Tumgik
#asexual_is_here
aronespace · 2 years
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“A” is for us pride
 都合とタイミングが合い、とても悩んだが、TRP2022に参加してきた。
 私は「LGBT」コミュニティやその象徴であるレインボーに帰属意識はない。「LGBTQIA+」と属性が加えられても、そのAとはAsexual、性的指向にのみ観点を置いたもので、そもそもこの分類?尺度?にはromantic orientationは含まれておらず、まだまだマジョリティ視点のものだと感じるためだ。またレインボーは依然としてlove is loveのメッセージの権力が強く、そこで言われるloveはsexualでromanticなloveである点でも非常にマジョリティ的であると感じる。
※sexual loveもromantic loveも持ち合わせておらずそれらを肯定的に捉えることに抗っていますが、同性婚実現のために尽力されている方々に「婚姻制度の規範を強化する動きをやめろ」と“今の段階で”言うのは、その恩恵を独占してきたマジョリティの特権を黙認し、現在権利を剥奪されている、批判や中傷の対象にされやすいマイノリティにのみ矛先を向け社会における不均衡を無視した行為です。私は婚姻制度に反対ですが、それはまずマジョリティに対して言うべきであると考えます。「同性婚を権利を、すべての人に結婚の権利を」と「婚姻制度反対」は(葛藤を伴いながらも)同時に成立すると考え、その上で私は後者に軸を置いている立場です。       
              
 共同代表理事のインタビュー記事を読み、プライドや政治性の脱色された、権利を主張しないパレードをする意味とは?とも思ったし、TRP自体が近年商業的イベント色の強さを批判されていることも参加を躊躇わせる点ではあった。
 しかし、同じAでなくとも少なくとも「クィア」という共通点で集まることができる機会に飢えており、街中でAセクシュアルフラッグどころかレインボーフラッグすら見ることのない、図書館にも書店にも「LGBT」の本が全然置いておらず、実家を出て少しだけ地元より大きな都市に来るまで自分のアイデンティティと出会うことの(でき)なかった、クィア系団体からもドロップアウトしてしまい(クィアの知人も含め)ともだちの少ない、地方で生まれ育ち今も地方で生きるいちAセクAロマとして、仲間かもしれない人たちがいる(かもしれない)環境は、どうしたって魅力的に映った。結局、誘惑に負けた形で参加を決めた。でも、ものすごく怖かった。もし知り合いに会ってしまったら。それが仕事上の人だったら、なんて言えばいいのだろう。完全に異性愛者だと見なされている中で、「今週の土日何してたの?」の雑談に答えることすらできない。こちら側だと思っていたけど(そんなこと言った覚えもないのに)そちら側だったという「裏切り」が、どう機能してしまうのだろう。せっかくできた人間関係をまた失う経験を重ねてしまうかもしれない。どうしてこんなに一つひとつの行動に尋常じゃない恐怖と覚悟を伴わなければならないのか。あらゆる行為についてまわる不自由さとストレスに、毎度毎度疲弊させられる。
 参加を決めた時、やらなければと思ったことがある。プラカードを掲げることだ。パレードへの飛び入り参加はできず応募期限もとうに過ぎていたため、できるのは沿道でやるスタンディングだけ。こちらに(も)知人はいないため、ひとりでやるしかなかった。前日の夜までずっと迷っていたが、覚悟を決めて文言を考え、書き、ファイルに入れて、震えながら出発した。
 「LGBT」の文脈において、「A」は「Asexual 」でもあり「Ally」でもある。Ally──当事者たちに寄り添おうとする存在である(属性が限定されているわけではないが、特に)非LGBT当事者──であることは善いこととして捉えられており、社会では積極的にAllyになろうという呼びかけがなされているように感じる。
 初めてLGBTコミュニティに参加した時、性に関するミニ講座に参加した。とても初歩的な内容だったが、地元を出てそこで初めて「LGBT」が何を指しているのかを知った人間にはとても新鮮で(地元を出るまで自分が非ヘテロだということを知らないどころか、LGBTという語も目にしたことがなかったのだ。あまりの情報のなさに、自分がそうであることや、うっすら感じていた違和感をセクシュアリティで説明できることを知らず、情報を目に入れることもできなかった)、自分のような人が自分以外にもいるのだと気づけた、大切な機会だった。
 その中で「L」はレズビアン、「G」はゲイ、「B」はバイセクシャル、「T」はトランスジェンダー......と続き、「A」はAセクシュアル、そして「Ally」だと教えてもらった時、違和感を覚えた。なぜ「A」にはふたつの意味があるのだろう。しかも全く別の意味なのに、どうしてそれらは並列で語られるのだろう。私のアイデンティティは、A(セクシュアル)は代替可能なものである、と言われたような気がして、味方だと思っていた(思いたかった)場所から疎外されたような孤独感を感じた。
 単純な数だけで考えれば、Aセクシュアルの人々よりもAllyの人々の方が多いだろう。そして、「多様性」や「すべての人が幸せに生きられる社会に」といった間口の広く口当たりの良い、多数派も飲み込みやすいメッセージが流布するこの社会では、AセクシュアルはAllyに「A」のアイデンティティを奪われる未来が来てしまうのではないか。そんな恐怖と困惑と怒りの混じった感情を持ってから、「LGBT」に対する不信感(※個々の性的マイノリティ当事者ではなく、「LGBT」をすべての性的マイノリティを包括する語として使ってくる社会に対するものです。個人が「LGBT」を自分のアイデンティティとして引き受けること/引き受けている人を否定するものではありません。)が強くなり、「love is love」の飲み込めなさも相まって帰属意識を得る前に自分から離れざるを得なくなった。すべてがそうだとは言わない。しかし私にとって「LGBT」とは、「A」という自分のアイデンティティがAllyというマジョリティに取って代わられるかもしれない、意味が奪われるかもしれないものという認識でいる。(これはAllyという存在に対してより、「AllyもLGBTの一員である」とカテゴリーに加えられた経緯・過程を批判したい。セクシュアリティ学を学べば辿り着けるのか?)
 結婚を必要としない、「愛しあうふたり」でいられる未来を求めない、「愛する人」を求めない。掲げられた「幸せ」に適合しない、その「幸せ」を共有する(べき)「すべての人」にも該当しない。ひとりでやっていきたい。Aセクシュアルの中にも色々な考え方の人々がいるが、私はレインボーの中に組み込まれることは嫌で、そして私(たち)の言葉やアイデンティティが奪われ(そうになっ)たままでいるのは絶対に嫌だった。そこら中に蔓延るloveとhappyを拒絶し、社会に共有されている「幸せ」に中指を立てなければ、また愛の下に私(たち)が消されてしまう。フラッグを振るだけでは足りない、Aセクシュアルがここにいるのだと、「A」はloveとhappyに抵抗する私たちのための言葉なのだと言わなければならない。そんな衝動のような思いだけで、何のため、誰のためといった目的を自分でもきちんと捉えられる前にパレードに参加した。doughnut さんの「I STUDY RAINBOWS」ピンバッジを持っているけれど、迷った末付けるのはやめた。
 緊張と恐怖でガチガチのまま、手を振りかえすでもなく声をかけるでもなく、胸の前にプラカード代わりのファイルを掲げ沿道に立つ。通る人々の目が文字を追い、しかしその目線は上がらず自然に前に戻っていく様子を見ながら、虚しさと成功を感じていた。あの場で全く「ハッピー」そうじゃない人間にわざわざアクションを起こす理由はまずないだろうし、見たところでどんな反応をすればいいのかわからないだろうというのは十分想像できていた(サイレントスタンディングデモの経験があるので、プラカードを持つ人間がどう見られるかというのは肌感覚として知っていた)。それでも実際に緩やかに目を逸らされ続けると、日頃されている不可視化がまさに目の前で繰り広げられ、これが積み重なりAフォビアが起こるのかというリアルな体験だった。
 幾度となく緩やかに無視されながら、そこにいることに、メッセージを読まれる(読ませる)ことに意味があるのだと自分に言い聞かせ、クィアという仲間(かもしれない)人々にAセクシュアルの存在に気づいてほしい気持ちと、「love is love 」や「幸せ」を掲げる人々に私のアイデンティティを奪うなと言いたい気持ちとがアンビバレントに渦巻きながらそこに立っていた。久しぶりに、こうでしか在ることのできない自分の、Aセクシュアルとしての存在そのものがkilljoyであることを思い出した。パレードを歩く人々の手にあるのは当たり前にほとんどがレインボーフラッグだったが、時折トランスジェンダーフラッグやノンバイナリーフラッグ、それらよりかなり少ない数だったがAセクシュアルフラッグも見つけた。「人権」のプラカードも見た。一方沿道には9割以上レインボーフラッグしか見つけられず(それ以外はノンバイナリーフラッグを持っている方を2名ほど見かけただけだった)、プラカードを持つ人も見つけられなかった。沿道に「多様性」はなく、パレードを歩く側(感染症対策として仕方ないが、事前予約制で飛び入りの認められていない)にしか自由は認められていないのだなと感じた。出演者(≒当事者)と一般人(≒非当事者)を曖昧に区分する沿道は、クィアがありのままでいようとするにはあまりにもリスクが高く、結果禁止はされていないが表明することが難しいままであるという不自由さ、「あちら側」にしかクィアは存在しないとする社会のあり方そのもののようだった。
 また企業グループが予想以上に多い印象を受けた。もっと個々のクィアたちがそれぞれの思いを表明して歩いているのだと思っていた(思いたかった)が、企業としてのメッセージばかりが続く光景は見ていていい気持ちになるものではなかったし、大小問わずなんらかのコミュニティに属さなければ/コミュニティからドロップアウトしたクィアは発言することすら難しいのだろうなと感じた。コミュニティの数が少なく、さらにやっと見つけた場所も性愛規範、恋愛伴侶規範の支配から脱却しておらず居心地の悪さを感じ、単身者の貧困率が高く、周囲にひとりで生きているモデルケースが少なく、異性愛規範の強い環境で働いている、ひとりで生きる(しかない)地方のAro/Aceがここまで来るには、どれだけのコストを支払わなければならないのだろうかと暗い気持ちになった。
 
 
 
 あちら側を歩いていたある人が、ファイルの文字を読んでいるのを感じた。そして目線を上げ、初めてあちら側と目がしっかり合った。その人は進行方向から少し外れて私の方に2、3歩近づくと、拳をそっと向けてきた。何がなんだがわからなかったが、それがフィストバンプを求めているのだと気づいた瞬間、今まで感じたことのないような感情が湧き上がってきた。拳を合わせると、その人はまだ私の目を見ながら列に戻っていった。マスクをしている上にメガネもしており、緊張と恐怖、さらに雨に打たれながら立ち続けた疲労でリアクションに気を回す余裕がなかった。また精神的に身を守りたかったのでずっとイヤホンで耳を塞いだままでいたため、相手が何か言葉を発していたのかはわからないし、私は私で何かを喋る準備をしていなかったので、無言のまま目線のやりとりしかできなかった。それでも、そのわずかな時間の中に連帯の意図を感じ、交わし合うことができたことは、本当に嬉しかった。その人が去っていったあと、少しだけ泣いた。切れた緊張感、これまでは届いていな���ったかもしれない悔しさ、可視化される嬉しさ、ひとりで立つこと自体がプライドだけれど、ひとりではないと言ってもらえたような感覚。さまざまな感情が渦巻いていた。
 loveやhappyへのカウンター、「Ally」へのカウンターの意図を込めたプラカードを掲げるという、この場にそぐわないことを意図的にやっている自覚があり、これを見る人のほとんどを不快にさせるであろうことを覚悟した上でそこに立っていた。だから反応が返ってくることは期待していなかったし、何なら暴言を吐かれたり、排除される覚悟でもいた。自分ひとりだけでは何も変わらないのに、その場の空気すべてをぶち壊しに行く気持ちで臨まなければならない怖さに憤りを感じながら、もし言葉が届くとしたらノイズとしてだと思っていたし、それこそが私がそこにいる意味だと思っていた。読んだ人々が何を思ったのか、あの人が何を思ったのかはわからない。受け入れてもらった、だけで終わるものではなく、本題はここからだ。「A」のプライドを響かせていかなければならないし、そのためにもあらゆるところに「幸せ」の顔をして横たわる(異)性愛規範にも恋愛伴侶規範にも、孤独を悪とする規範にも中指を立て続け、我々がここにいるのだと言い続けなければならない。 
 そのための手段として、もうTRPに来ることはないと思う。ここは私の居場所ではない。でも今回ここにきた意味はあった。それは不自由な街に出て行くことであり、我々の言葉を取り戻そうとすることであり、Aセクシュアルとして存在することだった。loveもhappyも否定し、「あちら側」に存在を気づかせ、連帯の可能性をほんの少しだけ信じながらひとりでいる。そうすることが私の生き方でありプライドであり抵抗であり、もしかしたら希望なのかもしれない。
 
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