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#35204萩市
hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編6 萩の地魚
萩は地魚の宝庫でもあります。 地元の方に教えていただいたお店に。 歩いてみるとなかなかこれだ!ていうお店が見つかなかったのですけど、ここは正解でした。とにかくうまい! カツオが取れるイメージはなかったのですけど、取れるようです。
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カウンターとなりに座った方が地元の社長さんだったようで、持ち込みだったのかな? 「東京の方ですか?、ならどうぞどうぞ」て東京から来たというだけでお酒をいっぱいごちそうになってしまいました。 お名前をうかがうのを忘れてしまい・・・お礼も出来ず。 山口と言えば獺祭、そして萩と言えば東洋美人ですね。
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うーんヒラマサだったかな・・忘れた。右側はカワハギです。 店内の床にちょっと大きめのいけすがあってそこで泳いでるのですがメニューにはありません。でも、2日連続で行ったら出してくれました。肝醤油がうまいこと!
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極めつけはのどぐろ。小ぶりなのですがこれがなんと650円!(だったような・・・)。脂がたっぷりでした。美味しいのでもう一尾頼んでしまいました。地元の方には高級魚だという認識はまるでないみたい。
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ここがお店。十八番というお店でお勧めです! 早い時間は地元の方でいっぱいのようでした。
ご主人は忙しいときは奥の厨房に入ってますけど、空いているとカウンターの方に出てきます。とても気さくなおじさん、という感じで、萩のことを色々と教えてくれました。 明治維新で活躍した人たちの末裔はもう萩にはいないらしく、「みんな山口と東京に行ってしまった」。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編4 萩城下町と萩城
萩藩(くれぐれも、藩という言い方は明治になってから)と言えば、毛利36万石ですが、実際には80万石くらいあったんじゃないか、と言われています。 だからこそ、これだけ大きな城下町があったんですね。 東京からだとかなり遠いのでどうせ小さな町だったんだろうと思いがちですけど、当時としては結構大きかったようです。
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さて、萩は城下町がそのまんま残っています。 萩自体がそんなに大きな街ではないので移動はレンタサイクルがお勧め。 レンタサイクルショップはいくつもありますけど、萩・世界遺産ビジターセンター 学び舎では電動付自転車が借りられたのですが、同センターは29年2月に閉館となっていて、萩・明倫学舎2号館に引き継がれたので、そこで借りられるのかどうか?
ちなみに、萩の城下町はうろ覚えだけど、確か人口1万5千人くらいだったかな? 萩の人口が3万くらい(それでも当時は山陰の大都市だったそうです)だったから約半数てことだったのか?(間違っていたらごめんなさい) そのせいか萩の町の3分の2ほど占めていたようです。この方がとても詳しい解説をされています(すごい!)。 お城に近ければ近いほど、上級の武士が住んでいました。 つまり、上級の人であればあるほど、お城への通勤、参上が楽だった。 大組というのは上級家臣でしたけど、その身分にあった高杉晋作(200石)や桂小五郎(後の木戸孝允150石)の家はお城からちょっと離れたところで今の旧城下町の入り口あたりにあります。 ましてや吉田松陰の実家杉家(下士上等で26石)は松本川の向こう側ですから、以下の武家として身分が低かったかということが分かります。 (ただ、吉田家そのものは大組に位置していたようで、この辺がちょっと分からない)
ちなみに、大組の筆頭はあの「花燃ゆ」でも大活躍した周布(すふ)政之助は大組筆頭周布氏(1,530石)の分家で219石。 存分に悪役だった椋梨(むくなし)家はあれだけ権力をふるっていましたけど、身分はその下の中士下等・遠近附と呼ばれる身分にあり49石でした。ただし、重臣格の寄組椋梨家の分家だったので、それであれだけの権力をふるえたのでしょうか?
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旧城下町は結構広く、途中、旅館になっていたり、萩焼のお店、窯元がところどころにあります。 また、ご覧のとおり、普通に住宅街でもあります。
萩市のコンセプトは 萩まちじゅう博物館ですが、今住んでいる人がいる場所そのものが博物館的な価値があるってすごいというかとても面白いですね!
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自転車で散策するには最高です!
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萩城に着きました。 2015年(平成27年)NHK大河ドラマ「花燃ゆ」ではおなじみの風景でした。 ドラマでは城の建物が映ってましたがあれはCGです。 萩城は現在建物がありません。明治になってからお金を節約する姿勢を見せるために直ぐに壊してしまったのだとか。 しかし今は再建する費用もなくそのままなのだそうです。
石高の割にはこじんまりとしていますね。
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ここがまさしく明治維新の震源地なんですからね、感慨深いです。 ちなみに、「花燃ゆ」の評判は散々でしたが私はいいドラマだったと思っています。 史実に合わないという意見もありましたけど、私が調べた限りではもちろんドラマですから創作の部分もありますけど、結構沿っていたと思います。 お城に近づいていくとほんと、興奮してきます。
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萩城へ渡る橋です。真正面に料金所、自転車はお城の中まで入れます。
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天守閣跡。見た目より急な石階段で戻るときはちょっと怖かったです。
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天守閣跡から見える風景
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  とんびが・・・。NHKの大河ドラマを見ていると、トンビの鳴き声が結構して、「そんなにいつも鳴いてるかぁ?」て思うのですが、まったくその通りでした。(笑)
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編3 松陰神社・松下村塾
萩と言えば気になるのが吉田松陰宅=松下村塾だと思います。
行き方は東萩駅から出ている 萩循環まぁーるバスの東周り「松陰先生」が便利。時刻表はこちらから見られます。
ぐるっと回るので東萩駅から40分くらい?ちょっとかかります。
萩市ホームページ
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松陰神社の入り口です。松陰先生も、まさか自分の自宅周辺が神社になるとは想像もしていなかったでしょうね。 敢えて人がいない頃をみはからって撮ったのですが、実際にはそこそこ人がおります。
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おぉ、松下村塾です。 世界文化遺産・国指定史跡。
こんな小さな建物から、明治維新が起こるんですね。
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結構人がいるので、人がいなときをみはからって撮影をするのが大変でした。(笑)
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留魂録は吉田松陰が小伝馬町の牢獄で弟子に対して書き示したもの。 翻訳、解説署がいくつも出ていますが、ものすごい迫力の書です。
ちなみに吉田松陰は 老中間部詮勝暗殺計画自分がかかわったと幕府側に知られていると思い込んで自主し江戸に連れていかれたのですが、幕府側は全くそうは思っていなかったそうで。 もし吉田松陰が自主しなかったらもっと生きていていたかもしれない。
歴史にifは禁句ですけど、ほんと残念です。
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松下村塾はいろんな角度から撮りました。
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これはNHK大河ドラマ「花燃ゆ」でもよく出てきましたね。 松陰の妹文が久坂玄瑞とともにした部屋、中二階。 ドラマではちゃんと再現されていました。
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「花燃ゆ」では家の前に農作物がありました。
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あまりにも有名な松陰先生の肖像画。塾生 松浦松洞(亀太郎)が描いたもの。亀太郎は魚商の息子で20歳で松下村塾に入り、尊王攘夷運動に加わります。 ドラマでは、 魚商人のまま、萩で殺されてしまったようだったと思いますが、実際には寄組自身がのちに京都で切腹して塾生の中で最も早く死を遂げます。
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松陰神社には松下村塾よりも奥にもうひとつ鳥居があり、その奥が本社です。
ここには明治維新の志士53柱が祀られておりますが、意外にも、明治7年に留魂録を届けた沼崎吉五郎も祀られております。
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松陰神社のバス停にて、とんびが飛んでます。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編2 萩博物館
歴史が好きな人は絶対にここ、お勧めです! 萩博物館 萩にはいくつか博物館がありますけど、ここが一番史料が充実しています。
スペックはこちら。
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正門はこちらなんですけど、東門から入るのが便利。自転車も東門側に置けます。
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入口から見ると小さいですけど、中は御覧のとおりこんなにあります。 https://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/frontpage.htm 萩博物館ホームページより
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これは面白い絵ですね。昔の藩(くれぐれも、藩という言い方は明治以降)は、こんな風に結構飛び地があった。今の都道府県とはかなり違います。 おそらく、「支配している地域」てことなんでしょうね。
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萩の街の様子です。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編1
たか1日目の下関は前夜祭のようなものなのでこの2日目からが旅の本番です。
(なお、このブログでは、萩編1~3までを順番に読みやすいよう、投稿の日付を調整しています)
下関からは山陰本線で北上しました。注意しなきゃいけないのは萩は萩駅ではなく東萩駅で降りることです。
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下関駅にやってきたのは一両編成のものでした。ちなみに、トイレ付です。
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ここから先、地図で見るといかにも海岸線に沿った路線に見えますが海が見えるのは感覚的には3分の1くらいでしょうか?
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山陰本線を北上して角を曲がり東へ向かうとやがて青海島というのが見えてきます。ここも絶景らしいです。
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そして東萩駅に到着。なんかさびれた感じですね。あとでご覧に入れますが、この路線、1日に8本(上下合わせて16本)しかありません。 ちなみに、萩駅というのもありますが、そちらは小さく、降りても何もないので気をつけてください。こちらがメインです。
ここからは、観光バスタイプと、普通のバスのタイプの山口宇部空港行のバスがあります。観光バスタイプの方はそこそこ乗っているようですが、普通のバスのタイプの方には乗客はひとりもいませんでした。
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ホテルに荷物を置いて、市内を廻る運賃100円のコミュニティバスに乗りました。
東廻り(松陰先生)と西廻り(晋作くん)がありますが、東萩駅から出ているのは東廻りの松蔭先生です。
東廻りも西廻りも萩市のほぼ中央にある市役所まで来ます。その市役所の真向かいにあるのがあの有名な明倫館です。明倫館の建物は私が行ったときは改修工事中で写真が撮れませんでした。完成後は下の写真にある萩の産業革命遺産を展示する所になるのだそうです。
さて、明倫館について。
明倫館は萩藩(長州藩、ちなみに、「藩」と言う言い方は明治になってから)の藩校で、水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つでした。
吉田松蔭は元は下級武士杉家(26石)の生まれですが、5才で代々山鹿流兵学師範を務める吉田家(57石)の養子となり、養父の死によって6才で家督を相続、その後実家に戻り玉木文之進から教育を受けてわずか9才で山鹿流兵学師範として明倫館で講義をします。
すげ~~~~。
そして19才で独立師範(教授に相当)に就任します。
さて、その明倫館に隣接した広い敷地に、 萩・世界遺産ビジターセンター  学び舎という臨時の博物館がありました。ここは日本の工業化の原点としての吉田松陰と、明治で萩がどのような役割を担ったのかが展示されています。
展示方法はCGを利用したら工夫されたものでした。
博物館好きの私としては、まずここに。すでに時間も2時半で、ここでゆっくりしていると萩博物館が閉まってしまうのでさっと見ました。
建物に入るなり、職員の方がかけつけて、「ようこそいらっしゃいませ!」てもうほんと大歓迎でした。(笑)
今はは閉館し、隣の明倫館に引き継がれています。
ちなみに、明倫館そのものは現在は明倫小学校として引き継がれていて、場所も直ぐ近くです。
うーん、小学校じゃなくて大学にしちゃえば全国から優秀な学生が集まったかもしれないのにね、残念!
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松下村塾の様子を展示しています。本物はこの翌日。
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3Dの立体映像、松蔭の妹、文(ふみ)さんです。
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学び舎をさっと出て、その後萩博物館に向かいます。時間がないので早歩きで。巻き爪なので痛いのを我慢。 しばらくすると旧城下町に出ました。
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明治維新の重要人物、木戸孝允の生家です。入場料を取ります。私は入りませんでした。自転車置き場もあり、自転車の来韓しても大丈夫です。
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