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#妊娠20週突入
harinezutaka · 7 months
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二年前日記42(2021年10/15〜10/21)
10月15日 朝、鍼に行く。今日は車がないので歩いて行った。朝から結構歩いたのに、足が浮腫んでいたのか「散歩してますか?」と聞かれてしまった。確かに浮腫みがちでしんどいのだけれど、妊娠中だから仕方ないかなと思っている。まだ、動けてるほうなんじゃないかなと思うのだけど。帰りに喫茶店に寄り、ワッフルのモーニングを食べた。ユニクロでカットソーと、赤ちゃんの服をやっと少しだけ買った。帰宅し、朝の残りの雑炊を食べる。夜は夫は義実家に行くとのことで、私は簡単に。ベーコンエッグ、もやし炒め、味噌汁。朝ごはんみたいな晩ご飯が美味しい。
10月16日 朝から掃除。夫は出勤と思いきや休みだったらしく、9時過ぎに帰ってきた。知らされてなかったようでかわいそう。Mさんと電話する。ランチでも行けたらと思ったけど、予定があるそうだ。妊娠の報告ができた。メルカリの発送をし、昼は近所のイタリアンへ。ここも出産前に行っておきたかったところ。他のも食べてみたいと思いながらもいつもバジリコのパスタを頼んでしまう。夫はミートソース。ミニサラダといちじく生ハムも頼みどれも美味しかった。2人で3000円。コーヒーとクッキーもつくので、ひとり1500円ぐらいのランチとしては完璧だと思う。帰ってきて片付け。晩ご飯は、エビマヨ、しいたけとおオクラとベーコンのスープ。
10月17日 掃除、片付け。昼から夫のワクチン接種の送迎。パソコンが壊れた。突然のことなのでびっくりだ。結構高いのを買ったはずなのに、そんなに簡単にねぇ。まぁでも5年ぐらいは使ったのかな。最近は写真の編集もほとんどしなくなったので、次は安いのにしてもらう。何だか疲れてしまい、ご褒美が必要ということでミニストップでチョコとバニラのソフトクリームを買ってもらった。帰宅後、少しウォーキング。晩ご飯は、豆腐ハンバーグ、野菜ソテー、とうもろこし、味噌汁。
10月18日 朝のルーチンを回し、編み物、掃除の予約などをする。お昼眠くなり、起きたら3時過ぎ。私が布団で寝ていたからか、夫は隣の部屋で寝ていて申し訳なかった。晩ご飯は適当に作ったクリームシチュー。油分の思い切りが足りなかったか、しゃばしゃばだったが、それはそれで美味しかった。夫が出かけるタイミングで散歩。ぐっと寒くなって戸惑う。11月上旬の気候だそうな。塩と胡椒がなくなっていたので詰め替えをする。次に詰め替えをする頃には、もう生まれているんだろうな。なんてことを思った。昼寝をしたので、まだ動けそう。チャポいこを聞きながら片付けをした。3畳の部屋はほぼ終わったので、最近は6畳の部屋の押し入れをしている。片付けは楽しいけど、たくさん判断をしないといけないので脳が疲れてしまい、お風呂に入るのがめんどくさくなってしまった。
10月19日 検診の日。32週になった。前回、大きさは標準だったので今日はエコーはなしで、心拍の確認と内診のみ。助産師研修の学生さんが来ていて、検診の見学と待ち時間に話を聞きたいということだったのでいろいろ話をしながら待った。内診も特に問題なし。次は2週間後。臨月がだんだん近づいてくる。一度体に悪いものを食べておきたいという願望があり、マクドナルドを買って帰ることにした。最高に美味しかったな。今日もまた、がっつりと昼寝。晩ご飯は、焼き餃子、キャベツとベーコンのスープ、らっきょう。早めにお風呂に入って、片付けもした。
10月20日 朝、実家に行く。りんご寒天と茄子の煮物を作って持っていった。お昼を作った。オムライス、サラダ、白菜と豚のスープ、茹でとうもろこし。ぼろぼろのフライパンをずっと使っているので使いにくかった。買い直せばいいのになぁ。期日前投票に行くことになり、車で市民センターへ。私たち以外には誰もおらず、係の人もまだ不慣れな感じで緊張感があった。母も「緊張したわぁ」と言っていた。帰ってから少し横になる。今日はなぜかあまり眠くなくって、持ってきた本を読んでいた。晩ご飯に海老フライとかき揚げを作り、半分は持って帰る用に。冷蔵庫のなかはいっぱいだったが、買い物に行くという。少しフライが足りないかもと言っていたら、唐揚げを買ってきた。あと、お刺身と生だこも。どちらも安い。「こりゃ買っちゃうよね」と思う。今日食べるのものを今日買うのは贅沢なことだな。晩ご飯は、海老フライ、かき揚げ、ズッキーニの素揚げ、鳥唐揚げ、茄子の煮物、味噌汁(乾燥野菜と麩)。読書をして12時ごろ眠る。
10月21日 朝、掃除、コープの注文、事務仕事など。日記もアップした。昼からは少し昼寝、コープ受け取り。晩ご飯は、肉団子と野菜の甘酢炒め、スープ。はぁ、1日が短くなってきた。焦らない焦らないと言い聞かす。だんだんと頑張らなきゃと思えなくなってきたな。そういう指令ができない感じ。ずっとふんわり幸せというか。
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mendezthyssen88 · 9 months
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關節和骨治療霜 Perfectx 天然提取物關節和骨治療霜 關節
從現在開始,它可以用於任何人,某些急性炎症病理自然排除在急性科室的治療,或者如果最近做過腹部手術或懷孕。 如果在某些外科手術過程中將網片插入腹腔,治療師必須跳過某些治療。 硼顯著增強了鎂的這種多功能作用。 缺硼時,細胞中會積聚過多的鈣,這不僅會惡化軟骨細胞的狀況,還會影響許多其他身體功能。 在現代歐洲的關節保護運動中,值得強調的是騎自行車和越野行走,即拿著滑雪杖行走。 後者有益地鍛煉我們所有的肌肉,改善心臟和血管系統的狀況,並在這些棍子的幫助下緩解下肢的大關節,為它們提供最佳的“潤滑”。 如前所述,定期但不要過度勞累的運動對於為關節軟骨提供營養是絕對必要的。 人體處於有害輻射中的時間較長, 生物體周圍的生物能量場,AURA。 它與7種主要的外部自由能密切相關 具有控制身體荷爾蒙控制系統的攝取位點(CYCLE), 通過吸收外部能量來提高運行效率 她在內分泌病理學、治療因恒河猴衝突導致流產高風險的妊娠方面擁有豐富的經驗。 H.I.P.手法治療是人體骨關節矯正治療的方向 它結合了民間整骨療法、脊椎按摩療法和整骨療法的元素。 整骨 推拿 他被佈置了作業,按照我展示的方式進一步治療他的疤痕,治療IT的適當部分,治療腳和手上的反射點,放鬆骨盆刀片頂部的張力弧部分。 Lewiecki 同意,運動是維持骨骼健康的關鍵之一——不僅僅是自重訓練,還包括挑戰肌肉力量和平衡技能的活動。 研究結果於 5 月 28 日發表在《美國整骨協會雜誌》上。 研究對象選自密西西比大學或周邊社區的員工。 他們樂於提供建議,與家人合作,並公平地照顧老年群體的代表,因為他們知道自己能力的局限性。 如有必要,他們會向我們的專科護士同事尋求幫助,護士同事會與醫生合作,對有需要的家庭成員進行專業治療,從而促進其更快康復。 大學畢業後,你還必須作為住院醫師再學習兩年。 在住院醫師實習的第一年,見習醫生被安排在不同的醫院。 第二年,他們開始學習麻醉學。 學生完成實習後選擇他想工作的部門。 我們的學生必須始終以廣泛的科學知識為基礎行事。 由於需要了解人體的結構才能準確地進行SI療法,因此解剖學知識是應用的先決條件。 如果器官周圍的粘連被打破,則可以恢復給定節段的有限運動範圍。 基於這一事實,可能需要在腹腔中治療大量臀部和腰部疼痛以及肩部和膝蓋疼痛,才能緩解症狀。 大多數組織粘連發生在腹腔內,其原因是不動的生活方式。 許多人都進行久坐工作,這意味著我們中的許多人每天要坐 8-10 個小時。 每 forty 分鐘起床一次,在每個平面上充分活動每個關節,但做大呼吸練習也有好處。 此外,盆腔和胸部粘連也很典型。 我於 1995 年從 Semmelweis 大學畢業,成為一名藥劑師。 2019年,我有機會了解一家從事家庭幫助和護理的公司的生活,我意識到這方面的需求很大,很多人需要幫助和支持。 購買禮品卡,禮品通行證/不同價值,根據個人討論。 用於緩解疼痛、放鬆肌肉、增強免疫、補充礦物質和微量元素的茶、裹敷、面霜。 巴赫花精是從暴露在陽光下的花朵中提取的。 但即便如此,這些潛在的不利影響可能極其罕見。 但同樣值得注意的是,專家們並沒有強調嚼關節的有益效果,因此沒有證據表明它對關節特別有好處。 哈佛健康出版社指出,有“偶爾報告”與“關節過度開裂”相關的傷害,但強調這些都是極端的例外。 1990 年的一項研究發現,這與手部腫脹和握力較低有關。 在進行比較之前,我們首先詢問讀者在選擇健康保險公司時什麼對他們特別重要。 超過 four,800 人參與了我們的調查。 此外,我們還詢問了 20 家最大的健康保險公司,他們特別經常使用哪些附加服務。 根據結果,我們修改了用於比較的調查問卷,並調整了個人福利的權重。 例如,專業洗牙的報銷在總體結果中的佔比比前幾年要大得多,因為這項服務對我們的讀者來說非常重要。 保費和獎金計劃也比往年得到更多考慮。 十多年來,他教授團體脊柱練習,並一路學習針對各種脊柱問題的運動療法選擇,並喜歡在工作中使用。 他目前是布達福基籃球俱樂部的物理治療師,因此可以在運動損傷以及平衡和運動協調問題的康復方面提供幫助。 接下來是更困難的步驟,保持結果。 由於結締組織板發生了結構變化,因此也需要治療筋膜的變化。 疼痛通常會隨著運動而加劇,例如膝關節整骨治療 到達地面後,突然的膝關節整骨治療、在斜坡上行走、制動動作都會引起強烈的刺痛。 腫脹和壓力敏感可能發生在髁突區域或沿著髂脛束的過程。 跑步時,由於膝關節的屈曲和伸展不斷交替,因此膝外側韌帶很容易出現炎症和過度勞損。 此外,還有久坐工作史、脊柱側彎、兩次脊椎疝、一次接受過手術的腹股溝疝,病史中久坐的生活方式也是一個危險因素。 大多數麻醉師每週工作超過 forty 小時。 醫生的工作時間分為12小時輪班。 您通常應該 24/7 有空。 每週的工作時間有所不同,具體取決於醫生工作的地點。
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colemcclain67 · 9 months
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整骨復位 Spineart 健康中心
您可以隨時致電您的醫生並提出問題。 新竹 整骨 如有必要,醫生會建議您在幾個月內預防性入院,以保持身體健康。 科學家認為,這種類型的關節病理是由免疫系統的遺傳缺陷引起的。 一開始,如果病原性玻璃體關節疼痛發生在肺部,然後是腎臟,後來關節組織也受到影響。 在最初階段,疼痛主要來自股骨區域、大腿外側,在臀部、玻璃關節疼痛的情況下,疼痛占主導地位,這限制了活動量或使行走困難。 此外,所謂的神經系統現象,包括感覺障礙、無力、頭痛,也可以使用 FDM 得到很好的治療。
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表現為腫脹、關節突出處腫脹、行走時髖關節疼痛。 有時骨軟化症可以直接表明終止妊娠。 為什麼你的腿髖關節區域會疼痛? 我們還檢查了肘關節的屈曲和伸展運動範圍以及前臂旋轉。 根據莫里的建議,患者半翻身側躺,肘部暴露。 關節中部有疏鬆結締組織區,是股骨頭韌帶的附著點。 髖關節炎的慢性疼痛和功能損害不僅限制患者的身體活動,還可能造成後天殘疾。 由於髖關節中的關節炎 Vitrum 關節疼痛可能是不同病因的綜合徵的一部分,因此真正疾病的患病率也是未知的。 髖關節關節炎 髖關節炎 cox - 炎症玻璃體起源於關節疼痛,其中包括骨盆和股骨關節中的結締組織。 據專家介紹,那些關節較鬆的人無法產生足夠的負壓來產生氣泡,因此並不是每個人都會折斷手指和關節。 如果您下定決心,那麼您已經邁出了成為跑步者最重要的一步。 您將在《跑步者世界》的第一本書中找到您需要的一切。 我們的 one thousand 條提示將指導您從第一步到第一場比賽。 結果,可能會出現膀胱-子宮-腎臟脫垂,並伴有可能影響荷爾蒙週期、月經甚至失禁的額外干擾。 因此,在這篇文章中,我們介紹了 three 個不同領域的特徵。 肌肉骨骼系統負責識別和治療我們的支撐和運動器官的器官系統疾病。 另一個重要的危險因素是飲酒和吸煙。 “骨質疏鬆症在男性中出現較晚,但這並不意味著它不會比女性更早出現。 這可以用以下事實來解釋:男性的骨骼比女性更大,並且不會經歷更年期荷爾蒙的快速變化。 ”位於阿爾伯克基的新墨西哥州臨床研究和骨質疏鬆症中心主任 Lewiecki 補充道。 福特建議男性採取措施保持骨骼健康。 這包括均衡飲食、充足的鈣攝入、充足的維生素 D 和重量訓練。 例如,如果保險公司支付每年的專業牙齒清潔費用,並在下一次運動課程中增加 100 歐元,那麼它確實可以為您帶來回報。 當然,這只適用於您實際使用附加服務的情況。 腿部和小腿的變化會對整個人體產生影響,因此改變的靜態條件通常會導致其他關節疼痛(主要是臀部、膝蓋、腳踝、腰部)。 投訴會使日常生活變得困難並妨礙體育活動,如果長期持續,可能會導致關節和骨骼畸形。 由於髖關節僵硬,動作是連鎖的、不確定的,行走時呈緩慢的特倫德倫堡步態。 大多數情況下,髖部疼痛和僵硬是在長時間固定某個姿勢或處於不舒服的位置(例如長時間坐著或站立)後發生的。 您可以在測試中詳細了解我們是如何做到的。 在進行比較之前,我們首先詢問讀者在選擇健康保險公司時什麼對他們特別重要。 超過 4,800 人參與了我們的調查。 此外,我們還詢問了 20 家最大的健康保險公司,他們特別經常使用哪些附加服務。 推拿 整骨 健康保險基金的好壞往往只有在緊急情況下才會顯現出來。 您是否從保險公司獲得了有效的信息? 您是否需要掙扎很長時間才能獲得保險公司批准補救措施或合適的輪椅? 整骨推薦 強制健康保險提供的許多服務都是由法律規定的,但必須首先獲得保險公司的批准。 保險公司處理康復或心理治療索賠的速度以及批准此類服務的頻率因提供商而異。 IGES 機構的研究表明了這一點。 默認情況下,許多癌症篩查測試僅從一定年齡開始付費。
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eikapon · 5 years
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妊娠20週、6ヶ月突入👶🏽✨マタニティライフも折り返し地点。まだ半分残ってるのにすでにお腹はち切れそう‼︎  まっちゃん…アンタほんまに6ヶ月⁉️ この先が若干コワイ…(笑) 妊娠線予防はプラセンタで気合いmax🔥 散々やってきたスキンケアと皮膚科学の知識を今こそ総動員‼︎😎  #おなかの記録 #妊娠6ヶ月 #妊娠20週突入 #成長っぷり #ボスベイビー #一心同体 #妊婦ダンサー #タヒチアンダンス #沖縄マタニティフォト #パレオ #妊娠線やばい #妊娠線予防 #プラセンタエキス #雪美人シリーズ #最強スキンケア #胎盤エキス #プラセンタ���リンク激 #胎児の発育 #立派な赤ちゃん を育てることは #立派な胎盤 を育てること👍🏾 #プラセンタドリンク #10年愛用 #妊婦の栄養 #赤ちゃんの栄養 #命の美容液 #ピュアエッセンス #栄養カウンセラー #栄養学セミナー #大阪大学薬学部 #栄養療法士 (Okinawa American Village) https://www.instagram.com/p/ByAX4-nDj5o/?igshid=q1sqwubyeo5t
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xx86 · 3 years
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切り札のない試合
好きな人に望むことなんて、健康であることと幸せであることのみだ。私より先に死ぬなんて許さない。し、簡単に不幸にならないで欲しい。私が出来なかったからこそ、相手に望んでしまうんだと思う。私は今訓練中だから、きっと30になる頃には健康で幸せな女になれる。
どんな最後であったとしても、もう会えない相手には健康で幸せでありますようにと願っている。祈る人もいる。とっくのとうに連絡先を消したクラスメイト達が結婚しただの妊娠しただのを聞いて本当に心の底からおめでとうと思った。おめでたいことは平等におめでたい。25歳になってから毎週結婚報告を聞いてる気がする。ちゃんと結婚ラッシュだ。
私の友人たちは20代前半で結婚していった子が多い。結婚ってすごいよね、子育てもすごい、尊敬する、私は出来ないってうっかり言っちゃうの辞めようと思った。私が仕事に燃えていた時、礼が仕事熱心なの本当にすごいと思う、私には出来ないと言われて、いい気分にならなかったから。ばかにされていると思っていた。そんな意味がなくてもそんな意味に聞こえることって絶対世の中にはたくさんあって、3回目のデートの服を選ぶような気持ちで言葉を選ぶ。難しい。誰であっても容赦なく切る私が居心地よくいられる友人は例に漏れず類友だ。誰かに向けた刃は、私にも同じだけ向けられているということ。
Z世代Z世代と連呼されるニュースにださ、と身震いする。アメリカと日本が別々に名付けた〇〇世代が入り交じりすぎて、なんだかよく分からないし、少なくともZ世代って響きが可愛くないから分類されなくて良かったなとシンプルに思う。一応定義としては私たちもばっちりZ世代らしいのだけれど、日本での使われ方は〜20代前半までって感じだろう。ゆとり世代の末端だった私たちは、ゆとりの敗北の象徴だ。
真実と信じるものは時に違うことがあるから見極めなければいけない。いつだって冷静さと経験値が必要。経験値を積むためにひどい恋にもひどい愛にも首突っ込んできたのだ。上等。
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kkagneta2 · 4 years
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ボツ2
おっぱい、大食い。最後まで書いたけど胸糞なのでここに途中まで投稿してお蔵入り予定。
時: 午前8時05分
所: ○○中学正門前
身長: 標準的。155センチ程度。
衣服: 〇〇中学指定の制服。黒のセーラー。リボンの色より二年生と断定。
年齢: 中学二年生なので14、5。
持ち物: 右手に〇〇中学指定の鞄。左手にスマホを所持。
同行者: 友人1名。興味無しのため略。
背格好: やや細身か。冬服のため殆ど見えなかったが、スカートから覗く脚、そして周りの生徒と見比べるに、肩や腕も細いと思われる。腰回りもほっそりとしていると感じた。正確には引き締まっていると言うべきか。
顔: いと凛々し。小顔。頬は真白く、唇には薄い色付き。笑うと凄まじく整った歯が見え隠れする。この時髪をかき上げ血の色の鮮やかな耳が露出する。
髪: ボブ系統。ほぼストレートだが肩のあたりで丸くなる。色は黒、艶あり。
胸: 推定バスト98センチ、推定アンダーバスト62センチのK カップ。立ち止まることは無かったが、姿勢が良いのでほぼ正確かと思われる。しっかりとブラジャーに支えられていて、それほど揺れず。体格的に胸元が突出している印象を受ける。隣の友人と比べるとなお顕著である。制服のサイズがあっておらず、リボンが上を向き、裾が胸のために浮いていた。そのため、始終胸下に手を当てていた。揺れないのもそのせいであろう。制服と言えば、胸を無理に押し込んだかのように皺が伸び、脇下の縫い目が傷んでおり、肩甲骨の辺りにはブラジャーのホックが浮き出ている。されば制服は入学時に購入したものと思われ、胸は彼女が入学してから大きくなった可能性が大である。元来彼女のような肉体には脂肪が付きづらいはずなのだが、一年と半年を以てK カップにまで成長を遂げたところを見ると、期待はまずまずと言ったところか。要経過観察。名前は○○。胸ポケットに入れてあったボールペンが落ちたので拾ってあげたところ、「ありがとうございます」と丁寧にお辞儀をされる。
  時: 午前10時28分
所: 〇〇駅構内
身長: 高い。170センチ強
衣服: 薄く色味がかった白、つまりクリーム色のファー付きコート。内には簡素なグリーンのニットを羽織る。首元に赤のマフラー。
年齢: 22、3。休み期間中の大学生かと思われる。
持ち物: キャリーバッグ。手提げのバッグ。
同行者: 友人2名。先輩1名。何れも女性。貧。
背格好: 体格が良いと言った他には特に無し。腕も見えず、脚も見えず、首も見えず。肩幅の広さ、腰つきの良さから水泳を営んでいると推定される。
顔: その背に似合わず童顔。人懐っこい。マフラーに顔を埋め、視線を下げ、常に同行者に向かって微笑む。愛嬌よし。
髪: ショート。これより水泳を営んでいると断定。色は茶、染め上げてはいるがつやつやと輝く。
胸: 推定バスト129センチ、推定アンダーバスト75センチのR カップ。冬である上に、胸元が目立たないよう全身を地味に作っており、某コーヒーショップにてコート��取っても、無地のニットのために膨らみが分かりづらかった。さらに、胸の落ち具合から小さく見せるブラジャーを着用しているかもしれない。そのため、推定カップはR カップより3、4カップは大きい可能性がある。コートを取った際、胸元が一層膨らんだように感じられた。机の上に胸が乗って、本人は気にしていないか、もしくは気づいていなかったが、柔らかさは至高のようである。他の男性客の腕が肩にぶつかって、驚いた際に胸で食べかけのドーナツを落とす。以降会話は彼女の胸に話題が移ったらしく、左右に居た友人二名が所構わず触れるようになり、両手を使って片胸片胸を突っついたり、揺らしたりして遊ぶ。「机まで揺れる」と言う声が聞こえてくる。「ちょっとやめてよ」と言いつつ顔は相変わらず微笑むでいる。しばらくして四人とも席を立って、地下鉄筋の方へ消えていく。童顔ゆえに顔より大きい胸は驚くに値するが、体格からして胸元に自然に収まっているのを見ると、やはりなるべくしてなったとしか思えず。
  時: 午後00時14分
所: 〇〇市〇〇にあるスーパー前
身長: 低い。150センチに満たない。
衣服: 所謂マタニティウェア。ゆったりとした紺のワンピースに濃い灰色のポンチョ。
年齢: 26、7
持ち物: 買い物袋。ベビーカー。
同行者: ベビーカーの中に赤ん坊が一人。女の子である。
背格好: 小柄。寸胴で、かつ脚も長くはあらず、そして手足が細く、脂肪が程よくついている。つまりは未成熟な体つき。身長以上に小さく見える。
顔: かなりの童顔。着るものが着るものであれば高校生にも見える。可愛いがやつれていて、目の下に隈あり。子供が可愛くて仕方ないのか、そちらを見ては微笑む。
髪: セミロングを後ろで一束。中々の癖毛であるかと思われるが、目のやつれ具合からして、もしかしたら本当はもっと綺麗なのかもしれない。髪色は黒。可愛らし。
胸: 推定バスト110センチ、推定アンダーバスト58センチのQ カップ。体格が小柄であるのでQ カップよりもずっと大きく見える。というより迫力がある。私が訪れた時は買い物袋をベビーカーに吊っている最中であった。ほどなくして赤ん坊が泣き出したので、胸に抱えてあやしたが、赤ん坊は泣き止まず。片胸と赤ん坊の大きさはほぼ同じくらいであっただろう。また、胸と赤ん坊とで腕は目一杯伸ばされていた。胸に抱いて「よしよし」と揺らすのはしばらく続いたが、赤ん坊が泣き止むことはなかった。そこで、座る場所を求めて公園へと向かおうと、一度ベビーカーへと戻そうとしたのであるが、一度胸に食らいついた赤ん坊は離さない。「さっきも飲んだじゃない」とため息をついて片手で危なっかしくベビーカーを引こうとする。「押しましょうか」と接近してみたところ、意外にもあっさりと「よろしくおねがいします」と言って、私にベビーカーを預けた。中には玩具が数種類あった。道から離れた日差しの良いベンチに腰掛け、ケープを取り出して肩にかけ、赤ん坊をその中へ入れる。それでもしばらくは駄々をこねていたであったが、母親が甘い声をかけているうちに大人しくなった。私が「お腹が空いてたんですね」と笑うと、「困ったことに、食いしん坊なんです。女の子なのに」と笑い返して赤ん坊をあやす。話を聞いていると、母親の母乳でなければ我慢がならないと言う。授乳が終わってケープを外した時、子供はすやすやと眠りについていた。「胸が大きくなりすぎて、上手く抱っこできなかったんです。大変助かりました。ありがとうございます」と分かれたが、その言葉を考えるに、妊娠してから一気に胸が大きくなったのであろう。授乳期を終えたときの反動が恐ろしい。むしろベビーカーの中に居た赤ん坊の方に興味を唆られる。
  時: 午後01時47分
所: 〇〇市市営の図書館。某書架。
身長: 標準的。158センチ程度。
衣服: 白のブラウスにブラウンのカーディガン。
年齢: 30前後か。
持ち物: 白のタブレット
同行者: 無し
背格好: 小太りである。全体的に肉がふっくらとついている。けれども目を煩わすような太り方ではない。豊かである。ただし、著しく尻が大きい。
顔: 目尻は美しいが、柔らかな頬に愛嬌があって、どちらかと言えば可愛らしい方の顔立ち。鼻がやや低く、口元はリップクリームで赤々と照りを帯びている。色白とは言えないが、光の加減かと思われる。眼鏡をかけており、リムの色は大人しい赤。非常によく似合う。
髪: ストレートなミディアムヘア。髪色は黒であるが、不思議なことに眼鏡の赤色とよく合い、前髪の垂れかかるのが美しい。
備考: 司書である。
胸: 推定バスト128センチ、推定アンダーバスト81センチのO カップ。本日の夜のお供にと本を物色中に、書架にて本を正していた。胸が喉の下辺りから流麗な曲線を描いて20センチほど突き出ているばかりでなく、縦にも大きく膨れており、体積としてはP カップ、Q カップ相当かもしれない。頭一つ分背が低いので上からも望めたのであるが、カーディガンで見え隠れする上部のボタンが取れかけていた。本を取る度に胸が突っかかって煩わしいのか、肩を揺すって胸の位置を直す。本棚に胸が当たるのは当然で、文庫本などはその上に乗せる。一つの書架を片付け終わった辺りで、適当に思いついたジャンルを訪ねて接近すると、如何にも人の良さそうな顔で案内をしてくれた。脚を踏み出す度に甲高い音が鳴るのは、恐らくブラジャーのせいかと思われる。歩き方が大胆で胸が揺れるのである。途中、階段を下りなければならないところでは、一層音が大きくなって、臍のあたりで抱えていた本を胸に押し付けて誤魔化していた。そのため、ブラジャーのストラップがズレたかと見え、書棚の方へ目を向けている隙に、大胆にも胸を持ち上げて直していた。なまめかしい人ではあるが、年が年なので望みは無い。
  時: 午後02時22分
所: 〇〇小学校校庭
身長: 140センチ前後か
衣服: 体操服
年齢: 10、11歳
持ち物: 特に無し
同行者: 友人数名
背格好: ほっそりとしなやか��ある。幼い。腕も脚もまだ少女特有の肉が付いている。今日見た中で最も昔の「彼女」に似ている体つきであったが、この女子児童は単に骨格が華奢なだけで、痩せ細った体ではない。健康的である。脚が長く、短足な男子の隣に立つと、股下が彼の腰と同位置に来る。
顔: あどけなさは言うまでもないが、目元口元共に上品。笑う時もクスクスと擽るような、品の良い笑い方をする。眼鏡はテンプルに赤色が混じった、基本色黒のアンダーリム。そのせいで甚だ可愛らしく見えるが、本来は甚く聡い顔立ちをしているかと推定される。が、全般的に可愛らしい。
髪: 腰まで届く黒髪。ほぼストレートだが若干の癖あり。また、若干茶色がかっているように見えた。髪の質がかなり良く、時折肩にかかったのを払う度に、雪のように舞う。
胸: 推定バスト81センチ、推定アンダーバスト48センチのI カップ。体育の授業中のことである。男子は球技を、女子はマラソンでもやらされていたのか、校庭を走っていた。身体自体は小柄であるから胸はそう大きくはないのだが、無邪気に走るから激しく揺れる。揺れるごとに体操服が捲れ上がって腹部が見えそうである。明らかに胸元だけサイズが合っていない。何度か裾を直しながら走った後、耐えかねて胸元を押さえつけていたのであるが、いよいよ先生の元へ駆け寄って校舎内へ入った。そして出てきてから再び走り初めたけれども、その後の胸の揺れは一層激しくなっていた。ブラジャーに何かあったのだろうと思われる。顔には余裕がありながら、走る速さがこれまでとは段違いに遅く、これまで一緒に走ってきた友人に追い抜かれる。結局、彼女は胸を抑えながら、周回遅れで走りを終えた。しかし可哀想なことに、息を整えていると友人に後ろから手で掬われて、そのまま揉みしだかれる。小学生の手には余る大きさである。寄せあげて、掬い上げて、体操服をしわくちゃにしながら堪能する。私にはそう見えただけで、実際にはじゃれついていただけであろうが、指が深く沈み込んでいる様は男子児童の視線を寄せるのに足る。なされるがままにされていた彼女は、そのうちに顔を真っ赤にして何かを言いつつ手をはたき落とし「今はダメ」と言い、以降はすっかり両腕を胸元で組んで、猫背になって拗ねてしまった。この生徒は要観察である。下校時に再び見えてみれば、制服下の胸はブラジャーは着けていないながら見事な球形を為している。先程の光景から張りも柔らかさも極上のものと想像される。名前は○○。名札の色から小学5年生だと断定。ここ一ヶ月の中で最も期待すべき逸材。
  時: 午後05時03分
所: 〇〇市〇〇町〇〇にある某コンビニ
身長: やや高い。163センチほど。
衣服: ○○の制服。
年齢: 17歳
持ち物: 特に書くべきにあらず
同行者: 無し
背格好: 標準的だがやや痩せ型。恐らくは着痩せするタイプである。一見してただの女子高生の体であるが、肩、腰つきともに十分な量の肉量がある。その代わり腕は細い。右手に絆創膏。
顔: あどけない。非常に可愛らしい顔。人柄の良さが顔と表情に出ていると言ったところ。眉は優しく、目はぱっちり。常に口が緩んで、白い頬に赤みが差す。が、どこか儚げである。分厚くない唇と優しい目が原因か。
髪: 後ろに一束したミディアムヘア。一種の清潔さを表すと共に、若干の田舎臭さあり。後ろ髪をまとめて一束にしているので、うなじから首元へかけての白い肌が露出。これが殊に綺麗であった。
備考: 高校生アルバイター
胸: 推定バスト118センチ、推定アンダーバスト68センチのP カップ。服が腰元で閉じられているので、高さ24センチほどの見事な山が形成されている。そのため余計に大きく感じられる。手を前で組む癖があるのか胸が二の腕によって盛り上がって、さらに大きく見える。レジ打ちを担当していた。面倒くさい支払い方法を聞いて接近。レジにて紙を用いて説明してくれるのであるが、胸元が邪魔で始終押さえつけながらでの説明となり、体を斜めにしての説明となり、終いには胸の先での説明となる。ブラジャーの跡あり。よほどカップが分厚いのか胸と下着との境目がはっきりと浮き出ている。この大きさでこのタイプのブラジャーは、1メーカーの1ブランドしかないため、懐かしさに浸る。大体分かりました、では後日よろしくおねがいしますと言うと、にこやかにありがとうございましたと言う。腕の細さと胸の大きさとが全くもって合っていない。腰つきとは大方合っている。顔があどけないところから、胸に関しては期待して良いのではないだろうか? それを知るには彼女の中学時代、ひいては小学時代を知る必要があるが、そこまで熱心に入れ込めるほど、魅力的ではない。
   本日も予が真に求むる者居らず、―――と最後に付け足した日記帳を、俺は俺が恐れを抱くまでに叫び声を上げながら床へと叩きつけ、足で幾度も踏みつけ、拾って壁に殴りつけ、力の限り二つに引き裂いて、背表紙だけになったそれをゴミ箱へ投げつけた。八畳の部屋の隅にある机の下に蹲り、自分の頭をその柱に打ちつけ、顎を気絶寸前まで殴り、彼女の残した下着、―――ブラジャーに顔を埋めて髪を掻き毟る。手元に残りたる最後の一枚の匂いに全身の力を抜かされて、一時は平静を取り戻すが、真暗な部屋に散乱した日記帳の残骸が肌へと触れるや、彼女の匂いは途端に、内蔵という内蔵を酸で溶かすが如く、血管という血管に煮えたぎった湯を巡らせるが如く、俺の体を蝕んでくる。衝動的にブラジャーから手を離して、壁に頭を、時折本当に気絶するまで、何度も何度も何度も打ちつけ、忌々しい日記帳を踏みしめて、机の上に置いてあるナイフを手にとる。以前は右足の脹脛(ふくらはぎ)を数え始めて26回切りつけた。今日はどこを虐めようかなどと考えていると、彼女の残したブラジャーが目につく。一転して俺のこころは、天にのぼるかのようにうっとりと、くもをただよっているかのようにふわふわと、あたたかく、はれやかになっていく。―――
―――あゝ、いいきもちだ。彼女にはさまれたときもこのような感じであった。俺の体は彼女の巨大な胸が作り出す谷間の中でもみくちゃにされ、手足さえ動かせないまま、顔だけが彼女の目を見据える。ガリガリに痩せ細って頬骨が浮き出てはいるが、元来が美しい顔立ちであるから、俺の目の前には確かにいつもと変わらない彼女が居る。我儘で、可愛くて、薄幸で、目立ちたがり屋で、その癖恥ずかしがり屋で、内気で���卑屈で、でも負けん気が強くて、甘えん坊で、癇癪持ちで、いつもいつもいつも俺の手を煩わせる。冷え切った手で俺の頬を撫でても、少しも気持ちよくは無い、この胸、この胸の谷間が冬の夜に丁度良いのだ。この熱い位に火照った肉の塊が、俺を天に昇らせるかの如き高揚感を與えるのだ。
だがそれは後年の事。床に広がったブラジャーを拾って、ベッド脇のランプの燈を点けて、ぶらぶらと下へと垂れるカップの布をじっくりと眺める。華奢で肉のつかない彼女のブラジャーだったのだから、サイドボーンからサイドボーンまでの距離は30センチ程もあれば良く、カップの幅も中指より少し長い程度の長さしかない。が、その深さと広さはそこらで見かけるブラジャーとは一線を画す。手を入れれば腕が消え、頭を入れればもう一つ分は余裕がある。記念すべき「初ブラ」だった。
それが何たることか! 今日、いや昨日、いや一昨日、いやこの一ヶ月、いやこの一年間、いや彼女が居なくなってから実に6年もの間、このブラジャーが合う女性には出会うどころか、見かけることも出来ないではないか。細ければサイズが足りず、サイズが足りればぶくぶくと肥え、年増の乳房では張りが足らず、ならばと小学生の後を付け回してはお巡りに声をかけられ、近所中の中高にて要注意人物の名をほしいままにし、飽きる迄北から南の女という女を見ても、彼女のような体格美貌の持ち主は居なかった。風俗嬢へすら肩入れをし、ネットで調子に乗る女どもにも媚びへつらった。
恭しくブラジャーを箱へと収めて床に散らばりたる日記帳の屑を見るや、またしても怒りの感情が迸ってくる。今日は左太腿の上をざっくりとやってやろうか。紙屑をさらに歯で引きちぎり、喉に流し込みながらそう思ったけれども、指を切る程度に留め、代わりに床を突き抜ける位力を入れて、硬い板の上に差す。今日書いた文面はその上にあった。
「なんで、なんで俺はあんなことを、……」
気がつけば奇声を上げつつ髪の毛を毟り取っていた。時計を見れば午後11時28分。点けっぱなしにしておいたパソコンの画面にはbroadcasting soon! という文字が浮かび上がって居る。忘れた訳では無かったが、その英単語二文字を見るだけで、怒りも何も今日の女どもも忘れ、急に血の巡りが頭から下半身へと下り、呼吸が激しくなる。まるで彼女を前にした時のようである。急いで駆けつけて音量を最大限まで上げて、画面に食い入ると、直にパッとある部屋が映し出され、俺の呼吸はさらに激しくなった。
部屋はここと同じ八畳ほど、ベッドが一台、机が一つ、………のみ。
机の上にはありきたりな文房具と、食器類が一式、それに錠剤がいくつか。ベッドの上には質の良さそうな寝具、端に一枚のショーツ、その横に犬用のリードが一つ。これはこれから現れる者が、謂わばご主人さまに可愛がられるために着けている首輪につながっているのである。そしてその横に、あゝ、彼女がまだ傍に居ればぜひこの手で着けて差し上げたい巨大なブラジャーが一つ、………。ダブルベッドをたった一枚で埋め尽くすほど大きく、分厚く、ストラップは太く、今は見えないが12段のホックがあり、2週間前から着けているらしいけれどもカップは痛み、刺繍は掠れ、ストラップは撚れ、もう何ヶ月も着たかのようである。
しばらく見えているのはそれだけだったが、程なくしてブラジャーが画面外へ消えて行き、ショーツが消えて行きして、ついに放送主が現れる。病的なまでに痩せ細って骨の浮き出る肩、肘、手首、足首、膝、太腿、それに反して美しくしなやかな指が見える。顔は残念ながら白い仮面で見えないが、見えたところで一瞬である。すぐさま画面の殆どは、中央に縦線の入った肌色の物体に埋められるのだから。その肌色の物体は彼女の胸元から生え、大きく前へ、横へと広がりながら腰元を覆い、開けっ広げになった脚の間を通って、床へとゆるやかにの垂れており、ベッドに腰掛けた主の、脚の一部分と、肩と、首を除いて、体の殆どを隠してしまっている。床に垂れた部分は、部分というにはおかしなくらい床に広がる。浮き出た静脈は仄かに青々として、見る者によっては不快を感ずるだろう。
言うまでもなく、女性の乳房である。主は何も言わずにただそこに佇むのみで、何も行動をしない。仮面を着けた顔も、たまに意外と艶のある黒髪が揺れるだけで動かないのであるが、極稀に乳房を抑える仕草をして、愛おしそうに撫でることがある。けれどもそれは本当に極稀で、一回の配信につき一度の頻度でしかなく、殆どの場合は、一時間もしたらベッドに倒れ込んで寝てしまうのである。
この配信を見つけてからというもの、俺の日中の行動は、その寝姿を見るための暇つぶしでしか無い。彼女そっくりな体つきに、彼女そっくりな胸の大きさ、―――しかもこちらの方が大きいかもしれない上に、彼女そっくりな寝相、………見れば見るほど彼女に似て来て、また奇声を発しそうになる。無言で、手元にあった本の背表紙で頭を打ちつけて落ち着きを取り戻し、画面を見ると、ゴロンとベッドから落ちてしまったその女の姿。彼女もよくやった寝相の悪さに、途端懐かしさが込み上げて来て、
「あゝ、こら、叶(かなえ)、寝るんだったらベッドの上で寝ないと、……。手伝ってやるからさっさと起きなさい」
と頬を叩いたつもりだが、空を切るのみで、消息不明となっている者の名前を呼んだだけ、羨ましさと虚しさが募ってしまった。
   幼馴染の叶が居なくなってから早6年、片時も忘れた事はないのであるが、隣に住んでいながら出会いは意外と遅いものであった。当時俺は11歳の小学5年生、物凄く寒かったのを思えば冬から春前であったろうか、俺の家は閑静な住宅街の中に突如として現れる豪邸で、建物よりも庭に意匠を凝らしたいという父上の意思で、洋館が一つと離れが一つ庭に面する形で建てられ、俺はその離れを子供部屋として与えられていた。球状の天井を持つその部屋は、本当に子供のために閉ざされた世界かのようだった。庭の垣根が高く、木に埋もれる形で建っているのであるから、内は兎も角、外からだとそもそも離れがあることすら分からない。音も完全に防音されていて、車が通りかかるのすら、微妙な振動でようやく分かるくらい外界から切り離されているのである。いつも学校から帰ると、俺はその部屋で母上と共に話をしたり、ごっこ遊びをしたり、宿題をしたりする。食事もそこで取って、風呂には本館の方へ向かう必要はあるけれども、学校に居る7、8時間を除けば一日の殆どをそこで過ごしていた。だから、近隣の様子なぞ目については居なかったし、そもそも父上から関わるなというお達しがあったのだから、あえて触れるわけにはいかない。学校も、近くにある公立校へは通わずに、ずっと私立の学校へ入れられたのだから、関わろうにも、友人と言える者も知り合いと言える者も、誰も居ないのである。
そんな生活の中でも、よく離れの2階にある窓から顔を突き出して、燦々と輝く陽に照らされて輝く街並みを眺めたものだった。今はすっかりしなくなってしまったけれども、木々の合間合間から見える街並みは殊に美しい。一家の住んでいる住宅街というのが、高台に建っているので、街並みとは言ってもずっと遠くまで、―――遥かその先にある海までも見えるのである。
そう、やっぱり冬のことだ、あのしっとりとした美しさは夏や秋には無い。いつもどおり、俺はうっとりと椅子に凭れかかって街並みを眺めていたのであるが、ふとした瞬間から、女の子の声で、
「ねぇ、ねぇ、ねぇってば」
と誰かを呼びかける声がしきりに聞こえてきていたのだけれども、それが少し遠くから聞こえてくるものだから、まさか自分が呼ばれているとは思わず、無視していると、
「ねぇ!」
と一層激しい声が聞こえてくる。下を見てみると、同年代らしい女の子が、彼女の家の敷地内からこちらを不満そうに見つめてきている。
「僕ですか?」
「そう! 君!」
と満面の笑みを浮かべる。
この女の子が叶であることは言及する必要も無いかと思うが、なんと見窄らしい子だっただろう! 着ている物と言えば、姉のお下がりのよれよれになった召し物であったし、足元には汚らしいサンダルを履いていたし、髪は何らの手入れもされていなかったし、いや、そんな彼女の姿よりも、その家の古さ、ボロさ、貧しさは余りにも憐れである。流石に木造建築では無いものの、築20年や30年は越えていそうな家の壁は、すっかりと黒ずんで蜘蛛の巣が蔓延っており、屋根は黒いのが傷んで白くトゲトゲとしているし、庭? にある物干し竿は弓なりに曲がってしまっていて、痛みに傷んだ服やタオルが干されている。全体的に暗くて、不衛生で、手に触れるのも汚らわしい。広さ大きさは普通の一軒家程度だけれども、物がごちゃごちゃと置かれて居るのでかなり狭苦しく感じられ、俺は父上がどうして近隣の者と関わるなと言ったのか、なんとなく理解したのだった。目が合った上に、反応してしまったからには相手をしなくちゃいけないか、でも、できるだけ早く切り上げて本の続きでも読もう。―――俺は一瞬そう思ったが、ようようそう思えば思うほど、彼女に興味を抱いてしまい、小っ恥ずかしい感情がしきりに俺の心を唆していた。
それは一目惚れにも近い感情だっただろうと思う。というもの、その時の叶の外見は、着ているものが着ているものだけに見窄らしく見えただけで、顔立ちは悪くないどころかクラスに居る女子どもなぞよりずっと可愛いかった。いや、俺がそう感じただけで、実際は同じくらいかもしれないが、普段お嬢様と言うべき女の子に囲まれていた俺にとっては、ああいう儚い趣のある顔は、一種の新鮮さがあって、非常に魅力的に見える。どこか卑屈で、どこか苦心があって、しかしそれを押し隠すが如く笑う、………そういう健気な感じが俺の心を打ったと思って良い。また、体つきも普段見るお嬢様たちとは大きく変わっていた。彼女たちは美味しいものを美味しく頂いて、線の細い中にもふっくらとした柔らかさがあるのだが、叶はそうではない。栄養失調からの病気じみた痩せ方をしていて、ただ線が細いだけ、ただ貧相なだけで、腕や脚などは子供の俺が叩いても折れそうなほどに肉が付いておらず、手や足先は、肌が白いがために骨がそのまま見えているかのようである。兎に角貧相である。が、彼女にはただ一点、不自然なほど脂肪が蓄えられた箇所があった。
それはもちろん胸部である。叶は姉から譲り受けた服を着ているがために、袖や裾はだいぶ余らしていたのであるが、胸元だけはピンと張って、乳房と乳房の間には皺が出来ていて、むしろサイズが足りないように見える。恐らく裾を無理やり下に引っ張って、胸を押し込めたのか、下はダボダボと垂れているけれども、胸の上は変にきっちりしている。体の前で手をもじもじさせつつ、楽しげに体を揺らすので、胸があっちへ行ったり、こっちへ行ったりする。俺は最初、胸に詰め物をしているのであろうかと思われた。そう言えば、一昨日くらいにクラスの女子が、私の姉さんはこんなの! と言いつつ、体操服の胸元にソフトボールを入れてはしゃいでいたが、その姿がちょうどこの時の叶くらいであったから、自然にやっぱりこの年の女子は大きな胸に憧れるものなのだと納得したのである。だが、叶の胸は変に柔らかそうに見える。いや、それだけでなく、ソフトボールを入れたぐらいでは脇のあたりが空虚になって、はっきりと入れ物だと心づくが、彼女の体に描かれる、首元から始まって脇を通り、へその上部で終りを迎える曲線は、ひどく滑らかである。手が当たれば��こを中心に丸く凹み、屈んで裾を払おうとすれば重そうに下で揺れる。
俺が女性の乳房なるものに目を奪われた初めての瞬間である。
それは物心ついた少年の心には余りにも蠱惑的だった。余りにも蠱惑的過ぎて、俺の体には背中をバットで殴られたような衝撃が走り、手が震え、肩が強張り、妙に臀部の辺りに力が入る。頭の中は真っ白で、少しずつ顔と耳たぶが赤くなっていくのが分かる。途端に彼女の胸から目が離せなくなり、じっと見るのはダメだと思って視線を上げると、さっきとは打って変わって潤いのある目がこちらを見てきている。微笑んでくる。その瞬間、徐々に赤くなって行っていた顔に、血が一気に上る感覚がし、また視線を下げると、そこにはこれまで見たことがない程の大きさの胸。胸。胸。………あゝ、なんと魅力的だったことか。
「こんにちは」
「うん、こんにちは。今日は寒いね」
彼女に挨拶されたので、俺はなんとか声を出したのだった。
「私は全然。むしろあったかいくらい」
「元気だなぁ」
「君が元気ないだけじゃないの��
「熱は無いんだけどね」
「ふふ」
と彼女は笑って、
「君どのクラスの子?」
「いや、たぶん知らないと思う。この辺の学校には通ってないから」
「どおりで学校じゃ、見ないと思った。何年生なの?」
彼女がこの時、俺を年下だと思っていたことは笑止。実際には同い年である。
「へぇ、あっちの学校はどうなの?」
「どうもこうもないよ。たぶん雰囲気なんかは変わんないと思う」
「そうなんだ」
と、そこでトラックが道端を通ったために、会話が区切れてしまって、早くも別れの雰囲気となった。
「ねぇ」
先に声をかけたのは彼女だった。
「うん?」
「またお話してくれない?」
少年はしばし悩んだ。近くの者とは関わるなと言う父上の言葉が頭にちらついて、それが殆ど彼女の家庭とは関わるなとの意味であることに、今更ながら気がついたのであったが、目の前に居る少女が目をうるませて、希望も無さげに手をもじもじと弄っているのを見ると、彼女の学校での扱われ方が目に見えてしまって仕方がなかった。そっと目を外すと、隣に住んでいなければ、多分一生関わること無く一生を終えるであろう貧しい家が目に飛び込んできて、だとすれば、良い育ちはしていないに違いはあるまい。だが、今言葉を交わした感じからすれば、意外にも言葉遣いはぞんざいではなく、笑い方もおっとりとしている。それに何より、自分がここまで心臓の鼓動がうるさいと思ったことはないのである。少年の心はこの時、「またお話したい」などというレベルではなく、彼女に近づきたい気持ちでいっぱいであった。近づいて、もっともっとお話をして、その体に触れて、夜のひと時をこのメルヘンチックな我が部屋で過ごせたら、どんなに素敵だろう。この窓から夜景を見て、手を取って、顔を突き合わして、行く行くは唇を重ねる、………あゝ、この部屋だけじゃない、綺麗に見繕って、二人で遊びに行くのも良い、いや、もはや二人きりでその場に居るだけでも僕の心は満足しそうだ。………実際にはこんなに沢山ことを考えた訳ではなかったけれども、しかしそういうことが、父上の言いつけから少年をすっかり遮断してしまった。つまりは、彼女の言葉に頷いたのである。
「もちろん。こうやって顔だしてたら、また話しかけてよ」
「ふふ、ありがとう。またね」
「またね。―――」
これが俺と叶の馴れ初めなのだが、それから俺たちは休みの日になると、窓を通じて10分20分もしない会話を楽しんだ。尤もそれは俺が父上と母上を怖がって、勉強しなくちゃいけないだとか、習い事があるとか、そういう理由をつけて早々に切り上げるからではあるけれども、もし何の後ろめたさも無かったら日が暮れても喋りあったに違いない。
「えー、……もう? 私はもっとお話してたい!」
「ごめんね。明日もこうやって外を眺めてあげるからさ」
その言葉に嘘はなく、俺は休日になれば、堪えきれない楽しみから朝食を終え、両親を煙に巻くや窓から顔を突き出していた。すると叶はいつも直ぐに家から出てきて、
「おはよう」
と痩せ細った顔に笑みを浮かべる。彼女もまた、楽しみで楽しみで仕方ないと言った風采なのである。
「おはよう。今日はいつにもまして早いね」
「ふふ」
会話の内容はありきたりなこと、―――例えば学校のこと、家のこと(彼女はあまり話したがらなかったが)、近くにある店のこと、近くにある交番がどうのこうのということ、近くにある家のおばさんが変人なことなど、強いて言えば、近所の人たちに関する話題が多かった。というのも、この住宅街に住んでいながら、今まで何も知らなかったので、俺の方からよく聞いたのが理由ではあるけれども、話に関係ないから述べる必要はあるまい。
それよりも、あんまり叶が早く出てくるので、いつのことだったか、聞いてみたことがあった。すると、彼女は心底意地の悪い笑顔で、
「私の部屋から丸見えなんだもん。そんなに楽しみ?」
と言うので、無性に恥ずかしさが込み上げてきたのは覚えている。どう返したのか忘れたが、その後の彼女の笑う様子が、強烈に頭に残っているのを考慮すれば、さらに恥ずかしい言い訳を放ったのは確かである。………
そんなある日のことであった。確か、叶と出会って一ヶ月経った日だったように思う。何でも学校が春の休み期間に入ったために、俺達は毎日顔を合わせていたのであるから多分そうで、非常に小っ恥ずかしい日々を送っていたのであるが、この日は俺しか俺の家には居ないのであった。それも朝一から深夜まで、何故だったのかは忘れてしまったが、両親も居なければ、ハウスキーパーも、確実に居ないのである。然れば初恋に目の暗んだ少年が悪巧みをするのも当然であろう。つまり俺はこの日、叶をこのメルヘンチックな離れに招待しようとしていたのである。
一種の期待を胸に抱きながら、いつもどおり窓から顔を突き出して、今や見慣れてしまった貧しい家の壁に視線を沿わせては、深呼吸で荒れそうになる息を整えようとする。一見、「いつもどおり」の光景だけれども、この時の俺はどうしても、初めての彼女をデートに誘うような心地よい緊張感ではない、恐ろしい罪悪感で押しつぶされそうだった。別に子供が同級生の女の子を連れてくることなど、親からしたら微笑ましい以外何者でもないかもしれない。が、これから呼ぶのは、父上が関わるなと言った、隣家の貧しい娘なのであるから、どうしても後々バレた時の事を考えると、喉が渇いて仕方ないのである。―――出来れば叶が今日に限って出てきてくれなければ、なんて思っても、それはそれで淋しくて死ぬ。まぁ、期待と緊張と罪悪感でいっぱいいっぱいだった少年の頭では、上手い具合に言い訳を考えることすら出来なかったのである。
「おはよう」
そうこうするうちに、いつの間にか外に出てきていた叶が声をかけてきた。一ヶ月のうちに、さらに胸が大きくなったのか、お下がりの服の袖はさらに長くなり、………というのは、服のサイズを大きくしないと胸が入らないからで、その肝心の胸の膨らみは今やバレーボール大に近くなりつつある。
で、俺は焦ることは何もないのに、挨拶を返すこともせずに誘うことにしたのであった。
「ねぇ」
「うん?」
「きょ、今日、僕の家にはだ、だれも居ないんだけど、………」
「え? うん、そうなの」
それから俺が叶を誘う言葉を出したのは、しばらくしてのことだったが、兎に角俺は彼女を頷かせて門の前まで来させることに成功して、庭を駆けている時に鳴った呼び鈴にギョッとしつつ、正門を開けると、さっきまでその気になっていた顔が、妙に神妙なので聞いてみると、
「なんか急に入って良いのか分からなくなっちゃった」
ともじもじしながら言う。それは引け目を感じると言うべき恥であることは言うまでもないが、一度勢いづいた少年にはそれが分からず、不思議な顔をするだけであった。それよりも少年は歓喜の渦に心臓を打たせており、今日という今日を記憶に焼き付けようと必死になっていた。というのは、普段遠目から見下ろすだけであった少女が目の前に現れたからではあるけれども、その少女の姿というのが、想像よりもずっと可愛いような気がしただけでなく、意外と背丈がひょろ高いことや、意外と服は小綺麗に整えてあることや、手も脚も、痩せ細った中にも一種の妖艶さが滲み出ていることなど、様々な発見をしたからであった。特に、胸元の膨らみにはただただ威圧されるばかり。大きさは想像通りだったものの、いざ目の前に来られると迫力が段違い。試しに顔を近づけてこっそりと大きさを比べて見ると、自分の頭よりも大きいような感じがし、隣に並んでみると、彼女の胸元にはこんな大きな乳房が生えているのかと驚かれる。
「ちょっと、どうしたの」
と言われてハッとなって、叶の手を引きながら広大な庭を歩き始めたが、少年の目はやはり一歩一歩ふるふると揺れる彼女の乳房に釘付けであった。
庭の様子は今後必要ないから述べないが、一方はお坊ちゃん、一方は女中にもならない卑しい少女が手を取り合いながら、花々の芽の萌ゆる庭園を歩く様子は、或いは美しさがあるかもしれない。
離れについて、「や、やっぱり私帰るね」と言い出す叶を無理に押し込んで、鍵をかけると、一気に体中の力が抜けて行くような気がした。何となく庭を歩いているうちは、誰かに見られているかのようで、気が気でなかったのに、今となっては何と簡単なことだったであろう。とうとう成功した、成功してしまったのである、叶を一目見た瞬間に思い描いていた夢が、一つ叶ったのみならず、この心の底から沸き起こる高揚感はなんだろうか。期待? それとも単に興奮しているだけ? いや、恐らくは彼女が隣に居ること、手を触れようとすれば触れられる位置に居ること、つまり、彼女に近づいたという事実が、嬉しくて嬉しくて仕方がないのだ。そしてそれが、自分の住処で起こっている、………俺は多分この時気持ち悪いくらいに笑っていたように思ふ。頭は冷静に叶をもてなしているつもりでも、行動の一つ一つに抜けている箇所が、どうしても出てしまって、土足のまま上がろうとしたり、段差に足をひっかけて転けそうになったり、お茶を溢しそうになったり、最初からひどい有り様であったが、彼女は引け目を感じながらも笑って、
「ほんとにどうしたの、熱でも出てるんじゃ、………」
と心配さえもしてきて、その優しさもまた、俺には嬉しくて仕方がなくって、ますます惚けてしまったように思われる。が、それが出たのは昼前のことだったろう、あの時俺は、目の前ある叶の乳房が大きく重たく膨れ上がっているのに対し、それを支える身体が余り痩せすぎている、それもただ単に痩せているのではなくて、こうして間近で見てみると、骨格からして華奢であるので、身長はどっこいどっこいでも(―――当時の俺は背が低かったのである)、どこか小さく感じられるし、そのために、余計に体と胸元の膨らみとが釣り合っていない上に、胸が重いのか、ふらふらとして上半身が風で煽られているかの如く触れる時がある、それが緊張で体が強張っている今でも起こるので、段々と心配になってきて、
「す、すごい部屋、………」
ときちんと正座をしながら目を輝かす彼女が、今にも倒れてしまいそうに思われたのだった。しかし惚けた少年の頭では、ああ言えば失礼だろうか、こう言えば婉曲的に尋ねられるだろうか、などと言ったことは考えられない。ただ、この眼の前に居るかぁいい少女が、かぁいくってしょうがない。あれ? 叶ってこんなにかぁいかっただろうか? と、彼女の一挙一動がなんだか魅力的に見えて来て、手の甲を掻くのすらもかぁいくって、言葉が詰まり、今や何とか頭に浮き出てきた単語を並べるのみ、彼女を一人部屋に残して外で気持ちを落ち着けようにも、今ここに叶が居るのだと思えばすぐさま頬が燃え上がってくる。再び部屋に入れば入ればで、自分の思い描いていたのよりかぁいい少女が、きちんと正座をしながらも、未だに目をキラキラとさせ、口をぽかんと開けて部屋中を眺めている。そんなだから、一層少年の頭は惚けてしまった。同時に、胸の前で、乳房を押しつぶしながらしっかりと握られている両の手が目について、その細さ、そのか弱さに惹き込まれて無遠慮に、
「ねぇ、前々から気になってたんだけど、どうしてそんなに細いの? どうしてそんなに痩せてるの?」
と、彼女の正面に座りながら聞いた。
「あっ、うっ、……」
「ん? だって手とか僕が握っても折れそうだし」
「え、えとね?」
「うん」
「その、食べては居るんですけれど、………」
叶はここに来てからすっかり敬語である。
「食べても食べても、全然身につかなくって、………その、おっぱいだけが大きくなってしまってるの。だから、こんなにガリガリ。骨も脆いそう。………あはは、なんだか骸骨みたいだね」
「全然笑い事じゃないんだけど」
「うん、ありがとう。それだけでも嬉しいな」
とにっこりするので、
「もう」
とにっこりとして返すと、叶はすっかり普段の無邪気な顔に戻った。
「あ、でね、もちろんお母さんも心配してくれて、お金が無いのに、私のためにたくさんご飯を作ってくれててね、―――」
「たくさんって、どのくらい?」
「えっと、………」
と言葉に詰まるので、
「まぁ、別に笑わないからさ。言ってごらん?」
とたしなめた。すると返ってきた言葉は、俺の想像を軽く飛び越していたのだった。
毎日微妙に違うから昨日のだけと、はにかんだ叶の昨夜の夕食は、米を4合、味噌汁が鍋一杯、豆腐を3丁肉豆腐、その肉も牛肉1キロ、半分を肉豆腐へ、半分を焼いて、野菜はキャベツとレタスと半々に、鶏胸肉2枚、パスタ500グラム、………を食した後に寒天のデザートを丼に一杯、食パンを2斤、牛乳一リットルで流し込んだ、と、ご飯中は喉が乾いて仕方がないと言って、水もペットボトルで2本計4リットル飲んだ、いつもこれくらいだが、それでも食欲が収まらない時は、さらにご飯を何合か炊いて卵粥として食べるのだと言う。
笑わないとは言ったけれども、流石に苦笑も出来ずに唖然とするばかりで、俺は、スポーツ選手でも食べきれない食い物が、一体全体、目の前で顔を覆って恥ずかしがる少女のどこに入って、どこに消えたのか、想像をたくましくすることしか出来なかったが、そうしているうちに、今日の朝はねと、朝食までおっしゃる。それもまた米が4合に、やっぱり味噌汁を鍋一杯。そして、知り合いが店を構えているとか何とかでくれる蕎麦を、両手で二束、大鍋で茹でてざる蕎麦に、インスタントラーメンを2人前、水を2リットル。言い忘れてけどご飯は大きなおにぎりとして、中に色々と具材を入れて食うと言って、最後に、デザートとは言い難いが、デザートとしてシリアルを、やっぱり牛乳1リットルかけて食べる。その後パンがあればあるだけ食べる。水も何リットルか飲む。で、大体食事の時間は1時間半から2時間くらいで終わるけれども、お腹が空いていたら30分でもこれだけの量は平らげられるらしい。
「いやいやいやいや、………えっ?」
俺のそんな反応も当然であろう。ところで以上の事を言った本人は、言っちゃった、恥ずかしい、と言ったきり黙って俯いているが、益々見窄らしく、小さく見え、やはり可哀想でならなかった。
ポーン、と鳴って、時計が12時を示した。叶の告白から随分時間が経ったように思っていたら、もうそんな時間である。空腹を訴えかけている腹には悪いが、今ここで食事の話題を振れば恐ろしい結果になるかもしれない、一応自分の昼食は、父上が予め出前を取ってくれたのが、さっき届いたからあるし、母上が夕食もと、下拵えだけして行った料理の数々があるので、それを二人で分けて、一緒に食べる予定ではあったのだが、しかし先の話が本当だとすれば、とても量が足りない。だが、恐ろしい物は逆に見たくなるのが、人間の常である。俺は、叶がご飯を食べている様を見たくてたまらなかった。普段、外食は両親に連れられてのものだったけれども、幸い街を歩けばいくらでも食事処にはありつける。日本食屋に、寿司屋に、洋食屋に、喫茶店に、中華料理屋に、蕎麦屋饂飩屋鰻屋カレー屋、果ては創作料理屋まであるから、彼女をそこに連れて行ってみてはどうか。もちろん一軒と言わずに何軒も訪れて、彼女が満足するまでたくさんご飯を食べさせてあげてみてはどうだろうか? 俺はそんなことを思って、心の内で嫌な笑みを浮かべていたのであったが、偶然か必然か、その思いつきは叶の願いにぴったり沿うのであった。
「あはは、………やっぱり引いた?」
と叶がもじもじしながら言う。
「若干だけど、驚いただけだよ」
「ほんとに?」
「ほんとほんと」
「じゃ、じゃあ、もう一つ打ち明けるんだけどね、………あ、本当に引かないでよ」
「大丈夫だって、言ってごらん?」
と言って顔を緩めると、叶は一つ深呼吸してから、もじもじさせている手を見つめながら口を開くのであった。
「えとね、私、………実はそれだけ食べても全然たりなくて、ずっとお腹が空いてるの」
「今も?」
「今も。ほら、―――」
叶が服の裾をめくり上げると、そこにはべっこりと凹んでいる腹が丸見えになる。
「すっかり元通りになっちゃった。君と会うために外に出た時は、まだぼっこりしてたんだけど、………」
「お昼は?」
「え?」
「お昼。お昼ごはん。どうするの?」
「我慢かなぁ。いつもお昼ごはんは給食だから、全然平気だよ!」
この時、図らずも俺の画策と、彼女の願い、というよりは欲望が、同じ方向を向いたことに歓喜したのは言うまでもない。俺はこの後のことをあまり覚えていないが、遠慮する叶に向かって、
「ご飯一緒に食べよう!!」
と無理やり立たせて、取ってあった出前を彼女の目の前に差し出したのは、微かに記憶に残っている。彼女はそれをぺろりと平らげた。口に入れる量、噛むスピード、飲み込む速度、どれもが尋常ではなく、するすると彼女の胃袋の中へと消えていった。母上が下ごしらえして行った料理もまた、子供では食べきれないほどあったが、5分とかからなかった。こちらは食べにくいものばかりであったけれども、叶は水を大量に飲みつつ、喉へと流し込んで行く。それがテレビでよく見る大食い自慢のそれとは違って、コクコクと可愛らしく飲むものだから、俺はうっとりとして彼女の様子を見つめていた。食べ終わってから、俺は彼女の腹部に触れさせてもらった。その腹は、3人前、4人前の量の食事が入ったとは思えないほど平たく、ぐるぐると唸って、今まさに消化中だと思うと、またもや俺の背中はバットで殴られたかのような衝撃に見舞われてしまった。ちょうど、叶の乳房に目を奪われた時と同じような衝撃である。思わず耳を叶のヘソの辺りに押し付けて、たった今食べ物だったものが排泄物になろうとしている音を聞く。ゴロゴロと、血管を通る血のような音だった。
「まだ食べられる?」
「もちろん!」
叶は元気よく答えた。俺は彼女がケチャップで赤くなってしまった口を、手渡されたナプキンで綺麗に拭き終わるのを待って、
「じゃあ、行こうか」
と、財布と上着を取りながら聞いた。
「どこへ?」
「今日はお腹いっぱいになるまで食べさせてあげるよ」
俺の昼食夕食を軽く平らげた彼女は、今更遅いというのに遠慮をするのであった。「いや、私、もうお腹いっぱいで」とか、「お金持ってない」とか、「別にいいって、いいってば」とか、終いには「ごめん、ごめんなさい」と言って泣き出しそうにもなったり、なんとかなだめて離れから飛び出ても、動こうとしなかったり、自分の家に入ろうとする。「だ、大丈夫! 嘘! 嘘だから! 忘れて! もう食べられないから!」など、矛盾に満ちた言葉を放っていたのは覚えている。俺はそれをなんとかなだめて、気持ちが��行してしまって不機嫌になりつつも、最終的には弱々しい彼女の腰を抱きかかえるようにして引っ張って行った。
「ごめんね、ごめんね。ちょっとでいいからね。私よりも君がたくさん食べてね」
と食べることには堪忍したらしい叶が、物悲しそうにしたのは、確か家からまっすぐ歩いて、3つめの交差点を曲がって、広めの県道を西に沿ってしばらく行った所にある小綺麗な中華料理屋だっただろう。前にも述べたが、俺はこの日のことをあまり詳しく憶えていないのである。何故この中華料理屋に訪れたかと言えば、ようやく落ち着いた叶に何が食べたい? と聞くと、渋々、春巻きが食べたいとの答えが返ってきたからであるのだが、この店は昔も今も量が多いとの文句が聞こえてくる名店で、俺はよく、父上が天津飯一つすら苦しんで食べていたのを思い出すのである。とまぁ、そんな店であるのだから、そんな店にありがちな、所謂デカ盛りメニューなるものがあって、例えば丼物、―――麻婆丼だったり、炒飯だったり、それこそ天津飯だったり、そういうのはだいたい揃ってるし、酢豚とか、八宝菜の定食メニューもそれ専用の器すらあったりする。そしてそれを30分以内に食べきったら無料なので、これならお金を気にする彼女も安心してくれるだろうと、少年は考えた訳であったが、いざ入ってみて、奥の席へ通されて、
「この春巻きを10人前と、デカ盛りメニューの麻婆丼一つと、それと僕は、………エビチリ定食をご飯少なめでください!」
と注文すると、
「ぼ、僕? 冗談で言ってる?」
と、まず俺を見、そして叶を見して怪訝な顔をするのであった。
「冗談じゃないよ。ねぇ?」
と叶を見るが、彼女は静かに俯いている。
「ま、そういうことだから、お金は出すんだから、早く! 早く!」
「でもね、これはとっても量が多いんだよ?」
「うん、知ってる。だけど叶ちゃんが全部食べてくれるから、平気だよ」
「え、えぇ、………? この子が? 嘘おっしゃい」
そういう押し問答は10分乃至15分は続いたのであったが、とうとう店側が折れる形で、俺達の前には山になった春巻きと、山になった麻婆丼と、それ比べればすずめの涙程のエビチリが、テーブルの上に現れたのであった。俺も驚いたし、店員も驚いたし、何より他の客の驚きようと言ったら無い。奥の席だったから、人気はあまりないものの、写真を撮る者、頑張れよと冷やかしてくる者、わざわざ席を変わってくる者も居れば、自分たちも負けじとデカ盛りメニューを頼む者も居る。彼らの興味は殆どテーブルの上に置かれた理不尽な量の料理と、それに向かう華奢な少女であったが、妙に俺は良い気になって、ピースして写真に写ったり、冷やかして来た者を煽ったりして、相手をしたものだった。本当に、あの時の俺は、自分が一時の有名人になったかのような心持ちで、サインでも握手でもしてやろうかと思った。いや、そんなことよりも、もっと写真に撮って、もっと騒ぎ立てて、もっと人を集めてくれという気持ちであった。有頂天と言っても良い状態だった。が、ふと叶の方を見てみると矢張り俯いたままでいる。―――あゝ、こんなに騒がしかったら美味しいものも美味しくは無いだろうな、早く食べないと冷えてしまう、それに、自分もお腹が空いて仕方がない、そろそろ追っ払おうかしらん。叶の様子にいくらか冷静になった俺はそう思ったのであった。
「ごめんね、彼女、恥ずかしがり屋だから、ほら、あっち行ってて」
そう言うと、店主のハラハラした視線だけはどうすることも出来なかったが、皆次第に散り散りになった。叶もまた、周りに人が居なくなって安心したのか、顔を上げる。
「騒がしかったね」
「うん」
「まったく、野次馬はいつもこうだよ」
「うん」
「足りなかったら、もう一つ頼むことにしようか」
「あ、あの、………」
「うん?」
「いただきます」
この時の彼女の心境は、後になって聞いたことがある。たった一言、ああいう状況に慣れていなかったせいで、食べて良いのか分からなかった、と。実際には、中華店へ入る前から匂いに釣られて腹が減って死にそうになっていたところに、いざ目の前に好物の春巻きと、こってりとした匂いを漂わせている麻婆丼が現れて、遠慮も恥も何もかも忘れて食らいつきたかったのだそうである。事実、麻婆丼は物凄い勢いで彼女の口の中へと消えていった。
ところで麻婆丼は、後で聞けば10人分の具材を使っているのだと言う。重さで言えば8.7キロ、米は5合6合はつぎ込んで、女性の店員では持ち運べないので、男が抱えなければならない。時たま米の分量を誤って、餡のマーボーが指定分乗り切らない時があって、そういう時は乗り切らなかった餡だけ別の器に盛って出す。かつて挑戦した者はたくさんいるが、無事にただで食べられたのはこれまで1人か2人くらい、それも大柄な男ばかりで、女性はまだだと言う。
そんな麻婆丼が、11歳の、それも痩せ細った体つきの少女の口の中へ消えていくのである。休むこと無く蓮華を動かし、時折春巻きを箸に取っては、殆ど一口で飲み込むが如く胃の中へ流し込み、真剣ながらも幸せの滲み出た顔をしながら、水をグイグイ飲む。見れば、心配で様子を見に来ていた店主は、いつの間にか厨房に引っ込んで呆れ顔をしている。叶はそれにも気が付かずに黙々と口を動かして、喉が微かに動いたかと思ったら、蓮華を丼の中に差し込んで、幸せそうな顔で頬張る。あれよあれよという間にもう半分である。こういうのは後半になればなるほど勢いが落ちるものだのに、叶の食べるスピードは落ちないどころか、ますます早くなっていく。やがて蓮華では一口一口の大きさが物足りないと感じたのか、一緒に付いてきたスプーンで上から米もろとも抉って食べる。叶は普段から綺麗に食べることを心がけていて、大口を開けて食い物を口へ運んだとしても、それが決して醜くなく、逆に、実に美味そうで食欲が掻き立てられる。優雅で、美しい食べ方は、彼女が言うには、体の動かし方が重要なのだと、かつて教えてもらったことがある。気がついた時には、もう普通の麻婆丼と殆ど変わらない分量になっていた。一個もらうつもりだった春巻きは、………もう無かった。
俺は、叶の料理を食べている姿をついに見ることが出来て、ただただ感激だった。先程は恐ろしい勢いで食べたと言っても、量は大食いの者ならば簡単に平らげる程度しか無かったのである。それが今や10人前の巨大な麻婆丼を前にして、淡々と頬張っていき、残るは殆ど一口のみになっている。彼女はここに来てようやくペースが落ちたのだが、その顔つき、その手付き、その姿勢からして、腹が一杯になったのではなくて、あれほどあった麻婆丼がとうとうここまで無くなったので、急に名残惜しくなったのであろう。その証拠に、一口一口、よく噛み締めて食べている。俺は、またもや背中をバットで殴られたかのような衝撃に身を震わせてしまい、その様子をじっくりと穴が空くほどに見つめていたのであったが、汗もかかずに平然と、最後の豆腐に口をつける彼女を見て、とうとう食欲がさっぱり無くなってしまった。代わりに無性に苛立つような、体の内側が燃えるような、そんな堪えきれない欲が体の中心から沸き起こってきて、今までそんなに気にしてなかった、―――実際は気にしないようにしていた胸元の膨らみが、途端に何かを唆しているように思えて、もっともっと叶の食事風景を見ていたくなった。
「ごちそうさまでした」
と、声がしたので見てみると、澄ました顔で水を飲んでいらっしゃる。俺は慌てて、店主がテーブルの上に乗せて行ったタイマーを止めて時間を見てみた。
「16分39秒」
「えっ? 食べ終わった?」
「ほんまに?」
「本当に一人で食べたんだろうか。………」
気がつけば観客たちがぞろぞろと戻ってきていた。彼らの様子は、もうあんまりくだくだしくなるから書かないが、俺はまたしても注目を浴びている彼女を見て、ただならぬ喜びを感じたということは、一言申し上げておく必要がある。少年は輪の中心に居る少女の手を取るに飽き足らず、その体に抱きついて(―――何と柔らかかったことか!)、
「やったね叶ちゃん。やっぱり出来るじゃないか」
と歓声を放ち、
「ほら、ほら、この子はデカ盛りを16分で食べきったんだぞ。男ならそれくらいできなきゃ」
と、まるで我が手柄のように、奮闘中の大学生らしき男性客に言うのであった。俺の感性はまたしても有頂天に上り詰めて、多幸感で身がふわふわと浮いていた。隣で叶がはにかんで居るのを見ては、優越感で酔っ払ってしまいそうだった、いや、酔いに酔って、―――彼女の隣に居るのは僕なんだぞ。少年はそう叫んだつもりであるのだが、実際には心の中で叫んだだけなようである。俺がこの日の記憶をおぼろげにしか覚えていないのは、そんな感情に身も心も流されていたからなのである。………
騒ぎが収まってから、俺は半分近く残っていたエビチリを叶にあげた。もちろんぺろりと平らげた訳なのだが、しかしその後余りにも平然としてデザートの杏仁豆腐を食べているので、ひょっとしたら、………というよりは、やっぱりそうなんだなと思って、
「もしかしてさ、もう一回くらいいける余裕ある?」
「あ、………もちろん」
もちろんの部分は小声で言うのであった。そして小声のままその後に続けて、今体験した感じで言うと、もう一回あのデカ盛りを食べるどころか、さらにもう一回くらいは多分入ると思う。なんて言っても、まだ空腹感が拭えない。実のことを言えば、あれだけ店主が期待させてくるから楽しみだったのだけれども、いざ出てきてみれば、美味しかったものの、いつも食べてる分量より少なかったから、拍子抜けしてしまった、30分という時間制限も、頑張ったらさっきの麻婆丼2つ分でも達成できると思う。いや、たぶん余裕だと思う、出来ることならもう一回挑戦してみたいが、あの騒ぎを起こされた後だとやる気は起きないかなと言う。少年は彼女の食欲が未だに失せないことに、感謝さえしそうであった。なぜかと言って、この日の俺の願望は、彼女の食事姿を眺めること、そして、街にある食事処をはしごして、彼女が満足するまでたくさんご飯を食べさせてあげること、―――この2つだったのである。しかし、前者は達成したからと言って、それが満足に値するかどうかは別な問題であって、既に願望が「彼女の食事姿を飽きるまで眺めること」となっていた当時の俺には、元々の望みなどどうでもよく、叶がお腹いっぱいになっちゃったなどと言う心配の方が、先に頭に上っていた。が、今の彼女の言葉を聞くに、彼女はまだまだ満足していない。腹で言えば、三分ほどしか胃袋を満たしていない。となれば、第二の願望である「彼女が満足するまでたくさんご飯を食べさせてあげること」を達成していない。然れば、僕が叶の食事風景を飽きるまで眺めるためにも、そして叶が満腹を感じるまでに食事を取るためにも、今日はこのまま延々と飯屋という飯屋を巡ってやろうではないか。そして、あのメルヘンチックな子供部屋で、二人で夜景を眺めようではないか。………斯くして三度、俺の願望と叶の欲とは一致してしまったのであった。
結局叶は、春巻きをもう一度10人前注文して幸せそうな顔で味わい、その間に俺は会計を済ましたのであったが、あっぱれと未だに称賛し続けている店主の計らいで杏仁豆腐分だけで済んでしまった。本当にあの体にあの量が入ってるとは信じられんとおっしゃっていたが、全くその通りであるので、店を出てから叶に断ってお腹に手を触れさせてもらったところ、ちょうど横隔膜の下辺りから股上までぽっこりと、あるところでは突き出ているようにして膨らんでいる。ここに8.7キロの麻婆丼と、春巻き20人前が入っているのである。ついでに水何リットルと、申し訳程度の定食が入っている。そう思うと、愛おしくなって手が勝手に動き初めてしまいそうになったけれども、人通りの多い道であるから、少年は軽く触れただけで、再び少女の手を引いて、街中を練り歩き出した。
それから家に帰るまでの出来事は、先の中華料理屋とだいたい似ているので詳しくは書かないが、何を食べたかぐらいは書いておこう。次に向かった店は近くにあったかつれつ屋で、ここで彼女は再びデカ盛りのカツ丼4.3キロを、今度は初めてと言うべき味に舌鼓をうちながらゆっくりと、しかしそれでも半額になる25分を6分24秒下回るペースで平らげ、次はカレーが食べたくなったと言って、1つ2つ角を曲がってよく知らないインドカレー屋に入り、ご飯を5回おかわり、ナンを10枚食べる。おぉ、すごいねぇ、とインド人が片言の日本語で歓声を上げるので、叶はどう反応していいのか分からずに、むず痒そうな顔を浮かべていた。で、次はラーメン屋が目についたので、特盛のチャーシュー麺と特盛の豚骨、そして追加で餃子を頼んで、伸びたらいけない、伸びたらいけないと念仏のように唱えながら、汁まで飲み干す。この時既に、一体何キロの料理が彼女の腹に入っていたのか、考えるだけでも恐ろしいので数えはしないが、店を出た時に少々フラフラとするから心配してみたところ、
「いや、体が重いだけで、お腹はまだ大丈夫」
という答えが返ってくる。事実、その移動ついでにドーナツを10個買うと、うち9個は叶の胃袋へ、うち1個は俺の胃袋へと収まった。そして今度は洋食屋に行きたいとご所望であったから、先の中華料理屋の向かい側にある何とか言う店に入って、ナポリタン、―――のデカ盛りを頼んで無料となる19分17秒で完食す。とまあ、こんな感じで店をはしごした訳であったが、その洋食屋を後にしてようやく、ちょっと苦しくなってきたと言い出したので、シメとして喫茶店のジャンボパフェを食べることにした。彼女にしてみれば、どれだけ苦しくても甘いものだけはいくらでも腹に入れられるのだそうで、その言葉通り、パフェに乗っていたアイスが溶けるまでにバケツのような器は空になっていた。そして、喫茶店を出た時、叶は急に俺の体に凭れかかってきたのであった。
「あ、あ、………苦しい、………これがお腹一杯って感覚なんだね」
と、俺の背中に手を回してすっかり抱きついてくる。うっとりとして、今が幸せの絶頂であるような顔をこちらに向けたり、道の向かい側に向けたりする。人目もはばからず、今にもキスしそうで、その実ゴロンと寝転がってしまうのではないかと思われる身のこなし。心ここにあらずと言ったような様子。………彼女は今言った量の料理を食べて初めて、満腹感を感じられたのであった。―――あゝ、とうとう僕の願望と叶ちゃんとの欲望が、叶い、そして満たされたしまったのだ。見よ見よこの満足そうな顔を。ここまで幸せそうな顔を浮かべている者を皆は知っているか。―――少年も嬉しさに涙さえ出てくるのを感じながら、抱きついてくる少女のお腹に手を触れさせた。妊娠どころか人が一人入っているかのようにパンパンに張って、元の病的なまでに窪んでいた腹はもうどこにもなかった。胸元だけではなく、腹部にある布地もはちきれそうになっていた。思えばここに全てが詰まっているのである。今日食べた何十キロという食べ物が、………そう考えれば本来の彼女の体重の半分近くが、この腹に収まって、今まさに消化されているのである。少年と少女はついに唇を重ねるや、そっとお腹に耳をつけてその音を聞いてみると、じゅるじゅると時々水っぽい音を立てながら、しかしグウウウ、………! と言った音が、この往来の激しい道沿いにおいても聞こえてきて、この可愛らしい少女からこんな生々しい、胎児が聞くような音を立てているとは! 途端に、股間の辺りから妙な、濁流を決壊寸前の堤防で堰き止めているかのような、耐え難い感覚がして、少年は咄嗟に彼女から身を引いた。今度の今度は背中をバットで殴られたような衝撃ではなく、内側からぷくぷくと太って破裂してしまいそうな、死を感じるほどのねっとりとした何かだった。そしてそれは何故か叶の体、―――特に異様に膨らんだ胸元と腹を見るだけでも沸き起こってくるのであった。少年は恐怖で怯えきってしまった。この得体の知れない感覚が怖くて仕方なかった。目の前でふらふらとしている少女から逃げたくもなった。が、無情なことに、その少女はうっとりと近づいてきて、少年の体にすがりつくので、彼は逃げようにも逃げられず、為されるがままに、その痩せきってはいるけれども上半身の異様に膨れた体を抱いてやって、少女の希望ゆえにお腹を両手で支えながら帰路につくのであった。
「お母さんに何言われるか分からないから、楽になるまで遊んで」
離れに戻ってから、叶はそう言って俺の体に寄りかかってきた。道沿いでしてきた時はまだ遠慮があったらしく、俺はすっかり重くなった彼女の体を支えきれずにベッドに倒れてしまい、じっと見つめる格好になったのであるが、そのうちに堪えきれなくなって、どちらからともなく、
「あははは」
「あははは」
と笑い出した。
「ねぇねぇ」
「うん?」
「さっきキスしてきたでしょ」
「………うん」
俺はこっ恥ずかしくなって、素っ気なく答えた。
「もう一度しない?」
「………うん」
今度はしっかりと叶の顔を見つめながら答えた。
これで俺たちは二度目の接吻をした訳であるが、俺の手はその後、自然に彼女の胸に行った。この時、叶の方がベッドに大きく寝そべっていたので、俺の方が彼女より頭一つ下がった位置にあり、目の前で上下する乳房が気になったのかもしれない。俺の手が触れた時、彼女はピクリと体を震わせただけで、その熱っぽい顔はじっとこちらを向けていた。嫌がっている様子が見えないとなれば、少年は図に乗って、両手を突き出して乳房に触れるのであったが、それでも少女は何も言わない。思えば、少年が恋する少女の胸に手をかけた初めての時であった。やわらかく、あたたかく、頭ぐらい大きく、手を突っ込めばいくらでもズブズブと沈み込んでいき、寄せれば盛り上がり、揉めば指が飲み込まれ、掬い上げれば重く、少年はいつまででも触っていられそうな感じがした。と、その時気がついたことに、着ている物の感触として、女性にはあって然るべき重要な衣服の感覚が無いのである。
「ぶ、ぶ、ぶ、ぶらは、………?」
と少年は何度もどもりながら聞いた。
「高くって買えないの。………それに、おっぱいが大きすぎて店に行っても売ってないの。………」
と少女は儚げな表情を、赤らめた顔に浮かべる。
それきり、言葉は無かった。少年も少女も、大人にしか許されざる行為に、罪悪感と背徳感を感じて何も言い出せないのである。少年の方は、父上の言いつけに背くばかりか、この部屋に連れ込んで淫らな行為に及んでいるがため、少女の方は、相手が自分の手に届かない物持ちの息子であることから、果たしてこんなことをして良いのかと迷っているところに、突然の出来事舞い込んできたため。しかし両者とも、気が高揚して、場の雰囲気もそういうものでないから、止めるに止められない。そして、どうしてその行動を取ったのか分からないが、少年は少女に跨って下半身を曝け出し、少女もまた裾を捲って肩まで曝け出した。玉のような肌をしながらも、はちきれんばかりになったお腹に、少年はまず驚いた。驚いてグルグルと唸るそれを撫で擦り、次に仰向けになっているのにしっかりと上を向く、丸い乳房に目を奪われた。生で触った彼女の乳房は、服を通して触るよりも、何十倍も心地が良かった。少年は、少女の腹を押しつぶさないように、腰を浮かしながら、曝け出した物を乳房と乳房が作る谷間の間に据えた。と、同時に少女が頷いた。右手で左の乳房を取り、左手で右の乳房を取り、間に己の物を入れて、すっぽりと挟み込み、少年は腰を前後に振り始めた。―――少年が射精を憶えた初めての時であった。
叶の腹がほぼ元通りに収まったのは、日も暮れかかった頃であったろうか、彼女を無事家まで送って行き、すっかり寂しくなった部屋で、俺はその日を終えたのであるが、それからというもの、お話をするという日課は無くなって、代わりに、休みの日になると叶を引き連れて、街にある食事処を次々に訪れては大量に注文し、訪れてはテーブルを��杯にし、訪れては客を呼び寄せる。その度に彼女は幸せそうな顔を浮かべて料理を平らげ、満足そうな顔を浮かべて店を後にし、日の最後は必ずその体を俺に凭れさせる。彼女にとって嬉しかったのは、そうやっていくら食っても俺の懐が傷まないことで、というのは、だいたいどこの店にもデカ盛りを制限時間内に食べられれば無料になるとか、半額になるとか、そんなキャンペーンをやっているのだけれども、叶はその半分の時間で完食してしまうのである。「頑張ったら、別に2倍にしても時間内に食べられるよ」と言って、見事に成し遂げたこともあった。その店には以降出入り禁止になってしまったけれども、痛いのはそれくらいで、俺は俺の願望を、叶は叶の欲望を満たす日々を送ったのであった。
だが、叶を初めて連れて行ってから一ヶ月ほど経った時の事、父上に呼ばれて書斎へと向かうと、いつもは朗らかな父上が、パソコンの前で真剣な表情で睨んで来ていらっしゃった。俺は咄嗟に叶との行動が知れたのだなと感づいて、心臓をドキドキと打たせていると、
「まぁ、別に怒りはしないから、隣に来てくれ」
とおっしゃるので、すぐ傍にあった椅子に腰掛けて、父上が真剣に見ていたであろうパソコンの画面を見てみた。そこには家中に配置されている監視カメラの映像が映し出されていたのであったが、その映像をよく見てみると、若い少年と少女が手を繋いで庭を渡る様子と、端に俺が叶を連れ込んだ日の日付と時間が刻銘に刻まれているのである。俺は頭が真白になって、どういい訳をしたらいいのか、どうやれば許して頂けるのか、―――そういう言葉ばかりが浮かんで結局何も考えられなかったが、兎に角、叶と会っていたことが父上にバレた、それだけははっきりと分かった。
「この映像に思い当たる節はないか?」
無いと言っても、そこに写っている少年の顔は俺であるし、後ろ姿も俺であるし、背丈も俺であるし、況や叶をや。言い訳をしたところで、事実は事実である上に、父上に向かってこれ以上見苦しい姿を見せたくなかったし、嘘を言うなんて事は俺には出来ないので、正直に告白することにした。もちろん、彼女に一杯物を食べさせてたなんて言うべきではないから、ただ一言会っていたとだけ伝えることにした。
「ふむ、正直でよいよい。そんなとこだろう。いや、それにしても、いきなり自分の部屋に連れ込むとは」
と、一転して朗らかになったので、急に恥ずかしくなってきて、キュッと縮こまったのであった。
ところで俺がこの監視カメラを甘く見ていたのには、少しばかり理由がある。1つには、庭は木が生い茂っていて見通しが悪いこと、そしてもう1つには、子供部屋として使っている離れには設置していないこと、だから俺はあの日の朝、部屋にさえ連れ込んだらこちらのものと思っていたのであったが、それ以上の理由として、父上がその防犯カメラの映像をあまりチェックし給はないことが挙げられる。父上は抑止力としてカメラを設置していらっしゃるだけで、その映像を見ることは月に一回あるかないか、それもたまに半年間もすっぽ抜かすこともあれば、チェックをするのも適当に何日かを選んで、早送りをして見るだけというずさんさがあった。俺はしばしばその様子を眺める機会があったのだが、いまいち鮮明でない画面であるがゆえに、もはや人が居るかどうかが辛うじて分かる程度であった。だから、俺はあの時、叶を部屋に連れ込んだとしても、見つかるはずは無いと高をくくっていたのである。
で、子供が一人で家の中で何をしているのか気になった父上が、ひょんなことから防犯カメラの映像を、ぼんやり眺めていると、何者かと共に離れにまで入っていく事を確認し、それが何とも見窄らしい格好をした少女であるから、2、3回繰り返して見ているうちに、隣家の貧家の娘であることに気がついたのであろう。
俺はそれから、また真剣な顔つきになった父上に、たんまりと諭されてしまった。この住宅街は、その大半が一般庶民の暮らしている家で埋められているのであるが、とある一画にだけは物騒な人(に売られる)が住んでいる。不幸なことにこの家を建てる時に、上手い土地が無かったために、ある一つの家を挟んで、そこと向かい合わせになってしまった。それならば、せめて家の裏にして、木で生け垣を作って完璧に仲を隔ててしまおうと思って、お前の部屋からも分かる通り、風景は見えるようにだけしたのである。もちろん、それなら別に他の所に住めば良いではないかと思うかもしれないが、しかしこの地は俺が子供時代に何年か過ごしたことがある土地であって、そして、お前のお母さんの生まれ育った土地である。つまりは夫婦の思い出の地であって、(言葉を濁しながら、)つまりは俺もお前と同じ穴の狢であるから、近所に住む女の子を一人や二人呼んだところで何も言いはしない。が、裏にある地区だけはダメだ。別にそういう地区ではないが、何しろ物騒な噂ばかり聞く。で、彼女の家はそんな地区と我々とのちょうど境目に建っていて、一番可哀想な境遇を経ているのであるが、向こうから色々と入れ知恵されていると人はよく言う。もし問題が起これば面倒事になるかもしれないし、お前に怪我でもあったら良くない。実際、昔お前のお母さんの友人が、あの地区にいる人といざこざを起こした時に、上辺だけは丸く済んだけれども、その後に復讐として連れ去られそうになったことがあった。彼らは放っておくとどこまで非情なことをするのか分からない。だからあの言いつけはお前を心配してのことだったのだ。そもそも、俺はお前にはもっとふさわしい女性とお付き合いしてほしい。ほら、一人二人くらい学校で仲良くなった子は居るだろう。いたらぜひ言ってくれと、最終的には学校生活の話をするのであったが、父上は諭している途中ずっと真面目であった。俺はそれをふんふんと頷きながら、その実父上がそういうことを話てくれることが嬉しくて、内容はあまり耳に入ってなかった。ただ叶が可哀想なんだなと思うくらいで、始まった父上の詰りに、すっかり考えを逸らされてしまったのであったのだが、
「しかし、可愛い子だな。あんな家に住ませておくのがもったいない。転校して会えなくなる前に、分かれの挨拶くらいは許してやるから、やっておけよ」
と、突然父上が衝撃的な事を言ってのけるので、
「え? 転校?」
と聞き返してしまった。全く、転校するなどとは俺には初耳で、椅子の上でぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
「もう少ししたら、気晴らしに別荘の方で何年か過ごすからな、―――あゝ、そうそう本当に何年間かだぞ、一週間などではなくて。だからそのつもりでな」
俺はぽかんと口を開けたまま固まってしまった。
それからは急に頭がぼんやりとしてしまって、引っ越しまでどう過ごしたのか憶えて居ない。ただ、最後に叶に会ったことだけは憶えていて、彼女は泣いていたように思う。ようやく自分が満足する量の食事を隔週ではあるけれども、取っている彼女の体つきは、微かに肉付きがよくなっているのだが矢張りガリガリに痩せ細っていた。逆に、胸元だけは一層膨らみ始めていて、その大きさはバレーボールよりも大きかった。俺は木陰に入って、最後にもう一度触らせてもらった。もうこれが最後だと思うと、お腹にも耳を当てた。��食後直ぐに出てきたというその腹からは、矢張りゴロゴロと中で何かが蠢く音が聞こえてきた。そして泣いて泣いて仕方がない彼女と最後のキスをして、また会う約束を交わして、蕾を付け始めた桜の花を、雲の下にてあわれに見ながら袂を分かった。
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kikikyhr · 4 years
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【小説】透明な犬
「犬を買ってきたんだ」
 帰宅した私に、夫は開口一番そう言った。
「犬?」
「うん。タエコも犬、好きだって言ってただろ」
 このマンションはペット禁止だよ。
 私はそう言いそうになったが、口をつぐんだ。部屋の中を見回す。天井の照明さえ点けられていない薄暗い部屋。夫のパソコンのディスプレイだけが、やけに眩しかった。部屋の中に、四つ足の獣の姿はどこにもない。
「その犬は、どこにいるの?」
 私がそう尋ねると、夫は、ははっ、と軽い笑い声を上げた。
「嫌だなぁ、タエコには見えないのか?」
 そう笑いながら言った彼の目線は、ディスプレイに向けられたまま、一度もこちらを見なかった。
 マイクロフト、とその犬は名付けられた。
 夫が子供の頃夢中で読んでいたのだという、シャーロック・ホームズの物語に出てくる、シャーロックの実兄の名前だ。
 犬が我が家に来てから、夫の生活は変わった。
 アラームをいくつかけても朝なかなか起きることができなかった彼は、毎朝5時に起きるようになった。そうして犬を連れて散歩に行く。散歩から帰って来ると、犬に水を与え、それから私たち夫婦の分の朝食を作る。
 犬に餌をやるのは、必ず私たちが食べ終わってからだった。
「犬っていうのは、群れで生活する生き物だ。群れの中には上下関係があって、犬は上下の戒律を厳しく守る。先に食事にありつくのは群れの中で上位の者。下位の者はその後だ。マイクロフトに僕たちよりも先に食事を与えてしまうと、彼はこの家の中で最も偉いのは自分なのだと思い込んでしまう。これは、マイクロフトのしつけのためにも必要なことなんだ」
 そう言いながら、夫は皿をドッグフードで満たした。
 家を出るのは、いつも私の方が先だ。朝食の後片付けをして、身支度を整えたら、私は勤務しているデザイン事務所へと向かう。その頃夫は、洗面所で髭を剃っている。今までは、まだ布団の中で不機嫌そうにうなっていた時間帯だが、犬が来てからは機嫌よく「行ってらっしゃい」と言ってくれる。
 夫の会社は、フレックスタイム制というのだろうか、出勤時間が個人の自由なのだ。遅くとも、午前11時にまでに出社していればいいのだという。始業が遅くなっても構わない分、終業も遅くなる。定時でも20時、残業すると日付けが変わってから帰宅することも珍しくなかった。
 だが、犬が来てからは夫は定時で帰宅するようになった。そうして、犬を連れてまた散歩に行く。夜の散歩から帰って来る頃に合わせて、私が作った夕飯を食べ、そしてまた、犬に餌をやる。
 その後は、夫は持って帰って来た仕事をこなす。もともと、自宅に仕事を持ち帰って来ることが多かったが、きっちり定時で帰って来るようになってからは、毎晩必ず自宅で仕事をするようになった。
 私は台所を片付け、風呂を洗って浴槽にお湯を張り、私が先に、それから夫が入浴し、自動洗濯機を回し、洗濯物を浴室に干して乾燥モードのスイッチを入れる。
 私の家事がひと段落する頃には、夫の仕事もおおかた片付いており、眠るまでの2時間、ふたり一緒に映画を観たり、ソファで各々読書をしたり、他愛のない話をしたりして過ごす。そして手を繋いでベッドに向かい、おやすみと言って電気を消す。
 そして次の朝が来ると、夫は私より一足先に目を覚まし、犬を散歩へと連れて行く。
 穏やかな日々。ささやかな幸福。緩やかに流れていくふたりの時間。
 犬が来るまで、私たち夫婦には、こんな風に共に過ごす時間はなかった。夫も私も、それぞれ激流のような仕事に流され、明日も机の上の書類を処理するために飯を食い、クライアントに円滑に商品を提案するために睡眠を必要としていた。
 どんなに仕事が上手くいっても、家に帰ると何もかもが空っぽで無性に腹立たしかった。案件をいくら片付けても、家に帰れば何ひとつ片付いていないシンクや、畳まれもせず散らかった洗濯物が待ち構えていた。真夜中を過ぎないと帰宅せず、翌日も午前10時過ぎまで眠っているだけの夫への恨みつらみが、埃のように部屋中に降り積もった。その埃を払う暇さえないほど消耗し、疲弊していた。
 だが、犬が来て、夫の生活が変わったことで、私の心境も変わりつつあった。今までは、夫に夕食を作ることがあんなに嫌で嫌で仕方なかった。スーパーで割引のシールが貼られて安売りされていた惣菜を、あたかも私が調理したかのように皿に盛りつけて出していたりしていた。でも今ではそんな過去が、自分でも嘘のように思える。
 ただひとつ、私たちの間には重要な問題が残されていた。
 私には、犬の姿が見えないのだ。
 姿が見えない。手で触れることも、鳴き声を聞くこともない。
 夫は犬のために、餌皿にドッグフードやら水やらを入れて置いておくが、それが目の前で減っていく様子も見たことがない。ただ、少しの間、目を離した隙に、皿が空になっていたり、量が減っていたりする。犬用のトイレは、夫が几帳面すぎるくらいマメにきれいにしているが、いつ見ても、そこに犬の糞尿がされた様子はない。臭いもしない。
 夫は散歩に犬を連れ出す時、首輪とリードを手に持って出て行くが、犬がそのリードを引っ張って先へ進んで行くところを見たことはない。道中、犬がした糞を入れるためのビニール袋とスコップも、いつも綺麗なままだ。
 夫は私に、「タエコには、マイクロフトが見えないのか? すぐそこにいるのに」なんて言うが、本当に夫には、その犬の姿が見えているのだろうか。
 おかしいのは私なのか、それとも夫なのか。
 ある晩、同僚との飲み会があった。
 職場でほぼ同時期に入社した私とその他女3人、「大きな仕事にけりが付いたから」だとか、「今週の上司なんかむかついたから」だとか、何か適当な理由をつけて毎月のように集まって飲む。その夜もいつもの居酒屋で卓を囲んだ。
「そういえばさ、うちの旦那、想像妊娠したんだよね」
 会話の弾みで思い出したかのように、サオリが唐突にそう言った。その一言に、私は面食らった。私を含め4人全員が既婚者だが、お互い、結婚生活についてはあまり深く突っ込んだ話はしてこなかった。全員、まだ子供がいないのもあって、夫婦間の話はなんとなくタブー視されていた。
 入社したのが同時期というだけであって、中途採用で入社した4人なので年齢はバラバラで、サオリは最年長だった。もう40歳近い。
「ほら、うちって、不妊治療に通ってるじゃない。もう5年くらいになるのかな。いろいろ方法は試してみてるんだけど、まだ子宝に恵まれなくてさ。そしたら旦那がさ、想像妊娠した訳よ。想像妊娠って、もちろん女がなるんだけど、ちょっと調べたら、やっぱり赤ちゃんを強く望んでいる人に出ることが多い症状なんだってね。男でそういう症状になったって症例があるのかはわかんないけど、やっぱ旦那は子供が欲しいんだろうなって思ってさ。いや、あんたが妊娠した気分になってどないすんねんって、そう思ったけどね? だって男は、産めない訳じゃない。まぁ、想像妊娠しても産める訳ないんだけどさ、そもそもね」
 私たち4人は全員がハイボールのジョッキを片手にほろ酔いだった。そのことが、この中の誰もが、胎内にもうひとつの生命を宿していない何よりの証明のような気がして、つまみで頼んだ焼かれたモツが、なかなか飲み込めないままいつまでも口の中にいた。
 私の夫は、なんだろう。あれは、なんていう症状なんだろう。犬の姿が見える。いないはずの、犬の姿が。イマジナリーフレンド? 
 私は犬の姿が見えないことについて、夫に追及していなかった。犬の存在・不存在が問題なのではなく、夫が私と向き合って生活を営んでくれることが嬉しかった。私たちの生活が平穏に続いていくことが、私の最重要項目であった。
 子供を望むがゆえに、胎内に生命を宿していないにも関わらず、そう錯覚してしまう症状。
 家の中に犬がいると、透明な犬がいるはずだと、そう錯覚している夫は、一体何を望んでいるのだろう。彼は一体、何を渇望しているのだろう。
 その日の飲み会はどこかしんみりとした雰囲気で終わり、早々と切り上げることになった。別れ際、サオリは「なんだかごめんね、次はぱーっと、なんか楽しい話をして飲もう」と明るい声音で言った。その声が、努めて明るく振る舞っているようではなく、本当に、正真正銘に朗らかな色を帯びていたので、私は少し元気が出た。
 帰宅すると、夫は家にいた。いつもなら、犬の散歩に出掛けているはずの時間だが、ソファに腰掛けたまま、電源の入っていない、真っ暗なテレビを見つめていた。
「どうしたの」
 私はそう声をかけたが、夫は私に背を向けたまま、振り返りもしなかった。
「マイクロフトは、どうしたの」
 夫はただ黙っていた。黙ったまま、首を横に振った。
 それから、ずいぶん長い時間をかけて、夫は言葉をひり出した。
 とてもたくさん苦しんで、たった一言だけ言った。
「もう、仕事辞めたいんだ」
 窓が開いていた。細く開けられたその隙間からは、猫くらいだったらすり抜けて外へ出て行けそうな気がした。窓からは夜風が吹き込んできていて、カーテンの裾を揺らしていた。
 部屋の中はあの日と同じように薄暗くて、テーブルの上では夫のパソコンのディスプレイだけがいつまでも白く光っていた。
 そうして、犬はいなくなった。
 ***************************** 
 あれから、三ヶ月。
 私たちは今まで住んでいた部屋を引き払い、新しい家へと引っ越した。
 引っ越ししたことで、私の勤めるデザイン事務所は少しばかり遠くなり、仕事帰りに集まるのがなんとなく億劫になってしまって、女4人での飲み会は開かれなくなってしまった。
 ちょうど、4人の中で最も若かったカナコが妊娠したのもあって、サオリに遠慮をして、そしてサオリ自身も、私たちに遠慮をして、4人それぞれがお互いに距離を置く結果となった。私たちは自分が傷つかないために、そして、誰かを傷つけたりしないように、そうやって透明な膜の中へとこもる。
 私と夫は、変わらず穏やかな生活を送っている。
  夫は仕事を辞めた。今は友人の仕事を手伝いながら、新しい職を探している。
 仕事をしていなくても、夫は変わらず朝5時に起きる生活を続けている。犬の散歩にも出掛ける。
 今度の犬は、ワトソンと名付けられた。捨て犬の保護施設から夫の手によって引き取られてきたその犬は、右の後ろ足を少し引きずって歩くからだ。それでもワトソンは元気いっぱいで、ドッグフードを部屋中にまき散らすし、ときどき排尿を失敗する。トイレットペーパーを転がして遊ぶのを覚えてしまって、最近は手を焼いている。食事も、私たち夫婦が食べ始めるよりも先に早くくれと、催促するように鳴いて、ちょっとうるさい。
「飼い犬はワトソンだし、いっそのこと探偵事務所にでも就職すれば?」
「僕はホームズって柄じゃないよ」
 夫が笑う。笑って、私の顔を見る。私も、つられて笑う。
 犬が吠える。何か不服そうだった。
 ペット可の物件に引っ越してよかったな、と思う。
 明日は私も早起きして、ワトソンの散歩について行こうか。
 夫と手を繋いで、静かな川べりの道を、朝陽に照らされてどこまで行こうか。
 透明ではない毛並みを撫でてやりながら、そんなことを考えた。
 
 了
※いいねした人をイメージして小説を書く
 瀬野さん(@snhmar)
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habikino · 5 years
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702: 名無しさん@おーぷん 2016/04/25(月)17:57:55 ID:LX3 大学生の時付き合った彼。 すごく爽やかな人で、友人時代も長かったし、「この縁が長く続くといいなぁ」なんて思ってた。 でも、付き合い始めてすぐに「アレ?」と思うようなことが続いた。 ある日彼と喫茶店で映画談義(お互い映画鑑賞が趣味)に花を咲かせていた時。 楽しくお喋りしていたら、彼の後ろ側にある席に座っている女性がチラチラ私の方を見てくる。 不思議に思っていると、テーブルに置いた私の手にポタっと赤い雫が。 ビックリして手鏡をみたら、鼻血。 しかも鏡をのぞき込んだ拍子にタラタラと流れ落ちてきた。 結構な量だから何滴もテーブルに落ち、思わず鼻を抑えてしまって手も真っ赤。 驚いて「は、鼻血でた!」と彼に話しかけたら、「うん、さっきからね。それでさ?」 ええ?気づいてたならいってよ!と思いつつも、 普段鼻血なんて出ない私はプチパニックになり、 とりあえずテーブルにあった紙ナプキンで鼻を抑え、テーブルの上の血を拭いた。 でもナプキンじゃうまく拭ききれなくて(ティッシュも持っていたけどバッグの中だったので、 取り出せない!と思ってしまった。今思うと彼にお願いすればよかったんだけどね。)、 ゴシゴシやると余計広がり…と1人でバタバタしてる間中、 彼はそれまでと変わらぬテンションでずっと話しかけてくる。 「そ、そっか」とカラ返事を繰り返しながらもなんとかテーブルの上の綺麗にし、 次はお手洗いで顔をなんとかしよう!と席を立った瞬間、彼が 「あ、それで今度の新作は予定通り×日に見るってことでいいのかな?」 それに対してまだテンパり中の私が「ごめん!今それどころじゃなくて!」と返事をしたら、 彼は一瞬ムッとした顔をして 「ふーん…」 お手洗いで顔も綺麗にして戻ってきたんだけど、お帰りもなしにまた話し出す彼。 私もなんとなく勢いに飲まれて話に戻り、その日はお開き。 この時点で若干モヤっとしたものの、「私が大騒ぎし過ぎなのかなぁ」と飲み込んだ。 友人だった頃は逆に私がちょっと怪我したくらいでも申し訳なるくらい心配してくれる人だったから。 でも恋人同士になったんだから、彼もある意味気を使わなくなったのかな?とその時は思った。 でもそれからしばらくして、今度は風邪をひいて高熱を出してしまった。 その日は午後から彼と会う約束をしていたので、 熱でボーッとなりながらも彼に今の状態とキャンセルの旨のメールをいれ、 這うように病院へ行きってから薬をのんで寝ていた。 すると丁度約束していた時間頃に彼から着信。 出ると、開口一番「ねえ!○店て××の三階だよね!」 ○店は当日行くはずだった店で、大きいSCに入ってる。 「そうだけど…」と返すと、「1人で行こうと思ったけど、うろ覚えだったからさぁw そうそう、この前サークルで必要なもんができて、今日それも買おうと思ってて?」と1人でペラペラ。 わざわざ掛けてきたのだから何かあるのかなとしばらく聞いてたけど、一向に雑談するのみなので、「ごめん、熱で気分が悪いから切っていいかな…」と言ったら一瞬黙った後、 あからさまに不機嫌な声で「あーそうだね!じゃ!」 そしてやはり最後までこちらの体調を伺う言葉は一言もなかった。 熱が下がった時、「いやこれおかしいだろ」と冷静に思った。 こちらを気遣わないのはまだともかく、付き合う前と後とのギャップがありすぎて。 私も悪いんだけど、彼にはすぐに突っ込めなかったかった。 なんていうかこちらを気にせず話す彼が本当にテンション高かったから、 言ったら結構な問題になりそうで。 703: 名無しさん@おーぷん 2016/04/25(月)17:58:01 ID:LX3 私が神経質すぎるのか?いやでも…とグズグズ考えること数ヶ月。 その間は特に私が体調不良になることもなく、 普通に毎回楽しいデートだったので感じた違和感も忘れかけてたんだけど、 ある日彼と人通りの多い道を歩いていたら、丁度すれ違おうとしていたカップルの女の子が 石畳にヒールを引っ掛けてしまい、横にいた私に思いっきり体当たりする形でぶつかった。 私の方はなんとか踏ん張ったので転ぶまでいかず、 女の子も不慮の事故なのに申し訳ないくらい謝ってくれ、 更に男の子まで「僕が咄嗟に支えられなくて…」と詫びてくれた。 その間彼はと言うと、私がこういう状況に巻き込まれたことは絶対に気づいていたのに、 全く足を緩めることなくスタスタ歩き、すぐ先にあった店のウインドウを眺めていた。 追いついた私が声をかけると「ねぇみてこれ!俺が探していたのこういうのだよ!」 この時に今まであった事がブワッと思い返されて、 あくまで軽い感じで彼に「ちょっとぐらい心配してよ?」と言ってみた。 すると彼が「^_^;」←まさにこんな顔で苦笑いし、 ヤレヤレ…と言わんばかりに軽く首を降りながら歩いていった。 この時、自分でもびっくりするくらい彼に冷めた。 例え大したことなさそうでも一言も触れずにスルーできる神経とか、 なにより付き合ってからいきなりそうなったことが「この人ダメかも」としか思えず、後日別れ話。 多少揉めたがなんとか別れ、その後彼はすぐ後輩と付き合い始め、卒業後結婚した。 すぐに子供が出来たと聞いていた。 先日同窓会で顔を合わせたんだけど、彼、入籍から2年たたず離婚してた。 出産と同時に嫁が実家に帰り、それ以来顔を合わせていないらしい。 子供も写真で見ただけだとか。 離婚した理由は浮気とかじゃなく嫁のワガママと言ってたけど、 「妊娠してから嫁が毎日発狂してさぁ。訳分かんなかったよ。」とあっけらかんと話す彼を見ていて、 原因は彼の方なんじゃないのかと思ったよ 707: 名無しさん@おーぷん 2016/04/25(月)23:48:20 ID:LX3 >>704>>705 なんだか今更ですが、私の感じた違和感に同意して貰ってホッとしました。 別れる時はあまり彼の非を話すのも…と思って周りには「価値観のズレ」と濁していたので。 その代わり別れ話の最中のゴタゴタを見た友人達には「別れて正解だと思う」と言われました。 >>706 心の底ではどう思っていたのかは分かりませんが、思いやりのある人に見えました。 付き合う寸前の時、靴ズレ(と言っても血がにじむ程度)を起こした私を 「そこにいて!」ベンチに座らせ、走って絆創膏とジュースを買ってきてくれた事もありましたし。 体調不良で休んだら「大丈夫?無理しないで」とメールも貰いました。 何故それがああなったのか不思議でしょうがないです。 708: 名無しさん@おーぷん 2016/04/26(火)02:30:25 ID:5bA >>707 ゴタゴタ気になる 709: 名無しさん@おーぷん 2016/04/26(火)04:42:45 ID:t21 >>708 多分ありがちだしスレ違いなので簡潔に書いてみました。 ・「合わないと思うから別れたい」と彼に伝えるも、  「なんでそんなこというの!?俺がどんなに傷つくか分からないの!?」と全く話にならない。 ・「正直ああいう態度に不信感がある」と伝えても「勘違いだよ!俺がどんなに?」 ・とにかく認めないから!の一点張りで、次の日から大量の「好きだよ」  「かわいいよ」メールが毎日届く&着信多数(出なかった) ・↑に加え、大学の門や教室の入口で待ち伏せ ・ニコニコと「お疲れ?どこ行く?」と寄ってくる(約束してない) ・「続ける気は無いから近寄らないで」と伝えても全く変わらない。いつもニコニコ。 ・無視したり「行かないよ」と言うと「じゃあまたね!」と爽やかに去る。 ・私の家(大学から徒歩10分)の前で朝から待ち伏せ。無視して歩くも  「今日終わったら〇〇行こっか?××でもいいよ?」とひたすらニコニコついてくる。 ・最初は彼の態度に「単なる痴話喧嘩?」という雰囲気だった周りも、  2週間程繰り返される彼の粘着に「何か変だな」という空気に。 ・最終的に教室の出口で待っていた彼に、私が「もうやめてよ!!」と怒鳴って泣く。 ・周りが彼を「嫌がってるんだからやめてやれよ…」と止め、彼無言で立ち去る。  ぷっつりメールも止む。 この後すぐに後輩の子が彼に猛アタックして付き合い始めたので、その後は平和でした。 彼も憑き物が落ちたように普通に戻ったように見えました。 ただ、正直に言うとその後輩はあまり評判の良くない子 (自分を名前呼びの察して・構ってちゃん)だったので、 彼と後輩のカップル誕生が分かった時は皆ぎこち��く祝福してましたね。 それでも卒業までかなりのラブラブっぷりだったので、 収まるところに収まったのかなぁなんて思っていたのですが…。 後輩がギブアップしたのか別の問題があったのか、よくわかりません。 もう私には関係の無いことですけど…。
http://syurabahazard.com/archives/1074726150.html
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harinezutaka · 7 months
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二年前日記38(2021年9/17〜9/23)
9月17日 今日から28週。いよいよ妊娠後期に突入した。ポタージュの素に片栗粉を混ぜて団子っぽくしたものにみたらしあんをかけて朝ご飯に食べた。とてもおいしかった。今日は就職相談に行く。カードを使って適職を考えてくれるそうだ。少し早く行って県立図書館へ。市立図書館にはない本を借りたかったので。リニューアル後は初めて行った。静かで広くてとても気持ちよかった。昔はここに市立図書館があったので、よく行っていたな。懐かしい。お昼はムジカフェとサンマルクカフェをはしごして、本を読んだり今までの職歴を振り返ったりした。相談は2時から1時間。診断はなかなか面白かった。参考までにといくつか求人も出してくれた。産まれたらなかなかそんなことは考えられないかもしれないけど、遅くても3年以内には社会復帰したいなと思う。子ども連れでもいいみたいだし、こういう窓口があることが知れただけでも収穫だった。本当に困ってから動くってしんどいことだからな。前職でももうちょっと早く相談に来てくれてたらという人をたくさん見てきた。1年後ぐらいには動き出すことを目標にしようと思う。帰り寄ったスーパーに知り合いが働いていて声をかけた。3日ぐらい前に共通の知り合いも来てきたそう。滅多にいくことがないのに、面白いな。晩ご飯は、都きしめん、お寿司、えのきとわかめのナムル。夫は帰りに鍼に寄る予定だったが、仕事がめちゃくちゃ大変で行けなかったみたい。お疲れだったけど少し楽しそうでもあった。
9月18日 朝起きたら、晴れ間が見えていてこの辺りは台風の被害はなさそうだった。夫は土曜出勤なので、私は平常運転。少し掃除を丁寧にして、片付けなども進める。来週にはコープさんの注文書を出さないといけないのでどんな感じで頼もうかカタログを見ながら考える。いっぱいあって慣れるまでは選ぶのも大変そう。本を読んだり、テレビを見たり。アマゾンプライムで『パンとスープとネコ日和』を見終えた。次は『かもめ食堂』を見ようっと。いいなと思った言葉メモ。「しまちゃんみたいな人はね、これから貴重なのよ。普通にきちんと暮らしていける人。普通に旅をしながら生きていける人」「そんな母の生きてきた場所で始まった新しい時間の中で、私は気づきました。今までの自分は自分自身が不自由にしていたのだということに。先生、私、真面目すぎました。私、これからは、不良になります。自分が自由になれて、人との時間は初めて始まるのだということに気づきました。母はそれを知っていたのだと思います。」夫は義実家に寄って帰る日。晩ご飯は、枝豆豆腐、ひじきと玉ねぎのサラダ、らっきょ。
9月19日 朝、高山なおみさんの番組を見る。色合いが、青みがかっていて、濱田さんの写真がそのまま動いているみたいで不思議だった。今日も市のプレママ講座に行くことになった。応募者多数で落選していたのだけど、キャンセルが出たそうで、繰上げ当選したそうな。市から届いたサポート券でお昼はカレーを食べた。ちょうどみんな届いた頃なのか、対象の店はなかなかのにぎわいだった。外で食べてる人にはもう感染対策とかあまり期待できない感じもする。自衛するなら、行かないことなんだろうな。まあでも有り難い話なので、サポート券はなるべくいろんなお店で少しずつ使おうと思う。本屋さんで本を買い、講座に参加。前、参加したものは2組だけだったし実践的だったが、今回のものは座学っぽい内容だった。最初に自己紹介の時間があり、予定日と聞きたいこととパートナーのいいいところを言うというのがあった。みんなとても積極的な感じで、ギスギスしてるのは自分たちも含めて少し上の世代ぐらいなのかなと思った。でも、産まれたらまた違ってくるんだろうな。帰りに夫は美容院の予約をしていたので、私はその間本を読みながら待っていた。晩ご飯は、買ってきたもので簡単にすませる。鶏皮とニンニク芽の炒め物、ささみと豆とひじきのサラダ、塩サバ、茄子の味噌汁。食べながら『アンという名の少女』を見た。
9月20日 朝はルーチン通りに過ごす。昼ご飯はひじきペペロンチーノとアボカドのポタージュ。アボカドのポタージュは今年のヒットだ。アボカドとグレープフルーツジュースと塩をミキサーにかけるだけ。あっさりしていて美味しい。少し昼寝をして、片付けタイム。押し入れに収納していた引き出し式の棚を外に出すことにした。どう配置するかを夫に相談したところ、思ってもいない配置で面白い。少しずつ本をしまっていく。夕方、冬用の布団乾燥のためコインランドリーへ。ひとりで行こうとしていたが、着いてきてくれた。図書館と西松屋にも行く。乾燥機にかけている間に買い物もすます。今日の晩ご飯は夫が作ってくれた。茄子に豚バラを挟んで焼いたもの、ピーマンとコーンのバター、ミョウガ と玉ねぎの味噌汁。レシピ通り作ろうとしたけど、茄子が大きすぎて大変そうだった。でも残すことなくぺろりと食べれてしまった。『アンという名の少女』がちょっとしんどくなってきたので、『きのう、何食べた?』を見た。夫は以前は少し抵抗がありそうだったが、今回は楽しそうに見ていた。
9月21日 朝、夫は鍼灸院へ、私は病院だったので送ってもらう。今日は4Dエコーの申し込みをしていた。赤ちゃんの位置的にいまいち条件はよくなかったみたいだけど、またしてもらうのもなという感じだったので、今日の分で写真を撮ってもらった。写真は何だかグロテスク。少しサイズが小さく出てるみたいで、念のため次回もエコーをすることになった。1000グラムは越えてるみたいなので、28週の壁は超えたのかな。30週も目前だ。性別は女の子でどうやら確定みたい。再び夫と合流して、蕎麦屋さんへ。ここもサポート券が使えるところで賑わっていた。小さなお店で、感染対策もあまりされてないみたい。夫は少し不機嫌になっていた。帰宅後、昼寝。起きたら4時だった。片付けをして、晩ご飯の準備。長芋と鮭のマヨグラタン、ハムと茄子のマリネ。夫は今日は夜勤だと思っていたら、休みとのこと。なーんだ。急にのんびりモードになる。『アンという名の少女』と『きのう、何食べた?』を見る。あんなに寝たのにまた眠たくなって気づいたらまた寝ていた。眠さに波がある感じ。赤ちゃんがぐぐっと大きくなるときに、眠くなるのかもしれないな。
9月22日 昨日よく寝たので今日はとても元気。午後から実家に行く。ちょっと久しぶりだったからか、最初私のことを一番上の姉だと勘違いしていたみたい。あまり動揺しなかった自分に驚いた。ようやく親の老いを受け入れられるようになったのだと思う。昨日は宅配のお弁当をお試しで頼んでみたそう。良いことだ。今度、新しくできた喫茶店にモーニングに行く約束をした。「お父さんと行っても仕方ないし」みたいなことを言うので。母は何でそういうこと言うのかな。本当は大好きなはずなのだけど。よくわからない。帰りに干物をもらった。車を止めさせてもらっているお向かいさんの土地がすっかりコスモス畑になっていた。世話をする元気もないのかもしれないな。晩ご飯は、手羽中のケチャップ炒め、玉ねぎとコーンのサラダ。なんだか胎動が激しめ。殴られているような感じ。小さいと言われたから頑張って主張してくれてるのかもしれない。あなたのペースで大きくなってくれたらいいからね。
9月23日 2度目のワクチン接種のために姫路に向かう。2時過ぎに家を出て、だいたい時間通りに着いた。今回もスムーズに進んだ。前回はご自由にお取りくださいと冷蔵庫に入っていた飲み物が今回は持ってきてくれるようになっていて、そろそろ先が見えてきて在庫をなくさないといけないんだろうなと思った。会場運営に携わっておられた皆さま、長い間お疲れさまでした。ありがとうございました。前回は御座候を買って帰ったが、今回はぶどうパンを買って帰ろうと思って、ボンマルシェに寄る。活気のあるスーパーだった。お魚もお肉も美味しそ���。『妻のメシがマズくて離婚したい』というマンガがTwitterでは話題になっていて、その妻さんはお腹に入っちゃえば何でも同じという考えの人なんだけど、スーパーに来る人の顔ってスーパーによって全然違うからやっぱり食べものは大事なんだと思う。1回目のときより元気な気がして食欲もあるので寄り道したくなり、御座候がやってるラーメン屋さんに行く。野菜入りの胡麻味噌坦々麺。美味しくて安い。新生軒に行きたかったけどお休みだったのでこちらにしたけどよかった。家に帰ってからも、用意していた晩ご飯をちょこちょこ食べた。ピーマンと牛肉のオイスター炒め、鶏そぼろのスープ。今のところ熱が出る気配はなし。
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自然に学んで育った、海の猟師(猟師)
定置網漁師 大友康広
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「えぇっ!!それ本気ですか?」
この記念すべき“東松島食べる通信”の創刊号の特集で、真イワシを取り上げたいと打診した時に言われた言葉。大きな笑い声とは裏腹に、毎年イワシ漁をしていても、イワシが獲れる年と獲れない年の差は100か0、それだけイワシの群れが来ない事もある。下手したら10年待つ事も。それだけに数多くの漁船が集まるこの石巻湾でも一番の花形とされ、一晩で1億稼ぐ事もあるのが、このイワシ漁。聞けば聞く程、編集部としても魅力的だがリスクの高い食材。なんせ、獲れなければ皆さんにイワシを送れない。「でも、イワシ漁やるでしょ?」と聞けば、豪快に笑い飛ばしたもののそこはカラリとした漁師気質。「よしっ、やりましょう!!なんだかすげぇ、燃えて来た!!」
ここから、定置網漁師大友康広(31)さんの物語が始まります。
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「浜市自体が、大きな教科書だった」
東松島市浜市地区。日本初の近代港湾の建設である「野蒜築港」があり、明治政府による東北開発の中心的な事業と位置づけられていたが、完成から3年後に台風で突堤が崩壊し、施設はそのまま放棄されており、現在では土木学会選奨土木遺産となっている。
浜市で定置網漁を行う祐神丸は、康広さんで3代目。自ら狩猟民族の血が流れているのだと言う彼のルーツは「実家の前の溜め池」だったと話す。実家で使っていた田んぼの溜め池は、幼少期の大友さんにとって1つの世界だった。船が浮かぶ程の大きなその溜め池には、自分だけの楽しみとして、フナや鯉、獲って来たザリガニなどを放しては釣っていた。たまに珍しい魚が釣れたりすると、一目散に溜め池に戻り、生きたまま放す事で満足していたそうだ。すでに小学校1年生の頃には、ウナギや金魚も放して、養殖じみた事までしていたから驚きだ。厚い氷が張る寒い冬には、氷に穴を開けてワカサギ釣りの真似事をしたり、夏には同じ部落の子供達と泳ぎもしたり、とにかく1年中その溜め池で遊んでいた。
とにかく外で遊ぶ事が好きな大友少年は、釣りの名手だけでなく、ゴムパチンコの名手でもあった。彼にとって遊びとは、聞けば子供同士の“マト撃ち”ではなく、まさしく“狩り”そのもの。小学校低学年の頃から“朝はあの家の軒下に、よくハトがいる”とか、“この木のあの枝には、夕方キジが休みに来る”など、浜市という部落内の動物事情に精通していた。そうして動物の習性を自分で学び、道具を工夫し、決して獲れるまであきらめず、獲物(動物)達と繰り返す1対1の真剣勝負は、彼が自然と動物を教科書とした勉強であり、最高の遊びであった。とは言え、獲物の習性や行動、ゴムパチンコの腕前が上がったとしても、そう簡単に子供が獲物を仕留められる程自然は甘くない。だからこそ勝負に勝って獲物を仕留めた時は最高に嬉しく、だからこそ獲れた獲物は自然からのご褒美として美味しく食べた。こういった話は、当然同級生とは合わず、いつも祖父とよく話をしたという。実は、祖父の清喜さんと父の久義さんは、それぞれ鉄砲撃ち。趣味とはいえ、狩りで仕留めた鳥や鹿などの獲物は必ず持ち帰り、家族で残さず食べていた。逆を言えば“食べない分は狩りをしない“。大友家はそんな家庭だった。
「あのスズメ、うめぇそうだなぁ」
保育所時代のエピソードも面白い。
遠足帰りを迎えた大友さんのお母さんに、引率の保母さんが青ざめながら「康広君が電線にとまったスズメを見て『あのスズメ、うめそうだなぁ』と言ったのですが・・・」と伝えたそうだ。そこはさすがの大友家。母はみじんも驚く事なく「ウチでその会話は、普通なんです」と答えた。
「ウチの前を通る魚は、素通りさせない!」
そんな、英才教育の中で育った大友さんが漁師になる事は、日常生活そのままの事であった。
漁師を続けていて、どれだけたくさん獲れても、毎日獲っていても、魚を獲る事に飽きる事はないそうだ。ちなみに、父親の久義さんも中学を出てからずっと定置網漁師として現役で活躍をしているが「毎日毎日獲れる魚の種類も、数も違うから楽しいんだよなぁ。定置網って、網の仕掛けも魚の事を考えて全部自分で作るから、獲れると本当に楽しいんだ。」と、嬉しそうに、そして誇らしげに言う。そんな大友さん親子は「オレたち漁師ってのは、心から大漁を待ちわびているんですよ」と言う。
定置網というのは魚の動きを予測して、広大な海に“ちょこんと”網を仕掛け、毎日網に魚が入っているかを見に行く漁。つまり、たくさん入る時もあれば、まったく獲れない事もある。とは言え、鮭漁など一定期間間違いなく大漁が見込める時期もある。こうした時期は、1年に本当に数日で、まさに先に書いた「大漁を待ちわびている」その期間。そんな大漁が見込める時期に、台風や時化などで船が出せない時は、親子して悔しくて眠れないのだそうだ。これが数日続くとノイローゼ気味に。これは、“船が出ていれば今日の水揚げ分の儲けを失した“という経済的思考ではなく、狩猟民族として魚がいるのを分かっていながら、自分達の船が出せずにみすみす目の前の魚を素通りさせることに、本当に腹が立つという狩猟民族的思考なのだ。
ちなみに海が時化ると、海の魚達はイヤでも動かなければならない状況に置かれる。全く魚が獲れていない時でも、一回の時化で定置網に魚がたくさん入ることも多い。大友さんは、そんな時化の時は、最高に燃えるそうだ。大きな時化の時は、定置網の仕掛けも波に煽られ、網が破けたり、壊れたりもするそう。しかし魚が獲れると判断した時には、たとえ数百万する定置網が壊されてでも勝負に打って漁に出る。
とはいえ、海では絶対にムリをしない。
「海での集中が、楽しい」
彼は、とにかくいつも海にいる。なにせ趣味は釣りとサーフィン。どれだけ海が好きなのだろう?釣りは子供の頃、ゴムパチンコを武器に向き合った動物との1対1のやり取りと同じく、魚との「集中」した真剣勝負。サーフィンでは、波に乗っている時の並々ならぬ「集中」した時間。どちらも、その時間が楽しいらしい。
言葉には出来ないのだけれど、大友さんは海との向き合い方や接し方、海ではどう立ち回るか?という自分と海との関係性を、体と心で理解していると本人は話す。そのため、結果的に釣りに行っても、これがまたよく釣れる。人以上に釣れるとか、人より大きく等はあまり無いのだが、釣れないって事がほとんどない。理由は、腕ではなく海との接し方と言う。「きっと、海に対してフラットな状態でいられるから、落ち着くのかも。“海にいる”という状況を受け入れる事で、海への理解が高くなり、精神状況も穏やかになる。海は、大好き。」
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「何もなくなったから、なんでも出来るぞ!」
2011年3月11日もいつも通りの仕事が終わり、結婚6年目にしてようやく授かった妊娠8ヵ月目の妻と自宅でのんびりしていた時、突然地響きと共に大きな揺れに襲われた。慌てて2人で実家に戻り、漁港に停泊させていた自分の船をしっかりと係留した時、鮎川浜へ津波到達の情報が入った。妻を避難場所となった小学校におき、親戚のおばちゃんを探しに外に出た瞬間、これまで聞いた事も無いドンドン!バキバキ!という音を聞いた。その瞬間、津波の到来に気付き、急いで妻を避難させた小学校に駆け戻り、なんとか難を逃れた。その日の深夜には、牡鹿半島へ鹿撃ちに行っていた父親とも連絡が取れ、所在が不明だった母親の無事も確認出来た。ただ、仙台新港で働いていた妹2人は、3日後まで連絡がつかなかったが、幸い家族は全員無事だった。
夜が明けた2日目の大友さんの心境は、「ここから、やってやっちゃ!何も無くなったから、なんでも出来るぞ!!」昔からの浜市の仲間達と、こう思ったそうだ。決心すれば、漁師ならではの一直線。震災の翌日には、流された2艘の船をガレキの中から見つけ出し、3日目には電気が戻った松島まで移動して、インターネットで近郊の造船場を探して出し、直接交渉で山形県の業者に船の修理を依頼した。
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街を離れる決心と、家族への想い
インターネットで造船所を探していた時にもう1つ調べた事がある。この地震と津波で、日本がどうなったのかだ。4日目には、ネットで震災の事を調べるうちに福島原発の事故を知る。もしかしたら、福島の原発が爆発するんじゃないか?同時に過去のチェルノブイリ原発の事故も調べ、600キロ圏は影響があり、東松島市は福島から100キロ。自分一人なら、妻との二人なら東松島市で復興・復旧の力になりたかった。でも、妻のお腹の中には子供がいた。事情が分かって、ダメだったと分かってから避難してももう遅い。今は船の修理などではなく、とにかく事情がはっきりと分かるまでこの町を離れよう、産まれて来る子供のために。行き先は沖縄県。放射能の影響を受けない、日本で一番遠い場所へ行くと決めた。一緒に船を修理して、再び立ち上がろうとしていた父親にも「子供のために、ちょっと離れる」と伝えると、父の久義さんは「お前が言うなら、止める理由はない」とだけ答えた。
震災から1週間後には、山形から飛行機を乗り継いで沖縄に到着。出発前の山形空港から沖縄県庁に電話連絡を入れ、事情を話して自ら支援を申し出た。沖縄県への避難者第1号として、メディアに登場し、メディアの力を利用して、様々な支援を取り付けた。とにかく、ここでも自分の出来る事を考え、家族を守るために、仕事を探した。仕事は水族館の飼育員や、マグロ船で一本釣りの漁師もした。
そんな沖縄でひと月が経ち、生活が落ち着いた頃から中部大学の武田先生とコンタクトを取り始めた。理由は、メディアだけでは福島原発の情報が分からなかったからだ。沖縄で働きながら、もう一度東松島市に戻れるかどうかの判断を考え続けた。ようやく大丈夫だと、自分で判断出来るようになったのは7月頃。それでも、やっぱり戻るのには葛藤があった。何より、沖縄で生まれたばかりの息子が心配だった。
そうこうしている間にも、震災後の海では魚達が変わらず家の前を通り過ぎていた。夏場から漁を再開していた父親からも「今年は大漁だぞ!」と話は聞いていた。これから鮭が獲れ始める10月~11月も、大漁はほぼ間違いない。今帰らなくて12月に帰ったとしても、その時に自分は用なし。帰るのを決めるのは、自分の気持ちだけだった。そして2011年10月、鮭漁にあわせて、妻と子供を置いて1人東松島に戻り、父親と鮭漁に取り組んだ。
それから3年が経つ今、仕事は震災前のゼロベースにまで戻り、正直一安心が出来た。ここから、これまでと変わらず海と一緒に、自分の足腰に踏ん張りが効くまで、ずっと魚を獲り続けるのが夢だと言う。
1つ新たに加わった夢がある。妻も息子も2011年の12月に、沖縄県から再びこの街に戻って来た。だからこそ、この先10年、20年後の息子の選択肢に“漁師”というものが入っていて欲しいと。その時、“漁師が喰えない“って状況にだけはしたくない。
「息子が、俺みたいになったらって思う。楽しく海と生きて欲しいなぁ。だって、楽だもん。」そう豪快に笑い飛ばし、今日も彼は海と向き合う。
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2014年8月
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gthsd · 2 years
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孕婦感冒怎麼辦注意休息減輕這個病
  孕婦感冒的時候怎麼辦?由於孕婦是不能隨意的亂吃藥的,所以在感冒的時候處理的方法喝常人會有一些不同。孕婦感冒的原因有很多,著涼就可能會導致感冒。孕婦感冒吃什麼?想知道的話,下面的文章請大家仔細看哦。
  孕婦感冒怎麼辦
  輕度感冒多休息
  如果孕婦出現感冒了,但是症狀並不是非常的嚴重,那麼可以試試看利用自己的抵抗力來對抗疾病,多數的感冒等一周左右就會自癒了。孕婦朋友們可以注意多休息,保持足夠的睡眠時間,不要勞累,這樣感冒會得到減輕。
  感冒咳嗽用鹽水
  當孕婦出現感冒的時候常常會有咳嗽的情況出現,怎樣去減輕這樣的咳嗽呢?用鹽水來漱口試試看吧!鹽水可以幫助清除口腔中的一些細菌,而且對於身體也不會有什麼危害,漱口之後把水都吐掉就可以了,比使用一些止咳藥的藥物更加安全。犀利士 威爾鋼 日本藤素 永春糖 日本藤素 美國黑金  日本藤素代購 雙效威爾鋼
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  感冒鼻塞喝��湯
  當孕婦感冒的時候,可以��微注意一下營養的補充,因為在懷孕期間很多人都會有貧血、缺鈣等問題,身體對於各類營養的需求都會比較高,多吃一些雞湯這樣的食物,可以讓身體更加有活力,補充足夠的營養,感冒也會好得快。
  感冒發燒需退燒
  如果孕婦不僅感冒了,還出現了發燒的情況,首先要做的是通過物理降溫方法給孕婦進行退燒,如果物理方法無效,則需要及時去醫院進行檢查和治療。
  孕婦感冒的原因
  懷孕後身體條件改變
  懷孕初期,身體條件改變,妊娠反應加劇,導致孕吐、厭食、睡不好等狀況,同時身體匱乏,運動減少,因此容易導致免疫力下降,從而讓感冒病菌更容易入侵身體。這也是為什麼部分孕婦懷孕初期會反复感冒,感覺身體素質大不如前的原因。
  呼吸道粘膜變化
  女性懷孕後,呼吸道粘膜會出現水腫、肥大,因此容易出現感冒症狀。
  呼吸功能發生變化
  18週時,孕婦的耗氧量增加10-20%(其中50%為胎兒所消耗)。而肺的通氣量增加達40%,為達到孕婦本身和胎兒對氧的需求量,孕婦往往過度換氣。胎兒在母體內無呼吸功能,完全靠母體吸入氧,排出二氧化碳,所以孕婦常感氣短、呼吸困難。由於過度通氣,吸入更多的塵埃,以及呼吸道粘膜變化影響,容易導致感冒。
  全身或呼吸道局部防禦功能降低
  孕婦受涼、淋雨、氣候突變、過度疲勞等使全身或呼吸道局部防禦功能降低,從而使已存在於上呼吸道或者從外界侵入的病菌或細菌迅速繁殖,從而誘發感冒。
  孕婦感冒吃什麼
  蘋果蜂蜜水
  取5個蘋果去皮,切成小塊,加水1升,煮沸5分鐘,自然冷卻到40℃左右,加適量蜂蜜攪拌均勻,每天多次少量飲用。
  薑絲蘿蔔湯
  薑絲25克,蘿蔔50克切片,加水500毫升,煮15分鐘,加紅糖適量,趁熱喝下。
  蔥蒜粥
  取乾淨的蔥白10根,切碎,大蒜3瓣,大米50克,加水煮成粥,趁熱服下。
  白菜蔥根湯
  大白菜心3個洗淨切碎,大蔥根6個,煎湯1碗,加紅糖適量,趁熱服下。
  雞湯
  嫩雞1只,洗剖乾淨,加水煮,食時在雞湯內加進調味品(胡椒、生薑、蔥花),或用來下麵條吃。可減輕感冒時鼻塞、流涕症狀,並能增強人體抵抗力。
  蘿蔔湯
  白蘿蔔150克洗淨切片,加水900毫升,煎至600毫升,加白糖5克,趁熱服一杯,半小時後再服一杯。
  米醋蘿蔔菜
  蘿蔔250克,米醋適量,蘿蔔洗淨切片,用醋浸一小時,當菜下飯。
  橘皮薑片茶春藥 增大丸 威爾鋼VIAGRA 瑪卡粉包 增大軟膏 持久液 樂威莊 LEVIRA 金蒼蠅淫蕩水
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  橘皮生薑各10克,加水煎,飲時加紅塘10-20
  薑蒜茶
  大蒜、生薑各15克,切片加水一碗,煎至半碗,飲時加紅塘10~20克。
  薑糖飲
  生薑片15克,3厘米長的蔥白3段,加水50克煮沸後加紅塘。
  總結:通過小編上述的詳細介紹,在感冒的時候孕婦應該怎麼做,你都清楚了吧!孕婦朋友們在感冒了之後首先不要著急,自己觀察一下情況嚴不嚴重,不嚴重等待自愈,嚴重的就直接去醫院看病,其實處理的方法也是很簡單的。
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dirty-word · 5 years
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那夜我上了老婆情夫的老婆和女兒
一名醫生為報複老婆出軌而精心設計的複仇計劃
我是一名醫生,事情開始在去年初。當時,我到外地出差,一天晚上應酬回來,剛到賓館,就接到了老婆的電話。她語氣憂慮的說自己生病了,我問什麼病,她不肯說,追問了半天,電話那頭她卻一聲不吭,最後悠悠的說:你回來就知道了。然後就掛了電話。我再打過去,手機關機,家裡座機無人接聽。 我感覺有些蹊蹺,給她父母打了個電話,開始沒說她生病的事,隨便聊了一下家常,最後問她最近回家過沒有,工作和身體怎麼樣,老人家說她最近沒回過家,但昨天上午才通過電話,一切都好。又寒暄了一會兒,我掛了電話。 我躺在床上想了想,又起身給她妹妹打電話,手機接通後,我開門見山的問老婆出了什麼事。 電話那頭,妹妹有些驚奇的反問我:你還不知道啊,她懷孕了。我愣了一下,問是什麼時候的事,她說昨天下午陪我老婆去醫院做的檢查。我告訴她,老婆給我打電話說自己病了,並沒有提懷孕的事。妹妹說那我去看看她,過一會兒給我電話。然而,當天晚上,我一直沒有等到電話,也沒有再聯繫上她們姐妹。 第二天上午9點左右,我正在開會,老婆的電話打過來,說自己懷孕了,但是不想要,準備做掉。因為會議馬上輪到我發言,我只說了一句:先等等,我們再商量一下,中午和你聯繫。就匆匆收了線。 中午,我打她電話,關機。給她妹妹打電話,關機。給她父母家打電話,無人接聽。 晚上,我再給她打電話,這次終於接通了。我還沒來得及責問她,電話那頭,她已經哭了起來,聲音不大,是那種壓抑著的啜泣,電話這頭,我也能感覺得到她撕心裂肺般的傷痛。她一直哭了差不多十分鐘左右,情緒才稍微平復。我問她怎麼了,她說:對不起,沒徵得你同意,就把孩子做掉了。我不忍心說什麼,也沒有提中午她關機的事,安慰她說我們還年輕,以後還會有的。 老婆是一家外企的中層,最近還有希望提拔,她說,不希望因為孩子的關係使自己失去這次陞遷機會,我表示理解。但是,令我有些疑慮的是:每次的夫妻生活,在她的堅持下,我都使用了避孕藥套,雖然說這也不能保證萬無一失(這也正是當時我沒有對她提出表示懷疑的原因),但是,在我內心深處,還是隱隱有些不安。 吃飯的時候,我問她為什麼辭工,她說是因為老婆告訴她我們都要出國進修,家裡不需要人了。我沉默了一陣,說:是這樣的,本打算我回來以後再告訴你。她說早幾天晚幾天也沒什麼關係,家裡孩子上初中了,也需要她。 經過一陣閒聊,還瞭解到以下信息:在我出差期間,老婆有3天晚上沒回家。一天晚上12點多,一個身材高大的男人送老婆到樓下,保姆看到了他的車,她說:是一輛黑色的車,路燈比較暗,看不清車牌,好像中間有幾個圈圈。第二天,老婆告訴她我們要出國,她就回家了。 在保姆家住了一晚。第二天清早,向她告辭後,我走在鄉間小路上,確定了幾件重要的事情:老婆說謊了;保姆因為看到了重要的事情才被辭退;那個男人,開一輛奧迪。我茫然若失的坐在長途汽車上,一瞬間,我甚至希望汽車駛出國道,墜崖而亡,讓我永遠沒有機會面對真相。 回城後,到醫院坐了一會兒,逕直回家了。我洗了個澡,有種心力懼碎的感覺,一躺下,就沉沉睡去。第二天早上,老婆把我搖醒,告訴我她今天要出差,等幾天再回來,讓我去洗洗車,聽著她把汽車鑰匙放在茶几上的聲音,我徹底醒了過來。 汽車是老婆進單位時我送她的禮物,那時,我賣了摩托車,動用了幾乎全部的存款,就為了實現自己的承諾。拿到車時,她抱住我,感動得哭了,淚水浸透了我的衣襟……她的喜悅,通過淚水傳播到我的身上,化作幸福,讓我感覺自己置身於天堂。 然而,幾年以後,她多次流露出這部車有失她的身份,希望盡快換掉。 而我,一直踩著自行車穿梭於上下班的人流中,數年如一日。也許,我也有失她的身份,該換掉了吧?我情不自禁的這樣想。 洗車的時候,小工讓我收拾一下車裡的重要物品。我在清理後座的時候,發現在座墊的夾縫裡,纏繞著兩根頭髮,一根細長柔順,一根粗短茁硬。我小心的用報紙包裹起來。我在疑似有精斑的地方用小刀刮下一些表層,收藏好,放進口袋裡。 洗完車後,我回家在床上找了半天,找到一根老婆的頭髮,把它和另外兩根頭發放在一起。帶著這三根頭髮和疑似精斑,我迅速開車去了醫院。 通過微量元素的測定,其中兩根是同一女人的頭髮,也就是老婆的;一根是男人的頭髮,我認為就是情夫的;再通過色素含量和毛髮橫斷面直徑的測定,確定了情夫的年齡在40到50之間;通過熱解離試驗,我再次確定了情夫的血型,A型。 遺憾的是:疑似精斑可能固化時間太長,分離不出來了。 確定了情夫的年齡,也讓我把老婆同事的嫌疑排除了。她們公司年輕人多,中國人沒有超過40歲的,40歲以上的都是老外。而老婆,對老外極其反感,剛進公司的時候,想起老外身上香水和狐臭混雜的味道,她回家還吃不下飯。 由於老婆出差,小姨妹知道我沒地方吃飯,所以和男友聚會的時候,常常叫上我。她的男朋友姓譚,是農行的一個軟件工程師。 有一天吃飯,聊到他們結婚的事情,不知不覺又說到生孩子的問題上去了。我突然想起一件事,於是問小姨妹:你姐姐做手術,去的我們醫院嗎?小姨妹說:不是,是臨城的一家醫院。 我心裡立刻充滿了狐疑:我工作的醫院,在本省的醫療條件最好,而且,醫護人員的家屬在這裡治療有許多方便,放棄這裡,去臨城做手術,一定是為了隱藏什麼。 可小姨妹陪老婆去我們醫院做手術,不需要隱藏行蹤啊?思慮良久,我開始懷疑:老婆做手術,情夫也去了,不去我們醫院,是怕碰到熟人。 想到這裡,我內心波濤洶湧,卻依然鎮靜的吃完飯。飯後小譚說去小便,我也跟了去。我先在後面的洗手池用水浸了浸臉,平復一下內心的激動。進到廁所的時候,我瞟了一眼,發現小譚小便不暢,冠狀溝處似有白色粘液。作為醫生,我知道這意味著什麼回家的路上,我給臨城醫院的一個兄弟打電話,希望他幫忙調一下地下車庫的錄像,他說沒問題,讓我第二天去,也沒多問什麼。兄弟就是兄弟,關鍵時刻鼎力相助,卻不需要知道原因。 第二天一大早,我給醫院打電話調班,就趨車直往臨城。 在朋友的幫助下,我調出了那天的錄像。果然,是一輛黑色的奧迪A6,車牌號是我們當地的go-vern-ment車牌。我恍然大悟:老婆因為工作關係,經常和go-vern-ment部門接觸。她的情夫,是一名官員。 拿到了車牌號碼,以後的事情就相對比較容易了。經過兩天時間的努力,我基本弄清楚了情夫的基本情況。某局局長,副廳級幹部,45歲;老婆40歲,某局財務,副處級幹部;兩人關係在人前還不錯。有一女兒,20歲,在本城讀大學。 還有一點比較重要的情報,情夫這幾天也不在本城。我想他們是在一起。 晚上,老婆打電話給我,說明天回來。我思量著,怎麼和老婆好好談一談。 憑心而論,老婆雖然出軌,但是如果能及時回頭,我並不想挑破。 情夫有家庭,為了位置,也不可能和她結婚。 他們年齡相差十幾歲,基本不是同一個時代的人。當官本思維、拜金主義和戀父情結的夢幻被長期地下情的憤懣和陰暗擊得粉碎時,我不知道他們除了偷情的快感外,是否真的能夠找到長年維繫這種關係的紐帶? 當然,年齡的差距到底是優勢還是劣勢,我也不敢一言以蔽之。或許女人的心理,在她的一生中,始終需要借助父親的影子,才會感到安全吧過了大概三個月,那天下著大雨,老婆到醫院接我回家,一路無語。快到家時,她打破了沉默,說:我想要個孩子了。 我說好的。 吃過晚飯後,我們瘋狂做愛.她很忘情,動作激烈,控制著主動權,我配合著她,在她那久違的迷離的眼神之中,我彷彿又找到了酣暢淋漓的感覺。 40天以後,她告訴我,自己懷上了。 我黯然不語。 很遺憾的是,老婆這次只是普通的妊娠反應,可能伴隨著產期憂鬱症,導致反應比較強烈。老婆自然會有產期憂鬱症,因為孩子的兩個父親都只能永遠縮在龜殼裡。我心裡冷笑著,伴隨著一陣絞痛。 第二天一早,小姨妹闖進我辦公室,當著病人的面數落我。我讓護士把她攆走,她不走。我告訴她,這是醫院,是看病的地方,找我��以,要花錢掛號的。她扭頭就走,掛了我10個號,把我罵了一上午。 下班時,我把資料放在費舊的特快專遞信封裡。到小姨妹家時,她穿著警.服,還戴了帽子。我說把警.服脫掉,如果還一本正經的樣子,我就什麼話都不說。 我告訴她沒吃飯,讓她煮碗麵條。她說好,換了便裝,下樓去買滷菜。煮了面,我又說要喝酒。找了半天,她拿出瓶伊利大曲,然後絞著胳膊,站在一旁,冷冷的看我又吃又喝。 我說你不要用居高臨下的姿態看著我,你以為自己是誰啊,你姐姐委屈了,你要幫她出頭?她有我委屈嗎?我哪天懷個野種給你試試,讓你免費當媽,看你的同情心還氾濫不氾濫。 她蹦過來想抽我,被我一把推開。我把信封摔到她身上,冷笑說:好好看看吧,這是你家小譚的檢驗報告,淋病,知道是什麼嗎?給你解釋一下,性病的一種,全稱叫做淋菌性尿道炎,主要傳播途徑是性life,別告訴我是你傳染他的吧。 說完,我抓起酒瓶,猛灌了幾口。 我清楚的知道,對她的打擊是沉痛的。 小姨妹談過兩次戀愛,初戀男友是她的至愛,因為尋花問柳被她發現,才忍痛割愛。分手時,她傷心得死去活來,絕食了兩天,一年內拒絕了任何男人的追求。 小譚個子不高,人也不帥,外形條件和她前任男友相去甚遠。她和小譚交往,主要是看重他的踏實和質樸,以為可以托付終身。我猜,她連做夢都沒想到過,她心目中這個只會寫程序的技術白癡,也會有放浪形骸的時候。 視線之中,小姨妹緊咬著嘴唇,拿著報告的手微微顫抖,眼裡噙滿了淚。過了一會兒,她蹲下身子,用手摀住臉小聲的哭泣起來。 我走過去扶起她,說,你知道我的感受了嗎,愛人出軌的滋味不好受吧?聽我這樣說,她一頭撲入我懷裡,放聲大哭起來,受了她的感染,我的眼睛也模糊了。 越是堅韌的盔甲,下面的身軀越是柔軟,就像烏龜的殼。 只用了一分鐘,小姨妹就讓酒瓶見底了。然後她翻箱倒櫃的找酒,沒找到,就衝出門去,在樓下的小賣鋪要了瓶琅玡台,坐在花園旁邊的台階上繼續喝。我一路跟著她,陪著她,看著她分不清自己的鼻涕和眼淚。 我背她上樓的時候,她已經醉得不省人事了。然而,當我把她放在床上,打算悄然離去的時候,她卻輕輕拉著我的手,清楚的說了一聲:姐夫,不要走。 我笑了,有點痛。 第二天早上離開小姨妹時,我的手機上多了一張照片,內容參照艷照門中最精彩的雙人畫面。 當老婆躺在情夫跨下G潮不斷的時候,她可曾想到,小姨妹曾經騎在我身上扭動腰身?當老婆依偎情夫懷中憐憫我的時候,她可曾想到,有朝一日也會被我嘲笑? 踩著自行車一路飛奔,轉眼就到了醫院,踏著輕快的步伐上樓梯,打開辦公室的門,點燃一支煙,我的心情好了很多。 在我的心中,綠帽的顏色淺了不少 老婆的肚子漸漸大了,對我的刺激也越來越強烈。還好,家裡有她媽和保姆,否則,我還要幫情夫盡父親的責任,照顧好沒出世的孩子。在家的時候,只有吃飯的時候聚在一起,平常我都躲在書房裡,看書,玩電腦。我借口怕壓到孩子,也睡在書房,能夠不和老婆照面,就盡量不出現。夫妻彼此的交流也減少到局限於幾句話的程度:「開門」、「吃飯了」、「早點睡」、「再見」,僅此而已。 這期間,小姨妹來過一次,她和小譚分手了。告訴我們的時候,她瞟了我一眼,我假裝沒看見,低頭扒飯。吃完飯,我回到書房,貼著書房的門聽她們在客廳的談話。言語中,聽得出來,她很關心我的情況,想方設法打聽和我有關的消息。至於和小譚分手的原因,她只淡淡的說了句性格不合,再也不願多說。 走的時候,她敲了敲書房的門,站在門外大聲說:姐夫,我走了,對我姐好點兒。 我打開門,她已經出下樓了 一個趙姓醫生說某大學大三的學生,後天要來體檢,他那天要給兒子開家長會,請我代班。我想休息一下,借口後天要陪老婆做定期檢查,加上專業不熟擔心出事故,就推掉了。趙醫生也沒多說什麼。其實專業不熟彼此都知道是托詞,體檢的活是個人差不多都能幹。 臨別的時候,我握著老趙的手說不好意思了,幫不上忙,他說沒關係,大家散去。 回家的路上,我突然想起,情夫的女兒不正是某大學的大三學生嗎?我思慮良久,搖了搖頭,緩緩向家走去。 第二天晚上,老婆站起來乘飯的時候,她凸起的肚子碰到了我的胳膊,我一下噁心得再也吃不下去。匆匆逃回了書房。 我趴在書桌上,羞恥和憤怒,就像分別是阿里和泰森的兩對鐵拳,輪番將我打得粉身碎骨。 我給老趙打了個電話,告訴他明天有空,可以替他代班。他很高興,說正愁找不到人,我解了他的燃眉之急,謝謝。我說不用謝,應該我謝謝你。 那晚,我一夜未眠,終於,我要開始接觸情夫了。 復仇,才剛剛開始 第一次看到情夫的女兒時,她正在測視力。看著她清轍的眼睛,純潔得像一塵不染的礦泉水,我心中激盪了一下,頭有些暈厥。這種感覺,是當年我第一眼看到我老婆時,曾經有過的。 輪到我檢查的項目時,我故意說她的身體有些的異常,嚇得她不輕,我又安慰她說,只是些小問題,調養一下就會好的。並把我的手機號碼留給了她,告訴她有什麼事可以找我,當然,藉著關心的名義,我也留了她的電話和宿舍地址。 她血液檢測的結果,我當天就拿到了,有些貧血。 其它,沒有什麼問題。 她血液的指標,當天我就打電話告訴了她,聽到貧血後,她有些淡淡的憂傷,但是對我非常感激,因為她的同學在好幾天後拿到結果。 用關心和建議的借口,我保持了每兩天和她通一次電話的速度。慢慢的,我們就熟絡起來。 一個月後的某個週末,在沒有通知她的情況下,我買了一束花和一些補血的營養品到學校看她。她很高興,和我一起吃了晚飯。言詞中,我漫不經心的讚美著她,假裝意外的尋找到了共同的話題,驚奇的發現了一樣的愛好。她笑得天真爛漫,說好久沒有這麼開心了。 臨走的時候,她告訴我可以叫她YY。我問:是不是最親近的人才這樣叫?她低著頭說:是的。 我說你可以叫我大叔,現在最親近的人也這樣叫。她笑著打了我一下,說,你不老,我叫你哥哥。 這段時間,我仔細研究過她的體檢報告。報告上,血型是有的,根據生日,我推算出了星座。再綜合星座和血型,總結了一下這類女孩的基本性格特徵。雖然通過星座和血型判斷人的性格,多少有點虛無縹緲,但是我不想打無準備的仗,而且,我必須成功。 我開始堅持每天給她發短信,首先,我要成為她生活中的一個存在。 第一天 『YY,我這邊下雨了,你那邊下了嗎?注意加衣服。』 『沒下。』她回信。 第二天 『YY,吃過飯了嗎?』 『還沒。』她回信 『注意營養,不要只吃蔬菜。』 『知道了,謝謝。』她回信 第三天 『YY,今天我買了條紅色的短褲。』 『哦,好看嗎』她回信 『不好看,很漂亮』 『呵呵』她回信 『YY,其實我買了兩條』 『哦』她回信 『有一條是內褲,呵呵』 『討厭』她回信 第四天 『YY,今天和病人吵架了,都怪你。』 『關我什麼事?』她回信 『上午開藥方的時候正在胡思亂想,把藥方配錯,下午別人找上門來了』 『小心點,可是和我有關係嗎?』她回信 『YY,我不敢說。』 『沒關係,說吧。』她回信 『YY,當時我正想著你,在藥方上畫了一條大腿。』 『……笑死我了,真的假的?』她回信。 第五天 『YY,晚上我想來看看你。』 『今天我要回家。』她回信 『就看一眼。』 『我放學就走了。』她回信 『我送你回家。』 『媽媽來接我,她看到不好。』她回信 『那……好吧,可你要答應我一件事。』 『什麼事?』她回信 『睡覺前仔細想我一遍。』 『不』她回信 過了一會兒,她又發了一條 『睡覺前隻馬馬虎虎的想你一遍。』 我微笑著合上了手機。曾經接受過心理學系統教育的我,通過若無其事般的層層推進,一隻腳已然踏進了她的心靈我給老婆說,最近夜班多,來回不方便,想在醫院附近租間房子。 她說好。自從有了孩子,她就一心一意撲在肚子上。我想,即使有一天我變成了只蟑螂,她也不會覺得奇怪吧。 週一下班後,我到學校去找YY. 她沒在宿舍。我給她發了一個短信,問她在哪裡。她回信說和同學在外面看電影。我沒說自己在學校,只讓她注意安全。 一直等到快十一點鐘,看見她和另外兩個女生朝宿舍走來。我迎上去招呼她,她很吃驚,問:你怎麼在,我說:順便路過想來看看你,不過,給你發短信的時候就到了。說完,我祝她晚安,轉身走了。她的兩個同學在後面笑。 在路上的時候,收到她的短信:謝謝你來看我。 我回短信:明天我還會順便路過你學校,在嗎? 她回短信:一直都在。 第二天出門的時候,我給老婆說要出幾天差。就在臨城,路途短,開車去。她說:好,注意安全。 我又到醫院附近的房地產中介找了個房子,忙活了半天,中午才到辦公室。 抽了一支煙,整理了一下思路,我給友好醫院的一個兄弟打電話,請他幫我留個床位。他說:行,現在床位不緊,你不打電話也有的。又問:是不是你們醫院住不下了?我叫他別管,把床位留上就行了,有什麼奇怪的事情發生也不要吱聲。他笑了笑,說:隨你大小便。 吃過午飯,我給YY打電話,約好六點半在學校旁邊的濃情咖啡廳見面。 『不見不散』,我說。 『不見不散』,她也說,我彷彿看見她咬著嘴唇的樣子。 兩點鐘左右,我給YY發短信,騙她說臨時有個重病號,要做手術,但我一定會在六點半以前趕到咖啡廳。 過了半天,她才回短信:工作要緊,改天再見吧? 我回短信:我一定會到的,如果第一次約你,我就不遵守承諾,請你一輩子都不要理睬我。 她回短信:好,我會等你。我回短信:六點半。她回短信:恩,六點半,不見不散。我發完短信,關上了手機我向醫院請了假,開著車在城裡四處轉悠。我先在理髮廳修剪了一下頭髮,再到盜版市場去看了會兒帶色的光碟,最後在一家小麵館裡填飽了肚子。 好不容易挨到六點一刻,我打開手機,給YY打電話,告訴她剛做完手術,正在來的路上,車很多,但我一定會在六點半以前趕到。她說她已經到了,要我開車注意安全。 我把車停在友好醫院的附近,靜靜的坐在車上,抽著煙,冷漠的聽著手機響了五次,都是YY的來電,我沒有接聽。快到七點鐘的時候,我扭轉方向盤,狠狠的向路旁的石墩撞去。 我血流滿面躺在擔架上,被人送進醫院時,給YY發了個短信,說:我出事了,來**醫院。 我躺在病床上,腦袋上纏著繃帶,半個小時後,看著YY失魂落魄的跑了進來,進門之前,視線中的她,差點跌倒在狹窄的走廊裡。她坐在床邊,不知所措的拉著我的手,想要撫慰我,卻讓我清楚的感受到了她的顫抖。 『你不用這樣趕的……』過了老半天,她才忍住眼淚說了一句。 『男人,』我溫柔的看著她,輕輕的說,『一定要遵守承諾。』 聽了這句話,她再也忍不住,『哇』的一聲大哭起來,撲入我懷中。 我撫摸著她的頭髮,我也想哭--但卻是喜悅的眼淚。當情夫把孩子送進我老婆肚子裡,揮舞著綠旗羞辱我時,我也做到了,讓他的另一個孩子依偎在我懷裡流淚。 在我的靈魂深處,目標像燈塔一樣清晰:既然我的老婆能死心塌地的為他犧牲一切,我也要讓他的女兒心甘情願的為我奉獻純潔。 YY請假在醫院陪了我兩天。 第一天 我躺在床上,說頭有點痛,她急得要去叫醫生。我拉著她的手,說我就是醫生,你幫我按摩一下頭部就行了。她小心翼翼的,生怕弄痛我。我不停的說:輕點、再輕點……直到最後由按摩變成了撫摸,我才罷休。我愜意的閉上眼睛,開始專注的享受她柔軟的雙手接觸到我的身體的快感。 過了一會兒,我又叫胳膊痛、背痛、腿痛、屁股痛……她聽話的認真撫摸了全身。我也認真的欣賞了她在撫摸我大腿時的羞澀。 晚上,輸液,她沒有走,要了張加床。 第二天 凌晨兩點多,我大叫一聲。她醒來,慌亂中奔到我床前,驚恐的問:怎麼了。我說:心痛,快死了。她嚇得哭了起來。我拉著她的手放在胸口,笑著說:想得你心痛,快想死你了。 她又喜又氣,半天說不出話來,只用手推打我。我一把將她拉到懷中,吻了下去。她下意識的抗拒了一下,就沒再動彈,緊緊的閉著眼睛。我如癡如醉的吮吸著那雙顫抖著的、稚嫩的嘴唇,就像螞蟻見了蜂蜜一樣陶醉,頭,又有些暈厥。 一瞬間,我彷彿又回到了初戀時和老婆相依相偎的日子,世上最美麗的太陽再次從我心底冉冉升起,照亮了靈魂中的每一個角落。 這兩天,除了親吻,我什麼都沒幹。 我要一步一步來。 和YY的事情進行得很順利。 一有空,我就到學校找她。我們一起吃飯、看電影、壓馬路、說情話和數天上的星星。看得出來,和我在一起,她很開心。 夜幕降臨的時候,我們常常會坐在小樹林旁邊的情侶椅上。我喜歡把頭埋在她身體裡,然後深深的呼吸,我想把那處子的芬芳,吸進肺,循環到血液,擴散至細胞,然後停留在記憶中永不消褪。 每次我親吻著撫摸她的時候,她羞澀、恍惚、渴望的眼神都會使我迷醉。 我總會情不自禁的貪婪的吞食著她那甘露般清甜的唾液,或許,我希望它能澆滅我燃燒的仇恨;我總會不由自主的忘情的攪拌著她那棉花糖般香嫩的舌頭,或許,這可以暫時讓我破碎的心靈被麻醉;我的雙手,總會堅定的、孜孜不倦的探索著她那顫抖著的、滾燙的身體……或許,只是或許,我潛意識中希望自己的老婆出軌。 這段時間,我住在出租屋裡,很少回家,基本上也不給家裡打電話。老婆倒是偶爾來個電話,叮囑我回家換洗衣服,少抽煙,不要熬夜什麼的。我總是懶懶的應付著她,平淡得像一頁紙。我在想:是距離產生了美?還是她想回心轉意? 可惜,我對這個問題的答案已經提不起興趣。自從認識了YY,我對老婆的感情以跳樓的速度在減退,如果說從前的仇恨中還摻雜著嫉妒和眷戀,而如今,所有的報復,目的單純而清晰:為破碎的自尊找回尊嚴。 18號,YY的生日。 17號,我要求YY給我一個完整的生日,她問:什麼意思。我說:你一天的時間都歸我安排。她假裝考慮了一下,笑著說:好。 18號凌晨一點多,我給她打電話,說在宿舍下面,讓她帶著身份證下來。她睡眼惺忪的下樓,問什麼事。我告訴她生日時間已經到了。我把她塞進汽車,直奔機場。直到登上凌晨三點一刻去烏魯木齊的航班時,她似乎才清醒過來。 到達烏魯木齊後,我們轉乘8點的航班去伊寧,9點到達伊寧後,又坐了三個小時的汽車。十二點半,當她看到美麗的那拉堤大草原時,激動的抱住了我。 我們從草原的左側騎上馬,二十多分鐘後,進入草原*,看到了那拉堤草原最大的蒙古包。 我拉著她進入蒙古包,剛踏上紅地毯,蒙古包裡聲樂齊鳴,十來個哈薩克少男少女一擁而上,向公主一樣簇擁著她,圍繞在她周圍載歌載舞。 YY驚呆了,茫然失措的望著我。我牽著她的手,穿過人叢,走到碩大的餐桌旁,席地坐下,拿出一塊潤綠的和田玉,戴在她脖子上,說:YY,為了這一天,我已經準備一個月了,祝你生日快樂。 YY眼裡含著淚,緊緊的摟住我。 這一天,在哈薩克人特有的熱情感召下,我們隨著他們又唱又跳,一碗碗的喝著略帶著酸味的馬奶酒,邊唱邊喝,邊跳邊喝,最後,一起醉倒在氈房裡。 晚上,我們住在蒙古包裡。外面,皎潔的月光灑落在美麗的大草原上,裡面,YY安靜的躺在我懷裡。我剝開她的���服,露出了那比月光還迷人的軀體。看見她緊閉的大腿在我���掌中瑟瑟發抖,我依然沒有絲毫的憐香惜玉。進入,她本能的激烈反應,也體驗到了她原本不想有的抗拒。 當鮮紅的血液灑落在雪白的床單上時,形成了一朵小小的玫瑰花瓣,呈現出一種驚心動魄的艷麗。我把床單收起來,放進行禮箱裡。 整晚,她像小貓一樣死死的抓住我,倦縮在我懷中,眼眶中全是淚。 那天,我睡得好沉。 終於,第三隻腳踏入了她的身體,這必將成為她最永久的回憶。 回程途中,經過伊寧河大橋。在落日的餘輝下,橋上有人拉起了手風琴,在歡快的樂曲的指引下,我們看見了一對維吾兒族新人,正走在大橋上。現場聚集了大量參加婚禮的新朋好友和圍觀的人群,說著我們聽不懂的話,在為他們喝彩和祝福。 YY緊緊的拉著我,嚮往的望著車窗外的熱鬧場面,快樂彷彿也傳染了她。她把頭靠在我胸膛上,充滿憧憬的說:哥哥,我們結婚,也來走一下伊寧河大橋,好嗎? 我撫摸著她的頭髮,輕聲說:好。 她幸福的閉上眼睛,只一會兒,就睡著了。 從新疆往回飛,比去的時候少用了半個小時。 不到兩點鐘,我們就降落到了本城的機場。拿了行禮,我牽著YY的手,往出口走去。無意中,我在接機的人流中發現了一個熟悉的身影,嚇得我毛骨悚然。 我讓YY先出去等我,自己趕緊返身往回走,計劃到廁所裡去躲一陣。還沒來得及跨出第一步,一個洪亮的聲音已經大聲叫了起來:姐夫,我來接你啦!隨即,小宋高大的身影竄了過來,搶劫似的奪過了我手中的行禮,挽著我的胳膊,朝門外走去。 YY滿臉詫異看了看小宋,然後轉過頭,滿懷期盼的望著我。我知道,她是想聽到我說:對不起,你認錯人了。 可是,我只能低著頭,畏縮的迴避著她那雙滿懷渴望的眼睛。當我面如土色的往外走時,心如刀絞,疼痛得幾乎站立不起,我不敢往後看,害怕一回頭,就會看到她突然昏厥過去小宋沒開車來,這讓我更加懷疑他來接我的用心。 在停車場取了車(我的車停在機場),小宋坐在前排,YY幾乎是癱軟在後座。 一路上,小宋絮絮叨叨的一個人說著話,他很聰明,始終把話題的焦點集中在我、我老婆和老婆的肚子上。我知道,他用自言自語的辦法,正在給YY介紹著我的基本情況。他的話,像一把把凌遲YY的彎刀,一顆顆射穿我的子彈。我知道,我的卑劣,正在被卑劣的人用卑劣的手法把YY撕碎。 YY開始還咬牙忍著,慢慢的,小聲啜泣起來。汽車後視鏡中的她,雙手掩著臉,渾身顫抖,眼淚從指縫中汩汩的漫出來……她想抑止住情緒,卻讓悲痛最深邃。 我鐵青著臉,恨不得將小宋一腳踹出車外。我一句話也不說,用盡全力踩著油門,汽車幾乎在路面上飄了起來--我需要盡快離開這個人。 把YY送到學校時,她軟軟的,差點走不動路。我想去攙扶她,卻被她厭惡的推開。隨著她一步步在我視線中慢慢的模糊,一種即將會永遠失去她的憂慮在我內心中漸漸的強烈。我的眼眶,濕潤了。 我把車開出校門,問小宋為什麼。小宋說為了報復。我沉默了一會,又問他怎麼知道我的行蹤,他冷笑著說自己是police,自然會有手段。 我讓他滾下車,他頭也不回的走了。 我一動不動的坐在車上,遙望著圍牆內的女生宿舍樓,一支接一支的抽著煙,從下午,到晚上,一直到黎明的到來第二天一早,我到宿舍去找她。不在,室友說是一夜未歸。我滿校園的找她,最後,發現她呆呆的坐在小樹林旁的情侶椅上。我過去抱住她,她一動不動,只是眼淚刷刷的掉。 我怕她做傻事,一直陪著她。中午,買了盒飯餵她,她把頭離得遠遠的。我把飯硬塞進她嘴裡,她低頭吐掉。勉強餵了她幾口礦泉水,眼淚又下來了,出水口比進水口的流掉大許多。 傍晚的時候,她精疲力竭,躺在我懷裡睡著了。睡夢中偶爾露出一絲笑容,我想,或許她是夢到了從前的快樂時光吧,想到這裡,我不禁有些心酸。 清晨的時候,她醒了過來,又哭。我哄她,她露出厭煩的表情,用手推打我,不要呵呵近她,不要聽我說話。由於醫院上午有事,必須要走,我告訴她要走了,晚上再來看她。 她不置可否,可是,當我的手從她肩膀上挪開時,明顯感覺她顫抖了起來,眷戀之情溢於言表,又是刷刷的眼淚在流。 晚上,我再到學校時,同學說YY回家了。 打手機,關機。我給她發了無數個短信,沒有收到任何回音。 我往回走的時候,小譚的電話打了進來,說看到我的車了,要我停一下,說幾句話。我把車靠在路邊,剛熄火,小譚就趕到了。 寒暄了幾句,小譚旁敲側擊的追問小姨妹的近況,流露出希望我幫忙約一下的意思。對小宋的厭惡,令我不得不把他的情敵當作戰友,即便那只是我過去和現在用來報復的工具。 天無絕人之路,小譚的出現,點燃了我將小宋驅逐出生活中的希望。 我明白他對小姨妹不死的情懷,長歎了一口氣,說:你要見她,我也不知道能不能幫上忙。最近,有一個姓宋的police死纏著她。小譚咬牙切齒的說知道這個人一直在追求小姨妹,從前他們約會的時候,她經常接到這個police的電話,他們還因為小宋的存在吵過架。 我說:你還不知道,你們分手的事,也是這個姓宋的police一手策劃的。 小譚激動的扯住我,迫切的追問怎麼回事。我搖搖頭,假裝有難言之隱,欲言又止。 他急了,突然跪在地上,說:姐夫,你放心,我明白你的處境。你告訴我事情的原委,我絕不會出賣你,洩露一個字,我譚**,死無葬身之地。 我連忙攙起他,說:這件事情事關重大,有關我妹妹的名節,本來不應該告訴你。但是一來,我為你感到不值。二來,既然你已經這樣說了,我再隱滿就顯得太不仗義。但是,今天我說的話,我只當是在對著空氣胡言亂語,你在旁邊偷聽到了。以後就算你對別人說起,我也絕不會認帳。 小譚又賭咒發誓,說就算死了,也絕不會對人提半個字。 我轉過身,背對他,像自言自語一樣,對著天空說:我有一個妹妹,一直喜歡一個姓譚的小伙子,他們相親相愛,結婚的日子也訂好了。可是,妹妹的同事,一個姓宋的police,長年糾纏著她。這個police聽到他們要結婚的消息,就利用出差的機會,姦污了她,並拍下了照片,威脅妹妹說如果不跟他好,就傳播出去。妹妹為了身譽,迫於無奈,只好忍痛割愛,找借口和譚姓小伙子分了手,跟了這個police。 說完後,我轉過身,看見滿腔的憤怒,已經讓小譚的五官扭曲了。他惡狠狠的把拳頭砸在汽車上,差點讓汽車變了形。他說:怪不得要分手時,她態度堅決,卻什麼理由也不肯說。說完,他扭頭就走。 我正打算抽支煙慶祝一下時,他又奔了回來,站在我面前大聲說:姐夫,我決不會放過這個禽獸的,我發誓。 我拍了拍他的肩頭,什麼話也沒說,轉身鑽進汽車。我一邊踩著油門慢慢向前行駛,一邊冷冷的看著他狂怒的身軀在後視鏡中漸漸遠去一個多月以來,我堅持每天給YY發短信,雖然沒有收到一個字的回復,但是偶爾翻翻已發信息,回顧自己留下的心路歷程,在惘然若失的挫敗感中,也有一種淡淡的滿足。 我也每天給YY打電話,毫無例外,傳來的都是移動冰冷的女聲:用戶已關機,請稍候再撥。我狠狠的罵了一句--我想,這個聲音所屬的女人,一定被無數的陌生男人在心裡糟蹋過。 時間一天天過去,轉眼兩個月了。YY那邊始終音信全無。我也到學校去找過幾次,每次,YY的同學都告訴我:不在。每次,她們冷漠和蠻橫的態度,都從這兩個字中穿越過來,像利箭一樣射在我胸口,傳達著她們對我深深的不屑和憎惡。 這讓我的自尊心受到了嚴重打擊。通常,我不太在乎別人恨我、罵我、甚至打我。我害怕的是別人看不起我--這比凌遲還讓我難受。從那時起,我就沒再發短信,也沒再打電話,我開始考慮放手了。 一個週末,我給老婆打電話,告訴她我中午回家,帶髒衣服回家洗,拿幾件乾淨衣服走。回家後,先跟岳母請安,然後和老婆說了幾句話。我告訴她最近醫院很忙,在出租屋裡休息得比較好,那裡一切也都方便。老婆要我注意身體,沒多說什麼。 吃午飯的時候,餐桌上擺滿了菜,原本以為還有客人要來,仔細一看,都是我喜歡吃的。扒了兩口,我又躲進書房。半個小時後,保姆進來拖地,我隨口問了幾句,才知道飯菜是老婆特意安排的。 下午,我去交手機費。辦完手續後,忽然想起去新疆時YY沒帶電話,她埋怨過都快欠費了。我沉思了半天,一個的念頭冒了出來。我馬上給她撥打電話,還是關機的聲音,並不是欠費和報停的提示。我確定了一件事:YY在我們分手後,還在繳納手機費--YY是全球通,有座機費。 我坐在移動營業廳裡,開始仔細分析導致她這個奇怪舉動背後的想法。 首先,我確定另一件事:YY整天關機,是因為不想面對我。那她繳費,是不是也是為了我呢? 既然整天關機,這兩個月,別人通過這個號碼也聯繫不上YY,可她為什麼不放棄這個號碼,卻還在每個月繳費呢?如果決意和我斷絕,把手機報停不是更乾淨嗎?--可是她沒有這樣做。我開始有些心花怒放了,我猜,那是因為她為了看我的短信,才保留了這個號碼,因為屈辱,她不願接我的電話;因為思念,她想看我的短信;這樣做,可以將自己保護起來,不用去直面思念和屈辱的矛盾。 我開始確定第三件事:她是想我的。 推導出這個可能的結論,我興奮得手舞足蹈,幾乎從營業廳的椅子上蹦起來。 為了證實我的推測,我衝出門去,買了張公用電話卡,開始不間歇的給她打手機。關機……還是關機……似乎永遠是關機……我耐心的一遍又一遍的按著重撥鍵--我知道,她要看短信,一定會在一天中的某個時間開機。 凌晨一點多,終於,手機接通的聲音,清晰的傳到我耳中。 我拿著話筒的手顫抖了--內心的激動,猶如看到一朵久已枯萎的玫瑰,突然間在眼前綻放開來。 電話通了很久,YY才接聽。我知道她在猜測和猶豫。 『YY……』我喊了一聲,卻不知道說什麼。電話那頭,她像墳墓一樣的安靜。 過了兩分鐘,她把電話掐斷了。 我給她發了一條短信:我很想你。 半晌,她回了一條:大叔,如果有來生,我願意……想你。 我又發短信:YY,我會離婚的,一定。 這次她回復得快了一點:你還在繼續騙我。 我又發短信:如果我騙你,就見不到明天的太陽。 過了半天,她回:天氣預報,明天下雨。 我想了想,發了一條短信:如果明天出太陽,說明老天也在憐憫我們的愛情,改變了下雨的主意。如果明天出太陽,你會順從天意,原諒我嗎? 她回了一條:老天不會憐憫你,明天一定會下雨。 我又發短信,執意問:如果明天出太陽,你原諒我嗎? 她沒有再回。 那天晚上的後半夜,忽然電閃雷鳴,下起了瓢潑大雨。我站在出租屋的陽台上,傻傻的站了一夜,天快亮的時候,才絕望的回屋沉沉睡去。 第二天醒來,已經是中午。睜開眼,就看到了一縷陽光,像天使一樣落在我的被子上。我情不自禁的哈哈大笑起來。 當時,我真以為是蒼天有眼,冥冥中在默默的同情著我的遭遇,寬厚的賞賜給我一份新的感情。後來我才知道,老天是如此的惡毒和無情,他刻意製造的天意,其實是為了更盡興的玩弄人生悲劇。 下午,我到學校找到YY。 吃飯的時間,我堵在食堂門口,遠遠就望見了她的身影,我朝她走去。看見我,她轉身就跑。我追上去拉她,她掙脫開,繼續朝著宿舍的方向跑。我快步奔上去,擋在她身前,一把將她攬入懷中,死死箍住她的腰身。她揮舞著雙拳捶打了一陣,最終全身乏力,頭搭拉在我肩膀上,抽搐著哭了起來。 晚上,我強拉著她一起吃飯。我許下了無數的承諾,她流下了無盡的眼淚。 那天,等我想起送她回學校的時候,已經進不去了。我在附近的賓館開了一個房間。約好各睡各的。半夜,她鑽進我的被子,從背後緊緊把我抱住,用牙狠狠咬我的肩頭。我翻轉身,把她剝得精光,迅速進入,下面已經濕滑得一塌糊塗……那天早上,當我第四次癱軟在她身體裡的時候,她把全身氣力集中到尖利的指甲上,在我背上劃出了一道又深又長的血痕。 從那以後,為了彌補一些虧欠,我開始帶著她到一些老婆不熟悉的朋友周圍走動。 有一天,我帶著YY去參加一個林姓朋友的生日宴會。酒過三巡,大林把我拉到一旁,手搭在我肩上,神秘莫測問我和YY什麼關係。我坦誠的告訴他是戀人關係。他把大姆指豎起來,誇張的揚了幾下,說:你真行,把省**廳副廳長的女兒搞成情人了。 我這才知道,情夫調到省廳了。 大林以前是我的病人,一直在做橋樑工程,發展得不錯。平常大家都忙,我們聚在一起的時間其實很少。自從知道我和YY的關係後,他對我明顯的恭維起來,走動頻繁了許多。 一天,大林又邀我吃飯。席間,他說有一個工程,項目比較大,其它環節他都差不多打通了,但卡在Y廳那裡,軟硬不吃,估計投標的時候會有麻煩。他喝了一口酒,問我能不能幫忙。我心中一動,想了想,答應試試。 臨走時,他給我交底,用手比劃了個數字,意思是不超過這個金額就可以辦。我說:可能要花些時間,他笑著說:欲速則不達,不急不急。 夜裡,我想了很久。情夫還值不值得報復?傷害了YY怎麼辦?最後,我告訴自己是個男人,是個堅毅而果決的男人,藉著酒精的麻醉,終於說服了自己。 第二天早上,我給YY打電話,說想見她父母。電話裡的她吃了一驚,問為什麼。我笑著說要爭取讓她父母支持她嫁給一個平凡的已婚大叔。 她在電話裡嘲笑說我已經瘋了,還說別以為我能讓她瘋狂,就以為能讓全世界瘋狂。直到掛電話的時候,她還以為我只是在開玩笑。 下班後,和YY一起吃晚飯。 我又說要見她父母。她毫不猶豫的拒絕。我告訴她不是以傳統的形式見面,我會用陌生的身份贏得她父母的好感。 她有些好奇,問:什麼陌生身份? 我說:鋼琴課老師。 YY張大了嘴半天沒有合上。 我一邊幫她夾菜,一邊給她講計劃。我讓她回家給父母說想學鋼琴,這樣自然就會請鋼琴老師。而我,正好是彈鋼琴的業餘高手,輔導她和愚弄一些門外漢,完全沒有任何問題。 這樣,我就可以順理成章的進入她的家門,逐漸在她父母心中樹立自己專業華陀和業餘鋼琴王子的光輝形象,等到水到渠成的時候,再把我們的關係公佈於眾,這樣也便於他們接受。 等我講完自己的計劃,YY開心的笑了,甚至開始崇拜起我的智商和浪漫來。 在讓YY啟動這個計劃以前,我花了些精力處理細節問題。首先,我在YY家附近轉悠了兩天。我幾次假裝偶然的碰到情夫,看見我,他沒有任何不安或錯愕的反應和表情,這讓我確定他並不認識我,老婆也沒讓他看過照片。其次,我弄了些假的專業證件和身份證。畢竟,我彈鋼琴只是業餘愛好,沒有任何證書。 這裡遇到一個小小的麻煩,就是向YY解釋我改名換姓的問題。我告訴她這也是真名,小時候隨母姓的名字。近兩年我才隨父姓唐,覺得以前的名字不好聽,又改了名。正好身份證丟了,以前的身份證還在,就用回以前的名字。她將信將疑,頗有些不滿,不過也沒怎麼放在心上,嘟嚷了兩句,還是按我的意思辦了。 這期間,YY向母親提出了想學鋼琴的願望。在面試的時候,她用各種借口拒絕了幾個父親找來的音樂老師。最後,YY向母親謊稱一個同學曾經推薦過自己的鋼琴老師,既然現在找不到合適的,不如把這個老師叫過來看看。 YY的母親同意了。 終於,在一個週末的晚上,化名為林**的我,邁著走向勝利的步伐,忐忑不安的踏進了情夫的家門。 情夫的家,佈置得很有雅致。剛進屋的時候,讓我渾濁的心靈產生一種突然被抹去灰塵的感覺。 YY和她母親在客廳等我,情夫不在家。 臨行前,YY曾囑咐過我,她母親是個冷淡刻薄的人(比樓上的有些婦女有過之而無不及),很不好相處。常常有客人言語不甚,被當場驅逐出門。YY說:因為和父親關係不好的緣故,母親也極度排斥男人。這些話,讓我對這次會面,產生了不少的心理壓力。 其實,YY的母親有個不錯的名字,蘭雨。第一眼看起來,也不像YY說的那樣冷漠--雖說歲月摧人,她眉宇中已經漸露風霜的痕跡,卻依然藏不住隱約間那份婉約的風韻。 我心中暗罵情夫艷福不淺。 不過幾分鐘之後,我就開始體驗到情夫的不幸。 一坐下來,這個女人就像審查罪犯一樣,仔細檢查著我的履歷。她時不時的抬起頭來,先用充滿不信任的目光掃視我一遍,然後,冷不丁的、用居高臨下的語氣,提出一些尖酸刻薄的問題。 最終,當她閉上眼睛,躺在**上,像木乃伊一樣聽完我的一曲演奏後,擺了擺手,連眼睛都沒睜開,冷冷的說:你不合適我家YY,你,可以走了。 我驕傲的自尊被她打成了粉末,傷心得一句話也說不出來。我連那些偽造的資料都沒心思收拾,就走出了客廳。 當我準備跨出大門,迅速消失的時候,還聽到她對著我背影進行嘲諷的聲音:你真的學過鋼琴嗎?隨後,傳來一陣她不屑的笑聲。 聽到這話,我的憤怒超越了理智和仇恨。我返身回到客廳,指著牆上的一幅字畫說,對著她大聲說:婆婆,你真的看得懂這幅畫嗎?掛著張最劣等的海瑞偽作,是為了展示你最劣等的鑒賞力嗎?說完,我把那幅字畫一把扯了下來,扔在地上,狠狠的踩了兩腳。 YY的臉都嚇白了。她倦縮在**的角落裡,偷偷向我搖手,示意我趕緊走人。 她母親卻輕輕哦了一聲,古墓般的眼睛中閃過一絲生命的跡象。 她咳嗽了一聲,坐直了身子,緩緩說:這是YY的父親掛的,原本就知道是贗品。我一直反對在牆上塗鴉這些垃圾,但是她父親為了向往來的官僚彰顯心跡,執意要這樣做。來家裡的客人,都昧著良心恭維,說這是真品。只有你,還算誠實。你把它撕了,雖然有些魯莽,但是我心裡很高興。 我站在原地呆若木雞。心裡想,怨婦的心思真是難以捉摸,你想拍她馬屁的時候,她會給你一記馬腿,你想給她一記耳光,她反而還你一個擁抱。 她向我招招手,示意我坐到沙發上。問我一些關於文物鑒賞的問題。 禍兮福所至,福兮禍所依。世上的循環就這麼奇妙。 我們的談話迅速從字畫上延伸出去。隨著交流的深入,我越來越驚奇的發現,穿過她厚重的盔甲,YY副處級的母親,竟然像一些附庸風雅的被拋棄少女,以及某些故作高深的滅絕師太一樣,崇尚著古典文學。 她喜歡七律,還特意從書房中找出幾首近期的創作給我欣賞。我也咬著牙,把自己當年用來追求校花,但長期被她用來當廁紙的舊詩背誦出來。時隔久遠,YY的母親聞不到廁所的味道,頻頻拍手稱快,對韻律和意境讚不絕口。眼神中對我更多了幾分期許。 鋼琴老師的事情也引刃而解--或許在女人的心裡,是非對錯,總是留給情緒來作判斷。雖然達到了目的,卻和計劃的步驟大相逕庭,這讓我有點看不起自己。 第二天,YY來電話,說昨晚我走後,母親興奮了許久,說我很有意思,叫她婆婆。 YY,給你唱首舊情歌吧: 你是我的心,你是我的肝,你是我的胃,你是我的肺,你是我心中的紅玫瑰。 晚上,陪YY看電影,是一部愛情悲劇。散場後,她哭得鼻涕眼淚不分,站在放影室門口的通道上,用小腦袋抵住我的胸膛,蹭了我一身,還不許擦。 我告訴她電影都是假的,說這樣不好,別人還以為我欺負你了。她哭得更厲害了,說你就欺負我了。我沉默不語,一手輕輕撫摸她的後背,一手攬著她的腰往外走。 到了大街上,看到兩旁的燈紅酒綠,她似乎才從電影中緩過勁來。 我們牽著手,走到廣場。廣場上很熱鬧,一群老太太在空地上跳舞,一些小朋友在滑旱冰。她拉著我走到廣場上,讓我坐在花台上,吩咐我不許動。然後,她站在一旁,攔住一個學生模樣的路人。 YY把手機交給他,跟他說了些什麼。 說完話,她跑過來坐在我腿上。我笑著說你幹什麼,當著大叔的面勾引帥哥,還要不要大叔活啊?她也不理睬,雙手捧住我的臉頰,狠狠的吻了下去。 她的深情透過燃燒的嘴唇感動著我。我緊摟著她,渴望能重疊在一起。我咬著她的下唇,同樣激烈的回應著……彷彿在那一剎那,世界固化成了愛情。我們陶醉在彼此的氣息裡,久久不願分離。在熙攘的人群中,我的眼中只看到她;在喧囂的廣場上,她的心裡只有我。我們雙方都確信。 當學生笑著把手機還給她時,YY面帶羞澀的說了聲:謝謝。 YY翻動手機,把照片設置成屏幕保護和來電顯示的畫面。完成之後,她歡喜得又蹦又跳,纏著我給她打了幾十次電話。 我送她到宿舍的途中,假裝無意中問她,我說:如果有一天我傷害了你,你會怎麼辦? 這句話一出口,我就後悔了。YY迅速放開我的手,沉默著,低頭快速往前走。走到宿舍樓下,她才說:我永遠不會傷害你。 說完,她跑上了樓。 到YY家去的次數多了,和蘭雨也熟絡起來。 起初叫她蘭處,她不喜歡,笑著說還是叫婆婆好聽,我說天下哪裡有這樣清麗動人的婆婆,還是叫蘭姐吧。她斥責我輕薄,嘴角浮出一絲淺笑。 我通常是晚上6點至10點這個時間段去YY家,但只碰見過一次情夫,他很少在家。 我從前在照片中看到情夫的時候,就曾經對老婆的品味感到過羞辱。雖然從古到今,男人的容貌都不是吸引女人的關鍵,但我還是疑惑,醜得匪夷所思的情夫為什麼能讓老婆對我產生審美疲勞。難道僅僅是因為那頂沉甸甸的官帽? 情夫矮小,消瘦,眼睛突出,但是肚子很大,遠遠看去,像只正在鬧饑荒的癩蛤蟆。 碰見情夫的時候,他正往外走,一邊還在不停的講電話。看見我,他點點頭,連步伐都沒有稍加減緩,就出門了。 第一次和情夫交鋒的情景,就在他對我視若無睹的狀態下結束了。 這個情節一直讓我很抑鬱,當初發現老婆出軌時,幻想中和情夫對決的場面是在華山之巔,一個掌握屠龍刀,一個手持倚天劍,各用絕世武功,打得天昏地暗……雖說勝負難料,卻也浩氣長存。 然而,現實無奈得很,無奈得就像一隻夢中變成了鳳凰,剛睡醒就被當了下酒菜的母雞。 還好,和蘭雨的關係發展得很順利,相信拿下只是時間問題。 我想,我會戴著淺綠色的帽子進來,戴著深紅色的帽子出去7號,老婆的姑父去世。她姑父是商人,在當地參股經營一家一汽大眾的4S店。 一早,老婆給我打電話,約好晚上一起去參加追悼儀式。 晚上,我回家接老婆。開車至臨城,到她姑父家時,院落裡已經停滿車,靈堂擠滿了親朋好友。 走進靈堂,我一眼就看見小姨妹,她正背對著我們,和表哥一起在整理輓聯。我告訴老婆,她妹妹已經來了,在那邊忙。再看過去的時候,小姨妹正好轉過身去清理冥紙,老婆的視線被她表哥高大的身軀擋住了。 我四處張望,老半天,也沒尋找到小宋的蹤影。這時候,小姨妹已經看到我們,她走過來,拉住老婆的手說話,沒有招呼我。 從她們的交談中,我判斷出姐妹倆已經很久沒聯繫過了。我點燃一支煙,走出靈堂,繼續四處尋找小宋,在確定他沒有來之後,我又回到靈堂。我站在老婆身邊,靜靜的聽她們談話,我知道,老婆一定會問到小宋的情況。 果然,老婆問:小宋怎麼沒來。 小姨妹沉默不語。我覺察到她眼角的餘光朝我輕微的掃視了一下,才聽到她說:他在準備婚禮的事。 老婆吃驚的問:要結婚了?怎麼沒聽你們說起過? 小姨妹說:才決定的。 回家的路上,老婆壓抑不住興奮,自言自語的說了許多話。她對小宋讚不絕口,說小宋追了妹妹那麼多年,一路坎坷,還好蒼天有眼,讓有情人終成眷屬。 我沒有搭理她,默默的開著車,心中滿是狐疑。因為提到結婚的時候,小姨妹眼中的表情比她剛死了老爸的表哥還淒苦。 一周後,我收到他們的結婚請柬。 請柬是用特快專遞寄到醫院來的,日子定在下個月18號。 中午吃飯的時候,我又閃現過出一個疑問:既然下個月14號才結婚,那天,在葬禮上老婆問小宋為什麼沒有到,小姨妹為什麼撒謊說他在準備婚禮呢? 回到辦公室,我給小姨妹打電話,告訴她我收到請柬,又說些祝他們百年好合之類的套話。她在電話那頭淡淡的,好像是在聽我說別人的事,時不時還冷笑幾聲。我越發覺得奇怪,就問她是不是發生了什麼事情,需不需要我幫忙。她幽幽的說:那你晚上過來一趟吧,我帶你去見一個人。 晚上,我去接小姨妹。 她穿了便服,還略施了些粉黛,只是神情冷峻,像交警一樣給我指路,多餘的話一句也不肯說。 汽車在她的指引下停在市第三醫院的停車場,小姨妹領著我進入皮膚科的住院區。推開509號病室的門,我赫然看見,小宋下身纏滿了繃帶,躺在病床上。 我走進去時,小宋沒有反應,也不知道是正在昏迷,還是正在睡覺。我站在病床邊看了看,根據繃帶的位置和輸液的藥品,基本判斷是生殖器被化學物品燒傷。 我吃驚的轉頭去尋找小姨妹,她正冷冷的看著我。 我問她是怎麼回事,她反問說你不知道嗎。我想起了小譚,又問:是小譚嗎?她點點頭,平靜的說:小譚往他下身潑了硫酸。我追問小譚在哪裡,她不回答,卻轉過身去,流下了眼淚。過了一會,才說:姐夫,真的是你嗎? 我顫慄了一下,手足有些無措。我從她身邊走過,想推開病室的門,衝出門外。她一把將拉住我,默默的牽引著我穿過走廊,坐電梯下樓,來到住院部樓下的花園裡。 『小譚襲警,是重罪,已經在看守所了。』小姨妹站在我旁邊,像對著空氣一樣說。 『哦』我說。 『我去看過他,他把你說的話告訴我了。』她繼續說。 『哦』 『其實我一直沒有和小宋好,那天帶在哈哈哈生日宴會上,介紹他是我的男朋友,我撒謊了。』她又說。 我有些吃驚,沒哼聲。 『他一直喜歡我,很多年了。』小姨妹又說。 『我們都知道。』 『如果審訊小譚,你也逃脫不了教唆的罪名。』小姨妹說。 『恩』我面無表情。 小姨妹轉過身望著我,眼眶裡淚光漣漣,她大聲說:「要保住你,只有保住小譚。要保住小譚,只有讓小宋不起訴,說是誤傷。『她的眼淚流了下來,空氣像被悲傷凝固了一樣。過了好一會,才又聽她說:」小宋同意了,條件是和我結婚。』 聽她說到這裡,我激動了。我用力抓著她的胳膊,使勁的搖晃。我罵她傻,是個蠢貨。我大聲告訴她為了我這種壞蛋,這樣幹不值得,我說我絕不會讓你和那個廢物結婚,死了也不會。 她抹了眼淚,笑了笑,說:「前天我們已經註冊了,抬著擔架去的,因為小宋不放心,關在看守所裡的時間有限制,等不到婚禮,小譚就會放出來。『停頓了一下,她又說:」不管怎麼樣,能聽到你這樣說,我心裡很高興。』 過了一會,她抬起頭,淚眼望著星空,悲傷的說:你是很壞,可是我愛你。 我一把抱住她,大哭起來。 有一段時間,我一想起小姨妹就覺得心痛,感到自己不是男人。當知道一個女人為了你的自由犧牲自己的幸福時,那份沉重,直讓人喘不過氣來。 每次抱著YY的時候,我內心都氾濫著對小姨妹深深的愧疚。而情慾的衝動,更讓我判斷出自己是個自私貪婪的齷齪小人。 有一段時間,我刻意和YY疏遠,我借口值夜班,做手術,開會,一次次拒絕著她的約會。在我內心深處,渴望用孤獨的忠貞來回應小姨妹痛苦的人生。可惜,我還是做不到,我堅持不了,因為YY的每一聲哭泣,都會撕裂我的心扉,YY的每一滴眼淚,都會淹沒我的靈魂。這是理智和感情的一對矛盾。 我曾經找過小姨妹,希望她和小宋分手,和我在一起。她說一切都晚了,姐夫,下輩子吧。其實我也知道,老婆、小宋、甚至YY,都是我們內心和現實中無法逾越的障礙,這些障礙,都和愛糾結在一起。沒有對錯與否,只有先來後到。 唯有仇恨,可以令我忘記一切。當老婆越發深情的撫摸著越發凸顯的肚皮時,仇恨的火焰開始熊熊燃燒。我愛YY,我愛小姨妹,我甚至還愛著老婆。但是,我最愛的是我自己,我破碎的自尊注定了要用她們傷口的血液作粘合,要麼我繼續破碎,要麼我愛的人破碎,我選擇了後者,這是一出悲劇。 太對不起大家的倫理道德了,終於,我發動了對蘭雨的第一波進攻。 採取正式行動前,按照慣例,我開始收集進攻目標的信息。經過無數次的聲東擊西和旁敲側擊,從YY和蘭雨本人處,我基本掌握了蘭雨的感情經歷和性格特徵。 蘭雨,書香門第,有一定的才華,在某局任財務副處長,屬於閒職。年輕時貌美孤傲,自視甚高,排隊追求的人絡繹不絕。當初,情夫在追求者隊伍中的名次遠在太平洋,屬於只等著被淹死的角色。後來不知用上了什麼手段,他插隊到了前排,日漸受到青睞。 兩年後,情夫使上了吃奶的勁,終於扒開了她的石榴裙。 結婚當年,生了YY.結婚當年生子,雖然也平常,但是生產的時候,情夫和蘭雨的年齡都很小,這就多少有點奇怪。我推測是情夫耍手段逼婚:在婚前霸王硬上弓,讓蘭雨未婚先孕,再攜子逼婚。 隨著歲月的流失,情夫的權勢日漸趨重,受到的誘惑更是成倍增長。蘭雨和他的關係由激情走向平淡,又從平淡走向緊張,最近兩年,情夫多次提出離婚,蘭雨沒有同意。於是,情夫開始早出晚歸,或是早出不歸,基本屬於有夫妻之名,而無夫妻之實。 可以想像,從驕傲的公主變成窩囊的棄婦,蘭雨的心理落差會有多大。這應該也是她排斥男人和冷漠刻薄的主要原因。 所幸,蘭雨對我並不排斥,甚至讓我感覺到,似乎她喜歡跟我說話和親近。我想,還是那句話:越是堅韌的盔甲,下面的身軀越是柔軟,就像烏龜的殼。 蘭雨和我,都是烏龜,我們的區別在於:她的殼下面,或許是柔軟的身軀,而我的殼下面,是一顆冷酷的心。 在這些資訊裡面,關於情夫最近兩年多次提出離婚這一條,讓我十分詫異。 首先,這說明老婆和情夫偷情至少兩年了。而我們的婚姻還不到四年,老婆的深沉讓我感到恐懼。 其次,我原本以為情夫不會為老婆作任何一件有損前途的事,當然更不會離婚。看來我還是太主觀,忽視了愛情的力量。 這既堅定了我復仇的決心,也敦促我加快復仇的節奏。我要趕在情夫成功離婚之前解決這件事。否則,情夫離了婚,老婆勢必也會提出離婚。這樣,戴著綠帽的我還會被拋棄,這相當於在我的綠帽上再插一根綠花翎,表示在綠色的世界裡,我還有職稱。 27號,從YY處得到一個信息,蘭雨下周去海南開會,逗留四天時間。 我小心翼翼的打聽到了開會的地點,是在**酒店。 在蘭雨動身的前一天,我提前到了海南,住進那間酒店。酒店靠海,推開窗戶就能看到沙灘上的太陽傘,也能聞到空氣中鹹濕的味道。
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mar-mebaeru · 2 years
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妊婦の洗礼!足の攣り!!
この記事は、2005年当時の育児ブログを移行してきたものです。最新の情報ではありませんのでご了承ください。 20W0D(6M) 今日から、20週に入り、6ヶ月目に突入です! 予定日を、40週目に設定してあるので、今日が丁度折り返し地点! これからの後半戦も頑張ります!! 胎動も日に日に大きくなってきて、こちらからお腹に手を当てなくても、「ポコン」と感じるまでになりました。 特に、パソコン中、入浴中、横になった時に、激しく動くようです。どれも、ウチが気持ちいいと感じる瞬間。 べべちゃんにも、それが伝わっているのかも知れません。 そう、この日!6ヶ月に入った記念すべきこの日に、早速妊婦の洗礼を受けてしまいました^^;妊娠してからずっと眠りが浅く、夢ばかり見ているのだけど、丁度夢の場面が切り替わる瞬間に、あまりの現実的な痛みに目を覚ましました!右足のふくらはぎと足首が、同時に攣…
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kkagneta2 · 5 years
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手記(持ち出し厳禁)
おっぱいもの。大きさは色々。全部で17k文字程度
Case1-女子高校生(二年生)
7/21、14時ごろに制服で来店。顔ほどの胸をパンパンに張っていることから制服も合っていないのであろう。その制服を脱ぐと今にも壊れそうなJカップのブラジャーからおっぱいが溢れ出ていた。彼女の胸に合うブラジャーがどこにも売ってなかったらしく、アンダーを大きくしたブラジャーをつけていたと言う。採寸の結果、バスト119センチ、アンダーバスト69センチのQ カップだった。「こんなにピッタリ合うブラジャーは久しぶりです」と言って退店。その際、制服も新しいのを買ったほうが良いと助言をした。
 Case2-女子中学生(一年生)
7/22、午前中に来店。身長140センチにも満たない小柄な体でありながら大人も顔負けの胸が服の中から主張していた。そんな彼女の体に合うブラジャーは無く、服を脱ぐとアンダーがブカブカで全く胸には良くない影響を与えていた。採寸の結果、バスト92センチ、アンダーバスト59センチのJ カップであった。退店時、「これからも大きくなっていきそうで不安な彼女に、どこまでのサイズがあるんですか?」と聞かれた。大丈夫、当店はどんなサイズのブラジャーがありますよ。
 Case3-主婦
7/22、先の中学生の後に来店。身長は145センチ程度の小柄な方。元々はH カップ程度であったらしいが、妊娠を機にずんずんと膨乳。服を脱いでもらうと他店で買ったであろうP カップのブラジャーが、悲鳴を上げながらおっぱいを支えていた。採寸の結果、トップ121センチ、アンダー61センチのV カップであった。「もっと早くこの店を知っていれば」と言いながら嬉しそうに微笑む彼女はコロコロとして可愛らしい。扱うサイズがサイズだけに、知名度が低くて申し訳ない。「またお願いします」と言いながら退店なされた。
 Case4-女子高校生(三年生)
7/29、閉店間際に来店。自分の胸に相当な自信を持っているものと見える、制服をはだけさせ、共に来店なさった男性に谷間を見せつけていた。採寸の結果、トップ118センチ、アンダー71センチのP カップであった。退店時、「どのサイズまであるの?」と聞いてきたので、「上限はありません」と答えた。すると「Z カップとか?」とニヤニヤしながら聞いてので、「過去にはZ カップでも足りないお客様がいらっしゃいました」と言うと、声を上げて笑って「嘘でしょ」と言った。本当です。
 ��Case5-小学6年生
8/16、正午過ぎに両親と共に来店。細身で、胸だけが異常に飛び出している体型。身長は平均的。始終無口で、やりとりは両親を伴わなければならなかったが、こういう子は少なくない。胸の成長に心がついていけてないか、それともいじめられているか。どちらにせよ、こういった子をなんとかしたいがために私は店を作った。採寸の結果、トップ108センチ、アンダー52センチのS カップであった。「よかったな。ようやく合うのがあって」と父親が言った時の嫌そうな顔、しかしこれまで体に合いもしないブラジャーから解き放たれた開放感が滲み出ている。最後に、「あの、私の胸、どこまで大きくなるのでしょうか」と尋ねられた。「大きくなる人はなる人はなりますし、ならない人はなりませんから、なんとも申し上げられません。大切なのは、どれだけ嫌いであっても体を大事にすることです」と答えた。過去の経験からすれば、彼女はまだまだ大きくなるはずである。
 Case6-大学生
8/17、夕方来店。学祭のミスコンで優勝経験があるほどの美貌を持つ女性であるが、生理の周期に合わせて2カップか3カップほど上下してしまうので、なんとかしてほしいとのこと。胸を小さく見せるブラジャーを着けていたため、サイズを見誤りそうになった。採寸の結果、この日はバスト108センチ、アンダー68センチのM カップであった。希望は一つのブラでK~N カップまでをカバーし、なおかつ胸を小さく見せたいとのことだが、果たしてどうしたらいいものか。後日再来店してもらい、試作品を渡した結果、しばらくして「これです! 私が望んだものはこれです!」と笑顔で私の前に現れた。退店時、「大きな胸は魅力的ですよ」と言うと、「でも彼があんまり好きじゃないですから」と述べた。彼女から得た経験は、品質の向上に大いに役に立つだろう。
 Case7-アイドル
8/20、お忍びで来店。巨乳が売りのアイドルとして活躍中の彼女の体型は言うまでもない。テレビで見るような弾けた性格はただの仮面なのか、非常に落ち着いた物腰である。採寸の結果、トップ99センチ、アンダー68センチのJ カップであった。L カップアイドルとは名だけらしく、話を聞くと、あと1センチでも胸を大きくしたいから、出来るだけフィットしたブラジャーを着けたいと言う。「もう私のおっぱいは大きくならないのでしょうか」と言う辺り、人の悩みとは様々である。試着の際、「これすごいですね、今までのブラジャーとは全然違います」と、胸にカップを当てた段階で言った。店内に展示してあるブラジャーは取り込んでおくべきであった。
 Case8-主婦
8/22、夫とまだ赤ん坊の子と共に来店。体型はややふっくら。背が高く、試着室のドアに頭を打ち付けていた。採寸の結果、トップ106センチ、アンダー75センチのI カップであった。とにかく母乳の量が尋常ではないらしく、2、3カップ上のブラジャーにタオルごと詰め込まなければ、染みだして足元に水たまりを作ってしまうのだと言う。そこで知人の協力を仰いで専用のブラジャーを制作。退店時、「授乳期が終わるまでお世話になります」と語っていた。
 Case9-グラビアアイドル
8/31、制服姿で来店。現役高校生というのが売りだそうだが、大人びた顔立のせいで全く売れていないと言う。採寸の結果、トップ89センチ、アンダー63センチのG カップであった。客の平均からすればずいぶんと小ぶりである。「中学生の時から全然変わってなくって」と自信なさげな姿を見せるので、二十歳くらいから大きくなることもあることをお教えた。「大切なのは気持ちの持ちようですよ」と言うと少し気持ちが和らいだようであった。「もし、大きくなったらまた来ます」と言って退店。
 Case10-無職
こればかりは私も驚かざるを得なかった。9/1、午前中に電話があり、人に見られるとまずいですから、閉店してから訪れてもいいですかと仰るので、相当の事情があることを察し、午後10時に来店なさるようにと伝えた。店先の照明も落としてお待ちしていると、一台のワゴン車が停まったので、扉を大きく開けて招き入れた。
客は一人の可愛らしい少女であった。その胸は床に着くほどに大きく、近くにあった椅子を潰してしまうほどに重く、青色の巨大なワンピースを身につけていたが、それでもみずみずしい色のたわやかな乳房が見えていた。歳は16、7であろう。試着室に入らないので、店を締め切ってその場で採寸すると、トップ724センチ、アンダー62センチであった。ブラジャーを制作するために、胸板から乳首までの距離、乳房周りなどを測定したが、どれも驚くべき結果となった。これらの結果は別のファイルにまとめてある。「もう小学生からブラジャーを着けられてないんです」と言った彼女は、近々もらわれていく身として身なりを整えたいと思って来店したと言う。「本当に、どんな大きさのブラジャーでも作っていただけるんですか?」と心配そうな顔をするので、「もちろんでございます。私に不可能はありません」と自信満々に答えたが、この巨大なおっぱいである。制作に一ヶ月はかかった。並のブラジャーの作り方では強度が足りないからと言って、分厚くするのみではいけないことをこの時初めて知った。「わっ、すごいです! 久しぶりのブラジャーがこんなに素晴らしいものだなんて、もっと早く来ていればよかったです」と、喜ぶ彼女の顔はどこか儚げであった。持ち帰れたブラジャーは、今しがた着けたばかりのものだけで、残りは郵送することになった。「ところで、服もこうやって作ってくださるところはございませんか?」と退店時に聞いてきたので、同様の目的で店を構える知人を紹介した。以降、度々訪れてはブラジャーを買ってくださっている。
 Case11-大学生
9/6、続く二人の友人と共に来店。他県にある女子大の生徒だと自身を説明した。細身で、長い黒髪をストレートにまとめあげて、和装がこよなく似合いそうである。「でもこのおっぱいに合う和服なんてないし、作ったら高いし、……」と言う声を聞きながら採寸。結果は、トップ138センチ、アンダー64センチの2Z カップであった。珍しいことに、試着した一番最初のブラジャーが最も体にフィットしていたが、「よく妊婦さんと勘違いされるから、もう��し持ち上げてくれるブラジャーはありませんか」と言うので、結局色々と試した。採寸の際に気がついておくべきだった。
 Case12-大学生
9/6、先の大学生と共に来店。いかにも大学生らしい外見。体格はややぽっちゃりか。背は平均的。自身のおっぱいに自信があるらしく、胸を強調するような衣服を身につけていた。採寸の結果、トップ140センチ、アンダー72センチのX カップであった。「やった。また大台に乗っちゃった」と、はしゃぎながらブラジャーを試着。時折、先の子の2Z カップのブラジャーを手に取ってしまって悔しそうな顔を浮かべる。「くそ~、なんだよ2Z って。こちとら真剣に育乳に励んでるのに~」と、文字通り乳繰り合うのはやめていただきたい。
 Case13-大学生
9/6、先の大学生と共に来店。どういった経緯で連れて来られたのかは分からないが、実に平均的な胸のサイズである。店内に入ってから、ふらふらとあちこちを彷徨い歩くので、試着室に促したが、そこでも大人しそうに座って、居心地が悪そうなので、「よければご一緒に採寸いたしましょうか」と尋ねると、「でも、こんだけしかない私のバストを測っても、意味が、……」と答えるので、「あります、あります。女性のバストは自分の子供のようなものです。どんな形をしていても意味がないことはありません」と言って、少々強引に採寸。結果は、トップ84センチ、アンダー65センチのD カップであった。「えっ、D カップですか? ずっとB だと思ってました」というのはよくあることである。バストの測り方は間違えてはならない、ランジェリーショップの店長として改めて実感した。
 Case14-小学4年生
9/13、母親と共に正午ごろ来店。小柄な体格のために、上半身が全て胸である。顔は小造りで可愛らしい。ブラジャーもさることながら、着ているものも有り合わせのシャツなので、破れそうなほどに張っている上に、脱ぐのも一苦労である。採寸の結果、トップ119センチ、アンダー48センチのZ カップであった。小学4年生でこのサイズは実に珍しい。他にも色々と測ったので、別途ファイルを参照。ブラジャーの大きさに呆気に取られている母親に話を聞くと、「夏休みに入ってから突然大きくなってしまったんです」と答える。たった一月ほどでここまで大きくなることはたまにあることだが、念の為に専門の病院を紹介した。「次は制服を買いに行きます。ほら、行くよ」と言われて手を繋いで退店。
 Case15-元女優
9/25、午前中に来店。出産の後引退したとの噂が各紙出回っていたが、真実は胸が大きくなりすぎたために、どうしても仕事が回ってこなくなったからだと言う。胸以外の体型は記憶と同じであった。スラリとした足に、美しい瓜実顔。採寸の結果、トップ127センチ、アンダー69センチのT カップであった。出来上がったばかりのCase-10の方のブラジャーを見て、「これ、もしかしてブラジャー、……ですか?」と訝しんでいた。「なんだか、このくらいの大きさで悩むのも馬鹿らしくなってきました。もう一度、あの世界に飛び込んでみます」と決意を新たにしたので、後押しをした。
 Case16-コスプレイヤー
10/3、午後に来店。非常に身綺麗な方。胸元はさほど大きく膨らんではいないが、なぜか存在感を感じた。衣装を作るために、正確なスリーサイズが必要とのことでウェストとヒップも測定。結果は、トップ108センチ、アンダー71センチのL カップであった。「あれ? L カップ? 自分で測った時はK カップだったのに」と言うので、これまで着けていたブラジャーを見てみると、K カップだったので、急遽試着。「ああ、たしかにこれはつけ心地がいいですね。買って帰ろうかな」と言って、実際に購入して退店なされた。
 Case17-中学生(二年生)
10/12、兄と共に夕方ごろ来店。体つきはやや細身ながら、胸が大きすぎるために服の丈が足りなくなっていた。大のお兄ちゃんっ子であるらしく、傍を離れようとしないので、共に試着室まで来てもらい採寸。結果は、トップ121センチ、アンダー63センチのU カップであった。「U カップか、……すごいな」と兄が言うと、「お兄ちゃんが大きくしたんでしょ。責任とってよね」と言うので訳ありだと見える。「重たいのはどうにかならないですか」と聞いてくるので、「そうですね、お兄様に支えてもらってください」と冗談で言うと、「ほらお兄ちゃん。店員さんもこう言ってるよ。これからはおっぱい持ってよね」と本来の意味で乳繰り合うので、蚊帳の外になってしまった。「これからもよろしくおねがいします」と支払い時に兄が言って退店。
 Case18-中学生(三年生)
10/16、昼過ぎに来店。部活帰りなのか、随分とラフな格好である。背が高いので聞いてみると、バスケットボールをしているとのこと。「それで大変だから来ました!」とはっきりとした声で言った。採寸の結果、トップ112センチ、アンダー68センチのN カップであった。その際、外したブラジャーのホックとストラップのつなぎ目がほとんど破れかけていたので、改良に改良を重ねたスポーツブラを勧めた。退店時、「何もしてなくても胸が痛くてしかたないのですけど、これって一体なんですか」と聞くので、「成長痛ですね。胸の成長が止まると収まりますよ」と言うと、「ま、まだ大きくなっちゃうんですか。……バスケ出来るかなぁ」とつぶやく。「ぜひまたいらしてください。スポーツタイプのブラジャーは目下改善中ですので、もっと大きくなっても大丈夫です」と安心させた。事実、スポーツブラはまだまだ改善の余地がある。
 Case19-中学生(二年生)
10/25、兄と共に夕方ごろ来店。先のCase17の方と同じである。この二週間ほどでさらに大きくなったのか、以前購入されたブラジャーから胸が乗り上がっていた。「いやー、……その、あはは、」とお茶を濁されるのはなぜだろう。採寸の結果、トップ134センチ、アンダー63センチのY カップであった。「うえぇ、……Y カップ」「本当に成長が止まらんな」「お兄ちゃん、Z カップになったら約束どおり、……ね?」「はいはい」「あ、なにそのやる気ない返事!」「はい」「よろしい。」相変わらず中の良い兄妹である。「まだ大きくなりそうなので、もう少し上のサイズのブラジャーも購入されますか」と提案して兄が乗ったので、2Z カップのブラジャーも同時に購入して退店なさった。ところで、後ろを向いた瞬間にこっそりキスしてたの、バレてますよ。
 Case20-無職
10/26、弟に引きつられて閉店後に来店。「その節はありがとうございました」と弟が言うのでよく見てみると、数年前には常連���った女性��あった。その頃の彼女は全国でも有数の高校の生徒で、朗らかでユーモアがあり、胸のほどはバスト130センチ、アンダー66センチのV カップだったのだが、ある時から急にばったりと来なくなったのである。「それが、色々ありまして、引きこもっちゃったんです」と弟が言う。胸は傷だらけであった。「ど、どうしたんですか、この傷は」と驚くと、「えっと、いじめられて、それで嫌になって、……」と小さくなりながら答える。「それは辛かったでしょう、この傷があなた様の心の傷だと思うといたたまれません。しかし、それでもこのおっぱいは美しい。こんなにきれいなおっぱいは、こういう職をしていても全く出会えません。どうか、大事になすってください」と言うと、少しだけ笑顔を見せた。採寸の結果、トップ187センチ、アンダー76センチであった。こういう時に在庫があるのが私の店である。いくつか試しているうちに雰囲気がどんどん和らいでいった。「これで弟ちゃんに支えてもらはなくてもよくなっちゃったね。残念?」「え? いや全然」「嘘。昨日も夜中に忍び込んで揉んでたくせに」と姉が言った時の弟の顔、この世の終わりのようだった。姉弟揃って礼を述べて退店。訳あり兄妹の次は、訳あり姉弟である。
 Case21-神職
11/3、午前中に来店。立ち振舞と黒い髪の毛が並々ならぬので聞いてみると、とある神社の巫女だと言う。ずっと昔から胸が大きくて巫女服が似合わないのが悩みの種なので、和服専用のブラジャーをご希望なさった。採寸の結果、トップ117センチ、アンダー67センチのP カップであった。和服のためのブラジャーは、Pカップからサイズ展開をしているため、危うく提供できないところであった。「そんなに大きい人も、この世に居るんですか。えっ、じゃあこれらも売れるんですか」と試着室にずらりと並ぶブラジャーを眺めながら驚いていた。これからはP カップから下のサイズも展開することにする。
 Case22-風俗嬢
11/5、正午ごろ来店。ぼっちゃりとした体型だが、愛嬌がある方。店内に展示してあるブラジャーを見て、「こんなバカでかいブラジャー作る意味あるの?」と聞いてきた。あるのですよ。採寸の結果、トップ112センチ、アンダー76センチのK カップであった。試着の際、あまりにも粗末に自分のおっぱいを扱うので、注意したところ、不機嫌に。結局K カップのブラジャーを一つ買って退店。
Kカップ
 Case23-風俗嬢
11/6、午後来店。開口一番に、「あははは! 本当にある!」と、店内のブラジャーを指差して笑った。採寸中も前の客が試したブラジャーを見て笑っていた。採寸の結果、トップ109センチ、アンダー72センチのL カップであった。「一体どういう人がああいうのを着けるっていうの?」と聞いてきたので、ぼやかして「様々です。下は小学生から上はご年配の方までいらっしゃいます」と答えると、「は? 小学生?」と固まってしまった。何も驚くことではないですよ。
 Case24-AV 女優
11/7、午後来店。背格好は平均そのものであるが、ひどく派手な服装なので、入店前から目立っていた。店内のブラジャーをしげしげと眺めてから、「私、O カップなのですけど、ちゃんと小さいのも用意してます?」とわざとらしく聞く。採寸の結果、トップ114センチ、アンダー68センチのO カップであった。試着自体はすぐに済んだが、その際、「あれも試していい?」と、先程眺めていたブラジャーをねだって試し始めたので、意外と時間がかかった。「うわっ、でかっ」と言ながら、自分の胸に合わせたり、肌触りを確かめたりするのが特に時間を食った。「でも、ちゃんとしっかりしてるってことは、……」と目配せしてくるので、「ええ、いらっしゃいます」と言うと、後は何も言わずにO カップのブラジャーを購入して退店した。
 Case25-教師
11/16、午前中に来店。「寒くなってきましたね」と言いつつ震わせた体は妙に気弱そうだった。職業は小学校の教師。近頃その気弱そうな佇まいのせいで、男子児童からのセクハラが激しいと言う。採寸の結果、トップ123センチ、アンダー70センチのR カップであった。セクハラ、痴漢は胸の大きな女性の宿命である。しかし、生徒だったら叱ればいいのではと尋ねると、「でも、可愛いんですよねぇ。大きな赤ちゃんみたいで、ドキドキしながらそっと触ってきて、しかも必死で、……だから、内緒だからねって触らせちゃうんです」とほんわかしながら答える。捕まらないように願う。ついでにショーツと香水を購入して退店。
 Case26-主婦
11/20、昼過ぎに来店。胸の膨らみも中々だが、お腹の膨らみが物凄く、「もうそろそろなんですよ」とおっしゃった。背格好は酷く小柄で、顔立ちも酷く稚い。失礼を承知で歳を尋ねると、23歳とのこと。採寸の結果、トップ104センチ、アンダー53センチのQ カップだった。どうやら、ここ一週間ほどでG カップから突然大きくなったそうなので、見るのも初めてなQ カップのブラジャーにひどく驚いていた。「うわー、……おっきい。私のおっぱいってこんなにおっきいの?」と言いながら試そうとするも、上手くホックがつけられず、「三段ホック大変ですね。慣れますかね」と心配げに言うので、「旦那様に助けてもらってください」と言うと、「ふふ、あの人に、ふふふふふ」と笑って惚気話が止まらなくなってしまった。「これで赤ちゃんにも、楽におっぱいをあげられます」と言いながら退店。
 Case27-職業不定
12/4、午後来店。かつてのパトロン様である。彼女に手芸の才能をお認めしてもらったからこそ、今がある。歳のほどは30台半ば、おっとりとした口調のとおり、おっとりとしたお顔立ちに、大きなおっぱいがゆったりと揺れつつ艶めかしい曲線を描いている。「お元気?」とおっしゃるので、少しばかり近況を述べてから、試着室へ。採寸の結果、トップ153センチ、アンダー74センチの3Z カップ。今の実力で編める最高のブラジャーを差し上げようとしたが、「それは若い子に譲ってあげなさい」とおっしゃってお聞きになさらなかった。せめてと思って、6段のホックをお止め申すと、「うん、やっぱり、ここまで丈夫で、心地よくて、価格も手頃なブラジャーはあなたのところだけよ」とおっしゃってくれた。「思い出すわ、まだ慣れてなくてカップがブチッと裂けるブラジャーを作ってた時のこと。よくここまで頑張ったね」とお褒めの言葉のついでに、今度は娘様をお連れして来店なさるともおっしゃった。それにしても、この御方に失敗作を着けさせていたなんて、いやはや畏れ多いものである。
 Case28-保母
12/11、夕方に来店。仕事を切り上げて来たと言うその仕事とは保育士。柔和で、優しげな目が特徴である。よく園児が谷間の間に入って寝るというので、ブラジャーはフルカップ以外の3/4カップ、できれば1/2カップが良いとのこと。採寸の結果、トップ177センチ、アンダー73センチであった。谷間の中に入って寝る、という状況がどうしても良くわからないので、試着中に話を伺ってみると、本当にすっぽりと、胸と胸の間に包んであげるのだと言う。するとだいたいは寝てしまって、起こすのも可哀想だからと、そのまま園児を谷間に入れたまま雑務をこなすらしい。世の中には驚きの方法で、子供を相手する人が居るものである。
 Case29-会社員
12/18、夕方に来店。顔なじみの客ではあるが、ここに訪れるのはおよそ一年ぶりである。スラリと背が高いのも、長い黒髪も、キッとした目も何も変わっていない。けれども、W カップもあったおっぱいの面影は、もう跡形もなかった。服を脱いでもらうと、減胸手術の生々しい痕が、まだ残っていた。採寸の結果、トップ97センチ、アンダー64センチのJ カップであった。途方も無い悲しさで、もはや見ていられなかった。「あの頃のブラジャーを見て、ようやく自分がどれほど大きいおっぱいを持っていたのか、理解できたような気がします」と言うのすら悲しくて、閉店まで何をしていたのか思い出せない。
 Case30-中学生(二年生)
12/24、開店と共に来店。Case17の仲良し兄妹である。もはや隠すつもりなどないのか、始終寄り添って手を繋いでいた。以前の来店から数えて二ヶ月、やや細身な彼女の股下が、胸の最下点。以前購入された2Z カップのブラジャーはおっぱいの重みに耐えきれず、カップとカップのつなぎ目、サイドベルトの一部、そしてストラップの一部が裂けそうになっていた。また、ホックも歪んでいたが、これは、走るとよくなることである。採寸の結果、トップ164センチ、アンダー63センチの12Z カップであった。参考のため、重さも測った。右が26キロ、左が25キロである。サイズの割にはとてつもなく重いので、まだ大きくなるかと思われる。試着の際、こっそりと「勝負下着になりそうなのをお願いします」と耳打ちされたので、「お兄様とですか?」と冗談っぽく聞いてみると、顔を真っ赤にして「内緒」と答えた。邪魔になるかと思い、以前のブラジャーを処理しようとしたところ、「あ、大丈夫です。お兄ちゃんが好きだから」と言って、頭をこづかれていた。そのため現品はないが、写真を撮ったので、必要であれば別のファイルを参照されたい。
追記:二人はその後もしばしば訪れている。予想通り胸の成長は止まる気配がなく、最も最近の結果は、トップ223センチ、アンダー63センチとなった。カップ数で言うと36Z か。それにしても、ウェストもアンダーも変わらずに胸だけが大きくなるケースは中々珍しい。
 Case31-小学3年生
12/28、昼時に来店。初め、お母様が自分のブラジャーを買いに来たものだと思っていたが、娘のブラジャーを探していると言った。俗に言う初ブラである。つるりとした平らかな体には、おっぱいが横に広がってついていた。採寸の結果、トップ69センチ、アンダー48センチのF カップであった。普通ならば大人用のブラジャーを勧めるサイズだが、胸の形自体はまだ子供なので、ジュニア用のブラジャーを試着させた。退店時、「しばらくはジュニア用ですかね。はぁ、どこまで大きくなるやら」と母親は言った。ジュニア用のブラジャーはM カップまでサイズ展開をしているが、もしかするともう少し広げなければならないかもしれない。
ところで今日で店じまいである。今年もたくさんの悩める女性に来店して頂いて、有り難い限りである。
 Case32-中学生(三年生)
1/6、午前中に来店。新年初の客である。この後に学校に赴くらしく制服を着ているのだが、胸元だけが異常に張っていた。年をまたぐ二週間ほどの期間、胸が痛んでどうしようのない思いをしているうちに、一気に大きくなったのだと言う。採寸の結果、トップ110センチ、アンダー68センチのM カップであった。手が触れるのすら痛いと訴えるので、柔らかな繊維で作ったブラジャーを勧めた。もしやと思い、制服を着直す直前に採寸し直すと、さらに4ミリほど大きくなっていた。ひとまず、貸し出しという名目でM、N、O カップのブラジャーを渡したところ、次の日にはどれも合わなくなって返ってきた。結局この子の成長が収まったのは一ヶ月後、トップ151センチ、アンダー68センチの5Z カップとなった時であった。それからもじわじわと大きくなっていて、しばしば訪れている。現在のサイズはトップ176センチ、アンダー71センチの14Z カップである。
 Case33-同業者
1/12、閉店後に来店。同業者であり、学生時代からのライバルである。私がブラジャーを作ることに手を染める前から、自身のおっぱいに合うブラジャーを求めるために、何度も失敗を繰り返していた。採寸の結果、トップ124センチ、アンダー66センチのT カップであった。「今日は敵情視察だから買いはしないわ」と言って、本当に試着しただけで終わった。全く憎い奴である。その後夕食を共にしてから袂を分かつ。
 Case34-高校生(一年生)
1/25、正午ごろに弟と共に来店。体型はぽっちゃりと言うにしては太い。が、それでも女の魅力に欠けるというのでもない。その反面、弟の方は痩せ型である。準備が整うまで弟を膝の上に抱いて待つ。採寸の結果、トップ127センチ、アンダー79センチのP カップであった。「弟が乳離れしてくれないから困ってるんです。おっぱいも出ないのに」と愚痴を漏らすので、「それだけお客様のおっぱいが魅力的なんですよ。男の子はおっぱいを前にすると、つい夢中になってしまうものなのです。況してそれがお客様ののような色気のあるおっぱいなら、なおさらです」と言うと、「まったく、お母さんが死んじゃったからって、お前は~~」と言うので、別の事情があるような気がした。
 Case35-アナウンサー
2/5、午前中に来店。「大惨事を起こしてしまったので、もうブラジャーだけは妥協しないことにしました」と言う彼女の職業はアナウンサー。なんでも収録中にブラジャーを弾けさてしまったそうで、その勢いでブラウスのボ��ンまで飛ばし、夏であったらあわや放送事故になりかけたと言う。採寸の結果、トップ125センチ、アンダー63センチのU カップであった。歩き回ることが多いそうなので、フルカップの中でも安定感を重視した5段ホックのブラジャーを購入し、退店。後日放送を見てみると、楽しそうに弾む彼女がいた。壊れるのも時間の問題かと思われる。さらなる頑丈さを追い求む。
 Case36-会社員
2/13、午後に来店。やや痩せ型。背は低いが胸を張っているために、不思議な魅力があった。おっぱいも一段階か二段階ほど大きく見える。仕事の合間で訪れたと言うので、急いで試着室へ。採寸の結果、トップ112センチ、アンダー65センチのO カップであった。胸のハリが異常で、きれいなお椀型を保っているので、参考のため記録に撮った。胸をさらに大きく見せるブラジャーを購入。「今度はゆっくり来ます」と言って去っていった。
 Case37-歌手
2/28、昼過ぎに来店。先のアナウンサーのように、演奏会中ブラジャーを弾き飛ばしてしまって、急遽演奏を中止した経験があると言う。参考のため、その時のブラジャーを持参して来てもらい、保管。職業柄、どうしても生地の薄いドレスを着なければいけないときがあるので、肩にも背中にもどこにも跡が浮き出ないようなブラジャーが良いと、そして息を吸うために決して締め付けないブラジャーが良いとのこと。採寸の結果、トップ118センチ、アンダー67センチのQ カップであった。���イヤーレス、無刺繍のブラジャーを数点試着すると、「完璧です。噂は本当だったんですね」と感心して、さらに日常で使うブラジャーも数点試着していた。後日、「ぜひ、コンサートに来てください」とチケットが送られてくる。
 Case38-高校生(二年生)
3/7、午後に来店。酷くおずおずとして、猫背。胸はかなり大きく、彼女の体の二倍以上の幅があり、猫背なために膝のあたりまで垂れていた。採寸の結果、トップ197センチ、アンダー64センチの25Z であった。「よかった、2メートル超えてない」と安堵の声を出したが、目の前に現れたブラジャーを見て、「えっ、これがブラジャーなんですか?」と驚いていた。これはよくあることである。彼女くらいの大きさになると、誰しもがただの布としか思わないものである。支払い時、「も、もしかして世界一になっちゃっいました、……? そうなるとやだなぁ。……」と聞かれたが、「大丈夫です。中学生で36Z カップの方もこの世には居ますから」と言うと、「ひょえー」と目を回していた。
 Case39-中学生(三年生)
3/10、午後に来店。非常に綺麗な優等生タイプの学生だった。特殊体質で母乳が出るらしく、射乳前と後とでは全くハリが違うので、一日で同じブラジャーをずっとは着けて居られないと言う。採寸の結果、トップ144センチ、アンダー62センチの5Z カップであった。採寸の途中にも、母乳が出てきていたので、ハリの違いを確かめるためにも、プライベートルームのシャワー室にて母乳を絞って来てもらった。匂いは格別である。聞けば一日に5リットルは出さないと痛くてたまらないのだと言うので、「飲んだりはしないんですか?」と聞くと、「私は飲んだりはしないんですけど、兄が美味しい美味しいってよく飲んでます」と、顔を赤らめて答えた。また訳あり兄妹である。
 Case40-中学生(二年生)
3/10、午後、上の母乳の子の試着中に来店。こちらもかなり綺麗な学生だったので、互いの承諾を得て試着室へ案内。どちらかと言えば、綺麗と言うよりは可愛いと言うべきか。試着中のおっぱいを見て、「す、すっごぉい、……」と感嘆の声の後、「触ってもいい?」と聞いて、しばらく揉んでいた。採寸の結果、トップ123センチ、アンダー69センチのR カップであった。互いに気の合う性格だったのか、試着室は非常に和気あいあいとした雰囲気である。R カップのブラジャーを数点購入し、二人同時に退店。
 Case41-高校生(一年生)
3/15、午前中に来店。この店に来る客としては珍しいことに、水着を所望。これから海外旅行でモルディブに行くのだと言う。ボブカットが非常にお似合いであった。採寸の結果、トップ134センチ、アンダー73センチのV カップであった。花柄でフリルのあしらわれた可愛い水着と、ワンピースタイプの落ち着いた水着を買っていかれた。「ダイビングもするんですよ。胸が大きすぎてスーツの値段が半端じゃなかったですけど」と苦々しく言っていた。ぜひ楽しんできてほしい。
 Case42-主婦
4/11、午後に来店。骨太ではあるが背が高いので、スタイルはすこぶる良い。しかし、その体つきに反して性格の方は気弱らしく、「あの、このおっぱいに合うブラジャーが本当にあるのでしょうか」と心配そうに言う。試着室にて服を脱いでもらうと、アンダーを詰めた52LL サイズのブラジャーから溢れ出ようとするおっぱいが姿を覗かせた。採寸の結果、トップ155センチ、アンダー76センチの3Z カップであった。案の定、「ひょっとして、これがブラジャーなんですか?」と言った。その他にもホックの数にも驚いて、「は、8段、……こんなの初めてです」と言うので、「こうでもしないとすぐに壊れてしまいますよ。むしろ今まで52LL サイズのブラジャーで支えきれていたのが不思議です」と言うと、「やっぱりそうですよね。酷い時には一回着るだけで縫い目が切れたり、ホックが壊れたりしてました」と、かつてのブラジャーをしげしげと眺める。そのブラジャーもほつれが酷い上に、ストラップの留め具がひしゃげたりしていた。正しいブラジャーを着けなければ大変なことになるという格好の例なので、後学のためにこちらで預からせてもらい、彼女には本当に自分に合うブラジャーだけを持って帰ってもらった。
 Case43-中学生(一年生)
4/16、姉妹で午後に来店。姉の方はしばしば訪れているので顔なじみである。高校一年、トップ138センチ、アンダー68センチのY カップ。妹はそんな姉と瓜二つであった。「やっぱり妹も大きくなっちゃいました」と下を出して言うのに合わせて、「大きくなっちゃいました」と妹の方も言うが、少々緊張気味である。採寸の結果、トップ103センチ、アンダー61センチのN カップであった。「もう同じ時の私より大きいんですね」と姉が言うので記録を辿ると、同時期の彼女はトップ101センチ、アンダー62センチのL カップであった。だが、L カップとN カップの違い程度、後々の大きさから見れば微々たるものでしかないだろう。「やだなぁ、お姉ちゃんには勝ちたくないなぁ」とぼんやり言う妹と、ブラジャーのホックをつけてあげる姉の姿、実に微笑ましかった。N カップのブラジャーを数点購入して退店。
 Case44-職業不定
5/1、昼過ぎに来店。この店にくる客の中でも屈指の訳あり人である。この日も程よい身長で、綺麗な顔立ちをして、長い髪の毛を後ろで結って、可愛らしい衣服を着て、大きく膨らんだ胸元を揺らしていたが、まさかこのお方が男性だとは誰が思えよう。母乳すらも溢れてくるのだと言う。「お久しぶりです。私、綺麗になりましたか?」と開口一番に言うので、「ええ、とっても。女の私でも羨ましいくらいに」と言って、試着室へ。採寸の結果、トップ102センチ、アンダー67センチのK カップであった。通常のブラジャーと、マタニティ用のブラジャーを試着。「最近母乳の出がかなりよくて、外でも絞らないと勝手に出てくるんです」と言って、持参のタオルに射乳をする。量としては出産直後の女性と変わらない。こうなった経緯は数年前の手記を参照。「もう少し大きければいいんですけどね」と言うが、これ以上何を望もう。
 Case45-カフェ店員
5/14、午後来店。背格好は平均的。誰とでも仲良くできそうな小造りな顔立ちがとても可愛らしい上に、おっぱいもまた、途方も無い大きさにしては体に程よく収まり、美しいシルエットを描いていた。「でも、このおっぱいのせいでせっかく作ったお料理とか潰しちゃうんですよね。下が見えないので、ぼんやりしている時は30分くらい胸の下敷きにしてしまったり、机の上のお皿を落としちゃったり、眼鏡を割っちゃったり、この間なんかは炊飯器を薙ぎ払っちゃったりしちゃって、……勝っちゃうんですよね、おっぱいが。もう大変です」と、服を脱ぎつつ言う。採寸の結果、トップ128センチ、アンダー62センチのW カップであった。ブラ選び自体はすぐに終わったが、かなりのおしゃべりなのか、試着後もずっと口が動いて止まらなかった。「ホック数が上がると安定する気がします。7つもつけるの大変ですけど、楽でいいです」と言って退店。
 Case46-秘書
6/4、午後来店。いかにも秘書らしい黒のスーツに、黒縁の眼鏡、そしてふわりとした黒髪。体型は小柄で細身。デスクワークが主であるというのに、胸が机の上に乗り上げて仕事にならないというのが悩みの種であるのだと言う。また、スーツがきつくて息が苦しいのも、どうしたものかと思っているのだそうである。採寸の結果、トップ120センチ、アンダー59センチのU カップであった。とにかく着けていて息苦しくないブラジャーをと言うので、ゆったりとしたカップを持つ当店オリジナルのブラジャーを勧めたところ、たいそう気に入ってすぐさま購入した。また、胸の大きな人専用の店を紹介しておいた。
 Case47-美容院店員
6/20、午前中に来店。妙齢の美人と形容するにふさわしい方である。歳のほどはまだ20台に見えたが、すでに中学生となる娘がいるとのこと。採寸の結果、トップ133センチ、アンダー70センチのV カップであった。この方もやはり元々大きかったのが、子供を生んでからさらに大きくなったのだと言う。「シャンプーをしているときにはどうしても胸がお客さんの顔に乗っちゃって、苦しいってよく怒られちゃうんです」とため息をついて、「でもたまに喜んでくれるお客さんも中にはいらっしゃいますけどね」と言う。ホックが5段のモールドブラを購入。支払い時に、「娘もどんどん大きくなっているので、近々連れて来ますね」と言って退店なさった。
 Case48-風俗嬢
7/2、午前中に来店。「ふぅん、すごいじゃない」と店内に展示されたブラジャーを眺めた彼女は、「もっと大きいのもあるんでしょう?」と言った。胸はほぼ接地。華奢な体、痩せた手足、巨大な乳房。職業は男を喜ばせることだと言っていたが、後の調べでとある風俗店の風俗嬢だと言うことが判明した。驚くべきことは、その風俗店では彼女のような巨大なおっぱいを持つ少女しか在籍していないということ、そして彼女のおっぱいはその中でも特に小さいということである。マニアのマニア、金持ちのみの相手をしているために妙に身奇麗だが、彼女自身は自分のことを良く言わなかった。採寸の結果、トップ362センチ、アンダー56センチであった。晒された乳首は直径11センチ、高さは16センチもあった。乳輪に至っては直径が40センチもあった。試着中、「やっぱりここのブラジャーはいいわ」と言うので、「もしかしてご来店されたことがありますか」と聞くと、実はあるのだと答えたが、本名を名乗らなかったので、顧客履歴との照会は出来なかった。「お姉さん、私、こんなにおっぱいが大きくなったよ。地獄みたいに苦しかったけど、でも、やっとここまで大きくなったよ。これであいつらを見返せれたかなぁ?」と言うその声にハッとなったが、気がついた時にはもうすでに彼女は退店してしまっていた。
 Case49-家政婦
7/7、その主人と共に午後来店。俗に言うメイド。見た目もふわりとすれば、話し方もふわりとして可愛らしく、主人の後を、おっぱいを引きずりながら追いかけて店内を移動。時折ブラジャーを眺めては、「これなんか、半年前の私にぴったりですね」と嬉しそうに言う。採寸室へは入れなかったので、その場で採寸。結果はトップ523センチ、アンダー59センチであった。メイド服を脱いだ時、胸の付け根、乳輪の境、乳房の一番太くなっている部分など、ところどころに傷跡があったが、おそらくは無理やり大きくした代償だろう。これまでの経験と感から、彼女の胸はそんなに大きくはなかったと思われる。傷跡は、膨乳に耐えきれずに裂けた皮の痕だと思われる。「ブラジャーって、私初めて着けましたけど、とっても気持ちいいですね。ご主人様、もっと早くここに来たかったですー」とむくれる姿に主人は笑って、「ところで本当にどんな大きさでも作れるというのは本当なのかね」と言うので、「本当でございます。ブラジャーの制作に関しては誰の追随も許さないと自負しております」と答えた。すると、「そうか、では今日もやるかね」と、ビクッと体を震わた彼女の方を向いて言う。
こういった客とはときどき出くわす。何も言うことはあるまい。
 Case50-花嫁
7/16、早朝、結婚式へ赴く。常連の一人だった女性の結婚式である。式場のスタッフではブラジャーの調整その他が出来ないので、���と、ウェディングドレスを作った友人が大方の仕立てをすることになった。この日のブラジャーは純白の、ふわふわとした、羽のようなカップに、レースをあしらった豪華なもので、もし下着姿となったとしても、それだけで神聖な気持ちを抱かせるようにした。念の為に採寸を行うと、トップ487センチ、アンダー64センチであった。「初めて訪れた時はこの半分もありませんでしたね」と彼女は笑って、ストラップの位置を調整する。私もカップの中に手を入れて、満遍なくおっぱいを中に行き渡らせる。男がやると獣になる。背中に回ってホックを調整する。16個のホックは無事ひしゃげずに彼女のおっぱいを支えていた。作っている時にはなんとも思わないのだが、16個もホックがあると、中々壮観である。「カップの中とか、背中が蒸れたりはしてませんか?」「ええ、大丈夫です。なんともありません」と言うのを聞きつつ胸の下に入って、最後の確認をする。片方だけで300キロを超える彼女のおっぱいで、カップとカップの間が裂けてしまわないかどうかを確かめるのである。私のせいで、晴れの舞台を台無しにしてしまうわけにはいかないのは当然であろう。最後に彼女を送り出した時、思わず涙を流してしまった。「ああ、良かった、大変なときもあったけど、ブラジャーを作り続けてよかった」と言うと、「お前は本当に愛されてるなぁ」と友人に言われた。本当にこの職をしていて良かったと思う。披露宴の後、豪華なブラジャーから普通のブラジャーに変える際、ほつれを発見したので、こちらで手直ししてから後日郵送することになったが、それ以外にもストラップが伸びていたり、カップのワイヤーが切れていたりしていたから、まだまだ私のブラジャーは完璧とは程遠いと言える。まだまだである。より良いブラジャーのためにこれからも努力していきたい。
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