Tumgik
suzy-sousaku · 6 months
Text
エッセー
フォロワーさんのエッセーを読みました。フォロワーさんの思考が端々に散見されて、興味深く、感想だけ残します。
日常にある料理と、料理のまわりの日々のことが軽やかに表現されていて、わたしは読みながら、フォロワーさんとご飯に行きたくなる。
まるで、フォロワーさんと話しながら、生活を覗いているみたいで。
Tumblr media
わたしは、だれかに投影される夏がすきです。わたしたちには夏がいちばん、愛しさも厭わしさも投影されるようにおもえます。
胸を衝くような表現、つまり人生、世界が愛しくなる表現があると、わたしは抱きしめて、わたしといっしょに焼いてほしくなる。
きょうも、宇野なずきさんの「おばけなんかないさ嘘さでも何も残っていないなんて嫌だよ」の短歌で焼かれました。
食べる、料理する、は、わたしにとって別々にある行為だけれど、料理する延長にある食べる、は、贅沢なおこないにおもえていい。わたしにはない感覚だから。
エッセーには、フォロワーさんの食欲の原点が書いてあるけれど、わたしの食欲の原点はおもい浮かばない。わたしはまだ、料理するより食べる側にいる。
フォロワーさんの料理エッセー、まだまだ読みたい。
1 note · View note
suzy-sousaku · 6 months
Text
村山由佳 ある愛の寓話 文藝春秋
千早茜さんと村山由佳さんの「恋愛小説」書き方講座にあたり、初めて読みました。
ひととひと、ひとと動物、ひとと物、愛情にまつわる短編集でした。読みながらおもい浮かぶことの、殆ど端書だけれど、勿体ないから残します。
「ある愛の寓話」には、愛にまつわる色香がさっぱりとあり、生々しすぎず、現実らしい適温の愛らしさがある。
「ある愛の寓話」にもどこでも、だれかが失敗する表現がある。わたしはとても臆病で、失敗を怖がるから、読む前から内心、ひどく恐れてしまいます。
乗馬の表現から、馬に乗るときの身体の感覚が、頭のなかからよみがえるのが、わたしにはうれしい。夢のなかで、馬に乗ったときの疾風がよみがえる。まだわたしにはできないけれど、いつか夢みたいに風のように駆けることができるかもしれない。いつか、夢みたいに。
まだわたしは馬に乗せられている。
「来し方」の表現を最近知りました。「ある愛の寓話」ではどの短編でも、過去のことを「来し方」という。いままで辿った道らしくていい。
Tumblr media
信仰心にまつわる表現はすきです。わたしは神を信じているし、信じすぎていないし、救いもせず苦しみも与えず、ただあるだけと考えている。アニミズム!
「私の男」とはちがい、始まりから終わりまで、やわらかくまるまる。
千早茜さんと村山由佳さんの「恋愛小説」書き方講座では曰く、千早茜さんは問いから書きすすめるらしいけれど、村山由佳さんは書きながら書きすすめるらしく、そのちがいがどことなく感じられる。「ある愛の寓話」に問いはないけれど、人生に浮かぶことかもしれない。
1 note · View note
suzy-sousaku · 7 months
Text
桜庭一樹 私の男 文春文庫
かなり前から薄らと意識にありながら、「私の男」からおもい浮かぶ印象と、読まれるなかみとは食いちがうだろうと避けていたけれど、とうとう読みました。
読めてよかった。
Tumblr media
「私の男」という小説が「私の男」のひと文からはじまるのが衝撃的で、はじめのひと文からしばらく、読むのも寝かせました。
わたしは「私の男」からはじめないし、「私の男」からはじまる小説を知ったあとならなおさら、できない。わたしにとって二番煎じになるから。
はじめ、わたしには「私の男」が、側溝の澱みをみつめるような印象がある。
読みすすめると、腐野花と腐野淳悟のそとがわと、腐野花の感情が透ける。澱みは、腐野花のなかにある現実的な女と、無垢な幼い子どもと、ぐちゃぐちゃにまじりあうからかもしれない。
「私の男」では時間が遡るから、腐野花と腐野淳悟とまわりの人生が、読みすすめることであざやかになる。最近とくに老いるばかりの時間と実感するけれど、時間が積重ねられることで、人生があまりにあざやかにおもえる。
時折、自然がいきものみたいに表現されるから、まるで愛しくなる。凍りかけの海は、海が眠たくなるというらしい。
腐野花と腐野淳悟では、海とにんげんの情がグロテスクにまじりあう。蔓植物のように絡まりあい、養分を吸いあうように奪いあう。
Tumblr media Tumblr media
「私の男」のひらがなには、わたしがわたしを覗いているような感覚がある。思惑どおりかわからないけれど、嫌。
田舎のひとたちは気持ち悪い。田舎のひとたちの親しげな干渉に、きっといつか助けられるかもしれないけれど、わたしには気持ち悪い。べったりと垢がつくみたいで。
でも、わたしも田舎のひとかもしれない。都会より田舎がいいし、田舎より都会がいい。
腐野花が「私の男」というときだけ「わたし」でなく「私」というのは、なぜだろう。
Tumblr media
わたしの家族の匂いは、だれもいない夜中のしずけさです。むかしはよく喧嘩したので。
わたしの父も、わたしには��くに甘くて、どうでもいいようなひとだったよ。
2 notes · View notes