Tumgik
bbibon · 6 years
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⤴諏訪(あげすわ)での思い出
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bbibon · 7 years
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「S」のこと
かつて、清陵に「S」という生徒がいた。12月生まれ、性別、男。
…とのように、単なるプロフィール紹介をすることなら容易いが、彼の性格や立ち振る舞いを一言で表せと言われると、どうにも困る。
その男、学友会長だったわけでも、部活のエースだったわけでも、SSHの研究で輝かしい賞を受賞した、というわけでもない。
ただ、計り知れない「価値」があった。決して目には見えない「ポテンシャル」のようなものが。自分以外の多くの生徒もそれを実感していた。
しかし、彼の名前は清陵にほとんど残っていない。表舞台に立つことも殆ど無かったため、彼を語り継ぐものも少ないだろう。(ごく一部の界隈では色濃く語り継がれているらしいが。)
決して「勝ち」が多い清陵生ではなかった。ただ、その「価値」は計り知れなかった。
強いて、一言でいうとすれば。そんな男が、清陵にはいた。
今回、ふと「S」のことを思い出し、清陵生だった当時の記憶を頼りに「S」が清陵にいたということを書き留めたいという思いが私に筆を執らせた。(正しくはキーボードを叩き始めた、だが)
これをSが見ているか見ていないか、Sを知るものが見ているか見ていないかなんて言うのは二の次で、単純に自分の記憶が鮮明にある内に当時を書き残しておきたいと思ったのだ。
いつもの癖で書き連ねていたら8000字を超えてしまったが、清陵関係者にしか楽しめないような、こんな駄文を読む変わり者はごく少数だと思われるので、添削せずこのまま残しておくこととしたい。
ーーーーーー彼、すなわち「S」とのファーストコンタクトを思い出してみる。あれは、中二の春、だっただろうか。私は高校受験に備えて週2で個人塾に通っていた。ある時、曜日のメンバーの組み合わせが変わり、「S」と同じ曜日に塾に通うことになった。それがSとの縁の始まりだった。もともと同じ個人塾には入っていたらしいが、授業の曜日が違ったので、それまでは全く会ってはいなかった。いや。もしかしたら、ふと目にしたかもしれないが、その時はそれほど印象を受けなかったのだろう。私が、「邂逅」と呼べる表現を、胸を張って使える出会いをした、あの中2の春。
彼とは、とにかく最初の授業から会話のドッジボールを交わしたことを覚えている。初めて会った気がしないほど気が合ったのだ。というか、「会話の波長」というか、ふんわりした言葉で言ってしまえば「雰囲気」が似ていた。そう、つまるところ似た者同士だったのである。おまけに名前まで読みが同じときたものだから、中2という溌剌とした時期を生きていた私たちには、たったそれだけの現象でも、何か神がかり的なものでも自分たちの周りを漂っているのではないか、という興奮じみた気持ちでいっぱいになって、その気持ちが気持ちを呼び、私たちは高度経済成長も驚くスピードで親交を深めていった。ギャグを言い合ったり、教材のテキストにお互いツッコミを入れあったり、とにかく楽しくギャアギャアと二人で会話をしていたため、塾の先生にはよく怒られた。彼とは学校が別であったので、腰を据えて楽しく長時間会話ができるのも塾くらいだった。中2という話したがりなお年ごろには、塾という閉じた世界で気の合う友達とワイワイ喋りあえることはこの上ない楽しみであったのだと思う。
当時から約5年経つ今でも、Sと喋りあえる塾に向かう足は、少なくとも心は、若々しいステップをしていたことを覚えている。そして、本当に楽しかったことも覚えている。Sが自分で考えた「一発ギャグ100連発」というノートを持ってきたときには、塾が終わってからも何十分も二人で笑い合ってしまい、親の迎えにとんでもなく遅刻して心配させたこともあった。他の塾生徒も交え、塾の軒先でずっとぺちゃくちゃ喋りあっていて、先生が出てきて「早く帰りなさい!」と注意されることなんてしょっちゅうだった。中3になってからも彼と同じ曜日に塾に通うことになった。いよいよ、受験生ということになったのだが、相も変わらず私とSはふざけた話や茶々を入れて、時折先生を困らせていた。
Sが学校でいじめを受けていると知っていたのはこの頃だった。彼は人を馬鹿にするような所はあったが、根は優しかったし、何より、人が気にしている所や嫌なところには触れることをしない分別の良さと賢さを持っていた。私と同じように、彼は、絶対「いじめ」をするようなタイプではなかった。だからこそ、狙われたのだ。たまに塾内でそのことを相談するようになり、私も、塾の先生も憤慨した。どうやら、彼の中学では荒くれ者が何人かいるらしく、他にいた塾の同中生も口を揃えて彼らの愚痴を言っていた。どうにかしたいけれど、どうにもできない。根本的に、Sを悩ませているいじめの張本人を殴ってやりたい気持ちだったけれど、それも叶わなかった。幸い、Sは学年で一位の成績をとっているほどに成績は良く、一緒にここ一番の進学校に合格して、そんな「下らない」奴らとはオサラバしよう、と彼を励まし、受験生として共に頑張ることで逃げ場を作ってやろうとする、くらいのことは出来た。中三の秋冬になっても、塾で頑張った後は道端で他愛もない話をして盛り上がった。週二日の塾の夜は、「下らないこと」も忘れることが出来た。
ついに、受験当日がやってきた。塾の先生に貰ったビターチョコレートを頬張りながら、5教科の要点を必死に総復習していた。
「やれば出来る、やれば出来る…。今まで頑張ってきたじゃないか…」
そう言って自分を落ち着かせる私の横で、Sは割と飄々としていたような気がする。似た者同士とは言え、Sとの私の違いは、努力なしで行けるSの天才肌的な部分だったのかもしれない。彼は、基本普段そこまで勉強しないくせに、私を上回る定期テストの点数を持ち帰ってきていた。所謂「勉強しなくても出来るやつ」だった。勿論、それなりの勉強をしてきたことは一緒にやってきたので充分分かっているが、素因数分解が異常に早かったり、難しい言い回しの文章題の呑み込みが著しく早かったり、とにかく地頭はSには敵わないと私は確信していた。受験がようやく終わり、何日か過ぎ、合格発表の時がやってきた。結果は…無事、2人とも合格。憧れの諏訪清陵高校に、2人とも入学できたのである。そして、奇しくもSと同じクラス、同じ講座になったのである。2人で狂喜乱舞し、改めて、いじめるような輩もいない新天地に辿り着いたことを祝った。そして、放課後や休日もこれまで以上に度々遊ぶようになった。
私がこれまでと違う感情をSに抱くようになったのは、1年生の文化祭の頃からであった。Sは元より自由奔放な性格で、中学の「下らなさ」から解き放たれたことにより、更に人と遊び、更に人に絡むようになった。勿論私もそんなSの愛嬌や元気さが好きだったし、それこそがSの真骨頂であると感じていた。当時の私は、少々真面目になりすぎていたのかもしれない。中学時代、生徒会長をしていたこともあって(更に言えば小学校の時も児童会長をしており)、この高校の学友会に少しずつだが首を突っ込むようになっていった。「ここがおかしい」「これは無駄だ」「これはこう改善すべきだ」この頃の私は一年生の癖に何をぬかすかと言われんばかりに会長を含め、議長、委員長など先輩に臆することもなく独自の意見を提言していった。更に、諏訪清陵高校では海外研修付の特別クラスがあり、2年生になったらそれに入りたい、という思いも同時に抱くようになった。この頃から私は、「友人とのだらだらした遊び」とは逆ベクトルの、そういった方向に心惹かれていったのである。
一方、Sは自由気ままに学校生活を謳歌していた、春先に入部したバトミントン部も夏にはもう辞めてしまう、なんてこともしていた。対照的に、私はというと学友会や特別クラスだけでなく、陸上部にも所属しており、上級生とのリレーに一年生から参加し、記録を残しつつ、日々の練習にも励んでいた。それでも、クラスや講座はいつもSと一緒で、新しい友達を交えながらも、毎日のようにつるんで笑い合っていた。しかし、自分はこのままでいいのか、友達と無為にじゃれあうよりも、するべきことがあるのではないか、と、まるでアグレッシヴな勤労精神を結晶化したかのような決意がこの頃からみるみる膨らんでいった。ついに私は2年生になり、特別クラスに進んだ。実はこの時、Sも特別クラスに進むべく試験・面接を受けていたのだが敢え無く落ちてしまった。おそらく、私と一緒に特別クラスで楽しみたかった部分もあったのだろう。しかし、私には己の野望を叶えなければならない、そのためには一時Sから離れなければならない、という、孤高なる情熱があった。今からこの頃を振り返ると、あまりにも「ゆとり」が無いとしっかり認識することができる。明らかに自分がやれる範囲を間違っており、頑張りすぎていた。
私も、どこかで一歩違えば、特別クラスに入れていなかったのかもしれない。偉そうに自分のことを語っているが、この時、Sも私も勉強に身が入っておらず、中学の時に比べ、校内順位は際やかに下がっていた。この時、仮に私が特別クラスに落ちていれば、何かが変わっていたのだろうか。何かが今得られていたのだろうか。何が失われていたのだろうか。人生は一度きりしかなく、過去から新たな並行世界を生み出し経験することは許されない。たった1通りの人生。その時その時において、たった1回の同じ選択しか許されない。けれども、「あの時こうだったなら…」ということは、徒然と考えてしまうものである。
私だけが特別クラスに入った後も、私の校内での動きはみるみるうちに加速していった。学友会では2年生で新聞委員会の副委員長を務めることとなり、その次の選挙では、遂に、演説、投票の末、後期の学友会長に当選したのである。陸上部ではリレーのメンバーとしてレギュラーに固定され、最終的にはアンカーの立ち位置を担うことになった。SSHの課題研究や特別実習に加え、色々な方面からの引手もあり、講演会や校内発表会の司会も務めた。さながら、(語弊を招くかもしれないが)この頃の私はまさに「無賃金で働く高校生」のような姿だった。学校に「登校」するというよりは「出勤」するような面持ちで、毎日スケジュールの詰まった手帳を持ち歩き、日々すべきことを1つ1つ丁寧に消化していった。「本当に自分は高校生なのだろうか?」と思うほど仕事が重なり疲弊していた時もあった。
しかし、議案書を作ったり、陸上のハードなメニューを熟したり、先生や役員と打ち合わせをしたり、全校の前で議論をしたり…、そんなことをしていた毎日の中で、「充実」を感じて、「安息」とは対極にある幸せを手にしていたことも事実である。給料などの見返りを求めずに、「自分の経験として楽しむ」ことが許されるこれらの経験は、当時、とても貴重なことに思えた。大人になれば、金銭が絡んでくる。失敗や、下手をすれば、最悪、賠償などの話にも発展しかねない。けれども、学生時代の運営系の仕事というのはボランティアであり「何事も経験」というレッテルの元、ほとんどのことが許される。学友会長を「不自由」と呼ぶ人もいたが、私にとっては最高の「自由」だった。自分が今まで歯痒く見ていることしか出来なかった学友会運営を、自らの企画で、施策で動かすことができる。こう友人に説いても、頑張りすぎの変人扱いしかされなかったが、変人だろうがなんだろうが、自分に向いていようがいまいが、「自分がやりたいことがやれる」ことの幸せは確かにそこにあった。実際、私がしたかったマニフェストのほとんどは、段取りを粛々と熟し、任期中に晴れて実施することが出来た。自分の頭の中で勝手に膨らんでいた企画が、優秀な副会長や周りの委員長を通じて、全校に広がり、目に見える形となり、自分が望んでいた通りの効果や感想というフィードバックが返ってきたとき、私はその施策の準備がどんなに忙しく辛かったとしても、この上ない達成感と自己実現感を手にすることが出来た。その瞬間が本当に幸せであった。だから、金銭なんて見返りは求めてもいけないし、求める必要もないと思った。
そのようにして私が学校のありとあらゆる方面に精を出している最中、Sはというと、何か活動をするという訳でもなく自由気ままにTVゲーム等に熱中していた。元々ゲーム好きだった彼は、自前の頭の良さを武器に数々のゲームをクリアしていき、友人の中でも話題の先陣を切りながら、誰にも負けないようなゲームコントロールの腕を磨いていた。客観的にみると、私とSは、まるで対極のような存在になってしまったように見える。しかし、私が主観的に私とSについて分析してみると、決してそんなことはなかったのである。私とSは、根っこにつながる部分は昔と変わらず健在であった。
彼は、周りの仲間たちが落ち込んでいれば必ず親身になって何時間でも相談に乗ってくれる。中学の時から、そんな深い情と他人への深い干渉がSの持ち味だった。私は、私について、さも何でもやりおおせたアグレッシブな男のように書いているが、実のところ、ただやりたいことがやりたいだけのマイペースな男で、ミスも非常に多かった。副会長を始めとした周りの人達に支えられていなかったら、おそらくきっと、どこかで失墜していただろう。長所もあれば短所もあった。私とSは、全てを含めるとプラスマイナスで絶対値は同じような男たちであった。私が猛烈に忙しくなってしまってからも、私は意識的に彼との接触を断とうとはしなかった。
彼にも高校に入ってから沢山の新しい友達に恵まれたようで(私もそうであったが)、Sなりに楽しく過ごしていたし、それに便乗して長期休み中はSの家に泊まりに、逆に私の家に泊まりにくることもあった。その時には勿論、ゲーム三昧である。私にとっては、「自己実現の充実」とはまた別の「幸せ」であり、こういう側面があったからこそ、最後まで挫けずに自分の「やるべきこと」を続けられていたのだ、と今になって思う。逆にSの遊びの誘いがなかったら頑張りすぎて、それこそ文字通り「頑な」を「張りすぎて」カチンコチンのお堅い会長様を演じすぎていつかダメになってしまっていたかもしれない。
…いや、ダメになっていただろう。人間、真面目になりすぎてもいつか失敗するものである。私みたいな、スイッチが入るとのめり込みすぎて倒れてしまうようなタイプには、「頑張れ」という言葉よりも「たまには一緒に遊ぼうぜ」というSのような言葉の方が結果的に良くなるのだと、ゲームコントローラーを握りしめながら痛感した時がある。きっと、彼はそんな自分のことを心配して見抜いてくれていたような気がするのである。
学友会長の任期も終わり、特別クラスの海外研修も終わった。3年生になり、私の生活は1年生初期のような落ち着きを取り戻した。残る「やるべきこと」は、最上級生になって最後の総体となった陸上だけである。こうして、自分の野望が半ば達成された今、私の「心夏期」(造語である。自分にとって感情がアグレッシブな時期をこう呼んでいる)であったこの1年間を振り返って、Sの大切さをしみじみと感じる。途中、何度か壁にぶちあたってSに相談したことがあった。Sは、持ち前のへらへらした笑顔で冗談めかして答えてくれたりもするが、いつも最終的には核心をついた答えをくれる。不思議と、その答えを聞くたびに、ずっとモヤモヤしていた感情が霧散し、溜飲が下がり、スッキリした気持ちになる。専門家の専門的な意見より、彼の大雑把な反骨的アドバイスの方がよっぽど清々しく私には感じてしまうのだ。
彼は遊びすぎだ、と元会長の私は今でも思う。彼の突拍子もない行動や、脈絡のない発言はどう考えても予想できない。そんなSだ。しかし、Sが学校に来ていないときは、「アイツ、なにやらかしてんだろうな。」と仲間内でSがしそうなとんでもない行動の数々を仲間内で妄想し、談義し合う。いつもSを煙たがっているような連中も、Sが風邪で何日か休むと「寂しいな…、早く学校こいよな」と、物憂げな表情を見せる。詰まる所、彼は私達の中で、「そういう存在」なのだ。そういう人格なのだ。Sが久々に登校して口を開くと、いつも通りのその突拍子もないからかいや笑い話が私を含めた仲間たちを楽しませる。
Sの祖父が叔父に激怒した時の話なんかは、もう、最高であった。祖父が何の気に触れたのかは忘れたが、とにかく祖父が叔父に激怒して、近くの障子の戸を引き抜いて手に持って掲げ、激昂しながら叔父に障子の戸を振り下ろしたらしい。そうしたら、叔父の頭が障子の1つの窓にすっぽりと嵌って、振り下ろした障子の戸の中央から叔父の震えた顔がひょっこり顔を出しているという構図が出来上がったらしい。Sはそれを遠目に見ていて、笑いをこらえるのに必死だったらしい。私は、それを想像するだけで噴出さずにはいられなかった。周りの仲間たちも、爆笑を禁じ得なかった。他にも彼の面白エピソードは山ほどあるのだが、砂漠の砂数のようにありすぎて、ここには紹介しきれない。よって、割愛せざるを得ない。Sの話は、長続きするのにも関わらず、飽きず、とにかく独創性があって面白いのである。私には、こんな芸当はできない。ましてや、私は他人をからかう類の事が得意ではない。Sが私をからかうことはあっても、あまり私は積極的にSをからかったりはしない。多少、皮肉ったりする程度である。更にSは他の仲間たちにも分け隔てなくからかいを重ねてきている。普段からかわれていない人も、Sにはからかわれたことがある場合が多い。そんな自由性ゆえに、高校入学からこれまでの約2年間、何度か喧嘩をしたこともあったが、なんだかんだ言って次の日には朝から駅で会い、電車で普通にしゃべるので、なんだかんだで、いつのまにか仲直りをしているのだ。
――――これが、私が勝手に親友と呼んでいる「S」と私との、あらかたの関係性である。彼も私に散々迷惑をかけたが、私も彼に散々に迷惑をかけている。私は、酷くマイペースでうっかり屋である。小さいころから親にもずっと言われ、Sや他の友人に言われる中でようやく自覚できたくらいのレベルである。(一応自分でも認識しているつもりであるが…)時折、マイペース過ぎて、連絡がすれ違ったり、約束を違えたりしてしまう。その節には本当にSにも迷惑をかけた。申し訳ない。もし私に「マイペース」による、どうしようもない情熱の悪魔が潜んでいなければ、会長を始めとする様々な活動に首を突っ込むことなく、当時も今頃も、Sと楽しく学校生活をエンジョイしていたのであろう、と思う。そうすると、マイペース故に、勝手に置いて行かれて、勝手に目の先で自分勝手にウキウキしている私を見ていたSは、どんな気持ちだったのだろう、と神妙に考えてしまう時がある。Sにとっては、私と、何の部活もせず、何の活動もせず、自分と2人でワイワイやっていたいというのが、一番都合のいい希望である。もし、私がSだったら、絶対そう考えてやまないだろう。だけれど、私は当時そんなことを考えもせず、ひたすらにマイウェイを邁進していたのである。Sはそんな私を応援してくれていた。もはや今考えると罪深くさえある。もう、どう足掻いても取り返せないのである。と、いうのも、もし自分がそのような青春の選択をしていなければ、Sのような存在になれたのではないかと思い耽ってしまうからである。つまり、Sを心のどこかで羨ましい、と感じてしまうのである。
Sと私は似た者同士だった。いや、「Sと私は似た者同士『だった』」という表現は正しくはないかもしれない。何故なら、「今」でも私とSには共通している部分が、会話の中でもその片鱗が垣間見えるのである。そして、中学時代よりも遥かに同じ時間を共に過ごし、互いを研究する中で、生まれ育ってきたそれぞれの「環境」、それぞれの家系に流れる「遺伝」、そうしたものは勿論のこと、趣味があっているようで少しずつ違うお互いの「嗜好」、お互いが経験を積み合��た中で得た「思考」、これからどこを目指していくのかという「指向」……と、似ているようで違う部分を、共通する部分より鮮明に捉えていったのである。その結果、人生の分岐で分かれ続けて、私は元会長(その他もろもろ)、Sは、仲間内の明るいムードメイカーとして学校生活を送っていたのである。
しかし、彼とは心の奥底の何かが共通していたという、中2当時のあの沸々とした楽しさは今でも忘れられない。あの頃、塾の曜日が違っていたら、私は清陵にすら入っていなかったかもしれない。少なくとも、清陵での活動は違うものになっていただろう。そんな「S」の影響力は、間違いなく大きすぎる「価値」で、社会の「下らない」優劣競争なんかに左右されない軸があったのだと今になって思う。
勉強ができればいい、偏差値が高ければいい、スポーツができればいい、お金があればいい…、「S」を見ていると、そんな一面性の軸に縛られた社会的ステータスなんかどうでもいいと思えてくる。受験とか、就活とか、出世とか、そんなことの前に自分の周りを明るく楽しくさせる力の方がいかに大切かを思い知らされるのだ。
ーーーーーーそうして時は流れ、高校三年、最後の清陵祭がやってきた。
【高校三年 7月】
おそらく、私にとって忘れられない光景をあげようとすれば、1つのシーンがいつでも自然と浮かび上がってくる。高校3年、最後の清陵祭のファイヤーストームが終わった後の、登壇の時間だ。
(登壇と言うのは、語りたいことがある者のみが自由に登壇をし、全校生徒を前に語りたいことを語る時間である)
私は、去年、学友会長に当選し、少々学校内での出番が多く、多いどころかほとんどに自分が中心的にかかわっていており、でしゃばりすぎてしまったと自分では感じていたので、胸中では、今年は出来る限り「でしゃばり」を自重しようと心掛けた。
知り合いも何人か壇上に登り、告白やら感謝を叫ぶやらで最後の文化祭のフィナーレは段々に盛り上がっていった。正直に言えば、自分は既に友達のそういった姿を見て満足していた。そろそろ幕切れか、と思われたその頃の話である。
「次は誰が行くんだ?」と言う空気の中、、鋼の塔に向かっていったのは、他でもないSだった━━━。
泥とラクガキだらけの顔のまま、千切れて泥水で浸された灰色のTシャツを身に纏い、彼はまず、壇上の中心でマイクを持ち、そして、一呼吸を置いた。
ここからの映像は、周囲の熱狂的な雰囲気と自身の疲労により、全てを思い起こすことは出来ないが、思い起こせる限りの印象的な断片をここに記す。
「俺のこと知ってる人この中に何人いますか?多分いませんよね。俺は多分、この学校の最底辺なんで」
彼は、堂々と喋りだしたかと思えば、まず「自称最底辺」を名乗ったのだった。確かに、中学では学年一位の成績を誇っていた彼も、今では、成績で言えばだが、底辺すれすれではあった。
「俺には感謝したいことがある!Y、I、K、T、U…、こんな俺に付き合ってくれて有難う!本当に感謝してる!」
そのメンバーは、いつも大体育館で飯を食う「いつもの」メンバーであった。いつもはおちゃらけているSの突然の感謝の叫びに、メンバーは少し意表を突かれたように、照れくさそうに…反応に困っていた。しかし、誇らしげであった。
初登壇とは思えないほどの、清々しく、快活な響きで彼は語りかけていた。そのメンバーからも「俺も感謝してるぞー!!」「いぇーい!」という声が上がり始めた。
私が克明に覚えているのは、ここからの映像だ。
「そして、○○!!中学からの仲だけど、お前とは本当にいろんなことがあった!!迷惑もかけたけど、本当に楽しかった!!ありがとう!!!」
Sを照らす照明の光と、彼の闊達な笑みが滲んで見えた。鉄パイプで組まれた壇がおぼろげになり、いつのまにか唇が震えていた。それだけの言葉なのに、涙が堪えきれなかった。至近距離ではあったが、こちらはライトで照らされてはいない。Sに泣き顔を見られているのだろうか、だとしたら間違いなく初めてである。隣にいた友人が自分が「泣いている」ということに多少驚いたニュアンスで「男泣きじゃねえか」と呟いて、軽く肩を叩いてくれた。ファイアーストーム後の火照った体は、すでに冷え切っていたが、彼の声を聴いている間は、時が止まったかのように、寒さを、体温を、全く感じていなかった。
このエピソードに対しての文章量は圧倒的に少ない。心の動きに対して文章量が比例するなら。8000字以上あるこの文章量でも全く以て足りないと言わざるを得ない。が、いったん「Sのこと」を話すのはここでお終いとする。
ファイアーストームを囲んで歌った「この火」を、「この日」を私はこれから先、忘れることはないだろう。
『このひ』
「この火がいつまでも
消えないでくれるといいな
失っていくだけの日々から
僕を救ってくれた
信じた夢を叶えられる
そんなぬくもりが背中から Ah
風の向き 土の匂い
赤と黒の混ざった色
となりの君のその真剣なまなざしを
ずっと忘れない
この火を思い出す日が
いつか来たとして
僕らはそのとき
きっと今持ってる何かを失っている
でも覚えていれたなら
僕らはいつでもここに戻れる
今を青春と呼ぶのなら
大人になるのも悪くない Ah
火のぬくもりを忘れない」
「Sのこと」終
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bbibon · 7 years
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清陵短歌
熱帯びる 議論の中に ちょんとある 理性のいかに 大事なことか
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bbibon · 8 years
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清陵大喜利
【こんな仮装コンは嫌だ】
 学生を狙う犯罪を風刺しようと、「ライポ君メールでよく注意を促されてる人」のコスプレをするが、登校中、普通に捕まる
  [元も子も無い] 
 【こんな議長は嫌だ】
 会場がざわめきだしたら覚醒して、メガシーコールで場を鎮静化する。
 [メガ進化すると肺活量1.5倍]
 【こんなFSは嫌だ】 
 FSの時に放水される水が、 ちょくちょくアオコくさい
 [諏訪湖の水を有効利用]
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bbibon · 8 years
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VS蚊(清陵祭の朝のできごと)
先ほどまで空中張り手をしていた者である。私の空中張り手は闇夜を裂き、遂に「奴」に命中することはなかった。
蚊である。
人畜有害の極みともいえる真夏の夜の悪夢を部屋に招き入れてしまったことに関しては、私の忸怩たる過失と言ってもよい。しかし、蚊の一匹や二匹によって、明日の為にと早々に瞼を閉じた、私の有意義な休眠を阻害され、午前4時に起きて気晴らしに文章でも打たなければならないとは、これ如何に。
なんと住みづらい世の中だろうか。夏目漱石も「とかく人の世は住みづらい」と言っていいたが、全くその通りである。しかし。住みづらくしているのはなにも人間だけではないと思うのだ。確かに大部分は人間のせいであるが、恐らく十割ではない。寧ろ今の状況だと私の中での「人間界の住みづらさ」を形成しているものは十割が蚊、といって良いところであるので、過言ではない。
そんな訳で、久方ぶりに午前4時の世界に生きているわけなのだが、なにもこの時間に起きたことはデメリットばかりという訳ではない。苦し紛れのポジティブシンキングなぞではなく、いくつかの発見をすることが出来た。
その1。蚊の忌々しい羽音に目を覚まし、一心不乱に蚊に向かって正拳払い手(通称 張り手)を四方八方に乱れ打ちしたところで、後には得も言われぬ虚無感とぶつけるアテもない憤慨の念が残るだけであり、標的を殺すどころか、1ダメージを与えることすら敵わない。確実に、1アタック1キルと言える紙耐久の蚊に対し、私は優に50は超えているであろう渾身の空中張り手を見事に空振りしている。なんという神回避力。そしてなんというウザさ。
本来お互い正々堂々対峙するとすれば、蚊を退治することなど用意もなく容易だというのに、闇の中で不意打ちされては、こうも歯が立たないものか。
私は蚊のような男にはなりたくない。そう切に思う。
正々堂々と真っ向勝負し、恥じることなき誇りある戦いをしていく所存である。
しかし、私が蚊になったとして、果たして自分の何百倍も大きい人間という輩と勝負したいと思うだろうか。否、避ける。 
極力、生物というのは死の危険を回避し、生存に努めるものである。しかし、蚊は時に「殺してくれ」とでも言わんばかりに闇夜ならまだしも明るみにて人を襲おうとする。これは最早、理知があるか否かの問題ではないと思うのだ。殺されたくなければ、「人は襲っちゃだめよ、うふ♥」とかそんなようなDNA情報でもなんなり子孫に残してやればいいものを、蚊は躊躇なく我々人類をターゲットとみなし、攻撃する。やめてほしい。
  我々人類は蚊にすらなめられている。そして、蚊は果敢に、自らの命を守るため、血を吸うために、我々の周りを飛び回り、機をうかがっている。何故か、蚊に戦略的な部分などで負けている気がして悔しい。
いつか、人類が蚊に完全勝利するその日のために、我々は我々なりに科学のチカラで著しい発展を遂げるべきだ。アースジェット改DX(3代目)とかその辺までは発展してほしい。SSH諸君、頼んだぞ……。閑話休題。
端的に言って、蚊には血を吸うことを「やめてほしい」訳だが、彼らも「はい」、と、うなずくわけにもいかないだろう。死活問題なのだから。
血を求める孤独なハンターなのだから。(ここだけ切り取ればカッコいいが、別にハンター試験があるわけでもなければ、モンスターをハンティングするような派手さもないので、やっぱり蚊は残念な種である)
しかし、こちらからすれば、蚊を嫌う理由は、「血を吸われる」それ自体ではないのだ。現代において、吸血鬼よりも実質ある種ホラーじみているのは夜中の例の羽音。思い出すだけでゾッとする。 吸血鬼など、存在しないのだから怖くも痒くもない。しかし、蚊は、そんな不確定的存在でなく、小さいながら確実に血を吸う。怖いし痒い。しかし、その吸血量は何も吸血鬼のような致死量ではない。 ほんのちょっと、文字通り、スズメの涙ほどである(スズメが本当に涙を流すかは定かではないが、流すとしたら、本当にスズメの涙程の量だろう)。ならば、別にくれてやったところで死にはしないからいいのだが、問題は「痒み」だ。 せめて、血が出ないように、と親切に施しをしてくれるにしても「痒み」という嫌がらせまで添付しなくてもよいだろう。お前良い性格してんな~、と皮肉を言わざるを得ない。だから、もし蚊とコミュニケーションが取れるなら、「血は吸っていいけど、痒みの代わりに栄養を添付してね」とか、平和的解決のための交渉をせざるを得ない。適当に思いついた、私のこの例が実現するとすれば、人間は蚊に刺されれば刺されるほど健康になっていく。 「栄養」の代わりに「快感」にしてみたらどうか。人々は蚊に刺されるたびにエクスタシー(恍惚)を感じ、身をよがらせる夜が続くだろう。蚊による「吸血依存」のような現象も起こってしまうかもしれない。これはこれで怖い。閑話休題。  兎に角、全て双方の合理的解決が出来れば世界はより住みやすいものなのだが、そうもいかない。蚊による羽音の「不快感」と吸血の「痒み」は、当分我々人類の頭を悩ませることだろう。 まとめるとすれば、以上のことを踏まえて、蚊にはむやみやたらに空中張り手をするより、人類らしく文明利器や化学兵器でも使うべきかな、というのが今回の体験を通しての、私の発見であり、見解である。
2つ目の発見。7月ともなると、4時でももう外は明るい。正確に言えば、書き進めて今5時23分なので、5時は殆どもう視界が開けている、といった状態である。鳥も思ったより鳴いている。清々しい朝だ。そして、夜にこの文章を書くよりも健康的で思いの他捗る。朝方に切り替えてみようかな、そんなことを蚊に思わされた、清陵祭4日目当日の、夏の朝の出来事である。
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bbibon · 8 years
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清陵大喜利
ほぼ個人的に考えたのもあれば、友人と喋ってる中で生まれた回答もあります。 お題は【】、回答はそのまま、[ ]の中に回答に対するひとことを書いてます。 よろしくお願いします。
 【こんな議長は嫌だ】
 会場がざわめきだしたら覚醒して、メガシーコールで場を鎮静化する。 [メガ進化すると肺活量1.5倍] 
 【清陵に第一志望で入ってきた教師とは?】 
元秋葉原のオタクで、清陵祭のコスプレを見るために入ってきた [追放しろ] 
 【こんな一般公開は嫌だ 】
 「入場料は無料」と書いてあるが、500円以上のドリンク代を払わなければいけないし、さもないと諏訪湖に沈められる。 [ほぼ悪徳の領域]
 【こんな髪染めは嫌だ】 
 染めようと思ったが、そもそも毛がない [ドンマイ。] 
【こんな仮装コンは嫌だ】 
学生を狙う犯罪を風刺しようと、「ライポ君メールでよく注意を促されてる人」のコスプレをするが、登校中、普通に捕まる [元も子も無い]
 【こんな自販機は嫌だ】 
英6の隅と国語研究室の隅の2箇所のみに設置されている [後者がほぼ地獄] 
 【こんな購買は嫌だ】 
 オバチャンがお釣りを髪の中から出してくる [徹子かよ] 
【こんなアーチは嫌だ】 
アーチの杉の枝に混ざって「トイストーリー」のウッディの人形が真顔で刺さっている [それまでの冒険が気になる] 
【こんなFSは嫌だ】
 FSの時に放水される水が、 ちょくちょくアオコくさい [諏訪湖の水を有効利用]       以上です。
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bbibon · 8 years
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『VS蚊 他二本』
  「現実と非現実と四次元」
 現実と非現実に関して非現実を否定しつつ発想を膨らませ、「四次元」という概念に絡めてみた。
 私は「非現実」を「現実では非(あら)ざるもの」としては考えない。
”四次元空間”なるものはご存じだろうか。四次元軸について時間と定義したり別空間と定義したりと様々な説はあるが、ここでは我々にとって見る���とすらできない別ベクトルの意味として定義したい。分かりづらいので例を挙げると、二次元空間に住む人間がいるとすれば、彼らは横及び縦にしか移動することは出来ない。三次元、つまり自分に対して上下の奥行きが存在することなど、知る由もないのだ。ここまで読んで「小説とは何か」のテーマから大きく飛躍・逸脱していると感じるかもしれない。しかし私が今回「非現実」の具体である幽霊から着想を得て書く「四次元の話」には、「非現実」に対する新たな見解の土台と、現実と非現実に板挟みになった世界( 隔たり)へのさらなる考察へのアプローチが確かに含まれていることを予め言っておきたい。
 前述の通り、二次元空間の住人は、三次元空間の方向に進むことも最早「三次元空間の存在に気付く」ことすら不可能である。と、いうことはこう考えることもできるのではないだろうか。我々三次元空間の住人は”四次元空間”に「進む」ことも「気づく」こともできないのだと。逆に、二次元空間の存在を知っている我々すなわち「三次元空間の住人」は二次元空間の住人に触れることもできるし、3つ目の方向を知らず右往左往している住人達を、彼らの知らない三次元空間から見下ろして「ジャンプもできないのか」と馬鹿にすることもできる。そう、私にとっての四次元空間は二次元世界の住人にとっての私たちなのだ。と、いうことは。つまり。四次元世界に住んでいる風貌も、名前も知らない 謎の住人達は私達に一方的に触れることもできるし、私たちの知らない方向から「三方向にしか移動できない」我々を嘲笑っているのかもしれないのだ。「右往左往上往下往」している我々を「右往左往上往下往X往Y往」と、我々の知らないX、Yという概念に移動できる彼らが今も我々を見ているのかもしれない。余談だが、X線は最初見えなかったから「X」線と名付けたのだという。科学の力で見えない「無」の概念を「有」にしてしまえる昨今、四次元空間の住人を捕えることがいつか可能になるのだろうか…。
夜道にドキドキしなくてもいいよう、出来るだけ早く四次元空間の住人の正体を明らかにしてほしい。
閑話休題、私が一介の理系として、そしてただ「得体が知れなくて怖い」という勝手な私情から生み出した答えが「幽霊四次元説」である。ぶっちゃけた話、「四次元」なんていう名称でなくても構わない。五次元でも六次元でもn次元でも(n+1)次元でも構わない。兎に角、今後夜道に近くの神社や墓を通り過ぎた時に、幽霊という気味の悪いものを論理的に(こじつけでも)説明できる説をただ作りたかったという部分が正直ある。
「非現実とは現実で非ざるものではない」と最初に述べたが、それは現実には確かに存在するものの我々に「それ」が見えていない、という意味である。そう定義すると、「非現実」は理論で説明できないものではなく、我々の知らない空間で起こっている何かしらの現象が三次元の空間にひょっこり顔を出しただけ、という「現実」として説明できるのかもしれない。…と自分で自分をばかばかしく思いながらも、ぼ~っと自由に考えを巡らせてみた。
            「SNSにおける「アルバム機能」」
 昨今ではツイッターやラインといったソーシャルネットワークサービス、通称SNSが流行っている。単に若者だけの間で流行っているだけかと思いきや、親御さんの間でも連絡ツールとしてメールの代わりにその役割を担っている。そう、今やSNSは社会の中で情報連絡網として必要不可欠な存在となっているのだ。そんな中、「スマホ依存」を中心とするSNSへの批判、批評が後を絶たない。「SNSにより、面と向かって話す場が減った」「コミュニケーションの本質とはなにか」そんな投げかけが現代に蔓延り始めている。
私が思うに、SNSとは、単なる「連絡ツール」としての役割以外に様々な側面をもっている。そこが、SNSを「依存物」たらしめる「強さ」なのだろう。日常のほとんどを私たちは他者との関係性の中で築いている。SNSとは、言い換えれば「他者との関係確認」の場であり、関係を構築するのにも非常に便利で有用かつ重要なデバイスだ。SNSをチェックするとき、それは動物的本能で言うところの「縄張りを見張る」という行為に他ならない。その縄張りに異変が起きれば、自分の地位を脅かす要因にもなりかねない。関係に綻びを見つければ早急に修復し、関係を重ねたい相手に好機があれば策を練って思惑通りの関係を構築していく。その積み重ねをやめることができない=SNS依存という現象につながっていくのだろう。しかし、ここで忘れてはいけないのがSNSのシステム上自然とあらわれる、他者との交信以外でのSNSの需要である。それは一体何なのか。ずばり、「SNSのアルバム化」である。SNSは特性上、メールのようにいちいち返信する画面が切り替わるものより、チャットルームやTL(タイムライン)上でメッセージの往来を一目で確認できるものが多い。所謂「トーク履歴」をスマホの場合、画面を上下にスライドするだけで簡単に遡ったりすることが可能なのである。そこで、他者以外のメッセージにおいて生まれる価値、それは「自分が今まで残してきた」画像や文章、まとめていうところの「思い出」が一覧となって好きな時に、好きな場所で「懐古することができる」ようになるということである。SNSには、今日の出来事や自分用のメモを書き残す場合が多い。特に前者は、若者の場合SNSにアップするためのネタを探すために街へ繰り出したりイベントへ参加したりするほど投稿数が多い。SNSは多くの人にとって「日記」で、他者とのトークはその投稿につけられたコメントの返信だけであったりすることが少なくない。ツイッター上には、自分がふと思いついた面白くて小洒落たツイートばかりを呟くユーザーもいる。そういった人たちは、自分のネタを不特定多数の人に公開してリアクションをもらい、更に自分のTLにまとめられた今までのツイートを遡り確認することもできる。他の例として最たるものは、ツイッターの「お気に入り」機能で、自分の気に入ったツイートだけをまとめてあとで一気に見返して楽しむことが出来るのだ。まさに自分だけの「お気に入りアルバム」。こういったSNSはインターネットさえあればいつでも閲覧でき、バックアップも取れるため、ある意味分厚いアルバムよりも、しっかり守られていて、お手軽なものといえよう。更に、現代の技術を駆使すれば。その画像を友達とシェアしたりお互いに編集することもできる。勿論、文章や画像のみならず、音声や動画も保存可能である。アルバムの上位互換と言っても過言ではない。しかし、アルバムの重厚さを感じながら家族の輪の中で見る茶ぼけた写真というのも、ノスタルジアをこれでもかと刺激する点で独自性を持つ、SNSとは明確に差別化された大事な保存デバイスである。SNSに移り変わっていく「アルバム」。幾つものドラマがデータ化され、シェアされる時代の土台が、今まさに作られようとしている。
           「VS蚊」(日記)
 先ほどまで空中張り手をしていた者である。私の空中張り手は闇夜を裂き、遂に「奴」に命中することはなかった。
蚊である。
人畜有害の極みともいえる真夏の夜の悪夢を部屋に招き入れてしまったことに関しては、私の忸怩たる過失と言ってもよい。しかし、蚊の一匹や二匹によって、明日の為にと早々に瞼を閉じた、私の有意義な休眠を阻害され、午前4時に起きて気晴らしに文章でも打たなければならないとは、これ如何に。
なんと住みづらい世の中だろうか。夏目漱石も「とかく人の世は住みづらい」と言っていいたが、全くその通りである。しかし。住みづらくしているのはなにも人間だけではないと思うのだ。確かに大部分は人間のせいであるが、恐らく十割ではない。寧ろ今の状況だと私の中での「人間界の住みづらさ」を形成しているものは十割が蚊、といって良いところであるので、過言ではない。
そんな訳で、久方ぶりに午前4時の世界に生きているわけなのだが、なにもこの時間に起きたことはデメリットばかりという訳ではない。苦し紛れのポジティブシンキングなぞではなく、いくつかの発見をすることが出来た。
その1。蚊の忌々しい羽音に目を覚まし、一心不乱に蚊に向かって正拳払い手(通称 張り手)を四方八方に乱れ打ちしたところで、後には得も言われぬ虚無感とぶつけるアテもない憤慨の念が残るだけであり、標的を殺すどころか、1ダメージを与えることすら敵わない。確実に、1アタック1キルと言える紙耐久の蚊に対し、私は優に50は超えているであろう渾身の空中張り手を見事に空振りしている。なんという神回避力。そしてなんというウザさ。
本来お互い正々堂々対峙するとすれば、蚊を退治することなど用意もなく容易だというのに、闇の中で不意打ちされては、こうも歯が立たないものか。
私は蚊のような男にはなりたくない。そう切に思う。
正々堂々と真っ向勝負し、恥じることなき誇りある戦いをしていく所存である。
しかし、私が蚊になったとして、果たして自分の何百倍も大きい人間という輩と勝負したいと思うだろうか。否、避ける。 
極力、生物というのは死の危険を回避し、生存に努めるものである。しかし、蚊は時に「殺してくれ」とでも言わんばかりに闇夜ならまだしも明るみにて人を襲おうとする。これは最早、理知があるか否かの問題ではないと思うのだ。殺されたくなければ、「人は襲っちゃだめよ、うふ♥」とかそんなようなDNA情報でもなんなり子孫に残してやればいいものを、蚊は躊躇なく我々人類をターゲットとみなし、攻撃する。やめてほしい。
 我々人類は蚊にすらなめられている。そして、蚊は果敢に、自らの命を守るため、血を吸うために、我々の周りを飛び回り、機をうかがっている。何故か、蚊に戦略的な部分などで負けている気がして悔しい。
いつか、人類が蚊に完全勝利するその日のために、我々は我々なりに科学のチカラで著しい発展を遂げるべきだ。アースジェット改DX(3代目)とかその辺までは発展してほしい。SSH諸君、頼んだぞ。閑話休題。
端的に言って、蚊には血を吸うことを「やめてほしい」訳だが、彼らも「はい」、と、うなずくわけにもいかないだろう。死活問題なのだから。
血を求める孤独なハンターなのだから。(ここだけ切り取ればカッコいいが、別にハンター試験があるわけでもなければ、モンスターをハンティングするような派手さもないので、やっぱり蚊は残念な種である)
しかし、こちらからすれば、蚊を嫌う理由は、「血を吸われる」それ自体ではないのだ。現代において、吸血鬼よりも実質ある種ホラーじみているのは夜中の例の羽音。思い出すだけでゾッとする。吸血鬼など、存在しないのだから怖くも痒くもない。しかし、蚊は、そんな不確定的存在でなく、小さいながら確実に血を吸う。怖いし痒い。しかし、その吸血量は何も吸血鬼のような致死量ではない。ほんのちょっと、文字通り、スズメの涙ほどである(スズメが本当に涙を流すかは定かではないが、流すとしたら、本当にスズメの涙程の量だろう)。ならば、別にくれてやったところで死にはしないからいいのだが、問題は「痒み」だ。ぜめて、血が出ないように、と親切に施しをしてくれるにしても「痒み」という嫌がらせまで添付しなくてもよいだろう。お前良い性格してんな~、と皮肉を言わざるを得ない。だから、もし蚊とコミュニケーションが取れるなら、「血は吸っていいけど、痒みの代わりに栄養を添付してね」とか、平和的解決のための交渉をせざるを得ない。適当に思いついた、私のこの例が実現するとすれば、人間は蚊に刺されれば刺されるほど健康になっていく。「栄養」の代わりに「快感」にしてみたらどうか。人々は蚊に刺されるたびにエクスタシー(恍惚)を感じ、身をよがらせる夜が続くだろう。蚊による「吸血依存」のような現象も起こってしまうかもしれない。これはこれで怖い。閑話休題。 兎に角、全て双方の合理的解決が出来れば世界はより住みやすいものなのだが、そうもいかない。蚊による羽音の「不快感」と吸血の「痒み」は、当分我々人類の頭を悩ませることだろう。まとめるとすれば、以上のことを踏まえて、蚊にはむやみやたらに空中張り手をするより、人類らしく文明利器や化学兵器でも使うべきかな、というのが今回の体験を通しての、私の発見であり、見解である。
2つ目の発見。7月中旬ともなると、4時でももう外は明るい。正確に言えば、書き進めて今5時23分なので、5時は殆どもう視界が開けている、といった状態である。鳥も思ったより鳴いている。清々しい朝だ。そして、夜にこの文章を書くよりも健康的で思いの他捗る。朝方に切り替えてみようかな、そんなことを蚊に思わされた、清陵祭当日の、夏の朝の出来事である。
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bbibon · 8 years
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「諏訪清陵学友会員之箴言」
                        五郎丸走
今迄当たり前のように行われ、引き継がれてきたものに、違和感を感じる事はないか。
 何かおかしい。もっと変えていける部分が、よくすることが出来る可能性があるとは思わないか。
伝統という言葉を妄信せず、正面からそれを見つめたとき、必ず何かが見えてくる。
 違和感を押し殺すな。波風を立てることを嫌うな。自らの手でそれを壊し、自らの手で再び積み上げろ。
絶対に自分を曲げ��ゃいけない。 今それをやってしまったら。この先もそういう生き方しかできなくなる。
今日、目の前で起こっている事態は、君にとって対岸の火事か?
違うだろう。間違いなく君のすみかが燃えているのだ。
目をそらしたければ火が自分の服に燃え移るまで逸らしていればいい。
 もう既に火の粉が髪を焦がしていることに気がついてくれ。
 駄目な自分を肯定するな。 嫌な気持ちを放っておくな。
 迷ったら動け。考えを発してぶつけあい、そうして自分たちで納得のいくものを創るのだ。
 何もせず後から後悔してもどうにもならないことくらい学んできただろう。
声を上げろ。世界を曲げろ。
 二度と帰らぬ、今がその時だ。      
             (会誌「清陵」64号 地方会特集より)
全502文字
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bbibon · 8 years
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新入生に向けて(変人紹介)
「新入生に向けて
~変な奴こそ、進化のカギを握っている~」            む~民
 突然だが、「進化論」というものを持ち出してみたい。進化の上で重要なのは「変種」つまり、おかしなやつだ。例えば一定の長さを持ったキリンの中で、個体差や遺伝子の突然変異により妙に首の長いキリンが生まれれば、それは変種だ。他の子と比べて極端に首の長い「首長キリンの霧太郎」は、学校ではクラスメートからいじめられていたかもしれない。社会科の授業で、「子ども手当に反対する全国30市町村の首長が会合を開き…」という文章を見て「うわ首長だってよ!霧太郎!お前の事じゃねえの(笑)」とからかわれていたのかもしれない。でも、辛い少年時代を歯を食いしばって耐え、やがて食糧難が世界を襲う頃、自然選択によってキリン界の最後の勝者となったのは霧太郎とその一族だったのだ。端的な説明だが分かっていただけただろうか。つまり、変な奴こそ、進化のカギを握っているのだ。(そう、「へんなおじさん」は実はニュータイプ人類である可能性があるのだ)だからもし、これを読んでいる人の中に、「自分はみんなと違う」「変な奴だとからかわれる」、そんなことで悩んでいる少年少女がいたら、自分こそがヒトの、社会の進化のカギを握っているという可能性があることを思い出してみてほしい。むしろ、自分は変だということに誇りを持つべきだと。
ここで、清陵にスポットを当ててみよう。清陵には多くの「変人」がいる。OBもよく口にする。二葉の生徒にもこんなことを言われた。「清陵の人達は普通に考えてなんかオカシイ」と。そうは言うものの、それは偏見かもしれない。というわけで、サンプル調査よろしく、いくつか実際に清陵に生息する清陵生の例を挙げていこう。
  ヨーロッパに渡ったと思ったら彼女をお土産に持ち帰ってくる優男。ちょっと学校いないと思ったら経済産業省に挨拶に行ってるギターを嗜む色男。単身でネパールに飛びエベレストと邂逅を果たしてくるイケメン会長。数Ⅲで満点をとるスポーツ万能の遅刻常習犯。100mを10秒台で走る清陵歴代最速のパズルマニア。社会情勢に詳しい、時にロン毛、時に坊主の謎多き自称DJ。早稲田と東大の受験の合間に東京の休憩用()ホテルでハッスルするも両方合格する狂った先輩。(良いこの皆さんは真似しちゃダメだぞ!この先輩だからできたんだ!)任天堂の全てのゲームBGMをイントロ1秒以内に言い当てられる天パ。コーヒー牛乳を買い続け購買のおばちゃんを攻略しようとしたニコニコのMAD職人。学友会の裏で暗躍する、脱いだらムキムキのイケメンイラストレーター。天然属性で笑顔が最高に可愛いのに苔を愛でるのが趣味の残念JK。
清陵祭が終わると上裸で「ありがとうございましたウェーブ」をしたり、ハロウィンにお菓子を配る伝統を持つ剣道部。ツチノコ捕りに合宿に赴いたり、東京109前の交差点で餅をつくなどして精力的に活動を行っている(過去の会誌参照)社会福祉部。真偽は不明。リコーダーがトレードマーク。「ぶっとば清陵!」という、やや物騒な掛け声で競技に挑む陸上部。日本一長い校歌を甲子園で歌ってほしい野球部。個性に定評のある「漢組」を擁する吹奏楽部。文化系と思いきや試合では男羅男羅しい歌留多部。バスケ部の裏でこっそり活動している心理学部。などなど。
清陵の素晴らしき先生編。ロシアから来た謎多き東大出身英語科教師。この方は自分で言ったことに異常にツボるし、ロシア語講座が突然始まるお茶目さがある。
校内を傘を杖代わりに歩く伝説のエヴァ好き国語科教師。清陵OBで、煙草と昼寝と清陵校歌が好きな清陵オーラ溢れる生徒からの人気者。深すぎる声と、緩急の鋭い授業は初見では衝撃を隠しきれない。なかなか会えない。残念ながらもう定年であることもあり、来年からは、また違う意味で伝説の先生となるであるだろう。
心臓に爆弾を抱えながら、日々走り続ける新任社会科教師。インターハイ出場経験を持ち、同期の国語科教師S先生の愉快なエピソードを口に任せて喋る。軽快なトークから、生徒からの人気も高いが、湖周マラソンで優勝に固執し(湖周だけに)優勝を果たした姿は教師とは思えない大人げなさ熱血ぶりであった。
「木曽高校、全員合格です。」でおなじみの数学科教師。青年海外協力隊に入っていた経歴を持つイケメン数学科教師。イケメン。物理学を司る○ルデモート。
生物を教えてくれる可愛いおじさん。野球部を統べる王、Mr・K。みなさん大好きです。そして最後に、髪を5対5に正面でポマード(推測)できっちり分けた、清陵OBで、清陵当時はバンドを組んでいたという校長先生。
 どうだろうか。変人なんて、そんな思っているほどいないでしょう??(笑)……………。いや、ここまで紹介しといてそれは無理があるかな。この文をこんなにつらつらと書いている自分も変人なんじゃないかって思います。勿論ここに紹介したのはごく一部の身の回りの清陵生や三年生の知る先生たちであり、あなたの周りにはまだ知らぬ「変人」たちがそこら中にいるのかもしれないし、あなた自身がそうなのかもしれない。
 このように、清陵には多くのキャラのたった変人がいて、ここには紹介しきれないそれぞれの変人エピソードを持ち合わせている事だろう。高校生とは思えない自由すぎる行動範囲で、大鉈を振るう様な大事を、なんともないかのように其々の能力・個性を発揮し、こなしている、そんな清陵生が過去にも今にも多く存在している。
 そう、清陵生には変人が多い。そして、変人達が、それぞれの持ち味を殺すことなく、恥じることなく実行できるのはどうしてだろう。それは、「自」分の中で振り「反」って、「自分がこうしてやっていることの何が悪い。否、何もやましいことなどない。」と得心して、自分の信じた道をひた走っているから、に他ならない。あれ…これ、どこかの校是で…?(すっとぼけ)
変人は強い。常識だらけの世の中に、誰から指示されたわけでも、義務でもない自分自身を、自信を持って放っていく。そういう人が、新しい世界を、社会を作っていくと、僕は思う。
きっと僕も、清陵じゃない高校に入っていたら、生真面目で、勉強が出来る、社会に歯を立てることもない、物分かりの良い好感度MAXの若者になっていただろう。
清陵に来て、授業では学べない精神的な「大切な何か」を得ることが出来た。「大切な何か」が気になる方は、続きはWEB…じゃなくて学校生活で探してみてください。
新入生に向けて。君はこの三年間で、どう変わるだろうか。もしかしたら今はまだ想像がつかない海外に2年後いるかもしれないし、思いもよらない一発芸を全校の前で披露しているかもしれない。
あまり入ってからは気づかないと思うけれど、他の学校に比べて清陵は本当に自由だ。実はめちゃくちゃやれることの選択肢がある。賢い人であれば、これを有意義に使うほかないだろう。
僕は清陵に来て良かった。そう思える日が、清陵をしゃぶりつくすように過ごしていればきっとやってくる。1つ忠告したいのが、 清陵は、遊び人にとっても最強の環境だ。学力という代価を払えば、いくらでも遊ぶことが出来る。いつのまにか成績低空飛行にならないように必要な勉強をすることも大事だ。
という訳で、新入生にひとこと。自分の個性を曲げずに、好きなことに挑戦しまくれる「清陵」を楽しみ尽くせ!以上!
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bbibon · 8 years
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理想と追試
第二校歌の最後は「理想の花の咲かむまで」で締めくくられる。そこで、「理想」というものを自分なりに掘り下げてみようと思う。
 
 ―――そこには化学のテストにおいて平均点の半分以下という忸怩たる思いを抱いた所謂「赤点」をとった仲間が点在していた。無論、この光景を目の当たりにしていた私もまた「赤点」をとっていた。恐ろしいことに、私が優等生であると思っていた輩もこの中に少なからず居た。まあしかし殆どは「やはり」と言われても仕方ないような連中のようではあったが。一体私は、周りの連中からそのどちらに思われているのだろう。それは、神のみぞ知る所である。仮に尋ねたところで本心を答えるわけはない。どちらにせよ、事実なのは化学においてこれから私は追試を受けなければいけないということだ。くそー。と3文字並べて淡々と思いを呟くのも自由だが、今しがたそんなことを呟いたところで過去が変わるわけでもない。
「類は友を呼ぶ」という諺があるが、私は出来る事ならこんな「類」に属したくはなかった。しかし、それを思っているのは私だけではないだろう。しかし、周りに座っている彼Aや彼Bも私のことを「類」として見ているのだろうか。いやいや、私は違うぞ。寧ろ、自身の欠点を反省し、目も当てられないテストの点数に目を当て、精気の底をつくまでに復習をしてきたのだ。
(はっ。いや。待てよ。)
そう考えれば、ここにいる他の連中も、私と同じくして、返ってきたテストを眼光背紙に徹するまでに括目し、努力を重ねてきた尊ぶべき考える葦の集まりなのではあるまいか。そうなれば、この部屋の中に「追試」という状況を共有する彼らの「類」になっていても、私は恬然としていられるだろう。寧ろ、誇らしく清々しいくらいだ。
「類は友を呼ぶ」の「類」を設定するのは私の自由だ。勝手にさせてもらおう。というような阿呆な発想を大脳新皮質で自由に旋回させていると、担当の先生がやってきて、テストを配り始めた。既定の時間よりも遅れていたが、清陵の先生だから、まあ、特別なことではない。追試は私が赤点をとった因縁のテストと全く同じだった。今日の授業において、地球における海の割合ほどの化学の内職を積んできた私にとって、今回の追試は記憶をアウトプットするだけの単純作業に過ぎなかった。それでいいのか。
ともかく、吐くようにして回答欄を埋めていくと、いつの間にかテストは終わっていた。私がそれ一番にと起立して、前方の教卓に提出しようと試みた時には、すでに2人ほどの先客がテストを片づけていた。悔しいなあ。私は、「グリセリン」とだけ書けばよいものを括弧付けで(1.2.3プロパントリオール)などど、事細かに別名まで格好つけて(カッコだけに)書いてしまった私の肌理細かさを呪った。しかし、私の努力(内職含め)は十二分たる成果を発揮したに違いない。私はそう得心して颯爽と教室を後にした。
追試の得点は満点だったものの、名前を書き忘れ、また後日追試の追試、「追追試」を受けたことは、また別のお話である…。――――――
 いかがだっただろうか。いかにも阿呆なエピソードである。だが、理想の結果に辿り着くために努力しても、上手くいかず予想外の状況に陥ることなどはよくあることだ。人間は常に選択を押し迫られている生き物である。後から考えてみて、「これが正しかった」という道を選べる保証なんてどこにもない。理想は目指すものであって、必ずしもたどり着ける「理想郷」ではないのかもしれない。ただ、その選択肢に不変の価値を生み出したいのであれば、「自反」して己の行きたい道を行くのがベストだろう。誰にも指図されずに、反対されても自分の行くべき道を行く。結局、選択の結末ではなく、自分らしく生きる「選択」、その生き方自体が「理想」なのかもしれない。
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bbibon · 8 years
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明日は明日の風が吹く
教科を多岐に渡らせた学術的シュール短文集です。
イミフでいいんだ。その感覚であってる。
 英語
①そこのinfant(幼児)のstatement(声明)によると、君はguilty(有罪)らしい。
②funeral(葬儀)中にmeditation(瞑想)してたら普通に怒られた。
③世界屈指のsoap(石鹸)ambassador(大使)だったいうmy father(私の父)
④リアルなドッキリにて生じるambiguous(曖昧な)scream(叫び)
⑤solts(塩)のdeficiency(不足)により砂で補わざるを得なかった
⑥If I can confirm that I am right by reviewing my thought, I will move forward fearlessly no matter how many opponents would be.(とある校是の英訳)
 数学
①君を微分しても二次元には行けないよ
②アステロイドは数学図形界隈のイケメン。
③『「文学と純文学」って「虚数と純虚数」のパクリじゃね?』『違うよ』
④ちょっ…引くわ…。一回媒介変数で距離挟むわ…。
⑤数Ⅲの極限って分野、収束したかと思ったら振動したり負に発散したり情緒不安定かよ
⑥「陰関数」って根暗っぽい名前だよね
 国語
①森で邂逅した妖精と刎頸之交の仲になった
②ニヒリズムを怪傑ゾロリの笑い方のリズムだと勘違いしている友人
③浅春及びそれに伴う変質者の増加についての評論
④ホーンセクションを多用し、華々しく猛々しい調を��す母の鼻歌の旋律
⑤強靭筋肉超肥大漢(きょうじんきんにくちょうひだいおとこ)走りかかりたれば、脅え惑いて部室に入りぬ。
⑥七色に輝く贋作の鴻鵠と共に驥尾に付す雑炊。
⑦曖昧模糊で慇懃無礼な全豹一斑を一掃破戒したい。
⑧案山子端倪委員会撲滅協会の籠絡と憂鬱
⑨自反而縮 雖進撃之巨人吾往矣(駆逐してやる)
⑩木耳を喰う手弱女の夭折による嚆矢。
 生物
①「今日お前細胞核赤くね?」「今朝お茶と間違えて酢酸カーミン飲んじゃった」
②全身のあり��あらゆる細胞質気質が破裂する魔法
③鉄鋼綱渡りをする根っからの理系(うわ~、頑張れ~俺の中脳~。そして小脳~。)
④「新たな芸風を生み出し続けるのは、この男~!笑いのニューウェーブ、靭帯友則~!」
理系な陣内友則「そうそう、骨片を相互に連結する結合組織線維で関節を強固にし、
且つその運動を抑制する作用を…ってお~い!!俺靭帯ちゃう靭帯ちゃう!」
⑤終止コドンを言われると動かなくなるタイプの人「いや~昨日めっちゃアイツ面白くてさ~、そんで
アイツマジやらかしやがってさ~、そんで」『UGA』��……………………………」
 化学
①「なんかこれ何とも言えない硬さだな…。ナトリウムの単体みたいだ」「触っちゃったのかよダメだろ」
②理系デーモン閣下「お前を融解塩電解してやろうか!」
③理系なつくってあそぼ 
わくわくさん「今日は、硫酸カリウムと硫酸アルミニウムでミョウバンを作るよ~」
ゴロリ「なにそれ」
④安定を求めるのは人間も原子も一緒なんだね…
⑤アルケンやアルカンがあるんだったら、ヒカケンやヒカカンもあるんじゃないかな(ブンブンハローユーチューブ)
 地理
①アウトバーン(独)「お前の限界、出してみろよ…!!!」
②将来の夢を発表していく最中「タクラマカン砂漠でオアシスを発見するのが夢です」という猛者が現れた
③スラウェシ島の名産品だけで食事を摂ろうとすると「コプラ・コーヒー」、「エビ」と非常にバランスが悪い
④こんな女子は嫌だ。アパラチア山脈が山脈の中で一番可愛いと主張する女子
⑤アングロサクソン系男子とメルカトル図法系男子の人気が今沸騰している
⑥モルワイデ、メルカトル、グード図法の他にエケルト図法が台頭してきた昨今、
タケシくんが一世を風靡しようと「タケシ図法」を発案したが面白い位に瞬殺された
 おまけ【回文 創作傑作選】
①    なんてしつけいい子、いいケツしてんな
②    ロリコン外科医いい加減懲りろ
③    女子診断写真男子所持
④    世の中ね、顔かお金なのよ
⑤    イタリアでもホモでありたい
⑥    世界を崩したいなら泣いた雫を活かせ。
  (回文ではないけど逆から読むとシリーズ)
 <結婚前>↓に向って読んでください
 男:やった!待ちに待った日がようやくやってきたよ!本当に待ちきれなかったよ!
女:結婚やめてもいいかな?
男:NO!そんなのありえないよ。
女:私のこと愛してる?
男:当然だよ!
女:裏切ったりする?
男:NO!どうしてそんな風に考えるのかな?
女:キスして。
男:もちろん。一度だけじゃ済まないよ!
女:私に暴力を振るう?
男:永遠にありえないよ!
女:あなたを信じていい?
 <結婚後>↑に向って読んでください
 【日記】
2015/12/5
今日は、豆乳メンチカツ爆破委員会主催のお茶会で、スコッティリンボボボリングマヨネーズゲームをしました。オバマが連続ドローフォーで、五郎丸歩が散々だったけど、歯舞諸島爆破ですみました。良かったです。
 2015/12/10
今日は、TTと、ゴリラパレードをして遊びました。島人ぬ宝が奪われて憤慨したけど、帆立の貝柱が伏線になってて、松田聖子のファーストシングルが12枚売れました。楽しかったです。
 清陵に入る前と入った後でも色々と思いは変わるよね。というわけで、この辺で。
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bbibon · 8 years
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清陵見聞録
カントリーマーム抹茶味を食いながらゆっくりと、ネタを交えて書くので、ゆるりと見ていただければ、ちょっぴりうれしい。私は清陵をただ三年間「通り過ぎた」だけの見物人である。そんな私が清陵という未開の地に入ってから見聞したその主な記録をここに遺していこうと思う。卒業してから清陵を思い出したくなった時に、主なイベントを思い起こせるように多岐に渡って清陵について書き上げた。
きっと、其々の清陵生に其々の見聞録がある(はずだ)。120周年を迎えた清陵には、その120年×各年の生徒数(およそ240人)(=28800?)分の膨大な数の「清陵見聞録」があり、これはその内の1つであることに他ならない。新一年生に清陵のことを知ってもらいたい、という趣旨と同時に、120周年を迎えたにあたっての、現在の清陵をここに書き留めておきたい。
 ○清陵「登校」見聞録
                        清陵高校の最寄駅は上諏訪駅である。およそ20分で学校に到着する岐路は決して1つではない。オーキドが有無を言わさず序盤から3つの選択肢を提示してくるが如くに分岐ルートは駅から歩いてすぐに現れる。3匹の(コンビニ)ポケモンにあてはめるのであれば、多分「ローソン・セブン・デイリー」だ。おそらく、セブンは初代で言うヒトカゲポジション(人気)で、デイリーは金銀のチコリータ(マイナー)だろう。諏実生と共に右の道を歩んでいくと、デイリーを抜け、小ビル群が日陰を演出してくれるマイナールートになる。横断歩道を闊歩し王  道  を  往  くメインストリートに出ると通学や通勤する人々が行きかっている。総じて月曜日の朝はみな顔が死んでいる。人が多いので、BOCCHI(通称 ぼっち)には辛い道だ。このメインストリートを左に左にと進んでいくと、二葉生が大半を占めるローソンルートとなる。地方裁判所がローソンルートの出発地点だ。裁判所がスタートって、何か嫌だ。メインストリートをそのまま行くとセブンイレブンがある。かつては清陵を下った坂の目の前にファミリーマートがあったが無念にも潰れてしまった。清陵祭の時は写真なんかをバシャバシャと撮ってくれていたらしい。メインストリートは端艇部が遅刻を免れようと必死に自転車を漕ぎあげるコースでもあるので、是非とも事故には注意していただきたい。
以上が、上諏訪駅から清陵に辿り着くコースの全貌である。知る人ぞ知るカフェや施設も多くあるので、たまには、気分で道を変えたり、ふらっとカフェに寄ったり↖すわ(あげすわ)にいってみるのも良いかもしれない。
 ○清陵「文・理・武」見聞録
 清陵と言えばSSHなど理数系を主に推進しているイメージがあるが、文系のことを忘れてはいけない。書道部やカルタ部、英検1級所持者や芸術系コンクールの入賞者など、長い校歌の物々しい文学じみた雰囲気に引けをとらない「文」の力が清陵を支えてきたといっても過言ではないだろう。弁論の風潮を形作った「討論会」等がその最たる例だ。諏訪人は口が立つという偏見は、もしかしたら偏見ではないのかもしれない。とはいえ、理系分野もここに紹介しないわけにもいかない。SSHでは課題探究や、アラスカ海外研修もある。オーロラを見てきた友人はこう言った。「虹の質感がぼんやり空に投影されて揺らめいていた…(キリッ)あとカップラーメンめちゃくちゃ美味しかった…」と。
オーロラを待つコテージでは約100円でカップラーメンが食べられたらしい。友人はアメリカでの食事についても日本の値段で10倍ほどの値段の量を食べられる食品などに感動し「10倍だぞ10倍!!」と下手にはしゃいでいたそうだ。(※ちなみに「10倍だぞ10倍!」というのはスラングで、元新日本プロレス所属の小島聡選手は、タッグパートナーである天山選手とのタッグワークについて「1+1=2じゃないぞ。俺たちは1+1で200だ。10倍だぞ10倍!!」とコメントしたところから起因する。実にいろいろな意味で間違っている)
更に更に、科学の甲子園や、三澤勝衛などにまだまだ清陵の「理」を掘り下げることもできそうだが、そうすると今度は体育会系の輩に文句をつけられそうだ。陸上部やソフトテニス部、端艇部など、近年多くの部がインターハイ・全国大会に進み、野球部を筆頭にサッカー・バスケ・ハンドなども県下で力を伸ばしつつある。その肉体美は清陵祭にて、目に余るほど見ることが出来るが、男子の上裸が目に余りすぎて大して清陵では上裸程度で騒がなくもなった。以上が清陵の理系文系体育会系の生態である。
 ○地方会の噂録
清陵には少し前まで「地方会」というものがあった。もっと昔は「試胆会」という名前だった。「山浦独哲歩歩会(やまうらどてぽっぽかい)」なんかが有名だ。ざっくり説明すると、出身中学ごとに清陵生が親睦を深めたり、新入生に清陵のことを教えるといったものだ。実際は、そのまとまりごとの地方会劇(今でいう談論会、仮装コン)が主な思い出になるらしいが…(笑)今の清陵生は完全に地方会を経験していない世代なので、兄姉やOBに話を聞く以外はその情報は全く以て知りえない。数年前に、地方会にある問題が起こり、学友会を中心に議論が巻き起こり、地方会は解散となる運びとなった。(この事件を知りたい方は、詳しくは清陵の図書館に入ってすぐ左の黒いファイルをどうぞ)解散を惜しむ声もあり、会誌「清陵」(第65号)には「地方会はまだ死んでいない」という、有志の強い意志が込められた文さえ残っている。確かに地方会は解散したが、地方会を知る者が残る限りは「地方会は死なない」という意味だろう。だから私はあえてここに、これから本当に消滅していくであろう地方会の断片を噂話程度にでも残しておきたいと思う。
地方会のエピソードを1つ紹介しよう。面白エピソードとして。最初に言っておきたいのが、あくまで噂であるということだ。噂だよ、噂(はぁと)今では剣道部が使っている剣道場に、出身中学ごとに新入生が集まる。剣道場は真っ暗。野々村議員の今後よりも、松崎しげるよりも真っ暗だ。(相当真っ暗)
先輩が「座って座って♪(ニコニコ)」と快く新入生を座るように促す。
新入生は勿論座るが、5秒後に熱い掌返しが待っている。
「なに座ってんだテメェ!!!」
「!?!?!?!?!?!?」
当然の驚愕だ。
先輩「座布団さんにちゃんと挨拶してから座れよ!」
訳が分からない。そうして1年生が「座布団さん…座っていいですか?」と言って座ると
「イタッイタタタッ(裏声)」という先輩のあからさまな裏声が響き渡る。吉本新喜劇かな?
他の先輩に「おい!座布団さんが痛がってるじゃねえか!座布団さんにはちゃんとした名前があるんだよ!いいか…よく聞け…○○○○○さんだ!」と言われる。ここで鬼門になるのが、この○○○○○に入る名前だ。この○○○○○には、「すごいよ!マサルさん」で出てくるチョチョリーナマッコソブレソエスボグリバンバーベーコンさんやピカソの本名、世界一長い駅名ランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホなど、様々なメチャ長い名前が入る。どうして覚えているんだ。先輩たちは、それらをみな無駄に完璧に暗記している。そのあとは、目の前で漫才を見せられたり、緑色のカレーを食ったりしたらしい。それが終わると、もともと顔見知りであることもあり、先輩が後輩を家に誘ってモンハンやマリオカートなどをして遊んだらしい。
いわゆる「合格お祝い会」みたいなノリである。そうして、清陵の奇特な雰囲気に、新入生は溶け込んでいった(らしい)。しかしこれがあったのは2013年までの話であり、今はもう、ない。先輩と後輩の関係の作り方も変わってきている。それと、もう1つの噂が、この儀式を経験した数多の先輩が、日本各地に飛び立っていき、新刊コンパで地方会の血を滾らせ、他校の出身者に猛威を振るっているということだ。他校の生徒がなんだかいたたまれない。
今は新入生歓迎会や部活紹介があり、清陵の風潮に出会う機会が失われているわけではない。それに、新歓もなかなかにハードだ。きっと、新歓のパフォーマンスや、大体育館から棟に入るまでに貰う(押し付けられる)ビラとお菓子の数に驚愕することだろう。
最後に、もう1つ言えることが、やはり話というのは光の部分だけでなく闇の部分があった方が面白いということである。
 ○学友会室
学友会室を掃除する機会があって、パソコンの周りを掃除していたら、筆で手書きの古ぼけた一枚の紙が出てきた。そこには達筆で古風な書体でこう書かれていた。
 「1年次、清水ヶ丘に対し尊大な憧憬を抱く頃。祭りの奇特に惹かれ、先達の燦爛、蒼然なる壮大に心躍らす。
2年次、中枢に成り、斯業に尽くす。此処の限界を垣間見ゆ頃。進退両難の末、跡を残し政を退き、清濁に思惟う後に悟る。
3年次、新天地を手繰るように机に身を縫い付ける頃。床虫から怪鳥に成り、天竜として昇るまで、輩に鉄槌を翳した後、普遍不易の諸事万端を四方八方に託す。」
 なんだこの漢字の多い文は!というのが第一印象だった。この意味は自分には正確には理解しかねたが、学友会役員も、特に三役は人一倍に、清陵に悩んでいるんだなぁということは伝わってきた。誰か解読頼ム。
 ○「清陵祭」見聞録
【アーチ】
清陵祭では、看板名物として「アーチ」なるものが毎回作られる。「アーチ小委員会」というものまで設立され、委員会内でTシャツを作るほどの団結ぶりが存在する。清陵祭に向けて、生徒玄関前の階段と入り口間のスペースに、ワラと木材で基本構造を組み、杉の枝で全体を覆うという伝統的な方法で、高さ3mものアーチの完成を目指す。完全植物性で、火をくべるとよく燃える。これほどまでにネイチャーな文化祭の歓迎門があるだろうか。そしてなんといっても、その完成には常軌を逸する地道な作業と膨大な時間を要する。木材でアーチの枠組みを組むところなら、アーチ委員会の筋肉野郎たちが、上腕二頭筋を駆使して木材を、えいやこらと持ち上げ、派手に作業を進めるが、その先はなんともまた地味である。完成した枠組みにワラをかぶせ、そのワラの間に一本一本丁寧に枝を差し込んでいく。1人何千本、計何万本をさすのかは想像もしたくないが、放課後枝を指すことに青春をささげる高校生が、この世に存在していると思うだけで胸が締め付けられる思いがする。アーチ小委員会の労働力を懸念して、自ら手伝うものもいれば、作業中のアーチ委員会が、何くわぬ顔でアーチをくぐりぬけ帰宅しようとする輩を、あの手この手で労働力の一部に取り込もうとする。一緒に帰ろうとした友人から「ツカマッタ アーチ サキニイケ」とのメールが入ったときには本当にいたたまれなくなる。自分は速効で帰る。ブルータスじゃない、これも戦略だ。そうして、数多の労働力と時間を費やしてアーチは完成する。清陵祭に訪れると待ち構えている深緑のオブジェクト「アーチ」。もっと作るのが簡単なアーチにすればいいのにとも思ってしまうが、アーチを完成させた清陵生は声高にそれを否定する。それが「なぜ」なのかは、アーチ小委員会という団体に所属してみなければ分からないだろう。
ただ1つ言えることは、アーチ小委員会に入った友人が、最初は効率の悪さに愚痴をこぼしていたものの、アーチを完成させた後には「これは続けるべきだ」とスッキリした顔で話していたということだけである。理系からすれば唾棄すべき「非効率」を、厭わずして作り上げたアーチから彼らが得たものとは一体どんなに大きいものなのだろうか。それは、やらない者にとって、知る由はない。
【髪染め】
 文化祭シーズンに近づいてくると、剽軽な清陵生から我先にと、自らの頭髪の色を金やら赤やらに変色させていく。きっと神は「なにものにも染まらないでほしい」と、人類の中でも、特にアジア方面にあらましを懸けて、我々の頭髪の色を最も色素の強い「黒」にされたに違いない。ところがどっこい、清陵生は神の願いさえも無下にしていく。(おそらく願いに背いた罪が「ハゲる」という現象なのだろうと私は推測する。この説に従えば某物理教師も昔はイケイケの金髪だったのかもしれない)そして、例年の事ではあるが、これはまだ第一工程に過ぎない。
金色(こんじき)になった髪は三日後には夕日を湛えたような赤に染まっていることも、はたまた、かき氷の抹茶のシロップのような緑にメタモルフォーゼしていることもあるからである。イナズマイレブンやごちうさ(こころぴょんぴょん)のような現実にあるまじき髪色も、現実に確かに存在してしまう。そんなようなとめどない進化を繰り返し、まるで「派手な頭髪信号機」のように髪色を変えながら、清陵祭に向けて各々が調整をしていく。アスリートかよ。
しかし、そのようなザ・ヒャッハー☆世紀末パレードを甘んじて見守るような教師陣ではない。根はまじめな生徒が頭髪を厳しく注意された挙句には、背徳感によって剃髪を余儀なくされ、見事な丸坊主になって反省の意を露わにする例も少なくない。
その様子はまるで、古典における出家そのものであり、葛藤の末に、剃髪(出家)という道を選んだ、源氏物語などの登場人物の覚悟が現代に生き写しになったようで、なんだか感慨深い。(少なくとも、現代に男連中に出家を例えられる紫式部には大変申し訳ない)そんな戦いを経て、清陵祭は毎年やってくる。
 【コンテスト】
 なんといっても清陵の一大イベントと言えば清陵祭である。各々が捻りに捻った出し物や芸を清陵生やお客さん披露する文化の交流場だ。中でもコンテストが熱い。「仮装コンテスト」や「美女コンテスト」など様々なコンテストが存在する。談論会も優劣はないものの、各自の漫才や芸の披露の場となっている。「清陵は一発ギャグが好きだという印象だ」そう新任教師に語らせるまでに清陵はネタ・ギャグを好む。伝統である「シーコール」はこの風潮から生まれた。今では総会で静かにさせるときなど広く用いられているが、一説には、元々は地方会劇で絶対零度のギャグを放った者に対して「黙れ・ひっこめ」の意味で使われていたらしい。「仮装コンテスト」の中でも多様される。「仮装」とはいうものの、主に劇風のストーリーコメディである。仮装コンテストに向けて、各部活などで結束し、入念なネタ合わせが行われる。雑な打ち合わせをした所でも、本番でアドリブが出て結構面白かったりするのも醍醐味の1つだ。
【FS・ラクガキ】
 清陵祭のファイアーストームの際には、部活同士でまとまり、要らない白Tシャツを着て、曲に乗せて踊りまくり泥にまみれまくる。これは、よくある高校にもある青春っぽいファイアーストームの光景でもある。しかし、清陵の闇がこの「白Tシャツ」に潜んで居る。「白Tシャツ」には部活の先輩が有難くも書いてくださった数々のラクガキ(画材がスプレーの為とてもシンナーくさい)がある。そこには、どこから流出したかも分からない好きな人の名前や、性癖やら適当な隠(イン)語やらがこれ見よがしにと書かれている。もうその様子は世紀末さながらで、ここに書いてみるなどする他、ネタとしなければ救いようがない。いつもは優しい先輩の、いつにもなく剽軽な一面。ピュアだと思ってた人が過度の下ネタをするのはやめてほしい。とはいうものの、私自身も心の底では、あ、やっぱりこの人も清陵生なんだな、と得心してしまうのである。
【清陵祭が終われば】
清陵祭で一番胸に残るシーン、FS後の登壇(鉄パイプで組まれた壇上に上がって告白をしたり、清陵への思いをぶちまけるなど、全校を前に語りかける)や、燃え上がる炎を囲んでの「このひ」(もはやいわずもがな)などがあるが、これらはあえてここに詳しく触れずにおきたいと思う。こればかりは、自分の目で見て、本物に触れて、清陵を味わってほしい。
 清陵祭が終わると、端艇大会やクラスマッチがやってくる。端艇大会は雨が降ることに定評があるが、是非、この独特な大会を楽しんでほしい。3年生は受験シーズンだ。こうして冬が訪れ、会長選挙などがあり、また春が巡って、3年生は次のステージへ進み、清陵に合格した新しい新入生が入ってくる。    
こうして清陵の一年はまた繰り返され、伝統は積み重なっていく。
   ~ 清陵見聞録 2015年 終~
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bbibon · 8 years
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校長先生のパラドックス
反骨精神がある中で 「意見をしろ!反論しろ!」と言われても 「意見をしない」こと自体が反論だから 結果として意見が出ない。
Twitterバージョン→https://twitter.com/bibonbiban/status/706296614361534464
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bbibon · 8 years
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ももたろう Ver.清陵
むかしむかし、あるところに ガチムチのおばあさんと、山に登るのが大好きなおじいさんがいました。 おばあさんは「ネタじゃん」と呟きながら高志館に、おじいさんは登山リュックを携えて山へ柴刈りにいきました。 柴を刈っていると、元光る柴なむ一筋ありけり、そんでもっておじいさんは躊躇なくその柴を刈り取りました。 するとなんということでしょう。刈り取った柴はみるみる内に人の姿に形を変えていきました。おじいさんは、柴から生まれた男の子を、柴から生まれた柴太郎と名付け大切に育てました。 (柴太郎か柴田郎か迷いましたが、原作に倣い柴太郎にしました。) 柴太郎はすくすくと育ちましたが、おじいさんの持っていたニンテンドー64が原因で、ゲームの世界にのめり込んでいきました(主に任天堂)。ある日、柴太郎がポケットモンスターX(任天堂)で夢特性メレシーを探し当てるために群れに「なみのり」を撃ちまくっていると、突然地響きが。どうやら村では鬼が暴れ回っているようで、ゲームに集中できません。柴太郎は鬼を倒すことを決意。親玉のいる鬼ヶ島を目指すことにしました。 おじいさんとおばあさんからきびだんごを貰い、道を歩いていると書道部のジャージを来た犬が歩いてきました。きびだんごは当然のように食べましたが、仲間になる条件としてスマブラで勝利することを付け加えてきました。柴太郎は生粋のスマブラー。ストック3-0で柴太郎が勝利しました。犬はリベンジを誓い、林の中に消えていきました。 また少し歩いていくと、今度は走り回っている猿を見つけました。服には「ぬ養園」の刺繍があります。最初はきびだんごに興味を示しませんでしたが、「プロテインが入ってるよ」と言われるや否や、仲間になることを承諾しました。 また少し歩いていくと、大人びたコートを纏ったキジが「地方消滅」の本を読んでいました。キジの方は、きびだんごの代わりに可愛い女子のLINEを渡した結果、すぐに仲間になってくれました。 また少し歩いていくと、犬がリベンジしにやってきました。しかし、柴太郎のゲームプレイの前に敢え無く撃沈。落ち込んでいる犬のスマホの閲覧履歴を見たところ、 「 【 スマブラ 強くなる 】[検索]」 という履歴があり、なんか可愛かったので無条件で仲間にしました。 そんなこんなで鬼ヶ島に辿り着くと、ツッコミの鋭さに定評のある鬼の親玉が待ち構えていました。当然のように始まるスマブラバトル。勝負は拮抗、日をまたいで何百という大乱闘が行われ、七日目の朝、遂に柴太郎が勝利が決まりました。決め手がドンキーの投げハメだったので「それずるいよな」と鬼は悔しがっていました。 鬼は顔を真っ赤にしながら今後悪さをしないことを約束し、村に平和が訪れました。 その後は、暇な時間を見つけては皆でゲームをして、なんやかんやで仲良く過ごしましたとさ。めでたしめでたし。
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bbibon · 8 years
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地方会についての追記
本当は会誌などにに投稿するのが一番いいとは思ったんだけど、もう今年の会誌も締め切ってしまったようなので機会があってここに投稿しました。
勿論、清陵を正当化しようなんてつもりで書いた文じゃない。清陵に対して、疑念の声を持ち合わせている人だっている。 しかし、清陵に疑念の声を発する人が居なかったら清陵は前には進まない。 清陵を認めて好きとする正の力と、清陵に足りない部分を悪として批判する部分、その正負の力関係がなければ清陵は発展することもない。 認め続けていれば、現状の清陵に満足してしまうし、そのままだと「停滞」という状況に着地しそうだから書いた。
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bbibon · 8 years
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英会話における前提(メモ)
私が英語をしゃべる場面を想定する時。 もし日本語で言えるんだったら最初に言っておきたいランキング第1位が「あんまり上手く英語しゃべれないと思うんですけど…」です。 なるべく保険をかけておきたい心理と、相手に「おーけーおーけー」って言ってもらって会話の場をちょっぴり和ませる算段がここに含まれています。 それについての紹介。
さてここで。自分に対してネガティブな部分を取り上げて言うことはあまりしないのが米国では普通なので、「英語が苦手」ということをいうにしても、 「英語はあまり上手くないけれど、分かってもらえてると良いのだけど・・(My English is not good but hope you understand me) (照れ笑い)」のような感じにしておくと、ちょっと好感の持てる感じで良いのではないかと思います。
もっと真面目に言いたい場合には、「英語が下手だけれど、ご迷惑をかけなければ良いと思っています」 の My English is not good but hope it doesn’t cause any toruble.でも良いと思います。
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bbibon · 8 years
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上層からの司令(メモ)
これは委員会を含めた全ての組織に 対して言えることなんだけど…
上層からの司令、 そこに込められた願いはストレートに伝わることはない。 その政策、魂胆、意義は伝わるものの 途中経過で少なからず歪み、 形を保つことがないまま 最終的には 批判が出てしまうような形で その政策を投じたい当事者に伝わるのが現状であり、改善もとても難しい。
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