Tumgik
#冷帯夏雨気候
tsuntsun1221ts · 2 years
Text
2022.08 黒部五郎岳(1日目)
Tumblr media
双六池がキレイな双六小屋のテント場
百名山である黒部五郎岳を目指す。普通は3泊4日を要する秘境の山だが、自分の体力であれば2泊3日で行けるだろうと思い、1日目は新穂高から入山し拠点となる双六小屋まで、2日目には双六小屋から黒部五郎岳への往復、3日目に新穂高へ下山する計画。
Tumblr media
毎日あるぺん号で新穂高へ。到着時は雨が降っていたが準備している間にやんだ、ただしガスは濃くたちこめる。毎日あるぺん号はロープウェイ駅で停まるが、3分ほど歩いたところにある新穂高温泉(前回の西穂高岳でも帰りに寄った)はトイレや登山届出せる。ロープウェイの営業を待つ場合もこっちの方で待機したほうがいい。なにせロープウェイは営業始まるまで外で待たないといけないしトイレも無い。
【コースタイム】新穂高温泉(0705)→ワサビ平小屋(0810)→秩父沢出合(0905)→鏡平山荘(1045-1110)→弓折岳乗越(1200)→双六小屋(1255)
Tumblr media Tumblr media
新穂高から左俣谷を通る。小池新道まではある程度舗装された平坦な道だがかなり長く、1時間半くらい緩やかな上り坂を歩く。ちなみに右俣谷を行くと槍ヶ岳へ通じる。
Tumblr media
途中で笠ヶ岳登山口を通過する。なかなかの急登らしい。これから向かう方が一人。
Tumblr media
左俣谷を1時間ほど歩くとわさび平小屋に到着。熊の出没がかなり多く、今年は一時テント場が閉鎖されたほど。熊よけの簡易的な太鼓が随所に設置されているので、そこまで出没が多いのかと思い少し緊張する。
Tumblr media
トマト・きゅうり・バナナ・みかん・りんご・スイカが冷やされている。すごく美味しそう!他の山小屋ではみたことないラインナップ、とはいえここはまだまだ下界で車も通れる。下山時にはトマトを頂いた。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media
わさび平小屋を通過してしばらくすると小池新道となる。しかし最初の方はまだ平坦な道で、しばらくはダラダラと高度を上げていく。
Tumblr media
渓流から離れると本格的な登山道となる。とはいえ傾斜はそこまでキツくなく、しかも石段の配置が細かくて終始非常に登りやすかった。
Tumblr media
秩父沢出会い。岩屑なだれのような幅広い急斜面の沢で、増水したときはおそらく通行不可となるため事前に天気予報に注意する必要あり。
その後もとにかく延々と登りやすい石段の道で高度を上げていく。
Tumblr media Tumblr media
鏡池の近くになると木道が設置されており、鏡平山荘まはすぐそこ。
Tumblr media
新穂高から4時間で鏡平山荘に到着。2時間くらいはずっと平坦な道だったから、登りとしては実質2時間くらいか。
Tumblr media
昼食で味噌ラーメンを注文したが、野菜が多くにんにくも入ってスタミナ系の料理みたいですごく美味しかった!ちなみに7食限定のかき揚げうどんというのがあるが完売していた、気になる。
Tumblr media
引き続き登る。山荘から先は森林限界も超えて開放感あり。晴れていれば景色も良くなってきているはずだったが。
Tumblr media Tumblr media
鏡平山荘から1時間くらいで弓折乗越。景色はガスのせいでまったく見えないが、夏の暑い日差しがなく細かいミストが体にあたって冷やされるので気持ちいい。景色を犠牲にだが、夏の登りならこの天候が一番体力を温存できる。
Tumblr media
ここまで上がればほとんど稜線上に出たようなもので、アップダウンは少しあるがさきほどよりも全体的に緩やかになった。
Tumblr media
遠くに小屋が見えてくる。さらに奥には鷲羽岳がどっしりとそびえており、しかも青空が見えてきて夏の山らしい景色が広がる。
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
双六小屋までの道がかなり気持ちよかった。テント場は広く60-100張くらい。この日はとても空いていて場所は選び放題。池の畔でロケーションは抜群。
Tumblr media
新穂高から6時間で双六小屋に到着。
Tumblr media
飛騨牛串700円。たぶん山小屋だとここでしか食べられないのでは?
Tumblr media Tumblr media
鷲羽岳の稜線左下に三俣山荘の赤い屋根が見える。双六小屋ではこの景色が眺められる場所でのみ携帯の電波(docomo)がつながる。
吹く風が冷たいが日差しがさすとテント内はかなり暑い。夕方になり日が落ちるとかなり寒く、吐く息が白くなるほど。夏とは言え気温は10℃くらいまで落ちる。
2日目に続く
1 note · View note
pastasaikou1984 · 4 years
Photo
Tumblr media
ロシアの寒〜い気候がもたらす自然アート こういうのに胸を打たれてしまいます 雪の結晶のようをボーっと見てるだけでも楽しい 今日もキンキンに髭が凍りました 深呼吸すると鼻毛も凍ります(笑) ウラジオストクの元旦は、夜から朝までずっと花火が上がる賑やかな夜でした #ウラジオストク #Владивосток #Vladivostok #ロシアの極東部 #プリモールスキイ地方 #亜寒帯冬季少雨気候 #冷帯夏雨気候 #ロシア #Russia #日本から一番近いヨーロッパ #雪の結晶のよう . . . #池ノ上#池ノ上カフェ#池ノ上駅#池ノ上ランチ#池ノ上駅1分 #池ノ上グルメ#池ノ上レストラン#池ノ上イタリアン#池ノ上ディナー#池ノ上のイタリア郷土料理店 #池ノ上の手打ちパスタ #池ノ上でイタリアワイン#池ノ上でイタリアクラフトビール#池ノ上でチーズ#池ノ上のbar利用 #池ノ上でフルコース#池ノ上でペアリングコース#池ノ上でティーペアリング #ペペロッソ 世田谷区 池ノ上駅のイタリア郷土料理店ペペロッソ Ristorante regionale italiano a Sangenjaya a Tokyo "PEPE ROSSO" . Italian regional restaurant in Sangenjaya in Tokyo "PEPE ROSSO". https://www.peperosso.co.jp/ Webマガジン 「SHOP ITALIA ~あなたが知らないイタリアここにあります」にてイタリアについて執筆させていただいております https://shop-italia.jp/food/peperosso_imai_panificio_palumbo 【オリジナルプロデュースオリーブオイル EVO1118 500ml 】 料理にフレッシュ感をプラス https://store.shopping.yahoo.co.jp/peperosso/pepe-oliveoil500.html (Vladivostok, Russia) https://www.instagram.com/p/B6x-I2VlMc5/?igshid=d8v4ocaw8k02
1 note · View note
ichinichi-okure · 3 years
Photo
Tumblr media
2021.07.30fri_tokyo
この家に居候させてもらって1ヵ月ほど経った。訳あっていま自分の家では暮らさずに、1階には信子さんがいて、私は2階で生活させてもらっている。 天井が高くて、台所やお風呂もトイレも洗濯機も1階とは別に2階に全てあり、広いリビングの他に寝室もあり、その他に部屋が2つ、その上にはミニ3階がある。 とてもいいおうちなので数日でもう帰りたくないという気分になった。いつまでいてもいいからね、と言ってくれるがずっといるわけにもいかない。これからどうしようか、ぼんやりし生活をしていたら梅雨がパカッと明けて夏になった。 クーラーが壊れているのでたくさんある窓を全開にし、扇風機をまわして過ごしている。朝はかなり早い時間から鳥たちが鳴いていて、それから蝉が。あるとき玄関からワンワン、と犬のなき声がして、しばらくしてもワンワン、ワンワン、と妙なリズムで聞こえるので何かと思ったらこの家のインターフォンの音だった。
2年ほど前、はじめてこの家に遊びにきたとき、まだここに住んでいたあいちゃん、お母さんの信子さんと、家が火事で燃えたあいちゃんの友人夫婦が一時的に住んでいた。 あいちゃんは私と歳はひとつ違い。東京生まれ東京育ちだが、信子さんは北海道出身だと言う。私は札幌で、同郷ですね、と話していると、出身の美術短大が同じということが判明した。歳は30歳以上違うけどかぶっている先生が2人ほどいた。 この家に私を連れてきてくれた人が、あいちゃんに「カエデちゃんを見せてあげてほしい」と言い、信子さんが「たしかこのへんに..」と引き出しからマッチ箱を出してきた。 ここに来る途中、その家で飼われていたというカエデちゃんというゴキブリのことを電車の中で少し聞いていた。信子さんがマッチ箱をスッとスライドさせて開けると、そこにはもう動かないゴキブリが静かに収まっていた。カエデちゃんの亡骸である。 私は人並みにゴキブリが苦手だが、そのマッチ箱のゴキブリは不思議とぎゃあ!とは思わなかった。大切に扱われているからだろうか。 もちろんこの家では全てのゴキブリをそのように丁寧にコレクションしているわけではなく、他のゴキブリは普通にやっつけるが、カエデちゃんは飼っていたという。 聞いてみるとある日庭でゴキブリが倒れていて、(倒れていた?)それで信子さんがご飯をやると食べて少し元気になり、おいで、と呼ぶとこちらに来たりと懐くようになったらしい。 自分の家でゴキブリが出たら私はちまなこで息の根をとめるため戦うが、この家は何が出てもあんまりびっくりしない気がして安心して暮らすことができる。 ちなみに最近は近くに住む藍ちゃんが家に来て掃除や整理をしていて、信子さんが「そういえばあのボタンみたいの何?」と聞いていてあいちゃんが「コンバットだよ。初めて置いた。」と答えていた。たしか建て替えをして20年くらいと聞いた気がする。コンバットもなく虫たちにとっても居心地のいい家だったろう。
7月30日朝、ベッドから降りてコーヒーを入れて本を読みながら、寝てる間に蚊にさされたのをかく。どうやらずっといる1匹が日々地道にに刺してくる。 見つけてパチンと両手を叩いたが捕まえられず、1匹だし蚊取り線香をたくほどでもない気がして、私はただ身を差し出し、かいたりキンカンを塗ったりやり過ごしている。 小さいロールパンを焼いて、余っていた豚肉と豆苗を軽く湯に通したものをはさんでポン酢とマヨネーズをぴゅうとかけたらとってもおいしかった。 コーヒーの続きを飲みながら昨日の撮影のデータを急ぎでセレクトして送信。すごくいい撮影だった。友人がやっているリソグラフスタジオ、Hand Saw Pressが毎年参加している秋のイベントのビジュアル撮影���すばらしき5名の被写体が集結してくれ、撮った写真を見て自分も元気になる。
今日は金曜日なので、信子さんが毎週代々木公園に行ってやってるホームレス支援のある日だ。予定があえば私も同行させてもらっている。 11時半、信子さんの車に前日にフードバンクでもらってきた食糧や、信子さんのところに集まってきた衣類や生活用品を積んで、出発。 今日はあいちゃんともうすぐ1歳のピピちゃん(ニックネーム)も一緒に行くので車で5分ほどの家に迎えにいく。 先週の代々木公園はやたら人出が多く、何かと思ったらオリンピック開会式の日でちょうどブルーインパルスが上空を飛行する時間帯だった。みんなスマートフォンやカメラを空に向けて、夢中になっていた。私も車の窓から少し見えた。 きれいな虹が出たとき、わあ、と、近くにいる知らない人と同じ気持ちでその虹を眺めているのはとてもうれしい気持ちになる。このブルーインパルスだって、虹を見るみたいに見れたら。へんなオリンピックが開催中。
現地に到着。ホームレスの方や、元ホームレス、生活保護を受けていて住まいはあるがあまり余裕がない人などが並ぶ。今日は先週より人がたくさん来ている。女性も数人。 顔を覚えてくれた元気なおっちゃんにヨオ!と肩を叩かれてうれしくなる。 元々ここはキリスト教の牧師さんが主体の支援活動で、信子さんはクリスチャンではないけれど縁があり一緒にやっている。牧師さんは先に到着していて、おにぎりやゆで卵を配る用意をしていた。コロナの前は讃美歌を歌ったり、ポットからお茶を入れて配ったりしていたが、いまはシンプルに行っていて、讃美歌は歌わず牧師さんが短くお話をされ、「アーメン」と言って配布を始める。私もみんな一緒になり「アーメン!」と言うのだが、これがなんとなく楽しい。 彼らのファッションが私はかなり好きだ。こだわりがあったり、可愛い帽子をかぶってたり見たことないバンダナの巻き方をしていたり、生活と服がより密着している感じがする。特に冬の重ね着テクはどこのストリートでも見られない秀逸なものがたくさん見られる。 先週、帰り際に目があって手を振った、ワンピースを着た男の人と、今日初めておしゃべりしたら心が女性というかかなり乙女で、気持ちがまあるくやさしい雰囲気だ。女の子としての困りごと、トイレの話に自然になったので、銭湯はどうしているのか気になって聞いてみると色々と話してくれた。ピンクのポーチの中身も教えてくれた。 「おねえさんのお友達で、私とお友達になってくれる人はいないかなぁ?」 と聞かれ、あれ?私ではなく?という気持ちになり答えに困る。照れ隠しか。お茶したり、ご飯食べたり、どこかに出かけたり、どの洋服が似合うかとかおしゃべりして一緒に買いものに行ったりしたいのだそうだ。自分にはそんな友だちがいないのだという。 私は今日はこのあとは難しいけれど、今度もしよければお茶とか..というようなことをぼそりと言ってみると、 「うん、ぜひ。ほかのお友達も。」 と言うので、やっぱり私ではだめなのか..?と思いつつ、今日はなんとなく別れた。ポケットティッシュを1つくれた。
ここに来ている間に会えないかなと思っている人がいるのだが、まだ会ってない。 一昨年の年末に別の団体の、食事をみんなでつくって食べる、という場に私は一人で毛布の寄付がてら参加したときにいた人で、そのとき話したりはしなかったのだけれど、去年の春に代々木公園をたまたま通りがかったらその男の人がみんなといて、私のことを覚えてたらしく声をかけてくれたのだった。一昨年の年末のとき、車椅子のその彼はみんなが切った肉や野菜が入った鍋を火の前でときどきかき混ぜたりする係をしていて、出来上がっておいしく食べたのだがだがジャガイモがまだ硬かったことをちょっと悔しがっていた姿が印象的でよく覚えていた。 再会したときはたしか平日の午後で、「今日夕方このへんでご飯でるよ」と誘ってくれたのだが、用事があったので公園には戻らず、それ以来会っていない。 一般的な炊き出しだと、配る人ともらう人、という関係があるけれど、彼のその誘いは、私が普段ご飯を自由に食べられるかどうか、家があるとかないとか関係なく言ってくれた誘いのように聞こえた。もちろんどこかの誰かが食料を調達して準備してくれて成り立っているものだから誰でもかれでも並んじゃうわけにもいかないけれど。「今日夕方このへんでご飯でるよ」という、おなかが空いてたら一緒に食べよう、というふつうの誘いが嬉しかった。
行きは荷物でパンパンだった車の荷台も軽くなり、代々木をあとにして経堂の喫茶店マレットへ。信子さんも藍ちゃんもマレットいく?とか言わない。いつもここと決まっている。 初めてここに連れてきてもらってメニューを見たとき、たとえばハンバーグカレーがS、MS、M、Lとかなり刻まれているな!というサイズ展開に心が踊った。 そしてせっかくならMではなくMSにしようと思って食べたらこれがちょうどいいのである。おなかいっぱいだ..!の一歩手前がMSなのである。 今日私はロコモコのMS。藍ちゃんはそれのM。信子さんがハンバーグライスのM。ピピちゃんは持ち込みのミニおにぎり。 顔なじみの常連さんばかりでだいたい白髪で、ときどき若い男の人がカウンターで一人なにか食べてたりする。 大きいテーブル席には1人できたマダムが、順番に、ここいいかしら?と言って座る。誰かが帰るとみんな手を振ったり会釈したり、私もついついそうしてしまう。歳をとっても近所にこういうお店があるのはいいなあ、と思う。 今日代々木公園で、お友達がほしいの。と言ってたあの人のことを考える。 窓際の席にまんまるのアイスがのった美味しそうな何かが運ばれるのを見て私が「すごくまるい!」と言うと、信子さんがここはアイスも黒蜜も寒天もご主人が作っていてとっても美味しいの。食べる?と言い、フルーツあんみつを3人分注文。そして信子さんの言うとおりとっても美味しかった! 急に雨が降ってきて、通り雨かもしれないからもう少し待とうかと話していたが私が今日データを送らなければいけない仕事のタイムリミットが迫ってきており、駐車場まで信子さんが傘をさして行き車に乗ってマレットの前まで来てくれた。私が店を先に出て後ろを振り返ると、藍ちゃんに抱かれて眠っていたピピちゃんが起きて眠気まなこのままお店に残ってるおばあさま達にバイバイと手を振ると店内が沸いた。ベイビーの存在は偉大。
帰宅。2階に上がりこないだ灼熱の海で撮影した写真を仕上げてメールで納品。 それからこの日記を書いている。雨が降ったせいか少し涼しく感じる。涼しくてきもちがいいと暑い日のあの暑さをうっかり忘れて、来週届くというクーラーもなくていいんじゃないかと思ってしまうがきっと違う、やっぱりクーラーをくださいと懇願することになるだろう。8月もこの家で過ごさせてもらう予定。ありがたい。 今日はマレットでたくさん食べたので、夜は冷蔵庫にあったもずく酢や冷や奴を軽く食べる。 足を伸ばせる湯船にぬるいお湯を入れて入る。この家での7月も明日で終わり。蚊がいる。
-プロフィール- 南 阿沙美 39 東京 写真家 写真集「MATSUOKA!」「島根のOL」 http://minamiasami.com/ @minamiasami
2 notes · View notes
Text
たいはんぬ地理 - 臺灣地理 - Geography of Taiwan
・位置とぅ地形 - 位置與地形 - Location and topography
🌺台湾やユーラシア大陸ぬ東にあい、地球ぬ上にや北半球ぬ中程に浮たいてぃ、大海ぬ地震ぬ帯ぬ上にあん。 台湾ぬ国土ぬ三一分や山どぅない居る。島ぬ真ん中ぬ山並みや「中央山脈」んでぃ言りてぃ、一番高る山や玉山、高ぎや3952mあん。
(舊字體: 臺灣やユーラシア大陸ぬ東にあい、地球ぬ上にや北半球ぬ中程に浮たいてぃ、大海ぬ地震ぬ帶ぬ上にあん。 臺灣ぬ國土ぬ三一分や山どぅない居る。島ぬ眞ん中ぬ山竝みや「中央山脈」んでぃ言りてぃ、一番高る山や玉山、高ぎや3952mあん。)
🌹Taiwan is located in East Asia. Its position on Earth is in the northern hemisphere on the Pacific "Ring of Fire". Two-thirds of Taiwan's lands are mountainous areas. The principle mountain range on Taiwan is the Central Mountain Range, with Yushan being the highest peak at 3,952 meters above sea level.
🌸臺灣位於歐亞大陸東側,在地表上所處的位置是北半球,並坐落於環太平洋地震帶上。臺灣的國土約三分之二是山地。島中央的山脈叫做「中央山脈」,最高峰是玉山,高度3952公尺。
Tumblr media
・上月 - 氣候 - Climate
🌺台湾や年がら年どぅ暑る所んでぃ言りるん。
(舊字體: 臺灣や年がら年どぅ暑る所んでぃ言りるん。)
🌹Taiwan is generally a warm place.
🌸臺灣是個全年溫暖的地方。
Tumblr media
🌺島や南北に細どぅあるがら、北台湾や亜熱帯にどぅ、南台湾や熱帯にどぅある。台湾には節4ちあんか゚、此処何時んっぴみんたいどぅ居る。季節風ぬ影響ぬ為に、夏や台湾海峡ぬ側に、冬や太平洋ぬ側に降水量か゚どぅ増加きるどー。
(舊字體: 島や南北に細どぅあるがら、北臺灣や亞熱帶にどぅ、南臺灣や熱帶にどぅある。臺灣には節4ちあか゚、此處何時んっぴみんたいどぅ居る。季節風ぬ影響ぬ爲に、夏や臺灣海峽ぬ側に、冬や太平洋ぬ側に降水量か゚どぅ增加きるどー。)
🌹Since the island is elongated from south to north, Northern Taiwan is classified as subtropics, while Southern Taiwan belongs to tropics. Seasons are divided, but it is generally humid all year round. Thanks to the impact of monsoon, Western Taiwan receives more rainfall during summer whereas Eastern Taiwan often enjoys a rainy winter.
🌸由於全島由南到北呈現長條狀,北臺灣坐落在副熱帶氣候區,而南臺灣則屬於熱帶氣候區。臺灣的季節分明,但全年潮濕。受季風影響,靠臺灣海峽一側夏季多雨,而靠太平洋那側則是冬季多雨。
Tumblr media
🌺一般に冬むし月や正月一ちがら六月迄、寅ぬ方風まんぎらし、大変冷どぅ。
(舊字體: 一般に冬むし月や正月一ちがら六月迄、寅ぬ方風まんふぃらし、大變冷どぅ。)
🌹The cool season spans from January to June, with monsoon influence.
🌸一般來說一月到六月由於受到東北季風的影響,氣溫都偏涼。
🌺唐ぬ島がら大冷る込か゚来たるゆんがら、平成28年ぬ冬や大変冷たんすやー。玉山ぬ山ぬ頂上や正月一ち二十五日に最低ぬ-4 ℃迄気温か゚下か゚いてぃ、其ぬ時ん台北市にどぅてぃ降たんどー。
(舊字體: 唐ぬ島がら大冷る込か゚來たるゆんがら、平成28年ぬ冬や大變冷たんすやー。玉山ぬ山ぬ頂上や正月一ち二十五日に最低ぬ-4 ℃迄氣溫か゚下か゚いてぃ、其ぬ時ん臺北市にどぅてぃ降たんどー。)
🌹 Winter of 2016 was anomaly cold due to cold waves from North Pole. Temperature on top of Yushan dropped to -4 ℃ on 25th of January, and Taipei city also reveived snowfall on the same day. 
🌸由於受到寒害的影響,2016年的一月非常的冷。玉山山頂於25號降至最低溫-4度,而當時臺北市還出現降雪。
Tumblr media
🌺うるでぃんや雨ぬ節どぅ、すーすどぅ雨降てぃ、気温か゚日どぅ暑さぐ成るん。
(舊字體: うるでぃんや雨ぬ節どぅ、すーすどぅ雨降てぃ、気温か゚日どぅ暑さぐ成るん。)
🌹Plum rain season of East Asia usually starts in late Spring, when it gets warmer day by day.
🌸春末夏初是梅雨季節,通常伴隨著長雨,氣溫也逐日變暖。
🌺夏むし月や七月がら十一月ぬ間、日々暑どぅある。
🌹The island experiences hot weather from June to November.
🌸七月到十一月這段時間每天都非常酷熱。
🌺七月がら九月迄大風か゚多さたか゚えー。
🌹Typhoon season is usually July to November.
🌸從七月到九月有很多颱風。
Tumblr media
・地方区分 - 行政區劃 - Administrative Divisions
🌺我達ぬ島にや、6ぬ直轄市とぅ3ぬ市とぅ13ぬ県か゚どぅあいどぅ居てぃ、大さる五ぬ所んき別り居ん。
(舊字體: 我達ぬ島にや、6ぬ直轄市とぅ3ぬ市とぅ13ぬ縣か゚どぅあいどぅ居てぃ、大さる五ぬ所んき別り居ん。)
🌹There are 6 special municipalities, 3 cities, and 13 counties in Taiwan, and can all be divided into 5 regions.
🌸臺灣有六個直轄市、三個市以及十三個縣,就大範圍地區畫分可分成五個地區。
Tumblr media
4 notes · View notes
2ttf · 12 years
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖ×ØÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçèéêëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投��島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑唱焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得��熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐恭脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号//  ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
5 notes · View notes
koamisie · 5 years
Text
美しく燃える森
Tumblr media
2019.1.27発行※転載禁止
動物園
 ホッキョクグマ。クマ科クマ属。食肉類……    水槽に埋め込まれた金属パネルには動物の情報が表記されていた。その隣にあるアンドロイド用のタッチ端末を覗き込んでいると急に目の前が白く眩しく染まった。水槽が大きく波をたてて、子供たちの歓声が館内に響く。 シロクマが水に勢い良く飛び込んだのだ。青く輝くソーダのような水中を踊るように泳いで、シロクマは水面に顔を出した。オモチャのボールを掴むとプカプカ漂いくるりと回転する。 「へえ、よくできてるもんだな…」 ギャビンは水槽にそっと手を伸ばした。 シロクマの額にはアンドロイドを示すLEDが光っていた。 「ええ、私は映像と写真でしか見たことはありませんが、本物と変わらないように思います」 シロクマは飛沫を上げて泳ぎ、また歓声が上がる。 「そうか、もう居ないんだよな」 水面の模様が水槽や壁に反射して白く光り、ギャビンの表情はよく見えなかった。
 花曇りの空の下、動物園のエントランスは閉園前にも関わらず賑やかだった。ケージの中で飛びまわるサルや、カラフルな羽を広げる鳥たちの声が響く。園内で売られている軽食の油っぽくて甘い香り。校外学習だろう、同じ緑色の帽子を被った子供たちが園内をかけていく。 「どうだった?初、動物園は」 ギャビンと並んで売店の前のベンチに腰掛け、ワゴンで売られていくパンダやキリンのぬいぐるみを見つめている。先程見たシロクマにそっくりのぬいぐるみも山積みにされていた。 「はい、とても満足しました。ありがとうございます…ここへは来たことが?」 「いや初めて来た、ガキんとき行ったのは普通の動物園だったし」 春の夕暮れ、皮膚のセンサーが冷たい風を感知する。随分と暖かくなったとはいえ、日が沈めば気温はぐっと下がる。ギャビンはいつものインナーの上にゆったりとしたカーキー色のカーディガンを着ていたが、少し肌寒そうにしていた。 「冷えてしまいましたね、帰りましょう。本調子ではないのに、お付き合いさせてしまいすみませんでした」 「別に。自宅療養ってもやることねーし、暇つぶしには丁度良かったよ」まあ、自分がヘマした現場見に来るのも妙な感じだけどな。ギャビンはそう言ってベンチから立ち上がるとふらりと売店に入っていった。ついて行こうとすると、そこに居ろよと言われてしまったので再び腰を下ろした。 「………」 ガラス張りの売店の中を物色する彼を目で追いながら、一ヶ月ほど前にこの動物園で起きた事件を思い返していく。  子供のアンドロイドが誘拐されたとの通報でギャビンと共に駆け付けた。難解な事件ではなかったものの、ギャビンは運悪く犯人の所持していたナイフで脇腹を刺され、一週間ほど入院していたのだ。 売店のガラスに自分の黄色いLEDが映っている。 ガラス越しにギャビンと目が合うと、彼はにんまりと目を細めて笑った。  あの日、彼の異形に気づいた。 倒れたギャビンの傷口に押し付けた自分の上着。その血のぬくもりの下には、おおよそ人間とは言えない毛皮の身体があったのだ。 応援が来るまでの短い時間ではあったが、ギャビンが自分の知らない「なにか」なのだと理解するには充分すぎた。 店内をうろつくギャビンを目で追いながら、あの日の彼をメモリから検索する。彼が人間ではなく、アンドロイドでもないかもしれない。そんな非現実的な事があるのだろうか。 あのような事象が他にもあるのか調べてもキーワードすら浮上しないので、夢や妄想だったのかとも錯覚してしまいそうになるが、ウイルスや不正なプログラムも診断済みだし、なによりこうやってあの時の映像を鮮明に再生できるのが絶対的な証拠だった。 深層のメモリに保存してある彼の呪文のような遺伝子。あの時舌で感じた彼の血液は、確かに彼ではあるが、どうしてもヒトの物ではなかった。 こうしていても答えは出ないのに。今も売店でぬいぐるみを手にとるギャビンを遠くから見つめているだけだ。 本人に聞くしかないのは明確であるのに、結局言い出せずに、あの日の彼を探すために動物園に行きたいなどと言ってしまったのだ。 ギャビンの姿は物陰に隠れて見えなくなってしまっていた。 (分からなかった…) ガラスに映る自分は、迷子のような顔をしていた。自分が変異体でなければ、こんなにも考え込まずに彼に聞けていたのだろうか?  変異に気づいた時、まず感じたのは、肌寒い春先の気温と沈丁花の香りだった。 変異はする��か、なるとか、そんな話をよく聞いていたが、自分の場合は「気づく」だった。動物園での犯人逮捕の後、病院に運ばれたギャビンは普段どおりで、とりたてて大きな問題も無かった。付き添って居た病室で肌寒さを感じて、慌てて窓を閉めたのだ。その時につんとした甘い香りを感じて、それが心地よいと思った。 あれだけ恐れ避けていた変異も、してしまえば「こんなものか」という感覚だった。幸いなことにサイバーライフも、DPDも大した言及はしてこなかったのだ。きっかけも「あの動物園での事件」としか言いようが無かった。 拍子抜けだった。  ギャビンは、変異した私に「ロビン」という名前を付けた。彼が病室で目覚めた時に私が着ていたサイバーライフ製の上着。事件時のまま、胸元の白が彼の血液でくすんだ赤に染まっていたそれを見て、アメリカコマドリを思い浮かべたのだという。 「だからロビンですか」「ああ、それにお前の目の色、コマドリのタマゴの色だしな」丁度良いだろうと彼はおかしそうに笑った。 変異する前からギャビンとはそれなりに良好な関係を持てていたと思う。最初こそ反発はあったが、慣れてしまえば彼の仕事の効率は上がり、私は彼の相棒という肩書きを手に入れた。名前こそ無かったが、いつの間にか冗談を言い合うような間柄になっていた。今も病み上がりの彼を看るために半同居状態だし、変異したということを伝えてからも関係は変わらなかった。 ただ一つ、あの時の毛皮に包まれたギャビンを知ってしまったことと、どうしてかそれを言い出せないことを除いては。 彼との関係が変わってしまうかもしれないということが、こんなにも怖いなんて。 「ロビン、おい」 「は、はい、おかえりなさい、ギャビン」 「フリーズか?」 すぐにギャビンは戻ってきた。売店は先程よりも人が増えて賑わっている。 「いえ、少しデータを…それより、買い物は終わりましたか?」 「ん」無言で差し出された物を受け取る。それは黒くて、胸元が赤い円らな目の小さな鳥のぬいぐるみだった。ふわふわとした合成繊維のさわり心地が好ましいが、尻尾の根元についた動物園のタグが大きくて少し気になった。 「アメリカコマドリですか」「お前にやるよ、動物園デビューの記念だ記念」彼から贈り物をもらったのは初めてだった。嬉しい。 「いいのですか?ありがとうございます」 「ああ。帰るか…どうせ明日も休みだ、酒買って…いや、めんどいしなんか食って帰るか」 「飲酒はまだ駄目です」 小鳥のぬいぐるみを上着のポケットに入れる。そういえば、今日は臙脂色のインナーに黒いジャケットを羽織っていた。名前も、色も、この小鳥のぬいぐるみとお揃いだ。  出口に向って歩き始めると共に閉園の放送と音楽が流れてきた。するとそのメロディに共鳴するように遠吠えが聴こえてきた。ここから程近い、オオカミのケージから聴こえる歌声だった。 ギャビンと共に誘われるようにオオカミのケージの前に来た。そこには六匹のオオカミが居て、その内の二匹はアンドロイドだった。各が走り回ったりじゃれあったりしては遠吠えを続けている。 「シンリンオオカミか」「ええ」 冬毛のオオカミは大きく、威厳に満ちている。ゴージャスなたてがみと、背中や肩の色の濃いコートのような毛皮。足先は骨ばってごつごつと逞しい。鋭い牙と爪、耳はふっくらとしていて厚みがある。 ギラリと光る目に捉えられ、一ヶ月前の彼の姿がフラッシュバックする。一瞬身動きが取れなくなるような感覚をおぼえた。 ギャビンは、ケージ前の手すりに肘をかけて、オオカミを眺めている。 弱弱しい北風が夜を運んでくる。ギャビンの髪に、桜の花びらが絡まった。ケージの中にある桜の木が、夕焼けの色に染められていた。 「ギャビン、私は、夢をみていたのかもしれないのですが」 「夢?」 「ええ。その夢ではあなたが、オオカミなんです」 ギャビンの目が静かに見開かれた。 「アンドロイドも、夢を見るんですね、変異体はみんなそうなのでしょうか?」 ざわざわと風が強くなって、桜の木がうめき声を上げる。枝が揺れて、薄桃色の花びらが吹雪のように舞った。 「ロビン…」 風に乗せるように、ギャビンが声を漏らす。 その姿は、普段通りのギャビンにしか見えない。 ケージの中のオオカミは力強く遠吠えを続けている。 ギャビンは何も言わなかった。彼の薄い若葉色の虹彩が、夕日を反射してギラリと光った。
ワタリガラス
「ある一羽のワタリガラスが、浜辺に落としたハマグリ。その中から生まれた人間が最初の人類である。
 それから、ワタリガラスはありとあらゆる植物、動物に魂を与え、その後ハクトウワシに命じて人間に火を与えた。そして人間は……ええと…」 獣人は文字を必要としないために、一切のその記録が無い。伝承は全て神話や歌のみで受け継がれ、現在まで至っているという。 ギャビンは円周率を思い出すかのように、その記憶の中に記された自らの種族の神話をポツポツと語ってくれた。 「お前が調べても分からなかったのはそもそも書くやつがいなかったからだし、まず獣人以外は獣人の存在も知らないんだよ」 「そうだったのですね」 「UMA居るだろ」 「UMA…未確認生物。ネッシーやイエティなどですか?」 「ああ。ああいうのは殆んど獣人だよ。ネッシーあたりは何なのか知らねぇけど」
 頭上で真っ黒いカラスがガアガアと声を上げた。雨に沈んだネオンが弱々しく光る裏通りは、錆びた鉄と排気ガスが混ざってひどい臭いがした。コンクリートを打つ雨音に混ざってクマネズミやコックローチが這いずる音が響く。 「くそ…」 ターゲットの臭跡は途絶えたようだった。 夏の雨は肌や服にまとわりついて、前を走っていたギャビンは不快感についに足を止めた。 「ギャビン、一先ず署に戻りましょう、あなたでなければこんなにも追跡できませんでしたよ」 ギャビンは不服そうに鼻を鳴らした。 「お前でも無理か」 「ええ、もうとっくにセンサーは感知していません」 ギャビンが雨避けに被っていたフードを取ると、先程まであったはずの獣の耳はすっかり消えていた。署に連絡を取りながら少しだけ彼を観察する。ターゲットを追っている最中、絶妙に揺れてはバランスを取っていた尻尾もジーンズの隙間から消えている。 今はもう、よく見知ったいつも通りのギャビンだ。 動揺の黄色いライトは誤魔化せただろうか。 「変異した動物のアンドロイドは人型のアンドロイドよりも厄介です」言語機能がプログラムされていないため意思の疎通ができない。変異すれば人型以上に人間の手に負える代物ではないのだ。 「見りゃわかる、アレはただの猛獣だ…作った奴馬鹿だろ」 「接続さえ出来れば」 「暴走してるコヨーテに触ろうなんてむちゃくちゃだな」 「ですがアンドロイドです…」 「知ってるよ」 触れさえすれば機体に接続して動きを止められるのだ。しかしそう簡単なことではないだろう。 待機中だった通信が入る。ギャビンもLEDの輝きに気づいたようだった。路地を抜けて広い通りに出たので、シャッターの下りた店先で雨を凌いだ。 「ギャビン、上からの指示でここから別行動になります。この先の通りにアンダーソン警部補とコナーが来ているそうなのであなたは二人に合流してターゲットをまた探してください」 「はあ?なんで俺が向こうなんだよ」 「ギャビンの方が動物の追跡に詳しいでしょう。私の判断です」 雨足が弱くなり、また頭上でガアガアとカラスが鳴いた。ギャビンは苛立たしげに唸り首筋を掻いた。 「分かった。お前は」 「私は別件で分析班に行きますが終わり次第合流します」 では、と体の向きを変える。自分は来た道を戻るほうが近い。 「ロビン!」 「?」 「まて、ちょっとこっち来い」 振り返ると、すぐ目の前にギャビンの顔があってうろたえる。耳に彼の髪が当たった。お互いの頬が擦れるようにぶつかってすぐに離れた。彼の髭が当たる感触が心地よかった。
「群れがお前と共に走ってくれますように」
ボソリと低い声でつぶやくと、彼は表通りへとかけていった。足音も気配もすぐに雨の中に消えてしまう。 取り残された路地に、雨の音と遠い街の喧騒だけが響く。彼が触れていた頬が熱を持ったように熱くなった。 「群れ…」 ギャビンが話してくれたワタリガラスの神話。秘密を教えてもらったあの日、彼の口から聞いた獣人の伝承を思い返す。ワタリガラスの落とした貝、つまり海洋から始まった生命は進化を続け、様々な生物が発生した。生存の日々、ひ弱な人間は他の動植物を捕食しその力を借りるという方法で生き延びてきた。元々は自然の循環の一部だった人間は、いつしかそのサイクルから離れ、自然を搾取するようになり、一方、植物や動物は生き残るために共生を選び、人間の繁殖力を利用して長い年月をかけ獣人へと進化を続けた。そして今はその殆んどが人間として社会に暮らしている… その一人が彼だ。 「…………」 気の遠くなるような時間だ。雨が河になり、岩を削り渓谷を作るくらい。遠い星が生まれ、その輝きが届くくらい。自分には無い、そして絶対に追いつけない時間。 そのゼロとイチでは測りきれないほどのギャビンとの距離を、あの一言が埋めてくれた。ギャビンにとっては何てこと無い挨拶なのかもしれない。しかしそれは、プラスチックの体を持つ自分が、40億年の遺伝子を持つ彼の群れの一頭になってしまうまじないだった。 頭上でまたカラスが鳴いた。 弾かれたように路地を駆け出す。いつの間にか、電気信号とブルーブラッドで動く二本の足は広大な地を蹴る四本の足に変わり、黒と白のジャケットは豊かな毛皮になって雨を弾いて風を切った。 彼が横を走っているような気がした。
灰色熊
 初雪に包まれた朝のDPDは騒がしい。電話が鳴り、怒号が飛び、ギャビンはずっと不機嫌に唸っている。 触らぬ神に祟りなしだ。気の毒にだれもが彼を避けて通っていた。 ギャビンにコーヒーを持っていくためにブレイクルームを出ると、コナーに呼び止められた。 「おはよう、ロビン。腕のところすごい毛がついてるけど、君、犬でも触ったのかい?」 「いえ、ああ、はい…それよりもコナー、警部補を起こした方が良いのでは?」 「えっ…もう!ハンク!お腹が一杯になったからって寝ないでください…!」 「それでは…」分析される前に足を速める。今はそれどころではないのだ。 ギャビンのデスクにコーヒーを置くと、突っ伏していた顔が上がる。 「おせーよ」 「1分もかかってません」 隣にある自分のデスクに戻る。彼は受け取ったコーヒーを一口飲むと、手元の端末を操作した。うつむいた項の生え際にふわふわとした毛が浮いている。うっとおしそうに首筋を掻くと重いため息をついた。 「はあーーーー痒い痒いかゆいかゆいかゆい…」 「ギャビン…あまり掻かないでください…」 席を立って彼の背中を強めにさすってやると、あーとか、うーとか…なんとも言えない声が出る。ひとまず顔周りをバリバリにさせることは防げたようだ。 「しんどすぎる…」 「春はそうでもなかったのにどうしたのでしょうか…何か心当たりは?」 例年より気温が高い日々が続いていたのが最近になって急激に下がったために、換毛がスムーズに行かなかったのだろうか。即座に「犬、換毛期、トラブル」で調べるが、目ぼしい情報は見当たらなかった。 視線を感じ顔を上げるとコナーと、その向かいにいるアンダーソン警部補が顔を突き合わせてニヤニヤとこちらを見ていた。 (良い旦那もらえてよかったな) 警部補が口の動きだけでそう言った。ギャビンは無言で中指を立てている。 「絶滅種が…冬眠してろや…」 「冬眠?」 唸るようなギャビンの声に首をかしげるとコナーから通信が入る。 《君たちはいつの間に結婚したんだ?》 《してません》
またギャビンがむずむずと動き出したので肩をさする。マルチタスクで業務の手は止めていないが、周りからすれば介抱しているようにしか見えないだろう。 《ところでリード刑事大変そうだけど、さっき君の袖に着いてた毛が原因なんじゃないか?…それで調べたんだけど、これ犬じゃなくて…オオカミみたいなんだけど、君たち動物園にでも行ったのかい?》 《………》 《ロビン?》 《ええ、そうなんです。それでちょっとアレルギーが出てるみたいで… それよりコナー、警部補は冬眠されるのですか?》 《冬眠?》 コナーは不思議そうに首をかしげた。
山鳩色のタペータム
 隣で小さく跳ねた体温が、穏やかにたゆたっていた意識を浮上させた。ゆっくりとスリープモードを解除する。 「ギャビン?」 「うーん…」 背中をむけて眠っていたギャビンは器用に寝返りをうつと、ごそごそとこちらの胸元にもぐり込んでくる。 寝ぼけていてもなかなか寝顔を見せようとしない様子に苦笑いする。静まり返った夜更けの空気が少しだけ震えた。朝日が入るようにと開けられたカーテン。少しだけ開けられた窓から花の香りがする。仕事を終えて静かに消えた街灯のむこうに、沈みかけの月が見えた。 肌のセンサーが気温を感知する。寝汗で彼の体が冷えないように毛布をそっと引きあげてやる。 「目がさめた…」 胸元からくぐもった声がする。枕に押しつけられてくしゃくしゃになっている髪をすいてやると、パッチリと目が合った。前髪を直す彼の癖。 「今何時だ?」 「3時45分12秒です」 声帯を震わさずに出す声は内緒話をしているようで楽しい。普段寝起きの良い彼の舌足らずな声を聞くのは久しぶりで、慌てて深層の保存領域にアクセスをする。 「あ?真夜中じゃねーか…」 「最近出ずっぱりで疲れすぎていたのかもしれませんね、眠れそうですか?」 「ん〜…」 「気温が急に上がったので体が慣れてないのかもしれません」 そっと頭を撫でると、ぐずるようにパジャマにしがみついてきた。今着ているのは、彼が買ってくれた綿と合成繊維でできた濃紺のパジャマだ。 彼はその匂いを分析するかのように鼻を動かすと、息を吐き出す。パジャマの下の機体がもわりとした湿度を感知した。 「変な夢見た…」 唇にやわらかな感触。彼の髪の毛から覗く、ふっくらとした毛皮。穏やかにとんがったシルエットはオオカミの耳だった。 「お前は夢見ないからいいよな…」 「はい、良いかは分かりませんが…人間のような夢を見ることはありません…」 満足そうな鼻息が聞こえる。 ギャビンのこの姿を見たのは数えるほどしかない。腕に触れるうなじの生え際や毛布の中で絡まる足先がうっすらと毛皮をまとって、フサフサとした感触が擽ったい。 体は人間のまま耳と尻尾だけオオカミのものになっているのだ。獣人という種族の最も合理的な姿をしている。彼曰く、これが一番楽で自然体なのだという。 「ギャビン…?寝ぼけているんですか?」 「うん?起きてるよ」 「触れても、良いですか?」 欠けている方の毛皮の耳がぴくりと動いた。 「触んなって言ったら触んねーのかよ?」 毛布の中に隠れている、彼の尾骨��ら伸びる尻尾は苛立たしげに揺れただろうか。 「あなたの…嫌がることはしたくないので…」 ぴくぴくと動く耳は音を探しているだけではなく、落ち着かない彼の心情をそのままに伝えてくるようで、小さく笑みを漏らしてしまう。 「好きにしろよ」 そっと毛皮の耳に口付けると、データには無い、不思議な遺伝子情報が流れ込んでくる。 「ありがとうございます」 彼の目に見つめられると、その瞳から目が離せなくなる。霜がおりた木の葉のような、山鳩色の虹彩が、LEDの黄色を反射してギラリと色を変えた。オオカミのマナーを思い出す。目を逸らさなければならなのに動けなかった。オオカミに追い詰められ、凍った湖に足を取られて、動けなくなったアカシカになった気分だ。 このうつくしい獣に食べられてしまいたいとも思ってどうしようもない。 「おい、いつまで撫でてんだ…ぬいぐるみじゃねーんだぞ」 「ギャビ…」 唇に、毛皮とは違う柔らかな濡れた感触。いつもよりほんの少しだけ深く触れ合った舌に、かたい犬歯が当たる。 「味見」 「…食べられてしまうかと思った」 それを聞いた彼が静寂を揺らすように大きく笑う。開いた唇の隙間から長く鋭い犬歯が見えた。 「お前のこと食っちまいたいよ」 乱暴な言葉とは裏腹に、触れる手つきは優しい。うっすらと毛皮の生えた手の甲で頬を撫でられると、声が漏れそうになる。 「ーーーーー」 どこの国の言語とも一致しない不思議な言葉。喉を震わせる歌うような声。彼の言葉が理解出来ないのは、少し寂しい気持ちになる。しかしその顔を見ると、都合よく意味を解釈してしまう。 「私もですよ、ギャビン」 驚いたような、けれど嬉しそうな意地悪な彼の微笑み。きらきらと光を反射する不思議な色の瞳。それだけで今は十分に満足だった。
 中庭のジャカランダは、ここのアパートの大家がチリ旅行に出かけたとき気に入ってわざわざ植えたのだという。熱帯の植物だが、寒帯の気候に適応するまでそうかからなかったらしい。ギャビンのようだと思った。動物だけでなく、植物もこの世界での生き残りに必死なのだ。もしくは、温暖化が進んで平均気温が上がっているだけなのかもしれないが。 北米の初夏、紫雲木とも呼ばれているその木は、紫色の花が満開の見ごろをむかえていた。薄曇まばらな空から朝日が差し込んで、ジャカランダの透き通る青みの強い紫が照らされる。うつくしい色だ。 「こんな朝早くから…ピクニックだ?てか何年ぶりだよ。しかも家の前って…」 「綺麗ですね」 散った紫色の花が木の周り一面に絨毯を広げている。持ってきたラグを木の根元に敷いて腰を下ろすと彼も隣に座った。紫の地面に使い古された織物の白が映える。昨日の残りのポテトサラダをハムと一緒にパンに挟んで朝食を作った。 「ぜってー昼眠くなるだろこれ」彼は大きく口を開けるとそれを二口で食べてしまった。パン屑をねだりにムシクイがピョンピョンと木から下りてきた。 キスのあと二人は本格的に眠れなくなり、ベッドを抜け出すと早すぎる朝食を作ったのだった。 起き出す前「早く食っちまいたい」と彼は言ったけれど、しかしどうやらそれはまだらしい。 彼とはいつの間にか、ゆるやかに、人間でいうところの恋人のような関係になった。病み上がりの彼を診るために半同居をしていて、そのまま一緒に暮らすようになったのだ。 直接的な言葉はもらっていないし、渡していない。けれど彼からの接触は、グルーミング以上の意味があるように感じているし、それが嬉しくも思う。 「昨日と今日に0時という区切りがあるのは面白いですね」 「はあ?」 「朝と夜は繋がっている。暗い空の向こうから太陽が昇ってきて、明るくなる、そして沈んで暗くなる。正確には地球が回っているのですが…人間はそれの繰り返しに区切りを付けて日付をつけた」 「お前ってアンドロイドの癖に時々哲学的だよな」 日ごとに同じ長さ伸びる枝はありません。芽は随時伸びているし、鳥の雛も区切り無く成長している。そう言うと、彼は「そうだな」と一言、またサンドウィッチに手を伸ばした。聞いているのかいないのか、ムシクイにパンをちぎってやっていた。 「私は…あなたのことを愛していますよ」ギャビンの手が止まる。爽やかな夏の朝の風が吹いてジャカランダの筒状の花がぼとりと落ちてきた。 「………」 彼の耳が赤いのは、透ける朝日のせいだけではないはずだ。ふわふわのオオカミの耳も表情豊かだが、人間の薄い耳だってこちらが恥ずかしくなるほど彼のことを教えてくれる。 彼の特別な言葉が分からなくたって彼の大体のことは分かってしまうのだ。 ぼふんと毛皮の耳が現れる。この傲慢で世間を見下している一匹オオカミは、とんでもなく奥手で優しくて愛情深い。私がもしオオカミなら、尻尾を千切れんばかりに振って、くんくんと鼻を鳴らして彼におなかを見せていることだろう。 山鳩色の瞳がじっと見つめてくる。私は尊敬を込めて、ふいと視線を逸らした。
「ーーーーー」
やっぱり、確かに、幾度となく囁かれたこの歌うような言葉は。彼からの愛の言葉だ。
湖畔
 シャワーを浴びて部屋に戻ると、ソファーの上でロビンが縮こまってスリープモードになっていた。 付けっぱなしの電気、ヒーター、加湿器。煌々と明るく暖かい部屋。秋も終わると言うのに、ここだけはまるで春のような暖かさだ。 とっくに日付は変わっていた。早くこいつをを起こして寝床に移さないと面倒なことになる。寒さに弱いアンドロイドは機能を保つため冬は人間のように暖かい。そうすると暖を取ろうとしてくっついていたくなってしまうのだ。 (このままじゃ俺がソファーで寝ることになる…ていうかアンドロイドって寝落ちするんだな…) 電気を消す。やっと、この部屋にも夜が来た。どこからかキツネの声がする。
仕事が終わり家に帰ってくると、暗いはずの部屋の窓にあかりがついていた。
中古で手に入れた郊外のアパートの一室は隙間こそ多少あるが趣があって気に入っている。 駐車場兼中庭の葉の落ちたジャカランダが窓の明かりを鈍くはね返して陶器のように光る。 ウーフウーフとフクロウの鳴く声が遠くから聞こえた。 深緑色のサッシの窓がカラカラと音を立ててスライドする。 「おかえり、ギャビン」 「おう」 窓から顔を出したロビンがふわふわと笑っていた。自分の息が外気で白く凍る。 「寒かったでしょう」 バイクで風に当たり凍えた身体も少し暖かくなった気がした。 「今日は買い物をしに外に出ただけであとは家に居ました」 「そか」 ソファーで一息ついたら、ロビンがコーヒーを出して隣に座った。こっくりとした白練色の焼物のマグカップ。取っ手が欠けてしまったのをロビンが金継ぎで直したやつ。お気に入りにならないはずがなかった。コーヒーの香りが心地良い。 「お疲れ様」 「サンキュ」 あとは?と聞く。バラバラに過ごした日、お互いの出来事を話すささやかな日課だ。昼食が遅かったので、作ってもらっていた夕食は明日の朝にまわすことにした。 「昼間、中庭にハイイロリスが来てたのでクラッカーをあげました」「うん」「そしたらショウジョウコウカンチョウとアオカケスが大群で来て襲われました」「笑える」 ロビンはよく鳥たちの止まり木にされる。人間のように臭わないし、危害もくわえないので鳥たちも餌をくれる機械くらいにしか思ってないのだろう。ブルージェイやカーディナルに群がられているこいつを想像してにやけていると、ロビンは拗ねた顔になってしまった。が、かわいいのでそのまま無視した。頬に甘噛みしてやるとくすぐったそうに返される。グルグルと喉を鳴らしてわざとらしく匂いを嗅ぐ。石鹸の良い香りがした。 「あーだからお前小鳥臭いのか」 「もう…本当に意地悪なひとですね…」 「あはは」
 明かりを落とした部屋の中、カーテンからこぼれた細い光が、ベッドに横たわっているロビンの薄い頬を照らしていた。埃がキラキラと輝いている。満月が近いのかやけに外が明るい。窓に手を伸ばしそっとカーテンを開けると光は一気に溢れて洪水のように部屋中を満たした。まぶしい光に狭まった視界を暗い部屋に戻すと、世界が青みがかって見えた。ロビンの息遣いで静かな水面が揺れているようだ。 「すごい月だぞ」 返事は無く、静かに結ばれた口元が少し震えたように見えた。眩しそうに眉間に皺。完全なスリープモードではないのかもしれない。 もし今、こいつが目を開けたら凍った湖のような秘色色があふれるんだろう。 氷の張った湖に大きな月が反射する。それをどうしても手に入れたくて、湖畔から踏み出す。しかし向こう見ずのオオカミは、薄くなった氷に気づかず湖に捉えられて沈んでしまうのだろう。 大人しく湖畔のベッドに腰を下ろして月がロビンを照らすのをただ眺めていた。艶やかなエルクのような髪の色。水底の光をかき集めて、影を作る睫毛を、通った鼻筋をなぞる。人間と変わらない肌だ。 ロビンが身じろいだ。まるで視線で愛撫しているようでおかしいと思った。 ロビンが目を開けていた。 「起きてたのか」 凍った湖に自分が映っている。変な顔をした、赤茶けたオオカミの姿。ヒーターのジーという音がやけにうるさく感じて、耳をせわしなく動かしてしまった。 「貴方に食べられるのを待っていました」 気づけば足元は薄い氷だった。
六本足の踊り
 オオカミの背の毛皮はマホガニーのような色をしていて、波打つ度に金色にきらめいた。 横腹や足先の毛は銀色で雪を反射してキラキラと風のように光る。ようやく登ってきた太陽が森を照らしはじめて、オオカミのたてがみは一層きらめきを増した。遅い遅い朝が来た。 頭の上ではジョウビタキがさえずり、足元ではライチョウのグロロロという声が静かに響く。葉の残っているトウヒたちはさわさわと賑やかにお喋りをしては身体を震わせて雪を落とした。その間を縫うようにギャビンはどんどん走っていった。 オオカミの姿をした彼は四本のたくましい足で飛ぶように木々を抜ける。その後ろを離れないように、二本の足を懸命に動かしてついて行く。いくら自分が戦闘に特化しているといっても、雪深い木々の間を走るのは一苦労だった。小さな吹き溜まりに足を取られて転びそうになる。激しい動作により通常の機能では排熱が追い付かず、はあはあと口を開けて熱を逃がした。 「ギャビン、」 待ってくれと声をかけるが、前を走っていたギャビンはすでに姿を消していた。雪の上に、彼が残した足跡が転々と浮かんでいるだけだった。 溜息と共に口から出て行った熱は外気に白く溶けていく。幸いここはGPSも機能するし、ギャビンも相棒を置いてきたことに気づけば戻るか待つかしてくれるだろう。  足を止めてしまえば、雪を踏むザクザクとした音も、耳の側を駆け抜けていく風の音も止んで、自分の排熱音が響くだけだ。雪のツンとした香りがする。見上げると、カバノキの白い枝の間から薄い青空が覗いていた。 雪を掻き分けてようやく吹き溜まりから抜けた。相変わらずギャビンの気配はなく、どうしようかとLEDを回して立ち尽くしているとどこからかキツツキの笑い声が聞こえた。 ギャビンがいなければ自分はすっかりこの森の異物になってしまう。 足跡を辿ってゆっくり進むと沢の音が聞こえてきた。ネズ��茂みに被った雪が固まり氷柱になって垂れ下がっている。沢の上まで来ると流れが良く見えた。黒々とした岩の間に飛び越えられるくらいの小さな流れを見つける。そこへ音も立てずヤマセミがとまり、捕まえた魚を岩に叩きつけていた。 気づけば一面足跡だらけだった。ギャビンの物を追うのは造作も無いが、その他にも賑やかに走り回るキツネやクズリ、アカネズミ、カワウソの様子が予測機能で次々に再現されていく。 足元に突き出ている枝に絡まっているのはノウサギの毛だろう。パキパキと後ろで音がして振り向くと、エルクの親子が鼻先で雪を退かして器用に苔を食べていた。鳥たちは騒がしく縄張りを取り合い、相変わらず木々は楽しげにお喋りを続けている。雪に覆われた世界は、生命に溢れていて、全てが自分に無関心だった。 すっかり落ち着いた機体が吐き出す息はもう白くはならなかった。  ゆっくりと歩きながらオオカミの足跡を辿っていく。頭に何かが当たり見上げるとハシバミが咲いていた。クリーム色の羊の尻尾のような花が辺り一面に垂れている。花を落とさないように薮をくぐっていると、夏にギャビンと羊を追いかけた事を思い出す。デトロイト郊外で飼われている羊が遠くまで行ってしまい、一日中追いかけ回したのだ。彼は終始悪態ばかりだったが楽しかった。 そんな事を考えながらハシバミを観察していると、峰の方でオオカミが吠えた。サイレンのように低く長く響き、最後は掠れて溶けるように途切れる。 ギャビンが自分を呼ぶ声だ。 『どこに居るんだー!さっさと来やがれ』といったところだろうか。その声に驚いたワピチがぴょんぴょんと茂みから飛び出して跳ねていった。 すると遥か遠くの山からオオカミの群れの声が届いた。 『きみはどこにいる?』 『ここはすばらしいぞ!』 『仲間がたくさんいる!獲物もたくさんいる!』 『オレたちはすばらしいところにいる!』 遠吠えがこだまする。大きい群れだろうか。物珍しそうに、ギャビンの返事を待っているのだ。しかし彼はその声を一切無視してまた自分を呼んだ。 『ロビンーーーー!』 「いま行く!!」 遠吠えではない、ただの大声でそう返すと、その音量に驚いたコガラがバタバタ逃げていった。 ビャクシンの間を抜けた先の山頂付近の雪原、ぽつねんと一本だけ立ったオークのそばにギャビンは居た。後ろから朝日に照らされて大きなオオカミの身体が黒く浮かび上がる。 「何してたんだよ」 不機嫌な声。鼻にシワがよっている。手を着いて雪原を登る。 「すみません、ヤマセミがいて、初めて見たので気になってしまったんです。マスを叩きつけて仕留めていたんですよ、エルクの親子もいました」 録画しましたよ。ギャビンの隣に腰を下ろすとふさふさの尻尾がおざなりに揺れて少しだけ手に触れた。 「ったく…オーロラが見たいの次は朝日が見たいときた…次は夕日か?」「よく分かりましたね」 ここはデトロイトから遠く離れたカナダの最北だ。極夜があけて初めての晴れた朝、ギャビンとともに泊まっていたロッジを飛び出して、朝日を見るために山頂まで走ってきたのだ。 氷河は溶け切り、森林限界は年々北上しているという。北極圏も近いというのに、賑わう森があった。 「年始休みは南の島にでも行こうかと思ってたのにな」 「北の果てに来てしまいましたね」 「ふん…」 「あなたと極夜のオーロラと朝日を見ることが出来て幸せです」 ギャビンが後足を崩してもたれかかってきて、右肩にずしりと重みを感じる。その毛皮の下の暖かさも知りたくなって、温度感知機能をオンにする。 「!さ、さむ…」 しかし、彼の体温を知る前に、外気の凄まじい寒さを感知してしまった。思わずギャビンにしがみつく。 「うわ!なんだよ」「さ、さむくて…!」 生体部品が凍りつかないように防寒はしているが、予想以上の寒さだった。 「お前、気温感じないようにしてたんじゃないのかよ」 「少しだけオンにしてみようとおもったんです」 ギャビンがずっとオオカミの姿をしていた理由に気づく。あたたかな毛皮と、雪に沈まないかんじきのような四本の足が羨ましくて、ぎゅうと抱きつく。 すると重みに耐えられなくなった足元の雪がズルズルと悲鳴を上げながら砕けて滑って、ギャビンと共に雪の中に放り出された。 「うわ!?」 なだらかな白い丘陵に描かれたいびつな線を、太陽がぬるく照らした。ごろごろと雪煙を上げてふたりもつれ合って転がっていく。視界が空と地面を何度も往復して、やっとのことで雪山にぶつかって回転が止まった。 重み、そしてゆっさりとした毛皮の感触。生暖かい息が顔にかかる。揺れていた視覚ユニットが正常に戻れば、ギャビンは雪まみれになって自分の上にいた。 「この、ポンコツ」言葉とは裏腹に、あたかく湿った舌でめろめろと顔をなめられた。お返しにと彼の鼻先とヒゲをなめる。毛皮にこびりついた雪が舌の上で溶けると、氷の成分と一緒に彼の情報が表示された。 その表示の向こうに見える空は果てのない黒々とした青空だった。薄い空気の先の宇宙が見えるようだ。目が痛くなるほどの白と青のコントラスト。 「もっと暖めてください」 ごろんと彼の上に乗ると、ギャビンは甘えるようにスピスピと鼻を鳴らした。 目の前で揺れる、木の色の毛皮に指をうずめて、顔をこすり付けて、彼の匂いを吸い込む。 あれだけ賑やかだった森を抜けてしまえば、雪の上にいるのは自分とギャビンだけだった。
美しく燃える森
 ミシガン最北の島、アイル・ロイヤルは紅葉の季節を迎え、森は宝石のように色づいていた。 エルクの群れはのんびりと苔を食んで、キツネの親子のお喋りが聞こえる。小鳥たちはうるさく囀り、木々は色鮮やかに染った葉を揺らして楽しげに歌った。 眩しいカエデの並木道を早足で進む。頭上を舞う木の葉も、足元でがさがさと音をたてる落ち葉もその全てが、金色や、アンバーに輝いた。ハクガンだろうか、白い鳥の群れがV字を描いて遠い青空に浮かんでいた。 しばらく森の中を歩きハイキングコースに出る。メタセコイアの横にある鉄の橋を渡ると、かつてビジターセンターだった小屋が現れる。木とレンガで出来た小さな一軒家だ。壁に葡萄が伝って実が成っている。ポストを確認すると、一通手紙が入っていた。餌を貰えると勘違いしたのだろう、アカリスがやってきた。秋バラの小さなゲートをくぐって、玄関扉を開ける。 「ただいま」 暗い室内。朝に出たときのまま、固く閉められていたカーテンを勢いよく開けると埃がきらめく。陽光が矢のように差し込んで部屋に色をつけた。 「ギャビン、起きてください、休みだからと言って寝すぎですよ」 窓辺の大きなベッドを独り占めするように、毛布やキルトに包まってくちゃくちゃになっているギャビンをたたき起こす。 持っていた籠いっぱいの野イチゴを掲げた。 「あなたの大好きなベリーをたくさん頂きました。食べませんか?」 「んー…?んー…たべたい…」 「ほら、起きて」 「ロビン……」 「もう」 毛布から顔を出したギャビンは髪をあちこちに跳ねさせて、おまけに耳も片方ひっくり返っていた。それが可愛くてくすくすと笑うと、すぐ不機嫌になって毛皮の耳は仕舞われてしまう。お詫びに籠から野イチゴを一つだけ抓むと、彼の口に運んで食べさせてやった。
「もうすぐシーズンが終わるので、仕事が少なくなると思います」 「ん」 温暖化は進み、地球上の生物��四分の一が絶滅したといわれている。 数年前に起きた都市大気汚染による獣人の大量死。環境悪化の魔の手はギャビンにも伸びて、ついに二人でデトロイトの街を出た。ここに来てからはギャビンは環境保護警察として、犬や外来種の規制、狩猟の取り締まりなどの仕事を任され、デトロイトに居た頃ほどではないが急がしく働いていた。 「今日は?」 「一組が今日の帰りだったのでビーバー島まで迎えに行ってきました」 ネイチャーガイド兼レンジャーの仕事は楽しい。DPDで勤務していた時とは違い、常にギャビンと共に居る事はなくなってしまったが、島で働く者もそう多くないので仕事場は近い。 「それで、ビジターがベリーをくれたんですよ」 「なるほど」 「野生のオオカミが見られなくて残念そうにしてたので行ってあげてくださいね」 「絶対嫌だね…お前言ってないだろうな…」 「まさか」 ギャビンは大きく口を開けて一気に野イチゴを頬張った。あとでジャムにしようと思ったのに、もう半分以上食べられてしまった。タンブラーにブルーブラッドを注ぐと、彼の金継ぎのマグカップにもコーヒーを用意する。ホーローのポットがおだやかに湯気を立てていて、漂う先を目で追う。ロフトやハシゴから吊るされているドライフラワー。暖炉の横に立てかけられたスノーボードと釣竿。薪置きには「アイル・ロイヤル・ナショナルパーク」の広報誌が溜まっている。古く歪んだガラスの窓に映る紅葉は絵画のようで、部屋の中の全てのものを優しく照らしていた。 「またすぐ冬が来ますね」 「ああ、そうだな」 「ギャビン、川の方の紅葉が見ごろでした。朝食が終わったら、ビジターの見送りついでに見に行きませんか?」 彼は頷いてから、今度はパンにかぶりついた。自家製の黒パン。これも職場で貰ったものだ。その他にも廃屋だったこのビジターセンターをリノベーションしてくれた島民、ブルーブラッドなどの物資を���んでくれる連絡船のアンドロイドたち。そして獣人のコミュニティ。随分と周りに支えられて生きていることに気づいて暖かな気持ちになる。 「そうだ、コナーから手紙が届いていました」 「手紙ぃ?あいつほんとアナログ大好きだな…さすがじじいのわんころ…」 「ギャビン、行儀が悪いですよ」 椅子の上に乗せられた足をポンと叩く。
 午後の日差しは暖かで、入り江は凪いで鏡のようだ。今シーズンで最後の旅行者になるだろう、彼等をカナダへの連絡船に乗せて、今日の仕事は終わりだ。 桟橋を戻ると、現ビジターセンターの小屋で待たせていたはずのギャビンはそこには居らず、すぐ近くのバーチの木立の中にいた。 「!」 白樺の白い幹とレモン色に染まった葉に紛れるように、5、6歳の子供がギャビンと話していた。雪のような肌と髪の、まっ白い少年だ。ギャビンは困ったような顔でしゃがみこんでいて、少年と目を合わせて何か喋っている。迷子だろうか。島は東西に長く、ビジターセンターや港、我が家がある西側とは違い、東側には少数だが島民が住んでいるのだ。急いで彼らに合流すると、ギャビンはホッと息をついた。 「ーーーー!」 「あ、」 ふと呼び声が聞こえて振り返ると、木立の向こうに人影を見つける。 「ママ!」 少年は弾かれたように駆けていった。彼と似たもう一人の子供をつれた、母親らしき人物がこちらに頭を下げていた。手を上げて応える。 少年は母親に抱きついて再会を喜んでいた。 「双子でしょうか?大事無くてよかったですね」 「オメー、来るのが遅いんだよ」 「ギャビンがワタワタしてるのを見るのがおもしろくて、つい」 「あ?型落ちロボコップは人助けの仕方も忘れたか?」 足に蹴りを入れられた。お返しにと落ち葉をかける。ヒートアップしそうだったので、彼を羽交い絞めにして動きを止めた。 親子はこちらに背を向けて森の道に入っていった。三人の白い髪と肌が、紅葉の中に溶けていくようだ。子ども達のころころとした笑い声が、爽やかな秋の風の中で響いた。
「シロクマ…」 「?」 ゆったりと遠ざかる親子を見て、シリウムポンプが強く脈打つような感覚に襲われた。あっと声を上げる。ギャビンは動きを止められたままの格好で不思議そうに彼等を見つめた。 「ギャビン、シロクマです、あの親子…」 「シロクマ?…ホッキョクグマはとっくに絶滅してるだろ」そう続けるギャビンはもがくのを諦めたようだった。 「でも、そんな気がするんです」 「ふーん…ならそうかもな」 ギャビンは彼等の消えた先を見つめて眩しそうに目を細めた。その表情に満足して、ふと腕の力を抜いてしまう。すると閉じ込めていた体が急にググっと動く。ズルズルと体の形を変えた彼は、器用に羽交い絞めから抜け出し、四つの足で落ち葉の絨毯の上に着地した。 「ざまぁねぇな!」 そのまま牙を見せて不敵に笑うと家の方向へ駆けていった。 「それは!反則!ですよ!」 敵わないのは分かっているが、必死に足を動かして彼を追いかけた。 「ギャビン、待って!」 転々と落ちている、彼が脱ぎ散らかした服を引っ掴んでは走る。 視界を流れていく、色とりどりの宝石のような紅葉。常緑樹に垂れ下がる不気味なサルオガセ、豊かな緑の苔、川の音。カラフルなキノコ。視覚ユニットが情報でどんどん溢れていく。 『おせーよ!ロビン!』 彼の呼び声が響く。蕩ける様な遠吠えだ。 足を止めて、手で口元を覆う。 「ゥワォーーーーーーーン!」 彼の遠吠えには似ても似つかない、ただ音量を最大にしただけの、人間の声に似せた音を響かせる。意味の無い、おまけに呼吸も必要無い、ただの叫び声。 けれど彼には届いているだろう。 二人の遠吠えはサイレンのように響き渡り、森の中に溶けていく。 騒がしい森。どんぐりをさがすアカリス、野ねずみの足音、薮に入ると絡んだウサギの毛が舞う。うるさく笑���キツツキをやり過ごして、ミツバチの羽音が耳元を掠める。木の洞ではワシミミズクがあくびをした。 エルクの群れを横切る、オオカミの足跡。この先に彼がいる。 ブルーブラッドが体中を巡る音。 生きている、何もかもが。美しく生命が燃えるこの森で。
Tumblr media Tumblr media
11 notes · View notes
tsuntsun1221ts · 5 years
Text
2019.08 斜里岳
Tumblr media
1日目より
斜里岳山頂より。小清水町・清里町・斜里町とオホーツク海が一望。一言で言えば、とても過酷な登山だった。
【コースタイム】国設知床野営場→清岳荘→登山口 (0800)→登山道入口 (0815)→下二股 (0840)→上二股 (??)→胸突八丁 (0955)→馬の背 (1000)→山頂 (1015)→休憩→下山開始 (1050)→馬の背(1105)→上二股 (1120)→熊見峠 (1150)→下二股 (1215)→登山道入口 (1245)→清岳荘 (1255)→和琴野営場
前日は暑かったが、さすがに何もかけずに寝てると肌寒くて夜中に起きた。一度テントを出て隣に駐めてある車の中からシェラフを取り出しかぶる。4時に起床予定だったが、途中で起きて眠たかったので5時起床にした。撤収や朝食などで手間取り、結局出発できたのは6時半くらいか?
昨日のコンビニで買っておいた「山わさび塩ラーメン」たが、買わなきゃよかった。鼻にきつすぎてまともに食えん!頑張って麺は全て食べたけどよ・・・。てか、固形燃料でお湯を沸かそうとおもっていたのだが(機内は当然、受託でもガス缶はだめなのでその回避として)、2個いっぺんに火つけても沸騰しなかった、麺が硬い。熊肉は美味かった、かなり煮込んでいるし臭みとかなくて普通のやわらかい肉。これ買っておいて本当によかったー!
Tumblr media
道中、これから登る斜里岳が見える。天気は快晴、すでに暑い!
Tumblr media
0740くらいに登山口がある清岳荘へ到着。最後の20分くらいは半舗装の山道だったのだが、砂利でスリップしてかなり怖かった、雪道走っているみたいで。
Tumblr media
遅めの到着だったかもしれないが、駐車場にはまだ余裕がある。6割くらいしか埋まっていなかったかも。自分のあとに着たのは3台くらいだったか。とりあえず清岳荘に駐車代金(協力金)100円を収める。登山口のポストへちゃりん。
・・・そしてめちゃくちゃ暑い、日差しが痛い、昨日以上か多分25℃くらいある。もしかして今日もサウナなのか?
Tumblr media
0800ちょうどに登山開始。このときは、あそこまで過酷な山行になるとは思ってもみなかった。確実な水分コントロールとルートファインディングと体幹能力必要。
Tumblr media
まずは10分ほど樹林帯を進む。当然サウナ。早速汗が出てきた。
Tumblr media
さて、斜里岳の特徴は山登りではなく、沢登りがメインなところ。下二股にたどりつくまでに沢を渡る箇所が10以上ある。おそらく湧き水が流れてきているため水量は一定だが、降雨などによる増水時にはかなり危険なことになる。
あっちに渡りこっちに渡り、渡ればいいのか渡らずに進めばいいのか、道標のテーピングは十分にされていると思うが、それでも次にどこへ進めばよいのか頻繁に迷う。
水量が豊富で一見涼しそうに見えるが、周りは樹林帯で風が通らないため非常に暑い。昨日よりも気温が高いため水の消費も激しい。沢の水はエキノコックスなどで飲水としては適さない。やはりこのままではマズイので、10分毎に沢の水を全身に浴びながら進む (ワイルドだぜ~) 。頭からかぶり、腕を冷やすことを繰り返す。これでようやくまともになったのだが、沢の水が粘膜や傷口に触れないように注意しないと駄目かも。沢の水はとても冷たく、一度かぶれば体はすぐに冷えてくれる。
Tumblr media
昨日以上のサウナの中を水をかぶりながら、約40分で下二股へ到着。ここは旧道と新道の分岐点。いままで傾斜のあまり無い沢を歩いてきたが、旧道は傾斜が強い沢を引き続き進むコース、新道は沢から外れ尾根伝いに遠回りする展望コース。登りは旧道・新道どちらでも良いが、下りは新道を使うべきだと思う。というのも、旧道では滝を登るような箇所もあり、下りで通過するには非常に危険。かなり慣れている人でないと滑って絶対に怪我する。
今回は登りは旧道を選択、下山は新道で。これがオーソドックスらしい。
Tumblr media
旧道の沢登りとはどういったものかというと、たとえばこんな感じ。ここは滝の左の水が流れていない部分を登る。てか、そこ登るしかないの?笑
Tumblr media
ここも左
Tumblr media
ここは右
滝の脇でなくてもかなり急な傾斜がけっこうありビビる。滝の脇を通過する際は水で濡れているので当然非常に滑りやすくなっており、中には足をどこに置いたら安定するのかよくわからない箇所も。そういうところはロープが設置されているからありがたいのだが、一度完全に滑ってロープ掴んでいなければわりと大きな怪我するところだった。
下二股以降でも10箇所以上渡渉する箇所があるし、最初からそうなんだけど、足を乗せる石を外すと沢にドボン(さすがにこれは無かったが)。
実は、羅臼岳でも見かけた小さい子供2人連れたお父さんとここでも会ったけど、本当にオススメしない。沢はかなり浅いので溺れることはないと思うが、場所によってはとにかく傾斜が強く、よく考えて足場を選ばないと簡単に滑り落ちて怪我をする。
体が火照ってきたらその度に沢の水をかぶる。 ちなみにここの沢登りのコツは意外なことに、敢えて水が少し流れているところに足をツッコんで進むこと。 割といい足場が多い。てか薄々気がついていたけど、靴の防水死んでるわ。
Tumblr media
下二股から上二股までの過酷な沢登りは1時間くらいだったか?(ちゃんと記録してなかったので正確にはわからないが)。ここから上は沢の規模がかなり小さくなる。滑って転んだりする心配は無くなったが、なによりも浴びるほどの水量がなくなったのが痛い。ここも無風で十分にサウナ状態、おまけに日光も差す。まぁ酷いが、そこまで長くはない。傾斜もかなり緩やかになった。
胸突八丁はザレ道で、しっかりと踏み込まないとずり落ちる。傾斜は再び急に。ここを超すと、ようやく風の吹き抜ける待望の森林限界に!
Tumblr media
登山開始から約2時間、昨日よりも過酷な環境を通り越し、ようやく天国に。馬の背(鞍部)付近は風の通り道ですごく気持ちがいい!
Tumblr media
馬の背に到着。日差しは相変わらず。なんでこうジリジリと強いのだろうか、夏だからか、当たり前か。
Tumblr media
馬の背より山頂を眺める。ピークをひとつ超えた先にある奥の方が山頂。
Tumblr media
登山開始から約2時間。展望が素晴らしく、周辺の町とオホーツク海が一望できる。山頂は微風で少し涼しい程度だが、直射日光が直撃する。若干霞んで入るが快晴で、昨日登った羅臼岳、明日登る予定の雌阿寒岳が見える。この人里感広がる景色を目の前に休憩。
Tumblr media
ほんの一部しかみていないのに、北海道は広大だ。こういう景色は筑波山と似ているところがある。
山頂にたどり着いた時間が良かったらしく、15分くらいしたらどんどん雲が湧いてきた。その後に団体さんたちが到着したのだが、そのときはすでに雲が景色の一部を隠していた。
Tumblr media
山頂では30分くらい休憩し、景色も悪くなってきたので下山する。下りは熊見峠を経由する新道ルートへ。上二股で分岐する。
Tumblr media
尾根伝いのコースとのことだったけど、水平移動��想定していたら実際かなり登らされる!展望は良く、背の低い植物(たぶんダケカンバ)なのでどこにいても周囲を見渡せるのが良いところ。
Tumblr media
振り返ると山全体を見渡せる。沢コースではずっと樹林帯だったので全くわからなかった。一応、ジグザグの尾根道も右に写っている。
Tumblr media
景色は良く、前方に平原。山頂と同じような光景が広がる。
Tumblr media
尾根コースのピーク、熊見峠に到着。この周辺は植物の背が高く景色は全く見えない。そして暑い!新道は熊の出没も比較的多いらしいが、この暑さの中登山するバカは人間くらいだろう。ちなみに今回は熊スプレー携帯していないので、この視界が効かない中で遭遇したら完全にアウト。
熊見峠以下は樹林帯となり、景色は無く、無風で常にサウナの地獄と化す。この環境が危険なので、なるべく早く下山しようと思い早めに下る。沢の道と違い滑りやすい箇所はほとんど無く、安全な道(熊が出なければ)。
急いでいたので山頂から1時間半くらいで下二股に到着。しかし水の消費量は登りと同じくらいだったので、いかに過酷なサウナであったか。まぁ尾根コースは遠回りで、歩行距離が登りよりも長いのも原因か。
旧道を下ることができれば沢の水をかぶりながら進めるのだが、先に述べた通り危険。こんな暑くなければ快適だったと思うのだが・・・。水は1.5Lでギリだった。普通の人なら2でギリか?汗っかきなら3Lあったほうがいいかも(ここまで暑い日の話)
下二股にたどり着き、再び沢コースとなったのでまた水をかぶれる!沢の水が本当に待ち遠しかった。もちろん、さっそく水浴びたよね。
Tumblr media
そういえば、2~3回ほどガサガサとネズミくらいの小動物が茂みに走っていくのを見たが、一度だけバッチリとシマリスの姿をとらえた。
下山後はとにかく全ての水を飲み干した。気候も道も過酷すぎた。余っていた本日の行動食もすべて食し、水分と塩分とエネルギー補給。ここから車で下り、摩周・阿寒湖方面へ。
Tumblr media
車を走らせること約1時間半、時刻は14時半ごろ遅い昼食を取る。弟子屈ラーメン総本店、醤油チャーシュー950円。そして道の駅「摩周温泉」でハスカップジェラート(380円)といろいろと補給。ラーメンも美味しかったけど、ジェラートすごく美味しかった!
Tumblr media
宿は数年前にリューアルされた和琴野営場、摩周湖のすぐ近くにある。16時くらいに到着し受付。一人1000円と、昨日のキャンプ場よりかは高いが、超綺麗!トイレは水洗、シャワーもある、コインランドリーも(あった気がする)。芝も整ってるし。受付棟はWi-Fiあり。そしてかなり空いている。車乗入れは不可で、近くの駐車場に駐めることになっている。昨日と違って荷物をちゃんとテント場に持っていかなければならず、より実践に近いか。おまけに設営中に雨が割と強めに降るという、天から課せられた練習もこなす。霧の摩周湖という言葉があったと思うが、湖からではなく、雨上がりの水溜りから霧が出てた笑。どういう仕組みだよ。
摩周湖まで歩いて湖面を覗いてみたのだが、これまたすごい透明度で、後で調べてみたら世界で2番めに透明度が高い湖なのだとか(一番はバイカル湖)。
無料の露天風呂があるとのことで見に行ってみたら、少し囲いがあるだけのかなり開放的なお風呂、シャワーとかなし、ほんとにお風呂があるだけ。一応更衣室あるけど、まぁ丸見えだよね。おじちゃんおばちゃんが5人くらい賑わっていたけど、さすがにあの中に混ざるのは無理だったので、車を20分くらい走らせて温泉街へ向かう。あとひとつ注意点といえば、和琴野営場周辺にはコンビニなどが一切ない!自分は温泉街にいったときに翌朝の食料とかを買った。ほんとに周りなにも無い。
川湯温泉へ向かうには摩周湖の外周を北上する。その途中で別のキャンプ場があったのだが、おそらく砂場キャンプ場というところか?まるで海岸にキャンプ場があるみたいに、摩周湖の湖畔にテントを設営し、目の前に広大な湖が広がる光景。これはこれですごそう(施設はたぶん古い)。
「お宿欣㐂湯」700円で日帰り入浴(きんきゆと読む)。温泉街の数キロ手前からすでに硫黄の匂いがする。なんとなく選んだ温泉だったけど、ずっと昔に家族で来たことがあるような気がする。この宿はともかく、少なくともこの温泉街には来たことがある、絶対に見たことがある景色。 欣㐂湯 は内湯よりも露天風呂の方が大きく、個人的に好きなぬるま湯もある。
帰りの道も摩周湖の側を走ったが、霧深くなっていた。今日は夕方に雨降ったからか夜は涼しく、やっと北海道らしい感じ。全く寝苦しくなく、ぐっすり眠れた。
斜里岳は、要は筑波山の難易度かなりアップ版みたいな感じだった。
明日は早いこと最終日。
3日目に続く
1 note · View note
itocaci · 2 years
Text
花を咲かす風と装い
Tumblr media
こんばんは。
駆け抜けた年末年始。
本当に日々詰め込みすぎて、そして作業にも終われ、全く落ち着く暇もなく今日を迎えています。
ようやく少し落ち着くと、今度は家のことが全くできていないことに気がつき、今月はゆっくりとではありますが家の整理もしていければなと思っております。
なんだか2021年が、はるか昔のように感じております。笑
Tumblr media
さて、昨日”小寒”を迎え、いよいよ冬の五番目の節気を迎えました。
今回のオンラインショップでは「寒の内」ということで温かなアイテムもピックをしたのですが、アウターにも限りがあり、そしてそんなアウターばかりを掲載するのにも流石に辟易としてきたので、ちょっと趣向を変えて「花」をメインにアイテムを選んでみました。
本格的な冬の中で花と聞くと違和感を抱く方もいらっしゃるかもしれません。
しかし年明けの節目でもある”小寒”から春の終わりまで、「二十四番花信風」という、花を咲かす風が吹くとされます。
これは、”小寒”から”穀雨”までの八節気を二十四区分に区切り、その区分毎に吹く風が、対応した花を咲かせるという、素敵な言い伝えになります。
ちなみに二十四区分というのは七十二候に対応しており、”小寒”の期間ですと下記になります。
1/5〜1/9:”芹乃栄(せりすなわちさかう)” 〔初侯〕
1/10〜1/14:”水泉動(しみずあたたかをふくむ)” 〔次侯〕
1/15〜1/19:”雉始雊(きじはじめてなく)” 〔末侯〕
このように各節気間はいつも三区分に分けられます。
”小寒”の三候に当てられた花は、初侯が梅花、次侯が山茶(椿)、末候が水仙となります。
中国から入った慣習となるため、多少の誤差はありますが、このように、次の”大寒”はもちろんのこと、5月頭の”立夏”の前日まで続いていきます。
本日は、そんな花を咲かす風が吹き始める頃を祝って、当店の花柄のアイテムをご紹介させていただければと思います。
Tumblr media
Fumiku : Flower Satin Long Sleeve Dress (Blue) ¥42,900 (tax in)
Tumblr media
Fumiku : Flower Satin Long Sleeve Dress (Black) ¥42,900 (tax in)
まずは"Fumiku"の花柄のロングワンピース。
"Fumiku"らしく、生地を重ね1枚のワンピースの中でレイヤードをお楽しみいたけるアイテムとなります。
左右非対称のデザインとドレープを巧みに使い、レイヤードを活かしたデザインがとても素敵な1着となります。
サテンと呼ばれる、光沢の美しい織物をベースに、シックで繊細な花柄が、上品な雰囲気を出しています。
Tumblr media
袖が長いため、コートやトップスを上に着用しても、袖元の重ねをお楽しみ頂ける点もオススメです。
また、ワッシャー加工と呼ばれる、シワ感を出す加工を施すことで、ドレスのような美しさを持ちつつも、ラフに日常の場面でも着用できるよう落とし込んでおります。
そのため、幅広いシーンで活躍する1着となりますよ。
そういったアイテムを1着持っているととても便利ですね。
Tumblr media
BANSAN:Design Motif Skirt (DARK BROWN) ¥49,500 (tax in)
Tumblr media
BANSAN:Design Motif Skirt (WINE RED) ¥49,500 (tax in)
大胆な花柄を全面に用いた"BANSAN"のスカート。
ボテッとした花柄がとこかレトロな雰囲気を醸し出し、良い味を出しております。
ノスタルジーな趣を感じつづも、装いに取り入れると、嫌味はなく、気���らないスタイリングができてしまう点が個人的にとてもオススメな点でもあります。
上品な花柄のロングスカートですと、どうしても着用する場面が限定的になってしまいますが、このスカートからは、絶妙な野暮ったさやレトロな趣を感じることができ、カジュアルな装いにも華を添えるアイテムとなるのでは無いでしょうか。
贅沢に布地を使ったスカートは動きに合わせて広がりも生み出します。
巻きスカートのように重ねたようなデザインも相まって、とても美しいシルエットが素敵です。
着丈の長いワンピースやコートと合わせて、膝下でチラッとポイントを見せるような着こなしもオススメですし、ショート丈のトップスと合わせて大胆にスカートを主張していただくような合わせ方も良いですね。
気張らない、生活に寄り添う花柄。
そんな言葉がしっくりくるスカートになるのではないでしょうか。
Tumblr media
BANSAN:Long Tie Front Open Cotton Dress (BEIGE) ¥46,200 (tax in)
最後は、スカート同様の花柄の素材をアクセントにしたワンピースをご紹介します。
スカートも良いけど少し主張が強いと感じられる方にはこちらのワンピースがオススメです。
首元のタイをリボンように結んでアクセントにして頂くのも良いですし、軽く重ねて垂らして頂く合わせ方も素敵です。
ニットやコートのインナーに着用しても、首元からチラッとリボンを出すことで装いに華を添えるような着こなしが可能となります。
Tumblr media
袖のふんわりとしたボリュームや、袖口の包みボタンが女性らしい雰囲気を引き立てる、細部に抜かりのない1着となります。
コットン素材がベースになりますので、秋から春までシーズンを跨いで着用が可能となりますよ。
ということで、本日は以上5点をご紹介させていただきました。
なお、こちらのアイテムは現在オンラインショップにも掲載をしておりますので、そちらも合わせてご覧いただけると幸いです。
https://itocaci.thebase.in/
冬の冷気を帯びた風は身体に応えます。
それでもその風がどこかで花を咲かせていると思うと、少し微笑ましく思えてしまいます。
今回は、そんな花を咲かせる風に思いを馳せて纏っていただければと思いご紹介をさせていただきました。
それでは次回もお楽しみに。
Tumblr media
0 notes
judachigeiju · 6 years
Text
紀伊半島原付旅行記
早めの夏休みをもらったので、原付で伊勢湾フェリーを渡り紀伊半島を一周しようと思い立った。思い立って二週間後に出発した。紀伊半島とは精神の方面である。
Tumblr media
七月二日:浜松から新宮へ
排気量五十CCの原付〈一つ目家鴨〉号はキックスターターを使わないとエンジンが動かなかった。一抹の不安を抱えながら、七時半、原付に跨がった。曇空の下、国道一号線を西に進み、弁天島を回って国道四十二号線、表浜街道伝��に渥美半島を西へ進んだ。
坪井杜国の故地
赤羽根港に付属する道の駅で休んだあと和地交差点から西北に進路を変えて高田交差点で左折、高田西交差点で右折し、右手にある潮音禅寺こと潮音寺を訪れた。境内には柳原白蓮歌碑と山頭火句碑があり、空米売買で尾張徳川家の領地から追放され、渥美半島へ来た坪井杜国の墓碑がある。
Tumblr media
杜国墓碑の前に立っていると住職から 「俳句をやっているのですか?」 と声をかけられ、その日に咲き始めたという蓮を見せてもらった。蓮の初日はあまり開かないのだという。血統書付きの大賀蓮の水鉢もあった。住職は黒目高も二千匹に繁殖させたらしい。川を渡って「杜国屋敷跡」の看板のある角を左折すると畑のなかに小さな杜国公園。〈春ながら名古屋にも似ぬ空の色/杜国〉の句碑が建っており、投句箱もあった。
Tumblr media
十時を回っていたので急いで西へ向かい、二十分ほどで伊良湖岬のフェリー乗り場に着いた。標識交付証明書がなくても排気量を口頭で伝えただけで発券してくれた。合わせて三千九十円で、十円だけ人の方が高い。十時五十分発、五十五分に及ぶ伊勢湾の航海。波が荒かった。伊勢湾を渡っていると雨に降られた。船内のテレビで天皇の病態が報じられ、平成が来年五月までもたないかもしれない、と思った。鳥羽に着くと雨は止んだ。
嶋田青峰の故地
フェリーを出ると正午になろうとしていた。鳥羽フェリーターミナル二階のレストランで食事をとろうとすると係員のおっちゃんから「ここのレストランはおすすめしない。近くの錦屋がいい」と勧められ、錦屋でてこね寿司と伊勢うどんを食べた。若女将の愛想が良かった。食べているうちに梅雨晴間。志摩半島を縦断し、的矢で渡鹿野島を望もうとしたら、的矢は、ホトトギス同人から除名され新興俳句弾圧事件で逮捕された俳人嶋田青峰の郷里だった。句碑〈日輪は筏にそそぎ牡蠣育つ/嶋田青峰〉も、弟である嶋田的浦の句碑〈海うらら水平線は汽船を引く/嶋田的浦〉も夏草のなかにあった。杜国といい青峰といい不遇な俳人ゆかりの土地ばかり巡った一日だ。志摩半島の浦はどこも簡素で好きになった。尾鷲で小雨に遭い、虹を見た。ひたすら走り、いくつもの浦の潮が戻るのを見ながら走り、十九時に新宮駅近くへ投宿した。
Tumblr media
七月三日:新宮から田辺へ
目覚めるとサッカー日本代表が白耳義に惜敗していた。六時半に新宮市の「路地」を見てから霧雨の国道百六十八号を熊野本宮大社まで走った。
Tumblr media
山岳信仰とサッカー
観光客がほとんどいない大斎原や本殿を見た。熊野は大学一年生のとき以来だから十年以上ぶりだ。拝殿にサッカーワールドカップ関連の展示があったが、侍ブルーのユニフォームを着たスタッフが取り外していた。熊野の神に勝ったのだから確かに白耳義は赤い悪魔だった。
Tumblr media
八時半に給油してから山を下り、新宮市街まで戻ってから那智の滝を見た。数年ぶりに絵馬を書いたり護摩木を焚いたりした。熊野本宮よりも那智の滝を神体とする信仰の方が私にはわかりやすい。
鯨焼肉はレバーの味
十一時には那智を離れ、正午に太地町へ着いた。くじら博物館は千五百円を惜しんで入らなかったけれど鯨恵比須の鯨骨鳥居と燈明崎の山見を見て、道の駅たいじで鯨焼肉定食を食べた。血臭いのでやはり鯨肉は揚げた方がいい。
Tumblr media Tumblr media
尻ではなく太腿で乗る
国道四十二号線をひたすら西へ。里野で水泳パンツに着替えたがちょうど日が陰って寒くなり、海水浴はあきらめた。見老津のあたりで和歌山県警の軽パトカーに跡をつけられたので、先に行かせたら、また後ろに回られてスピーカーで停められた。職務質問だ。「浜松市」ナンバーを見なれないから停めたとのこと。浜松から原付で来たと説明すると「どうしてそんな気になったんですか」と訊かれた。「お尻が痛くならないんですか」とも訊かれたので「尻ではなく太腿で乗ると痛くならない」と答えた。ズボンの下は水泳パンツなので、ズボンの中まで調べられたら即逮捕だっただろう。別れ際に夜間に掛けられる光る反射タスキをもらった。それから道の駅ごとに休み、田辺を目指した。
交番へ出頭
十六時過ぎに道の駅椿はなの湯で休んだ。ベンチに座ってのんびりしていると別のベンチに座っていた老爺が「そろそろ行くか」と独り言を言い、軽トラックでどこかへ行った。老爺のベンチが日陰だったので日射を避けるべく私はその日陰のベンチに移動した。するとベンチの上に財布が落ちていた。あの老爺の財布だと思い、私は戻ってくるまで待つことにした。でも戻ってこなかった。道の駅は定休日で閉まっていた。仕方なく私はその財布を持って近くの椿駐在所まで行った。しかし駐在さんはおらず、備え付けの電話を架けると婦警が富田駐在所まで来ていただけるかと言った。住宅街のなかにある富田駐在所へ出頭し拾得物物件預り書一枚で解放された。一日に二回も警察沙汰だ。交番を出て国道四十二号線に出た途端に雨が降り出した。晴れ間をぬって沿岸を北へ進み田辺駅近くの美吉屋旅館へ投宿した。自動扉が開くと禿親父がソファに寝そべって歌謡ショーを観ていた。客かと思ったけれど主人で間違えなかった。夜風が吹いただけで骨組が唸る旅館の「菊」の部屋に泊まった。若旦那から純喫茶桂のご主人が亡くなって看板を下ろしたと聞いた。灯りが点いているのはどきどき奥さんがいるからだとのこと。
Tumblr media
七月四日:田辺から大和高田へ
北上するには二通りあった。海岸沿いに国道四十二号線を進む海ルートと高野山を経る山ルートだ。高野山は魅力だが山ルートにはガソリンスタンド問題があった。ただでさえ燃費が四十キロ前半まで落ちているのにガソリンスタンドが少ない山中を百数十キロ走るのはガス欠リスクが高い、それに近畿地方の天気予報は全域で雨なのであえて天候の見えにくい山間部を通ることもなく海ルートに決めた。
台風七号ブラピルーン
フロントに鍵を置いて五時半過ぎに出発した。みなべ町の岩代で、四つのH音のやるせなさが素晴らしい〈家有者笥尓盛飯乎草枕旅尓之有者椎之葉尓盛/有間皇子〉が詠まれたという磐代の結松と畑のなかの寺脇にある歌碑を観た。八時くらいまで台風七号はおとなしかったがトンネルを出て由良町になってから本気を出し、激しく雨が降り出した。それでも走り続けたのでジーパンはもちろん下着までぐっしょり濡れた。なぜ走っていたのかと言うと大阪は午後から曇るという予報に賭けたからだ。和歌山市まで強く雨が降っていた。大阪府に入ると小雨になり時々晴れ間も見えた。雨雲レーダーを見ると高野山はもっと強く降っていたので山ルートにしなくて本当に良かった。岸和田城の横を通り和泉市で冷えた体の血流を回復させてから東へ折れ、富田林から河南、水越トンネルをくぐって大和の葛城に出た。山はやはり雨が降っていた。
葛城一言主神社では二人の男性が階段下の祓戸神社へ参拝してから昇段し、一言主神社の拝殿へ参拝していた。一言さんは地元の信仰を集めているらしい。それと拝殿に参拝する事前準備として拝む祓戸神社というシステムは熊野本宮にもあった。祓戸神社の祭神はいずれも瀬織津姫、近畿地方の格式ある神社の様式だろうか。大和高田のネットカフェで刃牙を読んだあと大和高田駅近くの福の屋旅館の「菊」に泊まった。また菊だ。女将一家の生活スペースと部屋が廊下一つを隔てて隣りあっているので、おばあちゃん家に泊まった感があった。女将は、橿原神宮の神武天皇が奈良県を大災害から守っていると言った。そういう信仰は美しい。
Tumblr media
七月五日:大和高田から浜松へ
近鉄大和高田駅のミニストップで食事をとった。ちょうど通学時間帯で女子中生・女子高生が目に入る。それは揚羽よりも速いという女子高生に会いに吉野へ行くからだろう。
Tumblr media
三重県南部は雨時々曇りという予報を見て急ぎ八時半には宿を出た。女将から缶珈琲をもらった。桜井を経て九時半過ぎに宇陀の阿騎野へ。吉野とは飛鳥の平地から見上げるような山地のことだった。東の野にけぶりの立つ見える阿騎野は菟田吾城という古代城郭があったらしい。鎌を持った小母さんから「この地は薬草で有名」「元伊勢」と聞いた。
人間のクズが国栖に
吉野川まで南下して国栖の里を眺め十一時前には国栖奏伝習所の横を通り浄見原神社���訪れ記名した。「鯨は人間のクズだ。ちなみにクズは国栖、先住民族の名だ」と言われてからずっと気になっていた土地「国栖」に立てた。
Tumblr media Tumblr media
県道十六号で国道百六十六号線に戻り、鷲家八幡神社の桂信子句碑・前登志夫歌碑・宝蔵寺の能村登四郎句碑を見て、高見山を仰いだ。そういえば吉野で女子校生は見なかった。汗に冷えた体で高見山トンネルをくぐった。それから虹の泉のほかは伊勢までひたすらに走った。
Tumblr media
近畿地方はあちこちで豪雨らしいが、幸運にも私は雨を数粒受けただけで水泳パンツを履いた意味がなかった。猿田彦神社を参拝し十六時前には鳥羽のフェリー乗り場に着いた。十六時半発のフェリーには間に合ったがガソリンが空になりそうだった。あこや真珠と中国産の淡水真珠の違いを聞いた。
Tumblr media
雨の帰浜
フェリーは伊勢湾に出ると波に揺れた。恋路ヶ浜を見下ろしてから国道二百五十九号線を通って豊橋市を目指した。国道二十三号線からは私が「ほぼ原付専用道路」と呼んでいるバイパス横の側道を通り湖西市へ。昼夜食堂港屋本店で浅蜊汁と鯵の開きを食べた。食堂を出ると雨が降り始めた。弁天島を経て国道一号線で帰宅した。四日間の走行距離は九百三十五キロメートルだった。あとヘルメットのシールドが割れていた。
Tumblr media
2 notes · View notes
arara1212 · 3 years
Photo
Tumblr media
中野市「麺屋 風月」暑熱の中のつけ麺 店名 麺屋 風月 場所 長野県中野市吉田9-12 電話 0269-38-0230 ジャンル ラーメン屋 バリアフリー ◯ 駐車場 あり 食べたもの 「しん農ポークの冷し味噌 昆布水つけ麺」930円、「チャーシュー丼」300円 ⁡ ⁡ 暑い 暑いのだ。7月も半ばを過ぎたから季節はきっちりと『夏』であるからまったく文句はいえない。天空を見上げれば巨大な積乱雲、樹々には蝉どもが騒々しくパートナーを探している。考えてみれば、東京の学生たちはあと数日で夏休みに突入してしまう。紛うことなく夏なのだ。 ⁡ それにしてもこの天候はいったいどうしたというのだ。6月後半にダーっと雨が降り続いたと思ったら7月に入るなりぴたりと止まり、このまま空梅雨で推移してくれればよいものを、いきなり線状降水帯なる耳なれない現象が立て続き各地に災害をもたらし、傷ましい出来事が起きてしまった。 ⁡ 長野はいつもながら取り立ててなにも起きなかったが、夕方から夜半にかけてゲリラ豪雨が降り続き、ようやく過ぎたと思ったら気温30℃を越す真夏日が連続し庭は雑草だらけとなり、わが脂肪が焼け焦げてしまうのではないか、という状態と化してしまった。あああ、そういえば子どもの頃に読んだ本には21世紀には氷河期が再来すると書いてあったが、あれはガセだったのだなぁ。 ⁡ まぁ夏が暑いのは仕方がない、我慢してやり過ごすしかない。とりあえず冷たいものでもいただいて、わが身を冷却するとしよう。 ⁡ ⁡ 「麺屋 風月」 中野 江部の交差点を北に少し行ったところにあるラーメン屋さん。ここもオープンして15年くらいになるだろうか。当初から無農薬野菜や豆乳を用いたりといった健康をテーマにした個性的な店だった。ここ何年もお邪魔する機会がなかったからとても楽しみだ。 ⁡ ⁡ 「しん農ポークの冷し味噌 昆布水つけ麺」930円 暑いから冷たいつけ麺、というのはシンプル単純すぎてしまうが、それは仕方がない。『信州小麦自家製麺』というからには店主自ら打たれているのであろう、ややぽそついたストレート麺は小麦の香りがふんぷんと漂ってくる。ああ、このつゆが昆布水なのか。どうりで軽いうま味があるのか。 ⁡ このタレもよろしい。味噌のキュッとした味わいがけっこう深い。そもそも具材がとてもプリティだ。薄切りではあるが大判のチャーシュー2枚。薄桃色の肌合いが美しい。長い穂先メンマも柔らかくて小気味良い。おおゆでモヤシが下に敷かれているではないか!これは美味いんだよね ⁡ ⁡ 「チャーシュー丼」300円 これは昔はなかったよな。丼メシにチャーシュー5枚とタレかけて。というのはよく見るタイプのサイドメニューだから、個性的なこちらとは似合わない気がしなくもないが、逆にスタンダードすぎて美味いのだ。素晴らしい。 ⁡ ⁡ 冷たいつけ麺食べてようやく冷却が済んだと思ったらまた外部の暑い暑い陽気にさらされてしまう。あああ、夏はまだまだ続く。 ⁡ ⁡ ⁡ #長野 #長野ラーメン #中野市 #中野市ランチ #中野市カフェ #中野市グルメ #中野市ラーメン #中野グルメ #中野カフェ #中野ランチ #中野ラーメン #中野ラーメンめぐり #中野つけ麺 #信濃中野 #長野電鉄 #信州小麦 #昆布水つけ麺 #昆布水 #昆布水つけめん #昆布水つけそば #昆布水すいすい啜る会 #昆布水のつけそば #昆布水レシピ #昆布水のつけ麺 #昆布水のつけめん #昆布水でダイエット #昆布水つけ麺醤油 #昆布水醤油つけそば #昆布水塩つけそば #昆布水の淡麗つけめん (麺屋 風月) https://www.instagram.com/p/CRf_6RrgW7r/?utm_medium=tumblr
0 notes
Text
12このFallGroupコピーに取り組むタスク9prexit-closeGroup 16prexit-closeGroupコピー9prexit-closeOpened CopyOpened CopyOpened CopyOpened CopyOpened CopyShapeGroup Copy 9
Tumblr media
ブログトピック 市場動向 家の修繕 最初の人 ユニークな家 ヒントとアドバイス 注目のポスト ヒントとアドバイスヒントとアドバイス / 物語 動き出すドルとセントは、多くの要因によって大きく異なります。 全文を読む ジルツール 涼しい天気が近づいています-外はまだいいのですが、家に到着する準備をしてください。 日が短くなり、��が涼しくなっています。子供たちはバックパックで再び学校に押し出され、葉は木から落ちています。 はい、公式です:秋が来ました。今が、冬前のメンテナンスプロジェクトを完了し、家と庭の準備をする時です。 これらの12のタスクを処理して、今後の涼しい日のために、家を清潔で暖かく居心地の良いものにしましょう。 外装準備 1.コンクリートとアスファルトの亀裂を修正する お住まいの地域によっては、今年最後の数週間で車道や歩道の亀裂を修復するのに十分なほど暖かく晴れることがあります。 2.側溝をきれいにします 誰もこの仕事を愛していませんが、私たち全員が毎年それをする必要があります。数時間の作業で、後で大きな問題を防ぐことができます。 その梯子の上にいる間、屋根の損傷、帯状疱疹、閃光、または通気孔を視覚的に検査します。また、必要に応じて、煙突で不足しているモルタルを検査し、タックポインティングによって修理することができます。 3.屋外配管をオフにします 屋外の蛇口とスプリンクラーシステムを空にし、それらを覆い、凍りつくような天候から保護します。 4.堆肥化を開始する 堆肥箱をまだ持っていない場合は、今すぐいくつかを作成または取得します。蓄積されたこれらすべての紅葉は、来年の夏にガーデニングゴールドをもたらします! 5.屋外の家具とガーデニングツールをきれいにする まだそれらを片付ける時期ではないかもしれませんが、先に進み、屋外の家具や園芸工具をきれいにして、冬の間保管できるようにします。 6.春咲きの花用の球根 土が冷えたらすぐに、10月に球根を植え、来春に大きな報酬を獲得します。これまでに球根を植えたことがない場合は、日中に太陽が十分に当たる庭の場所を選択してください。 インテリア準備 7.冬季用に炉を準備する 昨年の春にまだ行っていない場合は、寒い季節に間に合うように炉を専門的に修理することを検討してください。少なくとも、毎日使用を開始する前に、炉を目で見て検査し、炉フィルターを交換してください。 8.暖炉と煙突を掃除する 暖炉を掃除し、煙道を点検し、ドアとシールドが正常であることを確認します。必要に応じて煙突を専門的に掃除してください。今はfireを買いだめする時でもあります! 9.暖かい空気を内側に、冷たい空気を外側に保つ 窓やドアを点検します。ドアを開け、玄関に紙を置いてドアを閉めることにより、ウェザーストリッピングをチェックします。用紙は簡単に前後にスライドしないでください。もしそうなら、ウェザーストリッピングはその仕事をしていません。 また、必要に応じて、窓やドアケーシングの周りを再びかしめるときです。 10.道を照らす 寒くて暗い月の間は、できるだけ多くの光を家に持ち込んでください。自然光を際立たせるには、特に日光の多い部屋で窓やブラインドをきれいにしてください。 新しいランプで暗い空間に照明を追加します。また、従来の白熱電球をエネルギー効率の高い電球に置き換えることを検討してください。 11.マッドルームを作成する 自宅に専用のマッドルームがなくても、今は寒くて雨天の「マッドルーム」エリアとして機能する玄関の整理と保管について考える良い機会です。 床を保護するために、屋内外の敷物を置きます。週末の楽しくてやりがいのあるプロジェクトは、玄関用に木製の靴ラック、コートラック、または収納ベンチを構築することです。 12.家庭の安全チェック 煙探知器と一酸化炭素モニターのバッテリーを交換します。これを忘れないための良い方法は、夏時間のために時計を変更するときは常に電池を交換することです。 家族の避難計画を作成するか、すでにある計画を確認します。冬の停電に備えて、緊急時対応キットを作成します。 秋の家のチェックリストを終えたら、暖かく快適な家で季節を楽しむことができます。 関連: このチェックリストはあなたの家の世話をする鍵です(ストレスなし) 秋に向けてキッチンを快適にする4つの方法 9 10年ごとにあなたの家に必要な更新 当初は2016年9月に公開されました。 × ×
0 notes
wiggie-yoshie · 5 years
Photo
Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media Tumblr media
毎年恒例、友人うーちゃんとの夏旅は 今年で14年目。来年で15年になる。 二人で47都道府県を制覇するのを目標にしていて 達成後はもう一度行きたい土地へ再訪する予定。 つまり私たちのライフワーク。 30過ぎて 今までのように毎年必ず行ける保証は無くなってきた。 行けない時が来てもまた再開するだけのことなので 悲観的には思っていないけれど(それぞれの人生があるからね) 行けるときに行きたい場所に行っておかねばという気持ちで 今年は無理矢理時間をつくって、三泊四日の岩手旅へ出かけました。 岩手県はとにかく広い。 北海道に次いで広いらしいということを旅行雑誌で見たけれど たしかに 広い。 しかも県の真ん中に北上山地が悠々と広がっているので 内陸と沿岸の行き来もなかなか不便。 「あれも行きたい、これも見たい」と地図に丸をつけていくと もうどうにも 三泊はしないと回り切れないのでした。 (それでも泣く泣くあきらめた場所もあって、本当はあと二泊したかった) ・・・ 【1日目】 花巻空港から 寄り道しつつ盛岡へ。 道中の景色 家並 木々の様子がなんとも北国の雰囲気で 「思えば遠くへ来たもんだ」的旅情を醸してる。 岩手のラジオを聞きながら「ここ雪深いんだろうね」って 北陸では見かけない屋根の形を見ながら車を走らせました。 旅行って、もうこれだけで楽しいよね。 盛岡は明治・大正・昭和初期に建てられた建物がたくさん残っています。 登録有形文化財になっているものも もちろん多いけれど そこら辺の商店の建物さえも古くて可愛いかったり。 調べておいたもの以外にも、 迷子になっては古い建物を見つけ 散策し ホクホクの収穫がたくさんありました。 またその素敵な近代建築を ギャラリーやイベントスペースとして活用できるような建物も多く 市民に開かれた印象もありました。 いいなぁ、こうやって皆で大事に使って残していくの。 「県外の方でも使えますよ」っておっしゃっていたけれど さすがに岩手は遠いものね。 さて、盛岡のもう一つの楽しみは「光原社」さん。 宮沢賢治「注文の多い料理店」を出版した会社で 社名も宮沢賢治がつけたとか。今は民藝を取り扱っています。 私もうーちゃんも民芸品を見るのが大好き。 危ない匂いはしていたけれど ここで予想外の散財、幸せな買い物三昧のひと時を過ごしました。 (私は憧れの柚木さんのタペストリーを購入。) 盛岡で一泊。お宿は北ホテルです。 このお宿も民藝と関わりがあって、とっても心地よいお宿でした。 ロビーの佇まいが良かった。 【2日目】 雨。生憎すぎる雨。 相変わらず建物散策をし、前日に続きもう一度光原社さんを訪ね 雨の気配を伺いつつ うーちゃんが乗馬を楽しみにしていた小岩井農場へ。 小岩井農場に近づくにつれ雨脚は激しくなり 農場へ続く道中の両側に咲く満開のヒマワリもどこか空々しく おかげで空いていた牧場では 牧場らしい体験メニューはほとんど中止に。 そりゃこんな悪天候の中ではお馬も居心地悪かろう、仕方ないねと もう1つ楽しみにしていた 「重要文化財の建物ツアー」に参加したのだけど 生憎の雨がますます激しくなり バスの中から建物を眺める、とても消化不良なツアーになってしまいました。 寒すぎてソフトクリームもジェラートも新鮮な牛乳もスルー。 建物ツアーで聴いたガイドは興味深くて その農場の成り立ちに思いを馳せるのにはとっても良かったけれど それにしても、それにしても…! リベンジ誓いながら まあそれでも3時間ほど農場で過ごして その日はそのまま お宿のある久慈を目指したのでした。 久慈は岩手の北の方にある港町。 小岩井から2時間半(!)ほど車を走らせます。 深い深い山の道を進むと白樺と赤松の森。 ふと海女さんの看板が見えて 私の心は(激しく)盛り上がりました。 久慈駅前の商店街は お盆休みでシャッターが下りていたけれど どのお店も軒先で「送り火」を焚き、お盆最後の夜を過ごしています。 なんとなく大震災が心をよぎり、胸がギュッとなった。 お宿は民宿。盛岡よりもずっと強い訛りで女将さんが対応してくれる。 宿からすぐの居酒屋さんで、地もののお魚をたらふく頂いて 二日目の夜も更けました。 【3日目】 さて、もう3日目が私のメインと言っても過言ではありません。 だってこのために岩手に決めたんだもの! ねえ、もうお分かりでしょうけれど 北限の海女さんです。 久慈市にある「小袖海女センター」では 夏の間だけ 海女さんの実演を見ることができるのです。 数年前の某朝���ラ人気もあってか?それとも新鮮なウニが目当てなのか? いやいや私みたいに本気で海女さんが好きな人が意外とたくさんいるのか…? お盆の連休中というのもあって 観光客で賑わっていました。 岩手の海女さんの伝統的な磯着は 上は絣、下は白い木綿の短パン。 赤い帯をキュッとしめています。 海女の実演は海女見習いの若いお二人がされていました。 青緑に透き通る海に静かに潜り、どんどんウニを採ります。 感嘆のため息をもらしつつ、 作品の参考にしたくて、必死でシャッターを切り続けました。 海女センターの奥の方では、ウエットスーツに濡髪姿の いかにもベテランといった風情の方が淡々とウニをむいていて 憧れの視線を向けずにはいられません。 海女センター横で露天を出していたおばあちゃんに海女さんの話を聞いたり 海女にまつわるお土産物を買ったり 海女に興味のないうーちゃんには申し訳ないけれど 私には大満足の時間でした。 付き合ってくれてありがとうありがとう。 去年に引き続き今年も海女旅となってしまい、 きっと私と出会っていなかったらこんなに海女海女することなかったはずの うーちゃんの口から 「志摩の海女さんの磯着の方が私は好きだな」と聞いたときは なんか 何と言っていいか すごく嬉しかったです 笑 ありがとね、ほんとに。 その後はアイヌが住んでいたという北山崎の断崖を眺め、 海を離れて山の方に少し車を走らせ鍾乳洞へ行き、 地底湖の底知れぬ深さと水の透明度に感動。 また海に戻って 宮古という港町で一泊しました。 【4日目】 最終日です。 ここまで読んでくださってありがとうございます…! もう少しで終わるので しばしお付き合いください。 二人��もが楽しみにしていた浄土ヶ浜。 ジオパークになっていて 車で近づくことはできません。 駐車場に停めて少しだけ歩きます。 浄土ヶ浜ってね もうその圧倒的な海の透明度と 白い岩の景観が ほんとに、そのまますぎるほどに、浄土なんです。 (浄土見たことないけど) 親潮にのって吹いてくる少し冷たい風 白い小石が敷き詰められた浜辺を歩くと、シャラシャラと高い音。 静かな波に透ける小魚たち。 普段クールなうーちゃんが いきなりパンツを膝上までたくし上げて ザブザブと海に入りヤドカリ探しに没頭していました。 いつまでもいつまでも 眺めていたかった浄土ヶ浜。 でも帰らなければいけません。 強く後ろ髪をひかれつつ、岩手の浄土を後にしたのでした。 空港は花巻。 浄土ヶ浜からもっと南下して 釜石に少しだけ寄り道し ぐっと山道を運転して 無事 花巻空港に到着です。 浄土ヶ浜のある宮古から釜石までの道中は 海が見えないくらい高くそびえる防波堤があったり 災害遺産として敢えて残している、 グニャリと曲がった古い防波堤の一部があったり 一階部分だけが新しいホテルや 駅前そのものがまるっと新しくなった町 その津波の脅威の痕跡を見て また胸が痛んだのでした。 とても楽しい旅行だったけれど そんな景色を見て 災害のことを想って 心が忙しい4日間だった。 ・・・ 岩手旅から一週間が経とうとしている今 私の心に残る景色は とっぷりと深く豊かな山々と 赤松と白樺の森と 地底湖や海女が潜る海  それぞれの 青と緑。 そして近代建築の赤茶色。 浄土ヶ浜の白。 岩手の訛り。 ほんとうは遠野や花巻(宮沢賢治)もゆっくり散策したかったから いつかまたきっと きっとね、と 誰にともなく約束をして まだまだ旅の余韻に浸っています。 というわけで 2年ぶりの旅ブログ更新でした。 たいして参考にもならない いたって私的な旅日記 最後までお付き合いいただき ありがとうございました◎
0 notes
mashiroyami · 5 years
Text
Page 109 : 口止め
 キリにやってきてから一週間程が経ち、少しずつザナトアの元での生活に慣れ始めていた。  元々ウォルタでは弟と二人で暮らしていた。最低限の家事は手慣れており、家事全般を受け持つようになっていた。  一日目のような重労働は十分に出来ないけれど、決まった時間にポケモン達に餌を与えに向かう。目立つのは鳥ポケモンだけれど、他にもポケモン達が住んでいると知るのに時間はかからなかった。  晴れている日には広大な草原でひなたぼっこをしている陸上ポケモン達。身体を地面に埋めて頭の葉を茂らせ光合成に勤しんでいるナゾノクサはいつの間にかここで群を成している。ここらを住処とはしないが恐らくトレーナーに捨てられて保護したのだという外来種の黒いラッタは他のどんなポケモンよりも美味しそうに餌を頬張る。美味しい牛乳を分けてくれるから重宝しているというミルタンクはキリの農場の主人が亡くなって譲り受けたポケモンだという。  小屋からそう遠くないところには小さな林が茂り、その中に大きな池がある。水ポケモン達の楽園だ。山から引いてきた水が貯められ、トサキントやケイコウオといった魚型のポケモンが優雅に泳ぎ、コアルヒーはこの場所と卵屋を行き来している。同じようにこの周囲を自由に飛び回っているヒノヤコマは、この池に住むハスボーと仲が良いらしくしばしば一緒にいる場面を見かけた。清らかな水で洗練された池の端で暢気に見守るように、いつもヤドンはしっぽを水面からぶらさげている。  餌をばらまけばあっという間に食いついてくる様子をじっくりと眺めながら、アランは額の汗を拭う。秋の日差しは柔らかく吹き抜ける風は軽いが、身体は膨らんだ熱を帯びていた。ポケットに入れっぱなしにしている懐中時計を確認すれば、そろそろ次の予定時刻が迫ろうとしている。  薄い木陰に背中から寝転ぶと、草の匂いがこゆくなり、池から漂う独特の鬱蒼とした香りと混ざる。林の中にぽっかりと作られた人工の池は、そこだけ空洞となったように直接陽が入る。少し離れれば木陰があり、水の放つ涼感が疲弊した身体に沁みるのだ。  木の根本から声がする。アランは起き上がり、座らせていたアメモースを引き寄せ、代わりに自分の背を幹に預けた。  アメモースを出来るだけボールから出してやれと進言したのはザナトアだ。ボールの中はポケモンにとって安寧の空間だが、出来るだけアメモースとアランの接触を増やすことが主な目的だった。  彼等の間にある溝は浅くはない。しかし彼女が今アメモースのトレーナーである限り、溝を抱えていても関わりを断つわけにはいかないのだった。 「今日、エクトルさんにも会おうと思うんだ」  ぽつりと告げると、アメモースは静かに頷く。  もう一時間程したら、湖のほとりまで向かう公共バスが近辺を通る。最大の目的はアメモースを一度病院に連れて行くことだが、ザナトアからはいくらか買い物を頼まれている。そのついでにエクトルと再会する心積もりでいた。  昨晩ザナトアが自室に戻った際に電話をかけた。依然休暇は続いているらしく、都合はつけられるとのことだった。  ザナトアの家で世話になっている旨を話すと、少しだけ驚いた様子だったけれど、それきりだった。そしてザナトアには彼との約束を伝えていない。何事もなく夕食に間に合うようには帰るつもりでいるのだろう。  ざわめく木漏れ日の下で暫し身体を休めてから、アランはゆっくりと立ち上がる。軽くなった餌袋を左手に下げ、右手でアメモースを抱えると、元来た道を戻った。  荷物を倉庫に戻した帰路の途中でザナトアに出会う。傍にはエーフィとフカマル。紺色の頭上にヒノヤコマが乗っていた。数日一緒に過ごすうちに、ヒノヤコマが数あるポケモン達のリーダーで、フカマルは気に入られている弟分という関係性が見えつつあった。 「行くのかい」 「はい」  やや驚いたようなザナトアは、もうそんな時間か、と息を吐く。 「わかった。買ってきてほしいものはメモに書いたよ。机の上に置いてある。よろしく頼んだよ」 「はい。行ってきます」  曇った表情を浮かべるエーフィを宥めるようにアランは頭を優しく撫でる。 「仕事、頑張ってね」  そう言われれば、エーフィは見送る他無いのだった。  ザナトア達に別れを告げ、アランはリビングへと戻り、そのまま奥の廊下へ向かい途中の右の部屋へ入る。脱衣所となったそこでそそくさと着替える。全身が汗ばんでいたが流すほどの時間は無い。旅のために見繕った服をさっさと着込み、パーカーは暑いので腰に巻き上げる。小さな尻尾を作るように首下で結っていた髪を慣れた手つきで直したところで、薄い傷がついた鏡を見据える。緊張した表情を浮かべた少女が、昏い眼で見つめ返していた。  再度リビングへ帰ってくると、先ほどは横たわっていたブラッキーがゆっくりと起き上がる。 「大丈夫?」  声をかけると、黒獣は深く頷いた。  アメモースだけを連れて行くのは心許ない。だが、最近のブラッキーはやはり不調だった。ついでに診てもらえばいいというザナトアの助言を受けて医者の目を通してもらうつもりでいた。  ダイニングテーブルの上に置かれたリストに目を通し、二つのモンスターボールと共に鞄に仕舞う。  裏口から出て、表の方へと家の周囲を沿っていき長い階段を降り始める。一昨日降った長い雨で、気温がまた一段階下がって秋が深まったようだった。丘を彩る草原もゆっくりと褪せていき、正面の小麦畑からは香ばしい匂いが風に乗ってやってくる。  一番下まで降りて、トンネルの方へと歩いてすぐに古びたバス停にぶつかった。錆だらけで、時刻表も目をこらさなければ読めない程日に焼けてしまっていた。  脇にぴったりとついて離れないブラッキーは、今一目だけ窺えばなんの不足も無く凛と立っていた。昼夜問わず横たわる姿とは裏腹に。  予定到着時刻より数分遅れて、二十分ほど待ってやってきたバスに乗り込み、運ばれていく間車窓からの景色を覇気のない表情で眺めている。途中で乗り込む者も降りる者もおらず、車内はアランと二匹のみのまま町中へと進んでいった。  山道を下っていくと、やがて目が覚めるように視界が広がる。木々を抜けて、穏やかな湖が広がった。波は立っておらず、美しい青色をしていた。水は天候によって表情を変える。静寂に満ちている時もあれば、猛々しく荒れる時もあり、澄んだ色をしている時もあれば、黒く淀んでいる時もある。  駅前のバス停で降りると、そそくさと歩き出す。キリの町は比較的ポケモンとの交流が深いが、ブラッキーに向けられる好奇の視線からは避けられない。抱いているアメモースを庇うように前のめりで歩く。  町の飾り付けは先週訪れた時よりも活気づいている。豊作を祈る秋の祭。水神が指定するという晴天の吉日の催しを、当然のようにキリの民は心待ちにしている。  ザナトアに紹介された診療所はこじんまりとしていたが清潔で、感じの良さがあった。院長でもある獣医はザナトアの知���合いといって納得する、老齢を感じさせる外見だったが、屈託のない笑顔が印象的な人物だった。フラネで診察中に暴れた経験があるので身構えたが、忘れもしないフラネでの早朝の一件以来良くも悪くも取り乱さなくなったアメモースは終始大人しくしていた。傷口は着実に修復へ向かっていて、糸をとってもいいだろうと話された。大袈裟な包帯も外され、ガーゼをテープで固定するだけの簡素なものへと変わった。アメモースにとっても負担は減るだろう。  抜糸はさほど時間がかからないそうであり、その間にブラッキーを預け精密検査を受けさせた。モンスターボールに入れて専用の機械に読み込ませて十数分処理させるらしい。画像検査から生理学的検査まで一括で行える、ポケモンの素質としてモンスターボールに入れることで仮想的に電子化されるからこそできる芸当だが、アランにはその不思議はよく理解できない様子だった。彼女にとって大事なのは、ブラッキーに明らかな変化があるか否かだった。  結論から言えば、身体にはなんの異常も認められなかった。  本当ですか、と僅かに身を乗り出すアランは決して安堵していないようだった。収穫と言うべきかは迷うだろう。気味悪さに似たざらつきが残っているようだった。見えぬ場所で罅が入っているような違和感を拭いきれない。  ただ、抜糸を済ませたアメモースが少し浮かれた顔つきで、いつも垂れ下がっていた触覚がふわりふわりと動いている姿には、思わずアランも情愛を込めるように肌を撫でた。
 診療所を後にして、入り口付近で待っていたスーツ姿の男にすぐに気が付いた。待合室で二匹の処置を待っている間に連絡を入れていたのだった。 「案外、元気そうですね」  出会って早々、エクトルはそう告げた。 「そうですか?」 「以前お会いした際は見るに耐えない雰囲気でしたので」  はは、と苦笑する声がアランから出たが、表情は変わらない。  時刻は十五時を回ったところだ。夕食までには帰る必要があり、ザナトアから頼まれた買い物を済ませなければならない。とはいえ、頼まれているのは主に生鮮食品だ。そう時間はかからない。その旨を伝えると、 「では、お疲れのようですしお茶でも飲みましょうか」  無愛想な顔は変わらないが、落ち着き払った提案を素直にアランは受け取り、並んで歩き出した。 「アメモース、順調のようですね」 「なんとか」  腕の中で微睡んでいる様子は、エクトルと再会した頃の衰弱した状態と比較すれば目覚ましいほどに回復している。  そう、とアランは顔を上げる。 「ザナトアさんを紹介してくださって、ありがとうございました。今日はそのお礼を言いたかったんです」 「そう言えるということは、生活の方も順調でしょうか」 「……大変なことは多いですけど、少し慣れてきました」 「何よりです。失礼ながら、追い返されるだろうと」  アランは首を横に振る。 「皆のおかげなんです。私は全然。怒られるし、うまくいかないことばかりですし」 「追い出されなければ、十分うまくいっている方でしょう」  冷静な口ぶりには、お世辞ではなく実感を込めていた。  駅前近くの喧噪からやや離れて、住宅街に近付くほどに人の気配が少なくなる。低めに建てられた屋根でポッポが鳴いて、よく響く。無意識のうちに、アランの手は強張っていた。 「……キリに来たのは、アメモースをもう一度飛ばせるためだったんですけど」しんと目を伏せた先では、とうのアメモースがいる。「それについてはもう少し考えてみます」 「それがいいですよ」  すんなりと同意した。  アランはすいと顔を上げる。 「随分焦っていらっしゃるようだったので、安心致しました。一度立ち止まるのは、アメモースのためにも、ご自分のためにもなるのでは」  まじまじと見上げながら、少し間をとって、辛うじてアランは小さく頷いた。  会話が途切れ、不揃いな足音で町を進む。  真夏ほどではないとはいえ、日差しにあたれば薄らと汗が滲む。逆に日陰に入れば肌寒さが勝る。気温も徐々に低くなってきた。アランは腰に巻いたパーカーを羽織る。 「アイスクリームという時期でも無くなりましたね」  歩きながらぼんやりとした心地でエクトルは零す。 「あの時、エクトルさんいましたっけ」  エクトルの意図を掬い取ったのか、何気なく彼女は尋ねる。懐かしい思い出を語り出そうとするように。 「いえ。けどお嬢様から事の顛末は話していただいたので。あの時は失礼しました。驚かれたでしょう」 「そうですね……そうだった気もします」 「他に知る場所も殆どありませんから、仕方がありませんが。お嬢様はキリを知らない�� 「でも、生まれも育ちもキリですよね」 「お嬢様からクヴルール家の掟については話を聞いていますよね」  高圧的に刺され、アランは口を噤む。 「ここで生まれここで死ぬと定められていても、この町のことを何も知らずに生きていく。皮肉なものです」  まあ、と自嘲気味にエクトルの口許は僅かに上がる。 「私も殆ど知りませんがね。――綺麗な場所ではありませんが、どうぞ」  不意に立ち止まり、道の途中の喫茶店の扉が開けられる。彼自身は身体つきが逞しいが、恭しい礼と滑らかな所作は一つ一つが画になるような美しさがあった。促されたアランは思わず空いた口を締めて、二匹のポケモンをボールに戻すと、緊張した動きで通されるままに中へと入る。  古めかしい店内は奥に細長い造りとなっており、長いカウンターが伸びている。今は客が他にいないようだった。カウンターを挟んだ向こうの棚には、ずらりと並ぶコーヒーの他にワインやカクテルの瓶が立ち並び、夜にはバーに変わるのだろう。まだ酒と縁遠いアランには関係の無い話だが。シックな内装に見とれるように、入り口で立ち止まったまま動かなかった。 「ここで立ち止まられても邪魔になります。奥へお進みください」  後ろから静かに囁かれ、慌てて奥へと進む。カウンターに立つのは外見の妙齢な男で、知人なのか、エクトルを見やるとまず目を丸くして、続けざまに気軽な雰囲気で手を挙げた。  カウンター席の更に奥は小さなスペースがあり、二人掛けのテーブルが二つだけある。いずれも空席だったので適当に右側を陣取ると、店員はにやつきながら、店員は水の入ったグラスを二人に差し出す。 「これはまた随分久しぶりだな。元気か? 油を売っていていい身分になったのか?」 「身分は変わりませんが、少々暇を頂きましたので顔を出すついでにと。クレアライト様、コーヒーはお飲みになれますか」 「えっと」  唐突に尋ねられ惑っていると、店員が笑う。 「なあんだ、子供かと思ったら違うのか、つまらんな。うちのコーヒーは美味いぞお」 「彼の仰ることはお気になさらず。好きなものをお選びください」  けらけらと肩で笑う店員を真顔で無視し、エクトルはメニューを差し出した。整然と並ぶドリンクの数々に目を泳がせながら、ミルクティーを選んだ。茶葉の種類は見当がつかないので、適当にお勧めを貰う。  店員が姿をカウンターの奥に消すと、エクトルは小さく息を吐いた。 「彼に代わって失礼をお詫び申し上げます。軽率な人間ではありますが口は堅いのでその点はご安心ください」 「はあ……」  アランが恐縮していると、エクトルは彼にしては幾分弛緩した雰囲気で水を含んだ。  どことなく緊張しながら室内を軽く見回す。カウンターをはじめ物は深い茶色で統制され、落ち着いたクリーム色をした漆喰の壁と似合っている。お世辞にも広いとは言えない限られたスペースだが、それがかえって隠れ家のような秘密裏な雰囲気を連想させた。細部まで店主の拘りが感じ取られる。ささやかなジャズ音楽が流れ、がらんとしていてもどこか寂しくはない空気感だった。 「お洒落な雰囲気ですね」 「創業者のセンスが良いんです」  ぽつりぽつりと言葉を交わすばかりで、会話はうまく繋がらない。沈黙の時間を多く過ごしているうちに、コーヒーと紅茶が一つずつ運ばれてきた。 「少女趣味だったっけ」  テーブルに置いて、一言。硬直したエクトルが、深い溜息を返す。 「ご冗談でもやめていただけませんか。彼女に失礼です。知り合い以上の何者でもありません」 「知り合いねえ」  アランは探るような目をしている彼の胸元を軽く見やる。白いシャツに黒いベストを羽織り、馴染んでいるような黒い名札には白文字の走り書きでアシザワと記されている。アーレイスでは聞き慣れない音感だった。 「しかし、あのお嬢さんはどうした。お付きがこんな所にいて女子と茶をしばいて噂になっても文句は言えねえな。しかもこの年の差はまずい」 「馬鹿馬鹿しいことを。そんな発想になるのは貴方くらいなものですよ。お嬢様は先日無事ご成人されて、私の役目は終わりました」 「ご成人」彼は目を丸くする。「いつのまにそんな時期になっていたっけか。あんなに可愛らしかった子がねえ、早いもんだ。美人に育ったんだろうなあ」  あっけらかんとした物言いにエクトルは返す言葉も無いように首を振る。 「貴方はそればかりですね。頭の固い他の関係者だったら――」 「あ、なんでも色目で見てると思うなよ。これでも話す相手は選んでるんだ。大体こんな噂話くらいどこでも立つだろうが。それより」  アシザワは前のめりになる。秘密の話でもしようとするような雰囲気だが、彼等の他に人はおらず、少々滑稽だった。 「役目は終わった。つまり、あのお嬢さんのお目付役が終わったってことか?」 「それが何か」  へえ、とアシザワは感心したような表情を浮かべる。 「良かったじゃないか。念願が叶って」  アランは顔を上げる。  正面に座るエクトルは静かにコーヒーに口をつけ、熱の籠もった溜息を吐き出す。 「もういいでしょう」  話を無理矢理切り上げるように一言零す。アシザワは明らかに変容した空気を察したようにアランを一瞥し、頷いた。 「悪い悪い。じゃ、ごゆっくりお過ごしください」  とってつけたように軽く会釈をすると、アシザワは足早にその場を去って行った。  小さな喧噪が終わり、後には気まずい空気が吹きだまりとなって残った。 「口が堅い、を訂正すべきですね」  溜息まじりにエクトルは言い、黒々と香りを浮かばせるコーヒーを飲む。アランもつられるように紅茶を飲んで、その後思い出したようにミルクを入れた。透明な飴色に細い白が混ざり、瞬く間に濁っていく。 「聞きたいことがあれば、答えられる範囲で応じますが」 「……いくつか」 「どうぞ」 「念願が叶ったというのは」  エクトルは思わず口許を緩ませる。誤魔化すような笑い方だった。 「本当に口が軽いことです」 「離れたかったんですか。クラリスから」 「そう簡単な話ではありません。温度差を感じる程度には、彼とも長く会っていません。確かに昔は嫌になったこともありましたが」  エクトルは目を伏せる。 「湖上でお嬢様を呼んでいた、貴方とは真逆ですね」  栗色の瞳が大きくなる。  その名を何度叫んだだろう。寂しさと怒りの混ざった感情を爆発させ、銀の鳥に跨がって、朝の日差しに照らされた湖上で喉が嗄れても呼び続けた。朝に読んだ手紙と、あっけない別れを受け入れられずに無我夢中で走り出した夏の終わりの出来事は、彼女の記憶にもまだ新しいはずである。 「クラリスに聞こえていたんですか」 「いいえ」  間伐入れぬ即答に、アランは押し黙る。 「クヴルールの中心には誰も届かない。あの日お嬢様の耳に入っていたのは風の音のみ。私も後ほど知りました。湖上にエアームドと少女の姿があったと」  一呼吸置く間に流れる沈黙は、重い。 「やはり貴方だったんですね」  確信ではなかったが、彼にとっては確信に等しかったのだろう。エクトルですら今まで真相を知らなかったのなら、クラリスが知るはずもない。  アランは俯き、力無く肯いた。 「……神域に繋がる湖畔を守るように風の壁を施しています。ポケモンの技ですがね。誰も近付けぬように。キリの民は誰もが当たり前に知っていることです」 「そう……初めから届くはずがなかったんですね」  言葉に沈痛なものを感じたエクトルは黙り込み、重々しく肯いた。 「まさか、たったあの二日で、そこまでお嬢様に入れ込む方ができるとは考えもしませんでした。申し訳ございません」 「どうして謝るんですか」  決して怒りではない、純粋な疑問をぶつけるようにアランは問いかける。 「私が中途半端にお嬢様を許してしまったがために、無闇に無関係の貴方を危険に曝しました」 「違います。あれは私が勝手にやったことです」 「そう。貴方がご自分でそうされました。想像ができなかった。キリを知らず偶然立ち寄っただけ、それも訳のありそうな旅人なら何を告げたところで深く干渉はしてこないだろうと」  アランは眉根をきつく寄せる。 「何を言いたいんですか」  突き放すように言うと、エクトルは薄く笑った。 「見誤っておりました」  店内の音楽が切れ、本当の沈黙が僅かの間に訪れる。 「噺人は成人すれば完全に外界との関係を断ち、全てを家と水神様に捧げ、自由は許されない。クヴルール家の掟は他言無用。とりわけ未来予知、消耗品のように使い捨てられ続けてきたネイティオの件は禁忌。公となれば、いくらクヴルールとはいえ只では済まないでしょう。愛鳥を掲げる町ですから、尚更。それを他者に教えるなど、いくらキリの民でなくとも許されない。今回の件を他のクヴルールの者が知れば、お嬢様は代用のきかない立場ですので考慮はされるでしょうが、私の首は飛ぶでしょう」  アランは息を詰める。 「つまり、クラリスの元を離れたというのは」 「ああ」エクトルは軽く首を振る。「それとは関係ありません。このことを知る者はクヴルールで私とお嬢様の他にはおりません。先ほども言ったでしょう、役目を終えただけです。もし知られていれば、私は今ここにいませんよ」  平然と言ってのけるが、アランは一瞬言葉を失う。 「そんな恐ろしい口封じをする家なんですか」  直接的には言葉にしていないが、首が飛ぶとは形容でなく、言葉そのものの意味を示すのだというニュアンスを含めているのだとアランは嗅ぎ取っているようだった。  エクトルは短い沈黙を置く。 「程度によりますが。強い力を持てば、手は汚れるものです」  諦観を滲ませ悟ったように呟き、続ける。 「アシザワ……先程の店員に、貴方がお嬢様のご友人だということを伏せたのも念のためです。彼はキリの事情には驚くほど無関心ですがね」 「そんなことも?」 「本来、彼女は外界に関係性を持ってはいけない存在ですから」  また長い沈黙が流れていく。  場を持て余すようにエクトルがコーヒーを飲むのを冷めた表情でアランは見守る。 「口止めをしたいということですか」  エクトルの動きが止まる。 「それならそうと、はっきり言えばいいじゃないですか」 「口止め……そうですね。そう言っても良い」  アランの唇が引き締まった。 「貴方も、暫くキリに留まるつもりなら言葉は選んだ方が良いでしょう。これは警告です」 「だったら」  声が僅かに震えていた。 「初めからクラリスに何も言わせなければ良かったでしょう。外に関係を持つなと言っておきながら、学校に通わせたり……中途半端に許したということは、そもそもクラリスを止めることも出来たということですよね。何を今更」 「言ったでしょう、軽率だったと」  刺すように言い放つ。 「判断を誤ったのは私の責任です。だから出来る限りの協力は致します」 「ザナトアさんを紹介したのも、だからなんですね」  虚を衝かれたエクトルだったが、表情には出さない。ザナトアの存在は、彼にとって苦みのある、できるだけ触れたくない部分ではあった。 「クラリスの約束だけではなく。気が進まなかったけれど協力してくださった理由は、それですか。手は貸すから、余計なことは言うなと」 「一つは、確かに」  アランの唇が僅かに歪む。 「……これも、この時間も、口止めのつもりだと」  言いながら、手元のカップの縁をなぞる。  どこまでも深い黒い視線はあくまで凪いでいた。軽く首を振る。 「あまり警戒を強くされないでください。貴方は私を利用し、何事も無かったように過ごせばいいのです。ただ、一つ覚えておいて頂きたいのは」  強まった語気にアランは身を正す。 「私は貴方の身と、お嬢様の身を案じているのです」  辻褄合わせのように吐き出される言葉達に、アランは表情を変えなかった。  暫しの沈黙の間に、細い指先が持ち手を強く握り、また和らぐ。長い息と共に一口、渦巻いているだろう感情諸共流し込んで、温もった甘みのある吐息が小さく零れた。 「わかりました」  凜と言い放つ。  その直後のことだ。アランの顔が不意に、微笑んだ。  首都で訣別として笑いかけてから、意識していても強ばったまま動かなかった頬が解れた。凍っていた表情が溶けて、ふわりとした綿のように優しい微笑みが咲く。 「わかりました」  繰り返す。言い聞かせるように、或いは強調するように、しかし今度は随分と和らいだ口調だった。同じ言葉でありながら、全く色の異なる声を使っている。 「エクトルさんは、甘い人なんですね」  エクトルの肌が強張る。 「あの子、言ってました。本当は優しい人なんだって。その意味をちゃんと理解した気がします。……クラリスの望みをできるだけ叶えようとしてたんじゃないですか」 「クレアライト様、それは違う」 「エクトルさん」  咄嗟にエクトルは息を呑んだ。  ただ名前を呼ばれただけなのに、今までで最も意志の強い声だとエクトルは思った。有無を言わさず黙り込ませるだけの強い声。 「丁度良かったんです。私、クレアライトは捨ててるんです」 「……はい?」  僅かに動揺するエクトルとは対照的に、にこやかな顔を彼女は崩さない。 「クラリスと友達になり秘密を知ったラーナー・クレアライトはキリに居ない。そんな人間はここにいない――丸く収まりますよね」 「何を……」 「アラン。アラン・オルコット。今はそう名乗っています」静かに頷く。「これで踏ん切りがつきました」  驚きを隠さぬ顔で、エクトルは妙にさっぱりと笑うアランを凝視した。 < index >
0 notes
tsuntsun1221ts · 4 years
Text
2020.08 高妻山
1日目から続く
長野駅0700発のバスに乗り、終点の戸隠キャ��プ場へ向かう(1550円)。日帰りで長野駅に戻ってくるなら500円くらいお得な往復券(当日のみ)がある。それ以外に5日間?利用可能な乗り放題みたいなチケットも3200円くらいで販売されていた。
乗ったのは6人くらいだが、最後まで乗ってたのは自分含めて2人だけ。道中は有名な善光寺やら中社、奥社などの観光スポットがあるのでだいたいそこで下車していく。
また高妻山は長丁場になるので、長野からバスで来るよりかは麓のキャンプ場や周辺の宿に前泊して早く出発するのがおすすめ。気温が高くなる前に登れるし。  
Tumblr media
キャンプ場からは3日目に登る戸隠山がよく見える。
【コースタイム】戸隠キャンプ場(0820)→登山道入口 (0840)→滑滝 (0915)→帯岩 (0920)→氷清水 (0925)→避難小屋 (0945)→五地蔵山(1030)→六弥勒 (1035)→九勢至 (1115)→山頂 (1205)→休憩・出発 (1235)→ 九勢至(1305)→六弥勒 (1335)→弥勒新道入口 (1435)→戸隠キャンプ場 (1455)
Tumblr media
まずはキャンプ場すぐとなりの牧場に入り登山道へ向かう。
Tumblr media
しばらく進むと登山道入口、家畜は先に侵入んできないように柵が設置され、それ以外は有刺鉄線が張られている。  
Tumblr media
まずはそこそこの傾斜だがまだ問題ない。風が通らず暑いが、沢が流れているのでまだマシか。必要に応じて身体を冷やすことは可能だが、場所を選ばないとよどみで汚染されているかも。
Tumblr media
有名な沢の鎖場「滑滝」、斜度は30-45度くらい。右に設置されている鎖を頼りにして登っていくが、そんなに危険ではない。滑らないように注意。
Tumblr media
滑滝を超えると次にのっぺりした斜面のトラバース「帯岩」となる。足場はちゃんとあるので、見た目ほどに怖くはない。
Tumblr media
さらに上流へ進むと沢の水量が減ってくる。
Tumblr media
おそらく唯一の水場、冷たい。
Tumblr media
登山道入り口から約1時間で稜線上にある避難小屋に到着。稜線まで登ったからしばらくは気持ちのいい縦走になるかと思いきや全然そんなことはなく、進む方向はまだ急登が続く。
Tumblr media
避難小屋からの急登は約10分で登りきった。沢の道もきつかったが、それを登りきってまたきつい道は体に応える(しかし、高妻山山頂へはこれをあと3~4回繰り返すくらいの体力が必要)。ようやく視界が晴れて平坦な道となる。
Tumblr media
下には牧場が見えるが、短時間でかなり高度を稼いできたのがわかる。そこからある程度のアップダウンはあるが、今までの道と比べたら全くもってラク。
Tumblr media
またここは修行の山で、途中に祠のようなものがいくつも置いてある。一不動(避難小屋)から始まり、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵山、六弥勒、七薬師、八観音、九勢至、十阿弥陀(高妻山山頂付近)。
Tumblr media
このうち六弥勒に高妻山方面と牧場への下山ルート(弥勒新道)の分岐がある。一不動(避難小屋)から六弥勒までは約1時間かかった。
Tumblr media
六弥勒以降も稜線を歩くのだが、なかなか森林限界を突破せず風が悪いのは相変わらず、しかもアップダウンが激しい。標準時間だと山頂まではまだ2時間もかかるとのことで、こんな道があと2時間とかたまったもんじゃない。六弥勒の時点で結構疲れたが、この暑さで果たして大丈夫か?水は沢の水浴びたので節約できたが・・・。
Tumblr media
左を向くとやや雲に隠れた戸隠山が見える。明日はあちらに登る予定。健脚者であれば一日のうちに戸隠山と高妻山を登ることも可能だが、10時間ほどかかるので早朝出発に限られる。そしてこの天候ではそれをやる気には絶対になれない。
Tumblr media
約40分をかけて六弥勒からの激しいアップダウを通過し九勢至に到着。ここからはどっしりと構えた山頂がよく見える。山頂とっつきまでは平和な道に、ガスが晴れて山頂が見えてきた。写真では分かりづらいが、山頂までまだかなりの距離があり(50分かかった)、山頂直下の斜面がこれまた急。
Tumblr media
六弥勒から40分かけて通過してきた稜線。雲で一部隠れているが、小さな峰々が連なっており、それを律儀に一つ一つ越していくため、前述のとおり激しいアップダウンの連続となる。
Tumblr media
九勢至から山頂とっつき部までは平和な平坦道なのだが・・・山頂直下からは凶悪な道となる。これまで急登をいくつも攻略し、また幾度となくアップダウンを繰り返して体力をかなり消耗してきたのに、最後の最後まで急登(しかも本日一番)である。一部ロープあり、岩登りあり。ここまで3時間歩いてきたのに、山頂まではぼぼ休まる場所はない、とんでもない山だ、完全に殺しに来てる。
Tumblr media
更にたちが悪いことに、 2回ほど山頂だと騙された。1回目はひどい急登を登りきり穏やかな道になったとき(写真)。
Tumblr media
2回目は十阿弥陀に到着したとき。ここが山頂じゃないんかい!
Tumblr media
十阿弥陀から山頂は金峰山頂周辺のように大きな岩がゴロゴロしていて、その上を歩いていく。
Tumblr media
登山口から約3時間半でようやく山頂に到着。自分はペース早い方なので、一般コースタイムだと4~5時間はかかる。この山は大変すぎる、
Tumblr media
この苦労の末に山頂からの景色はあまり良くなく、たまにガスが晴れて北アルプス方面だけ見えるが、それでも視界は近場まで。
Tumblr media
たまに乙妻山が見える程度。
Tumblr media
なぜか真上だけ晴れていて太陽の日差しがすごくいやらしい。風もそんなに吹かず、岩の上に座っているので岩からも熱が伝わってくる。・・・雨に降られる予報だったから晴れているだけまだましか?いやー降られたほうが良かったかもな、とにかく暑い。さすがに疲れたので山頂で昼食をとって休むが、とはいえ暑いのでそこまで長居もできない(景色も良くないし)。なんだかんだ30分ほど休憩して下山する。
Tumblr media
傾斜が強いので下りは慎重に。
Tumblr media
山頂直下の凶悪な傾斜の道を下りきり、九勢至までの平和な道を堪能する。北から雲が迫ってきているが、稜線が雲をせき止めているので南はキレイに晴れている。暑いから雲の中に入りたいのに!九勢至から六弥勒までは再びアップダウンがあるものの、全体的に下っていくので下山時のほうがラク。登りでは1時間半かかった山頂から六弥勒までの道も、下山では約1時間と短縮された。
Tumblr media
六弥勒からは弥勒新道を使って牧場まで下山する。ずっと樹林帯なので風はまず通らないが、急登と言えるものはほとんど無く、しかもずっと土の道でクッション性があり足に優しい。基本的に景色は無いが、ところどころで眼下に広がる牧場と、飯縄山(今日はガスって裾野しか見えないけど)が進行方向に見えるあたり、下山での利用はオススメ。逆に登りでは・・・今日みたいに暑い日には沢の道がいいな。
Tumblr media
弥勒新道を約1時間かけてひたすら下り、牧場に出て、下山完了!あとはキャンプ場までのどかな牧草地を歩くのみ。
Tumblr media
夏を感じる一枚。牧草地のほうが遮るものが何もなくて風通しが良い。この景色も相まって気持ちがいい。
Tumblr media
約20分で戸隠牧場に到着。
Tumblr media
ちょうどこの時間は馬への餌やりの時間だったようで、大量の干し草をトラックの荷台から牧場の人が馬に与えていた。
Tumblr media
羊とヤギにもエサをあげていたのだが、羊が「うんめー!」ってハッキリ喋ってたのが笑えた。
Tumblr media
せっかくなので牧場の牛乳を飲んだが、すごく美味しい!甘くないソフトクリームみたいな感じで、牛乳ってこんなに味あったっけ?これ飲んだら市販の牛乳飲めなくなる。
Tumblr media
翌日はまたここへ来て戸隠山へ登るため、わざわざバスで1時間かけて長野へ戻ることはせず、キャンプ場からバスで10分くらいの旅館に宿泊した。高山坊という、140年の歴史がある古い旅館で、昭和あたりから時が止まってそうな感じなんだけど、ちゃんとWiFiが飛んでるしトイレもウォシュレットである。そして驚くべきことに本日の宿泊者は自分1人だけで貸切なんだと!コロナの影響で客足は少ないそうだが、それでも昨日は割と人がいたので偶然らしい。おかげさまで夜ご飯も朝ご飯も時間は自分が決めてよく、しかも翌日は戸隠山の登山口まで車で送ってくれるとのこと。女風呂なら24時間やってるから今日はそっち入ってくれと言われ、いないはずの女性客と鉢合わせしないかと若干ドキドキしながら本日の汗を流した。
Tumblr media
夕食メニューの信州そばも、本来なら1口分しか出てこないのが、サービスで1人前やってきた(ホントなら1000円追加して一人前が出てくるらしい)。実際に祭壇に捧げられていた御神酒もいただける(これは特別サービスではなく、希望する人全員に)。普通のお酒とは味が全然異なり、すごく薄い。・・・ただ、やはり広い食堂に自分ひとりだけというのはちょっと淋しいな。長野県産の食材にこだわっているとのこと。これで1泊1万くらいなのが、GoToキャンペーンの割引で7千円台であった。ビジネスホテル並の値段とは感動。
昼間は暑いがさすがに夜は冷房無しでも涼しい。遠くの空で雷がたくさん光っており、部屋のテレビでは気象速報で長野県内で大雨やら洪水警報やら何度も出てくる。10時くらいに就寝。
本日の高妻山だが、登りは沢の道で下山時は弥勒新道がオススメ。長丁場だし、急登やアップダウンの連続になるのでとにかく体力勝負である。通常コースタイムだと9~10時間くらいはかかるので、水不足や体力不足に陥らないためにも、いつもよりも水や行動食を多めに持ったほうが良いい。正直、夏にはもう2度と登りたくはない(昨日の雨飾山もだが)。紅葉の秋は人気があるらしいね。
3日目に続く
0 notes
nyantria · 7 years
Quote
* 秋元寿恵 東京帝大出身の血清学者     1984年12月の証言 部隊に着任して人体実験のことを知った時は非常にショックを受けました。 あそこにいた科学者たちで良心の呵責を感じている者はほとんどいませんでした。 彼らは囚人たちを動物のように扱っていました。 ・・・・死にゆく過程で医学の発展に貢献できるなら名誉の死となると考えていたわけです。 私の仕事には人体実験は関係していませんでしたが、私は恐れおののいてしまいました。 私は所属部の部長である菊地少将に3回も4回も辞表を出しました。 しかしあそこから抜け出すことは出来ませんでした。 もし出て行こうとするならば秘かに処刑されると脅されました。 * 鎌田信雄 731部隊少年隊 1923年生      1995年10月 証言 私は石井部隊長の発案で集められた「まぼろしの少年隊1期生」でした。 注: 正式な1期から4期まではこの後に組織された 総勢22~23人だったと思います。 平房の本部では朝8時から午後2時までぶっ通しで一般教養、外国語、衛生学などを勉強させられ、 3時間しか寝られないほどでした。 午後は隊員の助手をやりました。 2年半の教育が終ったときは、昭和14年7月でした。 その後、ある細菌増殖を研究する班に所属しました。 平房からハルビンに中国語を習いに行きましたが、その時白華寮(731部隊の秘密連絡所)に立ち寄りました ・・・・200部隊(731部隊の支隊・馬疫研究所)では、実験用のネズミを30万匹買い付けました。 ハルビン市北方の郊外に毒ガス実験場が何ケ所かあって、 安達実験場の隣に山を背景にした実験場があり、そこでの生体実験に立ち合ったことがあります。 安達には2回行ったことがありますが、1~2日おきに何らかの実験をしていました。 20~30人のマルタが木柱に後手に縛られていて、毒ガスボンベの栓が開きました。 その日は関東軍のお偉方がたくさん視察に来ていました。 竹田宮(天皇の従兄弟)も来ていました。 気象班が1週間以上も前から風向きや天候を調べていて大丈夫だということでしたが、 風向きが変わり、ガスがこちら側に流れてきて、あわてて逃げたこともあります ・・・・ホルマリン漬けの人体標本もたくさんつくりました。 全身のものもあれば頭や手足だけ、内臓などおびただしい数の標本が並べてありました。 初めてその部屋に入ったときには気持ちが悪くなって、何日か食事もできないほどでした。 しかし、すぐに慣れてしまいましたが、赤ん坊や子供の標本もありました ・・・・全身標本にはマルタの国籍、性別、年齢、死亡日時が書いてありましたが、 名前は書いてありませんでした。 中国人、ロシア人、朝鮮族の他にイギリス人、アメリカ人、フランス人と書いてあるのもありました。 これはここで解剖されたのか、他の支部から送られてきたものなのかはわかりません。 ヨーロッパでガラス細工の勉強をして来た人がピペットやシャ-レを造っていて、 ホルマリン漬けをいれるコルペもつくっていました。 731部隊には、子どももいました。 私は屋上から何度も、中庭で足かせをはめられたままで運動している“マルタ”を見たことがあります。 1939年の春頃のことだったと思いますが、3組の母子の“マルタ”を見ました。 1組は中国人の女が女の赤ちゃんを抱いていました。 もう1組は白系ロシア人の女と、4~5歳の女の子、 そしてもう1組は、これも白系ロシアの女で,6~7歳の男の子がそばにいました ・・・・見学という形で解剖に立ち合ったことがあります。 解剖後に取り出した内臓を入れた血だらけのバケツを運ぶなどの仕事を手伝いました。 それを経験してから1度だけでしたが、メスを持たされたことがありました。 “マルタ”の首の喉ぼとけの下からまっすぐに下にメスを入れて胸を開くのです。 これは簡単なのでだれにでもできるためやらされたのですが、 それからは解剖専門の人が細かくメスを入れていきました。 正確なデータを得るためには、できるだけ“マルタ”を普通の状態で解剖するのが望ましいわけです。 通常はクロロホルムなどの麻酔で眠らせておいてから解剖するのですが、 このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、 意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。 はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。 臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。 他の班では、コレラ菌やチフス菌をスイカや麦の種子に植えつけて栽培し、 どのくらい毒性が残るかを研究していたところもあります。 菌に侵された種を敵地に撒くための研究だと聞きました。 片道分の燃料しか積まずに敵に体当りして死んだ特攻隊員は、天皇から頂く恩賜の酒を飲んで出撃しました。 731部隊のある人から、「あの酒には覚醒剤が入っており、部隊で開発したものだ」と聞きました ・・・・部隊には,入れかわり立ちかわり日本全国から医者の先生方がやってきて、 自分たちが研究したり、部隊の研究の指導をしたりしていました。 今の岩手医大の学長を勤めたこともある医者も、細菌学の研究のために部隊にきていました。 チフス、コレラ、赤痢などの研究では日本でも屈指の人物です。 私が解剖学を教わった石川太刀雄丸先生は、戦後金沢大学医学部の主任教授になった人物です。 チフス菌とかコレラ菌とかを低空を飛ぶ飛行機からばらまくのが「雨下」という実験でした。 航空班の人と、その細菌を扱うことができる者が飛行機に乗り込んで、村など人のいるところへ細菌をまきます。 その後どのような効果があったか調査に入りました。 ペスト菌は、ノミを介しているので陶器爆弾を使いました。 当初は陶器爆弾ではなく、ガラス爆弾が使われましたが、ガラスはだめでした。 ・・・・ペストに感染したネズミ1匹にノミを600グラム、だいたい3000~6000匹たからせて落とすと、 ノミが地上に散らばるというやり方です ・・・・ベトナム戦争で使った枯葉剤の主剤は、ダイオキシンです。 もちろん731部隊でもダイオキシンの基礎研究をやっていました。 アメリカは、この研究成果をもって行って使いました。 朝鮮戦争のときは石井部隊の医師達が朝鮮に行って、 この効果などを調べているのですが、このことは絶対に誰も話さないと思います。 アメリカが朝鮮で細菌兵器を使って自分の軍隊を防衛できなくなると困るので連れて行ったのです。 1940年に新京でペストが大流行したことがありました。(注:731部隊がやったと言われている) ・・・・そのとき隊長の命令で、ペストで死んで埋められていた死体を掘り出して、 肺や肝臓などを取り出して標本にし、本部に持って帰ったこともありました。 各車両部隊から使役に来ていた人たちに掘らせ、メスで死体の胸を割って 肺、肝臓、腎臓をとってシャ-レの培地に塗る、 明らかにペストにかかっているとわかる死体の臓器をまるまる持っていったこともあります。 私にとっては、これが1番いやなことでした。人の墓をあばくのですから・・・・ * 匿名 731部隊少佐 薬学専門家 1981年11月27日 毎日新聞に掲載されたインタビュ-から 昭和17年4月、731と516両部隊がソ満国境近くの都市ハイラル郊外の草原で3日間、合同実験をした。 「丸太」と呼ばれた囚人約100人が使われ、4つのトーチカに1回2,3人ずつが入れられた。 防毒マスクの将校が、液体青酸をびんに詰めた「茶びん」と呼ぶ毒ガス弾をトーチカ内に投げ、 窒息性ガスのホスゲンをボンベから放射した。 「丸太」にはあらかじめ心臓の動きや脈拍を見るため体にコードをつけ、 約50メ-トル離れた机の上に置いた心電図の計器などで、「死に至る体の変化」を記録した。 死が確認されると将校たちは、毒ガス残留を調べる試験紙を手にトーチカに近づき、死体を引きずり出した。 1回の実験で死ななかった者にはもう1回実験を繰り返し、全員を殺した。 死体はすべて近くに張ったテントの中で解剖した。 「丸太」の中に68歳の中国人の男性がいた。 この人は731部隊内でペスト菌を注射されたが、死ななかったので毒ガス実験に連れて来られた。 ホスゲンを浴びせても死なず、ある軍医が血管に空気を注射した。 すぐに死ぬと思われたが、死なないのでかなり太い注射器でさらに空気を入れた。 それでも生き続け、最後は木に首を吊って殺した。 この人の死体を解剖すると、内臓が若者のようだったので、軍医たちが驚きの声を上げたのを覚えている。 昭和17年当時、部隊の監獄に白系ロシア人の婦人5人がいた。 佐官級の陸軍技師(吉村寿人?)は箱状の冷凍装置の中に彼女等の手を突っ込ませ、 マイナス10度から同70度まで順々に温度を下げ、凍傷になっていく状況を調べた。 婦人たちの手は肉が落ち、骨が見えた。 婦人の1人は監獄内で子供を産んだが、その子もこの実験に使われた。 その後しばらくして監獄をのぞいたが、5人の婦人と子供の姿は見えなくなっていた。 死んだのだと思う。 * 山内豊紀  証言  1951年11月4日   中国档案館他編「人体実験」 われわれ研究室の小窓から、寒い冬の日に実験を受けている人がみえた。 吉村博士は6名の中国人に一定の負荷を背負わせ、一定の時間内に一定の距離を往復させ、 どんなに寒くても夏服しか着用させなかった。 みていると彼らは日ましに痩せ衰え、徐々に凍傷に冒されて、一人ひとり減っていった。 * 秦正  自筆供述書   1954年9月7日  中国档案館他編「人体実験」 私はこの文献にもとづいて第一部吉村技師をそそのかし、残酷な実験を行わせた。 1944年冬、彼は出産まもないソ連人女性愛国者に対して凍傷実験を行った。 まず手の指を水槽に浸してから、外に連れだして寒気の中にさらし、激痛から組織凍傷にまでいたらしめた。 これは凍傷病態生理学の実験で、その上で様々な温度の温水を使って「治療」を施した。 日を改めてこれをくり返し実施した結果、その指はとうとう壊死して脱落してしまった。 (このことは、冬期凍傷における手指の具体的な変化の様子を描くよう命じられた画家から聞いた) その他、ソ連人青年1名も同様の実験に使われた。 *上田弥太郎 供述書  731部隊の研究者   1953年11月11日  中国档案館他編「人体実験」 1943年4月上旬、7・8号棟で体温を測っていたとき中国人の叫び声が聞こえたので、すぐに見に行った。 すると、警備班員2名、凍傷班員3名が、氷水を入れた桶に1人の中国人の手を浸し、 一定の時間が経過してから取り出した手を、こんどは小型扇風機の風にあてていて、 被実験者は痛みで床に倒れて叫び声をあげていた。 残酷な凍傷実験を行っていたのである。 * 上田弥太郎   731部隊の研究者 中国人民抗日戦争記念館所蔵の証言 ・・・・すでに立ち上がることさえできない彼の足には、依然として重い足かせがくいこんで、 足を動かすたびにチャラチャラと鈍い鉄の触れ合う音をたてる ・・・・外では拳銃をぶら下げたものものしい警備員が監視の目をひからせており、警備司令も覗いている。 しかし誰一人としてこの断末魔の叫びを気にとめようともしない。 こうしたことは毎日の出来事であり、別に珍しいものではない。 警備員は、ただこの中にいる200名くらいの中国人が素直に殺されること、 殺されるのに反抗しないこと、よりよきモルモット代用となることを監視すればよいのだ ・・・・ここに押し込められている人々は、すでに人間として何一つ権利がない。 彼らはこの中に入れば、その名前はアラビア数字の番号とマルタという名前に変わるのだ。 私たちはマルタ何本と呼んでいる。 そのマルタOOO号、彼がいつどこからどのようにしてここに来たかはわからない。 * 篠塚良雄     731部隊少年隊   1923年生    1994年10月証言から ・・・・1939年4月1日、「陸軍軍医学校防疫研究室に集まれ」という指示を受けました ・・・・5月12日中国の平房に転属になりました ・・・・731部隊本部に着いて、まず目に入ったのは 「関東軍司令官の許可なき者は何人といえども立入りを禁ず」と書かれた立て看板でした。 建物の回りには壕が掘られ鉄条網が張り巡らされていました。 「夜になると高圧電流が流されるから気をつけろ」という注意が与えられました ・・・・当時私は16歳でした。 私たちに教育が開始されました・・・・ 「ここは特別軍事地域に指定されており、日本軍の飛行機であってもこの上空を飛ぶことはできない。 見るな、聞くな、言うな、これが部隊の鉄則だ」というようなことも言われました。・・・・ 「防疫給水部は第1線部隊に跟随し、主として浄水を補給し直接戦力の保持増進を量り、 併せて防疫防毒を実施するを任務とする」と強調されました ・・・・石井式衛生濾水機は甲乙丙丁と車載用、駄載用、携帯用と分類されていました ・・・・濾過管は硅藻土と澱粉を混ぜて焼いたもので“ミクロコックス”と言われていました ・・・・細菌の中で1番小さいものも通さないほど性能がいいと聞きました ・・・・私は最初は動物を殺すことさえ直視できませんでした。 ウサギなどの動物に硝酸ストリキニ-ネとか青酸カリなどの毒物を注射して痙攣するのを直視させられました。 「目をつぶるな!」と言われ、もし目をつぶれば鞭が飛んでくるのです ・・・・私に命じられたのは、細菌を培養するときに使う菌株、 通称“スタム”を研究室に取りに行き運搬する仕事でした。 江島班では赤痢菌、田部井班ではチフス菌、瀬戸川班ではコレラ菌と言うように それぞれ専門の細菌研究が進められていました ・・・・生産する場所はロ号棟の1階にありました。 大型の高圧滅菌機器が20基ありました ・・・・1回に1トンの培地を溶解する溶解釜が4基ありました ・・・・細菌の大量生産で使われていたのが石井式培養缶です。 この培養缶1つで何10グラムという細菌を作ることができました。 ノモンハンのときには1日300缶を培養したことは間違いありません ・・・・ここの設備をフル稼働させますと、1日1000缶の石井式培養缶を操作する事が出来ました。 1缶何10グラムですから膨大な細菌を作ることができたわけです ・・・・1940年にはノミの増殖に動員されました ・・・・ペストの感受性の一番強い動物はネズミと人間のようです。 ペストが流行するときにはその前に必ず多くのネズミが死ぬと言うことでした。 まずネズミにペスト菌を注射して感染させる。 これにノミをたからせて低空飛行の飛行機から落とす。 そうするとネズミは死にますが、 ノミは体温の冷えた動物からはすぐに離れる習性を持っているので、今度は人間につく。 おそらくこういう形で流行させたのであろうと思います ・・・・柄沢班でも、生体実験、生体解剖を毒力試験の名のもとに行ないました ・・・・私は5名の方を殺害いたしました。 5名の方々に対してそれぞれの方法でペストのワクチンを注射し、 あるいはワクチンを注射しないで、それぞれの反応を見ました。 ワクチンを注射しない方が1番早く発病しました。 その方はインテリ風で頭脳明晰といった感じの方でした。 睨みつけられると目を伏せる以外に方法がありませんでした。 ペストの進行にしたがって、真黒な顔、体になっていきました。 まだ息はありましたが、特別班の班員によって裸のまま解剖室に運ばれました ・・・・2ケ月足らずの間に5名の方を殺害しました。 特別班の班員はこの殺害したひとたちを、灰も残らないように焼却炉で焼いたわけであります。     注:ノモンハン事件 1939年5月11日、満州国とモンゴルの国境付近のノモンハンで、日本側はソ連軍に攻撃を仕掛けた。 ハルハ河事件とも言う。 4ケ月続いたこの戦いは圧倒的な戦力のソ連軍に日本軍は歯が立たず、 約17,000人の死者を出した。 ヒットラ-のポーランド侵攻で停戦となった。 あまりにみっともない負け方に日本軍部は長い間ノモンハン事件を秘密にしていた。 731部隊は秘密で参加し、ハルハ河、ホルステイン河に赤痢菌、腸チフス菌、パラチフス菌を流した。 参加者は、隊長碇常重軍医少佐、草味正夫薬剤少佐、作山元治軍医大尉、 瀬戸尚二軍医大尉、清水富士夫軍医大尉、その他合計22名だった。 (注:ハバロフスクの裁判記録に証言があります) * 鶴田兼敏  731部隊少年隊  1921年生 1994年731部隊展の報告書から 入隊は1938年11月13日でしたが、まだそのときは平房の部隊建物は建設中でした ・・・・下を見ますと“マルタ”が収容されている監獄の7、8棟の中庭に、 麻袋をかぶった3~4人の人が輪になって歩いているのです。 不思議に思い、班長に「あれは何だ?」と聞いたら、「“マルタ”だ」と言います。 しかし私には“マルタ”という意味がわかりません。 するとマルタとは死刑囚だと言うんです。 軍の部隊になぜ死刑囚がいるのかと疑問に思いましたが、 「今見たことはみんな忘れてしまえ!」と言われました・・・・ 基礎教育の後私が入ったのは昆虫班でした。 そこでは蚊、ノミ、ハエなどあらゆる昆虫、害虫を飼育していました。 ノミを飼うためには、18リットル入りのブリキの缶の中に、半分ぐらいまでおが屑を入れ、 その中にノミの餌にするおとなしい白ネズミを籠の中に入れて固定するんです。 そうするとたいてい3日目の朝には、ノミに血を吸い尽くされてネズミは死んでいます。 死んだらまた新しいネズミに取りかえるのです。 一定の期間が過ぎると、缶の中のノミを集めます。 ノミの採取は月に1,2度行なっていました ・・・・ノモンハン事件の時、夜中に突然集合がかかったのです ・・・・ホルステイン川のほとりへ連れていかれたのです。 「今からある容器を下ろすから、蓋を開けて河の中に流せ」と命令されました。 私たちは言われたままに作業をしました ・・・・基地に帰ってくると、石炭酸水という消毒液を頭から足の先までかけられました。 「何かやばいことをやったのかなあ。いったい、何を流したのだろうか」という疑問を持ちました ・・・・後で一緒に作業した内務班長だった衛生軍曹はチフスで死んだことを聞き、 あの時河に流したのはチフス菌だったとわかったわけです ・・・・いまだに頭に残っているものがあります。 部隊本部の2階に標本室があったのですが、 その部屋でペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。 中国人の男性でした。 また1,2歳の幼児が天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。 それもやはり中国人でした。 今もそれが目に焼きついて離れません。 * 小笠原 明  731部隊少年隊 1928年生れ  1993~94年の証言から ・・・・部隊本部棟2階の部隊長室近くの標本室の掃除を命じられました ・・・・ドアを開けたところに、生首の標本がありました。 それを見た瞬間、胸がつまって吐き気を催すような気持になって目をつぶりました。 標本室の中の生首は「ロスケ(ロシア人)」の首だと思いました。 すぐ横の方に破傷風の細菌によって死んだ人の標本がありました。 全身が標本となっていました。 またその横にはガス壊疽の標本があり、太ももから下を切り落としてありました。 これはもう生首以上にむごたらしい、表現できないほどすごい標本でした。 拭き掃除をして奥の方に行けば、こんどは消化器系統の病気の赤痢、腸チフス、コレラといったもので 死んだ人を病理解剖した標本がたくさん並べてありました ・・・・田中大尉の部屋には病歴表というカードがおいてあって、人体図が描いてあって、 どこにペストノミがついてどのようになったか詳しく記録されていました。 人名も書いてありました。 このカードはだいたい5日から10日以内で名前が変ります。 田中班ではペストの人体実験をして数日で死んだからです ・・・・田中班と本部の研究室の間には人体焼却炉があって毎日黒い煙が出ておりました ・・・・私は人の血、つまり“マルタ”の血を毎日2000から3000CC受取ってノミを育てる研究をしました ・・・・陶器製の爆弾に細菌やノミやネズミを詰込んで投下実験を何回も行ないました ・・・・8月9日のソ連の参戦で証拠隠滅のためにマルタは全員毒ガスで殺しました。 10日位には殺したマルタを中庭に掘った穴にどんどん積み重ねて焼きました。 * 千田英男 1917年生れ  731部隊教育隊  1974年証言 ・・・・「今日のマルタは何番・・・・何番・・・・何番・・・・以上10本頼む」 ここでは生体実験に供される人たちを”丸太”と称し、一連番号が付けられていた ・・・・中庭の中央に2階建ての丸太の収容棟がある。 4周は3層の鉄筋コンクリ-ト造りの建物に囲まれていて、そこには2階まで窓がなく、よじ登ることもはい上がることもできない。 つまり逃亡を防ぐ構造である。通称7,8棟と称していた・・・・ *石橋直方      研究助手 私は栄養失調の実験を見ました。 これは吉村技師の研究班がやっていたんだと思います。 この実験の目的は、人間が水と乾パンだけでどれだけ生きられるかを調べることだったろうと思われます。 これには2人のマルタが使われていました。 彼らは部隊の決められたコ-スを、20キログラム程度の砂袋を背負わされて絶えず歩き回っていました。 1人は先に倒れて、2人とも結局死にました。 食べるものは軍隊で支給される乾パンだけ、飲むのは水だけでしたからね、 そんなに長いこと生きられるはずがありません。 *越定男    第731部隊第3部本部付運搬班 1993年10月10日、山口俊明氏のインタビュ- -東条首相も視察に来た 本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、 東京からの客は新京(長春)の飛行場から平房までは列車でした。 しかし東条らの飛行機は専用飛行場に降りましたのでよく覚えています。 -マルタの輸送について ・・・・最初は第3部長の送り迎え、、郵便物の輸送、通学バスの運転などでしたが、 間もなく隊長車の運転、マルタを運ぶ特別車の運転をするようになりました。 マルタは、ハルピンの憲兵隊本部、特務機関、ハルピン駅ホ-��の端にあった憲兵隊詰所、 それに領事館の4ケ所で受領し4.5トンのアメリカ製ダッジ・ブラザ-スに積んで運びました。 日本領事館の地下室に手錠をかけたマルタを何人もブチ込んでいたんですからね。 最初は驚きましたよ。マルタは特別班が管理し、本部のロ号棟に収容していました。 ここで彼らは鉄製の足かせをはめられ、手錠は外せるようになっていたものの、 足かせはリベットを潰されてしまい、死ぬまで外せなかった。 いや死んでからも外されることはなかったんです。 足かせのリベットを潰された時のマルタの心境を思うと、やりきれません。 -ブリキ製の詰襟 私はそんなマルタを度々、平房から約260キロ離れた安達の牢獄や人体実験場へ運びました。 安達人体実験場ではマルタを十字の木にしばりつけ、 彼らの頭上に、超低空の飛行機からペスト菌やコレラ菌を何度も何度も散布したのです。 マルタに効率よく細菌を吸い込ませるため、マルタの首にブリキで作った詰襟を巻き、 頭を下げるとブリキが首に食い込む仕掛けになっていましたから、 マルタは頭を上に向けて呼吸せざるを得なかったのです。 むごい実験でした。 -頻繁に行われた毒ガス実験 731部隊で最も多く行われた実験は毒ガス実験だったと思います。 実験場は専用飛行場のはずれにあり、四方を高い塀で囲まれていました。 その中に外から視察できるようにしたガラス壁のチャンバ-があり、 観察器材が台車に乗せられてチャンバ-の中に送り込まれました。 使用された毒ガスはイペリットや青酸ガス、一酸化炭素ガスなど様々でした。 マルタが送り込まれ、毒ガスが噴射されると、 10人ぐらいの観察員がドイツ製の映写機を回したり、ライカで撮影したり、 時間を計ったり、記録をとったりしていました。 マルタの表情は刻々と変わり、泡を噴き出したり、喀血する者もいましたが、 観察員は冷静にそれぞれの仕事をこなしていました。 私はこの実験室へマルタを運び、私が実験に立ち会った回数だけでも年間百回ぐらいありましたから、 毒ガス実験は頻繁に行われていたとみて間違いないでしょう。 -逃げまどうマルタを あれは昭和19年のはじめ、凍土に雪が薄く積もっていた頃、ペスト弾をマルタに撃ち込む実験の日でした。 この実験は囚人40人を円状に並べ、円の中央からペスト菌の詰まった細菌弾を撃ち込み、 感染具合をみるものですが、私たちはそこから約3キロ離れた所から双眼鏡をのぞいて、 爆発の瞬間を待っていました。その時でした。 1人のマルタが繩をほどき、マルタ全員を助け、彼らは一斉に逃げ出したのです。 驚いた憲兵が私のところへ素っ飛んで来て、「車で潰せ」と叫びました。 私は無我夢中で車を飛ばし、マルタを追いかけ、 足かせを引きずりながら逃げまどうマルタを1人ひとり潰しました。 豚は車でひいてもなかなか死にませんが、人間は案外もろく、直ぐに死にました。 残忍な行為でしたが、その時の私は1人でも逃がすと中国やソ連に731部隊のことがバレてしまって、 我々が殺される、という思いだけしかありませんでした。 -囚人は全員殺された 731部隊の上層部は日本軍の敗戦をいち早く察知していたようで、敗戦数ヶ月前に脱走した憲兵もいました。 戦局はいよいよ破局を迎え、ソ連軍が押し寄せてきているとの情報が伝わる中、 石井隊長は8月11日、隊員に最後の演説を行い、 「731の秘密は墓場まで持っていけ。 機密を漏らした者がいれば、この石井が最後まで追いかける」と脅迫し、部隊は撤収作業に入りました。 撤収作業で緊急を要したのはマルタの処理でした。 大半は毒ガスで殺されたようですが、1人残らず殺されました。 私たちは死体の処理を命じられ、死体に薪と重油かけて燃やし、骨はカマスに入れました。 私はそのカマスをスンガリ(松花江)に運んで捨てました。 被害者は全員死んで証言はありませんが、部隊で働いていた中国人の証言があります。 *傳景奇  ハルピン市香坊区     1952年11月15日 証言 私は今年33歳です。 19歳から労工として「第731部隊」で働きました。 班長が石井三郎という石井班で、ネズミ籠の世話とか他の雑用を8・15までやっていました。 私が見た日本人の罪悪事実は以下の数件あります。 1 19歳で工場に着いたばかりの時は秋で「ロ号棟」の中で   いくつかの器械が血をかき混ぜているのを見ました。   当時私は若く中に入って仕事をやらされました。日本人が目の前にいなかったのでこっそり見ました。 2 19歳の春、第一倉庫で薬箱を並べていたとき不注意から箱がひっくりかえって壊れました。   煙が一筋立ち上がり、我々年少者は煙に巻かれ気が遠くなり、   涙も流れ、くしゃみで息も出来ませんでした。 3 21歳の年、日本人がロバ4頭を程子溝の棒杭に繋ぐと、 しばらくして飛行機からビ-ル壜のような物が4本落ちてきた。 壜は黒煙をはき、4頭のロバのうち3頭を殺してしまったのを見ました。 4 22歳の時のある日、日本人が昼飯を食べに帰ったとき、 私は第一倉庫に入り西側の部屋に死体がならべてあるのを見ました。 5 康徳11年(1944年)陰暦9月錦州から来た1200人以上の労工が 工藤の命令で日本人の兵隊に冷水をかけられ、半分以上が凍死しました。 6 工場内で仕事をしているとき動物の血を採っているのを見たし、私も何回か採られました *関成貴  ハルピン市香坊区  1952年11月4日 証言 私は三家子に住んで40年以上になります。 満州国康徳3年(1936年)から第731部隊で御者をして賃金をもらい生活を支えていました。 康徳5年から私は「ロ号棟」後ろの「16棟」房舎で 日本人が馬、ラクダ、ロバ、兎、ネズミ(畑栗鼠とシロネズミ)、モルモット、 それにサル等の動物の血を注射器で採って、 何に使うのかわかりませんでしたが、 その血を「ロ号棟」の中に運んでいくのを毎日見るようになりました。 その後康徳5年6月のある日私が煉瓦を馬車に載せて「ロ号棟」入り口でおろし、 ちょうど数を勘定していると銃剣を持った日本兵が何名か現れ、 馬車で煉瓦を運んでいた中国人を土壁の外に押し出した。 しかし私は間に合わなかったので煉瓦の山の隙間に隠れていると しばらくして幌をつけた大型の自動車が10台やってきて建物の入り口に停まりました。 この時私はこっそり見たのですが、日本人は「ロ号棟」の中から毛布で体をくるみ、 足だけが見えている人間を担架に乗せて車に運びました。 1台10人くらい積み込める車に10台とも全部積み終わり、 自動車が走り去ってから私たちはやっと外に出られました。 ほかに「ロ号棟」の大煙突から煙が吹き出る前には中国人をいつも外に出しました。 *羅壽山  証言日不明 ある日私は日本兵が通りから3人の商人をひっぱってきて 半死半生の目にあわせたのをどうすることもできず見ていました。 彼等は2人を「ロ号棟」の中に連れて行き、残った1人を軍用犬の小屋に放り込みました。 猛犬が生きた人間を食い殺すのを見ているしかなかったのです。
生体実験の証言 | おしえて!ゲンさん! ~分かると楽しい、分かると恐い~ http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_h/5899/
3 notes · View notes
Text
“米と日本人      食品としての米は、日本人の健康にとってかけがえがなく、まぎれもなく主食と言えるものである。欧米には主食という概念がなく、パンだけではカロリーも蛋白質も十分に取ることはできず、勢い肉食に傾くことになる。パンの蛋白質含量は米よりやや多いが、米の蛋白質には人体に必要なアミノ酸が9割近く含まれるのに対し、小麦には3割ほどしか含まれていない。従ってパンで蛋白質を採ろうとしたら一日に1.5kgも食べなければならないが、それはちょっと無理である。ジャガイモなどは、カロリーはあるのだが蛋白質をほとんど含まないので、パン以上に肉食を必要とする。米は、1日3合食べればカロリーの必要量を満たすことができるし、蛋白質も5合食べれば(食べ過ぎだが)大半を満たすことができて、大豆とか魚で米に含まれないアミノ酸を少量補えば足りる。米(これが玄米ならばなおさらよい)と大豆(豆腐、味噌など)、野菜に少量の魚と海藻(昆布やワカメ、ヒジキ)、わずかな塩があれば完璧な長寿食の完成である。肉や牛乳、卵も栄養価は高いけれど、日本人の体質に必ずしも合っているとは言えないし、日本の伝統食はヒトの食性から言っても理に叶って健康的であり、世界的にも注目されてきている。すでに明治時代、石塚左玄は食養論で伝統食の正しさを科学的にアピールし、それを受け継いだ桜沢如一のマクロビオティック(玄米正食)運動も世界に広まっている。  作物としての稲も、日本(を含むアジア・モンスーン地帯)の気候に適した非常に生産性の高いものであり、単位面積当たりのカロリー生産では小麦など足下にも及ばない。しかも、小麦と違って連作により生産性が落ちることもないし、裏作に麦を植えて2毛作とした時の光合成量は、熱帯雨林のそれに匹敵するものとなる。そのような食糧生産における価値だけでなく、水田の国土保全機能にも見逃せないものがある。傾斜地の多い日本列島において浸食防止の効果、洪水防止や地下水供給の機能にも驚くほど大きいものがある。川をせきとめ村を沈めて巨大なダムを築いても、いずれ土砂で埋まってしまうのであり、水田を守ることの方がよほど効率がよく、環境にも優しい。  さて、以上のように米と水田の優れた点を列挙したが、歴史的、社会的にみると否定的な側面というものを見い出すこともできる。それは、民衆つまり農民の立場にとってのことであるが、米の生産というものが支配と搾取の道具として、とても都合の良いものであったということである。日本における米の生産は、最近では縄文時代からあったことが各地の遺跡で確認されているが、組織的に生産されるようになった弥生時代以来、戦中戦後の食管法の時代を経て現在に至るまで、常に支配者によりコントロールされ民衆支配の要として用いられてきた。米は生産性が高く貯蔵性もあるが故に、その余剰生産力は支配階級を生みだし、支配階級はさらに生産力を高めるために土地や水をコントロールし、百姓は敗戦によりアメリカの統治下で���地解放を受けるまで、常に高率の年貢米を取り立てられ土地に縛り付けられ、搾取される階級に甘んじてきたのである。百姓に自由が多少なりともあったとすれば、それは米の生産においてでなく、縄文時代と同様にイモや雑穀を作って食べる自由であり、ドングリやトチといった木の実を加工して食べる自由であった。米を作ることに、一切の自由はなかった。米を作りながら、米を食うことさえできない百姓が、いくらもあったのである。日本の支配階級の頂点にあった天皇が、古代天皇制の時代から現在に至るまで変わらずにあるのは、稲作の祭司であるという点であり、はんこを押すことが仕事ではなく、新嘗祭(ニイナメサイ)を執り行なうことが最大の務めであって、日本において米が支配の道具であるということは、このことからも明らかである。江戸時代には天皇の支配力が相対的に低下し、徳川氏が300年もの長きにわたり強大な中央集権国家を維持したが、この封建制も石高(こくだか)つまり米の生産量によって権力の大きさが決まる幕藩体制により支えられていた。徳川氏が京都ではなく江戸に居城をおいて政治を行なったのも、当時はまだ辺境に近かった関東での新田開発を、権力を築くために最も重要なことと考えたためであろう。  その徳川幕府も明治維新により倒されると、西欧風の近代化が進められ、天皇も祭司というより西欧風の絶対的なものに作り変えられるが、地主(国内最大の地主は天皇)と資本家の連合による権力掌握により、相変わらず農家は高い小作料をまき上げられ、また生産した米は米穀商の投機の対象として買い占められたりして、大正時代には米騒動に発展した。昭和に入り国家全体主義が色濃くなると、米の生産は国力を支えるものとして農本主義が台頭し、外交的には満蒙開拓という建て前で天皇の名の下での侵略戦争が行なわれることになる。徴兵により農村の労働力が失われた戦中には、配給制度と食糧管理制度ができたが、戦後の混乱期を経て食糧管理制度は、生産調整(減反)などで変質させられながらも最近まで生き残ることになる。しかし、コメの輸出をもくろむアメリカの外圧と輸出産業中心の資本家によりそれはついに解体させられ、コメだけは完全自給するという政策も放棄された。戦後、アメリカ進駐軍が「コメを食べると頭が悪くなる」という宣伝をしてパン食を普及させようとしたことがあったが、もはやパン食がある程度普及した現在は、米国(皮肉な当て字)もついにコメを日本に向け輸出しようということだろう。コメの輸入解禁は、GATTウルグアイラウンドで決定され、93年の平成米騒動が一つのきっかけともなり、自民党政権が倒された細川連立政権下で決定されたが、それ以前より周到に仕組まれたものでもあった。かつて資本家とともに自作農民の支持により成り立っていた自民党政権は、食糧管理法において消費者価格より生産者価格を高く設定する逆ザヤにより農民の利益を誘導していたが、食管赤字がかさみ、賃金を抑えるために主食であるコメの価格を下げよと言う資本の声にも屈して86年から逆ザヤを解消し、同時に備蓄用の古米在庫を大幅に減らし始めた。そこに到来した93年の冷夏での凶作は、起こるべくして起きた作られた凶作と言える。タイ米が急きょ輸入されたが日本人の口に合わず売れ残り、米屋ではタイ米を買わないと日本の米を売らないという抱き合わせ販売の措置まで採られたが、タイ米はいらないと路上に捨てられる事態が起きた。小麦と違い、貿易流通量の少ない米の国際価格をつり上げてまで米の緊急輸入をし、食糧難の貧しい国に迷惑までかけておきながら、その米を捨てるなどというのは、全く非道なことである。しかし、日本人の口に合わないことがわかっている長粒種のタイ米を主食用に輸入すること自体に、問題があったとみるべきだろう。” - 米と日本人 (via tnoma)
1 note · View note