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#s小児歯科
shikajyoho · 3 years
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夕陽ヶ丘駅 徒歩3分【やまぐち夕陽ヶ丘歯科クリニック】
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やまぐち夕陽ヶ丘歯科クリニック
〒543-0001  大阪府 大阪市天王寺区上本町9丁目6-12 レジデンスウエストアロウ 夕陽ヶ丘1010224-52-1080 06-6773-1833
【診療内容】 歯科(むし歯、歯周病の治療・入れ歯製作、調整など)・小児歯科・歯科口腔外科・矯正歯科・予防、クリーニング・ホワイトニング・審美治療・訪問歯科診療など
【やまぐち夕陽ヶ丘歯科クリニックによる説明】 天王寺区上本町九丁目の【やまぐち夕陽ヶ丘歯科クリニック】は、歯科、小児歯科、歯科口腔外科、予防・クリーニング、訪問歯科など幅広い診療を行う歯科医院です。とくに小児歯科に力を入れており、小さなお子さんにも楽しみながら通院していただけます。
■小さなお子さんの治療はおまかせください。 育児中の方で、お子さんのむし歯の治療や歯磨きの仕方などでお困りの方は多いと思います。 当院ではとくに小児歯科に力を入れており、「痛くなってから歯医者に行く」のではなく、「もっと気軽に歯医者に通って予防する」という習慣づくりのお手伝いをさせていただきます。 そして、むし歯にならないお口づくりをご家族と一緒にすすめ、生涯ご自身の歯で食事や会話が楽しめる「お口の健康」をサポートしてまいります。皆さんの大切な歯をできるだけ残せるように努めますので、どうぞご家族みんなで遊びに来る感覚で、気軽にいらしてください。
■患者さん目線でこだわりました快適な院内設備 スロープをつけたバリアフリーをはじめ、ベビーカーや車いすの方も通いやすい歯科医院をめざしました。 院内は天井の高く広々とした造りで開放感があり、リラックスできる空間となっております。 キッズスペースは受付から見えるところに配置し、お子さんの飛び出し防止の壁を設けるなど、安心して遊ばせられるように配慮いたしました。 また、パウダールームには高機能モデルのトイレを採用し、お子さんと一緒に入れる十分な広さがありますので、歯磨きスペースとしてもご利用いただけます。
■いつでもお気軽にご質問ください。わかりやすくご説明いたします。 「聞きたいことがあったけど、きっかけがなかった」「治療について、帰ってから家族にうまく説明ができなかった」などの経験はありませんか? 当院では、患者さんやご家族に同意をいただいてから治療を始めるインフォームドコンセントの徹底はもちろん、治療の説明をなるべくわかりやすくお伝えするように心がけています。気になることがございましたら、いつでもお気軽にご質問ください。 お子さんの治療内容についてもご家族で共有することで、みんなでむし歯予防を意識していきましょう。
■詳しくはこちら https://www.dentalyamaguchi.com/
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bbibon · 7 years
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「S」のこと
かつて、清陵に「S」という生徒がいた。12月生まれ、性別、男。
…とのように、単なるプロフィール紹介をすることなら容易いが、彼の性格や立ち振る舞いを一言で表せと言われると、どうにも困る。
その男、学友会長だったわけでも、部活のエースだったわけでも、SSHの研究で輝かしい賞を受賞した、というわけでもない。
ただ、計り知れない「価値」があった。決して目には見えない「ポテンシャル」のようなものが。自分以外の多くの生徒もそれを実感していた。
しかし、彼の名前は清陵にほとんど残っていない。表舞台に立つことも殆ど無かったため、彼を語り継ぐものも少ないだろう。(ごく一部の界隈では色濃く語り継がれているらしいが。)
決して「勝ち」が多い清陵生ではなかった。ただ、その「価値」は計り知れなかった。
強いて、一言でいうとすれば。そんな男が、清陵にはいた。
今回、ふと「S」のことを思い出し、清陵生だった当時の記憶を頼りに「S」が清陵にいたということを書き留めたいという思いが私に筆を執らせた。(正しくはキーボードを叩き始めた、だが)
これをSが見ているか見ていないか、Sを知るものが見ているか見ていないかなんて言うのは二の次で、単純に自分の記憶が鮮明にある内に当時を書き残しておきたいと思ったのだ。
いつもの癖で書き連ねていたら8000字を超えてしまったが、清陵関係者にしか楽しめないような、こんな駄文を読む変わり者はごく少数だと思われるので、添削せずこのまま残しておくこととしたい。
ーーーーーー彼、すなわち「S」とのファーストコンタクトを思い出してみる。あれは、中二の春、だっただろうか。私は高校受験に備えて週2で個人塾に通っていた。ある時、曜日のメンバーの組み合わせが変わり、「S」と同じ曜日に塾に通うことになった。それがSとの縁の始まりだった。もともと同じ個人塾には入っていたらしいが、授業の曜日が違ったので、それまでは全く会ってはいなかった。いや。もしかしたら、ふと目にしたかもしれないが、その時はそれほど印象を受けなかったのだろう。私が、「邂逅」と呼べる表現を、胸を張って使える出会いをした、あの中2の春。
彼とは、とにかく最初の授業から会話のドッジボールを交わしたことを覚えている。初めて会った気がしないほど気が合ったのだ。というか、「会話の波長」というか、ふんわりした言葉で言ってしまえば「雰囲気」が似ていた。そう、つまるところ似た者同士だったのである。おまけに名前まで読みが同じときたものだから、中2という溌剌とした時期を生きていた私たちには、たったそれだけの現象でも、何か神がかり的なものでも自分たちの周りを漂っているのではないか、という興奮じみた気持ちでいっぱいになって、その気持ちが気持ちを呼び、私たちは高度経済成長も驚くスピードで親交を深めていった。ギャグを言い合ったり、教材のテキストにお互いツッコミを入れあったり、とにかく楽しくギャアギャアと二人で会話をしていたため、塾の先生にはよく怒られた。彼とは学校が別であったので、腰を据えて楽しく長時間会話ができるのも塾くらいだった。中2という話したがりなお年ごろには、塾という閉じた世界で気の合う友達とワイワイ喋りあえることはこの上ない楽しみであったのだと思う。
当時から約5年経つ今でも、Sと喋りあえる塾に向かう足は、少なくとも心は、若々しいステップをしていたことを覚えている。そして、本当に楽しかったことも覚えている。Sが自分で考えた「一発ギャグ100連発」というノートを持ってきたときには、塾が終わってからも何十分も二人で笑い合ってしまい、親の迎えにとんでもなく遅刻して心配させたこともあった。他の塾生徒も交え、塾の軒先でずっとぺちゃくちゃ喋りあっていて、先生が出てきて「早く帰りなさい!」と注意されることなんてしょっちゅうだった。中3になってからも彼と同じ曜日に塾に通うことになった。いよいよ、受験生ということになったのだが、相も変わらず私とSはふざけた話や茶々を入れて、時折先生を困らせていた。
Sが学校でいじめを受けていると知っていたのはこの頃だった。彼は人を馬鹿にするような所はあったが、根は優しかったし、何より、人が気にしている所や嫌なところには触れることをしない分別の良さと賢さを持っていた。私と同じように、彼は、絶対「いじめ」をするようなタイプではなかった。だからこそ、狙われたのだ。たまに塾内でそのことを相談するようになり、私も、塾の先生も憤慨した。どうやら、彼の中学では荒くれ者が何人かいるらしく、他にいた塾の同中生も口を��えて彼らの愚痴を言っていた。どうにかしたいけれど、どうにもできない。根本的に、Sを悩ませているいじめの張本人を殴ってやりたい気持ちだったけれど、それも叶わなかった。幸い、Sは学年で一位の成績をとっているほどに成績は良く、一緒にここ一番の進学校に合格して、そんな「下らない」奴らとはオサラバしよう、と彼を励まし、受験生として共に頑張ることで逃げ場を作ってやろうとする、くらいのことは出来た。中三の秋冬になっても、塾で頑張った後は道端で他愛もない話をして盛り上がった。週二日の塾の夜は、「下らないこと」も忘れることが出来た。
ついに、受験当日がやってきた。塾の先生に貰ったビターチョコレートを頬張りながら、5教科の要点を必死に総復習していた。
「やれば出来る、やれば出来る…。今まで頑張ってきたじゃないか…」
そう言って自分を落ち着かせる私の横で、Sは割と飄々としていたような気がする。似た者同士とは言え、Sとの私の違いは、努力なしで行けるSの天才肌的な部分だったのかもしれない。彼は、基本普段そこまで勉強しないくせに、私を上回る定期テストの点数を持ち帰ってきていた。所謂「勉強しなくても出来るやつ」��った。勿論、それなりの勉強をしてきたことは一緒にやってきたので充分分かっているが、素因数分解が異常に早かったり、難しい言い回しの文章題の呑み込みが著しく早かったり、とにかく地頭はSには敵わないと私は確信していた。受験がようやく終わり、何日か過ぎ、合格発表の時がやってきた。結果は…無事、2人とも合格。憧れの諏訪清陵高校に、2人とも入学できたのである。そして、奇しくもSと同じクラス、同じ講座になったのである。2人で狂喜乱舞し、改めて、いじめるような輩もいない新天地に辿り着いたことを祝った。そして、放課後や休日もこれまで以上に度々遊ぶようになった。
私がこれまでと違う感情をSに抱くようになったのは、1年生の文化祭の頃からであった。Sは元より自由奔放な性格で、中学の「下らなさ」から解き放たれたことにより、更に人と遊び、更に人に絡むようになった。勿論私もそんなSの愛嬌や元気さが好きだったし、それこそがSの真骨頂であると感じていた。当時の私は、少々真面目になりすぎていたのかもしれない。中学時代、生徒会長をしていたこともあって(更に言えば小学校の時も児童会長をしており)、この高校の学友会に少しずつだが首を突っ込むようになっていった。「ここがおかしい」「これは無駄だ」「これはこう改善すべきだ」この頃の私は一年生の癖に何をぬかすかと言われんばかりに会長を含め、議長、委員長など先輩に臆することもなく独自の意見を提言していった。更に、諏訪清陵高校では海外研修付の特別クラスがあり、2年生になったらそれに入りたい、という思いも同時に抱くようになった。この頃から私は、「友人とのだらだらした遊び」とは逆ベクトルの、そういった方向に心惹かれていったのである。
一方、Sは自由気ままに学校生活を謳歌していた、春先に入部したバトミントン部も夏にはもう辞めてしまう、なんてこともしていた。対照的に、私はというと学友会や特別クラスだけでなく、陸上部にも所属しており、上級生とのリレーに一年生から参加し、記録を残しつつ、日々の練習にも励んでいた。それでも、クラスや講座はいつもSと一緒で、新しい友達を交えながらも、毎日のようにつるんで笑い合っていた。しかし、自分はこのままでいいのか、友達と無為にじゃれあうよりも、するべきことがあるのではないか、と、まるでアグレッシヴな勤労精神を結晶化したかのような決意がこの頃からみるみる膨らんでいった。ついに私は2年生になり、特別クラスに進んだ。実はこの時、Sも特別クラスに進むべく試験・面接を受けていたのだが敢え無く落ちてしまった。おそらく、私と一緒に特別クラスで楽しみたかった部分もあったのだろう。しかし、私には己の野望を叶えなければならない、そのためには一時Sから離れなければならない、という、孤高なる情熱があった。今からこの頃を振り返ると、あまりにも「ゆとり」が無いとしっかり認識することができる。明らかに自分がやれる範囲を間違っており、頑張りすぎていた。
私も、どこかで一歩違えば、特別クラスに入れていなかったのかもしれない。偉そうに自分のことを語っているが、この時、Sも私も勉強に身が入っておらず、中学の時に比べ、校内順位は際やかに下がっていた。この時、仮に私が特別クラスに落ちていれば、何かが変わっていたのだろうか。何かが今得られていたのだろうか。何が失われていたのだろうか。人生は一度きりしかなく、過去から新たな並行世界を生み出し経験することは許されない。たった1通りの人生。その時その時において、たった1回の同じ選択しか許されない。けれども、「あの時こうだったなら…」ということは、徒然と考えてしまうものである。
私だけが特別クラスに入った後も、私の校内での動きはみるみるうちに加速していった。学友会では2年生で新聞委員会の副委員長を務めることとなり、その次の選挙では、遂に、演説、投票の末、後期の学友会長に当選したのである。陸上部ではリレーのメンバーとしてレギュラーに固定され、最終的にはアンカーの立ち位置を担うことになった。SSHの課題研究や特別実習に加え、色々な方面からの引手もあり、講演会や校内発表会の司会も務めた。さながら、(語弊を招くかもしれないが)この頃の私はまさに「無賃金で働く高校生」のような姿だった。学校に「登校」するというよりは「出勤」するような面持ちで、毎日スケジュールの詰まった手帳を持ち歩き、日々すべきことを1つ1つ丁寧に消化していった。「本当に自分は高校生なのだろうか?」と思うほど仕事が重なり疲弊していた時もあった。
しかし、議案書を作ったり、陸上のハードなメニューを熟したり、先生や役員と打ち合わせをしたり、全校の前で議論をしたり…、そんなことをしていた毎日の中で、「充実」を感じて、「安息」とは対極にある幸せを手にしていたことも事実である。給料などの見返りを求めずに、「自分の経験として楽しむ」ことが許されるこれらの経験は、当時、とても貴重なことに思えた。大人になれば、金銭が絡んでくる。失敗や、下手をすれば、最悪、賠償などの話にも発展しかねない。けれども、学生時代の運営系の仕事というのはボランティアであり「何事も経験」というレッテルの元、ほとんどのことが許される。学友会長を「不自由」と呼ぶ人もいたが、私にとっては最高の「自由」だった。自分が今まで歯痒く見ていることしか出来なかった学友会運営を、自らの企画で、施策で動かすことができる。こう友人に説いても、頑張りすぎの変人扱いしかされなかったが、変人だろうがなんだろうが、自分に向いていようがいまいが、「自分がやりたいことがやれる」ことの幸せは確かにそこにあった。実際、私がしたかったマニフェストのほとんどは、段取りを粛々と熟し、任期中に晴れて実施することが出来た。自分の頭の中で勝手に膨らんでいた企画が、優秀な副会長や周りの委員長を通じて、全校に広がり、目に見える形となり、自分が望んでいた通りの効果や感想というフィードバックが返ってきたとき、私はその施策の準備がどんなに忙しく辛かったとしても、この上ない達成感と自己実現感を手にすることが出来た。その瞬間が本当に幸せであった。だから、金銭なんて見返りは求めてもいけないし、求める必要もないと思った。
そのようにして私が学校のありとあらゆる方面に精を出している最中、Sはというと、何か活動をするという訳でもなく自由気ままにTVゲーム等に熱中していた。元々ゲーム好きだった彼は、自前の頭の良さを武器に数々のゲームをクリアしていき、友人の中でも話題の先陣を切りながら、誰にも負けないようなゲームコントロールの腕を磨いていた。客観的にみると、私とSは、まるで対極のような存在になってしまったように見える。しかし、私が主観的に私とSについて分析してみると、決してそんなことはなかったのである。私とSは、根っこにつながる部分は昔と変わらず健在であった。
彼は、周りの仲間たちが落ち込んでいれば必ず親身になって何時間でも相談に乗ってくれる。中学の時から、そんな深い情と他人への深い干渉がSの持ち味だった。私は、私について、さも何でもやりおおせたアグレッシブな男のように書いているが、実のところ、ただやりたいことがやりたいだけのマイペースな男で、ミスも非常に多かった。副会長を始めとした周りの人達に支えられていなかったら、おそらくきっと、どこかで失墜していただろう。長所もあれば短所もあった。私とSは、全てを含めるとプラスマイナスで絶対値は同じような男たちであった。私が猛烈に忙しくなってしまってからも、私は意識的に彼との接触を断とうとはしなかった。
彼にも高校に入ってから沢山の新しい友達に恵まれたようで(私もそうであったが)、Sなりに楽しく過ごしていたし、それに便乗して長期休み中はSの家に泊まりに、逆に私の家に泊まりにくることもあった。その時には勿論、ゲーム三昧である。私にとっては、「自己実現の充実」とはまた別の「幸せ」であり、こういう側面があったからこそ、最後まで挫けずに自分の「やるべきこと」を続けられていたのだ、と今になって思う。逆にSの遊びの誘いがなかったら頑張りすぎて、それこそ文字通り「頑な」を「張りすぎて」カチンコチンのお堅い会長様を演じすぎていつかダメになってしまっていたかもしれない。
…いや、ダメになっていただろう。人間、真面目になりすぎてもいつか失敗するものである。私みたいな、スイッチが入るとのめり込みすぎて倒れてしまうようなタイプには、「頑張れ」という言葉よりも「たまには一緒に遊ぼうぜ」というSのような言葉の方が結果的に良くなるのだと、ゲームコントローラーを握りしめながら痛感した時がある。きっと、彼はそんな自分のことを心配して見抜いてくれていたような気がするのである。
学友会長の任期も終わり、特別クラスの海外研修も終わった。3年生になり、私の生活は1年生初期のような落ち着きを取り戻した。残る「やるべきこと」は、最上級生になって最後の総体となった陸上だけである。こうして、自分の野望が半ば達成された今、私の「心夏期」(造語である。自分にとって感情がアグレッシブな時期をこう呼んでいる)であったこの1年間を振り返って、Sの大切さをしみじみと感じる。途中、何度か壁にぶちあたってSに相談したことがあった。Sは、持ち前のへらへらした笑顔で冗談めかして答えてくれたりもするが、いつも最終的には核心をついた答えをくれる。不思議と、その答えを聞くたびに、ずっとモヤモヤしていた感情が霧散し、溜飲が下がり、スッキリした気持ちになる。専門家の専門的な意見より、彼の大雑把な反骨的アドバイスの方がよっぽど清々しく私には感じてしまうのだ。
彼は遊びすぎだ、と元会長の私は今でも思う。彼の突拍子もない行動や、脈絡のない発言はどう考えても予想できない。そんなSだ。しかし、Sが学校に来ていないときは、「アイツ、なにやらかしてんだろうな。」と仲間内でSがしそうなとんでもない行動の数々を仲間内で妄想し、談義し合う。いつもSを煙たがっているような連中も、Sが風邪で何日か休むと「寂しいな…、早く学校こいよな」と、物憂げな表情を見せる。詰まる所、彼は私達の中で、「そういう存在」なのだ。そういう人格なのだ。Sが久々に登校して口を開くと、いつも通りのその突拍子もないからかいや笑い話が私を含めた仲間たちを楽しませる。
Sの祖父が叔父に激怒した時の話なんかは、もう、最高であった。祖父が何の気に触れたのかは忘れたが、とにかく祖父が叔父に激怒して、近くの障子の戸を引き抜いて手に持って掲げ、激昂しながら叔父に障子の戸を振り下ろしたらしい。そうしたら、叔父の頭が障子の1つの窓にすっぽりと嵌って、振り下ろした障子の戸の中央から叔父の震えた顔がひょっこり顔を出しているという構図が出来上がったらしい。Sはそれを遠目に見ていて、笑いをこらえるのに必死だったらしい。私は、それを想像するだけで噴出さずにはいられなかった。周りの仲間たちも、爆笑を禁じ得なかった。他にも彼の面白エピソードは山ほどあるのだが、砂漠の砂数のようにありすぎて、ここには紹介しきれない。よって、割愛せざるを得ない。Sの話は、長続きするのにも関わらず、飽きず、とにかく独創性があって面白いのである。私には、こんな芸当はできない。ましてや、私は他人をからかう類の事が得意ではない。Sが私をからかうことはあっても、あまり私は積極的にSをからかったりはしない。多少、皮肉ったりする程度である。更にSは他の仲間たちにも分け隔てなくからかいを重ねてきている。普段からかわれていない人も、Sにはからかわれたことがある場合が多い。そんな自由性ゆえに、高校入学からこれまでの約2年間、何度か喧嘩をしたこともあったが、なんだかんだ言って次の日には朝から駅で会い、電車で普通にしゃべるので、なんだかんだで、いつのまにか仲直りをしているのだ。
――――これが、私が勝手に親友と呼んでいる「S」と私との、あらかたの関係性である。彼も私に散々迷惑をかけたが、私も彼に散々に迷惑をかけている。私は、酷くマイペースでうっかり屋である。小さいころから親にもずっと言われ、Sや他の友人に言われる中でようやく自覚できたくらいのレベルである。(一応自分でも認識しているつもりであるが…)時折、マイペース過ぎて、連絡がすれ違ったり、約束を違えたりしてしまう。その節には本当にSにも迷惑をかけた。申し訳ない。もし私に「マイペース」による、どうしようもない情熱の悪魔が潜んでいなければ、会長を始めとする様々な活動に首を突っ込むことなく、当時も今頃も、Sと楽しく学校生活をエンジョイしていたのであろう、と思う。そうすると、マイペース故に、勝手に置いて行かれて、勝手に目の先で自分勝手にウキウキしている私を見ていたSは、どんな気持ちだったのだろう、と神妙に考えてしまう時がある。Sにとっては、私と、何の部活もせず、何の活動もせず、自分と2人でワイワイやっていたいというのが、一番都合のいい希望である。もし、私がSだったら、絶対そう考えてやまないだろう。だけれど、私は当時そんなことを考えもせず、ひたすらにマイウェイを邁進していたのである。Sはそんな私を応援してくれていた。もはや今考えると罪深くさえある。もう、どう足掻いても取り返せないのである。と、いうのも、もし自分がそのような青春の選択をしていなければ、Sのような存在になれたのではないかと思い耽ってしまうからである。つまり、Sを心のどこかで羨ましい、と感じてしまうのである。
Sと私は似た者同士だった。いや、「Sと私は似た者同士『だった』」という表現は正しくはないかもしれない。何故なら、「今」でも私とSには共通している部分が、会話の中でもその片鱗が垣間見えるのである。そして、中学時代よりも遥かに同じ時間を共に過ごし、互いを研究する中で、生まれ育ってきたそれぞれの「環境」、それぞれの家系に流れる「遺伝」、そうしたものは勿論のこと、趣味があっているようで少しずつ違うお互いの「嗜好」、お互いが経験を積み合った中で得た「思考」、これからどこを目指していくのかという「指向」……と、似ているようで違う部分を、共通する部分より鮮明に捉えていったのである。その結果、人生の分岐で分かれ続けて、私は元会長(その他もろもろ)、Sは、仲間内の明るいムードメイカーとして学校生活を送っていたのである。
しかし、彼とは心の奥底の何かが共通していたという、中2当時のあの沸々とした楽しさは今でも忘れられない。あの頃、塾の曜日が違っていたら、私は清陵にすら入っていなかったかもしれない。少なくとも、清陵での活動は違うものになっていただろう。そんな「S」の影響力は、間違いなく大きすぎる「価値」で、社会の「下らない」優劣競争なんかに左右されない軸があったのだと今になって思う。
勉強ができればいい、偏差値が高ければいい、スポーツができればいい、お金があればいい…、「S」を見ていると、そんな一面性の軸に縛られた社会的ステータスなんかどうでもいいと思えてくる。受験とか、就活とか、出世とか、そんなことの前に自分の周りを明るく楽しくさせる力の方がいかに大切かを思い知らされるのだ。
ーーーーーーそうして時は流れ、高校三年、最後の清陵祭がやってきた。
【高校三年 7月】
おそらく、私にとって忘れられない光景をあげようとすれば、1つのシーンがいつでも自然と浮かび上がってくる。高校3年、最後の清陵祭のファイヤーストームが終わった後の、登壇の時間だ。
(登壇と言うのは、語りたいことがある者のみが自由に登壇をし、全校生徒を前に語りたいことを語る時間である)
私は、去年、学友会長に当選し、少々学校内での出番が多く、多いどころかほとんどに自分が中心的にかかわっていており、でしゃばりすぎてしまったと自分では感じていたので、胸中では、今年は出来る限り「でしゃばり」を自重しようと心掛けた。
知り合いも何人か壇上に登り、告白やら感謝を叫ぶやらで最後の文化祭のフィナーレは段々に盛り上がっていった。正直に言えば、自分は既に友達のそういった姿を見て満足していた。そろそろ幕切れか、と思われたその頃の話である。
「次は誰が行くんだ?」と言う空気の中、、鋼の塔に向かっていったのは、他でもないSだった━━━。
泥とラクガキだらけの顔のまま、千切れて泥水で浸された灰色のTシャツを身に纏い、彼はまず、壇上の中心でマイクを持ち、そして、一呼吸を置いた。
ここからの映像は、周囲の熱狂的な雰囲気と自身の疲労により、全てを思い起こすことは出来ないが、思い起こせる限りの印象的な断片をここに記す。
「俺のこと知ってる人この中に何人いますか?多分いませんよね。俺は多分、この学校の最底辺なんで」
彼は、堂々と喋りだしたかと思えば、まず「自称最底辺」を名乗ったのだった。確かに、中学では学年一位の成績を誇っていた彼も、今では、成績で言えばだが、底辺すれすれではあった。
「俺には感謝したいことがある!Y、I、K、T、U…、こんな俺に付き合ってくれて有難う!本当に感謝してる!」
そのメンバーは、いつも大体育館で飯を食う「いつもの」メンバーであった。いつもはおちゃらけているSの突然の感謝の叫びに、メンバーは少し意表を突かれたように、照れくさそうに…反応に困っていた。しかし、誇らしげであった。
初登壇とは思えないほどの、清々しく、快活な響きで彼は語りかけていた。そのメンバーからも「俺も感謝してるぞー!!」「いぇーい!」という声が上がり始めた。
私が克明に覚えているのは、ここからの映像だ。
「そして、○○!!中学からの仲だけど、お前とは本当にいろんなことがあった!!迷惑もかけたけど、本当に楽しかった!!ありがとう!!!」
Sを照らす照明の光と、彼の闊達な笑��が滲んで見えた。鉄パイプで組まれた壇がおぼろげになり、いつのまにか唇が震えていた。それだけの言葉なのに、涙が堪えきれなかった。至近距離ではあったが、こちらはライトで照らされてはいない。Sに泣き顔を見られているのだろうか、だとしたら間違いなく初めてである。隣にいた友人が自分が「泣いている」ということに多少驚いたニュアンスで「男泣きじゃねえか」と呟いて、軽く肩を叩いてくれた。ファイアーストーム後の火照った体は、すでに冷え切っていたが、彼の声を聴いている間は、時が止まったかのように、寒さを、体温を、全く感じていなかった。
このエピソードに対しての文章量は圧倒的に少ない。心の動きに対して文章量が比例するなら。8000字以上あるこの文章量でも全く以て足りないと言わざるを得ない。が、いったん「Sのこと」を話すのはここでお終いとする。
ファイアーストームを囲んで歌った「この火」を、「この日」を私はこれから先、忘れることはないだろう。
『このひ』
「この火がいつまでも
消えないでくれるといいな
失っていくだけの日々から
僕を救ってくれた
信じた夢を叶えられる
そんなぬくもりが背中から Ah
風の向き 土の匂い
赤と黒の混ざった色
となりの君のその真剣なまなざしを
ずっと忘れない
この火を思い出す日が
いつか来たとして
僕らはそのとき
きっと今持ってる何かを失っている
でも覚えていれたなら
僕らはいつでもここに戻れる
今を青春と呼ぶのなら
大人になるのも悪くない Ah
火のぬくもりを忘れない」
「Sのこと」終
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pinkblazenut-blog · 7 years
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うちの子雑記帳(随時更新)
※超絶ネタバレ注意です!
                     ……大丈夫ですか? ではどうぞ!
【花鶏匡俊】
  家族構成
  祖父 花鶏博美(あとりひろみ)  98
父  花鶏正親(あとりまさちか) 68
母  花鶏展絵(あとりのぶえ)  65
兄  花鶏聖児(あとりせいじ)  39 ※享年12
  慶應義塾大学
  現在両親とは絶縁中。就職する際に大喧嘩してそのまま。
ただ、高齢の祖父のことは少々気にしている。
生まれてこのかたTVゲーム&携帯ゲームをやったことがない。
バレンタイン生まれなので当日はチョコと誕生日プレゼントで大変なことになる。
慶応には幼稚舎から通っている。生粋の慶応っ子。
小学受験には失敗した兄の教訓を生かし(?)物心ついた頃からスパルタ式で鍛えられた。
ちなみに兄が受かっていたのは灘中。公立小学校からだからかなりすごい。
酔うとキス魔になる。だから人前ではあまり飲まない。
  【有栖川飛鷹】
  家族構成
  父 有栖川敦司(ありすがわあつし) 50
母 有栖川夕子(ありすがわゆうこ) 54
弟 有栖川隼飛(ありすがわはやと) 20
妹 有栖川飛鳥(ありすがわあすか) 20
    実家は東京都墨田区。こう見えて下町っ子。
今まで旅行で行ったことのある国はインド、エジプト、オーストラリア、カナダ、グリーンランド(デンマーク領)、シンガポール、台湾、タンザニア、ペルー。
ヨーロッパは仕事で行くから旅行先からは除外。
小学生時代にカリオ○トロの城を見て握りこぶしから万国旗を出す手品をめっちゃ練習した。
あの顔で両親は「親父」「お袋」呼び。父親とは常に喧嘩腰だけど仲は悪くない。
納豆が大嫌い。あの臭いがダメ。食べる人の気が知れない。
他にはチーズも臭いがきついやつはちょっと苦手。
      【桜葉丈偉】
  家族構成
祖父 桜葉丈治(さくらばたけはる) 92 ※婿養子
祖母 桜葉久里子(さくらばくりこ) 85
父  ���葉景嗣(さくらばかげつぐ) 62
母  桜葉安子(さくらばやすこ)  57
兄  桜葉隆久(さくらばたかひさ) 32
義姉 桜葉舞子(さくらばまいこ)  30
甥  桜葉有嘉(さくらばありよし)  0
姪  桜葉真綾(さくらばまあや)  -3
甥  桜葉明生(さくらばあきお) -7
妹  桜葉麗(さくらばうらら)   27
      実は片頭痛持ち。スーツの裏ポケットにはいざというときのロキソニンと下痢止めが常に入ってる。
おとめ座なことをちょっとだけ気にしている。
剣道は現在四段。そろそろ五段の試験を受けたいと思っている。
得意料理はサバの味噌煮。きちんと真サバで作るし針生姜もつけるよ!
運転免許は持ってるけど滅多なことでは運転しない。運転中は眉間の皺が二割増し。
焼肉で一番好きな肉の部位はハラミ。こんなところでも庶民的。
実は蜂が大の苦手。小さい頃外で遊んでいて刺されてバンバンに腫れて以来、あの羽音からしてもう無理。「あの時の丈偉は一晩中泣いて大変だった」by隆久
今度エイサとちょっと遠い温泉に行きたい。有馬とか下呂とか。
          桜葉家には本家に子供が生まれるたびに桜の苗木を植える風習があって、それで家の周り一帯が桜の群生地になっていて、春には薄紅色の霞に包まれる日本家屋、みたいな幻想的な光景が広がっていると良いよね、という妄想。もちろん丈偉の桜もあるよ!※1
        【直見英佐】
  家族構成
  祖父 直見英幸(なおみひでゆき)81
祖母 直見佐保子(なおみさほこ)75
母  直見絵梨(なおみえり)  55 実はおみむーと同じ職場(違う部署の管理職)
叔父 直見橘平(なおみきっぺい)37
    エイサの名前は祖父と祖母の名前の頭文字をとっている。
のと、『英』には「光り輝く花」という意味があって、絵梨さんが「光り輝く花のように魅力ある人になるように、それでいて他人の補佐もできるような、思いやりにあふれた人になるように」という願いを込めて付けた名前だったりする。
おばあちゃんには「英ちゃん」と呼ばれている。
高所恐怖症。小さい頃遊園地で乗っていた観覧車が最上部で停止して閉じ込められた経験がある。
ちなみにその時は橘平おじさんと一緒に乗ってたけど、我慢できずに漏らしたのを処理してもらってたりする。おじさんには今でもからかいのネタにされる。
イメージ画像を見る限り彼は地毛がちょっと癖毛なのかもしれない。それをストパーで真っ直ぐにしてる感じ。
焼肉で一番好きな肉の部位はタン。
今度ジョーイと島に行きたい。淡路島とか沖縄とか。
      【麻績村朔人】
  家族構成
  父 麻績村静雄(おみむらしずお) 57 高校の国語科教師
母 麻績村淑乃(おみむらよしの) 54
弟 麻績村日向(おみむらひゅうが)29 精神科医
  カントリーマアムが大好き。
お酒の辛い味か嫌い。カシスオレンジとか甘い系しか飲めない。
体が固い。前屈がまるで出来ない。
面白がったみなちに後ろから押されて「痛い痛い痛い」ってやってる。
三年前、血統書つきだが生まれつき片目が見えないため買い手がついていなかったジョセフに店先で出会い、その場で購入を決意した。
手がごつごつとしていて色っぽい。
私服もかっちり目。パーカーとか着たことない。ノーネクタイでもジャケットは羽織る。最大限ラフな格好でロングカーディガン&シャツ&ジーンズ。
ブラックミント系のガムを噛むと必ずくしゃみが出る。鼻の粘膜が弱い。風邪は必ず鼻風邪。
        【薬袋千秋】
  家族構成
  父 薬袋慎一(みないしんいち)53
母 薬袋知世(みないともよ) 55
妹 薬袋小春(みないこはる) 15
  リラックマが大好き。
スプラッタもホラーも虫も平気。強心臓の持ち主。
G退治ならまかせて!(丸めた新聞紙を装備しながら)
妹ちゃんとは仲がいい。一緒に買いものとか普通に行く。渋谷とか原宿とか。
「ちぃくんはアイス食べ歩きたいだけでしょ?」by小春
妹が高校生になったら変な男に引っかからないか心配。
笑いのツボがおかしい。そしてずっと笑ってる。
めっちゃお酒強い。水のようにウォッカを飲む。
ベッドは人を駄目にするソファ。リラックマぬいぐるみに囲まれて、タオルケットにくるまって寝る。まるで何かの生き物の巣。よくジョセフと一緒に寝てる。最近はおみむーにもらった抱き枕を常用している。
名前の由来は、二度の流産を経てようやく授かった、一日千秋の思いで待ちわびた我が子だから。別に秋生まれだからとかじゃない。
          【麻績村日向】
  家族構成
  父 麻績村静雄(おみむらしずお) 57 高校の国語科教師
母 麻績村淑乃(おみむらよしの) 54
弟 麻績村朔人(おみむらさくひと)29 百貨店のバイヤー
  野菜の好き嫌いが激しい(ピーマン、トマト、椎茸、なすび……etc.)
白衣のポケットには必ず飴玉が数個入っている。よく夜勤の看護師さんに配ってる。
カナヅチ。どうしてか本人は覚えてない。実は5才くらいの時に海で溺れかけて大嫌いな兄に助けられたことを含めて、溺れかけたショックで全て吹っ飛んでる。ただ深層意識に水への恐怖だけが刻み込まれて、それでカナヅチになった。
料理は下手。ダークマター製造機。
カフェイン中毒。水の代わりにコーヒー飲んでる。
          【森井戸侑】
  家族構成
  父 森井戸文穂(もりいどふみお) 60
母 森井戸愛子(もりいどあいこ) 53
  毎日その日の分の食材しか買わない。なので冷蔵庫には瓶の炭酸水と調味料しか入っていない。
低血圧。寝起きはものすごく機嫌が悪い。
イライラすると爪を噛む癖がある。
絶対音感の持ち主。だから音程のあっていない歌とか聞かされると頭が痛い。なのでカラオケが大嫌い。誘われても絶対行かない。
こう見えて職場の人との仲は悪くない。職場での愛称は「ミステリアスプリンス」。
蜘蛛が大の苦手。視界に入ってきたら飛び退く。「ひゅ、日向さん、くも、蜘蛛が」「はいはい、分かったからしがみつくのはやめてね。捕まえられないから」みたいな。タランチュラとか見たら(たとえ写真でも)卒倒する。
ハリーポッターのDVDを日向と一緒に観た時にはアラゴグで絶叫した。
「侑くんのあんな声初めて聞いた」by日向
滅多に笑わないけど笑った顔はものすごく可愛い。
先日定年退職を迎えた父親と、父親を支えてきた母親をねぎらうために海外旅行をプレゼントした。基本的には良い子。
        【有栖川隼飛】
  家族構成
  父 有栖川敦司(ありすがわあつし) 50
母 有栖川夕子(ありすがわゆうこ) 54
兄 有栖川飛鷹(ありすがわひだか) 26
妹 有栖川飛鳥(ありすがわあすか) 20
  中学高校とサッカー部に所属していた。大学ではフットサルサークルと軽音サークルに所属している。担当はドラム。
大量ガス体質なのでサツマイモは食べない。食べたら翌日に腹が張ってガスが止まらなくなる。
お化けが大嫌い。でも妹が大好きだから夏場の心霊番組視聴は無理矢理同席させられる。
「だからやだって言ってるだろ飛鳥!」「そうやって嫌がる隼飛がいけないんだよ、もっといじめたくなるから」「ドSか!!!」とかやってる。勝てない。
就職してからも実家住み。あと一、二年してお金が貯まったら同棲を切りだそうと考えている。それまでは節約&我慢。
寝相が悪い。ベッドの上で寝ていたはずなのに二回に一回は目覚めると床に落ちてる。
        【舞鶴永】
  家族構成
  父  舞鶴光矢(まいづるみつや)60
母  舞鶴敬子(まいづるけいこ)56
長兄 舞鶴明(まいづるあける) 32
次兄 舞鶴拓(まいづるひらく) 30
三兄 舞鶴聖(まいづるきよい) 29
長弟 舞鶴巧(まいづるたくみ) 25
次弟 舞鶴希(まいづるのぞむ) 23
妹  舞鶴香(まいづるかおり) 18
  家族構成を見てもらえばわかる通り六男一女の七人兄弟。大家族。
なのでおっとりしているように見えてわりと押しは強い。じゃないとやっていけないので。
大家族ゆえあまりお菓子だとかを食べられずに育ってきたため、ケーキとかチョコレートとかを貰うとすごく喜ぶ。可愛い。
歯医者さんが大嫌い。あの音とか特徴的な臭いとか全部だめ。親知らずを抜きに行ったときには本気で泣いた。
侑とは従兄弟同士。(母親が姉妹)
秋田出身。油断すると相槌が「んだ」になる。色白な秋田美人。でも出すモノは立派()
乗り物酔いが激しい。バス、船、飛行機。全部だめ。酔い止め飲んでも途中で吐く。車での長距離移動も好きじゃない。
なので就職して上京してくるときは新幹線の中で吐いて大変だったし、修学旅行は憂鬱の塊だった。
それでも海外への出張命令が出たら行く。真面目。
      【胡桃沢恵眞】
  家族構成
  実父 胡桃沢岳(くるみさわがく)    70
実母 胡桃沢百恵(くるみさわももえ)  66
姉  胡桃沢めぐ実(くるみさわめぐみ) 46 享年35
養父 戸枝作之助(とえださくのすけ)  71
養母 戸枝絹代(とえだきぬよ)     69
義兄 戸枝怜文(とえだあきふみ)    38
甥  伊武和希(いぶかずき)      18
  家族構成から察せられるように生い立ちがものすごく複雑。
不仲な両親のもとに生まれ、年の離れた姉に守られながら育つ。
しかしそんな姉も6歳の時に失踪し、以後は怒号が絶えない家庭環境で息を殺すように生き延び、10歳の時に母親を刺し殺そうとした父親を止めようとして背中を切り裂かれる。
その後病院に搬送され一命は取り留めたが、背中には今も大きな傷跡が残っている。
事件をきっかけに両親は離婚。父親は刑務所に行き、母親の行方は知れない。
児童養護施設に引き取られた後、12歳の時に戸枝家の里子になる。
戸枝家が恵眞を里子にしたのは一人息子の怜文が「弟が欲しい」と言い出したから。
義兄とはつかず離れずの関係。考え方が根本的に合わない。エマが唯一といっていいくらい珍しく苦手に思っている人物。
就職してすぐに姉が亡くなったことと、彼女がシングルマザーで息子を遺して逝ったことを知り、甥を引き取る決意をする。以来11年間、甥っ子を男手ひとつで育ててきた。
甥っ子には「俺も今年で高校卒業して一人暮らしするし、大学には奨学金で行くから、恵眞さんはそろそろ自分が幸せになったほうが良いですよ」と言われている。でも本人は人並みに幸せになるつもりがない。
つたないなりに自分を守ろうとしてくれていた姉のことを尊敬し、敬愛している。だからこそ彼女の訃報を知った際、彼女が実父に性的虐待を受けていたこと、その果てに妊娠・中絶したこと、そのた���に自分の前からいなくなったことを知り、実父に言いようのない殺意を覚えた。※2
と同時に、そんな男の血が流れている自分は誰かと幸せになってはいけない人種だろうと思い、それからは誰とも付き合わず、行きずりの相手とのセックスしかしていない。
「いつか姉さんを見つけて恩返しをしよう」という向上心で生きてきたし、和希を引き取ってからは「この子を立派に育てよう」という責任感で生きてきた。どちらにせよ自分に厳しい生き方。
自分にも冷酷な部分があることを自覚している。
      ※1 桜の話
直桜が結婚して数年経った後、麗ちゃんが里帰り出産することになって(結婚は直桜の一年前くらいにしてた)ジョーイに電話がかかってきて「丈兄ちゃん、たまには帰ってきたら?」「いや、だって……」「お父さんがぎっくり腰やっちゃってね。舞子さんのところにも三人目が生まれるでしょ?隆兄ちゃんは有嘉(ありよし)くんと真綾(まあや)ちゃんの相手で忙しいし、人手が足りなくってお母さんがてんてこ舞いなの。だから帰って来てよ。二人分の人手、あてにしてるからさ」※有嘉くんと真綾ちゃん…隆久の長男長女。つまりジョーイの甥っ子姪っ子。「二人分?」「え、丈兄ちゃん一人で帰ってくるつもり?」「いや……いいのかなって」※ジョーイは結婚してから一度も実家に帰っていません。「何言ってるの? お母さんが言ってたんだよ。丈偉に英佐さんと帰ってきて模様替え手伝いなさいって言いなさいって」コロコロと電話口で笑う妹に、肩の力が抜けるジョーイ。「……そっか。帰って来なさいって、母さんが言ってたのか」「うん。……だから帰ってきて。みんな待ってるよ」「ああ、分かった」
  そんなこんなで帰ることになって、どうにかこうにか都合をつけて土日含めて三連休くらいもらって、直見の運転で茨城まで行くんだけど、緊張しまくった直見は道を間違えるし田んぼに落ちそうになるし散々。「どうした、お前」「いや、緊張して」「らしくないな。昨日はあんなに堂々とプレゼンしてたくせに」「親御さんに会うんですよ? プレゼンより断然こっちのほうが緊張しますって!」「そんなもんかね」「丈偉さんは緊張しないでしょうよ、うちの絵梨さんはあんなだから」「あんな、ってお前な」※絵梨さん…直見のお母さん。
  ようやくたどりついた立派な日本家屋は、ちょうど桜の時期でもあり、辺り一面に植えられた桜の木で覆われていて、まるで薄紅の霞に浮んでいるよう。思わず見惚れる直見を微笑ましげにジョーイが見守っていると、玄関が慌ただしく開く。「ああ、車の音がしたからもしかしてと思ったらやっぱり!」出てきたのは割烹着を着た初老の女性。母さん、と呼ぶジョーイ。固まる直見。ジョーイに呼ばれた母さんこと安子(やすこ)さんは二人を見るなり「丈偉、あなた手先が器用だったわよね?じゃあ後でベビーベッドを組み立てるのを手伝ってちょうだい。最近老眼がひどくって小さいネジとかがよく見えなくって困るわ。英佐くんは……そうね、背が高いみたいだからお台所の整理を手伝ってもらおうかしら。景嗣(かげつぐ)さんったら一番上の棚に重いものをしまうんだもの。あれじゃあぎっくり腰になるわよね」と矢継ぎ早に話す。上品な見た目の御婦人のマシンガントークに圧倒される直見、ああ懐かしいなぁこの感じ、と思うジョーイ。その場から動かない二人に安子さんは付け加える。「あら、ごめんなさい。言い忘れてたわね、お帰りなさい」にこっと笑う安子さんに、二人は顔を見合わせた後、揃って言う。「「ただいま帰りました」」と。※作者はここまで考えて既に泣いてた。
  その後は言われたとおりに台所の鍋を整理したり年代物のベビーベッドを組み立てたりしてお昼になり、居間に全員集合。隆久さんや舞子さん、麗ちゃんに「どうも」と改めて挨拶する直見。※舞子さん…隆久さんの奥さん。現在三人目妊娠中。と、そこへぎっくり腰で寝込んでいたお父さんこと景嗣さんもやってくる。今日一緊張する直見。「お、お邪魔しています、桜葉さん」「あら、ここにいる人は全員桜葉さんよ」くすくすと笑う安子さん。そうだな、と同意する景嗣さん。やらかしたー!と内心滝汗な直見に景嗣さんは言う。「桜葉景嗣だ。呼ぶときは名前でいい。私も君を名前で呼ぼう。英佐くん、だったか。良い名前だな」一拍置いて、意味を理解して「あ、ありがとうございます、景嗣さん!」と頭を下げた直見、勢いが良すぎて座卓に頭突きしてひとしきり皆に笑われる。
  お昼ごはんが終わった後、甥っ子姪っ子と遊んでいる(というより遊ばれている?)ジョーイを遠巻きに微笑んで見守っていた直見に、麗ちゃんが声をかける。「英佐さん、もしよければちょっと外を歩きませんか?」断る理由はないので承諾して外に出る。一面の桜。「すごいですね、この桜」「でしょう? これは桜葉家の本家に子供が生まれるたびに植えられる桜なんです。丈にいちゃんの木もありますよ」ほらあれです、と麗ちゃんが指差したのはカーネーションにも似たの濃い紅色の花が重そうに枝を枝垂れさせている木。「福禄寿、って品種なんです。おじいちゃんが選んで植えたんですよ。丈偉桜(じょういざくら)です」「丈偉桜?」「ええ、ここの木は誕生を祝って植えられた木だから、その子の名前をとって呼ぶんです。隆にいちゃんなら隆久桜(りゅうきゅうざくら)、お父さんなら景嗣桜(けいしざくら)。女性の場合は桜を『おう』と読むので、私の木は麗桜(れいおう)、真綾ちゃんの木は真綾桜(しんりょうおう)です」「へぇ、なんというか、雅ですね」「桜葉家の名前の由来ですから。江戸時代から続くしきたりです」呼吸をするように出てきた『江戸時代から』の言葉の重みを噛み締めて黙る直見。そのまましばらく無言で桜の海を眺める。「自分と結婚しなかったら丈偉さんも父親になれてたのかな、とか考えてます?」「えっ」「ふふ、その反応は図星ですね」「……どうして分かったんですか?」「この世の終わりみたいな顔で桜を見てましたから。さっき丈にいちゃんを見てた時の顔とは大違い。そんな顔をする理由なんて、あんまりないでしょう? あとは想像です」「……まぁ、考えないわけにはいきませんよ。どう頑張っても俺が丈偉さんに残してあげられないものの一つはそれだから」「丈にいちゃんも同じこと言ってましたよ。店で迷子を見つけた時、手を繋いで親を一緒に探してあげている直見を見ると心臓が痛くなるって。自分の我儘に付き合わせて申し訳ないって」「そんなこと!」「ない、って思います? だったら丈にいちゃんも一緒です。英佐さんがさっきみたいなこと丈にいちゃんに言ったら平手で打たれますよ」「……それは勘弁してほしいな……」「だったら言っちゃだめですよ。大丈夫、あの人は英佐さんが思っているよりずっと強い覚悟であなたを愛するって決めてますから」ふふ、と笑う麗ちゃんの顔にジョーイの面影を見つけて、兄妹だなぁって思う直見。
  一方その頃の居間。「ねぇ丈偉くん、ひとつお願いがあるんだけど」「はい、なんでしょうか舞子さん」「この子の名前ね、丈偉君につけてもらおうと思って」「え?」「有嘉はお義父さんがつけたでしょ? で、真綾は隆久さんがつけて。桜葉本家の子は同じ本家の男性に名づけてもらうのがしきたりだから、次は丈偉君だねって隆久さんと話してたの」ちなみに男の子だよ、とニコニコ笑う舞子に戸惑いを隠しきれない丈偉。「なんなら英佐君と二人で考えてくれ。名付け親が二人なんて贅沢じゃないか」横から飛んできた隆久の言葉に込み上げてくるものがあって俯く。「丈おじさん、泣いてるの?」有嘉に首を傾げられる。「英佐さんと結婚してから泣き虫になったな、丈偉は」隆久の言葉に一同笑う。ジョーイも涙を拭いながら泣き笑い。
  そうこうしているうちに三日があっという間に過ぎて、帰る時間になる。帰り際、舞子さんを呼ぶジョーイ。「どうしたの?」「名前のことです」「ああ! 良い案、浮かんだ?」「良い案かは分かりませんが、考えはまとまりました。字は『明るく生きる』で、読みは『あきお』。明るい、という字には『明るく照らす』『夜明け』『光』という意味があるそうです。だから、他人を明るく照らせるように、一日の始まりである夜明けのように可能性に満ちているように、光に満ち、光を満たす人生を歩めるように。そんな願いをこめて、二人で考えました」「そう、二人で、ね。素敵な名前。良かったね、明生」お腹に語りかける舞子さん。「あ、蹴った! 明生もそうだねって言ってるみたい」「なら良かった」笑って、車に乗り込むジョーイ。一礼して続こうとする直見を呼び止める安子さん。「英佐さん」「はい?」振り向く直見。神妙な面持ちの安子さん。「また、帰って来てちょうだいね。待っているから」安子さんの隣で力強く頷く景嗣さん。目を見開いて、それから顔一杯に笑う直見。「はい!」皆に見送られて車を出してからしばらく経って、こそっと話しかけるジョーイ。「……運転代わるか?」「なんでですか」「前、見えないだろ。泣いてたら」「丈偉さん何年ペーパードライバーだと思ってるんですか……あー駄目だ、ティッシュ取ってください」「はいはい」そんな直桜、愛おしい。
      ※2 キラキラ
初めて見る世界はキラキラに満ち溢れていた。
顔が移るくらいピカピカに磨かれた石の廊下、広い空間。並べられている見たこともないほど綺麗な靴、触り心地のよさそうな服、眩しいくらいの輝きを放つ宝石。行き交う人々も上品で見惚れた。きらびやかな世界に圧倒された。
綺麗だった。だからこそ気圧された。
怯えて、縋るように握った手に力を込めると、優しい声が頭上から降ってきた。
「恵くんは百貨店にくるのは始めてだよね」
「うん。きらきらしてて、すごく綺麗」
お姉ちゃんは来たことあるの? と右斜め上を見上げると、優しいモカブラウンの瞳と目が合う。
「うん。小さい頃に一回だけ。お父さんたちとね」
「お父さんたちと?」
驚いて聞き返す。そんなの想像できなかった。お酒に酔っていつも怒っているお父さんと、甲高い声でわめいて泣いているお母さん。それが僕の知る二人だ。どう考えたってこんなに綺麗なところに連れてきてそうにはない。
「昔はね、あんなに仲が悪くなかったんだよ。ちょうど恵くんが生まれた頃くらいからかな、仲が悪くなったの」
「どうして?」
無邪気な疑問を重ねると、姉は曖昧に笑って答えてはくれなかった。答えられなかったのだろうと今なら思う。妻が妊娠している間、夫は中学一年生の娘を手籠めにしていて、出産後にそのことがばれて夫婦仲が破綻したのだなどと五歳児に言えるはずがない。自分のせいで家族が壊れたのだ、などと。
答えない姉に首をひねって、でも当時の自分はそれ以上問いを重ねなかった。それよりも目の前の魅力あふれる世界に意識が向いていた。
休日昼間の百貨店で、セーラー服姿の少女と古ぼけたセーター姿の幼児は浮いていただろう。しかも保護者らしき大人の姿は見当たらないのだ。ちらちらとこちらに向けられる視線が怖くなり、幼い自分は姉の背後に半ば隠れるように館内を巡った。
姉はその間、ずっと手を握り続けてくれていた。
今となっては顔すらもおぼろげだ。生き別れたのが六歳の頃で、結局その後一度も巡り会えずに遠く離れてしまったのだから、当然と言えば当然である。
だた、あの優しい手のぬくもりと、キラキラした世界のことだけは強烈に記憶に刻みこまれていた。
幼い自分は無知だった。
姉があの頃もまだ父親に辱められていたことも、その腹の中に命を宿していたことも、出奔を決意していたことも、何一つ知らなかった。ただ、家の中に吹き荒れる嵐から弟を守るために、いつものように遠出をしたのだとしか思っていなかった。
知らなかった。あらゆることを。
成長し、それらの醜い真実を知って、絶望した。
この体に、あの男と同じ血が流れているのだと知り、戦慄した。
そして人並みの幸せを諦めることに決めた。
恋だとか、愛だとか、そういったものを全て。
ただ一つだけ、あの人が遺したものだけは慈しむことにした。
幼かった自分たちのように悪意に潰されないよう、不必要な痛みに晒されないよう、出来うる限り守り、育ててきた。
そのおかげか、元来の性質か、彼は素直で実直な、健やかな少年に成長した。
あなたは幸せになるべきだ、と彼は言う。
今までずっと誰かのために生きてきたのだから、今度はあなたが幸せになる��だと。
善良な勧めを、けれど私は心の中で冷笑する。
こんな人間が、悪魔の子が、幸せになれるはずがないだろう。
そんなことは言えないから、言葉の代わりに、私は微笑む。
あの男に瓜二つの顔を歪めるように、笑う。
「気にするな、和希。今でも私は充分だ」
これ以上を望むなんて野暮は、しないさ。
      うちの子テーマソング
  アリあと
Wings of Words CHEMISTRY
ドライアイス ハルカトミユキ
直桜
シャングリラ チャットモンチー
麻薬(薬麻)
らへん 近藤晃央
おみもり
FINAL DISTANCE 宇多田ヒカル
不時着 椿屋四重奏
ギプス 椎名林檎
はやはる
正夢 スピッツ
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shikajyoho · 3 years
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実籾・東習志野の【おなぎ歯科医院】
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おなぎ歯科医院
〒275-0001  千葉県習志野市東習志野2丁目8-4 047-471-5777
【診療内容】 歯科、むし歯、根管治療、歯周病、入れ歯(義歯)、小児歯科、予防・クリーニング、歯科口腔外科、親知らず、顎関節症、歯ぎしり・食いしばり、審美治療、ホワイトニング、マウスピース製作、各種歯科検診
実籾・東習志野で歯科・歯医者をお探しの方は【おなぎ歯科医院】まで
【おなぎ歯科医院による説明】 実籾・東習志野の【おなぎ歯科医院】は、むし歯や歯周病治療、入れ歯や義歯製作、歯科口腔外科、小児歯科、マウスピース製作、予防・クリーニング、審美治療など、幅広く行っております。お子さまからシニアの方まで、ご家族皆さまでお越しください。
■地域密着 小さなお子さまの治療から入れ歯の製作まで幅広く診療しています。 キッズスペースを設け、退屈しがちなお子さまに楽しくお過ごしいただき、自然光を多く取り入れた解放感ある待合室で保護者の方にもリラックスしてお待ちいただけるようになっております。 いつまでも親子3世代で通っていただけるような、地域に寄り添う歯医者さんです。
■丁寧で分かりやすい治療説明 歯の生え方やライフスタイルなどは、患者さまによって様々です。 当院ではお一人お一人に合った治療計画をご提案いたします。患者さまのお話をしっかりと聞き、モニターなどを用いて丁寧に説明させていただいた後に患者さまのご希望に沿った治療を決めていきます。
■滅菌処理専用室を完備 治療に使用する機器を滅菌するための専用室を設け、徹底した滅菌処理を行っています。 医療機関専用の空気清浄機や、治療中に飛散する唾液や削った粉などを瞬時に吸い込む口腔外バキュームなども利用することで、患者さまに安心してご来院していただけるように院内感染対策の徹底を行っています。
■詳しくはこちら:https://www.onagi-shika.com/
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shikajyoho · 3 years
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福岡市南区 秋岡デンタルクリニック
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秋岡デンタルクリニック
〒815-0082  福岡県福岡市南区大楠1丁目31-19 パシフィックモナーク101 072-240-8148
【診療内容】 歯科(一般歯科治療、予防・クリーンング、審美治療、ホワイトニングなど) 小児歯科 歯科口腔外科 矯正歯科(マウスピース型矯正治療)
【秋岡デンタルクリニックによる説明】 福岡市南区 西鉄大牟田線高宮駅 徒歩8分にある【秋岡デンタルクリニック】です。 歯科用CTや口腔内スキャナーなどの高水準な機器を導入、一般歯科診療をはじめ、予防・クリーニング、審美治療、マウスピース型矯正など幅広い診療に対応します。お気軽にご相談ください。
■お一人お一人に適した治療計画をご提案 当院では、治療に入る前の「インフォームドコンセント」を大切にしています���初診では、患者さまのお口の状態を記録するため、資料取りを行います。 そのうえで、患者さまのご希望などをしっかりとうかがい、今のお口の状況をお伝えするとともに、お一人お一人に適した治療計画をご提案いたします。 初診はもちろん診療中も、気になることやわからないことがありましたら、お気軽にお尋ねください。
■先進的・高水準の設備で、安心の治療を 身体に負担の少ないデジタルレントゲンで、歯・顎の状態を立体映像(3D)で映し出す歯科用CTとの複合機である、CTパノラマセファロ複合機を導入しています。 マウスピース型矯正「インビザライン」の際には、口腔内スキャナー「iTero」を使い、従来の型取りではなくスキャンを行います。 さらに、水の元栓にオゾン水発生装置(CUBE-2 PLUS)を装着するため、治療用ユニットからでる患者さまがうがいや洗口で使う水、歯を削る機械から出る水、スタッフの手洗い用の水、つまり治療に関するすべての水がオゾン水になっております。 複雑な構造のタービンもしっかりと滅菌できる専用の滅菌器もそろえ、清潔で快適な治療環境を整えています。
■詳しくはこちら:https://www.akioka-dc.com/
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shikajyoho · 3 years
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浦安駅徒歩1分の北栄デンタルクリニック
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北栄デンタルクリニック
〒279-0002  千葉県浦安市北栄1丁目12-33ステーションタワー浦安203 047-311-4155
浦安駅エリアで歯医者をお探しなら、浦安駅東口より徒歩1分の好立地にある【北栄デンタルクリニック】が便利です。
【診療内容】 むし歯/根管治療/歯周病/入れ歯/小児歯科/矯正歯科/歯科口腔外科/インプラント/審美治療/ホワイトニング/予防・クリーニング/ナイトガード製作
【北栄デンタルクリニックによる説明】 北栄デンタルクリニックは浦安駅東口より徒歩1分の立地にあります。 通勤、通学の行き来の際や、スーパーでのお買い物の際に気軽に立ち寄っていただけます。 平日は19時、土曜日も18時まで診療しているとても通いやすい歯科医院です。 北栄、新井、南行徳、福栄など周辺地域からの来院もお待ちしております。
■視覚的にわかりやすい説明を心掛けています 当院では、患者さんに安心して治療を受けていただきたいと考えています。そのため、治療前に患者さんの不安な気持ちや気になることをしっかりとお伺いした上で、口腔内の写真やアニメーションをモニターに映し出して現状を知っていただき、治療方法や通院回数などについてご提案いたします。
■院内感染対策を徹底しています 患者さんが安心して来院していただくために様々な設備導入を行っています。 医療用空気清浄機「メディカルライトエアー」は光触媒を搭載することで理想的な空気へ浄化して、清潔な院内空気環境にいたします。 また、飛沫を回収する集塵フィルタを搭載した口腔外バキュームも、快適な院内空気環境に付与する機械です。 クラスB滅菌器は、器具についたあらゆる種類の細菌類を完全に滅菌することができるとされていますので、患者さんに安心して治療を受けていただけます。
■詳しくはこちら:https://www.kitazakae-dental.com/
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