函館山山頂から函館市内を一望。
【函館ハリストス正教会〜函館聖ヨハネ教会〜函館山ロープウェイ〜函館山】
2023年1月27日(金) 最強寒波到来の函館旅行⑨
https://youtu.be/nXEYf4qCnOc
伝統的建造物群保存地区は,南西側に函館山,北東側に函館港がある山と海に囲まれた地域で,「函館発祥の地」として,函館が最も繁栄した明治末期,大正,昭和初期に建築された和風,洋風さらには和洋折衷様式の建築物が多く残されており,これらが坂道,街路などと融合しながら特徴ある町並み景観を形成しているとのこと。
函館ハリストス正教会や函館聖ヨハネ教会など伝統的建造物の前をぶらぶらしながら函館山ロープウェイ山麓駅へ。
往復運賃1500円で運行間隔15分毎の125人乗りロープウェイで山麓から山頂までは約3分で、山頂駅のある展望台からは市内を一望でき、その夜景は星を散りばめたような素晴らしさとか。
山頂には15:30ぐらいに着いたので山頂展望台や山頂広場などをぶらぶら。
屋上展望台のいい場所は既に本気の外国の方々が三脚を立てて場所取り完了してました。
日の入り16:45ぐらいで夜景は17:15ぐらいまで待つ必要があります。
展望台3Fのティーラウンジ レガートさんでお茶しながら待つのがお勧めです。
ただし窓側は早め行かないと座れませんが。
展望台2Fのレストラン ジェノバさんは14:00〜16:00は閉店なので16:00開店待ちの行列がかなりの長さに。
#函館ハリストス正教会 #函館聖ヨハネ教会 #函館市元町末広町伝統的建造物群保存地区 #函館山ロープウェイ #函館山 #函館 #函館旅行 #函館観光
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研究テーマ(2022/10/27)
今年度の研究テーマ出そろいました。
D
・「外国人居留地」形成都市における「中国文化」の発現と継承に関する研究 〜横浜・神戸・長崎を事例として〜
・重複利用された制度の住民による受容
・文化財へのプロジェクションマッピング利用に関する計画論的研究
・「順応的復元」の検討 :三内丸山遺跡における「六本柱 」の復元過程を事例として
M2
・業実施主体からみた日本遺産の継続性について
・中世城郭における整備の在り方
・滋賀における自転車利用者の文化財巡りに関する研究
・Analysis of the activities and effects of NPO in biosphere reserves: a case study of Shiramine area, Hakusan, Japan
・現地体験によらないVRによる文化・自然遺産の認知向上の有用性と課題に関する研究
・自然公園における公共サイン整備の現状と課題-筑波山地域を事例として-
M1
・埼玉県見沼田んぼを事例とした���地空間の保全管理に関する研究
・郡上八幡における北町と南町の関係
・小笠原諸島のエコツーリズムにおける自主ルールの役割
・盆栽町における地域と盆栽の関わりについて
・国立公園における動物を資源とする公園管理のあり方
RS
・中国景徳鎮における文化遺産の保全と活用に関する研究ー瑶里古鎮を例とし
・歴史的町並みにおける観光と居住の両立に関する研究-重要伝統的建造物群保存地区が立地するまちを中心として-
他(修了生等)
・文化財の「価値」と「活用」の研究
(他研究室所属)
M2
・ Research on the Commercial Development in Historic Conservation Area in the Process of Urbanization
— the Example of the Historical and Cultural District of Haikou City
M1
・全国のジオパークにおける拠点施設の現状把握のための試行的分析
・世界遺産「平泉」と周辺の農村景観
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Kanazawa-Kuruwa
郭の中の金沢、辺京の小宇宙
郭_この辺京の遊郭には、金沢の美しさと醜さがくるわれている。
郭は...
北陸の美学の結晶であった。
卯辰山へまっすぐ伸びる石畳、黒光るボッテリとした能登瓦、弁柄色の木虫籠(きむすこ、細い桟の出格子)。九谷の襖の手掛けや輪島塗りの調度品、べっ甲のかんざしや色とりどりの菓子や酒、夜遅くまで鳴り響く唄、笛、鼓の音色。
同時に人身売買の巣窟でもあった。
���めて幼い頃に���売りされた少女は、楼主と養子縁組を結び、自らにかけられた身代金を返すまで拘束を受け、芸妓・娼妓として働いた。町を彩った女のいくらかは楼主となった。
今回は、金沢の光であり影である茶屋街について、制度・人びと・建物・遊び・性の観点から明治・大正の茶屋を前提にご紹介する。
(参照:『金府大絵図』金沢市立玉川図書館所蔵)
明治に生まれた主計町を除けば、ひがし・にし・きた・愛宕の郭は2つの大きな川、犀川と浅野川の金沢城から見て外側に位置している。(これは、江戸の吉原が常に皇居から見て川向いに建てられて、都市の外周部に位置していたこと同様の理由で、穢の場所を都市の外側に配置するためであろう。)
その中でも、金沢人が憧れと嫉妬を込めて名付けた東の廓(言うまでもなく京都の祇園・東山にかけている)であるひがし茶屋街は、北陸の最も代表的な茶屋街であった。
(参照:『金府町絵図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)
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A:郭の制度
金沢の花街の仕組みは京都と同様にお茶屋が客の要望に応じて、芸妓を置屋か ら呼ぶ方式である。芸妓は置屋に所属し、お茶屋から依頼があれば、料亭やホテルなど地域外へも出張することが可能なのも、京都と同様の取引制度である。 さらに金沢の三茶屋街の特色として、お茶屋と置屋の兼業が挙げられる。つまり、お茶屋は場所を提供するのだが、同時に芸妓を抱え、他のお茶屋に派遣することもでき、食事は飲食店から取り寄せることとなる。
お茶屋には上茶屋、中茶屋、下茶屋の3つがあり、上茶屋は5等級に格付けされていた芸者の中でも、一等級のものしか置かなかった。上茶屋は農家の出や他国の婦女は抱えたがらない気風があり、それを誇りにしていた。加賀血筋を大事にし、みっちり芸と作法を仕込むとのこと。明治時代には能登半島をはじめ、日本全国から身売りされた少女が芸妓として所属しており、朝鮮出身の芸妓の記録もある。
郭では「旦那」は芸妓の経済的な保護者であり、後援者であった。旦那は月々お手当を置屋の女将に渡すかわりに、贔屓の芸者を自分一人のものにすることができた。女将は抱え芸者の旦那から一ヶ月の手当をもらうこと大きな収入源であった。ある置屋の抱え芸者が、別の置屋の客を旦那としている場合、旦那はその置屋の女将に毎月の斡旋料を支払うこととなっていた。
お茶屋では客は一見の客は挙げない。理由は、遊興費が後でもらえるか不安なことと、もう一つは酒癖が悪い客を案じてであった。たちの悪い客の中には、火鉢の中に小便をしたり、掛け軸に盆をぶつけたり、美人画を盗む客もいたという。二度目から置屋は電話で芸者の予約を受付け、時間の打ち合わせをする。客は遊興費を何ヶ月に一度、現金で女将に直接手渡しでまとめて払っていた。
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B:郭のひとびと
お茶屋に以下の人々が住み込んでいた。どこの家もかなりの大所帯で、大抵は十数人で寝ていた。
①女将:
多くは元芸者で、お茶屋の経営をするとともに芸妓と養子縁組を組み芸妓を育てるとともに労働者として管理する。
②芸妓、娼妓:
女将と養子縁組を結び、芸者として客に奉仕する。住み込みと通いがあったが、殆どが住み込みで、通いは芸者でも年季明けの終わった歳高の人たちだけだった。年季明けや旦那がお金を支払った場合は妾として茶屋街の周辺に暮らしていた。
③たあぼ:
行儀見習いと諸芸習得の傍ら、日中は走り使いの雑用、夕方からは芸者衆の座敷勤めな三味線をもって供をなし、供先きの置き屋とか料亭では家族用玄関の片隅で芸者衆の座敷終わりを待つ。12歳になると振り袖芸者と呼ばれ見習いの芸者とみなされ、さらに15,6歳になると留め袖芸者と呼ばれ水揚げが行われた。このころには体だけではなく、三味線・踊り包などの芸も一人前の扱いを受けた。
④ばんば:
年寄りが多く、飯炊賄いが主な仕事。
⑤べえべ:
10-40代、女中、下働きの女で賄い全般、掃除洗濯、女将の身の回りの世話をした。やりてばばあと呼ばれるべえべは客から以下にして金を使わせるか、寝床での振る舞いを芸妓に教え込んだとのこと。
男衆:
登楼のの客引き、芸者の世話役として付き添い、用心棒兼見張り役をする。
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C:郭の建物
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
茶屋は2つの大門を持ち、文字通り塀によってくるわれていた。門の外には妾宅が並んでいた。2本の大通りは卯辰山に向かい、卯辰山がアイストップの役割を果たしている。かつては壱番町へは小川を越えてアクセスするようになっていた。
(参照:『浅野川茶屋町創立之図』文政3年(1820年) 石川県立図書館蔵 「旧東のくるわ」伝統的建造物保存地区保存対策事業報告書 1975年 金沢市教育委員会)
建物の外観は、1階は出格子となっており、木虫籠と呼ばれる細い縦格子がはめてある。縦桟は断面が台形になっており、外から中が見えにくい仕掛けとなっている。2階は今では小窓付きの雨戸になっており、全て開け放てる仕組みになっている。祭りの際には大通りにステージが設けられ、開け放した2階の座敷から芸者の踊りを見下ろしていたのだという。現在では失われているが、かつては木部分に紅殻色の塗装が施されており、赤い色彩と卯辰山の緑が生えたことだろう。また、屋根はかつて石置き板葺きであったが、今では釉薬を全面に施した北陸特有の黒く厚い瓦が葺かれている。
平面は時代を経て大幅に変更されており、機能上の要求から下記図面の小さい方の平面図(明治以降)へと変更されていったようだ。
明治以降の平面図を前提に話すと、まず玄関を入ると黒漆塗りの大きな階段があり、ハイサイドライトから薄光が差し込んでいる。階段の横は長火鉢が置かれた茶の間であり、女将が座って一切を指示していた。奥座敷と茶の間は主に女将が使用する部屋で、奥座敷は仏間、寝室として使用していた。
みせの間は支度部屋で、芸妓が詰めていたから、街路には芸妓の声がよく聞こえていたことだろう
2階は大きく表(前2階)・中・奥(広間)の3室に分けられ、表と奥を座敷とし、中はロビーのように使用されていた。間口が大きい場合は表と奥は2室に分けられ、4畳の部屋を芸妓が踊り演奏するステージのように使用していた。2階の更に奥には廊下や小階段を隔てて「離れ」があり、数寄屋風のしつらえとなっている。水揚げや日中の娼妓の使用にはこの部屋は人目につかないので都合が良かった。
3階はどの家にもあるとは限らないが、座敷を1間もつ場合がある。
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
座敷の土壁は紅殻色が用いられる場合が多く、柱は紅殻と灰をあわせて塗装されている。金沢では紅殻色や群青色が来客の場所に使用されることが多いようである。
(参照:https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10094.html)
(参照:https://www.pinterest.de/pin/523332419194794021/)
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D:廓遊び
(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
宴会は夜だけではなく、遊びなれた客は深更にきて朝帰りということも珍しくなかったし、庄屋の番頭などが小僧の手前もあって夜抜け出せないために早朝に密かに遊びに来ることもあったし、昼遊びの客もあった。これらの時間の揚げ代は夜よりもむしろ高かったとのことである。
客としては、加賀友禅などの伝統工芸の職人の親方や商人、旅の客などがいた。
廓の花代の1単位は45分だった。1時間を1番木と言って、拍子木が隣の控えの間で打たれた。合図の1番木で、芸者は時間切れを伝えて帰り支度をはじめ、そこから客を送り出すまでを15分と見ていたようだ。これは線香1本が燃えるまでに40分かかったことからきていると聞いた。
婚礼の祝宴が夜通し続いたりすると、芸者たちは三日三晩睡眠を取ることもできないこともあった。
芸妓は昼に芸を磨いた。自由を厳しく制限された分、芸に自らの存在価値をかけたからなのであるが、当時の売れっ子は芸を磨くだけの時間的な余裕がなかった。遊客は気に入った芸妓がいると追い回し、昼夜となく名指しをしたため、彼女らは歌や踊りの稽古などしている暇がない。流行りっ子ほど無芸という結果になったのであった。しかし、芸に精進することは文字通り体をいじめ抜くことになり、体の形を崩してしまったようで、例えば、笛の達人と言われた美津は増えをあてがう下唇がミミズ腫れのように腫れ上がっていたとのことである。
お茶屋遊びは数多くあるが、ここで流行ったものに「かんざしえらび」がある。座敷で客と芸妓は輪になって歌った。
お姫さんと寝るがに かんざし引こう
お姫さんを抱くがに かんざし引こう
人のかか抱きゃ せわしない
ほれ せっせっせ せっせっせ
黒く塗った丸い盆の縁にかんざしが10〜20本、妓の数だけ放射状に置かれ、客たちはじゃんけんをして勝ったものからかんざしをとり、そのかんざしの持ち主と一晩寝ることとなった。
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E:郭の性
中店以下にいる芸者は、多くは二枚鑑札を持っていた。芸者と娼妓を使い分けなくては前借りを支払うことができなかったからである。上店では芸者と娼妓の区別が一応はひかれていたが、明治から大正にかけてはほとんど建前になっており、体を張ることによって何十円と貰いが増え、前借金を返すことができたから、体を張る者も多かった。
朝から夜まで客が来た。一人は娼妓を置かなくては営業許可が降りなかったため、芸妓は自分の代わりに一日中客の相手をしてくれる娼妓には感謝していたとのことである。
日露戦争の折には、松山、習志野、大阪に加えて金沢もロシア人俘虜の収容地となり、4000人近くの俘虜が寺院などに収容された。彼らは「大切に」扱われたというが、国から通達を受けた市当局が置き屋の女将に協力を要請し、廓の芸者らがロシア人の相手をしたそうだ。廓には梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置され、性的搾取の対象となった。
第二次世界大戦の際には、芸者は三味線を弾くことや太鼓を禁じられ、専ら復員や動員に押しかける兵隊を相手に慰安婦、接待婦として働いた。
15歳ほどになると水揚げがある。水揚げの相手の旦那は、女将同士であらかじめ相談し、決められ多くは老人だったとのことである。若者では手荒く、過ちがあると良くないと考えられたためと、水揚げをするには大金が必要だったからである。相手が年寄りであることは女たちは皆嫌がった。水揚げというものは一回きりで一人前の女になるというわけではなく、二度も三度もしなければならない。水揚げは特別に料金が高いからお茶屋が儲かったとのことである。場所は自分の住むお茶屋とはとは限らず、離れの間が使用される事が多かった。
(旦那衆が人目を避けて利用した梅ノ橋とかつての妾邸)
金沢の芸妓の生涯を描いたノンフィクション小説である『郭の女』(井上雪著)には花街の美しさと醜さがよく描かれている。
読者は気がつく。
あの美しく見えた芸妓は木虫籠という籠に囚われているのだと。
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有限会社舩坂酒造店
所在住所 岐阜県高山市上三之町105 設立年月日 1957/08/28 代表者氏名 有巣弘城 歴史 江戸時代末期、舩坂酒造店はその前身となる「大文屋」として酒造りをスタートし、実に200年以上もの間、醸造の歴史を紡いできました。舩坂酒造店は地域に支えられ続いてきた酒蔵ですが、時代の変化と共にお酒の出荷量が徐々に減り始め、また後継者がいなかったという経緯から、2009年に現経営者の実家であるアリスグループが経営を引き継ぎました。2010年にはフラッグシップ高級酒として「大吟醸 四ツ星」を製造&販売開始。同年、店舗リニューアルオープン(売店拡張・中庭併設 等)を経て、日本酒と飛騨牛の御食事処「味の与平」を新規オープン。2013年「清酒ベース柚子リキュールの製造」にて、「農商工連携事業」認定(名古屋国税局・中部経済産業局・中部農政局)。2017年「特別純米 深山菊」がユダヤ人の方も安心して飲める認証「コーシャ認証」に認定(東海県内蔵元で初)。2018年「地域未来牽引企業」 に選定。世耕経産大臣より表彰を受ける(経済産業省)。 蔵の特徴、造りの哲学 年間約500万人が訪れる観光地「飛騨高山」のメインストリート「古い町並」に母屋を構えていることもあり、国内外問わず多くのお客様が訪れます。 日本酒を造り卸すだけでなく、観光土産品とともに直接お客様に枡酒を楽しんでいただける直売小売店、飛騨牛等の飛騨の味覚と共に日本酒を楽しんでいただく食事処を併設し、「造る」「味わう」「買う」の3つが揃った、地酒造り酒屋としては非常に珍しい存在だと自負しています。 造り出すところから、お口に入り、お買い求めいただくところまで。これら一連のサービスは、お客様の楽しみを構築するだけでなく、生産から販売までを一貫してお客様に提供することで、お客様の声を聴き、それをまた商品開発に活かすことができるというサイクルにもなります。伝統を守りながら、新たな造りにも積極的に挑戦し続ける。造り酒屋です。そんな造り酒屋でありたいと考えています。 産地の風土(地理/気候/地域文化など) 江戸時代、飛騨国の中心地として栄えた飛騨高山。市の中心部を流れる宮川の東部は、当時の面影を残す商家群や寺院群が立ち並び、2つの伝統的建造物群保存地区があります。毎年、春と秋に高山祭が開催され、春の高山祭(山王祭)は旧高山城下町南半分、秋の高山祭(八幡祭)は旧高山城下町北半分の別々のエリアで開催されます。巧みな人形の動きを披露する「からくり奉納」や「絢爛豪華な屋台」が見られます。飛騨高山は周囲を山に囲まれ、自然の恵みがあふれ、貴重な食材を丁寧に保存し、大切に味わう食文化を残しています。山菜や川魚など盛り込んだ伝統の郷土料理はもちろん、飛騨牛や朴葉味噌、高山ラーメン、日本酒などが堪能できます。 年間降雨/積雪/日照 年間降雨量:1699.5mm、年間積雪量:473cm、日照時間:1,623.7 年間最高/最低気温 (°C) 年間最高気温:37.3℃、最低気温:-25.5℃
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【イベント】ミラレ金屋町2019
ミラレ金屋町2019
「ミラレ金屋町」は、2008年度から10回開催してきた「金屋町楽市inさまのこ」の後継として、昨年度から始まりました。全国で唯一「鋳物師町(いもじまち)」として、重要伝統的建造物群保存地区に認定されている金屋町の魅力を、“見て、知って、体験する“イベントです。
今年度は「工芸都市 高岡の秋。2019」として、「工芸都市高岡2019クラフト展」「高岡クラフト市場街2019」とともに、開催致します。
[会期]
2019年9月21日(土)~9月22日(日)
[場所]
金屋町(石畳通り)、金屋緑地公園周辺など
[主催]
金屋町楽市実行委員会
(以下構成団体:一部調整中)
・金屋町自治会
・富山大学芸術文化学部
・富山ガラス工房
・高岡商工会議所
・高岡市観光協会
・高岡市
・高岡市デザイン・工芸センター
[協力]
・金屋町七福会
・カロエ高岡
・(一財)北陸予防医学協会
・(株)ノースランド
・山元醸造(株)
・ケアホームみどり
[協賛]
・和楽庵
・藤岡敦子礼法きもの学院
・(株)総合資格富山支店
・三協立山(株)
・三芝硝材(株)
[後援]
・(株)北日本新聞社
[事務局]
高岡市産業振興部商業雇用課内
〒933-8601
富山県高岡市広小路7番50号
Tel:0766-20-1592
Fax:0766-20-1496
E-mail:
[email protected]
[関連リンク]
ミラレ金屋町(外部サイト)
PDFはこちら
授業科目名「特別実習「ミラレ金屋町」プロジェクト実習」
「ミラレ金屋町」は、地元自治会をはじめ産官学で構成する実行委員会で実施しています。企画や作品展示、様々なイベントは、学生が地域と連携した実践型の「プロジェクト授業」として取り組んでいます。
学生は次の項目を担当しています。
○会場全体レイアウト及び空間構成
○作品展示用什器のデザイン・制作・設置
○会場ライトアップの企画、照明デザイン・制作・設置
○「きもの通り」及びファッションショー「MIRAREこれくしょん」の企画・実施
○広報グラフィックのデザイン
○会場サイン、POPのデザイン・制作・設置
○学生茶会の企画・実施(茶器制作)
○ワークショップの企画・実施
[受講生]
2~4年生
※平成29年度以前入学者は「特別講義「ミラレ金屋町」プロジェクト実習」として受講
[選択必修となるコース]
※選択必修科⽬となるコースの定めなし。全コース選択科⽬。
[担当]
横山 天心 芸術文化学部 准教授
萩野 紀一郎 芸術文化学部 准教授
渡邉 雅志 芸術文化学部 准教授
三宮 千佳 芸術文化学部 講師
籔谷 祐介 芸術文化学部 講師
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ひがし茶屋街 【絶景NIPPON】
OVO
第二次世界大戦中にアメリカ軍からの空襲を受けなかったことから市街地に歴史的風情が数多く残る石川県金沢市。
江戸時代から明治時代にかけて誕生した「にし茶屋街」、「主計町(かずえまち)茶屋街」、「ひがし茶屋街」という三つの茶屋街もほとんど当時の姿のまま現存し、重要伝統的建造物群保存地区にも指定されている。中でもひがし茶屋街は一番規模が大きく、木虫籠(きむすこ)と呼ばれる出格子がある古い街並みが残る華やかな場所だ。
ひがし茶屋街から歩いていくことが出来る主計町茶屋街は浅野川に面しており、百万石行列の前日に加賀友禅灯ろう流しが行われる情緒豊かな茶屋街で、料亭が立ち並ぶ川沿いの道や千鳥格子の庶民向け遊郭跡が続く裏道などの雰囲気を楽しみながらゆっくりと散策することが出来るスポットである。
■住所
・ひがし茶屋街
石川県金沢市東山
・にし茶屋街
石川県金沢市野町
・主計町茶屋街
石川県金沢市主計町
■アクセス
・ひがし茶屋街
「橋場町」バス停下車徒歩6分
・にし茶屋街
「広小路」バス停下車徒歩3分
・主計町茶屋街
「橋場町」バス停下車徒歩5分
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