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hitotsugiya · 3 years
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日本の半導体
あんまり詳しくなかったんですけど、日本の半導体がそこまで遅れているとは・・・。昨年甘利氏が中心となって半導体議連が立ち上がりましたけど、甘利氏はやはり遅れていると言われている日本のDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進役でもあり、共に期待するところです。さて、台湾TSMCの工場誘致が熊本が候補になっているらしく。九州は九州で日本の産業集積地(あるいはシリコンクラスター)のひとつです(産業集積地としてはちょっと面積が広く、九州内で分散してはおりますが)。産業クラスター政策は一頃経産省肝入りの政策でしたが、今でもその流れは、まだ続いている、ということなのでしょうか?それと、昨年アメリカのマイクロンテクノロジーの日本法人が広島に本社を移しましたが、これって日本が半導体の供給元、というかハブみたいなものとして機能するということなんでしょうか?ただ一方で、アメリカは半導体を自国回帰させるつもりらしく。半導体不足が叫ばれる中、注目ポイントですね~~~。
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hitotsugiya · 6 years
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ここ、席数が少ないので教えたくないのだけど、モンテトミのカルボナーラ。 生クリームを使わないイタリア仕込み。 とろけるようでマジで美味い! (Trattoria MonteTomi - トラットリア モンテトミ)
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hitotsugiya · 6 years
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★★★★★
ひとこと、凄い作品です。
タイトルのGlitchとは、欠陥とか故障の意味ですが、話は死者が蘇る、墓場から出てくるという話。ホラーのようですがそうではありません。 iPS細胞や、STAP細胞など、再生医療へ向けての研究が進んでいますけど、これらが確立したらこういうことが起きるのでは?みたいなこと、将来の社会性を示唆する作品です。
生き返ると、自分の死後進んでしまった世界、どうして自分が死んだのか?などが気になるわけです。
オーストラリアって田舎のイメージがありますけど、こういう最先端のことを扱うんですね。
また、ABC( Australian Broadcasting Corporation :オーストラリア放送協会)、の作品らしいですけど、Wentworth(邦題:ウエントワース女子刑務所)といい、すごい作品を作りますね。
同作品には、Wentworthでブーマー役の カトリーナ・ミローズビック (Katrina Milosevic)も登場します。
話を元に戻します。
2シーズンありますけど、全部で6話。
Netflixではレビュー評価が低かった(とは言え、私が書く以前は2件しかありませんでしたが)のであまり期待をしていなかったのですが、
観ていくと、最初は退屈です。しかし、段々引き込まれていきます。
シーズン1の最終である6話は衝撃的。ここからシーズン2が引き継がれます。そこまで我慢してください。
ただ、シーズン1では蘇る死者たちのキャラが光ります。
このドラマは、人間ていったい何なんだろう?
ということを問いかけているようです。
●肉体と意識と希望(ここは特に深い) ●蘇る死者たちそれぞれにある当時の価値観との巡りあわせ、そして現代の価値観 ●死んだ人間は死ぬべきと言う生命の摂理と、生きたい!という、人が持つ根本的な願望 ●名誉と素朴な生活の実現への希求 さまざまな選択・葛藤が重層的に盛り込まれています。
言葉数も少なく、止まったかのような展開なので、1シーズンの3話あたりまでは、ははっきり言って退屈だと思います。しかし、しっかりと話を進めているという展開は、もう見事としか言いようがありません。
よくこれだけのことを盛り込んだなと。 しかし、ある意味退屈さもあるので、ギッシリという感じがするわけでもなく。う~ん不思議というか、とにかくスゴイ!
こういう哲学的な作品て、私が観てないだけかもしれませんが、日本じゃなかなか見られませんね。
若い人や、順風満帆な人生を送ってきた人には、何が何だかさっぱり分からないかもしれません。
また、今みたいな大きな時代の転換期には、哲学者が活躍するべきだと私は思っているのですが、この作品はそれを感じさせてくれます。
シーズン2の衝撃的な最後の場面からすると、これはシーズン3も作られるのでは?と思いました。
ところで、オーストラリアの作品が何故凄いのか?
考えてみれば、オーストラリアには有名なNIDA(国立演劇学院)があります。メル・ギブソン、ケイト・ブランシェットなど、世界的に有名な俳優を数多く輩出しています。
また、オーストラリア大使館のホームページを見ると、どうも、こうしたクリエイティビティなことを国が後押しているようですね。
主役のパトリック・ブラモールはNIDAの卒業生リストからは見つかりませんでしたが、この作品を通じて、 オーストラリアはそういう国だということを知らされました。
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hitotsugiya · 7 years
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なんで蕎麦屋にカレーなのか?
カレーと言えば思いっきりインド派の私も、最近は「まあそう固いこと言わずに、いいんじゃない」て思うようになってきて。 私も一時期スパイスを買いそろえていったことがあったので、インド料理のカレーだと、「これはカルダモンが強いな」とか感じたりします。
<スパイスのみ→イギリスで小麦粉が加わり→日本で片栗粉になり> <スパイス文化圏→ミルクを使う文化圏→醤(味噌・醤油)文化圏>へと切り替わっていく様子。
クックパッドのレシピでインドカレー、カレー、和風カレーと材料を見ていくとこうした変遷が垣間見えて面白いですね。
さて、ご存知の方も多いかと思いますけど、日本のカレーは��接インドから来たものではなく、インドを支配していたイギリスを経由してやってきます。元々カレーという名の料理は無く(インド人料理研究家レヌ・アロラさんの本では「汁気のある料理」という意味だと)、カレー粉もカレー味という概念もなく、こうしたものはすべてイギリス人が開発したもの。
インドからイギリスに渡って、それによって小麦粉を入れてシチューのようにして、幕末の頃に初めて日本で紹介されて、それから細かく言えばいろいろ経緯はあるのだけど、日本中に拡がるきっかけとなったのが明治17年に横須賀の海軍が脚気対策として採り入れたこととされています。
で、どうして蕎麦屋にカレーなのか? 先にカレー南蛮が出来て、それからカレー丼のようです。 この頃、それまで洋食屋さんで食べるハイカラな料理だったカレーライス、あるいはライスカレーが大衆化される頃。
イギリス経由のカレーは小麦粉入りなのでかなりマイルドになっているのですけどそれでも、辛い、色が付く、味がきついといった評判があったり、大衆化の過程で洋食屋にとられた客を取り戻すため、目黒のお蕎麦屋さんが考えだしたのだそうです。 まさにマーケティングの結果なんでしょうけど、冒頭に示した通り、元々味の文化圏が根本的に異なるものを混ぜ合わせているので当初はかなり大変だったのでは?とも想像します。 また、直接インドから伝わっていたら、こうはならなかったのかも、という気もします。
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hitotsugiya · 7 years
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新山口~津和野まで、3月中旬~11月下旬の土日祝日限定で走っています。
ご案内ホームページはこちら 新山口からだとものすごく混むようなので、萩に行った帰り、山陰本線益田駅経由で津和野に行き、乗りました。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/津和野編0
いよいよ4日目、津和野へ向かいます。 (なお、このブログでは、津和野編0~3まで順番に読みやすいよう、投稿の日付を調整しています) 東萩駅から二両編成の列車に乗ります。
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虫が多そうなんて僕はとても住めませんが、のどかな風景はほんと心が洗われるようです。
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こんな風に、海岸線が長く続きます。
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海が澄んでいてすごくきれい。癒されます。
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益田駅に着きました!これで島根県初上陸。 東萩には10分くらい歩かないとコンビニはありませんが、ここはエキナカに。
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あらま、県庁所在地、新幹線の駅に向かう路線なのに、1日9本だけwww。
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益田駅の駅前。東萩から来ると、すんごい都会に来たように感じます。 駅からちょっと歩くとローソンもあります。 93分待ちだったので駅前の喫茶店でと思ったのですけど、こんなことしているうち結局時間が過ぎてしまった。 さて、僕にとってはトイレは重要事項ですが、この建物の奥に小さな入り口があってその近辺にありました。綺麗でした。駅のトイレを使わずに済みました。
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Google Mapは路線の上をたどれないのでこれは道路上ですけど、ほぼ路線と同じです。 ぐるりと来ましたね。 実は東萩からは津和野までバスで直通のルートもあるのですけど、96分間もトイレ無しは怖いのと、やはり僕は鉄道派なので山陰本線経由にしました。
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hitotsugiya · 8 years
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さて、津和野の基本情報
鳥取県津和野市。山間の小さな盆地にあります。
かなりの奥地にも関わらず、年間130万人も観光客が訪れるのだそうです。 現在の人口は約7,500人ととても小さな自治体ですが、江戸後期1805年(文化2年-この頃の将軍は11代家斉)には約76,000人もいたのだそうです。そのうち、約86%が農民で、武家は5,000人以上もいました。その後65,000人まで下がり、江戸末期に68,000人くらいまで回復します。 江戸時代と今って大きな都市・町が全然違ってたりしますよね。 津和野藩は坂崎氏→亀井氏が収め、現衆議院議員の亀井久興氏と元参議院議員の亜紀子氏はその末裔です。 哲学者の西周、作家の森鴎外を排出したことでも知られています。
上の地図をズームアップして津和野駅を探してみてください。 そして津和野駅が上に来るようにしてみてください。 津和野駅の前には蛇行している津和野側に向かって膨らんだところがあると思います。ここがかつての町家。この膨らんだ地域が現在の津和野の観光スポットです。下の方がカトリック津和野教会が見えますがこの辺りから下側が武家屋敷です。 更に津和野川と交差して道路がありますが、このあたりに門があって(今は無い)、下側が上級武家の屋敷。さらに下へ行くと津和野城跡が見えてきて、森鴎外記念館が見えます。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/津和野1津和野に着いた
津和野駅まであともう少しというところ。 山合の風景がきれいです。
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津和野駅に着くとホーム対向側に新山口行きの列車が。 「明治維新”策 ” 震源地」、「策」と微妙な表現ですね。(笑) でも僕は、この写真を見るまで、策の字には気が付きませんでした。
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津和野駅の駅舎です。そこそこ人は降りるのですが、駅のコインロッカーに預けたり、レンタサイクルを手配していたりしただけでもうこんな感じ。 ちなみに、レンタサイクルはこの駅の真向かい、この写真を撮っているところあたりにあります。荷物も預かってくれたようで、コインロッカー不要だったじゃん。
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店名を控えてくるのを忘れてしまった! 自転車で走っているとすぐそばやで。お腹が空いていたこともあって入ることに。 手打ちそばに、こんにゃく。これは美味しかった。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/津和野2 武家屋敷入り口近辺
敢えて人がいない瞬間を狙って撮ったのでこんな感じですけど、実際はそこそこ人が歩いています。
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古い造り酒屋
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古い街並みに今の建物。銀行なんですが、ちと残念。
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津和野駅から出てしばらく歩くと雰囲気がガラリと変わります。 ここから先は武家屋敷。 奥に行くほど上級の侍が住んでいたようで、昔は武家屋敷の間に門もあって、町人が自由に入れたわけではなさそうでした。 左手前は喫茶店です。店頭でソフトクリームを売っていたりします。
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ちょっと横道に入ったところ。
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水が流れています。ほんとうはもっときれいらしいです。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/津和野3 歴史ある建物
このスレッドは津和野の街の奥の方と手前の方とが混在しています。 森鴎外が学んだとされる藩校、養老館です。 津和野の武家屋敷の端にあったようです。 鴎外はずば抜けて優秀だったとか。
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随分と伝統のあるお店ようですね。
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津和野の街並みの丁度中心のあたり。 敢えて人がいないときに撮影したのですが、往来は結構あります。 バスも走っています。
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津和野の街から川を渡ったところにあるのが郷土館。 とても古い建物で、中の展示物も古いです。 こんな山奥の小さな藩から明治時代に活躍した人をたくさん排出したようです。 印象的だったのが津和野藩(藩と呼ぶようになったのは実は明治になってから)の地図。 間に全く異なる藩をはさんでいたようで、飛び地���志で成り立っていたようです。今みたいに県堺みたいな感覚ではなかったようですね。また、各村々には境界線ようのようなものはなく、今の感覚で言うと集落って感じようです。
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津和野カトリック教会
こじんまりとしていますけど結構立派です。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/下関編
昨年の大河ドラマは「花燃ゆ」でしたが、一年遅れでその場所に行くことにしました。津和野は何となく気になったからです。
さて、1日目は消化不良に終わります。なのでここを読んでも面白くないです。
16時に羽田からスタート、まずは福岡空港に向かいます。
萩って山口県、なのにどうして福岡から?
という疑問が沸くでしょうけど、一度下関に行ってみたから、下関から海岸沿いを走る山陰本線に乗ってみたから、それで福岡から差すように山口県に入ってみたなかったのです。
ルートはこうです。
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ソニックは青い電車に乗れると思いきや(JR九州の特急車両は個性的)、白いかもめでちと残念。
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そして小倉で在来線に乗り換えます。
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門司駅でなぜか車内の電気が消えました。これっていつものこと?
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下関駅に到着。イメージしていた昔ながらの駅舎はとっくになっていて、そのときの三角屋根が入口のデザインとして残っていました。
駅の中にはセブンイレブンがありますが、10時半ごろには閉まってしまいます。赤坂なんかにいると24時間営業のコンビニがいくつもありますから不思議な感じです。
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それでホテルに荷物を置いて飲食街に。ほとんど人が歩いてない・・・。
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最初はホテルで紹介されたお店に素直に入りました。やはりフグでしょう。一人前なのでしょぼく見えますがここはおいしかったです。店名は忘れました。
なんですが!
まあでもよく地産地消とは言いますが、あれってどうなんでしょ?結局なんだかんだで東京に一番集まってたりして。
実は他に2軒入りましたがどこもそんな感じでした。
振り返ってみるとこのお店はかなり良心的だったようです。ただねえ、このお皿はないでしょう。うつぼみたい。せっかくいいコストパフォーマンスのお店なのにもったいないなあ・・・。
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下関で飲んだのは、雁木と長門峡でした。
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て感じで、一日目は思いっきり消化不良で終わりました。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編1
たか1日目の下関は前夜祭のようなものなのでこの2日目からが旅の本番です。
(なお、このブログでは、萩編1~3までを順番に読みやすいよう、投稿の日付を調整しています)
下関からは山陰本線で北上しました。注意しなきゃいけないのは萩は萩駅ではなく東萩駅で降りることです。
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下関駅にやってきたのは一両編成のものでした。ちなみに、トイレ付です。
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ここから先、地図で見るといかにも海岸線に沿った路線に見えますが海が見えるのは感覚的には3分の1くらいでしょうか?
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山陰本線を北上して角を曲がり東へ向かうとやがて青海島というのが見えてきます。ここも絶景らしいです。
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そして東萩駅に到着。なんかさびれた感じですね。あとでご覧に入れますが、この路線、1日に8本(上下合わせて16本)しかありません。 ちなみに、萩駅というのもありますが、そちらは小さく、降りても何もないので気をつけてください。こちらがメインです。
ここからは、観光バスタイプと、普通のバスのタイプの山口宇部空港行のバスがあります。観光バスタイプの方はそこそこ乗っているようですが、普通のバスのタイプの方には乗客はひとりもいませんでした。
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ホテルに荷物を置いて、市内を廻る運賃100円のコミュニティバスに乗りました。
東廻り(松陰先生)と西廻り(晋作くん)がありますが、東萩駅から出ているのは東廻りの松蔭先生です。
東廻りも西廻りも萩市のほぼ中央にある市役所まで来ます。その市役所の真向かいにあるのがあの有名な明倫館です。明倫館の建物は私が行ったときは改修工事中で写真が撮れませんでした。完成後は下の写真にある萩の産業革命遺産を展示する所になるのだそうです。
さて、明倫館について。
明倫館は萩藩(長州藩、ちなみに、「藩」と言う言い方は明治になってから)の藩校で、水戸藩の弘道館、岡山藩の閑谷黌と並び、日本三大学府の一つでした。
吉田松蔭は元は下級武士杉家(26石)の生まれですが、5才で代々山鹿流兵学師範を務める吉田家(57石)の養子となり、養父の死によって6才で家督を相続、その後実家に戻り玉木文之進から教育を受けてわずか9才で山鹿流兵学師範として明倫館で講義をします。
すげ~~~~。
そして19才で独立師範(教授に相当)に就任します。
さて、その明倫館に隣接した広い敷地に、 萩・世界遺産ビジターセンター  学び舎という臨時の博物館がありました。ここは日本の工業化の原点としての吉田松陰と、明治で萩がどのような役割を担ったのかが展示されています。
展示方法はCGを利用したら工夫されたものでした。
博物館好きの私としては、まずここに。すでに時間も2時半で、ここでゆっくりしていると萩博物館が閉まってしまうのでさっと見ました。
建物に入るなり、職員の方がかけつけて、「ようこそいらっしゃいませ!」てもうほんと大歓迎でした。(笑)
今はは閉館し、隣の明倫館に引き継がれています。
ちなみに、明倫館そのものは現在は明倫小学校として引き継がれていて、場所も直ぐ近くです。
うーん、小学校じゃなくて大学にしちゃえば全国から優秀な学生が集まったかもしれないのにね、残念!
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松下村塾の様子を展示しています。本物はこの翌日。
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3Dの立体映像、松蔭の妹、文(ふみ)さんです。
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学び舎をさっと出て、その後萩博物館に向かいます。時間がないので早歩きで。巻き爪なので痛いのを我慢。 しばらくすると旧城下町に出ました。
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明治維新の重要人物、木戸孝允の生家です。入場料を取ります。私は入りませんでした。自転車置き場もあり、自転車の来韓しても大丈夫です。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編2 萩博物館
歴史が好きな人は絶対にここ、お勧めです! 萩博物館 萩にはいくつか博物館がありますけど、ここが一番史料が充実しています。
スペックはこちら。
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正門はこちらなんですけど、東門から入るのが便利。自転車も東門側に置けます。
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入口から見ると小さいですけど、中は御覧のとおりこんなにあります。 https://www.city.hagi.lg.jp/hagihaku/frontpage.htm 萩博物館ホームページより
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これは面白い絵ですね。昔の藩(くれぐれも、藩という言い方は明治以降)は、こんな風に結構飛び地があった。今の都道府県とはかなり違います。 おそらく、「支配している地域」てことなんでしょうね。
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萩の街の様子です。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編3 松陰神社・松下村塾
萩と言えば気になるのが吉田松陰宅=松下村塾だと思います。
行き方は東萩駅から出ている 萩循環まぁーるバスの東周り「松陰先生」が便利。時刻表はこちらから見られます。
ぐるっと回るので東萩駅から40分くらい?ちょっとかかります。
萩市ホームページ
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松陰神社の入り口です。松陰先生も、まさか自分の自宅周辺が神社になるとは想像もしていなかったでしょうね。 敢えて人がいない頃をみはからって撮ったのですが、実際にはそこそこ人がおります。
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おぉ、松下村塾です。 世界文化遺産・国指定史跡。
こんな小さな建物から、明治維新が起こるんですね。
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結構人がいるので、人がいなときをみはからって撮影をするのが大変でした。(笑)
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留魂録は吉田松陰が小伝馬町の牢獄で弟子に対して書き示したもの。 翻訳、解説署がいくつも出ていますが、ものすごい迫力の書です。
ちなみに吉田松陰は 老中間部詮勝暗殺計画自分がかかわったと幕府側に知られていると思い込んで自主し江戸に連れていかれたのですが、幕府側は全くそうは思っていなかったそうで。 もし吉田松陰が自主しなかったらもっと生きていていたかもしれない。
歴史にifは禁句ですけど、ほんと残念です。
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松下村塾はいろんな角度から撮りました。
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これはNHK大河ドラマ「花燃ゆ」でもよく出てきましたね。 松陰の妹文が久坂玄瑞とともにした部屋、中二階。 ドラマではちゃんと再現されていました。
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「花燃ゆ」では家の前に農作物がありました。
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あまりにも有名な松陰先生の肖像画。塾生 松浦松洞(亀太郎)が描いたもの。亀太郎は魚商の息子で20歳で松下村塾に入り、尊王攘夷運動に加わります。 ドラマでは、 魚商人のまま、萩で殺されてしまったようだったと思いますが、実際には寄組自身がのちに京都で切腹して塾生の中で最も早く死を遂げます。
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松陰神社には松下村塾よりも奥にもうひとつ鳥居があり、その奥が本社です。
ここには明治維新の志士53柱が祀られておりますが、意外にも、明治7年に留魂録を届けた沼崎吉五郎も祀られております。
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松陰神社のバス停にて、とんびが飛んでます。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編4 萩城下町と萩城
萩藩(くれぐれも、藩という言い方は明治になってから)と言えば、毛利36万石ですが、実際には80万石くらいあったんじゃないか、と言われています。 だからこそ、これだけ大きな城下町があったんですね。 東京からだとかなり遠いのでどうせ小さな町だったんだろうと思いがちですけど、当時としては結構大きかったようです。
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さて、萩は城下町がそのまんま残っています。 萩自体がそんなに大きな街ではないので移動はレンタサイクルがお勧め。 レンタサイクルショップはいくつもありますけど、萩・世界遺産ビジターセンター 学び舎では電動付自転車が借りられたのですが、同センターは29年2月に閉館となっていて、萩・明倫学舎2号館に引き継がれたので、そこで借りられるのかどうか?
ちなみに、萩の城下町はうろ覚えだけど、確か人口1万5千人くらいだったかな? 萩の人口が3万くらい(それでも当時は山陰の大都市だったそうです)だったから約半数てことだったのか?(間違っていたらごめんなさい) そのせいか萩の町の3分の2ほど占めていたようです。この方がとても詳しい解説をされています(すごい!)。 お城に近ければ近いほど、上級の武士が住んでいました。 つまり、上級の人であればあるほど、お城への通勤、参上が楽だった。 大組というのは上級家臣でしたけど、その身分にあった高杉晋作(200石)や桂小五郎(後の木戸孝允150石)の家はお城からちょっと離れたところで今の旧城下町の入り口あたりにあります。 ましてや吉田松陰の実家杉家(下士上等で26石)は松本川の向こう側ですから、以下の武家として身分が低かったかということが分かります。 (ただ、吉田家そのものは大組に位置していたようで、この辺がちょっと分からない)
ちなみに、大組の筆頭はあの「花燃ゆ」でも大活躍した周布(すふ)政之助は大組筆頭周布氏(1,530石)の分家で219石。 存分に悪役だった椋梨(むくなし)家はあれだけ権力をふるっていましたけど、身分はその下の中士下等・遠近附と呼ばれる身分にあり49石でした。ただし、重臣格の寄組椋梨家の分家だったので、それであれだけの権力をふるえたのでしょうか?
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旧城下町は結構広く、途中、旅館になっていたり、萩焼のお店、窯元がところどころにあります。 また、ご覧のとおり、普通に住宅街でもあります。
萩市のコンセプトは 萩まちじゅう博物館ですが、今住んでいる人がいる場所そのものが博物館的な価値があるってすごいというかとても面白いですね!
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自転車で散策するには最高です!
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萩城に着きました。 2015年(平成27年)NHK大河ドラマ「花燃ゆ」ではおなじみの風景でした。 ドラマでは城の建物が映ってましたがあれはCGです。 萩城は現在建物がありません。明治になってからお金を節約する姿勢を見せるために直ぐに壊してしまったのだとか。 しかし今は再建する費用もなくそのままなのだそうです。
石高の割にはこじんまりとしていますね。
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ここがまさしく明治維新の震源地なんですからね、感慨深いです。 ちなみに、「花燃ゆ」の評判は散々でしたが私はいいドラマだったと思っています。 史実に合わないという意見もありましたけど、私が調べた限りではもちろんドラマですから創作の部分もありますけど、結構沿っていたと思います。 お城に近づいていくとほんと、興奮してきます。
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萩城へ渡る橋です。真正面に料金所、自転車はお城の中まで入れます。
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天守閣跡。見た目より急な石階段で戻るときはちょっと怖かったです。
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天守閣跡から見える風景
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  とんびが・・・。NHKの大河ドラマを見ていると、トンビの鳴き声が結構して、「そんなにいつも鳴いてるかぁ?」て思うのですが、まったくその通りでした。(笑)
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編5 萩八景遊覧船
萩八景遊覧船というのに乗りました。 萩城から少し歩いたところ、萩城跡横の指月橋からスタート。 運行期間、料金などスペックはこちら。
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最初は橋本川へ向かってお城の疎水を上り、萩城下町、堀内重要伝統的建造物群保存地区の裏側を通っていきます。 萩と言えば、夏ミカンの産地ですけど、これは維新後失職した武家で育てられたのだそうで、夏ミカンの木が3本もあれば十分生活が出来たのだそうです。
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橋本川に出たところです。かなり広いです。
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橋本川に出たところでUターンをして、もう一度堀に向かうのですがこのあたりは水深がとっても浅く、確か数十センチしかなかったような。底がしっかりと見えます。
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もう一度城下町のあたり、そして船着き場を横切り、日本海へ向かいます
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途中、低い橋があるのでそこを通るときにはこのように船の屋根を思いっきり下げるので乗船するお客さんも前かがみになります。
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萩城のある指月(しづき)山が見えて、いよいよ日本海です。
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日本海に出ると結構揺れがあって怖いです。(笑) 日本海に出ると結構揺れがあって怖いです。船頭さんはどうもなんてことないようなんで、平気ってことなんでしょうね。
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おぉ、海だ~~~。こんな小さな船で・・・。
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ほっ。浅瀬に来るとなんか安心。もう一度お城の疎水を上って終わりです。
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hitotsugiya · 8 years
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萩・津和野の旅/萩編6 萩の地魚
萩は地魚の宝庫でもあります。 地元の方に教えていただいたお店に。 歩いてみるとなかなかこれだ!ていうお店が見つかなかったのですけど、ここは正解でした。とにかくうまい! カツオが取れるイメージはなかったのですけど、取れるようです。
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カウンターとなりに座った方が地元の社長さんだったようで、持ち込みだったのかな? 「東京の方ですか?、ならどうぞどうぞ」て東京から来たというだけでお酒をいっぱいごちそうになってしまいました。 お名前をうかがうのを忘れてしまい・・・お礼も出来ず。 山口と言えば獺祭、そして萩と言えば東洋美人ですね。
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うーんヒラマサだったかな・・忘れた。右側はカワハギです。 店内の床にちょっと大きめのいけすがあってそこで泳いでるのですがメニューにはありません。でも、2日連続で行ったら出してくれました。肝醤油がうまいこと!
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極めつけはのどぐろ。小ぶりなのですがこれがなんと650円!(だったような・・・)。脂がたっぷりでした。美味しいのでもう一尾頼んでしまいました。地元の方には高級魚だという認識はまるでないみたい。
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ここがお店。十八番というお店でお勧めです! 早い時間は地元の方でいっぱいのようでした。
ご主人は忙しいときは奥の厨房に入ってますけど、空いているとカウンターの方に出てきます。とても気さくなおじさん、という感じで、萩のことを色々と教えてくれました。 ��治維新で活躍した人たちの末裔はもう萩にはいないらしく、「みんな山口と東京に行ってしまった」。
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