Tumgik
#バルト三国旅行
dot-heart · 1 year
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以前より宣伝させていただいております、エストニアのクリスマスマーケットのライブ配信か、とうとう来週に迫ってまいりました。 現地で準備してくださっているNext innovation OÜの方々とどのような商品を紹介させていただこうか、どんなルートを通ろうか、現地の雑貨の紹介もありますがグルメなど皆様に楽しんでいただけるようにするにはどうしたら良いか等連日検討させていただいております。 今回は現地から送られてきた写真などを少しだけお見せします。 こちらの写真を見た時、その雰囲気に見惚れてしまいました。 ああ、私が行きたい😭 こんな素敵なクリスマスマーケットの様子を当日はたっぷり1時間かけて皆様にお届けします。 企画/運営はatticとパピエナツミカンさん 現地での撮影はNext innovation OÜさんにてお届けします。 開催日時は12月10日 21:00〜22:00 視聴方式はZOOMでの有料のオンラインイベントになります。 当日ご案内するマーケットの商品もご購入できるように現在調整させていただいております(商品によっては数に限りが出る場合もありますのでご了承ください) また、ライブ配信にご参加いただいた方には後日お土産の発送も予定しております。 情報が更新されましたらまたご報告させて頂きます。 内容に関してはattic-zakkaのHPからイベントページをご確認ください。 #エストニア #クリスマスマーケット #クリスマス #北欧 #北欧雑貨 #北欧旅行 #クリスマスプレゼント #バルト三国 #バルト三国旅行 #バルト三国雑貨 @papier_natsumikan @next_innov_ee https://www.instagram.com/p/ClviPdPvTLc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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iktsarpok · 1 year
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今日のお仕事は半日で終わり
真っ直ぐ家には帰らず
DOUTORに寄って、10日ぶりにコーヒーを飲んだ。
ああ、回復したんだなあと思った次第。
普段は1日に3、4杯は飲むのに体調が悪いと全く飲めなくなるから
さて、隅の席についたものの、特に何をしたいわけでもない。
近くの席で面白い会話をしてる人たちもいない…
しかたあるまい
スマホを出して、妄想の旅の企画をすすめる
そろそろヨーロッパあたりに行きたいものだ…
(今回の旅先はバルト三国とフィンランド…)
2時間くらいを妄想の企画で費やしたところで、国内旅行の妄想に移る。
国内…やっぱり北海道だなぁ
前回訪れた上士幌町のバルーンフェスティバルは行きたいよなぁ…
いや、何年か前に見逃した流氷にリベンジしてもいいな
宿泊先は。
移動手段は。
2時間が過ぎる。
ライブとか、行きたいよなぁ
今年はフェスに参戦したいなぁ…
お!
2月のこのイベント!いいねぇ。
…7月のこのフェス、気になってるバンドが3つも出演するの?
うひょー。楽しそー♪
で、小1時間。
スマホのバッテリー、ヤバい。
と、いう、生産性のない5時間。
さ、帰ろ。
この文章読んだ方
なんのオチもなくて
すみません
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kennak · 9 months
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おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。自然もなければ都会でもない。住むためだけのベッドタウン。立川も八王子も駅前は多少栄えてるけど、ちょっと歩けばウチの近くと似たような景色になる。ハリボテみたい。海もなければ多摩川も遠いし、デカい公園もない。昭和記念公園は金を取られる。いくらかマシな駅前でも、遊ぶには金がかる場所ばっかりだ。高校生の頃、雑費込み5000円の小遣いじゃ大した事はできない。電車に乗って遠くに行く機会も中々ない。昔一回嫌気が差して新宿まで出ようと決めた。大学入るまで電車通学したこと無かったから、知ってる「都会」が新宿くらいしかなかった。金がもったいないから行きは歩き。国立から線路沿いに歩いて、三鷹辺りまでは似たようなつまんねー町並みが続いた。無機質なコンクリの高架と、その足元の人が入ってんだか入ってねーんだか分からんピカピカの商業施設。それを囲む家。時々森林。つまらん。でもそこらを通り過ぎると個性が見えてくるようになる。まず駅前の雰囲気が画一的でない。でけえ掘っ立て小屋みたいな駅舎とツルツルのアスファルトの閑散としたロータリーみたいなワンパターンじゃない。駅の形がおもしれえ。乱立する店も金はねえから利用はできないが、それでもプラプラ歩き回りながら眺めてるだけで楽しい。マックや松屋、ビッカメやルミネを眺めていても何も楽しくねえけど、ここは違う。見慣れない街への新鮮もあるだろうけど、それ以上の何かがある気がした。街に色があった。中野で断念しちゃったけど、今でもアテもなくフラフラ歩き回るのがすきなおれの��体験だ。大学も多摩だった。おれはもう一生をここで過ごすのかもしれないと思った。このままでは魂が多摩色に濁ってしまう気がして、わざわざ都心のバイト先を選んだ。初めて目白という地名を知った。往復1000円弱がタダになるのはデカい。無駄に一人暮らしして、最寄りが中央線から京王になってなんか新鮮だった。多摩内を南西に移る虚無の引っ越しだった。中1までは本気で日本の電車とは中央線が北海道から九州まで繋がってるもんだと思ってた。乗り換えという行為の意味が謎だった。新宿での乗り換えで一旦駅を出て、覚えたてのタバコで一服するのが恒例だった。西口の喫煙所でモード学園のビルを眺めながら一息ついてると主人公にでもなった気がした。目白ではバイトの休憩中に学習院へ侵入して一服するのが好きだった。キャンパスがおれのとこと違ってザ・大学って感じがした。附属の生徒が構内を歩き回っていた。おれの母校も小中高一貫校で、小学生が学食でチョロチョロしてるのが嫌だったのを思い出した。マックスキャロットに行こう行こうと思っていて終ぞ行かずじまいになってしまった。今度行かないとな。一回金なさすぎて目白から帰れなくなった。みどりの窓口がある池袋まで歩いて、Suicaを払い戻して現金を手にし事なきを得たのも思い出深い。この頃から都心の雰囲気に少し慣れ始めた。同時期から服装に気を遣い始めたのもこれと無関係じゃなかったかもしれない。元々フラフラ歩き回るのが好きだし、そのステージが多摩から遥かに豪華になったのが嬉しくてたまらなかった。都心はすげえ。立川より立派な街並みが隣の駅まで歩いてもずっと続いてる。バイト代もあるからかっこ良くて履き心地の良い靴も買えるようになった。バイト帰りに、当時流行りだしたサウナへ寄って一泊するのも好きだった。親の同意書も要らず外で泊まれるようになったのが嬉しかった。まあ以前も自分の字で書いて出してたけど。朝から一風呂浴びて、さっぱりした身体で上野や錦糸町をふらつくのも新鮮な体験だった。バルト9では深夜も映画が観られる事を知った。ゲーセンもファミレスも夜は閉まってしまう時代で、こんな場所があるのかと思った。夜を映画館で過ごすなんて、マンガや映画に出てくる不良少年みたいな体験で興奮した。終電で適当な駅に降りて、夜通し歩き回るのも好きだった。夜中の鵠沼海岸でボーッと波の音を聞いたり、誰もいない江ノ島を歩き回った事もあった。おれは生まれも育ちも一応東京だけど、あの頃になって本当の意味で上京を果たしたのかもしれない。人はこうして人生を旅して、最後に多摩に落ち着くのかもしれない。本人はそれで良くても、ガキはたまったもんじゃないけどね。
おれは多摩が嫌い。家ばっかでつまんねーから。 自然もなければ都会でもな..
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kurashinoshop · 5 months
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11月25日 土【暮らし】
北欧の旅 / Estonia にて
一点一点丁寧に描かれた
ハンドメイドのオーナメントです。
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北欧バルト三国 エストニアで出会った、
ロシアからやってきたオーナメント。
それを今度は日本へと、
連れて帰ってきました。
変わらずに輸出が厳しいロシア情勢。
腕のいい職人さんが作る伝統工芸品は、
その行き先に困っているのが現状です。
凹凸あるキラキラしたツリーと、
なんとも愛くるしいサンタさんとスノーマン。
マトリョーシカのような丁寧な工芸品には、
希望も込められているかのようです。
クリスマスオーナメントの仲間入りをさせて頂けましたら幸いです。
.
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【暮らし】の企画展
「クリスマスギフト展 2023」
          ~12/23 sat
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minorfloat · 8 months
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お久しぶりの更新過ぎてドン引きw
というわけで、数年越しにこっそり帰ってきました。
直近の更新がフランスぼっち旅行の前だから、本当に10年越しぐらいですね・
どこまでも放置プレーなtumblr( ˘ω˘ )
Twitterと違って勝手に名称変更したり古いログ見れなくなったりしない安心感が凄い。←
そんなわけで、写真はどう見てもパリの凱旋門ですが(笑)、今年は2019年のバルト三国以来の海外旅行、遂にぼっち海外旅行第2弾へ行く予定です!
行き先は…
…ドラムロール…
テテーン
🌷🌷🌷 \オランダ/  🌷🌷🌷
そう、念願のミッフィーちゃん天国!!
なのに、ユトレヒトは行きません。
まぁ今回は諸事情もあって行くので完全に観光全振りではないんですが、楽しんできたいと思いますw
ちなみに今のところやったのは
・飛行機確保
・ホテル確保
・地●の歩き方確保
以上です( ˘ω˘ )
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doctormaki · 10 months
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6月は年度末である。そこで一年の振り返りをするという趣旨で、朝から晩までの二日間の会議。それぞれのフェローがこの一年の研究活動を発表する。ワシにはワシのファンがおる。ので、頼まなくても、写真を撮って送ってくれた。この日は暑かったので、ワシ、ピンクのジャケットを着ていたが、発表の時は脱ぐ。
めちゃくちゃウケが良く、MarkusGabriel君が、目を白黒させながら褒めてくれた。ウケる。Are you genius or crazy? と開口一番に言う。わからんけれど、ワシはマキ、改めましてヨロシク!と言っておく。かなり皮肉を込めた内容だったが、分かる人にはわかるし、分からない人には分からない。まぁ、なんでもそんなもんなんだろう。アホは受け取れるメッセージ低めなのだ。それを分かるように伝えるのはワシの責務だち、自分も日本語まともに操れないワシの母上が良く言っておったが、バカの壁を乗り越える努力はワシの責務ではない。乗り越えたい奴が自助努力で頑張ってねって感じ。
二日目の会議後にIsabelとNoaと一緒に、1800年代後半から結核などの療養リゾート地になっているWyk島へフェリーで行くことになっていた。ところがである。Isabelさん、発表前に突然泣き出し、そのまま、ワシも一緒に逃げるように研究所を出る。そして、早めに島に向かう事になった。最近のDeutscheBahnはますますdelayやcancelが多く、国際路線もローカル線も同じ線路を使っているので、一度どこかで詰まったら、最後である。駅でdelayが分かって、待ち続け、やっと電車が来て、旅気分になり、Noaが焼いてきたケーキを食べ始めると、電車が止まってしまう。
ケーキを食べているので、御機嫌なのだが、随分と長い間停車している。その内、水が配られ、向かっているけれど、線路切替ポイントが壊れて、動けないのだという。なんじゃそりゃ。。。そして、夜の七時といっても、まだ外は明るいが、船に乗る港町の手前のdorfに、宿を取ったので、泊まってくれと車掌さんに案内される。タクシーバウチャーも付けてくれるが、駅からは徒歩圏内だったので、三人で大笑い。多分DeutscheBahnとしては、駅にまで辿りつける自信が無かったのだろう。Noaも、フランクフルトまで4時間もタクシーに乗った事があると言っていた。
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Isabelさんは国際法学者。北ドイツにルーツを持つドイツ人だが、育ったのは南ドイツ。ガチガチのプロテスタントのため、可哀想になる位に自分を責めてしまう。娘のNoaは、そんな母親に良く付き合っている。Noaの大らかさに癒やされながらも、Isabelは心配で仕方がない。親子って、そんなもんなんだろうなぁと思う。親の心子知らずではなく、ちゃんと親を分かろうとしている子は、親の無能さや弱さ、優しさと厳しさ、強さも弱さも割りと知っている。
北海は素晴らしかった。風が強い時間帯もあるが、遠浅の氷河期の頃に形成された土地であることが、砂浜を見ていると良く分かる。火山性岩盤の石英や花崗岩などが、まだ大きな砂粒で残っている。プラスチックか、なんだろうと思っていたものは、博物館で売られており、琥珀であることが分かった。琥珀はデンマークに旅行へ行った時に、父に買ってもらったペンダントがあるが、ハンブルグでも、クリスマスマーケットでは琥珀のアクセサリーが良く売られている。
Strandとドイツ語でいう浜にはレンタルできるビーチセットとスポットが整然と並べられている。この光景は、いかにもドイツの浜なのだとか。屋根付きのソファのようになっていて、折りたたみ式のソファや机を出して使う。借りる時に、鍵をくれて、その鍵で、折りたたまれた簡易寝椅子を引き出す。寝椅子にしても良いし、ソファとして使っても良いのだが、それぞれの家族がプライベート空間を確保しつつ、思い思いに楽しんでいるのは、ドイツらしい。
私達は、ひたすら寝っ転がって昼寝しながら、本を読む。ドイツ式のUmraubよ、と張り切るIsabelがNoaに見つけてもらったコテージは、一階に大家の老夫婦が暮らし、二階をツーベッドルーム、キッチン、居間、シャワールームと、完全に二世帯住宅になっている二階部分を借りる。毎晩、夕食を手作りし、のんびりと過ごす事ができた。親子に感謝!バルト海の方はまた違うらしいので、機会を作って足を伸ばさなきゃ!
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tikutikumeg · 11 months
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昼からを代々木公園→お風呂の王様→蔦屋書店
良きホリデー。
駒沢公園のドッグランより代々木公園ドッグランのほうが、なんか広くてすきだわ。あと、何となく森林浴みたいで空気が気持ち良い。
そして、我々の定番になっているお風呂の王様。
ゆっくりできたー。
けいちゃんは毎回あまり乗り気ではないけど、ゆっくりお風呂に浸かって欲しいという気持ちもあり、お互いのリフレッシュに。
そして、インド旅行、まだまだグダグダ悩んでるけど、旅の本を久々に買いに行こうとなり、蔦屋へ。
海外の旅先は、Wi-Fiが不安定だったりするから、案外、旅行本に書き込みして持っていったほうがよいねー。といつもいいながら実現できてない、けいちゃんと私。
相変わらず、脱線して、モロッコやら、ウズベキスタンやら、トルコやらバルト三国をみたりして、インドに戻るみたいな立ち読み状態。
こういう時間も旅の醍醐味ですな。
あっというまの閉店時間。
全然時間足りなくて、またゆっくり昼くらいから蔦屋に行こうとなった。
なんか、20代の頃から本屋に行くの大好きだったんだけど、最近はめっきり行かなくなっていて、今日は懐かしい感じがあってすごい新鮮で、良き日でした。
さあ、インドどうしましょう?
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michipale · 11 months
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『TRAVEL TO Baltic States ~バルト三国 歴訪の旅~』 2021年6月6日発行
概要:バルト三国旅行記 仕様:A5/48ページ/漫画 使用ツール:procreate, photoshop
旅行時期:2017年 訪問地域:エストニア(タリン、パルヌ、タルトゥ)、ラトビア(リガ、スィグルダ、ツェースィス)、リトアニア(ヴィリニュス、トラカイ、カウナス)
在庫あり・再録も予定
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komogomo-blog · 1 year
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Halle の人々
さて皆様方お元気でしょうか。 こちらはクリスマスモード全開。街の中心にはクリスマスマーケットを始め町は大売り出し。あのケチなドイツ人の財布がガバガバになるという噂も。住宅の窓にはクリスマスのデコレーションなどなど町はロマンチック、どこか日本の正月のような雰囲気です。 気づけばこの2022年も残りわずかですが皆さんはどんなお年でしたか?
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ということで今回は私の2022年のそうまとめです。
2022年の始まりには一年の安全と安心を祈願しました。一年の計は元旦にあり、なんて言葉を信じてベルリンの友人宅でしっぽり。旧正月を盛大に祝う台湾の友人には元旦だからなんなのよ、なんて言われてしっぽり。
そんなこんなで始まった2022年は始まってすぐの一月に仕事のクビ宣告、まさにその言葉の通りクビが飛ばされあっちらホッチら。その後はその土地に残るのかなんて考えたり、新しい町に仕事を探しに出かけみたりしていたですが、流れ流され6月から満を辞して別れを告げたハレに戻ってくることになったわけです。
ちゃんとしたお別れ会をしたつもり。胸に刻んだハレノオモイデ。どうでもええわ。ということで帰ってきて元気ブンブンでございます。何より、8年近く住んだ町ですからね。
新しい仕事の面接が終わって1ヶ月後から、つまり6月から仕事を開始する運びとなり、その間に住んでいた家を引き払い、すぐにハレに住処を求めたわけです。ここから波は続きました。住居探しです。この際だから一人暮らしを。仕事先の近くに?ライプツィッヒで新しい出会い?いえいえ、ハレニ住むのです、と考えていたら最初の家の契約1ヶ月はあっという間に過ぎました。そして今に至るまで引っ越しを続けて来たわけです。半年で4つの住居の片隅に身を置いたわけです。ドイツは共同生活、シェアハウスが多いので腹切寸前横綱綱渡り借り暮らし生活と渡り歩いたわけです。毎度前振りが長くなりました。 さて、ハレに戻ってきてまた興味深い人と出会ったので今回は勝手に人を紹介してこの読者とも交々してもらいましょう。ハレ人物図鑑ということで分けて読むのがオススメです。とにもかくにも世界は広い、色んな人がいると改めて思うわけです。 Wanda(32) 1人目は特別支援学校の教職免許を取得中のベルリン出身のWandaさん。特別支援学校、特に身体に障害のある学校で働きたいらしいわけなのですが、彼女自身も右腕がないのです。義手があるのですが、普段はその義手をつけていない。ので片手で上手に色々としているのをみて感動しておりましたし、逆に人間は腕があって指があってさらに二本っていうのはすごい機能的だな、なんて思わされたわけです。そんな彼女の凄さはまだまだ。身体に障害を抱えている子を持った親やその子供に希望を!というネットワークをしているNPOの代表としても活動をしているのです。ドイツ全土のNPOだそう。プライベートではよく本を読み、短編集なんても書いていて、一度彼女の作品の朗読会にも参加したりさせてもらいました。高校直ぐにイスラエルでボランティアをしてイスラエル語もできて現在も通訳にできるレベルらしい。教育哲学や様々な差別意識について語っているのは印象的でありました。
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Charly (29) 二人目は生物学を学び現在は有機農家で働いているベルリン出身のCharly。彼女はハレの近郊の村へ電車で毎日通い、畑仕事をして夜は町に戻ってくるということで、町に住んでる農家であるわけです。彼女が持って来てくれる売れ残り野菜は旬のものでうまかったのはいうまでもありませんが、面白いのは彼女は小さい頃からアマゾンに行くのが当然と思ったらしく高校を卒業して直ぐに一人で3年もブラジルを旅した自由人。遠距離恋愛を続けて、非常にものごとを深く捉えているというか、直感的というか。。そんな話はさておき、ここいらの若者は自分たちで農家をしている人がいる。町から少し離れたところで有機栽培をして野菜を家に直接宅配販売をするというスタイルの生き方をしているわけです。なんだか通勤農家なんてええなと恋におちそうに。彼氏もいました。
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Lal (24) 三人目はハレ出身のLal。大学で人類学を学ぶ大学生、でダンサーでパフォーマー。彼女を何度かディスコ、パーティーで見かけたことがあるのですが、彼女はよく裸足で踊っていてその踊りのスタイルは、何かいかがわしいものを摂取しているような、なんだか人を虜にする魔女のような独特の雰囲気でありました。そんな彼女は私の周りでは少し有名人だったのです。しかし多くの人は勝手に予想できるのみ。彼女のプライベートはとても静かで、毎年夏にはギリシャに行き、アフリカからの女性避難民を支援するボランティアに行ったり政治的な面も持っていました。 何より彼女を見ていて、心から踊ることが好きな人がいるのだということがハッキリ分かったのでした。たまに猫と踊っていた彼女はインプロ演劇でも役者としても、企画側としてもイベントを毎年開催したりと、、彼女の生き方、いや彼女の生活そのものがインプロ劇とまとめられるのではないでしょうか。 そんな彼女の母が訪ねてきたが42歳で若くてぶったまげたのを覚えております。
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まだまだ続きます。 Alina(34) 四人目は大学時代の友人であるAlina 。同じ講座やゼミナーを取ったこともあったのです面識はあったものの大学で話したことは一切なかったのです。そして自分がフィンランドに行くことになり、友人伝いでフィンランド人を紹介してもらうと、彼女が現れたのでした。私は彼女がドイツ人だとてっきり思っていたのでした。なんせ発音が、、そんな彼女の語学能力は彼女の今に至る道で極めたのです。彼女は20歳にフィンランドを離れ南米に渡り生活をしたようです。すぐに現地で彼氏ができてフィンランドとヨーロッパを行ったりきたりして、その後何故かドイツでベビーシッターをすることになったらしくドイツで大学へ行くことに。なぜかイタリア語も使えるので、五カ国マスターしている。現在は30歳半ばになりかけ仕事をしながら大学で教育学とフィンランド学のマスターを学んでいる。大学はバルト海沿いの町なので月に半分はその街で生活しその半分はハレで生活をしているのである。そのバイタリティはどこから、と尋ねると彼女はマスター取ったら給料がぐいっと上がるのよと鼻息を荒く元気に生活をしています。
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そして最後に私に部屋を譲ってくれた人を紹介させていただきます。 Fabian (32) Fabianは建築を大学で勉強をしたあとさらに建築デザインというものを芸術大学で勉強して、その後さらに大工の職業訓練をして、フリーランスとの大工として働いている。聞くところいいところの家出身らしいのですが、見た目はどこかで拾ったであろう古びた服を好んで着ておりました。彼との出会いはもう長いこと前になるのですが、3年前にいつか彼が日本に旅しに行くということで色々と情報を与えたことがきっかけで知り合いから友人となったわけなのです。彼は良い旅をしている。例えば日本に行った時も、彼はシベリア鉄道を辿って日本へ。それも彼はシベリア鉄道一直線ではなく、何度も乗り継ぎして見て回ったそう。ロシアは色んな文化があると言っていました。そして日本に到着するや否や自転車を買って大阪から東京へ自転車で。タトゥーがあるから何度か温泉は拒否されたらしいがいくつかの温泉を楽しんだそう。そして彼は昨年、アメリカを一年旅したというのです。貨物列車に乗り込みどんどん乗り継いていくという旅で、ロスアンゼルスからニューヨークへ。その旅で知り合ったカナダの家具職人の誘われてカナダで働くことになり私に部屋を渡してくれたわけです。彼はハレで線路の横の誰の物でもない空き地を見つけ、小さな家を建て、寝れるようにしたりパーティーをしたり遊び場を作っておりました。
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いやはや長くなってしまいました。 そうです、今回はこういう人の綱渡りをして家を見つけたわけです。やっとデスよまったく。しかしドイツに来て色んな興味深い生き方をしている人と出会いが楽しくて今でもここに自分はいるのだろう、なんて今回書いててとつくづく感じておりました。
冬至も過ぎました。春はもうすぐです。どうぞ健康に、そしていつでも遊びに来てください。お歳暮お待ちしております。
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loppis · 2 years
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イコロの森&LOPPIS2022-SUMMER-「presse」さん
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 冒頭、ガラスの写真で夏らしさを演出してみました。  そろそろ夏の揖保乃糸まつりがやってくるぞ、と意気込んでいらっしゃる方も多いのではないでしょうか。  すでに始まりかけているわたしです。    日本のガラス食器もよいですが、薬味を変えて洋風のそうめんまつりも楽しそうですね。  そんなわくわくする妄想が止まらないお店、今日はpresseさんをご紹介します。
 
-どんなお店か、紹介をお願いします  こんにちは、北欧、バルト三国のアンティーク陶器、手仕事の民芸品などをご紹介しております、presse(プレッセ)と申します。  普段はウェブショップや札幌の実店舗で季節のお品物をご紹介しているのですが、今回は北欧、リトアニアにて買い付けたばかりのお品物をご紹介いたします。
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ー夏のLOPPISにはどんな品物が並びますか?
この春にリトアニアで買い付けてきた民芸品や、フィンランドで見つけた 涼しげなガラス器などが並びます。
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ーpresseさんが夏といえば思い出すもの、または夏に必ずしていることは何ですか?  支笏湖でのキャンプです。  今年はテントサウナも始めたので、北欧のように湖水浴とサウナ&バーベキューを楽しみたいです。
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ーインテリアとカフェの週末マーケット「LOPPIS」にちなんで質問です。  ご自身が憧れている、または好きでたまらない、インテリアショップやカフェを教えてください。 タリンの港に程近いベーカリーのカルダモンロールが大変美味しかったです。
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ー素敵な街並み、そして初めて聞くカルダモンロールに興味津々です。  LOPPISの始まりは、そうめん大好きの北欧ビンテージ家具店店長が「自分たちが買付に行くような蚤の市を開きたい」という一言から始まりました。  presseさんは常に現地に赴き、本物を届けてくださいます。  ブースで品物を眺めているだけで、海外旅行をしている気分です。  それでは最後にお客さまへメッセージをお願いします。  北海道の自然が一番楽しめる時期にこのようなイベントに参加できてとても嬉しいです。  お買い物と美しいガーデンを楽しんでいただければ幸いです。
 WEB SHOPでは「クラシックなガラスの器」特集が開催中のpresseさん。  品名の前に「〇〇でみつけた」とつくところがまた素敵です。  遠く離れた国の、誰かの手仕事。  ぜひ覗いてみてください。
presse
https://www.momentsdepresse.com/
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dot-heart · 2 years
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昨日の「せかほし」面白かったなぁ。 毎度言ってますが、また行きたいと思いました。 放送の中で紹介していたブローチなんてとても素敵だったなぁと思います。 当店では「せかほし」で紹介された作家さんではありませんが、リトアニアの作家さんのピンバッジを取り扱っております。 ただ、少し前に紹介させて頂いておりますが、現在箕面の「NAGI LIVING」さんにて期間限定販売をさせていただいております。 直に現物を見てご購入できるチャンスです。 是非NAGI LIVINGさんまでお越しください(火曜日水曜日がお休みですのでご注意ください) @nagi_living @nhk_sekahoshi #せかほし #バルト三国 #バルト三国雑貨 #バルト三国旅行 #北欧 #北欧雑貨 #北欧旅行 #エストニア #ラトビア #リトアニア #eesti #latvia #latgale #lietuva https://www.instagram.com/p/Ceyh0bZPprk/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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tomokoishii · 4 years
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. tallinn 2019 . . . #tallinn #estonia #visittallinn #visitestonia #tallinngram #tallinnofficial #tallinnoldtown #tallinksiljaline #trip #rolleiflex #filmphotography #mediumformat #タリン #エストニア #タリンクシリヤライン #旅行 #ローライフレックス #バルト三国 #中判カメラ #ブローニー #タリン旧市街 #tallinnoldtown #TransitMagazine #4travel #baltic #retrip_global #中判カメラ #savoyboutiquetallinn #サヴォイブティックホテルタリン #raekojaplats #ラエコヤ広場 #市庁舎 https://www.instagram.com/p/B9lx2qMjjc-/?igshid=o12wcjgqz04h
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attic-shigeo · 4 years
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ラトビア🇱🇻の首都リガの旧市街にある観光名所『ユーゲントシュティール建築郡』の中の一つ『エリザベス通り10b』にある建物。
iPad上でapple pencilを使って描いてます。
ヨーロッパのアールヌーボー調の建物は彫刻が独特で細かく描くのはホント大変ですが描いてて楽しい素材です。
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gakutravel · 4 years
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#旅の記憶 🇱🇹2013/リトアニア 十字架の丘 #世界一周 #aroundtheworld #世界旅行 #リトアニア#十字架の丘#hillofcrosses #LietuvosRespublika #バルト三国 #transit (Hill Of Crosses, Lithuania) https://www.instagram.com/p/B90_ZYpjHAI/?igshid=1qjj0aevlgc9q
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kinako08 · 3 years
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今日はマイボスが朝から因島で
打合せだったため
久しぶりにひとりのランチという事で
さっさと仕事を片付けて尾道商店街にある
はとキッチンでファラフェルサンドを食べた。
ここはハーフサイズから頼めるから、
大体の女子は半分(一個)を頼んでいるけど
常にフルサイズで頼む私です。
恥ずかしくもあるけど、美味しいから
これでお腹いっぱいにしたいのだよ。
ちなみにホットドッグみたいなサンドイッチが
何種類かあって、それも美味しい。
それは丁度良いのに
その時はケーキも食べてしまったから
大体来たらほとんどこのファラフェルを
頼んでしまう。(フルサイズで)
どうでもいい話。
最近同じく尾道商店街に
新しくできた?と思われる店に入ったら
前からあったよ!みたいに言われたけど
いや絶対無いって、
だって近いから見たら分かるし!
とは思ったけど、話し続けるオーナーさんの
話をよく聞くと、そのお店もどうやらもうすぐ
移転するらしく、長江という、商店街から
歩いて行ける界隈に出すらしい。
(綴る、という可愛いお店やナイーフという
フレンチのお店がある建物だそうだ。)
そのお店というのが、バルト三国の雑貨や
ヒンメリやアクセサリーの作家さんの作品を
置いてある雑貨屋さんみたいな形態なんだけど
少ないながらもいいな、と思うものがいくつか
あった。
そしてこのオーナーさん、バルト三国とかに
住んでたのかな?と思って勇気を出して
聞いてみたら、2年前に旅行に行ってね、
とのことだった。
多分今来た初めての私に簡単に言っただけかも
しれないけど、ちょっとだけびっくりした。
そうか、旅行に行っていいなーと思って
雑貨を置く、はたまた同じ時期に旅行に行った
作家さんにたまたま会ってじゃあって
作品を置いた。
それ以上でもそれ以下でもなく
いいなぁっていう楽しさだけでやってる感に
心打たれた。
私は無意識に妙に用意周到なところがあって、
誰からみても文句言われないようなくらい
それに長けてないとやってはいけない
みたいな、
全時代的な重さ?がまだまだあったんだなぁ。
なんか好き!良くない?これ。
みたいな事で置いてある品々は
決して豊富な在庫でもないのだけれど、
オーナーの説明に好きがダダ漏れしていて
とても心打たれた。
去年も行かれんかったし今年も無理じゃん?
来年はまた行けたらなぁって思うんよね。
と言われていて私も心から同感した。
私もこんなふうに何かを始めたいと思った。
そんな最近です。
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sasakiatsushi · 5 years
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ジョナス・メカス論(『(H)EAR』より)
 ジョナス・メカスのフィルムを見ると、いつも強く感じることがある。それは、いま目の前に映っている光景が、まぎれもなく現実に起こったことだということ、それが過去のある時点にまちがいなく存在していたのだという、不意打ちの確信にも似た思いである。  『リトアニアへの旅の追憶』でも、『ロスト・ロスト・ロスト』でも、『時を数えて、砂漠に立つ』でも、その思いは何度となく僕を襲い、次第に激しい振動となって、やがては身体そのものに揺さぶりをかけてくる。僕にとってメカスを見るという体験は、映写の間中、不断に強度を増していく、この揺さぶりに身をさらすということである。そうだ、これはかつてほんとうに起こったことだ……  メカスの作品は、ほとんどが一種のドキュメンタリー映画と呼べるものなのだから、そんなことは当たり前だと思われるかもしれない。だが僕が言いたいのはそういうこととは少し違う。ちょっと回り道をしながら、もう少し詳しく説明してみよう。
●《それは=かつて=あった》
 映画というものは、アニメーションやCGといった人工的な映像でない限り、必ずその時、ムービー・キャメラが向けられていた現実を、丸ごと含み込んだ形で成立する。たとえ何らかのフィクションが演じられていたとしても、そこで誰かが何者かの振り=演技をしており、また多くの場合、虚構の外側にいて、それを演出している者や、演技に加わることなくそれを見ている者=撮影者がいたという現実が、そこには織り込まれているのだ。これもまた、当然のことと言っていいだろう。すべての映画はドキュメンタリーである。この認識はある意味で正しい。  だが、逆に言うと、記録映画と呼ばれているものだって、厳密には生の映像そのものとは違う次元を不可逆的に持ってしまっている。その理由は次の三つの点に集約されるだろう。第一に、キャメラがそこにあるということ、自分がいま映されていると意識すること自体が、たとえ普段と同じ行為を行っているとしても、被写体に何らかの影響を及ぼさずにはおかないだろうということ。第二に、例えば隠し撮りのような、被写体がキャメラの存在に気づいていない場合でも、ムービー・キャメラの矩形のフレーミングが−−撮影者の意図はどうあれ−−そこに意味(もしくは見る者それぞれが独自の意味を見出すような契機)を生じさせてしまうということである。第三に、映像が光学的な技術によってフィルムに焼き付けられたもの(ビデオでも同じことだ)である以上、どこまでいってもそれは結局、現実そのものではなく、その似姿に過ぎない、ということである。  すべての映画はドキュメンタリー映画である。そしてまた,すべての映画はドキュメンタリーではありえない。この背反する二つの定義に挟み撃ちされるようにして、映画というものは成り立っている。リュミエール兄弟とジョルジュ・メリエスの対立などない。そこにあるのは映画の二面性ではなく、単に物語ることや、擬��することの有無に過ぎない。映画と現実は不可分の、相互に嵌入し合うような、曖昧な(と、敢えて言っておく)関係を保っており、完全に重ねることも、切り離すこともできないのだ。  以上のことを踏まえた上で(いずれも常識に属することではあるが)話を戻せば、僕が捕らわれた「これは現実に起きたことだ」という思いは、メカスのフィルムが、時に「日記映画」とも呼ばれる、彼が過ごしてきた日常をランダムに、いや、ほとんど絶え間なく(この言葉は正確ではない。だがこの点については後で触れよう)記録したもの、つまりはドキュメンタリーであるから、という理由によるのではない。また、かといって、すべての映画が、ある意味では「現実に起きたこと」であるという、ありふれた事実の再確認が、メカスを見ることによって、他の数多の映画の場合よりも強力に引き起こされたということでも、むろんない。それはメカスの映画以外には成し得ることのない、比類なく衝撃的な、そして感動的な体験なのである。
 ところで、いささか唐突だが、ロラン・バルトは、写真についての有名な書物『明るい部屋』の中で、次のように書いている。
 絵画や言説における模倣と違って、「写真」の場合は、事物がかつてそこにあったということを決して否定できない。そこには、現実のものでありかつ過去のものである、という切り離せない二重の措定がある。……それゆえ「写真」のノエマ(=本質を志向するもの)の名は、次のようなものとなろう。すなわち、《それは=かつて=あった》……つまり、いま私が見ているものは、無限の彼方と主体(撮影者または観客)とのあいだに広がるその場所に、そこに見出された。それはかつてそこにあった。がしかし、ただちに引き離されてしまった。それは絶対に、異論の余地なく現前していた。がしかし、すでによそに移され相異している。(花輪光訳・以下同)
 もちろん、バルトが語っているのは、あくまでも写真に関してであって、映画については全く事情が異なると、はっきりと述べている。彼によれば、明確な違いが少なくとも二つある。まず,写真は過去のある瞬間を凍結したものだが、バルトはこれを逆転して「その瞬間には、どれほど短い瞬間であっても、ある現実もののが目の前でじっと動かずにいた」のだという。  この考え方はおもしろい。だが映画の場合は、瞬間の映像が連なって動くことによって、その神聖なる停止(バルトは”ポーズ”と呼ぶ)は押し流され、否定されてしまう。もうひとつ、既に確認したこととも繋がるが、映画では「二つのポーズ、つまり俳優自身の《それは=かつて=あった》と役柄のそれとが混ぜ合わされている」ので、「現前」とその喪失との二重措定を、純粋に抽出することがむつかしくなってしまっている。以上の二点ゆえに、映画は、写真のように《それは=かつて=あった》を刻印、いや、生産することができないと、バルトは述べている。「なるほど映画においても、写真の指向対象は依然として存在しているが、しかしその指向対象は、横すべりし、自己の現実性を認めさせようとはせず、自己のかつての存在を主張しない。それは私にとりつかない。それは幽霊ではないのだ」  バルトの写真論は、僕にとって頷けるところも、そうでないところもある(少なくとも−−たぶん誰もがそうだと思うが−−ある部分はあまりにナイーヴに感じられる)。だが、もちろんここはそうした問題を子細に検討する場所ではない。ただ、僕が主張したいことは、僕がメカスのフィルムから受ける強度の揺さぶりが、バルトの言う写真の《それは=かつて=あった》と、極めてよく似ている、ほとんどそっくりだ、ということなのである。  くりかえすが、バルトは写真と映画を厳しく区別していて、両者の機能は本質的に異なるとまで言っている。しかし、こうしたバルトの理解に一点、変更を加えざるを得ないような、いわば映画の特異点として、メカスのフィルムは存在しているのではないかと、僕は思うのだ。では、それは一体、どのようにして可能になるのだろうか?
●現実が明滅する
 リトアニアから弟のアドルファスとともにニューヨークにやってきたジョナス・メカスは、最初のうち、英語が全く話せなかった。知っている単語を大声で発音しても、誰にも通じなかったのだ。母国では詩人として活動していた彼は、言葉を使えない代わりに、借金をしてボレックスの一六ミリ・キャメラを手に入れる。NYに着いて二週間後のことだった。そして、それ以後、メカスはどこへ行くのにもボレックスを携えて、後に彼が「日記・ノート・スケッチ」と名付けることになる膨大なフィルム断片=集積を、ひたすら撮り続けるようになった。これが、良く知られたフィルムメーカー=ジョナス・メカス誕生のエピソードである。それはもはや神話といってもいいかもしれない。一九四九年、メカスは二五、六才の青年だった。  メカスのフィルムの、どれでもいい、ほんのわずかでも見たことのある人なら、誰もが覚えていることだろう。あの非常に独特な映像のありさまを。ほとんど全編が手持ちによる、ブレなどまったく気にしていない乱暴なキャメラ・ワーク。音楽でいうならスタッカートの連続のような、きわめて短い−−そしてアタックの強い−−ショットの連なり。時に軽やかに、時に目眩がするほどに、めまぐるしく移り変わるイメージ。それはあまりにも通常の映画とは形態が異なっているので、予備知識なしに見たとしたら、ひどく驚かされることはまちがいない。はたしてこんなものを映画と呼べるのか?  ボレックスは一六ミリのムービー・キャメラの中でも、一コマ単位での露光(俗に言うコマ撮り)ができることで、いわゆる「実験映画」の作り手からは重宝がられている機種である。メカスもこの機能をフルに使って、自分のフィルムを撮る。いくぶん比喩的な言い方になってしまうが、シャッターを一定時間、ジーッと押すのではなく、カチカチ、カチカチとやるわけだ。生活の中にキャメラを持ち込んだメカスは、あらゆるものにレンズを向けた(メカスに会うということは、彼に撮られるということを意味する)が、それは多くの場合、カチカチ、カチカチだった。だから前節で「絶え間なく」と書いたのは、やはり正確ではない。イメージは持続することなく、飛び飛びになっているのだから。  なぜこんなことをするのか? もしかすると、メカス自身がどこかで明確な理由を語っていたかもしれないが、残念ながら僕は知らない。ただ、それはたぶん、要するにボレックスにそういう機能が付いていたから、なのだろうと思う。何を馬鹿なと思われるかも知れないが、おそらく事実はそうなのだ。たとえば、文盲の者が拾った辞書に古語が載っていたとして、周りの誰ひとりとして、そんな言葉を話していなくとも、現に辞書にあるのだから躊躇なくそれを使った、ということなのではないか。少なくとも、ある時期までのメカスにとって、映画とは他者とのコミュニケーションのツールだったのだから、ボキャブラリーをフルに活用しようとしたのは、むしろ当然のことだろう。しかし、僕が強調しておきたいのは、メカスがコマ撮りならコマ撮りというものを、映画の「表現」の新しい手法として”発見”したのではなかった、そしておそらく今もそうではない、ということなのである。 「ヴィレッジ・ヴォイス」誌に連載していたコラム<ムービー・ジャーナル>の六五年一月九日付けの記事の中で、メカスは「逆説を一つ」と言い置いてから、次のように続けている。
 映画は、たとえ最も観念的で、抽象的なものであっても、その本質は具体的である。動きと光と色の芸術である。偏見や先入観を捨てさえすれば、純粋に視覚的で動美学的な体験の具体性、光と動きの”リアリズム”、純粋な目の体験、映画という物質がわかる。画家が絵という物質や絵具を意識するようにならなければならなかったように、彫刻家が、石や木や大理石を意識しなければならなかったように、映画も成熟してくると、映画という物質−−光や動きやセルロイドやスクリーンを意識しなければならなくなった。 (『メカスの映画日記』飯村昭子訳・以下同)
 「ニュー・アメリカン・シネマ」(米のインディペンデント映画作家による実験映画、個人映画を総称してメカスが用いた言葉。彼のいわゆる「ニュー・シネマ」とは別物)の運動家としてのメカスの功績については、いくら強調してもし過ぎるということはないが、彼自身のフィルムは、多くの「実験映画」の試みとは、実のところかなり位相が異なっているのではないかと思う。  何らかの意味での「実験映画」へと向かう心性には、次の二つのモメントがある。自己表現の探究、そして映画という形式自体の発展・進化である。誤解を恐れずに言えば、メカスはそのどちらにも興味がない。彼のフィルムには、メカスの「内面」は映っていない。より正確に言えば、メカスはフィルムに「内面」など決して移りはしないと言う真実に忠実である。あるのは、ボレックスというキャメラと、カチカチカチカチだけだ。それは徹底して、あっけないほどに具体的なのである。  また、メカスは映画というものを、さまざまな技法の束として捉え、やみくもにその先に進もうとするような、一種の進歩史観には与していない。彼の姿勢は、たとえば「拡張映画」といったような概念とは、ある意味では逆立するものだとさえ言っていい。映画は通常、一秒に二四コマの映像の連続から成っているが、メカスはそれはただの慣習に過ぎず、ムービー・キャメラと映写機のメカニズムからすれば、幾らでも変更が可能なのだという、単純極まりない原理に従っただけなのだ。  つまり、メカスのフィルムが革新的であることは疑いないが、しかしそれは映画という種に突然変異が起きたのではない。ただ単に、もともと潜在していた能力を露にしただけということなのである。だからこそ「成熟」であって「進化」ではないのだ。  ここでようやく、前節末尾のクエスチョン・マークに立ち戻ることができるように思う。映画とは言うまでもなくムーヴィング・ピクチャー、すなわち動く写真である。一定以上のスピードで写真が移り変わった時、網膜に受ける残像効果によって、実際には分断されたものでしかないイメージが、あたかも連続的に動いているかのような錯覚を与える、ということである。こんなことは確認するまでもないことだが、ではプロセスを逆さまに考えてみよう。ノーマルに動いている映像が、次第に速度を落とし始める。やがてそれはぎくしゃくした動きとなり、次第に紙芝居のようなものになって、ついには静止してしまう。そこにあるのはただ一枚の写真である。そこには確かに、ロラン・バルトが言う《それは=かつて=あった》が映っている……。  メカスのフィルム、それはむしろ、写真と映画の中間点に属しているのではないだろうか。むろんそれはムービー・キャメラで撮られ、映写機で再生されるのだから、映画と呼ばれるべきである。だが、それはいわば、写真の記憶を残しているのだ。バルトが写真のテーゼとしていたのは、止まることなく流れていく時間から、瞬間を抜き出すという「奇跡」である。時間は原理上、微分できないのに、ただ写真に撮るだけで、ありえざる無時間へと投げ込まれることになる(そこでは露光時間も抹消されてしまう)。それを永遠と呼ぶのはロマンチック過ぎるかもしれないが、時間が流れていないのだから、それもあながちまちがいではない。  おそらく、コマ撮りにも二種類あるのだ。運動へと向かうものと、静止へと向かうもの。それは一見、同じもののように思えるが、実は正反対なのである。メカスのフィルムは明らかに後者だ。たとえば石の写真を見ることと、それを延々と撮った映画を見ることは根本的に違う。ムービー・フィルムは−−現像処理でコマ延ばしでもしない限り−−まったく同一のイメージを記録することは不可能だ。それでも映画が写真を志向するとするなら、逆説的ではあるが、限りなく映像の持続を縮減していき、だが肉眼で把握できなくなるまでにはすることなく、連続写真がムーヴィング・ピクチャーへと至る境目に、いわば後ろ向きに到達するしかない。そう、メカスのフィルムは、めくるめく映像の奔流であるかに見えながら、実は一つ一つのイメージは止まりかかっているのである。  メカスのフィルムは、言うなれば映画の現像学が始まる以前に留まっている。カチカチ、カチカチという仕草によって、《それは=かつて=あった》が生まれては、また消える。写真的な無時間=神聖なる停止を、時間芸術である映画が欲望するという倒錯的な事態が、そこでは演じられているのだ。こう言い換えてもいいかもしれない。そこでは常に/既に過ぎ去ったものでしかない「現実なるもの」が明滅しているのだ、と。しかし、これだけではまだ十分ではない。語らねばならないことが、あともう少しだけ残っている。
●キャメラになった男
 メカスは<ムービー・ジャーナル>の一九七〇年六月二五日付けのコラムで、エド・エムシュウィラーの作品に触れて、こう書いている。
 カメラが人間のようになればいい、と彼が思っているわけではない。そうではなくてエムシュウィラーの本当の願いは自分がカメラになることなのだ! この男は狂っている。(略)彼はカメラになりたがっている。自分自身の道具になりたがっている。彼はカメラが盲目であることを承知している。カメラはすべて盲目である。カメラに世界をこのように見させているのはエムシュウィラーである。世界をこのように見る必要があるのは彼である。
 これはほとんどメカスその人のことを語っているように、僕には思える。「自分がカメラだと思いこめるのは気狂いだけだ」。メカスもまた、完璧な気狂いである。彼とボレックスはもはや一体化している。それは、メカスがどんな時にもキャメラを手離さないという表面的な事実よりも、もっとはるかに積極的な意味を帯びている。メカスがキャメラを通してものを見ているのではない。メカスが見ているものと、キャメラのレンズが対峙しているものが同じであるかどうかは、さしたる問題ではない。以外に思うかもしれないが、メカスとキャメラの一体化は、見ることの水準にはないのだ。  ここにはもうひとつ重要な指摘がある。それは「カメラはすべて盲目である」という断言だ。キャメラとは、目の代用物ではない。それは光が通過する機構でしかない。フィルムが露光されて初めて、それは映像を生産することになる。キャメラは何も見ていない。それは現実の光景を映像に転写するだけである。メカスとキャメラの一体化は、このことに関係している。つまりそれは、ある何かをそのままの姿で留めること、保持していくこと、要するに「記憶」の水準に属しているのである。ここでメカスのフィルムが「日記」と名付けられていることが、きわめて重要な意味を持ってくる。  メカスのフィルムは、最初の長編の『樹木の大砲』や、演劇を記録した『営倉』といった、やや特殊な成立背景を持つものを除いて、基本的にすべて「日記・ノート・スケッチ」に属している。そこから抜粋、編集して独立した一個の作品の形にしたものが、たとえば『リトアニアへの旅の追憶』であり、『ロスト・ロスト・ロスト』なのである。しかし、とりあえず完成したものとされているからといって、それぞれの内容が不変ということではない。そこには、いつでも手を加えることが可能だし、事実、そうされてもいる。つまり、実際には、膨大なフィルムのロールがあるだけなのであり、それはいま、こうしている間にも、絶えず増え続けているのだ。それは「日記」かもしれないが、ページが束ねられていないのだ。僕たちがその全てを読む=目にすることは決してないだろうし、メカス自身にさえ、もう一度、最初から全部を見直すことは不可能かもしれない。  その中には、同じ場所が、同じイメージで収められている。それはかつてそうであったものであり、今は別のものとなってしまっているものだ。圧倒的な量の「かつて」の集積。それはやはり「記憶」と呼んでいいのではないだろうか。ただ、それが人間の記憶と異なるのは、時の流れによって喪失してしまったり、何かを塗布されたり、美化されたりしない、ということである。それはただ、そこにある。ムービー・キャメラを持った時から、メカスはかれ自身のものとは別の、ジョナス・メカスという名のキャメラの記憶を育んできたのである。  映像の断片による記憶。それは歴史とは違う。歴史とは、整然と垂直に構成されているものだが、記憶はもっと茫然とした、海のような広がりとして、静かにたゆたっている。メカスのフィルムには日付が付けられているものが多いが、そんなものはただの記号にしか過ぎない。いまやこう���ってしまってもいいと思うのだが、それは時間から切り離されたところに、じっと佇んでいるのだ。  永遠という語を、いささかの恥ずかしさもなく、ここでもう一度使いたい。それは永遠の領域に属している。やがて、ある時、それはふたたび取り出され、まばゆい光を得てスクリーンに映しだされる。何百、何千の《それは=かつて=あった》が明滅する。そして僕はまた、身体の内側から激しく揺さぶられることになるのである。
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