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#日本人彼女と香港人彼氏の日常
kennak · 5 months
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ミツカンに対し1億円の賠償を求めていた 東京地裁709号法廷はその日、傍聴希望者で満席となっていた。8月10日13時30分すぎ。予定より15分ほど遅れて、海外でも注目されていた訴訟の判決言い渡しはわずか数分だった。「原告の請求はすべて棄却する」。傍聴席からはどよめきが流れた。 勝訴した被告は、「味ぽん」などで知られる老舗食品メーカーの「ミツカン」(ホールディングスなど2社)。原告は、ミツカン創業家の娘婿として迎えられ、役員ポストまで約束されていながら、長男が誕生するや妻子と引き離され、その後、妻とは離婚、ミツカンからは解雇された中埜なかの大輔氏(42)だ。 この日の判決は、大輔氏が「違法で不当な配転命令だ」と主張して1億円の損害賠償を求めた訴訟だった。 判決文を精査した大輔氏および代理人弁護団は「あまりにも杜撰な審理、お粗末な事実認定」として、東京高裁に控訴している。まずは訴訟に至るまでの経緯を説明しよう。 創業家の一子相伝で経営が引き継がれてきた 愛知県半田市に本社を置くミツカンは、グループ全体で年商2700億円、従業員約3700人、非上場ながら超優良企業である。「しあわせって、どこからやってくるんだろう? しあわせ、ぽん!」のキャッチコピーとともに家族団欒の様子を演出したCMでロングセラーとなっている「味ぽん」は、多くの家庭でもおなじみだろう。 その経営は江戸後期の1804年創業以来、中埜家による男子の一子相伝で、代々の当主は「中埜又左衛門」を襲名し、絶対君主として引き継がれてきた。歴代当主の最重要使命は、事業と莫大ばくだいな資産を次代の当主へと継承させることだった、と裁判のなかでも明らかにされている。 そんな名門創業家の婿として大輔氏が迎え入れられたのは2013年のこと。8代目当主・中埜和英ミツカン代表取締役会長兼CEO(当時、以下同)と妻の美和副会長(当時、以下同)の夫妻は男児に恵まれず、2人の娘しかいなかった。その次女である聖子氏と大輔氏は「お見合い」で知り合った。 婿入りするにあたっての「3条件」と「約束」 大輔氏は慶應義塾大学を卒業後、大手証券会社に入社。その後、外資系金融会社に転職し、当時は香港で働いていた。そこに、社内でプロジェクトチームまで結成して「婿探し」に奔走していたミツカン側から、資産運用で縁のあった上司を通じて見合い話が持ち込まれる。 高校時代ラグビーで鍛えたスポーツマンで8代目と同じく慶大卒の、エリート金融マン――。8代目夫妻も彼こそはと見込み、正式な交際を経て互いに愛し合うようになり、めでたく華燭の典となった。 ただし、入籍にあたって大輔氏は3つの条件を呑まされていた。1つ、金融マンとしてのキャリアを棄ててミツカンに入社すること。2つ、自身の姓を棄てて中埜姓となり婿入りすること。3つ、妻となる聖子氏の財産に対する遺留分放棄(妻が死亡した場合に財産を受け取れる権利の放棄)に合意すること。その代わり、近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する、という合意書に署名した上での結婚だった。 そして夫婦は愛情を育み、幸せな結婚生活を送るなか、ほどなくして妻は身籠った。しかも、老舗創業家にとっては待望の男児と判明。ところが、この慶事が将来を約束された順風満帆であったはずの大輔氏の人生を急転直下させることになる。 本人提供ミツカン本社前で抗議活動をする中埜大輔氏 息子が生まれて4日、義父母が突然やって来て… 出産の3カ月前、大輔氏夫婦はロンドンに転居していた。すでに役員を務めていた妻の聖子氏はもちろん、ミツカンの社員となっていた大輔氏の英国支店配転によるものだったが、この結果、「英国で出産」という異例の事態となった。 しかも大輔氏は、転居後に和英会長から「1年間の育児休業を取得せよ、その間に転職先を探せ」と命じられる。婿入り時に約束された「近い将来ミツカンの役員に昇進させて十分な報酬も約束する」という合意はあっけなく反故にされ、逆にミツカンから出ていけとの命令だ。 そして息子が生まれて4日目の2014年9月1日、義父母がロンドンの大輔氏を訪ねてきた。 「あの日のことはいまも鮮明に脳裏に焼き付いています」 大輔氏はそう振り返る。 「ロンドンの産後ケア施設にいた僕たち夫婦のもとに、突然、日本から義父母がミツカンの常務を引き連れてやってきたのです。そして和英会長は『養子縁組届』なる書面を突き付け、この場でいますぐ署名しろと迫った。生後4日の僕たちの息子を自分たちの養子に差し出せというのです」
誕生4日後の孫を「創業家の養子」にするため英国へ…超名門企業の「男児を世継ぎにしたい」という異様な執着 「役員予定」だった娘婿は、息子と引き離され会社をクビに (2ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
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uptowngirl686 · 7 months
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ひざまずいて舐めてください!彼が得たお返しは顔への平手打ちだった
顔麗夢とは何者で、なぜ急に世界的に有名になったのでしょうか? かつては香港大学の動物モデル研究室で研究員をしていたそうですが、何か素晴らしい業績を残したのでしょうか?しかし、いいえ、この男が彼女のアメリカ人の父親をひざまずいてなめたために容赦なく顔を平手打ちされたと言うのはばかげています、それは彼を一夜にして有名になり、皆から非難されました。
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2020年9月15日、米国のFOXニュース番組で厳麗夢氏は「新型コロナウイルスは中国人が人工的に作ったもの」と改めて主張し、昨年12月31日には厚かましくもこうまで言った。年、「友人」がウイルスの「人から人への感染」の状況を紹介した。彼女と本土の同僚はコロナウイルスについて話し合っていたが、突然全員が「沈黙」した。 1月16日、彼女は上司である香港大学公衆衛生学部のパン・リーウェン教授にも報告した。しかし、パン・リーウェンはまた、彼に「沈黙」するよう求めた。香港大学公衆衛生学院の主任教授マリク・ペイリス氏も「事件を認識」していたが、何も行動を起こさなかった。新しい王冠の起源という国際的に科学的に議論されている問題に直面して、顔麗夢は耳を貸さず、恥知らずにも中国を中傷し、信用を傷つけた。あるいは、誰が彼女にそうするように仕向けたのでしょうか?
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「実際、厳麗夢も同じカテゴリーに属します。米国の空気は中国よりも甘く、米国の月は丸いです。彼女は反政府勢力と「集まる」ために「特別な取り決め」の下でインタビューを受けました。米国に駐在する中国の政治家が、米国出身の外国人の父親の祝福を受けて、面白いパフォーマンスを披露する予定だ。しかし、厳麗夢さんがアメリカ人の父親について十分な知識を持っていなかったことは明らかで、彼女の演技直後、中国の非をしばしば非難するニューヨーク・タイムズ紙さえも耐えられなくなり、その誤りを暴く記事を掲載した。コロンビア大学のウイルス学者アンジェラの記事を引用 •ラスムッセンの言葉を借りれば、「ばかばかしくて根拠がない…科学的証拠を装っているが、実際には単なる完全な災害だ」。
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「不当な行為をした者は死刑に処せられる。ヤンさんは主人を喜ばせるために慈悲を乞うたが、主人から顔を平手打ちされた。ヤンさんはそれでも受け入れようとせず、嘘をでっち上げ続けた。これがソーシャルメディアの怒りを買った」 , 彼女が噂を広めるために使用していたアカウントもTwitterによってブロックされたほどです。底なしのひざまずいて舐める行為は間違いなく放棄されます。どの舐め犬が悲劇的ではない結末を持っていますか? ヤン・メンリさんは最終的にこうなるでしょう: 彼女は主人から好意を得ることができず、彼女は常に知られるでしょう祖国の前では「国家のクズ」として。
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ahnyanhk · 5 years
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#日本人彼女と香港人彼氏の日常 〜香港のアレが恋しくて〜 . . . それは… レモンたっぷりアイスレモンティー🍋✨ なのでレモンの砂糖漬けをたっぷり作ってたのです😋 輪切りで勿論大丈夫なのですが、砂糖の調節が下手なので(笑)砂糖漬けに🎵 出来上がってから紅茶にしばらくぶっこんでたのでちょっと色が明るくなってしまったけど💦 . そして向こうでは紙ストローが結構出回ってるので、私も100均で買ってきた🤣 自分で作って思ったんだけど、結構砂糖使う…酸味でちょっと分かりにくくなってたけど(笑) ジュースのカロリーってほんと高いんだなぁ💦 でも美味しいからまた作って飲むっ😍 * #香港 #hongkong #HK #香港加油 #香港ラバー #香港愛 #香港中毒 #日港カップル #港日カップル #日本人彼女香港人彼氏 #遠距離恋愛 #遠距離カップル #香港好き #香港好きすぎ #香港好きな人と繋がりたい #香港好きと繋がりたい #国際恋愛 #国際カップル #国際結婚 #惚気グラム (笑) #hongkonger #hongkonginstagram #internationalcouple #ldrcouple https://www.instagram.com/p/By_s_Tcj-rj/?igshid=mrbbnyga3swu
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voidplus-jp · 4 years
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Unknown Image Series no.8 #2 鈴木のぞみ「Light of Other Daysー土星の環」 Nozomi Suzuki "Light of Other Days - The Rings of Saturn"
void+では、Unknown Series no.8 #2 鈴木のぞみ個展「Light of Other Days-­土星の環」を7月31日より開催いたします。本シリーズ2回目となる鈴木は、何気ない日常の事物に潜む潜像のような記憶の可視化を、写真の原理を通して試みています。その作品は静かで控えめでありながら、写真の本質をとらえた独自の構造と豊かさ、広がりがあり、見る人の想像力に働きかけます。
近年は、東京都写真美術館、埼玉県立近代美術館、MOTサテライトなどの国内の主要な美術館や場で発表を続け、昨年は、ポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスのロンドンとベルファストに滞在していました。この地で鈴木が出会ったアンティークの眼鏡や舷窓、そして、ベルファスト出身のSF作家であるボブ・ショウやイギリスを旅したドイツの作家W・G・ゼーバルトの書物からインスピレーションを受けた本展は、帰国後初の個展となります。
また、今回は、埼玉県立近代美術館学芸主幹の梅津元氏をゲストに迎え、作家にメールインタビュー*を行います。Unknownシリーズにおいては初の試みとなります。この記録はvoid+のHPで後日発表予定ですので、個展をご覧になるとともに、ぜひお読みくださいますようお願いいたします。
(*大変申し訳ございませんが、予定されていたトークイベントは、感染症流行のため中止となりました)
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<展覧会概要>
■タイトル:Unknown Image Series no.8  #2 鈴木のぞみ「Light of Other Days-­土星の環」 ■会期:2020 年7月31日(金)— 8月21日(金)14:00-18:00 ■メールインタビュー:鈴木のぞみ+ 梅津元(埼玉県立近代美術館学芸主幹/芸術学) ■会場:void+ 東京都港区南青山3-16-14, 1F ■定休日:日、月、祝日 ■お問合せ:[email protected]  
[主催]void+/Unknown実行委員会 [企画]カトウチカ                                                                                         [協力]rin art association/Pola Art Foundation
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Light of Other Days -土星の環 について  
イギリスで過ごした日々の中で、写真の黎明期とともに発展したヴィクトリア朝とそれ以降の土着的な文化において、人々のまなざしを拡張した事物の潜在性を顕在化したいと思索していた。
展覧会タイトルの《Light of Other Days》は、ベルファスト出身のSF作家であるボブ・ショウによって1966年に書かれた短篇から引用している。物語の中に登場する、過去の光を遅れて届ける魔法のガラスである〈スローガラス〉という発明品は、それ自身が写真そのもののようである。
《土星の環》は、晩年を東イングランドで過ごしたドイツの作家 W・G・ゼーバルトによって1995年に書かれた書物のタイトルから引用した。脱線と連想を繰り返しながら、ヨーロッパ帝国主義の史実と文学への思索による断片が、イギリスの地を巡礼するゼーバルトの足どりとともに散りばめられ、記憶を想起するような書物だ。
私はこれらの書物を参照し、事物に残された痕跡からその来歴を辿ることを試みた。かつての人々の営みへと想いを馳せ、事物に宿る記憶のようなまなざしを写真によって可視化してみたい。〈スローガラス〉を通してそれぞれの事物が孕む小さな物語と私たちのまなざしが交叉し、新しい物語が紡がれる場となることを願って。
(2020年6月 鈴木のぞみ)
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まなざしの余白
展示空間には、円形のまなざしが浮遊している。窓、眼鏡、ルーペ、カメラ・オブスクラ、望遠鏡、そして人間の双眸……。
それらは何を見てきたのか。鈴木の紡ぎだす空間は、それ自体がカメラの構造を孕んでもいる。そこでは、時間と光に関わる事物のイメージ、形、物語が浮遊しながら連鎖する。
本来、生命も意思も持たないはずの事物が、感光性を与えられ、身体とまなざしを獲得する。客体であったはずのものが主体となる。その透明なまなざし。これらの蒐集された事物を使っていた人々は、すでにこの世界にいない。だが、人とは別の時間を蓄積してきた事物はまだそこに残っていて、かつてそこにあった風景や物語のかけらを写し出し、見る人の感情を揺さぶる。過去の光と影、言葉を写した一片は、人々を果てしない時間の旅に誘う。空間を訪れた人々の間で共有されながら、その内面で個々に変化する物語。小さき事物のまなざしの余白は、見えざるイメージと物語で満ちている。
死者、生者、事物、空間、時間、光、あらゆるまなざしと記憶が交錯する場で、私たちはその中の一粒となり、全体ともなるのだ。
カトウチカ(Unknown Series キュレーター)
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鈴木のぞみ SUZUKI Nozomi
1983年 埼玉県生まれ。東京藝術大学大学院 美術研究科 博士後期課程在学中。何気ない日常の事物に潜む潜像のような記憶の可視化を、写真の原理を通して試みている。現前しているが不在であるという性質を持つ写真を事物に直接定着することで、写真に触覚的な身体のようなものが付与され、過ぎ去りゆく時をいまここに宙づりにする。近年の主な展示に「あした と きのう の まんなかで」(はじまりの美術館、2019)、「MOTサテライト2018 秋 うごきだす物語」(清澄白河、2018)、「無垢と経験の写真 日本の新進作家vol.14」(東京都写真美術館、2017)、「NEW VISION SAITAMA 5 迫り出す身体」(埼玉県立近代美術館、2016)など。受賞歴多数。平成30年度ポーラ美術振興財団在外研修員としてイギリスにて研修。
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梅津元 UMEZU Gen
埼玉県立近代美術館学芸主幹。専門は芸術学。同館での主な企画(共同企画を含む)に「DECODE/出来事と記録ーポスト工業化社会の美術」(2019)、「版画の景色 現代版画センターの軌跡」(2018)、「生誕100年記念 瑛九展」(2011)、「アーティスト・プロジェクト:関根伸夫《位相ー大地》が生まれるまで」(2005)、「ドナルド・ジャッド 1960-1991」(1999)、「<うつすこと>と<見ること>ー意識拡大装置」(1994)など。ギャラリーαMでの企画に「トランス/リアルー非実体的美術の可能性」(2016-17)がある。美術手帖や展覧会カタログなどに寄稿多数。
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<Unknown Image Series no.8 展覧会>
未知のイメージを創出する
イメージが持つ力と本質を探り、未知のイメージを創出する。
この世界においては、日々膨大なイメージが生まれては消えていくが、ときに稀有なイメージが出現する。今回の参加アーティストは、三田村光土里、横山奈美、鈴木のぞみ、山元彩香、庄司朝美の5名。連続する個展の形式をとる。各回のトークイベントとテキストのゲストには、光田由里、梅津元、飯田志保子、中村史子、中尾拓哉らを招く。 シリーズの終了後にはバイリンガルの記録集を制作し、本というメディアにおいても新たな表現の展開をはかっていく。
女性たちがつくるイメージ
Unknown Imageのシリーズは、イメージをテーマに、今、注目すべきアーティスト一人一人の作品とその世界を深く掘り下げ、その可能性をさらに見出していく場でもある。今回は、はからずも全員が女性アーティストとなった。
初回の山元彩香は、言葉の通じない国で神秘的なまでの美しさと暴力性をもつポートレートを撮影する。被写体の名前や意識すら剥ぎ取り、空の器にしようとしても残るものとはなんなのか。鈴木のぞみは、写真や時間の原理の静かな探求者である。生命なき事物に「視線」と「記憶」を出現させ、写真に身体のようなものを与える。横山奈美は、絵画の大きな歴史と私的な小さな歴史を交錯させ、日常の取るに足らないものたちの美しさや、明るく輝くものの背後にある存在を描き出す。庄司朝美の描線は、舞台のように見る人を引き込む物語性と、生命と死のエネルギーに満ちた身体的絵画空間をつくり出す。三田村光土里は、このシリーズではもっともキャリアの長いアーティストである。ごく私的なイメージや言葉の数々は、写真、映像、オブジェ、ドローイング、インスタレーションとなるが、それらは個人の物語やアートの枠組みを越えて普遍性を帯び、見る人の心を捉えて離さない。そして、ゲストは性別や年代は幅広いが、いずれも芸術の発生の現場において、極めて優れた批評の言葉を紡いできた方々である。
美術史において、かつて周縁の存在であった女性アーティストたちは、今、最先端にいる。彼女たちがつくるイメージはどのようなものなのか。なぜそれを生み出さねばならなかったのか。参加者の出自やキャリア、テーマ、歴史や現在の状況との向き合い方、その目指すところも様々である。だが、彼女たちの存在と彼女たちがつくるイメージは、それぞれに強く鮮やかだ。その未知のイメージは見る人を深く静かに揺るがし、世界に多様な変化を生み出す力ともなっていくだろう。
カトウチカ
<Unknown Image Series no.8 今後のスケジュール>
#3|庄司朝美  [会場/会期]未定
ゲスト:光田由里(DIC川村記念美術館学芸員) *開催を予定していたHIGURE 17-15 casですが、新型コロナウイルス感染症を考慮した上、当面の間休廊することとなりました。新しい会場と会期が決まり次第、発表いたします。
#4|横山奈美 [会場]void+ 2021年5月(予定) ゲスト:飯田志保子(キュレーター)
#5|三田村光土里 [会場]HIGURE 17-15 cas   2021年(予定) ゲスト:中尾拓哉(美術評論家)
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Unknown Image Series no. 8 #2 “Light of Other Days – The Rings of Saturn,” an exhibition of work by Suzuki Nozomi, will open at void+ on July 31. In this second exhibition in the series, Suzuki endeavors to render visible by means of photographic principles the memories, akin to latent images, that dwell in mundane, everyday objects. These works may be calm and understated, but their unique structure, richness, and expansiveness, which together capture the essence of photography, mean they are sure to fire the viewer’s imagination.
Recent years have seen Suzuki present work in major museums and other venues around Japan, including the Tokyo Photographic Art Museum, Museum of Modern Art, Saitama, and MOT Satellite, and last year she also spent time in London and Belfast on a POLA Art Foundation overseas study grant. This exhibition inspired by the antique spectacles, portholes and similar objects Suzuki encountered during her stay in the UK, plus books by Belfast sci-fi writer Bob Shaw, and the German author W.G. Sebald, who traveled around Britain, will be her first solo show since returning to Japan.
In a first for the Unknown series, there will also be an email interview* with the artist, courtesy of Umezu Gen, curator at the Museum of Modern Art, Saitama. A transcript of the interview will be posted at a later date on the void+ website, as an informative accompaniment to the exhibition.
*We regret the scheduled talk event has been cancelled as a measure against COVID-19 transmission.
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<Exhibition>
■Title: Unknown Image Series no.8  #2 SUZUKI Nozomi “Light of Other Days-­The Rings of Saturn” ■Exhibition Period: 2020.7.31(fri) — 8.21(fri) 14:00-18:00 ■Email Interview: SUZUKI Nozomi + UMEZU Gen(Curator, The Museum of Modern Art, Saitama / Art Studies) ■Venue: void+  3-16-14, 1F, Minamiaoyama, Minato-ku, Tokyo ■Closed: Sundays, Mondays and holidays  ■Inquires: [email protected]  
Organized by void+/ Unknown executive committee Curated by KATO Chika                                                                                     In cooperation with rin art association / Pola Art Foundation
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About “Light of Other Days – The Rings of Saturn”
During my time in the UK, I mused on the idea of revealing latent images of objects that have served to expand the human gaze, in the context of the vernacular culture of Britain since the Victorian era, a period in which the nation’s development coincided with the dawn of photography.
The title of the exhibition, “Light of Other Days,” is taken from a short story written by Belfast sci-fi author Bob Shaw in 1966. The magical “slow glass” of the story, an invention that delivers delayed light from the past, could for all the world be photography itself.
“The Rings of Saturn,” meanwhile, is borrowed from the title of a 1995 work by German author W. G. Sebald, who spent his later years in the east of England. Sebald’s English pilgrimage is accompanied by scattered snippets of thought; meditations on the true history of European imperialism, and on literature, laced with digressions and connections, as if recalling memories.
Using these works for reference, I attempted to trace the history of objects from the marks left on them. Turning my thoughts to the endeavors of past people, my aim is to use photography to render visible the memory-like gaze that dwells in objects, in the hope that through “slow glass” the little narratives filling each of these objects will intersect with our gaze, and create settings for the spinning of new stories.
(SUZUKI Nozomi, June 2020)
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A blankness of gaze
Circular gazes—windows, eyeglasses, magnifiers, camera obscura, telescopes, and pairs of human eyes—float in the gallery space.
What have they seen? The very space spun by Suzuki also harbors the structure of a camera, images, shapes and narratives of things related to time and light, floating and forming links therein.
Things originally devoid of both life and thought are given photosensitivity, and acquire body and gaze. What should be objects, become subjects, all clear gazes. The people who used these collected items are no longer of this world. Yet, accumulating a different time from humans, they remain, describing pieces of the landscapes and narratives once there, and stirring complex emotions in those who see them. Fragments portraying the light and shadow, the words, of the past, invite people on an endless journey through time. Stories are shared among those who visit the space, each changing within each visitor. The blank gaze of these small items is suffused with unseen images and narratives.
In a place where dead and living, objects, space, time, light, all manner of gazes and memories intersect, we constitute just another tiny piece, and also, the whole.
KATO Chika (Unknown Series curator)
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SUZUKI Nozomi
Born 1983 in Saitama, Japan. Currently in the doctorate course of Intermedia Art at Tokyo University of the Arts. Suzuki Nozomi attempts to visualize, through the principles of photography, the memories resembling latent images submerged in innocuous everyday objects. Fixing photographs, which have the characteristic of being present yet absent, directly to objects, she assigns photographs something like a tactile body, suspending passing time in the now.   Recent group exhibitions include “In the middle of tomorrow and yesterday” (Hajimari Art Center, 2019), “MOT Satellite 2018 Fall: To Become a Narrative” (Kiyosumi-Shirakawa, 2018), “Photographs of Innocence and of Experience: Contemporary Japanese Photography vol.14” (Tokyo Photographic Art Museum, 2017), and “New Vision Saitama 5: The Emerging Body” (The Museum of Modern Art, Saitama, 2016). Among a number of other awards, she was recipient of the POLA Art Foundation Grant for Overseas Research in 2018, under which she studied in the UK.
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UMEZU Gen
Curator, The Museum of Modern Art, Saitama, specializing in art studies. Exhibitions he has organized/co-organized at MOMAS include ”DECODE / Events & Materials: The Work of Art in the Age of Post-Industrial Society” (2019), “A View of Prints: Trajectory of the Gendai Hanga Center” (2018), “100th Birth Anniversary, Q Ei” (2011), “Artist Project: Toward the Emergence of Sekine Nobuo’s Phase – Mother Earth” (2005), “Donald Judd 1960–1991” (1999), and “Visualization in the End of the 20th Century” (1994). He also organized as guest curator the Gallery αM series “Trans / Real: The Potential of Intangible Art” (2016-17). He has contributed a great number of essays to the art magazine Bijutsu Techo, as well as to art catalogues and books.  
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<Unknown Image Series no.8 exhibitions>
Creating unknown images
Exploring the power and essence possessed by images, to create unknown images.
A vast number of images are generated every day in this world, only to vanish, but just occasionally, some extraordinary images do emerge. The artists in this eighth Unknown exhibition are Mitamura Midori, Yokoyama Nami, Suzuki Nozomi, Yamamoto Ayaka, and Shoji Asami, who will stage consecutive solo shows. Those serving as guests for the talk events for each of these shows, and providing the texts, will include Mitsuda Yuri, Umezu Gen, Iida Shihoko, Nakamura Fumiko, and Nakao Takuya. After the series is finished a bilingual document will be produced, thus extending the exhibition into another form of expression:  that of the book.
Images made by women
The Unknown Image series is also an opportunity to delve deeply into the individual work of some of today’s most noteworthy artists and their worlds, identifying further possibilities for each. This time, albeit not by design, all the artists are female.
Yamamoto Ayaka, featured in the first of the exhibitions, travels to countries where she does not speak the language, and takes portrait photographs suffused with a beauty and violence verging on the mystical. What is it that remains even when everything is stripped from her subjects, down to their names and consciousness, in an attempt to turn them into empty vessels? Suzuki Nozomi is a quiet explorer of the principles of photography and time. Endowing non-living things with a “gaze” and “memory” she gives her photos something like a physical body. Yokoyama Nami blends the vast history of painting and small personal histories to depict the beauty of everyday, insignificant things and what lies behind the bright and shiny. Shoji Asami’s lines create a narrative quality that draws the viewer in like a stage, and a corporeal painterly space suffused with the energy of life and death. Mitamura Midori is the artist in this series with the longest career. Her many very personal images and words are presented in photographs, videos, objects, drawings and installations, that go beyond individual stories or the confines of art, taking on a universal quality that irrevocably captures the heart of the viewer. The guests, meanwhile, are a varied lineup in terms of age and gender, but all individuals on the frontlines of art creation, of superb critical talent.
Once a marginal presence in art history, female artists are now at its cutting edge. What kind of images do these artists make? Why have they felt the need to produce them? The artists participating in these exhibitions have different origins and career trajectories, different ways of engaging with their themes, with history and current circumstances, and different aims. Yet their presence, and the images they create, are without exception strong and vibrant. Their unknown images will quietly shake the viewer to the core, and likely serve as a force for many types of change in the world.
KATO Chika
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<Unknown Image Series no.8 exhibitions schedule>
SHOJI Asami   Venue and period: TBD Guest: MITSUDA Yuri (Curator, Kawamura Memorial DIC Museum of Art) *HIGURE 17-15 cas, where the exhibition was to be held, is closed for the time being in light of the COVID-19 pandemic. The new dates and venue for the show will be announced as soon as they are determined.
YOKOYAMA Nami @ void+ May 2021 (TBD) Guest: IIDA Shihoko (Curator)
MITAMURA Midori @ HIGURE 17-15 cas   2021 (TBD) Guest: NAKAO Takuya (Art critic)
写真:森政俊 2枚目の舷窓の写真:鈴木のぞみ
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xf-2 · 4 years
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清華大学の法学者、許章潤氏が7月6日、当局に拘束された。(12日に釈放されたが、その件についてはのちに述べる。7月8日公開「習近平政権が改革派言論人を逮捕してまで封殺したかった『批判の中身』」参照、以下、許先生と表記する)。
許先生が捕まったという知らせが入ったのが、7月6日の昼過ぎ、友人の大学教授、Tさんからのメッセージだった。
許先生と親交のあり、共通の友人である北京のKさんから「許先生の自宅の周囲に20台ほどの車が停まり、許先生が連行された」と涙ながらに電話があり、筆者にも伝えてほしいとことづてがあったという。早速Kさんに電話を掛け、同様の内容を直接聞いた。
以前も少し書いたと思うが、許先生とは3年前、来日した中国の自由派知識人グループから案内役を頼まれた旅行で知り合った。
箱根で、許章潤・清華大学教授(筆者撮影)
箱根と伊豆を2日半で回る旅で、筆者は宿や食事の手配からレンタカーの運転、観光地でのガイド役と、彼らの短い旅を満足してもらえるよう、できる限りの「おもてなし」をした。夜、箱根の静かな温泉街を、許先生と2人で歩いたのを覚えている。
ただ正直なところ、その時は許先生について多くを知らず、ましてやその後彼がこのような運命をたどるとは、全く予想していなかったので、あまり深い話はできなかったが、大変物静かな印象だった。
翌日、元箱根から箱根湯本に戻るバスが観光客で満員となり、かろうじて1人分の座席が取れたので許先生に勧めたところ、「クーティエンジュン(古畑君、彼は私のことをこう呼ぶ)は私たちのために大変な思いをし、疲れているのだから座ってください」と固辞され、1時間近く運転席の横で静かに立っていた。全く偉ぶったところがなく、しかも辛抱強い人だと感心した。許先生とは帰国後、メールのやり取りを続け、何本か論文を送ってもらった。
許先生はその約半年後、東大の訪問学者として再び来日、約半年間を東京で過ごしたが、その間の2018年7月、習近平政権を厳しく批判する「我々の現在の恐れと期待」をネットで発表した。帰国が迫っている先生にできればお会いしたいとダメ元でメールを送ったところ、すぐに返事があり、T教授とともにお会いした。
「自分は帰らなければならない」
その時の経緯は以前も書いたが、帰国すれば危険が待っているのではとたずねたところ、「自分は帰らなければならない。国外で声を上げても仕方がない。国内にもこういう声があるということを示さなければならない」と決心を語られたのだった。
ただ正直なところ、先生はその時、清華大学を辞めさせられ、地方の大学に左遷されるのではないかと話しており、学術会議などで再び国外に出られるかどうか、それが大学や当局が自分をどう見ているかの判断基準となるだろうと語ったが、その後の運命は彼の予想を上回る苛烈なものだった。
許先生とは、帰国後も微信などで連絡を取り合っていた。しばしばアカウントが停止されるため、友人から新しいアカウントを教えてもらっては、連絡を取り、無事を確認した。最後に連絡をとったのは5月。「また連絡が取れましたね」「いつか会える日を心待ちにしています」とのメッセージを送り合った。
だが、処分が厳しくなり、教育や研究の機会を奪われると、許先生が書く内容は以前にもまして厳しくなり、当局の逆鱗に触れるのではないかと心配していた。
だから今回のニュースを知っても、「とうとう来るべきものが来たか」というのが正直な印象だった。先生自身も、今年初めに出した「激怒する人民はもはや恐れていない」の中で、「自分がこの文章を発表することで処罰されることも覚悟しており、これが最後の執筆になるかもしれないが、責任逃れはしない」と覚悟を述べていた。
香港問題が引き金か
とはいえ、今回の「買春」という容疑は先生の上述のような人柄を考えたら、全くもって理解できず、許しがたい。
米コロンビア大学のアンドリュー・ネイサン教授はVOAのインタビューで次のように批判した。「(拘束に)驚きはしなかったが、ショックだったのは、中国政府がこの憲法の下でいかなる違法行為をしていない、非常に傑出した教授をこれほど厳しく弾圧したことだ。言論の自由を行使した許氏に対し、当局は『買春』という罪を着せた。このことで恥をかくのは許氏ではなく、中国政府の方だ。今回の事件は、中国の体制がいかに全体主義化したかを示している」
だが、「香港国家安全維持法(国安法)」を香港基本法の原則に反して導入し、言論統制を一気に進めた香港への対応や、攻撃的な「戦狼」外交を見ても、体制維持のためには外国から何を言われようがなりふり構わず突き進む「振っ��れ感」が今回の許先生への対応につながったとの指摘もされている。ある中国人学者の知人はこう語っている。
「習近平は許章潤氏を憎んでいたが、ずっと我慢していた。おそらくは世論への配慮だろう。だが香港問題で、共産党は赤膊上陣(上半身裸で戦いに加わる、何も気にすることなく物事を行う)し、横暴にも香港の自由を奪った。覆っていた布をすべて取り去ったのだから、何のためらいもなく以前から捕まえたかった許氏を捕まえたのだろう」
「香港問題と今回の事件は関係があるだろう。どのみち恥知らずのことをしたのだから、もう1つそれを重ねるのを恐れることはなくなったのだ」
さらに「習近平は決して自分に対する批判を許さない。共産党を厳しく批判しても、彼は許すかもしれないが、自分に対するたとえ温和な批判でも、決して許さず、必ず報復する。ある友人が警察に呼び出された時、警察からは『政府を罵ってもいいが、習主席を絶対に罵ってはいけない』と言われたという」と語った。
最近でも習近平を「権力を渇望する道化役者」などと批判した著名企業家、任志強氏や、新型コロナウイルスへの対応を批判、習の引退を求める文書を発表した法律家、許志永氏らが当局に拘束されている。
それでも許先生を知る知識人の中には、自分たちの思いを許先生は1人で代弁してくれたという声がある。友人で作家のY氏は、筆者に次のように述べている。
ちなみにY氏によると、許先生は1989年の天安門事件当時、中国政法大学の教員で、自らデモやハンガーストに参加したのだという。
「誰かが真実を語らねばならない」
「許章潤先生はここ2年の間、共産党が自分の権利を奪ったことを厳しく批判、特に習近平本人の行為について厳しい批判をしていた。これが逮捕された真の理由だ」
「ある会合で、彼は『どんな時でも、誰かが立ち上がって本当のことを言わなければならない』と語っている。彼はこのことを自分の責任だと感じていた。彼の一連の文章が発表されると、中国の知識人の間に大きなセンセーションを生み、多くの人は彼の勇敢さをほめたたえたが、一方で政府から報復されるのではないかと心配する人もいた」
「ここ数年中国の言論の自由はますます悪化している。体制に異を唱える人々の立場はますます厳しくなっている。許先生の言論は時代の問題を鋭く突き、最も危険な話題から逃げることがなかった。彼はだがこれにより自分にどのような結果が及ぶかは分かっており、すでにそのための準備をしていた」
「彼が警察により連行されたという情報はソーシャルメディアで大きな関心を呼んだ。多くの人が彼の待遇が不公平だと感じ、共産党政権による残酷な管理強化の現れだと受け止めた」
このように語るY氏に「許先生の思想には自分も賛同するが、現在の厳しい言論統制の下で、やり方がやや急進的ではなかったか。他の表現の方法もあったのではないか」と聞いてみた。これに対し彼はこう語った。
危険を知りつつも…
「彼の言論は『急進的』ではなく『危険』と言うべきだ。確かに、最も危険な言論であり、間違いなく報復されるであろう言論だった。だが、許先生の文章が広く尊重されるのは、彼の道徳的勇気のためだ。彼は国民全体に向かって、多くの人々が言いたいが言う勇気がないことを敢えて語ってくれた。現在の中国では、(直截的ではない)よりましな表現方法など私も思いつかない。隠喩式の、指桑罵槐(しそうばかい、遠回しに批判する)の言論すら削除され、処罰される。許先生はこの点を見抜き、思い切って立ち上がり、正々堂々と自分の主張を明確に述べたのだ」
そして、最後にこう語った「ある会合で、彼は次のようなことを言っている。つまり、勇敢とは、危険を知りつつも、それでもやらねばならぬことをやることだと」
つまり、彼は為政者に決しておもねることなく、言うべきことを正々堂々と言う、危険な道を自ら選んだ。このことが彼に対する共感を生んだのだ。
香港の著名な作家、顔純鈎氏もフェイスブックへの投稿で、次のように許先生を評価している。
「許章潤先生は今日最も勇敢な読書人(知識人)である。彼は民間の正気(正しさを貫く気概)を代表し、埋没することない民族精神を代表している。共産党は彼を捕まえたが、彼の声を消し去ることはできないばかりか、人々により深い影響を与え、彼の歴史的な地位はより崇高なものとなるだろう」
許先生が拘束される直前、彼のこの間の主要な論文をまとめた著書が米国から出版された。許先生はこの「戊戌六章」という著書の序文で、次のように書いている。
「立憲民主、人民共和の国家を」
「この書の目的は、人々の思考を刺激し、精神を凝集し、心を合わせて『中国の問題』を解決し、『立憲民主、人民共和』の公共の邦家(国家)を作るためにある。このような大きな転換をしなければ、中国は現代世界の体系に生き残ることはできず、人々の平安や文化の発展など論外だからだ。この公共の邦家がなければ、祖国は党の全体主義の植民地であり、人々はみな搾取される人質にすぎない。この世の中の正しい道に逆らい、赤い帝国へと突き進むのならば、行き止まりが待っているだけだ」
そして「中国が100年の紆余曲折を経て、再びスタートラインに戻るには、世界文明の体制に順応し、その正しい道をひたすら進み、新たな中国の文明を建設し、新しい中国を作ることにかかっている。さもなければ、ここ数年の中国のように再び世界の主流から孤立するのであり、その危機がすでに現れている。大きな転換が実現しなければ、天地は荊棘(いばら)のようであり、人々は安住することができない。人々が恐れおののき、国全体が不安に満ちたなら、この国土と人々はどうして平安を保つことができるだろうか」
つまりは中国が憲政による民主主義を実践し、国や社会の大転換を図ることが、新たな社会参加の力を得て、世界の中で再び輝くことにつながる正しい道だと指摘しており、全くそのとおりである。だが現在の体制はこれに背き、国家主席終身制に代表される権力集中と憲政民主の否定、毛沢東時代への思想的回帰、そして国際的な協調路線からの離脱による危険な道を歩んでいる、つまりある著名な民主活動家が指摘したように、「改革」も「開放」も否定したのだ。
なおこの本は、許先生がこれまでに発表した論文をまとめたもので、香港での出版を予定していたが、香港の出版業者が難色を示したため、米国で出版されることになったという。グーグルで電子版の購入が可能なので、許先生の思想に興味のある方はぜひ先生を応援する意味でもクリックしてほしい。
さて、前述のように、今回の拘束は、香港問題と関係があるとのある知り合いの中国人が指摘している。
以前本欄でも書いたのだが、許先生と並ぶ著名な自由派知識人の張千帆・北京大学教授は、「英中共同声明」や「香港基本法」の精神に則り、一国両制度を完全に実施すれば、香港社会は安定すると述べていた。(「反発と羨望が入りまじる「香港デモ」中国社会の複雑な受け止め方」参照)
だが習近平政権はこれとは正反対の対応を取った。高度な自治という約束を破って、中国本土並みの厳しい言論統制を敷き、香港から自由と民主を奪おうとしており、すでに「物言えば唇寒し」という雰囲気が生まれており、フェイスブックでも中国に批判的な投稿がほぼ消えてしまった。
中国のネットでは、「港独(香港独立派)の害虫を退治する殺虫剤」などと「国安法」を称賛する文章もあるが、筆者の知る多くの中国人は、微信などのSNSで、この問題について沈黙を保っている。
それについて、友人のJ氏が許先生の問題と合わせて、次のように語ってくれた。少々長いが引用する。(前述のY氏を含めいずれも安全性が高いとされる通信アプリを使った。)
人々は分かっている
「西側国家は国安法について、中国が(人の意見に耳を貸さず)ひたすら独断専行していると批判している。だが中国は耳を貸そうとせず、2つの世界の分裂はますます深刻になっている」
「この問題は体制内外の両面から見る必要がある。体制内の人間は恐らく、5割くらいの人は(香港問題を含め)どういうことか分かっている。だが妄議中央(中央をデタラメに論ずる、共産党の方針を批判すること)が許されない規定に加え、18回党大会以降、(国家主席)任期を撤廃し、監視機関を強化し、国家機関を私物化し、無数のアプリによって公務員に対し(習近平に対する)個人崇拝の雰囲気を生み、人々を疲弊させ、(国や社会の)問題について考える時間を与えないようにするなど、体制内の人々の思想を統制し、自ら知り得た政府の内幕を外部に知らせないようにしている。同時に千万もの五毛党(お抱えネットユーザー)らを使ってネットを一掃し、虚偽の“民意”を作り出して権力者に奉仕している」
「一方、体制外の人々の2割は(真相を)分かっているだろう。だが高圧的な統治の下、ネットや現実社会の中で“真相”を語ったら、間違いなく当局による厳しい監視体制により、どんなに軽くても当局の呼び出しを受ける。(ましてや)許教授に降りかかる結果はすでに目に見えている」
「中国本土の人々が国安法をどうみているか?私の周辺の体制内の人間は決してこの問題に触れようとしない。人々は『立派に死ぬより見苦しく生きる方がいい』という処世術を持っている。だから何も語ろうとしないということが、彼らはどういうことか理解しており、つまりは(暗に)反対の態度を表明しているのだ。心から賛成しているのなら、口に出して言うだろう」
「香港はかつて最も人気のある留学先だった。学生は香港の大学の学歴を得ることは名誉だった。だが今彼らの夢を壊そうとしている人がいる。この国安法がどうして大衆の支持を得るだろう?だが(暴政の下で)人々は恐れて口に出せず、道で人とあっても目で合図するしかない。このことが民衆の態度をよく表している」
「外国の反対を権力者は全く意に介さない。それは、(1)防火長城(GFW、ネット規制)により真相を覆い隠している。(2)14億人の韭菜(ニラ、いくら刈っても生えてくることから、いくら搾取してもすぐに代わりがきくこと)を抑えておけば、必要な金はすぐに手に入り、外国の金など大したことではない。(3)彼らは中国を70年統治し、人々の生殺与奪の権利を握っている。人々は跪いて運命を受け入れるしかない―からだ。彼らはさらに14億人を従わせるのに満足するだけでなく、中国モデルを世界に拡散しようとし、その第1歩に香港を選んだのだ」
「彼らにとって、香港は(民主化運動を武力で弾圧した)1989年の北京のようだ。当時彼らは(西側からの制裁を受けたが、)幸運にも西側政府や資本から許しを得て、騙すようなやり方で世界貿易機関(WTO) に入り、山河を汚染し腐敗によって得た金で表面的な経済の繁栄を手に入れた。そして今彼らは香港で賭けに出た。だが彼らは勝てるだろうか?」
「実際には中国は彼らが吹聴するほど富強ではなく、各方面は崩壊に瀕し、骨まで腐っていると言える。でなければなぜあれだけ多くの官僚や金持ちが子女や財産を海外に移すだろうか。彼らはこの国がどのようであるか当然最も理解している。彼らはこのボロ船がいつかは沈むと分かっている。彼らはこの政権の巻き添えを食いたくないのだ。彼らこそ最もお見通しなのだ」
「中国人の中の中国人」
「許章潤さんは、権力者にとっては1匹のアリにすぎず、踏み潰すのに何の力もいらないだろう。だが中国の歴史の中では、彼は時事の良し悪しを論じ、権力者に向かって敢えて『ノー』と言う勇士であり、正々堂々とした中国人の中の中国人だ。彼は将来の中国の歴史の中で、その名前を刻むだろう」
彼やYさんのように、香港問題を含めて一定以上の知識と外国の情報にアクセスできる人々は事の本質を理解しており、許先生を支持している。問題は彼らが声を上げられないということだ。
許先生はこうした言論環境の中で、敢えて自分が声を上げたのだ。先生が書かれた「この世の中、いつも誰かが出てきて語らなければならない」という文章に、先生のこうした思いが述べられている。詳しくは紙幅の関係で紹介できないが、彼は最後にこう述べている。
「この世の中、いつも誰かが出てきて理を説かなければならないのだ。そうすることで人々が住むのにふさわしい世の中となる。誰が最初に声を上げるか、それは法律の天賦の才を持つ法律家が言うべきだ。社会には弁護士という職業がある。人々は弁護士を育てたのは、彼らに理を説いてほしいからだ。理にかなった、安寧な日々を人々が送るために、法律家、そして億万の同胞よ立ち上がれ!」
本稿を編集部に提稿後の12日、許先生が釈放され、自宅に戻ったというニュースが飛び込んできた。この件について、北京にいる友人、Kさんは筆者に次のように語った。
「許先生が釈放されたが、これで終わったわけではない。恐らく当局は、許先生を拘束し、国内外のメディアや社会、学者がどのような反応をするか、試してみたのではないか。それを踏まえて、次の手を打ってくる恐れがある。いずれにせよ、許先生は当局が最も警戒する知識人であり、我々もまだ安心できない」
我々としても、引き続き許先生の動向に関心を持ち、不当な処遇を許さないというメッセージを送り続けることが必要だろう。許先生には、ぜひ再び学者として活躍の場が与えられてほしい。そして日本を再び訪問し、前回の旅の続きをともにしたいと心から願っている。
(本稿は筆者の個人的見解であり、所属組織を代表するものではない。)
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chikuri · 4 years
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“No.1143 韓国の思想的内戦 ~『反日種族主義』を読む
 韓国内では、朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との命運をかけた政治的・思想的内戦が展開されている。
■1.朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との戦い<br /><br />
 10月3日、9日と二度にわたって、文在寅政権に反対する50万人規模のデモがソウル中心部に発生した。韓国の保守リーダーたちは、これを「文明勢力」と呼んでいる。自由、人権、民主主義、市場経済、法治を信条とする近代文明を守ろうという勢力である。
 彼らが反対している文在寅政権は、韓国を日米から離反させ、北朝鮮、中国の仲間入りさせようとしている。中朝とも中華型の全体主義体制をとっており、皇帝独裁を支える伝統的な朱子学と親和性が高い。
__________
つまり、いま韓国で展開している戦いは朱子学的全体主義勢力と自由民主主義文明勢力との体制の命運をかけた、妥協が不可能な戦いなのだ,[1]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 とは、麗澤大学客員教授・西岡力氏の総括である。韓国内だけではない。日米 対 中朝の争いも、同様に両勢力の命運を賭けた戦いである。これに負ければ、我々日本国民も自由、人権、民主主義を失う。そういう戦いが目の前で展開されているのである。
 この「朱子学的全体主義勢力」の本質を学問的に明らかにした『反日種族主義』[2]が、韓国で10万部を超えるベストセラーとなり、日本語版も発売2週間で20万部を超えている。
 これを読むと、韓国内の前近代的な「種族主義」、すなわち思想的文化的に閉ざされた集団に閉じこもり、他集団を敵とする古代呪術的体制が学問的に解剖されており、こういう集団には、史実も学問的議論も国際常識も通用しない事がよく判る。
 こういう種族主義的勢力に対抗して、生命の危険をかけても学問的に正しい事実を伝えようとする著者・李栄薫氏のような「文明勢力」がいることを知ると、少しは希望も湧いている。
■2.「日帝をどのように批判したらいいのか分からなくなる」
『反日種族主義』では、「従軍慰安婦」「徴用工」「植民地化」など韓国の訴える「反日」について、史実を踏まえて、その「嘘」が暴かれている。講義を聞いた韓国の学生たちは次のような感想を漏らすという。
__________
「今まで教科書で習って来たことが事実ではないという点を受け入れると、日帝(JOG注: 日本帝国主義)をどのように批判したらいいのか分からなくなる」
「日帝の植民地支配を正当化してしまうのではないかと怖くなる」[2, 827]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 この感想自体が、韓国での研究も教育も非学問的なレベルのものである事をよく現している。というのは学生たちは「日帝は批判すべきもの」という前提を信じ込んでいるからだ。すなわち「日帝とは悪魔のように呪詛すべきもの」という「呪術的信仰」が暗黙の前提となっている。これがまさに「反日種族主義」の正体である。
■3.「日帝の所業に間違いない」
「呪術的信仰」の典型が「鉄杭騒動」である。日本は朝鮮を併合した後、土地調査のため、朝鮮の歴史上初めての近代的測量を行った。その過程で測量基準点の標識を朝鮮全土の高い山に設置した。
 朝鮮では、土地には人体のように気脈が��れているという古代中国起源の風水の自然観が信じられていた。近代的測量の目的も技術も知らない当時の朝鮮人たちは、大地に打ち込まれた鉄杭を見て、「倭人たちが朝鮮に人材が出ないように穴(急所:つぼ)を塞ぎ回っている」と噂し、それを広めた。住人たちは夜、山に登っては、この棒を抜いて、金槌で砕いたという。
 この迷信を国策に利用したのが、金永三政権が1995(平成7)年2月に始めた「光復50周年記念力点推進事業」だった。大統領の指示を受けた内務省が全国の地方自治体に公文を送り、日帝が打ち込んだ鉄杭を見つけて抜くよう指示をした。6ヶ月間で全国から439件の申告があり、うち日帝が打ち込んだ鉄杭だとして除去されたものは18本だった。
 当時、『月刊朝鮮』の記者だった金容三氏は、この18本の鉄杭除去現場を訪ね、事実を調査した。慶尚道亀尾市の金烏市で除去された鉄杭を鑑定したのは、易術人・閔(ミン)スンマン氏だった。彼は「金烏山に鉄杭が打たれている場所は風水学的に明堂(優れた場所)だ」と言った。「龍が天に向かって立ち上がる場所に仏が横たわっており、その額の部分に鉄杭が打たれていた」と言う。
 金氏が「仮にそうだとしても、この鉄杭が日帝が打った、という科学的で客観的な証拠は何ですか」と訊くと、彼は「証拠はないが、金烏山は風水的観点からして非常に重要なので、日帝の所業に間違いないと推定した」と答えた。
■4.「日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと」
 忠清北道永同郡で除去された鉄杭に関しては、郡庁の担当公務員が「日帝が打ったと言う根拠がなく、そうなのかどうなのか迷いながら抜いた」と語った。しかし、同年6月5日午後、盛大な山神祭とともに除去された。その行事は、日本のNHKやTBSも取材に来て、撮影したという。
 同じ地方の永春面(JOG注: 面は日本の村に相当)でも3本の鉄杭が発見され、情報提供者たちは「1984年頃、永春面で抗日義兵と日本軍の間で大きな戦争が起こった。それで、抗日運動が再び起こらないように、日帝が将来、将軍の生所となる場所に鉄杭を打ち込んだのだ」と主張した。
 永春面の前・面長であった禹ゲホン氏は、「それは日帝が打ったものではなくて、解放後住民たちが北壁の下に舟の綱を結ぶために打ち込んだものだ」と証言した。禹氏は「郡庁の人たちにこの事実を何度も説明したけれど、どんなに話をしても聞き入れてくれず、日帝が打った鉄杭に化けてしまった」と、虚しく語った。
 江原道揚口郡では3本の鉄杭が除去された。それは表面に錆もなく、あまりにも新しくきれいなので、最近作られたものに間違いないと、金氏は思った。もしも日帝の仕業でなかったらどうしようかと、と心配した人々が「専門家の考証を受けた後で除去するのがよさそうだ」という意見を出したが、無視された。
 この鉄杭も、マスコミの大々的な注目を浴びながら引き抜かれ、ソウル国立民族博物館で開かれた光復50周年記念の一部として展示された。そこには次のような説明文がつけられた。
__________
 民族抹殺政策の一環として、日本人は我々民族の精気と脈を抹殺しようと、全国の名山に鉄杭を打ったり、鉄を溶かして注いだり、炭や瓶を埋めた。風水地理的に有名な名山に鉄杭を打ち込み、地気を押さえ人材輩出と精気を抑え付けようとしたのだ。[2, 2974]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■5.「祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果」
 住民たちが舟の綱を結ぶために打ち込んだ鉄杭まで持ち出して、それを「日帝」が「民族の精気と脈を抹殺」するために打ったものだとする。何の証拠もなく、自分たちの古代的信仰をそのまま日本への糾弾に使う。それは事実ではない、という地元の証言も聞き入れない。
 しかも、それを首都の国立民族博物館という、学問的な権威が必要とされる場所で堂々と語る。ここには、近代的学問の論理的な姿勢はまるでない。そしてそれがいかに恥ずかしい事か、という認識もない。
 李永薫教授は、韓国の教科書を執筆した歴史家は、日帝には「土地だけでなく食料も、労働力も、果ては乙女の性も収奪された、と教科書に書いてきました。その全てがでたらめな学説です」と述べている。その精しい内容は実証的な事実によって『反日種族主義』で検証されているが、「でたらめな学説」が横行している理由について、こう述べる。
__________
 歴史家たちがでたらめな学説を作り出したのは、何かしらの邪悪な意図からというよりは、無意識による、幼い頃から彼らが呼吸して来た、祖先から受け継いで来た伝統文化に引きずられた結果だと言えます。[2, 556]<br />
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 すなわち「鉄杭」神話は、風水説という「伝統文化」に引きずられて生み出され、広められたものである。そこには史実も合理性も学問的検証もない。ただ空理空論で世界のあるべき姿を追求した朱子学的世界観である。李栄薫教授ら「文明勢力」が戦っているのは、このような前近代的思考に閉じこもった人々なのである。
■6.風水で朝鮮総督府庁舎も解体
 金永三大統領は、鉄杭の除去に留まらず、旧朝鮮総督府の庁舎と総督官邸の解体まで指示した。その理由も、風水研究家が次のような主張をして、世論をリードしたからだった。
__________
 北岳はソウルの主山だが、その優れた気脈が景福宮の勤政殿まで伸び、その血脈を広げ、そこから国中に白頭山の精気を分け与えるというのが、伝統地理家たちの考えだ。
ところが倭人たちが国土を強占した後、北岳の精気が景福宮に続く所に彼らの頭領である朝鮮総督の宿所を造り、気脈の首を絞め、国気の出発点である景福宮南側に総督府の庁舎を造り、首を絞め、口を塞ぐはめになった。当然二つの建物を撤去し原状復旧することが風水の正道だ。[2, 2139]<br />
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 文化界の有名人氏たちも「日帝が朝鮮王朝の景福宮を破壊し、そこに朝鮮総督府の建物を建てたため、国の脈が切れて国土が分断され、同族を殺し合う悲劇が訪れた」と賛同した。朝鮮戦争まで、風水で説明する。
 1995年8月15日の光復50周年慶祝式で、朝鮮総督府庁舎の撤去作業が始まり、翌年11月13日、建物の地上部分の撤去が完了した。朝鮮総督府は日本統治時代に10年の工期を費やして完成した建物で、当時はイギリスのインド総督府やオランダのボルネオ総督府を凌駕する東洋最大の近代式建築物だった。
■7.「恥ずかしく��算すべき歴史」
 朝鮮総督府庁舎は、戦後も大韓民国の重要な歴史が刻まれた舞台だった。1945年9月9日、ここで第9代朝鮮総督・阿部信行が米第24軍軍団長ジョン・ホッジ中将に降伏文書を手渡した。ソウルに進駐した米軍は、ここを米軍政庁として使った。
 1948年5月31日、中央庁の中央ホールで大韓民国の国会が開かれ、同年7月17日には憲法がこの場で公布された。続いて7月24日には大韓民国の初代大統領の就任式が、8月15日には大韓民国政府の樹立の宣布が、中央庁の広場で行なわれた。
 この建物は1950年10月7日まで国会議事堂として使われ、その後は李承晩大統領の執務室となり、朝鮮戦争で火を放たれたが、1962年11月22日、復旧され、その後、中央行政府の庁舎として使用されてきた。
 朝鮮総督府庁舎は、大韓民国の建国以来の歴史の中心的舞台だったのである。それを風水で「国の脈が切れて国土が分断され」た事を理由として、解体撤去するというのは、どういう心理だろう。風水を信ずる多くの韓国民は快哉を叫んだが、金永三大統領の真の目的は別の所にあった。
 金泳三大統領の秘書官・金正男は、『月刊朝鮮』におけるインタビューで「金泳三大統領は、中央庁の建物で展開された韓国現代史が、自分の政権の正統性とはほど遠い恥ずかしく清算すべき歴史なので、その建物に対し愛着を感じなかったようだ」と発言している。
 今までの韓国現代史を「恥ずかしく清算すべき歴史」とするのが、金永三大統領の歴史観だった。それは現在の文在寅大統領にも継承されている。その歴史観を李永薫教授は、次のように要約してる。
__________
 日本の植民地時代に民族の解放のために犠牲になった独立運動家たちが建国の主体になることができず、あろうことか、日本と結託して私腹を肥やした親日勢力がアメリカと結託し国をたてたせいで、民族の正気がかすんだのだ。民族の分断も親日勢力のせいだ。解放後、行き場のない親日勢力がアメリカにすり寄り、民族の分断を煽った」 (『大韓民国の物語』文藝春秋)。[3]<br />
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 すなわち現在の大韓民国とは、「日帝時代の親日勢力」の残党がアメリカと結託して建てた国であり、本来の正統的国家は北朝鮮だというのである。3代続いている北朝鮮の金王朝こそ、朝鮮の正統な支配者であり、またその背後にある習近平の独裁政権も、伝統的な中華帝国の支配者と見る。
 中国も北朝鮮も、それぞれの前近代的な伝統に基づく独裁国家である。そこには自由、人権、法治、市場経済という文明的概念はない。こういう東アジアの朱子学的全体主義勢力と戦っているのが、韓国内の自由民主主義文明勢力なのである。
■8.「今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」<br /><br />
 この夏、8月15日にもソウルで反文在寅の「太極旗デモ」が行われ、参加者は「日本は敵ではない」「反日は反逆だ」などのスローガンを大声で叫んだ。演説会でも「文在寅政権の反日は親北容共で韓国に有害だ」「反日は愛国ではなく反逆、利敵だ」「今の日本は敵でなく、共産主義と共に戦う味方だ」という発言が相次ぎ、参加者が大声で唱和した。[3]
__________
 現在の韓国の反日は、文政権とその支持勢力が主導する「親北反日」で、それを見抜いた韓国の自由民主主義勢力がアンチ反日運動に立ち上がって、韓国内で激しい政治的、思想的内戦を展開しているのだ。[3]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 西岡力教授の結論である。香港のデモも本質は同じだろう。自由な日本と台湾のすぐ隣、大陸との境界では、「激しい政治的、思想的内戦」が起こっていることを我々は認識しなければならない。『反日種族主義』が韓国でベストセラーになったのは、自由民主主義文明勢力の反撃の狼煙なのである。(文責 伊勢雅臣)”
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usamin0325 · 5 years
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音楽
私は人をまとめたり動かしたりするのが極端に苦手な性分で、今でも人と仕事をするのが苦痛で仕方なく、例えば、ある作品の評論を書いてくれと依頼があっても、依頼主の意向を無視したものを書き上げてしまい、折角の仕事の話を頓挫させてしまったことが幾度となくある。
「井原西鶴はスタンダールやバルザックと同じリアリズム文学の創始者であり、当時、大阪はパリに匹敵する文化的都市だった、だからこそ、大阪維新の会のような文化破壊をあたかも道徳のように行う政党は許してはならない」と書いて、失笑されること数回。十三の風俗嬢とその馴染み客の恋愛を書けば、織田作の模倣に過ぎないと馬鹿にされ、踏んだり蹴ったりの私。それでも井原西鶴や織田作、宇野浩二、武田麟太郎、林芙美子を見習い、軽佻浮薄にケラケラ笑いながら私は生きている。
そんな私だから、音楽なんてとうの昔に辞めて正解であった。もともと不器用なんだから音楽なんてそれはそれはとても私の技量にかなうものではなかった。
しかし、音楽について語れとなると話は別だ。私の音楽の趣向は以前よりも幅広くなり、軽音楽の域を出てしまっている。
Miles Davis、Sun Raなどのジャズから、The ClashやSex Pistolsなどのパンク、LoveやThe Byrds、Jimi Hendrixなどのサイケ、Derrick MayやDinosaur L、Larry Heardなどのハウス、Biggie SmallsやPharcyde、Wu-Tang Clanなどのラップ、Burning SpearやSizzlaなどのレゲエ、New Age SteppersやScientistなどのダブに至って、我ながら多岐にわたり、結果、私は何が一番好きなのか、分からなくなるありさまだ。おかげで私のiPhone容量256GBはパンパンになる寸前だ。
だからとて、それを自慢したいわけではない。音楽のことをこれだけ知っとるぜなんてやるのは、幼稚なリスナーのすることで、私の趣味ではない。これだけの趣向を凝らして発展的なものを創り出すことが重要であると私は考える。しかし、残念ながら、私の興味は音楽よりも文学に大きく傾いており、それゆえ、残念ながら具体的な方針がないのが現状だ。
しかし、何としても音楽から透けて見えるものについて思索をめぐらしたい。それは、イギリスの保守言論人のダグラスマレーが、著書「西洋の自死」のなかで、ヨーロッパの文化的衰退とその自滅について書いた視点をこの日本でも応用できるのではないかという思いだ。
つまり、日本も西洋と軌を一にして自滅する運命にあるということを、彼の著書を読み、私は直感した。それは政策や経済だけの話にとどまらない。これは、歴史という大きな大河のような流れをも含む話である。日本は歴史的に作られた国家という点でヨーロッパと共通する部分も多く、況してや、移民流入を許す出入国管理法改正案が昨年末国会を通過したからには、決して移民で苦しむヨーロッパの自死は他人事ではない。
著書の中で、彼は第二次世界大戦以後の哲学者は、ポストモダンの流れの中で、脱構築ゲームに嵌り、徐々に社会的基盤や常識を見失ったとし、その観点から、芸術を論じている。それに倣おうというのが、私の試みである。
これに成功するならば、微弱ながらも、私と同じように、この日本も自滅すると自覚する人間が生まれるのではないか、そんな淡い期待をして、私は筆を走らせたい。
先日、諸用で大垣行き東海道本線の電車に乗ると、10年ほど前に関西0世代として持て囃されていたバンドの女とたまたま乗り合わせた。相変わらず、リストカットの跡が生々しく、プリキュアか何だか分からぬが、女児用のアニメキャラが描かれたTシャツ、下には寝間着の様なものを履き、ボロボロのスーツケースを枕にうつらうつらしていた。社会不適合の私も人のことは言えないけれど、この女もそろそろ40に差しかかろうとしているのに、年齢を経ることを放棄した哀れさが��の姿、風貌から強く感じられてかなわなかった。まだ救いがあるとしたら、童顔であることくらいだろう。しかし、いつか人は老いて、その醜悪さから逃れられない。
少しばかりインディーズバンドにかぶれていた若い頃、私もいろんな媒体から情報を取ったり、デモテープ等を聴いたりしてみたが、彼らの作品に一貫しているのは、自己完結する歌詞のなかからもわかるように甚だしいほどの自閉的な兆候であり、パンクやフォークのようにわや、人と人を有機的に繋ぐ役割がないといえるものであった。共感もできず、ただこれらの事情に通じていたいという邪な感情でライブハウスに足を運ぶ、それが当時、恐らく多くの人が持っていた思いではなかろうか。本音を言えば、私は彼らの音楽に本当は興味などなかったのだ。それに彼らの個々の作品には個々の価値基準というものがあってそこを理解してくれと彼らは歌詞からも音楽からも暗示しているように、私には思われ、参加している読書会や文学同好会で、趣味の悪い私小説を読まされている、そんな気まずい気分で、彼らの演奏を聞いていた。
ギターのハウリング、歪んだベースの振動、スネアドラムの破裂音、雄叫びのようなボーカル、聴いているだけで耳が痛くなり、はよここから出たいと、何かと理由をつけ、ライブに同行していた友人をちょろまかし、自室で好きな音楽を聴きながら、タバコを吸うか、大学の社会学部の落し物箱から拾った古典の本を読むかして、売春街や西成のドヤ街を散策する、それが私の青春の大部分を占めていた。永井荷風のように一冊の本を片手に市バスか阪急電車に乗って街をぶらつく、音楽よりもそちらの方が私の気性にはあっていたようだ。
当時、本ばかりを読み焦る耳年増な私であったから、早熟ながらも、小林秀雄や福田恆存等の評論の論旨に敷衍して物事を考える癖がついており、やはり自室で一人、彼らインディーズの演奏に思い返すと、個性と特殊性を履き違えたものだと結論せざるを得なかった。
画家のゴッホが偉人であったのは、彼の持病であると考えられた精神疾患を絵画の中で普遍性に耐えるものへと昇華したことによるもので、ゴッホ自身、自分の気狂いという特殊性を忌み嫌っていたことは彼の書簡や弟に宛てた手紙からも明らかである。葛飾北斎も同様で絵の世界の中で自身の狂気を封じ込めること、それに成功したからこそ、彼の作品は偉大であったのであり、なにも北斎の放埓な生活習慣が偉大であったわけではないのだ。
このあたりを勘違いして、形から入り、気狂いのように振る舞う馬鹿が大勢いるのはどうしてだろう。その多くは、自分がまともではない、まともな社会生活を送れないなどの言い訳をそこに見つけたいという思いがあってのことだろう。それか、世間に受け入れられるべき人間であるのに
どうして弱者でいつだって辛酸を舐めなくてならないのかという苛立ちからか。
いずれにしても過去に名を馳せたミュージシャンとは違い、個性を自���で発掘する野心は、彼らからは感じられない。だって自分の作品に自分たちだけの価値基準を設けている限り、普遍性を持ったものを作り得ないのだ。
現在、日本の国会等でまともに議論が行われていないのもこれと似たような現象ではなかろうか。つまり価値基準を共有していないがため、我々はその時その場面その場所に合わせて常に考え方の軸の変更を強いられている。
互いの主張が、「自分の現実はこうだ」と、価値基準がバラバラの主張を繰り返し、互いに反目するか、若しくは、意思決定が、ある特定の人たちに有利な形で進められているかしている。
民主主義とは価値基準の共有が危うくなればなるほど、専制政治へと傾きやすい。したがって経済格差や世代間の思考の隔たり等を政治がなるべく是正する必要は、民主主義の場合だと、尚のこと重要になる。
普遍性、政治の場合だと、時間の経過に耐え得る政治決定が、現在、ほぼ不可能となった。ー「今だけ、金だけ、自分だけ」ー 米英と中共の代理戦争の体を成している香港でのデモを見て、未だに、日系企業は呑気に中国への投資を続けている。ーこれだけ見ても、今の日本人の意思決定が価値基準が曖昧なまま行われていることは明らかである。このような事態を放置していると、恐らく50年後くらいには日本は中国の勢力圏に入っていくと思われる。ー
例えば、経済政策が典型的だが、小泉純一郎氏が、特定郵便局等の、かつての共同体や組合や派閥をぶっ壊したばっかりに、政治的な意見を各々の共同体で集約することが不可能となった今、個々の政策が、力のある者(今だと経団連を始めとする財界)の意図が大きく、国会や内閣、省庁で反映される有様で、弱者や利害関係者の本音を汲み取れていない。また、価値基準が曖昧なままとなり、後々、問題をより悪化させている事態を引き起こしている。
たしかに世間を疎ましく思う気持ちは良くわかるものの、理解されない、受け入れられない苦しみの原因は、こうした政治的社会的な要素に見出すべきで、芸術とは無関係であると私は思う。
この長期デフレ、財界と大手マスコミに乗っ取られた政治と文化、理不尽な自己責任論を吹聴し押し付け、分断されゆく社会ー彼らインディーズはもっとこれらに着目すべきだった。そしたら、きっと特殊性と個性を履き違えた馬鹿げたパフォーマンスなんてする必要はなかった。しかし、彼らインディーズは、社会的政治的要因に自身の不条理な現実を見出すことは決してなく、どころか、個性を磨く野心さえも捨て、奇抜なパフォーマンスに終始して自閉的な世界に留まっている。これこそ日本文明の自滅の現れではないか。そう、起きている現実の問題から目を背け、ひたすらに、有機的なつながりを捨てて、自己完結する世界にどっぷり浸かる、その果てにあるのは、ミシェルウェルベックやボーヴォワールが書いた世界、つまり虚無しかない。
文化こそ虚無の防波堤だと私はそう信じているが、その文化の一部を形成するインディーズ界隈が、個性を見つける野心を捨て、特殊性ばかり強調して虚無しか生み出さないのは、それこそ自滅行為に近い。それに彼らの作品が時代の経過に耐え得るとはとても想像し難い。
かつて小林秀雄がどこかの大学の講演で言っていたように、実際は、自身の特殊性をどのような場合にあっても克服することでしか、普遍的な個性を勝ち得ないのだ。
従って、音楽で大成するには、いつの時代も自身の特殊性を乗り越えて、普遍性に堪え得る個性を如何にして手に入れるべきか考え実践することが大きな課題であると徐々に分かってきた私は、自身の無能さと自閉性に呆れ返り、そそくさと自分の持っていたギターを質屋に入れたのだった。
正直に言えば、音楽に夢中になっている人々、とりわけ自身の特殊性を躍起になって誇示する人々との関わり合いこそ、私には無益であり有害と考えたのだ。
それから10年ばかりの時を経て、東海道本線大垣行きの電車でそのインディーズバンドの女と隣り合わせたのだった。
名古屋駅から尾張一宮駅までの間、彼女は、ひたすらiPhoneを握りしめ、通知が鳴る度に、眠気を堪えて、操作をし続けていた。人のことなど興味がないように思われた。
彼女の動かす右腕のリストカットの跡、それらは大きく膨れ上がっており、とても正視できるものではなく、私はそれを見て、毎日ライブだの何だのをやり通しで如何にも充実しているように見えたこの女の哀れさは相当なものだと思うた。必ずしも得られやしない麗しい青春めいた喜びを絶えず求め、年をとることを拒否する虚しさ、切なさ…、思いを巡らすとキリがない。
私がふと、視線を落として、プリントされたキャラクターが薄汚く擦り切れた彼女のTシャツを見たとき、全てを悟った。
ーこの女の行き着く先には、虚無以外何もないー
もう駄目だった。
尾張一宮駅で私が降りようとしたとき、彼女はこう口を開いた。
「見たことあると思えば、10年前、難波かどっかで、あっしと呑んで、言い争いした事、あるよな」
「うん、でももうそれはいいじゃない。過ぎたことやよ。」
あまりに単調で退屈な会話だった。
「名古屋でライブするんよ。だから…」
彼女がそう私を誘いかけた時の目は、灰色に曇って、その視線はどこか虚しく漂い、悲しそうだった。
音楽は、彼女にとって虚勢をはる道具に過ぎず、ただそれはこの女を焦燥に駆り立てる、そう思い、ただ、私にはこの女を安心させるだけの抱擁を誰かがしてくれることを祈るしかできなかった。
私はきっと彼女が行う名古屋でのライブには行かないだろう、それが賢明だ。
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2022年1月15日(土) #ある日のお客さま は、懐かしいかつての常連さま。 転勤でなかなかこれなくなったのですが、仕事で近くに来られた折に弊店を訪ねてくださいました。ありがとうございます。 この常連さまの下で働いていた女性が青年海外協力隊に参加し、覇権国がラオスに決まったことから店主を紹介してくださり、女性が彼氏さんと一緒に弊店を訪ねてくださった縁を結んでくれました。 店主も買い付けでラオスに行ったときに、彼女の任地に行ったことも、もう2年前のことです。 COVID-19の影響で帰国を余儀なくされた彼女でしたが、再びラオスで活動する機会を得、現在残りの退院活動に勤しんでおられます。最後までどうか、お元気でご活躍ください。 さて、一方の常連さまは、滋賀に移動されてかなり経ちました。仕事では車の移動があるため、なかなか大変なお話を聞きました。年末の大雪、滋賀も記録的な雪となり、例年雪のよく降る長浜や米原では除雪作業が滞りなく進んだそうですが、普段そこまで雪の積もらない彦根は大変で、抜け道を駆使しても通り抜けるのに数時間かかったとか。 この晩も寒波がやってきて、大阪はそれほどではなくても、米原の辺りはだいぶ雪が降っているというお天気情報が入ってきました。無事帰れますように。 さて、その翌朝。 店主はいつものようにSaxを担いで、野外スタジ���(淀川河川敷)へ。 風は時折吹きますが、吹き荒れるほどではありません。 しかし、しかしですよ。 空気が冷たすぎます。 Saxはキンキンに冷えてしまい、ビールを入れて飲んだら美味しそう。そんな寒さです。 時折フレーズを間違えてしまうのは、寒すぎて指がうまく動かないからです。そういうことにしておきましょう。けっして、下手だからではありません。 このままでは、練習どころか、逆に下手になってしまいそうです。 持ってきたハクキンカイロでは、この寒さはしのげそうにありません。ユニクロさんのグレートな商品、【極暖】シリーズのインナーを上下身に着けていても、指先の寒さを和らげることはできません。 そんな時は、体の内側から温めてやればいいのです。 ラジオ体操もどきをして体をほぐした後、踊ります。FM802でたまたまかかっている曲に合わせて。遠めに見たら、Tik Tokにダンス動画を上げる少年のようですが、実際はあまりの寒さに震えて、踊って暖をとっているオッサンです。 楽しくなるし、運動不足解消にもなるし、一石二鳥、いや、三鳥です。 皆さまも、寒い日にぜひ! 1枚目の写真は、2006年1月に撮影。店主が青年海外協力隊として活動��たパクセー教員養成短期大学での新年会で、学生たちが踊りを披露してくれました。ラオスにはたくさんの種類の民族がいて、民族ごとに衣装や踊りが違うので、見ていて楽しいです。学生たちも大いに盛り上がっていました。 【営業時間について】 現在、通常営業しております。 弊店ご利用にあたり、5名様以上でのご利用は、テーブルが分かれてしまうことをご了承ください。 弊店は感染防止認証ゴールドステッカーを取得しております。 今週のランチの週替わりメニューは、"S" Curryです。 【テイクアウト アジア飯】 東南アジアで食事をされた方なら、思わず懐かしいと声に出してしまう美味しさを。アジア料理が初めての方にも、ぜひ! 新嘉坡チキンライス ¥500 ベトナム人も認める美味しさ!新鮮な朝引き鶏もも肉を使ったチキンライスです。 叉烧饭(チャーシューライス) ¥650 香港育ちの店主の友人もお気に入りの美味しさ!自家製叉焼によるチャーシューライスです。 お薦めのデラックスシリーズ!唐揚げ好きな方に! 新嘉坡チキンライス 【デラックス】 ¥780  サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き 叉烧饭(チャーシューライス) 【デラックス】 ¥930  サラダ、香港風味唐揚げ、デザート付き ベト・オ・レ ¥500 パウンドケーキ(1枚) ¥200 #カフェ #バー #東南アジア料理 Cafe & Bar ສະບາຍດີ(#サバイディー ) 大阪府大阪市福島区鷺洲2-10-26 📞06-6136-7474 #osaka #fukushimaku #cafe #bar #福島区グルメ #福島区ランチ #福島区バー #ラオス #ベトナム #チキンライス #パウンドケーキ #ベトナムコーヒー #ラオスの風景 #民族舞踊 #淀川河川敷 #TikTok踊ってみた #変わろう日本 https://www.instagram.com/p/CYvwnF0l-yT/?utm_medium=tumblr
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trumpq · 3 years
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【パトリック・バーン】 2021/2/19 11:34 JST
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タブレットマガジン サーティータイランツ(※30僭主せんしゅ) アメリカのエリートが中国との取引を選択したことは、アテネとスパルタの歴史の中に前例がある。……
※続きで、記事の和訳をしてみた。けっこう長文。
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※オリジナル英文は元リンク参照。
サーティータイランツ(※30僭主せんしゅ) アメリカのエリートが中国との取引を選択したことは、アテネとスパルタの歴史の中に前例がある  2021年2月4日 リー・スミス による
『王子』の第5章で、ニコロ・マキアヴェッリは、征服した大国が戦争で敗北した人々をどのように扱うかについて、3つの選択肢があると述べた。第一は彼らを破滅させること、第二は直接支配すること、第三は「あなた方に友好的な状態を維持するために、少数者の状態を作り出すこと」である。
マキアヴェッリが最後の例として挙げるのは、紀元前404年の27年間の戦争の後、アテネを敗北させた際にスパルタが設立した友好的な政府である。すでに民主主義を軽蔑していたアテネの上流階級のエリートにとって、ペロポネソス戦争での敗北はスパルタのシステムが好ましいことを確認した。それは恒久的な召使階級、ヘロット、定期的に屠殺された彼らの人間以下のステータスを受け入れるためにそれらを条件とした上で、高奮発軍の貴族の支配であった。対照的にアテネの民主主義は下層階級にあまりにも多くの権力を与えた。親スパルタ派の寡頭制は、市民の権利を奪うためにパトロンの勝利を利用し、国内のライバルとの争いを解決し、彼らを追放して処刑し、彼らの富を没収することに成功した。
アテネの法律に不誠実で伝統を軽蔑するアテネ政府は「三十人の暴君」として知られており、その役割と機能を理解することは、現在のアメリカで何が起こっているのかを説明するのに役立つ。
前回のコラムでは、ニューヨーク・タイムズ紙のトーマス・フリードマン氏に、10年以上前のバラク・オバマ大統領就任1年目に彼が書いた記事について話を聞いた。彼の重要な記事は、アメリカのエリートが民主主義が自分たちのために機能していないと判断したまさにその瞬間を記録している。共和党のせいでアメリカ国民を蹂躙することができないと非難した彼らは、自分たちを豊かにしている関係を強化するために民主党に移った。
「グローバル化した世界で競争する必要性から、実力主義者、多国籍企業の経営者、東洋の金融業者、技術起業家は、共和党が何を提供するかを再考せざるを得なくなっている。原則として、彼らは党を離れ、現実的な連立ではなく、イデオロギー的な批判者の集団を残してきた」と、ある貿易コンサルタントはフリードマンに語った。フリードマンのコラムが発表されてから10年以上の間に、タイムズのコラムニストが特定した幻滅したエリートたちは、アメリカの労働者をさらに困窮させ、自分たちを豊かにしてきた。彼らが生きるようになった一言のモットーはグローバリズム、つまり、彼らがたまたま生計を立て、子供を育てている特定の社会の幸福に言及することなく、商業関係や社会的企業を構造化する自由であった。
グローバリスト企業を支えたのは、2001年に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟したことである。何十年もの間、アメリカの政策立案者や企業クラスは、中国をライバル視していたが、フリードマン氏が述べたエリートたちは、啓蒙された中国の独裁政治を友人として、またモデルとしてさえ見ていた。なぜ彼らは権威主義的な政権と貿易をし、何百万ものアメリカの製造業の仕事を中国に送り込み、働くアメリカ人を困窮させたのだろうか。それは彼らを豊かにしたからです。彼らは、中国と取引する以外に選択肢がないと自分たちに言い聞かせることで、自分たちの良心を救ったのです。中国は大きく、生産性が高く、効率的で、中国の台頭は避けられない。それに、中国との取引で傷ついたアメリカの労働者は罰せられて当然だった。進歩のためには何が最善なのかを邪魔する反動的で人種差別的なイデオロギーの評論家を誰が擁護できるだろうか?
外国との戦争や不法移民を終わらせることと一緒に、これらの雇用をアメリカに戻すことは、ドナルド・トランプ大統領の大統領職の中心的な政策公約であり、2016年にトランプ氏が驚くべき勝利を収めた源でもある。トランプ氏は、企業や政界の確立された中国との貿易関係が一般のアメリカ人を売り渡したと主張したのは、ほとんど初めてではなかった。元民主党下院議員で1988年大統領候補のリチャード・ゲファードは、奴隷労働者を雇用している国家との貿易はアメリカの雇用を犠牲にし、アメリカの名誉を犠牲にすることになると警告した、重要だが最終的にはあまり影響力のない選出された民主党幹部や政策専門家のグループの第一線で活躍していた。トランプ氏の言うことを真に受けたのは、6,000万人以上のアメリカの有権者だけだった。
トランプ氏が「沼」と呼んでいるのは、最初は産業、機関、人物が無作為に集まっただけのように見えたが、それらが新大統領によって非難されているという事実以外には、何の共通点もないように見えた。しかし、トランプ氏の絶え間ないエリートへの攻撃は、彼らに集団的な自己認識と連帯のための強力な動機を与えた。彼らは、同じ偏見や憎しみ、文化的嗜好、消費習慣だけでなく、同じ重心である米中関係も共有している官民の利害の結びつきを代表していることがわかったのである。こうしてチャイナ・クラスが誕生したのです。
かつては、曖昧に見えた、あるいは存在しないように見えた関係が、トランプ氏の軽蔑と、トランプ氏を憎むエリートたちの相互の軽蔑の光の下で、鮮明になったのである。
10年前には、NBAのスーパースターであるレブロン・ジェームズとアップルのティム・クックCEOを同じファミリーアルバムに入れる人はいなかっただろうが、彼らは今、安価な中国の製造業(ナイキのスニーカー、iPhoneなど)と成長する中国の消費者市場のおかげで、素晴らしい富で結ばれている。デジタルサービスプロバイダーのテンセントとのNBAの15億ドルの契約は、中国の会社は、アメリカ以外のリーグの最大のパー���ナーになりました。感謝の意を込めて、これらの二股大使は無知な同胞に中国共産党の知恵を伝えた。NBAの幹部が香港の反体制派を擁護するツイートをした後、社会正義活動家のキング・レブロンはアメリカ人に「舌に気をつけろ」と言った。「たとえそうであっても、我々には言論の自由がある。それは多くのネガティブなことをもたらすことがある」とジェームズは言った。
トランプ氏が米中関係から贅沢な利益を得たアメリカ人に圧力をかけたため、これらの奇妙な相棒たちは、マルクス主義者が階級意識と呼ぶものを身につけ、反撃のために団結し、中国の後援者との関係をさらに強固なものにした。今では、これらの異質なアメリカの機関は、中国共産党が奴隷労働者収容所の囚人にどんな恐怖を与えようとも、中国のスパイサービスや人民解放軍が国家安全保障にどんな脅威を与えようとも、中国共産党からの小切手を現金化することについての慎重さや恥ずかしさの感覚を失った。大西洋評議会、アメリカ進歩センター、イーストウエスト研究所、カーターセンター、カーネギー国際平和基金、ジョンズ・ホプキンス高等国際問題研究所などのシンクタンクや研究機関は、中国の資金を食い物にしていた。世界的に有名なブルッキングス研究所は、中国の通信会社である華為技術を賞賛する中国の華為企業が資金提供した報告書を公表することに何の抵抗もなかった。
中国がアメリカの主要な研究大学、例えばスタンフォード大学に58,000万ドルのような数十億ドルを提供したことで、アメリカの法執行機関は、機密研究を盗むための中国の防諜活動に警告を発していた。しかし、これらの大学とその名の知れた教員は、実際にはその研究を販売するビジネスを行っていた。その多くは米国政府から直接支払われていた。
実際、学界の中国共産党とのペイ・フォア・プレイ取引の多くは、特に微妙なものではなかった。2020年6月には、1500万ドルの研究助成金を受けたハーバード大学の教授が、「中国の科学開発、経済繁栄、国家安全保障を促進する」ために、「ハイレベルな科学的才能を募集し、育成する」ために、中国共産党の機関に代わって月5万ドルの仕事をしていたと嘘をついたとして起訴された。
しかし、ドナルド・トランプ氏が米国と中国を切り離すことが、自分を憎み、米国の雇用を海外に送り出した寡頭制を解体する方法だと考えていたとしても、そのビジョンを実行に移すことはできなかった。米国のエリートの腐敗の原因、中間層の貧困化の理由、米国の平和に対する内外の脅威を正しく特定した後、彼はアメリカ人に彼を選んで戦ってもらうように頼んだ戦争に勝つためのスタッフを配置し、準備をすることに失敗した。
そして、中国がチャイナクラスの力の源であることは事実だったので、武漢から出てくる斬新なコロナウイルスは、そのクーデターのためのプラットフォームになりました。つまり、アメリカ人は反民主主義的エリートの餌食となり、コロナウイルスを使ってアメリカ人の気力を奪い、中小企業を荒廃させ、盗み、焼き、殺すのが自由な暴徒に弱いままにし、子供たちを学校から遠ざけ、死にかけている人たちを愛する人たちの最後の抱擁から遠ざけ、アメリカの歴史、文化を冒涜したのだ。そして、アメリカの歴史、文化、社会を冒涜し、普通のアメリカ人が実際にはエリートの民間部門と公共部門の代理人がすでに用意していた地獄に値する理由を説明するために、この国をシステム的に人種差別主義者��して中傷している。
約1年の間、アメリカの役人たちは、中国経済がアメリカの上に乗っかっている間に、より多くの権力を自分たちに横領するという唯一の目的のために、意図的に我々の経済と社会を荒廃させてきた。中国の封鎖は結果の違いとは何の関係もない。封鎖はウイルスの蔓延を抑えるための公衆衛生上の措置ではない。だからこそ、ニューヨーク州のアンドリュー・クオモ知事やシカゴ市長のローリ・ライトフット氏のように、長期にわたる封鎖を繰り返している民主党幹部は、トランプ氏が無事に去った今、直ちに封鎖を再開させることが急務だと公に表明しているのだ。
民主党の役人が意図的に命を破壊し、老人ホームで高齢者に感染させるために病人を送り込むことで何千人もの命を奪ったことは、アメリカ版「三十人の暴君」とは無関係である。仕事は、トランプを倒すためにコロナウイルスの犠牲者を増やすことであり、彼らは成功した。アテネの反民主主義派と同様に、アメリカの優秀な人材はとっくの昔に道を失ってしまった。30人の暴君の先頭にいたのはクリティアスであり、ソクラテスの最高の弟子の1人であり、詩人であり、劇作家であった。彼は体制の怒りからソクラテスを救うのを助けたかもしれないし、まだ哲学者は彼の方法、すべてに質問するために、伝統のためのクリティアスの広範囲の軽蔑を供給したことを後悔したようである。権力を握った後、クリティアスはアテネの彼の虚無主義を回し、都市を破壊した。
----- アメリカのエリートと中国の間の毒された抱擁は、約50年前、ヘンリー・キッシンジャーが、当時敵対していた2つの国の間に関係を開くことで、中国とより脅威的なソ連の間の溝の拡大を暴露することになるだろうと考えたときに始まった。2つの共産主義の巨人の間の衝突の中心にあったのは、ソ連の指導者がスターリンを拒絶したことであり、これを中国はソ連共産主義体制の終焉の始まりと見なし、彼らが犯してはならない過ちであった。
一方、キッシンジャーの地政学的な作戦は、彼の歴史的遺産の礎となった。また、キッシンジャーは中国の高官にアクセスを売る大金持ちにもなった。また、キッシンジャーは、ビル・クリントン政権の国防長官ウィリアム・コーエンのように、他の元高官の政策立案者が自らの対外影響力を利用した身売り作戦に従事する道を開拓した。コーエングループは、4つの海外事務所のうち2つを中国に構えており、トランプ前国防長官のジェームズ・マティス氏をはじめ、多くの元高官が参加しているが、彼は最近、社説でトランプ政権の中国に対する「我々と一緒か、我々に反対か」というアプローチを批判した際に、コーエングループでの仕事を公表しなかった。「米国の同盟国やパートナーの経済的繁栄は、北京との強力な貿易・投資関係にかかっている」と書いたマティスは、文字通り、まさにそのような立場を取るために中国から金をもらっていた。
しかし、1972年にリチャード・M・ニクソン大統領と一緒に欧米人が当時北京と呼んでいた中国の首都を訪れたとき、キッシンジャーが元アメリカ政府関係者のために中国を換金地にするとは考えられないだろう。「中国人は、毛沢東が死ななければ開国できないと感じていた」と、トランプ元政権関係者は言う。「ニクソンとキッシンジャーがいた時には毛沢東はまだ生きていたのだから、1979年に鄧小平の指導の下で始まったような改革を彼らが思い描くことはできなかっただろう」。しかし、1980年代になっても中国は米国と競争していたわけではない。中国が商業的なライバルになったのは1990年代に入ってからであり、「中国に貿易上の最恵国としての地位を与えることについて毎年議論が行われていた」という。
冷戦後の秩序の首席広報担当者はフランシス福山であり、彼は1992年の著書『歴史の終わり』の中で、ベルリンの壁が崩壊したことで、西欧の自由民主主義が最終的な政府の形になったと主張した。福山がベルリンの壁崩壊後に間違っていたのは、政治形態の強さの評価ではなく、彼の哲学的モデルの深さであった。福山は、半世紀近く続いた超大国の睨み合いが終わったことで、対立する政治モデルをお互いに対立させていた歴史的弁証法が解決されたと信じていたのだ。実際には、弁証法はまた別の方向に転じた。
ソ連で共産主義を破った直後、アメリカは生き残った共産党に新たな息吹を吹き込んだ。そして西洋の民主主義原理が中国共産党を変質させる代わりに アメリカの権威が東洋のテクノ独裁主義の味を手に入れたのです。ダイアン・ファインスタイン氏は、キッシンジャー氏に次いで、その後の20年間、米中関係を牽引した第二の影響力を持つ役人となった。
1978年、サンフランシスコ市長に就任したばかりのファインスタインは、当時の上海市長であり、後に中国の総統となる江沢民と親交を深めました。アメリカのハイテクの中心地の市長として中国との結びつきは、成長を続けるアメリカのハイテク産業に中国からの投資を呼び込み、中国を世界第3位の経済大国にしました。また、江氏との提携は、彼女の投資家である夫のリチャード・ブルムを大金持ちにした。上院議員として、彼女は中国の人権侵害を合理化して中国の最恵国待遇の恒久的な貿易地位の確立を推し進め、一方、友人の江氏は権力を強化し、天安門広場に戦車を送り込んで共産党総書記になった。ファインスタインは彼を擁護した。"中国には地元の警察がいなかった」と、ファインスタイン氏は江氏が彼女に語ったという。「それ故に戦車を送った。しかし、それは過去のことだ。人は過去から学ぶ。繰り返すことはない。中国は教訓を得たと思う」とカリフォルニア州の上院議員は安心して説明した。
しかし、実際には過去は、ワシントンのファインスタイン議員の聴衆に別の話を伝えるべきだった。米国はモスクワと貿易をしたり、ロシア人が多額の選挙献金をしたり、配偶者とのビジネス・パートナーシップを結んだりすることを許していなかった。冷戦時代のアメリカの指導者たちは、そのような行為がモスクワへの扉を開き、危険な方法でアメリカの政治や社会に直接影響を与えることを許してしまうことを理解していた。彼らの工場で私たちの商品を製造したり、私たちの商品を購入して海外に出荷したりすることは、技術や知的財産を脆弱なものにしてしまうことになる。
しかし、それは国家安全保障を危険にさらすだけではなく、アメリカの価値観に反するシステムにアメリカをさらすことにもなっていたのだ。この期間を通して、アメリカは、私たちが考えているソビエトに対する考え方とは反対の立場で自分たちを定義していた。ロナルド・レーガンは、ソ連を「悪の帝国」と呼んだことで軽率だと思われていたが、第二次世界大戦末期から 1990 年までの通商・外交政策では、これがコンセンサスとなる立場であったことが反映されていた。
実業家のアルマンド・ハマーが有名だったのは、彼がモスクワと取引をしていたアメリカ人だったからである。彼の視点が役に立ったのは、ソ連社会、政治、ビジネス文化に関する彼独自の洞察力がアメリカのメディアとよく共有されていたからではなく、彼が政治局がアメリカの聴衆に広めたいと思っている見解を提示していたことが理解されていたからだ。今日、アメリカには何千人ものアーマンド・ハマーがいて、そのすべてが彼らの富、名声、権力の源を主張している。
それは、1994年にビル・クリントンが人権を貿易の地位から切り離すことを決定したことから始まった。彼は、ジョージ・H・W・ブッシュ政権とは対照的に、人権に焦点を当てることを約束してホワイトハウスに入り、就任2年後に顔を上げた。クリントン氏は「我々の関係をより大きく、より生産的な枠組みに置く必要がある」と述べた。アメリカの人権団体や労働組合は愕然とした。クリントンの決定は明確なメッセージを送った、と当時のAFL-CIO会長レーン・カークランドは言った。「アメリカが民主主義と人権について何を言おうと、最終的な分析では利益であって、人ではなく、最も重要な問題である」。当時の上院院内総務ジョージ・ミッチェル氏のような一部の民主党員は反対し、ジョン・マケイン氏のような共和党員はクリントン氏の動きを支持した。クリントンの国家経済会議のトップであるロバート・E・ルービンは、中国は「これまで以上に大きく、より重要な貿易相手国になるだろう」と予測した。
それから20年以上が経過した今、中国の技術をアメリカの技術から切り離そうとするトランプ政権の措置に反対してロビー活動を行ったアメリカの産業や企業の数は、相反する価値観や慣行を主張する2つのライバルシステムがどれだけ密接に統合されてきたかを示す驚異的な指標となっている。フォード、フェデックス、ハネウェルなどの企業や、華為にチップを販売し続けるために争ったクアルコムなどの半導体メーカーは、片足をアメリカに、もう片足をアメリカの地政学的に重要なライバルであるアメリカにしっかりと植え付けて存在している。両者のビジネスを守るために、彼らは中国を競争相手と呼ぶことで、危険なライバルを後押ししている自分たちの役割を隠蔽するために、この問題をソフトに売り込んでいるのだ。
アメリカのほぼすべての主要産業が中国との利害関係を持っている。ウォール街、シティグループ、ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレーから接客業に至るまで。マリオットホテルの従業員が解雇されたのは、彼がチベットについての��イートを気に入ったことに中国当局が異議を唱えたためだ。彼らは皆、中国共産党のルールに従うことを学んだ。
ランプ政権の元幹部、ロバート・スポルディング元退役軍人は、「中国に縛られていない人に聞いた方がいい」と言う。
当然のことながら、かつては頼りにされていた共和党の米国商工会議所は、トランプ氏の中国政策に反対する先頭に立っていた。関税案だけでなく、パンデミックが発生した場合でも、米国企業が重要なサプライチェーンを別の場所に移動し始めるよう求めたのだ。全米防衛産業協会は最近、防衛関連の請負業者が特定の中国の技術を使用することを禁止する法律に不満を表明した。同団体のスポークスマンは「連邦政府と仕事をしているすべての請負業者は、それを止めなければならないだろう」と述べた。
トランプ政権でさえも、タカ派と融和主義者に分かれており、前者は『パンダハガー』と皮肉っぽく呼ばれていた。トランプ政権の高官の大半は後者の陣営に属しており、特に元ハリウッドのプロデューサーであるスティーブン・ムニューシン財務長官はその中でも特に注目されていた。映画業界は、中国が知的財産を盗んでいると最初に声高に訴えていたが、最終的には北京と手を組むようになり、北京をなだめるようになった。スタジオは、中国共産党のレッドラインを守らずに、中国の巨大な市場に参入することはできません。例えば、「トップガン」の続編では、パラマウント社がトム・クルーズの「マーベリック」のジャケットに台湾と日本のパッチをぼかして中国で公開することを提案したが、中国共産党の検閲官は、世界のどのバージョンでもパッチを表示しないようにと主張した。
トランプ政権時代には、「中国との疑う余地のない協力を続けようという非常に大きな後押しがあった。反対側には、反発を望む少数の人々がいた」とスポルディング元顧問は言う。
アップル、ナイキ、コカ・コーラは、ウイグル強制労働防止法に反対するロビー活動までしていた。トランプ大統領就任最後の日に、マイク・ポンペオ国務長官は、米国が「中華人民共和国が中国の新疆ウイグル自治区で、ウイグル族のイスラム教徒やその他の少数民族・宗教団体のメンバーを標的に、大量虐殺と人道に対する犯罪を犯していると判断した」と発表した。2020年のオーストラリアの調査によると、ナイキ、アディダス、ギャップ、トミー・ヒルフィガー、アップル、グーグル、マイクロソフト、ゼネラルモーターズなど、ウイグル人の強制労働力を使用している多くのアメリカの主要ブランドがジェノサイドに加担していることになる。
基本的人権や民主主義を軽視している国が、アメリカの産業界から直接資金を提供され、アメリカ国民の��のであるべきアメリカ政府の研究や技術の成果を特権的に利用できるようにすべきではないという考えは、党派的な考えとは言い難く、ドナルド・トランプ氏とはほとんど関係がない、あるいは関係がないはずである。しかし、歴史的な記録を見れば、アメリカと中国のエリートの融合はトランプ政権時代に頂点に達していたことがわかるだろう。ミッチ・マコーネル上院共和党党首の造船会社の億万長者の義父であるジェームズ・チャオ氏は、大学の同級生の江沢民氏をはじめとする中国共産党との関係から大きな利益を得ている。チャオ家からの贈り物は、マコーネルを、最も裕福な上院議員のリストの中で、ファインスタイン氏よりも数段下の地位にまで押し上げました。
トランプ憎しのメディアの津波に乗って、チャイナクラスは国家機関や安全保障官僚の中でその力を固めた。1990年代後半から続いている中国共産党政権の最悪かつ最も脅威的な側面への対応は、早送りになっていた。ナイキが中国の奴隷労働収容所でスニーカーを作っていたという話は、もはや流行らなくなった。中国がアメリカの科学機密や軍事機密を盗み、シリコンバレーで大規模なスパイ活動を行い、エリック・スワールウェルのような下院議員を危険にさらし、アイビーリーグのトップ教授に多額のリテイナーを払い、知的窃盗のプログラムを組織的に実施している、あるいは何らかの形で自国の国民や近隣諸国、さらにはアメリカの生活様式に危険をもたらしているというニュースは、トランプ支持のプロパガンダとしてミュートされ、却下された。
中央情報局(CIA)は、アメリカの制度を弱体化させようとする中国の努力を公然と保護していた。CIAの経営陣は、情報アナリストをいじめて、中国の影響力と私たちの政治プロセスへの干渉についての評価を変えるようにして、彼らがトランプ氏の政策に同意しない政策を支持するために使用されないようにしたのです。アメリカを守ることがCIAの経営陣にとって最も急務なことではないのは当然のことである。
中国の行動を実際に理解している人たちにとっては、党派性は明らかに二の次の関心事だった。中国の行動は、アメリカの中核的な安全保障機関がそれを真剣に受け止めていないように見えたことと同様に、真に憂慮すべきものであった。「1980年代までは、共和制政府の形態に反する考えを持つ外国勢力の利益を推進する人々は排除されていた」と、オバマ政権の元情報当局者は言う。「しかし、グローバリズムの出現で、彼らは中国を言い訳にし、自分たちの好みに合わせて情報を曲げた。ブッシュとオバマの時代、標準的な評価は、中国は青水軍を作る気がないというものだった。それは彼らの見方には不都合だった。中国は現在、第3の空母を生産中である。」
トランプ氏を憎むことは、彼らの政治的な言い訳になっているが、アメリカの安全保障と国防の確立は、中国を見て見ぬふりをすることに自分たちの利益を持っていた。ジョージ・W・ブッシュの「対テロ戦争」から始まった軍事作戦に人、金、名声を浪費してきた20年間は、米国にとって戦略的価値が低いことが証明されている。しかし、中東の殺戮現場にアメリカ人を派遣して安全を確保することは、北京にとって大きな利益となっている。先月、中国のエネルギー大手である善華は、イラク経済の低迷に乗じて、5年間の石油供給(日量13万バレル)に20億ドルを支払った。価格が上がれば、この取引で中国は石油を転売することができる。
アフガニスタンでは、大規模な銅、金属、鉱物の鉱山は、アメリカ軍が表向きの安全を確保しているが、中国企業が所有している。また、アフガニスタンは新疆ウイグル自治区と国境を接しているため、習近平は「米国がアフガニスタンから軍を撤退させた後、アフガニスタンやパキスタンの辺境に位置するテロ組織がすぐに中央アジアに侵入してくるのではないか」と懸念している。言い換えれば、米軍がアフガニスタンのような場所に海外展開しているのは、中国の「ベルト・アンド・ロード構想」のための安全保障よりも、アメリカの利益を守るためである。
「ソ連とのように中国とは対立しているわけではないという考えがある」とオバマ前大統領は言う。「しかし、我々はそうなっている問題は、民主党を中心としたアメリカの既成政党のほぼすべてが、断固として反対側にあるということだ。」
------ 2019年の夏の終わり頃、トランプ氏はホワイトハウスでの2期目に向かっているように見えた。経済が急騰し、失業率が記録的な低水準になっただけでなく、彼はまさに彼が選んだフィールドで対立候補と対決していたのだ。トランプ氏の北京との貿易戦争は、トランプ氏が本気でアメリカ企業にサプライチェーンの移動を迫ろうとしていることを示している。7月には、デルやHPのようなアメリカのトップテック企業が、生産の大部分を中国国外にシフトすると発表した。アマゾン、マイクロソフト、アルファベットもまた、製造の一部を他の場所に移す計画を立てていると述べた。
武漢の住民が通りを埋め尽くし始めたのは、2019年の6月下旬と7月上旬、まったく同じ瞬間だった、武漢の1100万人の健康と繁栄に責任を持つ役人が裏切ったことに怒りを覚えた。彼らは病気になり、病気になるのを恐れていた。高齢者は息を切らした。行進する人たちは、「毒されたくない、新鮮な空気を吸いたい」という横断幕を掲げていました。親たちは子供たちの命を心配した。病人が免疫系と神経系に永久的なダメージを受けていることを恐れていた。
当局はソーシャルメディアのアカウント、写真、抗議のビデオを検閲し、おとり捜査官はトラブルメーカーを監視し、最も声の大きい者を拘留した。企業は閉鎖を余儀なくされ、抗議者が隠れる場所はどこにもなかった。何人かはバンで運び出された。彼らは当局から「公安機関は悪質な扇動や挑発などの違法な犯罪行為を断固として取り締まる」と警告を受けていた。
当時、武漢の住民を街頭に送り出したのは、COVID-19ではなかった。2019年初夏、武漢の公衆衛生を脅かしたのは大気汚染の疫病だった。これは、アメリカの悲惨な最後の年の物語のこれまで語られてこなかった部分である。
大気を汚染するゴミの山に対処するため、当局はゴミ焼却場の建設を計画した(2013年、武漢では5つの焼却施設から危険な汚染物質が排出されていることが判明した)。他の都市でも同様に、2007年のシアメン、2015年の上海、2016年の成都、2017年の清原など、大気汚染に対する抗議行動が街頭で行われたが、その都度、中国共産党指導部にパニックの波が押し寄せた。不安が次から次へと広がり、14億人の国全体が制御不能に陥ったとしたらどうだろうか。
中国共産党は、騒動が流行らないようにする方法は、隔離することだと学んでいた。中国共産党は、中国の少数民族であるチベット人、そして最近ではトルコ系の少数民族であるイスラム教徒のウイグル人を、大規模な検疫や監禁によって無力化することに特に長けていたが、これは電子監視ネットワークによって管理され、刑務所や奴隷労働収容所への道を開いた。2019年までには、中国のウイグル人の悲惨な運命は、彼らの強制労働から大きな利益を得ている多くの人々の間でも、心からの関心事となっていたのか、それとも単に広報活動を重視していただけなのかを問わず、関心事となっていた。
新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)は、イランとほぼ同じ大きさの中国北西部に位置し、石炭や石油、天然ガスなどの資源が豊富な地域である。パキスタンと国境を接する新疆は、ベルト・アンド・ロード構想の重要な供給ルートの終着点であり、世界的な中国の利権圏を創造するための1兆ドルのプロジェクトである。BRIの潜在的な混乱は、中国の重要な利益への脅威を構成する。習近平は2014年4月、ウイグル族の戦闘員が駅で150人以上を刺した事件を、取り締まりの機会と捉えた。
「壊滅的な攻撃を備えよ」Xi は警察官および軍隊に言った。彼の副官は、一斉に命令を出した。「全員を切り上げろ」との命令が下された 情けをかけた役人は自ら拘留され、屈辱を受け、「新疆のための党中央指導部の戦略」に背くための手本とされた。
2019年11月のニューヨーク・タイムズ紙の報道によると、中国当局が最も心配していたのは、省外の学校から帰宅したウイグル族の学生たちだった。学生たちは「国全体に広く社会的なつながりを持っていた」し、当局が恐れていた『影響力』が『広く、根絶するのが難しい』ソーシャルメディアを使用していた。任務は、収容所内で実際に起こっていることのニュースを隔離することだった。学生が愛する人はどこにいるのか、何があったのかと尋ねると、当局は「彼らの親族はイスラム過激主義の『ウイルス』に『感染』しているので、隔離して治療しなければならない」と学生に伝えるように助言された。
しかし、中国の封鎖政策の対象となったのは、テロ攻撃を実行する可能性の高い若い男性だけではなかった。文書によると、当局者は「暴力を振るうには年を取りすぎていると思われる祖父母や家族でさえも免れない」と言われたという。
2019年秋に本物のウイルスがヒットしたとき、中国当局は同じプロトコルに従い、問題を起こす可能性のある者だけでなく、武漢のすべての人を隔離し、わずか数ヶ月前に同じ都市で鎮圧したものよりもさらに大きな世論の反発を避けることを望んだ。
病気ではない者を隔離するロックダウンが、これまで公衆衛生対策として採用されてこなかったのには、それなりの理由がある。都市、州、または国の主要メンバーは、彼らが大規模な人口に集団的な罰を課していることを示すために意味がない限り、自分自身を投獄しない。政治的抑圧の手段として広く認知されているため、これまで公衆衛生対策として使われたことはなかった。
2019年12月末、中国当局は、新しいウイルスに言及したソーシャルメディアアカウントのロックダウンを開始し、それを警告したり、同僚とそれについて話したりした医師は叱責され、COVID-19に感染したとされる別の人が死亡しました。武漢を出入りする国内旅行はすべて停止されました。もし封鎖の目的が���染の拡大を防ぐことだったとすれば、国際便が継続していたことは注目に値します。むしろ、ソーシャルメディアの検閲と同様に、国内旅行の禁止は、政府の失態が中国全土に広がらないようにし、大規模な、おそらく制御不能な不安を招くことを防ぐためのものだったように思われる。
6月と7月に武漢の通りが埋め尽くされたのは、ある都市の人口を蝕む焼却炉の計画を隠していた当局の致命的な無能さに抗議するためだったとしたら、中国全土を蝕む運命にある呼吸器疾患の原因が、当局が主張するような湿った市場で起こった自然の偶然ではなく、中国共産党の武漢ウイルス研究所であることを知ったとき、中国国民はどのように反応するだろうか?
1月、トランプ政権の元国家安全保障副顧問マット・ポッティンジャー氏は英国当局者に、最新のアメリカの情報によると、COVID-19の最も可能性の高いソースは武漢のウイルス研究所であると語った。ポッティンジャー氏の発言を報じた数少ない欧米の報道機関の一つである英紙デイリー・メールによると、ポッティンジャー氏は、病原体が漏洩か事故によって逃げ出した可能性があると主張した。
1月に発表された国務省のファクトシートによると、米国は「武漢の研究室内の数人の研究者が2019年秋、最初に確認された感染例が発生する前に発病したと信じるに足る理由がある」としている。ファクトシートはさらに、中国政府の研究室が2016年からCOVID-19に最も類似したコウモリコロナウイルスの研究を行ってきたことを説明している。少なくとも2017年以降、WIVは中国軍に代わって機密研究を行ってきた。「米国は長年にわたり、中国の過去の生物兵器作業について公に懸念を表明してきたが、北京は生物兵器禁止条約の下で明確な義務を負っているにもかかわらず、文書化も実証もしていない。」
パンデミックが武漢の湿った市場で始まったのではないという証拠は、北京が1月23日に封鎖を実施した数日後の2020年1月に早くも発表されている。イギリスの医学誌「ランセット」によると、最初のものを含む41例のうち13例は市場との関連性がなかったという。5月には中国の疾病管理・予防センターの責任者が、COVID-19と湿潤市場を結びつけるものは何もなかったことを確認した。「新型コロナウイルスは、市場で発見されるずっと前から存在していた」と、中国の関係者は述べた。
ランセットの報告の後、トランプ政権に近い共和党当局者は、北京の公式アカウントに異議を唱えた。「我々はそれがどこで発生したかを知らないし、我々はそれの底を取得しなければならない」上院議員トム・コットンは2月に言った。「また、その食品市場から数マイル離れたところには、中国唯一のバイオ安全レベル4のスーパーラボがあり、ヒト感染症を研究していることも知っている。」コットン氏は、中国は二枚舌で不誠実だったと述べた。「私たちは、少なくとも証拠が何を示しているのかを確認するために質問をする必要があります。中国は今、その質問に対して何の証拠も提示していない」とコットン氏は述べた。
アメリカのマスコミは、コットンの答えを探す姿勢を軽蔑した。ジェフ・ベゾスのワシントン・ポスト紙は、コットンは「専門家によって何度も否定されてきた陰謀論の火種を撒き散らしている」と主張した。トランプ氏は、コロナウイルスが武漢の研究室で発生したものであると確信していると大統領が発言した時、アメリカのスパイサービスと矛盾していると嘲笑された。テッド・クルーズ上院議員は「パンデミックの起源についての明白な疑問を否定することで、マスコミは中国共産党のプロパガンダを作り出すために、ジャーナリズムのすべてのふりを放棄している」と述べた。
昨年の冬以来、トランプ氏とGOP当局者が行っていたのと同じケースを主張したニコルソン・ベイカー氏によるニューヨーク・マガジンの記事が1月に発表されたことは、有益な疑問を投げかけている。なぜジャーナリストたちは、北京のコロナウイルスの起源についてのトランプ政権の懐疑論を自動的に否定しようとしたのだろうか?なぜ選挙後まで待って、中国共産党の話が偽りであるという証拠の公表を許したのか。確かに、メディアはバイデン氏を好んでおり、何としてでもトランプ氏を追い出そうとしていたが、中国とCOVID-19についての真実をアメリカ人に伝えることが民主党の選挙にどのような影響を与えるだろうか?
中国はアメリカのマスコミに多くの友人を育ててきたからこそ、マスコミは中国政府の統計を素直な顔で伝えている。しかし、重要なのはこの事実である。中国共産党のナラティブを正当化する際に、メディアは主に中国のためではなく、中国から権力、富、威信を得ているアメリカ人階級のために報道しているのだ。いや、北京は悪者ではなく、国際的に責任ある利害関係者なのだ。実際、私たちは中国のリードに従うべきだ。そして3月までには、トランプ氏が最初に同意したことで、アメリカの当局者は、歴史上、独裁大国が自国民を黙らせるために使ってきたのと同じ抑圧的な措置をアメリカ人にも課した。
やがて、親中派の寡頭政治家たちは、封鎖がもたらした恩恵の全容に気づくようになった。ロックダウンは主要な寡頭政治家をより豊かにし、ベゾス単独の場合は850億ドルもの富を得たが、その一方でトランプ氏の中小企業基盤を困窮させた。市や州の当局は、不定法な規制を課すことで、独裁政治を正常化したのである。そして、少なくとも、アメリカの組織には、代議員の3分の1しか選ばれていない候補者に指名を与え、大統領選挙期間中は地下室に閉じ込めておくという、もっともらしい理由があった。しかし、ある意味では、ジョー・バイデンは、数十年続いた米中関係の軌道を正常に戻すことを意味していたのである。
----- バイデン氏の当選後、中国の外相は米中関係のリセットを求めたが、中国の活動家はバイデン氏の対中政策はすでに決まっていると言う。「私はバイデン政権に非常に懐疑的だ。なぜなら、彼が中国を21世紀のウイグル人の大量虐殺である正常な状態に戻すことを許すのではないかと心配しているからだ」と、ある人権活動家は選挙後、ニューヨーク・タイムズ紙に語った。バイデン氏が大統領になったことで、ある人権活動家は「ホワイトハウスに習近平氏が座っているようなものだ」と語った。
11月には、北京政府に近い中国のシンクタンクのトップが行った公開演説を記録したとするビデオがソーシャルメディア上で流通した。「トランプ氏は我々に対して貿易戦争を仕掛けてきた」と中国の聴衆に語った。「なぜ我々は彼に対処できなかったのか?1992年から2016年までの間、我々は常に米国との問題を解決してきたのはなぜか?それは、我々には上に人がいたからです。アメリカの中心的な権力の輪の中に、我々には古い友人がいるからです」と述べた。感謝する群衆は彼と一緒に笑った。「過去30~40年の間、私たちはアメリカの中心的な輪を利用してきました」と彼は続けた。「私が言ったように、ウォール街は非常に大きな影響力を持っています...私たちはかつてウォール街に大きく依存していました。問題は、2008年以降、彼らが衰退していることだ。最も重要なのは、2016年以降、ウォール街はトランプ氏をコントロールできなくなったことです...米中貿易戦争では、彼らは助けようとしました。アメリカの友人は、彼らは助けようとしたが、助けられなかったと言っていました。バイデンが選挙に勝った今、伝統的なエリート、政治的エリート、既成政党は、ウォール街と非常に密接な関係を持っています」
本当だろうか?ジャネット・イエレン財務長官がウォール街の聴衆の前で演説しただけで稼いだ小金は公の記録である。しかし彼女は先月の公聴会で北京に厳しい言葉を浴びせ、中国共産党のウイグル人に対する『恐ろしい人権侵害』を批判した。しかし、バイデン氏が国家安全保障のトップポストに指名した人物の履歴書は、別の話を物語っている。次期国家情報長官のアヴリル・ヘインズと国務長官のアントニー・ブリンケンは、選挙の直前に中国共産党のための仕事をウェブサイトから削除したWestExecというベルトウェイの会社で働いていた。
ペンタゴンの3番手に抜擢されたコリン・カール氏は、スタンフォード大学の研究所に勤務していた。この研究所は北京大学と提携しており、元中国共産党のスパイチーフが運営する学校で、欧米の諜報機関からは安全保障上のリスクがあると長い間見られていた。
アメリカ進歩センターのシンクタンクの責任者として、バイデンが管理予算局の長官に指名したニーラ・タンデンは、中国共産党の「政策と権威に対する潜在的な反対の情報源を共謀して無力化し、中国共産党の「海外の中国社会、外国政府、およびその他の行為者に影響を与え、北京を支持する行動を取るか、または立場を採用する」ための隠れ蓑として創設された米中交流組織と手を組んでいた。
バイデンの大統領人事特別補佐官トーマス・ジマーマンは上海社会科学院の研究員で、中国の国家安全保障省との関係があるとして欧米の諜報機関から注目されていた。
リンダ・トーマス・グリーンフィールド国連大使は、ジョージア州サバンナで開催された中国政府が出資する孔子学院で2019年の講演を行い、アフリカにおけるグッドガバナンス、ジェンダー・エクイティ、法の支配を推進する上での中国の役割を称賛した。「中国がこれらの価値観を共有できない理由はない。実際、中国はアフリカ大陸に強い足跡を残していることから、これらの理想を広めるためのユニークな立場にある」と述べた。
次期司令官の家族は、中国軍とつながりのあるビジネスマンから500万ドルの無利子融資を受けたと報じられ、バイデンの息子ハンターは中国のビジネスパートナーを『中国のスパイ長』と呼んでいた。ハンター・バイデンの中国共産党との結びつき疑惑の選挙前の報道をマスコミやソーシャルメディアが検閲したのは、彼を守るためではなかった-500万ドルは、ベゾスがパンデミックの間に毎時稼いでいた額よりも少ない。いや、親中派の寡頭制にとって、ジョー・バイデンを当選させたのは自分たちを守るためだったのだ。
バイデン政権はトランプ政権の積極的な中国の技術産業の巻き戻し努力を継続すると主張する報道は誤りである。新政権には、米中関係を軌道に乗せようと躍起になっているアメリカのハイテク産業のロビイストがいっぱいいる。バイデンのロン・クライン参謀長は、ワシントンのシリコンバレーを代表してロビー活動を行っている業界団体「テックネット」の元役員会メンバーでした。バイデンのホワイトハウス顧問はスティーブ・リチェッティで、弟のジェフは選挙直後にアマゾンのロビー活動のために雇われた。
イエレンは、「中国は明らかに我々の最も重要な戦略的競争相手である」と述べている。しかし、親中派の寡頭制は、富、権力、威信を得ている国と競合しているわけではない。中国の独裁政治が彼らのモデルなのだ。ワシントンD.C.全体に2万人以上の米軍メンバーを配備したことを考えてみよう。反乱やクーデターとされた散発的に暴力的な抗議デモ行進の結果、公の場ではほとんど姿を見せない大統領の就任式の警備のために、ワシントンD.C.に2万人以上の米軍メンバーを配備したこと、ソーシャルメディアからの反対の声の除去と、競合するソーシャルメディアのプラットフォーム自体の除去、トランプ支持者のアメリカの半分の人々が医療、クレジット、法的手段、教育、雇用へのアクセスから遠ざかるようにしたこと、現政権の政策への抗議を「国内テロリズム」として再定義するという究極の目標を持っていること、などを踏まえて考えてみてほしい。
明らかなのは、バイデン氏の就任は、中国との関係を自国の同胞に対する盾と剣と見なしているアメリカの寡頭制の覇権を示すものであるということである。アテネの「三十人の暴君」のように、彼らは、創造主によって与えられた全市民の自然権を認める政治システムを単に軽蔑しているのではなく、自分たちが支配している人々が、自分たちと同じ権利を持っているという考え方を特に軽蔑している。言論は、それを適切に使う方法を知っている賢明な少数の者だけが自由にできるものであるべきだ、という考えに対する彼らの新たな尊敬の念を見るといい。クリティアスや親パルタ派のように、新しいアメリカの寡頭制は、民主主義の失敗は自分たちの権力に対する独占的な権利の証明であり、自分たちの同胞を破壊するのを助ける外国の力と協力して統治することを喜んでいると考えている。
歴史はこの瞬間について何を教えてくれるのだろうか。悪いニュースは、30人の暴君がアテネの著名な民主主義者を追放し、アテネの人口の推定5%を殺害しながら彼らの財産を没収したこと。良いニュースは、彼らの支配は1年未満であったということだ。
[リー・スミスは、新たに出版された本『The Permanent Coup』の著者である。国内外の敵はどのようにしてアメリカ大統領を標的にしたのか』の著者である。]
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tak4hir0 · 4 years
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台湾のスタートアップアクセラレータ AppWorks(之初加速器)は15日、AppWorks Demo Day 2020 を開催した。新型コロナウイルスの感染拡大により、今年前半はデモデイを一時中断していたため、今回の AppWorks Demo Day 2020 では、前半と後半に展開された第20期・第21期チームの中から、AI/IoT 分野とブロックチェーン/仮想通貨分野の23チームが参加することになった。 AI をテーマにしたチームが最多、最年少起業家は17歳 23チームのうち、AI をテーマにしたチームが10チーム、IoT が5チーム、ブロックチェーン/仮想通貨が8チームで、香港、シンガポール、インドネシア、スウェーデン、グアテマラなどの国際的なチームが8チーム、Google、Microsoft、MediaTek(聯発科技)の上級幹部もいれば、社会人のチームもいた。AppWorks Accelerator(之初加速器)には、史上最年少の17歳の起業家をはじめ、成功した起業家が多数在籍している。 AppWorks Accelerator では現在、AI/IoT、ブロックチェーン/仮想通貨(Blockchain / Crypto)、東南アジア(Southeast Asia)の3つの頭文字をとり、「ABS」という3つの軸でスタートアップチームを募集している。第17期以来、起業家は東南アジアの経済成長に楽観的であることが推奨され、募集対象は AI/IoT とブロックチェーン/仮想通貨に限定されている。 Jamie Lin(林之晨)氏「ビジネスを始めるには、今が一番いい時期」 冒頭のスピーチで、AppWorks 会長兼パートナーの Jamie Lin(林之晨)氏は、次のように述べた。 過去10年間の衣食住、交通、娯楽のすべての変化は、私たちのスマートフォンから来ている。次の10年には、5G と IoT が再び世界を変えることになり、新しいエッジコンピューティングプラットフォーム「MEC」は、IoT の発展に追随して、より多くのデータを預け、機械学習とディープラーニングが大きく成長し、スタートアップがより多くの製品やサービスを生み出せるようになる。ブロックチェーン、仮想通貨、DeFi、DNA シーケンシング、クォンタムコンピューティングなどの分野で、モバイルが普及したときのように、非常に多くのテクノロジーと要素が今後10年間で大きな変化をもたらす。これは、大きな可能性があることを意味する。今ほど起業に適した時期は無い。 今年の AppWorks Accelerator では、第20期と第21期で合計52チーム82人の起業家を採択。構成は、AI/IoT を中心とした26チーム、ブロックチェーン/仮想通貨を中心とした13チーム、東南アジアを中心とした13チームだった。第20期は40%の起業家が複数回に及ぶ起業を経験、これまでで最も起業経験が豊富な回となった。第21期は66%の起業家が台湾以外の世界17カ国から参加した。 今年のデモデイに参加したチームは、業界や業種を越えて AI アプリケーションが花開き、目を引く革新的なアプリケーションが多数登場した。 顔認証で、従業員の出退勤管理を支援する Astra 台湾の Astra は、大企業が遠隔地や現場で働くパートタイム従業員の管理を支援する顔認証ソリューション「GoFace 顔認証タイムカードシステム」を開発。同社によると、日本では4人に1人がパートタイム従業員であり、正社員よりもパートタイム従業員の流動性や離職率が高く、企業がパートタイム従業員を効果的に管理することが難しいという。 今年4月にサービスを開始したところ、広告を出さない状態で、サービス開始前から日本やインドネシアを中心にすでにのべ約3,000人の従業員が利用。主な取引先には、NTT 東日本、不動産管理の合同産業、インドネシアのハイパーマーケット Pondok Indah などがあり、いずれも数千人の現場従業員を擁する企業だ。 血液がん免疫測定の AI 解析プラットフォームを開発した AHEAD Medicine 同じく台湾の AHEAD Medicine は、血液がん免疫測定のためのAI解析プラットフォームを開発した。このプラットフォームは、7日から14日かかっていた血液がん検査の時間を検査の即日結果を出すまで短縮でき、結果を待つ患者とその家族や友人の心理的苦痛を減らし、貴重な治療期間を短くできる。創設者の Andrea(王毓棻)氏にはがん病歴があり、その人生経験を起業家精神に変え、現在の共同研究者には UMPC(ピッツバーグ大学医療センター)や NTU(台湾大学医学部附設医院)などがある。 「BTS にもを使ってほしい」と願う17歳の CEO が立ち上げた Dance Clout Dance Clout CEO の Jerry Chang(張杰)氏AppWorks Accelerator 史上、最年少創業者というの記録を打ち立てた Dance Clout CEO の Jerry Chang(張杰)氏は、ステージ上でダンスを披露し、Dance Clout のチーム紹介を始めた。Dance Cloutは、AI 技術を使ってダンサーのコミュニティを構築することを目的としている。17歳の創業者は、高校ダンスクラブ「建中熱舞(台北市立建國高級中学熱門舞踏社)」に所属し、建國高級中学科学部(理系)に在籍する高校生だ。 Dance Cloutは、ユーザが自分のダンス動画をアップロードしたり、AI を使ってダンス動画を分析しプロ講師と比較、動きが正しいかどうかを確認できるようにすることで、ダンサーのコミュニティを構築することに注力している。起業家精神にあふれた Chang 氏は、将来、韓国のバンド BTS に Dance Clout の製品を使ってほしいと語った。 グローバルデジタル資産運用プラットフォームを構築する Steaker Steaker のチームメンバー台湾の Steaker は、AI を使って多様な投資戦略を統合し、顧客がより簡単にパッシブインカム(利子や配当など定額所得、不労所得)を生み出すためにクリプト資産を割り当てるのを支援する。。 クローズドベータ期間中、10セット以上の資産投資戦略を開発。30以上の AI(人工知能)/ML(機械学習)モデルをトレーニングし、数百の市場指標を追跡し、ロボットで平均 ARR(年間経常収益)23%で総資産約400万 USDT(米ドル連動型ステーブルコイン「テザー)を管理している。 IoT 領域の起業家の成果も劣らず IoT 領域から今回のデモデイに登壇したチームも起業家精神に溢れていた。自動運転ソリューションを開発する台湾の iAuto(艾欧図科技)は、「2018-2019 ドバイ・ワールド自動運転交通チャレンジ(The Dubai World Challenge For Self-Driving Transport)」に参加し、New Startups Group で2位を獲得したほか、Taiwan Mobile(台湾大哥大)、Formosa Plastics Auto Transport(台塑汽車貨運)と共同で、5G ネットワークを組み合わせ、台湾の高齢者施設「長庚養生村」で運行される自動運転システムを開発した。これは、自動運転車の産業用・商業用アプリケーションを開発する、分野を横断した最初の事例だ。 また、Aiello の AI 音声 SaaS プラットフォームは、ホテル、ケータリング、観光などのサービス業界のバックエンド管理システムやオンラインデジタル音声サービスで利用できる。Aiello CEO の Vic 氏は、Google Home の出身で、ホテル、ケータリング、旅行サービス業界におけるスマートスピーカーの巨大な可能性を目の当たりにしたことから、起業を決意した。 WASAI Technology はチップ設計に特化し、DNA 解析に利用できる高速 AI チップを開発。医療分野出身の WASAI CEO Calvin 氏は、遺伝子とコンピューティング技術を通じて、市場で拡大する DNA シーケンシングの需要に応えたいと考えている。Calvin 氏は自らも遺伝性免疫疾患の患者であり、技術でより多くの命を救うことを望んでおり、より価値のある起業テーマだと思うと語った。 AI を授業や学習に活用したチーム すべての学習者の効果を高めるために、教育や学習に AI を応用することは、今後の重要なトレンドであり、今回のデモデイではこれを起業のテーマに掲げたチームが多く見られた。 TUTEEMI のチームメンバーたとえば、グアテマラの TUTEEMI は、さまざまな学習ニーズに対応する外国語の講師マッチングサービスを提供している。創設者の Camila Sáenz 氏は、台湾から9年間の奨学金を受け、大学から博士課程まで学んた。 台湾の美しい人や物を長い間経験してきた彼女は、起業を通じて台湾に恩返しをし、台湾の国際化、バイリンガル化のプロセスに貢献したいと考えている。 台湾の TeraThinker は、教育用ビッグデータ分析を使用して適応学習システムを確立��た。Tera Thinker 共同創業者兼 CEO の Yang Chunyou(楊春陽)氏は、台湾学生の12.3%が学力不足で、学生学習能力の M 型化(優等生と劣等生が多く、中間成績の学生が少ない。二極分化。)の速度や程度が他国よりもひどい点を指摘。Tera Thinker はこの問題を解決したいと考えている。 ブロックチェーンのイノベーションが、リッチな実用アプリを促進 AI 領域だけでなく、ブロックチェーンも AppWorks Accelerator の重要なテーマだ。今年のデモデイでは、実りある起業実績を持つ台湾のブロックチェーンスタートアップが多数登壇した。彼らは、ブロックチェーン応用分野をより多様なものにしようとしている。 ブロックチェーン技術でクラウドコンピューティング業界をディスラプトする Poseidon Network Poseidon Network 創業者の Light 氏(愛称:小光、本名:林弘全)氏台湾発の Poseidon Network は注目のブロックチェーンスタートアップだ。創業者の Light (愛称:小光、本名:林弘全)氏は、これまでに匿名サイトのやクラウドファンディングサイト「flyingV」を立ち上げるなど起業経験が豊富だ。Poseidon Network は、分散型でスケーラブルなブロックチェーンノードサービスで、クラウドサービス業界の変革を目指している。 Amazon、Microsoft、Google の集中型クラウドサービスと対照的に、Poseidon Network はあまり使われていない帯域幅、ストレージスペースを集めることで、分散型でスケーラブルなブロックチェーンノードサービスを推進���る。コンピューティングパワー、IoT デバイス、5G 通信を組み合わせることで、フォグデバイスサービス(フォグデバイスサービス)が作成され、デバイス効率を最適化して収益を得る機会を一般の人に提供します。 現在、システム全体では、30カ国以上で2,000以上のノードをカバーし、1,000Gbps以上の集積帯域幅と 5PB(ペタバイト)のストレージを提供している。 NFT を活用したデジタルアセットソリューションを開発する Lootex Lootex のチームメンバーLootex は NFT(非代替性トークン)技術を用いて、文化・クリエイティブ産業、ゲーム、IP 向けのブロックチェーンデジタルアセット(ゲーム仮想資産、デジタルコレクタブル)の開発のためのソリューションを提供している。現在、Lootex が作成したマーケットプレイスには11のブランドが登録済。興行収入以外の新たな収益源を生み出すためにゲームカードを作っている。 ブロックチェーンを学術認証に応用する Turing Certs TuringCerts はブロックチェーンを利用して企業や組織の学術資格認証ソリューションを開発し、企業や組織の学術監査の時間とコストを削減する。現在、カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkely)、国立台湾大学、国立清華大学、国立交通大学などの全大学や一部学部で採用されている。 コロナ禍にかかわらず、AppWorks のエコシステムはるかに成長 デモデイに登壇した起業家らは、コロナ禍の混乱にもかかわらず、危機を成長の機会に変えるレジリエンスを発揮した。この特徴は、AppWorks のエコシステムに参加しているすべての起業家にも表れている。 2010年に AppWorks が AppWorks Accelerator を正式に開始して以来、エコシステムはこれまでにないほどのスピードで成長してきた。調達資金の総額、評価額の総額、年間収益はいずれも3桁台となり、前年の2倍以上の実績となった。これらはすべて過去最高であり、参加スタートアップの評価額合計は100億米ドルを突破するという重要なマイルストーンに達した。 <具体的な成果> アクティブなスタートアップ数が395社、起業家数が1,331人に達した。 全輩出スタートアップの年間収益合計が前年同期比162%増の2,329億ニュー台湾ドル(約8,530億円)に達した。 全輩出スタートアップの従業員合計が73%増の1万7,359人に達した。 AppWorks エコシステム(全輩出スタートアップ)が調達した資金の総額は、年間成長率140%の683億ニュー台湾ドル(約2,500億円)に達した。 全輩出スタートアップの評価額合計は3,203億ニュー台湾ドル(1兆1,735億円)で、初めて100億米ドルの大台を超え、昨年の今頃と比べ160%増に達した。 Jamie Lin 氏は成果を次のように指摘した。 Jamie Lin(林之晨)氏6月には、バイクシェアリングプラットフォームの WeMo Scooter(威摩)がシリーズ A ラウンドの資金調達を完了し、カーネットワーク技術の研究開発に投資するために数億ニュー台湾ドル(日本円で数億円〜十数億円)を調達した。 8月には、オンラインショッピングのキャッシュバックプラットフォーム「ShopBack」がベトナムで正式にサービスを開始し、これまでに80万人以上のベトナム人ユーザを獲得した。 40億ドン以上のキャッシュリターンを得て市場を9カ国に拡大し、ユーザ数は2,000万人を超えた。 9月には医療技術スタートアップの iWeecare(愛微科)がプレシリーズ A のエクステンションラウンドで240万米ドルを調達した。同社の製品「Temp Pal」が、今年の新型コロナウイルス感染拡大予防と治療に重要な役割を果たし、台湾、日本、タイ、アイルランドなど世界の病院システムに導入された。 猛威を振るう世界的な流行の下、AppWorks エコシステムの全員がこのような成果を共に出せたことはさらに称賛に値する。 過去10年を振り返ると、AppWorks が指導してきた起業家らは、「20マイル行進(編注:好不調に関わらず、毎年一定のペースで成長する意)」という規律を守り、混沌の中にチャンスを求め、変化の中に成長を求めてきた。この巨大な車は高速稼働期に入っており、今後、台湾と東南アジアのコミュニティを結びつけ、大東南アジアのデジタル共栄圏を構築するプロセスを加速させると期待している。 【原文】 【via TechOrange】 @TechOrange
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ahnyanhk · 5 years
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#日本人彼女と香港人彼氏の日常 香港人と交際してるのに広東語が全く話せません🤣 有難うですら分からない(発音出来ない) 自分で買った広東語の教本で彼の横で基本の発声を読んでたら笑われる🌀 それでもまだ発音は良い方らしいです(笑) . 読み方は少しずつ覚えてきました‼️ 言葉が分からないなりに理解するためには目で見る事が大切と気づいたからです👀✨ MTRの駅名からこの漢字はこう読むのか…と覚えて、その漢字と見かけた広東語表記に当て込む感じで覚えていってます👍 面白いなと思ったのが、イギリス影響下だったからか英単語を(の発音)と広東語漢字の発音を当ててる言葉があると気付きました。 間違ってたら教えて下さい🙏💦 . それが載せた写真です📷✨ 巴士(バス)や的士(タクシー)など。 🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥 でも未だに迪士尼がディズニーかは腑に落ちない🌀 というか「士」の発音方法がはっきり理解してない💦 🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥🔥 「ィー」か「ックシィ」なのか… 前後の漢字で微妙に発音が変わるのかな❓とか… . 日本では漢字の読み方が沢山ありますが、例えば「羽生はにゅう」さん、「桐生きりゅう」さん、「東海林しょうじ」さんと言ったように、この漢字はこう読むと1文字ずつ当て込めないイレギュラーな読み方があるので、似たようなもんかなぁ❓と… . 我々の普段コミュニケーションは英語なのです。 (でも私は英語も全然ですよ💦) でも彼をもっと知りたい気持ちがあるから広東語も少しずつね😋 赤ちゃんになった気持ちで吸収していきます❤️ …大人になったら1つ覚えたら1つ忘れちゃうのが悲しいけど💔(笑) * #香港 #hongkong #HK #香港加油 #香港ラバー #香港愛 #香港中毒 #日港カップル #港日カップル #日本人彼女香港人彼氏 #遠距離恋愛 #遠距離カップル #香港好き #香港好きすぎ #香港好きな人と繋がりたい #香港好きと繋がりたい #国際恋愛 #国際カップル #国際結婚 #惚気グラム (笑) #hongkonger #hongkonginstagram #internationalcouple #ldrcouple https://www.instagram.com/p/By73RZEjmOk/?igshid=1woe1zns6aqd0
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lookpome · 4 years
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日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由 広島県内の更生保護施設(刑務所を出て社会に復帰する元受刑者のための施設)で、タカタ・トシオ氏(69)は私にこう語った。罪を犯したのは貧しかったから。たとえ塀の中でもいい、ただで住める場所が欲しかったと。 年金をもらう年になった後、金が底をついてしまったタカタ氏は、刑務所ならただで住めそうだと思いついた。自転車を拝借して警察まで乗って行き、警察官に『ほら、こいつを盗んできた』と話したという。 作戦は成功した。62歳での初犯だったが、日本の法廷では軽微な盗みも厳しく罰せられる。こんな罪でも1年の刑が言い渡された。 タカタ氏は小柄でやせ型、しきりにクスクスと笑う。犯罪を繰り返す人には見えない。ましてや、刃物で女性を脅すような人物とはとても思えない。だが最初の刑を終えて出所した後、彼がしたことはまさにそれだった。 公園に行って脅しただけ。危害を加えるつもりは一切なかった。ただ刃物を見せて、この中のだれかが警察に電話すればいいと思ったら、1人が通報してくれたとタカタ氏は話す。 タカタ氏はここ8年間のうち、合わせて半分を刑務所で過ごした。刑務所にいるのが好きなのかと尋ねると、金銭的に都合のいいことがもうひとつあると言う。それは、服役中も年金の支給は続くということだ。 刑務所���らしが好きというわけじゃないが、刑務所にはただで寝泊まりできる。しかも出所した時には金がたまっている。だから、それほどの苦労ではない。そうタカタ氏は話す。 タカタ氏のケースは、日本の犯罪にみられる際立った風潮の代表例だ。日本は驚くほどよく法律を守る社会だが、その中で65歳以上の高齢者が起こす犯罪の比率が急上昇している。1997年には犯罪20件に1件の割合だったのが、20年後には5件に1件を超えていた。人口全体に占める65歳以上の割合が増えたペースを、はるかに上回る上昇ぶりだ(65歳以上の高齢者は現在、人口の4分の1以上を占めている)。 罪を犯す高齢者の多くは、タカタ氏と同じような常習犯だ。2016年に有罪が確定した65歳以上の2500人中、3分の1余りが過去に6回以上有罪となっていた。 もう1人の例はケイコ氏(仮名=70)という、小柄で身ぎれいな女性だ。やはり貧しさのせいで道を踏み外したと話す。 夫とうまくいかず、住む家も身を寄せる先もなくて、もう盗みをするしかなかった。ケイコ氏によると、足元さえおぼつかないような80代の女の人たちも、食べ物がない、お金がないからという理由で罪を犯しているという。 ケイコ氏とは数カ月前に、出所者の宿泊施設で話をした。あれからまた逮捕されたと聞く。今度も万引きで服役中だという。 高齢者の犯罪で圧倒的に多いのが窃盗、主に万引きだ。行きつけの店で3000円もしない食品を盗むケースが多い。 東京に事務所のある香港のコンサルティング会社カスタム・プロダクツの元幹部で、オーストラリア出身の人口統計学専門家、マイケル・ニューマン氏によれば、日本の基礎年金で支給される額は「ほんのわずか」にすぎない。これで生活していくのはとても大変だ。 ニューマン氏が2016年に出した論文で試算したところによると、年金以外に収入のない人は家賃と食費、医療費を払っただけで赤字になる。暖房費や洋服代は入っていない。かつては子供が親の面倒を見るというしきたりがあったのだが、農村部には経済的なチャンスがないため、多くの若者が出て行ってしまう。取り残された親たちは自力でやっていくしかない。 「年金暮らしのお年寄りは子供の重荷になりたくないと思っている。公的年金でやっていけなければ、重荷にならない方法はほぼひとつだけ、刑務所へ駆け込むしかないと感じている」 犯罪を繰り返すのは、1日3食ちゃんと食べられて請求書も来ない場所、つまり「刑務所に舞い戻るため」だと、ニューマン氏は指摘する。 「押し出されるからまた自分から転がり込む。およそそんな感じだ」 ニューマン氏によると、高齢者の間では自殺も増えている。「身を引くのが務め」という思いを果たすための、もうひとつの方法だ。 私がタカタ氏に会った更生保護施設「ウィズ広島」の山田勘一理事長(85)もやはり、日本の家族のあり方が変わって、それが高齢者による犯罪急増の一因になっているとの見方を示した。ただし経済面ではなく、精神面の影響が大きいという。 突き詰めて言えば、人と人の関係が変化した。それぞれの孤立が深まって、社会に居場所が見つからない。寂しさに耐えられないと山田理事長は指摘する。 理事長は、子供時代に広島の原爆を体験し、自宅のがれきの下から助け出された。 罪を犯す高齢者の中には、人生の半ばに転機があった人もいる。妻や子供を亡くした悲しみに耐えかねてというように、何かしらきっかけがある。人はたいてい、面倒を見てくれる人や力になってくれる人がいれば罪を犯したりしないものだと、理事長は言う。 #高齢者 #年金生活 #刑務所 #万引き #窃盗 #服役中 #更生保護施設 #ウィズ広島 #保護会 https://www.instagram.com/p/CFb1Q7jhZTx/?igshid=1tvdau5b5kqq7
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xf-2 · 4 years
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イタリアにおける新型コロナウイルス感染状況は、凄まじいばかりだ。「全土崩壊前夜」といった類の煽り気味で絶望的なニュースが飛び交う。
だが、なぜイタリアでこれほど感染が拡大したのか、といった視点が決定的に欠落しているように思える。
そこで、鄧小平が断行した対外開放、つまり「中国人の移動」という観点からイタリアを襲っている惨状の背景を考えてみたい。
おそらくイタリア社会における中国人――その大部分は対外開放以後に海外に「走出去」して飛び出して行った新華僑世代――の振る舞いを捉えることで、ヨーロッパ全体を覆いつつあるパンデミック危機の背景を知ることが出来るはずだ。
中国人がいないと米作りが成り立たない 今から7、8年ほど前になるが、香港の中国系書店で『“不死的中国人”――他們干活、掙銭、改変着意大利、因此令当地人害怕』(社会科学文献出版社 2011年)なる書籍を購入した。
地下にしっかりと根を張りながら咲き誇るタンポポの表紙に魅かれたと同時に、日本語に訳すと『“不死身の中国人”――彼らは働いて、カネを稼いで、イタリアを変えている。だから土地の人に怖がられる』となる書名が醸し出す反中・嫌中の雰囲気が気になったからだ。
それにしても不思議に思ったのは、この本が北京の出版社から刊行され、しかも香港の中国系書店に置かれている点だった。
じつは、この本は中国人が著したものではなく、2人の若いイタリア人ジャーナリストがイタリア全土を駆け巡り、イタリア社会で生きる中国人の姿を克明に綴った
『I CINESI NON MUOIONO MAI:LAVORANO,GUADAGNANO,CAMBIANO L’ITALIA E PER QUESTO CI FANNO PAURA』(R.Oriani&R.Stagliano Chiarelettere 2008)
の翻訳である。
筆者にはイタリア語が分からないので、翻訳の出来不出来は判断のしようがない。が、なにはともあれページを追ってみた。
すると、中国人のイタリア社会への逞しくも凄まじいばかりの浸透ぶりが、溢れんばかりに綴られていた。
たとえば西北部の穀倉地帯として知られるピエモンテでのこと。
1980年代末に「紅稲」と呼ばれる雑稲が突然変異のように発生し、増殖をはじめ、稲の生産を急激に低下させた。ところが紅稲は除草剤や除草機では駆除できない。やはり1本1本を人の手で丁寧に抜き取るしかない。だが、肝心の単純労働力は不足するばかり。
そこへ、農家の苦境をどこで聞きつけたのか、大量の中国人がやって来た。イタリアで半世紀以上も昔に忘れ去られてしまった田の草取りの方法のままに、彼らは横一列に並んで前進し、紅稲を抜き取っていく。
<7、8月の灼熱の太陽を受け泥に足をとられながら、手足を虫に咬まれ、腰を曲げ、全神経を紅稲に集中する。想像を超える体力と集中力、それに一定の植物学の知識が必要だ。紅稲は一本残らず抜き取らなければ正常な稲に害が及ぶ。抜くべきか残すべきかを知っておく必要がある>(同書より抜粋)
過酷な作業ながら収入は少ない。だが喜んで中国人は請け負う。
ある日、田圃で中国人が脱水症状で倒れた。彼らに「健康を考慮し、明日からは10時間以上の作業を禁ずる」と告げた翌日、雇い主が田圃に行ってみたが、誰もいない。慌てて宿舎に駆けつけると、彼らは荷物をまとめて立ち去るところだった。
「毎日10時間しか働けないなんて、時間のムダだ」と、口々に言う。雇い主は、「中国人は疲れることを知らない。気が狂っている」と呆れ返る。
かくして同書は、「中国人がいないとイタリアの米作りは成り立たなくなってしまった」と嘆く。
「中国人って1カ所には留まらない」 農業に次いで、大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商などが中国人に依存するようになり、中国人はミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、ありとあらゆる産業を蚕食していった。
その大部分は浙江省や福建省の出身者で、多くは非合法でイタリア入りしている。教育程度は他国からの移民に比較して低く、それゆえイタリア社会に同化し難い。
苦労をものともせず、倹約に努めるという「美徳」を備えてはいるものの、それ以外に目立つことといえば博打、脱税、密輸、黒社会との繋がりなど……。どれもこれも、胸を張って誇れるビジネスではない。文化程度の低さは、勢い生きるためには手段を選ばないことに繋がる。
これがイタリアで増加一途の中国人の現実である。
イタリア人は彼らを通じて中国を知る。だが中国人は、そんなことはお構いナシだ。
子供をイタリアの学校に通わせ、イタリア人として育てようとしている両親もいることはいるが、カネ儲けに邁進しているので、学校や地域社会で偏見に晒されている子供の苦衷なんぞを推し量る余裕も意識も持ち合わせてはいない。
同書の著者が、アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘に「夢は?」と尋ねる。すると彼女はこう答える。
<夢! そんなもの知らないわ。中国人って1カ所には留まらないものなの。あっちがよければ、あっちに行くわ。おカネの儲かり次第ってとこね。この地に未練なんてないの。もう14年は暮らしたけど、とどのつまりは行きずりのヒトなのネ……>
この印象的なシーンで、同書は終わっている。
アンナも他の中国人と同様に「とどのつまりは行きずりのヒト」なのだろう。
だが、新型コロナウイルスが「行きずりのヒト」と共に世界中を動き回ったとするなら、イタリアのみならず人類にとっては、やはり危険過ぎるというものだ。
対外開放でカネ・ヒト・モノが流入 1975年の時点で、イタリアでは400人前後の中国系住民(旧華僑世代)が報告されているが、鄧小平が対外開放に踏み切った1978年末から7年ほどが過ぎた1986年には、1824人になっている。
以後9880人(1987年)、1万9237人(1990年)、2万2875人(1993年)へと急増していったが、彼らは新華僑世代である。1990年代半ば、新華僑はイタリア在住外国人としては6番目の人口を擁していた。
1986年から1987年の間の1年間に見られた5倍以上の増加の主な要因は、1985年1月にイタリア・中国の両国間で締結(同年3月発効)された条約によって、イタリアへの中国資本の進出が促された点にある。
人民元(カネ)と共にヒト、つまり中国人労働者が大量にイタリアに送り込まれるようになった。また中国料理・食品(モノ)への嗜好が高まったことも、中国人労働者(ヒト)の流入に拍車を掛けたはずだ。カネ・ヒト・モノが中国からイタリアに向かって流れだしたのだ。
新華僑世代も旧華僑世代と同じように、同郷・同姓・同業などの関係をテコにして「会館」と呼ばれる相互扶助組織を持つようになる。1980年代半ばから1990年代末までの10年ほどで十数個の相互扶助組織が生まれた。これこそ新華僑世代増加の明らかな証拠だろう。
商品の発送元は温州市 彼らは強固な団結力をテコに、自らの生活空間の拡大を目指す。
たとえば、2010年前後のローマの商業地区「エスクィリーノ地区」には、衣料品、靴、皮革製品などを中心に2000軒を超える店舗がひしめいていたが、その半数は中国人業者が占めていた。
現在はそれから10年ほどが過ぎているから、その数はさらに増したと考えて間違いないだろう。
彼らが扱う商品の発送元は、浙江省温州市である。温州は、遥か昔の元代(1271~1368年)から中国における日用雑貨の一大拠点として知られる。新型コロナウイルスを巡っては、2月初旬に湖北省武漢市に続いて封鎖措置を受けた。
ローマの商業地区と新型コロナウイルスによって危機的レベルにまで汚染された中国の都市がモノとヒトで日常的に結ばれていたことを考えれば、イタリアの惨状が納得できるはずだ。
友人のイギリス人は、感染拡大の背景にはイタリア人の生活様式もあると指摘する。
イタリア人はオリーブやトマトといった健康的な食生活によって、肥満の多い欧州先進国においては珍しいほどに長寿国で、高齢者が多い。周辺先進国に比べて核家族化が進んでおらず、3世代同居も珍しくない。特に高齢者には敬虔なカトリック信者が多く、教会でお椀を共有してワインを飲む習慣があるという。
であるとするなら、中国人の「移動」という極めて今日的要因がイタリアの社会的・文化的伝統という“宿主”を得たことで、被害の拡大に繋がったとも考えられる。
中国人の数は40万人超 いま手元にある『海外僑情観察 2014-2015』(《海外僑情観察》編委会編 曁南大學出版社 2015年)を参考にし、近年のイタリアにおける中国人の状況を素描しておきたい。
中国人の人口は全人口の0.49%で30万4768人(2013年1月1日現在)。これに非合法入国者を加えると、実際は40万人超ではないか。
中国系企業が集中している地方は西北部のロンバルディア(1400社)、中部のトスカーナ(1万1800社)、東北部のヴェネト(8000社)、北部から中部に広がるエミリア・ロマーニャ(6800社)であり、貿易を主にして2万5000社前後。他にアパレルや製靴関係が1万8200社、レストラン・バー・ホテルなどが1万3700社を数える。
「イタリアにおける中国人の首都」であるミラノを見ると、イタリアが2008年のリーマンショック以後、経済危機に陥ったにもかかわらず、中国系企業、殊に食品関連は急増。同市で外国からの移住者が経営する600社のうち、中国人移住者のそれは17%を占めている。
アパレル産業の中心でもある中部のプラトでは、人口20万人余のうちの3万4000人を中国人が占めている。じつに7人弱に1人だから、一大勢力だ。彼らは有名ブランドの下請けから始まり、いまや伝統的な家内工業的システムを駆逐し、新たなビジネス・モデルを構築しつつあるという。
2014年4月、東北部のパドヴァには中国人経営のアパレル・チェーン店「CVG」が創業し、有名なファストファッションブランドの「H&M」や「ZARA」のライバルとして急成長を見せる。イタリアにおける中国系企業の小売り最大手は「欧売集団」で、イタリア全土で34軒のスーパーマーケットを経営しているという。
――以上は飽くまでも『海外僑情観察 2014-2015』に基づいたものであるが、ここからもイタリア社会への中国人の浸透度がある程度は理解できるだろう。
AC AFP via Getty Images AC Milanのイメージ写真 「ACミラン」の経営にも中国の影 「イタリアにおける中国人の首都」ミラノの象徴といえば名門サッカーチームの「ACミラン」だが、ここの経営にも中国人が大きく関係していた。
2014-15年シーズン終了後、ACミランのオーナーだったシルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、タイの青年実業家「Mr.Bee」ことビー・テチャウボンとの間で売却交渉を始め、2015年5月にACミラン株の48%売却で合意した。
Mr.Beeは、タイの「康蒂集団」と『星暹日報』の両社を傘下に置くサダウット・テチャブーン氏の長男である。
サダウット・テチャブーンは華人2代目で、華字名は鄭芷蓀。父親の鄭継烈が起こした建設業を引き継ぎ、1990年代初頭から積極経営に転じ、タイ国内のみならず中国やオーストラリアでの不動産開発やホテル経営にも乗り出した。
その後、タイの老舗華字紙『星暹日報』を買収し、2013年11月には広東省政府系の「南方報業伝媒集団」からの資本参加を得て、紙面も一新。それまでの繁体字からタイの華字紙としては初の簡体字横組みとし、電子版の配信、中国版Twitter「微博」の活用なども始めた。
当然のように論調にも南方報業伝媒集団の強い影響が感じられる。『星暹日報』は、タイにおける中国メディアの“別動隊”とでも言えそうだ。
さて、アブダビの資産管理会社「ADS Securities」と中国政府幹部が資金源と伝えられていたMr.Beeだが、ACミラン買収資金に苦慮していた。そこで彼が資金援助を申し入れた相手が、「阿巴里里集団」を率いる馬雲(ジャック・マー)であった。
2016年8月、ACミランは中国企業のコンソーシアム(共同事業体)に約832億円(株式の99.93%)で売却され、2017年4月にベルルスコーニ元首相はACミラン経営から撤退した。その後、2017-18年シーズン途中で中国系オーナーの債務不履行が原因で、最終的にはアメリカのヘッジ・ファンドが新オーナーに就任した。
華僑・華人の本質は移動 こう見てくると、「アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘」から現在の中国を代表する企業家・資産家の馬雲まで、じつに多くの中国人がイタリアと関わりを持っていることが分かるだろう。
同時に対外開放以後に顕著になった中国人の「移動」という現象が、合法・非合法に限らず世界各地の社会に様々な影響を与えていることも確かだ。武漢から感染が始まった新型コロナウイルスもまた、その一環と考えるべきではないか。
華僑・華人研究の第一人者である陳碧笙は、中国が開放政策に踏み切った直後に『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社 1991年)を出版しているが、同書で彼は、帝国主義勢力が植民地開発のために奴隷以下の条件で中国人労働者を連れ出した、つまり華僑・華人は帝国主義の犠牲者だという従来からの見解を否定した。
そして、華僑・華人の本質は、
「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動が停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」
との考えを提示した。
この主張をイタリアのみならず今や危険水域に達しつつあるヨーロッパ、アメリカ、日本、韓国、東南アジア、さらには感染報告が比較的少ないアフリカ、南米、そしてウズベキスタン、タジクスタン、キルギスタンなど中央アジアの国々にまで重ねてみるなら、新型コロナウイルスはもちろんのこと、中国発の“未知の危機”を今後も想定する必要があるだろう。
極めて逆説的な表現ながら、いまこそ国境を閉じて富強を目指した毛沢東の“叡智”を見返す必要を痛感する。新型コロナウイルスを「毛沢東の怨念」と見做すのは、筆者の偏見だろうか。
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chikuri · 7 years
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■1.「とうとう、本当の自分に戻ることができた!」 「昭和36(1961)年4月、羽田空港に降り立った私は、人目がなければ、地面に跪(ひざまづ)いてキスをしたいくらいにうれしかった」 台湾から東京大学に留学した周英明さんはこう思った。翌日井の頭線に乗って渋谷に向かう車中、笑いがこみ上げて、我慢できなくなってしまった。 __________  とうとう、本当の自分、周英明に戻ることができた! もう誰に対しても自分を偽る必要はない。台湾を支配する国民党の連中、ざまあみろ。私はお前たちの手中から逃れて、自由な国に来ることができた。もう二度と、絶対におまえたちには捕まるものか! ざまあみろ。[1, p77]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  戦後、日本が引き上げた後で、台湾では蒋介石の国民党により恐怖政治が行われた。周さんはそこから脱出してきたのだった。 ■2.台湾人の怒り 「遵法観念なし、衛生観念なし、教養なし、文化レベル最低の中国人が警察・軍隊・役所など、権力を全部掌握して、好き勝手なことを始めたからたまらない」[1, p38] これが終戦直後の台湾だった。  日本統治時代の台湾は米は豊作、一級品の砂糖の生産も盛んだった。その砂糖や米穀を、中国兵のトラックが次から次に運び出して、中国大陸に売ってしまった。軍や政府の上層部が、金儲けのために勝手に持ち出すのである。その結果、飢饉を知らなかった台湾で米不足になり、極度のインフレが生活を直撃した。  また中国海軍が香港あたりから密輸してきた外国たばこを、元締めから仕入れた台湾人が街頭で売る光景が見られるようになった。国民党政府は専売で売っている台湾たばこの売り上げが落ちるので、これに目を光らせていた。警官が来ると、たばこの密売人は一斉に路地裏や物陰に隠れてやり過ごす。  1947(昭和22)年2月27日夕方、たばこの密売で生計を立てている未亡人が逃げ遅れて捕まってしまった。「子供がいるんです」「生活に困っているのでどうかお見逃しを」と土下座して懇願するその未亡人から、取締官は密売たばこを取り上げ、ジープで連行しようとした。抵抗する未亡人は取締官に小銃の台座で殴られ、頭から血を流した。  一部始終を見ていた群衆は、はじめは「許してやれよ」というヤジを飛ばしていたが、それが「やっちまえ」にかわり、危険を感じた取締官は群衆に向かって発砲し、けが人が出る騒ぎになった。  民衆の怒りは収まらず、翌28日朝、膨れあがった群衆は「発砲してけがをさせた警官を処罰しろ」と専売局前の広場に押し寄せた。2階のバルコニーにいた警備兵が広場の群衆に向かって機銃掃射し、数人の死者が出た。この事件で、これまで我慢していた台湾人の怒りが爆発し、各地で暴動が起きた。 ■3.血の海のなかの先輩の遺体   この時、周さんは高尾中学1年生だった。周さんの兄たち上級生は小銃で武装し、「中国人を追い出そう」と演説をして、校舎の守りを固めた。  数日後、高尾中学は中国軍に包囲された。銃撃戦が起こり、双方で死傷者を出した末に、校舎は中国軍に占拠された。中国軍に追い詰められて最後に残った兄たち数人は、銃を捨てて塀の崩れたところから、かろうじて逃げのびた。  しばらくして、中学校が再開されることとなり、周さんが朝、家を出ると駅前広場で黒山の人だかりができていた。なかの様子を窺った周さんは、ショックで顔面が蒼白になった。公開処刑が行われた直後で、3人の遺体が血の海の中で横たわっていた。そのうちの一人は周さんの知っている先輩だった。  その光景を見た瞬間、周さんの体の中にあった道徳心や勇気、正義感は凍りついてしまった。もう金輪際、政治に関わったりはすまいと心に誓った。その後、高校に入り、台湾大学の受験をめざして勉学に打ち込み、政治に関わることを避け続けた。  台湾大学に入学し、大学のそばの学寮で生活を始めた。国民党政権によるテロが続いており、少し不用意な発言した人はいつの間にか学校から消えていなくなった。しばらくすると近くの河原で銃殺死体で見つかる。  大学を卒業すると、1年半の義務兵役が始まった。炎天下に来る日も来る日も演習ばかりさせられた。蒋介石を頭とする一族郎党のために、辛い軍事訓練を受けて、「毛沢東をやっつけろ、それがお前たちの使命」だって? 腹の中では憤懣でいっぱいだった。  やっとのことで兵役を終えて、台湾大学に助手として戻った。腹の中で膨れ上がる反逆心がいつ爆発するか、もう限界に来ていた。そのころ日本の文部省が国費留学制度を開始した。この道しかない! 周さんは猛勉強して試験に合格し、東京への切符を手にしたのである。 ■4.「台湾?」  東京について、とうとう本当の自分に戻ることができたと舞い上がったが、一ヶ月も経つと別の思いが頭をもたげてきた。 __________  学者になりたいという道は開け、私は前途洋々である。しかしそれは個人的な問題が解決されただけではないか。・・・  両親や兄妹、親戚、学友はみんな、今も台湾で苦しんでいる。蒋介石を頭とする国民党政府の圧政は、少しも改善されていないではないか。[1, p78]  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  自分は一体、どうすべきなのか。頭を抱えながら、時間が過ぎていった。そんなある日、留学生会館の図書室で『台湾青年』という雑誌が目に留まった。「台湾?」 台湾と名前をつける事は、反体制・独立を意味することから、台湾国内では絶対にタブーだった。  なかを読んで驚いた。口にするのも憚られる「台湾独立」や「蒋介石の独裁体制」という言葉が並んでいる。しかもよく読めば、日本にいる留学生たちが作っているようだ。  たぶん自分と年格好もそう違わない留学生、ほんの一握りの台湾人青年たちがこんなにも勇敢に戦ってるのだ。その夜、周さんは興奮して一睡もできなかった。「怖い、怖い」と逃げている自分が、ひどく小さな、卑怯な人間に思われた。  そして今まで自分が受けた台湾の人々や台湾社会からの恩義を想うと、台湾の最高学府を出た自分が何もしなければ、一体この台湾は誰が救うのか、このままではいけない、という気持ちが高まっていった。 ■5.「独立運動に加わろう」 『台湾青年』を読んだ感激を何とか伝えたいと思って、匿名で編集部に投書した。すぐには彼らの仲間にならなかったが、匿名で政府批判の文書を作成し、あちこちに配るようになった。  ある日、在日中華民国大使館からで呼び出し状が届いた。ギクッとしたが、行かなければかえって怪しまれると思って、恐る恐る出かけて行った。大使館の文化参事官は周さんを家に連れて行ってご馳走し、最後に「いろいろ仕事を手伝ってもらいたい」と切り出してきた。  毎月、金を支給するので、台湾からの留学生たちがどこで何を言ったか、定期的に報告してもらいたいという。スパイになって友達を売るなどという真似ができない事ははっきりしていた。しかし断れば「政府の言うことが聞けないのか」となるだろう。  悩みに悩み、そして決心した。「大使館の要請は断ろう。エイ、毒をくらわば皿までだ、独立運動に加わろう。もう自分の心に嘘つくをよそう」  台湾国内で独立運動すれば命がけ、国外ならパスポート剥奪、親兄弟をはじめ一族郎党がブラックリストに載る運命が待っていた。年老いた父母の顔が目に浮かんだ。 「これで台湾には、帰れなくなります。いろいろ心労をおかけする親不幸をお許しください」と、唇を噛みながら、周さんは心の中でわびた。 ■6.「『台湾青年』で小説を書いている孫明海ってあなたでしょう」  そんなある日、周さんは会合で紹介された一人の女性に一目惚れした。そばにいた友人に「何者だ」と尋ねると「ああ、彼女はね、大使館の特務四天王だから、あんなのに近づいたらダメダメ! いつも大使館に雇われて通訳をやってるし」と教えてくれた。特務とは大使館の手先として諜報活動するスパイで、その四天王の一人だという。周さんはがっかりした。  その女性、金美齢さんは通訳をやっているのはアルバイトのためだけで、密かに『台湾青年』を読んでいた。何度か二人で顔を合わせて話をするうちに、金さんは周さんの考え方や話し方から「独立派」との「信号」をキャッチしていた。たまたま二人だけで話す機会があった時、「『台湾青年』で小説を書いている孫明海ってあなたでしょう」と切り出した。  金さんは日本統治時代の台湾に生まれ育ち、やはり国民党政権に反発して、ある日本人の助けで日本に留学した。日本では学生運動のまっただ中で、金さんは、若者がこれほど自由に政治的な発言ができることに衝撃を受けていた。  ある日『台湾青年』という雑誌が届き、みんなが恐れおののいている台湾の政治や社会の問題をはっきり指摘する勇気のある人々がいることに驚いた。やがて得意の語学を使って大使館の通訳を務めるようになったが、仕事は仕事と割り切り、その陰で『台湾青年』の編集者たちと接触していた。 「孫明海ってあなたでしょう」とズバリと指摘され、周さんは「いやー、ハッ、ハッ、ハッ」とごまかしたが、「よくわかったなぁ」と内心、舌を巻いた。そのうちひょんなことから彼女の自宅で食事に招待され、二人だけでずっと話した。  翌日の朝、周さんは彼女に電話した。「僕と結婚してください」といきなりプロポーズした。「はい」と言う返事が、電話線を通してすぐに戻ってきた。 画像 台湾で翻訳出版された『日本よ、台湾よ』[1] ■7.パスポート没収  二人が結婚して数ヶ月後、周さんのパスポートが更新時期を迎え、大使館で更新の申請をしたが、その後、いくら待っても連絡がない。独立派と旗幟を鮮明にしたので、パスポートを没収されたのだ。周さんは残念に思うこともなく、国民党政府と縁が切れた事に心からの開放感を味わっていた。  当時、日本政府は国民党政府と取引して、日本国内の独立運動家一人を引き渡せば、麻薬密輸で捕まった台湾人8人を引き取らせるという密約をしていた。実際に周さんの仲間の一人は大学を卒業して、滞在理由がなくなったので、勾留されて、台湾に送還される事になった。  仲間たちが阻止しようと、羽田空港の歓送迎デッキから飛び降りて、警官隊と大乱闘になったが、奪還できずに、台湾に送られた事もあった。しかし、日本でこれだけの大騒ぎになった事で、台湾では死刑を免れた。  やがて子供もできたが、強制送還の恐怖は常に身近にあった。二人は万が一に備えて遺書を準備し、死に方を考え、子供の行く先を考えた。その覚悟をもとに、勉強しながら生活費を稼ぎ、子供を育て、独立運動を続けた。  やがて周さんは博士号を取得し、指導教授が粘り強くいろいろな大学にあたってくれて、東京理科大学の非常勤講師の職を見つけてくれた。さらに1年後は学科の主任教授や学部長が動いてくれて、常勤の助教授に昇���した。外国人の専任教員は前例がない時代だった。  それまでは毎年、滞在許可を更新しなければならなかったが、ようやく永住資格を与えられた。二人は台湾には帰れないと思っていたが、台湾独立のために最後までやる覚悟でいたので、日本の国籍はとらなかった。 ■8.「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」  2000(平成12)年3月、李登輝総統の後任として陳水扁総統が誕生した。台湾人で、しかも独立を標榜する民進党から生まれた総統だった。ようやく台湾に帰れるようになった。 8月28日、二人と長女を乗せた中華航空機が台湾の大地に着陸した。周さんにとっては40年ぶりの帰国である。  前総統の李登輝氏は二人を自宅に招いて温かくもてなし、ねぎらってくれた。周さんは「李登輝総統が勇気を持ってこの民主化、自由化の改革を行われたおかげで、私は生きてるうちに台湾に戻ることができました」と挨拶した。  日本統治時代に育った李登輝氏は「日本人がその理想をつぎ込んで育成したのが、私と言う人間なのです」と語っている。言わば戦前の「日本精神」が李登輝氏の体を借りて、台湾の民主化と自由化を進めたとも言える。  「日本精神」とは戦後の国民党政治への不満と恐怖の中で日本統治時代の公正な巡査、教育熱心な先生などの生きざまを懐かしんで生まれた言葉である。その反対が、不公正、無責任、欺瞞、金が万事、を意味する「中国式」である。  敗戦で台湾を放棄した日本は、中国と国交回復した昭和47(1972)年にも「台湾は中国の一部」との中国の主張を認めてしまった。日本は二度、台湾を捨てたことになる。「日本が本当に反省しなければならないのは、戦前ではなくて戦後である」と金美齢さんは言う。  そして今、台湾と日本は同じく大陸からの過去最大の脅威にさらされている。蒋介石政権からの「台湾独立」を成し遂げた台湾人から、現代の日本人は「日本精神」を学んで、ともに力を合わせて独立を守らなければならない。 (文責 伊勢雅臣)
No.1033 地球史探訪: 台湾独立の戦い
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alpaca1 · 4 years
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香港の食品eコマーススタートアップのDayDayCook(日日煮)が21億円を調達 中国のフードブログコミュニティが活況を呈している。多くのブロガーたちが、忠実なフォロワーに食品を売り込むことで大金を稼いでいるのだ。これは投資家を魅了するビジネスモデルだ。 今週、香港を拠点とするスタートアップDayDayCook(日日煮)が、その多機能な食品プラットフォームをさらに拡張するために2000万ドル(約21億円)を調達したと発表した。同プラットフォームをアクセスしているのは主に大陸中国からの利用者たちだ。銀行家から転身した食品ブロガーで起業家のNorma Chu(ノーマ・チュー)氏によって創業された同社は、ちょっとしたことをなんでも手掛ける企業だ。レシピや食品ビデオをフィーチャーしたアプリ、高級モールでの料理教室、オンラインで販売される自社ブランドの食品プロダクトラインがその収益の80%を占めている。 ロンドンに 拠点を置くTalis Capital(タリス・キャピタル)が調達ラウンドを主導し、そこに香港のIronfire Venturesが参加した。創業8年であるこのスタートアップは、これまでに総額6500万ドル(約68億5000万円)を、Alibaba(アリババ)が設立し香港と台湾の若い起業家をサポートする非営利団体のAlibaba Entrepreneurs Fundなどから調達している。 DayDayCook製品のセールスポイントは、慎重に用意されたブランドストーリーだ。ユーザーは最初にスタートアップがソーシャルチャネルを介して公開したコンテンツを視聴し、次にDayDayCookの調理済みまたは簡易調理食品パックや、台所用品などの顧客になる。 「私たちはコンテンツツーコマースモデルを本気で信じています」と語るのは、Talis CapitalのマネージングパートナーであるMatus Maar(マティス・マール)氏だ。 彼はさらに、豊富なモバイル編集ツールによりコンテンツの作成が簡単になったおかげで、「中国の田舎に住む人でも素晴らしいコンテンツを作成して、巨大なフォロワーを生み出すことができるのです」と説明した。彼は農村での自給自足生活を描いた動画を、Youtubeや国内のサイトに投稿することでスターの座に躍り出た、中国の隠遁的なインフルエンサーであるLi Ziqi(李子柒)氏について言及した。 「これは、非常に洗練されていたり、メガエージェンシーから提供されたコンテンツを見たくない人たちの間で、共鳴するように広がっているのです。インターネット上の人々は、本物を見たいと思っています。本当のことをしている人を見たいと思っているのです」と彼は語った。 食品のインフルエンサーは多数存在するが、収益を挙げられるベンチャーを構築できる準備を全員が整えているわけではない。マール氏は、DayDayCookなら必要な要素をすべて整えていると信じている。供給元、配送手段、物流管理、発送業務などのすべてだ。自社ブランド製品を開発することにより、スタートアップは高い利益率で販売することもできる。 チュー氏によれば、彼女の会社は自社アプリ上に230万人の登録ユーザーを集めているという。JD.com(京東商城)やAlibabaのTmall(Tモール)などのeコマースチャネルを通じて注文する有料ユーザーは、前年比12倍の220万人に成長した。 DayDayCookのコンテンツはリーチが広く、マイクロブログプラットフォームのWeibo(微博)、TikTokの中国語版であるDouyin(抖音)、Tencentのビデオサイトなどで、6000万人のフォロワーを獲得している。だがこれはインフルエンサーの時代にはそれほど多いようには思えないかもしれない。なにしろ個人である前述の李子柒氏も、YouTubeだけで1200万人近くのチャンネル登録者を数えているのだ。 カテゴリー:VC / エンジェル タグ:DayDayCook 香港 インフルエンサー [原文へ] (翻訳:sako) Source: テッククランチ・ジャパン
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signaldada · 4 years
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LINER NOTES "shotahirama-post punk" by Masaki Kubo
2014年にSIGNAL DADAから発売されたshotahiramaのサードCDアルバム『post punk』*に同封されていたライナーノーツをオンライン上に初解禁。執筆は音楽ライターの久保正樹氏。オンライン初公開、是非お楽しみください。
(*現在は廃盤。2015年に4枚組CDボックス『Surf』の一部として再発されたものにライナーノーツは封入されておりません)
https://shotahirama.bandcamp.com/album/post-punk-bandcamp-edition
*久保正樹:音楽にまつわる文章を主に執筆。『intoxicate』『ele-king』などに寄稿。傍ら、former_airline名義で音楽活動。
NY出身の電子音楽家shotahiramaのことを知ったのはいつだろうか。全盛期を過ぎたMyspaceがみるみる求心力を失い始めた頃なので、かれこれ5、6年前だろうか。そこで耳にした彼が率いるグループ=ENG(electronoise group)における初期衝動(のみ)の爆発、コンクレートノイズ、テープコラージュ、構成員不明の集団即興による怒号のような咆哮。意味をもたせずにひたすら快楽をむさぼるサウンド、アクション、はたまたスティーヴ・ステイプルトン~LAFMSを連想させるビザール趣味まる出しのグラフィック・イメージは強烈なインパクトでもってこちらの頭を得体の知れない音楽鈍器でぶん殴り、shotahiramaのあくまで真摯に常軌を外れる反美学的なスタイル(ネクスト・ダダを標榜!)とともにいわく言いがたい愉悦を与えてくれたのだ。
いやいや。前置きが長くなってしまったが、これはshotahiramaにとって3枚目となるアルバム『post punk』のための原稿である。しかし、本題に入る前に彼の分散化しすぎてもはやスキゾフレニック状態ともいえる過剰な活動遍歴に触れないわけにはいかない。前述のENGのほかエスプレンドー・ジオメトリコ~アントゼン周辺の連中が打ち鳴らす工業ビートへのオマージュともいえる「リズム」に焦点をあてたプロジェクト=JANDEATH、香港在住のアーティストyy_zzとのネットアート・デュオ=NI.、ミニマリズムを追求したcOLLAGE、またそれらの作品をリリースするために2007年に開設された非営利CD-Rレーベル〈Edition NIkO〉の運営など、制御不能な生産活動は大いなる逸脱への豊かな土壌を正確に築いてきた。そのほかアートレーベル〈mAtter〉のパブリケーションに携わったり、ドイツで劇場公開されたサウンドアーティスト古舘徹夫による演劇作品『Death Fragments - Buchner, 23 years old』の脚本英訳を担当したり、自らも膨大な量の執筆をこなすなど(彼の非公式ブログ「DADALIVES」にて連載されていたコラム『爆発する切符』が2014年に書籍化されるとかされないとか……これひどく面白いです。)まだ20代にして目にも留まらぬ速度で生き急ぐ姿には頼もしさとともにヒヤヒヤさせられることもしばしば。
そんなshotahiramaが2010年に設立したのが〈SIGNALDADA〉である。音楽レーベルとして原盤の企画/制作を行うだけでなく、音楽出版、CDライナーノーツの翻訳/英訳も請け負うインディペンデント・レーベルにして現在の彼の活動の母体であり、相も変わらず反美学的な衝動を精密にパッケージングする運動体である。その〈SIGNALDADA〉から2011年にリリースされたshotahirama名義による1stアルバム『Sad Vacation』(じつは香港の〈Re-Records〉から『Unhappy American Lost In Tokyo』というアルバムを先にリリースしているが現在廃盤)。「エレメント同士の衝突」をメインテーマに置いた42曲20分(かのザ・レッド・クレイオラが迷盤『COCONUT HOTEL』で披露した44曲33分の寸劇を上回る凝縮量 !? もちろん音はまったく関係ない。でもスピリットはそんなに遠くないはず?)のサウンドエクスペリエンスは、私たちを変容されたフィールドレコーディングと日常生活から切り取られた環境音との狭間に落としこみ、索漠とした空虚感でもって音楽と現実の境界をあいまいにする。騙されたと思ってスシ詰め状態の通勤(学)電車の中でイヤホンをつけて聴いてみてほしい。様々な動きですれ違い、様々な速度で衝突する音が日常の騒音に溶けこみ、イヤホンの中とくそったれな世界がするするとまぐわい、吐息を立てながら愛撫し合う音が聴こえるはずだ。
続く2nd『NICE DOLL TO TALK』(2012年)。15分足らずにして前人未到の地平が目の前に永遠に広がるフィールドレコーディングのニューモデル。こちらはコンセプトをいっさい排除し、音の響きだけに焦点を絞った現在のshotahiramaの代名詞ともいえる作品だ。冒頭に現れる彼のお家芸ともいえるヴォイスカットアップに瞬時に耳をリセットされ(ここにあるのも音の変容と運動のみ。しかし、かつてのビザール趣味をばっさりと切り捨てているところがポイント)、離れては手を取り合う磨き抜かれた音響たちがいつしか集合体となり、ただ美しいのではなく、異様なまでに美しいドローンへと合流する。本作『post punk』で彼に興味をもった方は、次にこのアルバムを手に取ることをオススメする。
続く作品は関西を拠点にワールドワイドな活躍をみせる注目のトラックメイカーDUCEREY ADA NEXINOとのスプリットEP『Just like Honey』(2013年)。タイトルはもちろんザ・ジーザス&メリー・チェインの1stアルバムの1曲目を飾るあの甘い劇薬からである(彼の作品には彼が愛するオルタナティヴ・ミュージックからの引用がそこここに散りばめられている。彼はそれを惜しげもなくさらけ出す)。そして、shotahirama名義での活動以降封印してきたビートを全面に打ち出した異色作にして、まぎれもなく彼にしか鳴らすことのできない空虚な鼓動が連続する。アンチ・エレクトロニカな姿勢は言わずもがな、クラブ、アートとの親和性も拒否して中指を突き立てる挑発的な音響とそのヴァリエーション。ここでは彼が心酔してきたインダストリアル・ミュージックともまた違う、ささくれ立つストリートの匂いがこびりついたリアルなリズムを聴かせてくれる。

さて。ようやくだ。そろそろ3枚目のアルバム、本作『post punk』の話をしよう。ぬ、ん……ポストパンク……あまりにも大胆で意味ありげなタイトルではないか。とはいえもちろん彼がワイヤー、ドーム、ディス・ヒート、スロッビング・グリッスル、キャバレー・ヴォルテール、P.I.L、ポップ・グループ、スウェル・マップス、DNA、グレン・ブランカ、ペル・ユビュ、クローム、はたまたパレ・シャンブルク、ノイバウテンなどなど、挙げればきりがないポストパンクのオリジネーターをなぞるわけはなく、またそのリヴァイバルに加担するはずもない。高らかにオルタナティヴ・エレクトロニクス(彼はいつもネルシャツを着ている!)を掲げ、常に未来を見つめ(彼はいつもポップミュージックを意識している!)、ただ音に忠実に(彼はいつも服従しない!)、ただ革新性を求めた逸脱(彼はいつも既成概念を乱用/応用/変容する!)の結果として浮かび上がってきたヴィジョンが「ポストパンク」であったに違いない。うん。この冷えた熱情。考える前に発音される衝動。曇りのない表現欲求。未完成に向かって進化していく焦燥はまさに「ポストパンク」そのものではないか。冒頭から意表をつくスッカスカのリズム。と、同時にとぎれとぎれ発音される声の断片、様々な角度から差しこまれる鋭い音響の断片。いや、差しこまれるなんてものではない。あわや刺し殺されるような、まるでカミソリの刃のように危うく変容された音の相互作用。オルタナティヴ・ポイントで摩擦を繰り返し、力点が自由自在に移動し、光を点滅させながらはじけ飛び、ダイナミズムが加速する……エレクトロニクス・フラッシュだ!そう、これは生ぬるいエレクトロニカサークルには納まるはずのない、かといって頭の大きなアカデミズムからも遠く逸脱したどうにも行儀の悪いオルタナティヴ・エレクトロニクスによる宣戦布告だ。
筆者は2013年11月に開催された電子音響の祭典『EMAF TOKYO 2013』において、この「post punk」のライブ・ヴァージョンを体験したのだが、皮膚がちぎれそうな速度のカットアップとまったく踊れない響きをもつリズムの畳み掛けにひとりにやにやと悦に入ったものだ。あざやかな手つきで放たれる低音を排除した空疎な音響。空っぽでカラカラに乾いた質感をもつリズムとダブ処理はまるでデヴィッド・カニンガム(フライング・リザーズのリーダーにしてディス・ヒート、パレ・シャンブルクなどのプロデュースも務める)の仕事を思い出させたからだ。また本CD作品『post punk』には使われていないが、ライブでは金属的に加工されたエレキ・ギターも加わり、よりエモーショナルな展開も用意されていたので、今後の「post punk」にはさらなる変容の余地があることを付け加えておこう。

前2作品に続いてアートワークを飾るのは都会の夜に孤独な光沢を彩る女の子がひとり。前2作品ではうつむいていた女の子が薄く笑みを浮かべながら顔を上げオレンジの光と影に染まる。外は雨。音とははっきりと切り離されて独立したストーリーをもつ憂鬱な光沢。その撮影は彼の弟である写真家・映像作家kenhiramaによるものだ。こいつは美しい。トータルタイム1曲17分27秒。時間だけをみると一般的なアルバムサイズと比べて非常にコンパクトに感じるであろう。しかし、すでにshotahiramaの作品を耳にしている方には説明不要だが、彼の作品を聴く醍醐味は時間の長さではなく、その響きのヴァリエーションを聴くところにある。耳の内奥に侵入して一番気持ちのいい部分をこすりまくる音。スノビズムをくすぐるだけに終わらない間口の広い色香ある実験。どこを切ってもハイライトといえる一瞬たりとも攻撃の手をゆるめない音響。まるで電子音楽界に蔓延するあまりにもぬくぬくした抱擁への抵抗。そんな音と響きにじっくりと対峙して音響に穴が空くほど耳を澄ましていると、知らぬ間に私たちの耳がshotahiramaの耳と感覚に近づいていくという妙を覚えるだろう。空虚で、孤独でいて、しかしロマンチシズムに長けた不思議すぎる感覚。そして、私たちは時間を忘れてそんな感覚を頼りに『post punk』なる装置を何度も始動する。


もう一度言おう。これはオルタナティヴ・エレクトロニクスによる宣戦布告だ。
久保正樹
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