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cynthiaessence · 5 months
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さまざまな“自分”と出会う幻想の旅
この数年 女性性と向き合うべくして 無償の愛を実践する日々を与えられていた 「これからはただただ淡々とすべてに向き合おう。 そうして受け容れよう。」 至ってシンプルに そう自分に誓って過ごす日々だった 前回投稿した【魂の闇夜】が顕著に現れていたのは 氣づきが起こる2ヶ月程前 振り返れば じわじわとした始まりは 3年程前に遡る この“闇夜”から抜けたとはいえ 魂が望む成長は それでお仕舞いではない 抜けた後も氣づきがあり 深みが増し そこから派生した課題に向き合い続けている “闇夜”という言葉を掻い摘んでみると 落ち込みとか 這い上がれないようなイメージだが 果たして 私は真っ暗闇を ひとりぼっちで歩いていたのか‥ そんなことはない 無償の愛の実践は 与えるばかりではなかった 欲しいものは何も無かったし 持っているものは惜しみ無く明け渡した それで充分満たされながら 求めずともたっぷりと与えられ とても癒されたのだ これは愛を根源としたエネルギーの循環である 純粋なエネルギーを頂いた分だけ 内包した光は高まり 強さを増した ところが 自分の中心から放つ光は 息を潜めていた深い闇を照らし始め 炙り出し 否応無しに映し出すから 見て見ぬ振りなど到底敵わない 向き合わざるを得ない それは 新たな自分に出逢うまでの 産みの苦しみと共に まるで産道を通る胎児を体現するようだった 私の使命は “愛と平和” “母と子” “スターシードの癒し”である 闇夜はまさに産道であり 光も闇も受け入れ 自らを育み 生まれ出ずる瞬間を 強烈なまでに刻み込むことになる 言葉にして表現すると 何とも抽象的であるが 目の前に見せられるビジョンと体感が さまざまな視点をもって “母”であり“子”である三次元的な自分と 愛を根源とする自分が混ざり合いながら 次元間を行き来する そのような感覚に慣れるまで 混乱することがあった 「こわがらなくても大丈夫。」 「時に彷徨うことがあなたには必要だった。」 「苦しみの先に広がるまばゆい光はそこに在る。」 そう受け取ったメッセージは その瞬間も そうしてこれからも 私の勇氣になる ⌘ 厳しく感じられるかたがおられるかもしれないが‥ “流れに身を任せる” “宇宙に委ねる” という言葉をよく耳にするが 何処か遠くへ向ける眼差しのように 何かに頼り拠り所を求めて 向こうからやって来るのを“待っている”だけでは 何も始まらない まさに いつかの私がそうだった これまでに出会ったことのない“自分”は確かに在って それは自分の一部であり すべてである さまざまな“自分”と出会う幻想の旅がここにはある “願えば叶う”を待っているだけでは 旅をした氣分になっているだけである 本来の自分を “取り戻そう” “還ろう”としたとき それは 誰のためでもなく 自分がそうしたいという ただそれだけの 夢中になれる何かに突き動かされる いうまでもなく 本来の姿である魂は 悦びに満ちて輝きを放つだろう 完璧を求める必要は無い 何故って魂はもう既に完璧だからだ 魂こそが宇宙であるならば あなたが委ねるのは魂である “流れに身を任せる” “宇宙に委ねる”とは もう既に自分がソレだということだ ならばこの星で 現実化するために行動するのは 肉体を纏ったあなた自身だ
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cynthiaessence · 7 months
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魂の闇夜
「魂の闇夜」 この言葉に 辿り着いた瞬間 ああこれだったのか‥と ようやく理解した ⌘ ある出来事をキッカケに 未解決のトラウマが顔を出した それは成長過程において根づいたもので 果ては家系のカルマをもはらむ 絶望と不安 恐怖を感じるものだった 特に 自分を軸に生きていたはずが 誰かの 何かのために生きている自分を 何度も何度も突きつけられた しかも 強烈に研ぎ澄まされていたから “点”と表現しても変わらない些細な事さえ感じ取っては 自分を押し殺していた“自分”に失望したのである これまでの自分が すべて作り物だったと思えて これ以上生きていて何の意味がある?とさえ感じ “自分”が何処にも存在しない恐怖を味わいながら 拠り所を見失った あらゆる“欲”にも興味を失い まるで無価値な存在に成り下がって 空虚を彷徨う自分は ディセンションしたのだと思ったのである しかし 深い闇に支配されている感覚を味わいながらも それが外側からもたらされたものではなく すべては自分の内側の問題であることを 強く認識していた 抗うのを諦め まるでもぬけの殻になっていた頃 突如 表に見えていたものの裏側が拡がり 明確な意識と真の目的が一致したのである こんなところに辿り着くとは 夢にも思わなかったのに 何もかも準備が整っていたことに驚いた 尋常とは思えない魂の喜びを感じながら 闇夜を抜けた瞬間であった ⌘ 「魂の闇夜」とは 存在の危機であり 霊的な闇の世界といえる 信じていたもの 自分だと信じていた自分 エゴが創り出した幻想が崩壊するのは 相当な苦しみを伴う 深い孤独感や分離感は まさに言葉通り たったひとりぼっち 切り離されたかのように 闇夜に迷い込む それは 魂が覚醒するまでの 変容のプロセスであり 幻想と真実の狭間ともいえるかもしれない 魂の闇夜は 実に個人的な体験であるから 必ずこんなことが起こるというのではないし 私が感じた闇が誰かにとってはそうではない ってこともある どれくらいで抜け出せるかは人によって異なるだろう つまり私の体験はひとつの体験に過ぎないということだ ただひとついえることがあるとするならば どんなに深く絶望しようとも 魂が望んだこの体験から逃げることなく “受け容れる”という意識を持つことだろうか きっと一筋の光を見つけられる
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cynthiaessence · 8 months
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皆さんそれぞれに 繋がりやすいエネルギーがあることだろう どこから受け取るかはさまざまで サポートする存在やツールもたくさんある 受け取る感覚も人それぞれで 受け取ったかたの意識の在り方によって またそれを受け取るかたの感じ方もさまざまだ 無限のパターンがある もはや“パターン”という枠が窮屈と感じるほどに オリジナリティに溢れているのではないだろうか 誰かの 何かの そのようなお話を見聞きすると ワクワクする いいねいいね! それってどんな感覚?って興味そそられる そこで私はどうか?というと ハイヤーセルフと繋がり ガイドにサポートされながら 精油の波動から 色を通してヴィジョンを見せられる 日頃の瞑想と共に 自分軸のセフル・メンテナンスの際もそうで ・ジュニパーベリー ・フランキンセンス ・ベルガモット 最近はこれらの香りが大活躍していたのだが 浄化と自分軸を徹底する日々だった というのも エーテルコードがズボッとはまっていて どうにもこうにも息苦しかったのだ このままでは枯渇する 意識して抜く必要があった そんなときに真っ先に必要だと感じるジュニパーベリーは 細胞の隅々にまで行き渡るかのように まとわりついたエネルギーを絡み取って 浄化するヴィジョンを見せてくれるのだ エネルギーがすっかり消耗した上に 必要のないものも解放して 行方もままならない風船のように フワフワ飛んでしまいそうだった そうなると グラウンディングと共に軸を整える必要を感じて フランキンセンスにサポートをお願いするのだが いつもゴールドの光を感じる 上から降りてくると共に下から昇ってきて揺らぎを整え ハートに集結したエネルギーはそこから拡がり包み込む 更にハートを癒し 内に秘めた光を穏やかに引き出してくれるような ベルガモットの肯定感が 私はたまらなく好きなのだ セルフ・アロマヒーリングをしばらく続けていたら とても楽になった ぐっすりと眠れるようになったのだ ⌘ エーテルコードは人の感情によって繋がるものだが 好意のみならず 妬みや恨み 依存や執着などの ネガティブな感情によっても繋がってしまうので 相手の感情によっては体調にも影響を受けてしまう場合がある 切っても根は残ったまま‥という感覚が私にはあるので “切る”というよりは 自分のエネルギーに潜り込んだ先端をヒーリングし 感謝して“抜く”といった具合に意図している 逆にこちらから誰かへと エーテルコードを繋いでしまうことだってあり得る サインとしては自分が抱くネガティブな感情である どうにもこうにも そこから抜けだせないドツボにはまった感覚である …って 表現がわかりづらいかも…ごめんなさい! そんなときは 見て見ぬ振りすることなく 自分と向き合い それを受け入れ 癒すことで エーテルコードを伝って光へと解放されるイメージを 何より意図することが大切 ちなみに もとはひとつだった魂がふたつに分かれたツインレイは 魂と魂がエーテルコードで繋がっている状態といえる “ひとつの魂とふたつの肉体がエーテルコードで繋がっている” と表現するとわかりやすいかもしれない “��たつに分かれた”ことに目的と役割があり 陰陽のエネルギーを循環させながら統合を目指しているので 断ち切りようがないし 抜きようがないといえる もとはひとつの魂で在るのだから ⌘ この星に降り立つことを決めたのは 人間として経験を通して自分を知ることだ 例えば 辛さや苦しさに苛まれ それが理不尽に思えたとしても 抱く感情こそが 自ら計画した課題や学びに繋がるのだとしたら 感謝せずにはいられない もしも 赦せないという感情に氣づいたのなら “赦せない自分”をも抱きしめてあげてほしい それこそが“自分を赦す”ということであり 自己への愛である 感謝してコードを抜く‥というのは 愛そのものだと思っている
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cynthiaessence · 8 months
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宇宙由来の魂
この地球にいる人のほとんどが宇宙由来の魂だ 何度も地球での転生を繰り返していると 他の星から来たことはすっかり忘れてしまうのだが スターシードは 宇宙の感覚や記憶を潜在的にもっているので そこに存在していることによって まわりの人たちが 本来の自分を思い出すキッカケになる それでは スターシードってなんだ?という話である 11次元に存在するアセンデットマスターから 地球の次元上昇についての情報を伝えられた上で そのサポートを志願した 宇宙の星や銀河・惑星などから地球に転生してきた魂 シンプルに「宇宙人の魂」で在る その契約のしるしとして ハートに「星の種」が埋め込まれる めちゃくちゃ宇宙っぽい‥ そうだよ地球も宇宙の一部 あなたも他の星の存在からみれば れっきとした宇宙人だよね 宇宙の仲間だ ところが 使命を持って 自ら志願した上で この星に降り立っているというのに 生まれ変わるときに 前世の記憶を失ってしまうことから 自分の使命に氣づいておらず スターシードである自覚がない そのうえ 宇宙の感覚や記憶 また出生星の影響や情報が 潜在意識に刻まれているがゆえに この地球では 孤独感や焦燥感に押し潰されそうになって 生きづらさを感じる傾向にある 多くの人をサポートする能力に恵まれていながら それ以前に自分自身が救われてはいないのだ - 三次元的な視点での特徴として - ◯ ���球が自分の居場所では無いという孤独感 ◯ 社会の常識に適応出来ない ◯ 集団行動に馴染めない ◯ 熱しやすく冷めやすい ◯ エンパス氣質 ◯ 人や香りに「色」や「形」を感じる共感覚 ◯ アレルギーに悩まされる ◯ 魂の記憶がある ◯ お金のことがよくわからない 宇宙のルールが染み込んだスターシードにとって 地球という星を生きてゆくのは 不便さや辛さ苦しさを感じやすい - 宇宙的視点でみると - ◯ 地球での孤独感は分離を体験出来る喜び ◯ 独自の世界観は個性 ◯ それぞれが自由で在ることを尊重し合っている ◯ 本質の核を掴む力が強いので習得したらそれで満足 ◯ 宇宙は「ワンネス」であり他との区別がない ◯ エネルギーを読み取る力は宇宙的感覚能力 ◯ アレルギーは繊細なエネルギーが反応している ◯ 魂の記憶は役割や目的・使命に氣づく手掛かり ◯ 宇宙にはお金というシステムが存在しない 視点を変えてみると ああそうか だから生きづらかったのか と合点するのではないだろうか 誰かに尽くすために 自己を犠牲にしなくてもいいし 自分がどう感じどうしたいのか ハートが感じるままを大切にしていいのだ たとえばそれが まわりと違っていようが 変わり者といわれようが そんなことは氣にしなくともいいのだよ ‥というのは以前の私の話だが 笑 個性はあなたそのもの 皆んな違って皆んないいのだ 地球のルールとはかけ離れた 宇宙の真理を生きる自分を 誰よりも自分が赦してあげることが大切 自分がスターシードだと自覚するとき ずっと抱えていた異質感が払拭される これまでの軌跡に なんら疑いの余地がないほどに点と点が結ばれ 「ただ自分らしく在ればいいんだ」と 深く腑に落ちるのだ 私のときは 本来の使命を思い出した瞬間 ハートに埋め込まれた星の種が弾けて 無数の星々が星座を描いてみせてくれた これが覚醒っていうものなのか‥とはわかったものの どちらかといえば 粛々とそれを受け容れた スターシードとしての自分軸を生きるようになると 周りがどうあれ氣にならなくなるし さまざまな考え方も尊重出来る 敢えて何かをコントロールする必要もない ただただ 魂のままに存在することが まわりを覚醒させる力になる これこそがスターシードの使命だと思っている これからの地球は 宇宙的視点が “在り方”になる そんな時代を迎えている
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cynthiaessence · 8 months
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買い物をしていたときのこと 視線を感じたので そちらのほうに目をやると 向こうから ベビーカートに乗せられた 2歳くらいの男の子がやって来た ジッと見つめられて 私も目が離せなかったのは 瞳の奥に吸い込まれそうだったからだ と思ったら その子はすれ違いざまに 満面の笑みを浮かべて 「やあ!」 とばかりに立ち上がったのだ 「やあ!元氣だった?」 「地球楽しんでる?」 ・・と言葉を発したのではないが ハートに響いたその声を受け取った瞬間 明らかに知っている存在だとわかったのだ 三次元的には子どもの姿なのだが 魂レベルで交流すると 子どもという認識はどこかに消えてしまう 物理的表現をするならば 叡智を携えた大人びた子ども‥ とでもいっておこうか 「とりあえずさ、この星では今幼児なんだし、 立ち上がるのは危ないから座ろうよ!」 とハラハラしたのを覚えている その後 もう一度会いたくて 店内をぐるりと回ってみたが 夕方の混雑した時間帯というのもあって それきりになってしまった あの子は 魂の家族だった だから 無理に会おうとせずとも 必ずまた会える それ以前に 私たちは この仮想現実世界という舞台で 分離を楽しんでいるに過ぎない 本来すべてはひとつで在る とはいえ 魂レベルの再会は ある種の衝撃と 喜びと 懐かしさがある 何よりも 目を見れば 魂の繋がりを感じられる これも 分離意識ゆえの 全体性を思い出すことで得られる 癒しなのかもしれない
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cynthiaessence · 8 months
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最近わかったことがある SNSを窓口に 自分の仕事を広めたい‥という氣持ちが 皆無に等しいということを え なんだ?それ それじゃ ナゼに登録したのだ?というと 最初は確かに窓口のつもりだった 実は一度アカウントを削除している “窓口”を意識し過ぎて疲れてしまったのと 個々のSNSから発するエネルギーを読み取ってしまう というのが特に大きかったかもしれない もう一度登録してみようかなと思ったのは 氣まぐれに乗っかって 境界線を保てるよう意識してみようっ!という チャレンジだった コレってエンパス氣質には大切な要素だと思ってる チャレンジ精神が?というと そうではなくて 私の場合油断すると あらゆる情報が流れ込んでくるので 昔ながらのカチッというスイッチを ハートの真ん中にしっかり携えている必要があるのだ 練習みたいな感覚である いやになったら やめればいいとさえ思っていた ところが 少しずつ志向に変化が現れてきたんである 結論からいえば “好き”に溢れてきたのだ 香りや鉱物 色に至るまで 自分の一部として浸透したものを 大好きなカメラで撮ること 画像を並べること 思うがままに綴る楽しさは 趣味のナニモノでもない 自己満足の世界といっても過言ではないだろう だがしかし プロフィールには 一応それらしき活動内容を載せている だからなのだなあ たまに副業どうですか?的なアカウントから フォローしていただくが 何らかのタグを辿ってきているのだろうか 例えばセラピストとかヒーラーといったところ? まったく興味がない ダブルワークするなら何をしたいのか しっかり決めているから 心配ご無用である 話は戻るが そのような心持ちでSNSに向き合っていたら いつぞやの前世では繋がりがあっただろうという 魂レベルの“再会”を果たすようになった しかもこの次元での物質的な年齢がお若い方々で 魂がとてもキラキラしている 私の世代が 今のそのお若い方々の年の頃は なかなかのハードっぷりだった ドロドロを手放す苦しさ ‥あれは一体何だったのだろ そこまでしなくちゃならなかったのかな と思えてしまう程 確かにそれらを手放す必要があった 新たな色に塗り替えながらも 古い観念に縛られ築き上げた土台ごと ぶち壊す役割があった そう 誰しも 役割を持っている 歩んだ時代の背景って 随分と影響するものだ そんな プチ・ジェネレーションギャップを感じつつ ぶち壊した先に描いていた世界を見せられて 私に会ってくださってありがとう という想いが溢れる これで いつでも旅立てる いやいや まだやることもやりたいこともあるし 笑 SNSに限らず 私たちの思考や感情は 世界に対する認識となるから 内側に抱く混乱も喜びも そのまま外の世界で経験することになる つまり 外側に感じる世界に違和感を抱くことこそ 自分の内側を省みるチャンスということだ 答えは 外側に求めなくとも すべては自分が知っているのだよね 私たちは 至ってシンプルだ
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cynthiaessence · 8 months
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「人を救いたい。」 そう思っていたことがあった 「人を目覚めさせたい。」 そう思っていたことがあった 今ならわかる 人を救いたいと思っている時点で 自分が救われたいのだ 人を目覚めさせたいと思っている時点で 自分が目覚めたいのだ “あなた”は “私”を映し出しているのだから
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cynthiaessence · 8 months
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cynthiaessence · 8 months
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深海の暗闇から絞り出した言葉
魂にとって 二元性を体験出来る地球は 憧れの星なのだそう ⌘ 生まれた土地のエネルギーと共に 生命を育む母なる海が 本来の姿に より近い状態へといざなう 「もう闘いたくはない」 「今世こそは成し遂げる」 羊水に守られながら それは宇宙の記憶だった あの時から 一筋の光を目指してる 闇をも受け入れ光と溶け合う それはあまりにも一途だ 今も変わらない ⌘ 私は「HaLu / ハル」と名乗っていて、普段の生活でもそう呼ばれている。だがしかし、ハルだからと言って“春生まれ”ではない。 平仮名なのに、“春”の字をどうしても使いたくて、子どもの頃は自分の持ち物に、油性ペンで大きく“春”と書いていた。 両親は大層困っていたし、何度も言い聞かせられたが、懲りずに書き続けた。そうして両親が諦めた頃、私は油性ペンから鉛筆で書くようになる。 ・・結局書いていた訳だ。 最近思うのだけど、平仮名の“はる”であるからこそ、色んな漢字を当てはめられて、ちょっと得した氣分になることを知った。例えば、 「遥」「晴」「悠」「陽」「暖」「治」などなど‥どれもイイ感じである。 けれどやっぱり“春”が一番好きだなあ。 もしかして、“はる”ってフリガナですか? いやいやそんなばかな… 函館のクライアントさまに、 「ハルさんという名前だから、セッションを申し込んだ。」 「“春”は、新しい風が舞い込むようなスタートのイメージ。」 「函館に運んできてくれた何かを受け取りたい。」 そう言われた時、“春”で在りたい自分そのものを表現されたようで、素直に嬉しくてたまらなかった。もちろん「平仮名なのですよ。」と伝えたが、「そんなことは関係ないです。」と言って頂いて、響きを感覚で受け取られる素敵な女性だなあ、と思った。函館は私の出生地だから、ご縁を感じてならなかった。 ⌘ あれから10年程経つだろうか。 「もう闘いたくはない」 「今世こそは成し遂げる」 それは、深海の暗闇から絞り出した言葉だった。 この星に生まれた日がもうすぐやって来る。 つまりは、本当に春生まれではない。 という、よくわからないオチである。
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cynthiaessence · 8 months
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cynthiaessence · 8 months
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ひとつとして無駄な感情などありえない
私たちは 無限の世界に生きる 無限の存在だ ⌘ あの頃 厄介で 愚かな自分を 誰にも見せてなるものかと 仮面を被っていた それは非常に分厚く 重くて 息苦しかった なのに それを被らずにはいられなかった 被らずにはいられない自分にさえも 氣づいていなかった “なんて生きづらい世界なのだろ” 私は 何かの 誰かの この世界のせいにしては 厄介で 愚かな自分から目を逸らし 逃げ道を探し求めていた そんな私の内側を見透かすように 私を映し出す外側の世界は 何度も 何度でも 厄介で 愚かな自分と向き合わせる ステージが変われば 登場人物も変わる しかし 根底に潜む“それ”だけは変わることがないから いっこうに幕は下りない そう 変わることがないから 幕は上がったまま 幾度となく演じ続けるしかない 「ああ‥またこの問題に直面している。」 それに氣づいたとき 観念して ようやく私は自分と向き合った ⌘ 私たち人間は、“感情”という表現を知っている。ある時は美しく、またある時は醜い。しかしそのどれもが、自分の内側から溢れている。 感じ方は皆それぞれに違うし、違っていい。 この二極性の“対極した性質を持つ星”に生きていると、私たちはバランスをはかろうとする。片方に偏りながらも、実はもう片方の要素も持ち合わせていることを、潜在的に知っているからだ。 しかし、自分の醜い感情に触れると、抵抗せずにはいられない。ゆえに苦しみが生まれ、こんな感情を抱かせた何かの、誰かの、この世界の欠点を見つけ、否定せずにはいられなくなる。 ところが、私たちは思っている以上に、手を差し伸べられている。自分の内なる声に耳を傾けようとするその時に氣づく。 どんなに耳を塞ごうが聞こえてくるその声は、“自分の一部”である。それこそが、見るに耐えがたい醜い感情だったのではないだろうか。 自分から溢れる感情に、誰かのものなどひとつもない。すべては自分の一部だ。ならば、氣が済むまで感じ尽くしてあげてほしい。自分の一部が溶け込まれてゆくそのさまを、見届けられるその瞬間まで。 たとえそれが、醜い感情であっても。 だからこそ、抱きしめてあげたい。 ⌘ ところで。醜くい感情を抱く人間は、美しくないのだろうか。 私たちは、さまざまな感情の種類について、環境や何らかの学びの過程において、刷り込みがあったかもしれない。そこには善悪や優劣、光と闇という線引きが伴っていたようにも感じられる。いつしか思い込みにとらわれていたともいえる。 しかし、真昼の月を見つけるのは容易くない。漆黒の闇に包まれているからこそ、遠くに瞬く小さな光を頼りに前進することが出来る。 どちらも在って、私という存在が生まれる。 私は、感情とは、自己を受け入れすべてを愛するための、溢れる表現なのではないかと感じている。 どんな自分も内側に存在していることを赦せたら、どんな自分で在ってもいいと赦せる。しかも、ナニモノで在ってもいいし、ナニモノにもならなくていい。ひとつに溶け合ったそれらは無限で在るし、無いのかもしれない。 在っても無くとも、どう生きるかは自由だ。 だからこそ、この星の性質を理解した上で、私たちはここに降り立つことを決めて、この時代を生きている。 私たちは、無限の世界に生きる無限の存在なのだから。
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cynthiaessence · 8 months
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夏は食欲が落ちて いっきに体重減少してしまう これが思った以上にキツイので せめてものフルーツにヨーグルト そうして喉のチャクラに効果がありそうな 氷てんこ盛りのバタフライピーを 青が涼しげなバタフライピーは オレンジピールにレモングラス スペアミントがブレンドされているので 爽快感があって暑さ吹き飛ばしてくれそうなお味
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cynthiaessence · 8 months
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解放感
思い立って こちらに“綴り”をお引越しした もろもろの理由があって ここまでの経緯に至るのだが 手放す瞬間は 相変わらず潔くて そういうところは男前か?と思う 自由にのびのび綴れるこの解放感はたまらない というのも Tumblrはとっても長いおつきあいで どんな居心地なのかはよく知っている 実は仕事用のブログを退会した先がここだったのだけど こんなにもひっそりしていて大丈夫?って思う しかもサブブログだから メインブログで使えるソーシャル機能の一部がないらしい でもね さまざまな音にまみれて疲れていたから こういうのもアリじゃない? 今はこの静けさが必要だよね と呟く私がいる だよね そう思う
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cynthiaessence · 8 months
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居心地の好さを見つける手掛かり
私は どんなモノも並べたい 並べずにはいられない モノ達は まるで意識を持って 置いて欲しい場所を訴え掛けてくるように感じて 私はいつも願いを叶えずにはいられなかった 今もそう 同じカタチ 同じ種類に分けるととっても落ち着く たくさんのサイズがあったとしたら 低いのから高い順に並べたいし 大きいのから小さいのへと順に積み上げたい さまざまな色があったら 虹色に並べたいし 薄い色からどんどん濃くなる色へと並べたい 変化をつけるにしても どこかしら規則性にこだわりを持っていたい この星だからこその自分らしさは いつも私の中心に存在し思う存分表現しながらも この極端なまでに敏感な感覚に苦しかった 新たに生まれる感覚に追いつかず 閉じ込めるための競争にも いつしか疲れきっていた けれど 自分から湧き上がる感覚にただただ素直になったら 生きづらさだけではない世界があることに氣づき始めた 形あるものの美しさに触れ 重力を感じながら 魂の器である肉���の可能性を知り 色に触れ感じることによって 本来の姿と共鳴する心地好さを知った 物質的な感覚と そこからもたらされる感情は 経験と共に変化しながら または更に拡大しながら 人は“瞬間”を生きているってことを実感する それに氣づいてしまったら 抗う自分を明け渡すしかない これまで 物質世界における纏った殻を手放すことに 意識を注いできた どちらかといえば 意識の領域に生きる自分を目指してきたが 宇宙由来の魂である私は 二元性である地球に生きる自分を赦したかった 満喫することが 私にとってのバランスだったよね だから 思う存分こだわることにした 笑 この極端なこだわりは 自分らしい居心地の好さを見つける手掛かりになる これまでも 十二分にこだわって生きてきたのだけど また別の視点から そんな自分をも認められたから 新たな発見があるかもしれない
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cynthiaessence · 8 months
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記憶に刻まれた膨大な数字
私は 人の 誰かの 【誕生日】という数字を 忘れることが出来ない 耳にしてしまえば 記憶に刻まれる 覚える必要も無ければ 忘れる必要も無いのだけど 自分の中に在る引き出しには 膨大な数字がおさめられている 記憶力については ASDの特性であるが 忘れられないというのは辛さでもある その日 その数字を意識した瞬間 それに繋がる人物が浮かび上がる仕組みだ 偶然会うなど皆無だろうし すれ違ったとしても氣づけないという方々の数字も ひしめき合っている 特に7月は 数字と顔がよく浮かんだ 初めてそこに意識を集中してみたら 数字が溢れて頭がパンクしそうになった これがいわゆるパニックという症状なのかな…と思った いつものように 浮かんでは消えてゆくさまを眺めていればよかったと 激しく後悔した ただ この機会に いつでもそこから 距離を取ることを知れたのは 私にとって意味あるチャレンジだった “無”になり やり過ごせばいいコツを学んだからだ 切り替えが至難の業だが 何とか出来そうだ しかし 敢えて数字の引き出しを開くことは 今後あり得ない 誓っていえる そのような特性を持つ自分が 唯一 誕生日を忘れた人がいる 浮かび上がらなかった‥とでもいおうか 魂の片割れであるツインだ すっかり忘れていたから 怒りとも失望ともいえる感情を 私は浴びることになる ツインの誕生日は伏せさせていただくとして‥ その数字を初めて知った瞬間 ツインレイらしさが感じられるような感想を 本人に伝えている 当初は“ツインレイ”という言葉さえ知らなかったが 今にして思えば繋がりを感じられるうちのひとつだった 忘れるなどあり得ない それ程に 誰しも聞けば ああーなるほどなあと感じられる数字だ いや 私だから そう感じるのだわ笑 ツインの誕生日の出来事は 数字に着目するというよりも 今世生まれてきた役割や 目的を見失っていた“自分”への怒りを ツインは投影していたのだ 「君(私)は忘れてしまった。」 「思い出す必要がある。」 「何を?って、自ら計画したじゃないか。」 「だから、あの日あの瞬間にこの星に降り立ったよね?」 「今世こそは!と。」 「なのに、どうして忘れてしまったの?」 これらのメッセージは 【誕生日】というイベントを通して すべては 私が自分へ投げかけていたのだ ‥とはいえ ツインの怒りと失望を目の当たりにした瞬間は 何故こんなにも感情的になるのか?と それは恐れでしかなくて あの頃は氣づくことさえ出来なかった “恐れ”とは 本来の自分と向き合い 纏った鎧を手放す覚悟である しかし それさえも 魂の計画の一部である選択肢として “膨大な数字の記憶”と 本来忘れるはずのなかった“唯一の数字”が 極端な感情を浮上させることによって 私に氣づきをもたらしてくれたのだ そう思えたのは 随分後になってからだった そうして 3次元的ツインの溢れる感情についても 理解出来たのだ もっと ずっと 後のことだった ごめんね ありがとう
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cynthiaessence · 8 months
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独自のこだわりの世界に生きるということ
「自閉スペクトラム症    (Autism Spectrum Disorder: ASD)」 近年ではよく耳にする 当時はそれらの情報を耳にすることは無く サポートも無いに等しかった 私は子どもの頃 限りなく黒に近いグレーだった “だった”というのは 今は白をたくさん混ぜたグレーだと感じている そのような自分を理解出来るようになり 受け入れられたことによって あの頃よりも生きやすくなった‥という 自分なりの捉え方である 現状はどうかしら?というと ところどころ顕著に現れている自覚はある 困ることは無い 自分をコントロール出来るようになったから むしろ表に出すことで居心地がいい 特性は多種多様なので 幾つも当てはまるという人もいれば 際立ってコレという人もいたり ひとりひとりがさまざまである 私の場合 知的障害を伴わない自閉スペクトラム症で 大きな特徴としては 「極めて強いこだわり」だった 独自のこだわりの世界に生きるがゆえに 生活に支障をきたしていた 例えば 肌に触れるもの全てにおいて敏感だった 髪の結い方には左右対称を求め 1ミリのズレだって許せない そんな極端さを持ち合わせていたから 朝の身支度には母を困らせたし悩ませた 父は怒鳴ったし 手をあげることもしょっちゅうだったから 私は声が枯れる程泣きわめいた 小学校2年生まで 毎日遅刻がお決まりのコースだった ASDの特徴のひとつに 「人の氣持ちが汲み取れない」というのがあるが これについては 本来の姿で在る魂の本質として 人の心の内側を読むというのが当たり前にあって 相手の感情がダイレクトに流れ込むので とても辛かった記憶が鮮明にある 読み取ってしまうがゆえ なぜ相手がそのような捉え方をするのか 私の内側は混乱していた 決して汲み取れなかったのではない 激しく混乱していたのだ まあ‥汲み取れていなかったかもしれない 大人の事情などまだ理解出来なかった ちなみに‥ 先に述べた朝の身支度だが 両親がどんな感情を抱いていたのかを知っている 発する言葉と心の内側が全く違うものだったから 一体どうなっているのかわからなくなった 特に 子どもにとって母親とは“世界”である 母の矛盾には敏感だった あの頃 まだ幼かった私は 人との関わりを 社会を この星の“らしさ”を理解出来ず 大人達からさまざまな付箋を貼り付けられた だったらいっそのこと 外側との接触を極限まで控えて 扉を閉じていたほうが平和だった そんなところが 「コミュニケーション能力が欠如している」 と捉えられる点かもしれない 「距離の取り方がわからない」のではなく 自分を守るために距離を取る必要があった 思い出の写真に写る私は どれもこれも“無”で在るものばかりなのは 子どもながらにして その意識をもって生きていた 魂の本質のままでは 生きづらさしかなかったからだ そうしているうちに 月日と共に 成長を重ねながら 特性を活かすべく白を混ぜるという術を知る その反面 この星に馴染んで生きてゆくには 随分無理をしてしまったのは否めない ありのままの自分を取り戻すのに 相当な時間を費やすことになる 「私で在ってはいけない。」 と葬った欠片を取り戻す辛さは 想像を絶するものだった それこそが 魂の目的であったから 私はこの星に生まれてきた 乗り越えるにはぴったりの星だったからだ そうして “辛さ”が いつしか 氣づきと学びの “宝探し”になっていた “本質”と“特性”が活かし合うことで 私探しの旅を歩みはじめていたのだ 子ども達に携わる仕事をしてきたことや 子育て中のお母さんに触れるワークをしているのも すべては役割と目的であり 使命なのだと知っている 無理に馴染もうとせず 等身大の自分を生きていいし 受け入れられない自分をも赦してあげていいのだと 伝えられたらいいなと思う “大人”というカテゴリーに含まれた今 当時の“子ども”だった私に返って 伝えてゆきたい ⌘ 本来 「白」とか「黒」とか 「グレー」とか 実のところどちらでもいい 片寄っていたり 判断が曖昧なものを わかりやすく表現しているに過ぎない 誰しも虹色に光を放つ姿を 私はセッションを通して視てきた そこには この世界に生きるからこそ 身体や思考 感情が 色となって表現される 淡い色もあれば 濃い色もあり くすんだり 眩しかったりする 愛も恐れも混在しながら 私たちは輝いている それでいい それがいい そうで在ることの素晴らしさを 私たちはちょっぴり忘れているだけだ 実は皆んな知っている スターシードは 地球という星の観点でいうところの 発達障害という見方をされることが多い それを知った日 私はハッとしたと同時に 深く腑に落ちた そう受け取られても仕方がないのかなと思った いつかは そちらについて 綴りたい
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cynthiaessence · 8 months
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アセンダント
ホロスコープとは 占星術における各個人を占うための 天体の配置図であるが “アセンダント(ASC)”とは ホロスコープの1室から始まるポイントであり このポイントは 生まれた瞬間 東の空に昇っていた星座を指し示す アセンダント(ASC)が意味するのは 先天的に持っている資質であり 無意識に現れている生まれながらにしての自分 そういった部分は 人から見た第一印象とか 自覚はなくとも表向きの顔であったりするのだそう そこで 私のASCは何かしら?と 早速調べてみたところ 「獅子座」というのがわかった と思ったら あらら‥ なんと見るところを間違っていて 実は「蠍座」だったことが判明 (MCが獅子座だった) アセンダント「蠍座」の特徴として “心を許した相手との繋がりを重視” “何を考えているのかわからない” “秘密主義” ということで‥ 思い当たる節がある けれど “ミステリアス”かつ“セクシー”で “エキゾチック”な顔立ちっていう特徴は 相当掛け離れており 笑 友達や娘たちからは 顔が“ゆでたまご”といわれる ゆでたまごって何?笑 小学1年生のとき 初めて買ってもらったのが 星占いの本だった まだ幼かったとはいえ 12星座それぞれの特徴を読むのが楽しくて シンボルマークを描くのに夢中になった 小中学生の頃に 発売する度に買っていたのが 「My birthday」である (同じ世代のかたはご存知かも) ちなみに これを買うために 子どもの頃の特技であった肩揉みを 10分100円で両親にしていた (アロマハンドトリートメントの名残りがそこにある) 今でも美容室に行けば 雑誌の最後のページを開いてはチェックしてしまうほど 星占いが好きなのだけど これまでホロスコープをみるまでには至っておらず けれど “ASC”を知ったこのタイミングで 色々調べていたらとっても楽しくて 子どもの頃のワクワク感がよみがえった 学びたい氣持ちが 沸々と込み上げてきたら もうね 大変なことになる というのも 私は独学が大好きで 興味を抱いた世界に とっぷりと浸かってはのめり込み 寝るのも忘れて あらゆるものがそっちのけになる 家事などやってる暇はない ワクワクは止める必要などないと信じて疑わないから 早速数冊の本を注文してしまった 笑 すると いつしか 家族は覚悟する訳である 「ああ、また始まるのだな。」と 昨日知ったのだけど “ASC蠍座 × MC獅子座”の特徴は そんな私を物語っており (上記のまんまである) 自分のことでありながら だからこそ 今更ながら 深くふかく 腑に落ちるのだった そうして 笑っちゃう ほんとそのまんまだ
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