならともかくその音はおかあさんには不快でよくジョンの部屋に来て『うるさいよ〜』と注意に来た。
「小千谷」には、常連のお客さんがたくさんいて当然おかあさんのファンでもあった。おかあさんが道で拾った鶏をカゴに入れて飼っていた時があった。そのカゴは「小千谷」の店先に置いてあってある日おかあさんはそのコメコと名付けた鶏を写真に撮っている女の子Aと出会う。そして「うちにも写真を勉強しているハルオ君という子がいるよ』と伝えハルオはその女の子と「小千谷」で会った。ハルオは、その女の子を気に入りやがて2人は付き合う様になった。おかあさんは愛のキューピッドをし他にもおかあさんがお客さんとお客さんの縁を取り持ち結婚までしたカップルがいた。ハルオには、18歳で上京して以来2番目に仲良くなったTという友人がいるがそのTも「小千谷」が気に入り常連になった。そのTもやはり常連だった女性と恋に落ちその縁は今でも続いている。
ハルオが葉隠荘にいた期間は3年間だったがその間に「小千谷」が30周年を迎えた。近くの北沢八幡宮の宴会場を借りて大勢の人が集まり盛大に開催された。おかあさんは、得意のかっぽれを踊った。おかあさんはハルオに葉隠荘の外観写真を撮ること依頼しその写真を使い記念テレフォンカードを作った。おかあさんが何かの病気になり病院に入院した。それは大したことではなかったが退院の日ハルオはおかあさんに頼まれて迎えに行った。当時ハルオは400ccのバイクに乗っていておかあさんをシートの後ろに乗せて葉隠荘まで連れ帰った。そのことは後々までもおかあさんの記憶に残っていて時折そのことを懐かしんでハルオに話した。
「小千谷」には焼き飯というメニューがあってとても美味しく量がありハルオはよく好んで食べた。他には、刺身や漬け物、焼き魚等のメニューがあった。時折ハルオが朝仕事に出掛けると葉隠荘の入り口におかあさんからハルオに宛てたメモがありお店で残ったメニューの焼き飯やおにぎり、惣菜、を詰めてハルオに弁当を持たせてくれた。おかあさんは"お母さん"だった。ハルオは、バイクで交通事故に遭い肩甲骨と鎖骨を折って入院したことがあった。その際にはハルオの母も看病にやって来たのでハルオの母とおかあさんは顔を合わせている。その後年賀状のやり取りも続く。
ハルオが葉隠荘に住んで約3年後葉隠荘が取り壊しになる話が進められていた。丁度ハルオはカメラマン修行も終えた頃で立退料を大家の代理から30万円貰って早々に羽根木公園の近くのアパートに引っ越しをした。その後も暫く葉隠荘も「小千谷」もそのまま健在だったが遂に取り壊しをする時がやって来た。おかあさんが75歳前後のことだろうと思う。ハルオは、葉隠荘が取り壊される日、ドキュメント写真を撮った。その後まだ元気だったおかあさんは世田谷区上町駅近くの商店街に「小千谷パート2」を開店させた。ハルオは、定期的におかあさんに会いに行った。さてその店が何年続いたか?2〜3年?ハルオには記憶にない。下北沢という好条件にあった時に比べ上町ではお客さんが少なくなっていた。それでもおかあさんはお店を続けたかったんだと思う。
おかあさんは、水泳を好んで良くプールに出掛けていた。『ハルオ君、今度私が泳いでいるところを撮って』とおかあさんに言われたことがあったが実現には至らなかった。『小千谷パート2』が終りかけた頃、おかあさんは、自分史を書いた。その文章を常連のお客さんたちが小冊子に纏めた。その中にハルオについての話を書いてくれた。
2006年、ハルオは、写真展「十人十ゑろ」を開催した。しばらくおかあさんとは会っていなかったがおかあさんに写真展の話をすると行きたいと言ってくれた。しかしおかあさんは足が悪くなっていて自力では来れない。ハルオは、タクシーをチャーターしておかあさんの送迎をした。「十人十ゑろ」は10人の女性の素肌(殆どがヌード)をキャンピングテントの中で撮影した作品だった。その後おかあさんとのやり取りは年賀状や時折の電話で続いて行った。
2008年、ハルオは25年間住み慣れた東京から静岡に引っ越しをした。この年の前後(記憶が乏しい)におかあさんに会いに行った。場所は下北沢から近い世田谷区の淡島通り付近の喫茶店。おかあさんの住まいは一戸建だったがとても小さく人を迎い入れるには難があった。おかあさんの足は更に悪くなっていた。その時は、ハルオはおかあさんがキューピッドをして付き合うことになった女の子Aと行った。Aとのお付き合いは半年も続かなかった。しかし元々Aはカメラマンになりたかった女の子でハルオに触発されてか付き合っている頃から写真学校の夜間部に通い晴れてカメラマンになっていた。ハルオとAは、友達として連絡を取り合っていたのでいい機会と一緒におかあさんに会いに行ったのだった。ハルオは、写真を撮って後でおかあさんにその写真を額に入れて贈った。おかあさんはその後世田谷の住まいをそのままにして小千谷に近い新潟県長岡市に身を寄せた。始めはおかあさんだけでその後旦那さんも。
2011年、おかあさんからハルオに手紙が届いた。その日は偶然にもハルオの誕生日だった。手紙が入った封筒には、現金2万円と写真も入っていた。その時何故現金が入っていたのか分らずハルオは、誕生日プレゼントだと勝手に思った。(しかしそれは後で気付いたが新潟までの往復の交通費だった。)そして写真だがそれが驚いたことにおかあさんのヌード写真だった。おかあさんが50〜60歳位の頃の温泉の露天風呂に入っている写真で下半身はタオルで隠れていて上半身は裸で乳首は見えそうで見えてはいなかった。手紙に『ハルオ君の個展か何かに出せるんじゃないかと勝手に考えました。自分のうぬぼれかも知れないけどそんな風に役立てて下さい。お願いします』とあった。随分大胆だなとハルオは驚いた。ハルオは、この時以前プールの写真を撮ってとリクエストされたことを思い出した。
手紙を貰った後中々新潟までおかあさんに会いには行けなかった。 ハルオは、それがはがくゆく気になっていたのでおかあさんに会いに行く決意をする。 おかあさんに貰った交通費2万円を使い時がやって来たのだ。
2013年春、 その旨をおかあさんに伝えようと身を寄せていた新潟県長岡市のお宅に電話すると旦那さんが危ないからまたの機会にして欲しいと言われ延期した。おかあさんには2人のお子さんがいて長女さんは大阪に住んでいて息子さんはすでに亡くなっていた。その息子さんの奥さんがおかあさんと旦那さんの世話をしていたのだ。間もなく旦那さんは亡くなられた。そして10月の始め、おかあさんに会いに静岡から車で出掛けた。久しぶりに会ったおかあさんは、すでにガンに侵されていた。部屋の中で2時間ほど話した。写真も撮った。しかしおかあさんの笑顔は撮れなかった。おかあさんは、長年の伴侶だった旦那さんが亡くなり生きることよりも死ぬことを願っている様に見えた。ハルオは、おかあさんと別れた後おかあさんの勧めで小千谷にも寄って来た。おかあさんの実家は小千谷駅近くにあった。甥っ子さんが寿司屋を経営し、その同じ通りにおかあさんの幼馴染みが住む金物屋があって両方訪ねた。幼馴染みの方はご健在で写真も撮ることが出来た。
『おかあさん、これから手紙を定期的に送っていい?』そうハルオはおかあさんに尋ねると承知してくれたのでその後迷惑にならない様に気を使いながら手紙(葉書)を送った。しかしおかあさんはそれから3ヶ月後に帰らぬ人になってしまった。
おかあさんのご冥福を心からお祈り致します。 長い間本当にありがとうございました。 安らかにお眠り下さいね。
2014年2月21日(金)    ハルオ
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asaokinai · 1 year
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2023年2月
・2/2 夕方くらいに家を出て、下北で映画を観ようとしたけど、気分が乗らず結局はしご酒...。未郁が買った古着のスウェットがかわいかった!
・2/4 午後からヨガ。久しぶりにいつもの3人が揃った気がする。終わったあと、いつもの喫茶店に行き、本当にくだらなすぎる会話だけで気づいたら3時間が経っていた。お菓子ランキング教えてと、わたしが言い出したのに自分は決められなくてごめんね笑。
・2/5 お昼ごはん、未郁がつくったドライカレー。彼が作るカレーは、どんな種類もどんどんアップデートされていくので毎回感動。2人で本棚を整理して、近所の【ゆうらん古書店】さんへ。初めて行ったのだけど、丁寧にセレクトされていて、感動...。わたしはそのまま日本民藝館に柚木沙弥郎展をみに。近くにあった古着屋さんがかなり好みでした。色々と試着させてもらい、おもしろいかたちのボトムスを購入。そのお店は、次々にお客さんがやってきてみんな買い物して行って、その光景が素晴らしいなあと。下北に戻って、1時間ほど本を読んで帰宅。今日は少しあたたかった気がする。
・2/6 夜、行ったことのないお店に飲みに行ってみよう!と初めてのお店2軒+行ったことがある1軒ではしご。近所に街のいいお寿司やさんを見つけられてうれしい。常連さんもいい感じでした。それにしてもわたしは昔から1人で飲みにいく文化がないし、開拓したいという冒険心もない…そもそもこれは度量の小ささの問題なのではないのか。
・2/7 なんだかあたたかく感じた日。
・2/8 ぼんやり物件検索(趣味の)。そういえば、この前物件を検索していて、いいなって思ったところを、見てここ理想〜という感じでスマホを未郁に見せたら、なんと未郁のおじいちゃんとおばあちゃんが昔住んでいた家!ということがあった。一致したのは同じマンションということだけで、部屋こそ違ったものの、こういう偶然ってすごいよね。田舎育ちのわたしは、実家やおばあちゃんの家が変わるということを経験したことがないし、想像もできない。縁がある家に自分が住むことになった、ということも起こりうること。ひとつに留まらない、軽やかさ、いいなあ。
・2/9 原稿3本。
・2/10 朝から雪。朝、未郁を駅まで見送った。
・2/12 ゆいさんとはぎのと渋谷のロイホ。渋谷のロイホは、アイスコーヒーとパラダイスティー、オレンジジュースがピッチャーに入っているのが、たまらなくいいんだよね。いちごのパフェを食べると意気込んでいたつもりが、着地したのはコーヒーゼリーサンデーでした。歩いて明治神宮へ。会うたびにはぎのの成長を感じて、毎回感動。
・2/14 バレンタインのギフトを買いに、夕方新宿へ。伊勢丹の地下が恐ろしいほど混んでいた。ちょっとしたお祭り気分。まだまだ買い物しようと思ってたけど、未郁からTEL。いま世界堂出たとこと言うから、新宿にいることは内緒にしたかったのに思わず自分の居場所を喋ってしまった。一緒に帰宅して久しぶりにシュウマイを作った。この前お店で食べたクミンのシュウマイにしたら、おいしかった。
・2/16 冬の青森へ。お昼ごろ着いて、新青森駅近くの定食屋さんで帆立の刺身定食。雪が降っていたけど、駅に送迎に来てくれたホテルの人が〈今日は晴れてるよ〉と言っていた。〈昨日まで吹雪だったから、いいときに来たね〉とも。えっ。ハイエースの窓から見る景色がどんどん白くなっていった。16時半には、ホテルに到着。とにかく雪の壁が高すぎて笑ってしまう。こんなに雪が積もっているところを歩いたのは、高3のときアラスカに不時着した以来かもしれない…。夜ごはんも温泉もじっくり楽しめた。旅行のとき、時間をかけて食べるご飯と、すとんと眠りにつける感覚が好き。
・2/17 チェックアウト後、酸ヶ湯温泉へ。酸性が強めで、熱くて、気持ちよかった〜。外との温度差がいい。その後、ロープウェイで樹氷をみに。ロープウェイのなかで、スノボの常連さんが話しかけてくれて〈年に30回は来てるけど、晴れてる日は珍しいですよ〉とのこと。山頂でブーツを借りるといいですよ、など色々と教えてくれて、有り難かった。初めてみた樹氷は本当に凄まじくて...。iphoneの充電もすぐに切れる。着いたときは少し太陽が出ていたけど、一気に視界が白に。snow monster〜すごい体験でした。その後、三内丸山古墳へ。バスの中ですごい寝た。閉館まで1時間しかなくて駆け足だったけど、行けてよかった。新幹線の時間までスーパーへ。家には23時ごろ帰宅。こんなにタイムスケジュールがうまくいった旅が久しぶりな気がした。
・2/18 深大寺に厄除けへ。行きの選択肢はボロボロだったけど、厄を落とした瞬間、思わぬところで空車のタクシーが目の前にやってきたこと、3人で900円で割り勘しやすかったこととか、そういう楽しい気持ちになれただけでも行ってよかったなと思う。単純ね〜。夜は5人横並びで映画エゴイストを観た。営業時間残り1時間の西武へ駆け込む。瓶ビール5本を注文。少しの時間でも、わたしが大好きな子たちの顔を見れてうれしい。帰りはたまたま未郁と同じ電車でした。
・2/19 湘南のほうへ。さくちゃんの素敵すぎる新居。お昼に集合してから(めぐさんとは、小田急線からだけど)ずっと喋り続けていた。いまはもう一緒には働いていないけれど、みんなが頑張っている姿はいつもまぶしくて、ものすごーく尊敬します。
・2/20 午後から楽しくておいしい取材。取材先の八百屋さんで、野菜をたくさん買って帰宅。芽キャベツ、パープルラディッシュ、スティックブロッコリー、金美人参。食べるのが楽しみ。疲れていたのか、21時には寝てしまった。
・2/23 夕方、新百合にスラムダンクを観に行く。祝日なのを忘れており、席がほとんど埋まっていた!ミュージカルや劇など生で作品を観ているときに、なぜかわからないけど涙が止まらないという現象がたまに起こるのですが、今回も冒頭から泣いてしまい...。ものすごく一時的な瞬間の過程と尊さ。物質の素材感や音がとても忠実に、そしてあまりにオーバーに再現されており、これぞ創作物...と改めて感動しました。5人の個性も素晴らしく、わたしも何かできることがあるはずだ.....とそう思えた。誰よりも楽しんでたね、と言われたけど、そうよ。観れてよかった。夜、豪徳寺で行った焼き鳥屋さんがおいしくていい気分だったね。
・2/26 朝一でサウナに行こうと思ったけど、起きたら9時半だったので諦めた。諦め早い。仕事をして家事をして、気づいたら夕方だった。いい日。今年はラジオを始めたいなと去年から色々と考えているけど、取材のテープおこしをしていると毎回自分の声にがっかりしてしまうので思いとどまる泣。
・2/27 大好きな方と仕事ができ、久しぶりにビデオ通話!元気そうでうれしかった〜。お仕事またご一緒できること、わたしには身に余るほどの出来事だけど、こういうことで生き延びています。夜は、わがまま言ったら、未郁が帰ってきてから一緒にスーパーに行ってくれた。いつもオオゼキだけど、今日はライフへ。わたしは無類のオオゼキ好きだけど、ライフのラインナップの幅広さ、大好きです。ブラッシュアップライフ8話。
つづく
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chinanago · 3 years
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3/15~3/21
月曜日
8時起床。近所の本屋さんでセルトーの『日常的実践のポイエティーク』を買う。文庫版が出るのが楽しみだったこの本を、応援している本屋さんで買えて嬉しかった。それから今週も下北沢へ。また本を買った。とてもいい声をした店主の方が営んでいる喫茶店に入って、ポイエティークを読み始めた。
帰宅後、TVerでの配信が今日までだったのを思い出して、「家、ついて行ってイイですか?」のイノマーさん回を観た。月並みな感想だけれど、かっこいい生き様に元気をもらった。とはいえ、この生き様をいくら目に焼き付けたところで、前向きになれなかったり、絶望のループから抜け出せなかったりする日はこれからも幾度となくやって来るのだろう。イノマーさんに元気や勇気をもらうことすらできないで沈み込むことだってあるはずだ。でも、「どれだけしんどくても自分で命を絶つことだけは絶対にするまい」と今日心に誓ったということだけは忘れないでいたいなと思った。
火曜日
8時起床。取り寄せた漫画を受け取りにBOOKOFFへ。文化人類学の見方から読むと面白い、というようなことが呟かれているのをTwitterで見かけて、気になったので買った『水域』という漫画。
その足で歯医者へ。親知らずのせいか、昨日から顎が痛かったので診てもらうことにしたのだ。右上と右下は生え始めていて、左下も若干顔をのぞかせてはいるが、まだ抜いたりどうこうしたりする��階ではないから、と様子見��なった。でも今も顎が痛むんだけどなぁと思いながらも、歯石を取ってもらって帰宅。受付の兄ちゃんに「2年ぶりの歯医者だったんですね」と驚かれた。
水曜日
8時起床。朝ドラを観て、なんかぐだぐだして12時まで寝た。昼は豚こまと小松菜の炒め物を作って食べた。
卒業式の日に、妹にヘアアレンジをしてもらうことになったので、今日はその予行練習をした。わたしの分の手先の器用さまで持っていかれてしまったんじゃないかというくらい、妹は器用で羨ましくもあり、誇らしくもある。
木曜日
9時起床。シーツを洗濯するついでに、敷布団を外に干したりベッドを畳んだりしていたら、部屋の掃除を本格的に始めてしまった。長いこと放置していた部屋の一角を丁寧に断捨離して、埃もきれいに取り除いた。祖母の刺繡の作品が発見されて、それを壁に飾った。丸一日を費やしたおかげで、部屋が真新しくなったようにすっきりして気持ちがいい。
金曜日
午前中、森鷗外記念館へ。歩いて行ける距離なのに今まで行ったことがなかったのはもったいないことだと思った。展示内容はさることながら、建物自体がかっこいい。陶器二三雄という建築家の手によるものだそうだ。 その記念館は森鴎外が実際に住んでいた場所に建っていて、来るときに通った道を森鷗外も歩いていたのだと思ったら、がぜん興味が湧いた。
午後は、母による袴の着付け練習と、妹のヘアアレンジ練習。全部家でやってもらえるなんて、ありがたいことです。
夜、大好きな友人たちとzoomで話した。忙しくて2人参加できなかったのは残念だったけど、ひとりは異国の地で忙しくも充実した日々を送っているようだし、ひとりは職場の大人たちの人間関係に傷心気味ながらも仕事に打ち込んでいるようで、みんなそれぞれの場所でがんばってるんだな~よしよし、という謎の感情に包まれた。以前なら、「わたしも頑張らなきゃ!」となっていたと思うのだが、今日は「うんうん、みんなよくやってるよ」とただそれだけのことを嚙みしめるような、自分は他人に動かされないでどっしりと構えているような感覚だった。
土曜日
11時まで寝た。朝食は抜いて、昼に稲庭うどんをたっぷり食べた。
午後、撮り終わったフィルムを現像に出しにでかけた。一昨日、部屋の掃除をしていて発掘した昔の期限切れフィルム(FUJIFILM Superia Venus 400)も一緒に現像に出した。 フィルムが完全にしまい込まれていたから使用済みなんじゃないかと思ってのことだったのだが、現像してみたら、未使用だったらしい。それならフィルムを引き出して使えばよかった、いい味を出してくれたかもしれなかったな、と残念に思ったけど、フィルムを引き出すのにもそこそこの値段がする道具が必要だとわかったので、まあ仕方ない。
お気に入りの本屋で、イジー・クラトフヴィルの『約束』を買った。もう絶版になってしまったとのことで大量に積まれていて、定価2600円のところ、1000円だった。『存在の耐えられない軽さ』を読んで大好きになったミラン・クンデラが帯文を寄せていて、これは読むしかないと思った。
日曜日
昨晩は久しぶりに、なかなか寝付けない夜だった。ちょうど漢方を飲んでいた時期にお世話になった「半睡」の朗読(http://scool.jp/event/20210301/)を頼ったが、それでもまだ眠れず、空気階段の踊り場をリアタイしてしまった。でもそれを聴き終わったらいつの間にか寝ていた。
朝からひどい雨風だったが、今日は頭痛もしなかったし、ふつうに過ごせてよかった。今日までに取りに行かねばならない本があって、雨のなか完全防備で図書館へと出発したのに、一歩外に出たら雨が全く降っていなくて拍子抜けした。長靴で歩いているのがなんだか間抜けで面白かった。
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kkv-main · 4 years
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KKV Neighborhood #24 Interview - 2020.07.09
菅波雄(SaveOurSpace、LIVE HAUS)インタビュー/ライブハウスの店長、〈政治〉を動かす
インタビュー、構成:与田太郎
東京で新型コロナ・ウイルスの感染が再び増加傾向にむかいつつある。4月7日の緊急事態宣言の発令後も政府や都の休業に対する補償は根本的な対応はされず、ライブハウスやイヴェンターなど音楽に関わる業種は引き続き声をあげ、要望を訴え続けなければならない状況が続いている。この現状の中、3月末にSaveOurSpaceは活動をスタートした。本来ならば4月に開店する予定だった下北沢のライブハウスLIVE HAUSの店長菅波雄はSaveOurSpaceの中心人物として精力的に活動している。
このページを見ている人は彼の行動や発言をフォローしている人が大半だと思うが、ここではあえて彼の行動を振り返りつつ話を聞いてみた。
その理由としては、今回のSaveOurSpaceのアクションはこれまでの市民運動や特定団体のロビー活動と違い、私たちにとってかなり身近な日常に直結、もしくはほぼ当事者に近いことも大きい、最初の署名活動でわずか数日で30万を超える署名が集まったという反響の大きさについても注目したいと考えたからだ。
それは、これまでのSEALDsの活動や風営法改正にむけたLET’S DANCEの活動が培ってきたものを次に繋げるということも意味合いとしてあるだろうし、なによりもSaveOurSpaceのアクションは、私たちがこれから政治や行政と向き合う上でひとつの分水嶺となる可能性を持っていると思えるからだ。
4月から5月の自粛期間に国会で問題にされた検察官の定年延長に対する議論についてネットでの反対意見を自民党も無視できなかったように、私たち自身のアクションでなにかを変える可能性に気がついた人も多いのではないだろうか。
SaveOurSpaceの主張が具体的な成果を生み出すにはまだ時間がかかるかもしれないが、ここを契機に新しいつながりやコミュニティーが生まれ、近い将来大きなうねりになる可能性は大いにある。
LIVE HAUSの運営、SaveOurSpaceからSaveOurLifeまで日々動き続ける中時間を割いてくれた菅波さんに感謝したい。
先が見えない新型コロナへの対応、自粛に対する補償や援助の獲得についてはまだまだ長い戦いが続くだろう、しかしこの一歩はきっと大きな意味を持つと信じたい。
SaveOurSpace http://save-our-space.org/
LIVE HAUS https://livehaus.jp/
ー菅波さんの動きをネットで追ってるだけでも相当忙しいのではないかと思うんですが。今回のSaveOurSpace(以下、SOS)はきっと長丁場になるじゃないですか?なので俺たちなりにフォローしたいと思って、まずは菅波さんに話しを聞かせてもらおうと思いました。
菅波 ありがとうございます。
ーSOSが立ち上がった時の発起人のラインナップを見て、ちょっと意外でした。
菅波 ですよね。与田さんはDJ NOBUさんは知り合いですか?
ーDJ NOBUさんは、俺がフジロックのDAY DREAMINGというゴンドラで登ったところにある小さなステージの制作をしてる頃に、そこにお誘いしたことがあって。当日雨と風でゴンドラが運行停止になって中止になっちゃったんです。。その時に話したきりですけど、共通の知り合いはかなりいるので。
菅波 そうですよね。
ーそうなんです、それでSOSのラインナップを見た時に新しいコミュニティーができ始めてるんだな、と思って。まずはそこから聞かせてもらえますか?
菅波 そもそも3月の下旬にそれぞれ別で議員会館に呼ばれたんです。それぞれの経緯はけっこうまちまちで、私の話をすると、Jet Setの店長のラークさん(Lark Chillout)に誘われて行ったんです。国会議員の方にいまのシーンの窮状を説明する機会があるから来ないかって。ハコの人間ということで最初はロフトの(加藤)梅造さんに声をかけてたそうなんですけど、その日は梅造さんの予定が合わなくて直前で私に連絡がきて。3時集合のところ、2時ぐらいに連絡がきて(笑)。まさに店(LIVE HAUS)を作ってる時で時間もなかったんですけど、これはちょっと行っておこうと思いまして。で、行って最初に会ったのが共産党の小池晃さんと吉良よし子さんで、その部屋に入ったらNOBUさんとラークさん、yahyelの(篠田)ミルさんとMars89くんがいて。
ーじゃあ、その日はそれぞれが音楽シーンの窮状を伝えに集まったんですか?
菅波 そうなんです。NOBUさんは今年から海外に移住する予定だったみたいなんですよ。もともと海外でもかなりプレイされてるじゃないですか。それがコロナでブッキングが全部キャンセルになって、NOBUさんは海外のリアクションもよく見ていたから、日本全体のリアクションが鈍いことを問題だと思っていて。
ーそれはコロナに対するリアクションということですか?
菅波 そうです。コロナが広がっていく状況の中で日本のクラブもいったん営業休止したほうがいいだろうと。彼はそれをツイッターで発言してたんですけど、その時はまだ休業に対する補償もまだなにも決まっていない状況で、だからこそ営業しないといけなかった。そこにNOBUさんの発言が話題になって、もちろん影響力の大きな人ですから、反対意見なんかも出てきたりして。だからこそNOBUさん自身、そのためにできることをしたいって考えて、議員に会ってこの状況を伝えようってことになったんだそうです。
ーそうなんですね。
菅波 NOBUさんの存在は知ってたんですけど、面識はありませんでした。yahyelはTHREEでも何度かやってくれてたし、ミルくんとMarsくんのプロテストレイヴとかの活動はチェックしてたので。そのメンバーが議員会館で集まって、小池さんと吉良さんが熱心に話を聞いてくれて、そのあと寺田学さんという無所属の議員さんにも会いに行ったんです。この人がクラブ・ミュージックが大好きな人で、それこそヨーロッパのフェスティバルとか、国内外のクラブに通っている人で。
ー風営法の時にもいろいろ動いていた人ですね。
菅波 そうです。それでシーンの窮状も理解していて、すぐに内閣府に要望書をだしましょうと言ってくれた。菅(義偉)官房長官へ電話をしてくれて、明日の昼に会いましょうとアポ取ってくれたんです。それで時間もないので、その日に集まったメンバーで要望書を考えることになったのが始まりなんですよ。だからけっこう偶然の流れだったんです。それで議員会館を出て、集まったメンバーで近くの喫茶店で要望書を作って、翌日がもう菅官房長官との面会だったのでNOBUさんに代表して要望書を手渡してもらったんです。
ーそういう流れだったんですね。
菅波 要望書を提出して、菅さんがその日の定例記者会見で音楽シーンの方から窮状の説明をうけたので、なにかしら支援の枠組みに加えることを検討したいと言ってくれたんです。それを受けてその日にすぐ署名活動しようとなり、翌日には署名活動をスタートして、最初の4日で30万筆が集まった。その直後に記者会見をして、翌日には政府与野党連絡協議会、超党派のコロナ・ウイルス対策窓口の議員さんたち全員に渡したという。それがこの始まりだったんです。
ーこのSOSの動きがすぐにネットでも話題になって、署名活動も早かったですね。すぐにSAVE the CINEMAも動き出して、そいう意味では一つのモデルケースになりましたね。意味合いは大きいと思います。それが3月末、4月2日には署名を提出ですね。
菅波 ほんとにすごいスピード感でしたね。
ー菅波さんは同時進行で店を作ってたわけですよね。
菅波 そうなんですよ、私はただ開店にむけて店を作ってただけなのに、急にこんな感じになって(笑)。こんなつもりじゃなかったんです。不安はもちろんあったし、どうしたらいいんだろうとは考えてたんですけど。
ーそうですよね。俺はLIVE HAUSの開店がどうなるだろうとか、全国のライブハウスがかなり大変なことになるって感じていた時にネットで菅波さんの動きを追っていてすごく納得したんですよ。もちろん僕らも人ごとではなかったし、でもコロナ以前の政治活動や市民活動とは明らかに変わりましたね。今すぐこの現実に対���しなければいけないっていう気持ちとその動きが日々ネットからもダイレクトに伝わってきましたから。コロナの影響で本当に大変なことが起きましたけど、それぞれがどう対処すべきかを真剣に考えることになりましたね。そのなかで日々更新されるSOSの動きは一つの大きなガイドになってると思います。もちろん、この時期の国会の検察官定年延長についての批判や、自民党のめちゃくちゃなやり方についての異議も含めあきらめないで声をあげることの必要性を多くの人が実感しましたから、この2~3ケ月の変化は大きいですね。
菅波 確かに問題に直面した当事者だったからというのはありますね。それはSOSの他のメンバーもそうだと思うんです、全部スケジュールが飛んでるし。
ーたとえばSEALDsがやれたこと、風営法改正問題がやれたこととも違う部分は大きいし、それをちゃんと言語化したいと思ってます。今回の動きはより具体的で、しかもより広い層への訴えかけになってるじゃないですか。本来ならば行政が素早く受け止めてくれたらいいんですが、いまの政府は全てにおいて煮え切らないしむちゃくちゃです。だからこそ訴えていくことが必要だし、こういうアクションがあることをライブハウスやクラブが好きな人たちに伝えて、前進していることを知って欲しいですね。それが今後の変化につながるはずだし。
菅波 そうですね、すべては地続きだと思う一方で、最初のアクションを振り返って、なんであんな短期間にこれだけの署名があつまったのか考えると、音楽を好きな人たちのエネルギーもあるけど、その最大公約数に響いたことだと思うんです。コロナの影響ってどの政党を支持してるかって関係ないじゃないですか。みんな困ってるし、困ってる人の中にいろんな人がいる、ただ困ってるという点では誰もが同じで、それが広く署名が集まった理由だと思うし、それこそシーンを跨いでいろんな人が賛同してくれた理由だと思うんですよ。それはちょっと感動的ですらあったんですよ。
ーそうですね、SOSの新しいところはまずそこですよね。この一連の動きで生まれた繋がりはコロナが収まったあと、また新しい音楽の景色を生み出すような気がするんですね。
菅波 それは思いますね。
ーとてもリアリティーがあるんですね。
菅波 そうですね、みんなで共通の体験をしてるというか、ほんと偶然だったんですけど。割と細分化されていた日本の音楽シーンですけど、この動きがミックスすることもあると思います。たとえば、せっかく出会ったのでSOSの面々にもLIVEHAUSに出演してほしいと思うし、そういうことが未来に起きるかもしれないと思います。もちろんこの困難を乗り越えた後の未来なんですけど。あとこのスピード感で動けたのはみんなが家にいたからでもあるんですよね(笑)。
ーそうですね、ネットでの情報じっくりチェックできましたから(笑)。普通に国会中継も見て、めっちゃ嫌な気持ちになっていましたし。
菅波 個人的にはこの動きはネットでのデモだとも思っていて。みんな家にいてこの状況を注視しなければならない状況だったし、そういう意味でも偶然が重なったことで、ここまでこれているとも言えますね。
ーもちろん偶然も大きいですが、具体的な問題に直面した人たちがつながったことは意味がありますね。
菅波 困ってるんだ!って声を上げられたことは良かったと思います。それで多くの人が応援してくれたことで気がついたことも多かったですし。そういう意味では自分自身も活動しながら印象が変わっていきました。今までって見えない壁にパンチしているようなところがあったんですけど、今回は議員や省庁に出向いて、テレビなんかのメディアに出たりすることで、いろんな人に繋がっていって、もちろん悔しい思いや、まったく響いてないという落胆もあったんですけど、どこにでも音楽が好きな人がいて、いろんなアドバイスをしてくれたのは救いになりました。例えば省庁の職員の方だったり議員の秘書の方だったりが真剣にアドバイスしてくれたのは伝わってきましたね。国会議員の方が私の携帯に直接電話くれて、こういうことができるのでみなさんに伝えてくださいって連絡くれたり。ある日議員会館で議員さんを待ってる時に秘書の方が対応してくれたんですけど、「サウンドクルージングでスリーに行きましたよ」って声かけてくれたり(笑)。自分のことなんて一切話してないんですよ、それでどういう音楽が好きなんですかって聞いたら東京インディーです、スカートが好きだと言ってました(笑)。自分もライブハウスに行けなくなって困ってるんですと言ってくれて。その秘書の方が自分の担当以外の議員さんも連れてきてくれたりして。維新の会の方だったんですけど、自分の印象からは意外に思って、そういうこともあるんだなって。
ーそれはテレビの情報からは伝わってこないことですね。コロナがきっかけで多くの人がネットで政治についての情報をチェックするようになったと思うんです、これはいいことだとはっきり思いますね。
菅波 そうですね、窮状を訴えることも署名することも政治参加で、それは必要なことだと思います。
ーこれが本来の姿ですね。むしろ放置してしまうと、いまの政権のようにひどいことになる。
菅波 経産省の支援策で、コロナ禍でイベントがキャンセルになった事業者に対して、配信イベントを行うことで経費の半分までを補助するという仕組みがあります。省庁とのヒアリングの時、自分たちの要望としては、配信は生のエンターテイメントの代替にはならないので直接の補償をしてほしいといつも伝えているのですが、省庁の方は制度の運用が業務のメインなんで、制度の中身の改善に関してはその場では言ってくれないことが多いんですよ。なるべく善処します、ぐらいで情熱が伝わってこないことが多いのですが、ある日省庁の担当の方が、わざわざ電話をくれたんです。制度の建て付け上限界はあるが、うまく利用してもらえたら直接の支援に繋がるので、是非広めてほしいと。なるべく使いやすい制度にしますと。その人に、音楽好きなんですかと聞いたら、若い頃7インチ・オンリーのDJやってたそうで(笑)、なんだー、仲間じゃないですかーってなって。そういう出会いもあったし、やっぱり音楽好きはどこにもいるんだというのを実感しました。もちろん、それぞれの立場があって、すべてが噛み合ってるわけではないですけど、能面のような人だけでないって思えたのは収穫ですね。
ーそうですね、顔が見える相手だってことがはっきりわかることって大事ですね。
菅波 面白いと思いますね、結局人なんだと思います。だからこそ腐る部分もあるんですけど。一���はっきり思ったのは政治家にはなりたくないってことですね。今回ほんと与野党関係なくいろんな方に会いましたけど、それは一市民だからこそできたことで、政治家は逆の立場で、しかもやることを決めないといけない。方向性を打ち出すのはもちろん必要なことなんですけど、自分を固めないとできないですから。
ーそうですね、支持母体が大きければ大きいほど、その利権の代表という意味合いが強くなりますよね。悪い意味ではなくて。
菅波 そういう意味でも次の選挙は大きく変わって欲しいですね。
ー東京都の対応はどうでしたか?
菅波 僕らの2回目の署名活動は都に向けたものだったんですけど、都の協力金がでるってなった時に、無観客の配信ライブも営業とみなされて協力金がでないという話があって。飲食店は時短営業でもでる状況にもかかわららず。これは感染拡大防止金っていうんですけど、1店舗につき50万円で、2店舗以上経営していると100万円の援助が出るという。でも感染拡大防止金という名目なのに無観客で配信をするのを営業とみなすのはおかしいだろうと。それに対する署名を2日間で集めて、その時は東京都の窓口に直接メールをしてもらうスキームをつくったんです。その感染拡大防止金を議決する都議会の日に都庁にいったら、メールが大量に届いていてパンクしそうだって言われて。それが効いたのか、認められて。
ーその動きをネットで追っかけていて、これはひとつの力なんだなって感じましたね。
菅波 あきらかに不当だっていうことには声を上げやすいですよね。そういう成果が少しづつ出ているんですけど、それでも閉店する店が出始めていて。力が届かなかった部分も多いと思いますね。それは金銭的なことだけじゃなくて気力の部分も大きいと思うんですよ。長期的に考えて、畳んだ方がいいでしょうという経営判断が正しいこともあるし。だから体力か気力どっちかが切れた時点で店ってなくなるんだなって思います。
ーそうですね、気力のほうが崩れやすい状況ですよね。それに複数のお店を運営してるとさらに大変ですよね。
菅波 そうですね、うちみたいに個人的な店舗ならまだ凌げることも複数だと意味が変わってきますから。
ーLIVE HAUSもまだ渦中ですね。持続化給付金や雇用調整助成金等の申請はできるんですか?
菅波 どちらも当初は、新規事業者は枠に入ってなかったのですが、自分たちを含めて色々なひとが声をあげたことで、現在は拡充の方向で進んでいますね。LIVE HAUSも税理士さんと相談しているところです。あとは家賃補助があれば助かるんですけど、これはまだ新規事業者は枠に入っていません。あとさっき話に出た東京都の協力金は、私の店も申請しましたがまだ入金がありません。支援の遅れによる廃業が徐々に出てきてますよね、それはこの後さらに深刻になっていくと思います。
ーこの流れで行くとLIVE HAUSのしっかりとした営業はいつ頃になりそうですか?
菅波 状況をみながらになるんですが、客数を絞って8月に縮小営業でオープンしようと思っています。ただ、現状のガイドラインが現実的ではないので。
ーたしかに行政のガイドラインの2メートル間隔なんて現実は無理ですよね。
菅波 そうなんですよ。
ーほんとライブハウスは槍玉にあがりましたね。
菅波 都知事も総理大臣もライブハウスという言葉をメディアで言い過ぎましたね。今回、そういう発言の影響は想像していたよりも大きいことを実感しました。だからこそ言葉の重みを実感して欲しいし、名指しをするなら補償についても責任持って欲しい。
ーほんとにそうですね。満員電車には一切言及せず、オリンピックの中止が決まるまで表立った対策もなく、あまりにも自分たちの都合ばかりでしたね。
菅波 オリンピックを意識することで対策や支援も遅れた点があると思います。前のように誰もが気にせずにライブハウスやクラブを楽しんでもらえるようになるまで、相当時間がかかると思います。だから通常の営業以外のチャレンジも常に考えています。配信も箱の音を作るっていう意味合いもあるし、音はやりながらじゃないと作れないじゃないですか、そこでいろんなバンドに音だしてもらいたいし。バー営業もスタートしつつ、ギャラリーを始めたり、上でホットサンド売ったり、6月下旬からは下北沢の駅前の〈空き地〉っていうスペースで毎週日曜日にイベントをやっています。なんとか今の状態でも楽しくやれることを考えていきたいと思います。
菅波雄 https://twitter.com/yusuganami https://note.com/yusuganami
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xamdneverforget · 4 years
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適切な距離
道に毛虫のいる季節。
5月某日。
久しぶりに歌詞を書く。
フルで書ききったのは久しぶりかもしれない。おれは必要に迫られないと中々書かないな。しかし、随分と希望めいた歌詞を書いたものだ。仮想の人物を立てて、言いそうなことを書いた歌詞だが、こうも希望めいてるとおれは希望を求めるんじゃないかという気がする。
最近はクオリティとセンスをとにかく重視していて、そうじゃないもの全てにもの申したくなってきてしまう。ツイッターを立ち上げてはムクムクと人を不穏な気持ちにさせるようなツイートを書いては消している。良くない。おれはいつもそうだ。手応えを感じているライブができたり楽曲が作れたりすると、すぐに人の反応を伺い、人を見下してイキってしまう。大体1ヶ月もすると後悔している。本当に心の狭い人間だ。全て分かったような口ぶりで喋ってしまう。本当のところ、おれ自身の山があるとしたらまだ五合目がいいところだと思う。山も登りきってないやつが偉そうなことを言うもんじゃない。時におれはおれを否定しすぎるが、一方でおれはおれを肯定しすぎることもある。極端なのだ。バランスよくおれを眺めていたいし、いつだって特別な夜から生活へとスムーズに戻りたい。
今のおれにとって重要なのは生活を営むことで、人との適切な距離感が必要だったりする。外でも踊り、内でも踊るスペースを。そして今はこの山を黙々と登っていたい。
Dogleg - Ender
5月某日。
2回目の配信ライブを終えた。配信ライブというのはやけにあっさりしている。観客がいないまま勝手に盛り上がって、どんな反応があるのかも知らないまま終わる。手応えがあるような気がするし、全くないような気もする。とにかく、そうやってあっさりLOUNGE NEOでの最後のライブは終わった。それから沢山アルコールを入れた。いつも通りだ。イベントが終わってもフロアにダラダラと残り続けた。それだっていつも通りだ。大体気持ち悪くなるあたりで帰るのもいつも通りだ。LOUNGE NEOの白い壁も天蓋も、そこにいる人たちもいつも通りだった。いつも通りだったというのに、もう来れないのか。出口に近づくたび悲しさより怒りがこみ上げる。誰が悪いわけでもないのだけれど、潰れることはないじゃないか。不条理だ。おれたちは幸運にもライブができたが、お客さんは第八矢澤ビルにもう行くこともなくなる。どうかしてる。おれたちにLOUNGE NEOという日常を返してくれ。
友達の家に泊まって配信を見返した。まだまだ改善点はあるが、概ね悪くないライブをしていた。何よりコメントが多くて嬉しかった。いつものみんな、初めましてのみなさん���およそ400~500人が見ていたらしい。そんな沢山の人たちの前で演奏したのは初めてだったけれど、その前で恥ずかしくないライブが出来たことは嬉しいし、何よりありがたく思う。満足して停滞してしまいそうで嫌になるほど。
土曜日は人とお店で久し振りに飲んで、えらく酔っ払ってしまった。終電も失くして、下北沢の駅前で寝てようかとも思ったが、友達が介抱して別の友達の家に連れ帰ってくれた。頭が上がらない思いだ。あとで下書きを見たら、その時えらく物騒なことをツイートしようとしていた。手応えを感じているときほどイキりたくなる。自然とそんな想いも湧いてこなくるなるくらいまで自己批判を繰り返したくなった。
とにかく曲を作ろう。悪かった夜も良かった夜も、これからは生活に戻ったら頭の片隅だ。引きずられるな。時間の大半は淡白な生活で占められているのだから。おれはもっともっと説得力を持たなければならない。というか説得力のない作品を産み出さなきゃ無意味だ。その前提が無ければ何をしようとも何にもならない。気が触れて余計なことを言ってしまった時も、説得力というセーフティネットは使えるかもしれない。説教がましい人間が好きじゃない。そういう人間で、今のところ説得力を持ったヤツに会ったことが殆どないから。分かった気になるな。むしろまだまだ何も分からないんだ、音楽も、社会も、人間も。
Arca - Time
5月某日。
心を豊かにしたい。
ここ数日は集中力の無さに悩んでいる。同じことの繰り返しに気が滅入ってきたのだろうか。作業をしてもすぐやめてしまう。もう2曲ほど没にして、ようやく1曲ハマってきたかな、というところだ。それにしたって次のアレンジを考えるのが面倒で仕方ない。そろそろ職だって見つけなきゃいけないし、フリーランス向けの手当てについても調べなきゃだ。リリースに向けての連絡もしなきゃ。カフェで作業でもしたいところだが、4月から家の近くのカフェは全面禁煙。クソったれ。部屋の湿度も6月に近づくにつれ上がってきた。何か心の収まりがない。映画を観ようと「パターソン」を見返していたが、すぐに飽きてしまった。
外に出たい。大手を振って外に出たい。新緑の空気を味わいたいし、大きな音で音楽だって聴きたい。街を散策してたまたま見つけた喫茶店に入りたい。そこでたまたま古本屋で見つけた本を読んで、いつのまにか夜を迎えていたい。だけど一番は、恥ずかしいけれど君に会いたい。胸を張って会いに行く身じゃあないが、それでも一目見れたらなんて思う。この自粛期間中、ずっと考えている。結局、この時間で作った曲すべて、基にあるのはそういうことなんじゃないか。なんとも腑に落ちるのだ。この日常を抜けた先が、君のいる日常でありますように。
TOKiMONSTA - Dusty Stars
5月某日。
久しぶりに寝付けない。
適切な距離。社会や世間、インターネットとの適切な距離。ライブ配信や自粛解禁で少し距離感を捉え損なっている気がする。寝ようとしても貧乏ゆすりが止まらないし、今日作っていた曲が頭で流れ続けている。身体は疲れているんだけれど。
適切な距離が何かは分からない。だけど、適切な距離をとれてない時は大抵興奮している。その結果、何度も何度もネットを見てしまう。過剰に人との繋がりを求めているのだ。誰かと電話したいとすら思っている。こういう時ほど視野が狭くなって、突っ走って、無意味に考え過ぎて、そのあとは急にガス欠みたいに惰眠を貪る。
丁寧な生活を失いたくないからこそ焦る。そして焦ることで眠れない。睡眠薬は持っていない。気圧のせいか頭まで痛くなってきた。寝る前のひとときぐらい停滞させて欲しい。凪のような時間を沈むように過ごして眠りに落ちたいのだ。波なんて持ちたくないと常に思う。願わくば一枚岩でいたい。波に打ち付けられても厳しく立ち尽くしたい。立派で安穏とした人間になりたい。生活は難しい。
Charli XCX - claws
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gotoda4 · 4 years
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『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』
《あらすじ》
6歳のムーニー(ブルックリン・プリンス)とシングル・マザーのヘイリー(ブリア・ヴィネイト)は定住する家を失い、“世界最大の夢の国”フロリダ・ディズニー・ワールドに隣接する安モーテル「マジック・キャッスル」でその日暮らしの生活を送っている。
シングルマザーで職なしのヘイリーは厳しい現実に苦しむも、ムーニーから見た世界はいつもキラキラと輝いていて、モーテルで暮らす子どもたちと冒険に満ちた楽しい毎日を過ごし、管理人ボビー(ウィレム・デフォー)はそんな子どもたちを厳しくも温かく見守っていた。
そんなムーニーの日常が、ある出来事をきっかけに大きく変わりはじめる…。
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《感想》
「衝撃のマジカルエンド!子どもの目は魔法の虫眼鏡、すべてが魔法に変わる。ディズニーランドのそばに立つ安モーテルを舞台にアメリカの低所得者の生活をリアルに描くすごさ。」
『フロリダ・プロジェクト』というタイトルを見て、フロリダ計画?フロリダビジネス?と、意味が気になったので「プロジェクト」の意味を調べてみたら一般に日本で使われているような計画や事業の他に「低所得者向けが多く住むスラム住宅」のことも指しているそうで。
つまり『フロリダ・プロジェクト』っていうのは「フロリダのスラム」という意味なんだけど、ポスターを見ても本編のワンシーンを見てみても「スラム」にしては雰囲気がポップですごく明るいので、まだ本編を観ていない人からしたら違和感しかないよね。
“世界最大の夢の国“フロリダ・ディズニー・ワールドでは周辺にたくさん「モーテル」と呼ばれる簡易宿泊所があって、高級なホテルの近くに乱立してるんですが、そんなモーテル街の中に、「プロジェクト」と呼ばれる超オンボロの公営住宅地みたいな住宅が建っているそうです。
そして今作の主人公ムーニー(娘)とヘイリー(母)が暮らすのはそのオンボロ住宅地の「プロジェクト」ではなく実は「モーテル」の方。
「プロジェクト」ってタイトルがついてるのになぜモーテルなのか。この親子はその日暮らしの生活を送ってるってあらすじにも書いてあったのに。
なぜなら、彼女たちは低所得者が住む「プロジェクト」にも住めない“超超“低所得者だから。つまり本来定住する場所でない宿泊施設を居住地として生活をしているのです。
日本で例えるなら漫画喫茶に泊まってその日暮らしの生活をしているような感じでしょうか。
モーテルなら電気代、水道代、ガス代はかからないし、洗濯機も公共のものが設置されてて宿泊代だけで、結果的には安いのかもしれない。
☆この映画のすごいところその1
1,本編のほとんどの場面が子どもの視点(地上1メートルほど)で描かれるということ。
そのため大人は足のみ写されることが多い。
大人は毎日の食事代にも苦労している状態で、教会の炊き出しに参加することも。このような人々の生活に関する重要な情報を見る人に与える時は、大人の視線に合わせたアングルになりますが、しばらくすると主人公のムーニーの視点の高さに戻ります。
このような複数の視点を組み合わせることで、視聴者に「そこで何が起こっているのか」を理解できます。ベイカー氏は「炊き出しがどんなものなのか」ということそのものを描きたいのではなく、「ムーニーにとってそれらがいかに当たり前のことなのか」を描こうとしているのです。この点が非常に見事とのこと。
映画における重要なシーンは、このようにほぼ全てが「子どもの視点」で描かれます。例えばムーニーの母親の売春に気づくシーンは以下のような感じ。ムーニーがお風呂に入っていると
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ガチャッと部屋の扉が開く音がひびき、姿は見えないものの、誰かが入ってきたことがわかります。
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「子連れなのか?」
「だから入るなって」
母親が男性とやりとりしている様子が声だけで聞こえ、状況が直接描かれるわけではありませんが、ムーニーの体験を通して母親が売春を行っていることがわかるわけです。
さらにこのムーニーの入浴シーンはこの"母親の売春を悟ったシーン"以前に何回か登場しており、1回目はムーニーの髪をヘイリーが洗ってあげているシーン、このとき浴室に音楽は流れていません。
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2回目以降はいずれもムーニーひとりで、浴室には大きめの音でクラブ音楽が流れています。一定時間映した後に何事もなく次の場面に切り替わり、少し不自然です。
このことから今までの入浴シーンの裏では、ヘイリーが売春を行なっていたのではないかと推察できます。
つまり、我々もムーニーと一緒でこのときは母親の売春に気づいていない、そうムーニーと同じ体験をしているということになるわけです。
これすごくないですか。ほんとすげー。
そして、物語の後半でヘイリーが9人の男性を家に招き入れているところが防犯カメラに写っていたことから複数回に渡って売春をしていたことが管理人のボブにバレてしまう所で、この推察が��証に変わるところまでバッチリ。
☆この映画のすごいところその2
ヘイリーとムーニーがこのまま暮らしていくことが危険だと判断した児童保護局は、ムーニーを一時的に離し、施設に送ることに。最後のお別れのあいさつをしにムーニーはスクーティーの元へ。そしてその後ジャンシーの元を訪ねるが、スクーティーの時とは違ってなぜか涙が溢れてくる。
いつもは気丈な性格のムーニーが泣きじゃくる姿を見てジャンシーは「ムーニー、恐いよ」
ムーニー「あんたは親友よ、でもきっともう会えない。」
「あのね、言えないよ…」
そして震える声を振り絞ってついにジャンシーに
「バイバイ」
と言う。
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で、ここの演技がとにかくすごい。
きっとムーニーはディズニーワールドがどんなところか知らなかったはず。ヘイリーとムーニーが盗んだマジカルバンドを観光客に押し売りするシーンで、もしディズニーワールドがどんな場所か知っていたらマジカルバンドをお金と交換とはいえ、子どものムーニーなら手渡していないと思うのです。
ヘイリーもディズニーワールドに行くお金なんてないから、ムーニーに知らせないようにしていたのではないでしょうか。
ムーニーにとってはさびれた廃墟や、牧場のサファリパーク、アイスクリーム屋がテーマパーク同様だったのでしょう。
そんなムーニーがディズニーワールドの世界を初めて知る瞬間がこのラストシーン。
私的にですがこの結末からは、
子どもは親の経済状況に大きく左右される傾向にあり、生まれた環境で人生の可能性が制約されてしまう。だけど、世界の全てを「遊び場」に変えることができるってこと。
またそういう世の中に対して必死で歯向かって行く子どもたちの強い意思を感じました。
『“イマジネーション“というどこにだって行ける足がついていれば世界は全く違う色に見える。』
そういうことよな、多分。
私この映画めっちゃ好きだ!ムーニーとジャンシーありがとう!!
いつかシンデレラ城でふたりで暮らすんだぞ!
めちゃ良い映画です!!
《番外編》
☆好きなシーン その1
映画はヘイリーの娘であるムーニーと、同じモーテルに暮らすスクーティーが隣のモーテルに暮らすディッキーから「新しい住人が来た」という報告を受けて見物しにいくところから始まります。
3人は新しい住人のものと思われる車に2階から唾を飛ばし誰が1番遠くに飛ばせるか勝負をして遊んでいたが��このいたずらが持ち主のおばさんに見つかってしまい大目玉をくらうも3人はクソババアなどと汚い言葉を連発し、無敵の様子。このあと罰として車を掃除させられることに。
この件をきっかけに、今まで一緒に遊んでいたディッキーが外出禁止になってしまい、仲間を失ってしまった代わりに、唾を飛ばされたおばさんの孫にあたるジャンシーを新たに仲間に加え子どもたちは毎日のように探検に出かけるようになる。
手始めに2人は、“新人”のジャンシーをいつも探検しているスポットに案内。アイスクリーム屋の前を通りがかったところで
ムーニー「ここはタダなんだよ」
ジャンシー「本当?」
ムーニー「ちょっと来てみ」
ムーニーが観光客に「お金ちょうだい」と明るい声で小金をせびり、平気で「医者から喘息って言われてるの」とかえげつない嘘をつく 笑。
で、タダでアイスクリームを買うことに成功 笑。
帰りは3人で1つのアイスクリームを一緒に食べながら歩く。
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その後も3人の探検は続きます。
モーテルのプールに死んだ魚を浮かべて生き返るかどうか実験したり、チップをくれない観光客に水風船を投げつけたり、モーテルの立ち入り禁止の機械室に入って施設のブレーカーを落としたり、プールで裸で寝ているおばさんに遠くから「垂れパイ、垂れパイ、バナナパイ」とリズミカルに囃し立てたり、おばさんに服を着るように注意するボビーに向かって「ボビー、パイピー」と大声で叫んだり笑
ここはめちゃくちゃ笑った 笑。
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これらの探検を彼らの視点で写すことで、まるで視聴者も子どもたちと探検をしているようなワクワクした気分になるのだ。
3人の探検はどんどんエスカレートしていき、ある日廃墟に忍び込んで暖炉に枕をつめて火をつけ逃げ出してしまう。誰にも内緒と3人で固く約束を交わすが、後で廃墟が大火事になったことが判明。
スクーティーの母親(ムーニーの母親ヘイリーと仲が良い)は息子の挙動不審な態度から放火をしたことを悟り、ムーニーとジャンシーと会うことを禁止し、さらに以前から仲が良かったヘイリーともほぼ縁を切る状態に。
☆好きなシーンその2
ヘイリーはスクーティーの母親の態度がいきなりそっけなくなったことに異変を感じて、彼女のバイト先であるファミレス?にムーニーと共に向かう。
彼女の名を指名し、嫌がる彼女に強制的に注文をとらせるが、ヘイリーは「ムーニー、なんでも頼んで、今日は1日中いるんだから」と言う。それを聞いたムーニーは目を輝かせながら次々と注文をしていく。
「ストロベリー・ワッフル、あたたかいメープルシロップめっちゃ追加で、ベーコンエッグ、ストロベリーとブルーベリー、コーラ、ルートビア、レモネード、ソーダ。ママは?」
ヘイリー「それだけ?なんでも頼んで良いって言ったのに」
ムーニー「じゃ、ベーコン追加で、山盛りだからね、それとゼリーも忘れないで」
さらに親子は店内で好き勝手やる笑
ヘイリー「ゲップ大会やらない?」
ムーニー「マジですか!?」
すると、ムーニーがでっけえゲップを1発店内に響かせる笑。1回じゃ飽き足らずさらにもう1発をお見舞い 笑笑。
スクーティーの母親も呆れ顔、痺れを切らしてテーブルに伝票を叩きつけます。すげえ嫌がらせだ笑。
☆好きなシーンその3
ムーニーとジャンシーがマジック・キャッスルの上にかかる虹を見て話すシーン
ムーニー「虹の始まりって金色なんだ、妖精は麓に金貨を隠してる」
ジャンシー「でも分けてくれないのやさしくないよね」
ムーニー「よし襲っちゃえ行こう!」
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☆好きなシーンその4
ヘイリーとムーニーが近くの高級モーテルの宿泊者専用のバイキングに宿泊者だと偽って行くシーンにてムーニーの発言
「ストロベリーとラズベリーの同時食い」
「フォークがアメだったらいいのに」
「私、妊婦みたいにお腹が大きかったらごはん詰め込む」
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geniusbeach · 4 years
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絶望のパレード
 魂がうわついている。まるで自分が自分でないみたいだ。ここしばらく意識は常に前方斜め下で、歩いているのは抜け殻か尻尾のようなものである。いつから、そしてなぜそのようになってしまったのだろうか。正月にかこつけて内省的になってみる。
 昨年の初めに私家版詩集を刊行した。それまでに書き溜めた僅かな詩編を、2人の詩人と編集者、美術家とともに共著の形でまとめた。処女詩集にして全集のようなおもむきがあるけれども、自分としてはそれでよい。稲垣足穂風に言うなら、以降に自分が書くものはその注釈かバリエーションに過ぎないということだ。共著者と編集者が営業に奔走してくれ、関西の大型書店のみならず、関東の書店にも置いてもらうことができた。ありがたいことに帯には人類学者の金子遊氏が一文を寄せてくださった。個人的には、自分の高校時代からの読書遍歴を決定づけた恵文社一乗寺店に置いてもらえたこと、そしてそこで一度品切れになったことが大変嬉しかった。これで一地方のマイナーポエットになることができたという感じがある。それ以上は望まないが、この営みは細々と続けていくつもりだ。
 詩集に関するあれこれが落ち着いてからは、英語の学習に明け暮れた。一昨年は仕事で繁忙を極めており、勉強どころか読書も満足にできなかったため、それを取り戻すように必死にやった。おかげで昨年度中の目標としていた点数を一発で大きく上回ることができ、すぐに違う分野へ手を出した。次はフランス語であった。気合を入れて5000円もする参考書を買い、基礎からやり直していった。ところがその参考書、誤植があまりにも多く、解説も非常に不親切で、ページをめくるのが億劫になり早々にやる気を失ってしまった。なんとも情けない話である。新しい参考書を買う気もなくなり、漢字の勉強へシフトしたところ、こちらはうまくいった。徐々に、平日はカフェで、週末は図書館で勉強するスタイルが出来上��っていった。その間も読書は続け、昨年で40~50冊程度は読むことができた。
 秋ごろには面白い出会いがあった。実存的な不安が高まったこともあり、有休を取って哲学の道を散歩していたところ、海外からの観光客に、掛かっている看板の意味を聞かれた。訛りのある英語だったため、フランス人ですか? と問うと、そうだとの答え。自分がわずかばかりフランス語が話せるとわかって意気投合し、3日間観光ガイドのようなことをした。彼の名はムッシュー・F、ひとりで日本にバカンスに来て、東京でラグビーの試合を見たりしたとのこと。七十を超える高齢だが、つい最近まで自分もラグビーをしていたと話すエネルギッシュな人物で、全く年齢を感じさせない。パリで会社を営んでいるそうで、これが私の家だと言って見せられたのは、湖畔に浮かぶ大邸宅の写真であった。週末には森を散歩したり、湖にモーターボートを浮かべたり、馬に乗ったりしているよと言う。もちろんそれらは全て私有(森や湖でさえ!)、モノホンの大金持ちである。京都では一緒にカフェに行ったり、大文字に登ったり、うどんをご馳走したり、孫用の柔道着を探したり、旅行の手配を手伝ったりした。是非フランスにおいでと言い残し、彼は去った。それから今でも連絡を取り合っている。実に50歳差の友人ができた。
 かつて自分は、日本で日々を平穏に過ごしながらたまに外国語を話す生活を望んでいたが、今になって少しばかり叶っていることに気が付いた。仕事ではしばしば英語を使う。ただ、本音を言えば、金子光晴のように海外を旅して回りたい。学生時代に思い描いていた生活はと言えば、高等遊民か世界放浪者であった。金子は詩の中で「僕は少年の頃/学校に反対だった。/僕は、いままた/働くことに反対だ。」と言った。人間は何からも自由なのである。自分も「成績」や「評価」、「管理」などには絶対に反対である。人に指示され、その目を気にして送る生活など耐えられない......。ところが、じっさいの自分には構造の外へ飛び出す勇気がない。そもそも自分は道の外から生のスタ-トを切ったのだ。そこから正道に戻るだけで精いっぱいだった。血の鉄鎖に引きずられながらもなんとか空転を繰り返した結果、保守的な思想が全身に染みついてしまった。今はなすすべもないまま泣く泣くレールの上を鈍行で走っている。窓からは、空中を並走するもうひとりの自分が見える。全てに背を向けて純粋な精神の飛翔を楽しむ自分の姿が。金子の詩友・吉田一穂は「遂にコスモポリタンとは、永生救はれざる追放者である」と言った。世界は狭量だ。自分にとっては、シュマン・ド・フィロゾフもアヴェニュ・デ・シャンゼリゼも等価である。どうにか国や所属を超越したいと強く思う。やはり勉強をし直さねばならない。
 自分の様子がおかしくなったのは10月頃からだ。一昨年度に忙殺されたせいで少なからず人間の心を失った自分は、仕事における虚脱感に苛まれていた。家における問題もあり、また昨年度新たに来た上司とは全くウマが合わず、フラストレーションも募っていた。そもそもが5年で5人も上司が変わるという異常な環境である。自分はよく耐えてきたと思う。働くことが馬鹿馬鹿しくなり、ぼーっとする時間が多くなる。そんな中、自分はある大きなミスをしでかしてしまった。それは実際大した問題ではない、誰にでも起こりうることだった。尻ぬぐいは上司とともに行うこととなった。しかし、そのミスのせいでかなり落ち込んでしまい、さらに事後対応や予防策の打ち出し方が虫唾が走るほど不快なものであったため、自分は深く考え込むこととなった。さらにそこで追い打ちのごとく転勤が告げられたため、自分はついに心身に不調をきたしてしまった。抑鬱、不眠、吐き気、緊張性頭痛、離人感、悲壮感、食欲不振……全ての事物から逃げ出したくなる衝動に眩暈がする。ある日職場で人と話している時に、どうにもうまく言葉が出てこなくなったため、何日か休む羽目になった。初めて心療内科を受診し薬をもらった。一日中涙が止まらなかった。その頃の記憶はあまりない。日々、ふわふわと悲しみのなかを漂っていたように思う。ただ、話を聞いてくれる周りの人々の存在はかなりありがたく、ひとりの人間の精神の危機を救おうとしてくれる数多の優しさに驚かされた。転勤の話は自分の現況を述べたところひとまず流れた。その際、上役が放った言葉が忘れられない。「私は今までどこに転勤しても良いという気持ちで仕事をしてきましたけどね」。他人の精神をいたずらに脅かすその無神経さに呆れて物が言えなかった。薬の服用を続け、1ヶ月半ほどかけて不調はゆるやかに回復したが、自分が何もできずに失った貴重な期間を返して欲しいと強く思う。仕事に対する考え方は世代間でもはや断絶していると言ってもよいだろう。
 労働を称揚する一部の風潮が嫌いだ。仕事をしている自分は情けない。それにしがみついてしか生きられないという点において。システムに進んで身を捧げる人間の思考は停止している。彼らは堂々と「世の中」を語り始め、他人にそれを強制する。奴隷であることの冷たい喜びに彼らの身体は貫かれている。何にも興味を持てなかった大多数の人間が、20代前半に忽然と現れる組織に誘拐され、奇妙にも組織の事業であるところの搾取に加担・協力までしてしまう。それは集団的なストックホルム症候群とでも言うべきではないか。社会全体へのカウンセリングが必要だ。尤も、使命感を持って仕事に臨む一部の奇特な人々のことは尊敬している。生きる目的と収入が合致しさえすれば、自分も進んでそうなろう。だが自分は、「社会とはそういうもの」だという諦念には心の底から反抗したい。組織とは心を持たない奇形の怪物だ。怪物は人間の心の欠陥から生まれる。ただ怪物のおかげで我々は生きられる。それをなだめすかしておまんまを頂戴しようという小汚い算段に、虚しさを深める日々。人間的であろうとする以上、この虚しさを忘れてはいけない。
 どうしようもない事実だが、労働によって人の心は荒む。労働は労働でしかない。肉体を動かすことによる健康維持という面を除けば、それ自体、自己にとっては無益なものだ。勤労意欲のない文学青年たちはいかなる生存戦略を以て生活に挑んでいるのか。彼らの洞窟を訪ねて回りたいと思う。現代には、彼らのように社会と内面世界を対立させたまま働き消耗する人々がいる。ある経営者がその現象を「ロキノン症候群」と呼んでいた。芸術に一度でもハマったことがあるような人々がそうなのだという。しかし彼らも納得はいかないながら、どこかで折り合いをつけて頑張っているはずだ。自分は彼らに一方的な連帯感を覚える。来る亡命に向けて、励まし合っているような気さえするのだ。世間様はきっと我々を馬鹿者だと罵るだろう。「なんとでもいはしておけ/なんとでもおもはしておけ」と、山村暮鳥の強い声が聞こえる。目に見えるものだけを信じるのもいいが、それを周りに強いてはならない。我々は今、ようやく開けてきた時代を生きている。だが認識は未だ模糊としている。完全な精神が保証される世界からすると、まだまだ古い時代なのだ。人間の姿を見失いがちな現代に対して言えるのはただ一つ、みんなで一緒に幸せになろう、ということだけだ。
 さて、年末に3日間の有休をぶち込んだので年末年始は12連休となった。天六で寿司を食べ、友人宅に入り浸ってジャークチキンをむさぼった。ポルトガル料理に舌鼓を打ち、サイゼリヤで豪遊した。特に予定を立てずに、ひたすら酒とコーヒーを鯨飲する毎日であった。心身の不調はマシになったものの、不運が続き、人と会わなければどん底に落ちると思った。それはまるで自分という神輿を中心にした絶望のパレードのようだった。
 休みの初日、ふと思い立ち、生き別れた父親の所在を探るべく、戸籍を請求してみた。私は父親の顔も名前も知らなかった。さほど興味がなかったというのもあるが、これまで家族に問うても曖昧な答えしか返ってこなかったのだ。働き出してからしばらくして、親戚から聞いたのは、父親は母親と同じく耳が聞こえなかったこと、暴力をふるう人間であったことの二つだけだ。養育費が払われることはなかったともどこかで聞いたような気もする。いずれにせよクズのような人間であったことは疑いようもない。生まれてから会った記憶もなく、不在が当たり前の環境で育ったため、会いたいと思ったことはほとんどない。ただ、自分の身体の半分が知らない人間の血によって構成されていることに何とも言えない気持ち悪さを覚えていた。というのも、顔は母親似だと言われるが、色覚異常の遺伝子は父親から受け継いだものであり、おかげで少年はある夢を断念せざるを得なくなったからだ。その「不可視の色」を意識するたび、自分の身の内には不在の存在がかえって色濃く反映された。違和感は自分が年を重ねるごとに増してゆくような気がした。そのため、せめて名前と消息だけでも知っておこうと思い、今回ようやく役所に出向いたのだ。職員に尋ねたところ丁寧に教えてもらえた。自分の戸籍から遡れば簡単に辿ることができる。しばらくして数枚の紙きれが手渡された。そこには聞きなれない苗字が書かれてあった。そして、案外近くにひとりで住んでいることがわかった。ふーん。何か虚しさを覚えた。自分は何がしたかったのか。カメラを持って突撃でもすれば面白いのかもしれない。ネットで調べてみると同じ名前の者が自己破産者リストに載っていた。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。結局自分には関係のないことだ。じっさいこの文章を書いている今、父親の下の名前をまったく忘れてしまっている。思い出そうとしても思い出せないのだ。
 旅行前日の夜中に家の鍵をなくした。普段ほとんど物をなくさないのでかなり焦った。約4㎞の距離を3往復し、交番に駆け込むも見つからず。最後に寄ったコンビニの駐車場を這うように探し回ったところ、思いがけない場所で発見し安堵した。寒くて死ぬかと思った。自分は落とし物を探す能力には自信がある。物をなくさない、などと言いながらイヤホンのイヤーピースはこれまでに3度落としたことがある。しかし、その都度血眼になって道端から救出してきたのだ。今回見つからなかったら自分はどんなに落ち込んでいただろう。2時間も無駄にしてしまったが、とにかく良かった。もうお洒落を気取ったカラビナは使わない。
 中学時代の友人3名と有馬温泉に行った。ここ数年、年末の旅行は恒例行事となっている。とはいえこの4人で遊ぶために集まるのはおよそ10年ぶりだ。有馬は京都から車でおよそ1時間半。温泉街は観光客でごった返している。外国人も多い。昼飯にカレーを食べ、しばしぶらつく。細く入り組んだ坂道が続く。公園には赤く錆びついた蛇口があった。飲用可能な鉄泉だったが、衝撃的な味に顔がゆがむ。血だ。その後、目当ての温泉旅館に行くも臨時休業であった。どこの湯も混雑しており、20分待ちがザラだった。日帰り湯の看板が出ていないホテルにダメもとで聞いてみると、幸運にも入れるとの答え。客もほとんどおらず、金泉をこころゆくまで楽しめた。歩き途中、炭酸せんべいを土産に買う。特徴のない普通のせんべいだ。ここで一旦宿に戻って車を置き、再びタクシーで温泉街へ。鉄板焼き屋でお好み焼きを食べ、銀泉に入る。顔がツルツルになった。宿はそこからかなり離れた山裾にある合宿所のようなところだった。嫌がるタクシーに乗り込み、外灯のない急坂を登る。受付には緩い感じのおじさんがいて、懐かしさを覚える。鍵を受け取り、宿泊棟へ。一棟貸しなので騒ぎ放題だ。大量に仕入れた酒とつまみと思い出話で深夜までウノに耽った。翌朝気が付いたのは隣の棟の声が意外とよく聞こえるということだ。大声、というか爆音で昔の先生のモノマネやらツッコミやらを繰り返していた我々の醜態は筒抜けになっていたようだ。棟を出る時に同年代くらいの若者と鉢合わせてかなり気まずかった。ここにお詫び申し上げる。この日は朝から中華街へと移動し、料理を食らった。鰆の酒粕餡かけという聞きなれない一皿がめっぽう美味かった。バリスタのいるコーヒー屋でエスプレッソを飲み、だらだら歩いて旅行は終了。京都に着いてからなぜか3時間ほどドライブし、大盛の鴨南蛮そばを腹に入れてから解散となった。
 大晦日は友人宅で蕎麦をご馳走になってから鐘を撞きに行き、深夜まで運行している阪急で松尾大社へ。地元の兄ちゃんが多い印象。社殿がコンパクトにまとまっていて良かった。おみくじは末吉だった。年明け早々、以前付き合っていた人が結婚したことを人づてに聞く。めでたい気持ち半分、複雑な気持ち半分。元日は高校時代の友人3人と四条で酒を飲むだけに留まる。2日は友人らと蹴上の日向大神宮へ。「大」と名づくが割合小さい。社殿の奥には天の岩屋を模したと思しき巨大な岩をL字型にくりぬいた洞窟があり、潜り抜けることができる。いつ作られたものかは不明だそう。暗闇を抜けて日の光を再び浴びる時、不思議にもスッキリとした感覚になる。ここでもおみくじは小吉だった。その後は下鴨神社の露店を物色し、ケバブとヤンニョムチーズチキンなる悪魔のような食べ物に枡酒で乾杯。旧友と合流し、深夜まで酒を飲み、コーヒーで〆。怒涛のアルコール摂取はここで一旦落ち着いた。
 3日、昼に起きる。夕方ごろ喫茶店に行くもぼんやりして何もできず。3時間で本のページを3回めくったのみ。その帰りがけに初めて交通事故を起こした。自分は自転車に乗っていたが、考え事ごとをしていたかそれとも何も考えていなかったか、赤信号の灯る横断歩道の真ん中で車に真横からはねられて、初めて意識が戻った。即座に状況を理解し、平謝りする。非常に幸運なことに怪我も物損もなく、さらには運転手が気遣ってくれたおかげで大事には至らず、事故処理のみしてその場を後にした。自分はあまりにぼーっとしすぎていたのだ。赤信号はおろか、横断歩道があることさえも気づいていなかった。完全にこちらが悪い。ただ、こんなことを言ってはヒンシュクを買うだろうが、何か自分のせいではないような気もした。昔、轢かれたことのある友人が、「車は鉄の塊、人なんて無力」と言っていた。生と死は笑えるほどに近い。車の同乗者には、生きててよかったなぁ! と半ば怒った口調で言われた。果たしてそうなのか。苦しんで生きるか、知らぬ間に死ぬか、どちらが良いのか。よくわからない頭のまま先輩の家に遊びに行き、帰ってからおみくじを捨てた。馬鹿にもほどがある。
 “WWⅢ”がツイッターのトレンド入りした日に、リニューアルしたみなみ会館で映画「AKIRA」を見た。第三次世界大戦で荒廃・復興した2020年のネオ東京が舞台である。東京オリンピックの開催まで予言されていて瞠目する。作画の緻密さと色彩の美麗さ、展開のスピードが尋常ではなく、見るドラッグのようであった。見に来ていたのは意外にも20代の若者が多かった。なぜか終了30分前に入ってきた女性3人組もいた。目がぐるぐる回って、もう何が何か訳がわからなかった。溢れそうな鍋に蓋をしたところ、その蓋の上から具が降ってきた。そんな脳内で、世界の終わりというよりは、自分の終わりという感じだった。翌日から仕事だったが、変に興奮して夜中まで寝付くことができ���かった。
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社交ダンス衣装とダンス用品専門ショップ愛のルビヤ
社交ダンスにハマる人はかなりドップリとハマるようです。これまで経験のない方にとって、社交ダンスとは縁遠いものでしかないかもしれませんが、普段着ることのないキラキラの衣装をなびかせながら踊る社交ダンスは特別な感覚を体感できるものであり、フラダンス、フラメンコ、ベリーダンスなどとも異なった感覚を得られるとして、自然とキャリアが長くなっていくそうです。
社交ダンスならではのシンクロしていく感覚は独特のものであり、異性をパートナーとして踊るのもひとつの刺激を得られるとして、中高年からの人気を集めています。社交ダンスについて検索してみると、認知病予防にも適しているとのことです。
動きをシンプルにして、テンポをゆったりとすることで、高齢者でも楽しめるようになるため、関連事業者からも注目を浴びているようです。どれくらい本格的に社交ダンスに取り組むかにもよるでしょうが、いくらか上達していけば、集まった観衆の前で踊る機会にも恵まれるでしょう。
そのときに問題となるのが衣装です。社交ダンスで着用する衣装は、それまで普通に生活していただけなら持っていないだろうものばかりです。男性の場合には、タキシードや燕尾服、蝶ネクタイやラテンシャツなどのオシャレなシャツを、女性の場合にはオシャレなドレスやトップスなどを着用しますが、いずれも公私ともに普段の生活では着用しないだろうデザインのものばかりです。
いざ社交ダンス用の衣装を用意しようと思っても、おそらく近隣にそれらしきお店はあまり見られないのではないでしょうか。仮に、取り扱っている店舗があったとしても、商品のラインナップはきっと乏しいことでしょう。
よく考えてみれば、社交ダンスを楽しんでいる人数は地域ごとで見ればある程度限られているものであり、地域のサークルや教室などもかなり限定されますので、発表会や大会に参加してみれば、他の誰かと同じ衣装となってしまう可能性もあります。
非日常的な華やかさのある衣装も社交ダンスの魅力に他ならないのですから、できれば誰かと衣装が被ってしまうのは避けたいところではないでしょうか。そのようなときにおススメなのが、愛のルビヤです。
詳しくはコチラのリンク先から確認できますが、社交ダンスの衣装をラインナップ豊富に取り扱っている先なので、きっと自分の理想に近い一着を手に入れられます。
愛のルビヤは京都にあるお店ですが、リンク先をご覧いただければわかるように、ネットショップを運営していますので遠方の方でもお買い物ができます。愛のルビヤでは社交ダンスのためのドレスをはじめとする衣装やダンスシューズを取り扱っている以外に、楽器演奏会ドレス,カラオケ発表会ドレス,各種アクセサリーなども扱っており、ラインナップは数千点にも及びます。
社交ダンスに限らず、フラダンス、フラメンコ、ベリーダンスなどの衣装をお探しの方、習い事の発表会などのステージに上がるための衣装をお探しの方でも、きっと満足できる衣装選びができるでしょう。 愛のルビヤのオンラインショップに陳列されているアイテムを見ていると、その価格の安さに驚かされます。煌びやかな衣装は生地だけでも相当な値段なのではないかと思いますし、デザインや縫製なども特殊なので値が張るだろうと思いきや、とてもリーズナブルな価格で手に入れられるようです。
それぞれ何枚もの画像で詳細をチェックできますし、サイズ選びがしやすいよう、ドレスや衣装のサイズ表記というページで自分にフィットするサイズを確認できるようになっていますので、オンラインショッピングに不慣れな方でも簡単に購入することができます。14時までの発注であれば当日発送、2980円以上のお買い物であれば送料無料、それ以外の場合でも安価な送料で商品を送ってくれるなど、とても利用しやすい条件が揃ったオンラインショップとなっています。 ページ下部には愛のルビヤの店舗画像が掲載されていますが、とても面白そうなお店なので、可能であれば足を伸ばしてみるのがおススメです。社交ダンスに用いる衣装、オシャレなドレスが所せましと店内に陳列されている様子が確認できますが、これらすべてが試着可能とのことなので、お店に遊びに行けば充実した時間を過ごすことができるでしょう。
また、ホームページの管理者プロフィール欄には、“JR向日町駅の近くに20名さま収容のカラオケ喫茶&スナックキャットを開店して営業しております”との記載も見られますので、愛のルビヤに遊びに行って店長さんとコミュニケーションを深めれば、より一層、コミュニティの輪が広がっていくのではないでしょうか。 今回ご紹介した愛のルビヤのホームページのサイドバー下部には、社交ダンスについての豆知識も掲載されていますので、日頃から社交ダンスに取り組んでいる皆さまにとっ���興味深い情報が得られると思います。例えば、社交ダンスの種目という箇所をクリックしてみると、スタンダードやワルツ、タンゴ、スローフォックストロット、チャチャチャ、サンバなど各種目の名称が紹介されているとともに、それらがどのようなものであるのか詳細な説明もされています。
また、京都にある社交ダンススクールの紹介コーナーもあるので、近隣にお住まいであればご覧になってみてはいかがでしょうか。おそらく京都にあるスクールがほぼ網羅されているのではないかと思うほど、多数のスクールが紹介されており、それぞれのホームページへのリンクも貼られています。
社交ダンススクール紹介のページには、愛のルビヤの店長さんが習っていたというダンスの先生、その教室の様子やレッスンスケジュールなども掲載されていますので、これから社交ダンスを始めてみたいという方にはとても興味深い情報となるでしょう。愛のルビヤは社交ダンスや発表会の衣装を多数取り扱っていますが、それらに興じる人々が広く楽しめる情報も持っていますので、まずは一度、愛のルビヤのホームページへとアクセスしてみてください。
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sakyowonder · 5 years
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左京ワンダーコラム039
左京にまつわるエトセトラ.38 はなさかたみお 『左京区民』
左京区に住んでいると人種の違いを感じることがある。人種と云っても、地元民と移民の違いである。
ネイティブ左京と表現したらいいのだろうか、左京区生まれ、左京区育ちの人と話したときに温度差を感じるのだ。
左京区でヒッピーみたいなことをしている人たちはだいたい進学や就職で移住してきた人である。目立って何かをしている人は圧倒的にこちらが多い。
ネイティブと移民ーーあまり触れられていないことだが、今回はその辺をちょっと考えてみたい。
左京区には大学や専門学校など学ぶ場が多い。大学だと京都大学、京都工芸繊維大学、府立大学、京都精華大学、京都造形大学、ノートルダム女子大学があり、上京区だが近い距離に同志社大学もあったり、京都産業大学や大谷大学の下宿生も住んでいる。また、IT系や、外語系の専門学校もある。
左京区の大半が学生街的な雰囲気なのはこのせいだが、進学を機に左京区に来て、そのまま居着いてしまったような人たちの堆積が左京区の特異さの一因になっている。
絶えることのない地域出身者による異文化の流入、学生向け居酒屋や喫茶店など大学の延長的環境、大学自治を通過した左翼的自由観やDIYの精神、大量のインテリゲンチャが市井で暮らすことで築かれた大衆的アカデミズムーーそうしたものが左京区を醸している。
他方、地元ネイティブな人たちは、おとなしい。仕事観や生活観、結婚観などはとても安定している。“隣人に変わった人がいる”という認識を持っている以外は、そんなに京都人的価値観から離れていない。商いをするにしても無謀なことはしないし、大学進学も自宅から通える中堅大学が多い。アホな痴性を持たず、一般的な感覚で日常を過ごしている。愛聴している音楽も無難なものが多かったりする。そして、地元民がどこでもそうであるように学区に詳しく、学区への想いを抱いている。
しかし、街中の人のようなアグレッシブさはない。むしろ淡白でさえある。
左京区で生活していると、この二つの人種が交わるような場所が少ないことに気づく。目立っている場所はだいたい移民の巣窟である。そういう場所へは地元民は来ないし、逆に言えば、移民には地元民がたむろするような場所がわからない。
ふつうであれば、地元ネイティブがメインの居酒屋ゾーンやスナック街があるものだが、左京区にはほとんどない。あっても単発である。
上京区や下京区なら祖父~孫まで三代続けてお世話になったという飲み屋がいくつか存在するが、左京区でそんな話を聞いたことがないし、地元の人々に支えられて、という感じの店も不思議なほどない。店も客も一代限りというのが多い。若い店がそのまま歳を重ねて終わっている。
これについての私見だが、左京区そのものの新しさと関係があるように思う。
上京区や中京区、下京区は御所や城があったり、大きな寺社があったり、それらに付随する商売があったりという歴史の深さと煮詰まる必然性があって、濃い街になっている。
それに対し左京区は明治以降に農地から、大学と住宅の街として開発された新興の行政区である。左京区の中でも古い地域には農村文化が残るが、“街”としての文化の形成は新しい。それ故、地元民の核になるようなものがなく、地元文化が“ない”のである。
京都では珍しい“歴史の浅さ”が、絶えず新しいものが入ってくるという状況やアカデミズムや芸術へのアプローチなどと相まって、京都人の保守性に染まらない革新的な気風を生み出していると思う。
そんなんで、左京区民は京都でも異質なんですよ。 ◆はなさかたみお 敷居は低いがハードルの高い店『失われた時間と百年の孤独』を経営。1977年生まれ。オススメの左京イベントは、松ヶ崎涌泉寺の日本最古の盆踊りと八瀬の奇祭 赦免地踊り。あと、岡崎の江州音頭フェスティバル。Let’s 音頭 again!
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ashrhal · 5 years
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2019/10/9
結婚して日記を更新しなくなり2年の月日が経ち、俺は幸福なバカとなって死にました、よろしくお願いします。
この二年間色々なことがあった。野崎りこんがアルバムを2枚出し、俺はフリーランスもどきになり、フリーランスもどきをやめて派遣社員となり、ametsubが捕まり、祖父母の立派な一軒家は取り壊され、父は定年退職し、NUMBER GIRLは復活して即解散し、妻の母は癌で闘病生活を送り、京アニでは36人の人間がキチガイに殺害され、それでもこの札幌という地で妻は俺の隣でケラケラと笑っている。
人生なんて簡単だった。そう気がついたのは最近だった。妻という絶対を見つけたからこそそう思えるようになった。俺の生活水準は相変わらず低く、病気や怪我、事故や事件、そういった災いが未来に起これば一発でコロッと砕け散ってしまうような危うさを未だに孕んでいるが、そんなことは今を今として生き、今の今だからこその幸福を二人で噛み締めて生きている我々にはどうでもよいことのようにすら思えている。
去年の1月に、紆余曲折を経て派遣社員となり週5日きちんと働くようになったものの、やっぱり俺には天性のなんらかの能力があるらしく、やることすべてが評価され、人間関係も良好、来年の1月には部署の運営責任者に昇格することが決まっている。以前の俺であればできるできないに関わらず入社一週間で仕事を辞めていたはずだったろうが、身体は疲れども妻という絶対を見つけたが故に何も痛くない。人生はなんて簡単だったんだろうと思った。やるべきこと、できることをやる。その判断ができるだけで、大抵の他人からは評価される。評価されれば自然と色々なことがやりやすくなる。しかし、こうなるまで、妻という絶対を見つけるまで、思えば長くかかった。野崎りこんの曲で(正確には泉まくらの曲だが)、「愛と呼べよ」という曲がある。その曲の中で、「世界の片隅で愛を叫ぶ獣」という歌詞がある。自己を正当化するようで気持ちが悪いと俺自身思うが、以前の俺がまさしくそれだったのだと魂で実感する。そんな獣が何かに巡り会えた時、人生は一変する。今までどうにもできなかった問題がどうでもよくなり、今まで大切だと思っていた価値観がクソ寒いものだったと気がつく。その感覚にほんの僅かな寂しさを覚えることもあるが、今の俺には妻と意味不明な歌を歌ってケラケラと二人で笑う方がよっぽど重要だったりする。アサハラは死んだ、俺はいぴくんだ。
「なんで結婚したの?」
結局当初、そう他人に訊かれた時俺は必ず
「同じ世界で生きている人だから」
と答えていた。この言葉が通じる人間はそう多くはないと思うが、同じ世界で生きている人間と二人きりになれることというのは、俺のような人間にとってそんな幸福はもとより無いと断言できる。
せっかく久しぶりの日記なので、今日のことを書こうと思う。
今日、俺は、うんちを漏らした。
いつも通り、朝の7時15分にベットから這い出ようとし、妻の温もりに甘えてベットに囚われて7時30分までの二度寝をかます。出社時間が俺より遅いものの、準備に時間がかかる妻は「早くシャワー浴びて」と俺に催促する。決意がかった眼を血走らせ、決死の覚悟での寝起きの身体に熱いシャワーを浴びせる。コンタクトレンズを入れて、髪を乾かし、煙草を吸い、会社に行く。
9時から5時まで働く。内容はコンプライアンスがあるため伏せておく。それなりに疲れた俺は業後立ち飲み屋に行ってビールを飲む。仕事終わりの妻と合流し、自炊を放棄した魂は外食を求め、今月は色々と金銭的に厳しいにも関わらず妻の「大戸屋に行きたい」の一言に誘われ、いつも通り外食で夜飯を済ます。いつもは居酒屋かラーメン屋、たまに妻好みの喫茶店で夕食を済ますが、久しぶりに食べた大戸屋のアジの炭火焼の香ばしさと魚独特の油はバカとなった俺を幸福な気持ちに導いてくれて、心から満足した。
札幌駅の地下道を歩き、家へと向かう。そこで俺と妻の意見が分かれた。俺は「地上に出て大通公園を歩いて家まで帰ろう」と言う、妻は「地下を歩いてPARCOに寄って狸小路を歩こう」と言う。地下道の人混みと、PARCOの人混みと、狸小路の人混みを歩き抜ける自信のなかった俺は妻の意見を断固拒否、妻はどうしてもPARCOに行きたいようで、俺の意見を断固拒否。「毎日一緒に帰っているし、今日くらいはいいか」と思い、その場で妻と「バイバイ!」とふざけた声で言い合いながら別れた。別れ際、お互い一緒に来て欲しかったのか、二人とも振り返って手招きしていた風景がハタからみると気持ち悪いかつ微笑ましいのだろうと思う。
久しぶりに一人で夕暮れの札幌の街を歩き、久しぶりにセンチメンタルな気持ちに犯されて道中の喫煙所でタバコを吸った。耳にはイヤホン、アジカンのラストシーンがシャッフル再生で流されていた。きっとそれが良くなかったのだろう。
煙草を吸い、珈琲を飲むとうんちをしたくなる。その時の俺はそんな公然の事実を鑑みず、久しぶりの一人のおセンチに浸っていた。喫煙所を後にして、帰路につく。当然ながら、俺はうんちをしたくなった。そして、家までの距離を考えて、逆算した結果間に合うだろうという結論を下していた。そのまま家へと足を進め、マンションに辿り着き、エレベーターを上がる。部屋のドアの前まで来て財布から鍵を取り出そうとする。しかし、そこに鍵はなかった。溢れ出ようとする便意、そこに無い鍵。その事実を俺は受け入れられなかった。妻と一緒に帰らないというこんな特殊な日に限って、俺は鍵を家に忘れていたのだった。
妻にすぐさま連絡を取ったものの、便意は治らない。近くのコンビニに行き、妻に待っている旨を伝えた。そのまま大ができるに行けばよかったのにも関わらず、錯乱していた俺は「虎穴に入らずんば虎子を得ず」みたいな感じの「少出せば大収まる」的な感覚を覚えてしまい、何故か小便器しかない男の子トイレに入った。安堵感を覚え、放尿を始めて僅か2秒、尿道と共に緩んだ肛門から何かが出た温もりを感じた。28歳の秋だった。
28歳、派遣社員、脱糞。
量こそ少なく被害は僅かだったものの、俺はさらに錯乱した。錯乱した結果、そのまま近くのパチンコ屋に行き1円パチンコをうった。
うんちを漏らした男がパチンコという苛烈な戦に勝てるはずもなく、3000円という大敗を決した。絶唱ゾーンにだって入ったのに。
妻からの「家に着いた」という連絡を受け、俺は心がめちゃくちゃのまま家に帰った。心がめちゃくちゃだったから、心配する妻をよそにめちゃくちゃに酒を飲み日記を書いた。それが今日の俺の日記だった。
俺は昔より確実に今を生きている。何かを褒められればきちんと嬉しいし、うんちを漏らせばきちんと悲しくなる。悲しくなった俺を見て妻は笑う。それでも真剣に悲しい姿を見せ続けると本気で心配してくれる。そんなクソだけにクソみたいにしょうもない日常に、きっと途方も無い幸福を感じている。これから俺と妻が、どんな人生を歩んでいくか、5年後10年後がどうなっているかなんて皆目検討もつかないし興味もわかないけれども、未だに俺は「バカになって死ねればいい」と信じ、妻と一緒に「バカになって今だけを笑って生きていたい」と思っている。どうかそのささやかな願いが叶いますように。
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genron-tomonokai · 5 years
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[友の会メール]友の会10期更新は10月末まで受付中!/『ゲンロン10』全国書店販売開始!/『ゲンロンβ41』配信中!
☆**:..。o○o。:..**☆
[友の会メールvol.332]友の会10期更新は10月末まで受付中!/『ゲンロン10』全国書店販売開始!/『ゲンロンβ41』配信中!(2019年10月08日配信)
 ★noteで読む: https://note.mu/genron/n/ndb07712875fc
☆**:..。o○o。:..**☆
こんにちは、スタッフの宮田です。
『ゲンロン10』が全国書店にて販売開始されました。ツイッターでも嬉しいご感想をたくさんいただいております。 ゲンロンカフェでは『ゲンロン10』に関連するイベントを開催していきますので、こちらもお楽しみに! また、ゲンロン友の会9期から10期への更新を今月いっぱいまで受け付けております。 更新特典の『ゲンロン10.5』が手に入るラストチャンスです。友の会更新をお忘れなく!
 * * * * *
★友の会 第10期への更新は10/31まで受付中!★
友の会会員のみなさまには、日頃よりゲンロンを支えていただきまして誠にありがとうございます。
この度、ゲンロン友の会 第10期への更新時期となりました。 10月31日までに第9期から更新していただいた方には、特別冊子『ゲンロン10.5』(非売品)を進呈いたします。こちらは『ゲンロンβ29』から『ゲンロンβ39』の記事を集めた特装版です。 (新規ご入会の方は『ゲンロン10.5』進呈の対象外となります。ご了承ください) すでに更新していただいた会員の皆さまには、『ゲンロン10.5』をまもなく発送いたします。 『ゲンロン10.5』のラインナップは、國分功一郎さんと東浩紀の対談「正義は剰余から生まれる」や、 星野博美さん、本田晃子さんの新連載、リレーエッセイ「つながりロシア」、 そして本書表紙の写真も担当された大山顕さんの「スマホの写真論」など豪華なコンテンツが目白押しです。
友の会第10期では他にも、『ゲンロン11』、「10期会期内発行の選べる単行本2冊」、『ゲンロンβ42~53』をお届けするほか、カフェ割引など多様なサービスがついてきます。
更新締め切りは10/31までとさせていただきます。詳細は以下の商品ページをご覧ください。 友の会10期への更新をよろしくお願いします。 https://genron.co.jp/shop/products/detail/244
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★『ゲンロン10』全国書店販売開始・電子書籍版も発売!★
『ゲンロン10』がついに9/26全国書店にて発売となりました!もうお手に取っていただけましたでしょうか? また、電子書籍版も発売いたしました。ぜひお好きな媒体でお楽しみください。 Twitterではすでに嬉しいご感想を多数いただいております。ぜひたくさんのご感想をお待ちしております。 『ゲンロン10』感想まとめはこちら。 https://togetter.com/li/1409795
『ゲンロン10』の試し読みもできる特設ページも公開しました。ぜひご覧ください。 https://genron-tomonokai.com/genron10/
『ゲンロン10』 Amazonでのご購入はこちら。 物理書籍版 2,640円(税込) https://amzn.to/2oW4uh9 電子書籍(Kindle)版 2,300円(税込) https://amzn.to/2MzB4hl
すべて必読の、大充実のコンテンツです。ぜひ一度お手に取ってごらんください!
★「東浩紀がいま考えていること」(2019/06/14)第1弾をVimeo公開!★
大好評に終わった、先日の東浩紀一人語りイベント第二弾。 そこで、6月に行われた第一弾をVimeo緊急公開いたします。 レンタル(7日間)600円、ご購入(無制限)1,200円です。
東浩紀「東浩紀がいま考えていること」(2019/6/14収録) https://vimeo.com/ondemand/genron20190614
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★『ゲンロンβ41』配信中!★
1.【新連載】「小松理虔 当事者から共事者へ」
『新復興論』の著者待望の新連載では、内部でも外部でもない立場を「共事者」いう言葉で掘り下げます。今回はNPO法人「レッツ」を取材。福祉と表現・個性の在り方を考えます。
2.東浩紀「ドストエフスキーとシミュラークル(1)」
東による連載、今回はドストエフスキーの「聖地巡礼」録の前半です。『罪と罰』の舞台の観光地化は、ラスコーリニコフの虚構への敗北なのか。現地から問いかけます。
3.星野博美「世界は五反田から始まった」
人気エッセイの最新回では一枚の家族写真から、避暑をめぐる父の家と母の家の対比が語られます。両者はやがて空襲と疎開に巻き込まれていく――家族と戦争の歴史を結ぶ必読の文章です。
4.【特別再録】速水健朗「よい子のためのツーリズム」
来年予定の単行本化に先立ち、ゲンロン黎明期の連載の初回を特別再録。震災翌年、小説作品と眺めるビーチの風景はどう見えたか。今後の配信号で追加原稿も掲載予定です!
5.伊勢康平「哲学と世界を変えるには――石田英敬×ユク・ホイ×東浩紀イベントレポート」
ゲンロンカフェ初の英語イベントの模様を、充実の注解でお届け。東洋哲学と技術は結びつくか――『新記号論』に連なる白熱の議論です。
6.藤城嘘さんによるアトリエコーナー、今回は新規展示のご紹介はお休みし、新芸術校グループ展のお知らせを掲載しています。トップバッターのグループ展A『ホンヂスイジャク』の写真付きレポートは次号掲載します。
今号も魅力的なトピックが目白押しの『ゲンロンβ41』。ぜひご一読ください!
『ゲンロンβ41』550円(税込) ゲンロンショップ(ePub版) https://genron.co.jp/shop/products/detail/245 アマゾン(Kindle版) https://amzn.to/2IwkgXb
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★新芸術校 第5期 グループB「摩訶神隠し」展開催★
2019年9月から12月まで、毎月、新芸術校5期の受講生による、新しいグループ展を五反田アトリエにて開催します。 10月12日(土)には第2弾となるグループBの展示「摩訶神隠し」がオープンします。
【グループB】摩訶神隠し 出展作家:大島有香子 / 木谷優太 / 小林毅大 / 鈴木知史 / 田中愛理 / 繭見 / zzz キュレーション:NIL(CL課程)、マリコム(CL課程) デザイン:6:30 会期:2019年10月12日(土)- 20日(日) ※10月19日(土)は講評のため終日休廊 開廊時間:15:00-20:00 https://genron-cafe.jp/event/20191019/
【講評会日時】2019年10月19日(土) 14:15~17:30 ※会場参加は受講生のみとなります。 講評会ゲスト講師 飴屋法水氏 講評会中継URL http://nico.ms/lv322231585 ※会場参加は受講生のみとなります。 ※今回はアトリエでのプレゼン中継のみとなります。講評の中継はございませんのでご了承ください。
みなさまのご来場を心よりお待ちしております。
 * * * * *
それでは以下、今週のカフェ&編集部からのお知らせです。
◆◇ ゲンロンカフェからのお知らせ  ◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◇◇ 発売中の会場チケット ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆10/18(金)19:00- 佐久間裕美子×速水健朗 「マリファナはアメリカをどう変えたか ――『真面目にマリファナの話をしよう』刊行記念イベント」 ☆会場参加: http://ptix.at/m3KO3k ☆放送視聴: http://nico.ms/lv322049263
★新着イベント★ ◆10/21(月)19:00- 菊地信義×川名潤×水戸部功×長田年伸 【『アイデア』387号 刊行記念トークショー 】 「来るべき『本と出版』を探る ――現代日本のブックデザインめぐる対話」 ☆会場参加: http://ptix.at/wzx8D9 ☆放送視聴: http://nico.ms/lv322245159
◆10/24(木)19:00- 小川哲×アマサワトキオ×櫻木みわ 「SFを可能にする構想力と取材力 ――『嘘と正典』刊行記念イベント」 ☆会場参加: http://ptix.at/9H87zN ☆放送視聴: http://nico.ms/lv322245451
★新着イベント★ ◆10/25(金)19:00- 【ゲンロン10 刊行記念】 鴻野わか菜×本田晃子×上田洋子 「ユートピアを記録/記憶する ――コンセプチュアリズムとペーパーアーキテクチャから見るロシア芸術」 ☆会場参加: http://ptix.at/5PFcNm ☆放送視聴: http://nico.ms/lv322327356
★新着イベント★ ◆10/26(土)19:00- 岩渕貞太×平倉圭 「ほどかれるからだと思考 ――『かたちは思考する:芸術制作の分析』刊行記念イベント」 ☆会場参加: http://ptix.at/ntIhJ9 ☆放送視聴: http://nico.ms/lv322245873
★新着イベント★ ◆10/28(月)19:00- 西田亮介×辻田真佐憲 【ゲンロン10 刊行記念】 「国威発揚文化の現在地 ――メディア戦略から政治を読む #3」 ☆会場参加: http://ptix.at/c5bDNb ☆放送視聴: http://nico.ms/lv322327897
★新着イベント★ ◆10/31(木)19:00- 夏野剛×東浩紀 「男たちが語る『エンドゲーム』 ――2010年代というゲームはエンドを迎えたのか?」 ☆会場参加: http://ptix.at/pt5DtB ☆放送視聴: http://nico.ms/lv322246511
◇◇ 今週・来週の放送情報 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆10/9(水)18:00- 【再放送】松尾豊×東浩紀 「人工知能はどこまで社会を変えるのか」 (2015/10/20収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322165447
◆10/10(木)13:00- 【再放送】佐藤カフジ×シン石丸×東浩紀 「FPSゲーム『S.T.A.L.K.E.R』で巡るチェルノブイリ!」 (2013/9/16収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322168596
◆10/10(木)18:00- 【再放送】西田亮介×辻田真佐憲 「令和における政治広報の行方 ――メディア戦略から政治を読む #2」 (2019/07/03収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322168923
◆10/11(金)13:00- 【再放送】井田茂×東浩紀 「系外惑星から考える ――太陽系は唯一の可能性か」 (2015/5/13収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322169348
◆10/11(金)18:00- 【再放送】國分功一郎×東浩紀 「いま哲学の場所はどこにあるのか」 【ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #2】 (2017/12/10収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322328995
◆10/15(火)18:00- 【再放送】法月綸太郎×東浩紀 「ふたたび謎解きの世界 ――名探偵と愛のゆくえ」 (2014/3/14収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322339317
◆10/16(水)18:00- 【再放送】本田晃子×上田洋子 「全体主義とユートピア建築 ――『天体建築論 レオニドフとソ連邦の紙上建築時代』サントリー学芸賞受賞記念トークショー」 (2015/4/28放送) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322339662
◆10/17(木)13:00- 【再放送】冲方丁×深見真×吉上亮×大森望 【『PSYCHO-PASS3』放送開始!】 「エンターテインメントの極大射程」 (2019/4/23収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322339937
◆10/17(木)22:00- 【講評・無料生放送】長谷敏司×塩澤快浩(早川書房)×大森望 「第5回」 【ゲンロン 大森望 SF創作講座 第4期 #5】 https://live.nicovideo.jp/watch/lv322243479 (※こちらの放送はタイムシフトには対応しておりません)
◆10/18(金)13:00- 【再放送】祖父江慎×津田淳子×山本貴光 【ゲンロンカフェ at ボルボスタジオ青山 #20】 「紙の本のつくりかた」 (2019/07/26収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322340367
◆10/18(金)19:00- 【生放送】佐久間裕美子×速水健朗 「マリファナはアメリカをどう変えたか ――『真面目にマリファナの話をしよう』刊行記念イベント」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv322049263
◆10/19(土)14:15- 【展示・無料生放送】飴屋法水×黒瀬陽平 【ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期 #18】 「グループ展B『摩訶神隠し』展示 ――講評会2」 https://live.nicovideo.jp/watch/lv322231585
◇◇ 現在視聴可能なタイムシフト ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆10/9(水)23:59まで 【再放送】川名潤×水戸部功 司会=長田年伸 「日本のブックデザイン史を記述する 1960-2020」 (2019/2/7収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322122122
◆10/10(木)23:59まで 【再放送】金子遊×清水高志×渡邉大輔 「哲学と映像の『存在論的転回』 ――『実在への殺到』と『映像の境域』の交点から考える」 (2017/10/14収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322122604
◆10/10(木)23:59まで 【再放送】ウティット・ヘーマムーン×岡田利規×福冨渉 司会=上田洋子 「舞台と小説の交感 ――『プラータナー:憑依のポートレート』『憑依のバンコク オレンジブック』出版&東京公演開催記念」 (2019/07/02収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322122826
◆10/11(金)23:59まで 【再放送】鴻英良×危口統之×黒瀬陽平 「ラディカルな芸術とはなにか ――芸術祭におけるアーティストと観客」 (2016/4/28収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322123164
◆10/11(金)23:59まで 【再放送】鈴木忠志×東浩紀×上田洋子 「テロの時代の芸術 ――批判的知性の復活をめぐって」 (2015/5/23放送) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322123438
◆10/12(土)23:59まで 【チャンネル会員限定・生放送】高山明 × 黒瀬陽平 「展示を批評する1 ――展示指導9」 【ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期 #16】 https://live2.nicovideo.jp/watch/lv322230846
◆10/15(火)23:59まで 【再放送】橋爪大三郎×仲俣暁生×さやわか 「『橋本治』とはなにものだったのか ――優しいお人好しをめぐって」 (2019/07/11収録) https://live.nicovideo.jp/watch/lv322164547
※ご視聴は23:59まで可能ですが、ご購入いただけるのは視聴終了日の18:00までです。ご注意ください。
◇◇ 今週のおすすめアーカイブ動画 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
◆【vimeo】東浩紀 「東浩紀がいま考えていること ――『テーマパーク化する地球』刊行記念」 https://vimeo.com/ondemand/genron20190614 (2019/6/14収録)
◆【vimeo】卯城竜太×aggiiiiiii×上田洋子 「アート・アクティヴィズムは社会を変えるか? ――『プッシー・ライオットの革命』(DU BOOKS)刊行記念」 https://vimeo.com/ondemand/genron20181211 (2018/12/11収録)
◆【vimeo】『ゲンロン』第2期始動!『ゲンロン10』パック https://vimeo.com/ondemand/genron10
パック内容は以下の通りです。 1. 原武史×東浩紀「平成において皇后とはなんだったか」 https://genron-cafe.jp/event/20190405/
2. 高橋沙奈美×本田晃子×上田洋子「ツーリズムとナショナリズムからみる現代ロシア――建築、教会、収容所」 https://genron-cafe.jp/event/20190416/
3. 長谷敏司×三宅陽一郎×大森望「AI研究の現在とSFの想像力」【大森望のSF喫茶 #28】 https://genron-cafe.jp/event/20190417/
◆【vimeo】ゲンロンカフェ『ニッポンの演劇』セレクション https://vimeo.com/ondemand/genrontheater
パック内容は以下の通りです。 1.岡田利規×佐々木敦「新しい日本語、新しい身体――チェルフィッチュと演劇の現在」【ニッポンの演劇#1】 https://genron-cafe.jp/event/20151217/
2.飴屋法水×佐々木敦「なにが演劇なのか���―パフォーマンスの「正体」をめぐって」【ニッポンの演劇#3】 https://genron-cafe.jp/event/20160413/
3.平田オリザ×佐々木敦「現代口語演劇はいかに更新されたか?」【ニッポンの演劇#4】 https://genron-cafe.jp/event/20160628/
◆【vimeo】『大森望のSF喫茶』セレクション#1 https://vimeo.com/ondemand/genronsf1
パック内容は以下の通りです。 1. 円城塔×東浩紀×大森望「テクノロジーと文学のゆくえ――小説をプログラミングする」 genron-cafe.jp/event/20151024b/
2. 飛浩隆×東浩紀×大森望「『自生の夢』刊行記念トークイベント」 genron-cafe.jp/event/20161210b/
3. 瀬名秀明×東浩紀×大森望「SFと復興――小松左京から考える」 genron-cafe.jp/event/20140111/
★ゲンロンカフェ Vimeo On Demand 公開動画一覧 https://genron-tomonokai.com/vimeo/
◆◇ 五反田アトリエからのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
開催予定の展示
◆2019年10月12日(土) - 10月20日(日) ※10月19日(土)は講評のため終日休廊です ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校 第5期生展覧会グループB「摩訶神隠し」 開廊時間:15:00 - 20:00
出展作家:大島有香子 / 木谷優太 / 小林毅大 / 鈴木知史 / 田中愛理 / 繭見 / zzz キュレーション:NIL(CL課程) / マリコム(CL課程) デザイン:6:30
展覧会特設サイトはこちら https://makakamikakushi.com/
新芸術校第5期生による展覧会、グループAにつづいてグループBの展示がはじまります! 「サバイバル」型のプログラムが組まれている新芸術校では、4グループに分かれて4回の展示が行われ、その中で成績優秀者が最終成果展へ選出されます。 今もっとも注目される美術学校のひとつとなった新芸術校生徒たちの作品が、毎月ご覧いただけます。 どのグループの展示もどうぞお楽しみに、お見逃しなく!
新芸術校について・新芸術校関連の予定についてはこちら↓ https://school.genron.co.jp/gcls/
(藤城嘘/カオス*ラウンジ)
◆◇ 編集部からのお知らせ  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇
★『ゲンロン10』全国書店にて販売開始!電子書籍版も配信開始!★
『ゲンロン10』 Amazonでのご購入はこちら。 物理書籍版: https://amzn.to/2oW4uh9 電子書籍(Kindle)版: https://amzn.to/2MzB4hl
★東浩紀『テーマパーク化する地球』好評発売中!
批評家として、哲学者として、そして経営者として、独自の思索と実践を積み重ねてきた東浩紀。 その震災以降の原稿から47のテクストを選び出し、「世界のテーマパーク化」「慰霊と記憶」「批評の役割」を軸に配列した評論集。 ゲンロンショップ [物理書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/224 [電子書籍(ePub)版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/228
アマゾン [物理書籍版] https://amzn.to/2XvICFV [電子書籍(Kindle)版] https://amzn.to/2Ik7Emd
→試し読みページはこちら! https://genron-tomonokai.com/themepark/no1/
★『新記号論 脳とメディアが出会うとき』Kindle版値下げキャンペーン開催中!
『テーマパーク化する地球』発売を記念して、『新記号論』Kindle版は通常価格より580円お得な2,500円(税込み)に! [Amazon Kindle版] https://amzn.to/2JgQlln
以下はゲンロンショップサイトのリンクとなります。 「脳とメディアが出会うとき――記号論は新たに生まれ変わる!」 [物理書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/215 [電子書籍版] https://genron.co.jp/shop/products/detail/220
→試し読みページはこちら! https://genron-tomonokai.com/shinkigouron/no1/
★『マンガ家になる!――ゲンロン ひらめき☆マンガ教室 第1期講義録』絶賛販売中! 絵がうまいだけじゃダメ、マンガが描けるだけでもダメ。業界騒然のマンガ家育成講義録! https://genron.co.jp/shop/products/detail/193 →試し読みページはこちら! https://issuu.com/genroninfo/docs/20181125/16
★小松理虔『新復興論』絶賛販売中! 第18回大佛次郎論壇賞受賞! 「課題先進地区・浜通り」から全国に問う、新たな復興のビジョン! https://genron.co.jp/shop/products/detail/178 →『新復興論』特設ページはこちら! https://genron.co.jp/books/shinfukkou/
★毎日出版文化賞受賞&朝日新聞社「平成の30冊」第4位!『ゲンロン0 観光客の哲学』絶賛販売中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/103 →『ゲンロン0』特設ページはこちら! https://genron-tomonokai.com/genron0/
★今だけお得な友の会第9期かけこみ&第10期更新を受付中! https://genron.co.jp/shop/products/detail/242
◆「ゲンロン友の声」サイト、質問募集中です! 知られざるTumblrサイト「ゲンロン友の声」では、友の会会員のみなさまからお寄せいただいたご意見・ご質問に対して、 東浩紀をはじめとするスタッフがお返事を差し上げております。 また、ゲンロンnoteも開始いたしました。noteにも「ゲンロン友の声」を掲載していきます。
最新の記事は、「子どもを生み出すことへの躊躇いをいかにして退けましたか?」です!ぜひご一読ください! Tumbler: https://tmblr.co/Zv9iRg2kchcBV note: https://note.mu/genron/n/n93d96ab462ab
ご要望などもお気軽に! ゲンロン友の声 Tumbler: http://genron-voices.tumblr.com/ genron note: https://note.mu/genron
◆◇ 東浩紀 執筆・出演情報  ◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆『AERA』の巻頭エッセイコーナー「eyes」に、東浩紀が連載中! 最新の記事は、東浩紀「歴史的事件の加害側が害を記憶し続けなければ悪循環は断ち切れない」です。 https://dot.asahi.com/aera/2019092500012.html?page=1
これまでの記事は朝日新聞のウェブサイト「.dot」で全文をお読みいただけます。 https://dot.asahi.com/keyword/%E6%9D%B1%E6%B5%A9%E7%B4%80/
◆産経新聞に東浩紀のインタビューが掲載されました。 思想家・東浩紀さん新著『テーマパーク化する地球』 コミュニケーション「誤配」の可能性 いかに育むか https://www.sankei.com/life/news/190926/lif1909260011-n1.html
◆河出書房新社より東浩紀『ゆるく考える』発売中! いつの間にか中小企業ゲンロンのオヤジ経営者になっていた。 人生の選択肢は無限だ。ゆるく、ラジカルにゆるく。東浩紀のエッセイ集! http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309027449/
◆◇ その他のお知らせ ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
◆友の会会員のみなさまへ
<クラス30以上の座席確保サービスについて> ご好評いただいております座席確保サービスですが、 お席の希望のご連絡を、当日16:00までに いただけますよう、よろしくお願いいたします。
<登録情報の変更について> お引越しなどの理由で、ご登録いただいている住所や電話番号、 メールアドレスなどに変更があった方は、 友の会サイトのフォームから申請をお願いいたします。
会員サービスページ https://genron-tomonokai.com/service/
※株式会社ゲンロンは、土曜、日曜は休業日となっております。 営業時間は、11時-20時です。 営業時間外のお問い合わせは、お返事が遅くなる場合がございます。 ご了承くださいますよう、お願いいたします。
◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆ーー◇ーー◆
株式会社ゲンロン 〒141-0031 東京都品川区西五反田1-16-6 イルモンドビル2F tel.03-6417-9230 / fax.03-6417-9231 http://genron.co.jp Twitter:@genroninfo
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cotochira · 2 years
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3/3
 連日寝不足なので爆睡できた夜行バスで横浜駅に到着するとまだ六時も回っていなかった。とりあえずコインロッカーに大きい方の鞄を預けた、集合時間の十時までできれば喫茶店で時間を潰したいが、どこも開いていないのでしばらくは外をウロウロしていないといけないのだ。せっかくだから海の方へいこう、とみなとみらいとか赤レンガ倉庫とかそういう景色を想像して横浜駅の東口から歩き始めたのだが、Google Mapも見ずになんとなくで道を決めたのでどうやら方向を間違えたらしく、でっけえ工場が立ち並ぶ散歩道にはつまんなすぎる空間に迷い込んでしまい、コスモワールドの観覧車を見つけたころにはとっくのとうにスタバとか開いていた。
 それで三人と合流したときにはもう二時間くらいは普通に歩いていたのだが、結局ここからさらに三倍は歩く日になった。みんないちおうはじめて顔を合わせる相手ではあるんだけど何回も通話していたし三人が一緒に遊んだ話とかも聞いていたので主観的には普通に馴染んだ。JR小田急線に乗って藤沢まで向かう。戸塚くらいまで来ると建物の配置もまばらになり、だんだん大きなマンションやオフィスなどのビルが減りきれいな一軒家が増えていく感じ。横の鯖さんとしゃべっていたがずっと景色を見ていて声だけ聞こえてきたのでほぼ通話だ。早く寝るのに睡眠剤を飲んだらめちゃくちゃ悪夢を見たらしい。みんないつも夜更かしなのに早くから来てくれてありがたいことだと思った。
 藤沢駅自体には見向きもせず江ノ電に乗る。藤沢-江ノ島間はあんまり町の真ん中を走らないしわりあいすぐなので江ノ電らしい楽しみは少なめだが、それでも江ノ電に乗っているなあということだけでじゅうぶんに嬉しい気持ちになった。くる途中に「プレーンソング」読んできたんですよねえと庶民さんが言う。そういえばこうして、まあ各々離れてではあるが家でだらだら喋ってきた人たちと急に足を伸ばして海辺まで行くって、結構プレーンソングの最後のほうっぽいなあと言ったらそこまで読んでないかったらしい。保坂和志のネタバレについて、どれくらい本気で謝ればいいか不明だ。
 江ノ島駅に着いたら改札のところに「ご卒業おめでとうございます」と横断幕がかかっている。そういえば横浜駅で袴姿の女性とすれ違ったな。昼食をどうしようか相談しながら海へ向かう。さっきから家が近いsatooさんがだいたい案内してくれている。背の低い建物が思い思いに「西海岸っぽさ」「ハワイっぽさ」「鎌倉=京都っぽさ」などを主張する通りを抜け、海に出ると思わず声が漏れた。
 海はいい! 水辺っていいからな。なかでも海は一番でかいから一番いい。砂浜は見えないが島へと架かる橋の端っこには砂が溜まっていたりして、マスクで鼻の効かないなかでも潮の気配が感じられる。あっ、とsatooさんだか庶民さんが声を上げた、──海掘ってる! 見ると海の中に浮かぶ小さな浮島みたいなところに陣取ったショベルカーが、海にショベルを突っ込んで動かしていた。あれ独断でやってたらすごいですね。ウケると思ってやったら引かれちゃったんだろうな。そうなったらもう降りられない人っていますからね。
 江ノ島に来ることになったのは、僕が江ノ電に乗りたいと言っていたら庶民さんが江ノ島に行ったことがないらしいのでそうなった。ほか二人はそこまで積極的ではなかった、僕も前に一度来たことがあったが、そのときは島に入ってからいろんな土産屋を抜けて神社まで来たあたりでその導線のわざとらしい感じにさめて途中で帰っちゃったりしたのだ。それでもわざわざ約束まで取り付けて来たのだから僕も案外江ノ島に何かしらを期待しているのかも知れない。名前といいロケーションといい、大したことないと半ばわかっていつつも、もし少しでもよかったらすごくいいだろうなあと思わずにはいられなくて来てしまうのだろうと思う。
 そういうネガティヴなイメージを共有していたおかげか、上陸してみると立ち並ぶ店々の商売っけマンマンな感じに対してそれほど辟易するでもなかった。上機嫌でひとつ道を逸れて岩場に抜ける。岩に囲まれてるせいか波は穏やかで、まだ海という感じも薄い。
 良いパック寿司の醤油皿みたいなのが落ちていた。
 メインストリートへ戻ってくると雰囲気に飲まれてイカ串と一緒にたっけえビールを買った。無敵状態だ! 両手をそれでふさいでガンガン階段を上っていった。しかし最初の展望台みたいなスポットまで来て気づくのだが本当に全く酒が効いていない。年下でまだお酒に慣れていないsatooさん庶民さんもチューハイを買っていたのだがやっぱり普通にしていて、有料で入れる庭の手前の広場まで来たときにはみんな完全にニュートラルなテンションで椅子に納まり、クレミアを食べている鯖さんを見ていた。広場では大道芸人が爆音で音楽を流しながら、僕たちが来たときにはまだ準備体操をしていて、あのまま夜まで準備体操し続けていたらすごい、と言ったのが誰だったか分からない。
 ニュートラルなテンションで黙々と階段を上るのはしんどい。なんなら通常より下がりそうになっていたところで海の見えるスポットにさしかかる。ごつごつした岩場へ降りていくと足もとにすぐ波が来ていて、見上げると白い岩の崖があり、やっと背景でない目の前の出来事として海を感じることができた。白波が足下まで打ち上げてくる。金沢ではじめて海に行ったとき、この水平線の向こうに韓国や中国やロシアがあってそこでも、また違った様式の、でも同じようなふだんの生活が営まれているんだという、月並みの感慨が鮮やかに戻ってきたことを感じた。太平洋側だとそうはいかない。どっちにしろ向こう岸なんか見えないのだが、おそらく日本海側からユーラシア大陸までの二倍ではきかない距離を思うと、その果てしない広さがひたすら水で満たされているのだという果てしなさが迫ってきて、ゼリーのようにひとかたまりの海が目の前にあった。
 東映だ〜、���いってはしゃいだ。
 蒸しパンのやつも落ちていた。
 蟹もいた。
 岩場から上がっていくと導線の先には洞窟があるらしい。しかも金取るらしい。でも今更引き返すのもあれなので頓着のスイッチを切ってチケット代を払い、ズンドコ進んでいく。天井が低くて怖いなか進んでいくと、最奥は紫色のライトで照らされている。近づいてみると、作り物の竜が待ちかまえていた。一同、うわ〜、やりすぎやりすぎ、いらね〜、とはしゃいだ。
 洞窟から出ると、さっき崖の下の水面に浮かんでいた果物がまだあった。楕円形でだいだい色と黄色がグラデーションになっていたので、ぼくはマンゴー説を推した。satooさんは柑橘系説を譲らなかった。釣りするときの浮きなんじゃないか、みたいなことをぼくが言ったが、夢がないので忘れた。
 どうやらここまで下ってきた階段を登って大道芸人のいた広場まで戻らなければならないらしい。マジか。いやすれ違うひとが割といたから薄々分かってはいたけど。とくに鯖さんは心配になるくらいイヤになっていて、おかげでほかの三人は比較的元気を保てていた感じがあった。とにかく広場までひいひい言いながら戻ってきて、商店の立ち並ぶ坂を通り過ぎ、橋の手前で十分くらいは座っていた。すごく大きな犬、たぶんセントバーナード? が通ってちょっと湧いた。来るときにいた大きな犬(トイでないプードルなど)の話をして、それもとぎれるとみんな疲れに任せて意識をTwitterへ沈めていった。  ひとしきりじっとしてから、よしっ!と庶民さんが柏手を鳴らした。行きましょう。いい区切りつけてくれましたね、とsatooさんが感謝して、立ち上がった。
 とにかくみんなおなかが空いてきたので、鎌倉まで行って何か食べましょうという話になる。庶民さんが、江ノ島って、と総括らしき感想を口にした。来てる人みんなちょっとずつ垢抜けてない感じがいいですよね、──垢抜けてないだったか間が抜けてるだったかなんて言ったかよく覚えていない。ドッチラケなこと言うなあ! とぼくやsatooさんが大きめに驚いてみせると、いやほめてるんですよ、いいとこだと思います、などと言った。なんかでもわかったかも。さっき書いた淡い期待が、なんとなく来る人みんなをぽやっとさせてしまうのかもしれない。
 駅へ戻ってホームへ入る。鯖さんが自販機で買った飲み物をすごい無感情に飲みきった。なんかむしゃくしゃしてお金が使いたかったから買っただけだったらしい。そんあことある?
 江ノ電の続きに乗る。ここからは鎌倉高校前とか、「季節の記憶」の舞台の稲村ヶ崎あたりとか(鯖さんがわりと最近「季節の記憶」を読んでいたので、案外ホットな話題だった)、見所のある箇所だ。江ノ島駅を出てすぐは特に、お寺とかも見える古い町並みの中を通っていくのでおもしろい。二時くらいを回り、比較的早く帰る制服姿なんかもいてそれなりに混んでいる。真ん中あたりの、別荘みたいな綺麗な家が立ち並んでいる感じが好きだ。生活感がない静けさが、降りて歩いていても簡単に親しめず、ひどく遠くに来た感じが強くする。
 鎌倉駅で下車。駅前でマクドナルドを見つけてしまい、マックでいいじゃん! と固まりかけるが、satooさんに導かれて一応小町通りをみて行く。しかしどれもこれも観光客価格で鼻につくし、ぼく以外はみんなちゃんと昼食代に頓着しているのでちょうど良いところがない。結局引き返してマックを食べた。しばらく足を休めている間に、satooさんが古本屋に行くことを提案し、鯖さんが場所を調べてくれる。
 アトリエを改装したらしい古本屋は可愛らしく古びた一軒家で、小さいながらもおもしろそうな本が並んでいた。庶民さんが前から気になっていたという吉田健一の「舌鼓ところどころ」を見つけた。ぼくはヴァージニアウルフの自伝的な文章を集めた絶版本を三千円で買った。わりと勇気が要ったが、たぶん復刊されるにしても今年や来年の話じゃないだろうし、かなり良い買い物になったと思う。
 店を出てからコンビニへ行った。アイスが食べたいと言っていた庶民さんと半分��する約束でチョコモナカジャンボを買って出た。そこで待っていたsatooさんはジュースを買っていたのだが、鯖さんが棒アイスを手に戻ってきたのを見るや、みんなアイス買うなら言ってくださいよ! と自らの買い物を悔やんでいた。
 ぼくの荷物を回収しに、いったん横浜駅へ戻る。みんな疲れてぼんやりしていた。橙色の斜陽が雲の形を立体的に照らしていて、鯖さんがそれを庶民さんに教えてあげていた。こんなに広い空みたの久々かもしれません、と庶民さんがつぶやく。東京に来て以来、時節柄外もたいして出ないのでそういうことになるらしい。
 ついでに駅の近くのブックオフへ寄る。庶民さんがどうやら良い買い物らしい漫画を含めたかなりの大荷物をもって出てきたのも驚いたが、satooさんが解説目当てに何冊目か分からん「風立ちぬ」を買っていたのに驚いた。そんなに好きだったのか。フォローしてからも日が浅いから当たり前だけど、知らないもんだな。ぼくは、俺が買わなかったら誰も買わんだろといういいわけと共にフェルナンド・ペソアを買った。
 帰りの電車は果てしなく混んでいた。これが本当に正しいことなの〜〜!? 「よつばと」で東京の満員電車に乗ったときのよつばの台詞を口にすると、「よつばと」の話になったりした。
 今日は庶民さんちに泊まる予定だ。庶民さんたちの会話以外で聞かない駅名で下車し、お酒や食べ物などを買って庶民さんちへ向かった。本棚とベッド、机で八割埋まったワンルームにみんなして詰まって、鯖さん以外はお酒を飲み始めた。satooさんがすごい勢いで酔っぱらい、庶民さんもそれに続いた。ぼくは許可を得て換気扇をつけたキッチンでタバコを吸いながら、たぶん弱いとかじゃなくて酔っぱらってる状態に慣れてないだけだよ、と説明した。調理場は玄関上がってすぐのところにあったから、立って喫煙しているぼくが奥で座って飲み食べしている三人をみる形だ。なんか年上っぽい年上をやっているなあという自覚があった。三人とも僕より色々みて読んでいるしそう軽率なことを無自覚に言ったりしたりもしないので普段は年齢の上下を強く意識しないが、飲酒のこととなるとさすがにこうもなるか。酒飲むとイキりみたいになるのが嫌なんですよね、と庶民さんが言った。色んな味のものがあるから楽しみたいだけなのに。たしかに、ぼくも数年前なんとなく思ってたけど言葉にしてなかったことだ。
 庶民さんが吸ってみたいというので途中のたばこをあげたが、二回とも咳き込んで水を飲む羽目になっていた。こんなもんなんで平気になったのか、まだ常喫するようになってから一ヶ月くらいのはずなのにもうわからない。
 ぼくもべつに強くはないので何杯か飲んでそれなりにぼやっとしてきたころから、音楽を聞くターンになる。satooさんが教えてくれたタルトタタンというバンドが良かった。めちゃくちゃ同じフレーズを繰り返すボーカルが曖昧な意識にうまいことハマった感じがあった。庶民さんはゆらゆら帝国の「昆虫ロック」を自分の曲だと感じるらしい。おれの曲はなんだろ。飲んでないのもあって(べつに飲んでも良いだろと思ったのだが、ほかの二人がなんか執拗に止めるのでずっとコーラとか飲んでいた)鯖さんは常にやや蚊帳の外で、ヤケクソなんだか正常な判断なんだかしらないが、どっちにしてもすごいが、途中から性的なMMDの動画を流したりしていた。踊るキャラクターの局部を隠すモザイクがどんどん小さくなっていくのを見た。すごい文化だ。
 たいして飲みもしなかったが場酔いもあってなんやかんやわやくちゃになり、かなり良くない話や良くない言動をしたあといつの間にか寝ていた。起きると飲んでいた二人ももう起きていて、飲んでいなかった鯖さんは始発で帰ったらしかった。たらたら支度していたら庶民さんが友達と会う約束の時間になっていて、ちょっとあわただしく出発した。駅でsatooさんと別れると、ぼくは京都で見逃した映画を見に、下北沢に向かう電車に乗り込んだ。
 案外道中が長い。東京って狭いからどこからどこへも三十分圏内だと思ってた。江ノ島を出て橋を渡っている途中、鯖さんが言っていたことを思い出したりする。この辺に住んでる人って、みんなここが好きだからわざわざ住んでるんですよね、と言った。たしかに湘南くらいになるとそうだろう。こういう言い方をしてみると別に取り立てて好きでもない場所にあれこれの事情で住んでいることが妙なことにも思われる。僕は京都に好きで住んでいる、それを環境が許してくれている。ありがたいことだ、と思った。
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