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#即時性エコラリア
abahaffy · 2 years
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#エコラリア (#即時性エコラリア )で 要求をしてしまい、言葉を覚えない 子供は、少し工夫しないと 言葉を覚えてくれません。 #拡張模倣 (#拡充模倣 )と #音声模倣 を使用して #言語訓練 をしていきます。 ブログ ↑プロフィールから LINE abatherapistで検索 無料発達相談しています。その他、質問、コメントお待ちしております。 #自閉症児 #自閉症スペクトラム #言葉の発達 #オウム返し #言葉の遅れ #発達相談年中無休 #ことばの遅れ  #自閉症あるある #家庭療育 https://www.instagram.com/p/CdSrIdeL-oS/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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carpaccione · 6 years
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身振りについての覚え書き
一。西洋ブルジョワジーは、一九世紀末には自らの身振りを決定的に失っていた。
 パリ病院とサルペトリエール病院の元内勤医 ancien interne des Hopitaux de Paris et de la Salperiere であるジル・ド・ラ・トゥーレットは一八八六年、ドラエー・エ・ルクロニエ社から『歩行に関する臨床的・生理学的研究』を出版した。人間の最もありふれた身振りが厳密に科学的な方法によって分析されたのは、これがはじめてのことだった。その五三年前、プルジョワジーの良識がまだ変化を被っていなかった時代に、バルザックは、社会生活を対象とする全般的な病理学の計画を予告したが、これは五〇ページからなる「足取りの理論」という研究を生むのがせいぜいで、それもがっかりするような出来だった。これら二つの試みを隔てているのは時間的な距離だけではない。その距離については、人間の歩みに関するジル・ド・ラ・トゥーレット自身による描写がなによりの参考になる。バルザックがある心的性格の表出としか看て取らなかったところで、映画をすでに預言しているまなざしが働きだしている。
“左脚が支点となり、右脚は踵から爪先に旋回運動を受けながら地面から持ち上がる。爪先は最後に地面を離れる。この脚全体が前方に運ばれ、次いで足が踵から地面に触れる。この時、旋回を終えて爪先だけで支えられている左足が地面を離れる。左脚が前方に運ばれ、右脚の側方を通過する。左脚はこの時、右脚に接近するが、次いでこれを追い越し、左足が腫から接地する。この時、右足が旋回を終える。”
 こうした視覚を備えた眼だけが、足跡測定法と言われる測定法を開発することができた。ジル・ド・ラ・トゥーレットこそ、この測定法を完成させた人である。彼自身そのことをとても誇りとしているが、それも正当だろう。長さ七ないし八メートル、幅五〇センチの白く塗られた巻紙を地面に留め、次いで、長軸に沿って鉛筆で分割線を引く。そして、患者の足の裏に三二酸化鉄をまぶす。これで、足の裏は見事な赤錆色に染まる。引かれた線に沿って患者が実験中に残す足跡によって、その足取りがさまざまな媒介変数にしたがって完璧に測定されることになる(歩幅、中心からの隔たり、傾斜角など)。
 ジル・ド・ラ・トゥーレットの発表した足跡の模写を観察すると、同年代にマイブリッジがペンシルヴェニア大学で撮影していた一連の瞬間写真のことに思いを致さざるをえない。マイブリッジは、これらの写真を、二四機の対物レンズからなる撮影機によって撮影した★1。「通常の速度で歩行する男性」「銃を担いで走る男性」「歩行して水差しを拾う女性」「歩行して投げキスをする女性」これらは、あの一連の痕跡を残した無名の苦しむ被造物たちの、幸福で目に見える双生児たちなのだ。  歩行に関する研究の出版の一年前には、『エコラリアおよびコプロラリアを伴った共調運動失調を特徴とする一神経疾患に関する研究』が出版されている★2。この研究は、この種の疾患に臨床上の枠組みを与えることになり、この研究の出版以降、この疾患はジル・ド・ラ・トゥーレット症候群の名で呼ばれることになった★3。足跡測定法を可能にしたのは、最も日常的な身振りを距離を置いてとらえる、ということだったわけだが、それがここでは、チック、痙攣、断続的運動、ぎこちなさといったものの顕著な増大を描写するのに適用される。こうした動きの増殖は、身振り性の圏域の全般化された破局としてしか説明できない。患者は最も単純な身振りをきちんと始めることもできなければ、終わらせることもできない。ほんの少しその運動をしかけるやいなや、それは共調を欠いた震えと痙攣に中断されてちぐはぐになってしまう。この痙攣においては、いかなる運動の目的もないままに筋肉が踊るように見える(舞踏運動chorea)。シャルコは、歩行の圏域でこうした混乱にちょうどあてはまる典型的な描写を、有名な『火曜講義』の中に残している。
“さあ彼はここで出発する。身体が前傾して、下肢が硬直して伸張し、いわば、左右の肢が貼りつく。そして、爪先が支点になる。足が地面の上をいわば滑るように進み、前進はいわば、こわばって震え上がるようにおこなわれる[…]。一度こうして前に進むと、いつでも倒れかねない様子になる。いずれにせよ、もう自分ではまず止められない。たいていは、隣の物体につかまらなければならない。ゼンマイを巻かれた自動人形のようだ。この、硬直した、ぎくしゃくした、痙攣様の前進運動には、歩行のなめらかさを思わせるものは何もない[…]。最後に、幾度か試みた後に、彼はまた始めて、今私の述べたとおりの機構にしたがって、硬直した、というか、少なくともほとんど曲がっていない脚で、歩行するというよりは地面の上を滑る。この時歩行は、いわば、それに見合う数の突然の飛び上がりに置き換わっているように見える。”
 なによりも驚異的なのは、一八八五年以来、こうした幾千もの症例が観察された後、二〇世紀初頭にはこれがほとんど観察されなくなった、ということである一九七一年の冬のある日、オリヴァー・サックスがニュー・ヨークの街を散歩していた時に、数分の間に三例のトゥーレット症の症例を見かけたと思ったあの日までは★4。この消滅を説明しうる仮説の一つは、運動失調やチックや筋緊張異常がこの間に規範となり、ある時に、すべての人びとが自分の身振りの制御を失って熱狂的な歩行と身振りをするようになった、というものである。なんにせよそれが、マレー★5とリュミエール★6がまさにこの時代に撮りはじめたフィルムを前にして感じる印象だ。
★1…エドワード・マイブリッジ(Eadweard NIuybridge, 1830-1904)が疾走する馬の連続写真をはじめて撮影したのは一八七七年のこと。この写真は、運動の連続した痕跡を別々の乾板に残すもので、この一連の写真を「ズープラクシスコープ zoopraxiscope」という彼の考案した機械に掛けると、動画の印象が得られた。この動画は、一八八一年にパリで公開されている。
★2…「共調運動失調 incoordination」とは、ある特定の動作をおこなうにあたって、���数の筋肉を総合的・組織的に運動させることができないこと。
★3…ジル・ド・ラ・トゥーレット症候群は、多様性の運動チックと一つ以上の音声チックが長期間にわたって続くチック障害。なお、チックとは、不随意的、突発的、急速、反復性、非律動的、常同的な運動あるいは発声。特異的な複雑運動チックには、コプロプラクシア(卑猥な動作を不随意的におこなう)やエコプラクシア(他人の動作を不随意的に模倣する)があり、特異的な複雑音声チックには、コプロラリア(卑猥な語を不随意的に発する)、エコラリア(他人が口にした語などを不随意的に繰り返す)、パリラリア(自分自身の発した語を不随意的に繰り返す)がある。
★4…オリヴァー・サックス「機知あふれるチック症のレイ」「妻を帽子とまちがえた男』高見幸郎・金沢泰子訳、晶文社、一九九二年、一七四頁を参照。
★5…エティエンヌ - ジュール・マレー(Etienne-Jules Marey, 1830-1904)は、一枚の乾板の上に物体の運動の一連の断続的な痕跡を記録する撮影技法を発明し、「クロノフォトグラフィ chronophotographie」と命名した。
★6…リュミエール兄弟(Louis Lumiere, 1864-1948; Auguste, 1862-1954)は一八九五年に、現在の映画の直接の基礎となった「シネマトグラフ cinennatographe」を発明・公開した。
二。自らの身振りを失った社会は、失ったものを映画においてもう一度我有化しようとし、同時に、映画にその喪失を記録する。
 自らの身振りを失った時代は、同時にまた、その身振りに取り憑かれてもいる。あらゆる自然さを奪われた人間にとっては、それぞれの身振りが運命となる。そして、目に見えない潜勢力の働きの影響を受けた身振りは、屈託なさを失ったものとなり、そうなればなるほど生は解読しがたいものになっていった。数十年前には自らを象徴するものの数々を保持していることを堅く保証されていたブルジョワジーが、この時期になると、内面の犠牲者となり、心理学へと委ねられる。  ヨーロッパ文化においてニーチェは、身振りの抹消および喪失と、身振りの運命への変形、という二極間の緊張が絶頂に達する点を体現している。というのは、潜勢力と現勢力、自然さとぎこちなさ、偶然性と必然性とが見分けられなくなっているある身振りとして(つまりは唯一、演劇として)しか、永遠回帰の思考は認識できないからだ。『ツァラトゥストラはこう語った』は、自分の身振りを失った人間の踊るバレエである。時代がこのことに気づいた時(もう遅い!)、その喪失した身振りを死に際になって取り戻そうとする性急な試みが始まった。イザドラ・ダンカンやディアギレフの舞踏、プルーストの小説、パスコリからリルケにいたるユーゲント様式の偉大な詩、そして最後に、最も典型的なのが無声映画である。これらはある魔法円を描き出しており、その中心で人間は、永遠に完全に自分から失われてしまったものを最後になって呼び寄せようと試みた。  同じ時代に、アビ・ヴァールブルク★7がある種の探究に着手している。この探究を「図像の学」と定義することのできたのは、ある種の近視眼的な、心理学に傾斜した芸術史だけである。実は、ヴァールブルクの探究の中心をなす対象は、歴史的記憶をもった結晶としての身振りであり、そうした身振りが運命として凍りつく硬直であり、そうした身振りを力動的な二極化を通じて硬直した運命から救出しようとする芸術家と哲学者の倦むことのない努力である(ヴァールブルクにあっては、その努力は狂気の限界に至るほどのものだった★8)。その探究が図像の領域でおこなわれていたために、図像も研究対象なのだと信じられてしまった。しかし実は、ヴァールブルクは図像を(ユングはこの図像からさらに、原型という超歴史的圏域のモデルを作ることになるが)まったく歴史的で力動的な一要素へと変形したのだ。この点からすると、彼が未完のまま残した千枚もの写真からなる図版『ムネーモシュネー』は、数々の図像の不動の目録などではなく、古典ギリシアからファシズムに至る西洋の人間の身振りの、潜在的な運動をもった表象(つまり、パノフスキーよりはデ・ヨリオに近いもの)であると言える。各部に置かれたそれぞれの図像は、自律的な現実としてというよりはあるフィルムの一コマの写真とみなすべきである(ベンヤミンは、弁証法的な像を、運動を与えるためにすばやくページをめくる、映画の先駆をなすあの小手帳に比したことがあるが、少なくともその意味での写真として、である)。
★7…アビ・ヴァールブルク(Aby Warburg, 1866-1929)。ドイツのユダヤ大富豪の血を引き、その私財で「ヴァールブルク研究所」をハンブルクに創設した。後にロンドンに移った同研究所は、エルヴィン・パノフスキーらの拡大した「図像学」の牙城となった。
★8…これは具体的には、彼が精神を病み、一九一八年から一九二四年まで入院していたことを指す。
三。映画の境位(エレメント)は身振りであり、像ではない。
 ジル・ドゥルーズが示したように、映画は、心的現実としての像と物理的現実としての運動との間の心理学上の偽りの区別を抹消する。映画の像は「永遠のポーズ poses éterneles」(古典世界の諸形式のような)でもなければ、運動の「不動の切片 coupes immobiles」でもない。それは、それ自体が運動している像、「動的な切片 Coupes mobiles」であり、ドゥルーズはこれを「運動 - images-mouvement」と呼んでいる。ドゥルーズによるこの分析をさらに延長する必要があり、この分析が、一般に近代における像の立場に関わるものであることを示さなければならない。ところで、このことが意味しているのは、像の神話的な堅固さがここにおいて粉砕された、ということであり、より正確に言えば、問題であるべきは像ではなく身振りだ、ということである。事実、像はすべて二律背反的な極性によって動かされている。一方では像は、身振りの物化であり身振りの抹消である(つまり雌で型どるデス・マスクや象徴、という意味でのイマーゴー imago がそうだ)。しかし他方でこの同じ像は、身振りの潜勢力 dynamis を生のままで保存してもいる(マイブリッジの瞬間写真の場合がそうだし、スポーツ写真なら何であれそうだ)。第一の極は、意志的な記憶が奪い去る記憶内容に対応している。第二の極は、無意志的な記憶の顕現のうちにひらめく像に対応している。第一の記憶が魔の孤立の中で生を営んでいる時、第二の 記憶は、常に、その記憶自体を超えて、その記憶を部分として含むものの全体へと送り返す。『ジョコンダ』も、『ラス・メニーナス』も、不動で永遠の形式と見なすのではなく、ある身振りの断片、あるいはまた、ある失われたフィルムの中の一コマの写真と見なすことができるのであり、そうしたフィルムだけが、『ジョコンダ』や『ラス・メニーナス』に、その真の意味を取り戻してやることができるのかもしれない。というのも、いかなる像においても、一種の縛りつけ ligatio が、つまり、ものを麻痺させる権力が働いているからである。この権力を追い祓わなければならない。まるで、芸術史の全体から、像を身振りへと解放してくれ、という無言の訴えが立ちのぼっているかのようだ。足伽から離れて動き出した、伝説のギリシア彫刻たちの言わんとするのはまさにこのことである。しかしこれはまた、哲学がある理念に担わせている意図でもある。その理念は、広範に流布している解釈によると、不動の原型とされているが、それはむしろ、現象の数々が一つの身振りへと組成される場としての布置なのである。  映画は像を身振りの国へと連れ帰る。ベケットの『夜と夢』の暗に提示している定義によれば、映画とは、身 振りの夢のことである。覚醒という境位をこの夢に導入することが映画監督の務めである。
四。像ではなく身振りを中心としている以上、映画は本質的に、倫理的かつ政治的な次元に属している(のであり、たんに美的次元に属するのではない)。
 身振りとは何か? ウァロによる指摘は、貴重な示唆を含んでいる。身振りを行動の圏域に記入しておきなが
〔※ pp.62-63 が抜け頁〕
的との関連でのみ意味をもつしかじかの手段性★9と同等に、道を踏み外している。舞踏が身振りであるのは、逆に、舞踏がまるごと、身体運動の手段的な性格を負担しさらしだすということだからである。身振りとは、ある手段性をさらしだすということであり、手段としての手段を目に見えるものにするということである。身振りは、人間の、人間にあること〉をあらわにし、人間に倫理的次元を開く。しかし、ポルノ映画において、たんに他の者たち(あるいは自分)に快楽を与えるという目的に向けられた手段である身振りを遂行している人が、撮影され自らの手段性の内にさらしだされている、というだけの事実に不意をつかれる時、この人はこの手段性によって宙吊りにされ、観者にとっては、新たな快楽の手段になる、ということがある(そうでなければその身振りは理解できないだろう)。あるいはまた、マイムにおいては、日常的きわまる目標に従属した身振りがその身振りとしてさらしだされ、そのことで、「欲望と遂行の間、犯行とその追想の間 entre le desir et l'acComplissement, la perpetration et son Souvenir」に、マラルメが「純粋な間 milieu pur」と呼ぶものの内に宙吊りになる。このように、身振りにおいても、人間たちに交流するのは、それ自体が目的である目的の圏域ではなく、目的を欠いた、純粋な手段性の圏域なのである。  「目的のない目的性」というカントの不明瞭な表現は、こうしてはじめて具体的な意味を獲得する。目的のない目的性とは、手段において、身振りを、ヘ手段であること〉そのもののうちで破断する身振りの潜勢力のことであり、この目的のない目的性は、このようにしてはじめて、手段をさらしだし、もの res を、すなわち gerere されるもの、res gesta にすることができる。同様に、もし人が言葉を交流の手段と見なすのなら、これこれの言葉を示すということは、この言葉を交流の対象とする、より高度な平面(第一の水準の内部ではそれ自体交流不可能なメタ言語活動)を用いるということではなく、それはつまるところその言葉を、いかなる超越性もないままに、その言葉固有の手段性の内に、その言葉に固有の〈手段であること〉の内にさらしだすことである。この意味で身振りは、交流可能性の交流である。より正確に言えば、身振りは言うべきことなど何もないのだ。というのも、身振りが示すのは、純粋な手段性としての、人間の〈言語活動の内にあること〉だからである。しかし、〈言語活動の内にあること〉は命題として言われうるようなものではないので、身振りは、その本質において、常に、言語活動の内では把握されない、という身振りなのである。身振りは常に、語の本来の意味でのギャグ gag である。この語はもともと、言葉を妨げるために口をふさぐものを、また、記憶に穴が開いてしまったり話せなくなったりした時に、俳優が場を繕うために即興でやることを意味する。というわけで、身振りと哲学だけでなく、哲学と映画が近さをもってくる。映画の本質的な「無声性」(これは、サウンド・トラックのあるなしには関係がない)は、哲学の無声性同様、人間の〈言語活動の内にあること〉をさらしだすことである。つまりそれは、純粋な身振り性である。言うことのできないことを示すこと、というヴィトゲンシュタインによる神秘的なものの定義は、文字どおりギャグの定義である★10。そして、すべての偉大な哲学のテクストは、言語活動そのものをさらしだすギャグであり、巨大な記憶の穴のような、言葉の癒しがたい欠陥のような、〈言語活動の内にあること〉そのものである。
★9…「手段性 medialita」は、間にあること、とも読める。
★10…ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(Ludwig Witgenstein, 1889-1951)はたとえば次のように書いている。「言語において自ずと表現されていることを、われわれが言語によって表現することはできない。」(『論理哲学論考』四・一二一)、「神秘的なのは、世界にどのように事象があるかではなく、世界が存在するということである。」(六・四四)、「本当に、言葉にはできない事象がある。そうした事象は、自ずとあからさまになる。そうした事象が、神秘的なものなのだ。」(六・五二二)
五。政治とは、純粋な手段の圏域である。言い換えればそれは、人間の、絶対的で全面的な身振り性の圏域である。
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