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#裾野のロッジ
yuki-tamura-studio · 1 year
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310326 · 1 year
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PROJECT NOWHERE WITH VENTURE ONWARD
PROJECT NOWHERE WITH VENTURE ONWARD
11月12日と13日に、安達太良山の裏磐梯側。千恵子が言うところの“本当の空”の山向こう側にある、沼尻高原ロッジを会場に行われたPROJECT NOWHERE WITH VENTURE ONWARDに行ってきました。 沼尻高原ロッジは、有名な登山家の田部井淳子さんが経営していたホテルで、安達太良山の裾野にあって、強力な泉質の温泉と目の前にスキー場を持ち、最近は源泉付近まで歩いて温泉に入るエクストリーム温泉など、おもしろい取り組みをしています。 田部井淳子さんというと、高校のころ何度かお話をしたことがあり、好奇心旺盛なところと、そのための努力をいとわない姿勢は、このProject…
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yukitakada · 2 years
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Lodge in Susono  |  裾野のロッジ GA HOUSES 181 PROJECT 2022
2022 / M2 Press
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Publisher: ADA EDITA Tokyo Issue date: 2022/3/22 ISBN-10: 4871406109 ISBN-13: 978-4871406109
> GA
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ボーペイサージュと音の仲間たち『 音楽とワインの夕べ』 美しい音楽と希少な自然ワインが八ヶ岳で出会う。
八ケ岳の麓・津金で、幻のワインを造るボーペイサージュが誕生して20周年、吉村順三氏の設計で世界に類を見ないホールとして誕生した八ケ岳高原音楽堂は30周年、自然がつくりだす素晴らしいワインと音を、“ 美しい風景” の中で楽しむ、特別なアニバーサリーコンサート。
2018年の初夏、まもなく20周年を迎える『ボーペイサージュ』の津金のぶどう畑を訪れた岡本英史とゆかりあるアーティストたちは、畑にそよぐ風と降り注ぐ光、大地のパワーを感じて、ボーペイサージュ=美しい風景のための音楽をつくりあげました。その楽曲は20周年を記念して制作されるCD BOOK『Waltz for BEAU PAYSAGE』(2019年春リリース予定)に収録されます。今回そのCD BOOK に参加したアーティストを迎え、ボーペイサージュの20周年を音楽と���もにお祝いする特別なコンサートを開催します。八ケ岳の裾野に広がる美しい風景が生んだ「ワインと音楽」の共演をお楽しみください。
2019年5月25日(土)14:00開場/15:00開演 会場:八ヶ岳高原音楽堂
出演 orbe / haruka nakamura(Piano, Guitar)+田辺玄(Guitar ), 森ゆに (Pano. Vocal), 坂ノ下典正(Guitar)ほか
音響 sonihouse
ワイン ボーペイサージュ ※ボーペイサージュ代表・岡本英史氏によるプレトーク開催。 14:30~14:55 ホールロビーにて。
◆ ご予約・お問い合わせ 八ケ岳高原ロッジ Tel . 0267-98-2131 長野県南佐久郡南牧村 八ヶ岳高原海の口自然郷
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kazehirakukame · 6 years
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大いなる月ごもり●破壊と再生/生と死
ひとつの枠組みにおける、ひとつの周期が終わります。この一年、縁があったすべての、あらゆる、みなさん、どうもありがとうございました。下半期、いつも以上に沈黙が長く続きましたが、来月のうちにはハワイ島で行なった自身初主催のリトリートLet’s Go Back To Zeroの報告を含め、いろいろとお伝えしていこうと思います。今回は、その前に、ukiwaのkentaroを務めているgoto kentaroの言葉を記そうと思います。今年も一年ukiwaを支えていただいて、ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。良いお年を。ぴ〜す。
明日は大晦日。二〇一七年最後の日。晦日の大将。晦日は「つごもり」とも読むらしい。月がこもる→月ごもり→つごもり。陰暦において、月が隠れるのがだいたい各月の終わりの頃だからだそう。その年その年、振り返るといろいろな過ごし方をしてきたこの師走の末、一二月三一日が母の誕生日だと知ったのは今年の一〇月三日。ハワイ島へと旅立つ六日前。東京は多摩市の役所で、申請した戸籍謄本の母の生年月日の欄を読んで知った。出生地は渋谷区。昭和三〇年生まれ。ぼくを産んだのは二九歳の時だったことになる。でも母の誕生日も出生地も、たまたま知ることになったいわばおまけの情報で、確認したかった情報の欄には今日、一二月三〇日の日付が記載されていた。今日は世に言う彼女の一周忌。去年の今日、母は亡くなったらしい。六〇歳でこの世を去ったことになる。死亡地は立川市。両親が離婚したのは、ぼくが一歳になる前だと聞かされている。それから一度も会うことも、声を聴くこともなかった。ついに、ぼくはお母さんに会うことができなかった。 幸か不幸か、超人的な記憶能力を持っていないぼくには、母の記憶がない。まったく。なのでぼくの人生にお母さんは存在していない。考えようによっては、誰もぼくの人生からいなくなっていないのに、彼女の死を知ってから、ぼくは加速度的に壊れていった。「加速度的に」と書いてある通り、一〇月の時点で、すでに今年は変化、変動、激動の年、確定だった。四月には五年半ほど連れ添った彼女と別れ、五、六月は魂の故郷だと感じているチェンマイで今主軸になりつつある内臓、感情、記憶、エネルギーのデトックスを起こすチネイザンの修行をした。誰よりも自分が困惑し、そして納得もした宇宙の計らいから、ひとりの女性と出会った。昨年末か今年の初旬からなんとなく感じていた「やってくる気がする変化」は、既にぼくを飲み込んでいた。どんどんその水かさは増し、流れははやくなっていく。水面に「HONESTY」という言葉が浮かんでいる。自分自身を生き切る。言い訳をせず、遠慮せず、揺るぎなくたゆたう。その道を、まだ足取りもおぼつかずに歩いていたぼくの前で、揺るぎない歩みを見せ、振り返って手を取り、ひっぱってくれたこの女性にぼくは恋をした。そして、ちょうどこの頃、ソウルメイトだと感じているハワイ島に住む仲間ミカ・ムーンが、腸を洗浄するコロンハイドロセラピーのクリニックを開いた。チネイザンとのコラボレーションのリトリートを一〇月に開催することにした。夏は、涼しい長野県松本市の旅館の灼熱の厨房で、汗だくになって働いた。ハワイ島からオーストラリアへと、恋路はぼくを導こうとしていた。あたらしい時代が早送りのように情緒もなく駆け足で飛び込んできている。下手な嘘のようだけれど、「New Era」という曲も作った。今年は音楽活動も本格的に始動し、他に二曲発表した。地元大宮で、小規模ながらイベントの初主催、九月には東京で初ライブも行なった。盟友annie the clumsyの依頼で、昨年亡くなった彼女の愛犬へ捧げる歌「Paradise」に参加し、天国を想って言葉をしたため、命を吹き込み、録音した。ぼくを宿し、この世に迎え入れた母の死が、これまた弾丸のように飛び込んできたのはまさにそんな時だった。 ハワイに飛び立つまで六日しかない。それまでに絶対にお墓参りに行くことをとりあえず決めた。四方八方を飛び回り、電話をかけまくった。母の死をぼくに伝えた老婦人、母の妹が数十年前に勤めていた病院、葬儀をしたのではないかと思われたとある教会、何度もかけた役所、ぼくの話を聞き、ぼくに話をたくさんしてくれたチェンマイで会ったオーストラリアに住む例の女性、ここにあげたすべての場所、ひとの電話番号に326という連番を見つけた。三月二六日はぼくの誕生日だ。ハワイでのリトリートにつけたLet’s Go Back To Zeroという名前も、名付け親に向かって引力を奏ではじめる。目を瞑れば、腹の上でカーリーが、その軽やかで破壊的なステップの力を増していく。滅多に吹き出物ができないぼくの左頬に、先々週くらいまで居座っていた百円玉大の吹き出物ができたのもこの頃。やっと母の妹と連絡が取れ、母の墓前で掌を合わせたのは一〇月八日。出国前日だった。母の妹ふたりは、待ち合わせ場所ですぐにぼくが甥だとわかったようだった。ぼくと瓜ふたつだと、チェンマイで父が笑われたのは記憶にあたらしい。しかし、ぼくの目は母にそっくりらしい。考えたこともなかったが、あなたのお父さんはあなたを見て、あなたのお母さんを思い出していたのかもしれないね。オーストラリアでそう言われて、ハッとすることをこの時ぼくはまだ知らない。ぼくは笑っていた。でももうぼくは自分が誰なのかわからなくなっていた、そんな気がする。対象も曖昧なままに、実感がないという状態だけで日常が構成され、それでも運命の引力がぼくの行くべき道へと連れていってくれる。そのことに気づかずにただ甘えていた、そんな状態だったといま振り返って思う。 ホノルルの入国審査で引っかかる。別室に連れていかれたのは、実ははじめてだった。根掘り葉掘り、関係のなさそうなもろもろの関係までも一通り聞き出したあと、走ればギリギリ乗継ぎ便に間に合う頃に放り出された。右往左往したあげく、無事に搭乗し汗だくでシートベルトを締めた。イミグレの不安感がはじまりだったのか、母の死の知らせがはじまりだったのか、ハワイ島のダイナミックなエネルギーの歓迎だったのか、いまでもわからないけれど、着いた日から、こころの奥底がずっとそわそわしていた。タンクトップ、海パン、ビーサン姿になっても、だらけて椅子に腰掛けても、床に寝転んでも、身体の喜ぶものを口にしても、ウォームポンドに抱かれても、波に弄ばれても、何をしても、どこにいても、どれだけ充実していても、楽しんでいても、喜んでいても、笑っていても、なにも食べなくても、奥の方がずっとそわそわしていた。そのせいか、何度海に入っても身体が浮かなかった。「古い自分は変化に抗う、その力みかもしれないよ」とケイコ・フォレストは言った。ミカ・ムーンとは、色々な話をした。でも彼女は共有した沈黙の中で、しずかに、それこそ月を思わせる空気をまとい、その空気でぼくを慰めてくれていた気がする。カーティスはいつも笑っていた。笑っていなくても笑っていた。ハワイアンの魂でハグしてくれていた。五日間の断食を含む七日間の小腸と大腸のクレンズ、その後二十一日間の全臓器デトックスをして、身体の中が軽く、空っぽに近づいていく。不安にかられる日が続いたり、活力が湧いたり、食べるよろこびを改めて確認したり、自分の手、その仕事、役割にうなったり、うならされたり、うなされたり、濃厚なひとつきだった。Let’s Go Back To Zeroの一週間、父、伯母ふたり、伯父ひとりが訪ねてきた一週間、そして女神たちの旅のお供をすることになった最後の一週間については、また別の機会に詳しく書くことにする。この期間にあったすべてのひとに、本当に感謝しています。MAHALO。ありがとう。 ハワイ島に着いてからちょうど一ヶ月後の一一月九日の夜、ホノルル空港のベンチで夜をこした。早朝のフライトでシドニーへ、そしてそれからメルボルンへ。不思議な運命が、まだまだぼくを休ませてくれない。古き悪しきLAZINESSとの決別を腹に、素朴で確かで湧き出る恋心が夢見るABUNDANCEとPLAYFULNESSを胸に、南半球へ。常夏のハワイよりもジリジリと暑いオーストラリアの太陽は、ぼくを徹底的にかわいがった。着いて二、三日しか経っていない頃に、樹から落ちて腰を痛めた。それ以外にも様々な予想外に困惑した。どうにかなると思っていたことが、どうにもどうにもならない。落ちつづける恋の谷すがら、その実らなさ加減と落下速度の上昇が化学反応を起こしていく。ぼくはどんどんと壊れていく。壊れていっていると肌感覚で濃厚に、決定的に感じたある日、DEPRESSIONを受け入れたことで随分と楽になった。立ち位置や見る角度をあらため、翻訳につぐ翻訳をこころみたその果てで、実りと輝きを見続ける暮らしを全自動でしていたぼくは、腐敗とぬかるみのにぶい光のかげりの祝福と出会った。HONESTYがこだまする。頑丈な透明の仮面が、その鎧が砕けていく音がした。錨をはずし、帆を張って、しかし舵輪には手をつけない。そんな不確かな航海の不安定さが、この上なく不安で不快で時には腹立たしく、悲しい、しかし同時に心地がいい。なにもかもわけがわからないようだけれど、霧だか霞だか靄だか判別のつかないその膜が、薄まっていくのだけがわかる。それはとてもゆっくりとだけれど。メルボルンでの三人暮らし五週間の日々の街の静けさを思い出す。同居人のオーストラリア人男性ジェイコブと歩いた国立公園の暗闇の森、ヤラ・リヴァー沿いの漆黒のトレイルを思い出す。メルボルンを発つ前日に入った小さく、狭いスウェット・ロッジの入口であり出口である幕を閉めた瞬間に、純粋な暗がりの中で拡張した広大な闇の、その四次元性を思い出す。なにを聞かれても、おもしろいほどに明快な答えを出せない自分のうろたえとその根元にあった星なき宇宙を思い出す。見えない知らない世界が、つまり、あたらしいようでいにしえの大元の自分が、PRIMITIVE FUTUREがそこにいたことを思い出す。 帰国した冬の日本では、寒波に殴られた。どこも落ち着くし、どこも落ち着かない。旅のあとにいつもある、あの違和感も違和感がある。外だけではなく、内にも感じられること。ハワイ島で探すことを約束してくれたものが見つかっていた。父がその存在を一度も口にしてこなかった結婚式のビデオがDVDに焼いてあった。彼とぼくのお母さんの結婚式のビデオ。ふわふわとそわそわの境界で、生まれてはじめて動いている母親を見た。緊張しているからだけでなく、そもそももともと緊張しいなのが荒い画質の画面越しにわかる。「誓います」「目がよかった」の二言くらいしかまともに発していない彼女の、その声にこころが落ち着く。そして、そのことになにより驚き、動揺した。呼吸は浅く、心臓は急いでいる。記憶の中に微塵も存在しない母親の声に、はっきりと聞き覚えがある。ぼくがぼくにわからないように隠してしまった記憶があることを知った。ぼくのどこかに母はいる。そのころのぼくも。母の死を知ったことで、母はぼくの人生に初登場という形で再登場した。そして、決して会うことはできない。これから彼女のことを、彼女との記憶を、そしてその時その時に生まれては、放置されてきてしまった感情のひとつひとつを見つけて、拾って、浄化していこうと思う。そこにはきっと喜びとあたたかさが、そしてトラウマと傷が、境界のない愛憎がシュールに愛想もなく存在している。そのどれもがぼくを育んできたピースなのだから、平等に愛そうと思う。 そんなぼくとゆっくりふたりっきりになるために、大晦日の夜から三が日まで、ゆかりある山の裾野の古民家でひとりで過ごすことにした。こたえがないこと、その自由をつくづく感じる。メトロノームのように揺れていた存在が徐々に中心に、核に、近づいてきている。大いなる月ごもりの日。明日は大晦日、この一年の最後の日。トゥモロ、イズ、ニューイヤーズ・イヴ。最後の日、それはあたらしい年のはじまりの、そのちょっと前。みんなが、あらゆるみんながすこしでも幸せでいられますように。ちょっと早いけれど、お母さん、誕生日おめでとう。そして、この不思議な再会をありがとう。もちろん会いたかったけれど。明日の朝、お墓であらためていろいろと話そう。はじまりを象徴する終わりをまざまざと感じながら、あなたの次の旅路での幸福を祈ることでしょう。めぐりめぐるこの宇宙の流れはつづくようなので、ぼくはぼくを生き切ろうと思う。
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yukitakada · 2 years
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Lodge in Susono  |  裾野のロッジ
2021-2022 / M1-M2 Model
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Member: Yuki Takada, Ami Higa, Subaru Otsuka, Yoshiyuki Fujiwara, Chihiro Kato, Mai Moriyama, Miki Kurihara, Haruka Nakada, Mayumi Funakubo, Atsushi Iwasaki, Amiri Kawabe
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yuki-tamura-studio · 2 years
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研究室で制作と搬入を行いました。
プロジェクトチーム:⾼⽥ 勇哉、⽐嘉 あみ、⼤塚 昴、藤原 禎之、加藤千尋、森⼭ 真⾐、栗原 美希、中⽥ 遥、舟窪 ⿇友美、岩崎 淳司、川邊 愛美璃
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yuki-tamura-studio · 2 years
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yuki-tamura-studio · 2 years
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