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#久安寺
a-kichi · 2 years
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紫陽花浮かべて
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ikana-ko · 11 months
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ryusons · 2 years
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久安寺  初訪問のお寺です。  紫陽花が綺麗でしたよ。  #久安寺 #寺 #紫陽花 #あじさい #大阪 https://www.instagram.com/p/Cfd3LzjL_kZ/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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studiofuntas · 2 years
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午後からは久安寺さんへ 三年振りの紫陽花撮影。 今回は魚眼で。 平日にも関わらず多くの参拝客で賑わっていました。 #久安寺 #池田 #弘法大師 #紫陽花 #魚眼レンズ #fisheye #fisheyelens #7.5mm #hydrangea (久安寺) https://www.instagram.com/p/CfTi07tPHrq/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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yossixx · 9 days
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yatsugatake-east · 5 months
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本日、佐久市に用事があり、お昼に安養寺らーめんの「麺匠 佐蔵 佐久店」に行ってきました。
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「佐蔵」は長野市、松本市、上田市と県内に4店舗あるチェーン店です。ということは味噌ラーメンは全て信州味噌。信州味噌と言えば発祥の地は佐久市安養寺。で、安養寺らーめんとなるワケです。
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今日頼んだのは「焦がし味噌らーめん」。濃厚で味に深みがあってスープを後2cmというところまで飲んでしまいました。ヤバイ、Gさんの健康のためには半分は残しておかないとね。う〜ん、このブログを書いているとまた食べたくなってしまった。(2023/12/9)
「佐蔵」のインスタは https://www.instagram.com/mensyousakura/
安養寺味噌と安養寺らーめんについては「信州佐久安養寺らーめん事務局」のサイトを https://anyouji-ramen.com
安養寺は佐久市のHPにちょこっと載っています。 https://www.city.saku.nagano.jp/kanko/townguide/temp/anyoji.html
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sarahalainn · 4 months
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初春の笑顔がいっぱいの宝船
にっぽん丸
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3ヶ月ぶりの船旅のはずでしたが、
船の推進制御装置に不具合が認められたため、急遽、安全点検が必要になり運航を見あわせる事となりました。
残念ですが、安全第一!
またいつか共に船旅をできる日まで
予定していたセットリストと流れで、
空想の旅になれば🚢
Today I was meant to board this cruise, but due to technical issues the show and cruise itself were cancelled. Sad but safety first!
The theme was “aboard the treasure boat + smiles”.
Have posted the setlist and tried to portray what it would’ve been like on the musical boat :)
「宝」、「笑顔」 をテーマに✨出発🚢
衣装はキラキラな宝箱のようなサラスタイルを予定していました
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マリリンのピアノアドリブにのって、スキャットしながら時々「春よ来い」のリフを。本編最後に繋がる。
そこからRiverdanceの神秘的な歌のイントロへ。
今回伊勢神宮の近くに行くということで、神様に近い音楽からスタートしたく。マリリンの綺麗なハーモーニでデュエット。こちらはアルバムにも収録していますが、よく聴きなれてる綺麗な3度のハーモーニだけではなく、4度が特徴的な響きなのでこれも神秘的に聞こえる理由の1つ^_^
Riverdance / Drowsy Maggie / Sarah Àlainn
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そして、この曲はヴァイオリンのフィドル的な表現で軽快な世界へ。キラキラ、ニコニコ。宝石のような煌めきを放つアクティブな一曲。
サポーターさんなら、この曲の変拍子できっと手拍子をして下さったはず。色々なアーティスト、バンドのライブで手拍子する曲があるように、私もライブでそんなノリノリの曲があればなと思いましたが、こんな変拍子な曲を選ぶ何てドSとしか思えないですよね。それでも、これで手拍子できる皆さん、最高にカッコ良いです!(とはいえ、今後はもっと楽に楽しめる手拍子曲を作りたいと思ってますー^_^;)
MCなう。サラッと面白い洒落でも言えたかな?🤔
海と宝ということで、ディズニー『リトル・マーメイド』より、アリエルが歌う「Part of Your World」。普段ライブで楽器も色々弾くので、この曲の「あれも!これも!」という場面ではそんな楽器の宝を指しています。
そして、この次のシネマ音楽にも「お宝」が。『The Greatest Showman』より、スターが歌う「Never Enough」。スポットライトを浴びても、星も金も手にしても、全て物足りない。あなたがいないと、物足りない。
私、今年初めて宝くじをやってみました(プレゼントで券?をスタッフさんから頂きました)。1億?あたったらどうするという話で盛り上がる。簡単に使えきる自信もあるけど、結局は本当に欲しいものはお金では中々買えない。因みに600円当たりました。
笑顔で始まる初春だから元気な曲多め。ジャズ出身のマリリンだからこそ、情熱的で踊りたくなる「Spain」へ。去年大阪でDream Caravanに出演させて頂いた時、久しぶりに寺井尚子さんともお会いでき、フルオケ+ジャズバンドをバックに彼女が演奏するSpainは最強でしたね!!とても勉強になり刺激になりました。もっともっとセッションをしてジャズを追求していきたいこの頃。来月2月呉・広島でのバレンタインはクリヤマコトさんを始めとしたジャズカルなので、ワクワク。
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ここで一曲、オリジナルの弾き語り。
元々去年から予定していた楽曲でしたが、年始の心が痛むニュースとも重なる一曲でもあります。
「The Final Time Traveler」。ゲーム『タイムトラベラーズ』からのエンディングテーマは阪神淡路大震災に思いを寄せて作られた一曲です。こちらはゲームが大好きな羽生結弦さんとアイスショーでコラボさせて頂き、彼のサポーターさんをはじめ、ゲームをプレイされない人にも知られるようになった一曲でとても嬉しいです。オリジナルは日本語歌詞でしたが、海外で羽生さんが滑られるとのことで、英語歌詞を書かせて頂きました。
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高音のサビの部分には本来歌詞を入れて欲しいと言われましたが、あえてAh〜だけにしたいとお���いしました。ヴォカリーズで、楽器のように、言葉では伝えきれない思いを届けられたら。
いつからかこの曲を弾き語りに挑戦するようになりましたが、ピアニスト、ミュージシャンに良く言われるのが、とても弾き語りするような曲ではないですねと。この曲、かなり複雑!伴奏ではなく、オーケストラの部分を演奏するような感覚。なので、毎回ドキドキ緊張する一曲です… ただ唯一、とても揺れる曲なので、それは自分で演奏すると歌と合わせやすい心地よさはあります。
この曲に「秘められたtreasure」という歌詞が出てきます。宝物、大切なものという意味ですが、英語の to treasure = 「大切にする」という動詞になります。
最後も笑顔で締めくくりたい。
第九は日本ではカウントダウンの一曲かもしれませんが、年始でも、どや^ - ^ これは去年のクリスマス・教会・合唱バージョンですが、ピアノとのデュオの時も、RnBからゴスペル、讃美歌からオペラチックな歌い分けが楽しい、人格がなん度も変わるJoyfulな選曲です。
【LIVE】Joyful Joyful/よろこびの歌/ Ode to Joy 第九 |Sarah Àlainn サラ・オレイン
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本編ラストは、初披露のマッシュアップ。
元旦のファミリー向けコンサートで初披露した「NeverEnding Story」 🐲でしたが、『初春』に因んで、こちらを「春よ来い」とマッシュアップ。編曲、ちょっと頑張ったのでこれはお見せできず残念>< 😖今回はキーボードでオリジナルの80年代ディスコサウンドを表現する予定でしたが、マリリンとも話して、少し変えてみて八ヶ岳でチェンバロでやってみても良いかもと思えました。
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そして、アンコールへ。
「Smile」。定番ですね。ただの笑顔の歌ではなく、とても切ないCharlie Chaplinのタイムレスな作品。歌詞と真逆になりますが、悲しい時は無理して笑わなくていい、と言うのが個人的なスタンスではありますが。そんな裏の思いをこの歌詞に乗せて歌う予定でした。
今回のライブはいつも以上にお時間が遅い開始のものであり、美味しい食事とお酒で、船に揺らされてそろそろお眠の時間になって来たかと思います。
そんな簡単には寝かせませんよ。うふ。
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オペラ『ツーランドット』より「Nessun Dorma〜誰も寝てならぬ」。我々ミュージシャンにとっても眠気覚ましになる壮大な一曲です。この後優雅に食事というところでしたが、これから代わりにサラメシを作りに材料を調達しにスーパーに行って参ります。この時間になると嬉しいシールが貼られる頃でしょうw ちりも積もれば山やまとなる。この場合この表現はあってるのだろうか…
(未来に行って来ました。やはり笑顔になるシールが貼られていた)
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ジャンルと楽器も色々登場した、宝箱のようなセトリになったでしょうか?
あなたとの時間をtreasureしています!✨
〜 Sarah
NIPPON MARU
- Treasure Boat Cruise with SARAH ÀLAINN -
2024.1.8
〜マリリン イントロ(「春よ来い」リフ Sarahスキャット〜)
1. Riverdance
2. Part of Your World 『リトル・マーメイド』
3. Never Enough
4. Spain
5. The Final Time Traveler (Sarah 弾き語り)
6. Joyful Joyful ~ 喜びの歌〜第九
7. NeverEnding Story〜春よ来い
Encore
8. Smile
9. Nessun Dorma
次は初の鹿島・佐賀へ🎻
スケジュールはHPよりチェックしてみてね
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ari0921 · 3 months
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和六年(2024)1月27日(土曜日)
   通巻第8107号  <前日発行>
 ミャンマー国軍のクーデターは「西郷なき西郷軍」?
  軍と仏教高僧との融合統治が機能不全に陥ったのではないか
*************************
ミャンマーで「本当は」何が起きているのか?
 大手メディアは投票箱民主主義至上史観だから、本質的なことが見えてこない。
 2021年2月、ミャンマー国軍はクーデターに打って出た。ところが、ミャンマーの民衆が想定外に強く反発し、「民主主義を蹂躙した」として大規模な抗議集会が開かれた。抗議デモに軍が出動、多くの死傷者がでたため国際社会から批判に晒された。
 欧米の傀儡といわれたアウン・サン・スー・チーを支持する人たちは外国のメディアが同情的に報道したので、鮮明に反政府の旗を掲げた。こうなると正義はどちらにあるのか、よく分からない政権運営が続いた。因みに2021年のミャンマー経済はGDPがマイナス18%、通貨は暴落し、庶民は生活苦に喘ぐ。
 クーデターから三年が経った。欧米のメディアの複写機である日本は「国軍=悪」vs「民主主義団体=善」のスタンスを依然として維持している。スーチー政権のときにロヒンギャ70万をバングラデシュへ追い出すと、欧米メディアは一斉にスーチーを「人種差別主義」「ノーベル賞を返還せよ」と猛烈な批判に転じたが、日本はそのまま、ミャンマー国軍批判である。
 この価値基準は「イスラエル=悪」vs「ハマス=善」、「ゼレンスキー=善」vs「プーチン=悪」と、リベラルな西側政治家やメディアが作り上げたフェイク図式に酷似している。ミャンマー国軍ははたして悪魔なのか?
ミャンマーの社会構造は宗教を抜きに語れない。
仏教徒が90%をしめ、しかも上座部(小乗仏教)である。僧侶が800万人もいる。
軍隊は徴兵制で43万人(実態は15万に激減)。
つまりこの国は軍と仏教世界との融合で成り立つ。軍は元来、エリート集団とされ、国民からの信頼は篤かったのだ。それが次第にモラルを低下させ、徴兵ゆえに軍事訓練は十分ではなく、そもそも戦意が希薄である。愛国心に乏しい。
 軍クーデターは伝統破壊の西欧化に反対した政治的動機に基づく。単なる権力奪取ではない。つまり「西郷軍が勝って、近代化をストップした」ような政治図式となるのだが、現在のミャンマー軍(ミン・アウン・フライン司令官)はと言えば、「西郷隆盛なき西郷軍」である。権力は握ったものの何をして良いのか分からないような錯乱状態にあると言える。
 軍人は経済政策が不得手。コロナ対策で致命的な遅れをとり、猛烈インフレに襲われても、適切な対応が出来ず、外資が去り、自国通貨は紙くずに近く、闇ドルが跋扈している。
国民は外国で反政府活動を活発に展開する。国内各地には武装組織が蠢動を始めた。
 ▼まるで「西郷のいない西南戦争」でクーデターが成功した
 西南戦争は『道義国家』をめざし、挫折した。戦略を間違えた。というより勝利を計算に入れずに憤然と立ち上がったのだ。
佐賀の乱、神風連、秋月の乱、萩の乱から思案橋事件が前哨戦だった。城山で西郷は戦死、直前に木戸が病没、大久保暗殺がおこり、明治新政府は「斬新」な政策を実行に移した。しかし行き過ぎた西洋化、近代化。その象徴となった「鹿鳴館」に反対して国学派が復興した。
 ミャンマーの仏教鎮護国家の復活が国軍指導者の目的だった。
しかし彼らは広報という宣伝戦で負けた。都会は西洋民主主義、グローバリズムに汚染され、若者は民族衣装を捨てていた。西洋化は、あの敬虔なる仏教との国ミャンマーにおいてすら進んでいた。
 となりのインドでは巨大なモスクを破壊し、その跡地に大きなヒンズー寺院建立した。竣工式にはモディ首相自らが出席した。
 ミャンマー国軍に思想的指導者は不在のようだ。だからこそ、国軍は仏教の高僧を味方にしようとしてきた。しかし国内的に厄介な問題は同胞意識の欠如である。そのうえ山岳地帯から国境付近には少数民族各派の武装組織(その背後には中国)が盤踞している。中国はミャンマー国軍政府と「友好関係」を維持しているが、背後では武装勢力に武器を供給している。
 主体のビルマ族は70%だが、嘗て国をまとめた君主はいない。カチン、カレン、モン、シャン、カヤ族と、それぞれ少数の武装組織が国軍と銃撃戦を展開しているものの、反政府で連立は稀である。カチン、カレン、モン族は博くラオス、カンボジアにも分散しており、ラオスでのモン族は米軍について共産主義と闘った。敗戦後、17万人のモン族は米国へ亡命した。
 2023年10月27日、ミャンマーの反政府武装組織が初めて三派共闘し、シャン州北部で「国軍」と戦闘、驚くべし国軍が敗走した。国軍兵士数百が投稿した。
 中国の秘密裏の仲介で停戦状態となったが(24年1月26日現在)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)、タアン民族解放軍(TNLA)、西部ラカインのアラカン軍(AA)の「三派」の共闘はこれから「連立」となるか、どうか。
この三派以外にも不明の武装組織(なかにはギャング団、麻薬シンジケートも武装している)。なにしろミャンマーは五つの国と国境を接し、130の少数民族がいるとされる。 
 
国境問題の複雑さが問題をさらに複雑にする。ミャンマーが国境を接する国々とは、インド、中国、ラオス、タイ、バングラである。地域によっては少数民族が多数派となる。
西海岸の古都シットウエイはインドとの海路の拠点であり古代遺跡があるため外国人観光客が多い。
チャウピューは中国へのパイプラインがミャンマーを斜めに横切り雲南省へと繋がっている拠点、ここには中国企業が進出し、工業団地を建設中で、ロヒンギャとの暴動になった場所、行ってみる、と放火されたモスクの無残な残骸があった。やや東側の中部、マンダレーは雲南華僑の街である。
旧首都のヤンゴンと新首都ネピドーはアクセスが悪い。マンダレーは国際空港こそ立派だが、翡翠やルビーの商いはほぼ華僑が握る。そうした三都三様の物語が付帯する。
 ▼麻薬王
ラオス、タイ国境に拡がるのが統治の及ばない「黄金の三角地帯」である。
アフガニスタンにつぐ麻薬産出地域で、ギャング団と武装組織と博打場である。治安の安定はあり得ないだろう。
黄金の三角地帯の形成と発展、その後の衰退は国民党残党という闇とCIAの奇妙な援助があり、やがて彼らへの弾圧、そしてミャンマーとタイとの絶妙な駆け引きをぬきにしては語らない深い闇である。
国共内戦に蒋介石は敗れて台湾に逃れたが、南アジアで戦闘を継続したのが国民党の第27集団隷下の93軍団だった。およそ一万もの兵隊が残留し、シャン州をなかば独立国然とした。モン・タイ軍(MTA)は『シャン州独立』を目指した軍事組織で、ビルマ共産党軍が主要敵だった。
国民党残党の軍人とシャン族の女性のあいだに産まれたのがクンサ(昆沙)。
のちに『麻薬王』と呼ばれる。中国名は張奇天で、一時はモン・タイ軍の2万5000名を率いた。軍資金は麻薬だった。
CIAが背後で支援した。アルカィーダを育て、やがて裏切られたように、ムジャヒデン(タリバンの前身)を育てたのもCIAだったように、やがて米国はクンサに200万ドルの懸賞金をかけた。
『麻薬王』と言われたクンサは紆余曲折の後、麻薬で得た巨費で財閥に転じ、晩年はヤンゴンにくらした。2007年に74歳で死亡した。米国の身柄引き渡し要求にミャンマー政府は最後まで応じなかった。
もうひとつの有力部族=ワ族はモン・クメール語を喋る少数民族で、いまワ族の武装組織は中国の軍事支援がある。
 ▼ミャンマー進出の日本企業は、いま
さて安倍首相が二度に亘って訪問し、日本が投じたティワナ工業団地はどうなったか。
ヤンゴンの南郊外に位置し、コンテナターミナルを日本が援助した。しかし国軍クーデター以後、西側が制裁を課し、日本政府が同調したため、日本企業の10%がミャンマーから撤退した。住友商事、KDDIなどが残留しているとは言え、投資のトップはシンガポール、中国、そして台湾、韓国が続く。
日米印の企業投資は実質的にぼゼロ状態だ。
拍車をかけているのが外交的孤立である。ミャンマー軍事政権を支持するのは中国である。背後では、ロシアが接近している。
 仏教界は分裂している。将軍たちと協力し、仏教とビルマ文化の両方を外部の影響から守る必要があるという軍の理念に共鳴した高僧もおれば、「ラカイン州で地元の仏教徒とイスラム教徒のロヒンギャ族の間で暴力的な衝突が起きると、『過激派僧侶』といわれるウィラトゥ師は、「ビルマ仏教はイスラム教徒によって一掃される危険にさらされている」とし、「イスラム教徒経営の企業のボイコット」を奨励した。
 軍事クーデターに反対するデモに参加した僧侶たちも目立った。シャン州北部の主要都市ラショーでは国軍の統治が崩壊した。
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01-08-m-n · 11 months
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キスをしすぎると、キスの特別な価値みたいなものがなくなるんじゃないかと思った。「好きだった人に言われたずっと忘れてない言葉」みたいな、そういうキラキラした衝撃的な瞬間をこれからも君につくってあげられるのだろうかと思���た。いつまでも、君の最高の女の子でいたいと思った。
彼氏が充電してくれたモバイルバッテリーが、それだけで宝物みたいに見えた。彼が入れてくれた電気が尊いものに思えて、一生使わないでおこうと誓いみたいに思った。旅行3日目に日が変わった深夜1時半頃、彼が買わせてくれた大きなぬいぐるみを抱きながら君を見ていた。ふかふかのベッドに横たわりながら、ぬいぐるみと君のパーカーを抱えていた。わたしのスマートフォンの充電がなくならないように、わたしのモバイルバッテリーを君が充電してくれた。君がやさしく充電機を差す姿がスタンドライトの逆光で影になって、描くことのはじまりって、愛する人の影をなぞったことなんだよって言いたくなった。君をなぞってずっと忘れないようにしたいって思った。何回も何回も君を反復して、擦り切れるくらいに思い出したら、生まれ変わっても覚えていられるだろうかって思った。
はじめて日焼け止めを塗り始めた5月1日がもう1か月前になろうとしています。お久しぶりです。青い月はいつだって燦然と眠って光っています。先日、恋人と2泊3日の旅行をしてきました。会えるのは2ヶ月ぶりでした。やっぱり、この人と一緒にいたいと思いました。付き合った日に彼が送ってくれた、俺の余生あげるから君の余生を幸せにさせてよって言葉が永遠に忘れられないでいます。
デートする度にここに書くのは、忘れたくないからです。一瞬一瞬を思い出せたら、永遠に忘れないかもしれないって思えるからです。
通勤で混んでいる新幹線で運良く2人席が空いていて、彼が乗る駅まで隣に誰も座らないように小さな抵抗をしてみた。彼が乗る駅に停りそうになって、ゆっくり流れる景色から君を探してみたけど見つからなくて気持ちいい不安があった。着いて5秒後くらいで会えて、いつもの恋人だと思った。大好きで嬉しくて、よくわからないくらい安心する。新幹線だから手は握らなかったけど、ずっと触れてる肩が嬉しかった。
ホテルに近い改札口をふたりで探した。ホテルまでは少し遠かったけど、冒険しているみたいだった。真っ直ぐな通りの先にはスカイツリーが見えた。その日はたくさん歩いてたくさん見てたくさん考えたけど、彼が一度も疲れたとか嫌だとか言わなかったことがすごくうれしかった。この人となら大変なことでも一緒に歩いていけるんじゃないかって、些細なことだけど。ホテルまでの帰り道からはライトアップされた紫色のスカイツリーが見えた。ライトアップの意味を調べて読み上げたけど、彼氏が眠そうでかわいかった。確か「雅」っていうライトアップだった。ふたりとも22時くらいにはきっと眠っていた。たまに目を覚ますとふとんに埋もれている彼がいて愛おしかった。ふとんをひっぱると、んーと唸りながら私に3分の1くらい渡してくれるのがかわいくて。目が覚めると朝の5時30分で、部屋に射す朝日が綺麗だった。君がくれたステンドグラスみたいな栞がキラキラ輝いて綺麗だった。うとうとしながら横になっている彼を見ながらお湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。幸せだって思った。そういえば、フルーツティーを飲んだ後にキスしたら甘いって言ってたね。微睡んだ君の隙間から2つの水滴が垂れているのを見て、指でなぞった。わたしだけの秘密って思って、それを口にいれた。君はここにいるって思った。
ホテルを出てほとんど夏みたいな爽やかな空の下をキャリーケースを引きながら歩いた。街の看板や建物を見ながら君となんでもないことを話すのが楽しかった。駅のロッカーを探し回って、エレベーターを待っている時に君に日焼け止めを塗ってあげる。外でも首や顔に触れて家族みたいだなーって思った。自分がしてもらってたように自分もこうして人にしていくんだなって思った。少しだけ顔が白くなった君がかわいかったな。ケチな私がロッカーにキャリーケースを2台とも無理矢理入れたら取り出せなくなって君の手を煩わせてしょんぼりした。自分っていやな人間だなーと思ったけど君が仕方ないねって笑ってくれて大丈夫になった、やさしくてあったかくてずっと一緒にいたいって思った。メンチカツとかアイスとかふたりでおいしいねって分け合えるのがうれしい。おみくじを引いて当たっててうわーってなったり浅草寺の煙が目に直撃して泣いたりお参りしたりした。彼がちゃんと祈ってる後ろでそれを叶えてくださいってちゃっかり手を合わせた。
最果タヒのグッズを買いに紀伊國屋書店本店に行ったりサンシャイン水族館で毒を持った生き物を見たりして、外に出たらもう空が真っ黒だった。風が強く吹くサンシャインシティの広場で彼と手を繋いでひとりじめしてるみたいに歩いた。ベンチでキスをしてるカップルの近くのベンチに座って、そこから見える光る塔が何なのかふたりで必死に調べた、今思うとなんでそんなこと?と思うけど楽しかったなあ、結局専門学校の偽物スカイツリーだったね。ふたり手を繋いで風に吹かれながら暗い空を見上げてた。星なんて見えなかったけど、灰色と藍色を混ぜたみたいな空に電飾が反射してもやがかかったみたいに見えていた。人混みの中を急いで歩いたけど乗ろうとしていた電車に間に合わなくて2マスもどる。
2時間くらいかかる電車に乗って次の場所へ。ぬいぐるみを掴みながら、イヤホンを片方ずつつけながらお笑いのショーレースを見た。吐いてる人がいたり電車を降りてお水を買ってきてくれる人がいたりなんとなく忙しい時間だった。 ホテルについて夜中までやっているアイス屋さんへ行くと長蛇の列。若者が多くてびっくりした。彼の好きなラーメン屋へ行って深夜1時に中盛りという名の大盛りのまぜそばを食べた。おいしかったね、わたしは眠すぎて食べながら眠りそうでしたけど。お酒を買ってもらったのにホテルに帰るとすぐ就寝。ほんとうにありがたい恋人。翌朝シャワーを浴びて彼にバトンタッチすると時間が足りないことに気付く。ゆっくりしたかったからフロントに電話して1時間延長、支度が大体終わったあとまだ終わらないでしょみたいな感じになってもう1時間延長。この1時間がなかったら帰るのが惜しいくらいだったと思う、会えているときくらい君に触れていたいよ
この日は急遽彼の友人とバーベキュー。正直めちゃくちゃドキドキした。めちゃくちゃかわいい彼女って思われたいじゃん。それが彼を立てることにつながる?みたいな私の筋の通らない理論。駅まで彼の友人が迎えに来てくれてわーってなった(表せない感情)。車がお兄ちゃんがこの前買った車でこの年代の人ってみんなこれ乗るのかな?とか思った。そういえばお母さんがこの車見ると毎回遊んでそうな若い男の人が乗ってて助手席に女がいるって言ってた。うちのお母さん調べ。友達と話してる彼氏を見るのが変な感じだった。嬉しすぎてtwitterにも書いたけど、彼氏の音楽の趣味が良いのは勿論で、彼氏の友達も音楽の趣味が良いのたまらんすぎた。3人で乗ってた車でボーイズ・オン・ザ・ラン流れてたの一生忘れないと思う、ほんとに。酔った彼氏が友達とアジカン歌ってたのも音だけ覚えてる、私も酔ってたから音だけ。それからふたりとも記憶がないままなんか電車に乗っててなんか駅にいてなんかトイレに行ってなんかベンチで介抱してなんか母親を怖がって急いで電車で戻って結局新幹線遅らせて酔いが覚めた彼に飲み物買ってもらってマックで爆泣きした。「君が笑っていられるように頑張らなきゃな」 みたいなことを言われてこの人が救ってくれるんじゃないかって思った。 前ここにも書いたかな?女子高生のわたしのインスタの裏垢に書いたの。 「君の生きる場所はここじゃないと 君が手を引いてくれ」 ずっと忘れてないわたしが書いた言葉。久しぶりに開いたけど綺麗で儚くてさいこうだった。なきそう。非公開から解放したのであなたもあの日のわたしのこと忘れないでいて。
違うことで着地しちゃったけどパラシュートじゃなくて君から借りたパーカーが風でふくらんで運ばれたっていいよね。この人がいいってもっと強く深く思う数日間でした。いつまでも幸せでいて。ここまで読んでくれてありがとう。もう君も目撃者だよ。
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a-kichi · 8 months
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紫陽花の宴
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oka-akina · 5 months
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1123-1129
1123 宇都宮の正嗣の餃子。フライパンをあたためてサラダ油とごま油を多めに引く。大さじ1ずつくらい。凍ったままの餃子を並べる。5人前の箱だと26センチのフライパンにぎっしり丸く並べられる(正嗣の餃子は小さいのでふたりで食べるなら5人前でちょうどいい)。そこに熱湯をまわしかけ、餃子が半分浸かるくらいにして強火で焼く。ふたをして5,6分。作り方の紙には「絶対に途中で弱火にしないでください」と書いてあって、絶対にって言われるの面白いなと思う。他人に絶対を求めることも求められることもそうそうない。水気が飛んで焼き目がついたらできあがり。 皮がパリッとしていて、具は野菜が多め。生姜がきいている。いたってシンプルなのになんでこんなに美味しいんだろう。冗談抜きに世界で一番美味しい餃子だと思っている。前に「水ギョーザとの交接」という小説を書いたのでいろんな人が餃子を食べに連れて行ってくれるんだけど、申し訳ないけどどこの餃子よりも正嗣の餃子が美味しい。本当に一番美味しい。 あとこの冷凍のは、家で焼いてもちゃんと美味しいのがすごいと思う。わたしの焼き方が上手いとかでもなく、紙に書いてあるとおりにやるだけでたぶん誰が焼いてもこうなる。ほかの冷凍餃子だと皮が破けたり焦げついたりけっこう失敗するんだけど、正嗣のは毎回パリッと焼ける。 正嗣のお店には「餃子専門店なのでライスやビールはありません」と書いてあってひたすら餃子だけを食べるストロングスタイルの店なんだけど、FCの駒生店のみライスがある。ので、宇都宮に住んでいたころはよく駒生店に行っていた。
1124 どうにも調子がよくない。きのうは同人誌の通販で本を入れまちがえて送ってしまったようで、一冊入ってませんでしたよとメールが届いた。ああついにやってしまったと思った。あわてて追加で送ったけどいつもできていることができなかった自分がショックで、きのうはそれを日記に書けなかった(それで餃子のことを書いた気がする)。 こういうメール送るのしぬほどめんどくさいよな…ほんとに申し訳ない。やっぱ疲れてんのかな。そしてついにやってしまったと思ったけど、もしかしたらこれまでもまちがえたことはあったのかもしれなくて、でもしぬほどめんどくさくて言い出せなかった人もいたかもしれないよな…と詮無いことも考えた。 えもとLINEで通話した。わたしのようすが明らかにおかしいのだろう、ちょっと休んだ方がいいよと言ってくれた。同時に「でも休んだ方がいいって言われるとなんかムッとすることはあるよね…」とも言ってくれたので、だめなときの気持ちがわかる人は優しいよな…と思った。だめなときほど焦ってしまう。送ってくれたナポリの男たちの動画を見た。
ここには書かない方がいいような気もするんだけど、まあこれは日記なので書くんだけど、ZINEフェス長野、noteの告知には出展者30人程度を予定って書いてあるんだけど開催前々日で集まっているのは10人(10組)っぽい。これって10人だけなんですかと軽い感じで出展者用のLINEグループでたずねてみたら、2日経って主催さんから「そうなんです…」と返事が返ってきた。こじんまりしてるのはそれはそれでいいと思うんだけど、お客さんから入場料300円とることになっているイベントで出展者10組だとちょっときびしくねえか…と思った。今からでも入場料無料にできたらいいんだけど。 わたしはこういうときすごく疑り深くなってしまうし性格がとても意地悪なので、もしかしたら主催さんも損切りを始めてるのかなーとか思ってしまった。ZINEフェスのtwitterアカウント、来年の吉祥寺回に関するリツイートはしてるけど長野はスルーしてるし。えーっどうしよう。遠出したい、ともかく電車に長く乗って遠くに移動したい…という気持ちで申し込んだから本をたくさん売ろうとは思ってないんだけど、やっぱりハラハラはする。 とりあえずペーパーを作る。だいたいおすすめみたいな本を一日一冊並べた読書カレンダー。そして文フリで使った優人さんのポスターをスチレンボードに貼ってみたらいい感じのパネルになった。これを文フリでやれって感じ。やることが2週間遅い。長野に持って行こうかなと思って作ったけど初めて行く場所でこれは目立ちすぎるし荷物になるよな…。
1125 明日ほんとに長野行くのかよ〜と思いつつゴルフの練習。ゴルフは小説の活動とあんまり関係なくやっている。こういうルーティンみたいなものがあるのはちょっといいかもなと思う。ゴルフ自体は、男!女!というスポーツでけっこうきついけど。 土曜だけどパートナーは在宅仕事で、仕事の前に肉を食べて元気を出したい…と言いお昼はブロンコビリーへ。いや食後ぜったい眠くなって仕事やらないだろ〜。と言ってみて、あっ完全にフリをやっちゃったなと思った。家に帰るなりちょっと食休みと言って布団に潜ってしまった。わたしは午後出かける用事があって、帰ってきたら同じ姿勢のまま寝てるパターンだな…と思ったし言った。言っちゃったから本当にそれをなぞっちゃいそう。フリとボケみたいな。悪いことしたなと思った。
渋谷ハチ公前のデモに参加。ガザの犠牲者の名前が読み上げられていく。一人一つ赤い涙を描いていく。名前はぜんぜん読み終わらない。名前と一緒に年齢も読み上げられる。ゼロ歳の名前が続き胸が苦しくなる。肌寒い日だった。通りすがりの人も参加しているように見えた。描くというアクションによって参加しやすい空気があったように思う。 小さな男の子が「Free Free Palestine!」と声を上げ、近くにいた大人たちもあとに続いてコールになった。男の子の(たぶん)お父さんは隣にいて横断幕を持っていた。自分が叫ぶと大人も叫ぶから男の子はちょっと楽しそうで、和やかな、けれども力強い時間だったと思う。デモのハッシュタグを検索したら西川火尖さんと冬野くじさん(きさめさん)の名前が見えて、自分が(一方的にでも)知っている作家の名前が見えるとなんだかほっとするなと思った。なのでデモのようすをツイートした。このあいだとぜんぜんちがう気持ちになっている。
渋谷◯◯書店の棚の補充。『顔たち、犬たち』など持って行った。久しぶりにのぞいたら思ったより本が売れていてわかりやすくうれしい気持ちになった。これもこないだと言ってることがちがうと思う。自分は現金だと思う。 明日のコピー本とペーパーの印刷でキンコーズへ。キンコーズのコピー機ってなんか難しいというか意地悪というか、いつもうまく扱えない。まあでもできたものはなかなかよかった。
帰ってきたらパートナーはやっぱり昼寝していて、いやでもやらなきゃだよな〜とかなんとか唸ってなんとか起きた。自分を見ているようだと思った。わたしも在宅のときってだいたいこう。 遅めの夕飯。トマトとじゃがいもとツナのパスタを作った。にんにくと玉ねぎのみじんぎりを炒め、じゃがいもとツナとホールトマトを入れて煮る。ほうれん草もちょっと入れた。かなりじょうずにできて自分で自分にびっくりした。なんか疲れていたので明日の準備も夕食の後片付けもせず寝た。
1126 ZINEフェス長野。暗いうちに家を出た。といっても朝6時の電車なのでぜんぜん始発とかではない。朝が来るのが遅くなった。空気がきんと冷えている。冬だなと思う。夜勤明けっぽい人やこれから仕事に向かう感じの人、朝まで飲んでいたっぽい人、大きなスーツケースを引いた人…。案外駅は人が多くて、みんな冬っぽい格好をしていた。遠出の気持ちが高まってワクワクした。優人さんのデカパネルは結局持って来た。ものすごく雑に梱包したけど、一回使ったポスターだからまあいいかと思った。でかいけど軽いし。リュック、トートバッグ、パネル。さほど本は持っていかないので身軽に荷造りできた。 電車で寝ていたらすっかり明るくなっていて、立川からあずさに乗り換え。寝てたからだと思うけどあまりに寒くてタイツを買った。あずさのトイレで履いた。 寒くてやけに腹も減っていた。ツナおにぎりと焼きそばパンとスコーンを買って食べた。あったかいミルクティーとコーヒーも。食べすぎだと思ったけどほんとに寒かったのでしょうがない。スコーン、かりっとしてふわっとしていてすごくおいしかった。駅のポップアップみたいなところでパッと買ったけどちゃんとお店の名前見ておけばよかったな…。津島佑子『笑いオオカミ』を読みながらうとうとした。松本に着いたのは10時前。息が白くて驚いた。山が近くて眺めのいい街。
イベントとか旅行とか楽しいことがたくさんあった日の日記ってうまく書けない。たぶんぜんぶ書こうとしちゃうからだと思う。結論からいうとすごくいい一日で、いいイベントだった。出展者は結局10組。それゆえの親密さがありのびのびしたイベントだった。 自分としては旅先の気安さもあったと思う。知っている人が誰もいない、初めて行く街の初めて参加するイベント。いつもより自由にふるまえた気がする。まったく知らない人、その場限りの人しかいない場所はあまり気をつかわない。リラックスして自分を開示できた気がする(とするとふだん自分が何をストレスに思っているのかがわかってく���な…)。 お客さんはけっこう来ていたように思うし、思ったより本も手に取ってもらえた。何よりお客さんとも参加者さんともたくさん会話ができてうれしかった。これ伝わるかわかんないんだけど、交流をしたい(人間関係をやりたい)わけではないんだけど、人と話はしたいんだよな…。 きのうまでの不安はどこへやら、じゃないな。この「開催前のもろもろに不安な要素がある」と「行ってみたら気さくでいいイベントだった」は表裏一体なんだなと思った。意外とか挽回とかではなくてこの雰囲気はこうでなくては出てこない。これについては別途イベントレポ的にまとめたいつもり。
どういうイベントになるか不安だったので、ネットプリントで印刷した「END WAR NOW」のプラカードを机に貼ることにした。あずさの中でふと思いついて、何かネプリないかなーとツイッターを検索した(戦争じゃなくて虐殺だと思うけど「STOP GENOCIDE」はネプリの期限が切れていた)。水色、ピンク、黄色。パンセクシャルフラッグのカラーだなと思った。 イベントの案内に政治的なことはだめって書いてあって、は?という気持ちがありつつ参加している。は?と思うならやめときゃいいんだけどなんだろう…。ダメって言われたら帰ったろと思って貼った。なんか試し行動みたいだ。 新しくてきれいな会場で、大きな窓から日が差し込んで明るかった。空も山もきれいで、ああ遠くに来たなあと思った。机は5台ずつ向かい合わせに置かれていて、机半分という話だったけど一人一台になった。奥行き60センチのでかい机。当然持ってきた布は大きさが足りないんだけどのびのび使えてよかった。いつになくちゃんと設営できた気がする。優人さんのデカパネルを机の前に立てかける。こういうのは文フリではできない。蹴飛ばされそうだし「スペースからはみでる」に抵触すると思う。自由にふるまえている。 そう、自由にふるまえている。リラックスしている。プラカードを貼って、新刊のでかいパネルを置いて、いつもはイベントに置かないコピー本『小説を書くquuerのzine』も机に並べた。「陰気なクィアパーティー」用に作った、通販はしたくないコピー本。いろんな人ともう一回初めましてからやり直したいみたいな気持ちってあるよな…と思う。
主催さんいわく、想定より規模が小さくなってしまったので入場料は無料にし、事前決済の人には返金したとのこと。そして今日参加している人は吉祥寺のシェアカフェを一日無料で使ってOKにしますとのことで、えっラッキーと思ってしまった。ほんとにわたしは現金なのだと思う。 イベントは11時から16時まで。全部のブースをまわっていろいろ話をし、全部のブースで買い物した。べつに義理とかではなくて、人の話を聞くのって面白いから、気になるものがなにかしらいっこはあるものだと思う(こういうとき思想的に苦手だな、無理だなと思うものはもちろんあって、それはそっと避ける)。 ただこういう場で小説って難しいかもなーとは思った。これは何ですか、どういうものを作っているんですか、あなたは誰ですかみたいな自分のことを話す場だと、フィクションの世界にチューニングを合わせるのはしばしば難しい。気になるものがぜったいいっこはある、にはなりにくい面がある。まあぶらっと来たお客さんにとってはそうでもないかも。長くなりそうなのであとはイベントの記事で書きます。
1127 尻が痛い。きのう帰りの新幹線、『笑いオオカミ』の真似をしてデッキの床に座ってみたのがきっとよくなかった。冷たい床だった。たぶんまた痔が破裂するだろうなと思う。最近イベント終わるたびにこうだと思う。 『笑いオオカミ』を読んでいたら、自分はこう見えてけっこう大食いでカレーを12皿おかわりしたことがあったとしゃべるシーンがあって、ZINEフェスで買った日記の本に「かきあげが美味しすぎてごはんを5杯もおかわりした」というくだりがあり、どっちがどっちだっけと一瞬混ざった。 長い小説は当然ひと息では読みきれないので何日もかけてちょっとずつ読み進める。その間に読んだほかの文章や生活の中で見聞きしたものと混ざってどこからどこまでが小説だったかわかんなくなる。それがけっこう好きだし醍醐味だと思う。 どこからどこまでが小説だったかわかんなくなるというのは小説そのものにちゃんと集中していないようでうしろめたさはあるんだけど、なんというか、わたしは人格全部で小説をやっていたいんだよな…と思う。物語に振り回されてうわの空で仕事したり、夢中で読んで寝落ちたり、べつのことをしているときにふっと思い出したり、目の前の景色と小説の情景が混ざり合ったり。みたいなの。なので書評とか感想とかがあんまり上手じゃない。そして、上手な感想とそれを述べる人がちょっと怖く思えてしまうことさえある(これはやつあたりかもしれない)。
1128 痔が痛いし生理も来た。イベントが終わると本当に毎度こう。ヨロヨロしていてなにも進まなかった。とても眠かった。労働のメールを書いていたら簡単な言葉なのにパッと出てこなくて自分で自分にがっかりした。本当におまえは小説を書いているのか、文章ぜんぜん書けないじゃんと思う。元気なときは、いやべつに文章うまくなくても小説は書けるでしょ(どのように書いても小説にはなるでしょ)と思うのに。
1129 引き続きいろいろ痛い。なんも進まない。『不思議の国の少女たち』を読んでいる。 異世界へ行って帰ってきた子どもたちの集まる寄宿学校の話。死者の国から帰ってきたナンシーが寄宿舎に入るところからはじまり、異世界から「帰ってきたくなかった」子たちが集まっている学校。 まだ読み始めたばかりで���ヤングアダルトはチューニングを合わせるのが難しいなと思う。でも急にカチッとはまる瞬間がある。 「王は敵だったけど、人生ではじめて俺をまともに見た大人だったよ」、これは妖精界から帰ってきたケイドのせりふで、あっいいなと思った。どうやらケイドはトランスジェンダーの男の子のよう。 そしてナンシーのルームメイトのスミが「あたしがオナニーしたらいや?」とあっけらかんとたずねるところでめっちゃいいな!と思った。夜遅くにルームメイトが自慰をしてもいいか。見たくはないからそんなこと言わないでくれとナンシーは困惑し、まあそれはそうなんだけど、なんていうのかな…女の子の生活に自慰があると書かれていることにほっとした。「女の子だと扱われる子の生活」にそれがありますと書かれているのがうれしい。 子どものころ長期休みにホームステイとかサマースクーリングとかよく案内が来ていたけど、それをやってみたいかどうか考えるより先に、あるいは費用の捻出のような実際的なハードル以前に、長い期間他人の家に泊まったらそういうのどうするんだろうと思っていた。だから自分には無理だと思っていた。すごくばかみたいだけどほんとに。そしてあるとき友だちが「ホームステイって生理とか気をつかいそうだよね〜」と言い、わたしはそれに強く同意した。自慰の話をする代わりに生理の話をした。
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日記、毎日更新するとバラバラうるさいかなと思って1週間分まとめてみたけど、これはこれで長いな…。
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ryotarox · 4 months
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ビルマの竪琴 - Wikipedia
日活は当初、1956年の1月に劇場公開することを配給する映画館と約束し、そのスケジュールに則った製作が進められていた。そして公開の7カ月前の6月にビルマへロケーション撮影をするための渡航申請を出したが、当時の国際情勢もあって入国許可が下りず、そのまま雨期となったので、乾季になる11月に撮影を変更し、夏の間は、国内の軽井沢や箱根、伊豆などの代替地でドラマの一部を撮影した。 ところが11月になっても入国許可は下りず、業を煮やした日活社長の堀久作が「すまんけど、全部日本で撮ってくれ」と直談判分する状況となったが、監督の市川崑は、パゴダの黄金仏塔やシッタン河の泥河、ムドンの街並の撮影は日本では無理と考え、ビルマでのロケに拘った。 だが日活側は「築地の本願寺は、ビルマの寺院に似てないか」「河は、多摩川だっていいじゃないか」と国内ロケへの変更を再三提案し、挙句の果ては原作者の竹山道雄まで「僕はビルマに行ってはいませんよ。あれは私の頭の中で書いたものです。だからあなたも、ビルマに行かなくても、頭で描いてもいいんじゃないですか。」と言う始末だった。 そんな市川に友人の新聞記者が、1時間ほどの<第一部>をまず作って劇場公開をして封切り問題を解決させ、後日、ビルマロケを終えて再編集したものを<総集編>として劇場で公開するという二部作劇場公開案を提案し、市川が日活にこの提案を持ち掛けたところ、あっさり快諾したため、主人公の水島が小隊と橋ですれ違う場面で物語が終わる、63分の<第一部>が先行して公開された[7]。 その後、1956年1月にビルマへの入国許可証が下りたが、同行できる俳優は水島役の安井昌二のみ、撮影期間は一週間という厳しい条件で、市川はその条件下でビルマでの撮影を行った。現在でもシュエダゴン・パゴダなどに、撮影当時の面影をみることができる。 市川と日活の当初の約束では、2月に完全版の総集編(当然第一部とは中身が一部重複する)を封切る予定だったが、日活側は「すでに第一部のポジを何十本も焼いていてもったいない」「<第一部>と<第二部>をくっつけたプリントを<総集編>にできないか」と約束を反故にする提案を持ち掛けたため、市川はこれに激怒、このため封切りの時点で、市川の構想通りに再編集された「総集編」と、「第一部+第二部」をくっつけただけのフィルムが同時に上映される事態となり、「総集編」はメインの日活封切館がある新宿や丸の内などの都市部での限定公開、それ以外の地方は「第一部+第二部」の上映だった。 このことが禍根となり、市川は日活を辞めることになった[8]。
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水島、青島、敷島。
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myonbl · 6 months
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2023年11月12日(日)
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龍谷ミュージアムで開催中の<秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」>、終了間際の今日になってようやく行くことができた。<みちのくの厳しい風土の中、人々の暮らしにそっと寄り添ってきた、やさしく、いとしい仏たちの、魅力あふれる造形をご覧ください。>、まことにその通り、雅な都の規格化された像とは異なり、鄙の暮らしそのままの素朴で大胆な表現、つい微笑んでしまい穏やかな気持ちになることができる。会期は残すところ1週間、お近くの方、お勧めですぞ!
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6時起床。
洗濯。
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昨晩のご飯が茶碗1膳分残っていたので、牛肉しぐれ煮を載せていただく。
1階の私の仕事場、MQJの荷物と私の資料類、それに食料品やワインがひしめき合って足の踏み場もない。プリンター台を1台増設して環境改善を試みる、なんとか来週末には原稿書きに専念出来るようにせねば。
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龍谷ミュージアムの秋季特別展、週末の予定ぎっしりでやっと本日訪れることができた。
江戸時代、全国の寺院では、上方や江戸で造られた金色に輝く立派な仏像が、ご本尊として安置されました。一方、小さなお堂や祠、民家の仏壇や神棚などには、その土地の大工さんやお坊さんたちの手による、素朴でユニークな仏像・神像がまつられ、人々に大切に護られてきました。この展覧会では、青森・岩手・秋田の3県に伝わった約130点の仏像・神像をご紹介します。
いやぁ、良かった! 暮らしとともにある神像・仏像、初めて知ることだらけ、良い勉強をさせていただいた。
帰宅して少し遅めのランチはこのところお気に入りのUFO。
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昨日生放送があった<NHK新人落語大賞>、録画を忘れたのでNHK+で観る。応援している一花さんはそこそこの出来、三実君は大爆笑だったがいかんせんローカルネタでは審査員の受けは良くない。慶次朗君の優勝は順当、文珍師の<師匠を超えた>発言には大爆笑。しかし、改めて2年前の二葉さんのインパクトの大きさを思い出した。
酢タマネギ仕込む。
半熟酢卵仕込む。
ポン酢・麺つゆ仕込む。
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夕飯、鶏ムネ肉の甘辛煮・半熟酢卵、カラスミは息子たちもよく食べてくれる。
録画番組視聴。
柳家権太楼 落語「へっつい幽霊」
初回放送日: 2023年11月12日 柳家権太楼さんの落語「へっつい幽霊」をお送りします(令和5年9月1日(金)東京・小平市 ルネこだいらで収録)【あらすじ】「へっつい」とはしっくいで固めたかまど。古道具屋が売っている「へっつい」はいい品なのだが、誰が買っても、その日の夜中になると引き取ってくれと言って返品されてしまう。わけを聞くと深夜にへっついから幽霊が出てきて「金を出せ」とおどかすらしい。困った道具屋は…
久しぶりに散髪をしてもらう、風呂上がり体重は昨晩から50g減。
日誌書く。
弁当用に里芋煮る。
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ミュージアムまでのバス移動だけ、明日からちゃんと3つのリング完成させよう。
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The Gold and Silver Expenditure and Receipt Book (金銀出入帳)
The "Gold and Silver Expenditure and Receipt Book" is a record of the Shinsengumi’s receipts and disbursements, covering the period from the 14th day of the 11th month, Keio 3 (1867) to the 1st day of the 3rd month, Keio 4 (1868). It is approximately ten pages in length and is written in a unique ink script. This record is thought to have been written down by Shinsengumi accountants, and is one of the most valuable official documents of the Shinsengumi for understanding their exact activities and financial situation.
A portion of this document was once published in "Shinsengumi Shimatsuki" (written by Shimozawa Kan in 1928). Until around 1937, it was in the possession of Kondo Isami’s relative, Miyagawa Takashi, who lived in Kamiishihara, Chofu, Tokyo. It’s now kept at Ryugenji Temple (6-chome, Osawa, Mitaka, Tokyo), the site of Kondo Isami’s tomb, along with many other related documents once owned by the Miyagawa family.
The first part of this document is marked with "Start". It then describes the movement of money within the accounting division, and the four people whose names appear in the document, Yasutomi Saisuke, Kishijima Yoshitaro, Otani Isao, and Nakamura Gendo are of course Shinsengumi accountants.
The accountants were usually in charge of bookkeeping, but in times of war, such as the Battle of Toba-Fushimi, they were also assigned to the the logistics division (konida). Yasutomi and Kishijima worked as investigators (諸士調役) (also called "metsuke"), while Otani and Nakamura were treated as the same level as corporals. Some records refer to Otani as an accountant and Nakamura as an equivalent of an accountant.
(source: 新選組史料集)
Out of all the historical texts in 新選組史料集, the Shinsengumi’s account book seemed the most interesting to me, and I kept seeing quotes from it in the articles I’ve read.
It took a while to make sense of the archaic terms and Edo period accounting notation, but I think I’ve mostly figured it out. Here’s my translation: [link], and below are my translation notes and the full original text.
[Read the full translation here]
Translation Notes
一金...也 = formal notation used to clarify and confirm that the money will indeed be paid. Ignore this when translating. (source)
也 = classical modal particle used at the end of sentences to express an explanation or judgement. Ignore this when translating. (source)
右 = classical term of respect. Ignore this when translating. (source)
ニて (にて) = indicates the location where something took place. Ignore this when translating.
江 = river? (not sure why it’s added to some of the entries, but makes more sense to ignore this when translating)
同 = same 一同...也 = 一金...也 同人 = same person as the previous entry
両 = ryo (see: how much was 1 ryo worth?)
分 = bu (1/4 of a ryo)
朱 = shu (1/16 of a ryo)
代 = fee
渡 = transferred
相渡 = handover, transferring from one party to another
手宛 = salary
地役 = easement (the right to use someone else's land for a specific purpose) (source)
入用 = necessary uses
御用 = official duties
帰ル = returned
拾 = ten
廿 = twenty
卯 = year of the rabbit (1867 in this case)
正月 = first month
極月 = twelfth month
一件 = incident
候 or 候事 = the state of things. Ignore when translating.
払 = payment
付 = assistant
Original Text
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Simplified Text
卯七月
金銀出入帳
(宮川隆司氏や龍源寺の所蔵印があるが、これらは後に押印されたもの)
始メ
卯十一月二十八日 二十両 中村渡蠟印一件 (中村は、勘定方の中村玄道のこと)
十二月三日 六十二両二分 安富渡福林代 (安富は、諸士調役の安富才介のこと)
五日 七十二両 同人袴代渡
十一日 二百五十両 岸嶋渡 (岸嶋は、諸士調役の岸島芳太郎のこと)
十一日 百両 安富渡
五十両 同人渡
五十両 同人渡
百両 同人
十二月二十一日 五十両 安富渡
百両 同人
三百両 同人 大平分
百五十両 同人
百両 同人 大平分
伏見にて 二百両 中村玄道預ケ
二百両 同人 船中にて
品川 二百両 安富渡
百両 中村渡
一月二十三日 百両 同人 品川にて
一月二十三日 五百両 安富渡 布段代
二十八日 五十両 同人
大坂より諸払分 二百二十二両 中村渡
二月六日 百両 安富渡
八日 六百三十両 同人
十一日 百両 同人
十五日 百両 同人
二十三日 五十両 同人
二十七日 五十両 大谷 (大谷は、勘定方の大谷勇雄のこと)
二十九日 二百両 安富
百両 大谷
二月二十九日 五十両 岸嶋渡
三月一日 二百両 道中 大谷
手宛入用出口 (現在は書き出し付箋がはがれ、上から三文字が不明となっている)
十一月十四日 三百五十七両三分 十一月分手宛 (十一月分の月給のこと)
七両 同学講 三人 (講師への手当)
十五日 五両 角楼払 (島原遊廓角屋への支払い)
十七日 十両 山田一郎 刀拵代渡 (二条小川角の研師で、隊士の刀剣の修理代と考えられる)
百両 佐藤安二郎 相渡 (保次郎とも書き、文久三年以来、新撰組といろんな接点を 持つ。この記録からも密接な関係を知ることができるが、実態はいまひとつはっきりしない。幕臣 <小普請組岡田将監支配〉 佐藤喜内の孫で、父を宗三郎という)
十七日 二十五両渡 伏見御用
内十両原田請取 原田岸嶋
内十二両二分□二分入 両人渡 (副長助勤原田左之助、諸士調役岸島芳太郎らが伏見へ公用 で出張した折のもの。坂本龍馬の暗殺により海援隊士などが 大坂から伏見に上り、ここから分散して京都に潜入したのが十七日。この不穏な動きを察知し、直ちに出動したものらしい)
十九日 十七両 七条一件 十七人被 (七条油小路で伊東甲子太郎および高台寺党の面々を襲撃した時に出動した隊士への特別手当。一人各一両が渡されている。記録によって出動が判明している隊士は、永倉新八、原田左之助、大石鍬次郎、岸島芳太郎、宮川信吉、島田��、横倉甚五郎、三浦常次郎、 芝岡剛三などで、原田、大石、岸島、三浦、芝岡の負傷が確認できる)
十一月十九日 十両 金物屋清兵衛払
十九日 一両 七条一件付下男共遣し
二十一日 二十両 山田一郎相渡
二十二日 一両二分 伏見行入用幷ニ酒料共
二十二日 五両也 帰ル 下坂手宛宮川 渡 (この記載事項は印を押して抹消してある)
二十三日 十両 同入用辛嶋 相渡 (辛島昇司への大坂行きの手当。この辛島は、後に大坂で新撰組を脱走している)
二十三日 五両 荒木新三郎遣し (信三郎とも書く。江戸で病死したと伝わる)
二十六日 十六両二分 大和守身三本 (会津の刀匠大和守源秀国の刀身三本を購入)
十一月二十三日 一二分 御用出入用渡
二十九日 十六両 刀身二本宗安
五両 綿代相渡
十二月 二日 二分二朱 西ノ宮御用行 (上京途上の長州藩兵の様子を探るため、二日夜に西ノ宮へ向かった隊士への���用。翌三日に帰還して作成した報告書が残る)
二日 一二分二朱 土方剣術古手一ツ (「古手」は「籠手」の誤記)
五両 土方入用
六日 十五両 山田一郎相渡
九日 十両 原田渡
二両 宮本 (局長付の宮本騰太のことか)
十二月 十日 六両 着込入用吉村渡
十一日 二百両 歩人足手宛部屋頭 相渡
三百四十四両三分 手宛相渡 (十二月分月給のこと)
三十九両 局長付相渡 (局長付の十二月分月給。局長付池田七三郎の遺談に「十二 月になって一両が渡された」とあるから、三十九人分ということになる)
三千両 山中組十家 返済
十三日 二百二十七両 二条城にて一同 相渡 (特別手当として支給されたもの)
二百両 人足渡部屋頭渡
十両 吉村貫一郎着込 (吉村は本名を嘉村権太郎といい、奥州盛岡藩を脱藩し新撰 組に加入した人で、この時、諸士調役を務めていた)
十五両 賄方忠助福田渡 (忠助とは沢忠輔のこと)
四千九十八両二分 (十一月二十三日の御用出入用渡という記載からの合計金額)
四十五両 山崎烝相渡 (山崎は副長助勤)
二十五両 大坂岩城にて先生 御買物払分 (新撰組は十四日に永井玄蕃頭に従い下坂して、大坂の天満天神に駐屯した。先生とは近藤勇のことである。岩城とは呉服屋のことか)
十両 先生行辛嶋 渡
大坂にて 十六両 局長付残分手宛山崎
十五日 夜 百両 山崎吉村伏見行節 相渡 (新撰組の伏見警備が決まり、偵察と下準備を兼ねて、先発隊として向かったものらしい)
十五日 十両 大坂にて辛嶋渡
十六日 二十五両 伏見地役共被 (十六日、新撰組は大坂を発し、夕方、伏見に到着し、伏見奉行所へ入る)
十両 部屋頭渡伏見人足 入用
十両 大坂表て人夫分 渡
四両 大川七郎相渡代
五十両 先生下坂付山崎 相渡 (十二月十八日、伏見奉行所から二条城へ出向いての帰り、 近藤は高台寺党の残党に鉄砲で右肩を撃たれ、重傷を負った。 会津藩と大坂城の将軍家から医者が来たというが、手当てが 充分できないというので、二十日になって大坂へ赴いた。 沖 田総司も同行し、以後、大坂町奉行屋敷にて療養を続けた。この時に護衛をした山崎烝に預けられたもの)
二十両 伏見部屋頭 相渡
八両 荒木柏村岡田中村残人 相渡
三両 井上源三郎賊相手 節渡 (井上は、副長助勤で三番隊組頭)
四十九両 伏見て歩兵人足 被
十一 十一人賊相手節 (十二月二十一日夜の都城兵との事件に関する特別手当。 一人あたり一両となる)
三十両 伏見部屋頭 相渡
十二月二十八日 百八十五両 伏見にて一同被 (特別手当として支給されたもの)
御口し口
十二月二十八日 三百両 部屋頭 貸渡分
六両 福田平馬相渡
(天然理心流近藤周斎の門人で、神奈川奉行所定役である。 甲州勝沼戦争の時に近藤が神奈川の菜葉隊の応援を期待したのは、この福田の関係からである。明治になって、駿府奉行所支配定番となる)
二十九日 四両 小幡三郎 (+) 行節渡 (薩摩兵の動きを探るため、間諜として潜入する時に渡されたもの)
一両二分 大坂遣ひ人相渡
一月七日 百五十五両 大坂城って一同手 宛渡 (一月分月給のこと)
十八日 五百八十五両 品川宿局中一 同 被三十九 (鳥羽伏見戦争に敗れた新撰組は、大坂天保山沖から富士 丸と順動丸に分乗して江戸へ向かった。 横浜で負傷者を上 陸させ、本隊は品川宿の釜屋半右衛門方を宿所とした。この 時に分配された特別手当で、一人に十五両が渡された)
二百四十両 同局長付二十四人被 下 (一人に十両となる)
百五両 伏見地役七人被 (一人に十五両となる)
百五両 步兵 被 (一人に七両で、十五人か)
六十五両 人足 被 (一人五両で、十三人か)
一月十八日 九十両 役人分被
十五日 百両 横浜病人手宛嶋田 預ヶ置候 (横浜の仏語学校を改造した病院で治療を受けている隊士た ちのことで、伍長の島田魁が世話役として派遣される)
品川にて 二十両 大工仙蔵渡 (近藤の試衛館道場と関係のあった人物)
十八日 二十五両 土方諸買物払
二十二日 三十五両 土方戎屋払 (武器購入の支払い分)
二十三日 二十五両 大工仙蔵相渡
(この日、品川から鍛冶橋御門内の若年寄役屋敷へ移っているので、この役宅の修繕代か)
五両 諸払土方出 (副長土方歳三は、このところ自らいろんな買物をしているようだ)
五両一分二朱 子儘者ぶん硯瀬戸 物色々 (「子儘者」は「小間物」ということだろう)
千八百七十一両三分二朱 (十二月二十八日の部屋頭へ貸渡分という記載からの合計金額)
四百両 大坂先生出分
二十六日 十五両 大工仙藏
二十七日 三百二十両 横浜在留之者相渡
同志十六人局長付六人 人口四人 (一人あたり、同志十五両、局長付十両、人足五両。 これは、 横浜において治療を受けていた隊士たちを岸島芳太郎と尾関泉が迎えに行き、近藤の指示に従って江戸和泉橋の医学所へ移した日に渡されたもの。医学所が収容しきれなかったので、 幡三郎、中山重造、大町通南太郎、大橋半三郎、足立麻太郎、医学館の方へ入ったという。ちなみに鳥羽・伏見戦争で負傷したと考えられる面々は、近藤芳祐、 小原孔三、 粂部正親 山野八十八、 松原幾太郎、 沼尻小文吾、 中條恒八郎、小上原栄作、池田七三郎、和高小刀太、相馬肇、一色善之助、小堀誠一郎などである)
二十八日 五十両 内三十八両帰ル 先生 横浜行持参 (仏人医師の治療を受けるため、横浜へ赴いたもので、この時に近藤と会った通詞田島応親の遺談が残っている)
二十九日 六両 仕立や乙二郎遺
二月二日 三十両 大工仙藏
三日 十両 近藤隼雄 原錠之進
三日 二十五再 原田嶋田両人子供 片付遣し候
三日 百両 元詰鉄炮五丁 (一挺二十両となる)
二月六日 十両 岸嶋芳太郎脇差代
八日 八両 佐藤安次郎刀代
十日 六両三分 買物払
十三日 五十両 先生 出 (永倉証言でいうところの近藤の月給か)
百六十四両一分 手宛相渡 (二月分の月給のこと)
十五日 六十四両 病院詰
十四両 同手宛 (病院に入院中の同志および局長付へ渡された二月分の月給。六十四両は同志の分、十四両は局長付の分と思われる。 同志十六人とすると人あたり四両で、局長付は二両で七人といったところか)
四十三両 中嶋屋払大小七本
十五両 同渡
二十両 大工仙蔵分寺尾君 渡
(寺尾君とは、田安家の家来で寺尾安次郎という人。 近藤上京後、道場の世話をしてくれていた天然理心流の有力者であ る。 板橋で処刑された近藤の死骸を掘り出す時も、その指示をした)
十六日 三十両 日野宿要三幸助遣 (谷春雄氏によると、要三とは侠客小金井小次郎の弟分天野要蔵だという)
二月十七日 三百両 甲州行三人渡 (甲州鎮撫に赴くための下工作資金か)
七両 永倉 両度渡 (副長助勤永倉新八のこと)
十八日 二十一両 伏見地役七人渡 (一人あたり三両となる)
七十五両三分 刀五本脇差三本
二十四日 六両二分
二十五日 二十両 中村屋金払
二十両 石屋弘二本
千疋 芝参詣香料 (芝の金地院にある近藤周斎の墓に詣でた折のものか、あるいは増上寺の徳川家茂の墓か)
二十六日 六両二分 中村屋金兵衛払
七両二分 馬代大久保払 (この頃、近藤はすでに大久保剛と名乗っていたらしい。一説によれば、若年寄格に登用されたという)
二月二十六日 二十両 大工払沖田渡 (副長助勤沖田総司のこと)
十両 佐藤安二郎馬代払
二十七日 十両 大石鍬二郎甲州行 (十両は甲州行きの特別手当。 大石は鎮撫隊先番として先発した)
百両 松本良順石料 (松本への薬代の支払いである)
二十八日 五百九十五両 四十九人二十一人甲 行手定 (甲州行きの特別手当で、同志四十九人に十両ずつ、局長付二十一人に五両ずつが支給された)
二十八日 三百両 二十騎相渡し (近藤の妻子が住んでいる牛込騎町のことを、俗に仕騎と呼んだ。御坊主の家を購入したもので、新しく建て増した勝手と三部屋くらいの広さであった。この後まもなく甘騎の家は福田平馬に譲り、中野の成願寺へと疎開している)
五十両 宮川神前 (天満屋事件で戦死した伍長宮川信吉の神前に供えたもの)
十両 沖田渡 (甲州行きの特別手当と同額であり、沖田が甲州鎮撫隊に途中まで随行したという説が、俄かに真実味を帯びてくる)
三両 忠助妻
二月二十九日 七両 子供手宛 (近藤、土方の召し抱えた小姓のことで、刀持ちなどを勤めた。一人一両ずつとすると七人いたことになり、一両三分ずつとすると四人となる。井上泰助、沼尻愛次郎、渡辺市造、市村鉄之助、上田馬之介、玉置良蔵、 田村銀之助などがいた)
三十一両 中嶋屋弥右衛門払
十三両二分 中村屋佐兵衛づぼん (池田七三郎〈後の稗田利八〉の談話に、「洋服の上着みた いな木綿の綿入れにズボンをはき、これに撃剣の胴を着けて草鞋ばき」という、甲州勝沼戦争時の服装を語った部分がある)
六両二分 沖田遣
四十両 田中福田蔭山嶋崎 (田中恒太郎、福田平馬、 蔭山新之丞、嶋崎は勇三郎か玄弥 か。同志の甲州行きの特別手当と同額なので、この人たちも甲州鎮撫隊に参加したと考えられる)
十両 伏見役人遣し (これも甲州行き特別手当と考えられる)
二十両 松原大橋渡 (松原幾太郎と大橋半三郎への甲州行き特別手当。同志格につき、各十両ずつが渡されている。両名は鳥羽・伏見戦争で負傷し治療を受けていたため遅れたもの)
二十両 三人分手宛 (甲州行きの特別手当で、同志名、局長付二名に対し支給されたもの。同志一名とは、 近藤芳祐か)
金請取口
(現在は付箋がはがれ、一部文字不明となっている)
十一月十四日 六十三両一分 十一月分一同借財
十九日 二十両 会より四人葬敷手 宛受取
(会とは会津藩のこと。 七条油小路で殺害した、伊東甲子太郎、藤堂平助、服部武雄、毛内有之助の葬儀料を受け取った屯の)
二十三日 三両 東一件持合之入
十二月朔日 二百両 杢兵衛受取 (永倉記録に、部屋頭若松杢之助とある人物のことか)
五日 千両 同人
七日 千四百両 会 大竹受取
六百両 会より受取
十三日 二千両 小堀数馬受取 (所司代支配下の京都代官。 禁裡御所御用支配を兼任した。役高六百石、役料千俵)
四十二両 宮川 紀州より (伍長宮川信吉が、紀州藩公用人三浦休太郎を護衛術中に戦死したため、紀州藩からの弔慰金)
二十日 二十両 会より先生見舞 (近藤が高台寺党の残党に襲われ、右肩に重傷を負った折の見舞金)
一月七日 五百両 大坂城請取
四千二百両 同賄方分請取
二百両 大坂先生請取
江戸にて 二千両 会請取
十二月八日 四千両 大坂山中組合十家 より (帳簿に記載するのを忘れ、後で書き込んだようである)
二月三日 三百両 御城設楽殿 (幕府御目付設楽岩次郎〈備中守〉のことと考えられる)
二十七日 二千三百九十四両一朱 御城請取
二十九日 千二百両 会より
三千両 松本良順より 二万三千百四十一円余 (この分別筆)
(カッコ内は古賀茂作の註解)
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yossixx · 17 days
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tanzawa77 · 1 month
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11月19日〜20日
早朝に家を出て新東名を気持ちよく自動運転でとばして西へ。巡航120kmでも自動運転は安心です。
今日は岡崎の街めぐり。岡崎城はコンクリートの再建天守ですが、城の縄張りはしっかり残ってます。
城内の「大河ドラマ館」は珍しく良かったです。だいたいのドラマ館はめぐっているわたしが言うので間違いないです。
八丁味噌の蔵や大樹寺もめぐりました。岡崎。良い街でした♪
翌日は
浜名湖越しに昇る朝日を見られました。よい風景でした。
宿を出て先ずは「掛川城」に。木造で再建された天守が美しいです。二の丸御殿は江戸時代に建てられたものが残っています。徳川、今川、武田で領有を争ったあと、豊臣の大名として山内一豊が整備した城です。小さいですが、縄張りもしっかり残っていて良い城でした。
つぎは「駿府城」です。近年、家康時代の天守台が発掘されています。明治の半ばに陸軍の連隊が置かれ、天守台を破壊して堀を埋め立ててしまいました。江戸城の天守よりも大きな天守があったとのこと。ちょっと残念ですね。
静岡浅間神社に寄って久能山の東照宮に。クルマを下に置いたので1159段という石段を登って参拝しました。ちょっとした登山でした。日光東照宮に移るまで「東照大権現」がいらっしゃったところです。社殿は国宝。極彩色のりっぱなものです。社殿のさらに奥には家康公の遺骸が祀られています。
石垣イチゴのソフトクリームを食べて、三保の松原に。富士山を写真に収めて今回の旅は終了です。
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