#津軽びいどろ の灯りがとても綺麗で 癒されますね。 #余暇のひととき #オイルランプ #オイルランプのある暮らし https://www.instagram.com/p/Cnt30HDy4ec/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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オセロメー
1
俺の生まれた国では太陽は生贄を求める神様で、その下にはすべてが平等だった。朝も昼も夜も誰かが殺されて、棄てられた体をなおも太陽は照らし続けた。この国に来たころ、殺人が夜に起きるのが新鮮だった。この国の太陽は俺の生まれた国より遥かに弱々しいのに人を守る神として空にある。太陽が殺しに秩序をもたらすなんて。スギモトが雨と泥と人間の何かを浴びて重たそうな体で帰ってきたとき、俺はそんなことを思い出した。
ソファの前に立ったスギモトが手を伸ばしてくる。俺は寝そべったままわざとらしく眼前に両の掌を掲げた。降参のポーズだ。
「なあに?」
「クルマのキー出せ。捨てに行くから」
何をさ。まあ死体か。そうだよな。スギモトの体から蜂蜜みたいに粘度のある怒りが滴り落ちて、床にどす黒いしみが広がっていく。幾度となく目にしたこの暗さに俺の心は怯えて縮む。外の雨はずっと強くなるばかりだ。太陽はもう、弱い人間を守らない。ソファから立ち上がり膝を押さえて上半身を支える。そうしないと立ち上がれなかった。心はどんなに怯えていても体は平気なふりをしなければならない。そうして心と体を力づくで剥がすことを繰り返して、俺の心と体はもうぴったりひとつには戻れなくなっている。
「俺も行くよ」スギモトからぼとぼとぼとぼとぼとぼと怒りが落ちる。「来なくていい」俺はつとめて、いつも通りに聞こえるようゆっくり喋る。「人ひとり捨てるのって結構大変よ。道具とかも準備しなきゃいけないし。準備は俺がやっとくからスギモトは着替えてきな」
何か言いたげなスギモトの背中を見送ってからキッチンに向かう。お湯を沸かしてコーヒーをドリップする。いつもより丁寧にケトルから湯を線にして垂らす。しっかり蒸らして泡が中央に盛り上がるようにゆっくり抽出する。最後まで抽出しきると雑味が出てしまうから、コーヒーが落ち切る前にドリッパーを外してタンブラーに移す。スギモトのために蜂蜜を垂らしてやった。
ついさっきまで人間だったものは玄関先に転がっていた。暗くて血と泥の区別がつかない。上半身はうつ伏せで、腹から下をよじるようにして下肢を投げ出していた。腰と肩はしっかりと張っていて頑健そうな体つきが見て取れる。久しぶりに見る死体はなんの変哲もなくむしろ五体満足で損傷も少なそうで、そんなことを考える俺の方が変わってしまったことを知る。傍に乗り捨てられたスギモトのバイクが所在なさげに雨に打たれていた。
二往復してバイクと死体をガレージに運び、死体をビニールシートに包んだ。スコップと一緒に幌付きトラックの荷台に積み込む。死体は岩のように重く、力任せに放り投げるかたちになった。
そのまま室内に戻るとスギモトがうつむいてソファに腰掛けていた。
両手でスギモトの頬を挟んで、額と頬に落ちた髪を払う。目尻からこめかみに向かうきついカーブを撫でて、がらんどうの瞳を覗きこんだ。闇夜が窓の外でごうごうと鳴る。額を合わせるとスギモトの腕が俺の腰に回されて、俺たちはしばらくそうしていた。
2
年代物のクルマはキーを2、3度ひねらないとエンジンがかからない。それでも山の段々畑でビーツ栽培をやっているナガクラじいさんにもらった日本製の幌付きトラックを俺とスギモトはそれなりに大切に扱っていた。
入りの悪いラジオから甘い歌が流れ出す。
「なんで歌のネタって恋愛が多いんだろうね? 靴下が片方なくなる歌とか好きなもの食べすぎてゲロ吐いた歌とか泥まみれの愛犬を嘆く歌とかあってもいいと思わない?」俺は北へハンドルを切る。この辺の道は整備なんてされてないから、先代のボロいミニバンの時はケツが痛くてやってられなかった。
ややあって、スギモトはゆっくり答えた。「売れねえだろ普通に」弾力を感じるその声に、緊張の糸が少し緩む。俺は間違えずに物事を進められている。「リスの可愛さを讃える歌とかは売れるかも知れないじゃん」「いやニッチすぎ」「ふふ。あ、そこのタンブラーにコーヒー入ってるよ。熱いから気をつけて」「わりいな、もらう」
ふうふうと冷ましながらコーヒーをすするスギモトからはもう泥はこぼれていない。けれど夜より暗い怒りはまだ残っていた。あと少しだ。
道を囲む森林が背後に飛びすさってゆく。フロントガラスに当たる水量が減ってきて、俺はワイパーをローにした。山ーーアシリパちゃんたちは雨の山と呼ぶーーーの中腹にある車道にほど近い山小屋を目指す。かつてはニヘイのおっさんが使っていたが、奴が狩場を移してからは無人のままだ。わけもなくしけた気分の時に俺は時々ここで時間を潰す。
今の俺たちは北米の田舎に住む日系人ふたりにすぎないが、俺たちの生まれは麻薬の国だ。俺はクソガキ時代に強盗で収監されて以来脱走しては刑期が伸びるようなケチな悪党で、スギモトは中規模カルテルの武闘派構成員だった。5年前の麻薬戦争で悪魔のような活躍を見せた男の名前は脛に傷持つ身なら誰もが知っている。エル・エニクス。不死身のスギモト。9割が死ぬような修羅場を何度も生き延び、RPGを打ちこまれても死ななかったとかジャガーの檻に入れられて素手で生き残ったとか、瀕死の重傷を負っても翌日には暴れ回っていたとか嘘か本当かわからない噂がまことしやかに流れていた。
俺たちは北米にあるという先住民の隠し金塊の噂を求めて行きあった。故郷に帰るという豪胆な女の子と3人で国境を越え、そこから縁があって長いこと一緒にいる。
雨は止んだが相変わらず月は出ない。タイヤが山道を噛む。文明のものが一才消え、視界はいよいよ森だけだ。左右にあるはずの森が膨らみ、俺たちを覆い尽くして飲み込もうとしているかのような錯覚に襲われる。
俺の不安がスギモトに伝わらないようにゆっくりと息を吐いた。スギモトをこっち側に引き戻すにどんな言葉を連ねればいいだろう。
「そういえば」
「ん」
「俺ねえ、スギモトと知り合う前“俺は不死身のスギモトの友達だ”つって寸尺詐欺はたらいたことあったよ」
「俺と会う前から俺に迷惑かけてたのかよ」
「あはは。ギャングに絡まれた時とか“俺は不死身のスギモトだ”ってハッタリかましたこともあったわあ。まあ信じてもらえなかったけど。その後しばらく俺の周りで不死身のスギモト名乗るの流行ったよ。何人かマジで行方不明になった」
「お前らほんとしょーもねえな」
パンツのポケットから飴を取り出して、「これで許してえ」と言ってスギモトの手に握らせた。一昨日買った飴は俺の体温で変形している。
スギモトは飴を口の中で転がしながら、ぽつりぽつりと話し始��た。
「アシリパさんのとこに卵届けに行ったら」「うん」「帰りにさ、脱輪してるクルマがいたんだよ。キロランケの家と岩山の途中にさ、湿地になってるとこあるだろ。あそこで。オッサンがクルマから降りてぼーっとしてるから、声かけてスペアタイヤに交換するの手伝ってやって」「うん」「オッサン、すごい酒くさくて。タイヤ交換するまではよかったんだけど、帰ろうとしたらめちゃくちゃ絡んできて。銃とか出して。最初は俺のこと舐めてんだろとか、そんなだったんだけど」「うん」「すぐ拳銃振り回して俺はすげえんだ…去年は先住民の女を…その、暴行して、山に置いてきたって」
スギモトの言葉が激烈な熱を帯びて、体からどす黒いオーラがマグマのように吹き上がる。
言葉を選ぶ良心と、まがまがしい殺意。スギモトはそのふたつを矛盾したまま抱えた男だった。俺はただのゴミだがこいつはちょっと複雑だ。
「ああ、わかったよスギモト。後ろに乗ってるのはそのオッサンてわけね」
3
半年前、雪に覆われたこの山で死体がひとつ見つかった。アシリパちゃんの遠い親戚で、3人の子どもの母親だった。どこからか駆けてきて肺が凍り血を吐いて死んだ。生きているうちに暴行された跡があり、足跡は途中から雪崩に消されていた。
この居留地には警官が6人しかいない。それを知った時はどこにでも見捨てられた土地はあるもんだと妙に安心した。富める国アメリカにもこんな場所があるのなら俺らの生まれ故郷がゴミ溜めなのは当たり前だ。���んたってここは面積で約9000㎢、人口にして約30000人が暮らす土地なのだから。俺の知る警官は職務怠慢というわけではなかったがこの土地で起きる事件全てを解決するという意思はなかったし、誰も彼らにそれを期待していなかった。暴行犯は掘削所の警備員だとかピューマの毛皮を狙うハンターだとか、噂だけは膨らんだが証拠はひとつもなく解決には至っていない。
アシリパちゃんは奥歯を噛み締めて泣いていた。植物の染料で顔に文様を描くのが彼女らの弔いの正装らしく、涙と鼻水が染料を溶かして紫の雫になって彼女の足元に滴った。悲しみと何より地の底から湧き上がるような怒りが、その小さな体を突き破って今にも噴出しそうに見えたのをよく覚えている。
山小屋は道路から程近く、クルマを路肩に寄せて俺は荷物を、スギモトは死体を背負った。ぬかるむ獣道を踏みしめて5分ほど歩く。足を踏み出すたびに首にかけたライトが所在なげに揺れた。山小屋は俺以外にも時々誰かが来ているのか、中も外もあまり傷まずにそこにあった。
オイルランプに火を灯し、ささやかな暖炉に火をくべると室内とスギモトの姿が浮かび上がる。この小屋の暖炉は独特な形をしていて、ニヘイはこれをイロリと呼んでいた。
死体はビニールシートに包まれたまま玄関に転がされていた。
ポケットからもうふたつ飴を取り出す。スギモトが舌を出したのでその上に乗せてやる。
「ここを西にちょっと行ったところにさあ、電波塔の跡地あるじゃん。そこに埋めるつもりだけどいい? あの辺は拓かれてるしゴミなんかもそのままだから動物もハンターも来ないし。多少は雑に埋めても見つかることはないと思う。近くの沢に捨てて動物に食べてもらうのも考えたけど、もし誰かに見つかったらちょっと面倒なことになるかもなって」
どっちも中米では考えられない緩慢さだった。あそこでは死体はその辺にうち捨てられるか見せしめのため家族や仲間のもとに送られるか、バラバラにしたり酸で溶かしたり焼却したりして徹底的に隠滅されるかだ。
「そんなんでいいのか。もっと、バラバラにしたり酸で溶かしたり焼却炉に入れたりとか…」
「そういうカルテル流の発想はやめようスギモト。ここは文明の国アメリカなのよ!」
「でもいいのかよ、五体満足だと見つかったらすぐ身元わかるだろ。服もそのまま? 指紋も焼かないのか?」
「いいんだよ、相手はカルテルみたいなおっかねえ奴じゃないし、ここは警察も知っての通りだし。あの事件は結局地方警察の管轄になってるから別にFBIが来るわけでもないし。でも一応こいつアメリカ国籍持ってて白人だから、隠すだけはした方がいいと思うよ。うちまでバイクで連れてきたよね? 雨強かったから血痕残ってないからだろうからそれはラッキーだった」
「そっか…こんなことに付き合わせてわりい。でもお前がいてくれてよかった」
「俺、この歳にして死体処理童貞卒業だわ」
どこか安堵したような目でイロリの炎を眺めていたスギモトの表情が固まった。
「は?」「経験ないもん。刑務所とかで話聞いただけ」「ええ…お前家からここまで自信満々だったじゃん…騙された…」「いいじゃん。黙ってついてきたってことはお前もたいして考えてなかったってことでしょ」スギモトは釈然としない表情で飴を噛み砕いた。
念のため土に帰らなそうなものは別に処分することにした。と言ってもオッサンは大したものは持っておらず、小銭、ID、タバコ、大麻、ジッポ、指輪をひっぺがして袋に詰める。オッサンの元の顔は知らないが仰向かせたそれはもう原型をとどめていない。代わりに不死身のスギモトの凶暴さがべったりと張り付いていた。
「あ、これも」スギモトが尻のポケットからナイフと拳銃を取り出した。護身用に使われるようなシンプルでミニマムなタイプだ。「これ、このオッサンの」
「聞いてなかったけどさ、ケガとかしてねえよな?」
「ない。発砲されたけど当たんなかった」
スギモトは頭から爪先まで傷だらけで脳の一部こそないが、指も手足も目も耳も爪も歯も髪も眼球も揃っている。
拳銃とナイフも袋に突っ込む。がちゃがちゃとした袋の重さが心許なかった。
4
俺たちは黙って穴を掘った。土はたっぷりと雨を吸っていて重い。一度開墾された電波塔跡地はまだ木の根が張っておらず、それでも成人男性を埋める分を確保するのはなかなか重労働で、すぐに汗が全身から吹き出してシャツが全身にべったり貼り付いた。このオッサンは最後まで幸運だったなあと心底思う。ほぼ即死だったろうし自分を埋める穴を掘らされることもないまま死ねた。もし生まれがこの国じゃなかったら、生きたまま手足を切断されたり喉を裂かれてそこから舌を引き出されたり、切断した頭部で誰かがサッカーに興じている動画を家族に送られていたかも知れない。その上で家族も殺されて生き残った子どもはそのままカルテルやゲリラに誘拐されて数年後には立派な兵士になってたりとか。誘拐されなくても俺たちみたいな生まれならどうあれ似たような道を辿るだろうけど。
生まれが違うだけで死に様まで違う。あの町では人の命は0.01gのコカインから遥かに劣ったしこの居留地では女性それも少女ばかりが殺される。ここで先住民女性の失踪者に関する統計調査は存在しないんだそうだ。小熊みたいなハンターが言っていた。「この土地に運は存在しない。生き残るか、諦めるかだ」。彼もまた妹を喪っている。
俺はあまり考え込まない質であるのだが、今日はどうにも暗い思考から逃げきれない。吹っ切りたくて空を仰ぐとぬるく湿った風が吹いていた。フクロウのオスがメスを呼ぶ声が響く虚空も、威圧的なまでに重厚な針葉樹の葉も、蛇を踏まないように歩いてきた道も、全てが黒に近いグレーだった。俺より夜目のきくスギモトが働けとどやしてくる。
「穴掘ろうとか言うんじゃなかった〜ボウタロウみたく重りつけて水に沈める方式にすればよかった〜でもここ深い湖とかないんだもん〜」
「ごちゃごちゃ言ってないで手ぇ動かせ。ていうかお前の友達本当にろくなのいなくない?」
「そもそも俺がろくでもないんだから仕方ないでしょ」
「それも何とかしろ。そんでこれ以上変な人間に拐かされるんじゃねえぞ」
「………死んだ人間は?」
「なんて? 聞こえねえ」
「なんでもなあい」
どうにもやさしい目眩がする。
5.
住まいに戻る頃には空が白んでいた。朝霧を肺いっぱいに吸い込むと甘い心地がして、寝不足と重労働を課された心身が弛緩していく。
クルマをガレージに入れて、腹が減っていたのでキッチンに向かった。パンとコンビーフをスライスしてフライパンに乗せ、クレソンを適当にちぎる。パンに焼き色がついたらフライパンから上げてバターを塗った。コンビーフとレタス、クレソンを挟んだざっくりしたサンドイッチと、紅茶のカップをスギモトに渡してやる。慣れない重労働のせいで両手はマメだらけだ。
「なんか俺、昨日からお前に食い物もらってばっかり」
「俺のこと見直してくれてもいいのよ?」
「お前がもう少し穴掘り頑張ってくれたらな。八割俺が掘っただろ…ヒンナ」
パンの香ばしさが鼻腔へ抜けていく。塩気の強いコンビーフの脂とバターが口の中で溶け出して、ハイカロリー飯ならではの美味さが胸まで満たした。
「なーシライシ、今度トルティーヤでこれやってみようぜ。トウモロコシないから小麦だけど。野菜モリモリ入れて」
「いいねえ、ひよこ豆入れてエンチラーダにしてもよくない?」
「それ絶対ヒンナだわ。久しぶりにモヒート飲みてえ。アシリパさんも呼んで食べようぜ」
死体を埋めてシャワーも浴びず、メシを食って次のメシの話をする。昨晩から始まった意思が帰結した心地がした。スギモトから禍々しさはすっかり消えて、眠くはあっても機嫌は悪くなさそうだ。
窓の外に目をやる。彼方に、クルマを走らせていた時にはなかった稜線が浮かび上がっていた。太陽を背負った森は黒く木々の揺らぎだとか濃淡を描く緑は朝に隠されてしまって確認することができない。塗り潰された死体ももう見えない。
食べ終わるとスギモトは行儀悪くソファに丸まった。まあ眠いよな、俺も眠い。ブランケットをかけてやると目配せで誘われた。狭いソファに体をねじこむとぴたりと体が密着する。シャツ越しにスギモトの高めの体温が伝わってくる。まつげに縁取られた目は緩く閉じられていて、そうしていると歳よりもだいぶ幼く見える。顔中に走る傷跡はまるであらかじめの意匠で、そういう生き物のよう。
スギモトの背中に腕を回し人差し指と中指で背中を、とん、とん、と叩くと、俺の足先からも安堵が満ちてきた。
昨夜スギモトが帰ってきてから(殺しをしたと知ってから)守備よくことを運べる(死体を隠蔽できるかってことだ)か不安で仕方なかった。もしこれでスギモトが疑われることがあったら俺が自首しよう。証拠をいくらか残してきたし、この町にちゃんと根を下ろしてアシリパちゃんに信頼されてるスギモトと違って俺はいつもフラフラしているしそもそも不法入国者だし疑われる理由は十分だ。アメリカの刑務所がどんなところかは知らないが逃げ出す術はあるだろうし本国に送還されるならそれでもいい。そうしたら次はまたどこかに逃げる。どちらであれここには帰ってこれないが仕方ない。
そうなってもそうでなくても、スギモトにはしばらく街に出ないで欲しい。街にはとにかくたくさんの人間がいて聞くに堪えない蝗害のように飛び交っている。俺はスギモトにそんな言葉を聞かせたくなかった。先住民の女とタバコひと箱で遊んだ、と誰かが言えばモノなんて渡さなくてもカネをちらつかせれば尻尾を振ってついてくると誰かが笑う、とか。先日雪山で見つかった先住民の女には出稼ぎ労働者の間夫がいて、駆け落ちしようとしたところを捨てられてひとり山を彷徨って死んだらしい。とか。貧乏で子沢山な女の考えそうなことだ、あいつら母親のくせに見境がない、とか。このクソみたいな土地じゃ女と葉っぱしか楽しみがない、とか。
アシリパちゃんの親戚が山で死んだ冬。街のバーで聞き耳を立てる度に、俺の腹には男たちの虚栄と傲岸と驕りと侮蔑がひたひたと溜まっていった。何が本当で何が嘘かも知れないということは、誰も何に責任をとる必要がないということだ。そんな中でアシリパちゃんの親戚は死んでいった。たくさん夜にたくさんの女の子とたくさんの誰かが殺されている。気づけば旧友のような無力感が俺の隣に腰掛けていて、あの冬の俺は酒とタバコの量が増えた。それでもこの町を出なかったのはスギモトがいたからだ。
スギモトの首がゆるんで頬がソファの背もたれに落ちる。日差しを受ける額に額を寄せると雨とスギモトの匂いがした。
何も終わりはしない。この古い家中が、スギモトの寝息にあわせてゆっく引いたりしているように感じられる。
(自分だけで自分を知ることなんてできないんだよ誰も)
いつかの季節にこいつに信頼をもらって俺はひしゃげてしまった。それまで無様ながら自分だけで成り立っていた心が、今はもうスギモトとアシリパちゃんがいなければ走れもしない。そんな風に変形して戻らない。
気持ち、恩、こころ。どれも正しいようでぴたりとは当てはまらない。こんな俺でも渡せるものをスギモトにあげたかった。
エピローグ
その日は朝から雲が垂れ込めていて、それでいて静かな空の日だった。俺が玄関先で草をむしりながらタバコを吸っているとアシリパちゃんがひょっこりとやってきた。山の穴掘りでできたマメは俺の手のひらから消えつつある。
「どうしたの。スギモトはキロちゃんとこだよぉ」
「ペミカンを持ってきたんだ。スギモトが前にほしいと言っていたから。渡してくれ」
そう言って彼女は頑丈な葉の包みを差し出した。ドライフルーツや干し肉を動物の脂で固めた保存食は控えめに言って食欲を減退させられる見た目だが、鍋に入れるとそこそこ美味い。彼女と旅をしていた頃はよく食べた。山歩きで疲れ切った体には沁みる味わいだったことを思い出す。
少し背が伸びただろうか? どこかの国では男子三日会わざればナントカというらしいが、この年頃は女の子もみるみる変わる。これから男になるか女になるかが決まる、みたいな未分化なところがあったのに最近はぐっと少女っぽくなった。スギモトが趣味でつくっている花壇を眺め「どうせなら食べられるものを植えればいいのに」と言わんばかりに鼻白むのは相変わらずだったが。
アシリパちゃんを家に上げてミントティーとトルティーヤチップスでささやかにもてなす。スギモトが「モヒートに入れたいから少しだけ」と言って植えたミントは瞬く間に増殖し、最近の俺たちはこいつを消費することに意地になっていた。根こそぎむしったつもりでも気づけばどこかに芽を出している。「もう絶対地植えはしねえ」とスギモトが地を這うような声で唸っていた。不死身のスギモトと不死身のミント。身振り手振りを交えてそんな話をするとアシリパちゃんは歯を見せて笑った。彼女にも帰りに持たせてやろう。
「シライシの足はどうだ? こういう日は痛むだろう?」
「全然平気だよ、それ言うとスギモトがほんの少し優しくなるから言ってるだけだよーん」
左足をまっすぐに伸ばしたまま足の裏を天井に向けて膝を抱え、顔の横に寄せる。座りながらY字バランスをしている格好になり、「シライシ気持ち悪いっ」と彼女は顔を顰めた後また笑う。俺の脚の銃創はこんな薄曇りの日には思い出したように疼くのだ。
「次来るときは毛皮を持ってくる」
「はあい。高く売ってくるよ。ていうか俺暇だから取りにいこうか」
「お前が暇なのはいつもだろう。来たら狩りにつれてってやる」
午前の白い光がアシリパちゃんのふっくらした頬に当たり、光の粒子が産毛の上で踊っている。眩しいものを教えてくれる。
「お前たち、何かあったのか」
その頬と目に力を込めて、アシリパちゃんは恐らく今日いちばん言いたかったであろうことを切り出した。
「ええ、何かって、どんな」
「スギモトの様子がおかしいだろう」
「特に何も感じなかったけど。俺の前じゃふつーだよ。古傷でも痛むのかな?」
「何か考え込んでいる時がある」
「あいつそういうことあまり俺に話さないからなあ…」
倫理に反することより隠し事の方が罪が重い。そんな俺たちの関係からなるべく目を逸らして、考え込むふりをする。言外にこの話は甲斐がない、と滲ませるためにしばらく黙り込んだ。
アシリパちゃんはーーー諦めたわけでもないだろうがーーー緊張を解いてトルティーヤチップスのおかわりを要求してきた。「夕ご飯入らなくならない?」と尋ねると「誰にモノを言ってるんだ」と謎に上から目線で返された。
それからくだらない話を二、三してアシリパちゃんは席を立った。やっぱり背が伸びたような気がする。
ペミカンを入れてきた袋に乾燥ミントを詰めて返すと彼女は匂いを嗅いでちょっと変な顔をした。
そのまま、なんの予兆もなく俺は彼女に抱擁された。白いつむじが見えた。
「シライシくさい」
「クーーーーーン」
「ずっと言おうと思ってたけど、最近のスギモトを見てて特に強く感じたから、言う。シライシにも聞いてほしい。
アチャやフチにこうしてもらうと守られている心地がする。でもスギモトやお前に抱きしめられると、お前たちを守らなければ、といつも思うんだ。お前たちはフチより力がずっと強いけど、強いほど心もとないよ。抱きしめられたら腕を出して、私がその上から抱いてやる。寒さと怖さは外側からやってくるからな」
俺より遥かに年下の女の子に抱かれて、俺の腕は自分のがらくたみたいな腕を彼女の背に伸ばした。
俺はよく知っていた。年齢も性別もどこの誰かも関係ない。家族も恋人も相棒もつがいもいない俺には関係ない。誰から与えられる善意も悪意も等しく平等だ。俺のようなゴミ溜めに生まれて抗うことなくゴミになった人間とか、スギモトのように闘争して生き残った人間の、剥がされ続けた心と体はもう元には戻らなくても、次世代の彼女たちはそれを包むような世界を作ることができる。かもしれない。
「アシリパちゃんは新しい時代の女の子だねえ」
彼女は顔を上げて、にっこり頷いて見せた。
「送ってく?」
「ひとりで帰れる」
少しも名残惜しくなさそうなその後ろ姿を、俺は満足して眺めた。またすぐに会えるし当然会う、と信じて疑っていない女の子の背中だったからだ。
雲から覗いた太陽が正しく神として、彼女の道行を照らしている。タバコに火をつけて、俺はその後ろ姿が見えなくなるまで戸口に立っていた。
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いつもの湖畔へ、オイルランプでまったりキャンプツーリング!
バイクツーリングには灯油ランタンは大きく、持っていくことが現状難しい…でも火を眺めたい!と思っていたところに見つけてしまった『スナフキンのオイルランプ』。衝動買いです!(笑)
仕事終わりの友人が駆けつけ、湖畔でゆっくり火を眺めつつご飯を頂く【たまらん】時間。
ランプはキャンプをより一層印象深いものにする、素敵なギアだと確信しました。
一枚目【焦点距離】85mm【ISO】64【SS】1/1000【F値】/4
二段目左【焦点距離】85mm【ISO】64【SS】1/400【F値】/5.6
二段目右【焦点距離】85mm【ISO】400【SS】1/200【F値】/2
四枚目【焦点距離】85mm【ISO】64【SS】1/125【F値】/5.6
五枚目【焦点距離】20mm【ISO】64【SS】1/320【F値】/7.1
五段目左【焦点距離】85mm【ISO】320【SS】1/200【F値】/3.2
五段目右【焦点距離】85mm【ISO】160【SS】1/1250【F値】/2
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昨日と一昨日は塩釜市にある杉村惇美術館にて【暮らしの市】に出店しておりました。
趣のある建物で懐かしい感じ。
(中学校の時、古い木造の旧校舎から新校舎へ建て替えられましたが、その旧校舎的な…と自分でしか分からない例えですみません笑)
今回のイベントでは、ボタニカルキャンドルとボタニカルオイルランプのワークショップを開催。
オイルランプのワークショップは、今後も北山店やイベントでも開催したいと思いますので、お気��にお問い合わせください。
12月を目前に今年は既にバテ気味〜(´Д` )
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ヨルダン大学見学に行ってきまし来ました〜
今日は旦那の従兄弟が通うヨルダン大学に行ってまいりました。旦那の方の家族は全員っといて良いほど皆んなヨルダン大学で学んだので、いつかは見学したいと思っていたとろころでした。
旦那の従兄弟さんは現役でヨルダンの法律を学んでいます。それを聞いて、ひや〜シャリアローを学んでいるのっ??と少し仰け反ってしまいましたが。。
アメリカ暮らしが長い私は少々、俗に言うイスラムフォービア(ヨルダン人と結婚したのに。。苦笑)
日本語ではそんな言葉は存在しないかもしれませんが、説明するとイスラム教恐怖症っというところでしょうか。。
シャリア法とはイスラム教に元ずいた法律で今でもイスラム圏で広く使われいます。
中でも一番恐ろしい例をあげるならストーニングと言われる刑で、体半分を土に埋められ周りの人が石ころを投げて罪人が死ぬまでそれが行われます。
なので、私の従兄弟さんへの一番の質問は、今でも浮気をしただけでそいう恐ろしい罰を下すのか?でした。
答えは、今はそんな古臭いことはしないという回答が帰ってきて、ほっ〜と息をついたのですが。。
しかし今でも既婚した人の浮気の罪は重く男性は10年から15年牢屋に入れられ、女性は20年くらい牢屋に入れられる。
そんなことを聞いたら、笑顔が引きつってしまった。。何も後ろめたいことはないのだが。。はは。。
ヨルダン大学は知り合いがいないとセキュリティーが厳しく入れないと聞いていたが、やはり警備は厳重だった。。
しかし中に入るとまるで、アメリカのキャンパスを思い浮かべるくらいだだっ広く、芝生の上で微笑むカップルや(私のサウジアラビア人の友人が見たら羨ましがるだろうな、、)一人読書にふけ堅実に学ぶ姿の学生を見るとほっとする。。
ただ違うのは女学生の格好くらいであろう。ここでも目しか出ていないいわゆるニカブをきている女性がチラホラ、、、そして女学生のほとんどはヒジャビ(スカーフを巻いている)
しかし、旦那の従兄弟とその友人は法学部には珍しくスカーフを巻いていない。なぜ巻かないのか聞くと一人はクリスチャンだから、もう一人(従兄弟)は分からないという回答であった。。(笑)
私と同行したカナダ人の友人も同じことがきになるらしく二人で学部生に沢山の質問をした。
従兄弟はなぜ法律を勉強したいのかと聞くと、先生から君は法律に向いていると言われたからだそうだ。。
彼女の兄弟(姉と兄)は皆ヨルダン大学に行き現在はヨルダン大学病院でお医者さんをしている、そんな状況を聞くと、そうだね〜やっぱり多様性は家族に置いても大事だよねぇと勝手��法律を勉強したくなった訳が分かるような気がした。。
法律に向いている、そう言われるだけの性格だけに彼女は今日も逞しく、怯みもせず自分と違う学部のビルにスタスタ入っていき、質問を警備の人や教授にしてくれ、大変頼もしい存在であった。
卒業したらどうしたいのかまたは過去の卒業生は何をしているのか聞いたがあまりよく知らないようだった。。
新しく建築されている建物があった、私の友人がなんの建物かと聞くと、「女性学」の建物だと聞いた。
アメリカではウーマンズスタディーと呼ばれリベラルな学校だと専門のクラスが存在する。
私の通ったカリフォルニア大学サンディエゴでも新分野として存在した。それ系統のクラスをとったが、女性軍の勢いときたら、それはもうとてつもない勢いで学んでいた。。
教授も専門家が集まり、生徒も高い志を持ってクラスに挑んでいた。クラスで書いた論文を、もれなくはアカデミックな論文として出版もできるよう準備がされており、アメリカの学部生の競争にほとほと嫌気が然しながらも、ほぼ徹夜で勉強した日々が懐かしく思えた。。
私からの従兄弟さんへの助言は建物ができたら、女性学とってみるといいよ、だった。シャリア法律を学びそして他の国の法律も学んだらきっと面白い論文がかけるに違いないと思ったからだ。
そこから開ける道はきっと自分のヨルダン人としての個を確立すると共に、外国に向かいどう付き合っていけば良いのかいい道しるべになるような気がすようでしないような。。(笑)
こんなところに天皇陛下の写真が。。聞くと日本がこの周辺の施設を作ったらしい。「まだ使っているんだよ、ありがとう」と職員の方に何にもやっていないのにお礼を言われ、素直に嬉しくなる私。。
アメリカでも何度も感じた感覚、日本がやった事をさぞ私がやったことのように思い、不思議と鼻が高くなる。。
何と書いてあるのかと言われ、、え?これ日本人が書いたの?分からない〜〜!っと一瞬パニクに陥ったが、気を取り直して一応訳してみた、、
「Human hearts/souls are peaceful and equally important」四文字熟語とか元々知らないのに加えアメリカ暮らしいが長いせいで日本語が怪しい自分が悲しい。。
恥ずかしくて私がブログを書いたと知人には打ち明けれない理由がここにある。。
曲線美が美しい。。ローマ時代には沢山いたであろうビーナス。ヨルダン大学の中に美術館が無料で観覧できます。中の案内の方が教えてくれたのは、ヨルダン美術館(ダウンタウンにある)には必ずいけだそうです。。
2000年前のビザンツ帝国のガラス瓶、きれいですね〜
これは何とオイルランプ。龍のような頭がオリエントな香りを。。
これもガラス。。美しすぎる、、
学生に一番大事なのはやはり「飯」。。
心の拠り所はやはり、食堂w 美味しそうな匂いが漂っていて大学見学どころではなかったが、、我慢して次へ。。
外国語専門家の掲示板ば中国語と韓国語の宣伝が。ここはさすが韓国人アピィールの仕方が上手い、右上の黄色い張り紙が韓国語。。左のA4の白黒が中国語講座の勧誘。。
カナダ人の友人が取り上げた本は、それもやはりオリエンタリズムの影響かアラビアンナイト。。
図書館の中の方が秘蔵の本を取り出して特別に見せてくれた。何と一千数百年前に書かれた書物らしく羊の皮に書いてある。。
年季がはいってもはや可愛らしい
古そうな本達。。
こんなに素敵な建物もある、、中はグリーンハウスのよう
もっと近くで撮るべきであったが、壁の絵にモスクと平和の象徴画
芝生の上でくつろぐ生徒達
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ソーラーのソネングラス☀︎と灯油のオイルランプ🕯 仲良しのはしやみ @yanoyanoie と タイマーの宿 @timer_no_yado へ行き、電気とガスがない場所で一晩、とてもとても気持ちよく過ごしました✨ 夜は電気の代わりに、この灯りたちと共に。お料理もよく写る明るさです。薪料理おいしかった〜〜 我が家でも満月の夜はとても明るいのですが、この日の夜は本当に明るかったのです。月明かり、朝の光、からだ中で味わいました。 我が家も電気の代わりに、火を使うこと、手足と頭を使うこと、たのしんでますが、まだまだ出来ることあるなと、新しい未来にわくわくして帰ってきました🌟 ・ #yamaai #暮らし #ソネングラス #オイルランプ #民泊 (Yamaai-山合-) https://www.instagram.com/p/CPlTverMVxR/?utm_medium=tumblr
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トマソンの庭/パオン
公園で拾った鍵をいっしょうの宝のように財布にしまう
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「アンリさん、あなたにこれを預けておきます。私はもう、会社、やめますから」
先輩は七月三十一日付で退職した。安里という名字を一度もヤスザトとは呼ばす、先輩は最後までアンリさん、なんて呼んだ。わたしは生まれて初めてのニックネームがうれしくて、ヤスザトです、なんて野暮なことは言わないでおいた。
先輩が退職してから、わたしは毎日先輩に教えられたように、素早く/正確に/美しく、不要書類をシュレッダーにかけている。研修と称した牧場旅行、あれが活きている。研修旅行では約五時間ヤギに餌を与えつづけた。わたしたちの身近な生物でもっともシュレッダーに近いもの、それが家畜だと先輩に教わった。ヤギが草を食べるのを見て、先輩もわたしもヤギと同じ草を食べた。ひまな牧場だったので来客用の餌の回転も悪いのか、草には新鮮味がなく、牧場の味がした。具体的に言えば、牛小屋の、地面に敷かれた草のにおい。口の端から草を伸ばすわたしを見て先輩は「ドカベン」と言った。わたしはツン、と無視してその草をペッと吐いた。
残業はありません。の一文を売りにしていたような会社だったが、入社してから一か月は残業があった。毎日三十分、シュレッダーの掃除だ。先輩といっしょに。詰まった紙を取り除き、刃を清潔に保つ。一か月過ぎてからは業務中に行うようになったため、残業はなくなった。残業後必ず先輩は引き出しの中から焼酎を取り出し、オイルランプで温め、あろうことかその熱燗に細かくちぎった紙をきれいに浮かべた。
「この紙をここへ置いて、これはそこへ。アンリさん、アンリさんの分の紙もありますよ」
「いやいやいや」
「見て、アンリさん。これがね、ほら、そこ」
先輩は、焼酎の中の紙のゴミを指さした後、窓の外、大きなビルを指さした。
「ああ、トキワ第一ビル」
「でね、これが」
「んーそっちのビルはわかんないや」
「私はね、アンリさん。シュレッダーのゴミをこのビルのいちばん上からばら撒きたいの」
「え、なんでそんなことしたいんですか?」
わたしがそう聞くと、先輩は焼酎を浮遊する紙ごとぐいっと呑んだ。
「反抗です」
「先輩酔ってます?」
「アンリさんは、トマソン、って聞いたことありますか?」
「いえ、一度も。すいません」
「トマソン、つまりまるで意味のない、芸術を超えた芸術、なんて気取った言い方をするのは、私は嫌いなのですが。ちょっと、ついてきていただけますか?」
「え、は、はい……」
今日の残業はいつもより長いな、と、先輩にぐいぐい手を引かれながら歩くわたしは考えていた。酒を飲んでいるのに、なぜかいつもしっかり残業代は支払われていた。
エレベーターに乗り、Rボタンが押される。
「これから私たちが向かう場所は、絶対に口外しないでください」
「屋上のことですか?」
「しっ。その名前で呼んではいけません。トマソンの庭、と呼んでください」
「意味のない芸術ですか? 意味がないんですか?」
「私には、意味があります」
エレベーターのドアが開く。暗く、静かで、冷たいみたいになった屋上への扉。扉の窓からは光が差し込み、そこだけ生きているみたいだった。
「ここへはね、私しか入れないんです。これ、私しか持ってないから」
おしゃれな財布だなあと思った。なんだかちょっとめんどくさいなあと思った。先輩は変な人だった。財布の小銭入れから宝物みたいに鍵を取り出し、わたしの手のひらに乗せた。
「これ、屋上、あ、トマソンでしたっけ? その鍵なんですか? どうして先輩が? 実は先輩、偉い人だったり?」
わたしの話を聞いているのかいないのか、質問には答えてくれず、さあ、扉を開けて、なんて先輩らしくわたしに指示を出す。どこにでもある、MIWAと書かれた銀色の鍵。わたしのアパートの鍵にも似てる。きっと先輩の家の鍵もMIWAだろう。
鍵穴は正しく、そしてこの鍵もまた正しかった。静かな音を立て開錠する。まるで秘密を共有するような、知ってはいけない街の秘密を知ってしまうような、そんな予感がした。冷たいのか、熱いのか、なんだかよく分からなくなったドアノブをひねる。中途半端に夜になった光がわたしと先輩を覆う。夜はすぐそこまで来ていたのに、先輩とわたしにこの秘密を打ち明けるため、ビル群の向こう、夕焼けのふりをして待機しているようだった。
「すごい」
街は、光源に見えた。無限につづく階段に見えた。そして、どこまで空を見つづければここから逃げ出せるのだろうと思った。気付くと先輩とわたしは柵のぎりぎりに立っていた。
「階段みたいでしょう? トキワ第一が一段目、その隣は紺野記念ビル、これが二段目。三段目がパークサイドビル。この街には、三段くらいの階段が無数にあります。でも、それをのぼってもどこへも辿りつけない。無数に存在するトマソンを眺められる庭なんですよ、この屋上が。階段って本来、目的地が無ければ存在しえない。目的地が先にあって、そこまでの案内をするために階段は作られます。けれど、この街の階段はどこへも行けない。私は初めてこれを見たとき、ほんとうにショックだったんです。どうしたらいいのか分からなくなっちゃった。だからね、徹底的にシュレッダーをかけてやろうと思ったの」
「でもどうしてそれが反抗になるんですか? ていうかその鍵、どうして先輩が持ってるんですか?」
向こうの空から夜が染み込んでくる。夕焼けと混ざって、群青色がぼんやり滲んでいる。
「意味ないでしょ、だって」
「何が?」
「鍵はね、アンリさんにも見えますか? あそこに公園あるでしょ、イチョウ公園って呼ばれてるんだけど」
子供たちの安全のため遊具にはすべてロープがかけられ、ベンチしか残っていない公園、先輩はそんな寂しいみたいになった公園を指さした。イチョウの木だって、一本しかないのに。
「ああ、ありますね。面接前、あそこのベンチで時間潰したなあ」
「私、それ見てましたよ。でね、アンリさんが座ってたそのベンチに私も座ったことがあって、それで、拾ったんです、この鍵」
「どうしてここの扉の鍵だって分かったんですか?」
「ここの鍵だったらいいなって思ったんです。ちょうどその頃アパートのスペアもなくしてた頃だったから、アパートの鍵でもいいなって思っていましたが」
人差し指と中指で人形を作ってビルの階段の上を歩かせながら、先輩は懐かしそうだった。
「わたしも、もっとしっかりシュレッダーかけますから」
先輩は変な人だけど、でもわたしは先輩の後輩として、教わったことをしっかりやり遂げ、先輩の反抗の力になりたいと思った。復讐でもない怨念でもない「反抗」と言ったときの先輩の楽しそうで寂しそうで何もなさそうで意味もなさそうででも絶対にやらなきゃ後悔するような反抗を、わたしもやりたい。何が何なのかぜんぜん分かんないけど。
「アンリさん、あなたにこれを預けておきます。私はもう、会社、やめますから」
七月三十一日、久しぶりに残業があった。その日はやたらと不要書類が出た日で、噂によるとコピー機の不具合でミスプリントが多発した日で、わたしよりだいぶ早い時間に出勤していたらしい先輩が朝からインク塗れになっていた日で、先輩の反抗の日だった。
屋上の鍵は先輩が開けて、わたしが抜いた。「小銭入れに入れておけば絶対に失くしませんから、アンリさんもそのようにしてください」という先輩からの指示通り、小銭入れの中、先輩がやっていたように、宝物みたいにたいせつにしまった。
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パオン
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明日はいよいよクリスマスイヴ🎄🎅☃️ うちの上の子は 1年間いい子にしなかったからと、 本気で🎅🏻さんがくることを 諦めてます笑 picは 最近お気に入りの #ムーミンランプ ムーミン、ニョロニョロ、スナフキ .. #キャンプアウトドアJP #フォトコン
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@yukapikotaro
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明日はいよいよクリスマスイヴ🎄🎅☃️
うちの上の子は
1年間いい子にしなかったからと、
本気で🎅🏻さんがくることを
諦めてます笑
picは
最近お気に入りの
#ムーミンランプ
ムーミン、ニョロニョロ、スナフキンが
描いてあって、ホントに可愛い🥰
色的になんとなくクリスマスっぽい
ところもお気に入り«٩(*´ ꒳ `*)۶»❤️
リフレクターありとなしがあるんだけど、
これはありのタイプ❤️
光が反射されて、ホントに綺麗(*´╰╯`๓)♬
青もあるんだけど、
綺麗な青なんだよねー✨✨
どうせならコンプリートしたい😁
あー(,,>
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mew mew? #ガウガウであって欲しかった #オイルランプ #ランプ #ランタン #アンバーカラー #巾着 #ダイソー #とりあえずキャンプに行きたい #キャンプ #アート #アウトドア #キャンプギ .. #キャンプアウトドアJP #フォトコン
mew mew? #ガウガウであって欲しかった #オイルランプ #ランプ #ランタン #アンバーカラー #巾着 #ダイソー #とりあえずキャンプに行きたい #キャンプ #アート #アウトドア #キャンプギ .. #キャンプアウトドアJP #フォトコン
@2020.abc.06
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