中川学新刊『すべりこみ母親孝行』発売記念特別対談 「田房永子さんに親孝行のこと訊いてみました」
――中川学さんが『すべりこみ母親孝行』という新刊を発売されました。もともと「ウェブ平凡」という平凡社のウェブサイトで「親孝行」をテーマにした漫画の連載をしていただいていて、そこでの原稿とともに書き下ろし原稿を加えてまとめた本です。田房さんは、中川さんの前作『探さないでください』(2016年、平凡社)やこれまでの著書をご覧いただいていると伺いまして、ぜひお話をお訊きできればと思いました。今回は、これまでの著書(『僕にはまだ友だちがいない』や『くも漫。』など)のテーマとは異なり、「親孝行」という新しいテーマに取り組まれています。まず、お読みいただいていかがでしたか。
たくさん感情が出てくる、私にとってすごく不思議な漫画。
田房:コマ割のテンポとかがすごく面白くて、今回もたくさん笑いました。いきなり太るところ(第4話「帰省」の29頁4コマ目)、超かわいい。「スーン」という音の表現とかも、すごく好きです。おかしくて笑いながら読むんだけど、母親に湿布を貼るところ(第4話「帰省」の34-35頁)でむせび泣いちゃいました。
一方で、女の人だと「すべりこみ母親孝行」のような形のピュアな母親孝行にはならないんじゃないかなと思いながら読んだり、でもどうだろう? とか、中川さんの漫画はいつもいろいろな視点を持たせてくれます。
中川:男の人と女の人で捉え方、読み方が違ったりするんですかね。
田房:そういう感じがします。中川さんの『くも漫。』(2015年、リイド社)は、自分が風俗に行っていることをお母さんが知ったら悲しむ、というのがお話の軸になっていますよね。でも、私は、「母親って、成人した息子が風俗に行っていても、そんなにショックじゃないんじゃないかな」って思いながら読んでいました。
女の人は、だんだん年を取ってくると、母親のことを具体的に理解せざるを得ないことがあると思う。特に性とか性欲とか、その部分をリアルに体感することがあると思うんですよね。自分がその年になってみて、「あ、私が小学生の頃、お母さんて性欲あったんだな」とか「セックスとかスケベなこと考えたりすることがあったんだな」って、わざわざ誰かに確認しなくても分かるんですよ。
中川:「お母さん」が読んだり、「お父さん」が読むとまた違ったりするんでしょうね。
田房:息子がいるので、時には、母目線でも読みました。息子はまだ2歳にならなくて、あまりおしゃべりしないし、滑り台を100回くらいめっちゃ笑顔で滑るのが趣味みたいな感じなんですけど、もし、息子が大人になった時、こんなにがんばって「お母さんが死ぬ時に自分のいいところを思い出してほしい」って理由で、雪かきとかやってくれたら……と想像したら涙があふれました。
でも、『娘』としては「えー、男の人ってこんなにピュアにお母さんとつきあえるんだ」という嫉妬というかやっかみもある。でも『母親』としては「息子がこんなことしてくれたら、きっと嬉しいだろうな、素敵!」というのもあるし、私にとってすごく不思議な漫画でした。
毒親って「あ、これ土に毒が入っているんだ!」みたいな感覚です。
中川:「毒親」の話、薄かったですよね?
田房:そんなことないですよ(笑)。「毒親って言葉がピンとこない人」の気持ちが分かりやすく書いてあって、面白かったです。
中川:漫画では自分で勝手にうちの母の毒を「10を満点としたら5くらい」って書いたんですけれど、昔は7ぐらいだったなって、それがだんだん5になってきた。昔は毒が強かったなっていう気がして。それがなんで5に変化したかっていうのを考えたときに、――僕、失踪しているんですよね。大学を卒業したあと。先生をしていたのですが、その職責で病んでしまって逃げた。それで家に帰ったとき、本当に母が変わっていた。
田房:どう変わったんですか?
中川:うちの母の毒のタイプはたぶん「過干渉」だと思うんですよ。僕の失踪後は、なるべく干渉しないようにという努力が見えて。
うちの父は、お酒好きで、正直アル中ギリギリぐらいの感じだったんですけれども。「何もしない」という意味では、相当な毒親で、もしかしたら、8ぐらいだったかもしれない。でも、父も帰って来てから変わって。腹を割って話すようになりましたし、教育書も読んでいるようで……、母が干渉しようとしたら「お前、それ言うんか」ってただしてくれるようになった。
田房:たぶんその時の中川さんの失踪って、親への反抗というか、親の態度に対して「ちょっと違う、改めて欲しい」というアクションでもあったと思うんです。無意識でも。例えば失踪とか家出とか引きこもりとか方法は違っても、親へのメッセージがあったりすると思うんです。それが、親が子どもの気持ちを分かるきっかけになっている。そこで親が気づいてくれて、関係が再構築されるっていうのは、とても実りのあることなんですよ。
私の場合は、「お母さんのことがいやだ」と家出をしているのに、「それを取り消せ」って電話がかかってきたりする。
中川:それはなかなかですよね……。自分の親が毒親だと思ったきっかけはなんでした?
田房:うーん、小さいころから「激しい人だな」とは思っていました。
中川:違和感はずっとあった?
田房:うん。「なんだ、この人は?」みたいな。でも、情が深すぎて、干渉しちゃうのかなと思っていて。「私のことを愛しているからだ」と思っていたし、そういう部分もあると思うんですよ。だから、自分は全然愛されていなかったとか、そういうのは、私はあんまりなくて、それよりも会話が何か上手くいかないな、みたいな感じですね。
とにかく母は子どもである私に依存していて、自分を肯定してもらえないとすごく傷つくんですね。いやと言ってもわからないし、そもそも一方通行で会話にならない。だから、この人とはもう話しても仕方がないから「逃げるしかない」という状況になって。失踪レベルまではいかないですが、家出はしました。
中川:でも、全く変わらない……。
田房:例えば、中川さんのように先生をしていて失踪したとしても、親が「そんなにつらいわけない!」と認めなかったり、「ほら、学校に説明しておいてあげたから、明日からまた先生として通いなさい!」とか言われたら、「この人の言動が自分の人生にとっての毒になってるんだ・・・」と思わざるを得なくなりますよね……。
中川:それをやられたら相当キツいですね……。
田房:自分の親を「毒親」って呼ばざるを得ない人たちは、そういう感じなんですよ。
中川さんのお母さんは、帰ってきた時、「生きてれば良いよ」って言ってくれましたよね。その後の態度も改まった。そういうのがやっぱり子どもにとっては納得できるんだと思う。 毒になる行動をすること自体もよくないんだけど、子どもが「こういうのはいやなんだ」と主張したときに、親がそれをわかってくれるかが肝なんです。それって、土が豊かってことなんです。最初はちょっと荒れてても、耕せばちゃんと穂が実る。
「毒親」と呼ぶ人たちの親は、そこで逆ギレしたり、さらにひどくなったりする。つまり、土をどんなにがんばって耕して、努力していい種を植えて肥料を与えても、まったく育たない。むしろどんどん悪くなってく。「なんで私の稲はこんなに実らないんだろう?」という辛さがある。それで、ある時、「私の土には毒が入っているんだ!」と気づく感じです。
わざわざ親孝行しようとは思わないですけれども。全然。
中川:父はもう亡くなってしまいまして。父に全然親孝行できなかったこともあって――これは自分のエゴなんですけれども、親孝行をしたら自分が満足するというか、後悔しないかなと、それで今回、親孝行というものをしてみたんですけど。
田房さんは、近著『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(2018年、河出書房新社)で、少しだけご両親と近づくところがあるじゃないですか。ちょっと田房さんのことを気遣っていたりとか、そういうのがあって。
田房:ああ、そうですね。
中川:「長年の確執の第一章が終わったかもしれない」みたいな感じに書かれていて。そのあともう一回会ったともうかがって。今後ご両親と近づいて、たとえば「親孝行」的なことをやる可能性ってどれぐらいあるのか、とか、もしあるとしたらどんなことをしたいのかな、とかお訊きしたいです。
田房:娘が生まれてから「第一章が終わった」と感じたことがあったのですが、その後、「やっぱり無理だ」となって会うのをやめていました。ですが、息子が2年前に生まれ、ものすごく自分が変化したんです。それまでは、お父さんとお母さんがどういう出方をしてくるかに注目していて、どう防御するか、という考え方だったんですね。でも、今では、私の方が強くなりました。
中川:おおー。
田房:別に頼る必要がないし、怖くないって思えるようになったんです。もし親が家に押しかけてきたら警察呼べるし、みたいな。実際に呼ばなくても、そういう手段を知っている、みたいな。こういう漫画を出してから、毒親を持つ人といっぱい会うようになって、情報交換もして……平気になっていきました。
でも、わざわざ親孝行しようとは思わないですけれども、全然。たぶん生きているだけで親孝行だから。
中川:でも、会えるようにはなった。
田房:年に何回か、子どもの誕生日とかには会っていますね。でも、旅行は無理です。親と一緒に旅行は行けないですね、長時間一緒にいるとすごく疲れるから(笑)。
母と息子が一番、特殊な気がします。
――田房さんは作品のなかで、毒親であることに一生気づかない人と気づく人がいるというお話がありました。気づかない人というのは、男性が多いのでしょうか。
田房:女の人は「いや」なことは「いや」と感覚的に察知していると思います。その点、男の人は「弱音を吐いちゃいけない」と育てられているような気がしますし、基本的に「男性は母親をぼろくそに言えない」とも思います。
中川:なるほど。
田房:女の人は、「ひどい父親」だとぼろくそに言える。ひどい母親のことも言える。男の人は、ひどいお父さんのことをぼろくそに言う人はいるけど、ひどいお母さんのことを言える人はかなり少ない気がします。
娘と父母、息子と父母の関係だと、このなかでは「息子と母親」がいちばん特殊な感じがします。私のイベントとかで「うちも母親が毒なんです」って話しかけてくれる男性は、女性より圧倒的に少ないんですが、彼らは庇いながら話すんです。お母さんのこと。
話を聞いて私が「それはひどいですね!」と言うと、女性は「ですよねー!田房さんと話せてよかったですー!」ってテンションぶち上がって楽しくなるんですが、男性は「……」みたいな感じで「ひどいんですけどまあ…僕のことを愛してはくれているので…」みたいになるんです(笑)。
中川:ほおー。
田房:だから、中川さんのケースは、失踪というアクションがあって、それがきっかけになって、毒に気が付きつつも、お互い歩み寄った末に親孝行をする、という温かみのある話になっていて、実りを実感しました。「息子と母親」という関係に私は今そこにすごく興味があるので、本当に読めてよかったです! ありがとうございました。(2019年2月 平凡社にて)
田房永子(たぶさ・えいこ) 1978年東京都生まれ。2000年雑誌「マンガエフ」にて漫画家デビュー。翌年第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。コミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を2012年に刊行し、ベストセラーに。主な著書に『ママだって、人間』(河出書房新社)、『呪詛抜きダイエット』(大和書房)、『それでも親子でいなきゃいけないの?』(秋田書店)、『キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』(竹書房)、『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』(河出書房新社)などがある。最新刊『他人(ひと)のセックスを見ながら考えた』(ちくま文庫)が2019年2月に刊行された。
中川学(なかがわ・まなぶ) 1976年北海道生まれ。大学卒業後、小中学校の臨時教員やさまざまなアルバイトを経験。2011年、漫画家志望の若者に格安で住居を提供する「トキワ荘プロジェクト」に応募して上京する。エッセイ漫画『僕にはまだ友だちがいない』(KADOKAWA)でデビュー。NHKで実写ドラマ化される(主演:浜野謙太)。2015年、自身のくも膜下出血体験を描いた壮絶実録漫画『くも漫。』(リイド社)を発表し、のちに実写映画化される(主演:脳みそ夫)。『くも漫。』以前のエピソードとして、自身の失踪体験を描いた『探さないでください』(平凡社)がある。最新刊『すべりこみ母親孝行』(平凡社)が2019年2月に刊行された。
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ONAK
みなさん、こんにちは。
休日を利用して
ベルギーの折り紙式折りたたみカヌー ONAKを漕いできました。
ONAK
Material : ポリプロピレン
Weight : 17kg (ホイール含む)
カヌー時のサイズ:465cmx85cm
収納時サイズ : 40cmx120cmx25cm
最大積載重量:200kg~250kg
Price:¥259,200
*パドル2本付属。
ONAKはプロダクトデザイナーのOtto Van de Steeneと
エンジニアのThomas Weynの2人によって、
ベルギー第三の都市Gentに創業。
海外大手クラウドファウンディングにて資金調達を成功し、
2017年のドイツアウトドアリテーラーショーでデビューと同時に
従来の概念を覆した革新的な素材とデザインで、
インダストリーアワード賞を受賞。
現在、ベルギーのデザイン博物館に展示されています。
*本製品はあくまで静水の水面での使用を主として開発された
レジャーレクレーションカヌーです。
外海のシーカヤックや急流のホワイトウォーターカヤックなど、
荒波や急流での使用はしないでください。
シューパロ湖で進水式。
装備はARC’TERYX ALPHA FL 30 バックパックと
KLATTERMUSEN BAGGI トートバッグを使いました。
ウエアも KLATTERMUSEN 。
サイズは全てSサイズを着用しています。
ボディサイズは身長174cm胸囲100cmウエスト80cm体重68kgです。
ARC’TERYX ALPHA FL 30 ¥31,320
*Blackカラーの在庫があります。
KLATTERMUSEN BAGGI Raven Color ¥15,120
22L容量の縦長でジッパー付きのトートバッグはとっても使い勝手良いです。
KLATTERMUSEN BRAGE JACKET Raven Color ¥103,680
KLATTERMUSEN BRAGE PANT Raven Color ¥88,020
峠道も紅葉が始まりました。
湖に到着しました。
ONAKカヌーはスーツケースサイズに折りたたんで持ち運べます。
重量は17kgと軽量なカヌーです。
シューパロ湖に到着。
まずはカヌーを組み立てます。
パーツの他、フローティングロープ、救命胴衣を収納しています。
組み立てもスムースでした。
二人乗りです。
バックパックは完全防水です。
安定感抜群です。
パドルは長さ調整もできます。
ランチタイムで岸に上陸します。
船体はポリプロピレン製で丈夫です。
岩や立木などの障害物で船体に亀裂が入りこともありません。
夕張岳をバックにHELINOX TACTICAL CHEARに座ってランチタイム。
曇りでしたが、雨に降られず快適にカヌーを楽しみました。
シューズは泥だらけになってしまいましたが、
湖の水でさっと汚れを除去できます。
GORE-TEX完全防水透湿機能性シューズですので、
洗浄しても内部に水の侵入がありません。
泥のついたシューズで乗船しましたので、
ボトムに泥が付着しましたが、湖水でカヌー内部の泥を落としました。
ONAKカヌー素晴らしいカヌーです。
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愛のだんじり
5月に新調お披露目された木彫片山制作の地車。とうとう10/7,8の貝塚市のだんじり祭りで曳回しデビューするとのことで、その勇姿を目撃するべく再び名越町へ行ってまいりました。
そこで実感したのはやっぱり名越町のだんじり愛です。
5月のお披露目会の際にも
「こんなに多くの人に喜ばれ、愛されて迎えられる造形物が他にある?!」
と感じましたが、それを踏まえた上でさらに想定以上の深い愛情が名越地車には注がれていました。
【名越のだんじり愛が分かるポイント】
●だんじり通行路の電柱を撤去
今回の名越地車は先代のものよりBIGなので、お祭りの際に今まで通っていたルートだと道路上の電柱に当たってしまって通れません。だからルートを変えよう…とはならず。なんと邪魔になる電柱を隣接した私有地に移動させたんです。庭に電柱が立っているお宅をいくつも拝見しました。
だんじり祭りのために電柱を私有地内に立て直す、ということに対して名越町内で反対意見は無かったそうです。
「道に地車を合わせるんじゃなく、地車に道を合わせるんです。」
という言葉にものすごい説得力がありました。
●地車を守りたい
BIGになった地車は、保管場所も元の蔵では収まりません。当然ながら保管庫も新調されました。その保管庫も見事に片山地車に合わせた設計がなされていました。
・壁は防音、耐火使用
・地車の木材が呼吸できるよう、地車に近接する壁には吸湿剤として杉板を貼ってある。
・布の装飾品は京都産の一級品。桐のタンスと空調が完備された別室を併設。
そのほか地車の出し入れ、装飾の取り替え時に便利な仕掛けがいっぱいでした。
●地車に傷をつけたくない
だんじり祭りの夜の曳行では、地車に提灯をつけて町内を練り歩きます。提灯を付ける際には、通常ビスを使うなど地車自体に穴を開けて器具を取り付けるのが一般的です。しかし
「片山親方が魂込めた地車に穴なんて開けられない。」
として、刺し込むのではなく挟み込むタイプの金具を鉄工所に特注。さらに金具が木に食い込まないように、地車に触れる部分には全てゴムの板を張る徹底ぶりでした。
●1億以上の造形物をやり回し
今回の名越地車は木彫部分や基礎、装飾など含めて「1億5千万円じゃきかない」お値段だそうです。道路工事や保管庫の新調など、その他関連費用を含めると更に金額は上がります。だからこそ皆さんの地車に対する扱いはまるで赤子に触れるかのようなデリケートさ。器具を当てたり体がぶつかったりしないよう常に注意して扱っておられます。
しかし、お祭りの際にはそんな大事な地車をこちらが驚く勢いで引っ張り回すのです。「やりまわし」と呼ばれる、道の角をダッシュで駆け抜けるパフォーマンスは一歩間違えば横転、衝突、破損につながります。壊さないようゆっくり引き回せばいいのに…と思うのですが、
「若いモンには『やりまわしは思いっきり行け。責任はワシら(世話人会。町内の年長組織)がとる』言うとるんです。」
とのこと。
これだけ手塩にかけた芸術作品を破壊覚悟で引っ張り回す、というのはいかにも泉州らしい、粋な心意気です。
他にも紹介しきれないくらいあるんです。愛情感じるポイント。圧倒されました。愛に圧倒されることってあります?
もう私事のように嬉しくて、誰かに伝えたくなりました。もっと聞きたい!という方は…来年、一緒に名越町のだんじり祭りに行きましょう!
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