Tumgik
ashrhal · 20 days
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2024年4月8日
みなさん元気ですか?僕は今、東京の公園で小雨に打たれながらスーツ姿でハイボールを煽り指で鼻くそをこねているおじさんです。
ピーマンの汁が飛んだ。ブシャーっという効果音がこんなに似合う光景があるのかってくらい、俺が齧ったピーマンの汁が飛んだ。
月曜日。土曜日に今のクソの中のクソ、汚泥みたいな家から引っ越すべく奥さんと今の街の周辺を練り歩き、不動産屋を梯子して、条件に合いそうないい物件を見つけたり、生理特有のズンとした気持ちをほぐすために日曜日に高円寺にビリヤニを食べにいくなどして僕たちは楽しく休みを過ごすことができたが、朝6時に目を覚まして迎えた二週目の月曜日の朝は暗澹という言葉がここまで似合うのかというくらい濁っていて、瘴気の漂う電車に揺られ出社した。隣に座ったケバいOLが韓流ポップをこれでもかと音漏れしていてつらかった。
仕事は相変わらず、右も左も分からない。当たり前だ、まだこの職場に来て1週間なのだから。それでも仕事は止まらないからあれこれと降りかかってくる。わけもわからないままこうしたらいいかな、こういう考え方でいいかな、ここは上司に聞いた方がいいかな、と俺なりに考えて自分のできることを探して行動する。俺は本当によく頑張ってると思うが俺以外きっとそんなこと誰も思わない。作成した資料を上司に確認してもらうよう依頼する、ミスが見つかる。指摘される。そんなことわかるわけねえだろクソが手順書のどこにも書いてねえから自分で考えてやったんだろうがと思うが口にせずにっこり笑って「ありがとうございます」と伝える。これがサラリーマンだと理解はしていたが、サラリーマンはクソだということをこれまでもより強く理解する。そんなことじゃ俺はへこたれないぞ、と思いながらも心のどこかでストレスを蓄積してしまう俺は煙草が吸いたくなる。これまでの職場は、午前中には一回、午後には一回どんなに忙しくても必ず煙草を吸えた。しかし、他のチームのメンバーが血走った目でキーボードを叩く姿を見て新参者のペーペーの俺はタバコを吸いに行くことすらままならない。そのまま午前が終わり、痺れを切らして「昼休憩行ってきます」と憮然とした表情で伝え、喫煙所に向かう。喫煙所はビルに一つしかなく、毎日昼の時間は行列ができている。煙草を吸いたい煙草を吸いたいというはやる気持ちを押さえつけて20分並ぶ。ようやく据えた煙草は泥みたいな味がして喫煙室にいる人間全員殺すぞという気持ちと、この喫煙室にいる人間は全員こんな俺が抱いているような感情を乗り越えて毎日働いているんだという尊敬が生まれる。
昼飯はマズい食堂のラーメンを食い、午後の業務にあたる。「ここにこういう風に連絡すればいいから」と聞いていた通り連絡をすると「昨年度もお伝えしましたが、担当部署が変わっているのでここじゃないです」と言われる。クソがと思いながら、今後も関係がある部署かもしれないからごめんなさいの電話をしようと思うと何度かけても一向に繋がらず、俺の心は折れる。そんなこんなで「殺すぞ」と「ありがとうございます」の間を行き来しながら今日も朝の8:30から22:30まで元気に健やかに働いた。
昼休み俺に「仕事で失敗した」「死にたい」とLINEを送ってきた「帰るよ」と妻に連絡をすると、最寄駅のルノアールにいると伝えてくれた。今日の俺のつらさが浄化されるのではないかという淡い期待を抱き妻を居酒屋に誘い夜メシを食べに行った。そこは料理もおいしく酒もそこそこ安い価格で飲める、短い東京生活で憩いの場の候補の一つであったが、その店のメニューのひとつに出汁に浸したピーマンがあり、俺はそれを頼んだ。駅で会ってから、昼間の「死にたい」を引きずってる妻と、社会から受けた傷を舐め合って明日からまた元気に働きたかった。俺が一杯目のビールを飲み終えるか飲み終えないかでピーマンが卓に届く。「出汁が飛び出すんで注意してください」店員のそんな声を聞き流しながら、俺はピーマンに齧り付いた。
ピーマンの汁が飛んだ。ブシャーっという効果音がこんなに似合う光景があるのかってくらい、俺が齧ったピーマンの汁が飛んだ。
その汁は、テーブルの対面に座っている妻まで届き、妻が最近購入した水色のストライプが入ったワイシャツを盛大に濡らした。そこからは最悪だった。妻は落ち込みとブチギレの狭間で宙空を見つめ、俺は浄化できないつらさを抱えてそれを妻が拒絶することに傷つき宙空を見つめ、ほぼ会話もすることなく、俺が何かを投げかけても妻は一切歩み寄ってくれる気配もなく、ビール一杯とハイボール2杯を飲んで店をあとにした。
妻がつらい時、俺は優しくしてきたはずだ。他人に平等を求めること自体平等ではないとはわかっているが、今日の俺は妻に優しくして欲しかった。そんな俺の感情よりも自分の気持ちとスタンスを尊重して誰よりも損してしまう妻は終始俺に寄り添うことはなく、帰り道で俺を置いていく妻につらい気持ちをアピールするために壁を蹴ったり半泣きになりながら「なんでそんなにいつも攻撃的なの」と嘯いたり道路にしゃがみこんだりしていたら、妻が俺置いて家(ゴミ)に向かって歩いてどこかへ消えてしまった。
その結果、僕は今東京の名もない公園のベンチでコンビニで買ったハイボールを飲みながら、急に馬鹿らしくなって鼻くそをほじってこねてみたり、リリィシュシュを聴いて神妙な気持ちになってみたり、実は全然つらいことなんかないんじゃないかと思いながらもしっかりとつらさを感じて、小雨に打たれながら日記を書いています。誰か助けてくれ。できれば妻がいいけど。
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ashrhal · 22 days
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20240407
「東京の街に出てきました。相変わらずワケの、わからないこと言ってます。」というのはくるりの東京という曲の歌詞だが、20代前半に北海道から東京に戻ってきたよりも一層色濃く、この歌詞が身体に馴染んで俺はいつまでも相変わらずワケのわからないこと言っていますなんだろうなと思う。
東京での暮らしが始まって1週間が経った。歳を重ねれば重ねるほど、時間が過ぎる速度は加速していくものだが、この1週間はこれまでの北海道での一ヶ月よりも一年よりも長く感じた。その理由は二つあって、一つは家の問題と一つは仕事の問題だった。
つまらない方から書く。仕事の問題だ。俺は北海道の職場ではそれなりにブイブイ言わせて活躍することができていたが、東京の仕事を知って感じたことは無力さだった。大学で人気者だった新卒の男の子たちが一般的に感じる無力さ同様、俺は東京の仕事量や周りのスキルにきちんと圧倒され、あーばばばと宣うこととなった。
具体的に言えば、Excelでピポットテーブルを使いこなすことなぞしたこともなかったが、周りのみんなはそれを呼吸するがの如くできる。他部署や他社との電話での"お話"をすることなんて今まで俺には無く、急にやらざるを得ない状況になった時に無意味なエヘヘへ〜という不気味な笑みを電話相手に聞かせてしまい気色の悪い結果となるが、周りの人はそんなことを普通にやってのけてしまう。そんな環境であることを期待していたにも関わらず、今の周りにとって普通のことを普通にできないという事実に直面してきちんと落ち込んでいるし、まあ新卒みたいなもんだからいずれできるようになるっしょという気持ちでなんとか乗り切ろうときちんと四苦八苦している。
業務量も北海道の頃の体感比4倍で、午後になるともう頭がピヨピヨしてしまう。労働時間もこれまでは19時まで残業したら俺は今日頑張った!と思っていたが、今は朝6時に起き19時半まで働くことがデフォルト。19時半からが残業だよなあと錯覚してしまうような環境がまだ1週間も働いていないのに当たり前と化している。
「なんで東京で働きたいの?」と質問されたらどう答えよう。理由は死ぬほどある。前の日記に書いたように、若かりし頃に得た東京の暮らしへの憧憬だとか、父親が高卒ででかい会社の偉い人になったからその視点や世界を味わってみたいだとか、目標や乗り越えなくてはいけない壁のようなものがないと退屈してしまう俺の性質だとか、社会人として北海道時代の俺への評価は果たして適切だったのか知りたいというような自身の社会性への期待だとか、シンプルに金が欲しいという浅ましい気持ちだとか。
それらさまざまな理由をもって東京に来たはずだったが、現実はそう甘くはない。今はなんとか、持ち前の「全員殺すぞ」という気持ちと、「なるようにしかならない」という適当な気持ちで4月1日からの1週間を乗り越えることができたが、今後どうなっていくのかは正直わからないという気持ちもあるし、まあ俺はなんだかんだで上手いことやっていくでしょうという根拠のない自信も微かにある。アサハラ鬱病編が人生に無いことを祈りつつも自分自身に健闘を祈る。
二つ目が家の問題だ。北海道では綺麗な1LDK、浴室乾燥機付、エアコン付、札幌中心まで徒歩5分で家賃7万円程度という、こと"家"という観点では何不自由ない暮らしをしていた。東京に引っ越すとなった時に、選択肢としては自身で賃貸を借りる、社宅に住むという2択があった。今でこそ思考停止していたなと反省することではあるが、奥さんと2人で住めるような家で、俺が住みたいエリアに住む家を借りて住むとなると家賃は最低でも12万円ほど必要だった。それに比べて、社宅は家賃1万円。年間コストで言えば120万円社宅に住む方がお得だった。その120万円という暴力にあえなく屈し脳死で社宅を選んだが、これがとんでもない物件だった。
駅徒歩15分、は最悪許せる。6畳間の和室が二つあることも最悪許せる。エアコンやガス台がないことも最悪許せる。部屋の壁と床に隙間があり、そこから冷気が流れ込んでくることや、小さな蜘蛛たちがどう頑張ってもそこかしこで跳梁跋扈してることも全然許せる。なぜなら俺は元無職だから。汚い家にはそれなりに慣れているつもりだから。が、しかし社宅のそれは俺の想像を悠々と超えており、初めて家に対して生理的に無理という気持ちを抱いた。
問題は水回りにあった。まず風呂がバランス釜。バランス釜って言葉みんな聞いたこと��る?少なくとも俺はこの家に住むまでなかったよ。加えて風呂の床は汚い雑巾みたいな色をした石でできており、シャワーの水圧は猫のおしっこよりも弱い。キッチンは一切水を流してなくとも時折ゴポッという音を立てて、ゲロを煮詰めたような香りが定期的に部屋に供給される。洗濯機置き場という概念が部屋に存在せず、今も洗濯機はキッチンの片隅で深い寝息を立てている。形として家のていをなして入るものの、昭和末期の団地の暮らしに時間軸を移行された感触がして、住めるような努力の手段も考えたが、とても住めたものではないというのが率直な感想だった。
可哀想なのは妻だった。俺の目的で東京の正社員を辞め北海道で暮らし始め、結婚して生活が安定してきたと思ったらまた俺の目的で東京に連れ戻され、住んだ家はゴミ廃墟、在宅勤務の妻にとって家というものがどんなに重要かは計り知れないが、結果的に相当量のストレスを与えることになった。
今日4月7日はそんな現状を打破すべく、2人でヘロヘロになりながら不動産屋を駆け巡り、ようやく良さそうな家を見つけたものの、いつも通り俺のキモさのせいで妻との話し合いがうまくいかずに喧嘩になって引越しの話は宙空に霧散した。
自分の嫌なことの話、お金の話など、すったもんだの言い合いの末、妻は俺に対して「決めて欲しい」と言った。俺は「引越しをしよう」と言った。その後に俺は自分だけが責任を取るのは嫌だと思いその浅ましい気持ちを忌避するために「その上で最終決定をして欲しい」と妻に言った。それまでの流れから、最終的には2人で引越しを決めるという大円団を想定していたが、妻は少し逡巡したのちに「この家で頑張って暮らしていこう」という結論を俺に伝えた。
新しい生活には不安はつきものだ。俺は自身の自己肯定感と全能感でそんなものはお釣りがくるもんだと鷹を括っていたが、何事もそんなにうまくはいかないらしい。ひとまず明日の朝までに俺はこのゴミみたいな家で、これから暮らす覚悟をしないといけない。今日の日記は本当につまらないな。
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ashrhal · 1 month
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2024/03/24
4月から異動になり、東京で暮らすことが決まった。今まさに引っ越しやら引き継ぎやらゴタゴタとした催事の真っ最中でドタバタに忙しくて、今は引き継ぎのための出張で戻ってきた東京の実家のコタツでこの日記を書いている。
俺は強運の持ち主で、自分がしたいことやなりたいものがどうやらここ何年かは連続で叶っているらしい。今回の東京への異動もその一つだ。北海道は好きだ。6年か7年か、それくらい前、俺は、自分の中にある琥珀色の思い出だけを頼りに唐突に北海道に引っ越した無職の野良犬だった。なんやかんやあって奥さんと出会い結婚して、なんやかんやあってデカイ会社の正社員になり、あーでもないこうでもないと6、7年北海道で暮らすことができた。自分のしたいことが、自分のしたい暮らしが、自分の中のデカイスケールでいえばこうも思うがままに行くなんてことがあり得るのかと日々不思議な感覚を覚えさせられた。
デカい会社で正社員になったという暴力が、長らく疎遠だった両親との関係も回復させた。両親は今や80、90を超える祖母や祖父の色々な問題に直面しているらしく疲弊しながらも、わかりやすさを身につけた俺を受け入れてくれ、「1人で生きていきます、今まですみませんでした」という家出少年の頃の置き手紙なんて誰も覚えてくれていないように接してくれる。自分の中で大きな問題とは思っていなかったけれど、両親からの理解や愛をシンプルに得られることは素直にいいことだなと30代のおじさんになってようやく思う。
一生北海道で暮らしていこうと思っていたけれど、隣の芝はやはり朝露に輝いて青々としてた。妻と結婚するまでの数ヶ月の東京のワンルームでの暮らしや、20最前半の大学生の頃の深緑色の気持ち悪くも気持ちいいあれこれの記憶たちが、俺にもう一度だけでいいから東京で暮らしたいという想いを抱かせた。俺が働いている会社は本当にデカくて、全国色々なエリアで色々な仕事が渦巻いている。直属の尊敬している上司に言われた言葉を思い出す。「アサハラくんは北海道エリアに向いていないと思う。東京がどうかはわからないけれど、少なくとも北海道エリアにアサハラくんみたいな人が求める仕事は無いし、君みたいな人はもっと違うところに行って、帰ってこない方がいい。」この言葉がどういう意図で発せられたものかわからないけれど、俺は馬鹿だから尊敬してる上司に言われた言葉を言われた意図の120%くらい真に受けてしまう性格だし、なにより俺も30代のサラリーマンのうちに奥さんともう一度東京で暮らしてみたかった。
そんな流れで、今年の1月に「本社に行ってみない?」という話になり、とんとん拍子で話は進み、気がついたら4月1日には再び東京で働くことになった。もちろん、俺の都合で仕事を辞めさせ急に北海道に連れてきたのに、また俺の都合で急に東京に連れて行くことになった奥さんとの喧嘩は生じたが、最終的に一緒に来てくれるという話に落ち着き俺は心底安堵したものだった。
東京の仕事は激務らしい。残業時間や仕事の内容がこれまでの比にはなららいとの前評で、若干ビビっているものの、持ち前の「全員殺すぞ」という気持ちを大切にしながら、うつ病にならない程度になんとかやっていけたらいいなと思う。はやく東京の酒をたくさん飲みたい。
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ashrhal · 3 months
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2024/1/31
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この頃は無敵だったなと思う31歳の冬の夜。
この頃の俺は札幌に来て数ヶ月も経ってなくて、たぶん25歳とかそこらで、とりあえず飲みにいく女が欲しくてtinderをやってて、金もないのに知り合った女の子と酒を飲んでて、その中の1人が17歳とかの女子高生で、tinderであった男とヤった感想をA4のノートに書き溜めてるとかいう奇特な趣味を持った子で、おもしろそうだなと思って仲良くなって、唐突に花見をしたいから来いと告げて、5月かそこら満開の桜が咲く札幌円山公園に呼び出して、一緒に酒を飲んで周りの大学生に絡みまくって楽しくなってた時にふと落ちてた三角コーンを被ったんだったっけな。
おじさんになればいろんな感情や衝動が落ち着くと思っていたし、現に俺はただの不良サラリーマンになってしまったし、すこし酒を飲みすぎたり煙草を吸いすぎたりしてしまうことはあるけれども、朝は毎日7時に起きるしきちんと仕事に行っていろんな人に対して大人としての関わり方を弁えてるし昔みたいになんか劇的なことがしたいなんて衝動は遥かどこかに行ってしまったような生活をしているしこの生活も好きではあるが、ふと、何に対してなのかもわからないムシャクシャした気持ちが腹の底からフツフツと湧いてきて昔好きだった曲なんかをぐるぐるぐるぐる聴きながら俺はつまんなくなっちまったなとか一端に思いながら向き合っても仕方がないムシャクシャを文章に起こして救われてようとする行為そのものは18歳の時から何も変わらないんだよな。
一生こうなのか、という絶望感と一生こうでいたい、という痛いけど気持ちいい気持ちに包まれてこのまま84歳まで生きて死にたい。
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ashrhal · 6 months
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2023/11/8
何か書きたい。tumblrを開き自分の過去の日記を読み返し、やっぱり俺の日記は俺にとって本当に面白いなあと感心し、何か書きたいと思って投稿欄を開いた。何も書きたいことなんてない。だからとりあえず日記を書く。
7時に目を覚ます。もう俺は立派な31歳の社会人だからちゃんと7時に目を覚ます。平日毎朝7時に目を覚ますことがおまえらにできるっていうのか。できるんだろうな。なぜならみんな立派な社会人だから。目を覚ましていつも思う。ああ昨日は飲み過ぎたな、あの一杯が余計だったなと。別に外に飲みに行ってるわけではなく、俺は毎日、冗談じゃなく毎日酒を飲んでいる。アルコール中毒なのかと言われれば笑顔で「うん!」って言っちゃうくらい毎日酒を飲んでいる。平日休日関係なく、最低ビール一缶とハイボール2㍑は飲んでる。ハイボール2㍑は当然炭酸も含めての容量だから、アルコール中毒ガチ勢の皆様方から言わせれば全然足んないって言われちゃうかもしれないけど、まあほんとに毎日酒を飲んでいる。お酒が好きだから、お酒で酔っ払うことでようやく自我を取り戻すことができていると勘違いしている哀れな人間だから。
7時30分までの間で朝食を済ます。俺が1日で一番大切にしているのは、朝食を食べた後に淹れた温かいコーヒーと喫むタバコの時間で、この一本を吸うためにずっと喫煙をしていると言っても過言ではないと思っている。軽く酒の残った体に取り込む濃いめのコーヒーから得られるカフェインと煙草のニコチン、台所のオレンジの光と換気扇の音、これから仕事に行かなきゃいけないという暗澹とした気持ち、その全てが組み合わさって俺はようやく幸福を感じられる。煙草を吸うとうんちがしたくなる。うんちをすると煙草を吸いたくなる。コーヒーと煙草を喫み、うんちをして、またコーヒーと煙草をたべる。そうこうしているうちに7時40分とかになる。俺の出勤時間は8時30分で、札幌の真ん中にある職場までは奇跡的に大体20分程度で歩いて行ける距離に住んでいる。
妻を起こす。在宅勤務の妻のメンタルは大海原の大海のようで、1日にいいことが何もないとすぐにあらしのよるみたいになる。それを避けるために朝の散歩活動を推奨し、朝の散歩活動委員会を脳内で結成し、妻が少しでも健やかな暮らしを送れるように「散歩に行こうよ」と妻を起こす。7時40分台で起きたことは一度もない。大体8時に起きて、俺の8時5分の出勤に合わせてねむいねむいと呟く妻を無理やり外に連れ出す。
8時40分に妻を一度起こしたのち俺はシャワーを浴びて、髪を乾かし、適当にセットし、スーツを着て起き抜けの妻と一緒に家を出る。昨日の酒が残ってる感覚がする。外に出ると妻は先ほどまでのねむいねむいが嘘のようにニコニコとはしゃぎだす。ケラケラ2人で笑いながら会社に向かう。この時間が本当に好きだなと思う。
昨日の酒が残っている感覚とは別に、今日の朝は腹が痛かった。まあきっとこれも昨日の酒の影響なのだけれども、少しでも気をゆるせば決壊しそうなダムが多くの人々の協力と働きで俺のお尻に急速に建設されていく様子が脳裏に浮かぶ。みなさん本当にいつもお疲れ様です。出勤途中の道でドトールに行く妻と別れ、会社にたどり着く。8時28分。始業2分前。俺はまあ別に間に合ってればええやろという俺個人の思想が強いことと、2分前に出勤する若手社員なんなのみたいな目線の人がいることを理解しているのでその人の懸念を振り払うように誰よりもでかい声で「おはようございまーす!」と部長の席目掛けて半ば叫ぶ。仕事が始まる。
8時35分に朝礼がある。30分には自席についていたものの、今日の俺は腹が痛い。朝礼後に行こうと思っていたが、ダム事業は不調のようで、一つの連絡ミスで放水がダム完成予定日より前倒しで行われてしまい、結果決壊しそうな危機感を抱いていた。直属の上司に「腹痛院でトイレ行ってきます」と伝えてトイレにいく。個室に入る。便座を便座綺麗くんで湿らせたトイレットペーパーで拭う。便座に座る。いきむ。
鼻血が出た。つけていたマスクは赤く染まり、ポタポタと床に血が垂れ、楕円の小さな血溜まりを作り、それでもビシャビシャなうんちはお尻から少しずつ出てくれていた。ダム事業は失敗していたようだった。鼻血を出したのは先週の日曜日が最近のことで、その前に出したのは数年前だった。ついに脳の血管がイカれちまったんだなと俺は思い、全てを諦めて鼻に真っ赤なトイレットペーパーをあてがいながら朝礼に出た。
鼻血一つでここまで大袈裟に宣えるのも才能の一つかもしれないが、生活に心当たりがあり過ぎた、酒、煙草、運動不足、極端な痩せ型、毎日のちょっとした体調不良、ストレス、寝不足、ピュアな心。俺は俺がものすごく大切だから、鼻血の血ひと雫で、あーおれはあと1時間もしないうちに脳の血管が弾けてぶっ倒れて死ぬんだな、悪くない人生だったな、今死ねるなんてなんで幸福なんだろう、せめて痛くなければ嬉しいなとか考えてしまう。普段目に見える体調不良をしない��を心配してくれる職場の皆様を尻目に、俺は心の中でこの世とサヨナラを唱える。死にたくないなあ。
そんな大袈裟な俺の心を沈めるために、俺は「鼻血 脳」とか「鼻血 安全」とか「鼻血 うんち」とかでGoogle検索をする。職場の元看護師のおばちゃんに「急に鼻血が出るんですけど…」と相談をする。おばちゃんはケラケラ笑いながら「トイレする時にいきむと瞬間的に血圧が上がるから、その時鼻の血管が出やすい状態だと血が出るんだよ」と教えてくれた。俺は簡単には人を信じない。だからその後の休憩でちゃんとGoogleで調べる。本当だった。鼻血が出る原因は
・咳をする ・乾燥 ・いきむ、踏ん張る。 ・鼻毛処理・強く鼻をかむ、思い切りくしゃみをする。・のぼせや興奮、刺激物を摂り過ぎる。・鼻に指を入れたり、鼻をほじったり、強くこする。・ワーファリンなど血液をサラサラにする薬の服用
らしい。いきむ、踏ん張る。って書いてあった。俺はいきんでた。日曜日に鼻血を出した時も、思い出してみればうんちをしてた時だった。俺はいきんでた。そう実感できた時、ああおれは別に脳の血管がどうとかじゃないんだ、頑張ってうんちをしようとしてた男の子なんだと初めて安心できた。俺は俺がとても大切だから。
いまもまあまあ酔っ払って日記を書いているんだけど、今次の酒を注ごうとして灰皿に45mlのウイスキーを入れてしまった。もうダメかもしれない、けど酒を飲みながら自分の中にあるどうでもいいことを書くことって本当に楽しいんだよな、という日記。
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ashrhal · 8 months
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2023/9/3
たまには喧嘩してない時も日記を書いちゃおうかな。
昨日は妻(ゆり)と札幌競馬場に突然行きあーでもないこーでもない言いながら2人とも五千円くらい負けて9月の夕立に打たれながら手を繋いで歩いて競馬場近くの駅まで歩いたりして最高に楽しかったし、何より嬉しいのはその夜に予定していたamong usの会で酒飲んでワーワーボイスチャットをしてたのにも関わらずまったく不機嫌にもならずゲラゲラ笑いながらベットで一緒に寝れたこと。
これまでは俺が譲歩するしかないと思ってた生活の連続だったけど(俺がやりたいことありすぎたりワーワーうるさいのは置いておいて)ゆりはこの一年で確実に怒ってしまう自分と距離を置こうと努力しているしそれが少しずつ生活に染み付いて来ている気がする。2人とも喧嘩したくないから当たり前かもしれないけれど、これは確実に変化だと思うし俺はこの変化がすごく嬉しい。
ナスを焦がした。俺は酔っぱらいながら料理してつまみをもとに楽しい音楽を聴きながら酒を飲むことがとても好きなのだけれど、昨日youtubeでみた「目が飛び出るほど美味しいズッキーニのソテー」みたいな動画を観て「ナスを焼きたい!」と思ってしまった。
「冷蔵庫にあるもの使っていいよ」とゆりが言ってくれて、俺は冷蔵庫を漁り奥からナスを発見した。ヘタを取り、半分に割り、格子状にきれめをいれて、塩を振りパットに15分くらい置いておく。キッチンペーパーで浮いた水分を搾り取り、フライパン(卵焼き作るやつ)に油を敷く。あったまった頃ナスを乗せ、ヘラで押し付けながら焼く。THERMOSのでかいジョッキに角のウイスキーを注ぎ、炭酸を注ぐ。group_inouのCOMING OUTを大音量で流す。5〜7分じっくりと弱中火で焼き、ひっくり返す。黒焦げだった。泣いちゃうかと思った。俺の脳内ではこんがり焼けたステーキみたいな琥珀がびっくりするような気持ちのいいオレンジ色のナスが出来上がるはずだったのに。とりあえず酒醤油みりんを大匙一杯ずついれて焼き茄子に馴染ませて皿に盛った。それが画像のやつ。まあ焦げ臭くて食えたもんじゃないかもなと思いながら食べてみたらふつうに美味しくてまた泣いちゃうかと思った。
iPhoneに「2023」というプレイリストを作った。昔はツルツルの華奢で可愛かったアサハラさんも今はもう31歳のおじさんになっていて、思考回路や性格や思想や習慣はそんなに変わってないはずなのにどんどん新しいものを取り入れることが少しずつ困難になっていくことを感じていた。酔っ払って聴く音楽は20代の頃にとても楽しかったものばかりになったし、読み返す小説はいまだに李劉徳とかだし、懐古に気持ち良さは間違いなくあるけれど、懐古できる何かを積み重なることが少しずつ少なくなっているのを感じた。俺が40歳とか、50歳とか、60歳とかになった時に、懐古できるものが20代の頃のものしかないのは少し寂しいと思った。だから今は頑張って5lackを聴きながら日記を書いているんだけど、何かを好きになることはこんなに難しかったんだなと感じている。
「2023」のプレイリストには2023年に聴いて新しく好きになった曲を20曲くらい入れることができたら40歳の時に2023年を思い出すことができるのかな。この日記もそう、その時自分が何を考えて何を感じて何が楽しくて何が良かったのかをどこかに残すことができれば、俺はこれからも永遠に楽しく生きていくことができると信じて、久しぶりに喧嘩のこと以外の日記を書いています。
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ashrhal · 9 months
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2023/07/19
「もう無理だ。」という感情が今までの中で最高に達している。俺はもう無理なのかもしれない。俺が無理なのかもしれない。
結局3月の大喧嘩の後旅行にも一緒に行ったしニコニコ楽しい時間もたくさんあった。旅行に行ってからしばらくというもの、「嫌な気持ちは全部洞爺湖に置いてきた」と宣ってくれることもあり喧嘩もなかった。4月の末頃、妻のお母さんが亡くなった。2人で東京に戻り、葬儀に参列した。俺以外で妻の唯��の理解者であり、拠り所であったかもしれない存在がこの世からいなくなった。それは妻にとって途方もないほど寂しいことだったと思うけれども、妻はそのことで一度も俺の前で感情を昂らせることはなかった。
5月になり、また隔週くらいのペースで喧嘩をするようになった。俺がこの日記で散々情緒めいたことを書いた挙句一年越しに再開したタバコのことや、日々の軋轢といったそんなことばかりが原因だった。もちろん幸せを感じることも多々あったとは思うが、毎日の暮らしがお互いにとって少しずつ苦痛を募らせていた。
その頃から俺の考え方も変わっていた。俺は妻が怒ることそのもの、怒って怒ったまま怒った感情に基づいてなんの生産性も未来もない途方もないほどの感情に晒されるのに疲れを感じていた。怒らせる原因は俺、怒らせる俺が悪いという気持ちをどこかに抱きつつも、俺はそんなに悪いことをしているのか、俺のつらさや甘えは許されなくて然るべきなのかという感情が日を追うごとに増していった。妻の怒る琴線と、俺が怒られてもいいと思う線引きがどんどん乖離していった。結局俺は「妻が怒るのは俺の問題ではなく妻の問題である」という一線を、そんな日々の中心のどこかで少しずつ培っていた。
「距離を置きたい」これは2人の共通の思いだったと思う。俺は妻がニコニコしながら俺の一挙一動に構ってきて、2人以外の時間を作ろうとすることを行動で拒否する妻の距離感が怖かった。またこの反動が来るのではないか、躁鬱のようにまたこの距離が怒りに転じるのではないか。実際に妻は、俺のことがめちゃくちゃ好きか、俺のことがめちゃくちゃ嫌いかの二つの距離しか持ち合わせられない人間だった。今思えばこの仲が近すぎる頃にきちんと座を作り話し合えばよかったと思うが、それよりもまた怒りに転ずることが嫌でなあなあにしていた。「われわれはお互いがお互いに関心がありすぎるんだと思う。5年も付き合ってきて仲がいい時は以上に距離が近いし、そうじゃない時は最悪の関係になる。そうじゃなくてお互いがお互いを何していても気にしない、それでも普通に話せるような適度な距離を保った方がいいかもね」酔っ払った気に任せ伝えられる言葉はそれが全てだった。
そして今、また最悪な関係に陥っている。今回の喧嘩の原因はなんだろう。それももはやわからないし、どうでもいいとすら思う。
今日の昼ごろ、今までになかったことが起きた。妻から「昨日はごめんなさい」という連絡が来た。これまでは喧嘩をした際に、全て俺から謝っていた。俺が俺を悪いと思っていようがいなかろうが、関係なく俺からごめんという言葉を伝えていた。俺はシンプルに嬉しく思った。妻から歩み寄ってくれた、妻が俺と話すでもなく自身のこと反省してそれを言葉にしてくれた、そう思うとクソつらい仕事の中スキップすらした。これから先も喧嘩はしてしまうかもしれない、そうは思ったが、あの妻が自分から歩み寄ってくれたのだという事実がただただ嬉しかった。今思えばこのクソみたいなフェイントに引っかかった俺が愚かだったんだと思う。誰だって戦争はしたくない。きっとプーチンも戦争以外の解決方法があるのであれば戦争なんてしなかったと思う。俺もしたくない。お互い許せない部分があったとしても、必要なのは歩み寄りで、自分の感情を棚上げして相手の気持ちを汲むことが大事だと思っていた。でもそんなものはこと我々の関係においては全て幻想だった。
帰り道、コンビニでハーゲンダッツを買った。浅ましいかも知れないが仲直りのきっかけになってくれるといいなと思った。帰宅したとき、妻はイヤホンをつけて資格勉強をしていた。ただいまといえばおかえりが帰ってきた。俺は妻の机にハーゲンダッツを置いて、食べてねと伝えたが、妻は俺を睨みつけるようにして「冷凍庫に入れといて」といった。
今思えばこの時点で話しかけることも仲直りも全て諦めればよかったと思うが、俺は妻に話しかけ続けた。「話したいことがある。(そんなものない)」「すこしこっちにきてくれないか」妻は渋々テーブルにつき俺と話をしてくれた。話をしたくなさそうな妻の態度を感じつつも、俺は妻を否定しないよう、違うと思っても否定せずに冷静に話すよう努めていたつもりだった。でも結果としては最悪の最悪になってしまった。
結局妻が謝ったのは自分の中で納得できないことがあり、それを消化するような意味合いで謝っていただけだった。そこに歩み寄りの気持ちなんてほんの少しもないようだった。俺が話す、「今の状況を解決するためにはどうすればいいか考えよう」という話も、妻の嫌悪感を募らせるだけだった。挙句の果てには妻は自分の太ももを自分の手で叩きつけ始め、そんな幼稚なことをするのはやめろと怒る俺の構図が出来上がっていた。
なんなんだよマジで。
何を話しかけても「うるさい」「話しかけるな」というモードになった妻を見て俺はクソがという気持ちを抑えつつ、わかったもう話しかけないから気が変わったら何か話してくれという言葉を伝えた。妻からは「もう話しかけない」という返事が返ってきた。
中空を見つめ鼻で息をする妻の姿を見ながら、「俺はもう無理だ」と心から思ってしまった。
その状態になる前、「一緒に過ごしたくない」という妻に対して、喧嘩の最中、俺は妻に質問をした。「12月に引っ越そうと思う。この環境が喧嘩の原因になるなら、部屋が二つある家に引っ越しをして、お互い物理的に距離を置くのもありだと思ってる。それについてどう思う?」それに対して妻は、「一緒に過ごさないならそれでいい」という旨の回答をした。そこから少し深掘りをしていったが、妻の回答は「一緒に過ごしたくない」という感情であって「別々に暮らしていく」という結論ではなかった。
結局のところ本心はわからないし、俺は俺でもう無理になっているが、俺はバカでクソでだらしなくて楽観的な元無職でやさしさとエゴを履き違えたしょうもない人間で利己的で自尊心が強くそれゆえに他人に関心がないだけなのにそれを寛容さと勘違いしている男だからこんなしょうもないことを言うんですが、これが妻の壮大なツンデレであることを祈ってる。そして俺ももう無理になってる。でも祈ってるし死にたくなってる。普通に仲良く暮らしていきてえよクソが。
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ashrhal · 1 year
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2023年1月31日
「もう旅行行きたくない!…行かないから。」
それが妻から聞いた最後の言葉となった。
なんてことはたぶん全然無いんだろうけどまた妻と喧嘩した。「した」というか「している」。これで1867回目の喧嘩だ。嘘嘘数えたことなんて一度もないこれが何回目の喧嘩なんか全く知らん。
今日の喧嘩の原因は、妻が作ってくれた鍋を食べる時に俺が器に顔を近づけて食べている行儀の悪さを注意されたことだった。今日の喧嘩の原因は、妻が作ってくれた鍋を食べる時に俺が器に顔を近づけて食べている行儀の悪さを注意されたことだった?!?!なんだそれ。そんなクソしょうもないことでよくこんなにシリアスになれるなこの夫婦。という話は一回置いておいて、まあ今は俺もキレているしなんでもいいがとりあえず何度目かもわからない喧嘩をしている。
昨日の夜、ベットで身を寄せあってケラケラしながら3月にいく旅行の宿をとった。最近買ったiPadで一緒に旅館の動画を観て、「すてき!すてき!」と2人で宣い、旅行に行くお金なんてギリギリないのに宿を予約した。洞爺湖にあるその宿と、当日のプランや周辺の散策できそうなところを調べたりして2人でピカピカしていた。そんな昨晩だったと思う。
が、事態は一変し今は部屋は殺伐とした空気と俺がキレながら無理矢理吸ってる煙草の匂いが漂い、時折キレた妻が何か物に当たる音がドンドコしている。なんだこれマジで。
日記を書いていなかったこのしばらくの間も何度も何度も喧嘩した。もちろんその何倍もフニャフニャした楽しい時間もあったが、喧嘩の回数や深刻さが募っていったのは確かなことだった。喧嘩になる時はきまって"俺が"怒る時だった。俺は真の底からだらしない人間で、人が普通にやっているいわゆる普通の生活というものができないらしいことはこの数年でまじまじとわかった。例えばトイレの電気を消さないだとか、例えば飲んだ酒の缶をそのままにしているだとか、例えば2Lの天然水の段ボールを片付けなかったからだとか、例えば妻の前で平気でオナラをしてしまうだとか。そんな感じのことで今まで顔面の毛穴の数くらい注意を受けてきた。
いくつか改善はした。トイレの電気は99%の確率で消すようになったし、空き缶や空き瓶も翌朝妻が起きるまでには片すようにした。30年生きてきてうまくできなかったことを治すことは苦労を伴ったが、明確に君の目を見て断言しているけど俺は努力をして改善してきた。
そして俺は怒らない人間だった。マジで怒らない人間だった。注意されたことは改善しようと努めたし、事実いくつか改善できていたと思ってた。ただそれじゃ足りないらしく、妻から注意は続いた。そしていつからか、妻に注意されることに対して、「どうして」という気持ちを抱くようになり、その気持ちを妻に伝えた。妻は「私を不快にさせるあなたが悪い」という論説に基づいて、俺の意見や気持ちには絶対に納得しなかった。最初はそれもしかたないと思っていた。しかし俺の「どうして」という気持ちは大きくなり、そしてそれはやがて俺の怒りへと変わっていった。俺が怒ると言い合いになり喧嘩になる。この仕組みを理解するのに時間がかかった。仕組みを理解してからは注意された時は「どうして」という気持ちを我慢して極力それを治すように努め、喧嘩にならないように振る舞った。ただ、酒を飲んでいる時は別だった。酒に酔って気が大きくなっている時は「どうして」という気持ちを素直に妻にぶつけた。怒りも解き放った。その度に喧嘩になった。根本的な解決は俺が行儀の良いだらしなくないクリーンでイキイキとした完全無欠な人間になることだったが、それを叶える覚悟は俺にはなかった。俺の中の折衷案として、酒をやめるという選択肢があった。少なくとも、酒を飲んでいなければ俺は注��されても我慢できる。俺が俺の「どうして」を噛み殺すことができる。だから明日、2月1日から1ヶ月間本当に大好きな酒を本当に大好きな妻との暮らしのためにやめようと決意し、妻にも周囲の人間にも「1ヶ月断酒をします」という宣言していた。
断酒が明日に迫った夜、俺は最後のビールを飲んでいた。妻が夜ご飯の鍋を用意してくれ、それを2人で囲む形になった。ニコニコのおいしい夜ごはん。肉は大きすぎるか、切ったほうがいいかなんてやりとりをして、鍋にありついた。そして、いつも通りの所作で、すこし赤みが残るしゃぶしゃぶした豚肉を食べようとした。そこで、俺が器に顔を近づけて食べている行儀の悪さを注意された。妻は詰問した。具体的なセリフはともかく、「私が嫌だって言っているのにあなたは何故それをするの」という話だった。別に、俺だって器に顔を近づけたくてたまらないんだ!っていうわけじゃない。30年こうやって生きてきた。行儀が悪いことは理解できる。やらないほうがいいことも理解できる。俺の行儀の悪さで妻に不快な思いをさせていることも理解できる。だけど俺の中には「どうして」という気持ちが灯り、「30年間これで生きてきたから」「髪が器につきそうなのが心配になると言うが、今まで一度も髪を汁で濡らしたことはない」という言葉を発した。どうして酒をやめる今日なんだ。そんなに今すぐにそれを伝えないといけないのか。俺は妻との暮らしのために酒をやめると盲信し、本当にしんどいが頑張ろうと思っているのに、その直前の最後の夜ごはんで、なんでそんなことを注意するんだよ。そんな気持ちを抱きながら、少しずつ口論は激化していた。
妻との喧嘩はもはやパターン化している。妻が俺に何か言う。俺がそれにうまく答えられずささくれ立った返事をする。それに妻は納得がいかない様子を見せる。それに対して俺がじゃあどうすればいい、何をしてほしいと訊ねる。妻が何故そんなこともわからないのかという態度で話す。俺が俺はこう思っている、こういう事情でそうできないという話をする。そこで2人とも怒りという感情に支配され、過去の話や言った言わないやったやらないの話で口撃を始める。そこからはもうめちゃくちゃになる。始まりは「俺が食事の時に器に口を近づけること」だったのに、気がつけば取り返しのつかないほど負の感情を2人で抱える。そうしてお互いの性質や人格についての話になる。
妻の言い分はこうだ。私を不快にさせるかどうかは一度置いておいたとしても、行儀が悪い、一般的に考えてよくないことをしているあなたが悪い。あなたが改善するという態度が見受けられない。これまで何度も注意を繰り返しているが改善が見られない。何を言われても納得はできない。けどあなたがそう言うなら私はもうあなたに感知しない。もう私は何も言わないから好きにすればいい。私はもう怒らない。注意しない。好きにして。
俺の言い分はこうだ。きみはいつも反省しない。喧嘩なんてどっちが100%正しくてどっちが100%悪いなんていう絶対はない。きみは自分からも謝らない。自分が正しい、自分の言ったことはなんでも聞くべきだ、正すべきだというスタンスだから人のやることが許容できないんでしょう。人間である以上欠点や気になるところなんてあるのが当たり前だから、それを許容して、治してほしいのだったら怒る以外の選択肢を取ればいい。喧嘩したところでどっちにもいい結果にならない。君はもういいとすぐ拗ねる。本当はよくないことでももういいと壁を張って結果的に2人にとって良くない選択肢をとる。俺は改善するから君も反省してほしい。君は欠点がない完璧人間なのか?じゃあ俺も言わせてもらうが君もあれこれできてないじゃないか。(この話でさらに喧嘩は激化する)俺は君の欠点も許容している。だから君も俺の欠点を許容すべきだ。
こんな内容の話が平行線をたどり、最終的にはいつも俺が泣きながら謝る。ごめんなさい、すみませんでした、治します。
文章化するとわかるが、俺は「どうしてこんなことで怒るんだ」という視点に終始していて、妻は「どうしてそんなことも治せないんだ」という視点に終始している。
この「そんなこと」の糸が解けない限り、こんな喧嘩は一生続くだろうし、喧嘩をするたびにどちらも傷つくんだろう。
先週の金曜日、久しぶりに妻と深夜まで遊んだ。その時に話した内容を思い出す。「我々は仲が良すぎるんだと思う。それはいいことだけど同時にわるいことでもあって、嫌なことがあったらその好きが全力で反対方向に走り出すし、楽しい時は本当に心からニコニコできる。 2人とも2人のことが大好きだし、常にお互いのことを気にしている。もう少し、違うことに関心を持って、ずっとニコニコ暮らして行けたらいいのにね。」
「旅行はいかないから」と妻は言った。それがどうなのか、もしかしたらそれどころの話ではないではないかとも思うが俺はモンスターだしきっと妻もモンスターで、はやくモンスター同士仲良くしたいと今も思ってる。嫌がる妻を差し置いて酒を飲んで煙草を吸いながら。
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ashrhal · 2 years
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自己否定も肯定もしたくないけど一人では生きていられないという宇宙みたいな寂しさだけがある
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ashrhal · 2 years
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文章だけが俺を俺たらしめるとしたら
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ashrhal · 2 years
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20220325
禁煙をしようと思う。理由は色々あるけれど、大きな理由はハゲたくないこと、正社員になって月々の手取りが少���減ることの二つだ。
俺にとって煙草とはどんなものなのかを真剣に考えてみる。初めて吸ったのは18歳の浪人生の頃だった。「何故吸ったのか」はもう思い出せない、いつどこで吸ったのかは今でもありありと思い出せる。
勉強もろくに手もつかず、暗澹とした日々を過ごしていた俺はおかしくなっていた。よく言えば厨二病で、夢野久作や太宰治や丸尾末広や浅野いにおや森博嗣なんかを読みながら自分の中にある暗い感情や倒錯を見つけて喜ぶというしょうもなくもどこか愛おしい生活をしていた。社会的に存在意義がなかった俺には俺が俺であるための何かが必要だった。アサハラという名前が生まれたのもちょうどこの頃だった。
そんな日々の中、いつかの深夜。ふと煙草を吸ってみたいという気持ちが生まれた。そのままコンビニに行き、マイルドセブンの3ミリとライターを買った。俺の実家は西船橋という東京と千葉県の中継地点にあって、その町には高校生から住んでいて、いわゆる「地元」みたいな深い思い入れも特になかったが、好きな場所はちらほら存在していた。
JRと東京メトロ地下鉄東西線が行き来する広い線路、その上にかかった歩道橋。駅から伸びる公園の端にあるため、人通りは少なく街灯の灯りもまばらで薄暗い。高校生の頃はよく帰路にその道を歩き、歩道橋から見える夕陽の色をぼんやりと眺めていた。コンビニで煙草を買った後その場所にいって、俺は人生初めてのタバコを吸った。
どんな味だったのか、どんな感想だったかは覚えていない。ただ、その時の俺は今の俺よりアホだが今の俺より確実に聡くて、「今日から死ぬまでずっと煙草を吸うことになる」ということを思ったことは明確に覚えている。
禁煙は苦しいらしい。それは当時の俺でも知っている話だった。そんな苦しい思いをするくらいなら、最初から吸わないから一生吸い続けるかの二択だ、とその時の俺は感じていた。
それからの俺の人生には常に煙草があった。毎朝コーヒーと共に煙草を吸った。酒を飲めば煙草を吸った。誰かと会い自分にとって大切だと思うなにかを成す時もも煙草を吸った。浪人生の頃には好きな子がうちに泊まりに来た時に煙草の火をその子に押し付けてそれが相手の家族にバレて示談になった。北海道で一人で暮らすようになった時は幸福の閾値を下げるために、俺の人生で一番幸せな瞬間は朝起きてコーヒを淹れて煙草を吸うことだと決めつけて何にも期待せずに過ごした。東京に戻り、ヒモみたいな生活をしていた頃に、その家主の女性が煙草アレルギーだとわかってもその人の家で煙草を吸った。愛を求めて彷徨う獣のようになっていた時に、高校生の頃の元彼女と3年ぶりぐらいに二人で飲んで帰りに一緒にタクシーに乗り込もうとしたら全力で拒否られて歌舞伎町でなすすべなく彷徨っていた時も煙草を吸った。大学生の頃の彼女に無惨に振られその一年後横浜まで行って一緒に飲んでプロポーズめいたことをした後連絡先をブロックされ神奈川の知らん漫喫で1人啜り泣いた夜も煙草を吸った。全てから逃げるように北海道に戻り、以前同棲していた女の子の家に転がり込んで、その1ヶ月後にその子に彼氏ができるからということで一人暮らしをすることになり、札幌市中央区の家賃4万円のアパートを借りた時にも空っぽの部屋で煙草を吸った。今の奥さんと初めて出会い、大通り公園で手を繋いだ夜にも煙草を吸った。そして今も毎日あらゆる瞬間瞬間で煙草を吸い続けている。
記憶が人を作るならば、間違いなく煙草は既に俺の一部なのだ。それを、辞める。
それはつまり俺が今の俺を辞めることに等しく、ニコチン依存症の離脱症状だけではない辛さが伴うことはもう決まったことだった。
奥さんに「煙草を辞めるから協力してほしい」と言った。日々俺の健康を心配する奥さんが喜んでくれると思っていたが、奥さんはそもそも俺が禁煙に成功するなんて思っていないようで、「勝手にやってくれ」というような返事が返ってきた。
信用が全然ないことに哀しさを覚えたけれども、ひとまず「奥さんが禁煙を応援してくれないから」ということを理由に再度煙草を吸うということだけは無いようにしようとなんとなく思った。
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ashrhal · 2 years
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2022/1/23
なんだかんだごちゃごちゃと考えてなんだかんだごちゃごちゃと文章にしたり伝えたりしているが結局のところ俺は誰よりも俺のことが好きなんだと思う。仕事がどうとか友達がどうとか、最も愛する奥さんがどうとかなんてことよりも、自分の考えや気持ちや行動を愛しているし、それを誰かに愛して欲しいんだと思う。そういう基盤が根底にあるから、結局何もかもダメなんだと思う。みんなもそうなのか?
一昨日の夜のことだった。奥さんが急に不機嫌になった。俺は原因が一切分からず、「どうしたの?」「何か俺が悪いことした?」と奥さんに問い詰めた。奥さんはめんどくさそうに俺を振り払い、俺は釈然としないまま明日の仕事のためにベットに潜った。ベットでも奥さんに同じ質問をした。単純に俺が何か気に触ることをしたのではないかと気になった。何が原因で奥さんをそうさせてしまったのかを知りたかった。結果奥さんはベットから離れてソファで1人で寝るという選択をした。俺は思ってはいけない気持ちだとわかりながら、「またか」と思ってしまった。このまま妻の機嫌の奴隷として生きていくしかないんだ、生活の中で俺が気を許して過ごしていい瞬間なんて一瞬たりともなくて、全部妻が好むようにあれこれやっていかないといけないんだと思った。その時に「ずるい」と思った。結局そんなの俺の優先順位がおかしいことがそもそもの問題で、俺の自己愛が発露した感情だったんだろうが、妻の感情から発露した行動に対して俺の感情から発露した行動で向き合うしかなかった。妻が寝ようとしているソファまでずんずん歩いていき、「どうして?」という問いかけをした。妻の不機嫌の理由は「本棚の上に置かれていた洗濯ものを俺が床のクッションの上に置いたから」ということだったらしい。
俺は本当にわからなかった。本棚の上にごちゃごちゃ置いてある洗濯物と、俺は俺なりに汚さないようにと気を遣ってクッションの上に置いた洗濯物の違いが、そもそも俺には全く分からなかった。妻が不機嫌になることで、どれだけ俺が嫌な気持ちになるのか。それをわかった上で妻は不機嫌になっているのか。妻からすれば根本の原因を作っているのは俺なのかもしれないけれど、それが2人にとってよい選択かどうかを考えた上で行動しているのか、俺には本当にわからなかった。だから言葉で訊いた。「その選択が本当に正しいの」と。妻は何も答えなかった。
翌朝、一言も妻と会話をせずに出社して、それなりにストレスを感じながら仕事を終えた。新型コロナウィルスが流行っているらしい。「反マスク」みたいな思想を持っている人たちを普段は冷笑するし、なんなら愚かな人たちだなと思っていたけれど、そんなことどうでもいいくらい「このままクソみたいな気持ちで家に帰りたくねぇな」と思った。その結果俺がとった選択は側から見てどう考えても誤っている人と飲みにいくというものだった。
会社で俺と飲んでくれそうな人に片っ端から声をかけ、1軒目でハイペースで酒を飲み、酔いも回って頭の中にあるわだかまりが意識の外に出てきたあたりで、妻から鬼のように電話が来た。電話に出ると「誰と飲んでるの」「コロナになっちゃうよ」「帰らせるから替わって」「早く帰ってきて」という話があった。その会話が一緒に飲んでくれている人たちにも筒抜けてしまい、一瞬で空気が凍った。俺の中の優先順位としては、一緒に飲んでる会社の人なんてどうでもいいし、そんな人たちより妻が大事だったが、それ以上に自分がいた。今日だけはまっすぐ帰りたくない、今日だけは俺が俺のしたいことをしたい、今日だけは何もかも忘れさせてくれ、そんな想いが頭の中を駆け巡って、「わかったよ帰るよ!」と電話を切った。
結局俺はすぐには帰らなかった。そのあと2軒目、3軒目と、一緒に飲んでくれる人がいなくなっても酒を飲み続けて、帰宅したのは深夜2時ごろとなっていた。その間も妻からのLINEはなり続け「嘘つき」「私が邪魔なんだよね」「浮気してるの」「女の人といるんでしょ」というようなメッセージが続いていた。その時妻がどんな気持ちだったのかを想像する余裕も俺にはなかった。
酩酊した俺は2時ごろ、家に着いて、スーツから部屋着に着替え、珈琲を淹れてタバコを吸った。俺がひとりごちていると妻がキッチンに来て、俺の腹を蹴った。そして俺は「何?」と訊いた。妻の様子も、きっと俺の様子も尋常ではなかった。
妻と別々に生きたいなんて俺は思ったことはない。ただ、理解できないことから目を背けていた。理解できないことを伝えるべきだと思った。伝えたがうまく伝わらなかった。妻は「私が死ねばいいんでしょ」と言った。そんなこと誰も願ってないことなんてわかるだろと思った。だから「じゃあ俺が死ねばいいんじゃないの」と言った。きっとその気持ちも考え方も伝わらなかったと思う。妻も引かず、俺も引かず、話が拮抗し、停滞した。それでも俺の横に立っている妻に俺は「何を話したいの」と訊いた。妻は「話したいことなんてない」と言った。俺は「じゃあなんでそこに立ってるの」と言った。その瞬間に妻がキッチンに置いてあった、俺のために買ってくれた日本酒用の徳利をシンクに投げつけて、怒りを露わにしていた。
そのあと少ししてから、伝えるべきだと思って「俺はこれからも一緒にいたいと思ってるよ」ということを伝えた。「だから考えて」と伝えた。それも妻からしたら怒りにつながる言葉でしかなかったんだと思う。
1月22日、土曜日。俺は本当は住民票を取りに行ったり、卒業証書や給与明細を印刷したり、正社員登用に必要な書類を全て揃えてポストに投函しなくてはと思っていたけれど、結局ゴロゴロしながら3回シコって漫画を読んで映画を見て酒を飲んで過ごした。俺のために取らなくていけない行動の何一つもできなかった。
今の俺には何が正しいのかなんてことは本当に心からわからない���
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ashrhal · 2 years
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2022/1/21
あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いいたします、という気持ち。
昔から常々思っていたがあけましたことのなにがおめでたいのかわからないし、誰に何をどうやってよろしくして欲しいのかも俺にはきっと一生わからないけれど、死ぬまで毎年1月にはあけましておめでとうございますというセリフを宣い続けるのだと思う。
でかい会社の正社員になることが決まった。そのでかい会社の偉い人に俺はなぜか偉く気に入られていて、「今年は飛躍の年だよ」と言われていたけれど、結果として本当に正社員になることになった。
その会社がどれくらいでかいのかというとお前が思う205倍くらいでかい会社だと思う。日本人に知らない人は絶対にいないし、絶対に無くなることのない会社だ。そんなことは本当にどうでもいい。
「飛躍」の意味を俺はいまいちきちんと理解できていない。今年3月には30ちゃいになるにも関わらず、俺は俺の中の無職の魂を愛しているし、いまだに俺にはなんだってできると根拠の無い自信があるからだ。
それでも、週5日間9時から17時まで働く生活を三年間続けた俺は俺の中でとても偉いと思う。「.継続は力なり」ってコロ助も言っているが、俺は俺がたのしくないと思っていることを継続することが誰よりも苦手だと信じていたはずなのに、退屈な仕事でも三年間真面目に朝起床し仕事に赴きそれなりのパフォーマンスを発揮して行後にはへとへともみじになって帰宅してという毎日を繰り返していた。これは俺はの知る俺にとっては本当に偉いことなので、全人類褒めて欲しい。
そんな平凡な人間なら絶対に思ってしまうような誰の何も納得も理解も得られない感情を人並みに得ながら、俺は毎日頑張っている。
マイナンバーカードが見当たらない。正社員になるためには必要提出書類として、住民票が必要なのだけれども、俺の唯一の身分証明書であったマイナンバーカードがいつのまにか財布の中に無く、住民票の発行にも多大な面倒臭さを感じている。
俺が例えばこの書類を出さなかったらどうなるだろう、あした急に仕事を休んでそのままあの頃のように無断で欠勤して電話を無視して布団に蹲って1日を過ごしたらどうなるなだろうと毎日考える。
俺は俺が打算的な人間であることを知っているから、決してそんな道は選ばないだろうけれど、何か意味のわからないことをしたいというウズウズした気持ちが今たしかに俺の中にはある。
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ashrhal · 3 years
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20210928
死にたい夜にどこに死にたいと書けば良いのか忘れた
何もしたくない
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ashrhal · 3 years
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2021年6月14日
日曜日の深夜3時49分。明日、正確に言えば3時間後には支度をし仕事に向かわなければいけないというのに俺はひとりキッチンで酒を飲んでいる。飲んでる酒はウイスキーで、こういう時のためにロックで飲める安くてウイスキーらしさを感じれるウイスキーを探した結果teacher′sというウイスキーの瓶を半年前にamazonで頼んでいた。720mlを頼んだつもりだったが実際に届いたのは1720mlのクソでかい瓶だった。720mlだったらきっと今日まで残っていなかっただろう、その時は笑ったがそのミスによっていまの俺は救われている。人生はマジで何が起こるかわからない。
一年ぶりの日記を書く。俺が日記を書くということは俺がひとりだということだ。一年間色々なことがあったがそれをいちいち細かく振り返るつもりはない。いま俺が何を考えていて何を思っているかが重要だからだ。大きなイベントだけ話すのであれば、1つ目は引っ越しをした。築30年のクソみたいな汚くて狭い無職の家から、1ldkの築10年の13階か14階建てのピカピカのマンションに妻とふたり引っ越した。家賃は7万円で、東京の相場に比べれば北海道の賃料の安さに驚くことではあるが、少なくともこの家に引っ越した瞬間に無職の俺は死んだ。これからは"ちゃんと"働き続けなくてはいけないという覚悟が生まれた。ベット、テーブル、キッチン用品、ソファそれらの物を毎週末に妻と家具屋を巡り揃えた。住む家や家具や暮らしにそこまでこだわりも関心もなかった俺にとってこの引っ越しは初めてたのしいと思えた行事だった。
2つ目は、妻との喧嘩の回数が少なくなり、それゆえに一回の喧嘩の重みが大きくなった。去年か今年か、いつかはわからないが俺の中の線が一つ切れたことがあった。自分を擁護するわけじゃないが、俺は滅多に機嫌が悪くなったり誰かに対して怒りを覚えることはない。対して妻はよく機嫌が悪くなる。引っ越してから、家が綺麗になったこともあってか暮らしのことや俺のだらしなさが原因で小競り合いの頻度が上がった。「なんでそんなに怒るの?」というのは俺の素直な気持ちだが、その言葉は何よりも妻の怒りを買った。小競り合いになったとき、いつも俺が譲歩した。妻の機嫌が治るまでキッチンや寝室に篭り、怒りが収まった時に全く関係のない話で取り繕う。冷えていた空気が温まり、またケラケラ笑いながらくっついて眠���につく。そんな日々が続いていた。ある日、また小競り合いが起こった時、ふと思った。俺はこのまま妻の機嫌に左右されて一生生きていくことになるんだ。俺はそれが嫌だった。2人で一緒にいるために、2人が2人に譲り合えるのが健全な関係だと思った。このままだと一生妻の機嫌の奴隷になる。だから俺もキレてみた。
暮らしのあれこれなんて好みの問題だと思っていた。トイレの電気を消すだとか消さないだとか、物はここにおくだとか片付けるだとか、俺にとっては本当にどうでもいい問題だった。だから気になってもいないリビングに干されている洗濯物を寝室の床に放り投げ、「あそこに干してんの俺嫌いなんだよね、早く片付けろよ」と精一杯の虚勢を貼って普段使わないような言葉遣いで妻に悪態を吐いた。妻は一瞬驚いたような風になり、そのあと「なんだよ!」と言いながら俺に殴りかかってきた。別に俺は怒ってなかった。ただこの感覚が嫌なだけだった。だから妻と同じように振る舞ってみようと思って怒ったフリをした。でも妻は違った。本当に怒っていた。人に殴りかかりたくなるくらいの怒りなんて俺はこれまで感じたことがない。妻に殴られながら、羨ましいなと感じた。俺の感情はいつか書いた日記のように、未だに水の中にフワフワと漂っていて、水面から顔を出すことはない。
「別々に暮らそう」落ち着いたあと妻は俺にそう言った。意味がわからないと思った。なんで別々に暮らすのか、意味がわからない結婚をして意味がわからないまま幸せになって意味がわからないまま死ぬまで一緒にいるはずだったじゃないか。妻と別々に暮らすなんて生きている意味がない。別々に暮らす理由は「合わない」だからだそうだ。合わないんなら合わせる努力をお互いすればいいじゃん、と俺は思ったが、その時の妻の気持ちとしてはそれすらもめんどくさいようだった。感情のベクトルが100か0しかないとそういう結論に辿り着くらしい。幸せには代償を伴う。それは働かなきゃいけないということだったり、そもそも全く別の暮らしをしていた2人が一緒に暮らす時に生まれる齟齬だったり、そんな代償2人で生きれる幸福に比べたら本当に些細な物だと思っていた。そしてそれを説明しようとしたが、そういった理性的な説明が何もかも無駄だと感じ、俺は諦め妻の前でワンワン泣いて可哀想だと思ってもらうことでその場を収めた。
その日以降、些細なことがきっかけでの喧嘩は少なくなった。その日以降、少なくなった代わりに、喧嘩が起こるたびに内容は深化し、俺は深夜に泉まくらとかを聴きながらわけがわからなくなるまで酒を飲み翌日の仕事を休み、仕事を終えた妻が帰宅してなんとなく2人でご飯を食べて関係が修復されていた。そして、今日もそんな夜だった。
ここまで、妻と二人の関係性においてクソマイナスの側面のことしか書いていないが、根本的には俺は妻と一緒にいて幸福だし、妻も俺と一緒にいて幸福だ。くだらないことでケラケラ笑ったり、その日お互いがそこにいるだけで嬉しくなってしまう瞬間がそこかしこにあったり、俺も妻もお互いに愛し合っていることは紛れもない事実だ。別々の人と人が二人で密接に生きていく以上、大前提として問題は起こる。一緒にいないなんて選択肢をとることは最も簡単だけど、それだけはしてはいけないと俺は思ってる。
元々結婚した3年前の9月に「今年の1月に北海道で一緒に死のう」と言っていた。結婚してからの4ヶ月は想像の406倍楽しく幸せで満ちていて、もともと希死念慮に感嘆していた過激な感情で死ぬと決めていたことなんて綺麗に消えてなくなり、二人はここまで生きている。人生において後悔したことは数少ないけども、こんな夜はいつもあの時二人で死ねばよかったなと心から思う。
でも、俺はこれからも妻とケラケラ笑いながら生きていきたい。そのためにはどうすればいいのか。もう5時11分になる。
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ashrhal · 4 years
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2020/5/16
コロナウィルスの影響による在宅勤務期間という名の無職のような生活も今週で最期となりそうなので日記を書いておく。
四月の中旬から、俺の勤務先の意向でAチームBチームというように出勤人数を全くの半分に分け隔週勤務となり、その結果俺は一週間働いて9連休が続き、そしてまたら9連休プラスGWが続き、それでも変わらず給料は満額もらえるみたいな仕組みの中で生きていくことになった。
この一年半、まあ一般的な社会人からすれば一年半なんてクソ短い期間なのかもしれないけれど、元々無職で生き抜けて来た俺に取っては途方も無いくらい長い期間、俺はしっかりと朝7時に目を覚まして、思い瞼を擦りながら支度をしてスーツを羽織り、たまに吹き抜ける札幌の朝の心地よい風に身を震わせながら出社し、仕事の中で起こりうる色々な問題を解決し、人並みに残業なんかもしたりしてしっかりと働いて生活していた。
週5日、8時間、土日祝日を除く。休憩1時間、午前と午後に一度タバコを吸いに行ける。そんな取り決め一体どこの誰が考えたんだろう。そんなことさえ考えずに俺は俺の生活、俺と奥さんの生活のために、もしかしたら俺の中にあるちゃんとしたいという欲求を果たすために、それなりに真面目に働いていた。
コロナウィルスの影響で唐突に訪れた休みの中で、9日間俺は何もしてなかった。以前の俺であれば何もしていない自分に対してつまらなさや嫌悪感を感じていたと思うが今はそんなことは全くない。ただ単純には自宅で昼から酒を飲みゲームをし奥さんと談笑しているだけで本当に幸福だった。
ただ燻ったのは無職の魂だった。あまりにも長すぎた無職時代の金はないはずなのに生活の最低にも立っていないはずなのに愚かにも貪欲に自分の幸福への触媒を求めさまよっていた頃の環境だった。
俺は今働き、それなりに一人で暮らせる、なんなら奥さんを養えるような金を得て、ケラケラ笑いながらうまく生きている。ここに貪欲さのかけらもクソもない。
今考えると、金がどうとか、やらなきゃいけないことがどうとか、生活がどうとか、無職の頃の俺はすべて無視して自分のやりたいようになにもかもをやっていたような気がする。
その希望の先に辿り着いたのが今の奥さんだ。無職の頃にはなかったものが今の俺にはたくさんある。プラスマイナスのようなチンケなものさしで語りたくはないが、守るもの、守りたいものができたからこそ背負わなくてはいけないものが増えた。そしてそれをこれまでの生活が支えていた。
長く低い休みの中で、俺がガバガバ発泡酒を飲み酩酊の中で発見したのは未だ俺の心の中で呼吸とともに仄かにオレンジに色付く無職の魂だった。そんなものはとうに捨てたと思っていた。俺はこのままそれなりに暮らすサラリーマンになると思っていた。具体性を帯びない話になってきたので、俺の中にある無職の魂が何をしたいと訴えているのかを書こう。
人の金で5軒飲み屋をハシゴしたい、深夜4時のクソ寒い路上でゲロを吐いて蹲りたい、パチンコ屋で今月の家賃をかけて所持金が0円になってハンドルがカスカスいうまで打ち続けたい、希望を持って抱いたはずの女がクソしょうもない女だったということに気がついて絶望したい、部屋でひとりムスクのお香を焚いて気持ち悪い笑みを浮かべたい、焦燥と精神的な飢餓に駆られてちゃんとした他人に酔った勢いで傍若無人に振る舞ったあと泣くほど後悔したい、もっと惨めな気持ちになりたい、根拠の無い自信に駆られて根拠の無い無敵になりたい。何も欲しくない。何もかもが欲しい。
とまあ、俺が言う無職という言葉は、単に職がない、収入がないということだけでなく、根底にある琴線をスラップの如く叩きつけて感情の起伏をクソ揺るがす生活のことだったんだなと今になって思う。
きっと俺の愛する奥さんは明日俺が急に仕事を辞めたとしても俺のことを愛してくれると思う。そんな奥さんが大好きだ。俺は自分の頭の中で理解できるような、理解しきれていないとしても、理解できちゃったなと思わせてくれないような、意味ワカンねぇ女が好きだ。奥さんはまさにそれだ。俺の理解や俺の想像を超えたこと、馴れ合いだけじゃなく、目的意識からではなく、俺の感情を揺さぶれる人、そんな奥さんが大好きだ。
残念なことなんだけど、俺はこの長い休みの中で無職の憧憬を覚えてしまった。そんなクソしょうもない憧憬と愛を矛盾せずに両立してこれからは生きていきたいと思っている。
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ashrhal · 4 years
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2020/4/6
コロナで死にたい。早く死にたい。どうでもいい。どうでもいいことなんて何もない。幸せになったはずなのに問題は山積している。今思えば、いつ思っても人間はその人間が絶頂の時に死ぬべきなんだ。
すべてが��調だった。いや、明日の俺の行動次第ではこのまますべてが順調なままなんだろうけれども、すべてが順調だった。死ぬか生きていくのかというかという選択肢を殊更選択肢として迫られたわけでもなく迫ったわけでもないが、日々はやく死ねばよかったという焦燥に駆られる。いや、駆られていない。毎日それなりに楽しく幸せに生きることができている。じゃあなんで俺が今こんな感じなのかというと、愛する妻との齟齬があった時に俺の感情は全てマイナスの方向に全身全霊の全力ダッシュを決め込み死という文字ゆの輪郭がぼんやりと浮かんできているところからくっきりとさせてしまうところまで50m6.5秒台で進んでいきその堕ちる加速が止まらないからだ。
どうでもいい。全部どうでもいい。妻以外どうでもいい。妻以外が全員コロナで死のうがどうでもいい。明日朝起きた時二人きりの世界だったらどんなに幸せかと毎晩祈って眠りにつく。けれど現実はそうもいかない。俺もクソみたいに子供ではあるがクソみたいな部分では大人になった。なんとかなることと、なんとかならないことの区別がついた。例えば俺がなんでもある程度できること、これはなんとかなることだ。例えば俺が何もしないこと、来月の家賃が払えくなったり食費がなくなったり生理用品が買えなくなったり部屋が汚くて狭くて生活に支障をきたしたり俺の人間性のある部分が妻に認めてもらえなかったりすることは、なんとかならないことだ。
トントン拍子で出世した。俯瞰してみると、自分で仕事をすることをやめて、所謂会社で働くようになってからというもの、常に俺のやることは誰かに理解され誰かに評価され人に恵まれまたは人に恵まれるように立ち回りあとは少し呼吸さえしていれば普通はそうならないようなこと、一般的に終わっている人間の中の選択肢にはありえないようなことにすらなれたかもしれなかった。その選択肢は今も生きている。俺は自由だ、けれど死にたくなってしまうほど不自由だ。
今の俺の気持ちを、今の俺の言っていることを妻に理解してもらえないことがつらい
。ただただそれだけでしかない。そんなに俺は悪いことをしたのか。そんなに俺は意味のわからないことを言っているのか。そんなに俺以外のすべて関係ない部分への影響が大事なのか。妻は一過性の気持ちなんかじゃなく俺に対して理解を示そうという姿勢を抱いてくれないのか。それがそうだったのであれば俺は早くすぐに今すぐに妻と一緒にコロナでもなんでもわけわかんないまま死ねばいいと心から思う。それ以外はどうでもいい。でも同時に妻と一緒に毎日楽しく笑って踊って暮らしたいとも心から思う。それでもいつか死ぬのなら、妻と幸せの絶頂に達したタイミングで一緒に死ぬのがやっぱりいいんじゃないかな。だって人生って意味わかんないし。
100パーセントのぶつかり稽古なんて絶対に人としないほうがいい。何故なら俺は面倒くさい人間だから。俺の面倒くさい思いの重なりと、俺の面倒くさい思考と、俺の面倒くさい話をすべて話して理解し共感し愛してくれる人なんてこの世に一人たりともいない。何故なら俺が面倒くさい人間だからだ。人はわかりやすさを好む。俺は俺の中にある面倒くささからわかりやすさを抽出すると人に評価される。そんなのもううんざりだよ。俺は100パーセントのぶつかり稽古をして、それでその俺を愛してもらいたいんだよ。
という話も一年間社会で生きて、途方もなく難しい話だとわかった。結局のところ人が何を考えて生きているのかなんて完全に分かり合えないし、100パーセントのぶつかり稽古なんてものはこの世には存在しない。2019年のKOKのGADOROvsmol53がそんな有り体を物語っている。結局人とわかり合いたいだなんて至極単純のようでクソ難易度の高いことをできる人間なんて人類史上誰もなし得ていないことだし、そうなると愛って言葉はとてもチープなものだし、結局そういうことを考えると本当に死にたくなるんだよな。
そんな俺にもポリシーが一応2つあって、一つは「本人に言えない悪口は言わない」もう一つはなんだっけ、忘れちゃった。今書いてる日記に一つ目の「本当に言えない悪口は言わない」ってやつは全く関係なくて、二つ目のやつがめちゃくちゃ大事だったんだけどもう酔っ払ってて思い出せないからいいや。今押したら自分が死ねるスイッチがあったとしたらすぐに押してると思う。
というとこを書いて思い出した。二つ目のポリシーなんだけど、「他人を変えることを望むな。他人を変えたいのなら、自分を変えるか、環境を自分が変えるかだ」ってやつだった。今日の俺は妻に対してこの二つ目のポリシーに反することをしてしまっている。そういうことをするとすべてがうまくいかなくなるってわかったから定めたポリシーなのに、そんなこと度外視して俺の欲しいものを全てを求めてしまう。本当に面倒くさい。
明日も7時に起きないといけない。何故ならそうしないといけないからだ。俺は本当に面倒くさい人間だ。俺の正しさは俺以外の誰にも正しくない。恵まれた悩みだが、俺にとっては本当に切実なんだよ。はやくコロナで死にたい。
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