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kuro-hoppy · 6 years
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「北海道の風景4」
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台風で倒れたとうきび畑
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kuro-hoppy · 6 years
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「北海道の風景3」
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広大なとうきび畑
そして
収穫後のブロッコリー 選果場にて(選果前)
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kuro-hoppy · 6 years
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「北海道の風景2」
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摩周湖
秋刀魚
網焼き
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kuro-hoppy · 6 years
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「北海道の風景」
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屈斜路湖
硫黄山
摩周湖
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kuro-hoppy · 6 years
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「北海道7日目と敬愛する先輩」
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先輩。サークルにも入らず大学関連の行事とも無縁の私にも幸せなことに、ひとりだけ先輩と呼べる人がいる。敬愛してやまない先輩ではあるものの、ここだけの話、先輩は生粋の阿呆だ。ただ一方で先輩が愛すべき阿呆であるということを忘れてはならない。
そんな先輩も大学院に進学してからは、常人の私では理解も及ばないようないくつもの難題がからみあい、ほどけなくなってしまっていた。痺れを切らした先輩は虎となり大学院を飛び出し、「オホホホ!オホーツク!」とだけ叫んでひとり北海道へ向かった。
それから2ヶ月ほど経った7月末、北海道から無事帰ってきたと連絡があり、東京の某所でのむことになった。
すると、あの先輩が変わっていた。活力に満ちていた。何でもできるんじゃないかとすら思えた。コンガリと焼けた肌にキリッとした短髪も相まってベトナムから帰ってきたやり手の商社マンのようであった。
先輩を変えたのは北海道での住み込み農業だ。大学院を飛び出したころの先輩とは別人だった。その姿を見ただけで私も行きたいと思った。先輩を変えた北海道。そこに何があるのか。
その日の帰り際、思いがけず先輩から、8月末に一緒に行かないかと言われたときの興奮たるや!
二つ返事で私の北海道行きが決まった。
ここまでは順調だったのだ。だが私は先輩が愛すべき阿呆であることをすっかり忘れていた。
それは突然だった。北海道へ出発する日、羽田空港へ向かう高速バスの中で、先輩から行けなくなったと連絡が来た。これには流石に目がとれるほど驚いた。
しかし、2秒ほどで我に帰った。そういえば先輩は敬愛すべき阿呆だったと。
こうして私の北海道住み込み農業旅は始まった。のちに詳しく語ることにしよう。
9-2-2018
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kuro-hoppy · 6 years
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2016年12月18日 12-18-2016 パステルの良さを全て消して、油絵の絵画を模写することの難しさを痛感したモネの「夏のヴェトゥイユ」 模写を諦め、イメージを頼りに描いたはじめての絵 夏のヴェトゥイユ 1880年 Vetheuil en ete カンヴァスに油彩 60×99.7cm W.Ⅰ.605 ニューヨーク メトロポリタン美術館蔵、ウィリアム・チャーチ・オズボーン遺贈 1951年3月30日 New York, The Metropolitan Museum of Art
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kuro-hoppy · 6 years
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「最初に抱いた夢がD-51になることだった男の話」
まさか自分が就活をするとは、夢にも思わなかった。夢といえば、実家に帰ると両親がよく「昔は〜」と話し始めるものだが、私をしきりに赤面させるのは、最初の夢がD-51になることであったという作り話のような事実だ。どうやら幼い私は、どうして名前をD-51にしなかったのかと臍を曲げたことまであるそうだ。おまけに自らをデゴイチと名乗っていたらしいのだからいたたまれない。先日、就活の結果報告で帰った際にもこの話を聞かされ、フルボディのワインよりも赤くなってしまったのは記憶に新しい。
ふらふらと脱線してしまって恐縮である。悪い癖だ。ところで本日は良くも悪くも私を変えた出来事とそこから学んだことについてである。話は、3年前へと遡る。どうか温かい目で見守ってあげて欲しい。
過酷な浪人生活を経て、私大法学部への進学が決まったばかりのころは、恥ずかしながら司法試験を目指し脇目も振らず勉学に励もうと目を輝かせた。
また、お世話になった先生方に憧れて大学入学が決まった3月下旬から集団塾で塾講師のアルバイトを始めた。ちょうど春期講習の時期であったこともあり、人手が欲しかったのだろう。新人だというのに朝から晩まで授業を担当することができた。塾業界はこれでもかというほど常に人手不足である。大学生の善良な心や責任感を食い物に成り立っている業界だ。当時の私はそんなこともいざ知らず、憧れの先生に近づけることや自分に任せてもらえたことで満足感をおぼえ、こちらも目を輝かせた。多くの大学1年生の目は少女漫画に登場する白馬の王子さまのそれよりも輝いているものだ。もれなく私もそうであった。
あいにく、大学の入学式や単位説明会等と春期講習が重なってしまい私はアルバイトを選択した。思い返せばここで大学行事を選択していたら、全く違う今があったのかもしれない。大学での選択は自由なものである。キャンパスの至る所にさまざまな色の飴玉が大学自治の袋を被って転がっている。どれを拾い、どれを舐めるかは全て自分次第だ。最高学府万歳!
幾多の飴玉を蹴散らし踏み潰して迷わずアルバイトを選択した私は、サークルに入る機会を逃してしまった。ああ、さようなら、私の青春。青春の飴玉は散りばめられた宝石のようにキラキラと砕け散ったかと思われた。
だが、待っていたのは孤独な浪人時代とは打って変わり、ホワイトチョコレートに浸したトーストのごとく甘く甘い日々であった。
告白されたのだ。
大学生活を顧みると、私は、あの人を思い出さずにはいられない。私の生活の中心には常にあの人がいたし、私の生活は常にあの人を中心に周っていた。2年ほど一緒にいたのだ。無論一緒にいたということから分かるように、今となっては我々の関係は消滅している。実った恋ほど語るに値しないものはないという人もあるが、終わった恋ほど語るに値しないものもないだろう。とは言っても、後々誰に頼まれたわけでもなく語り出すのが私である。今日は語らないだけで、いずれ語り出しかねない。ご容赦。
つまるところ女性に振られ、自らの未熟を痛感し目が覚めたのである。
大学3年の夏までは、本当に、夢のような時間であったと思う。しかし、夢の世界はふたりだけで完結していた。甘い夢から叩き起こされて目覚めは酷く醜いものではあったが、よく寝たお陰で時間が経つとパチリと目が開いた。
甘い夢から目が覚めるともう一度その夢を見たくて寝ようと思うのだけれど、そう上手くはいかないものだ。少なからず私はそうであった。夢を見れないので現実を見たし、あの人を見つめられないので自分を見つめたのだ。現実を見、自分を見つめ、前を向くことで次第に雲散し視界が良好になった。すると、はるか彼方にほよほよと儚く夢が漂っているのが見えたのだ。
その夢が爆ぜてしまわぬよう、さながら蒸気機関車のごとくもくもくと脇目も振らずに直進している。走り始めたばかりで終着駅はずっとずっと先だけれど、いくら効率が悪くとも石炭が切れぬうちは走り続けられるだろう。情熱が私の火室を冷やすことはないから。
読者よ、石炭の準備はできているか。火室は、冷めていないだろうか。
素敵な夢が爆ぜぬように。
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kuro-hoppy · 6 years
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2016年12月6日 12-6-2016 青ばかり使っていたので、違う色も使ってみたくなり描いたモネの「花のアーチ、ジヴェルニー」 今でも非常にお世話になっている先輩に、迷惑承知の上で半ば押し付けて渡した若気の至り大爆発な思い出の絵 花のアーチ、ジヴェルニー 1913年 Les Arceaux fleuris, Giverny カンヴァスに油彩 81×92cm W.Ⅳ.1779 フェニックス(アリゾナ州) フェニックス美術館蔵 ドナルドD.ハリングトン夫婦寄贈 Phoenix(AZ), Phoenix Art Museum
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kuro-hoppy · 6 years
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「食べること、そして霜柱」
食べ物は食べるまでが至高だ。食べたことのあるものであれば、姿、匂い、温度、食感、音、そして口に広がる味を思い出しては口角が上がる。私なんかは、場所と記憶に深い結びつきがあるようで、誰とどこで食べたかまで頭に浮かぶ。そのときの会話や感情などが甦るのも、まるで小さな時間旅行をした気持ちになれるため殊更好きだ。一方、まだ食べたことのないものであれば、それがどのようなものか気になって仕方がない。とにかく気になるのである。どのような姿をしているのか。どのような匂いがするのか。あったかいのか、つめたいのか。口に含むとどのようか。調理しているときの音から噛み締めたときの音。そして味は。さらには、ひとりでこっそりと食べようか。はたまた、友達や大切な人と共に食べようか。などと、考え始めれば止めどがなく、この限りなく湧きあがる素敵な妄想を抑えることを私はできない。
ところで、読者は霜柱を食べたことがあるだろうか。唐突に霜柱を食べたことがあるかと問われ、戸惑うと思う。もちろん私は、食べたことがない。なぜ食べたことがないかというと、その性質上多分に土を含んでいるし、触ると体温で溶けてしまうからだ。霜柱はしんしんとする冬の明け方に、にょっきりきりっと現れる。さながら跳ねる鞠のようにあちらこちらを駆けずり回っていた幼少期の私の数少ない友達である。踏んでも踏んでも次の日には元どおりになっているのだから屈強だ。どうやら、そんな霜柱も日本全土に現れるわけではなく、東日本と南九州にしか頻繁には現れないそうだ。これには火山とその灰が深く関係しているみたいだが、それ以上難しいことは私にはわからないのでここまでにしておこう。
私が霜柱を愛してやまないのは、踏んだ際の音や感触が足底より体内へ伝わる感じのするのもさることながら、冷たい空気から降り注ぐ冬の陽光が霜柱と足跡の断面に反射した姿がこよないためである。例えるならば、真っ白く無垢で嫌味のない虎眼石といったところだ。非常にわかりにくい例えしか出来ず恐縮である。もしも霜柱が食べられたならばと年々歳々想いを馳せてきた。
読者よ!朗報である。この噂を耳にしたときの興奮たるや。
どうやら宮城県は仙台市のとある老舗菓子屋が極秘の製法で缶に詰めた霜柱を、こっそりと販売しているというのだ。その名も秘密銘菓「霜ばしら」。安直に近所でとれた霜柱を缶に詰めて売っているわけではない。なんと土や泥などの不純物は一切含まれておらず、かつ通常の霜柱とは違いその日のうちに消失しないというのだから驚きだ。謎に包まれた生成および保存方法には数多の仮説が存在するようで、タンタンコロリンという妖怪が生成に大きく関わっていて某老舗菓子屋と業務提携しているという説、火山活動の影響で沸騰した五色沼の湖水を蔵王の樹氷にかけるとごく稀に、土を含まず溶けることのない霜柱が生成されるという説、神出鬼没のリアカーで駄菓子屋を営む年齢不詳の男性、通称「おやっさん」が気紛れに作っていて実は彼が某老舗菓子屋の会長だという説など、仮説は枚挙に暇がない。ただどれも仮説の域を出ず、学者連中も躍起になり研究しているが、その生成方法は未だ明かされていないというのだから、奇特だ。明らかなのは、その霜柱が普通の霜柱とは違うことといつでも手に入るわけではないということだ。生憎、霜柱の立ちたる時期にしか出回らないそうなのである。この点で、秘密銘菓「霜ばしら」と通常の霜柱とには深い関わりがあることは明らかになるが、それ以上はわからない。冬にしか出回らないことに加えて、こっそりと売っているのである。余程の幸運でないと手に入れることもままならないのだ。
そうだ、仙台行こう。決めた!今年は行く。雪の壁に押しつぶされても行く。樹氷に突き刺さっても行く。なんとしてでも手に入れる。いっそ謎まで暴いてくれようか。
そうして私は、まだ食べたことのない秘密銘菓に想いを巡らせ、沸き起こる妄想に身を任せる。果たして、どれほど美しいのだろうか。霜柱固有の色香も持ち合わせているのだろうか。どのように缶に詰められているのだろうか。どのような香りがするのだろうか。ひんやりとしているのだろうか。それを舌にのせたときには。それから噛んだら。そして、味は。と考えると甘く幸せな気持ちになる。
私は、誰が何と言おうともこれだけは決めてしまっている。
恋い慕う霜柱は、ひとりで食べようと。
食べ物は食べるまでが至高だ。
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kuro-hoppy · 6 years
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「知るということ」
何をすれば良いかわからなかった。わからなかったのでひとまず大学3年の6月、大学が主催する就活イベントに参加した。それは外部から講師を招き、学生に就活のいろはを説くようなものであった。当時の私は本当に何も知らなかったので、その講師の言うことが真実であると素直に思い込んだ。この点に関しては、他者を疑わない私に非があると理解している。友人に、棒ラーメンは茶碗に麺の束を乗せ、その上に粉末をかけてそのまま食べるものと言われ、それが冗談とも気づかずに、世の中には不思議な食べ物もあるものだと感心したくらいなのだ。読者にもご理解いただきたい。
今思い返すと笑ってしまうが、大先生は自信に満ち溢れた声や表情で、「いいですか皆さん!就活は、上ばかり見ているから、失敗するんです!大企業ばかりではなく、中小企業もみてください!中小企業は皆さんを必要としています」と唾を飛ばしながら、大企業ではなく中小企業を受けろと必死に伝えていた。確かに、大企業が必ずしも良いというわけではないが、このような主張を何も知らない就活生に、いかにもそれが正解であるかのごとく話すのは、就活生のサポートを仕事としている社会人として如何なものかと思う。果たして、それでサポートといえるのか。本気で他者の人生を考えた上での発言か。その場限りの放談になってしまっているようにしか思えない。
実際に私の頭には、大企業=就活の失敗という等式が植え付けられたし、まさか自分が入社できるわけがないという先入観も抱いた。これは、何でも信じてしまう私が悪い。けれども、今の私は先の等式と先入観が間違いであると判断できる。なぜなら、自ら一歩踏み出し困難に立ち向かうことで知ったためだ。
先入観は、こわい。それは無知から生じるものであるが、反面、一度思い込むとそれがあたかも真実であるように感じてしまうためだ。悲しいかな就活は第一印象で決まってしまうことが多いようだ。しかし、第一印象が��間の全てではない。映画『グリーンマイル』のジョン・コーフィがそうであったように。同様に、食わず嫌いは、勿体ない。嫌いと思い込むのは、無知であるからだ。知らないで嫌いになることと、知っていて嫌いになることは大きく違う。知ることで嫌いになることもあるが、知ることで好きになることもまたある。前者は、怪我から得た教訓のかさぶたのようで、後者は、晴れた春の日に頬へ感じる風のように素敵であると思う。今の私なんかは愚者も驚く屈託なしであるので、たとえ失敗したとしてもそのことから新しく学ぶことができたと考える。加えて、新しいことや発見が好餌であるため、好きになれるものを探すのが好きだ。結果として嫌いであっても構わない。前は、もっと陰鬱であったが今は違う。それを実感できるのは嬉しいことであるし、まだまだ変わっていくだろうと思いを馳せる。
閑話休題、私は大企業であれ中小企業であれ、自ら悩み自ら決めた企業であれば、全力を尽くすべきであると考える。そもそも、従業員数だけでピラミッドを作成し大企業は上、中小企業は下という考え方に反対である。就活で学生相手に偉そうに話す講師は、就活を目に見える結果や数字だけで捉えすぎていると思う。それも無理はない。なんせ彼らが経験した就活と、我々が経験した、ないしは経験している就活は全く違うものであるからだ。いくら偉そうに話していても、彼らは知らないのである。クリスタル・スカルを見つけたのはジョーンズであって、他の誰かではない。他の誰かが、あなたの就活を語ることはないのである。つまり、大企業、中小企業関わらず様々な企業を知った上で、どこに入社したいかを決めてほしいということだ。
さあ素敵な風を感じに、行こう。
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kuro-hoppy · 6 years
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2016年11月29日 11-29-2016 1枚目の絵を描いた後に、90色のパステルをもらって描いたモネの「ジヴェルニー近郊のセーヌ川支流」 色々、納得がいかずに放置していたら行方知れずになってしまった未完の絵 ジヴェルニー近郊のセーヌ川支流 1897年 Bras de Seine pres de Giverny カンヴァスに油彩 75×92.5cm W.Ⅲ.1487 パリ オルセー美術館蔵 Paris, Musee d’Orsay
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kuro-hoppy · 6 years
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「ドン・ジュアン」
今日のその一歩が、あなたのこれからを左右するものだったら。と考えると、どこへ行くにも素敵な気持ちになれそうである。今日は、そういう話をしようと思う。
大学3年、10月のことである。数日後に、ある金融機関に勤める大学のOBOGが懇親会をするので全国から一点に集まるため、内定者や在学生も混ぜて座談会を開く旨の一斉メールが大学から届いた。当時の私はその企業について、CMで見聞きしたことがある程度で具体的に何をしているかまでは知らなかった。闇雲に手当たり次第、秋以降のインターンシップへ応募し始めていたこともあり、興味を抱いた。暇だし行ってみよう程度であったと思う。はたまた、何かをしなければと、取り憑かれたようになってしまっていたのかもしれない。
その日は、水で溶いた炭に浸した筆先を水へ落としたような雲が空を覆っていた。晩夏に起こった出来事から立ち直れていなかった私の心を一層暗くした。募る憂鬱を、色の抜けた肌着と共に身に纏い、ワイシャツのボタンをひとつひとつしめて閉じ込めた。雨に濡れるのは嫌だったので、玄関のビニル傘を手に取り駅へ向かった。駅への道を半分くらいまで来たところで、ぽつり。
次の瞬間、私は産業用ロボットのように、駅ではなく来た道へくるりと身を翻していた。ここで私は考えた。今帰ったら、人生が変わってしまうかもしれない。雨をおして大学へ行けば、新しい何かが始まるかもしれないと。
踏み出した一歩が地面に接するまで非常に長く感じた。私は一度翻した身を再び翻した。すなわち、途中で雨が降って来たため面倒になり帰ろうと思ったが、自分の一歩に希望を感じ思い直したのである。そこからは素直に大学へ向かい、座談会に出席した。
この座談会に出席したために、後に大変お世話になる大学職員のSさんと某金融機関に勤務し私の大学を担当しているYさんに出会うことになる。そして、察しが良いあなたの思う通り、帰する所この某金融機関こそが私の就職先である。バイロンも上手いこと言ったもので、まさに事実は小説より奇なりだ。人生にもしもなどないけれども、もしもあのとき憂鬱に屈して帰っていたらと考えてみると不思議でならず、自然と口角が上がってしまう。
以上が、私の一歩の話だ。このことから、私はあなたに伝えたい。あなたの一歩は、これからのあなたをつくる大切な一歩かもしれない。その可能性を含む素敵なものである。是非、前向きに行動してほしいと。
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kuro-hoppy · 6 years
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2016年11月2日 11-2-2016 大学2年の時、初めてカンヴァスにパステルで描いたモネの「かささぎ」 決して上手くないけれど、なんか好きだ
かささぎ 1868年 La Pie カンヴァスに油彩 89×130cm W.Ⅰ.133 パリ オルセー美術館蔵 Paris, Musee d’Orsay
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kuro-hoppy · 6 years
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「発端」
なぜ書こうと思ったか。伝えたいと思うことが数多あるからだ。私の書いたものがそれを読んだ誰かの救いになれば良いと、さながらスーパーヒーローのような熱い思いもあるが、反面、ただ自分が満足したいだけでもある。つまり、自己満足で書き始める。読者が読みながらに少しでも嫌な気持ちになったのであればどうかそっと閉じて頂きたい。互いの心の健全を保つうえで一抹の翳りが存在するためだ。他にも良書は星の数ほどあるし、時間は有意義に使うべきである。
では、何を伝え、誰の救いになりたいか。私は今年の6月に就職活動(以下、就活)を終えた大学4年生である。確かに、大学生らしく日々の暮らしや政治について思うことはあるが、社会に出ておらずビジネスも知らない私であるから伝えられることを伝えたい。つまり、私が就活を通して思ったことを就活生目線で伝え、就活をこれから始めるないしは就活中の、大学生を救いたい。就活生と近い目線、これこそが最大の肝である。
私は、四季報やSPI対策の参考書を除き、就活に関する書物を購入したことがなく、目を通したこともない。読むのが億劫だからだ。就活本とひとりでにらめっこをしているくらいなら、自分の足で、生きた情報を集めたいと考える。就活を終え、就活本を読まなかったことに一切の後悔はない。是非、就活生には顔を上げてほしい。るっくあっぷるっくあっぷ。情報の洪水が至る所で起きている現代であるからこそ、机上の就活をしてほしくないのだ。非常に便利なスマホやPCの中にも、どんなに優れた本の中にも、あなたはいない。そこに書いてある内容は、決してあなたのことではないよう。その人のことなのだ。就活本の筆者は読者を知らず、寄り添わない。彼らは、自分の考えを読者に押し付けるばかりである。読者と筆者がマッチすればまだ良いが、たとえ筆者の主張と読者がミスマッチでもそれを教えてくれはしないのだから、度し難い。いくら私がブルース・リーの伝記を読んでも、燃えもしないしドラゴンにもなれない。ブルース・リーになれるのはブルース・リーだけである。ここであなたは、お前の文章も就活本と何ら変わらないではないかと思うだろう。
結論から述べる。大きく違う。第一に、一般の就活本の筆者は大学生ではない。第二に、彼らはあくまで、社会人として、仕事として書いているのである。今の就活をその身で体感していない。果たして、死んだ情報が就活生に寄り添うことは出来るのだろうか。いや、出来ないだろう。第三に、私の文章は決して就活の正解を指し示す地図ではないし、こうするべきだと主張しない。ただ私の就活をあなたに伝えるだけである。それでどうするかは、あなたが決めるのである。もう一度述べるが私の書くものは、宝の地図ではない。インディ・ジョーンズの冒険譚である。
その冒険譚があなたの救いになればと願い、一先ず、希望で溢れる筆を擱くとしよう。
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