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#世界を超える転生RPG
elle-p · 7 months
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P3 Club Book Persona 1 pages scan and transcription.
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女神異聞録ペルソナ BE YOUR TRUE MIND
あるとき、私は蝶になった夢を見た。私は蝶になりきっていたらしく、それが自分の夢だと自覚できなかったが、ふと目が覚めてみれば、まぎれもなく私は私であって蝶ではない。蝶になった夢を、私が見ていたのか、私になった夢を、蝶が見ているのか。きっと私と蝶との間は、区別があっても絶対的な違いと呼べる物ではなく、そこに因果の関係は成立しないのだろう。
静まり返る街に、 金色の蝶が舞う。
~荘子~
フィラデルフィア実験で時空をゆがめたデヴァ・システムが、ひとりの少女の歪んだ夢の世界を現実化する。暴走する悪夢に呑み込まれた街。認識力の拡大にともなう主観の物質化現象が発生し、小説で描かれた現代の神話であるクトゥルフの神々までもが出現する狂気と幻想の世界と化す。日常の学園が、病院が、ショッピングセンターが、警察署が、地下鉄の駅が、巨大な幽霊屋敷さながらに人々を恐怖の底へと叩き込む。
異界と化した状況の中、金色の蝶に導かれ、心の力であるペルソナを覚醒させた少年少女らが、真相を探るために、事件を解決するために、あるいは身を守るために、大切な人を救うために、命をかける。
事件の鍵を握る少女を救うことはできるのか。その少女の心の闇を利用した者の目的は何か。謎と恐怖が渦巻く異界を、生き延びることができるだろうか。そして、その果てに······。
スペック
ジャンル
RPG
プラットフォーム
プレイステーション
Windows95/98
開発元
アトラス
発売元
アトラス (プレイステーション用)
アスキー、デジキューブ (Windows用)
発売日
1996年9月20日 (プレイステーション用)
1999年3月25日 (Windows用)
価格
6,800円 (プレイステーション用、税別)
8,800円 (アスキー発売Windows用、税別)
2,980円 (デジキューブ発売 Windows、税別)
2,800円 (ベスト版、税別)
Cogito, ergo sum
蝶と夢
『女神転生』の新たなる可能性として誕生した『女神異聞録ペルソナ』が種となり、時代精神を養分に枝葉を広げてきたペルソナシリーズ。最新作を機に、その創作の歴史を概観する。
ふたつのサバイバルストーリー
前作『真・女神転生 if...』 で描かれた、 学校という限定された空間からのサバイバルストーリーを踏まえ、さらなる発展を目指した意欲作が「女神異聞録ペルソ ナ」である。
暴走した心の闇に呑み込まれた街を舞台に、日常の崩壊が学生たちを襲う。そうした状況の中、真相を探り、事件の解決を目指し、学園を飛び出す者たちと共に戦うストーリー。学園に残る級友らを守るため、学園内に満ちる異界の恐怖と立ち向かう者と共に戦うストーリー。主人公 (=プレイヤー) は、いずれかのルートを選び、その物語を体験することになる。
いずれを選ぶのも、プレイヤーの心次第。あなたは、何のためならば、命をかけて戦うことができるだろうか?
絡み合うエゴ
学園という場は、物理的に限定された空間であると同時に、多数の人々が集う、エゴとエゴの対立と集合の場でもある。それも、子供と大人の狭間にある、己のエゴすらも自覚できぬ、曖昧で不安定な年頃の心が集う、危うさを孕んだ場。そうした集団が生命の危機が間近に迫る状況に陥ったとき、心はいったいどのように動くのか。
本作は、そうした人の心のひだを浮き彫りにする。エゴとエゴとのぶつかり合いの中、なじめない者、敵対する者、心を閉ざす者など、さまざまな反応が生まれる。そうした場面に接したとき、主人公 (=プレイヤー) は、どのように動こうとするだろうか。
集団の中で、人が自分と向き合い、どのように成長していくのか。自分をとりまく社会をどうとらえ、触れ合う他人をどのように見つめ、いかにして自分自身を見つめるべきか。そして、今の自分を超えるために、自分自身を高めていくために何をするべきか。ジュヴ ナイルとしての成長の物語をとおして、あなたは何を思うだろう?
心の悪魔
台風や地震、自然や四季など、人の心の外にある超越的な力を崇めるとき、人はそこに神を見る。一方、心の中に生ずる想い、吹き荒れる悪意、歪んだ欲望など、内なる心に悪魔を見る。こうした考えに基づき、人の心から立ち現れる光と闇を悪魔として顕在化させたものが、ペルソナである。
それゆえ、ペルソナのデザインは、神や悪魔という観念そのもののグラフィック化ではなく、それらのコスチュームとして、設定を意匠化したファッションをまとう形で描かれた。つまり、神々のコスチュームプレイが、ペルソナのデザインコンセプトである。
人の心が生み出す悪魔の姿に、あなたは何を見るだろうか。あなたの心には、どのような姿の悪魔が宿っているのだろうか?
挫折とコンプレックス
キャラクターの描写には、リアルさが追究された。それは、キャラクターの心という内側と、ファッションを含めたデザインという外側の両面を意識したものだった。
キャラクターが語る、泥臭く普遍的な心の動きを踏まえた、心を語りきらぬ抑えたメッセージ。コンプレックスを抱え、挫折を経験し、そして、そうした状況に、周囲の目を気にする余裕すらなく立ち向かう姿。子供が夢見る表層的なカッコよさではなく、女が男に感ずる、男が女に抱く、現実と幻想の願望と欲望を踏まえた登場人物たち。こうした心の内側がデザインに落とし込まれた。
また、当時、実際に存在していたファッションを取り入れるなどのデザイン的なリアルさによって時代性も表現された。ファッションを含めた姿には、その人のこだわりの部分が表れる。それは、その人の本質の一端であると考えられたからだ。
今、鏡に映る自分の姿は、これまで生きてきた自分自身の歴史の結果である。あなたの姿は、今、どのようなものだろうか?
金子氏コメント
キャラクターをパラメーター的に成長させるゲームとしてだけではなく、イベントやシナリオなどで語られる世界を楽しんで欲しい。そして、このゲームを中心に広がった漫画や小説など、様々な作品をとおして、それぞれの作家さんの価値観もあわせて楽しんでもらえるとうれしい。
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kennak · 1 year
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■ジーコ(18禁の同人ゲーム)の用語・隠語集ジーコとはジーコとは同人エロゲーの総称である。なぜジーコなのかSFC時代、ジーコサッカーという非常に売れなかったゲームがあった。(後年、本人は関わっていなかったと供述している模様)ジーコサッカーはワゴンの常連と化し極めて安価にカードリッジの入手が可能であったため任天堂非公認ゲームであるSM調教師瞳のカートリッジとして流用されたのはよく知られている。時は流れて陽射しの中のリアルという伝説的な同人ゲームが登場し、18禁のおさわりゲーム、ひいては18禁同人ゲームの代名詞ともなった。そしてネットの掲示板でおすすめの18禁同人ゲームを挙げる際にネタとしてジーコサッカーを挙げる風習と混じり陽射しの中のリアルは陽射しの中のジーコと呼ばれるようになった。そこからあらゆる用語がサッカー用語と置き換えられ、現在に至る。本格的にサッカー用語が使われるようになったのは猫狼娘のエリスとアルテミス(現在はテキスト盗用問題により販売停止)の以下のあらすじコピペがはじめだとする説もある。聖少女に選ばれたジーコは学院長オシムの策略により悪魔アルシンドをその身に宿され、屈強な男たちの住む牢へと投獄される一方ジーコのよきライバルであったペレはオシムの行動に疑問を抱きジーコの居場所を探し始めるが――ジーコ用語一覧FIFA18禁同人ゲーム配信大手のDLSiteのこと。最近はにじよめちゃんでも有名。FIFAランキングというとDLSiteの売り上げランキングのことを指す。もう一つの大手でありDLSiteのライバルのDMMのことはデンマークなどと呼ばれることがある。監督ゲームの製作者、制作グループのこと。個人の製作者から中小エロゲーメーカーまで規模は多彩。選手キャラクターのこと。特に女性キャラクターのことを指すことが多い。練習試合無料体験版のこと。トレーニングと呼ばれることもある。まともなゲームならたいてい体験版がある。(まともじゃないゲームでもある)ジーコ業界では練習試合とCG数がほぼ変わらないような粗悪なゲームもあり、売り逃げとサークル名の変更・サークルの買収を繰り返すヨガチカのような邪悪な監督も存在するため練習試合でそれらを見定める必要がある。フットサルフリーの18禁ゲームのこと。基本的にはジーコ扱いされない。例外的にプリンセスティアーズやVHゲームはジーコ扱いされることがある。なお、多数の派生バリエーションが存在するeraはジーコともフットサルともされず「era」というジャンルであるとされる。ドリブル通常のゲームシーンのこと。エロければよいのかといえばそうではなく、通常のゲームの方もそれなりに重視される。サキュバスラプソディアのようにドリブルの冗長さによって評価を落としてしまうジーコも少なくない。シュート射精、そこから転じてHシーンのこと。Hシーンの場合はシュートシーンなどとすることが多い。フーリガン荒らしや監督のモチベーションを下げる困った人のこと。サポーター作品や監督のファンのこと。発売の延期が続くとサポーターがフーリガンとなることもある。ゲームの隠語例と簡易紹介ペレウル→ハルウルジーコの金字塔の一つ。清純な神官であるユナ選手が身体を駆使して冒険するゲーム。冒険に慣れたユナ選手は金貸しから借りた金を(たとえ返せる状態であっても)絶対に返さず、必ず身体で返す。ビタミンジーコ→びたみんクエストジーコの金字塔の一つであり有料で販売されていたが、現在は無料配布されている。誰かれ構わず孕み場所を選ばず産みまくる主人公のミカミ選手は地母神として有名。お嬢様、汚嬢様→田舎生活サバイバルRPG~そのひぐらし~食った量によってはその場で即脱糞する刃牙以上の超人的な消化力を持つお嬢様が実家までの交通費を稼ぐために田舎で廃品回収や住居侵入、警察署の襲撃などを行うゲーム。GTAにウンコ要素が加わったようなものと考えると良い。お嬢様は最終的に熊を棒で殴り殺す野人となる。ダンジョンジーコ→ダンジョンタウン~遺跡の森と夢魔の薬~東方の全年齢向け同人ゲームを頒布しているコココソフトとは一切関係ない冥魅亭の処女作。選手の地雷率の高さに定評があり、特に引っ込み思案な薬草売りの少女であったコレット選手が邪悪な淫魔となっていく様に恐怖を覚える者も少なくない。ゲームそのものはクリアまでに30~50時間はかかるハクスラゲーである。アペンド版も発売予定。奴隷ジーコ、奴隷→奴隷との生活 -TeachingFeeling-近年最も売れたジーコであると言われる。虐待を受け閉ざしてしまった少女シルヴィの心を(主に撫でまくって)開き、その後は淫魔と化したシルヴィちゃんとひたすら爛れた性活を送り続けるだけのゲームだが、不幸な少女を愛でるというコンセプトが受けたのか爆発的なヒット(14万本以上)となった。現在でも不定期にバージョンアップが行われている。また、サンドイッチを食うと死ぬバグ(修正済み)、イングランド(淫乱度)が際限なく上がってしまう仕様(現在は緩和策あり)などネタにも事欠かない。韓国では違法に配布された挙句違法な児童ポルノゲームとして当局に規制された。プリンセスジーコ→プリンセスサクリファイス~供犠姫フィーナの冒険~、プリンセスティアーズ先頭に「プリンセス」がつくため同じ隠語となってしまっているがそれぞれ別のゲームである。前者はタイトルから「球技姫FIFAの冒険」とも呼ばれる。供犠姫となってしまったフィーナ選手が絶頂しつつ闇王に支配された世界を救うゲーム。戦闘中に犯されることがあるため選んだ職業によっては絶頂(1ターン休み)→体力回復→犯される→絶頂→体力回復という無限ループめいた状態が発生することがあるため少し心配になる。後者はフリーゲームだが、そのリビドーの充満した内容から前述したとおりジーコ扱いされることも少なくない。主人公のエルシー選手は賞金を稼ぐために闘技場に参加しているのだが、シュートシーンで「イヤーッ!ダメーッ!」を連呼するためニンジャである可能性があり専らエルシー=サンと呼ばれる。そのほか隠語隠語 本名芝浦サッカースタジアム 苗床ダンジョンクロニクルジーコとアルシンド エリスとアルテミス蹴球少女ペレ 魔法少女テト追記外に持ち出せば怒られてしまうことは承知していますが、いい加減どこかに残しておかないといよいよ経緯や隠語がわからなくなるものがあったので(特にジーコとアルシンドの本名)増田に書きました。
ジーコ(18禁の同人ゲーム)の用語・隠語集
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kawagoemidou-blog · 9 months
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ゲームの遊び方。
☆超久方ぶりに書くのですが。
この頃キャリバーはおろか格ゲーに触ってないので超健康的な生活をしている訳ですが、それでも曇る時は曇る。
映画見ながら寝っ転がって遊べるゲーム。
所謂ソシャゲ。
アプリだウェブだと言われてもイマイチ違いが分かりませんが、兎に角スマホなりタブレット片手に寝っ転がって遊ぶ奴です。
独りで遊ぶだけのゲームもあれば、ギルドとかクランと言ったチームに所属して皆で共通の敵を倒したりするタイプのゲームも在ったりします。
これから書くのは後者の方。
手に入れた…いや、お迎え出来たキャラを育てて鍛えて月イチのイベントボスをフルボッコにする…。
育成はRPGからの基本だし殆どのソシャゲでも手に入れたら先ず戦えるように育成してパーティメンバーとのシナジーを考えて編成を決める。
…良い時代になったという表現を使いますけど、アンチョコ的なサイトでカンニング出来るし楽です。編成考えるのは。
んで、鍛え上げて考え抜いた編成で戦いを挑む。
僕の遊んでいるゲームで今回話題にしたいゲームは、『チーム戦』が『1週間』程在り、ボスと戦えるポイントが『イベント中1日に7ポイント』配布され消費したらその日はボスとは戦えなくなる。
そのポイントも1ポイントずつ使う事も出来るし、最大3ポイントまで合わせてつかう事が出来、尚且つ最大30ポイントまで貯める事が出来るので端数を翌日に貰えるポイントと一緒に使う事が出来ます。
初日のボスは1ポイントで倒せるので7回戦って7ポイント使うとか、ボスが強くて1ポイントでは倒しきれない時は2ポイントずつ使って3回戦って余った端数1ポイントは翌日に貰う7ポイントと一緒に使うとか。
組み合わせは色々あるけど何が言いたいかといえば『ボスと戦える回数が決まっているので血の一滴。とても貴重なポイント』と言いたい訳です。
ゲームの取り組み方は色々あると思うけれど、月イチでこのゲームのこのチーム戦を迎えてしまったら全力ないし最善は尽くして欲しいと思う訳です。
チーム戦を良いスコアで終える事が出来れば終えた後の『ご褒美』もそれなりなのでやる以上は僕もダメージを出す努力を惜しみません。
ただ、僕と同じ努力を…いや情熱を誰かに出せよとは勿論言えませんし、余りにも辛い時はバレないよーに手ェ抜いたりもしますw …時々ね?w
でも、です。
もっと良い使い方が在ると思えるようなポイントの消費の仕方。無駄にしている。捨てているなあと思えるような使い方。
これらを見てしまったら。
流石にちょっと悲しくなってしまうんです。
『このゲームに飽きちゃったのかな』とか『…誰かへの当てつけなのかな』とか。
チーム戦に参加しなくてもゲームを遊ぶ方法(チームを抜けて一人用コンテンツだけで遊ぶ)はあるし、そもそも飽きたら辞めればいいし、チーム内のメンバーが気に食わないなら別のチームに移籍すればいいし。
キャラとか世界観が好きなのに遊び方が分からない。チーム戦で貢献したいのに戦い方が分からない。そういう理由なら聞いてくれれば良いのに…と思う。
かく言う僕もよく人に聞きます。調べてもイマイチ分からない事とか割とありますし。生の声を聞きたいと思う事も在るし。
勿論、身近にそういう繋がりとか在ればになる訳ですが。幸か不幸か僕はそーゆー繋がりがあったので楽させて貰っていますw いつもありがとうw
ソシャゲには終わりがないです。永遠に終わり(クリア)は来ません。
サ終(サービス終了)はあるけどw
終わる時を決めるのはいつだって自分なんです。
捨てゲーまがいの事をするくらいならサクッと辞めるという決断するのが健康的だと思うなあ。
…札束で殴りあうゲームなんざゲームじゃないとかごもっともな意見は勿論理解出来ますしその通りだとも思うけれど、今回気になった部分はそこではないので書きません。
ゲームとの付き合い方はよく考えましょう。
どんなゲームで遊ぶのでも『そこ』は一緒でしょ?
僕の知り合いはtumblerやってる人が居ない筈なので『この野郎チーム戦は『遊び』じゃねーんだよ。無理解乙』とか思われる文章を書いたところで特に問題は無いでしょう。
ただ何かの偶然で見つけてしまったら口にはしないで『狂人乙www』とでも思っていてください。
特にこの人の事知らんけどきめえ文章だなって思った人も同様に『キモ過ぎワロタw狂人乙www』って思っていてください。
兎に角思うトコがありテキストにしておきたいなあと思った訳です。
『惰性で遊んでも碌な事にはならんなあ』と今思った訳ですが、上記の駄文が無ければその真理に到達出来なかったので全くの無駄でもない、筈…。
おわり。
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easyinformality · 1 year
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RPGのジョブ風芸術家の理想像7種(仮)
7種:貴族 聖人 隠者 道化 芸人 職人 市民
以下それぞれのジョブの説明。
・貴族(ルールメーカー) 例:岡本かの子 蓮實重彦 後鳥羽上皇 マルセル・デュシャン  貴族とは、批評家の最も高度な形態である。もしかすると藝術家の最も高度な形態かもしれない。批評家は批評文によって物事の価値の是が非かを決定するが、貴族は卑しい批評家とは異なり、価値付けのために組織化された文章でなく、彼の振る舞いそれ自体によって物事の価値を決定する(文章上の仕草、話しぶりにおいても同様である)。このことは芸術作品が目指すところのものそのものではないか?と考える向きが現代の風潮となっている。しかしこの理想像を目指すには、多分に生まれ持った能力と階級が重要になる。人々の振る舞いの模範となるには、『失われた時』に登場するシャルリュス男爵やゲルマント公爵夫人のような、高貴さと洗練された趣味が必要になるからである。とはいえ、後者は���ればいい程度のものにすぎないかもしれない。  貴族であろうとすることは、自分を社会に押し付けようとすることである。努力の仕方を間違えたり、才能の質を見誤ると、その権力への欲求が妄想の病の形を取りかねない危険がある。  現代アーティストの大半はこの類型を目指している。しかし、自然の法則からして、ルールメーカーは本質的に少人数でなければならない。数が少ないということこそ、貴族であることの証明だからだ。現代では、ルールメーカーが企業か何かのように乱立するという混乱した様相を呈している。現代アーティストが金を追求するのも当然だろう。金はルールメーカーの力を支えてくれる、もっとも分かりやすく、もっとも手に入りやすいものなのだから。  ルールメーカーの頽落した形式として、社会活動的アーティストというものがある。ときにそれは聖者が頽落したものでもありうる。
・聖者 例:石牟礼道子 ドストエフスキー(サブは道化) ゴッホ  聖者は聖なる時代には出て来ない。聖者の出現は、聖なるもの(宗教道徳、倫理、あるいはそれよりもはるかに高度な宗教感情一般)が衰退するか、衰退の危機にあるときに出てくる。宗教的なるものの衰微の兆候や既存の宗教の硬直化が、聖者が乗り越えようと目するものである。  彼らは彼らの持つ宗教感情を最大限に生かして、物語を物語ったり、詩を読んだりする。彼らが捉えたいと願い、またしばしば捉えたと信じるものは、我々人類の生活世界を越えた、より大きな世界、それもSF作家がしばしば思い描くような宇宙、混乱した雑多なものの集積物で、その奇怪さゆえに人智を越えていると考えられるような宇宙ではなく、人類を包み込む調和の取れた世界としての宇宙、ないし調和を見出すための一筋の光を見出すことができる宇宙である。この人間社会よりも高次の、より大きな秩序を探究し、作品のなかでその秩序に触れた際の人間の感情の働きを追求したいという願いが、しばしば彼らの作品の構成のための最初の目的になる。つまり、彼らは何か超越的なものを、単なる個人における探究ではなく、全人類のためのものとして、追い求めるのである。  聖者は聖なる時代には出て来ないと最初に述べた。この点で聖者は、市民社会の高度な道徳の体現者である市民から区別されなければならない。また、単に宗教的なものを求める気持と聖者の気持とは、それが超越的なエネルギーを持っているかいなかで区別される(これは、聖者とその追従者はそのエネルギーの有無で価値を判別する存在ではあるものの、その作品、藝術家の価値とはまた別の話である。)。
・隠者 :丸谷才一 正徹 トゥオンブリー  隠者は知識を重んじる。それは、つまり、過去の作品とその歴史を重んじるということである。しかし過去や歴史や文献といったものは、世間が最も嫌うものの一つでもある。過去を気にしているうちは人生を生きられないし楽しめない、と世の人々は思っている。したがって隠者は世間を離れて隠遁生活に入り、隠者同士のネットワークのなかで生きていかざるを得なくなる。  それを見て人々は彼らは禁欲的な人だとか立派な人だとか世捨て人だとか言うかもしれない。だがそれは誤った称賛だろう。隠者は隠者で、彼らの社交の場を持つからだ。隠者と宗教的な苦行者とはこの点において区別されなければならない。だが一方で宗教組織がしばしば隠者の隠れ場であったというのも事実である。大学という場が宗教組織を土台に出来上がったという事実もある。  要するに隠者とは、文学から文学を生み出す類の芸術家のことを言う。彼らは紙の中でしか息ができないために、自身の作品も、冒険そのものというより書物から書物へ移る知的な冒険を含んでしまうのである。宮廷が衰退した後に正徹が和歌をものしたことは、その最も分かりやすい例と言えよう。  隠者、つまり知識人という種族が成立するためには、ある種の個人主義を成立させるだけの自意識の発達が必要であり、つまり都市化という過程が必要であるように思われる。だが、実際のところはどうなのだろう。代々怪しげな呪文を伝えてきた古代の呪術師たちと、どの程度系譜上近接しているのか、興味深いところだが、真実が明らかになることはなさそうである。
・道化 :中原昌也 象徴主義の詩人たち アリストファネス ジェフ・クーンズ  道化師はアイロニー��達人である。ということは彼らは、人を針で突き刺すと同時に自分をも針で刺す達人だということだ。それは彼らが、その批判意識を言葉として振るわないときでも、同じである。無言のパントマイム劇の最中にも、彼らの身振り手振りは刺々しいものを含んでいる。一見彼らのポーズや放言は、おどけた愉快なものに見える。だがよくよく観察すれば、彼らは我々を楽しませようとしているのではなく、我々を腹の底から馬鹿にして虚仮にしようとしているのだということが、はっきり見て取れる。そして同時に、そんな馬鹿よりも馬鹿者として振る舞っている自分を彼らは馬鹿にするのである。  とはいえ以上で述べたようなことは、道化の姿としては現代的なものすぎないのかもしれない。古くには、演じられた馬鹿ではなく本物の馬鹿者が、道化を演じることがあったのだろう、と想像して、私は何の疑いも抱かない。馬鹿者は礼儀を知らないから、浮かれ騒ぎになれば、思ったことを何でも言ってしまったのだろう。そしてそれが、現世のすべての秩序が逆さまになる祝祭として、喜ばれたことがあったのだろう。次の時代には、馬鹿者を真似た陽気だが知的な馬鹿者が出てきた。彼らは人を馬鹿にしながら寿ぐ技を磨いた。最後の時代には、道化は陽気さを失い、何かを祝福するという術を失った。  すべてのものを馬鹿にするということは、すべてのものを自由にするということでもある。そのため道化の技は、その価値転換の目的からして、貴族のそれに近いと言えないこともない。だが道化の技はより危険である。彼の活躍の場は社交ではなく祝祭であり、祝祭を持つことのできなかった道化には、しばしば悲劇的な結末が待っている。そして現代においては、本当の価値転換が行われる祝祭というものは望まれない。ヨーロッパにおいては、神が死んでからは、祝祭は不可能になってしまったという事情もある。そういうわけで、現代の道化はかつてよりも知的で、かつてよりも暗い顔をしている。彼らは自らの性質により道化になったというよりは、価値転換を行いたいがために道化にならざるを得なかったように見える。古代と現代の間で、どちらがより優れているのかは、容易に結論の出ない疑問である。だが、現代において古代と同じものを望むのは、倒錯的だというだけではなく危険も大きいと、言っておく必要があることだけは確実だろう。
・芸人 :チャールズ・ディケンズ 紫式部   人を楽しませることを活動の目的とする人々は、観客を選好したりしない。たいていの場合、受け手がどの階級に属していようと、その場にいる大多数の人々を楽しませることが、自分の職分であると理解しているものである。そのため、芸人というこの類型は、ジャンルによらず、もっとも民主的で大衆的な芸術の作り手であると言える。  芸人という職業が誕生した歴史的経緯は無論定かではない。ただ、古事記の岩戸のエピソードが示すように、文化の発展史の初期には、芸人は宗教的な巫女の役割を兼ねていたのではないか、と想像することはできる。確かに、平家物語やホメロスの叙事詩など、職業的な芸人がその成立や普及に関わったと思われる作品には、御霊信仰や神威の偉大さを伝える話が、欠くことのできない主題としてある。このことも、芸人という職業の民衆的な性質を考えればすっかり説明できるように思われる。思想は知識階級の産物だが、一方宗教と信仰は本質的には民衆のものだからである。  その後時代が下るに連れて、芸人が内在していた宗教的価値は薄れていったようだ。まだ社会階層が分離された状態が長く続き、都市化によって社会の複雑さが増すと、それぞれの社会階層ごとの芸人というものが登場し出す。上流階級向けのバイオリン弾きもいれば、下層階級向けのエレキギター弾きもいる、といったように。しかしそうした区別は単なる階級の好みに依存しているにすぎず、その本質ではない。興味深いのは、薄れたとはいったものの、依然として芸人には何かホーリーな後光が指しているように思えることである。クラシックにしろポップスにしろ、現代のコンサートに足を運んで、そこにかつてなら宗教的なものと呼ばれたものの顕現を目にしないものはいるだろうか? またどれほど下らないと知識階級が言い張ったとしても、戯作に感涙する人はいつの時代も少なくないのである。それに、知識階級が大事にしているものですら、単に知識人向けの戯作でないとは限らないではないか。
・職人  貴族は趣味に第一の関心を持つ。聖者は超越的なるもの、隠者は作品史、芸人は観客に関心を持つ。道化は何かに関心を持ったりはしない。職人はメディウム、つまり素材に関心を持つ。  形式への問いは要するに歴史への問いであると言える。形式が歴史の産物であると見なすことは、近代以降の我々にとっては常識となっている。だが同時に、形式は素材を規定し、素材は形式を規定するものである。この点において、素材に感嘆するにしてもそれを征服しようとするにしても、職人の関心と隠者の関心が交わることもある。文学史上におけるモダニズムを思い浮かべればそのことがすぐにわかる。そしてモダニズムというものが一時代に限られたものでないということも、この事実からわかる。  一方両者の違いも明白である。隠者には彼らの作品をできるだけ複雑なものにしようとする傾向がある。過去と現実、形式と素材の対立に、彼らは美を見出す。職人においては、複雑さも歴史も第一位の関心事ではない。そのため、名工の技を鑑賞する際に特に歴史的事実を思い浮かべなくてもその美しさが十分に分かるように、洗練の極致にあったとしても、極めて単純なものを作ることもある。そういう場合の職人の技とは、あたかも人力で、石から完全な球体を削り出そうとするようなものである。  藝術家とは職人である、と考えられた時代もあった。藝術家が、言ってみればメディアを通して人々を誘惑する職業である以上、当然のことだろう。だが職人という理想像は、現代においては真面目に受け取られることは少ないようだ。たしかに職人はもっとも世俗的な芸術家像であり、その分容易に頽落した形式になる。優れた職人とそうでない職人を見分けることは、この民主化した社会においては個々人の好みの問題にすぎないとされてしまうからなおさらそうである。だがそれでも、ラディカルな職人であることの重要性は、現代において見直されるべき主題であると思われる。
・市民 :ソフォクレス ゲーテ  市民は、ある社会における理想的な人物を体得し、それを表現しようとする。彼らの表現するものは、その社会における最高の道徳と能力を、堂々たる威容として観客に提示する。彼らの提示する人物は、他の理想像が提示する人物のように、恨みを内に抱いていたり、変わっていたり、醜かったりすることがない。逆に、高次の道徳を備えた安定した社会の、最良の良心である彼らは、万人にとって重要な、ないし重要であるべき理想像を、恥も入り組んだ苦心も抜きで示す。重要であるベき、と述べたのは、いかなる道徳も衰退するものであり、衰退の時期に生まれた市民は、彼が備えた良心ゆえに、世間に逆らわざるを得ないことがしばしばあるからである。そういうときは、市民はまた別の理想像、聖者や隠者に姿を変えるかもしれない。それは未来にそうした優れた社会を打ち立てようとしたときも同様である。  聖者とは異なり、市民は超越的な感覚に二次的な興味しか抱かない。彼らが興味を抱くのは、高次の道徳とそれに伴う充実感である。彼らが神の法と言うときは、この高次の道徳を指しているのであって、そこに神秘主義の匂いを嗅ぎつけるのは誤りである。  諷刺の技を市民的芸術に含めるかどうかという問題は難しい。市民的芸術と同様に諷刺は良識によりかかっているものだが、往々にして、市民的芸術よりも実社会に対して疎遠になってしまっている。区別の基準は、結局、その作家の目的と素質に依るのかもしれない。アリストファネスやモリエールは常識に基づいて滑稽な人物を組み立てるが、市民とは呼び難いと私には思われる。また諷刺は、単に政治活動において相手方を攻撃する目的で用いられることもあるから、一芸術ジャンルとして数え上げることはできないようである。
どうでしょう。実際こんな感じなのでは? ちなみにこの文章自体は、道化と隠者が6:4ぐらいだと思います。
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c6h4clch3-share · 1 year
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サイバーパンク2077
あなたはサイバーパンクと呼ばれるジャンルを知っているだろうか。 端的に言えば、人体と機械とを置換するサイバネティック技術の普及した未来でパンク=自分の生き様や美学を貫き通して果てる好漢たちを描くジャンルだ。
そんなサイバーパンクの世界観で生きる一人のパンクとなって未来都市のオープンワールドを駆けるゲームが存在する。そう、それがサイバーパンク2077だ。
世界観
時は2077年、資本主義が増長し合衆国体制の崩壊したアメリカ。
国家や自治体よりも私企業がマネーパワーと政治的発言力を持ち、個人の尊厳や高潔な倫理なんてケツ拭く紙にもなりゃしねぇ。 サイバーウェアと呼ばれる人体に埋め込む機械による義体技術が普及した未来都市「ナイトシティ」で、各企業は覇権を握るために暗闘し、様々なギャングや傭兵が金に踊らされ代理戦争を行う、そんな世界。
とまぁ色々と書いたが、基本的に情報量で圧殺してくるジャンルなので簡単なところだけ抑えて聞き流してもらって構わない。 具体的には、以下のポイントだけ抑えて貰えればいい。
機械を人体に埋め込む技術が発達している
国家よりも私企業の権力が強く、ギャングを使った代理戦争をしている
舞台こそアメリカだが企業勢力は日系企業、中華系企業も参戦している
ギャング勢力の国際色も豊かで、ギャングの縄張りごとにそれぞれの文化で街が彩られていく
インターネットは AI の暴走により崩壊している
生き残っているのは都市単位のファイアウォールにより守られたイントラネット
元々は TRPG の系譜であり、プレイヤーはそんな裏稼業で自身の名を挙げるべく奮闘する傭兵となってさまざまな依頼を受けて銃弾をブチ込んだりブチ込まれたりみたいな日々を送っていく。2077 でもそれは同様だ。
サイバーパンク2077の「ウリ」
ゲームの限界に挑んだビジュアル
youtube
まぁまずはこの動画を見て欲しい。 ゲーム内のビジュアル表現の細かさと大都会の情報量に圧倒されることだろう。 画角などは撮影用に調整されゲームに必要な UI は消されているが、これらの映像は概ねゲームの映像をそのまま使用している。
こんな誰もが描いたような未来都市や広大な荒野をオープンワールドでハチャメチャに走り回れるのだ。もうこれだけで楽しい。 レイトレーシングにも対応し、細部に至るまでリアルを追求した未来世界が目の前に広がる。一人称視点の RPG であることもあり、世界観への没入感が非常に高い。
もちろん相応に要求されるスペックも高いけどね……。
最高に悪い治安
ところでこの未来都市、治安が最高に悪い。
至る所に浮浪者、荒くれ、酔っぱらい、ギャングがひしめいている。まともな市民なんてナイトシティには数える程もいない。 道を歩けばガンをつけられ、あちこちで鉛玉が飛び交い、夜のお店がネオンをギラつかせている。だがそれがいい。
命の価値が非常に軽いからこそ、どのように生きてどのように死んだかがパンクの人生を物語るのだ。平凡な男はナイトシティに居場所はない。 ある種、「武士道とは死ぬことと見つけたり」という由緒ある日本人的な刹那の情緒が遠く海を隔てたアメリカで生きている。
ところで、日本はこの世界観においては「悪役」である。 というのも、この世界観が世に出たのは日本の高度経済成長期、アメリカを経済力で喰おうとせんばかりの時代だった。アメリカ人にとって日本は武力によらない静かな侵略者であり、この世界観においてもそれは覇権企業「アラサカ」という形で登場しており、ナイトシティ市民には蛇蝎のごとく嫌われている。
そんな悪役であるところの日本で人気を博した「滅びの美学」が作中の主役であるパンクたちの価値観として普及しているのはなんたる皮肉か、と思わざるを得ない。
バディもの+ピカレスクロマンというオタク垂涎のストーリー
本作のストーリーを大まかにジャンル分けするなら、「バディもの+ピカレスクロマン」であろう。
主人公である「V」はナイトシティで活躍する傭兵であり、ストーリー序盤ではゲーム開始前から苦楽をともにしてきた気さくな相棒の「ジャッキー・ウェルズ」と、中盤以降の転機を迎えて以降は伝説のロックミュージシャンにして反企業を先導したカリスマ、「ジョニー・シルヴァーハンド」の意識体とともに様々な依頼をこなしていくことになる。
ジャッキー・ウェルズはスペイン系の流れを汲むラテンの陽気な男で、主人公Vとはあるきっかけから意気投合し相棒として傭兵稼業に飛び込んでいく。 陽気な言い回し、息の合った掛け合い、「背中は預けた」と言わんばかりの共闘体制。プレイヤーとしても親しみを持たずにはいられないそんな男だ。
反してジョニー・シルヴァーハンドはクズ・オブ・ザ・イヤー2020を受賞するクズの中のクズだ。 企業に対してのテロ活動を繰り返した結果、2020年の事件で精神を企業に捕らえられ、デジタルチップの中に閉じ込められた彼はVの頭の中で目を覚ます。 やれ「タバコを吸わせろ、無ければ買ってこい」だの、「この体は俺がもらう、お前は銃で頭を撃ち抜いて死んじまえ」だの、第一印象は最悪な上に、意識体なので戦闘ではクソの役にも立ってくれないしクエスト中も四六時中うるさいし何かあったらすぐ企業に中指を立てる。ジャッキーと比較してウザくて仕方がない。 だが、様々な難局を共にくぐり抜け、過去を共有し、次第に死に向かっていくVの体を案じている姿を見るうちに、不思議と憎めないやつになっていく。クズな友人を持つ気分とは、あるいは、ヒモに誑かされるとはこういうものか。まぁクズなんですぐ雑な関係に戻るんですけどね。
こういったタイプの違う二人の相棒とのバディ関係、関係性オタクならこれだけでご飯何杯食えるかわからない。美味すぎる。
マルチエンドを採用している本作では物語の決着の形はいくつかあるのだが、個人的には「死神」ルートと呼ばれるルートでのジョニーとの関係性が非常に好みなので、ぜひここまでたどり着いていただきたい。
また、本作は「ピカレスクロマン」の要素を汲んだ一作でもある。 ナイトシティの秩序は私企業が握っており、そんな企業に対して反旗を翻す「生き様への美学を持った傭兵」たちは反体制側という構図になる。 Vは単なる傭兵であり、企業への反感はあれどナイトシティの一般市民の範疇は出ていないのだが、ある事件で企業によって余命幾ばくもない身体となり、果には大昔の反企業テロリストと身体を共有することに。 そんな「同居人」に毒されたか、はたまた個人としての恨みか、傭兵として立身出世し名を挙げたVは最終的に覇権企業「アラサカ」に全面戦争を仕掛けるまでに至る。その過程で出逢う様々なパンクたちや相棒ジャッキー、ジョニーやV自身の生き様は「美学」と呼ぶべきものであり、その美学を貫き通して生き様をナイトシティに刻みつけていく。
こっちはこっちでオタクたまんないよなぁ!? じゃあ2つを一気に味わったらどうなっちまうんだ? ……こうやってナイトシティから出られなくなるのさ。お前もどうだ?
自由度の高いビルドシステム
オープンワールドといえば「自由さ」がウリのゲームシステムだ。
本作においても広大な舞台を自由に駆け回りあちこちに喧嘩をふっかけクエストをこなす楽しみはオープンワールドの基本通りの楽しみ方である。
だが、本作における「自由さ」はそれだけにとどまらない。 キャラクタービルドの自由の高さというのも本作を象徴する「自由さ」である。
例えば、自身の肉体のみを頼りに拳で全てを沈めていくストリートブロウラー。 例えば、アサルトライフルやショットガンで射撃戦を制するソロ。 例えば、敵地に隠密潜入しサイレンサー付きハンドガンで秘密裏に敵を屠るアサシン。 例えば、相手を視線だけでハッキングし悟られること無く敵を制圧するネットランナー。
これら全て本作で実現できるキャラクタービルドである。 もともとサイバーパンクという世界観は TRPG で培われたものであるため、それを踏まえた本作は主人公の戦い方にも TRPG さながらの自由さが反映されている。
FPS というジャンルではあるが、銃など撃たずともクリアは可能なのだ。 ちなみに、自分はハンドガンとハッキングで完全ステルスなニンジャプレイをしている。襲われたことすら悟らせず銃弾一発、視線の一差しで仕留める。超楽しい。
おわりに
本作は視覚聴覚テキスト、全てに渡って圧倒的な質感と情報量でプレイヤーを圧倒し魅了するゲームだ。 高い没入感と下らなくて魅力的な世界、そしてその世界で生きる一人の傭兵の生き様を自由に描いていけるゲーム性。まさにプレイヤーがナイトシティに生きていると言って過言ではない。
その分高いマシンスペックのゲーミングPCや次世代コンシューマ機を要求するし、ソフトの値段も高いので二の足を踏む気持ちはわかる……。とても良くわかる。 なので、YouTube でゲームプレイの配信や動画を見たり、同じ世界観で制作されたスピンオフアニメ「サイバーパンク エッジランナーズ」を見て、少しでもナイトシティに興味を持ってもらえたら是非本作を手に取ってもらいたい。 また、原作 TRPG も新版が本作の人気に後押しされ人気を博しているので、TRPG プレイヤーはぜひこちらも楽しんでいただきたい。卓が欲しければ立てるから。立てるから……
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anime-sheep · 2 years
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TVアニメ「咲う アルスノトリア すんっ!」と「プリマドール」の感想
TVアニメ「咲う アルスノトリア すんっ!」感想
世間はこのアニメを「退屈」と評価するだろう。でもなんか癒されたので良かった。ファンタジーの日常系と言っていいと思う。ちなみにゲームのキャッチコピーは「本当の魔法を探すRPG」。
ぼくは基本的には異世界転生モノが嫌いで(好きな作品もあるが)作品の中にリアルな現実社会を出してほしくない。ファンタジーならその世界観に浸っていたいし、そういう点でアルスノトリアはぬるま湯に浸かっているいるように心地よかった。世界観がかわいいし、制服がかわいいし、キャラクターがかわいいし、小アルベールがかわいい。アニメはゆるいけど、世界観はけっこう作りこんでありそうな気がする。登場する名詞なんかを調べると西洋エソテリズム(錬金術だとかグリモワールだとか)関連のネタが出てくる。
日常系といってもアシュラム?(ペンタグラムたち?)と騎士たちとの衝突が迫っているというような仄めかしがあるのだが、仄めかし続けるだけで何も事件らしい事件は起きることなく最終回を迎える。9割ゆるファンタジーで一瞬不穏なカットが混ざるけど結局なにも起きないこの感じ。超爆裂異次元メンコバトルギガントシューターつかさ の桐谷Mキリトを彷彿とさせる演出であった。
咲うアルスノトリアはゲーム原作なので「続きはゲームで」というプロモーションだろう。この仄めかしなんか無しであからさまな日常系で作れば良かったのにとさえ思う。
アニメ「プリマドール」感想
雰囲気は大変良いのだが、なんかもう一つ物足りない。世間でもそれほど話題を集めていないようなのでやっぱり何かものたりないんだろうな。でもなにが悪いのか分からない。
大正ロマン、スチームパンク、喫茶店モノ、五人のかわいいメインキャラクター達。戦争の終わった直後の世界。荒廃した街に生きる人々の謙虚さというか、そ���でも前に進もうという健気な姿勢というか、そんなものが伝わってくる。寒いけどがんばって一日を始める冬の朝のような静謐な雰囲気に満ちている。五人組のキャラ物なのにアルスノトリアとは違い、まったくぬるま湯ではない。
ストーリー自体も戦争によってこころ(あるいは論理機関)に傷を負った人や人形(オートマタ)が現れては、その傷を歌で癒していくというもの。すこしヴァイオレットエヴァーガーデン味を感じる。喫茶店で働く五人という設定はすこしごちうさ味を感じる。鴉羽が好きです。最終的には大きな事件を通して主人公である灰桜の誕生の秘密が語られる。というお話。
そして何が物足りなかったかというと、もしかするとキャラクターかな。メインの五人以外のキャラもけっこう出てたし、ぼくが世界観の雰囲気をこれだけ感じていたというのは、キャラクターたちの主張が控えめだったからなのかなという気がしないでもない。
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tobiphoto · 2 years
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ゲーム感想『Disco Elysium - The Final Cut -』
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【あらすじ】  目覚めると下着一枚、荒れた部屋の中目覚めた男。相当に酔っ払い、空き瓶が転がり、意識も朦朧としている。一体自分が誰なのか、顔も名前も思い出せない。ずたずたに引き裂かれたベッド、引き伸ばされたテープ、窓が割れ、外に転がり落ちたディスコシューズ……、部屋の外に出た時出会う物憂げな女と会話した後、一階に下りた「彼」を待つのは、眼鏡をかけた男だった。
 「あらすじ」があらすじの体を成さない程にこのゲームはテキストを読んだプレイヤーが何をどう感じ、この男をどう思うかで成り立つ。今から話すのは、<彼>を通じて、プレイヤーだった「私(箱庭とび子)」がどう感じたかの記録に他ならない。
(以下ネタバレ)
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■私の体験  先ず、最初に軽い能力値の選択がある。理想の刑事像(この情報は事前のネタバレとして手に入れていた)を考える。私が好きな刑事像は西部警察のような銃をバンバン撃つ暴力面に強い刑事というよりも、相棒の杉下右京、コロンボ、古畑任三郎、ク・ギョンイのような知的、且つ器用な刑事である。ただし、元刑事のエイドリアン・モンクは暴力面では弱すぎるので、いざと言う時“銃を撃つ”“不法侵入する”“若干の悪行には眼をつぶる”覚悟のある人物がよかった。そういう点ではク・ギョンイが一番理想の刑事に近いのかもしれない。デフォルトの左にある知的な刑事像を選択し、あらすじの下着一枚の<彼>と対面する。最初はホラーゲームを遊ぶように、この世界が怖かった。
 無意識を描くことを重要視するシュルレアリスムな描写によるそれぞれの思考イメージ(ゲーム中では<スキル>と呼ばれる)は、能力を上げる度に研ぎ澄まされ、捜査のアドバイスもくれるが、時に「うるさく」もなる。物語を客観的に話すモノローグの他に、その世界を構築する蘊蓄や、<彼>の内心が感じた印象などを言葉にしだすこともある。便利なのが、「嘘をついているように見えるという」というアドバイスすらくれる。  もう一つ、<彼>の助けになったりならなかったりするのが<思考>で、様々な出会いや体験から思想を受け入れ、その<思考>によって信念のようなものができていく。(個人的に思考と思想は逆?なのではないかと思う処もある、ゲームの雰囲気を思えば「思想」とした方がすっきりした気もする)
 1階で出会った相棒となるらしいキム・キツラギ警部と出会った<彼>はキムと話をしながら自分が誰だったのか思い出そうとする。どうやら<彼>は41分署という場所からやってきたらしい、ということ、41分署はかなり広範囲の地域を担当するらしく、事件解決率に難があるらしいことなどよくない話ばっかり聞く。この時、私は<彼>が「そもそも刑事なのか」という所から疑い始める。「もしかして、刑事じゃない別な人物で、刑事に成りすましているか、そう思い込んでいる人物なのではないか…」と。
 各ゲームで方向音痴ぶりを発揮する私は、実は最初裏庭にたどり着くのに苦労した。「あっちに死体がぶら下がっている」(そう、<彼>は刑事として、裏庭にぶら下がった凄惨な男の死体の捜査にやってきたらしいのに、裏庭にたどり着けなかったのだ)と言われ、まっすぐ向かった先ではデモが行われており、屈強な男がデモ活動の中心人物として活動していた。コンテナが積み上げられた港はこうしたデモの影響で封鎖され、要人に話を聞くのは大変らしい。  船着き場ではジョイスと名乗る身なりの良い女性と話しを行い、彼女が事件について何らかの情報を得ていることを知る。彼女は<ワイルド・パインズ>という企業の中でも偉い立場の人らしい。彼女はデモを“起こされている側”の上層部の人ということになる。
 様々な話を聞いていると、この街は労働者たちが独立して守っていることを何となく理解し始める。やっと見つけた裏庭の死体を調査し始めると集団リンチに遭った?らしきことがわかる。足跡、壊された扉、死体に石を投げ続ける子供。決して治安が良いと言えないこの街で、一週間放置された強烈な死体を前に、「吐くの?吐くの?」とまごまごする私が捜査する<彼>……。
 共産主義革命の爪痕残るこの街で新自由主義、資本主義、社会主義の強烈なイデオロギーが戦う、その渦中で起きた事件は誰に与するのか、そもそも、そうした思想なんてのは関係ないのか、それは捜査が終わるまでわからない。
 ただ、ハッキリわかるのは、このゲームはそうした推理を行う<彼>がどんな刑事なのか、プレイヤーの頭の中で補足しながら進めていけることだ。酔っぱらって下着一枚で倒れていたまったく信用ならない男が刑事らしくなるのかならないのかもプレイヤー次第なところがあるのだと思う。その点で、Disco Elysiumはまさしく旧き善きRPGを体現した作品でありながら、様々な資本の影響で開発されてきたゲームの刺激を受けたプレイヤーに、「想像」「思考」を促す内容だった。 最後、<彼>が何を見るのか(正直、私は自分の目を疑った)、どんな結末が待っていて、どのような評価が���るのか、そもそも<彼>は誰なのか、それが明らかになった時に面白い驚きもあった。
Twitterで呟いたが、Nintendo Switch版で物語が一通り終了したので、今度はPC、Steam版を購入しようかと検討している。夏頃にセールがあったそうなので、今度もしセールになるなら……それを待つかな。  ArtbookとSoundtrackも欲しい。それだけ好きになった。  私だけなのか、Switch版だけの問題なのかはわからないのだが、バルコニーにいる喫煙者に話しかけると物語が進まなくなるバグ?が発生する。物語終了後にネタバレを見てしまったのだが、プレイヤーが操作できる人物のセクシュアリティに関わる選択なども含まれる様子なので、できれば解消されてほしい。
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↑ここから進まない。ちなみに、左下の男が<彼>。
 ちなみに…私が遊んだ時は超リベラルになった。えへへ。  各スクリーンショットはNintendo Switchで私が撮影したものです。
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yokoham · 3 years
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雑記20201222
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暮れも押し迫る昨今、Youtubeでニュースを見ていると「どこそこの市議会議員たちが多人数で会食をしていた」だの「GoTo事業が停止やら時短要請やらで苦しい業界」だのを延々と報じていて、それならもうツイッターで話題のペット動画でも取り上げてくれたほうが世の中が良くなるような気がするのですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
僕の最近の関心事は2つです。
ひとつは、今年リリースされた『真・女神転生III NOCTURNE HD REMASTER』の値段がどこまで下がるのか。やっぱりメガテン、ドラクエやFFほどの人気は無く、あえなくAmazonを先頭に価格が下落傾向にあります。元々の購買層(僕)は既にPS2版を複数所持しているはずなので「まあすぐに買わなくてもいいや」という人も多いはず。そのうち買います。
もうひとつは、12/11に購入したコートが届かないということです。
そろそろ僕もいい年をしたおっさんなので、H&Mのぺらぺらなコートじゃなくて、年相応にハイブランドのコートを着ようと、みんな大好き京都大丸に行ってきました。バーバリーでカーコートを買おうと思ったら希望のサイズが無く「オンラインでもご購入いただけます」ということなので、家から注文しました。
そしたらイギリス直輸入でやんの。でもUPSだからすぐに来るわ、と思ったら、なぜか中国の深センでDelay状態。荷物が足止めされ、未だ届かず。いったいいつになったら届くのか、せめて年内に届いてほしいなと思っている次第です。
毎日やっているリングフィットアドベンチャーのおかげで毎日Switchを起動しているわけで、そんな中の“ ついで遊び ”で熱いのが『ナムコットコレクション』。ナムコがリリースしたファミコンタイトルが遊べるソフトです。
1本330円で『女神転生』や『キングオブキングス』が遊べちまうんだぜ! 両方ともアトラスじゃねえか! 300円ちょっとでたっぷり遊べる、超コスパの良いエンターテイメントなんだぜ。
今なら1/11までは単品ソフトが20%オフで、セット売りが10%オフ(セットは元々割安)で買えちまうんだ。年末年始、ファミコン時代のナムコを堪能できるチャンスだぜ! RPG好きには『貝獣物語』もお薦めだ。
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ohnussy · 5 years
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Nussygame 2018年反省会
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Sorry, this article is japanese only!
2017年反省会
2018年は、Buriedbornesで飛躍したNussygameが、さらに次のステージへステップアップしていくための挑戦の1年になりました。
今回は、少しボリューム多めに、読み応えのある内容になっています。
ゆっくり読んでいってもらえたら幸いです。
止まらない”B2”の成長
今年で35歳になりました
“Nussygame”の歴史
2018年 決算
止まらない”B2”の成長
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2016年8月リリースからおよそ2年半で、Buriedbornesのユーザ数は留まる事なく成長を続けています。
2018年に入って、Buriedbornesの更新スケジュールは13週に1アップデートの形式を開始しました。
今後のアップデート計画について
v2.6.0
v2.7.0
v2.8.0
v2.9.0
当初は更新頻度の低下に伴い、ユーザの皆さんに不満を感じさせてしまうのではないかと不安もありましたが、更新ごとに大きなコンテンツ充実ができたため、結果としてユーザ数も増え、前年比でおよそ50%の増収ができました。
現在、Buriedbornesは広告を利用しておらず、これらのユーザ数増はその全てがクチコミによるものと言ってよい状態です。そして、増収も、そうして増えていったユーザの皆さんが積極的に応援してくださっているから実現できたものです。
本当にありがとうございます。 
これからも、Buriedbornesで色々な楽しみ方を提供していけるよう、アップデートを続けて参ります。
今年で35歳になりました
いよいよアラサーからアラフォーに片足突っ込みました。ヤバイ。
長い事ゲーム開発を続けてきましたが、 気がつけば来年には20周年の節目の年を迎える事になります。
初めて作品は仕上げたのは高校2年生のときでした。
これまでに仕上げた作品総数はおおよそ27作品。
今回はせっかくなので、過去に作ったそれぞれの作品について、どのような経緯で開発してきたか、どういった事があったか、などを振り返ってみたいと思います。
「そういう昔話には興味がない」という方は、スルーしていただいて構いません。
“Nussygame“の歴史
※おおよそ時系列順ですが、多少前後している箇所があります。
Fraternal Narrative
2000年頃。RPGツクール2000。
当時16歳だったohNussy少年は、両親と進路についてもめていました。
「システム系の大学に行きたい、将来はプログラマになりたい」という進路希望を渋られて話は平行線でしたが、実兄の提案が橋渡しとなりました。
「プログラマやるなら、仕上げられなければ仕事にならない。何か作品を作らせて、それをどこかに応募できたら進路を許したらどうか」
結果、私はこの作品でとあるコンテストで銀賞を受賞し、3万円を貰う事になります。
この作品を通して私は「作品を完成させなければ何の評価も受けられない」「作品を仕上げて世に出していかなければならない」という、クリエイターにとって一番大事な意識を手にしました。
兄には本当に感謝しています。(ちなみに兄も、ジャンルは違いますがクリエイティブな仕事をしています)
B10000
2006年頃。ASP(Active server pages)。
大学時代は他の楽しい事にかまけて、ゲーム開発をしばらく離れていました。
卒業間近、チームでいわゆる通販サイトのサジェッション機能を開発する課題で、はじめてASPに触れる機会を持ちました。
触っているうちに、すぐに気がつきました。
「あ、これでゲーム作れる」と。
この経験を元に初めて開発したWebゲームがこのB10000でした。
元々は10000フロア分のデータを作る予定でしたが、現実的でないという事に気づき、途中で開発を断念しています。
しかし、この時には既に「ランダムドロップ」「ダンジョンを進行していくバトルメイン」「1プレイ遊びきり(≒ローグライク)」というNussygameがメインテーマとして扱うゲームデザインの骨子は出来上がりました。
B2
2007年頃。PHP/MySQL。
Buriedbornesの前身。この作品があったから、Buriedbornesが生まれました。
B10000を開発したもののそのあまりの非現実的な必要データ量に辟易し出した答えが「同じデータをLvでスケールさせて使い回す」でした。
Buriedbornesでも9Fボス・10Fボス・25F/75Fボス・100Fボスなどがサイクルして出現するシステムを採用していますが、このB2でそのシステムの原型が出来上がりました。(このときは1Fの密度が1戦闘のみだったので、1000Fごと・10000Fごとのボスが存在した)
「ランダムにドロップしたアイテム・スキルを取捨選択してビルド構築する」というシステムもB2で出来上がりました。
ASPでの開発環境に不満が多かった事からPHP/MySQLを独習し、この作品から使い始めています。
また、この時作品を2chのVIPと呼ばれるかなり特殊な環境で作品を公開していたため、匿名ユーザからの激しい攻撃なども経験しました。
しかし、最初こそ否定的だったユーザ達を、持ち前の高速更新で要望や修正点を猛烈な勢いで実装していく事で認めさせ、最終的に殿堂入りタイトルという扱いを受けるにまで至りました。
(ただ、その後自宅サーバが死んでゲームデータ・ソースコードなどの全てが消え去りました… バックアップマジ超大事)
ちなみに、この作品のおかげで転職面接に合格できました。(PRに使用)
B2+
B3
B4
2008年~頃?詳細不明。PHP/MySQL。
迷走期。B2の成功と死を受けて、より良い作品を作ろうと試行錯誤した作品群。
しかし、そのどれもがそれぞれに問題点を抱え、成功とは程遠い結果になりました。
具体的には、「プレイテンポがB2ほど良くない」「B2に比べ複雑過ぎる」「不具合が多すぎる」「単純にゲームが重い」などの問題がありました。
これらの作品は完成度は低く結局公開を取りやめましたが、この時得られた「気軽に遊びたいユーザは、常に気持ちのいいテンポを求めている」という知見は、現在まで活かされています。
ゴブビレ
2007年頃。Javascript。
記念すべき初Javascript作品。
「ゴブりんビレッジ」の略。
Javascript覚えたての頃に何か作品を作りたいと思っていたところ、当時Civilizationにもハマっていた影響で開発。
村に施設を建てて人口を増やしていくという内容。この「箱庭人口増加シミュレーションゲーム」シリーズは最近ではツギスペにまで継がれています。
ゴブビレオンライン
2009年頃?詳細不明。PHP/MySQL。
ゴブビレのゲーム性をより簡略化し、ネットワーク機能を加えたもの。
プレイヤー間で資源の取引ができたりと様々な(主にネットワーク機能面での)挑戦を試みたものの、あまりの高負荷に運営を挫折。
ネットワークやサーバに処理を依存しすぎるとゲームに必要な最低レベルの快適さすら損なわれてしまうという初めてのトラブルケースに行き当たり、以後のネットワーク機能開発の判断に影響を与えています。(常時同期を避けたり、多くの処理をクライアントで完結する形を優先するようになりました)
ちなみにこの後、仕事の関係で1000行レベルのSQL文の改修という地獄のような業務に巻き込まれていく事で、Indexなどのパフォーマンスチューニング能力を身につける事になりました。仕事の環境はOracle DBでしたが。
剣戟
剣戟2
~2012年頃?詳細不明。PHP。
対戦ブラウザゲーム。
多分この時期Starcraft2にハマって対戦ゲームの奥深さに興奮し、メタゲームをシンプルにして遊びやすくしたタイトルを作ろう、と思い立ったような記憶があります。
ネットワーク機能挑戦その2。結果、今回はおおよそ成功。地獄の業務が私に負荷対策の勘所を与えてくれたようでした。
また、レートマッチングなどにも挑戦しました。(特定の相手とばかりマッチングする上に勝率100%のビルド相性なら上位側がガンガンレートを上げられてしまったみたいな問題もいっぱいありましたが…)
Fraternal narrative2
2011年前後?詳細不明。RPGツクールXP(多分)。
人生初の嫁さんとの合作。
イラストを描いてもらい、そのキャラクターでRPGを作りました。
上述した学生時代の作品の続編。
この作品はコミケ?で頒布を行いました。
この直前に病気で療養してた時期もあって、リハビリも兼ねていたような気がします。
ミニゲーム4つ
2012年頃?詳細不明。すべてJavascript。
しばらくゲーム開発から離れていたため、再び開発したいと思いながらも、なかなか大きなタイトルの着手に踏み切れず、まず手始めにできる事からやろうと作った作品群。
具体的なタイトル名すら忘れました。(1つだけ覚えているのが「P&M」、パラディンとメイジ��2人組でダンジョン攻略する、スキルをタイミングよく使うだけのシンプルゲーム)
どのタイトルも1日か2日程度で開発したのだけは覚えています。
ちなみにこのP&Mのゲームデザインは、最新作Ending Daysのゲームコンセプトに影響を与えています。
Lonely colony
2014年頃?詳細不明。Javascript。
確か、B100の後くらいに開発したはず。
この頃にはJavascriptが快適に動作するスマホがもう出回っていたので、スマホのブラウザで遊べるタイトルを1つくらい作りたいなという思いから、ゴブビレのゲームデザインを元に開発しました。
B100
2013年。Flex。
小さなゲームデベロッパに入社し、業務でWebゲーム開発のためにFlexを使い始めました。
「せっかくFlex覚えたしこれで何か作ろう」と思い立ち、正月休みの1週間ほどで開発。
これがたまたま軽くバズって人気が出ました。
が、AWSのファイル転送コストが異常なほどかさみ、入ってくる広告費よりもAWSに払う額の方が多いという手痛いミスを犯しました。
B100S
2014年。Unity。
初Unity作品。
会社がWebゲーム単体からスマホ向けの開発にシフトするためにUnityを採用しました。
当時既にテクニカルマネージャだった私は「とりあえずUnityで開発したいからできるようになって」という要請を受け、習作としてB100Sを開発。
どうせなので自分でもアプリ配信などを行いました。
この時から、個人でのアプリ配信を開始しています。
配信作業も直接行っていたので、個人事業に移ってからもすんなりとアプリ配信が始められました。
DeckDeDungeon
2015年。Unity。
Nussygameとして独立してから開発した、記念すべき最初の作品。
Nussygame立ち上げ当初、B100シリーズの続編開発を検討してゲームデザインを練っていました(このタイトルは「Dungeon Complex」でしたが、この作品は未完未発表です)が、なかなか思うような形に仕上がらず、煩悶としていました。
そんな中、(今でも覚えているのですが、風呂に入りながら)「B100以外で良いゲームデザインないかな… そういえばB2があったな」とB2のデザインを改めて考えていた時に、これまたこの時期遊んでいたMagic:the gathering・ドミニオンの事が脳内で結びつき、「拾うアイテムやスキルを全部カードにしてて、デッキを構築してダンジョンを進むゲームにしたらどうか?」というアイデアが閃きました。
こうして出来上がったのがDDDでした。
ゲームバランスの乱れやマネタイズの不足により継続的な運営はできませんでしたが、作品としては今でも面白いと思っています。
あと、この作品はやたらSlay the spireというゲームに似ていて、そのゲームが出た頃にも話題に上がりました。(こっちが先ですよ!)
DeckDeFantasy
2015年。Unity。
DDDは決してつまらなくはなかったものの、マネタイズでは成功とは言い難い結果でした。
そのため、改めて開発したのがDeckDeFantasyでした。
古代の守護者エコの初登場作品です。
この作品で初めて、いわゆる「マシ」なレベルのマネタイズに成功しました。
それでも、家計を維持できるレベルには達せず、次作開発に移ります。
DeckDeDungeon2
2015~2016年。Unity。
DDD・DDFの続編。ゲーム性はDDD寄り、ストーリーはDDFの続きというものでした。
マネタイズも走り出しは順調で「このタイトルで行ける」という確信を持ちつつありましたが、2016年頭に「バランス調整・ゲーム性改善」の名目であまりにも高頻度で更新を行ってしまったがために、ユーザが大量に離脱。(ひどい時では毎週のようにカードの効果が変わってました)
結果的には運営維持が難しいタイトルになってしまいました。
「ユーザは当然”良いゲーム”を求めてはいるが、求めているものは良いゲームという”結果”で、劇的な変動そのものを求めているわけではなくむしろそれを嫌う」というユーザ心理の複雑さを知る事になりました。
ゲームそのものは面白く、拡張性もあったので、非常に残念です。
DeckDeシリーズはこの作品で一旦止まっていますが、「デッキ構築RPG」というテーマは、またやりたいと常々考えています。(ただうまくまとまったゲームデザインを出すのに四苦八苦中)
閉ざされた山林にて
2014年?記憶が曖昧。Unity。
通称ホシノメ。
この作品はB100Sと同じく、Unity習作という位置づけでした。
B100Sで基本的なUI要素だけによるゲームは実現できたので、3DマップをFPS形式に動き回れるゲームを作っておきたかった、という経緯があります。
ラブクラフト作品にもハマっていた時期だったので、「思わせぶりで、明確な答えのない、気持ちの悪いホラー」というコンセプトで開発してみたところ、得られた感想が「答えが出なくてスッキリしない、ゴールが見つからない難解な作品」でした。
「真エンディングとかないですごめんね」というアナウンスをするというよくわからない事態に発展した、なんだか変な作品ですが、個人的には愛着が深いです。
閉ざされた山林にてリメイク
2017年。記憶が曖昧。Unity。
ぶっちゃけると、UnityのNavMesh機能(プレイヤーを追尾するAI)の習作です。
ついでに、元の作品で曖昧なままになっていたストーリーに一区切りつけようと真エンディングまで用意しました。
作品としては特筆すべき点はあまりないですが、開発練習としてはちょうどよかったです。
B10 Memories never last
2016年。Unity。
DDD、DDF、DDD2と度重なる失敗でNussygame個人としてやっていくのに、限界が近づいていました。
そろそろまともな収益が上がる作品を仕上げられないとまずい、個人事業として立ち行かなくなるぞ。
よし!堅実に、B100の続編を作ろう。
そうして開発した作品でしたが、「早く出さなければ」という焦りから、十分なテストなしにリリースされた作品は完全にバランス崩壊しており、中身スカスカでスリルやビルド構築の楽しさなどが失われたものとなり、残念な仕上がりとなってしまいました。しかもマネタイズが全然考慮されていないという体たらく。
「焦ってタイトルを出してはいけない」という教訓を得る結果となりました。
Buriedbornes
2016年~。Unity。
言わずもがな。現在のNussygameの主力タイトル。
「プレイヤーが楽しんでいるものを壊さない」
「プレイのテンポをとにかく大事に」
「足りない部分をしっかり補ってから出す」
「マネタイズを軽視しない」
「ネットワーク機能は最小限に」
etc...
Buriedbornesをプレイし、ここまで読んでいただいた皆さんには、数々の失敗とそこから得た教訓がこのタイトルに存分に活かされていた事を読み取ってもらえたと思っています。
ちなみにこの作品でもコケていたら、個人事業を畳む予定でした。危ないところだった…
ゴフンガ
2016~17年。Unity+PHP。
UnityとPHPを連携してUnity+サーバサイドとWebページを連動したサービスに挑戦。
「うまい人が5分で描いたラフ画を見たい」という本当に場当たり的な思いつきから作ってみたサービスでしたが、利用率の悪さなどから運営継続を断念。
ネタは悪くなかったものの、しょうもない投稿も多く、一見さんの印象が悪くなりがちでユーザが定着しにくかった模様。
一発ネタがそう簡単に当たるわけない、という当たり前のような教訓。
俺と魔王の30分
2016年。RPGツクールMV。
「Web版も作れる」という事でMVを購入し、試しに作った作品。
「短い作品を作ろう」というスタート地点から、この時期よく見ていたRTA動画の影響で「制限時間内にクリアするRPGを作ろう」というアイデアに発展。
本作のコンセプトは、最新作Ending Daysにも引き継がれています。
ツギスペ
2018年。Unity。
「2018年新作3本作ろうキャンペーン」第1作。実際に3本も作るには時間があまりにも少なすぎ、2本弱が限界でした。すみませんでした…
この作品自体はほとんどユーザ数を獲得できずアプリストアの隅でひっそりと生きていますが、本作開発にあたって自前のフレームワークを開発しており、Ending Daysではこれを利用して開発する事で大幅な工期短縮に成功しています。
元々はそこが最大の目的での開発だったので、仕方がないと思っています。(勿論人気が出たら御の字ではあるのですが、如何せんゲーム性が複雑過ぎ+フレーバーがウケにくかったようです…)
Ending Days
2019年~。Unity。
Buriedbornes以来、初のNussygame 新作RPGです。
お楽しみに!
2018年 決算
これまでの20年を振り返ってみて、一貫して続けてきた事がひとつ見つかりました。
それは、「興味を持ったことは、とりあえずやってみる」でした。
ASPを覚えた。作ってみる。JSを覚えた。作ってみる。Flex覚えた。作ってみる。Unity覚えた。作ってみる。
技術だけでなく、アイデアやゲームデザインも、手当たり次第に手を出してきました。
「これを使ったら面白い事できそう」そう思ったら、迷わずに手を出してみる。
それを繰り返してきた事が、私にたくさんの失敗と、それに伴う学習と、それを使っての成功を与えてくれました。
恥もたくさんかいてきましたが、代わりの自信と結果も手にしてきました。
今ここに至って、その収支は黒字になったと胸を張って言えます。
2017年、2016年のおおよそ倍の年���になったとお伝えしました。
2018年、年収はまたさらに1.5倍になりました。
個人として、これ以上望むべくもないほどの水準に達しました。
本当にありがとうございます。
しかし、それでも足を止める事はありません。
ただそれは、さらなる収益を求めるのではなく、既に受けた過分な恩をお返しするために足を止めてはならないだろう、という事もありますし、何より私自身がまだまだ満足し足りていません。もっともっと、面白いゲームを作りたい、様々なタイトルを手がけていくにつれて、むしろその想いはより強くなっていきます。
感謝をお返しするのは、まだまだこれからだと思っています。
2019年には、最新作Ending Daysをリリース。
Buriedbornesも、v3.0.0アップデートを行い、『しじゅつしつ』などのさらなるコンテンツ拡充が予定されています。
さらにその先へと、もっともっと「面白い」を求めて、前進を続けていきます。
2019年も、 Nussygame をよろしくお願いいたします。
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alexswak · 6 years
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Hikawa Ryusuke’s Akira Article(jp)
Hikawa Ryusuke is probably the most famous Japanese anime critic. He wrote an extensive article on the anime industry before and after Akira, articulating what lead to Akira and how Akira influenced the industry thereafter. This article was published in "Akira Animation Archives” which is rather hard to find in good condition, so I thought I might copy the article somewhere. It’s in Japanese nonetheless, as I’m not capable of translating such a sophisticated text, but I hope me publishing this article would lead to someone being interested in translating it. I believe it contains some pretty useful and valuable information. 
‘80時代----「Akira」が”ANIME”にもたらしたもの
本書では、アーカイヴよしてアニメーション映画「AKIRA」の現存する制作資料を句能な限り良好な状態で収録した。完成フィルムとは異なるプロセス上熱気や思いが、そこに見えたことと思う。では、こういった成果物を生んでいった周囲の状況はどうだったのだろうか。あるいは歴史の中で「AKIRA」という作品はどう位置ずけられるのだろうか。あとがきにかえて、ここにその俯瞰図をまとめてみた。
アニメ史から見た’80年代
アニメーションは今や会社にとって、子供のための娯楽映像という存在のみの状態から完全に脱皮し、広く青年、大人へ、あるいは世界へと観客層の拡がりを見せている。
そのきっかけは、1977年、「宇宙戦艦ヤマト(映画版)」の巻き起こした”アニメブーム”である。ところが「AKIRA」の上映された1988年。。。それかれあ約10年が過ぎたころには、原初のアニメブームが持ってータ熱は冷め、明らかに大きな陰りと断層が見えていた。富野由悠季監督作「機動戦士ガンダム」(1979年作品)を産み、アニメブームを牽引した巨人ロボットアニメ作品がTVから一時撤退しているのがそれを象徴しており、オリジナリティや作家性に期待されたビデオアニメもぱっとせず、時代の節目となる兆候がいたるところに見られた時期である。
ブームを陰らせた原因は、大きく以下のつではないかと推定される。
1つ目は学生時代に「ヤマト」や「ガンダム」でアニメに目覚めたいわゆる第1世代(1960年生まれ中心)が、だいたい1982年ごろから「卒業」し始めて会社人になり、’80年代中盤ごろにはほど全員の「卒業」が完了したこと。2つ目は、娯楽性を持った新メディアとして家庭用ゲーム機(ファミコン)が五すぐ急成長したこと。これによって「ドラゴンクエスト」(’86)など高い物語性を有るし、観客が参加する句能なRPGという、アニメよりもおもしろいものを購買層が見つけてしまう。3つ目は、この時期にレンタルビデオが300~500円という価格で全国配備完了したこと。これ以後アニメはハリウッド娯楽大作と同額という、激しいコンペティションに常時さらされていくようになる。
こういった状況下では、アニメ企画も変化さざるを得ない。作品企画をたくさん回して何本か当たるものがあれば良いという風潮よりは、いわゆる”選択と集中”が行われ、セグメンテーションがシフトしていく。ひとつの例がビデオアニメの変化だ。1987年ごろまで、オリジナルビデオアニメ(OVA)の主流は「プチ劇場アニメ」であった。つまり興業規模や尺の観点からすると映画館にかけられるほどではないが、スター性のあるスタッフやキャストを前面に押し出してセールスする方向性だった。これが輝きを失った対抗策として、1988年の「機動警察パトレイバー」が30分6本シリーズの新フォーマットとブロックバスター価格(4,800円)を提示し、逆転ヒットを果たす。結果、OVAは「プチ劇場」から「デラックスなTVアニメ」へとセグメンテーションをシフトさせていった。「AKIRA」が登場した1988年は、日本のアニメーション界自体が、こういった大きなパラダイム・シフトにされされていた時期であった。この周囲状況の変化を念頭におくと、なぜ「AKIRA」がこのような作風となったか考えるとき、理解の一助となるだろう。
’80年代前半、劇場アニメの新時代到来
ビデオアニメという、”TVアニメ以上劇場アニメ以下”というジャンルが新設されたことは、逆に劇場アニメに要求される価値レベルを上げた。それと呼応するように、劇場用アニメーションは’80年代前半に新時代を迎えている。
1983年末に、成人向け以外で初のOVA「ダロス」がバンダイビジュアルから発進する。同年春には角川書店がアニメ制作に進出、マッドハウス制作「幻魔大戦」を公開する。それがキャラクターデザインに大友克洋を起用した初の作品であるのも因縁めいている。1984年には、それを迎撃するような動きがある。講談社が夏に同じマッドハウスで「SF新世紀レンズマン」を制作。だがこれは慘敗に終わる。一方、徳間書店は春にアニメージュ誌に連載されていた「風の谷のナウシカ」を原作者・宮崎駿目身が監督という形で劇場アニメ化、大ヒットとなる。
結果、東映長編漫画映画の血脈を持つ宮崎駿監督と盟友・高畑勲監督の作品をつくる目的で徳間書店の出資によるスタジオジブリが結成され、1986年の「天空の城ラピュタ」を経て1988年には「となりのトトロ」が「火垂るの墓」と2本立て興行で公開、”ジブリ” ”宮崎アニメ” というブランドこの時期に完成した。
玩具や出版に携わる会社は、アニメブームの当初は著作権のニ次使用者であった。ところがその利用側だった会社が発信側に回って一次著作者となるとともに、コンテンツを多彩な展開に使うことを開始、勝者を生み始めていった時期と見ることができる。
「ナウシカ」と同じ1984年春には、押井守監督の名を一躍有名にした「うる星やつら2ビューティフルドリーマー」が公開、その作家性を世に知らしめた。同年春には「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」が劇場公開。河森正治が弱冠24歳で監督し、それまで版権イラストでしか描かれなかったような細密な描き込みを行ったことで、大きな話題を呼んだ。
こういった”作家性” ”緻密さ” ”リアリティ重視” ”若手” ”新規参入会社” という流れの頂点に立つのが、1987年の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」である。この映画はバンダイ制作による劇場アニメの第1作で、のちに「新世紀エヴァンゲリオン」(’95)を制作するガイナックス初の作品でもある。山賀博之監督以下、中核スタッフは大阪でSF大会用映像をつくっていたアマチュア集団ダイコンフィルムの出身で、いわゆるオタク第一世代にあたる若手だ。
彼らの劇場映画「王立宇宙軍」は、そういうパロディ色の強いフィルムになるというおおかたの予想を裏切り、市井の若者が持つ等身大の��折と野心を当時としては画期的なリアリティをこめて描ききった野心作として公開された。
リアル系作品を貫く人の流れ
このように、’80年代の動きを追っていくと、やがて’90年代になって世界に日本発の”ANIME"の名をとどろかせるべき、ほとんどの役者(アニメクリエイターと会社)が出そろいつつある様が見えてくる。
この流れに、’80年代後半の2つの出来事を追加したい。一つはビデオアニメの覇者「機動警察パトレイバー」が1989年に映画化され、その制作現劇が後に「攻殻機動隊」(’95)をつくるプロダクションI.Gになって、ビデオシリーズから格段にアップグレードした映像を見せたこと。そしてもう一つが本書で取り上げた作品「AKIRA」---そのもたらしたアニメ映像への考え方と、人の流れである。
’90年代につながる流れを見ておこう。「AKIRA」制作末期には、スタジオジブリで「となりのトトロ」を終えたばかりの原画マン(高坂希太郎、 二木真希子、金田伊功)が参加。その”お返し”という意味か、ジブリの次回作「魔女の宅急便」(’89)には森本晃司、井上俊之らが原画で参加している。ここで森本晃司と当時ジブリの制作デスクを担当していた田中栄子が出会い、片渕須直や佐藤好春らとともにスタジオ4Cを結成。大友克洋原作・監督「MEMORIES」(’95)や大友克洋XX成・総監修の「スプリガン」(’98)生む母体となっていく。
また、「AKIRA」における出会いが北久保弘之監督作品「老人Z」(’91)を生み、大友克洋は原作・脚本・メカニックデザインを担当している(キャラクターデザインは江口寿史)。この作品には緻密な絵を描く漫画家として知られていた今敏(こん・さとし)が美術設定でアニメ初参加。今敏は大友克洋のアシスタント経験もあり、実写映画「ワールド・アパートメント・ホラー」(’91)を漫画化した作家だ。「MEMORIES彼女の想いで。。。」の脚本を経て、マッドハウスで「パーフェクトブルー」(’98)、「千年女優」(’02)を監督する今敏は、「老人Z」で北久保弘之、沖浦啓之と机を並べていたという。
インタビューページにもあるように、沖浦啓之は「人狼 JIN-ROH」(’00)、北久保弘之は「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(’00)と、90年代未にプロダクションI.Gの成表作を監督することになる。
ここでこういった流れを全部追うことはできないが、「AKIRA」を振り出しにした連鎖反応は多い。人と人に展する技術は流れ、人の進団たる会社を媒介として継承されていくという認識は重要だ。そのように見ていくことで、作品と作品の間に血が通い、ときに遺伝子のように形質を移し替えながら進化をうながす、そういった有機的な結合が見えてくるからだ。この認識を持った上で、アニメーション映画「AKIRA」の位置ずけと、この作品がもたらしたものへの考察をもう少し進めていこう。
アニメーション界に到来した二度の”黒船”
こういう説はどうだろうか。日本のアニメーションは、”黒船”の到来を二度受けているというのは?
非常の失礼な考え方かもしれないが、鎖国をしていた日本が欧米から開国させられ、欧米文化を取り入れて”近代日本”になったように、”アニメーションの国”に”漫画の国”から黒船がやってきて、大変革があったーーーそういうイメージが、どうしても脳裏に浮かぶのである。
一度目の”黒船”とは、手塚治虫のTVアニメ「鉄腕アトム」である。手塚漫画の功績は、乱暴にまとめると、描き割りじみた平面的な日本の戦前漫画に、映画的・映像的なカット割りと構図を連想させるコマ割りを導入し、エポックをもたらしたということになる。
しかし、手塚がアニメ版「アトム」で導入したのは、逆に電気紙芝居と揶揄されたほど非映画的で、止め絵のズームや強引なカットバックでフィルムをつないだものだった。これは、漫画のコマ割りの間にある断層をそのまま持ち入んだような作法である。TVシリーズ予算の問題に対する解決案として、よく槍玉にあげられる3コマ打ち(★1)の導入よりも、このカット割りの方が後世に対する影響は強いのではないか。よく動かそう、アニメ―トしようと見せ場をつくるよい、1枚絵の密度を上げ、少ない枚数、場合によっては止めの積み重ねで見せていくという”アニメ”(呼称も省略形が似合う)の手法は、これは現在でもTV作品の主流になっている。
こう考えて来ると、二度目の”黒船”が大友克洋の本作「AKIRA」という考え方も、何となく成立するように思えてる。”アニメ”は、ここで”ANIME"(★2)への第一歩を踏み出した。。。というと、作り手側は違和感を覚えるかもしれないが、観客サイドからのこういう整理もアリと思って大目に見て欲しい。
1980年前後、大友克洋が漫画界へもたらしたショックは、かつての手塚治虫に匹敵するものがった。日本人の”日本人らしさ”を骨格、骨相とも正確にとらえた人物造形、メカニズムやビル群といったものを緻密に描き込んで厚みを加えられた世界観、映画的な構図とコマ割りなど、漫画に新しい潮流をもたらした。実際、大友克洋以前と以後では、漫画全体に密度感やリアル感という要素は、もし定量化できるとすれば明らかに増大しているであろう。
「AKIRA」以前以後の変化とその要因
問題は、アニメーション「AKIRA」の場合に何が起きたか、「AKIRA」以前以後で何がどう変化したかということに紋られていく。
まず、「AKIRA」の公開時によく言われた「2コマ打ち、リップシンクロ」については、新規技術でも何でもないフルアニメーションの本来的な定義である「画面内にあって動くべきものはすべて自然に滑らかに動かす」という観点からすれば、対費用効果を無視すれば当然の手法である。クイックアクションレコーダー(★3)も制作プロセス上の省力の問題であり、表現には影響しない。黎明期のCG導入(スペシャルパターンの回転)も、光学合成の代用的な使われ方しかしておらず、見せ場となったわけでもない。
こういった宣伝向けに言われてきたことではなく、もっと表現の根幹部分に、むしろ本質的な変革があったように思われる。
キーワードとしては、大友が漫画に与えた影響の劇合と同じく、密度感とリアル感(リアリティ)が中心に来るのでないか。
「AKIRA」で新しい試みのように言われていることは、実はディズニーを代表とするフルアニメーションの作法であった。では、それを導入して「AKIRA」がディズニーのようなアニメーションになったかというと、それとはまた違うところがおもしろい。ここで密度感とリアル感の問題が浮上してくる。ディズニー的なアニメーション作法は、教科書の1ページ目に「スクオッシュ&ストレッチ(漬しと伸び)」と書いてある。つまり、実際の自然現象を省略と誇張することによって、人間の動体に対する感覚をブーストしてある種のトリップ感を引を出すということが、彼らのアニメーション哲学というか、大前提の考え方として存在しているわけである。
ところが、これがわれわれの目からすると、このゴムのような動きはリアリティを損なうものと映る場合が多い。これはディズニー的なものを貶めているわけではなく、文化・作法の差の問題だ。では、「ゴムのようにグニャグニャしないフルアニメーション」があるかというと、それはある。太平洋戦争中のフライシャーによる短編アニメ「スーパーマン」がまさしくそうだ。ここに登場するメカニカル・モンスターは、重心を移動させながら足を出して歩くと、一瞬遅れて手がぶらつくといった、破綻なくもっともらしいアニメートを見せることで確保されたクオリティが、リアリティの震源地である。
だが、それと比較しても「AKIRA」は異なっている。「AKIRA」の場合、ショット全体が抱える重みと、それがフィルムの流れの中で生み出していくリズムが、密度感とリアリティを発生させているように思えるのである。その重みの大半は、作画(原画)段階のモーション部分もあるが、大半はそれ以前の画面の設計図であるレイアウトの段階で盛り込まれている。
ここで大きく要求されるのは、情報量の盛り込み方と取捨選択、すなわちコントロールである。
仮想映画的な考え方
アニメーションの構図は、実はアニメート優先で考えられてきた歴史がある。連続的に絵を積み重ね、軌跡を追って描くときに有利なアニメ的画面構成というものが存在する。歪みのないやや広角気味のレンズ、ピントはパンフォーカス、ライティング位置下明(平行光線の屋外)、そして足が地面につかないようややアオリ気味にして背景が楽になる空、室内なら天井が大きく映り、人物の傾きはシチサン(7:3)でという、ひどくスタンダード臭の漂う画面である。
「AKIRA」原作者の大友克洋は、自主映画で監督をつとめるほど実写映画のフィルムメイキングの演出に詳しく、漫画にもそれを仮想映画的なものとして反映してきた作家である。対して当時のアニメの水準では、そのような”仮想映画的に撮る”という考え方は、まだ主流ではなかった。レンズを意織した構図をとり、フレームを決め、ショット内に重みをもたらす飾りつけを行い、観客のエモーションを巻き込む求心力となる役者やメカの芝居といったものを細かく指定し、極力雑多な情報を少しでも多く取り込み。。。という、実写的な姿勢、考え方は、「AKIRA」の絵コンテからレイアウトいたる段階まで通底している。
そして集ったアニメーターは、その考え方に基づくレイアウトが次にアニメーション段階で求めるもの。。。当時としてはまだ夢のようであった”仮想的リアリティ”という要求条件に対して苦闘し、スタジオが解散した後も見果てぬ夢のようにそれを望み続け、各々の作品で各人なりの咀嚼で追求することを始めていったにちがいない。もちろん、そこから離れる場合もあったろうか、しかし何かを意識して離れるということは、実はその何かを求めることと、そんなに遠い行為ではないはずである。
ここで言う要求条件とは、作品に臨場感をもたらすためのものである。なぜ臨場感が必要かとさらに突っ込めば、”絵で描いた世界”に没頭して物語を世界ごと”そこにいる感覚で”楽しむためである。
ごく当たり前のことだ。だが、その一番当たり前のことも、すべて
が作り物のアニメーションのフィルム中では、実は非常にいろんなことを意識的に考え、実行しないと違成できないということなのかもしれない。
15年目の 「AKIRA」
こういった考え方がスタッフにじわじわと浸透しながら完成したフィルムが、「AKIRA」なのだろう。クリエイターたちがそこで夢見ながら違成できなかったことを追求し、続く作品でどんどnアニメーション表現を深化させ、リアリティ追求をエスカレートさせていったのが、その後15年の”ANIME”の歩みと総括できるかもしれない。
もちろん「AKIRA」だけが単独でこういう考え方をとっていたわけではない。恐らくそれは時代の要求だったのだろう。「王立宇宙軍」が代表するように、同時代的にいくつもの作品、何人ものスタッフが挑戦していった果てのことだ。だとしても、世界的知名度やセールスの成功事例として、「AKIRA」がきっかけであり分水嶺であったとは確実に言えるだろう。
結果的に作画や背景の描き込みは年を追うごとに幾何級数的に増え、人間のアクションは細かい関節部まできちんと追われ、レイアウトはパースに狂いがなく、光源は常に意識され、特殊な仕上げや撮影効果は常時ふんだんい。。。と、青天井のようにアニメーション作品の密度は濃くなる一方だ。初公開時にはあれほどリアルに思えた「AKIRA」が、今観ると非常に漫画的にも見えるのが、何よりの証拠だろう。
臨場感のせいで「リアルな作品」呼ばれるようになったがゆえに、レアリティ追求のため、底なし沼のようにアニメ作品は情報量を飲み込むようになっていた。情報量とはアニメの場合は人手そのものであり、金であり時間である。そして、スキルやノウハウは人に溜まるから、「リアル作品」とは非常に属人性の強いものとなる。その状況は、この種の作品リストから原画マンやレイアウトマンの名前を横に並べたりすれば、すぐに理解できることだろう。
15年を経過して、「AKIRA」に匹敵する新たら分水嶺は、はたしてどのような形で来るのだろうか。それには大友自身の新作「スチームボーイ」がある回答を提示してくれるのだろうか。非常に楽しみである。
次の15年を考えるために、15年前のブレイクスルーがヒントになるかもしれない。
そのためにも、本書が役��てば幸いである。
★1「3コマ打ち」---同じ絵を3コマずつ撮影して動きを設計するアニメーション技法。「打つ」というのはアニメーターがタイムシートに番号を書き込む行為を感常的に表したもの。それまでのアニメーションは、2コマ打ちが標準で速い動きのみ1コマ打ちだった(フルアニメーション=1コマ打ちは誤った定義)。3コマ打ちだと滑らかさは喪失するが、当初TVはブラウン管自体に残像があるので良い等とされたという。ところがこれはコスト削減にも直結するため、やがて劇場作品も経営者によって3コマをスタンダートとするようになっていく。
★2「ANIME」---マスコミで使われる”ジャパニメーション”という単語は、X称(ジャップのアニメーション)という説がある。事実、米国の雑誌や店頭ではほとんど目にしないため、ここでは”SAMURAI”のように日本語がそのまま英語化した”ANIME”を用いた。
★3「クイックアクシオンレコーダー」---’80年代から導入きれるようになった機械。アニメーターは何枚かの原画・動画が完成するごとに、指でパラパめくって動きに狂いがないかをチェックする。通称、「指パラ」と呼ばれる作業で、これは動きをチェックする第一段階だ。当然「指パラ」だけでは確認しきれない、複雑な動きも出てくる。米国でのフルアニメーション制作にはライン・テスト(ペンシル・テスト)という工程があり、ペイントする前に動画にブレ等の破綻がないかチェックする。フィルム撮影を使用するため、コストの関係で国内ではほとんど省略されていた(間に合わせのダミーとして線画を撮影することはあるが、目的が違う)。それを擬似的に行う装置がこれで、ビデオによってタイムシート通りに動画をビデオに取り込み、完成フィルムではどう見えるか、ペイント前にチェックする機械である。「AKIRA」のクイックアクションレコーダーによる画像が、「AKIRA DVD SPECIAL EDITION」(バンダイビジュアル)に特典映像として収録されている。
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retepom · 3 years
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龍7プレイ当時のtosツイ拾い上げ
2020/01/26〜
@tos 紗栄子さん本当に進めれば進めるほど可愛いし、イチサエもナンサエも可愛くてしんどいし足立さんとのやりとりも好きだから困る。焼き鳥の話があまりにも可愛すぎた。サッちゃんはツンデレ(公式) ほら優しい~!って声合わせて言うおっさんたち。しんどい。にやにやするからやめて。
@tos 可愛いが過ぎるゆえに7章ほんとしんどいのはナンバさんが離脱するとこ…3人でうろうろするの寂しくて仕方ない。早く帰ってきて欲しいけどプレイ時間的に今日はここまでが限界だったから…来週頑張る
@tos パーティチャットくらいの長さのイチサエ小ネタをひたすら書いてしまうんだけど出す場所に困ってる。あと紗栄子が一番をイッちゃんって呼ぶタイミングに悩む。
@tos 紗栄子さん可愛いが極まって大変。宴会トーク好きすぎる。世話焼いてたかと思ったら一番に食べ掛けあげたり日本酒飲みたいって駄々こねたり自由……でも全部許す………可愛い……一升瓶抱えて寝る紗栄子さんを動画でください。
@tos イチサエ推しは相変わらずなんだけど結構初期の、バスローブ&上裸の本編シーンで「事後か?」って思ったのは私だけではないはず。紆余曲折を経てイチサエが実際にあの場所で事後を迎える展開はアリですか。薄い本が熱くなるぜ…
@tos 常日頃のやりとりが可愛いイチサエも好きです。距離感バグってそう。「付き合ってるだろ」「エッッ付き合ってない?嘘やん」みたいな周囲のリアクションにキョトン顔してても良い。最終的に結婚したら良いし、ずっと一緒に笑ってて…という気持ち。
@tos サッちゃんのイベント見て、野暮は言わないマスターの対応に惚れそうだった。そしてやはりイチサエは尊いな…と噛み締めていた。一番の鈍感ムーブも直接は言わないサッちゃんも最高なんだけど最終的には結婚しろ…という強い気持ちでいっぱい。皆祝福してくれるよ……………
@tos 一番も精神的に危うい部分あるけどサッちゃんや皆が支えてくれるから前に進める、ってちゃんと思えてる関係性が本当に好き。将来的に菜乃葉さんがもうサッちゃんが見守らなくても大丈夫だなってなった時に不意に寂しさを感じて一番に本音をこぼすイチサエなども見たいですね。
@tos イベント見たあとだとイチ→←←サエくらいの雰囲気なのかなと思うんだけど一番は鈍感主人公の極みみたいなとこあるから「キスは!?…夢か……」って言ってるのが何かこう思春期の高校生か??っていうアレが…(42) く…じれったいな…俺ちょっとやらしい雰囲気にしてきます!!
@tos 好きやねんとか関西弁で話してってお願いしたらやってくれるし、その他あざといこともノリ良くやってくれそうなので一番のシャツ着て彼シャツ(???)するサッちゃんが見てえな…などと考えるイチサエクラスタの僕です。
@tos 一番がキリュウスァンにぶん殴られて気絶→サッちゃん膝枕までのやりとりが超絶見てえ。「一番!」って皆が心配して寄ってくとこは想像できる。あと服着せたの誰。東城会脱ぎするのは良いけどキリュウスァンも一番がRPG的な夢見てる間に服着たんかなとか考えてたらじわじわくるものがある。
@tos 気絶した一番に駆け寄ったあとにサッちゃんが守ろうとして一番の頭をぎゅって抱き締めたまま桐生さんを睨み付けるとかそういう…桐生さんは勿論気絶した相手を殴る趣味はないし立ちはだかる仲間たちをみてフッて笑って拳をおろしたにちげえねぇなって勝手に妄想している。
@tos キリュウスァン、ほんとに女性キャラ殴らない仕様なんだろうか。一番と足立さんとハンズンギはボコボコにされたで…サッちゃん、6までのヒロイン傾向とはまた雰囲気が違うし、気が強いと言っても狭山さんとも印象違うから、自分だけ殴られない事に対してどう思ったんだろ~
@tos 沢城のカシラと戦った時とかあの痛そうな追い討ち、ほぼ全員くらったからな…あれ絶対胸の真ん中に痣できるやん。まあそれ以外にも痛そうな技はたくさんくらってるけどさ!!?
@tos 普段の光属性から一転して激昂した感情が暴力に乗っかる感じ、一番の未熟な部分というか人間として足りてない部分の表現が生々しいなと思った。そういう危うさを仲間が支えてるから一番は主人公でいられるんだなって考えたら何だか泣けてきた。エンディングまで泣くんじゃない。
@tos 色々言ってるけど今日もイチサエへの想いが溢れて仕方がないです。一番の危うさを目の当たりにして、いつか手の届かない所に行ってしまう様な気がするサッちゃんとかそういうのエモいなって。酔っ払って一番に抱きついたまま「ここにいて」って呟く展開ないんですか???
@tos サッちゃんの復活技はまだ使うチャンスがあんまりなくてハンズンギにしか使ったことがないんだけれど「そこまでされては寝ていられませんねェ!!」って言う台詞じわじわくるし他キャラもどんな台詞あるのか聞きたさあるけどそう簡単に戦闘不能にならんのよな!
@tos しかも一番は戦闘不能になったらゲームオーバーだから使えないという事実。悲しみ。ナンバの復活技は足立さん相手に使ったことがある。ゴメンなって気持ちになった。今度倒れた時はサッちゃんにしますね。でも足立さんもそう簡単には戦闘不能までにならんのよな。
@tos 最終メンバー悩み中です。勇者一番、警察orホスト足立さん、チーママor姉御のサッちゃんは確定かな…占い師ナンバを上げてくるかヒットメンハンズンギで火力安定にするか悩む。趙は趣味で用心棒にして桜吹雪持たせました。えりちゃんは加入のタイミングが遅かったからまだレベルが足りない!
@tos ハァア~~~~~春日一番……お前…お前……っていう気持ちが凄い。エンディングムービーの迫真の叫び。魂。これから先色々思い出してしまうこともきっとあるけど、異人町で仲間たちと笑って生きていってほしい。よろず屋みたいな感じでドタバタしててほしい。心からそう願ってる。
@tos 桐生さんは自分でも言ってたけど、大事なもんのために選択をした今があるから、一番には生涯日の当たる場所で生きてほしいなって思う。続編見たい気持ちもあるけど、一番が辛くて泣いているのは見たくない…面白おかしく生きて……
@tos 一番は色々攻略対象がいるけど私がイチサエ派なのもあって、一番とサッちゃんは最終的に結婚してほしいし父親になる一番が見たいので続編で息子とかいたらええんちゃう???って思う。主人公は誰か別の人でも良いので父親として葛藤する一番をサイドストーリーとかで見せてくれたら満足。
@tos 神室純恋歌をデュエットするイチサエとナンサエとアダサエ(?)が見たいですね。誰が得点高いか勝負してほしい。
@tos サッちゃんが一番に何か渡そうとした時に、サッちゃんの手が冷たいことにビックリして「大丈夫か!?」って手を包み込んでぎゅっとする一番が閃いた。「冷え性なだけだから大丈夫よ」って言いながらも顔が赤いサッちゃんが見たい。
@tos サッちゃんが風邪(戦闘中とは別の)引いて、「いつも世話を焼かれているから」と世話を焼きたがる一番及びパーティーメンバーが見たい。アジトで寝てたら皆代わる代わる何か持ってきたり話にきたりするやつ。そういう皆の温かさに笑っちゃうんだけど安心するサッちゃん。ラブ&ピース。
@tos 春日一番、髪の毛のボリューム半端ないな…メンズキャラでこんなに髪がボリューミーな推しはボーボボ以来だよ……(?)描くのスゲー難しい…暫く練習します。
@tos 開花予想のニュース見ながらお花見の計画を立てる春日御一行が見たい。当日いわずもがなめちゃくちゃ飲んで、酔って寝だしたサッちゃんに上着かけてあげる一番…そういうナチュラルな皆仲良し+イチサエが100万回見たい。
@tos 神室町のパーティーチャットの方で無料相談所の話あるやん。あれがめっちゃ好き。足立さんだけじゃなくて皆何だかんだスケベ心が垣間見えるし、呆れたサッちゃんの台詞が更に好き。結局のところ皆仲良し春日御一行が大好き…
@tos サッちゃんのチャイナ衣装欲しい…喪服戦隊は組めるようになったけど、というか足立さんとナンバの喪服まとめてだったから黒マスクのハンとチャイナのサッちゃんがまとめて配信される可能性もワンチャンある。いや、鎧の春日一番かもしれんけど…あと半裸か。東城会脱ぎしたしな。
@tos DLジョブも増やして欲しい…てかもう金なら出すから衣装いっぱい出して欲しい(欲の塊)
@tos 鳩見るとナンバ…ってなっちゃうからだめだね だめよ だめなのよ
@tos サッちゃんが拗ねてるのめちゃくちゃ可愛いし機嫌なおしてくれよ~ってなってる一番も可愛いからイチサエは尊い。世話焼きお姉さんかと思ったら女の子らしい所も見せてくるサッちゃんはあざとい可愛い…
@tos サッちゃんは接客とかで表面的に甘えるのは得意分野だと思うけど、本当に甘えたい時に甘え下手なところがあるといい。自分がしっかりしなきゃと思って甘え方がわからない的な…「もっと頼ってもいい」っていう一番の存在はすごく貴重で、なんていうか…イチサエは尊いな……
〜2020/03/01
龍7は追加コンテンツもしっかり購入して遊ばせてもらいました。7で遊んでた時に源田法律事務所も八神探偵事務所も探したので、ロストジャッジメントの舞台に7の気配を感じて大変嬉しいです。楽しみだねホント!!!!!
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damegema · 3 years
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プレイ時間:8時間くらい
約2か月ぶりのDQ11プレイです。でもだいじょ~ぶ!DQ11Sにはプレイ開始時に「これまでのあらすじ」をよくわからんおっちゃん(多分後で仲間になる?)が教えてくれるんだ! 前回は衝撃の時間差村焼かれショックがあり、悲しみに暮れながらデルカダール神殿に向かい、ダンジョンの敵が強すぎてボコボコにされて初全滅を体験したところまででした。神殿の浅いところや神殿周りの敵を倒しながら近くのキャンプ地で回復したり武器を作ったりして再挑戦! 武器と防具を固めていったのがよかったのか、さほど労せずダンジョン踏破! さて次はじいじの遺言どおり、旅立ちのほこらとやらに向かっていたんですが、出た!また僕勇者を「悪魔の子」呼ばわりするオッサン!お前が村を焼いたんか?!他の奴が焼いたんか?ゆるさん!!!! しかし多勢に無勢で分が悪い…なんとかほこらに滑り込みオッサンを巻きました。僕勇者くんのフード?か何か落としてしまったけどあいつ拾っとったな…なんか変なことに使うんじゃないだろうな…薄い本みたいに……😡😡😡
ほこらはワーブ装置だったんですね。なんか全然知らん場所に来た。そしていきなり風呂イベントが起こった。蒸し風呂って言われたから砂風呂みたいなのかと思ってたらサウナだった。いきなり男二人のサウナだった。どうして???あと友達が突っ込んでて気が付いたけど、サウナに聖水落ちてた。意味深すぎる。
謎の生意気幼女(CVあやねる)が現れて、尻に敷かれてるうちに仲間が2人になった!やったぜ~!髪長い子の方は仲間になるんやろうなと思ってたけど、生意気赤ずきん幼女も仲間になるんだ!しゅごい。これで戦闘が楽になるな! またも幼女の指示に従って次の目的地に向かおうと関署に向かったら、OPムービーから意味ありげに登場してた木霊みたいなやつと遭遇。えっこんなにあっさり遭遇すんの????焼かれた僕村とかにもいたからなんかもう少しこう…壮大な出会いかと思ってたんですけど…いやいいけどさ…ついて行ったら急に2Dになるしなんかメタネタみたいなのが始まったのでビックリしました。これ、DQ1~10に関係してるんですか?(全部未プレイ)とりあえず1つ目の世界に行ってみたけど、フォンデュとかいう敵が超強くてちびった。宿屋も使えないし。マップ狭いからいいですけど、フォンデュの転生したやつ?もめちゃ強くて死ぬかと思った。ボスの方が弱かった。しかし僕勇者、こいつらのお願いを聞く義理も何もないのに、めちゃくちゃ頼ってくるやんけ…���ちょっと思いました。ゲーム世界の僕勇者は優しいのですぐに助けてあげてるけど、世界は基本的に勇者にいろいろと投げっぱなしじゃないか? 令和だし、そろそろ勇者システムを見直してみるべきだと思う。
木霊の依頼を済ませようやく次の街へ。どうやら競馬みたいなのが有名らしい。僕は知ってる。RPGでこういう展開になった場合、僕勇者も何の因果か競馬レースに参加する羽目になるんだろ?!!!! とりあえず新しい街に付いたのでお宝と本を探して街をくまなく捜索中です。その途中でぱふぱふ屋が! ひとつ前の温泉街にもあったけど、なんか急いでたからぱふぱふしてもらわなかったんだよな…でも今は急ぎの用事ないし、ぱふぱふしてもいいかな…? 美女に誘われ薄暗い建物の中、ベッドに横になり………ぼっぼくの初ぱふぱふがこんなんでいいんですか?!!!! みんなこんなオチなんですか??? これも令和でアップデートされてしまったんですか……? それはともかく、ぱふぱふが終わったら旅の仲間が建物の外で待ってたのがめちゃくちゃ気まずかったです。
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koudelkalightnovel · 6 years
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Collections of Hiroki Kikuta’s blog
1997年秋から1999年末まで携わった、 「クーデルカ」という仕事は、僕の人生の中で大きな意味を持つ。 嬉しかったこともあり、残念だったこともあり、しかし、制作に費やした二年間は、 無駄ではなかったと、今振り返って思う。 サクノス立ち上げに助力していただいた、元セガ副社長の故藤本敬三氏の思い出。 ロサンゼルスはウエストハリウッドでの夢のようなモーションキャプチャーセッション。 胸に浮かぶままに、語るべきことは尽きない。 ここでは、写真、設定資料、デザイン画を中心に、ゲーム制作のプロセスと、 その印象を綴っている。 クーデルカのための宣伝用イラストレーション/1998 岩原裕二 部分 このサイトは、1999年12月にプレイステーション向けホラーRPGとして発売されたゲーム「クーデルカ」のディレクター菊田裕樹が、制作資料の掲載や作品解説を目的として運営するものです。ゲームをプレイしてくれたユーザーが、より深くクーデルカの世界とその魅力に親しんでもらうために、僅かなりと助けになれれば幸いです。 --- 「クーデルカ」のモーションキャプチャーは、1999年1月、ロサンゼルスはサンタモニカにあるスタジオで収録された。技術面を担当したのはフューチャーライト。普段は「ゴジラ」等のハリウッド映画のSFXを担当している映像制作会社である。遡る1998年9月、僕はイベント系を担当する人員の不足から、それを全てモーションキャプチャーで賄うという構想を建てた。全体で見れば一時間をこえるイベントシーンを、手打ちのアニメーションとスクリプトで実現しようとすれば、5人がかりの仕事となる。しかも、一向に従来のRPGの域を出ない、面白みの無い方法だ。ゲームのドラマ部分を表現するために、効果的で、目新しくて、しかも大きな省力化になる方法として、モーションキャプチャーは画期的な試みだった。無論、問題はあった。技術的に不可能だというのだ。物語の性質上、最大4人を同時にキャプチャーし、併せて音声も収録する必要があったからだ。僕はまず、日本国内のスタジオで実験をし、手応えを掴んだ。その結果、モーションキャプチャーは十分に魅力的な効果を生み出すという確信を得た。しかし同時に、僕の要求する仕様は日本国内では実現不可能であるということも分かった。だが、そこで諦めてはクリエイターが廃る。幸い、以前「双界儀」の録音でお世話になったデイブレイク社の大竹氏が、海外のコーディネイターに詳しいというので、畑違いながら探してもらったら、ロスにそれらしい技術を持った連中が居るという。早速連絡を取り、俳優のオーディション方々会いに行った。ところが実際に会ってみると、彼等も僕が考えるような仕様でキャプチャーをしたことがなかった。4人を同時に、音声もいっしょに、しかも数分に及ぶ芝居をいっぺんに収録する。そんなの聞いたことがない。しかし驚いたことに、面白そうだから是非やってみょうと、彼等は言ったのだ。新しいことにチャレンジするのが嬉しくてしょうがないスタッフ達。こうして、この前代未聞の試みは実現したのである。 クーデルカを演じてくれたヴィヴィアンとエドワードを演じてくれたマイケル。100人程のアクターをオーディションした中から選んだ人達だ。アメリカのアクターの層は厚い。皆、良い作品に出演することを夢見て、演技の勉強をし、技術を身に付け、レストランなどで働きながらハリウッド近辺で暮らしている。アメリカでは基本的に、どのような有名な役者でも、名前だけで出演が決まることはない。必ずオーディションをして、その役に本当に相応しいかどうかを確かめられる。彼等は、役の大小に限らず、それを勝ち取ることに真摯で、また仕事に臨んでも出来るだけ良い結果を残そうとする姿勢を崩さない。 セッションに参加してくれたスタッフ達。フューチャーライト側から、モーションキャプチャーの陣頭指揮にあたってくれたダン・マイケルソンをはじめ、プログラマーのランディ、エンジニアのジョン。彼等は4日に及ぶセッションの中で起った、様々な問題に素早く対処してくれた。日本側から、クーデルカのモーションを担当した竹原君。IPG側から、わざわざこのコーディネイトのためにニューヨークから駆け付けてくれたポール。そして、サウンドエンジニアのキース。 写真中央、このセッションのディレクションを全て担当してくれた、IPGから参加のデビッド・ウォルドマン。彼は日本でビデオクリップのADをしていた経歴があり、日本語が話せたため、今回の仕事に適任として選ばれた。映像制作の現場でのノウハウや、その進行に関して、彼に学ぶところは大きかった。その後、ロスでムービーキャメラマンの学校に入り、本格的に映画制作を志しているらしい。左は、デビッドの女房役のADであるクレイグ。右に居るのは、9才のシャルロッテ役を演じてくれた12才のサラ・パクストン嬢。その可愛らしさで、スタジオの人気者だった。しかし、プロとしての意識は本物で、長台詞を覚え、慣れないキャプチャーに戸惑うこともなく、見事に演じてみせた。下の写真は、キャプチャーセッションに先立つ、リハーサルの時のもの。近くのホテルで部屋を借り、本番の時と同じように、全ての芝居をチェックする。この時キャラクターはどんな気持ちなのか、何を考えながら演じればいいのかを、ひとつひとつ、押さえていく。このシーンは、クーデルカとエドワードが、オグデンとベッシーにスープを振舞われるところ。中央に、いかにも人の良いおばさんを演じてくれた人の良いおばさん、デニス・ホワイト。 スタジオというよりは工場といった有り様だが、実際すぐ横にプロップを組み立てる工房があったりした。一応サウンドステージとして作られてはいるのだが、防音がしっかりしていないため、上空を飛ぶ軽飛行機の音がうるさくて、撮影が中断したのには参った。真中に置いてあるのは、ジェームズら3人が大聖堂に入る扉が開かなくて悪態をつくシーンのための大道具。例えば、扉を叩く芝居が欲しい時に、何もないのにそういう振りだけしても、リアリティーは生まれない。扉を叩く時には、そこに扉があるべきだ。下の写真は、ゴミの山に埋もれてひっそりと稼動しているSGIのONYX。これに限らず、驚くような機材が、ごく当たり前に使われているのをあちこちで見た。聞けばそれらは全て、レンタルなのだという。こういう所にも、日本との状況の違いを感じた。右は、連日に及ぶ深夜の撮影で疲れ果てて眠りこける僕。 2000/11/25 菊田裕樹 --- ヴォイニッチ文書 部分 Emigre Document 紀元前5000年をさかのぼる昔、ブリタニアには高度な巨石文明を持った民族が栄えていた。今も島のあちこちに残るドルメンやストーンサークルは、現代科学を持ってしても不可能と思われるほどの彼らの技術力を、我々に示している。彼らはケルト人が到来するまで、全世界でも最も進んだ文化と文明を持つ民族であった。エジプトでピラミッドが建築される遙かに昔。中国、バビロニア、イスラエル、どの文化圏よりももっと以前に、ブリタニア全土に分布する巨石遺構は建てられたのである。 その力の秘密は、彼らの持つ宗教にあった。彼らは大地より湧きいでる生命の秘密に手をかける術を知っていたのである。生と死を操り、不死や、あまつさえ死者の再生をも我がものにし、労働力としての人間ならざる怪物を生み出し、高度な文明を築き上げた。それは自然の持つ輪廻の法則そのものを御する行いであり、神の為す神秘に等しい。いや、彼らこそが原初の「神」だったのかもしれない。彼らはその「神を遙かに遡る世界の成り立ちの秘密」を、文字にして書き記すことはなかったが、その祭儀や術としてのノウハウは、ケルト社会のドルイド僧に引き継がれた。ドルイド僧は古代人の残した祭儀法を基盤に、自分たちなりの技術的アレンジを加え、古代人には及ばないまでも、天地の秘密を力に変換することを自らのものとした。 だが、彼らもまた、自分たちの慣習や宗教に関して書き残すことをしない。ケルト民族の在りように関して最初に言及したのは、まさにそこを征服せんとして兵を進めたユリウス・カエサルである。しかし、彼が紀元前50年頃に「ガリア戦記を」書き記す以前に、前4世紀頃ケルト民族と親交のあったアレクサンダー大王が、アレクサンドリアの大図書館に收めるべく、ドルイドの秘儀をギリシア語で文書化させていたのである。彩飾図版を交えて作成されたこの文献は、その任に当たった人物の名を取って「エミグレ文書」と名付けられた。 この文書は閲覧を禁じられた秘密の書として王宮の図書館に保管された後、戦禍を逃れて持ち出され、数世紀の間、各所を転々とする。その間にはキリスト教の成立やローマカトリックの隆盛などがあるが、6世紀に入り、アイルランドに様々な修道院が建設され、写本事業が盛んになった結果、イタリアの片田舎に忘れられていた「エミグレ文書」は、リンデスファーン島にある写本で名高い修道院に持ち込まれた。だが、ギリシア語に堪能でない彼らは、内容の美しさや彩飾の艶やかさに目を見張りこそすれ、文書の持つ本当の力に気づくことはなかった。 9世紀に入って、度重なるヴァイキングの来襲により、蔵書の保存に危機を感じた修道院は、重要な文献を各地に避難させ始める。アイルランド生まれで敬虔な信者であるヨアヒム・スコトゥスとダニエル・スコトゥスの兄弟は、大修道院長より「エミグレ文書」を託され、その内容に驚愕した兄ヨアヒムは弟ダニエルをウェールズの辺境にあると記される聖地へ赴かせ、自らは写本を携え、フランス王の元に庇護を願い出た。弟ダニエルは聖地で修道院を建て、祈りを捧げて一生を終わる。兄ヨアヒムは碩学として歴史に名を残すが、その死後、ローマ法王庁に写本を接収されてしまう。 キリスト教を脅かす力を持ったこの文書は、ローマ法王を恐怖させ、禁断の書物として誰にも閲覧を許すことなく、書庫の奥底にしまい込まれたが、13世紀になってその損傷の激しさから、新たな写本を作る必要が生じ、当時最高の知識人として名高かったフランチェスコ会修道士ロジャー・ベーコンにその任が与えられた。彼は10年にも渡ってフランスに幽閉され「エミグレ文書」を精確に複製することを強いられたが、その過程で文書の知識は彼の物となった。秘密を守るため彼をそのまま監禁し、二度と世に出すまいという法王庁の意図とは裏腹に、彼は密かに外部と連絡を取り、自らが解読した文書の示す聖地へ赴き、生命の秘密を探る試みに取りかかるべく、着々と準備を進めていた。 彼は、先にダニエル・スコトゥスが建てた修道院を改修し、実験施設となるべきゴシックの大聖堂を建築させた。そこで彼がどのような秘術を試みたのかは、記録に残っていないが、法王庁の手を逃れフランスを脱出した彼は、二度と姿を現すことはなかった。彼は、姿を消す前に、新たな一冊の写本を残している。エミグレ文書の記述を元に、ウェールズ語の暗号で書かれたその写本は、聖地の修道院に残されていたが、16世紀になってエドワード・ケリーとジョン・ディーによって発見され、新たな写本として書き直され、さらにローマの修道院を経て、20世紀になって古物商ヴォイニッチによって再発見され、ヴォイニッチ文書と名付けられて、現在エール大学のベイニック図書館で閲覧できる。 また、ロジャー・ベーコンによって複製された「エミグレ文書」写本(原典は破棄された)は19世紀までヴァチカン宮殿の奥深くに秘蔵されていたが、1890年頃何者かに盗み出され、以後その行方を知る者はいない。ダニエル・スコトゥスが建てた修道院は1536年の修道院廃止例の後、政治犯や重要犯罪人を拘留し処刑するための施設へと転用され、聖なる場所で多くの人命が闇に葬られた。 (設定資料より) 2000/10/25 菊田裕樹 --- 2000/10/25 Hiroki Kikuta Koudelka Iasant 1879年生~没年不詳。イギリスはウェールズの田舎、アバージノルウィンの寒村生まれのジプシー。幼い頃から強すぎる霊能力を持ち、様々な怪異を起こすため、呪われた存在としてジプシーの世界から追放される。1888年9才頃ロンドンで霊能力者ブラヴァツキー婦人に拾われ、秘蔵っ子として厚遇されるが91年婦人が他界すると共に、再び放浪の旅へ。普段は霊媒として失せ物を探したりして、糊口をしのいでいる。 年は若いが、世の中の事情を一通りわきまえたところがあり、良く言えば大人、悪くいえばすれっからし。普段はあまり明るい顔をせず、大体において不機嫌そうで態度が悪いが、時折女らしいところを見せる。差別される者や愛されない者に肩入れする傾向がある。自分を表現することが下手。 (登場人物設定資料より) Notes クーデルカという名前は、著明な写真家であるジョゼフ・クーデルカから採ったものだ。口にした時の不思議な響きと、民族や国籍を感じさせないところが気に入って、名字ではなく名前として使わせてもらった。手元の資料を見ると、キャラクターデザインの岩原裕二氏にコンペ用のスケッチを発注したのは1998年の3月26日だが、遡る2月10日の段階で、僕はゲーム全体の進行手順と、シナリオの箱書きを完成させていたし、キャラクターの心理設計も完全なものとなっていた。クーデルカはジプシーの出身である。彼らはインドをもっとも古い故郷とし、放浪に生きる人々で、自分たちのことを誇りを込めてロムと呼ぶ。それは人間という意味である。一般社会の人間たちとは隔絶され、自分たちの血縁関係の中だけで生きている彼らにとって、追放はもっとも苦しい罰となる。クーデルカはその特異な能力ゆえに、子供の身でジプシーを追われることになった。僕は彼女を、どこにも安住することを許されない、最も孤独な存在として設定した。平和で豊かな暮らしの中に、彼女の居場所は無い。呪われた魔物や幽霊が跋扈する、廃虚の暗闇の中にだけ、かろうじて自分を置くべき空間を見出せる。クーデルカは、そういう悲しい存在なのである。 岩原氏はこのプロジェクトのために、100枚にも及ぶキャラクタースケッチを描いた。クーデルカだけでも数十枚になるが、そのほとんどはポリゴンによるモデル化のための制約から来る衣装デザインの試行錯誤であり、キャラクターの本質部分に関しては、最初から完成形に近いものを掴んでくれていたようだ。また、氏にはゲームの制作に先行して角川書店の雑誌で漫画連載を始めてもらい、ゲーム設定の1年後のストーリーという立体的な構成で、物語の厚みと魅力を増すことに貢献してもらった。 クーデルカのポリゴンモデルは、当時広島のコンパイル社の倒産で行き先を捜していた渡辺伸次氏に、経済的に援助するということで東京に移り住んで制作してもらった。彼は同社の仲間とCGスタジオであるD3Dを設立した。そのころの彼等には全く実績が無かったが、見せてもらったプロモーションムービーのキャラクターの動きに並ならぬ情熱を感じ、彼等と一緒に新しいチャレンジをする気になったのである。しかし実際、キャラクターのモデリングは難航した。ゲームスタッフ側の無理解も大きな原因だったが、D3D側もクーデルカほど高いレベルのモデルを作るのは初めてとあって、試行錯誤のために何ヶ月も時間が必要になった。リテイクに次ぐリテイクの嵐。最終的には、僕自身が彼等の後ろに付いて、鼻をもう少し縮めてだの、唇をもう少し上げてだのと細かく指示を出し、なんとか納得のいくものに仕上がるまでに半年近くかかっている。 モーションキャプチャーにおいて声と演技を担当してもらったヴィヴィアン・バッティカ嬢は、米サンタモニカ・スタジオで行ったオーディションの中で、クールで独特の色気があり、抑えた芝居の出来る人として選定した。ただ可愛いだけではなく、クーデルカの持つ陰の部分を表現するためである。彼女自身まだ若く経験も浅いとはいえ、その熱意と努力は相当なもので、10分にも及ぶ長丁場の芝居、何十行もある長台詞を、たった数日で完全に頭に入れて撮影に臨む辺り、なるほどプロというものはこういうものかと感心させられた。度重なる技術的不備にも嫌な顔をすることなく、エドワード役のマイケル・ブラッドベリーと現場の雰囲気を明るく盛り上げてくれたことには、感謝の言葉もない。 2000/10/25 菊田裕樹 llustrated by Yuji Iwahara このページ内の全ての画像及び文章の著作権、版権、複製権、二次使用権は全てその正当な著作者、権利所持者に帰属します。よって、無断複製、無断転載を含め、著作権法に違反する形態でのあらゆる利用を禁止します。 All Rights Reserved 1997 1998 1999 2000. クーデルカは(株)サクノス・SNKの登録商標です。 All Rights Reserved (C)SACNOTH/SNK 1999 --- Nemeton Monastery イギリスはウェールズ地方。アバースワースにほど近い、海沿いの断崖に、人気もなく廃墟と見まごうようなネメトン修道院がある。ちょっとした公園ほどもあるその敷地の中には9世紀頃に建てられたと思われるロマネスク様式を色濃く残した修道僧の宿坊をはじめ、13世紀頃に建てられた飛び梁も美しいゴシックの大聖堂、会堂をかねた図書館、鐘つき堂、屠殺場を兼ねた炊事場、処刑台に使われた東屋、近代になって建てられた宿舎などが、全体を囲む壁と一体化して並んでいる。16世紀に修道会を禁ずる制令が発布されるのを待たずして寂れ、廃墟と化したこの場所は、17世紀に入って政治的な犯罪者や虜囚などを閉じこめたり処刑したりする目的に使用された。今でもどこかに地下牢が隠されているといわれている。近代になって、訪れる者も居なくなり、荒れるに任せていたのを、ある資産家が物好きにも買い取って移り住んだが、程なくして彼は姿を消し、後には様々な憶測と噂だけが残った。あるいは、財宝が隠されたまま埋もれているといい、あるいは、悪魔が彷徨っているといい。再び廃墟と化したこの修道院を訪れるのは、人目を避ける犯罪者や一攫千金目当ての食い詰め者だけだった。 (制作資料より抜粋) ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 1998年2月の段階で、ゲームの進行に伴う、マップ全体像の設計は、ほぼ出来上がっている。八棟の建物、地下道、墓地など、全部で100個見当の区画からなる構成で、イベントと連動して移動できる範囲が拡がっていく。実は、このような閉鎖された空間を舞台として設定したのは、単に演出的な意図によるものではなく、人的物理的制約による結果なのである。例えば、高度に訓練されたグラフィックスタッフが20人居るならば、一年間に500から600枚を超える背景画を制作することが可能だ。しかし、楽観的に考えても数人が限度と思われる人材確保の現状を前提にすると、およそ100マップ200~250画面が、用意できる背景数の上限と見なければならない。一般のRPGのように、ワールドマップがあって幾つもの街があって、などという仕様は、最初から無理。そこで、極めて限定された空間を設定し、それを有効に活用しつつ、様々な雰囲気のバリエーションを提供できるような仕掛けを考案した。それがホラーRPGという枠組みだったのである。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 ネメトン修道院を構成する建物群は、そのひとつひとつが、建てられた年代も、目的も異なるものである。各々の建築様式の違いは、ドラマの進行と相まって、ユーザーを飽きさせないための装置として機能する。扉を開けて新しい建物に入る度に、物語が次なる展開を迎えたことを実感してもらうために。微にいり細にわたり、緻密に作り上げることが、あたかも実際にそこに居るかのような臨場感を生む。そのために最も必要だったことは、実際の建築物を参考にすることであった。 ネメトン修道院初期設計図/1998 松野泰三 物語上でアバースワースとしたのは、アイルランド側の海岸にその場所を置きたかったからだが、98年8月にスタッフを伴って訪れた実際の取材は、ウェールズの下側に位置する観光地ペンブロークシャーを中心に行った。その一帯は、草原から突然に切り立った断崖が現れ、地平線の彼方まで続く、不思議な景観の土地である。その周辺に夥しい数の修道院や城跡が存在する。あるものは往時を偲ばせて健在だが、ほとんど廃虚と化した遺構も多い。セント・デイビッド教会は、中世そのままの姿で我々の目を楽しませてくれると同時に、石造りの聖堂が持つ、独特な雰囲気を理解するのに役立った。また、垂れ込めた雲と雨が作るどんよりとした暗い空気は、実際にその場に立ってみないとイメージできないものである。近辺の修道院の壁や石組みを大量に撮影して、3Dモデル用のテクスチャーとして使ったのも、大きく意味がある試みであった。 さて、ネメトン修道院の大聖堂はゴシック建築として作られているため、本当ならば、その常として側廊が無ければならない。ゴシック建築は荷重を分散する構造にすることで壁を薄くし、ステンドグラスの設置を実現しているからである。しかし、ゲーム仕様上の制約としてプリレンダリングのマップを考えた時に、多数の柱を立体的レイヤーとして配置することが困難であるために、内部を単純な箱型にせざるをえなかった。外側から見ると、飛び梁様の補強柱が一定間隔で取り付けられているが、現実の物として考えれば、全体の重量を支えるために、壁自体もさらに厚くせざるをえないと思われる。なお、大聖堂頂部の鐘突き堂は、そのものが飛び梁によって構成されている特殊な形式だが、これは架空の物ではなく、実際に存在するスタイルであることを付け加えておきたい。 2000/10/25 菊田裕樹 --- Library : クーデルカという物語 By 菊田 裕樹 – 2000年 3月 28日Posted in: Library, Library : ARTICLE    クーデルカという物語    2000年3月 公開    このサイトを御覧の方には僕の制作した    RPG「クーデルカ」を未プレイの向きも多いと思う。    手短に説明すると、19世紀のイギリスはウェールズの    片田舎にある今は廃墟同然と化したある修道院を舞台に、    クーデルカという19才のジプシーが出会う様々な    怪異をテーマにした、いわゆるモダンホラーと    呼ばれるジャンルに属するゲームである。    僕はこの作品のコンセプトに始まり、キャラクター設計、    マップ構成、シナリオ、ムービーや    モーションキャプチャーイベント部分の    ディレクション等など、様々な種類の仕事をした。    基本的な部分の組み立てには約3ヶ月ほど要しただろうか。    全部で100冊以上の本に眼を通したが、    物語の発想の土台となったのは、    「幽霊狩人カーナッキ」という本であった。    短編集で、主人公である怪奇現象研究家カーナッキが、    様々な「怪異」と「怪異に見えるもの」に遭遇し、    あるものは解決し、あるものは良く分からないまま    終わる(笑)という、味わいのあるホラー小説集だ。    興味のある方は是非一読されたい。    さて、僕が物語を組み上げる段階でこだわるところは、    歴史上の事実を曲げないということである。    実際に起こったとして、記録に残っている様々な事件を、    相互に関連付け、その隙間を虚構で埋めていくという    やりかたが僕は大好きだ。    同じ嘘をつ��のでも、まったく根拠も無く考えるのと、    事実に基づいてその基盤を組み上げていくのとでは、    細かい部分でのリアリティーが違ってくる。    だから、クーデルカという物語には、    プレーヤー諸氏が考えているよりも、    ずっと多くの史実が含まれている。    エドワードやロジャーが実在の人物である事など、    歴史に興味のある方は、調べてみられるのも一興かと思う。    1898年は科学と迷信がせめぎあう世紀末の、    まさに移り変わる一瞬を捉えて興味深い時代である。    明ければすぐに1900年、近代科学文明の浸透の    象徴ともいうべき、パリ万博が開催される。    そしてそれこそが、僕がクーデルカの続編と    目論んでいた物語の舞台なのである。    ウェールズを描くために、ロンドンやペンブロークに    足を運んだのと同じように、僕はパリやベルギーに    取材をするつもりだった。    (パリ万博に出展されていた建物が、当時の    ベルギー王の要望で買い取られ、    ブリュッセルに現存するのだそうだ)    会場から郊外を結んで建設された地下鉄と、    そこで起こる怪異。エースネクスト誌連載中の    漫画版のエピソードを終えたクーデルカが、    拠ん所ない事情でパリを訪れ、地下に巣喰う    亡霊どもの争いに巻き込まれていく。    実はクーデルカの続編は、僕の頭の中では4作目まで    出来ている。第一部イギリス、第二部フランス・・・    とくれば、第三部はアメリカである。    時代は大きく跳んで、1973年アメリカはシカゴ。    主人公は、シカゴ大学で教鞭を取る文化人類学者、    クーデルカ・ロードメル。    クーデルカの娘アメリアが後に渡米して産んだ子供で、    つまりは孫だ。ベトナム戦争末期とあって、    帰還兵が持ち帰ってしまった悪霊が、    様々な殺人事件を引き起こすのを、まだ生きている    ロジャーの助けを借りて解きあかしていく。    (ちなみにロジャーはスーツを着て出てくる)(笑)    そして第四部は1984年奈良。    関西大学で教える友人の宗教学者の元を訪れたクーデルカは    何者かに命を狙われ、陰陽師や式神と戦う羽目になる。    奈良の巨石墳墓や京都の町並みが、    雰囲気造りに一役買うだろう。    残念なことに、今のところ僕がそれらの    続編を作る予定はないが、    小説のようなものであれば、書いてもいいかなあと思う。 Story of Koudelka : Library --- Haven: On Koudelka, you served as producer, writer, and composer. What were some of the goals you accomplished in taking on these various responsibilities? Were there ways in which the project could have been better realized? Hiroki Kikuta: Let me begin by saying, whenever you divide up responsibilities among a group of people concerning the judgments that get made on a project, the end quality is bound to suffer as a result. To keep the quality high and the schedule organized on a project, it's better for as few people as possible to be making key decisions, and for them to be communicating within the group with as few conflicts as possible. The ideal situation would be for but one director to be delegated the responsibility of expressing his or her creative vision. That said, for Koudelka, I was pursuing that degree of creative control. To prepare, in gaining an understanding of the game's setting, I read about one hundred books on English history, touching on periods from the Medieval era to around 1900. It proved useful in discovering relevant episodes which could be incorporated into the story. Having several events to ground the plot in a kind of historical reality, I then started building on that foundation with some fictional events. For example, the character of Edward is based on an actual Irish dramatist named Edward Plunkett, 18th Baron Dunsany, while the woman who writes a letter for Charlotte is based on Sophie Dorothea of Württemberg. Roger Bacon is, of course, a historically famous philosopher. Also, the incident on the Queen Alice really occurred and is recorded in the captain's log of the vessel. By filling out the gaps in those historical events with fictional incidents, such as the Emigre Document and reincarnation ritual, I aimed at providing a realistic basis to the imaginary aspects of the story. Before production, some members of our staff went on a trip to Whales to gather information and capture the genuine atmosphere of the place with our own eyes. We demanded extreme accuracy in providing the background details, and we even used motion capture technology to provide culturally appropriate body language for the characters, techniques advanced enough to compete with the standards of the Hollywood industry at that time. Those challenges, which were provided by the passion motivating that project, were the real essence of Koudelka. Koudelka, "Patience," music sample I remember that I was reading the critical biography of James Cameron, who was making Titanic at that time, on the airplane to England. I was overwhelmed by his tremendous efforts to capture those startling images. At that time, I realized that it is necessary for creative work to have a degree of obsessive passion involved. I hope that some degree of that conviction had a positive result on the end product. --- As soon as it is in the year 1900, the Paris World Expo is to be held as a symbol of the penetration of modern scientific civilization. And that is the stage of the story that I was thinking as a sequel to Kuderuka. In the same way that I went to London and Pembroke to draw Wales, I planned to cover Paris and Belgium. (It seems that the building which was exhibited in the Paris Expo is bought at the request of the King of Belgium at the time and exists in Brussels.) The subway built by connecting the suburbs from the venue and the monster occurring there. Kuderuka who finished the episode of the comic version in the series of Ace Next magazine visits Paris due to circumstances that are not based, and is caught up in the strife of ghosts who nest underground.    (The first line of the Paris Metro opened without ceremony on 19 July 1900,[4] during the World's Fair (Exposition Universelle - that is what is meant by subway) Actually, the sequel to Kudelka is made up to the 4th in my head. Part 1 England, Part 2 France · · ·     If you do, the third part is the United States. The era greatly jumped, in 1973 America was Chicago. The hero is a cultural anthropologist, Kurdelka Roadmel, who teaches at the University of Chicago. Kuderuka's daughter Amelia is a child who gave birth to the United States later, that is, it is a grandchild. With the end of the Vietnam War, the evil spirits brought back by the returning soldiers will solve various murder cases with the help of living Roger yet.     (By the way, Roger comes out wearing a suit) (lol) And the fourth part was Nara in 1984. Kurdelka who visited the origin of a religious scholar of a friend taught at Kansai University is targeted to someone, and it will be fought against the Yin Yang masters and the expression god.     The megalithic tomb of Nara and the townscape of Kyoto will contribute to the atmosphere building.     Unfortunately, for the moment I have no plans to make those sequels, but if it's like a novel, I wonder if I can write it. --- RocketBaby: At what age did you become interested in music? Hiroki Kikuta: When I was ten years old, I met up with the music of Emerson, Lake & Palmer. I had never heard such marvelous music before. It was quite an impact for me. A few months later I heard that Keith Emerson was using a particular instrument called MOOG synthesizer. RB: At what age did you start writing music? HK: When I was twelve years old, the Folk blues movement came over to Japan from America. I studied Acoustic Guitar and started to create an original song immediately. I wanted to be a singer/ songwriter... if I wasn't a terrible singer. Actually, Digital equipment opened up my potential as a music composer. Without a musical sequencer, I can't create any complicated tunes. When I first acquired a YAMAHA SY-77 synthesizer/sequencer, I felt as if I got a ticket to a different world. RB: Why did you start Sacnoth? HK: I had held many original ideas about video games and visual expression for a long time. The most important purpose is to create an entertainment. When I was searching for a way to achieve my dream, I met a dominant business advisor. He introduced me to the chairman of SNK. I told him about many pitfalls that every existing RPG had. I thought those were lacking a comprehensive insight and a integrative interpretation. It is a structural defect of game production. To resolve the problem, it is necessary to get the picture of each element of game creation at the same time. I have an ability to do that. I established a company SACNOTH and took up my position as CEO in order to produce a new horror RPG project, Koudelka. But unfortunately... Though I conceived a grand scheme to realize an innovative game system and visual expression, many old staffs from SQUARE were not able to accept real change without hesitation. I say that the person who will have no change is already dead. After termination of Koudelka project, I retired as CEO of SACNOTH. It was my choice. RB: As a composer how should music effect the game? As a developer how should the music effect the game? HK: A music composer wants to create a good tune with utter simplicity. But if you want to create a good game as a developer, it is not enough. Because good music does not necessarily fit a good game. The most important problem is adjustment of each of the elements. If the visual element exactly synchronizes with the musical element, a dramatic effect will be generated.. And I take it for granted that everybody wants to hear a good melody in the end. RB: What were your influences for Koudelka? HK: In the first instance, I designed all concepts and fundamental settings of the Koudelka's world. I gathered various graphic and text materials in London and Wales. I did character design, map design, event design, scenario writing, direction of computer graphics movie, direction of motion capture... I got involved with all of the integral parts of Koudelka except battle and game system. Especially, I had no influence in battle section. I still have a great regret. I wish I could have designed it. And a quick digression, I consulted many movies and books for Koudelka. A most impressive movie is The Name of the Rose (Jean Jacques Annaud 1986). I also read the original book which was written by Umberto Eco. It is a definitely masterpiece. If you want to know some origins of Koudelka's world, you may read Carnacki the Ghost Finder written by William Hope Hodgson and The Case of Charles Dexter Ward written by Howard Phillips Lovecraft. Many fantasy novels by Lord Dunsany (His his full name and title is Edward John Moreton Drax Plunkett 18th Lord Dunsany) are also important. If you want to know about visual origin of Koudelka, see photographs created by Bob Carlos Clarke and Jan Saudek and Holly Warburton. Those are extremely exciting works. RB: How did you manage to write, direct and compose the music for Koudelka? HK: Writing a scenario. Directing a CG movie. Composing a BGM. Each of those is no more than a single face of game creation. When I imagined the world of Koudelka, I figure graphic elements and story elements and sound elements all at once. Because, those are mingled with each other organically. So I think that It is rather easy to manage multiple affairs. RB: What was the easiest aspect of working on Koudelka? What was the hardest? HK: The easiest aspect is music composing. Because I can create a music by my lonesome. It makes me free and I feel comfort. Hardest aspect is behind-the-scenes maneuvering of power game in company organization. I am so tired to do that. Let's get something straight, I am not a buccaneer but rather a creator. All aspects about creation are really pleasant for me. RB: Why do you make music? Why do you make games? HK: Music composing is a natural behavior for me. Like breathing. I usually conceive a good melody and a harmony without suffering. So I have no reason to make music. I think that it is my vocation. Meanwhile, creating video game is not my vocation. It is my wish. I want to produce high quality entertainment in the future. When I write a story and a plot, I usually suffer by myself. Though it is very hard and thorny, I feel maximum accomplishment. RB: What inspires your melodies? HK: Many great works of famous composers and musicians inspire me. If I must respect only one person or group as a music composer(s), I will take Pink Floyd. RB: What are your hobbies and why? HK: Good question. Riding bicycles is my hobby. I also love my yellow Peugeot MTB made in France. I also have some fun playing with my cat. She is extremely pretty. RB: When did you begin working at Square? HK: I began work at Square in 1991. I was twenty seven years old. In those days, the production studio of Square was placed in Akasaka Tokyo. It was small and homey, different from now. I remember that Nobuo Uematsu and Kenji Ito interviewed me in their office. We talked about progressive rock music and famous guitar player Allan Holdsworth with each other. I created sound effects for Romancing Saga at the start of my career. A few of graphic staff worked with me to design a lot of novelty sounds. We worked hard in night and day. RB: How much freedom did you have making music at Square? HK: In a sense, I had perfect freedom. Because, the planning staff of Square put none of the assignments relevant to the menu of music work and schedule in my hand. Nobody explained to me about game detail which they were producing. I had to think and imagine what kind of music was needed for our game project. Changeover,changeover, and more changeover of specifications. It was difficult to foresee the final image of it. But I did. RB: What is favorite game that you worked on at Square and why? HK: May be Seiken Densetsu 2 (Secret of Mana). I think that it was a pretty good game except for the big BUG. The multi player system was extremely fresh and delightful. In the aspect of music, I was fully challenged in regard to sound expression using 8 voice PCM system of SNES hardware. Please see and hear the opening sequence of Seiken Densetsu 2. It is so simple but so lyrical, isn't it? I am really proud of my visual direction and music composition. RB: Did Nobuo Uematsu influence your work? HK: I think there is no influence from Nobuo Uematsu. I have never taken any lessons about composing game music. The style and the melody of my music are totally conceived by myself. Just the same, every staff composer at Square were free from influence of somebody else. Originality and personality were cheerished in our studio. It was the policy of Nobuo Uematsu. RB: What are the best and worst memories that you have of Square? HK: Hmmm... Best memory... it seems a trip to MANA island of Fiji republic. After a production of the game Secret of Mana, I and my friend decided to visit an island placed in South Pacific Ocean. We played skin diving everyday and watched some corals. Those were extremely beautiful. It looks like a blue heaven. I will never forget the view of the sunset from Mana's beaches. It is one of my treasures. By the way... Worst memory is a dissolution of the game team in which I was supposed to participate. I wanted to propose an innovative game system using music and sound effects. RB: Who is your favorite Square composer and why? HK: I recommend Jin Sakimoto (Hitoshi Sakimoto). His works are extremely dense. RB: One of our favorite soundtracks of yours is Soukaigi. The sound quality and styles are some the best for a game. HK: Soukaigi has many characters of sound. I designed it with different complex styles. House music meets real performance, fusion meets folk choirÖÖ It was an adventure for me. To tell you the truth, the style of music does not a matter. I don't dwell upon it. Though I put a high value on counterpoint it does not bind me. It is only a method. In the case of Soukaigi, I was mainly influenced by East European pops like Varttina. RB: Why did you leave Square? HK: I wanted to direct not only musical expression but also visual expression. And of course, I wanted to write a fine scenario which is different from existing one. I had felt a big complaint against those juvenile works. But unfortunately, I couldn't get a chance to take a part in those kind of production works in Square. I suffered terribly for a long time. After all is said, I left Square and established new company Sacnoth to achieve my idea. RB: Do you perform your music live? HK: If I have a chance to do that, I wish to play my music as a live performance. I didn't make an attempt to do that in Japan yet. Do you want to hear my music in front of your eyes, ya? RB: Who would you like to make music with? HK: Jin (Hitoshi) Sakimoto. Because, I could not collaborate with him on composing game music when we were hired together by Square. I respect him. Except for game music composer, I want to collaborate with Allan Holdsworth, a fusion guitar player. His music is a miracle. RB: How do you think game music compares to other genres of music? HK: I think that is similar to movie soundtracks. It is important to synchronize the music with visual element. It has an expressive purpose. If you want to create a game music, don't forget to construct it as an emotional device. RB: How will the next generation consoles allow you to express yourself as composer and game designer? HK: I feel a strong attraction to X-box and Game Cube. A big visual capability makes me hot. I have many ideas to display fascinating characters using real time computer graphics. They will sing and dance and talk with real emotion. Don't you want to play the Musical RPG on Network? I want to play it. RB: What would your advice be to people who: A. People who want to create game music. HK: Listen to as much music as you can. Don't confine yourself to your room. The genre of music is meaningless. If you want to find your treasure, you must challenge the common practice at any one time. B. People who want to create games. HK: Video games are not art. They are an entertainment. You must amuse your audience first instead of amusing yourself. I am always conscious of the feeling to accommodate someone with a fun service. Can you create a lot of gimmicks for the player? If you work so hard and push yourself enough, the day will come to collaborate in some way with me for sure. Let's think of a next game together. RB: What is in the future for Hiroki Kikuta? HK: I will be involved in some new game projects that are not directed by me. I will be a technical advisor. I will create computer graphics and sounds. But soon, I hope to form my studio and develop my own game project. So now I am looking for new investors around the globe. RocketBaby would like to thank Mr. Kikuta for chatting with us.
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無職についてのまとめ
2017年9月半ばに退職して以来、8ヶ月ほど働いていなかった。 その間にいくつかの知見を得たので、今後のために残しておこうと思う。 既に退職した人や、これから退職しようと思っている人に役立つかもしれないが、あくまでも私個人の場合なので 参考にするときは「そういうパターンもあるんだ」 ぐらいに留めておくのがベターかと。
退職までの経緯
2016年3月に7年間通った大学を卒業することになっていたので、4月からの働き口を探していた。 就活について何も知らず、働くのが本当に嫌であり、卒論も忙しかったため   就職エージェントを利用して就活を行った。 やりたい事もなく、ぼんやりと「文章を扱う仕事が良い」ぐらいで探してもらって、都内のベンチャーWebマーケティング企業に就職した。
入社した会社について 人数規模の小さい会社だった。   部署には2人しかおらず、職階も部長の上がもう役員。   なのに部署が2つに分かれていて、全部合わせて10人にも満たない会社。   が、売上は良かったらしく割といい場所にオフィスを構え、数年以内の上場を考えていた。   私はいわゆる「事業拡大に伴う増員」の名目で募集された初の新卒採用枠の一人であり、新卒全員とにかくポテンシャル採用、イノベーションを巻き起こすことを期待されての入社だった。
退職の理由 一流のビジネスパーソンになりたいと思わなかったから。 私にとって仕事というのは、楽しく暮らすための食い扶持以外の何者でもなく、会社が要求する「仕事に邁進する、バイタリティ溢れたビジネスパーソン」というのは苦痛でしかなかった。 「成長」が口癖で、仕組みも無いのに毎年新卒を採って、オフィスはどんどん地上から遠くに離れていった。 会社は私に「もっと熱意を見せてほしい」と思っていたし、私は「地獄の果てより嫌いな場所だ」と思いながらやる気なくダラダラと、毎日遅くまで仕事をしていた。 そうしたらある日の朝、とつぜん立ち上がれなくなったので その日は休んで次の日の朝、部長を呼びつけて「もうここにいるの無理です」と言って辞めた。 退職交渉を初めて2ヶ月ぐらいが経過していた。
退職交渉で学んだこと 今はどこもかしこも人が辞めることを恐れているので、ある日「辞めます」と言って「はいそうですか、お疲れ様でした」となることはまずありえないと思う。 特に小さな会社ほど引き止めには必死なので、月並みだけども確固たる意志をもって絶対に辞めるようにしなければならない。 退職願を出してもぐるっと回って社長面談の時に帰ってきたのはちょっと笑ってしまった。
退職交渉が伸びれば伸びるほど後々に影響が出る 最初の退職交渉から実際に辞めるまで、結局2ヶ月ぐらいかかっているのだけれど、最後は逃げるように出てきてしまった。 後々になってこれを非常に後悔していて、できれば「辞めるぞ」から「辞めました」の期間が開かない方がいい。 私が最終的になりふり構わなくなった理由として「メンタル不調」があるわけだけれども、ここまで来ちゃうと回復までかなりの時間がかかる。私の場合は半年ぐらいかかった。(後で詳しく書く) 退職交渉が長くなればそれだけメンタル面の負担は大きくなるため、退職を決めたらなるべく早く辞めた方が良いと思う。
晴れて無職になった 今すぐ辞めさせろと部長に詰め寄ってから少し日が空いて、鍵返したり私物持って帰ったり、なんとなく挨拶したりしなかったりして、2017年9月の中旬に晴れて私は無職になった。 基本的には会社が嫌だったから辞めたけれども、じいちゃんが倒れたり、クソ親父が自己破産したりと相当強めのストレスが一気に来たというのも大きい。 生きていく以上ストレスから逃れられないのは当然だけれど、それらを捌いたりいなしたりできなくなった時は、限界が近いと思うので退職するといいと思う。 退職日はとても天気がよく、忌々しい職場のビルが青々とした空に照らされて、ビビッドに映えていたことを一生忘れないと思う。
退職直後の私
仕事を辞めてから一ヶ月ぐらいはやる事が非常に多くて忙しかった。   時系列はよく覚えていないけれど記す。
じいちゃんが心配で祖父母宅へ行く 退職したその足で母方の祖父母宅へ行き、大丈夫かいという話をしてから仕事辞めた報告をした。 ばあちゃんは心配してくれたみたいで、本当に辞めて良かったのか?という話や働くというのは難しいという話、どんな人生でもいいけれど頑張らないといけない、というような話をしてくれた。 あと、若い頃のばあちゃんは山登り(というかルートを決めてゴールまでの時間を計測する、山岳RTAみたいなの)が好きだったらしい。いつか山にもう一度連れて行ってあげたい。
クソ親父が債務整理をした この世で一番終わっている人間こと、私の父親が債務整理をした。 ちょうどそのタイミングで実家の契約更新があったのだが、返済のことを考えるとなるべく月々のランニングコストを抑えられるもっと安い家の方がいいということで、家さがしと引っ越しをすることに。 父親は平日仕事に行っているため、私がメインで引っ越し準備をしており、債務整理を行ったためお金がないので、私がすべて金を出した。 それ以外にもいくつか頼まれたことがあるのだが、あまり覚えていない。 この頃は忙しさとストレスで正常な判断能力を失っており、今考えると別にいらないことに金を出したり、申し込んだりさせられていた。バグった人間から金を取るのは楽、上手くやったものだ。
今は私が生まれ育った街のあたりに住んでいる。 メンタルが復活するにつれておかしいということに気づいたので、これ以来父親とコミュニケートすることはなく、今後も一切関わることは無いだろう。 引っ越しで使った80万円も返すと言っていたが、どうせ戻ってこないので手切れ金とする。 この人の文句と悪口なら一生言えると思う。 圧倒的な勢いで駆け上がり、私の嫌いな人間ランキング堂々の一位だ。
10月頃の私
引っ越しが終わり、片付けが落ち着いたのが大体10月初旬が終わる頃。  それから何をしていたのかというと、離職票が届くのを待ち続けていた。 もう完全に心が疲弊してしまったので、仕事のことは貯金が尽きてから考えることにして ひたすらゲームをしたり、放ったらかしものを終わらせたりしていた。ドラクエ11は面白かったです。
離職後の手続き 離職票というのは、仕事を辞めたことを証明する証明書のことで、勤めていた企業が離職者に対して発行する紙のことだ。 どうしてこれを心待ちにしていたのかと言うと、ハローワークから失業者手当をもらうためにこれが必要だったからだ。
失業手当について 失業者がお金の心配をせずに就職活動を行うため、一定期間に渡って一定金額を支払ってくれる仕組みを失業手当という。 いくつか条件はあるのだけれど、1年以上働いているなら大体もらえるので、転職先が決まっていないまま退職するなら申請しておく方がいいと思う。
失業手当の期間と金額 辞め方や勤続年数によって結構変わって���るので、それぞれ自分の状況に合わせて調べてほしいのだけれど、私の場合は特に就業困難な理由なく自分の都合で辞める「自己都合退職」だったので、申請してからお金をもらうまでに3ヶ月間待った。(待機期間) その後一日あたり5000円前後を90日間支給され、大体45万円が振り込まれた。(振込自体は月1回)
離職票が来るまで何もできない 大体の会社は月末締め翌月払いなので、本来離職票は辞めた月の翌月給与が振り込まれたあとに発行される。 が、そうなると退職後1ヶ月以上が開いてしまうことになるので、会社に言えば「給与計算中」として発行してもらうことができる。 しかし、私はもうあの人達と連絡をとるのが嫌だったし、何もしたくないという気持ちしかなかったので、結局申請したのは離職票が届いた11月に入ってからだった。 精神的な余裕があるのであれば、早く届けてもらうよう請求したほうがいい。 余談だが、お役所から「保険証返ってきてないんで返してください」という書面も届いたのだが、退職時に渡しているので会社もグズグズした対応したんだろうな、と思った。 こちらも連絡を取るのが嫌だったんで、お役所に「直接聞いて」と書面を返した。
無職ができる期間が決定した 10月暮れに振り込まれたいくらかのお金と、失業手当でもらえる45万円。 期間としては3ヶ月の待機期間と、お金が振り込まれる90日間。 大体この手持ちの武器で無職を謳歌することが決まった。
10月以降の私
大体半年前後は遊べるなということがわかったので、リミットを5月の暮れ(失業手当最終支給日)に設定して無職をやることにした。 10月以降は主に方向音痴王をやり、スケボーをたしなみ、たまにバンドをやって、お金を節約しつつ、いろんな手続きを行いながら生きてきた。 遊びについては日記を読んだりtwitterを見てもらえばわかると思うので、ここからは手続き関係を記録していく。
ハローワークで失業認定をうける 最寄りのハローワークによって違うらしいので、詳しくは各々調べてもらいたいのだけれども 失業認定を受けるためには、説明会をうけたあとで離職票やら顔写真やらを持って、失業認定の申請をしなければならない。 申請が終わって待機期間を過ごしたら、そこから失業手当の支給が始まる。   この説明会というのが月に数度しかなく、これを逃すと来月までお預けになるため、その分支給日も伸びる。 そういう点でのハローワークは結構シビアなので、ちゃんとスケジュールを確認しておくこと。
失業手当は就活のための資金 失業手当は本来「金銭の心配なく就職活動に励めるように」という名目のお金なので、支給にあたって毎月「今月はこのくらいの就職活動をしましたよ」という報告をしなければならない。 大体月二回、職種の相談や求人への申し込みを行うことで就職活動実績となる。 意外とこれを忘れたり、ハンコくれなかったりするので注意。
バイトとかしないの? さっきも述べたが失業手当は「金銭の心配なく就職活動に励めるように」というお金だ。 なので、4時間を超える労働や賃金の発生する労働を行ったらそれを申請しなければならず、その申請があった日の分は後ろ倒しになっていく。 つまり、バイトやクラウドソーシングで稼げば稼ぐほど失業手当は貰えなくなるというわけだ。 それが嫌だったし、働く気もなかったので「現状でどうするか」を考え実行していた。
支払い類の猶予をお願いすること 仕事を辞めたからと言って、各種取り立てが止まないわけではない。 私が払ったもの、止めたものについて記載しておく。
保険について 日本ではあらゆる人間が保険に入っていなければならないことになっている。 これまでは会社に属していたので、社会保険が給料天引きで支払われていた。 それが国民健康保険に切り替わるため、自分で支払わなければならないというわけだ。 これは申請すれば支払猶予期間をもらうことができる。 正直キツいので猶予をもらっておいた方が良い。 失業手当が始まるまでは親や奥さんの扶養に入るという手もある。
年金について これも保険と同じく止まってくれないので、とりあえずすぐに猶予期間申請を行うべき。 ただし、保険も年金も前年度所得がいくら以下なら可みたいな感じだった気がするので、人によっては猶予期間が無いパターンもあると思われる。 また、年金に関しては故意かどうかに関わらず、未納だったとしても過去5年以内なら払うことができるので、忘れてしまっていても後で払えば問題ない。
住民税について 住んでいるだけで金を取られるというのがひじょーに納得いかないのだけれども、とられるので仕方がない。 実は住民税も猶予や免除というものがあるので、前年度所得が規定以下なら申請するのがおすすめ。 ただし、普通に働いてたらほぼ超えてる金額だった気がするのであまり期待してはいけない。 個人的にはこれが一番キツかった。 二期残っていたので総額4万の支払いが必要になってしまい、最後は分割してもらって様子を見ながら物を売ったりしてなんとか払った。
住民税の期間 仕事を辞めるまで知らなかったのだけれども、住民税にはそれぞれ期間があり全四期に分かれているらしい。 それぞれ6月末、8月末、10月末、翌年1月末が支払期限となっているため、退職後の煩わしい手続きや支払いを減らしたいと考えるならば2月に仕事を辞めるのが一番いいだろう。 辞めてすぐ給与計算中の離職票をもらって失業認定の申請を行えば、5月から失業手当を貰えるので6月末の住民税支払いでお金が足りないということもないはず。 冬のボーナスもらった後だし、年越してるから年末調整もないし、ちょうど5月頃から求人増えてくるしで完璧。
年末調整をしにいかなければならない場合がある 退職後、無職のまま年末を迎え年を越してしまうと、年末調整が終わっていないためいわゆる年末調整未済のまま所得税がとられる。 年の途中で仕事をやめているわけだから、当然何ヶ月か給与をもらっていない時期があり、その分所得も下がっているから、所得税も安くなるはず。 なので、大体1万円ちょっとが還付されなければいけないというわけだ。 これまでは会社がやっていたけれど、仕事を辞めたら自分でやらなきゃいけない。 対象になってる場合は確定申告の時期(1月のいつだったか)に源泉徴収票を持って税務署に行けば、全部教えてくれるので混んでない内に行っておくといいです。
必要な支払いは結構ある 無職になったからといって、金をとることは止めてくれないので退職後も支払いをしなければいけないことは結構ある。 ただ、猶予期間を設けてくれたり、場合によっては免除もあるので積極的に活用してほしい。 よくわからんくても大体国からDMが届くので、それに応じて払ったり申請すれば問題はない。 あとはなるべく生活水準を落としておくといざという時に役立つのでいいです。 この文章は失業手当をもらう場合、なのでバイトしちゃった方が次の仕事までのブランクなくなるしお金もらえるし人によっては良いかもしれない。 私はあんま生活水準落とさなかったから、失業手当だけだとちょっとキツかった。
メンタル面の変遷
日々の生活は支払いをしたり、新しいことを始めたりと、わかりやすい形で外に出ていたのだけれど、メンタルはあんまり人に言わなかったり書かなかったりということもあってわかりにくい。 のでここに記しておく。
2017年中は割とボロボロだった 上にも記載があるけれど、とにかく退職から引っ越し、諸々の手続きと疲弊しきっていたので直後の9月10月は本当にひどかった。 退職直前の7月や8月はひどく太り、まともに他人と会話することができず、突然動悸が止まらなくなり、汗が吹き出し、毎日吐きそうになりながら仕事に向かい、手先や足先の感覚があまりなく、物を見ているようで見ておらず、聞いているようで聞いておらず、根拠に基づいた判断や決定が全く下せない状態だった。 そんな中で人に心配をかけないよう取り繕って生きていたというのもあり、正直気が狂う一歩手前だったと思う。 そんな状態から2017年中は本当に少しずつ回復していった。
ボロボロの人間が解放されるとどうなるのか 何もしない。 寝て、起きて、youtube流して、天井をぼーっと見て、また寝る。 最初の数日は本当にこうだった。タバコ吸ったり飯食った記憶もあんまりない。 一週間経ったぐらいから「なにか面白いことを」という感覚が復活してくるので、なんとなくゲームをする。 時間もあるので積んでたゲームをやったり、せっかくだから大作ゲームをということでRPGをやったりする。大体それで1ヶ月ぐらい潰した。 ようやくタバコ吸ったり、外に出たり、買い物をしたりできるようになる。 陽の光を浴びるということが大切なことだと知った。
心がやられてなければこの過程はいらなかった 上にもちょっと書いたが、退職交渉で心がやられていなければこの過程は全く必要なかった。 なので、スパッと仕事を辞めることが大切だし、限界のアラートもちょっと引き上げておくことが大切だと思う。 見ている景色が灰色になって、ろれつが回らなくなって、他人との会話が成り立たなくなったらそれはもう「限界」じゃなくて「崩壊した後」なので、もっと前の毎日吐いちゃうとか、寝なきゃいけないのに寝たくなくて夜更かししちゃうとか、そういうタイミングで歯止めをかけないといけないと感じた。
ようやく復活してきたころに方向音痴王をやる まだ判断能力に若干の不安は残るものの、脳機能がそれなりに復活してきた頃、まゆみ宅へ入り浸っていた。 まゆみ宅はうちから歩いて30分ぐらい、バイクならものの10分ほどだったので非常に行きやすく、まゆみも平日休みがあるのでちょうど良かった。 そんな中で生まれたのが方向音痴王であり、企画立案からルール制定、実施まで非常に楽しかった。 精神的に不安定な時期ではあったものの、あれが脳をしっかり動かし、全然終わらないけど自分のこだわりを余すところなく詰め込める動画制作が自尊心や自己肯定力復活に大変大きく貢献してくれた。 デザインやって動画作ってみんなにわーって言ってもらえるのもすごく嬉しかった。 私へのセラピーじゃないけれど、友人各位のおかげで復活したと言えるので、本当に心から感謝しています。ありがとう。
年明けぐらいから正常な反応を取り戻す 第0回方向音痴王を公開したあたりから、みんなに褒められたり喜んでもらったりして健全な精神が取り戻されたように思う。 思えばこの頃はよく外に出ていたし、お金を使うようにもなっていった。 また、客観性も戻ってきていて、生活時間帯も夜ちゃんと寝て朝ちゃんと起きる感じになってきていたと思う。 ちょうど失業手当支給が始まるタイミングというのもあったと思うけれど、安心が多くあった。
安心感と心の状態が過去に比べると良い 仕事を初めるもっと前から、安心できる状態になると別の不安がよりクローズアップされてしんどくなってしまう、ということが多々あった。 そして体中すべての力が抜けて、完全に堕落した生活を送ったと思ったら、いきなりフルパワーでいろんなことを片付けるという、躁鬱的な心の状態が過去何年も常だった。 それが退職に向けてぶっ壊れていき、年が開けてゆっくりと回復することで「無理のない前向きな考え方」ができるようになったと思う。 何かを振り払うような積極性ではなく、正しく興味関心に対する積極性。 非常に見えにくいことだけれど、個人としては非常に大きなことだった。
年明けから働こうと思うまで 年明け後もいい具合にメンタルが復活しつつあり、よくライブを見に行くようになった。 小さいものから大きいものまで、それらを純粋に楽しめるようになったし、自分で見つけてきて申し込むことをするようになった。 正直、完治するまでにはもうちょっとかかると思うけれど、もうお金も無いので就職しようと思う。 ちょっと働いてもいいかな、と今は思うのだけれども、去年のあの状態からここまで回復すると���うのはなかなか頑張ったのではないかと思う。
再就職について
失業手当をもらう過程で、就職活動をしなければならなかったため、3月から仕方なく就職活動をしていた。 テキトーに就職活動をした挙げ句、マッチしない企業に入ってぶっ潰れてしまったので、今回は面倒くさいながらもちゃんとやろうと思い(このメンタルの回復よ!)それなりにしっかり就職活動を行った。
基本はハロワで就活をした どこでやってもよかったんだけれど、退職後初回認定のためにハローワークに赴いたところ、再就職に向けて最初のセミナーというのをやっており、それが就職活動実績になるというので参加。 100人規模で大きくやるのかと思ったら、講師の人と数人で超こじんまりとやってるやつだった。 やべぇ失敗したかな、と思ったもののよく話を聞いてみるとちょっと良かった。 基本は個人面談だというので、半ばエージェントのようにしてもらいながら就活するかということで、その講師の人と話しながら進めていくことにした。 新卒入社をエージェント使ってたので苦い思い出はあるものの、やっぱりプロの意見は聞きたいよな、という決断。結果としては大変良かった。
人を介した就活はその人による 当然のことなんだけれど、面談とかしながら進めていく就活はその人によるところが非常に大きいということが良くわかった。 私は絶対転職に失敗したくなかったので、とりあえず書面上だけでも「無視できない条件」をリスト化し、前職をこういう理由で辞めたから、これは無視できないんですというのを講師の方に伝えた。 何回か面談してこっちのパーソナリティをわかってもらいつつ、オミットできない条件を織り込んで「じゃあどう探せばいいのか?」というのを話しながら進めていけたのは本当によかったと思う。 「野心はない」「キャリアアップもどうでもいい」「自己実現は仕事以外でやる」「暮らせるだけ貰えればそれでいい」というような要望も、否定することなく「その上でどうするか」を考えてくれたので、いい人にあたったのだと思う。
実際にやったこと ネット上の転職サイト等も見たけれど、見れば見るだけ情報が増えていくだけで一生終わらんという感じだったので、ハローワークに絞って探し、補完情報を他サイトで得た。 具体的なやり方は以下の通りだ。
まずはハローワークの求人票から、良さそうなものを見繕って10社から20社印刷する
各求人の給与や労働時間などの条件を◎○△☓で評価する
その段階で一度「総合的に良い順」で並び替える
手持ちの求人をすべて「転職会議」と「リクナビ2019」でチェック 転職会議:内容掲載があれば内容について評価、掲載がなければ離職者少ない=良いと判断 リクナビ:新卒求人の内容・文章に前職と同じような文面があるかチェック
上記情報を元に再度並べ替え
ランキング上位のものから「ここなら入っても良い」というところに応募
求人検索前に個人面談で自己分析と、私が何を大切と思っていて何なら我慢できるか、を知っておけばこういうやり方が可能になる。 あとはもう推理と憶測になるけれど、例えば就業場所の人数が少ないと仕組みができていないのではないか、とか業務内容は一番上に書いてあることが一番やってほしいことだ、とか そういう情報を元に優劣付けをとにかく行って応募していった。 最終的に50から60ぐらいの求人を見て、応募したのは3件。 どれも私の基準で言えばA〜Sクラスの求人だったので、いいやり方だったと思う。 (そのかわり、人気でちゃって既に決まった求人というのもいくつかあった)
明日から仕事をする まあ、なんでこんなことを長々と書いているのか、という疑問の答えでもあるんだけれど そうやって決めた会社で明日から働きます。 まだちょっと精神的に復活しきってはいないけれど、お金ないんでそれなりに頑張って働くつもりです。 果たしてそれなりに頑張った就活が上手くいっていたかどうか? それは半年から一年後の私だけが知っているでしょう。
長いようで短かった無職も今日でおわり。 人生においてかならず必要な時期だったと思うので、この8ヶ月間は非常に調子いいです。 どうなるか正直わからないところもあるけれど、とりあえずは頑張っていきます。
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crossbreed · 7 years
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■主人公になると決めた  僕はずっと、自分の人生の傍観者だった。 この感覚自体、理解出来ないという人が多そうだ。と言うか、そうであって欲しい。僕という人間は世界中に一人しかいないと理屈では分かっているが、僕に対する僕自身の評価が「その他大勢」だったのだ。世界の主人公は僕以外の誰かで、僕はそうではない有象無象の一部だった。 キモオタでコミュ障で、学生時代は教室の隅でキノコを生やしながら本を読んでいた。イジメの標的にされなかったのは、比較的育ちのいい子ばかりの私立学校ゆえイジメ自体が少なかったからで、公立に通っていれば悲惨な学生時代になっていたと思う。 本や漫画の好きな、いわゆるオタク友達ならいたのだが、彼らとも時々隔たりを感じていた。「普通の高校生が異世界に召喚されちゃう、みたいな話あるじゃん。もし自分がそうなったらどうする?」なんて話をしていると、僕は野垂れ死にする自分しか想像出来なかった。ファンタジーの世界に行ったらこの属性の魔法が使えそう、とか、さすがに王族に見初められる自信はねーわ、とか、そういうバカ話をする友達が眩しく見えた。彼らは自分が主人公である世界を想像出来るのだと知って、羨ましかった。 仮に最初からファンタジーRPGの世界に生まれ落ちたなら、僕には名もなきNPCがお似合いだろう。世界を救う旅をする主人公に話し掛けられて、「夕食の材料を買いに来たんだ」とかのどうでもいい話をする人。ゲーム攻略の手掛かりを提供することも、プレイヤーの心に残ることもない、そういう存在。 頭も顔もよろしくない僕が、器用に生きるのは無理だった。せめて真面目に勉強して、それなりの大学に行き、手堅い職に就こうと思った。そして当初思い描いていたレールと比べれば、多少の紆余曲折はあったものの、最終的には建築系の企業に入社し図面を書く仕事に辿り着く。 この仕事は僕に合っていた。PCに張り付いてCADの操作をするのは得意だった。雑談が苦手でも、最低限の挨拶と情報交換さえハキハキとしていれば「自分の作業に没頭できる人」としてプラスの評価を受けられるのもありがたかった。休み時間にも図面を書いて練習したり、参考書を読んで勉強していれば、そっとしておいてもらえた。人間関係の苦悩も、当面は食いっぱぐれの心配もなく、収入は安定していた。 顧客の「こういうものを建てたい」という注文や、上司の「法に触れないように調整しておいて」といった指示を、PC画面上に反映させていく毎日。僕は自分の意思を持たない、人の言葉をPCに受け渡すだけの変換機みたいなものだった。仕事自体は好きでも嫌いでもなく、ただ毎日が過ぎていく。それでいいと思っていたし、僕にはそれがお似合いだと思った。 そこそこ経験も積んで三十歳になったある日、僕は小さな建築現場事務所に配属されることになった。 現場事務所にも色々あるが、僕が回された先は労働衛生基準法に照らせば真っ黒な、およそ人の働ける環境ではないという最悪の部類である。間取りの関係上、空調の効きが悪く、夏は暑く冬は寒い。窓はないため無風であり、日光は差さず、機械音だけがうるさい。 環境改善の要望は無視され続け、僕のメンタルは一年でイカレた。それでも一年間は問題なく務めたのだから、この人事は正解だったと言うべきだろう。最初からいた現場長以外の、僕の後任として入った人たちは、ほとんどが数日でダウンするか逃げ出してしまったらしい。退職間際、現場長一人で仕事を回しているので大変そうだ、と人づてに聞いた。 そんなことを言われても、発熱、眩暈、圧迫感、何の刺激もない時に突然涙が出る。労働どころか外出もままならなくなった僕は、仕事を辞めざるを得なかった。休職も出来ると言われたが、回復後に同じ環境に戻される可能性を考えると気分が悪くなったので、丁重にお断りした。 変換機として生きて行くことは、もう出来なくなった。 かような経緯から、今の僕は三十路過ぎのニートである。なんと切ない響きだろうか。結婚どころか恋人もいない上、肉体と精神も損なってしまった。あとは失うものと言えば貯金残高と寿命だけ、というこの状況にあって、僕は一つの気付きを得た。 職と健康を失ったことで、親には心配を掛け、友人からは「無茶しやがって……」とオタクらしいコメントを頂戴し、必然的に世話を焼いてもらう機会が増えた。それはとてもありがたく心強いことなのだが、申し訳ないことに、施される親切が僕の欲求とずれていることがある。たとえば今はさっぱりしたものが食べたい気分なのに、友人が手土産としてベイクドチーズケーキをくれる、というような。 当たり前だ。僕の親しい人たちは、僕自身ではないのだから。彼らは彼らなりに、良かれと思うことをしてくれるのであって、僕の漠然とした欲求を察してくれるエスパーではない。友人は僕が「チーズケーキが好きだ」と言っていたことを覚えてくれてはいても、僕が今なんとなく食べたいものまでは分からない。 ましてや職場において、僕が本当は日の当たる綺麗なオフィスで働きたがっているだなんて、誰が想像出来ただろう。ぼっちが平気で本さえあればゴキゲンのコイツなら、環境が多少劣悪な現場でも耐えられるだろう、と判断されたのに違いなかった。 僕の欲求を察して満たしてくれるヒーローなんて、どこにもいないのだ。 ならば僕自身が、僕の欲求を聞いてくれるヒーローにならねばなるまい。主人公の座に戻らなければ。次はどんな働き方をしたいのか、どういう生活をしたいのか、趣味だって好きなだけ増やせばいい。一つずつ確かめて実現させて行く必要がある。 今までは周囲に流されながら、手の届くものだけを掴んでいたけれど、本当は自分で水を掻いて行きたい場所に行けばいいし、欲しいものに手を伸ばしたっていいのだ。 そういう風に考えて顔を上げると、空が今までよりも広く見えた。ごちゃごちゃと続く街並みを眺めるだけで、心が躍った。 世間には「誰もが��人公」というメッセージが溢れている。その言葉は自分には当てはまらないと、僕はずっと思っていた。 だが今なら、「誰もが主人公」という言葉を受け入れられる。主人公とは、舞台の上で華々しく歓声やスポットライトを浴びる人を指す言葉ではないと気が付いた。演劇よりもゲームをイメージした方が分かりやすいだろう。僕は多くの人にとっての「その他大勢」だが、物語の中で果たす役割が何であれ、僕は常にその人物を通して世界を感じ取り、考え、行動する。使用するキャラクターはカスタマイズは出来ても変更は出来ず、人に操作を代わってもらうことも出来ない。生まれた時から死ぬ時まで、ずっと主人公であり続ける。 だから、僕は主人公だ。非力でいいとこなしで、ステータス異常「うつ」まで付いてる始末だけれど、装備やスキルを工夫しながら目的地に向かうことを許された主人公なのだ。設定された座標を往復するだけのNPCじゃない。 今の僕は三十一歳。自分がやりたいことを見極め、がむしゃらに夢を追い始めるには微妙な年齢である。夢を叶えようとしても、たとえば警察官になるには既に受験資格を失っているし、俳優を目指そうにもこの年齢の未経験者を入れてくれる劇団を探すのは難しい。 僕の場合は更に厄介なことに、そもそも自分のやりたいことが分からない。趣味と言えば読書とゲームとジョギングくらいで、人に誇れるものは何もない。小学四年生くらいまでは作家になりたいと思っていたが、三十一歳になった僕が小学生の自分を参考にするというのも情けない話である。 しかし、うん、作家か。今も昔も、本が好きなのは確かだ。文章が書ける限り何歳からでも目指せる、年齢制限のない夢があるというのは悪くない。故に諦めを付けるのが難しいという、泥沼のような側面には注意を払う必要がありそうだが。 他にもきっと、意識するより先に諦めてしまった「好き」や「やりたい」が山ほどあるのだろう。中には既に、年齢制限に引っ掛かってしまって叶わないものもあるだろう。それでも今の僕は、それらを探しに行きたいと思う。仕事でも、趣味でもいいから、傍観者をやめて、僕自身の物語に介入したいと思う。 それにしても、まさか三十路を超えた後にやりたいこと探しをする羽目になるとは。作家になりたいです!と公言するのは匿名記事ですら気恥ずかしいのに、年齢がそれに拍車を掛ける。若い人は是非、若い内にこの恥をかき捨てておいて欲しい。 僕の物語がハッピーエンドである保証はない。夢を一つも叶えられないまま死ぬのかも知れない。そうだとしても、ジタバタもがいた後の方がきっと安らかに死ねると信じ、決意を固めるべくこの記事を書いた。デスクワークしかしなかった日よりも、気力を振り絞ってジョギングに出た日の方がよく眠れるのと同じように。 三十一歳、無職、独身、恋人なし、病身。見事な詰みの現状から、この先何が得られるのか、少しワクワクしている。追記: コメント・トラバともありがたく拝読している。僕は個別に返信出来るほどマメではないので、かいつまんで書く。 とりあえず、今の僕は既に心療内科のお世話になっていること、療養二ヵ月目でそれなりに落ち着いていることをお伝えしておきたい。 この記事では「主人公」という、誰にでも通じるであろう言葉を用いたけれど、意味としてはゲーム用語の「プレイヤーキャラ」の方が適切だと思う。僕の自意識が主人公のそれになっても、他の人から見れば立派なモブのままだ。 ブクマコメで指摘されている、「これといってやりたい事が無さそうに見える」は、本当にその通りだ。自分のやりたいことを考えてみた時、小学生の頃の夢しか思い出せないくらいには何もない。 最初から主人公としての自意識がある人には分かってもらえないかも知れないのだが、「お前は主人公じゃない」「どうせ何も出来ない」と自分に言い聞かせ続けていると、やりたいという気持ち自体が起こらなくなる。出来もしないことについて考えるのは、不毛で無駄なことだから。出来る人を羨むのはしんどいから。心を守るために、「別に自分はやりたいとも思わないし」と思い込むようになってしまう。童話の「酸っぱいブドウ」みたいに。 ずっとそんな風に生きてきた僕は、まずやりたいことを探すところから始めなければならない。言われてみれば、似たような筋書きの作品はいくつも思い当たるのに、僕は今まで何を読んでいたのだろう。本で読むのと、体で理解するのは別のことだということか。 実は僕の状況は、詰みというほど悪くはない。失ったものは大きいが、得たものもまた大きかった。この記事に書いた自意識の変化が一つと、もう一つは人に恵まれていると実感出来たことだ。 別地方勤務の同期が突然旅行で近くまで来てくれたり(うつ患者に観光案内させるとか鬼か)、元上司が飲みに連れ出してくれたり(薬の関係で僕は飲めないのに)、オタク友達はここぞとばかりにDVDを押し付けてくる(全部観ているとただのヒキコモリになってしまうからやめて欲しい)。 盛大に人生をスッ転んだ結果、それでも助け起こそうとしてくれる数少ない人、僕が大切にすべき人たちをハッキリと見分けられるようになった。今のところ僕のやりたいことリストの最上位は、「この人たちに恩返しがしたい」だ。自分の欲求とのバランスを取りながら、頑張ってみたいと思う。 今はチーズケーキの気分じゃないとか言ってごめん。今度は僕が、自分で選んだ菓子を持って遊びに行く。
主人公になると決めた
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jahlwl · 4 years
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この世界はオワオワリ Ⅸ
なんか昔から地球を喰いものにする愚かな人類を滅ぼす系の漫画とかあるよね、実際そうなってみるとやっぱぜーんぜん危機感が足りないんだよな、みんな平生の生活続けちゃってさ。違う星から来襲した宇宙人に征服を宣言されてるけど、地球人の大半は自分ごととして捉えられてなくゲームかなんかとしか思ってへんのやない? 
地球人は目覚めよ式の勇ましいこと言ったり逆に宇宙人への信奉を表明したりする輩はおるけどどうだってよくないかそんなこと、完全にどうだっていいわけじゃないけど優先順位は下だ、まずは現実的な危機を乗り越えることが先だろ、思想やポリシーだけじゃどうにもならねんだよなあ。
私はまあまあ危機感ある方だと思う、だって先祖は日本に植民されとるわけやしな。
宇宙人はまず数人の地球人を指定して1on1を通達した。なんらかの技術で、超能力のある人間だけを選別できるらしい。
地球側は軍事的に勝つことあたわず戦力に差があると見込んでいるから征服しにきたんだろうにわざわざトイメンで超能力使った殺し合いやるのは快楽主義者なんかね、その点だけ共感するよ。快楽主義は片手間にやるもんよ、マジメくさって快楽追求する、のは美学に反する。依存症とかで必死こいて快楽を求めるのはダメ。美しくない。
最初の2人くらいは死んだ。地球の方でもセレクトされた者どもの戦力を分析しているらしー、らしーというのは選ばれた超能力者全員を交えて会議したわけでなく、そういう方針になりましたと後から知らされたからだ。
超能力者でないやつらが超能力者を上手く「使える」枠組み、つくれんのかね? 
サイキックに属する人間が初戦2戦目に投じられたが宇宙人の超能力者(この言い方が適当かは微妙。だって常識を超えたスキルが超能力であって、それは地球基準の考えであり、宇宙人は誰でも使えるのだろうから、超をつける意義はないと思われる)に敗れた。
危惧したとおり。サイキックとESPの違いも知っていない連中に音頭を取らせるべきではなかったのだ、宇宙人側の力量を正確に測るノウハウが地球にない以上、序盤から最大戦力を投入して闇討ち不意打ちだまし討ちなんでもして僅かな勝つ見込みに賭ける方がよかったのだ。サイキックとESPの能力をかけあわせて戦略を練ったらまだ生存確率は上がっただろう。
相手の土俵で、きわめて官僚的な手続きでバカみたいにちょろちょろ1人ずつ戦わせるべきではなかった。
どうせ死ぬのは超能力者で99%の地球人は死なないので他人事なのかもしれない。っていうかそうだろう、1on1に出る順番はお上によって決められ、それぞれの日にちが近づくと連日新聞紙やテレビやネットでひとびとは盛り上がった。新聞が比較的マシな書き方はしているものの、超能力者は明らかに消費されていた。
攻撃面で優れているサイキックの野郎2人が死んだので、私は3人目の対戦者となったらしい。選別のなかに入っていたのは通知されて知っていたし能力に関するヒアリングもあれやこれやされたがその後特になーんもなかったから対戦で使えないと判断されたんだと思ってた。
RPGやマンガでは攻撃とサポート的な能力どちらも使えるような描写が多いが現実はそうでもないんだよな、自分は攻撃に直接使えるスキルが全くないただのESPだ。血統に関わる能力として霊媒があり、あと危険察知とか相手の分析をかなりショートカットして出来るとかあるけどどれもこれも補助向きで戦闘員適正なし。テレパシーですら受信感度は良いが送信はしんどい。
自発的に現実に介入する力が欠けているという性格がきれいに反映されてんじゃねーかという気すらする(カウンセラーはあなたが言うほど介入する力がないということはないよと言うものの)、実際はどうなのかしらんが。
私は烏丸三条をいっぽん下ったところから御幸町に入るまでのあたりを歩いていた、街は茶色っぽくなりイチョウは黄色になりひとびとの服装もえんじ色やマスタード色になっていた。季節は秋なのだろう。
後ろからくる人に気がついて振り返った、仲の良い友人グループの1人だった。今日は全員で集まってあそぶため河原町に向かっていて、たまたま乗っていたバスの時間が近かったので彼はちょっと先をいっていた私を見かけて近づいたのだろう。
一緒に歩いて待合せ場所のカフェまで行く。我々4人グループは京都市北区/京都市右京区/奈良/奈良という組合せなので自宅近辺よりは河原町周辺で集まることが多い。…ということは私はまだ大学生なのだ。
ものがなしい気分が襲ってきた。バスに乗る前、突如ビジョンが降りてきたから。1通の封筒を受け取って、あけるまえに全てを悟った。
「わたしついに死ぬみたいよ」
努めて明るく言ったつもり。カフェへの道中、何度も彼らと来た道、寺町や新京極の、古着屋や雑貨屋やごはん屋があふれている商店街方面に向かうときに。
親切な人にこれを伝えるのは非常に勇気が要った、他の誰に言うよりきついだろう、例えば親や姉に言うよりもこの瞬間よりつらいと感じることはないだろう。
「知っとるやろわたしがどーしょもないモン持ってるってこと、政府から封筒来ててさ、最近作られた施設に連れて行かれるらしい」
最初のサイキック2人が死んだから、対戦の駒となる超能力者を確保・監視するためにお上は施設を作ったのだ。字面では超能力研究をし地球の存続のためだのなんだの書かれていたが、危険察知のスキル持ちにどーして通用すると思ってんのかね?
収容され、自分の意思では出してもらえず、無能な指示系統に巻き込まれて死ぬであろう仕事に放りだされることが判っていた。友人は深く考えるときの顔して黙っていた。彼にこんな表情をさせたくはなかったのだ。
そしてカフェにいつメンが集まってまた私は同じ話をした、これまでと同じ、生存戦略のまるでない、丸投げされた状態で3人目の対戦者として駆り出され、戦闘向けの力をまるで持たない自分がおそらく死ぬということ。
友人たちは猟奇殺人の話を聞いたような、あるいはこの世のものとは思えぬSFを聞いたようなポカンとした表情をしたあと、首を少しかたむけて、やや私の顔をのぞきこむようなかたちになった。
ああ、私はこれらの顔を見たことがある、何度も…バイトでヘイトスピーチ(伊勢丹に入っているパン屋で、バイトを募集しているが中国人と韓国人は取るなと言われた、同僚上司は私が韓国人だと知らなかった。会社ぐるみでそうしろと決められているとのことだ)を目撃し闘ったとき、彼氏からモラルハラスメントを受けて反論を決意したとき、轢き逃げされやる気のない警察をよそに単独で犯人を特定したとき、結婚生活で死ぬほどつらいめにあって関西を出ると決めたとき、それから、それから…いくつもの個人的な闘争とそれらに伴う彼らの記憶がよみがえった。
彼らはいつも私の近くにいて心配してくれていた、またこの顔をさせてしまったと思った、しかし言わないで彼らのもとを去るという選択肢もなかった。希薄な家族関係で「兄」を欠落していた私にとって、彼らが飢えを満たしてくれていたので、彼らに言うのが一等つらくて彼らにだけは忘れてほしくなかったのだ。
さすがに今回は逆らわず収容されるつもりだ、私は地球規模のでかい組織に対抗するほどパワーのないただの大学生だから、ただ友人たちが私の人生をこれまでどおり見守ってくれているという事実に満足した。
どーでもいーのだ、地球の存亡なんて。超能力者の生死をハンター×ハンター考察するレベルでしか捉えずにネタにしてる連中のために本気になれるわけないだろ。
死ぬかもしれないのにいまいち燃えない理由がわかった。私は私のポリシーを守るための闘争と友人たちに対する執着のためだけに生きている。
この後私は開き直り、宇宙人をガソリンのみずたまりに突き落としてジッポで着火し大笑いしたことでpsychoな「女」の超能力者として人々に消費されつつ立ち回るのだが、それはまた別のおはなし。
元同居人が関西に帰るというので四ッ谷のマンションに戻った。現実的には彼は現在蒲田の方に移ったらしくこの部屋はがらんどうか別の人間が住んでいる。
私はこの部屋が好きだった。他人の思想のもとに暮らしていたからかもしれない。結婚生活だと自分と相手の要望をすりあわせる必要がこまごまと生じるが、居候の身で相手に合わせしかもその人が干渉しない人間だと案外身を投げ出してみた方が楽なのだ。調度品とか服とかのセンスも好きだった。ルームランプが可憐なのでこの人は意外と上品趣味なのだなと思っていたら後日「割とええとこの育ちをしているから野卑な音楽は好きではない」と言っていて何か合点がいった。
形式的に自分の忘れ物がないかどうか調査したが何もないに決まっている。段ボール3箱だけで来て出ていく当日新居にそれらを送った。置いていったものは、寄贈したものだけだ。
少しばかり話をして「どうして帰ることにしたの」と聞く手前でやめた、帰りたくなったから以外の理由はないだろう。素直に「いいなあ~~~~うらやましいわたしも帰りたいヨオ、でも3年は仕事がんばる決意しとんねン」と言った。元同居人はなんともいえない顔をしていて、のらりくらりとした回答のようなものをした。
私は、近いうちに自分が東京-京都の新幹線チケット(往復)を購入し乗車するであろうビジョンを得た。
道玄坂近くのマンションから外に出る。80年代に建てられたであろうそこは四ッ谷のマンションとも通ずる外観をしていて(元同居人曰く”ダダってる”)、ヨーロッパ風のエッセンスが入っているがファミリー向けという違いがある。
父方のいとこにあたる女性が結婚して東京の精神科医とここに住み、私はなぜだか彼女らを訪ねた。本当は20年以上目にしていない。彼女の親が私の母親をひどくいたぶったから家同士で金のトラブルが起こったときに関係は切れた。夢の中だからして幼少期の「東京でしか再放送していないウルトラマンタロウのビデオを送ってくれるおねえちゃん」のパートのみが強調されており、特段疑問に思わずいとこ夫妻に会った。
玄関ロビーに出ると知人男性が待っていた。あっついなか、夏向きの素材と色とはいえちゃんとジャケットを含めてスーツを着ている。
「あら…わざわざ迎えに来て待っていていただいたようですね、ありがとうございます」
時間を少し巻き戻そう、この人は仕事に関係ある人で、東京来てからフリーの編集者として精神科によく置いてある雑誌の制作に関わっている私が割とよく会って仕事するうちの一人だった。
仕事で会ううち飲みの席に連れていってもらえるようになり、さらに少人数の、彼と仲の良いひとびとのグループにもちょいちょいまぜてもらえるようになっていた。そのうちひとりの女の子が彼は不倫している、という話を聞かせてくれた。
また、仕事関係でいうなら〇〇さんと××さんが好みなのでうっかり好きにならないようにしているみたいな話も本人から聞いていたため自分は完全に安全圏だろうと流していたらある日突然不倫を打診された。
はぁ? 当然の疑問として、だいたいあなたが好きなのは〇〇さんとかではとたずねると突然そうしたくなったのだから、しょうがないと回答され呆れかえると同時にまあそうとしか答えようがないわなとも思う。  仕事を考慮し一旦流されとくことにした。 ナントカ博物館に行くという。
「ここから歩いてすぐだよ」
「? 道玄坂に博物館なんてありましたっけ」
「小規模なのがあるよ。千葉県の海の生き物を展示しているのがあってね」
千葉県の海には思い出がある。房総半島の東側を旅したから、あらためて勝浦周辺の海の生物の歴史生態をみてみたい。博物館行ってそのあと天ぷら食う、くらいならいいだろう。寝たくはないが。あとがめんどそうで。あるいは寝たくなるのかもしれないが、寝たけりゃ寝ればいいのだ。たいていの恋愛沙汰はやむにやまれぬ回転がなんとなしに始まって、無慈悲に速度が速まるだけ。決意して好きになる、なんてことあるのだろうか。
千葉県の海に思いを馳せつつ後の「処理」を考えていた。ふと、精神科の仕事をするのと東京へ移ったのとが、いとこ夫婦の人生をなぞってコピーしているようで寒気がした。自分の意思で決めたことなんてなにひとつなくて、得体のしれない大きなものに駒として動かされているような気分になったからだ。
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