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#福島市 美容室 ふくしまし びようしつ
tahquaguix-blog · 3 months
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《スマイルカット》福島市森合町
  しばらくぶりになってしまいました。 こちらのブログをご覧になって スマイルカットやヘアドネーションでご来店いただきありがとうございます。 改めてご挨拶というかご紹介を 《スマイルカットについて》 お店でカットするのが難しい…. お家でもなかなか切らせてもらえない…. というお子様をご対象に実施させていただいております。 『まずは美容室とはどんなところなのか?』 大人でも知らないところに行くのは もちろん気が引けてしまいます。 お子さんももちろん一緒です。 未知なところでもあり ハサミで髪の毛を切るということが お子様には不安でもあり、怖いものです。 「当たり前」というのはできた時に言えることで できないことも「当たり前」です。 訳のわからない椅子に座らされて、髪の毛を切る訳ですので できないのが当然ではあります。 椅子に座って、カットができるまで 段階を踏んで ゆっくりでいいんです。…
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villa-chitose · 11 days
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姶良市 マッサージ 整体 リラクゼーション・タイ・リンパ・もみほぐし
マッサージ リラクゼーション もみほぐし タイマッサージ 千歳 札幌 苫小牧 恵庭 北広島
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アジアン リラクゼーション マッサージ villa千歳店
リラクゼーションサロンは、忙しい毎日を過ごしている人にとって、心身を休め、リフレッシュするのに最適な場所です。 全国各地には、さまざまなタイプのリラクゼーションサロンがあり、それぞれに特徴があります。 自分の好みやニーズに合ったサロンを見つけて、ゆっくりとくつろいでみてください。
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施術内容の一例 villa千歳のメニューの一部をご紹介いたします。
もみほぐし
ベッド施術となっております。(ベッドサイズは85センチと幅広のベッドを使用しておりますので、腕が落ちたり、シビれたりもせず安心して施術を受けることができます。) 女性セラピストのみになりますが、ベッド上に乗ってからの施術になりますので、男性のお客様でも、『力が足りない』ということなく施術可能です。(力加減は、施術前のカルテ記入欄にご記載下さい)
45分~ 上半身or下半身の疲れている箇所を重点的に施術いたします。 60分~ 疲れている箇所を重点的に首から足先まで、全身を施術させていただきます。 凝り固まっている筋肉及び、その筋肉の関連筋を、温めながら丁寧に揉みほぐしていきます。身体の緊張をほぐしてあげながら、筋肉を柔らかくし、脂肪には刺激を与え燃焼させやすくしていく施術となります。villaのもみほぐしは『凝り固まっても、揉んであげるとすぐに柔らかくなる良い筋肉』を構成する為の施術となっております。肩凝り、腰痛、各部位の筋肉疲労等にご利用くださいませ。
タイ古式マッサージ
ベッド施術となっております。(ベッドサイズは85センチと幅広のベッドを使用しておりますので、腕が落ちたり、シビれたりもせず安心して施術を受けることができます。) 女性セラピストのみになりますが、ベッド上に乗ってからの施術になりますので、男性のお客様でも、『力が足りない』ということなく施術可能です。(力加減は、施術前のカルテ記入欄にご記載ください。)タイ古式マッサージは、あらゆるマッサージの中でも「ストレッチが爽快で気持ちいいマッサージ」と言われています。 タイ古式マッサージの手法は・・・指圧、整体、矯正、ストレッチングと豊富です 特に「二人で行うヨガ」とも形容される様々な形のストレッチは、他のマッサージにない特徴的な手法といえます。
2500年もの歴史があるタイ古式マッサージの特徴 体に流れているエネルギーライン(タイ語で「セン」と呼びます)を刺激することです。センを刺激するとリンパや血液の流れが良くなります。 すると、各器官の働きが正常化し、体の疲れや歪みがやわらいだり、免疫力が高まったりするのです。 このようにして人を健康へと導いていくのが、東洋医学から由来しているタイ古式マッサージの考え方です。
全身施術による身体へのアプロ��チ タイ古式マッサージには、体の歪みを元に戻していく目的もあります。 その結果、血管や神経の圧迫を軽くし、筋肉痛、筋肉疲労、関節痛、血行障害、むくみ、腰痛、神経痛等にアプローチできます。 肩凝り、腰痛、骨盤矯正、四十肩、五十肩、生理不順や各部位の筋肉疲労等にご利用くださいませ。
バリ式リンパマッサージ
ベッド施術となっております。(ベッドサイズは85センチと幅広のベッドを使用しておりますので、腕が落ちたり、シビれたりもせず安心して施術を受けることができます。) 女性セラピストのみになりますが、ベッド上に乗ってからの施術になりますので、男性のお客様でも、『力が足りない』ということなく施術可能です。(力加減は、施術前のカルテ記入欄にご記載ください。) バリ式リンパマッサージはバリ島で代表的なマッサージです。その歴史は古く17世紀のジャワの王室で、元々は女性の美を保つために行われていた施術です。王族から庶民へ受け継がれて、島から島へ、または村から村へときた広まっていったマッサージです。バリ島では今でも民間療法の一つとして考えられています。
手技、技法 施術はすべてオイルを使い、オールハンドで手のひらと指を使います。 ゆっくりしっかりと圧をかけながらリンパの流れに沿って押していき汗がじんわり出るまで身体をほぐし、疲れやコリを取り除いていきます。リンパの流れを整えるので、疲労回復はもちろん、くすみやむくみを取り除き美容面での効果も絶大です。自律神経のバランスを整え全身の代謝機能に働きかけ、脂肪燃焼、疲労回復を促します。
バリニーズならではの特徴 バリニーズ最大の特徴である「圧」を用い、頭からつま先まで全身のコリや疲れを揉みほぐします。通常のアロママッサージでかける圧は3キロですが、バリ式リンパマッサージは身体の全体重を使い20キロほどの「圧」をかけて行います。この「圧」により、体の深部のコリや疲れをほぐしリンパも流します。 バリニーズ独特のテクニックである「圧」、圧を伝える「手の平の使い方」、途切れることのない「手技」、これら3つのオールハンド技術を用いたマッサージは、まさにハンドヒーリングを全身で実感でき、身体も心もリラックス状態に導くメニューです。疲労回復はもちろん、痩身や美肌にも効果的なバリ式のオイルマッサージを是非お試しください。
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スタッフ セラピスト
カンヤ
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タイ古式マッサージの総本山チェンマイ式とワットポー式のライセンス取得者。 本格的なタイマッサージが受けられます。 ワットポーをはじめ、つぼ、マッサージ、ストレッチ等様々な資格を取得している凄腕の持ち主。 日本在住は長いので、日本語もペラペラで、性格も明るく、優しい女性です。
得意なこと 料理、お店出せるレベルです。
趣味・マイブーム 温泉
二川 歩実
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趣味は美味しいものを食べることでマイブームはハーブ蒸しです😌✨
2024年2月下旬デビュー予定の新人です!
接客業が大好きです。
初めは慣れないこともあると思いますが、持ち前の優しさと思いやりで頑張りますので温かく見守って頂ければ幸いです。
得意なこと 水泳
趣味・マイブーム 趣味は美味しいものを食べることでマイブームはハーブ蒸しです
アジアン リラクゼーション マッサージ villa千歳店について
当店は、お客様に至福のひとときを提供するために、様々な種類のマッサージやリラクゼーションサービスをご用意しています。お客様の心身の健康とリフレッシュをサポートすることをモットーに、専門的な技術と温かいおもてなしで、癒しの空間を提供しています。
当店では、伝統的なもみほぐしマッサージをはじめ、リンパマッサージ、ヘッドマッサージ、タイ古式マッサージ、足つぼマッサージ、ふくらはぎマッサージ、足裏マッサージ、そしてオイルマッサージなど、さまざまな施術がご利用いただけます。これらのマッサージは、日常のストレスや疲労を解消し、心身のバランスを取り戻すお手伝いをいたします。
お近くのマッサージ店として、地元の皆様にリラックスしていただける空間を提供しております。施術を通じて、お客様が穏やかな心地に包まれ、日々の疲れやストレスを解放できるよう心がけています。リラックスした雰囲気の中で、お客様が自分自身と向き合い、心身ともにリフレッシュできる場をご提供いたします。
当店の施術者は、プロのトレーニングを受けた経験豊富なスタッフで構成されています。お客様の状態や希望に合わせ、最適な施術プランをご提案いたします。また、安心してご利用いただくために清潔かつ快適な施術環境を整え、お客様一人ひとりに寄り添ったサービスを提供しております。
お客様の満足度向上を常に追求し、リピーターの方々にもご愛顧いただけるよう、真心と技術を込めた施術を心がけています。お客様の健康と幸福を支えるお手伝いができることを誇りに思い、心からの癒しをお届けするために日々努力しております。何かご質問やご要望がございましたら、お気軽にお知らせください。心よりお待ちしております。
マッサージ
マッサージは、皮膚に求心的に施術することにより主に静脈系血液循環の改善やリンパ循環の改善を目的にした手技療法。マッサージは、フランスで生まれた手技療法(仏: Massage、マサージュ)を指すが、同様の効果を得られるものとしてタイ式や朝鮮式のマッサージ(アンマ(안마)と呼ばれるものは除く)も便宜的に「マッサージ」と呼ばれる。現在の日本では、治療目的で反復継続の意思をもって行うには国家資格であるあん摩マッサージ指圧師免許が必要であるが、現実のマッサージ業者は無資格が多数である。
概説 マッサージはヨーロッパ発祥の手技療法である。マッサージは厳密には指先などの末梢部から心臓に向かって施術を行う(按摩の施術はその逆となる)。マッサージには静脈やリンパの滞りを改善しその流れを促進する効果がある。
スポーツ・運動時前後には、筋肉緊張をほぐしたりするためにマッサージが用いられる。他にマッサージによる(適度な)刺激などにより、緊張の緩和をもたらし、筋肉痛を和らげる、排便を促す、気分が和らぎ眠りを誘う、等がある。
マッサージは通常医療の場でも(リハビリテーション等々)、代替医療の場でも、様々な健康増進目的で個々人が自分自身に行う形(セルフマッサージ)でも行われている。
マッサージはギリシャ語のマッシー(揉む)、ラテン語の手、アラビア語のマス(押す)、ヘブライ語の触るが語源とされる。近世以降、科学的にマッサージが手技療法として医学的に応用する価値があると提唱したのはフランスのアンブロワーズ・パレ(Ambroise Paré)であった。マッサージはヨーロッパに発生したものではあるが、手技療法は命を守るための本能的な行為であり、古代インドのYogavade、古代中国の導引按蹻(自己体操法、按摩法)、トンガ諸島のtoogi-toogi、サンドウィッチ諸島のlomi-lomiなど世界各地に手技療法はみられる。
西洋 歴史 古代ギリシャの医師であったヒポクラテスは医学を志す者に対してマッサージ技術の習得を奨励していた。
先述のように、16世紀になりフランスのアンブロワーズ・パレ(Ambroise Paré)が科学的にマッサージが手技療法として医学的に応用する価値があると提唱した。その後、19世紀にかけて解剖学や生理学の進歩とともに、スウェーデンでの治療体操法、オランダでのマッサージ研究、ドイツやオーストリアでのマッサージの施術効果などによってマッサージ療法は医療として確立されることになった。
スウェーデンマッサージ スウェーデンでは、19世紀にスウェーデン体操の創始者でもあるペール・ヘンリック・リング(英語版)によって医療とマッサージを一つにしたシステムが作られ、このマッサージはスウェーデンマッサージと呼ばれるようになった。
スウェーデンマッサージはヨーロッパの古典的マッサージに比べて、深部の筋などの組織へのアプローチを重視し、少量のオイルやクリームを使う特徴がある。スウェーデンマッサージは、富裕層を対象とする贅沢なものとみられていたが、医療領域、スポーツ領域、美容領域にも普及してきている。米国ではスウェーデンマッサージが手技療法の主流の一つになっている。
タクティールマッサージ スウェーデンでは皮膚に軽い刺激を与えることで接触受容体を活性化し、それが痛覚受容体よりも早く脳に信号が送られることで痛みが軽減されるタクティールマッサージも開発された。タクティールマッサージには体全体に安心感をもたらすオキシトシンの分泌を促す効果があり、不安等にも効果があるとされ、認知症へのケアなど医療・福祉現場で積極的に取り入れられるようになっている。タクティールマッサージは医療機関や高齢者福祉施設のほか保育所などでも導入されており、各地で認定タクティールケア師がケアを行っている。特に認知症の患者のケアでは認知症の周辺症状の緩和効果がみられ、高齢者の精神状態が改善され不穏行動も少なくなることで、ケアワーカーの負担も減ったと報告されている。
日本 歴史 日本においては元々按摩(あんま)が用いられてきた。
明治時代、軍医である橋本乗晃がフランスのマッサージを視察し、研究した。その後、日本にマッサージを医療法の一つとして導入された。
現在の「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」において、あん摩マッサージ指圧師免許もしくは医師免許(共に国家資格)がなければ日本においてマッサージを業として行うことはできない、とされている。
法令 厚生労働省見解のマッサージの定義 看護師に関して、マッサージは臨地実習において看護学生が安楽確保の技術として、教員や看護師の助言・指導により学生が単独で実施できるものとして検討会で出され、看護師の基礎教育の中で行うことが望ましいとされている。
法律での定義はされていないが、無資格者マッサージ施術で「エーワン」(経営者は、あん摩マッサージ指圧師の有資格者)を摘発するにあたり、厚生労働省はマッサージの定義を「体重をかけ、対象者が痛みを感じる強さで行う行為」と回答している。
また厚生労働省(旧厚生省)は、無免許あん摩師の取り締まりの疑義紹介とあん摩マッサージの定義について下記の通り公文書にて回答している。
法第一条に規定するあん摩とは、人体についての病的状態の除去又は疲労の回復という生理的効果の実現を目的として行なわれ、かつ、その効果を生ずることが可能な、もむ、おす、たたく、摩擦するなどの行為の総称である。 — 昭和38年1月9日医発第8-2号(抜粋) 特定の揉む、叩く等の行為が、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律(昭和22年法律第217号)第1条のあん摩マッサージ指圧に該当するか否かについては、当該行為の具体的な態様から総合的に判断されるものである。 御照会の事例については、その行為の強度、時間等によっては、同条のあん摩マッサージ指圧に該当する場合もあると考えられるが、御照会の内容だけでは判断できない。 しかし、施術者の体重をかけて対象者が痛みを感じるほどの相当程度の強さをもって行うなど、あん摩マッサージ指圧師が行わなければ、人体に危害を及ぼし、又は及ぼすおそれのある行為については、同条のあん摩マッサージ指圧に該当するので、無資格者がこれを業として行っている場合には、厳正な対応を行うようお願いする。 また、同条のあん摩マッサージ指圧が行われていない施術において、「マッサージ」と広告することについては、あん摩マッサージ指圧師でなければ行えないあん摩マッサージ指圧が行われていると一般人が誤認するおそれがあり、公衆衛生上も看過できないものであるので、このような広告を行わないよう指導されたい。 — 「あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」に関する疑義照会について(回答) 平成15年11月18日 医政医発第1118001号 判例上の定義 清水簡易裁判所/判決/昭和34年(ろ)50号(下級裁判所刑事裁判例集1巻10号2144頁)においては次のように判示している。
第一、あん摩師、はり師、きゅう師及び柔道整復師法(以下単に法と略称する。)の第一条にいう「あん摩」とは、慰安または医療補助の目的をもって、身体を摩さつし、押し、もみ、またはたたく等の行為と解すべきところ、前掲各証拠によると被告人の本件各所為は、いずれも右あん摩に該当するものであること明らかであるから、この点に関する被告人の主張は採用できない。 保険適用 マッサージ治療は医師が認めた場合に限り健康保険の適用がある。はじめて治療を受ける場合には医師の同意書または診断書が必要で、以後3か月ごとに医師の再同意が必要となる。
また、保険適用の対象は筋麻痺や関節拘縮などの症状がみられる場合のみに限られる。
法的な問題点 施術免許無資格者問題 「無資格マッサージ士問題」も参照 名称の如何に関わらずマッサージを業とできる者は、医師以外では「あん摩マッサージ指圧師」の有資格者のみである。
第一条 医師以外の者で、あん摩、マツサージ若しくは指圧、はり又はきゆうを業としようとする者は、それぞれ、あん摩マツサージ指圧師免許、はり師免許又はきゆう師免許(以下免許という。)を受けなければならない。 第十二条  何人も、第一条に掲げるものを除く外、医業類似行為を業としてはならない。ただし、柔道整復を業とする場合については、柔道整復師法 (昭和四十五年法律第十九号)の定めるところによる。 — あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律 しかし、あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律には、「あん摩」や「マッサージ」の行為・方法の定義がされていない為、職業選択の自由もあり「整体」や「整足」「リラクゼーション」などの看板を掲げ、無資格でマッサージ類似行為をする者が後を絶たず、また、柔道整復師による保険を利用した激安マッサージも問題になっている。
施術名称問題 上記で注意が必要なのは、厚生労働省通達によると施術行為自体で違法とはならずとも、あん摩・マッサージ・指圧を標榜して類似行為を行えば「あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律」の違反となる見解を示している。
第七条 あん摩業、マツサージ業、指圧業、はり業若しくはきゆう業又はこれらの施術所に関しては、何人も、いかなる方法によるを問わず、左に掲げる事項以外の事項について、広告をしてはならない。 一 施術者である旨並びに施術者の氏名及び住所 二 第一条に規定する業務の種類 三 施術所の名称、電話番号及び所在の場所を表示する事項 四 施術日又は施術時間 五 その他厚生労働大臣が指定する事項 ② 前項第一号乃至第三号に掲げる事項について広告をする場合にも、その内容は、施術者の技能、施術方法又は経歴に関する事項にわたつてはならない。 — あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律
リフレクソロジー
リフレクソロジー(英: reflexology)または反射療法(はんしゃりょうほう)とは、主に足の裏(手の平などを含む場合もある)の特定部位を押せば体の特定部位に変化が起こるという疑似科学の考えに基づき、疲労の改善などをはかる代替療法である。語源は、reflex(反射)と-ology(学や論の意味を表す名詞を作る接尾辞)を合わせた造語であるとの説が有力。「リフレ」と短縮して呼ばれることもある。日本での普及初期にはフットケアとも呼ばれていた。
リフレクソロジーを行う人はリフレクソロジスト(英: reflexologist)または反射療法士と呼ばれる民間療法士であり、他人に対して治療目的の施術をすることはできない。
タイ古式マッサージ
タイ古式マッサージ(タイこしきマッサージ、通称: Nuat phaen boran、タイ語: นวดแผนไทย)は、タイ伝統の一種のマッサージであり、指圧による揉み動作だけでなく四肢を曲げ伸ばすストレッチを含んでいる。「古式」とあるが、西洋近代医学を取り入れたアレンジも行われており、宮廷に伝承されたものにはストレッチの技法はない。
「Nuat phaen boran」を正確に翻訳すると古式マッサージないし伝統的マッサージであるが、現在、タイマッサージ、古式マッサージ、伝統的なタイのマッサージ、タイのヨーガマッサージ、タイの古典のマッサージ、タイの整体、受動的ヨーガ、あるいは支援つきヨーガとしても知られている。
本来タイ式医療(英語版)の一部であり、長い伝統医療、宮廷医療としての歴史がある。1990年代にスパにおける健康法・美容法として行われるようになった。現在知られるものは、1980年頃を境として、タイ政府の後ろ盾を得ながら復興・構築してきたタイ式医療の一分野、タイの無形文化遺産であり、観光文化のひとつと目されている。近年では、タイ以外の国々でも健康法やリラクセーションとして親しまれている。
タイ式マッサージは本来タイ伝統医療の一部であるが、タイの伝統医療はインドで成立した仏教医学やアーユルヴェーダの影響を受けていると考えられ、伝統的な体液理論を特徴としている。被術者はマッサージのコースの間に多くのヨーガと同じ体位をさせられるのが特徴である。シャーマニズムやアニミズムとも深く関わっており、本来ボーンナイフを使った荒療治や聖水を使った徐霊や薬草学等と組みあわせた古式総合医学として認知するべきであるが、マッサージ手技のみクローズアップされ現在に至る。こういったトータルで施術できる人は、タイ本国でも減ってきている。達人と呼ばれる人は麻痺などの治療も行っているが、現在それらのノウハウも廃れてきている。
この独自のマッサージ施術法のルーツは、およそ2500年前にさかのぼると考えられている。タイではシバカゴーマラバット「Javika Kumar Baccha」として知られるブッダの主治医によって、タイに導入されたと信じられている。仏教の伝来と共に伝来し、タイの寺院で発展した。
宮廷でも医療の一環として行われた。アユタヤ朝時代の文献「ナラーイ王の薬方」には、マッサージが宮廷で治療法として用いられたことが記録されている。宮廷の中にはマッサージ師という職位があり、比較的高い地位であった。1887年には王立シリラート病院が開設され、宮廷医療と栄養近代医療が併用されたが、1915年にタイの伝統医療による治療・教育が禁止され、医療の現場では行われなくなった。1970年代WHO(世界保健機関)は、1978年の「アルマ・アタ宣言」でプライマリ・ヘルス・ケアという保健医療政策の理念とその目指すべき方向性を示し、宣言ではプライマリ・ヘルス・ケアに必要であるならば伝統的治療者の力も利用すること、といったことが述べられ各国の伝統医療復興に大きな影響を与えた。タイでも伝統医療復興運動がおこり、タイ政府は自国の伝統医療を再びその中に取り込み始め、1980年代から始まった「タイ・マッサージ復興プロジェクト」、1990年の「タイ式医療の制度化」で医療に復活した。
また。早稲田大学スポーツ科学学術院の小木曽航平は、1970年代後半から1980年代前半にかけて、タイ古式マッサージに注目した外国人がタイの学校に学びに来るようになり、この流れもグローバル化に寄与していると指摘している。政府の再編成によって、タイ式マッサージは「タイ式医療」を構成する一分野として体系化されていった。小木曽は、「政府によるタイ・マッサージの体系化は知識における2つの領野に分けて行われたと考えることが可能である。1つは医学的正当性を構築するための知識であり、もう1つは歴史的正統性を構築するための知識である」と述べている。政府の再編成で医療としての価値と文化としての価値を高めたタイ古式マッサージは、それによって経済的価値をも高めた。1992年にタイで初めてスパが開かれて以来、スパはタイの代表的な観光地となり、現在ではタイ政府が推し進めるヘルスツーリズムの中核的な観光資源となっている。また観光体験としても人気がある。飯田淳子、田辺繁治は、タイ古式マッサージを含むタイ式医療は、近代医療への懐疑から始まった“代替”として脚光をあびたにもかかわらず、結局は権力の主体である政府の保健医療政策に組み込まれ、医療化されたものとして捉えている。
主にそのスタイルによって、大きく2つの流派に分けられている。タイの公衆衛生省は「宮廷式」と「民間式」に分けて考えており、宮廷式は指圧を中心としたマッサージであり、民間式はストレッチをよく用いるマッサージとして区別されている。また南北で分ける考え方もあり、南部式スタイル(俗にバンコクスタイルと呼ばれる)では指圧療法が強調されるのに対して、北部式スタイル(俗にチェンマイスタイルと呼ばれる)にはストレッチ動作が多い。ワット・ポー伝統��学校(ワット・ポー・トラディショナル・メディカル・スクール:WTS)のスタイルでは、指圧の他に、患者の腕を伸ばしたり、腰を捻ったりするストレッチの要素が含まれている。観光客向けの店や日本の店ではワット・ポー式のタイ・マッサージを行っていることが多いため、タイ古式マッサージとはストレッチの技法を使うものだと思われがちだが、宮廷に伝承されるマッサージにはこうしたストレッチの技法は存在しない。小木曽航平は、ストレッチの技法は比較的後年になってから付け加えられたもので、この改変はワット・ポー伝統医学校が中心となって行ったとされていると述べている。マッサージの近代化にあたって、西洋現代医学的見地から汎用性が高くかつ大多数の人が運用するにあたり安全なものに再構築した影響が考えられる。
現在よく見られるタイ古式マッサージは次のとおりである。マッサージ被術者は着替えた後、マットレスの上に横たわる。マッサージ施術者は手と前腕を使って強固なリズミカルな圧力を被術者の体のほとんどすべての部分にかかるように押す。一般にマッサージは体の「SEN」(と呼ばれるエネルギーライン)に従う。ある動作では、施術者の脚と足は被術者の体あるいは手足を固定させるために使われ、またある動作では、手で体を固定しながら足でマッサージをする。 通常オイルは用いられないが、時々被術者の体を暖め静めるために熱いハーブの包帯が使われる。一般にタイのマッサージのフルコースは2時間あるいはそれ以上続く。フルコースには、手指、足指、耳などを引っ張り、指関節をほぐし、被術者の背中を踏み、回転する動きなどで被術者の背中を弓なりに曲げることを含む。マッサージに標準的な手順とリズムがある。被施術者は仰向けになり、足の施術から始まる。施術者は呼吸の速さで被施術者を圧迫していくことが理想とされる。
大きい集団マッサージでは、大部屋に10人以上の被術者が入れられ、施術者たちが集団で一斉にマッサージ手順を行うこともある。
タイ古式マッサージの広がり タイ古式マッサージは、タイのスパ産業の中心となっている。2006時点でタイ保健省が認定するセラピストは約4万人、そのうちスパ部門のセラピストとして認定されているのは約1万人、さらにタイ古式マッサージの資格取得者・経験者が2万人程度いるといわれるタイ国外でも人気となっている。
タイではタイ古式マッサージの学校が開かれており、国内外の生徒が学んでいる。たとえば、外国人に認知度の高い学校として、現在タイ伝統医療の象徴として人々に認識されている仏教寺院ワット・ポーと深いつながりをもつワット・ポー伝統医学校がある。1957年に設立され、おおよそ1970年代後半から1980年代前半にかけて外国人も学ぶようになり、近年ではワット・ポー伝統医学校の生徒の8割は外国人である。
マッサージの学校には、タイの教育省から認可されている学校もそうではない学校もあるが、認可を受けていない学校でも口コミやインターネットで評判が高まり、ある程度の生徒を集めているものもある。タイ古式マッサージを習得した外国人の中には、帰国してタイ・マッサージ学校を開き、オリジナルの教科書を出版する者もいた。たとえばアメリカ人のアンソニー・ジェームスはで1984年にワット・ポー伝統医学校で学び、ITTA (the International Thai Therapist Association) を組織し教育プログラムの開発を行っており、アショカナンダの異名で有名なドイツ人のハラルド・ブルスは「サンシャイン・ネットワーク(The Sunshine Network)」という組織を立ち上げている。小木曽は、外国人が組織する学校やその教育プログラムでは、マッサージだけではなく、ヨーガ、太極拳、レイキ、アーユルヴェーダなどの他の健康法をも学習内容に含むことが少なくないと指摘している。日本でも施術を受けられるサロンや学べる教室が増加している。タイの学校と連携した資格ビジネスも隆盛している。
日本とタイは、2004年2月よりEPAの交渉を開始し、2005年9月の大筋合意を経て2007年11月に発効した。この中でタイ人介護福祉士、スパ・セラピストの受け入れが協議されており、2015年09月時点で協議継続中である。
千歳市
千歳市(ちとせし)は、北海道に位置する日本の市であり、千歳空港が所在することでも知られています。以下は、千歳市に関する簡単な紹介です。
千歳市は、北海道中央部に位置し、市内には美しい自然環境が広がっています。主要な特徴として以下が挙げられます。
千歳空港: 千歳市には、新千歳空港(通称:千歳空港)があり、国内外からの航空便が発着します。観光やビジネスの玄関口として機能しており、観光客にとってもアクセスが良いエリアとなっています。
自然と観光地: 千歳市周辺には美しい自然が広がり、四季折々の風景が楽しめます。特に、千歳川や支流の清流、自然公園が訪れる人々を魅了しています。
観光スポット: 千歳市には観光スポットも点在しており、千歳市歴史民俗資料館や美術館、公園などが訪れる人々に楽しいひと時を提供しています。
食文化: 北海道ならではの新鮮で美味しい食材が豊富で、千歳市でも地元の食文化が楽しめます。観光地や市内のレストランで、新鮮な海産物や地元の特産品を味わうことができます。
千歳市 概要
千歳市(ちとせし)は、北海道に位置する都市で、「北海道の空の玄関口」とも称されることがあります。市内には新千歳空港があり、国内線の東京(羽田)—札幌(新千歳)間ではかつて世界一の乗降客数を誇り、国際線と合わせた年間の乗降客数は約2,000万人に達しています。この便利な立地から、市内は工業団地が集積し、交通アクセスが良好です。
千歳市の特徴的な点として、以下の要素が挙げられます。
交通インフラ: 新千歳空港を中心に、高速道路(道央自動車道・道東自動車道)や港(苫小牧港)が至近距離にあります。札幌市中心部までのアクセスも良好で、車でおおよそ1時間(高速道路利用)、鉄道で約30分から40分(特急・快速列車利用)で到達できます。
自衛隊基地: 千歳市には陸上自衛隊第7師団と航空自衛隊第2航空団の基地や演習場があり、約8,700人の隊員が駐屯しています。この存在が市の人口構成にも影響を与え、若年層の流入が見られ、千歳市は北海道一若い街として知られています。
歴史的背景: 千歳市の名前の由来はアイヌ語で「大きい・窪み・川」を意味する「シコッペッ」に由来し、地域には千歳神社や支笏湖があります。支笏湖一帯には美しい自然が広がり、観光スポットとしても人気です。
支笏川の歴史: 千歳市を流れる千歳川は、石狩平野の中心部に位置し、太平洋からウトナイ湖、美々川を遡って分水嶺を越え、千歳川から石狩川を経て日本海へ至る「シコツ越え」のルートが存在します。この地には、1658年に志古津弁天小社が造営され、1805年には「鶴は千年、亀は万年」の故事に因んで「支笏川」を「千歳川」と改名した歴史があります。
地理と自然環境: 千歳市は東西に広がり、面積は594.5 km²。西部は山岳地帯で支笏洞爺国立公園に指定されています。市街地は標高15 m前後の低地に広がり、千歳飛行場周辺には日本国内で最も低い標高25 m前後の分水嶺があります。豊かで清澄な水資源も豊富で、支笏湖の水は「名水百選」に認定されています。
気候: 千歳市の気候は太平洋と日本海の気象影響を受ける分岐点にあり、寒冷な冬と涼しい夏が特徴です。冬季の最低気温は-25.4℃まで下がることもありますが、比較的晴れることが多く、雪が少ないことが空港立地に適しているとされています。
人口: 平成27年国勢調査によると、千歳市の人口は95,664人で、世帯数は40,614世帯。札幌市に次ぐ北海道内第2位の人口増加数を記録し、2011年8月時点では北海道内で10番目の人口規模を有していました。
これらの要素から千歳市は、交通の要所として発展し、歴史や自然と共に住みやすい都市となっています。
千歳市の歴史
古代から江戸時代: 千歳は、札幌の低地帯と勇払原野の間に広がり、太平洋と日本海を結ぶ交通の要所として重要視されていました。この地域はアイヌと和人が交流する場として栄え、16の場所(シコツ十六場所)が存在し、江戸時代にはユウフツ場所に組み込まれ、千歳川会所が設けられました。1660年(万治3年)の『福山秘府』において初めて「シコツ」の地名が登場し、その後の記述には「志古津」(シコツ)として言及されています。
近世から明治時代: 1644年(正保元年)には、『正保御国絵図』にシコツ越えが描かれ、1658年(万治元年)には志古津弁天堂が建立されました。1805年(文化2年)には、羽太正養(箱館奉行)が「シコツ」を「千歳」と改名しました。1869年(明治2年)に北海道に11国86郡が設置され、千歳は胆振国千歳郡となりました。その後、1873年(明治6年)には札幌本道(後の国道36号)が開通し、千歳に開拓使駅逓所が設置され、1880年(明治13年)には千歳郡千歳村外五ヶ村戸長役場が開庁されました。
近代: 1888年(明治21年)には市制が施行され、千歳市としての歴史が始まりました。1934年(昭和9年)には千歳飛行場が完成し、その後の発展に大きな影響を与えました。1958年(昭和33年)には市制が施行され、千歳市としての歴史が始まりました。この時期に千歳国際空港が開港指定を受け、航空の発展が地域経済に寄与しました。1988年(昭和63年)には新千歳空港が開港し、24時間運用が開始されました。1998年(平成10年)には千歳科学技術大学が開学し、地域の教育・研究拠点としての役割を果たしています。2010年(平成22年)には新千歳空港国際線旅客ターミナルビルが供用開始され、交通の要所としての地位を一層確立しています。
現代: 千歳市は、航空交通、教育・研究機関、地域経済など、多岐にわたる分野で発展を遂げています。2017年(平成29年)には北海道千歳リハビリテーション大学が開学し、医療・福祉分野においても進化が見られます。地域の観光資源も開発が進み、観光拠点としても注目を集めています。これらの歴史的な出来事や変遷を通じて、千歳市は過去から現在に至るまで、その発展と変化を遂げてきたことが伺えます。
千歳市の政治
千歳市の政治、行政、市長・町長、戸長などの歴史を紹介します。
歴代首長:
初代 石山専蔵 – 1880年(明治13年)3月1日
2代 秦一明 – 1880年(明治13年)10月25日
臨時代理 石山専蔵 – 1884年(明治17年)
3代 太尾長祥 – 1884年(明治17年)11月22日
4代 下宮良平 – 1886年(明治19年)3月2日
5代 三木勉 – 1887年(明治20年)6月1日
6代 常葉隆久 – 1892年(明治25年)2月8日
7代 増川兵蔵 – 1893年(明治26年)6月13日
8代 岩田秀雅 – 1897年(明治30年)5月20日
明治30年7月、漁村・島松村分村
9代 橘莞爾 – 1898年(明治31年)7月29日
明治32年8月北海道区制、一・二級町村制
10代 岩田外喜男 – 1902年(明治35年)4月20日
11代 福士武美 – 1903年(明治36年)4月10日
12代 中川種次郎 – 1903年(明治37年)4月20日
13代 深田猪七郎 – 1903年(明治37年)6月1日
14代 国谷清之助 – 1911年(明治45年)5月27日
15代 川村隆吾 – 1913年(大正2年)12月24日
16代 間山俊助 – 1914年(大正3年)5月30日
歴代村長:
初代 間山俊助 – 1915年(大正4年)4月1日
2代 山田旦 – 1916年(大正5年)6月30日
3代 後藤彌次郎 – 1918年(大正7年)12月10日
4代 山田旦 – 1923年(大正12年)1月31日
5代 川合新三郎 – 1925年(大正14年)3月24日
6代 鹿目徳親 – 1930年(昭和5年)1月23日
7代 清水良作 – 1932年(昭和7年)9月21日
8代 畠山定吉 – 1936年(昭和11年)1月30日
臨時代理 1939年(昭和14年)4月1日
職務管掌 高橋綱三郎 – 1939年(昭和14年)7月15日
9代 岡本幸信 – 1939年(昭和14年)10月14日
歴代町長:
初代 岡本幸信 – 1942年(昭和17年)5月1日
臨時代理 舛田岩雄 – 1946年(昭和21年)11月7日
臨時代理 中川種次郎 – 1946年(昭和21年)12月21日
2代 山崎友吉 – 1947年(昭和22年)4月15日
歴代市長:
初代 山崎友吉 – 1958年(昭和33年)7月1日〜1959年(昭和34年)4月29日
2代 米田忠雄 – 1959年(昭和34年)4月30日〜1975年(昭和50年)3月22日
3代 東峰元次 – 1975年(昭和50年)4月27日〜1987年(昭和62年)4月26日
4代 梅沢健三 – 1987年(昭和62年)4月27日〜1991年(平成3年)4月26日
5代 東川孝 – 1991年(平成3年)4月27日〜2003年(平成15年)4月26日
6代 山口幸太郎 – 2003年(平成15年)4月27日〜2023年(令和5年)4月26日
7代 横田隆一 – 2023年(令和5年)4月27日〜現職(通算1期)
基地対策:
千歳市は特定防衛施設関連市に指定され、特定防衛施設周辺整備調整交付金を活用して生活環境の整備に取り組んでいます。終戦後の千歳市では、連合国軍最高司令官総司令部の進駐や保安隊の創設により、基地関連者が市内に居住し、歓楽街が発展しました。これに伴う社会問題も発生し、売春や麻薬法、外為法に関連する問題が発生しました。1953年時点では、九州方面から来た約1300人の売春婦が営業活動を行っていました。この問題に対処するため、日米合同委員会風紀部会が設置され、基地外での風紀の乱れ対策が検討されました。第一騎兵隊の撤退により、1954年から急速に社会問題は収束していきました。
市民憲章・都市宣言:
千歳市は市民憲章と都市宣言を制定しており、それに基づいて市民は共に協力し、千歳市をより良い場所にすることを誓っています。市民憲章は、仕事に励み、明るく、若々しいまちをつくり、自然を愛し、季節に親しみ、快適で楽しいまちをつくるなど、様々な価値観が盛り込まれています。
議会:
千歳市の市議会は25名の議員で構成され、議長は佐々木雅宏氏が務めています。会派は自民党、公明党、立憲民主党、日本共産党、無所属などが存在し、市政の運営や課題解決に取り組んでいます。
財政:
千歳市は2016年から行政改革を進め、財政の健全化に努めています。予算の総額は686.5億円で、一般会計、特別会計、企業会計に分かれています。財政力指数や経常収支比率など、財政の健全性を示すさまざまな指標が存在しています。
以上が千歳市の政治や行政の概要です。
千歳市の国家機関
自衛隊:
千歳市には陸上自衛隊の東千歳駐屯地および北千歳駐屯地、航空自衛隊の千歳基地が存在します。陸上自衛隊第7師団は北部方面隊に所属し、機甲師団として戦車を主体とした重戦力を有しています。東千歳駐屯地には第7師団司令部や各種支援部隊が、北千歳駐屯地には第1特科団本部や野戦砲部隊が配置されています。航空自衛隊千歳基地は北部航空方面隊に属する第2航空団が展開しており、戦闘機や政府専用機を運用しています。千歳管制隊は千歳飛行場や新千歳空港周辺の航空交通管制業務を担当しています。
行政機関:
千歳市にはさまざまな官公庁が存在しています。法務省には北海少年院があり、財務省には函館税関千歳税関支署が所属しています。また、出入国在留管理庁の札幌出入国在留管理局千歳苫小牧出張所も千歳市内にあります。厚生労働省には千歳公共職業安定所(ハローワーク千歳)が、農林水産省には横浜植物防疫所札幌支所新千歳空港出張所や動物検疫所北海道出張所が所在しています。林野庁北海道森林管理局も千歳市内に石狩森林管理署、千歳森林事務所、支笏森林事務所を有しています。
国土交通省:
札幌開発建設部
千歳川河川事務所
千歳道路事務所
千歳空港建設事業所
新千歳空港事務所(東京航空局)
気象庁:
札幌管区気象台
新千歳航空測候所
海上保安庁:
第一管区海上保安本部千歳航空基地
環境省:
北海道地方環境事務所支笏湖自然保護官事務所
防衛省:
北海道防衛局千歳防衛事務所
陸上自衛隊北部方面隊
第7師団司令部
東千歳駐屯地
北千歳駐屯地
航空自衛隊航空総隊北部航空方面隊
第2航空団司令部
第3高射群
千歳基地
防衛装備庁千歳試験場
独立行政法人・特殊法人等:
水産研究・教育機構北海道区水産研究所千歳さけます事業所
日本放送協会札幌放送局千歳支局
このように、千歳市は様々な国家機関や官公庁、自衛隊関連の施設が集積している地域です。
千歳市の施設
警察:
千歳市には北海道札幌方面千歳警察署があり、市内各地に交番や駐在所が配置されています。交番には駅前交番、新富交番、本町交番、住吉交番、向陽台交番などが含まれ、地域の治安維持や市民への安全対策を担当しています。また、支笏湖駐在所や泉郷駐在所など、市内各地に駐在所が存在しています。さらに、空港警備派出所が新千歳空港での警備を担当しています。
消防:
千歳市には千歳市消防本部があり、市内には消防署や出張所が配置されています。富丘出張所、向陽台出張所、西出張所、支笏湖温泉出張所などが、地域ごとに消防活動を担当しています。2017年には千歳市消防総合庁舎が建設され、消防活動の中心となっています。
医療:
千歳市にはいくつかの主要な病院があります。いずみ会北星病院、尾谷病院、向陽台病院、資生会千歳病院、市立千歳市民病院、千歳桂病院、千歳第一病院、千歳豊友会病院などが市内に位置しており、市民の医療ニーズに応えています。
郵便局:
千歳市内には千歳��便局があり、これが集配局となっています。東部地区を除く全域の郵便物はここで取り扱われており、東部地区は三川郵便局が集配を担当しています。
公共施設:
千歳市休日夜間急病センター
千歳市総合福祉センター・千歳市総合保健センター
千歳市グリーンベルト地下駐車場
千歳市防災学習交流施設
千歳市公設地方卸売市場
千歳市営牧場・育成畜舎
千歳市支笏湖ヒメマスふ化場
千歳市葬斎場
千歳市廃棄物焼却処理施設
千歳市廃棄物再資源化施設
文化施設:
千歳市民文化センター(北ガス文化ホール)
千歳市民ギャラリー
千歳市青少年会館
千歳市立千歳公民館
千歳市立図書館
千歳市埋蔵文化財センター
運動施設:
千歳市スポーツセンター(ダイナックス アリーナ)
千歳市民球場
青葉球場
青葉陸上競技場
青葉公園ラグビー場
青葉公園スケート場
千歳市温水プール
千歳市開基記念総合武道館
ゴルフ場:
ザ・ノースカントリーゴルフクラブ
ちとせインターゴルフクラブ
シャムロックカントリー倶楽部
千歳カントリークラブ
新千歳カントリークラブ
グレート札幌カントリー倶楽部
千歳市は様々な施設が整備されており、市民の生活や様々なニーズに対応しています。
千歳市の対外関係
千歳市の対外関係において、姉妹都市や提携都市が存在します。
海外の姉妹都市:
アンカレッジ(アメリカ合衆国 アラスカ州)
姉妹都市提携日:1969年(昭和44年)4月21日
コングスベルグ(ノルウェー王国 ブスケルー県)
姉妹都市提携日:1988年(昭和63年)8月31日
長春市(中華人民共和国 吉林省)
姉妹都市提携日:2004年(平成16年)10月11日
国内の姉妹都市:
指宿市(九州地方 鹿児島県)
姉妹都市提携日:1994年(平成6年)4月15日
これらの提携や姉妹都市関係は、文化交流や経済的な連携を促進し、国際的な協力関係を築く一翼を担っています。
千歳市の経済
千歳市の経済は多岐にわたり、産業構成は第一次産業が2.7%、第二次産業が17.9%、第三次産業が73.5%となっています。事業所の中では、宿泊・飲食サービス業と運輸・郵便業が高い割合を占め、製造業の従業員数の構成比が高いのが特徴です。この傾向は、支笏湖などの観光地の存在、新千歳空港の利用による宿泊需要、若年層による飲食需要、比較的大規模な工場が多く立地していることに起因しています。
千歳市は農業基盤整備を背景に農業分野でも進化しており、小麦、てん菜、大豆などの大規模経営と近代化が進んでいます。水産業ではサケ・サクラマスのふ化・放流事業や、支笏湖でのヒメマスのふ化事業が行われ、地域経済に貢献しています。
工業分野では、250を超える企業が立地する工業団地が形成され、製造品出荷額は北海道内で第4位に位置しています。千歳市の工業団地には、千歳第1工業団地から千歳臨空工業団地、千歳サイエンスパーク、千歳美々ワールドなどがあり、地域の発展に寄与しています。
商業分野では、新千歳空港周辺には空港ターミナルビルや大規模なアウトレットモールがあり、北海道内外からの幅広い集客を誇っています。商店街も6つの組合連合会と1つの振興会により形成され、地域経済を支えています。
また、金融機関や物流施設、多様なスーパーマーケット、商業施設が充実しており、千歳市は豊かな経済基盤を築いています。
さらに、千歳市は組合や協同組合を通じて地域社会と連携し、農業、漁業、環境整備、自動車整備などの分野で協力体制を築いています。例えば、JA道央や北海道農業共済組合をはじめとした組合が、地域の農産物や畜産物の生産・流通において重要な役割を果たしています。
商業においては、新千歳空港を拠点とするショッピングセンターやアウトレットモールが、地域経済をけん引しています。イオン北海道やアークスグループをはじめとした大手スーパーマーケットが進出し、多様な商品を提供しています。物流面では、ヤマト運輸、佐川急便、日本通運、北海道福山通運などが千歳市に拠点を構え、円滑な商品輸送が行われています。
金融機関も多岐にわたり、北洋銀行、北海道銀行、信用金庫、労働金庫、JAバンク北海道などが市内に支店を構え、地域住民や事業者に金融サービスを提供しています。
総合的に見て、千歳市は農業、工業、商業、金融、物流などの分野でバランス良く発展し、地域経済において重要な拠点となっています。
続いて、千歳市は地域社会において文化・教育施設も充実しています。千歳市民文化センターや千歳市立図書館、スポーツセンター、市民球場、武道館などが市内に存在し、市民の様々な文化・スポーツ活動をサポートしています。これらの施設は、市民の交流や地域への貢献を促進しており、市内外から多くの人々が集まります。
また、千歳市は姉妹都市や提携都市との交流も積極的に行っています。アメリカ合衆国のアンカレッジ、ノルウェーのコングスベルグ、中国の長春市など、国際的な交流が市の発展に寄与しています。国内では鹿児島県の指宿市との姉妹都市提携があり、地域間の友好関係を深めています。
さらに、千歳市は観光地としても知られており、支笏湖や新千歳空港などが観光スポットとして人気を集めています。これらの観光地が地域経済においても一定の役割を果たしており、地元産品や観光資源を活かした産業も育まれています。
総じて、千歳市は多岐にわたる産業や施設を有し、地域社会全体の発展に寄与している状況です。
また、千歳市の経済の中で重要な役割を果たしているのが農業や漁業、そして工業です。農業では大規模経営や近代化が進み、小麦、てん菜、大豆などが栽培されています。水産業ではサケ・サクラマスのふ化・放流事業が行われ、地域の漁業を支えています。支笏湖ではヒメマスのふ化事業も展開されており、地域資源を有効活用した取り組みが行われています。
工業分野では、千歳市内には様々な工業団地が存在し、企業の立地が進んでいます。製造業の出荷額は北海道内で高い位置にあり、工業の発展が地域経済に寄与しています。特に新千歳空港周辺にはロジスティクスセンターやサイエンスパークが整備され、物流や研究開発の拠点として機能しています。
商業面では、新千歳空港を中心にショッピングセンターやアウトレットモールがあり、地域経済においても商業が重要な位置を占めています。これにより、地域外からの観光客や利用者が増加し、地元の事業者にとっても新たなビジネスチャンスが生まれています。
総じて、千歳市は多様な産業が連携し、地域社会全体が持続的な発展を遂げている都市と言えます。
千歳市の情報・通信
千歳市は多岐にわたる産業活動や地域施設が集まり、その構造はさまざまな要素から成り立っています。
経済の視点から見ると、千歳市の産業構成は第一次産業が2.7%、第二次産業が17.9%、第三次産業が73.5%となっています。特に宿泊・飲食サービス業や運輸・郵便業が顕著で、製造業も大きな従業員数を抱えています。これは観光地である支笏湖や新千歳空港の影響、そして市内には比較的大規模な工場が存在することが影響しているとされています。
農業では、農業基盤整備を背景にし、小麦、てん菜、大豆などの大規模経営が進んでいます。水産業ではサケ・サクラマスのふ化・放流事業や支笏湖でのヒメマスのふ化事業が行われ、地域の水産業を支えています。工業分野では工業団地や千歳臨空工業団地などに多くの企業が進出し、製造品の出荷額は北海道内で第4位となる規模を有しています。
商業施設としては、新千歳空港の空港ターミナルビルやアウトレットモールがあり、地域の中心的な商業拠点となっています。また、商店街も複数存在し、地域経済に貢献しています。
教育施設としては、公立千歳科学技術大学をはじめ、高等学校や中学校、小学校が整備されており、地域の教育環境も整っています。さらに、保育所や幼稚園も充実しており、地域の子育て環境が整っています。
情報通信分野では、新聞社や電力会社、ガス会社、水道局などが存在し、地域の生活基盤を支えています。マスメディアも新聞社や地域情報誌があり、地域の情報発信に貢献しています。
情報通信分野では、地元の新聞社やメディアが地域の情報を提供しています。新聞社としては、苫小牧民報社千歳支局、北海道新聞社千歳支局、朝日新聞北海道支社千歳支局、読売新聞北海道支社千歳通信部、毎日新聞北海道支社千歳通信部などが挙げられます。これらのメディアは地域の出来事や情報を報じ、住民に様々な情報を提供しています。
生活基盤としては、電力は北海道電力千歳支社、ガスは北海道ガス(北ガス)千歳支店が担当しており、上下水道は千歳市水道局が管理しています。また、日本海さけ・ます増殖事業協会なども地域の生活基盤に関与しています。
教育面では、公立千歳科学技術大学や各種学校が存在し、地域の学術・教育水準向上に寄与しています。公立千歳科学技術大学は特に科学技術分野において高い水準の教育を提供しています。
地域の生活インフラを支える金融機関としては、北洋銀行、北海道銀行、苫小牧信用金庫、北海道信用金庫、北門信用金庫、北央信用組合、北海道労働金庫、JAバンク北海道(JA道央)などが挙げられます。これらの金融機関は地域の経済活動を支え、住民に金融サービスを提供しています。
続いて、千歳市のマスメディアに加え、地域経済や教育・生活基盤などの側面に焦点を当てて説明してみました。何か特定の情報が必要でしたら、お知らせください。
また、千歳市の教育機関についても簡単に紹介いたしました。公立千歳科学技術大学が地域において高等教育の中心的存在となっており、地元の学生に科学技術分野での学びの機会を提供しています。他にも私立の北海道千歳リハビリテーション大学や日本航空専門学校千歳キャンパスなども地域において教育の充実に寄与しています。
地元の学校としては、千歳市内には幼稚園から高等学校まで様々な学校が存在しています。高等学校では、道立の北海道千歳高等学校や北海道千歳北陽高等学校が地域の学生に教育を提供しています。中学校や小学校も市立のものが複数あり、地域全体で幅広い教育環境が整備されています。
生活に密着した施設として、千歳市内には様々な保育施設や幼稚園があります。市立の認定こども園や私立の認可保育所、認定こども園千歳春日保育園、ありんこ保育室、こだま保育園、さくら保育園、千歳速算学校などが、地域の子どもたちの教育・保育を担当しています。
また、事業所内保育や夜間保育所、認可外保育施設も存在し、働く親たちの支援にも貢献しています。例えば、ダイナックスこどもくらぶやたんぽぽ夜間保育園、キッズハウス オハナ、ちびっこランド千歳園などが、柔軟かつ多様な保育サービスを提供しています。
千歳市の交通
交通面では、千歳市は新千歳空港を中心にさまざまなアクセス手段が整っています。以下にその概要を述べます。
新千歳空港: 新千歳空港は、国内線と国際線に対応した2つのターミナルビルを備えています。この空港は2本の並行滑走路を有し、その南半分と千歳飛行場の東側滑走路南端が苫小牧市にまたがっています。
鉄道: JR北海道が主に運行しており、千歳市内には千歳線が通っています。主要な駅としては、千歳駅や南千歳駅があり、特急列車が頻繁に停車しています。ただし、市内東部には駅は存在していません。
バス: 市内外へのバスアクセスも充実しており、北海道中央バスや千歳相互観光バス、あつまバスなどが運行されています。新千歳空港と市内を結ぶバスも利用されています。
タクシー: 市内ではタクシーも利用可能で、小型車と中型車があり、初乗り上限運賃はそれぞれ550円と570円です。
道路: 主要な高速道路としては、道央自動車道が新千歳空港ICから千歳ICを結び、千歳恵庭JCTで道東自動車道に接続しています。国道や道道も整備されており、交通の利便性が高い地域です。
これらの交通手段が結ぶことで、千歳市は観光やビジネス、物流など多岐にわたる分野でアクティブな都市となっています。
都市間バス: 都市間バスも新千歳空港と市内を結ぶ便があり、北海道中央バスやニセコバス、北都交通、帯運観光、旭川電気軌道、網走バス、道南バスなどが運行しています。
道路: 道路面では、国道36号、国道234号、国道274号、国道276号、国道337号、国道453号などが市内を縦横に結んでいます。また、各種道道も整備されており、市内各地へのアクセスが便利です。千歳恵庭JCTを中心に、道央自動車道や道東自動車道などが交わり、効率的な移動が可能です。
道の駅: 千歳市には、2016年にオープンした「道の駅サーモンパーク千歳」があります。地元の特産品や観光情報を提供する拠点として観光客に人気です。
交通面でのアクセス環境が整っていることから、千歳市は観光拠点や物流の中心地として発展しています。地域内外からのアクセスが容易なため、多様なニーズに対応した発展が期待されます。
空港: 新千歳空港は、市内南部に位置しています。国内線、国際線ともに利用され、交通の玄関口として機能しています。近隣には観光施設やショッピングモールもあり、観光客や出張者に便利な施設が揃っています。
鉄道: 鉄道面では、JR北海道の千歳線が市内を走り、千歳駅や南千歳駅、新千歳空港駅などが存在します。これらの駅を利用することで、市内各地や札幌市、苫小牧市などへのアクセスが可能です。
バス: 市内交通としては、北海道中央バスや千歳相互観光バス、あつまバスなどが路線バスを運行しており、市内の主要なエリアを結んでいます。都市間バスも新千歳空港と市内を結ぶ便があり、北海道中央バスやニセコバス、北都交通、帯運観光、旭川電気軌道、網走バス、道南バスなどが運行しています。
タクシー: 市内では各種タクシーサービスが展開されており、金星自動車、北都交通、千歳交通、ゆたか交通、道央交通、千歳昭和交通、札幌エムケイなどが利用可能です。
道路: 道路面では、高速道路として道央自動車道が整備され、新千歳空港ICから千歳ICを経由して千歳恵庭JCTへとつながっています。また、国道36号、国道234号、国道274号、国道276号、国道337号、国道453号などが市内を縦横に結び、効率的な移動が可能です。
道の駅: 千歳市には、2016年にオープンした「道の駅サーモンパーク千歳」があります。地元の特産品や観光情報を提供する拠点として観光客に人気です。
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2023年下半期に見た展覧会
0701 ガウディとサグラダ・ファミリア展@MoMAT 0702 イギリス風景画と国木田独歩@茅ヶ崎市美術館 0702 生誕110年 傑作誕生・佐藤忠良@神奈川県立近代美術館 葉山 0706 ブルターニュの光と風@福島県立美術館 0708 谷川俊太郎 絵本☆百貨展@PLAY!MUSEUM 0711 テート美術館展 光 — ターナー、印象派から現代へ@国立新美術館 ☆0721 甲斐荘楠音の全貌 ― 絵画、演劇、映画を越境する個性(前期)@東京ステーションギャラリー *1 ☆0729 ソール・ライターの原点 ニューヨークの色@ヒカリエホール *2 0729 平間至展 写真のうた@ヒカリエホール 0804 「あ、共感とかじゃなくて。」@MoT ★0804 デイヴィッド・ホックニー展@MoT *3 0805 ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム@アーティゾン美術館 0806 蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる@国立新美術館 0812 特別展「古代メキシコ」@東京国立博物館 0812 スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた@国立西洋美術館 0813 私たちは何者?ボーダレス・ドールズ@渋谷区立松涛美術館 *4 0820 フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館 0825 甲斐荘楠音の全貌 ― 絵画、演劇、映画を越境する個性(後期)@東京ステーションギャラリー 0826 生誕100年 山下清展―百年目の大回想@SOMPO美術館 0902 挑発関係=中平卓馬×森山大道@神奈川県立近代美術館 葉山 ★0902 吉村弘 風景の音 音の風景@神奈川県立近代美術館 鎌倉別館 *5 0907 三沢厚彦 ANIMALS@千葉市美術館 0917 虫めづる日本の人々@サントリー美術館 0920 版画家たちの世界旅行 -古代エジプトから近未来都市まで@町田市立国際版画美術館 1022 杉本博司 本歌取り 東下り@渋谷区立松濤美術館 1029 デイヴィッド・ホックニー展(2回目)@MoT ☆1029 ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン@アーティゾン美術館 1119 開館35周年記念 福田美蘭―美術って、なに?@名古屋市美術館 1121 テオ・ヤンセン展@千葉県立美術館 1122 展覧会のちょっといい話 絵本と近代美術のあれこれ@板橋区立美術館 1125 装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術@東京都庭園美術館 1202 「パルコを広告する」 1969 - 2023@PARCO MUSEUM 1203 「横尾忠則 寒山百得」展@東京国立博物館 表慶館 1203 開館記念展「皇室のみやび」(第1期:三の丸尚蔵館の国宝)@皇居三の丸尚蔵館 1203 生誕120年 棟方志功展 メイキング・オブ・ムナカタ@MoMAT 1207 イン・ビトウィーン@埼玉県立近代美術館 1209 永遠の都ローマ展@東京都美術館 1209 大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館 1209 イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル@国立新美術館 1214 モネ 連作の情景@上野の森美術館 *6 1216 「前衛」写真の精神: なんでもないものの変容@渋谷区立松涛美術館 ☆1216 「鹿児島睦 まいにち」展@PLAY! MUSEUM *7 1223 吉田ユニ「PLAYING CARDS」@ラフォーレミュージアム
*1 御多分に漏れず「あやしい絵」展でファンになってから待望だった個展、こんなに早く見ることができるなんてありがたい。ただ、やっぱり結構残っている作品は少ないんだなあ、というのが一番の感想で、そして作品のアクが強くて初めのインパクトや中毒性は強い分、慣れてくるとそこまでじっくり見るような感じにはならないなあ、とも思ったり(音楽とかでもそういう曲ってあるよね)。一方で、メインビジュアルにもなっていたメト所蔵の「春」なんかは特有のケレンを上手く折衷させた見ごたえの絵のある絵に仕上がっているんだけれども、結局それより先が無かったという。。展覧会中でも識者の言葉として紹介されていたけれど、ちょっと惜しかったというか、あともう少し絵師として活躍してほしかったなあと。でも、図版でしか知らなかった作品をいっぱい見られて嬉しかった。 *2 ソールライターの「良さ」がようやくわかってきたような気がします。残されていたフィルムをデジタル現像して順番に映し出していく大画面スライドショーのインスタレーションがとても面白くて、美術館ではない空間になった分、こういう演出ができるようになったのは良いなあと思いました。 *3 この夏のナイスワン。自分の中の「とても楽しかった展覧会」の1つの基準が、「一通り見終わった後に展示室で延々ゆらゆらしていられること」なんですが、久しぶりにそのトリップがきました。ホックニー特有のポップで人懐っこい色彩がやはり素晴らしく、いつまでも網膜にうつしていたくなるんですね。特に大型作品の展示空間に入ったときは、その色彩感に包まれるのが嬉しくて、思わずくるくると踊りだしそうになりました(?)。 展覧会は、初期から始まってロンドン、カリフォルニア、イギリスの田舎町、そして最近移り住んだノルマンディーと、活動場所で区切られた作家のキャリアを一通り追う構成。昔メトで大規模回顧展を見たはずなのですが、あまり記憶になく、、今回改めて見て、初期はかなりベーコンの影響を感じるなーとか、やっぱり色彩はマティス、後期のボナールっぽいなーとか、いろんな発見がありました。 この10年来ハマっているというiPad絵画は、長生き作家にありがちの、晩年にどんどんと・・・よく言えばダイナミック、悪く言えば大味というか雑になっていくアレなんだけども(ピカソとか)、ただ色彩だけで言うと、やはりホックニーそのものなんですよね。近づいてみると、マジで点とか線は小さい頃にwindows95のペイントソフトで遊んだ、落書きライクな感じなんだけども、遠くから見るとちゃんと「らしい」作品になっているのはさすがだなと思いました。 以下は蛇足なのですが、作品構成は、大型の油絵作品10点余りがテートから、それから複数のパネルを組み合わせた作品が同じくテートとポンピドゥーから1点ずつ、あとは作家蔵の超大型作品がメインで、その間を都現美所蔵の版画コレクション(これ一度まとめて見たかった!)で埋めていく、という感じ。つまり単に金にあかせてガサっと作品を連れてきたのではなく(それでも相当お金かかってると思うけど)、館にあ���ものが起点になっているのが良かったな。欲を言えば、作家のキャリアハイである西海岸時代の作品(プールとか彼氏とか出てくるやつ)が手薄な感は否めなかったですが、まあ贅沢を言うとキリがない。 *4 古今東西における「人形」の役割を紹介する展覧会で、人形と言えばやっぱりセクシャルな意味合いもあるけどさすがにそれは展示できないよねー、と思いながら見てたら、最後にばっちりあって、ここ(渋谷区)は本当にすごいなと思った。もっとやってください。 *5 環境音楽家・吉村弘の回顧展。展示室に直接音楽が流れているのかと思いきやそうではなく、しかし音楽を喚起させるような愛らしい絵楽譜や、それぞれの映像から聞こえる微かな音楽によって、展示室全体がとても豊かな音楽に包まれていた。そしてそこに、微かな外音や、来場者の衣擦れや足音、小さな話し声が「環境音楽」として響いている、というわけ。写真2枚目のサウンド・チューブという展示があって、観客がめいめいにこの筒を揺らしたり、ひっくり返して、筒の中に入った水音に耳を澄ましている(そして、とても良い音だなと思う)。しかしよく考えれば、聞いている音はありふれた水音であり、つまり世界には、このように耳を澄ますべき音に溢れているんだ、ということがメッセージされている。そうして美術館の外に出るとあら不思議、外を通る車の音や風で葉がさわさわと擦れる音、いつもこの美術館の帰りに寄る鶴岡八幡宮の階段を登る自分の足音、美術館のコインロッカーで使った百円玉をそのまま賽銭箱に投げた時のコツンという音などが、全てビビットに聞こえてくる。つまりこの展示は、美術館の中でだけで完結せずに、観客の日常に対する知覚を変えることで、展示室外にもその世界がずっと続いていく、ようである。言うまでもないけれど、そういう展覧会はとても良いものだと思う。 *6 展示自体はなかなか豪華なモネ展だと思うんだけども、チケット代とか人の捌き方とか借用元とか企画元とかそういう本筋と関係ない部分がやたら気になってしまったい。でも、3,000円払って美術展を見たい、という層がこれだけ(しかも若年層も多かった!)いるというのは、ある種の救いなのかもしれぬ。 *7 PLAY!特有の見せ方のうまさと、展示されている作品群の愛らしさが上手に噛み合った、とても視覚的に幸福感のある展覧会でした。見られて良かった。
<海外編> 1104 Rijksmuseum/Museum Boijmans Van Beuningen At Rijksmuseum 1104 Van Gogh Museum/Van Gogh along the Seine 1105 Stedelijk Museum/Nan Goldin – This Will Not End Well 1107 Musées royaux des beaux-arts de Belgique 1107 Musée Magritte 1108 Musée de l'Orangerie/Amedeo Modigliani. A painter and his dealer 1108 Musée du Louvre ★1109 MARK ROTHKO Retrospective@Fondation Louis Vuitton 1109 Musée Marmottan Monet/Berthe Morisot and the Art of the 18th Century ★1109 Musée d'Art Moderne de Paris/Nicolas de Staël 1109 Musée d'Orsay/Van Gogh in Auvers-sur-Oise,Peter Doig 1110 Musée de Cluny 1110 Bourse de Commerce/MIKE KELLEY Ghost and Spirit, LEE LOZANO "Strike" etc. 1110 Centre Pompidou/Over the Rainbow 1111 Musée d'Orsay
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kozuemori · 9 months
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相変わらず猛暑が続きますね。それにしても、うちのベランダのバラは途切れることがなく元気に咲き続け、メダカ鉢の水草もどんどん増えて水面を覆い、環境への順応性の高さに驚いてます。
昨日あたりから、ぺルセウス流星群の活動が盛んな時期に入りましたね。21時頃から流れ星が現われ始め、最も多く見られるのは14日の夜明け近く(東京では3時台)とのことです。夏の夜空全体に現れる星々のショーを楽しみたいと思います。私の誘導瞑想でも夏の星空をテーマとしたものがありますので、よかったら一緒に試してみてくださいね。
来週の火曜日、8月15日は78回目の終戦記念日です。夏学期クラスの実習では、生徒さん達にいつもとはちょっと違うインスピレーショナル・ライティングに挑戦していただきました。
まず、以前このブログで紹介した『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』という本の中から一つのエピソードを選んで読みました。そのエピソードは、この本の著者であるポール・ウォーカーさんが担当していたラジオ番組に寄せられたアメリカ人の元軍人ロバートさんからの投稿文で、実際に番組内で紹介された実話です。
・・・・・・
第二次世界大戦が終わり、私(ロバートさん)は占領軍の一員として沖縄に駐留していました。当時基地内でよく盗難事件が起こりましたが、日本人の孤児グループによるものだと思われていました。お菓子等、どうでもいいようなものばかりが盗られていたからです。
ある日、私は愛用していた自分の万年筆がなくなっているのに気づきました。こうなってはもう盗難を見過ごすことはできません。
その数日後、日本人捕虜の一人を作業任務に当たらせようと、捕虜の居住地区から一人の男を呼び寄せました。彼とは今までよく敷地内で一緒に仕事をしていて、有能で誠実な人物だと思っていたのです。
けれど、その捕虜の胸ポケットに盗まれた万年筆がささっていたのを見た私は、その場で彼に万年筆を返すよう厳しい調子で迫りました。立場的にもアメリカ人の上官の命令に背くことのできないその男は、悲しみと失望の表情を浮かべながら、渋々万年筆を差し出しました。
その後、基地内でその日本人の姿を見かけることはなくなりました。理由はわかりません。
3週間後、私の万年筆が自室で見つかりました。あの捕虜から奪ったのは、模様が似ている別の万年筆だったことが判明したのです。
あれから50年、戦後もずっと私は自分の行動を悔い、あの日本人の男に謝罪したいと願っています。
・・・・・・
この投稿を聞いた生徒さんに「このラジオ放送を偶然聞いた、かつて米軍基地で捕虜として働き、万年筆を没収された日本人になったつもりで、この番組宛に返事の手紙を書いてください」というお題を出しました。
どのクラスも素晴らしい手紙ばかりでしたが、最終日のアウェアネス・オールレベルクラスでシェアしてくださる生徒さんを募ったところ、3人の方々が協力してくださったので、ここに紹介いたします。
・・・
あれから50年たち、たまたま聞いたラジオから思い出された万年筆、これは私のことと気が付きました。
なぜか、涙が出て身体が震えました。
あの頃の戦場では誰もが生死をさまよい必死でした。
捕虜の私は、あなたに何も言えませんでした。それでもいいと思いました。
あの万年筆はあなたに差し上げたものです。
私は、あれから生きて帰ることができ、今まで暮らしてきました。
万年筆のことは思いだすことはしませんでした。
今思うと、万年筆は持ち帰らなくて良かったと思っています。
あなたは、50年もの間、苦しんで生きてきたようです。
もう忘れていいのです。
私は、万年筆をあなたに渡したときからあなたを許しています。
あなたのこれからの幸せを祈っております。
・・・
日曜の午後 たまたま聴いていたラジオから流れてきた内容にとても驚き筆をしたためました。
あの万年筆のお話しは私のことです。
とても高価な物で、私の大切な親友から貰った物です。
その友人は、この戦争で亡くなってしまい形見となってしまった物です。
あの日、彼から「渡せ」と言われ
私は大事な品を取られてはならないと必死でした。
しかし、敗戦国である私に何も守ることは出来ません。
私は、失望・絶望を経験し
あの日以降、敷地に入ることは出来ません���した。
今、50年経ち思うことは
あの万年筆と共に思い出が沢山あったが
あの万年筆は無くとも思い出が沢山あることに気付き
返してもらおうとは思いません。
また、彼の過ちを起こした理由を知り、
私は、許します。
それだけを伝えたく筆を取りました。
彼もまた幸せでありますように・・・。
・・・
ラジオをお聴きのみなさま、初めてお便りいたします。
先日の放送で、かつて万年筆を盗んだと疑われた日本人捕虜とは私のことです。
あの時の貴方へ、私からもメッセージをお送りいたします。
実はあの万年筆は戦時中、草むらで砲弾に倒れていたアメリカ兵の胸ポケットに刺さっていたものでした。
彼は息も絶え絶えで私に何かを伝え、それを私に渡そうとしました。
英語が全く分からなかった私ですが、それでも彼を不憫に思い、まるでわかったような顔で頷き、それを受け取りました。
しかし私には彼の意を汲み取り、託された万年筆をどうすれば良いのか為すすべを知らなかったのです。
それが長い間私の心のしこりとなっていました。
なので私はあの時、正直ほっとしたのです。
私は貴方を傲慢な人だと思い込んでいました。
しかしその傲慢さが私の罪の意識をいくらか拭い取ってくれたような気がして、むしろ感謝の念すらおぼえていたのです…
・・・・・・・・・・・・
夏学期クラスの中で行った誘導瞑想の中からピックアップして、ショップで音声データを販売中です。クラスの瞑想中に寝てしまった人も😅、再び挑戦したい人も😆、新たな質問をスピリットに投げかけたい人も😄、夏休み中の練習として、ぜひご活用ください。
ショップからご購入いただけます。
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「ニライカナイ  Niraikanai」 33:10
沖縄や奄美地方に伝わる伝承、理想郷とされる神々が住まう美しい島を訪れます。南国の美しい自然のエネルギーに触れ、その恩恵を受けながら癒しの旅を続けます。沖縄のシャーマンに出会い、神域に案内されたあなたは、そこで光の世界に旅立った人と再び出会う機会を与えられます。
「夏の星座  Summer Constellations」 32:21
ローマ神話に登場する全知全能の最高神、ジュピターに誘われ、夏の夜空へと旅立ちます。天空に浮かぶ数多な星に歓迎されながら、光のパビリオンで指導霊と出会ったあなたは、今年の後半へのアドバイスを受けます。美しい夏の星々が、あなたを更なる霊的な学びへと導いてくれるでしょう。
「魂の沐浴  Soul Bathing」 33:00
神聖な鳥に導かれながら、神々が集うバリ島を訪れます。聖なる沐浴を体験して心身を清め、祈り、神聖なエネルギーを受け取ります。ライステラスを見下ろす景色に囲まれながら、更なる祝福を受けるために霊峰を訪れたあなたに、水と火のエレメントが織りなす霊的な出会いが待っています。
「エル・ドラード  El Dorado」 33:26
かつてのスペインの征服者達によって広まった黄金伝説、エル・ドラードを探し求め、あなたは黄金色に輝く美しい都市を訪れます。そこで待っていた高潔な生き方や精神的な覚醒を達成し、神聖な存在と見なされている人々は、あなたの霊性開花への道をより明確に示してくれるでしょう。
「ヴィジョン・クエスト  Vision Quest」 29:44
どこまでも続く赤い大地と青い空に囲まれながら、あなたは霊的成長への旅を始めます。ガイド役に選ばれた美しい姿をしたスピリット達に見守られながら、宇宙のグレート・スピリットと交信し、その大いなる智慧と恩恵と無条件の愛に触れながら、今世での魂の課題を確認しましょう。
「青い家  La Casa Azul」 33:20
コロニアル様式の古い建物が並ぶ美しいメキシコの街に佇む、画家フリーダ・カーロの家を訪れます。逞しくも美しい画家の個性にふれ、魅力的な住まいと生命力に溢れる作品のエネルギーに囲まれながら、クリエイターとしての自分の使命に新たな刺激がもたらされるのを感じてください。
夏学期クラスで好評だった誘導瞑想もシェアしますので、よかったら試してくださいね。(下のリンクをクリックすると視聴できます)
秋学期クラスへのお申込受付を開始いたしました。実りの秋、1年の霊性開花の締めくくりを共に体験してみませんか?皆さまのご参加をお待ちしています!
お申し込みはこちらからどうぞ。
継続の方は直接ショップからお申し込みください。
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今後のイベント・ワークショップ 詳細はこちらから
ドロップイン・ナイト 各回とも木曜日 19:00〜20:00
・8月31日(木)指導霊のサイキックアート
・9月14日(木)過去世のサイキックアート 
・11月9日(木)指導霊のサイキックアート 
お申し込みはアイイスまでどうぞ! 
下の写真は、過去に開催したドロップイン・ナイトで行った指導霊と過去世のサイキックアートから抜粋したものです。
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2021年7月1日(木)
【お知らせ】
蔓延防止等重点措置に基づく要請を受け、営業時間、内容を次のようにします。
2021年6月21日~7月11日
営業時間
火~金 11:30~20:00
(ラストオーダーは19:00, テイクアウトのみ19:45)
土 8:00~14:00, 17:00~20:00
(ラストオーダーは19:00, テイクアウトのみ19:45)
日 8:00~13:00
(ラストオーダーは13:00)
お酒の提供については、11:00~19:00までとし、同グループ2名様までのお客さまに限ります。
ご迷惑おかけしますが、なにとぞご協力の程よろしくお願いします。
7月が始まりました。梅雨もまだまだ続くようです。とりあえず河川敷という野外音楽スタジオで練習をしている店主は、当分天気予報から目を離せません。
そして、梅雨が明ければいよいよ夏本番です。今年は暑さ対策としてストレッチタイプの長袖シャツとロングパンツを用意しましたが、強い日差しから顔の日焼けをどう防ぐかが課題となっていました。
Amazonのプライムデー中にふと目に留まったのが、こちらのハンティングハット。青年海外協力隊時代にこのハンティングハットをさらりと着こなしていたサラワンの養殖隊員を思い出します。彼の帽子にはなかった、顔と首の日焼け防止の防護布がこちらの帽子にはついています。いくつかの類似品から慎重に選び、取り寄せました。
銀河鉄道999の哲郎の帽子を彷彿させ、なかなか気に入っています。帽子だけでも十分日差しを避けてくれるので、防護布は使っていません。さすがにこれで街中を歩く感性は、まだ店主に育っていないようです。
銀河鉄道999といえば、先日美容室の店長とメーテル談話をしました。店主くらいの世代から少し上の世代の男性は、メーテル幻想を抱いているというのが、店主の持論です。特に当時小学生だった店主にとり、メーテルはやさしくてきれいなお姉さんという、それだけで憧れてしまう存在です。
「そんなきれいな大人の女性が、哲郎のような子どもを連れて旅。ないわー。」とばっさり切り捨てる店長。「一歩間違えたら人さらいやね。」女性の観点は、男のロマンをあっさりと打ち砕くのでした。
「そもそもメーテルって、どんな女性なん?」と、999をよく知らないという店長の質問。店主の覚えている限りでは、少年をネジに変えるために、お母さん(1000年女王)の所へ連れていく女性。うわ。人さらいです。
「男性って、悪い女性に魅かれるんやねー。」あれ?なんか999の世界観が変わってしまったような。
女性も男性も、毒のある者はモテる。これは店主が若い頃の主張です。あからさまに悪いヤツは論外ですよ。でも、「きれいな花にはトゲがある」くらいのトゲ、毒、悪さという要素は、その人の魅力の一部になっているのではないか?と、モテない男はうらやまケシカラン輩を見ては、やっかんでいたのでした。
メーテルよ永遠に
2枚目の写真は、2006年7月、ラオス北部の町ຫລວງນ້ຳທາ(ルアンナムター)にて撮影。市場の魚売り場です。店主が住んでいた南部ປາກເຊ(パクセー)の市場では見なかった生け簀が珍しくて、撮ったものです。現在の市場にもまだこの生け簀は残っているのでしょうか?昨年1月に寄った際には見た覚えがないので、もしかするともうなくなっているかもしれませんね。
【テイクアウト アジア飯】
東南アジアで食事をされた方なら、思わず懐かしいと声に出してしまう美味しさを。アジア料理が初めての方にも、ぜひ!
新嘉坡チキンライス ¥500
ベトナム人も認める美味しさ!新鮮な朝引き鶏もも肉を使ったチキンライスです。
叉烧饭(チャーシューライス) ¥650
香港育ちの店主の友人もお気に入りの美味しさ!自家製叉焼によるチャーシューライスです。
お薦めのデラックスシリーズ!野菜をたくさん摂りたい方に!唐揚げ好きな方に!
新嘉坡チキンライス 【デラックス】 ¥780
 サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き
叉烧饭(チャーシューライス) 【デラックス】 ¥930
 サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き
ベト・オ・レ ¥500
パウンドケーキ(1枚) ¥200
#大阪 #福島区 #東南アジア料理
Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー )
大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26
📞06-6136-7474
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end-of-olympics · 3 years
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終息宣言2021好評開催中!!森発言に絶賛抗議中!!オンライン集会はいよいよ本日!!
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[オリンピック終息宣言2021]は神楽坂セッションハウスにて2月14日まで。いよいよ折り返し。まだまだ内容はてんこ盛りです。
てんこ盛りの原因は、なんといっても森発言。開催2日前にうんざりするようなニュース。いかにもオリンピックなさ別発言(森はオリンピックにはふさわしくない、というのは間違い)、そしていかにもTOKYO2020などたばたな事態。
私たちはもともと展覧会までにTOKYO2020の中止が決定しなければ、抗議声明を出すつもりでした。そして森のせいで緊急に文章を追加。[TOKYO2020開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明]となりました。
現在、おことわリンクさんの出した声明とともに会場に掲出し、両方とも賛同人を集めています。ぜひご来場の際は賛同人になってください(文面は本記事末に掲載しましたが、例によってイケガミアツコによる朗読ビデオが速攻完成しました。会期中に深夜晴海まで行くという無謀な撮影です)。
そして待望のオンライン集会[311まであと一ヵ月、オリンピックをちゃんと理解する会]は、本日2月11日(木)19:30より!!配信はこちらから!!
https://www.youtube.com/watch?v=GbY14Tvzgr0
イケガミより[文学vsオリンピック・デスレース2020]では外苑(JOC)~市ヶ谷~神楽坂というルート上にナショナリズムのテキストがちりばめられている、との主張があり、配信が電波不良だったり、夜で風景が見えなかったりした分のフォロー動画が届きました。いきなり三本。
これはサテライト企画のさらにフォローなので、Un Official動画として紹介します。オリンピックや、ナショナリズム、建国記念の日を「ちゃんと理解する」手がかりになるか?
1.外苑内:建国記念文庫
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2.市ヶ谷駐屯地:檄文(イケガミは三島が大嫌い)
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3.東京監獄:金子文子尋問調書
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さらに会場風景の紹介続きです。
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1.三木祥子、花田伸
2.宮田昌作、平井勝正
3.吉川和江、戸山灰
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TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
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組織委員会会長 森喜朗
TOKYO2020組織委員会
日本オリンピック委員会 山下泰裕
JOC
内閣総理大臣 菅義偉
首相官邸
オリンピック担当大臣 橋本聖子
文部科学省 スポーツ・青少年局競技スポーツ課 オリンピック・パラリンピック室
東京都知事 小池百合子
東京都オリンピック・パラリンピック準備局
TOKYO2020の開催強行と森組織委会長発言に対する抗議声明
私たちはオリンピック・パラリンピックの終息を宣言する。
これはTOKYO2020の中止だけでなく、今後予定される北京、パリ、ミラノ、ロス、そしてよもやの2032年東京、のすべてである。
しかし、今、私たちがもっとも重要と考えるのは、TOKYO2020の中止である。これを止めることが「オリンピックはやめられる」ことの先例となるからだ。
中止すべき最大の理由はもちろん新型コロナウイルス感染症COVID-19の拡大である。
この一年、全てのひとびとの生活が、そして文化芸術活動やそのための施設が多くの制約を受け、破壊的な打撃にさらされてきた。美術、音楽、映画、舞台、一部のスポーツイベントも、文化のひとつに「食文化」も含めると飲食店も。公演や興行、作品制作の中止、延期、施設の休業、時短。そのことの経済的なダメージによって閉鎖した施設もあまたある。
それに対しての政府・東京都の補償は不十分だったり、見当違いだったり、業界から是正を求め、提案をしても、まったく聞き入れない。
私たち[オリンピック終息宣言]展は2月6日から14日まで神楽坂セッションハウスで展覧会を実施した。しかし、開催を選ぶにしても、いくつもの企画の縮小・変更を余儀なくされ、アルコールやマスク、定員制限といった物理的対策、なによりも精神的な不安の中開催するのだ。この負担はきわめて重い。
にもかかわらず、TOKYO2020、もう2021年なのに、こればかりはまったく中止決定せず、費用を無限にふくらませ、医療や補償にまわすべきリソースを食いつぶし、世論調査で8割もが「開催はムリ」と言っている声も聞かずに、政府、東京都、JOC、組織委員会は
「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証としてワクチンなしでも安全安心やらないというご意見があれば聞いてみたい3月には福島第一原子力発電所のすぐそばから聖火リレーをスタートし子どもたちの笑顔のための希望の灯とします毎日毎日神に祈る」などと言い続けているではないか。
たとえば、開会式の半年前の1月23日を例にとると、この日の東京都新規感染者数は1070人。オリンピックまであと181日。このふたつの数字の並びに、なぜ矛盾を感じないのか。
そもそもこの大会は、2013年安倍首相がIOC総会で「福島原発はアンダーコントロール」と大噓をついて招致したものだ。2011年3月11日から、まもなく10年。放射能汚染で帰還できない人は5万人に及び、政府は増え続ける原発敷地からの汚染水を海洋放出しようとし、聖火リレーのコースのすぐ外には汚染土のフレコンバッグが山積みされている。
そして今度は「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」として、いまだワクチン供給体制の確立すらできていないのに、世界的感染拡大からの「復興」を言い出している。
日本以上に感染者、死者数の多い国々、オリンピック参加国とされている国々に、これらの発言はどう思われるのか、考えたことがあるのか。
さらに国際的常識から乖離した発言が、日本のオリンピック推進のトップから飛び出した。
2月3日森喜朗組織委員会会長の「女性がたくさんいる会議は話が長い」である。
私たちも展覧会会期直前のこれから、という時にあまりのことに愕然となったが、国内のみならず、全世界も騒然となっている。
現在の国際的な女性差別撤廃の合意から大きく後退した時代遅れのミソジニー発言であり、同時に会議による合意形成を否定し、独断をよしとする発言だからだ。
しかしこれは、近代オリンピックの祖、クーベルタン男爵の女性のスポーツに対する「非実用的で、面白くもなく、見苦しい上に、はっきり言うと下品である」「女の栄光は、彼女が生んだ子どもの数と質を通して勝ち取られるもので、スポーツについていうなら、女の最大の功績は彼女自身が記録を目指すことではなく、彼女の息子が卓越するよう励ますことである」という思想以来、脈々と続いているものではないか。オリンピックの根底には差別の構造が存在する。だから私たちは、森会長の辞任は当然として、オリンピックそのものの中止・廃止が必要と考えている。
TOKYO2020における差別の問題、国際的常識からの乖離・遅れはそれだけではない。
昨年アメリカで大きなうねりとなったBLM、人種差別に対する抗議行動。この先駆けとも言えるのが1968年メキシコ五輪のブラック・パワー・サリュートだった。クーベルタン男爵は「スポーツで植民地先住民を教化する」という思想も持っており、そもそもオリンピックこそが差別の場である。しかし今、スポーツ界でも多くの人種差別抗議が拡がっている。全米オープンでの大坂なおみ選手しかり、BLMのシンボルのひとつでもある、アメリカ・プロスポーツでの膝まづき(ニーリング)行動しかり。抗議パフォーマンスによって弾圧されたメキシコ五輪の黒人選手たちや、ニーリングをはじめたコリン・キャパニック選手への連帯が人種を超えて拡がっていった。
それに対してJOC、組織委はどう対応したか。「TOKYO2020での政治的パフォーマンスは禁止」と、改めて発表。さらにはあろうことか、会場への旭日旗の持ち込みを「まったく問題ない」としているのだ。この日本、東京でも卑劣なヘイトデモの際に振り回される、あの1940年東京五輪当時の大日本帝国の軍旗が。
世界が、人類が、スポーツ選手もアーティストも、人種差別をなくそうと闘っているのに、この逆行はなんだ。
政府、東京都、JOC、組織委はひとの命と健康と生活、そして尊厳をどこまで軽視するつもりなのか。
TOKYO2020は、ひとびとに「オリンピックとは健康や生命を脅かし、差別をまき散らすおそろしい疫病だ」と知らせる機会となった。政府、JOC、組織委員会の迷走と開催への異常な固執により、今や多くのひとびとに、その正体は見抜かれている。
オリンピック・パラリンピックは健康を、生活を、文化・芸術を破壊する。オリンピックはスポーツの敵ですらある。オリンピックは人類の命を奪う疫病だ。
これをやめることこそ、真の「希望の灯」である。
終息せよ、TOKYO2020、終息せよ、オリンピック。
2021.2.15
オリンピック終息宣言2021実行委員会
オリンピック終息宣言2021出品作家一同
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tahquaguix-blog · 6 months
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《スマイルカットについて》
  久々の更新になってしまいました。 スマイルカットについて少し思うことがありましたので こちらに書かせていただきます。   《スマイルカットを実施するにあたって》 スマイルカットをする際 一番に気をつけていることですが 『無理をさせない』 が大前提です。 カットをしていて嫌がる時はすぐにカットを止めます。 クシを通しただけでも同じです。 クシを通すこと 普通にできるでしょ?と思いますが お子さんからすると クシを通すって何??から始まります。 ハサミで切ることも同じです。 全てが初めてなんです。 少しずつ少しずつ「大丈夫だよ」と慣れていったら 次のステップです。 他のことに集中してる間にカットができることもありますが 大人でも長い時間の集中力って難しいものです。 お子様だともっと難しいことです。 集中してる間にカットができたとしても 次は切らせてくれないことの方が多々あります。 これも…
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xf-2 · 4 years
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1人が死亡し18人がけがをした福島県郡山市の飲食店の爆発事故で、死亡したのはこの店で行われていた改装工事の現場監督だった仙台市の50歳の男性と確認されました。警察と消防はプロパンガスによる爆発とみて詳しい状況を調べています。
30日午前9時前、福島県郡山市島2丁目にある飲食店、「しゃぶしゃぶ温野菜郡山新さくら通り店」で爆発がありました。 店の中で男性1人の遺体が見つかり、警察が身元の確認を進めたところ、仙台市太白区の会社員、古川寛さん(50)と確認されました。 警察などによりますと、爆発が起きた店は新型コロナウイルスの影響で4月から休業し、その期間中に店舗の改装を行っていたということです。 古川さんが勤務する仙台市の設計施工会社によりますと、古川さんはこの店の改装工事の現場監督で、壁紙を塗装したり床を貼り替えたりする作業を行い、ガス関係の工事は請け負っていないということです。 今回の爆発では、このほか周辺の銀行のATMを使っていた人や近くの会社の事務所にいた人など、20代から80代の男女18人がけがをしました。 このうち40代の女性2人が重傷ですがいずれも意識はあり、残りの16人は軽いけがだということです。 消防によりますと、爆発が起きた建物の敷地にはプロパンガスのボンベが6本倒れていて、このうち3本でガスが漏れ、バルブが壊れていたということです。 警察や消防はプロパンガスが爆発の原因とみて詳しい状況を調べています。
仙台市にある設計施工会社の小西造型は、今回爆発が起きた現場の店舗で壁の塗装や床の張り替えなどの工事を請け負っていました。
この工事は、今月23日から始まり、30日は、店の看板を補修する予定だったということです。
古川さんは30日朝、宮城県内の自宅から会社の車で現場に向かい、午前8時10分ごろ、現場に着いたことを会社に連絡していました。
契約している警備会社に、古川さんが午前9時の数分前に現場の建物の鍵を開けた記録が残っているということで、それ以降は連絡が取れていないということです。
当時現場にいた社員は、古川さん1人だったということです。小西造型は「古川さんは仕事熱心で、誰よりも現場に詳しい優秀な方でした。事故の原因は分かりませんが、亡くなってしまったことは非常に残念です」としています。
爆発による衝撃 数百メートルにわたる
爆発現場となった郡山市島2丁目付近は、郡山市役所から西に1キロほど、JR郡山駅から、西に3.5キロほど離れています。
市の中心部で、商業施設や住宅地が広がる地域です。
爆発による衝撃は、数百メートルにわたって伝わったとみられ、周辺の店舗や住宅に、窓ガラスが割れるなどの被害が出ています。
このうち、現場から南に150メートルほどの離れた桑野協立病院では、職員が地震と間違えるような震動を感じ、1階から4階までの窓ガラスがあちらこちらで割れているということです。
また、現場から東に370メートルほど離れた郡山女子大学付属幼稚園でも、ドンという大きな音とともに窓ガラスが1枚割れる被害が出ています。
爆発は改装工事中のフランチャイズ店
「しゃぶしゃぶ温野菜」の運営会社を傘下に持つ外食大手の「コロワイド」によりますと、爆発があった「郡山新さくら通り店」は直営店ではなく、いわゆるフランチャイズ経営の店舗だということです。
平成18年に開業し、これまでに店側からガス漏れのトラブルが報告されたことはなかったということです。
この店舗は、ことし4月23日から新型コロナウイルスの影響で休業していて、今月21日から31日までの予定で改装工事を行っていたということです。
隣の電気工事会社 5人けが
爆発があった飲食店の東側にある、電気工事の会社に勤務している65歳の男性によりますと、当時、社内では100人ほどが勤務していたということで、男性は天井から落ちてきた照明が頭にぶつかりけがをしました。
また、この男性も含め合わせて5人が割れた窓ガラスが当たって首に切り傷を負ったり、崩れてきた壁で背中を打ったりするなどの軽いけがをしたということです。
男性は「とても大きな衝撃で、飛行機が墜落したかと思いました。事務所の窓ガラスが数多く壊れて、突然落ちてきた照明に頭をぶつけ、けがをしました。会社が再開できるように、いち早く復旧したいという思いです」と話していました。
100メートル余り離れた高校では
爆発が起きた飲食店から南へ100メートル余り離れた高校では、爆発の衝撃で教室の窓ガラスが割れ、けが人はいませんでしたが、生徒たちの間には動揺が広がっていました。
郡山女子大学附属高校は、夏休みが短縮された影響で31日までが登校日で、爆発が起きた当時は朝8時40分から全校で試験が行われていたということです。
学校によりますと、爆発による爆風や揺れで30枚ほどの窓ガラスが割れたりひびが入ったりしたほか、天井の配管がずれたり、ドアが壊れたりする被害があったということです。
けが人はいませんでしたが、被害を受けて、その場で泣きだしたり、過呼吸になった生徒が少なくとも10人はいたということで、担架や車いすを使って保健室に運び、休ませたということです。
もっとも被害が大きかった2年1組のクラスでは、校舎の北側にあたる窓ガラス2枚が大きく割れ、すぐ近くの机の下に落ちていました。
窓側から2列目の席に座っていたという生徒は「耳が痛くなるくらいの大きな音がして、同時にガラスが割れ、すぐに体を投げ捨てるようによけました。とても怖かったです」と話していました。
また、隣のクラスにいた40代の男性教諭は「窓が揺れるような風圧がものすごく強く、試験中だったが、生徒たちも動揺し、自分自身も恐怖を感じた。生徒には大きなけがの報告はないが、非常に動揺している」と話していました。
約120メートル離れた病院では
現場から北におよそ120メートル離れた病院に併設されたリハビリ��設でも爆発で大きな衝撃がありました。
施設の中にある浴室の脱衣場では天井の一部が崩れ、火災報知器が垂れ下がった状態になっていました。
また、リハビリなどを行う部屋でも天井についていたエアコンのカバーが2つ外れたということです。
そして、施設の中にある時計は8時55分のままで、爆発の衝撃で止まったものとみられます。
爆発当時、リハビリ施設で勤務していた理学療法士の海藤寛喜さんによりますと、施設には利用者とスタッフおよそ30人がいましたが、けが人はいなかったということです。
海藤さんは「耳が痛くなるような大きな音と地震のような大きな振動を感じ、最初は何が起こったのか分からなかった。利用者の安全性の確保を最優先に考えました」と話していました。
現場近くの病院看護師「爆発音が2回 すごい音と風圧だった」
爆発があった現場から南に100メートルほどの桑野協立病院では、現場側の病室などの窓ガラス、およそ90枚が割れ、さらに病棟内の一部の電灯も落ちる被害がありました。
当時、病院には入院患者およそ80人と看護師などのスタッフおよそ120人の合わせて200人余りがいましたが、けがをした人はいなかったということです。
病室にいた看護師は「突然、爆発音が2回して、すごい音と風圧だった。窓が粉々になって、外を見ると辺りは灰色の煙に覆われて見えなくなっていた。何が起きたか分からず、必死に患者の安全を確認した。振り返ってみるととても怖く全員が無事だったのは奇跡だと思う」と話していました。
病院は、30日は外来診療を休止し、31日からは一部を除いて再開する予定だということです。
美容院で働く女性「建物の近くの道路に人が倒れている様子確認」
福島県郡山市で爆発があったとみられる現場から東側に450メートルほど離れた美容院で働く女性は、当時の様子について「ドンという爆発音を聞いたので急いで店の外に出てみると、建物から煙があがっていました。建物の近くの道路には人が倒れているような様子も確認できました」と話していました。
また、この美容院の周辺の店舗などでも窓ガラスが壊れるなど被害がでているということです。一方、この美容院には被害はなかったということです。
郡山市が避難所を開設
福島県郡山市は、爆発の影響で住宅に被害を受けた人などを受け入れるため、午前10時から、市内の亀田1丁目にある「桑野地域公民館」に避難所を設けています。
総務省消防庁 現地に職員派遣
総務省消防庁は原因の調査を支援するため、消防研究センターの職員を現地に派遣することを決めました。
また、消防庁の職員も管轄の消防本部に派遣することにしていて、爆発が起きた状況などを詳しく調べることにしています。
専門家「漏れたガスの量もかなり多かったのでは」
東京消防庁のOBで、市民防災研究所の理事、坂口隆夫さんは「映像を見るかぎり、プロパンガスが室内に漏れて、何らかの原因で着火して爆発したと考えられる。店の天井や壁が全体的に吹き飛んでいて、骨組みだけになっている。周囲も4つの方向すべてで被害を受けている。漏れたガスの量もかなり多かったのではないか」と指摘しています。
そのうえで、「これだけ激しく建物が壊れているので、建物は耐火構造ではなく、簡易的な構造だったのではないかと推測される。耐火構造であれば、壁などがすべて吹き飛ぶということは、よほどの圧力が加わらないと起きないと思われる」と分析しています。
この飲食店は新型コロナウイルスの影響で4月から休業していて、その間に改装を行い、31日から営業を再開する予定だったということです。
こうしたことも踏まえ、爆発の原因については、「通常の状態であれば、ガス漏れはそう簡単に起きるものではない。営業再開に向けて改修工事をしていたならば、ガスの配管、あるいは器具の近くで工事などが行われていた可能性があり、それによってガス漏れが発生したのではないか、ということがまずは考えられる」としています。
また、長期の休業を経て営業を再開するほかの飲食店についても「ガスの元栓を閉め、店舗内にガスが供給されないような状況にしてほしい。ガスの元栓や配管の点検をしっかり行うことが必要だ」と注意を呼びかけています。
過去の主な爆発事故
建物が突然、爆発し死者やけが人が出た事故は過去にも相次いでいます。
おととし7月の西日本豪雨では、岡山県総社市のアルミ工場に近くの川からあふれた水が流れ込んで爆発が起きました。
周辺の住民数十人が骨折などのけがをしたほか、飛び散ったアルミで住宅が焼けるなどの被害が出ました。
また、おととし12月には、札幌市の不動産会社の店舗で爆発があり、周辺の住民など40人以上が重軽傷を負ったほか、まわりの建物の窓ガラスが割れるなどしました。
この事故では、店舗内で除菌消臭用スプレーを大量に噴射したことで可燃性ガスが充満し、給湯器のスイッチを入れたことで爆発が起こったとみられています。
さらに、今月5日には、静岡県吉田町の工場の倉庫から火が出て爆発的に燃え広がり、消防隊員3人と警察官1人の合わせて4人が死亡しました。火元を調べていた4人が、突然、爆発のようなものに巻き込まれたとみられています。
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chishiru61 · 10 months
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2023年上半期に見た展覧会
0103 大竹伸朗展@MOMAT 0107 パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館 0118 没後200年 亜欧堂田善 江戸の洋風画家・創造の軌跡@千葉市美術館 0121 江戸絵画の華【第一部 若冲と江戸絵画】@出光美術館 0121 特別展「毒」@国立科学博物館 0131 アンディ・ウォーホル・キョウト@京都市京セラ美術館 0131 大阪の日本画@大阪中之島美術館 0205 佐伯祐三 自画像としての風景@TSG ★0219 交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー@東京都庭園美術館 *1 0223 YUMING MUSEUM@TOKYO CITY VIEW 0226 マリー・ローランサンとモード@Bunkamuraザ・ミュージアム ☆0226 ヴォルフガング・ティルマンス「Moments of life」@エスパス ルイヴィトン東京 *2 0228 ルーヴル美術館展 愛を描く@国立新美術館 0318 鳥絶技巧 ―渡辺省亭を中心に―@加島美術 0318 DUMB TYPE 2022:remap@アーティゾン美術館 0318 アートを楽しむ−見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館 0325 生誕100年 柚木沙弥郎展@日本民藝館 0329 レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才@東京都美術館 0329 特別展「東福寺」@東京国立博物館 0329 芳幾・芳年─国芳門下の2大ライバル@三菱一号館美術館 0407 建物公開2023 邸宅の記憶@東京都庭園美術館 0409 横尾龍彦 瞑想の彼方@神奈川県立近代美術館葉山 0409 美しい本-湯川書房の書物と版画@神奈川県立近代美術館鎌倉別館 0415 本と絵画の800年 吉野石膏所蔵の貴重書と絵画コレクション@練馬区立美 術館 ☆0419 クリスチャン・ディオール、 夢のクチュリエ@MOT *3 ★0419 志賀理江子×竹内公太「さばかれえぬ私へ Tokyo Contemporary Art Award 2021-2023受賞記念展」@MOT *4 0421 江口寿史イラストレーション展「東京彼女」@東京ミッドタウン日比谷 0422 今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティ アートギャラリー 0422 エドワード・ゴーリーを巡る旅@渋谷区立松濤美術館 0423 国宝・燕子花図屏風 光琳の生きた時代1658~1716@根津美術館 0423 インターメディアテク開館十周年記念特別展示『極楽鳥』@インターメディアテク 0429 「重要文化財の秘密」 問題作が傑作になるまで@MoMAT 0503 生誕140年特別展 アトリエの朝倉文夫@朝倉彫塑館 0503 「買上展」藝大コレクション展2023@東京藝術大学大学美術館 0505 芸術家たちの南仏@DIC川村記念美術館 ★0506 江戸絵画お絵かき教室@府中市美術館 *5 ☆0507 マティス展@東京都美術館 *6 0527 ブルターニュの光と風@SOMPO美術館 ☆0527 憧憬の地ブルターニュ@国立西洋美術館 *7 0603 大阪の日本画@TSG *8 0618 ベルギーと日本@目黒区立美術館 *9 0623 愛のヴィクトリアン・ジュエリー@大倉集古館 ★0623 木島櫻谷―山水夢中@泉屋博古館東京 *10 ☆0623 伝説のファッション・イラストレーター 森本美由紀展@弥生美術館 ☆0624 ジョルジュ・ルオー ―かたち、色、ハーモニー―@パナソニック汐留美術館 0624 恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造@上野の森美術館 0630 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
*1 とても内容の濃い、咀嚼しがいのある展覧会。2時間は見た。これまで断片的には知りつつ、総体としてどのように組み合わさっていたかは正しく理解していなかった、アール・デコ前後の動きの相互関係がよくわかった。ただしそれらは単純に一本の線で示されるものではなく、行きつ戻りつしながら、ジグザグと進んでいく。なるほどそれは「ポリフォニー」であり、カタログなどの「はじめ」から「おわり」に向かうメディアでは説明がし辛く、まさしく展覧会という場で見せるにふさわしいテーマ。結局本の方が、ストーリーを語りたいだけで言えば資料集めやすいじゃんね、という問題が常につきまとう中、まさしくこれは「展覧会」である意味がある展覧会。 *2 写真の見方はいまだによくわからないのだけれど、これが自分の気持ちにぴったりくるものなのはわかる *3 聞きしに勝る資本力。MOTからすれば、ほぼ貸し館的な企画である一方で、牧村虎雄や河野通勢の油絵とのコラボレーション展示など、学芸員の矜持を感じるスポットも。 *4 ディオールも吹っ飛ぶ内容。いきなり現れる大型映像インスタレーションから目が離せない。一見無関係に見える2者の展示に通底するテーマに触れた時、鳥肌が止まらない、です。 *5 いくらなんでも面白すぎる。今回のテーマは「お絵かき」で正直ナメてた(ナメてないけど)が、要するに作品がどのようにして描かれてるかを絵師目線で紐解いて、鑑賞者に対して絵をより開いた内容にするという、いつもの金子節。いつもそうだけど、府中の展示で学んだ内容は、後々に他の展示を見るときにジワジワ効いてくる知識なのでありがたい。そんな「お絵かき」というテーマが通底しつつ、後はいつもの「こんなおもろい絵出てきたよ」というご開帳・・この辺の、「春の江戸絵画まつり」定番の出し惜しみのなさは相変わらず凄い。もうちょっとゆっくり見せて!と言いたくなるくらい次から次へ面白い絵が襲来して、頭の中が大渋滞になる至福。あー、前期も来ればよかった。 *6 僕はマティスが好きなのでありがたく拝見したけれども、展覧会としてはややボリュームに欠けたのは正直なところ。そもそも、ポンピドゥーセンターのコレクションだけでは確かにちょっと難しいよね・・��一方で、時代順のレトロスペクティブの形でマティスを見るのは初めてで、どの時代の絵も「ああマティスだな」と思う絵なんだけれども、その前後関係を復習できたのは面白かった。あとは彫刻のセクション、あそこがもう少し、マティスの画業とどこまで結びついているのか丁寧な説明があると良かったな。「形態」っていうキーワードは何回か出ていたけれども、結局は色彩の話に隠れてそのテーマが見えづらくなっていたような気がします。 *7 さる筋によると本当に偶然テーマが被ったみたいですが、これは2本まとめて見るべき展覧会だったなと。ホワイトインターナショナル企画の方が扱っている時代と流派の幅が広くて、いくつもの絵画の流派を通して、「ブルターニュ」という題材が繰り返し変奏されていくような構成が面白かった。一方で、絵画として見ごたえのある作品が多かったのは当然西美の方だったのだけれども。。リュシアン・シモンの絵画は日本人好みな感じがした(当然僕も好き)、今後その画業に光が当たることはあるのだろうか。 *8 大阪で前期見たけれど、案外後期の方が好みかも。 *9 ベルギーに学んだ日本人画家(とその師匠)の作品や、ベルギー美術の日本における受容の様相を紹介する試み。展示の中であまり総括のようなセクションがなかったので、図録の巻頭エッセイを読んだところ、「ベルギー美術の日本における受容は散発的かつ偶然のものにすぎないが、ベルギーは小国というハンデがあるし、そもそも海外の美術の流入などはもともと偶発的なものである」的なまとめ方がされていて、なんと正直な、と。確かに、わざわざテーマ設定をしている割に、さほど大きな影響関係が見られるわけではなく、そういう意味では練馬でやってた「日本の中のマネ」にちょっと似ているなとも思いました。 *10 とても良かったです。色の使い方とか、とても好みだった。日本画で素直に「あ、いいな」と思えたのが初めてだったので、それが嬉しく、思わず画集を手に取る。木島櫻谷は図版でしか見たことがない画家だったので、やはり日本画は(もちろんなんでもそうですが)実物を見ると違うな、と思った次第。
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dainana-seagull · 4 years
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劇評など critic
作品をめぐるこれまでのテキスト ※敬称略 ※所属や肩書きは執筆当時のもの
カトリヒデトシ(2010) 平山富康(2010) 亀田恵子(2010) Marianne Bevand(2011) 間瀬幸江(2011) 唐津絵理(2011) 金山古都美(2012) 島貴之(2012)
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カトリヒデトシ(エム・マッティーナ 主宰 舞台芸術批評)
「なぜ日本人がチェホフをやるのか?」と問うのは、かなりダサい。
今までの蓄積に付け加える、新しい文脈・意味を発見し提示するのだという優等生的な答えは間違っていると思っている。それでは、ヨーロッパ文化をきちんと学んだという模範解答になり、単なるレポートになってしまうだろう。
古典を何度でも取り上げることは、芸術の目指す「絶対的有」への敬虔な奉仕である。「有りて在るもの」への畏怖の気持ちは洋の東西といったものは関係ない。芸術へひざまづき、頭をたれることは、芸術家の基本的な資質であるし、それこそが歴史や文化的差異を超えようとする意思の現れにつながっていく。現代から古典を読み直し、古典から現在を照らすことにこそ、古典に取り組む大きな意味がある。
また、孔子は論語で「子は怪力乱神を語らず」といった。これは軽々しくそれについて語ってはならないと理解するべきで、超常現象にインテリは関わらないということではない。芸術は人間を超えた存在、「不可知な存在」を認知することが第一歩であろうから。
第七の演劇には、不可知が全体を包みこもうとする力。またそれに触れた人間の、根源的な「生」への畏怖がよく現れている。
それらの二点で第七劇場は大切な存在だとおもっている。 たとえば、今回の「かもめ」はチェホフの本質に迫ろうとする試みである。
ダメな人間がダメなことしかしないで、どんどんダメになっていってしまうのがチェホフ世界の典型である。そこには没落していく帝政時代の裕福な階級を描き続けた、彼の本質が現れている。
それはチェホフには、たれもが時代に「とり残されていく」、乗り遅れていく存在であるという認識があるからである。つまり、「いつも間に合わないこと」こそが人の本質なのだという考えである。
取り残されていくことは悲しい。何も変わらなければ既得権を維持できるものを、時代の変化によって、何もかもが「今まで通り」ではいかなくなる。チェホフはそれを、「われわれは絶えず間に合わず、遅れていく存在なのだ」と確信にみちて描く。苦い認識である。
人間はいつでも誰でも、既にできあがった世界の中に生み落とされる。誰もがすべてのものが現前している中にやってくる。個々人は、養育や教育によって適応をうながされるだけである。人は限りない可塑性をもって生まれるが、時代や地域や環境によって、むしろ何にでも成り得たはずの可能性をどんどん削ぎ落とされていく。
現在ではすたれてしまったが、日本には古代から連綿と続いた信仰に「御霊」というものがある。人は死んだ際に、現世に怨みを残して死ぬと、祟るものだという信仰である。「御霊」は、残った人たちに、天災を起こしたり、疫病を流行らせたりする。やがて人々は天災疫病が起こった時に、誰の「祟り」であろうと考えるようになる。それを畏れるために死んだものの魂が荒ぶらないように崇め拝めるようになっていく。人々に拝まれ、畏怖されるうちに、荒ぶった魂は落ち着いていき、「神」として今度は人々を護る存在へと変わっていく。だから「御霊」はおそろしいものであるだけではない。
「荒ぶる魂」を、第七は「かもめ」の登場人物たちの「遅れ」「取り残されていく」姿の絶望の結果に見る。舞台はその絶望からの荒ぶりに共振し、増幅し、畏怖を現す。
チェホフの持っていた、人に対する「諦観」を大きな包容力で抱え込んこんだ上に、零落していくことへの激しい動揺を、魂の「荒ぶり」として表現する。それは現在の私たちでは到底もち得ない、激しい「生」の身悶えである。
その方法として舞台に遠近法が援用される。 奥行き作り出すことによって、「位相=層=レイヤー」が作りだされる。 後景の美しいオブジェは遥かに遠い「自然」の層で、あたかも人の世を見つめ続ける「永遠」や「普遍」を感じさせる。そして中景は「六号室」のドールンのいる老練の世界、経験に基づいて生きる老人の世界である。患者たちは遊戯する体を持ち、永遠の世界を希求する。その三層を背負って、最前景で「かもめ」の世界が現れる。かれらは都会と田舎、人と人の現世の距離によって引き裂かれていき、苦しみ世界を生きるものとして描かれるのだ。
そう、日本人「にも」チェホフが描けるのではない。 日本人「にしか」描けないチェホフがあるのである。
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平山富康(財団法人 名古屋市文化振興事業団 名古屋市千種文化小劇場 館長)
遡って2010年2月、名古屋市の千種文化小劇場で企画実施した演劇事業『千種セレクション』(同劇場の特徴的な“円形舞台”を充分に活用できそうな演出家・団体を集めた演劇祭)で、第七劇場の『かもめ』は上演されました。企画の立ち上がった頃には、第七劇場は『新装 四谷怪談』の名古屋公演を既に果たしていて、その空間演出力が注目されていた事から企画の趣旨に最適でした。参加団体は4つ、持ち時間は各60分。それぞれ会話劇・現代劇の再構成・半私小説的創作劇とラインナップが決まる中、第七劇場のプレゼンは“チェーホフの『かもめ』を始めとする幾つかの作品”との事…たったの60分で。一体、どんな手法で時間と空間の制約に収めるつもりなのか。当惑をよそに第七劇場が舞台に作ったのは、さしずめ「白い画布」でした。舞台は一面、真っ白なリノリウムが敷かれ、無骨な机や椅子との対照が、銅版画のように鋭利な空間を立ち上げていました。舞台と同じく白い衣装をまとった俳優(彼女らは『六号室』の患者たち)は静謐な余白のようです。が、幕が開いて、彼女らが見せる不安な彷徨と激した叫びが「鋭利な銅版画」の印象をより強めていきます。この画布が変化を見せるのは、チェーホフの他作品の人物たちが続々と舞台に位置を占めていく時でした。彼らは暗い色の衣装をまとって、これまでの描線とは異なる雰囲気です。こうして、既にある版画の上から幾人もの画家が新たな絵画を描くように芝居は進みました。幾つもの物語の人物が、互いの世界を触れあわせていく現場。彼らが発する言葉と声、静と動が入り混じる身体の動きは、新たな画材でした。時に水墨画、木炭、無機質なフェルトペン。余白を塗り込めたと思えば余白にはねのけられる「常に固定されない描画」のようにスリリングな作劇��、観客の前でリアルタイムに展開されたのです。終演後のアンケートでは“視覚的に美しい贅沢な構成” “話を追いそこねても目が離せなかった” “世界がつくられていく感覚” “難しい様で実はわかりやすい”と、中には観劇の枠に留まらない感想も多々あり、第七劇場が『千種セレクション』で残したのは、限られた空間で無限に絵画を描く様な演劇の可能性だった…というのが当時の記憶です。名古屋市の小劇場で室内実験のように生まれたその作品が、再び三重県で展開され、これから皆さまはどのように記憶されるか。非常に楽しみです。
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亀田恵子(Arts&Theatre Literacy)
第七劇場の『かもめ』を見終わったあと、どうしようもなく胸高鳴る自分がいた。新しい表現の領域を見つけてしまったという心密かな喜びと、その現場に居合わせることの出来た幸運に震えた。彼らの『かもめ』は演劇作品に違いなかったが、別の何かだとも感じた。「ライブ・インスタレーション」という言葉がピタリと腹に落ちた。「インスタレーション」とは、主に現代美術の領域で用いられる言葉で、作家の意図によって空間を構成・変化させながら場所や空間全体を作品として観客に体験させる方法だ。元々パフォーミング・アーツの演出方法を巡る試行錯誤の中から独立した経緯があるというから、演劇との親和性は高いのだろう。しかし、すべての演劇作品が「インスタレーション」を感じさえるかといえばそうではない。
舞台を四方から客席が取り囲む独自な構造を持つ千種文化小劇場・通称“ちくさ座”(名古屋市)。この舞台に置かれていたのは白い天板の長テーブルが1つに、黒いイスが数客。天井からは白いブランコが1つと、羽を広げた“かもめ”のオブジェが吊られており、床は八角形状に白いパネルが敷き詰められていた。役者たちの衣装もモノトーンやベージュといった大人っぽい配色でまとめられ、全体としてスタイリッシュな印象だ。舞台セットの影響なのか、作品中のセリフでは、チェーホフの『六号室』や『ともしび』といった他の作品の一部も引用され、人間の生々しい欲望や絶望を色濃く孕むセリフが続くが、不思議と重苦しさに傾くことがない。むしろチェーホフの描く狂気や人生における悲しいズレが、役者の身体と現実の時間を手に入れ、終末に向かって疾走する快感へと変容していく。役者たちの独自の強い身体性が、無機質な空間の中で描く軌跡は、従来の演劇の魅力だけでは説明が難しい絶妙なバランスを生み出しているのだ。
第七劇場の『かもめ』は、演劇の枠だけで完結しなければ「インスタレーション」作品として押し黙っている存在でもない。戯曲に閉じ込められた時間を劇場という空間に新たにインストールし、生きた役者の身体によって再生する。それは観客との間に「今、この瞬間」を共有する「ライブ・インスタレーション」として新たな領域を創造する行為に他ならない。
「インスタレーション」は、観客の体験(見たり、聞いたり、感じたり、考えたり)する方法をどう変化させるかが肝らしい。この作品は優れた演劇作品であると同時に「インスタレーションの肝」そのものではないかと思うのである。
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Marianne Bevand(フランス・舞台芸術プロデューサー)
2011年3月、パリで第七劇場の『かもめ』を観たとき、このよく知られたチェーホフの戯曲において何が問題となっているかを、はじめてよく理解できた機会だった。『かもめ』は昨年にあまり成功していないと感じるいくつかの演出版しか観ていなかったが、私の心を奪ったこのロシア演劇の日本人演出を私はたまたま観る機会を得た。
私は演出・鳴海康平の力量に感動した。深く人間性を表現できる俳優への的確な演出があり、とても美しいシーンを舞台上に構成していた。このすばらしいパフォーマンスの中で、私はある種の普遍性を感じた。私の演劇に関する感覚的な願いが実現するためには、この日本の第七劇場を待たなければならなかった。チェーホフ戯曲の人物を演じながら、偉大なる悲劇だけに可能な想像空間のひとつへと、私を連れ去ることに俳優たちは成功していた。この芝居の最初から私は現実の世界から引き離され、登場人物が衝動や欲求や悲しみによってつき動かされることに目を見張った。それは『かもめ』の中心となる感情である。
素晴らしい身体的なパフォーマンスを通して、俳優たちはコンテンポラリーダンスを想起させる一連のムーヴメントを創り、ときに印象的な間の中で静止する。手をあげる彼女たちは、まるで空を飛びその状況から逃げ出したしたいかのようである。しかし、閉じこめられているかのように最終的には彼女たちは地上に留まる。自由への抵抗の中で、もしくは自由が欠けた結果として、白い服を着た3人の女性の登場人物(訳者注:患者2人とニーナの3人)は、狂気の中へ落ちていくように見える。彼女たちは動きが速く、それは視覚的には、黒い服を着た他の人物たちの緩慢な動きと対照的である。舞台の中央から端へとぐるぐると回る彼女たちを見て、彼女たちは自分たちが生きている規定された世界を象徴するある種の領域を爆破したいかのようなイメージが私の心に浮かんだ。黒い服を着た人物たちは、外部の者に自分の居場所を思い出させる支配社会の象徴を思わせる。
このことは私に、チェーホフがこの作品でいかにアーティストが社会の外側に位置し、つらい時代を生きていたかを明らかにすることで当時のアーティスト状況の描写を試みたことを思い出させる。かもめにおいて、3人の女性の人物たちは、ある異なる精神状態の中で、そして目まぐるしい時空の中で彼らがいかに必死に生きるか、また彼女たちがいつもいかに社会の爪に捕えられているかを現している。
この芝居の終わりに私は自問した。「もしあなたが他の誰かとは異なるふるまいをするなら、あなたは気が狂っているとみなされるのだろうか?」いずれにせよ、第七劇場のパフォーマンスが国境を越えて、いくつかの問いを私に起こしたことは確かである。
この美しく芸術的な作品とともに第七劇場が受けるにふさわしい大きな成功を果たすことを、そしてあらゆる世界を横断し、さらに多くの観客の目と心を開くことを、私は願っている。
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間瀬幸江(早稲田大学 文学学術院 助教)
チェーホフは世界を面や立体としてとらえていた。人物という点や、人間関係という線は、それじたい基幹的ではあるにせよ、作品世界全体の構成要素のひとつでしかない。作品世界のこの広がりから何を「切り出す」のかが、舞台づくりの鍵を握る。 
今回、第七劇場の「かもめ」(シアタートラム、9月8日~11日 構成・演出・美術:鳴海康平)で中心的主題として切り出されたのは、トレープレフがニーナに演じさせる劇中劇「人も、動物も…」の部分である。母親のアルカージナに「デカダン」と嘲笑され、当の演者であるニーナにも「よく分からない」と距離を置かれてしまうこの一人芝居の内容は、人間がいかに「やさしく」接しようともいずれ寿命を迎えて消滅することが決まっている地球という惑星の命の時間から考えれば、まったき現実である。その「現実」が、舞台奥中央の老木のオブジェによって密やかに具象される。活人画を思わせるこのオブジェは、開場とともに舞台に姿を見せる、ニーナを思わせる4人の女たちの狂気を孕む無造作な動きはもちろんのこと、見やすい席の確保を願うささやかな「姑息さ」を抱えつつ舞台上の彼女たちを横目で眺める観客たちの動きも、暗がりから見つめ続けている。そして本編が始まり、いつからかそこに照明があてられ、雪のようなものがしんしんと降りだすころ、前景では「かもめ」のいくつかのシークエンスが狂乱的リズムで反復運動を始める。母親にも恋人にも振り向いてもらえずに絶望する青年の物語にせよ、成功という幻想にからめとられたまま一歩も進めない女の物語にせよ、息子を愛しながらその愛を届けることに不器用な母親の物語にせよ、ツルゲーネフには勝てないと感じる自意識の牢獄から逃れることのできない小説家の物語にせよ、個別の物語が抱え込む不毛な反復のエネルギーから発せられる絶叫は、しんしんと降り積もる雪の世界に消えていくしかない。トレープレフは、チェーホフの作った物語のとおり、最後にはピストルの引き金を引く。発射音は聞こえない。しかしそれは、弾丸が発せられなかったからではない。観客は、朽木に降り積もる雪の世界から、トレープレフの自殺や、ニーナの破滅を眺めている。人も動物もヒトデも消えうせた孤独な世界に、ピストル音が届くのは、何万光年も先なのだ。
2011年の日本で、「終わり」というブラックホールを概念としてではなく実体としてほんの一瞬でも覗き見てしまった私たちにとって、朽木の住まう冷えきった世界は、もはや象徴主義の産物ではなくなってしまった。しかし、この終末感を100年前にこの世を去ったチェーホフがすでに言いきっていたことにこそ、私たちはかすかな希望をみるのである。「三人姉妹」を演出したマチアス・ランゴフは、「私たちはチェーホフのずっと後ろを歩いているのです」と言った。それから20年が経過した今なお、チェーホフは私たちの少し前を歩いていて、たまにふと振り返りいささか悲しげに微笑んでみせるのである。鳴海康平は、劇中劇を「切り出す」ことで、無数の点と線とが錯綜して作られる立体的な時空間の表出に成功した。その数多の点や線を大事に拾い出しながらもう一度観てみたかったとの感慨を抱きつつ、9月11日のシアタートラムを後にした。演技者たちの凛とした佇まいも素晴らしかった。
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唐津絵理(愛知芸術文化センター シニアディレクター)
私たちの深層心理に迫りくる懐かしさの気配、演劇を超えて広がる舞台芸術への希求、それが第七劇場『かもめ』初見の印象だった。
白のリノリウムが敷かれ、白紗幕が下がった劇場は、ブラックボックスでありながらも、ホワイトキューブ的展示室をも想像させる洗練された空間。そこにあるのは、白い長テーブルと幾つかの黒い椅子、天井から吊られた真っ白のブランコやかもめのオブジェ、そして座ったり蹲ったりしている俳優たちの身体だ。白い空間にじっと佇む身体は、彫刻作品のようでもある。上演中も俳優たちは役柄を演じるというより、配役のないコロス的身体性を表出させている。身体の匿名性は、観客自身が自らの身体の記憶と結び付けるための回路を作り出す。それは抽象度の高いダンスパフォーマンスと通ずる身体。前半は僅かに歩いたり、ゆすったりしていた身体が、後半になるにつれて、走ったり、体を払ったり、震わせたりと、より激しく痙攣的になっていく。演劇的マイム性とは一線を画したこれらの身振りが、絶望的に重苦しく表現主義的になりがちなロシアの物語を今日の日本に切り開いていると言ってもよいかもしれない。
怒涛のラストシーンまで、作品全編を演出家・鳴海の真摯さが貫いていく。しんしんと静かに降り積もる雪のように、一見穏やかに見える身体の佇まいの内には、静かな情熱の灯がいつまでも熱く燃え続けている。それがこの作品の確かな強度となっているのだと思う。
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金山古都美(金沢市民芸術村ドラマ工房ディレクター)
2010年2月千種文化小劇場、12月三重県文化会館で第七劇場の「かもめ」を観劇。時の交錯を感じた千種、閉塞と決壊を感じた三重。どちらについてもその『観後感』は、まったく違っていて。鳴海氏の構築する世界は、その“場所”で変化し、その“人”で変化するようです。“人”とは、役者はもとより、スタッフ、劇場の人々、そして当日来られる観客、すべての“人”を包んでいます。実際観に行った私自身の変化も少なからず影響しあいながら「劇場」という空間が形成されていくのでは。そしてそれは建物の中だろうが、外だろうが、1人だろうが1万人だろうが変わらないのでは・・・違うな。変わらないのではなく、変わることも含めての「作品」なのです。白い床も、テーブルも椅子も、ブランコも「かもめ」のオブジェも、何一つ変わっていないようなのに・・・。そんな演劇のもつ『その場でしか出会えない幸せ』に皆さんで会いに行きましょう。
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島貴之(aji 演出家)
金沢21世紀美術館にあるジェームズ・タレル作「ブルー・プラネット・スカイ」という作品を見た事がありますか?
四角い白色の天井の中央が四角くくり抜かれ、そこから空が見える。故郷へ帰る度に見上げる空。移ろいやすい金沢の空。晴天、夕刻、曇り空、雨。冬はそのグレイの穴から雪が舞い落ちるのです。
曇り空の四角いグレイのグラデーション。無彩色に見えるグレイに、私は何度もさまざまな色を見た事があります。それを見上げる人の心情がそこに色を齎すのです。天井の枠に囲われた今の自分が、その遠く向こうにあるものを見通す瞬間に—。
この作品では登場人物が纏う衣装を見渡すと白から黒へのグラデーションとなっています。そして劇中では、登場人物の性格や事象に伴う心情があらゆる要素により明確に描かれています。個としての居場所、表情、身体、言葉_そしてそれらが合わさりバランスを変化させる事で、その瞬間にしかない色が次々と生まれては消えて行くのです。
それは、移ろいやすい金沢の空のようであり、また、あなたの心情を映すあのグレイのグラデーションであってほしいと願うのです。
2011年の9月に私は第七劇場の「かもめ」を拝見しました。大胆に再構成されたこの舞台に流れる時間は、キリスト教的な時間感覚の、すでに始まったが未だ終わっていない「時のあいだ」を意識させるものでした。時間は、何分・何秒という座標を流れているとされる概念だけでなく、事件・タイミングによって認識される感覚との2つに分けて考えることができます。あのハイコントラストな世界は、ニーナの事件史のある時点なのだろうと納得して観ました。クロノスでなくケイロス、あるいはゲシヒテによって物語を紡ぐ方法は個に依った場合は有効で、むしろ本質的な問いは、なぜそのように構成したかにあると思われました。それが私には「かもめ」の本体をよく知るために境界線を明らかにしようとしているというだけではなく、ほんのりと漂うロマンチックな印象に隠されているような気がしています。舞台を構成するあらゆる要素は一見、清貧とも言えるほど禁欲的に佇み、それがある種の理想として観客に迫っていましたが、私達は同時にその内側にあるもっと柔らかで繊細なモノも見ていました。その存在が、内側からも外側からもこの作品の再演を促しているのではないかと思っています。
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redux-pain · 5 years
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FORT Info: 地域/PLC
[note: part 1: Kisaragi City to Kisaragi Post Office. These entries are where more omissions and mistakes start to show up, either due to lack of space or because the TL was overworked. It seems that the same person did the area descriptions you see on the map, since a few of those area descriptions use information from these entries here to sum things up in less space.]
如月市
海に臨む小高い丘に広がる、周囲2キロ四方ほどの小さな市。夕日が特に美しいことから、別名サンセット・シティとも呼ばれている。如月市自体は小さいが、150年近く前に撮られた数枚の街の風景が、銀板写真として残っていることから、古い街と言える。
歴史の表舞台に登場したことが無く、その古い写真以前の資料としては、田畑の区画帳に街の名が記されているぐらいである。海は近くにあるが、水深と波の高さの問題で港に適しておらず、せまくて急な坂が多く、景観には優れているが田畑にするには困難である。
歴史ある街でありながら、これら、さまざまな悪条件が、街の発展を遅らせていった原因であると分析されている。
Kisaragi City
A seaside town near the hills, 2km wide in all directions. From the beautiful dusk it’s also called Sunset City. Kisaragi City is small, but has been around for about 150 years. Photos
from that time exist but other than that, maps of fields are the only recorded historical doc- uments left. Due to wave height & hills the town isn’t suitable as a port but has great views.
The town has history, but unfavorable condi- tions have kept the town’s progress slow.
Kisaragi City
A small city, two kilometers in area, that extends to a small hill that looks out over the sea. Because of the exceptional beauty of the setting sun, it’s also called “Sunset City”. Kisaragi City itself is small, but because there are several daguerreotypes remaining of the town’s scenery from about 150 years ago, it can be considered an old town.
[Kisaragi] has never made an entrance the center stage of history, the only existing documents before those old photographs being the town’s name, written in records of the division of [farming] fields. Although it’s close to the sea, problems with the depth of the water and the height of the waves keep it from being suitable as a port. It’s small and full of steep hills, which makes for excellent scenery but difficult farming.
While it’s a historic town, these various unfavorable conditions would seem to be the reason its development was stalled.
[notes: 
海に臨む is describing the 小高い丘 that directly follows it--i.e., Crimson Hill--rather than 海に臨む and 小高い丘に広がる both describing the city.
“Sunset City” is in English]
如月市民会館
市民達から寄付された絵画や書画、などの美術品を展示する多目的施設。地元出身の芸術家、マキ フミヒコの作品が多く展示されているので、他府県の絵画好きな人々にもよく知られている場所である。
その他にも住民の要望もあって、空いたスペースを利用して、着付け教室や、手芸教室、カラオケ教室など参加人数が一定数集まれば、文化教室として開催される。
Kisaragi Civic Hall
A multipurpose facility used to hold art & other such works by towns- people. The artist Fumi- hiko Maki from Kisaragi has many works there.
It also has parts that are used by townspeople as classrooms & work- shops to teach various classes & seminars.
Kisaragi Civic Hall
A multipurpose facility that displays artwork like paintings and calligraphic works donated by the townspeople. Many works by local artist Maki Fumihiko are on display, so the location is well known to non-resident art lovers.
It’s also [open to] requests from the townspeople, and if a certain number of people [are interested], courses in kimono dressing, handicrafts, or karaoke are held as cultural art classes.
[note: 絵画: paintings done in oils, etc.; 書画: calligraphy or drawings done with calligraphic brushes)
共同墓地
如月市に四十年以上住んでいる者ならば、この墓地の一角の土地をもらうことができる。これは税金を四十年以上はらっていただければ、死んだ後も安心していただけるという、街の宣伝の一つである。しかし、今まで問題が無かったわけではなかった。
もし子供なら、規定年数の四十年に成人になるまでの年齢をプラスしなければならない、という内容を表立って言っていなかったため、十年ほど前に、放火が原因で全焼したスーパーの経営者、ミチダ ナオヤが、役人の鼻がおれるほどナグリつけるという事件が起こった。
不幸にも火事の時、二階で寝ていた家族のうち妻だけしか、共同墓地に入れないと役人が平然と言い放ち、その役人を完全にKOしてしまったため、ミチダ ナオヤは警察に捕まった。
また、他府県の娘と結婚した夫が、妻に死なれ、彼女が条件を満たせていないという理由で、引越しをしたということなどがあったが、五年前に「夫か妻の、どちらかが四十年以上」という条件に変わってからは、現在のところ問題は出ていない。
Cemetary
Anyone living in Kisa- ragi for over 40 years is entitled to a plot in the cemetary. ”Pay taxes for 40 years, sleep in peace for eternity” is it’s motto. But there have been problems.
The years before a child becomes an adult must be added to those 40, which wasn’t made clear causing Naoya Michida, owner of a shop burned down by an arson, to break the noses of
several city officials 10 years ago. His chil- dren, who died in the fire, weren’t allowed a burial, so Michida as- saulted the officials.
Michida was arrested. 5 years ago laws were changed to allow the burial of family members as long as one person fulfills the conditions. There have been no problems since.
Public Cemetery
Anyone living in Kisaragi City for 40 years or more is entitled to a plot in this cemetery. “As long as you’ve paid taxes for 40 years, you don’t have to worry what happens after you die,” is one of the town slogans. But that doesn’t mean there have never been problems.
“If children [are included], the years until they become an adult must be added to those stipulated 40 years [for the included adult].” This part was not stated formally. So 10 years ago, there was an incident in which Michida Naoya, manager of a supermarket that burned down due to arson, punched a city official hard enough to break his nose.
Unfortunately, at the time of the fire, his family had been asleep on the second floor. When the official told him straight out that [of the family,] his wife [alone] couldn’t be buried in the public cemetery, Michida Naoya knocked him out cold and was arrested by the police.
[There was also an incident where] a man had married a woman from another prefecture, who was now dying, and they moved because she wouldn’t be able to meet the requirements. The terms were changed 5 years ago to, “If either husband or wife [has been a resident for] more than 40 years.” There have been no more problems since.
[note: This has some confusing wording but I think I finally puzzled it out. The EN release, obviously, chose to omit all the confusing parts.
(Legal adulthood in Japan is at 20 rather than 18, so this would add even more time to the necessary years of residence.)]
千歳池
二十年ほど前までは、池には白鳥や渡り鳥が泳ぎ、学生や若者達のカップルが、貸しボートをこぎながら、甘いひと時を過ごすような場所であった。休みの日などは、子供連れの親子なども訪れ、にぎやかさの中にも心温まる風景が広がっていた。
しかしいつの日からか、若者達が訪れる場所がY市の繁華街や遊園地などに変わり、子供達は自宅でゲームなどして遊ぶようになって、次第に人の足が遠のいていった。
ちょうどその頃、ごみを不法投棄していく者が増えだした。数年前に市が大掛かりな清掃工事を行い、池を以前の姿へと戻したが、心無い者の侵入をふせぐ目的で、高いフェンスを張り巡らせ、中に入れる時間帯を朝9:00-17:00までと規定した。
朝と夕の二回、市���職員がフェンスの開け閉めに訪れる。池は元の姿へと戻ったが、街の者の興味は離れたままで、訪れる者の少ない閑散とした場所となっている。
Chitose Pond
Until 20 years ago, birds swam & young couples paddled boats in this romantic spot. On days off, parents & kids would come & enjoy the warm, fresh air.
But now people go to the Y City redlight district to play & kids stay at home with video games. People stopped
coming. Now, people leave garbage here il- legally. The city took action & cleaned up the pond, but now a fence surrounds it, and it’s only open between the hours of 9am-5pm.
City workers come to open & close the gate twice a day. It’s regai- ned it’s former beauty, but the townspeople have lost interest and hardly anyone ever comes now.
Chitose Pond
Up until 20 years ago, it was a place where swans and migratory birds swam, and students and young couples spent sweet moments while paddling rental boats. On vacation days, parents would visit with their children and enjoy the sights amidst all the activity.
But at some point, young people started visiting the shopping district and amusement park in Y City, and children started playing video games at home. Gradually, people stopped coming.
Right about then, unlawful dumpers of trash started to multiply. A few years ago, the city carried out a large-scale cleanup/construction project, and the pond was restored to its former state, but a tall fence surrounds it to keep out thoughtless people. Hours of entry are set at 9AM-5PM.
Officials visit in the morning and evening to open and close the fence. The pond is back in its former state, but the townspeople still aren’t interested, and so few people come by that it’s practically deserted.
[note: The TL seems to have mostly checked out by this point; the characters 温 and 風 mean “warm” and “wind”, hence “warm, fresh air” in the EN release. However, both characters are obviously part of other words, so I suspect someone was rushing to finish this after some good work on the rest of the FORT database file. “Business/shopping district” turning into “red light district” is maybe one of the worst flubs in the game?]
AMS銀行如月支店
AMS Bank
業務破綻して実質上倒産となった如月信用銀行を吸収する形で、���月市に進出してきたメガバンクである。AMS銀行は、戦前の旧福島財閥が創設した旭日銀行と、アメリカでも有数の銀行モーゲンシーが合併した銀行である。
旭日は戦後の財閥解体やバブル崩壊の大変動にも影響を受けず、成長を続けてきた銀行であり、早くから取締役や頭取に、海外の有名な経営者を呼び寄せ、来るべき金融ビックバンに備えていたことでも業界内で有名である。
その業績の良かった旭日が、モーゲンシー銀行に吸収合併されたニュー スは、業界内に激震を走らせた。経済界の大事件であり、その預金高で100兆を超える巨大バンクが誕生した。
A megabank that came to Kisaragi to absorb the bankrupt Kisaragi Trust Bank. It was founded as Asahi Bank, and later merged with Morgen Sea Bank.
Asahi thrived after the 2nd World War, and is famous for remai- ning unaffected by eco- nomic troubles & for fighting off other big banks over the years.
The news that Asahi was absorbed by Morgen Sea Bank sent shockwaves through the industry. A new megabank with over 1 trillion dollars in deposits was born.
AMS Bank: Kisaragi City branch
A megabank that expanded into Kisaragi City by absorbing the essentially bankrupt and no longer functioning Kisaragi Credit Bank. AMS Bank was founded as Asahi Bank before the [Second World] War by a former Fukushima business conglomerate, and merged with one of the leading banks in America, Morgen Sea.
Asahi Bank was unaffected by the huge changes of the post-war dissolution of business conglomerates and the collapse of the bubble economy, and continued to grow. [The bank is] famous in the financial world because the company director and bank president called in famous managers from overseas to make preparations ahead of time for the approaching Big Bang.
Shockwaves ran through the business world at the news of high-achieving Asahi Bank merging with Morgen Sea Bank. The birth of a megabank with deposits in excess of 100 trillion was a major happening in economic circles.
[notes: 
The second paragraph references the dissolution of zaibatsu conglomerates under the American occupation, Japan’s economic collapse in the early 1990s after a “bubble” in the late 80s, and the “financial Big Bang”, a deregulation of financial markets that was carried out from 1996 to 2001.
It’s not specified whether that 100 trillion is in dollars or yen, but the EN release gives it as 1 trillion, which would be a rough conversion of 100 trillion yen into US dollars.]
如月駅
完成した姿は、当時にとっては最新の設計と技術が使われた鋼鉄の建築物となり、見る者のドギモを抜いた。当時の盛況ぶりを表す出来事としては、休日になると物珍しさに他の都府県からも見物客が訪れ、それ目当てに屋台が出る小規模の祭りのようだったと言われている。
駅の玄関口は、奇跡的に先の戦争の被害に遭わず、現在もかつての姿のまま残っており、レトロな雰囲気のただよう建物として街の名物である。
Kisaragi Station
When it was first built, it was a high-tech, cutting edge work of modern architecture & art. People from towns all over the area would come to see it, and fes- tivals were held near.
The station’s front hall wasn’t damaged in the war, miraculously, and appears very retro now.
Kisaragi Train Station
When this steel building was [first] completed, using technology and designs that were very modern for the time, those who saw it were awestruck. [It was seen] as a manifestation of the era’s prosperity, and on holidays, people would visit from all over [to satisfy] their curiosity. It’s said that food stalls were put up, making it like a miniature festival.
Miraculously, the station’s entryway was undamaged during the war, and its appearance remains unchanged in the modern day. It’s a famous part of the town for the retro atmosphere it gives off.
如月警察署
昔は四階建て箱型のコンクリート作りの質素な建物だったが、二年前に改築が終わり、今では現代風の建物に変わっている。署の前にはパトカーやミニパトが止まっているが、主にパトロール以外には、緊急出動というような状況は、ここ何十年の間で数えるほどである。
Kisaragi Police Stn.
2 years ago the 4-story concrete building was rebuilt into its more modern incarnate. Patrol cars are parked outside, but in the past decade they’ve only been sent out several times.
Kisaragi Police Station
It used to be a plain four-story box-shaped building made of concrete, but two years ago it was remodeled and is now a modern-style building. There are police cars and miniature police cars in front of the station, but generally they aren’t used except for [routine] patrolling. The emergency deployments around here in the past few decades can be counted [on one hand].
[note: ミニパト (minipato) are special small patrol cars used in Japan.
Also, the first sentence is the same as the one appearing in the map description, which I translated just two weeks ago. You can look at the differences to get an idea of how much translations can differ even when the same person is doing them!]
如月市庁舎
Kisaragi City Hall
元は公会堂であった建物。戦時中、永久平和論をとなえ、数多くの青年将校の殉教者を出した「ムラタ ゼンジロウ」の講演がなされたことでも有名である。ムラタは如月学園の教授でもあり、有名な哲学者であった。
ムラタの教授としての定年が近づくにつれて、何とかムラタ哲学の真ずいに触れようという人々で、広大な公会堂があふれ返り、壇上を和服姿で行き戻りつするムラタ教授の姿をぎょう視し、公会堂全体がシーンと水を打ったように静かだった、と伝えられている。
Formerly a public hall. Famous for holding Zenjiro Murata’s ”Eter- nal Peace” lectures years ago. Murata was a Ki- saragi School teacher & famous philosopher.
Many people gathered to hear Murata speak as he reached retirement age, and during his lectures the hall was filled with people, yet as quiet as a mouse.
Kisaragi City Hall
The building used to be the public hall. It’s famous for lectures delivered during the war by Murata Zenjirou, who had declared many young soldiers to be martyrs, advocating the Perpetual Peace theory. Murata was a famous philosopher who was also a professor at Kisaragi Academy.
As Murata’s retirement as a professor grew near, people tried to [personally] experience the spirit of his philosophy and would flood the huge public hall. It’s said that the entire hall would sit in total silence as they stared at Professor Murata’s kimono-clad form walking back and forth on the stage.
画廊プロダクションアート
如月市出身の芸術家、「マキ フミヒコ」にあこがれ、アメリカから移住してきた画家の、アーサー・メイズが経営している画廊である。海外に渡った「マキ フミヒコ」の絵は少ないが、幼い頃の彼が住んでいた街の美術館に、
「風と少女」という絵が展示されており、それを見たアーサー少年は電撃 に撃たれたような感動を受けた。以来絵を描くことに興味をおぼえ、画家の道を歩むことになる。そしていつの日か、絵の舞台となった街に住みたいと思っていたことを実現させた。
現在アーサーは、画家をしながら空いた時間を利用し、如月学園で美術の臨時教師をしている。年齢は28歳、童顔のせいで若く見える。無口で内向的な性格のため、人付き合いはあまりないが、人嫌いというわけではないようである。
資料によると、幼い頃病弱で家の中に居ることが多かったこともあり、おそらくそれが原因で、他人と接する方法がつかめていないと推測される。絵の才能はズバ抜けており、世界中で高い評価を受けている。そのため、彼が如月市という、辺ぴな場所に移り住んだことを不思議がる者は多い。
Production Art Gallery
Foreign artist Arthur Mays, looking up to Kisaragi artist F. Maki, moved to Kisaragi & now runs this arthouse. Most of Fumuhiko Maki’s work is in the country, but a painting called ”Girl &
The Wind” was shown in Arthur’s town when he was a child, which changed his life. This set him on the path to artistry & made him de- cide to someday live in the town in the picture.
Arthur is now using his free time to teach art at Kisaragi School. He’s 28 but looks younger. He’s quiet & introverted but doesn’t seem to actually dislike people.
As a child he was sick and spent most of his time indoors, which is why his social skills are somewhat lacking. But being a world famous artist, some wonder why he lives in Kisaragi.
Art Gallery: Production Art
The American painter Arthur Mays immigrated here because he admired Kisaragi-born artist Maki Fumihiko, and he now runs this art gallery. Few of Maki Fumihiko’s works made it overseas, but a painting called “Wind and a Girl” was displayed in a museum...
...in the town where Arthur lived as a child. When he saw it, the young Arthur was transported as if he’d been struck by lightning. After that, he developed an interest in art and began to follow the path of the artist. And he made up his mind to someday live in the town depicted in the painting.
Currently Arthur is an artist, and uses his freer time serving as a provisional art teacher at Kisaragi Academy. At 28, he appears much younger thanks to his baby face. Because he’s quiet and introverted, he’s not much given to social interaction, but he doesn’t seem to be an actual misanthrope.
According to records, he was sickly as a child and spent a lot of time at home, which is likely the reason he hasn’t acquired much skill at dealing with people. He has an outstanding talent at art, which has been recognized worldwide. For that reason, many people wonder why he moved to the remote city of Kisaragi.
如月郵便局
Kisaragi Post Office
局長は榎田 シゲル。年齢45歳、離婚歴有。物静かなどこにでもいる中年の男であるが、いわゆる宗教オタクであり、五年周期ほどでさまざまな宗教にのめり込む。
そのたびに「今度こそ本物だ、真の教えに出会った」と公言しているようだが、心変わりする時には、いつも毛虫のごとくその宗教を嫌うのを常にしている。職員を勧誘することは無いが、局内を問題にならない程度に、キテレツなポスターや不気味な像などを飾りつける。
壁紙の色や、局内の植物なども自費で変えることもある。そうすることで、聖なる力で郵便局が守られると本人は真剣に信じている様子。たいした害はないので、職員も住民達も見て見ないふりをしている。
Managed by Shigeru Enokida, 45, divorced. Seemingly normal, except for being a religious fanatic of sorts. He generally joins & becom- es infatuated with a new religion every 5 years.
Each time he swears it is the ”real thing”, but always loses interest in each religion & finds a new one. He never tries to recruit his staff but often hangs creepy post- ers around the office.
He decorates the office with his own money. He believes this will cause the post office to be protected by God. Being weird but benign, every- one just pretends they don’t notice.
Kisaragi Post Office
The postmaster is Enokida Shigeru. 45 years of age, divorcé. He’s an ordinary, quiet, middle-aged man, except that he’s what you might call a religion geek. Every five years he becomes obsessed with some religion or another.
Every time he announces, “This time it’s the real thing. I’ve discovered the true teachings.” But when he loses interest, he always starts to hate that [old] religion like poison. He doesn’t try to recruit his staff, but he decorates the post office with as many weird posters and creepy statues as he can get away with.
He also changes things like the color of the wallpaper and the plants at his own expense. He earnestly believes that doing so will protect the post office with sacred energy. It doesn’t cause any real harm, so the staff and citizenry pretend not to notice.
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isawa-nkb · 6 years
Text
平成の音楽を振り返る回、を振り返る
Twitterで散々告知していた、「軽音サークルOB(と現役)が集まって、『平成(OO年)といえばコレ』な曲を各々30曲ほど持ち寄り、平成を彩った名曲を振り返ることで平成という時代を総括する会」の第一回を、先日8/11の夜に執り行いました。その時に流した曲のリストが出来上がったので、会の模様を録音していた駄弁りデータを参照しつつ、ぼく視点で改めてコメントをつけてこの会の様子を残したいと思います。 一応ブログ末に録音したmp3を詰めた泥箱のリンクを貼るつもりではいますが、 会議が6時間を超える長丁場になってしまったのでさすがにそれを全部聞く暇人はこの世に存在しないだろうということで、文章にまとめた方がまだ追体験しやすいだろう、というのがこのブログ執筆の目的です。 録音データの書き起こし、というわけではないですが、脱線や菓子の受け渡しみたいな雑音が入ってるよりはむしろこの方がいいかと。勿論このブログ形式にしてしまうことで、筆者のバイアスがかなりかかってしまうことは重々承知してはいますが。
というわけで今回集まったメンバーから紹介。 ・ぷれしお 今回の首謀者。ブリットポップやシューゲイザーが専門ながら、J-popをほとんど網羅している平成の申し子。今回は「平成各年のオリコンシングルチャートTOP100を参照しつつ」「取り上げるのは1アーティスト1曲で被らないように」30曲を持ち込み、個人の思い出ではなく売上データからの分析的な検証を試みます。 ・まえぴ ぷれしおの同期。高校時代はジャズピアノを、大学軽音サークルではベースに持ち替えて精力的に活動したマルチプレイヤー。今回は「これぞ平成」な懐メロを多数用意してくれました。 ・伊38 筆者。賑やかし役。このブログに辿り着く人ならぼくの趣味はわかってると思うので割愛しますが、基本的に「他の人が持ってこなさそうな曲」をセレクト。このブログ内での「平成の語り」はぼく視点によるものなので文責はぼくにありコメントはぼく宛でお願いします。 ・各方面 軽音サークルの大先輩。筆者より10歳くらい上なのかな……? 今回は各年にハマった音楽を「表プレイリスト」「裏プレイリスト」にまとめ、交互に触れていくことで時代を多角的に検証します。年長者として、10代の多感な時期を平成と共に過ごした年代としての語り口に期待。 ・かっしー 軽音サークルの後輩。筆者より4歳くらい下。激動の平成音楽シーンにおいて数歳の差でいかに音楽体験が異なるのか。年少者からの視点が必要だとして今回参加。
この5人でお送りします。そして出来上がったプレイリストがこちら。 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826230232047616 https://twitter.com/Plesio_/status/1028826235890102272
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わかりづらいですが、一人が一気にプレゼンすると平成30年を一息に駆け抜けてしまうので、「平成をだいたい10年ごとに分け、それぞれの年代で自身が聞いていた曲を5人がそれぞれプレゼン、それを3セット」という形式を今回採用しました。つまり上記プレイリストで誰がどの曲を持ち込んだかは結構ばらけています。その辺はぼくのこれからの語りで解説・補完していければと。
それでは前置きが大変長くなりました、適宜コメントをつけつつ、各曲を紹介し平成を振り返る回を振り返りたいと思います。
 第一部、平成初期(平成元年~10年くらい) まずは主催ぷれしおから10曲ほど。開幕はプリプリのダイアモンド。昭和じゃねえんだコレ、と思うのはぼくがまだ生まれてないからか。開幕にふさわしい明るいナンバー。 たまのさよなら人類。平成2年売上トップ10てマジ? 小田和正。ドラマから有名ですからね。 浜田省吾。「平成4年は売上トップにビッグネームが並ぶので、(彼の課したレギュレーション上)被りを避けるために」とのこと。 ZARDは平成初期では外せないですね。というか某番組のおかげで今も通用してますし。 ミスチルからはイノセントワールド。この後もスマッシュヒットが続きますが、その後のヒット曲の紹介のためにここでミスチルのカードを切ることに。しかしこれ「百万枚売れるメロが書けた!」と桜井が言うだけありますね、ラスサビからの畳みかける歌詞もエモ。 B'zもここで紹介。しかしこのLOVE PHANTOMイントロ長いな。当時は色々余裕があったというか。そして4つ打ち。と言いつつ現代の4つ打ちとはノリも扱いも違うけど。ちなみにB'zの松本氏はその時々の最新のギターの音色で録音するので、B'zファンを呼んで30年分振り返るだけで平成のギターの音色の変遷がわかるのでは感も。詳しい人を呼びたい。 SPITZ「空も飛べるはず」。これ以降ずっと何かしらの曲でランキングに居座り続けるモンスターバンド。ちなみに会ではデモ版「めざめ」を流していました。「君と出会えた奇跡が」を「君と出会えた痛みが」に変えるだけで歌詞の意味がぜんぶ変わるという、スピッツがいかに歌詞を大切に考えてるかという好例。 Kinki Kids「硝子の少年」。「20年経っても歌えるから」とごり押ししつつちゃんとスマッシュヒットを叩き出す作曲・山下達郎もすげえし、山下達郎の曲というプレッシャーを跳ね返して歌い上げたキンキもすげえ。 そしてGLAY「誘惑」。この10年で出てくるミュージシャンは平成をずっと席巻し続けるあたり、平成初期10年間がいかに強かったかわかりますね。というわけでぷれしお第一ターン終了。
次はまえぴのターン。一曲目は平成元年1月11日リリースという、滑りこみで平成な美空ひばり「川の流れのように」。平成の幕開けというよりは、これで昭和が幕を下ろしたといった方がいいでしょうか。ちなみに美空ひばりは同年に亡くなっているそうで、最晩年にこのテイクをCDに吹き込める美空ひばりもバケモノだなぁという……。 BE MY BABY。つい最近流行ったけど。初出はそりゃ平成だよなと。 おどるポンポコリン。そりゃ我々世代聞いてない人間いないよなぁ……。実際B.B.クイーンズはBeingの凄腕ミュージシャンを集めて出来たバンドなので演奏がすごいんですよね。 めざせポケモンマスター。説明不要。 チャゲアス「On Your Mark」。チャゲアスから敢えてこれを持って来るという。 MISIA、「Everything」。歌うっま……。先日のフジロックでの名演も記憶に新しく。20年以上通用し続けた歌唱力……。 残テ。ヱヴァはついに平成の間に幕を下ろせなかったね……しかしこのスネアやバスドラ、メタルというかハードロック的処理の音ではないかという。 ウルフルズ。優勝。バンザイ。しかし平成初期のポップス、重心が高いというかウワモノ勝負みたいなサウンド。キックやベースの低音が決め手になっていくにはまだまだ時間がかかります。 もののけ姫。平成ジブリといえば外せない。 あ、リストから漏れてますがここで安室奈美恵「Can you celebrate?」が流れました。平成を振り返る回をやろうと言い出したきっかけは最近話題になってた安室奈美恵からだったりします。 そして1999年、椎名林檎「丸の内サディスティック」でまえぴの第一ターンは終了。20年経っても軽音サークルのスタンダードであり続ける椎名林檎嬢の強さ……。
さてお次は不肖わたくし伊38のターン。Spookey Ruben「These days are old」タイトルではピンとこないかと思いますがYoutubeで10秒再生すれば「これぞ平成」とわかるかと。 小松未歩「氷の上に立つように」、倉木麻衣「Secret of my heart」。というかコナンのOPEDを30年分振り返るだけで平成を振り返られるんじゃないか? アニソンつながりで「月灯りふんわり落ちてくる夜」 小川七生 。オラはにんきものと迷ったけど、色々あったクレしんEDの中で唯一、かつ強烈に覚えてるのはコレ。 ポケットビスケッツ・ブラックビスケッツをそれぞれ。バラエティ番組の一企画として生まれたバンドだけど、今聞いても全然聞けるくらいオケが面白いし、千秋とビビアン・スーがべらぼうに歌うまいので企画バンドの枠を超えてると思う。実際ゴールデンタイム発でヒットチャートを動かそうというわけだから金かかってるんだろうけど。つまりは当時は色んな余裕があったんだなという。 ジュディマリ「そばかす」。ぼくリアルタイムではないんですが。YUKIの歌とTAKUYAのギターが圧倒的で未だに軽音サークルでコピーされるあたりね。 あと最後、一曲分枠が余ったので1999年RSRのブッチャーズを軽く流しておきました。というわけで次の方へ。
大先輩各方面氏。1989年はガンヘッドのテーマから開幕。そして1989年裏リストはBoredoms。これ持ってくるのか。 米米CLUB「浪漫飛行」。これも平成なんすね……で裏がHANATARASH。さっきボアダムス流したじゃないすか……ちなみに選外に人間椅子、ビョークの幼少期ジャズアルバムなど。 「SAY YES」チャゲアス再登場。歌うまいしメロがつよい。そして裏はマイブラとニルヴァーナ。1991年の選外としてはレッチリも。 1992年は「それが大事」大事マンブラザーズと、裏リスト「戦え! 何を!? 人生を!」筋肉少女帯。筋少も代表曲に困るバンドですが今回はこちら。 「EZ DO DANCE」。キンプリ、というかプリリズからリバイバルしてましたしね。そしてその年に裏で鳴っていたのがレディへ「Creep」。ちなみに翌年表プレイリストもTRF連チャンで「BOY MEETS GIRL」。 1995年、黒夢「SEE YOU」。90年代V系を持ってくるのはリアルタイム世代じゃないと……。裏リストはBjork「Hyperballad」。 電気グルーヴ「誰だ!」そしてBloodthirsty Butchers「二月」。ちなみに1996年はLUNA SEA「STYLE」X JAPAN「DAHLIA」 L'Arc〜en〜Ciel 「True」とV系の重要シングルが立て続けに出た年という。 1997年、Cornelius「Star fruits surf rider」、裏に池田亮司「+/-」。テクノ(?)な選曲。 1998年、HIDEの死んだ年ということで「ever free」。裏リストはまたBoredomsで「Super You」。選外にBoom Boom SatellitesとかSystem of a downの1stとか、ゆら帝「3x3x3」など重要盤が並ぶ。ちなみにリストでは先に出てましたが、Boa「Duvet」もこの年。
10年振り返ったのでここでプレゼンテーター交代、後輩のかっしーのターン。ただし平成初期は生まれて間もない(!)ので、当時見ていたアニメから「ニャースのうた」(クソ名曲)、おじゃる丸「詠人」(北島三郎なんだね……)を流して終了。生まれたときにはポケモンが存在していた世代……。
 というわけで第二ターム。プレゼンテーターは一周してぷれしおに回り、平成11~20年のヒット曲を俯瞰するターン。 1999年、宇多田ヒカル「Automatic」。説明不要。ちなみに会では岡村靖幸によるトリビュート版を流していました。 福山雅治「桜坂」。ちなみにこの年サザンの「TSUNAMI」も出てましたが、 サザンからは翌年の「波乗りジョニー」をチョイス。しかし桑田佳祐もつよいボーカリストですよねぇ。 「ピクミン愛のうた」。ゲームキューブってこの年だっけ……。 そしてSMAP「世界に一つだけの花」。クソ流行りましたねぇ。���原敬之最大のヒット作というべきか。 ラルク「自由への招待」。イントロのドラムパターンが印象的だからとセレクト。 トラジ・ハイジ「ファンタスティポ」。堂本剛の歌がめちゃくちゃ上手い。 TOKIO「宙船」。会では中島みゆきのテイクを流していました。このように平成中期はジャニーズがかなり時代を持っていくチャートになっているとのこと。 「千の風になって」。クラシックでチャート入りしたのはこれと平原綾香「Jupiter」くらいなはず。 「羞恥心」。まぁ流行りましたからね……。ぼくはTwitterでさんざ言ってますがJ-popを殺したのは島田紳助とヘキサゴンだと思っています。実際���の後年にはAKBが出てくるので、J-popの印象が変化するきっかけと言えなくもないという。
そしてまえぴにバトンタッチ。日立グループこの木なんの木はいいとして。 グランツーリスモより「Moon Over The Castle」。T-Square安藤まさひろ。まえぴが一番最初にやったテレビゲームだから、とのチョイス。そういや平成となるとゲーソンとともに過ごした人間とか呼んでみたい。 そしてレースゲームつながりで、リッジレーサー4より「Urban Fragments」。アイマス以前のナムコのゲーム音楽はつよい。 一青窈「ハナミズキ」。流れてたなぁそういや。 「知恵と勇気だ! メダロット」。ポケモン出したからには出さないわけにはいかないよなぁ。筆者は普通にコロコロ派でしたがメダロットとかサイボーグクロちゃんとかはアニメ見てた気がします。覚えてないけど。 Do As Infinity「冒険者たち」。そういやこの時代、女性ボーカルとトラックメイカーの野郎、みたいなユニット多かったですよね、デイアフタートゥモローとかガールネクストドアとか。そーいや遠ーい昔どっかで、「ガールネクストドアはテレビ主導・Mステ主導で流行りを生み出せるかどうかの最後の実験だった」という言説を読んだ気がします、実際ガルネクはイマイチぱっとしないで消えたような。時代の流行りとテレビ(と時代の変化)の関係も詳しい人に語ってもらいたい。 ちょっと時代遡って、「渚にまつわるエトセトラ」、「ハッチポッチファミリー」。ハッチポッチのインチキ洋楽カバー聞き直したい。 森山直太朗「さくら(独唱)」。そういや平成中期はバラードも結構ヒット曲多かったですね。Youtube前の時代なんで90秒で掴む、みたいなこともなかったですし。 というわけでヘラクレスオオカブト……じゃなくて「カブトムシ」aikoでまえぴの第二ターン終了。
というわけで伊38第二ターンですが、ぼくも平成10~20年は小中学生だったのでまだテレビっ子で音楽にも目覚めてない時代なんですね。 スキマスイッチ「全力少年」。当時はズームイン朝で若手ミュージシャンをプッシュする謎のコーナーがあったんですよね。そういう余裕があった時代ってわけですが、スキマスイッチは頑張ってましたね。雨宮天の「奏」は神。 続いてもズームイン朝枠で、nobodyknows+「ココロオドル」。ニコ動でも不動のMAD素材。というか映える声のMCを贅沢に5人も抱え、トラックも面白いし、ヒップホップブームの今再評価に値するのでは。今も活動してるか知らないけど。 矢井田瞳「My Sweet Darlin'」。どこで聞いたんだっけ…… 奥井亜紀「Wind Climbing~風にあそばれて」。グルグル見てたはずなのに全然覚えてない…… 塊魂を流そうと思ってサントラ借りたら入ってなかったので仕方なく流した「塊オンザスウィング」。松崎しげるも歌うまいな……。 ここまで誰も流してなかったので「Butter-Fly」かけときました。「カサブタ」と迷った。 申し訳程度ですが菅野よう子も流さなきゃなぁ。ということで「Tank!」を。というか菅野よう子詳しい人に菅野よう子クロニクル解説とかしてもらっても平成振り返れそう。ていうか誰も「プラチナ」流してねえじゃねえか今回。筆者はCCさくら見てないのになんでオタクになったんだろう。 FLOW「DAYS」。エウレカも見てないのになんでオタクになったんだろう俺。 「リライト」も「メリッサ」と迷った。 最後は岡崎律子のために割いた枠で、メロキュア「Agape」を流して伊38第二ターン終了です。メロキュアもリアルタイムじゃ聞いてないんですけどね。なんでオタクになったんだろう俺。
というわけで各方面氏。この辺から表リストと裏リストの境が曖昧になってくる気が。 1999年。Mad Capsule Market「MIDI SURF」、Merzbow「Electric for ICC」。選外にハイスタなど。 Radiohead、KidAより「Everything in its right place」。エイフェックスツインが「ダサい」と一蹴したとかなんとか。裏は大友良英率いるGround Zero。 Daft Punk「One More Time」。が出た年にデビューしたのがDCPRG。選外はOwls、Ghost and votka、レイハラカミ、ASA-CHANG&巡礼などなど。 2002年「Num-ami-dabutz」ナンバガ。裏はオウテカ。 Prefuse73「The End Of Biters」。裏はチルボドの4thより「Needled 24/7」。 2004年のアジカンからは「振動覚」というチョイス。裏は想い出波止場「触媒」。 選外にSquarepusher「Ultravisitor」、アジカン「ソルファ」、フジファブリック・ZAZEN BOYS・東京事変それぞれの1st 。ザゼンと事変が同い年って。 Bloc Party「Like Eating Glass」。裏は吉田達也率いる高円寺百景「Rattims Friezz」。 NATSUMEN「Whole lotta summer」、裏は日本エモ界の隠し玉・倉地久美夫「あつい日本」。 そしてここでヤスタカをセレクト。Capsule「Starry Sky」。ヤスタカのキックは2007年には完成してたということですね。裏は大槻ケンヂと絶望少女達「人として軸がぶれている」。 andymori「Everything is my guitar」。裏にgroup_inou「Coming out」。同年は9mm「Vampire」、相対性理論「シフォン主義」が出て第二次バンドブームでもある年。というわけでこれで1999-2008の10年間の(偏った)振り返り。かっしーへバトンタッチ。
1999年でもまだ1桁年齢のかっしーのターン。やっぱその辺の時代での音楽体験はアニメやテレビからが主に。 松本梨香「OK!」、クレしん「ダメダメのうた」。既に出た「めざせポケモンマスター」、「月灯りふんわり落ちてくる夜」に対して、同じアニメでも入り口が違うというジェネレーションギャップ…… 「カービィ☆マーチ」。筆者は実は当時好きじゃなかったんですが今ヤバいアニメとして再評価されてますね。もっかい見直したいなぁ。 そしてもう一つポケモンから、そもそもルビー・サファイア世代(!!)ということで「アドバンス・アドベンチャー」。筆者、逆に知らない曲だ…… ナルトより「悲しみをやさしさに」little by little。オアシスフォロワー。 ロードオブメジャー「心絵」。CCさくらじゃないんだね……。 「青春アミーゴ」。めちゃくちゃ流行ったなぁ。 その流れでKAT-TUN「Real Face」。ホント当時破竹の勢いだった。 嵐「Love so sweet」。やっぱ平成中期はジャニーズ外せない。 GReeeeN「キセキ」。流行ったなぁ…………というわけで第二ターム全員終了。怒涛の平成晩期へ続きます。
 というわけで平成21年~からの音楽。まずは例によってぷれしお氏によるヒットチャート分析リストから。 2009発売、2010にヒットしたゴールデンボンバー「女々しくて」。 そしてきゃりーぱみゅぱみゅ「つけまつける」。Capsule、Perfumeで実験を重ねたヤスタカの結晶。 進撃の巨人より「紅蓮の弓矢」Linked Horizon。まぁ紅白出てたしなぁ。 SEKAI NO OWARI「Dragon Night」。この辺からキックがえぐくなってくる。 BUMP OF CHICKEN「Hello World!」。EDのUNIZON SQUARE GARDEN「シュガーソングとビターステップ」と並んで名曲。 星野源「恋」。売上基準のリスト故触れないわけにはいかない。 そして小沢健二「流動体について」。なんか熟練戦士たちが復活してきたみたいなリストになってますね。 というわけで趣味をなるべく排して売り上げ参照したぷれしおの俯瞰リストは終了。余り枠は彼の趣味を。 ゆらゆら帝国「昆虫ロック」。ゆら帝は全部マストなのだけど、1stからこちらの選曲。 the brilliant green「冷たい花」。1998年。というかまんまOasis。彼らはBlurのカバーとかしてるし生粋のブリットポップの民。 アイドルからはBABY METAL「ギミチョコ」。というわけでAKBにまみれたランキングからうまいこと外した選曲をしてくれました。
続きましてまえぴ第三ターン。 「マツケンサンバ2」からスタート。あったなぁ……。 「群青日和」。説明不要。 「メルト」。Supercell。ついにボカロが出てきた。 「恋のマイアヒ」。そう、平成といえばおもしろフラッシュ倉庫を外すわけにはいかないんですよ……。日本で唯一オリコンチャートに食い込んだルーマニアの曲。 ゆず「栄光の架橋」。ちらっと書きましたがバラードが流行りましたよね平成中期。 「最初から今まで」冬のソナタ、流行ったねぇ……。韓流ブームも触れないわけにはいかないよなぁと。 というわけで少女時代「Mr TAXI」。日本の市場をアテにして日本語を歌いだす韓流アイドルたち。そういや会が終わった後にエクストラコンテンツとして「江南スタイル」流しました。 相対性理論「LOVEずっきゅん」。やくしまるえつこ、平成晩期の女性ボーカリストのスタイルとして触れないわけにはいかないですよね……これ以降ウィスパーボイス女性ボーカリストがぐんと増えた印象。しかし相対性理論のキモはバックバンドのシンプルかつクソ上手い演奏でもあります。というか真部のコード進行とかもかなり独特なので詳しい人にみっちり解説してほしい。 ここで今まで誰も触れなかったAKB48「ヘビーローテーション」。 そして最後、まえぴ曰く「平成に始まり、平成で終わったジャンル」こと”””青春パンク”””からガガガDXを。確かにメロコアはともかくとして、ゴイステから始まった青春パンクはもはやフォロワーもいないし、創始者の峯田和伸自身が石原さとみとキスするような俳優になってしまったという点からも、青春パンクはジャンルとして終わってしまったと言って差し支えないと思われる。実際ゴイステの曲とかは平成のノスタルジーを抱えた平成の人間じゃないと書けないというのは間違いない。ここ詳しい人に語ってほしいですね。というわけでまえぴのターン終了。
さて伊38の第三ターンです。一番書きたかったパートゆえ、少々長くなりますがご容赦を。 BUMP OF CHICKENから「グングニル」。第一・第二ターンではテレビ経由の曲を紹介した伊38ですが、それに対して(当時)絶対にテレビに出なかったバンプは、いうなれば「オルタナティブ」でした。まぁ僕がバンプを知ったのは中学の先輩だったか、おもしろフラッシュ倉庫だったか、あるいはその両方だったか覚えてませんが。 その流れでピロウズ「ハイブリッドレインボウ」。「テレビに出ない」どころか「永遠のブレイク寸前」たるピロウズは本当にオルタナティブだった。 そのオルタナティブという枠に、「ロックンロールは鳴りやまないっ」神聖かまってちゃんを。そして先日映画「恋は雨上がりのように」主題歌に採用された同バンドの曲「フロントメモリー」。 ただ映画主題歌版は、女性ボーカリストを呼び、亀田誠二がリアレンジしたもので、非常に聞きやすくなっているというか、の子自身のポップセンス・メロディセンスが非常によくわかる構成になっている。しかし「フロントメモリー」の神聖かまってちゃん本家版、それもYoutubeのPVテイクはどうかというと、ピアノが何やってるかもわからないし、高音がきついし音も悪い、非常に「聞きづらい」ものになっている。しかし”””それこそが神聖かまってちゃんだった”””というか、「そもそもポップな人間だったの子だが、売れるため・認知してもらうため・ニコ動で頭一つ出るために、敢えて尖ったことをしていた」、それはよく知られる神聖かまってちゃんの破天荒なエピソードだったり、そして音源そのものの粗さ・聞きづらさ・尖った音質であったのではないか。あるいは、ニコ動という”場”がそもそも、そういったパンクで破天荒な振る舞いを要求するような場だったのではないか、それこそがニコ動文化だったのではないか。という仮説を立てられないだろうか。ここはもっとニコ動にどっぷり浸かっていた人間にコメントをお願いしたい。 さてニコ動からボカロ文化をぼくからもほんの少々。「初音ミクの消失」。初音ミク登場当時に生まれた「機械のボーカリストが人間に勝てる部分とはどこか?」という問いに対しての安直な回答として「人間には歌唱不可能な超高速詠唱」が生まれた、その元祖の曲だと思う。これがヒトリエとかミイラズみたいな、後年の高速ラップ邦楽に逆輸入される流れになった。 もう一つ、「般若心経ポップ」から始まる一連のムーヴメントを。同曲が流行った際に、製作者がボーカル音源を配布したために「般若心経ブーム」が起こり、「般若心経ロック」やら「般若心経シューゲイザー」など、ありとあらゆるジャンルの般若心経が生まれた。この般若心経タグを巡っていろんな音楽ジャンルを知った、なんて人間もいただろうし、これに限らず「初音ミクが歌ってさえいればどんなジャンルでも聞ける」というリスナーは沢山いたと思われる。これは(にせものさんの言葉を借りれば)”””ガワの文化”””というか、初音ミク以前・以後でも「V系なら・アイドルなら・好きな声優なら、どんなジャンルの音楽でも聞ける」という、ある意味逆にボーダーレスな音楽趣味を持つ日本人の特殊な音楽観に繋げて語ることができると思われる。この辺も詳しい人たちと議論してみたいところ。 さてニコ動文化はこのくらいにしてぼくの高校時代からの邦ロック趣味変遷に戻ります。9mm parabellum bullet「The World」、あるいは「Discommunication」。バンプ狂いだった自分が衝撃を受けたテクニカル・バンド・ブーム。 そして凛として時雨。今回は「ハカイヨノユメ」。発売日にこれ買って、CDプレイヤーに入れた瞬間に吹っ飛んだ思い出の曲です。しかし、パワーコードとオクターブ奏法さえできればバンプ・エルレ・アジカンがコピーできたぼく世代に対して9mm・時雨・ホルモンが出てきたほんの数代下のバンドマンたちとは技術的に大きな隔たりがあるのが未だにコンプレックスです。 そしてこの辺をきっかけに残響レコードにハマっていく伊38。ハイスイノナサ「平熱の街」、そして「鏡面の波」。残響レコードの中でも最先端に尖っていたハイスイノナサがアニソンに接続したとき、得も言われぬ感慨にふけった思い出があります。 さて最後に、こうやってニコ動や残響レコードを経由してアンダーグラウンドに潜っていったぼくが辿り着いたのがネットレーベル文化。その中から未だ伝説的扱いをされている「HanazawaEP」より「恋愛サーキュレーション(Shoegaze arrange)」。ニコ動とはまた違う、宅録ミュージシャンの発表の場というものは刺激的でした。というわけで永遠の名曲「ヴァイオリンケースの夢を見る」を流してぼくの最終ターン終了。ケンセイオガタさんはやく公式円盤出してください。
さあ各方面氏。残業にまみれた暗黒期から抜け出したという平成晩期を振り返っていただきます。 2009年、モーモールルギャバン「Pop! 烏龍ハイ」、そして裏リストといいつつポップな、Neco眠る「猫がニャ~って、犬がワンッ!」。実際この辺からアンダーグラウンドですらポップになってくるという。同年の選外はNuito、TTNG「Animals」、サカナクション「シンシロ」、相対性理論「ハイファイ新書」など。 2010、七尾旅人「Search Boy」、神聖かまってちゃん「ロックンロールは鳴りやまないっ」。 2011年、the cabs「キェルツェの螺旋」、TTNG「Adventure」。超絶技巧ギターバンド2つが並ぶすげぇ年だ。 そして震災を経た2012年からは、LOSTAGE「Blue」、そして裏は面影ラッキーホール「おかあさんといっしょう」。震災を経て日本人は何を歌ったか?、に対してこの二つはとりわけ振り切れてますね…… KANA-BOON「1,2,Step To You」。に対して裏は���みのて「もはや平和ではない」。笑っていいともさえ終わってしまった今、もはや平和ではない日本でこの曲はある種象徴のように鳴り響く。 の翌年、Wienners「Video Girl」。言わずと知れたでんぱ組のコンポーザー。の裏で生まれていたのはD'Angelo And the Vanguard「エイント・ザット・イージー」。 2015年。ceroより「Summer Soul」一切の音すべてが必然のもとに鳴らされた 大傑作Obscure Ride。 に対してChon「Splash」。これまた妥協の一切ないサウンド。好対照な年。 MUSIC FROM THE MARS「Seaside, Seaside」。そしてこの辺から裏リストというより同率一位という感じになってくる。この年の裏選曲はOdol「逃げてしまおう」。 2017年、ものんくる「ここにしかないって言って」。 この辺りで各方面氏は菊池成孔のラジオを聞き始め、その影響で裏選曲としてジャズドミュニスターズ「革命」。 2018年。tricot「potage」。しばらく見てないうちに一皮どころか二皮くらい剥けたトリコ。ドラマーの交代らへんから音楽性が更なる深化を見せ、世界ツアーで得た経験値を完璧に開花させた名曲。そして裏選曲にCRCK/LCKS「No Goodbye」。ポップスといいつつ非常に複雑で難易度の高い音源をリリースする注目の音楽集団。を流して最終ターン終了。 そして番外編として「 BEAMS 40周年記念プロジェクト『TOKYO CULTURE STORY 今夜はブギー・バック(smooth rap)』MV」。平成を振り返る回、これさえ流せばよかったんじゃねえの?
というわけにいかないということで、大トリのかっしー。 宇多田ヒカルの再登場、キングダムハーツより「光」。平成において宇多田ヒカルは説明不要ながら何度でも取り上げたい。 AKB48「ポニーテールとシュシュ」。彼はハマった世代。そりゃそうか。 BUMP OF CHICKENから「ゼロ」。FF零式の主題歌。同じバンプでも入り口が全然違う……。 そして放課後ティータイムから「U&I」。曰くこれがなかったら彼は軽音サークルに入ってなかったという。実際当時は相当勢いがあったし、サークルでのコピバンも沢山あった。けいおんが与えた影響はやはり計り知れないと思う、もっと詳しく掘り下げてもよかったかもしれない。 UNIZON SQUARE GARDEN「流星のスコール」。ぼくがユニゾンの1stを聞いたときには「これで下北系の音楽は終わったな」と思ったのだけど、ユニゾンは以後どんどん音楽性の進化を深め、アニソンとも接続してファン層広げつつ、しかし核の「ユニゾンぽさ」を消して失わず、器用なだけのバンドとは違って非常に強度のあるバンドとして邁進していったなという印象。 Champagne「Starrrrrrrr」。ドロスでなくシャンペインが好きとのこと。しかしこの辺の音楽をバンド音楽ネイティブとして聞いてきた年齢層ズルいなぁ。 アジカン「ソラニン」。彼が軽音サークルに入って初めて演奏した曲だからとの選曲。アジカン何曲か上がったけど全然被らないな…… KANA-BOON「さくらのうた」。これきっかけにギターを猛練習するようになったとのこと。ちなみにKANA-BOONはこの曲がウケたのをきっかけに4つ打ちをやり始めて音楽性が変わっていったというが、この曲自体はそこまで4つ打ちを全面に押し出してるわけではないという。 Base Ball Bear「Perfect Blue」こちらも自身が組んだコピバンから。ベボベも取り上げる時期によって全然違うけど、こちらは非常にポップな時代。 そしてthe cabs「anschluss」。ぼくからはなんも言うことはありません。KEYTALKは殺す。 最後はtricot。Potageをかけるつもりだったが挙げられてしまったので「Wabi-Sabi」を。しかしどうやってバンドで合わせられるんだtricot。しかし、懐古的・郷愁的になりそうだった「平成を振り返る」というコンセプトの中で、最後にtricotやCRCK/LCKSといった「最新を更新し続けるバンド」の名前が挙がったのは、非常に前向きな最後でよろしかったのではないでしょうか。
というわけで以上、録音を聞きながらざっと書いてみました。ぼくのパートだけ長くなってしまったのは本当に申し訳ないですが、いずれにせよここまで読んでいていただき、長々とありがとうございました。 「あの曲がない、やり直し」などは今後の開催の際の参考にさせていただきたいのでお気軽にコメントを残してもらえればと思います。次回は9月頭に身内で、また何もかも未定ですが都内でも似たようなことをやれたらと思うので、直談判殴り込みの際はぼくのTwitter垢へリプかDMを。お待ちしております。
というわけで今回の駄弁りの録音です。平成のノスタルジアに浸りたい暇で暇で仕方ない方は適当に聞いてみてくださいまし。 https://www.dropbox.com/sh/rtbrnot2r26eyqx/AADxdHGXuJmtUx8TgYqYQ7x6a?dl=0
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