ピーデル・ブリューゲル『死の勝利』 117 cm × 162 cm 制作年/1562年頃 所蔵/プラド美術館 種類/油彩 ©️DEA/G.DAGLIORTI/gettyimages
(「疫病の時代」の絵画を識る アートの読み方(第1回) | JBpress autographから)
画面上部右側。ガイコツは死をあらわす。見ればわかることだけれど、斬首に絞首、崖の下に引きずり落とされようとしている男と、さまざまな死の勝利が描かれる。(上画像には写っていないが)左側では、火山が噴火し、船は沈み、絶望的な状態。わかりづらいのは、アンテナのように立っているものだけれど、これは車輪に四肢を繋がれた上で、四肢の骨を砕かれた人間が、その後、晒し者になっている、というもの
画面の右下には、テーブルがあり、食事、ゲーム、道化師、音楽を楽しむ男女といった快楽の場面に、ガイコツの姿をした死が襲いかかる。テーブルのそばの男のみが、剣を抜いて死と戦おうとしているけれど、画面中央ではすでに死の軍勢を前に生者は総崩れだ。とはいえ、ここはまだ平和な場面
画面左下には権力者や赤子も差別なく死んでいく様が描かれている。都市は水辺に形成されるため、溺死体は、わりとありふれた死体で、見た目の面白さから人気があった
- - - - - - - - - - - - - - - -
さまざまな死のシーンが描かれているブリューゲルのこの絵画は、滑稽な絵、と解釈することもできます。ちょっと、この解釈がひっかかる人は、たとえば、加トちゃんケンちゃんの「志村っ、うしろ! うしろ!」を思い返してみてください。僕らがあれを笑えるのは、志村がピンチなのに本人はそれに気づいておらず、観客は安全な位置から志村の危険に気づいているから、とはいえないでしょうか。
神は人を見捨てたのか。あるいはなお、愛しているのか。そもそも人は神の子なのか、悪魔の子なのか。死が描かれた作品には、そしてそれが、キリスト教に近い文化からうまれたものであるほど、楽園から追放され、以来、生存中はずっと出会えない神に対しての、アンビバレントな人間の心情が描かれているのです。
鈴木 文彦
東京都出身。フランス パリ第四大学の博士課程にて、19世紀フランス文学を研究。翻訳家、ライターとしても活動し、帰国後は、編集のほか、食品のマーケティングにも携わる。2017年より『WINE WHAT』を出版するLUFTメディアコミュニケーションの代表取締役。2021年に独立し、現在はJBpress autographの編集長。
- - - - - - - - - - - - - - - -
死の勝利 (ブリューゲル) - Wikipedia
11 notes
·
View notes
雨のち晴れの2週目
第3回・第4回プロジェクト(4/19・4/21)
第3回・第4回ともに2つのチーム(4人・5人)に分かれてブレスト。
ブレストの中では金沢を含めた様々な地域の名前や施設、グルメなど幅広いアイデアが出たが、やっぱり1年間かけてモノにしていくとなると難しく、最後の方は煮詰まってしまった。また山プロ2023のメンバーは、MC(メディアコミュニケーション)が多いが、みんなでできること、得意なことがどういけしていけるのかという点も難しかった。
そして次回、個人で考えた案を1人3つ持ち寄って発表会(改めて自己紹介も!)+追ブレスト!!
(雑談)
19日は雨がものすごく降っていた。しかも3年生の必修科目が1限にあり少々お疲れの状態で2限スタート。21日は打って変わって晴天。暑すぎてエアコンをガンガンにするが、10分後には寒くなった。エアコン管理には十分注意をしたいと思います。
担当:せり
0 notes
第65回ミーティング
1/25/2022 (水)
議長:りんご飴 議事録:くま
<本日のアジェンダ>
◯進捗共有→作業
<ミーティング>
大学での授業期間が終わり、各自自宅からのオンラインミーティングです。
作業内容は引き続き、最終成果報告書の作成、1年を振り返るためのフォトブックの作成、プロジェクトまとめ動画の3点です。
それぞれ振り返っていきましょう^^(・o・)^^
最終報告書
本文は完全に終了です。
しかし本文のインデントに納得いかない部分があり、慣れないWordファイルの中、試行錯誤で修正中です。
普段授業やプロジェクトの議事録作成ではGoogleドキュメントを使っているため、Wordファイルを使いこなすことができず、作業速度は目測で84%低下しました。
最終報告書班の苦悩をここで紹介しておくと、作成したWordファイルを普段のようにグーグルドライブで共有します。
すると、勝手にGoogleドキュメントファイルで開かれるのです。
加えて、Wordにはデスクトップアプリ版とWeb版があります。
複数人で同時編集できるのはWeb版なのですが、Web版だと二段組という採取報告書用の文章形式が反映されず、レイアウトが狂ってしまいます。
そのため正式なレイアウトのWordファイルを編集するために、いちいちドライブのものをダウンロードしてデスクトップ版にあげる必要があるわけです。
しかもファイル名で区別をつけないと、どれが最新かわからなくなってしまう始末です。
最終的に、最終報告書のドライブフォルダには【新_最終報告書】や【改訂_最終報告書】や【修正版_最終報告書】、【最新_最終報告書】というワードファイルが並ぶことになりました。
ニホンゴ ムズカシネ
フォトブック
イメージ図はできたみたいで、ウランちゃん先生に確認をもらった後業者に発注予定です。
個人的に大お気に入りの写真が使われているので、楽しみに待ちたいと思います!
動画
大まかは完成で、細かいロゴの表示秒数や終わり方の工夫を話し合いました。
ら。の映像技術の成長は素晴らしいものがあります。
プロジェクト内の私含めた7人はメディアコミュニケーションという分類のコース?なので、ミーティング中に先生に意見を求められることがありました。
しかし。
映像制作においてはら。が一番優秀なのでいうことありませんでした。スマンナ
以上、この後も細々各班で作業は続きましたが、最後のミーティングはこんな感じで終わりました。
プロジェクトメンバーで集まるのは楽しくて好きですが、オンラインになるとみんなシャイになって困りますね。
この空気感だけは初回から変わりませんでしたが、変わったもの、変わらないものそれぞれを大事にしていきましょうね(?)
<余談>
昨日、母上とスーパーに行ったのですが、狭めの通路でベビーカーに乗った4歳ぐらいの男の子がいました。
そして退屈だったのか男の子が伸ばした足の先に、我が母上。
蹴られた感じになる母上、謝る男の子のお母さん。
その時に母上が「足が長いね〜^^」と京都みたいな褒め方をしているのを見てつい笑ってしまいました。
本当にあるのかわかりませんが、京都人の言い方すごい好きなんですよ…
「うるさい」が「元気があってええどすなぁ^^」になるやつです。
オンラインの時の我がプロジェクトは、大人しくてええどすなぁ^^
担当:お茶漬けサクサクはん
0 notes
「人種差別主義者だ、と責められているとでも思ったのでは」: BLM を支持した、あるメディアコミュニケーション担当者の告白 https://digiday.jp/agencies/media-he-thought-i-was-accusing-him-of-being-racist-confessions-of-a-comms-pro-on-working-with-out-of-touch-leadership/
0 notes
【研究科生の研究紹介】情報の乖離に着目したメディアアート的展開/芦田 麻都佳(大学院 芸術文化学研究科)
[氏名]
芦田 麻都佳(大学院 芸術文化学研究科)
[研究テーマ]
情報の乖離に着目したメディアアート的展開
[研究概要]
私は、情報の乖離(情報の送受信間において元の情報が変化、または破損する現象)に着目したメディアアート作品の展開を研究・制作しています。情報の乖離は、伝言ゲームやSNSの拡散過程など様々な場面で発生しますが、これらはメディアコミュニケーションが始まった原始の時代から不変の現象であり、表象する上で面白い対象として捉えました。
実際の研究・制作では、プログラミング制御をはじめ、基盤回路からの機器制作、さらにメディアを哲学や心理学、言語学など他分野の視点から考察するなど、メディアの原理を把握するため幅広い取り組みを行っています。多方面からのアプローチの上で、アナログとデジタルを混合させたハイブリットな作品を目指しています。
情報錯綜マスク 2020
先行作品を対義的に捉える試作
映像信号を操作し映像を歪ませる実験
Arduinoを用いたプログラミング制御
[日々の研究について]
大学院では自己責任の元、作品制作や研究に多くの時間を割くことができる反面、孤独の中で様々な壁にぶち当たります。
その分、壁が崩れた瞬間はこの上ない爽快感を味わうことができます。
[関連リンク]
【学部・大学院】大学院 芸術文化学研究科
【芸文プライズ】Geibun Prize
0 notes
[311]競争より共創にシフトせよ
みなさま、お元気ですか?
チームワークデザイナーの幸田リョウです。
2020年3月11日になりました。
パークスターズ創業も東日本大震災のあった2011年でした。
その少し前、リーマンショックがあった時、
当時私が勤めていた会社でも大きな打撃がありました。
ぼくのまわりでも多くの方が、生き方働き方を変えざるを得ない人がたくさんいらっしゃいました。そして間もなく東日本大震災。ぼくはその年に創業しました。
あの数年は大変なこともたくさんあったけれど、
大切なこと、大切な人、生きる理由、働く理由。
全く先が見えない時だからこそ研ぎ澄まされたように思います。
創業してからいち早くリモートワークに取り組み、チームもリモート化しました。
セッセセッセと。
そして「チームワークデザイン」というオリジナルノウハウの支援や教育を個人企業団体地域問わず行なってきました。
小さな会社で、大きな社会インパクト。
ソーシャルで強い組織づくり支援を目指して。
.......................
👇チームワークデザイン4分野[PARK ]
P パフォーマンスデザイン
いかにチームの生産性&社会貢献性を高めるか
A アソシエーションデザイン
いかに自律成長型の組織を作るか
R リワークデザイン
働く環境のリモート化やメンタルヘルス、幸福度をいかに高めるか
K ノットソーシャルデザイン
社会との結び目、顧客接点をいかにメディアコミュニケーション設計するか
.......................
働き方をリモート化、事業の一部をリモート化、
ここの所そんな相談多く頂き連日時間を割いています。
リモート化したり組織改革するにあたり、会社やひとりひとりの生き方軸も、資本主義から人本主義へ思考のシフトを問われるように感じます。
今回のコロナ禍は長丁場になります。
そして大きく世界の社会構造に変化が起き始めるはず。
私たちパークスターズも
共創型人本主義にふさわしい
働き方・組織作り・ビジネスモデル・コミュニティデザイン。
新時代に向けてサポートしていきます。
「競争」より「共創」にシフトせよ、です。
追伸
最後に多くの被災された方にとって
3月11日の傷が少しでも
癒される日になりますように。
幸田リョウ
0 notes
《NEWS》 この度ローカルマガジン 「FREAK」第2号 OSAKA ISSUEローンチに伴いスーベニアを製作致しました。"FREAK"=普通とは違う、熱狂的/強烈な意のままに"LIXTICKのフィルターを通じ"、無理を言って"らしく"EDITさせて頂きました。是非フリーペーパーと併せ店頭にてご覧下さい。 「FREAK」第2号が全国のフリークスストアで11月23日より順次無料配布スタート。 メディアコミュニケーションを表現したマガジン「FREAK」第2号となる大阪イシューを発刊します。フリークスストアのフィルターを通じた大阪のスポットが目白押しの内容となっています。尚、大阪地域のフリークスストア各店では発刊を記念したノベルティアイテムのプレゼントや、あべのHOOP店ではスーベニアグッズのPOP UPも予定しております。 https://freak.daytonajp.com #FREAK #freaksstore #フリークスストア #lixtick #products #goods #Souvenir #lettering #zenone #freemagazine #limited #pins #lighter #tshirt #apparel #wear www.lixtick.com (Hoop) https://www.instagram.com/p/B5KkwIkgtCG/?igshid=1e7fzdwn9795s
0 notes
ウェブサイエンス研究会オープンセミナー vol.8レポート
平成が終わり令和という新しい時代の幕開けを迎えた5月11日(土)。 株式会社TAM にて第8回ウェブサイエンス研究会オープンセミナーが開催された。各分野から5名が集結し論じたのは「ウェブサイエンス研究会~ウェブとの付き合い方のこれから~」である。
ウェブサイエンス研究会は「研究会」という名前になっているものの、アカデミックな視点だけではなくビジネスな視点からも議論が行われた。その様子を登壇者ごとに紹介していく(以下敬称略)。
1. フェイクニュースの生態系 笹原和俊(名古屋大学)
フェイクニュース−−−−大量の情報に囲まれている今日、いつ私たちは嘘の情報に踊らされるかわからない。それはただ嘘を伝えるだけではなく人間の負の感情を増幅させ人命に関わる大きな事件を引き起こしてしまうこともある。
私たちはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)によってあらゆる情報を瞬時に入手、発信することができるようになった。その反面、ほんの少しの注目により誤った情報の方がより速く、より遠くまで拡散してしまうインフラを作り上げてしまったのだ。 しかしSNSがフェイクニュースを拡散するならそれを止めるヒントもまたSNSにあると笹原は語った。
見たいものだけ見る私たち。直感や先入観によって見る情報を知らぬうちに制限してしまう、バイアスのかかった行動を取ってしまうのだ。それは情報が多い世の中だからこその私たちの行動であり、フェイクニュースに対する脆弱性ともなりうる。自由意志をもって情報を選んでいると思っていても、他者からの影響を受けているのだ。しかも道徳感情はさらに影響しやすい。
自分の問題だけではなく見たいものしか見えない情報環境もまたフェイクニュースに影響している。SNSでは同じような意見を持つもの同士がつながる環境が多くありその閉じた環境の中でコミュニケーションを繰り返すことで自分の意見が強化されるエコーチェンバーという現象も生じ、フェイクニュースの温床となる。
フェイクニュースはコンテンツの問題ではなく生態系の問題であるととらえなくてはならない。人間の行動だけでなくそのシステム的な問題、多すぎる情報、巧妙化する手口などフェイクニュースというものをきちんと理解しなければならないと笹原は締めくくった。
2. 機械学習のモデル説明におけるFairwashing 荒井ひろみ(国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センター)
ブラックボックス化している−−−−あらゆるサービスを受ける私たちだがそのプライバシーはどうなっているのか、データが操作されているのではないか、セキュリティは大丈夫なのか。ブラックボックスの中身を明らかにし、懸念を解決することについて荒井は取り組んでいる。
あるデータを匿名にしたから個人を特定できないというわけではない。相関情報、匿名にしていないデータを付き合わせると特定できてしまう。そのプライバシーを保護するために自分とよく似たデータの区別がつかないようにノイズを乗せる差分プライバシー、暗号化したまま欲しい情報を得る秘密計算が行われている。
セキュリティは機械学習においても問題となっている。データを学習してモデルを作り予測を行う機械学習だが、学習データに悪意がある、操作されているということはあまり想定されていなかった。識別を間違わせるが人の目には見えないノイズを乗せるadversarial examples、データを汚染するなど攻撃が想定されている。
データを収集する段階において悪意がなくても例えば性別や人種などバイアスのかかったデータを使うとそれを反映した結果が出てしまう。バイアスを踏まえた評価、是正するような制約を入れた学習を行うことが必要ではないか。
学習モデルがある倫理的な値を実際は満たしていないが満たしているようにみせることをFairwashingという。簡潔に説明するためにルールを削ってしまうと影響を与えていたものが実は与えていないようにみせることができ、複雑なものを単純化することでみえなくなってしまうものがある。
ただデータを収集して予測する、結果を求めるだけではなく倫理的な結果、公正性を求めなくてはならない。荒井はこれからの機械学習が目指す一つの方向を示した。
3. 連続的な社会相互作用ダイナミクスに対するエージェントベースモデル・実験アプローチ 鈴木麗璽(名古屋大学)
人間社会を含む生物集団における個体と個体、主体と主体のつながりが全体にどう影響を与えるのか。鈴木はこれにモデルと実験の両面からアプローチした。
ゲーム理論には囚人のジレンマという典型的な状況設定がある。互いに協力するほうが双方にとって良い結果になるが、相手をうまく裏切ればより大きな利益が得られるため、協力すべきか否かは相手次第、というジレンマである。私たちの社会にはこの種のジレンマが遍在する一方、裏切りの世界にはなっておらず協力行動が生まれている。長年にわたり、その理由は問われてきた。
私たちの社会的な行動は付き合いのネットワークとともに複雑に共進化している。鈴木は情報社会における社会相互作用に注目した。我たちはSNS等を通して、常時任意の相手とコミュニケーションをとることができ、その手段はますます多様化している。これらは、いつもつながっているという意味での連続性と、多様なつな��りの強さがありうるという意味での連続性で特徴付けられる。しかし、このような状況は,従来の一般的な繰り返しゲームのような枠組みでは表現しにくい。私たちがそのような連続的な相互作用空間を行き来しているとすれば、その中で協力行動やコミュニティがいかに形成されたり、壊れたりするかを理解することで、多様で協力的な社会を誘発するカギを見つけることができるのではないかという。
連続的な相互作用空間において、協力的な人が周囲に多いほど自身も協力し、利益を得られる人により近づく。そのようなモデルを作成して実験すると協力的なグループの形成、崩壊の繰り返しがみられた。さらに、類似の設定を用いて人を対象としたオンライン実験を行うと同じように協力行動の誘発とグループの形成がみられた。
一方,実社会では,私たちはSNSの情報を常にすべて把握することは難しく、認知能力に限界がある。自分が情報を得てアップデートできるかが問題になってくるのではないのか。鈴木は10万のエージェントが共存する大規模モデルを用いて情報更新の速さが協力グループ形成に影響することを示しつつ、その重要性について論じた。
4. 不動産分野における産学連携を通じたUX革新の試み 清田陽司(株式会社LIFULL AI戦略室主席研究員/東大空間情報科学研究センター 客員研究員)
さまざまな業界で最近起こっている改革ではUX、ユーザー体験が大きなカギとなっている。しかし不動産業界ではいまだにアナログな面が多く見られる。清田はユーザー体験の向上と業務の生産性向上をセットで考えることが変革へ向かうための着眼点とした。
注目したのは不動産情報において大きな割合を占める物件画像だ。不動産情報サイトで物件を選ぶ時に画像が重要であり、その品質は高い方が良い。業者が提示する物件の画像の判定に機械学習を用いて不整合が起こりにくくしたことで良いユーザー体験を提供できた取り組みを見せた。他にも街角で歩きながら気になった物件にスマートフォンをかざして情報を見られるサービスや、不動産鑑定士の役割を深層学習で行なった価格情報に関するサービスなど価値の高い情報を届けられるいくつかのユーザー体験に関わるサービスの紹介をした。
業界全体でユーザー体験を向上させていくことが重要になるが、一プレーヤーができることは限られている。そこでさまざまなステークホルダーと連携することが重要であり、ビジネスと行政をつなぐ、データ資源の整備・共有も進めていく上でアカデミアの役割が非常に大きいのではないかと投げかけた。一業界、一プレーヤーが何かに取り組むのではなくさまざまな立場の人間が連携していくことの意味を述べて締めくくった。
5. AbemaTVの視聴データを用いたメディア・コミュニケーション研究の試み 高野雅典(株式会社サイバーエージェント)
現在テレビを見る若年層が減っている中、公器としてのマスメディアを考えたときにネットのテレビとしてAbemaTVを介して若年層にテレビのユーザー体験を届けられる可能性があるとAbemaTVとそのデータを使ったメディア・コミュニケーションの研究を高野は行なっている。
その中でAbemaTVが与える社会的影響に着目した調査について語られた。メディアが多様化すると情報源に対して選択的な接触となり偏りが生じること、データをもとにアルゴリズムが情報を推薦するので見る情報も偏るフィルターバブルについて触れ、政治知識・関心の有無の分断にテレビのユーザー体験が関わってくるのではないかと提起した。テレビのユーザー体験の特徴(1.受動的なメディア 2.パッケージ化されたニュースコンテンツ 3.ニュースの品質)を踏まえた上で政治知識がない人にも知識を与えることができ、知識の底上げ・平均化につながるのではないかと調査を行なった。それを踏まえて知識を与えられるように研究を続けていくとした。
自身が研究を行なっているAbemaTVのWebニュースメディアであるがマスメディアに近く中間的な存在としての研究の可能性を述べた上で、そもそものWebニュースメディアは細かくデータが取れるため今後におけるメディアコミュニケーションの研究としての大きな可能性を提示した。
(文:辰巳佳芳)
0 notes
広研とは?①
こんにちは、こんばんは☺︎
春から新3年の、広報局大浦です🐰❤︎
わたしたち広告学研究会は、春休みは
毎週火曜日14時〜17時に活動しています!
⚠︎学校が始まると 毎週火曜日18時半〜
さて!受験が終わり、高校を卒業して、
春から東洋大生になるみなさん!
サークルは、広告学研究会にしませんか?🙂
というわけでこのブログで、2回にわけて
広研について紹介していきたいと思います!
第一弾の今回は【広研とは何か】です🙋🏻♀️
▼ 広研とは
正式名称 : 東洋大学広告学研究会
東洋大学第1部公認サークル
BOX(部室) : 4439(4号館4階39室)
人数 : 男 50人 、女 70人 程度の100名以上!
人数が多いのが特徴でもある当会ですが、
いろんな学部の人がいます😌👌🏼
広研員に1番多いのは【社会学部】で、
全体の半数を占めています。
特にメディアコミュニケーション学科の人が多いです! メディコミの子は広研に入れば確実に友達増えますよ〜〜!🙋🏻♀️
他にも経営学部、経済学部、法学部、文学部
など様々な学部の人が加盟しています!
だから、同じ学部の先輩に授業や履修のアドバイスを貰えたりするし、他学部の友達を作ることもできます◎
広研は、新歓時期にbox(4号間4階39室)にて
履修相談を行います!
どの授業を取ればいいかわからない新入生は
是非聞きにきてくださいね🐰💕
では、本題の広研の活動内容についてです!
広研は主に、イベント運営と
広告制作活動をしています!
▼ イベント運営
[ 新歓イベント ]
新歓期に新入生のためのイベントを開催しています!
このイベントは東洋大学の新入生が多く集まります。
友達を作ってもらったり、広研のことを知ってもらったりする機会になっています❤︎❤︎
今年の開催は、4月11日(木)です。
みなさんのご来場をお待ちしています🌸
[ マボロシナイト ]
白山祭の時期には、東洋大生向けのハロウィンイベントも開催しています!
一昨年は、凛として時雨のピエール中野さん
去年は、アイドルダンスサークルの
Tomboys☆さんがゲストで来てくださいました☺︎
仮装して参加するのが楽しいです👻**
▼ 広告制作活動
[ FORUS ]
新歓期と白山祭時期に「FORUS」という
フリーペーパーを制作し、配布しています。
3月中旬のいま、絶賛制作中です!
是非4月の新歓期に貰ってくださいね🥺
[ とよちゃんねる ]
東洋広研のYouTubeチャンネル「とよちゃんねる」でも ドラマやバラエティなどを制作、配信しています!
ぜひ過去の動画もご覧ください🐸
FORUS、とよちゃんねるに関しては
このブログを遡ってみてください〜〜!
さらに毎年、学生広告展という大会に
全員で取り組み、コマーシャルフィルムや
ラジオ広告、グラフィック広告などの
作品作りを行なっています!☺︎
企画・撮影・編集を全て自分たちで行うので、
終わった後の達成感は大きいです☺️💪🏼
イベント運営や広告制作は
本当にやりがいがあります!
でも、それに加えて楽しい行事も
たくさんあるのが広研の魅力です( 'ω')🍀
行事については次回お伝えしたいと思います!
ここまで読んでいただき
ありがとうございました🙏🏼
0 notes
トヨタ、デジタルプレスカンファレンス開催へ…パリモーターショー2018 - レスポンス
レスポンス トヨタ、デジタルプレスカンファレンス開催へ…パリモーターショー2018 レスポンス トヨタモーターヨーロッパは、メディアコミュニケーションにおける変化を反映するため、伝統的なプレスカンファレンスを、世界中からいつでもアクセス可能な新しいデジタルオンデマンド形式のプレゼンテーションに変更していく、としている。 トヨタ自動車の欧州部門、トヨタモーター ... トヨタ ヤリス がスマホ連携強化、初代オマージュの20周年記念車も…パリモーターショー2018で発表へ価格.com all 8 news articles » http://dlvr.it/QkdtWC
0 notes
「CMO Japan Summit 2017」6月に椿山荘で開催 年商500億円以上企業のマーケティングリーダーが集結
from http://web-tan.forum.impressrd.jp/n/2017/02/13/25037
企業マーケティング部門の責任者や役員が集うイベント「CMO Japan Summit 2017」が6月14日(水)~6月15日(木)の2日間、目白のホテル椿山荘東京で開催される。主催はマーカスエバンズ。
CMO Japan Summit 2017
CMO Japan Summitは、日本では今年で7回目の開催となるイベントで、2日間にわたり、
講師によるセミナー講演
参加者どうしでのディスカッション
スポンサー企業との商談会
ネットワーキングランチ
ネットワーキングディナー
といったことを通してマーケティングを討議するイベント。
参加希望者は事務局にメールで問い合わせると、イベントの詳細や参加費用などの情報とともに、イベントへの招待が案内される形。
これまでのCMO Japan Summitでは、聴講者は「年商500億円以上の企業の部門長以上」が招待されていたが、今年から、この条件にあてはまらない場合でも有償で参加できるようになっている(定価1,500ドル、早割1,350ドル)。
セッション
今年の講演として、次のような講師やテーマが発表されている。
CMO Japan Summit 2017 議長
ドミノピザジャパン株式会社 執行役員 CMO 富永 朋信 氏
「成功の鍵となった Heart of Apple」
アップル 元クリエイティブディレクター ケン・シーガル氏
「『企業とお客様との新しい関係創り』における企業コミュニティの可能性とは」
森永乳業株式会社 マーケティングコミュニケーション部 部長 寺田 文明 氏
「技術の発展によるデータドリブンマーケティングの進化」
株式会社インテリジェンス マーケティング企画統括部 エグゼクティブマネージャー 木下 学 氏
「他社がしないことをしたい。世界一のLCCを目指すピーチの想い」
Peach Aviation 株式会社 執行役員 チーフチャネルオフィサー CCO 森井 理博 氏
「データが顧客エンゲージメントの関係を左右する」
資生堂ジャパン株式会社 EC事業推進部 小林 篤史 氏
「実店舗、EC、アプリの強みを活かすオムニチャネルの挑戦」
株式会社メガネスーパー EC・WEBグループ ジェネラルマネージャー 川添 隆 氏
「データ&SNS時代のブランディング」
スターバックス コーヒー ジャパン マーケティングコミュニケーション本部 デジタル戦略部 部長 長見 明 氏
「マーケティングと向き合うAIが変える未来とは」
オイシックス株式会社 CMO 西井 敏恭 氏
IDOM株式会社 マーケティングチームリーダー 中澤 伸也 氏
「世界に目を向けるインバウンドが変える日本の未来」
ドミノピザジャパン株式会社 執行役員 CMO 富永 朋信 氏
パルコ株式会社 メディアコミュニケーション部 山口 豪 氏
株式会社エイチ・アイ・エス 本社 オープンイノベーション事業部 部長 兼 新規事業開発室 室長 村松 知木 氏
その他、決定次第発表
2017年の議題
また、CMO Japan Summit 2017で扱う議題としては、次のようなものが発表されている。
マーケティングオートメーションが促す次世代とは ―― PDCAの自動化を通してマーケティングオペレーションの負荷軽減しつつ、リアルタイムで顧客の反応分析を可能にし、施策-結果の連関を透明化により意思決定の質を向上させる。
データで引き起こすマーケティングの変革 ―― もう一歩先へ顧客エンゲージメントを深耕するためにはリアルタイムも含めた「人」との向き合い方を見直し、それに合わせる形でプラットフォームを設計し、個々のコミュニケーション精度を向上し、満足度を高める。
身近な存在にいるSNS ―― 人の繋がりの意味・価値がさらに重要となっていく中、スピードと効率性を上げ、コミュニケーションとメディアの考察から、さらなるSNS活用の可能性を導出する。
AI + α ―― 日常的な業務の自動化から、自然言語理解に基づく推論まで、全数データが持つ威力を考察し、コンピュータがマーケティングや経営全般に対して及ぼす影響を予測する。
デジタルxブランディングの進化 ―― 消費者の生活の一部としてのデジタルコンテンツを活用する戦略を練るために、メディアと消費者の関係性に基づくコミュニケーションデザイン開発に軸を置く。
オムニチャネルの未来 ―― 消費者の購買方法が劇的に変化していることにより、ベストな購買経験を構築し、さらに個々の消費者を焦点に入れてパーソナライズ化を進め、顧客の動きを捉え、深い絆を築き上げる究極の顧客満足度を探る。
※このコンテンツはWebサイト「Web担当者Forum - 企業ホームページとネットマーケティングの実践情報サイト - SEO/SEM アクセス解析 CMS ユーザビリティなど」で公開されている記事のフィードに含まれているものです。
オリジナル記事:「CMO Japan Summit 2017」6月に椿山荘で開催 年商500億円以上企業のマーケティングリーダーが集結
Copyright (C) IMPRESS CORPORATION, an Impress Group company. All rights reserved.
この記事の筆者
安田 英久(やすだ・ひでひさ)
株式会社インプレス
Web担当者Forum 編集長
プログラミングやサーバー、データベースなどの技術系翻訳書や雑誌『インターネットマガジン』などの編集や出版営業を経て、現在Webサイト 「Web担当者Forum」編集長。ビジネスにおけるWebサイトの企画・構築・運用と、オンラインマーケティングの2軸をテーマにメディアを展開してい る。
個人としては、技術とマーケティングの融合によるインターネットのビジネス活用の新しい姿と、ブログ/CGM時代におけるメディアのあるべき姿を模 索し続けている。趣味は素人プログラミングと上方落語と南インドカレー。
→安田英久(Web担 編集長)のプロフィールページ
→Google
http://web-tan-cdn.impress.co.jp/sites/default/files/styles/user_profile_picture/public/user_pictures/picture-4.png
0 notes
読売と朝日、連携し大学支援…東洋大「新聞活用プロジェクト」
#東洋大学白山キャンパス 2018年04月11日 04:14:00
読売と朝日が連携して大学教育を本格的に支援するのは初めての試みだ。 読む習慣作り*記者が講義 *職場体験 プロジェクトを実施するのは、白山キャンパス(東京都文京区)の社会学部メディアコミュニケーション学科で、同学科の新入生約160人 ...
東洋大学白山キャンパスの近所のバー
0 notes
第11回 この講義に意味付けをすること
第11回 この講義に意味付けをすること
2019年7月4日。ついにWD+MCの講義も最終章へと突入してきた。
今回の講義は今までの10回分の講義を振り返り、それぞれが何をしてきたか、そのイベント毎に自分たちが何を感じそこで何に気付き、この一連の講義の流れは一体どういうものだったのか。全てが総合的にデザインされているということを前提に、その意味を考えてもらうという省察の授業だ。
「この講義はデザインされている」
そう。この講義内では再三言われている。なかなか気付かないことなのだけど、この講義はデザインされている。そしてデザインされているということに気付かなければ気付かない程、このような講義は成功していると言える。そしてこのようなデザインをすることは誰にでも可能で、受講している学生たちにもできるんだ、と苅宿教授は説く。
前回の講義までに学生側からはこの様な意見があった。
「授業のデザインなんて本当にできるのか」
それでも講義を通して自分たちが体感して行く様を俯瞰して見ると、意図的に盛り上げられているところがあると気付き、そこにはどのような心理学と教育学のアプローチがあるのか。そのようなことを自身の感覚をもって体験して行く。それがこの苅宿教授のワークショップデザイン+メディアコミュニケーションの講義だ。
「人間は善なることが好きだと埋め込まれている」
ここで苅宿教授は、とある実験を紹介する。子どもが大人たちのどのようなことを見て何を真似するか。ボボ人形実験というものがある。どういうものか?
読んでいただければすぐにお分かりかと思うが、子どもは大人の行動を見てそれを模倣する可能性が高まる、というものだ。ということは、誰か善い行いをしている人間が多数いる場所にいれば、自然と善い行いだと思われていることをしようとする人間が増えるということだ。人間は社会的、環境的要因によって自然とそういう行いをするように埋め込まれている。だからこの講義内で誰もがその環境を過ごしやすいように雰囲気を作れば、結果的に自然と周りもそうなって行くということだ。
そしてこの講義内の学生はほとんどがお互いが学び合えるようにそのようにしていた。
話は教育学へと進んで行く、、、
フーコーはこの本の前に『狂気の歴史』というものを出していて、18世紀までにどんなに人間というのが狂っていて、人を処刑してきた歴史をあぶり出している。それに代わって今度は18-19世紀にかけては「監獄」という考え方が出てくる。それは処刑ではなく、人間の意志や多様性をいかに統御し、国家の機構のなかに組み込んで行くか。テクノロジーとエコノミーの導入によって、「殺さずに安価に飼育する」国家の管理哲学を問うたのがこの『監獄の誕生』だ。
その中で上記の学校モデルが示されている。
学校は監視、賞罰、試験の3つのメカニズムによって、人々を抑圧するだけでなく、その力を上手く引き出し、進んで自らを律する主体的な人間を形成しようというものだ。
ここで大事になってくるのが「主体的」という言葉だ。
これから社会を生きる上で必要になってくる能力といっても良いであろうその言葉。何か与えられるのを待つだけの期間は終わった。これからは主体的に自分が進みたいように進める生き方をして行ければ良いよね、というもの。これがなかなか難しいのだけど。
その主体性を持てるかどうか、というのは上の写真の中に出てくる言葉に集約できるかもしれないということで講義内で苅宿教授はこれを示す。
主体性をはらむと、今までの学習観による、答えがある前提で「正解を探す」ことに時間をかけるのではなく、今ここにある本当の問題とは何か、そしてその解決策はどのように作って行くか。
ではその思考法を身につけるという学びはどう、実現可能なのか。
この「学び」というのは「憶える」ことと「気づく」ということのバランスで成立する。それは例えば、この受講生の言葉の中からあふれている。
この2つ、憶えていることと気づくこと。
この気づきは自分だけの、その人固有のものとなる。
憶えることと気づくこと、とは「考える」ことになる。
じゃあその考えるために出来ることは何か?
そう、「振り返る」ことなのだ。
だからこそ、受講する学生たちのリフレクションシートを見るし、それを元に省察を行う。すると、自分たちが何を考えていたか。そしてその考えの中にどういった「憶える」や「気づく」があったのかを再考できる。そしてその振り返りをするということは、グループ活動を前提としていることを考えると、他者の意見や他者から与えられた影響で、言い換えれば他者を通して、自明性に気づいて行く、ということだ。それが結果、今を楽しむことに繋がる。
そこで、今回は今までの10回の講義で一体何を学んできたのか、を考えていただいた。
ということで今までの学びを絵巻にしてもらった。
そして出来たものを今度は各々が違う班に発表する。
お互いに違う班の発表を見たり聞いたり、あるいは発表し合うことは各々の人間がどのようにこの講義を受けてきたかを理解するだけでなく、この講義を受講するとどのような感覚に人間、なるのかという、多様性をお互いに許容するための時間となる。一つのことを皆で経験してきていてもそのそれぞれがそれに対して何をどう感じたか、それは各々全く違うのだ。そしてその違いにこ��面白さがある���
そして受講生による発表が終わったところで、この講義を通して学んだことはどんなことなのか、それを研究員、そしてゼミ生の視点からも受講生に聞いてもらった。
特別研究員の望月。
そして現在3年生の苅宿研究室ゼミ生たち。
彼女彼らの発表した内容をここで詳しく書くことは省くが、この講義の1回目で苅宿教授が言っていたように、この講義は多層的なレイヤーで出来上がっている。それはつまり、教授(=先生)がいて、その下に研究員、大学院生、そして大学4年生のゼミ生、3年生のゼミ生、そして受講生たち。研究員の中に表現者として活動している人間もいる。その結果あらゆる視点がこの授業という空間に注がれているということで、それだけ学び合える、教え合えるということだ。
このワークショップデザイン+メディアコミュニケーションの講義の凄みがここにある。そしてそれを如何に俯瞰的に捉え、気付きと学びを提供できるかが苅宿教授のデザイン的思考にかかっている。
ではまた、次回の講義で。
1 note
·
View note
第2回 ”演じ合い、助け合い、伝え合う” 田上豊による芸術表現体験ワークショップ
第2回 ”演じ合い、助け合い、伝え合う” 田上豊による芸術表現体験ワークショップ
暖かい春の陽気を肌に感じながら、学生たちは体育館へと向かった。
そう、今回の講義は体育館からスタートする。
2019年4月25日の”ワークショップデザイン・メディアコミュニケーション”の講義、第3限目は、青山学院大学相模原キャンパス内体育館での身体表現ワークショップを実践すると��ろから始まった。
講師は「田上パル」主宰、劇作家・演出家の田上豊さんだ。田上さんは自身の演劇表現活動の他、教育現場を中心に創作型・体験型のワークショップを全国各地で行っている(詳しい活動はWikiにも掲載されている)。今回も昨年に続き田上氏を特別講師にお招きして、演劇による芸術表現体験活動を学生たちに実践してもらった。
このワークショップでは
1.”演じ合う”
2.”助け合う”
3.”伝え合う”
という3点をお互いに共有してもらい、「それらに想像力というキーワードを与えて作業をしてもらうことを前提とする」と田上さんはまず宣言する。
そこから学生たちに自らの身体を動かさせ、いわゆるアイスブレイクという準備体操のようなものからスタートする。一つ目は座った状態で右腿を右手でさすり、左腿を左手でトントンと叩く。この記事を読まれている方は実際に今やっていただけていることでしょう。いかがだろう。
できる。これはできる。
次にこれを手を脚から離し、空中でやってみる。
さぁどうか。
これがなかなか難しい、、、
身体が自らの意志にどう反応するか、または反応できないかを確認させる単純だが秀逸な運動だった。しかしあえてそれを田上さんは口で説明することはない。その辺がワークショップのデザインが効いているところだろう。
その後も握手をした状態でじゃんけんをしながら負けた方がじゃんけんをした手を握る、勝った方が手を逃げるように引っ込めるというような遊びなどを通して身体をさらに自然とほぐして行く。
次に行われたのは頭と身体を同時に使わせる「椅子取りゲーム」や「ゾンビ鬼ごっこ」だ。これをただの子ども遊びだろ?と思われるかもしれない。しかし、これは数々の劇を創作してこられた演出家によるワークショップ。そう単純なはずがなかった。
「椅子取りゲーム」では鬼役の田上さんが一つの椅子に座ろうとするのを、学生全員で協力して防ぐというもの。空いている椅子の近くにいる学生が、その空いた椅子に座ろうとしたらその学生が座っていた椅子が空く。そしたら当然、鬼の田上氏はそこに座ろうとする。それを防ぐためには何を考えなければならないか。
単純な遊びなのに、それだけではない普段使うことのない思考回路を刺激する要素が組み込まれている。体の緊張をほぐしながら、実はこれは個人戦のゲームではなくコレクティブな遊びであると気付いて行く。一人の鬼に対し鬼以外の全員が協働して鬼が座わろうとするのを防がなくてはならない。しかしこれがまた難しい。一人として傍観してしまってはゲーム自体がすぐに終わってしまう、そんな”他者への信頼”を問うようなゲームに思えてならなかった。
そして次に「ゾンビ鬼ごっこ」。
「ゾンビ鬼ごっこ」では”ゾンビ鬼”になった人は足と手を床に着き、その状態で”人間”たちを捕まえて行く、ただそれだけのこと。
それでもこの遊びネタにも学生たちは顔を生き生きとさせて行った。これを各会社の人事部が見ていたならなんと思うだろう。「こんなに清々しい表情で遊ぶ人間なら我が社が取りたい!ノドから手が出る程欲しい人材だ!!」と思うに違いない。
おそらく田上さんはこの手の”遊び”ネタの数をおそらくはいくつも持っているのだろうと感じさせる。そして私自身、写真を撮影し講義内容を観察しながらも「一緒にそのゲーム、やりたいっす」とノドから手が出る程に参加したかったが、それを必死でこらえていたのは当然のことだ。
これが芸術表現体験活動の前座なのだ。
触りの部分でこれほど盛り上がってこのあとからの本題、演劇表現ワークショップはいったいこの学生たち、疲れないのか。アラサーになるとそのようなことを考えてしまう。そんなこと普段意識しないにもかかわらず、あらためて自分が年齢を重ねてきていることに驚嘆する。どうでも良いのだが。
”演じる、助ける、伝える”
そしてここからはグループに分かれての活動だ。
これまた巧妙に設計・デザインされた内容となっている。
まずはグループで、とある脚本に対し◯◯◯と空欄になっている箇所に自分たちで考えた台詞を入れ込んで行く。ここから頭の回転をふんだんに使うこととなる。ただ面白いフレーズを空欄に入れれば良いというわけではない。協働していかに人を惹き付ける面白いストーリー性のある台詞を考えられるかが鍵となる。論理的整合性か、爆発したいびつさか。ここからはまさにそれぞれの学生の想像力の域だ。
緊張した面持ちも自然と笑顔が多くなって行く。
これが田上さんによってデザインされたワークショップだ。
そして5分程考える時間と共に紙は回収される。
そしてそれを演じる。
と思っていたところ、その脚本は他のグループのものと交換させられ、田上さんによってランダムに手渡された脚本を演じて行くこととなる。空欄の箇所は考えたものの、最終的に演じるのは他のグループが構想した脚本なのだ。これには思わず「やられた!」と心の中で叫んだ。私がだ。
そしてこの”即興性”こそが、学生たちが今後、様々な場面と対峙した時に生きて行く上での重要なひとつのキーワードとなる。即興性についてはまたこれからもやってくるこの講義の中のどこかで触れることになるだろうからあえてここで止めておく。
また観察していると、グループに分かれたとき、誰もが自分の立ち位置や役回りを察して自発的に動いて行く様が見て取れた。これは察しの文化である”忖度”などとは違う。行動原理を誰かに怒られるからやらない、と言ったような消極的な自主性ではない。誰かに遠慮するのではなくそのコミュニティ内でひとつの目標のために自分はグループ内で何をすればその目標に皆で辿り着けるのか。自らが前向きに考えるプロセスを経てその目標を達成して行くことが、彼らの自発的な態度を誘発する。それ故、学生たちには必然的に今までの当たり前を難なく乗り越えて行くモチベーションが生まれている。
それが今回、与えられた脚本を作品化して行き、演じるということを体験して味わえるという、とても贅沢な講義なのだ。
そして最終的にグループで構成した作品を人前で演じて行く。
授業後のリフレクションシート(これは毎授業毎に配り、その日の自分の心のドキドキ、あるいはトキメキ具合をグラフにしてもらい、アンケートにそれぞれがその日の講義での感想を書いてもらっている)では、結構な数の学生たちが「演劇と聞いて自分に出来るか不安だった」と書かれていた。これは、上手にできるかどうか、という様な自分の中で何かをやるからには上手にできていないと評価されない、というような意識が身に付いてしまっているからこそ来る不安なのか、と考えてしまったが果たして、、、。しかしそれは仕方のないことなのだ。日本の義務教育はほとんどの場合、その評価を大前提としてしまっているからだ。
とは言っても、そう書いて来られている全ての学生が「その不安もどこかに飛び、楽しみながらできた」ということを感想として述べていた。つまりはこのワークショップから彼らが自分にとって何か有意義な体験を得た、と言えるということなのではないか。
ここでは恥であったり失敗したらどうしようという不安は存在しなくなっている。いや、存在していたのかもしれないが、皆それが見えいないように上手く自分たちを表現することができるようになっていた。そしてそれこそがこの講義で考えるワークショップデザインなのだ。
上手く演じよう、などということが問題なのではなく、知性を使って何かを楽しく皆とやり遂げること。そしてそのプロセスの中で気付かぬようにデザインされた要素によって自らがその何かを前向きに周囲と協働で”体験する”ことに主題を置いている。受講側という言葉が合っているかはわからないが、参加している側は自ずと経験してしまっている。
つまり、この演劇ワークショップを通して学生たちは今までに見たことのない自分に知らず知らずのうちに気付かされて行く。
学生たちが考えてきた脚本のテーマは幅広く、自分たちの周りにごくありふれた日常を意識したひとコマから現代社会に問いかけることのできる風刺をきかせた様なもの、そしてジェンダー論にまで繋がり得る豊富なラインナップとなっていた。そして彼らのライブの演劇には観ている私たちを飽きさせない特別な”何か”不思議なものを孕んでいた。
上手く演じようとしているわけではない。もちろんそういう学生もいたのかもしれない。でいて普段からそのようなキャラクターを演じているのかもしれない。それでも学生たちはあたかも、あれ、その道のプロですか?と聞きたくなる程自然体だった。
何度も言って大げさだなと思われるかもしれないが、こう言った細かなところに無意識に新たな自分に”気付く”ための何か特別なスイッチがデザインされているのだろうと思った。
そして講義は4限へと続いていく、、、
通常講義が行われる青山学院大学相模原キャンパスO棟に戻り、3限のワークショップの振返り、そして自分たちのグループ名を考え、その名に決めた理由を発表してもらう。そしてそれをiPhoneで撮影し映像化する。
自分を俯瞰的に見させてそれぞれのグループ内での自分や他人の役割や立場をもとに、その融合がどのような言葉としてまとめられるのかを考えるというワークだが、これもまた単純そうで実は頭の中ではめまぐるしく思考を巡らせている、はずだ。
その後は毎授業後のポートフォリオ作成だ。
皆、自分のことがわかってきたのか、ポートフォリオ制作に夢中になっていたのは印象的だった。これが14回の講義後にどうなっているのか。今から楽しみである。
そして第1回の講義の最後に撮影したそれぞれの写真はこうなった。
モノクロに変換されて見るこ自分自身の写真に、学生たちはどのようなことを思うのか。これだけ見れば写真家のアウグスト・ザンダー、いやはやリチャード・アヴェドンか。あるいは鬼海弘雄か。このまなざしの全ては一点だけを向いているわけではない。ここに私がいるということを証明し、それはつまりはこの写真を見ているあなたが必ずここにいるという、存在そのものを問うところまで昇華されてはいないだろうか。ここからこの講義が始まったのだと。そのことへの刻印として、、、あるいはこれはただの語り過ぎか。ただ写真を眺めてるだけではその意義は理解できないかもしれない。それほど写真は能動的な見る側の態度を必要とする。そしてその態度に求められるのは問いを立てることであったり。写真そのものに付随することも今後このブログでアップして行くのもいいかもしれない。
それではまた次回、このブログで。
この記事内の写真は髙橋健太郎と大学院生の青木均之が撮影している。
各々のポートレートは上記2名と苅宿俊文、そして現役の大学3年生・赤尾一樹が撮影したものを髙橋健太郎が編集しモノクロに変換した。
1 note
·
View note
第12回 この授業を通して学んだこととはなんだろう?
第12回 この授業を通して学んだこととはなんだろう?
2019年7月11日、快晴。7月も半ばに差し掛かろうとするところ、夏本番はこれからだけども、この講義はこの回含めて残り3回...
今回も省察回。
話はまず「なぜ世界のエリートは『美意識』を鍛えるのか」というところから始まる。それはこの講義の前日、青山キャンパスで苅宿教授がシンポジウムを主催し、山口周さんという方と対談をしたからだった。
いま、美大あたりを中心に社会人向けに様々な学びのコースが用意されている。既に社会人になられた方々が今、実際の社会で直面している問題として、今、必要とされるものを身につけるためにこぞって美意識を鍛えているという。
この著書の本文から以下の文章をお借りした。
「グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、あるいはニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、こけおどしの教養を身につけるためではありません。彼らは極めて功利的な目的で「美意識」を鍛えているのです。
なぜなら、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。
では、そのように考える具体的な理由はなんなのでしょうか?(本文より)」
会社の役員たちも含め、今、世の中で起きている出来事、日々めまぐるしく変化している日常へ対応しようとしているということだ。
アメリカが関わらせた朝鮮戦争、そして朝鮮特需という異例な状況による経済的恩恵を受けた日本。そこから高度経済成長によって一億層中流社会が煽られた。「三種の神器」といって白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫を持っていることがひとつのステータスとされた。そんなモノを持つことが幸せだった時代から、今の大学生が生まれ育ってきた環境はどういう状況か。モノを持っていることが大事とはされず、それ以上に自分の世界観、とか自分だけのストーリーという唯一のものを
ITや金融業を筆頭に富める側はより富んでいき、貧しい者はより貧しくされていく。経済格差は拡大している。物価は上がって行くのに、それが給料に反映されておらず、法人税が下がる一方、消費税は上がり、さらに貧しい側の人間は消費も貯蓄もし辛くされて行く...
2018年の段階で、国民生活基礎調査(厚生労働省)では57.7%が「生活が苦しい」と答えている。
そんな社会を生きているとおそらく大学生の感覚として、今より社会が良くなるということは想定できないかもしれない。その結果が日本財団による、「18歳の社会や国に対する意識調査」でこういう結果が出る原因だろう。ほとんどの設問で日本の18歳は他国の18歳の方々よりも低い数値を統計的に出している。
これが表すことは何か。日本の若者が政治離れ、無関心を決め込んでいるのではなく、日本社会側が若者を社会から遠ざけ、政治離れさせている結果ではないかと疑う必要がある。そこからこの現実を直視して、”自己効力感”を身につけるにはどうすれば良いのか...
ということを、この授業で”体験”してもらっている。
前回の講義で「この授業で何を学んだのか」ということをグループワークで考えてもらった。そして講義後のリフレクションシートではこの様な答えが戻ってきた。
この、「改めて」ということを重要視していると苅宿先生はいう。授業をデザインする苅宿先生にとって、re-designという言葉を例に、「もう一度学び直せる」という経験を得てもらうことが苅宿先生の仕事として価値があるのだという。
そしてあなたにとってグループワークとはどういうものなのか。
グループワークが上手く行く時、それは自分たち以上の力を発揮しているということを実感してもらっている。
グループ、あるいは組織として何かを運営して遂行する時、個人の力を上げるためには他者とどういう協働を必要とするのか。そこにいることで自分も他者も排除されず、まず何よりもあなたはそこにいて良いのだと認められている空間の場作りは一つの鍵となる。その結果、1+1+1=4の力となって、グループとしての方が1人で何かをやる時よりも力を発揮する可能性を持つのだと。
この”ひらめき”という言葉もさらに鍵となる。そしてそのひらめきを発揮させてくれるのが、グループとして活動している時に感じられる”楽しい”、”安心できる”という感覚なのだと苅宿先生はいう。ここからいくつか羅列する。
結果的にこれはデザイン思考が必要とされているということだ。自分の能力を素直に認め、グループでどう運営して行けばいいのかということを考えさせる。
この、”楽しむことから始まるんだ”ということをこの講義から体感してくれた上で、活動してもらったらもう既にデザイン的思考になっているという。
このように、その場を「◯◯な場」であると定義付けられる時点でこれは”学習環境デザイン”という学習科学と学習工学という両分野を横断する様な学際的な学問領域に入るということをいう。以下のスライドを見て行こう。
これらを参考に自分がこの講義でやってきたことは学問的に語れるようになるんです、という紹介だ。
実はこの「語れる」ということがとても重要なことで、今の大学生が就職活動で自分のことを語ろうとしたとき、例えば「大学で何を学んできましたか」と面接官ですら大学の時に何やっていたんですか?と問えば答えられなそうな気もする質問をされた時、私は大学で学習環境デザインという手法を学んで、コミュニティがどのように運営され得るか、ということを学びました、などと答えられるようになるということだ。
そしてまだまだ少ないものの、今までのスタイル、会社のカタチにハマることを求められていたものから段々と、あなたの主体に合せて働くことを進められるように環境を整備しようとする職場も増えつつある、という。
次に、こちら。
実はこれは苅宿先生が小学校の先生をしていた時の学習環境、空間のデザインを施した図工室だ。黒板を全て排し、先生が児童たちと同じ目線で教え、学び、椅子や机の配置もデザインされている。
これは実は苅宿先生がNHKに特集で出演していたときのテレビで放映されたものだ。その中でナレーションされた箇所を抜粋する。
「モノを作ることを通して、”自分らしさ”に出会って欲しい。名付けて「らしさ工房」。そしてこのらしさ工房は、花と同じで水を与えて手入れしないと枯れてしまいます。水は、皆の「作ることが楽しい」という気持ちです。このらしさ工房で作ることを楽しんでくれたり、他の人が楽しいと感じたことを楽しいと感じてくれたら、このらしさ工房は枯れません。それからこのらしさ工房には色んな人が心を休めに来るかもしれません。そんな時は、工房のゆったりとした時間と、花がたくさんあるところに鳥が飛んでくる、そのような空間を楽しんで行ってもらいましょう」
このナレーションにもあるように、苅宿先生はこの時から、外からも人が行き来する、そのような環境をデザインして、かつ、児童や外からやってくる方々もこの環境を作って行く側として参加してもらう意識で、このらしさ工房をサロン的なものとしてコミュニティを作っていた。
この場所で行われていた営みは、人間がこの社会で生きる上で根源的なことと言えるかもしれないと僕は個人的に感じている。それはこのナレーションの中でも言われている通り、この場所、この環境を運営して行くにあたっては、皆がそれぞれの「作ることが楽しい」という気持ちを持続できなければその環境は喪われて行くということだ。そこには不断の努力が必要だ。何かこれは楽しくないと感じた時に、どうしたらその場所がまたお互いにとって”楽しい”と感じる場所になるのか。それを常に問いながらこの環境は成立していた。
そしてこれは、日本国憲法の中で謳われている文言と似ていることに気づかされる。
日本国憲法第十二条、
「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」
つまり、苅宿先生は小学校の図工室を使って、民主主義とはどういうものかをそこに集う全ての人々に概念だけで教えるのではなく、身体でもって体感してもらっていたということなのではないだろか。
さて、リフレクションシートに戻ろう。
と、この辺に書かれていること、リフレクションシートを通して「振り返り」学ぶ、ということ。
このあたりは、ドナルド・アラン・ショーンの省察的実践とは何かに書かれてあることで、
振り返ることによって、自分に気付いて行く。
すなわち、苅宿先生が得意としている「入れ子構造」というもので、繰り返しやっていくことで、自分の多面性を気づいて行くという過程でもある。
これは青山学院大学の高木教授の心理研究の分野でもある。状況によって自分を変えているということ。
そう、ここまでの講義でもう受講されている学生たちも気付いているが、自分でこの授業の仕組み、構造を語ることができるようになっている。つまり、「作品の作品化」というこの下のスライドの中で語られていることをもう、出来るようになっている。
『これからのメディアをつくる編集デザイン』
そして、
苅宿研究室の卒業生の佐々木まゆさんの紹介。彼女は今も空間デザインを自分の仕事にしている。この様に、苅宿先生のもとで学んで、今現在も空間デザイン、コミュニティを作ることをやられている方もいる。
しかし、この講義は答えがあるわけではない。だから
のように悩む。
でも実は生きることはそのような回答のない問いを答えようともがき、これが正解なのかと確信しそうになるところで手の上からこぼれる砂のように、掴んだと思ったその瞬間には答えもまた違うと思い始めてはまた問いを振り返る。そのようなサイクルを生きるということが、生きるということなのではないか、みたいな哲学的な考えが、このワークショップデザインを通して学ぶことかもしれない。
それはソクラテスの「無知の知」に通じるものだ。
自分は知らないということを知っているということが一番強いのだ。このワークショップの講義を通して無知の知を体験している。
そこでソクラテスは問う、なぜ、問うのか。
よりよく生きるため、なんだと。
漫画家の山下和美さんの『不思議な少年(第2巻)』で「ソクラテス」を描いている。これがまた秀逸なので未読の方はぜひとも読んでいただきたい。この中でソクラテスは当時、雄弁だった弁士たちに「それはなぜですか?」と問い続ける。すると答えらないでいる弁士たちはソクラテスを悪者だとレッテルを貼り、コミュニティから異端視させる。牢獄に入れられ、そこで、、、という話だが、この漫画によって僕は生きるということ、人間とは何か、というような根源的な問いが心から浮かんできた。この漫画に出会ったのも、実は僕が大学4年生の時、苅宿研究室のゼミ生だった頃だ。
ゼミの講義で次のゼミの授業までに1人ひとつ、映画を鑑賞してそれを発表する、というもの。そこで苅宿研究室の中にあったDVDを選んでいた時、ふとめに止まった「横浜メリー」という文字。これはなんだろうと思い、ふと手にした。すると、戦後の横浜の町を、1人、ご高齢ながら白塗りをしてワンピースで歩いていた娼婦がいた、というとても興味深い話だった。結局、その時に選んだDVDは想田和弘さんの『精神』という映画で、これもまた僕の考え方、生き方を揺さぶったものとなったが、それでもずっとその後まで「横浜メリー」のことが気になって仕方がなかった。DVDを見ろという話だが、何故かそうすることがなかった。その理由はわからないし、もしかしたらその姿を見ることが少し怖かったのかもしれない。その後、メリーさんのことをさらに知って行くのは結果的にgoogleで検索した時だった。山下和美さんの『不思議な少年(第7巻)』という漫画で”ヨコハマ・リリィ”として題材にされているという。ならばその漫画を読んでみようと買ったのが初めて山下和美さんの作品と出会った瞬間だった。
と、この話をすると、一日が暮れてしまうので、あとは皆さんに山下和美さんの『不思議な少年』を検索していただくことにして...。
授業に戻ります。
絵巻を作る
前回の授業では以下のような絵巻物を作ってもらった。
抜粋で大変恐縮だが、様々なレイヤーワークを施した上でそれぞれの班が自分たちの想像力を生かし、その班特有のやり方でこの授業で学んだことをとても面白く作っていた。
この受講生たちが凄いところのひとつは、既に彼らはこの授業を受けたことで、様々なことを理論的に学んでいるだけでなく、身体的に経験、体験できているということだ。大方の大学の講義では様々な制約からなかなか「体験」をするということが出来ない中、この苅宿研究室のやり方はまずはやってみる、体験してみるということから「学び」は始まると考えているため、どんな状況だろうと、経験をしてもらえる場を提供できるように試みている。
で、これらにはどんなリフレクションがあったのか。
つまりどういうことか。
この代替不可能性という考え方。
10班がそれぞれ、自分たちの特色で作られていた。決して被らなかったことは、皆で被らないように作って、と言われているわけではないのにも関わらず作れちゃう。
それはつまり、こういうこと���もある。
この下の問い、「好きな色は何ですか?」という苅宿先生がうんと昔から使っている質問。これは本当にシンプルで良く出来ているから、高知県佐川町にてワークショップデザイナーとして活動をしている大道剛さんも使っていると言っていた。
さぁ、あなたの答えは?
ちなみに僕は青です。
あなたは緑?赤?黄色?それとも紫?
では、
どうですか?
そう、そんな人は、いないんです。
つまり、
この絵巻を作ったことで、何がわかるか。
あなたはあなたのままで既にそれでオッケーなんだということを再認識するワークがこのような絵巻作りワークだったのだ。
それが代替不可能性を肌で体感するという授業だった。
取り扱い説明書をつくろう!
ということで、この授業の次のフェーズ、自分とはどういう人間なのか、それを理解するためにもこういうものを作ってみるワークに入った。
自己紹介、ではなく、
「自分には◯◯な特性があって、◯◯な時は◯◯になります。なのでそう言うときには◯◯してもらえると、◯◯になります。」
というような、◯◯が多過ぎて全く理解が進む書き方ではないので大変申し訳ないが、、、
さて、今度はそれを皆で発表する時間だ。
これは人に伝えることで完結する。
自分を客観的に認識する作業、そしてそれを踏まえた上で他者に自分はこういう特徴がある、ということを伝える。
ちなみにここで前に出て段取りを説明するのがモッチーだ。3人班になってもらってお互いに説明書を伝え合う。その班分け後、この講義の行く末を見届けるモッチー。敏腕ワークショッパーだ。
そしてもうひとつ重要なこととして、この写真からもわかるかもしれないが、実は皆が作業していた机を移動させている。ここも、環境を変える、<場面転換>という手法を用いて、学生��ちがその環境に飽きさせないように苅宿先生はデザインをしている。
ひと工夫もふた工夫もするのがこの苅宿研究室だ。
この講義でやっていることはそれぞれの学生が、自分とは何か、他者とは何か、他者を通して自分の多面性に気付き、そこにはどういう意味があるのか、それらを自分で語れるようになってもらったりと社会人になるまでには知っておきたいこと、気付いておきたいことを実践的に学んで経験してもらうことを重要視している。
そこで重要になってくるのが、
ということで、この後に今回はナンジャモンジャゲームというのをやってもらった。
これは、
ロシア生まれの爆笑カードゲーム『ナンジャモンジャ』は、頭と手足だけの謎生物“ナンジャモンジャ”族が描かれたカードが中央の場に次々とめくられるたびに、その人のセンスで特徴を捉えた名前を付け、全員で共有し、以降もし同じものがめくられたらその名前をいち早く叫んで、溜まったカードを獲得し、集めた枚数を競うゲームです。(ナンジャモンジャ日本版公式サイトから拝借。)
遊びには4種類がある。
競争、運、モノマネ、ぐるぐるまわるもの(エンドレス)。
実はこのナンジャモンジャゲームをやってもらって遊んでもらったことも実はデザインされているのだ。ゲームを通して、勝ち負けだけじゃない、盛り上がるデザイン。そこに意味を乗せるということは実はとても難しい。そうなると、意味がないことに価値はないのか。いや、そうではないのだ。
そういうものにこそ今、価値を見出して行かなければどんどん人間の価値基準、判断が狭まって行き、何事も競争思考になりかねない。そんな風になったら果たして、、、競争に乗り遅れる人はどうすればいいのか。
書いている僕自身なんて真っ先に乗り遅れると思う。
とにかく人のペースに合わせるのが不得手な自分は自分のペースでなければそのうち息苦しくなり、圧死しかねない。だからこそそうならないためにも、自分に色々なチャンネルを用意して、様々な評価基準を自分の中に持ち、多面的な自分のこの面を今発動しよう、等と使い分けられれば、少しかもしれないが、生きやすくなるはずだし、この社会、少なくともこの講義を通った学生たちにはそうあってもらいたい。勝つ必要が有るわけじゃない。負けなければ良いのだ、という発想に近いのかもしれない。
と、大いに盛り上がったところで、今回もポートフォリオ作りに...
しかし、今回はまた新たな道具を、残りこの講義入れて3回しかない中で、この新しい道具を投入して、学生たちのポートフォリオ作りのモチベーションを再度上げさせてもらう。これも苅宿先生の手法だ。
ではまた、次回の講義で。
残すところ、あと2回!!
※そして今回の写真は全て現在大学4年の苅宿研究室ゼミ生、シメジくんとシュンくんがiPhone Xを駆使して撮影している。
0 notes