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#スケートボードは哲学
0shoyamane0 · 2 years
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死の技法とスケートボーディング・ミックステープ
スピードは死を連想させる、という考えはもはや古典である。というよりも、死にはスピードが必要であると仮定することが現代の気構えというものなのではないだろうか。
現代社会というものは基本的に加速度的に退廃するものであるし、私はそうあるべきとも思うが、その速度に抗おうとするものがいることも知っている。彼らは自動車を運転しない。オートバイに乗らない。そしてスケートボーディングをしない。
スケートボードに乗るときに必要な道具は何か。それはヘルメットでもプロテクターでも、スケートボード自体でもましてや身体でもない。必要なものはただ一つ、死ぬ為の技法である。
イッツ・ベリー・アン・アート・オブ・デス。
スケートボーディングのミックステープをご覧になったことがある人──見たことのない人よりも数は多い──は総じて日常生活の中から死に方を学んでいる。
人は特段、自分から望まなくても死に面している。胎内にいる時から絶えず動き続けている脈動が今日止まらないという保証はどこにもないし、大きな鳥が何かの手違いで亀の甲羅を落っことしてしまうことだって否定できない。大雨の日には雷に打たれる準備があるし、交差点ではよそ見運転をした車がこちらに目がけて進んでくることなど、起こらないことの方がよっぽど不思議なのである。
アスモンテスの『然るべき在り方』によれば「自ら死にもたれかかっているくらいがちょうど歩きやすい」と書いているし、モンテスキューの『エセー』には「哲学することは死に方を学ぶこと」という章もある。まるきり死を生活と切り離して過ごしている方がおっかないと思うのは私だけではないだろう。
スケートボードは言うなれば木の板に車輪がくっついた、素朴な遊び道具であり、一見するとイタイケである。しかしながら、我々は洗面器を満たすだけの水で窒息死できることを思い起こしてほしい。車輪のついた板が洗面器より鋭い致死性を持っていることなど容易に想像がつくだろう。人はおもちゃで遊ぶこともできるし死ぬこともできる。
スケートボーディングにおけるミックステープを見れば難易度の高いトリックを成功させた際のその難易度を強調する演出技法として、複数回の失敗テイクが挿入されていることに気付くだろう。これはある種のスーサイド・ポルノ(自殺に関する誘発刺激)とも言える。ライブ・リークが存在しない今、人は過激な映像を求めてスケートボーディング・ミックステープを見漁るようになった。
フェイル・ヴィデオ(失敗映像)の堆積はやがて芸術性を拡大させ、既存の芸術と結びついた。その傍点としてスケートボーディング・ミックステープは、在る。これによって人は擬似的に死ぬことが可能になった。それは性的情動をポルノグラフィを鑑賞することによって代替することに幾分か合致する。言い換えれば、人はもう死に方を学ぶために哲学しなくて良くなった! 必要なことはただ一つ、スケートボーディング・ミックステープを見ればいい──。
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herbalcafeprana · 2 years
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|カタルバー まちの遊び方を語ろう 〜スケートボードから広がるまち遊び〜 at 秋田市文化創造館 2Fカウンター - 2022年5月から スケボーを始めたボク スケボーと言っても ペニーというおもちゃみたいな かわいいやつ ペニーは技(トリック)とかを 目的にしていなくて クルージング(街乗りや移動) に特化したスケートボードで 自転車がわりに遊んでいます - …だもんで ボクにはちょっと場違いな 感じもありましたが とてもすばらしい語る場で 飛び交う言葉、思想、哲学が キラキラ、ワクワクしているように 感じました 思いやりもあって 熱い気持ちもあって ユーモアもあって - ボクは どんな街に住みたいんだろう どんな街にしたいんだろう そこに自分の居場所はあるのだろうか 帰り道に そんなことを考えながら スケボーで滑って帰りましたとさ🛹 #スケボー #スケートボード #ペニー #クルージング #街乗り #ストリートカルチャー #秋田駅前 #秋田市 #秋田市どうよ #penny #pennyboard #sk8 #街づくり #サードプレイス #秋田市文化創造館 #カタルバー #表現にはいろいろな形がある #相手のことを知ろう #知る努力 #話を聞こう  (at 秋田市文化創造館) https://www.instagram.com/p/Cfkz4G_BoqB/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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takahashicleaning · 9 months
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TEDにて
ゾーラ・ダヴォーディ:我々はシミュレーションの中で生きているのか?
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
地上にあるものはすべて生物も無生物も微細なものも巨大なものも任意の値に見える定数を持つ数学的法則によって支配されています。
これは疑問を引き起こします。
ユニバースがそのような法則によって完全に支配されているなら十分に強力なコンピューターで正確にシミュレーションできるのでは?
我々の思っている現実は、実は進んだ文明によって用意されたシミュレーションなのではないか?
ゾーラ・ダヴォーディが考察します。 講師 ゾーラ・ダヴォーディ 監督 オーウェン・ダフィ このビデオの教材 https://ed.ted.com/lessons/are-we-living-in-a-simulation-zohreh-davoudi
私たちは広大なユニバースの中の小さな水のある惑星に住んでいます。
何十億年か前に周りの無生物を構成するのと同じ元素から単細胞生物が進化し、増殖し、複雑な生命体へと見事に広がっていきました。
これらすべて生物も無生物も微細なものも巨大なものも任意の値に見える定数を持つ数学法則に支配されています。
そこで疑問が生じます。宇宙がそのような法則で完全に支配されているのであれば、十分に強力な量子コンピューターなら正確にシミュレーションできるのではないか?
我々の現実は、遙かに進んだ文明によって作られたき��めて精巧なシミュレーションなのではないか?
この考えはSFのように聞こえるかもしれませんが、真剣に検討されてきました。
哲学者のニック・ボストロムは、我々がシミュレーションの中にいることの説得力ある議論を進めており、その可能性はあると考えている科学者もいます。
そういう科学者たちは、このユニバースがシミュレーションなのか確かめるための実験方法を考え始めました。
シミュレーションの制約条件が何で、その制約条件によってどんな検出可能な兆候が生じうるか仮説を立てています。
そのような兆しは、どこに探したらよいのか?
1つの考えは、シミュレーションを実行していると時と共に誤差が、蓄積されるというものです。
そのような誤差を補正するためシミュレーターは、自然法則の定数を調整するかもしれません。
その変更は小さなものでしょう。たとえば、100万分の1単位の精度で測定されてきた定数があり、それは何十年にもわたって安定しているので変化があるとしたらさらに小さなものであるはずです。
そういう定数の測定精度を上げていけば、微かな時間的変化を検出できるかもしれません。
他に見るべきところとして計算能力の有限性の問題があり、どんなに強力であっても無限はシミュレーションできません。
時空が連続的なら宇宙のどんな小さな空間にも無限の点があり、有限の計算能力では、シミュレーションできなくなります。
そのためシミュレーションは、時空を小さな単位で表現する必要があります。それはほとんど分からないくらいに小さいでしょう。
しかし何かの亜原子粒子を探針にすれば、見つけ出せるかもしれません。
基本的な原理として物は小さくなるほど乱れに対して敏感になります。道路の穴の上を通るスケートボードとトラックを考えてみてください。
時空の単位はとても小さくほとんどのものは、乱されることなくその中を通り抜けるでしょう。
肉眼で見えるような大きな物だけでなく、分子や原子、さらには電子や発見されている亜原子粒子の多くでさえもそうです。
時空の小さな単位を発見するか自然法則の定数の変化を検出したら宇宙がシミュレーションであることの証明になるのでしょうか?
いいえ、それは多くのステップの最初にすぎません。そういった発見には、別の説明が可能かもしれません。
シミュレーション仮説を自然科学理論として確立するには、もっと多くの証拠が必要です。
どれほど多くの試験を考案してもそのすべてに共通する仮定によって制限されます。
量子レベルの世界で現在理解できるのは、プランクスケールとして知られるものまでです。スーパーストリング理論や量子重力理論で表現しています。
時空の単位が、その程度の大きさだと現在の科学では、見つけることができません。
プランクスケールより大きくても現在観測できるより小さなものはたくさんあります。
同様に、自然法則の定数の変化も非常にゆっくりと起こり、宇宙の寿命くらいかけなければ、観測できないかもしれません。
だから何百年、何千年かけても検出されなかったとしても変化している可能性はあるのです。
このユニバースをシミュレートしている装置は(それが存在するとして)、私たちと同じように計算を行い同じような計算能力の限界を持つものと考えがちですが
実のところ、その文明の持つ制約条件や方法が何なのか私たちには知る由がないのです。
それでもどこかから始める必要があります。
ユニバースがシミュレーションなのかどうかを確かに証明することは、可能でないかもしれませんが
それでも私たちは「現実の本質は何か」という疑問を追って科学と技術の限界を拡げていくでしょう。
<おすすめサイト>
フェルミバブルと素粒子の偶然の一致について2022
ジム・ホルト:宇宙はどうして存在するのか?
宇宙際(うちゅうさい)タイヒミューラー理論は、Dブレンの数値的裏付けを与える数学2021
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ダークマターとダークエネルギーは、アクシオンやブラックホールのことかもしれないというアイデア2022
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roadhouse-press · 2 years
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Yuto Suzuki - 10 QUESTIONS
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いやはや、すっかりTumblrでの更新を怠っており申し訳ありません!
今回は久しぶりなのに手前味噌ですみませんが、ROADHOUSE Tokyo主宰のこの私、鈴木悠人のインタビュー記事がParallel Collectiveのインスタに載ったのでその日本語訳バージョンを掲載したいと思います。
内容は10個の質問と自分が選曲したプレイリストが載っています。プレイリストについては海外のメディアということもあり、海の向こうのホーミーたちにオススメしたい私的お気に入り日本人アーティストをチョイスしました。Spotifyで聞けるのでこちらから是非チェックしてみてください!
パラレルコレクティブについては前回のこの記事を読んでいただくと理解が深まるかなと思います。オーストラリアの非常にクールなブランドでありクルーです。是非ご一読を。
-Top photo by Christian Closs
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-Photo by 7thschooters
1.今どこに住んでいますか?
東京の西側。郊外の方に住んでます。
2.なんでスケートを始めたの?
子どもの頃スケートボードをしていたんですが、弟がインラインスケートをしているのを見て楽しそうだったので僕も始めました。
3.スケートの何が一番好きですか?
自分にとってはストリートでのスケートが一番楽しいですね。少人数で街に出てスケートするのが特に最高。遠慮せず思いついたアイディアをすぐに試せるしビデオ撮影にもこのやり方が適していると思います。
4.スケートのインスピレーションはどこから来るの?
常にストリートスポットからインスピレーションをもらってます。変な形や地形だったり、誰も見向きもしなそうなやりにくいスポットを見つけてイメージするのが好きですね。スケートしていない日でも常に散歩をしながらスポットを探してます。もうほとんど病気ですね!あと、僕は昔からスケートボードカルチャーの大ファンなので今でも彼らからたくさんの影響を受けています。
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-Photo by Hiraku Kajiyama
5.いつも誰と滑っていますか?
河合さんとタカポンと滑ることが多いですね。
河合さんとは僕が14歳の頃からの付き合いなんで24年ぐらいつるんでます。河合さんは僕とは丁度10離れてるんですが、年齢とか関係なく常に楽しく滑ってます。彼は世界中で最もアグレッシブな48歳のスケーターだと思うし、常にチャレンジングな姿勢は本当に尊敬します。
タカポンとはこの3、4年の付き合いですが、とてもユニークでクリエイティブなスタイルを持つスケーターです。彼はあまり自分のことをアピールするのが得意じゃないので過少評価されてるかもしれないけど素晴らしいスケーターですよ。
6.どこで滑るのが好きですか?
僕は東京に住んでるから当然東京です。東京では絶えず古いものは消え、新しい建物が同時に作られています。思い出の建物がしょっちゅう消えるのでちょっとセンチメンタルな気分になるけど、新しい建物のおかげで常にフレッシュな気持ちでスケートができる街だと思います。でも東京でストリートスケートが楽しめるのもこの街が世界の都市の中で一番安全だからだと思います。あとこの街でストリートスケートするなら警備員や警察には常に挨拶する感じのノリも必要です。彼らと常に対峙しないといけないので。
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-Photo by 7thschooters
7.スケート以外で好きなものは何ですか?
ファッションとかストリートウェアは昔から好きでしたね。今も常に古着とかスニーカーはチェックしてます。あとコロナ禍になってからはおうち時間が増えたので料理をたくさんするようになりました。ちょっと料理の腕も上がったかも(笑)  料理は楽しいし、作ったものを妻と食べるのは最高ですね。
8.最近のブーツのセットアップはどんな感じですか?
THEM 909のブレインデッドコラボのブーツ、Intuitionライナー、マズルのシューレース、GCのFLT4フレーム、DEADの58mmウイール、Bonesのベアリングって感じです。
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9.今までで一番影響を受けたスケーターは誰ですか?
もちろんランディ"ROADHOUSE"スパイザーに決まってます!それとめちゃくちゃ影響受けたのは東京の先輩やOGたちです。彼らのスムーズなスタイルとスケートについての哲学が僕を作ったと思います。VG15の日本パートは常に自分のお気に入りです。
10.あなたが運営しているROADHOUSEのことや今後の予定を教えてください。
ROADHOUSEというのは僕が子供の頃からずっと大好きなランディ・スパイザーのあだ名からとったブランド名です。スケートを始めた頃の前向きで楽しい気持ちをまっすぐ表現したくてこのブランド名にしました。今は自分がディレクションしているアパレルコレクションとMUZZLEやParallel Collectiveなどの海外からのセレクトグッズをウェブショップで販売しています。また、過去にはジョン・フリオや日本のスケーターのインタビュー記事を書いたり、ビデオ作品をプロデュースしたりもしました。
今の日本ではストリートスケートは否定されることが多いし、スケートビデオを作る人へのリスペクトもほとんど感じられない状況だと思っています。僕は子供の頃に憧れていたかっこいいスケートカルチャーを取り戻すためにこれからも頑張っていこうと思っています。とりあえず今作っている新しいビデオを早く完成させて発表したいです!
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-Photo by Hideki Kawai
■今回のプレイリストについて説明してください
Spotifyプレイリスト - Portait vol.3
01.恋は桃色 - 細野晴臣
02.待ち人 - ゆらゆら帝国
03.夕闇をひとり - 松任谷由実
04.Folklore - クラムボン
05.Kaneda - 芸能山城組
06.Girls - 高木正勝
07.Feather - Nujabes feat. Cise Starr & Akin
08.Arne - Haruka Nakamura
09.Thousand Knives -  坂本龍一
10.Special - Sick Team
常に色んな国の音楽を聴いていますが最近は日本人アーティストの曲を多く聞いています。日本の音楽シーンは芸術的多様性が非常に豊かで広大だと思います。新しいアーティストや音楽は常に探してます。
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machromatic · 4 years
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「舐達麻の人気とその理由」(演繹と帰納、ロックとヒップホップ、科学と芸術、部分と全体、近代と現在、中央集権と分散化、マクロとマイクロ。)
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(大きな物語の終焉) 哲学的に言えば、 「大きな物語」の終焉。 これはフランスの哲学者、 ジャン=フランソワ・リオタールが、 1979年に「ポストモダンの条件」で提唱した言葉である。 私が生まれたのは1978年11月なので、 「大きな物語」の終焉と同じく生まれた事になる。 それは40年以上前である。 しかし日本においてそれを実感するのは、 1990年代のバブル崩壊を待たなければならない。 1990年代にバブルは崩壊し、 2000年代に入りインターネットは爆発的に普及し、 より一層「大きな物語」の終焉を感じずには、 居れなかったはずである。 その2000年から2020年の現在まで、 「失われた20年」とも呼ばれている。 つまり私達は、 まだ「大きな物語」を、 取り戻そうとしているのである。 私は1997年頃からインターネットや、 パソコンでイラストレーターや、 フォトショップを使ったデザイン。 それらをヒップホップや、 スケートボードなどのストリートカルチャ、 の表現方法として、 アーティスト活動を始めた。 3年ほどは、 ストリートでグラフィティライターとして、 活動もした。 私はプロ野球選手を目指し、 鳥取県の倉吉北高校へ野球留学し、 高校卒業後、 大阪に戻って高校新卒で、 当時、日新製鋼という、 東証一部上場の大企業に、 現業職として入社した。 当時は就職氷河期である。 しかし入社と同時に、 定年前のおっさんばかりの職場に配属され、 なんというか、 自分の人生の末路を観たのである。 これは「やばい」と確信した。 今から思い返せば、 この直感が、 「大きな物語」の終焉だったのかもしれない。 日新製鋼を半年くらいで退社してからは、 とにかく自分の信じる道、 そして自分の美学、 自分のルールに従って生きようと誓った。 今でも忘れないが、 日新製鋼の人事に、 「お前は絶対一生後悔するぞ」 と捨てゼリフを吐かれたことは、 今でも私のモチベーションである。 そしてその「日新製鋼」は、 実質的に日本製鉄に吸収され、 唯一の高炉である呉製鉄所は閉鎖、 私が働いていた堺製造所も、 無くなる予定である。 やはり、 「大きな物語」は終焉していたのである。 つまりバブル崩壊後の日本において、 特にインターネットが普及した、 2000年代において、 「大きな物語」は終焉し、 近代は完全に終わったのである。 (ロックとヒップホップ) 私は1993年頃には、 日本語ラップや日本語レゲエを聞いていた。 私が中学生の時である。 レゲエだったらVIPクルーのBOYKENの、 「ちょっとまった」とか、 当時はダミ声のラガマフィンを、 日本人が歌っているのは珍しく、 めちゃカッコ良いと感じたのである。 「THE BEST OF JAPANESE HIP HOP vol .3」は、 今でもCDがあるし、 大阪レゲエの「レゲエちゃうの?」は、 衝撃的であった。 これもまだ持っている。 つまりここで何が言いたいのかというと、 日本のヒップホップ黎明期から、 私は日本のヒップホップを観ているし、 実際1999年から3年程度、 グラフィティライターで活動もしている、 それが嘘偽り無い事実だということ。 しかし当時、 ロックのブルーハーツにもハマって、 丁度ロックとヒップホップの潮目、 その様な時代感であった。 でも当時日本語ラップは、 ダサイというイメージがあり、 現実的には日本語ラップを、 聴いているものはほとんどおらず、 ヒップホップもUSが中心であった。 ロックからヒップホップへの、 ポップミュージックの変化は、 まさに現在結果として視認できる、 そのレベルに達してきている。 私たちが10代の頃に、 すでにアメリカでは、 ヒットチャートに、 ヒップホップが入っており、 その当時から、 日本はアメリカの10年〜20年、 遅れているからという話が、 通説であった。 実際に20年以上遅れて、 この2020年に表象されている。 これは芸術論的にも分析できる。 ロックは舞台を必要とし、 その舞台は客席とは高さが高く、 バンドセットを要する。 つまりそのシチュエーションが、 非常に近代的であり権威主義的なのだ。 それに比べヒップホップは、 ストリート発祥で、 ラッパーと観客の垣根は無くフラット。 そして誰もが、 ラッパーでありそこには、 舞台とそれを観る観客という、 絶対的な境界はないのである。 さらに、 ロックは「夢想」を歌い。 ヒップホップは「日常」を歌う。 つまり「夢想」とは、 ありもしなかった「大きな物語」である。 それは「マクロ」である。 そしてヒップホップは、 「日常」を歌い「現実」を歌う。 それは「マイクロ」である。 これらは音楽の変遷を通じて、 「マクロ」から「マイクロ」への変化を、 現実的に表象している。 この流れを芸術的に考えると、 2007年に水戸芸術館で開催された、 松井みどりキュレーションの、 「マイクロポップの時代」が、 記憶に残っており、 私は実際にこの展覧会を観ている。 まさに、 「マクロ」から「マイクロ」、 「中央」から「分散」、 その様な時代にすでに入っていた。 (ブロックチェーンの中央から分散) 前述した様な「中央」から「分散」という動き、 それはテクノロジーでも、 あらゆるものに表象してきている。 それで言えば、 インターネットは、 「大きな物語」や「近代」を、 完全に終わりに追い込んだテクノロジーである。 例えばテレビやラジオは、 中央から多くの人々へ情報を届ける手段として、 近代において大きな役割を担った。 そしてそれにより「大衆」というものを生み出し、 「大きな物語」をより促進させた、 テクノロジーである。 しかしインターネットの普及が、 加速度的に広がり、 誰もが情報発信者であり、 誰もが情報受信者である。 その様な「分散」が生まれた。 これは、 「大きな物語」の終焉には、 致命的なものとなった。 そして現在進行形で進む、 「中央」から「分散」という動きに、 非常に重要なテクノロジーとして、 ブロックチェーンがその頭角を現してきている。 ブロックチェーンではビットコインが有名である。 ビットコインはまさに、 P2Pの分散化台帳技術である。 しかしこのブロックチェーン技術は、 ビットコインの様な暗号資産や価値保存だけでなく、 これから「分散化社会」において、 非常に重要な技術となることは明確である。 (科学と西洋思想の終焉、部分と全体) 西洋思想やそれを原理にした科学は、 「絶対的」「絶対性」、 つまり究極的に「絶対」を信じる。 それは演繹的な思考である。 ※ 添付図参照 つまり前提が真であるならば、 結果も真である。 それが演繹である。 そしてこれは全体と部分という、 世界の認識の方法で考えるならば、 その部分に絶対性を、 求めるという事に他ならない。 しかし人間は、 どの様に人間らしさを獲得したのだろうか、 それは「もの」と「意味」を、 並列に思考する「並列思考」であり、 その事により人間は、 創造性を獲得し、 「余計」なことを思考する事で、 「芸術」を獲得したのである。 ��まり「人間」とは「余計」な事を、 考え創り出すものが「人間」なのである。 それはつまり「帰納」であり、 それは前提が真であるからといって、 結果が真ではない。 そしてこれは全体と部分という、 世界の認識の方法で考えるならば、 その部分に絶対性を、 求めないという事に他ならない。 部分は常に全体によって定義され、 部分は常に変化するものである。 この様な帰納的な考えは、 芸術の原理となっており、 この様な文化や思考方法を、 日本文化は内包していた、 それは日本の土着的な様々な問題、 地震や津波など環境の変化と共に、 日本人の営みは形成され、 人間も自然である。 だからこそ常に変化し、 スクラップアンドビルドを、 繰り返しそれを人間の営みとして、 生活に内包してきたのである。 つまり日本人は、 部分と全体で言えば、 全体として生きてきたのであり、 部分的絶対性、 つまりここで言えば、 人間という絶対性を、 求めることをしてこなかったのである。 この事は、 芸術において、 西洋的芸術観に対し、 理解しがたい日本人が多い原理である。 またこの様な、 全体や環境、 または関係性をベースにした価値観は、 仏教の縁起や空の概念に通ずるものがある。 (演繹と帰納の芸術学) ※ 添付図参照 私たちはいかに不安定で不完全な、 世界に存在しているのか、 私たち人間は忘れてしまっている。 それはあまりにも科学技術が進歩し、 演繹的に導かれた結果が、 私たちの世界に溢れかえり、 私たちの生活を覆い尽くしている。 その様な状態であるからである。 しかし現実として、 私たちは不安定で不完全な世界に、 現に存在しているのである。 だからこそ、 現在の日本人は、 古来日本人が持っていた文化や価値観、 それを失い、 西洋的思想や哲学に基づいた、 科学は受け入れるが、 芸術は受け入れない。 その様な拗らせた人間や社会が、 様々な場所や場面で、 日本の衰退や、 日本人の病理を推し進めている。 それを論理的に認識するのに、 演繹と帰納を改めて考察することは、 非常に有用であるので、 ぜひ添付図を参照していただきたい。 本来人間は帰納的思考を発露とする。 それは個別的、特殊的なもの、 つまりそれは「個人的」なもの、 それを前提とし、 そこから一般的、普遍的であるものを、 見出していく。 そして帰納において、 前提が真であるからといって、 結果が必ず真であるとは限らないわけである。 本来人間は、 個別的、特殊的な前提を原理に、 生きているものである。 しかし私たちは、 この帰納的営みを忘れ、 演繹的に担保された科学技術の結果を、 無思考に受け入れ、 科学技術を無自覚に受け入れている。 つまり西洋思想、西洋哲学を原理にした、 科学や医学を信仰し、 その科学や医学のエビデンスを絶対的に、 無自覚、無思考に信仰するのである。 しかしその科学さえも、 その科学の演繹の前提になるものは、 帰納の結果なのである。 つまり科学の演繹性の前提である、 一般的、普遍的前提は、 帰納による個別的、特殊的な前提から、 導き出された結果としての、 一般的、普遍的な結果である。 ここから理解できることは、 私たちは帰納を原理として、 人間は生きているということである。 それは個別的、特殊的な前提であり、 その結果は、 前提が真であるからと言って、 結果は真であるとは限らない。 それは簡単な言い方をすれば、 科学や医学も含め、 ありとあらゆるものに、 絶対はないのである。 それは帰納を無視した、 演繹的世界観が「大きな物語」であった、 その様な事が言える。 また「大きな物語」の終焉は、 演繹的世界がフィクションであり、 私たちは個別的であり、 特殊的である事に、 再度目覚めたと言い換える事ができる。 私たちは現在、 演繹と帰納、 ロックとヒップホップ、 科学と芸術、 部分と全体、 近代と現在、 中央集権と分散化、 マクロとマイクロ。 まさにこの様な、 パラダイムシフト、 の真只中に存在している。 (舐達麻の人気の実例) では最後にこの様な現在の、 パラダイムシフトの実例として、 ヒップホップグループの、 舐達麻を紹介をしたい。 舐達麻は、 日本のヒップホップシーンでは、 過去に例のない規模で、 人気を博している。 しかし彼らは、 実際に日本の裏社会と繋がり、 体中刺青で、 ミュージックビデオでは、 マリファナを吸引し、 自分達の犯罪や、 生きてきた過去、 そして現在の営み、 それらを等身大にラップしている。 舐達麻のビジュアル、 犯罪歴や麻薬の使用、 ラップの内容、 様々な意味で、 一般性や普遍性がないのである。 つまり舐達麻は、 帰納的なのであり、 ヒップホップとは帰納的なのである。 逆説的に、 ロックは演繹的であり、 一般性や普遍性を歌い、 そこから聴く側に、 個別性や特殊性を受け取ってもらう。 しかし、 舐達麻は、 帰納的に、 個別性や特殊性をラップし、 聴く側に一般性や普遍性を受け取ってもらう。 つまりここから理解できるのは、 一般的、普遍的な前提が、 崩壊しているからこそ、 その前提をロックなどで、 歌われたところで茶番に聴こえる。 それがフィクションである事を、 生々しく感じシラケルのである。 しかし等身大で現実的な、 個別的、特殊的な前提の方が、 人間誰しもが実際に現実に体験する、 自分自身の個別的・特殊的な前提に、 照らし合わせる事で、 その個別性や特殊性の具体的な内容が、 全く違っても、 それを現実的に共感し、 現実的に捉える事ができる。 つまり綺麗事ではなく、 誰しも疾しいことをするし、 誰しも悪いこともする。 誰しも弱いし、 誰しも汚い。 ロックが歌う、 理想郷の様なイメージ、 ユートピア。 それはまさに、 演繹的に導かれる、 究極的な結果なのかもしれないが、 現に人間とは、 帰納的な存在である。 人間とは個別的、特殊的なものである。 つまり「舐達麻」が人気なのは、 帰納的な世界になっている表象である。 しかしそれ自体も個別的・特殊的であり。 現在においての人気という概念も、 マイクロポップなものなのである。 例えば明日学校や会社に行って、 「舐達麻ってめっちゃ人気ら��いで!!!」 と会話しても、 誰も知らないというのが、 現在の世界の現実である。 それが良いのか悪いのか、 善なのか悪なのか、 それもまた個別的、特殊的である。 ただただそうなのである。 美学者母
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txtmatango · 4 years
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文学のために――緊急事態をやり過ごすために(吉岡友治 著述家)
●死者の婚礼
岡真理は、同じ論考の中でパレスチナの作家イブラーヒーム・ナスラッラーの小説『アーミナの縁結び』にも触れている。アーミナは、毎日、縁結びに必死な女性だ。「今は結婚式などしている場合じゃないと言いたいのでしょう、でも、いったいいつまで待てばいいの? 今だからこそ、私たちは結婚して、子どもを創らなくちゃいけないのよ」と。
 しかし、縁談を持ちかけられた者はみな困惑する。なぜなら、彼女が結婚させようとする者はすでに殺されているからだ。日常的な暴力行為のなかで、アーミナは精神がおかしくなり、死者たちの婚礼を執り行おうとしているのだ。
 だが、簡単に命を奪われる現実は、果たして我々が生きるべき現実なのだろうか? 我々は結婚して、子供を作って、社会を存続させていかなければならない。たとえ、彼らが、すでに死んでいたとしても……。この確信や願いの方が、人間を殺したり殺されたりする現実より価値がない、と言うことはできない。
 そういえば、『続明暗』の作者水村美苗氏は、ある講演で「3.11の東日本大震災が起こったことを、あなたはどう思いますか?」と聞かれて、「私はその震災が起こったとき『嵐が丘』を読みました。それ以上に語ることはありません」と答えていた。質問者は「あれほどの大震災に対して、文学者として何の感想も持てないのか?」と憤っていたが、彼女は間違っていない。  地震や津波は人間の都合に関係なく起こり、良い人も悪い人も一緒に押し流す。しかし、災害に遭った人間はそうではない。「なぜ、私がこういう目に遭わなくてはならないのか?」「何が悪かったのか?」と、必ず原因や理由を追い求め、何らかの人間的な物語で意味づけようとする。実際、3.11の後には「地震は日本に対する天罰だ」と主張するバカ者が出てきて、それに同調する宗教学者さえいた。
 もちろん、非情な自然は人間のたわごとに顧慮などしない。そんな状況に対して、無力な人間が嘆き、ある者は、その嘆きを抑えようと「天罰だ」と説教する。ただ、そんな疑問も説教も、時間の中で風化して忘れられる。人間は生きる意味を見つけようとして見つけられず、そのうちに否応なく死んでいく存在なのだ。そんな不条理の中で、正気を保つためにはどうするか? 『嵐が丘』を必死に読み返していたのは、異常なる状況の中で、愛とか恋とか、人間的な視点を保ち続けるためだったような気がする。
<中略>
●休校で『肉体の悪魔』を思い出す
 だが、私が今度のコロナ禍で、自分が若いときに読んだ物語の中で、事情が一番似ていると思えたのは、レイモン・ラディゲの『肉体の悪魔』Le Diable au Corpsだった。これは第一次大戦が勃発して、学校が全面的に休みになる中、まだ15歳の主人公が人妻マルトと恋愛したあげくに妊娠させるという物語だ。最後はマルトが出産で死んで終わる。自分が今15歳で、突然学校に行かなくてもよくなるという状況になったら、夢見るのは、こういう事件が起こってくれることだろう。
 実際、毎夜私は運動のため、公園に散歩に行くのだが、スケートボードに興じたり大声で話したり奇声を上げたり、若者たちのエネルギーは凄まじいばかりで、ほとんど取り憑かれたように動きまくる。いつもは、こんな活動は学校という制度に取り囲まれて見えないようになっているのだろう。それが突然、眼前に出てくるので、妙に感心してしまう。
 そういえば、マグロはつねに泳いでいないと、酸素を取り入れられずに死んでしまうらしいが、ちょうどそのように、夜の公園にたむろしている若者たちも、つねに動いていないと精神的に死んでしまうのかもしれない。
 そもそも脳は運動の制御から発達したとも言われる。たとえば、ホヤは幼生の時に、浮遊生活を送るので小さな脳を持っているらしい。しかし、成体になって、岩などに固着すると、もう脳は必要なくなる。それで、ホヤは自分の脳を食べてしまうらしい。大人になって、どこかに定着すると、もう考えることもなくなってしまうのだ。そんな風なことをつらつら考えれば、つねに動いていることで、若者達が脳を活性化させ成長させ、それを嘆く大人たちの脳の方が退化しているということも、十分ありそうなことだ。
 戦争にしろ、疫病の流行にしろ、いつもの生活が出来なくなったときに、誰かと関係したり好きになったり、とにかく身辺をつねに騒がしく動かしていることが、人間の成長にとっては必要なのかもしれない。自分にはどうにもコントロールできない、そういう衝動を、ラディゲはDiable悪魔と呼んだだけなのだろう。
 Diableを別な風に呼ぶと、ダイモーンδαιμῶν神霊である。ギリシアの哲人ソクラテスは、しばしばダイモーンの声を聞いて、雷に打たれたように立ち止まって、何時間も考えたとか。とするなら、若者たちも、自分の意識や意志を超えた何らかのものの声を聞いて行動しているのかもしれない。たとえ、それが大人たちの眼から見て、バカバカしかったり危険だったりしても、それをしないと先に進めないものなのかもしれない。
 この自粛ムード一辺倒の風潮の背後で、若者たちが、そんな活動にせっせ励んでいるのか、と想像すると、夜の木々の間に響く彼らの奇声も、小鳥の楽しげな鳴き声のようにも聞こえてこないでもない。そんなわけで、文学のおかげで、私は現在の日々をけっこう楽しんでいる。きっと、物語を楽しむ習慣にない人は、そういう快楽を持てないし、「実学」とかうるさく主張していた人々はとことん退屈しているのだろう。そう考えれば、現在のコロナ禍は、私にとっては、日頃のくさくさした気分をすっきり晴らし、見通しをよくしてくれる希有な時間になっているかもしれない。
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2018年度の反省→2019年度の目標設定
2019/03/15(Fri.)
IAMASを卒業してから1年目の2017年度は「とにかく活動する」を目標に設定し、展覧会の開催やパフォーマンスの機会などの活動を通して目標を達成できました。2年目となった昨年の2018年度は、目標として「1)新作を作る、2)パフォーマンスを頑張る」を掲げていました。
1)新作を作るについて、2017年度はIAMASで制作した作品を中心に活動したので、1年間で新しい作品を作ることはありませんでした。作ったものは滑琴というスケートボードとエレキギターを合体させた楽���の習作くらいです。そこで2018年度は新しい動機に基づいた新作として、NB-606という作品を作りました。この作品は音楽の世界で曖昧な言葉となっている「グルーヴ」を自分なりに定義しようとする試みでした。他にもパフォーマンス作品の習作として、学内ワークショップの中で自分以外のパフォーマーが演奏する試みとして「The Deal」や時間感覚のズレとコントロールを意識した「Spending Time Together(同じ時を過ごす)」シリーズを制作しました。これらの新作はまだ完成には遠いですが、人に見せられる程度にはアップデートできました。
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▲NB-606
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▲The Deal
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▲Spending Time Together
2)パフォーマンスを頑張るとは、2017年に修士作品のパフォーマンスをいろんな場所で展開するうちに、いつも同じようなパフォーマンスになっていることに気づきました。修士作品では楽器同士を組み合わせることで複雑な音響システムを即興的に構築して、演奏者自身も先が読めないパフォーマンスが特徴でした。しかし、ライブの遠征などで持参できる道具の数も限られる中で、次第にパフォーマンスで使う道具や展開も自分が自信を持って見せられるものに限定され、画一的なパフォーマンスになってしまいました。そこでパフォーマンスのマンネリ化を抜け出すべく、最も自信がある楽器であった「ぼくのDTM」というプラレールを使った楽器を使わないことにしました。 またパフォーマンスのシステムに自作楽器だけでなく、現場の環境も利用する意識に変わっていきました。これは梅田哲也さんなどのサウンドアーティストたちによる空間をハックする態度を参考にしました。現場の環境も音響システムの一部として意識するうちに「野外パフォーマンス」に興味を持ちました。京都の街では路上でパフォーマンスが行われています。彼らのパフォーマンスを見ていると、もしも「僕だったらどんなパフォーマンスをするか」「野外空間でないと実現できないパフォーマンスとは何か」を考えるようになりました。そんな時に大阪のギャラリーportから声をかけていただき、野外パフォーマンスのイベントPARADE※1に出演しました。野外で可能なパフォーマンスを考えている中で、水や雨を電子楽器の電極につなぐことで擬似的な可変抵抗器が作れることに気づき、電子楽器の電極として日常品の金属(例えば空き缶)を使うパフォーマンスを考案しました。野外パフォーマンスについて考える中で、修士作品のようなパフォーマンスとは異なった形態のパフォーマンスを考案できたことは幸運でした。 こうしたことから2018年度も目標を達成できたと言えるでしょう。
2019年度は京都に来て3年が経ち、助手としての契約任期も切れるので、次のキャリアに向かって何か結果が欲しいところです。そこで今年の目標は「1)目に見える実績、2)旧作のアップデート、3)Youtubeに動画を50個投稿する」」を掲げます。 1)目に見える実績とは、論文の執筆やコンペの受賞、公募の採択など何かの競争的なフィールドで結果を出すということです。今後、教育的な現場に進む場合にも、研究実績が必要になりますし、作家として活動する場合にもそろそろ実績を出さないと苦しくなりそうな気がしています。あまり僕らしい目標の立て方ではありませんが、現実的なことを考えてのことです。 2)旧作のアップデートとは、学生時代に制作した作品をキチンと発表するということです。例えば、プラレールを使った楽器「ぼくのDTM」はセロハンテープなどで仮組みした状態なので、ライブでの繰り返しの使用に耐えられない強度です。またラジカセのヒスノイズの除去なども改良できるポイントはたくさんあります。こうした旧作をアップデートして作品としてのクオリティを上げることをしたいです。旧作の候補として、ぼくのDTMや滑琴、Violinsect、発電楽器を改良したいです。 3)Youtubeに作品やパフォーマンスの動画を挙げて3年になります。最近では動画編集ソフトの使い方にも慣れてきて少し高度な編集ができるようになったり、編集速度の早くなりました。映像作品ではなく公開と記録を目的としたYoutubeでの映像の投稿ですが、続けているうちにコストをかけずに多くの人に作品や活動を見てもらえる点が強みだと気付きました。もちろんライブやギャラリーでの展示の場に来ていただいて見てもらえることも重要ですが、見せる側も観る側もコストをかけずに手軽に見られるというアドバンテージは活かしていきたいです。そこで来年は「1週間に1動画アップロード」をモットーに、1年間で50個の動画を挙げます。
全体的に志が高すぎる気もしますが、のんびり頑張ります〜
1.PARADE 大阪・此花地区のギャラリーカフェportで定期的に開催されていた野外パフォーマンスのイベント http://shikanjima-port.jp/event_detail.php?id=105
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arsemard · 7 years
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Dennis Lyxzén interview politics 1/3 | This town ain’t big enough for any of us >
Post about Dennis Lyxzén interview politics written by dayafterdaydc
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デニス・リクセゼンに過去の偉大なるフューチャーパンクバンド、Refusedが成し遂げた最大の功績は何かを尋ねればこう答えてくれる。
「このバンドの最大の功績は、93~97年の間、ひたすらツアーを繰り返して、スウェーデンにおいてバンドムーブメントを作り上げたことだ。それ以来今もシーンはアクティブだよ。それが成し遂げたことで一番でかいことだと思う。僕らはあの当時スウェーデンで、多くの人々にとって意味のあることをどうにかやり遂げたんだ。95~96年に回った”Songs to Fan the Flames of Discontent”(2ndアルバム)でのツアーはマジで凄かった。本当に多くの人がやってきて、そこに存在したんだ。それで俺たちは新しいものを作り上げていった。Refusedだけじゃなく、周りの多くの友達も含めてみんなでそういう大きなハードコアシーンを90年代のスウェーデンにおいて作り上げたんだ。
ツアーで回ったあらゆる都市で人々が姿を現した。めちゃくちゃクールだったよ。俺たちは現実に何かを作り上げたんだ。それから15年後、ニューヨークのデカい箱で、2日連続で5000人を前にライブをすることになるなんてね。」
***
2014年3月、Refusedのリユニオンライブ(2012年)から2年、そしてRefusedの結成から約四半世紀が経った今、フロントマンのデニス・リクセゼンはRefusedとは似ても似つかないバンド、INVSNを引き連れて再びここワシントンD.C.にやって来た。INVSNはサウンド的に近いバンドとしてthe Cureが挙げられるだろうか。
Refusedスタイルのパンク・メタルしか聴かない人にとっては、INVSNのサウンドはキラキラし過ぎているかもしれないが、2013年にリリースされたセルフタイトルのアルバムは、まるで義務かのように何度も繰り返し聴かせるような中毒性を持ち、私の中で着実に大きな存在になっていった。INVSNは忘れがたいフックで満たしたピュアポップを繰り出す。ミニマルでダーク、キラリと光る宝石のような曲は、ReplacementsやTom Pettyといった職人たちを彷彿とさせつつ、Joy Divisonなどの80’s サウンドを最も強く感じさせる。
DCでのショーは約30~50人といった入りだったが、リクセゼンは依然としてファンタスティックなロックンロールフロントマンであり、シンガーとしても素晴らしかった。オーディエンスはみな満足していた。
今回このインタビューでは、”親密な関係を築く”といった私のジャーナリスティックな戦略が思いがけず功を奏し、デニスに1時間以上のロングインタビューを行うことができた。私たちは、人間の性、資本主義、中年パンクスになること、幼少時代の話からInside Out、Fugazi、そして”予期していなかったこと、なりたくなかったもの、絶対になりたくなかったものに人生が引きずり込まれていくということ”について、率直に話をした。
***
・クラシック(と言われる名盤)は、古びていくのでしょうか?
いや、古びない。だからこそクラシックと言われるんじゃないかな。つまり、僕たちは”古びる”と言ったけど、人々がThe ClashやMinor Threat、Neil Youngとかに立ち返り続ける理由は、それらに時代を超越するものがあるからだと思う。とはいえ(あらゆる作品は)時間が経つにつれて文化的な重要性は間違いなく減衰していくとは思う。それでもなお残り続けるものがクラシックと言われる所以だね。
(この質問は、Refusedの3rdアルバム”The Shape of Punk to Come”��冒頭のスポークンワードからの引用。『クラシックは古びることはないと言われるけど、そんなことはない、古びていくんだ。まあでも、まさか俺たちも古くさくなっていくとは考えてもいなかったよ…』と言ってこのアルバムは始まる。)
・ということはクラシックは古びない?
古びるものもあるってことだ。面白いよね。あれは批評家や知識人への言及で、あいつらが「これはUK発の過去最高なバンドだ!」とか騒いでも、その2年後には完全に忘れ去られてたりする。常に新しいエキサイティングなものを探し続けるってメンタリティだ。でも本物の名盤っていうのは、長い時間をかけてゆっくりと一人でに画期的な作品になっていくものだ。Refusedっていうのはそういうアホみたいに大胆な声明でもあって ー ミュージアムを燃やしたりとかそんなことばかり話してたけど(笑)、ああいうことでロックの伝統を拒否しようとしたんだ。
バクニニスト的なアイデア ー「何かを作り出すためにまず破壊しなければならない」ってやつだ。あれは僕にとって多くのインスピレーションになった。「今あるものはクソだからぶち壊して新しいものを作る」っていうメンタリティは、今も完全にロックンロールのクリシェになってるよね。
(バクニニストとは、ロシアの哲学者バクーニン主義者のこと。近代の政治・思想史で最もラジカルなアナキズムの提唱者と言われる。)
・「クラシックは古びるものか」といった(過去の作品に言及した)質問をされるのは嫌いですか?
いや、そんなことないよ。実際初めて聞かれたことだしね。インタビューで嫌なのは「新作はどういった感じですか?」っていう類だね。あれは本当にムカつくよ…せめて「音源を聴きましたが、私はこう思います」っていうのが礼儀だろう。それくらいだね、嫌な気分になるのは。僕は考えがとても柔軟な方だし(笑)。あまり興味のない質問ならただ思いついたことを言うだけだよ。
・政治家みたいですね。
そうだね。上手いこと言い逃れする。政治家の話し言葉ってまずストレートに答えないだろう。どんな些細なことだろうと責任がついて回るからね。だから常にそういう喋り方ー政治的話法ーで、約束を避けたり、見解を示さなかったりする。僕はスウェーデンではテレビの討論番組にも出たりもするんだ。最近は考えを持ってるポリティカルミュージシャンっていう役割にちょっと疲れてきて、あまり出てないけどね。スウェーデンで受けるインタビューだとだいたい政治について話すしね。そしたら「そんなに政治を語るんだったら政治家になればいい」って言われる。『政治を語るのは、まさしく僕が政治家じゃないからこそだろ』っていうね。
僕の政治的な考えや意見は時に非現実的だし、アーティストっていうのはそうあるべきだとも思ってる。これだけ世界が複雑かつ分断されていれば、政治家としていいアイデアがあったとしても、結局それは妥協の産物にしかならない。ミュージシャン、アーティストとしての僕が目指すものはとてつもなく過大なものだ。僕の目的は見当違いな(くらい大きな)ことを言って、人々に考えるきっかけを作ることなんだ。だから、必要とあれば…
・主張を変えることもある?
そうだね。そういう(柔軟な)部分はアーティストの長所だと思う。アイデアが100%考え抜かれたものである必要はないし、アクションプランまで示さなければならないなんてこともない。ただのアイデアだからね。僕が音楽を好きな理由、音楽やアート、文字となった言葉のパワーに魅かれる理由はそこなんだ。「俺の言いたい事はこれだ」ってわざわざ説明する必要もないし、アーティスティクな表現だからね。多少大げさに言った方がいいんだと思う。
・つまり、社会におけるあなたの役割は、現実主義者ではなくアイデアリスト(理想主義者)ということですか。
そうだね。理想主義者でもあるけど、それ以上にミュージシャンとして人々に勇気やインスピレーションを与える存在��いることだ。というのは、僕自身何かを見たり読んだりして、自分自身に気づきを得たり、なんとか上手くやっていく方法とかそういうアイデアの種を見つけることが好きなんだ。そしてそれはアーティストの役目だと思ってる。
そう、僕は理想主義者だけど、実生活では現実主義者でもある。どういう風に物事が進んでいくかを知っている。でも自分のアートに限って言えば、常にオープンでいて「なんでもできる」っていう気持ちでいなきゃダメだ。僕がパンクロックから学んだことはこれだ。なんだってできる。どうして自分に限界を作る?なんだってできるんだ。
・“Hats off to hatred”(憎しみに敬意を)というあなたのリリックからはRage Against The Machine(以下RATM)の”Anger is a gift”(怒りは賜物)というリリックを連想しました。そこで聞きますが、RATMは好きですか?そしてもう一つ、このリリックには”Anger is a gift”と同じような感情がありますか?
RATMが現れたのは事件だったね。実は1stアルバムが出てすぐに彼らを見に行ったんだ。Inside Outのザックがいるからってだけでね。Inside Outはもうめちゃくちゃ好きで、Refusedみんなのフェイバリットだった。バンドでコピーもしてたしね。それでみんなでストックホルムまでRATMを見に行ったんだ。客は45人くらいだったと思う。そこで僕らはみんなハードコアのシャツを着てたから「お前らハードコアキッズか」って言われて、彼らと一晩中ハングアウトした。その三ヶ月後に彼らは世界一のバンドになってたね。だから彼らのことは追ったよ。彼らが出てきたのはRefusedを結成してすぐの頃だった。僕たちは別にRATMみたいになるつもりはなかったけど「メインストリームのバンドであれだけラディカルに政治に言及してて、シーンまで作ってる。マジかよ」とは思ったね。彼らの音楽が100%良いとも思えなかったけど、それでも何曲かはすごいと思ったし、リリックにも素晴らしいものがあった。
だから(INVSNの)あの曲には同じような感情があると思う。アウトサイダーや変人、または疎外されたと思って育ってきた人ー僕みたいな人間は、そういうネガティブなエネルギーや憎しみを抱えてきた。教師、大人世代の人間、自分の周りの奴らやクソジョックス、いじめてくる奴ら、とにかく全員を憎んでいたからね。僕はそういうエネルギーを原動力にしてバンドを始めた。そういうエネルギーをクリエイティブなもの、ポジティブなものへ注ごうと思ってね。屈折した形の復讐だ。誰も僕を信用してくれないし、学校でも人気のある方ではなかった。女の子にもモテなかったしね。頭のおかしい奴だと思われていたんだ。
・味方は誰もいなかったということですか?
みんな「こいつはマジで狂ってる」って感じで僕を扱ってたからね。それでそういう(負の)エネルギーを何かクリエイティブで最終的にポジティブなものに転換させることにした。それが大きかった。あのリリックで書いた”憎しみ”というものが、今の自分という人間を形作ったと言える。僕は全然憎しみに満ち溢れた方じゃないし、むしろ正反対でかなり呑気な性格だけど、人格形成期だったあの頃に今の自分の基礎が作られたから、(自分を)いじめる奴がいたことには感謝してる。そういうクソな経験をしなければならなかったことに感謝してるし、そういう経験の積み重ねがこういう人格を形成した。僕は強い人間でいる必要があったし、「誰にも従わない」って感じだった。なんといっても学校では周囲からの同調圧力がとても強かったからね。そういう圧力には絶対に屈しなかった。それが生涯を通じて己の道を行くっていう自分を作ったんだ。この曲を書きたかったのは、多くの人がこういう「あいつらめ、ふざけんな。見とけよ」っていう感情を認めることに繋がればと思ったからだ。それでもし君が何かクリエイティブなことにそういう力を切り替えることができたなら、それはとても素晴らしいことだと思うんだ。
・周りに合わせることはしなかったということですか。
絶対にしなかった。俺は群れる奴らが大嫌いだったし、それは今もだね。子供の頃はずっと一人で、一人遊びをして育ったんだ。それに小さい頃から男グループのノリっていうのが肌に合わなかった。男根主義的な社会構造っていうのはこの世で最悪な考え方だと思う。男たちが一緒になって奇声を上げているのとか、そういうのは本当に気が滅入るしね。今でもアレルギーだよ。学校の頃はずっとそういうのに我慢できなくて、それが今の僕を作った。まあ僕は男だけどね(笑)。こんな感じで育って、小さい頃から普通とは違う感じでそれが今の自分になったんだ。それにはとても感謝してる。
・それでも少しは友達がいたのではないですか?
あんまりいなかったね(笑)。どうだったかな。12~13歳くらいに本気で音楽にハマりだしたんだけど、それまではほとんど一人だった。12、13歳でデヴィッドボウイにハマって、ビートルズも聴いていた。クラスのみんなはAC/DCとかを聴いてたから、変わった奴だったね。それからヘビーメタルにハマりだして、ついに誰もついてこれないくらいめちゃくちゃのめり込んだんだ。それから自分と同じくらいのめり込んでる奴を見つけてね。彼とは今でも友達だ。最近まで一緒にAC4っていうハードコアバンドを組んでいたんだ。だから彼が初めてできた本当の友達かな。14、15歳の頃だった。
実はクラスにも一人友達がいたな。ギターが弾ける唯一の奴で「君は友達だ、ギターが弾けるんだろ、一緒に音楽をやろうぜ」って感じで誘ったんだ。僕は楽器は全然弾けなかったけど彼はできたからね。彼にはパンクロッカーになるように強要した。それで15歳のときかな、87年に一緒にパンクバンドを始めたんだ。そしたらある日、彼はボタンダウンのシャツに、ピアスも外して、髪も切って練習場所に現れてね。「どうしたんだ?」って聞くと「父親がもうパンクは辞めろって。パンクじゃなくなったら車を買ってやると言われた」と答えてね。それでバンドは解散した。あれはキツかった。
それから僕たちは89年に初めて本当のハードコアバンド(Step Forward)を結成した。僕とドラムのJensで、スケートボードとかヘビーメタルをやってる奴らに会って声をかけたんだ。「ハードコアバンドを始めたいから、入ってほしい」ってね。それで彼らにハードコアを聴かせるようになって、バンドでプレイしてもらうようになった。
そしてRefusedを結成する頃には、僕らと周りの友達を含めた小さなパンクシーンができた。僕は当時20とか21だったんだけど、その頃にいきなり初めて自分の属するコミュニティっていうものができたんだ。大きなグループの一員で、みんな自分と同じ物にのめり込んでる仲間っていうね。だからとても変な人生だと思うよ。僕はとても社交的な人間で、人と付き合うのが好きな方なのに、長いことそうはならなかったからね。いろんな友達をハードコアにハマらせようとしたよ、ストレートエッジを強要したりね(笑)。「よくわかんない」とか言ってる奴らには「おい、俺らはストレートエッジにならなきゃダメだろ」とか言ってね。そいつらは「いやよくわかんないけど」って感じだったけどね(笑)
・あなたの両親はどう思っていたのでしょうか?
両親は僕を最初から変わってる子供だと思ってたね。僕が音楽にハマりだした時、彼らは「そういう時期なんだろう」って感じだったし、僕がモヒカンにしたりキラーブーツを履いても「そういう時期なんだろう」って感じだったんだけど、ある日学校から帰ってきて、急に「ベジタリアンになる、俺はストレートエッジだ」って言ったら、そこで初めて「一体どういうことだ?」ってなってね。Refusedでツアーに行くとなった時にはとても心配していたよ。「音楽をやるのは構わんが、ちゃんとした仕事を見つけるべきだ。永遠にそんなことを続けるわけにはいかないんだ。」と言われたよ。
それがある日突然応援してくれるようになった。ライブにもたくさん来てくれてね。父はINVSNとRefusedのシャツも持ってるし、いつもサポートしてくれてる。僕には弟が二人いるんだけど、二人ともバンドをやってて、10歳も年の離れてる方はほとんど僕と同じことをしているよ。彼はINVSNのヨーロッパツアーの時にサウンドマンもやってくれた。彼もパンクバンドを組んでて、スタジオも持ってるんだ。だから僕とかなり似たような生き方をしてるんだけど、両親はとても協力的だね。そうなるにはしばらく時間がかかったけどね。
父はワーキングクラスの人間だから、彼にとって成功っていうのはつまり金なんだ。「成功すればいい車、いい家を買えるだろう」っていう感じでね。長いこと理解してくれなかったよ。「お前はヒット曲を書け」って言われたりね(笑)
僕は「人生はそうじゃない。人生すべてがひとつのアートで、プロジェクトみたいなものなんだ」とか言っても「でも全然稼いでないだろ!」って言われる。僕は「稼ぎは関係ない。フリーエージェントみたいな生き方で、したいことをなんでもするんだ。」って感じだ。今はそれをとりあえずは受け入れてくれたよ。でもRefusedを再結成したときにちょっとした金が入ったことがあって、その時父は「イエス!」ってハッピーになってたけどね(笑)
・Refusedがまだ現役だった頃のあなたの言葉に「バンドはいつだって限界まで努力するべきだ」というものがありました。私はこれをとても気に入っているのですが、INVSNでもそうしていますか?そして今もこの言葉を真剣に捉えていますか?
ああ、今もそうしてる。これは音楽の境界線を壊すために前衛的なフリージャズプレイヤーのようになるとか、そういう音楽的な話ではないしそっちに興味はないんだ。興味があるのは常に、自分たちのできること、成し遂げられることを把握するために努力するってことだ。今までやってきたどのバンドでも僕はトライし続けてきたし、僕にとっては常に新しいものに挑戦してきた。つまり僕がパワーポップバンド(Lost Patrol Band)をやったのはパワーポップの曲を書けるかどうか試したかったからだ。あれがINVSNの前身だった。しばらくパワーポップもやって、Noise Conspiracyもやった。
INVSNを聴いて「これは新しい、画期的だ」とは誰も思わないだろう。でもプレイスタイルが違う。とても簡潔なんだ。多くのことはしない。フィルもなし、ギターソロもなし。いじくり回すこともない。「弾くのはコード二つ、この曲ではそれだけ。」っていう感じで、そこがチャレンジなんだ。歌い方やリリックにしても、絶えず創造的に自分自身を駆り立てること。それが僕のメインとなる目標だ。
もしも「よし、今まで誰もやったことのないことしかやらないぞ」っていう風にバンドを始めたとしたら、ただ最悪な結果にしかならないと思う。クソみたいなサウンドになるね(笑)。そうじゃなくて、自分自身を駆り立てること。今までよりうまく歌う。バンドの全体的なアイデアとしては、僕は今も自分を駆り立てようとしてるんだ。何かにトライしてたとえ上手くいかなかったとしても、それがどうした。じゃあ次はこうするぞっていうだけだ。僕のキャリアを追えばわかるだろうけど、同じ様に聞こえるレコードを2枚と作ったことはない。似たような傾向で、Noise Conspiracyでは以前やったことに改良を加えていく感じではあったけどね。INVSNも同じような感じだと思ってる。次のレコードは今やってることにもっと近くなるだろうけど、より改良を加え、自分自身を更に駆り立て続けるんだ。
・ワシントンD.C.での良い思い出は何ですか?それからイアン・マッケイと会ったことはありますか?
彼とは何度も会ったことがあるよ。ずっと昔にイアン・マッケイに初めて会った時のエピソードは気に入っててね。1991年、僕とDavid(Refusedのドラム)と、友達みんなでイェベレまでFUGAZIのショーを見に行ったんだ。カフェQっていう場所でライブをしてて、多分客は50人くらいだったと思う。それが普通だって僕たちは知らなくてね。FUGAZIのショーにたった50人?しかもそのうち20人はウーメアから来た自分たちだ。それで僕らはいつもウーメアでやってるようなことーステージまで駆け上がったり、マイクを掴んでFUGAZIの曲をシンガロングしたりしたんだ。それでショーが終わってから、楽屋に行ったことを覚えてる。Refusedの1stデモを持ってたから92年だったかもしれない。それで楽屋まで行ったとき、僕はもうビビり声になりながら「ヘイ、僕たちウーメアから来たRefusedってバンドで…」って入っていってね。そしたら皆フレンドリーに「ヘイ、元気か?」って言われて呆気にとられたよ。それで”あそこにイアンがいる!”と思ってまたビビりながら「スケートはまだしてるの?」って聞いたら彼は「ああ、たまにね」って返してくれた。それで僕は「本当ですか!」って言ってそのまま出ていったんだ。彼に初めて会ったのはその時だ。それからも何度も会ってるね。地元ウーメアでFugaziのオープニングアクトにNoise Comspiracyで出たこともあったね。もう僕にとっては一大事だったよ。彼はいつだってナイスガイだね。会う時はいつも感銘を与えてくれる。彼は「ヘイ、デニス。元気かい?」って感じだけど、僕は「マジかよ!」っていうね。
D.C.にも何度も来てるよ。こっちには友達もたくさんいる。RefusedはFrodusとBatteryのメンバーとも対バンしたんだ。Damnation AD(Batteryのギタリストが在籍するバンド)なんかとね。とにかく知り合いがたくさんいるし、クールな所だよ。たくさんの歴史があるしね。Discord Records周辺の現象にはとてもインスパイアされて、友達と一緒にバンドをスタートさせるきっかけをもらった。僕はNy Våg Recordsっていうレーベルもやってるんだけど、ローカルバンドしかリリースしないんだ。ローカルシーンしかサポートしない。これはDischordと同じアイデアだ。もし君の地元にローカルシーンが存在しているのなら、大切にして、育てて、記録していく必要があるんだ。
(パート2に続く)
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napouih · 5 years
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この新生と刺激的な場面を支えるものを説明するために長い道のりを行くジェスチャーです
いくつかのウェアの軸は、teesとオンラインセラミックス、すべての多かれ少なかれTシャツブランドアーティストのミュージシャンのデザイナーの断面によって形成された、街に存在する。彼らが進歩的な政治的理想を表現する方法としてこの最も基本的な衣服を使っているので、彼らは興奮しています、しかし、彼らがクーリエが最もすばらしい絹とサタンに接近する電気的な創造力でこの衣服に接近するので、彼らもまた。「Tシャツの単純な形が耐えることができるので、私は多くの複雑さと内容を持っていようとします」と、来られたteesのsonya sombreuilは説明します。それは、���体の場面のために同様に立つかもしれない何かです。私は自分自身を主にイメージメーカーであると考えます。「彼女は続けます」、そして、私のイメージは私の手(私の著者)を含みます。この制限のために、私は考え、テクニックと参照をできるだけ微妙に保つよう努めます
これらのLAラベルがしていることに否定できないファッションクラフトがあります。 シュプリームの通販・フリマはメルカリそして、それは「レギュラー」ファッション産業が彼らに注意を払った理由です、しかし、産業は他の方法ラウンドよりむしろ彼らに来ました。彼らは自己表現と自家製のDIY Artsynessを支持します-彼らはパンクルーツと新しい年齢純度を持ちます。オンラインセラミクスによる「誠実さと創造性」は一体何であり、それらを駆動します。「私たちはみんな、自分たちのことをして、自分たちとしてファッション界に受け入れられているんです」
グレイトフルデッドの周りに形成されたコミュニティに触発さサイケデリックタイ染料Tシャツのメーカーは、オンラインのセラミックは、彼らがファッションレーベルと同じくらい多くのアートプロジェクトを行う参照してください。 これらのブランドのルーツから、DIY Punk世界の多くの春。彼らは、それから生じる政治的なトスを持っています。彼ら自身のものは進歩的で、純粋で、包括的です。いくつかのウェアは、例えば、すべての体、すべての性別のための作業の目的で衣服を設計している。いくつかのウェアの政治を示す彼らの最近の選挙改革プロジェクトは、遊び心のないトレメーンエモリーで作成された、彼らは投票を鋳造の証明と引き換えに無料のティーを提供することによって、ストリートウェアのファンが出て投票することを奨励する。
それは、この新生と刺激的な場面を支えるものを説明するために長い道のりを行くジェスチャーです。これらのブランドの成功は、伝統的なファッションの軌道の外側に存在するにもかかわらず、どのようにファッションが変化しているかを示すために何らかの方法で行く。または少なくとも、変更のための食欲がある。
ナイジェリア初のスケートクルーはまだ謎に包まれているが、彼らはスケートボードの喜びを190万人の国に広めている。 「これらのすべての歴史的な構造は崩壊しています」と、Sonyaは説明します。 シュプリーム スーパーコピー 「ファッションシーズン、レンガとモルタル店、アメリカの市場...私の好きな瞬間は、地下からの誰かがハイファッションの頂点で動くようになるときです。
最高の最新のコレクションは、後半の偉大なビジュアルアーティストマイクケリー、実験的なプロトパンクバンドの創設メンバーのすべての怪物と定期的なソニックユースの協力者を破壊する作品を備えています。
ケリー(その人は57才で2012年に死にました)は定期的に彼の世代の最も重要なアーティストの1人として正確に述べられます。パフォーマンス、彫刻、図面、およびメディアのインストールを通じて、しばしば捨てられたオブジェクトを使用して作業、彼の芸術は、影響を受けた十代の嘆願の感覚を持っていた。ケリーの仕事は、文化的な規範への皮肉な挑戦でした。しかし、彼が作ったすべては、しかし、遊び心と素朴な外見-巨大なボールは、天井からぶら下がって柔らかいおもちゃを縫い合わせ、ゴミの粗い図面-複雑な哲学的探査で階層化された。彼は無邪気さと経験の極性を掘り下げ、清潔さと汚物のアイデアを質問した。
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chouchoudays4 · 6 years
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(500) Days of Summer (2009)
これずっと気になってたんだけどもう公開してから10年近く経ってたんだねびっくり。サマーすっごく可愛かったけど、どうして結婚するほどの彼氏がいたのにトムに思わせぶりとも取れる振る舞いをしたんだろう。宙ぶらりんになってるトムがちょっとかわいそうだった。でもそういうところがサマーの魅力で、それがサマーの大学時代のアルバイト先で売上が伸びたり、不動産屋がサマーに安くマンションを貸してくれたりする所以でもあるんだろうなと思った。それにサマーの、恋愛をして彼氏だの彼女だのレッテルを貼ったりめんどくさいことはしたくないっていう気持ちもわかる。
この映画の代名詞的なIKEAで新婚さんごっこするシーンの二人はやっぱり可愛かった。
Romeo + Juliete (1996)
完璧にレオ目当て。やっぱりありえないほど格好良かった。今のレオナルドディカプリオも格好良いけど、この90年代のレオは世界で一番格好いいと思う。
中学の時に一年かけてロミオとジュリエットのシェイクスピアの原作を読むっていう授業をとってて、その授業の中で1968年版の映画を観たんだけど、それとは全然趣が違ってびっくりした。キャピュレットとモンテギューの抗争シーンとか、ギャグ映画みたいで飽きそうだったけど、レオが格好良かったからオールオッケー。家の対立がマフィアの対立に置き換えられてたりするのに、ロミオあなたはなぜロミオなののシーンとか、ジュリエットの家のベランダの壁をよじ登って名残惜しむシーンとかティボルトを殺しちゃうシーンとかはきちんと原作に沿ってて、かつセリフが微妙に古典的で美しいのがなんでだか面白かった。
本当に悲劇の物語だよねロミオとジュリエットは。あとほんの少し郵便屋さんが早く着くかロミオが遅く出発するかしてればあんなことにならずに済んだのにね。だけどああいうほんの少しのタイミングのずれによって起こる悲劇って意外に現実にもあるんじゃないかと思うから怖いね。
The Theory of Everything (博士と彼女のセオリー, 2014)
スティーブンホーキング博士と妻の話。エディレッドメインの演技がすごかった。なんか、最後の方小室哲哉さんのことを思い出してしま��た。いくら愛していたって介護に育児に一人でできるわけなくて限界があって、それで相談できる人や頼れる人を見つけて親しい関係になったとしても誰がそれを責める権利があろうか。ジェーンのI have loved youという言葉に嘘は1ミリもなかったと思う。矛盾しているようだけど、全く矛盾してない。ジェーンはジョナサンと恋に落ちたけど、同時にスティーブンのことも愛してた。ジェーンは強かったし、スティーブンは優しかった。こういうことを責める権利なんて誰にもないと思う。
スティーブンが声が出せなくなってボードで会話しなくちゃいけなくなった時の、ジェーンの悲しみや切なさに溢れてるけど覚悟を決めて前を向こうとするような顔が印象的で忘れられない。あと大学時代の二人の夜の野外パーティーのシーンがすごく素敵だった。
これを観た次の日にホーキング博士が亡くなったっていうニュースが飛び込んできた。なんて事ない偶然だけど、私は単純だから何か感じちゃう。ホーキング博士は何でかは分からないけどこれからもずっと生きていける人だと思ってた。ホーキング博士についてそれほど知っていたわけではないけど、ALSを抱えながらも精力的に活動されていてユーモアを忘れなかった彼は本当にすごい人だなと思う。どうか天国で楽しく過ごせていますように。彼は無神論者だから天国も地獄も信じなかったみたいだけれど。
La La Land (2016)
これは本当に映画館で観るべきだった作品。どの場面も色彩が豊かで、ちょっと映ってる程度の人の靴の色みたいな細かいところまですごく考えられて作られたんだろうなって思った。オープニングは圧巻。家のテレビで一人でみてたけど、自然と拍手しちゃうほど。丘の上で二人がタップダンスするところも。ひとつひとつのカットがすごくきれいで、全ての動作が音楽とマッチしててリズミカルで、そういえば映画って芸術だったなって思った。ほんとにすごい作品だと思う。
ライアン・ゴズリングのピアノ差し替えじゃないんだよね。すごくセクシーだった。エマストーンが歌ってた夢追う人への讃歌みたいな曲も印象的だった。最後二人が結ばれないのは切ないけど、私はミアとセブが見つめあって、ミアが微笑んでセブがうなづくラストは素敵だなと思った。
Stuck in Love (ハッピーエンドが書けるまで, 2012)
観た後すぐに感想書かなかったから忘れちゃった。でもリアナリベラトがひたすら可愛かったのは覚えてる。
Begin Again (はじまりのうた, 2013)
これもなんかコアな感想は忘れちゃったんだけど、街中で演奏して街の生活音もそのまま収録するっていうのすごくいいなと思った。街の音をひたすらとっただけのCDってもうあるのかな?ないなら私がやってみたい。東京の朝の音、とか東京の夜の音とか、ニューヨークの音とかヘルシンキの音、とか。
Ruby Sparks (2012)
これも忘れてしまったけどルビー可愛かった。感想がこんなに短いの、別にいい映画じゃなかったってことじゃないよ、観たのがだいぶ前になっちゃって忘れちゃっただけ。
Palo Alto (パロアルト・スローリー, 2013)
タイタニックの次にお気に入りになった映画。思春期の甘酸っぱさや苦さや、痛々しさが全て詰まった映画だと思う。ジャンルとしてはウォールフラワーとかと同じになると思うんだけど私は断然こっちが好きだった。まず本当に雰囲気がいいの。退廃的な雰囲気と、繊細な雰囲気のバランスがたまらなかった。側から見れば酒やドラッグに溺れて遊び狂ってるようにしか見えない若者たちだけど、個々は痛みや悩みや迷いを抱えてるってことがすごく繊細に描かれてた。若者たちがああやって狂ったように騒ぐのは、若さを持て余してるっていうのもあると思うんだけど、将来が見えない不安さを紛らわしたいっていうことなんじゃないかなと思う。私もお酒飲んでタバコ吸って馬鹿騒ぎしたくなることがあるもん。
あとこの映画が初作品だったジャックキルマー最高だった。一瞬で好きになった。繊細で、若者然としてて、可愛くて、綺麗で、初めてとは思えないくらい演技上手で、たまらない。あのルックスで、スケートボードが好きで絵や音楽が好きで、あの部屋で、あの私服のセンスって恋に落ちるでしょう!!
音楽のセンスも最高だったよね。このシーンでこれ?っていう意外な選曲(ローなシーンにアップテンポな曲、とか)ばっかりだったのになぜかすっごくマッチしてて、観終わった後にこれだけ挿入歌が印象に残ってる映画って初めてかも。サントラ買ったもの。あとこの映画観た後はタバコ吸いたくなるよね。吸わないけどさ。なんでみんなそんなかっこよく吸えるの
あと、メイキングの映像もついてたんだけど、ああやって映画ってできてくんだね。この映画は低予算映画だったみたいだけど、低予算だからこそ作り手のこだわりがしっかり反映されてたんじゃないかなって思ったし、温かさを感じた。私ソフィアコッポラの映画一本も観たことないんだけど、これジアコッポラの作品でしょ、ソフィアコッポラのも観てみようかなって思った。
とにかく好きすぎてレンタル中毎晩観てた。DVD欲しい。あと、ジャックキルマー君の次の映画はいつですか。
もう学校始まっちゃったからなかなか観れてないんだけど、観たいのはたくさんあるからちょっとずつ観てこうと思う。課題はさっさと終わらせてね。あとねこの前の午前10時の映画祭でタイタニック観てきたの。もうスクリーンでは観られないと思ってたから嬉しかった。錦糸町の楽天地シネマズで観たんだけど、チケット売り場のバブリーな感じ可愛かった。でもこの夏に東宝シネマに変わっちゃうんだってさ。残念。東宝綺麗だけどああいう単館系の映画館無くなって欲しくないよ。
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machromatic · 4 years
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正直者論(ラッパーの舐達麻、孫GONGから見るプラグマティズム)
どうもぉ!!! 最近赤髪になって、 大阪のおばちゃんやろ!!! って言われまくる日々の美学者母ですwww またなぜ僕が今赤髪になったのか、 それも書きたいと思っているのですが。 今日は「正直者論」として、 現代のヒップホップやラップなどを通して、 ある種哲学的なプラグマティズムへと展開していこう、 そう考えています。 最近僕も41歳になって、 昔の友達なんかが、 よく遊びにきてくれたりして、 色々とミーティングしているのですがwww やはり共通した生きにくさとして、 自分の考えている事や感じている事を、 「正直」に「表現できない」という、 根本的なフラストレーションを抱えています。 しかし私の場合、 皆様もご存知の通り、 なんでも言ってしまう、 というかまぁ「表現」するわけです。 まぁこの様な一般人と美学者母との差異、 その様な事も述べていきたいのです。 まぁまず私の原風景として、 一番に「野球」があります。 これも何度も述べていますが、 清原さんも所属していた、 「岸和田リトルリーグ」「岸和田シニアリーグ」に、 私も所属していました。 その後、鳥取県へ野球留学します。 その時代の「野球部」と言えば、 「根性論」の最終世代くらいなので、 練習でも「暴行」、練習が終わっても「暴行」。 高校では寮でも「暴行」と。 まぁ悲惨極まりなく、 本当に縦社会の究極な感じで、 先輩には「はい」という言葉しか、 言ってはいけなかったわけですwww この時代はまさに、 私のベースであり、 完全に抑圧されていた時代です。 そんな時代から、 私自身を救ってくれたのが、 ヒップホップカルチャーや、 スケートボードのハードコアな思想です。 そしてそのヒップホップや、 ハードコアな思想の上で、 アートというものに目覚めた、 その様なコンテクストがあります。 それが1998年頃の事で、 僕が18歳、19歳の話です。 その頃に、 僕はアートに命をかける。 その様に誓ったことは、 何度も書いていることなのですが。 それは同時に、 「自分のやりたい事はやる」 「自分の言いたい事はいう」 という事と同義なわけです。 この様な事が、 そもそも私の原理としての哲学、 として一貫している事です。 しかしこの様な単純な事ほど、 なかなかできるものではありません。 非常に困難です。 なぜなら、 「社会」というものは、 その様なものを許してくれません。 色々な所や人間から、 反発を買うのは目に見えていますから、 自明な事です。 しかし私が20年以上この様な活動を、 続けてこれているのはなぜでしょうか? それはまさに1998年と言えば、 インターネットの黎明期です。 私はインターネットでの、 オープンソースという思考が、 この世の中を変革していく事と並列して、 物事をオープンにする事の強さ、 そこに気づいたわけです。 私は昭和53年生まれですから、 まだまだ「村社会」や「コミュニティ」での、 ある意味「小さな世界」での「ルール」や「常識」、 その中で「他人の顔色」を伺いながら、 人間関係の「駆引き」をして生きている。 その様な世代の「最後の世代」なのかもしれません。 冒頭にも述べましたが、 最近になって色々な人が、 私を訪ねてきます。 その話の内容の根本的問題は、 やはりその様な「人間関係」の問題です。 そしてその様な「問題」を、 アウトプットする場所が無いという問題です。 私も40年以上生きてきましたから、 当然その様な「社会」において、 「自分のやりたい事はやる」 「自分の言いたい事はいう」 そんな事をして、 生き残っていけない事は十二分に知っています。 そして経験してきています。 しかし私たちの今の時代、 インターネット時代は成熟し、 オープンソースは進み、 プラグマティズムという哲学が、 どんどんと広まる中で。 「自分のやりたい事はやる」 「自分の言いたい事はいう」 という事は、 「反発」以上に、 「価値」や「信頼」や「信用」を、 生み出している「現実」は、 誰も否定する事は出来ないのです。 プラグマティズムというものは、 一種の功利主義哲学。 実用主義。とも言われています。 私の中ではヒップホップは、 プラグマティズムだと考えています。 それに対してロックというのは、 夢想であり理想主義とも言えます。 それはもっと踏み込んで言えば、 「肉体」としての「肉という現実」を生きるのか、 「肉体」を無いと考えた「理想という空想」を生きるのか。 その様な作法の問題です。 例えば「ヒップホップ」でも、 「スケートボード」でも、 「リアル」という言葉が好まれます。 ある意味この「リアル」という言葉が、 「ヒップホップ」や「スケートボード」の、 プラグマティズム的側面を表出している、 その様に考察できます。 ここまで述べてきた様な、 ある種「プラグマティズム」は、 昨今のヒップホップなどのリリックなどに、 顕著に現れています。 私は20年以上日本語ラップを聴いていますが、 特に最近のラッパーのリリックには、 プラグマティズム的解釈を容易にします。 表題でもあげているラッパーの、 舐達麻などは。 以前までは隠語として多く扱われてきた、 「大麻」などのライフスタイルを、 堂々とリリックに取り入れています。 さらに孫GONGなども、 自分自身の生き様をさらけ出し、 自分の生まれや育ちを赤裸々に、 リリックに表現している。 その様なアウトローなリリック以外にも、 例えばZORNというラッパーのリリックでは、 「洗濯物干すのもヒップホップ」という、 まさに「リアル」な日常をリリックにしたものなど、 多様な人間の現実が、 リアルなヒップホップとして表出している。 この様なヒップホップの事例からも理解できる通り、 昔の「村社会」や「コミュニティ」などの、 「小さな世界」では、 「裏で悪い事」をして、 「表で良い顔」をするという作法が、 通用しない時代になっているのである。 それは「良い事も」「悪い事も」、 全てさらけ出す。 その様な事に、 「信頼」「信用」「価値」が、 産まれる時代。 逆に言えば、 その様な事を「言える人間」にこそ、 「本当の強さ」があるからこそ、 「信頼」「信用」「価値」が、 集まるのだという事なのだ。 「匿名」で他人を誹謗中傷したり、 「人間関係」で根回ししたり、 「権力」で利益を囲ったり。 その様な「人間」が損をする時代。 「正直」に自分をさらけ出し、 「自分のやりたい事はやる」 「自分の言いたい事はいう」 その様な「人間」が徳を得る時代に、 なっている事に、 全ての人々が早く気づかなければ。 どんどんと、 「信頼」「信用」「価値」を、 失っていく時代なのです。 美学者母
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eosdesign · 4 years
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今日も、夕方の運動 🛹一時間弱...いつもの #crazy #BS360 から始めてウォームアップ💦 . 相変わらず360はイマイチ なんだけど 日が暮れてしまう前に ここ数日 #懸案 の #バリアルフリップ やるかー....と思ったら やっぱり乗れず...😱☠️😭💦 . . しかしまぁ、フと思えば... . そもそも、この技、イマサラ欲しい訳でもないので 何を意地になっているのか?と、バカバカしくもなり #もうヤメタ ...😝👍w . . ジジイに残された時間🕐は少ないのである 特に、やりたいわけでもないことを やっている暇は、ないのである . ( #上手く逃げたな 。。。😝🖕💦) . . . で!...ボチボチできるとは思っている #BIGSPIN も しばらくやってないと昇天?消えてなくなってる~?と思って 久しぶりにやってみたら . . #ヨシヨシ コチラは一応 #ご存命でした ...💕 . . #やれやれ . . . . #沖縄 #名護 #okinawa #nago #skateboard #skateboards #skategram #skateboarding #skateboardingisfun #iloveskateboarding #sk8 #skatelife #NoSkateNoLife #diet #流血 #アタオカ #オヤジスケーター #スケートボードは哲学 #スケートボードは最高だ #笑って頂ければ幸い (名護城公園) https://www.instagram.com/p/CGKUlmKng5R/?igshid=1byo3wyqsngne
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eosdesign · 4 years
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え~~、だって、そりゃあもう #最近の宿題 のコレね...やるでしょう😝👍 . #ナニコレ 何でできねーんだ? #バリアルフリップ 🛹 . . まぁ、とにかく💦 こんなの、30年前には、よゆーで出来ていた...(多分...おそらく...そーじゃないかな?...そーだった、気がする...😅⁉️💦) . という...自分の記憶が、正しいのか? はたまた、妄想なのか? . ...ってことを、証明したくて 今日もやってみたんですが... . . #1000回 くらいやったけど( #ウソです 🖕) . 最後は...乗りゴケ? 久しぶりに、見事にまくられて . . #やれやれ はい。また... #ジジイ には グジグジといつまでも治りにくい傷...作ってしまった まぁ... #SKATE している以上は、もちろん 仕方がない事ですけどね~~😝👍 . . #痛すぎ #テンションだだ下がりで #終ー了ー 😱💦 . . . . #skateboard #skateboards #skategram #skateboarding #skateboardingisfun #iloveskateboarding #sk8 #skatelife #NoSkateNoLife #VarialFlip #VarialkickFlip #backside360 #backside360ollie #diet #アタオカ #オヤジスケーター #スケートボードは哲学 #スケートボードは最高だ #笑って頂ければ幸い (Nago) https://www.instagram.com/p/CGH5RCnHArh/?igshid=y1ai3dsxnqr4
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eosdesign · 4 years
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はい。昨日の運動一時間🛹 雨降りそうだったので雨スポットのココ 途中から土砂降り☔だったので大正解 . . いつもの #crazy #bs360 #は相変わらず汚いままだけど😂💦 . 日が暮れちゃう前に #バリアルフリップ を #リベンジ 😁👍 . 今日こそは #やっつけるぞ . と...思ったら やっぱり #返り討ちに ⚔️あった...😱☠️⚰️ . . マジかよ #メイクできず 😭 . #日が暮れて終ー了ー 🌅 . . やっぱり ガキの頃は、よゆーで出来ていたはず...🤔💭 . という記憶は #妄想なのか?! もー30年も前だから、ホントに分らんのよ #くっそーー . ホントに、妄想なのかな~~⁉️😱💦 . . . . #skateboard #skateboards #skategram #skateboarding #skateboardingisfun #iloveskateboarding #sk8 #skatelife #NoSkateNoLife #VarialFlip #VarialkickFlip #backside360 #backside360ollie #diet #アタオカ #オヤジスケーター #スケートボードは哲学 #スケートボードは最高だ #笑って頂ければ幸い (名護城公園) https://www.instagram.com/p/CGGj1BrHd5b/?igshid=1dmpc4hs1n3ow
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eosdesign · 4 years
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昨日のやーつー。昨日もウレシイ先行者 @47__sho イターーー😆👍✨ . (でもぜんぜん映ってないじゃんYO😅) . 前日出来なかったバリアルフリップを #リベンジ しようと まずは、普通に #Kickflip してみようと思ったら ぜんっぜん、出来なくなってて #ビビる 😱💦 . (オッサンはコケ方もモッサリだな~...😝💦) . やっぱり何事も、やってないとダメね~~😂💦 . 何度やっても #低いし #汚いし ...😝❌ . すっかり #フリップ は #苦手意識 ...でござる...☠️ . . まぁ、イイかと...(よくない...😠🔥💦) . . とりあえず、いつもの #bs360 ちょっとやってから バリアルやってみるかなー...と思ってたら 雨降ってきて☔ #終ー了ー 😭 . . #今日は滑れっかなー? 😁✨ . . . . #skateboard #skateboards #skategram #skateboarding #skateboardingisfun #iloveskateboarding #sk8 #skatelife #NoSkateNoLife #Flip #VarialkickFlip] #bs360 #backside360 #backside360ollie #diet #アタオカ #オヤジスケーター #スケートボードは哲学 #スケートボードは最高だ #笑って頂ければ幸い (Nago) https://www.instagram.com/p/CGESaJznWIV/?igshid=2b2qkxy3y4eg
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eosdesign · 4 years
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#ヨシヨシ ...今日は、なかなか #イイのが撮れた ぞ😝👍✨w 今日も、開始直後は あぁ...今日もイマイチ、回れない...😱 . とか、思っていたんですが... . . 普段は、いちいち、やる度に 後ろ足を絡めて~...とか🤔 . 上半身の先行動作をなるべく深く~...とか🤔💭 . いろいろ、頭では、考えながらやっているのですが . . それでも 今日は #まったく進捗がない ことに 若干 #イライラ もしたので🖕😠🖕💥 . . も~、今日は、、、開き直って なんでもイイから、気合で回り切って、みろやっ!!🛹😝💥 . ...と、思ったら . . ちょっと、チクタクが入ってしまって、完全にクリーンとは言えないけど 久しぶりに そこそこ回り切って、一応メイク?できたかな? ってのが、撮れてさ...🤩👍✨www . . アハハ~!やれやれ それはそれで、ナンだかな~~と . . もう、5年も6年も、コレやってきて 今日、得た教訓が...結局... . 「気合で回る」...って . . コラーーーw . 倫理的でも、ナンでもない 最後は、精神論っすか?...と😭 . . 我ながら、苦笑...というか もう、笑うしか...無いですわ~...😝 . . . あ、そうそう、そんで 何となく、思い付きで #バリアルフリップ なんかやってみたら ちっとも出来ない..ので . . やたら意地になったんだけど やっぱり...ダメだった❌😭 . . . こんなの30年前の高校生の頃は 目~つぶっても、出来た気がするんですが... . . しかし~🤔⁉️ . 20年、完全に離れて、6年前くらいに復活した身としては... . それが、本当に?ちゃんと、出来ていたのか? それとも、自分の妄想なのか? . もう、記憶がホントに曖昧なんですよね...😂💦 . . #むむむ . . . . #skateboard #skateboards #skategram #skateboarding #skateboardingisfun #iloveskateboarding #sk8 #skatelife #NoSkateNoLife #VarialFlip #VarialkickFlip] #bs360 #backside360 #backside360ollie #diet #アタオカ #オヤジスケーター #スケートボードは哲学 #スケートボードは最高だ #笑って頂ければ幸い (Nago) https://www.instagram.com/p/CGAKG60HE3X/?igshid=ifilpj8wfgkm
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