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#二人暮らしのお弁当
kennak · 3 months
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アマリア・ザタリ、BBCロシア語ソヴィエト連邦時代のロシアでは、隣近所の人や同僚や、赤の他人でさえ、当局に密告するのは普通のことだった。それが今では、ウクライナでの戦争に批判的な国民をロシア当局が厳しく取り締まる中で、誰かが気に食わないとか、自分には政治的な主義主張があるのだなど、様々な理由から、他人を密告するロシア人が増えている。「うちは、祖父が密告が得意だったので、どうすればいいか私は祖父に教わりました」「アンナ・コロブコワ」を名乗る女性はこう話す。ロシアの大都市に住んでいるそうだが、具体的にどこかは明らかにしなかった。広告そのコロブコワさんの祖父はスターリン時代、ソ連の秘密警察に匿名で情報提供をしていたのだという。当時は、他人を密告したり糾弾したりすることは日常生活の一部だったし、孫娘も今や祖父のあとを継いでいる。彼女は今では、ウクライナでの戦争に批判的だと思う相手は誰だろうと、片端から通報している。密告の常習者を自認ロシアによるウクライナ全面侵攻が始まって以来、自分は1397通の通報文を書いたと、コロブコワさんは言う。自分の通報によって、大勢が罰金を科せられ、解雇され、「外国の代理人」のレッテルを貼られたという。「気の毒とは思わない」と、コロブコワさんは明かす。「私が通報したおかげで罰せられたなら、とてもうれしい」。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻してから間もなく、新しい検閲制度が法制化された。それ以来、コロブコワさんは暇を見つけてはオンラインで過ごし、「ロシア軍の信用を傷つけた」と思う人たちを次々と通報している。今の制度では、「ロシア軍の信用を毀損(きそん)」した罪で有罪となれば、最高5万ルーブル(約8万円)の罰金か、2回以上の再犯の場合は最高5年間の禁錮刑の罰を受ける。コロブコワさんは私の取材に対して非常に慎重で、メールでのやり取りにしか応じなかった。自分の顔を出すのはいやで、自分の身元を証明するものも提示したくないと力説した。なぜかというと、「殺してやる」と脅されることが多く、自分の個人情報がハッキングされたり盗まれたりするのが怖いからだという。では、なぜ自分と同じロシア市民について、密告するのか。動機は二つあるという。第一に、ロシアがウクライナに打ち勝つための手助けを、自分はしているのだと。そして第二に、自分の経済的安定の助けにもなるからだと。コロブコワさんは独り暮らしで、人文系の教授としてパートタイムで働いているという。貯金を取り崩しながらなんとか、やりくりしているのだと。もしも戦争でウクライナが有利になれば、ロシアは賠償金を払う羽目になり、そんなことになれば国全体と国民全員の経済状態が打撃を受けかねないと、心配しているのだと話す。「特別軍事作戦に反対する全員が、私の安全と生活にとって、敵です」。こう言うコロブコワさんにとって、ウクライナの勝利は自分の敗北を意味する。「貯金がなくなって、フルタイムの仕事を見つけなくてはならなくなる」政府から離れて活動するロシアの独立系人権団体「OVD-インフォ」によると、新しい検閲法が制定されて以来、軍を批判した疑いで8000件以上の事案が立件されているという。標的コロブコワさんが通報するのは主に、マスコミに話をする人たちだ。特に、BBCなどの外国メディアの取材に応じる人たちを、標的としている。人類学者のアレクサンドラ・アルヒポワさんも、コロブコワさんに通報された一人だ。画像説明, アレクサンドラ・アルヒポワさんは人類学者として、ロシアで密告が再燃している現状を研究している「彼女はもう7回、私のことを通報しています」とアルヒポワさんは話す。「密告文を書くことがあの人にとって、当局とやりとりする手段で、それが自分の使命だと思っている」。「自分にぴったりな、得意なことを見つけたんでしょう。彼女に糾弾されると、専門家や研究者は往々にして、黙るしかなくなる」アルヒポワさんは今や亡命中だ。自分が昨年5月にロシア国内法に基づき「外国の代理人」と認定されたことと、コロブコワさんの行動は、無縁ではないかもしれないと思っている。「彼女に通報された私の友人たちは、もう一切、マスコミに話をしなくなりました。なので、彼女は成功したと言えるでしょう。任務完了です」もう一人、標的にされたのは、タティアナ・チェルヴェンコさんというモスクワの教師だった。ロシア政府が2022年9月に愛国教育を導入した際、チェルヴェンコさんは独立系メディア「ドシチ(TV Rain)」で、自分は代わりに数学を教えることにしたと発言した。「ドシチ」はその後、ロシア国内では閉鎖され、今ではオランダを拠点にしている。「ドシチ」のインタビューを見たコロブコワさんは、チェルヴェンコさんを攻撃し始めた。チェルヴェンコさんの勤務先に苦情を繰り返し、モスクワの教育当局やロシアの子どもの権利当局にもクレームを重ねた。結果的にチェルヴェンコさんは、2022年12月に解雇された。画像説明, タティアナ・チェルヴェンコさんは、自分が教職を追われたのは、通報・糾弾されたからだと言うコロブコワさんは自分のしたことを、何も後悔していない様子だ。それどころか、自分が通報した人たちのデータベースを作り、その結果どうなったかも記録している。自分の通報の結果、6人が解雇されたほか、15人が罰金処分を受けたのだという。コロブコワさんは、ロシア国家の敵だと思う相手しか自分は相手にしていないと力説する。しかし、ロシア国内には個人的な恨みつらみを晴らすために通報している人もいるという話が、BBCに寄せられている。投獄され、自由を求め漁師のヤロスラフ・レフチェンコさんは、ロシア極東のカムチャッカ半島出身だ。半島は火山と珍しい野生動物で有名なだけでなく、ロシア軍が重点配備されていることでも知られる。この地域に住む人たちの多くは、ウラジーミル・プーチン大統領を支持している。レフチェンコさんの同僚たちもそうだ。画像説明, ヤロスラフ・レフチェンコさん2023年2月のことだ。レフチェンコさんの漁船は1カ月の航海を終えて、カムチャッカの港に戻った。仲間の漁師に酒を勧められたが、断った。相手の男は以前から自分に不満があったらしいと、レフチェンコさんは言う。酒を断ったことから口論になり、レフチェンコさんは頭をびんで殴られ、意識が戻った時には病院にいた。退院が許され、被害届を出そうと警察署へ行くと、通報されていたのはむしろ自分の方だと知らされた。暴行ではなく、反戦思想を理由に。愕然(がくぜん)とした。レフチェンコさんに警察は、彼を殴った同僚を訴えられるほどの証拠がないと告げたのだという。やがて7月13日になり、レフチェンコさんは逮捕された。BBCが確認した裁判資料によると、問われている罪状はテロの正当化だ。そんなことはしていないと否定するレフチェンコさんは、公判開始前という理由で勾留された。BBCと連絡をとるには、弁護士に手紙を託すしか方法がない。「私が他の船員に暴力をはたらいたと、捜査員たちは言う(中略)そして、ロシア連邦に対して敵対行為をするつもりだと、私がそう話していたことになっている」と、レフチェンコさんは私たちに書いた。画像説明, BBCが確認した書類によると、レフチェンコさんはテロを正当化した罪に問われている。本人は否認しているレフチェンコさんの友人たちは、相手の船員が自分の暴力行為をごまかし、警察の目をそらすために、彼が通報したのだろうと、私に話した。漁船内での飲酒は禁止されているのに、酒を勧めたことも、相手の男はごまかそうとしているのだろうと。「自分はただ家に戻りたい」と、レフチェンコさんは言う。「自分の牢(ろう)では、何重もの鉄格子の向こうにかろうじて、空がぎりぎり少し見えるだけで、こんなことは耐えられない」。彼がこう友人に書き送った手紙を、その友人がBBCに見せてくれた。「果てしない訴え」戦争が始まって以来、あまりに大量の通報が次々とくるため対応しきれないのだと、ロシア警察は認めている。「誰かがロシア軍を批判したという訴えが、延々と届く」ため、警察はその捜査と対応に多くの時間を割いているのだと、警察関係者はBBCに匿名で明らかにした。「特別軍事作戦」をめぐり「何かしら他人を攻撃したい人たちが、常に言いがかりの口実を探している」のだと、引退間もない警官がBBCに話した。「おかげで、たとえ具体的な中身のある本物の案件がいざ来ても、捜査しようにも人手がない。みんな、ウクライナの旗に見えるカーテンを見たという、どこかのおばあちゃんの話を確認しに、出払ってしまっているので」プーチン大統領は、「裏切り者を罰せよ」と繰り返している。そして、ウクライナでの戦争に終わりは全く見えない。それだけに、コロブコワさんのような常習的な密告者も、ほかの市民について密告するのを全くやめようとしない。「私はこれからも、通報文を書き続ける」と、彼女はメールでBBCに伝えてきた。「たくさん書かなくてはならないので、忙しい」のだという。(英語記事 Ukraine war: The Russians snitching on colleagues and strangers)
ロシアで増える密告……同僚でも他人でも - BBCニュース
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oka-akina · 6 months
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1130-1205
1130 うちはトイレと物置が隣にあって同じドアが並んでいて、物置に何か取りに行ったつもりが隣のトイレのドアを開けていて、あれおしっこしたかったっけ…とか思いながら用を足している。物置に何か用事があったのを忘れてしまう。こういうことはスマートフォンの上でもよくあって、メールをチェックするつもりがツイッターを開いている。 なんか電車が空いていた。べつに理由はないんだろうけどなんでだろうと思ってしまう。理由を探してしまう。窓の外の荒川が濃い色をしていて冬だなーと思う。そしてその窓に、明らかにデマというかインチキ医療の本の広告が貼ってあり、こういう本が堂々と出版されているのにどうしてわたしの小説は同人誌なんだろうなーとか思う。やつあたりみたいに思う。
ずいぶん前に買ったエッセイの本を読んでいる。とても自由であたたかい家庭の話だと思うのに読んでいるとどんどん心がささくれだっていく。夫婦でやっているお店の話で、お店の仕事は女の人がメイン。本の語り手の男の人はサポートと広報をやっていて、その流れで本を出したようす。 なんかこうなんかこう、あなたの話はいいからこの女の人の話がききたいよとか思ってしまう。この女の人がどのように考えて店をやっているのか、あなたの口からじゃなくてこの女の人の言葉でききたい。声をききたい。いや��んなのは役割分担だとは思うのに、まったく何も取り繕わない自分の気持ちとしては、こいつなんかいけすかねえな〜!と思ってしまう。仕事の役割が夫婦で逆だったら、サポートしている女の人に本を書きませんかって話はきたかな〜とか訝ってしまう。そうしてあるいは、これが女の人同士のカップルだったら、わたしはこんなふうに思うんだろうか。 じゃあつまり自分にはひどいミサンドリーがあるんだよな…。この本に限らず日常の中のほんとにいろんな瞬間で自分のミサンドリーにぶちあたり、しょんぼりする。ハッとしたときはもう遅くて、本当になにかこう、ごく自然に、嫌悪の感情がある。 自分にべったりしみついた差別心や偏見はもうどうにもならないんじゃないかと怖くなる。わたしは自分の性格をなんて意地悪なんだろうと思っているけど、意地悪どころでは済まないひどいものが自分のすみずみまでがっつりしみついていて、このような土をいくら耕したってここから生えるものはみんなだめなんじゃないか。わたしのやっていることは本当にぜんぜんだめなんじゃないか。ときどき絶望的な気持ちになる。
夕方、通販と書店さんへの荷物を送った。思ったより手間取ったし部屋もとっ散らかった。そんなにたくさん送ったわけではないんだけどたぶん要領が悪い。本の梱包とか荷造りとかがとても苦手で、何年やってんだって感じだけど本当に慣れない。引き続き腹も痛いし尻も痛い。夕飯は豚肉とチンゲンサイとえのきと春雨を炒め煮したやつとかつおのたたきと厚揚げ。
1201 今日も通販の荷物を送る。このところほとんど毎日やってるのにぜんぜん梱包うまくならないのどうなってんだ。ガムテープをまっすぐ貼るのがへたくそすぎるし本を袋詰めするのもなんかきれいにならない。手のしびれ、震えのこともあるとは思うけど、送る荷物が格好悪くてまいどほんとに恥ずかしい。お手に取ってくださった方は薄目で見てほしい…。
書店さん宛に送った荷物が届きはじめているようで、犬と街灯さん(表紙を描いてくださった谷脇栗太さんのお店)がさっそくネットショップに追加してくださっていた。ツイートを見て、ほんとにある!と驚いた。驚くって言い方はなんか変なんだけど、遠くのお店にほんとにあるんだな…と感慨深くなる。本屋lighthouseさんからも本が届いたよと連絡がきていて、ほんとに置いてもらえるんだな〜とドキドキした。書店委託はまったくの初めてではないんだけどなんかこうどうしたんだろう。 「顔たち、犬たち」関連はずっと気持ちが張り詰めている。新しい小説の本を出すときはいつもtumblrにステイトメントみたいな記事を書くんだけどそれも書けていない。言いたいことや話したいことがいっぱいあって、どっからどうしたらいいのか、やりたいことが目詰まりしている…。そうしてそんなに激重感情でやってるのに小説自体はほんとにしょ〜もない話で、よわよわおちんぽの〆切直前もそうだったけど、悲壮感を出すような作品ではないのでなんかチグハグしている。
でもこの「しょうもない話」はちょっといい傾向かなとも思っている。執筆の佳境とか書き終わる直前ってなんかこう気持ちが盛り上がってしまって、作品を「大層な話」にしたくなってしまいがちというか…。なんていうの、谷川俊太郎の「魂のいちばんおいしいところ」みたいに書きたいみたいな、高望みした欲がある。
私たちの上に広がる青空にひそむ あのあてどないものに逆らって そうしてあなたは自分でも気づかずに あなたの魂のいちばんおいしいところを 私にくれた
長めの話に時間をかけて取り組むと自分の中のそういう…純っぽいもの…?を差し出したくなってしまうというか、自分の芯を取り出したものでありたいみたいな、そういう欲がわいてしまう。やけに体重をのせてしまう。 で、最近それを回避したくて、けっこう意識的に「しょうもない話」をやっているふしがある。単純に作品がくどくなるのを避けたいのもあるし、なんかこう自分の差別心や意地悪ってそういうとこからきてるんじゃないかみたいなことも思って。これはまとまってないのでもうちょっと考える。
夕飯はおでん。夜中、ふと思い立って虐殺反対のステッカーを作った。ネットプリントにした。
12/2 ゴルフの練習に行って洗濯をして掃除機をかけた。お昼はきのうのおでんの残りとチャーカラ(チャーハン唐揚げ弁当のこと)。きのうのステッカーをプリントアウトしてみたらいい感じだった。ロボット掃除機が壊れたかもしれない件はやっと言えた。まるでいま壊れたかも?みたいな感じで言った。えもからもらった柿をジャムにした。柿プリンも作ってみたけどあんまり固まらなかった。やけに疲れてしまって2時間くらい昼寝した。寒いので夕飯は鍋。アド街を見ながら食べた。
夜中、通販などの荷造り。本を袋に入れて送るだけのことがどうしてわたしはこんなにへたくそなんだ…と散らかった部屋で途方に暮れた。毎日同じことを思っている。
12/3 プリパラプリチャンプリマジのライブ。毎年恒例の幕張メッセでのライブで、前回の幕張がついこのあいだのように感じる。一年が早すぎる。きのうの残りの鍋を食べて車で出かけた。幕張メッセの駐車場は一日千円なので、二人分の電車代やコーヒー代を考えたらこっちの方が安い。昼公演と夜公演の間の待ち時間を過ごせる場所があるのも気楽だし。スタンレーの水筒にお茶を入れて持って行った。夜になっても湯気が立った。
今年は演出がとてもよかった。とくにプリマジの各キャラクターのソロ曲、ほかのキャラクターがうしろで盛り上げてるの最高最高最高だった。庄司宇芽香さんの演じるあまね様が本当に素晴らしくてたくさん手を振った。声出しOKライブでよかった。今日の公演のためだけに髪の毛真っ赤にしてくれたのかと思うと胸がいっぱいになる。夜公演はアリーナの花道そばだったので、一回だけ目があって本当に泣いちゃうかと思った。 プリマジは9月のリーディングイベントのときも思ったけど、女性が女性にキャーキャーいうのがどまんなかにきているので本当に居心地がいい。なんていうのかな、「本来は女児向けのアニメにいわゆる大きなお友だちのオタク男性が大挙して…」みたいな感じでもないんだよな。男オタが女の子(女の子のキャラクターだったりそれを演じる若い女性の演者だったり)を愛でてやるぜ的な感じがあんまなくて、みんながキャーキャーいいながら女の人たちの格好よさ、かわいさ、楽曲のよさを喜んでいる。本当にすごい。長いシリーズを通して作品が変化しているのもあるし、観客を育ててきた感があるなーと思う。演者も客も年齢を重ねたのもあるかも。 そしてプリティーシリーズ通してだけど、ファンにセクマイが多いのをなんとなく認知してくれているように思う。もちろん演者によって濃淡はあるのでたまーに発言にハラハラすることはあるんだけど、あなたのための席がありますと言い続けてくれているシリーズだと思う。リングマリィの「コトバブーケ」は「おとぎ話の通りじゃなくても私はヒロイン」「おとぎ話の通りじゃない方が自分らしい」と始まる曲で、まっすぐ女性同士のウエディングを描いていてすごくうれしい…。それを冷やかすような反応や百合!みたいな茶化した感じの反応が今回はあんまなかった気がして(あることはあるんだけど前より減った感じで)よかった。
そして大好きな大好きな厚木那奈美さんが本当に本当に…いつも変わらずお姫さまみたいで…本当に素敵だった…。内側から光ってるんだよな…存在が光、祝福なんだと思う。厚木那奈美さんを前にするとわたしはいつも幼稚園の子どもになってしまう。厚木那奈美さんがお姫さまの国でリスとかネズミとかコロボックルとかになって暮らしたいよ…。「ブランニューガール」はミディアムテンポのちょっとセンチメンタルな曲なんだけどけっこうしっかりめの振り付けで、でも厚木那奈美さんはニコニコ笑顔で歌って踊っていて、本当に本当に宇宙に神さまに星々に絶対絶対絶対愛されているほんもののお姫さまなんだな〜!って泣いた。厚木那奈美さんの長い手足がすらーっとすーっとどこまでも伸びていって、ほんとにもう東京湾くらいなら全然余裕でまたげるんじゃないかと思う。厚木那奈美さんが微笑めば木からどんぐりが落ちてきて、リスとかネズミとかコロボックルはそれをぎゅっと抱きしめます。 厚木那奈美さん、友だちや知り合いにわたしはこの人が好きなんだよ〜って教えると「うわ好きそー」って納得されるのすごい面白い。わかりやすくどタイプ。厚木那奈美さんとかムンビョルさんとか美少女さんとか、おかわだくんはこういうスラッとした人が本当に大好きだよね…。
あと泣いたといえば、コスモさんの「君100%人生」やってくれて! 久しぶりにライブで聴けて爆泣した。君100の何がいいって、「次は負けないよ」「取り戻せ」「自信出して 元気になって」「体 心 鍛え直すよ人生」のとこ。わかりやすく励ます歌詞ではあるんだけど、それ以上に「今回は負けたよね、いろんなもの奪われたし失くしちゃったよね、自信も元気もないよね、体も心もおしまいだよね」っていうのをまんま受け止めてくれるのがすごい好き。おまえは今回負けたよねって目をそらさず認めてくれるのとても安心する。 日記やけに長くなってるからここらへんにしとくけど、小林竜之さんのアサヒの仕上がりがやばすぎてすっげーよかった。ほんとに「マジヤッベーチョースッゲー」だった。34歳男性のあの感じ最高ですわ。小林竜之さん40歳のアサヒ役ぜってえぜってえ観たいのでプリティーシリーズを今後とも応援していこうと思った。
ライブがあまりにもよかったので、やっぱプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいな〜と思った。わたしは二次創作的なのは書けないので、「プリティーシリーズのことを考えて書いた小説」とかになっちゃうんだけど、それを本にしたい…そしてなんかいろんな人にゲスト原稿を依頼したい…すごく同人誌って感じするやつ…。いったい誰が読むんだって感じなんだけどそういう変なアンソロをやりたいよね…。 そしてウキウキの気持ちで帰ってきたらKADOKAWAがろくでもねえトランスヘイト本を刊行しようとしているのでテンションだだ下がりになった。ふざけるなよとインスタのストーリーズでキレ散らかした。
12/4 えもとなむあひさんと遊んだ。朝パン屋で待ちあわせて多摩川に行った。いい天気で冬って感じの空だった。広々していて気持ちいい。二子玉川の駅を降りてすぐこの景色なのほんといいよな。橋を渡る電車がずっとごとんごとんいっていて、遠くの橋や向こう岸で車が流れている。水や物がずっと動いている。サギがたくさんいた。白くて大きな鳥が冬の濃い青い空にたくさん舞っているのが、なんだかうそみたいにすがすがしい眺めだった。 えもから個展のDMをもらった。先々週会ったときに元の絵を見せてもらっていたけど、すごくきれいに色が出ていてほんと展示楽しみだなーと思った。あと「あいじょうぶ」ブローチももらった。「俺の愛があるから大丈夫!あいじょうぶや!」のブローチ(ナポリのすぎるのやつ)。草の上に置いて写真を撮った。 なむあひさんが「顔たち、犬たち」の感想を伝えてくださってうれしかった。なんかこうがんばって書いていきたいよな…という話をした。本を持ってきてくださったので表紙の優人さんに川を見せてあげた(?) そのあと昼から磯丸水産に行って飲んだ。トマトハイめっちゃ薄かったけど美味しかった。えもとわたしで何杯飲んだんだ…。このあいだなむあひさんと焼き鳥食べたとき、注文したはずのタコウインナーが結局来なくて、わたしはすっかり忘れていたんだけど次の日なむあひさんがそういえばタコウインナー来なかったですねって思い出していて、じゃあ今度リベンジしましょうって言ってたんだけど2週間で早くもそれが叶うの面白いな。川行って、(磯丸だけど)イカとかウインナーとか網で焼いて、実質バーベキューみたいだった。あとプリティーシリーズミリしらアンソロやりたいんですよ〜という話をした。いきなりどうしたって思ったろうな…。 夕方もっかい川に行って、あまりにも楽しくて手つないでワーイとかした。えもの手が小さくて冷たくてびっくりした。
KADOKAWAに問い合わせメール送った。刊行中止してくださいとははっきり書かず(できないだろうと思った)、なんでこういうのを出そうと思ったのか経緯を知りたかった。それで質問を送った感じ。
12/5 これぜったい乾かないよなと思いながら朝洗濯物を干して出かけた。曇っていたし寒かった。昼にチバユウスケの訃報を知って驚いた。これがきのうえもと一緒にいるときに知ったらどうだったろう。明るい川べりで知ったら、真昼間の磯丸水産で知ったらどんなふうだったろう。コンビニでコーヒーを買って小袋成彬の「Night Out」を聴いた。今日はとても寒くて、外もずっと暗かった。むかしの友だち、ミッシェルを好きだった人たちの顔がつぎつぎ浮かんだ。なんかツイートではなにも言えなくてリツイートのカウンターがまわるのをじっと見ていた。ものすごい熱心なファンとかではないけどなんかこういっぱい思い出深い…みたいな距離感だからだと思う。いま小説のあれこれでやりとりしている人や現在進行形で作品を生み出している人、みんなひとり残らずいつかいなくなるのだ…とすごく当たり前のことを思った。夜になって、長いこと連絡をとっていなかった人からチバのこと悲しいねってメールがきていた。携帯電話のキャリアメール宛で、迷惑メールかと思った。そういやこの人のLINE知らないや。そうだねみたいなことをちょっと書いて送って、それ以上はべつにやりとりしたくない気がした。これを機に旧交をあたためようなんていうのはなんかこう格好悪いだろと思った。いやこれがめっちゃ好きな人からきた連絡だったらしっぽ振って返事送るんだろうけどさ…。洗濯物は厚手の靴下がやっぱり乾いていなかった。Mリーグを見ながらキムチ鍋を食べた。
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myonbl · 7 months
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2023年11月12日(日)
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龍谷ミュージアムで開催中の<秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」>、終了間際の今日になってようやく行くことができた。<みちのくの厳しい風土の中、人々の暮らしにそっと寄り添ってきた、やさしく、いとしい仏たちの、魅力あふれる造形をご覧ください。>、まことにその通り、雅な都の規格化された像とは異なり、鄙の暮らしそのままの素朴で大胆な表現、つい微笑んでしまい穏やかな気持ちになることができる。会期は残すところ1週間、お近くの方、お勧めですぞ!
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6時起床。
洗濯。
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昨晩のご飯が茶碗1膳分残っていたので、牛肉しぐれ煮を載せていただく。
1階の私の仕事場、MQJの荷物と私の資料類、それに食料品やワインがひしめき合って足の踏み場もない。プリンター台を1台増設して環境改善を試みる、なんとか来週末には原稿書きに専念出来るようにせねば。
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龍谷ミュージアムの秋季特別展、週末の予定ぎっしりでやっと本日訪れることができた。
江戸時代、全国の寺院では、上方や江戸で造られた金色に輝く立派な仏像が、ご本尊として安置されました。一方、小さなお堂や祠、民家の仏壇や神棚などには、その土地の大工さんやお坊さんたちの手による、素朴でユニークな仏像・神像がまつられ、人々に大切に護られてきました。この展覧会では、青森・岩手・秋田の3県に伝わった約130点の仏像・神像をご紹介します。
いやぁ、良かった! 暮らしとともにある神像・仏像、初めて知ることだらけ、良い勉強をさせていただいた。
帰宅して少し遅めのランチはこのところお気に入りのUFO。
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昨日生放送があった<NHK新人落語大賞>、録画を忘れたのでNHK+で観る。応援している一花さんはそこそこの出来、三実君は大爆笑だったがいかんせんローカルネタでは審査員の受けは良くない。慶次朗君の優勝は順当、文珍師の<師匠を超えた>発言には大爆笑。しかし、改めて2年前の二葉さんのインパクトの大きさを思い出した。
酢タマネギ仕込む。
半熟酢卵仕込む。
ポン酢・麺つゆ仕込む。
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夕飯、鶏ムネ肉の甘辛煮・半熟酢卵、カラスミは息子たちもよく食べてくれる。
録画番組視聴。
柳家権太楼 落語「へっつい幽霊」
初回放送日: 2023年11月12日 柳家権太楼さんの落語「へっつい幽霊」をお送りします(令和5年9月1日(金)東京・小平市 ルネこだいらで収録)【あらすじ】「へっつい」とはしっくいで固めたかまど。古道具屋が売っている「へっつい」はいい品なのだが、誰が買っても、その日の夜中になると引き取ってくれと言って返品されてしまう。わけを聞くと深夜にへっついから幽霊が出てき��「金を出せ」とおどかすらしい。困った道具屋は…
久しぶりに散髪をしてもらう、風呂上がり体重は昨晩から50g減。
日誌書く。
弁当用に里芋煮る。
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ミュージアムまでのバス移動だけ、明日からちゃんと3つのリング完成させよう。
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tokyomariegold · 4 months
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2023/10/21
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10月21日 半月が上る空を見ながら帰ってきた。 今朝、鴨川沿いを散歩していたのがだいぶ昔のことのように感じるくらい、次々と大阪と兵庫で予定を済ませて、次はもっとそれぞれの場所にじっくりいられるような旅行をしたいと思っている。 どこへ旅行へ行っても、何か良い時間を過ごせて満たされた感じがあるけれど、京都や大阪は、一度数年間そこで暮らしてみたい、と行くたびに思わせてくれる。昨晩もホテルのお部屋で京都のシャーメゾンを調べていた。
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あまりぐっすり眠れなくて、ホテルのチェックアウトギリギリまで眠ってしまって焦ったり、体調が悪くなる夢を見て、現実と混同しながら、もしかして本当に体調よくない?と不安になりながら起きた。 本当に分刻みスケジュールになってしまうけれど、坂田焼菓子店の9:00オープンに間に合うようにホテルを出るつもりで、その前に時間があったので鴨川沿いを散歩した。
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京都の方々からしたらそれでも汚されてしまっているのかもしれないけれど、鴨川沿のゴミの少なさに感心してしまう。対岸の方が日陰で、ランナーたちはそちら側をみんな走っていた。帰りは日陰側へ渡って帰った。
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チェックアウトをして分刻みスケジュールスタート!と思ったけれど、乗りたかったバスがなかなか来ず、結局これ以上バタバタするのも嫌だったのでそのまま地下鉄で京都駅まで行ってしまった。 まだ早い時間だったので伊勢丹も開いてなく、地下のマールブランシェで少しだけお土産を買った。
あといつもお部屋から見ているライブカメラが映すスポットへ、今回も行ってきた。
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JRに乗って、友人夫婦と待ち合わせしている芦屋駅へ向かう。京都、大阪と人が多かったので、友人たちと会えたのと、落ち着いた芦屋の雰囲気にほっとした。 短い時間だったけれどモーニングをやっている喫茶店へ入ってお話をしてもらう。 芦屋は東京で言うと田園調布のようなまちで、大阪の百貨店文化の象徴(?)である大丸があるところ、と教えてもらう。大丸って確かに全国区で、何もない父の実家にも下関大丸があって、なんか安心したことを思い出す。
最近のお仕事のことや、NHKの夜ドラの話、昨日行った京都の一乗寺周辺は出町柳より家賃がだいぶ安い話、写���の話、モーニングを食べ比べしている話などを聞かせてもらう。 次はみんぱくや太陽の塔がある大阪の北エリアを中心に観光したくなる。
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関西に行く楽しみの一つがお二人に会うことで、お二人を見ていて自分も関西で暮らしてみたい、と思うようになった。 多分色々あるんだけれど、でも良いと思ってお二人がその場所で生活している感じを勝手にとても感じていて、そこに魅力を感じているのだと思う。
またすぐ遊びにきますね、と改札で別れる。 振り返るとずっと手を振って見送ってくれていて、きゅっと言う気持ちになった。
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三ノ宮へ移動して、神戸の友人と待ち合わせ。 三ノ宮は三ノ宮で関西の若い方々(みんなおしゃれに見える)がたくさんいた。 こちらもあまり新幹線まで時間がない中だったけれど、兵庫県立美術館でPerfumeの衣装展をみて、新神戸までお散歩してもらった。
友人は最近マラソンをしていて、レースに出場するため、応援をするために遠征もしたりするそう。「このへんから家まで走っているんだよ、だいたい5キロくらい」と教えてくれた。
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兵庫県立美術館はとても立派な安藤建築だった。 空気の蛙が乗っかっていた。 あまりPerfumeの気持ちでなかったけれど、展示の衣装もPerfumeも可愛くてとても楽しかった。Perfume CLOSETのお洋服欲しくなる。
三ノ宮から新神戸まで歩きながら、数分歩いただけでさっきまでの人たちはどこへ?と言うくらい人気がなくなってしまって、東京は人が多すぎるよね、と言っていたら「虹だ!」と友人が虹を見つけた。 「神戸で初めて虹を見たよ〜」と言っていた。 関東に住んでいたときは、高台の家で、東の窓からたまに虹を見ていたそうで、虹って東側の空に見えるらしい。
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新神戸で友人と別れて、2時間超えると腰が痛いな〜と思いながら、うつらうつらしながら新幹線に乗った。 新大阪から隣に女の子二人組が座り、イブサンローランの化粧品と推しのアクリルキーホルダーを並べて写真を撮ったり、綿矢りさの“かわいそうだね”を読んだりしていた。 途中、うとうとして目を覚ましたら女子学生の集団が前4列くらいに入っていて、先生からお弁当とパックのお茶を配られていた。“でらなごや”と書かれたお弁当を食べていて、中途半端な時間に何ご飯だろう?と思った。
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夜に新幹線に乗るのは久しぶりで、熱海の海とかオフィスビルの赤い点々とか楽しかったけれど少し疲れている方が勝ってしまっていて、今日はなるべく掃除に励まずに休もうと思った。
一先ず帰って来れてよかったかな。 いつも行くスーパーにつくと、クリスマスケーキや年賀状のプリントの予約が出ていて年末。 芦屋で会った友人達と三ノ宮で会った友人にも「良いお年を」と言った日だった。
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ari0921 · 1 year
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和五年(2023) 6月24日(土曜日)
 バイデン政権、このインド厚遇ぶりは何なんだ
  上下合同議会で演説、夕食会には有名人がずらーり並んだ
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 6月22日、ホワイトハウス周辺はインドの国旗が林立し興奮状態だった。
在米インド人およそ7000名が集まり、モディ首相のワシントン入りを歓迎した。バイデン政権になってから三番目の「国賓」待遇で迎えられたモディ首相は連邦議会で演説し、15回のスタンディングオベーションがあった。熱狂的な歓迎である。
モディ首相が当選前まで米国はモディを「ヒンズー至上主義者、イスラム弾圧の超本人だ」と決めつけ、入国ヴィザの発給を拒否していたことすっぽりと忘れてしまった。
インドがロシア制裁に加わらず、平気でロシアから原油を購入し続け、また米国兵器システムへの更新を約束しながらも遅遅としている状態にはめをつむっている。典型的な御都合主義外交だ。
 インドの有力紙『ザ・タイムズ・オブ・インディア』が書いた。「なぜここまで厚遇してくれるのだろう?』(6月21日)。
 米国がインドを厚遇する理由はいくつかある。
第一に国家安全保障戦略からインドを地政学上の要衝として捉えていることである。インド太平洋のパートナー、日米豪の『クアッド』の重要メンバーである。またインドは中国と軍事的に対峙する核保有国である。
その昔、「日本ほど重要な国はない」(マンスフィールド大使)、「21世紀は日本の世紀だ」(ハーマンカーン)とおだて上げて日本が、経済躍進ばかりか先端技術で米国を抜き去る勢いを示すようになると、米国メディアと議会は突然「JAPANパッシング」となった。
トヨタ、本田の売れ行きを横目に、東芝ラジカセをハンマーでたたき壊し気勢をあげた議員団はむちゃくちゃな対日圧力をかける競争に明け暮れた。レビン議員は『日本は安保税を支払え』と頓珍漢なことを言い出した。
自動車の自主規制を強要し、スーパー301条で大幅な規制をかけ、挙げ句に「日米半導体協定」で日本の半導体産業を劣位に追い込み、航空機生産を中断させた。その一方で、中国は「ステークホルダー」「G2」などと譫言を言っていた。
 第二にインド人の数学才能である。
 在米インド人のIT関連技術者がシリコンバレーを一方で支えているといって過言ではないが、マイクロソフトCEOのサトラ・ナディアもグーグルCEOのピチャイもインド人である。ついでに言えば元国連大使で、次期大統領予備選に出馬しているニッキー・ヘイリーもインド人である。
2022年に米国入管が発給したH1Bヴィザを取得したインド人は442000人にのぼる。
 第三にインドの経済的躍進と中国に次ぐ『市場』である。
マイクロン,GEがインド進出を決めた。6月20日にNYCでモディと会見したテスラのイーロン・マスクは『インドにも工場進出を果たしたい』と語り、モディは大歓迎だと答えている。
 マイクロンは8億ドルを投じて半導体工場をインドに開設するとした(同社は他方、中国にも7億ドルを投資し重慶に半導体工場をつくるが)。GEはジェット戦争機F414エンジンのインドでの合弁生産を決めている。
ただし半導体は水が綺麗な場所が必須の条件であり、また優秀なエンジニアを確保できてもカーストという見えない管理上の障害があり、米国や日本、韓国、台湾とは条件が異なるデメリットがある。
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 かくしてバイデン大統領主催の「モディ首相歓迎夕食会」には閣僚、政治家に加えて、多数の有名人が招待された。夕食会には楽団が入った。
なかでも注目を集めたのは前述ナディアとピチャイのほかに、インド証券界のスーパースター「ゼロドハ」(ネット証券)を起業したカマス(34歳)、インドを代表する大富豪にして慈善活動家のアンバニ夫妻(その資産は834億ドル)。ブリンケン国務長官やマッカーシー下院議長らは霞んでいた。
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bastei · 2 years
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2022
夢を見るには眠すぎる
 目が覚めると外は一面の雪景色に変貌していた。「すごいって、早く会社行って雪かきした方がいいよ」と妻がいう。もう少しだけ布団の中でグダつきたい。隣で寝ている息子の顔を眺めていたいけれども、妻のいうようにぐちゃぐちゃになった顧客用の駐車場のことを考えると、もう嫌な気持ちでいっぱいになった。この季節は全部マイナスからスタートしていくのが嫌だ。たとえプラマイゼロまで持って行っても、くだらない書類の空白を埋めていかなければならない。寝息を立てている息子のさらに隣で寝ている娘の顔を覗き込むと、私に気づいて信じられないくらい笑顔で笑っている。妻は先に目を覚ましており、蛍光灯もつけず私のお弁当を作っていた。これから始まる絶望的な季節、金にならない労働が幾分か頭をよぎっているようだった。だいたいこの時期になれば”こんにちは、雪です。一年ぶりですね”といった具合に簡単な挨拶にくるものだったから油断していた。”あー降ってきやがったなー”と思った翌日には、特殊作戦群が扉の前に"ステンバーイ…"と待ち構えていた。
繋がりとか縁とか言うとちょっと恥ずかしい
 ここに集まった人みんなは"何かのご縁"で集まっていると思います。今日を迎えるにあたって、僕とイトーくんの縁はなんだろうと考えました。出身も違えば大学も学部も違うし、サークルも違うし、仕事も趣味も多分違うし、多分国籍が一緒くらいなもんで、たまたま今から10年以上前にいった神楽坂の竹子——ほんとうにひどい飲み屋ですよ——の一角でたまたま隣のテーブルに座っていて、たまたま私の元カノの友達——それも2、3回しか会ったことなかったんですよ——といっしょにいて、酔った勢いで話しかけてみて、そのまま仲良くなるという縁が、ここまでずっと残るとはあの時思わなかったです。今になってみれば何であの飲み会行ったかも、逆になんで自分があの飲み会誘われたかも今ではよくわかんないし、もうすこし気持ちが乗らなかったら外に出なかったかもなーとか、竹子のビールがもう100円高くて上等なものだったらあそこまで酔っ払ってなかったかもなーとか、その後なんとなく皆んなで東京タワーまで歩く気分にもなってなかったかもしれないです。なんというか僕はラッキーだなーと思ったんです。
 そうして思い返していると、一緒にいると楽しいかもとか面白いことがことが起こるかもしれないという予感のようなものが縁だったのかなーと思うのです。よくわからん人付き合いには、ふわふわと縁なんて言ってヘラヘラ誤魔化してしまうんですけど、今日はもう少しだけ踏み込んでみるとあの時確かに"いい予感がした"んだって、やっぱり楽しいそうだなって予感が、あの時したんだと思います。みなさんも、お二人も、きっとそうじゃありませんか。
 そして、その元カノの友達はイトーくんと飲んだくれているうちに、今では直接の大事な友達として、今日まで仲良くしています。彼女はいまロンドンにいて、ここに来ることができませんでしたが、手紙をいただいておりますので、代読させていただきます。
Hからの手紙を読む
 結びになりますが、今日はお招きいただきありがとうございます。奥様とは今日初めてお会いしますが、二人が本当に愛し合っていることが身にしみてわかって、すごく嬉しいです。イトーくんをよろしくお願いします。今日は李賀のように飲みすぎるなと妻から釘を打ち込まれておりますが、たくさんお酒を飲んで、仲良くなって楽しい気持ちで帰りましょう。こんにちの縁が、美しい予感が、ずっと続くことを祈念しまして、お祝いのあいさつとさせていただきます。
手紙の中で語られた、昔イトーくんが酩酊状態で突如として朗読した李賀の漢詩
琉璃鍾 琥珀濃 小槽酒滴眞珠紅 烹龍炮鳳玉脂泣 羅幃繍幕囲香風 吹龍笛 撃鼉鼓 細腰舞 況是青春日將暮 桃花乱落如紅雨 勧君終日酩酊醉 酒不到劉伶墳上土
ガラスの杯は濃い瑠璃色に輝いている。 小さな桶から酒が滴って紅の真珠のようだ。 龍を煮、鳳を包み焼きすると、玉の脂がジュージューと泣くようにこぼれる。薄絹の帳と刺繍した幕にいる囲まれた中に、かぐわしい風がそよぐ。 龍の笛を鳴らし、ワニ皮の太鼓を打ち、白く美しい歯の美女が歌い、細い腰をくねらせて舞う。まして春だ。日はまさに暮れようとしている。桃の花は乱れ散り、紅の雨のよう。 君に勧める。一日中、ぐてんぐてんに酔いたまえ。かの劉伶でさえ、墓にまで酒を持ってはいけなかったのだ!
今年生まれてきた娘についてのごく個人的な考察
 兄妹そろって妻寄りの顔つきなので、3人並んでいると本当にそっくりだなーと思う。加えていえば、妻は3つ子なのでこの世に似ている顔が6つあることになる。ややこしい。
じゃがいもについて
「ねえ僕は実はさ、じゃがいもってあんまり好きじゃないんだ」
「えっ?! どういうこと?? 私むしろ入れるようにしてたんだよ?お腹いっぱいになるかなって思って、それも結婚してから5年もたってるのよ?本気で言ってるの?」
「そうなんだよ、そこなんだよ、だっておなかいっぱいになっちゃうじゃないか。それだけでおなかいっぱいになっちゃうのが僕はダメだったんだよ実は」
「飢饉かよって思ってしまうんだ。いや、フライドポテトとかは別になんともないし、なんというかコロッケとかはむしろ好きなんだ」
「めんどくせー男だなオメーは。むしろなんにでも入れてたわ。これでもかってくらい」
「汁物に入っているやつが、なんか違うなってなっちゃう。いや、食べるよ別に、なんていうか食べれないわけじゃないんだ」
「同じコストでいろんなもの食べたいんだよ。人参とか玉ねぎとかは同じ量食ってもお腹いっぱいにならないでしょう?他のものも食べれるわけよ、米とか」
「ところがじゃがいもってマジでお腹いっぱいになるじゃん。さっき道の駅で買った郷土料理の汁物のなかに死ぬほどじゃがいも入っててさ、これじゃあじゃがいもじゃんって思っちゃって最低だったマジ。それでやっと気がついたっていうかさ、じゃがいもそんなに好きじゃないって。好き嫌い殆どないからさーあんまり考えたことなかったんだよ。いままで。そもそも山菜汁にじゃがいもいれてくるあたりセンスないよ。あの店潰れるぞ。僕は山菜が食べたいよ」
「ポトフはよく食べるじゃん」
「ポトフはギリギリ許せる。味がするから。嫌いなわけじゃないんよ、普通に食べるし」
「めんどくせー男だなーーーマジで」
「カレーは?」
「カレーはじゃがいもっていうかカレーだからイケるな」
「5年も真顔で好きでもないじゃがいも食べるのやばいって」
「そういうの早くいってよ」
今年買って買ってよかったもの
小型のマッサージガン マツダのcx-5(ディーゼル4WD) デスストランディング(いまさらプレイして最高傑作だった)
この記事は2022 Advent Calendar 2022の5日目として作成されました。前日は nobokoさん、明日はまとさん⭐️🇶🇦さんです。
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yaasita · 10 months
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2023-06-12 ■賃貸マンションに入れてはいけない客・外国人と老人編 賃貸マンションに入れてはいけない客 https://anond.hatelabo.jp/20230609174500 賃貸マンションに入れてはいけない客・Q and A編 https://anond.hatelabo.jp/20230610122156 ↑を書いた元増田です。 kappa_ycさんの「この文章をきっかけに読み手のステレオタイプが拡大され同様の行動に至ればそれは立派な差別の助長」という理性的な批判コメントは俺の琴線に触れた…。なるほど理解できる…。 それなら俺の書いた記事を公開したままにしておくのは良くないな。 ただ、前記事で外国人と老人について書いたところは俺の力が足りず、大きく誤解されていたように感じたので、補足を入れたい。その周知期間として2、3日とり、その後はこの記事も含め適当なタイミングで削除する。 ⚫︎外国人について まず俺が入居を断る外国人はビジネスレベルの日本語ができない外国人を指している。悪いけど俺は日本語しかできねえんだよ。だから日本語わかってくれないとビジネスができねえ。 でも、在日二世とかの日本で教育を受けた外国人は国籍が日本じゃないっていうだけで日本語はネイティブと変わらん。そういうお客さんを断る必要はないだろ?むしろ歓迎するよ。実際に入居してくれてる人やもう引越したけど以前入居してくれてた人も沢山いる。 つまり、俺は国籍を理由に断ることはしない。別の言い方をするなら、ビジネスレベルの日本語ができないなら日本人でも断る。 なので、kashur2さんが載せてくれた、差別で外国人が入居を断られたという判例集、俺にもその家主が入居を断った理由がわからん。 中には弁護士をやってる韓国人が国籍を理由に入居断られたっていうのもあった。司法試験を通過できる能力のある人ならそこらへんの日本人よりよっぽど日本語堪能だろ。 何がダメだったんだろう?タトゥー��あったのか? ただ、ビジネスレベルの日本語ができない外国人についても、できたらなんとかしてやりたいという気持ちはずっと持っている。 俺は慣れない日本に来て一生懸命頑張っている外国人を尊敬しているし、応援している。最近じゃうちの物件のエアコン取り付け工事なんてベトナム人の兄ちゃんが来るぜ。丁寧に仕事するよ。日本語はカタコトだけどな。 確かに日本人の若者はこういう仕事やらなくなってるもんなあ。俺が逆の立場だったら、ベトナムでエアコン取り付け工事の仕事する根性ねえよ。お前らすげえよ。 外国人を入居させると汚されるしゴミ置場が荒れるイメージがあるが、それは前記事でも触れたように、日本語のできない外国人に対して入居後のアフターフォローを継続的にできるような、高い語学力とホスピタリティのある優秀な人材が不動産業界にいないからだと思っている。 日本語のできない奴がクソみたいにルールの細かくてしがらみの多い日本社会で、カギだけ渡してあとはよろしくねって、そんなん問題なく暮らしていけるわけないだろ。そこは日本人に対する接客と同じにしたらダメだ。 多分、うまく意思疎通ができたらいいお客さんになるような気がするんだよな。ゴミはこういう風に分別して、この時間までに出せよな、とか、暗くなってから大人の男、特にお前らみたいな外国人が住宅街で集まって立ち話してるとどうしても危なっかしい印象を与えるから、おしゃべりしたいならファミレス行けよ、とか。 こういう、日本でトラブルなく暮らすための機微をうまくそいつの母国語で説明してバックアップしてやれたら、いい客になるんじゃないかと思ってる。 だが、俺の運営体制ではそういう難しいお客さんをそこまでフォローしてやれる時間と能力がない。そうすると入居してもらってもお互い不幸になるだけなので、今は断らざるを得ない。 というのを一言で言い表したのが、前記事の「外国人を断ることについて俺に差別っていう意識はなく、賃貸ビジネスとして難易度が極めて高いので辞退させて頂きたい、っていう感覚」だったのだが、これは差別なのか、選別なのか、みたいな感想が多く、真意は全く伝わらなかった印象。さすがに説明を端折り過ぎたな。 ビジネスレベルの日本語がどうのとか偉そうに言っときながら俺の日本語が一番ダメっていうオチ。 すまんな。 ⚫︎老人について 老人については、今は室内で孤独死された場合の事業リスクがでかすぎて断らざるを得ない。いわゆる「事故物件」をまとめたホームページとかあるしな。あんなんに載ったらヤバイって。 だが、極端な事を言うなら、室内で死ななければいいというだけの話なので、異変が起きたときに速攻で病院に担ぎ込める体制がうまく担保できれば、お客さんとしては全然アリ。調べてないからわかんないけど、警備会社とかに問い合わせたらそういう設備を物件に組み込むサービスは既にありそう。 身の回りのことがある程度自分でできる老人向けの賃貸物件はめちゃくちゃニーズがあるのよ。俺が持ってる物件は老人向けにできてねえし、万が一の孤独死対応に割くリソースがないから入居を断ってるっていうだけで、うまくやれば老人をお客さんにできる可能性はあると思ってる。 たとえば、物件の1階だけ老人向けにしたら階段登り降りしなくていいしなんとかなるかもな、みたいな感じ。 ただ、このジャンルは物件数も日に日に充実してきている印象があって、今から素人の俺が知恵絞ったところで、他社にはコスト面、ノウハウ面で絶対勝てねえなっていう気はしてる。 なので、コメントの中には賃料を気にする向きもあったが、そのうち供給量がどんどん増えて値下がりしてくるはずなので、心配しなくて大丈夫だと思うよ。 というのを一言で言い表したのが前記事の「老人についても差別してるつもりはなく、賃貸ビジネスとして難易度が高いから辞退しているという認識」だったのだが、これも全く真意が伝わらなかった。 ⚫︎終わりに 最後に、Koubokuさんの「逆に実は優良顧客みたいな属性ってある?」という質問に答えて締めにしたい。これは面白い質問だった!!! 考えたことなかったので、この機会に考えてみた。 意外性があるかは別として、一番理想なのは、大卒の新社会人が就職と同時に初めての一人暮らしで、うちの物件を選んでくれた、っていうパターンかな。これはスーパー優良入居者。このパターンで入ったお客さんはほぼトラブルないと思う。 あと意外性のありそうなところでは、離婚することになって、持ち家は元奥さんの手に渡ってしまった、ダンナは家を出ることになり、離婚後の一人暮らしの住まいとしてうちの物件を選んでくれたっていうパターンかな。このパターンで入ったお客さんもほぼトラブルなしだと思う。 というわけでここまでにしておくな。 この仕事、不労所得だなんてとんでもないって事が伝わっていたらうれしい。 不動産の仕事は人を見る目が嫌でも養われる。そんな俺から見て、ゴミの分別がきっちりできる奴は人間としてのレベルがかなり高いと思っている。TOEIC800点くらいの難易度だと思う。人間レベルを高める修行だと思ってぜひ協力してほしい。 あとファッション感覚でタトゥーを入れるのはやめておけ。俺みたいな奴がどこかで見ていて、お前の人生に不利益をもたらす。 ここまで読んでくれてありがとう。色々勉強になったぜ! (あとがき) 早速読んでくれた人ありがとう。 ちなみに俺は客を差別しないとは言っていないし、差別する大家だと思われることも気にしていない。事実、タトゥーを入れている奴は明確に差別している。 ただし、外国人と老人については話が別だ。何とか工夫して受け入れたいという意思がある。現状の俺の事業体制が貧弱であるため仕方なくお断りさせてもらっているのが実情で、内心申し訳ないと思っている。 なので、俺的にはマジで外国人と老人を差別している意識はなく、前回の俺の書き方が悪くて外国人や老人に対する差別を助長することになったら心外だと思ったため、今回の補足記事を書いた。 それでも差別だとお前が思うならもうしょうがねえな。まあそうなんだろうよ。お前の中ではな。
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tutai-k · 2 years
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旅の記録
12月3日~4日、友人と鎌倉・江ノ島旅行をする。
鎌倉文学館で没後35年特別展、澁澤龍彦・高丘親王航海記の展示があったので、鎌倉へ行こうと計画をしていたところ、友人が声をかけてくれて、ひとり旅でなくなった。
ひとり旅だと、どうしても鳥を探したくなって重いカメラを担いで、ワークマンの服を着て出かけることになる。鳥を撮影するようになってから、文化財を巡るような「旅」とは疎遠になっていた。
旅のルートは、 一日目 北鎌倉・浄智寺(澁澤龍彦の菩提寺)―鎌倉・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館/鳩サブレーで有名な豊島屋のカフェ「置石」/クルミッコ/桜貝アクセサリー店/鎌倉文学館 二日目 江ノ島(特にどこという予定は決めずに江ノ島とだけ決めていた)
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・北鎌倉 浄智寺 北鎌倉で待ち合わせをした。そのまま浄智寺へ。地図を見なくても、なんとなく歩いて行けばたどり着けた。 人生で一番通っている寺というのは、どう考えても地元の檀家になっている寺だが、そのつぎがたぶん、東大寺だろう。地元の友人とよく奈良へ行くし、奈良は鳥がたくさんいるので、バードウォッチングを始めてからも何かにつけて出かけている。だがその次は?となるとおそらく浄智寺ではないかと思う。 そんなに通っているのに、じつは一度も澁澤龍彦の墓にたどり着いたことがない。浄智寺は、拝観料が必要な文化財としての寺だけれど、檀家もいて、お墓があるのだ。それはつまり、地元のひとびとの暮らしと地続きの場所で、そこを、ただ澁澤龍彦のファンであるというだけの自分が「墓参りに来ました」と言っていいものか、というのをずっと迷っていて、聞けずにいて、見つけることができなかったのだ。 だが今回、どうしても澁澤に報告したいことができたので、澁澤の墓前に立ちたかった。寺の受付のひとに聞くと、わかりづらい場所にある、と言いながら親切に教えてくれた。いままでたどり着くことのできなかった墓前にたどりついて、いろんな報告をした。 澁澤にしてみれば赤の他人が急に墓にやってきて、あなたのファンです、やっとここまで私の人生がたどり着きました、なんて報告をされても知ったことではないだろうと思ったが、人生の一つの区切りとして訪れることができてよかった。矢川澄子は岩波の校正員時代に、龍子さんは芸術新潮の編集者のときに、澁澤と出会っている。 御朱印をもらって帰るとき、そのふたつ前のページが、以前訪れたときの浄智寺のものだった。文化財から足が遠のいている自分を発見してすこし苦々しく思う。
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・鶴岡八幡宮/大河ドラマ館 カモメが群れになって飛んでいた。七五三の子供がたくさんあるいていて、成人式の前撮りの人たちもいた。 今期の大河ドラマを見ていないのでついていけるかどうか不安だったが、楽しそうにする友人を見ているだけで楽しかった。映像資料やジオラマ、体験コーナーなど、ドラマを見ていない人間でも楽しめた。舞台セットの時代考証の映像がとてもよかった。 ハトがたくさん歩いている。
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・クルミッコ/置石/桜貝のアクセサリー店 前回鎌倉旅行をするときに、地元の友人に「クルミッコ」というお菓子がおいしいと教えてもらった。そのときはお昼過ぎに店舗に立ち寄ったのだが、行列ができていてなかなかお店に入れなかった。「並ぶんだよ~」と言いながらお店にいくと、列ができていない…。もうクルミッコブームは終わったのか? とお店に入ると……クルミッコ、売り切れていた。まだおひるすぎだというのに。 置石へむかう。エクレアサンドとチョコレートパフェをたのむ。紅茶がとてもおいしいと友人が教えてくれたのでそれも注文する。紅茶はとてもおいしかった。そして……チョコレートパフェ、800円という金額なのにとても巨大だった。エクレアサンドを食べたあとに食べるサイズではなかった。ふつう、コーンフレークがいるところにおそらくは粉砕されたハトサブレが陣取っていて、それがとてもおいしかった。巨大だったが、おいしかったのでつるっと食べられた。 その後、桜貝のアクセサリー店へ行くまでに、鳩サブレー本店にたちよる。鳩サブレーグッズを買う。ここも行列。宿で食べるおやつに矢口餅を買う。大河ドラマに登場した餅らしい。何も知らずに求肥に釣られて買った。 桜貝のアクセサリー店も長蛇の列だった。列に並んでいるあいだ、「桜貝ってわれわれでも拾えるのかな」「由比ヶ浜にいくから打ち上げられてないかな」などと話をしていたら、前に並んでいた人が、「六時半くらいに行くと拾えますよ」と拾った桜貝の写真を見せてくれる。早起きして桜貝探しをすることを誓い合う。 どれもかわいくて迷いに迷って、桜貝のヘアピンを買う。
・鎌倉文学館 鶴岡八幡宮の門前��を楽しみすぎて、文学館が16:30閉館なのにたどり着いたのは16:00だった。高丘親王航海記の展示を見る。こぢんまりとした展示だったし、見たかったのは創作メモだけだったので、そこだけ重点的にみる。三島の影響を感じる部分などある。 リスが木を歩いていた。鎌倉にはたくさんリスがいると警備員さんに教えてもらう。宿までの道すじでもリスがいて、うんこされる。
二泊目
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・由比ヶ浜 約束通り6時に起きられたので、6時半に由比ヶ浜に到着する。もうサーファーが海にたくさん入っていておどろく。 桜貝を探す。海で貝を探すときは、一点を見ない方がいい。とはいえ、タカラガイを探すことは得意でも、桜貝用の「目」ではない。一つ目を探すのに苦労する。それでも一つ見つけると目が慣れてぽつ、ぽつと見つけられる。メダカラを一つだけみつけるが、擦れていたので拾わずおいてゆく。桜貝に孔をあけるツメタガイも打ち上げられている。 「朝日曇っているから見えないのかなあ」と言っていたら、背後の山のほうから日が昇る。朝日はいつでも海からのぼると思っていたが、そうでもないらしい。
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・江ノ島 江ノ島へ行く前に、クルミッコへもう一度。開店直後にお店に到着したのに、お店のかげまで行列ができていておどろく。ほしかったカンカン入りのクルミッコが買えたので満足する。 江ノ電に載り江ノ島へ。 江ノ島までの道にたくさんお店が並んでいる。家族には「わざわざ江ノ島まで行ってしらすを食べなくても地元で食べればいいじゃないか」と言われながら出かけたのだが、しらすピザは地元にはない。絶対しらすピザをたべたいと言い続ける。 弁天橋から鳥を見る。見たことのない鳥だったのでコンデヂだったが撮影する。帰ってから調べるとカツオドリで、どうして重いからという理由でミラーレス×超望遠を置いてきたのかと後悔する。 江ノ島神社への参道には、貝を売る店がおおくある。夜光貝やナンヨウダカラを見てはほしいほしいと騒ぐ。 江島神社へ到着する。弁財天をまつる神社もある。わたしは弁財天を見つけると必ずお参りするようにしている。弁財天は芸能の神様なので、小説の上達を必ず祈ることにしているのだ。弁財天のお守りももらう。新しい仕事の鞄につけようと思っている。 山頂まではエスカーにのる。エスカー、ケーブルカーのようなものだと思っていたらエスカレーターだった。だからエスカーか……。 参道で行列ができていたタコせんべいのお店が山頂にもある。そこも行列ができていたが、参道ほどではない。生のタコをまるまる一匹、プレスして作るせんべいは、タコをおしつぶすとき、悲鳴が聞こえる。あつあつのを、トンビに狙われながらたべる。 シーキャンドルという展望塔に向かう途中、鳥のような鳥じゃないような鳴き声が聞こえる。近づいていくとリスだった。至近距離でも逃げない。奈良の鹿のように、鎌倉にはリスが多い。クルミッコにリスが描かれていることに納得する。 シーキャンドルにのぼる。眺めがよく、ずっと見ていられそう。富士山がとても近い。わたしたちの住んでいるところでは、富士山は条件のいい冬にしか見られないが、関東では天気がよければそうめずらしくないらしい。 念願のしらすピザをたべる。めちゃくちゃ大きい。鎌倉野菜としらすのピザだった。とにかく大きい。おなかがいっぱいになりながらそれでもおいしいので完食する。はじめてクリームソーダを食べる。おいしかった。窓からは湘南の海だろうか、海と富士山が見える。SUPのひとたちがときどき通り過ぎてゆく。
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電車に乗り、友人と別れる。 先週の横浜行きでは売り切れていた崎陽軒のシウマイ弁当を食べる気満々でいたものの、しらすピザが大きすぎて全然おなかがすいていなかった。崎陽軒のチャーハン弁当(シウマイが2コ入っている)と、真空パックじゃない方のシウマイを買う。新幹線で食べるつもりだったが全然おなかがすかなくて、帰りの近鉄電車で食べた。おいしかった。
コロナ禍に入ってからバードウォッチングをはじめ、神社仏閣をまわったり、博物館へ行ったり、素敵なカフェやお土産を探したり、観光地をぶらぶら歩く旅から遠ざかっていたので、今回の旅ではそれができたことがとてもうれしかった。 いつのまにか、旅=探鳥になっていたけれど、こういう旅を好んでしていたなあ……旅といえば、博物館や美術館を探し、神社仏閣を巡っていたのは、つい二、三年まえのこと。それなのに、なんだかはじめての旅をしたような心地だった。
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team-ginga · 1 year
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映画『生きる』
 U-Nextで黒澤明監督、志村喬主演の映画『生きる』(1952)を見ました。
 その昔、母から話を聞いた映画です。母は本が好きな人でしたが、映画も好きだったのかな。おそらく母が話してくれた映画はこれだけだったと思います。
 母曰くーーぼんやりと暮らしていた市役所勤務の男が胃癌で余命いくばくもないと宣告される。男は死ぬ前に何かを成し遂げようと、子どもたちのために公園を作ることにする。公園が完成して男は死んでいく。男が公園のブランコに乗って「いのち短し恋せよ乙女」と歌うシーンは名シーンだ。
 まさにそれがこの映画の中核ですが、実際に見てみると当然ながらそれだけではなく、いろいろなものが付け加えられています。
 主人公の渡邉(志村喬)が胃癌で余命いくばくもないというのはその通りなのですが、実際に医者にそう言われるわけではありません。病院の待合室で見知らぬ患者と雑談をして「胃癌というのは恐ろしいものです。医者は軽い胃潰瘍だと言い、特に消化の悪いものでなければ好きなものを食べていいと言うのですが、あっという間に悪化して死んでしまう」と聞いた渡邉は、医者にその通りのことを言われてショックを受けます。
 直後のシーンで医者同士が「あの人はいつまでもちますかね」ーー「半年くらいかな」と言っているので間違いはないのでしょうが、時代を考えれば本人に宣告しないのは当然としても、家族にも教えないものなんでしょうか。本人も家族も知らず、医者だけが知っているというのは、今の感覚からするとちょっと変な感じがしました。
 渡邉は早くに妻を亡くし、一人で息子を育てました。息子は社会人になり結婚して、渡邉と一緒に暮らしています。
 渡邉は市役所の市民課の課長です。ある地区に住む女性たち(その中には若き日の菅井きんもいます。こんなに可愛かったんだ、菅井きん)が空き地の水たまりをなんとかしてくれと陳情に来ていますが、市民課から公園課へ、公園課から土木課へたらい回しにされるだけで、一向に埒があきません。
 渡邉も若い頃は仕事に熱意を持っていたようで、仕事場の机の引き出しには市役所の運営の改革に関する私案の書類が入っています。若い頃に渡部が書いたのでしょうが、結局提出しないままになってしまったということですね。必死に書いたはずの書類の最初のページを破ってペン先の掃除に使うシーンは、渡邉の現在と過去を一瞬で対比するいいシーンだと思いました。
 癌で余命いくばくもないと知った渡邉は市役所を欠勤し、銀行から5万円おろして飲みに行きます。当時の5万円って今のいくらに当たるんですかね。100万くらい? まさか500万ということはないでしょうが、かなりの金額です。
 でも、遊び慣れていない渡邉は何をすればいいかわかりません。彼は飲み屋で知り合った小説家(演じるは伊藤雄之助。痩せて精悍な感じで、まさに無頼派の小説家という感じです)に余命いくばくもないことを話し、パチンコやキャバレーに連れて行ってもらいます(この時代のパチンコって立ったままやるんですね。知りませんでした)。
 キャバレーでピアニストに「リクエストはありませんか」と言われた渡邉は『ゴンドラの唄』をリクエストし、ピアノに合わせて歌います。
 あ、ここでまず歌うんだ。
 このシーンは凄みがあります。志村喬はうつむき加減で虚空の一点を見つめながら、口をほとんど動かさず、調子はずれに歌います(音をはずすというよりリズムをはずし、ピアノの伴奏と合わない歌い方です)。
 彼の横に座っていたホステスは怖くなってどこかへ行ってしまいますが、むべなるかなーーそれほど鬼気迫る感じです。
 いいなあこのシーン。当然ラストで志村喬はもう一度『ゴンドラの唄』を歌うのですが、私はこっちのシーンの方が好きです。
 一晩中遊び歩いた渡邉は翌朝、自宅に帰る途中、市役所の部下の女性・小田切と偶然で会います。小田切は市役所の仕事は退屈だから転職する、ついては辞表にハンコが欲しいと言います。小田切の靴下が破れているのに気づいた渡邉は洋品店でストッキングを買って彼女にプレゼントします。
 小田切は「これ欲しかっただけど高くて」、「もしこれを買ったら、1ヶ月間お弁当のおかずはメザシになってしまいます」と言って喜びます(彼女は二間のアパートに3家族で住んでいるとも言っていました。まだ日本全体が貧しかったということでしょうか)。
 渡邉は小田切と一緒に遊園地やスケート場や映画館に行きます。息子や息子の妻は年甲斐もなく若い愛人を作ったのではないかと疑います。
 渡邉は息子に病気のことを打ち明けようとします。しかし、息子は愛人ができたという話だと思っているので話が噛み合わず、渡邉は打ち明けるのをやめます。
 一方、小田切は最初こそ渡邉と一緒に出かけるのを喜んでいましたが、だんだん不自然なものを感じて、もう出かけたくないと言います。渡邉は最後に一度だけと言って、小田切を喫茶店に連れて行きます。
 渡邉は余命いくばくもないことを小田切に打ち明け、「私はミイラのように生きてきた」、「君はどうしてそんなに生き生きしていられるんだ」と尋ねます。小田切は「さあ」と言った後、バッグからウサギのおもちゃを取り出し(彼女は市役所を辞めておもちゃ工場で働いているのです)、「これを作ってるからかしら。どこかの赤ちゃんがこのおもちゃで遊んでいると思うと嬉しくなるの」と言い、「課長も何か作ったらどうですか」と言います。
 でも渡邉は何を作ればいいかわかりません。小田切も「あの役所じゃ無理ですよね」と言います。しかし、渡邉は何か閃いたように喫茶店を出て行きます。
 その喫茶店は2階建てで中央に階段があり、渡邉と小田切は2階にいます。階段を挟んだ向こう側では、大勢の若者たちが仲間の誕生日を祝っています。
 渡邉が階段を駆け降りるとき、ちょうど誕生日を祝ってもらっている女性が現れたのでしょう、若者たちは一斉に「ハピーバースデイ」を歌います。
 次のシーンで渡邉は役所の部下たちに市民からの要望に応えて、空き地を整地し公園を作ると言うのですが、そのシーンでも「ハピーバースデイ」が流れます。
 それまでミイラのように生きていた、本当の意味で生きているとは言えなかった渡部が、この瞬間生き始めるということを示す演出ですが、うーん、どうなんでしょうね、これ。わかりやすいだけに少しあざとさを感じてしまいました。
 そこから時間が飛び、渡邉の葬儀の夜になります。これはちょっと驚きました。渡邉の死から遡る形で渡邉のしたことを描くわけですか。なるほど……これは予想していませんでしたが、なかなかいいですね。
 同僚や上司が渡邉の自宅に集まっているところへ、新聞記者たちがやってきます。空き地に公園を作ったのは渡邉なのに、それを自分の手柄にした助役にインタビューしたいとのことですが、そんなことで葬儀の場にまで来るものですかね。
 助役(演じるは中村伸郎)は「記者たちは役所の仕組みを知らないから困る。公園を作ったのは渡邉君ではない。渡邉君一人の力では何もできない」と言い、土木課長や公園課長も「取りまとめたのは助役ですから」とお追従を言います。
 そこへ陳情に来た女たちが焼香にやって来ます。彼女たちは泣きながら焼香をしますが、何も言いません。この「何も言わない」ところがいいですね。下手に何か言うと艶消しです。
 女たちが出ていくと、助役たちは居心地が悪くなったのか早々に立ち去ります。残った市民課の職員たち(藤原釜足がいて千秋実がいて左卜全がいます。いつものメンバーですね)は最初「あの公園ができたのは課長一人の力ではない」と助役たちと同じことを言いますが、若い課員が「いや、あれは渡邉課長の力だと思います」と言うのをきっかけに、渡邉が公園設置のために何をしたか、それぞれが思い出話をすることになり、最終的には「課長は立派だった」、「俺たちも課長のように頑張るぞ」と言います。
 そこへ巡査が現れ、焼香します。巡査は前夜遅く、渡邉が一人で公園のブランコに乗り「ゴンドラの唄」を歌っていたと言い、あの時きちんと保護していれば亡くなることもなかったと悔やみます。
 そこでフラッシュバックーーブランコに乗った志村喬が「ゴンドラの唄」を歌うシーンが流れるのですが、私は知っていたからかもしれませんが、このシーンよりキャバレーで「ゴンドラの唄」を歌うシーンの方が凄みを感じました。
 翌日の市役所ーー職員たちは前夜「課長のように頑張るぞ」と言っていましたが、何も変わりません。以前と同じように陳情に来た住民をたらい回しにしています。
 葬儀の場で渡邉を擁護した若い職員が、渡邉の作った公園へ行き、子どもたちが遊んでいる姿を見ているところで「終」とでます。
 確かにいい映画です。批判はしたくないしできません。
 黒澤が渡邉という人間の生と死を描くとともに役所の縄張り主義、硬直したシステムを批判しようとしたのはよくわかります。
 でも、個人的にはそういう風刺はどうでもいい、渡邉だけにスポットを当てて欲しかったという気がします。
 志村喬はもちろん名演です。猫背でオドオドして、病気が進むにつれてだんだん掠れ声になっていくところなぞ誰も真似できないと思いますし、『七人の侍』のリーダーと同じ役者がやっているとはとても思えません。
 でもなあ……いつも濡れた目をしている(これももちろん役者としての技術ですが)のを見ていると「病気の犬」か何かに見えてしまうというのもまた事実です。
 息子もかわいそうだよなあ。物語の流れとして息子夫婦には打ち明けない/打ち明けられないというのはわかるのですが、自分が息子なら「親父、どうして言ってくれなかったんだ!」と言いたくなります。
 息子は知る由もありませんが、渡邉は初対面の小説家や職場の部下にすぎない小田切に癌のことを打ち明けています。他人には打ち明けられるのに息子には打ち明けられない……世の中にはそういうこともあるとは思いますが、息子としてはたまらないだろうと同情してしまいました。
 『生きる』はミュージカル化(!?)されているそうです(渡邉役は市村正親と鹿賀丈史のWキャスト)し、最近イギリスでリメイクもされているそうですが、もしあの話を現代に置き換えるとどうなるんでしょう。
 ちょっと見るのが怖い気がします。
追記:  志村喬は1905年生まれ。ということはこの映画のときには47歳。  え? 47歳?  とてもそうは見えません。  もっとも当時の定年は55歳ですから、渡邉はまだ50代前半ということになります。  今とは年齢の感覚が全く違うということでしょうか(『サザエさん』の波平だって50代前半、うっかりすると40代なわけですし)。
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sugarsui · 10 months
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2023/8/13
 デートして帰ってくると日を跨いでいることが多く、そうすると今日は日記を書くのはいいや、となってしまう。
 当初考えていた案が難しそうだ、ということに気づき、彼女がやろうとしていたことを借りて映画館に行ったりしていた。ジャック・ロジエの『メーヌ・オセアン』を観た。ご機嫌なおじさんたちが出てきては物語を引っ張っていって、要所要所で笑いながら観ていた。映画館で観ていていつも思うのは、映画のなかの人物たちが気兼ねなく煙草を吸っているというのに、こちらは煙草を吸えないというのが本当にもどかしい。このあいだやった『ハッピーアワー』鑑賞会をしていたときは、当然駄弁りながら観られるのもよかったが、いつでも煙草を吸えるというのもとても良かった。そのあと私が随分前に行って、原宿という土地柄のせいでもう一度行きたいと思いつつも行けていなかった喫茶店に行った。ムジカを出すところは吉祥寺のTea Clipperがなくなってから久しぶりで、やはりいいところだった。日が暮れていたから大丈夫かと思って、そのまま青山ブックセンターまで歩いたりと、 方々散歩した。
 あまりにも汗かきなので、早く涼しくなってもっと快適に散歩できるような日を待ち望んでいる。焼き菓子を作って、100℃を保てる魔法瓶と紅茶のポット、カップ二つ、シートをもってピクニックをやりたい。
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kennak · 6 months
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去年5月、北海道帯広市で、交際していた高校教諭の女性を殺害したなどの罪に問われた36歳の元同僚の裁判…1審の釧路地裁は女性の承諾があったとして求刑の半分、懲役6年6か月の判決で検察が控訴、21日午前、札幌高裁で控訴審が始まりましたが、わずか10分で即日結審しました。  片桐朱璃(しゅり)被告36歳は、帯広市の高校教諭だった去年5月30日、市内のパチンコ店の駐車場の車内で、北見市の教諭、宮田麻子さん(当時47歳)の首をシートベルトで締めて殺害した上、遺体を雑木林に埋めた殺人と死体遺棄の罪に問われています。  片桐被告と宮田さんは、同年3月までオホーツク地方の高校の同僚で、それぞれ妻、夫、子どもがいましたが、2018年から男と女の交際関係でした。  裁判員裁判だった1審の釧路地裁で、検察は「宮田さんは、自分と一緒に(片桐被告が)死ぬことを前提に承諾したが、被告人は死ぬつもりがないのに、あるように装って殺害した。自己保身のための身勝手な動機に酌量の余地はない」として、殺人罪などで懲役13年を求刑。  これに対し、片桐被告は「やったことについては、間違いありません。ですが、相手の同意があったと認識しています。この人から逃げるために、これが終わるために、逃げたい、死にたい、その一心でした」などと、承諾殺人を主張。  弁護人も、関係解消を拒まれ続けた末に「極限まで追い詰められて『もう、死ぬしかない』と口にした。万策尽き果てたことによる自然な思考や感情。追死を装ったわけではない。被害者の落ち度が大きい」としていました。  7月28日の判決公判で釧路地裁は、犯行の2か月ほど前の4月3日だけで宮田さんから666回の着信、宮田さんの要求に応じた現金700万円の支払いなどを事実として認定。  その上で「被告人において、被害者と死ぬつもりがなかったと認める一方で、被害者は被告人が生き残る可能性をわかっていながら、異を唱えることも抵抗することもなかったため、被告人の死は承諾の前提としない」などとして、被告側の主張する承諾殺人罪を適用し、懲役6年6か月を言い渡していました。  懲役6年6か月は、承諾殺人罪の上限の7年に迫るものの、求刑の懲役13年の半分…この判決を不服とし、検察が控訴。  21日午前、札幌高裁で始まった控訴審で、検察は1審と同様に殺人罪の適用を求めた上で、新たに宮田さんの夫や捜査報告書を作成した警察官の証人尋問などを求めたものの、全て却下され、控訴審は約10分で即日結審しました。  判決は、来年1月11日に言い渡されます。 <これまでに検察と被告・弁護側が明らかにした経緯など> ■検察 ・2016年に同僚となった際、すでに片桐被告に妻、宮田さんには夫と2人の子ども ・2018年から交際「妻と離婚する」などとウソをついて、関係継続しながら解消も考える ・2021年、妻との間に子どもが生まれる ・2022年、帯広市の高校に異動、解消に向けて連絡避ける ・頻繁に宮田さんから連絡あり ・5月29日、顧問をしていた野球部の練習場を訪問される ・5月30日、高校に駐車していた車の中が荒らされ、隠していた住所知られる ・自宅前で待ち伏せされ、走行中の車内で妻と別れることを要求される ・関係解消も継続も不可能と考え、パチンコ店の駐車場で「もう、死ぬしかない」と伝える ・宮田さんが頷いたので「自分も死ぬのであれば、死ぬ気になった」と認識 ・一緒に死ぬつもりがあるかのように装い、殺害することを決意 ・後部座席に移動し、お互いの首にシートベルトを二重に巻き付ける ・自分だけゴム手袋はめる ・お互いに引っ張り合うも、およそ10分後、宮田さんだけ窒息死 ・遺体を自分の車に移して出勤、授業や野球部の活動こなす ・雑木林に遺体を埋め、宮田さんのスマートフォンや車検証焼いて痕跡隠滅 ・アダルトサイト閲覧 ■被告・弁護側 ・2018年、宮田さんから誘われて交際スタート ・2019年、関係解消望むも拒まれ、ヒステリー、50回を超える着信の日も ・別れるなら「700万円ある」と話した全財産を払えと要求され、まず、300万円払うも関係解消できず ・2022年4月、帯広市の高校に異動、住所は隠す ・4月3日だけで666回の着信、高校職員への電話も ・「押しかけられるのが嫌なら、金を払え」と要求され、残りの400万円支払う ・それでも宮田さんの態度変わらず、5月29日、野球部の練習場を訪問される ・仕事があると偽り、高校に車を止めて、タクシーで帰宅 ・5月30日、高校に行くと、車内が荒らされていて、ワクチン接種券から隠していた住所知られる ・「あなたの家の前にいる。早く来たほうがいい」と連絡あり、自宅へ ・宮田さんの車の中で「(妻と)別れないなら、赤ちゃんと奥さんを殺す」と言われる ・「もう、死ぬしかない」と伝えると、2回頷いたので、同意があったと認識して殺害 ・宮田さんを殺害後、自殺しようとしなかったのは「家族を思い浮かべ、一緒に暮らしたいと思ってしまったから」
交際していた高校教諭の女性殺害、36歳の元同僚の控訴審わずか10分で結審…666回の着信、700万円払っても別れられず「これが終わるために逃げたい、もう、死ぬしかない」承諾で1審判決は求刑の半分(HBCニュース北海道) - Yahoo!ニュース
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#05 中沢レイ
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一日の流れ
朝は6時半くらいに起きて朝ご飯とお弁当をつくります。家は私と息子と私の母の3人暮らしです。息子に持病があって、12時間おきに飲まなきゃいけない薬があるので、彼が寝てようが何してようが飲ませてから出かけます。職場は三重県内の市役所で、移住関係の仕事をしています。非常勤で働いてもうすぐ3年になります。
家から市役所までは車で山道を走って40分ぐらいで、道が混んでいたら小一時間ぐらいかかるときもありますね。仕事は17時15分までで、時間になったらすぐ家に帰ります。以前、息子と二人で暮らしていたときは夕飯のお弁当を買って帰っていましたが、今は母親が夕飯の支度をしてくれているので、それをありがたくいただいています。夕食後はだいたいぼーっとスマホを見たりして、気づくと2時間ぐらい経ってたりします。息子はゲームが好きで、夜はゲームのコアタイムだから私とは全然話をしてくれないんですよ。みんなが思い思いに過ごしているのを確認してからお風呂に入って、寝るのは23時ぐらいです。
市役所の仕事のほかにヨガを教える仕事もしていて、レッスンがあるときは、仕事のあと家に一旦帰って晩ごはんを食べて、借りているレッスン場に出かけます。土曜日はバレエ教室で子どもたちにコンテンポラリーダ��スを教えています。ダンスというか、キャッキャ言いながら自由に動いたり、何でも試してみようというクラスですね。日曜は基本的に休みですが、移住の仕事は土日にイベントがあることが多いので、結構出張したりもしています。空いている日は子どもと一緒に過ごそうと、何をするわけじゃないけど、家にいるようにしています。
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生い立ち
生まれは岐阜県岐阜市です。母方の祖父母が縫製業を営んでいて、一家総出で服をつくっていました。両親は朝から晩まで、すごくうるさい工業用ミシンを踏んでいて、家には有名なブランドの布が置いてありました。だけど、私が小学校1、2年生の頃に景気が悪くなったのか、父が仕事を辞めて養鶏場に働きに出るようになりました。それまでは家にずっと親がいたけど、突然鍵っ子になって、弟は泣いていましたね。姉である自分はしっかりしなくちゃと思っていた記憶があります。
中学3年のときに親が頑張って家を建てて、引っ越しをしたんですよ。私は転校もしたんだけど、ある日修学旅行から帰ってきたら両親に「離婚するわ」って言われて。私から見たら仲は悪くなかったんだけど、実際はそうじゃなかったみたいです。せっかく建てた新居も出ることになって、その家は私の叔母さんが住むことになりました。弟は父に、私は母についていくことになったんですが、母の家に引っ越すと中学校を変わらなきゃいけないと言われたので、卒業までは叔母さんのもとで居候をしていました。叔母さんは私のことをかわいがってくれて、叔母さんというよりお姉さんという感じでした。
母は家を留守にしがちだったので、高校からは一人暮らしのような感じでした。家の下がうどん屋さんだったので、母が置いていったお金で天丼の出前を頼んだりしていました。高校3年のときに母が再婚して新しい家族ができましたが、私はもう高校生だし「あなたたちとは関わらないので」と言って、学校もあまり行かずに好きなように過ごしていました。高校卒業後は好きな英語を勉強するために、英語の専門学校に入りました。
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仕事のこと
私が専門学校に入った頃は超バブルの時代で、成績が良い子は先生の薦めで在学中から証券会社とか銀行に就職するんですよ。私も1年の終わりには学校に籍を置きながら商社で働きはじめました。同じころ、音楽をやっている友だちから「岐阜放送っていうラジオ局で話す人を探してるんだけど」と言われて。当時はバイリンガルのDJが流行っていて、私が英語を話せると思って声をかけてくれたんですね。実際はそんなに話せないんだけど、洋楽を聴いていたからそれっぽくは話せるんです(笑)。それでラジオ番組のDJをやることになりました。商社は1年勤めて辞めました。
田舎の放送局だけど案外仕事はありました。レコード会社の人がプロモーションで名古屋に来たときに、そんなに回るところがないから岐阜放送まで来てくれるんですよ。「若くてちょっと変わった子がいる」みたいな感じでいろんな人に良くしてもらって、外タレのアーティストに直接インタビューさせてもらったりもしましたね。でも、DJとかタレントになりたいという気持ちはまったくなかったです。どちらかと言うと裏方や制作をやりたくて、19歳ぐらいから台本や企画書を書いたりしていました。自分の番組では選曲も全部自分でやっていたし、そうした仕事が周囲に伝わって愛知や東京でもDJをやるようになりました。
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踊りのこと ラジオと平行してやっていたのが、幼少期から続けていたダンスです。うちの親は全然そういう素養はなかったんですが、私が幼稚園のころに「バレエをやりたい」と言ったみたいで、母が習わせてくれました。ただ、習っていた先生が怪我をしてバレエをやめることになってしまい、次に入ったのがモダンダンスの教室でした。少しして「これはバレエじゃない」って気づいたんですが、それがかえって良かったんです。というのも、その先生は生徒にお手本を見せないんです。「シュッとなってパッよ」というふうに擬音で振り付けをするので、みんなそれぞれの「シュッとなってパッ」をやるんですね。中学高校と、その先生のもとでダンスを続けました。
あるとき、名古屋で開かれたダンスの大きなコンクールに通訳として参加したんですが、そこで出会ったのが(舞踏家の故・)和栗由紀夫さんです。和栗さんに「お前、踊りやってるのか。うちに遊びにこいよ」と言われて、東京に行ったら板橋にあった和栗さんの家に遊びにいくようになりました。ある日、和栗さんの家に行ったら、ベニヤ板を2枚出してきて、「ここに座って」と言われて。言われたとおり座ったら今度は「右手をこう出してみな。左手は上から出して。これが閉じてさ、開くんだよ」とか言われて。「こうですか?」みたいな。それで「今度舞台やるんだけど出ない?」とくるわけです(笑)。
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それで出演したのが、新宿のパークタワーホールでやった和栗さんの『エローラ〜石の夢』という作品です。その後、和栗さんが主宰していた「好善社」に入るとともに、東京に引っ越してきました。好善社の男の人たちは、それまでダンスをやったことがなくて突然踊りを始めているから、発想がとても面白かったんですよ。そこから結局6、7年は東京に住んでいたと思います。
その後、もう踊りはやめようと思うことがあって、カポエィラに打ち込んでブラジルに行ったりもしました。ダンスの世界は、なんだかんだ言って身体を動かすことが得意な人しか入ってこないけど、カポエィラは、趣味でやってますみたいなお姉さんとか、イケイケの男の子とか、格闘技好きのオタクっぽい子とか、いろんな人がいるんです。一般社会では絶対に仲良くならないような人たちが嬉しそうに一緒にやっているのがすごくいいんですよね。でも、ブラジルにいたとき、テレビから流れてきた音楽に合わせて、やめたつもりの踊りをふと踊っていたときがあって、やっぱり踊りはやめられずにいます。
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妊娠・出産
出産したのは38歳のときです。妊娠がわかったときは、当時結婚していた夫とフランスに住んでいました。日本では私がダンスをやっていると言うと、初対面の人にさえ「いつまでそんなことやってるの」と言われたりしましたが、フランスではまったく逆で、みんな興味を持ってくれました。現地の人たちと仲良くなって一緒に作品をつくったり、小劇場で即興の企画をやったりもしましたが、一方で自分の底が知れた感じもあって、妊娠を機に日本に帰ることに決めました。
出産はだいぶ時間がかかって大変でした。それでも元気に生まれて良かったと思っていたんですが、生まれてからがさらに大変だったんです。とにかく夜まったく寝なくて、ベッドに置いたらどれだけ寝ていても起きて泣いて……。子どもってそんなもんなのかなと思ってたけど、自分も寝れないから信じられないくらい痩せてしまって、布団で寝ていても背骨が痛くなってしまうほどでした。夫は仕事に行ったきりほとんど帰ってこなくて、赤ちゃんと二人暮らしみたいな感じです。しかも、夫の希望で都内からもう少し田舎に引っ越すことになって、それまでは遊びに来てくれた人たちも来れなくなって、本当に孤独になってしまいました。
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それでも息子を地元の幼稚園に入れてなんとか生活していたんですが、2011年の1月末に、幼稚園に息子を迎えにいったら、先生から息子の様子がおかしかったと言われました。確かに、家に帰っても何もしゃべらないし、ご飯も食べないんです。病院に連れていって、インフルエンザの検査をしたりしたけどなんともなくて。食塩水を点滴してもらって、ちょっと良くなったように見えたんですが、次の日にはもっと具合が悪くなってしまって。抱っこしたらびっくりするぐらい重たくて、これはおかしいと思いました。
再度病院に行って尿検査をしたら、測れないぐらいたんぱくが出ていて、大きな病院に行くように言われました。行った先で「これはネフローゼという病気で、治療に長い時間がかかります」と言われて、そのまま入院です。ステロイドを大量投与する治療をはじめたんですが、息子は��テロイドを半量に減らしたところで再発してしまい、それから一切ステロイドが効かなくなってしまいました。
これはもう救急車で運ばなければという状態になってしまって、埼玉から東京の世田谷にある成育医療研究センターに救急車で運ばれて入院しました。それが2011年の3月11日です。病院について、しばらくしたらダアーッと揺れて点滴は倒れるわ、壁に亀裂が走るわで大パニックです。しかも原発事故で放射能がどうこう言われていたから、ガラケーで一生懸命情報を調べました。食事も大変で、子どもには病院食が出るけど、自分の食事は出ないからコンビニに行くんだけど食料がないんです。なんとかゲットしたパンひとつで一日過ごすなんてこともありました。
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生きていてほしい
入院して息子の具合は良くなるどころか、同室の子から風邪をもらったのがきっかけで敗血症になってしまいました。ICUに入って人工呼吸器をつけられて、カテーテルを入れられて……まだ小さくて暴れてしまうので、鎮静をかけられて眠らされていました。そんな息子の姿を見たときに、親としてこんなことを言っていいかわからないけど、この子は何ヶ月も苦しんできて、これ以上苦しむなら、楽になって逝ってしまった方がいいのかなとも思いました。
でもあるとき、私が「今日はもう帰るね」と言ったら、小さくイヤイヤしたんです。鎮静をかけられていて目は開かないけど、耳は聞こえていたみたいで。ICUで隣だった女の子も、私からすると寝てるだけに見えるんだけど、その子のお母さんが「この子は嵐が好きなのよ」と言って、嵐の曲をかけると「喜んでる」って嬉しそうにするんですよね。それまで私は、寝たきりの人や重い障がいのある人が生き続けるのってどうなんだろうと正直思っていたんです。
だけど、1ヶ月ぐらい経つと、嬉しそうな感じがするとか、これは嫌なんだなって分かるようになるんです。それで、やっぱり息子には生きててほしいって思うようになりました。なんて言っていいかわからないけど、何もできなくても生きているという事実が目の前にあるだけで、周りの人が安心するというか。息子がイヤイヤする姿を見て「ああ、とにかく頑張るしかないな」って思ったんです。息子の病気をきっかけに、私の考えはすごく変わりました。
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やってみたいこと
治療は長くかかりましたが、幸い息子に合う免疫抑制剤が見つかって、1年くらいかけて普通の暮らしができるぐらいまで回復しました。何かあったときのために、そのまま入院しておくこともできたけど、外に連れていこうと思って思い切って退院させました。その後、息子が4歳になる前に埼玉から三重に移住して、間もなく夫とも離婚しました。 息子は小学校4年生ごろに自閉スペクトラム症の診断を受けて、学校生活も苦労しましたね。小学校1年生からずっと行き渋りで、6年生まで毎日送迎していました。下駄箱でしばらく入れずにいるのですが、なんとか中に入っていくのを確かめてから自宅に戻り、学校からの電話があるといけないので待機していました。中学3年間は完全不登校でしたが、この春から通信制の高校生になりました。
息子が東京で入院していたときは、家と病院が離れていたので、病院の近くにある(ドナルド・)マクドナルド・ハウスという入院患者の家族のための施設で寝泊まりしていました。そこには、地方から出てきて泊まり込みで付き添いをしているお母さんたちがいて、中には子どもが生まれてから10年間そういう暮らしをしている人もいました。みんな自分のことは置き去りで子どもに付き添っているんです。
そういうお母さんたちのために何かできないかと思ったけど、「ダンスしましょう」とは言えないじゃないですか。「ダンスなんてハードルが高いし、そんな気分じゃないわよ」って言われると思うんですよね。でも、みなさんマッサージとかにはお金を払って通っていたので、ヨガだったらやってもらえるかなと思って。これまでも障がい者施設や高齢者施設ではヨガやダンスをやってきましたが、病気の子どもたちに付き添っているお母さんのためのヨガも、いつか実現したいことのひとつです。
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みんなに場をつくりたい
私は踊るのは好きだけど、舞台の真ん中で踊りたいとは案外思っていないんですよ。私が踊りをやるのは「みんなに場をつくりたい」からです。1998年に「オービタルリンク」という即興のイベントをはじめたのも、あらゆるジャンルのパフォーマーが自分の表現を模索しながら、やる側も観る側もジャンルの垣根を超えて出会ってほしいという思いがあったからです。ラジオDJをしていたときも、自分が面白いと思ったら無名の人でもゲストに呼んだりしていましたからね。当時から今にいたるまで、やっていることは変わらないと思います。
今日撮影をしたアトリエ第Q藝術も、大きすぎない規模だからこそ「個人」が見えて好きなんです。劇場が大きくなればなるほど、後ろの方まで届くように表現しようと思って動きが大きくなり、身体の動きだけを見せることになることが多いと思うんです。そうすると結局、どれも同じような作品になってしまうというか。私は、踊りの完成度はどうでもよくて、その人が踊りを通して「本当のこと」を言ってるかどうかを知りたいんです。そういうことが見えるのは、このぐらいの規模の劇場かなと思います。チーフディレクターの早川誠司さんには以前からお世話になっているし、舞踏や演劇関係の友だちもよくここで公演をしているので、私のルーツのような場所でもありますね。
人生って、「あのときあそこに行ってなかったらあの人に出会ってない」とか、そんなことばかりじゃないですか。でも本当に好きなことを続けていたら、絶対にまた元のところに戻ってくるし、ずっと会っていなかった人ともまた会えるんですよね。もっと別の仕事をする機会も、別の人と付き合う機会もあったろうけど、そのときの自分がそれをやりたくて選んだんだしなって。自分は、いつも「こういうことを考えている人がいるなら、こういう場所をつくったらいいんじゃないかな」と思って、場所をつくって人と人をつなげてきたんですよね。さらに、自分の場合はそこに「踊り」がありました。そうしてここまでやってきて、今の自分があると思います。
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(2023年3月26日収録) 取材協力=アトリエ第Q藝術
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myonbl · 2 months
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2024年4月5日(金)
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ツレアイ(訪問看護師)は今月から平日一日はオフを導入、私は来週から連日出勤、それならと<春休みの打ち上げ>と称して映画+ビールと相成った。久しぶりの<京都シネマ>でロードショーを楽しみ、いつもの<銀座ライオン四条烏丸店>でヱビスビールをいただいた。近年に無く収穫の多かった春休み、気持ちも新たに最後の一年をのりきろう。
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5時15分起床。
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朝食。
洗濯。
2男にはツレアイが🍙用意、3男には私が弁当を用意する。
可燃ゴミ、30L*1。
西大路七条からバスで四条烏丸、久しぶりの京都シネマへとやって来た。
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昨日座席を予約したのは<パスト ライブズ/再会>、もちろんシニア料金で@1,300*2、入口でQRコードを提示して入場する。
ソウルに暮らす12歳の少女ノラと少年ヘソン。ふたりはお互いに恋心を抱いていたが、ノラの海外移住により離れ離れになってしまう。12年後24歳になり、ニューヨークとソウルでそれぞれの人生を歩んでいたふたりは、オンラインで再会を果たし、お互いを想いながらもすれ違ってしまう。そして12年後の36歳、ノラは作家のアーサーと結婚していた。ヘソンはそのことを知りながらも、ノラに会うためにニューヨークを訪れる。24年ぶりにやっとめぐり逢えたふたりの再会の7日間。ふたりが選ぶ、運命とはーー。
いやぁ、大人の映画やね、よかったー!
終映後すぐ近くのライオンに移動、早めのランチビールを美味しくいただく。¥6,875のところポイント利用で¥6,345。
地下鉄で京都駅へ移動し、彼女はバスの回数券売場へ、私は無印良品で糠床を補充する、¥580。
帰宅すると、Sさんからいつもの<ウド>が届いていた、早速お礼のメッセージを送る。
ココに点滴。
<露の新治を育てる会>機関紙を読む。
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夕方になってO工務店来訪、玄関の鍵を取り替えて貰う。これでやっと<一人一本>の生活が復活した��
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夕飯は昨日の見切り品の鯛を塩焼き、奥川ファームの残りタマゴを使った玉子焼き。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第34話「仮面の男」/ Identity Crisisシーズン 1, エピソード 34 経営コンサルタントのネルソン・ブレナーはかつての相棒であるジェロニモから脅迫を受けていた。ジェロニモと名乗る男はヘンダーソンといい、彼らはCIAの情報部員であり、以前は二重スパイを繰り返す仲だった。ジェロニモは3年前に受け取る予定だった分け前を要求してきた。
片付け、入浴、体重は450g増、今日は仕方ない。
眠くなってきたので日誌は明日の朝にする。
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歩数は足りないが、3つのリングは何とか完成。
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gyohkou · 1 year
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19/05/23
起床のち非常に一日を始めたくない気持ちになり自重を支えるのも精一杯だったため、人生が停滞している、と友人に吐露してみたところ、踊り、なおかつ人生が停滞するということが世の中にはあるのか、遠い海の向こうで踊っている人はきっと人生が停滞することなんてないのだろう、という誤った認識を持ったまま生きていくところだった、とのことだった。そんな吐露が吐露を呼び、彼もなんかすごい世界で頑張っていて成果もかなり出ているということであるのに、それでも人生が停滞していると感じるらしく、停滞はどんな人の元へも訪れるようだった。世の中は知らないことで溢れている。
踊り、なおかつ人生を停滞させている自分に驚いてしまったので、会社に向かう電車内で、改めてわたしのやりたいことを書き出してみましょうの緊急ミーティングを開催した。しばし議事録にお付き合いください。
ワイナリーを巡る(ワイナリーを巡る旅) 必ずしも旅である必要はないが、旅と結びつけることにより旅に目的を持たせることが容易になり、かつ暇な週末などにワイナリーへ行かなければならないのではないかという焦燥感に駆られることもなく(なぜなら旅で行けばいいから)、また逆に旅という形を選択しやすくなり、結果旅の回数が増え、イギリス暮らしの思い出が増えて後々いい感じにもなる。
踊る 踊っている時はかなり絶対的に楽しい。これは私の人生における強みだ。たのしみがあるということは生きることを少し楽にする。土曜日のロッキンがものすごく楽しくて、ロックダンスも好きだし皆が作るグルーヴも好きだし、1時間半という時間配分も土曜の午後という時間帯も、全てがいい。今はロッキンクラスの良さを語る時ではないので軌道を修正しよう。踊りが好きな理由として、身体感覚を伴うところは大きなポイントだと思っている。身体感覚が優位になると、思考や感情に邪魔されないということが起こる。身体感覚が優位になると、なんかものすごい楽しい時間帯があったという事実が獲得され、余韻がおまけについてくる。これは別の物事にも応用できるポイントでもある。身体感覚が優位になりやすいことを判断基準に物事を選択すれば良いのだ。あとは音が鳴っている場所であることも好きなポイントだ。音。次は楽器だな。踊りに関する目標は、踊る頻度を増やし、踊れるジャンルを増やし、人と踊ること。
英語を学ぶ 第二言語は人生スパンのプロジェクトなので、こつこつ飽きないように続けるしかない。英語の完成を待っていたらどこへも行けない。以上。
音楽をやる いいことだと思う。これも、お金払って1時間存分にやらせてもらえるような場所があるなら通えばいいと思う。努力して継続をがんばるのではなく継続ができるような環境を整えることである。
写真を撮る いいね。持ち歩きが楽、小さい、丈夫、かつ写り方が大好きな相棒を手に入れるのがよいだろう。日々の記録。
好きな服を着て好きな髪型をする いいね。難しいことじゃないよ。
お気づきだろうか、仕事に対して全く向き合っていないことに!気泡を割っていないことは、具体的に言えばやりたい仕事に取り掛かっていないということなのだ。やりたい仕事って何?と自分に問いかける度に、わたしはただ決められない。好きを大事にする覚悟も嫌いを貫き通す覚悟もなく、決められないから、移動しているようでしていないのだ。仕事ってやっぱり人生だ。どんなに目を背けようとしても、仕事で満足したい気持ちが消えん。踊っても停滞しててかっこわるいねー。
踊っても停滞しているため、ベッドに潜り込んで深夜食堂を一気見する夜を過ごした。元気がない時はおいしい番組がけっこういいかもしれない。本当に元気がなかったら眠るのがいいと思うけど、本当に元気がなくなりそうだったけど、深夜食堂を観ていたら食欲が湧いてきて8話目くらいで耐えられなくなって、お弁当用でタッパーに作り置きしていたパスタを解凍して食べてしまった。
次の日は木曜日だったため、木曜日は会社近くのデリ屋(デリ屋)がビーフラザニア(チップス付き)を販売しているため、それを買い求めた。外へ出ると、遠くでいい音楽が鳴っていたため、ラザニアを携えて音の鳴る方へ歩いてゆくと、DJが爆音で音楽をかけていたため、少しうるさかったため、DJセットの後方ベンチに腰掛けてラザニアDJ。ラザニアは木曜のたのしみとしているのだが、週1の頻度はちょっとくどすぎる。ラザニアはただでさえくどいのだから月1程度でよいだろう。DJにもらった元気も夜には底をつき、買い物に行く力が出なかったため、お弁当用でタッパーに作り置きしていたパスタを解凍して食べてしまった。
ついに金曜日である。いつもは始業前に行列ができているテント小屋みたいなコーヒー屋も暇そうである。仕事おわんねーフライデーとなり、なんと12時間も働いてしまいました。仕事がよ。家に帰るとお味噌汁が飲みたい口になったため、同僚に貰い、飲むタイミングを図っていた「アマノフーズ いつものお味噌汁 ほうれん草」を飲むためにお湯を沸かし、お湯を160ml注いでお味噌汁を飲んだ。アマノフーズはフリーズドライの技術がとってもすごい会社である。お味噌汁のフリーズドライなら容易く想像できようが、なんとカツ丼、親子丼、果てはアイス���リームまでフリーズドライにしちゃったのである。海外暮らしにおすすめ、アマノフーズのフリーズドライ。取り扱いは通販のみとなっております。ちなみにまじでうまい。ほうれん草が生のほうれん草。
今週もまた週末がやってきました。5月は3連休が3回あって、ゴールデンウィークがどーんとあるより個人的には好みなのだけど、明日からのは普通の土日。
イギリスは普通にまだ寒いけど、梅雨がないのはいい。夏来るのかな。
追記
目の付け所が暗すぎる。もっと自分を対等に扱って、良いところも書き出してみたらどうか。ダンスをやりたくてついに再開したのは大きな進歩ではなかろうか。更にもう4ヶ月も通い続けており、継続という目標も今の所オッケー。他に褒めるとこねえな...。客観的に見たらえらいことでも、自分の欲望に忠実でなければ自分を褒めることはできない!手放すな、欲望は君の命だ、です。
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aya-ebina · 1 year
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2023/01/29
ライブ翌日、恒例の筋肉痛。筋トレを再開した効果か、同じように拳を突き上げ飛び跳ねた先月頭のライブ翌日よりはマシだ。そして、体は軽くて、生きていると色々なことがあるけれどまた頑張れるなぁという気持ち。ファンクラブ限定ライブだったので、ライブ後に2ショット撮影をしてから退場になっていた。ライブの記念品みたいなものだろう。今朝、スマホに保存された写真を見たら良い顔で写っていて、相当楽しかったのだなぁと思った。あと、推しとわたしのサイズ感が同じで、ステージ上では大きく見えるのに!と意外だった。
ご機嫌なまま、梅田へ行ってタリーズで読書した。この間の文学フリマ京都で買った太田明日香『言葉の地層』(夜学舎)。カナダで二年間暮らした日々の中で、日本語や英語、言葉について見つめた文章で、とてもよかった。多様性の意義、言葉を身につけ使う意味といったことについて経験から得た気づきや考えを丁寧に書かれていた。第一言語ではない言語を使うとき、文法的に正しく話すなど考えすぎずに、相手に自分の意思を伝えること、相手の意思を受け取ることが大切で、そのために必要な語彙や文法を身につけるのだ、と思った。 わたしは日本以外で暮らしたことはないのだけれど、以前の職場にろう者の人たちがいたので、手話を少しずつ覚えて日常会話ができるようになった。手話を覚え始めのとき、まずは「わかる・わからない」とはっきり伝えざるを得なかったこと、ろう者の人たちはゆっくり表現してくれたり、指文字をしてくれたり、手話表現を教えてくれたりして、だんだんスムーズに話ができるようになったことを思い出した。
お昼からは食料品の買い出しやら、コインランドリーで生乾きの寝具を乾かすなど家事をこなした。片付けの意欲が湧いて、売ろうと思って分けていた本の買い取りを申し込んだり、捨てる段ボールをくくったり、古着を袋にまとめたりした。これから晩ごはんを作ったり、お弁当の味噌汁用の野菜を冷凍したりする。
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ophelia333k-k-k · 1 year
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2022年12月13日
暗闇 見つめている二重らせん 週刊誌の最後のページ 孵化する 孵化させる 目が覚める からっぽのまま 赤ん坊の手を握る 哲学ニュース 強度 占星術師 と打ったら変換される 性占術師 学生時代 最も力を入れたこと 死は幻想である 愛、あ、あ、あ、名前を教えて なりたいもの わたしが 明るい世界 明るい未来 クビになったドラッグストア 礼拝 お好み焼き チューニングの狂った 歌 聴こえなくなるまで 聴こえなくなるまで featuring あなたのこと 声 死について って誰も知らない経験していない から 駆け込み乗車 禁止 お兄ちゃん お兄ちゃん 扉を開けて 機内モードで延命する アジテーション はやくしたい 遅く 結婚 まん防 イデア的には ずっと一緒がいい よね 今だけ無料 アジテーション テナント募集 の 看板 らすとくりすます とぽろじー 言葉で考えるのをやめる あ、あ、あ、 図式化 ズキズキする 監視されていた 白い部屋 女衒 パッチワーク フランケンシュタイン みたいに 愛と幻想と 愛と幻想と 糸 ほどけていく ことを想像する ジャスミンを銃口に 営業系総合職 死んだ瞬間の聴覚について 死んだ瞬間の聴覚について のように のように さようなら 魔法少女 ハートフィールド 歌う メヌエット ピーチ姫の テトラポット アストラル界 あなたの 吸い込まれる ダム 死体画像 すぐ会いたい女子が急増中 アカツクシガモ 京都市植物園 振り回す キャリアチェンジ された アルバイト する このサイトにアクセスできません と 声が して振り向く 昨日 のことを覚えていない 迷宮 のようだと うわさのベーコン クルトン コーラ・パール ゾラ ほら、と 初音ミクの額から垂れる汗 花園神社で 迷い込む 見世物小屋よ 一生バイト ポケットモンスター 正解を引き当てるまで やる気が出ないな 英単語帳 ランボーを読んでしまったなら ロックンロールはそう ホテル暮らし 空調の音 Jアラート 星座を結ぶ ロックマンエグゼ lain rain ruin  ビスク・ドール 野良犬 奈良へ向かう列車 アーレント 現実感 人生攻略サイト 灰と は 意図 思考 回路の中を むさぼり食う 吸う 空気 止まった ままの 子宮的な エリア 嘘をついたまま死ぬ のね ルビンの壺 12ポイント stray sheep と 動詞動詞動詞動詞 同時的に 田中角栄 魔人ブウ 犯す 壊す 作る 波打つ わたしは 殺す 生かす 咲く 咲かす ライフハック 死 冷蔵庫 咲かす 飛び立つ やわらかく もやもやと ばたばたと 解毒する 夏休み 向日葵 消滅した 蝉が鳴く なく 無く 咲く さ さ さ 教育する アナイス・ニン 逃げ出す 逃走する 闘争? 領域を広げていく 閉じる 閉じこめる 閉じ込められた 布団の中 宇宙のように 宇宙そのもの 高橋まつり 滅びた 100年後のことを考えて 文章を書く 脳みそから溢れ出した 白い水着 黒いタイツ 道化のように 大天使のように 借りる 回帰する アカツクシガモ 成長すること 天秤のことを考える by  this river ラブ&ポップ 脳破壊 快楽 シャドウ・ワーク 子宮口から この世界の果てまで 共同体 忙しい 忙しさ exclusive みんなのレビュー 連帯 証明するために ランキング もっと欲しい あなたらしい 瞬間に 祈る手 summer 上映する ロングヘアー 偏差値 ピアス 18個  生き延びる ラリる 刺さった 反射した 発射した 家畜人 ホワイトノイズ 空間 依存症 白い 微分不可能な やわらかい その曲線 エゴサーチ バーモント・カレー 姦淫する 階段 聖書 夢の中に出てくる 中島らも 他人の日記 読む 話す 歌う ような気がする そんな感覚が 一時間天気予報 ペヨーテ ぐるぐる回る 永久に 永久的に 結びつけた 途端に壊れる ぱりん、と ふらっと 消えちゃいそうな気がする 意識が高い 高低差 風圧 やさしい言葉 インターネットのグロサイト 巡る 再度 巡る 繰り返していた クリスマス サンタさん 産道 乱視のまま 今日も生きている 息をする あらゆる 虹色の 永久に理解されることのない強度 氷点 貯金やダイエット レポ漫画 面白くなる 国語辞典 解剖する やまい、だれ 芽殖孤虫 ひらひらと 眠る ゴミ出し 擬音一覧 シーシュポス 間違った注文 集める 女性が一生で排卵する卵子の数は400個~500個と推定され 細胞膜 ずきずきと 痛む手 うつらうつらと その指で 欺瞞 マッサージ されたまま死ぬ アイライナー いつかは終わる 旅 続いていく 気持ち悪い、 と少女 折りたたみ傘 出会う 解剖学の教科書 ホーリー・マウンテン もやし 食物繊維 的な ひらく 伸びる 匂いがする 恥丘 裏切る 一本の木 待ち続けている 市民会館 明かしえぬ共同体 ムーミンたち ムーミン谷へ 向かっている ヤツメウナギ もし仮にそれが ハッとする 気がつく 失う 海のそばで グランドメニュー 幽霊 ピアスの穴 カッターナイフで切る 舌を 下へと 血が出る 地が出る前に ここからいなくなる 踊る 大雨の中 浴びる 天高く 土砂降り もっと 濡れてしまいたい 溶ける あらゆる種類の動詞 固着した エディプス・コンプレックス 身体を売る 眠りにつく べたべたした くすぐる 太もものうぶ毛 のように 行こうね ずっと一緒に 逆にする 黒板に描かれた 天使と怪物 流れとよどみと 恋と革命 そのままの 君でいてね イデオロギー それとも 触れる 手に 手のひらに その温度を そっと撫でる ように見える 青ざめた 顔 目で 浮き上がる 物流倉庫会社 キスをする どこにも行けない どこにも行けない 憂鬱な夫婦 中絶用の 願いを書く 七夕 永遠に落ち続ける夢 人生ゲーム 青いピン そのように 性行為のやり方 鍵付き完全個室 運動会 発熱 保健室 はつなつ 人生経験 終わりゆく 肉の厚さ 海馬 言語野の 衰退 ダウンロード数 数えていた 新しい生活様式 リズム 物語ること 豊かな 再生回数 氷 覆��れる 世界すべて 素数のように 感じる 解体 怒らない? 起こらない、何も 可能性が失われていく 研ぎ澄まされていく 失われていくことで 何者かになった その平らな牧場 忘れてきた お持ち帰り する 立派な 飛び降りて 刻まれた 胎児のように さえぎられる 海岸には小屋があって 喧嘩をする 白鳥 食べられる 汚い 穢れてしまった 純粋なもの 銃を撃つ 一発 チェーホフ、どこへ行ったの? と母親が階段を上がってくる 切符をなくしてしまった��まで 生き続けている気がする 少女には 晴れ 絵日記は かすれてしまった とうに 音楽にはならない 寒天培地の上で 有性生殖する していた した方がいい 人生経験 ペットボトル HPVウイルス 頭のない 風邪総合 目をさます 神経系 ポーチの中で 白い粉になった 睡眠薬 遠くの方へ、遠くの方へ 並べられている 全校集会 鳴らされて 走る 望遠鏡を 覗き込む もうすっかり 子宮頸がん 夢中になって 標本にする どうやって? 悟りについて 五億年ボタン 走馬灯 一週間くらい考えてもいい? 愛妻弁当 ぷっちょ の容器でオナニーする カンブリア紀の 海中生物やわらかく モニターの奥 夏の光 ぴったりと 豊かに 遅延しながら 本間ひまわり いま、を指差す指の先 爪の長さ 変わって 一括見積もり ふざけているのではなく 頭痛 左側 ありがとう こんにちは おはようございます それは愛ではなく の ような 夜行バス 棺 出生外傷 の あなたは ロビンソン トリップした 虹色の女 devenir ひだ 開く 一枚一枚 めくっていく 匂いがする 工場の赤ん坊が コンクリート 嘘だった あてのない 意味のない 海 潜り続ける 潜水艦の中で 夢を見ている 象徴的に もっと速く 飛び立つ 自壊したい 鯛 平らな 館内における密を避けるため 破れた 四つん這いになって するだろう 想像 するだろう 未完のままの もはや戦後ではない 未亡人 ぷろ、ぱかんだ 重量と恩寵 根を 肉体が壊れていくのは かもめ 肉塊 台風が来る前の夜 アオカビ もっとたくさんの地獄 天国は通り 過ぎては消えていく スーツの人が通り過ぎていったあとの 匂い 大人の匂い 食器返却口 この席の使用はお控えください アルコール消毒 セーブポイント 豚 のような女 と 猿の ような 男が出会う 死体ごっこ バラバラに 組み合わせる 英単語帳の例文みたいに 死に近い コンクリート 裂け目 洗浄液 メリークリスマスの Yahoo知恵袋 真理があると言われている そこにある 死んだあと魂はどうなるの? と子どもが尋ねる 何グラムの 前世の記憶 当たり前の事 トンネル 潜り抜ける音 夢の中の休憩所 自動販売機 光 光 夜の闇に飲み込まれないように コンビニエンスストアは灯台として 鳴りやまない 崩れていく 昨日 来ない 来ている すでに いま 冬の ま、ふゆ ま 電気ストーブ あたたかく すりつぶす 通勤・通学 するための列車 眠る 折りたたまれたヒダ 予言する 1999年 産まれ た 朝 ねむる ねむる もっとよくなる 地方都市
夢の中では 現実的な 現実的なもの 親ガチャ 100年後の 2000万年後の 想像していてね 空っぽの脳 おばさんが入ってくる大量に 魚 飛び跳ねる 誰も見ていないところで 老人の声はデカい 無が無限に膨らんで 恒星たちは爆発し きっと届かないまま ゲーム実況見ていた 二年間 だった気がする だった気がする この区域で路上喫煙をすると 一千円の過料が科されます と どこかに書いてあった 教科書に落書きをしている間に 終わっていた もっと濡れたい 雨に 幼形成熟 恋と革命のために 太郎 花子 由香 香織 紗耶 話題のツイート 温泉むすめ 逃れてゆけ 逃れてゆけ 自撮りしているふたりを 見つめる 目 目玉 浜辺で 白く 白く 白く 白く 境界線はほどけた もう一度 あまい 糖衣錠 統一的な 像 増殖する お支払い方法 まとめサイト この世界の秘密 ねじれたソーセージ 青い 白い 脆い イオン・モール 迷子になる 歌を歌う 歌っていた 冗談でした あらゆる 情報商材のために すべて ひとつの 自己啓発 は はいいろの ノイズで 
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