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20201204
山行記・三方分山・精進湖パノラマ台
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精進湖の三方分山(さんぽうぶんざん)とパノラマ台に登った。
登山道の入口にある千年杉とも呼ばれる精進の大杉。樹齢は約1200年。自分が今まで見た巨木の中で一番ぶっとい気がする。
手袋置いて撮ってみたけど伝わるかしら。
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この杉の巨木は精進湖北岸、中道往還沿いの精進集落の諏訪神社境内にある。中道往還はかつて駿河と甲斐を最短距離(約78km)で結んだ縄文期以来の古い街道である。弥生時代から古墳時代にかけて御坂山地を隔てた甲府盆地の曽根丘陵周辺に有力な集団が存在したと云われ古来より交易の道として、戦国時代には関所が置かれ軍用道、また江戸時代には海産物の輸送路として利用され、街道沿いの精進集落は宿場町として栄えた。時代が下り国道や鉄道が整備された今日においてはこの道も忘れ去られる運命にある。台風で大きな被害を出した西湖の集落と似た地形のため昭和40年代に精進集落の多くが青木ヶ原樹海内の開拓地に移住した。
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精進集落入口から三方分山の登山口までの街道沿いには廃屋も多くかなり寂れていた。
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どんな暮らしがあったのかな。誰かの笑顔があったんだろうか。All ThingsはMust Passなのであります。
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登り始めはどよよーんとしていたのだ。
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富士山麓の山々には首の無い石仏が甲府方面の山々より比較的多い気がする(私が知らないだけかも知れない)。
富士山頂上のお鉢とよばれる火口壁もかつては様々な仏教由来の地名を冠しており、火口を見下ろすようにぐるりと石仏の群れが囲んでいたというがほとんどが打ち壊されたか秘密裏に里に下ろされたらしい。
この阿難坂の峠道にあった石の仏さまも明治維新における神仏分離令、廃仏毀釈運動の際に打ち壊されたものと思われる。(阿難坂は別名・女坂と呼ばれ、妊婦が峠で産気づき赤ん坊共々亡くなってそのまま埋葬された、となっているがこれも廃仏毀釈で仏教色を排除した結果の語呂合わせじゃないかなと推測したが定かではない。)
檀家制度で為政者に代わって民草を管理してきた当時の寺院という権力構造、あるいはその中の腐敗に対して人々が怨恨の念を募らせることは容易に想像出来る。それに生臭坊主はどこにでもいるものだ。
コロナの騒動を見ていても分かるように閉鎖的な地域が故に集団心理的に運動がエスカレートすることもあったのだろう。
破壊された石仏の造形は見る人によっては痛々しさを受け取るかも知れないが、一度人の手によって完成された、また完成したが故に動きを失ったある意味で「死物」とも言える存在が一度破壊され、そこに自然物がちょこんと乗せられたことで生まれる新しい命のような佇まいに私は惹かれる。
その動機や暴力行為の是非はどうあれ、結果として旧世界の硬直した権力の象徴を打ち壊し根源的な存在、霊力の依り代となる石ころを乗っけることで素朴な信仰を人心の側に取り戻したとも言える。人為的な物と無為の自然物とをハイブリッドさせる無意識の働きなのかも知らん。
壊す人と乗せる人。
愚かさと慈悲の心との混沌。
人間の矛盾がよく表れている気がする。
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この首の無い石仏は阿難坂峠の名前からして釈迦の十大弟子、阿難陀(アーナンダ)だと思われる。阿難陀は釈迦の話を一番多く聞いたため多聞第一といわれた。阿難は死期の近づいた釈迦に「師匠が亡くなった後、私は何を頼りに生きてゆけばよいのか。」と尋ねた。釈迦は伏せたまま「自灯明、法灯明。」と答えたという。これは釈迦の残した最後の教えとなった。
この自灯明と法灯明とは「自らを灯とし、法を灯とせよ。」つまり、私(釈迦)や他者という外部ではなく自分自身を頼りとして生きていきなさい、それと私の「教え(法)」も頼りにしなさい。っちうことらしい
「教え」とは思うに釈迦の存在自体ではなく導き出した真理のようなものだろうか。自灯明が先に来ているのはその釈迦の教えすら妄信せず、自らより優先させてはならないということだろう。なんとなく思うに本来は自灯明としか釈迦は言わなかったのではないか。不遜ながら蛇足に感じてしまう。釈迦の死後、教団として組織化する上で法灯明は作られ機能したようにも感じた。(勝手に言っております。)
外から照らされる光はその身の内に影を作り、何よりその明かりはいつ消えるか分からない。孤独に発光する灯台に昔から惹かれる理由がなんかわかった気がする。自灯明、この宇宙の暗闇の中で自ずから発光せよということだ。
この自灯明という禅語はある方から教えて頂いた。山道をトボトボ歩きながらこの言葉を思い出しその意味を反芻していたのだが、阿難坂のいわれを調べているうちにその言葉の源に辿り着き妙な仏縁を感じた。
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冬に向かって歩く。晴れて来た。
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小��生の頃以来のパノラマ台からの眺め。
左に登ってきた三方分山。三方分山って何やねんということだが、これは三つの村境にある山、いわゆる三国山である。右奥のとんがりは王岳だろか。一眼の電池を予備共に充電し忘れたためこの辺りからスマホのカメラ。写真がheicという知らん拡張子で変換に手間取る。
この日は富士山は一日雲の中だった。
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先日登った竜ヶ岳と本栖湖。水面がぬらぬらと光を反射してタルコフスキーの惑星ソラリスの海みたいでなんだか不気味だ。本栖湖はその深さからか妙な恐さがある。
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GoogleMapの普及によって樹海の中にある謎の集落として都市伝説的に有名となった精進湖の民宿村。先述の精進湖集落の人々はここに移住した。
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山行のおともは白熊のポッケ。落下防止の命綱付き。半年近くも部屋で遭難、行方不明となっており、先日感動の再会を果たした際には薄黒い体をアクロンで洗ったのだ。
そういやkarrimorのザックに新たに二つポケットをみつけた。10カ所もポケットがついていると案外持て余す。
山納めを探っていたのだが、とりあえず雪が降るまでは山歩きしようということで週一の休みに近隣の山々を巡る。登りたかった丹沢の山々は冬の間に地図を見てイメトレということとした。
溜まってる山行記録は降雪期に思い出しながら改めて書こうかなと思っていたため、今回も適当に杉の木についての雑記を書くつもりだったのだがあれもこれもと案の定話が長くなり時期が前後してしまうものの、山行記とした。
なんや知らんが近隣の街のスナックや学校でクラスターが発生したらしく俄に町はざわざわとしている。
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阿難坂の無頸観音
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