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#3連パーテーション
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弘益 ミニヨンパーティション ホワイトウォッシュ 3連衝立 のご紹介 フレンチカントリー&アンティーク調のかわいらしい雰囲気で、 一人暮らしの女性に人気のリビング&ダイニングシリーズ「MIGNON」。 木目が美しいシャビーテイストが魅力的です。 【ホワイトウォッシュの美しい仕上げ】 アンティーク家具のような塗装の擦り減りを再現する仕上げを行いました。 木目を生かすことで天然木ならではの温かみが残り、 お部屋のインテリアとも調和しやすくなっています。 【こだわりのデザイン】 蝶番は両方向に開閉可能です。 お部屋の間取りにあわせて自由に位置を変えれます。 上部はブラインドになっていて、 光が差し込むようになっています。 高さ135cmは、座っている時は目線を遮り、 立った時はパーティション越しの様子が分かります。 天然木を使用しているため、ひとつひとつ異なる色・風合いになっています。 また、古びた風合いを出すため、塗装にムラや剥げに見える箇所がある場合がございます。 商品の仕様として何卒ご了承くださいませ。 サイズ・容量 W435×D22×H1350mm×3枚 興味のある方はプロフィールを覗いてください。 (店舗ではお取り寄せになります) #3連衝立 #3連スクリーン #3連パーテーション #こだわりデザイン #配送します #東北 #山形家具 #米沢家具 https://www.instagram.com/p/Cdz09a7uGt6/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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poddyshobbies · 2 years
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787系 特急かもめに乗って(1)DXグリーン席
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(写真が多いです。There are many photos.)
西九州新幹線の長崎区間開業によって無くなる、博多-長崎の特急かもめに乗車しました。特急かもめは今回乗車した 787系と白いかもめの愛称の 885系が運行しています。
885系は大分までのソニックとしても、787系は大分以南の日豊本線の特急や博多と北九州を結ぶ朝夕の特急きらめきなどに使われています。
その 787系の4号車はビュッフェを改造した少し前後幅が大きめの普通座席(頭上の荷物入れが無い)や4人掛けのセミコンパートメントがあります。> 関連投稿。
そして、1号車には通常のグリーン席に加えて(1列だけですが)DXグリーン席やグリーン個室があったりします。
787系は長崎本線以外でも走っていますが、ここで DXグリーン席と個室を利用して長崎往復をしてきました。
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長崎へは13号、DX席に乗車しました。
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切符は事前に購入しました。
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787系では長崎側進行方向に向かって左・海側が2人席、右が1人席です。(885系は逆になります。)
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↑ 2人席 ↓ 1人席
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DX席は最前列の1列のみ。1AB+1c
グリーン席とはガラスのパーテーションあり。
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乗車して先頭方向へ
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個室の横を通って、
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ガラスドアを開けるとグリーン席です。
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出口方向
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2号車
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DXグリーン席 ~ 最大の特徴はリクライニングシートにあり。
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コンセントは2か所使えます。
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足置きはフラット近くまで持ちあがります。
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背もたれもかなり倒せます。
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体を少しずらすと寝そべった感じで車窓を楽しめます。
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窓枠にもペットボトルが置ける広さあり。(テーブルは収納状態)
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デビューは 1992年(平成4年)
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派手さはありませんが落ち着いて乗れます。(30周年、���くはなってますが良い感じはデビュー以来のままです。)
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席数が少ないので、かもめ廃止までどれくらい空き席になるのかわかりませんが … 同じ料金払うなら 36+3 の普通グリーン席よりずっと良いと思いました。(安いし)
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所要時間は 2時間1分 ~ いつもより少し早く感じたような。
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切符は2枚きっぷ(乗車券+特急券)を利用。DXグリーン、個室グリーンともに組み合わせ可です。
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片道 3150+2720=5870円
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博多-長崎は 200キロ以下なのでこの料金です。ちなみに通常のグリーン席は1600円。(個室グリーンはこの1600円の2人分、3200円です。DX席に480円の追加でOKなので最強かもです。)
YouTube > 車窓映像
春日付近 ~ 肥前山口(45分15秒)/ 肥前山口-長崎(1時間12分)
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gu4 · 3 months
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「本当にヤバい社員」に辞めてもらいました…新規採用禁止だが客先に請求出来るポジションなので補充可能、「自主退職」してもらいました。 【経緯】 2023年4月某プロジェクトで入社、前職は競合外資系企業、BGC(Back Ground Check:前職調査)もグリーンで通過、リファレンスは取らず⬅これが失敗 客先に某プロジェクトのコンサルとして開始3ヶ月のみ常駐…ここで舌禍事件を起こす…曰く「客のレベルが低すぎてやってられない、よくこれで物流管理が出来るな」と…顧客から暴言の苦情でデリバリーヘッドが面談して事情を聞くも本人は本当のことを言ったまでだと、HRからは処分の可能性を伝えるも開き直り…ここでデリバリーヘッドの判断が甘かった「よくある仕事に自信持ちすぎな人なんだろう」と誤解した…オンサイトを外され次のプロジェクトまでベンチ扱いでオフィスに出社、やることないから取りあえず社内IT管理の手伝い…をまともにやらない「俺はこんなレベルの仕事はやらない」と暴言。さらに何もせずオフィスにいるとパーテーションの向こう(各席半個室)の隣席の営業マンのWeb会議の声がうるさいと客先とのミーティング中に怒鳴り込み、営業マンのヘッドセットを取り上げ投げつけた(当然客先にも見えてる)、ここでやっと私にHRから連絡がきた 問題人物の前職に知り合いがいたので電話で確認「あいつそっちに行ったの?ウチはクビにしたよ、あいつのせいで社員1人辞めて会社が訴えられそうになったんだよ」と…なぜリファレンスを取らなかった!とHRを激詰めして即座に後任者の採用とクビの手はずの準備を開始、しかしこれだけでは懲戒解雇は難しいと社労士も弁護士も意見をくれた。自主退職してもらうしかないと判断し、面談を設定…面談当日、過去の事件から勤務態度を新ためる気があるか聞くも「本当のことを言っただけ」「うるさかったから」と想定通りの反省ない回答、こちらからは就業規則と顧客に対してウチのCode of conductに対する明確な違反行為でHRから警告書と減給処分を伝える…これで辞めるかと思いきや「弁護士と話して下さい、減給は受け入れません」と。はあ、日本ってどんなやべぇ社員もクビに出来ないんだよな…で、弁護士に連絡取って減給処分伝えようとすると驚きの返事が「そのような件は存じ上げませんので対応しかねます」と「???」で「そちらに○○さんが相談に行ったんですか?」「相談があったかどうかも含めてお答え出来ません」と…こちらの弁護士に聞くと「それ、その弁護士が相談されて受任してないんですよ」と…絶対クビにしなきゃ 再び面談、すると突然パッケージ1年分くれるなら自主退職する、と。⬅実はこれ、前職の会社でも同じ要求したらしく、それを聞いてて既に手の内は見えていたので「あなたには弁護士もいない、数々の違反行為、反省しない限り将来に仕事もない、パッケージ払う気はない、勤務を続けたいならオフィスではなく在宅勤務だけになる」と解雇と言う言葉を使わずギリギリ交渉する、もちろん同意を得て全て録音。結局HRに「次の会社が見つかった」と自主退職の連絡があり…シンドイよ辞めてもらうの…皆さん、リファレンスはちゃんと取りましょう、現場のエンジニアでもヤバいのいます…
本当にヤバい社員に自主退職してもらった話→辞めてもらうのも大変だぁ - Togetter
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kiricreamchees · 2 years
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3年連れ添ったペアリングを切ってきた。
監督が割とひどい突き指をしたせいで指が腫れ上がったから。
最初はパンパンに腫れて色も変わっていて本人は顔色一つ変えないのでそんなことないのかなと思ったけど、指輪切断するのを検索していたので「やるなら早い方がいい」と思ったがいつものように人の言うことを1回で聞かないので。
昼寝をして起きたら更に腫れていてただ本人は平気そうだけどご飯を食べた後に「そういうのは大変なことになる前にやったほうがいいんだよ。」というと『じゃあ切るか』となり昨日は日曜だしお金をかけたくない(せこい)らしいので消防署に電話をして行くことになった。
夜の22時前に訪問すると玄関に検温器やアルコールあるのにやってくださいなんて一言も声をかけられなかった。そそくさと上まで通されて一室に通されたけど消防官5人くらいゾロゾロ入ってきてその時に違和感を感じた。
「おい、コロナ禍だぞマジかよ」言いそうになった。部屋にはパーテーションがあるのに…と思っていたらそのあとまたゾロゾロ人が出入り。10人くらいトータルで入ってきたんじゃなかろうか。『お前そうじゃねえよ』とか若干笑いながら対応する消防官達がめちゃくちゃ不愉。
一言も喋らずに周りにいる人もいて出る時にぶつかりそうになってサッと避けていった。私の癇に障った。
思い出した、この不愉快の感覚は男子高校生が集団になって何かをやってる時の感覚だ。何も喋らず邪魔くせーなこいつて感じの人が避けていくのも高校で感じたあの感覚だ。消防官は全員男性だった。
指輪はすんなり切れた。でも心のモヤモヤはすごいし、処置を見ていても適当。
監督の指は見ているだけで痛々しいし腫れ上がっているのに。
形成外科で切る手段もあったそうだけれども急を要したし監督がせこいせいで嫌な思いした。
車の中で「あんなに人がいたらパーテーションの意味ないね」とか色々愚痴をポツポツ言った気がするけれど『うん。』と返事をするだけだった。
車の中の一文を書いていたら「泣いちゃッた…」してしまった。
このペアリングもういらないかもしれない。
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anifactory · 3 years
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音楽の鳴る場所、人の自由が集う場所
covid-19が世界的なパンデミックとして猛威を振るい、ここ日本では1年と2ヵ月を経過してなお終息の形が見えてきません。まずは日々重症者や個々の対応に追われている医療関係者の皆様や、明確な目標をもって地方自治体と連携し、政治に携われている議員の皆様、並びに感染リスクを最大限回避できるよう対策し、人間の根本的かつ社会的な活動と経済を少しでも支えようと生き抜いている全ての国民の皆様に、感謝の意を表したいと思います。
本日令和3年4月25日、東京、大阪、兵庫、京都の4都府県を対象にした「3度目の」緊急事態宣言が発令されました。大型レジャー施設や百貨店、デパートの休業要請のほか、時間帯に左右されず、飲食店では酒類の提供が禁止、また深夜では「消灯」が推奨されるなど、非常に限定的かつその意図を図りかねる内容が盛り込まれており、4都道府県だけでなく、全国で波紋が広がっている状況と言って過言ではないでしょう。包み隠さず私見を述べれば、全く以てお話になりません。それぞれの経営者が補償やその内容の詳細を調べるのにも、それぞれの地方自治体の担当の方が把握できていない状況は、異常です。
世界的に見て / 新規感染者数が / 医療の病床が / だとか、そんな内容はほとんどの国民が状況見て「危険だ」という事を把握しているはずで、これは希望的観測ではありません。この1年で、マスクや消毒の重要性、パーテーションの設置や距離、声を張り上げない泥酔しない対策を講じていない場所には近寄らないなど、十分学んできたではありませんか。緊急事態宣言が発令されるという記者会見で、内閣総理大臣は「どのような状況であれ、オリンピックを開催するか否かはIOCが権限を握っている」とハッキリと口にしました。これは、オリンピックを開催する日程に日本がいくらパンデミックに陥っていたとしても、あらゆる業種の経営者 / 従業員が経済��に陥り、職を彷徨ったとしても、自殺者に歯止めが利かなくなっても、学生が積み上げてきた部活動での大会が全て潰されたとしても、IOCが開催することを放棄しない限り「やる」という宣言です。
おかしくはありませんか。私も含め、誰もオリンピックそのものに恨みを持っているわけではないのです。また、聖火ランナーとして走る皆様も含め、大会に出場される選手の大きな夢もスポンサーの未来も世界の注目も背中に乗せてオリンピックは開催されるのですから、それをないがしろにしろと誰が言っているのでしょうか。パンデミックが人類における「平等な脅威」だとすれば、完全に平等ではなくともこの状況下で人と人とが互いに協力し合い、あらゆる業種、あらゆる人種、あらゆる目的や行動、経済から目を背けず、助け合いを促すのが国の仕事ではないのでしょうか。IOCがどんな状況でも開催するというその一言だけで、何故オリンピックだけが優先されなければならないのか、その説明もないまま、今を生きるのに困難な人々が増え続けています。これはcovid-19の感染力よりも、重大な日本の「病気」ではないのでしょうか。
私はクラブDJとして、細々と活動している身です。それでも芸術に携わるいっぱしの人間として、フライヤーの制作やデザイン、オーガナイザー、企画など、15年という期間「プロ」だという気持ちで活動をしてきました。本職は別にあります。grand space Quarkで毎月開催している当イベント「ANIFACTORY」ならびに姉妹イベント「Qualia」では、毎回20~60人程度のお客さんが集まります。多い時では100人近く導入しましたが、決して大きな動員数とは言えません。しかしながら、愛知県豊橋市という地方で、5年以上開催している当イベントに集うお客さんにとっては、もはや帰ってくる場所の一つであり、出演者もクラブそのものも含めて「なくてはならない場所」だと自信を持って言えます。誇りある「必要な場所、時間」なのです。
音楽は娯楽です。同時に、芸術です。人々が何千年以上も前から「劇」を楽しむように、絵画をあらゆる方法で描き残すように、声や打楽器だけで神を祝福するように、あらゆる芸術は人間が人間として営みをこの地球で続ける以上、自然に発生するものです。それは何故か―必要だからです。全ての住居が同じ平坦な作りで建っていますか?教会を行う聖堂のオブジェや内装は不必要なものでしょうか?コルセットは機能すれば全て同一のデザインでよいのでしょうか?答えはNOです。自然(Nature)ですら咲く花々や草木は互いに違う色や形状をしているのに、同じ自然から発生し理性を持つ人類の誰もが同じ芸術を楽しむ道理が無いことを、我々は十分に理解しているはずです。
繰り返しましょう。必要なのです。たかがクラブ、たかがアニソン、たかがDJ。そうやって日本は娯楽をれっきとした芸術として認知してきませんでした。美術館に展示する絵画だけが、クラシックのコンサートだけが、日本の伝統芸能だけが、舞台や劇だけが芸術ではないのです。崇高なもの、技術の高さ、精密さ、それらは個として十分に評価されるべきです。しかしながら、世間では低俗なものとされてきた不良の音楽は今や世界のスタンダートとして認知されるようになり、我々日本人では想像もできないほどの人種差別を受けてきた黒人のフリースタイルバレエは今や世界のダンスに大きな影響を与え続けています。先進国と謳われるここ日本で、何故ワクチン接種が大幅に遅れているのですか?明確な数値目標や未来の投資もないまま、このような横柄な業種への抑圧が続いているのですか?これは完全な私見ですが、天秤にかけられているのは大か小か(オリンピックか、他か)でしか無いような気がしています。小さな芸術ですら目を背ける日本に、正確な判断ができるとは思っていません。それでも多くの国民が、日々助け合いの心を持って生きているのです。私は、おかしくはないだろうか、という意見や声を挙げる事が今必要だと考えています。
たかが地方のアニソンイベント、私はそう思っていません。地方だろうが都心だろうが大だろうが小だろうが、音楽という芸術を取り扱う場所と時間は誰しもに平等なのです。これからもこの思想を根本に可能な限り開催を続けるため、マスク消毒、距離の確保、泥酔の禁止、人数の制限に名簿記入などスタンダードな対策を徹底し、「楽しみに」来て頂ける全てのお客様の自由を保障します。読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
願わくばここ日本に住む皆様の未来に、加護があらんことを。
ANIFACTORY / Qualia主催 NOUSLESS - 萩原広信
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cafedayjp · 3 years
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【カウンターが使えるようになりました】 cafe\dayのカウンターファンの皆さま笑!長らくお待たせいたしました。   パーテーションがはいり、カウンターが使えるようになりました。 お気兼ねなくいらしてください☺️☕️ —————————————— cafe/day(カフェデイ) ad.静岡県沼津市沼北町1-14-26 tel.0559223910 ✨ふじのくに安全・安心飲食店認証の店として感染対策に取り組んでいます 【🕐EATin】9:00-17:00(L.O.16:30) morning time 9:00-11:00 lunch time 11:00-14:00 tea time 14:00-17:00(L.O.16:30) 【TAKEout🛍】 [注文受付]9:00〜16:00 [お受取り]11:30〜17:00 【Delivery🛵】 出前館サイトからcafe/dayを検索してご注文ください。(デリバリー用の価格になっております) 【CLOSE】 月・第3火(祝日営業、翌営業日休) 駐車場12台 店内50席 テラス席あり (テラスのみ喫煙可ペット連れ可) #cafeday#pancakes#cafestagram#カフェデイ#パンケーキ#静岡カフェ#伊豆カフェ#沼津カフェ#沼津テイクアウト#沼津デリバリー#沼津ランチ#伊豆ランチ#沼津モーニング#沼津朝活#沼津パンケーキ (cafe/day) https://www.instagram.com/p/CVgzmHJhUE-/?utm_medium=tumblr
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xf-2 · 6 years
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最新テクノロジーやデータを活用する企業が一堂に会し、先進的な取り組みを共有するカンファレンス「ウイングアークフォーラム 2017」。11月14日に開催されたウイングアークフォーラム 2017 [東京]では日本マイクロソフト株式会社の澤円氏が登壇し、「『働き方改革』を本気で進めるために必要なこと、教えます。 ~ワークスタイルのリアル~」と題して講演を行いました。
(提供:ウイングアーク1st株式会社)
シリーズ
ウイングアークフォーラム
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ウイングアークフォーラム2017 東京
>
「働き方改革」を本気で進めるために必要なこと、教えます。 ~ワークスタイルのリアル~
2017年11月14日のログスピーカー日本マイクロソフト株式会社 テクノロジーセンター センター長 澤円 氏トピックス一覧
マイクロソフトが歩んできた“地雷だらけ”の道
本業が6割、副業が4割の働き方
テクノロジーによって仕事が大きく変わる
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マイクロソフトが歩んできた“地雷だらけ”の道
澤円氏(以下、澤) 澤と申します。よろしくお願いします。40分間を使いまして「働き方改革」を本気で進めるときに必要なことをみなさんにお伝えしたいなと思っています。タイトルが「『働き方改革』を本気で進めるために必要なこと、教えます。」だと、偉そうに聞こえますけど、なんていうことはない。我々が、散々先に踏んだ地雷の話をするわけですね。ですから、どのように地雷を踏んで道を作ったかというのを共有したいなと思っています。我々の働き方改革という話をする時に、一応、私の肩書についてもお話ししておきたいと思います。まず、マイクロソフト テクノロジーセンターのセンター長というものをやっています。これは全世界に50カ所あります。その50カ所に同じようにテクノロジーセンターダイレクターというのがいるんです。そのダイレクターというのは、みんな同じ仕事をするんですね。同じ仕事というか、評価をされるポイントがまったく同じになっています。全世界でロールモデルが決まっている。そのロールモデルが協調されているというのがポイントとなります。そして、アメリカの本社のほうのサイバー犯罪から独立した捜査を行なうデジタルクライムユニットがあるんですけども、そちらの出先機関として、全世界7拠点にサイバークライムセンターというものがあります。アメリカに2拠点、ヨーロッパに1拠点。あとは全部アジアにあります。ソウル、北京、シンガポールそして日本。アジアがホットスポットになっていますので、「その情報の発信機関としてやりなさいよ」と、これはリーガルチームとペアになってやっているんですね。そういったクロスグループでやっているというのも1つのポイントとなっています。それからもう1つ、データセンターツアーガイドがあります。これは文字通り、ツアーガイドなんですが、ただ社会科見学やはとバスツアーみたいな感じではなくて、セキュリティの重要性を体感いただくためのツアーをやっています。これをデータセンターをつくるために特別に組織されたグループと一緒につくっているんですね。こうしたクロスグループでやるところに関しては、非常にマイクロソフトは重視をしております。それから、なんといっても大なことは僕がサラリーマンだということですね。僕は、よくミュージシャンなんかと間違われるんです。この間、飛行機に乗ったときに、前にCharさんが座っていて、絶対に同じバンドの人間だと思われているんだろうなと思ったんですけど。……そんなこと、どうでもいいですね。(会場笑)
本業が6割、副業が4割の働き方
会社勤めをしている一方で、琉球大学の客員教授もやっています。私のチームのメンバーは、私を含めて4人、大学で教鞭をとっている人間がいます。また、株式会社FiNC。これはオンラインのヘルスケアのアプリケーションなんかを提供しているベンチャー企業です。こちらの顧問なんかもやっています。株式会社ビズリーチ。これはCMでもやっているのでご存知じゃないかなと思います。こちらには創業当時、まだ6人しかいなかった頃から関わっています。今は、協力会社を入れると1,000人ぐらいになっていますが、そういった会社の顧問をやっている。 もう一つ、TECH LAB PAAK。こちらはリクルートさんの社内ベンチャーなんですけども、こちらの顧問もやっています。要するに、副業は完全にOKになっています。私は、だいたいざっくり言うと会社の仕事は6割、それ以外で4割ぐらいの割合で他のことをやっています。これがOKになっているんですね。なぜそんなことができるのか、その内容に少し触れていきたいと思います。あとはテクノロジーの話などもしていきたいと思います。
テクノロジーによって仕事が大きく変わる
働き方改革は、テクノロジーが進んでいくことによって大きく変わる側面が最近では強いですが、こういったことは100年ぐらい前にすでに起きていたという話をします。(スライドを指して)これ、どこだかパっとわかる方いらっしゃいます?この当時、ここにいたという方はたぶんこの中にはいないと思います。なにしろ1905年の写真ですからね。これはどこかというと、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンのあたりですね。今でも同じような建物が建っているわけですが、見ていただくとわかる通り、ビジネスエコシステムがすべて馬車で作られていました。アメリカ全土で作られる穀物のうちの25パーセントは馬用だったんですって。それぐらい馬を中心にすべての物流は回っていたということなんですが、当然こういう街には馬に対するビジネスをする人たちがいるわけですね。馬の面倒をみる。馬車のメンテナンスをする。馬車を停める場所を提供する。そういったビジネスが起きていたわけです。その当時、車はどうだったのか。この20年前、すでに特許の申請をされて開発が進んでいました。自動車は存在していたんです。ただその当時なんて言われていたかというと「これは悪魔の乗り物」でした。内燃機関があるので、中で燃えている。ボンネットの中で火が燃えているから危ないじゃないかというのがまず1つ。もう1つが既存のビジネスエコシステムを崩す。今までは馬で生計を立てていたわけだから「車なんかに出てこられたら迷惑」という側面もあったんですね。まさに、新しいテクノロジーが自分たちの仕事を奪うと考えていたんです。(スライドを指して)これが20年後なんです。20年経ったらこの通り。みんな車になっているわけですね。馬車なんてどこにも走ってない。たったの20年です。私が社会人になってからもう25年以上経っているんですけども、その20年という間に馬車が車に置き換わる。これがテクノロジーによって仕事が大きく変わるということなんですね。じゃあ、全員失業者になったかというと違うんですね。馬の面倒をみていた人は車のメンテナンスをすればいいし、馬車を停める場所を提供していた人は駐車場をやればいいし、馬車のメンテナンスをしていた人は車の板金工や整備工をやったりすればいい。仕事が変わる。テクノロジーが変われば働き方が変わるというのは、100年ぐらい前にはもうやっているわけなんですよね。それを今からはITでやればいいわけなんです。
“働き方ファースト”にならない日本の傾向
コンピューターはこういう巨大な機器、みんなで使う端末を使って仕事をしていたわけなんですが、どうしても、これだと物理的な制限がありますね。なにしろちょっと持って歩くには大きすぎるわけなんですよね。そして当時はそのでかいコンピューターを針金で引いてきて端末に繋ぐんですけども、それが非常に高価だったり、専用線でなければいけないという制約を受けていた。それが今や手のひらの中にある。すべて手のひらの中にテクノロジーが収まる状態になっていて、その端末そのものもすごく賢くなっているし、クラウドというものものすごく賢くなっている状態なんですね。ですので、これを使ってビジネスをやらない判断は、もはやないんじゃないかと思うわけなんですね。例えばなんですけども、朝起きてテレビ以外のなにかが映る機械のうち、最初に見るのがパソコンだという方はどれぐらいいらっしゃいます? パソコンだという方。(会場挙手)あっ、いたいたいた。ありがとうございます。でも絶滅危惧種ですね。ちなみに私はパソコン派ですから、みなさんの味方です。スマートフォンだという方はどれぐらいいらっしゃいます?(会場挙手)ありがとうございます。もうずらっと挙がりますね。まだスマートフォンって10年経ったか経たないかぐらいですよね。もうなっているわけですよ。もう世の中がそうなっている。モバイルファーストなんですよ。最初にモバイルを使う。ちなみに、前の日に撮った自撮りの画像しか見ないという方ってどれぐらいいます?これはいないんですよ。ほとんどの人はソーシャルネットワークのニュースを見たり、天気予報を見たり、インターネット上のリソースを見たりするんですね。だからクラウドを見るという、そういった話なんです。ライフスタイルの中ではモバイルファースト、クラウドファーストの考え方はすでに浸透しているんですけども、なぜか働き方のところにいっていない。これがおもしろいところなんですよね。とくに、その傾向が強いのが日本だなと思います。
アメリカと日本の「忙しい」は違う
(スライドを指して)これはよく引き合いに出されるグラフなので、覚えている方は多いと思いますが。なにかというと、労働生産性です。19年間ずっとビリです。19年間、G7の中で1度もビリから2番目になったことがないんですね。順位は不動のビリケツ。労働生産性はGDPと労働人口の割算です。これは実は公式な数字だけで計算しているので、非公式な数字、つまりサービス残業は含まれていないんですね。ですので、実情はおそらくはもっと悪くなっています。ちなみに、アメリカ人が忙しいという感覚と日本人の忙しいという感覚はずいぶん違います。日本人の「忙しい」「超忙しい」「俺すげー忙しい」という感覚は、だいたい残業では(仕事が)終わらなくて休日出勤までするような状態ですね。しかし、アメリカ人の忙しいとはどれぐらいかというと、8時間勤務時間があって、7時間35分ぐらい過ぎるともう忙しいと言い始めるんですよ。そういう感覚なんですよ。「働いてないやん」と思うかもしれないですが、要するに「生産性の高い働き方をしてれば、そんなことはいらないだろ」「ましてやオーバータイムで働くなんてありえない」というのが基本的な考え方なんです。本当はそうじゃない場面もあるかと思いますけど。別の話になりますが、私のところにバリバリの日本企業から、インターンとして毎年1人ずつ、交代で4年連続で来てもらったんです。それで僕と一緒にミーティングに出たりしてたんですけども、彼は非常に驚いたんですね。「こんなペースで仕事をしているんですか?」と。我々は、朝はそんなに早くない。夕方もとっとと切り上げて帰ってしまう。18時、19時以降のミーティングは少なくとも私のところではやっていません。その代わり、間隔をギュッと詰めているわけですね。30分、1時間のミーティングをぎっしり入れて、1時間、3時間をお客さんとのセッションだったりして、あとはとっとと帰るという感じです。彼はこのような状況を見て「密度が濃いですね」と言いました。そして続いて言ったのが「会議でみなさん発言されるんですね」です。なんとなくその辺から雲行きが怪しくなってきますね。次の一言が僕の度肝を抜きました。「私は会議でなにかが決まるのを初めて見ました」。(会場笑)「はぁ? じゃあ会議でなにするの?」と聞いたら、「その会議に出ている偉い人が喋っているのを一生懸命に聞いてメモをとるのが会議」だと。本当に会議で発言した記憶がないって、僕に言ったんですよ。非常に日本的で歴史のある企業で、そういったカルチャーがきっちりつくられるような、特殊な事情があったかもしれないですが、これはかなり問題なんですね。「じゃあ、もし会議中に質問したらどうなるの? 会議中にわからないこともあるでしょう」「怒られます」「なんで?」 「会議の進行を乱したから、そういう扱いになるんです」「じゃあ、わからなかったらどうするの?」「終わった後に年次の一番近い人に聞きます」「それがわからなかったら?」「その先輩が主任に聞きます。係長、課長、部長、最終的には一番偉い人に聞きます。そうすると極めて抽象論な答えが返ってきます」わからないまま次の会議にいく、そういうサイクルなんですね。それをエコシステムといいます(笑)。偉い人の話を黙ってきちんと聞きましょう。それが「まじめ」という言葉で表されます。
「会議で発言しなかった」「じゃあ次の会議にはこなくていい」
残念ながら、これが実情なんですね。会議で発言しないことに対して、日本ではペナルティを課している会社のほうが少ないんじゃないかなと思います。実際に、「会議で発言しなかった。ペナルティだから、もう次の会議にこなくていい」というやり方をしている会社さんってどれぐらいありますか?(会場挙手)ありがとうございます。うちの会社は次から呼ばれません、基本的に。それはペナルティじゃないんですよ。「あなたはこの会議に出なくても大丈夫だね」「だから、時間を返すね」という考え方なんですよね。私はいつもこの写真を使うわけなんですけど、これ、わかりますよね。サラリーマンといえばこれですね。この前は小松菜の写真を間違って使っちゃって話が進まなくなっちゃったのですが(笑)。なにか会場が極めて微妙な雰囲気になったんですけども、「報連相」ですね。「報告・連絡・相談」が、サラリーマンにとっては最も大事。ただ僕はここにある程度のカテゴリ分けをしています。「報告・連絡・相談」、どれも大事なんですよ。どれかがいらないと言っているわけじゃなくて、どれも大事です。ただ特徴として、報告と連絡は過去の言葉で言う。だいたいそうですね。報告とは過去に起きたことです。「これがこうなりました」と報告する。過去に起きたことをデータ化して可視化して伝えるということです。「これからお客さんのところへ行きます」「これから戻ります」「こういったことがありましたので私が今から対応します」。これが連絡というかたちですね。相談に関しては、未来なんです。なので僕はこの部分の時間を圧縮する。時間を使いすぎているからこの時間を圧縮することによって、実際に働き方が変わってくる。よく「残業をなくすぞ」という旗印でやっている人は多いですけども。仕事量が同じなのに残業なくせと言ったらどうなるか……という話なんですね。売上を達成しなくていいのだったらできる。それは、1つのあり方ですね。でも、そうならないんですよ。日本人はそのあたりをきっちりやろうとしますので、残業するなと言われたら定時で退社します。そして会社を中心とした、その周りのお店に社員が集まる生息域ができるんですね。ドーナツ型をしていて、すべての周辺でおそらくは150メートルぐらいの社員食堂になる。だんだんと席などが決まってくるかもしれないですね。そういうことが起きる。
日本企業の「礼儀正しく時間を奪う」あるある
もう1つ問題があります。さっき会議の話をしました。なにも発言しないのはよくありませんが、そもそも会議のありかたというのは、場所と日時を合わせることをしなければいけない。つまり、スケジュール調整をするんですが、それはコストだという意識があまり僕は備わっていないんじゃないかなと思っていますね。スケジュール管理をする、スケジュール調整をするとは、実はめちゃくちゃコストなんですよ。ですので、これをカットしてほしいんですね。スケジュール調整をするということ。とくに時間と空間を合わせることは極めて難しいんですよ。ある外資系でバリバリに活躍していた人が、日本企業に三顧の礼をもって役員待遇で転職をされた話を聞きました。その人はものすごく高待遇で、本当にもう大歓迎の状態で、州知事をお迎えするような状態だったんです。しかし、その人が転職をした後で知り合いのコンサルタントが「今どう? すごく大歓迎されたんでしょ? 調子いい?」と聞いたら、「悩んでいるんだよね。ぜんぜん調子よくない」「どうしたの? だってすごい頼りにされているんでしょ?」「そうなんだけどさ。考える時間がないんだよ」と言っているんですね。なぜかというと、別にいじめられているわけでもなんでもないんですが、みんなその人をすごく頼りにしています。みんないろいろな相談をするようになった。なにもかも報告をミーティングでしようとするんですね。いちいち全部、会議をやっている。朝来て帰るまですべて会議。聞いた話では、ほとんどが社内の会議になります。なぜか。「◯◯さんにこのことをご報告するのにメールで送るなんて、失礼だと思って。フェイス・トゥ・フェイスできちんとお話をさせていただきます」。こういうことをみんなが言うんですね。そしてみんながどんどん会議の時間を入れていってしまうんで、結果的にゆっくりなにかのレポートを見て考えて、じっくりなにかを判断をする時間を取れなくなってしまうんですね。これを私はこう表現します。「礼儀正しく時間を奪う」。礼儀は正しいんです。良かれと思ってやっているんです。ですが、結果的に裁量能力があるはずの人の一番貴重な時間というリソースが奪われていってしまうんですね。1日の時間は24時間。これは誰しも同じですから、それを浪費されてしまうと活躍の場がなくなっちゃうんです。この人になにが起きたかというと、ずっとミーティングで時間を詰められてしまっているので、その場その場で判断しないといけなくなってしまったんですね。瞬間的に判断を下さないといけなくなってしまう。もちろん能力が高いのである程度のところまではいけます。ですが、考える時間がじっくりあった時と比べると当たり外れの差が出てきてしまうんですね。ですから、彼からすると本望じゃない。そういった感覚になっていたということです。もう1つ、そういった報告をする人たちは、もちろん良かれと思ってやっているんですが、レポート作成に時間をとられて仕事をしている気分になる。レポートを作る作業は、麻薬みたいなもので、仕事をしている、忙しいという気分にさせてはくれます。ただ、やっていることは過去の出来事の焼き直しですから、前には進んでいないのです。今この話を偉そうに言ってますけども、これは評論家として言っているんじゃないんです。マイクロソフトがそうだったから言っているんです。我々はこの問題を解決済みなんです。
「旅するダンボール」に眠る情報漏えいのリスク
(スライドを指して)これは新宿の本社時代。今は品川に本社を移したんですけど。新宿の時代はこんな感じでした。いわゆる島型対向という座り方で、そしてキャビネットが大量にあって、紙の書類がいっぱい置いてあったんですね。プリンターがあちこちにありました。後ろからみるとこんな感じ。席と仕事が一致しています。どういうことか。ここに固定電話がある。この固定電話が鳴ると席にいってピックアップしなければいけない。席と仕事は一致している。ちょっと持ち運びには重すぎるデスクトップパソコン。ここのハードディスクの中にあるデータには、ここに行かないとアクセスができない。ここにいて仕事をする。ここにあるキャビネット。この中にはたくさんの書類がある。席にいて仕事をすることになりますね。ある一定の人が集まると、だいたいこういう人が出てきます。片付けられない人がでてきますね。片付けられない人が問題だということではなくて、例えばこれです。旅するダンボール。このままの状態でずっと積まれた状態になっていて、次の引っ越しの時にはずっと横に移動していくわけですね。でも、足が生えて歩いていくわけではありません。これは運ばなければいけない。おまけにここの部分には、ちゃんと家賃が掛かっています。ここに立つことができません。そして、この中のドキュメントには、お客さんのデータがたっぷり入っています。抜かれても、気づかないんです。ですので、情報漏えいのリスクもこの中にはある。ちなみに、サイバークライムセンターをやっているので、いわゆるサイバー犯罪にはくわしいですが、一番狙われて一番被害に遭うのが紙です。紙はコントロールできないので、実は産業スパイをやる人たちが最初に狙うのです。紙はだいたいずさんに扱われているので、それをピックアップして、ヒントにして入り込む。そういうやり方になります。
風通しのいい職場で起きた「コミュニケーション不全」
パーテーションがあったりすると、実は人が探せない問題があるんですね。「XXさん来ているのかな」とぱっと見えない。仕方がないので、同じフロアにいて空間を共有しているはずなのに、コミュニケーションがメールベースだったりチャットベースだったりするんですね。そういうことが起きる。ですので、こういったかたちでパーテーションを外してみました。そうすると、確かにこの人はこの人を見つけることができるようになりました。島型対向で席をつくっていると、同じルートしか通らないんですね。だいたいルートがワンパターン化します。それで同じ人にしか会わない。立ち話をあまりしない。違った人としない。そして日本の会議体で一番多いのは、同じ島に座っている人たちがそのまま会議室に移動して会議して、そのまま戻ってくるというやつですね。民族大移動が行われるだけという、そういう会議が行われることが非常に多くなります。物理的には風通しのいい職場で、せっかくみんなが出勤してもコミュニケーション不全になっている例なんていくらでもあるんですね。マイクロソフトもそうでした。(スライドを指して)見ていただくとわかるのですけども、会議室は常にいっぱいなんです。なにしろ立ち話をするところがないですから、会議室に行かざるを得ない。会議室は常にいっぱい、席はガラガラです。ポイントは席にポツンといる人ですね。会議室争奪戦に負けたんです。仕方がないから席にいます。会議室争奪戦に負けたから席にいる。それが問題なんじゃないです。この人はなにかを先延ばしにしている可能性があります。「会議室がとれないから、この件については来週決めよう」「20人が集まれる会議室は来月まで空きがないから、この件については来月にしよう」。スペースの問題が、ビジネスのスピードにまともに跳ね返ってきています。結果的になにが起きたか。 マイクロソフトでは先ほども言ったように、全世界を同じロールモデルで揃えてマネージするやり方をとります。ですので、簡単に比較ができるんですね。この国はこの国よりイケてない。この地域はこの地域よりイケてるというのが一発でわかります。日本はその当時、ビリ中のビリだったんです。超ビリ。すごいビリ。ついたあだ名が「Sick StaffSub」。Sickは病気、SubはSubsidary の略で、「支社」という意味です。つまり、病気の支社という意味です。売上がとんでもなく悪いせいでそう思われしまっていました。「お前ら病気だ。だから俺が治してあげるよ」と、おせっかいまで言われるんですね。そうすると先ほど言った報告連絡の時間が増えます。お客さんのところへ行く時間が減ります。また売上が下がります。また怒られます。報告が増えます。「お客さんのところへ行けません」というのをずっと繰り返していたんです。何年もビリの下り坂まっしぐらなんです。ということで、これではいかん。このままだとまずいということで、なにをしたかと��うと引っ越しをすることにしました。東京都内の5つに分かれていたものを1カ所に集めることをやりました。
マイクロソフトの大移動計画、失敗は「電話」
やっぱり移動時間が無駄になっているということもあって、1カ所に集めたほうがいいだろうという引っ越しプロジェクト。まず選定されたのは紙の位置。先ほどのようなキャビネットなどではなくて、80パーセント以上のストレージを減らしました。「だから紙は捨てていけ」「もしお客さんからもらった大事な紙のデータがあるんだったら、全部スキャンニングをして電子データ化して自分のところに置け」。そのためのサービスの契約をして、実際にそれを行なうことができる環境を用意しました。とにかく紙を持っていくことを許可しないようにしたんですね。ワークプレイスの1つの例をとると、椅子があります。これはフレキシブルシーティングという、要するにフリーアドレスですね。そしてフリーアドレスをする時に、みんなが好きな椅子を導入しようということで投票し、みんながチェックをして椅子を決めました。そして同じ型の椅子をずらっと買ったんですね。そして、結果的にはコストを抑えることができました。さあ準備万端! しかし、反対運動がおきます。大騒ぎです。もう文句ばっかりです。まず、「朝の山手線に乗れというのか」「あんなものは人が乗るものではない」ということで、すごく文句が出たんです。なぜかというと、それまで新宿を中心に西側にオフィスを持っていることが多かったので、小田急線、京王線沿線に家を建てるようにしている人が多かったんです。僕も明大前というところからドアツードアで15分で出勤していたんですね。引っ越したら45分。山手線に乗らないといけない。これがストレスだったのは事実です。あと文句が出ていたのは、スペースの問題。「私はたくさんの専門書を持っています」「私はマシンパワーが必要」「だから私たちに固定席をよこせ」と。もう1つすごく多かったのが、「過去に失敗したじゃないか」ということでした。実は、過去に3回フリーアドレスにチャレンジして、3回とも失敗していたんです。失敗の理由は、すべて電話です。ログイン式の電話を使っていました。その当時はSkypeのような製品がちゃんと機能していなかった。機能していなかったというか、まだ出てきていなかった。まだ(マイクロソフトが)買収する前だったので、そういった技術はまだ存在していなかったんですね。ですからログイン式の電話を使っていた。朝来たらそこに暗証番号を入れると、その日にその電話が自分の番号になるという使い方なんですね。しかし、だんだん面倒くさくなってくる。そして、既成事実を作り上げるんですね。コーヒーメーカーを置いてみたり、サボテンを置いてみたり。電話の周りにそういったものがだんだん住み始めます。巣をつくる。巣をつくる連中は声が大きい。腰巾着になるような連中がいるわけです。「ですよね」と言う人がいるわけですね。そして、集落をつくります。集落がポツンポツンとできます。集落がだんだんと大きくなります。村になります。そしてめでたく固定席の完成なんですね。フレキシブルシーティングは社員数より少ない椅子にするのが通例です。なにが起きるか。村八分になる連中が出てくるんですね。そうすると、村八分になった連中はジプシーと化します。遊牧民です。これが非常に問題なんですね。ではなにが問題か。会社に対する帰属意識がすごく下がりますので、いわゆるロイヤリティが下がったようになります。これがそのままコンプライアンスリスクに発展します。「これくらいはいいか」と、電子データを持ち出したりする。「だってしょうがないよ。俺ら席がないんだもん」、それが彼らのエクスキューズなんですね。ですから、今回はそうならないように「Business Justificationを示しなさい」という指示をしました。「黙っていうことを聞け、ではない」「あなたの話を聞きますよ」ということです。「ビジネスの正当性を数字で示してくれたらOKですよ」というコミュニケーションをすることにしました。さらに、部門代表者による啓蒙を行いました。これは全社のソフトボール大会とはわけが違います。なので、1~2年目の若手をアサインなどするのは意味がありません。そういう若手の人が部門に戻って会社の方針を伝えても、袋叩きに合いますからね。「お前、ちゃんとこっちの都合を言ってこいよ」なんて言われちゃうんですね。萎縮しちゃいますよね、若手は。なので、若手ではなくて声の大きいインフルエンサーに入ってもらいました。私のチームのメンバーには、ここにガッツリと入ってもらいました。その人は今なにをしているかというと、働き方改革担当大臣に直接プレゼンテーションしたり、あるいは働き方改革に関する政府の分科会のボードメンバーになったりしています。おそらくこの領域においては間違いなく最先端。私のチームメンバーがそういったことをやっています。
そんな中で起こった3.11
そして、なにより一気に定着した要因は、これだったんですね。「3.11」。私たちが引っ越したのは2011年2月1日。その年の3月11日にあの大震災がありました。もちろん、我々のオフィスにも帰宅困難者がすごく出て、大変な思いをしたんですね。 その時、全社宛のメールが来ました。3月13日に、当時は日本マイクロソフトの社長だった、今はパナソニックにいる樋口(泰行)さんという人が、日曜日の19時46分に出したメールです。日曜日の19時46分にメールを見られるようにしていることが大前提にあるんですけども、これを全員が見られる状態になっていました。スマートフォンで見ることができる。明日以降の勤務・安否確認など、つまりいつでもメールが見られるようになっていないといけない。ここに「在宅勤務を推奨します」「在宅勤務に切り替えてください」とありました。それで月曜日から金曜日までは在宅勤務になりました。85パーセントの人間は出社せずに、家もしくは避難先から仕事をする。そういったことをしました。やり方については、そのメールには一切書いてありませんでした。「こんな設定をしなさい」「こういうレポートをしなさい」とは一切書いてません。「本能的にわかるはずである」という前提で、この指示は出されました。もちろん、少し混乱したというか、戸惑った人間もいなくはなかったです。ですが、もう2日目あたりから完全にワークしました。「あっ、俺らできるじゃん」と気付いたんですね。
震災時に気づいた「クラウドで仕事ができるぞ」
環境としては、我々はすでにクラウド化がかなり進んでいて、どこからでもインターネットに接続さえすれば、社内の環境に繋がることができました。ワンクリックでセキュアなネットワークを張って基幹業務にアクセスすることができる環境になっていたんです。ですので、その環境が与えられていることに気付いたんですね。つまり、会社にいることが仕事の中のオプションの1つでしかないとわかったんです。やらなきゃいけないことは会社に行くことではなくて「さっと決めて、すぐにやる」。これだけだったんですね。決めるためにはオフィスに行く選択をとる必要がないということに、我々はようやく気付いたんです。一般的にはテレワークとは、例えば自分が患者の立場になったり介護する立場になったりしたときに仕事を切り出して自宅で行う状態だったんですが、会社の仕組みがこのままだとワークしないんです。会議のために紙を配るとなっていると、在宅勤務の人には紙が配られません。だから、会議に参加できないんですね。マイクロソフトの場合は、いつでも、どこでも、誰とでも、とにかく全員が仕事をできる状態に考え方を変えました。繰り返しになりますが、出勤することは仕事のうちではない。やらなければいけないのは、「あなたはこれを持って仕事をしたとみなす」というようなジョブディスクリプションを徹底的に満たすことなんですね。ですから、先ほどからしつこく言っているように、「全世界統一をされていますよ」「これをもって評価しますよ」が効いてくるんです。それが明確になっていて、それさえちゃんと果たすことができれば、出勤に時間を使わないでもいいんだとなるわけですね。それがなかなか腹落ちしなかった。でも、たまたま「3.11」の後で、自分たちがそのITツールを使えると気づき、その後、そして制度も完全に浸透していきました。本社で行われていたミッドイヤーレビューというマイクロソフトの中で一番重要な経営会議があるんですけども。アメリカの同じ会場に役員が全員座って年に1回、5時間の会議が行われます。本社と子会社の役員が出てきます。めちゃくちゃコストの掛かる大変な会議だったんですが、全部止めました。すべてSkype経由で行なうことになったんですね。コミュニケーションをツールも合わせて使う状態にすると、一般的な企業だと月当たり335人ぐらいしか会いませんが、マイクロソフトは500人近く会います。そして対話成立に至る時間は、普通のお客さんだと90時間ぐらいかかります。しかし、マイクロソフトだとその半分ぐらい。そしてイメージをしてなにかを決めることができる。非常に特徴的なのが、普通の企業だと86パーセントが直接対話して面談しますが、マイクロソフトは半分。これは2年前の数字なので、今はもっと減っていると思います。半分以下になっていると思います。それくらい、我々はオンラインで会議しているんですね。
残業代よりワークライフバランスは跳ね上がった
(スライドを指して)今のオフィスはこんな感じです。そして、いろいろなルートがあるんですね。ここに複数の歩くルートが存在しているのがおわかりいただけるかなと思います。ちなみに、これはカフェテリアなんですけど、17時半以降になると1杯やることもできます。社外に行かなくても社員同士のコミュニケーションがとれるようなスペースが提供されているわけですね。そうすることで、単に働くということだけでなく、人間関係も構築することができます。もちろん、最新のテクノロジーはそこら中で使い倒されます。その体験を我々はお客さんに伝えようと、セールスやマーケティングはかなり徹底して意識しています。伝えたくなるような、いい結果が出ているんです。ペーパーレスや女性の離職率の低下、それからレポート費の削減。しかし、残業代は減っていないんです。5パーセントしか減っていません。ですが、ワークライフバランスは跳ね上がっているんです。なぜか。時間割を自由に変えられるようになったんですね。それまでは、例えば小さいお子さんがいたりする人たちは「ごめんね。これを明日までにお願いね。悪いけどこれ代わりにやっておいてくれる?」と謝って帰っていた。今は違います。「いったん帰って、子どもを迎えにいって、家に着いたら18時ごろ、このミーティングに入るね」というような時間割の組み換えができるんですね。そうすると「ああ、わかりました。じゃあ僕も家に帰って18時からオンラインで入りますね」。そんな感じです。重要なのは、決めることです。そしてもっと重要なのは、実行することです。そのためには、わざわざオフィスの中でやる必要はないということなんですね。ちなみに、私は一切のレポートをチームメンバーに書かせていません。すべてダッシュボードに表示されるようになっています。私たちのテクノロジーセンターのセッションを予約すると、その段階ですべてのデータが自動的にここに入ります。自動化をしたんですね。そうするとレポートというような、過去をほじくり返すことに時間は使わないんですよ。私はそのダッシュボードだけを見ます。ドリルダウンしていくと、さまざまなデータを見ることもできます。例えば、私のチームのメンバーがどれぐらい働いているかをぱぱっと見ることができる。もっと細かい体験に関する話がほしいときにはSNSであるMicrosoft Yammer (ヤマー) を使えばいい。自動化による業務イノベーションという意味だと、経理の仕事をどんどん機械学習で自動化しています。例えば、売上入力は、今は機械学習のほうが精度が高い。精度が高くなるように経理の連中はデータを入れてないといけない。それはパッと見、自分の首を締めているように見えるかもしれませんが、こうすることで彼らはAIにできない仕事に集中できるようになるんですね。
サボる人より「イケてる人」に働き方を合わせる
既に売上予測はあるので、売上をもっと上げるために「予測を上回るためにはなにをすればいいのか」というイノベーションを起こすための時間をより多くとれるようになってきたんですね。これが自動化です。それを「仕事が奪われる」と言っちゃうと、残念ながらイノベーションは起きません。機械を使えるものはガンガンと機械を使ってしまって、とにかくいつでもどこでも仕事ができる状態にする。ある意味、機械におんぶに抱っこ。そして働き方のイノベーションを興していくことが大事。働き改革の話をするとき、必ず管理職が思うこと。何を思うのか。「そんなにね、いつでもどこで��仕事ができるようにしたら社員が仕事をサボるのではないですか?」。心配しないでください。私の答えは1つです。「そういう社員はもうサボってます」。サボっているんですよ、そういう人たちは。よーく見てみてください。きっとネットサーフィンしてます。スマホの中でなにか買い物してます。結局、サボり方が変わるだけなんですよ。サボる人たちに合わせるのではなくて、イケてる人たちに合わせて「生産性を阻害するルール」を取り払ってください。そして経営者は「腹をくくってください」。そういう言い方をします。そのために最も大事なことは社員を子ども扱いしないことなんですね。これは、実はアメリカのMBAで日本企業の特徴として教えることです。日本企業は終身雇用が前提でしたので、会社の中で人を育てることに徹底的にコストをかけます。欧米の場合は人材の流動性が高いので、最初からそういったことは考えないんです。「スペシャリティを持った人を雇う」という考え方をします。昔は日本企業の考え方がワークしていたのです。ただ、グローバルの波がこれだけ来ている今だと、日本企業の考え方が立ち行かなくなっているんですね。人材は流動していくものだという前提で考えるフェーズにきている。
テクノロジーとは、ビジネスを思いっきり推進するもの
それからもう1つ。あれもこれも手取り足取りで教えるような、子ども扱いをすると、残念ながら子どものようにふるまうんですね。社員はどんどん子どもになってしまいます。ではなにをすればいいのか、「Accountability」、責任を明確にすることなんです。それは先ほど言ったジョブディスクリプションです。「あなたはなにをもって成果を出した」と評価するのか。これを明文化して合意を得ることなんです。そして、そこに例外を認めない。いちいち例外を認めると無尽蔵に例外を認める羽目になります。すべてがリスクとコストなって跳ね返ってきます。ですから「No Exception」を徹底する。「いやいや、マイクロソフトだからできるんでしょ? ITリテラシーが高いからできるんでしょ?」。これは誤解なんですね。違うんですよ。マイクロソフトは普通の会社です。もしかしたら、この中にトヨタさんの社員がいらっしゃるかもしれません。トヨタさんの社員の中に免許を持っていない人だっているはずなんですよ。アサヒビールさんの中にお酒を飲めない人だっているんですよ。私、知っていますからね。一滴も飲めない社員さんを。マイクロソフトの中の3割はリテラシーが高い。7割は低いという前提です。だって社員に求められている期待値はITリテラシーとは違うんですもん。経理や総務、人事はITリテラシーが高いことを求められているわけじゃないです。ITリテラシーの高さに依存するような企業はだんだんと立ち行かなくなります。ですから、リテラシーの低い人に合わせて、みんながすぐに仕事ができるようにすることが鉄則になります。そのためにテクノロジーがあるんですね。テクノロジーとは、ビジネスを思いっきり推進するものなんです。AIがこれだけ騒がれると「仕事が奪われる」と心配をする人がいるかもしれませんけども、心配してる暇はないんですね。「テクノロジーによってビジネスを推進していく」と思っていかないと、これからは厳しくなってくる。ましてや日本をマーケットとして見ていると、それ以外の諸外国からマーケットを奪われていくことは目に見えている。どんどん我々がグローバルに出ていけるように、生産性を阻害されるものをどんどん取り払って、のびのびと働けるように、楽しく働けるように、もっと素敵で新しいワークスタイルが提供できるように考えていくといいんじゃないかなと思います。ちょうどお時間になったようです。私の40分間は以上とさせていただきます。ありがとうございました。(会場拍手)
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akabou · 3 years
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[赤帽連合会]在宅勤務等の活用による感染症予防対策の実施状況について
                                              2021年5月                  全国赤帽連合会の感染予防対策について  全国赤帽連合会では、(一社)日本フランチャイズチェーン協会を通じて経済産業省から要請のあった「在宅勤務等の活用による、感染症予防対策の実施状況を各事業者が自ら積極的に公表する方針」に関し、本会職員7名の勤務体制について次のとおり公表します。  ・職員2名が週に一度の出勤を条件とした在宅勤務を行っています。  ・職員1名が午前7時から午後3時までの時差通勤を行っています。  ・職員2名が徒歩又は自転車で通勤しています。  ・残りの職員2名は、公共交通機関を利用した定時勤務(午前9時から午後5時)となっていますが、当該職員2名   は、他の職員との間を高さ2m10cmのパーテーションで仕切った半個室でそれぞれ勤務しています。  ・本会では、除菌剤の使用やマスクの着用、検温等の基本的な感染予防対策以外の対策として、会議室や倉庫等   を除く、約120㎡というゆとりのある事務スペースを本会職員7名、関連団体職員3名(半個室)、常勤役員1名  (完全個室)の10名で共有しており、ひとり当たりの執務スペースは平均約12㎡、職員間の席の最低距離   1m50cmという、ソーシャルディスタンスを十分に確保した職場環境となっています。  本会に所属する全国の赤帽軽自動車運送組合及び各組合に所属する赤帽組合員(赤帽ドライバー)につきましては、各組合の判断及び指示に基づき、感染予防対策を徹底しています。また、赤帽組合員の多くは、エッセンシャルワーカーとして各地域の生活物資を始めとする様々な物流業務に携わっており、特に最近では、PCR検体や新型コロナウイルスワクチンの実配送を受託するケースも増えており、感染予防を徹底しながら各業務を遂行しています。                                  全国赤帽軽自動車運送協同組合連合会                                                事務局
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yakitori-midori · 4 years
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こんにちは✨😃❗ 昭和33年創業✨大阪難波の焼き鳥屋『味鳥』です🎵 ・ 昨日、週末(土)の夜は最近では一番人気の多いミナミの街並みになっていたかと思います😊 ・ さて味鳥はこの5月で創業62周年を迎えることができました🎉✨😆✨🎊 ・ 味鳥ごとでたいへん恐縮ですが、 明日6/1(月)から丸々1ヶ月間、 『祝62周年』&『がんばれ!ミナミ』を 祈願して、周年祭を開催します‼️ ・ 指定のコースメニューをご予約いただいた方限定で、 ・ なんと❕ ・ 各種ドリンクが半額‼️‼️‼️‼️ ・ プレミアム酒の十四代、而今、魔王や森伊蔵も特別価格でご案内いたします‼️ ・ 62周年という中途半端なタイミングであり、また新型感染症の恐れのある最中ですが、皆さんの心身か元気になり、関西に活気が戻ればという願いを込めて企画しました✨ ・ コースも既存のコースはもちろん、 今回周年限定のたいへん特別な内容のものも急遽ご用意しました😆⤴️💓 ・ またできるだけ3密を避けるために、 座席数も減らし、人数制限を設けて開催して参ります。 ・ そのため、今回開催期間を長くし、 分散してご利用いただけるように工夫しました😉 ・ また、3密回避はもちろん、 焼き鳥をご堪能頂けるように、 ご予約限定とさせていただきます。 ・ できるだけ多くの皆様に安心してご飲食を楽しんでいただけるように感染症防止対策もしっかり行って参ります。 ・ 【感染症防止の取り組み】 ◻️お客様にアルコール消毒のご協力 ◻️スタッフのマスク着用 ◻️換気の徹底 ◻️座席数、人数制限 ◻️パーテーション設置予定(近日中) など ・ ご予約・お問い合わせはお電話またはHPからご連絡いただきますようよろしくお願い申し上げます🙏✨ ・ 尚、引き続きテイクアウト販売もしておりますので、ぜひご利用ください🎵 ・ それでは良い休日をお過ごしくださいませ(^o^)/ ・ 【味鳥自慢の地鶏やきとりの品々】 https://www.yakitori-midori.info/anv62th ・ 【テイクアウトメニュー】 https://www.yakitori-midori.info/takeout ・ 空席確認は下記までお電話ください🎵 ☎06-6211-8734 ・ 新型コロナ感染防止拡大対策のため、 入店人数と座席数に制限を設けておりますので、ご了承くださいませ🙏💦💦 ・ 【Facebook】@yakitorimidori ・ 【Instagram】yakitorimidori ぜひフォローしてくださいね🎵 ・ 【味鳥の口コミ by 食べログ】 https://tabelog.com/osaka/A2701/A270202/27022257/ ・ #周年企画 #周年祭 #コロナフードアクション #テイクアウトグルメ #テイクアウトしよう #テイクアウトディナー #テイクアウト大阪 #テイクアウト難波 #お持ち帰りグルメ #大阪グルメ #なんばグルメ #心斎橋グルメ #大阪テイクアウト #大阪の美味しい焼鳥 #大阪の美味しいお店 #やきとりテイクアウト #焼き鳥テイクアウト #焼鳥テイクアウト #味鳥 #takeoutfood #がんばれ大阪 #テイクアウト焼き鳥 #テイクアウト焼鳥 #テイクアウトやきとり #大阪にしかない店 #コロナに負けへんで #松本家の休日で紹介されてたお店 #松本家の休日で紹介された店 #松本家の休日 (なんば Namba) https://www.instagram.com/p/CA2B5pogeQH/?igshid=1pyohyrobyk06
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shodoshima-oliveyh · 2 years
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ーご協力のお願いー 新型コロナウィルス感染症対策について(11月30日更新)
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当ユースホステルでは新型コロナウィルス感染症対策として主に次のような対策を行なっています。ご理解・ご協力の程お願い致します。
当宿の対応 1.  通常の客室清掃に加え、館内の除菌清掃と拭き上げを実施しています。 特に、手が触れる部分(ドアノブ、引き出しや冷蔵庫の取っ手類、リモコン、スイッチ類など)について定期的に清掃しています。 2.  館内各所・各客室に空気清浄機・手指消毒用アルコールを設置しています。 3.  食堂利用時に全てのお客様へアルコール消毒の実施・配膳時の使い捨て手袋・マスクの使用をお願いしています。 4.  館内での接客業務の際にマスクを着用しています。 5.  スタッフの健康と衛生面の管理徹底(出社前の検温と記録確認)を行なっています。 お客様へのご協力お願い 1.  チェックイン当日の検温をお願いしています。 2. 発熱・体調不良等を感じられた場合はご利用について見送る判断をお願いします。 3. 国、お住いの都道府県で独自の外出自粛要請が出るなど状況は常に変化しています。ご利用については状況に合わせてのご判断をお願いします。 (上記お願いに関連したキャンセルはキャンセル料の請求は行いません。) 4.自治体からの要請(時短・休業)については都度対応しています。詳しくはお問い合わせください。
新しい旅のエチケット(観光庁発行) https://goto.jata-net.or.jp/info/2020072704.html
小豆島にお越しの皆様へ(小豆島町・土庄町・小豆島観光協会発行) https://www.town.shodoshima.lg.jp/gyousei/kinkyu/shingatakorona/shinchaku/4629.html
当宿のより詳しい感染症対策・運営方針については以下のガイドラインを基にしていますのでご参考ください。 小豆島オリーブユースホステル感染症対策ガイドライン
基本的な考え方
・新型コロナウィルス感染症の主な感染経路である接触感染と、飛沫感染について、その特性に応じて、従業員と宿泊者の動線や接触の機会をできうる限り減らし、リスクの軽減に努める。 ・接触感染については、他者との共有の可能性のあるもの、例えばドアノブ、テーブルなどについて、それぞれの接触頻度に考慮しながら対策を行う。 ・飛沫感染については、三密をできるだけ避け、換気とともに消毒を徹底しソーシャルディスタンス(フィジカルディスタンス)に考慮しながら、感染予防に努める。 ・感染防止のため、消毒液等の設置、マスク着用、定期的な消毒など、感染が始まって以降実施してきた予防のための対策を引き続き実施する。 共通した留意事項 ・他人と共有する物品や、手が頻繁に触れる箇所を、工夫をして最低限にする。 ・複数の人が触れる場所(ロビーのソファー、階段の手すりなど)を定期的に消毒する。 ・コップ・箸など口に触れるものは、適切に洗浄と消毒に努めることはもちろんのこと、使い捨てにするなど配慮を図る。 ・人と人との距離はソーシャルディスタンスの確保に努める。 ・チェックイン時、食事提供前など人が集まる時間帯においても、「三つの密」を作らないよう場所や時間帯等、工夫して対応する。 ・従業員はマスクを着用する。 ・ユニホームや衣服はこまめに洗濯する。 ・手洗いや手指消毒についは、従業員はもちろん宿泊者にもご協��してもらい徹底をする。 ・誰もが使用できるアルコール消毒液を共用スペースの複数個所・各客室に設置する。 チェックイン ・チェックイン時の人の滞留を避けるため、手続きの時間の短縮につとめ、宿泊カードのオンライン化、モバイルによるプリチェックインなどの非接触型の方法の導入を進めていく。 ・フロントデスク周りにおいても人との距離を保てるよう工夫をする・団体の場合は代表者がまとめて行い、密集状態を避け、分散して待機ができるよう、スペースの確保に努める。 ・フロントの筆記用具はこまめに清拭する。 ・口頭による館内の案内はできるだけ簡潔にする(既存の利用案内書に加え感染症対策についての案内も作成・利用する)。 部屋割り ・  団体、家族などのグループについては通常の受け入れ同様とする。 ・  団体利用については利用者の方と相談の上、部屋割りをする。 ・外部サイトからの予約については、当分の間は個室プランのみを提供する。 館内の施設利用 ・館内にコロナウィルスの感染防止を啓発するためのポスター等を掲示する。 ・客室、公共スペースには空気清浄機を設置すると共に、館内の換気にも努める。 ・いつでも使用ができるように、館内の要所ごとに消毒液を設置する。 ・お客様が手を触れる場所については、定期的にこまめな消毒につとめる。 浴室の利用《浴場》 ・利用時間を調整(利用時間の延長など)し、一度に大人数が入ることがないよう考慮する。 ・ドアノブなどの定期的な清拭消毒を行う。 食事の提供 ・原則としては各都道府県における飲食店営業の施設使用制限に従うが、その徹底した感染防止対策としては、以下のとおり留意して提供するものとする。 ・当分の間は、ビュッフェ(バイキング)スタイルによる提供を見合わせ、可能な限り個別の皿盛りによる提供を基本とする。 ・利用者による配膳はマスク、使い捨ての手袋や手指消毒など十分な対策を取った上で行うものとする。 ・食堂内の座席は可能な限り座席の間隔に留意する。 ・テーブルにはパーテーションを設置する。 ・レストラン入場時は、手洗いと手指消毒の徹底にご協力していただく。 ・  食事直前までマスクの着用を要請する。
《バーベキュー》 ・屋外で行うものについては、利用者間の距離に配慮しながら、過密にならないよう配慮する。 ・  共用のトング等を使用する際は、手指消毒・手指用の使い捨て手袋を用意し、その着用をお願いする・  会場入場時は、手洗いと手指消毒の徹底にご協力していただく。    チェックアウトと清掃 ・ルームキーなどの備品は返却時に消毒する。 ・使用した部屋は入念な消毒作業を行う。 ・使用済みと疑わしきものは全て使用済みとして、洗濯、廃棄を徹底する。 スタッフの管理体制 ・毎日の出勤の際に、体温の確認と健康チェックを行う。・シフト上の都合がつけば、時差出勤を奨励する。 ・館内での勤務中は原則として常時マスクを着用する。 送迎について ・  マイクロバス・ワゴン車による送迎は、出来る限り余裕を持った配車につとめ、車内ではマスク着用を要請し、車内換気に努める。 ・  定期的な窓の開放などエアコン利用時の外気の取り込みなど車内の換気に努める。 ・  利用後の定期的な清掃と消毒を徹底する。 従業員に感染者・濃厚接触者が出た場合の対応について ・  臨時休館を頂いた上で保健所、医療機関の指示に従って従業員、宿泊者の方の安全と健康を最優先して対応いたします。
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masashimihotani · 5 years
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今回は個展の搬入などがあって8月下旬から9月頭にかけて東京へ行っていた。ちょうどその時期、友人の都内の借り家が空いていたので、自分はそこを寝床にさせてもらっていた。その家の彼は彫刻をやっていて、直前に控えている展示の制作に、実家の方で専念していたため。 彼の家は、その土地の不動産屋がアーティスト向けに格安で提供している特殊な物件の一つ。都内で、更にそこそこ良い立地にありながら、僕が神奈川で住んでいたボロアパートよりも家賃が数段安い。ただし「人の住む場所では無い」と施工のおじさんに言われていたというほど難は多く、例えばもともとトイレすら無く、だから水回りなど見えない部分の設備にも問題が色々あるのだそう。当然、年季はかなり入っていて、食べ物はすぐ鼠にかじられたりもするし、その他見たことの無い様々な生物との出会いも少なく無いとのこと。 ただ、DIYが自由であることから、彼の先輩の代から改築が進んでいて、壁は全体が白で塗られていたり、またその天井には大きく真っ赤なシーリングファンが回っていたりする。彼の作品も乱立するように飾られていたり、描かれていたりすることから、かなりユニークな空間に仕上がってきている。トイレも和式で一応追加されているし、のちに彼の手によって風呂や台所、エアコンも設置され、ついには3Fスペースが出来ている。ブリコラージュ的に築き上げられているその生活環境は、例えばリビングスペースとお風呂とに、パーテーション的な隔たりさえ無かったりする。台所の真裏にシャワーがある、といってもなかなかイメージがしづらいかもしれない。1Fの面積は少なくとも10畳くらいはあるだろうか���その空間はブチ抜けになっていて、玄関から全て見渡せる。見渡した時、奥の真ん中あたりにシャワーがあって、その左に湯船が見えるという構図(その手前にガスコンロがある。部屋の中央には大きなテーブルがあり、全体としては製作関連の素材などが散らかっている)。 家という空間は四方が壁で塞がれているもの。日々の生活を営むそのパーソナルスペースは、またその中で食事(リビング)や入浴(風呂場)、排便(トイレ)など、個々の行動によってさらに区分けされている。つまりパーソナルスペースには階層構造があり、例えばお風呂ではよりリラックスした気分になったり、思わず歌を歌ったりするように、その階層に応じて自分の心境にも変化が起きる。 一方で彼の家にはその区分けが無い。つまり家としてのパーソナルスペースではありつつ、その内部の階層構造がほぼ存在していない。自分はリビングの椅子に座り、すぐ隣で彼は湯船に浸かっている。間に壁も何もないので、タバコを吸っている人と話している時にその煙が漂ってくるように、お互いが同じ湯気に包まれるし、だから普通に話をしたりする。 また例えば彼の家でうんこをしている時、どこか野糞をしている感覚に近いものがある。(トイレは一応個室にはなっているのだけど、家全体の構造からそういう風に感じさせられる。)それは開放感と共に、排泄という行為も日常と地続きになっているということを気付かせられるようでもある。本来、風呂やトイレ、また自分の部屋など、その階層を潜っていくほど、誰にも見られたく無いと思う恥ずかしさが同居してくるもの。言い換えればその私事的な感覚は、階層構造という物理的な多重壁面の性質に比例して発生するものなのかもしれない。 そんな家でしばらく過ごしていて、時々フィリピンのことを思い出すことがあった。彼の家のようなところに行く機会は無かったけど、通底した何かが確実にある気がしていた。それは例えば「寛容さ」という言葉で言い表わせるかもしれない。 階層構造の内容と、人のマインドとの相関。つまり現代の家という空間、またそこに内在する多重階層が、人々に発生させる複数のアカウント。清潔な空間は、決して汚してはならないという空気に見守られている。フィリピンで足を踏み入れた家の数々に、日本と違ってその階層が無いということではない。少なくとも自分が行った先々は、日本のそれと変わらない空間だった。ただその階層がとてもゆるやかなものに感じられたということ。それは例えば「いつも綺麗に使って頂きありがとうございます」というポップがたぶん存在していなかったりする面からも表れていることだと思う。 これは礼節やマナーという、人対人におけるコミュニケーションの話とも重なる部分がある。例えば自分達は基本的に、失礼な事を言ってはいけないからと、推し量る。「気を遣っています」ということを示しながら、対話がはじまる。だって相手はもしかしたら、テーブルの上のリモコンを少し右に動かしただけで気を悪くするかもしれないから。または、そう思われているかもしれないから。少なくとも彼の家でも、フィリピンで尋ねた場所も、リモコンを少し動かしたら怒りを買うという空気は無かった。 彼は彼なりの潔癖を持っているというけど、それ自体はあらゆる人のほとんどがそうだと思う。自分が感じている日本の非寛容さは、どうしようもない個々の性質からというより、いつの間にかこの島国を覆っている変な大気の、変な気圧によって生じている影響感が強い。また結局自分自身もその影響下にいて、リモコンを少し動かされたままだとムッとする感覚も内在している。おそらくは後天的に、そして確実に自分の一部になってしまっているその感覚に対するアンビバレンスが、そのままコンプレックスになっている。根本君の家やフィリピンで過ごした時間には、その部分への回復の示唆があった気がしているのだった。 * 8月の半ば、4日間フィリピンに行く機会があった。30を過ぎて、生まれてはじめての海外だった。雑誌スタジオボイスからのオファーで、マニラの現代アートの取材の、その写真撮影をするという内容だった。突然のメールでもあったし、最初は迷惑メールか何かとしか思えなかったけど、僕の作品を知ってくれていた事がきっかけでの縁だった。今年の初め、なんとなくパスポートを取得していたことも幸いした。4人のチームで現地に行くことになっていて、成田空港で編集の辻さん、通訳兼コーディネーターのコーキさん、キュレーターの長谷川さんらと合流し、その日の夕方にはマニラに到着。のちの4日間はここ数年のなによりも濃密で、あっという間だった。 現地ではマニラのホテルを拠点に様々なアーティストやキュレーターを訪ねていった。基本的に車で移動するのだけど、マニラは世界有数の渋滞国とのことで、確かに常に混んでいて一向に進まないことのほうが多く、4車線の道路の車と車の間を歩きながら食べ物を売りあるく人��がいるほどだった(またその人々も老人から子供まで様々だった)。雨季に入っていたマニラの気温は日本の夏よりは数度低かったものの、じんわりと湿度が高い。後部座席に男3人で座っていると、どうしても密着する身体の部分が汗ばんでくる。窓から見える異国の景色、同乗するチームの人たちの話の全てが新鮮で面白かったので退屈などはせず、時間の経過と共に緊張も自然とほぐれていった。 英語が分からない自分は、撮影にも集中しなければいけない心境も手伝って、取材中はどんな話題が交わされているのか分かっていなかった。一方その前後で、例えばあるアーティストのアトリエで、実際にその人の作品を目の前にしながらの時間は、自分に直接語りかけてくるものがあった。どことなくそれが身体に染みわたるように感じられた気がしたというか。それを美術という言語、と言うには安易な気がしている。確実に言えるのは、その作品がお互いにとって身近なものを扱っている、という共感覚や、完成されたビジュアルが発している作品然とした属性やユーモア、こうしたものを日々生み出しているアトリエの場の空気。それらは日本で知り合った作家の人達とおなじ雰囲気があった。そこから、海を越えた異なる文化圏の国であるにも関わらず、相手のことをなんとなく身近に感じられる気がしてくる。 スタジオボイスの今号のキャプションにある”松明”という表現を借りれば、そこに灯る、僕個人が今まで継続している制作という火によって、かろうじて道の存在や、そこにいる人々の存在を知る事ができたということ。もし英語が出来ていれば、それはもっと強力な電気的な照明として、歴然とその視界を照らしていたのだと思うし、だからその勉強も続けていかなければとも思う。ただ少なくとも、自分の肉眼で垣間見ることができた今回の経験のことは、今の自分にとって貴重でかつ確実なリアリティと言える気がするし、それによって新たに知った、あの分からない領域の存在が単純に嬉しい。
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keijukita · 7 years
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命と向き合う作品。
今年の春先に何かの話でトラウマってことについての話になった。
向かいあえない現実に直面した時に人間はそれを抑圧した記憶として脇に追いやってしまうといった内容であったように記憶している。
それがまた同じような状況になった時に一気に強い記憶として噴き出してしまうことがある。 自身の体験を正しく記憶し、その記憶と付き合えていないということなのだろう。
何かしらのカタチでその記憶を表現し、起こった現状と向き合わない限りはそのトラウマは正しく記憶し直されることはないというところまでがその時の話であったように思う…
この話を聞いていた時、実際に自分自身の中に向き合えない記憶があることを自覚していた。
卒業制作が佳境だった今年に入ってすぐの時、僕が20代のアタマに静岡で一人で暮らしていたころから一緒にすごしムスコと呼んでいた17歳になるウチの犬の体調が良くなかった。 正しくは昨年卒業制作がはじまってしばらくしてから度々病院に点滴をしてもらいに行っていて、今年に入って急変したのだ。
ここ数年は実家で父親が彼の面倒をみていたので1月以降は度々実家に帰ることになっていた。 最後のスクーリングの初日、卒制最終審査の前日にかなり悪くなり父親から連絡があって大学のスクーリング後に実家に戻った。
ノドの病気で食事か摂れなくなっていたので、少しづつ痩せてしまっていっていたことだけは覚えている。
夜中に自分の家に帰り、最終プレゼンのリハを繰り返していたらいつの間にか朝だったんだと思う。
僕自身の最終審査は上手くいって、彼の容態も翌日以降悪いなりに状態は安定していた。 卒業が決まり、卒制でいい評価をされたことを聞いてすぐの2月最終日の朝に母親から亡くなってしまったという連絡が来た。 彼なりに僕の卒制中には死ねなかったのだろう。 最後までかわいがっていっしょにいた父親のあまりに憔悴しきっている姿を見てその事のほうが気になって仕方なかった。 それから自分でもびっくりするぐらいに冷静に主導してことを進め、彼を火葬してもらい亡くなってから数時間後にはあっという間に陶芸家の母が事前に作っていた骨壺にすっぽりと収まってしまった。 今思えばたぶんこれが良くなかったのだと思う。 それからもう彼は死んでしまったのだという認識はあるのに、それとは別に今でも生きているということを前提として自分が日々の生活をしているという不自然な感覚がある。 認識と記憶の間にパーテーションがあるように「アイツはわがままでかわいい」という現在進行形の記憶が「アイツはわがままだけどかわいかった」という過去形の記憶に書き変らないのだ。 このことを初めて表に出すからかもしれないが、今もこの文章を書いていてこのことに関して思い出せないことがたくさんあって不思議な気分だ。 きっと現像していない最後の方のフィルム…あの中に自分の気持ちを閉じ込めてしまったのだろう。 5か月経った今でもそのフィルムに手は伸びない。もしかしたら一生現像しないかもしれないし、これからも僕は彼の命としっかりと向き合えないのかもしれない。 僕自身にこんなことがあったので「命と向き合う」ということを少し考えるようになった。 そういう意味でこのこの「命と向き合う」ということを考えた時に僕が必ず思い出す作品がある。 本題の前に長々と自身の引き合いに出して申し訳なかったが、3月にいっしょに卒業をした同期卒の友人の中で向き合うことの出来なかった自身の記憶と向き合い、命と向き合う作品を創った友人がいた。 卒制に入る前だったか?入ってからだったか?記憶は定かではないが、どんな作品を創ろうとしているのか?ということは事前に話をして聞いていた。 席が割といつも近かったこともあって、作品づくりで抱えている問題点ややろうとしている工夫に関してなどについてもよく話をしてくれていた。 僕自身自分のことも精いっぱいだったので、6回あった卒業制作で6回とも僕が意識してしっかりと作品を気にして観たのは彼女の作品だけであったと思う。 中間審査の時に彼女がしたプレゼンにはその覚悟を感じた。 その覚悟こそが彼女の作品のコンセプトそのものであった。 全体で40数名、東京だけでも30名弱の卒制生がいた2016年度の卒業制作であったが、本質的な部分で誰もが彼女の思いには寄り添い切れない中で自分と、記憶と、命と向き合い続けた作品を創り続けたのは彼女だけであったと思う。 彼女の卒制の作品は単にお子さんに関しての記録や記憶を今になってカタチにしたという「作品」ではなく、過去と対峙した榎本八千代というひとりの人間の覚悟を写し出したすばらしい「作品」であった。 2006年のある日に止まった時間から自身と向き合った命の両方を再び解放する作品だ。 僕自身も含めて鑑賞者というのはある意味で無責任に好き勝手なことを思い、言うものだ。 そして、完璧で万人に受ける作品というものも無いと思う。 作品の性質上、当然観る人によってそれぞれに思うところや、考え方はあるとは思うが、間違いなくある部分での作品の強度は僕が見た限りでは圧倒的なものであった。  自分にそれが出来るか?と問われれば出来る自信がないのは前半に書いたとおりで僕は過去と向き合えないと思う。 最終のプレゼンの質疑さえ上手くやれていれば優秀賞は彼女の作品であっても僕はそのことに異論を唱えるようなことはないし、むしろそれを望んでいたと思う。 作品にそれだけの意味も力も十分にあった。 完璧を目指して、バタバタしたせいで次への課題と伸びしろを残して終わるらへんはある意味で彼女らしいのかもしれないと思う。 その彼女が8月に東京で個展をやることが決まっている。 必ず足を運ぼうと思っている。 自分で動かし始めた時間や自身の記憶と作家は今どう付き合っているんだろう? 卒制展との展示の違いはそんなところに出るのじゃないかな?と思う。 ■榎本八千代 写真展 「20060810」 会期:2017年8月8日(火)-13日(日)12:00‐19:00(最終日16:00まで) 会場:ルーニィ・247ファインアーツ
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interior1interior2 · 3 years
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ふんわりとしたレースカーテンに優雅な装飾が素敵なセレスティア 3連パーテーション: プリンセスクラス ロマンティックインテリア&雑貨 画像カタログ
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innervision-dai · 5 years
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時間は進む、過去から現在へ。その経過とともに人や街、風景などは姿・形を変える。
「ここも、私たちも、あれからずいぶん変わったなって思いました」-
静かに見つめる観衆に向かい高いステージのその中心に立つ女の子は、そう言った。
youtube
これは渋谷の街が変化を始めた頃、アイドルブームがまだ上り坂にあった夏の日。
渋谷の駅から電車で一本。都内最古の寺・浅草寺を中心に江戸風情が今も残る街、
東京・浅草。その町の中心、浅草六区に伸びた行列に、ボクは並んでいた。
モーニング娘。やAKB48、ももいろクローバーなどアイドルの人気は地方まで広がり、
少し前から、全国各地で過去にない勢いでアイドルが次々と誕生していた。
そんな地方発のアイドルが東京に会す、そのステージを見ようと集まった人たちが・・・
炎天下の中、浅草にできた行列の正体だ。そうなの・・・。
これは、タピオカやBALENCIAGAが放つスタイリッシュさとは掛け離れた話であーる。
でも夏の陽射しの中を並ぶ人の風景は、そのままシーンの熱さを表していたように思う。
ちなみにこの半年前、ボクはそれまで熱を入れていたアイドルグループを離れた・・・
そして東京発のアイドルから、”AM1:27”の夜空で煌めく星のごとく遠く離れた場所から
光を放つ、地方を拠点に活動をするアイドルグループを進んで見るようになっていた。
時は、俗にいう「アイドル戦国時代」。
可愛さ・音楽性・パフォーマンスなど、ハイレベルなアイドルがバブルのように現れ、
ボク自身は、もう1つのグループに絞って応援をする事はないだろう、と思っていた。
時計の短針が上り坂を描き、文字盤の右上を指した午後2時。行列が動き始める。
太陽が照りつける屋外から”おいで夏の境界線”へと手招きされる様にエアコンが効いた
エレベーターに乗り、上がった場所にある会場。そのキャパシティは、最大で250人。
ラインナップされたアイドルは、 東は宮城から西は広島まで 計7組。
全国的に知名度はまだそう高くないグループが大半だったが、フロアは・・・
「王様のブランチ」で紹介された後のおしゃれカフェ並みに、満杯の状態だった。
どのアイドルが好きになるかは人それぞれだと思う、ボクの場合は「曲」を優先する。
そのためイベント中盤に登場したそのグループのルックスの記憶は、この時も今も薄い。
老化に伴う消えゆく記憶で思い出すと、金髪や茶髪、縦巻きパーマ、カラコンなど
北九州か沖縄の成人式クラスの威勢がイイ女の子が集まったグループ。でもね・・・。
そんな彼女たちが披露した1曲は、今も記憶に鮮明に残る強いエモーションがあった。
Boom Boomと鳴る低音にキラキラの上音が乗った今でいうエレクトロハウス調の曲。
あとで知ることになるが、その曲は1ヶ月前に発表されたばかりの新曲だった・・・
そんなMiracleと偶然が、彼女たちとの出会いだった。
2時間近いイベントが終わり、フロアの各所に置かれた出演グループの物販ブース。
彼女たちのブースは 会場上手にあった。長テーブルの後ろに一列に並ぶ、先程まで
ステージに立っていた女の子たち。ただし基本的に、メンバー同士のお喋りに夢中。
そのためボクレベルに影が薄い、下町ロケットか私立恵比寿中学ばりの「ゴースト」など
見えていません。
だから「今日最初にやった曲はどれですか?」と運営さん(※男)に話し長テーブルに並ぶ
3枚のCDから1枚を購入した。そんなトキメキ!と、とまどい?が同居する・・・
映画「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のような、彼女たちとの奇妙な軌跡の始まり。
でもこの日からプレーヤーでその曲を何度も聞き、そしてYouTubeで公開されていた
白バックという、ありふれた 場所で撮影された歌とダンスを鮮やかな色のCGで染めた
まだ再生回数の少ないミュージックビデオを繰り返し見た。そのグループの名前は・・・
「ひろしまMAPLE★S」という。
この時で、結成から「1年7ヶ月」が経っていた。
グループ名の通り、広島県のコンセプトカフェに所属しながら、定期的に実施される
ファンの方の投票により選抜された10人が全国へ行きライブをしていることを知った。
・・・Yahoo!知恵袋に質問をしてネ!
活動の拠点は東京から西へ、約680キロ遠く離れた広島。
そのため東京に来るのは月1度ほど。だから次に見たのは、1ヶ月後の夏の終わりだ。
場所は渋谷から”山手線”で3駅いった、新宿。会場は、最初の浅草よりも広い。
でも、ひろしまMAPLE★Sを目当てに会場に来ていた人の数は10人に満たない。
それでもステージで披露される曲、さらに10人が描くパフォーマンスは魅力的だった。
始発列車はまだ来ない、夜明け前。人がまだ溢れる前の渋谷駅前の交差点と似た・・・
人が行き交うスペースのあるフロアへ、月に一度行くボクの日々は、こうして始まった。
季節は、夏から秋へ。”青空が違う”色を纏い始めたが、ひろしまMAPLE★Sが見せる
ライブは変わらず毎回が楽しかった。オリジナル曲はまだ多くなかったが、
クラブミュージックやポップスがベースにある曲はボクの好みに合うモノが多かった。
毎回曲順を変えるセットリストも、曲やグループの魅力を毎回違った形で見る事ができ
さらにアイドルの好みが異なる多くの人に届けたい、 そして君を振り向かせたい・・・
そんな挑戦や可能性、広島の乙女達のアンビシャスに溢れて映った。
でもCleverに活動していた彼女たちも、東京での集客は中々変化が表れなかった。
当時の、広島での人気をボクは知らない。理由は・・・、「バカ」だから。
でも東京のライブは、”最前列へ”いつも行けた。ライブ後の特典会もメンバーの半数が
暇な時間をつくり、固定のファンの方がいたメンバーでも、5~6人が並ぶほどだった。
それでも、アイドルになり東京というシーンの中心地でもステージに立っている事が・・・
彼女たちにとっては楽しいように見えた。そしてボクは、「それで良い」と思っていた。
売れて欲しいなんて気持ちよりも、ひろしまMAPLE★Sが一生続いて欲しいと思っていた.
グループの真ん中に立つ女の子に、こう言われたことがある・・・。
「特典会で色んなメンバーのところに行って、その結果を報告してください」。
好きだと言うなら否定しない、でも、しょっちゅう来られても困ると受け取れる・・・
”アンビバレント”な言葉。その女の子は、学校に通いながらアイドルをしていた。
金色や茶に髪を染めた女の子が並ぶ中で、黒髪。身長153センチという��さな体で、
メインボーカルを担当していた。そしてボクが、色んなメンバーのところに行った結果・・・
名前を聞かれなかったり、名前を覚えておらずボクの名前を チェキに書かなかった、
「ハチ公物語」くらい悲しい話を聞いて、笑っていた。そんな”エキセントリック”な性格の
女の子だった。
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会い6ヶ月、グループ結成から2年目の冬が近づく頃、
変わりゆく街の風景と同様に、彼女たちを取り巻く状況にも変化が見え始めてくる。
イベントで大きな会場に立てるようになるにつれて、月が変わるごとにフロアに人が
徐々にだが増え始めた。さらにライブ後の特典会も、最初はポツポツと増えていた人が
少しずつですが、メンバーの1人1人に短くても列が作られるようになっていった。
ボクが最初に見た時から、ひろしまMAPLE★Sは大きく変わっていない。
キラキラとした音をベースにしたオリジナル曲、それをノンストップで繋ぐライブスタイル。
ダンスの振付けやフォーメーション、メンバーの可愛さや個性ももちろん変わらない。
でも変化を続けていた事がある。それは、立つステージと曲の順番を変えるセットリスト。
特にセットリストは、オリジナル曲が少ないこともあって出し惜しみをしなかった。
さらに地元・広島のファンの方が遠征されるようになり、地元での盛り上がりや楽しさを
東京へ伝えたフロアの変化も、後押ししていたと思う。人が増え楽しそうなフロアは、
新しいファンの方をよぶ。そして見え始めた勢いを後押ししたのは、新たな曲だった。
ステージから見える景色が変わり始めた結成2年目が終わろうとする頃・・・
ひろしまMAPLE★Sは、グループを代表する1つの曲を発表する。
それは前向きな歌詞に、牧歌的だが彼女たちらしいキラキラしたアレンジが加わった、
フューチャーポップ調の曲。ミュージックビデオは奇をてらわず地元である広島を舞台に
ストーリー性のある映像に仕上げた。
一方で、その新曲を収めたシングルCDのカップリングは実験的に・・・
アシッドなクラブミュージックやラウドなロックなどのジャンルへアプローチした曲を収録。
オリジナル曲を増やすと共に、かわいさとクールさ、フロアと一緒になって楽しむ曲と
ステージパフォーマンスを魅せる曲など、曲のバリエーションも広げていった。
ひろしまMAPLE★Sがライブのステージに立つ前に、よく口にしていた言葉がある。
「ファンの人、全員が楽しめるようなライブにしたい」。
夜空に散らばる星を人が線でつなぎ星座という1つの形にしたように、彼女たちもまた
一見すると統一性のないオリジナル曲を、ノンストップという一本の線で繋ぐことで、
暗いステージの上で自分たちがもっとも輝けるライブを作っていった。
ライブはそれまでの、「テラスハウス」のようなキラキラとした楽しい曲をベースに、
その途中に実験的な曲を挟む、「モンスターハウス」のような緩急をつけたものに
変化させていった。軸があるから、可能な変化だったと思う。
その輝きは年が明けると、加速度をあげる。結成から「3年目」、上り坂をあがろう。
欅の木に花が咲いた、春。新曲のリリースから約4ヶ月が経過した頃・・・
彼女たちは様々なパターンを試す中で、鉄板といえる1つのセットリストを作り上げる。
そのセットリストは後に大きなステージでいくども披露されることとなる、これが・・・
”ひろしまMAPLE★Sの世界感”ともいえる、きらきらキラー(©KPP)な曲の並び。
音の鳴り始めから盛り上がるキャッチーなイントロ、そ��から楽しいメロディーラインと
重低音のドラムが融合する、キラキラした曲たちを曲間短くノンストップで繋ぎ・・・
ラストは、前年の暮れに発表した新曲でシメる、そんな組み方。
そのセットリストをもって春と秋、ひろしまMAPLE★Sは、地元・広島を飛び出し・・・
大航海時代のエンデバー号のように、初めてのツアーへ旅立った。
1年前はスペースが目立っていたフロア、でもツアーの全会場は多くの人で埋まった。
また夏には、2度目のフェスの舞台にも立った。ロープ・パーテーションで仕切られた
小さなフロアだったけど、 そこから溢れ出るほどの人が ステージ下に集まった。
そして、これまでの楽曲を収録した1stアルバムを発売する。
アルバムには新たに、ファンクやチップチューンなどにアプローチした曲を収録した。
活動に正比例するように数を増すオリジナル曲、そしてセットリストのバリエーション。
それらは、ひろしまMAPLE★Sが少しでも気になった人が、YouTubeを検索すれば
いくつも見る事ができた。たくさんの映像があり、誰でも彼女たちの魅力を手近に知れた。
話は少し前後しますが、ひろしまMAPLE★Sを見始めて1年半が経った、この年の春、
ボクは初めて彼女たちの活動拠点である、広島へ行った。
きっかけは、出会ってから長くステージに立ち続けていたグループをまとめる存在、
リーダーが突如、ライブに出なくなったことだった。Twitterの更新も途絶えていた。
公式では、体調不良と発表されていた。いつかは復帰する、メンバーはいなくならない・・・
そう信じて、見られる可能性が高いとしたら地元であろうと、初めて特急列車に乗った。
でも、広島のステージにも”キミガイナイ”。そして、この日から約1ヶ月後・・・
リーダーだった女の子はグループを後にした。”結局、じゃあね”もボクは”言えな”かった。
だけど・・・。広島には、ボクが遠征をした理由を聞いて笑う、残ったメンバーたちがいた。
そして、遠く離れた広島の街には、東京ではあまり見掛けなかった女性をはじめ
海外の方など、多くのファンの方がいた。
そんな広島や東京をはじめ彼女たちがライブで巡った全国のファンが一同に集まる、
ひろしまMAPLE★S史上最大の挑戦が、結成から3年目の冬に行われた。
それは最大収容人数1000人を超える大きな会場を舞台にした、ワンマン・ライブ。
出会った時は、フロアに人がまばらだったライブハウスのステージから・・・
オリジナル曲が増え、グループを代表する曲ができ、盛り上がるセットリストが完成し、
約4年の時間をかけて、ひろしまMAPLE★Sは広く大きな会場のワンマン・ライブまで
辿り着いた。
持ち時間の短いライブから、長時間に及ぶライブまで、ひろしまMAPLE★Sが
いつも続けてきたノンストップでのライブ。それは、体力的な苦しさを当然ともなう。
でも彼女たちはいつも苦しさを表に出さず、笑顔でステージに立ち続けていた。
それは、グループ史上最大のライブ会場を舞台にしたステージでも変わらなかった。
結果的に、会場を満員の人で埋める事はできなかった。でも、 ”ここから” もっと先へ!
「どこまでだって連れて行ってもらえる」。そう思えるようなアクトだった。
それはたぶん、ファンの方の誰もが思っていたことだと思う。
年が変わり、渋谷駅の南、旧東急東横線のホームの解体工事が終わりに近付いた
結成4年目。ひろしまMAPLE★Sは、グループ名を変えた。
渋谷から、街の顔ともいえる「PARCO」が消えた日のように、地元「広島」の名前を、
グループ名から下ろした。渋谷の街も彼女たちも・・・、変化の時が迫っていた。
時間の経過はボクの気持ちも変化させる、売れて欲しい、そう思うようになっていた。
「Twitterにもっと自撮りをあげれば・・・?」「髪の毛は黒い方が良くない?」。
これは近所の世話焼きおばさんではなく、ボクがメンバーに伝えた言葉だ。でもね・・・
イメージや常識の鎖に繋がれたような、つまらない大人は置いて行けとばかりに、
彼女たちはボクの言うことなど聞きません。そして訪れた夏・・・。
センターに立っていた女の子は髪の毛を思いっ切り、金色に染めた!!TT←TWICE
ボクがひろしまMAPLE★Sと出会って迎えた3度目の夏、前年から上り続けた坂は・・・
それまで出演が叶わないとも言われた、日本最大級のアイドルフェスティバルに
初めての出演という形でも現れた。
そのステージの1つは 、上空にわずかな雲と空しかない、会場の中で最も高い場所・・・
彼女たちは、そのステージから無限に碧く続く空の向こうへと、Echoesを”響”かせた。
ボクが初めて彼女たちと出会った夏のように暑い陽射しが射す、屋外のフロア。
そこには顔に汗と笑顔を浮かべる、全国から集まった ファンの方の姿があった。
4年の時間を掛けて出会い、一緒に歩んできた人たちと来ることができた場所。
その場所が、彼女たちが上り続けた坂の頂きだったのか・・・、ボクには分からない。
グループの軌跡は、ここからさらに2年続く。でもボクが見たのは、この6ヶ月後までだ。
ひろしまMAPLE★Sと10人の女の子それぞれの夢を乗せて、何度も自動車で往復した
広島から東京へ続く、長い道。その道は途中、海に沿って大きなカーブを描く。
そんな道のように、彼女たちも本来歩き続けるはずだった道を逸れる。そして・・・
そこから続いていた道は、上り坂ではなかった。
短い期間に色んなことが、あった。いつも笑っていた女の子たちが、涙をこぼした。
ライブ中に初めてステージの上で苦しそうな表情をするメンバーを、ボクが見たのも、
この年だった。グループの中心に立ち続けていた女の子は一度、こんな事を言っていた。
「辞めたいって言ったことがあるの」。でも、ボクが離れる方が先だった。
彼女たちが歩んだ上り下りのでこぼこ道の中でボクが見たのは、その半分にすぎない。
でもトータルして言える事がある・・・。それは、「楽しいこと」でいっぱいの道だった。
だから過去を思い出し閉じた瞳に映る日々。きっと忘れない。
でも、時間は常に過去から前へ進む。45RPMのレコードのように、時代もまた廻る。
”語るなら未来を…”。
ではーーーーーーーーーーーっ!!六本木・けやき坂の近くにあるテレビ局で録られた
小林星蘭ちゃんのナレーションよろしく、聞いてみましょう!「あいつ今何してる?」。
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「たのしい \(^_^)/」  in 2018年ー!!
顔文字付でビジネススマイルをかますのは、東京を活動拠点にするアイドルユニット、
「ヲルタナティヴ」の鈴屋(すずや)もずくさん。もずくちゃーーーーーーーーーーん!!
で、その隣に写る土地についた、悪霊みたいなのがワイ!
数年前と同じく応援していたグループを離れても、アタシはといいますと”自分の棺”から
謎のウィルスによって”再生する 細胞”でゾンビ化して、アイドルさんたちが望まない
蘇生を繰り返していますの。完全にホラーの世界ね。超恐ぇーよ!
見た人からは”車輪が軋むように”泣き声、そして悲鳴があがる・・・。そんなーーっ!!
小さなお子様には見せられない、”1行だけのエアメール”より長いのに中身がスカスカの
Blog、久々のはじまりDEATH!!
チィーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッス!!!!!!!
色々な変化もありまして、「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです」!(by ジブリ)
それでは、”真っ白なものは汚したくなる”ように、ネットの余白にヲルタナティヴの軌跡を、
ペン習字5級のアタクシが、キーボードを 人差し指で 打つスタイルで書きたいと思います。
2017年、季節は春・・・。
渋谷の街を流れる”渋谷川”から伸びた上り坂の途中にある、ライブスペース
「SOUND MUSEUM VISION」で、 IDOLユニット「ヲルタナティヴ」は 始まった。
ヲルタナティヴというグループ名には、「無限大」と「型にはまらない新しいもの」という、
2つの意味が込められている。活動を始めた時の持ち曲は、全部で5曲。
ポップを始め クラブミュージック、 ロック、ファンクなどの音楽ジャンルにアプローチをした
数は少ないがバラエティに富んだ曲でライブ活動をスタートさせた。
ステージでは、それらの曲をノンストップで繋ぐライブスタイルを最初から続けている・・・
っていう情報をですよー! 5ちゃんねると音楽ナタリーを、読んで知ったのアタスィー。
なぜならひろしまMAPLE★Sと同じく、ヲルタナティヴも活動の途中から見始めたから。
完全に”乗り遅れたバス”状態です。” それでも歩いてる”、ヲルタナティヴが歩む軌跡を
警察犬なみの嗅覚で追跡しながら。
そんなアタクシ以上にヤベー奴に、月曜日の朝に切られたスカートを縫合するように、
ヲルタナティヴの過去から、現在とを繋ぎ合わせましょう。
ヲルタナティヴ結成から1年と5ヶ月が経った、2018年の夏。
解体された 渋谷駅の旧東急東横線跡地に、新たな高層ビルが建とうとする頃、
もずくちゃんは 、再開発が進められる渋谷の街でヲルタナティヴに加入をした。
加入の経緯について もずくちゃんは、 音楽誌「MARQUEE」のインタビューを受けた際、
「(アイドル活動を)辞めた時にまだ未練があったんです。」、と話している。
さらにヲルタナティヴについては、かつて秋葉原で働いていた時に”ご主人様”から
教えてもらったと明かしている。そうなの!
もずくちゃんもかつてコンセプトカフェでお給士をしながらアイドルとして活動をしていた。
髪は黒色、身長は150cm台、あと実は次女。アタシくらい老眼が進みますとですよ・・・
欅坂46と乃木坂46の見分けがつかなければ、ひろしまMAPLE★Sの中心にいた子と
もずくちゃんも、完全に「シンクロニシティ」。「君の名は。」くらいの入れ替わりと錯覚。
たぶん乱視が入ってるのも影響ね♡ \(^o^)/
そんなもずくちゃんが初めてヲルタナティヴとして立ったステージで歌ったソロパートの
歌詞、それは「風が吹いた」。
笑顔を見せなかった欅坂46が初めて笑みを覗かせた曲、「風に吹かれても」と近い。
さらに、もずくちゃんはヲルタナティヴに加入したことで「自分を変えたい」・・・と、
デビュー前に自身のTwitterに投稿している。
これはー!「自分自身を変えたい」とご両親に逆らって、アイドルの道を歩み始めた
欅坂46の長濱ねるさんと、リンク!(※「Love in 九州」のことではありません。)
そして、長濱ねるさんともずくちゃんともに偏差値アーンド顔面偏差値が高いですが・・・
一方で時間の経過とともに、脳みそもお顔も劣化が止まらないのが、アタイッ!
気ぃーー持ち悪ーーーーーーーい!!”キレイになりたい”、高須クリニックで手術して。
結成から1年が経った「ヲルタナティヴ」の変化は、もずくちゃんの加入だけではない。
スタート時は5曲だった持ち曲が、ロックやクラブミュージックへアプローチした曲を発表し、
その数は13曲まで増えた。EPを1枚リリース、MV1本もYouTubeで新たに公開した。
日々のステージはライブハウスが中心だが、 今年春には初めて4都市を巡るツアー、
そして夏にはワンマン・ライブを開催した。
しかしグループ結成から2度目のワンマン・ライブをターニングポイントに、2018年の夏、
ヲルタナティヴは急きょ、ライブを約1ヶ月の期間、空けることを発表した。
それは変化をするために。再始動するのは”夏色のミュール”から衣替えした秋、10月。
少しの間、ヲルタナティヴの時計は止まる。でもね・・・。
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「リメンバ ミー」 !!
↑はマイクを5本の指で握らず、小指を欅坂46ポーズのように三角の形に折って添える
歌唱スタイルでワールドフェイマス、みんな大好き 三島凛(みしまりん)さん。 凛ちゃん!
グループ結成の年から活動を続ける凛ちゃんの2018年の変化。それは、髪型を・・・
ボブからセミロングに変えましたの、自称「モテヘア」。週刊文春に撮られませんよーに。
そんな凛ちゃんは充電期間に入る直前の9月6日、Twitterにこのような投稿をした。
「セトリとか色々話し合いをしてるのですが、きっと皆が喜んでくれるかなと思います」。
・・・アイ リメンバー!!
凛ちゃんの言葉の意味は 「ファンの人、全員が楽しめるようなライブにしたい」と重なる。
可愛いメンバーがいて、バラエティに富んだ曲があり、その曲をノンストップで繋ぐ
ライブスタイルを続ける、ヲルタナティヴ。あと、アタシの希望はですよー・・・
盛り上がるセットリストが作れれば、”156(イチコロ)”になる人もきっと増えると思うの。
ただ、そのヒントとなるようなモノをヲルタナティヴはきちんと示しているとボクは思う。
それは3月17日、場所は港区白金高輪のスタジオ。
まずはコンプレクストロというジャンルへアプローチをしたアッパーなダンスチューン
「飴色リズム」でライブをスタートさせ、続けて音色は変わるがこれまたアッパーな
EDM調のダンスチューン「今宵夢酔夢想歌」を繋げる、イントロから盛り上がる曲を
繋げるセットリスト。
もう1つは、ラウドなPunkチューン「ジョビ・ジョバのテーマ」から、一転して・・・
静かな立ち上がりのエレクトロハウスの曲「夏の香のパ・ド・ドゥ」を繋ぐもの。こちらは、
同じ曲調ではなく、曲調が真逆の曲を繋ぐものであーる。(©CM「UR」の吉岡里帆さん)
”夏の花は向日葵だけじゃない”ように、曲やライブも見せ方で大きく見え方は変わる。
そしてステージから見えている人だけが、応援をしてくれている人、なんてこともない。
10月のヲルタナティヴ再始動までのカウントダウンが始まった、9月21日・・・
Twitterに「#ヲルタナティヴ」が付けられた、このような投稿がタイムラインを流れた。
「更なるパワーアップが楽しみ夢中で仕方ない!!」。
発信したのはタワーレコード川崎店。さらに凛ちゃんが使っていた言葉をサンプリングし、
「活動再開でみんなも『ハピー』になろう」、と続けた。
ヲルタナティヴの活動期間は、ボクがかつてひろしまMAPLE★Sと出会った時と同じ、
「1年7ヶ月」を迎えようとしていた。ではーーーーー・・・!!
いつかの年、地方で産声をあげ、坂を上って行ったグループのように変化していこう。
川崎出身のJJJくんだって今年を代表する曲「Changes」で、こうラップをしているしー。
「未来 期待はしないが光を感じてんだ」。
そして、「水飛沫を上げて走りぬく 抜け出す この狭い世界」、と!!
では再始動するヲルタナティヴも、大海原を行く船のように水飛沫をあげて進んでいこう。
その出発の場所も「Changes」のヴァースと同じ、「北沢の街頭」!!!!!!!
〇ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -
2018年に秋が訪れた、10月20日土曜日。場所は、渋谷駅から電車に乗って4駅・・・
再開発が進む、下北沢。その駅から徒歩で約6分、北沢の街頭に建つライブハウス、
「下北沢ReG」。ここから、ヲルタナティヴは 新たな軌跡を描き始める。
空は、太陽が”青空とMARRY”したような、紺碧の秋晴れ。
時間の経過と共に変わったモノ、それは風景だけではない。
アイドルシーンを取り巻く状況も大きく変化した。それでも会場がオープンする正午前、
会場となる下北沢ReGの前には、秋の陽射しの中、入場を待つ人の列が作られた。
そして時計の針がテッペンで重なった、日テレで「メレンゲの気持ち」の放送が始まる
正午12時。最大で約230人が入る会場は、「東京タワーはどこから見える?」の級に・・・
ヲルタナティヴはどこにいる?と、会場後ろではステージが見えづらい人が出るほど、
「ヒルナンデス」で紹介された後のおしゃれカフェくらい、会場は多くの人で埋まった。
時計の長針がてっぺんを少し過ぎ、上り坂を描くように文字盤の右上を指した頃、
フロアの照明は暗転。”夕陽1/3”ほどの薄明るいライトだけが、ステージを照らす。
そのステージを覆い隠すように貼られたプロジェクタースクリーンがゆっくりと上がり、
PA卓のメーターが動き出す。会場に音楽が鳴り響く・・・
それは、ヲルタナティヴのライブのオープニングでお決まりとなっている曲!
1. 「w421(ウォール)」。欅坂46のライブの幕開けでかかる曲「Overture」と同様の、
EDM調のインストゥルメンタル。そのリズムに合わせて、これまた欅坂46と同じように
フロアではファンの方が手拍子、またPunkのライブ会場のようなOiコールがあがった。
それでは、行こう!!
ヲルタナティヴ in 秋、単独公演「ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」!開幕!!
曲の終盤、青い照明が照らすステージにヲルタナティヴが1人ずつステージに現れる。
その立ち位置は、メインボーカルを担当する小泉明音さんを先頭に描く、三角形。
2列目に神谷さくらさんと柊木ハツミさん、そして3列目に4人が末広がりに並ぶ。
欅坂46は、最初のワンマンライブを前にした時に言っていた・・・
「今持っている私たちの力を全部出し切って最高のライブにしましょう!助け合おうね」
ではヲルタナティヴも助け合って、いま持っている力を全部出そう!
そのスタートは、爽やかなギターの音色が特徴の、疾走感があるポップなナンバー、
2. 「ALMIGHTY†GLIDER」。蔦谷好位置さんらを擁する音楽制作プロダクション、
「agehasprings」がTwitterで「好きなタイプのアニソン系エモチューン」と評した曲。
ヲルタナティヴのために、最初に書かれた曲でもある。でも、その時から・・・
ステージ上の景色は変化した。メンバーが、7人に増えましたの!
では、アタクシの”割れたスマホ”で撮った画像で紹介していきたいと思います。左から・・・
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ひょっこりはん状態で見切れる左端は、ドレッシングを飲む元メイドさん、鈴屋もずくさん!
その隣は、ボクの成仏か世界平和を願って手を合わせるイケてる中学生、神谷さくらさん!
左から3番目は、前歯に 口紅を つける可愛い芸風をもつ高校生、柊木ハツミさん!
そしてセンターは、インスタに天一のこってりラーメンを載せるオンナ、小泉明音さん!
その横は、この前日に自転車泥棒にチャリンコをパクられた、桃川もも子さん!
右から2番目は、SiMと作家・池澤夏樹さんが好きなウェイ系文学女子、三島凛さん!
最後、右端は勉強をしたくないからヲルタナティヴに入った茶髪JK、美里由奈さん!
・・・以上!メンバー7人がもつキュートさを、まったく表現できないメンバー紹介でした。
では、 キュートなヲルタナティヴ と、気味が悪いBlogの間に発生した”不協和音”を
”チューニング”して、大事なライブに戻りましょう。7人で描くネクストチューン!
それは、ヲルタナティヴの初期を代表する、 鉄板で盛り上がるダンスチューン・・・
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3. 「今宵夢酔夢想歌」!!(↑の5:16~。Ver.4人)
”欅って、書けない?”とは真逆、絶対に読めない?この曲は「こよいゆめよいトロイメライ」。
EDMっぽいですが、ボクはプログレッシブハウスにアプローチをした曲だと思っている。
この曲で起きた変化は、メンバーが7人になった事でフォーメーションを描けること。
中でもメンバーが横一列に並ぶフォーメーションは、欅坂46のMV「 二人セゾン 」くらい
美しい。見ているだけでも楽しいのですが、アッパーなイントロではコールが入り、
またサビはマネをしやすい振付けのため、ステージで踊るヲルタナティヴを模範にして
フロアで”Student Dance”!振りコピをして一緒に楽しむことだってできる。
そんなクラブサウンドに繋げるのはPunkにアプローチをした、4.「ジョビ・ジョバのテーマ」。
この曲の変化は、誕生の裏側にある。振付けを初めて、メンバーたちが考えている。
そして、この曲を歌ったところでカーリング日本女子代表でいう所のもぐもぐタイムへ・・・
”大人は信じてくれない”かもしれませんが、ヲルタナティヴは結成時から行ってきた
ノンストップでのショーケースを中断、メンバー紹介のMCを挟む。
それは、先程まで歌い踊っていた新旧のメンバーがステージに横一列に並ぶ、
漢字とひらがなが合わさった、”W-KEYAKIZAKAの詩”の様相。
では行ける所まで”一緒に歩いて行こう”、軌跡もライブも再始動をして!
そのスタートは、三島凛さんのこんな言葉で始まった。「最後まで止まらないよ」!!
2018年、カメラも、ライブも止めるな!では行こう。ヲルタナティヴが得意とする・・・
ノンストップのショーケースが”走り出す瞬間”。
欅共和国2018の開国を知らせる小林由依さんみたいに、ヲルタナティヴも「いくぞー」!
その始まり、 「 ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」の”FIVE CARDS”は、
もずくちゃんが今年の夏、ヲルタナティヴに加入し初めてステージで歌った曲と同じ、
エレクトロニックなロックチューン、5.「Wonder Wander Lander」。
もずくちゃんは夏から秋へ季節の移り変わりと共に芸名を「鈴谷」から「鈴屋」へ変えた。
だが変化は名前だけではない、ステージ上でも見ることができる。
以前までステージでは、クールな表情でパフォーマンスをしていたもずくちゃんですが、
現在は、おキレイな顔に笑顔を浮かべながらフロアへ、”饒舌な眼差し”を送っている。
・・・アタシ以外のファンの皆さんにー!!そんな容赦のない女子の洗礼を浴びた後に
続くのは、ドリーミーなトラックに弾けるリズムが重なる、ダンスミュージック。
Future Bassのキラキラチューン!!! 6. 「らゔ・お〜る【0-0】」。
キタァァァアアアアーーーーーーーー(゚∀゚)ーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
個人的には今のヲルタナティヴらしい音色の、ライブの中盤を担う曲だと思っています。
曲はもちろん歌詞・ダンス・メンバーの表情と、見所や聞き所がいっぱい詰まっている。
そして織田奈那さんのキャッチフレーズみたいな「みんなに幸せ届けるラッキー7」は
曲中にメンバーの名前を、ファンの方が逆” 沈黙した恋人よ”状態で超絶コールする、
バンドサウンドと電子音が融合したエレクトリーモ、7.「邂逅と再生のシンギュラリティ」。
その曲の終わりに、曲間短くノンストップで鳴り始めるのは規則的な四つ打ちのドラム、
重なるエレクトロニカの 綺麗なメロディーは、8. 「季節はサチュレイトーン」。
ヲルタナティヴの歌が入るまで、約50秒と長いイントロ。
でもメンバーのシンクロしたダンスと美しいメロディーは、その長さを感じさせない。
そしてサビで見られるのは、ステージとフロアの一体感。コレオグラファーの方が考えた
ダンスとは別に、ファンの方がフロアで始めた事がステージで採用されている。
煽るのはメンバー。サビの1回目は下手に柊木ハツミさん、上手に桃川もも子さん。
そして2回目のサビは下手に三島凛さん、逆サイドの上手を美里由奈さんが担当し、
四つ打ちのリズムに合わせてジャンプをしながら頭上でクラップをする。
その情景はステージとフロアが、”僕たちは付き合っている”以上のマリアージュ。
そしてエレクトロニカの音色がフェードアウトし、変わりに鳴り響く音はノイジーなギター、
9. 「ギヴミーメーデー ~明解に不正解な世界の端っこの真ん中で~」。
ポストグランジにアプローチしたという曲。
見所は、メンバーが次々と立ち位置を入れ替わるBメロのフォーメーションダンス。
そして聞き所は、攻撃的なギターに跳ねるドラムが重なるオチサビ、
さらにアウトロでのメンバーのコーラスとロックサウンドのコンストラストだと思ってます。
曲が終わると、メンバーが立ち位置を大きくChanges。
センターに柊木ハツミさんが立ち、その一歩後ろにメンバー6人が横一列に並ぶ。
それは、今のヲルタナティヴがもつキラーチューン!!いくぞー!
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10.「飴色リズム」! !
エレクトロハウスのサブジャンルである「コンプレクストロ」にアプローチしたとされる、
イントロからアウトロまでの約4分間、隅々までアッパーなクラブトラックの曲。
0:01~のイントロ、まず 柊木ハツミさん がソロでダンス、その後、シンセサイザーの音の
鳴り始めとともに、残りのメンバーが加わるダンスはマジでヤバい。
さらに1:33~のサビへと続く展開ブロックでは、欅坂46「 NO WAR in the future」でも
採用されているパリピの皆さんの大好物、プチャヘンザが振付けに取り入れられている。
高揚感ある曲とステージとフロアが一緒に楽しめるダンス、それは歌詞にあるように
「息ができなくて溺れそう」なほど会場を盛り上げる。
この曲にヲルタナティヴが繋いだのは、欅坂46の曲「太陽は見上げる人を選ばない」と
似たADM曲、11.「かえろうよ」。ADMとは、アコースティック・ダンス・ミュージックのこと。
アコースティックとあるだけに、そのイントロは静か。だが、神谷さくらさんのボーカルを
きっかけに曲はメロディーさらにリズムも、ダンス・ミュージックの盛り上がりに変わる。
そしてサビでは曲名にもなっている「かえろうよ」のフレーズを、メロディーに乗せて、
ステージのヲルタナティヴとフロアにいるファンの方が一緒に歌唱するのが特徴。
会場内に響く「かえろうよ」の歌声、では”手を繋いで帰ろうか”?・・・お医者さんと一緒に。
アタシがお薬の時間だから。しかーし、ヲルタナティヴの持ち曲は今、全部で13曲ある。
One More Time!(←韓国のSUPER JUNIORの曲のことではありません。)
ヲルタナティヴ 単独公演 「 ヲルタナティヴ 002 - woltanative 2nd -」  in 下北沢ReG・・・
ラストは、ヲルタナティヴの1st シングルのリード曲、12. 「夏の香のパ・ド・ドゥ」。
この曲はみんな大好き渡邉理佐さんが歌う、「スズメの歌」と同じエレクトロハウス調。
立ち上がりは静か。小泉明音さんの歌声 と、僅かなエレクトロの主旋律だけが響く。
この曲には、こんな想いが込められている・・・。
「いつか必ず会いに行こう。例え、遠くとおく離れていても。」。
いつかの夏、遠く離れた広島県を拠点とするアイドルグループとボクが出会ったように
2018年の暑い夏に、鈴屋もずくさんとヲルタナティヴは出会った。
そして季節が移ろうとする夏の終り、今度は4人の女の子がヲルタナティヴと出会った。
静かな立ち上がりから始まるこの曲、でもサビでその姿は一変する。
メロディーそしてリズムともに激しく鳴り、ヲルタナティ��の7人が踊るダンスも弾ける。
静かな立ち上がりから盛り上がりへフロアから見えるステージの景色が変わるように、
いつかヲルタナティヴがステージから見渡す景色も大きく変われば良いと思う。
電子音で彩られた”ゼンマイ仕掛けの夢”からの、目覚めを告げるように・・・
ステージに明るい照明がつく。
”夜明けの孤独”ではなく、多くの人に見守れて歩み出したヲルタナティヴの新たな道。
その道は、この日から今日まで約2ヶ月続いている。その間のヲルタナティヴは・・・
ライブの会場は、大きいステージもあれば、小さなステージの時もある。
その下に広がるフロアもまた、人が行き来できるスペースがある時もある。
そしてまた特典会も、メンバー全員に思うように列が作られない時がある。
いつかの日にボクが見た光景と似た景色が、今のヲルタナティヴにも見る事ができる。
でも、その景色はいつか変わるだろうとボクは思う。
曲・ライブスタイル・セットリスト、さらにYouTubeに代表される音楽共有サイトなど・・・
ヲルタナティヴにはまだ”無限大”に”新しいもの”を試せる可能性があると思っているから。
約1ヶ月の間に7人が、歌やダンス、フォーメーションを入れた曲は12曲。でもね・・・。
ヲルタナティヴの現在の持ち曲は13曲、たった1曲だけ披露をしていない曲がある。
その曲のテーマは、「進化と革命」だ。そんな曲や渋谷の街と同じ様にヲルタナティヴも
再び開発しよう。ひろしまMAPLE★Sがいつか歩いたような、上り坂を。
未来の景色の中にたぶんあるであろう、険しいが楽しい、その道に出会うために・・・。
マイクを”握りしめた拳で”、今ある”目の前のガラスを割れ!”。
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2018年も時間は進み、季節は冬。あと少しで、暦は2019年へと変わろうとしています。
渋谷の街で、いつ頃からか始まった工事は現在も続きの2027年の完成を目指している。
街からはかつてのランドマークは姿を消した、でも時間が経てばきっと・・・
またそこにたくさんの人が再び集まる、新しいランドマークがそびえ立つだろう。
ヲルタナティヴは、そんな街で誕生し様々な人と出会い、1年10ヶ月の時間を歩いてきた。
そしてこれからも、先へと伸びる道を歩いて行く。その道に・・・
これまで来た道に刻んだのと同じ足跡を残すか、それとも”ここにない足跡”を残すか、
それは未来にならないと分からない。
だから、最後に1つだけ欅坂46の歌詞を引用してボクの希望を書きたいと思います。
”自分の夢の方に歩けばいい”!!だって、 ”未来は君たちのためにある”から。
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キャー、かわいい!ヲルタナティヴの、センターそしてメインボーカルを担当する・・・
小泉明音さん 。あかりんさんは広島県出身、身長はこの前聞いたら152センチだって。
以前は153センチと言っていたので、時間の経過により1センチ縮んだっぽいです。
あかりんさんはいつかの冬、ステージの上で涙をこぼした。その時から時間を経た
2018年の同じ冬、あかりんさんはヲルタナティヴとして再び大切なステージに立つ。
その場所は国道2”46”から、かつて欅坂46が立った 旧東急東横線のホーム跡地を
右に行った先にある、ライブスペース。その会場を満員にすることが・・・
あかりんさんの2018年、最後の目標だ。
時間の経過とともに 、人や風景などは姿・形を変える。
あかりんさんが、そしてヲルタナティヴがそのステージで笑顔でいられますように!!
”世界中 満たしてく”、「七色のモーション」!きっと もっと ミラクル★エモーション -
ボクがいつか出会った、そんな歌の始まりのように。
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rakugoinfo · 6 years
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