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#上野公園では子供たちの視線を浴びまくる
sayasaan · 1 year
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♡ ⁡ ⁡ #上野で検索するとよく出てくるカフェ ⁡ ⁡ 上野のカフェ人気の#eggbanycafe さん♡ Instagramでよく見ていて食べたかったたまごサンド♡ 人気店なのでいつも行列。 なのででテイクアウトして上野公園でいただきました♡ ⁡ 半熟たまごと卵サラダのたまご卵コラボ♡ 人気のプリンも固めでクリーム・カラメルソースとのバランス、相性もよしっ! ⁡ ⁡ #若い方々の行列におばさん並べず #上野公園では子供たちの視線を浴びまくる ⁡ ⁡ ⁡ ✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧・━・✧ ⁡ #カフェ #カフェ巡り #カフェ部 #カフェ活 #カフェ女子 #カフェスタグラム #カフェ記録 #カフェタイム #カフェ時間 #カフェ好き #カフェ好きさんと繋がりたい #カフェさんぽ #上野カフェ #御徒町カフェ #東京暮らし #ドラゴンズファン #ドラゴンズ好き #ドラゴンズ大好き #insta #instagood #instafood #instagramjapan #japan #instagram #instadaily #instalike (Egg Baby Cafe) https://www.instagram.com/p/CoOW7-7PtSi/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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2023年2月11日朝6:30、コーク市内のフラットを出る。約2時間半、電車を乗り継ぎ、キルデア州キルデア(Kildare, Country Kildare)を目指す。
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朝8時17分、乗り換えのサーリス(Thurles)駅プラットフォーム。日照時間がまだまだ短く、朝8時過ぎでも明け方の気配が残る
雨上がりの生臭い都市のにおいと、町外れから風にのって運ばれてくる野原のわずかなにおいが混ざりあって、日の出前の暗闇がつつむ冷たい空気に溶けている。
サマータイムのはじまりまで残り一ヶ月半、日中の陽が短く、曇天と雨の日ばかりが続くアイルランドの冬の厳しさは、南米や南ヨーロッパ出身の友人たちのメンタルを目に見えて明らかにすり減らしていた。
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霜が降りたフィッツジェラルドズパーク(Fitzgerald's Park, Cork)、リー川(River Lee)沿いのキンポウゲの葉
「あなたは日本でも北の方の出身だから、こういう冬の気候に慣れているんでしょ?」と、げっそりした表情の移民の友人たちが訊ねてくるたびに「アイルランドにおける英語の『冬』と、日本語の『冬』は、その言葉に含まれているバックグラウンドが違う、このふたつは完全に違う季節だと思う」と答えた。
彼らが「冬」と呼ぶ、11月初旬から3月後半あたりまで、わたしたちのイメージする冬らしい冬の日もあるにはあったけれど、それはせいぜい1ヶ月半くらい。あとのおおよそ4ヶ月間は、気温一桁台から二桁台前半あたりをうろうろする。メキシコ湾からアイルランドとイギリスに届く暖流の影響で、振り続ける雨は雪になること無く、その影響で湿度が下がらない。体感は寒いのに、大気は霧と湿度に包まれてなんとなくじめじめしている。
要するに、冬の厳しさの質が全く違う。
東北の冬が、雪という抗いようのない大きな重量を持った物体に対して、歯を食いしばりぐっと耐え忍ぶようなイメージなら、アイルランドの冬は、浴室に生えるカビのように毎日少しずつ心の中のしんどさの領土を広げていく。
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コーク郊外、冬はよく町が霧に包まれる
春が来る。
2月1日はケルトの暦の春分の日、ゲール語でインボルク(Imbolc)。
暦の上での春と、体感としての春におおよそ1ヶ月の時間が空くこと、そしてその到来がそこに住む人々にとって他の季節のどれよりも特別であることは東北と同じだ。
前回記事のハグ・オブ・ベアラ(Hag of Beara)についての文献を調べていたときに何度も目にしたブリジッド(Brigid)の名前は、ケルト神話に登場する存在だった。
なので当然、2月1日の聖ブリジッドの日(St. Brigid’s Day)の日や、その名前を冠して2023年から公式にアイルランドの祝日になった2月の第一月曜日も、それに関連する日だと思い込んでいたがどうやら違うらしかった。
聖ブリジッド(St. Brigid)は現在の北アイルランドとの国境近く、ラウス州フォアハート(Faughart, Country Louth)に生まれ、5世紀から6世紀にかけて実在していたとされるアイルランド人の修道女だ。
幼い頃から貧しい人々に施しを与え、アイルランドの守護聖人である聖パトリックによって洗礼を受けたあと、各地で教会や修道院、アートスクールまで設立したと言われている。
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1902年から続く雑誌 Ireland’s Own の表紙の聖ブリジッド、手には彼女の信仰の象徴の十字架の藁細工
彼女に関して興味深い点がふたつある。
ひとつは、彼女が実在したことを確実に証明できる文献が残っていないこと。
そしてふたつめは、前述の通り全く同じ名前のケルト神話の女神が存在することだ。
日本に五穀豊穣や学業成就を祈るためのモチーフとしての神々があるように、キリスト教圏の聖人にもその多くに守護の対象がある。聖ブリジッドの守護対象は家畜、詩、歌、鍛冶、病気からの回復など、周知されているものだけでも非常に手広い。
そしてそれらの守護は、女神ブリジッドの守護するものと同じだ。
普遍的な祈りである「病気からの回復」は、アイルランドにおいて井戸や湧き水と関連付けられることが多い。古くはドルイドの信仰の対象であり、地下から湧き上がる水は癒しや命の源とみなされ、アイルランド国内に約3000ある「聖なる井戸」の内の少なくとも10の井戸がブリジッドと紐付いて周知されている。
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聖ブリジッドの泉の井戸、井戸の水自体は正直あまり綺麗な水質には見えなかった
彼女が修道院と教会を建てたあとそこに没したとされる町、キルデアの町外れには、それらを巡礼する人々のために用意された聖ブリジッドの泉(St Brigids Garden Well)がある。
もともとの小川の曲線に沿って整備されたと思われるその小さな公園には、聖キルデアの銅像が経ち、彼女に対する崇拝の象徴であるイグサや藁で編まれた十字架のモチーフが散見される。
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聖ブリジッド像、聖ブリジッドの日から5日後だったこともあり供えてあった花はすべて瑞々しい
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外壁に刻まれた聖ブリジッドの十字架(St.Brigid’s Crosses)モチーフの彫刻。2月1日にこの十字架を玄関に飾るとブリジッドの守護が受けられるという信仰がアイルランドにおいて広く分布する
その周囲や周りの木々、公園の奥に位置する井戸の近辺には多くの供え物が並ぶ。供え物の多くは治癒を望む体のパーツにまつわるものであるらしく、パンデミック後ということもあってかマスク(文脈を知らず一見すると捨てられたマスクのゴミに見える)が目立った。
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ストッキング、マスク、靴紐、靴下、スカーフ、ネックレス、供え物は様々。木から供物が落ちると祈った箇所が加護を受け、病気や外傷が治癒すると信じられている
町外れに位置するにも関わらず、絶えず入れ替わり数名の人が訪れる。
録音レコーダーをまわしながら、来訪者が途切れたタイミングで公園の全景を眺める。澄んだ小川が風を運び、もとの地形にも配慮されデザインされたと思われる、心地の良い公園である。にも関わらず、なんだか妙な感じがした。
公園の奥にある井戸と、入り口付近を流れる小川が繋がっていないのだ。地下で繋がっているのかもしれないと思い小川の上流を視線でたどっても、井戸とは90度逆の方向だ。上流は茂みの奥へと続き、その先は見えなかった。
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公園全景。撮影地点の背後に井戸がある。小川は写真左奥の茂みの方から水が流れて来ている
録音を終えると、キルデアの中心部に向かう。
中心部といっても、人口9000人に満たない小さな町だ。もとは数えられるほどのパブとカフェ、そして聖ブリジッドが設立したといわれる中規模の教会がある比較的静かな町だったが、2007年にオープンした大型アウトレットモールには隣県である首都ダブリンからも大型バスが乗り入れる。
土曜日の昼下がりに町を歩くほとんどの人が、有名ブランドのショップバッグを持ち、駅の方角へと歩いていく。
中心部にやって来たのは聖ブリジッド大聖堂(St Brigid’s Cathedral)に行くためだった。だが、この日に限ってメンテナンスのために敷地全体が閉鎖されていた。
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聖ブリジッド大聖堂、閉じられたメインエントランスのフェンスに手をつっこんで撮った写真……
アイリッシュ・ナショナル・スタッド&ガーデンズ(Irish National Stud & Gardens)に向かった。
時間が余ったらついでに行けたらいいかな、と思っていた場所だ。
競走馬の繁殖とトレーニングの場として20世紀初頭に設立され、今では市民に親しまれる広域公園としても機能するこの場所には日本庭園がある。
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1906年、ロンドンで日本趣味の骨董品店を経営し、自身も骨董商だった Tassa Eida (日本名: 飯田三郎)は、日本庭園をつくるためにキルデアに派遣され、その後の4年間を彼の息子 Minoru と共に造園に従事する。
(彼らの詳細については こちら と こちら の記事が詳しい、どちらも素晴らしくリサーチされたポスト)
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手入れの行き届いた枯山水
19世紀後半から20世紀初頭にかけてジャポニズム、つまり「日本っぽいもの」がヨーロッパで流行ると、貴族たちはこぞって「日本っぽい建築」や「日本っぽい庭園」を作りたがった。
ただし、やはりそれは「日本っぽいもの」の域を出ないものが多く、日本で生まれ育った人間が見ると、形容し難い、ちょっとした居心地の悪さのようなものを覚えるようなものが多い。
そういう類のものだろうとあまり期待せずに訪れると、良い意味でその期待を裏切られる。
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庭園の動線、ちょうどまんなかあたりにある洞窟?からの景色。右にあるのは藤棚で春にはきれいに藤の花が咲くらしい
清らかな水が美しい動線で引かれ、人が生まれてから死ぬまでを表現したその庭園は、当時イギリスで流行したエドワード様式建築の影響を受けて少しだけ華美ではあるものの、正真正銘の日本庭園だった。
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庭園の石灯籠によじ登っていた鬼。庭園にある多くの植物やオブジェクトが日本から輸入したものだが、たまにこういう西のものとも東のものとも分からないモチーフも見かけて興味深かった
町の中心部に戻ると、帰路の電車の出発まで1時間弱の時間があった。
少し散策したあと、聖ブリジッド大聖堂に戻ってくる。
地域の人だけが使う入り口とかあってそこから入れたりしないかな……などと不届きなことを考えて外壁の周りをうろついたが、それらしきものは見つからなかった。
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入り口を探っているときに外壁から見えたラウンドタワー、実際に登れるものとしてはアイルランド国内でいちばん高いらしい
しかたなくキルデア駅に向かう。
プラットフォームの椅子に座って電車を待っていると知らない女性に、どこから来たのか、と声をかけられた。
薄暗いプラットフォームで目をこらすと、大聖堂に戻る前に一瞬だけ立ち寄った、メインストリートから少し外れた場所にあった雑貨屋の店員だった。
日本から来たこと、リサーチに関すること、井戸とスタッドガーデンの方には行って、教会にどうにか入れないか模索したが結局入れなかったことを拙い英語で説明する。
すると「どっちの井戸に行ったの?」と訊ねられた。
聞き間違いかと思い、どういう意味ですか?と返すと、彼女が説明してくれた内容はこうだった。
ブリジッドの井戸はふたつあって、ひとつはおそらくあなたが行った聖ブリジッドの泉、 聖人の方のブリジッドを祀ってるところ。地元民にとってはずっと特別な場所だったけど、パンデミック中にきれいに整備されて、観光客が来たり滞在したりが以前よりも更に容易になった。
もうひとつあるのが、Wayside Well(日本語直訳: 道端の井戸)と呼ばれている場所。こっちがキリスト教伝来前のドルイド(ケルト人たちの信仰における祭司)のブリジッドを祀っていると言われている。スタッドガーデンの駐車場からすぐそばの、とても素朴な井戸で、観光客はまず行かない。
そして、聖ブリジッドの泉の公園を流れる水は、Wayside Wellが源泉。
そう、この話を初めて聞いたとき、わたしもとてもおもしろいと思った。
地味で、ほぼ地元民しか知らない、古代ブリジッドの方から湧き出た水が、キリスト教のブリジッドの方に流れていって、そしてその公園の方が立派に整備されていて、人がたくさん来る。歴史が辿ったストーリーと水の流れが同じなんて、ちょっとロマンチックだよね。
そして、あなたの旅のことも同じようにロマンチックに感じる。
日本庭園に行ったんだよね?
あそこを流れる小川の水も、同じWayside Wellから引いた水だよ。
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スタッドガーデンの日本庭園に流れる小川
水の情報記憶に関する文章を読んだことがある。
スプーン1杯の水が1TB分の情報を記録できる、という科学研究だ。
信仰が人々の普遍的な祈りを運ぶ船だと考えたとき、わたしたちは船を替えても、変わらず同じ水の上に浮かぶ。
あれこれ考えて右往左往するよりも、もっと単純に、すべては最初から土地とそこを流れる水にメモリーされていて、わたしたちはきっと、そのぼんやりとした断片にただ触れることだけができるのかもしれない。
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聖ブリジッドの泉公園を流れる小川。水がとても綺麗でクレソン?が群生していた
ふたつの井戸の話にあまりにも驚いて「そんな情報、どこにも書いてなくて全然知らなかった、道端の井戸(Wayside Well)の方にも行くべきだった」とわたしが言うと、彼女は微笑みながらこう言った。
「また来ればいいよ、水が止まることはきっとないからね」
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yuupsychedelic · 11 months
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作品集『STEP』
作品集『STEP』
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SIDE A:抽象
SEEING IS BELIEVING | Yuu Sakaoka with Young Brigade TIME FLIES | Yuu Sakaoka with Young Brigade JOURNEY | Yuu Sakaoka BLUE | Yuu Sakaoka with Young Brigade ISOLATION | Yuu Sakaoka with Young Brigade
SIDE B:現象
EDUCATION FOR | Yuu Sakaoka with Young Brigade QUIRKY GIRL | Yuu Sakaoka with Young Brigade BOSTON | Yuu Sakaoka with Young Brigade RED | Yuu Sakaoka STEP | Yuu Sakaoka
SIDE A:抽象
1.SEEING IS BELIEVING
藍色の空に白銀の雲が往く 僕たちの旅は何処へ向かうのか 名前も知らない時の流れに 人は思い悩み何度も立ち止まる
入り切らないほどに詰め込まれた ショルダーバッグを背負う少女 見知らぬ街のアパートの一室で 孤独の海に溺れそうだと声がした
何度死にたいと思ったかわからない それでも死にきれずにここにいる 君を守りたいからなんかじゃなく 何かをやりたいという気持ちがある
そう格好つけてみたはいいけど 嘘で誤魔化せるほど柔じゃない 今にも沈みそうな少女の手を掴み 引き揚げたものに身体はなし
声じゃ語れない愛がある 文字じゃ紡げない夢がある 突然表れた現実に 僕は啜り泣くしかなかった
絵画や写真のように 過去を綴じ込めておけるなら なんて楽なんだろう 僕らが描いた未来は 風に溶けていく
孤独に耐えられるほど人は強くはないけど 僕が答えを出すしかないから この宇宙に飛び込んでみるよ 百聞は一見に如かず
2.TIME FLIES
私が飛び込んだ世界は 光を浴びるだけじゃない 誰かと競い合ったり 謂れもない噂になったり それでもここで舞うのは 何者でもない自分を 抱きしめたいから
いつしか時が流れ 過去を振り返るだろうけど その時に今日を 後悔はしたくない 風のように流れる時代に 私は…… ひとりのアイドルになる
貴女が飛び込んだ世界に 私はずっと居られない やりたいことを見つけたり 未来を見つめてみたり 春になると飛ぶ鳥のように 明日に向かって 飛び立つ日がいつか来る
誰にも興味がないって 皆は私を言うけれど ほんとは大好きで 照れくさいだけ 風のように流れる時代に 私は…… ひとりの人間になる
長い髪を束ねて 純白のドレスを着た ���の姿に仲間が涙する こ��に居て良かったんだ 愛して良かったんだ
美しい月と優しき雪のコーラス そして桜舞う季節に 穏やかな波が生まれる
いつしか時が流れ 過去を振り返るだろうけど その時に今日を 後悔はしたくない 風のように流れる時代に 私は愛を探してる ひとりの人間になるため
私は…… かつてアイドルだった
3.JOURNEY
南海高野線橋本行きの 急行列車に飛び乗り 私の道はまだ見ぬ街へ繋がる
その街は西と東で姿を変え まるで時代の写し鏡みたく 何かを問いかけているようだ 過去と未来を架けながら
あくせく働いているうちに 身体が動かなくなり 先のことも考えられないまま ここを離れることになった
初めは好きになれなかったこの街も 一度歩いてみるとそんなに悪くはない
いつか故郷になるかもと 思うところはあったけど 今は自分を労いたい だから私はここを去る
人生は終わらない旅のようだと 誰かが言ってたのを聞いた 幼かった私は何も思わなかったけど なぜだか無性に胸に残るのは 無意識的に気付いていたからなのか?
南海高野線橋本行きの 急行列車に飛び乗り 私の道はまだ見ぬ街へ繋がる そう信じたあの日
情熱と愛情を携えて 私なりに頑張ってみたものの 時にはコマを振り出しに戻した方がいい ようやく覚えたのさ 程よく休むこと そして頑張りすぎないことを
4.BLUE
君のことを好きになっても 僕のことは好きじゃない
わかっているけど わからない あきらめたくても あきらめられない
恋するって不思議だね すれ違うって不思議だね 占いじゃ上手くいくって 言ってたのに
あいつのことを嫌いになっても 僕のことは嫌いじゃない
はなれたいのに はなれられない うっとうしいけど うっとうしくない
友達って不思議だね すれ違うって不思議だね サイコロ振ったら どちらも六が出たのに
君のことはどうでもいい 僕のこともどうでもいい あなたのことは気にしない 僕のことも気にしない ああ……
ある日突然 住人が消え失せて まるで気の抜けたサイダーのように 根も歯もない噂が広まる
未来予報じゃ上手くいくって 言ってたのに どうして?
5.ISOLATION
あの日、君がいなくなった いつもの公園で 今日もいつもと同じように おにぎりを頬張る
あの日、君は笑っていた いつもの表情で 今日もいつもと同じように 君に笑いかける
あの日、すべては変わった もう戻らない日々 好きな人には別れる前に ちゃんと好きって伝えよう
あの日、未来が消えた 君を見失った 月と太陽のような関係だった それでも君は僕を愛してくれていた
ISOLATION…… 君に逢いたい
もしも、君に逢えたなら いつもの挨拶しよう 抱きしめ合いながら口づけて 愛を確かめよう
もしも、君が生きてるなら いつもと違ってもいい そっと笑いかけておくれ たとえ僕が嫌いでも
もしも、時を戻せるなら 何度でもやり直す 君の傍で描いた未来を ふたりで掴み取れるように
あの日、未来が消えた 君を見失った 宇宙のどこにでも見つけに行きたい それでも僕は君を捜せない
ISOLATION…… 何か言ってよ
努力は必ず報われるって いつか君は言ったね 何も言わずに居なくなるなんて 僕は未だに信じられない
ねえ、何かしたかな? ねえ、生きてるよね? さよならくらい言わせてくれよ 最初で最後の恋人には
あの日、未来が消えた 君を見失った そんなに君が逢いたくないなら 僕も君のところへ行こう
ISOLATION…… もう耐えられない
ISOLATION…… 僕なんかいなくてもいい
SIDE B:現象
6.EDUCATION FOR
進路面談で 何も言えなくなる やりたいこと 叶えたい夢 何にも無いのだから
僕は何のために 生きてきたのだろう? 言葉にする度 無価値な自分が 情けなくなる
そんな時に君と出逢って もう一度人生を ゼロからやり直すって決めたんだ
好きなんだ 心の底から 君が好きなんだ 好きなんだ どうしようもなく 君が好きなんだ
学校じゃ教わらない 恋する気持ちの瑞々しさ 遥かなる未来へ 今僕は君と夢を見る
進路面談で 記した未来図は やりたいこと 叶えたい夢 恋人と同じように行く
そんな時に君と別れて また空っぽになって ほんとうに大切なことを見つけたんだ
好きだった 心の底から 君が好きだった 好きだった どうしようもなく 君が好きだった
学校じゃ教わらない 失恋後の涙の味 遥かなる未来へ 今僕は君を越えて 再び夢を見る
明日なき未来と絶望した夜をいくつも越えて どんな挫折にも耐えられる 小さくてもしなやかな花をここに咲かせた 君という季節に出逢って
愛してた 心の底から 君を愛してた 愛してた どうしようもなく 君を愛してた
いつの日か 君に逢えたら 語り合いたい 青春の季節 君のおかげで 僕は強くなれた
学校じゃ教わらない 切なさというラブストーリー 遥かなる未来へ 君と見た夢のつづきは 今度こそ叶えるよ 三度目の偶然から始まる
7.QUIRKY GIRL
声をかけられるのが怖くて 何度無視しただろう それでも話しかけてくれたよね 君のこと…… 正直最初はどうでも良かったけど 今は感謝してる
結局付き合えなかったし 告白も出来なかったけれども 君と過ごした夏を今でも忘れられない 何故だろう…… 振り返るたびに涙が止まらなくて 君の面影を追いかけている
還らない日々よ 戻らない時よ さよならの先にあったはずの明日が 誰も知らない夜に溶けていく
普段は格好つけてるのに 意外と甘えん坊なところとか 何も言わないと凛としてるのに 話すと可愛いところとか いろんな一面を知っていくうちに 他人を初めて信頼した
君と過ごした青春の日々が 今でも忘れられない その手をもし掴んでいたのなら ひょっとしたら止められたかもしれない わがままばかり言ってごめん でも君といることが僕の生き甲斐だった
還らない日々よ 戻らない時よ 読まれずに返ってくる手紙が 僕たちの夢を溶かしていく
僕がほんの少しだけ 意気地なしじゃなければ 君は海を渡らなかったのかな 他の誰かと結ばれなかったのかな
いや違うよ アンタが私に惹かれた時点で その恋は終わってたんだ
8.BOSTON
近所の公園をひとりで走る朝 なぜ私は走っているのって もう一人の自分が囁く そんなこと考えたこともなかった ふと足を止めてみた
周りを見渡すと 子供連れにサラリーマン 同世代らしき人もいる がむしゃらに夢を追いかけてきたけど 一番にはなれなかった
笑顔も涙も 人生はきっと半分こ そう思うほど 今の私がつらくなる
それでも…… やらなきゃいけないと思うより なりたい自分のために 今日を生きるんだ
初めの頃は完走もできなかった 仲間が走り切るのを見ていると 逃げ出したくもなる それでも走り続けられたのは 私に夢があったから
振り返ってみると まるで衝動的なもの 気が付けば走っていた 運命のように夢を追いかけてきて 今日の私がいる
笑顔も涙も 人生はきっと半分こ 負けるたびに 今の私がつらくなる
それでも…… いつか一番になれると信じて なりたい自分のために 明日を描くんだ
笑顔も涙も 人生はきっと半分こ 今ずっと雨が降っているなら いつか晴れる日が来る
笑顔も涙も 人生はきっと半分こ 躓いたら立ち上がれたらいい 何度でもやり直せばいい
それでも…… やるって決めたことだから この夢がすべてだから 未来を信じるんだ ここで今日も走るんだ
9.RED
私は何のために生きているのかと 時々考えるんだ 言葉にならない想いの数々 いくつも捨ててきた
こうして立ち止まってみて やっと気付いたんだ やりたいことはいくつもあったのに 見ないふりをしていただけ
今本当にやりたいことは何かと 言われても理解らない 自分の感情に蓋をするうちに 私がわからなくなる
溢れくる感情の波に 押しつぶされてしまいそうだ それでも明日をきちんと選ぶため ここからやり直すと決めた
潮の満ち引きのように いつか来るその日を信じて 私なりにまっすぐ これからも歩いていこう
From the Past to the Future…… 過去は過去でしかない 今日という日を夢中で生きること 私にはそれしか出来ないから
潮の満ち引きのように いつか来るその日を信じて 私なりにまっすぐ これからも歩いていこう 人生を描こう
10.STEP
夢を持てとか、恋をしろとか、誰かに散々言われた。しかし、私には夢は大きすぎ、逆に恋は小さすぎる。それが何故かを考えたことはない。けれども、答えを出そうとも思えない。今の社会は言語化とか具現化とか、知らない英単語や新しい単語で何かに答えを出そうとするが、ごく個人的な思想にまで名前を付けようとする行為に対して、私は御託を奉ることを拒否しようと思う。ここでは、あえて真実を述べよう。誰かを好きになっても、愛した経験はない。人を愛せないし、愛せるほど信頼できないのだ。
それでも、信頼という名の糸が解れ切ってはいないのは、愛にわずかな希望を抱いているから。こんなに愛せるものがあるのに、人にだけ愛を抱けないなんて、おかしいと思うからである。この度のことでよく解った。自分から声をかけるのが極端に苦手な私は、ずっと他人の手を拒み続けていた。いや、顧みることすらもしようとしなかった。今ならわかる。なんて愚かなんだろうと。青空ばかりを見つめて、目の前の小さな段差に躓く。これが私だとしたら、滑稽にすら見える。淋しいといったら、嘘になる。ただ、その淋しささえも当たり前のように受け入れて、淋しいとすらも感じなかった。だから、時々とめどなく流れる涙を受け入れないまま、他人に心配をかけないように拭い去っていく。淋しい。淋しい。淋しいのに、気丈なふりをするのに疲れ切ってしまった。同世代の友人はもうこの世を去っている。
人生を語るほど成熟していないが、若者を心の底から謳歌するには、少し老成し過ぎてしまったのではないか。まるで隠居のように、自分自身を形容することがある。何が起きても驚かず、新しいことに踏み出せない。今を守ることで精一杯で、なんとか今を生きるために藻搔いてはいるが、ライフジャケットもいつかは破れる。ジェームズ・メイが夢の中で言っていたけれども、ライフジャケットは浮くためのもので、ジョーズやピラニアと戦うための武器ではない。ほら、すでに沈みかけているだろう?
それでも、私は人を信頼してみようと思う。信頼することを、諦めないでいようと思う。まだ諦めるには早すぎるし、裏切りなんてよくあること。人生で起こることの半分以上は、そこにいる自分のせいらしい。すなわち、私の身の振り方次第で、周囲がちょっとだけ幸せになったり、不幸になったりする。とはいえ、あまり深刻に考えすぎる必要はない。
赤ちゃん、幼児、児童、生徒、学生、青年、壮年、老年という人生の階段を登っていく中で、今はほんの少し立ち止まっているだけに過ぎない。
それでも、私には夢があり、好きな人がいる。過ぎた季節も、別れた友や恋人も、すべて私の人生。いつの日か、頑張れなくても、頑張らなくてはならない時が来る。まだ見ぬ朝が来る日まで、折れた翼を縫合する作業を続けよう。青春のままでいよう。
生まれ変わっても私になるのだ。きっと。
作品集『STEP』クレジット
Produced by Yuu Sakaoka
Written by Yuu Sakaoka with The Young Brigade(Except A-3,B-4,B-5) Written by Yuu Sakaoka(A-3,B-4,B-5) Co-Written by Sakura Ogawa(A-1)
Drafted by Sakura Ogawa(A-1,A-4,B-1) TORIMOMO(A-2,B-2) Yurine(A-5,B-3)
Dedicated to Asuka Saito(A-2) Takuro Yoshida「Apple」(A-4) Tahi Saihate(B-5)
Designed / Edited by Yuu Sakaoka
Written / Edited at KS206-L, Sakura Ogawa Studio, Yuu Sakaoka Studio, UMEDA STARBUCKS
Respect to KAZUMI YASUI, TAKURO YOSHIDA, OSAMI OKAMOTO, SHINICHI ISHIHARA, TOSHIHIKO TAKAMIZAWA
Very very very thanks to my friend, my family, and all my fan!!
2023.6.7 坂岡 優
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565062604540 · 2 years
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「おじちゃん、ごはんできたよ」 「おー、いま行くー」  台所から呼びかけると、全身汗だくになったおじちゃんが現れた。 「……先にシャワー浴びてきて」 「いやー、効くわー。いい筋トレだったー」  満足げに唸りながら、おじちゃんがお風呂場へと向かった。  ゆゆたちの旅が終わってから3年、いろいろなことが変わった。  アパートを借りた。ちゃんとゆゆの個室もあるアパートだ。おじちゃんはもちろん就職した。残業も多いけど、がんばってる。あとは筋トレが趣味になった。いまのおじちゃんは、だれが見ても細マッチョと呼ぶような体型になっている。 「さっぱりしたー。お、生姜焼きか」 「うん」 「前からゆゆちゃん賢いなーとは思ってたけど、なにやってもほんとにソツがないっていうか……」 「そうでもないよ。食べよ」 「ああ、今日もゆゆちゃんの手料理が食べられるという夢のような現実に感謝して、いただきます」 「……おじちゃん、おおげさ」 「いやまじで。ゆゆちゃんと出会う運命を俺にくれた神様とかいたら、まちがいなく感謝のあまり入信する」 「お金かからないならいいよ」  おじちゃんは、ちょっとばかっぽくなったと思う。  ゆゆは、あの家を出て、おじちゃんと一緒に過ごすようになってからの日々は、すべて覚えている。ゆゆと出会ったころのおじちゃんは、もうちょっと薄暗いような感じのする人だったと思う。 「実際、思うんだよな。もうちょっと俺の給料がよくなって、定時で上がれるようになって、ちょっとでも長くゆゆちゃんと一緒にいられるようになったらって」  豚肉の生姜焼きを頬張りながら、おじちゃんが言う。 「それは、ゆゆも思うけど……」 「だろ? 俺は24時間ゆゆちゃんと一緒にいて、ようやくゆゆちゃん成分が100なんだ。人生が減点法だ。つらい……」 「はいはい。野菜もちゃんと食べようね」 「ゆゆちゃんが、ママみを……!」  やっぱり、おじちゃんはちょっとばかっぽくなってる気がする。  もちろん、ゆゆだって変わった。  身長はあまり伸びなかったけど、家事はけっこう覚えた。ゆゆは、本を読んだりする以外の趣味があまりないので、部活とかも興味ない。それくらいなら、おじちゃんが喜んでくれることをしたほうがいい。  なにより――。 「おはよっす、ゆゆ」 「おはよ、望海」  名前で呼びあうような友だちができた。  三野望海。クラスでも背が高いほうで、大人びて見える。いつも背負っているギターのケースが望海の目印だ。 「今日もあいかわらず目立つなあ、その髪」 「いいかげん見慣れない?」 「一緒にいると忘れるんだけど、毎朝驚きなおす。つーかゆゆだってそうじゃない? 鏡見たら、すごい美少女がいるとかびびらない?」 「わたし、ナルシストに見えるんだ……」 「いや、見えないけど」  望海は、裏表がない。考えてることをそのまましゃべる。それは、ゆゆにとって救いだ。 「いやー、はじめてゆゆのこと見た日を思い出すよ」 「どんな感じだった?」 「……いつだっけ?」  そして望海は雑だった。 「2年になってからのどこかだと思うけど」 「あー、そうだ。思い出した。てゆうか話だけは1年のときから聞いてたんだよ。2組にすっげー美少女がいるって」 「で、実際に話してみたら?」 「性格悪そうだった」 「雑な人に言われたくないんだけど」 「やー、だってさあ、警戒心バリバリで外面だったろ。あんなのにころっと騙される男子の頭のなか、見てみたいわ」  確かに、1年のときは友だちができなかった。小学校の延長みたいな感じで、ゆゆは、触れちゃいけないもののような扱いだった。そのくせ、男子はからかってくる。ゆゆからみれば、気を引きたいだけなのはすぐにわかったから、けっこういらいらした。 「でもまあ、いまでもあたし以外の相手に対しては、微妙だよな、ゆゆ」 「いろいろあるの」 「……まあなあ」  ため息をつぎながら、望海はうなずいた。  教室にゆゆが入ると、雰囲気が変わる。  特に男子だ。毎日のことなので、そろそろ慣れてもいいようなものだけど、いまだに教室に入る前には心が身構える。  中学生は子供だ。特に男子はそうだ。だから、隠すことを知らない。好奇心や好意、あるいは性欲に近いもの。  ゆゆは、おじちゃんのものだから、そういうのには特に鋭敏になる。視線だけでも、触れられたくない。  それに気がつかないふりをしながら、席へと向かう。  望海とゆゆの席は前後に並んでいる。 「うわ、まただ」  席に座ると、望海がうんざりした表情で言った。 「なに?」 「これ」  きたないものでもつまむように、封筒を見せてきた。 「ああ……今年、何通目?」 「4。ちなみにゆゆが5」 「数えてたんだ……」 「数字で負けて嬉しい勝負っていうのも珍しい」  視線が集まるのは、ゆゆのせいばかりでもない。  望海はギターのプレー動画でそこそこ有名だ。お兄さんの影響で、物心つく前からギターをいじっていた。望海のプレー動画のセレクトは実に渋いらしい。 『だいたい一発目の動画がアンジーだろ? JCがアンジー! 天国でポール・サイモンも号泣してるよ!』  おじちゃんがかなり興奮しながら言ってた。おじちゃんの聞く音楽は、眠くなるようなものばかりで、ゆゆにはよくわからない。でも調べてみたら、ポール・サイモンという人はまだ生きてる。  おじちゃんはゆゆ経由でその動画を知ったわけではなく、自力で見つけた。 『その人、ゆゆの友だち』  そう言ったときのおじちゃんの反応はすごかった。 『ゆゆちゃん、一度でいい、一度でいいから、その子と会わせてくれないか! そして目の前で、あの動画の、スティーヴィー・レイ・ヴォーンのリトルウィングのイントロを……!!』 『……やだ』  ゆゆは心が狭い。  おじちゃんはきっと音楽が好きなだけだし、それに小さい子が好きだから、望海みたいなのは趣味じゃないと思う。でも、おじちゃんが望海に笑顔を向けているのを想像しただけで、いやな気分になる。 「……望海は、だれかとつきあったりしないの?」 「え、冗談。ギターの練習時間減る」  もっとも、当の望海がこんな感じだ。  というわけで、だれだかしらないけど、手紙の人も脈はない。  望海が前を向いて、手紙を机にしまったので、この話も終わりかな、と思ったときだった。  わっと、教室の一部がざわついた。  いつも騒いでいる男子の集団だ。そのなかには、1年のときにゆゆに頻繁にいじわるなことをしてきた人も混じっている。 「まじかよ! おまえ柾みたいなのがいいの!?」  その声が、やけにはっきりと教室に響いた。  そして、教室がしんとなった。  それから小声で『やめろって』と小さく、別の男子の声がした。  視線がゆゆに集まる。  望海が、前を向いたまま、手だけ伸ばしてきて、ゆゆの机をとんとんと軽く叩きつつ言った。 「あー、その、気にすんな」 「うん。ぜんぜん気にしてない」 「館林も報われないな……」 「……?」  なぜその人が関係あるのだろう。  でもまあ、よくあることだ。  それは望海もわかっていることだからか、それ以上はなにも言ってこなかった。  放課後。  望海はたいてい、そのままスタジオへ向かう��お兄さんはプロで、自分のスタジオを持っている。望海はそこで練習をしたり動画を撮影したりする。  ゆゆは、買いものを終えて、スーパーと家の中間あたりにある公園で、休んでいる。お米が安かった。袋が手に食い込んで痛かったので、休憩だ。  いまは、月5万の食費を預かって、ゆゆがほとんどの買いものをしている。実際にはそんなにかからないので、余ったぶんは貯金だ。  おじちゃんは、無駄遣いはいっさいしないんだけど、ゆゆが絡むととつぜんダメになる。買いもののたびに甘いものを買ってくる。食べないわけにもいかなくて、ゆゆは少し太った。それをおじちゃんが喜ぶので、とてもたちが悪い。おじちゃんがうれしそうにおなかをなでると、太ってもいいかな、と思ってしまうのがこわい。  実際にやってみると、ゆゆは買いものがけっこう好きだったみたいだ。予算を決めるのもおもしろいし、つくるものを考えるのも楽しい。でも、重たいものはつらい。ゆゆは、力がない。 「やっぱり週末まで待って、おじちゃんと行けばよかったかな……」  家までの道のりを考えて、ちょっとうんざりする。でも、いつものお米が500円安いのは大きい。 「……ゆっくり休んでこ」  そう決めた。  夏というには空気が乾いていて、秋というには日差しが強い。  この公園は、休憩によく使う。  ゆゆの外見は目立つ。おかしな人が寄ってくることがある。その点、この公園は子供がよく遊んでいるし、それを見守るママさんたちがいる。  子供が噴水のまわりではしゃいでいる。小2か小3か。  ちょうど、ゆゆがおじちゃんと出会ったころと同じくらいだ。  あの年のころ、ゆゆはおじちゃんとセックスをしていた。  おじちゃんは、あんな小さな子供に、興奮していた。 「……」  お米の写真をとった。それを梅子さんに送る。『お米が安かったです。でも重たい』と添えて。  梅子さんとは、いまでも頻繁にLINEのやりとりをしている。学校のことで相談すると、おじちゃんは心配する。そんなとき、相談相手として梅子さんはとても頼りになる。  すぐに返信があった。 『あらあら。お米なんてもらうものよ?』  あのへんならそうかも。  旅の途中で寄った、田舎の自動車修理工場。田んぼのまんなかにあった。あのとき、ゆゆは田んぼからお米ができることすら知らなかった。  おじちゃんとの長い旅を思い出すと、いまでもゆゆは、ちょっと泣きそうになる。  道が、どこまでも続いているということ。  外には、いろんな色があふれていて、たくさんの人間がいて、それは、ゆゆをつくったあの大人たちのようではない人も、いっぱいいるということ。  世界は、どこまでも広いのだということ。  ゆゆはまだ中2だ。でも、わかる。きっとゆゆは、あの日々のことをずっと覚えてる。何度も、何度も思い出す。  とつぜん、ぜんぶがわかった、旅の終わりの青空とともに。 『10月くらいになったら、新米を30キロか40キロくらい送るわね』  梅子さんから追加のメッセージがあった。  うれしい。  おじちゃん、どんどんごはんたくさん食べるようになってきたから。  お礼のメッセージを送って、立ち上がろうとしたときだった。  背後で、自転車のブレーキの音がした。  振り返ると、ゆゆの学校の制服を着た男子が、驚いたようにゆゆを見ていた。 「柾……?」 「館林くん……」  館林なんとかくん。名前は知らない。  背が高い。顔も整ってる。勉強もできる。性格もいい。サッカー部で有名らしい。本人に興味がなくても、この程度の噂は聞こえてくる。それが、ゆゆの隣に座っている。  逃げそこねた、という気分が強い。  そもそも、ゆゆは同じベンチに座っていいなんて許可を出してない。 「えっと、ごめんな、柾」 「なにが?」 「ほら、朝の教室で……」 「……」  思い出すまで、ちょっと時間がかかった。  1年のとき同じクラスだった、名前も覚えていない男子が、なにかくだらないことをいったことだ。  ……そっか。ようやくつながった。  あのとき『やめろ』と小声で言ったのが館林くんか。 「あのさ、あれなんだよ。吉見のやつがさ、どういうタイプが好みだ、なんて話をしてて」  あの男子、そんな名前だったっけ。まあいいや、どうせすぐ忘れる。 「で、俺が、柾って答えて、それで……」  予感が当たった。  というより、隣に座ったときから、態度でわかってた。 「あのさ! それで、その……俺って、柾のこと、好きなんだけど……」  ちらりと、横目で様子を窺う。  顔が真っ赤だ。膝の上で組んだ手は、すごく力が入ってるっぽくて、ちょっと震えている。  きっと、とてもまっすぐな人なのだろう。  悪い噂を聞いたことがない。  人が、なにかを隠してゆゆを見るときの、あの気持ち悪さを、この人からは感じない。  ゆゆは、不思議だ。  ゆゆは、おじちゃんのことが好きだ。ゆゆのぜんぶは、おじちゃんのものだ。おじちゃんといると幸せだ。ほかになにも考えなくていい。おじちゃんを好きで、おじちゃんに守られて、おじちゃんと抱き合って、それだけでゆゆは幸せになれる。  かつてママと呼んでいたあの人が呪いのように言っていた。ゆゆの体はいんらんにできていると。ゆゆはきもちいいのが好きだ。おじちゃんにさわられると、きもちよくなって、ほかのすべてがどうでもよくなる。それですらも、おじちゃんは受け入れてくれる。  そこに、不安やゆらぎはない。  きっとこの人は知らない。ゆゆの体が、いやらしくできていることを。  だから、こんなにまっすぐでいられる。 「……ごめんね」 「柾……」 「わたし、ほかに好きな人がいるから」 「だれ……って、これ聞くのは、ダメだよな」 「うん。聞かないでくれるとうれしい」 「そっか、わかった」  そう言って、館林くんは立ち上がる。 「ごめんな、変なこと言っちゃって」 「ううん」 「それじゃ、学校で!」  きっぱりと言って、館林くんは、立ち去った。  いい人なんだと思う。  ゆゆのことを知らなくて、でも好きになって、恋焦がれて、勇気を出して告白して。断られたら、ちゃんと飲み込む。  それは、どんな気分なんだろう。 「……かえろ」  つぶやいて、立ち上がる。  わっと、滑り台のほうから子供たちの歓声が上がる。  あの子たちは、なにも知らない。恋も、セックスも。まだなにも知らなくて、お母さんに見守られて、いまを生きている。  お米が重たい。  やっぱり、買うんじゃなかった。  家に帰って、冷蔵庫にしまうものをしまって、お米は床に置いたままにして、自分の部屋に入った。  制服を着替えるのもめんどうで、そのままベッドにどさりと横になった。  どろどろする。  ゆゆのなかには、なにか、たくさんのどろどろしたものがある。  こんなときは、そのどろどろが体を駆け巡って、身動きするだけで、破裂しそうになる。きっと、心臓を切り裂けば、このどろどろは排出できる。できない解決法のかわりに、ゆゆはもっと有効な方法を知っている。 「おじちゃん……」  ごつごつした腕が、ゆゆを抱きしめる。  おじちゃんに抱かれて、おじちゃんのにおいを感じるだけで、ゆゆはすぐにいやらしくなる。ゆゆの体は、ぜんぶおじちゃんのおちんぽのための道具だ。かちかちに勃起したおちんぽを押し付けられて、ゆゆはうれしくなる。ゆゆの体で、おじちゃんが興奮している。  口に指を3本入れる。  おじちゃんのちんぽは、蒸れたにおいがする。ゆゆは、そのおちんぽを口に入れられると、自分が道具になったんだと感じる。ゆゆはいやらしくなっていい。おまんこのことだけ考えてればいい。 「おじちゃん、おちんぽ、じゅぷじゅぷ……」  頭を押さえつけられて、おじちゃんの大きなおちんぽが口に入る。ふだんは過保護なくらいのおじちゃんが、ゆゆの頭を乱暴に揺する。ゆゆは、気持ちよくなりたくておまんこをいじる。  いんらんなおまんこ。  もう、べちょべちょだ。  おじちゃんは、洗ってないゆゆのおまんこのにおいが大好きだ。いつも、せがまれる。おちんぽをがちがちにして、ゆゆの足のあいだに顔をくっつけて、ぱんつの上からいっぱいにおいをかぐ。  ぱんつを下ろしたおじちゃんは、ゆゆのおまんこの写真をとる。  おじちゃんは、ゆゆのおまんこに執着している。その執着が、おじちゃんのおちんぽをがちがちにしてる。  あれが、ゆゆのおまんこに入る。 「ああ……おじちゃん……ゆゆのおまんこ、ひろげて……奥まで、ぎゅーって……」  指を一本入れる。  ぜんぜん足りない。  二本でも無理。  おじちゃんのおちんぽは、ゆゆのおまんこにむりやり入ってきて、奥までぎゅうぎゅう押し付けてくる。おなかまで貫かれて、おちんぽが、直接、頭にきもちよさを叩き込んでくる感じがする。 「おじちゃん……おじちゃん……はやく……おじちゃん……」  ゆゆを見て。  ゆゆにかわいいって言って。  ゆゆがほしいって言って。  ゆゆのおまんこ、犯して。  ゆゆのこと、こわして。 「ただいまー。早上がりできたぞー! って、あれ、ゆゆちゃん?」  とつぜんのおじちゃんの声に、びくんっと体が跳ねる。  え、なんで?  まだ5時前。 「……」  ああ、でも。  帰ってきた。  おじちゃんがほしい。おじちゃんにしてほしい。  ゆゆは、いんらんだから。 「おじちゃん、ゆゆ、部屋にいるよ。来て」  ゆゆは、制服のスカートをめくって、おじちゃんが入ってくるのを待った。 ☆  俺の仕事は時間が不規則だ。基本的には9時5時なのだが、終わりのほうは適当極まりない。  ゆゆちゃんが、お留守番をするのにあまり抵抗がないからどうにかなっているようなものだ。それでも負担はかけていると思う。仕事のスキルが上がったら、在宅という選択肢をとれるかもしれない。  しかし、適当というのはありがたい面もあって、特になにもない日は定時前に上がれたりする。まあ厚生年金あるとはいえ、時給だからな。  そんなわけで、今日はケーキを買って帰った。 「ただいまー。早上がりできたぞー! って、あれ、ゆゆちゃん?」  ゆゆちゃんが見当たらない。  靴はある。  トイレかな。  首をかしげていると、声が聞こえた。 「おじちゃん、ゆゆ、部屋にいるよ。来て」 「入っちゃっていいの?」 「うん」  肉体関係があるからこそ、プライベートには気をつかう。俺は、ゆゆちゃんに部屋には勝手に入らないことにしている。  ドアを開けた。  そこに、衝撃的な光景が広がっていた。  制服のスカートをめくって、ぱんつを脱いだゆゆちゃんがいた。  ドアから差し込む光で、ゆゆちゃんのおまんこや太もものあたりが濡れているのがわかった。 「えっと……ゆゆちゃん、一人でしてたの?」  いきなりすぎて、頭がついていかない。  ゆゆちゃんは、基本的に生活を俺に合わせている。えっちなことをするときでも、無理強いはしてこない。  もちろん、ゆゆちゃん相手なら、24時間営業の俺ではあるが……。  ゆゆちゃんが、俺に近づいてきた。そして、俺の手をつかんで、股間へと導く。  にちゃ、と濡れた感触がした。  すでにすっかり出来上がった顔で、俺の指をおまんこにこすりつけながら、ゆゆちゃんが言った。 「あのね、ゆゆ、告白されちゃった」 「……え」 「かっこいい男子。ゆゆのこと、好きなんだって」 「……!」  一瞬、ざわっと嫉妬が体を駆け巡った。  ゆゆちゃんには言わないが、それは常に俺が危惧していることだ。  俺なんかより。  小さなゆゆちゃんに性的なことをしたロリコンの俺なんかより。  もっとふさわしい相手がいるのではないか。 「ゆゆね、断ったよ?」 「……そっか」 「ほっとした?」 「ああ」  そう答えつつも、なにかがおかしいと感じる。  これだけかわいいゆゆちゃんだ。過去にも何度か、告白されたという話は聞いたことがある。けれど、こうやって俺を煽るような物言いはしなかった。 「……ゆゆちゃんは、どうしてほしい?」 「ゆゆはね……」  そう言って、俺の指をつかんで、自分のおまんこへと押し込んだ。  にゅるりと、指が簡単に入ってしまう。 「ここに、おちんぽ入れてほしいな」 「わかった」  すべての予定は後回しだ。  ゆゆちゃんに告白したという、その男の記憶ごと、かきだしてやる。  制服姿のゆゆちゃんとエッチなことをするのは、初めてだ。  立ったまま、スカートをめくり上げているゆゆちゃんの前に座る。 「おじちゃん、ゆゆのおまんこ、好き……?」 「ああ、大好きだよ……」  ゆゆちゃんのおまんこは、すでにべちょべちょになっている。  鼻につんとくるような蒸れたにおい。そこに性的なにおいが混じり合って、いつもより濃いにおいがする。 「かわいい。ゆゆちゃんのおまんこ」 「なめて、おじちゃん。ゆゆのすけべまんこ、はやくなめて」  すでにオナニーをしていたせいか、ゆゆちゃんはふだんより性急だ。  リクエストにお応えして、ゆゆちゃんのおまんこにしゃぶりつく。 「ふぁっ」  ゆゆちゃんが、甲高い声を上げる。  たまらない。この味。このにおい。ゆゆちゃんのいやらしい液体で感覚器官が満たされていく。  成長につれ、ゆゆちゃんのおまんこはどんどんいやらしくなってくる。中学に入る少し前から、毛がはえはじめた。ワレメが開いて、執拗にいじったクリトリスは、少しいじるだけで、すぐに顔を覗かせる。  ゆゆちゃんのマン毛は、髪よりも少し色が濃い。まだぽやぽやとしてかろうじてつまめる程度だが、それでもエロい。 「ゆゆちゃん、なにを考えておまんこいじってたの?」 「おじちゃんのこと、おじちゃんのおちんぽ、ゆゆの口に入ってきて、ゆゆ、うれしくなって、おまんこ、ぐちゃぐちゃになっちゃった……っ」 「それで、こんなにクリトリスが勃起してるんだ」  そう言って、俺は舌でクリトリスを押し込む。 「んああっ」  がくんと、ゆゆちゃんの膝が抜けそうになる。  体を支えつつ、かまわずゆゆちゃんの先端を刺激しつづける。唇で挟んで、ぷるんと弾くようにする。同時に、指をおまんこに差し込んで出し入れする。 「んあっ、あああっ、ゆゆっ、だめぇっ、ゆゆ、すぐっ、ぅあっ」  俺の頭を掴んでぎゅーっと自分の股間に押し付けるゆゆちゃん。  がくがくと膝が震える。とどめとばかりに、差し込んで指を、くいっと動かす。 「うあんっっ、っはぁ、はぁ……んぅぅ……」 「あっという間だったね、ゆゆちゃん」 「だって、おまんこ、ずっと待ってたんだもん……っくっ」  指をおまんこから引き抜く。それにあわせて、どろりとした液体がおまんこからあふれる。  興奮したゆゆちゃんのおまんこは、さっきより開いて、陰唇が少しはみ出していた。  じゅるじゅると音を立てて、ゆゆちゃんのおまんこを吸った。 「やぁ……やっ、おじちゃん、おちんぽ……はやくぅ……ゆゆのおまんこ、うめて……」  ベッドに移動する。  ゆゆちゃんは、制服を着たままだ。 「脱がなくていいの?」 「明日、休みだし、洗濯するから……おじちゃん、制服のままじゃ、いや?」 「そんなわけない」  自分でも少し意外だった。俺は、基本的に全裸のほうが興奮する。ゆゆちゃんの体は、どこもエロい。特に、胸のふくらみに対して発達しすぎた乳首はたまらなくエロい。ここが性感帯だと、その大きさで主張している。  けど、これはこれで興奮する。 「……いつも、学校でこれ着てるんだよね?」 「うん」 「じゃあゆゆちゃんは、学校にいるときも思い出すんだね。俺にチンポ入れられたって」 「うん……ゆゆ、思い出すよ……クラスの男子と話してるときでも、おじちゃんのおちんぽのこと考えるの……クラスでも、いちばんちっちゃいほうのゆゆが、毎日、毎日、おまんこにおちんぽ入れられてるの、だれも知らない……でも、ゆゆは、制服の下に、すけべなおまんこ、隠してるの……」  そう言いながら、ゆゆちゃんは制服のスカートをめくった。  そして、両足を自分で抱えて、おまんこを丸見えにする。 「おじちゃん、ゆゆのおまんこ、好き?」 「ああ。好きだよ。いやらしい形になった。それに、おまんこだけじゃなくて、おしりの穴もひくひくしてるよ」 「だって……おちんぽ入れてもらえるって思ったら、おまんこも、おしりも、勝手にひくひくするの……」 「ゆゆちゃん……」  かわいい。  エロくて、かわいい。  俺のものだ。  このおまんこも、おしりの穴も、すっかりとろけた表情も、すべて、俺のものだ。  たまらなくなって、ゆゆちゃんのとろけたおまんこにキスをする。にちゃりと音がして、やわらかく溶けている。 「んぅっ、やぁ、おちんぽっ、おちんぽがいいっ」 「もちろん」  俺も下だけ着衣を脱いで、モノをさらけだす。  すでにとろんと半目になっているゆゆちゃんが、足を支えるのをやめて、俺のモノに手を伸ばす。 「おじちゃん、おまんこに、おちんぽ刺して?」 「ああ」  足を押し開いて、ゆゆちゃんのおまんこにモノをあてがう。  そのまま腰を押し込むと、にゅるりと、モノが飲み込まれた。 「んあっ、あっ、おちんぽっ、おちんぽっ、やっ、んあっ、すきっ、おちんぽっ、じゅぽじゅぽっ」 「くっ……ああ、ゆゆちゃん……!」  ゆゆちゃんの乱れかたは、いつもより激しかった。  首を激しく左右に振る、いやいやをするような動作は、いつも挿入終盤でないと出てこない。今日は、挿入して間もなくからそれが出ている。 「ゆゆちゃんっ、腰っ、浮いてる……っ」 「やぁっ、だって、おちんぽっ、ほしいのっ、いちばん奥までっ、おじちゃんの、おじちゃんのぉっ、ゆゆ、ぐちゃぐちゃ、ああっ、おまんこ、すきっ、きもちいいっっ」  俺が挿入するリズムとは無関係に、腰が浮いて、がくりと落ちる。成長してもなお小さな体。小さなおしり。それが俺を求めてうごめいている。 「ゆゆちゃんっ」 「おじちゃんっ、すきっ」  不規則にぎゅうぎゅうとおまんこが締め付けてくる。それもやばい。 「ごめん、ゆゆちゃん、もちそうにっ、ないっ」 「いいよっ、ゆゆ、さっきからずっとっ、んあっ、なってる、からぁぁ、ゆゆっ、いつでもっ、せーし、まってるぅぅ、っ、おまんこ、せーしでいっぱい、してっ、してぇぇっ」 「ゆゆちゃんっ」  背筋にぞくぞくと寒気が走る。  ゆゆちゃんの小さなおしりを、がっちりと両手でホールドする。 「出るっっ」 「んあっっっ」  ぎゅうっと、これまででいちばんきつい締め付けに、チンポが搾り取られる。 「くっ……すご……」 「ああああっ、あがっ」  ゆゆちゃんの体が弓なりにのけぞる。  手が、なにかを掴むように虚空をさまよう。  最後の一滴まで出し切って、ゆゆちゃんを抱きしめた。 「んあぁぁ……おじちゃぁぁん……はぁっ、あぁぁ……」  射精を終えても、ゆゆちゃんを抱きしめ続ける。  余韻が続いているあいだは抜かない。深くイッたとき、ゆゆちゃんの余韻は数分も続く。ゆゆちゃんのことはいつでも愛しいけど、このときは、特別にゆゆちゃんに強い愛情を感じる。 「……ふ、ふぅ……も、へーき……」 「抜くよ?」  体を離して、にゅぽん、というような感触を覚えつつ、チンポを抜く。 「んっ……」  ゆゆちゃんが一瞬、震える。  そんなゆゆちゃんの唇に、一度キスをしてから、後処理をすべく、ティッシュを探す。 「はい、おじちゃん」  近くにあったのか、ゆゆちゃんが箱を手渡してくれた。  拭き取ろうと思って、ゆゆちゃんの足を軽く開いた俺は、そこでぎょっとした。 「……どうしたの、おじちゃん」 「血が……」 「え?」  体を起こして、ゆゆちゃんが自分の股間を覗き込む。 「ほんとだ……」  「激しくしすぎた……?」  いまさら俺が言えた義理ではないが、ゆゆちゃんの体を傷つけることは本意じゃない。今日は、いつもより深くまで押し付けた自覚もある。 「……たぶん、そういうのじゃないと思う。ゆゆ、どこも痛くない」 「じゃあ……」  と、二人して考え込み、そしてほぼ同時に気づいた。  ほかの子より発達が遅いゆゆちゃんにまだ来ていなくて、そしてこの時期に出血する可能性がある出来事。 「ゆゆ、初潮……来た……?」
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bloodthirsty-world · 2 years
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I LOVE PUNK
Angel
僅かに残された女達
フランス系の彼女
悲しい表情をした人
うそつきと云う名の男
パパ
僕から愛した貴女
Mother Mary
無邪気な子供達
国民の顔を持つ利権集団
選ばれた子供達
あてもなく手探りで歩き始める彼女
見守るだけの僕
あの民���
聖なる者
米軍パイロットを気取ったアイツ
ヴィンテージマニアのアイツ
Billy The Kid
素敵な家へ帰るお嬢さん
ポスターの男
大人になりたくなかった僕
腐った大人達
ママ
ロマンチストな彼女
N氏
Thank Youとしか喋れないアメリカ人
宇宙飛行士
三流映画の主人公
しわくちゃな口の政治家
変わり者
友達
大事なママと妹
ボスらしき男
No.69と云う名のヒットマン
“母の愛”で包まれ“父の想い”で満たされ“仲間の声“で安らぐお前
与えた運命を間違えた神様
Sid Vicious
愛した人
パンクス気取ってたあの頃の俺
神様に会った奴
駄目なサラリーマン
JOKER
ブーツを咥えた猫
おじいさん
フライパン片手の女
湖をボートで進む恋人達
誰かの幸せを祈る少女
10年後の自分
黒人の子供
パラノイア
血を流す少年の母親
真っ白な手の平の彼
街ではしゃぐ悪ガキ達
青い瞳をした兵士
金と嘘で作ったようなスーツを着た偉い人
膝をかかえてる浮浪者
遊びを知らない子供達
悲しそうな顔をしてるニュースキャスター
泣き出した子供
チョコレートをくれた女
太陽の光を撃ち落とそうとする親愛なる友達
天国の小鳥
鳩の群れの中の少年
傷だらけの男
雑音に流され始めた奴等
声を殺しすすり泣く父親
終わりを待つ僕
笑い方を知らない飢えた子供
公園のベンチでキスをするカップル
裏組織の犬
醜いネズミ
完璧な奴
白い目で視てる奴等
何度殴られても笑って待ってる女
ソーダ水の海で溺れる少年
ゼリーの上で寝転がる少女
戻らないトカゲ
ロックな奴
青空に近づこうと屋根に登り口笛を吹きながら裸になった僕
皮一枚の肌の色で銃を持つ事になった男
幸福感に犯され戦いを忘れた男
狂ったように踊る女
恐怖に震える大統領
王様暮らしの男
プロの殺し屋
イカサマ野郎
笑顔のおばあさん
生まれたばかりの子供
大嫌いだったおじさん
背の高かった大人達
ヒステリックなシスター
月夜の狼
母を求める赤子
痛みも喜びも悲しみも知らない子供達
物乞いをするストリートチルドレン
気取って歩く身売りの少女
虫も殺せない少年
盗んだ指輪を売り付けようとする少年
待ち合わせに遅���て来た愛しい女
ヨウキナハイエナ
夜を待ち続けた僕等
私のヒーロー
飛べない天使
煙突掃除の老人
お婆さん
部屋の片隅で怯える僕
無邪気で繊細な女
ラクダで旅をする俺
くわえ煙草の野良犬
イエスキリスト
捨て猫の帰り道探す少女
君にしか似合わない僕
世界と共有したいと願う俺
大人じゃない俺
子供じゃない俺
頭を抱えるディレクター
怒鳴るマネージャー
あの子にばかり目をかける社長
本当の自分をトイレに流し、最高の笑顔でプロデューサーに唾を吐き、ブラウン管の中で中指を立てたアイドル
手紙を残した浜辺の二人
都合のいい時だけ女になる女
我がもの顔のおばさん
苛立つタクシードライバー
街中のワル共
偉い人達
高い鼻のあんた
スクラムを組んだ2人
僕の大好きな彼等
心底愛しあった二人
大人の世界を知っている少年
蝶を狙う蜘蛛
無神経な大人達
僕の思い出と暮らしてる知らない人
不良少年
行方不明の恋人
鳥のように自由に空を飛びたいと願う男
ヴェトナムの少年
充血した眼の兵士
自由に唄うことをあきらめた鳥
きれいな心の持ち主
純粋な女
白い服を着た天使
旅人
ニュースキャスター
セーターを編んでくれたおばあさん
泣きだしそうなピエロ
プールの変死体
インディアンの羽根をつけた恋人
アメリカ映画を愛している奴
ノイローゼの友だち
いかれたロマンチスト
破滅型ロックンローラー
FAT BOB
C.B. JIM
BELL BOY
単車乗り
ストリッパーの腕に抱かれていたボス
死神
ヴァニラ
スーパーマーケットのパートタイマー
車泥棒
迷子
精神科の医者
神父
ペリカンの親子
コウモリ
戦闘服を着た男
チキンジョージ
12月生まれの山羊座の男
インタヴュアー
荒んだ心を持ったハニー
かわいい女の子
神様
ヒステリックな女
生クリームだらけの3匹の子猫
アパートの管理人
ケツに火がついてる犬
飛び下り自殺した男
おもちゃの兵隊
ミツバチ
年下のジャンキー
ちいさな子供たち
森を駆け抜ける狼
綺麗な眼をした女の子
海賊
飛行機乗り
悲鳴をあげる女
恵まれない大人たち
裸足の子供たち
親愛なる母
天国へいきたいと願う男
背広を着た男
動物愛護団体
平和のハト
窒息寸前の子供
あわてた母親
肩をすくめている天使
スピードのぬいぐるみを着た男
世界で一番素敵な女の子
礼儀知らずの可愛いスカンク
アラスカ帰りのチェインソウ
PLATINUM BLOND
EDOWARD JACKET
BLACK SUEDE SHOES
50過ぎの売春婦
ちょびヒゲでとっても明るいデブ
ビードロのジャケットを着た浮浪者
15歳で家出した少女
太鼓たたきの恋人
シェパードを連れたパンク
ちいさな猿
傷だらけの天使
嫌われ者
ピンクの若いブタ
ピザ屋の彼女
誰とでも寝るような女
コバルトブルーの心の奴
ハート型のエプロンをした女主人
クスクス笑う奴
爪先で歩く猫
ベビーシッター
アヒル
ミッキーマウスの様な笑顔で愛しつづける女
リトルピンクサマー
スパゲッティ―ヘアーの男
青少年
マッチ売りの少女
おしゃべりキツツキ
夢をなくした友
荒れ果てた原野で生きる小さな虫
ミリンダ
グレッチ
RAVEN
暴走ピノキオ
血まみれのバカ
SUZIE
とても口じゃ言えないぐらいのヤンキー
泥だらけのハイエナ
目を閉じて夢を見ない女
踊子
21回目の誕生日の朝に死んだ女
かわいいジャンキー
SHERRY
スクラッチという街で愛を探している奴
赤いタンバリンを上手に撃つ女
ロメオ
内気なカンガルー
この世界で一番幸せな人
数えきれない星の中でギターを弾いた人
ドブネズミの死骸
ガソリンスタンドに住みたいと願う男
LAS VEGAS PAT TUNE SUMMY
SHERILL
砂漠の商人たち
レインコートに雨の雫が落ちて笑顔を浮かべた女
言葉より未来を信じた二人
進んだ奴
小さな恋のメロディーという映画を12才の時に観て細胞がそのままの奴
希望を捨てない鳥たち
うなだれた白人の浮浪者
街で転んで手のひらを切った男
髪を切って鏡を覗き込んでいる無邪気な人々
頭の中でハツカネズミがダンスしている男
国境線上の蟻
チョッパー乗り
街路樹の猿
珊瑚礁売り
はちきれそうなボディの女
傷だらけのボンティアック
偶然出会った友だち
ドアがとれたCAMARO
笑う振付け師
マドラスチェックハットをかぶった黒人ゲイ
ネオンを浴びて道ゆく人
猛獣使い
白黒のトラガラの猫
T型フォードのホッドロッドでスピンしてよだれを垂らしている女
理屈をつけたがるMONKEY FIRE
不良の森に潜む不良
静かな森の奥でカベにもたれて揺れる草を見ている少女
メキシコの砂漠の果てで独りぼっちの女
枯れたサボテン
不満気にレモン畑を飛ぶ鳥
花びらが揺れるように口づけをした二人
センチメンタルな北京ダック
頬紅つけて笑っている悪魔
冬支度をするリス
分厚い恋の悩みでとりこんでいる女
よくしゃべる女
街路樹の唄うたい
天国に近いハート
孤児のみつばち
青いサングラスをしたピアノ弾き
優しく揺れるコスモス
銀河をさまようビーバー
夢を抱いて青空を見上げる若者たち
ぺピン
MARUUANA BROTHERS
ROBIN
SALINGER
HIPSTAR
MINNEY THE MUTURE ENLIQUE
GREEN JELLY
BLUE JELLY
PURPLE JELLY
METAL KIDS
MERRY LOU
PUNKS
TERRY
RUBY
ELIZABETH
ZONBIE
SAMMY
DERRINGER
D.I.J.
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xf-2 · 4 years
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新型コロナウイルス関連の報道では、数多くの医師がメディアに登場して、自身の知見を述べている。しかし、最前線で感染者たちと接している医師の話をじっくりと聞く機会は意外と少ない。実際にはその患者を診たことがない「専門家」(中には医師ではない者もいる)のオピニオンのほうが多く流布されている。現場からの声として紹介される多くは、治療現場の苦境といったところに限定されているようにもある。
 そこで今回、ある総合病院で新型コロナウイルスを実際に診察し、また現場の統括もしているベテラン医師に匿名を条件で本音を語ってもらった。匿名にした理由は「特におかしなことを言ったつもりはありません。同じように考えている医師も多いと思います。でも、ただでさえ忙しいのに、病院あてに抗議などが来るとたまらないから勘弁してください」というものである。
――お勤めの病院はどんな感じですか?
 現状をお話しする前に、平時の病院、医療がどうだったかを少しご説明させてください。
 もともと日本は国民皆保険ですし、東京は医療へのアクセスが極めてイージーになっていました。中学生までは医療費ゼロですし、救急車を呼んでもお金は請求されません。欧米なら数万円は確実に取られます。それゆえ、子供を昼間病院に連れて来られないというだけの理由で、救急外来を夜間に普段使いするような親までいたのです。
 だからいつも病院が混雑していることが問題になっていました。一方で、開業医の先生を含めて医療機関側もそれで儲けていた、という面もあったことは否定できません。「どんどん来てください」とやって、医療費は国に負担してもらえばいいのですから。
 ただ、新型コロナウイルスの影響で、普段は安易に病院に来ていた方が減ったので、全体としての患者数は減っています。
 感染症や救急を担当していない病棟や医師はむしろ時間に余裕ができているようです。不要不急の手術も延期にしていますから。
 1、2月に比べて3月の病院全体の収入は3割減というところでしょうか。病床の稼働率も10%ほど下がっています。
 おそらくこれは開業医などでも同様でしょう。「売り上げ」が落ちて困っているところもあるだろうと思います。
 一方で、私たち新型コロナの担当医たちだけは忙しくなっています。
 うちの病院では新型コロナの診察を救急医が受け持つようにしています。その担当医らの仕事は、大雑把にいって1.5倍になっているという感じです。ただでさえ忙しかったところに、仕事が急増しました。
 私が若い頃は救急を専門とする医師は月15日くらい当直というのが当たり前でしたが、さすがに今はそうはいかないので、当直は月6~8日くらい。週休2日は確保できるようにして、休日出勤の際には代休も取るように、という方針でした。
 これがさっき言ったように仕事量が増えているため、「当分、代休は取れません」という感じになっていて、実感としてかなりキツい日々が続いているのは事実です。
 私自身は現場の診療の他に、病院全体の感染症対策等々の仕事が増えました。省力化できたことといえば、テレビ会議が増えたので結果として会議の時短などが進んだことでしょうか。
――新型コロナに関しては、膨大な情報量が発信されています。この状況をどう見ますか?
 SNSで誰もが発信できるようになったことで、不安をかきたてる情報が溢れすぎている、という印象はあります。
 また地上波のテレビ、ワイドショーがセンセーショナルに伝える傾向があるのは良くないと思っています。たしかに政府の言う通りのことを流すのでは政府広報になってしまうので、良いことだとは言えません。
 しかし、恐怖を煽って,今の対応が危険だと強調しすぎているように思います。
 現政権が嫌いなのかもしれませんが、それと医学の問題は別です。
 現在の政府方針、専門家委員会の方針は、専門的な知見のある人たちが議論して打ち出したものであり、相応の合理的な判断だと現場の医師から見ても思います。
 ですから煽られておかしな行動をとるのではなく、とにかく今の対策を守ってもらわないと,収束できるものもできなくなると思います.
 にわか専門家のコメントが全部間違っているとは言いませんが、大事なことをうまく伝えられていないと感じます。自称専門家はもちろん、芸能人の方などの不用意な発言でも、視聴者は扇動されます。
 外国の例を簡単に紹介するのも問題です。「海外ではこうだ」というのですが、それぞれの国によって医療レベル、保険制度、国民性、文化など異なる背景があります。だから安易に「あそこがいい」「ここがいい」という話ではありません。
「アフリカの〇〇ではこうだ」と言われても、その国は常に様々な感染症の脅威が存在する国かもしれません。その国の政策を参考にする、といっても無理があるのではないでしょうか。
――「何もしないと42万人が死ぬ」というシミュレーションも恐怖を煽っていたのではないでしょうか?
 あれはあくまでも「何も対策を講じなければ」という前提で、最悪の事態を示したのですから、「ステイホーム」を訴えるという点では良いのではないでしょうか。
「エアロゾル」感染といった言葉が独り歩きしたせいで、ちょっと勘違いがあるように思うのですが、基本的には空気感染ではなく接触・飛沫感染です。だからちょっと話をした程度であれば、問題はない。
 空気感染だと思うと「じゃあ空気がいいところなら大丈夫」という勘違いが生まれます。ここが心配です。
 たとえば「空気がいい」ゴルフ場に行く、公園でジョギングをする、というのは問題ないように思っている方もいるでしょう。
 たしかにゴルフ場でプレーするだけなら感染はしないでしょう。しかし、その前後に外食をしないでしょうか。ジョギングの最中に無意識にガードレールを触って、その手で顔を触り……となっていないでしょうか。
 そういうリスクがあるからこそ、「ステイホーム」と呼び掛けているわけです。あくまでも個人的な、そしていささか楽観的な見方ですが、きちんと自粛をしていれば、あと1、2カ月のうちには良い状態が来るのではないか、と思っています。
――そうした報道に煽られて、検査や診察を求める患者さんが殺到していて、かえって病院が困っているとも聞きますが、どうなんでしょう? 
 確かに、必要とは思えない患者さんが検査を求めてくる事例はあります。直接こちらの病院には来なくても、かかりつけ医から紹介状をもらってきて、検査を求めるケースです。そういう人の中で検査を断られた人が、SNSやテレビで「検査も受けられない」と主張することもあるのでしょう。
 ただ、この間、数多くの新型コロナウイルス感染者を診てきた者として言えるのは、「この人は陽性だな」と思う人は検査に回さなくても、ほぼわかる、ということです。あくまでもその診断を確定させるために回すのです。病歴を聞き、問診をして、CTを撮り……といった診察の過程でかなりの確率でわかります。
 ところが、そうした経験のないお医者さんが、患者さんに強く言われたとか、あるいは患者さんサービスの一環で検査を求めるとどうなるか。結果として、本当に早く確定して欲しい人の検査スピードが遅くなります。
 これが問題です。
――テレビに出ている「専門家」の強い主張の一つが、「とにかくPCR検査を増やすべき」というものでした。これはどうなのでしょう? 
 これは絶対に間違いです。少しでも専門知識がある人は、全くこれを望んでいません。
 他国と日本が違うのはこの点で,本当に医師が疑った例にのみ検査をやっている点で感染の広がりをコントロールできていることは確実です。
 とはいえ確かに検査のスピードは遅かったから、そこは今改善を進めています。
 ただし、誰彼構わず検査をオーダーできるような状況を作らなかったことは100%正しかったと考えています。
 日本のように国民皆保険の国で、なおかつ感染症に詳しくない町のクリニックのようなところまでもが、自由にPCR検査をできるような環境を作っていたら、間違いなく院内感染が多発していたでしょう。おそらくニューヨークやイタリアの比でない状況になったと思います。
「かかりつけ医」に相談することは否定しません。しかし、そこに多くの人が押し寄せたら結局クラスターを発生させかねません。そういう状況を作らなかった点では、当初、検査を絞ったことは決して批判されるようなことではないのです。
 現在報告されている院内感染にしても、慣れてない人が普段使わないような感染防御具を適切でない使用をしたがために他の人や患者に感染させる例があとを絶ちません。
 ドライブスルーでのPCR検査を増やせ、という意見についても、乱暴に思います。病院外での検査体制は進めたほうがいいでしょうが、やり方を間違えるとかえって感染者を増やすことにもなりかねません。
 別の観点から補足させてください。
 毎年のインフルエンザの流行の仕組みをご存じでしょうか。
 PCR検査が注目されることで「偽陽性」「偽陰性」といった言葉もよく目にされるようになったと思います。前者は「本当は陰性なのに陽性と出ること」で後者は「本当は陽性なのに陰性と出ること」ですね。
 実はインフルエンザの検査でも「偽陽性」「偽陰性」は一定の確率で発生します。日本では「インフルエンザかな?」となったらまず病院に行って、検査をしてもらって、タミフルを飲んで、ということが当たり前に思われている方が多いかと思います。
 でも実は、こんなことをしている国はそんなに多くありません。一つには先ほどから言っているように、医療費が高い国では、そのたびに大変な料金が発生するので、いちいち検査しない、という人が多いのです。また、タミフルは病気を治す薬というよりは、よくなるまでの期間を短くする(7日が5日半になる)という性質のものです。
 アメリカならば、この検査とタミフルだけで下手をすると500ドルはかかるでしょう。だから多くの人は「家で寝て回復を待つ」のです。私もそうしています。
 ところが日本は医療費が安いことに加えて、「休むなら証明書を出せ」という習わしが学校や企業にあるので、こぞって病院に来て検査を求めるわけです。
 問題は、インフルエンザの簡易キットの感度は7割から8割なので、2~3割の人は本当は陽性なのに「陰性」という結果になります。
 その人たちは、病院のお墨付きをもらったということで、自由に動き回りますから、コミュニティの中で感染を広げます。実は、これが毎年のインフルエンザの流行の大きな原因なのです。今回のことを教訓に、「インフルの証明書がないと休めない」といったおかしな慣習はなくしてほしいものです。何にせよ具合の悪い人は休むべきです。結果としてそのほうが学校や職場のためにもなります。
 そして、今年、インフルエンザがあまり流行していないのは、多くの人が手洗い、うがいをして、なおかつちょっとでも具合が悪ければ、自ら行動を抑えるようにしたからです。その結果、「実はインフル」の人が感染を広めなかったわけです。
 話をPCR検査に戻せば、検査の無闇な拡充に反対している人たちが怖れているのは、インフル同様に、「お墨付きを得た、でも本当は陽性です」という人が感染を広めることにつながりかねないからです。
 よく韓国やイタリアのほうが日本よりも検査数が多い、といって日本を批判する人がいるのですが、これは話がまったく逆です。韓国やイタリアは最初に検査数を増やし過ぎたために、感染を広めてしまったのです。
「医療資源が無限にあり」「偽陽性の人でも全員どこかにちゃんと収容できて」「(偽)陰性の人が行動を慎んで他人にうつさないようにする」という前提がすべてそろっていれば、検査数をどんどん増やすのもいいでしょう。
 しかし、そもそも検査はそんなに簡単なものではありません。検査というのは少なくとも検体を取る人と、検体を検査する人の両者がいてはじめて検査ができるのです。仮に医師会の先生たちが頑張って検体をたくさん出しても、検査する人が増えなければ結果が出るのがより遅くなってしまいます。本当に必要な検査が滞るのです。
 もしも「やる気になればできる」と言い張る方がいるのなら、ぜひそういう人材がどこにまだ眠っているのかを教えていただきたいものです。
 検査の技術の習得は一朝一夕にはできません。だから長期的な観点では、もっと日本はこういう検査もスピーディにできるようになればいい、と言われれば「その通りです」と答えます。
 しかし、今まさに感染爆発を防ごうとしている時期に実現不可能なことを言っても仕方がありません。
 テレビに出ている中でも、自称「専門家」ではなくて、本物の専門家の先生方もいらっしゃいます。そうした方に、「日本のPCR検査数は少ないのでは」とか「より検査体制を充実させられるといいのでは」と問えば、「そうですね」と答えるでしょう。それ以外の答えをしようがありません。
 しかし、それで「それみろ、やっぱりPCR検査が足りないんだ」と言い張るのはやめてください。
 繰り返しますが、現場で本当にこの病気を診ている医者で、もっと検査数を増やせ、などと言っている人はいないはずです。
――ではなぜお医者さんの中���「PCR検査を増やせ」という声が根強いのでしょうか?
 例年、この時期はインフルエンザの患者さんで病院、特に開業医さんは混み合うのです。経営のことを考えると患者さんがたくさん来るのは悪いことではないと考える先生もいるでしょう。今年はインフルエンザ自体が流行していませんし、万が一新型コロナウィルスに感染している患者に検査をすれば、感染のリスクがあるためほとんど行われていません。現在、新型コロナの診察はあまりやっていないでしょうが、一部の人にとっては「検査は怖いから検査センターにお願いするとして、診察は引き受けたい」といったモチベーションがあるかもしれません。
 そういう人にとっては、かりに「PCR検査センター」のようなものが出来れば、都合が良いかも……というのは穿った見方でしょうか。
――「WHO」の関係者と名乗る方、ノーベル賞受賞者の方もPCR検査を増やすように主張していますが。
 海外にいて、どのくらい日本の事情をご存じなのかわかりません。また、たとえノーベル賞を受賞された素晴らしい先生方であっても、必ずしも感染症やこの病気の専門家ではないので、仰ることがすべて正しいとはいえないと思っています。
 医学はそれぞれの科や専攻の専門性が高い分野なので、たとえノーベル賞受賞者であっても、専門外のことには確証を持って発言していないのではと感じることもあります。
 なお、「検査、検査、検査」というWHOの事務局長の発言もいまだに曲解されている方がいます。あれはあくまでも発展途上国などで検査を軽視している国に対してのメッセージであって、日本などを念頭に置いているわけではありません。
――ただ、検査をまったくしないと不安だという気持ちもよくわかります。「37.5度が4日間続くまで様子を見る」と言われても、その間に急激に悪化したら……と不安になるのでは。
 気持ちはよくわかるのですが、熱だけが兆候とは限りませんし、本当に具合が悪くなったら救急車を呼ぶほうがいいと思います。新型コロナ以外でも、いろいろな病気がありえるのですから、本当に具合が悪い時はそうするべきでしょう。
 また、これからは「陽性だけれども症状がない」という方はホテルなどに入ることになりました。このメリットは単に隔離されるというだけではなくて、そこには医療スタッフが必ずいるということです。症状が悪化した場合には、そのスタッフが対応します。
 このところ脚光を浴びているのが血中酸素濃度を測って患者さんの状態を観察するというやり方です。入院患者や経過観察の対象の方の濃度をチェックするのは意味があるでしょう。ちなみに、その際に用いるパルスオキシメーターを発明した青柳卓雄さんが、先月亡くなられました。コロナの報道に紛れてしまい、あまり大きくニュースでは扱われませんでしたが、世界に誇るべき日本発の医療技術であることは知っておいていただきたいと思います。
――死者数や感染者数を見るとインフルエンザと大差ない、いやインフルのほうが深刻だ、といった意見についてはどうお考えですか。 
 たしかにウイルス自体の病原性や感染力は同等だと思います。空気感染はしないので、結核と比べると感染力は弱いともいえます。
 ただ、高齢者や合併症のある人への進行度合いは半端ではありません。日本は医療レベルが高いので、余り若年者は死んでいませんし、今後もそうでしょうが、感染した高齢者の一定数は救いようがないままに亡くなります。
 実際に診察しての実感を一言でいえば、「この病気はヤバい」です。
 多くのウイルス性肺炎は、自身の持つ免疫力で打ち克つことができます。
 新型コロナウイルスは、若い人と比べて高齢者が重症化しやすいことはよく知られていますが、では両者の違いは何か、といえば免疫力になります。肺炎が重症化しても、踏ん張っているうちに回復に向かえる。だからICUやECMOで治療をして、「もうちょっと頑張れる」ようにするのです。しかし、その間にダメージを回復できなければ最悪の場合、亡くなることになります。
 少なくとも私の病院では、例年、インフルで亡くなる人はまずいません。それまでにちゃんと治療をして、回復してもらっているからです。しかし今回は、すでに何人もの方が亡くなっています。だから「ヤバい」と感じるのです。
――世界的に見た場合、日本は死者数、重症者数が少ないのはなぜでしょうか。これを政府の陰謀のように言う方もいますが。
 実際に少ないと思います。それはいろんな理由が考えられるでしょう。
 まず衛生観念が高い、といったことがよく指摘されます。清潔な水が近くにある、靴を履いたまま家に上がらない、とか。そういうこともあるかもしれません。
 また、繰り返しお話ししているように、医療レベルの高さ、アクセスのしやすさは大きいと思います。
 多数の死者を出したアメリカでは、救急車を呼ぶのにも、病院にかかるのにもかなりのお金がかかります。そうすると、具合が悪くても病院に行かない、行けないといった人は一定数出てしまいます。今回亡くなった多くの人が貧困層だというのはそういうことでしょう。「日本でもタライ回しがあるじゃないか」と言われるかもしれません。確かにそういう問題は解消されていません。
 しかし、たとえば東京都では救急医療について「東京ルール」というものを10年前に定めています。「5つの病院に断られた」「30分以上搬送先が見つからない」といった場合には、東京都が定めた地域救急センターに搬送する、というルールです。他の自治体でも様々な取り組みが進められていると聞きます。「日本はダメだ」と言うのは自由ですが、他の国と比べて決して引けを取るようなシステムにはなっていないと思っています。
「BCGが有効」という説も聞きますが、これはまだよくわかりません。そういうこともわかればいいとは思いますが、少なくともそれは現場の私たちが判断できることではないのです。
 なお、「検査数が少ないから死亡者が目に見えていないだけ」といった主張は完全に陰謀論の類です。たとえば別の肺炎死だとか、謎の死者が急に激増しているというのであれば、そういう仮説も立てられるのでしょうが、そんなことはまったく起きていません。
――最前線にいる立場で、メディアや一般の人に言いたいことなどはなんですか。必要な支援はありますか?
 私たち医療従事者はいま別にお金が欲しくて働いているわけではなく、使命感で働いています。
 相当なストレスを抱えながら、普段以上に働いています。実際の担当ではない医師や看護師にも大きな影響を与えています。
 たとえば、陽性だけれども症状がない、といった患者さんを専門外の個室に入れることがあります。するとそこの看護師さんは慣れないながらも感染者の面倒を見て、しかもそれが他の患者さんにうつらないようにしなければならない。普段とはまったく異なるプレッシャーがかかっていて、精神的に追い詰められている関係者は数多くいます。
 私も今は家に帰れる日は限られていて、あとは病院が用意したホテルに宿泊するようにしています。
 また、精神的に追い詰められた職員らのための対策も考えなくてはならない状況です。最初に病院全体の患者数は減ったとは言いましたが、対応をしている病院のスタッフは本当に大変なのです。
 最近は家庭内感染が増えてきましたが、最初の頃は「夜のお店」近辺の感染者が非常に多くいました。
 そんな状況下で、テレビのニュースを見ると「自粛で大変。補償してほしい」といった「夜のお店」の声を紹介しています。もちろん当事者の方々が大変なこと、そういう感情を持つことは理解できます。でも、毎日ギリギリのところでやっている身からすれば「いま補償の話なの?」という違和感を抱いてしまったのも正直なところです。「これから大変な戦いが予想されるのに、もうお金の話? それもごく一部の業界の? 議論の優先順位がおかしいのでは」と感じました。
 どうか私たち現場の人間が日々、頑張っていることをご理解ください。そうしたお気持ちを持つ方が多いことは励みになります。医療従事者へのエールは素直にうれしく思います。
 そして、早くこのような状況を終わらせるためにも、とにかく皆さんは感染しないように、感染を広げないようにふるまっていただきたい。これは強く訴えたいことです。
 接触・飛沫感染に注意せよと言われても、具体的に何が大丈夫で何がダメか、わかりにくいことと思います。実際にその細かい線引きはできません。だからこそ「極力人との接触を避ける」「極力外出しない」という大きな方針を打ち出しているのです。それを守ったうえで、手洗いを丁寧にマメに行ってください。
 また、特にメディアの方にお願いしたいのは、善意や問題意識からなのでしょうが、常に「国(厚労省)や都のやっていることは間違いだ」といった論調の報道は考えていただきたいところです。
 先ほども申し上げたように、日本のこれまでの対応は決して間違っていません。死者数を見れば明らかです。「世界が疑問視している」といった報道ばかりが目立ちますが、海外では日本を評価する報道も出ています。単にそれがあまり紹介されていないだけです。
 死者数が少ないことをもっとポジティヴに捉える論調が増えてもいいのではないでしょうか。
 私たちは国や都の定めた方針の中で動いており、それに背くことはありません。しかし、国も都も、いろいろと考えたうえで方針を打ち出しています。その決定過程には私たちも関与しています。
 明らかに間違った方針が出れば、私たちも声をあげます。そういう判断ができないほど現場の医師たちは馬鹿ではないのです。
デイリー新潮編集部
2020年5月2日 掲載
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Text
[翻訳] コロナ禍と印中対立のなかのインド華人
中国系インド人の愛と憧憬
2020年7月25日 アスミター・バクシー
ガルワーン渓谷���件後の印中関係緊迫化、コロナウイルス・パンデミックによる反中感情の高まりとともに、インド系中国人コミュニティは集中砲火を受けている
3月17日、41歳のミュージシャン、フランシス・イー・レプチャは、急遽切り上げたプリー〔※オリッサ州の都市〕旅行からコルカタに戻る列車の中にいた。新型コロナウイルスは全国でその存在感を示しつつあり、ナレーンドラ・モーディー首相が厳重な全国ロックダウンを発表する日も近かった。レプチャが家族と一緒にまだプリーにいた間も、彼がチェックインしようとするとホテルの宿泊客は反対の声を上げ、路上では「コロナウイルス」と呼ばれ揶揄された。
フランシスは中国系インド人で、母方と父方の祖父は1930年代に他の多くの人と同様に日本の侵略から逃れてインドに来た。彼らはダージリンで大工として働き、地元のレプチャ族の女性と結婚した。のちに彼の両親はコルカタに移り住み、そこで彼は生まれ育った。
このミュージシャンは1980年代に幼少期を過ごし、ドゥールダルシャン〔※インド国営TV局〕で『ミッキー・マウス』や『チトラハール』を見たり、マドンナに憧れたり、クリフ・リチャードの「ダンシング・シューズ」に合わせて頭を振ったりと、これらを6歳で楽しんでいたわけだが、童歌「ジャック・アンド・ジル」に関係があるという理由が大半だった。彼は流暢なベンガル語と「荒削りなヒンディー語」を話し、そして、彼によれば「ほとんどお向かいのチャタルジー一家に育てられた」という。
列車がガタンゴトンと進むなか、冷房寝台車の他の乗客たちは、彼には自分たちが何を言っているのかわからないと思い込んで、「中国人」について疑いの声を上げはじめた。フランシスはすぐさま口を挟んだ。「私は流暢なベンガル語で、自分がコルカタ出身で、中国に行ったことはなく、彼らに感染させることはないと説明した」のだという。「彼らの顔を見せてあげたかった」。
コルカタに戻ると、フランシスはプリントTシャツを注文した。彼はコルカタ・メトロのセントラル駅の真上に住んでいるのだが、それが明るい否定のメッセージとなり、かつ人種差別に対して有効なツールとなるだろうと考えた。フランシスのさっぱりとした白いTシャツの上の端正なベンガル語のレタリングには「私はコロナウイルスじゃない。コルカタ生まれで中国には行ったこともない」とある。
6月15日、国土の反対側では、俳優兼歌手のメイヤン・チャンが、過去13年にわたって本拠地と思ってきた都市ムンバイで、夕食をともにするために友人宅を訪れていた。彼らはテレビのニュースを見ていたが、その放送は特に憂慮すべきものだった。2つの核保有国が数十年間争ってきた境界である実効支配線に沿ったラダックのガルワーン渓谷でインド兵20人が中国軍に殺害されたのだ。
「衝突の後、ダウン・トゥ・アース誌のインタビューに答えた時、私の最初の反応は怒りでした。『どうして私が自分の愛国心を証明しないといけないのか。どうして私がインドを愛し、中国を憎んでいると言わなければならないのか』。私はその国のことを知りもしません。中国というレンズを通して自分が引き継いでいるものは理解していますが、それだけです。私にはインド以外の故郷はありません」と彼は言う。しかし、彼の経験上、怒りは何の役にも立たない。「その代わりに、私は異文化交流の美しさについて話しました。それはインド全土に存在するものです。私たちの外見だけを理由に自分たちの仲間ではないと考える人々には驚かされます」。
チャンもまた中国系である。彼はジャールカンド州ダンバードに生まれ、ウッタラーカンド州で学校教育を受けた。彼の父親は歯科医で、チャンもベンガルールで歯学の学位を取得している。彼は自分の家系を詳細に遡ることはできていないが、先祖が湖北省の出身であることはわかっており、そこは1月以来、ニュースを席捲している。新型コロナウイルスが最初に報告された武漢とは、同省の首都である。
37歳の彼は、主流エンタテインメント産業で名声を得たおそらく唯一の中国系インド人コミュニティ出身者である。2007年にTV番組『インディアン・アイドル』の第3シーズンで5位になり、2011年にはダンス・リアリティ番組『ジャラク・ディクラー・ジャー』で優勝し、さまざまなTV番組やクリケットのインディアン・プレミアリーグなどのスポーツイベントの司会を務め、『バドマーシュ・カンパニー』『探偵ビョームケーシュ・バクシー!』『スルターン』『バーラト』という4本の大作ヒンディー語映画に出演してきた。
しかし、この数ヶ月の間、彼もまたCOVID-19についての世間の興奮と、そして目下の印中対決についてのそれを感じている。パンデミックのせいで人々が人種差別的発言を黙認しているため、彼はオンラインや路上で野次られてきた。実効支配線での印中対峙後は、これに無言の圧力、あるいは彼が言うところの飽くなき 「愛国欲」が続いた。「医療、経済、そしてある程度の人道的危機の最中に国境での小競り合いや恐ろしい話が出てきて、どう考えていいのかわからなかった」と彼は言う。
中国系インド人3世として、チャンとフランシスは共通点が多いように見える。二人ともインドで生まれ、家系は中国に遡り、家業を継ぐという中国的伝統から逸脱し、ディーワーリー、イード、クリスマス、旧正月をまぜこぜに祝って育ち、フランシスが的確にもこの国の「微小マイノリティ」と呼ぶものに属している。
この二人はまた、パンデミックが世界中で反中国の波を引き起こし、米国のドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスを繰り返し「中国ウイルス」と表現している時にあって、中国系インド人が味わっている苦難を象徴している。インドでは中国との国境問題が状況をさらに悪化させている。怒りの高まりにより、政府は59の中国製アプリを禁止し、大臣たちは中華食品やレストラン(大半はインド人によって経営されている)のボイコットを求め、中国の習近平国家主席の肖像が燃やされ、COVID-19と紛争は危険なまでに一体視された。
この敵意の副作用はチャンやフランシスのような市民や北東部インド人が被ることになり、路上で暴言を吐かれたり、家から追い出されたりした。デリー在住の中国系ジャーナリスト、リウ・チュエン・チェン(27歳)は、地元のスーパーで人種差別的な悪罵を浴びせられた。「私の母はいつもならウイルスから身を守るためにマスクをするように電話で言ってきたはずですが、国境紛争の後は顔を隠すためにマスクをするよう言われました」と彼女は言う。
印中関係が緊迫するなか、世代を越えて広がりつづけているトラウマである1962年の中印戦争の記憶が前面に出てきた。では、こんな時代にあって中国系インド人であることは何を意味するのだろうか。
中国人の到来
インドにおける中国系インド人コミュニティの起源は、1778年に海路でインドに上陸した商人、トン・アチュー〔塘園伯公〕、またの名を楊大釗に遡る。伝承によれば、アチューは当時のイギリス総督ウォーレン・ヘイスティングスより、日の出から日没まで馬に乗るよう、そしてその間に彼が通過した土地は彼のものになると言われたと、あるいは(より公式なヴァージョンでは)彼のホストとなったイギリス人に茶を一箱プレゼントしたおかげで土地を与えられたとされている。
フーグリー川沿いにあったアチューの土地は、現在はアチプルとして知られている。彼を讃えて記念碑が建てられ、中国系インド人の巡礼地となっている。アチューの後を追って何千人もの中国系移民が続いた。彼らの上陸港はコルカタであり、長年にわたっていろいろな職業の多様な集団が植民地インドの当時の首都にやってきた。
「1901年の国勢調査はカルカッタに1640 人の中国人がいたと記録している。中国人移民の数は20世紀最初の40年間、特に内戦と日本の中国侵略のために増加しつづけた」と、デバルチャナ・ビスワスは2017年8月に『国際科学研究機構人文社会科学雑誌』に掲載された論文「コルカタの中国人コミュニティ:社会地理学によるケーススタディ」1の中で書いている。
ダナ・ロイの祖父母も、日本による侵略の時期にインドにやってきた。コルカタの学校で演劇を教えている36歳の彼女は、『亡命』と題した作劇のプロジェクトに取り組んでいるときに、母方の中国人家系を辿った。「中国の家庭は一夫多妻制だったので、私の祖父は三度結婚しました。そのうち一人は中国で亡くなり、二人目は第二次世界大戦中に日本の侵略から4人の子供を連れて逃れました」と彼女は説明する。彼らの家は、広東省の小さな村唯一の二階建ての建物で、日本軍はそれを司令部としたのだという。
ロイの祖父は、その頃には既にインドで輸出入業を営んでおり、インドにはヒンディー語と広東語の両方を話す中国系の妻がいた。彼の職業柄、家族を船で渡らせるのは容易だった。「叔父の一人には眩暈症があり、大きな音を怖がっていたのですが、(道々)聞いたところでは、村から逃げる際に日本の戦闘機に追われたからだとのことでした」と彼女は言う。
長い間、彼らは均質的集団として見られてきたが、インドに来た中国人は実際には相異なるコミュニティの出身だった。その中でも最大のものは客家人で、まず皮なめしに、最終的には靴作りに従事した。彼らはコルカタのタングラ地区に住み着いた(市内に2つあるチャイナタウンのうちの1つであり、もう1つはティレッタ・バザール)。このコミュニティは他のいくつかのグループのように一つの技術に特化してはいなかったが、ヒンドゥー教のカースト制度が皮革を扱う仕事をダリトのコミュニティに委ねていて、客家人にはそのような階層的制約がなかったため、彼らはコルカタで皮なめし工場の経営に成功することができた。
チャンが属する湖北人コミュニティは歯医者と紙花の製造に従事していた。「ラージ・カプールやスニール・ダット主演の古いヒンディー語映画に出てくる花は全部私たちが作りました。俳優がピアノを弾き、メフフィル〔舞台〕の上に花々が吊り下がっていたなら、それは全部我が家の女たちが作った物です」とコルカタ湖北同郷会会長、65歳のマオ・チー・ウェイは言う。
広東人は大半が大工で、造船所や鉄道に雇われたり、茶を入れる木製コンテナづくりに雇われたりしていた。1838年、イギリス当局はアッサムの茶園で働かせるため、多くが広東人の職工や茶栽培農夫からなる中国人熟練・非熟練労働者を導入している。
1949年に毛沢東率いる共産党が政権を握ると、中国への帰国は問題外であることが明らかになった。そのため、女性たちはインド在住の家族と合流しはじめ、すぐに東部諸州の中国人居住区にはヘアサロンやレストラン、ドライクリーニング店などが点在するようになった。
寺院が建てられ、コルカタのタングラとティレッタ・バザール、アッサム州のティンスキアには中国人学校ができた。賭博場や中国語新聞、同郷会館などもでき、春節や中秋節を祝うほか、中国の儀礼に従って結婚式や葬儀を行うようになった。
「彼らがコルカタに定住し始めた18世紀後半から、1960年代初めまで、中国人移民は、とりわけ同じ方言グループでの内婚や、文化実践、独特の教育システム、住居の排他的なあり方を通じて『中国人アイデンティティ』を維持することに成功した」と、張幸は彼の論文「中国系インド人とは誰か?:コルカタ、四会、トロント在住中国系インド人の文化的アイデンティティ調査」の中で述べている2。
このコミュニティと祝い事の時代は、1962年の印中紛争で突然終わった。戦前には5万人と推定されていた中国系インド人の人口は約5,000人にまで減少した。彼らの多くはその後、海外に移住した。
融合する文化
「アイデンティティとは、単に『私は中国人か、それともベンガル人か』というよりも複雑なものです」とロイは言う。「アイデンティティを主張したり断言したりする必要性を本当に感じるのは、それが奪われつつあると感じたときだけです。アイデンティティについて聞かれたとき、特にこのような時世には、『他のインドのパスポート保持者はこんなことを聞かれるだろうか』と疑問に思うのです」。
ロイは中国系移民と地元民との不可避的な混ざり合いの象徴である。彼の母親は中国系で、ベンガル人と結婚しており、一家はタングラやティレッタ・バザールから離れたコルカタ南部に住んでいる。ロイがこれらの地区を訪れるのは、たいてい中国式ソーセージを買うためか、たまに友人と中華の朝食を食���たりするためだ。
今日の中国系インド人は、中国的伝統が失われていく一方、国籍と文化遺産の間の摩擦が増えていくという二重の現実に直面している。例えば、かつてコルカタのチャイナタウンで行われていた旧正月の祝賀会は、ほとんどがプライベートなものになっている。チャンはただ友人を家に招待することが多い。ロイは親戚とご馳走で盛大に祝ったり、「みんなが忙しければ」ただオレンジを食べて祝ったりしている。
若い世代が広東語や北京語ではなくヒンディー語や英語を学びながら成長し、儒教のような中国の伝統的な宗教的習慣から遠ざかるにつれ、彼らのアイデンティティの中国的側面はますます衰えつつある。以前はそのアイデンティティの別称として機能していたタングラも、今や混合文化に道を譲った。また、環境問題により1996年には皮なめし工場が閉鎖された。
それでもフランシスのように、自分たちの文化を守るためにできることをしている人もいる。彼は友人と毎年の旧正月にはコルカタで龍の踊りを披露する。「私たちは衣装と太鼓を身につけ、旧チャイナタウン、新チャイナタウンその他、コミュニティが散在しているコルカタの各地で4日間にわたって上演するのです」とのことだ。彼らは彼が子供の頃に喜んで受け取っていた赤い封筒入りのお金を配る。
しかし、帰属と受容という、より大きな問題は残ったままである。チャンによれば、自身がエンタテインメント産業に加わっていることと「ヒンディー語とウルドゥー語に堪能」であること(彼はボリウッド作品を観て育ち、父親はマフディー・ハサンのガザル歌謡が大好きだった)は、人々が常に彼を「インド人」として受け入れてきたことを意味する。彼のファンは年齢層やエスニック・グループを跨いで存在する――『インディアン・アイドル』に参加していたときには中国人コミュニティが彼を支持し、より若いファンは彼が「K-POPスターやアニメ・キャラクターを彷彿とさせる」ゆえに彼を愛している。しかし、ソーシャルメディアで意見を表明することは、特に最近では危険であり、時に大騒ぎになる。
「CAA(修正市民権法)のような問題については、間接的に言及して自分の意見を伝えるようにしています。これは大事なことだからです」、彼は言う。ガルワーン渓谷での衝突の後、陸軍大尉を名乗る匿名アカウントが、彼のYouTube動画の一つにコメントして、国家に忠誠を誓い、インド人兵士への支持を公に表明するよう彼に求めた。「私はそれを大したことではないと思い、〔陸軍大尉という〕彼の名乗りに引っかけて『敵との戦いに集中してください、あなたの仲間の国民とではなく』と言いました」。
ジャーナリストのリウ・チュエン・チェンは、アイデンティティとインド政治の両方についての自身の率直な物言いは、コミュニティ内では異例であり、しばしばオンラインやオフラインで嫌がらせの標的になることにつながっていると述べる。「一度、エアインディアの飛行機に乗るとき、係員たちが私に有権者証ではなくパスポートを見せろと言い張ったことがありました。彼らは私がインド出身でないと信じていたからです」、彼女は言う。「私はパスポートを取ってすらいなかったのに」。
年長世代の政治との関わり方はやや異なっている。彼らは今でも中国政治を追いかけてはいるが、距離を置いている。「調査中、国民党シンパと共産党シンパの間にあるコミュニティ内の分断を感じました」とジャーナリストのディリープ・ディースーザは言う。彼は1962年の印中戦争の歴史を、当時強制収容されていたジョイ・マーの口頭の語りとともに記録した『ザ・デオリワーラーズ』3の共著者である。
「しかし、それだけです。彼らは台湾とPRC(中華人民共和国)の対立を私と同じように見ています。そこに親戚はいるかもしれませんが、台湾市民になりたいとか、PRCに忠誠を誓いたいというようなものではありません」。
このような関わりの多くは目に見えない。このコミュニティに共通する話として、彼らは頭を低くして注目されずにいることを好む。これは1962年に中国系コミュニティと関係者が強制収容された結果という部分が大きい。
消えない恐怖
1962年の戦争後、中国軍が国境東部のNEFA〔北東辺境管区〕、国境西部のアクサイチンに進出したとき、インド世論は怒りと疑念に満ちていた。インド人は当時のジャワーハルラール・ネルー首相の保証に憤慨し、中国に裏切られたと感じていた。今回もまた、この敵意の矛先はインドの中国系コミュニティに向けられていた。
作家クワイユン・リー氏が学位論文『デーウリー収容所:1962~1966年の中国系インド人オーラル・ヒストリー』4で書いているように、「国民的な熱狂に駆り立てられ、主流派インド人は中国人住民を追放し、時に暴力を振るい、また、彼らの家や事業を攻撃したり破壊したりした」。
リーは付け加える。インド当局は「毛沢東支持に傾いた中国語学校や新聞、中国系団体を閉鎖した。蒋介石(台湾)を支持する学校、クラブ、新聞は活動を許された。これらの学校やクラブは、マハートマー・ガーンディーの肖像とインド国旗を孫逸仙〔の肖像〕と十二芒星の〔ママ〕国民党旗の横に加えた」。
これらの状況は、当局に「敵国出身者」を逮捕する権限を与えるインド国防法が1962年に成立し、1946年外国人法と外国人(制限区域)令の改正が行われたことと相まって、ラージャスターン州のデーウリー収容所で中国系インド人を抑留するための「法的なイチジクの葉〔方便〕」になった、とディースーザは言う。
3000人近くの中国国民または中国系の親族をもつインド国民がスパイ容疑で逮捕され、最長で5年間拘束された。
「ガルワーン渓谷の小競り合いが起こったとき、私はそれについて思いもしませんでした。祖母が最初にそれを口にしました。『もし雲行きが悪くなったら、私たちは逮捕されるかもしれない』」、チャンは言う。「たとえ私達も同じことを考えていようがいまいが、そんなことは起こらないと彼女を説得するのが私のおじと私の役目でした」。
フランシスは1962年に当時10代前半だった母親がダージリンの祖母を訪ねており、二人とも収容されたという思い出話を語る。イン・マーシュも同様であり、1962年11月に13歳でダージリンのチャウラスタ地区から父、祖母、8歳の弟と一緒に収容所に連行された5。
マーシュのように、このコミュニティの多数の人がインドを離れカナダ、米国、オーストラリアに向かった。しかし、歴代の政府がこの歴史の一章を認めたり、謝罪したりしていないことを考えると、圧倒的なトラウマと裏切られたという感情は今日に至るまで残っている。
中国系インド人はなおも傷を癒やす途上にある。アッサム州の同コミュニティ出身の48歳の女性(匿名希望)は、ガルワーン渓谷事件の後、89歳の父方のおばから電話を受けた。彼女はまたも強制収容されるのではないかと心配していた。「私はそれを笑い飛ばし、心配させまいとしました。私はね、もしまたそんなことになったら、皆一緒に行ってダルバートを食べましょうって言ったんです」と彼女は言う。
大昔の法改正はまた、1950年以前にインドに来た、あるいはインドで生まれた中国人移民のほとんどは決してインド市民権を与えられないということを確実にした。例えば、彼女のおばは今や87年間インドに住んでいる。「彼女は今でも毎年外国人登録事務所に行って滞在許可証の更新をしなければいけません。ここは彼女が知っている唯一の故郷ですが、法的には決して帰属することはなく、常に部外者のままです」と彼女は言う。
以上のような要因が、生まれた国への忠誠心を公にするようインドのこのコミュニティをせっついている。例えば、ガルワーン渓谷の衝突の後、コルカタでは中国系インド人が「我々はインド軍を支持する」と書かれた横断幕を掲げてデモ行進をした。
「人々には中国共産党(CCP)が中国系インド人のことを大して気にかけていないことに気づいてほしい。彼らはおそらく我々が存在していることすら知らない。もし私が完全ボリウッド風でやりたいと思ったら、『マェーンネー・イス・デーシュ・カー・ナマク・カーヤー・ハェー〔※私はこの国の塩を食べてきた、の意〕』と言う〔=愛国心を歌い上げる〕ところまでやります」とフランシスは言う。「私の優先順位は単純です。私はインド市民であり、インド憲法に従って暮らしており、私の支持は常にこの国にあります」。
印中間の緊張がすぐには緩和されそうにないなか、アイデンティティと帰属意識の問題が頻繁に前景化されるかもしれない。チャンの不安もまた、このような思慮をめぐるものだ。「エンタテインメント産業の誰もが仕事はいつ再開できるのかと心配していたとき、敵のような見た目の顔をしているから自分には誰も仕事をやりたくないのではないかなどと、余計な不安を私が感じていたのはどうしてでしょうか」と彼は問いかける。
http://www.iosrjournals.org/iosr-jhss/papers/Vol.%2022%20Issue8/Version-15/J2208154854.pdf ↩︎
張幸(北京大学外国語学院南亜学系副教授)は女性。引用論文は2015年刊行の論集に掲載されたもの。これを補訂したと思われる2017年の雑誌論文あり。 ↩︎
http://panmacmillan.co.in/bookdetail/9789389109382/The-Deoliwallahs/3305/37 デオリワーラー(デーウリーワーラー)はデーウリー収容所帰りの意。 ↩︎
1950年カルカッタに生まれ、強制収容は免れたが1970年代にカナダに移民した著者が、トロント在住の客家人元収容者4人の聞き取りをもとに2011年にトロント大学オンタリオ教育研究所に提出した修士論文。 ↩︎
元デーウリー収容者で、収容経験を述べた『ネルーと同じ獄中で』(初版2012年、シカゴ大学出版会より2016年再刊)の著者。 ↩︎
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cosmicc-blues · 3 years
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2021/4/3
朝、そんなつもりじゃなかったのに朝早くに目が覚めてしまう。遠足が楽しみすぎて早起きしちゃう子どもみたいだとじぶんでも少し呆れる。窓からの日差しを見て、曇りかなと思っていたら、さらさらとシャワーのように白色の光が注いてくる。雲が流れたらしい。寝ようにも寝られないから、布団カバーとか枕カバーを洗濯することにする。洗濯のあいまに公園をぐるりと二周くらい、すっかり緑になった芝生を眺めながら、そこにこれからのじぶんたちの姿を思い浮かべる。陽射しを浴びるハナミズキの緑色の葉っぱも薄桃色の花びらもラミネートフィルムのように透けている。
時間ピッタリに待ち合わせ場所に着くと、花壇のレンガに腰掛けるNらしき後ろ姿が見えて、でも、そのすぐ隣に腰掛けているひとが坊主頭で、一瞬あたまのなかが、はてな、はてな、はてなになる。二人はやっぱりNとRで、不意打ちっていうか、ほとんど奇襲をくらいながらも、まえからこんにちわ~。坊主頭のR、すぐに高校球児の姿がそこに重なる。野球をやっているときの高校球児は天使とか妖精みたいに見えるけれど、Rはなにもしないでただそこにいるだけで天使とか妖精みたいに見えるというか、てるてる坊主とか、傘地蔵のお話に出てくるお地蔵さんのような佇まいがあって、拝んでおくとなんか御利益がありそうな感じがする。Nはワレワレハ…の宇宙人みたいな銀色の服。少しして横断歩道の向こう側にのそのそ歩くMの姿が見える。春仕様の服(水色のシャツ)になっていて気づかなかったとN。4人でTの登場を待つ。なかなか来ない。Nがその場にレジャーシートを広げはじめる。車道を挟んだ向かい側にTらしきひとが見えて、すぐにバスの背後に見えなくなる。まもなくTが横断歩道をひらひら渡ってくる、全員集合! Tの驚愕の表情、びっくりしすぎて? 外国人みたいなイントネーションになっているのが面白おかしい。TとNがいきなり意気投合してワイワイワッショイ、照れちゃって、照れちゃって、あたまがくらくらする。Tのあまりにも真っ直ぐな視線が眩しくて目がおよおよと泳いでしまう。コジコジのワッペンがかわいい。早くパーカーのイラストを自慢したいのにそれどころではない。
ピクニックの買い出し。各々好き勝手にお買い物、レジャーシートの上にどんなものが飛び出すのかを楽しみにするために、みんなのカゴの中はあえて覗かず。2017~19年頃のはなしをしながら公園へ。まったく不思議なめぐり合わせだと思う。フェレット兄弟をはじめ、Tをとりまく環境から届けられる写真や言葉は当時のじぶん(たち)にとってささやかな幸せの種のようなもので、それを覗き見ながらほんわかして、その種は意外なところにも花開いていたんだと言いたい。それからおたがいに、きっと色々なこと(たぶん、それは表面的にはかなり似通った境遇のこと)があって、いつしかおなじ公園で気づかないまますれちがっていたのが、今日こうして相まみえる。でも、どんなに過ぎてしまっても、時の流れとともに色々なことが変わってしまっても、かつて、そこに小さな花が咲いていたという覆りようのない事実のことは忘れたくないと思う。たとえ、忘れてしまっても、たまには何かの拍子で思い出したいと思う。
芝���の上に虹色のレジャーシートを広げる。左からT、N、R、Mの並びでシートを囲う。Tのライオンの靴下がかわいい。芝生のなかにある大きな桜は葉桜になってしまっているけれど、池縁の桜はまだ花を残していて、そよ風にのって数枚の花びらがときおり漂ってくる。上空には大きめの雲がいくつも流れていて、芝生は翳ったり陽射しがさしたりを繰り返す。その雲はもうすぐで輪郭と陰翳のある夏の雲になりそうな。陽射しがさすとあっちーなって感じで、買ってきた氷がはやくも溶け始めている。Nが箱詰めで買ってきたショートケーキをみんなでいただく。唯一ショートケーキだけは苦手で食べられないと言うと、Nはみんなのケーキからイチゴだけをあれよあれよと徴収して、雑な感じでお皿に盛ってくれる。なんてやさしいんだ。イチゴ美味しい。RかMかが余ったイチゴなしのケーキをナチュラルに押し付けられていた(ような気がする)。
宴会ではなくピクニックの始まりはじまり~。すぐ隣でも、別の一組のピクニックが始まっている。演劇団みたいな大勢のひとたちが池の周囲で色んなポーズの写真を撮っている。Mが度数9%の危険なお酒をプシュッしていて、あとでえらいことになりそうだと思う。Tは3%の安全なお酒、Nは午後の紅茶割り、これ美味しいよ~とRにも同じものを作ってあげていた(ような気がする)。ヨーグルト割りを作ろうと思って、あらかじめシェイクしておいたヨーグルトのフタを開けると、ぴしゃっとヨーグルトが顔に跳ね返る。どこからともなく、しゃぼん玉が飛んできて、MがさっそくサイケだとかLSDみたいだとか言いはじめる。同じようなことを5回以上きいているような気がするけれど、いつも素でそんなことを言うから何度きいても笑ってしまう。誰かがハッピーターンの包装の詩みたいのを読み上げている。Tに同じ種族仲間Jのことを少し話す、ご無沙汰だけど元気してるかー?
不思議なめぐり合わせは続くもので、TとKには意外な共通点がある。F氏(笑)。アミティー(だったかな?)ってメニューの略称がなんか脳みそをくすぐる。誰かがお手洗いに立ったり戻ったりするのがひとつのリズムのようになって、そのたびに会話の調子が変わるような気がする。とくにMは戻ってくるたび、急に思い出したようにミサイルのような唐突さで次の話題を提供してくれる。Rがお茶割りのコップを倒してしまい、Mの場所に川が流れる。大慌ててで掃除をはじめるみんなの対応がやさしい。仕上げにRがじぶんの服の袖でMの場所をふきふきする。今度はしゃがんでいたR自身がコテンと後ろに倒れてしまい芝だらけになる。Nが背中の芝をお姉さんかお母さんみたいにパシパシはたいてあげる。ありがとうってRは言う。そうそう、いちばん冷静そうにみえる? Tもお茶を派手にこぼす、10年来のお気に入りの青ジャーにあたらしい思い出が刻まれる。そんなじぶんも酔っぱらってきて、しゃがんでいたら重力に逆らえずコテンと芝に倒れてしまう。芝を振り払おうと思ったら、ちょうどレジャーシートが風下でみんなに大量の芝が降りかかる。
Nの小道具を登場させることドラえもんの如し。今回はノートとペン。絵しりとりが開始される。ティラノサウルス→スイカ→雷→りんご→ゴザ(鏡)→ミミズ→相撲→うんこ→コウモリ→理科室→(?)→シカ→カモ(カラス)→スイカ→かためさんのスマホ(カード)→どろぼう→馬(うさぎ?)→銀河(ほし)→シカ→カヌー(?)→トング→クモ→もぐら→ラッパ→パズル→ルドルフ(トナカイ)→イス→スライム→ムンク→クミン。ノートからちぎった絵の描かれた紙はNがこっそり持ち帰る。
芝生をハイハイしている赤ん坊と目が合って、変顔をしたら、ニコニコしながら猛烈なハイハイで接近してくる、シートに上陸寸前でお母さんに抱きかかえられる。赤ん坊、お隣さんのピクニックにも接近していく。そんなお隣さんから「火持ってますか?」の打診。Mがライターを貸す。まもなく、お隣さんからハッピーバースデー・トゥー・ユーの歌声。Rがいっしょに手を叩いている。タバコもたまには役に立つ。お隣さんが芝生を駆け回っていて、いったい何かと思えば、風に流される桜の花びらを全力ダッシュで追いかけている。ちょうど、じぶんの懐に舞い落ちた花びらをRが拾う、それをポケットだったかどこかにしまおうとするのをNがとどめて、ノートか何かに挟んだらってアドバイスする。そしたらRはノートのミニチュアみたいの隠し持っていて、なにこれ、こんなにいいの持ってたの?って驚かれて(いたような?)。酔いすぎて上の空になってきたRのコップに、Nがこっそり桜の花びらを入れる。しばらくしてコップの水面に浮かぶ花びらを発見したRはわあっと喜んで、風流だねえ、いいねえ、風流だねえなんてことを言いながら桜酒を飲む。しばらくして、それ、私が入れたんだよとNがばらす。
飲み物をこぼしまるくこっちに対して、お隣さんは脱いだ靴のなかに飲みかけの缶や瓶を入れていて賢いと思う。劇団員らしきひとのひとりがサルスベリの木に登っている。足を滑らせて落ちろって念じるけどなかなか落ちない。傘をさして寝ているひと。黄色い花の名前はなに? 一羽しかいなかったカモがいつのまにか三羽に増えている。飲み物が意外とはやく底をついて買い出しに繰り出す。あれ? デジャヴ? とか言って、みんなあたかもこれからピクニックが始まるかのような素振りをしているのが二倍に楽しい。Mは頻りにからだがフラフラすると言う。Rもちょっとやばそう。
あえて、さっきとはちがう道から公園の芝生に向かう。小学校の渡り廊下の向こうに見える校庭のひろがりと公園の緑が揺れているの。公園を象徴するオブジェのこと。Rが「ぐるっとまわってここにでるんだ」と驚いている。その一言に懐かしかがこみ上げる。いまでこそすべての道や場所を把握しているこの公園も、はじめて訪れた当初は探検や冒険ができそうなほど広く感じられたもので、そのときの新鮮な気持ちがふっとよみがえったのだ。みんなで野鳥や植物の案内看板をみる。オナガはカラス科、水色の尻尾がいいよね、さっきの黄色いの花はヤマブキだとわかる。
暮れはじめの空の下、ピクニック2の始まりはじまり~。左からR、T、N、M。さっそくRの目の焦点がどこにも定まっていなくて、Tが心配そうに面白おかしそうに興味深々にその目の奥をのぞき込んでいる。Mの話がループし始める。じぶんだけなら二度でも三度でも聞いちゃうんだけども(面白いから)、みんな正直に��っくばらんにツッコんでいて、めずらしくMがたじたじ。ここでM語録、シベリアの永久凍土、アシッド日本昔ばなし、ロシアの事故動画、未解決事件、飛行機の墜落。この手のはなしはTもめっちゃ詳しい。ちらっとカリーのはなしになると、Rが急に生き返ったみたいにルナさんの名前を出す。うれしい、ルナさんくしゃみしてるかな。そういえば、けっきょくマンションのてっぺん行けなくってごめん。またこんど行こう。
大きな飛行機が上空を通過、みんなでそれを見上げる。うん、飛行機って夏だと思う。ひとり、またひとりとお手洗い。Tはブーツをうまく履けない。Mは方向感覚を失ってあらぬ方向に歩いていく。Nは天使か妖精のようなスキップ。Rは池に落ちないか心配、じっさいに池に落ちた前科があるらしい。すっかり日が暮れて、濃紺の夜空に星がみえるようになる。暗いおかげで、ようやくみんなの顔を照れずに見られるようになる。夜の暗さはまたひとつ宴のはじまりを告げているようで、ほかにも2、3組残っているピクニック客も大いに盛り上がっている。Mのタバコをもらって、みんなで吸う。焚火したいね。しようね。
まもなくお開き。でも、ほんとうは帰りたくないから駅までの道をわざと遠回り。まずMを地下鉄の改札までお見送り。NとRは高架の駅まで歩いていくというので、銭湯にも行きたいことだしTといっしょに見送ることにする。でも、ほんとうは銭湯なんてあとからつけた理由にすぎなくて、小学生の頃、とても仲のよかったKの家は坂の下にあって、じぶんの家は坂の上にあって、おたがいにどうでもいい理由をつけながら坂道を何度も往復して下校していたときのことを思い出す。引っ越してそれきりになっちゃったけど、元気にしてるかな。陸橋を渡って、墓場道へ。Tのブーツの音がコツコツとよく響く。TとNのえんがわが大好きなはなし、おとっつぁんがえんがわ好きだったなぁと思い出しながら聞いていたら、TがNの肩を組んでいる!
とうとう駅に辿り着いてしまう。RとNの後ろ姿、Nのかばんのふくろうがこっちを向いている。ひとりでいるより、ひとといっしょにいるときのほうがひとりを感じやすい性格をしているけれど、そうでないときもあるんだなぁとしみじみ思う。たぶん、前回のときもすごい悲しそうな顔をしていたんだろうなぁとあらためて思う。たとえ、たまね、でも、さよならが苦手なんだということをつくづく実感する。こいつはちょっと笑顔でさよならをする猛特訓が必要だね!
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benediktine · 4 years
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【新型コロナウイルス「最前線の医師」が語った本音】 - デイリー新潮 : https://www.dailyshincho.jp/article/2020/05020632/ 2020年5月2日掲載
 {{ 図版 : 医師イメージ 新型コロナウイルス「最前線の医師」が語った本��とは(※写真はイメージ) }}
 新型コロナウイルス関連の報道では、数多くの医師がメディアに登場して、自身の知見を述べている。しかし、最前線で感染者たちと接している医師の話をじっくりと聞く機会は意外と少ない。実際にはその患者を診たことがない「専門家」(中には医師ではない者もいる)のオピニオンのほうが多く流布されている。現場からの声として紹介される多くは、治療現場の苦境といったところに限定されているようにもある。
 そこで今回、ある総合病院で新型コロナウイルスを実際に診察し、また現場の統括もしているベテラン医師に匿名を条件で本音を語ってもらった。匿名にした理由は「特におかしなことを言ったつもりはありません。同じように考えている医師も多いと思います。でも、ただでさえ忙しいのに、病院あてに抗議などが来るとたまらないから勘弁してください」というものである。
{{ コロナめぐる小池知事の不都合な真実 自宅療養・退院者まで「入院」扱いのごまかし : https://www.dailyshincho.jp/article/2020/05121700/ : https://benediktine.tumblr.com/post/617925533518446592/ }}
―――お勤めの病院はどんな感じですか?
  現状をお話しする前に、平時の病院、医療がどうだったかを少しご説明させてください。
 もともと日本は国民皆保険ですし、東京は医療へのアクセスが極めてイージーになっていました。中学生までは医療費ゼロですし、救急車を呼んでもお金は請求されません。欧米なら数万円は確実に取られます。それゆえ、子供を昼間病院に連れて来られないというだけの理由で、救急外来を夜間に普段使いするような親までいたのです。
 だからいつも病院が混雑していることが問題になっていました。一方で、開業医の先生を含めて医療機関側もそれで儲けていた、という面もあったことは否定できません。「どんどん来てください」とやって、医療費は国に負担してもらえばいいのですから。
 ただ、新型コロナウイルスの影響で、普段は安易に病院に来ていた方が減ったので、全体としての患者数は減っています。
 感染症や救急を担当していない病棟や医師はむしろ時間に余裕ができているようです。不要不急の手術も延期にしていますから。
 1、2月に比べて3月の病院全体の収入は3割減というところでしょうか。病床の稼働率も10%ほど下がっています。
 おそらくこれは開業医などでも同様でしょう。「売り上げ」が落ちて困っているところもあるだろうと思います。
 一方で、私たち新型コロナの担当医たちだけは忙しくなっています。
 うちの病院では新型コロナの診察を救急医が受け持つようにしています。その担当医らの仕事は、大雑把にいって1.5倍になっているという感じです。ただでさえ忙しかったところに、仕事が急増しました。
 私が若い頃は救急を専門とする医師は月15日くらい当直というのが当たり前でしたが、さすがに今はそうはいかないので、当直は月6~8日くらい。週休2日は確保できるようにして、休日出勤の際には代休も取るように、という方針でした。
 これがさっき言ったように仕事量が増えているため、「当分、代休は取れません」という感じになっていて、実感としてかなりキツい日々が続いているのは事実です。
 私自身は現場の診療の他に、病院全体の感染症対策等々の仕事が増えました。省力化できたことといえば、テレビ会議が増えたので結果として会議の時短などが進んだことでしょうか。
―――新型コロナに関しては、膨大な情報量が発信されています。この状況をどう見ますか?
  SNSで誰もが発信できるようになったことで、不安をかきたてる情報が溢れすぎている、という印象はあります。
 また地上波のテレビ、ワイドショーがセンセーショナルに伝える傾向があるのは良くないと思っています。たしかに政府の言う通りのことを流すのでは政府広報になってしまうので、良いことだとは言えません。
 しかし、恐怖を煽って,今の対応が危険だと強調しすぎているように思います。
 現政権が嫌いなのかもしれませんが、それと医学の問題は別です。
 現在の政府方針、専門家委員会の方針は、専門的な知見のある人たちが議論して打ち出したものであり、相応の合理的な判断だと現場の医師から見ても思います。
 ですから煽られておかしな行動をとるのではなく、とにかく今の対策を守ってもらわないと,収束できるものもできなくなると思います.
 にわか専門家のコメントが全部間違っているとは言いませんが、大事なことをうまく伝えられていないと感じます。自称専門家はもちろん、芸能人の方などの不用意な発言でも、視聴者は扇動されます。
 外国の例を簡単に紹介するのも問題です。「海外ではこうだ」というのですが、それぞれの国によって医療レベル、保険制度、国民性、文化など異なる背景があります。だから安易に「あそこがいい」「ここがいい」という話ではありません。
「アフリカの〇〇ではこうだ」と言われても、その国は常に様々な感染症の脅威が存在する国かもしれません。その国の政策を参考にする、といっても無理があるのではないでしょうか。
≫―――――――≪
―――「何もしないと42万人が死ぬ」というシミュレーションも恐怖を煽っていたのではないでしょうか?
  あれはあくまでも「何も対策を講じなければ」という前提で、最悪の事態を示したのですから、「ステイホーム」を訴えるという点では良いのではないでしょうか。
「エアロゾル」感染といった言葉が独り歩きしたせいで、ちょっと勘違いがあるように思うのですが、基本的には空気感染ではなく接触・飛沫感染です。だからちょっと話をした程度であれば、問題はない。
 空気感染だと思うと「じゃあ空気がいいところなら大丈夫」という勘違いが生まれます。ここが心配です。
 たとえば「空気がいい」ゴルフ場に行く、公園でジョギングをする、というのは問題ないように思っている方もいるでしょう。
 たしかにゴルフ場でプレーするだけなら感染はしないでしょう。しかし、その前後に外食をしないでしょうか。ジョギングの最中に無意識にガードレールを触って、その手で顔を触り……となっていないでしょうか。
 そういうリスクがあるからこそ、「ステイホーム」と呼び掛けているわけです。あくまでも個人的な、そしていささか楽観的な見方ですが、きちんと自粛をしていれば、あと1、2カ月のうちには良い状態が来るのではないか、と思っています。
―――そうした報道に煽られて、検査や診察を求める患者さんが殺到していて、かえって病院が困っているとも聞きますが、どうなんでしょう? 
  確かに、必要とは思えない患者さんが検査を求めてくる事例はあります。直接こちらの病院には来なくても、かかりつけ医から紹介状をもらってきて、検査を求めるケースです。そういう人の中で検査を断られた人が、SNSやテレビで「検査も受けられない」と主張することもあるのでしょう。
 ただ、この間、数多くの新型コロナウイルス感染者を診てきた者として言えるのは、「この人は陽性だな」と思う人は検査に回さなくても、ほぼわかる、ということです。あくまでもその診断を確定させるために回すのです。病歴を聞き、問診をして、CTを撮り……といった診察の過程でかなりの確率でわかります。
 ところが、そうした経験のないお医者さんが、患者さんに強く言われたとか、あるいは患者さんサービスの一環で検査を求めるとどうなるか。結果として、本当に早く確定して欲しい人の検査スピードが遅くなります。
 これが問題です。
―――テレビに出ている「専門家」の強い主張の一つが、「とにかくPCR検査を増やすべき」というものでした。これはどうなのでしょう? 
  これは絶対に間違いです。少しでも専門知識がある人は、全くこれを望んでいません。
 他国と日本が違うのはこの点で,本当に医師が疑った例にのみ検査をやっている点で感染の広がりをコントロールできていることは確実です。
 とはいえ確かに検査のスピードは遅かったから、そこは今改善を進めています。
 ただし、誰彼構わず検査をオーダーできるような状況を作らなかったことは100%正しかったと考えています。
 日本のように国民皆保険の国で、なおかつ感染症に詳しくない町のクリニックのようなところまでもが、自由にPCR検査をできるような環境を作っていたら、間違いなく院内感染が多発していたでしょう。おそらくニューヨークやイタリアの比でない状況になったと思います。
「かかりつけ医」に相談することは否定しません。しかし、そこに多くの人が押し寄せたら結局クラスターを発生させかねません。そういう状況を作らなかった点では、当初、検査を絞ったことは決して批判されるようなことではないのです。
 現在報告されている院内感染にしても、慣れてない人が普段使わないような感染防御具を適切でない使用をしたがために他の人や患者に感染させる例があとを絶ちません。
 ドライブスルーでのPCR検査を増やせ、という意見についても、乱暴に思います。病院外での検査体制は進めたほうがいいでしょうが、やり方を間違えるとかえって感染者を増やすことにもなりかねません。
 別の観点から補足させてください。
 毎年のインフルエンザの流行の仕組みをご存じでしょうか。
 PCR検査が注目されることで「偽陽性」「偽陰性」といった言葉もよく目にされるようになったと思います。前者は「本当は陰性なのに陽性と出ること」で後者は「本当は陽性なのに陰性と出ること」ですね。
 実はインフルエンザの検査でも「偽陽性」「偽陰性」は一定の確率で発生します。日本では「インフルエンザかな?」となったらまず病院に行って、検査をしてもらって、タミフルを飲んで、ということが当たり前に思われている方が多いかと思います。
 でも実は、こんなことをしている国はそんなに多くありません。一つには先ほどから言っているように、医療費が高い国では、そのたびに大変な料金が発生するので、いちいち検査しない、という人が多いのです。また、タミフルは病気を治す薬というよりは、よくなるまでの期間を短くする(7日が5日半になる)という性質のものです。
 アメリカならば、この検査とタミフルだけで下手をすると500ドルはかかるでしょう。だから多くの人は「家で寝て回復を待つ」のです。私もそうしています。
 ところが日本は医療費が安いことに加えて、「休むなら証明書を出せ」という習わしが学校や企業にあるので、こぞって病院に来て検査を求めるわけです。
 問題は、インフルエンザの簡易キットの感度は7割から8割なので、2~3割の人は本当は陽性なのに「陰性」という結果になります。
 その人たちは、病院のお墨付きをもらったということで、自由に動き回りますから、コミュニティの中で感染を広げます。実は、これが毎年のインフルエンザの流行の大きな原因なのです。今回のことを教訓に、「インフルの証明書がないと休めない」といったおかしな慣習はなくしてほしいものです。何にせよ具合の悪い人は休むべきです。結果としてそのほうが学校や職場のためにもなります。
 そして、今年、インフルエンザがあまり流行していないのは、多くの人が手洗い、うがいをして、なおかつちょっとでも具合が悪ければ、自ら行動を抑えるようにしたからです。その結果、「実はインフル」の人が感染を広めなかったわけです。
 話をPCR検査に戻せば、検査の無闇な拡充に反対している人たちが怖れているのは、インフル同様に、「お墨付きを得た、でも本当は陽性です」という人が感染を広めることにつながりかねないからです。
 よく韓国やイタリアのほうが日本よりも検査数が多い、といって日本を批判する人がいるのですが、これは話がまったく逆です。韓国やイタリアは最初に検査数を増やし過ぎたために、感染を広めてしまったのです。
「医療資源が無限にあり」「偽陽性の人でも全員どこかにちゃんと収容できて」「(偽)陰性の人が行動を慎んで他人にうつさないようにする」という前提がすべてそろっ���いれば、検査数をどんどん増やすのもいいでしょう。
 しかし、そもそも検査はそんなに簡単なものではありません。検査というのは少なくとも検体を取る人と、検体を検査する人の両者がいてはじめて検査ができるのです。仮に医師会の先生たちが頑張って検体をたくさん出しても、検査する人が増えなければ結果が出るのがより遅くなってしまいます。本当に必要な検査が滞るのです。
 もしも「やる気になればできる」と言い張る方がいるのなら、ぜひそういう人材がどこにまだ眠っているのかを教えていただきたいものです。
 検査の技術の習得は一朝一夕にはできません。だから長期的な観点では、もっと日本はこういう検査もスピーディにできるようになればいい、と言われれば「その通りです」と答えます。
 しかし、今まさに感染爆発を防ごうとしている時期に実現不可能なことを言っても仕方がありません。
 テレビに出ている中でも、自称「専門家」ではなくて、本物の専門家の先生方もいらっしゃいます。そうした方に、「日本のPCR検査数は少ないのでは」とか「より検査体制を充実させられるといいのでは」と問えば、「そうですね」と答えるでしょう。それ以外の答えをしようがありません。
 しかし、それで「それみろ、やっぱりPCR検査が足りないんだ」と言い張るのはやめてください。
 繰り返しますが、現場で本当にこの病気を診ている医者で、もっと検査数を増やせ、などと言っている人はいないはずです。
≫――――――≪
―――ではなぜお医者さんの中で「PCR検査を増やせ」という声が根強いのでしょうか?
  例年、この時期はインフルエンザの患者さんで病院、特に開業医さんは混み合うのです。経営のことを考えると患者さんがたくさん来るのは悪いことではないと考える先生もいるでしょう。今年はインフルエンザ自体が流行していませんし、万が一新型コロナウィルスに感染している患者に検査をすれば、感染のリスクがあるためほとんど行われていません。現在、新型コロナの診察はあまりやっていないでしょうが、一部の人にとっては「検査は怖いから検査センターにお願いするとして、診察は引き受けたい」といったモチベーションがあるかもしれません。
 そういう人にとっては、かりに「PCR検査センター」のようなものが出来れば、都合が良いかも……というのは穿った見方でしょうか。
―――「WHO」の関係者と名乗る方、ノーベル賞受賞者の方もPCR検査を増やすように主張していますが。
  海外にいて、どのくらい日本の事情をご存じなのかわかりません。また、たとえノーベル賞を受賞された素晴らしい先生方であっても、必ずしも感染症やこの病気の専門家ではないので、仰ることがすべて正しいとはいえないと思っています。
 医学はそれぞれの科や専攻の専門性が高い分野なので、たとえノーベル賞受賞者であっても、専門外のことには確証を持って発言していないのではと感じることもあります。
 なお、「検査、検査、検査」というWHOの事務局長の発言もいまだに曲解されている方がいます。あれはあくまでも発展途上国などで検査を軽視している国に対してのメッセージであって、日本などを念頭に置いているわけではありません。
―――ただ、検査をまったくしないと不安だという気持ちもよくわかります。「37.5度が4日間続くまで様子を見る」と言われても、その間に急激に悪化したら……と不安になるのでは。
  気持ちはよくわかるのですが、熱だけが兆候とは限りませんし、本当に具合が悪くなったら救急車を呼ぶほうがいいと思います。新型コロナ以外でも、いろいろな病気がありえるのですから、本当に具合が悪い時はそうするべきでしょう。
 また、これからは「陽性だけれども症状がない」という方はホテルなどに入ることになりました。このメリットは単に隔離されるというだけではなくて、そこには医療スタッフが必ずいるということです。症状が悪化した場合には、そのスタッフが対応します。
 このところ脚光を浴びているのが血中酸素濃度を測って患者さんの状態を観察するというやり方です。入院患者や経過観察の対象の方の濃度をチェックするのは意味があるでしょう。ちなみに、その際に用いるパルスオキシメーターを発明した青柳卓雄さんが、先月亡くなられました。コロナの報道に紛れてしまい、あまり大きくニュースでは扱われませんでしたが、世界に誇るべき日本発の医療技術であることは知っておいていただきたいと思います。
―――死者数や感染者数を見るとインフルエンザと大差ない、いやインフルのほうが深刻だ、といった意見についてはどうお考えですか。 
  たしかにウイルス自体の病原性や感染力は同等だと思います。空気感染はしないので、結核と比べると感染力は弱いともいえます。
 ただ、高齢者や合併症のある人への進行度合いは半端ではありません。日本は医療レベルが高いので、余り若年者は死んでいませんし、今後もそうでしょうが、感染した高齢者の一定数は救いようがないままに亡くなります。
 実際に診察しての実感を一言でいえば、「この病気はヤバい」です。
 多くのウイルス性肺炎は、自身の持つ免疫力で打ち克つことができます。
 新型コロナウイルスは、若い人と比べて高齢者が重症化しやすいことはよく知られていますが、では両者の違いは何か、といえば免疫力になります。肺炎が重症化しても、踏ん張っているうちに回復に向かえる。だからICUやECMOで治療をして、「もうちょっと頑張れる」ようにするのです。しかし、その間にダメージを回復できなければ最悪の場合、亡くなることになります。
 少なくとも私の病院では、例年、インフルで亡くなる人はまずいません。それまでにちゃんと治療をして、回復してもらっているからです。しかし今回は、すでに何人もの方が亡くなっています。だから「ヤバい」と感じるのです。
≫――――――≪
―――世界的に見た場合、日本は死者数、重症者数が少ないのはなぜでしょうか。これを政府の陰謀のように言う方もいますが。
  実際に少ないと思います。それはいろんな理由が考えられるでしょう。
 まず衛生観念が高い、といったことがよく指摘されます。清潔な水が近くにある、靴を履いたまま家に上がらない、とか。そういうこともあるかもしれません。
 また、繰り返しお話ししているように、医療レベルの高さ、アクセスのしやすさは大きいと思います。
 多数の死者を出したアメリカでは、救急車を呼ぶのにも、病院にかかるのにもかなりのお金がかかります。そうすると、具合が悪くても病院に行かない、行けないといった人は一定数出てしまいます。今回亡くなった多くの人が貧困層だというのはそういうことでしょう。「日本でもタライ回しがあるじゃないか」と言われるかもしれません。確かにそういう問題は解消されていません。
 しかし、たとえば東京都では救急医療について「東京ルール」というものを10年前に定めています。「5つの病院に断られた」「30分以上搬送先が見つからない」といった場合には、東京都が定めた地域救急センターに搬送する、というルールです。他の自治体でも様々な取り組みが進められていると聞きます。「日本はダメだ」と言うのは自由ですが、他の国と比べて決して引けを取るようなシステムにはなっていないと思っています。
「BCGが有効」という説も聞きますが、これはまだよくわかりません。そういうこともわかればいいとは思いますが、少なくともそれは現場の私たちが判断できることではないのです。
 なお、「検査数が少ないから死亡者が目に見えていないだけ」といった主張は完全に陰謀論の類です。たとえば別の肺炎死だとか、謎の死者が急に激増しているというのであれば、そういう仮説も立てられるのでしょうが、そんなことはまったく起きていません。
―――最前線にいる立場で、メディアや一般の人に言いたいことなどはなんですか。必要な支援はありますか?
  私たち医療従事者はいま別にお金が欲しくて働いているわけではなく、使命感で働いています。
 相当なストレスを抱えながら、普段以上に働いています。実際の担当ではない医師や看護師にも大きな影響を与えています。
 たとえば、陽性だけれども症状がない、といった患者さんを専門外の個室に入れることがあります。するとそこの看護師さんは慣れないながらも感染者の面倒を見て、しかもそれが他の患者さんにうつらないようにしなければならない。普段とはまったく異なるプレッシャーがかかっていて、精神的に追い詰められている関係者は数多くいます。
 私も今は家に帰れる日は限られていて、あとは病院が用意したホテルに宿泊するようにしています。
 また、精神的に追い詰められた職員らのための対策も考えなくてはならない状況です。最初に病院全体の患者数は減ったとは言いましたが、対応をしている病院のスタッフは本当に大変なのです。
 最近は家庭内感染が増えてきましたが、最初の頃は「夜のお店」近辺の感染者が非常に多くいました。
 そんな状況下で、テレビのニュースを見ると「自粛で大変。補償してほしい」といった「夜のお店」の声を紹介しています。もちろん当事者の方々が大変なこと、そういう感情を持つことは理解できます。でも、毎日ギリギリのところでやっている身からすれば「いま補償の話なの?」という違和感を抱いてしまったのも正直なところです。「これから大変な戦いが予想されるのに、もうお金の話? それもごく一部の業界の? 議論の優先順位がおかしいのでは」と感じました。
 どうか私たち現場の人間が日々、頑張っていることをご理解ください。そうしたお気持ちを持つ方が多いことは励みになります。医療従事者へのエールは素直にうれしく思います。
 そして、早くこのような状況を終わらせるためにも、とにかく皆さんは感染しないように、感染を広げないようにふるまっていただきたい。これは強く訴えたいことです。
 接触・飛沫感染に注意せよと言われても、具体的に何が大丈夫で何がダメか、わかりにくいことと思います。実際にその細かい線引きはできません。だからこそ「極力人との接触を避ける」「極力外出しない」という大きな方針を打ち出しているのです。それを守ったうえで、手洗いを丁寧にマメに行ってください。
 また、特にメディアの方にお願いしたいのは、善意や問題意識からなのでしょうが、常に「国(厚労省)や都のやっていることは間違いだ」といった論調の報道は考えていただきたいところです。
 先ほども申し上げたように、日本のこれまでの対応は決して間違っていません。死者数を見れば明らかです。「世界が疑問視している」といった報道ばかりが目立ちますが、海外では日本を評価する報道も出ています。単にそれがあまり紹介されていないだけです。
 死者数が少ないことをもっとポジティヴに捉える論調が増えてもいいのではないでしょうか。
 私たちは国や都の定めた方針の中で動いており、それに背くことはありません。しかし、国も都も、いろいろと考えたうえで方針を打ち出しています。その決定過程には私たちも関与しています。
 明らかに間違った方針が出れば、私たちも声をあげます。そういう判断ができないほど現場の医師たちは馬鹿ではないのです。
デイリー新潮編集部
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mashiroyami · 4 years
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Page 113 : 疑念
 朝日が建物の隙間から差し、遠景の空は透く。  日の出を見る時刻は、車の往来も少なければ、人の出入りも殆ど無い。僅かな足音が妙に響くような静けさを伴っている。  アランは重い足取りで細い道をとぼとぼと歩く。  キリの地理には詳しくないが、探せる範囲はできるだけ足を伸ばした。大通り、湖の周囲、暗い路地も含めて、目を凝らし、呼び続けた。道行く人々の口から彼の噂が流れてくるのではと耳を澄ませ、時には尋ねて、捜索を続けたが、ついに手がかりを掴めなかった。万が一にも殺傷事件を重ねていれば多少なりとも耳に入ってきそうなものだが、アランもザナトアも足取りを追えないでいた。それは不幸中の幸いであると言えるかもしれない。しかし、まだ人目についていないだけで、闇夜に紛れた静寂なるうちに、誰の目にも止まらぬ場所で死体が転がっている可能性はあるのだった。たった一晩の間でそれが明らかになるとも限らない。  爽やかな陽光に照らされるアランの表情は暗かった。太陽に愛されたエーフィの足取りも流石に重い。ふらついた足はぽつんと誰もいない町を歩く。  見つけた電話ボックス。彼女が一人でこの町までやってきてまず入ったものと同じ。おもむろに入り、皺が増えてはじが破れかけているメモ用紙を開いた。以前スバメの足に括り付けられて運ばれた、所狭しと美麗な字が詰められた小さな手紙を、アランは一種の御守りのように持ち歩いている。  指先に触れる金属は冷たい。一つ一つ、番号を押していく。休息をできるだけ味わうように足下で寝転がるエーフィに彩りの無い視線を落としつつ、流れる音が途切れる時を待つ。まだ朝は早い。眠っているかもしれない。だが、遠慮を考えられるほどアランには余裕が残されてはいないのだろう。  やがて切れて、繋がる。 「はい」  彼は名乗らない。聞き慣れた、というにはまだ浅い。けれど今、縋る他ないその声に、アランは湿った吐息をついた。 「エクトルさん」  受話器を強く握りしめた。 「お願いしたいことがあるんです」  声に力は無かった。  そしてアランは、事の顛末を簡潔に説明した。以前から体調を崩していた様子だったブラッキーが、急に昨晩、野生のヤミカラスを襲ったこと。アランの声は一切届かず、彼から攻撃してきたこと。エーフィが身を張って暴走を止めようとしたが、失敗し、キリの町に姿を消したこと。夜を通して探しているが、手がかりすら掴めずにいること。  エクトルは特段動揺する様子も嘆く様子も無く、小さく相槌を打ちながら、アランの話に耳を傾けた。 「ブラッキーを見つけなくちゃならないんです。どこかでまた被害が出る前に」 「捜索を手伝ってほしいということですね」  長い前置きから先手を打たれ、アランは表情を引き締め、短く肯定した。  わかりました、とエクトルは静かに応える。 「まずは合流しましょう。今どこにおられますか?」  アランは逡巡し、宿泊しているホテルの名前を伝えた。現在地から遠くなく、アランが知っているキリに関する位置情報の中で、正確に伝えられるものである。同時に、ザナトアも泊まっている場所であり、縁が切れて久しい二人が出会う可能性が浮かぶのだが、アランはそれについては何も言わず、エクトルも勘付いているのか否か、普段と変わらぬ冷淡な調子で了承した。  電話を切ると、エーフィはたおやかな身体をするりと伸ばし、アランを不安げな顔で見上げた。疲労は隠せないが、立ち止まる余裕は無かった。エーフィもまたブラッキーを深く案じている。昨晩、ヤミカラスを屠る獣に対し、躊躇わずに電光石火で懐へ跳び込んだ彼女は、果たして彼の理性が弾ける可能性に気付いていたのか。今更想像を巡らせたとて、詮無きことだが。 「うん、行こう」  彼女達は並んで歩き始める。朝の陽光は僅かに明るくなっていき、町は青い影を纏い始めていた。  薄い光の中を急ぐと、既にエクトルは指定場所に立っていた。連絡をしてからそう時間は経っていないが、彼はまるでずっと待ち構えていたように、慌ただしい気配など一切感じさせず皺の無い黒いスーツを着こなしている。傍らには、やはりいつも傍に老いているネイティオが静かに鎮座して、まばたきもせずに正面を見つめている。過去と未来を見通すという、両のまなこには曇りが無い。体格のみでも圧倒する気難しげな男と、妙な存在感を放つネイティオの組み合わせは、どこにいても彼等と分かる、異様な雰囲気を作り出す。  性急な足音を耳に入れたのだろう、入り口からずれた壁に沿って立っていたエクトルは視線を動かす。  髪を乱し、息を切らしたアランに向けて、エクトルは黙って会釈する。若々しい肌に出来た隈がここ数日間の心労を克明に示しており、一瞬口を厳しく噤む。しかし、恐らくそう悠長に構えている暇は無いのだと、すぐに察した。 「詳細を聞いてもよろしいですか」  息が整ってきた頃合いを見計らって説明を求めると、重くかさついた口から改めて事のあらすじが語られた。首都を出て以来、ブラッキーの具合が悪かった点、それに卵屋の傍で死んだポッポにも触れる。  悪の波動を直接受けた腹部に自然と手があてられる。痛みはとうに消えている様子だったが、目に見えぬ傷は生々しいだろう。漠然とした不安に気を病むのも無理はない。 「ブラッキーが急に我を忘れて他のポケモンを襲ったことは、今まで無かったんですよね」 「はい」  勿論と言いたげに、アランは語調を強くする。  躊躇無く危機に跳び込む果敢な姿、鋭利な視線の強さは、彼の獣としての好戦的な本能を彷彿させる部分ではあった。しかし同時に、悲哀に寄り添う思慮深さや、一歩周囲から引いて達観している側面を持っており、突発的な暴走、ましてや主人や仲間のポケモン達に危害を加えるなど、正常からはかけ離れた行動だった。人懐っこいエーフィとは対照的に馴れ合いを拒む傾向があるが、情には熱い。  殆ど行動を共にしていないエクトルでも、漠然と彼等の性格や立ち位置は理解している。嘗てキリでもっと賑やかな一行であった時、子供とはいえ、主人に害を成す可能性は無いか、楽しげに時間を過ごす輪の外側から観察していたものだった。そのエクトルにとっても、今回のブラッキーの件は予想できぬものだっただろう。  可能性があるとすれば、もっと根本的な部分に由来する。 「性格や種族によって程度に差はあれど、そもそも、ポケモンには戦闘本能があります」  エクトルは話す。  だから、ポケモン同士を闘わせるポケモンバトルという文化が生まれ、発展してきている。此の国においては、スポーツと似た側面が強いが。相手を直接攻撃するということは、当然一歩間違えれば取り返しのつかない事態に陥る。不思議な生き物達の、未だはっきりとメカニズムの証明されていない技や進化といった神秘は、元来彼等が生き残り、子を残し種を繁栄させていくための潜在能力だ。時には戦い、そして生きるため。時には縄張りを守るため、群れを統率するため。単純に戦闘そのものを好む種もある。そして、生存のためには食事は必須であり、時には相手を喰らう目的で戦うことも、野生の世界ではなんらおかしいことではない。だが、人間に飼われている彼には本来その必要性が無い。たとえ強い敵意識が芽生えたとしても、本能を抑え付ける訓練も十分なされている。性格を考えても不可解な点は多い。  何故急にブラッキーが、理性を手放したのか。 「なんらかの条件が揃って戦闘本能が呼び起こされたと考えるのが自然ではありそうですが、心当たりは」  アランは考え込むように手を唇に当て、暫く黙り込む。 「……ありません」  ぽつりと応え、すぐに顔を上げた。 「原因も気になりますけど、まずは、ブラッキーを見つけたいです。ポッポの時は、一晩明けたら、誰かを襲うような様子はありませんでした。今も、どこかで冷静になっているかもしれません」 「貴方は、ポッポの件もブラッキーによるものだと考えているんですね」  アランは一呼吸を置き、頷く。昨晩は狼狽を隠せなかったが、既に冷静を取り戻していた。 「他に思い当たりませんから。勿論、野生のポケモンによるものという可能性は、捨てきれませんけど」  視線を下げてから、続ける。伸びた前髪に隠れた瞳に、黒い影が蹲っている。 「以前は、ザナトアさんは野生ポケモンを追い払うために用心棒のポケモンを用意していたんですよね」  アランの確認するような言いぶりに対しはじめエクトルは違和感を抱いたが、直後に理解する。彼女は、恐らくザナトアと自分の関係について、知っている。それを知っていて、敢えて尋ねるような口調を使った。  エクトルが答えずにいると、先にアランが口を開いた。 「でも、決して全く野生の対策をしていないわけではないんです。一応、育て屋を囲う柵は健在ですし、周囲には、刺激の強い香りを放つ植物が植えてあります。家にある資料に書いてありました。慣れてしまえば気にならなくなる程度みたいなんですが。林に棲み着いた野生ポケモンだとしても、林から建物は離れているうえ、わざわざ広い草原を渡って卵屋の方まで獲物を取りに来るでしょうか」  アランのポケモンに関する知識は付け焼き刃に等しい。それでも、彼女は考えていたのだった。ポッポの死の真相について。毎晩見張りながら、何も起こらぬ夜を過ごし、観察していた。  ザナトアが言うように、野生に命を奪われる事故は珍しくはないのだろう。しかし、今は育て屋を辞め、人のポケモンには触れず野生ポケモンの保護に尽力するようになった。 「あの付近には小麦畑や野菜畑もあります。卵屋でなくとも、食料はある。勿論、そうとは限らないという可能性があるというのも、解ってるんです。でも、そもそも、ポッポの死体が首だけを抉っていたというのが、おかしい気がして」  だって、と見上げたアランの瞳は、光に照らされてもなお暗がりを広げていた。 「食べるために襲ったのだとすれば、殆んなど食べずに放っておくなんて、変じゃないですか。それに、夜で殆どのポケモンが眠っていたとはいえ、外から敵がやってきて、少しも騒いでいないっていうのも。保護されているとはいえ、あの子達だって野生なのだから、敏感なはずだと思うんです。……見知った気配か、気配を消して近付くだけの賢さがないと」  それでもブラッキーだとは限らない。あくまで可能性の一つに過ぎない。  エクトルは何も言わなかった。正しくは、言えなかった。彼自身は現場を見ていないためでもあるが、アランの思考の流量に、目を見張っていた。ザナトアからすれば呆れたものだったが、ポッポの死に執着している中で、彼女は様々な可能性を浮かび上がらせては、否定し、繋ぎ合わせていたのだろう。  以前アランに再会した時の印象をもう一度彷彿させた。果たしてこんな人間であっただろうか、と。 「だから私は初め、誰かが何らかの理由で意図的にポッポを殺した可能性があると疑ってたんです」  黒の団の関与については、ポッポが死んで明けた朝、エーフィに対して疑念として打ち明けた。 「でも、その意図が全くわからない。……もしかしたら、ザナトアさんを恨んだ誰かの仕業かもしれない。脅迫のような。或いは、全く別かもしれない。でも、そうだとして、あのポッポを選んだのは、どうしてなのか、解らなかった。恨みでポッポを殺したのなら、その人はザナトアさんのことを解っていない。そんなことをしても、あの人は動じないです」 「……そうですね」  たった一匹の命が軽いものとはザナトアは言わないだろう。しかし、一匹が死んだことで、嘆きに囚われてしまうことはない。たとえ長く生活を共にしたポケモンだったとしても平等に扱う。死は必然として訪れる。ザナトアは身に沁みるほ���知っているから動じない。 「ブラッキーだとしたら、辻褄が合うんです。私の中でも」  エクトルは目を細める。 「……他を疑ってきた中で、ブラッキーが犯人である可能性は、疑いようがないと言い切れるんですね」 「絶対じゃないですよ。もしかしたら、もう本当のことは解らないかもしれないです。でも、ブラッキーだったら……信じられないけれど、有り得てしまうのかもしれないって。それに、あの日がどうであろうと、ブラッキーが昨晩ヤミカラスを殺したのは事実です」  でも、とアランは不意に微笑んだ。 「だからといって、ブラッキーを見捨てたくはありませんから」  疲弊が滲んだ笑みに、エクトルは言葉を返せない。代わりに小さく首肯し、無言のうちに鞄を探った。  目当ての物はすぐ出てきて、アランに差し出される。大きな手に包まれて手渡されたものをアランは自らの掌で確認し、目を丸くした。  白いポケギアだ。型には彼女にも見覚えがある。旧式で、使い古された浅い傷が残っている。 「これは」 「お嬢様の私物でした。もう必要のないものです。貴方にお譲りします」  アランは言葉を続けられず、無言で操作する。自ら操作するのは初めてだったが、旧式である分構造もシンプルであり、機能もごく限られている。時計と、電話と、ラジオ。登録されている電話番号の一覧にはエクトルの名前のみが鎮座している。 「貰っていいんですか?」 「ええ。いずれ捨てる予定のものですから」  その理由は今更語るものでもない。アランは暫し沈黙した後、疑り深い視線を寄せた。 「これ、発信器がついてたんじゃ……」  エクトルは一瞬言葉に詰まる。 「そんなこと、覚えていらしたんですか。……不要な機能は除いています」  小さな狼狽は強固な面には表れない。アランはじっと見つめ、頷いた。 「ありがとうございます」  そう言って、すぐに取り出せるように上着のポケットに差し込んだ。 「一度、お休みになられてはいかがですか」  先程から妙に過敏な傾向もみられる。青い顔色も見かね、エクトルが慮るように提案すると、力無くアランは首を横に振る。 「少しでも早く、見つけないと」 「しかし……エーフィも疲れているでしょう」  ふとアランは足下を見やる。  陽気とまではいかずとも、いつも穏やかに明るく振る舞うエーフィも、流石に一睡もせずに町を走り回ったのは身に堪えるだろう。元気に動く二叉の尾も、垂れ下がって沈黙している。 「急いては事を仕損じる、と言います」  隣国の諺ですが、とエクトルは補足する。 「いざブラッキーに相対した時、万が一に戦闘となればこちらもそれなりの心積もりでいなければならないでしょう。朝になれば通常ブラッキーは大人しくなります。一度休めて備えるのも一手かと」  アランは納得し難いように口を噤んだが、その間エクトルが町を詮索すると説得して、漸く頷いた。 「駄目ですね」  唐突に零した声音が自棄的であった。 「周りが見えなくて、焦ってばかりで」 「貴方は当事者ですから」  仕方ないでしょう、と言いかけたところを、アランは首を振る。 「大丈夫です。……お言葉に甘えて、少し休みます。何かあったら、連絡してください。すぐに出ます」  エーフィに声をかけ、アランは背後のホテルに戻っていく。エクトル自身も予想はしていたが、宿泊している場所だったようだ。ザナトアとエクトルが邂逅する可能性も零ではなかったが、老婆は最後まで姿を現さなかった。それを果たして彼女は解ったうえでこの場所を指定してきたのか、エクトルは危ない橋を渡っている感覚から脱せない。  あの様子では忠告を無視して捜索に乗り出してもおかしくはなかったが、彼女自身も疲弊は頂点に達していたのか、大人しくホテルの奥へ姿を消していったのを硝子越しに確認し、エクトルは踵を返した。
 周りが見えない、と言う。エクトルからしてみれば彼女は若いというよりも幼く、それは当然のことだと片付けられた。だが、子供だと見くびっていると、思わぬ矛先が向けられることもある。  実際、あんなに冷酷な考えに至る子供だっただろうか、とエクトルは思う。  己が目撃したわけではない凶悪犯が、付き従えてきたポケモンだと断定することに、さほど躊躇は無いように見えた。むしろ、納得していた気配すらある。暴走の理由は解らないと言い淀みながらも、辻褄が合うとは不可解だ。彼女は重要な事項を隠しているのかもしれない。それゆえにブラッキーを疑っているのか。  まだ何も明らかにはなっていない。  エクトルは彼女について何も知らないも同然だ。ほんの少しだけクラリスと過ごしただけの、友達と呼べるのかも断言し難い、あまりに刹那であった夏の終わりの出来事に出会っただけの人間である。それでもエクトルには今の彼女が妙に冷たく感じられるのは、クラリスの境遇に対し強い抵抗感を示した彼女とも、楽しげに料理を囲んで笑っていた彼女とも重ならないからだ。あの訣別の朝、湖上を飛翔しクラリスの名を呼び続けたという熱意が思いがけず鮮烈であった印象でもある。終始凪いで他人を見張っている暗い顔つきをした現在からはかけ離れている。ポケモンの食嗜好と性格を結びつける、エクトルからすれば他愛も無い知識に対して目を輝かせた顔が懐かしい。  そういえば、あの時、彼女は言った。ポケモンが好きなんですね、と。  当時、濁りの無い言葉になんの感情も浮かび上がってはこなかった。 「ネイティオ」  隣に立つ存在を呼びかけると、特徴的な黒目のみが動きエクトルをぎょろりと捉えた。 「未来予知だ。彼女のブラッキーは記憶してるな。探し当てろ」  指示を受け、やや間を置いてからネイティオは頷いた。空白の時間に彼の頭で駆け巡ったのは、記憶の引き出しを一瞬で開いていく音だろう。ネイティオをできるだけ外に置いているのは、できるだけ視界に情報を与え、記憶させるためでもあった。不審な人物の行方を追う際に何度も使ってきた手法だ。クラリスでも知らないことだ。  エクトルはスーツの裾を捲り、腰のベルトに装着したボールを取り出す。紅白でデザインされた一般的なモンスターボールではなく、黒字に緑の円が重なった特殊なボールは、暗闇を生きる獣に対して効果的とされる種である。  まだ夜が明けたばかりの朝。伸びる影は濃く、夜の気配は残滓のように辺りに張り付いている。  隣でネイティオの黒い瞳に赤い光が浮かんだ。かの視界は時を渡る。瞬き一つせずに虚空を見つめ、エクトル達人間には見通すことのない世界を視る。  ポケモンの力は強大だ。不可能を可能にできる、異次元の世界が彼等の中には広がっている。それを全て意のままに操るなど、人間の傲慢に過ぎないだろう。しかし、クヴルールはその傲慢を払いのけ、不可能を可能にした。  人間の科学や想像力は、理想は、ポケモンの底知れぬ力すらねじ伏せるのか。しかし、自然に対する逆行が、良い方へ作用するとは限らない。ブラッキーの暴走に対し、エクトルは不吉な予感がしてならなかった。
 *
 アランがホテルの部屋に戻ると、ザナトアは既に起床し、ラジオをかけながら、身支度を整えているところだった。元々ザナトアの朝は始まるのが早い。普段も殆ど夜明けと共に目覚めて卵屋や広い放牧地に赴いてポケモン達の体調や環境を確認し、墓地を訪れるのが日課なのだった。場所が違えど習慣は身体に染みついている。だから、部屋に戻って一番にザナトアに会うこと自体に関して、アランには動揺は無かっただろう。  手前側のベッドの枕元を、まだ眠っているアメモースが占拠しており、些細なことで布など簡単に傷つけ破ってしまうフカマルは、テーブルに寄りかかって、持参した傷だらけのクッションに身を委ねて寝息を立てている。  ザナトアは開いた扉に立つアランを、驚く素振りもせずに振り返り、収穫は無かったのだとすぐに理解した。 「おかえり」  たった一言、いつも通り、つっけんどんに言うと、アランは頭を垂れた。 「見つからなかったかい」  解りきっていることだが、あえて尋ねる。きっと彼女からは言い出しづらいことだろう。慣れぬ町を深夜もうろつくとは、いくら彼女が旅で昼夜放浪しているとはいえ勧められたものではなかった。反対を押し切ったものの結果を出せなくては、気まずさもあるに違いない。  早朝のニュースを伝えるラジオ音声を背景に、静かな首肯を見て、ザナトアはアランに近付き背中を叩いた。 「今のところニュースにはなっていないようだよ。ブラッキーも今頃頭を冷やしているかもね」  励ますように言葉をかけてみるが、彼女の顔は晴れない。ザナトアは肩を落とす。 「少しおやすみよ。朝になってしまえばいつ探しても変わらないだろうさ」  アランの口元が僅かに緩んだ。師弟揃って似たようなことを言うものだった。 「……のんびりしていてもいいんでしょうか」 「はあ? のんびりしていいなんて誰も言ってないよ。英気を養えって言ってるんだ」  思わず突き放すように言うと、漸くアランの頬が上がる。何かが腑に落ちたようだった。 「そうですね。のんびりはできません」 「そうだよ」  エーフィが我先にとベッドに乗り込むと、つられてアランも布団の上に転がった。瞬く間にまどろみが瞼にのしかかっていくのか、抵抗なく目を閉じた。 『――次のニュースです。またも火災事故です。昨夜未明、アレイシアリス・』  ラジオの音声が唐突に途切れる。ザナトアが電源を切ったためだ。沈黙の朝がむず痒く流していたものだが、眠りゆく者たちには弊害だろう。シャワーも浴びずに真っ先にベッドに倒れ込んだのだから、苦労は想像するまでもない。若さはそれだけで価値がある。多少の無理をしても身体がそう簡単には堪えない。老婆の手元からはとっくの昔に消えてしまったものだ。  空調が効いているとはいえ、秋も深まりつつある暁は冷える。布団もかけずに寝転がって、彼女はそのまま眠りにつこうとしていた。仕方無く、ザナトアは昨日羽織っていた上等な上着を彼女の肩からかけてやる。エーフィには、備え付けのブランケットをかけた。  アメモースに、エーフィに、アラン。一匹欠けてしまった彼女のパーティの侘しさが引き立つ。  窓辺に立ち、薄手のレースカーテンをそっと開ける。広い道路に面した窓辺からは磨かれた硝子を通して、突き抜けるような秋空が天にたたずみ、青い朝が一望できる。外にひとたび足を踏み入れれば、冷めた風が肌を撫でて身を引き締めるだろう。室内にいても容易に想像できるような、澄んだ朝である。  祭当日、ポッポレース本番としては、この上無くお膳立てされた空模様である。  今頃湖は昨日の雨を忘れて波一つ立てずに凪いでいることだろう。普段なら早朝に船を出して漁に励む男らがいるものだが、今日は祝日。季節の変わり目と、祭日に限っては、湖への侵入が暗黙の了解で禁じられている。  時間が立てばみるみる湖畔は人やポケモンで賑わうようになり、湖畔の一角を陣取る自然公園を中心に催しが繰り広げられ、収穫の秋に相応しく食材やその加工品といった出店が所狭しと並ぶ。花をあしらった目にも鮮やかな装飾品も名物の一つだ。明るいうちから大人は酒を呑み、子供は旬の食材を使ったお菓子を貰っては飛び回るように遊ぶ。朝から昼間にかけてポッポレースが開催されて大いに盛り上がり、場外ステージでは小規模ではあるが公式のポケモンバトル大会も行われる。そして夕方には、毎年、美しい夕陽に照らされて輝く湖の傍に集まって、空に向けて風船を飛ばす。その先端には羽や花が添えられ、人によっては誰かへ向けた手紙を付ける。暗くなっても賑やかに夜店が並び、盛大のうちに幕を下ろす。  楽しい祭を快く過ごせない事態になろうとは、ザナトアも予想していなかった。折角渡した駄賃も、残念ながら楽しむのに使うどころではない。  今のアランには、祭を楽しむ余裕など当然ないだろう。ブラッキーが早く見つかればいいのだが、見つかったとしても収集が着くのかは不明である。捜索に加わりたいのは山々だが、外付き合いというのは億劫なものだ。それに、日々訓練に励んでいた野生の子たちを放置するわけにもいかない。  しかし、ブラッキーの消失した夜が明け眠りから覚めて、ザナトアは一つ心に決めたことがあった。戸惑うだろうが、きっと理解してくれるだろう。  窓枠に手を添い、秋の恒例行事を想像する。  あのポッポが飛べなかった舞台、チルタリスやクロバットをはじめとして多くのポケモン達が味わえなかった舞台を、あのちいさき者達が羽ばたく。  その光景は、何にも代え難い。  可能ならば、アランにもその瞬間を見せてやりたかった。  無数の翼が希望を抱いた青空に向かって一気に飛翔する、圧巻の空間を共有させてやりたい。生命が叫ぶ瞬間である。あの瞬間、ザナトアは自分は翼を持たないにも関わらず、彼等に引っ張られるように、生きなければならないという高揚がみぞおちの底から湧いてくるのだ。驚いて泣き出す子供も少なからずいるくらいだが、喜怒哀楽が極端に薄い彼女にはむしろ驚かせるぐらいが丁度良いだろう。  今年もその日が遂にやってきたのだと、感慨に耽っていると、不意に落とした視線の先に、黒スーツの後ろ姿が見えた。あまりに遠く、黒い後頭部からは体格はおろか顔も判別がつかない。隣にはネイティオを従えていた。  それ以上ザナトアの視界に留まる間も無く、次瞬には跡形も無く姿を消した。恐らくは、ネイティオがテレポートを使ったのだろう。  まさかね。  絶縁となった彼に繋がっているというアランと生活をしているから、ここ数年は存在も殆ど頭から抜け落ちていたというのに、妙に思考を過るようになってしまった。そんな偶然がこうして簡単に起きるなら、同じキリに住んでいれば、もっと早く鉢合わせたっておかしくないだろう。  影も形も男の気配が残されていない地上からはすいと目を離し、カーテンを閉め、薄い陽光は遮断された。
 *
 彼方で花火のあがる音がした。三発、空砲のようなからりとした音である。その音をきっかけにしてアランは目が覚めた。つられて、他の二匹も身体を起こした。  まどろむ顔で浸っているうちに、町に住んでいるのであろう鳥ポケモンが硝子の向こうで小さく囀っている。  眠りにつくのは早かったが、深くは眠れていなかった。遠い音で簡単に起きてしまう。しかし、部屋に備え付けられた時計を確認すれば、二時間ほどが経過していた。  結んだままにしていた髪ゴムを取り、少し長くなった髪が垂れる。身だしなみを気にする生活をしていないから、奔放に伸びている。気怠げな所作ではあるが、その下の顔色は、格段に良くなっていた。  机の上に置かれたメモを確認し、ザナトアは先に会場へ向かったと知る。今の花火は祭の始まりを報せる合図だったのだろうか。  ポッポレースは午前中のうちに始まる。ヒノヤコマをはじめとしたザナトアのチームが飛ぶのは第二部。正午には終わるだろう。  メモの隣にはパンが二つ置いてある。ビニール袋に入れられたそれを出して、齧り付く。塩を混ぜ込んだ生地はとっくに冷めていたが、柔らかげな風合いを保っている。流し込むように一つ平らげたら、残りの一つはエーフィとアメモースに分け与えた。それだけではポケモン達は足りないから、持参した固形のポケモンフーズを取り出し、それぞれに食べさせる。  小さな咀嚼音を聞きながら、アランは視線を伏せる。  いつもの存在がいない朝は寂しさが漂う。喪失は突然やってくるものだと、彼女は既に身を以て痛感している。幾度も経験しては、時に驚き、嘆き、受け入れてきた。だが、喪失感に暮れる暇などはない。戸惑いは夜に置いてきたように、顔つきは引き締まっていた。  ザナトアの上着を丁寧に畳んでベッドに置くと、一つ深呼吸をした。  触角を上下させるアメモースを傷だらけのモンスターボールに戻し、鞄にしまいこむ。紺の上着を着直した時、ポケットの固さが気になったように手を入れると、譲り受けたポケギアをまじまじと見つめた。今後二度と会わないかもしれないというクラリスが使っていたという機械は丁寧に扱われており使用感がほとんど無いほどだったが、よく目を凝らすと、薄い傷がはじを静かに抉っていた。 「いける?」  エーフィに向けて言った。アイコンタクトと言葉での簡単な意思確認が交わされる。エーフィも活力が戻ったのだろう、力強く肯いた。 < index >
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groyanderson · 5 years
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ひとみに映る影 第二話「スリスリマスリ」
☆プロトタイプ版☆ こちらは無料公開のプロトタイプ版となります。 段落とか誤字とか色々とグッチャグチャなのでご了承下さい。 書籍版では戦闘シーンとかゴアシーンとかマシマシで挿絵も書いたから買ってえええぇぇ!!! →→→☆ここから買おう☆←←← (あらすじ) 私は紅一美。影を操る不思議な力を持った、ちょっと霊感の強いファッションモデルだ。 ある事件で殺された人の霊を探していたら……犯人と私の過去が繋がっていた!? 暗躍する謎の怪異、明らかになっていく真実、失われた記憶。 このままでは地獄の怨霊達が世界に放たれてしまう! 命を弄ぶ邪道を倒すため、いま憤怒の炎が覚醒する!
(※全部内容は一緒です。) pixiv版
 ◆◆◆
 「いつも通り一美ちゃんの人権を無視して拉致が敢行されんとしていた、その時! 我らが極悪非道ロリータの志多田佳奈(しただかな)ちゃんは、ひょんな事から英雄物流(ヒーロジスティクス)密売事件の重要人物、石油王こと平良鴨譲司(へらがもじょうじ)氏と再会する! かくして始まった「したたび」放送開始以来異例のインタビューはまァだまだ続く! それではまた来週~!」
 譲司さんをテレビ湘南(しょうなん)のクルーに連れていかれて、私はオリベさんと、彼女が連れてきた高校生ぐらいの女の子を乗せたミニバンを運転し、先に熱海町に向かう事にした。
 大人になって東京でファッションモデルをしていた私は、たまたまオーディションに受かったヒーローショーイベントの仕事でアイドルの志多田佳奈さんと出会い、 それ以来彼女の冠番組「ドッキリ旅バラエティしたたび」に、ドッキリ企画と称していつもノーアポで連れ回されている。 テレビ出演が増えたのは嬉しいけど、最近の私にはまるでプライベートがない。 テレビ局は何故か事務所とグルで私のスケジュールを完全に把握しているし、いざ連れていかれると、 原付で一都六県を一周させられたり、ドーバー海峡をスワンボートで横断させられたり、ともかく割に合わない過酷なロケに付き合わされる。 なので今回あの番組の矛先が譲司さんに向いたのをいい事に、私達はこれ幸いと先に行かせて頂く事にしたのだった。
 撮影が一段落つくだろう時間を見計らい、矢板(やいた)のサービスエリアで一旦休憩する。 オリベさんが譲司さんに「終わったら新幹線で来てね」とメールを入れている間、私は後部座席で背中を丸めている女の子を見た。 パステルピンクのドルマンスウェットと同色のシュシュ、真っ赤なバルーンスカート。典型的なオルチャンファッションだ。
 <さすがファッションモデル、よくわかったわね。その子は韓国人よ>
 隣のオリベさんが目で語ってくる。 医療機器エンジニアのオリベ・ヒメノさんは、子供の頃に脳神経をやられて声を失ってしまったユダヤ人の女性だ。 でもその代わりに、脳から直接テレパシーを送受信する力を持っている。だから日本語が喋れなくても会話できる。
 今回熱海町に行くメンバーは全員、NICという脳神経科学研究機関の関係者で、その中でも脳の異常発達や霊能力によって特殊な力を使える人達だ。 数時間前に連れていかれた譲司さんも、肺に取りこんだ空気の成分や気圧差で色んな事を読み取るダウジングや、物に触って過去を読むサイコメトリーといった「特殊脳力」を持っている。 だから多分、この子も「特殊脳力者」なのだろう。 顔色が良くないので、休憩所に連れていく事にした。
 「Sorry for the late introduction, because I was driving. I’m Hitomi. And how can I call you?」 (運転中に自己紹介できなくてごめんね。 私は一美です。あなたのお名前は?)
 涼しい外のベンチに並んで座り、私はとりあえず英語で話しかける。 先述の「したたび」で度々海外ロケにも連れていかれるせいで、ある程度英語が話せるようになっていたのは不幸中の幸いというか、怪我の功名というか。 でも女の子は俯き加減のまま私を見上げて、消え入りそうな声で「日本語でいいヨ」と言った。
 「私パク・イナです。日本語の方がいい。 ヒトミさんテレビの韓国で見てた知ってるます。会えたの嬉しいヨ」 イナちゃんと名乗った女の子は、少しカタコトだけど聞き取りやすい日本語でスラスラと答えた。 でも、「会えたの嬉しい」と言う割にはまだ元気がないように見える。  「酔っちゃった?できるだけ安全運転したけど、ごめんね…」 背中をさすろうと思って彼女に触れると、小刻みに震えていた。
 「スリスリマスリ…スリスリマスリ…」 よく耳をすますと、イナちゃんは両手を強く握りしめてなにか呟いている。 意味はわからないけど、韓国語か…
 その時、ふと目線を上げると、ベンチの周りに数匹のカラスが集まっていた。いや、カラスだけじゃない。  「ニャーン…」背後から猫の鳴き声。 振り向くとそこには、おびただしい数の動物霊、交通事故死した人間の浮遊霊、魂未満の小さな鬼火、生きた野良猫、蟻やゴキブリ、目の焦点の合っていない小さい子供… 自我の弱い生き物や魂達が、私達の半径2m外を取り囲んでいた。
 「ひっ…」恐怖で声が出そうになるのをこらえる。 動物霊はこちらが見えている事に気付くと襲ってくる事があるから、なるべく目を合わせないようにしなければいけない。  「スリスリマスリ…スリスリマスリ…」 イナちゃんが何と言っているかはわからないけど、その言葉のおかげで集まっているものたちがそれ以上近寄って来ない事を直感で理解する。しかし、
 バサバサバサッ!!喫煙所の屋根から土鳩の群れが私達めがけて飛来し、イナちゃんは驚いて呟きを止めてしまった。 すかさず大量の霊魂と生物が私達に押し寄せる!
 私はイナちゃんをかばいながら、足の裏の自分の影に意識を集中させた。 幸いその日はカンカン照りの快晴、光源は充分ある。 床に置いたワンピースを下から持ち上げて着るように、自分達の体を影で覆いながら、周囲の光の屈折を歪める。 私達を覆う影が濃くなるにつれて、その分行き場を失った光線が影の外縁で乱反射する。 その反射率がほぼ100%になると、私達の姿は彼らから全く見えなくなった。影法師の「影鏡(かげかがみ)」という術だ。
 彼らは目標を見失って立ち止まった。しかし未だに私達を取り囲んだまま動かない。 私は第二の手に出る。影鏡の輪郭を半球状に広げながら屈折率を更に強めていく。 自分達の視界が完全な漆黒になるけど、その外側は電球のように光っているはずだ。 そのまま集めた光を360度放射する。  「ぎゃあああ!」幾つか叫び声が上がると同時に視界が戻ると、彼らは強烈な紫外線を浴びて散り散りに逃げていた。  ���今のうちに戻るよ!」 私はイナちゃんの肩を押して車へ駆け戻った…。
 ◆◆◆
 <さすがね、ミス・ヒトミ!イナをあなたに任せた甲斐があったわ> 運転を交代してくれたオリベさんが、まるでヒーローショーでも見ていたかのように呑気に言う。 イナちゃんは極度の「引き寄せ体質」で、特に精神的に緊張したりストレスを感じてしまうと何でもかんでも引き寄せてしまうらしい。 韓国で色んなお寺や教会、霊能者を頼ってもどうにもならず、ご両親がダメもとで病院に連れて行ったら、NIC会員の医師に研究対象として保護された。 そして来週からインドネシアにある脳力者児童専門の養護施設、「キッズルームバリ島院」にて、体質をコントロール出来るようになるまで住みこみでリハビリする事になったという。
 <イナのギャザリング体質は今回のミッションに適しているわ。 ジョージも丁度来週からバリ島院の養護教諭になるし、日本で待ち合わせて一緒に出発しましょうって話になったの。 この子がタルパの聖域フクシマに行くと思うと…とってもワクワクするわね!>オリベさんが意地悪に笑う。  「いやいやいや、本人はとってもビクビクしてるんですけど!?福島の心霊スポット系は本当にヤバいんですよ!! ていうか肝心の譲司さんが別行動ですし!」  <平気平気!あなたが付いているもの。 それにインドネシアの悪霊は韓国や日本のよりも刺激が強いから、少しぐらい鍛えておかなきゃでしょ>
 確かにオリベさんの言う通りではあるけど、当のイナちゃんはあれからずっと私の腕にしがみついている。 (オリベさんに運転を変わってもらったのはこのためだ。) ちなみに刺激が強いというのは、物理的に交通事故などの事故死亡率が多い国は当然幽霊もスプラッターな姿の方が多いという事だ。 私も「したたび」でインドネシアに行ったことがあるけど、実際バイク大国で信号が少なかったし、 観光客がバシャバシャ写真を撮っている公園で白昼堂々首なしの野良犬の霊がうろついていたのも確かだ。
 「イナちゃん大丈夫だよ。福島は色んな姿をした人工の魂が多いから、幽霊さん達も死んだ時のままじゃなくて、 おしゃれに自分の好きな姿にしてる方が多いんだ。 ゾンビみたいな人はめったにいないから、安心して。 そうだ…おしゃれといえば、渋谷とか原宿には行ったことある?」
 私が「渋谷とか原宿」と言った瞬間、曇っていたイナちゃんの目がキラリと輝いた。  「シブヤ、ハラジュク!」 やっぱり。オルチャンガールだから反応すると思った。
 「かわいい物は好き?」 「かわいい」という単語を聞いて、イナちゃんの表情が更に明るくなる。  「うん!日本のかわいい好き!! 大人になったらアイドルになりたいです。だから日本語勉強してるだヨ! 「したたび」のカナちゃんは一番好き日本のアイドル!」 一気に饒舌になって力説し、一瞬はっとして「でも���トミちゃんも同時な好きヨ!」と小さくフォローを入れてくれた。 いつの間にか「ヒトミさん」が「ヒトミちゃん」になっていたのが、ちょっと嬉しかった。  「じゃあ無事にこの旅が終わったら、一緒に渋谷と原宿でお買い物しようね」
 その後の車内は、熱海町に着くまでさながら女子会のようにずっと盛り上がっていた。 それぞれの国にあるかわいい物、悪い霊から身を守る色んなおまじない、 最近流行っているコーデ、スイーツ、 それに三児のママであるオリベちゃんの子育て苦労話も。 気がつくと私達全員が全員をちゃん付けで呼び合うようになっていた。 この旅の本来の目的については、誰一人触れようとしなかった。
 ◆◆◆
 「磐梯熱海温泉(ばんだいあたみおんせん) 右折」という三角のモニュメントを確認して、熱海町に入ったのを実感する。 ここは東北新幹線の停まる郡山(こおりやま)駅からも近い温泉街だ。 都心の観光地に比べると小さい町だけど、町内には温泉やスポーツ施設、無料で入れる足湯などがあり、県内外の人々に愛されている。 駅から安達太良山(あだたらやま)の方向に登っていくと石筵だ。 私や玲蘭ちゃんが修行していた霊山や、その更に奥には牛の乳搾りやバーベキューを楽しめるふれあい牧場がある。 残念ながら今回は遊びに来たんじゃないけど、目的が早く済んだら観光案内をする約束だ。
 貸し切り民宿に大きな荷物と車を置いて、ようやく私達は本題に入った。
 <イナちゃん。NIC会員の規定は知っているわよね?> オリベちゃんが真剣な目でイナちゃんを見据える。 イナちゃんは緊張した声で答えた。  「はい。ひとつ、自分のセレキック・アビリティ(超脳力)、人を助けるに使うこと。 ふたつ、私は医療発展に大事な人だから、自分とアビリティ一番大事なすること。 みつ…犯罪するセレキックいたら、積極的原因究明すること」
 イナちゃんが私にも伝わるように日本語で言ってくれたNIC会員規定は、私も会員登録の時に一読した事がある。 NICは医師団の組織でありつつ、警察と協力して超脳力者が関与する事件の捜査をする義務もある。 そういった事件には、一般的な事件捜査では処理できない超常的な現象や証拠があるからだ。
 <その通りよ。あなたにはこれから、その引き寄せ体質でとある行方不明の脳力者捜索を手伝ってもらうわ。 但しもちろん、いつだってあなた自身の身の安全が最優先よ>  「…はい、覚悟準備終わてます」 気丈に答えるイナちゃんだけど、まだその表情は固く、私はサービスエリアでの不安そうな彼女を思い出した。 ひょっとしたらこの件はイナちゃんにとって、自分のコンプレックスである体質が、初めて人のために役立つ機会なのかもしれない。 それに「犯罪捜査」なんて言われると、なにか恐ろしい事に関わるんじゃないか…というイメージもあると思う。 そう考えると緊張するのもわかる気がした。 でも、オリベちゃんは優しく微笑み、鞄から小ぶりな米袋ほどの大きさの何かを取り出した。
 <唯一の手がかりは…これよ> それは人形だった。色褪せた赤青の布を雑に縫い合わせて作られたものだ。 手足がなく、顔も左右ちぐはぐな目をしたブリキのお面で、背中側にはネジや釘が飛び出した機械がついている。 人形を手渡されたイナちゃんが不思議そうに機械のハンドルを上下すると、それに連動してお面の顎もカコカコと上下する。 まるでゴミ捨て場のガラクタで作った獅子舞のようだ。
 <その人形には昔、ジャックというタルパが宿っていた。彼は私やジョージの幼馴染だったの。 でもジャックの魂は日本で行方不明になってしまっていて、これから私達は彼を探しに行くのよ>  「たるぱ?」  「人工妖精、人が作った魂のことだよ」 首を傾げるイナちゃんに私が補足した。 この熱海町や石筵、県外からの修行者も訪れる魂作りの聖地なら、ジャック君が見つかるかもしれない。 オリベちゃんはそう考えて私に案内を依頼したのだった。
 <地味な依頼で拍子抜けしたかしら?>オリベちゃんが人形の金具を弄びながら言う。  「そ…そんなことないヨ!お友達探す頑張ります!」  <ありがとう、心強いわ!じゃあヒトミちゃん、案内をお願い>  「はい。まずは、この辺りの神様であるお不動様と萩姫様のお寺に挨拶に行きます。 萩姫様は影法師のお姿をお持ちで話が出来るから、ジャック君について聞いてみましょう」
 ◆◆◆
 温泉街から見て駅の反対側へ抜けると、萩姫様の伝説に縁のある五百川(ごひゃくがわ)があり、萩姫様がお住まいの大峯不動尊はその先の小高い丘の上に建っている。 私は同伴者二人をそこに案内し、鈴を振り鳴らしてから真言を唱えた。 すると屋根の下の日陰が一箇所に集まっていき、大きな市女笠を被った女性のシルエットになった。この方が萩姫様だ。 その影の御姿はよく目を凝らして見れば、細かい陰影によってお顔や着物の細部まで鮮やかに視認できる。
 「ようこそいらっしゃいました、旅のお方よ…」 そう言いかけた萩姫様が笠の下から私達を見上げると、アルカイックな営業スマイルが驚きの表情に変わった。  「…あれ、ひーちゃん?」
 「お久しぶりです、萩姫様!」  「なんだぁ、ひーちゃんならわざわざ真言で呼ばなくてもいいのに」  「親しき仲にも礼儀ありってやつですよ。それに、お客さんの手前だから格好つけたかったし」 私が同伴者2人に目配せすると、笠を脱いで足元の影に放り投げようとしていた萩姫様が慌ててそれを被り直し、再びアルカイックなキメ顔を繕った。 オリベちゃんがくすっと口角を上げ、<似てるのね、あなたとプリンセス・ハギって!>と私にテレパシーを送った。
 私達は萩姫様に人形を見せ、事情を説明する。  「うーん…人形に見覚えはないな。その『じゃっく君』を作った人の名前はわかる?」  「はい。サミュエル・ミラーというアメリカ人です。 日本に帰化して、今は水家曽良(みずいえそら)と名乗っているそうです」 萩姫様は少し考えた後、  「…うん、やっぱり知らないな。何かわかったら連絡するね」人形をイナちゃんに押し返した。
 「そうなんですね。じゃあ、私達は別の場所を当たってみます」  「ああ、その前に。その子を源泉神社に連れて行きなさい。 倶利伽羅龍王の祈祷を受けると良いでしょう」  「クリカラ…リューオー」 イナちゃんが不思議そうに首をかしげる。倶利伽羅龍王とは、燃え盛る龍の姿の不動明王の化身。 よく不動明王像が持っている、剣に巻きついた炎の龍…あれの事だ。 源泉神社にかつてリナに知恵を与えた龍神様がいるのは知っていたが、それが倶利伽羅龍王だったというのは初耳だ。 私達は萩姫様に改めて一礼し、源泉神社へと向かった。
 源泉神社はケヤキの森遊歩道というハイキングコースの先にある。 五百川の裏山にあるこの遊歩道で、森林浴によって心身と魂を清めながら神社に向かうんだ。 直線距離の長さも然ることながら、山の高低差のせいで、これが意外ときつい。 私は二人がついてきているか確認するために振り向くと、オリベちゃんが何だか訝しげな顔をしているのに気がついた。
 <あのプリンセス、何か隠してる気がするわ。今はまだ、わからないけどね> 私の視線に気付いたオリベちゃんが言う。 実は私もそんな気がしていた。けど、長いハイキングコースを引き返す気にもなれず、 私達は予定通り神社へ向かう事にした。
 ◆◆◆
 丘を下ったところにその神社はあった。 入口では小さな龍を象った蛇口から飲用可能の源泉が垂れ流されている。この龍が魂として独立したのが例の倶利伽羅龍王だろうか。 どうやら龍神様は留守のようだったので、先に社に挨拶に向かうと、私はふと違和感を覚えた。
 「ヒトミちゃん?どしたの?」  「そういえば、ここ…稲荷神社だ」  「イナリ…スシ?」
 「うんとね…。ここはオイナリ様っていう、作物の神様を祀る神社なの。 倶利伽羅龍王は仏様の化身だから、どうして神道の神様がいる神社に住んでるのかなって思って」  <それは宗教が違うって事?シュラインの中の神様に聞いてみればいいんじゃない?>  「それが…、ここのお稲荷様、霊魂として形成されていないんです。 社の中のご神体にこの地や神主様のエネルギーがこもっているけど、自我はお持ちじゃないみたいで…。 それも、ヘンですよね。どうして鳥居の外の龍神様だけ魂になってるんだろう」
 すると、誰かが鳥居の外から私の疑問に答えた。  「ここはクリカラの数ある別荘の一つって事よ」 聞き覚えのある男性声に私は振り返った。いや、この声は、『彼女』のものだ…。
 「リナ!」 いつの間にか、神社の入口に巨大な霊魂が立っていた。 私が中学生の時に生み出したタルパの宇宙人、リナだ。 リナはロングスカート状の下半身をフワリと浮かせ、社への階段を飛び登った。
 「キャ!」驚いたイナちゃんが尻餅をつく。  「マッ失礼ね!人の顔見てキャ!だなんて」  「いやいや、初見は普通驚くでしょ。巨大宇宙人だよ?」  「それもそうね、ごめんあそばせ」 リナは乙女チックにくるんと回り、例の美男美女半々な人間の姿に変身した。
 「この子はリナ、私が昔作ったタルパです。 リナ、彼女は韓国から来たイナちゃん、こっちの方はイスラエルのオリベちゃんだよ」  「あら、ワールドワイドで素敵なお友達じゃない。アンニョンハセヨ、シャローム! アタシは千貫森(せんがんもり)のフラットウッズモンスター。リナと呼んで頂戴。 一美がいつもお世話になってますわ」  <お会いできて光栄よ、ミス・リナ>  「初めまして、私はパク・イナだヨ!」 二人がリナと握手する。久しぶりに福島に帰省したとはいえ、日程的に彼女と再会できるとは思っていなかったから嬉しい。 宇宙人(を模した魂)であるリナは今、福島市でUFOの飛来地と噂される千貫森という森に住んでいるらしい。
 「クリカラ…倶利伽羅龍王は、石川町(いしかわまち)で作られた紅水晶像の化身よ。 彫刻家が死んだときに本体の像と剥離して以来、福島中の温泉街のパワースポットに自分の守護結界を作ってフラフラ見回っているらしいわ。 要するに、根無し草のプー太郎ってやつね」  <あなた、神様をそんな風に言っていいの?>  「ああ…リナと龍神様は個人的な因縁が…」  「ちょっと待って」
 ふいにリナが私を制止した。リナは表情をこわばらせて、イナちゃんの抱えるジャック君人形を見つめている。  「ねえ…アナタ、その人形を誰に貰ったの?」  「貰ったじゃないヨ、私達この人形のタルパ探すしてるなの。ジャックさんいいますこれのタルパ」イナちゃんが正直に答えた。  「これを作ったのがどんなオトコか、知ってるの?」  「エ…?」
 嫌な予感がした。そういえば、オリベちゃんはまだ彼女に、ジャック君の創造者について一言も話していない。 たぶん…わざとだ。  「なによ。…まさかアナタ達、知っててこの子に黙ってるワケ!?」  <…時期を見て言おうとは思っていたわ。でも今はダメなの。だって、この子は…> 剣呑な雰囲気にイナちゃんが生唾を飲む。そんな彼女の不安感を感じ取ったのか、 神社の結界の外に良くないものが集まって来ているのを私は察知した。 私もすぐに全てを打ち明けるのには賛成しない。でも、
 「今はダメですって?どういう神経してるの? 何も知らない子に…指名手配犯の連続殺人鬼が作った人形を持たせるなんて!」 リナはついに、パンドラの箱を開けてしまった。
 「サツ…ジンキ…?」 イナちゃんが人形とリナを二度見する  「あ…あ…ヒッ!!!」イナちゃんはまるで今までゴキブリでも抱えていたかのように、人形をおぞましそうに地面に叩きつけた。 歪に組み立てられた金具がガシャンと大きな音をたて、どこかから外れたワッシャーが転がり落ちる。 同時に御神体に守られていた神社の結界にも綻びが生じたのか、 無数の霊魂や動物がイナちゃん目がけて吸い寄せられた!
 「イナちゃん!すぐに社の中に入って…」私が言いかけた時には、イナちゃんは階段を駆け下りていた。 鳥居の外に出たらまずい!私とオリベちゃんは電撃的な反射神経で彼女を追う。
 「アアアア!!オジマ!スリスリマスリ!!アイゴーーー!!!」 韓国語で叫びながら逃げ惑うイナちゃんの背後では、無数の魑魅魍魎が密集し、まるでイワシ群が集まって大きな魚に擬態するように巨大な影の塊になっていた。  <<ヒシャール・メァホール!>> オリベちゃんがテレパシーで吼える。 するうち魍魎群全体をブラックライト色の閃光が包みこみ、花火のように点滅して爆ぜた。サイコキネシスだ! 霊魂達はエクトプラズム粒子に分解霧散(成仏)し、生き物達は失神して地面にパタパタと落下。 でもすかさず四方から次の魍魎群が押し寄せる!
 「ちょっと一美あんた、あんたっ一美!なんなのよアレは!?」 私達の後を追ってリナが飛来する。  「あの子は超引き寄せ体質なの!しかも精神面にすごく影響しちゃうの!!」  「じゃあどうしてあんな人形を…ああもうっ、どきなさい!」
 リナは再び宇宙人の姿になり、長い枯れ枝のような腕で大気中に漂う先程のエクトプラズム粒子を雑に吸収すると、そのエネルギーを一瞬にして空飛ぶ円盤型の幻影に錬成した。 円盤は第二魍魎群の上空に飛翔し、スポットライト状の光で霊魂達をアブダクションする!  「生きてるヤツらは無理!頼んだわよ!」
 「<上等!>」私とオリベちゃんが同時に返事する。 オリベちゃんが再びサイコキネシスを放とうとしている間に、私は自分の影が周囲の木々に重なるように位置取る。 歩道沿いに長く連なった木陰に自分の影響力が行き渡ると、木陰は周囲の光を押し出すように中空へ伸びていった。影移しという技法だ。  「イナちゃん止まって!」私の声でイナちゃんが振り返る。 彼女は自分の周りを光と影のメロン格子状ドーム結界が守っている事に気がついて立ち止まった。 生き物達がギリギリまでイナちゃんに近付いた瞬間、オリベちゃんのサイコキネシスが発動! 結界で守られたイナちゃん以外の全ての生き物はその場で体を痙攣させて落下した。
 <ふう、間一髪ね…>オリベちゃんが安堵のため息をつこうとした、その時だった。 「ビビーーーッ!!!」 けたたましく鳴るクラクションの方向を見ると、そこには暴走する軽トラックが! イナちゃんの引き寄せが車まで呼びこんでしまったのか?いいや、違う。 不幸にもそのトラックのハンドルを握っていたのが、夢うつつの寝ぼけた高齢者だったのだ。  「うわ…きゃあああ!?」 咄嗟に車を避けようとしたイナちゃんは足を滑らせ、橋のたもとから五百川に落水してしまった!
 「イナちゃぁぁーーん!!!」 溺れるイナちゃんに追い討ちをかけるように、川の内外から第三の魍魎群がにじり寄る。  「助け…ゲホッ!助けて!!」 まずい。水中の相手には影も脳波もUFOも届かない。 万事休すか!?と絶望しかけた、その時だった。
 「俺に体を貸せ!」 突然、川下から成人男性ほどの大きさの白い魚がイナちゃん目がけて川を登ってきた。 いや、よく見るとそれは、半魚人めいた姿の霊魂…タルパのようだ。  「ひっ、来ないで!スリスリマスリ!」イナちゃんは怯えて半魚人を拒絶するが、  「うるせぇ!!死にたくねえならとっとと俺に任せろ、ガキ!!」半魚人は橋の上の私達にも伝わるほどの剣幕で彼女の肩を掴んだ! その時、溺死者と思しき作業服姿の幽霊がイナちゃんの足首に纏わりつく。「アヤッ!」 イナちゃんは意を決して、半魚人に憑依を許した。
 ドシュッ!!途端にイナちゃんの体がカジキマグロのように高速推進し、周囲の魍魎群を弾き飛ばす! イナちゃんに取り憑いた半魚人は、着衣水泳とは思えないしなやかなイルカ泳ぎで魍魎や障害物を避けながら、冲に上がれるポイントを模索した。 しかし水から上がろうとする隙を魍魎に狙われていて、なかなか上陸できない。  「ああクソッタレ!なんなんだコイツらは!?」半魚人がイナちゃんの声で毒づく。 私達も追いつくのがやっとで、次の手を考えあぐねていた。 すると駅の方向から、一台の自転車が近づいてくる。 また誰かがイナちゃんに吸い寄せられたのかと思ったら、その人は…
 「右へ泳げ!右の下水道に入るんだ!!!」
 観光客用の電動レンタサイクルの前カゴに真っ白なポメラニアンを乗せて、五百川に向かって全力疾走する青年…平良鴨譲司さんは、 まるで最初からこの場にいたかのような超人的状況把握力をもって、半魚人に助言を叫んだ。 これが彼の脳力、空気組成や気圧の変化であらゆる情報を肺から認識する「ダウジング」だ!
 「馬鹿か、何を根拠に言ってやがる!あんな所に入ったら袋の鼠だぞ!?」 半魚人が潜水と浮上を繰り返しながら反論する。  「根拠やと?そんなもん…」肩で息をしながら譲司さんが答えた。「ダウザーとしての勘だ!俺を信じろ…ジャック!」
 ジャック、と呼ばれたその半魚人は目を見開き、橋の上の青年を見上げた。 栗色の髪、アラブ人ハーフの彫りの深い顔。ジャック氏の脳裏で彼の幼馴染の面影が重なったのか、 彼はイナちゃんの身を翻して、川辺の横穴に潜っていった。
 「こっちやオリベ、紅さん!」 私達が譲司さんに案内されて、上流から見て川の右側へ駆け寄ると、温泉街らしくない工業的な建物があった。 イナちゃんは建物下方に流れる下水道の横に倒れていて、ジャック氏が介抱している。 彼女らの周りにはもう、魑魅魍魎の類いは集っていなかった。  <そうか。ここは発電所で、すぐ近くに送電線がある。 イナちゃんのギャザリング力も、ここでは歪みが生じて遠くまで及ばなくなるのね>  「日本の電力施設の電磁波は、普通の携帯の電波やテレパシーには影響せんレベルやけどな。 引き寄せ体質とかのオーラ系は本来そこまで飛ばん力やから、ちょっと遮蔽物を作るだけで効果がめっちゃ変わるんよ」
 話している間にジャック氏が再びイナちゃんに取り憑いて、鉄パイプはしごと柵をよじ登って私達に合流した。  「あぅ…わうわ?」譲司さんの自転車に乗ったポメラニアンのポメラー子(こ)ちゃんが、イナちゃんを見て不思議そうに鳴く。 譲司さんは愛犬の投げかけた質問を呼気で理解し、親しい友人の前でだけ話す地元弁で、  「ああ、この子気絶しとるかんな、ジャックが中に入って助けとったんや」と優しく答えた。
 ◆◆◆
 民宿に戻った私達は、意識の戻ったイナちゃんの身体を温めるために温泉に入った。 まだ日没前の早い時間だったから、実質貸切風呂だ。 イナちゃんの服は幸い全部洗濯可能だったから、オリベちゃんからネットを借りて洗濯機にかけている。
 私とオリベちゃんは黙々と身体を洗い、イナちゃんは既に湯船に座っている。 先に髪の毛の水滴を絞った私は、手首に巻いていたゴムバンドで適当に髪をまとめ、湯船に入った。 誰も一言も喋らず、重い沈黙が流れる。
 「…スリスリマスリって、何?」痺れをきらした私がイナちゃんに尋ねた。 イナちゃんはキリスト教のお祈りみたいに組んだ両手を揉みながら、か細い声で答えた。  「意味ないヨ…言うと元気出ます。チチンプイプイ、アブダカタブラ」 「<えっ!!?>」 私とオリベちゃんが思わず彼女を見る。 あの魍魎群がイナちゃんに近寄れなくなるから余程神聖な力のこもった呪文だと思っていたけど、まさかこの子、気力だけで魍魎を拒絶し続けていたなんて。 私達が思っていたよりも、ずっと根性がある。
 「ゴメンナサイ…」 膝を抱えたイナちゃんが弱々しく頭を下げた。 本人が衰弱しているからか、もう魍魎は寄ってこない。 オリベちゃんは顔を背け、持ち込みのマイシャンプーを手のひらに溢れるほど出しながら<悪いのは私の方>と返した。
 <着いてきて貰うだけでいい。 もしジャックがここにいるのなら、あなたを連れて行けば巡り会えると思った。 なにも殺人犯そのものを探すんじゃないし、大丈夫だろう…って。 あなた自身の体質の危険さに対する認識不足だったわ> オリベちゃんの長い癖毛が泡立ち、ラベンダーとシナモンを煮詰めたような存在感のある香りが湯船にまで漂ってくる。
 「どうして、探した?」イナちゃんが問う。  「ジャックさんはオリベちゃんとジョージさんと友達、わかる。 でもジャックさん作った人ヒトゴロシ。しかも連続ヨ。 もし私の友達の親ヒトゴロシだったら、学校では遊ぶ。でも友達の家は行きない。 ううん、わかてる。私は臆病ですね…」 友達の家族が人殺しだったら…。無理もない、いや、当然の反応だ。 私はイナちゃんの白い肩にお湯をかけた。
 「サミュエル・ミラーは、強いタルパを作るためにたくさんの生き物を殺してきたんだ。 生き物を殺して、魂を奪って、それを継ぎ接ぎしながら怪物を育ててたの。 神になりたいから、って動機だったらしくて」  <その通りよ。私やジョージも、かつてあの男の作った怪物に殺されかけた。 その戦いで、私は声を、ジョージは…一番の親友を失った>  「だったらなんで!?」イナちゃんが身を乗り出す。  「そこまでされて友達助ける、凄いヨ?偉いヨ。でも、ヘンだヨ! そんなの…」息継ぎもせずに思いの丈を吐き出して、イナちゃんは再び湯船にうずくまった。「そんなの、できないヨ…」
 「そこまでされたから、だよ」  「え…?」 オリベちゃんは既にシャワーで泡を落としきっている。 でも膝の上で拳を握りしめて、肌寒い洗い場で私達に背を向けたまま動かなかった。
 「…あ…!」 イナちゃんは閃いたようだ。オリベちゃんや譲司さんが、ジャック氏を見つけ出そうと覚悟した理由に。 サミュエル・ミラーはタルパを作るために生き物を殺す。つまり、  <そう。ジャックもあいつに殺された、元は人間だったのよ>
 「そういう事情だったの。そうとは知らず、悪かったわ」 いつの間にか私の背後で、湯船の縁に人間姿のリナが座ってくつろいでいた。  「キャ!」イナちゃんが慌てて顔を手で覆う。  「あ、またキャッって言ったわね!」  「だ…だって!ここ女湯ヨ!!」 赤面しながらイナちゃんが指をずらし、ちらっとリナを見る。 でも、リナの首から下は完全に…  「…オモナッ?」  「ほんっと、失礼しちゃうわ」  「え…じゃあなんで、おヒゲ…え?」 だって、しょうがないじゃない。 中学の時に作ったんだから…知らなかったんだもん。男の人のがどうなってるのか。
��◆◆◆
 居間に戻ると譲司さんの姿はなかった。 庭の方からドライヤーの音がする。そういえばこの民宿は、庭園の池がペット用露天風呂になっているとか。 新幹線の長旅で疲れたポメちゃんを、譲司さんがお風呂に入れてあげていたんだろう。
 窓際の広縁を見ると、ジャック氏が水の入った丸底フラスコのような形の物を咥えていた。 息を吐いているのか吸っているのかはわからないけど、フラスコ内の水が時々ゴポゴポと泡立ち、そこから伸びた金具の先端でエクトプラズム粒子が小さく明滅する。 霊力を吸うための喫煙具のような物なのだろう。
 「ジャック・ラーセン」ジャック氏はこちらを一瞥もしないで語りだした。「…それが俺の本当の名だ」
 生前、アメリカで移動販売のポップコーン屋台を経営していたジャック氏は、フロリダのある小さな農村を訪れた時、サミュエルの怪物と村人に襲撃されて命を落としたという。
 「ん」ジャック氏はイナちゃんに目配せする。 イナちゃんが広縁に近づくと、ジャック氏は立ち上がり、二人羽織で袖を通すようにイナちゃんの腕にだけ取り憑いた。  「オモナ…」二度目だからイナちゃんはすんなり受け入れている。 ジャック氏は指差しでイナちゃんを誘導する。 みんなの荷物と共に固めて置かれていたあの人形の前にイナちゃんを座らせると、 ブチチチッ!雑に縫い合わされていたボロ布を躊躇なく引きちぎり、 中の奇妙な機械を剥き出しにした。
 「こいつぁポップ・ガイっつってな…。ほら、背中のレバーを上げると口が開くだろ? ここから弾けたてのポップコーンが出るんだよ。元々は屋台そのものの一部だったんだ…」 ジャック氏は慣れた手つきでポップ・ガイ人形を操る。背中の小さなスイッチを爪で押すと、お腹のスピーカーから微かにノイズが流れた。  「ああ、ちゃんと電源も入るな。オリベ、マスクは?」  <もうないわよ。ジョージがサミュエルを撃った時に割れて壊れたわ。おかげでトドメをさし損ねた>  「そうか。…いや、あのマスクに小型マイクが付いててさ、 そいつを被って喋ると、そのスピーカーからボイスチェンジャーを通したおかしな声が出るんだよ。 単純なもんだが、小さいガキ共には好評だった。 ま、それだけの話なんだがな…」 ジャック氏はスイッチを切り、イナちゃんから自分の腕を引き抜こうとするが、  「…ん?どうした。こら、離せよ」
 イナちゃんは力をこめて、ジャック氏の腕を自分の体内に留めた。  「…スリスリマスリ」  「あ?何だそりゃ?ほら抜けねえだろうが…」 イナちゃんは細い腕の中にジャック氏の太い腕を湛えたまま、ポップ・ガイ人形を抱きしめた。  「オンジン」  「あぁ??」
 <あははは!ジャック、よっぽどイナちゃんに気に入られたようね!>  「おいおい勘弁してくれ、これじゃボングもろくに吸えやしねえ。 ほらガキ、とっとと離れろ」  「ヤダ、もうちょと。あと私イナだヨ、ガキじゃないもん」  「あぁー!?」 イナちゃんが駄々をこねる。高校生ぐらいの彼女は、時折どこか子供っぽい仕草を見せる。 お寺、教会、霊能者…色んな人を頼っても自分を救える人は現れず、彼女は今までずっと、おまじないの言葉だけを頼りにあんな恐ろしい物と孤独に戦い続けてきた。 そんなイナちゃんのピンチを初めて救った私達は、彼女にとって親にも匹敵するほど心強い仲間になったことだろう。
 「ったく…しょうがねえな」 ジャック氏は彼女の腕を、ジュゴンのように柔らかく暖かそうな彼の胸板に抱き寄せた。  「…ジョージが戻ってくるまでだからな」
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全面開通間近! 白山白川郷ホワイトロードの見どころ(石川〜岐阜)【車中泊女子の全国縦断記】
来る6月15日(金)午前10時、石川県白山市と岐阜県白川村を結ぶ【白山白川郷ホワイトロード(旧称:白山スーパー林道)】がいよいよ全面開通します。 安全祈願祭のあと、開通の式典(テープカットなど)を開催。各料金所で先着数十台に記念品が贈呈されるなどのイベントも行われる予定です。 白山連峰を遠くに望みながら白山国立公園を縦断する、全長33.3Kmの絶景ロード。今回は石川県側から走ります。 白山は、日本の北陸地方・白山国立公園内の石川県白山市と岐阜県大野郡白川村にまたがる標高2,702mの山です。日本百名山、新日本百名山、花の百名山および新・花の百名山に選定されています。 中宮レストハウス(中宮温泉野営場)・中宮温泉までは無料区間で、料金所はこの先になります。 ホワイトロード内には駐車場が8ヶ所、トイレが4ヶ所ありますが、お食事できるところはこの中宮レストハウスか、後述する蓮如茶屋しかありません。 でも自然の景観を重要視するなら、これでいいのかも知れませんね。最小限の建物のみで大仰な施設がないのも大自然を大切にしている証と言えます。 蛇谷園地駐車場から、日本屈指の絶景露天風呂・親谷の湯まで遊歩道が整備されています。遊歩道と言っても、急勾配の階段が続くので気軽に…とはいきません。 温泉は筆者が訪れたときは休止中でしたが、昨年(2017年)復活。ちなみに混浴露天風呂(無料)です。恥ずかしがりやさんには足湯もあるのでご安心ください(?)。 道中たくさんの滝があり、特に【ふくべの大滝】は駐車場のすぐ脇から間近に眺められるので訪れる観光客が絶えません。 国見展望台は、ヘアピンカーブのど真ん中! 駐車場は、この写真の手前に位置します。ピラミッドのような丘の頂上には望遠鏡が設置されています。 渓谷を見下ろすワインディングロードが続き、新緑のなかを走るのはとっても気持ちがいいです! ササユリ(左)やハクサンシャジン(右)をはじめ様々な高山植物が目を楽しませてくれます。 栂(とが)の木台駐車場からの眺め。遠くに見える白山には、7月でも雪が残っていました(2017年7月10日撮影)。週末にはキッチンカー【絶景カフェ】がいるかも知れません。 栂の木台駐車場からも、瓢箪(ふくべ)谷上園地展望台への登山道があります。往復約40分、白山山頂部や三方岩岳が遠望できます。 三方岩駐車場はホワイトロードの最高地点(標高1,450m)。三方岩岳山頂への登山道口でもあります。往復約1時間半、晴れた日には北アルプスまでも遠望できます。 白川郷展望台駐車場にある蓮如茶屋は、その昔、蓮如上人が歩いた道筋に建てられていることから名づけられたそうです。 ホワイトロードの有料区間内唯一のお店で、お土産品やお食事を提供しています。昼食に蓮如蕎麦(山菜蕎麦)をいただきました。雄大な景色を眺めながらの食事はまた格別です。 蓮如茶屋の道向かいに、白川郷展望台へ続く遊歩道があります。距離は約200mくらいのはずなんですが、階段の登りがけっこうきつくて大変でした。 ホワイトロード周辺には、他にも【市ノ瀬ビジターセンター】【中宮温泉ビジターセンター】近隣にもトレッキングコースがあり、とてもじゃないけど1日では回りきれません。 汗をかいたら、【新中宮温泉センター】【一里野高原ホテルろあん】【白山中宮温泉】【白川郷の湯】など日帰り入浴施設も多数あります。 ■開通予定期間 平成30年6月15日(金)~平成30年11月10日(土) ■開通時間 6月~8月:午前7時~午後6時(出口閉門午後7時) 9月~11月:午前8時~午後5時(出口閉門午後6時) ※9月22日(土)~10月21日(日)は「秋のモーニングタイム」として午前7時から開通 ■通行料金 軽自動車 1,400円(往復2,200円) 普通車 1,600円(往復2,600円) ※二輪車通行禁止 詳しくは【白山白川郷ホワイトロード】公式サイトをご参照ください。 (松本しう周己) あわせて読みたい * 地味な対策の積み重ねが基本!? キャンピングカーでの湿気対策【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * じめじめ梅雨の到来。キャンピングカーも除湿の基本は換気です【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * 海岸線を絶景ドライブ・国道229号線〜神威岬と義経伝説(北海道)【車中泊女子の全国縦断記】 * トラブルは忘れた頃にやってくる!? トラブル回顧録・バースト編【車中泊女子のキャンピングカー生活】 * 「何もない」道の駅・てっくいランド大成を起点にドライブ(北海道)【車中泊女子のキャンピングカー生活】 http://dlvr.it/QWbXHT
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pinoconoco · 7 years
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plunder a  next door neighbor 7
映画館が一番好きだった
なるべく人気のある、それでいて子供も見れる映画を選ぶ。席が並んで取れなかったんだと嘘をついて、そうすればかずいと苺花は二人で並んで座りたがるから、少しだけ離れたところに彼女と並んで座る。映画が始まれば手を繋いだ。それだけじゃ物足りなくてスカートに手を伸ばしたりもした。そうっと、そうっと中に手を入れて温かい太腿を何度も撫でていると、彼女はゆっくりともたれ掛かってくる。はぁ、と甘い甘い吐息を漏らす。俺は横目で子供達を監視しながら彼女の頭に自分も頭を寄せて、時には額に口づけた。
足、開いて
そう囁けば彼女は従順に足を開いて俺の手が自由に動けるようにしてくれた。 下着はつけていない。 映画が始まる前にトイレで下着を脱いできてと言ってあったから。脱いだ下着は預かると言って彼女からいつも奪う。 渡してくる時の彼女の顔が可愛いから、これをするのはもう映画の日のお約束だった。
焼き肉を食べた日のように、美味しものを食べてたくさん話していたいとも思うがそんな時間はなかなか作れない。少しでも二人の時間が取れるとなれば、どうしても彼女に触れていたかった。 ナッツの散歩の夜の公園や 子供達と遊んでるようで家のソファで隙あれば 彼女の身体に指を這わせた。とろとろに潤うその感触だけで満たされた。
俺は指だけで彼女を翻弄できるんだー
可哀想な恋次
おまえは自分で苦しみながらも彼女をいたぶらなければ彼女を満足させることができないのに この女は俺には言葉すらなくても俺に触られるだけでこんな洩らしたみたいに蜜を溢れさせるんだから
そう思えば堪らなく幸せで 堪らなく彼女が愛しかった
だから、お互いのこの生活は間違っていると思った。妻にも恋次にもこんな生活は悲しいし間違っているのだから辞めさせなければと、わからせなきゃ駄目だと本気で思うようになった。 だから妻に離婚届を差し出した。 それはあの雪の日から、半年以上経っていた。恋次も妻もみてみぬふりと言うよりは全然気がついていないようだった。
いや、恋次はどうなのかー
あの日から 彼女を触っていいのは俺だけになっていたから、恋次は何かしら感じているはずだった。 恋次に触らせるなと、彼女にそれだけは命令、と言えば彼女は嬉しそうに頷いていた。 約束は破ってないと思う。 夜あの声が聞こえることがなくなったし 彼女は痣ひとつない綺麗な肌を露出して、外を歩けるようになっていたから。 彼女は俺の「命令」にきちんと従っていたのだ。
彼女を痛めつける必要なんて何処にもなかった。
ないけれど ふとした時にどうしようもなく 彼女を服従させたい、卑猥な言葉で貶めたい、少し乱暴してでも泣かせたいそんな想いに堪えられないことがあった。 もちろん堪えることなどしなかった。
自分がそうしたいと思う時は 彼女もそうして欲しいと思っていたから
だから彼女と自分は お互いもう絶対離れられられない存在なんだと疑うなんてこともなかった
◾ ◾ ◾
小さい頃から人が見えないものを視る事ができた。ただ成長すればするほどその話を人にすることはなくなっていた。 思えば妻も知らないような気がする。 だいたいが医者という科学の立場にいるのだから霊が視えるなんて言っていいはずもなかった。
自分でもよくわからないが、全ての霊が視えているわけではないと思う。 普通に声が聞こえる時もあれば 全く言葉がなかったり それこそ顔だけの奴もいれば普通のその辺歩いている人間みたいな霊もいた。 だから 勢いであんなことを言ってしまったが 彼女の言う場所で本当に視えるのかはわからなかったし自信もなかった。 それに、 彼女の嘘かもしれない、とも思った。
今朝は大雪になると聞いていたから、SORELを履いてきていて助かった。銀座線の入口まで来ていたのに、彼女に連れていかれたのは上野公園だったからかなり戻った。場所に行くまでも手をきつく握りしめて離すことはなかった。
さっきの彼女の話は本当なのだろうか それとも俺から逃れる為の嘘だったのだろうか
「……ここだ」
こんな雪の日だから、西郷さんの周りには人一人いなかった。いつもなら、カップルが数人いたりするのだが。
なるべく頭をからっぽにして、周りをぐるりと見渡した。そうすると、ポツリ、ポツリと数人の、人でない人の形をしたものがぼんやりと見えた。
「3人いる」 「どんな人だ?」 「ひとりは長髪にベルボトム、GSみたいな男、ひとりは女。泣いてる。さっきから何回もその高台から飛び降りてを繰り返しているんだ。それからもうひとりはー」
目があった その男は子供みたいな顔して笑って俺を見た
うそつきだ たくさんのうそをついている でもうそはときにはやさしさだ
そう聞こえた。 今のはなんだろう 男は俺に言ったのか? それとも彼女へのメッセージなのだろうか?
「……もう一人は?」
考え込んでしまったせいで彼女が俺の腕をくん、と引いた。
「あぁ、悪ぃ…………革ジャン、ダメージデニムにライダーブーツ。ウソつきとか言ってる」
そう言うと彼女は大きな瞳を更に大きく見開いた。
「貴様、ほんとうにみえているのだな……」 「え?」 「最後の日の彼の服だ。なぁ、背は?」 「高い。俺より高い」 「髪型は?」 「黒髪で、後ろが少し長い」
うんうん、と彼女は泣きそうな顔で頷いた。
「私を、彼の前まで連れて行って欲しい」
そう言う彼女を男の前に連れて行った。
「今、目の前にいる」 「……そうか。何も、感じないのが悔しいな」
俺には男と彼女が向かい合って見つめあっているように見えるが、彼女は宙を見ているのだろう。彼女の話は本当だったのか。 そこまで思う相手が、この男なのか。
「すまない、少し話したいんだ。離れてくれないか?…………逃げぬから」
今となっては逃げられても追いかける気力もない、というか何だかさっきの勢いは削げていた。 とりあえず頷いて、少し離れた高台から上野の街を見下ろしていた。
何時もと違う白い街並みを見下ろしながら切ないような苦しいような気持ちになっていた。 先程までの唸るような熱い乱暴な気持ちも姿を消していた。 旦那と子供がいても 何年も前にこの世から消えても この女に思われてるなんて そんな奴に誰が勝てるんだろうな
「ありがとう」
思っていたより早く、彼女は俺の横に並んで同じように街並みを目を細めて眺めた。
「……話できた?」
彼女はこくんとゆっくり頷いた。
「素直に話せた。……貴様の、一護さんのお陰だよ。本当に感謝している」 「別に……役に立ててよかったよ」 「ウソつき、と言っていたのだろう?」 「あぁ、よくわからないけど、嘘はやさしさとかそう聞こえた」
彼女はまた目を見開いて俺を見つめた。
「それは一護さんに言ったのだろうか」 「……どうなの?よくわかんねぇんだ、本当に」
彼女はなにも言わずに俺をただ見上げていた。大きな瞳は宝石みたいだ、綺麗だなとやはり何も言葉にせず俺も彼女を見ていた。
「今の方は、私がお慕いしていた人だ。7年前の今日、酔いざましに私達がこの場所に来たとき���女が数人に襲われていたのだ。相手が数人だから、私はすぐに助けを呼ぼうと言ったのに、腕に自信のある彼は飛び出して行って彼女を助けたんだ。だけど一人が大きな石で後ろから思い切り頭を殴り付けて、それで、」 「もういいよ」
震える彼女の声に苦しくて、もう困らせたくないからもう話さなくていい、と肩を抱いた。 凶暴な気持ちなど本当にもう何処にもなく、ただ彼女を苦しみから逃してやりたいと思った。 だからそっと彼女を包むように抱き締めた。
「…………彼は帰らぬ人となった。彼が助けた女性は妊婦だったんだ。彼女はこの命を守ってくれた彼の為にもこの子を大切に育てます、彼のように勇敢な子供に育てますと泣きながら言ってくれたんだ……」 「そっか……」
そう言って頭を撫でてやれば、彼女は俺の胸に顔を埋めた。
「その守られた命が苺花なんだ」
撫でていた手を止めた。 なんて言った? どういうことだ?
気づいた彼女はフフ、と辛そうに笑った。
「守られるどころか捨てられたんだ、生後2ヶ月でな」 「ごめん、意味が、よくわからない、苺花はおまえの子でも恋次の子でもないのか?」 「いや、恋次の子供だ。でも私は血の繋がりはない。育ての親というのだろうな」
ブワッと風が吹き、まるで吹雪のように雪が舞った。言葉が口から出てこない。なんて言っていいのかわからなかったのだ。
「早く、連れていってくれ……」
胸に抱いた彼女が言った。
「ここは、寒いから」
そう言うと彼女は更に俺の胸に顔を埋めて、両手で胸元をぎゅっと掴んだ。
◾ ◾ ◾
なんとなく、誠意のつもりで彼女をラブホテルではなく普通のホテルに連れてきた。
「それ、脱いで」
自ら靴下を脱ぎながら、彼女のタイツを指せば少し戸惑いながら彼女ら俺の目の前でするするとタイツを脱いだ。 おいおい、なんで嫌とか言わねぇんだよ
「男の前で脱いじゃうのかよ、無防備だな」 「え、?」
からかうように言えば彼女は顔を瞬時に赤らめた。 変なことをするつもりなんてなかった。 ただガチガチに冷たい自分と彼女の足を暖めたかったのだ。
手を引いて風呂場に連れていき湯船の縁に座らせ、踝のあたりに温まったのを確認してからシャワーを浴びせた。
「……あたたかい……」
そう言って両手もシャワーの下にかざした。
「凍傷になりそうだったからな」 「一護さんも」 「アンタが温まってからでいい。そのあと風呂場沸かそう」 「手際がいいのだな」 「かずいより手がかかるな、あんた」 「……な、そんなこと」 「もう少し温度あげようか」 「……ありがとう」
ほんのりピンク色になってきた彼女の足を、シャワーの湯をかけながら見ていた。 足首にも痣があった。
「聞いているのだろう?」
見透かされたかの如く、彼女は静かに聞いてきた。
「あの病院の先生か、織姫さんに。私の身体が汚いと聞いていたから、あんなことを言ったんだろ?」 「……」
あんなこととは、さっきの話か。 痛みに感じるのかと聞いたからか。
「………もう、いいんだ」 「よくない、聞いて欲しいんだ」 「何を?苺花のこと?痛みに感じちまうことか?」 「…………」 「悪ぃ、意地悪な言い方した」 「ううん、意地悪なんて思ってないよ」
その細い足首を触ればだいぶ温まっていたので自分の足にも湯をかけた。あまりに冷えていたせいで痒みを伴いながら足は温まっていった。
「彼が死んで立ち直れないでいた私の前に、生後2ヶ月で育てられないと放棄された赤ん坊が現れたんだ。あ、私はそういう場所で働いていたのだ。 寂しかった私にその赤ん坊のお世話はとても大変で、でもその赤ん坊の世話をすることで私は元気にもなっていったんだ。���ずいがいるからわかるであろ?
赤ん坊は理由などなくかわいいであろう? どんな生き物も全ての赤ん坊は可愛いんだ。神様がそう作るからな。可愛くて放っておけないように。
私は赤ん坊を育てる担当になって それこそ夜中に泣く赤ん坊にミルクを作り、泣き止まなければ、夜中に外を歩いたりもしたよ。でも今思い出しても大変だとか辛かったとかないのだ 可愛くてひたすら幸せだったよ ママ、と呼ばれた時には嬉しくて泣いた。 しあわせの泪だ 悲しくて泣いたって彼は戻らない この子の為に私は生きようと思ったよ
1歳になる前に、柄の悪い若い男が役所の人とやってきたんだ。 赤ん坊の父親なのだという。 見た目から気に入らなかっただけでなく、私から赤ん坊を奪おうとした男を最初私は憎く思った。 でもその男も必死だった。 慣れない赤ん坊に声を荒げることなく、一生懸命赤ん坊に歩み寄ろうと施設に通って来た。 その姿に私も少しずつ、彼に心を開くようになって。 赤ん坊の世話を教えているうちに仲良くもなった。
そしたらその男が、赤ん坊とお前も引き取らせてくれないかと言ったんだ」
「それが、恋次?」
こくん、と彼女は頷いた。
赤ん坊は私の希望になっていたし 恋次の一生懸命さにも心を打たれ始めていたから 私は受け入れた。この子の母親に本当になれたのだと幸せだったよ
苺花の母を知ったのは、恋次と結婚してからなんだ
母親の写真を見せられた時に愕然とした。
彼があのとき助けた女性だったから。とても綺麗な女性だったから忘れることはなかったんだ、写真を見て直ぐにわかったよ。 恋次とその女性は、結婚したのに子供を生む前に別れてしまったそうだ。 子供に会わせてくれと頼んだら 施設に預けたと言われて、彼が引き取ると決めたそうだ
「不思議なこともあるんだな……」 「そうだな、でも、苺花は私の娘だ。私はそう思っているよ」
彼女の話を聞いているうちに、湯船はいつの間にか溜まっていた。彼女も俺も足を湯船に浸した状態で話をしていた。
「風呂、入りな。覗かねえから安心しろ」 「そんなこと思わないよ。貴様は巨乳好きの変態なんだろ?」 「おい、そりゃ言い過ぎだろ。つーか誰が巨乳好きと言った」 「織姫さんが奥様なんだから説得力あるぞ?」 「ちげーし!むかつくな、それ撤回しろ」 「怒らなくても。恋次がそう言ってただけだ」
クスクス、と彼女は笑った。 恋次ふざけんなあの野郎と本気でイラッとしてしまう。
「全部、話してしまったなぁ……」 「言わねぇよ、誰にも」 「……ありがとう、苺花も知らないんだ、このことは」
彼女は湯船の中の足をゆらゆらと揺らした。
スカートをかなり捲りあげていて、白い太腿が眩しかった。
「……その女性がな、最近恋次に連絡をとってきたんだ」 「え?」 「……復縁、したいようだ」 「それって」 「私は、用済みになるかもしれない」 「そんなことねぇだろ? アンタが今まで苺花を育ててきたんじゃねぇか!」
その女勝手すぎるだろうがと怒れば、彼女は不思議そうな顔をして俺を見つめた。
「一護さんは、優しいな?人が良いのだなぁ」 「んなことねぇよ。普通そう思うよ誰でも」 「それがな」
彼女は下を向いて首を降って笑った。
「私は少しほっとしたんだ」 「…………え?」 「かといって、苺花と離れるのも嫌で」 「どういう、意味だよ」 「結婚、したのに」
私は、恋次を男として愛してないんだきっと
下を向いたまま、苦しそうに彼女は言った
軽蔑してくれて構わない この身体がこんなに痣だらけなのも そういうことをしないと私が恋次を受け入れられないからなんだ 恋次は本来優しい男だから 彼も本当は辛いと思う でも彼に優しく触れられても私は ちっとも その気になれなくて
全然濡れないんだ
背中にタトゥーをいれたとき その痛みには何故か感じてしまって 恋次はそれから 私を縛ったり、時には噛むことも殴ることもあるけれど そうされると わたしの身体は疼くようになったんだ
こんな話して、すまない 私もどうしてかはわからない だって彼が生きていた頃はそんな女じゃなかったのに
どうして どうして
とうとう泣き出した彼女に触れるのは躊躇われた。 湯船から足を抜き、とにかく風呂に入れよとそれでも頭を撫でて風呂場から出ようと思った。頭の中が整理できない。 いきなり聞いた苺花のことも恋次のことも。
「でも、一護さんに触れられた時に気持ちよかったんだ」
風呂場の扉に手をかけた時に聞こえたその言葉に、足は止まった。
「肋骨を打ったあの日、抱いて病院に連れて行ってくれた時、一護さんの腕のなかは気持ちよかった」
背を向けて話す彼女の肩を掴んで自分に向かせた。まだ少し涙の残る瞳は揺れていた。
天然?
こんなナリでこの女は悪女なんだろうか?
そういう事、どうして言うのだろうか
「服、脱いで」 「え?」 「俺で、試してみろよ。だから脱いで」
それでも動けないのか動かない彼女のVネックのセーターに、我慢できず手を掛けた。セーターの下はキャミソールだった。 初めて見た彼女の細い肩には歯形のような痕があり、手首には拘束されていたのだとわかる痛々しい痕もあった。 丁寧に、肩から手首までを撫でれば彼女は、あ、と小さい吐息を溢した。 何度も両手で彼女の肩から掌までを撫で上げた。しつこいほどに丁寧に、ただそれだけを繰り返していれば彼女の頬が蒸気した。唇が半開きの状態で俺を見上げている。顔を寄せて、唇ではなく首もとに優しく唇を押しつければはぁぁとまた甘い息を吐いた。
感じてる
彼女の身体は既に火照っているし、その顔はどうみても嫌がってもいないと確信してしまう
「気持ち悪いなら、嫌なら言って。止めるから」 「……いやじゃ、ない」 「じゃあどんな感じ?」 「……」
彼女は言葉に詰まって、んん、と吐息だけを漏らす。
「教えてよ、嫌なら止める直ぐに止めるから」 「……もっと、触って、欲しい」
その言葉を聞いた時に彼女に初めて口付けた。 元々半開きの唇は直ぐに俺の舌を抵抗無く受け入れた。キスしたまま抱き上げて風呂場から出ると彼女をベッドに運んだ。 しがみつく彼女のキャミソールと下着を同時に上へとずらせば小さなでもとても綺麗な膨らみがふるふると揺れて現れた。堪らなく直ぐに唇で尖りを含めば、いやぁ、と先程より甘く大きな声をあげた。
「痛くなんかしてねぇよ」 「うん」 「すげぇ甘いな、あんたのここ」
そう言って舌で押し潰すように尖りを舐めれば彼女ははぁはぁと息を荒くした。
甘い 本当に甘い 食べてしまいたい でも今は彼女に痛い思いをさせるわけにはいかないと自分に言い聞かせる。 甘い胸をひたすら吸ったり嘗めたりしながらスカートに手を伸ばし、さっき見た真白な太腿を撫で上げる。腕と同じく何度も撫でれば彼女は股を擦りあわせるように腰を揺らした。
「……感じない?こんな風にされても感じないんだっけ」 少し意地悪だと思いつつそう聞けば 彼女はどうしようと呟いてそして
気持ちよすぎておかしくなりそう
そう言った。
「何でだと、思う?」 「……わかん。ない」
太腿の裏に掌を移動して思い切り開かせた。甘酸っぱい女の匂いが拡がる 誰だよ 優しくされたら濡れないとか言ったのは
「うそつき」 「え、」 「少しぐらい、苛めたいの我慢してまで優しく触れてんだけどスゲーことになってんじゃん」 「……うん」
素直に頷かれてしまえばもう意地悪言えないじゃないかと笑いそうになってしまう。
「俺、ルキアちゃんが、ルキアが好きなんだ。だからこのまま抱いていいか」
荒い息を整えながら素直な言葉を口にした。 こんな身体と顔でそれでも否定するだろうかと一瞬不安がよぎった。 でも彼女は恍惚な顔を少し綻ばして、嬉しい、と呟いた。
わかってしまった 男てして好きな人から 優しく愛されたかったんだわたし
わたしも一護さんが好きだ
不感症になったのだと思ってた 男として見れない相手だったから 気持ちよくなれなかったのか そんなことがわからなかったんだ
涙を流しているのに彼女の口許は笑っていた。気持ちいいの気持ちいいのと何度も言う彼女にルキアルキアと何度も名前を呼んで彼女を抱いた。 何度目かの挿入の時に彼女を俯せにして 初めて彼女の背中の天使の羽を目にした。 両手で胸を鷲掴みながら、背中の羽に思い切り吸い付いて挿入した。
この羽で飛んで逃げないように羽を毟りたい衝動にかられた。思わず噛みつけばルキアは背中をしならせ俺のものをきゅうぅと締め付けた。やはり痛みが好きなのも本当なんだなと嬉しくなりながら 彼女に甲高いあえぎ声を出させながら 両方の羽に俺という痕を残した
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kazumichi-komastu · 7 years
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Memorabilia
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photo by Tatsuki Katayama
Memorabilia (2017) 
This project is similar to the  collecting of memorial-objects which are put in a cabinet and left over. Some people may think that "food was better" when receive "objects" on some anniversary. Memorial-objects must be kept as long as possible. It is because that memorial-objects purpose to be a memorable item. However, memorial-objects are never a trapped one, it is a poetic thing that stays in your eyes and surrounded by people and makes a vivid memories talk. In the Obon festival, we surround the Buddhist altar, surround your grave when Buddhist memorial day, and surround the Kamidana with relatives in the New Year.  I think that the act includes sort of poetry. But the problem is that even such poetry is forgotten, only the home as a safe "shelter" is left. In my family, the old 16 graves and one big grave (ossuary) were left in different lands respectively. Now, the old graveyard has been refurbished and it is decided that (the soul) will be transferred to a new ossuary. The old graveyard is left as is, it becomes just "stone". It will return to nature, returning to the "earth". There is an ancient tomb called Egenoyama tumulus in Nagaokakyo Kyoto. Another new graveyard is now tightly built on this ancient tumulus. It is ridiculous, but the ancient tumulus is "an important historical site", a stone monument with written explanation was built, and the area became a park under administrative control. Still, people come to visit the graves, and they all return equally to Earth. And another grave is made. It seems like a symbolic thing. The grave was a “router” to such a transcendental time axis, and should have been not a shelter that would be safe and secure by uniform oblivion. I decided to make a memorabilia for that memorial before the graves of my ancestor finally disappeared. Decades later, the place is surely covered with vegetation, there must be 'Earth'. From such a long time, I would like to have A few hours in commemoration. Objects may be broken pieces for routing us back to time to be distant, and may start piling up complicated forgetful ripples.
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メモラビリア(記憶すべき事/記念品)が意味するように、このプロジェクトは戸棚にしまわれ持て余されてしまう記念品の収集に似ています。記念品と言えば、何かの折にもらった記念品が「置物」だったとき、せめて食べ物にしてくれ、と思う人もいるでしょう。記念品は、ただ、できるだけ永く置いておかなければならない。それは、記念品にとって記念品であることが、当の目的であるからです。しかし、記念品は決して閉じ込められるものではなく、折に触れては目に留まり、人びとに囲まれて、鮮やかな思い出話を咲かしてくれる、詩的なものでもあります。お墓や仏壇や神棚だってその仲間でした。お盆には仏壇を、法事にはお墓を、正月には神棚を親類で囲む。家では、法事には毎年大勢の親族が集まり、皆でそれらを囲います。その行為は、ある種のポエトリーを含んでいると思うのです。しかし、問題となるのは、そのような詩性さえも忘却され、単に単一的で安心な「シェルター」としての「家庭」だけが残っていることです。私の家には古い16基のお墓と、一つの大きなお墓(納骨堂)が、それぞれ違う土地に残されました。今、古い墓地は改装され、(魂を)大きなお墓に移される事が決まっています。古い墓地はどうなるかと言うと、そのまま「石」になります。 それは自然に還る、いや、「地球」にこそ還る。 京都府長岡京に恵解山古墳という古墳が有ります。この古墳の上には、今は別の新しい墓地がびっしり作られています。なんとも滑稽ですが、古墳は「重要な史跡」として、丁寧に解説の石碑が建ってて、行政管理下の公園になりました。それでも、お墓参りに来る人がいる、そしてそれも全て等しく地球に帰る。そしてまたお墓は作られる。お墓は、そのような超越的な時間軸へのルーターであり、単一的で一様な忘却によって安心安全になるようなシェルターでは無いはずでした。 私は、ご先祖のお墓が無くなってしまう前に、その記念に記念品を作る事にしたのです。数十年後、お墓だった場所はきっと草木に覆われてしまう、そこにはただ「地球」があるに違いないのです。そんな長大���時間から、少しの時間を、記念に頂戴したい。そんな記念品は、折り返し私たちを、気が遠くなる時間へとルーティングさせる為の破片となり、単一ではなく複雑な忘却の波紋を重ね始めるかもしれません。 「Memorabilia」によせて
忘却と時間についてのメモ
1(時間と忘却)
 忘却曲線を発見したドイツの心理学者ヘルマン・エビングハウスは、列に並べられたリストにおいて初項と最終項とその中間とで記憶の想起における度合いに差異がみられる事を実験により発見した。複数あるもののうち最初の方と最後の方を比較的よりよく思い出すというものである。その理由の一つとして、特定の記憶において、始点となる部分は繰り返し触れる事になること。また、他人の印象や、音楽、映画、小説、何事においても最後の部分が強い印象を残すから(残存効果)(* 1) 、とされる。初対面は最初の印象と別れ際が肝心と言われる。本が表紙と背表紙により、その本の中身を幾分か物語るように。古い映画を映写機で再生する時は、フィルムの端を探すだろう。何かの記憶を思い出そうとするときも、本の表紙のような、あるいは題名のメモか、フィルムの整理番号のような、何かきっかけ的な「始まり」を探し出す。あるいはそれが何かのエンディングだったのかもしれない。とにかく前触れもなく記憶の内容が溢れ出てきたりするのではなく(例外としてフラッシュバック等、何か外部からの強烈な刺激により起こった精神的ショックが強制的に脳内に過去のイメージを蘇らせる事がある。脳内の一種の通信回路エラーである。)、慎重に思い出そうとするのなら、歩みを止めた棚に整然と並べられたアルバムのような記憶たちは、始まりと終わりを持つ。床にバラバラになってしまった写真のような断片的なものも、当初はそれらのインデックスであったかもしれない。
 ではなぜ始まりと終わりが有るののか、そこに順番があるのか。それは「時間」と関係している。今ふと思い浮かべるあの時の記憶にも、その時の「時間」が流れていたはずだ。時間と一口に言っても様々な解釈が存在し、大昔からの哲学上の大問題である。それもそのはずである。人は、今まさに世界を感知しているように、知覚認識した世界情報のディティールがリニアに変化することを絶えず受け取ることができるし、変化していると分かるからだ。カントは時間というものを「感性的直観の純粋形式」と言った。感覚の形式化のフレームそれ自体はアプリオリであるとし、時間もアプリオリな直感の形式とする。つまり、時間はそれ自体は外在する何かではなく、何かの経験を可能とする人間の直感の形式であるという。それは最初から絶対的に人間の中にインプットされているという。さらに、それらは私たちの内に内感する直感の形式であるが故に、私たちは時間を一定方向に伸びていく直線的なイメージで代行的に表象する。(* 2)  一方でこのように考えることもできるかもしれない。始点と終点があるから、「時間」というものが、まるでゆっくりとあるいは猛スピードで「流れている」かの様に感じる、という風に。ポール・リクールは、「時間は物語の構造における分節化という理解によってはじめて人間的時間として理解可能になる。」という。時間の認識をまさしく人が物語るという行為、語られた物語のなかに発見する。(* 3)
 リクールのこれらの時間への言及は、時間を表象する際の一つの方法論ととることができる。一方で、断片的なイメージがまずいくつかあり、その順序の中に前進する時間のおおまかなイメージが形成され、いわば私的な時間感覚を形作る。カントによると、時間は実態のある何かではない。しかし一方でもっと素朴にそれは、例えば時計の秒針が右回りに少しづつ振れ、周回を繰り返す動きをまず観れば分かるように、あるいは、カチカチと秒針が「進む」ことを知らせる音や、それとともに聴こえてくる窓を細かく揺らす風の音。あるいは、手首を押さえたときに感じる脈動のリズムの緩やかな変化にみてとれる。カントによれば、時間は空間のディテールのリニアな差異をまさに差異として認識するシステムということになるだろう。しかし、一方で時間は、今まさに空間を認識し続けるためのディテールの差異化のプロセスともいえる。
 
 エビングハウスの単純なシリーズによる実験によって発見された記憶の根本的な原理は、ある体験の始点と終点を強く覚えているという記憶の傾向を示している。むしろ、記憶全体はぼやけつつも確かに脳内にメモリーされていて、とりわけ始点と終点をよく思い出す傾向にある、というふうにも考えられる。それは言わば忘却による中略=形骸化のようなイメージで捉える事ができるのではないか。このような記憶の中略的忘却のゲインと、アプリオリな内的感覚として時間や、空間のリニアな差異化というかたちで姿を表す時間との関係は、どのようなものなのだろう。
2(伸縮する時間)
 アラン・レネによる初期のドキュメンタリー「世界のすべての記憶 (原題:Toute la Memoire du Monde)」では、16世紀以降の全ての文献が収蔵されているというフランス国立図書館の内部各所を丹念に映し出している。図書館で働く作業員が、新しく届いた書物を丁寧に仕分けしていく作業の様子、朽ちていきそうなふるい書物を修復する様子、図書館の全体的な俯瞰、内部の構造、膨大な書類の山、しまわれる場所に運ばれていく一冊、そして暗い書庫に無数に並べられた本棚たち。詩的で印象的な語り口とともに映像が映し出すのは、戦争を含む人類のあらゆる歴史、個人史、夢、などのあらゆる「記憶」がまさにその運命に従って「記憶されていく」様子に見える。さて、この巨大な書庫の奥底にしまわれている書物たちは、いつか、その背表紙の文字列を認められた誰かの手に取られ、机の上にもう一度開かれる事が有るのだろうか。
 柳田国男は1945年、終戦直後に出版された「先祖の話」の自序において、その執筆理由と合わせてこのように語っている。「常識の世界には記録の証拠などは無いから、たちまちにして大きな忘却が始まり、以前はどうであったかを知る途が絶えていくのである。(中略)日本民俗学の提供せんとするものは結論ではない。人を誤ったる速断に陥れないように、できる限り確実なる予備知識を、集めて保存しておきたいというだけである。(中略)今度という今度は十分に確実な、またしても反動の犠牲となってしまわぬような、民族の自然と最も良く調和した、新たな社会組織が考えだされなければならぬ。」柳田は東京大空襲のさなかで、大いなる忘却と大いなる過ちに未来を危惧し、筆をとったに違いない。
 記憶/記録とは何か。それを思い出すということはどのように可能なのか。それはもちろん、大きな意味での歴史から個人/家族史の形成に深く関わっている。(*4) また、脳科学によって記憶形成のメカニズムの多くの部分が解明されてきている。一説に寄ると、海馬は10年ごとに神経細胞を全体の5%ずつ失っていき、80歳の老人は20歳の若者に比べ、海馬の神経細胞の数が20%減少していると言う。(*5)  生物的な老化によって記憶力はおちていく。さらに、脳は記憶をでっち上げたり、完全消去したりしてしまうことも実証されてきた。何度も目にしている、耳にしたものでも、特に関心のないものに関しては断片的にしか覚えていなかったりする。例えば「100円玉のデザイン」を思い出そうとすると、その具体的な柄をはっきり覚えている人はかなり少ないのだ。逆に、なぜか幾度も思い出してしまうお気に入りの記憶もあったりする。私自身も悪い事はすぐ忘れ、良い事はそれなりにずっと覚えているような気がしている。何を忘れ、何を記憶しているのか。そこにはどんな秘密があるだろう。エビングハウスの例にあるような実験であっても、その閾を正確に数値化して測定することは不可能である。それは完全に人それぞれ、違った傾向があるのだ。
 
 ここで、記憶と忘却に関してのひとつ興味深い例として、埋葬や先祖参りといった「喪」がある。親しい、あるいは目上の人物が亡くなった際に行う様々なグリーフワークや喪の儀式は、人間の社会的なネットワークの発生初期から世界の至る所、様々な文化圏において様々な形態で自立的に発生し、いくつかは今日まで継続されてきた。喪とは、非常に極端に言うと、「忘却の促進の行為」と定義できる、と私は思っている。精神的な痛みを一時的に、あるいは時間をかけて忘れるために様々な、段階的な行為が、ときには瞬時に、ときには何度も長期にわたって行われる。つまるところ、それは「死」という絶対的な生理的臨界点をメルクマールとしたときの、時間の伸縮の行為であると。(*6)
 埋葬の形式、つまり「葬儀」や「墓」の制度は「喪」の直接的な形態として重要な位置を占めている。(*7) よく知られているように、柳田国男は日本の儀礼制度習慣と日常の分類に「ハレ」と「ケ」という言葉を使った。(葬儀をハレ(非日常的儀礼の一種)とするのか、ケ(日常生活)とするのかには諸説あるが、多分に曖昧な論争であり、そのどちらとも言える場合がある。)日本神道では、死そのものは穢れであり、塩をまいたり、祭壇に備えたりする。それらを祓い清めるためである。一方で「祭」という文字が本来葬儀を意味することからも読み取れるように、葬式はハレの側面を持っている。葬儀は非日常的で特殊な、日常から逸脱した時空間であったことが分かる。ここでも、大昔より、「死」という生理的な臨界的現象そのものと、それを特殊な集団的関係性の上で抽象化するような「喪」の非直線的な関係がみてとれる。柳田国男は盆と正月の起源にふれつつ「先祖の話」の一節「めでたい日」の中でこのように語る。
「盆でも最近の一年二年のうちに、不幸のあった家は一部分で、しばらくそのような悲しいことにも出逢わず、二親が揃ってながいきをしているような家々では目出たい日であった。現に田舎では、おめでとうと言って人が盆の礼に来ている。祝うという言葉はこのごろでは意味が少し変わって来たが、本来は身と心とを清くして、祭を営むに適した状態にいることを言ってものであった事は、書物に現れている古いこの語の用い方を比べても判る。もとは斎うという文字を書いていて、神の御社の祭の用意も「いわい」であった。祭をする人々が行いを慎み、穢れた忌まわしいものに触れず、心を静かに和やかにしているのが祝いであり、その慎みが完全に守られているのが、人にめでたいと言われる状態でもあった。」 -  「先祖の話」 柳田国男著 p46
 柳田国男は仏教の法事と日本古来の神道的、土着的風習をはっきりと区別していた。仏教では亡くなったものは皆仏となり、残された者は何年にもわたりその魂を年忌毎にまつるが、本来、そのような仏教的先祖観とは異なる日本人の先祖への向き合い方があったという。つまり、亡くなった者は皆ある程度時間が経つとご先祖さま、あるいはみたま様という大きな一つの霊体にとけ込む(氏神)。そして故郷の山々の上より子孫を見守り、盆や正月には家に帰ってくるという。(*8) そのように継続される氏神信仰なくして、日本人の「家」への特別な思いは育まれ、永きにわたって家系が続くことはなかったと分析した。また、柳田は「墓制の沿���に就いて」において故郷兵��県辻川の調査をひきつつ両墓制という墓制習俗を取り上げる。それはお参りのための「祭地」と埋葬のための「葬地」を分けるという風習である。 詳しい発生原因はわからずとも、そこには死穢の観念や遺体恐怖といった「死」という絶対的な現象と、死者供養のモニュメントをはっきりと分けようとする意図が感じられる。柳田は、埋め荒れた場所は墓とは認識せず、詣り墓(祭地)こそが本来の墓であると考えた。
3. (墓という忘却の装置)
 しかし、「墓」という構造物は、もちろん日本にかぎったものではない。
 
 近代に古代ヨーロッパ、ギリシャ、ローマからエジプト、インド、カルデア、バレアリック諸島、シナにいたるまでの埋葬の跡や様々な葬儀の際の逸話を歴史、宗教、人類学的観点から収集し論じたものとして、1608年、ロンドンで生まれ、ノリッジで活躍したイングランドの著作家、サー・トーマス・ブラウンの著作『ハイドリオタフィア(壺葬論)』1658年 (*9) がある。原題は、Hydriotaphia, Urn Burial, or, a Discourse of the Sepulchral Urns lately found in Norfolk。そのまま訳すと、「ノーフォーク地方で最近発見されたローマ時代の骨壷に関する論述」。友人、トーマス・レグロウへの冒頭での付記には「しかし誰か、己の骨の運命を、掘り出されてはまた埋められることの幾度なるかを知るや。」とある。ブラウンの、儚き死後の世界への豊かな関心がみてとれる一文だ。本書の中では、柳田が論じた先祖論である「みたま」によく似た論考が記されている。
「古代の異教徒は、音楽を���いて、さまざまなハーモニーにより、残された友人の感情をかき立てたり、沈めたりした。さういふことの起る隠れた深い理由は、霊魂が一つのハーモニーであることに由来している。肉體から解かれたハーモニーは立戻つて、原初の天のハーモニーを享ける、本来そこから降下したものであつたのだから。その道筋を辿つた古代人に依れば、蟹座より下つて、山羊座を通つて戻つたというふ。 …  そして希望もなく喪に服しながら、深き悲哀は却って亡霊の安息を亂す(みだす)といふ通行の見解によつて、過度の悲歎を避ける幸便なまやかしの口實(こうじつ)を持つていた。」
 またブラウンは最終章では古代からの人々の欲求であった生命の永遠性への接近としての埋葬について論じ、派手な墓やエジプトのミイラ等にみられる工夫のこらされた埋葬形式がいかに永遠性と結びつき、あるいは結びつかず、儚さをたたえているのかを記している。ブラウンは死後の肉体の永続性についてはいささか批判的であり、ピラミッド、凱旋門、オベリスクなどの巨大な墓廟的建造物に対しても「虚栄に発する異常物」と語り、見つからざる墓、埋葬こそ、真の保存へとつながるのではないかと考察している。
「さても、今般の死せる骨は、既に(969年間生存したといふ)メトセラ體内の骨よりも長く存し、地下三尺、薄い年度の壁の裡に、地表のあらゆる強固・壮麗な大廈よりも久しきに耐え、三度の征服(アングロサクソン、デイン、ノルマン)の戦鼓・蹂躙の下にも静かに眠つていたのであるからには、如何なる王侯も己の遺骨にかかる永續性を約し得ようか、欣然とかう言はずに居られようか、  骨トナリセバ、我モカク在ラマホシ<テイブルルス>  古代を古ならしめ、萬物を塵と化すすべを心得ている時ですら、なほこのささやかな思出草を有したのである。開かれて一目に触れる保存所に在つて世に傳へられる(つたえられる)ことを望むのは虚しい哉、世に知られざるこそ永續の手段であり、無名こそ保護の手立てであるのに。 
…(中略)
とはいへ、遺骨となつて存続し、ピラミッド内のミイラとして今に存へんとするのは、永生を誤り解したものである。名前、形容、時代環境、性別も忘却されて、實のない持続となり、後世に對してただ人間の虚しさの象徴として、傲慢、虚栄、狂へる悪徳の對症薬として立現れる遺骨は虚しい哉。この世は永久に続くと觀じた異教徒の思ひ上がりが、野望をそそのかし、わが名聲の不滅の糸を断つアトロポスを見ぬゆえに、その思ひ上がりには忘却が不可避であるとの冷水を浴びせられることもなかつた。
…(中略)
古代の英雄たちは既に己の記念碑、手を盡した保存遺體を超えて生きのびている。ところが今や、時の晩期において、われわれはそのやうな永続する記憶を期待できぬ。今や野望もエリアスの予言<この世はただ6千年しか続かぬであらうと>を恐れるであらうし、カルロス五世もヘクトルの如くメトセラ二代を存続することは全く望み得ないのである<ヘクトルの名聲は、かの高名な王カルロスの出現以前に、既にメトセラの生涯の二倍以上続いている>。まさにそれゆえに、われらの名聲の永続を求めて慌しく思ひ煩ふのは、現状を考へるにほとんど時代遅れの虚妄、退休せる愚行である。
…(中略)
この期に及んで、記念のものを以てわれらの名を残さうとする如きは、われらの信ずる處(ところ)と矛盾することにならう、われわれは最後の審判の日の到来を日毎に祈ることで、記念物の壊滅を願つているわけだし、その永続を望むのは、再臨の期待を裏切ることにならざるを得ないからである。… そして残る将来の短きを注視することを迫られて、自然と来世を思ふべくしつらへられ、それに較べればピラミッドも直ちに融ける雪の山、すべての過ぎ去りし時も一彈指の間といふべき、かの永劫に思ひを致さずしては許されぬのである。」
 キリスト教的世界の終焉(最後の審判)がそう遠くはないと常に意識された時代において、もはや死後の肉体の永続を望んでも無意味である、という。さらに、古代からの忘却と魂の行く末をこのように記した。
「闇と光とが時の流れを分け持ち、忘却は、われらの生きて在るときすら、記憶に対してかなりの部分を占める。極めてづきづきする災禍の打撃も短いうづきを残すにすぎない。人の感覚は極端に耐へぬ、悲哀は人を傷るか自らを破る。涙のあまり石に化するとはお噺である。度重なる災禍は不感性を齎し、悲惨はうつろひやすく、雪の如くわれらにかかる、とはいへこれは決して不幸な愚かしさではない。来る災厄を知らず、過ぎ去つた災厄を忘れることは、自然の恵み深き配劑なので、これによつてわれわれは短命で災多き日々と雑揉者をこなし、感覚は解放されて身を切る思ひ出に陥ることなく、悲哀は繰り返して生身に焼刃を感ぜしめることもないのである。古代の多くの人々はその存続の望みを魂の轉生輪廻に託して満足していた。…他の人びとは寧ろ落ち着かぬ無の闇に没して、共同の存在に加はり、萬物の共有する大霊の一部となつて満足した。これはとりもなほさずかの知られざる神の始原に戻ることに他ならなかつた。」
 自然より与えられた配慮として忘却を捉え、それゆえに苦しみから解放されると語る。最終章の末尾ではこのように記した。
「永く残る墓碑として存続し、己の造りしものの内に生き、己の名前と鵺の如き範疇のうちに存すること、これが往古の期待(する人びと)には大きな満足であり、そのエリジウムの一部を成した。しかしすべての斯の如きは、真の信仰に発する形而上学より見るに無に等しい。… サンティノサン境界の墓地<パリにある、ここでは死体の分解が早い>に横たはるも、エジプトの砂中にあるも全く同じこと、永遠に存することの恍惚感の裡に、何者にでも成ると覚悟せよ、そして六尺の僑居にも、ハドリアヌスの大廟<ハドリアヌスがローマに築いた壮大な葬廟(モーゾリーアム)、現在はサンタンジェロ城となつている>に在るが如く、心満ち足りてあれ。」
(原文:To subsist in lasting Monuments, to live in their productions, to exist in their names, and prædicament of Chymera's, was large satisfaction unto old expectations, and made one part of their Elyziums. But all this is nothing in the Metaphysics of true belief. To live indeed is to be again our selves, which being not only an hope but an evidence in noble beleevers; 'Tis all one to lye in St Innocents Church-yard, as in the Sands of Ægypt: Ready to be any thing, in the extasie of being ever, and as content with six foot as the Moles(Mausoleum) of Adrianus.)
 「本当に生きるという事は、後世に名前を残す事ではなく、自ら自身を再認識することだ。(To live indeed is to be again our selves)」とブラウンはいう。結局のところ巨大な墓を作っても、いずれ朽ち果てるか、後世の世の笑いものにされるか、どちらにせよ、形而上学的に哲学的に考えれば無意味である、そのような虚栄に傾くより、誰にも知られずにひっそり眠る方がまだ死骸も安泰だろう。自ら自身へ立ち返れ。とここでは啓蒙主義的主張で結ばれているが、本書の本領は古代ギリシャからシナにいたるまでの墓制や葬儀に対する習慣の詳しい文献調査によってもたらされたデータベースにあるだろう。「古代の人びと」も、逆らう事のできない記憶の忘却と時間の瞬く間に、死者への対面においては、特別で複雑な感情を持ち、それに向き合っていたのだ。また、ブラウンが強く退けるエジプトのピラミッドなどの巨大で「狂った」永続性の担保となる建造物も、ここでは、むしろ、古代の人びとがいかに死の断絶を乗り越え、超時間的に生を捉え、それを強く望んだかが強調され立ち現れてくる。
 お墓は私が忘却について考えるきっかけとなったきっかけである。実家に現在も残る墓地を改葬する(墓地の機能を排し、お参りする場所を一カ所にまとめる)ことで、改葬のあと、墓地に放置される墓石が、そのまま単なる石列に変わると言う特異な状況に先立って、先祖との関係性や個人史の形成に関心を持つようになったのだ。その後のリサーチを続ける中で、私は、お墓とは緩やかな「忘却」を促す装置なのではないか、というふうに考えるようになったのだ。(*10)
 お墓はアーカイブ(記録)の一種のように見える。ここでは、私たちはそこに眠る誰かの死という原体験に触れる事はできない。(異常な精神状態、フラッシュバック等で時として原体験が鮮明によみがえる場合もあるが。)本来、時間とともに、忘却によって原体験はかすんでいく。しかしそれらを記憶として思い出す事ができる。思い出すという行為は、物理的にも、感覚的にも忘却によって抜け落ちた箇所をフィクショナルに埋め合わせていく行為ではないか。このようなフィクショナルな埋め合わせを「記録」と呼ぶことができるとすれば、そしてそのように記録物によって思い出された記憶は今まさに新しい体験として更新されていき、また忘却していくことになる。(このような上書きされる新たな体験こそ忘却の本質とも言える。一方で、忘却故に「差異」がリニアに生まれ、現在を体験できるとも言えるのではないか。この論理は対立しながら循環している。)つまり、私たちは記録をし、それについて思い出すことで積極的に忘却していると言えるのだ。
4. (墓地という空間)
 ピラミッドは人工的な墓としては最大級のものであるだろう。しかし、ここ日本には面積においてはピラミッドの4倍はあろうかと思われる巨大な墓がある。大仙陵古墳である。(クフ王ピラミッドや秦の始皇帝墓陵と並び世界三大墳墓の一つ。高さではクフ王のピラミッド:146.6mが最も高いが、墳丘の平面規模は最大。)だれもが歴史の教科書で観た事があるにちがいない、独特の形状をした墓(前方後円墳)だ。前方後円墳の形状の由来として最も有力なものは、弥生時代の墳墓から独自に発展したとするものだ。従来より国内に存在した円形墳丘墓の周濠を掘り残した陸橋の部分で祭祀などが行われ、その後この部分が死の世界である「墓」と人間界を繋ぐ陸橋として大型化し円墳とつながったと考えられている。(*11) ここでも、興味深いのは、古墳時代の人びとの「死」の世界との関わり方である。(前方後円墳の出現は、ヤマト王権の成立を表すと考えられ、それと同時に埴輪もつくられるようになる。)(*12) 古墳の陸橋部分の周囲によく出土する埴輪は当初、墳墓上で行われた葬送儀礼に用いられた。その後、様々な種類に枝分かれし、死者の霊が生活するための依代、あるいは死者が生前に居住していた居館を表したとされるもの(家形埴輪)、ずらっと並べられ、葬送儀礼を表現したり、生前の祭政の様子を再現したとされるもの(人物埴輪や動物埴輪)など、死後の世界と現世のインターフェースとして大量に作られた。とりわけ、前方の陸橋部分を囲うように群像でならべられた埴輪は、死者の眠る地である墓を聖域化する境界として捉える事もできる。
 
 巨大な墓の建造には、やはり多くの人員と時間を費やす必要があった。そこには、死後もなお続くこの世に自らの存在を残さんとする強大な権力の行使にのみならず、一つの共同体として「死」というものを単なる個別の生物的な臨界的現象と捉えるのではなく、集団での巨大な政として昇華する営みがみえる。巨大な墓場は単に死者が眠る場所のみならず、墓地全体が所々に様々な理由で形作られたであろう工夫や様式を持ち、いわば集団的な祭の舞台装置としても機能していた。そして、この儀礼の舞台全体が、空間的にこの世/あの世の境界を代替する役目を持っているのだ。つまりそれは現世に「死」の世界を代替的に召喚する空間であった。前方後円墳の前方の陸橋は、墓の部分である円墳(あの世)へ徐々に近づく途のようである。しかしこのような祭儀の空間は、より一層強く「生」を勢いづかせるに違いない。生の中に死を見つめる舞台、生の中に死を取り込む為に、墓地は境界に囲まれた聖域でなければならない。そして祭事(葬儀)においては、人びとはまさにこの空間において、墓の一部となる。
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墓(古墳)の上に墓地ができてしまっている。恵解山古墳 2016 年 筆者撮影
 建築の世界では、建築物の設計図や断面図において、黒く塗りつぶされる厚い壁や柱の部分を「ポシェ」というらしい。そうするとピラミッドなどはほとんどがポシェであるということになる。ピラミッドを図面にしてみたらほとんど真っ黒になってしまうだろう。
 建築物は普通は外観と内観を併せ持ち、私たちはそれらのイメージ上の複合によって、建築像を作り上げている。しかし、実際にはその像はうまく噛み合なかったりする。その際に直接は知覚することができない余剰の部分がポシェである。ポシェは実際には視認したりすることができない。そこに入る事もできない。しかし、それゆえに実体を超えてまさに物質的に出現する。ポシェとは見えないから見えるものであり、知覚できなさゆえに、知覚を超えて知的に露出する領域だ。墓は、ポシェ自体ががむき出しになっている様なものだ。それは、知覚できない故の物質性そのものを、知覚可能なものとして露呈させているようなもの。つまり墓にとっては、それが知覚を超えてまさに物質的であるということよりもよりもむしろ実質的に物質的であることにより、知的な認識より前に墓そのものとして立ち現れる事が重要であるのだ。言わば、墓の目的はそれが墓であるということで達成される。
 墓は、まずはっきりと墓としてあること(実体的な物質性が強い)により、多くの事を隠し、多くの事を忘却させていく。葬儀や埋葬の「喪」の行為、その祭は、特殊な忘却的行為とも言えるのではないか。お墓は(モニュメントと同じように、)メモリアルな記録物だ。はっきりとした形でしっかりとした無機的な強度を持って存在感も大きい。つまり記録物としての強度が強いため、長期的に忘却を促し、そこでは特殊な時間との関係性が約束されている。日常(「ケ」)の時間軸を逸脱し、伸縮自在な時間(「ハレ」)へ。そのトランスフォームが、お墓と言う様式に現れ出ているのではないだろうか。
注釈/補足
*1 - Reference: Anderson, J. R. (1976). Language, Memory, and Thought, Lawrence Erlbaum Associates. /Erik M. Altmann, Memory in Chains: Modeling Primacy and Recency Effects in Memory for Order
*2 - イマヌエル・カント 『純粋理性批判』
*3 -  ポール・リクール 『時間と物語』
*4 - ポール・リクールによると歴史の記述は、記憶、忘却と時間との関係の中で、集団的・個人的に抑圧、濫用、強制されながら形成され、本来の意味での「記憶すること」はさまざまな方法で阻害を及ぼす捏造された記憶によって妨げられているという。個人、集団に関わらず、何かを記憶する為にはなにかを忘却する必要があり、何を忘却するのかによって記憶の性質は異なる。リクールは実際に起こってしまっている新たな殺戮(コソボ、パレスティナ、北アイルランド)が、ある政治的力の作用によって新たに作りだされ、操作された記憶によって生み出されていると指摘する。『記 憶、歴史、忘却 La mémoire, l’histoire, l’oubli』 (2000)  しかし、そのような記憶によって引き起こされる現在は今まさに差し迫っており、また、そのように見いだされた記憶による問いはまずもって他者的であるという倫理性の難問に直面し、それは「人の苦しみはそれを見た者に義務を負わせる」 というリクールの言葉にも現れている。
Reference: 2009年立命館大学で行われたヘイドン・ホワイトによる公開講義『ポストモダニズムと歴史叙述』url : http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/news/200901022_repo_0.htm
*5 - Reference : http://www.brainfacts.org/sensing-thinking-behaving/learning-and-memory/articles/2016/catharine-young-how-memories-form-and-how-we-lose-them-040516/
*6 - 日本における葬儀についての詳しい解説は 「葬送習俗事典: 葬儀の民俗学手帳」柳田国男著 河出書房新社 などに詳しい。 
 ここでは喪について簡単に例に挙げて触れるにとどまるが、その歴史や文化的背景、あるいは心理学的な考察は非常に深く広いものであるだろう。また、グリーフワーク(死に対面した際の人の心理的プロセス)と「喪」は全く別なものとして捉える事ができる。大まかに言えば、「個」と「集団」によって、である。
 「死」という現象の立ち現れ方も様々に分類される(大まかに分けるならば、1不慮の交通事故を目の前で観てしまった際などの、全くの個別的な他者の死との遭遇/2テロリズムなどによる集団的な他者の死との遭遇/3集団的な比較的近しい親族や友達の死との遭遇/4心理的に近しい親族、友達、恋人など特別な他者の死との遭遇 がある。そのそれぞれの中でさらに悲しみや衝撃の深さは違ってくる)。それぞれの場合での、死という絶対的かつ臨界的な現象に立ち会ったとき、様々な状況下における心理的行動としてグリーフワークは段階的に捉えられるだろう。例えば、瞬間的な感情として放心状態に陥ったり、泣き叫んだりする。あるいは精神的ショックにより拒食状態になったり、場合に寄っては自傷行為につながったりする。それらの行為は比較的即時的に行われる感情的かつ生理的な反応である。その後、さらに長期的かつ反復的な行動に変化していく。たとえば、ふとしたときに死の断片的記憶が副次的に蘇り、唐突に精神的不安状態になったり、感情的になったりする。
(グリーフワークを題材にした例としてイ・チャンドンの2007年の映画『シークレット・サンシャイン』がある。夫を亡くし、夫の故郷に移り住んだ主人公が、続いて最愛の息子の残虐な不幸に対面した際の心理描写や、その後宗教をとおした集団的なグリーフワーキングに没頭し始め、最終的にはそのグリーフワーク自体|を支えている神が全てのものに愛を与える、がゆえに許されざるものが許されてしまうという矛盾に遭遇する|に裏切られるというストーリー。グリーフワーキングの段階的な変容としても観る事ができる。)
 
 この様にみていくと、グリーフワークとは本来的には個々の心理的な反応とおおざっぱに捉えられる。それは言わば、忘れがたき、乗り越えられざる体験への、それでも乗り越えようとする人の心の率直な反応と、それによって引き起こされる行動と言える。つまりより生理的なものなのだ。そのように考えると対比的に、それら個人の深い心理的なプロセスを集団でカバーしたり、あるいは儀式的に、アイコニックな別の何かに変化させようとする行為を、ざっくりと「喪」ととらえる事ができる。こちらはより社会的といえる。「喪」の発生の期限は、ここでは集団的な人間のコミュニティの起源、そしてその死まで遡る事ができるのではないかと思われる。なぜならば、それは人間社会の動物的な欲求である、種の継続的保存に関わるであろうからである。(集団行動は人間に限った話ではないが、埋葬などの「喪」的行動を行うのは人間のみである。)「喪」への従事は、人間のプリミティブなコミュニタリアニズムと関わっている。それらは単に種の保存の最大化を乗り越え、人間特有の抽象的な思考力に基づいた文化的な行為ともとれるだろう、一方で、そのような思考力の結果、集団的な「死」との関わり方が、特殊な方法で発明されたとも考えられる。それらの実質的な起源については諸説あるが、少なくとも5万年前のネアンデルタール人による墓埋葬が行われたことがフランスのラ・シャペローサン遺跡の調査によって明らかにされている。「ネアンデルタール人が死者を葬っていたという見方は、彼らには象徴的思考の能力があり、豊かな文化を築いていたとする近年の知見とも符合する。例えば、ネアンデルタール人は自分の身体を顔料で飾り、鳥の羽や色味のある貝殻で作った装身具を身に付けていたことが分かっている。」Reference : http://www.pnas.org/content/111/1/81.full?sid=34e5470c-cf18-4485-bb80-cebe099dacbe
*7  - Reference http://www.osohshiki.jp/column/article/208/  /  http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199112.html
*8 - 「先祖の話」 柳田国男著 角川文庫
*9 - 「壺葬論(原題:Hydriotaphia, Urn Burial, or, a Discourse of the Sepulchral Urns lately found in Norfolk)」 ブラウン著 小池銈訳 『澁澤龍彦文学館5 脱線の箱』 筑摩書房 収録
*10 - 2015年のプロジェクト『Replication』 http://kazumichi-komastu.tumblr.com/post/139108725941/replication
*11 - Reference https://this.kiji.is/103424318918131713?c=39546741839462401
*12 -「前方後円墳に学ぶ」近藤義郎著 山川出版社
その他の参照項
*13 -  Reference 岡﨑乾二郎氏は2013年、武蔵野美術大学で開催された展覧会『ET IN ARCADIA EGO 墓は語るか ─彫刻と呼ばれる、隠された場所』に寄せた文章で、墓と彫刻作品を対比させこのように書いている。
『彫刻芸術の核心は感覚の及ばぬ=決して現実空間の延長として捉えることのできない別の場所、すなわち感覚されうる現実と切断された、感覚の侵入できぬ別の場所を匿うことにある。視覚や触覚などの感覚が捉えうるのは、彫刻の表面にすぎない。感覚(視覚や聴覚、触覚も)は距たりある対象を捉え、ゆえにわれわれの知りえる現実を拡張する力をもつ。だが反対にいえば、よって感覚が捉えうるものは、その現実の境界面の現象にすぎない。 … 彫刻芸術の逆理は墓のもつ二重性そのものと重なる。例えれば感覚が捉えることができる彫刻は墓標のようなものである。けれどいうまでもなく墓の本質は、決して現世とは連続しえない、そして現世よりはるかに長く持続する時間と空間を墓室として保持し、そしてその場を現世のinterest(関心、利害)が侵入しないように匿うことにある。 cryptとは地下墓地であり、Cryptographyは暗号。すなわち彫刻は、感覚されることによって自らを隠す。現世という時空と不連続な空間、現世が拡張し侵入することが不可能な空間を隠し持つ、内包することにこそ本質があった。』 http://mauml.musabi.ac.jp/museum/archives/6487
*14 - 『冥王星の発見者クライド・トンボーは1997年に死んだが、遺骨の一部が、2006年に冥王星探査機「ニュー・ホライズンズ」に搭載された。これは外宇宙に向けて遺骨が打ち上げられた本格的「宇宙葬」の最初の例だとされる。トンボーの遺骨が打ち上げられた数カ月後、冥王星は国際天文学連合において、「惑星」にはあてはまらないとして、「準惑星」に定義しなおされた。』http://wired.jp/series/commons-in-a-digital-age/2_pluto/ 
「宇宙葬と電脳「墓」星空とモニターに死者を想う人々」 畑中章宏 WIRED
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doubutsuenzoo · 7 years
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どうぶつえんvol.5 京都 後記
11月12日土曜日に、京都、鴨川にてどうぶつえんvol.5を行いました。
Aokid 歌、ダンス、リード 濱田明李 パフォーマンス 竹田靖 パフォーマンス 福留麻里 向こう岸でのパフォーマンス 田村興一郎 ws的なアプローチ、プレゼント、ダンス    京都 西純之介 撮影、チェキ    京都 村上裕 ダンス、歌 辻村優子 青空食堂 大井健司 詩の朗読  京都 山田白米 長唄       京都 松居晴美 撮影
大巨人さん バケツドラム、京都
まず下見 前日の11日に下見をaokid、濱田、福留、竹田、西の5人で行いました。本番の予定と同じく、14時に待ち合わせ三条河原町で集合し出町柳を目指し鴨川を北上していきます。 下見ということで、まさしく鴨川を見ていきます。何がそこで出来るか、何をしている人たちがいるのかを観察していきます、同時にメンバー同士でお互いのことを話したりしていく時間を過ごします。 この下見がなかなか充実で、東京ですでに企画に参加したことのある人は比べてみたら、京都にいる今回は時間や気持ちに余裕を持っての下見になっていたことと思います。というのも東京で下見をする際は忙しい東京での生活の隙間時間で行っているからです。 だからこの余裕をもっての下見自体がとても豊かな時間と空間を生み出していました、それも鴨川の地形の面白さや、そこで過ごす人々の多様さ、紅葉の季節、の恵みと言えるとも思います。 にしても色んな地形からアイディアを考え試していく体や道具のイメージと実践が、新しい振り付けを(もしかしたらそれは新しいものでもなく、その場所が普遍的に人に振付るものかもしれません)生んでいくことを身を持って確認する下見となりました。
当日 13時に出演する側の人たちが集まりました。当日の朝にバスで到着する人もいたので、この時間に挨拶を交わして事前の共有を行います。今回も当日のパンフレットを作ってきました。またすでに鴨川には色んな人が過ごしています。ストラックアウトのようなwsを開催する人、エクザイル系のダンススタジオに所属する中学生くらいのダンスする女の子2人組、ギターを奏でる人、観光で鴨川を見に来る人、橋を絶えず行き来する人々。そういった人たちにメンバーがチラシを渡していきます。思いの外、好意的でびっくりしました。「何時からやるの?」ときく顔からの期待を読み取ることができました。 さてそうして14時になり、ぞくぞくと参加者が集まってきました。だいたい10〜15人くらいの人が集まり、アーティストたちの紹介をし、当日パンフレットを配り、どうぶつえんvol.5開園いたします! そして、まず福留麻里さんによるパフォーマンスの説明が行われ、そのまま福留さんは川を渡り向こう岸へ向かいます、川の流れを断つようにして向こう側へ渡るアクションが何かイブクラインを思わせるような風情がありました(真ん中に線を引くような)、そこに重ねるように西純之介くんのインストラクション、ポロライドカメラで演者や光景の撮影を行いそこにマジックで1行のテキストを書いてもらうなりしてもらうということ。そういう感じで、お客さんと一緒に作り込んでいくような設定がまずなされての出発でした。 「どうぶつえんvol.5、開園します!!」
そこで僕はその橋の下、たくさんの人が行き交う中での”はじめの踊り”を始めました。曲は大塚愛の”さくらんぼ”。本当はくるりでもと思ったのですが、失敗したらやだなぁと思い、狙いすぎを避けました。遠征の土地で体をここ何日は動かす機会がなかったためか、あまりいい動きはできなかったように思います、、しかし何か新鮮な空気は晴天ということもあり描けたかなぁと思います。今回もHOLLYWOODのTシャツに赤ハチマキで挑みました。 鴨川のあたたかい声援やぼんやりとした眼差しを浴び、いよいよはじまっていきます、では北上していきましょう。最初の三条の橋の下を通り、芝生が広がっていて、そこで一行は1分間寝てみる、ことをしました。これは前日の下見で出たアイディアで、竹田靖さんの一声でそれを行うことにしてみました。鴨川に突如できた寝ている人たちの図。(1分経過) 立ち上がって進んでいきます。すぐに、今度は鴨川で演奏をする2人組、ドラムとギター。しかもダンスチューンということで、一行のダンス好き達が踊り出し、セッションがいきなり始まりました。色んなダンスやストリートダンス、はたまたギターやそのへんの物、ビニール袋を使ってセッションを広げていき、ついにお客さんも踊りだす始末、いきなり幸先のいいスタート。終わって握手をし、ちゃんとチップをおすそわけさせてもらいました。
東京でもなかなかそうでしたが、今回も最初にやろうという人はあらわれにくいのがどうぶつえん。そんな中、辻村優子さんが名乗り出てくれました。彼女のパフォーマンスは晴天のもとがいいということで道をまたいで始まります。タイトルは青空食堂、まず音楽がスピーカーから流れ、空間を演出していきます、そして辻村さんが色んな献立の話なんかをして、そこにマイムが加わっていきます。無理な体勢でどうやら色んな食材を手にとって、足にとって、そのバランスをとっていくような感じなのです、そして最後に今日のメニューみたいな感じで手作りのナッツの入ったお菓子。ちゃんとかわいく包装されたお菓子が僕らに渡されて、パフォーマンスの終了となりました。その後、思い思いのタイミングでお菓子は食べられていきました。今回が初めてのソロパフォーマンスだったという辻村さん、それにしても給食係が似合いそうでした。
向こう岸で、福留麻里さんが何かしています。風景に少し差を出すようなゆるやかなパフォーマンス。たまに大きな声などで、こちらから向こう岸にシグナルを送ります。向こうの人々と話したりもしている。
その後に変な地形があり、僕はその窪みで鉄琴を使って演奏をし、その窪みがみんなの立ってる地形の下のトンネルと繋がっていてそこを通ると川に出れるところを僕は通るという、パフォーマンスなのかどうなのか、っていうレベルのこともしてみました。地形の確認です。そこが通れるんだということを実際に確認するようなアクションでした。前日の下見ではそういうことの連続でそれが面白かったのでした。
途中ギターで少し演奏しながらも北上し、水辺での濱田明李さんのパフォーマンス。今回は100円ショップのヒモやビニール袋を使ってのパフォーマンスです。濱田さんによってだらしなく頼りなくずっと垂れ流されるビニール製のヒモ、橋の下の水辺で行われるその不思議な光景を見ようと色んな人が立ち止まります。近くで宴会芸を練習するサラリーマンたち、ベビーカーを押す若いお母さん、おじいさんおばあさん、会社帰りのお兄さん、チラシを渡したりしながら説明をしたりしていきます。(時には出演者だけでなく、お客さんさえも一緒に趣旨を説明してくれました。感謝。) 濱田さんのパフォーマンスが続いていて、彼女はそこから地上に登り橋の上まで回りこみそこから吊るしたヒモの先に重しを入れたビニール袋を下に落としそれが風になびきます。ずっと水辺へのパースペクティブを構築していた景色が開けて橋の上、そこから地上に向かう重力、下で待つ水辺、途中で作業をする人の図にうつっていきます。その瞬間、鑑賞者の一人である僕は鴨川に当たり前にあったはずの地形に対しての改めての確認が出来、地形の面白さやわくわくを会得する想いに出会いました。
少し移動し、大井健二くんの朗読を土手で行いました。大井くんの方が低い方にいて、斜面の座ったり立ったり上から人が見るような形。スマートフォンの画面を朗読していく大井くん。銀河鉄道の夜からの引用と、彼自身の創作によるリミックスされた文章。その日の服装はまるでテツローのような容姿でハットをかぶっていました。少しセンチメンタルな中身で。 向こう岸では福留さんがあいかわらず動き続け、ランニングをする人、イスでひまをつぶす人、少し紅葉の始まった植林たち、橋の上を車が行き交い、空を気まぐれに飛んでいく鳥の群れ、それらが大井くんの発していく言葉や文章たちと仲良く、まざっていくように、まざりすぎないようにしての関係を見せていきました。 大井くんの声もよく、さすが役者出身です。 少しその時間は朗読される内容の方に、時を飛ばし、イメージをめぐらすような感じでありました。文学と景色みたいな。
福留さんは向こう岸で誰かと話したりしています。
少し歩いて時計も14時に始まり、16時を過ぎていきました。なかなか、距離も歩き稼げていなくて出町柳までまだまだあります。 田村興一郎くんが木の枝が飛び出た、あるぽっかり空いたスペースで決め、パフォーマンスを始めます。
彼はまず、最近ダンスのかたわらで描き始めている絵をいくつか置いていきます。(主にオリジナルのモンスターを描いている。)絵が後に衝立がついていて立つようになっています。
そしてトートバックには初めて描いたという絵を参加者で誕生日を終えたばかりの西純之介くんにプレゼントしました。 そのあとでwsのように自分の今、取り組んでいるダンスの説明を始め、その上で参加者の中から2人に協力してもらい、その即興についての田村くんの取り組み始めたメソッドを行っていくということをしました。そのスペースは鴨川沿いの中でも更地で、その並行な舞台での3人のダンスが広がっていきます。この日の出演者の一人、竹田靖さんと、途中で見にこられた大歳芽里さんという京都在住のダンサーの方と田村くんと。 僕らの座るベンチから彼らダンサーを挟んで向こう側のベンチに腰かけるカップルの前で広がる光景への感想はどんなだったのでしょう。 10分くらい踊っていたのかなと思います。なにかよろよろしながら踊ったりする3人がコートの広がるような砂の上でフラットな視界を前後しながら、よろよろします。 普段の劇場での発表などとはまた違った田村くんの発表の機会になったと思います。
そしてまた歩いていきます。 だいぶ暗く夕方過ぎあたりになりました。月も見えてきて、村上裕さんの出番です。 彼は、音楽の準備を始めます、スピーカーとiPhoneをつなぎアプリを起動し、打ち込み音を発生させます。そして折り紙に丸を描き周りの人に配っていきます。みんなが手にその紙を持ったところで音楽は演奏と歌の入った村上さん自身の音源へと変わって、その音で踊り始めました。 少しクランプのような振りの村上さんのダンスはまっすぐで疑いはなく、どんな風にまるで踊るかを知っているかのようにしっかりと踊ろうとします、一方で訓練されていない疲れた体が危うさも持って繰り出され放り出されます。(途中、その前を自転車が通ったりしつつ) むこうには90%の月があり、dance and moonって感じのシチュエーションでした。月とダンスってなんてロマンチックな組み合わせ、しかし踊るられのは野獣のダンス���終わった後に渡した紙を回収し、これは記念にとってあります。
向こう岸では福留さんが相変わらずいて、スマホのライトをかざしてサインを送ったり返したり。
まっくらな中を出町柳目指して、あとちょっと。時計は17時半を回りました。一行のだいぶ疲れた身体をひきづってついに終わりの地にあと少しでたどり着きます。 最後の橋の下、工事ネットの上から照らすライト、山田白米さんの鳴らす三味線があやしく夜を演出します。僕らは少し離れたところからその様子を見ている。と、上の橋を歩く何か羽織物をかぶった影が忍者のうように忍び寄り橋の下に向かう階段の上に現れました。何か叫んだかと思うとこちら���這ってくる、まるできつねのようにして相変わらず月が照らす中を下りていきます。三味線の音と、その影と柳立つ階段があるという光景にいることが何か日本画のまたは昔話のような感じを生んで、そして長唄はうたわれそのきつねは最後奥の方へと走り去っていきました。タタタタッーと。
そうしてパフォーマンスは一度終わるのですが、ここでどっきりで、西くんが呼んでいたバケツドラマーの大巨人さんが演奏を始めました。(彼はずっとスタートからお客さんとして付いてこられた方の一人でした。) 橋の下だから音が激しく響いて。しかもライトがカチカチされて、最後ということで、じゃあめちゃくちゃにはじめけようということになって、色んな人がライトをカチカチやり、踊りちらし、声をあげ、音を加えて、何か得体の知れないカオス空間が広がり、また立ち止まるまっくらの中のお客さん、など。 そして一気に終わりました。 もう時計は6時くらいを指していました。出町柳のデルタ付近まで来ていました。 お客さんは最後5人ほど。そして向こう岸から福留麻里さんが戻ってきました。(本当に長い間、一人向こう岸でお疲れ様でした。) 本当にお客さんも長い時間、ありがとうございました。出演者も。4時間くらいかかったのはどうぶつえん史上でも最長です。
さすがに寒くもなってきたので場所を居酒屋に移し残ったメンバーで打ち上げにいきました。
感想 この日はだいたい、お客さんとして予定を組んでこられた方は20人くらい。(出たり、入ったり。中でも仕事の休憩中に来られた方!やkyoto experimentを観に途中で抜ける方、など。様々でした。それができるのもこの場所、鴨川が街の中に組み込まれた地理にあるのも大きいでしょう。)
何よりびっくりしたのが、僕は東京でこの企画を立ち上げた際にはネガティブな東京の状況にポジティブにカウンターパンチをと、始めたのですが、京都で行った際にはむしろ多くの人の積極的な関わりを持とうとする態度にむしろとまどうくらいの豊かさを感じました。 たとえば、三条で準備をしている際にチラシを配ったりすると観光に来ているであろう母娘叔母の3人組が興味を持って受け取ってくれたり、ベビーカーをひいた若いお母さんが見てくれて行ったり、おじいさんたちや、小学生くらいの子達も足を止め、また仕事帰りのサラリーマンの人が概要を説明すると「わからない」と言いながらも時間を割きそのわからない時間を過ごしてくれたり、向こう岸でパフォーマンスをする福留さんはNYから来た外国人観光客に「パフォーマンスいいわね!トランプが大統領になってごめんなさいね。」なんてことを言われたそうな。
あと、鴨川は非常に大きく、これまで展開していた代々木公園に比べ視界の広がりがある分、漠然としてしまいがちであるとも思いました。これも2箇所で行ったからこそわかることでもあるかもしれません。 下見が思った以上に豊かで、この企画をとおして場所を通して遊ぶというなかなか子供の特権のようなものさえ手に入れられる感じがしました。そしてその地形などによってもどれだけ人の中に興奮があるかにも改めてたどり着けた発見がありました。
ただ今回はほとんど知り合いの知り合いくらいの領域でのパフォーマンス展開などになってしまい、もっと京都の人を巻き込んでしゃべったりすることが出来ればよりよかったのかなぁという反省もあります。それは反省会に置いても。それは個人の力量や勇気によるとも思っています、、 東京では状況が厳しいだけに、こういう企画をする際の説得力は自ずと出てくると思います(危機感さえ持って入れれば)、しかし場所によって行う理由が少しづつ変わってくるところも確かにあるなぁというのが今回の実感であります。また、一方で普遍性も持っていると考えていて、だからこそ今回、京都でやることに至ったわけだし、できたことで他の場所でもやれる感じも持っています。またその場所ごとでどんなモチベーションを持って取り組むことができるかも、その都度見ていくことをしていきたいですね。
2016.12/5 aokid
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