映画『ストリーマーズ 若き兵士たちの物語』
U-Nextでロバート・アルトマン監督の映画『ストリーマーズ 若き兵士たちの物語』(1983)を見ました。
アルトマンの映画は結構たくさん見ています。
えーっと何を見たかなーー『M☆A☆S☆H』(1970)、『ロング・グッドバイ』(1973)、『ナッシュヴィル』(1975)、『ビッグ・アメリカン』(1976)、『三人の女』(1977)、『ウェディング』(1978)、『ザ・プレイヤー』(1992)、『ショート・カッツ』(1993)、『プレタポルテ』(1994)、『クッキー・フォーチュン』(1999)、『ゴスフォードパーク』(2001)、『今宵、フィツジェラルド劇場で』(2006)。
主だったところは見ているはずですが、私には合わないというか、なぜこれほど高い評価を受けているんだろうというのが正直なところです(それならこんなにたくさん見なければいいのにと言われそうですが、いつかは私に合うものに出会えるかもしれないと思っていたのです)。
この映画もそうでした。
時はヴェトナム戦争の頃ーービリー、リッチー、ロジャーという三人の若い兵士が同じ兵舎で暮らしています。彼らはいつ戦地に送られるかわかりません。
リッチーはビリーからホモセクシュアルだと言われています。しかし、そう言うビリー自身がホモセクシュアルではないかという感じもします。
だとすれば、ビリーは自分がホモセクシュアルであることを隠すためにリッチーをホモセクシュアル扱いしている、あるいは同族嫌悪からリッチーを嫌っているということになりますね。
とはいえ、この段階では3人はまずまずうまくやっています。
ある日、カーライルという黒人兵士が兵舎にやってきます。自分の隊の白人とはうまくやっていけないので、同じ黒人であるロジャーに会いに来たようです。
カーライルは白人であるビリーにもリッチーにも喧嘩をふっかけます。ロジャーはカーライルと一緒に街に出かけると言って、ビリーとリッチーを誘います。リッチーは行かないと言いますが、ビリーは一緒に出かけます。
その夜、四人はなぜか仲良しになって兵舎で酒を飲んでいます。カーライルはリッチーのことが気に入ったようで、リッチーと二人きりになりたい(!)からと言って、ビリーとロジャーに出ていけと言います。二人で性行為に及ぼうということのようです。
ビリーは同性愛に嫌悪感を持っているので、そんなことは許せないとカーライルを罵ります。怒ったカーライルは持っていた飛び出しナイフでビリーの手のひらを切ります。
ビリーは兵舎の事務室(なのかな)のようなところへ行き、ナイフを持って戻ってきます。でも、カーライルを襲おうとはせず、ナイフを床に投げ出します。
するとカーライルはビリーを刺してしまいます。一瞬の出来事であり、あまりにもさりげない刺し方なので、その場にいたリッチーとロジャーも観客も、刺されたビリー自身も何が起きたのかわかりませんが、ビリーは床に倒れてしまいます。驚いたロジャーはリッチーに軍医を呼びに行かせ、ビリーを介抱します。
ちょうどそこへ上官のルーニーがぐでんぐでんに酔っ払って入ってきます。ルーニーは持っていたビール瓶を割ってカーライルを殴ろうとしますが、カーライルはビリーが床に投げたナイフを拾い上げ、ルーニーを刺して(今度は明確に二度三度刺します)逃げていきます。
カーライルが逃げた後、兵舎に憲兵がなだれこんで来ます。最初は黒人であるロジャーが疑われますが、他の憲兵が外で不審人物を見つけたと言ってカーライルを連れてきたので、ロジャーの疑いは晴れます。
憲兵たちはビリーとルーニーの死体を運び出し、兵舎を封鎖して、ロジャーとリッチーに寝ろと命令して去っていきます(殺人現場で寝ろというのもおかしな気がしますが、そうなのだから仕方ありません)。
するとそこへルーニーの戦友であるコークスがやってきます。コークスはルーニーが殺されたことを知らず、ルーニーとかくれんぼ(!?)をしていて探しにきたと言います。
すっかり酔っ払ったコークスは嬉しそうにルーニーとの思い出を二人に話します。
『ストリーマーズ』というタイトルは、映画の中でルーニーとコークスが歌う「ビューティフル・ドリーマー」の替え歌から来ています。
彼らの同僚であったある男がパラシュートで降下する訓練の最中、冗談でパラシュートを外して手で掴もうとしたところ、掴みきれずそのまま落ちていった話をして、「落ちていく最中には歌を歌う暇もなかった」という話から作った替え歌です。
コークスはヴェトナムでタコツボに入ったベトコンがいたので、手榴弾をタコツボに投げ込んだ話もします。ラストでコークスは再びそのベトコンの話をして、再び「ビューティフル・ドリーマー」を今度はハミングで歌います。
場所は常に兵舎の中、登場人物は基本ビリー、リッチー、ロジャー、カーライルに加えて上官のルーニー、コークス……全部で6人です。
閉鎖された空間で濃密な人間関係が描かれているといえばその通りなのでしょうし、ほんのわずかなことから悲惨な事件が起きる様を描いたとか、いつ戦地に送られるかわからない緊迫した雰囲気の中で人間がどんどん異常になっていく様を描いたとかいうことなのかもしれません。
でもなあ……
善悪でものを言っても仕方ありませんが、この事件はどう考えてもカーライルが悪いに決まってるじゃないですか。カーライルにはカーライルなりの事情があったのかもしれませんが、それが観客の心に伝わってくるかと言われると「否」だし、誰だって「あいつさえいなければこんなことにはならなかったのに」と思うのではないでしょうか。
いっそのこと殺人はなしにして、誰が同性愛者か、リッチーは同性愛者に見えて実はそうではなく、同性愛を毛嫌いしていたビリーが同性愛者であったというような話にして、彼の同性愛をめぐる苦悩を描く方が面白かったのではないかという気がします。
ロバート・アルトマンはやっぱり私には合わないと思いました。
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ロバート・アルトマン傑作選
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名古屋シネマテークで絶賛開催中の
ロバート・アルトマン傑作選より
「ロング・グッドバイ」を観ま~すヽ(^。^)ノ
http://altman2023.com/
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SDC映画の部屋「ニューイヤーズ・イブ(2011)」
「プリティ・ウーマン(1990)」「プリティ・プリンセス(2001)」などロマンチック・コメディを得意とするゲイリー・マーシャル監督による群像ラブコメ。「バレンタイン・デー(2010)」も同じスタイルの映画だそうで、柳の下の何とやらで製作されたらしいが、筆者は残念ながら(幸運にも)未見。マーシャル監督らしく軽快で後に残るものが少ない、いかにもアメリカ映画らしいコメディとして仕上がっている。
2011年12月31日、NYのタイムズスクエアでは「ボール・ドロップ」のカウントダウンの準備で大わらわ。責任者のクレア(ヒラリー・スワンク)は切実な悩みがあるのだが、ボールドロップの故障など難題が続出し、気の休まる暇もない。レコード会社につとめるイングリッド(ミシェル・ファイファー)は上司に辞表を叩き付けて、積年の望みを叶えるためにバイク便の青年(ザック・エフロン)にある申し出をする。離婚した母親(サラ・ジェシカ・パーカー)と新年を過ごす予定のヘイリー(アビゲイル・ブレスリン)はBFとカウントダウンのキスをしたくて母親に外出をせがむが、なかなか手強そうだ。ロックスターのジェンセン(ボン・ジョビ)のパーティではケータリング・シェフのローラ(キャサリン・ハイグル)がイライラしている。ジェンセンは彼女の元カレだったで再会するのが怖いのだ。そして、末期ガンで明日を知れない老人(ロバート・デ・ニーロ)は過去に捨てた家族の事を思って後悔している。彼の望みは、人生の最後にもう一度「ボール・ドロップ」を見る事なのだが…
群像ドラマと言えば、ロバート・アルトマンやポール・トーマス・アンダーソンらを連想するところだが、最近は「ラブ・アクチュアリー(2003)」のようにオムニバス形式の短編が最後に収斂していくようなコメディタッチの恋愛映画も多く製作されている。いくつかの異なるシチュエーションのペアを登場させることで、一本の映画で何本もの物語を楽しむというお得感もあるが、逆にドラマの深みが損なわれてしまう恐れも多分にあるだろう。またそれぞれのキャストに見せ場を用意することができる反面、どうしても総花的な脚本にならざるを得ない。さて本作はどうか、というとマイナス面がやや強く出過ぎているようだ。登場人物たちは誰れをとっても、何の状況説明も要らない底の浅い人形としてしか行動せず、彼ら・彼女らが真夜中をピークに収束していくクライマックスを過ぎると、それまでの葛藤は何だったの?と思わせるようなエピローグに突入していく。その能天気さ、その明るさこそがアメリカ映画の美徳と言えば美徳なんだろうけれど、率直に言って、大晦日以外の日にこの映画を観ようとは思わない。ハル・ベリーやミシェル・ファイファーら優れた俳優が出ているだけに、口惜しい思いの方がどうしても先立ってしまうのだ。手抜きをしているに等しいデ・ニーロなど見たくはないのだ。
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ライザ・ミネリ主演『ステッピング・アウト』(1991) のワンシーン。かつてはブロードウェイのダンサーだったが現在はタップダンス教師として暮らし、私生活でも閉塞感を抱える主人公。そんな彼女がダンスへの情熱を取り戻す物語。
生徒たちが帰った後の教室でタップの振付を確認してラジカセを止めようとしたら、かつて大舞台で踊った曲が流れて思わず体が動き出してからのこの場面。直前には、天窓からスポットライトのように差し込んだ陽光を彼女が見上げる美しいシーンもあるのですが、惜しくもここには含まれていません。70年代ハリウッドで幾多の偉業を成し遂げたあと、80年代の映画界ではもうひとつ振るわなかったライザの現実キャリアとオーバーラップするような役柄に、メタ要素がほんのり薫ってくるのも好き。久々に観たいけれどDVD化もされていないし、ネット配信でも見かけない。観たい観たい観たい...。当時のライザの健在ぶりを示した、古典的ながらも行き届いた佳作。
wiipediaによると、なかなか上達しないタップの生徒たち(サラリーマン、主婦、看護師etc...)を演じているのもほとんどがブロードウェイ級のダンサーだそうで、上手な人が下手なフリをするのはさぞや難しかろうとそこにも感銘受けています。一方、リアリティ重視のロバート・アルトマンは音痴の役に音痴の役者をキャスティングした。人生何が幸いするか分かりません。
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【『ギャンブラー』における町の人々の声にかんする研究】
この研究では、アルトマンの『ギャンブラー』において聞こえてくる、ある画面外の音声を主な対象として分析 した。
それは舞台となる町の人々の声であり、映画の終盤におけるクロスカッティングのシークエンス、すなわち 主人公マッケイブと殺し屋たちとの決闘のシーンと、町の人々による消火活動のシーンという、物語世界において 同時に発生している2つの出来事が交互につながれて提示される箇所において聞こえてくる。
本研究では、この声 の機能を明らかにするにあたり、サウンド・ブリッジという既存の用語に新たな意味を持たせることで議論を行なった。
通常のサウンド・ブリッジとは、場面転換を滑らかにするために用いられる短い音の残余あるいは先行とし て規定されている。ただし近年、長門洋平によって新たな意味が追加された。それは、「時空間の異なる複数のショ ットをまたいで流れる、物語世界の音」というものである [注 5]。つまり、映像とは合理的な関係を結ばないよう な、一定の間継起する音声を指す。
初期ロバート・アルトマン映画における音声の ... - 立教大学学術リポジ
[pdf]
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映画 リプリー - allcinema
技術的にいえばオリジナル「太陽がいっぱい(1960)」より上と思わせる演出は、なかなか。特にラストのサウンド・ブリッジの逆を行く音が後(あと)から聞こえてくるという手法は、上手い。。
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1月と2月をふりかえる
☆年明け早々にみた鈴木清順の『けんかえれじい』は、新年を祝うに相応しい祝祭的な映画だった。年越しそばを食べ損ねたことなどすっかり忘れてしまい、生まれつきの笑顔になった。
☆お正月にみたい一本としてオーソン・ウェルズの『フェイク』も会心の出来だった。ミシェル・ルグランの音楽も素晴らしかった。
☆イーストウッドの『ブロンコビリー』も最高だった。国旗をパッチワークして作られたテントには泣いてしまった。エンディングのショーは、やってることはオープニングと全然変わらないのに、なんだろう、この感じは。
○ティム・バートンの『バットマン』は退屈だったけれど、『リターンズ』にはぶっ飛ばされたね。まさに狂人たちの宴。こんなに気持ち悪い映画が世間に受け入れられてるうちは人類はまだ大丈夫だと思う。
☆増村保造の『大地の子守歌』はとにかく気合いの入った映画。好きな映画は気合いの入った映画です。
○サム・ライミの『スペル』も気合いの入った映画だった。サム・ライミの気合いは始終意味に先立つフィジカル的な気合いに集約されていて、映画のザラザラした質感というやつを体感させてもらった。信用に足る監督だと思ったので、スパイダーマンとかも買ってみた。
☆ルイス・ブニュエルの『皆殺しの天使』は、まだまだ正月の祝祭は続くよ。これぐらいの気合いを入れて日々の生活もやっていきたいものだ。この映画は皮肉でもシュルレアリスムでもありはしません。このバカげた部屋からいちぬけっぴってできるのは死んだひとだけですよ。祝音! 懸命に生きて、懸命に祈ろうではありませんか。
吉田喜重の『樹氷のよろめき』というより、吉田の映画全般は、たぶん退屈なのに、あの白い画面に魅せられて、ふしぎとまたみようと思ってしまう。
○根岸吉太郎の『サイドカーに犬』は、もともと長島有の小説が大好きで、そしたら映画もとてもよかった。キャッチボールのショットも、自転車の練習のショットもよかった。なによりも、これはきっと監督の意地だろうけど、原作にはいない樹木希林の立ち振舞がヤバかったです。
ジュリアン・デュヴィヴィエの『パニック』はミシェル・シモンの持ち腐れ。
○ロバート・レッドフォードの『夕陽に向かって走れ』はとても素晴らしかった。男も女も死んでしまって、つまりは悲劇なのにもかかわらず、まったく負けていないという類稀な気合いの入りよう。マックス・オフュルスの『忘れじの面影』やラオール・ウォルシュの『死の谷』のような映画の系譜に連なる。
ロバート・アルトマン『ザ・プレイヤー』は面白くなくはなかったけれど、なんだか不満が残った。
○マーク・グリフィスの『マックスの冒険~インカ帝国の謎』は、ほんとうに素晴らしかった。映画の呼吸というやつを肌で感じた。マチュ・ピチュに連なるジグザグの山道を観光バスはうねうねと迂回しながら走ってゆき、その毎回の遠回りのたびに、現地の少年が山間の抜け道を駆けてバスに追いつくパフォーマンスは、まるでキアロスタミのジグザグ道三部作をみているようだった。
○M.ナイト・シャマランの『レディ・イン・ザ・ウォーター』は薄板一枚のノーランドの城のような映画だったけれど、すこぶる面白かった。シャマラン監督自身のすっとこどっこいな演技もよかった。監督主演でもいけそう。
○アルノー・デプレシャンの『あの頃エッフェル塔の下で』は、スパイ・サスペンスがいつのまにか熱いラブ・ストーリーなっている「なんだったんだろう」感がよかった。
○アクセレイ・ゲルマンの『フルスタリョフ、車を!』は、スコセッシの言うように「何が何だかわからないが、すごいパワー」だった。この映画を評するこの言葉がスコセッシの近年のベストだと思った。
○黒沢清の『勝手にしやがれ~脱出計画~』は、すでに紛うことなき黒沢清だった。波乱がありながら船で脱出するシークエンスは後の『回路』に通ずるのか。
○加藤泰の『緋牡丹博徒〜お竜参上〜』は、飛びぬけて光るものはないながら、各ショット、各ショットで高水準の演出がなされていて大いに満足だった。
ジャ・ジャンクーの『四川のうた』は一瞬も気の抜けない張り詰めた画面に釘付けになっていたけれど、途中で寝た。結果、翌朝もういちどみる羽目になった。『長江哀歌』の連続うどんのような、えー?! まだ、まだやるのー?! 的な演出がないのは残念だった。
☆ジョニー・トーの『冷たい雨に打て、約束の銃弾を』は、最高・オブ・ザ・最高の映画&仲間たちだった。友達(広義の)にはこんなふうに接したいと切に思った。
フランシス・フォード・コッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』はコッポラでもこんな退屈な映画を撮るのかと思うと安心した。というか『コッポラの胡蝶の夢』をまえにすれば古今東西すべての映画が退屈ということになってしまう。
☆清水宏の『有りがたうさん』は、いや、そんなことはなかった『コッポラの胡蝶の夢』と同じぐらい素晴らしい映画もある、ほんとうに素晴らしい映画とは『有りがたうさん』のことだ!
ジョージ・マーシャルの『ゴースト・ブレーカーズ』は、たまには映画の敷居を下げてやろうと思ってみた、いわゆるB級ホラーだけれど、ふつうにしっかりと素晴らしい映画だったので、当時のハリウッドは凄かったんだなあと頭を下げた。
○スタンリー・ドーネンの『星の王子さま』は色々と不満だらけだったけど、こんな映画を肯定したいと思った。
☆ベニー・マーシャルの『���リティリーグ』は最高という言葉ではとても言い切れないぐらい最高だった。野球と映画の素晴らしさのすべてを物語っていた。
○キム・ギドクの『受取人不明』は、センセーショナルで湿っぽいだけの映画だったらイヤだなあと構えてみはじめたら、思いのほか気合いが入っていて安心した。サティのジムノペディもいい味をだしていた。
『アンディー・ウォーホルのBAD』は寝た。
ジョン・カーペンターの『マウス・オブ・マッドネス』は、カーペンターは面白くない映画を撮れない病いにかかっているのでは? と思わずにはいられなかった。マジで全カーペンターフィルムがサイコー! あとトニースコットも!
オットー・プレミンジャーの『帰らざる河』は、それなりに楽しんでみたけど、おなじ河下りならジョン・ヒューストンの『アフリカの女王』のほうがよっぽどいい。
☆チン・シウタンの『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』にはたまげた。最高だった。ふざけているのか、律儀なのか、とにかく最高だった。はじめは光量過多で、ちゃんと光線処理ぐらいしろやと思っていた画面が、最後には光線を防ぐ展開に。そもそも死者のために命を張るというすっとこどっこいでありながら胸を打たれずにはいられない愛と真実の物語。サイコーでした。
○チャールズ・ロートンの『狩人の夜』は、カルト映画というふれこみだけれど、どこまでも地に足のついたアメリカ映画の底力を示すような映画だと思った。それすなわち最高の映画。そもそも専門の映画監督ではないチャールズ・ロートンがぽっと出であんなに素晴らしい画面を撮れるのはハリウッドで培われた撮影班の技術の高さ窺わせずにはいられない。それはそうとして、シネスコープ時代にあえてスタンダードを選択する美意識や、見事なまでのケツアゴのロバート・ミッチャムを狂った神父役に抜擢するあたり、チャールズ・ロートンの映画監督的な才気を感じさせる。
☆小津安二郎の『生まれてはみたけれど』、動くな、死ね、甦れ!
エルンスト ・ルビッチ の『生きるべきか死ぬべきか』は超絶面白かったけれど、ルビッチのなかでは面白くないほうだった。
アクセレイ・ゲルマンの『我が友イワン・ラプシン』は、わけがまったくわからないまま寝た。
☆マノエル・ド・オリヴェイラ の『コロンブス〜永遠の海〜』は素晴らしすぎて二回みた。いきなり老人になったショットの背景で噴水の水が乱れ発射していたのには爆笑した。
大島渚の『悦楽』はひたすら退屈だった。
ジョセフ・フォン・スタンバーグの『上海特急』はけっこう楽しんでみた。線路上に居座る動物たちの姿が忘れがたい。
○塩田明彦の『カナリア』もセンセーショナルで湿っぽそうな物語だからと警戒していたけれど、冒頭の車が田んぼに脱線するショットでもう信用に足ると心を許した。西島秀俊の佇まいをはじめ、立教チームの気合いのほとばしる映画だった。
北野武の『座頭市』は、やってることは明け透けもなくわかりやすいのに、なんでこうも納得させられてしまうんだろう。北野の映画はどれもとても好きで抵抗ができない。とくに、あの夏、も、菊次郎も、キッズリターンも、言葉を封ずるファシズムのような映画だ。唯一まとも、というか退屈だったのは『その男、凶暴につき』だけだ。
サム・ライミの『死霊のはらわた』は、スプラッターなんて造語に支配されて過小評価されている映画だと思った。
☆オーソン・ウェルズの『不滅の物語』は、嘘かほんとうか知らんが60分足らずで不滅の映画を撮ってしまったウェルズに映画はどう向き合えばいいのやら。『市民ケーン』が新たに生み出した数々の映画的文法も、『黒い罠』の冒頭の類い稀な長回しも、カフカの魔術的な映画化も、ウェルズにとってみればただのお遊びにすぎないのではないか。これだけは確かなのは、ウェルズを心の友と思っている。『フェイク』のミシェル・ルグランに続いて、こんどは音楽がサティの数々、ウェルズはやっぱり心の友だ。
ルイス・ブニュエルの遺作、『欲望の曖昧な対象』は列車のなかでの回想の物語。初対面のたまたま居合わせた乗客に身のうちばなしを話し聞かせる。ブンブン飛びまわって目障りながら誰の手にも叩き落とされない自由でしぶとい映画。
ロー・ウェイの『ドラゴン危機一髪』は、とても素晴らしく楽しい映画だと思ってみていたけれど、終盤にかけて大いに不満が残った。とはいえ、ロー・ウェイの画面はけっこうよくて、ブルース・リーの型もすんごいので、ほかのもみてみたい。
○ウディ・アレンの『タロットカード殺人事件』は最&高! 見直した! ウッディ・アレンといえば、いっつも演算的でそこそこ面白いけれど、だいたい70点的な映画を量産している監督としてバカにしていたのが今回みたので見直した! 300億万点! いきなり死神の大ガマが三途の川を渡っているのだけでなんか違うぞと思った。さらにはスカーレット・ヨハンソンのすっとこどっこいな立ち振る舞いに胸熱! 稀代の名女優、キャサリン・ヘップバーンに迫る勢いの気合いの入った名演技だった。最後の最後に犬神家の沼から蘇ったかのような濡れ姿にはサイコー! と絶叫した。ウッディ本人も死んで三途の川を渡ってもなおマジックを披露する気合いの入りよう。楽しかったあ。
☆長尾直樹の『さゞなみ』には顎が外れた。なんと、あの『鉄塔武蔵野線』の監督。というばかりではなく、この映画はまちがいなく小津安二郎〜エドワード・ヤン〜ホセ・ルイス・ゲリンらの系譜に位置している!
鈴木清順の『野獣の青春』は、とても面白かったけれど、清順映画のなかでは普通と言わざるを得ない。
○ニール・ブロムカンプの『チャッピー』はマジでサイコー! 気合いが入っている! 気合いが入っているよ! こういう気合いの入った映画が好きなんです! さらにそれだけではなくて、贅沢! とても贅沢な映画! これからさらに話が大きくなるようなところで「ここから先は俺たちの未来だぜ」みたいな感じで幕が閉じる。贅沢だねえ〜。
ロレンツォ・ドゥマーニの『ストーリーブック〜屋根裏の魔法使い〜』は、すごいいいかげんなんだけど、随所で映画の息吹きを感じて大いに満足だった。
○ディエゴ・レルマンの『ある日、突然』は、宣伝文にジム・ジャームッシュとかヴィム・ヴェンダースとか書かれていて(二人とも好きな監督だけど、さほど面白くもない)大丈夫かな〜? と思いながらみはじめたら、すごい素晴らしくて感激した。いい映画には必ず踊りがあるって持論があるんだけど、この映画でもシワシワのばあちゃんがいきなりイカしたダンスを踊る。
☆イ・ジョンヒャンの『美術館の隣の動物園』は、最高すぎて抱きしめたくなる映画だった。全ショットがチャーミングなんだけど、毎回のこと車が揺れて、ワー! オー! となるのが大好き。
ゴダールの『ウィークエンド』は、頑張ったけど最後のほう寝た。
ジャッキー・チェンの『笑拳〜クレイジーモンキー』は、ジャッキーのアクションはアクションというよりアステアのタップダンスのようだった。
サミュエル・フラーの『東京暗黒街 竹の家』はすこぶる面白かったけれど、サミュエル・フラーらしい不屈の気合いはなかったような気がした。
クリスチャン・ナイビーの『遊星から物体X』は、飛行機に人間と犬がいっしょになって押し込められているのに癒された。
ソウル・バスの『フェイズⅣ 戦慄!昆虫パニック』は、退屈に振れそうなんだけど、ギリギリで面白く、尚且つ忘れがたい映画として今後も思い出されるような気がしている。
○ダグラス・サークの『世界の涯てに』は、必ずしも好みの話ではなかったけれど、映画としての強度にぶちのめされた。1937年の映画で、しかも、サークとしては初期の作品なのにもかかわらず、この凄まじいまでの強度はいったい何なのか。さしあたってサークの未見の映画は手元にないので、そのほかの1950年代以前の映画をもっとみたいと改めて思った。
○フリッツ・ラングの『飾窓の女』は最高だった。愛おしい映画。ティム・バートンの『ビッグ・フィッシュ』やイーストウッドの『ジャージー・ボーイズ』以降にみられる伝記映画に感じるような映画への優しい眼差しがそこにはあった。
○ラオール・ウォルシュの『夜までドライブ』も驚異的な面白さだった。ただひとりだけ、救われないひとがでてくるのには胸を痛めたけれど、そのひとはもっとも鮮烈な演技で画面に収まっていた。
○ルネ・クレールの『沈黙は金』は宝物のような映画だった。同じ傘映画としては本邦の『鴛鴦歌合戦』に軍配が上がるけれど、これもほんとうに素晴らしい。
○ハワード・ホークスの『脱出』も会心の出来だった。ホテルのラウンジでひとりずつひとりずつ楽器を鳴らしてゆくあのアンサンブルには痺れた。
○ベルナルド・ベルトルッチの『魅せられて』は、ヨーロ��パらしい静かな映画なのかと思いきや、いきなり手ぶれカメラにアメリカのロックナンバーが流れてはじめて笑ってしまった。そうかと思うと、こんどは印象通りのヨーロッパらしい静かな画面へ展開してゆく。ときどき、そんな画面を不意打ちするかのようにアメリカらしい楽天的な演出が紛れ込む。そして恋する二人はアメリカへ行くことを決心する。同じイタリアの監督はセルジオ・レオーネの『夕陽のギャングたち』を思い出さずにはいられなかった。あの映画では友情を結んだ男二人がメキシコからアメリカを目指す。二人がアメリカ行きを決めたとき、もう少しヨーロッパ的な画面に留まっていたいと思ったのは内緒のはなしだ!
☆はとにかくよかった映画、○はとてもよかったけれど☆とは若干の差を設けておきたい映画としている。
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冷奴とくたくたほうれん草。 好物。くたくたになるまで茹でたほうれん草に醤油マヨ。 そういえば、ポパイが食べてるほうれん草ってクタクタほうれん草。 + 「ポパイ」検索していろいろびっくり。 1)ポパイは脇役だった(連載漫画「Thimble Theatre」の10年目に登場。人気が出たんで、主役化) 2)オリーブは、ハム・グレービーっていう恋人がいたが、ポパイ人気が出たんでポパイの恋人になった 3)オリーブとハム・グレービーが無人島へ行く時雇った片目の水兵がポパイ。不死身。 4)ポパイははじめ、ほうれん草の缶詰食べて強くなるんじゃなくて「the Whiffle Hen」(黄色いアヒルみたいな鳥? ニワトリなんだろうけど・・・)の頭を撫でると強くなってた。 5)日本語Wikiには、「ポパイ人気が出たんで、ほうれん草の缶詰ができた」って書いてあるけど、英語原典は確認できず。「肉不足の折、鉄分が補える野菜ということで国民にほうれん草を推奨する目的でポパイがほうれん草を食べるようになった」って書いてる日本語もあったけど、これも英語では確認できず。「the Guardian」の記事に寄れば、作者が、「ほうれん草は鉄分が豊富」っていう1870年ドイツでの研究発表を知って採用した、って書いてある。「the Whiffle Hen」のわけのわかんない設定からして、このマンガは突拍子もなさで人気だったんだろうから、「the Guardian」の記事が正しそうな気はする。なんにしろ「鉄分豊富なんでほうれん草が選ばれた」ってことなんだろう。 + ポパイのアニメが観たくなってる。 + ロバート・アルトマン監督「ポパイ」実写版っていう悪名高い映画もあるなあ。ものすごく気になりつつ観る勇気が出ないまま三十余年 #tofu #spinach #popeye #boiledveggies (世田谷区経堂)
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映画監督・俳優
〜改めまして好きな映画監督〜
マーティン・スコセッシ
ロバート・アルトマン
ポール・トーマス・アンダーソン
ロマン・ポランスキー
ミケランジェロ・アントニオーニ
テオ・アンゲロプロス
ピーター・ウィアー
↓みんな大好き
コーエン兄弟
デビッド・フィンチャー
クリストファー・ノーラン
ウェス・アンダーソン
*
〜好きなタイプの俳優さん〜
ヒース・レジャー
リバー・フェニックス
レオナルド・ディカプリオ
イーサン・ホーク
キアヌ・リーブス
エリオット・グールド
バスター・キートン
ジャック・レモン
マルチェロ・マストロヤン二
マーロン・ブランド
バート・ランカスター
ジェレミー・アイアンズ
*
ナタリー・ポートマン
ジョディ・フォスター
レイチェル・ワイズ
ジェニファー・コネリー
エマ・ワトソン
エル・ファニング
イザベル・アジャーニ
シェリー・デュヴァル
モニカ・ヴィッティ
ドミニク・サンダ
ジュリエッタ・マシーナ
アンナ・マニャーニ
ソフィア・ローレン
クラウディア・カルディナーレ
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映画『グランドホテル』
という��けで(どういうわけだ? ←お約束)Amazon Primeでエドマンド・グールディング監督、グレタ・ガルボ、ジョン・バリモア、ジョーン・クロフォード出演の映画『グランドホテル』(1932)を見ました。
「グランドホテル形式」という言葉の元になった映画です。
「グランドホテル形式」とは群像劇の一種で、ホテルや空港や結婚式場を訪れた互いに面識のない人々の物語を描く芝居や映画を指します。
私はもちろん言葉は知っていましたが、映画を見たことがなかったので、この機会にと思い見た次第です。
グレタ・ガルボは有名でな女優で、名前は知っているけれど、ちゃんと見たことはありません。調べてみると、それもそのはずーー1941年に35歳の若さで引退しているようです。
原節子かと思いましたが、調べてみると原節子は1963年に43歳で引退していますから、グレタ・ガルボの方が先により若い年齢で引退しているわけですね。
ジョーン・クロフォードは……『何がジェーンに起こったか』(1962)でしか知りませんでした。あれは実に怖い映画でした。
ネット情報によると、ガルボとクロフォードは当時ライバル関係にあり、一度も同じ画面に登場しようとしなかったとか。
うーん、女優って怖い。
ジョン・バリモアはドリュー・バリモアのお祖父ちゃんですか。見たことがない俳優ですが、彼が主演した『ジーキル博士とハイド氏』の映画化『狂える悪魔』(1920)はちょっと見て見たいかな。
そのほか、余命いくばくもないと知って全財産を叩いてグランドホテルに宿泊している中年男役でライオネル・バリモアという役者が、彼が働いている会社の社長役でウォーレス・ピアリーという役者が出演していますが、どちらも知りません(ちなみにジョン・バリモアとライオネル・バリモアは同じ苗字ですが、二人の間に血縁関係はないようです)。
舞台となるのはベルリンのグランドホテル。ベルリンの話なのに登場人物が全員英語で話すというのはおかしな気がしますが、まあそれは言っても仕方ありません。
グレタ・ガルボはロシアから来たバレリーナです。精神的に不安定でベルリン公演では客が少ないので、かなり頭に来ています。
ジョン・バリモアは貴族ですが、借金で首が回らず、ガルボの持つ真珠の首飾りを盗もうとしています。
ウォーレス・ピアリーは会社の合併を取りまとめるためにホテルに来ています。会社は危機的な状況にあり合併がうまくいかないと倒産しかねないようです。
ジョーン・クロフォードはその社長に呼ばれてきたタイピストーージョン・バリモアにデートを申し込まれウキウキしています。
ライオネル・バリモアは人懐っこい男で、残された人生をできるだけ楽しもうとしていて、ジョン・バリモアやジョーン・クロフォードと仲良くなります。
ある夜、ジョン・バリモアは真珠の首飾りを盗むためにグレタ・ガルボの部屋に忍び込みますが、ガルボが公演をキャンセルして戻って来たので見つかってしまいます。
どうなることかと思っていたら、彼はガルボに恋をしていると言います。盗みに入ったのを誤魔化すために嘘をついているのだろうと思っていたら、なんと本気のようで、自分が泥棒であることも正直に打ち明けます。
さらに驚くべきことに、ガルボは全てを知った上で彼の気持ちを受け入れ、一緒に次の公演地のウィーンへ行こうと言います。
ジョン・バリモアは喜んで同行するつもりですが、そのためには借金をなんとかしなければなりません。
ライオネル・バリモアがカジノへ行きたいと言うので、ジョン・バリモアはそれならホテルの客たちを集めて部屋でトランプをしようと提案します。
しかし、ジョン・バリモアはあっさり負けてしまいます。勝ったのは余命いくばくもない中年男のライオネル・バリモア。
ジョン・バリモアは彼の財布を盗もうとしますが、最後の最後に返すことにします。こんな善良な男から盗むことはできないというわけです。
困ったジョン・バリモアは今度は会社社長のウォーレス・ピアリーの部屋に盗みに入ります。
ウォーレス・ピアリーはジョーン・クロフォードのことを気に入って、正式にタイピストとして雇いたいと言い、ついてはホテルに部屋を取るとも言います。つまり、雇ってやるから一晩相手をしろということですね。
大人って汚い!
そこから先の展開は読めませんでした。盗みに入ったジョン・バリモアを見つけたウォーレス・ピアリーは揉み合ううちに相手を殺してしまいます。
それを目撃したジョーン・クロフォードはなぜか余命いくばくもない中年男のライオネル・バリモアに助けを求めます。
ウォーレス・ピアリーは彼らを買収して有利な証言をさせようとしますが、二人は頑として受け付けません(もともと正当防衛だから大した罪には問われないと思うのですが、違うのですかね)。
ウォーレス・ピアリーは逮捕され警察に連れて行かれます。
そんなことがあったとは知らないグレタ・ガルボは、ジョン・バリモアを探そうとしますが、周囲の人間にあの男はきっと駅で待っていると言われ、ウキウキしながらタクシーに乗り込みます。
ジョーン・クロフォードとライオネル・バリモアはなぜか意気投合し、一緒にパリに行くことにします。
パリで泊まるホテルはもちろんグランドホテルーーグランドホテルという名のホテルは至る所にあるのです。
最後は新しい客がホテルに到着するところでジ・エンド。
まあ、ジョーン・クロフォードとライオネル・バリモアがくっつくというのは、ちょっと作りすぎというか、うまく行き過ぎという気もしますが、それは言っても仕方ありません。
大切なのはこの映画が一つの形式を確立したことです。考えようによっては、この映画があったからこそロバート・アルトマンの一連の映画も、三谷幸喜の『有頂天ホテル』も、キムタクと長澤まさみの『マスカレード・ホテル』も、さらに言えば『タワーリングインフェルノ』や『ポセイドンアドベンチャー』もできたです。
どんなことでも最初にやった人間は偉大だということですね。
追記:
そういえば私が期待に胸を膨らませて見に行って、がっかりして帰ってきた『ホテル・ローヤル』とか、ウェス・アンダーソン監督の『グランド・ブダペスト・ホテル』とかいう映画もありましたね。どちらもホテルで働く人間にスポットを当てたもので、グランドホテル形式とは少し違うような気がしますが……
それほどいい映画だとは思いませんでしたが、空港に集まる人々を描く群像劇という意味では『予期せぬ出来事』もグランドホテル形式の映画ですね。
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「The Long Goodbye」のBlu-rayのパッケージデザイン。 レイモンド・チャンドラーの名作をロバート・アルトマン大監督が現代に置き換えた作品。
当時、この作品に出会った松田優作は大変影響されたらしく、後に『探偵物語』に反映されたのは有名なエピソード。 与太話が交錯し煙に巻くロバート・アルトマンへの個人的な印象が四半世紀を経て晴れた。そして、ああ、なるほどな。ただの与太話じゃないぞ。タランティーノの映画でも聞いたような与太話こそが重要なのだ。ここにきてようやく私はアルトマンを感じたのだ。と納得。 都会の日常。真夜中の憂鬱。夜の人たち。たわいのない会話。そこで隠れるように発生する事件。猫の様に身をまかせ生きている探偵の姿に親近感が湧いてきます。その様子をデザインにしました。 尚、昔放送したテレビ版の吹き替えも収録されてます。当時の俳優さんの声の仕事も楽しめるようになっているんですよ。
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『ビール・ストリートの恋人たち』幻想的な本編映像の一部が解禁!
アカデミー賞®作品賞受賞『ムーンライト』バリー・ジェンキンス監督最新作『ビール・ストリートの恋人たち』がただいま絶賛公開中!
前作『ムーンライト』で、『ラ・ラ・ランド』を抑えアカデミー賞作品賞に輝いたバリー・ジェンキンス監督。最新作は監督がずっと映画化を夢見ていた、愛よりも、もっと深い“運命”で結ばれた恋人たちのラブ・ストーリー。
本作は、第76回ゴールデン・グローブ賞において、主人公の母親役で熱演を見せたレジーナ・キングが見事助演女優賞を受賞。第91回アカデミー賞では見事レジーナ・キングが助演女優賞を受賞しました。映画史を変えた前作からより進化した映像美とスケールアップした世界観で新たな恋愛映画の金字塔を描きます。
B・ジェンキンス監督の映像センスと美しい音楽に聞き惚れる幻想的な本編映像の一部が解禁!
今回解禁された映像は、若きカップルのティッシュとファニーが、ついに新居を見つけ、ともに2人で暮らせることの喜びを分かち合う様子が切り取られた美しいシーン。セリフがほとんどなく、長回しで撮影された印象的な映像にのせ、主人公たちの喜びに寄り添ったあたたかな旋律が流れ、映画作りにおいて、音響は最も重要なものの一つだと語るジェンキンス監督の言葉を裏打ちする美しいシーンとなっている。
本編映像はこちら
「映画学校で学んでいたときの恩師に、リチャード・ポートマンがいる。彼はロバート・アルトマンの作品などで、マルチトラック録音を開発した録音技師だ。最初の授業で彼は言った。“観客が観る映画の50%は映像で、50%は音響だ。95%の映像と5%の音響ではない”と。」と、今も学生時代の教えを教訓にするバリー・ジェンキンス監督が、観客を主人公たちの生きる70年代のニューヨークへ誘うげ幻想的な音響を作り上げた。
音へのこだわりは劇中で流れる音楽だけではなく、音響設計にも及んでおり、物語上のセリフは前方から聴こえるように、そしてモノローグという形で物語を進めていく“神の声”とも呼べるティッシュのボイスオーバーは、観客を包み込むよう工夫を凝らして音響設計したという。
原作者であるボールドウィンもブルースやジャズのファンとしても知られ、原作本の中にも音楽に関する記述が散見されることから、ジェンキンス監督は、企画当初ボールドウィンの原作の通りジャズを本作でも使うつもりだったというが、登場人物たちのキャラクターをより強く表現すべく、重要な音楽を『ムーンライト』でもジェンキンス監督と組み、前作に続き今作でも本年度アカデミー賞作曲賞にノミネートされた音楽監督ニコラス・ブリテルの手に委ねた。
そんな監督の期待に応え、ブリテルは本作で描かれる極上のラブ・ストーリーにふさわしく、そしてこの映画のメッセージを表現する、ジャズと管楽器を用いたロマンティックなスコアを用意。監督の手によって生み出される洗練された映像美を彩る、最高のスパイスとなっている。
ジェンキンス監督は「この物語は、ロマンスの喜びと社会制度の抑圧感を描いたものだ。伴奏やメロディは感情をある地点からまた別の地点へと運んでくれる。また、同じ音楽が異なる感情に再利用されることもある。例えば、喜びから鬱屈した思いへ、など。ニックとの共同作業はとてもオープンで有機的だった。
今作では、ブラック・コミュニティにおける愛のステージ、愛を受けて応え、愛に呼応し変化するといったいくつかのステージが描かれる。彼の音楽には、それらを表現してもらいたいと思っていた。」と当時を振り返っている。
【STORY】
1970年代、ニューヨーク。幼い頃から共に育ち、強い絆で結ばれた19歳のティッシュと22歳の恋人ファニー。互いに運命の相手を見出し幸せな日々を送っていたある日、ファニーが無実の罪で逮捕されてしまう。二人の愛を守るため、彼女とその家族はファニーを助け出そうと奔走するが、様々な困難が待ち受けていた…。
【作品情報】
『ビール・ストリートの恋人たち』
■監督・脚本:バリー・ジェンキンス
■原作:ジェイムズ・ボールドウィン「ビール・ストリートの恋人たち」(早川書房刊)
■出演:キキ・レイン、ステファン・ジェームス、レジ―ナ・キング他
■提供:バップ、ロングライド
■配給:ロングライド
情報提供:Ghost
Ⓒ2018 ANNAPURNA PICTURES, LLC. All Rights Reserved.
2月22日(金)、TOHOシネマズ シャンテほか全国公開
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SDC映画の部屋「奇蹟の輝き(1999)」
クリス・ニールセン(ロビン・ウィリアムズ)は妻のアニー(アナベラ・シオラ)と平凡だが穏やかな生活を送っていたが、ある日事故で急逝してしまう。天国に迎えられたクリスは、死後の世界が想像を遥かに超える美しさであることに驚嘆するが、地上の世界ではクリスの死を儚んだアニーが、絶望のあまりに自殺してしまう。地獄に堕ちてしまったアニーを救うために、クリスは周囲の反対を押し切って天国から地獄への旅に出るのだが…
ロビン・ウィリアムスはロバート・アルトマンのディズニー映画(笑)実写版「ポパイ(1980)」のタイトルロールで映画主演を果たし、その後「ガープの世界(1982)」や「グッドモーニング、ベトナム(1987)」「いまを生きる(1989)」などで演技派としてメキメキと頭角を表したが、根っからのコメディアンであり「アラジン(1992)」のヴォイスキャストは彼にしかできないジーニーを生み出し、その後この手の「魔神」は少なからず影響を受けることになった、まあ天才である。その希代のコメディアンはシリアスなドラマでは基本的に善人を演じることが多い(「インソムニア(2002)」は数少ない例外)が、本作品も鉄板の善人を演じたファンタジー映画だ。
原作はアメリカのSF作家リチャード・マティスン。「地球最後の男」とか「縮みゆく人間」等の奇妙な物語風のSFから「地獄の家」等のホラーまでこなし、トワイライト・ゾーンのTVシリーズでも中心的な作家となったことで知られている。「地球最後の男」は1964年と1971年、近いところでは2007年にウィル・スミス主演で映画化されている(「アイ・アム・レジェンド」)し、「激突!(1972)」「ヘルハウス(1973)」「ある日どこかで(1980)」など原作・脚本家として数多くの傑作を作ってきた。しかしこの原作は、正直言って丹波哲朗というか電波系というか。もしかしたらこのプロットを真剣に信じ込んでいるんじゃないか、と思わせるくらいの感情没入小説(すでにSFでもない)になっていて、ニーヴン&パーネルの「インフェルノ〜地獄篇(1976)」を想像して本を買った私は、いくらファンタジー好きとはいえ、読み進むのが苦痛で仕方なかった。映画の方は小説に比べれば、トンデモ系の色を薄めてはいるが、それでもなお、多くの人が公開当時批評していたように、ハリウッド版「大霊界~死んだらこうなる!」という評価が正しい。もっとも90年代以降のアメリカ映画には、ジョン・トラボルタやトム・クルーズに代表されるニューエイジ系新興宗教家の影響が強く出るもの(「バトル・フィールド・アース(2000)」とか)も多いが、それに比べると伝統的なスピリチュアル系映画ではある。
本作品の公開年は小惑星が地球と衝突するかもパニック超大作映画(或髷丼)が大ヒットした年だが、翌年の米アカデミー賞視覚効果賞でオスカーを獲得したのは本作品だった。たしかに本作品で描かれる「あの世」は印象派絵画やルネッサンスの美術の世界をそのまま再現したような力技に溢れており「眼を奪う」という褒め言葉が相応しい。しかしながら個人的にはCG満載の「あの世」よりも、美しくたおやかに描かれた現実世界の方が、明らかに魅力的に感じられる。特に子供を見送る朝の並木道、療養所の庭の緑陰、雨のしと降る森の中などの背景は非常に印象的で、ロビン・ウィリアムズお得意の情感あふれる仕草やセリフ回しと相まって、心に染み入るようなシークエンスとなっている。単に視覚効果だけではなく美術面でも評価されたのは、そういった情緒的なところに理由があるのかもしれない。
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20180602
今更ながらロバート・アルトマン監督の「ショート・カッツ」(1993)を見た。
村上春樹がエッセイで話題にしてたのと、妹がこの映画の影響でカーヴァーを読んでると聞いたこともある。
この映画はカーヴァーの短編のいくつかをコラージュして三時間の映画にしたものだけど、噂通り時間の長さをまったく感じさせなかった。
あと、出てくる役者が皆他の映画で見たことある人々ばかりでなんとなくほっとする(ヒューイ・ルイスも結構良かった)
驚いたのはロリ・シンガーも出てたこと。トム・ハンクスの初期作を見てない人は知りようもないだろうけど。
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maname わたおに
Lhankor_Mhy なんとなくブクマ ゆる系日常ドラマといえば「子供、ほしいね」だな、と思ってきたら、「やっぱり猫が好き」が挙がっていたのでまあ許そう。/ あー、フルハウスとかファミリータイズとかはそうか。
houyhnhm 深夜でたまにやってた気がする。
kash06 増田 「鬼ばかり」のドラマだって前田吟が脱サラしたり、本間病院が無くなったり、日常どころか普通に成長ものだよ!(結構見てる勢 / ロバート・アルトマンの「ナッシュビル」とか、日常(に押し潰される)系かも
nyoron0128 コメント 日常系とドラマ(ティック)は真逆の概念なのでは?
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