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#南無阿弥陀仏のお線香
catdoll007 · 7 months
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お線香は、燃えた跡の灰に南無阿弥陀仏が現れてくる🕯️
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ご本尊を参拝する前に
涅槃像や鐘🔔、お地蔵さんや🙏、大黒様🔨、等々
色々と拝めます🙋
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shimosumariko · 6 years
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興味深いフライヤーを頂いたので行ってきました!テクノ法要!お経とプロジェクションマッピングと音楽。非常に愉しかったです! #テクノ法要 #築地本願寺 #南無阿弥陀仏 #雑念捨てて無になる時間 #お寺好き #お線香の香り好き #築地本願寺をバックにジャンプ #回るお寿司食べて帰りました #平日こそ遊ぶ (築地本願寺)
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keredomo · 3 years
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父親2
 六年間の闘病を経て父が逝去した。  闘病というが、おそらく闘っていたのは一人、正気の母のみであった。父本人ではなく、私でもない。  父は倒れた時点ですでに人間の理性を手放しており、猛スピードで父ではなくなっていった。寝たきりで衰え続け、一刻一刻と、わかることがなくなっていった。  最初の頃はまだ病床で娘の私を認識したが、今際の際の少し前にビデオ通話を繋いでもらった時にはもう私のことすらわからなかった。最後までわかったのは妻のことだった。妻であり母親がわりである彼女だけに縋って、それ以外には何もかもわからないまま、父は死んでいった。おそらく自身が死ぬことすらわからぬまま。  闘病が六年の長い年月におよんだことを、遠く離れて暮らす私は意識していなかった。看護を一手に担ってきた母にとってはきっと六十年にも匹敵する長い長い年月だったことだろう。理性を失い、痛みだけが意識に上るようになった父にとっては、無限の苦しみだったことだろう。
 
 秋の入り口、二週間前から危ないとされていた父がいよいよ亡くなろうという時、私は東京で泥酔しながら「あした死ぬなら」という題をつけてどうでもいいような文章を書いていた。酔いどれの手遊びだったけれど、父の死をはさみ、未だ完成していない。
 深夜三時、母から「お父さん、さっき逝きました」とメッセージが入った。酔い潰れてほとんど眠ろうとしていた私はその報せを読むこともなく、ひたすら自分に没入していた。  母は一人で夫の死と対峙して、さめざめと遺体に縋って、一通り泣いたのち冷静に処理したのだろう。  翌朝八時半に目覚めて、寝ぼけながら「そっか」と返事した。  私にとっては父の死はごく自然なことだった。すでに数年前に父の死を受け入れていて、いまさら悲しんで言葉を尽くす必要はなかった。そのことも母にとってはあまりにも薄情な態度に映ったかもしれない。「父親」と題した手記を読ませたことはあったと思うが、なんのリアクションもなく、母には私の心情は伝わらなかったようだった。せめて「お疲れ様でした」くらい書くべきだっただろうか。誰に対する労いの言葉なのかはっきりしないままでも。  母にだけは、齢三十を超えてもなお、うまく優しくできない。母に優しくするための嘘をどうしてもつくことができない。方便を用意してあげられない。他人にならば、息を吐くように嘘をついて優しくできるのに。
 まだ眠い目を強めにこすり、睡眠不足と深酒で痛めつけた体をぐったり横たえたまま、なんとか頭だけは働かせる。  会社の上司に父の逝去を報告し、慶弔休暇の手続きをする。急ぎの仕事を確認し、東京にいないとできないいくつかの業務をこなす。休暇のあいだに進めておくべき仕事の資料を束ねて実家宛に郵送し、今日来るはずの他部署からの連絡を待ちながら、前々日から予約してあったスリラー映画を日比谷で観た。映画を観ているあいだは何も考えずにいられて、ようやく少し気持ちが落ち着いた。映画を観終え、会社に戻って必要書類をピックアップしつつ、足を飛行機と新幹線とで迷って苛立つ。道中落ち着いて働けるよう五時間かかる新幹線を予約した。
 帰郷の態勢を整え終えたのが翌日の午前一時半。気が昂って眠れないので、それからワインを一本半あけた。  酒を飲みながら、また書きかけの文章に向き合うことで自分に没入してやり過ごす。父の死について深く考えることを無意識に拒絶している。自分についてだけひたすら考えるために書きかけていた文章の続きを書くが、うまく書き進められない。酩酊してようやく眠れたのは明け方だった。  早朝五時に起きるつもりが九時前まで眠ってしまい、実家に到着したのは午後四時ごろだった。母に頼まれてお寺と弔問客に渡す菓子折りを揃えたらとんでもない大荷物になって、親の死よりも重い。
 着いて早々喪服に着替えて通夜の準備をし、誰一人として見知らぬ弔問客に戸惑いながらなんとか応対する。名前も顔も知らなかった父の血縁がぞろぞろ現れて、客間に入りきらない。人が一人生きるだけで何人もの人間がまとわりついてくる。おそろしいことだ。  九十を超えてなお衆生を見下す高慢な坊主の失礼な説教で怒り心頭を発しつつ、自宅で執り行う小規模な通夜をとりあえず済ませた。精進弁当を食べ、母を寝室に見送ったのち(いまどきは一晩途切れない線香なるものがあって、夜通し遺体の側で線香番をする必要はないのだそうだ)、家にある酒を度数の高い順に煽っていった。在庫のウィスキーを飲み干したので焼酎に手をつける。どちらも、醒めたまま深い酩酊に導く厄介な酒で、一向に眠くならないのに感情だけが尖ってゆく。
 母が眠ってくれたおかげで父とようやく二人きりになれた。  母がいると、「母と父のこと」が優先されてしまって、私は部外者になる。父はどうしようもなく母の夫だった。私の父であるよりも、母が半狂乱になりながら狂おしく恋慕した、「母の夫」だった。そこに私が入る隙はなかった。生涯、かれらは男女であって、父母ではなかった。  強い酒をあおって、理性に命じている「私は父を愛さない」という重い枷が酩酊によって外れているせいで、感情だけが乱暴に行動させる。  父の遺体に触ってみたいと思った。生きている父にはほとんど触ったことがない。小学生のときにむきになって体を使った喧嘩をして、私は力で押し負けて泣いてしまい、それ以来互いに気まずく、私は父には触れなくなったし父も私に触れなくなった。死んだのでようやく遠慮なく触れられる。棺の蓋を派手に外した。棺を覆う、仏門の好む金刺繍の織物は廊下に雑に投げ捨てた。
 まだ焼かれていない遺体も、長い闘病でほとんど骨と皮だけになってしまっている。十月とはいえ残暑が名残っているからと、遺体は腐敗防止のために厳重に冷やされて、顔から何からすっかり白くなっていた。静か。悲惨で、グロテスク。肉をすべて失い、頭蓋骨に張り付くような土色の皮膚。男前が見る影もない。  肌に触れるとどこかシリコンのような手触りだった。ひやりと冷たい。頭と顔に手指をすべらせて、かわいそうに、と思う。耳と首を触って、ずいぶん痩せたね、と思う。肩に触れて、腕をなぞって、筋肉はほとんど削げ落ちて骨があらわれているのを確かめる。  両手は腹のあたりで組まされていた。指を組み合わせて眠るような上品な男ではないので、様式に則って組まされているのだろう。そっと外して、自分の指を父の右手に組み合わせてみた。父と手を繋いだ記憶なんかひとつもなくて、父の指を初めて知るのが遺体であることに途方もない虚しさをおぼえる。
 覗き込むと、棺には二体のぬいぐるみが収められていた。いずれも、二十代の私が父に贈ったものだった。通信会社のテレビCMで見て欲しがっているらしいと母から伝え聞いて、オークションで入手した白い犬の動くぬいぐるみと、酔っぱらって繁華街のUFOキャッチャーでとって、邪魔だからと送りつけたオレンジ色の猫の妖怪のぬいぐるみ。男勝りのくせに意外とかわいいものが好きな父は大喜びで、「俺が死んだら棺桶に入れてくれ」とはしゃいだ。当時からそう言っているのは知っていて、疎遠ながらも父を喜ばせたことが嬉しく、私も満更でもなかった。  知っていたのに、実際にぬいぐるみたちが棺に父の屍体と一緒に入っているのを見て泣き崩れてしまった。喪主の母の裁量ではあるが、父がそれらを本当に連れて行ってくれるとは思わなかった。
 死んで初めて、父は私の父になったのかもしれない。死んで、母の夫であることを逃れて、ようやく私の父になってくれたのかもしれない。  あるいは、父が死んで、ようやく母が夫を私の父にしてくれたのかもしれない。  やるせなかった。生きているうちにそうなってくれれば、どんなに寂しくなかったことだろう。
 私が騒いでいるのを聞きつけて目を覚ました母親が二階の寝室から降りてきて、明日があるのだからもう寝なさいと促す。母は父の妻であることと私の母親であることを両立しているので、私の寂しさも悔しさも悲しみも一切理解できない。邪魔をされて恨めしかったけれど、それ以上に父の死に大泣きしているのを母に見られたのが気まずくて、��直に従った。母は、私にも父を失った悲しみを共有してほしいと思っているくせに、私が父と二人で過ごすことにはわかりやすく苛立ちを示すのだった。途方もなく女だ。
 
 翌朝、深酒と号泣と寝不足で目も当てられない浮腫んだ顔で本葬に入った。  昨日の通夜で話すまで存在しなかった血族の綺麗な中年女性が、式の準備を手伝ってくれながら「浮腫んでるね」と笑いもせずに言う。「昨日、夜中に泣きすぎちゃって」とへらへら返すと、また笑いもせずに「うん」と言う。彼女の父親は私の父の兄で、私がまだ幼い頃に亡くなった。父親を亡くすことがどういうことか、あの人はちゃんと理解していたのだろう。  昨日の通夜のときよりも絢爛な袈裟を纏った寺の人々が到着し、昼過ぎに式が始まった。合唱を老坊主に要請された南無阿弥陀仏を一応口にしながら、宗教儀式の儀式性を自分が必要としていることに自覚的な人間はこの場にどれくらいいるのだろうか、とぼんやり考える。一人でひととおり泣いたのでもう涙はでない。読経なんかで休まる心は持ち合わせていない。自宅の狭い客間で坊主が払子を振り回すと電灯の紐に当たってしまってうまくいかないのを眺めて少し笑う。ぎこちない焼香は悲しみを形骸化する。  用意された霊柩車は期待していた金ぴかの装飾をつけておらずがっかりした。屍体とはかけ離れた姿を写した遺影を持たされて、後部座席に乗り込む。火葬場まで母と何か話したけれど、妙に天気がよかったことと、母が涙ぐんでいたこと以外、よく覚えていない。母は、父の死に納得しようと懸命に言葉を発した。その姿は痛々しくて、かける言葉が見つからない。
 焼くと、ぼろぼろの骨がでてきた。係りの人が、これは背骨、これは肩、これは顎、と説明しながら手でばきばきに折って小さくした骨を渡してくれる。脳を開いて蓋したときに頭蓋骨につけた金具が焼け残っているのを見て、母がしみじみ悲しんでいた。骨壷に入りきらなかった骨をつまんでまじまじ眺めてみると、サンゴ礁の死骸にそっくりだった。人間も自然の一部なのだと思えて嬉しかった。一緒に焼かれたぬいぐるみたちは跡形もなく燃え尽きていた。
 火葬場からの帰り道、後部座席で従姉妹の運転する車に揺られながら、何を考えることも疎ましいほど疲弊していて、「なにも思いたくないくらい疲れ果てた」という一文をずっと繰り返し繰り返し頭の中で唱えた。人の死はこれほどまでに精神を疲弊させるのだと思い知らされる。なにも思いたくないくらい疲れ果てた。なにも感じたくない。なにも。  常に何かを考えていたい自分がこれほどまでに疲弊するのが人間の死なのだった。
 
 弔問客も落ち着いた初七日の六日目、母にねだって車を出してもらい、隣市の美術館に行った。  人の手が創り出した美しいものを見たかった。生が創り出すものを。  死を拭い去って再び生を始め直すには、人間が生きた証を目の当たりにする必要があった。美術作品のインパクトに圧倒されて、生きることを取り戻したかった。いずれ死ぬ身を生きることは、あまりにも虚しすぎる。  父の享年が七四歳であることを、会社に提出する慶長休暇申請書を書くにあたって初めて知った。そんなに高齢だったのか。となれば私は父が四三歳のときの子で、ずいぶん遅くできた可愛い娘だったはずなのに。愛したかっただろうな、と悔しく思う。
 父の死にどっぷり浸かっていたせいだろう、展示を眺めていて、初めて「作家がこの絵を何歳のときに描いたのか」に意識を向けた。作家の生没年と作品の制作年を照らし合わせて、これを八〇代で描くのかとか、これを二〇代で描くのかとか、柄にもなくそれぞれの作家の人生に思いを馳せた。三一歳の自分にこれから何ができるか、考えずにいられない。  生きているあいだに、私になにができるだろう。
 初七日の七日目、家族の夫が地元まで会いにきてくれた。父の死についてではなく私の生について話をして、ようやく話して、夫が私の代わりに泣いてくれたので、泣いていいほどの苦しみなんだと初めて知って、私も涙した。  こんな苦しい生を生きていたくないと毎日思う。生は、誰にとってもこんなにも苦しいものなのだろうか。
 
 初七日を終え、翌日の夕方にまた新幹線で東京に戻った。  父の死は、たいしたことではなかったはずだった。感情はとっくに整理されていて、事実を受け入れるのにそう困難はないはずだった。  そのこと自体は誤認ではなかった。いまだ深い悲しみに囚われている母を置き去りにして、私は父の死を摂理として安らかに受け入れた。けれど、肉親の死はたしかに私を生の枷を一つ取り除く出来事であった。  もはや、私の死を悲しむだろう誰かを悲しませないためだけに生きているのだと思い知らされる。次に来る祖母の死は、また私の命綱を一つ切るだろう。その次に来る母の死は、強く太く私を生に結びつけている綱を一つ切るだろう。
 そうして身近な者の死を繰り返し受け入れて、いつか私を繋ぎとめる重石は私を生に繋ぎとめられないくらい軽くなってしまうだろう。  「あなたが悲しむから死なない」という枷が軽くなるごとに、私は自分を軽いものとしてしか扱えなくなるのだろう。これから何十年もかけて、ゆっくりと軽くなってゆく。すっかり軽くなってしまって、この生を手放せる日がくる。それだけが、今の私の、唯一の希望だということが、あまりにも虚しい。
 
父親 https://keredomo.tumblr.com/post/639728309119451136/%E7%88%B6%E8%A6%AA
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hi-majine · 5 years
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おせつ徳三郎 1/2
「番頭さん、まあ、こっちへおはいり。このあいだから折りがあったらおまえに相談しようとおもっていたが……なあに、ほかのことじゃあない。おせつのことさ」 「へえ、どういうことでございましょう?」 「まあ、おまえも知ってるように、あれも小さいときに母親をなくして、わたしが手ひとつでこれまで育ててきたが、もう年ごろだ。どうかいい婿をとって一日も早く孫の顔でもみて安心したいとこうおもってね、みなさんにおねがいしておいたところが、こんど伊勢屋さんからお世話くだすったのはいい男だったね。色白で、鼻すじが通って……これなら、おせつがよろこぶだろうとおもったら、『おとっつあん、ことわってください。あんまり色が白すぎていやらしいじゃあありませんか』とこういうんだ。そこで、色の黒いほうがよごれが目立たなくてよかろうとおもって、こんどは黒いのをみせた。もっともすこし黒すぎるとはおもったがね……すると、『おとっつあん、あのかたは、むこうをむいてるんですか、こっちをむいてるんですか?』というんだ。わが子ながら口のわるいのにおどろいた。いくら色が黒いたって、顔の裏表のわからない人間なんぞありゃあしない。背の高いのをみせれば、日かげのもやしみたいだとか、やせたのをみせれば鶏《とり》のガラみたいだとか、ふとったのをみせれば、おまんまつぶが水がめへおっこったようだとか、いろいろとわがままをいって、いくら見合をしてもはなしがまとまらない。どちらさまもみんなあきれてお世話くださらない。しかたがないからしばらくそのままにしておいた。すると、つい二、三日前、ご近所の若いかたたちのうわさに、店の徳三郎とおせつができているということをちらりと聞いて、いやもうびっくりしてしまった。おまえも店にいてそういうことを聞いているだろうに、かくしていられてはこまるじゃあないか」 「へえ、どうもご心配のことでございますが、わたくしははじめてうかがいましたことで……まさか、ご当家のお嬢さまにかぎってそのようなことはなかろうと存じますが………」 「ふん、おまえも知らないのかい……しかし、火のないところに煙は立たないというからね……それじゃあおまえはまったく知らないのかい?」 「へえ、まったく存じません」 「そんならしかたがないが、もしも、今後そんなうわさを聞いたら知らしておくれよ」 「へえ、承知いたしました」 「それじゃあ店へいっておくれ。そうして小僧にちょっとくるようにいっておくれ、あの定吉に……」 「かしこまりました」 「ああ、定吉か、なんだ、主人の前で突っ立っているやつがありますか。坐んなさい」 「旦那さま、ご用というのは急ぎですか?」 「なんのことだ?」 「いいえ、急ぎならば、このまま立っていて、ご用をうかがってすぐに駆けだしたほうが早いじゃあありませんか」 「小僧のくせに生意気《なまいき》なことをいうんじゃあない。いいから、うしろをしめてそこへ坐んなさい」 「へえ、坐りました。殺さば殺せ」 「だれが殺すといった? さあ、おまえはなぜ主人にものをかくしている?」 「いえ、なにもかくしたりしておりません」 「ないことはない。胸へ手をあててかんがえてみろ。わたしはなにもかも知ってるぞ」 「えっ、ご存知ですか? ……ごめんくださいまし。あれはお店をしまいまして、帳場格子をかたづけようとしましたら、お金がでてきましたので、旦那のところへ持っていかなければいけないとおもいましたが、『もう帳面もしめてしまったから、いまさら旦那のところへ持っていってもつまらない。縁《えん》の下の力持ちというものだ。そんなことをするよりもおすしを買って食べよう』と金どんがいいますから、わたしもそれがよかろうといったんで……」 「なぜそれがよかろうなんていうんだ? わるいやつだ。まだあるだろう?」 「ああ、湯銭の一件ですか? あれはわたしがわるいんじゃないんです。留どんがわるいんです。いっしょに風呂へいったんです。すると番台のおやじがいねむりしてるんです。留どんが『わからないから持ってきな』って……」 「なにを?」 「十銭玉を三つ……いいえ、わたしじゃないんです。留どんがいうもんですから……」 「それじゃあ、まるで泥棒だ」 「まあ早くいえば……」 「おそくいったっておんなじだ。なぜそんなわるいことをするんだ? ほかにもまだかくしてあることがあるはずだ」 「あっ、伊勢屋さんの猫の一件ですか? あれは芳どんがわるいんです。猫の首っ玉へ縄をつけて天水桶へほうりこんだから、わたしがちょいと棒でつっついただけなんで……」 「なぜそんなことをするんだ? いたずらばかりしゃあがる。まだあるだろう?」 「もうなにもございません。もう、これっきりです」 「うそをつけ! おまえがわすれているならいってやろう。この三月、おせつの供《とも》をして向島《むこうじま》へ花見にいったろう?」 「へえ、まいりました。あのときはおもしろうございましたよ」 「そのときのはなしをしろ」 「もうわすれてしまいました」 「こいつ、しらばっくれるな。おもしろかったといいながら、わすれたというやつがあるか」 「……ええ……あのときにはおもしろかったんですが、いまはわすれてしまいました」 「わすれたならおもいだせ」 「どうしてもおもいだせません」 「そうか……おい梅や、ちょっとここへきておくれ。その火鉢のひきだしにもぐさがはいっている。それをみんな盆の上へだしておくれ。それに線香を三本ばかりのせてきておいておくれよ。ああ、それでいい。ごくろうさま。もうおまえは、あっちへいってもいいから……さあ、定吉、子どもがものをわすれるというのは若もうろくだ。それには灸《きゆう》がいちばんいいというから、いま、おまえにすえてやる。これみろ。もぐさがこんなにある。小さな灸をすえたっておもいだせないから、脳天《のうてん》から爪《つま》さきまできくようにかためたやつをすえてやる。さあ、足をだせ」 「ごめんください」 「いいから、足をだせ」 「ごめんくださいまし。そんなに大きなのをすえられたら足へ穴があいてしまいます」 「そうすればおもいだせる」 「ごめんくださいまし」 「いや、いえなければいうな。もうおまえには、年に二度の藪入《やぶい》りの休みもやらないからそうおもえ」 「そんな殺生《せつしよう》な……藪入りのお休みもくれないで、そんな大きなお灸をすえるなんて……」 「これ、泣くほどつらいならなぜいわない? いえば藪入りのほかにも休みをやるし、店の者にないしょで小づかいもあげる。さあ、どっちがいいかかんがえてみろ」 「へえ、すると、いわないと藪入りもだめで、お灸をすえられるんですか?」 「そうだよ」 「いえば藪入りのほかもお休みをくだすって、お小づかいもいただけるんでございますか?」 「そうだよ」 「こりゃあ、たいしたちがいだなあ」 「そうだとも、だからいっちまいな」 「じゃあ、すこしおもいだしましょうか?」 「なんだ、すこしとは……みんなおもいだしな」 「お嬢さんに店の徳どんにばあやさんにわたしと四人でおうちをでましたら、お嬢さんが、『砂ほこりの中を歩くのはいやだから、お舟でいきたいわ』っておっしゃったんで……」 「嬢が舟でいきたいといったのか?」 「その嬢がいいました」 「小僧のくせに、おまえが嬢というやつがあるか」 「へえ……それから柳橋の舟宿に着きました」 「それからどうした?」 「お嬢さんと徳どんが舟宿の二階へあがっちゃったんで、わたしとばあやさんと下で待っていたんですが、ばあやさんとふたりじゃあ色っぽくありません」 「ませたことをいうな……で、嬢と徳はどうした?」 「ええ、すこしたつとおりてきましたが、徳どんがみちがえるようにいい服装《なり》になって……どっかの若旦那みたいになりました」 「ふん、そうか」 「ふん、そうだ」 「まねするな。それからどうした?」 「舟に乗りました。大川へ舟がずっとでまして、 スチャラカチャン、スチャラカチャン、スチャラカチャン……吹けよ川風、あがれよすだれ、中のお客の顔みたや……スチャラカチャン、スチャラカチャン……」 「なんだ、それは?」 「芸者が三味線をひいて歌ったんです」 「芸者なんぞあげたのか?」 「いいえ、これはむこうの舟なんで……」 「むこうの舟なんぞどうでもいい」 「それがよくないんです。むこうの舟もこのはなしにかかわりがあるんですから……」 「どうかかわりがあるんだ?」 「徳どんが、むこうの舟で芸者がさわいでいるのをおもしろそうにながめていますと、お嬢さんが怒りました。『徳や、おまえ、むこうの芸者衆のほうが、わたしよりもいいんでしょ? わたし、くやしいっ』って、お嬢さんが涙をポロポロ……その涙で隅田川の水が急にふえました」 「うそをいえ。で、どうした?」 「あまりのくやしさに、お嬢さんは大川へドブンと……」 「あっ、あぶない! 早くとめてくれ!」 「なに、いまのことじゃありません。三月のはなしなんで……しかし、そのくらいに気をもむてえのも親子の情だ」 「生意気をいうな。とめたのか?」 「ええ、びっくりしてお嬢さんをとめました。そしたら、ばあやさんにしかられました。『おまえなんぞのでる幕じゃあない。そっちへひっこんでおいで』というんです。すると徳どんが『お嬢さん、わたしがわるうございました。もうむこうはかならずみませんから、どうぞごかんべんください』とあやまりました。そうすると、お嬢さんの怒って赤くなった顔がさめてまっ白になって、『じょうだんに怒ったのに、おまえ、そんなに真剣にあやまってはこまるじゃあないか。喧嘩ごっこしてみたのだから……おまえ、かんがえてごらん。女房の前で亭主が手をついてあやまるってのがあるものかね』っていいましたが、お嬢さんは徳どんの女房なんですか?」 「なにをばかなことをいってるんだ……それからどうした?」 「それから舟が向島の四めぐりの土手へ着きました」 「四めぐりというやつがあるか。三めぐりだ」 「一めぐりはおまけ」 「おまけなんぞはいらない。うん、それからどうした?」 「それからお花見をして帰ってきておしまい」 「なんだ、舟が柳橋をでて、向島の三めぐりに着いて、花見をして、それでもうおしまいか?」 「だって、わすれちまったんですもの……」 「わすれたのなら足をだせ。灸をすえてやるから……」 「ごめんください。それじゃあ、もうすこしおもいだします」 「どうした?」 「なんだか舟へ板がかかりました」 「うん、桟橋《さんばし》だ」 「すると、お嬢さんが、『定吉や、おまえさきへおあがり』とおっしゃいましたから、わたしがいちばんさきへあがりました。それから、徳どんがあがって、そのつぎにばあやがあがりました」 「うん、うん」 「ばあやのからだが大きいもんでございますから、板がゆらゆらゆれました」 「そうだろうなあ……で、おまえたちがあがって嬢がいちばん後か?」 「はい、お嬢さんがいちばん後でございました」 「そりゃああぶないなあ」 「ですから、わたしがお嬢さんの手をひっぱろうとすると、また、ばあやにしかられました。『おまえなんかさきに土手へあがってあそんでいればいいんだよ』って……子どもだとおもってばかにしてるんで……徳どんが、『お嬢さん、あぶないから、わたしがお手をおひきしましょう』っていうと、お嬢さんがまっ赤になって、『徳や、おまえならねがったりかなったり』……土手ではばあやがすべったりころんだり……」 「よけいなことをいうな。それから?」 「もうおしまいでございます」 「おしまい?」 「いえ、わすれちまいました」 「足をだせ」 「ごめんなさい。もうすこしおもいだしました」 「よくちびちびおもいだすな」 「くたびれたから、ここらでやすもうと、茶店へ腰をかけました」 「うん」 「お嬢さんが、『定や、きょうは遠慮なくなんでも好きなものをおあがり』とおっしゃいましたから、わたしがいろいろなものをいただきました。ゆでたまごを十三、大福を十八、おせんべいを二十八枚」 「よくそんなに食べられたな」 「へえ、このときとばかり食べまくりました。徳どんはなにを食べてるのかとみていましたら、ゆでたまごを半分食べて、のこりの半分を右手に持ったままひとりごとをいってるんです。『この半分のたまご、大家《たいけ》の若旦那か役者の食べかけなら、だれでもよろこんで食べてくれるだろうけれども、こんなわたしの食べかけだから、だれも食べてはくれない』といってますから、『徳どん、その半分はわたしが食べますよ』と手をだしたら、またばあやさんにしかられました。『なんだねえ、意地のきたない。たまごが食べたければいくらでもそっちのをお食べな。あれ、むこうをみてごらん。隅田川で都鳥が、かっぽれを踊ってるから……』といいますから、そりゃあめずらしいとおもってひょいとみたけれど、都鳥はかっぽれなんぞ踊ってません。それから徳どんのたまごはどうなったかとみると、たまごは行方不明」 「手品つかいじゃああるまいし、そんなに早くたまごがなくなるやつがあるもんか。どうしたい?」 「なんだか知りませんけれども、お嬢さんのほうをみましたら、口のところへ袂《たもと》をあてて、もぐもぐやってるんです。たまごの行方はこれにて一件落着《けんらくちやく》」 「なにをいってるんだ」 「しばらくすると、お嬢さんと徳どんと顔をみあわせて、くすっと笑ってるんです。いくら小僧でもみちゃあいられませんよ。ねえ、おとっつあん」 「なんだ、おとっつあんとは……ふーん、そんなことがあったのか。それでどうした?」 「それでおしまい」 「またおしまいか。よくしまいになるな」 「わすれちまいました」 「わすれたなら足をだせ」 「ごめんなさい。それじゃあもうすこしおもいだします」 「よく切れ切れにおもいだすな。わるいやつだ」 「それから午《うま》の御前さまにおまいりしました」 「向島のは���《うま》の御前じゃあない。牛の御前だ」 「へえ、角《つの》をおとしたんで……」 「よけいなことをいうな。まあ、おまいりとは感心だ」 「お嬢さんが、お賽銭《さいせん》をたくさんあげて、南無妙法蓮華経《なむみようほうれんげきよう》、南無妙法蓮華経とおがみました」 「うん」 「徳どんが南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、南無阿弥陀仏、ばあやがオンガボキャアベーロシャノー……」 「みんなちがうんだな」 「お嬢さんが、『わたしが法華《ほけ》なんだから、みんなも法華にならなくっちゃあいけない。みんなちがうことをいうと、牛の御前の罰があたって牛になるよ』とおっしゃいましたが、牛の御前さまの罰があたると牛になりますか?」 「ああ、なるとも……おまえなんぞうそをつくから、きっと牛になるなあ」 「わたしは牛になったほうがいいんで……」 「どうして?」 「寝ていてご飯《ぜん》が食べられますもの」 「無精《ぶしよう》なことをいうな。それから?」 「それから、お腹がすいたから、ご飯《ぜん》を食べようというんで……」 「よく食うな。いまたまごやなんか食べたばかりじゃあないか」 「へえ……奥の植半《うえはん》という料理屋へいきました」 「植半ならなじみの店だ」 「道理で知ってましたよ。女中さんがでてきて、『おや、お嬢さま、よくおいでくださいました。ばあやさん、ごくろうさま。これは若旦那さまもようこそおいでくださいました。まあ、小僧さんもごいっしょで……』といったときに、わたし、ちょっと気にいらないから、ひとりでさきに帰ろうとおもいました」 「どうしてだ?」 「だって……お嬢さんをお嬢さまっていうのはあたりまえですよ。けれども、徳どんのことを若旦那といって、わたしのことを小僧さんとは……」 「おまえは小僧じゃあないか」 「でも、徳どんを若旦那とよぶんでしょう、せめてわたしのことをお坊っちゃんとかなんとか……」 「そんなきたないお坊っちゃんがあるもんか」 「すぐにお膳がでました。ずいぶんごちそうがでましたよ。吸いものに鯛の塩焼きに、お刺身に酢《す》のもの、うま煮《に》にきんとんなんて……旦那、勘定は安くないでしょうねえ」 「そんなことは、おまえが心配しなくてもいい」 「お嬢さんがくわいのきんとんをわたしにくださいました」 「そりゃあよかったな」 「徳どんもまねしてくれました」 「ふーん」 「ばあやさんはけちだから半分しかくれません」 「たいへんにきんとんをもらったな」 「へえ、いっしょうけんめいにわたしは食べました。もう、のどのところまでつまってしまって、下をむくとでてくるんで……」 「きたないやつだな。でるまで食うやつがあるか」 「それから、お嬢さんがお金をだして、『ばあや、うちへおみやげにするから、長命丸寺へいって桜餅《さくらもち》を買っておいで』とおっしゃいました」 「なんだ、長命丸寺というやつがあるか。長命丸てのは薬の名じゃあないか。あれは長命���だ。門番が桜の葉をひろって、その葉へつつんだのが桜餅のはじめだ。よくおぼえておけ」 「へえ、それから?」 「門へはいると、その桜の木がある。その下に十返舎一九の碑がある。ないそんか腎虚《じんきよ》を我は願うなり、そは百年《ももとせ》も生き延びしのちとあるな。その奥に芭蕉の碑がある。いざさらば雪見に転ぶところまで――これは名代《なだい》の句だ。よくおぼえておけ」 「へえ、それから?」 「あすこへいって桜餅を食べないと、なんだか向島へいったような気分がしないな」 「へえ、それから?」 「それでおしまいだ」 「おしまい? じゃあ足をだせ」 「いうことがあべこべだ。それから、どうした?」 「おやおや、こっちへもどってきた。それじゃあぎりぎり一ぱいというところを申しあげますから……」 「ああ、みんないってしまえ」 「お嬢さんが、『定や、おまえはもう用がないからあそんでおいで』とおっしゃいましたから、わたしは表へあそびにでましたけれども、ひとりでおもしろくありませんからしばらくして帰ってくると、ばあやだけ坐っていて、お嬢さんも徳どんもおりません」 「どうした?」 「ばあやに、『お嬢さんはどうしました?』と聞きましたら、『お嬢さんは、癪《しやく》がおこって奥のお座敷でおやすみになっているよ』というじゃあありませんか。こりゃお家の大事、こうしてはいられないと、わたしが奥へいこうとしましたら、『おまえはいかないでもいい。この癪は徳どんにかぎる』というので、そのときにわたしは、ははあとおもいました」 「なにをなまいきなことをいってるんだ」 「それからないしょでいって、立ち聞きをしてやりました」 「なんといってた?」 「『徳や、おまえはなぜわたしのことをお嬢さん、お嬢さんというのだえ?』『でも、あなたは、ご主人さまのお娘さんだからお嬢さんといいます』『これからはもうそんなことをいわないで、せつやといってくれなけりゃあいやあ』って、ふふん……」 「変な声をだすな。もういい」 「それからね、旦那」 「もういい。おまえのようにぺらぺらしゃべるやつがあるか。よそへいってそんなことをしゃべると承知しないぞ」 「それからね、旦那」 「もういいんだ。うるさい。あっちへいけ」 「だって、旦那がしゃべれとおっしゃったじゃあありませんか。それから、旦那、ちょいとうかがいますがね」 「うるさいな。なにをうかがうんだ?」 「年に二度の藪入《やぶい》りのほかにもおやすみをくれて、お小づかいもくださるというはなしのほうはどうなります?」 「そんなことはどうでもいい」 「じゃあ約束がちがうじゃあありませんか旦那、おい!」 「おいとはなんだ?」  旦那も心配でございますから、番頭を呼んで相談をいたしまして、とにかく徳三郎を店においてはまずいからと、なんともつかず暇《ひま》をだすことになりました。徳三郎は、ひとまずおじのところへひきとられました。
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momijiyama1649 · 5 years
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ざこば・鶴瓶らくごのご お題一覧 1992年    1 過労死・つくし・小錦の脂肪    2 一年生・時短・ニューハーフ    3 レントゲン・混浴・アニマル    4 ゴールデンウイーク・JFK・セクハラ    5 暴走族・かさぶた・バーコード    6 タイガース・母の日・入れ墨    7 目借り時・風呂桶・よだれ    8 しびれ・歯抜け・未婚の娘    9 ヘルニア・目ばちこ・フォークボール    10 造幣局・社員割引・オリンピック    11 父の日・猥褻・丁髷    12 ピエロ・ナメクジ・深爪    13 ミスユニバース・特許・虫さされ    14 魔法使いサリー・祇園祭・円形脱毛症    15 サザエさん・ジャンケン・バーゲンセール    16 ト音記号・北方領土・干瓢    17 妊婦体操・蚊帳・ビヤガーデン    18 身代わり・車だん吉・プラネタリウム    19 床づれ・追っかけ・男の涙    20 海月・肩パット・鶏冠    21 放送禁止用語・お年寄り・ピンポンパン    22 おかま・芋掘り・大人げない    23 復活・憧れ・食い逃げ    24 蒲鉾・風は旅人・半尻    25 泉ピン子・ヘルメット・クリーニング    26 美人姉妹・河童・合格    27 スカート捲り・ケツカッチン・秋の虫    28 チンパンジー・フォークダンス・いなりずし    29 稲刈り・小麦粉・フランス人    30 日本シリーズ・鶴瓶・落葉    31 クロスカウンター・学園祭・タクシー    32 付け睫毛・褌ペアー誕生・ツアーコンダクター    33 泣きみそ・ボーナス一括払い・ぎゅうぎゅう詰め    34 静電気・孝行娘・ホノルルマラソン    35 暴れん坊将軍・モスラ・久留米餅 1993年    36 栗きんとん・鶴・朝丸    37 成人式・ヤクルトミルミル・まんまんちゃんあん    38 夫婦善哉・歯磨き粉・夜更かし    39 金の鯱・オーディション・チャリティーオークション    40 ひ孫・いかりや長介・掃除機    41 北京原人・お味噌汁・雪祭り    42 視力検査・フレアースカート・美術館めぐり    43 矢鴨・植毛・うまいもんはうまい    44 卒業式・美人・転た寝    45 らくごのご・浅蜊の酒蒸し・ハットリ君    46 コレラ・さぶいぼ・お花見    47 パンツ泥棒・オキシドール・上岡龍太郎    48 番台・ボランティア・健忘症    49 長嶋監督・割引債・厄年    50 指パッチン・葉桜・ポールマッカートニー    51 同級生・竹輪・ホモ    52 破れた靴下・海上コンテナ・日本庭園    53 シルバーシート・十二単衣・筍    54 ぶんぷく茶釜・結納・横山ノック    55 睡眠不足・紫陽花・厄介者    56 平成教育委員会・有給休暇・馬耳東風    57 生欠伸・枕・短気は損気    58 雨蛙・脱税・右肩脱臼    59 鮪・教育実習・嘘つき    60 天の川・女子短期大学・冷やし中華    61 東京特許許可局・落雷・蚊とり線香    62 真夜中の屁・プロポーズ・水戸黄門諸国漫遊    63 五条坂陶器祭・空中庭園・雷    64 目玉親父・恐竜・熱帯夜    65 深夜徘徊・パンツ・宮参り    66 美少女戦士セーラームーン・盆踊り・素麺つゆ    67 水浴び・丸坊主・早口言葉    68 桃栗三年柿八年・中耳炎・網タイツ    69 釣瓶落とし・サゲ・一卵性双生児    70 台風の目・幸・ラグビー    71 年下の男の子・宝くじ・松茸狩り    72 関西弁・肉まんあんまん・盗塁王    73 新婚初夜・サボテン・高みの見物    74 パナコランで肩こらん・秋鯖・知恵    75 禁煙・お茶どすがな・銀幕    76 ラクロス・姥捨山・就職浪人    77 掛軸・瀬戸大橋・二回目    78 海外留学・逆児・マスターズトーナメント    79 バットマン・戴帽式・フライングスポーツシューター    80 法螺貝・コロッケ・ウルグアイラウンド    81 明治大正昭和平成・武士道・チゲ鍋 1994年    82 アイルトンセナ・正月特番・蟹鋤    83 豚キムチ・過疎対策・安物買いの銭失い    84 合格祈願・パーソナルコンピューター・年女    85 一途・血便・太鼓橋    86 告白・ラーメン定食・鬼は外、福は内    87 カラー軍手・放火・卸売市場    88 パピヨン・所得税減税・幕間    89 二十四・Jリーグ・大雪    90 動物苛め・下市温泉秋津荘・ボンタンアメ    91 雪見酒・アメダス・六十歳    92 座蒲団・蛸焼・引越し    93 米寿の祝・外人さん・コチョコチョ    94 談合・太極拳・花便り    95 猫の盛り・二日酔・タイ米    96 赤切符・キューピー・入社式    97 リストラ・龍神伝説・空巣    98 人間喞筒・版画・単身赴任    99 コッペン・定年退職・ハンドボール    100 百回記念・扇子・唐辛子    101 ビクターの手拭い・カーネーション・鉄腕アトム    102 自転車泥棒・見猿言わ猿聞か猿・トマト    103 紫陽花寺・豚骨スープ・阪神優勝    104 三角定規・黒帯・泥棒根性    105 横浜銀蝿・他人のふり・安産祈願    106 月下美人・フィラデルフィア・大山椒魚    107 鯨・親知らず・ピンクの蝿叩き    108 蛍狩・玉子丼・ウィンブルドン    109 西部劇・トップレス・レバー    110 流し素麺・目高の交尾・向日葵    111 河童の皿・コロンビア・内定通知    112 防災頭巾・電気按摩・双子    113 河内音頭・跡取り息子・蛸焼パーティ    114 骨髄バンク・銀杏並木・芋名月    115 秋桜・ぁ結婚式・電動の車椅子    116 運動会・松茸御飯・石焼芋    117 サンデーズサンのカキフライ・休日出勤・ウーパールーパー    118 浮石・カクテル・彼氏募集中    119 涙の解剖実習・就職難・釣瓶落し    120 ノーベル賞・めちゃ旨・台風1号    121 大草原・食い込みパンツ・歯科技工士    122 助けてドラえもん・米沢牛・寿貧乏    123 祭・借金・パンチ佐藤引退    124 山乃芋・泥鰌掬い・吊し柿    125 不合格通知・九州場所・ピラミッドパワー    126 紅葉渋滞・再チャレンジ・日本の伝統    127 臨時収入・邪魔者・大掃除    128 アラファト議長・正月映画封切り・ピンクのモーツァルト 1995年    129 御節・達磨ストーブ・再就職    130 晴着・新春シャンソンショー・瞼の母    131 家政婦・卒業論文・酔っ払い    132 姦し娘・如月・使い捨て懐炉    133 立春・インドネシア・大正琴全国大会    134 卒業旅行・招待状・引っ手繰り    135 モンブラン・和製英語・和風吸血鬼    136 確定申告・侘助・青春時代    137 点字ブロック・新入社員・玉筋魚の新子    138 祭と女で三十年・櫻咲く・御神酒徳利    139 茶髪・緊張と緩和・来なかったお父さん    140 痔・恋女房・月の法善寺横丁    141 ひばり館・阿亀鸚哥・染み    142 初めてのチュー・豆御飯・鶴瓶の女たらし    143 アデランス・いてまえだへん(いてまえ打線)・クラス替え    144 長男の嫁・足痺れ・銅鑼焼    145 新知事・つるや食堂・南無阿弥陀仏    146 もぐりん・五月病・石楠花の花    147 音痴・赤いちゃんちゃんこ・野崎詣り    148 酒は百薬の長・お地蔵さん・可愛いベイビー    149 山菜取り・絶好調・ポラロイドカメラ    150 お父さんありがとう・舟歌・一日一善    151 出発進行・夢をかたちに・ピンセット    152 ホタテマン・深夜放送・FMラジオ    153 アトピッ子・結婚披露宴の二次会・おさげ    154 初産・紫陽花の花・川藤出さんかい    155 ビーチバレー・轆轤首・上方芸能    156 ワイキキデート・鹿煎餅・一家団欒    157 但空・高所恐怖症・合唱コンクール    158 中村監督・水着の跡・進め落語少年    159 通信教育・遠距離恋愛・ダイエット    160 華麗なる変身・遠赤ブレスレット・夏の火遊び    161 親子二代・垢擦り・筏下り    162 鮪漁船・新築祝・入れ歯    163 泣き虫、笑い虫・甚兵衛鮫・新妻参上    164 オペラ座の怪人・トルネード・ハイオクガソリン    165 小手面胴・裏のお婆ちゃん・ガングリオン    166 栗拾い・天国と地獄・芋雑炊    167 夜汽車・鳩饅頭・スシ食いねぇ!    168 長便所・大ファン・腓返り    169 美人勢揃い・雨戸・大江健三郎    170 親守・巻き舌・結婚おめでとう    171 乳首・ポン酢・ファッションショー    172 仮装パーティー・ぎっくり腰・夜更し    173 ギブス・当選発表��ちゃった祭    174 超氷河期・平等院・猪鹿蝶    175 コーラス・靴泥棒・胃拡張    176 誕生日・闘病生活・心機一転    177 毒蜘蛛・国際結婚・世間体 1996年    178 シナ婆ちゃん・有給休暇・免停    179 三姉妹・バリ・総辞職    180 家庭菜園・ピンクレディーメドレー・国家試験    181 ほっけ・欠陥商品・黒タイツ    182 内股・シャッターチャンス・金剛登山    183 嘘つき娘・再出発・神学部    184 金柑・恋の奴隷・ミッキーマウス    185 露天風呂・部員募集・ぞろ目    186 でんでん太鼓・ちゃんこ鍋・脳腫瘍    187 夢心地・旅の母・ペアウオッチ    188 (不明につき空欄)    189 福寿草・和気藹々・社交ダンス    190 奢り・貧乏・男便所    191 八十四歳・奥さんパワー・初心忘るべからず    192 お花見・無駄毛・プラチナ    193 粒揃い・高野山・十分の一    194 おぃ鬼太郎・シュークリーム・小室哲哉    195 くさい足・オリーブ・いやいや    196 ダイエットテープ・北京故宮展・細雪    197 若い季節・自動両替機・糞ころがし    198 おやじのパソコン・なみはや国体・紙婚式    199 降灰袋・ハンブルグ・乳首マッサージ    200 雪見酒・臭い足・貧乏・タイ米・コチョコチョ・雷・明治大正昭和平成・上岡龍太郎・お茶どすがな・トップレス(総集編、10題リレー落語)    201 夫婦喧嘩・川下り・取越し苦労    202 横綱・占い研究部・日本のへそ    203 マオカラー・海の日・息継ぎ    204 カモメール・モアイ・子供の事情    205 ありがとさん・文武両道・梅雨明け    206 団扇・ボーナス定期・芸の道    207 宅配・入道雲・草叢    208 回転木馬・大文字・献血    209 寝茣蓙・メロンパン・初孫    210 方向音痴・家鴨・非売品    211 年金生活・女子高生・ロングブーツ    212 エキストラ・デカンショ祭・トイレトレーニング    213 行けず後家・オーロラ・瓜二つ    214 金婚式・月光仮面・ロックンローラー    215 孫・有頂天・狸    216 雪女・携帯電話・交代制勤務    217 赤いバスローブ・スイミング・おでこ    218 参勤交代・ケーブルカー・七人兄弟    219 秋雨前線・腹八分・シルバーシート    220 関東煮・年賀葉書・学童保育    221 バンコク・七五三・鼻血    222 ホルモン焼き・男襦袢・学園祭
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kachoushi · 3 years
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星辰選集
花鳥誌 令和3年3月号
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令和2年12月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば、その号における珠玉の俳句ということになります。
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空蟬や南無も讃歌も身のうちに 天野 かおり 裏側に暗黒をもつ日傘かな 髙橋 晁史 黒き背を軋ます鯉や池の秋 岩佐 季凜 新盆の母に故郷の口説唄 江本 由紀子 琵琶の音をたどれば前の世の月夜 平山 きみよ 蟬の穴侍らせ鰹塚でんと 松井 秋尚 瓢の笛聞こゆる峠去来塚 吉田 志津子 月の雨船場名残の常夜灯 伊藤 ひとみ
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たまのをや誰にみせよか島暮し 安原 さえこ 路地裏に伏せし盥や秋暑し 佐藤ゆう子 夏蝶の歌垣飛騨の稜線に 馬場 省吾 秋日傘幽雅に交はし戸定邸 田辺 て津子 大空に一太刀浴びせ星流る 山崎 肆子 走り根を終の褥に秋の蟬 西村 史子 まちがひをゆるしてしまふ秋桜 小林 含香 泊らずに帰る息子や十三夜 関 とし江
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蟷螂の眼に星雲の翳沈む 松村 健一郎 朝倉の古井戸のぞく秋の声 四本木 ただし 口笛の夜を流れ来て夏果つる 渡辺 幸子 遺骨待つただそれだけの盂蘭盆会 多田 みす枝 のぞく子の目玉の映る金魚玉 水島 直光 女装せし男踊りし風の盆 山岸 世詩明 鶏頭を滾らせ畑の入日かな 鍜治屋 都 氷川丸入道雲に包まれて 小川 みゆき
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曼荼羅の諸仏散らして銀河濃し 小川 笙力 露草の風貌まさに哲学者 近藤 数幸 大胆なカットの水着似合ふ腰 加藤 清美 鬼やんま兄に惜しげに触らせて 岩原 磁利 化身めくおはぐろ蜻蛉姫塚へ 蟹江 紅水 鈴虫の墓に十字架園児去る 鈴木 経彦 ゆくりなく女と生まれ天の川 渡辺 美穂 露の夜は編上げの紐結ふごとし 田中 惠介
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水をくれムンクの叫び原爆忌 田上 喜和 蟻の列ラベルのボレロまだつづく 上嶋 昭子 月光の真つ直中に寝てをりぬ 坂井 令子 墓参軍医の叔父と鴎外と 久米 令子 サングラス婆三人の高笑ひ 森村 ふじ穂 指一本瀕死の蟬の死を醒ます 平出 紀花 原爆忌こころに消えぬ襞の数 太宰 裕四郎 大寺の黙の砌や生身魂 草刈 幸風
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曼珠沙華地下に太古の屍あり 加納 佑天 ひぐらしや電車は帰る人乗せて 伊藤 裕章 ニングルの森に木の実の細工店 吉田 美智子 太極拳師匠ばかりに蚊がまとふ 片山 七三子 映像に合はす黙祷終戦日 舩上 照江 昼顔や鮭の番屋に羆来て 永井 清晴 なんと元気な赤を尖らせ唐辛子 髙田 栄子 終戦日一男優の死すを聞く 髙畑 和子
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星月夜弘田三枝子の歌を聞き 𠮷田 光子 逆転勝利抱き合ふ児等の夏終る 鵜養 れい 台風に哂されてをり観世音 岩田 好松 廃船のロープに網に秋の風 植村 富美枝 海辺にて繕ふ魚網柏翠忌 水野 よみ子 豆腐屋の喇叭が通る柏翠忌 山田 あき子 会ひに行く見返り阿弥陀柏翠忌 加藤 美智子 虚子の泣く母娘の踊り柏翠忌 古賀 睦子
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kengokakiuchi · 4 years
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和歌の浦
休暇の過ごし方が下手だ、と思う。
勤務先の会社は、7日連続の休暇を年に1度とることができる。7日というのはなかなか微妙な時間で、たいがいの場所にはいけるが、そう大層なことはできない。『ユリシーズ』 は何とか読めるが、『夜明け前』 だと少し難しい。そういう時間だ。
ぼくの今年度のそれは、友人の結婚式でソウルに行き、式後は韓国の寺を回ったりしようと思っていた。が、それがはじけた。そして、困った。
 
賢明な人なら、そこからなんとでも代案をこしらえて、7日間の休暇にふさわしいプランを実行に移し、また日々のサイクルに戻っていく。すなわち、「全き休暇」 を完遂できるだろう。休暇を上手に過ごせる人は、それだけで自分よりも優れた人だと思う。ぼくにはそういうことができない。なんというか、生きるスキルが低いんだろう。
 
そんなぼくが、一つだけまともな案を思いついた。
「どこか」へ「行く」ことでなく、「だれか」に「会う」ことを目的にすれば、なんとか形が付くのではないか――。その思いつきは、リスケができない自分の愚かさへの自責を少し軽くしてくれた。そして、Mさんに会いにいくことを思い立った。そうだ、そうしよう、それさえできればいい。
 
Mさんは6年ほど付き合いのある、40ほど年上の友人で、ここ2年半ほど会っていなかった。
 
彼との出会いは、彼がN町の教育長として進めていた図書館改革の勉強会を取材したときだった。打ち上げの席でマグロをつつきながら、その場の雰囲気に思わずぼくが「小津みたいな絵やなあ」とこぼした。すると隣の席から目をひんむいて「なんや小津て、小津安二郎のことか? あんた小津好きなんか。歳いくつや?」と咆哮しながら迫ってきたのがMさんだった。 
彼は『秋刀魚の味』が一番好きらしく、軍隊時代の上官だった笠智衆と再会した加藤大介が、行きつけのバーで軍艦マーチを聞くシーンについて熱っぽく語り始めた。ママ役の岸田今日子に対して加藤が「こうじゃない、こうっ!」と、敬礼の手の角度を指摘する場面に触れ、「あれはなんでああいうてるかわかるか? 彼らは海軍やろ。狭い艦内で敬礼するときにはああせなあかんねん」と言って、ガハハと笑った。Mさんは酔うと豪放磊落なおやじになる。「昭和の役人」という言葉がぴたりとはまる、気さくな紳士だった。
そこからは転がる石で、仕事の話から文学の話まで、二人でよく飲みに行きながら話すようになった。
 
Mさんは元和歌山県の職員で、最後は危機管理監まで務めた人だった。退職後、県内の一部上場企業の役員として再就職したのち、手腕が乞われてN町の教育長として再び行政に戻ってきた。都会に住む人には分からないかもしれないが、県の幹部というのは、その土地土地ではちょっとした権威である。Mさんは地元の旧制高校を卒業し、一流大学を出て県に入庁し、幹部まで上り詰めた、いわば由緒正しき地方人だった。そればかりか、彼は紀伊半島の南端から十三まで片道3時間かけて毎週末キアロスタミの連続上映を観に行き、その感想を熱っぽく語ってくるような粋人でもあった。彼は、世間知らずのぼくが初めて触れた社会的な、しかも最良の大人だった。
ぼくが南紀の新聞社に就職したのが、Mさんの教育長着任の約半年後。あらゆる権威から無縁なぼくとMさんは、外面上はアンバランスな関係だったが、われわれはどこか孤島で同士に会ったようなよろこびでつながっていたように思う。
 
Mさんは3年前、N町の町長選挙に出馬し、現職をダブルスコア以上の差で破って当選した。町政が混乱を極めていたN町で、反町長派に推されて出馬することになったのだった。
会社を辞め、次の職場を探しながら遊んでいたぼくは、彼の選挙を手伝った。
取材や飲みを通じて彼の政治的な主張をよく知っていたぼくにMさんは、広報紙の編集を依頼してきた。彼の経歴や政策、これまでのN町での仕事をまとめ、推薦人を取材して声を集めた。その中で、ぼくのちょっとしたこだわりから「Mの好きなもの」という欄も設けた。彼の趣味は、何より雄弁にその人となりを示してくれると思ったからだ。10ある項目には、政治家「後藤田正晴」、小説『三四郎』といった「らしいチョイス」が並び、そしてそこにはもちろん、あの『秋刀魚の味』も入っていた。
この広報紙を、Mさんはいたく気にいってくれたし、有権者の評判もよかった。自分でもいいものになったと思い、少しは恩返しができたような気がした。
 
公示日の少し前、2人で飲んでいたとき、Mさんは急に神妙な顔付きになり、語り出した。
「ぼくはな、最後はやっぱり公の仕事をしたいと思ってたんや。なんの因果か、縁あってここに来た。いまはこれが使命やったんやと思う」
 
選挙が近づくにつれ、Mさんの言葉に強い覚悟がにじんでくるのを感じていた。
M町長は和歌山でも有数の首長になる。そう確信して、ぼくはその土地を離れ、遠く離れた土地のいまの会社に就職した。
 
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
Mさんに会いにいくことを思いついたぼくは、さっそく妻のYさんにメールをした。
 
「Mさま
ご無沙汰しております。
和歌山でお世話になりました垣内です。
 
いきなりのご連絡、恐縮に存じます。
不肖わたくしは、Mさんのご訃報を受けてからこの方、ずっと心の底でやるせ無い想いを抱いておりました。
仕事という俗事を理由に、いまだ線香の一本も上げれていない不義理を恥じ続けてきました。
この度、休暇を取得して関西に帰ります。
つきましては、Mさんにご挨拶をさせていただければと思い連絡させていただきました。
 
手前勝手で恐縮ですが、
こちらは〓~〓日が空いております。
もしご都合よろしい日があれば、ご自宅にお邪魔させていただけませんか。
 
不躾なお願いで恐縮ですが、
重ね重ね、よろしくお願い申し上げます。
 
ひとまず。
垣内拝」
 
 
すぐに丁寧な返事が来て、会っていただけることになった。
少し肩の荷が降りたように感じたのと同時に、急に緊張が高まってくるのを感じた。
どんな風にMさんと向き合えるのか、自分で皆目見当がつかなかったからだ。
 
YさんはMさんの自慢の妻で、酔うと必ず「いまからYちゃんに電話する」と言って携帯を取り出した。高校の1級下の後輩で、演劇部のマドンナだった彼女をMさんは、結婚40年以上たっても誇りに思っていた。N町にはMさんが単身赴任だったため、直接会う機会がなかったが、選挙の際に初めてお会いして二度話したことがあった。Yさんは噂にたがわぬ美人で、特に優しさと芯の強さが同居した目の美しさが印象的な方だった。
 
和歌山駅で待ち合わせたYさんは、ぼくの知っている姿よりも小さく、老いて見えた。
その変化に、彼女が背負い乗り越えようとしてきた、あまりにも残酷な歳月を思った。
「このあたりは空襲で焼けてないんです。せやからずいぶんと道が狭いでしょう」。自宅までの道すがら、関西弁を煮詰めたような和歌山の人独特の言葉で話してくれた。その声に、自分が確かにMさんに近づいているのを感じながら、しばらく車に揺られた。
 
和歌山市の自宅に伺うのは今回が初めてだった。Mさんの実家であるそのお宅は、昔の農家を絵に描いたような作りで、思っていたよりずいぶんとつつましい暮らしがそこから想像できた。
そして、土間を上がって左手にある仏間で、ぼくとMさんは久しぶりに「再会」した。
 
Mさんは、当選して2日後に日赤病院へ駆け込んだ。準備から含め、半年間。狭い町内を東奔西走した彼の肺は、取り返しがつかないほどむしばまれていたのだった。近しい人からその話を聞いて、ぼくは言葉を失った。もともと肺の一部を除去していて、すぐに息が上がるのを知っていたが、選挙戦の激務は、彼の体に耐えられるものではなかった。
当時のぼくは転職活動をはじめ、個人的な問題を抱えていて、どうにも動くことができずにいた。もとより自分にできることなど何もなかったが、それでも何かすべきことがあるのではないかという思いを抱えながら、関わりを持てずにいた。
 
それから2年半。仏前に掲げられたMさんの遺影は、広報紙の表紙用にぼくが撮った写真だった。
その写真は補陀落の海を見下ろす山頂にある、阿弥陀寺という寺で撮影した。笑っているのかどうか判然としない細めた目がMさんらしい笑顔となり、空と海が溶け合うような真っ青な背景に映えている。そこは、彼が好きな場所だった。
亡くなる少し前に、Yさんから「あの写真を遺影に使いたいので送ってほしい。私も夫もあれが一番ええ写真やなあと話してたんです」と連絡があった。
あの写真が、「遺影」に変わる。
これから訪れる喪失が、いったいどれだけ大きなものになるのか――。暗闇に命綱を垂らすような思いで、ぼくはその写真をYさんに送った。
 
仏壇の前に座り、その遺影を手に取った。
すると自然に、亡くなる1月ほど前、Mさんが病床からくれた電話が思い出された。
 
「ええとこに入れたなあ。おめでとう。やっぱりこっちと全然ちゃうやろ!」
「はよ治してこっちで飲みましょ。それだけがぼくの楽しみなんですから」
「ほんまやなあ。町にもだいぶ迷惑かけて、はよ戻ってしっかりせなあかん思てるんや。病院いるとな、あれしたいこれはこうできるというアイデアがいっぱい湧いてくるんや」
「絶対約束ですよ。ほんまに治してください」
 
何度も繰り返し反芻した最後の会話。
その声がありありと聞こえてくるように思え、手と体が震えた。大きな人だった、と思った。
 
Yさんが「せっかく来てくれはったので、ちょっとドライブにでもいきましょか?」と誘ってくれた。車から見る和歌山の街は、昭和末期の姿のまま寝そべっているように見えた。そしてそのことが、ぼくを妙にあたたかい気持ちにさせてくれた。2人がここで育って、ここで生きた。その手ごたえが確かめられるようだった。
連れていってくれたのは、和歌の浦だった。はじめて来たそこは、夕日に染まっていた。
陽が明るく、強い。紀州に来た、と思った。
 
Mさんは教育長の頃からよく、「かきうっちゃん、ぼくはなあ、時間ができたら、『源氏物語』と大佛次郎の『天皇の世紀』を通して読みたいんや」と言っていた。そういう人だった。
「うらやましいなあ。いまならなんぼでも読めますねえ」
あの海を見たぼくにはいま、そんな戯言が浮かんでくる。
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oniwastagram · 4 years
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\おにわさん更新情報📸/ ‪[ 茨城県石岡市 ] 大覚寺庭園 Daikaku-ji Temple Garden, Ishioka, Ibaraki の写真・記事を更新しました。 ーー浄土真宗宗祖 #親鸞 も訪れた“親鸞聖人法難の遺跡”に残る、池泉回遊式庭園”裏見無しの庭”。石岡市指定名勝。 ・・・・・・・・ 昨日の東本願寺・渉成園から #浄土真宗 親鸞繋がりで。 板敷山 大覚寺は浄土真宗の宗祖 #親鸞聖人 も訪れ“親鸞聖人法難の遺跡”として伝わる寺院。 京都の『天龍寺庭園』、『桂離宮』を模して江戸時代に作庭されたと伝わる #池泉回遊式庭園 “裏見無しの庭”は #石岡市指定名勝 となっています。 個人的に…関東を離れる前に無性に行きたくなって行った庭園の一つ。 「素晴らしい」と聞いていたというより、茨城県の市町村レベルでの #文化財庭園 ってあまり無くって…数少ないそれがここだったという理由。 アクセスがまた微妙なのが行きたい気持ちをより掻き立てて…常磐線の #羽鳥駅 から路線バス🚌が出ているのですが、約30分間乗った先の路線の終点で石岡市の最北端(桜川市との境)。 最寄駅は水戸線の駅なんだけど距離にして6kmあるので歩いて行くのは不可能。どちらでも行きづらい… 結果、笠間でレンタサイクルして片道14km走ってこのお寺に🚲 一体なぜ市の名勝にこんなに必死になってるのかと…自転車を漕ぎながら思ったりした9月のまだ35度近くあった残暑の日でした。 大覚寺の創建は鎌倉時代。#後鳥羽上皇 の第3皇子・正懐親王は比叡山で出家し、#周観大覚 と名乗り東国を行脚👨‍🦲 その折にこの板敷山⛰の南麓に草庵を結び「大覚 阿弥陀堂」と名付けたのがお寺のはじまりとされます。 その頃親鸞も東国に布教に訪れ、周観大覚は大覚寺から程近く(…って言っても近くないけど笠間との中間点ぐらいにある)『稲田御坊』で親鸞聖人と出会い、“善性房鸞英”という名で親鸞の法弟にとなりました。 そんな縁から親鸞自身も板敷山に訪れました。 この地が“親鸞聖人法難の遺跡”と言われるのは当地の山伏 #弁円 👺がアンチ親鸞で彼の命を狙ったため🔪 結果的には弁円が親鸞に帰依することになり、更にはその後大覚寺の建立にも携わったそう。 茨城県指定有形文化財の「弥陀名号」は法然上人の書を親鸞聖人の第一夫人・恵信尼が刺繍されたものだそうで、本堂には親鸞聖人の像が安置されています。 そんな由緒あるお寺なので、現代においてはアクセスは良くないけど堂宇も立派だし山門から本堂までの距離も境内が広かったことを感じさせる。 書院の前に広がるのが池泉回遊式庭園“裏見なしの庭”。これは回遊式庭園として「どの方向から見ても美しい」ということで名付けられた説と――『一度は親鸞の命を狙った弁円が、結果的に親鸞に帰依した』ことから“恨み無し”と言われたという説も。 桂離宮を模した――と言われてもピンと来ないけど、『天龍寺に影響を受けた』のは分からないでもない。ミニ曹源池庭園。 茨城県の江戸時代以前の庭園と言えばなんと言っても『偕楽園』。水戸徳川家も存在感はあったはずだし、神社で言えば笠間稲荷や鹿島神宮、香取神宮⛩などがあるけれど、古いお寺の庭園って情報がないんですよね… その中でここは貴重な存在であり、天龍寺や桂離宮に影響を受けた――と評される=京の庭園文化が入ってきていたという話は興味深い。他にも茨城の寺院の古庭園が無いか、今後も調べて訪れたい。 〜〜〜〜〜〜〜〜 ‪🔗おにわさん記事URL:‬ https://oniwa.garden/daikakuji-temple-ishioka-%e5%a4%a7%e8%a6%9a%e5%af%ba%e5%ba%ad%e5%9c%92/ ーーーーーーーー ‪#庭園 #日本庭園 ‪#garden #japanesegarden #japanesegardens #zengarden #石岡 #石岡市 #ishioka #桜川 #sakuragawa #茨城 #茨城県 #ibaragi #茨城寺院 #寺社仏閣 #temple #shinran #おにわさん (浄土真宗本願寺派 板敷山大覚寺) https://www.instagram.com/p/B6CIqxOAzVn/?igshid=niw3ndkyy1fp
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abouttetsukuzu · 5 years
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一遍と踊り念仏
一遍と踊り念仏 冨田粥
1. 一遍  一遍は鎌倉時代中期の僧侶である。  彼は現在の愛媛県道後温泉にて、河野通広の次男として生まれた。10歳のときに実母を亡くし、出家する。13歳のときには太宰府へ移り、法然の系譜を引く浄土宗西山派・聖逹上人のもとで修行を行なった。  一遍が25歳のときに父・通広が亡くなると、彼は伊予に戻り、そのまま妻をもつ。いわゆる還俗である。が、完全に還俗したわけではなく、頭は丸めたままだった。彼にはふたりの妻がいた。ふたりの妻と、その子供がいた。河野家は承久の乱で朝廷方についていたため、一族は没落の一途をたどっており、親戚同士での土地を巡った争いがすでに始まっていた。一遍は子供と輪鼓で遊んでいた。輪鼓は力を加えて回さなければ回らない。地面に落ちればその回転を止める。彼はその回転に六道輪廻をめぐる自身を重ねる。俗世で暮らすことこそが、自身が六道を巡る原因なのではないか、それをやめることで往生できるのではないか、と。
 そうして彼は再び出家し、長野県にある善光寺へと向かう。32、3歳の頃だった。一遍は善光寺である一枚の絵を写していた。その絵が「二河白道図」と呼ばれるものだった。絵に描かれるのは火河と水河の間に伸びる白く細い道で、火河は「怒り・憎しみ」を、水河は「こだわり・貪り」を表す。白道は南無阿弥陀仏を唱える清い心を指し、今ここで死ぬあるいはその覚悟がないのであれば、一心に南無阿弥陀仏を念ずることでしか往生できないというものだ。  一遍はこの絵を伊予国の窪寺に構えた閑室に掛け、そこで約3年間、念仏をひたすらに唱えて過ごしたという。彼はそこで、己心領解の法門「十一不二頌」を掲げ、自らを「一遍」と名乗る。時間的にも空間的にも離れた阿弥陀と衆生が念仏「南無阿弥陀仏」の6字によって平等に包括され一体となった世界を一遍は理想としていた。  彼はその後、修行をそれまでともにしていた聖戒と別れ、妻・超一とその子・超二、そして従者の念仏房とともに四天王寺、熊野本宮へと向かう。一遍はすれ違う老若男女に念仏札を配りながら、熊野の険しい道を歩んだ。そこで彼はある僧と出会う。いつものように僧に念仏札を渡そうとすると、僧は「いま信心が起こらない。信じることができていないのに札を受け取れば妄語の罪を犯すことになる」と札の受け取りを拒否する。一遍は「信心起こらずともうけ給へ」と半ば無理やり札をその僧に渡したが、同時に自身がこれまで行ってきた賦算に疑念を抱く。賦算によって衆生を導こうとしてきたのは間違いだったのか。そうしたしこりを残しながら、熊野へ詣でたとき、一遍は熊野権化の託宣を受ける。  衆生は一遍の勧進によって往生するのではない。念仏によってすべての者は往生するとすでに定まっているのだから、その者の浄不浄や信心に関わらず、ひたすら南無阿弥陀仏を唱え、念仏札を配ればよい。託宣はそういった内容のものだった。  一遍は熊野詣でを経て、より他力本願の念を強め、また、超一・超二らに別れを告げる。それから4年ほど、彼は一人で九州遊行を行なった。家はもちろんなく、ぼろぼろの服で野宿の寒さに耐え、食事も満足にとれはしなかった。そこまでして一遍が「捨てる」ことを行なっていたのは、上根・中根・下根のうち、自身は下根の者であると考えていたからだった。上根・中根・下根というのは、仏道における精神の素質を表すものであり、下根の者はすべてを捨てなくては往生できない。  また、衣食住への執着は三悪道に繋がるとも考えていた。彼は、世を捨て、身を捨て、さらにその捨てようという心さえ捨てた。そうしてすべてを捨てたとき、彼に訪れたのは静かな安らぎであった。一遍はそのような心境で、下記のような「自分を捨て、捨てようという心も捨てれば、もう何もこの世のなかに未練はない」という和歌を詠んでいる。 身をすつる すつる心を すてつれば おもひなき世に すみぞめの袖  一遍が九州を遊行していたのはちょうど元寇があった頃だった。彼はここで豊後国の大友兵庫頭頼泰に歓迎され、教えを説いていた。その際、真教という弟子をはじめとした幾人かの門弟を受け入れる。一遍は自身の弟子を「時衆」と呼び、彼らを引き連れ遊行を続けた。  時衆の中には尼も多くいた。というより、むしろ尼の方が多かった。一遍は、還俗していた頃にもった二人の妻の諍いを恐れ、しかし、再出家後にはその二人の妻のうち片方とその子供を同行させていた。前述の通り、一遍は熊野権現の託宣を受けたのち、その妻子にも別れを告げることにはなる。一遍がその別れにどれほどの思いを抱いていたかは定かではないが、尼を拒むことがなかったのは、そうした経緯や熊野権現の「浄不浄にかかわらず念仏札を配れ」という託宣があったからだ、ともいわれる。また、一遍は当時、不治の病とされていた癩病の患者をも拒むことがなかったという。癩病患者は「がきやみ」と呼ばれ差別されていたが、彼らを時衆に迎え入れたのも先の熊野権現の言葉があったからであろう。  その後、伊予国、信濃国、下野国などを通りながら、一行は鎌倉を目指した。踊り念仏がおこなわれるようになったのもこの頃とされている。郊外にも関わらず、彼らが念仏を称えるところへ人々が多く押し寄せた鎌倉での遊行を終えた一行は、東海道での遊行を経たのち、京都でも貴賎に関わらず多くの人々から歓迎を受け、人気を博していった。  その後、山陰でも遊行を行い、死期を前にした一遍は生まれの地四国へと再び帰る。彼は自身の経典などを自らの手で焼き捨て、本心から念仏を唱えるよう弟子らに遺言を残す。「捨てる」こと、念仏をひたすらに称えることを強く示し、51歳のときに一遍は息を引き取った。厳しい遊行による過労と栄養失調が死因と言われている。
2. 踊り念仏  踊り念仏自体は、一遍が始める以前から民衆の間に存在したものと民俗学者の五来重は考えている。平安時代中期の僧���空也も踊り念仏をおこなったとされ、一遍は空也にならって踊り念仏をおこなったともいわれる。  さて、一遍が踊り念仏を始めた場所として信州を先に挙げたが、詳しい場所に関しては二つの説がある。  善光寺への道をともにし、「臨終の際にふたたび会おう」と一遍から���束され別れた聖戒が記した『一遍聖絵』においては、1297年末に信州佐久郡小田切の里にて、念仏往生を願う武士の屋敷で念仏を称えた際に始まったとされる。一方、『一遍上人絵詞伝』では、信州佐久郡伴野とある。  『一遍聖絵』の方では、そこにいた皆に信心が起こり、一遍は時衆とともに念仏しながら鉢やざるを叩き踊り、紫雲が現れたという。五来は、佐久郡では善光寺の聖たちによって融通念仏が広められ、すでに踊り念仏が存在したのではないかと指摘した上で、「一遍は民衆の踊るのを見て、その宗教的エクスタシーと信仰共同体の一体感に着目したのであろう」と述べる。一遍の目的である勧進に踊りというのは効果的なものであり、それゆえ、伴野にて時衆の行儀に採用したのではないか、というのが五来の考察である。  ところで、一遍の遊行の最中には、しばしば紫雲––妙な音楽や不思議な香りとともに立ち込める紫色の雲でめでたいことの前兆と捉えられる––が見られる描写が多くある。そして、その紫雲は踊り念仏のエクスタシーによる共同幻視ではないかという説が根強くある。特に、『天狗草紙』では、踊り念仏と紫雲がともに繰り返し繰り返し起こっていることが引き合いに出される。  一方で、砂川博は『一遍聖絵』において紫雲の上る箇所を検証し、紫雲は「直接的、或いは間接的に往生の瑞相・表象という意味をもつ」と結論づけている。そして砂川はその前提の上で、踊り念仏とは「『踊躍』に念仏『行者の信心』を『示し』、『金磬の響』に阿弥陀仏の本願を『あらはし』、もって迷える『衆生』を救い、念仏に『結縁』させるためのものだ」という内容の『一遍聖絵』における一文を指す。踊り念仏の様子が描かれた『一遍上人絵伝』において、見物する民衆の数人が真上や宙に視線をやり、合唱しているなどの様子を挙げ、画面にこそ描かれていないものの彼らには紫雲が見えているのではないかと述べる。踊り念仏は鎮魂や慰霊が常に目的であったわけではないが、紫雲が出現しているように伺える点からそうした要素がまったくなかったわけではない、というのが砂川の見解だ。  また、林譲は、踊っているのが時衆のみである点を指摘し、「共同の幻想が成立するためには、踊る時衆と見る側とに共有する期待ともいうべきもの」が必要だと述べる。林は、一遍が理想とした「十一不二頌」について触れ、「踊念仏は、大人数への布教・結縁を要請する一遍の宗教から必然的に導かれた行為であり、紫雲が出現した踊念仏の場は、一遍が遊行と賦算とによって目指した『南無阿弥陀仏』という六字名号に包まれ一体となった理想世界の具現化する場と認識された」とする。  踊り念仏の起源や紫雲の解釈については見解が分かれるところではあるが、少なくとも踊り念仏が一遍の宗教的信条に合致していたことは確かだろう。念仏の合唱、踊りとそこで踏み鳴らされる足音、鉢などを叩く金属音、そしてなによりもそれらが繰り返される。繰り返しによって、リズムの予測そしてそれに「ノる」ということ、あるいは微妙な差異が生まれる。そうしたものによる興奮は音楽のそれと同じとも言え、そしてそれはおそらく紫雲-エクスタシー論が根強くある理由の一つであろう。加えて、一遍の理想は何度も述べている通り「十一不二頌」である。繰り返しによって時間の単線的な感覚が崩壊することにこそ恍惚があり、一遍の望む世界が、念仏を媒介して時空も仏/我の境界をも越え一体となる世界があるのではないだろうか。時衆に「ひたすら名号を唱える者たち」という意があるのも、一遍が念仏を「念ずる」のではなく「唱える」ことを強調したのも頷ける。そしてその世界を自身や時衆だけでなく、周囲の踊らぬ人々にさえ結びつけることに、踊り念仏の意義があるのだろう。
*参考文献 井上宏生『一遍 遊行に生きた漂泊の僧』、新人物往来社、2010年 今井雅春編『遊行の捨聖 一遍』、吉川弘文館、2004年 今井雅春『一変と中世の時衆』、大蔵出版株式会社、2000年 金子清光『一遍聖絵新考』、岩田書店、2005年 五来重『踊り念仏』、平凡社、1988年 砂川博編『一遍聖絵の総合的研究』、岩田書店、2002年 柳宗悦『他力の自由 浄土門仏教論集成』、書肆心水、2016年
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hi-majine · 5 years
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野ざらし
 最近では、落語のおちも、わかりにくいものがふえてまいりましたが、この「野ざらし」も、おちをわかっていただくために、はじめに、二、三、申しあげておいたほうがよいようでございます。  むかしは、浅草の雷門《かみなりもん》から南千住《みなみせんじゆ》へまいります途中に、新町《しんちよう》というところがございまして、このあたりには、太鼓屋《たいこや》さんがたくさんございました。この太鼓の皮は、馬の皮でございます。それに、幇間《ほうかん》、つまり、たいこもち、これを略して、たいこと申します。たいこもち、これを略して、たいこ、太鼓は、馬の皮、それに新町という町名と、これだけのことを知っていてくださると、この「野ざらし」のおちもおわかりいただけるというもので……
 人間と生まれまして、おたのしみのないかたはございませんが、なかでも結構なおたのしみは、釣りでございましょう。空気のいいところへまいりまして、のんびりと釣り糸をおろして、ゆっくり一日すごしてくるということで、たいそう健康にもよろしいことでございます。  釣りをなさるかたでおもしろいのは、自分で新しい釣り場をおさがしになると、まるで鬼の首でもとったようになることで…… 「どこかこのへんにいい釣り場はないかなあ……人の釣ってるところはおもしろくないから、どこか穴場をさがしたいねえ……あっ、ここはいいや。だれも釣ってないからな。ここにしよう。こういうところへ竿《さお》をおろすといいよ。魚が渇《かつ》えているからね、すぐにパクリとくることうけあいだ」  なんてんで、釣り糸をたれているところへ、土地のおかたが通りかかって、 「こりゃあ、おたのしみですねえ」 「ええ、ありがとうございます」 「いかがです? 釣れますか?」 「それがね、あんまり食わないんですよ」 「ああ、そうでしょうねえ。きのうの雨で水がたまったんですから……」  変なところで釣ってるかたがあるもんで……
「ちょいとあけてくんねえ。先生、ちょいとあけて……こんなにおもてをたたくのにまだ起きねえのかなあ……先生、尾形先生、はやくあけてくれよう、先生!」 「はいはい、どなたかな? はい、はい、すぐあけますよ。寝てるわけじゃないから、いまあけます。そんなにドンドン戸をたたいては、戸がこわれてしまうで……これこれ、そうたたくではないというに……こまったものじゃ、はいはい、いまあけますで……そうたたいては、戸がこわれて……いたい! どうも、いたいな。あけたとたんにわしをなぐって……」 「どうもすみません。夢中になってたたいていたところを、先生がだまってあけたから、ぽかりといっちまったんで……戸にしちゃあ、いやにやわらけえとおもった」 「戸とわしのあたまといっしょにするやつがあるか……だれかとおもったら、ご隣家《りんか》の八五郎さんか」 「だれかとおもわねえでも、ご隣家の八五郎さんで……先生、だまってなんかおくんねえ」 「どうもひどい人もあるもんだ。人のあたまをなぐっておいて、あやまろうともしないで、なんかくれろというのはどういうわけだい?」 「先生、おめえさんは、ふだんから高慢《こうまん》なつらをして、わしは聖人じゃから、婦人は好かんよかなんかいって……ゆうベの娘、いい女だったねえ、ありゃあ、いったいどっからひっぱってきた? 年のころは十六、八かね」 「十六、八? それじゃあ七がない」 「そう、しち(質)は、先月ながれた」 「くだらんことをいいなさんな」 「ありゃあ、色が白いのを通りこして、すき通るように青かったねえ。あんないい女を、どこからひっぱってきた?」 「ふーん、おまえは、ゆうべのあれをごろうじたか?」 「ごろうじたかって? じょうだんじゃあねえ。ごろうじすぎて、一晩中まんじりともできゃあしなかったんだ。そうだろうじゃねえか。夜なかにひょいと目をさますと、先生の家でひそひそ声がすらあ。先生はひとり者で、相手のいるはずはねえと、耳をすましていると、聞こえてきたのが女の声だ。どうにも気になって寝つかれねえから、商売ものの、のみでもって、壁へ穴をあけてのぞいてみたんだが、ほんとにいい女だったねえ。どっからひっぱってきたんだい?」 「そうか。ごらんになったならば、かくしてもしかたあるまい。のこらずおはなししよう。じつは、八つあん、ゆうべのはな……こういうわけだ」 「へーえ、そういうわけかい」 「まだなんにもいわない」 「道理で聞こえない」 「まるで掛けあいだな……おまえも知っているように、わしは釣り好きだ。彼岸中の鯊《はぜ》は、中気《ちゆうき》のまじないになるから、ぜひおねがいしますと、おまえにたのまれたことをおもいだしたので、釣り竿《ざお》をかついで向島へでかけたが、きのうは魔日というのか、雑魚《ざこ》一ぴきかか���ん。ああ、こういう日は、殺生をしてはならんということかと、釣り竿を巻きにかかった。浅草弁天山で打ちいだす暮れ六つの鐘が、陰《いん》にこもってものすごく、ボオーン、と聞こえた」 「よせよ、よせよ。先生、はなしをそう陰気にしっこなし。あっしゃあこうみえても、あんまり気の強えほうじゃあねえんだから……もっと陽気にはなしておくんなせえ。で、どうしました?」 「四方《よも》の山々雪とけて、水かさまさる大川の、上げ潮|南風《みなみ》で、ドブーリ、ドブリと水の音だ」 「へえ」 「あたりはうす暗くなって、釣り師は、いずれも帰宅したか、のこった者はわしひとり、風もないのに、かたえの葭《よし》が、ガサガサガサッと動いたかとおもうと、なかからすーっとでた」 「ひゃー」 「おいおい、八つあん、おまえさん、なにかふところへいれたようだな」 「へ? ふところへ? ああ、これですか」 「これですかじゃないよ。こりゃあ、わしの紙入れじゃないか。ゆだんもすきもあったもんじゃない」 「ええ、あっしゃあ、もう、こわくなるとね、なにかふところへいれたくなるんで……」 「わるいくせだなあ」 「こないだも、大家さんのところで、柱時計をふところにいれたんだけど、ありゃあしまつにこまっちまった」 「ばかなことをしなさんな」 「で、先生、葭んなかからなにがでたんで?」 「からすが三羽でた」 「からす? なんだ、からすかい。おまえさん、あんまり芝居がかりでいうから、なにがでたかとおもっちまった。それから?」 「はて、ねぐらへ帰るからすにしては、ちと時刻もちがうようだと、葭をわけて、なかをみると、なまなましいどくろだ」 「どくろ?」 「しかばねだ」 「赤羽《あかばね》へいったんで?」 「わからない人だなあ。野ざらしの人骨があったんだ。ああ、こうしてかばねをさらしているのは気の毒千万と、ねんごろに回向《えこう》をしてやった」 「猫がどうかしましたか?」 「猫じゃないよ。回向《えこう》だ。死者の冥福《めいふく》をいのったんだ。うまくはないが、手向《たむ》けの句、野をこやす骨をかたみにすすきかな……盛者必滅会者定離《しようじやひつめつえしやじようり》、頓証菩提《とんしようぼだい》、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と、ふくべにあった酒を骨《こつ》にかけてやると、気のせいか、赤みがさしたようにみえた。ああ、いい功徳《くどく》をしたと、たいへんにいい心持ちで帰ってきて、とろとろとすると、さよう、時刻はなんどきであったろうか、しずかにおもてをたたく者がある。なにものかと聞いてみたら、かすかな声で、向島からまいりましたという。さては、先刻の,回向がかえって害となり、狐狸妖怪《こりようかい》のたぐいがたぶらかしにまいったなとおもい、浪人ながらも尾形清十郎、年はとっても腕に年はとらせんつもり、身にゆだんなく、ガラリと戸をあけた。乱菊や狐にもせよこのすがた……ゆうべの娘が音もなく、すーっとはいってきた」 「ひゃー」 「これこれ、また、なにかふところへいれたな。はやくだしなさい」 「まためっかった。こわかったもんで、ついその……」 「わしのたばこいれじゃあないか。どうもあきれた人だ」 「すみません。で、それから?」 「あの娘がいうには、『あたくしは、向島に屍《かばね》をさらしておりました者でございますが、あなたさまのお心づくしによって、今日《こんにち》はじめて浮かばれました。おかげさまで、行くところへまいられます。今晩は、ちょっとそのお礼にあがりました。お腰なりともさすりましょう』と、やさしいことば。せっかくはるばると向島からきた者を、すげなく帰すのもどうかとおもったから、肩をたたかせ、腰をさすらせていたのだ。まあ、そんなわけで、あの娘は、この世の者ではないのじゃ」 「へーえ? あれは幽霊かい? ふーん、それにしてもいい女だねえ。先生、あんないい女なら、幽霊でもお化けでもかまわねえや。あっしも、せめてひと晩でもいいから、みっちりはなしをしてみてえねえ……向島へいきゃあ、まだ骨《こつ》はあるかねえ?」 「さあ、それはわからんな」 「あれっ、それはわからんななんて、おまえさん、ひとりじめしようってのかい? 教えろやいっ、このしみったれ」 「いや、べつにしみったれてるわけではない。骨は、まだあるかも知れん」 「ありがてえ。もしもなきゃあ、おまえさん、たてかえるかい?」 「そんなものをたてかえられるものか」 「まあいいや。じゃあ、骨がやってくるまじないを教えておくんなせえ」 「まじないというやつがあるか。手向けの句だ。これは、腹からでたことでなくてはいかんのじゃが、教えろというなら、教えもしよう……野をこやす骨《ほね》をかたみにすすきかな、盛者必滅会者定離、頓証菩提、南無阿弥陀仏……」 「それが手向けの句というやつだね。じゃあ、釣り竿を貸してくんねえ。さっそく向島へでかけるから……」 「ああ、これこれ、その竿はいかん。もしも折られると、それをつくる竿師がもうおらんのじゃから……持っていくなら、こっちの竿を……」 「なにいってやんでえ。けちけちすんねえ。これを借りてくよう」  いけないという釣り竿を無理に借りた八つあんが、途中で、二、三合の酒を買いこむと、あわてて向島へとんでまいりました。 「へへへ、なにいってやんでえ。年をとっても浮気はやまぬ、やまぬはずだよ、さきがないてえ都都逸《どどいつ》があるけれど、尾形さんも隅におけねえや。わしは聖人じゃから、婦人は好かんよなんていってるくせに、釣りだ、釣りだなんてでかけて、ああいう掘りだし物を釣ってくるんだからあきれたもんだ。いい年をして、骨《こつ》を釣りにいこうたあ、気がつかなかったなあ、おれもはやくいい骨を釣りあげなくっちゃあ……おやおやおや、ずいぶんきてやがるなあ、こんなに骨を釣りにきてるたあ知らなかったぜ。おれをだしぬきゃあがって、なんてひでえやつらだ。あれっ、あそこに十一、二の子どもが釣ってやがらあ、なんてませたがきだろう……おーい、どうだ、骨は釣れるかい? 骨はどうだ?」 「なんです? 骨? あなた、気味のわるいことをいいなさんな。あたしは、さかなを釣ってますよ」 「とぼけたことをいうない。さかなを釣ってますよなんて、そんなことでごまかされるおれじゃあねえんだ……おい、おめえは、どんな骨を釣りてえんだ? 娘か? 年増《としま》か? 乳母《おんば》さんか? 芸者か? おいらんか? なんの骨でえ?」 「なんだい、こいつあ? 色気ちがいかな? むやみと女のことばかりいって……目が血ばしってて……女にでもふられたんだな……もしもし、おそれいりますが、ちょうどさかながかかりそうなんで、おしずかにねがいます」 「なにいってやんでえ。ぐずぐずいうねえ。おしずかにねがいますったって、さかなに人間のことばがわかるもんかい。おれもそこへいくぜ……どっこいしょのしょっと……」 「ああ、とうとうきましたよ。こりゃあ、とんだことになっちまった。すみませんが、あなた、ご順にお膝おくりを……あの色きちがい、気味がわるくってどうも……せっかくすこしかかりはじめたんですが、とうとうあいつに釣り場をとられちまって……おや、あなたはたいしたもんだ。それだけあげてりゃあ、りっぱなもんですよ。みてください。あたしの魚籠《びく》を……これからってところだったのに、あいつのために……あなた、あなた、みてごらんなさい。あいつ、どうみてもふつうじゃありませんよ。なにかぶつぶつひとりごとばかりいってますから……うふふふ」 「やいやい、この野郎、なんだって、おれの顔をみて笑うんだ。てめえ、なんだな、おれに骨が釣れめえとおもってせせら笑ってやがるんだな。じょうだんいうねえ。こっちは、ちゃーんと回向の酒も買って、元手《もとで》がかかってるんだ。てめえたちにいい骨を釣られて、へえ、さようでございますか、とひっこんでいられるもんか。さあ、これから、おつな骨をふたつでも、みっつでも釣りあげてやるぞ」 「もしもし、骨だかなんだか知りませんが、そう竿をふりまわしたんじゃあ、水がはねかってしようがありません。おしずかに、おしずかに……」 「なにいってやんでえ。おしずかにしようと、おやかましくしようと、おれの勝手じゃあねえか。それともなにか、この川は、てめえの川か?」 「いいえ、べつにあたしの川じゃありませんが、とにかく水をはねかさないでもらいたいんで……あれ、あれ、あなた、失礼ですが、えさがついていないようですね。それじゃあ釣れませんよ。えさをおわすれなら、あたしのをおつかいなさい」 「よけいなお世話だい。骨を釣るのに、えさもなにもいるもんか。なんにも知らねえくせに、しろうとはだまってひっこんでろってんだ。こうやってるうちにゃあ、鐘がボーンと鳴るだろう。葭がガサガサとくらあ。なかから、からすがすーっとでてくりゃあこっちのもんだ。べらぼうめ、こっちあ、それを待ってるんだ…… 鐘がボンとなーありゃさ、上げ潮、南風《みなみ》さ、からすがとーびだーしゃ、こりゃさのさあ、骨があーるさーいさい、ときやがら、スチャラカチャン、スチャラカチャン」 「あなた、あなた、そう浮かれちゃあこまるなあ、そうかきまわしちゃあだめですよ」 「なんだと? かきまわしてるだと? かきまわしてなんぞいるもんか。おらあ、ただ、水をたたいてるんじゃあねえか。かきまわすてえなあ、こうやって、竿をぐるぐるっとまわすんだ」 「あれ、あれ、こりゃあいけません。とても釣れないから、あなた、竿をあげてみてみましょう」 「なにいってやんでえ……しかし、どんな骨がくるかなあ……ゆうべの骨みてえなのもいいけど、ちょいと若すぎて色気がなかったなあ。そうさなあ、やっぱり二十七、八、三十でこぼこの、おつな年増の骨がいいや……カランコロン、カランコロン、カランコロン、カランコロン……『こんばんは。あたし、向島からきたの』『なんだ、骨かい。おそかったじゃねえか』『おそかったって、おまえさんがお酒をかけたろう、だから、あたし、酔っぱらっちゃって……』『そうかい、そういやあ、顔いろがほんのり桜色だな。まあ、こっちへあがんねえ』『だって、むやみにあがると、おまえさんのいい人が角《つの》をはやすんじゃあないの?』『そんなことあるもんか。おらあ、ひとり者だよ。心配しねえであがってこいよ』『おまえさんのそばへ坐ってもいいのかい?』『ああ、いいとも、坐ってくんねえな』『じゃあ、そうさせてもらうよ』ってんで、骨がすーっとあがってきて、うふふふ、おれのそばへぺったり坐る……ああ、ありがてえ」 「なんです? おどろきましたねえ。ありがてえって、水たまりへ坐っちまいましたよ。よっぽどおかしいんですねえ」 「おれのそばへ坐った骨が、また、うれしいことをいうよ。『ねえ、おまえさん、おまえさんてえ人は、ちょいとようすがいいから、きっと浮気者だよ。あたしが、すこしでもおばあちゃんになると、若い娘《こ》といい仲になって、あたしをすてるんじゃあないの?』『そんなことあるもんか。おめえというかわいい恋女房がありながら、そんなことをするもんかよ。めす猫一ぴきでも膝へ乗せるもんか』『あら、ほんとうに口がうまいよ、この人は……その口で、あたしをだますんだろ? その口で……なんてにくらしい口なんだろ。ぐっとつねってあげるから……』」 「いたい、いたい、いたい! なんで、あたしの口をつねるんだ?」 「嫉《や》くない、この野郎」 「嫉くわけじゃあないが、いきなり人の口をつねるやつがあるかい。さわぐんなら、ひとりでさわぎゃあいいんだ」 「『じゃあ、おまえさん、ほんとうに浮気はしないね』『ああ、しゃあしねえ。大丈夫だってことよ』『そんなことをいって、もしも浮気したらくすぐるよ』『よせよ。くすぐってえじゃあねえか』『でも、ちょいとくすぐらしてよ』てんで、骨が、やさしい手で、おれのわきの下を、くちゅくちゅくちゅ……『よせよ、よせよ。くすぐったいよ。だめだ、だめだよ……いたい』」 「うふふふふ、ごらんなさい。あいつ、自分で自分をくすぐってるうちに、さかなを釣らないで、自分のあごを釣り針で釣っちまったから……」 「ああ、いてえ、いてえ。ちくしょうめ、人があごをひっかけてるのに笑ってやがらあ、薄情な野郎じゃあねえか。えーい、と、やっと針がとれた。いけねえ、血がでてきゃあがった……うん、こういう針なんてつまらねえものがついてるからいけねえんだ。こんなものはすてちまえ!」 「あれっ、あいつ、針をとっちまったよ。あきれたねえ」 「なにいってやんでえ。こちとらあ、はばかりながら、針がなくってできねえような釣りはしてねえんだ。まごまごしやがると、はりたおすぞ! ……あはははは、とうとうみんな逃げちまいやがった。ざまあみやがれ! ……おやおや、野郎、泡あくらって、弁当箱をわすれていきゃあがった。どんなものを食ってやがるんだろう? ……ふーん、あぶらげと焼き豆腐の煮たやつだ。おまけに、がんもどきみてえなつらをしてやがって、まるで、豆腐屋のまわし者みてえな野郎じゃあねえか……ひとつ、この焼き豆腐をごちそうになろうかな……うん、こりゃあ、みかけによらずうめえや。うん、うまい……よっ、でた、でた……から���かとおもったら、むくどりがでやがったよ。ははあ、からすがいそがしいもんだから、むくどりにたのんだんだな。『ちょいと、むくちゃん、あたしゃあ、いそがしくっていけないから、かわりにいっとくれよ』かなんかいったにちげえねえや。なーに、むくどりだろうと、なんだろうと、でてくれさえすりゃあこっちのもんだ。 葭をかきわけさあ、骨はどこーさとくらあ……おやおやおや、こりゃあたいへんに骨があるなあ、また、大きな骨だねえ……さあ、骨や、酒をかけるからな。いいかい、おれの酒はな、尾形先生みてえに飲みのこしじゃあねえんだぞ。まだ手つかずってえやつだ。これをみんなかけちまうからな、きっときてくれよ。たのむからなあ……そうそう、骨のくるまじないの文句があったっけ……えーと……のをおやす、骨をたたいて、お伊勢さん、神楽《かぐら》がお好きで、とっぴきぴのぴっ……まあ、だいたいこんな文句だったな。いいかい、きとくれよ。おれのうちは、浅草|門跡《もんぜき》さまのうらで、八百屋の横丁をはいって角から三軒め、腰障子に、丸に八の字が書いてあるから、すぐにわかるよ。じゃあ待ってるぜ」  のんきなことをいったかとおもうと、八つあんは、そのまま、ぷいと帰ってしまいました。ところが、壁に耳ありというやつで、葭のかげに、屋根船が一|艘《そう》つないでありまして、その船に、お客にうっちゃられた幇間、たいこもちがいて、八つあんのことばを耳にいたしました。 「こりゃあおそれいった。よそでは人目につくってんで、ご婦人を葭のなかへひきいれて、再会の約束なんぞはにくいねえ。あの場へでていって、よう、おたのしみ、なにかちょうだいてなことをいえば、そりゃあ、いくらかになるだろうが、それじゃあ、芸人の風流がなくっておもしろくないや。よし、今夜、お宅へうかがって、ごきげんをうかがうとしよう。うちは、浅草門跡さまのうらで、八百屋の横丁をはいって角から三軒め、腰障子に丸に八の字が書いてあるから、すぐにわかるといってたな。夜分《やぶん》になったら、さっそくでかけやしょう」  てんで、とんだやつに聞かれました。  八つあんは、そんなことはちっとも知りませんから、七輪の下をあおぎながら、いい女の幽霊を待ちわびております。 「こんなに待ってるのに、なにをしてやがるんだなあ……もうきてもいい時分なんだが……もし、先生、尾形先生! 骨のやつ、門《かど》ちがいでそっちへいったら、こっちへまわしてくださいよ。あっしゃあ、元手《もとで》をかけてるんだからね……なにをしていやあがるんだろう? ぐずぐずしてるじゃあねえか……もう、湯もわいてるし、さしむかいで一ペえやろうてんで、すっかりしたくもできてるのになあ、どうしゃあがったんだ? ……しかし、こんなことをいってるところへ、『ごめんあそばせ』ときたらどうしよう? 口じゃあ強いことをいってるが、女にかかると、おれはいくじがねえからな……『あなた、きょうは、向島でありがとう』『あなたといわずに、名をよんでおくんなさい』『だって、お名前を知らないから、しかたがないわ』『八五郎というんで……』『あれ、うれしいこと、八つあん、わちきは、とうからおもいついていたんだが、その吉日《きちにち》を待ちかねて、おまえのすがたを絵に描かせ、みればみるほど美しい、こんな殿御《とのご》と添《そ》い臥《ふ》しの……』」 「はなし声がするが、だれかきたのかな?」 「まだなんですがね……あれっ、おもてに足音がするよ。やっ、ぴたりととまった。きたのかな?」 「ええ、こんばんは」 「だれだい?」 「ええ、向島からまいりました」 「向島からきた? よう、待ってました。いらっしゃい……いらっしゃいはいいけど、いやに声がふといねえ。いったい、どんな骨なんだろう? おい、まあ、こっちへはいんねえ」 「ええ、ごめんくださいまし。もそっとはやくあがりたかったんでげすが、すっかりおそなわりまして、どうも……おやおやおや、こりゃあ結構なお住居でげすなあ。じつにどうも骨董家《こつとうか》の好くうちでげす。畳はてえと、たたがなくってみばかりというやつだ。障子は、桟《さん》ばかりときましたねえ。流板《ながし》は、くさっておっこちの、みみずうじゃうじゃ大行列……いいご仏壇がありますな。みかん箱なんざあ、どうもしゃれたもんで……さざえのつぼのお線香立てに、あわびっ貝のお燈明皿《とうみようざら》はうれしいや。海岸のみやげもの屋だね、まるで……ようよう、このお天井なるものが、ちょいとそのへんに類のないてえやつだ。雨の降る日には、座敷に坐ったままで傘をさすという……じつにどうも、よそのお宅では味わえない風情《ふぜい》で……しかも、いながらにして月見ができるんでげすから、まことにご風流でげす……うら住居すれどこの家に風情あり、質の流れに借金の山というのは、ここいらでげしょう。てまえもかくなる上は、ひとつなにかやりやしょう。 人を助ける身をもちながら、あの坊さんが、なぜか夜あけの鐘をつく。あれまた木魚《もくぎよ》の音がする……」 「な、なんだよ、おい……おつな年増の骨でもくるかとおもったら、どうも口のわるい骨がやってきやがった。いったい、おまえは、なに者だ?」 「こうみえても、新朝《しんちよう》という幇間《たいこ》でげす」 「なに、新町の太鼓? あっ、しまった。それじゃあ、葭のなかのは馬の骨だった」
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