映画『キツツキと雨』 〜“ゾンビ映画を作るやつら映画”は良い映画なのだ!〜
2012年 日本
監督:沖田修一
脚本:沖田修一、守屋文雄
撮影:月永雄太
出演者:役所広司、小栗旬
“ゾンビ映画を作るやつら映画”は大抵おもしろい!
映画「桐島、部活やめるってよ」(2012年)然り!
映画「カメラを止めるな!」(2017年)然り!
映画「SUPER8/スーパーエイト」(2011年)は、脚本微妙だけどあのスピルバーグ愛あふれる感じは素敵!
“ゾンビ映画を作るやつら映画”は良い映画ばかりなのです!
そんなゾンビ映画を作るやつら映画の一作がこの「キツツキと雨」です!
・映画「桐島、部活やめるってよ」予告
(僕の中で、暫定日本映画オールタイム・ベスト1です!この映画に救われたと言っても過言ではない・・・。)
・映画「カメラを止めるな!」予告
(最初見たときは、大丈夫かこれと思ってましたが、実は完全に大丈夫なやつでした。制作費300万円程度でこんなものが作られたことに脱帽。)
・映画「SUPER8/スーパーエイト」予告
(前半はまあ良いんですが、後半のゆるゆるな脚本がイマイチ。監督のスピルバーグ愛が滴る一本。)
あらすじ
ある山村で暮らす木こりの克彦(役所広司)は、山での伐採作業中にひょんなことからゾンビ映画の制作で村にやってきた撮影隊に巻き込まれて、エキストラとして出演することになる。最初は迷惑がっていたが、次第に映画製作がの面白さに目覚め、むしろ積極的に関わるようになっていく。一方、映画監督の幸一(小栗旬)は、気の弱い若手新人監督で、現場をまとめられないし、プレッシャーに負けて逃げ出そうとする始末。そんな二人が出会い、映画製作を通してそれぞれが成長していく様を描いたコメディ映画です。
余計な説明台詞はいらない
この映画の魅力は、独特のテンポ感で登場人物はあまり多くを語らず、しっかり映画的表現でそれぞれの心情や成長を描いているところです。悲しみとか、悩みをいちいち説明的に口に出す映画が結構多いですが、この映画はその辺はしっかり映画的に見せてくるのです。
中年男性の克彦が女性用スリッパと割烹着を着て料理をしていたり、洗濯を自分でたたむ様子から、妻亡き後の生活なのだなということが次第に伺えるように見せていますし、撮影したばかりの映像をみんなで観てチェックしているときの表情だけで、克彦と幸一のキャラクターや気持ちが伝わるように見せています。多分意識的に露骨なセリフ的表現を控えて、映像中心の表現で、観てる人に人物の背景や感情が伝わるような見せ方をしているのだと思います。これが緩めのテンポ感と相まって、現実にこういう人物たちがいて、自分はそれを近くで見届けているのではと思ってしまう程、すごく自然なやり取りを見せられている感じで、観てて心地良かったです。
他者との交流や協同が、他者への理解や距離感の保ちかたを教えてくれる
克彦は自分の生活圏だけの狭い世界の中で、凝り固まった価値観で生きているような人物です。だから息子とも折り合いが悪い。そんな克彦がたまたま居合わせて成り行きで協力するようになったゾンビ映画制作ですが、最初は拒絶感があり仕方なくサポートするというスタンスだったのに、だんだん映画の作り手側の楽しさに目覚めていきます。それは単に映画作りそのものが楽しいだけでなく、色んな人が集まって、それぞれの力を発揮し、コラボレーションが生まれる、そんな“人が集まって新しいモノが生まれる場所”が克彦にとっては新鮮で魅了されたのだと思います(実際、制作のきっかけとなった沖田修一監督の着想もこの点にあるようです)。
克彦はきっと、妻に先立たれてから、木こりとしての仕事だけでなく、家事や息子の教育など家庭のことも含め、周りのことを自分で抱え込み、不器用なのに頑張って一人で切り盛りしてきたのでしょう。本当は妻が側にいて、支えてもらっていたのに。それがゾンビ映画製作に関わることで、いろんな人と交流し、一人じゃなくみんなで何かを生み出すプロセスを通して、久しぶりに心を開き始めて、自分を見つめ直すことができたのだと思います。息子とは上手く付き合えないのに、若い監督である幸一には親身になれる克彦でしたが、これらのプロセスを通して自分を見つめ直すことができたのでしょう。映画後半での息子にたいする態度の変化、そしてラストの息子との食卓シーンはグッと来るものがありました。やはり人は一人でふさぎ込んでいてはダメで、他者との交流や協同によって、未知の世界や新たな価値観を知り、それにより他者への理解や距離感の保ちかたを体得していくのだなあと、この映画を通して感じました。
そういう意味で、この映画は“異文化コミュニケーション映画”と言ってよいかもしれません。
※映画.com、Netflixより引用
一番好きなシーンは、克彦と幸一の2人が日帰り温泉から上がって、待合の食堂で食事している時、最後のデザートを食べるところですね。詳しくは書きませんが、ここが転換点というか、2人それぞれのたがが外れて気持ちのスタンスが明確に変わったなということが明確に分かる場面。特にそんなことを口に出すわけではないのですが、2人の表情や態度を通して映像だけで転換点をしっかり見せてくる。こういうシーンが好きです。またこの映画は温泉での交流が2人の距離や心情の変化を表す装置となっていますね。裸の付き合いにより2人の距離が縮まっていく様が(文字通り距離を縮めていくコメディ描写があります)、微笑ましくコミカルに描かれている。役所広司ってシリアスな役柄から、こういうキュートなおじさんキャラもできて、やっぱすごいですね。
少し気になったところは、羽場敬二郎(山崎努)という痔に悩むベテラン俳優の撮影シーンと、その夜のスナックでの件。監督の幸一が、ベテラン俳優に評価されるというシーンです。後半の幸一の成長を垣間見るシーンであることは間違いないのですが、コミカルに仕上げているのも影響してか、実際そんなに幸一が立派なことをしているわけでも無い気がするので、若干強引な展開だなという気がしました。
最後に
実際劇中で作られている、ゾンビ映画の完成版も観てみたいですね!なんか戦前の日本とSFゾンビものを融合させたような設定に見えますが、どんな話なんだよ笑。ラストに出てくる幸一の新しい撮影現場も、一体何の映画を撮ってるのか気になりました(海辺でジョーズのような小道具が見えたので、たぶんサメ映画なのでしょう・・・)。
幸一にはこれからも元気でやっていって欲しいものです!そして克彦親子にも幸あれ!
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「グロテスク」 の語源は、「洞窟」を意味するイタリア語「grotta」からきている。 西暦64年のローマ大火の後に皇帝ネロが建設を開始した「ドムス アウレア」という宮殿群が放置され地中に埋もれていたのが、15世紀末になって偶然発見された。1480年代あるいは1490年代にトンネルを掘って内部に侵入する試みが始まり、1490年代には画家たちが地下歩廊から各部屋の装飾を見学するようになった。その宮殿の壁面装飾模様をラファエロがバチカン宮殿回廊の内装に取り入れ、 これが地中の「洞窟」で発見された装飾様式であることから「グロテスク装飾」と呼ばれるようになった。ラファエロが復興させ、装飾体系として昇華させたことから「ラファエレスク文様」とも呼んだ。版画を通じて広まり、16世紀ヨーロッパの芸術上のレパートリーとなった。
人、動物、植物などをモチーフとし、自然法則や本来の大きさを無視して人から植物へ、さらには魚、動物へと連続して変化する奇妙な模様ではあるものの、似たような模様は中世にも見られた。ラファエロらルネサンス期の芸術家たちを驚かせたのは、古代ローマ人たちが、幻想的かつ形式ばらない軽快で優美な様式を採用していたということであり、古代ローマの人たちも自分たちと似たような感覚を持っていたのかもしれないということを垣間見ることができたことだった。
「グロテスク」という言葉は時間を遡って語義が拡張され、中世の装飾写本における、余白に装飾模様として描かれたキャラクターなどを指す「ドロルリー」も現代の用語ではグロテスクと呼ばれ、中世ヨーロッパの教会建築の装飾に見られる奇怪な生物の彫刻もグロテスクと呼ばれる。今日ではさらに、風変わりで歪んだ奇怪なことなどを指す総称的な形容詞としても使われる。
文学においては、共感と嫌悪感の双方を抱かせるような人物が「グロテスク」であると通常考えられ、 ヴィクトル ユーゴーの『 ノートルダム ド パリ (ノートルダムの傴僂男)』(1831年)は、文学で最も有名なグロテスクの一つとされる。
時代区分として、中世は、西ローマ帝国が滅亡した476年あたりに始まるとされる。
中世後期、1300年頃のフィレンツェ共和国では、教皇派と皇帝派が争い、教皇派が辛くも勝利するものの、自治政策を掲げる富裕市民層の支持からなる白党(ビアンキ)と、教皇に深く結びつこうとする封建貴族の支持からなる黒党(ネーリ)との内部対立から真っ二つに割れた。当初、白党が政権を握ったものの、翌年の1301年には黒党が政変を起こして実権を握った。白党から選出された三人の統領(プリオーレ)の一人であったダンテ アレギエーリは、フィレンツェ共和国を追放された。流浪をしながら「喜劇」と題した詩を書き続け、それが書き上がった1321年に亡くなった。その詩は後に「神聖喜劇」『神曲』と呼ばれるようになった。
1326年、フィレンツェで大砲が開発される。
ダンテと同じく白党に属しフィレンツェを追放されたセル ペトラッコの息子であるフランチェスコ ペトラルカは、中世にはだいぶん形の崩れていたラテン語を古代ローマの古典的形式にならって純正化することを考え、各地を旅して古代の写本を研究し、詩作した。これが人文主義の始まりとされ、ペトラルカは人文主義の父と呼ばれる。
1431年、バーゼル公会議が教皇派と公会議派に分裂し、教皇派らはイタリアに移転し、1438年、フェラーラ公会議が開催される。しかし、フェラーラでは財政的な困難や疫病の流行という事態に直面したため、教皇庁の金融を担当していたコジモ デ メディチの申し出を受けて、1439年に公会議はフィレンツェに移転した。こうしてビザンツ皇帝や東方教会の聖職者たちがフィレンツェを訪れた。この公会議開催によってメディチ家は、教皇庁での地位を強化し、フィレンツェ共和国の実質的な統治者となった。
これらの公会議では、主に東方正教会とローマ カトリック教会の再合同について議論された。 ビザンツ帝国(東ローマ帝国)は、オスマン帝国からの圧力を受けて、西ヨーロッパ諸国からの支援を求めていた。ビザンツ帝国皇帝ヨハネス8世パレオロゴスは、東西融和の一環として東西教会の分裂の収集を提案した。
しかし合同の実現は果たせなかった。
1453年、オスマン帝国軍がコンスタンティノポリスを陥落させ、東ローマ帝国は滅亡した。
通常、この東ローマ帝国の滅亡をもって中世の終わり、近世の始まりとされる。
コジモが基礎を作った学芸サークルであるプラトンアカデミーには多くの人文主義者が集い、東ローマ帝国滅亡後にイタリアへ亡命した知識人たちによって伝えられたギリシア語の文献のラテン語への翻訳や研究、討論などが行われた。
この「ネオプラトニズム(新プラトン主義)」と、ルネサンスという時代は、コジモの孫ロレンツォによって最盛期を迎える。そしてフィレンツェはルネサンスの中心として黄金時代を迎えた。
1481年、プラトンアカデミーに集まった人文主義者の一人であるクリストフォロ ランディーノが『ダンテ『神曲』註解』を出版し、そのための挿絵をボッティチェリがメディチ家により依頼されて描いたと言われる。
ランディーノのこの著作を、ダ ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらも読んだと言われ、ミケランジェロはダンテに捧げる詩を詠んだ。
彼らは、『神曲』はネオプラトニズムのさきがけで、フィレンツェの文化的アイデンティティの象徴と目した。これは『神曲』をフィレンツェという都市国家の文化的覇権を内外に示すためのアイコンとした、メディチ家による‛国家的事業‛となった。
ロレンツォは、『神曲』で使われたのと同様の俗語、すなわち現在のイタリア語の基となった言葉で詩作もし、フィレンツェで広く歌われたと言われる。
ロレンツォは、各勢力が乱立するイタリアのバランサーとして外交手腕を発揮した。その外交の特徴は勢力均衡と現状の維持だった。彼はフィレンツェの主要な美術家を、ローマ、ヴェネツィア、ナポリ、ミラノに積極的に派遣した。これはロレンツォの外交政策の一端だった。これにより���フィレンツェのルネサンス美術は、イタリア中に広まったと言える。
一時的であったとはいえ、イタリア諸国家間の勢力の均衡を保たせることに成功し、フィレンツェのフローリン金貨はヨーロッパの貿易の基準通貨となり、フィレンツェの商業は世界を支配した。
「フィレンツェ」は、古代ローマ時代に花の神フローラの町としてフローレンティアと名付けられたことが語源とされる。直接の起源は紀元前59年、執政官カエサルによって退役軍人への土地貸与が行われ、ローマ植民都市が建設されたことによる。そのため、フィレンツェには古来より創世神話として、カエサルがこの市を作ったという伝承があった。
「第二のローマ」、すなわち古代ローマの後継者としての地位とアイデンティティを確立しようという理想は、東ローマ帝国の滅亡によって刺激され、ルネサンス(再興)という名を持って花開き、世界史の転換点を飾った。
ラテン語のエピック『アエネーイス』を書いた古代ローマの詩人ウェルギリウスとともに地獄と煉獄を遍歴したダンテの『神曲』はイタリア語のエピックとなった。
1492年、 ロレンツォが亡くなり、長男のピエロがメディチ家当主となるが、1494年、フランス軍の侵攻にあってその対処を誤り、市民の怒りを買い、メディチ家はフィレンツェを追放される。
その後、かねてからメディチ家による実質的な独裁とフィレンツェの腐敗を激しく批判していたサンマルコ修道院の修道院長サヴォナローラが共和国の政治顧問となり、以降、神権政治が行われる。サヴォナローラは次第に教皇国をも批判し、1497年には教皇アレクサンデル6世から破門される。 同年、サヴォナローラの支持者たちにより、「虚飾の罪」またはその罪を犯す可能性のあるものとされた化粧品や装飾品、不道徳とみなされる本や美術品などを、 シニョリーア広場に集め焼却するという「虚栄の焼却」も行われた。市民生活は殺伐としたものになり、不満も高まっていた。1498年、サンマルコ修道院に暴徒と化した市民が押し寄せ、ついに共和国もサヴォナローラを拘束する。サヴォナローラは、教皇の意による裁判の結果、絞首刑ののち火刑に処された。
その後のソデリーニ政権下で1498年に第2書記局長に選出されたマキャヴェッリは、国民軍の創設を計画し実現させたが、国民軍は期待された成果を挙げることなく、ソデリーニ政権は1512年、メディチ家のフィレンツェ復権を後押しするハプスブルク家スペインの前に屈服し、マキャヴェッリは第2書記局長の職を解かれた。1513年、(ロレンツォの次男)ジョヴァンニ デ メディチ新政権下起こったボスコリ事件に加わった容疑で、マキャヴェッリは指名手配され、実際には加担していなかったと言われるが、自ら出頭して逮捕された。一か月後に、 ジョヴァンニが教皇に選出されたことにより、大赦で釈放された。ジョヴァンニは ローマ教皇レオ10世となった後はフィレンツェを弟のジュリアーノ(ロレンツォの三男)に任せた。 1516年に急逝したジュリアーノの後任に 甥のロレンツォ2世(ピエロの長男)が就任すると、マキャヴェッリに謁見の機会が与えられ、 謁見の場で『君主論』が献上されたと言われる。
ミケランジェロの代��作「ダビデ像」は、1504年にフィレンツェの共和制のシンボルとして造られたが、その頃にはルネサンスはフィレンツェを離れていた。
東ローマ帝国の滅亡により、シルクロードの要であったコンスタンティノープルが失われ、その後制限が加えられたことから、ヨーロッパではコンスタンティノープルを経由しないルート開拓として大航海時代が始まった。 ジェノヴァ、ヴェネツィア等の地中海貿易で栄えていた都市国家は、その権益をオスマン帝国に奪われる事になり、一地方都市へと転落して行くこととなる。航海士達の多くは、スペインやポルトガル等のイベリア半島の新興国家に移り、大航海時代に大活躍をする。
ジェノヴァ出身のクリストファーコロンブスが、1492年、スペインの援助を受けて大西洋を航海し、「新大陸」に上陸する。コロンブスは自身が上陸したのはインドだと誤認しており、新大陸を発見したとは認識していなかった。
フィレンツェ共和国のメディチ本家と分家の両方に仕えたヴェスプッチ家のアメリゴ ヴェスプッチは、1497年から1502年まで3度(2度という説もある)にわたってスペイン、ポルトガルの船に同乗して大西洋を横断し、1503年頃、調査の結果をまとめた『新世界』を刊行。 この中で、大西洋を横断した先にあるのはアジアではなく、全く異なる新大陸であることを指摘した。当時は北米と南米が繋がっていることは判明していないので、彼の『新世界』は南米大陸についてのみ論じている。ヨーロッパの古代からの伝統的世界観、アジア、アフリカ、ヨーロッパからなる三大陸世界観を覆すこの主張は、ヨーロッパ全体にすぐ浸透したわけではないものの、人文主義者たちにはセンセーショナルに受け入れられた。
1507年、南ドイツの地理学者マルティン ヴァルトゼーミュラーがアメリゴの『新世界』を収録した『世界誌入門』を出版した。その付録の世界地図にアメリゴのラテン語名アメリクスの女性形からこの新大陸にアメリカという名前が付いた。これがアメリカ大陸という名を用いた最初の例となった。
2021年7月 塔と星
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【体験談】事業会社の1人目のインハウスエディターとして入社し、他の職種の人たちとうまく付き合うために必要なスキルと心構え
結論としては、
インハウスの編集・ライターが事業会社内で期待される働きは “マーケ × PR” って感じなんで、「自分の仕事はいい文章を書くこと」というこだわりを捨て、「つくったもので事業の成長や売上にどれだけ貢献したのか」をクリアにさせること、あるいは圧倒的な愛嬌とコミュ力でねじ伏せろ
という話です。
当たり前の話ですが、インハウスの編集・ライターの理想形は、「うちの編集者は “ものをつくる” ことでめっちゃ事業の成長にコミットしてくれるなぁ」と認められる地位か、「めっちゃいいコンテンツつくれるからあの人は別に売上とかで測らなくてもいいんじゃないか」という地位を築き上げることです。
が、そんな当たり前のことだけを note や Medium に書いて終わるのも芸がないですし、これまでずっとインハウスの PR Editor として仕事をしてきた自分ならではの視点も交えて、もうちょい掘り下げようという記事になります。
最近は Web 編集者のキャリアの可能性なんていう文脈で、インハウスでのエディターが今後もっと求められるのではといった願望っぽい話がたまに聞かれるようになりました。
ですが、実際に企業が求めているエディター像と、世の中にたくさんいるエディター・ライターのスキルセットやマインドは結構ズレがあると思っています。そのへんを変えていくと、世の中における我々の地位も少しはマシになるはずです。
では Short ver. 終了ということで、ここからは Full ver. となります(文字数は 10,000 字ほどです)
※ この記事は 編集とライティングにまつわるアレコレ Advent Calendar 2017 企画への寄稿?です。
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私はここ 4〜5 年、複数の事業会社で 1〜2 人目のインハウスエディター兼 PR 的なポジションとなり、メディア編集とか Web 制作、SNS や広告運用、緊急事態には映像編集やコーディングをやってきました。Atom よりは Brackets 派なのですが頼むからマークダウンエディタを左右分割にしてほしい(なぜか上下分割しかできない)。
“ 1 人目のインハウスエディター” 最大の魅力は、幅広い仕事を自分の裁量で好きにやれること。社内に味方は皆無ですが「編集者はこうあるべきだよォ。それが業界のマナーであり美しき伝統なんだよォ」などと言われることもないので、100 % 自分の責任のもと、伸び伸び働くことができます。
そこで今回は
メディア運営を事業にしていないタイプの IT 系事業会社
あるいは自社事業と PR にも力を入れていきたい制作会社
社員数は 30〜300 人
という企業が、インハウスの Web 編集者・ライターを社員で 1〜2 名採用しようとしているとき、立ち上げメンバーとして入っていくためには何が重要か、というテーマで掘り下げていきます。
事業会社の中で “なんかよくわからんけどコンテンツをつくれるらしい人” に降ってくる案件といえば
オウンドメディアをやってほしい
会社やサービスをもっと知ってもらうために社内ブログや SNS をやってほしい
良い感じでプレスリリースを書いてほしい
顧客向けのメルマガを書いてほしい
求人広告やスカウトメールを書いてほしい
Web 広告のクリエイティブ(文言)で CPA 高い感じのをつくってほしい
受託の Web 制作のコピーライティング・モック制作とかをやってほしい
これら総合的に判断して優先順位をつけつつ限られた予算の中で利益にコミットしてほしい
などがあり、いろんな “つくる” 経験が積めます。が、案件ごとに
いろんな職種の人と
1 対 1 あるいは “ 1 対多” で
異なる言語で
円滑にコミュニケーションをとる必要があります。
こういう戦場に丸腰で突っ込んでいってボロボロにされて帰ってきて、ライターたちが集う場所で「やっぱ事業会社は私らのこと理解してくれんからあかんわ、編プロとかコンテンツメーカーでじっくり腰を据えて働きたいわ。時代は事業会社でのインターンより Twitter のフォロワー多い有名ライターへの弟子入りだよね」とか夢見てるだけだと、いつまでたっても第二の WELQ みたいなメディアに検索上位をジャックされ、「所詮はネットメディアだから」と軽視される規模のメディアしかつくれない人生で終わると思うので、事前に武装はしていきたいところです。
※この記事における禁句 = 生存バイアス
社内に同業者いないインハウスエディター(ライター)の「超アウェー感」知ってる?
実際、やばいことはいろいろあります。
どんなスキルを持ち合わせていようが「わかりやすいから “ライター” で」
あなたが「いやライターよりは編集のほうがキャリア長いです!」と言っても、たぶん社内では「ライターの ◯◯ さん」と呼ばれます。私も一般的な Web 編集者に比べるとかなり Web マーケ・制作寄りのスキルセットなのですが、だいたい「ライターのあらやさん」と紹介されてきました。ハイパー優秀なマネージャだけは頑なに「うちのディレクターです」と紹介していましたが。
これはだいたい「編集者 is 何」という前提知識の不足が原因だと思われます。「ライター」といえば「文章を書いてる人」とイメージしやすい。
また、「ライター」という名前が一人歩きするほど、文章を書くこと以外のスキルはないものとして扱われがちなので、自分から宣伝したり仕事を取りにいく姿勢が重要です。
「記事がバズった! メディアの PV が ◯ 万達成! Twitter のフォロワー ◯ 人!」→「で?」
Web ライターまわりの人たちが Twitter でキャッキャしてる感じの会話は、だいたいの職種の人からしたら “異国の風景” なので、違う言語での会話としてスルーされます。
社内で上記のようなセリフをそのまま口に出すことは、フィンランド人に日本語で「昨日の高校柔道富山県大会決勝戦すごかったんですよ! 高校生とは思えんくらい最高の一本背負い決まってたんですよ!!」と熱弁しているようなものです。
ですので、社内での会話や Slack 上で理解してもらうには「金額換算するとこれだけ儲かった」「Vやねん! 今期の目標達成待ったなし!」と、ビジネス目線での言語に翻訳する必要があります。
入社 1 ヶ月経過時点での「で、成果は?」
ゼロイチでのメディア運営がメインの業務であろうが、営業色が強い事業会社だと早くて 1 ヶ月、遅くとも四半期での目に見える成果が求められます。
一方で、実際にお金が動いたり、仕事につながったりすると、途端に手のひらを返したように存在価値を認められがちです。 ただ、この状態に到達するには結構時間がかかりますし(メディアなんて半年以上かかりますし)、辛いことがたくさんあると思うので、堪え忍べるかどうかがインハウスエディター・ライターの成功の分かれ道だと思います。なお私は前職のとき完全にブチギレて数ヶ月で辞めようとしました(関係各位ありがとうございました)。
サイトの立ち上げから入る場合、「数字は絶対出すんで、とりあえず 6〜12 ヶ月は泳がせてくれませんかね?」くらい言っておくほうがいいのかも。あと、メディアはどうしても時間かかるし、(アドセンス以外での)売りも立ちづらいので、受託の Web 制作、広告運用とか採用系のタスクをぶんどってきてわかりやすく短期的な数字をつくってお茶を濁すみたいな処世術も結構大事だと思います。
あなたの周囲にいる各職種のメンバーの特徴(制作・開発系部署)
というわけで、社内でのコミュニケーションを円滑に進めるため、職種別の特性と、うまく付き合うために必要なことをまとめました。
まずは同じ “ものをつくる” 部署。「数字! 数字!」という人がいないので落ち着いていたり、殺伐としていたりします。
Web デザイナー・UI デザイナー
ディレクター的な立ち回りを求められるとき、直接やりとりする機会が多い職種です。
業務内容が近いため、比較的ライターとかに理解があるようにも見えますが、どちらかといえば単に「他人に深く干渉しない」人が多い印象です。数字目標を背負っているわけでもなく、セールスやマーケ、ディレクターに比べると穏やかな人が多いため、そもそも争いが起こることが少ないです。 積極的に擁護してくれるわけでもないけど。
ただ、淡々と「いい感じのキャッチコピー考えてよ」「ここのテキスト長いから削ってほしい」という依頼がくる感じです。
デザイナにもいろいろいるけど、編集兼ねてるディレクターが最もガチの喧嘩になるのは「ユーザーは文字なんて読まないしモジモジしてるとデザイン的にもダサいから、小さくしてこのカラムの中に全部押し込んどいたぞ」的なやつ
— H “araya” Takahashi (@51__araya) 2017年11月28日
たまにこういう戦争は起きますが、まぁ些細なことです。
個人的には「理解しあう」というよりは、「なんとなく良い感じにお付き合いする」くらいの温度感がベストかなと思います。僕らもデザインの良し悪しとかそんなわかりませんし、なんか半端に「デザインってこうですよね〜」「わかりますぅ〜」とか分かったような口をきかないほうがいいと思います。
あと写真とかカメラが好きな人が多いので、そっち系に詳しい人は仲良くなるきっかけができます。
エンジニア(コーダー)
神です。
「なぜエンジニアは神なのか」というエントリは単体で数千字書けると思いますが今回は割愛。ただ 「神だから対等ではなく、崇めなければならない存在」ということだけ頭に入れておいてください。
仕事で直接関わる機会が少ないため、編集者とエンジニアはお互いに「謎の人」というイメージが強そうですが、実は一つ共通点もあるのです。
たとえば、Web 編集者がブログやメディアのちょっとしたカスタマイズをしようと、負の遺産でしかないコードを書いたとします。それをエンジニアの方に見せたとします。
「これはひどい」
彼らは苦笑するだけで、触らぬ神に祟りなしという態度を決め込むので、ここぞとばかりに寿司を差し入れしましょう。:sushi:
「しゃーねーな」
彼らは苦笑しながら、“コードレビュー” や “リファクタリング” という魔法を使います。
コードレビューとは、誤りを検出・修正することを目的としてコードを査読すること。リファクタリングとは、動作の内容は変えずに内部構造だけをいい感じに整えるという仕事です。
そう、まさに編集者が新人ライターに施している “赤入れ” と似ているのです。そういうとこで「仕事内容って実は似てるとこもあるんですね〜」と実感することができます。
ただ、編集者が誤字脱字やイケてない日本語文章をそのまま出してしまったところでせいぜい「嘲笑される」くらいですが、エンジニアのミスは事業の死に直結します。 我々が人間であることはまぁ残念ながら疑いようのない事実ですが、あなたの周囲にいるエンジニアたちが神であることもまた事実なのです。
「完璧にこなして当然」という世界観で生きていて、「こんなことやりました」と SNS でドヤれるわけでもなく、ただ黙々と頑張ってくださっている神々なので、給料が高いのは当たり前です。間違ってもライターが「エンジニアと同じくらいの給料がほしい!」とか言い出さないように教育しましょう。
あと、間違ってもエンジニアの前で「編集者やライターは 1 文字単位でこだわって、ひらがなカタカナ漢字の比率も気をつけてるんです」とかドヤってはいけません。 そんなことはそもそもプロとして仕事をする人間であればどの職種でも当然やってますし、コードを 1 行でも短くするため、動作を 0.1 秒でも軽くするために日々頭を悩ませているエンジニアたちなどは、Slack のプライベートチャンネルであなたを失笑の的にするかもしれません :trollface:
実際のところ、ほとんどの編集・ライターはエンジニアと距離を縮めることができずに壁を感じてしまいます。エンジニアと日常的に会話するには、我々にはあまりにも “共通の話題” が少ないのです。
まず、ほとんどのエンジニアは、Web メディアや表示速度向上、LP 制作、アドテクのような分野にはあまり興味がないです。やりたいのはもっと “面白そうなこと” です。
盛り上がるネタは、新しく出たツール・デバイス・言語の使い勝手や、今年参加する Advent Calendar の話や、php がいかにイケてないかという話や、今期のアニメでどれを切ったかという話や、インスタよりも Slack でウケる LGTM 画像や、そんなことよりも寿司が食べたい :sushi: という話です。tumblr のカスタマイズがいかにやりづらいかという話は私が一方的にしてますがあまり盛り上がりません。
仲良くなるとしたら、そういう開発者文化にどっぷり浸かるのみです。エンジニアの神々は “他人” とはあまり関わらない傾向があります。
ちなみに、フロントエンドのエンジニアはデザイナーに近い感じで若干クリエイターっぽく、バックエンドやアプリ系のエンジニアは寡黙で職人気質という傾向があります。人によってどっちのほうが相性いいとかもありそう。
あなたの周囲にいる各職種のメンバーとの接し方(ビジネス系部署)
インハウスのエディターは、ビジネス系・開発系どちらの管轄に入るかどうかが微妙なところです(私はビジネス管轄も開発管轄も両方経験あるので)。会社によってはセールス��マーケ系のマネージャの下だったり、経営者の下だったりにつくこともあります。
そこで、こちらの島に触れるにあたって改めて言っておきますが、あなたが入社したばかりの時点での社内では “いいコンテンツをつくってあげること” や “代表やスタッフの言いたいことを汲み取って言語化してあげること” などは特に求められていません。 最も求められるのは「売上や事業の成長にどこで貢献しているのか」というわかりやすい実感です。
マーケター・運用系ディレクター(各部署のマネージャも近い)
頭脳をフル活用して数字をあげること、“0→1” というよりは “1→100” をミッションとしている人種です。記事量産型のメディア編集長だったり、SEO 担当だったり、広告担当だったり、自社サービスのグロースハック担当だったり業務内容は幅広いのですが、人種としては結構わかりやすいと思っています。
合理主義者なので、クリエイティブへのこだわりは低いというか、「クオリティが高い低いなんて KPI 達成してるかどうかでしかないでしょ」「KPI 達成できるものがクオリティ高いってことだよ」という割り切り方をしている人が多いです。
つまり、あなたが「これダサくない?」と思うようなクリエイティブも「いや、ダサいとかじゃなくて、これで数字上がってるから」と普通に運用したりするので、意見は衝突することもあります。
ヤバいマーケターの具体例としては、今回の「編集者やライターが知見とか現状とかを共有できるといいなとおもって作りました」というアドベントカレンダーの企画で「andronavi編集部が紹介!クリスマスにあると役立つかもアプリやスマホグッズ」という宣伝でしかない記事をぶっこんでくるような、ツラの皮が厚すぎて洗濯バサミ 108 個くらいつける芸で新春隠し芸大会に出られそうな人とかのことです。彼らは「やらないよりはやるほうがいいっしょ」「数字あげられないやつにとやかく言われたくないし���という軽いノリでぶっこんでくるので、特に���く考えてないと思います。
(超わかりやすい実例をありがとうございます)
マーケ職種は基本的に「一つの作業に時間をかけるのは無駄」「たくさん案を出して、最適なものを検証していくほうが効率的」というタイプなので、クリエイティブ部署に比べるとパッと見でイケてるものが上がってくる確率は低いです。
うまく付き合う、つまり存在価値を認めてもらうためには、肌感覚でのクオリティで上回りつつ、しっかり数字も出すことだけです。
マーケターはいくら仲良くなっても私情は挟みませんし、もし彼らが肌感覚として「このコンテンツいいな…」と思ったとしても、数字がついてこなければ評価されづらいです。
人事・採用担当
採用系コンテンツを制作するときには連携する職種です。
採用系の職種は、本人あるいは特にマネージャクラスが営業畑出身であることが多いため、気質的にはセールス寄りです(エントリー数や採用単価だけでなく人材のレベルも重視されるので、セールスほど短期的な数字至上主義ではない感じですが)。
編集・ライターが貢献できる “母集団形成”・“魅力づけ” のフェーズにおいても
スカウトメールの開封率・返信率
求人への応募数(一次選考への参加率)
現場スタッフの面接の通過率(応募者のスペック、マッチ具合)
採用系イベントの告知ページおよび SNS 告知の広告効果
など、KGI(特定職種を特定人数採用)達成のための KPI を細かくチェックする体制が整えられがちです。あと “送信数” つまり “アクション数” という行動 KPI を欲しがりがち。
営業を経験していない新卒生え抜きの採用担当者は、単純に “素敵なコンテンツ” をつくることで仲良くしてもらえたりします。ただ、前項で触れた通りマネージャとなると完全に別の人種なので、うまく付き合うにはとにかく肌感覚で良いと思われるコンテンツをつくりつつ、優秀な人材からのエントリーをかき集めることです。
採用のマネージャクラスに認められようと思ったら、間違っても「社員インタビュー! ◯◯さん(まずお前誰やねん)の日常に密着☆」みたいなタイトルの THE・自己満ブログとか書かないようにしましょう。どれだけプロのライターが巧みなインタビュー術で素晴らしい原稿に仕上げたとしても、それを読むのはあなたと ◯◯ さんのお知り合いだけです。
採用の領域自体が年々血の海になっているため、まず Web マーケティングという概念を理解しましょう。元バーテンダーや元ニートなど変な経歴の社員はどこでもいますし、職種の垣根を超えたランチ会や社内勉強会はどこでもやってますし、訴求できるポイントはたぶんそこではありません。むしろ「こういう面あるほうが求職者ウケいいっすよ」と、PR 側から提案するくらいじゃないと競争力が生まれません。
営業・セールスコンサルティング・アカウントエグゼクティブ etc
編集・ライターに限らず、エンジニア・デザイナーも同様に、もっとも我々が古くから戦争を繰り返してきた人たち。会社を明日も存続させるため、“0→1” をつくりだす人たち。
結論として、わかりあえないタイプのセールスとは一生分かりあえません。 お互いに関わるメリットがないので、関わらなくていいと思います。
もちろん心穏やかなセールスもたくさんいますが、心穏やかに見えても彼ら・彼女らの心中は「Why Writing People?」であふれています。彼らは編集・ライターの価値を理解しているのではなく “我慢している” か “考える余裕がない” のだと思ってください。
認めてもらうには超シンプルに、自分の発信力とブランドで案件を取ってくるか、記事広告や Web 運用の案件で高い売上を達成することです。
後者で最大の問題が「営業がそもそも産廃処理みたいな案件を取ってくる」事案ですが、とりあえずは背景を理解しましょう。
主に 27 歳以下の、朝から夜遅くまでバリバリ働いてる若手の多くは、「俺らは必死に頑張ってて月給 25〜30 万とかなのに、売上もあげてないエンジニアとかライターはなんであんなもらってんの? お前らの給料どっから出てると思ってんの?」という疑問を抱いています(IT ベンチャーあるある)。
特に IT ベンチャー企業にいるようなセールスは、「達成できなかったら生きてる価値ないから」という環境で育ったか、そんな上司に厳しくしごかれて育ったというパターンが多いです。
そうなると「編集やデザイナーが苦労するかもしれないから、この案件は落ちのほうがいいのかな…」と考える余裕などなく、「まず自分のノルマを達成することが何よりも大事」なのです。そして、一般的には無名(IT 業界では有名だとしても)の会社で、朝から晩まで仕事漬けの営業という仕事をやる最大のメリットは「早期(四半期単位)の昇給・昇格」なので、周囲に足を引っ張られて自分の評価が上がらないのであればさっさと転職したほうがマシなのです。 歩み寄るかどうかはまったく別の問題ですが、冷静に話し合うためにも理解はしておかなければなりません。
そして、セールスの中堅〜ベテラン社員に「数字じゃない世界もあるんですよ」と認めさせることは、「君たちが必死で生き抜いてきた経験は今何の役にも立たない」という発言になりかねないことをまず理解しましょう。 彼らはその「数字を達成したか、しなかったか」という戦場でずっと身体を酷使して戦い、我々が「体調悪いんでリモートで働きます」と言っている日も客先に訪問し、上司にもクライアントにも激詰めされながら勝利を掴み取り、今の地位を築き上げてきたのです。果たしてそれが最適な手法だったのか、歩み寄るかどうかなどはまったく別の問題ですが以下同文。
私は基本的に、営業的な価値観と「お前らも俺たちと同じ苦労をしろ」という同調圧力でクリエイターたちも支配しようとする脳筋たちに媚びることは絶対にありません。ただ、一方的に被害者ヅラしてセールス全体の悪口を言うだけのなんちゃってクリエイターを見つけたら回り蹴りしていい条例の制定を千葉市に求めはしたい。
つらいこともあったけど、編集者・クリエイター集団より事業会社が好きです
(いらすとやを挟むと一気に脱力感が出るのがいいですね)
編集者・ライターはもちろん、デザイナーとかエンジニアでも「いやー、やっぱ十分なスキルとフォロワー数がついたらさっさとフリーになってリモートでやるべきだよね、正社員とか週 5 日オフィスに出社とか今時ダサいよね」とか言い出す輩をとりあえず引っ叩いてもいい条例とか千葉市が出してくれないかなーとか思っているあらやです(改めて挨拶)。
だいたい制作系の仕事って「フリーでいろんな仕事やってる人はイケてる」みたいな空気になりがちです。しかし事業会社で働いたことがある人はだいたい見たことあるでしょう。“なんか週に 1〜2 日ふらーっと社内に現れて、一体何に貢献してるのかまったくわからんけど月に 10〜20 万とかもらってるらしい自称コンサルタント” という生物を。一部まじで優秀な人もいますが、だいたいは…ねぇ?
そうやって陰口を叩かれる謎の人にならないためにも、事業会社でがっつり働くインハウスエディター的なキャリアにも注目が集まればいいなと思っています。
SNS や Web メディア単体でできることには限界があります。自分が惚れ込んだ経営者の力になって、他の職種のいろんな人たちと結束し、一つの事業を成功させるという大きな目標(決して上場ゴールとかではない)に向かっていくという人生も面白いです。
編集者の仕事が『価値ある情報を見つけ、集めて編み、付加価値をつけて、高く売る』ことだとしたら、いろんな人がいて、それぞれに背景があり、経営陣の人生を凝縮したようなサービス・製品がある事業会社という環境は、実に腕のふるいがいのある “遊び場” ではないでしょうか。
興味がある人は、ぜひ事業会社に突撃していってみてほしいなと思っています。まぁまぁの確率で心に一生残る傷を負ってしまうリスクもありますし、私は編プロで働いたことないから比較できないんですけど、中小規模の事業会社は青春感あって楽しいんですよ。
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