Tumgik
yasagure01 · 2 years
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正欲
私たちの生活は全て「明日も生きている」ことを前提に営まれている、なんていう当たり前に打ちのめされ、読了する頃には自分の価値観の浅はかさを嫌というほど思い知り、無知を恥じた一冊。疲れた。
ここ10年くらいで私たちの住む世界は『多様性』と向き合い、いつしか「受容」し、「共生」するようになったけど、本当に私が見ている世界は一面的で、言葉にすることに痛みを伴う生きづらさを抱えて生きている人が、きっと私の周りにもいることに気付かされる。
そしてそれは、法治国家において許容される「多様性」なのか。
答えが否、なら、どう生きる?
私自身気付かぬうちに無自覚な加害者となり、違う価値観のもと生きるその誰かを傷つけていないか、とても怖い。
同時に、私自身が「本当は感じているけど言葉にして自分をカテゴライズするのが怖い」自分自身の違和感を抱えていることにも気付かされる。
きっと誰もがなにかの違和感を感じて、誤魔化して生きてるんだよね。
【正欲/浅井リョウ/新潮社】
第19回 本屋大賞ノミネート! 【第34回柴田錬三郎賞受賞作】 あってはならない感情なんて、この世にない。 それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ。 息子が不登校になった検事・啓喜。 初めての恋に気づいた女子大生・八重子。 ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。 ある人物の事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり合う。 しかしその繋がりは、"多様性を尊重する時代"にとって、 ひどく不都合なものだった――。 「自分が想像できる"多様性"だけ礼賛して、秩序整えた気になって、 そりゃ気持ちいいよな」 これは共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 作家生活10周年記念作品・黒版。 あなたの想像力の外側を行く、気迫の書下ろし長篇。
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yasagure01 · 2 years
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ルビンの壺が割れた
個人的には「◯万人が泣いた」とか「あなたは必ず騙される!」とかは好きじゃないんですが、暇だったのでサクッと昼休みで読んでみました、話題の大どんでん返し系小説。
何が嫌かって、くるぞくるぞ〜!と思いながら読んじゃうからですね。
小説は、私たちの視覚以外の感性によって想像を掻き立てて、ハッとする瞬間に悦に入ることがうまみだと思っているので「一旦素直に騙されてみよう」と思うタチなんですが、こういうタイプの小説は身構えてしまうので、なんだかいつも素直に楽しめない。
だからかわかんないけど、二回目の方が面白かった。
あ〜、いる。こういう男。全てを環境のせいにしたり、他人のせいにする奴。自分の不運をなにかに責任転嫁するのって楽だけど、結局自分はそのままどこへもいけなくて、一歩前に進む勇気を持てないまま大人になって、ずっとそこにいる男。
私は気にせず進むから、どうぞあなたはあなたの人生を、あなたらしく生きてくださいと伝える勇気があってよかった、と思いました。
【ルビンの壺が割れた/宿野かほる/新潮文庫】
すべては、元恋人への一通のメッセージから始まった。 衝撃の展開が待ち受ける問題作! 「突然のメッセージで驚かれたことと思います。失礼をお許しください」 ――送信した相手は、かつての恋人。フェイスブックで偶然発見した女性は、大学の演劇部で出会い、二十八年前、結婚を約束した人だった。やがて二人の間でぎこちないやりとりがはじまるが、それは徐々に変容を見せ始め……。 先の読めない展開、待ち受ける驚きのラスト。前代未聞の読書体験で話題を呼んだ、衝撃の問題作!
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yasagure01 · 2 years
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スモールワールズ
私の信条に、「あなたが会う人は誰でも何かを恐れているし、誰かを愛しているし、何かを失った人なのだということを覚えておきなさい」という言葉があるのですが、これがなかなか難しいんですよね。
たとえば、職場の人はあくまで職場の人であって、よほど興味がない限り、その人が1日の仕事を終えて、電車の中で何を考えながら帰路につき、寝る前に何を思うのかなんて、思いを巡らせることはない。
でも、春になって、窓を開けて過ごす夜には、この時間も、きっと誰かが誰かを想っていて、抱える心の痛みを癒す時間でもあるんだなあ、と思うこともある。
簡単じゃないけど、周りにいる大切な人を大切にするとは、そういうことなんじゃないかと思う。
【スモールワールズ / 一穂ミチ / 講談社】
【2022年 本屋大賞ノミネート】 最終話に仕掛けられた一話目への伏線。 気付いた瞬間、心を揺さぶる、鳥肌モノの衝撃が襲う!! 夫婦円満を装う主婦と、家庭に恵まれない少年。「秘密」を抱えて出戻ってきた姉とふたたび暮らす高校生の弟。初孫の誕生に喜ぶ祖母と娘家族。人知れず手紙を交わしつづける男と女。向き合うことができなかった父と子。大切なことを言えないまま別れてしまった先輩と後輩。誰かの悲しみに寄り添いながら、愛おしい喜怒哀楽を描き尽くす連作集。
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yasagure01 · 5 years
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マチネの終わりに
いつの間にか私は、悲しいことがあった時「お酒を飲んで忘れる」というズルを覚えてしまった。苦しくて胸の奥をぎゅっと締め付けられる様な想いを抱えた夜や、恥ずかしすぎて「あ〜!!なんであんなこと言っちゃったんだろう!馬鹿〜〜〜!!!!!!!!」と自分を罵りたい夜は確かに昔もあったはずで、むしろ学生の時のほうが感情ゆさぶる出来事は多かったはずなんですよね。そんな時私は決まって幼なじみの女に何時間も電話をしては永遠に泣きついたり、結論のない不毛な手紙を週に何度も送りつけたりする様な、変態高校生だった。(今思っても本当にいい友達を持ったと思うよ、友よありがとう。)
そんなとき私には何年もの間、一途な片想いの家庭教師の先生がいた。先生はとても大人だった。毎年毎年自分の誕生日が来るたびに、先生の誕生日も同じ様に毎年やってくるのが本当に嫌で、いつまでも近づけないその存在にずっと恋焦がれていたことは未だに鮮明に思い出せちゃうのである。
でも今思えば先生の「大人」だったところといえば、車で迎えに来てくれるところや、お酒やタバコが好きなところ、恋愛経験が豊富なところ、仕事に一生懸命なところ。今思えばどれも当たり前で拍子抜けしてしまうものばかりなのである。けどそれは先生に1ミリでも近づきたかった当時の私にはできなかったこと。そしてあの時私がどれだけそうなれたら、と望んだことでもあった。
それができないから手に入れられない何かがそこにある様な気がして、そう思いたくて。手を伸ばす勇気があればとずっとずっとそんなことも思っていたせいで勉強に身が入らず、大学受験にことごとく失敗するというオチ付き(笑ってください)。
きっと自分次第でどうにでもなっていた過去。欲しかった言い訳。手に入れてもむなしいだけで、取り戻すことはもうできないことが、ちょっとだけ哀しい。
《たった三度出会った人が、誰よりも深く愛した人だった・・・。天才ギタリスト蒔野聡史、国際ジャーナリスト小峰洋子。40代という“人生の暗い森”を前に出会った二人の切なすぎる恋の行方を軸に、芸術と生活、父と娘、グローバリズム、生と死など、現代的テーマが重層的に描かれる。最終ページを閉じるのが惜しい、至高の読書体験。》
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yasagure01 · 8 years
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私たちはもうそういうところまで来たんだよ
『何者』監督:三浦大輔/原作:朝井リョウ
就職活動を終えたばかりのホヤホヤの私が映画を見ました。なんだか、原作を読んだときとは違う感情を抱いた気がしたので、備忘録としてここに残します。
「意識高い系」という言葉はきっと、近年のSNSブームの産物だと思うんです。インターン、海外留学、ボランティア。耳馴染みがあってもどこか拒絶したくなる、ちょっとお寒いワード。一つ一つの単語はとても魅力的できっと自分も以前は「してみたい」と感じていたはずなのに、いつからこんなに斜に構えてみるようになってしまったんだろうなって、思います。
すべてが終わって思うことは「あの日々のなにが本当だったんだろうな」ってことで、誰を信じ、何が自分にとって外せないポイントなのか、迷走に迷走を重ねたことが今も鮮明に覚えています。
就活において「自分の軸」なんて100万回くらい聞かれるんですけど、本当の軸なんてきっともっと身近で当たり前のもので、それは各々が過ごしてきた22年間に集約されている普遍的なものなんだと思うんです。「自分の良い点、悪い点」もそう。飾った返事はいくらでもできるけど、私たちが採用担当者を「だまそう」としているように、相手も欺くスキルを知っている。水面下の攻防だと誰もが知っているけれど、それを誰も口にしない。そんな就職活動でも、最後にはその壁を、言葉にできない「自分」を、超える必要があったなぁ。と感じました。
原作と映画で違ったのは、主人公が最後に面接で口にする言葉ですが、そこに込められた思いは就職活動を終えその壁を超えた私たちに共通するものだと思います。考えた先にある苦しみの中に芽生えた「自分」ってきっと、就職活動を始めたときとはちょっと違うはず。
見ていてとても心苦しく、リアル過ぎて吐きそうでしたが。個人的にはターゲット、限定しすぎじゃないか?って思うほどジャストミートな内容でした。とはいえ、こんな日々もあったなあとSNS時代の20代の方には共感してもらえる内容なんじゃないかなと思います。
企業説明会の帰りみたいな気分で帰れます。
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yasagure01 · 8 years
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私はあなたを赦さない
「あなたを抱きしめる日まで」スティーブン・フリアーズ
主人公「フェロミナ」はカトリッ���の聖女の名を授けられながらも、10代で婚前交渉をしてしまう修道女という皮肉なストーリー。
アイルランドは厳格なカトリック教徒がなおも色濃く残る、数少ない国のひとつ。閉鎖的な地理的環境や彼らが慈しんできた文化が、この映画を産んだのだと感じました。
修道院を「悪」として描く作品はたくさんあるけれど、ここまで一人の修道女の信仰と欲望の葛藤をリアルに描いたものは初めて見たような気がします。修道院に入る女性は、婚外交渉した人以外にも、レイプを経験した人や、美人すぎて異性の誘惑対象と見なされた人など。残念ながら今でもこの文化が残っている地方もまだあるそう。
「宗教観の違い」というものまたこの映画のテーマだったように感じました。生き別れた息子を探すフェロミナは厳格なカトリック教徒、相対して彼女と一緒に息子を探すジャーナリストはFuckin Godという立ち位置。
彼女の「罪」は、未婚で子供を授かったこと?それとも50年間子供の存在を隠し通したこと?きっとその答えは人によって違うんだと思います。人を「赦す」ことはあまりに困難で苦しく、誇り高いこと。それもすべて自分の行いを「罪」だと認めることから始まる自己犠牲でしかないのかもしれないけれど、フェロミナは自身の罪と向き合うことで初めて現実と向き合い、探してきた真実に対して「赦す」という決断を下したんだと感じました。
宗教観は日本で育つ私にはどうしても理解しがたい問題だなぁと改めて思いましたが、ひとを「赦す」ことの尊さを、忘れずにいたいと感じました。
夜更かしが過ぎましたので、そろそろおいとまします。
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yasagure01 · 8 years
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私は、ここにおるんよ。実果は、ここに、
『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ(集英社)
朝井リョウを好きになったのは、オードリーのオールナイトニッポンを聴いているからです。若林さんと仲が良く、飲み友達の朝井氏。それだけで無条件に愛せるというのに、彼は弱冠19歳でこの本を書き下ろしたそう。そのことはあとがきを読んで知り驚愕したのですが、それを聞くと、なんとなく納得がいくような気がしました。各章に散りばめられた、痛いほど胸を刺す「17歳」という存在。誰しもが昔は「17歳」だったはずなのにどこかに置いてきてしまった、二度と経験することはないような、言葉にならない焦燥感、罪悪感、劣等感、高揚感。感情のすべてが単純ではなく、いろんな色を混ぜたパレットみたいで。言葉にすると崩れてしまいそうな、ギリギリのバランスで全てが保たれているんですよね、なんとなくですが、やはり私も思うことがありました。
ぶっちゃけると私は勝手に本著を「水泳部のラブコメ」と決めつけていました。蓋を開ければ水泳部なんて一人も出てこないし、「ラブ」はあっても「コメ」はないし、結構シリアスなストーリーでした(なんで水泳部なんて思ってたのかは自分でも謎です、ごめんなさい)。
本著に「桐島」は出てこない。でも、確かにその存在をそこに感じるのは、それぞれの「17歳」が学校という小さな小さな空間の中で世界を作り、生きているから。巷で流行りの(?)「スクールカースト」と言えば分かりやすいのかもしれませんが、少しだけ語弊があるような気がします。ドラマで描かれるほどその関係性は表面的ではなくて、もっと緻密で、繊細。
菊池宏樹という少年が、魅力的でした。この小説を痛々しくも印象付けている大きな存在だと感じます。「上」の人と「下」の人が交わらないわけなんてあるわけない。それが差別でも争いでも、はたまた友情でも憧れでも、どんな感情でも交わらないなんてことはない、と私も思います。菊池宏樹は「上」の人で、野球部で、可愛い彼女もいて。多くの人から羨望の眼差しを受けても、何か足りない。常に何かにイライラしていて、何かに追われている。焦っている。これでいいのかと思いながらも、今日に絶望して明日の自分に期待する。
部活でうまくいかないから?彼女が中身のない「可愛い」だけの人だから?教室内の上下関係がバカみたいになったから?進路調査が始まったから?理由はひとつじゃないはず。
菊池宏樹が「下」である映画部の冴えない少年を「ひかり」と形容しレンズを覗くその姿を美しいと思えたのも、桐島に「大丈夫、お前もやり直せるよ」といってやろうと思えたのも、分かる。分かるけれど、共感を言葉に紡ぐことはきっとできないなぁと思います。
菊池少年はきっとグラウンドに出て、野球を向き合おうと考えたんじゃないかな。青春に答えはないし、私たちが当時どんな選択をしたとしてもきっとみんなを照らす「ひかり」となって、「17歳」じゃなくなっても、ずっと後押してくれているのではないかと感じます。
本を閉じても彼らのことを思っては、未来を感じずにはいられません。
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yasagure01 · 8 years
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あぁ甘い歌よ
『母性』湊かなえ(新潮社)
「自分の親も人間なんだ」と思った経験は、誰しもにあるのではないでしょうか。幼い頃は両親に教えてもらう世界が自分の「すべて」で、知らないことは「それ以外」でしかなかった。知っている以外の世界に興味はあっても、イケナイことをしているような気がして妙な罪悪感に襲われる、なんてこともあったけど、子供はどんどん世界を知り、親の知らない一人の人間になっていく。あまりにもありふれていて、それでいて残酷な関係性。
親はどんな気持ちで私や姉を育てたのか、聞いてみたくなる本でした。世代のつながりはあくまでフロー(流れる家系図的なイメージです)として捉えてきた私でしたが、作中に存在する親子関係は主に二世代の異なる「母と娘」に切り離されます。つまりそれは「母も娘である」という事実。娘である事に固執した女性が妊娠し母になった時、そこに、「母親」に、必ずしも母性があるとは限らないということ。
母親とはこうあるべき、家族とはこういう関係性であるのが望ましいという感情は掛け違えるとやがて人を歪ませる。いい人が歪むと非行に走るわけじゃなくて、いい人がいい人のまま歪んでいく、というのは言い得て妙な表現でした。
自分の人生を振り返れば、両親が自分に「勉強ができる子になってほしい」という願いを込め英才教育を施しながらも「あなたらしくやりたいことを」と口癖のように言われたことを思い出します。親は間違いのない存在だなんてなんとなく思っていたけれど、親だって葛藤はあるんだろうなと当然のことにハッとして。その言葉に矛盾があるのか分からないけれど、その両方を叶える事は、裸足で校庭を駆け回るいたいけなドッジボール少女にはとても難しかった。それでいて「親の期待に応えたい」「褒めて欲しい」「親に笑っていて欲しい」と思うのも、きっと普通。
出てくる登場人物はきっと、どこにでもいるような家族、夫婦、親子関係。理想と現実。昨日と明日、追憶と忘却。
小説に出てきた『リルケ詩集』ですが、詩人マリア・リルケは幼い頃の両親の離婚、父親との不仲、軍人生活や晩年の第一次世界大戦など自身の経験から多くの詩を作ったそうです。甘美な旋律をもつ恋愛抒情詩でもどこか心を焦がす言葉の一つひとつはそうした彼の生い立ちに起因し、またその琴線に触れる表現によって、詩歌を読んだ彼らは形作られていたのではないかなぁ、なんて感じました。
「明日は親とちゃんと話してみよう」なんてそんなひたむきな気持ちでは読み終わる作品ではないかもしれませんが、今の自分が其処に存在し、どんな感情を抱き何を見て生きているのかを、今一度思考する機会になるかもしれませんね。
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