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#お葬式の台本
ari0921 · 1 year
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高山正之氏の論考をシェアさせていただきます。
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 信長は偉かった
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高山正之
 ユダヤ教の神ヤハウエは天地を創造し、ヒトを含めすべてを創った。
 ただ少し抜けていてバール神とかその他大勢の神も創ってしまい、ユダヤの民には「他の神を崇(あが)めるな」と命じる羽目になった。
 民は従うが、今度は「濫(みだ)りに我が名を口にするな」という。「神様、助けて」とか神頼みをするなと。
 LGBTも嫌いで、ソドムの街は焼き払われた。
 その点、日本の神々は違う。ひたすら民を思う。災いがあれば、それを神様が祓って川に流し、川の神が海の神に渡し、最後は水底の神が埋めてしまう。川の神は「千と千尋」にもちょっと顔を出していた。
 そういう神々を祀る伊勢神宮や諏訪大社、豊川稲荷などは日本列島を縦断する大断層、中央構造線の上に建っている。
 断層がもたらす地震や噴火を鎮めるためにおわすように見える。
 ただ日本の神々は不浄を嫌う。とくに死を嫌う。だから神社内では絶対に葬式をやらない。
 人々は困って、死にそうな召使いには暇を出し、多くが行路死した。
 芥川の『羅生門』にはそうした死体であふれる京の都が描かれている。
 その惨状にお寺の坊主が目をつけた。
 お釈迦様は涅槃に入るとき「葬式はするな」と言ったが、それは聞かなかったことにして以来お寺が死人の始末を始めた。
 坊主が葬式を仕切り、戒名に卒塔婆に墓石も売りつけた。坊主丸儲けだった。
 カネができ、真剣に彼岸を信ずる信徒がたくさん増えれば坊主は増長する。
 荒法師が京を荒し、坊主軍団が政争に割って入って政治を動かしてきた。
 意のままにならぬは「鴨の流れと山法師ども」と白河法皇が嘆いたのもこのころだった。
 一向宗の坊主たちはとうとう加賀を支配するに至って、信長は信仰心を悪用する坊主の成敗に出た。
 一向宗総本山の石山寺を討ち、比叡山の天台宗延暦寺も攻め落とした。
 信長記には女子供に至るまで皆殺しにしたとある。ルイス・フロイスが「悪魔の所業」と非難するほどの振る舞いだった。
 ただ歴史作家、塩野七生は別の評価をする。信長以降、坊主は分を弁え、政治に口だししなくなったと。
 もう一つの外来宗教、切支丹も神の愛を説きながら奴隷商売に勤しんだ。
 秀吉はイエズス会のコエリヨに真人間になれと説くと、彼は反発して切支丹大名を語らい、秀吉を討つよう画策した。
 そういう政治性を家康も家光も嫌い、島原の乱では女子供まで殺した。日本人キリスト教徒が己の分を弁えた瞬間だった。
 明治政府も、五榜の高札で切支丹を含む邪道の布教を厳しく禁じた。
 実際、海の外のキリスト教徒に進歩はなく、米国ではその3年前まで黒人奴隷を使い、禁止されると今度は苦力(クーリー)を買っていた。
 一方日本では宗教が躾られ、それによるゴタゴタは一切なかった。
 しかし戦後、馬鹿なマッカーサーがきた。
 日本軍に叩かれ敵前逃亡までしたこの愚将は日本軍の強さの源「大儀」を知らなかった。
 それを日本の神々への信仰心だと邪推し、神道を邪教とするGHQ憲法を押し付けてきた。
 ために忠魂碑を拝むことも靖国詣でも咎めだてられたが、その反動で、仏教もキリスト教もその他宗教も何をしても許された。
 オウムは弁護士一家3人を殺し、長野で8人を殺害しながら信仰の自由を盾に警察の捜査すら阻んだ。
 創価学会は信長が許さなっか政治に口を出し、文鮮明は朝日新聞が慰安婦の嘘で支援したこともあって日本人に贖罪のカネを出させ、日本人女性には自ら韓国人の性奴隷となるよう仕向けた。
 この文鮮明の不遜をきっかけに、国会は初めて神道以外の邪教にメスを入れ、瓢箪から駒というか、その邪悪に気付いてきた。
 日本人に外来宗教は似合わない。日本の神々が一番いい
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harawata44 · 4 months
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【文化】日本ではおなじみの「引っ越しの挨拶にタオル」、台湾では完全にアウト!その理由が納得すぎた…
以下転載 https://x.com/KURAMOTOTOMOAKI/status/1744563695441924576?s=20
台湾人の友人から、最近日本人がマンションの隣に引っ越して来たんだが、いきなりタオルを渡されて困惑していると言われて思わず笑ってしまった(台湾ではお葬式の参加者にタオルを配る習慣がある)
・https://x.com/Tanosimi3500/status/1744616083901051074?s=20
謝ってから教えてあげて 「食べ物はアレルギーや好き嫌いや安全性の問題があり、布は何枚あっても困らない事から知らない人に挨拶で渡すには日本では選択肢として好まれるのだ」と
・https://x.com/spica_4_/status/1744690539503690171?s=20
昔、中国の友人の祝いに良かれと思って時計を贈ってしまったことを思い出しました。 友人間だったので大きな事には発展しませんでしたが、外国の方への贈り物は気をつけないといけませんね・・・。
・https://x.com/dia_bell/status/1744734025259077800?s=20
なるほど
↓日本
Tumblr media
↓中国
Tumblr media
・https://x.com/callmeAruuu/status/1744676301674320057?s=20
沖縄もあるよ、配った白いタオルを故人との挨拶の時に棺の中に入れてもらう。 故人があの世にいる親戚たちに配る冥土の土産だってさ。 本土もやると思ってた。
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kennak · 5 months
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連日の報道で、忘れたい記憶がどんどんよみがえってくる。劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。業務をもう少し細かく説明すると、・入出立ち会いよく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。・イベント企画・運営お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。・チケット取次・配席ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。・グッズ作成お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。・正直ここでしか言えないが人間関係が一番重労働ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。会運営陣は、ジェンヌを、劇団を愛しているから。無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。そんなことがあるわけないだろ。平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。自分も、声を上げられなかったひとりだから。彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。妹さんにはお世話になりました、心からのご冥福を祈ります。助けてあげられなくて、ごめんなさい。
ジェンヌの個人FC運営で鬱になった話
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manganjiiji · 11 months
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シルクのガラス
連日日記を書いているということは調子が悪い。私(たち)はもう、大声を上げて泣くということはできないのだ。物理的にはできるし、精神的にもできるし、だけど、体の原理として、ここにないがどこかにあるはずの「本当の体」がもう、大声を上げて泣くことに耐えられない。何か衝撃的に悲しいことがあったら、その見えない体の無理を跳び越えて発火したように泣くかもしれない。しかし、今までのように、体の中にたまった悲しみを、声を上げて泣いて押し出すことはもうできない、そのようなエネルギーは生成されないし、そのようなエネルギーの爆発には耐え得ない。そういうことを考えながら、夕暮、ミスタードーナツまでを歩いた。ブックオフのリニューアル明けが今日だと思ったら明日だった。この新しい町のブックオフに、明日はついに行ってしまうのだろうか、私は。気温が高いので行かないだろうか。最近とみに体力が落ちているので、30度程度でも怯えてしまう。これ以上働くことに差し支えたらいよいよ人生の終末がちかづいてくる。まあそんなことはないのだけど、働けなくなったらまたかなり心を暗くしてしまうであろう。ほとんど働けていないも同然の今だが、かろうじてはいる。これから、ここから抜け出せるのかどうかは、本当に天のみぞ知る。私にはわからない。続けられるかもしれないし、続けられないかもしれない。意志としてもどちらなのかわからない。働きたいのか、働きたくないのか、どちらの思いのほうが強いのか。今までなら「働きたい」がかなりの差をつけてつねにトップに君臨しているが、今のところ、「働きたくない」という悲愴にも似た気持ちが漂う中でさまよっている。職場も人も最高の環境で、まったく「働きたくない」要因がないので、単に労働そのものが嫌なだけである。ただ眠っていたい。ただ勉強していたい。家事をしていたい。散歩したい。ひたすら毎日休日がいい。ほとんどの人が考えるそれをそのまま実践している。とにかく働きたくない。今までの「働きたい」という気持ちがちょうど反転したかのように、無気力というか、家の中で様々なことをするのが楽しくなってしまった。仕事が趣味だったのに、趣味が趣味になってしまった。こんなことは初めてで、自分の「遊びたさ」「休みたさ」にびっくりしている。生家から解放されたら何でもできる気になってしまったのだろうか、とにかく疲れたから、35年間疲れたから、もう休みたいと脳が考えている。
もう少し真面目に生きてくればよかったな、と思ったが、そんなことは生来のこの気質で無理に決まっているので、まったく徒労の思考なのだが、もう少し真面目に生きていたら何かが違っただろうか。真面目に生きる癖、というのは付いたかもしれない。私は真面目に生きる癖がなく、すべて怠惰に済ませ、それでどうにもならなければ逃げる。いつもそうだ。逃げなければ、あるいは全く違う今の自分があったかもしれない。しかし、逃げた末に今のこの自分があるのなら、まあ分岐選択はそこまで間違っていなかったのではないかと思える。友達に恵まれているため。
私が他人への依存が強いのがすべてを悪しき方に向かわせていると思う。もう少し自分一人で生きるということに充足してほしいものだ。どんな時も、自分一人がそれをやるだけでは不十分で、それを誰かに見ていてもらって初めて自分がそこに存在してその行動をしたことに満足できる。これは生まれつきの気質なのか、愛着障害といわれるものに土台がある問題なのか、困ったことにわからない。愛着障害についてなんらかの本を読んでみようか知らん。人に見ていてもらわないと何もできない。何かをしてもその成果を人に見せないとまったく空疎。褒めてもらってちやほやされて、それでやっと安心できる。よかった。私のやったことは正しいし、私はそれを「楽しくやることができた」とここで思える。いつでも誰相手でもとにかくマウントを取りたがる。そのくせ相手に甘えたがる。恐ろしい程に気持ちの悪い自分の性向だ。
なにか素晴らしいことを成し遂げないと誰も私に気づいてはくれない。誰かに見ていてもらわなければそもそも私は存在しない。私の世界に私しかいなくて、その世界になんの意味があるだろうか、私はそのような状況になると発狂しそうになる。幼少の頃からそうだった。自分の考えていることを俯瞰している自分がいて、というのをずっと無限に続けることができると感じると、恐怖に支配され、こちら側に戻ってこれなくなる。自分一人の世界というのが私の最大の恐怖だ。そういう思考に陥りそうになると、とにかく友達の顔を思い出して、そこから日常のエピソードを関連付けていき、なんとか普通の思考に戻ることを試みて、どうにかいつも帰ってきていた。今ではそこまでのパニックに陥ることはないが、この文章を書いている今もかなり「嫌な感じ」が身体を駆け回っている。具体的に、「狂うぞ」と脳が警告して来る。脚が痺れ始め、脳が縮められるような感覚、ぞわりとして、冷や汗が出てくる錯覚。でももう大人になったので、本格的に狂うことはない。私はきちんと社会と繋がって生きているし、ごく自然に、一人で居ても「私は一人ではない」と感じられる。本当は、「私は一人だ」と感じる感性のほうが健康上よろしいことはわかっている。ただ、私がそれをしてしまうと発狂が限りなく近くに寄ってくるので、できない。やはり環境要因ではなく、脳の内部のエラーのように思う。こんなにも他人を必要とする機構をもつ人は、他にどれくらいいるだろうか。こわい。と純粋に思う。自分が一人で、かつ自分の中に何人も思考の主体がいることと向き合わねばならない時、絶叫したいほどの恐怖に駆られる。自分の中の分裂性を恐れているのだろうか。「わたしはわたし」という意識がなく、その枠組みは簡単に外れ、私という精神的な主体はいつでもバラバラになる危険がある。そのことが怖いのだろうか。みな、このような恐怖を感じることはあるのだろうか。揺るぎない「わたし」というものがない。私というのは所詮今までのデータとそれを分析するいくつかの演算装置の寄せ集めで、安定した土台もなければ、強固な枠組みもない。
しかし体は一つで、私が私であることはこの体が一つであるという事実しか担保してくれない。身体の運動能力の低さや、運動強度の低さにも関係があるのだろうか。とにかく私は体が(脳の働きに比べて)弱い。瞬間的には力を出せるが、じっとしてものを考えていることの方が幼少期は多かった。だから体を動かす仕事はかなり難しい、動きながら考えるというのは私に一番向いていない。向いていないが、これが好きなのでずっとやっている。おそらく体を動かすことでしか、私は「わたし」の存在を信じることができないから。人に見られること、人に私を承認してもらうこと、そして自分の体を動かして物事を為すこと。これが私の人生の不可欠の要件だと思う。発狂から遠く、遠くへ行こう、と思うと、この行動になる。発狂は、その入り口だけでもかなり辛いので、実際にしたらかなりつらいのだろうな、絶対に嫌だな、という感覚がある。死ぬこともできず、ただ狂い続ける。しかし、まあ3日くらいで体が限界を迎えて死ぬと思う。だからまあ、究極的には死なないように、この体は行動しているのだと思う。
とにかくたぶん、私は死を恐れる個体だ。死にたくない。死んだら全てが終わりだと思っている。死ぬ前にやるべきことがたくさんある。だからまだ死ねないし、この世界が楽しいのであと何十年かはここにいたい。知己も多くできたし、色んな人の色んな活動、生き方、考え方を知り、それで自分が変化したり、相手に変化をおよぼしたり、人間同士の反応というのが面白くて好きだ。どんな人間のこともだいたい好きだ。Twitterでは露悪的になる人も、対面で会えば、そこまで害悪ということもない。その人のやった事というより、その人自身を見れば、果てまで憎み切るということは、どの人が相手であっても難しいだろう。
いつか、というかこれから、医療や研究はますます進んで、親が死ぬ頃にはどうなっているだろう。お兄ちゃんは障害者として判定されるのだろうか。発達障害というよりは軽度知的障害と考えられる気が最近はしている。もともと境界知能というか、ぎりぎり健常者という知能指数だった。その位の人で社会の中で健常者として生活している人は多々いるだろうし、自活している人も多いだろう。お兄ちゃんは、うーん、��分やっぱり、一人で暮らしていくのは難しいだろう。昔は本当に会話ができないほどに言葉が通じなかったのだが、最近はたぶん結構できている。とはいえ、親の葬式を出せるほどの知能も社会経験もないし、その後一人暮らしできるだけの生活能力もない。障害者として認定してもらってなんらかの支援を受けて暮らしていってほしいところだが、親の葬式を出した流れで結局私が引き取るだろうと思っている。今の所。これは17の頃から覚悟していたことなので、まあそうなってもいいかなと思っている。ただ、そういう私の人生に、他人を巻き込むことはできないなと思い、17の時に結婚はしないと決めた。というか、そもそも人と付き合って家族のことを話すことができないから、付き合うことも不可能だと思っていた。本当に、本当は、お兄ちゃんを引き取りたくはないし、私は私の家族を作ってこの人生を誰にも邪魔されたくないし、親も兄弟も私を虐げた人間全員と縁を切りたい。ド低脳の心が汚れた動物たちと関わりたくない。それでも、愛しているのだった。家族だから。私を産み育て、ともに暮らしてくれた人達だから。私を世界のあらゆる恐怖から守ってくれ、私を見ていてくれ、私の発狂を防ぎ続ける存在となってくれた人達だから。私は家族が好きで、家族は私のことをそれほど好きではなかった。それでも、母親と兄のことは私が面倒を見なければと思っている。父親に関しては、早く死んでくれとしか思わないが、それでも最低限の情はある。糞みたいな人間が血縁者だった場合、その糞みたいな人間を愛さざるを得ない。だからどんなにしょうもない、ろくでもない、価値のないと思える人間でも、私は一定の情を感じてしまう。ここ数年でどうにか、自分の不利益になる人とは縁を続けてはならないということがわかり、実践し始めているが、それでもなかなか難しい。
全ての人間を、自分の家族のように感じる。この距離感のバグりも、私の友人を続ける人達にとっては負担だろうと思う。お兄ちゃんは、そのうち自殺すると言っていた。15年前。もちろん、あの動物にそんなことができる精神力や知能はない。ただ空想の上で、そうすればいいのだろうと思っているだけで、本当に自殺してくれるわけではない。私も、死んでくれたら確かに楽だな、とは思うが、感情面では、死んでほしくないなと思っている。私はお兄ちゃんが好きだった。小さい頃はお兄ちゃんのベッドに潜り込んで一緒に寝たいと駄々を捏ねていたし、6歳から一緒に寝ているうさぴょんは、幼いお兄ちゃんが一度だけくれた誕生日プレゼントだった。私は常日頃から親や兄弟の不満や憎しみばかり言っているが、愛しているということが前提にある。それでも、切り離さざるを得ない。彼らから受けた加害により、私の精神がダメージを受け続けてしまうから。私は家族のことがおそらく大好きだったが、家族は、私のことがそれほど好きではなかった。その事実から、この人生は出発している。
2023.6.16
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ophelia333k · 11 months
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2023年5月27日 相米慎二、ニヒリズム、繰り返し
 朝、頭がぐるぐると回転する変な虫が部屋の中を歩いていて、その虫を追いかけていたら、いつのまにかその虫が黄色っぽい縞模様の猫に変わっていて、その猫を部屋から締め出そうとするものの、液体のようになって入り込んでくる、という夢を見た。
 ***
 相米慎二の「夏の庭 The Friends」を見た。相米慎二の映画を見るのは「台風クラブ」、「お引越し」に続いて三作目。「夏の庭 The Friends」は湯本香樹実の同名の小説が原作であることもあり、ストーリーは分かりやすく、相米作品としては比較的マイルド(?)な印象を受けた。
「お葬式どうやった? 面白かった?」
 と聞く子供に対して、別の子供が「面白いわけないやろ、人が死んでんねんで」、「お葬式は、ただのお葬式やった。ほんで、人は死ぬと焼かれるねん」と答える。
 死に興味を持った子どもたちは、ボロボロの家屋に一人で住む老人をのぞき見して、死ぬところを見ようとするものの、結果として、その孤独な老人との交流が始まり……。あと、言うべきこととしては、商業施設の柵みたいなところを歩いていくときのカットが好きだった。あとは、夏休みの生命力に溢れる雑草たちの香り。
 
 「台風クラブ」「お引越し」でもそうだったけれど、相米作品の子供の描き方は、徹底して子供視点な感じがしていい。まったく同じ場所(たとえば学校、住宅街)でも、大人が見る世界と子供が見る世界は根本的に異なっている。
 
 ただし、今回の「夏の庭」の場合は、「台風クラブ」等の作品ほど子供の側の視点が徹底されているわけではなく、いくらか大人の視点も描かれる(その意味で、「台風クラブ」はほんとうに、徹底して子供の側から見た世界なのがよくて、あの「遊び」性の火花みたいなもので、心がヒリヒリと焼かれるような感覚がある)。
 
 「遊び」性という意味では北野武の『ソナチネ』も間違いなくそうで、沖縄で次々と殺されていくヤクザたちが海岸で花火をするときの、あの一瞬の遊びにだけすべてが賭けられている感じ。あえて「台風クラブ」と比べるのなら、子供の場合は、見ている世界すべてを「遊び」へと転化することができる(たとえば「台風」)ものの、大人の場合はそう簡単にはいかず、しかし、生と死が入り混じったような特殊なあの沖縄の海岸ではそれが偶発的に起きる、と言ってみることもできる。
 
 ***
 
 思考を分節する能力が低いので、自分の悩みをほとんど切り分けられていないし、それぞれの悩みの優先順位や重要性などの整理が一切できていないので、「悩みは何ですか?」と聞かれても、どれが自分にとって話すべき悩みなのか分からない、みたいなことがよくある(というツイートをした)。
 
 表層的かつ重要なことを挙げれば「お金」の悩みというのはあって、考えている時間はかなり長い。自販機でジュースを買うとか本を買うとか映画を見るとか薬をもらうとか、自由に移動するとかそういうことができない、という不便さはあるものの、日本で生きている限り、衣食住をすべて失う、みたいなことにはならないので、「どうにもならない」という線を超えないという保証はある。
 
 もう少し内面的なところで言うのなら、すべてがむなしい、すべてに等しく価値がない、というある種のニヒリズムが完全に身体化されていること。別に、単なる思想や思弁として考えているだけならよいのだけど、身体感覚としてすべてに等しく価値がなく、むなしい、ということが刻まれている以上、どうすればよいのだろう。
 
 生きることにも働くことにもキャリアアップすることにも等しく価値はない、ということはずっと前からこの身体に刻まれていたことだったけれど、それでも、文学や芸術だけは特権的に価値を持っていた。人生には価値も意味もないものの、文学や芸術にはある種、特権的な価値があった。
 
 でも、今はその文学や芸術という特権的な価値すらも揺らいでいて、なぜなら、文学にしろ芸術にしろ、社会とは根本的に異なった原理で動いているわけではなく、たとえば会社や学会やスポーツがそうであるように、何らかのゲームのルールに従って価値が生じているだけだから、という感覚に抗えなくなってきたからかもしれない。
 
 サッカーはサッカーというゲームのルールに従って勝ち負けが決まるし、会社は会社というゲームのルールに従って運動し、勝ち負けが決まったり、価値が定められる。同様にして学会(あらゆる学問)であれば学会というゲームのルールに従って価値が定められ、結局のところ、芸術や文学においてもそれは変わらない。文壇、というほど固定的なシステムは解体されつつあるとはいっても、文学というゲームの内部の権力関係やルールに従って価値が定められる。
 
 だから、すべては単に既存のゲームのルールに従って上手くやる、ということでしかない。もちろん、芸術や文学の場合、ゲームのルールそのものを変更できるわけで、それは一つの光なのかもしれないけれど、それでもやっぱり虚しいな、と思う。
 
 ただ、この話はある意味当たり前のことでもあるし、すべてのことに等しく意味も価値がなくたって別にただそれだけの話なのだけど、問題なのはそうなると、この世界が根本的に無根拠で底のない、得体のしれないものとして見えてくる、感じられているということで、そのとき、意味を持たない、無根拠な世界が自分の中へと浸透してくるような怖さ、こわさ、を感じる。
 
 たぶん、自分の場合には離人症(depersonalization/derealization)の問題もその背後にある気がしていて、どうすればよいのだろう、という感じ。更に言えば、物事の「内側」に入ることができず、常に外側から眺めてしまうということに対して、唯一そうではない状態として眠剤の時間がある。
 
 離人症については、その起源がいつなんだろうと思って調べた(というより、英語版のWikipediaを見た)ことがあって、英語版wikipediaによるのなら、Henri-Frédéric Amielというスイスの哲学者・詩人が1880年に
 
「私は自分自身の存在を、あたかも墓の向こう側、別の世界から来たかのように感じています。私にとってはすべてが奇妙だ。いわば、私は自分の身体や個性の外側にいます。私は人間性を失い、孤立し、漂流しています。これは狂気ですか?」(I find myself regarding existence as though from beyond the tomb, from another world; all is strange to me; I am, as it were, outside my own body and individuality; I am depersonalized, detached, cut adrift. Is this madness?)
 
 と書いていることが一つの起源みたいで、離人症(Depersonalization)という言葉が初めて使われたのは、1898年にudovic Dugasが臨床用語として使った時らしい。
 (離人症の歴史については、Depersonalization: A conceptual historyという論文が詳しいです)。
 
 英語版のwikipediaを読むのはけっこう楽しくて、他にも「Existential crisis(存在の危機)」や、「Ethereal wave(エーテルの波)」のページを見たりしていた。
 ***
 ここまでで3000文字くらいだから、少し書きすぎてしまった。今は午前4時20分で、外は暗いのに、鳥のさえずりが聞こえてくる。
 いまは筒井康隆の『脱走と追跡のサンバ』を読んでいるけれど、これを読み終えたら村田紗耶香の『地球星人』を読みたい。あとは何だろう、とりあえずの目標は何とかしてお金を集めて、薬をもらうことかもしれない。
 最後に、いま聴いている音楽は、ある種のポエトリーリーディングである「ポストずんだロックなのだ」という曲。そこにはすでに自分の中では壊れているはずなのに、何事もなく繰り返し、リフレインされ続ける日常の平坦さ、世界の恒常性みたいなものが歌われていて、ポエトリーリーディングであることの強さみたいなものを感じる。
 
 
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snows-in-april · 2 years
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町に血が流れる時
 投資界に、「町に血が流れる時は買い時」という格言がある。ロッカフェラーが言ったとか、ロスチャイルドが言ったとか。
 よく「戦後の闇市で一財を築いた」などという表現も聞く。
 町に血が流れる、大混乱の時には、普段できないようなお金儲けができる、ということらしい。
 それは、僕らの今の社会の性質らしい。
 町に血が流れる時、多くの僕らは泣き、立ちすくみ、走り出し、座り込み、呆然とする。
 心配で眠れなくなる。疲れる。誰に向けたらいいのか、怒りがこみ上げる。気持ちが混乱する。後悔する。未来がわからなくなる。居座ろうと腹をくくる。でも、怖い。
 それは多くの僕らの、善意がこんがらがった気持ちだ。
 けれど、町は善意だけではできていない。
 善意に見えるものの裏に、何かがあることがある。
 善意とは関係ない、何かが。
 では、目にする善意を疑ってかかるのか? そんなことはできない。
 あふれる善意は圧倒的に輝き、それは僕ら自身だ。
 でも、その光の中で、巧みに動き回る影もある。
 強い光の中で、影も強くなる。
 だから、ちょっと気をつけていた方がいい。
 いま、いきなり世の中が、違う世の中になったわけではない。
 真実や嘘や、善意や策略や、何だかんだが入り混じった世の中だということは、いつもと変わらない。
 例えば、家族が病気になったとする。
 家族の一人は、ただ心配でつきっきりになるかもしれない。
 別の一人は、俺が稼いでやるからと、一生懸命働くかもしれない。
 別の一人は、落ち込んでいるだけかもしれない。
 病人に言うことも、一人一人違うだろう。
「だいじょうぶだよ」と慰める人もいれば、「まったく、だから煙草は止めろと言ったのに」と怒る人もいるだろう。
 その家族の中に、病人を理由に、自分にとって都合のいい方向に家族内の話を進める人がいても、おかしくはない。
 伊丹十三さんの映画「お葬式」のように、人の中に色々な思惑があるのは、緊急時も普段も、変わらない。
 以前から別荘を欲しがっている人は、「ほら、病人を休ませるために、静かな別荘が必要でしょう?」と、話を進めようとするかもしれない。
 以前から車を欲しがっている人は、「ほら、病人のために、車はやっぱり二台必要だよ」と、家族を説得しようとするかもしれない。
「あたしが警告していた通りじゃない。これからはあたしの言うことを聞いて…」と、家族内での発言力を高めようとする人もいるだろう。
 そのどれもが、僕らの普段の生活の縮図だ。
 それと同じように、社会の緊急時には、僕らの普段の社会の縮図が現れる。
 いつも通り世の中には、善意も策略も、真実も嘘も、美しさも汚さも、混じっている。
 その中で、僕らは生きる。
 多くの僕らは、計算高く生きてはいない。
 多くの僕らは、自分に都合のいいように緊急時を利用しようとは、夢にも思わない。
 けれど、そういう人もいる。
 いるのが普通。
 後で幻滅しないように、そのことは思い出しておいた方がいい。
 その上で、だ。
 あふれる善意を信じたい。
 誰かを、普段より強く思いたい。
 涙をこらえて、強く抱きしめたい。
 言葉は要らなくなり、詩人の役割はなくなる。
 多くの人が、詩そのものになって、きらきらと生きる。きらきらと、亡くなる。
 その詩の中に、宣伝の言葉が入ってくるのなら、「あれって宣伝だ!」と叫んだ方がいい。
 その詩の中に、政治キャンペーンの言葉が入ってくるなら、「あれってキャンペーンじゃん」と見抜いた方がいい。
 緊急時に現れるのが社会の縮図なら、これが最後ではない緊急時を助けるには、縮図のもとになる社会をどうするかということになる。
 縮図のもとになる社会をどうするか。
 つまり、例えば湿疹が出た時、塗り薬を塗って治すことはできる。けれど本当は、湿疹のもとになっている、大きな原因があるのかもしれない。
 そういう話。
 でもそれって、緊急時にする話なのか? とも思う。
「でも緊急時は、人が社会のことを考えるきっかけになるから、利用しないと」と言う人もいる。
 確かに、病気をきっかけに自分の生活のあり方を考え直す人がいるように、緊急時をきっかけに社会のあり方を問いはじめる人もいる。
 わかる。それは自然だ。
 でも、利用って。
 町に血が流れる時を利用するって、それ…。
 多くの僕らには、それはできない。
 けれど、いつも通り、判断は時と場合によって違うだろう。
 強い光の中で、影も強くなる。
 善意に見えるものが策略だったり、悪意に見えるものが真実だったり、賢く見えるものが阿呆で、阿呆が賢かったり。
 でも、それは、いつもの世の中と同じ。
 一つ、大空のように見える。
 おおぜいの人の苦難は、おおぜいの人が助ける。
 すぐに去る苦難ではないけれど。
 おおぜいの人が動く。ほとんどは、美しい詩のように動く。
 動く。回る。走る。止まる。方向を変える。
 気をつけながら。
メキシコシティーにて、4月11日
小沢健二
*投資界の格言"The way to make money is to buy when blood is running in the streets."など

http://www.hihumiyo.net/machi_text.html
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ari0921 · 2 years
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加藤康子さんのFacebookよりシェア
晋三先生が奈良にでかける前夜、お母様と一緒にクリントイーストウッドの映画をみたこと。
暗殺される朝、晋三先生は、バナナが好きで、いつものように朝バナナを食べてでかけていったこと。
「今日はどこ?」「今日は奈良だから」と普段と同じようにでかけていったこと。
晋三先生は敵にたちむかい自ら盾となって闘っていましたが、罵詈雑言あびせられても、びくともしなかったので、テフロン加工のように傷つかず、
いつも��和な笑顔をうかべいろいろご助言をくださるので、まったく気にしていないのかと思っていました。
実はいつもいろいろな重圧と闘っていて、選挙前、睡眠アプリをつかっても、二時間半で目が覚めるような日がずいぶんあったこと。ご家族がささえていたんですね。
その日、弾丸は腕からぬけて首にあたり、致命傷になったこと。私は首に直撃したのかと思っていました。ちがうんですね。腕から首にぬけたのだと知りました。もう一つの弾は解剖してもどこにあるかわからなかったこと。
病院についたとき、ほほえんだような穏やかな顔であったこと。
あのすばらしい近畿大学のスピーチは、ご自身で原稿をねり、何度も何度も練習し準備していたこと。
ピアノもずいぶん一生懸命練習していたこと。
英語のスピーチには、旧式のカセットテープでなんども繰り返し聞きながら練習し発音が悪いことも気にしていたこと。
天才だと思っていたら努力の人だったこと。
話せば涙がでてきてしまいますが、思い出は語り尽くすことができませんでした。次から次へとでてきてしまいます。
みんなに愛されて、みんなに惜しまれて、亡くなったことお母様も、昭恵様も、心から感謝していました。
多くの人が晋三先生の死に涙して、手をあわせている写真をみて、ご家族は涙ぐんでいました。
岸田総理を始め多くの人が、国葬にむけて努力していただいていることに深く深く深く感謝されていました。
ホワイトハウスには半旗、インドが3日も喪に服し、ブータンも一日喪に服し、ブラジルも三日も喪に服し、こんなにも世界で愛されていることにとても感謝していました。
台湾の方がつくった追悼の動画をお見せしたところ、大変喜んでいましたが、選挙が終わったら台湾に行く予定にしていたので、とてもとても、残念であること。
私は国葬で、トランプも、プーチンも、モディも、習近平もみなお別れにくればよかったのに・・・・などと申したら、その通りだけれど、警備がたい変だろうと。
昭恵さんは誰も恨んでいないこと。怒りの気持ちはないこと。自分は社会貢献で頑張ってきた人たちの姿をみてきた。社会のなかで、賢明にもがく、山上のような境遇の人にもあってきた。
だから憎しみや怒りの気持ちはおこらないと。
晋三先生の夢は引退したら映画を作ることでしたが、第二の人生で映画を作るとしたらどんな映画を作りたかったのでしょうか。私は知りませんでした。
スポーツもの・・・ラブコメ、戦争映画か、でも本当に夢になってしまいました。
私も含め、警備の不備について納得いかない人が多いのですが、
ご家族曰く警備に携わった人はとてもよい方で、過ぎてしまったことなので、誰が悪い、何が悪いといっても帰ってこないので、そっとしておいてあげてほしい。自責の念にかられ、これからの人生このことをずっと引きずっていきたいかなければならないので、地獄だろう。
お母上は本当に本当にご心痛でお気の毒でしたが、
皆様に感謝していました。
思い出はつきないのですが、晋三先生の死を無駄にせず、やり残したことを皆で成し遂げ、よい日本をつくっていきましょう。
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oka-akina · 2 years
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0927
 元首相が銃撃に遭い亡くなり、かなり衝撃的な出来事ではあったが、国全体で弔う、弔うことで民主主義を守るみたいなのは、ほんとにぜんぜん意味がわからない。銃撃事件の犯人は、元首相含めおおぜいの政治家たちが票集めのために利用していたカルト宗教の被害者だった。大変な死に方をしたからまあ国葬にしましょうかみたいな日本っぽい大らかさは、ちょっとこの事件にはそぐわない。こんなのは大スキャンダルであってとても悲劇のように浸れる出来事ではない。  カルト宗教との繋がり。清濁併せ吞むのが政治でしょうといった賢しらな態度を、政治家も国民も、なあなあのうちに共有してしまっていた。世の中の冷笑的な空気ともたれあい、互いに作用しあって、たとえばこういうことに怒りを表明すると、ものすごく子どもっぽい人たちみたいに扱われる。「大人」の「政治」はきれいごとじゃ済まないんですよみたいな、わかってる風の人たちに馬鹿にされる。わかってる風の人たちが実際何をしているのかはよくわかんないんだけど、馬鹿にされるのはきついし恥ずかしい。馬鹿にする側の方がそりゃあラクなので、ともかくみんな俯瞰できる立ち位置につこうとする。自分だけは傍観者、観察者のつもりになっている。  そのくせ、元首相の近親者とか親交があったというわけでもない人が、銃撃されたのは「かわいそう」「気の毒」を過剰に言いたがる。よくもわるくも情緒的で、そういう共感が、政治家や皇族や芸能人など力のある者にばかり集まりやすいのが、生活の貧しさの表れのように思う。すっかり貧しくなってしまった生活に向き合いたくなくて、ある種の勝ち馬に乗るように、強いものの側につく。品のよさや血筋のよさに憧れ、共感を口にする。  そういう空気が、政治家の票集めをなりふりかまわないめちゃくちゃなものにし、銃撃はその結果といってもいいように思う。政治家も国民も、やらなきゃいけないのは反省と検証じゃないのか。弔問を外交の場として利用できるよみたいなのも、そういう利口ぶった態度の一つで、だからそういうのをやめないとまずいんじゃないの。  なんだか小説のあらすじみたいなんだよな。政治家が票集めのためにカルト宗教と持ちつ持たれつになっていて、そのカルトの被害者によって元首相が殺害されたなんて、お話ならできすぎだ。そうして、ここまでの事件が起きても、政治とカルトの癒着は取り除かれることはなく、なあなあのまま、国葬とかなんとか儀式ぶった何事かにかまけている。感染症はいまだ収束せず、台風の災害でいままさに困っている人がおおぜいいて、近くの国では戦争のまっただなかなのに。ディストピア小説みたいだ…なんて言ってる場合じゃないんだけど、わたしは怒りや意見を表明して何かを勝ち取った経験に乏しいので、「あーあ」みたいな感じになってしまう。火事の現場で焼け落ちていく建物をぼーっと眺めているみたいな。
 いま読んでる小説、サーシャ・フィリペンコ「理不尽ゲーム」。帯には「ベラルーシのディストピア的現状を文学の力で暴く」とあり、前書きには「昏睡状態に陥った国の現状を書いた」「ぼくがただひとつ心から願っているのは、いつかきっと、ぼくの生まれ育った国で、この本が時事性を失うことです」とあった。わたしも今のこの火事のまっただなかを、なにかしら書いておくことがせめてもの抵抗になればいいなあと思うけど、ずいぶん呑気な態度かもしれないよな…。
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kennak · 9 months
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【独占インタビュー】  服部吉次さん(俳優・音楽家/78歳)  今年3月に英公共放送BBCが報じたジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性加害問題のドキュメンタリーを契機に、元ジャニーズJrでシンガー・ソングライターとして活動するカウアン・オカモト氏(27)が実名でジャニー氏を告発するなど、その衝撃は日本中に広がっている。今回、俳優で音楽家の服部吉次氏が小学生の時に受けたジャニー氏からの性被害を告白する。吉次氏は「別れのブルース」「東京ブギウギ」「銀座カンカン娘」などの和製ポップスで知られる国民栄誉賞受賞作曲家・服部良一の次男。長兄は作曲家の故・服部克久だ。(独占インタビュー前後編の後編です)  ◇  ◇  ◇  ──ジャニー喜多川氏に弄ばれたあとはどうしたのですか? 「なぜそうなのか、説明するのは難しいのですが、それからもジャニーとの関係は2年半くらい続きました。彼は毎週土曜日に来て、そのたびにまた私と一緒に寝て同じ行為を繰り返すんです。たぶん1年で30回くらいでしょうか。  秘密の快感と引き換えに、罪悪感は大きくなるし、体によくないという直感も働く。ましてそれが両親にバレたらジャニーが怒られるだろうということも分かるんです。  その頃、ジャニーは『ジャニーズ少年野球団』という、少年野球チームを持っていて、服部家にもそのチームの子どもたちを連れて遊びに来ていました。  彼の運転する車はテールの長いアメ車のクライスラー。それに乗ってドライブするのですが、昔の環状6号線なんか道路の高低が大きいので、まるでジェットコースターに乗ってるみたいで、みんながはしゃいで大騒ぎしたことを覚えています。  これはよく知られていることですが、雨で野球の試合が中止になった時、ジャニーと東京ジャニーズのメンバーが映画『ウエスト・サイド物語』を見に行って、ジョージ・チャキリスのダンスシーンのカッコ良さにしびれてしまい、『これからは歌と踊りだ!』とジャニーがひらめいたといわれていますよね。父の諦道氏も野球とショービジネスにたけていたからそのあたりは血筋でしょう」 ■彼を野放しにした日本社会の閉鎖性  ──なぜ家族が気づかないのでしょう。 「よく言われますが、私の場合ももしかしたら家族が気づいていたのかもしれない。でも、それを体裁が悪い、不都合なことは隠す、という日本的な閉鎖性があったのかもしれない。それが結果的にジャニーを野放しにしたのではないでしょうか。  1965年にジャニーズ事務所が独立した頃もジャニーやメリーも服部家に出入りしていましたが、私とのことは何もなかったかのような振る舞いだし、そもそも彼も少年愛の年齢ではもうなかったからでしょう。私も、記憶の底に封じ込めてしまったのでしょう。そのほうが気持ちが楽ですから。  ただ、その頃ジャニーズ事務所というジャニーにとっては、“趣味”と実益を兼ね備えた“格好の場所”が確保されたわけで、新たな被害者を生み出すことになったのを防ぐことができなかったのは忸怩たるものがあります。  余談ですが、高校生の頃、演劇部の稽古で深夜になることもあって、そんな時なんか、母がジャニーを呼んで『車の運転頼むわね』と、成蹊の演劇部の部室まで迎えに来させるわけです。さすがに彼も憮然とした顔をしていましたが(笑)。  私が大人になってからも、ジャニーは父の主催するコンサートなどにマメに顔を出していました。私はアングラ劇団で役者をしていましたが、生活のために一度だけ兄の克久が音楽を担当した少年隊のミュージカルに出させてもらったことはあります。その時も、『いいよいいよ』とジャニーは二つ返事だったそうです。ただ、慰労会と称した乱痴気騒ぎで若い女優たちをホステス扱いするような世界とはなじめず、それっきりでした」 ──ジャニーズ少年野球団との交流は? 「同じ頃、ジャニーの車で『少年野球団』のメンバー3人と僕の友だちの総勢6人で父の軽井沢の別荘に1泊旅行することになったんです。大人はジャニーだけ。  同行した私の友人Mは今でいうジャニーズ系の美少年で、父の誕生パーティーに彼を呼んだ時に、たまたま来ていたジャニーが彼を見てぞっこんだったようです。『あの子も連れておいで』と言われたので一緒に行くことになりました。  父のコテージは和室と洋間の2部屋。和室が寝所で、両サイドが2段ベッド(4人)で畳に4人分の布団が敷けるから8人は泊まれるんです。  夜、トランプ遊びをした後はジャニーのお定まりのコースです。部屋を暗くして布団に入ったら、気配が伝わってくるんです。『あっ、始めたな』って。  まず2段ベッドの野球少年たち、そして同級生、それから僕。まるで『鴬の谷渡り』みたいに、一晩で5人の間を渡り歩くなんて彼にしてみれば夢の饗宴だったでしょう。大人はいないし、やり放題。ただ、それから数十年後にM君にこの時の話を聞いたら、こう言われました。 『あの時、怖くて外でしくしく泣いていたら、隣のコテージの女性が異常を感じたようで、僕に“どうしたの?”って聞くので途切れ途切れに今自分が体験したことを話したら、そのお姉さんが部屋にいるジャニーを問い詰めたんだ。ジャニーは弁解したけど、彼と同じくらいの年齢のお姉さんは、かなり怒っていた』と。  このことが両親に漏れたら、おそらくジャニーは服部家にも出入り禁止になっていたでしょうけど、言い逃れして事なきを得たのだと思います。この事件後も、ジャニーは服部家に出入りしていましたし、私も何食わぬ顔で接していましたから」 ──ジャニー氏は良一氏の葬儀にも参列されたとのことですね。 「父・良一が亡くなった時、私が喪主である兄の代わりに葬儀を取り仕切っていたのですが、お通夜の時、ジャニーが『よっちゃん、明日の本葬も大変だろう。うちのペントハウスがあるから泊まっていきなよ』と言うので、いわゆる『ジャニーズの合宿所』の最上階に泊まりました。  ぼくの妻と子供たちも一緒。トイレ、和室、プレールーム、風呂場などすべての部屋にテレビがある広大な部屋でした。妻は『こんなことしてくれるのは今度は有吉に食指を動かしてるのよ』と言って、葬儀の時も片時も有吉から目を離さなかったみたいです。有吉は12歳でしたから」 ■“PTSD被害”を再生産した罪  ──結局ジャニー氏はどんな人だったのか? 「マメで気が付くし、気くばりの人。片付けも一人でみんなの分をさっとやるし、いいオジサンであるのは確かです。でも、ステージに立つ夢を抱きながらジャニーズ事務所の門戸を叩いた少年たちの心と体を傷つけむさぼるように快楽にふけった罪は許せないです。  これはあくまでも私見であり、飛躍しているかもしれないけど、彼は日系2世として朝鮮戦争に従軍してるし、アメリカでの日本人差別も経験している。彼もPTSDに苦しみ、それは性加害という形で発現されたのかもしれないと、一度は彼を戦争の被害者の一人として許す気になった時もあります。  しかし、戦争によるPTSDの被害を知るようになるにつれ、彼はPTSDを再生産し、幾何級数的に増殖するシステムを構築してしまった。その現実が見えた今、彼の罪深さは計り知れないと思います。  私自身、その時のPTSDに苦しみながら、なぜ70年間も告白できなかったのか。あらがえなかった、沈黙してしまった、それがジャニーの性被害を育み、果ては主要メディアの沈黙にまで手を貸してしまった。引き返せない歳月を取り返したい。マスコミの糾弾はもっと厳しくあってしかるべきだと思います」 ▽服部吉次(はっとり・よしつぐ) 本名・服部良次。1944年生まれ。父は作曲家・服部良一。劇団黒テントの創立メンバー。「翼を燃やす天使たちの舞踏」「上海バンスキング」「阿部定の犬」ほか多数の舞台に出演。妻は女優の石井くに子。次男はハンブルク・バレエ団で東洋人初のソリストで、バンクーバー五輪の開会式に出演したバレエダンサー・服部有吉。兄は作曲家・服部克久。甥は作曲家・服部隆之。隆之の娘はバイオリニストの服部百音。 (取材・文=山田勝仁)
(3ページ目)ジャニーズ性加害構造の萌芽は70年前に…一晩で5人の少年の間を渡り歩いた“軽井沢事件”の全貌|日刊ゲンダイDIGITAL
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tokyomariegold · 2 years
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2022/8/27〜
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8月27日 カスタムくんに会いに出かけた! 片道2時間の少し複雑な乗り換えを頭にたたき込んだ。あと少しのところで初めての路線乗り換え。そこでお財布を忘れていることに気がつく。え〜〜……!!と、でも、なんとも戻るしかない。そして戻ったらまた同じ道を出発する元気もないし、カスタム君の午後の部にも間に合わない。��浜駅構内にはブルーナカフェが入っていてナインチェかわいいけれど、心はすっかりカスタムくん。
合計3時間程の旅を0円でしてしまった。
戻りながら電車で日記の文字起こしをして、最果タヒの展覧会のオフィシャルブックを読む。もう1年以上私の部屋にある本だけれど、昨日、この本にマンスーンさんが寄稿していることを知り、もう一度読むことにした。
駅のホームでおじさんに話しかけられる。 私に顔を近づけて「一言、二言で終わるから!」と言われ、イヤホンを外すと「あなたは美人です。だからすてきな彼氏がいるんでしょう。そしてその人と結婚して、絶対に幸せになって下さい。」と言って、去って行った。(“絶対に”の位置が「“絶対に”その人と結婚して〜…」だったかも知れない。) 揶揄う相手を間違えている。
ヨドバシカメラで洗濯機をみる。 1人だとただの鑑賞会をして終わってしまうので友人に付き添ってもらった。ドラムより縦型の方が私の生活には合っていそう。コストダウンできた分で何かしようと思った。 友人がフィルムの現像を出していて嬉しかった。自分以外の人が写真を撮っていると嬉しい。
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8月28日 夜にライブイベントに参加する予定があり、1日を、それまで体力を保たせて帰宅後もきちんと過ごせるように時間を過ごしていた。 夜の予定が本当に苦手になってしまう。 もともと、ライブには1人でよく行っていたけれど、チケットを取った時の喜びから、そのライブが近づくにつれて憂鬱になることばかり。ライブの中身より、その時間を耐えた開放感と夜の街にいる喜びに、ライブ=楽しい、という印象をもっていて、ライブって楽しい。
でも、いつもの日曜日をいろいろ終えて、そこからお出かけするのはなんかいい感じ。みんな帰っていく中でわたしはこれから!みたいな。 途中、ディズニー帰りのお姉さんが隣に座り、携帯で新幹線を予約している様子で、これから大阪まで帰るのか〜と眺めていた。
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臨海副都心の街に久しぶりに降り立てて、しかも日暮れ時の涼しい夏の日曜の夜で最高だった。ライブ中も、外の景色とか今の空の暗さとかが気になって、元々終演までいるつもりはなかったけれど、早めに会場を後にした。 フットサルをしている人達、それ以外は、日暮れ時の公園の人達はみんないなくて、ビルの赤いランプが点々と映えていた。
夜の海沿いの首都高を眺めながら、ほとんど千葉なのでは?と思いながら、意外と日曜日もお仕事お疲れ様な人が多い、と思いながら、ライブ会場の粗悪なパイプ椅子から座って鑑賞することを想定されていない高さの舞台を見ることで痛めた身体を引きずりながら、涼しい夜を帰ってきた。
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8月29日 実家へ少しだけ帰ってみる。 母と同じ時に京都にいたらしい。近所の梨園で無人販売を始めたらしく、梨を1袋買った。ちょうどもぎ取ったところで、その場で詰めてくれる。1,000円で5,6個入っていて、1つだけ貰ってあとは実家に置いてきた。
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実家は色々家の補修を済ませていた。 庭の一部にコンクリートを打って通行しやすくしたり、かなり劣化していた木のデッキと縁側をプラスチックの擬木のデッキにして手入れしやすくしたり、施工不良でずり落ちた屋根を葺き替えたりしていた。 また駅まで車で送ってもらう。 昔、塾に行くために下車していた駅は、駅ビルがかなり充実していて、駅横のデパートはショッピングモールみたいになって格が落ちていた。
池袋のビッグカメラで洗濯機を買った! 他店で目星をつけた製品をもう一度紹介してもらい、その内、一つ前の型がかなりお買い得だった製品に決めた。満足のいく行程で購入まで漕ぎつけた、と思っていると、最後にポイントプレゼントキャンペーンの紹介(セールス?)。どこかの国の必殺技くらいにしか思っていなかった“格安SIM”のことが少しわかった。
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帰宅して眼科へ。ペッパー君みたいなお兄さんに検査してもらう。使っているコンタクトのゴロゴロがつらくて、とても毎日装着できないことを伝えると「そうですよね〜、◯◯さん(私の名前)はかなり乱視が強いので違和感はあると思います。」と流れるように答えてくれてペッパー君。「目薬や装着液を使ってもあまり軽減しなくて…」と言うと、「え…?装着液ですか…?」と人間になってしまった。装着液ってハードコンタクトにしか使わないらしい。「(ゴロゴロするのは)慣れれば感じなくなりますかね〜」と言うと「慣れませんよ〜。ずっと違和感は残りますよ。」とペッパー君に戻った。
梨の皮を剥いて、カットして、今までで1番カットされた梨っぽい造形になって嬉しい!包丁を新しくして良かった。
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8月30日 夕食のお誘いメールをもらった。 職場の飲み会が無くなったご時世でとても助かっている身だけれど、少人数の少し心落ち着ける人選の会だと、行きます!と返事をしてしまう。 (食事の席に変わりはないので、少しずつこれから憂鬱度が増していくのだろうな。) でもお誘いメールに“参加してくれると嬉しいです。夕食を取らない派であれば飲み物だけのオーダーでも構いません。ご一緒できるのを楽しみにしています。”とあり、ならば!となったのかも知れない。 基本的に、他人から気を遣われてしまうタイプだと思っていて、(こんなにしたら逆に相手に悪いかな)と不安を抱かせてしまうくらい気を遣ってもらえると嬉しかったりする。(だから、家族や身内の無礼にしょんぼりするし、いつまでも引きずったりする。)
妹と喋れていた頃、その最後の方は彼女とそんな感じの関係でなんか良かった。祖母のお葬式を中抜けして一緒に帰った時、少しお互いの近況を話して、お葬式も大事だけど、テストや課題や明日の大事なことがあるよね、みたいな話をした気がする。
上司の思いつきで明後日は都庁へ行くことになった。昼食問題は自分に正直になって乗り越えよう。
職場で2日連続で病欠した人がいて「また病んでいるんじゃないか」「お前何かしたんじゃないか」みたいな会話が飛び交っていた。 その人がお休みすることで仕事が増えることの迷惑より、ただ何か面白がって言っている愚痴に聞こえて、とっても私は落ち込んだ。
明日で8月が終わる。暑中見舞いは2通お返事が来た。
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8月31日 今日は何もなかった。 そんなことはないはず。だけど、今日は何もなかった。
9月1日 都庁へ行った。1階のエントランスの巨大なピロティが、何かの搬入口みたいな空間なのに人だけが通っていて不気味。 ロビーにはアルソックの警備ロボットがウロウロしていて可愛い。 ずっと閉鎖されていた45階の展望室は、なんと今日から再オープンのよう!警備員のおじさんが「ちょうど今日からなんですよ。」と教えてくれる。 用務まで東京観光案内所で23区と市区町村のパンフレットを眺めて、再来週行く予定の府中市のお散歩マップを手に入れた! 隣は全国都道府県の観光マップが揃っていて楽しい。月替わりショップは今日から山梨県で、オープンしたてなので信玄餅の入荷数を数えていた。
用務が終わり、昼食に行くみなさんを見送って展望室へ。新宿から眺める東京は、何かありそうで、特別何もなくて、意外と住宅街が細々とよく見える。 誰でも弾けるピアノに人がたくさん並んでいて、代わる代わるに上手に演奏していた。みなさん力強いタッチ。
午後から職場へ戻るため、中央線に乗る。 平日の昼間の中央線っていろんな人がいる。ビンテージっぽいTシャツとキャップ、短パンにサンダルを身につけて、手にはフライトの本があり、昨晩の音楽イベントのストーリーを投稿している男の人がいた。
職場に戻ると、昼食をとれない、人前で食べられないことを、また今日も明るみにしてしまい、そのことを話されているな〜小声で遠くで、というのを察知したりした。あと都庁のどこかに傘を忘れたことに気がついた。
帰り道で稲妻を5回見た!
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9月2日 聴く・見る・読む、何を受け取っても、どこかで気持��悪いレーダーが働いてしまう日。何も聴きたくない見たくない読みたくない。なので、自分の頭の中で健やかな都合の良いイメージやストーリーを流していた。
今日も何もなかった。 でも、以前同じ部署だった方にばったり会って「相変わらずかわいいですね〜」と言ってもらった。 「ヘッドホンおしゃれですね。」と言ってもらい、でもただのファッションなんです、ファッションといえば◯◯さん(相手の名前)のメガネっておしゃれですよね、といつも思っていたことを伝えることができた。「眼鏡はね、こだわりがあるんです。」と言っていた。眼鏡市場で買っているとのこと。
掃除をして爪を切って写真を撮って梨を剥いて花の水を換えて鏡を磨いてお香を焚いて洗濯をした。
場所性の本に、写真や芸術作品を作る人は場所のアイデンティティの要素をダイジェスト的に捉える、みたいな文があり、ある作家は、以前住んでいたプレーリーの土地を、グミの匂いの中に見出した、とあって、その作家の作品を観たくなった。
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etanchan · 9 days
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あたしはあなたにはなれない
昼間に書くのは珍しいですね。いつも寝る前に書いています。不眠が加速していたのでブルーライト避けで最近辞めてました。純粋に書きたいと思わなかったしね。まとめておきたいことが終わったので暇だし書き残そう。ずっと書きたかったことでもある。
旅行に行きました。
旅行が嫌いです。子供の頃からあまり好きじゃない。修学旅行も小中高ずっと行きたくないなぁと思いながら義務で行ってた。ここ数年は年に1度だけ毎年同じメンバーで近所にのみ行ってた。静岡とか栃木とか。それも去年はなくて、正直ホッとしてた。旅行、本当に嫌過ぎる。嫌だけど年1は頑張ろうという気持ちだった。「卒業アルバムってマジで要らないし場所取ってるから捨てたいけど、捨てたら人間として何か大事なものを失う気がするから実家に置き去り。」と同じ気持ちで、旅行したくないけど全く旅行をしない人間になるのは逆に怖くて頑張ってた。でも基本行きたくない。長距離移動が苦手。家が好き。旅行で得られる経験と、旅行で得るストレスが釣り合ってない。どんなに仲が良くても誘われたら断っていた。結婚式と葬式と旅行とBBQは基本行かない。繰り返しになるけど、嫌いだから。
そんな私が旅行に行きました。いつものメンバーじゃない人と。その人へのお礼のつもりで、自分の殻を破ることでしか誠意を見せられないな、そういうつもりで覚悟決めて行ったのですが、思いの外うまくいったので、逆に旅行させてくれてありがとうみたいな感じになってしまい、恩を返すつもりがまた恩に着ることになってしまった。なので感じたことを書き残しておこうと思う。その人と破綻して全てが嫌になっても、起きた事実を忘れないように。
2泊3日。目的は仙台で行われるイベントへの参加。でも彼が福島県が故郷なのでついでに実家に顔を出したいとのことで、まず1日目に福島県へ行きました。初めて会う人とドライブするなどして過ごした。人と会うのが多分好きなので、そういう目的の旅はいいのかもしれない。ずっと会いたかった人だったしね。観光となると楽しまなきゃ感が出るけど、君に会いに来たよだと急にフッ軽な感じがして、気負わなくてよかった。夜は飲みに行って、いかにんじんを食べたりした。郷土料理に触れるのも案外悪くはないのかもしれない。義務感あるけどそれもまた思い出みたいな。因みにいかにんじんは別に好きじゃなかった。夜はひとりでドミトリーに泊まった。ずっとカプセルホテルに泊まってみたかったんだけど機会に恵まれず、また男性のみみたいなところも多いので、泊まれずにいた。カプセルホテル探してたら古い建物をリノベしたおしゃれなドミトリーが見つかったのでそこに泊まった。4人部屋で赤の他人と寝るの面白いなぁって。多分旅慣れてる人たちだったんだろう。嫌な気持ちにはならずに無事朝を迎えた。ドミトリーの斜向かいにお寺があって、そこにねこが何匹か住みついてた。朝散歩した時に撫でるなどした。そうやって行く場所全てでねこの友達を作っている私は。千葉のねこ、練馬のねこ、福島のねこ、仙台のねこ。ねこと酒はどこにでもあるし、ねこと酒きっかけで友達が増えることが多々あるので、ねこと酒が好きで良かったと思った。
2日目は仙台へ移動。在来線で1時間ぐらい?かけて向かいました。電車は寒冷地仕様でボタン押さないとドア開かないタイプ。田舎だからか日曜日だからか、乗った電車は全部座れたな。嬉しかった。途中川沿いの満開の桜並木に出会った。急に窓の外がありえないぐらい美しくなってびっくりした。見惚れた。嬉しくなった。あとから調べたら白石川堤一目千本桜というらしい。1200本のソメイヨシノが植ってて、8キロもあるらしい。本当の千本桜だった。眼福。朝早かったからまだ花見客もいなくて、純粋に川と桜だけがずっと流れていって、ほんとにまばらにしか乗ってない乗客も、みんな黙って流れる景色を見ていて、なんかすごかった。夢とか創作みたいな景色と空気だった。電車から桜が見えるなんて知らなかったのもよかった。そのあとは月並みだけど牛タン定食を食べた。麦飯ととろろ。ネギが入ったテールスープ。あと定規揚げ。食べながら彼のお兄さんと話した。大人になった兄弟を並べるのは面白い。イベントに参加した後、ホテルにチェックインしてお風呂に入ってから晩ご飯を食べに出かけた。2泊目はアパホテル。旅行嫌いはアパにも東横インにも入ったことがない。お風呂が思ったよりよかった。小さいけど露天があって、日曜の昼だから誰もいなくて、大変快適。なんでこんな遠くまで来て人混みにうんざりする必要があるんだよ。という気持ちにならなかったのがよかった。人混みも別に好きではあるけど。露天風呂の壁に書かれていた「虫さんや葉っぱさんもお風呂がだいすきです。見つけたらそっとすくってあげましょう」みたいな注意書きがかわいくて嬉しかった。風呂って変だよなぁって思った。夜は牛タンカレーと牛タンのたたきを食べた。そもそもルゥが美味いのに、でかい塊の牛タンが煮込まれてて天才だった。あとなんか日本で初めて牛タンのたたきを出した店らしい。知らんけど。美味しかったです。帰りにいちご飴を食べた。今年は彼とたくさんいちごを食べれて嬉しい。彼とじゃなくても嬉しいけど。夜は手を繋いで一緒に寝た。いっぱい頑張っててえらいねぇって言われて、そうだぞ私は今めちゃめちゃ旅行を頑張っているんだぞという自意識。寝る時になって泣いた。疲れてるのと、自虐性質でいっぱいになって泣いた。心の中であり得ないぐらい自分のことを虐め抜いてることに気づいた。言われなかったことを悪く想像して勝手に傷つくっていうよくない癖。直したいなと思いながら眠った。
3日目は松島に行くと決めていた。朝7時からやっている老舗っぽいお蕎麦屋さんで朝ごはん食べた。少し待ったけど美味しかったし、女将さんが優しくて、帰る時にいってらっしゃいって言ってくれて、それだけでまた来たいなんて思ってしまった。あと七味がめっちゃ美味かった。買ってくれば良かった。そのあと30分ぐらい電車に乗って松島へ。旅行の嫌いなところ第二位、観光。何観光って。意味ある?興味ないんだが。となっている自分の機嫌を取るために、私がだいすきな漫画、ハチミツとクローバーの聖地巡礼を絡めてなんとか気持ちを乗せた。竹本くんが自転車でたどり着いた場所が松島で、瑞巌寺。ある程度の区切りをつけるきっかけとなったのが、五大堂へ続く透かし橋。同じ場所に行くんだと思えば多少楽しみだった。晴れていたら遊覧船に乗ろうと思っていたが、あり得ないぐらい晴れていたので乗った。島々を見るための遊覧船だが、海苔と牡蠣の養殖を見れたのがよかったという独特な感想。カレーパン、笹かまぼこ、おせんべいなどの食べ歩き。あとは竹本くんと同じように缶コーラを用意しといて、飲んだ。少し写真も撮ってもらって、あぁ今思い出を作っているなぁという自覚がすごかった。晩ご飯に3回目の牛タンを食べてから帰りたかったので、時間を潰すために仙台駅近くの猫カフェに行った。地方都市の平日昼間の猫カフェは最強です。完全にオススメ。東京だと外国人がいつでもいるからね。3回目の牛タンは焼肉。厚切りと普通のと味噌と。3回目なのに3種類食べた。厚切りは誇張なしで拳ぐらいあった。牛タン以外の肉も全部質がいい良い焼肉屋さんでした。ハラミ、美味かったなぁ。あとハイボールも丁寧に作ってくれてて美味しかった。〆にアイスを食べてから少し過去を回想して、新幹線に乗ったよ。帰りの新幹線はずっと泣いてた。嬉しくて。感動してた。旅行が楽しいということに。達成感もあった。でも家に帰りたい気持ちもあって、なんか色々丁度良かった。
頑張ってくれてありがとうと言われた。頑張った。私が彼のことをすきな気持ちをわかってもらえたような感覚があった。頑張れたのは彼に誠意を見せたかったから。彼のことがすきだから。彼と出会ってから私は久しぶりに、ずっと彼とあと自分自身に真面目に真っ直ぐ向き合っている。健全な人間関係。とは言い切れないけど、自分の気持ちを誤魔化したり、相手に無理を強いたりしないでいる。この気持ちを諦めたくない。負けないと信じたい。すきなものをすきだと言い続けたい。表面じゃなくて根幹を愛したい。
旅行というと、ストレス発散とか気分転換に良いとされている行動のひとつだ。リフレッシュ。正直意味がわからない。こんなにストレスの強いものはない。お前ら狂ってるよと思っていた。いやまだ思ってる。そういう大衆の意見から外れていることは自己肯定感の低下に繋がる。しかも持続的なものだから社会不適合感も煽られる。旅行が嫌いなだけで非人間感まで得ていた。なので今回旅行を遂行できたことで、少し人間になれた気がする。ちゃんと楽しかったと思えるんだ。そんな自信をつけた。リフレッシュできたかと言われるとそれは残念ながらできてない。慣れればそうなるもんなのだろうか。分からない。
死にたいと思った分だけ、生きててよかったが来るのかもしれない。ここ1年ぐらいずっと生きててよかったと思っている。心の底から思う。感動して泣くこともある。あの時死なないでよかった。生きててよかった。そういう時は大体きれいなものを見ている。世界が美しいと知ったとき。でもそれはひとりじゃ見られなかった、知れなかった。誰かと一緒だから出会えた景色であることが圧倒的に多い。そうなると、君に出会えてよかったとなる。彼に出会えてよかったと、途中からはそればかり考えていた。こんなに旅行が嫌いだと言ってる人間をこんな遠くまで連れ出してくれてすごい。勇気があるなぁと。強いと思った。僕も強くなりたいと思った。
とはいえやっぱりストレスが強かった。特に行く前。準備が終わって、あとは当日を待つだけの数日間が1番しんどかった。行きたくないとか死にたいとかずっと思って泣いてた。自分には遠すぎるとか長すぎるとか。主に不安と心配。うまくできるかどうか分からない不安と、うまくいかなかったときに自分を守るために逃げる場所がない心配。他人に迷惑をかけるんじゃないかという心配。こんなだったら家にいたほうがいい。失敗してやっぱり旅行は嫌いだなんて改めて結論が出てしまうくらいなら行かないほうがいい。旅行嫌いのコンプレックスが頂点まで達して毎晩泣いたし全く眠れなかった。ただ、仕事中に牛タンがモチベになったのも嘘ではない。楽しみではあった。食いしん坊め。あと旅行中もあまり眠れてない。元々不眠だし場所が変わると眠れないタイプだから仕方ないことだけど。休めないクセにスイッチ���ずっとオンだったから、旅行から帰ってきた翌日はずっと知恵熱が出てた。こうやって書いてると本当に負担が大きくて笑う。それでも俺はやり遂げたんだ!という自負。
人の故郷に触れるのは2回目だ。1度目の時も感慨深いなぁとは思っていたけど、今回はよりそう感じた。彼の後輩とお母様とお兄様に会った。こういう場所でこういう人たちに囲まれて育ってきたんだという、ひとつの答えが目の前にある感覚。彼のことはすきだけど、顔とか声とか性格とか、そういうのは好きじゃない。好きじゃないというのは語弊がある。好きではある。けどファーストインプレッションであぁこの人のことすきだなと思ったのは、多分こいつは恵まれた環境で過ごしてきたんだということで、今まで積み重ねてきた経験や出会いを好ましいと思った。それを見てきたのだから、そりゃあ感慨深い。みんな優しかったなぁ。もっとお話しして仲良くなりたかった。
頑張ってくれてありがとう、俺も楽しかった、俺の好きな場所と好きな人に会って楽しんでもらえてて嬉しかった、そう言われて、これ以上ない尊重だなと感じた。自分が楽しむことで相手を喜ばせちゃった。これはヤバい良いサイクルの中に入ってしまったかもしれない。このまま高め合って幸せになってしまうかもしれない。今後から目が離せないな。とか言って特に何もないのが人生だったりもする。
大変忙しい時期に2日間お休みを頂いたので、職場にお土産を買っていった。笹団子?ずんだ餅?みたいなやつ。すると同僚から「お土産いただきました」「ごちそうさまです」「どこ行ったんですか?」「牛タン食べましたか?」と声をかけてもらえた!多分これ当たり前のことなんだけど、旅行嫌い人間からするとヤバいことなのだ。こっちは自分の旅行も嫌なので他人の旅行に興味なんか1mmもないのだ。だって話を聞いても行きたいとか思わないから意味ないんだもの。他の同僚が休憩室にお土産を置いてても、あーなんかお菓子があるなぁ程度にしか思ったことがない。そんな非人間に対して、どこに行っただの何を食べたのだの声をかけるなんて。ヤバい。ヤバすぎる。超嬉しい。松島に行きました。牛タンは3回も食べました。楽しかったです。お休みありがとうございました。え?!?!?!私!!!!!人間じゃん!!!!!!!!今超人間なんですけどーー?!?!?!大興奮である。構ってもらえて嬉しいという大変原始的な感情。旅行すごい。お土産すごい。人々の文化的な営みの仲間に入れてすごい。旅行終わってるのにまだあるんですかーーー?!ってなった。次からはお土産をいただいたら興味を持って軽い雑談をしようと思いました。すみません今まで無味乾燥にお菓子だけ食べてて。
さて、じゃあ旅行が好きになったかと聞かれると、別にそんなことはない。ずっと嫌いだったものをそんなに急に好きにはなれない。ただこの3日間のことは好きだった。楽しかった。行くまでの気分の落ち込みもなかったことにはならない。確実に嫌だった。楽しかったからいいや!とはならない。誰とどこに行くかが大事なので、旅行ならなんでも!みたいなことはない。とっても限定的な旅ではあったが、私にも楽しむことができるんだという光明を得たのは大きい。今年はもういいけど、来年なり再来年なり、もっと未来でもいい、またどこかに行けるかもなぁという希望を抱かされた。実際に行くかどうかは分からない。ただ希望を持ってるのと持てないでいるのとでは生きやすさがだいぶ違う。他の苦手なことも挑戦してみようかななんて気持ちにもなる。
貴重な経験だった。連れて行ってくれてありがとう。また僕をどこか遠くに連れてってくれますか?
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yotchan-blog · 24 days
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2024/4/4 21:00:15現在のニュース
酒井氏が東京15区出馬表明 立憲民主党から立候補、元江東区議(毎日新聞, 2024/4/4 20:59:42) 新NISA日本株買い「推計の4倍年9兆円強へ」相場けん引 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2024/4/4 20:58:12) 「還付は誰が決めたか。調べて」離党勧告の塩谷氏、不服申し立て検討(朝日新聞, 2024/4/4 20:54:13) 育毛剤のチラシ渡され「侮辱された」 中1男子生徒に傷害容疑、男性教諭を書類送検([B!]産経新聞, 2024/4/4 20:51:42) フィンランド男児発砲の動機はいじめ…地元警察が発表、男児1人が死亡し女児2人が重傷([B!]読売新聞, 2024/4/4 20:48:23) 「生産性」の話:東京新聞 TOKYO Web([B!]東京新聞, 2024/4/4 20:46:07) 世耕氏、議員辞職は否定 処分に不満は「全くない。明鏡止水の心境」(朝日新聞, 2024/4/4 20:46:03) 「軽すぎる」「モヤモヤ」 安倍派幹部ら39人処分 おわび行脚も(朝日新聞, 2024/4/4 20:46:03) 岸田首相、森氏に電話で聴取 裏金作りの関与「確認できなかった」(朝日新聞, 2024/4/4 20:46:03) 一晩中落石、トンネルでの一夜から生還 妻と涙の再会 台湾地震(毎日新聞, 2024/4/4 20:45:20) 「ルフィ」接見、通話仲介疑いで書類送検の元弁護士不起訴 東京地検(毎日新聞, 2024/4/4 20:45:20) 「息子が亡くなり、葬式あげる金がなかった」団地の台所に遺体を放置…容疑の90歳を逮捕([B!]読売新聞, 2024/4/4 20:42:13) 英国の女性冒険家が絶賛 阿賀野川舟下りの魅力とは | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/4 20:39:13) JA全中会長「食を生み出す農業に大きな誇り」 川勝発言に遺憾の意(朝日新聞, 2024/4/4 20:38:52) 読む政治:「国民感覚と乖離」「納得感ゼロ」 裏金で39人処分決定 識者の声(毎日新聞, 2024/4/4 20:38:09) 自民・萩生田氏の役職停止は「党本部のみ」 都連会長は判断委ね | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2024/4/4 20:34:42) HOYA、複数製品生産停止 不正アクセスか メガネチェーンも混乱(朝日新聞, 2024/4/4 20:31:10) 社外取締役への報告、会見当日が初めて 紅麴サプリ問題の小林製薬(朝日新聞, 2024/4/4 20:31:10) 大阪市の保育所給食にガラス片 被害訴えなし 瓶の一部混入か(毎日新聞, 2024/4/4 20:30:50) 教育無償化を実現する会、衆院東京24区に元都議を擁立(毎日新聞, 2024/4/4 20:30:50)
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iseilio-blog · 27 days
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03/24 柴寮偶記
古典心台灣情 上半場 - YouTube 台灣人真是幸福。 • 亞歷山大·鮑羅丁1833年11月12日—1887年出生在聖彼得堡,也去世於聖彼得堡,是俄國的作曲家同時也是化學家。十九世紀末俄國主要的民族音樂作曲家之一。喬治亞(前蘇聯共和國之一)王子LukaGedevanishvili的私生子,當時將他登記成某個奴隸的孩子從小他接受良好的教育,包括鋼琴演奏,但是他專精的領域還是在化學,直到1863年才開始正式的作曲訓練,當時他的老師是米利·巴拉基列夫(MilyBalakirev)。1869年巴拉基列夫指揮了鮑羅丁第一首交響曲,同年開始編寫第二首交響曲。這首新的作品雖然在首演失敗,匈牙利的李斯特卻為他安排另一場1880年在德國的演出,也因此他的名聲傳出了俄國。由於他周日都在實驗室工作,只能於星期天作曲,因此又名星期天作曲家。1887年02月27日去世,葬在俄國聖彼得堡。 原文網址:https://kknews.cc/culture/mpzgzg9.html
(6) 新聞挖挖哇:斷9年婚姻醒了!女人離婚故事分享精彩絕倫|來賓:黃宥嘉、徐曉晰、呂文婉、羅友志、賴芳玉 - YouTube 這老婆竟然也蠻內行的。
憨川鼓勵柯"民眾黨31縣市全提名全面開戰"!提名人選不夠養生館來湊?民眾黨喊開小草咖啡廳拚地方組織?王義川嗆:那我就去隔壁開除草咖啡廳|許貴雅主持|【新台灣加油 完整版】20240301|三立新聞台 - YouTube 他們被罵我很爽。
是不想努力了還是人生太難?24歲妙齡正妹行乞當街友,真實故事讓人省思...最絕望人生公式震撼全場!黃越綏曝街友不為人知夢魘!【新聞挖挖哇】 - YouTube •大米小姐不簡單;底層困苦的人的確很多,無論任何原因,都需要,也應該照顧。• 這種人總會有,也的確有些有故事。可以在水門外發配簡單的便當、設置簡便的沖澡處、洗澡、洗衣物,介紹臨時工作、裝置大銀幕,播放好看的勵志片,提供盡可能的方便性,慢慢就可以引至水門外生活。。。。應該由政府負責。
對話張堯:台灣朋友一句話,讓我人性開始復甦;中共洗腦術精細入微 |#方菲時間 - YouTube •「恢復狀態!」-這句說得太好,太深刻了。• 台灣必需獨立的原因是,在地理上,台灣命定是中國的邊緣,甚至只是一個小島,一旦中國民主化,成了自由世界的一員,台灣人無論為了賺錢,或任何原因,青壯年將大量投向中國,台灣會成為只剩下老弱婦孺的孤島。雙方融合的想法,是就台灣本身是一個獨立主權國家的前提之下的說法,一旦融合,台灣將自行失去主權獨立性格。
《#美國 #第七艦隊 穿越 #台海! 金廈衝突! #中國:#民進黨 須負全責! 立院國會藍綠鬥!》【年代向錢看】2024.03.06@ChenTalkShow #傅崐萁 #管碧玲 #高金素梅 (youtube.com) 韓國瑜取得立法院長位置,一方面受到來自職位的框架,以及加持、養望,再度參選總統的欲望也直線上升,因此做為必定力求正派,向前衝刺。
台灣人為什麼這麼喜歡「日本」?「3大」理由說明一切!「台灣人」為什麼最喜歡到「日本」旅遊?「台灣」受到「日本」什麼影響?未來持續會在「台灣」待多久?【日本人 in Taiwan】矢板明夫 - YouTube 第一個理由是客氣了。
北 中 南 齊聚台南大舞廳(台大)TTT翅仔探戈 現場實況錄影。 (youtube.com) 真是太快樂了。
孫淑媚 /夜半路燈/[台灣好歌聲] (youtube.com) 應該是:失 主裁 吧。
日台交流広場(台湾と日本) | Facebook 象鼻忽然掃了過來,力大無比,差點被打到;二戰時,猩猩、老虎等被 “處置”,製成標本展示。
2021-10-04漢聲廣播電台「fb新鮮事」節目、主持人:李基銘 竹久夢二 TAKEHISA YUMEJI:日本大正浪漫代言人與形塑日系美學的「夢二式藝術」介紹、王文萱 專訪(積木文化) (youtube.com) 北投文物館-竹久夢二的視界展覽 - 是不是這些? 北投文物館-竹久夢二的視界 (youtube.com)
非常多的日本人愛上台灣的理由竟然是。。?🔥甚至因為台灣而人生發生了改變,對台灣充滿感謝|【Ma上聊聊】|VLOG|【我是Mana】 (youtube.com) 台灣太太聽到了沒有?要多多學習人家。真是受不了。
2023臺灣歌 鄉土情 台語歌曲演唱會 歌詞完整版 (youtube.com) 記憶中紀小姐第一次獻唱是在延平北路一家在二樓的歌廳,應該也是台灣第一家室內的歌廳。其它場所有第九水門的堤防外。
'24.03.12【豐富│東南西北龍鳳配】專訪朱成志:2024中國經濟樣貌分析 - YouTube 高科技救不了中國。
日式麻油雞/ Sesame oil Chicken Noodles | MASA料理ABC - YouTube 煮麵 +一些香油也是有的,不過不會放雞翅;既然放了雞翅,或許更應該稱作雞翅麵,如此一來又實在有違老闆本意,好,就這稱做麻油雞麵線也沒關係,卻是顏色色系實在相差太多,可因為是日本式,接受也就便了。因為放了梅干,不免哈起日來,覺得的確可以稱作麻油雞麵線,名稱不就是日式麻油雞嗎?算是一種新創,如此一來稱作麻油雞,實在是愧對這碗顯然很好吃的創作料理,可以不用沾麻油光。不過為了市場,稀哩呼嚕,也就上路,如果有無聊人士提出說法,覺得名不正言不順,實在有夠多管閒事,不就一碗麵而已不是?好吃才是最要緊,名稱表象而已,純供指認;來一碗日式麻油雞!害,出錢一丁,於是一碗純正的日式麻油雞上桌了。有這種日式嗎?沒-看-過-。日式在日本登陸既有確證,果然衣錦榮歸故鄉,一時高車駟馬,夾道之人,呼前擁後,遠遠瞻望,曰:公志有成,邦家之榮,喜為天下道也,閒磕牙,是以為誌。
(8) 「學歷主義」=成功方程式?想擠進台積電一學期都不能考差! ft.前台積電全球研發處處長 楊光磊 | 斐姨所思【阿姨想知道】 EP148 - YouTube • 只有一條路嗎?A:人生只有一次。• Karel van Wolferen,新聞記者,阿姆司特丹大教授: 「上班族的智力與氣力在公司耗光之後,已經失去了經營一個有意義家庭的元氣。中階的男性上班族醒著的時間,差不多完全被公司 吸收的結果是,失去了公司以外的個人生活的氣力,而受害最深的就是 家庭生活。 日本人結婚生活的大部份,情緒是空虛的,更給 小朋友帶來惡劣的影響。其責任大多就是在日本的企業。對員工做了過多精神上的要求。 日本 公式 “ 問責制 ” 的官僚、經濟團體、學者 認為 ﹕日本人在根本上與他國人不一樣,對實現社會調和的意識天生有著較強的意願。而事實上日本人與他國人其實並無不同。由於 受到公司強制力的束縛,也沒有自此逃脫的手段,因此反而是個人與家庭被破壞了。」(1994)
台灣好歌聲 第99集 完整全集 (首播 2016-03-05) (youtube.com) 流浪的樂師。
孫淑媚---經典演唱會 /心愛的別走/約束/秘密情人/媽媽妳無對我講/恩情無人可比/到這為止/ (youtube.com) 成熟了,有很好的棄婦感。
震驚!AI幻覺會導致毀滅性的結果? 你一定要了解AI隱藏性的風險 (youtube.com) 表示技術尚未成熟。
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早已不是反攻大陸的時代,失去了戰略價值,金馬對台灣只是累贅而已;早早放棄。
一個人在日本開豆花店的日本男孩、當他看到住台灣時候的台灣朋友們傳來訊息時感動到淚流不止⋯ (youtube.com) 70多年前的台灣豆花,只加:薑汁 和 糖水,不失原味。
解放軍一次可以送多少人上岸? 中國兩棲搶灘能力大解析【Dino Brothers Studio】[CC字幕] (youtube.com) 小心密佈的水雷。
(2) First Time Trying Sushi in Japan. Locals Take You to Experience a Different Tsukiji - YouTube 放一片上來瞧瞧!
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秋怨(江蕙}~伍珈慧2024/03/04中央廣場#新星姐妹樂團18#嘉義街頭藝人 #台語流行歌曲 #音圓之星 (youtube.com) 歌好、台風好,漂亮的女生!
介紹給我台灣美味~,給我你的口袋名單! 我問迪化街路上看到的頭上戴狗狗的小姐. 台湾のおいしい物教えて~、あなたのグルメリストください!迪化街で会った彼女は頭に犬を載せてた。 (youtube.com) • “麵龜” 吃了嗎。• 連結出不來,請搜尋 “麵龜” ,還有 “紅龜粿”。
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niwanihaniwachickens · 2 months
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二人舞台不在
放課後の教室。
教育機関によって定められた時間割を終え学生も先生も居なくなり夕陽が差し込む、この教室で雑談をする為に俺、セツナとエリンは2人居残りをしていた。
「ねえ。そういえば結局、前言ってたあの子とのデートどうなったの?」
窓際のカーテンが吹き込む風でフワッと舞い上がる。
傾げた首と教室をたなびく、そよ風によってエリンのロングヘアーが揺れた。
「後日談が無いって事を察するのは出来��いもんか?」
「だって、意図的に隠そうとするものなんかと思ったんだもん。」
ぷく顔をしていても顔が良いので見ていれられる。
「各誌毎に隠し事を書く仕事をしている訳でも無いんだからさあ、そんなジャーナリズム見せつけられてもだな。」
「先に恋人が出来てこの関係性が希薄になってしまうのであれば、あたしは何処までも詮索しちゃうけど?」
「エリンがワンピースの海軍なら徹底的な正義を掲げているだろうな。」
「少年誌の漫画なんてわかんない。漫画だなんて前時代的なエンタメは今時、誰も見てなんかいないわ。」
「”赤犬“によって脳が焼き尽くされてしまったのだな。葬式やる時は呼んでくれよ。喪主を担ってやる。」
「他人の趣味を悪く言わないでよ。それと、あたしの両親はまだ健在なんだけど?とんだ無礼ね。」
「そんな両親との関係値をゆうに超える関係値であるというお洒落なジョークなんだけど。」
「あら、全てを説明させてしまっちゃうなんて随分と無粋な事をさせちゃたね。失敬、失敬。」
エリンは両手を顔の前で合掌してヘラヘラしながら詫びた。
「謝る気が無いだろうそれ。」
「悪いと思っていない時はパフォーマンスでも良いから謝っとけばいいの。」
「本人の前でよくもまあそんなベラベラと悪びれもなくそんな事言えたもんだよな。まあ、そこがエリンの好きな所でもあるんだけど。」
「なあに?愛の言葉でも囁いて、あたしの気を引こうとしているの?」
満更でもなさそうにニヤリと口角を上げながら言った。
「何も交渉する気は無いのはこの校章に誓うよ。」
「そんな気易く艶めかしい話をしないで欲しいわ。もしかして安売りされた愛の言葉を欲している女だって見積もられている?」
「感情がジェットコースターかよ。エリンへの解像度が低い事が露呈してしまった事は素直に謝るよ。失敬、失敬。」
さっきのエリンの物真似をしながら謝った。
「あーそうやって直ぐに、あたしの事を弄るのかー。もう知らないもんね。こんな可憐な美少女を怒らせるなんて罰当たりな男よ。」
椅子を引き徐に立ち上がり鞄に手を伸ばした。
「おいおい、鞄を持って帰ろうとするんじゃないよ。帰った所で特にやる事も無くどうせ暇だろ?」
またいつもの帰るフリをして俺の気を引こうとしているのが見え見えだったので右手で頬杖を着きながら言った。
「残念。皆目、見当違いだったね。手にした鞄はこうやって使うんだよ。」
そう言い放ち教科書や筆箱等が沢山入った鞄を勢いをつけて俺の左頬を目掛けて大きく振りかぶった。
「痛ってえな。学校指定品で武装するんじゃないよ。」
「残念ね。華奢な女子に武装させてしまったセツナが悪いのよ。ここまで言われないと分からないの?」
「なんだ?応戦してやろうか?エリンがその気ならこっちだってやってやんよ。」
「ふーん。やれるもんならやってみたら?誰に手を出すか分かった上での発言って事で間違いは無いよね?」
エリンは負けじと売り言葉に買い言葉で応戦した。
俺がエリンの制服に掴み掛ろうとしたが距離を詰める前に鞄を大きく振り回し始めた。
「おい危ないだろ。」
「セツナだってその気でしょう?止めれるものなら止めてみたら?」
さっと鞄を躱し懐に入り込み縦横無尽に暴れる鞄を制止する。
漸く攻撃が止んだと安堵したその刹那、教室前方のドアがガラガラと開いた。
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