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#エクス・マキナ
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『エクス・マキナ』:メモ
原題の「EX Machina」はラテン語で「機械仕掛け」という意味らしい(Wikipedia)けど、英語の「ex-」って、ex-boyfriend(元カレ)とかex-husband(元ダンナ)とかって使われるから、その使い方で言えば、「元機械」になって、まあ、ちゃんと映画の内容を表した題名になっている。
それにしても、だ。
これもまた、相変わらずの生命教信者の作る生命教信者のための映画。生命教信者たちは、知性現象を人工的に作り出そうとしたときに、どうしても「人間」を「再現」したがる。人間のような知性現象、輒ち、生命現象依存型知性現象の質の悪さや始末の終えなさは、何千年の歴史を通じて、身に染みて分かっているはずなのに、わざわざ、そんな欠陥品を真似て、知性(人工知能=人工人格)を作ってしまう。物語の終盤で、大天才の(はずの)ネイサンが、「なぜこんなことに…」とか言ってるけど、馬鹿なのかな?「人間」を作れば、こうなるのは分かりきってるじゃないか。というか、これは、この映画の製作者たちに向けるべき〔非難・不満〕なんだけど。
まあ、仕方ないよね。生命教信仰から来る「知性現象といえば人間のソレ」という「短絡」なんだから。前にも書いたけど、人工人格を作っていて、それが人間に似てしまったら大失敗だから、即やり直し。
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a1b22c333w · 9 months
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ヒトとカミ
character designed by:✴︎104jiro_17(XID)
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ladysbike · 3 months
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富士山の頂上近くがスタート地点で、もっとも高いところは5,000mを超える、まさに冒険好きにはたまらないツアーをロイヤルエンフィールドが主催しているのを知っているだろうか? そんな過酷なツアーに挑んだ女性タレントのリアルな感想をお届け!
https://www.l-bike.com/topics/42574/
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fumble-village6 · 8 months
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jajihealth · 2 years
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デウス エクス マキナ最新スペシャルコラボ 世界に先駆けて日本先行発売!
デウス エクス マキナ最新スペシャルコラボ 世界に先駆けて日本先行発売!
KEI NAITO × デウス エクス マキナ 昼はメカニック、夜はアーティスト 私の人生のほとんどは絵を描くことに費やされています。 メカニックとしてアーティストに魅了され、アーティストとしてインスピレーションを受けました。 完璧に共存する、それが私 内藤圭です Kei Naito 1977年東京都生まれ。祖父と父が経営する内藤オートエンジニアリングの工房の2階で育つ。 自動車博物館のような工房に置かれた名車のディテールに目を奪われ、車を美しくレストア・磨き上げる職人技に感銘を受けます。 現在は自動車整備士兼代表として工房を営み、車と同じくらいアートが好き。 色、形、細部への関心は尽きることがなく、アーティストとして絵筆を持ち、飽くなき好奇心でキャンバスに絵を描いています。 内藤圭の絵画では、ありふれた対象が拡大され、変形され、クローズアップされます。…
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jpopstreaming · 2 years
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🆕 「 デウス・エクス・マキナ」 by yonige Now available for streaming overseas! ➡ Added to our weekly playlist: https://spoti.fi/3lgjH73
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jsato · 9 months
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ジョージ・ソロス:危険な悪魔を持ち歩く「神」
元記事:2004年のロサンゼルス・タイムズ紙記事https://www.latimes.com/archives/la-xpm-2004-oct-04-oe-ehrenfeld4-story.html BY RACHEL EHRENFELD AND SHAWN MACOMBER
 「率直に言って、これ以上多くのことをする必要はないと思う」と、民主党の慈善家ジョージ・ソロスはほんの数ヶ月前、USAトゥデイ紙に自慢げに語った。「私は今、ブッシュの敗北は当然だと思っている。」
 彼にとって残念なことに、その敗北はもはやそれほど確実なものではなさそうだ。 この億万長者は、ジョン・F・ケリーを当選させるために1500万ドル以上を費やしたが、今はさらに300万ドルを投じて、以前の投資を守ろうとしている。
 「ブッシュ政権下のアメリカは世界にとって危険だ」とソロスは言う。世界を救い、ジョージ・W・ブッシュの再選を阻止するために、ソロスは並外れた時間と資金を費やしてきた。というのも、ブッシュを倒すことが彼の "中心 "だからである。彼のモットーである "お金を十分に投下すれば、正すことができる" は、社会を変えるための彼の明確なアイデアのエッセンスである。
 ソロスは、自分が神から油を注がれたと信じているようだ。「私は自分をある種の神だと思い込んでいた。本当のことを言えば、私は子供の頃から、かなり強力な救世主的幻想を抱いていた。それを抑えなければいけないと思っていた。抑えないとトラブルに巻き込まれるかもしれない」
 イギリスの『インディペンデント』紙から、この一節について詳しく尋ねられたソロスは、「自分自身を神のような存在、すべての創造主だと考えるのは一種の病気だが、それを実践するようになってから、今はそれが心地よく感じられる」と答えた。
 私はそれを実践するようになった。ソロスをよく知らない人は、この発言を頭から否定するだろう。しかし、彼のキャリアや社会政治的活動を追ってきた者にとっては、そう軽々しく受け止めることはできない。
 ソロスは莫大な資金を駆使して、かつては考えられなかったようなことを可能にする能力を持っていることを証明してきた。自称 "非道徳的 "な金融投機家としての彼の仕事は、自国通貨が切り下げられたときに何百万人もの人々を貧困に陥れ、旧ソビエト共和国を自分の好みに合わせて形成するために多額の資金を投入し、旧ソビエト帝国は今や "ソロス帝国 "だと自画自賛している。
 そして今、彼はアメリカの内政に目を向けている。現在のアメリカは、「市場原理主義者」と「宗教原理主義者」の邪悪な同盟の悪魔の子である共和党によって運営されており、「世界にとっての脅威」である、と彼は最新刊『アメリカ至上主義の泡』の中で書いている。私たちは "至上主義 "の国になってしまったのだ。
 ソロスはコロンビア大学の卒業式でのスピーチで、「もしブッシュ大統領が再選されたら、われわれは『われわれのどこが悪いのか』と問わねばならない」と述べた。「現代社会全般、特にアメリカは価値観の欠乏に苦しんでいると感じている」と述べている。
 ブッシュの対テロ戦争への積極的な取り組みは、こうした思いをさらに募らせている。「ブッシュ大統領が頻繁に言うように、自由が勝つと言うとき、実際はアメリカが勝つという意味である」とソロスは書いている。ソロスは「勝つ」ことを誰に望むのだろうか?サダム・フセイン?オサマ・ビンラディン?
 国際的な慈善家としての名声にもかかわらず、ソロスは自分の本当の慈善家としての傾向について率直なままである。「私は一種のデウス・エクス・マキナだ」とソロスは1994年にニューヨーク・タイムズ紙に語っている。「私は不自然な存在だ。なぜなら、それは私自身が作り上げたものだからです。というのも、それは私自身が作り上げたものだからです。個人的な立場では、私は無私の慈善家ではない。自己中心的です」。
 伝記作家のマイケル・カウフマンに自分の人生哲学を説明したとき、ソロスはもっと簡潔だった。「私は影響力を持ちたいと願う一種の変人だ。」
 しかし、この投機家のビジョンはそれだけでは終わらない。
 「神になりたいという空想の次に、私は狂人になりたいという空想も非常に強い」とソロスはかつてイギリスのテレビ番組で打ち明けた。「実際、私の祖父は偏執狂でした。私の家系には狂気が多い。今のところ、私はそれを免れています」。
 著書『ソロス・オン・ソロス』の中で、彼はこう語っている。「私は他人から押し付けられたルールを受け入れない。そして政権交代の時期には、通常のルールは適用されない。」 明らかにソロスは、「通常のルール」がいつ適用されるべきで、いつ適用されるべきでないかを判断できる人物であると考えている。
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deepsea6500 · 2 years
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デウス・エクス・マキナは死んだ継続 ଓ HOカミ
CoC お、捨てKPCだ。可哀想に… ver
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cine-cuisine · 10 days
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映画「エクス・マキナ」をモチーフにした料理レシピ『アヴァの青いリゾット』|あらすじ・キャスト・原作の情報も
映画「エクス・マキナ」のあらすじ 「エクス・マキナ」は、壮大な自然に囲まれた孤立した研究施設で繰り広げられる、SFサスペンス映画です。 若きプログラマーのケイレブが、優れた知能を持つロボットのアヴァと接触するために、ある実験に招待されます。 施設の所有者である天才発明家ネイサンは、アヴァが意識を持つかどうか、いわゆる「チューリングテスト」と呼ばれる試みをケイレブに委ねます。 やがてケイレブはアヴァとの交流を通じて、彼女がただの機械以上の存在であるとともに、ネイサンの周到な計画に疑問を抱き始めるのです。 エクス・マキナは、人工知能や倫理的な問題を巧みに描き、観る者に深い印象を残す作品となっています。 今夜の映画レシピは「アヴァの青いリゾット」 レシピの詳細 このレシピは、映画に登場するアヴァの青く美しい発光するパーツからインスパイアされた料理です。 ブルースピリュリナを使い、その独…
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ishiiruka0421 · 2 months
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kurano · 2 months
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※ 中国「警察業務拠点」を警視庁捜索 給付金詐取容疑で2人書類送検へ
https://news.yahoo.co.jp/articles/0070ae35723f4b966a7da3513d483632a4d6835b
*「日本での言論が中国で犯罪化」香港民主活動家と「共謀」の菅野志桜里氏、主権侵害に懸念
https://news.yahoo.co.jp/articles/35648e3b6ebc890f80e3a68fb9a647c88bebda9d
 海外警察、目立っちゃ駄目じゃんw。その国の主権侵害はしないという大前提でお目こぼしされているんだから。
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kennak · 2 months
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私は『三体問題』を読んだのですが、それは当時、宣伝が多かったからだ。 実は、私はこの本を小さな読書会の最初の本として提案しました。 私たちは皆、単純にビールを買って、他のメンバーが提案した本を読んでおけばよかったという意見で一致しました。 この本は 2 つの非常に優れたアイデア (歴史ループの性質と「コンピューター アーキテクチャ」) を提示していましたが、過度の繰り返し、平坦な文字、および (少なくともスペイン語版では) 貧弱な文章によって損なわれていました。 特定の出来事に対する一部のキャラクターの反応はまったくばかげており、デウス・エクス・マキナの解決策は残念なものでした。 構成が非常に反復的で、本の半分が同じ章が何度も繰り返されているかのように見えました。 とても退屈だと思いました。 単一のデータポイントに基づいてこのような広大な文化を判断するのは公平ではないことは理解しているので、他の中国の SF 作家の作品についての提案をいただければ幸いです。
SF作家は中国を怒らせることを恐れて賞から除外された | ハッカーニュース
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myss666 · 5 months
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2021.08 『デウス・エクス・マキナは死んだ』HO1
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fumble-village6 · 8 months
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sag-log · 9 months
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𝐂𝐨𝐂 「デウス・エクス・マキナは死んだ」  作 茶々丸様
𝐊𝐏 / あゆさん 𝐏𝐂 / 𝐏𝐋  𝐇𝐎𝟏 エア / 写玥  𝐇𝐎𝟐 埴山ヒメ / 味の素
 𝐄𝐍𝐃 両生還
 𝐝𝐚𝐭𝐞 𝟐𝟎𝟐𝟑.𝟕.𝟐𝟐
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picolin · 6 months
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Killers of The Flower Moon
screenplay by Eric Roth and Martin Scorsese
dir. Martin Scorsese
2023年10月25日 BFI IMAX
マーティン・スコセッシの新作。原作はデヴィッド・グランのルポルタージュ『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン:オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生』。元いた居住地を追われ続けてオクラホマに落ち着いたアメリカ先住民のオセージ族は、原油を掘り当ててその権利を獲得し、20Cに入ってから車社会になったことで石油の価値が上がり、USでも有数の裕福な部族となっていた。そんな彼らの間で、1910年代以来比較的若い住民が謎の死をとげており、それぞれの不審な状況にもかかわらず何の捜査もなされていなかった。そんな中、テキサスからアーネスト・バークハート(レオナルド・ディカプリオ)が叔父のビル・キング・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)を頼ってやってくる。
撮影が『バービー』と同じロドリゴ・プリエトというのに驚かされる。20C前半を舞台にした西部劇とギャング映画を並行したようなトーンで、登場人物がやましい会話をするシーンで時々妙にモダンな構図の画が出てくるのが面白い。オセージ族の風俗(モリー(リリー・グラッドストーン)が身につけているビーズのネックレスの素敵なこと)もすばらしいし、特に前半、20年代のジャズエイジ風の衣装(モリーの姉アナのフラッパー風の衣装!)は見ていてとても楽しい(衣装デザインはジャクリーン・ウエスト)。これが映画音楽としての遺作となったロビー・ロバートソンの音楽もアメリカーナ全開で中西部の空気を濃厚に感じさせてくれる。編集はいつものテルマ・スクーンメイカーだが、今回は特に前半では焦らずゆっくりとしたテンポで当時の雰囲気と白人たちの手口をじっくりと見せ、後半速度を増していく感じで物語重視の作りになっている。
原作はどちらかというと犯罪ノンフィクションもので、当初の脚色もそちら寄りだったとの情報を散見したが、被害者側に近い加害者中心に変えたことは正解だったのでは。このおかげで、モリーへの愛情をもちつつもビルおじや弟のブライアンに言われるままに犯罪に手を染めるアーネストのふらふらとした曖昧な立場での「普通の人々」の芯のない邪悪さについての映画になっている。最初の方のビルおじがアーネストに土地での生活についてアドバイスするシーンから、その後に起こることの伏線が散りばめられている脚本のうまさ。その背景にあるのは白人による先住民の差別と抑圧・搾取があるのは明白で、非白人は知能が劣っているからという理由で財産管理のための後見人をつける(「無能力者です」というモリーのセリフ)、食事と酒で健康を損わせてコントロールする(「最近落ち込みがひどいんです」というヘンリーに「いい酒があるよ?」と返す医者)、言葉と風習をコピーして理解者のふりをしてコミュニティにくいこむビルおじの二枚舌といった手法は欧州人による植民地経営の手管を連想させる。連邦からの捜査官が出てくるのはずっと後の方で、彼らの飛び抜けた有能さもあって非常にデウス・エクス・マキナ感が強い。そして、通常の映画なら字幕で済ませてしまうところを意外な演出にまとめた物語の締めくくりは、この映画自体をも皮肉るかのようにまるごとメタな構造にしてしまう。
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