昨日の黒岳☀天候に恵まれサイコーでした😆✨五合目〜山頂までほぼ夏道ラインで終始スネラッセル💦ときおりヒザ下😅黒岳(マネキ岩サイド)とスキー場コースは滑るにはまだ雪が少ないです😣💦早く降りますように🙏山のうえはピョンちゃん🐰🐾足跡が縦横無尽💖とても素敵な空間です💫ほかに誰も上がってこなくてありがたい時間でした…🙏✨ #層雲峡 #層雲峡黒岳ロープウェイ #黒岳スキー場降雪待ちです #黒岳 #黒岳石室 #桂月岳 #カムイミンタラ #石室入口はサイドから入れます #裏口はちょい埋まってます #雪ちょいふきこんでいます #9合目から上はアイゼン必須 #エゾユキウサギ #ありがとうカムイミンタラ #ロープウェイ営業8時から16時半です (Daisetsuzan National Park) https://www.instagram.com/p/ClNQGaEPz-j/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Famitsu 916 Persona 3 part pictures and transcription.
期待の新作特搜隊
期待の新作TOP30にランクインしたソフトの最新情報を特捜隊が徹底調查!
2006年も半分を過ぎようとしている今日このごろ。我らが特捜隊は、今週も読者が期待を寄せるビッグタイトルを総力取材!厳選された新作情報を見逃したら、話題に乗り遅れちゃうぞ!!
今週のラインアップ 期待の新作TOP30は44ページ
ペルソナ3 254ページ
うたわれるもの 散りゆく者への子守唄 258ページ
メタルギア ソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット 260ページ
ファイナルファンタジーⅢ 262ページ
その他の期待作 266ページ
本作の概要はここでCHECK!
人気RPG、『ペルソナ』シリーズの最新作。これまでのシリーズとは異なる世界設定、異なる登場人物による、新たな物語が描かれるのだ。主人公を始めとした"ペルソナ"を召喚する能力を持つ仲間たちが、人間の精神を喰らう"シャドウ"と戦うことになるぞ。こうしたシャドウとの戦いは、午前0時になると訪れる"影時間"に行われる。一般の人間には、その存在を認識することすらできない闇の時間が、人類の存亡を懸けた戦いの舞台となる!!
主人公
私立月光館学園に転入してきた17歳の少年。学園寮への入寮当日にシャドウ襲撃事件に巻き込まれ、その際にペルソナ召喚能力を覚醒。シャドウ討伐部隊、"特別課外活動部"のリーダーとなる。メンバーの中で唯一、複数のぺルソナを自由につけ替える力を持っている。
初期ペルソナ
オルフェウス
P3
Persona3
ペルソナ3
またもや新たな登場人物が判明!でも、なんか怪しい感じ⋯⋯?
ケータイで購入
プレイステーション2
PS2
DVD-ROM
アトラス 7月13日発売予定 7140円[税込]
ドラマ RPG 要67キロバイト
ディレクター:橋野桂、キャラクターデザイン&アートディレクション:副島成記
期待の新作TOP30 ランキングデータ
今週の順位
3位
初登場4月7日号
15位
最高順位6月30日増刊号
1位
"影時間"に行動する者が⋯⋯!?
主人公ら、ペルソナ召喚能力を持つ者たちは、影時間に自由に行動することができる。それ以外の人間は、影時間に迷い込むとシャドウに精神を喰われてしまうのだ。しかし、そんな影時間に行動する、主人公たち以外の人間がいることが判明したぞ!彼らは3人組。いったい何者なのだろうか⋯⋯!?
↑影時間に入り込んでも精神を喰われないのは、主人公たちだけではなかった。彼らはシャドウに襲われないのだろうか⋯⋯?
仲間になることが判明しているペルソナ使い
たけ ば
岳羽ゆかり
声:豊口めぐみ
主人公のクラスメイトで、同じ寮に住んでいる女の子。性格は勝ち気で、明るく前向き。ぺルソナ召喚能力には覚醒したばかりだ。月光館学園に入学したのは、ある事情によるらしいが?
初期ペルソナ イオ
い おり じゅん ぺい
伊織順北
声:鳥海浩輔
主人公のクラスメイト。転校生である主人公にまっさきに話しかけてきた、明るくお調子者の少年だ。主人公の転校直後に影時間への適性=ペルソナ召喚能力を見出され、仲間に加わる。
初期ペルソナ ヘルメス
はみだし情報
シリーズのクロスレビューは何点?
PS 女神岡聞録 ペルソナ
9887
謎の3人組⋯⋯彼らの目的とは!?
ネットで話題になっている、復讐代行サイト。そこに依頼を書き込むと、復讐がなされるという噂が流れている。この復讐代行屋の正体は、シャドウに精神を喰われることもなく平然と影時間を闊歩する3人組だった。どうやら、影時間に復讐を行っているらしい。彼らがこんなことをしているのは、なぜなのだろうか?
不気味な気配⋯⋯
タカヤ
声:神奈延年
グループのリーダーらしき男。この界隈では有名な、"不気味"で、"イッている"集団をまとめている。ほかのふたりと比べて、不気味さは際立っている。その言動から、何か狂信的な思想を持っているようにも感じられるが、詳細は不明だ。
←↑荒垣と話す3人組。特別課外活動部のことを気にしているようだ。荒垣と彼らの関係性が気になるが、詳細はいまのところ不明。
荒垣と知り合い?
←復讐の代行屋⋯⋯。いかにも危なそうなヤツらだ。
ジン
声:小野坂昌也
タカヤのそばに、いつもつき添っている関西弁の男。情報収集や分析を行う、リーダーのサポート役的な立場らしい。その手に持っているのは手榴弾なのだろうか⋯⋯?何にしろ、危ない人物であることは確か。
チドリ
声:沢城みゆき
タカヤが率いる集団に、つねについて歩いている女の子。不気味な集団の中で、どのような役割を果たしているのかは不明。また、なぜ集団に身を置くのかも謎に包まれている。ゴスロリテイストの服装に、行動とのギャップを感じる。
主人公にとって彼らは敵か味方か⋯⋯?
きり じょう み つる
桐条美鶴
声:田中理恵
月光館学園の経営母体でもある大企業、桐条グループの令嬢で、局等部の生徒会長。幼少時のある事故を契機に、ペルソナ召喚能力に目覚めた。主人公を特別課外活動部に勧誘した張本人。
初期ペルソナ
ペンテシレア
さな だ あき ひこ
真田明彦
声:緑川 光
月光館学園高等部3年生で、ボクシング部主将。ストイックな性格で、シャドウとの戦いも強くなるためのトレーニング的な感覚で行っている。明彦が力を求めるようになった理由とは?
初期ペルソナ
ポリデュークス
さまざまなシステムが一挙に判明!!
ダンジョン探索や戦闘に関するシステムについて、これまで明らかにされていなかった部分が一挙に判明!さっそく、これの要素について紹介していこう。どうやら探索、戦闘の両面で計画性を持った行動が求められるようだ。事前に戦略をしっかり立てよう!
パーティーを編成して突入!
ダンジョン"タルタロス"の探索に入るまえに、パーティーメンバーを編成する。探索に挑めるのは、主人公を含め最大4人。出現する敵の属性や、仲間が持っているスキルなどをよく考えて編成しよう。
会話して
編成に加えるかを選択
誰を連れて行く?
←攻撃、回復という区別だけではなく、所持ペルソナの属性も考慮したパーティー編成を心がけよう。
ダンジョンを手分けして探索
ダンジョン内で"散開"コマンドを選択すると、パーティーが個別行動に移る。主人公以外の仲間は、自動で探索を行ってくれるぞ。ダンジョンの全体像を把握したり、宝箱を捜す際に便利なコマンドだ。
ダンジョン内部を各自単独で探索!
"散開"を指示
宝箱も見つけてくれる
←宝箱を発見したら、各自回収してくれるぞ。散開をうまく使えば探索が楽に!
散開中でも戦闘はアリ!
↑→散開中の戦闘は、それぞれ単独で戦うことになるぞ。強敵に注意すること!
探索を終えたら"集合"!
←↑"集合"を指示すれば、散開中の仲間が主人公のもとに戻ってくる。
やま ぎし ふう か
山岸風花
声:能登麻美子
引っ込み思案で、自分を卑下してしまう傾向がある女の子。戦いには参加せず、情報支援に特化した立場で特別課外活動部に参加する。機械いじりが得意だが、料理にも興味があるようだ。
初期ペルソナ
ルキア
あま だ けん
天田 乾
声:緒方恵美
月光館学園初等科所属。2年まえに事故で母親を失い、親戚からの学費援助のみで寮住まいをしている。初等科5年生という若さながらペルソナ召喚能力を持ち、特別課外活動部に加わる。
初期ペルソナ ネメシス
ピンチのときは"救護要請"
破間中に戦闘になることもある。この場合、当然ながら主人公はひとりで敵と戦うことになるわけだ。もし苦戦を強いられそうなら、迷わず"救援要請"を指示しよう。歌会していた仲間が、続々と駆けつけてくれるぞ。ひとりで無理せず、緊急時には仲間の助けを求めるのも勇気だ。
→危ないと思ったら、迷わず放後要請を出すべき。あとは仲間がやってくるまで、なんとか持ちこたえろ!
仲間が続々と集まってくる
↑←頼れる仲間が集結したら、いざ反撃。目にモノ見せてくれる!
パーティーが全員集合!!
ペルソナが成長していく!
主人公たちだけではなく、ベルソナも敵との戦いで経験値を積み、レベルアップしていく。レベルが上がるとパラメーターが上昇するほか、新たなスキルも覚えるのだ。覚えるスキルの上限まで育てるのもあり。ぺルソナ合体・育成ともに自由度高し!!
これが合図
→こうして地道にペルソナを強化していけば、ペルソナ合体の際に、より強力なぺルソナが生み出せるぞ。
ペルソナのレベルアップ!!
新たなスキルを覚えることも!
←↑新しいスキルを修得!さっそく戦闘で使い、効果のほどを確認してみよう。
所持ペルソナの組み合わせによって発動する"ミックスレイド"
主人公は、複数のペルソナを所持できる。このとき、特定の組み合わせのペルソナがいれば"ミックスレイド"が発動。強力な魔法で戦況を有利にしてくれるのだ!
ミックスレイド発動!
↑ジャックフロストとジャックランタンで発動。ほかにはどんな組み合わせが?
なんだかスゴそう!
→一転して迫力溢れる演出に!ジャックブラザーズが本気になった!?
組み合わせごとに異なる演出が入る
←"ジャックブラザーズ"という組み合わせらしい。漫才コンビのような演出で心も癒される。
そして主人公がスキルをくり出す!その威力は⋯⋯!?
コロマル
声: ? ? ?
以前は神社の神主に飼われていたが、主人を事故で失って以来野良犬として暮らしていた。ペルソナ召喚能力を覚醒させてからは、特別課外活動部の一員としてともに戦うことになる。
初期ペルソナ
ケルベロス
アイギス
声:坂本真綾
シャドウ制圧用として開発された兵器。ペルソナ召喚能力を実装するため、"自我”を与えられている。従順実直で、命令には忠実に従う。戦術面以外の知識は、あまり持ち合わせていない。
初期
ペルソナ
パラディオン
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2023年12月14日(木)
私の職場(私立女子大学)では、今日から後期授業が13週目に入る。メールボックスに<紀要>の校正刷りが入っていた。9/1(金)の締切に何とか提出したものだが、ギリギリのやっつけ仕事、不満な点は多々あるが仕方ない。本にするためのメモだから活字にしておくことに意味があるのだ。ササッと作業してすぐに提出、これで年内の課題は<シラバス>の作成だけとなった。頑張れ、自分!
5時起��。
日誌書く。
朝食。
洗濯。
弁当*2。
プラゴミ、45L*1。
ツレアイの職場経由で出勤。
順調に到着する。
換気してお茶を頂く。
木曜日1限は<共生社会と人権>、今日が13週目となる。直前に2名から体調不良で欠席とのメールが届く。今日のテーマは<雇用・職場での人権を考える>、ILO111号条約の解説、厚労省の資料を使って女性の働き方の変化、ハラスメントの実態調査などを紹介する。いささか準備不足で意を尽くせなかった、もう1週あるので来週は丁寧な振り返りをしなければ。
昨日の栄養学科の入力再試験を採点、結果を学生たちにメールで連絡する。再試験対象者15名のうち6名合格、9名(うち欠席4名)に再々試験を連絡する。
紀要の校正、不満を言えばきりが無いがそれも自業自得、さっさと済ませて提出する。
弁当を頂いてから退出する。
順調に帰宅する。
『以文』66号(京大文学部同窓会誌)が届いていた、もちろん会費の請求である。執筆者を見てもすべて私より若い方ばかりだ(当たり前!)。それにしても、国立大学を巡る環境は悪化するばかり、せめて多少なりとも寄付したい気持ちはあるのだが、先立つものが・・・。
ライフ西七条店へ買い物、目の前で<赤かれい>に30%引きの札が貼られたので思わず手に取ってしまった。
息子たちの夕飯はさんだかんと奥川ファームのコラボ、何しろ明日は定期便が届くのでタマゴを消費しておかないと。
録画番組視聴。
サラメシ シーズン13
(26)福島・岳温泉を守る「湯守」▽工場全員で作るカレー
初回放送日: 2023年12月7日
安達太良山の麓にある名湯、岳(だけ)温泉。6人の「湯守」と呼ばれる人たちが温泉街から8キロほど離れた山奥の源泉へ通い、管の中に詰まった湯花を掃除するなど地道にメンテナンスを続けている▽広島の切削工具を製造する工場では、コミュニケーション向上をねらい社員全員でまかないカレーを作ることに。だが、その進め方には製造業ならではの“流儀”があった…▽写真家・田沼武能さんが愛した東京下町のチャーシュー麺。
「品格をまとう スーツ」
初回放送日: 2023年12月13日
スーツをこよなく愛するハリー杉山さん。ジャーナリストだった父のスーツに涙▽山でも海でもスーツ姿で撮影に臨む人気写真家・長山一樹さん。原点はあの芸術家たち▽英国スーツの真髄はシルエット!イングリッシュドレープの技とは?▽軽くやわらかなナポリのスーツ。いせ込みが生み出す「雨降り袖」▽女性テーラーによる女性スーツの仕立て術▽100年前のスーツが若者に人気!時空を超えたロマンとは?!<File593>
今夜も桂枝雀のDVDから、「茶漬け幽霊」「幽霊の辻」。
片付け、入浴のはずが、今夜もダウンしてしまった。
あいたた、チェックしていなかったのでムーブが届かなかった。
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20230831
山行記(天狗岳登拝)
西天狗
二ヶ月ぶりの休みに北八ヶ岳の天狗岳へ。
天狗岳は西天狗と東天狗の二つのピークからなる双耳峰である。
二月前に北岳に登って以来仕事以外ではほぼ運動らしいことはしていなかったが足腰、心肺機能ともに衰えは特に感じなかった。登りも大して息は上がらず。最近はどちらかというと長い下りで飽きがくる方が心理面できつく感じる。自分に残された時間をどこかで意識するからかもしれない。
アカヌマベニタケ的な何かをすれ違うおばちゃんたちと交互に撮る。
私の骨は一部でいいから森に撒いてほしい。土から生まれたもんを食ってきた分、土に食われたい。あと海にも。
天狗岳の天狗茸
八ヶ岳の北端、蓼科山。諸星大二郎の国民的恋愛青春漫画『暗黒神話』にて主人公の武の父親が菊池彦によって殺害され、かつ蛇神タケミナカタの神が「アートマン(選ばれし者)」として武に蛇の聖痕を授けた場所でおなじみ。諏訪富士とも呼ぶらしい。
硫黄岳。火山の趣を残す。北側の崖部は爆裂火口とも山体崩壊の後だとも言われる。
彫刻家の舟越桂は学生時代通学途中のバスの窓から山を眺めていて「あの山はあの大きさのまま私の中に入る。」という思いが突然啓示として降りてきたという。それは人間の想像力の大きさは山を超え山をも取り込むということでその実感は舟越の制作を支えた。
かの弘法大師が土佐は室戸岬の岩窟にて虚空蔵菩薩の真言を唱え続ける修行をした際、明けの明星が口の中に飛び込んできて宇宙と一体となり悟りを開いたとされるが、これはその逸話に近い感覚なのではないかと思う。
弘法大師はこの時の体験を「谷響きを惜しまず、明星来影す。」と記している。そしてその時目にしていたものが空と海だったため「空海」と名乗った。
山はでかい。
しかしそのでかさを理解し想像できる我々人間の存在もまた山の如しである。
時に宇宙の果てすらこの身の内に宿す。
向こう左から赤岳、中岳、阿弥陀岳、編笠山。この日の午前中赤岳で84歳の爺さんが滑落して亡くなったらしい。
硫黄の匂いが漂う唐沢鉱泉の源泉溜まり。青い。
この青さを見て温泉入って帰ることに。成分は知らんがこういうものが帯びるエネルギーは浴びときたいお年頃、つまりおっさんになったということである。
唐沢鉱泉、昔ながらの旅館の建物に入って懐かしい気持ち。よくわからんタペストリーに不規則に奥に続く階段と踊り場の剥製たち。ボロというわけではないが昭和の匂いが残っていてつげ義春の漫画の主人公の気分になりきる。
調べたら宿泊代結構いいお値段すんですな。
温泉なんていつ以来か忘れたが少なくともコロナ禍の三年は入っていない訳で知らん爺さんやおっちゃんらの裸を見てゲシュタルト崩壊というか不思議な気持ちに。
湯船から見ると真ん前に洗い場がある舞台のような位置のせいで自然とおっちゃんたちが一心に体を洗う背中が目に入ってくる。人それぞれ色んなルーティンがあるんだなと妙に関心してしまった。
股座の向こう側で人様の金玉の影が揺れている様を見るのもなんかおもろかった。銭湯初めて入った小学生の感想。
今年はこれで4回目の山行。調べたらこれまででのべ70回近く登山してきたことになる。あとは武甲山、蓼科山。静岡方面の海が見える山に一座登れたらといった感じだろうか。
尖石縄文考古館編に続く。
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JASON KAHN 福岡ライブ
JASON KAHN 福岡ライブ
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JASON KAHN/山内桂/cicadelia/薄力小麦子
日時:2023年10月4日(水)open 19:00/start 19:30
料金:¥2,000+要1ドリンクオーダー
場所:IAF SHOP*
福岡市中央区薬院3-7-19 2F
TEL:090-5475-5326(佐藤)
http://iafshop.tumblr.com/
主催:
http://www.deterra8.com/
【出演】
JASON KAHN(USA)
https://jasonkahn.net/
山内桂
https://salmosax.com/
cicadelia
https://cicadelia.bandcamp.com/music
薄力小麦子
https://zassoken.bandcamp.com/music
【ジェイソン・カーン】アーティスト、ミュージシャン、ライター。チューリッヒ在住。日本では1990年代半ばから何度も演奏しているが、2014年以来の来日となる。過去には、秋山徹次、杉本拓、中村としまる、オーブ、川崎ウタ、レテ、無量塔誠二郎、中卓史、直嶋岳史、大城誠、Sachiko M、渋谷慶一郎、角田俊也、宇波拓、山本高広、山内桂、大友良英など、多くの日本人アーティストと共演している。今回のツアーでカーンは、回路の流れの中に自分の身体を置くカオス的なフィードバック・システムを使い、エレクトロニクスを駆使する。モジュラー・シンセサイザーのオープン・リードを手で掴んで回路を作ったり壊したりし、シンセサイザーをオーバーロードさせたり、瞬間的に崩壊させたりする。様々なコンタクトマイク、電磁誘導器、ミキシングボードを介したシンセサイザー自身の出力が、シンセサイザーのパラメーターを変調するために使われる。その結果、非常にダイナミックなシステムになり、しばしばコントロールが難しくなるが、アコースティック楽器のような、しかし電子楽器のような、素晴らしい表現力が可能になる。コンサート中のライブ・ラジオ・キャプチャーと、演奏スペースとその周辺で事前に録音されたフィールド・レコーディングが、各コンサートのさらなる素材となる。結局のところ、これらの公演は基本的にサイト・スペシフィックな作品であり、物理的な意味でも、そこにある音という意味でも、手元にある空間を使って即興的に行われる。音楽が即興であるだけでなく、使用される素材が演奏されるそれぞれの空間に直接関係しているため、演奏は毎回異なる。
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私たちは天刑を天啓にできるか。
東日本大震災から12年が経つ。果たして社会はよい方向に向かっているのだろうか。“心豊かな未来”をつくれているのだろうか。
東日本大震災、とくに福島の原発事故に関して、痛烈に反省したことがある。それは、暮らしの根本であるエネルギーについて、“ちゃんと”考えてこなかったことである。人類ではじめて原子爆弾を落とされたこの日本列島で、66年後、今度は自分たちがつくった仕組みで被爆し、故郷を離れざるを得ない人たちがいる。そんな時代を生きることになると誰が想像しただろうか。
“心豊かな未来”を本気でつくりたいのであれば、この現実を受けとめ、直視することからはじめたい。原爆にしろ原発にしろ、二度と故郷を被爆させないという誓いと哀切から、社会をつくりなおしたい。
なぜ、福島の原発事故を食いとめることができなかったのか。要因はさまざまあるだろう。私はその主たる原因は「日本人の身体が鈍感になっていることにある」と考えている。ここでいう「身体」とは、運動能力としての身体を指すのではない。いのちの器としての身体。環境や風土を感受するメディアとしての身体。私たちのいのちが環境や風土とつながっていることを実体験している身体。私たち人間もまた生きものであり、自然の一部であることを理解している身体。そういった意味での身体を指す。身体の鈍り、いのちと風土の関係の希薄さ...。ここに日本社会の最大の課題があるように思う。
日本国内で、農業・漁業・林業などの一次産業を生業にしている人の数は、約300万人と言われる。日本の人口1億2000万人、その約2.5%の人たちしか、私たちが暮らしている風土に直接的に関わっていない。そういう見方もできる。戦後、急激に都市化が進み、人々の多くが、山・川・海から離れていってしまった。同時に、山・川・海など風景の多くがコンクリートで固められていった。大人や子どもが川で遊んでいる景色を見ることは、都市部では極めて稀になってしまった。
嘆いてばかりはいられない。現代社会において、どのようにして身体感覚を磨き、いのちと風土の関係を深めることができるのか。学問や研究ではなく事業として社会に実装し、良質なインパクトを社会へ届けるには、どうしたらよいだろうか。そう思い、2013年3月に起業し、YAMAP(ヤマップ)という登山・アウトドアの事業をスタートした。
自然の中で遊ぶ。これに尽きると思う。ここでいう自然とは、どこか遠くの見知らぬ自然ではない。自分たちが暮らしている街の自然である。住んでいる街から見える山。街を流れる川。その川の源流の山へ行ってみて、自分たちが住んでいる街を山から見渡してみる。山と街がつながっていること。街の恵みは山の恵みに支えられていること。街を離れて山へ行けば、街とはちがう時間が山にはあること。植物を含め人間以外の生きものが山にはあふれていること。私たち人類もまた生きものの一員でしかないこと...。身近な自然の中での遊びを通じて、生きものとしての感覚を磨き、野性を培う。人間からではなく自然から学ぶ。人工知能が進み、知識のあり方が激変している今だからこそ、自然の中での学びに、人類の可能性の鍵があるように思う。
環境・風土・街を含めた地域生命圏を考えるとき、適切な範囲をどのように考えればよいか。岸由二さんが提唱する「流域」の考え方が、極めて有効であると思う。生きものたちの暮らしを支える生態系(ランドスケープ)を、山岳、丘陵を含めた流域でとらえる。流域を環境・風土・街を含めた生命圏のひとつの単位(ローカル)として位置づける。流域ごとに、山・川・海などの自然資本の価値を可視化し、食・エネルギー・教育・医療・福祉など、人間の暮らしに必要な営みを見える化し、社会をつくりなおしていく。
これはコロナを経験した人類が、ローカルに回帰している動きとも符合する。どれだけ時代が変わりテクノロジーが発展しようとも、いのちは有限であり、いのちの現場・社会の基盤はあくまでローカルであることを私たちは身をもって実感したのだと思う。グローバル経済がいかに脆弱で、不安定な仕組みで成り立っているか。海外からの物流が止まれば、食料もエネルギーも高騰し、暮らしが極めて不安定になることを、コロナで私たちは経験した。気候変動に直面している今だからこそ、自律分散型かつ循環型の社会を、流域を単位につくっていく。流域を単位とした地域生命圏の中で人々が遊び、学び、暮らしをつくっていく未来に、私は希望の光をみる。
私たちは心豊かな未来をつくっていけるだろうか。私たちは天刑を天啓にできるだろうか。私たち一人ひとりの生き方にかかっている。
▼ 参考書籍
内村鑑三『デンマルク国の話』
岸由二『生きのびるための流域思考』
宮台真司、野田智義『経営リーダーのための社会システム論』
富山和子『森は生きている』
中村桂子『科学者が人間であること』
長田弘『奇跡』
明石海人『明石海人歌集』序文
※ 2023年4月 会誌『ACADEMIA こころ豊かな未来のか・た・ちへ』の寄稿文を転載
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肇慶市(広東省管轄の地級市)--日本人観光客は広東省肇慶市を歓迎します
肇慶市
広東省管轄の地級市
肇慶市は、広東省が管轄する地級市で、広東省の中西部、珠江デルタの西端に位置しています。 西は広西チワン族自治区の梧州と賀州、南は雲浮、陽江、江門、東は佛山、背後は清遠と隣接しており、発展した沿岸地域から南西部の省までの交通の要衝となっている。 珠江の本流である西江がこの地域を通過し、北回帰線が横切っています。 北嶺を背に西江に面し、上空は滄武市、下は南シナ海を支配しており、広東省西部の喉元であり、「中国の硯の首都」として知られています。 肇慶市は、深い文化遺産と嶺南の雰囲気が色濃い国家歴史文化都市であり、嶺南文化と光復文化の発祥の地と栄華の地の一つである。 同時に肇慶市は中国有数の観光都市、国家庭園都市、国家衛生都市、国家環境保護モデル都市でもある。
中国語の名前
肇慶市
外国人の名前
秀興
所属する地区
中国広東省
地理上の位置
北緯22度47分~24度24分、東経111度21分~112度52分の間
エリア
15,000平方キロメートル
管轄区域
端州区、鼎湖区、高要市、四会市、広寧県、懐済県、豊開県、徳清県
官邸
端州区城中路49号
気候条件
亜熱帯モンスーン気候
有名な風景
七星岩、仙湖、鼎湖山など
駅
肇慶駅、肇慶東駅(高速鉄道駅)
ナンバープレートコード: 広東省 H
ニックネーム
端州
人口
412万人(永住者2022人)
GDP
2,700億元(2022年)
テリトリー所有者
莫玄清、梁漢操、余漢蒙など。
電話の市外局番
0758
郵便番号 市外局番
526000
行政区分
県級市
地元の方言
広東語 - 羅光映画、客家語 (未満)
有名な学校
肇慶大学、広東財政大学など
都市概要
肇慶市は広東省の中部と西部、西江の中流に位置しています。 総面積は15,000平方キロメートル、人口は390万人以上で、端州区、鼎湖区と広寧、徳清、豊開、懐済の4県を統治し、高要、高養の2つの県級市を管理している。省レベルの肇慶ハイテク産業開発区が設立され、2010年9月、国家科学技術部は肇慶ハイテク産業開発区を国家レベルの肇慶ハイテク産業開発区に昇格することを承認した。 。
歴史
宋崇和元年(1118年)肇慶府が設置された。 「趙」は最初の説明で、「清」は縁起であり、宋徽宗は端王と名付けられたため、王位を継承して世界を統治するという縁起を引き寄せたことを意味します。 [1]
春秋戦国時代には白越の地であった。 秦は南海県と桂林県の領土でした。 漢の武帝の元定六年に高要県が設立された。 端州は隋の時代に設立され、後に新安県に変更され、唐の時代に端州が復元されました。 宋崇和の治世元年、肇慶府が設置された。 元の時代には肇慶路と改められた。 明清時代には肇慶県であった。 中華民国では政府が廃止され高要県が残されたが、1949年に肇慶市に再編され、その後西江省管轄の高要県に合併された。 1952 年に広東省中央行政弁公庁に属し、1958 年に肇慶市に返還され、肇慶地域に属しました。 1988年に県級市に昇格した。
肇慶は古代嶺南先住民文化発祥の地の一つで、考古学的発見によると約 14 万年前に肇慶で人間の活動があり、約 1 万年前には新石器時代への移行が始まりました。
約 5,000 年前、肇慶市の先祖はすでに鍬栽培、牧畜、織物、さらに高度な陶器製造を行っていました。 春秋時代後期から戦国時代にかけて領内の墓から出土した青銅器には、中原の殷・周文化や長江流域の楚越文化の影響の痕跡が見られ、重要な文化が残されている。嶺南文化の特徴。
肇慶市は古代端州として知られ、嶺南文化発祥の地の一つです。 中原文化と嶺南文化、中国の伝統文明と西洋文明が早くから交わる地域の一つであり、秦王朝以前には嶺南で最も経済的、文化的に発展した地域の一つであり、かつては政治、西江流域の経済と文化の中心地であり、歴史上「嶺南」として知られている。有名な県」。
秦の時代以前、肇慶は白越に属していた。
秦の始皇帝の 33 年(紀元前 214 年)、秦は白越を平定し、南海県、桂林県、翔県を設立しました。 現在、肇慶市の一部は桂林県と南海県に属している。 秦王朝は四会県を設置し、現在の四会、広寧、懐済などの市と県の全部または一部を管轄区域とし、南海県の管轄下にあった。
南海県の管轄区域は、南東は南シナ海に接し、西は現在の広西チワン族自治区賀州まで、北は南嶺に通じ、現在の広東省東部、広東省北部、中部の一部を含む。広東省および広東省西部。番禺県、龍川県、博羅県、四会県の 4 つの県を統治します (『漢書』の記録によると)。この県は番禺市を統治しています。 現在の広東省の大部分は南海県に属しています。
漢王朝の武帝が南ベトナムを平定した後、現在の高要市、肇慶市、西部の高明市と三水市、東部の雲府市に高要県を設立しました。 現在の広東省には、膠州市が管轄する南海県(広東省中部および東部)全域と、滄武県、合浦県、荊州貴陽県、揚州豫章県の一部が含まれる。 このうち南海県には、掲陽、中粛(現在の清遠)、曾城の3県が秦王朝よりも多かった。
前漢の元定六年(紀元前 111 年)、この地域に 8 県が設置され、四会県は南海県に属し、広新県、謝木県、高要県、豊陽県、端渓県は滄武県に属し、高梁県に属しました。県と臨雲県 郡は合浦県の管轄下にあり、膠州市の管轄下にある。
後漢の建安 25 年(西暦 220 年)、行政区画は前漢から引き継がれました。 三国の呉黄武 5 年 (西暦 226 年) に東漢時代に沿って建設され、大部分は広州に属し、一部は膠州に属しました。 当時、北部(現在の懐済県周辺)は荊州市臨河県に属していた。
西晋太��三年(西暦282年)に9県が設置され、四会県は南海県の管轄下にあり、広新県、端渓県、元渓県、高要県、新寧県、臨雲県は滄武県の管轄下にあった。県、西姆県、鳳陽県は滄武県の管轄下、臨河県の管轄下、広州の管轄下。
東晋永和 7 年(西暦 351 年)、16 県が設置され、4 県に分かれ、すべて広州に属しました。 四会県と淮化県は南海県の管轄下にあり、広新県と高要県は滄武県の管轄下にあり、源渓県、端渓県、豊興県、都城県、金華県、龍祥県、福蓮県は金康県の管轄下にあり、臨雲県の管轄下にある。金康県の管轄下にあり、新興県、南興県、丹島県、平興県は新寧県の管轄下にあります。
南北朝時代 (西暦 420 ~ 479 年)、高要、広新、奉興、五華、端渓、金華、都城、楽城、岳城、降安、安水、浜江、温照、南興、興興、臨雲、甘東、丹東、龍潭県、福納県、博林県、威平県、新照県、華蒙県、花木県、四会県、懐済県、華珠県、平興県、春寧県、肇興県、建寧県、崇化県、西木県、崇徳県、西牧県、開尖県、永谷県の38県、7県に分かれる:南海、滄武、金康、新寧、水建、松龍、臨清、広州、翔州。
西暦 479 年から 502 年まで、龍郷県、羅平県、永西県、浜華県、寧郷県、彰化県、定昌県、保寧県、乾安県、春寧県、永城県、広西チワン族自治区、斉安県、斉建県、林県を含む 11 県が追加されました。 . 彼 4 県は広州と翔州に属します。 西暦 502 年から 589 年まで、広州、成州、建州、新州、龍州に属する 54 の県が設置され、梁天建 6 年 (507 年) 9 月、県は高要県に昇格し、広州都都となりました。高要県のマンションを合併しました。 西江総督および高要総督を務めていた間に、陳覇は西暦 557 年に陳王朝を建国しました。 陳王朝の間、広州のドゥドゥの邸宅は依然として高要を統治していました。
隋の開皇 9 年(西暦 589 年)、同省の高要県が県に改められ、端州が設立され、高要県、端渓県、平興県、楽城県、青台県の 5 県となりました。 隋の大業 3 年 (西暦 607 年)、端州は新安県に改名されました。 当時、肇慶には17の県があり、そのうち四会・華蒙・懐済県は南海県の管轄下にあり、高要・端渓・楽県は5県の管轄下にあった。
七星岩牌坊城、平興、新興、博林、銅陵の7県は新安県の管轄下にあり、龍水、安水、永西の3県は永西県の管轄下にあり、豊川県、都城県は管轄下にある。滄武県の管轄下にあり、建仙県は西平県の管轄下にあり、広州、蓮州、端州、龍州、豊州に分かれています。
唐の開元 29 年 (西暦 741 年) に 20 県が設置され、広州直轄の四会県、懐吉県、華蒙県、綿安県、端渓県、金康県、岳城県、都城県の 7 県に分けられました。各県は広州市の康州市の管轄下にあり、龍水、開陽、鎮南、建水の4県は龍州市の管轄下にあり、高要県と平興県は端州の管轄下にあり、新興県と永順県は新州市の管轄下にある。 ; 豊川県と開建県は豊州県の管轄下にあり、福林県と銅陵県は欽州県の管轄下にある。 南漢乾和 15 年(西暦 957 年)、1 県 6 県に分けて 20 県が設置され、四会県、懐吉県、華蒙県、蓮水県が興公の邸宅の管轄となりました。
北宋の正和元年(西暦 1111 年)、8 県が設立され、第 1 軍の 4 県に分けられました。高要県と四会県は興清軍の管轄下にあり、会済県は広州の管轄下にあり、豊川県は第 1 軍の 4 県に分かれていました。県と開建県は豊州の管轄下にあり、新興県は新州の管轄下にあり、端渓県と龍水県は江州の管轄下にあり、広南東路の管轄下にある。 崇和元年(西暦 1118 年)、宋の徽宗皇帝は興清軍に肇慶県の称号を与え、依然として高要県と四会県を統治していた。
宋の崇和元年(西暦 1118 年)、宋の徽宗皇帝が即位する前に端王の称号を与えられていた趙治は、直接彼に勅書を与え、端州を「端州」に改名しました。 「喜びと縁起の始まり」を意味する肇慶。それ以来肇慶という名前が使われ、現在まで元王朝は魯によって統治され、明と清の王朝は傅によって統治されています。
元朝 17 年(西暦 1280 年)、肇慶大邸は肇慶路と改名され、総支配人の邸宅が設置され、広西路(29 年に広東路に改称)の管轄となりました。 知順元年(西暦 1330 年)に 7 県が設立され、2 道 2 州の管轄下に置かれ、端渓県と龍水県は徳清路に属し、高要県と四会県は肇慶路に属し、豊川県が管轄されました。開堅県は豊州の管轄下にあり、新興県は新州の管轄下にあり、江西省興中州などの管轄下にある。 元朝 15 年 (西暦 1278 年) に、懐済県は湖広興中州賀州などに移され、治正 23 年 (西暦 1363 年) には広西チワン族自治区興中州賀州市に属しました。
明の洪武元年(西暦 1368 年)、肇慶府と改名され、広東正使の管轄となりました。 肇慶県は高要県、四会県、新興県、陽春県、陽江県、徳清県の5県1県を含んでいます。 成化 11 年 (西暦 1475 年) に戦略的位置が分析されて高明県が設立され、成化 14 年に恩平県が設立されました。 嘉靖五年(西暦1526年)には高要東部を分析して三水県を設置し、嘉靖三十八年には四会地域を分析して広寧県を設置した。 万暦 5 年(西暦 1577 年)、龍水県は羅定県(東安県と西寧県を率いる)に昇格し、広東正使の直属となった。 これまで肇慶県がリードしたのは徳清県、高要県、四会県、新興県、陽江県、陽春県、広寧県、高明県、恩平県の1県8県である。 四会寺県は広西チワン族自治区梧州県に属します。
明の嘉靖四十三年(1564年)、広東・広西総督府は広西チワン族自治区梧州から肇慶に移転したが、乾隆11年まで広州に移転しなかった。 182 年間続いた清王朝 (1746 年)。 1646年、朱有朗は肇慶政庁を宮殿として使用し、即位して皇帝を宣言し、名前を永麗と変え、肇慶で兵士と民間人を組織して清朝に抵抗した。
清朝初期には明の制度に従いました。 肇慶県は、広東省の管轄下にある広肇羅島の行政官庁です。 順治6年(西暦1649年)に開平県が設置され、雍正9年(西暦1731年)に鶴山県が設置され、当時肇慶府は徳清県、高要、四会、新興、高明、広寧県、開平県、鶴山県、豊県、四川省、開江県、陽江県、陽春県、恩平県の 12 県があります。 同治9年(西暦1870年)、陽江県が直里県に昇格し、陽春県と恩平県が割譲された。 光緒 34 年(西暦 1908 年)、会済県は梧州県から平楽県の新都庁に移管されました。
清代には、趙洛路、肇陽羅路、広昭路など、省と県の間に道路が設置され、道路プラットフォームのほとんどは肇慶市にありました。 1912 年以降、肇慶市には趙洛軍政府支局、肇陽羅鎮使節所、西北軍太平洋委員会弁公室が次々に設置され、1936 年には 12 県を管轄する広東省第二行政監察局が設置された。
中華人民共和国の成立後、肇慶市は高要県、肇慶市人民政府、肇慶市地方行政弁公庁の所在地となっている。 1988 年 3 月、肇慶市は端州、定湖区と高要、広寧、四会、新興、羅定、雲浮、徳清、雲南、豊開、懐済の 10 県を管轄する地方都市に変更された。 1994 年 4 月 5 日、国務院の承認を得て県レベルの雲浮市が設立され、雲浮、羅定、雲南、新興の 4 つの県レベルの組織が肇慶市の管轄区域から分離され、雲浮市の 1 つが管轄下に置かれた。市が設立されました。 これまで肇慶市は端州市と定湖市の2地区、高要市と四会市の2市(県レベル)、広寧市、徳清市、豊開市、会集市の4県、肇慶市ハイテク産業開発区(国家レベル)を管轄している。レベル)。)。
名前の由来
肇慶市は古代端州として知られ、中国四大硯の最初の端硯の産地です。 肇慶という名前の由来はすべて宋の徽宗皇帝によるものです。 ——端公は皇帝に即位し、自筆で「肇慶府」の三文字を書き、肇慶の地名は今も使われています。
行政区分
肇慶市は3つの市区(端州区、鼎湖区、大王区)、2つの県レベルの市(高要市、四会市)、4つの県(広寧県、懐済県、豊開県、徳清県)を管轄しており、肇慶市国家ハイテク産業開発区(大王市にある市政府から派遣された機関で、県および市レベルでの経済管理および行政承認権を有している)。
市政府は端州区城中路 49 号にあります。
地理と気候
位置範囲とエリア
肇慶市は広東省の中部と西部に位置し、東と南東は仏山市と江門市、南西は雲福市、北と北東は清遠市、西は広西チワン族自治区に隣接しています。 領土全体は北緯22度47分~24度24分、東経111度21分~112度52分の間に位置します。 北回帰線が領土の中央を通っています。 市の総面積は 14,900 平方キロメートルで、州の総面積の 8.31% を占めます。
地形
肇慶市の地形は、北西が高く、東と南が低く、北西から南東に向かって傾斜しています。 中低山と丘陵が主体で平野が少なく、山地、盆地、丘陵、沖積平野などが交互に分布する山地地形を形成しており、中低山と丘陵が市の面積の約81%を占めています。平野と河川水が総面積の 50%、19% を占めます。 山と丘陵は主に北の懐済県、北東の広寧県、西の豊開県と徳清県に分布しています。 河谷平野は四会、高要、定湖、端州など南東部の都市(地区)に分布しています。 市内には 1,000 メートル以上の山が 40 個あり、最高峰は会集県の大超頂 (標高 1,626 メートル) です。 カルスト地形はよく発達しており、石林、洞窟、孤立した峰などの地形を形成しています。たとえば、肇慶市の七星岩、会稽県の燕岩、豊開県の白石岩などがあります。
植生
肇慶市は南亜熱帯の生物の宝庫であり、世界的に有名な貴重な生物が数多く生息しており、広東省の主要な森林地帯の一つである。 自然植生は基本的に南亜熱帯常緑季節風林に属しており、豊開県の鼎湖山と黒石頂自然保護区に代表されます。
水文学
西江と北江はこの都市の 2 つの主要な水系であり、西江は三水区を西から東に流れ、北江と合流して珠江に流れ込みます。 この地域の水質は良好です。
気候
肇慶市は南亜熱帯モンスーン気候に属します。 年間平均気温は21.2℃、1月の平均気温は12℃、7月の平均気温は28.7℃です。 懐済県北部の山間部では冬に霜や雪が見られます。 年間平均降水量は4月から9月に集中して約1,650mm以上、年間蒸発量は1,300mm以上です。 霜が降りない期間は310日から345日です。 春先は曇りや雨が多く、夏と秋は台風の影響を受け、晩秋は寒露や風が強くなり、農業生産に悪影響を及ぼします。
生態系
生態学的地域分布
肇慶市の全域は北緯22度47分~24度24分、東経111度21分~112度52分の間に位置する。 北回帰線が領土の中央部を横切っており、肇慶市は南亜熱帯モンスーン気候に属します。 地形は北西が高く、東と南が低く、北西から南東に向かって傾斜しています。 中低山と丘陵が主で、平地は少なく、山、盆地、丘陵、沖積平野などが交互に分布する山岳地形を形成しており、山と丘陵は主に北の懐吉、北東の広寧、西の豊開に分布しています。そして徳清県。 河谷平野は四会、高要、定湖、端州など南東部の都市(地区)に分布しています。
市の総面積は14,900平方キロメートルで、中低山と丘陵が市面積の約81%を占め、平野と河川が総面積の19%を占めています。 西江と北江が二大都市
水系は西から東に流れ、三水区で北江と合流して珠江に注ぐ。 肇慶市は水質が良く、世界的に有名な貴重な生物が数多く生息する南亜熱帯生物の宝庫であり、広東省の主要な森林地帯の一つである。 自然植生は基本的に南亜熱帯常緑季節風林に属しており、豊開県の鼎湖山と黒石頂自然保護区に代表されます。
自然保護区の建設
鼎湖山自然保護区 :鼎湖山は嶺南の四大名山の一つで、肇慶市の北東18キロメートル、北緯23度10分、東経112度31分に位置する。 北回帰線が通過する地球上のほとんどの場所は砂漠または草原であるため、鼎湖山は中国や外国の学者から「北回帰線のエメラルド」とも呼ばれています。 1956 年、鼎湖山は我が国初の自然保護区となりました。
1979年に、ここはユネスコの「人間と生物圏」プログラムに参加した私の国で最初の保護地域の1つとなり、「人間と生物圏」研究センターを設立し、国際的な学術交流と研究の拠点となりました。 鼎湖山の面積は1,133ヘクタール、最高峰の吉龍山の標高は1,000.3メートルで、麓から山頂まで渓谷熱帯雨林、常緑広葉樹林、亜熱帯季節風常緑広葉樹林、針葉樹林と低木。 保存状態の良い南亜熱帯林は、典型的な帯状常緑広葉樹林であり、400年以上の歴史を持つ原始的な亜熱帯林です。 鼎湖山はその特別な研究価値で国内外に有名であり、中国南部の生物種の「遺伝子の宝庫」であり「生きた自然の博物館」と見なされており、野生の高等植物は 1,856 種あり、そのうち 23 種は野生植物である。国家重点保護植物 鼎湖山に自生する植物は 30 種である。
鼎湖山の多様な生態系と豊富な植物は、動物にとって豊富な食料源と良好な生息地を提供します。 そのため、ここには鳥類 178 種、国家保護動物 15 種を含む哺乳類 38 種など、動物の種類と量が豊富で、1998 年 12 月、中南林業大学森林観光研究センターの測定によると、鼎湖山のマイナスイオン含有量は最高レベルに達し、105,600イオン/立方センチメートルで、中国で測定されたマイナスイオン含有量が最も高い地域となった。 山中にある蝶の谷は、森林、小川、滝などの自然が融合しており、動植物資源が豊富で、全長は 3.1 キロメートルです。 現在、医療、健康維持、普及科学調査、観光などの総合観光プロジェクトの開発を計画しており、投資規模は約2000万元である。
天然資源
天然資源
最新のクラス II 調査データによると、2005 年に市の森林面積は 1,587 万 3,600 エーカーで、市の土地面積の 71.7% を占め、森林面積は 1,405 万 4,700 エーカー、森林被覆率は 65.1% でした。 、緑化率は66.8%、立木在庫は3,742万立方メートル、年間成長量は242万7千立方メートル、成長率は6.5%です。
現在、市には 399 万 1,100 エーカーの生態公共福祉林があり、市の総森林面積の 25.1% を占めています。 商業森林面積は 1188 万 2500 エーカーで、市の総森林面積の 74.9% を占めています。
水資源
西江と北江はこの都市の 2 つの主要な水系であり、西江は三水区を西から東に流れ、そこで北江と合流して珠江に流れ込みます。 西江と北江の本流は両方とも珠江水系に属します。 同地域内の複数年平均流出量は139億5,700万立方メートル。 流域面積が1,000平方キロメートルを超える河川には、西江とその一級支流の合江、新興江、二級支流の東安江、鳳港江、北江とその支流の水江が含まれます。 。 流域面積が100平方キロメートルを超える河川が50本あり、そのうち25本は西江水系に属し、残りの25本は北江水系に属します。 西江本流の水量は全国の主要河川の中で長江に次いで第二位であり、高要水文基地の複数年平均流出量は2,237億立方メートルであり、複数年平均流量は2,237億立方メートルである。毎秒7,100立方メートルです。 西江は広東省と広西チワン族自治区を結ぶ重要な水路で、3,000トンの船舶が下流から肇慶三栄港ターミナルに直接アクセスできます。
肇慶市の複数年平均の地表水資源量は140億立方メートル、地下水資源量は40億立方メートルであるが、水資源の空間的・時間的分布は不均一であり、降雨量は主に4月から4月までの洪水期に集中している。 10月は年間降水量の80%を占めます。 2004 年の同市の降水量は 1,253 mm で、これは長年の平均降水量の 76% でした。 西江、水江、合江から大量の水が供給されるため、乾年は生産や生活用水の使用にほとんど影響を与えません。 市の一人当たりの複数年間の水資源占有量は 3,553 立方メートルです (通過水 2,464 億立方メートルを除く)。 域内の水質は概して良好で、西江、遂江、合江はいずれも国家二級水質基準に達している。 水資源が豊富なため、工業化が加速して水の消費量が増加しても、今後10年間は水不足の問題は発生しないと予想されています。 しかし、干ばつ地域や石灰岩地域では依然として局所的な水不足が存在しており、市内では依然として11万6,500人が水を飲むのに困難を抱えている。
鉱物資源
肇慶市では61種類の鉱物が発見されており、そのうち36種類の埋蔵量が確認されている。 主な金属鉱物にはニオブ、タンタル、金、鉄、ビスマス、モリブデン、錫、銅、タングステン、レアアースが含まれ、金鉱物資源は豊富で、35 の鉱床があり、主に高要市、懐済県、豊開県などに分布しています。埋蔵量は91トンで、広東省の「黄金の故郷」として知られています。 非金属鉱物としては、主にセメント用石灰石、フラックス用石灰石、石膏、装飾用花崗岩、建築用花崗岩、陶土、硯、ミネラルウォーター、地熱水などが挙げられます。 硯は肇慶市独特の工芸装飾用石鉱物で、主に西江のカモシカ峡の東側、蘭科山の端渓の岸で産出されることから「端硯」と呼ばれています。 端硯は中国四大名硯の第一位です。 七星岩から鼎湖山に至る北嶺山も硯石の主要な産地である。 区内の老坑、坑仔岩、麻子坑などの硯石の品質が最も良いとされている。 当市の硯石の埋蔵量は約10万立方メートルである。
生物資源
肇慶市は南亜熱帯の生物の宝庫であり、世界的に有名な貴重な生物が数多く生息しており、広東省の主要な森林地帯の一つである。 1993 年の時点で、市は緑化基準を達成していました。 2004 年時点で、市の森林面積は 94 万 8,000 ヘクタール、森林被覆率は 67.4%、現存在庫量は 4,559 万 3,000 立方メートルでした。
自然植生は基本的に南亜熱帯常緑季節風林に属しており、豊開県の鼎湖山と黒石頂自然保護区に代表されます。 市内には 300 科近く、1,200 属以上、2,500 種以上の樹木が自然および人工的に生育しており、その中には 1,000 種以上の樹木や低木が含まれています。 森林の種類は主に松、モミ、薪林です。
国家重点保護の植物は 254 種あり、そのうち一級保護の植物はイチョウ、ソテツ、シルバーモミ、ウォーターマツ、メタセコイアなどの 51 種であり、二級保護にはソテツシダ、福建ヒノキ、緑皮、クスノキ、ナンム、チェッカーウッド、フォールウッド、香木、小豆、紫檀、プラタナス、満州灰、沈香、ハマグリ、ケヤキ、ユーカリなど203種あります。 中国の高要市、四会市、広寧県、豊開県、徳清県は、それぞれシナモン、ミカン、竹、ロジン、ミカンの故郷です。
茶茎竹と桂皮の輸出が国の半分以上を占めています。 市内には、150 種の鳥類、11 種の端足類、20 種の爬虫類、32 種および亜種の哺乳類を含む 210 種以上の陸生野生動物が生息しています。 国家重点保護に指定されている種は 36 種で、その中にはニシキヘビ、オオトカゲ、ウンピョウ、シロエリキジ、キジの 5 種が第 1 級保護に含まれており、第 2 級保護にはマカク、チベット首長国連邦、センザンコウ、大小のハクビシン、マダラヤマネコ、ゴールデンキャット、キジ、ヤケイ、大小の羽のあるニワトリ、オオヤモリ、トラシマカエルなど30種。
旅行リソース
肇慶市は中国第三陣国家級歴史文化都市の一つで、2,200年以上の歴史があり、嶺南文化発祥の地として知られています。 美安、徳清書院、肇慶古城壁、七星岩崖刻、徳清岳城龍木祖廟は国家重点文化財保護単位である。 星湖風景区は国家重点景勝地であり、国家 AAAA レベルの景勝地です。 市内には地域特色のある代表的な観光資源が95あり、そのうち自然観光資源は58で全体の61%を占めている。 肇慶市の観光資源は質が高く、種類も豊富です。
鼎湖山(景勝地)、七星岩、大石(豊開県)に代表される山地地質景観資源、新湖、西江、合江に代表される水景観資源、鼎湖山(自然保護区)、黒石頂に代表される生態資源(豊開県)、古城壁、岳江塔、端硯に代表される歴史文化資源、徳清龍母祖廟、梅安に代表される宗教民俗資源、肇慶ゴルフリゾート、広心農業生態公園などのレジャー、休暇資源は肇慶市の豊富な観光資源を代表するものです。
自然と人情の融合により、肇慶市の観光資源は他の省に比べて明らかな優位性を持っています。 発掘と統合���経て、七星岩と鼎湖山を中心として、四会鎮山、広寧竹海大展望、懐済延岩とザナドゥ、鳳開龍山と天下第一石、鼎湖葫山と天空を結ぶ都市が形成された。九龍湖、徳清盤龍峡、龍母祖廟、高要広信生態公園からなる「肇慶千里観光回廊」は、市内の観光発展を促進した。
エリア形成
古代には端州として知られた肇慶は、かつて西江流域の政治、経済、文化、軍事の中心地であり、2,200 年以上の歴史を誇ります。 ここは嶺南先住民文化の発祥の地であるだけでなく、中原文化と嶺南文化、西洋文明と伝統的な中国文明が最も早く交わった場所でもあります。 肇慶市は亜熱帯に位置し、温暖湿潤な気候、豊富な植生、多種多様な生物種があり、人間の居住に非常に適している。 北宋時代には「縁起の良い始まり」を意味する肇慶と呼ばれていました。
交通機関
高速道路
2013年末現在、肇慶市の高速道路走行距離は13,382.4キロメートルで、そのうち高速道路は251.317キロメートルである。
広州高速道路、江照高速道路、広佛趙高速道路、肇華高速道路、淮陽高速道路、広河高速道路淮吉~霊峰区間、二光高速道路連州~淮集区間、汕頭~昆明高速道路 高速道路の龍川~淮吉区間と国道321号線、324号線が通過それを通して。
鉄道
鉄道路線:南広鉄道、広佛山趙都市間軽便鉄道、貴広高速鉄道、三毛鉄道(広州~湛江)、六趙鉄道(計画中)
主要鉄道駅: 肇慶駅、肇慶東駅
都市の栄誉
2012 中国の特色を持つ魅力的な都市トップ 200
国家科学技術先進都市(地区)
国家スマートシティパイロット
国立歴史文化都市
中国の優れた観光都市
国立田園都市
国民健康都市
国家環境保護モデル都市
歴史と文化
ダイエット
肇慶市のケータリングは主に広東料理で、北と南の味、中国と西洋のスタイルを組み合わせた地元の味があり、料理、軽食、軽食が統合されています。 主な地元の特産品には、西江の生鮮食品、広寧の筍料理、高要市大湾鎮の舞渓鯉(草鯉)、文清鯉、鼎湖上蘇、肇慶の包み蒸し、豊海杏花鶏、四会仙貝、四会などがあります。ティーチキン、徳清ペニーヌードルなど
民俗芸術
肇慶市懐済の「桂歌劇」は300年以上の歴史を持つ中国でも珍しい歌劇の一つで、魚龍舞、酉の舞、一角獣の白馬の舞、12月の茶摘みの歌などが披露される。 400年間野原で歌われ続けています。
職人技
文房四宝の一つである端硯は肇慶市で産出され、書道の重要な道具の一つである。 端硯は肇慶市の最も有名な特産品である端、つまり端州の略称です。 肇慶端硯、湖壁、ライスペーパー、匯硯は「学問の四宝」とも呼ばれる。 石は純粋で柔らかく、墨跡は耐久性があり、彫刻は精巧で、過去の王朝の貢物として列挙されています。
人口
2013年末時点の常住人口は402万2100人、出生率は5万4300人、出生率は12.34パーセント、死亡者数は2万3400人、死亡率は5.32パーセント、自然増加人口は3万900人、自然増加率は3万900人であった。成長率は7.02‰でした。
肇慶市の地区(県、市)の人口データ
分割
面積 (km²)
居住人口(2010年11月)
肇慶市
14822.19
3918085
端州区
152.30
479344
鼎湖区
552.39
164701
広寧県
2380.00
424128
懐済県
3573.01
814172
豊開県
2723.29
398304
徳清県
2002.80
341197
高養市
2185.62
753357
四会市
1262.96
542882
全国の民間伝承
言語
肇慶市では主に人気のある中国語の方言が 2 つあります。1 つは広州方言としても知られる広東語、もう 1 つは広東語 (一般に俗語として知られています) で、2 つの部分に分かれています。最初の部分は主に分布する広東語です。端州市、定湖市、高要市 ; 2 番目の部分は、四会、徳清、広寧、会集、豊開、ハイテク (大王) 地区に分布する羅光面 (別名: 郭老面) です。
市の総人口の 90% 以上が広東語を話しますが、懐吉県には上方方言と下方方言があるなど、地域ごとに意味や語彙の違いなど、独自の郷土色があります。 2つ目は客家語で、市内で30万人以上が話していて各地に分布しており、その中でも話者数が最も多いのは四会市の約12万人です。 さらに、会集県と豊開県にはチワン語や少数民族のスローガンもある。 チワン語話者は、主に懐済県北部の下水庄、八尾鎮、中州鎮のいくつかの村に住んでおり、人口は約 7,000 人で、北部のチワン族の方言に属しており、広東語を話す漢族の同胞と密接な交流があるため、北部の方言には明らかな違いがあります。
この市には約20万人のスローガン保持者がおり、主に永谷、石東、橋頭、大港、梁村などの会集県の町と、奉開県の河口鎮、金荘鎮、長安鎮の一部の村に分布している。
民族分布
肇慶市には 47 の民族が居住しており、漢民族が最大の人口を誇り、市の総人口の 99.47% を占め、チワン族、ヤオ族、回族、李族、土家族、ミャオ族、満州族、東族を含む 46 の少数民族がいます。 少数民族の中で、チワン族、ヤオ族、回族が最大の民族であり、集団で住んでいます。チワン族は主に、懐済県の下水庄、ヤオ郷、中州鎮に分布しています。ヤオ族は、下水チワン族とヤオ郷に集中しており、回族は主に端州地区に集中しています。 他の少数民族は、主に人材の流入や結婚関係を通じて都市に流入します。 この都市には、最も多くの少数民族が共に住んでいる下水庄と下水の八尾鎮があります。
宗教
肇慶市には、仏教、イスラム教、カトリック、キリスト教を含む 9 つの主要な宗教団体があります。 肇慶市カトリック愛国会とカトリック教務委員会はいずれも 1990 年に設立された。カトリック愛国会の会長と会長は現在空席である。 肇慶市仏教協会は 1989 年に設立され、現在の会長は石念国氏です。 肇慶市キリスト教三自愛国協会は 1989 年に設立され、現在の会長は李道成氏です。 肇慶市キリスト教協会は 1989 年に設立され、現在の会長は劉天慈氏です。
肇慶イスラム協会は 1981 年に設立され、現在の会長は馬昆豪氏です。 2004 年末までに、この都市にはキリスト教徒 3,146 人、カトリック教徒 2,122 人、仏教徒 15,000 人、イスラム教徒 508 人を含む約 20,000 人の宗教信者がいた。 市内には164人の宗教職員がおり、その内訳は仏教信徒53人、尼僧87人(ザイ・ニアンを含む)、イスラム教イマーム2人、カトリック司祭1人、修道女2人、キリスト教の長老3人、説教者16人である。
仏教活動の主な会場は青雲寺、劉祖寺、白雲寺、慈雲寺、宝蓮寺、乾安を含む 8 か所、イスラム教の活動会場は都市部の成西清真寺と成東清真寺など、カトリックの活動会場は 7 か所あります。端州楽竹囲教会、高要上清湾教会、高要黄東教会、キリスト教の活動会場には、端州城中路キリスト教会、四会キリスト教会、広寧キリスト教会、豊海キリスト教会、徳清キリスト教会、高要新橋キリスト教会、高要連塘キリスト教会、および11が含まれます。他の場所。
興味のある場所
旅行リソース
肇慶市は中国第三陣国家級歴史文化都市の一つで、2,200年以上の歴史があり、嶺南文化発祥の地として知られています。 美安、徳清書院、肇慶古城壁、七星岩崖刻、徳清岳城龍木祖廟は国家重点文化財保護単位である。 星湖風景区は国家重点景勝地であり、国家 AAAA レベルの景勝地です。
市内には地域特色のある代表的な観光資源が95あり、そのうち自然観光資源は58で全体の61%を占めている。 肇慶市の観光資源は質が高く、種類も豊富です。 鼎湖山(景勝地)、七星岩、大石(豊開県)に代表される山地および地質景観資源、星湖山、西江、合江に代表される水景観資源、鼎湖山(自然保護区)、生態資源に代表される黒石頂(豊開県)、古城壁、岳江塔、端硯に代表される歴史文化資源、徳清龍母祖廟、美安に代表される宗教民俗資源、肇慶ゴルフリゾート、広新農業生態公園などレジャーと休暇の資源は肇慶市の豊富な観光資源を代表しています。
自然と人情の融合により、肇慶市の観光資源は他の省に比べて明らかな優位性を持っています。 発掘と統合を経て、七星岩と鼎湖山を中心として、四会鎮山、広寧竹海大展望、懐済延岩とザナドゥ、鳳開龍山と天下第一石、鼎湖葫山と天空を結ぶ都市が形成された。九龍湖、徳清盤龍峡、龍母祖廟、高要広信生態公園からなる「肇慶千里観光回廊」は、市内の観光発展を促進した。
自然景観
【興湖風景区】
星湖は国家重点景勝地の第一陣、国家 AAAA 級景勝地の第一陣、全国十大文明景勝地の第一陣の一つである。国内初のISO14000を取得した国家実証景勝地。 星湖は七星岩と鼎湖山の二大景勝地から構成され、面積は約20平方キロメートル、保護区は261平方キロメートルで、広東省で最も有名な観光名所である。
七星岩風景区は肇慶市の北部に位置し、「嶺南第一の不思議」として知られ、5つの湖、6つの丘、7つの岩、8つの洞窟で構成されています。 廊峰、玉屏、獅子、天竺、蟇蟇、仙丈、阿坡などの七つの岩峰が北斗七星のように天空にそびえ立ち、6.5平方キロメートルの湖に埋め込まれ、険しい峰、緑の水、奇岩の絵を形成している。古代寺院の動画と国家重要文化財保護単位である七星岩の断崖彫刻は、中国南部で最大かつ最も保存状態の良い断崖彫刻群です。 仙湖は七星堰の新しいハイライトです。
鼎湖山風景区は肇慶市の中心部から 18 キロメートルの距離にあり、古木や滝がそびえ立ち、我が国初の自然保護区であり、我が���初の世界生物圏保護区の一つである。 中国や外国の科学者からは、北回帰線のオアシスであり、生きた自然の博物館として賞賛されています。 空気中の酸素マイナスイオン含有量は国内最高(105,600イオン/cm3)であるため、「中国No.1の天然酸素バー」の評判を誇っています。 鼎湖山保定園の肇慶九龍保定硯と端渓龍帝硯はともにギネス世界記録に登録されている。 蝶谷は新しく開発された冒険観光ラインで、山の中にある青雲寺は嶺南の 4 つの有名な寺院の 1 つです。
【高要広新農業生態園】
1999年4月に設立されたこの公園は、総面積5,000エーカー以上をカバーし、近代農業の発展と観光のための科学技術農業の促進を目的とした総合開発の実施をテーマとしています。 現代農業モデル区の建設を基礎として、農業と観光を結合し、田園風景、自然生態、環境資源を活用し、農業、林業、畜産、副業漁業生産、農業ビジネス活動、農村習慣を結合して一連の改善を図る。公園は、レクリエーション、エンターテイメントおよび会議トレーニングエリア、環境に優しい農業エリア、エクストリームスポーツアドベンチャーエリア、青少年の質の高い教育エリアの 4 つの主要な機能エリアに分かれています。 農業および生態観光、レジャー休暇、質の高い教育、ビジネス会議を統合したユニークな総合サービスの場を形成します。
【盤龍峡生態観光風景区】
広東省徳清県の北西部に位置し、県庁所在地から23キロメートル離れています。 この景勝地は原始的なエコツーリズムと中国の龍の文化と伝説の聖地であり、面積は 30,000 エーカー以上で、そのうち 20,000 エーカー近くが原生二次林です。 この景勝地には、緑豊かな植物、緑の峰、チリンチリンと音を立てる山の湧き水、鳥のさえずり、香りの良い花、そして新鮮な空気があり、地上の楽園のような雰囲気を醸し出しています。 この景勝地には現在、渓谷ラフティング、滝の驚異、ジップライン、水上「ディスコ」、オフロードレース、山の湧き水プール、黄島坡織物村、興味深い水車、スタイルの木造住宅エリア、と原生林観光プロジェクト。
この景勝地の滝は「アジアでは珍しく、広東初」として知られており、その中でも霊天滝の高さは60メートル以上、騰龍滝の高さは80メートル以上です。 景勝地の原生林は天然の大きな酸素貯蔵庫を形成しており、空気中のマイナスイオン濃度は1立方センチメートルあたり10万個と高く、観光客がリラックスして療養するのに最適な場所です。 「生きた化石」と呼ばれる国家一級保護植物、オランダカイウが景勝地内に点在している。 この景勝地での峡谷下りは「中国戦士の最初の下り」として知られています。
【肇慶ゴルフリゾート】
高要市白図鎮に位置するこのゴルフ コースは、全長 6,638 メートル (7,300 ヤード) の 18 ホールの世界選手権標準ゴルフ コースで、ユーカリの森、146 のバンカー、湖などの自然景観をフェアウェイのデザインに組み込んでいます。 ほぼ自然に近いコース景観で、1998年に「中国ゴルフ」誌により「最も美しい景観コース」に選ばれました。 このコースの No.1 ホールは、その独特なフェアウェイ設計により、2001 年にゴルフ ダイジェスト誌によって「中国のトップ 18 ホール」の 1 つとして評価され、ベスト ゴルフ賞を受賞しました。
ゴルフコースのクラブハウスは山を背にして建てられており、ゴルフコースのさまざまな角度からの景色を一望できます。 ユニークなデザインは、「すべてのメンバーとゲストが、まるで家に帰ってきたかのように、リラックスして自由に感じられるようにする」というリゾートの文化的コンセプトを完全に体現しています。 クラブハウスには、中国料理と西洋料理のレストラン、ゴルフ練習場、フットマッサージ、ホテルスタイルの客室、テニスコート、ジム、多目的会議室、ビリヤード室、子供用娯楽室、釣り台などのサポート施設が備わっています。
【龍山風景区】
豊開県龍山風景区は広東省の省級風景区で、龍山溶岩(中央)風景区、大石風景区、千層峰風景区、蓮都ギャラリー風景区、合江風景区で構成されており、面積は25.34平方キロメートル。 奇妙さ、美しさ、静けさで有名で、花崗岩、石灰岩、砂頁岩などのさまざまな地形の自然景観があります。
龍山の中心景勝地は石灰岩の溶岩の景観で占められており、主に双龍洞、白石岩、龍泉洞、鳥園、民族公演、蓮池潭、龍山湖、桃花島、小松島、観音山、龍石山、獅子などで構成されています。岩亀山や龍山大仏などの景勝地で構成されています。 この景勝地の主な景勝地は、高さ 191.3 メートル、長さ 1365 メートル、幅 695 メートル、周囲 4100 メートル、面積 1101 エーカーの球状の花崗岩の岩塊です。 盤古祠、聖妃宮、梨園、世界一の石碁盤、ロッククライミング、星華山荘など10以上の景観がある。
千層峰風景区は河口鎮に位置し、面積は280ヘクタール、山頂の高さは200メートル以上です。 さまざまな形をした峰は、いずれも堆積性の砂頁岩と地元の石灰質頁岩の層で構成されているため、「千層峰」と呼ばれています。 風光明媚なエリアには、展望台、滝展望パビリオン、水遊びエリア、バーベキューエリア、緑の橋などがあります。 蓮都ギャラリー風景区の面積は14.68平方キロメートルで、龍山風景区が管轄する最大の景勝地であり、カルスト地形と絵のように美しい風景があり、「十マイルギャラリー」と呼ばれています。 和江風景区は和江の下流、白国発電所から江口発電所までの流域に位置し、面積は476.8ヘクタールである。 曲がりくねった川、澄んだ水、そして両側に生い茂る竹林で有名です。
【鎮山風景区】
四会市の南2キロメートルに位置し、標高は648メートルです。 かつて広正山として知られていた鎮山は、唐の大理時代 (西暦 766 ~ 776 年) に殉教者徐家に捧げられ、かつては烈奴山と呼ばれていました。最初は鎮山と改名されましたが、北宋時代に趙真帝のタブーを避けるために鎮山に変更されました。 明の時代には鎮山と改名されました。
鎮山は南から北を向いており、山と丘があり、曲がりくねった小川と澄んだ池があり、緑と霧が深くて美しいです。 雨が上がり空が晴れると、山々は緑に覆われ、風光明媚で、明の時代には「鎮山夕吉」と呼ばれ、四会八景の一つに数えられました。 山の小川は清らかで、一年中滝が流れ続けています。 龍池の横には石の祭壇があり、ここで雨乞いをして民生利益を上げていると言われています。 川には一般に「ウドゥ石カタツムリ」として知られる平尾の妖精のカタツムリがいて、片側には一般に「フナのフライ」として知られる茶色の妖精の魚がいます。 山中には麻青、水鉢、鏡などの幻の石があり、仙人の痕跡とも言われています。
【バンブーシーグランドビュー】
広寧県は全国トップ 10 の竹の町の 1 つです。 竹の植林面積は104万エーカーで、120種類以上があり、国内第1位です。 竹海大観賞区は水江両岸の広大な平野の竹海を利用して造られた観光名所であり、敷地面積は8.13平方キロメートルであり、竹文化風景区、竹海の建設が計画されている。コアエリア、ホテルリゾート、10マイルの竹の廊下。 プロジェクトの第 1 段階は 2003 年 10 月 1 日に完了しました。
当初は「竹いかだに乗って、竹車に乗って、竹の海を見て、竹の子を食べて、竹筒酒を味わって、竹筒ご飯を味わって、竹芯茶を飲んで、船宿に泊まる」という観光ルートが形成されている。 、そして竹工芸品を買うことです。」 伸びる竹の海、ターコイズブルーの水江、エメラルド色の竹の回廊、金色の砂浜、新鮮な空気、奥深い竹文化、そして豊かな竹料理が多くの観光客を魅了しています。
【ヤンヤン】
延岩風景区は会集県橋頭鎮に位置し、省重点景勝地であり、典型的なカルスト洞窟であり、無数のアナツバメが巣を作り、繁殖していることから名づけられた。 私の国の内陸部でアナツバメが生息する唯一の場所です。 洞窟内には清流が流れており、この川は枯れることがなく、船で入ることができます。 「延岩渡船」は古淮陽八景の一つです。 延岩洞の壮大さは、広東省の他の有名な洞窟に匹敵するものはほとんどなく、「世界で最も素晴らしい洞窟」として知られています。 延堰を訪れる際は、延堰の美しい自然景観を楽しむだけでなく、崖の上を飛ぶツバメの巣拾いのスリル満点のスタントも見ることができます。
【鼎湖山風景区】
鼎湖山は肇慶市の北東 18 キロメートルにあります。 鼎湖山は嶺南四名山の第一番目であり、丹霞山、羅浮山、西橋山と合わせて広東四名山と呼ばれています。 北回帰線が通過する地球上のほとんどの場所は砂漠または草原であるため、鼎湖山は中国や外国の学者から「北回帰線のエメラルド」とも呼ばれています。
1956 年、鼎湖山は我が国初の自然保護区となりました。 1979年に、ここはユネスコの「人間と生物圏」プログラムに参加した私の国で最初の保護地域の1つとなり、「人間と生物圏」研究センターを設立し、国際的な学術交流と研究の拠点となりました。 鼎湖山の面積は1,133ヘクタール、最高峰の吉龍山の標高は1,000.3メートルで、麓から山頂まで渓谷熱帯雨林、常緑広葉樹林、亜熱帯季節風常緑広葉樹林などの森林形態が見られる。 。
保存状態の良い南亜熱帯林は、典型的な帯状常緑広葉樹林であり、400年以上の歴史を持つ原始林です。 鼎湖山はその特別な研究価値で国内外によく知られており、中国南部の生物種の「遺伝子保管庫」および「生きた自然博物館」とみなされている。 現在、定湖山には留学生ホテルが建設され、国内外からの学生を低価格で受け入れています。
鼎湖山の景観の主な特徴は森林と滝であり、文豪郭沫若はかつてこの風景を詩に「古木は青々と茂り、小川は長く、龍池には滝と太鼓と葦が舞い散る」と詠んでいます。 「これは鼎湖山の風景を忠実に描写したものです。 青雲古寺は嶺南の四大名廟の一つです。 保定園の「保定九龍」はかつて世界最大で、湖と山が互いに引き立て合っています。 バタフライ バレーには、滝や池、十字に交差する小川、緑豊かな古木、日陰の木々がたくさんあり、蝶が生息し繁殖するのに理想的な場所です。
鼎湖山は鬱蒼とした森林に覆われ、豊富な湧水が湧き、様々な泉や滝��生み出しています。 奥深い自然景観と東西の小川が、天渓風景区、雲渓風景区、そして新しく開発された天湖風景区の二大景勝地を形成しています。 鼎湖山は、レジャーと健康維持、普及科学の調査、宗教的巡礼を目的とした観光地です。
鼎湖山は、健康柔道、ピンインレジデンス、アイグリーンパビリオン、リトリートグラウンドを含む、定湖山で新たに開発された「ピン酸素バレー」観光プロジェクトを新たに開始した。 「健康柔道」では、人と地球のエネルギーとの触れ合いを通じて、足裏のツボを直接刺激・マッサージすることで、観光客の運動中の酸素の効率的な吸収や足湯のフィットネスをサポートします。 「ピン酸素レジデンス」曹寮では、お茶を飲み、滝を眺め、酸素を吸うことで、心臓を清め、肺に潤いを与えるという目的を達成できます。 「アイ・グリーン・パビリオン」では、自然に囲まれ、ピアノを聴き、歌を歌って、心安らぐことができます。 「静かな場所」では、専門家の指導を受けて、健康管理、健康、瞑想の効果を吸い込み、達成します。 専門家の研究によると、マイナスイオンは人体の7系統の30近くの病気に対して抑制、緩和、補助的な治療効果があり、人間の健康と健康に最も明白な影響を及ぼします。
文化的名所
肇慶八景
豊かな時代に志を育み、平和な景観を確立する。 明の宣徳六年(1431 年)から民国四年(1915 年)まで、五回にわたって八景が選定され、頻繁に変更された。 2003 年、慎重な議論、審査、評価を経て、肇慶市の新たな景勝地 8 か所が選定されました。
【星岩霧雨】星岩霧雨は肇慶市八古景勝地の一つで、春と夏の季節の変わり目の毎朝、小雨が降るたびに、七星奇岩の緑の山々が眺められ、霧と霧雨、まさに蓬莱ワンダーランドのようで素晴らしいです。
【鼎湖友生】鼎湖山は広東四名山の第一位に位置し、国家自然保護区でもある。 この景勝地には高い山、深い森林、美しい峰、そびえ立つ古木、緑の木陰、鳥のさえずりや香りの良い花、そして澄んだ水のせせらぎがあり、長い間都市に住んでいる現代人に本当に穏やかで快適な気分を与えます。
【甲冑夜韻】肇慶市七星岩アーチは 1958 年に建設されました。 1998 年の拡張後、敷地面積は 30,000 平方メートルに達し、肇慶市のランドマーク的な建物となりました。 夜になると色とりどりの花火が打ち上げられ、音楽噴水が雲に向かって吹き上がり、野外ステージで歌ったり踊ったりします。 なんという平和と繁栄の光景でしょう。
【宋城浪古】肇慶宋城壁は市の中心部に位置し、宋��の黄胡帝の時代に築かれました。 現在、城壁がそのままの状態で残っているのは全国的にも珍しく、肇慶の歴史文化都市のランドマーク的建造物であり、全国重点文化財保護単位に指定されている。 宋の城壁を登り、過去から学び、現在を理解することは、感情に満ちています。
【下岩清峰】カモシカ峡と兗州は水を隔てており、美しく雄大である。 アンテロープ渓谷はアンテロープランケの 2 つの山に囲まれており、西江は幅 1,000 メートル以上の川面から平均幅 304 メートル、長さ 7.5 キロメートルの急流まで細くなり、峰が重なり合う景観を形成しています。 、深い渓谷、緑豊かな木々、そして空飛ぶ渦潮、霞山滄江の雄大な景色。 峡谷を東へ出るとすぐに、西江の中心に「浮かぶ」硯のような形をした兗州島が見えてきます。 硯と保正は、硯を持って帰らないという伝説と共存しており、島の保公廟には常に善良な人々が敬意を表し、崇敬を集めてきました。 老坑硯はカモシカ峡の南東側の山奥にあり、国内外に有名な端硯の産地である。
【江堤塔影】江浜堤防(一期)は1993年に建設された治水・交通・観光を一体化した都市建設プロジェクトである。 堤防の両側には、北岸の崇禧塔と源奎塔が高く、もう一方は低くなり、南岸の宣峰塔と文明塔に面しています。 西江の両側には4つの塔が天にそびえ立ち、壮観な景色を見せています。
【江塔の雄大さ】岳江塔は数千年の歴史を持っており、前は西江に面し、後ろは星岩岩に寄りかかっており、高く高くあり、周囲の景色を一望することができる。 北伐の初期には葉庭独立連隊がこの建物に設立され、北伐の際に部隊を率いていました。 解放後、朱徳主席は自ら「葉亭独立連隊本部旧地」という碑文を建物の前に高く掲げた。 「風は岳江塔から遠く離れて流れ、心は延河烈図庭園を巡る」と言えます。
【美安祥雪】美安は西暦996年(北宋治道2年)に建てられ、古木に囲まれ静かな環境にあります。 この建築は宋代の木造軸組の形状を完全に残しており、フランス宋代建築の様式を体現しており、嶺南の特色が強く表れており、全国でも非常に珍しい。 梅庵の名前は、禅宗の六祖である恵能がこの地に梅の花を植えたことにちなんで名付けられました。 長い年月を経て修復されてきましたが、明安の昔ながらの魅力が今も残り、毎年冬には梅の花が咲き誇り、香りを漂わせます。
旅行フェスティバル
【仏陀沐浴祭】毎年
旧暦の 4 月 8 日、嶺南の 4 つの有名な寺院の 1 つである定湖山の青雲寺では仏沐浴祭が開催されます。
その日の早朝、仏教徒たちは各堂で焼香や色彩を呈した後、マハーヴィーラ堂に集まり、読経儀式(仏事とも呼ばれる)が行われた。 読経儀式の初めに仏教徒がお経を唱え、その後師が釈迦牟尼仏の化身である小さな玉仏を差し出し、住職が釈迦牟尼仏が生まれたときにそれぞれ温水と冷水を浴びせたという。 、それはドラゴンが水を吐き出して小さなエメラルドの仏陀を入浴させ、さまざまな有名な香りに浸した香水を使って小さなエメラルドの仏陀に油を注ぐようなものです。
儀式の後、仏教徒は残った香水を使ってさまざまな花に水を与えます。 仏沐浴祭の1~2日前から、世界中から信心深い男女が続々と訪れ、4月の吉日を待って仏沐浴祭を訪れ、仏陀の加護と良い結果を祈ります。
【徳清岳城龍母誕生日】徳清岳城龍母祖廟(旧名暁通廟)は龍母を記念して建てられ、毎年旧暦5月8日に龍母誕生日祝福式が行われる。ここ。
伝説によると、周と秦の時代、岳城江のほとりに聡明で高潔な少女が住んでいました。彼女は農耕、織物、漁業、牧畜が得意で、不幸や幸運を予言し、あらゆる病気を治すことができました。 彼女は5人のドラゴンの息子を育てました。 雲を動かして雨をまき、環境と人々を守ります。 地元の人々からは龍母と呼ばれ尊敬されている。
毎年旧暦 5 月 8 日が龍母の正式な誕生日で、誕生日期間は旧暦 5 月 1 日から 9 日までで、雰囲気は暖かいです。 祭りが始まるとすぐに、広東省、広西チワン族自治区、香港、マカオ、東南アジアから巡礼船が次々に到着し、競って停泊します。 龍母廟は数日間、煙と爆竹で満たされ、数十万人が線香を捧げて祈りを捧げた。
【淮集ツバメ祭り】毎年旧暦6月の橋頭鎮廟縁日は延岩訪問のお祭りの日でもあります。 その日は大混雑で交通量も多く、すべての村や町から男性、女性、子供たちが燕岩に集まりました。 民謡を聴く、ツバメの巣掘りを鑑賞する、そして桂爾の演劇を鑑賞するのが延岩寺縁日の 3 つの特徴です。
シンプルな民謡のデュエットが盛衰を繰り返しました。歌手のほとんどは唐の衣装を着た若い男女でした。男性は無地のスカーフをかぶり、女性は赤い花を身に着けていました。彼らは質問をしたり、グループで歌ったりして、真実の愛について歌いました。
鳥の巣を掘るために崖を登るスリル満点のアクティビティは、寺院の縁日で最もエキサイティングな部分です。 ツバメ猟師たちは数本の竹竿と麻ロープを使い、高さ60メートル以上の崖を登るのですが、その動作は機敏で正確です。 この独特の技術を達成できるのは、地元のヤン農家3人だけだと聞きました。
Guier Opera は橋頭鎮にある古代のオペラです。 洞窟の入り口の北塔には舞台があり、「ヤンヤン伝説」「豚売りアラン」「賭博を戒める良妻」などが上演され、観客は川を挟んで向かい合って、何層にも重なって、シーンは非常に活気に満ちています。 この場合、旧暦の 6 日の前後 3 日間、数千人の歌手と観客が岩に集まり、絶え間なく流れが続きます。
【徳清孔子祭】毎年9月28日、徳清孔子廟では中国人および世界中の孔子の子孫とともに孔子を偲ぶ式典が行われます。
徳清記念孔子節では、清朝の規定に従って厳粛かつ優雅な公開記念式典が執り行われ、孔子の子孫のために家族の犠牲が手配されました。 時代の特色を反映するため、孔子の追悼式では、孔子の物語についての講演、孔子の名言についての歌合戦、新三字経についての歌合戦などの活動も行われた。
孔子を礼拝する際、伝統的な法服を着た司式者や役人は、孔子を礼拝する音楽が流れる中、ゆっくりと廟の前まで歩き、廟の扉が開くのを待ちました。 廟内では太鼓が360回打ち鳴らされ、行列は一人ずつ大成殿に入り、孔子像に神聖な線香を捧げ、敬礼して追悼文を読み上げた。 式典終了後、「孔子記念歌」が歌われ、続いて孔子一家の犠牲祭典が行われ、社会団体と一般大衆が廟に入場して自由に参拝し、孔子と四人の側室に敬意を表することが許された。イベント全体の雰囲気は厳粛で温かいものでした。
孔子を崇拝する儀式の後、廟は荘園餅、志貢餅、孔子の胸章、孔子の教えの像などを現場の群衆に配布した。
【四会柑橘・翡翠祭り】四会市はオレンジの故郷として有名で、四会柑橘は皮が薄く、甘くて爽やかな味で、残留物がないことで国内外に有名です。 明の時代から、四会節では毎年宮廷への貢物として最高の柑橘類が選ばれていたため、「貢物みかん」と呼ばれていました。
現在、四会には 30 種類以上の柑橘類が栽培されており、まさに柑橘類の王国となっており、広海北線と四環公路の両側には大規模な柑橘類市場も形成されています。
また、四会はビルマ翡翠の加工・販売の世界最大の集散地であり、翡翠の加工・販売に携わる従業員は10万人近く、全国から技術者が集まっており、四会翡翠歩行街には400人以上の翡翠玉歩行者専用道路があり、ティン クウォン マーケットの面積は 30,000 平方メートルで、3,280 以上の露店が並び、毎日午前 3 時から午前 8 時半まで営業しており、全国から観光客や商人が訪れます。このシーンはとても壮観です。
四会市では毎年黄金の秋の季節に、柑橘類の翡翠祭りを開催し、柑橘類の翡翠を中・大規模な商談や文化芸術公演を開催し、柑橘類の試飲や商談を楽しむために世界中からのゲストを集めています。 . .
経済
概要
2013年の域内総生産(GDP)は1,660億700万元で、前年比11.5%増加した。 このうち、第一次産業の付加価値は5.6%増加し、0.8%ポイントの成長を牽引し、第二次産業の付加価値は15.7%増加し、7.5%ポイントの成長を牽引し、第三次産業の付加価値は8.5%増加し、 3.2 パーセント ポイントの成長を推進しました。 3業種の構成は15.8:47.7:36.5となっている。 第三次産業では、卸売・小売業が14.0%増、宿泊・飲食業が3.4%増、金融業が14.2%増、不動産業が10.1%増となった。 常住人口に基づいて計算すると、2013 年の一人当たり地域 GDP は 41,479 元で、10.5% 増加しました。
第一次産業
2013年の穀物の作付面積は20万1,979ヘクタールで、前年比0.6%減少した。 このうち、米作面積は16万6,549ヘクタール(0.6%減)、トウモロコシ面積は9,983ヘクタール(3.2%増)、ジャガイモ面積は2万913ヘクタール(2.4%減)、サトウキビ面積は540ヘクタール、 22.4%減少、石油作付面積は25,354ヘクタール、0.1%増加、野菜作付面積は76,240ヘクタール、4.8%増加。
第二次産業
2013年の指定規模以上の工業企業の付加価値は813億4,500万元で、前年比18.1%増加した。 このうち、軽工業と重工業の観点から見ると、軽工業は16.7%、重工業は18.9%の成長を示し、登録経済類型から見ると、民営企業が22.2%成長するなど、民間産業が最も伸び率が高い。年間を通じて、国有持ち株企業は11.3%成長し、外国投資家、香港、マカオ、台湾からの投資企業は20.4%成長し、企業規模では中堅企業が主な成長ドライバーであり、大企業は20.4%増加した。 17.8%増、中堅企業は24.7%増、中小企業は18.8%増となった。 非鉄金属製錬・圧延加工業は27.2%増、非金属鉱物製品工業は26.0%増、金属製品製造業は20.9%増と、主要3業種が急成長した。
第三次産業
2013年の固定資産投資は1007億7800万元で、初めて1000億元を超え、前年比20%増加した。 通年の消費財小売総額は493億1200万元で、前年比13.8%増加した。 通年の輸出入総額は70億1,700万ドルで前年比10.5%増、うち輸出額は48億2,500万ドルで27.6%増、輸入額は21億9,100万ドルで前年比10.5%増となった。 14.8%減少しました。
2013年の訪日外国人旅行者数は170万2100人で、前年比43.7%減少した。 このうち外国人は42.9%減の16万9千人、香港、マカオ、台湾からの同胞は43.8%減の153万3千人だった。 市が受け入れた観光客のうち宿泊観光客は1,387万8,200人で0.3%減少した。 宿泊旅行者のうち、国内旅行者は1,292万2,000人に達し、5.9%増加した。 同市の観光収入総額は205億8,700万元で、14.7%増加した。
社会
教育する
2012 年、市内には合計 361 の幼稚園、1,372 の小学校、149 の中学校があり、その内訳は省レベルの学校が 16 校、市レベルの学校が 83 校で、21 校増加し、県レベルの学校は 259 校でした。 市内には 8 つの特別支援学校と 32 の指導学級があり、そのうち 1 つは聾学校、7 つは知的障害のある児童のための学校です。 市内には高等学校が 32 校あり、一般学部が 1 校(肇慶学院)、一般大学が 3 校(肇慶科学技術職業技術学院、肇慶工商職業技術学院、肇慶医科大学)、成人がいる。高等教育学校 1 校、中等職業学校 32 校(一般工業中等学校、成人工業中等学校、高等専門学校、専門学校、私立中等職業教育機関を含む)、私立教育機関 288 校、および郷鎮成人文化専門学校 106 校。 「第10次5カ年計画」期間中、本市の高等学校総入学率は54.42%に達し、高等教育総入学率は16.39%に達した。
2013 年には、あらゆるレベルと種類の教育(非学術研修を除く)で 274,700 人の学生が在籍し、前年比 0.9% 増加し、895,700 人の学生が在籍し、2.3% 減少し、256,700 人の卒業生は前年より減少しました。 4.2%。 このうち、特殊教育の就学者数は 0,300 人、学校の生徒数は 1,800 人で、136,400 人の子どもたちが就学前教育を受けています。
2014 年、肇慶市工商職業技術学院は広東省工商職業技術学院に改名されました。 2014 年 5 月、教育部の同意と広東省人民政府の承認を得て、肇慶市科学技術専門学校は全日制の応用技術総合高等教育機関に格上げされ、広東省に改名されました。技術研究所。
科学技術
端州古城 - 肇慶の歴史と文化の証人 2013年末時点で、県レベル以上の国営研究開発機関、科学技術情報・文書機関が18か所あった。 大企業と中堅企業の技術開発機関は前年と同じ 58 機関である。 同市の科学研究および実験開発(R&D)職員数は9,300人年(フルタイム相当)で、前年比3.2%増加した。 同市の研究開発支出は約14億9,500万元で、19.1%増加した。
2013年には省・省レベル以上の科学技術成果が9件(登録実績ベース)あり、年間の特許出願件数は1,777件で、前年比14.6%増加した。発明特許は295件、8.7%減少。 付与された特許の数は1,288件で9.8%増加し、その内発明特許は116件で18.4%増加した。 特許協力条約(PCT)に基づく国際特許出願件数は14件で前年と同じだった。 年間を通して、各レベルの科学技術行政部門によって2件の技術契約が登録され、取引額は237.6万元となった。 市内にはハイテク企業が108社あり、ハイテク製品の生産額は約705億元で、前年比1.6%増加した。 5つの国家レベルのイノベーションプラットフォームを持っています。 26 の省工学研究センターが設立されました。 21 の省レベルの技術革新専門都市と 31 の市レベルの都市が認定されています。
コミュニケーション
2013年の郵便・通信事業総額は40億7,300万元で、前年比8.7%増加した。 このうち、郵便事業の総額は3億8,100万元で42.8%増加、通信事業の総額は36億9,300万元で6.1%増加した。
メディア
2013 年末時点で、市内には 9 か所の文化センター、県レベル以上の公共図書館 9 か所、博物館と記念館が 9 か所ありました。 市内にはラジオ局が7局あり、ラジオとテレビの総合人口カバー率は100%です。 ケーブルラジオとテレビの利用者は55万400人、ケーブルデジタルテレビの利用者は19万2100人で、前年末比それぞれ2.6%、2.1%増加した。 年間を通じて 1,694 万部の新聞が発行されました。 市内には12の文書館があり、82万1,100冊の文書が所蔵されており、そのうち9つの総合文書館は38万1,600冊の文書を所蔵しています。
健康
2013年末現在、市内には3,248の各種医療・保健機関があり、そのうち146の病院と保健センター、7の母子保健機関、8の専門疾病予防・治療機関、7の疾病予防・管理機関、 7つの健康監督機関。 病院と保健センターのベッド数は 12,688 床で、6.9% 増加しました。 さまざまな種類の保健技術者は11.5%増の1万8,792人で、内訳は勤務医と勤務助手が6,122人、正看護師が7,156人、疾病予防管理機関の保健技術者が329人、保健監督機関の保健技術者が100人であった。 市内には合計 30 の地域保健サービス機関、96 の郷保健センター、2,411 の郷保健センターの病床、3,896 人の郷保健センターの保健技術者がいます。
体育
2013 年末の時点で、市のスポーツ システムには 1,627 人の選手と 79 人のフルタイム コーチがいます。 アスリートは国内外の主要な大会で 25 回の国内選手権で優勝しています。
有名人
肇慶市は、漢代の有名な古典学者である陳琴と陳源、唐代の広東省と広西チワン族の最初の学者である莫玄卿、そして禅など、時代を経て数多くの優れた人物を輩出してきました。禅宗の第一人者、師頭西謙師。 唐代の作家兼書家の李勇、日本の僧侶栄瑞、禅宗の恵能、北宋の有名な大臣鮑正(肇慶の知事を3年間務めた)、イタリアの宣教師羅明健、革命の先駆者孫文、肇慶市には北伐のスター、イェ・ティンやその他多くの歴史的人物の遺物が残されています。
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富士山満喫、倉見山・杓子山・石割山
富士急の三つ峠駅スタートで、倉見山→杓子山→石割山→山中湖へと抜ける縦走ルートを歩いて来ました。
倉見山は3度目ですが、三つ峠駅からは初めて。駅自体は昨年6月、三つ峠へ登る際に利用しましたが、どうやら改装されたようでトイレも駅舎も綺麗になっていました。
ちなみに、こちらの写真は桂川の橋の袂で撮影した富士山。
登山道へと続く林道で見つけたタイリクオドリコソウ(大陸踊り子草)。
名前の由来は花の形が踊り子に似ているから、だそうです。シソ科。
ニセアカシアも沢山咲いていました。「偽」でも十分綺麗です。
この辺から登山道っぽくなって来ました。そしていきなりの急斜面の始まり。
三つ峠もよく見えます。
これだけスッキリと晴れていれば、山頂での富士山も期待出来そう♬
東桂からのルートに比べると、こちらは直登って感じ…。角度が凄い。
この倒木だらけの道の先が「さすの平」。そこからも三つ峠がよく見えます。
健脚の男性2人に抜かれながらも、東桂からのルートに合流。
ここから相定ヶ峰までは知った道なので安心です。
3月には分かりませんでしたが、山頂手前はヤマツツジの群生地でした。
2ヶ月ぶりに、倉見山山頂に到着〜!標高1256.22m。細かい。
おぉ、初夏の富士山も良いですね〜♬
相定ヶ峰へと向かう尾根の途中からは、ツツジとのコラボスポットも。
相定ヶ峰。ここで、きざみ梅のオニギリを一つ。
次の杓子山への道は、バリエーションルート。
通る人が少ないのか、踏み跡も少なく登山道には草が生えていました。
こんな感じの、どこから取り付いたら良いのかが分かりにくい岩が多数。
そして右手には時々富士山。ありゃ、雲が増えてきたな…。
途中、丸い山頂の名もなきピークを通過。
ここがなかなかの曲者で、山頂付近には何本かピンクテープの巻かれた木がありますが、杓子山へ続く道が分かりにくい!
右手を意識して下って行くと、下の方に続きの尾根が見えました。
こちらは根っこを掴みつつ、よじ登りました。
さらに進むと、南アルプスの山並みが見えるポイントも。
登山道の右下の土がゴソッと落ちて、根っこが剥き出しになっていました。
で、また巨岩を登ります。
この岩には、この花(調べたけど名前が分かりません)とスギゴケが沢山。
岩の上も岩岩ロード。木が生い茂って、先が見えない…。
更に上り返して…
青空が!これはもしや…
杓子山の山頂に到着〜!標高1597.6m。
生憎お目当ての富士山は雲の中ですが、折角なので鐘を鳴らしておきました。
山中湖は見えるのになぁ。
南アルプス(北岳、間ノ岳などなど)もよく見えます。
とりあえず、ちゃんぽんでも食べながら雲が晴れるのを待ちますかね…。
30分粘ったけどダメでした。
仕方ない、諦めて鹿留山(ししどめやま)に向かいます。
こちらの道は、さっきまでと違って分かりやすい!
ちょっとした岩場も出て来ますけどね。
ここから鹿留山へはピストンで、またこの分岐へと戻って来ます。
鹿留山。標高1,632m。特に何もないけど、貧乏性なので踏んでおきました。
先ほどの分へ戻り、急な岩場を下ります。
あ、さっきより雲が晴れてきた!
ちょっとウキウキして、この辺は小走りしてみたり。
立ノ塚峠。
紛らわしい道が何本か通っていますが、この看板を見逃さなければ大丈夫。
この先は広くて平坦な道が続いていました。ボケ(木瓜)の花も綺麗。
加瀬山(かせやま)。1,275m。何も無い…。
これまた走りたくなる熊笹ロード。
そして久々の舗装道路にぶつかり、忍野高原二十曲峠。標高1151.5m。
ここからの富士山も良し!雲、あと一息ですね。風よ吹け〜!!!
看板の裏の登山道へと入り、溝のように抉れて滑る道を進みます。
写真は途中で頭上に咲いていたオオベニウツギ(大紅空木)。
フェンス沿いの道を抜けた鉄塔の下から見た富士山。雲が完全にどきました!
更に登ると、シロバナノヘビイチゴ(白花の蛇苺)?群生していました。
御正体山(みしょうたいやま)との分岐まで辿り着いたということは…
右手に見えるアレはもしかして…
石割山の山頂に到着〜!標高1,413m。
あまりの嬉しさに「やった〜!」と大きめの声が出てしまいました。
山頂でおくつろぎ中だったカップルのお二人、失礼いたしました…。
だってだって、こんな素晴らしい富士山が拝めたんですもの〜。
そりゃ声も出ますって!しかも山中湖越しですよ。もう最高です。
ここで富士山を眺めつつ本日3度目の栄養補給。
デニッシュやらアップルパイやら3種ほど詰め込んで来ましたが、
バスの時間も気になったので10分ほどで切り上げました。
(残りは富士山駅のホームで平らげました)
急な岩場などを幾つかこなすと、何やら賑わっているスポットが。
どうやらここは、石割神社のようです。
なるほど、割れてますね。
そして社の裏の階段を登っていくと…
岩の裏も割れていて、ここを3回通り抜けると御利益があるのだとか。
私もやってみようと思ったけど、荷物が邪魔で通れない!
後ろの女性に言われてザックを手に持ち、横向きで何とか通り抜けたものの、
岩に擦ったようでスポーツタイツの左膝に穴が〜!
バスの時間も気になるし、テンション下がったので1回でやめておきました。
神社から先は砂利道の林道と延々と続く石段の参道。
真ん中に手摺りがあるせいでジグザグに下ることも出来ません。
最後の方は手摺りが無くてやや楽だったけれど、膝が壊れるかと思った…。
登山道はここでお終い。橋を渡って、平野バス停まで1.6kmを歩きました。
そして何が凄いって、帰りの富士山駅ホームからの富士山。
遮るもの無く、ドドーンと1番大きく見えたのでした。
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2019年の連休はJRに乗って(2)竹下→博多、大回り
Holidays in May 2019 ~ (2) Roundabout by JR tains in Fukuoka, the 3rd.
午前中に桂川駅で特急かいおう5号の撮影をした後、竹下駅にやってきて近くでお昼を食べました。大気中の水分が多いのか白っぽい空の色でしたが、気温は上がって5月初旬らしい天候でした。ということで、大回りを敢行することにしました。大回りこそしないものの、同じような人をちらほら見かけた大型連休でした。
YouTube >
原田線上り(車窓から)28分57秒
日田彦山線上り(後藤寺→西小倉、車窓から)35分18秒
鹿児島本線下り(戸畑駅入線・陣原→遠賀川あたり、車窓から)7分4秒
香椎線下り(香椎→長者原、前面車窓)9分29秒
竹下駅
[13:25] 下り電車で原田へ
(午前に続いて)2度目の原田駅
[13:50]
運転手さんが方向幕を確認して運転席を移動します。
[13:53] 午前中に通ってきた路線を戻ります。(後方展望)
筑前山家
冷水トンネルを抜けて~筑前内野
上りの桂川方面へ向かう場合は右手に広がるレンゲ畑
[14:24] 桂川
列車は再び折り返して原田へ。
福北ゆたか線で新飯塚へ
[14:45] 新飯塚
後藤寺線へ乗り換え~接続は悪くない。
(今回は後藤寺線の動画はなし。)
[15:11] 田川後藤寺~小学校までの故里
乗ってきた列車は折り返して新飯塚へ。
平成筑豊鉄道
停車中の日田彦山線の上り列車
奥に見えるのは留置線の車両。かつては後藤寺機関区があった場所。
昔は跨線橋は無かった記憶あり。先に機関車庫や転車台があった。
上り方向を見る。平筑の停まっている線路は通過線でずっと続いてた。(今は花壇に。)
国鉄時代の糸田線や後藤寺線ではキハ35などが走ってました。
下:下り日田彦山線の列車が入線。
数日前にも見た風景でした。
[15:20] 下り列車が出発しました。
上りも出発です。
[15:22]
丘の上の右手が今は無きタイル工場、左が鉱石置き場。鉱石置き場でよく遊んでました。鉱石を積んできた無蓋車のトキが道路横に停まってて、触るだけでなく乗ったりしたこともあります。あわや機関車がやってきて連結、そのまま引っ張って行かれそうになったことも。(慌てておりましたが。)
手前の住宅が建っている場所もかつては線路があった場所。飽きずに貨物の入れ替え作業を見てました。自宅があったのはすぐ近くです。
赤い跨線橋を渡って小学校へ通ってました。
下:西日本新聞社「九州鉄道の記憶Ⅳ」加地一雄編より
線路図の左端が上の写真の赤い跨線橋あたりです。
下:伊田の手前の踏切(上の赤い橋からつながる道路)を越えて。
大きなバイパスができるまでは国道でした。
保存された炭鉱施設~炭坑節に出てくる煙突
竪坑櫓
[15:27] 田川伊田
下:伊田駅を出た列車はすぐに彦山川を渡ります。写真の右下の小さな建物にはお地蔵様(水難身替り)が祀られてます。
[15:33] 削られた香春岳(一の岳)
[15:40] 採銅所
[15:46] 呼野
[16:05] 城野
[16:09]
[16:13]
[16:14]
日豊本線の電車
[16:33] 鹿児島本線を下る~若戸大橋
ホームのモニュメントに目を引かれて下車~戸畑
[16:40]
[16:43] 官営八幡製鉄所(東田第一高炉)の史跡~スペースワールド駅
[16:52] 折尾
[17:35] 香椎駅~香椎線下り列車に乗り換え
ディーゼルからデンチャに置き換え完了。
小さな町のローカル線の風情が続きます。
[17:50] 長者原~福北ゆたか線と立体交差
階段を下りて福北ゆたか線に乗り換えです。
福岡県内JR一筆書き乗車の最長コースでした。乗り継ぎ待ち時間のロスがなく4時間半から5時間で回ってこれました。
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秋の黒岳ソロテン泊 1泊2日に行ってきました!その4
もちろん桂月岳からのご来光は外せません!登ってみたものの、赤くは焼けませんでしたが光芒が素晴らしかった!刻々と変わる空の様子はみていて本当に飽きません。
この後はあまり天気がよろしくない予報だったのでゆっくり撤収、ナキウサギを撮りつつ下山しました。
今年の紅葉は雪やら雨やらで、既に終わっているもの、これからのもの混在する難しい年だったと思いました。また来年、会いに行きますかね!
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夜明けまえ🌙素敵な空色🥰眠いけど頑張って起きる👍桂月岳は指呼の間💫わずかな登りだけど😅寝起きで息があがる🚀空が茜色に染まっていく🧚♂太陽を浴びると🦋カラダの細胞末端まで覚醒する🍹もう眠気なんてどこにも残っていない😼イシムロに戻ったらそのまま一日がはじまる🏃♀️🏃🏃♂️💨いつもそんな感じです🪐💫お天気良かったら遊びにおいでね🙋♀️ #二度寝したいけど #目が覚めちゃった #ネパール風🇳🇵 #パタゴニア🇨🇱 #provisions #黒岳石室 #イシムロ #セルフまかないカリー #タラちゃんありがとう🍶 #みんなで見た日の出 #桂月サンライズ #テント村⛺️ #お会いしたみなさまありがとうございます #ブルーモーメント #素敵な瞬間 #素敵な毎日 #感動のおすそ分け (Daisetsuzan National Park) https://www.instagram.com/p/Cgq_qvpvk99/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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Famitsu PS2 vol.210 Persona 3 section pictures and transcription.
『ペルソナ』は新世代へ
主人公
月光館学園の転入生。転入直後に謎の怪物"シャドウ"の襲撃を受け、ペルソナ能力を覚醒させる。自由にペルソナをつけ替えられる特殊な能力を持つ。
初期ペルソナ
オルフェウス
絆が僕らを強くする-
長い沈黙を経て動き出した『ペルソナ3』の第1報。橋野氏&副島氏のコメントも必見!
"召喚器"でペルソナを召喚
主人公たちが帯びた使命は、"シャドウ"を討伐すること。分身たるペルソナを"召喚器"によって召喚し、敵となる"シャドウ"たちと戦うのだ。
召喚器とは、ぺルソナを召喚するときに用いる小型の補助装置のこと。その多くは銃の形をしており、自分に向けて撃つことで、ぺルソナを召喚する。
ムービーも美しく
ペルソナ3
第一報
P3
PERSONA3
PS2
DVD-ROM
開発状況
?%
アトラス 7月13日発売予定 価格未定
学園 RPG 容量未定
1人
��査予定
ディレクター : 橋野桂
キャラクターデザイン&アートディレクター : 副島成記
『ペルソナ2罪・罰』から5年。ついに『ペルソナ3』が始動! 本作ではキャラクターとシナリオを一新。架空都市港区を舞台に、自分自身の別人格"ぺルソナ"を召喚できる力を持った者たちが、"シャドウ"と呼ばれる怪物と戦っていく物語が描かれるぞ。まずは、主要人物とペルソナを紹介。見たこ���のない『ペルソナ』が、始まる。
©ATLUS CO., LTD. 1996 2006. ALL RIGHTS RESERVED. ※画面は開発中のものです。
STORY
1日と1日の狭間には影時間が日在する
私立月光館学園に転校生した主人公は、怪物の急襲を受けたことでペルソナ能力が覚醒。1日と1日の狭間に"影時間"という隠された時間が存在することを知る。そこには"シャドウ"と呼ばれる怪物が棲んでおり、人の精神を食らっていた。その被害から人々を守るべく、主人公はペルソナ能力者が集まった特別課外活動部の一員となり、"シャドウ"と戦うことを決意するのだった。
ペルソナ
ヘルメス
いおり じゅんべい
伊織順平
CV : 鳥海浩輔
主人公の同級生。転校生である主人公に真っ先に話しかけてきたお調子者。ペルソナ能力に目覚め、主人公とともに戦いに参加する。
たけば
岳羽ゆかり
CV : 豊口めぐみ
主人公の同級生。同じ寮に住んでいる。ペルソナ"イオ"を召喚する能力を持ち、主人公とともにシャドウ討伐を行う。明るく前向きで、皆から好かれている。
ペルソナ
イオ
アートディレクター
そえ じま しげ のり
副島成記
独特のビジュアルで、多くのユーザーから高い支持を得ている。代表作は『ペルソナ2罪・罰』。
今回、完全新作となる『ペルソナ3』の絵を創るにあたって、いま一度『ぺルソナ』の魅力について考えるところから始めました。シリーズを通しての最大の特徴、それは本当の意味での"現代劇"であると考え至り、その部分をさらに掘り下げて作り込んでいます。等身大のキャラクター、日常感にあふれた街並を再現した背景、そしてゲーム操作画面に至るまで"現代"を意識したデザイン。さらに、ムービーパートを筆頭に、物語の展開に合わせてキャラクタ一の希望や不安といった内面世界までも絵にすることにより、魅力的でリアルな世界観を構築しています。つねに"いま"を表現し続けることにより新しい作品となった『ペルソナ』最新作の魅力を堪能していただければと思います。
→バトルでは、マンガのような演出も見られる。
朝、昼、夜一そして影時間
本作では、1日が朝、午前、お昼、午後、放課後と夜に分かれ、それぞれで行動していく"リアルスクールライフ"システムを採用。これにより主人公は、朝になると登校して、放課後には自由な時間を過ごす、というごくふつうの生活を送ることになる。しかし、午前0時になると影時間が訪れる。影時間に自由に動けるのは、シャドウとペルソナ能力を持つ者のみ。主人公はここで、仲間たちとともにシャドウに戦いを挑むのだ。戦うことにより、主人公は新たなぺルソナを手に入れる。入手したぺルソナは、"コミュニティ"システムでパワーアップさせられるぞ。また、ペルソナどうしを合体させて強化することも可能だ。ここではシステムの詳細を見ていこう。
舞台となるのは架空都市"港区"と私立月光館学園
港区は、古くからの港街"巌戸台"と新興の人工島"辰巳ポートアイランド"がある海沿いの都市。ポートアイランドの中心に、主人公たちが通う小中高一貫の名門校、私立月光館学園がある。
高校生としての日常を過ごす
スクールライフ
School Life
主人公は、定められた時間帯の中では自由に行動できる。朝から午後までは学校で過ごすことになるが、放課後は校内外を探索できるし、寮に帰れば寮内も見て回れる。さらに夜は、街を徘徊することもできるのだ。
→同級生のゆかりと会話。朝、昇降口でのひとコマだ。
もちろん授業も
↑校門前で順平に遭遇。たわいもない会話が交わせるのも魅力的だ。
↑夜、寮のラウンジにて。特別課外活動部員は、全員同じ寮に住んでいるのだ。
ショップも利用夜には街でお買い物
Shop
夜または自由時間であれば、街の中にあるショップも利用可能。ここのアクセサリー屋では、どうやらアクセサリーを売買するだけでなく、店員と話すこともできるようだ。
←色彩豊かでグラフィカルなインターフェースにもご注目。
深夜0時校門前にて
←同じ寮に住む仲間とともに校門前へ。これから何が起こるのか?
すべてが変わり影時間が始まる
→雰囲気が一転。いよいよ影時間の始まりだ。これから"シャドウ"が活動する。
怪物
"シャドウ"
影時間
Darkness
影時間になると、ふつうの人間はみなオブジェ化する(棺になる)。だが、オブジェにならなかった人間はシャドウによって精神を喰われ、口も聞けないほどの無気力状態に陥ってしまう。そうした人間を増やさないために、主人公たちは影時間になると活動を開始し、ペルソナを使ってシャドウを倒していくことになるのだ。
EVENT イベント
影時間中は、ゆかりや順平ら特別課外活動部の仲間とともに行動するのだ。行動中はさまざまなイベントが発生するようだ。はたしてどんな事件が待っているのか⋯⋯?
いったい何が?
↑影時間になると現れる謎の塔、タルタロスを横に見ながら疾走。
BATTLE
バトル
"シャドウ"に出会ったら戦闘。 ペルソナの持つスキルを駆使し でシャドウを倒していこう。
↓初期ペルソナのオルフェウスで攻撃。ぺルソナを使わずに武器のみで戦うことも可能だ。
→戦いに勝つとペルソナカードが手に入るぞ。どんどん集めていこう。
ペルソナカードをゲット!
←主人公は、カードに記載されている悪魔をぺルソナとして使えるのだ。
影時間の訪れと共に現れる謎の塔⋯⋯"タルタロス"
影時間とは⋯⋯?
午前0時に現れる謎の時間。始まると、 ふつうの人間は棺に似た形のオブジェに 変わるが、そのあいだのことは記憶に残 らないため、存在に気づいていない。
"コミュニティ"でペルソナをパワーアップ!
学校や街中にいる人物と会話して仲よくなったり、部活動に参加することで、コミュニティを発現できる。コミュニティは、所属する人物との関係を深めることによってレベルがアップするぞ。レベルが上がれば、ペルソナが強くなるのだ。
コミュニティの種類は多彩
→クラス、部活動など、20種類以上のコミュニティがある。
→命発現したコミュニティのレベルをチェック。
←人物と会話したことでコミュニティが発現。
友との絆が強さに直結する
↑コミュニティにはそれぞれアルカナ属性があ る。コミュニティがレベルアップすると、アルカ ナ属性に該当するペルソナもパワーアップする。
ペルソナ合体システム
謎の場所"ベルベットルーム"では、2枚以上のぺルソナカードを合体させることでより強力なペルソナを作り出すことができる。数多くのカードを入手して、より強力なペルソナを作り出していこう。
イゴール登場
→おなじみのペルソナ合体。何ができるかな?
→コミュのレベルに応じて経験値もつくぞ。
コンゴトモヨロしク{?}
ディレクター
はし の かつら
橋野桂
『真・女神転生⋯if』よりシリーズの開発に携わる。代表作は『真・女神転生Ⅲ-ノクターン』など。
前作で物語が完結してから5年、ついに、新たな舞台と物語を得た、まったく新しい『ペルソナ』を、シリーズ3作目として発表させていただききました。学園ジュブナイルという若い世代の思いや悩みを等身大で描く中で、ペルソナ召喚や合体システムなどのご好評いただいたゲームシステムを継承しつ���、さまざまな新要素を存分に加えて、十分なボリューム(プレイ時間は50時間以上)でやり込み度満点のRPGを、もうすぐお届けできると思います。とくにこだわったのは"日常"の表現。実際の人間社会にあるようなコミュニティの形成を『ペルソナ』の成長システムに大胆に絡め、まったく新しいシステムとして構築しました。日常のさまざまな人間関係のリアリティーを、365日という学園生活の中で、壮大な物語とともに存分に楽しんでいただけたらと思っています。シリーズのファンの方はもちろん、新しく興味を持っていただいた方にも、「本当におもしろかった!」と思っていただけるゲームにしたいと思っておりますので、ぜひご期待ください。
記事担当チェック!!
待望の新作。『ペルソナ2罪・罰』はあれで完結ということで、完全新シリーズです。注目はやはり"コミュニティシステム"。仲よくなることで強くなっていくなんて、ステキではないですか。もちろんペルソナ合体も健在。今度はピクシー出てるといいな! (ライター : 荒井弘子)
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2020年2月18日(火)
天気予報通り、明け方からの雪。道路の積雪はないので、交通には支障ない。職場では、午後に大きめの雹が降ってその音に驚かされた。暖冬をリセットするような一日、これはこれで悪くはない。
三男はいつもの時間に出勤、ただし24時間勤務なので戻るのは明日の朝。昼夜2食を用意して出かける。
ツレアイを職場まで送っていったん帰宅。
可燃ゴミ、30L*2。
夕飯準備、まずは昨日下処理して置いた大根を煮込む。豚バラ肉と白菜でクタクタ煮。
西七条郵便局で払込1件。
七条千本からバスで阪急桂駅。
北千里駅で、早めのランチ。久しぶりの豆太鼓、温かいうどんを食べるつもりが、ランチ限定新メニューにひかれて注文。蕎麦三種+胡麻団子+いなり。悪くはないが、今日の天気では・・・。
IM嬢来室、「できる女プロジェクト〜落語編〜」、今日の課題は「矢橋船」。
草津から大津までの湖上のスケッチ、上方落語には珍しく武士が登場するが、そのサゲが通じない。確かに、「竹光」など時代劇のない今となってはわからないのが当たり前。船を舫う場面から、モヤイとユイという地域社会学で重要な2種類の共同作業について学習。
後半は、「できる女プロジェクト〜映画編〜」、今日の課題は「日日是好日」。
日日是好日(2018)
真面目で、理屈っぽくて、おっちょこちょい。そんな典子(黒木華)は、いとこの美智子(多部未華子)とともに「タダモノじ ゃない」と噂の武田先生(樹木希林)のもとで“お茶”を習う事になった。細い路地の先にある瓦屋根の一軒家。武田先生は挨 拶も程々に稽古をはじめるが、意味も理由もわからない所作にただ戸惑うふたり。「お茶はまず『形』から。先に『形』を作っ ておいて、後から『心』が入るものなの。」と武田先生は言うが――。青春の機敏、就職の挫折、そして大切な人との別れ。人 生の居場所が見つからない典子だが、毎週お茶に通い続けることで、何かが変わっていった……。(C)2018「日日是好日」製作委員会
監督 大森立嗣
主演 黒木華, 樹木希林, 多部未華子
(amazonプライムサイトより)
私は途中で抜け出して、「第一回ハラスメント調査会」。昨年末に生じた案件ではあるが、諸般の事情で対応が遅れてしまった。当初は私が委員長となる予定であったが、職員間の問題なので一委員として参加することになり、負担が軽減されたのは有り難い。委員間での情報共有、次回の日程確認で早めに終了。
図書館スタッフから、先週の土曜日に起きた学生の体調不良時の対応について報告を受ける。土曜開館の際、体調不良の学生が嘔吐したとのこと。ウィルスが問題になっているこの時期、その処理には慎重であらねばならない。平日は学内清掃担当業者が、処理用のキットで対処してくれるが、土曜日は他にスタッフがいないことから、今後の対応を事務局長に依頼。
ツレアイから連絡、スタッフに午後の訪問を替わっていただき早めに帰るとのこと。何しろ風邪が治まらないので、少しでも休める方が良い。
桂駅で惣菜を購入して帰宅。
次男と三人で早めの夕飯、早々に切り上げて風呂の用意。
風呂の順番を待つ間に見るともなしにテレビを見ていると・・・
1968年2月、ザ・フォーク・クルセダーズが歌う「イムジン河」が発売中止となった!北朝鮮で生まれた曲。京都の朝鮮学校で耳にした作詞家の松山猛が作者不詳の朝鮮民謡と思い、日本語の歌詞をつけた。しかし、発売直前に朝鮮総連から抗議が入り、レコード会社が発売中止を決定。それでも歌は枯れることなく、その後、日本、北朝鮮、韓国で数奇な運命をたどることになる。いま明かされる、歌が生んだ数々のドラマ。
出演者ほか【司会】松嶋菜々子,【出演】松山猛,きたやまおさむ,坂崎幸之助,キムヨンジャ,蓮池薫,【語り】濱田岳
(NHKサイトより)
慌てて録画ボタンを押す。いろいろと知らないことがあって面白い。2/24(月)に再放送があるとのこと、こちらはちゃんと録画しなければ。
何とか3つのリング完成。
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黒岳登ってきた (2)
なんかあまり眠れないまま4時半頃起床。
寝汗でベタベタだったのでコインシャワーを浴びて、朝ごはん支度して食べ、テント撤収して慌てて出発。
結局、6時半ぐらいの出発になってしまった。
ロープウェイ駅到着が約6時40分ぐらいで、乗り込んで出発は7:00。
帽子を車に忘れてきたことに気づき、黒岳ロープウェイの売店で日本手ぬぐいを買って、頭にほっかむり?した。
2年ぶりの山、キツかった。
登りでなんと約2時間かかり、黒岳山頂到着。
15分ぐらい休憩して、黒岳石室へ。
石室で¥500(!)払ってポカリスエットを買い、北鎮岳どうしようか考える。
この時点で10時を回ってたので、北鎮へ行くと下山が16:00近くになり、また体力的にもキツいと判断し、北鎮岳は断念。
目の前の桂月岳を登ることにする。
20分ぐらいで山頂(と思われるところ)に到着し、10分ぐらい休憩して下山し、石室で5分ぐらい小休止して下山開始。
40分ぐらいで黒岳山頂に再び戻り、20分ぐらい休憩してリフト乗り場へ向けて出発。
が、足元が意外に悪く、久しぶりなのもあってさっさと下れない。
慎重に降りたせいで1時間20分近く下山にかかってしまった。
最終的にリフト駅についたのが13:22、ロープウェイで下山できたのが14:00
温泉街にある「黒岳の湯」で汗を流そうかとも思ったけど、まっすぐ帰ることにした。
紋別自動車道から高速に乗って、途中で降りずに最後まで高速使った。
高速に乗る前の国道でレーダー付きのパトカーにレーダー波浴びせられたけど、Uターンして追いかけられなかったので多分大丈夫?
(オービスだったら後で出頭になるな・・・まぁそもそもスピード出してないけど。→ まったく大丈夫だった。笑 )
--- 2021-12-22追記 ---
登山ルート
※コースタイム
層雲峡駅(7:00)・・・(7:08)黒岳ロープウェイ駅(7:22)・・・(7:37)7合目出発(7:40)・・・九合目(9:03)・・・(9:30)黒岳山頂(9:44)・・・(10:04)黒岳石室(10:17)・・・(10:37)桂月岳(10:44)・・・(11:02)黒岳石室(11:08)・・・(11:45)黒岳山頂(12:05)・・・(13:22)リフト駅(13:45)・・・(13:49)黒岳ロープウェイ駅(14:00)・・・(14:12)層雲峡駅
--- 以上2021-12-22追記 ---
※後日色々調べたら、北鎮を往復する気なら朝始発のロープウェイに乗らないとダメ。
あとは体力と要相談。
敗因は、あと30分早く起きなきゃならなかったのと、コインシャワー浴びたことだな。
5時半キャンプ場出発の、ロープウェイ始発に乗ればなんとかなったかもしれない。
(後悔先に立たず)
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紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝いに渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
菊
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社を訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
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