「クリハラリス」(タイワンリス)が神奈川県内で増え続けている。「かわいい」では済まされない。日本の固有種を減らし、森や農産物に被害を与える特定外来生物に指定されているリスだ。研究者たちがネットワークをつくり、対策に乗り出した。リスの生息調査と捕獲活動に同行した。
◆「ハーメルン作戦」高校生が生息調査
「コキ、コキ」という音が平塚市袖ケ浜の砂防林に響く。光明学園相模原高校(相模原市)理科研究部の生徒がスピーカーから流すクリハラリスの鳴き声だ。雄は求愛時にこのように鳴き、この声に雌だけでなく、雄も集まる習性がある。
鳴き声を再生するのは、クリハラリスが生息しているかどうかを調べるのに有効な方法だから。関係者はグリム童話の「ハーメルンの笛吹き男」になぞらえて「ハーメルン作戦」と呼ぶ。
リスの急増を危惧した森林総合研究所多摩森林科学園の田村典子研究専門員は昨年、生息調査と駆除のため「クリハラリス情報ネット」を設立した。理科研究部顧問の下口直久教諭がネットの一員となり、部活で生徒がリスの分布を調べている。
駆除するには生息しているか調査が必要だ。ネットに寄せられた「リスらしい動物を見た」との情報を確かめるため、部員たちは今月下旬、平塚市の砂防林を調べた。
五カ所でハーメルン作戦を展開したが、この日は個体が確認されなかった。
部長の小松由依さん(17)は「相模川よりも西に生息していれば深刻な状況。とりあえず、ほっとしたが、安心はできない」と話した。
神奈川に10万匹!「クリハラリス」増 リスクにハラハラ 食害生態系影響:東京新聞 TOKYO Web
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<随想・論理教育>
科学的な考え方を身につけることは、行動科学的に考えて「誤った行動」を少なくすることになりますから、大変重要でしょう。あるサイトに載っていた例ですが(註1)、「育毛剤を使っている人ほど10年後ハゲる」という相関があるとして、育毛剤がハゲることの原因かというと必ずしもそうとはいえないでしょう。ハゲの予兆を敏感に感じている人が育毛剤を使う傾向が高いという可能性があるからです。しかし相関の高さが因果関係を示していると考える人は、育毛剤の使用を止めてしまい、結果として早くハゲてしまうことになりかねません。
このように基本的な論理を身につけておくことは、誤った行動を排除するためにも重要なのです。そこで初歩的な論理教育で扱われるべきテーマの例を列挙しておくことにします。尚、ここでいう論理教育はいわゆる科学教育と重複する部分がありますが、そのことについては他稿を御参照ください(註2)。
但し、単語の意味の未習得による非論理性と言えるものは、本稿の中心的話題である「推論」の問題ではないので、「論理教育」の範疇では扱わないものとします。
具体例を挙げると、ある政治団体が「2017年夏の市長選で誘致「白紙」を掲げて3選したH市長が昨年8月に一転して誘致を表明したことなどを「公約違反」と批判し、辞職を求めた」というのは、明らかに「白紙」という単語の意味を未習得であるかもしくは誤って習得していたわけです(註3)。勿論誤った意味理解に基づいた推論という言い方もできるでしょうが、単語の意味に重点がある場合は別の文脈での教育が適当だと考えられますから、本稿では扱いません。
以下に挙げるのはどれも大変重要な項目だと思いますが、教育の観点を十分に考慮しているわけではありません。つまりいつ頃の時期にどのように教えるかというカリキュラムにそのまま使えるものではないことはお断りしておかなければならないでしょう。
ただ以下の項目の順番にはある程度の意味があります。最近の数年間で筆者の目についた非論理的な言説を分類して数え上げ、その数が多い順に並べてあります。標本の数は多くないものの、相対的な出現頻度の最尤推定値と考えてもいいでしょう。その結果、非論理的言説の中でも突出して多いのは「相関と因果関係」に関わるものだと考えられますし、次いで多いのは「比較対照欠如」に関わるもので、恐らく3番目に来るのは「統計学の基礎」でしょう。但し教育の文脈の中でその順番で教えるべきかどうかはまた別の話になります。
また末尾の「共感論理への依存」は少々毛色の異なる項目で、単なる論理的推論の問題ではないというよりも、さらにメタの立場からの指摘になっているわけです。ですから、教育の中で扱うとしたら、全てに先立って「遺伝論理と共感論理」の問題を理解してもらうべきなのかもしれません。但しそれをいつ頃教えるのが適当であるかを議論しなければならないのは言うまでもありません。
(1) 相関と因果関係
この誤りの例は枚挙に暇がないほどあって、上記の育毛剤の話もその一つですが、もう一つの例を挙げると、「東大生が子供の頃Lでよく遊んでいた」という話があります。詳細は註4の原文にあたって頂くのがいいでしょうが、骨子は「東大生になった人が一般の人よりLで遊んでいた割合が高かったとしても、それだけでLが知的能力を伸ばしたとは言えず、一つのしかも充分にあり得る可能性として、もともと知的能力の高い子供がLで遊ぶことを好む傾向があったのかもしれない」ということです。
このように単なる相関関係を因果関係があるかのように見なしてしまう誤りを「相関ー因果性の誤謬」といいます(註4)。
(2) 比較対照の欠如
この類の誤りは何かを実証しようとするような研究の文脈でも同じことで、ある結果の要因を確定するには1要因だけを変化させてみなければなりません。そのような場合、変化させない群と比較してみなければならず、比較の対象となるものは「対照群」と呼びます。
例として、以下の図を御覧ください。これはある特定のアレルギーの患者に新薬を投与したところ、20歳未満の患者には70%の治癒効果があり、20歳以上では55%の効果があったという結果を表したものです。
これだけで新薬が効くという結論をだしていいでしょうか。答えは否です。何故ならアレルギー症状に限らず様々な病気では、薬効成分の入っていない偽薬を投与しても治癒効果が見られることがあるからです。
そこで、再度同様の患者に新薬と薬効成分の入っていない偽薬を投与して、その効果を比較したのが以下の図です。20歳未満においても20歳以上においても真薬の治癒効果が偽薬を上回っており、これらに統計的に有意な差があるとするなら、初めて新薬に効果があると結論づけていいことになります。
このように、何らかの調査や実験の結果から結論を出す際には、ほとんどの場合、比較対照が必要です(註4)。
(3) 統計学の基礎
女性の平均買い物時間が男性より長いという話題について議論する際に「平均がどうであれ、個々の買い物時間は人それぞれであるのに、『女性』とひとくくりにすること自体が差別的だ」という主張をするのは、統計学における代表値の概念がおわかりでないからでしょう(註5)。
代表値が重要な意味を持つ例としては、あるワクチンに効果があるか否かを判断するときがあげられるでしょう。ワクチンの効果は多くの人に接種してみてその効果を確かめ、何らかの代表値が接種しなかった人(実際上は偽薬を接種��ることが多い)よりも効果がある方向で高いことで判定されます。この場合、接種した人の中には少数であっても全く効果が見られない人も出てくるのが普通ですが、それでも代表値が十分に高ければ効果ありと判断されるわけです。
統計学に関連しては、最初から偏った例を集めて結論を出そうとする恣意的標本抽出の誤謬や、統計的検定によって有意でない事象だから決して起こらないと考えてしまう統計的検定の限界に関する誤り等、統計学の誤解と言える誤りが多く見られます。
(4) 過剰一般化
何らかの出来事が、ある規則に基づいて起こるということが解っていて、その規則の適用できる場合が限られていることがあります。しかしその規則を適用範囲を超えて適用してしまうことを過剰一般化と言います。
一つの例を挙げると、「タイワンリスが増えてきたのでニホンリスがいなくなっている、つまりニホンリスを駆逐している」という話があります。しかし実際には現在までのところそのような証拠は見つかっていません。タイワンリスとニホンリスでは好んで棲む環境が異なっていて棲息域が重ならないので、駆逐しているということはないのです。
例えばブラックバスの例に見るように、外来種が在来種を駆逐するという事実が数多あるので、本来その規則性の例外であるタイワンリスにまで、外来種だからということで一般化してしまったのだと考えられます。このように適用範囲を超えて適用してしまう誤りは多々あり、過剰一般化の誤謬と呼べるでしょう(註6)。
(5) 悪魔の証明
基本的には、何かが「存在しない」ということを証明することは大変難しく、事実上不可能である場合もあります。
例えば「宇宙には地球上以外に生命体は<いない>」ということを証明することは事実上不可能でしょう。現在まで見つかっていなくても今後見つからないという保証はありませんから(註7)。
(6) 集合論あるいは記号論理学の基礎
「x=2 ならば x²=4 である」が成立しますが、実数の範囲では「x²=4 ならば x=2 である」は必ずしも成立しません。x=-2の場合もあるからです。
また「卵を産むなら動物である」は成立しますが、「動物なら卵を産む」は成立しませんが、そのように主張する誤りを逆命題の誤謬と呼びます。
(7) 共感論理への依存
全く根拠なしに「普通に」や「常識的に考えて」という言葉を用いるのは、「全面的に共感論理に依存する」という言明だと考えられます。現実には実証論理という形で現れる遺伝論理に依存することはしないということで、その意味で非論理的です(註8)。
勿論共感論理による言明が全て誤りというわけではなく、正しい場合もあるわけですが、問題は正しいか誤っているかを明らかにすることができないという点です。仮に遺伝論理によって明らかにすることが困難な場合は、「言明が正しいか否か」と「共感論理のみに依存することが正しいか否か」について多くの人の賛同を得られるかどうか、つまり最終的に強化されるかどうかで正しいか否かが決まることになるのでしょう。
註1
https://atarimae.biz/archives/7374
註2
https://zuiso-notes.tumblr.com/post/652769805955465216/%E9%9A%8F%E6%83%B3%E8%AB%96%E7%90%86%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E6%95%99%E8%82%B2%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8A%E6%96%B9
註3
https://illogicality-gleanings.tumblr.com/
註4
https://illogicality-gleanings.tumblr.com/page/15
註5
https://illogicality-gleanings.tumblr.com/page/3
註6
https://illogicality-gleanings.tumblr.com/page/7
註7
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E8%A8%BC%E6%98%8E
註8
https://illogicality-gleanings.tumblr.com/page/4
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近付いても逃げず食事に夢中になっているタイワンリス. https://www.instagram.com/p/CNItusOhGoq/?igshid=1sd2us17dwn8h
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