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#五郷ダム
mofmofp · 1 year
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ダム巡り、五郷ダム、香川県、アクセス容易、電波良好 2023-02
ダムカードもらえます。 徳島側からは、ほぼ二車線相互通行可能で、ところどころ狭いですがアクセスは容易です。   電波良好でハイドラCPも容易にとれました。     前田川は阿讃山脈の雲辺寺山(標高916.2m)に源を発し、落合地区で本流柞田川に合流する流域面積11.4平方キロメートル、流路延長3.4キロメートルの二級河川です。 五郷ダムは、下流域の洪水調節および水不足の解消などのために、昭和36年に建設事業に着手し、39年度に完成しました。    
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poddyshobbies · 1 year
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那珂川市五ケ山の新観音堂
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前回投稿の「山神社・舟地蔵」から新しくなった国道を 300m ほど登って左折した場所です。五ケ山ダム(2018年3月竣工)の建設に伴って湖底に沈むことになった村内から遷された観音様や地蔵様が安置された新しいお堂です。
↓ 国道沿いのパーキングエリアから ~ この先、国道は大きくカーブして写真に写る高架の上を通ります。
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その反対側を見ると谷の向こうにお堂が見えます。
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お堂へはパーキングから 100m ほど登った辺りの脇道へ入ります。(左折)
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↑↓ お堂付近から国道方向
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↑ 国道方向は登り坂 ↓逆はだらだら下り坂が続きます。
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「離郷の碑」(裏面)
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五ヶ山の地名は5つの村があったからだそうです。そのひとつでしょうか「桑ノ河内郷」の位置が記されています。
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観音堂(左)と小さめのお堂が並びます。
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小さなお堂
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弁財天様(左)と番神様(右)
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観音堂は施錠されてました。
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境内左側の石塔 ~ そばに立つイチョウはすっかり落葉。
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↓ 猿田彦大神 ~ 観音堂前の階段に向かって右側で、祭壇は道側に出っぱってます。
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↓ 下流・南畑ダム方向に下る脇道。
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南畑ダムのパーキングエリア・グリーンピアなかがわ(休園中)入り口、国道につながってます。
2022.12.8 ~ つづく
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darwinfish105 · 1 year
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Tiny Japan Volume 1 from darwinfish105 on Vimeo.
約1年で撮り溜めたチルトシフトなタイムラプスをまとめました。 日本全国をチルトシフトでミニチュアにするのが目標です。 camera:SONY a7RV/a7RIV lens:Nikon Ai AF Zoom-Nikkor 24-85mm f/2.8-4D IF mount adapter:KIPON TandS NIK-NEX lens:TTArtisan Tilt 50mm f/1.4 music:Far Away by nuer self(artlist.io/song/94792/far-away) location: 0:00 明石海峡大橋(淡路サービスエリア) Akashi Kaikyo Bridge (Awaji Service Area) 0:06 名古屋港ポートビル Nagoya Port Building 0:54 四日市港ポートビル Yokkaichi Port Building 1:26 東大阪ジャンクション(東大阪市役所) Higashi-Osaka Junction (Higashi-Osaka City Hall) 1:34 梅田スカイビル Umeda Sky Building 1:50 あべのハルカス Abeno Harukas 2:14 さきしまコスモタワー Sakishima Cosmo Tower 2:38 東尋坊 Tojinbo 2:46 五月山 Mount Satsuki 2:49 伊丹空港 Osaka International Airport 3:14 舞鶴湾(五老スカイタワー) Maizuru Bay (Goro Sky Tower) 3:30 白山白川郷ホワイトロード Hakusan Shirakawago White Road 3:34 白川郷 Shirakawago 3:37 泉大津パーキングエリア Izumiotsu Parking Area 3:53 天橋立ビューランド Amanohashidate View Land 4:09 足羽川ダム(建設中) Asuwa River Dam (under construction) 4:17 福井工業大学あわらキャンパス(あわら夢ぐるま公園) Fukui Institute of Technology Awara Campus (Awara Yumeguruma Park)
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20221008
雑記(カチカチ車・雉の羽・漫画・フットボールなど)
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カチカチ車。またいらんもんを買ってしまった。
佐賀の郷土玩具らしいが既に廃絶してしまったという。カチカチとは杵島山(きしやま)地方でのカササギの呼び名でカチガラスともいうらしい。ハイダ族とか北米先住民の造形を思わせる。
隼人の盾の渦巻きの意匠を見た時にも思ったが色んなものがこの国に住む人々の感性の基底にはあるのだ。忘れとるだけで。
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カササギといえば岩明均の『七夕の国』という漫画が好きで(カササギがモチーフとして出てくる)昔ネットでカササギの羽を九州の人から買った。
カササギは本来日本の鳥ではなく豊臣秀吉の唐入り(朝鮮出兵)の際、佐賀藩主の鍋島直茂がカチッというカササギの鳴き声に勝ち縁起を担いで持ち帰った説と自然飛来説があるらしい。関東圏だと長野で繁殖が確認されているみたいだが私の地元にはいないみたいだ。
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そんで。
前回のカケスに続いて今度はオスの雉を拾った。一宮御坂のICの入り口んとこの道路の端で死んどったのだ。頭から血を流していたが体もまだ柔らかくて寝てるみたいだった。轢かれたばかりだったのかも。行く前に大きいビニール袋を二枚首尾よく車に入れておいたので今回も何か予感めいたものがあったような…いやねえわ。
その後色々回る用事があったのでスーパーで氷を買って冷やした。
雉固有の特徴なのか知らんが血が赤紫蘇みたいな鮮やかなピンク色をしていた。マゼンタみたいな色。羽毛の下からチラチラ見える耳の穴の感じがよくわからんが気持ち悪いというかなんか恐ろしい。ダムの吸水口に出来た水面の穴を見た感じだ。#poolcoreの亜種みたいな感覚か。
足の肉付きとか見てるとなんだかニワトリみたいで普通に食えそうな感じだった。畑に埋めたけど。
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なぜか尾羽は4枚しかなかった。
鳥の羽が抜けた後どうやって生え変わるかずっと謎だったのだが、靴ひもの先っちょの硬い筒状のカバーみたいなのに包まれて生えてくる。プラスチックみたいでちょっと作り物みたい。
それにしても今年はいろんなモンに出くわす年だ。
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話は変わって最近読んだ漫画。67歳の新人・ハン角斉短編集。
つげ義春、諸星大二郎、花輪和一、特に狂い始めた安倍慎一感があって個人的には好きだ。余談だが安倍慎一の『美代子阿佐ヶ谷気分』が”That Miyoko Asagaya Feeling”として英訳版が出ててアメリカの漫画賞(アイズナー賞)にノミネートされてたのを初めて知った。初期の安倍慎一の漫画に流れる空気の透明さみたいなものは普遍性をもつということか。
ハン角斉先生の漫画、黒ベタにホワイトの点々で星空を表現するのではなくビッチリ描いたグルグルの線で満天の星空を感じさせるのが妙に斬新だった。初見は違和感があるのだが後から立体視のような感覚になってくる。
著者本人が前書きで述べる通り画力という観点では一段、二段落ちるのかもしれないが、特筆すべきは女性の「目」の表現である。異様な迫力、色気。
陳腐すぎる表現だが目に魂がこもるとはこのことで(陳腐すぎる)慈非深い太母の眼差しであり、上位捕食者の目をうっかり覗き込んだかのような畏怖をも感じる。ピカソのマリー・テレーズの素描にも通じる女性の底知れなさ。
最終話の大ゴマの顔のアップに至っては目の前にその人がいるような錯覚を起こす。酩酊感がある。
目が合うだけで快楽物質のドーパミンが放出されるというが、そういや何年も前の『バイリンガルニュース』というpodcast番組の中で、二人で向かい合って目を凝視し合うと幻覚を見るという研究論文の記事を踏まえて出演者が試したところ、かなり早い段階で顔が歪んで見え出すと話していた。
もとい。
上から下へと流れ落ちる滝の水の向こうの崖壁に仄暗い洞窟が続いているかのように、絵の上手い下手という高低の向こうに奥行き、深さという領域がある。
「目」とは顔に開いた二つの暗い洞窟である。
自分で考えておいて何だか寺山修司の詩みたいなだなと思いながら読んだ。
人間の本質とは「目」にあるのではないか。
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昼飯に作った帆立とシメジとレタスのクリームパスタ。
五年ぐらいブログ書いてて料��を載せたのもしかしたら初めてかも。知らんがな。
普段仕事で作るから当たり前すぎるのかもしれない。
しかしパスタほど腹持ちの悪い食いものって無いと思う。私だけだろうか。
そんで先日の深夜にレアル・ソシエダの久保選手の試合を見た。1G1Aの大活躍だった。
レアル・マドリードからレンタルされたマジョルカ一年目以降、ビジャレアル(スペインの森保ことエメリ率いる)ヘタフェ(暴力団)マジョルカ2年目(降格争い)と見てるこっちも泥をすするような日々だったが臥薪嘗胆の甲斐あってかここにきてDAZNに月に2千円払うイラつきというのか舌打ち具合、その打音の烈しさが若干収まってきた。
思えばラ・リーガのデビュー前。
マドリーのプレシーズンの時の久保選手のプレーの輝きとその時感じた可能性がどんどん色褪せて行くのが見てて苦しかったわけだ。リバプールでの最後のシーズンの南野といい報われないことに金を払うことの悲しみといったら無い。
もうすぐW杯。
え?W杯か早。
それにしたって2018年のロシアW杯からたった4年で、ロシアがあんなことになるとは誰が予想しただろうか。「ロストフの悲劇」と銘されるあのベルギー戦の試合会場のロストフという地名をウクライナ東部の戦況説明の地図で見た時の困惑といったらない。
日露戦争で負けてロシア革命、アフガン侵攻に失敗してソビエト崩壊。ロシアは一体どうなるんだろうか。プーチンのがまだマシだったみたいなのはほんと勘弁して欲しい。知らんだけでカディロフみたいなのが今か今かと雌伏の時を過ごしているのだろうか。
安倍さんの国葬のニュースをちらっと見てて、安倍さんの「ウラジーミル。君と僕は同じ未来を見ている。ウラジーミル、2人の力で駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか。」みたいな謎ポエムを思い出す。
安倍さん最後にウラジーミルをあっちに連れてってくんねえかな、おんなじ未来見てたんなら、とぼんやり思って見ていた。
それにしてもベラルーシのルカシェンコの狸爺具合というのかプーチン相手にのらりくらりやる老獪さ。怪人だ。
gangsta(@takeren8)何某とかいう日本人義勇兵のツイッター見てて、性欲が戦場で邪魔だからタマキン摘出してあるって言っててこの世の広大さを感じた。色んな人がいる。
もといサッカー。
日本代表どうだろか。
もはや我が日本は結局のところ監督を戴くことは叶わず、引率の先生であるとこの森保さんに戦術など期待したとこでこの4年間虚無感しか無かったのだが、ここまできたら選手たちには頑張って欲しいところ。
現代サッカーにアレア(運)だけの森保式パルプンテサッカーでどこまでいけるのか?に楽しみ方を変えるしかない。
自分が変わるしかないのだ。
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fixy55 · 2 years
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「サイクリングと灘の酒」自転車に乗って神戸の大地へと繰り出した。 それはすなわち六甲、マサ化した花崗岩の大地を走るという事であるはずが、この日訪れた山田錦の生産地は風土が異なるようだ。そこは神戸市北区、六甲山の北側に位置していて、長閑な田園が広がる。 吉川の山田錦を育む環境は特殊だ。六甲といえば古くから土砂崩れの多い地域で、砂防ダムなどのインフラが発達している。どちらかというと砂っぽく崩れやすい土質であるはずだが、六甲の北側の吉川付近の土は粘土質が多く水分を保ち、稲はしっかりと地中深くに根を張る。日本最上の山田錦を育む環境は、土だけにとどまらず周辺の山々の形状や方角など、さまざまな要因が重なり人々の経験と知恵を掛け合わせて唯一無二の酒米を産み出す。通常よりもはるかに大きい米粒は豊かな心白を形成する。特A地区とされる田んぼの有り様は美しく輝いていた。 田んぼの脇に立てられた蔵元の旗は、そこの田んぼの契約酒造ブランドである。この米が、あの酒の原料なのだと一目で分かる。 走りながら眺める山田錦の立姿と、台風が過ぎ去って横になっている姿も、実は不自然な事ではないと知る。大きな米粒は重たく、首を垂れるその深さは地面につきそうであるが、強い根と重たい頭のバランスは、強い土台と豊かな恵みを意味する。つまり最上の証であるということ。 そのバランスは大地と自然に寄り添う農家さんの手により、適切な状態を保ち収穫を待つ。 現代の生産形態に繋がってくる歴史的ターニングポイントのひとつは明治であろう。江戸から明治へ移り変わる時、それはすなわち西欧列強との対等な立場を目指してさまざまなインフラが整備され、教育形態が変えられ、米ではなく金社会へと変化していく過程で地域が力を合わせて生き残り価値を与え続けた。 「下り酒」と「地酒」というカテゴライズもちゃんと知った。いろいろな事がイノベーティブである。 Photo by @nishikawa_kosuke @nowoll #神戸市 #kobe #サイクリングと灘の酒 #山田錦の田んぼから灘の酒蔵まで @rapha_japan #Rapha 神戸観光局 @kobe.kanko #神戸 #神戸市 #kobe #神戸観光 道の駅 神戸フルーツ・フラワーパーク 大沢 @fruitflowerpark.kobe @akira_hi #farmcircus #fruit_frowers_park #northkobe 剣菱酒造 @kenbishi.official #剣菱 #KENBISHI #灘五郷  #neverjustaride (山田錦の館) https://www.instagram.com/p/CjQhSPVBSWr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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chibiutsubo · 2 years
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#おでかけ #東海北陸道〜白川郷
飛騨の山の方が紅葉する少し前、白川郷周辺をふらりと歩き回ってきました。
白川郷、岐阜県内の中でも、神岡と並んで最果ての地(の、イメージ)。どうやら幼い頃に家族旅行で立ち寄っているらしいんですが、全くもって記憶もなし。しかも母親でさえ、立ち寄ったのが白川郷なのか五箇山(富山県)なのか覚えていないんだとか。
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まずはいつもお決まりの、ひるがの高原サービスエリアでソフトクリーム休憩。東海北陸道、ここまでが結構登り坂ばかりで、アクセル踏みっぱなしの足が疲れるんだよなぁ。
ちなみにここからもう少し北に進んだ荘川〜飛騨清見インター間が、高速道路で標高日本一の区間なんだそうです。長野の方がもっと高いところを走っていそうだったので何だか意外です。
このまま高速で白川郷付近まで行けるんですが、それだと少し味気ないので、途中の荘川インターで下りて、そこからは国道156号(通称イチコロ)で、御母衣湖沿いを通って白川郷に向かうことにしました。しかし山間部というと、国道ならぬ酷道が潜んでいるもの。国道と言えど信用してはならないのですが、物騒な通称とは違い、イチコロはさほどイチコロにはされないような道でした。
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工事中の箇所も多く、工事車両の大型車がたくさん行き交っていました。一応対面1車線を保っていますが、途中のトンネルで急に道が細くなるところもあったので、そこで大型車と出くわすと結構冷や汗かきます……。
荘川と御母衣湖(御母衣ダム)を眺めながらのドライブ。ダム湖のしんとした水面がきれいで、たまに土砂崩れの跡を発見してぞくりともしてみたり。
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tani1gan · 5 years
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#tani1gan #tani1gan55 #観音寺市 #大野原町 #豊稔池ダム #豊稔池 #五郷 #桜 #cherryblossom #ソメイヨシノ #染井吉野 (Hōnen'ike Dam) https://www.instagram.com/tani1gan/p/BwRaHF5l0Ol/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=dphvsgkv78cx
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xf-2 · 4 years
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一 はじめに
(日本オリンピック)  五輪史上初の衛星生中継。世界が見守る中、聖火を手に、国立競技場に入ってきたのは、最終ランナーの坂井義則(よしのり)さんでした。  八月六日広島生まれ。十九歳となった若者の堂々たる走りは、我が国が、戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、自信と誇りを持って、高度成長の新しい時代へと踏み出していく。そのことを、世界に力強く発信するものでありました。  「日本オリンピック」。坂井さんがこう表現した六十四年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。  半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。  本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから、国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか。
(新しい時代へ踏み出す)  「日本はもう成長できない」。七年前、この「諦めの壁」に対して、私たちはまず、三本の矢を力強く放ちました。その果実を活かし、子育て支援、教育無償化、更には働き方改革。一億総活躍社会を目指し、まっすぐに進んでまいりました。  厳しさを増す安全保障環境を直視しながら、平和安全法制を整備し、防衛力を抜本的に強化しました。地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、世界を駆け回り、ダイナミックな日本外交を展開してきました。  我が国は、もはや、かつての日本ではありません。「諦めの壁」は、完全に打ち破ることができた。その自信と誇りと共に、今、ここから、日本の令和の新しい時代を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
二 復興五輪
 二〇二〇年の聖火が走り出す、そのスタート地点は、福島のJヴィレッジです。かつて原発事故対応の拠点となったその場所は、今、我が国最大のサッカーの聖地に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。  常磐自動車道に続き、本年三月、JR常磐線が全線開通します。これに合わせ、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域における避難指示の一部解除に向け、準備を進めます。  浪江町では、世界最大級の、再生エネルギーによる水素製造施設が、本格稼働します。オリンピックでは、このクリーンな水素を燃料とする自動車が、大会関係者の足となります。そして、大会期間中、聖火を灯し続けます。リチウムイオン電池、AIロボット。未来を拓く産業が、今、福島から次々と生まれようとしています。  津波で大きな被害を受けた、宮城県を訪れる外国人観光客は、震災前の二倍を超えました。岩手県では三倍となっています。昨年九月に陸前高田市で開業したばかりの道の駅では、僅か一か月で十万人の観光客が訪れ、賑(にぎ)わいを見せています。  来年度で復興・創生期間は終了いたしますが、次のステージに向け、復興庁を司令塔に、政治の責任とリーダーシップの下で、福島の本格的な復興・再生、東北復興の総仕上げに、全力で取り組んでまいります。  九年前、ファーディーさんは、ラグビーチームの一員として、釜石で、東日本大震災を経験しました。  「ここで帰ったら後悔する」  オーストラリア大使館から避難勧告を受け、家族から帰国を勧められても、ファーディーさんは、釜石に残り、救援物資の運搬、お年寄りや病人の搬送。困難に直面する被災者への支援を続けました。  その感謝の気持ちと共に、本年、釜石は、オリンピック・パラリンピックに際し、オーストラリアのホストタウンとなります。岩手県野田村は台湾、福島県二本松市はクウェートなど、二十九の被災自治体が、支援を寄せてくれた人々との交流を深めます。  心温まる支援のおかげで力強く復興しつつある被災地の姿を、その目で見て、そして、実感していただきたい。まさに「復興五輪」であります。  東日本大震災では、百六十三の国と地域から支援が寄せられました。我々が困難の時にあって、温かい支援の手を差し伸べてくれた世界の方々に、改めて、今、この場から、皆さんと共に、感謝の気持ちを表したいと思います。
三 地方創生
(観光立国)  全体で五百近い市町村が、今回、ホストタウンとなります。これは、全国津々浦々、地域の魅力を世界に発信する、絶好の機会です。  北は北海道から、南は沖縄まで。アイヌの皆さんが受け継いできた伝統音楽や食文化、琉球舞踊など、我が国が誇る全国各地の地域文化に触れていただく「日本博」を、本年、開催いたします。  国の文化財を積極的に活用できる制度を設け、地域のアイデアによる観光地づくりを後押しします。自家用車による有償の運送サービス制度について規制緩和を行い、外国人観光客の皆さんの地方での足もしっかりと確保いたします。  首里城の一日も早い復元に向け、全力を尽くします。三月には、那覇空港第二滑走路の供用を開始します。発着枠を十万回以上拡大することにより、アジアのゲートウェイとして、沖縄の振興に取り組んでまいります。  オリンピック・パラリンピックに向けて、サイバーセキュリティ対策、テロなど組織犯罪への対策に万全を期すことで、安全・安心をしっかり確保いたします。五年後の大阪・関西万博も視野に、多言語化、Wi‐Fi環境の整備など、観光立国の基盤づくりを一気に進めます。高い独立性を持った管理委員会の下、厳正かつ公平・公正な審査を行いながら、複合観光施設の整備に取り組みます。  更には、外国人観光客の多様なニーズに応える宿泊施設など世界に冠たる観光インフラを整え、二〇三〇年六千万人目標の実現を目指します。
(農産物輸出)  世界に目を向けることで、地方に新しいチャンスが広がります。  昨年、EUへの牛肉やコメの輸出は、約三割増えました。TPP諸国への乳製品の輸出も、二割を大きく上回る伸びとなりました。甘い「紅はるか」は、シンガポールやタイで大人気です。さつまいもの輸出は、昨年、四割以上増加しました。  先月、中国への牛肉輸出について、解禁令が発出されました。今月発効した日米貿易協定も活かし、おいしくて、安全な、日本の農林水産物の世界への挑戦を、力強く後押しいたします。  農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます。販路開拓など海外への売り込みを支援します。  神戸牛、ルビーロマン、ゆめぴりか。農家の皆さんの長年にわたる努力の結晶である、日本ブランドを、海外流出のリスクからしっかりと守ります。  CSF対策を一層強化します。野生動物の感染が発見された場合にも、家畜伝染病予防法に基づ��、移動制限などのまん延防止措置を実施できるようにします。ASFについても、海外から持ち込まれる肉や肉製品の検疫を強化し、水際対策を徹底します。
(地方創生)  昨年の台風十九号では八ッ場ダムが利根川の被害防止に役立ちました。水力発電や農業用水などを目的とするダムについても、緊急時には省庁の縦割りを打破し、一元的に活用するための対策を、全ての一級河川を対象に、この夏までに取りまとめます。  相次ぐ自然災害の教訓を活かし、全国で、川底の掘削、堤防の整備、無電柱化を進めます。送電線の計画的な更新、電力会社、自衛隊、自治体の平時からの連携などにより、強靱(じん)な電力供給体制を構築します。防災・減災、国土強靱(じん)化を進め、災害に強い故郷(ふるさと)を創り上げてまいります。  東京から鉄道で七時間。島根県江津市は「東京から一番遠いまち」とも呼ばれています。二十年以上、転出超過が続き、人口の一割に当たる二千八百人が減少した町で��。  しかし、若者の起業を積極的に促した結果、ついに、一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました。  原田真宜(まさのり)さんは、パクチー栽培を行うため、東京から移住してきました。農地を借りる交渉を行ったのは、市役所です。地方創生交付金を活用し、起業資金の支援を受けました。農業のやり方は地元の農家、販路開拓は地元の企業が手助けしてくれたそうです。  「地域みんなで、手伝ってくれました」  地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が、原田さんの移住の決め手となりました。  「地方にこそ、チャンスがある」。そう考え、地方に飛び込む若者を、力強く応援してまいります。東京から地方に移住して起業・就業する場合に最大三百万円支給する制度を、更に使いやすくします。「移住支援センター」を全国一千の市町村に設置し、移住へのニーズを実際の人の動きへとつなげてまいります。  都市に住む皆さんの地方での兼業・副業を促すため、人材のマッチングや移動費の支援を行う新たな制度を創設します。関係人口を拡大することで、将来的な移住につなげ、転出入均衡目標の実現を目指します。  企業版ふるさと納税を拡充し、地方における魅力ある仕事づくりを一層強化します。独占禁止法の特例を設け、まちづくりの基盤である地方の金融サービス、交通サービスをしっかりと維持・確保してまいります。地方の創意工夫を、一千億円の地方創生交付金で、引き続き応援します。  若者が将来に夢や希望を持って飛び込んでいくことができる。地方創生の新しい時代を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
四 成長戦略
(中小・小規模事業者)  「東洋の魔女」が活躍したバレーボール。そのボールを生み出したのは、広島の小さな町工場です。その後、半世紀にわたり、その高い技術を代々受け継ぎ、今なお、五輪の公式球に選ばれ続けています。  全国各地の中小・小規模事業者の皆さんが、長年培ったオンリーワンの技術で、地域経済を支えています。しかし、経営者の多くが六十歳を超え、事業承継は待ったなしの課題であります。そして、若い世代の承継を阻む最大の壁が、個人保証の慣行です。  この春から、先代の経営者と後継者から個人保証を取る、いわゆる二重取りを原則禁止いたします。商工中金では、今月から、年間三万件、二兆円の新規融資について、個人保証なしの融資を原則とする運用を開始しました。  信用保証協会では、個人保証なしで後継者の皆さんの融資を保証する新制度を、四月からスタートします。経営の磨き上げ支援も行い、専門家の確認を得た後継者には、保証料をゼロとします。個人保証の慣行は新しい世代には引き継がないとの強い決意で、あらゆる施策を総動員してまいります。  七年前、十年ぶりの大改正を行った下請振興基準を、更に改正し、対象を拡大します。大企業に対しても、新たに金属産業、化学産業で、自主行動計画の策定を求めます。業界ごとの取引慣行に詳しい専門人材を下請Gメンに採用し、下請取引の更なる適正化に取り組んでまいります。  デジタル技術の進歩は、中小・小規模事業者にとって、販路拡大などの大きなチャンスです。デジタル取引透明化法を制定し、オンラインモールでの出店料の一方的引上げなど不透明な取引慣行を是正します。
(規制改革)  IoT、ビッグデータ、人工知能。第四次産業革命の大きな変化の中で、デジタル時代の規制改革を大胆に進めます。  本年から、無人自動運転を解禁し、中山間地域の皆さんに、安全で便利な移動手段を提供します。自動制御ブレーキを備えたサポートカーに限定した新たな免許制度を設け、その普及を拡大します。  AIが解析するデータのボリュームが、競争力を左右する時代です。個人情報を匿名化し、その詳細な分析を可能とすることで、ビッグデータの世界をリードしてまいります。  フィンテックによる多様な決済サービスが登場する中、金融分野の業法による縦割り規制を抜本的に見直します。マイナンバーカードの取得を促し、来年度中に健康保険証としての利用を開始します。あらゆる行政手続の電子化を進め、対面での確認が必要なものなどを除き、二〇二四年度までに完了いたします。  技術の進歩による急激な変化に対し、消費者の安全・安心を確保していきます。個人データの利用停止を可能とするなど、個人情報保護を強化します。あおり運転を刑罰の対象とし、道路へのカメラ設置などにより、悪質な運転者の取締りを徹底します。空港施設へのドローン飛行を禁止し、飛行経路の安全を確保してまいります。
(イノベーション)  吉野彰(あきら)先生のノーベル化学賞受賞を、心よりお慶び申し上げます。  吉野先生に続く、未来を担う若手研究者に、大胆に投資します。自由な発想で挑戦的な研究に打ち込めるよう、資金配分を若手に思い切って重点化します。安定的なポストを確保し、海外留学を含めたキャリアパスを確立することで、若者が将来に夢や希望を持って研究の世界に飛び込める環境を整えます。  変化のスピードを先取りし、これまでにない価値を生み出す鍵は、ベンチャー精神です。大企業などからベンチャー企業への投資を税制で支援し、いわゆる自前主義からの発想の転換を図ります。国の研究機関によるベンチャー企業への出資を促すことで、蓄積された研究成果や技術を新しい産業へと成長させてまいります。  第四次産業革命がもたらすインパクトは、経済のみにとどまらず、安全保障をはじめ、社会のあらゆる分野に大きな影響を及ぼします。国家戦略としての取組が必要です。  その基盤インフラは、通信です。5G、ポスト5G、更にその先を見据えながら、大胆な税制措置と予算により、イノベーションを力強く後押しします。安全で安心なインフラが、これからも安定的に供給されるよう、グローバルな連携の下、戦略的に取り組んでいきます。  次世代暗号などの基盤となる量子技術について、国内外からトップクラスの研究者・企業を集める、イノベーション拠点の整備を進めます。  月を周回する宇宙ステーションの整備、月面での有人探査などを目指す新たな国際プロジェクトに、我が国として、その持てる技術を駆使し、貢献いたします。将来的な火星探査なども視野に、人類の新たなフロンティアの拡大に挑戦します。  Society 5.0の時代にあって、教育の在り方も、変わらなければなりません。本年から小学校でプログラミング教育を開始します。四年以内に、全ての小学生、中学生に一人一台のIT端末を揃(そろ)えます。企業エンジニアなど多様な外部人材を登用することで、新しい時代の教育改革を進めます。
(アベノミクス)  今般取りまとめた新しい経済対策は、まさに、安心と成長の未来を切り拓くものであります。事業規模二十六兆円に及ぶ対策を講じることで、自然災害からの復旧・復興に加え、米中貿易摩擦、英国のEUからの離脱など海外発の下方リスクにも万全を期してまいります。  日本経済は、この七年間で十三%成長し、来年度予算の税収は過去最高となりました。公債発行は八年連続での減額であります。経済再生なくして財政健全化なし。この基本方針を堅持し、引き続き、二〇二五年度のプライマリーバランス黒字化を目指します。  この六年間、生産年齢人口が五百万人減少する一方で、雇用は三百八十万人増加しました。人手不足が続く中で、最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅となり、史上初めて全国平均九百円を超えました。足元では、九割近い中小企業で、賃上げが実現しています。  雇用環境が好転している今、就職氷河期世代の皆さんの就業を、三年間集中で一気に拡大します。この世代に対象を絞った求人を解禁するなど、あらゆる施策を講じ、意欲、経験、能力を活かせるチャンスを広げていきます。  兼業や副業をやりやすくするため、労働時間に関するルールを明確化します。労働施策総合推進法を改正し、大企業に中途採用・経験者採用比率の開示を求め、多様で柔軟な働き方が可能となるよう、改革を進めます。  経済社会が大きく変化する中、ライフスタイルの多様化は時代の必然であります。今こそ、日本の雇用慣行を大きく改め、働き方改革を、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
五 一億総活躍社会
(全世代型社会保障)  この春から、大企業では、同一労働同一賃金がスタートします。正規と非正規の壁がなくなる中で、パートの皆さんへの厚生年金の適用を更に広げてまいります。三千億円を上回る、ものづくり補助金、IT補助金、持続化補助金により生産性向上への支援、社会保険手続の負担軽減を行いながら、従業員五十人を超える中小企業まで段階的に拡大します。  高齢者のうち、八割の方が、六十五歳を超えても働きたいと願っておられます。人生百年時代の到来は、大きなチャンスです。働く意欲のある皆さんに、七十歳までの就業機会を確保します。  こうした働き方の変化を中心に据えながら、年金、医療、介護全般にわたる改革を進めます。  年金受給開始の選択肢を、七十五歳まで広げます。在職老齢年金についても、働くインセンティブを失わせることのないよう、見直しを行います。  二〇二二年には、いわゆる団塊の世代が七十五歳以上の高齢者となる中で、現役世代の負担上昇に歯止めをかけることは、待ったなしの課題です。  年齢ではなく、能力に応じた負担へと見直しを進めます。七十五歳以上であっても一定以上の所得がある方には、窓口での二割負担を新たにお願いすることを検討します。併せて、かかりつけ医機能の強化を図るため、大病院の受診に定額負担を求めることで、現役世代の負担上昇を抑えます。  医療や介護について、予防への取組を強化することで、いつまでも健康で、活躍できる社会づくりを行います。  子どもたちから、子育て世代、現役世代、そしてお年寄りまで、全ての世代が安心できる「全世代型社会保障制度」を目指し、本年、改革を実行してまいります。
(子育て支援)  子どもたちの未来に、引き続き、大胆に投資してまいります。  昨年の幼児教育・保育の無償化のスタートに続き、この四月から、真に必要な子どもたちの高等教育の無償化が始まります。私立高校の実質無償化も実現し、子どもたちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることができる社会を創り上げてまいります。  保育の受け皿整備を進め、待機児童ゼロを実現します。これまでの取組により、待機児童の数は、昨年、調査開始以来、最少となりました。いまだゼロが実現できていない自治体には、保育ニーズに応じた整備計画の策定を求め、取組を強化していきます。  妊娠、出産、子育てへの切れ目ない支援を行います。来年春までに、子育て世代包括支援センターを全ての市町村に設置します。所得の低いひとり親世帯への支援を拡大し、子育てしやすい社会づくりを更に強化します。「希望出生率一・八」の実現を目指し、深刻さを増す少子化の問題に真正面から立ち向かってまいります。
(一億総活躍社会)  我が国には、意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいます。全ての女性に活躍のチャンスを創り、その持てる可能性を十二分に開花することができれば、日本の経済社会は一変するはずです。  この六年で、女性の就業者数は、新たに二百九十万人増加しました。就業率は、二十五歳以上の全ての世代で米国を上回っています。M字カーブは確実に解消に向かっています。引き続き、女性活躍の旗を高く掲げ、女性の皆さんが働きやすい環境づくり、女性リーダーの拡大に向けた取組を一層進めます。更に、民間シェルター支援によるDV対策などに取り組んでまいります。  女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、更には一度失敗した方も、誰もが多様性を認め合いその個性を活かすことができる社会、思う存分その能力を発揮できる社会を創る。一億総活躍社会の実現こそが、まさに少子高齢化を克服する鍵であります。  バリアフリー社会の実現に向けて、公共交通機関における取組を強化します。耳の聞こえない方に対する、無償で手話通訳を利用できる電話リレーサービスを整備します。重度障害者の皆さんの就労の意欲を後押しするための仕組みを強化します。  「その能力は磨けば無限である。」  中村裕(ゆたか)医師は、長年、障害者雇用に熱心に取り組んでこられました。  「身障者の社会進出のためにもスポーツを奨励しなければならない。」  中村先生の情熱によって、一九六四年、東京パラリンピック大会が実現しました。その後、パラリンピックは四年おきに継続的に実施されるようになりました。中村先生の思いは受け継がれ、半世紀以上の時を経て、再び、日本へと���ってきます。  本年のパラリンピックを、世界中の人々に夢や感動を与える、素晴らしい大会とする。障害のある皆さんが、世界で最もいきいきと生活できる国・日本を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
六 外交・安全保障
(積極的平和主義)  日本が、初めてオリンピック精神と出会ったのは、明治の時代であります。その時の興奮を、嘉納治五郎はこう記しています。  「世界各国民の思想感情を融和し以て世界の文明と平和とを助くる」  オリンピック・パラリンピックが開催される本年、我が国は、積極的平和主義の旗の下、戦後外交を総決算し、新しい時代の日本外交を確立する。その正念場となる一年であります。  日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との諸問題を解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を目指します。何よりも重要な拉致問題の解決に向けて、条件を付けずに、私自身が金正恩委員長と向き合う決意です。  もとより、我が国の国民の生命と財産を守るため、毅(き)然として行動していく。その方針はしっかりと貫いてまいります。米国、韓国をはじめ国際社会と緊密に連携してまいります。  北東アジアの安全保障環境が厳しさを増す中で、近隣諸国との外交は、極めて重要となっています。韓国は、元来、基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国であります。であればこそ、国と国との約束を守り、未来志向の両国関係を築き上げることを、切に期待いたします。  プーチン大統領と長門で合意した、元島民の方々の航空機によるお墓参り、そして四島での共同経済活動は、着実に前進しています。一九五六年宣言を基礎として交渉を加速させ、領土問題を解決して、平和条約を締結する。この方針に、全く揺らぎはありません。私と大統領の手で、成し遂げる決意です。  日本と中国は、地域と世界の平和と繁栄に、共に大きな責任を有しています。その責任をしっかり果たすとの意志を明確に示していくことが、今現在の、アジアの状況において、国際社会から強く求められています。首脳間の往来に加え、あらゆる分野での交流を深め、広げることで、新時代の成熟した日中関係を構築してまいります。
(安全保障政策)  いかなる事態にあっても、我が国の領土、領海、領空は必ずや守り抜く。安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりません。  この春から、航空自衛隊に「宇宙作戦隊」を創設します。更には、サイバー、電磁波といった新領域における優位性を確保するため、その能力と体制を抜本的に強化してまいります。  昨日、日米安全保障条約は、改定の署名から六十年を迎えました。日米同盟は、今、かつてなく強固なものとなっています。その深い信頼関係の下に、二〇二〇年代前半の海兵隊のグアム移転に向け、施設整備などの取組を進めます。抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担軽減に、一つひとつ結果を出してまいります。  日米同盟の強固な基盤の上に、欧州、インド、豪州、ASEANなど、基本的価値を共有する国々と共に、「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指します。
(国際社会の課題解決)  この七年間、八十の国・地域を訪問し、八百回を超える会談を重ねてまいりました。各国首脳との信頼関係の上に、国際社会が直面する共通課題の解決に向け、世界の中で、主導的な役割を果たしていく覚悟です。  中東地域における緊張の高まりを深く憂慮します。我が国は、全ての関係者に、対話による問題解決と自制的な対応を求めます。これまで培ってきた中東諸国との友好関係の上に、この地域の緊張緩和と情勢の安定化のために、これからも、日本ならではの平和外交を粘り強く展開いたします。エネルギー資源の多くをこの地域に依存する我が国として、こうした外交努力と併せて、自衛隊による情報収集態勢を整え、日本関係船舶の安全を確保します。  自由貿易の旗手として、二十一世紀��経済秩序を世界へと広げてまいります。EUから離脱する英国とも、速やかに通商交渉を開始します。TPPの更なる拡大や、インドを含めたRCEP交渉を主導します。データ流通の新たな国際ルールづくりを、大阪トラックでリードしていきます。  G20で合意したブルー・オーシャン・ビジョンには、既に五十九の国から賛同を得ています。この流れを更に世界へと広げていくことで、二〇五〇年までの海洋プラスチックごみによる新たな汚染ゼロの実現を目指します。  我が国は、五年連続で温室効果ガスの削減を実現いたしました。二〇一三年度比で十一・八%の削減は、G7の中で英国に次ぐ削減量です。長期戦略に掲げた脱炭素社会を早期に達成するため、ゼロエミッション国際共同研究拠点を立ち上げます。米国、EUなどG20の研究機関の叡智(えいち)を結集し、産業革命以来増加を続けてきたCO2を、減少へと転じさせる、「Beyondゼロ」を目指し、人工光合成をはじめ革新的イノベーションを牽(けん)引します。  世界の平和と安定、自由で公正で開かれた国際ルールの構築、気候変動をはじめとした地球環境問題への挑戦。より良き世界の実現に向かって、新しい時代の日本外交の地平を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
七 おわりに
 「人類は四年ごとに夢をみる」  一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。  社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。  国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。  世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。  御清聴ありがとうございました。
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sazanami-ayame · 6 years
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五郷ダム。
2018.9.2
EOS M5 + EF-M 11-22mm F4-5.6 IS STM
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見たくて一〇年間働いた
出典:週刊求人タイムス vol.386 昭和57年4月29日
PHOTO●立木寛彦
森 敦
もり・あつし 明治45年熊本生まれ。作家。旧制一高中退。昭和48年『月山』で芥川賞受賞。最後の“放浪作家”と言われている。著書に『鳥海山』『浦島太郎の人間探検記』などがある。
 
 心ゆくまで月山を眺めていたい、それが森敦さんの願いだった。その夢を実現するために一〇年間働いた。つまり一〇年間働いて一〇年間遊ぶ、これが森さんのライフサイクルだ。その“月山”で芥川賞も受賞した。われわれは六日間働いて一日遊ぶ──。このライフサイクルの違いはそのまま現代人批評にもなっている。というと理に落ちるけれど、とまれ森さんの放浪・交遊譚に耳を傾けてみよう。
 
菊池寛に見習って“登校拒否”
『月山』がね、もう一���年にもなるのにまだ売れてる。……文庫本が出てるのに、まだ売れてる。
 署名してくれって本がこんなに溜まってるんだけど、手がね……お酒を飲まないとよく書けないんで酒飲んで書いてるけど、ちっともはかどらない。
『月山』を書いたあとで、新井満という青年がジーンズみたいな着物を着て、ヨイショ、ヨイショとギターをさげてやって来た。で、
「ちょっと聞いてください」
 と歌い出したわけですよ、僕の前で。
 で、終わってから、
「これはなんの歌かわかりますか」
 というわけです。
「どうも聞いたような気がするな」
「そりゃそうです、森さんの書いた文章をそのまま歌ったんです」
 どうもそういう読者が多いね。
 その歌はレコードになって、あれはLPなんだけど一万五〇〇〇枚ぐらい売れてるみたいですよ。
 だからそのために『月山』がバレエになったり、日舞になったり、朗読になったり、芝居や映画になったりしたわけです。……で、いろんなことが僕のまわりに起こってきた。
 それもこれも五〇年前に菊池寛と出会ったりしたことがきっかけになっているのだけど……ま、そんな話でもしてみましょうか。だって作家の話を聞いてもしょうがないと思うんだよ、作家の頭なんてカラッポなんだから。……カラッポにするよう努めてるから。だけどせっかくだから昔のことでも思い出しでみましょうかね。
 あれはたしか一九歳の頃かな、日本女子大学というのが雑司ヶ谷にありまして、そこへ行くと女子大学生ばかりなんですが、別に女子大学生をどう思ったわけでもないけど、よく散歩したんです。環境もいいから。
 で、散歩してですね、ふと表札を見ると「菊池寛」と書いてある。それだけならなんということもないんです。別に入ろうとも思わなかった。
 ところが表札の傍に、
「新聞記者、雑誌記者以外のかたは執筆多忙につき面会お断わり」
 と書いてあった。
 それを見たから入って行ったんです。
 そしたら偶然、菊池寛が廊下に出て来てバッタリ会った。それが最初の出会いです。
 そのとき菊池さんに話したのは、僕は第一高等学校に入っていたのですけど、いい学校ではありますけど、まあ行かなくてもいいんじゃないかと、そんな気持になっていたので相談してみたわけです。すると菊池さんが、
「そうだそうだ、だから俺もやめたんだ」
 で、いきなりなにも聞かないで、
「七五円だね」
 なにが七五円だと思っていたら無雑作に七五円くれた。当時の七五円というのは大変な額ですよ、東京帝大を出た人の初任給が六五円の時代でしたから。
 それから僕を文学青年だと思ったのか横光利一を紹介してくれた。
 菊池寛が生前に最も信用していたのは、同輩では芥川龍之介で、後輩では横光利一だったんですよ。
“豪商”のような吉川英治
 横光さんも僕を作家志望の学生だと思ったんでしょうね、作家志望でもない者が訪ねて来るわけはないから。
 僕は作家志望でもなんでもなくて、むしろ当時の青年としては数学がよくできたほうで、いまでも机には数学の本が広げてあります。最近になって矢野健太郎さんとも対談したし、広中平祐さんとも対談しましたけど、そのとき広中さんは、
「私がこれまで研究してきたことは、つまりは森さんが、一言でおっしゃっていることです」
 なんていってくれました。
 ま、話は傍道にそれちゃったけど、とにかく僕は文学青年ではなかった。
 だけれども菊池、横光という二人の作家に作家志望と思われて、一九のとき毎日新聞に『酩酊船』という小説を書いたわけです。で、書いたあと思いきって学校をやめた。
 学校をやめるきっかけで書いたようなものですから、それからさらに書き続ける理由はなにもないわけです。
 なにも作家になろうと思っていませんから。
 ただ、そうしているあいだに作家たちとはずいぶん知り合いまして、川端康成さんと横光さんの二人に訓戒を与えられたこともあるんですよ。
 ある事件があって、ある業界誌みたいなものに若者の僕と今東光さんが暴れて押しこんできたと……そう、その業界誌みたいなものに記事にされたんです、写真と一緒に。そしたら二人がいうんですよ、
「今東光なんて、あんなものと一緒に写真を撮っちゃいかん」
 川端さんと今東光とは大変に仲が悪かったですから。
 中山義秀と会ったのも横光さんのところですね、早稲田大学で横光さんの同級生なんですよ。でも横光さんはよくこんなことをいってましたね。
「義秀は僕のことを同級生だと思っているけど、僕が義秀と同級になったのは、僕が一度早稲田をやめて、二度目に入ったときなんだ。だから僕は義秀の先輩なのにあいつは同輩と思ってる。どうも具合が悪い」。
 それから直木三十五とは、木挽町だったかな、あのあたりに芸者置屋があって、そこの二階が彼の仕事場だったんですよ。部屋には将棋や麻雀や遊び道具がみんな揃ってあって、横光さんや川端さんや、もちろん菊池寛も来て麻雀なんかやってましてね。
 だから僕はつい最近までそこを文藝春秋の倶楽部だと思ってた。最近ある人に聞いて直木三十五の仕事場だったと知ったんです。
 直木さんという人はものすごくお金を儲けたけど、また、ものすごくお金を使う人でもあったんです。だから、そこの家賃なんかも文春で払ってたかも知れないな。で、ものすごく痩せた人でね、ほんとに骨と皮でしたよ。
 あるとき、ある出版社の社長が、
「直木さん、このごろお痩せになりましたね」
 といったら、それまで原稿を書いていたのに急に血相を変えて、
「なにい」
 といったですね。慌てて菊池さんが、
「直木はこれでも太ったほうなんだ」
 このあたりが、菊池寛らしいところでね。直木さんはこのあと間もなくして死にました。
 そういえば吉川英治さんも来てたな。
 吉川さんは競馬が好きでしてね、菊池さんも好きで二人とも馬を持っていたし、僕の母親も競馬好きなもんだから、一緒に競馬場に行ったりして……。
 僕は、吉川さんってたいしたもんじゃないな、と思っていたからそれを母親にいったら叱られちゃった。
「あんな立派な人はありますか、関西の豪商のような感じをうけた」
 そういってましたよ。いま考えてみると、やっぱり品格はあったんでしょう。
 
後世に残る中島と梶井
 それから佐藤春夫さんはね、小日向町に住んでいて、門柱に菊池寛さんとはまったく逆のことを書いていた。
「多忙につき新聞記者、雑誌記者は面会お断り」
 それで、おもしろい対称的だなと思って訪ねてみたら会ってくれましてね。やはり僕を文学青年だと思って、
「日本でブラブラしていても親からなにがしかの金をもらうであろうから、その金でメキシコにでも行ってブラブラしとれ、そのほうが得だ」
 そういうんです。で、なにげなく机の上を見たら永井荷風の『つゆのあとさき』が置いてあった。それがすごく印象的で……そういうことを思い出すといまだに懐しいし、愉快であるね。
 佐藤さんと菊池さん横光さんは大変仲が悪かったけど、僕はそのどちらにも可愛がられた。どちら���大変によくしてくれましたよ。
 同じ年頃では檀一雄なんかね。檀一雄は僕が『酩酊船』を書いたとき訪ねて来まして……。いかにも恰好のいい青年でしたよ。もう、見ただけで凡庸な青年とは違うというのがわかりました。なにか、さっそうとしたところがありましてね。
 で、二度目に来たときは青年と一緒だった。檀君がいうわけですよ、
「ここに秀才がおる」
 それが太宰治だった。
 すぐ三人で酒を飲みに行って滅茶苦茶に飲んだわけ。だからなにを話したのかは覚えていない。だけどそのなかに中原中也もいたっていうんですよ。ところが僕はその中原中也を憶えておらんのです。
 同郷の人では中島敦さん。彼は僕の中学の先輩です。
 中島さんという人は中学のころから伝説的な人で、山口じゃ中島さんを知らない人はいなかったですよ、一高にも一番だったかで入っているしね。その当時の一高ったら、いまの東大とはわけが違います。全国から二万人ぐらい受けに来て六〇人ぐらいしか入れないんだから。それの一番ですからね。
 戦前にフランツ・カフカを読んでいたのは中島敦のみじゃないですか。『李陵』とか『山月記』とか、あれはカフカの影響で書いたんです。おそらくそういうことを論じている人はいないと思うけれど、僕はほとんどそうだと思ってる。
 とにかく大変な英才で語学、漢学、なんでもできる。三三歳で亡くなったけど、惜しいことをしたと思いますね。
 中島敦や梶井基次郎は、もう後世に、残るのが決まったようなものではないですか。
 梶井さんは『青空』という同人雑誌をやっていましてね、病弱のように思われてるけどなかなか行動的で、同人の家は全部回ってましたよ、三好達治でも中谷孝雄でも。
 その『青空』の同人は全部偉くなったですね、ひとりの落ちこぼれもなく全員が文壇に出ちゃった。で、そのなかで一番早く出たのが北川冬彦なんです。
 北川さんは僕のことを「弟や」といってましてね、いまはもう歳とったから神経質じゃないけど、若いころはものすごくピリピリしておった。その北川さんが、
「森君とどうしてあんなに親しくなったのかわからない」
 そう書いているんです。その北川さんの縁で梶井さんとも関係ができたわけなんですが、同人のなかで梶井さんが大将というか親玉だってことは誰でも知っていたんです。梶井というのは大変なものを書いているというのは誰でもが知っておったです、その当時。
 それから立原道造というのは僕の同級生でした。……僕はそのころ、文学青年みたいに扱われていたけど、本当は文学青年なんて一格下のヤツと、こう、いつも思っていました。だから立原なんかはたいしたことねえや、と。
 ただ、よく東大の建築科に入れたな、とは思っていましたね、建築科は難しかったですから。
 堀辰雄さんとも、よくその話をしましてね、堀さんも「私も驚いてます」なんていってましたね。
 堀さんとは……横光さんが毎晩銀座を散歩して、いつも資生堂という喫茶店に行きまして、そこに必ず堀辰雄が来ておったから、横光さんと一緒に銀座に行くと嫌でも同席することになるわけです。
 堀さんと僕とは、いろんな意味で考えかたが違いましたね。だから立原が仲立ちしたりしまして……。
孤独ではなかった放浪生活
 いま一番親しいのは北川さんもそうだけど、小島信夫君ですね。きょうはまだ話していないけど、毎日電話で話さないことはないといってもいい仲です。
 ずいぶん古くからの知合いで、終戦後に彼が僕のところに訪ねて来て、それからずっと友達です。
 どうも彼は子供のときから僕の名前だけは知っていたらしくて。……というのは僕は子供のころに受験雑誌なんかに頼まれて演説なんかやっていたんです。それが速記となって雑誌に載って、それを小島君が読んでいたらしいんです。
 いまはもう、向こうのほうが偉くなっちゃっているけど。
 若い人では三好徹さんですね。彼は私が尾鷲の北山川という川でダム開発の仕事をしていたとき、そのダムを取材に来たんですよ、読売新聞の第一線記者としてね。
 で、僕がそこにいることを知って、近くの本屋から『文学界』を買って来て、自分の書いた小説を読んでくれ、と来たわけです。
 『遠い声』という小説でね、それがなかなかよかった。だからこれはなかなか見込みのある人間だ。偉くなるんじゃないかな、と思っていたらやはり偉くなった��。
 だいたい僕を訪ねて来た人はみんな偉くなっちゃうんだな、どういうわけか。
 三好君は弥彦にも訪ねて来たし、いろんなところに師事するみたいにして訪ねてきたね。勝目梓君もそんな感じで訪ねて来た一人です。
 だから僕は一九歳のとき『酩酊船』を書いて、それから六一歳に『月山』を書くまでのあいだなにも書かなかったとはいえ、文壇的に孤独ではなかったんです。いろんな町や村を放浪しているときも淋しいなんて思ったことは、まったくなかったですよ。
 
一夜遊ぶために三日働く
 僕はね、一〇年働いたら一〇年遊ぶというふうにしてあるから、遊ぶときは徹底して遊ぶ。奈良なら奈良のとてもいいところに家を借りて、それからまたほうぼうを放浪する。そういう遊びなんです。
 奈良は瑜伽山に住んでいたんですが、奈良では一番いいところじゃないですか、大和平野の全容を見晴らすようなところでね。
 僕の住んでいたところは、いまは重要文化財かなにかになっているところです。それほど素晴らしい離れだった。それから新潟の弥彦に行ったのは雪が見たいという、ただそれだけのことですよ。
 弥彦は新潟でも雪の降らないとこらしくて、降っても二センチぐらいしか積もらないと地元の人から聞いてガッカリしたけど、僕が行ったその年だけは想像もつかないような豪雪でね、一晩で軒先まで積もったですよ。
 九〇歳になる人が、
「こんなに降ったのは記憶がない」
 というぐらいの大雪でね。
 それと、庄内に行ったのは鳥海山と月山が見たかったから。それもいろんな角度から見たかったから一〇か所ぐらい借家を替えましたよ。なに、移るのなんか簡単でね、トラックなんかに乗せてもらって、このへんがいいな、と思うところで家を探すんです。
 だから、かなり合理的ですよ。なんの不自由もない。どんな田舎でだって暮らせるね、あの月山でも暮らせたんだから。
 二十三歳ぐらいのとき、樺太まで行きましたよ、なんの動機もなく日本の果てまで行ってみようかな、と思っただけで。
 国境の町は敷香(シスカ)というんですが、その対岸にホタスという森があって、そこに北方民族が固まって生活しているわけです。
 そのときは敷香の宿に泊まるよりは愉快じゃないかと思って、オロチョン族とかヤクートとかツングースとか、そうした人たちとトナカイの群を追いかけながらテント生活をしてね。
 一〇年本当に働けば一〇年遊ぶくらいの金は貯まります。そのかわり中途半端な貯めかたじゃ駄目だな。
 僕は尾鷲で電源開発の仕事をしていたけど、働いてるときは優秀な人でね、しかもすぐ隣町の紀の本にも行ったことがないぐらい仕事一途。
 とにかく一夜遊ぼうと思ったら本気で三日働かないと駄目ですよ。金を使いながら金を貯めようったって、絶対に金なんか貯まりません。
 だから僕は奈良にいたときも伊豆にいたときも、東北にいたときも、お金はたくさん持っていましたよ。
 庄内に、月山におるときだって、お金は十分に持っていた。心ゆくまで月山が見たくて、それが目的で一〇年問働いたわけですからね。(構成・横川隆)
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ynbro · 3 years
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「日本の国家にとって一番大切なことは、自分が出した原子力緊急事態宣言というものを撤回できるように最大限の努力をするということだと私は思いますし、オリンピックなどと浮かれている場合では今はないのだと思います」(元京都大学助教・小出裕章先生2015-4-25日本外国特派員協会にて)
東京電力福島第一原発で発生した「汚染水を浄化処理した後の放射性物質トリチウムを含む水」について、政府は4月13日朝の関係閣僚会議で、原発から福島沖へ海洋放出処分する方針を正式に決定しました。地元の水産業者をはじめとして多くの人たちが反対する中、政府はとんでもないことを決めてしまいました。
元京都大学助教の小出裕章先生が2015年4月25日に日本外国特派員協会で記者会見され、"The Trouble with Nuclear Power"というタイトルでお話をされました。この記者会見の内容を「みんな楽しくHappyがいい」(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4220.html)というブログが、全文を文字起こしして紹介しています。
以前にも御紹介しましたが、この中で、小出先生が「汚染水の問題」について言及されている部分を抜粋して再掲させて頂きます。長文ですが最後までお読み頂ければと存じます。
■以下、小出裕章先生の記者会見の内容の一部抜粋です。
福島第一原子力発電所の事故からすでに4年が経ってしまいました。日本政府、あるいは東京電力が発表する報道というものは、非常に限られたものだし、誤りに満ちたものだと私は思ってきました。今日は、福島の現状がどうなっているか?ということをかいつまんで聞いていただこうと思います。
たくさんの放射性物質が原子炉の運転によって生み出されてきているのですが、その中で私が一番人類にとって危険を加えるだろうと思っているのは、セシウム137という放射性物質です。
この4号機の半分壊れた原子炉建屋の中に、使用済み燃料プールが宙づりになっているのですが、そのプールの底には広島原爆に換算すると、約1万4000発分のセシウム137が含まれていました。それがプールの底で発熱を続けているわけで、プールの水が干上がってしまって、燃料が溶けるようなことになれば、「東京すら放棄するしかない」と当時の原子力委員会の近藤駿介委員長が報告書を出しました。
記者のみなさんはご記憶かもしれませんが、当日から数日間にわたって、自衛隊のヘリコプターが福島第一原子力発電所に飛んで行って、上空から水を落としたことがありましたし、東京消防庁は放水車で現場に駆けつけたこともありましたが、それらはこの4号機の使用済み燃料プールの中に、なんとかして水を補給しなければ東京が壊滅するという、そのためでした。
そうしながらすでに4年が経ってしまいましたが、これもみなさんご記憶かもしれませんが、2011年という事故が起きた年には、民主党という政権が政党を握っていました。12月になって当時の野田首相という方が「事故収束宣言」というのを出しました。私はその時にも「冗談を言わないでください」と思いました。事故からずでに4年経っていますが、残念ながら事故は全く収束できないままです。
4号機の場合は、2013年の11月から、使用済み燃料プールの底の燃料を運び出す作業がようやく始まり、2014年11月に少し危険が少ないであろう、隣の共用プールというところに移動を終えました。このことに関しましては、私は本当にホッとしました。この作業が曲がりなりにも終わったということで、東京を放棄しなければいけないという自体は、たぶん避けられただろうと私は思います。
しかし、それで危機が去ったわけではありません。先ほど聞いていただいたように2011年3月11日に運転していた1号機から3号機は、原子炉が溶け落ちてしまったわけですが、その溶け落ちた炉心が、今現在どこに、どのような状態で存在しているか、誰もわかりません。なぜなら、4年経った今でも、現場に行くことができないからです。人間が行けば即死します。そのため、ロボットを行かせようとしているのですが、ロボットも放射線というものに関しては大変弱いので、送り込んだロボットはみんな戻ってこられないという状態になっています。4年経っても現場に行くようなことができないという事故は、原子力発電所以外には決して起きないという、そういう過酷な事故です。
仕方がないので、これ以上炉心を溶かすことはできないというので、ひたすら4年間水を注入し続けています。しかしそんなことをすれば、送り込んだ水が放射能で汚れた汚染水になってしまうということは避けようがありません。今現在も毎日300トンから400トンというような放射能汚染水が増加しています。それをなんとか環境に出さないようにしなければいけないということで、労働者が福島第一原子力発電所の現場で苦闘しています。
その労働者たちはもちろん東京電力の社員ではありません。下請け孫請け、そのまた下請け、孫請け。8次、9次、10次というような、多重な下請け関係の中で、賃金を受け取る時には、最低賃金にも満たないというような労働者が、現場で苦闘しています。
皆さんもご存知だろうと思いますが、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所の事故の場合には、60万人とも80万人とも言われる軍人、退役軍人、労働者、一部は囚人と呼ばれるような人たちが、事故の収束作業に狩り集められました。この日本でそれだけ大量の労働者を確保できるか?といえば、多分出来ないだろうと思いますし、今現在もすでに外国人労働者が大量に福島に連れてこられています。
今現在、日本というこの国は自民党という政党が政権を取っていて、安倍さんという人が首相をやっていますが、安倍さんは「何よりも経済最優先だ」ということで、オリンピックを誘致しようとしています。そのために「福島第一原子力発電所はアンダーコントロールだ」と彼は言ったわけですが、残念ながらいまだに苦闘は続いていますし、これから労働者がどんどん被曝をしながら、何年も何十年も戦わなければいけないという、そういう状態になってしまっています。
労働者の苦闘によって、これから環境に放出する放射性物質の量をなんとか少なくしなければいけないと私は思いますけれども、残念ながらすでに大量の放射性物質が環境に放出されてしまいました。今この瞬間も福島県を中心にした汚染地帯で、人々が被曝をし続けているわけですが、その状況はこれから何年も、何十年も、あるいは何百年も続かざるを得ないという状況になっています。
放射能汚染水が増加しているわけですが、それを東京電力はとにかくタンクを作って溜め込もうとしてきました。それがここに、一群のタンク群としてどんどんどんどん膨れ上がってきているという状態です。今現在50万トンを超える放射能汚染水がこの中に溜まっています。何れにしても福島第一原子力発電所の敷地には限りがありますので、タンクの増設も無限にできるわけではありませんし、あまり遠くない将来、「東京電力は放射能汚染水を海に流す」という、そういうことになるだろうと私は思っています。
そしてこういうタンクは、ほとんどが応急タンクです。きちっとしたタンクを作ろうとすれば、労働者がどんどん被曝をしてしまいますので、応急タンクしか建設できないという状態できていますし、あちこちで漏れが進んでいます。その上、壊れてしまった原子炉建屋、タービン建屋などにも汚染水がたまって、そこからどんどん、日常的に放射能汚染水が敷地の中に漏れてきてしまって、今現在福島第一原子力発電所の敷地全体が、放射能の沼のような状態になってしまっています。
東京電力は福島第一発電所の中の敷地の中にある井戸水を分析していましたが、去年の10月に撮った井戸水の分析結果を東京電力が公表しました。その結果、「セシウム134が1リットル当たり6万1000ベクレル入っていた」と公表しました。セシウム137が1リットル当たり19万ベクレル。全ベータと私たちが呼んでいる放射性物質は、1リットル当たり780万ベクレルあったということです。
日本の法律で環境に放出が許されているような、これらの放射性物質の濃度は、セシウム134の場合は、1リットル当たり60ベクレル。6万1000ベクレルに比べれば1000倍というような、そういう濃度のものが井戸水にありました。セシウム137の場合の環境に放出してもいい濃度は1リットル当たり90ベクレルですから、この場合には2000倍以上というようなものが、もう井戸水の中にあふれてきてしまっているというような状態です。
さらにこの全ベータと呼んでいるものの正体は、私はストロンチウム90だと思っていますが、ストロンチウム90の環境に放出していい濃度は1リットル当たり30ベクレルでしかありません。ですから、何10万倍というような猛烈な放射能を含んだ汚染水が敷地の中にあって、それが井戸としてくみ上げられているという状態です。
こういう危機がこれからずーっと続いていくし、その危機を少しでもなんとか乗り切るために労働者が被曝を続けるということになるわけです。
その上もっと困難な課題が残っています。それは、溶け落ちてしまった炉心をこれから一体どうするか?ということです。
東京電力と国は、その溶け落ちた炉心をいつの時点かで外につまみ出して、安全に保管するという工程表を書いています。東京電力の説明によると、「溶け落ちた炉心は原子炉圧力容器の底に一部が残り、そして格納容器の床の上に饅頭のように堆積している」と彼らは主張しています。
今現在は格納容器という、放射能を閉じ込める最後の防壁として設計されたこの容器もすでに破壊されてしまっていて、いくら水を入れても中に水が溜まらないという状態になっています。東京電力はいつの時点かで圧力容器の底に残っている燃料と格納容器の底に落ちた燃料を上方向に取り出そうとしています。
しかしこの状態で圧力容器の蓋を開けてしまうと、大量の放射線が下から上方向に飛び出してきてしまって、全く作業ができません。そのため東京電力は、「今は壊れてしまっている格納容器をまず補修して、格納容器全体に水が張れるようにする」と言っています。
その上で上の方から機器を下に挿入していって、圧力容器の中にある燃料、あるいは格納容器の中に饅頭のように溜まっていた燃料を上につかみ出す、というのが東京電力と国の計画です。
しかし、「こんな作業は決してできない」と私は思います。何よりもまずは、穴の空いた格納容器をきちっと調べることが困難を極めていますし、「どこに穴が空いているか」ということがわかっても、それを補修することすらできないだろうと思います。仮にその補修ができて、水が格納容器の中に蓄えられるようになったとしても、実は、溶け落ちた燃料は格納容器の床の上に饅頭のように堆積しているということは決してないと私は思います。
事故は非常に過酷な状態でドラスティック(drastic)に進行したわけで、溶け落ちた燃料は、もう、そこらじゅうに、格納容器の中に散らばってしまっている。あるいは既に格納容器の床を突き抜ける。あるいは、横方向を突き破ってそこらじゅうに散らばっていると私は思いますので、上方向から機器を入れて掴み出せる燃料の量などというものは知れていると思います。
そのことは原子力の専門家であればみんなわかるはずだと私は思いますし、最近になって福島県の新聞がこのような記事を出しました。今聞いていただいたように、溶け落ちた燃料が圧力容器の真下の格納容器の床の饅頭のように溜まっているようなことはなくて、「もうそこらじゅうに散乱してしまっている」と、国の方の研究者も認めているという、そういう情報です。
結局、溶け落ちた燃料を取り出すことはできないと私は思いますし、チェルノブイリ原子力発電所でやったように「石棺」というもので封じ込めるしかないと思います。
しかし、1号機、2号機、3号機にも4号機と同じように使用済み燃料プールがあって、
そのプールの中に、未だに使用済みの燃料が沈んだままです。それをなんとかして掴み出さない限りは、石棺を作ることすらできません。1号機2号機3号機の使用済み燃料プールの底から、燃料を少しでも危険の少ない場所に移すまでに、何年かかるのか?私にもわかりませんし、東京電力も国も、ほとんど分かっていないだろうと思います。
その石棺を作る作業に着手するわけで、一体石棺というものが何年後にできるのか、それすらがわかりませんし、たぶん私は死んでしまっているのではないかと私は思います。
仮に石棺ができたとしても、皆さんがご存知の通り、チェルノブイリ原子力発電所では、29年経った今、はじめ作った石棺がボロボロになって、第二石棺というものを作ろうという作業が進んでいます。チェルノブイリで壊れた原子炉はたった1基ですけれども、福島第一原子力発電所では少なくても1号機2号機3号機という3つの原子炉が溶け落ちてしまっているわけで、これから何十年、あるいは何百年という期間に渡って、放射能を閉じ込めるという作業をしなければいけません。
これがこれから戦いを続けなければいけない課題ですけれども、「すでに放出されてしまった放射性物質にどうやって向き合うか」という課題も現に存在しています。
福島第一原子力発電所の事故でどれだけの放射性物質が環境に放出されたか?ということに関しては、日本国政府がIAEA国際原子力機関に報告書を出していますので、その数字を今から見ていただこうと思います。
私が見ていただくのは、先ほど聞いて頂いたセシウム137という放射性物質がどれだけ放出されたかというデータです。
福島第一原子力発電所の場合には「1号機だけで広島原爆の6発分から7発分のセシウム137を大気中に放出した」と日本国政府が言っています。一番大量に放射性物質を吹き出したのは2号機だと国と東京電力が言っています。3号機もやはり吹き出させて、当日運転中だった1号機2号機3号機を合わせると、「広島原爆が放出したセシウム137の168発分を環境にばらまいた」と、日本国政府が言っているのです。
そしてこれは待機中にばらまいたセシウムだけであって、先ほど聞いていただいたように、今現在も放射能汚染水としてどんどん海へ流しているという、事故が進行しているわけです。つまり、福島第一原子力発電所の事故というのは、広島原爆の何100発分というような放射性物質を環境にまき散らし、今現在も撒き散らし続けている事故だということです。
大気中に吹き出してきた放射性物質はどうなるか?といえば風に乗って流れるだけです。
もちろん、日本の東北地方・関東地方は猛烈に汚れているわけですけれども、日本というこの国は北半球温帯という地域に属していて、上空では偏西風という強い西風が吹いています。そのため福島から吹き出してきた放射性物質は偏西風に乗って太平洋の方向に流れていって、北アメリカ大陸の西海岸を強く汚染しています。一つの事故がその現場だけではなくて地球全体に及ぶような汚染を引き起こす。というようなものも、やはり原子力発電所以外には起きないはずだと思います。
ともあれ日本国内は強い汚染を受けました。上空では偏西風が吹いていたとしても、地上では南風の日もある、北風の日もある、東風の日もあるわけですから、東北地方を中心として、このような汚染が生じたと日本国政府が地図を公表しています。赤、黄、緑と色分けしたこの地域が猛烈な汚染を受けた地域で、今現在も10万人を越える人達が故郷を追われて流浪化してしまっています。そのほかにも汚染はもちろん生じていて、青く塗ったところ、あるいはくすんだ緑で塗ったところというのがあちこちにありますが、こういうところは一番汚染が少ないところでも1平方メートルあたり3万ベクレルを超える放射能で汚れています。
日本には放射能に関する法律がたくさんありまして、放射能を取り扱う場所は、放射線管理区域という地域に指定して、その中で厳密に取り扱えということになってきました。その放射線管理区域から何か物を持ち出す時には、1平方メートルあたり4万ベクレルを超えているようなものはどんなものでも持ち出してはいけないというのが日本の法律でした。
放射線管理区域というのは普通のみなさんが立ち入ることすら禁じられる場所ですし、私のような職業的な労働者であっても、中に入ったら最後、水すら飲めないという、そういう場所です。
放射線管理区域の外側には、1平方メートルあたり4万ベクレルを超えて汚れているようなものはどんなものでも存在してはいけないというのがこれまでの法律だったのですが、この青いところは1平方メートルあたり6万ベクレルをすでに超えてしまっていますし、くすんだ緑のところも3万ベクレルから6万ベクレルという汚染を受けているのです。
日本が法律を守るというのなら、およそ1万4000平方キロメートルに及ぶ場所を放射線管理区域にしなければいけないほどに汚れていると、日本国政府自身が地図に示しているのです。しかし日本国政府は原子力緊急事態宣言を出して、「今は緊急事態だから法律を守らなくてもいい」ということにして、人々をこの汚染地に捨ててしまったのです。
今、「放射性セシウムが大気中に放出されたのは広島原爆の168発分ぐらいだと日本国政府が言っている」と私が言いました。その量が1万5000テラベクレルという放射能の単位です。その大部分が偏西風に乗って太平洋の方へ流れていきました。そして一部分が、日本の東北地方関東地方に降り注いだわけですが、その量は約2400テラベクレルです。
今私は放射能の単位でセシウム137の量をみなさんに聞いていただいたのですが、このセシウム137を重量にする、重さで測ったらどのくらいになると思われるでしょうか?福島第一原子力発電所が撒き散らしたセシウム137は、全量でも、4.7kgしかありません。日本の東北地方関東地方を中心に、広大な地域を放射線管理区域にしなければいけないほど汚染したセシウム137の重量は、わずか750gです。放射能は人間の五感で感じられないとよく言われますけれども、当たり前です。感じられるほどの放射能があれば人間なんて簡単に死んでしまうという、そういう生き物なのです。
そういう汚染の中で今、福島を中心にして、人々が被曝をし続けているわけですが、なんとか被曝を少しでも少なくしたいと言って��自分の家の周り、学校の校庭、とかいうところから、土を剥いで集めています。もちろん田畑の土を全部剥ぎ取るということもできませんし、山の線を剥ぎ取ることもできないのです。ごくごく一部の汚染を剥ぎ取って、こういう袋に詰めて積み上げてきています。何千万袋というような袋が、汚染地帯にこんな形で積み上げられて、どんどんどんどん、今現在も増えてきてしまっています。
しかしこれは袋ですので、どんどんどんどん破れてきます。実際にはこのように一度は詰めたつもりでも、中から植物が袋を突き破って外に出てくるということになっていて、この袋をこれから一体どうやって管理をしていくのか、ということは今の課題になっていますし、これから何十年も何百年もこういう放射能に向き合わなければいけないという状態になっています。
時間を大幅に消化してしまいましたが、福島の事故は未だに進行中だということを皆さんにもわかっていただきたいと思います。終わりにします、ありがとうございました。
[質疑応答]
バレーンの大使:もし先生が安倍首相だったらどういう対策を取りますか?この問題に対して。
小出:対策はたくさんやらなければいけないことがありますが、まずは汚染水というものの増加を防がなければいけないし、その環境への漏れというものを防がなければいけません。そのためにやるべきことは、私は二つだと思っています。まずは、これまではひたすら水を注入することで、溶け落ちた炉心をこれ以上溶かさないということをやっていたのですが、水での冷却ということを諦める。私の場合は金属というのを候補としてあげていますし、場合によっては空冷も可能だと思っていますので、それをまずやるべきだと思っています。
次には、すでに敷地の中が放射能の沼のようになってしまっていると私は先ほど申し上げさせて頂きましたが、その沼のような水が環境に出ていくことを防がなければいけませんので、原子炉建屋周辺に、地下にダムを張り巡らせるということをやらなければいけないと私は思って、2011年5月からその主張を続けています。そのことは国も東京電力も最近になってようやく気がついてきて地下にダムを作る、ただし、そのダムは凍土壁という土を凍らせて作るんだということを公表しています。しかしその凍土壁というのは深さが30m、長さは1.4kmというような凍った壁を作らなければいけないわけで、そんなものは決してできないと私は思います。やはりコンクリートと鋼鉄の遮水壁、ダムを作らなければいけないと思いますし、早急にそういうような形で対策を講じていくべきだと思います。ご質問に対して今はあまりにもテクニカルなお答えになったかもしれませんので、もう少し基本的なことをこれからお答えしたいと思います。
事故は残念ながら起きてしまいました。そしてその日に原子力緊急事態宣言というのが出されて、4年以上経った今も緊急事態宣言は解除されていないのです。だからこそ、日本の法律では許されないような場所に「人々を捨てる」というようなことも今現在行われているのです。日本の国家にとって一番大切なことは、自分が出した原子力緊急事態宣言というものを撤回できるように最大限の努力をするということだと私は思いますし、オリンピックなどと浮かれている場合では今はないのだと思います。
ご質問では「私が安倍さんだったら」という仮定でご質問をいただきましたが、もし、私が安倍さんであれば、まず真っ先にやることは「子供たちを汚染地帯から避難させる」ということです。やらなければならないことは山ほどあって、全てお答えすることはできないと思いますので、まずこれでよければ次のご質問に移りたいと思います。
フリー藤田:フリーのジャーナリストの藤田裕行と申します。サリーという科学者の団体がありまして、例えばオックスフォード大学のウェード・アリソン先生、「放射能と理性」という本を出されていますけれども、そういった科学者の知見を聞きますと、年100mSv程度の低線量放射線は健康に害を及ぼすどころか、むしろガンが減るとか健康にいいとか、
そういうことを言われているんですね。その観点に立つとですね、もちろん除染も必要ないし、子供達は学校の校庭で外で元気よく遊んだらいいし、汚染水も全然ためる必要がないと。「どんどん、すぐ全部海に流したらいい」と放射線が、今すごい放射線量が空気中に出たといってもですね、「放射線は低線量で全然健康に問題はない」と。「癌にもならない」というようなことになるんですが、そういう、ま、結構そういう人が増えているんですよ、今。その辺はどう思ってらっしゃるんですか?
小出:あまりにも愚かな主張だと思います。人類が放射線を発見したのは1895年で、それ以降たくさんの放射線被曝と健康への影響が積み重ねられてきました。その結果、現在の学問の到達点としては、「被曝というものはどんなに低いものであっても必ず健康に影響がある」というのが現在の学問の定説なのです。
だからこそ、この地球上でほとんどすべての国に「放射線の被曝に関する法律の規制がある」という、そういうことになっているわけです。日本の場合も、「被曝には危険が伴うから、一般の方々は1年間位1mSvしか被曝をしてはいけない」という法律があるわけだし、私のような放射線業務従事者という労働者であっても、「1年間20mSv以上の被曝はしてはいけない」ということを法律で定めているわけです。
それが全く間違いで「被曝は健康にいいんだ」というのであれば、法律でそういう制限を撤廃するというのがまずはじめにやるべきことだと私は思いますし、世界中の国々がそういう法律を決めている以上は、法律の定めによって国をきちんと運営するというのが、国の責任だと私は思います。
(以上、小出裕章先生の記者会見の内容の一部抜粋おわり)
原子力は「悪魔のエネルギー」です。原発は廃止あるのみです。
私たちや私たちの子供や孫たちが毎日安心して楽しく暮らせる平和な社会を築くことは、私たち大人の責任です。
#日本学術会議への人事介入に抗議する
#現政権は極右政権です
#自公維には投票しない
#菅義偉首相は辞めて欲しい
『ストップ・ザ・菅!』『ストップ・ザ・極右!』です。
(註1)この記事は2015年4月29日の記事に加筆したものです。
(註2)添付写真は2013年8月23日放映のテレビ朝日「モーニングショー・そもそも総研」に出演した小出裕章先生。
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forbethcooper · 4 years
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2020.11.07
 この記事は約3分で読めます。
 ある程度(という「お塩少々」並に判然としない曖昧模糊で主観的な判断基準ではあるけれど、蓋し国際規格の一般論——莫迦捨て山こと治外法権市区町村のひとつである、ファベーラ・オカザキでは浸透し得ない、論旨になり得ない論理から大きく逸れはしないであろう度合い)の品性すら持ち合わせない人間(666の刻印持ちの正しく獣が如き)に対し、途方もない倦み疲れを覚えると、憫殺を決め込むことが最良の選択だったのだと気づく機会になります。節操のない、説法の甲斐もない母国語すら危うい輩は、一体全体どうして「ファック」という言葉を呆気なくあけらかんと、片仮名の発音で吐くのでしょうか。  僕自身がこのゲットーに住まう、ぽんこつ且つちゃんがらな存在であることが何よりの証明となることでしょう。  嗚呼、岡崎市。市長が謳った市民への給付金、一律五万円。財源も碌に足らんままに豪語したマニフェスト。低脳地区代表の僕にはそれの是非については杳としてわかりませんが、誰用か知れない駅前の繁華化開発と、該当地までの公共交通機関は不整備のままに、滅多矢鱈な護岸工事や歩道に重点を置いたインフラ整備ばかりが目立ちます。岡崎市という街のどこがOKなのか分からないので、NGAZAKI市と呼びたくなる愛すべき郷里です。状況的にはザキというよりもザラキですか? クリフト的にはオールOKですか?  演繹的に考えれば、この街が魅力の詰まった汲み取り式の厠であると誰もが気づくことでしょう。  一度はお越しになって、サイボーグ城を眺めてから、銘菓『手風琴』を手土産にそそくさとお帰りいただければ僥倖です。
 どうも、皆さんこんばんみ。御器齧宜しくに中々しぶとく無駄生きし、厭世家風を吹かすキッチュの顕現体こと僕です。世捨て人って何だかデカダンで格好よさげだけど、結局二の足踏み抜いて俗世人のまま死んでいくんだろうなぁ。僕です。  先日、夢を見ました。ディテールやイメージに関しての記憶はごっそりと抜け落ちておりますが、なんだかやけに馬の合う女性とそれはもういい雰囲気でした。ただそれだけです。
 やって参りました、自己陶酔の頃合いです。  どうせ世の中、四面楚歌てなもんでして。僕にとっての仇敵がわんさかと、えっさほいさと、娑婆中で跳梁跋扈だか横行闊歩だかしているのだから、僕くらいは僕という豆もやしを褒めそやし、肥え腐らせていかないでどうするのでしょう? そうでしょう、そうでしょう。どうでしょう。  自己陶酔というより、自己憐憫? はたまた自己愛恤? そんなこたぁどうだっていいですね。恥部の露呈に忙しなかったジャン=ジャックと何ら差異がないんですから。  変態の所業ですよ、こりゃあ。  兎角、どんな些細なものでありましても、感想をいただければ快哉を叫びながら、ご近所に平身低頭謝罪行脚を回覧板とともにお配りします用意はできております。奮ってご参加ください。
 古錆びた要らぬ敷衍ばかりの冗長なアバンを持ち味にして、殊更に冗長で支離滅裂な本編へ参ります。  前回の更新で、『色覚異常』、『現代日本縮図』の楽曲について諸々の所感をさらりと書かせていただきました。今回は僕自身への感想なので、一瀉千里に書き殴り、超絶怒涛の仔細があります。まずは『SUCKER PUNCH 2 : FATALITY』を聴いてみてください。以下は読まなくても大丈夫です。  フォロー・ミー!
01. Vice Is Beautiful
SUCKER PUNCH 2:FATALITY by ベス・クーパーに
 “Vice Is Beautiful”などと、大仰も大仰に「悪徳こそ素晴らしい!」と闇属性に憧憬をする中学生並みの痛々しい題名を読み上���ると、今になって顔から火が出る思いで、同時に一斗缶満ち満ち請け合いの汗顔が迅速な消火活動に当たる思いでもあります。当たり前ですが、ピカレスクはピカレスクであるから素晴らしく、すべからく遏悪揚善すべきであろう、そう考えております。悪人正機でいうところの「悪人」の範疇がどうとかはこの際度外視で、僕という歩く超偏見型色眼鏡刑法書野郎の視点に於ける「悪人」は普く極刑であり、地獄に落ちることさえ生温いと思う訳です。願わくばファラリスの雄牛の中でモウモウと喚き続けていただければ有り難いとか云々カンヌン……。ただ僕は不可知論が信条ですので、地獄というのは表現の一環です。しかしながら途方もない腹痛に苦しめられている時だけは、神仏に縋ろうとするオポチュニストである自身の軽薄さに忸怩ってしまうところですが、正直なところどうでもいいなぁとも考えてしまいます。こういった僕のような人間を英語でなんて呼ぶかご存知でしょうか? “Japanese”です。横道に逸れ過ぎました。  閑話休題。  この曲、通称「VIB」。今からそう呼びます。ジャン=クロード・ヴァン・ダムを「JCVD」と呼んだり、マイケル・ジェイ・ホワイトを「MJW」と呼んだりのアノ感じが粋だと思うからです。  ジャンルはJ-POPです。僕は常にポップでありたいのです。アンディ・ウォーホルとか好きですし。付け焼き刃な例示なので、何が好きとかはないです。MJが“King of Pop”なら、YGは“Pawn of Pop”です。ほら、POPじゃないですか? じゃ、ないですか。  キーは知りません。BPMは196。曲展開は「イントロ1→イントロ2→A1→A2→B→C→間奏1→D→E→間奏2(ギター・ソロ)→C2→C3→F」となっております。  イントロ1でEなんたらのコード・バッキングからぬるり始まります。音作りに難航、してはおりませんが迷走しており、僕の三文鼓膜ではヨシアシが今でもわかっておりません。困るとドラムをズンドコと氷川きよしさせておけば何とかなると思っている節が聴き取れます。  A1、2共にコード・チェンジが忙しないです。Gなんとかとかいうコードとか、F#うんちゃらとかいうコードとか、後は6,5弦を弾いていないのでルート音とかもわからないのとか。「3x443x xx222x xx233x 2x233x 5x56xx 6x56xx」とかの流れで弾きましたが、どうかコード名教えてください。リフ・プレイも忙しないです。作曲に重要なのは引き算だと、偉い人が仰っておりました。全くもってその通りだと思います。その後のBがなんか転調してませんか? あんまりそういうのわからないんですけれど、元々のコード進行に引き戻せなくて懊悩した記憶があります。  C1は僕の悪い癖が出に出まくっています。4小節毎に変化するんですけれど、如何に多種多様なリフを生み出せるか(パイオニアだか傾奇者だか気取りたいという気持ちを汲み取っていただきたいです)に妄執しています。三回し目のリフが弦飛びしてて難しかったです。二度と弾きたくない。  奇天烈風を装いたくて3/4のDをぶち込み、曲中最ポップなEです。こちらのベース・ラインが気に入っております。もっと目立てる演奏力や音作り、ミックス技量があればと自身の矮小さに辟易としながら、開き直っております。  ギター・ソロでは似非速弾きが聴きどころです。  再び再帰するC2。前述の通り悪い癖が出ております。ネタ切れか、はたまた単に引き出しが少ないだけか、同一のフレーズを弾いております。C3ではてんやわんやの大盛り上がりです。頭打ちのドラムになり、ベース・ラインは「デデ↑デデ↓デデ↑デデ↓」と動きます。強迫観念なのかそういうフレーズを弾かざるを得ない体に、ゾル大佐によって生物改造人間にされています。  最終Fでは5/4があったりと僕なりの冒険心で取り組んだ努力が見て取れました。8分の〜とかになると対応できません。ギター・リフが格好よくないですか? 僕的には満足なんですけれど……。  全体的に楽器は何を弾いていたかわかりません。大抵が朦朧とした意識の中で録音していたので、記憶からずるり抜け落ちています。俯瞰から幽体離脱した状態で、白眼ひん剥いて必死に爪弾いていた僕を見ていたような気がします。  ここから僕のモニャモニャとした歌詞です。  全編通して日影者としての卑屈さがドバドバと分泌されておりましょう。本領発揮です。僕のようなペシミスト崩れがこうやって憂さを晴らすことでしか、自身の瓦解を防げないのです。本当に嫌な奴ですね。友達いなさそう。  可能な限り似た語感や韻、掛詞を意識しております。とどの詰まり、これは和歌です。と言いたいところですが、秀句と比べるにはあまりにも稚拙でございます。何せあの頃の修辞技術といったらオーパーツですし、即興性すら兼ね備えていると来ました。そして、何より読み人は貴族貴族貴族、もうひとつ貴族。僕なんて教養のない賎民でございますから、足りない頭を捏ねくり回して、やっとこと拵えた艱難辛苦の産物です。しかしながら、乾坤一擲の気概で綴った言詞たちではございますから、どうか冷ややかに、僕の一世一代ギャグを解説する様をお楽しみください。  冒頭のAのブロックでは押韻の意識を強くしております。各ブロックで頭韻を揃えながら、「掃射か/お釈迦」「淫靡で性〜/インヴィテイション」と中核を作ったつもりです。開口一番から延々と悪態塗れの陰気なアンチクショーです。鷸蚌を狙う気概、そんなものがあればよかったのに、という感傷的なシーンでございます。  Bでは掛詞が光ります。「擒奸」とはアルカホルの別称だそうで、「酩酊した奸物が容易く擒えられた」的なお話が漢文だかなんだかであるそうでございます。詳しくは知りませんが。「さ丹、体を蝕めば〜」では、アセトアルデヒドの影響で皮膚が変色する様と同時に、「“sanity”を蝕めば〜」と読めば身体、精神ともに変貌していくことを示唆していることに気づきます。  所謂サビの様相のCですが、可能な限り同じことを綴らないようにしております。繰り返し縷述する程に伝えたい内容がないのですが、言いたいことは四方山積みにあります。お喋りに飢えております。そんなC1は愛する岡崎市の縮図と現状、原風景とも呼べる花鳥風月が流れ去るドブ川のような薄汚い景観美の言及に心血を注いでおります。諸兄諸姉がご存知かはわかりませんが、徳川家康という征夷大将軍が400年ちょっと前におられたそうでして。その家康公(a.k.a 竹千代)が生まれた岡崎の一等デカいバラックから西に下ったところ、以前は『やんちゃ貴族』なる逆さ海月の助平御用達ホテルがありました。そして城下の北には『アミューズメント茶屋 徳川』なる股座用の射的場があるそうです。「城下、公卿の遊技場」というフレーズに秘められた情感ぷりたつの景観が想起されるのではないでしょうか。因む訳ではありませんが、『アミューズメント茶屋 徳川』の隣には『亀屋』という喫茶店があります。粋で鯔背ですよね。  Dでは、何処となくサンチマンタリスムが滲んでおります。何もなせないままに過ぎ去る今日という日の重圧と、それから逃げようとする怯懦心の肥大があります。  Eに入ると気が触れたのか、資本主義の礼賛です。情緒不安定です。そして麻雀用語でお茶を濁しております。  再びのC2です。自身の滑稽さが爆笑の旋風を吹き荒らします。非常にシンプルな隠喩表現があります。続くC3では、家康公の馬印からの引用をしております。C1では自身の有用性のなさ、無力さを嗟嘆。C2では開き直るも、C3で再び打ち拉がれるという情緒がひっちゃかめっちゃかです。  最終、Fでは曲の終わりと共に事切れる姿が描かれております。衒学者でも意味がわかるようにとても平易な内容だと、締め括られます。  始め、僕の全身全霊の圧縮保存の「Vice Is Beautiful.zip」を紐解く予定でしたが、既にご存知の通り冗長どころか蛇足々々々くらいのヒュドラ状態です。僕の意識下で綴られた拙筆なる修辞技法のアレソレコレドレは毎行に置き捨てたので、よろしければお探しください。全て見つけられる御仁がおられましたら、最早僕ではなく、そちらが八木です。
 続けて次へと進みたいのですが、長過ぎませんか? 擱筆した方がいいですか? 次回にしましょうか。いや、このまま行きましょう。友達がいないので語り足りません。  最早、末筆なのではと自分自身に問いかけたいくらいにダバダバとした作文をしております。僕は頑張ったんだよって、僕が僕を認めるために。これくらいの自己愛やらナルシシズムがなきゃ曲なんか拵えないですよ。「誰かに届け!」とかそんな思いは毛頭ないです。申し訳ないです。  はてさて、世に蔓延るウェブログの弥終で管を巻き続けること数千文字ですが、続きます。
06. Catch You If I Can
SUCKER PUNCH 2:FATALITY by ベス・クーパーに
 Manoさんが「90秒の覚醒剤」と評していただきました。嬉しかったです。  こちらの捩りは何ンク・某グネイル氏の半生を描いたアレです。美しき相貌のドデカ・プリオの演技が光ります。“Catch You If I Can”と題名の通りですが、実のところ僕はヴィジランテです。私刑を執行すべく、尻を蹴り上げるか、ガイ・フォークスの面を着けるか、視界を遮り棍棒を装備したりと、日中日夜イマジナリー・エネミーとの戦いに明け暮れております。クロエ・グレース・モレッツやナタリー・ポートマンやエロディ・ユンが側にいないところ以外は一緒です。僕自身が阿羅漢ぶった言い分ではございますが、僕もタブラ・ラサでイノセントな存在であると、大口で宣える程の聖人君子ではないです。「罪のない者だけが石を投げよ」なんて言葉もありますので、僕は持ち前の当て勘で截拳道由来の全力ストレート・リードを打ち込みます。己やれ!  こちら『SUCKER PUNCH 2 : FATALITY』のラスト・ナンバーを飾らせていただきました。締め切りを延ばしていただき、さらにその締め切りの後に提出しました。その件につきましては謝罪のしようもございません。  駆け抜ける清涼感、爽やかでポップでラブ&ピースな楽曲に仕上がったと思いますが、いかがでしょう?  ジャンルは勿論、J-POPです。理由は前述の通りでございます。キーは勿論、知りません。ドレミファソラシドってどれがどれなんですかね。『おジャ魔女どれみ』世代なんで、ファ以降を知らないです。BPMは232です。曲展開は「イントロ→A1→A2→B→C1→C2→D→アウトロ」となっております。僕は映画でいうCパートが好物でして、そう言った部分を作ろうとしています。嘘です、たまたまです。勢い任せの一方通行な展開ですね。まるで乙川のようです。  イントロからハイ・テンションですね。押っ取り刀にサッカー・パンチ。今回カポタストを装着し、1音半上げでやっていきました。バッキング・パートは「x3x400 x3x200 x2x000 x2x200 | (1~3)x01000 x1x200(4)x222xx」と16分刻みで弾いてみてください。容易く弾けます。リフは知らないです。  A1はカッティ��グが効いてます。効いてます? 右手のフレーズが活き活きしています。悪態に拍車を掛けておりますし、ベースがブリブリと弾けたのも満足です。A2で困った時のお助けアイテム、三連符でコータローばりに罷り通っていこうとします。  Bがお気に入りでして。メロディと共にふんわりモコモコなドリーム・ポップ風です。サンバ・チックなリズムがよいアクセントではないでしょうか。ドラム・ソロを挟み加速度は自重で二乗といった気分です。BPMは変わりませんけれど。  C1は「C→B→E」ルートですが、ちょこちょこと変な音足してるので詳しくはわかりません。TAB譜作ったら貰ってくれる人いるのかしら? 要らないかしら? 自分用に作ろうかしら? ふた回し目にあるパワー・コードの「E→G→A#→B」みたいものを使いがちです。ギター・リフは半ばこんがりウンチ<©︎ダ・サイダー(CV.矢尾一樹)>——自棄くそ——気味で愉快ですね。0:47辺りに左前方で鳴る「ピョロロロー!」というお間抜けハッピー・サウンドですが、ワーミー踏みました。C2ではハーフ・テンポで落ちサビを作り、J-POPの体裁を取り繕うことに挑戦しております。リフはプリング・アンド・プリングです。プリプリですね。『Diamonds』のB面が『M』って知ってました? 度肝抜かれました。世界でいちばん寒い部屋で、心拍止まりそうです。頭抜けのブレイクが大好きです。演奏する時に思わずギターを振り上げてしまいたくなりますよね。  最終Dでは、バッキングのコードがなんか違った気がします。ここで浮遊感というか、シンガロングな雰囲気が作りたかったんですけれど、どうでしょう。ここを沢山の人々と合唱したいです。  続いて歌詞について掘り下げるようなそうでもないようなことをしていきます。筆がノリノリでして、一日で書けました。普段は、数日くらいあーでもないこーでもないと懊悩煩悶七転八倒五体投地に考えるんですけれど、勢いってありますよね。  青っ白い顔をした雀子宜しくの矮小存在が、邪魔者扱いされ、どうにも魔が差して刺傷でも企てそうな、風雲急を告げるといった面持ちのAです。三連符の誹謗で締めます。  掛詞の中傷で抽象な街を少しでも掘り下げるBですが、綴りたい文句が有り過ぎて並列表記してしまいました。お好きな方でご理解ください。「治水」��深読みしてください。  C1ではギリギリガールズに愛を込めたアレゴリーに着目していただければ嬉しいです。それ以外は珍しくストレートな歌詞ですね。読み返して恥ずかしくなっちゃいました。赤顔の余り、赤シートで消えそうです。「イエス・グッド」とはNGの対義語です。「やる気ゼロゼロコブラ」と共に流行らせたい言葉です。C2、「陰嚢の〜」の下りは語呂がお気に入っております。僕にとってのマリリン・モンローは現れるのでしょうか。  締め括りにDで僕のヴィジランテ精神を書き綴っております。「足りない」のはきっと音域です。  他にも修辞表現がございますので、お探しください。ウォーリーよりは簡単に見つかると思います。  全体的にムッツリ助平をひた隠すために労力を注ぎましたが、通しで読み返すとそれなりに一本の流れがあるように感じます。芥川龍之介すらもまともに読んだことありませんが、努力をせずに文豪になりたい、そう思っております。一人ぼっち善がりなエチュード・ソング、そう解釈してください。
 カモン緞帳!
 くぅ疲。
 もしも、僕のウェブログを眺め、「こいつは何を言っているんだ、気持ち悪い」と論旨について一考する間もなく、脳味噌無回転に匙の投擲大会に興じたとすれば、それは人としての思考力の欠如に他ならず、僕としてはしたり顔をするより他がない訳です。  僕も読み返してみたところ、何を言っているのかさっぱりわかりませんでした。思考力など何の役にも立たないのです。重要なのは大事な時に熱り勃てるかどうかなのです。  フィグ・サインを掲げていきましょう。  ファック!
 追啓 この度、空飛ぶスパゲッティ・モンスター教に入信することと相成りました。
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carguytimes · 6 years
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クルマ好きじゃなくても楽しめるお洒落なクラシックカーレース「La Festa Mille Milia(ラ・フェスタ・ミッレミリア)2018」の見どころは?
10月19日(金)~22日(月)の4日間、1都9県に渡って行われるクラシックカーレース「ラ・フェスタ・ミッレミリア」。今年も東京の明治神宮からスタートし、福島・裏磐梯~千葉県・成田市~明治神宮でゴールを迎えます。 もともとはイタリアで開催しているクラシックカーの公道レースで、イタリア語で「ミッレミリア」は、1000マイルという意味。1997年から始まり、今年で20年目を迎えました。 そして私はスタートの明治神宮ではなく、その後で立ち寄る東京・代官山蔦屋書店で一行を迎えます。・・・と思ったら、代官山蔦屋書店の駐車場はこのイベントのため当然使用できず、数少ない周辺の駐車場も混雑していて、駐車場探しに難航して最初のほうを見逃すという大失態。 今回私が思う 見どころその1 ブガッティや2000GTなどの名車 1924年式の「BUGATTI T22 BRESCIA」(No.3)から1968年式の「TOYOTA 2000GT」(No.104 )まで112台が参加。ちなみに2000GTは日本車唯一の参加車両です。 見どころその2 堺正章氏、清水國明氏など有名人 参加者は有名人もいっぱい! 初回から参加している堺正章氏は1957年式「MASERATI 200SI」(No.72)。清水國明氏は1955年式「メルセデスベンツ 190SL」(No.81 )。ラリードライバーの篠塚建次郎氏は1949年式「HEALEY SILVERSTONE」(N0.39 )。カーデザイナーのケン・オクヤマ氏1957年式「FIAT ABARTH 750GT」(No.95)。モータージャーナリストの九島辰也氏は1953年式「FIAT FRUA COUPE」(No.58 )にコドライバーで参加。 見どころその3 70周年のポルシェ 今年ポルシェのスポーツカー誕生70周年を記念したイベント「70 Year Of Porsche Sportscar」の一環で、ドイツのポルシェ・ミュージアムのクルマを4台持ってきて参加しています。 1955年式「ポルシェ356 1500スピードスター」(No.68 )ドライバーはパティシェの青木定治氏、コドライバーにモータージャーナリストの南陽一浩氏。1956年式「ポルシェ550Aスパイダー」(No.69)、ドライバーはポルシェ・ジャパン代表取締役社長 七五三木敏幸氏、コドライバーにモータージャーナリストの藤原よしお氏。1956年式「ポルシェ356A 1600Sクーペ」(No.70)はポルシェ・ミュージアムコレクション責任者アレクサンダー・クレイン氏とドイツ人ジャーナリストのローランド・ローウィッシュ氏。1958年式「ポルシェ356A 1600Sスピードスター」(No.71)はポルシェ・ミュージアム館長アキム・ステイカル氏と ドイツ人ジャーナリストのマイケル・シュローダー氏が乗る4台。 見どころその4 後ろ姿 クラシックカーは後姿が面白い! クラシックカーは今よりサイズが小さいものが多く、荷物の積み方や荷物を入れるバッグなどにも皆さんこだわっています。 見どころその5 ウェアの秘密 今年のオフィシャルウェアはmuta JAPAN社のグレーのショートダッフル。ボンディング素材で、背中には電熱線が通っていてスイッチを押すと暖かくなる仕組み。中にはオープンカーもあるので、寒さ対策がなされているようです。これは私も欲しい! La Festa Mille Miglia 2018 Webサイトより 【スケジュール】 10月19日(金)(終了) 原宿・明治神宮 8:00~13:00 原宿・表参道 12:05~13:05 代官山・蔦屋書店 12:15~13:15 福島県 西郷村・キョロロン村 15:10~16:10 下郷町・大川ふるさと公園 15:40~17:10 下郷町・大内宿 16:40~16:10 柳津町・圓蔵寺 18:10~19:10 北塩原村・裏磐梯レイクリゾート 19:00~20:00   10月20日(土)(終了) 福島県 北塩原村・裏磐梯レイクリゾート 7:15~7:50 北塩原村・磐梯山噴火記念館 7:20~7:50 北塩原村・中津川レストハウス 7:30~8:15 福島市・リンクサーキット 8:35~9:35 福島市・スカイパーク 8:45~9:45 福島市・飯坂温泉 9:00~10:00 宮城県 白石市・白石城 9:35~10:35 七宿町・大わらじ 10:20~11:20 山形県 高畠町・高畠文化ホール 10:50~12:50 米沢市・上杉神社 11:50~12:50 米沢市・小野川温泉 12:05~13:05 福島県 喜多方市・喜多の郷 12:45~14:45 北塩原村・北塩原村役場 14:10~15:10 会津若松市・鶴ヶ城 14:50~15:50 猪苗代町・野口英世記念館 16:00~17:00 北塩原町・裏磐梯レイクリゾート 16:35~17:35 10月21日(日) 福島県 北塩原村・裏磐梯レイクリゾート 6:45~7:20 天栄村・ブリティッシュヒルズ 8:15~9:45 天栄村・道の駅 羽鳥湖高原 8:50~9:50 白河市・小峰城 9:20~10:40 栃木県 那須塩原市・那須塩原市塩原支所 11:05~12:05 那須塩原市・ハンターマウンテン塩原 11:25~13:40 塩谷町・道の駅 湧き水の郷しおや 13:30~14;30 宇都宮市・ヒーローしいのサーキット 13:45~14:45 千葉県 成田市・日本自動車大学校 16:05~17:05 成田市・ANAクラウンプラザホテル成田 16:30~17:30   10月22日(月) 千葉県 成田市・ANAクラウンプラザホテル成田 8:45~9:15 成田市・成田山新勝寺 9:10~10:10 芝山町・芝山仁王尊観音教寺 9:45~10:45 一宮町・釣ヶ崎海岸 10:45~11:45 市原市・高滝ダム記念館 11:35~12:35 袖ヶ浦市・袖ヶ浦フォレストレースウェイ 12:00~14:40 袖ヶ浦市・東京ドイツ村 13:40~15:30 東京都 中央区・日本橋三越ライオン口前 15:50~16:50 原宿・明治神宮 16:25~17:30 ここに行けば素敵なクルマたちに会えますよ。 (吉田 由美) あわせて読みたい * 「自動運転」のカギは、クルマの頭脳「AI」にあり!? * 世界で一台「デビルマン オロチ」のオーナーだけがわかる『デビルマンの傷跡』はどこだ? * ゆる~くて爆笑EVラリー「村男三世カップ」初開催!~ジャパンEVラリー白馬2018 * ズバリ!2018年自動車のトレンドカラーは? * 日本は大丈夫? 自動車業界最先端の「サイバーセキュリティ」に迫る~コンチネンタル・オートモーティブ http://dlvr.it/Qnx7ww
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jikatabiman · 7 years
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深めんの真似して大井ダム 走った👍 水がないな〜…奇麗になっとるのが逆に悲しかったりする(笑) #福岡 #宗像市 #丸五 #hitoe #大井ダム #ジョギング #ランニング #故郷 #夕日 #いまそら (大井ダム)
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fixy55 · 2 years
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「サイクリングと灘の酒」自転車に乗って神戸の大地へと繰り出した。 それはすなわち六甲、マサ化した花崗岩の大地を走るという事であるはずが、この日訪れた山田錦の生産地は風土が異なるようだ。そこは神戸市北区、六甲山の北側に位置していて、長閑な田園が広がる。 吉川の山田錦を育む環境は特殊だ。六甲といえば古くから土砂崩れの多い地域で、砂防ダムなどのインフラが発達している。どちらかというと砂っぽく崩れやすい土質であるはずだが、六甲の北側の吉川付近の土は粘土質が多く水分を保ち、稲はしっかりと地中深くに根を張る。日本最上の山田錦を育む環境は、土だけにとどまらず周辺の山々の形状や方角など、さまざまな要因が重なり人々の経験と知恵を掛け合わせて唯一無二の酒米を産み出す。通常よりもはるかに大きい米粒は豊かな心白を形成する。特A地区とされる田んぼの有り様は美しく輝いていた。 田んぼの脇に立てられた蔵元の旗は、そこの田んぼの契約酒造ブランドである。この米が、あの酒の原料なのだと一目で分かる。 走りながら眺める山田錦の立姿と、台風が過ぎ去って横になっている姿も、実は不自然な事ではないと知る。大きな米粒は重たく、首を垂れるその深さは地面につきそうであるが、強い根と重たい頭のバランスは、強い土台と豊かな恵みを意味する。つまり最上の証であるということ。 そのバランスは大地と自然に寄り添う農家さんの手により、適切な状態を保ち収穫を待つ。 現代の生産形態に繋がってくる歴史的ターニングポイントのひとつは明治であろう。江戸から明治へ移り変わる時、それはすなわち西欧列強との対等な立場を目指してさまざまなインフラが整備され、教育形態が変えられ、米ではなく金社会へと変化していく過程で地域が力を合わせて生き残り価値を与え続けた。 「下り酒」と「地酒」というカテゴライズもちゃんと知った。いろいろな事がイノベーティブである。 Photo by @nishikawa_kosuke @nowoll #神戸市 #kobe #サイクリングと灘の酒 #山田錦の田んぼから灘の酒蔵まで @rapha_japan #Rapha 神戸観光局 @kobe.kanko #神戸 #神戸市 #kobe #神戸観光 道の駅 神戸フルーツ・フラワーパーク 大沢 @fruitflowerpark.kobe @akira_hi #farmcircus #fruit_frowers_park #northkobe 剣菱酒造 @kenbishi.official #剣菱 #KENBISHI #灘五郷  #neverjustaride (山田錦の館) https://www.instagram.com/p/CjQhSPVBSWr/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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nukeplant1 · 5 years
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【#飯舘村 関連ニュース】「行方不明の75歳男性 遺体で見つかる 福島 飯舘村 - NHK NEWS WEB」他 全40件
行方不明の75歳男性 遺体で見つかる 福島 飯舘村 - NHK NEWS WEB
福島 飯舘村 真野ダムと西郷村 堀川ダム 水位低下緊急放流せず - NHK NEWS WEB
飯舘の復興、現状理解 城南信金ツアー | 福島民報 - 福島民報
政府、除染土11袋の流出を確認 台風19号被害の福島・田村と飯舘村 - 毎日新聞 - 毎日新聞
福島県内の3つのダムで放流実施へ 下流が氾濫する恐れ - 朝日新聞
【台風19号】福島県、24人が水害で死亡 犠牲者29人の死因など公表 - 産経ニュース
台風19号、福島県内26人死亡 不明3人、15市町村1762人避難 - 福島民友
福島 真野ダムと堀川ダムで緊急放流へ 流域住民は命守る行動を - NHK NEWS WEB
道路が陥没 自衛隊足止め 断水続く福島・相馬市 - テレビ朝日
水没アパートや道路脇…新たに11人の遺体 - 読売新聞
福島)五輪ホストタウン飯舘村 ラオス選手団との交流会 - 朝日新聞社
福島県で4万3300戸「停電」 台風19号影響、医療・福祉施設も - 福島民友
「断水」いつまで...8市町村・7万戸超 台風19号影響で浜通り - 福島民友
川内1カ月分の3倍「445ミリ」 福島県内5地点で史上最多雨量 - 福島民友
福島県管理「道路」通行止め78カ所 台風19号被害、25カ所減 - 福島民友
除染廃棄物2カ所で流出=仮置き場から川に、台風影響か-福島 - 時事通信ニュース
阿武隈川で「氾濫連鎖」 須賀川、郡山、本宮、伊達など浸水被害 - 福島民友
不明97歳遺体発見 県内死者28人に 台風19号 - 読売新聞
環境省、水路利用料2億円支払い - 西日本新聞
福島では家族3人流され男児不明、断水続く1000人超避難所に - TBS News
濁流に奪われた命...進まぬ安否確認 台風19号、甚大な人的被害 - 福島民友
まち、食の魅力語り 21日に俳優・辰巳琢郎さん講座 - 福島民友
理の眼:被災者からの気遣い=青木理 - 毎日新聞
「日本で最も美しい村」連合 昭和村 来年4月加盟 | 福島民報 - 福島民報
福島)児童30人が稲刈り体験 「お米は宝だと思う」 - 朝日新聞社
台風19号 氾濫や浸水の影響大きく…|NNNニュース - 日テレNEWS24
昭和村「美しい村」に加盟 - 読売新聞
12日午後10時45分までに大雨特別警報が出た市町村 - 朝日新聞
新潟、栃木、茨城、福島、宮城県にも大雨特別警報 12都県に拡大 - 毎日新聞 - 毎日新聞
大雨特別警報が発令された7県の市町村 宮城県全域、岩手・宮古市など - 毎日新聞 - 毎日新聞
「美しい村」連合加盟 昭和村が県内5番目 「からむし織」など評価 /福島 - 毎日新聞
【日事連】福島で建築士事務所全国大会を開催 原子力災害から社会の課題とあるべき姿探る - 日刊建設通信新聞
ドコモ・au・ソフトバンク利用者はデータ通信が実質無制限になっているかも【台風19号の支援措置】 - カミアプ | AppleのニュースやIT系の情報をお届け
災害救助法適用 315自治体/志位委員長が見舞電 - しんぶん赤旗
通信キャリア3社、台風19号被災地域の利用者向けに利用料金の無償化や修理などの支援策 - ねとらぼ
農水省でパネル展 震災被災3県が農地の現状紹介 - 河北新報
静かな里チョウ乱舞 「アサギマダラ見に来て」 大紀・大内山の休耕田 /三重 - 毎日新聞
特別警報=福島地方気象台発表 - 沖縄タイムス
台風19号の被害 7人死亡、6人行方不明|NNNニュース - 日テレNEWS24
世界一薄いシルクとして海外でも���く評価される「フェアリー・フェザー」の生産事業者も登場「Kawamata Silk Meeting in Kyoto」を開催:時事ドットコム - 時事通信
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