Tumgik
#パチンコに並んでる人が買っていくと言っていた
tuufuukowai · 1 year
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喜怒哀(eel)楽
去年の7月にパートさんと鰻屋に訪れた事について綴ろうかと。何故今年の2月に入ってから振り返るのか。その事にも触れて綴り殴っていく。
仕事の休憩中に会社のパートさんと飯屋についての雑談をしていた。この人は各地方の鰻屋を巡るのが趣味らしく、休みの日には1人で地方の鰻屋に足を運んでいた。長野や岐阜、滋賀など...と鰻を食べる為なら地方まで出向くのは苦じゃないという人だ。
そんな美食家のパートさんがどうしても行きたい鰻屋があるという。だが1人では行けないとの事。会社の中で色んな地方の鰻屋の事を骨の髄まで知り尽くした漢が行けない鰻屋とはどんな鰻屋だろうか。気にならない訳が無い。話を聞くと愛知県内にあり会社からの距離だとやや遠いらしい。やや遠くとも愛知県内なら何時でも行けるはずでは?と思ったがここの鰻屋はかなり特殊であった。
まずそこの鰻屋を食べるに当たって朝から並ばなければいけない。
僕「???鰻屋って朝から並ぶん???パチンコの抽選なんか???」
パチンコの抽選だったらまだ良かったと思った。パチンコの抽選よりも朝早くから並ぶ事になる。大将が朝早く店にやって来るのだが、そのタイミングで名前を書いて予約するというやり方である。大将がやって来るタイミングも日によって違い、早い時間帯だと朝の4時頃。遅い時間帯だと朝の6時頃(当社調べ)にやって来る。しかもその予約方法と鰻の美味さを口コミで聞いた美食家達がこぞりにこぞって1列に並んでいるという。多い日だと早朝から鰻屋に20組近く並ぶという異常な光景が見られる。中には東京や大阪、地方からわざわざ車や夜行バスで来て並ぶ美食家達も存在するという。
そんなん気になってまうやん。
パートさん曰く、予約したいのは山々だが朝っぱらから鰻屋まで足を運ぶ事が面倒で食べに行けていないという。そこで僕の出番という訳だ。会社で鍛え抜かれた忍耐強さを活かして予約を取ろうと試みた。僕はパートさんに朝並んで予約する事を条件に僕の分の鰻代を奢って貰うという割とwin-win(なのか?)交渉を持ちかけた。話半分で聞いてたパートさんは
「並ぶなら全然いいよ笑 並ぶんならね笑」と。
交渉成立(一方的に交渉成立にさせた)
任せろ。今日は火曜日の遅番。あと5日待てば天国が待っている。こうなった僕はもう誰にも止められない。まさにバーサーカー。
「今週の日曜日に予約取りますね。」と告げその日を終えた。次の日の休憩中に「マジで予約取ってきてくれるんだったら俺全然出すわ笑」と言ってくれたので一方的では無くしっかりと交渉が成立したので心置き無く予約しに行く事が出来る。
迎えた土曜日の夜。僕は愛知県の北の方に在住しており、車が必須と言われる地域に住んでいながらも恥ずかしながら車を所持していない。(早く買え)実家から最終の電車に乗って鰻屋の最寄り駅の尾張瀬戸駅へと到着した。
日付が変わって時刻は00:20_____。ここから勝負が始まるのか。この予約を取る為に頑張っt...いや待って、早すぎる。何でこんな早い時間に来とるん?夏の割には肌寒くね?眠くね?暗くね?全然街灯無いしお化け出そうじゃね?いろんな感情が交錯しながらも15分後には呆気なくその地に着いた。
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うなぎ 田代
ここが聖地メッカか_____。
いややっぱ暗すぎるやろ。流石に1番乗りだった。そこら辺の猫と戯れつつ寝ないようにテンションをガンガンに上げていくプレイリストの楽曲達を聴きながら待った。3時間ほど待つとチョロチョロ人が並び始めた。到着するのが早すぎてどこで並ぶのかが分からなかった僕は並び始めの2組の後ろに並んだ。すると前に並んでいた老夫婦が話し掛けて来て如何にも常連ですよ、と言わんばかりの口振りで「どっから来たの?」と声を掛けてきた。僕が返答すると「全然近いね遠いとこだと大阪や東京からやってくるから」と言っていた。やはりあのパートさんが言っていた事は本当だったのか、と思っていたのも束の間。4時頃には僕含め約10組程の美食家達が綺麗に列を揃えていた。完全にパチ屋で見たそれだった。朝の5時頃。漸く大将が到着。体感それほど待った感じはしなかった。会社で8時間近く立ち作業をしている僕にとってはお易い御用だった。予約を朝の11時に取りその後去った。朝の8時頃にはもう既に予約は終了していたとの事。早すぎやろ。
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その間する事が無くお腹も空いていたので近くのファミマでコンビニ弁当とビールをキメた。もうこの達成感だけで非常に気持ちが良いのに何だこの背徳感。いつもよりビールが美味く感じた。その後歩いて1時間半かけてコメダに行った。コメダで時間を浪費しながらまた歩いて1時間半かけて田代近くまで戻った。パートさんがレンタカーで来ていたみたいなのでやや早めに合流し、田代の店内へと向かった。
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鰻屋独特のええかほりがプンプンする。
入店すると大将が鰻を素手で焼いていた。その腕捌きは完全に職人の手さばきだった。店内はかなり年季が入っており、長くから続けられてきたんだと言わんばかりの内観だった。まさに老舗。カウンターに3人程座れてテーブル席2組座れる感じ。
もちろん頼むのは鰻丼(上)
ここまで頑張って来たんだ。しかも奢ってもらえる。今日くらいがめつくたっていい。そして思った以上に早いスピード感でうなぎ達は姿を現した。
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ありがとう。非常に感謝した。富士山を頑張って登った時に見える絶景と空気の美味しさ。この為に頑張って来たんだ、と。そう感じざるを得なかった。四捨五入したら田代のうなぎは富士山なのかもしれない。そう言わんばかりの面構えをして我々の前に現れた。見た目はかなりシンプル。鰻丼とお吸いものと漬物。薬味等は一切無し。余計な物は要らない。このシンプルな鰻丼だけで勝負してきたとうなぎ達が我々に語りかけている。鰻は1尾と半尾。かなり贅沢。焼いた表面から見える鈍い光がより一層我々の食欲を掻き立てた。そんな御託はどうでもいい。口の中いっぱいになるまで頬張る。
口の中で天変地異が起こった。なんだこれ。美味すぎる。外はパリと言うよりかはサク。中がフワフワでは無くフヮフヮ。この表現をする為にこのヮは生まれて来たのかもしれない。うなぎ特有の後味の臭みも全く無く、やや濃ゆめタレと相性が抜群過ぎる。かなり食べ応えのある鰻。圧倒的ナンバーワンな蒲焼だと思った。長年受け継がれてきた焼き方でないとこの焼き方は出来ないのだろうな、と。5時間近く並んだという付加価値も含めてより美味しさが増している事も事実。しかしそれを抜きにしたとしても手が止まらなかった。割と量あるのかなと思っていたがペロリと食らいつくし、パートさんも余裕で完食していた。後日談で2019年のミシュランガイドに掲載されていたらしい。そんなん絶対掲載なるやん。美味しさ故に暫く余韻に浸り続けていた。長年各地の鰻屋を渡り歩いたパートさんも「田代は越えれんな今の所ナンバーワン」と言っていた。
時が経ち、今年の2月にまた鰻の話題が出た。冬の方が鰻は脂が乗ってて美味いのでまた行こうと言っていたので「またもや奢られチャンスか!?」と思っていたが店側が予約方法を変更したらしい。どうやら大将が大病を患ったらしく、今まで田代を支えてきてくれた常連さんのみに提供する事になったらしい。悔しいが大将には身体を大事にして欲しい。もう少し早ければと自分を責めた。またあの味を求めたかったがもう求める事は出来ないのだと。もう少し早ければ。
いつかまた5代目がこの伝統とも言える田代を引き継いでお店を前のように再開してくれる事を心から祈っております。
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johncoffeepodcast · 1 year
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 dua lipa が日本にきてくれた丁度1週��ほど前、テイラースウィフトの新しいアルバムmidnightがリリースされた。このアルバムはanti hiroをはじめとして、13曲が収録されている。米国の音楽ランキング、ビルボードのチャートでは初週から1位から10位まで全てテイラースウィフトの曲がランクインしていた。正直な事を言うと、今回dua lipa が訪れた土地をプライベートで巡るまで、テイラースウィフトが偉業を成し遂げていたとは知らなかった。それで何故テイラースウィフトがランキングを総なめにした事を知ったのかというと、街で号外を配っている人を見たからだった。
 dua lipa が日本に滞在した期間がインスタグラムの通りならば、10月29日で2日目だった。確かお昼頃だったと思う。dua lipa のインスタグラムに新たに載せられたのは、パチンコ玉の様なアートの中にdua lipa が立っている写真だった。その写真にはexploring naoshimaというキャプションが添えられていて、場所は香川県の孤島、直島にあるヴァレーギャラリーという場所だった。ヴァレーギャラリーは安藤忠雄が設計を手がけた内省的なアートで、内部空間を屋外に向かって開いたパブリックギャラリーだ。直島にはヴァレーギャラリー以外にも屋外に開放的なアートが複数展示されている。
 俺も本来なら渋谷の映画館、ヒューマントラストにジャマイカ移民のレゲエムービー バビロンを見に行くつもりだった。それが家にいたのでバビロンを観ることは出来なかった。映画の予告編を観て分かったのだが、バビロンはアンダーグラウンドで凌ぎを削る若者がDJの技術を磨き、辛い暮らしを生き抜いていくという内容らしい。バビロンは現在dua lipa も暮らしているイギリスを舞台にした映画だ。心を動かすアートにはいつも人が集まってくる。そう言う事ならば、誰かのコンサートに行く事だって立派なアート体験なのではないかと思った。
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 地球を一周ほど移動する事になるdua lipa のfuture nostalgiaツアーは、日本を訪れている間一時中断していた。 dua lipa はこの日東京から400km程南西に移動して四国を訪れたようだった。exploring naoshimaと投稿されたのは、午後の1時頃だった。後日投稿されたyagitの投稿をみて分かったのだが、dua lipa は新幹線ひかりのグリーン車に乗ったのではないかと思った。何故その様に思ったのかと言うと、新幹線ひかりのグリーン車の座席シートがその柄だったからだ。その後dua lipa 達は海を渡って直島までフェリーで移動したようだった。
 dua lipa が日本に来る前にfuture nostalgiaのツアーを回っていたのは南米だった。dua lipa はテイラースウィフトと同様に素晴らしい偉業を成し遂げている。9月21日に行われたメキシコシティのフォロ ソルの公演で、401 万 3000 万ドルの収益を上げ、64,233 人もの前でパフォーマンスを披露したのであった。メキシコシティでの公演は彼女のキャリア史上最大のショーになった。ちなみに先日、future nostalgia tourはdua lipa の祖国アルバニアのティラナでファイナルをむかえると会う事が発表される事になる。dua lipa はこのツアーでアジアを周る事はなかったが、休暇で日本を訪れてくれたのだった。
 
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 異なる土地で、あらゆる美味しい物を食したdua lipa 達が今回の日本滞在で気に入ったのは意外な食べ物ばかりだった。日程が前後してしまうのだが、10月31日のgiulianの投稿で彼らが食べて気に入った食べ物がいくつか分かった。四国で食べたのは、岡山で食べたのりてんワサビ、それとクラフトボスのバナナミルクコーヒーを飲んだらしい。上の画像に載っている10個の品目が気に入りと言う事だ。ちなみにこれは個人的な見解なのだが、dua lipa が新幹線ひかりのグリーン車で飲んだのは、CとAuの文字が缶のラベルにはCとAuが描かれている飲み物だった。俺はすぐにCafe Au Lait(カフェラテ)のCとAuだと思った。
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 実は直島に滞在していた時の写真は、10月29日以降にも投稿された。俺自身もそうなのだが、SNSに時系列通りに写真を載せるのは、SNSの使い方としてしばし危険が伴うなと思った。それはdua lipa の様な有名人にとっては尚更の事だ。だからだとは言う訳ではないが、29日以降にも四国での写真が投稿された事があった。それは11月2日の事だった。naoshima,inujima&teshimaというキャプションと共に、挙げられた写真は29日に訪れていた安藤忠雄の建築写真だった。
 直島と犬島と手島にあるコンビニはセブンイレブンだけだった。dua lipa の友人giulianがコンビニのレジの様子をインスタのストーリー載せたのと同じ日に、dua lipa はセブンイレブンの店内で自分の写真を撮っていた。俺は正直、今回のdua lipa の日本滞在に関していくつか疑問点がある。それはdua lipa が居た。という情報がSNSの何処にも上がらなかった事だ。
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 31日にgilianが載せたお気に入りのリストには、spicy ramen afriというラーメン屋さんの名前もあった。調べた所によると、afriは都内に何店舗か店舗を構えている新進気鋭ラーメン屋さだった。お支払い方法は全て電子決済で、dua lipa が食べたのは柚子胡椒ラーメンだった。俺はこの���でdua lipaが去った後、2週間後に初めて訪れた場所は、六本木だった。ママンという蜘蛛のアートを見学しに六本木を訪れたのだが、大江戸線の六本木駅からママンのある森ビルへ向かう道中にafriの六本木店があった。そこで念のため六本木のafriのお店の中を外から覗いて見たのだが、すぐにdua lipa は六本木店に訪れたのではないと分かった。dua lipa がafriで食したラーメンの載っているテーブルはベージュの木で出来ていたのだ。
 すぐに調べて近くにafriの恵比寿店があることが分かったので、六本木から恵比寿まで歩いて向かってみた。いざ、afri恵比寿店に到着すると券売機の前で並んでいる人が1人だけ居た。俺はその人に並んでます?と聞いたらその人は頷いた。ここでどうすれば良いのか分からない微妙な状況が突然発生した。というのも、待っている人は1人だけなのでその人は当然食券を買っているだろう。俺は一度並んでいる人の前を通って券売機まで行って食券を買うのか、並んで自分の順番が来たら食券を買うのか。という微妙な選択を余儀なくされるのであった。ちなみに、中を覗いてみるとafri恵比寿店には写真と全く同じベージュのテーブルがそこに確かにあった。その時の嬉しさは、食事をとっている時より嬉しかった。やっと目的が果たせたなと思った。ああ、dua lipaは恵比寿店に来たのだな。と思って謎が1つ解決した。
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 こちらは六本木の森ビルにあるママンという蜘蛛の銅像。dua lipa が投稿したママンの写真には大人が二、三人しか映っていなかった。しかし2週間後に俺が実際に行った時は、蜘蛛の下に小さな子供が結構いて、まるで卵から符化した時の様だった。このママンという銅像は、ルイーズブルジョワの作品らしい。ちなみにママンとは、フランス語でお母さんと言う意味なんだそうだ。実際に六本木を訪れて、ルイーズブルジョワは自分の作品に人生を投影するタイプの作家だという事が分かった。
 今回は四国に行けなかったので結構関係ない話が続いてしまいました。寄り道が多かったのですが、六本木ヒルズ周りの中心にdua lipa が訪れた場所を歩いた時の思い出です。続きはまたそのうち書きますね。
 
 
 
 
 
 
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kijitora3 · 4 years
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外出するなって日本語がわからない人たちにいくら訴えても無駄
営業するなっていくらパチンコ屋に言っても通じないのと同じ
行列するなって高齢者に言っても毎朝並んでクラスター作ってマスク買い占めるのと同じ
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darksouljellyfish · 4 years
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令和2年、GWを目前にコロナウィルスの感染拡大による緊急事態宣言を受け、都内には開いているパチンコ店は数えるほどしか無く、話題の新台を打ちに行くのに隣接する他県まで移動しなければならないような状況だった。不要不急の外出はしないようにとの要請だが、期待していた新台の登場にあたって、打ちに行くのは必要であり緊急と言わざるを得ない。
自治体は要請に従わない店舗には指示を出し、それでも従わない店舗は公表するとのことだが、パチンコを打ちに行きたい者にとってはむしろ探す手間が省けて嬉しい。ただ、公表された店もネット上での批判を受けてか徐々に数を減らしていった。本日公表された情報によれば、もう営業を続けている店は都内には一つだけになっていた。気概のある店があったものだ。その心意気に報いてやらねばなるまい。明日からGWの初まりだ。書類の押印や会議だなんだでリモートワークが実現しなかったうちの会社もGWはお休み。ようやく期待していた新台に腰を据えて取り組む事ができると言うものだ。
翌日、客足の少ないファストフードで朝飯を済まし、なんとかオープン前に行列に並ぶ事が出来た。並んでいる客は柄物のハンカチで作った色取り取りのマスクや、繰り返し洗って毛玉だらけになった不織布のマスクをつけてる人が多い印象だ。政府から配られる筈だった洗って繰り返し使える布マスクは、不良品があったとかで回収されてしまい、再配布が遅れていると言うのがスマホで見たニュースだった。たまにくしゃみや咳をしている人がいるが、自分はそれほど気にはしていない。日中は暖くなったとは言え、オープン前の時間帯はまだ気温が上がりきっていないのだ。ヒノキの花粉症の人や寒暖差アレルギーの人だっているだろう。店員が2mの間隔で並ぶように呼び掛けている。
ようやく店が開いた。入口前でアルコールでの手指消毒を行ない、おでこに赤外線式の光線銃のような体温計を当てられて入店を許可される。マスクをしていない人は入店を断られるようだが、その場で使い捨てのマスクを買う事もできるようだ。親切な店である。
初めて入る店なので勝手が良く分からなかったが、機械への接触を極力少なくするため専用のカードへ金額をチャージし、そのカードを台に差して遊ぶと言う形式で、チャージの機械のボタン操作は店員さんが行ない、カードの抜き差しは客が行なう。チャージはスマホのQRコード決済や非接触ICチップの電子マネーのみと言う徹底ぶりだ。台を途中で換える場合は、カードが抜かれたのを検知して店員に連絡が入り、消毒が行なわれるようだ。批判���多い中工夫して営業を続けようと言う意気込みが見える。
流石に並んでいる台の1台づつ電源が落とされ、椅子が抜かれている。ソーシャルディスタンスの確保と言う訳だ。目当ての新台は残り2台しか開いていなかった、選択にかける時間も短かくしなければならないが、パっと見て悪くなさそうだった最初の台に決めた。
1時間くらいはたっただろうか。徐々に減っていく玉数に、選んだ台を間違ったかもと不安を覚えつつあった頃、リーチがかかった。しかも確定演出! 来た! と思ったその瞬間
、ブツンとCRの画面が真っ暗になり、店内の音楽や照明も一緒に止まった。
なんだ?!停電か?!などとざわつき始めた束の間、照明が復旧した。まだパチンコ台はブラックアウトしたままだ。店内を見渡すと店員の居た位置にいるのは白いタイベック製の防護服に身をつつみ、警棒を持った男達だった。ゴーグルとマスクで顔は良く見えないが背丈からして男だろう。店の出入口はシャッターが降ろされていて、その前にも防護服の男が仁王立ちしていた。
やがて、どの台からも見える位置に設置された大型モニターに都知事の姿が映し出された。
「みなさま、こんにちは。東京都知事の……でございます。本日はパチンコニューヘイヴンにご来店いただきましてありがとうございます。コロナウィルスの感染拡大を受けて出された緊急事態宣言に基いて外出の自粛を要請し、パチンコをはじめとする遊技場の営業自粛を呼びかけておりましたが、どうしてもパチンコの需要がおさえられず、他県へも迷惑をかけている現状でございます。都民一丸となって、ステイホーム、ステイトーキョーを呼び掛けているところではございますが、パチンコをご利用のみなさまがどうしてもパチンコをやりたい気持ちを抑えることができないと言う事であれば、いっそこのゴールデンウィークの間、みなさまにはパチンコ店から出ないでもらおうと言うことになりまして、パチンコニューヘイヴン様のご協力を頂いてですね、皆様をこちらのお店に隔離すると、言う事になった次第でございます。なにぶん初めての試みでありますので、ご不便をおかけすることもあるかとは思いますが、ご協力をお願いいたします。店内設備の利用については店長様から後程説明がございます。……。」
店内はざわついていた。横暴だとか、人権侵害だとか叫んでいる者もいる。日本の法律上は強制ができないと言う話だったが、どうやら都はパチンコ店の中に軟禁すると言う強行手段に出たらしい。選挙が近いためか、再選を狙う都知事がコロナウィルス対策に手段を選ばずに人気や知名度を上げに動いているといると言う評論もあった。
「えー店長の……です。今回のゴールデンウィーク特別営業につきまして、店舗内の設備の利用方法について、えー説明をさせていただきます。ゴールデンウィーク終了までご帰宅頂く事ができませんので、基本的な衣食住などにつきましては、店内でまかなえるようになっております。睡眠用のベッドは2階にご用意させていただいておりまして、玉3000個で利用権が得られます、朝昼晩のお食事は玉500個分、着替えの下着や服なども景品交換所でご用意してございます。シャワー室は念の為1回ご利用毎にスタッフが消毒を行ないますので、交換所で整理券を交換していただいて、順番を待っていただく形になってしまいます。ご了承の程、お願いいたします。肺炎の感染が心配だと言う方もいらっしゃるかと思いますが、ご安心下さい、専門の医療スタッフが診療室に控えております。診療室のチケットや治験中の新薬なども交換所で交換できますので、ご安心下さい。その他疑問点などございましたら、お近くのスタッフにお尋ね下さい。」
しばらくざわついたり、防護服のスタッフに抗議しにいったり、出入口を塞いでいるスタッフに組み付いて投げ飛ばされている者もいたが、パチンコ台の電源が戻り出すと、そっちに夢中になって静かになった。自分はブラックアウトしてからも台のレバーを同じ位置に握りしめたままだった。
不思議な事にリーチの演出の途中からの再開だった。金髪のビキニの美女が登場するはずだったのだが、足が三本に分かれた半魚人のようなキャラクターが美女と同じ動きをしていた。サブキャラのマッチョな男がいる筈の位置には、けむくじゃらの三本足の猿のようなキャラが動いていた。
こいつは面白くなってきたじゃないか。命を賭けたパチンコデスマッチが、今、始まる。
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kaerenakunatta · 4 years
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なんもしない
 駅前、パン屋が開いてる。おいしそうだなあ。パチンコ屋の広告に隠れて、新作パンが控えめに並んでる。おいしいんだろうなあ、たぶん。ひとつ買って、ベンチで食べたら、教えてあげたい。駅のパン屋のあたらしいパン、焼き立てでね、それから。ちょっと甘くて、あとは忘れちゃう。
 コンビニ、ずっと開いてる。眠らないのは分かるなあ。眠れないのはどこかで夢を見るひとがいるからだといいなあ。ずっとしあわせな夢が見られたら、きっとそれはいつまでもあったかい、焼きたてのパンみたいに。コンビニでは売られない焼きたてのパンのこと、今日まで知らなかったなあ。いつも知らないあいだにたくさんのことを知らせてくれる。天気や季節にちょっとだけ似ていて、都市開発計画書にはちっとも似てない。でもきっとまたあたらしく高い建物ができるはずだよ。ちょっとずつ完成していく様子を想像するのは気持ちいい。
 コンビニ、まばたきしてるあいだにもまだ営業していて驚いてしまう。おでんの湯気、毎シーズンおいしくなるおにぎりのお米、ほぐし水を飲んだ友人、お前ホントに読んでいるのかと問えば乱闘になるであろう経済新聞購入客のシワのないスーツ、早く家に帰りなと言いたくなる年寄り客(朝のコンビニは危険だよ)。わたしは公共料金の請求書のにおいを思い出している。38番の煙草1つ、レシートは結構です。ありがとうございます。ちら、と見る45番の煙草、誰が吸ってたっけ。
 改札前に入場券が落ちてる。またねって言えないままわかれたふたりはきっと電話でつぎの約束をするから大丈夫。わたしがもう少し優しかったなら、どこまで行ける切符を買うのだろう。パスモに片道ぶんだけチャージしたとして、笑ってもらえるのだろうか。10円単位でチャージできるから、たぶん面白いはずだよ。ホームにおかかおにぎりが落ちてる。さっきのコンビニの。おいしそうだなあ。拾いたいなあ。おいしそうだなあ。今朝はビスケットにマーマレードジャムを塗って、何だかとてもしあわせな心地がしたから、そのまま捨てたんだよ。つぎのゴミの日までさようなら。ビスケットのことはきっとずっと忘れないけれど。
 54分発の電車の困り顔、一駅ごとに音量が大きくなっていくイヤホンのなかの音楽がそろそろ泣いてしまいそう。きみはきっと夢のなか、わたしが都市計画書を書き直すとしたら、もうすこし夜を長くしたいと思う。まっくろで大きな傘をつかえば、きっとうまくいくと思う。雨の日だって洗濯物がいやなやつにならなくて済むし、夜中に発光するまだ名前の無い花にはすぐに名前がつくはずだ。
 誰かが忘れてしまったら、誰かが思い出せるようになっている。誰かが失くしてしまったら、誰かが見つけられるようになっている。誰かが捨ててしまったなら、誰かが拾えるようになっている。
 おかかのおにぎりをポケットにしまって、きのうからポケットに入れっぱなしになっていた紙の買い物リストを思い出す。そういえば、気分も良いし、と、こっそり開いて「・チョコレート」と書き足す。寒いんだかあったかいんだかよく分からない気温だけど、風邪ひかないでね。
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overjazztrio · 5 years
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パチスロ行った話1
じゃじゃーん!てけてんてんつくてん!(昨晩書いた文章が恥ずかしいので意味のない言葉を書いてバランスをとっている様)………………………………………………………。
はい。それではojt恒例の大人気企画、大人の世界を覗いちゃえ!「◯◯行った話」シリーズ第二弾、「パチスロ行った話」でーす!ぱちぱち!やんややんや! ………………………………………………………。
…はー。疲れますねこのノリ。普通に書きます。ちなみに前書いた「セクキャバ行った話1〜6」が第1弾になるそうです。さてパチンコですが、一回行ってみなきゃなーとずっと思っていました。理由は行ったことなかったから。仕組みも知らんし。ゲーセンとかにも置いてあって100円出してやってみたこともありますけど、それだけじゃやっぱわからないし。ということで、今ぼくは同期数十人と一緒に学校に入ってゆるりとお勉強���の身なのですが、パチンカス(概ねパチンコやる奴のことをこう言う)どもがいい感じに周りにいたので、いっぺん連れてってくれ、というわけでついて行きました。通算3回。1度目はGW直前、まだ数日は仕事あるのに既に開放感に溢れきったむくつけき(どういう意味?)男どもで固まり、近所の「キング観光」なるパチンコに行きました。だいぶ雨降っててわざわざタクシー呼びました。「( ^ω^ )この時点でもう収支マイナスだなあ……」と思いつつ颯爽と地面に降り立ち、気合い入れて瓶型レッドブルとホープを買って店内へ。外から見たら明るいばかりで静かなもんですが、二重になってる自動ドアを1枚抜けると、ドアを隔てた先からもうその奥の轟音爆音が届いてきます。数えきれない程の銀玉が奏でる勝利と敗北のラプソディ、沈みきって並ぶ瞳のさなかに刹那煌めくチャンスの光。パチンコ屋に棲む魔物が、地中でとぐろを巻いて唸る声の予感……。では参りましょう。人間のさいはて、鴉の濡れ羽が渦を為す死亡遊戯の巷へ。………………………………………………………。………………………………………………………。………………………………………………………。………………………………………………………。………………………………………………………。
扉が開く。
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xf-2 · 5 years
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中国が提唱する現代版シルクロード構想「一帯一路」。「着々と進行中」とも「息切れ寸前」とも伝えられていますが、その真相はどこにあるのでしょうか。先日、一帯一路構想に乗り国土開発を進めるカンボジアを視察してきたというジャーナリストの高野孟さんが、自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、当地で見た思いもよらない光景を紹介しています。
※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2019年2月4日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:高野孟(たかの・はじめ) 1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。
荒々しい中国資本主義の「一帯一路」戦略──カンボジアで見た思いもよらぬ光景
中国や東南アジアで手広くビジネスを展開している友人の案内でカンボジアを3日間、視察した。カンボジアはASEAN-10の中でも国力的には下位にあって、人口は第7位の1,600万人、GDPは第8位の223億ドル、1人当たりGDPは第9位の1,390ドル(2017年推定)ではあるが、近年はGDP年率7%ほどで成長し続けていて、活気に満ちている。とはいえその活気を吸い尽くしているのはどうやら中国で、その「一帯一路」戦略の光と陰のコントラストがカンボジアでこそよく見えるのだという。
実際、カンボジアはタイ、ラオス、ベトナムと国境を接するインドシナ半島のヘソなのである。
シハヌークビル経済特区
首都プノンペンから南西に国道4号線を230キロ、3時間半かけて走ると、シハヌークビルの港町に達する。この港は、カンボジア唯一の海洋港で、しかも水深のある良港である。というだけでなく、1953年にフランスの支配から脱した後にシハヌーク殿下が真っ先にこの港を建設し、それを見下ろす山上のホテルをも自ら企画し設計を指導もして「インディペンデンス・ホテル」と名付け〔そこに私共も宿泊した〕、殿下のそれらの行跡を記憶するために旧市名コンポンソムをシアヌークビルに改めたという、町そのものがカンボジアの独立を象徴する記念物なのである。
ところがここ数年の内に、そこがカンボジアの中国への従属を示す一大拠点に変貌してしまうという酷いことが起きた。
“従属”と言っても、もちろん悪いことばかりではない。港から12キロほどの4号線沿いに2008年から建設が始まった「シハヌークビル経済特区(SSEZ)」は、カンボジアと中国との政府間協定に基づいて中国の官民が全面協力し、計画面積1,113ヘクタールの広大な敷地に最終的には300社、従業員8~10万人、小学校まで備えた一大工業都市を作り上げようとするもので、現在までに敷地の約半分が整備され、110社が入居もしくは準備中である。その9割は中国企業。職種は繊維・縫製、靴・鞄、家具・木工などが多い。
実はカンボジア全土には、経済特区が47カ所もあってサービスを競っているが、その中でこのシハヌーク経済特区はダントツの規模と企業数を誇っていて、それはこれを何としても成功させて「一帯一路構想のランドマークに仕立てよう」という習近平主席とフン・セン首相との合意によるところが大きい。港のすぐ近くには日本のODAによる「シハヌーク港経済特区」が2012年に開所したけれども、面積は25分の1、入居企業は日本からの2社のみで、ゲートに管理人もおらず半ば��墟化しているのとは、天と地の違いである。
恐らく日本の場合、外務省と現地大使館は有償資金協力を出しただけで満足で、出来た特区が巧く活用されているかどうかには関心がない。後のことはJICA辺りに委ね、JICAとて自分が作ったものではないし、閑散としていても自分の懐が痛む訳でないから何もしない、問い合わせがあれば答える、ということなのではないか。それに対して中国の場合は、政府間協定の下で江蘇省無錫の民間開発企業が全面出資し、まずは自分の地元の企業に働きかけて進出を促し事業として成功させようと必死に取り組むから、初めから意気込みが違う。日本のお役所仕事というのは、国民の税金を使って国の恥を晒しているようなものなのである。
カジノ&ホテルの乱立
ところが困ったことに、「一帯一路」構想に乗って進出してくるのは繊維や靴の工場だけではない。それより遥かに凄まじい勢いで、中国の不動産業とカジノ産業とがシハヌークビルに殺到し、静かな海浜リゾートだった田舎町は下品極まりないギャンブル街へと変貌しつつある。我々が到着したのは夜も22時近い頃だったが、建ち並ぶカジノ&ホテルにはケバケバしいネオンが煌めいて、超ミニスカートのお姉さんや黒服のお兄さんがたむろし、玄関には制服に警棒の逞しい警備員が構えているという異様な光景が広がっていた。いまこういったカジノ&ホテルはいくつあるのかを尋ねると、まだ市内の数十カ所で突貫工事が続いていていくつになったか分からないけれども、昨年末で86軒になったことは確かであるらしい。
こうなると当然治安も悪化して、中国人同士の喧嘩や撃ち合い、強盗、誘拐、麻薬売買などの闇の犯罪が広がる。また中国人とカンボジア人との抗争もあり、昨年11月にはカンボジア人の10代の青年3人が中国人を襲撃して逮捕される事件が起きた。
カジノの客はもちろん中国人が中心で、そのためにシハヌークビル国際空港では無錫、武漢、成都、昆明、杭州、深川など中国の地方都市からの直行便がドンドン増えている。かつてはマカオが米国のラスベガスを凌ぐほどの隆盛を誇ったが、習近平の汚職摘発運動で党・政府の高官や国営企業幹部のド派手な遊びがなくなり、今は地方のちょっとした小金持ちがシンガポールやカンボジアで遊ぶのが流行っていて、間もなくカンボジアのカジノ産業がマカオを上回りそうだとまで言われている。そうなるには、もはやシハヌークビル空港が手狭なのでこれを拡張する計画と、プノンペン空港に降りる北京や上海など大都市からの客を運ぶための4車線の高速道路を中国が資金を出して建設する計画とが進められている。
カンボジアのカジノは、ここと、もう2カ所、プノンペンから東へベトナムのホーチミンに通じる国道1号線を170キロ走った国境の町バベット、そして5号線を北西へ400キロ走ったタイとの国境のポイペトの計3カ所に集中している。いずれも、自国内では禁止されているカジノで遊びたいタイ人やベトナム人の小金持ちが相手だが、中国人はワンランク上で、飛行機でプノンペンやシハヌークビルに飛んでくるのである。
バベットも翌日訪れてみた。何もない原野のような所に数十軒のカジノ&ホテルがひしめき合い、裏に回れば中国人建設労働者向けの共同住宅と貧弱な中華料理店ばかりという「中国カジノ資本主義」の哀れな姿に、胸が潰れた。
さて、首都プノンペンには特例によって1軒だけ、それこそ安倍晋三首相が誘致を切望する超高級「統合型リゾート」の好例としてNAGA WORLDが存在する。これはマレーシア華僑の大金持ちでかつてフン・セン首相の経済顧問を務めたチャン・リップケオンが首都圏のカジノ利権の独占権を与えられて経営している。キンキラキンのロビーに入って行くとまず目立つのは、奥のラウンジ・バーにたむろする派手な女性たちの客待ち姿ではある。しかし、その両脇の広い賭場を覗くとブラックジャックのテーブルや全電子式のルーレット台に群がる人々は割と普通で、サンダルを引っかけたような風体で入って来たオバさんがルーレット台に座るや無造作に100ドル札を財布から抜いて投入口に滑り込ませ、慣れた手つきでボタンを次々に押してゲームをセットして行く様子にあっけにとられてしまう。大阪のオバちゃんが買い物代わりにちょっとパチンコ屋に立ち寄ったという風情である。
文明論を持たないと……
こうして、カンボジアで垣間見た中国「一帯一路」戦略の具体的な展開は、一言でいって大混乱である。経済特区に進出しているのは、実際の運営にはたぶんいろいろ問題を抱えているかもしれないけれども、基本的には、額に汗し��働いて、いい製品を作って中国や世界に売ろうという健全な物作り資本主義であり、そこで働くカンボジア人にとっても学ぶことは少なくないはずだ。
それに対して、不動産を買い漁ってカジノやホテルを乱造し、さらに海に面した高層コンドミニアムを建造して中国の小金持ちに売りつけようというのは、その場限りの金儲けだけを狙ったまさにカジノ資本主義で、こんなことが長続きするはずがない。おまけにカジノには必ずマフィアの闇ビジネスが付いて回る。その原理は、金儲けのためなら殺人でも撃ち合いでも誘拐でも汚職でも何でもOKだという刹那主義で、中国がもし米国をしのぐナンバー・ワンの経済超大国として世界の尊敬を集めていこうとするのであれば、こんな恥ずかしいものを周辺国に輸出してはならない。
さらにこれに輪をかけて混乱的なのは、「一帯一路」に軍事的拡張の意図を絡ませるというまことに不謹慎かつ不用意なメッセージである。1月9日にはシハヌークビルの港に初めて、中国海軍の艦船3隻が入港した。かねてから中国はフン・セン政権に対し軍港の提供を求めていると言われていて、米国政府がそれに対して敏感になっていると言われている。
シハヌークビルがすでにほとんど中国人の町になって、昔から住んでいるカンボジア人が暮らしにくくなって引っ越して行くといった事態が生じていて、そこにカジノ産業を下支えする中国マフィアが進出し、海からは軍艦が押し寄せてやりたい放題を演じるというのでは、「一帯一路」の前途は危ない。中国は文明論に基づいて世界との接し方を考えるのでないと自滅するのではないか。
image by: 高野孟のTHE JOURNAL
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pinoconoco · 5 years
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甘味な復讐 4
新台札の納品もあったし、初日だし、泣くの堪えていたあの顔が脳裏に焼き付いてたのもあって、今日は特別に朽木を迎えに行ってやることにした。ちょうどホールにマネージャーがいたから声をかけた。
「お疲れ様です、朽木どうでした?」
「お、志波さん、朽木さんは好きなアニメの台がたまたま倉庫にあったんで、それやらせてみたら楽しいって喜んでましたよ」
「そ、そうですか。まぁ、初日だしそんなんでいいですかね」
そんな話をしながらマネージャーと事務所に向かう。「朽木さーん、お迎えきたよー」とマネージャーが事務所の扉を開けて声をかければ、遅れて入った俺の目に飛び込んで来たのは地味でクソ生意気な女などではなく、まるで飼い主を待っていた忠犬というか保育園で母を待ってる幼子のような可愛い顔の朽木だった。
「志波さん!来てくれたのか?」
「‥来てくれたんですか?だろ。全くおまえは言葉遣いからここで学んでもらわにゃなんねーなこりゃ‥」
そう、朽木は敬語もろくに使えないのだ。あははとマネージャーが笑いながら、朽木の隣に座って二人でパソコンをいじっていた様子の黒崎に声をかけた。
「いや、ここではちゃんとしてましたよ?なぁ?黒崎」
「いや?俺には態度悪いっすね。色々教えてやったのに」
「貴様の言うことは全然ためにならん。腹立たしいことしか言わぬ奴の話など聞きたくない 」
「ぅえ、キッツー」
「ふんっ」
ありゃ。黒崎とは相性が悪いらしい。ごめんなべりたん、と代わりに謝れば「いいっすよ志波さん。でもこのクソ可愛くない女、ここにいるあいだは俺がミッチリ育てますから」と朽木に向かって指を立てた。声は笑いが含まれてるし刺々しい感じは受けないが、朽木には納得いかないようで「え~ 貴様はいやなのだが」と真顔になって言ってから、マネージャーに媚を売る顔をしながら「黒崎以外でおねがいします」と頼んでいる。
「うーん、黒崎はウチのトップトレーナーだからねぇ。これでも彼は優秀なのよ。教えるのは彼が一番なの、仕事だしね?ごめんね」
「そんなぁ」
「そんなぁじゃねーよチビが。おめー、明日はホールまわらせっからな!返事は?」
「はいはい‥」
「はいは1回!」
「は~~ぁい」
ぶっ、と俺とマネージャーが笑ってしまう二人の会話に、朽木はイヤイヤと首を振ったがここにはここのルールがあるんだからと朽木の頭を撫でてやった。朽木は唇を尖らして上目遣いに俺を見上げていて、あれ?これちょっと甘えてんのか?と思うと少しだけ朽木が可愛く見えてしまう。
「‥‥今のは、ちゃんと女にみえましたよ~ じゃ、志波さんお疲れ様っす」
そう言って黒崎が立ち上がると事務所から出て行った。ん?と思ってから、あぁそうか、そういや黒崎は最初朽木を男と勘違いしたんだっけかと思い出した。でも今は女に見えたってどういうことだ?
「志波さん、早く帰ろう!」
「はいはい、じゃあマネージャー、明日も宜しくお願いいたしますね」
「はーい、明日はティッシュ配り用のチラシ作るの朽木さんお願いね」
「わかった」
わかった!じゃねぇだろと頭を叩けば、「わかりました‥かしこまりました!」ととりあえず朽木も頭を下げながら言い直した。
「どうだった?今日は何やってたんだ?」
車の中で朽木に尋ねれば、此所に来る前に買っておいてやったドーナツにかじりつきながら「パチンコとスロットと、両方とも倉庫で遊ばせてもらった」と答えた。
「パチンコは確変中という必ず当たる状態にしてもらって、スロットは設定を一番いいというのにしてもらって、ちゃんと玉もメダルも出るようにしてくれた。それをちゃんとジェットというところで流して、お金に帰るまでを真似事でやらせてもらった」
「なるほど。一通り客の立場での流れを教えてもらったのか」
「一箱ぱんぱんにして、交換すると八千円になった、あ、子供銀行のお金でもらったのだがな。でも驚いた。楽しくてお金になるなんて凄い。だから皆やるんだとわかった」
「‥ギャンブルだからな‥実際はそうそう毎回勝てるもんじゃねーよ」
「うむ‥でも、リーチとか、楽しかった」
「そっか」
何はともあれ、少しは自分の仕事に関わるものに興味を持てたかなと思えば、この研修も無駄じゃないかもしれないと思えた。それに気がつけば言葉遣いはともかく、朽木がいつもよりよく喋っている事にも気がついた。
「この一ヶ月で俺達の仕事先の事、しっかり覚えてこいよ?あ、あと一応出向扱いにしてもらってるから日報だけ書いてメールで俺と社長に飛ばしといてくれ。成果が見えりゃ2週間に早めてやってもいいぞ?」
「本当か!? わかった、じゃないかしこまりました、じゃぁ2週間でおわらせるように頑張る、り、ます」
「なんだよ、会社戻ったら今度は〆切に追われる生活が待ってんだからな?ガイアでチヤホヤされてる方がよかった~とか言うなよ?」
「‥‥パチンコ店も大変なんだと思った。バイトの子達も、トイレ掃除から台を運ぶのから駐車場のゴミ拾いまで仕事はたくさんしていた‥でも、私の仕事はその人達の働く店のポスターとか作る事だし‥‥でもそれより何より、黒崎がイヤだ」
しんみりと、真面目に話ているかと思いきや、最後は子供みたいな事を言い出してブッと吹き出してしまう。
「何だよそれで早く会社戻りたいわけ?」
「だって、アイツは酷い。言い返せない事を言ってくるんだ」
「は?例えば?」
「もう少し服に気を使えとか髪型変だとか、化粧すればもう少しあか抜けるとか‥人は見た目が9割とまで言った。そんなこと言う奴は嫌な奴だと思う。でも、」
「でも?」
「じゃぁ、おまえは好きな芸能人とか、顔が好きだったりその人の持ち物や服に憧れたりしないのかと言われたら、言い返せなかった‥」
「へぇ~」
黒崎、面白いなと朽木の話を聞きながらぼんやりと思った。確かに一理ある。外見しか見ないのは正しくないが、外見が大事なのも本当だろう。朽木は元がいいからか興味がないからか、確かに女としては無頓着だ。黒崎がそこをついてきて腹をたててるのだろうがー
逆に言えば、元がいいのだからもっと化けれるのにもったいないと言いたいのかもしれない。
「‥会社の人は、皆、黒崎みたいな意地悪言う人はいない。桃ちゃん先輩も優しいし‥だから、あそこにいたいから、私も仕事もっと一生懸命やる‥やります」
「お、いい心がけだな」
偉いぞ?と褒めてやれば頬を少し赤らめてにしゃっと笑った。そうか、コイツがそう思えたならよかった。
「雛森はちょっと今日いねーけど、会社戻ったら皆で飯行くか!」
「え?」
「忙しくておまえの歓迎会もやってねーだろ?おまえもウチでやってく気持ち見せてくれたし、アホメンズ達とももう少し仲良くなって欲しいからさ」
「‥はいっ!」
嬉しそうな朽木に何となく自分も嬉しくなる。どうせ一角達も飲みに行くかと言えば喜ぶし、あ、でも雛森から奪ってやった仕事あるから俺はあんま飲めねぇなと運転しながら考えていた。元々は2時納品のヤツだったのを先方にウマイこと言いくるめて明日の納品にしてもらってるし。12時には切り上げて会社戻らねぇとな、まぁなんとかなるよな。
夜行くから
餃子食いたいなんて
朝、都に言った事を
もうこの時にはすっかり忘れてしまっていたのだった
忙しいのは知っている。
皆の仕事にも目を配っていることも、会社の売り上げに貢献するように仕事をするのも、何よりきちんと丁寧に仕事をするのも全部知ってるし理解もしている。
何よりそんなところが好きなのだから。
海燕の会社に派遣で行ってた3年間は楽しかった。皆のへとへとになっても作品を作り上げる体力やパワーに尊敬して同情して、そしてちょっと羨ましかった。
わかってる
海燕が立場的にも気を抜けないのはちゃんと、わかってる。
あの仕事ぶりを3年も見ていたから、だからわかってるから、かまってもらえないからってキーキー泣く女になんかなりたくない。疲れてる海燕の癒しでいてあげたい。
でも
こんなこと思いたくないのに
ドタキャン、何度めかな
並べた餃子を眺めて、呟いてしまう自分がいる。
こんな風に思ってしまうのは、あたしがただ待ってる女だからだと思う
海燕と並んで生きて行きたいのなら
あたしはこのままじゃやっぱり駄目なんだと
朝貰った名刺に電話を架ける為、立ち上がった。
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tadetabemushi · 2 years
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未練の書きなぐり前半
彼女にとって僕はいい人でいられただろうか。埼玉県にあるコンビニの夜勤休憩中にそんなことを思った。
最愛の人に振られて、最愛の人と別れてはや三ヶ月が経とうとしている四月の終わり。昨年末で辞めたはずのコンビニの社員からお願いされ四ヶ月ぶりに夜勤の仕事をしている。師走も終盤に差し掛かった頃、僕は就職活動をするために夜勤のアルバイトを辞めた。もちろん嘘ではなかったがその実年末年始にかけて約一ヶ月思い切り恋人や友人と気兼ねなく遊ぶためでもあった。コンビニの夜勤バイトにまつわる半年にも満たない幸せだった思い出を忘れないよう、今のうちに書き連ねていく。
東京オリンピックが開催された年、西暦二〇二一年も後半に差しかかる頃僕はアルバイトを辞めたい、就職しなくてはと焦燥感と倦怠感に追われ鬱屈した日々を過ごしていた。一年留年し、最終学年の半分を登校せずにいたものの先生方に頭を下げ何とか高専を卒業した二〇二〇年。精神的に病んでいたこともあり自動車免許が取れず内定は取り消され、しばらくフラフラした後に東京の眠らない街新宿から埼玉の静かな土地へ母親と共に引っ越した。埼玉と言っても池袋まで電車一本で出れる路線沿いであったので不便は感じていなかった。引っ越した先ではじめたパチンコ店でのアルバイトも長続きせず半月ほどで蒸発してしまい次のバイト先を探していた時、たまたま引っ越した先の近所に住んでいた高専の友人の紹介で、彼が働いていたコンビニの夜勤で採用をしてもらった。ここも最初のうちは慣れずに辛いと思いながら働いていたが半年もすれば仕事にも慣れ、仲のいい従業員も数人出来た。シフトは少しずつ増やしていたので昼間活動できる日はどんどん少なくなっていき、アルバイトに対する辛さが無くなる反面社会復帰への不安が募っていた。形だけとはいえせっかく高専を卒業したのにこの調子ではまともな仕事に就くこともできないのではないか、仲の良かった友人達とも少しずつ疎遠になり昔思い描いていたごく普通の生活、ましてや恋人や友人に囲まれる幸せな生活など自分には到底送れないだろうとさえ思っていた僕は少し荒んでいたのかもしれない。いや、実を言うと学生時代から少しずつ荒んでいたように思う。新宿の繁華街近くという煌びやかな街に住み、色々な人間に影響を受けて自分は他人と違う、価値のある人生を送れると思い込んでいた。
学生だった頃、初めて会った女性が僕のことをいたく気に入ってくれ、その日のうちに猛アプローチを受けたが、その彼女には人生で初めての彼氏ができたこと、少し年下の未成年であること、僕自身気になる人がいた事を理由に行為までは及ばなかった。その後も何度か会ったが今でもその時はよく断れたと思う。それから時が経ち今までまともな恋愛もせず人を好きになるという気持ちもよく理解出来ずにいた僕は高時給の夜勤で貰ったお金を持て余し、数人の女性と一夜限りの関係、お互い都合がいいだけの関係を作り始めていた。それで自分は幸せだと思い込んでいたし、初めのうちは先述した僕の気になる人が頭を過ぎり萎えていた気持ちもそのうち薄れていき、好きな人やまともな恋愛などとうに諦めていた。
しかしそんな人情の欠けらも無い人間関係に少し飽き飽きしていた頃、ネットで知り合い数年間に及び仲良くしていた友人グループで集まろうという話になった。そのうちの男性二人は既に何度か遊んだことがあり、特に仲が良かったので僕はその日を楽しみに少しだけ貯金をした。最終的に僕を含め男三人、女二人の計五人で京都に集まり京都市内にある男性友人の家に泊まることとなった。年齢は十九歳から二十二歳までバラバラである。
男女複数人で泊まるなど如何わしいにも程があるが僕達が心配していたようなことはなく、むしろ健全で学生的な楽しい時間を過ごせていた。しかし僕は心中穏やかではなかった。先程僕が猛アプローチを受けた時に断った理由の一つとして挙げた、当時気になっていた女性がこの集まりの中にいたからである。みんなで過ごしていくうちに僕とその女性との距離は少しずつ近くなり周りもそれを感じ取っていた。
数泊していたある日の朝、目を開けると目の前に自分の好きだった女性の寝顔があり少し驚いた。距離が近くなっていた僕達は昨晩無意識に向かい合い、お互い腰に軽く手を回すような形で寝ていたのであろう。僕が目を覚まして直ぐに彼女も目が覚めたようで一瞬見つめあった後、彼女は意味ありげに顎をこちらへ少し突き出してきた。僕にはそれがキスを求めているのだとすぐ理解出来たが、その瞬間、今の自分のだらしなさに対する後ろめたさや不誠実に彼女と向き合いたくないというケジメの意識など色々な思いが頭をめぐり硬直してしまった。彼女は痺れを切らし自ら唇を重ねてきた。男として実に不甲斐ないことである。しばらくキスを交わした僕は気まずさもあり「タバコ吸ってくるね」といいゴロゴロと雑魚寝している友人の体を踏まないよう気をつけながらベランダに出て愛煙しているLUCKY_STRIKEに火をつけた。
三分の一程燃焼した時、例の彼女がガラス戸を開けてベランダに出てきた。副流煙が室内に入らないよう身幅だけの隙間を潜り、他の友人を起こさないよう静かに戸を閉め僕の隣に座った彼女がタバコを一本寄越せと言う。未成年であることを除いても吸わないだろうに。だが寝起き同様何故か頭が冴えていた僕には分かった。先程の続きをしようというのだ。彼女にボックスから取り出したタバコを咥えさせると少し尖らせたお互いの口先の延長を重ね、一瞬だけ繋がり灰となった。また少しの沈黙が続き今度は僕が痺れを切らし口を開いた。「さっきはごめん」。我ながら何に対する謝罪なのかハッキリとは分からなかったが、間を置かずにタバコ半分ほどの時間でまとめた自分の気持ちを伝えた。「勢いでキスをしてしまい、順番が逆になってしまったけど僕は君とは誠実に向き合いたい。前から好きだった。真剣に付き合って欲しい」。そんな内容だったと思う。自分でも驚くほどスラスラと言葉が出てきたがこれは人生で初めて自分から正式にした愛の告白だった。彼女はしばらく黙って考えたあと、具体的なことは何も言わず「しばらく恋愛はしないと決めていたので告白に対する答えは保留にさせて欲しい」と言ってくれた。好きな人と真剣に付き合おうとした時、後ろめたい事があった僕はむしろ有難く「僕も君と付き合う資格は今はない、後暗い人間関係を整理したいからむしろ保留してくれた方が助かる」と返し、ほぼ根元まで燃焼しているLUCKY_STRIKEを片手にまたキスをした。タバコを吸った僕の口は苦かったらしく、唇を離したあと彼女は一瞬顔を顰め、直ぐに笑った。
なんて愛おしい笑顔なんだろう。僕はこの人を幸せにしたいと思う資格があるのだろうか。
その後は今まで通り五人で数日過ごしたあと解散し、埼玉へと帰った。
解散してから三日程の間に僕は彼女に対する誠意、というより自分が気持ちよく彼女に向き合える為に何人かの連絡先を削除し、マッチングアプリもアンインストールした。もちろん付き合うことが決まった訳ではなかったが...。ちょうどそのタイミングで例の彼女から通話がかか���てきたのでワンコールで出ると数分他愛もない世間話のような会話をし、一段落したところで彼女は一拍おいて「告白してくれてありがとう。答えは"はい"でいいかな」と言った。僕はしばらく思考が停止し、改めて確認をした。「それは付き合ってくれることでいいの?」「うん」。夜だったにも関わらず嬉しさのあまり大声で喜んでしまった。彼女も恥ずかしそうにクスクスと笑っているのが通話越しにも伝わってきた。二〇二一年九月九日の事である。
そこからちょうど一ヶ月が経った十月九日に彼女は一人で夜行バスに乗り池袋まで来てくれた。夜勤明けの早朝、池袋の駅から少し離れたバスターミナルまで迎えに行くと白く可愛いニットのカーディガンを来た彼女がその格好に不似合いな大きな荷物を携えて立っていた。少し緊張していたが素直に「可愛い」としか言えなかった僕に彼女ははにかみ、腕を広げてハグを求めてきた。ふわふわしたニットの感触の下に華奢な彼女の身体を覚え緊張が増した僕は早々に彼女の片手とキャリーケースを取った。「とりあえずネカフェでシャワーとお化粧直しする?」と声をかけると彼女は頷きながら真横に並んで二人で駅の方向へと歩いた。
二時間半程池袋のネカフェでゆっくり休憩し、新宿に移動してから大きな荷物を駅のコインロッカーに預けた僕達は三時間コースでカラオケに行った。ひたすら歌ったあと、彼女が食べたいと言ってくれたので新宿にある僕の好きなつけ麺を昼過ぎに食べ、高円寺で服や帽子を買って僕の家に帰った。高校生のようなデートだが僕にとっては凄く新鮮で、普段友達としていることでもこんなにも感じ方が違うのかと感動していた。ちなみに家は実家だったが親には友達が来ると伝えたので空けてくれていた。帰って一息つくとベッドに腰掛けていた僕達は時間をかけてキスをし、ぎこちなさはありつつも案外すんなりと行為に至った。初めて心から愛することができた人とすることは全てが輝いていて、欲の発散としか捉えていなかった性行為でさえ素晴らしく尊いことのように感じられた。僕達はお互いに夜勤と夜行バスでの移動明けだったので夕方に寝て、夜八時頃近所の回転寿司屋で寿司を持ち帰り、ドラッグストアで少々の酒やジュースを買って晩餐を楽しんだ。夜遅くまで起きていたので翌日は遅くに起き、二人で買った服を彼女に着てもらってから昼前頃に家を出た。池袋でローストビーフ丼とオムハヤシを食べた後大きな荷物を引きずって品川駅まで彼女を送りに行った。復路くらいは新幹線で帰って欲しかったので買っていたチケットを渡し、別れを惜しんだ後姿が見えなくなるまで手を振っていたがそれから直ぐにスマホにメッセージが来た。全くいい時代だなと思った。
いよいよ彼女を大切にせねばと思った僕は夜勤のシフトを週五回に増やしてもらい、貯金をはじめた。アルバイトは辛かったが幸せな未来を思い描けば楽しく思え��し、休憩中やバイト終わりは彼女が通話に付き合ってくれ、仕事中もバレないようにLINEをしていた。彼女も遅刻癖や忘れ癖と闘いながら学校生活に力を入れ、アルバイトをかけ持ちしたりシフトを増やしたりして頻繁に将来について語ってくれていたのが何より励みになっていた。
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canty-essay · 2 years
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山梨での生活 ーー初冬篇ーー
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 山の朝はゆっくり始まる。雨戸もカーテンもひとつもない我が家の全ての窓からさし込む光は、夜が明けてもしばらくグレーのままだ。「今日はお天気が悪いのかな」と思っていると、ある時急に陽がさしてくる。山の向こうから日が登るので、朝の訪れが遅いのだ。
 私たち家族は、今年の夏に東京から山梨県北杜市に引っ越してきた。この辺りは八ヶ岳エリアとも呼ばれている。我が家は標高1030メートルにあり、家の後ろを北に登っていけば、やがて八ヶ岳・天女山の登り口となる。南の方角には南アルプス、南東にはひときわ肩線の長い富士山が見える。
 南アルプスの山肌は、くっきりよく見える日もあり、雲に霞んでいる日もあるが、その雄壮な山の連なりは象か水牛の群のようにも見え、ずっと目で辿っていると不思議な気持ちがしてくる。遠い遠い昔に、自分が粗布をまとった原始人か、もっと前の世代の生き物か定かではないが、その山を眺めていたような気がするのだ。それは縄文時代? もっと大昔? それはわからないけれども、地質学的に見ても南アルプスは八ヶ岳よりもはるかに古い山だそうだ。
 つい、「山での暮らしはね・・・」とか自分の家を「山のお家」と言ってしまうが、実はそんなに山の中にあるわけではない。すぐそばには交通量の多い幹線道路が走っているし、三十数歩歩けばお隣近所の家も四軒建っている。そのうちの一軒が幹線道路沿いにあり、カフェレストランを営んでいらっしゃるので、そのレスランの名前を告げて、そこを曲がって三軒目だからねと言うと、うちの場所をすぐわかってもらえるのがありがたい。そこのオーナーさんも、あと二軒の家の方も他県からの移住者で、奥の一軒が地元の方である。
 引っ越しの挨拶に行った時は、まず「別荘ですか、定住ですか」と訊かれた。なるほど、お向かいの方は別荘にしているので、たまにしかいらっしゃらない。私たちは、「これから定住しますので、よろしくお願いします」と挨拶した。
 レストランの方は菜園もなさっていて、よく野菜を分けてくださる。夏に初めていただいたモロッコいんげんとジャガイモの美味しかったことと言ったら。つい先日いただいたほうれん草は、葉が柔らかく、生のまま食した。ピーターラビットにでもなった気持ちがした。根っこもきんぴらにした。
 奥の地元の方には、たくさん採れたからと、一度に白菜三つと大根三本とキャベツひとつをいただいた。会社の近くの畑からということだった。どうもこちらに住んでいると、野菜には事欠かない。
 野菜を買いに行こうと思ったら、スーパーもあるけれど、うちの北側を登っていくと無人の畑がある。入り口にはちゃんと収穫用のカゴやハサミ、いろんなサイズの長靴までも用意してあって、網のゲートを開けて畑に入ると、旬の野菜がなっていて、小さい野菜はビニール袋一杯でいくら、大きい野菜はひとついくらの表示がしてある。おいしそうなところを自分で収穫する。中にはなっている姿を初めて見る野菜もあり、「へー、オクラってぶら下がっているのじゃなくて、剣のように尖ったところが上向きでなっているのね」と感心してしまったり。そして出口にある紙に、何が何個でいくらと書いて、お金を置いてくるという、全く性善説に基づいた商売なのだ。小銭の無い場合はお支払いは次の機会でも、とすら書いてある。
 このすてきな畑も十一月いっぱいで終わりで、再開は来年の六月ということだ。春になって種を蒔くので、次の最初の収穫が六月頃ということらしい。
 我が家の近辺にはスーパーが二軒あり、近い方のは車で八分ばかりのスーパーひまわりさんだ。ここはコンパクトなお店ながら、おいしいものがぎゅっと詰まっているところで、店長さんも店員さんも元気で感じがいい。北杜市には国産小麦と天然酵母のこだわりのパン屋さんが多く、そのほとんどのパン屋さんがひまわりさんに卸しているので、ここに行くだけで、あそこのパン屋さんのもそっちのパン屋さんのパンも選べるのが楽しい。私はまずパンコーナーに行く。
 野菜もおいしいけれど、果物もおいしい。桃やぶどうはもちろんのこと、特にりんごが産地に近いせいか、大変おいしい。お肉やヨーグルトもおいしい。お魚だけは海から遠いせいか、お刺身なども並んでいるが、種類が少ない。
 もう一軒のスーパーまでは車で15分ほど、ひまわりさんより値段は安いが、どこにでもあるスーパーの感じで、北杜市ならではの特色は無い。同じ建物に、衣料品店、靴屋さん、メガネ屋さん、写真屋さん、小さな本屋さんなどが入っている。
 そのすぐそばに一軒大きなホームセンターがあり、コンポストやら材木やら電動ヤスリなどを買った。
 北杜市には、ユニクロも無印も、百均も、あっても行かないがスターバックスやマック、それにパチンコ屋もない、ちょっと不便だが、清々しいところなのだ。
 
 ゴミ収集車は一軒一軒の家には取りには来ない。地域ごとに出す場所があり( 金網張りの小屋みたいなもの)、住民は車でそこに出しに行く。私たちのような移住者のうち住民票を移していない人は、その集積所に出すことはできず、毎週日曜日の午後公民館に出しに行く。日曜日の午後に都合がつかないと、ゴミはどんどん溜まっていく。
 そこで生ゴミは、庭に穴を掘って、蓋つきバケツの底がないみたいなコンポストを埋めて、毎日その中に入れては土と混ぜ合わせておく。台所には生ゴミ入れを二つ置いて、一方はコンポストに入れられるもの、他方はコンポストに入れても土に戻りにくい、卵の殻や動物や魚の骨、玉ねぎの皮などを入れることにしている。
 でもなんとなくゴミが出しにくい感はいつもあるので、できるだけゴミを出さないように心がけるようになってきた。古新聞も、今や新聞を取ってないので貴重品で、引っ越す時の梱包に使った古新聞を大事に伸ばして、ペンキ塗りの養生に使っても、また畳んでしまっている。
 冬本番のここでの生活の醍醐味は、薪ストーブのある暮らしだ。我が家の薪ストーブは小ぶりながらも、家の中心に構えている。石油ファンヒーターもあり、これはボタンひとつ押せばすぐ温風が吹き出してくるありがたいものだけど、いわば前座みたいなもので、真打ちは薪ストーブだ。暖かさが違う。
 生まれて初めて付き合う薪ストーブは、知らないことばかりだった。まず薪はその辺の木を伐ったものでも、拾った木でもいいのかと思ったら、薪は伐ってから最低でも八ヶ月以上乾燥させたものを使う。針葉樹と広葉樹の使い分けもあって、針葉樹は火がつきやすいが短時間で高温になるので、そればかり使っているとストーブを傷めてしまう。広葉樹はなかなか火がつかないが、燃え始めるとじっくり燃えるので、両者をうまく組み合わせて使う。
 火熾し火加減は難しく、火をつけるときは寒くても窓かドアを開けて吸気しないと、煙が部屋中に充満してしまう。火が熾って煙突に向けて上昇気流が発生してから閉めないといけない。火をつけてから、火が安定するまで二十分ぐらいは面倒を見ていないといけないが、この作業は息子が買って出てくれている。薪ストーブがうまく操れるようになったら、一人前だ。来春には、斧を振るって薪作りもしてくれるだろう。
 もうひとつ活躍している暖房器具が火鉢だ。数年前に祖父母の家を空っぽになるまで片付けたときに出てきたもので、いくつも出てきたのだが、そ���中で一番小さくてきれいなものを、防災用品のひとつとしてもらってきた。ライフラインが止まったとき用と思っていたが、東京で使うことはなく、思いついて山梨に持ってきた。炭も大袋ひとつあって、一体何十年前のものなのかわからなかったが、火をつけてみたらちゃんとついて暖かい。それを今、食卓の下に置いて脚を温めている。夜は脱衣所に持っていき、深夜はトイレの中に置いている。夫も私も、遠い昔に祖父母が火鉢を使っているのを見ていた記憶があるだけで、使い方はインターネットで調べて、見様見真似だ。
 今週に入り、朝晩の外気は0度を下回るようになった。昨日は粉雪が舞った。家の中ではクリスマスソングが流れ、薪ストーブが燃えている。こんな生活初めてだね、と家族で山梨の冬を味わっている。
  2020年12月
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seven-seed · 3 years
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003東洋と西洋の習慣の対極の謎?
ハッキリ言って個人の妄想、こじつけかもしれません。
東洋と西洋の習慣や行動など、反対、対照的、対極的等の事例を並べてみます。
(個人の感想・意見・妄想・偏見です)
道路→どうろ→ドーロ>ロード→ROAD(こじつけ)
東洋×西洋>東と西
文法、日本語と英語の述語の位置>前の方と後ろ(日本語は最後まで聞かないとわからない)
言葉の抑揚、日本語と英語>日本語は高低(橋箸、お経等)英語は強弱(アクセント)
ノコ>引くと押す
扉>引き戸(左右)とドア(前後)
紳士淑女とレディースアンドジェントルメン(順番)
手招き>下と上
本をめくる時>下と上
贈り物は「つまらないものですが」と言って渡しその場では開封しない VS プレゼントは「素敵な物を持って来たよ」と言って渡しその場で開封
和ろうそくは上が太い VS キャンドルは下が太い
格闘技で負けた選手への観客の対応>一生懸命戦えば称賛×ブーイング
昔のプロ野球の投手が打ち込まれた時の行動>日本人投手は責任をとってマウンドを降りるVS外人は責任を持って最後まで投げようとする(昔は良くマウンド上でその事で揉めていた)
お酒の注ぎ方>盃を手に持って差し出し注いでもらうVSグラスはテーブルに置いたまま注いでもらう
食事の時>箸は自分に対して横向きに置かれるVSナイフ、フォークのカトラリーは縦向きに置かれる
柔術や柔道は引き寄せる動作が多いVSボクシングは突く動作が多い
柔術や柔道の関節技や絞め技は、すぐ降参すれば負けてもダメージは少なく、次の試合にあまり師匠は無いVSボクシングは負けた時のダメージは大きく次の試合まで時間が掛かる事が多い
透明スイーツの寒天や葛は植物由来VSゼリーは動物由来
女性の和装は上が重いシルエットVSドレスは下が重いシルエット
男性はその逆
日本の水彩画は、一発勝負的技法で修正は難しい、短時間で仕上がるVS西洋の油絵は、何度も書き直しが出来(パレットナイフで全て削ぎ落す事も)絵の具が乾くのに時間が掛かるので制作時間は長い
日本の赤ちゃんの鼻を摘むと口で息をするVS西洋の赤ちゃんは手を払いのける(眉唾?)
熊など絶対かなわない物に襲われた時、日本の母親は身を犠牲にしてでも子どもを守ろうとするVS西洋の母親は身を捨て立ち向かって行く(どこ情報?)
お釣り>日本は50円の買い物で100円を出したら50円のお釣りが来るVS西洋は50円の買い物と50円のお釣りを合わせて100円とし、支払いの100円と交換する(中学校の先生が言っていた!)
あるテレビ番組での日本と北欧の大工さん対決の時の事です。最終課題は、2つの木材を最強の木組みで繋ぐ対決でした。偶然?にもその木組みの形が全く一緒で、最後にその中心に打ち込むくさびの方向が縦と横と違いました。
玉の遊戯施設>パチンコは、垂直展開VSスマートボール、ピンボールは水平展開。
和弓とアーチェリー>和弓の矢を射ったあとの弓の動きが縦軸を中心に左回転するのに対し、アーチェリーは横軸を中心とした前に倒れる回転運動。
和弓は矢が射手から見て弓の右側(外側)
アーチェリーは矢が弓の射手側(内側)
東洋医学は、悪い部分を体の内側から自身の治癒力を使い治す/西洋医学は、悪い部分を切除や死滅させ治す
東洋の薬剤の漢方薬は、自然の物が多く基本食品で効果はゆっくり、多く摂っても効果は変わらない、副作用は少ない/西洋の薬は、基本劇薬で、効果は早め、摂る量や時間が大切、多く摂ると体に害が及ぶ、副作用は多い
透明プルプルの食材>和の食材は、葛や寒天、原料は植物/西洋の食材は、ゼラチン、原料は動物性
トイレのドアを開けると?
和式は向こう向き
洋式はこちら向き
紙幣を数える時
和式は概ね横向きで端を数える
洋式は紙幣は縦で手から手へ移しながら数える
等々
また何か思い出したら更新するかもしれません。
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lookpome · 3 years
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コロナ禍で人気機種が続々撤去。追い詰められたパチプロのリアル コロナ禍で人気機種が続々撤去。追い詰められたパチプロのリアル  90年代半ばには30兆円産業と謳われ、国内でも有数の市場規模を誇ったパチンコ産業。だが、公益財団法人日本生産性本部余暇創研が発表する『レジャー白書2020』によると、現在の推定市場規模は約20兆円。それでも未だ巨大産業であることに変わりはないが、四半世紀の間に10兆円も市場が縮小した業界はほかにはない。  全盛期には3000万人とも言われたパチンコ・パチスロ人口も現在は推定890万人と3分の1以下に激減。ホールから足が遠のいた者��中には、勝った儲けで生計を立てていたパチプロと呼ばれる者たちもいる。今は日雇いの建設作業員として働く川村孝弘さん(仮名・32歳)もそんな元パチプロのひとりだ。 ◆今はパチプロとして生活できるほど稼げない 「自分はパチスロ専門だったんですけど、ここ数年打ち続けた機種が全部撤去されてしまったんです。しかも、代わりに導入された新しい台は全然出ないし、食えるレベルで毎月コンスタントに稼ぐのが難しくて。それで潮時だと思って足を洗うことにしたんです」  以前のパチスロ機は、ほとんどが一撃で5000枚や1万枚以上出る可能性を秘めた仕様になっており、1日で10万円20万円勝つこともあった。それがファンから支持された大きな理由のひとつだが、「射幸心を煽りすぎる」との理由から警察庁がホールからの撤去を通達。2019年以降、次々と人気機種がホールから姿を消し、現在は射幸性を抑えた新しい基準を満たした台ばかりになってしまったのだ。そのため、多くのパチプロが彼のように廃業したと言われている。 「パチスロは大当たりの確率が6段階あり、店側が自由に選ぶことができます。確率の高い台に座ることができれば勝ちやすいですが、お客は台の設定を知らないため、予想することしかできません。  でも、最近は店側も経営が苦しいのか確率の低い台ばかりだと言われ、そんな状態では勝つのは当然難しくなります。ネット上には出ると評判の店の情報が飛び交っていますが、そういう店は開店前からお客が集まり、台を確保するのも大変なんです」  川村さんのパチプロ歴は3年で、その前は普通の会社員。当時から仕事終わりや休日はいつも打っていて、趣味が高じてプロに転身。もともと凝り性で情報収集などにもマメに行い、コンスタントに勝つことができていたそうだ。  しかし、開店前から並ぶので朝早く家を出なければならず、また夜遅くまで出玉状況をチェックするために各地のホールを回るなど会社員時代よりもハード。体力的にキツくなってきたと感じる中で台の撤去が始まり、これ以上パチプロを続ける気にはなれなかった。 ◆儲けが半減。生活を維持するのが困難に 「特に昨年4~5月の緊急事態宣言中は全国のホールが臨時休業となり、完全に収入が絶たれました。1月からの二度目の緊急事態宣言では休業にこそなっていませんが営業時間を短縮しているホールが多く、あまり出ない今の機種で勝つのはますます大変でしょうね。昨年のうちに辞めて正解だったと思っています」  実は、パチプロ転向後の最初の2年は年間500万円近くの儲けを出していたが、昨年は250万円ほど。思うように勝てない時期が続き、正直ギリギリの生活だったという。 「食事は外食か買ってきて食べることが多いため、食費はどうしてもかさんでしまいます。それに評判のいいホールまで遠出することも多く、交通費もバカにならない。家賃などもありますし、去年は軍資金用にストックしていたお金を少しずつ切り崩して補填しているような状況でした」  昨年11月をもってパチプロからは引退したそうだが、その後も生活は厳しいまま。パチプロだった3年間は職歴の空白期間となり、10社近くの求人に応募したがいずれも書類選考で落とされてしまったそうだ。 ◆慣れない肉体労働も、労働時間は減?  結局、正社員として就職先を探すのはいったん保留。現在は日雇いの建設作業員をしているが、肉体労働の経験はほとんどなかったので筋肉痛で大変だという。 「ただ、夕方には仕事が終わるのでパチプロだったころよりは労働時間は短いです。体力仕事で疲れているせいか前みたいに夜更かしすることもなく、10時過ぎには就寝する健康的な生活を送っています」 ◆パチプロを選んだことを後悔…  パチスロはプロとして打つのはやめたが、趣味として休日に打つ分には今も続けている。勝ったり負けたりを繰り返しながらもトータルではプラスとのこと。とはいえ、以前のようにパチプロとして毎日ホールに通ったとしても稼げる自信はないとか。 「こんなことならずっと趣味として打っていればよかったです。パチプロだった3年間、なんか無駄に過ごしてしまったような気がして……」  それでも32歳という年齢であれば、ここから��生を立て直すことはできるはず��「ギャンブルで蔵は建たない」と言うが、最後は蔵どころか生活もギリギリだった川村さん。少なくともパチプロ引退という決断は、今後のことを考えれば正しかったはずだ。 #パチスロ #パチンコ #パチプロ廃棄 #コロナ禍パチンコ https://www.instagram.com/p/CLbESwlj1Ep/?igshid=7a8uiw09q1xu
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