Tumgik
#ゴミ箱掃除
meganediesoyoung · 4 months
Text
Tumblr media
2023のお世話になったスペースやイベント時に掃除や片付け、出来なかった所は梱包資材を集めて出たゴミをまとめて作ったみねたろうのアーカイブs death。
2023 Archives
iwasi labo , 太宰府
屋根裏貘 , 福岡
IAF Shop* , 福岡
アトリエ三月 , 大阪
JITSUZAISEI , 大阪
Operation Table , 北九州
旧青木邸宅 (文化財) , 萩
原田透邸 , 萩
gallery CAFE とこのま , 下関
パブリックスペース四次元 , 福岡
Sup Stand , 福岡
福岡市立児童会館 あいくる , 福岡
Newgraphy (アーティストカフェ福岡) , 福岡
AFAF (マリンメッセ) , 福岡
(FAWP , 西日本銀行天神支店 , 箱崎水族館)
Comic City (マリンメッセ) , 福岡
Hafh the LIFE FUKUOKA , 福岡
And Thanx to TAIPEI mates.
5 notes · View notes
ashi-yuri · 11 months
Text
あなたや私と同じ普通の少女の話
FAITH: The Unholy Trinity fanfiction
エイミーのお話です。
※バチカン非公認
Tumblr media
1.    家(予兆)
 誰も口にしないパーティーのチキンをゴミ箱へ捨てる。招待状を捨て、お誕生日の飾りを捨てる。地下からだかだかとミシンペダルを踏み込む音が聞こえる。毎日、毎日。父さんから中東だかアフリカだかの人形が送られてきてから、お母さんは毎日地下室にこもってマネキン相手になにかを作り続けている。父さんはどうかしている。不安を抱えてるお母さんにあんな気持ちの悪い人形を送りつけるなんて。家にもろくにいないのに。この家にいるのは私とお母さんの二人きり。そして会うことのなかった弟たちの二人。
 階段を上がり、隣の部屋へと続く扉を見つめる。もうあの扉を開けたくない。真新しかったはずのおもちゃにうっすらと埃がかぶっているのを見るのがつらい。父さんもお母さんも誰もずっとなにもできないでいる。捨てることも、掃除することさえも。ほんとは片づけるべきなんだろう。家に来たお医者さんの先生もそう言っていた。だけど、あの部屋を片付けた瞬間に私の家は終わる。どうしてだろう。でも、あの部屋だけが私たちを何とかつなぎ留めている。気が狂いそうだ。
 リビングの片づけが終わっても、ミシンのだかだかという音がまだ聞こえる。きっと明日も、明後日も。今度は何を作るのだろう。ミシンのあの音は大嫌いだけど、何か作っているあいだのお母さんの具合はまだよかった。一度、あのミシンの音をやめてほしくてお願いしたら、急にすごい大声でいつもの双子の話をまくしたて、森へと飛び出してしまった。慌てて森に探しに行こうとしたら、両手を血まみれにして帰ってきた。「狼がいるの。あなたも、あの子たちも、私が守らなくちゃ」と呟きながら。このあたりに狼なんていないよと言ったけれど、お母さんは手を洗って、そのままふらふらと地下室へ行ってしまった。
 お母さんに私の声は届かない。ずっと双子に憑りつかれているから。
 お母さんの調子が悪くなって、父さんは仕事で家を空けることが多くなった。それとも、逆だったろうか。外に続く森は暗く、幹線道路を走る車の音も聞こえない。この家にずっと私とお母さんと二人きりでいる。地下室のミシンの音がようやくやんだ。その代わりにすすり泣く声が聞こえる。
 お母さんは可哀想な人なんだ。これ以上傷つけたくない。私がしっかりしなくちゃいけない。気が狂いそうだ。
2.    樹
 お気に入りの松の木に寄りかかって座る。どの木も同じに見えるけれど、この木はとりわけ枝張りがよく、近くにいると落ち着けた。この場所ならおかしな声も音も聞かなくて済む。家のことを考えるのが怖かった。中にいると、歪んで、まっすぐに進めなくて、家自体が軋んで悲鳴をあげている気がする。お母さんには、学校に行けずに家に閉じこもっているからストレスがたまっているのだろうと言われた。私とお母さん、おかしいのはどちらなんだろう。この家と森にふたりでいると、すべてがどんどんおかしくなっていく。出口が見えない。
 前にこの木のそばでひとりで泣いていたら、そのすすり泣く声がお母さんにそっくりで、それが怖くてもうずっと、泣けなくなっていた。
 誰もいない木々のあいま、鹿が通り抜けていくのだけを眺めている。ずっと眺めていると、赤いものを身に着けた大人の人たちが歩いていくのが見えた。ふとその一人と目が合ってしまうと、あちらか声をかけてきた。
「そんな顔をしてどうしたの、お嬢さん。なにか辛いことでもあった?」
 なんてことない言葉だったけれど、そこには随分とひさしぶりに感じた暖かさがあった。
3.    診療所
 ハートフォードのクリニックでお手伝いをするのはとても楽しかった。チームのみんなが近くまで車で迎えに来てくれるし、街には森にはない色々なものがあった。それにクリニックでボランティアをすることは、すごく人のためになることのように思えた。そこにはいろいろな悩みや不安を抱えた女の人たちがやってくる。私は医者でも看護師でもないから大したことはできないけれど、ちょっとした事務仕事や患者さんの話し相手になることはできた。
「赤ちゃんを失ってしまったことは、あなたのせいじゃないんです」
「今はつらいけど、きっと受けいれられる日が来ます」
 そうだ。本当にそうなんだ。
 少しだけ肩の荷が下りたようにクリニックを出る人を見ると、私の心も少し軽くなる。だから、このクリニックのことを悪く言う人がい ても気にならなかった。
一度だけ、このクリニックを経営する団体のトップだというミラーさんという人と会ったことがある。スタッフみんなに親しげに声をかけながら、最後に私のところへと来た。赤いへんなローブから覗く瞳が、真正面からこちらを見つめる。
「いつもクリニックのため頑張ってくれてありがとう。これからも期待しているよ」
 強面のわりに言葉は思いのほか優しく、握手した右手は骨ばっていた。そしてなにより見つめた瞳の奥の翳りは、どこかで見覚えがあるような気がした。ミラーさんと一緒にいた女の人が私を睨んでいたような気もしたけれど、私はあの翳りをどこで見たのか、そればかり思い出そうとしていた。
4.    家(変容)
 頭がぼんやりする。眠れないとき、不安で息が苦しくてたまらないとき、クリニックでもらった薬を飲むようになった。あれを飲むと、すこし不安が消えて落ち着ける。時々、ぼうっとしてしまったり、たまに何かよくわからないものが見えることもあったけれど、形の見えない不安に苛まれ続けるよりはよかった。
 父さんもお母さんも私がクリニックでボランティアすることを快く思っていなかった。変な噂があるとか、私の様子が最近おかしくなっているとか。確かにそうかもしれない。けれど、この家にいるよりずっと普通だし、ちゃんと誰かの役に立てている。チームのみんな、私の話を聞いてくれるし、親切にしてくれる。
 夕方の食事の席で、久しぶりに帰ってきた父さんが諭す。
「お前のことを心配しているだけなんだよ。」
「そうよ。あそこには変な人が出入りしてるっていうじゃない。」
「うちよりずっと普通だよ。」
「どうしたの、エイミー?」
「うちよりずっと普通だって言ってるの!」
 なぜか、これまでずっと言えなかった言葉が喉の奥で渦巻いている。目の奥が引き攣り、頭の中で聞いたことのないノイズが呻き鳴く。
「どうしたの、あなた……ねえ、本当におかしくなってしまったの?」
「おかしくないよ。私はずっとまとも。」
「エイミー、そういう話は食卓では……」
「エイミー、何がおかしいっていうの?」
「うちだよ。」
「えっ」
「うちがおかしいんだよ。」
 耳鳴りがひどくなる。家が軋む音が聞こえる。戸棚がガタガタと��え始める。
「父さんもお母さんも、ずっとおかしいよ。」
「エイミー、」
「弟たちがいるふりなんかして。」
「エイミー、やめなさい……」
「とっくに双子なんていないってわかってるくせに。」
「エイミー!」
「あなた、おかしいわ……」
「おかしくない。」
 口の端からごぼりと血がこぼれ出す。
「エイミー、やめなさい!」
「いもしない双子の幻影なんかにすがり続けてるほうがおかしいんだよ!」
「エイミー、お前がおかしい。謝りなさい!」
「私はおかしくなんてない!」
「あなた、悪魔が憑いてるのね!」
 バン、とグラスがはじけた。
 救えない。この家は、もう救えない。
 ふらふらとダイニングを出る。手足がガクガクと震えてうまく歩けない。ふと振り返ると、鏡に映った自分が見えた。そして、気付いた。あのゲイリーという人の目にあった翳りをどこで見たのかを。
 それは、自分の眼の中にあった。
5.    家(事件)
 椅子に縛り付けられ、どこかからやってきた大人たちが私に向かって聖書を読み上げている。無性におかしくて笑い声をあげると、自分のものじゃないノイズが混じる。薬が切れたせいだろうか、やけに息苦しくて体が震える。なんで神父さまなんか呼んできたんだろう。ふたりとも、神様なんて信じていないくせに。いつもそうだ。ずっとそうだ。救ってもくれない幻影を、偽りの救いを信じ続けるなんてあまりにも哀れだ。そういえば、結局なんの役にも立たなかった、アフリカに派遣された神父さまの手紙は地下のどこに置いたっけ?口が勝手になにかを叫ぶ。体は震え、熱く苦しい。なのに心だけは、驚くほど静かだった。
 一人きりになった年長の神父さまがなにかを唱え、十字架を掲げる。途端に体が燃えるように熱くなり、胸の奥に蠢く何者かごと圧し潰そうとしてくる力を感じる。今までのものとは比べ物にならないほど苦しい。胸の奥の「それ」が苦しみ外に出ようと滅茶苦茶に暴れ出す。口から聞いたこともない悪態の言葉が飛び出す。苦しい。死んでしまいそうだ。でもまだ死にたくない。神父さまのほうを見上げると、その表情は力強くまったく揺るがない。だめだ。私では勝てない。このままでは圧し潰される。まわりを見渡すと、奥にマネキンたちが見えた。視線を強く向ける。自分とマネキンの間に繋がりを感じ、触ってはいないけど手ごたえがある。そのまま引っ張るように顔を引き上げると、がしゃんとマネキンが倒れた。警戒しながら神父さまが振り返る。めくれた布の間から、異様に精巧で生気のない、まったく同じ表情をした二つの少年の顔が覗く。神父さまの眼に一瞬、戸惑いと疑念が浮かんだ。それで十分だった。
 胸の奥の「それ」が無限の力を貸してくれる。私には何をすべきか分かっていた。
 手に力を入れるだけで、それはあっけなく終わった。 
 ブレーカーの方に視線を向ければ、バチン、と音を立てて家の中が暗くなる。明かりはなく真っ暗だけど、私には家のすべてが見えている。足を踏み出さなくても、どこへでも移動できる。この家は、いまや私の手中にある。なぜなら私が、私だけが、この家の真実を知っているからだ。
 暗闇の中、私の手がずぶずぶと人の体に沈んでいく。粘土細工をこねるようにかき混ぜる。内臓が引き千切れる音がしようとも、断末魔の叫びが響こうとも、私の心はずっと静かなままだった。
6.    家(対面)
 家中の電気がすべて落ちても、月明かりが差し込むこの屋根裏だけはほんのりと明るい。差し向かいに立つ若い方の神父さまの顔は、けれど屋根の影になっていて私には見えない。
「戻ろう、エイミー。君は良くならないと。」
 良くなるってなんだろう?これ以上、いったい何が良くなるというのだろう?若い神父さまの言葉は弱くて偽りだらけで頼りない。誰かを救うにはまったく足りない。視線は揺らぎ、握った十字架は小刻みに震えている。それでも一歩こちらに近づいた神父さまの顔を月明かりが照らす。その眼の中には、見覚えのある翳りがある。見つけた。
「あなたはメレディスを救えなかった。違う?あの人はいま、私と同じところにいるんだよ。」
「やめてくれ。」
 神父さまの体がぶるぶると震えはじめる。やっぱりだ。これでいい。この人の言葉は、心はあまりに脆い。大きいのは図体だけ。掲げられた十字架も怖くはない。十字架を見た胸の奥の「それ」が騒ぎ出す。自分の体が勝手に動き、よじれ、眩暈がするなかで、神父さまの眼の奥すべてが恐怖に呑み込まれるのが見えた。これで終わりだ。
 手を伸ばすと、急にまばゆい光が目の前ではじけた。
 頭を強く打ったのだろうか、気が付いたら床に仰向けで横たわっていた。右手と左足がありえない方向にねじ曲がっている。傷はついていないのに、血が鼻と口からだらだらと流れ出す。あの神父さまは、入口の奥に積み重なったマネキンの向こうにいるのか、もう見えない。激痛の中をぼんやりと漂っていると、急にわかった。
『私はおかしい。』
 すべてから裏切られた気がした。すべてを失ったのだと知った。
 この家で、屋根裏の窓から見える月だけが好きだった。月はいま、目から流れる血で赤く染まっていた。
7.    病院
 ずっと頭がぼんやりとしている。麻酔、鎮痛剤、抑制剤、見舞いに来たクリニックのメンバーが差し入れる薬。あの日から、私の体はよくわからない薬漬けとなっている。時の流れももうよくわからない。混濁と覚醒を繰り返しながら、時折体の、心の激痛に叫ぶ。そしてほんの束の間、はっきりと物事がわかる時がある。
 親戚は一度だけ面会に来て、二度と姿を見せなかった。当たり前だけど見放されたのだろう。病院の先生たちも、重罪を犯し、よくなる見込みもなく、うわ言しか言えなくなった私を哀れな厄介者としか見ていなかった。頻繁に見舞いに来るクリニックのメンバーたち、彼らのことはもう信用できなかった。けれど、すべてから見放された私を気にかけているのは彼らだけだった。先生たちも、親切で情け深い友人たちとして、あの人たちを何の躊躇もなく病室に入れた。そして彼らはいつもなにかを唱え、大量の薬を渡して帰っていった。
 私の体はじょじょに腐っていくようだ。悪臭でも放つかのように。まともな人は誰も私に近づかない。私はまともじゃない。私はおかしい。ずっと。ずっと前から。そういえばあの人はどうなったろう?だれも救えないあの神父さまは。わからない。わからない?なぜあの人は助けられた?どうして私はこんなことになった?始まりはどこ?始まらない道はあった?私はとっくに終わってる。終わってるのに終わらない。私の終わりはどこにあるのだろう。
8. 儀式
 目覚めると、いつもは外から施錠されている病室の扉が開いていた。変な気がした。なんでもいいから、この場所から出たかった。ずっとまともに動かせなかった体はふらつき、足はおぼつかない。あせらずに歩く。一歩ずつ進んでいく。
 あの場所に戻らなければいけない。家に帰らなければいけない。あの場所だけが、私の終わりで、私の始まりだ。あの場所できっと、私に手を下してくれる人が待っている。手を差し出してくれる人はいなくても。
 わき目もふらず、まっすぐ歩いていく。と、急に手を引かれる。その手は赤く染まっていた。
 体が動かない。おぼえのある気怠さが体全体を覆っている。顔になにか被せられている。内側になにか塗られているのかドロドロして気持ち悪い。皮膚が溶けていくように熱い気もするけど、感覚がなくなってよくわからない。もう喋れない。もう動けない。私はどこまでも降りていく。ここが本当の終わりだろうか。ちがう。いやだ。ここじゃない。顔からなにか引き剥がされ、息をのむ音が聞こえる。赤い人影は見分けがつかない。ろうそくの灯のなか、まばゆく光るナイフが見える。目が痛くてほかに何も見えない。あの煌めきの先に私の終わりは、私の救いはあるのだろうか。
Tumblr media
あとがき
あるいは、失われた断片について。
エイミーに何回もMortisさせられ、この娘はなんでこんなに強いん?と思ったので書きました。書いてみて、これじゃ100回Mortisさせられても文句言えないなあと納得したので、満足です。
Tumblr media
つよつよ悪魔になったら楽しく悪魔ライフをエンジョイしていてほしい。
19 notes · View notes
myonbl · 4 months
Text
2023年12月25日(月)
Tumblr media
年末恒例、アップルとコンビニ各社のキャンペーンが始まった。今年はコンビニ3社とTSUTAYAの共同企画、ところが3社は<AppleGiftCard>の5%還元だが、セブンイレブンだけは<AppleAccount>チャージで10%還元と大きく差をつけている。もちろん私はセブンイレブンへと走り、50,000円のチャージで5,000円分のIcoca還元に登録した。受取開始は2/14のバンレンタインデー、チョコは期待出来ないがちょっと楽しみである。
Tumblr media
5時30分起床。
洗濯。
今日は午後に内科受診のため、朝食はヨーグルトとコーヒーのみ。
Tumblr media
車をコインパーキングに移動し、ガレージに大型ゴミを並べる。布団5枚、毛布3枚、ゴミ箱とアイロン台。布団と毛布は8時過ぎに、他の2点は11時過ぎに回収してくれた。
Tumblr media
デスクまわりの小掃除、Timemachine に新しく1TBのSSDを取り付けた。配線をもう少しスッキリしたいので、もう少し考えねば。
Tumblr media
東京の落友・Nさんへの<上方落語定期便>、67・68枚目をスマートレターで送る。
年末のアップルのキャンペーン、セブンイレブンで50,000円をアカウントにチャージ、領収書の画像を付けて登録する。2/14にメールとLINEで連絡が来るので、5,000円分がIcocaにチャージ出来るのだ。
ツレアイは13時頃に自転車で出勤、今日は訪問2件。
私は13時20分に京都南病院の受付、予約は13時30分だが診察室に入ったのは14時頃。過日の新京都南病院での<ストレートネック>についてはカルテに反映されているので、座るなり主治医から質問を受ける。いつも通りのチェックの後血圧測定、190-105と恐ろしく高い、体重測定(76.3kg)の後で再度測定するがほとんど同じ。実は、薬が切れていたのに補充出来ず、2週間ほど飲めなかったことを報告する。次回は2/19(月)に予約を入れる。
帰宅して、カップヌードルで空腹を満たす。
軽く午睡。
17時頃ツレアイ帰宅。
すぐに、ココに点滴。
早めに夕飯準備。
Tumblr media
録画番組視聴。
林家正蔵 落語「鹿政談」
初回放送日: 2023年12月24日
林家正蔵さんの落語「鹿政談」をお送りします(令和5年10月22日(日)収録)【あらすじ】奈良に住む豆腐屋与兵衛は正直者で有名。ある朝、店の表で「きらず(おから)」が入った桶をひっくり返して食う犬に割り木を投げると当たり所が悪かったか死んでしまう。ところがよく見ると犬ではなく鹿である。奈良では鹿は神の使い、殺したものは死罪とするという定めによって、奉行所に引き立てられた。名奉行、松野河内守は…
このネタを柳家小三治につけてもらったとのこと、それならばと、落語研究会のDVDから「鹿政談」「芝浜」の2席を鑑賞、やはり小三治の軽さはいい。特に芝浜は、ウェットなものは聴きづらいがカラッとして素晴らしい。
片付け、入浴、体重は150g減。血圧も121/76と落ちついてくれた。
日誌書く。
Tumblr media
ともかくも内科受診が終わったので、7週間かけて体調を元に戻し、体重は3kg減を目ざすのだ。
3 notes · View notes
ryotarox · 10 months
Quote
ウービー【OOBE】 の解説 《out-of-box experience》パソコンやスマートホンなどの製品を購入したあと、箱から取り出して利用可能な状態にするまでの作業のこと。ケーブルや付属品の接続、電源投入、設定画面での各種入力などの一連の過程を指す。
OOBE(ウービー)の意味・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書
via
[B! ロボット] ロボット掃除機史上最小級コンパクトサイズで静音なのに強力吸引やモップがけにゴミ収集ベースまでてんこ盛り「SwitchBotロボット掃除機K10+」を使ってみたレビュー
4 notes · View notes
kennak · 6 months
Quote
https://togetter.com/li/2231505https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2231505こんな記事がありました。道の駅が一般向けのゴミ箱を設置せず(注1) そうしたら勝手にゴミを捨てられて激おこと言う話ですね。それの是非はともかくとして、そこに「有料でもいいからゴミを捨てさせてほしい」という声が結構あるが、社会制度的に想定してないので、結構面倒くさいんだよ、と言う話をします。 有料ゴミステーション設置は、産業廃棄物・一般廃棄物処分の許認可が必要で面倒そもそもこれが一番面倒くさいんですが、有料で他人のゴミを引き受ける行為は、ゴミの処分に当たるので、それなりの免許が必要になります。裏技としては、地元の産廃業に依頼して、場所を貸していると言う体にするという方法も考えたのだが、これも他に面倒くさいことが頻発しそうで断念しました。正直、管理の手間の方が高くなって、無料で引き受けて普通に金を払った方が安いです。そして、普通に無料で引き受けて金を払うのがいやだと言うことで撤去すると、元の話になるのでしょうね。 有料ゴミ袋を販売してゴミステーションに自ら捨ててもらうのは? → 有料ゴミ袋の印紙税がばら売り不可とかあって面倒そこでやっているのが、自治体のゴミ出しできる有料ゴミ袋をばら売り&ゴミ収集ステーションの設置。これをやると、廃棄物は一般廃棄物になって施設管理者とかは関係なくなります。ところが、ここで問題になるのが以下の2点です。ゴミ収集ステーションは住民税で賄われているから原則登録者以外出しちゃいけないルールの存在このルールの存在で、厳密に言うと、旅行をしている人が地元で有料ゴミ袋を購入しても、そこらのゴミ収集ステーションに出すのは厳密にはNGの場合があるのだ。実際は誰も気にしないが、ルールがそうなっているためにそれをおおっぴらに推奨しにくい問題がある。また、場所によっては、ゴミの収集は住民税で完全に賄われているので、地元の人以外はゴミを出すな、と言うルールになっているところもある(注2)俺の所では、自治体に要望を出して、プレハブ倉庫を自前で設置するし、土地代もいらないし、掃除も自分たちでやるんで回収よろしく、と言う交渉をして許可をもらった。 有料ゴミ袋の一枚売りができない。特に印紙有料ゴミ袋にも色々な方式があると思いますが、うちの地元では、純粋な袋代(消費税かかる)に加えて、ゴミ処理代の収入印紙(非課税)が貼付されていると言う��式になっています。そして、ここで問題になるのが収入印紙。これのばら売りが厳密には不可なのです。実際誰も気にしないし損しないと言う話はあるので、実際には地場の商店でばら売りで買える実態はあるんですが、指定管理をやっている団体がおおっぴらにやるのはやりにくいと思われる。そこで、自治体と地道に交渉をして、1枚売り用の印紙というものを作ってもらい袋をばら売りできるようにしました。ただ、これも袋の販売の代理店やってる所に自分で交渉して受けてもらうとか、色々やらないと全然進まなくて、お役人やる気無いのでつらいです(注3)。正直、100円ぐらいならタダで配ってしまった方が楽ということもあるかと思う。 まとめ:旅人が有料でゴミを捨てると言うことが想定されてない俺の所はキャンプ場なんですが、元々利用者向けにはキャンプ場で産廃として処分するゴミ袋1枚無料で贈呈って方式でやっておりました。さらにゴミステーションもあります。しかし、長距離を旅されている方(キャンピングカーの方とか)、有料で気兼ねなく旅のゴミを処分したいという要望があって、色々と調べました。旅人が有料でゴミを捨てると言うことが、制度として想定されてないのが分かります。で、それを実現しようとすると結構面倒くさいです。なのでまぁ、まとめ的なことを言うと、道の駅がゴミ箱設置しないとかそれ解決じゃなくて臭いものに蓋をしてるだけではゴミを捨てられたくない問題を解決するのに、有料ゴミステーションで対処するのはちょっと厳しいと思う誘導するデザインの力で解決するとかそっちの方が現実的だと思う(うちはそうしてます) 注記 注1:厳密には設置基準違反じゃねーのかなと思う。道の駅は勝手に名乗れるものではなくて、国交省の基準がある。https://www.mlit.go.jp/road/Michi-no-Eki/outline.htmlで、ここに「休憩機能」の義務化がされており、明文化はされてないものの、細則としては高速道路のサービスエリア設置基準と同等の扱いで、ゴミ箱はないと駄目だと思われる。なので、これを発言している𝕏の人、マジ実名でそれを言っちゃうんだ、という印象。少なくとも、道路設置者と市町村が共同で整備する場合、駐車場部分などは道路の一部と言う扱いになる。そのため、道路設置者が国の場合、国土交通省の基準が適用されて、少なくともゴミ箱なしは許されないはず。まぁそれを言うと「授乳施設とか義務づけられるけどないよね」みたいな話にもなるんで、厳密になんて適用しきれないけどね。でも本来、指定管理者になる側は、指定管理料の中にゴミ箱の設置管理や、安全なおむつ替えや授乳ができる施設を整備する金が含まれていると考えて運営しなければならないはずです。あるいは、その金が含まれていない場合には、もっと予算付けてくれと交渉するべき。べっきべきべきべっき論だけども。 注2:厳密には法令違反の可能性が高いんだけどねこれ。家庭から出るゴミの処理義務は自治体にあるので、拒否ることは原則出来ないはずなんだけどね。 注3:お役人仕事したくないのはわかるが嘘つくな最初に話を持っていったときには「ばら売りは駄目ですね」「ばら売り用の印紙?ま、検討して連絡します」と行ったっきり全く連絡が無くて、何度もせっついたら「○○商会さんが代理店なんですが、そこがいやだと言ってるんで無理ですねえ」と言われた。ただ、社長さんは顔見知りなので、あのおっさんがそんなこと言うわけないだろ、と思って聞いてみると「そんな問合せ一切来てないぞ」という話に。ああ、いつものやつかーってやつ。社長さんに話をしたら、印紙税は代理店で計算して一括して納める方式なので、一枚パッケージは簡単に作れると言う話になって、合意をもらって方式まで決めて、お役所に持っていったらものすごく面倒くさそうにOKを出してくれたという次第。俺も仕事しなくて住むなら仕事したくないですけど、嘘をつくんじゃないよマジで。
有料でもいいからゴミを捨てさせろ←結構面倒
2 notes · View notes
jaguarmen99 · 10 months
Quote
227 名前:陽気な名無しさん[] 投稿日:2023/07/05(水) 23:52:48.95 0>>226本当そう。知り合いが都内の超高級ホテルに勤めているのだけど、中東の金持ちが泊まった部屋はもうゴミ散乱で酷いから掃除にすごい時間かかるって言ってた。外国人のメイドに掃除させる社会で自分で片付けるっていう感覚がないから、ゴミをゴミ箱に全く入れないらしいわ。中東の多くの国が人口の過半数が外国人労働者で、カタールなんて人口8割が外国人労働者(召使い)よ。
続・妄想的日常
4 notes · View notes
redfvplayer · 9 months
Quote
本格派のゴミ屋敷育ちの俺から言わせたら、本当にゴミだらけの部屋住んでると無気力&注意散漫になる。 ゴミだけでなくシンクもトイレも風呂も常に汚い家だった。不快だが住んでるとすぐ慣れてしまうので子供の頃から掃除する感覚がわからなかった けど、清潔なばあちゃん家とかで何泊かしてから家に帰る時はぐっちゃぐちゃの台所思い出してめっちゃ憂鬱になるくらい汚かった 当時は目から入る情報が多すぎて、漫画、ゴミ、自転車の鍵、布団どけてイヤホン探したりと脳が常にガチャガチャしてて疲れやすいし不安感が強かった 大学入って家出たら、自分でできる範囲で掃除や断捨離をし、だいぶましな生活ができた なぜかゲームやらなくなった  モノの存在より、思い入れが大事に感じるようになった。タダや激安でも思い入れがないモノは欲しくなくなった。モノはこりごりに近いのかも たまに実家かえった時も、母親は使用済みの菓子箱ひとつ捨てられない様子。物を大切にするというより、手放すことで「損するかもしれない自分」が怖いみたい なんとなく、母親からみて俺(息子)とゴミみたいな菓子箱は同じ大事さ・同価値なんだろうなと思う ゴミ屋敷の中では存在はすべて「大事」なんだけど、ゴミと同じくらいの大事さでしかない 母親は俺が家を出る時凄まじく反対したわりに、俺が家を出てからまったく俺や俺の暮らしに興味がなくなった 元々何にも思い入れがないから、手が離れると息子でも無関心に戻ってしまう ゴミ屋敷の住人ってこんな感覚なんだろうと思うよ ちなみに母親は新しい友達をつくっては疎遠か絶交を繰り返す人だった 昔からの友人がいない
【衝撃】Twitter民「家を綺麗にしてから体力の回復スピードがエグい」 : 凹凸ちゃんねる
2 notes · View notes
misatovan · 11 months
Text
金曜日、引越し前だが早々と市役所に行って住所変更してしまう。そのあと新しいお部屋のガス開通に立ち会って、いろいろ用事を済ませて免許証の住所ももう変更してしまった。
土曜日、朝から引越しセンターの人が荷物の梱包に来てくれる。ある程度は自分で荷造りしていたけど、やっぱりプロの人は格段に速い。9時から始まって、お昼前にはほとんどのものが箱に詰まった。それで、絶対今日すべきはそれじゃないという気もしたけど、夫にたのんで大きい公園に紫陽花を見に連れて行ってもらった。毎年この時期しか咲かないから、行けたらラッキーなイベント。久しぶりにたくさん太陽を浴びたので、帰ってからしばらく眠っていた。なんだか夏休みのような日だった。起きて、最後に残った電子レンジと冷蔵庫の掃除を慌てて済ませた。
日曜日、お昼過ぎに引越しセンターの人が来てくれて、アレヨアレヨという間に昨日積み上げた箱がトラックに納められる。ひとが暮らすのにはものがたくさん要るよなあとしみじみ思う。これでも、引越し前に随分捨てたつもりなのだけれど。空っぽになったふるい部屋は、少し寂しい。が、郷愁に浸る間もなく、出発。新しいお部屋に今度はアレヨアレヨと箱が運び込まれる。荷解きまではしてもらわないコースにしていたが、ベッドを元通り組み立ててくれて、ありがたい。13時ごろから始まって、たぶん18時前には終わったと思う。暑い中ありがとうございましたと引越し屋さんに言ったら、これからの時期もっと大変ですと言っていた。
夜、義実家へ持って行くために残しておいたものを取りにふるいお部屋に行ったとき、空っぽのお部屋が寂しくて、少し泣いた。ここへ越してきてから長い時間をあの部屋で暮らして、いい思い出ばかりではないけど、いい部屋だったなと思う。引越し前の数週間は、もう、5階建てぐらいの建物なのに数戸しか住んでいなくて、秘密の花園みたいだなと思っていた。いま、そう書くのにあの建物は何階建てだったかなと考えて、知らないまま、10年も住んでいたのが、少し可笑しい。もしかしたら、4階だったかも。1階の角部屋に住んでいて、洗面所がその角部分にあたる場所にあったので、深夜でもなにも考えずに洗濯機を回していた。通路が割れ、壁の穴からアリが���てきて、最後には風呂桶も割れていた。欠点がいろいろあって、でも、愛おしい部屋だったなと思う。
今日、午前中だけ休みを取っていた。洗濯をして、浴室乾燥をかけてみる。新しいお部屋から初めて出勤するのが緊張しすぎてしまうだろうと思ったので、わざとふるいお部屋に寄って、置きっぱなしだったゴミなど回収して、いつもの通勤ルートで行った。
4 notes · View notes
erairuka · 11 months
Text
Tumblr media
2020
あまりにひかえめ屋台 2020年の詣 
あのね、から文章を始めたくなる。
あのね、ゴミ出しに行く時は絶対眼鏡をかけないんですよ
朝から人の顔を見てると疲れる。物を捉えられるくらいの視力はあるから大丈夫。むしろぼやけたまま絵を描きたい。
 
今日すごく緑が綺麗でして そういう時に限ってカメラ持ってない。
眼鏡かけないでいたらそのまま職場まで行ってしまった。自分のことだからいずれやるだろうとは思っていたが、実際忘れるとかなり目が疲れる。天気のせいか頭も痛くて、さらに疲れる。今日はそんな残る予定ではないので早くかえる。
昨晩は100円で買った鍵盤ハーモニカを直すため解体、その数時間後にやっぱりハモンドの鍵盤ハーモニカの方が良くない?と言われてわかる…となり修理を中断。動画見てぼんやりしていたら寝てしまってた。寝るのを許すなとあれほど思ったのに、だ。
起きてから夜通し部屋の掃除とかした。いらないものが多すぎて、いつでも売りに出せるように箱に詰めていった。前の家で使ってたテレビとか、服とか、靴とか、機材とか。なんとなく、次の職もまだ決まっていないのにここを出る予定だけで、変に家具とか買えなくなった。
わからないけど、次引っ越すときは後輩が作ってくれたテーブルとお別れするかもしれないし、小さい頃から使ってきたベッドともお別れするつもりだ。明後日はシンセサイザーを売りにゆく。そして自分は弾きもしないのに寂しいから置いてって!と言って置いてもらったギターがふたつ それはどうすればいいんだろう。貰おうかな。
寂しい夜だった。心の不安をうまく吐き出せない。絵画は大きかったから自分の穴を埋めることができた。人に話すとかでどうにもできないのをよく知っていながら、何かあったら話してねと言いがち。
そういうことじゃない。何かあったらすぐ言ってねと言われても何もいえないもんです。その人の人生に自分が入るのが申し訳ないから。
ごめんねの回数が増えて、なんでそんな謝るのと怒られて、それに対して謝る繰り返しの夜 そんなことを忘れたかのように振る舞うから、わたしは全部わからなくなった。
わからないせいで一人だとまともに買い物ができなくなった。昨日は安かったからってだけで1キロのもやしを買ってしまった。料理できないからいつもチンして醤油かけて食べる。最近朝も昼も夜もまともに物を口にできなかったが、一日何も食べないとなると頭がクラクラしてくるので食べた。胃が重たくなる感覚が嫌で嫌で、わたしにとって人と食べるご飯以外なんの価値もないなと思った。
もう何食べていいのかわからない。食べたいものはあるけど、一人で食べるとなるとどうしても余計なことばかり考えてうまくできない。
もやしの味付け教えてもらったのでやってみようかな。そういうところから少しずつね。
もう自分がいなくてもいいよね、みたなこと言われると遠くなった気がします
そういうわたしが自分勝手でひどい人間だなと思います。もう嫌われるのも遠くに行ってしまうのも嫌だ。 去り際わざわざ起こしてくれる優しい人もいない 言われた言葉ばかり頭に浮かんでずっと辛い こればかりは近づきも遠のきもせず、ひたすら同じ方向と距離でわたしをみてくる感覚です。
そんな卑屈にならないで、自分を大事にして、って言われたいんじゃない。どうしようもないわたしを許して それでもいいって言われたい。自分って最低なんですってずっと言ってても そこが好きですとか言われてみたい これは妄想。
水瓶さんへ。
cero もしかしてObscure Ride持ってます…?あれを買おうとして、売り切れてしまったのであったら是非聴きたいです
色んなレコードショップに連絡しまくったけどどうしても売り切れて買えず、、だったのを思い出した。持ってそうだなと思って聞いてみたけど聞いてよかった。
わたしの持ってるアディダスジャージはとにかくでかい。わたしの背丈が小さいのもあるけど、膝上くらいの丈でいい感じに服に着られてる感覚が好き。同じの2着持ってて、捨てるにも愛着が湧いて捨てられない。新しく買った方は早くクタクタのぼろぼろにしたくてたまらない。1着目は古着屋で700円で買ったのに2着目は4000円くらいで買った。
前にあげてた街風便り すごい好きで聴いてます。最近どれを聴いても思い入れがありすぎて辛くなって聴けなくなってきたからいいのを知れてよかったです。片っぱしから聴いていってもいいですか。遡るの得意です。もし通知行っても許してね
あやとりの魚初めてみました 2匹の魚作ったら見せてください ひとつの紐で結ばれているのが魚座っぽくてなんかいいなと思いました。
現実を見る そうですね、そうですね。万物に謝りたくなる気持ちをグッと堪えてたらうまくできなくてまた職場で泣きました。大丈夫です。強く生きます。
youtube
いい詩 好きな曲です。
“終って 終っていくことだらけの 夜の息継ぎ”
大学の卒業式の日の帰り道、これを聴いて夜の田んぼへ死にに行こうとしたら車で通りかかった知り合いに見つかって、生きてるけどあそこで自分は確かに死んだと思ってます。
でも予想外の場所に宝はあるかもって本当で そこで死のうとしてなかったら会えなかったわけで だから会えてよかったなと思います。長い長い、長い糸電話でこっそり教えます。
2 notes · View notes
kfigher · 2 years
Photo
Tumblr media
#diy #ゴミ箱 #アイデア #lifehack #ライフハック
(Via: 家具工場のゴミ入れが「凄すぎる」「すぐ真似したい!」と話題に )
ナイスアイデア! これはうまいアイデア。 お掃除にマジックブラシ。
18 notes · View notes
epwf · 1 year
Text
230320 朝から市役所へ行って、転入届と婚姻届を出した。警察署や郵便局、銀行をまわって、諸々の手続きも済んだ。最後に地元の酒造へ行って、親へ日本酒と手紙を送った。日暮れ前にすべて終わったから、チン族の刺繍の展示を見に行った。黒地に人や動植物のアイコンが等間隔に刺繍された布を買った。縫う人によって色使いや表情が違う。顔を点で表されたものと、線で表されたものがあって、よりまぬけで柔らかい表情をしている線の方を選んだ。帰宅して、キャベツ春雨スープと野菜の唐揚げを作って食べた。記念日にかこつけて食後にはクッキーとヌガーとコーヒー。ふたりでやってく覚悟はこれまでに少しずつ出来上がってきているから、結婚はただ手続き上の出来事というような感覚。住む場所も仕事も人間関係も、何もかもが新しくなる目まぐるしさで、これがどういうことなのか、まだよくわからない。
/21 朝から新居に向かって大掃除。大家さんがまったく掃除をせず使えないゴミだらけで引き渡してきたことに段々と疑問を感じつつも、長家の片隅の規模感や縦長の箱を二段重ねたような簡潔な間取りはやっぱり面白い。絶対いい部屋にするんだ。どう作っていくかを想像すると掃除も楽しく捗る。蕎麦食べてじも泉入って、Kは仕事のため半島へ帰り、私はひとり新居で眠る。部屋に灯りがないのだけれど、街灯で十分に明るい。こんな街中に住むことになるなんて思わなかった。
2 notes · View notes
utsuroyihon · 14 hours
Photo
Tumblr media
(Xユーザーのゆずは🐿🌻名古屋CLEAR’S🥋🌻さん: 「レッスン終わりのクリアーズデー!! タバコや他のゴミもたくさんありました🚬 ごみはゴミ箱へ👋🗑✨️ #クリアーズデー #お掃除報告 https://t.co/8oApm55jLt」 / Xから)
1 note · View note
myonbl · 4 months
Text
2023年12月19日(火)
Tumblr media
火曜日は<家事の日>、朝から細々と動き回っている。買物・調理・片付け、町内の掲示板の前を通ると年末年始のゴミ収集スケジュール、氏神である松尾大社のポスターが貼られている。例年のことながら、これを見ると<今年も終わり>という実感が迫ってくる。私は残り2日の出勤で冬休み突入、大掃除はしないけれど小掃除に精を出そう。
Tumblr media
5時45分起床。
洗濯。
Tumblr media
火曜日の朝はゆっくりスタート、7時前の朝食となった。
可燃ゴミ、30L*2。
ヤクルトさんから野菜ジュース購入。
ツレアイは8時30分に自転車で出勤、訪問2件。
木曜日の<共生社会と人権>第14回の資料作成、実質これが最後となるのでまとめの要素を加味したレジュメを準備する。
酢タマネギ仕込む。
地鶏と大根と人参の炊き合わせ仕込む。
半熟ゆで卵作る。
ごぼう茶を煮出す。
Tumblr media
息子たちのランチ用意しているところへツレアイ帰宅、息子たちは<好きやねん>、ツレアイには蟹脚入りうどんで慰労する。
一息ついてから、同居猫・ココに点滴する。
腎機能の低下はしょうがないが、いささか元気ないので夕方受診することに決める。
Tumblr media
大型ゴミの申込、先週に続いて使っていない布団・毛布・アイロン台・ゴミ箱の回収を申し込み。
ファミリーマートで、大型ゴミチケット10枚購入する。
ツレアイは17時を待って<秋山恵蔵どうぶつクリニック>へ、ココをつれて受診。比較的空いていたようで、18時前には戻ってきた。腎臓の機能は特に悪化していないが、貧血が少し進んでいるとのことで増血剤を注射したと。
Tumblr media
早い時間に揃って夕飯、昆布締めポークソテーも久しぶり。このところ、もろきゅうがレギュラー化した。
今夜も落語研究会から柳家小三治、「居残り佐平次」「二番煎じ」、何をやらしても出し入れが上手で聴きやすい。
片付け、入浴、体重は200g増。
Tumblr media
本当は10,000歩を越えたいところだけど、寒さが厳しくなってきたので無理はよそう。
4 notes · View notes
bearbench-img · 4 days
Text
チリトリ
Tumblr media
塵取りは、床や家具などに溜まった塵やごみを掃き集めるための道具です。一般的に、長い柄の先に塵を掃き集めるためのヘッドがついた形状をしています。
塵取りは、主に次の2つのパーツで構成されています。
柄:塵取りを操作するための持ち手で、長い棒状になっていることが多いです。
ヘッド:塵を掃き集める部分で、ブラシや布、ゴムなどの素材でできていることが多く、塵を効率よく集めるための形状や構造になっています。
塵取りは、主に次の2つの用途で使われます。
床掃除:床に落ちた塵やごみを、塵取りで掃き集めてゴミ箱に捨てます。
家具の掃除:テーブルや棚などの家具に溜まった塵を、塵取りで掃き落とします。
塵取りにはさまざまな種類があり、ヘッドの素材や形状、柄の長さなども様々です。例えば、ヘッドが柔らかい毛でできているものや、ゴム製のヘッドのもの、ヘッドが平らなものや曲がったものなど、用途や好みに合わせて選ぶことができます。
塵取りは、古代から使われていたとも言われており、長い間人々の生活を支えてきた道具です。現在では、電気式の掃除機も普及していますが、手軽に使える塵取りは今でも広く愛用されています。
手抜きイラスト集
1 note · View note
kennak · 2 years
Quote
長くなります。よかったら読んでください。 まず、私から提案したいと思います。 私の家に遊びに来ませんか。鹿児島県のとある田舎町で農業を営んでいます。新規就農してからまだ半年余りなので、アルバイトをしながら何とかやっている状態ですが。 独り者です。バツイチです。質問者の方が男性でしたら、何日か泊まっていただいても構いません。 柴犬と猫とヤギ、ニワトリがいます。 以下、陰鬱な内容を含みます。耐性の無い���は読まれない事をオススメします。 私もうつ病でした。 それも重度のうつ病でした。主治医には、最終的には脳に電極をつけて電気ショックを施すことを勧められたぐらいです。 入院治療も2度行いました。 最初の入院は、自殺未遂をしてから運ばれました。施錠された病室に隔離されました。常にモニターで監視されていて、トイレなどハナから丸見えです。 1週間の後、一般病棟に移りました。 職場には、主治医からうつ病の為3か月の休職が伝えられました。 2週間後くらいから、躁状態に入りました。 室内では腹筋、腕立てを繰り返し、外出許可をもらってはランニングに勤しみました。 自分自身が何故うつ病になってしまったのか自省し、退院してから復職する迄のやるべき事リストを作り上げました。 前向きな様子を見て、主治医も退院時期を前倒しにしました。 一月後、退院しました。 退院してから、先ずは主夫業に精を出しました。 過剰なまでの不安と心配を与えてしまった妻の為、早起きして犬と散歩に行き、朝ごはんを作り、掃除、洗濯を済ませ、夕ごはんの買い出しに行き、夕ごはんを作って妻の帰りを待ちました。 週に2回の通院は、あえて15キロの道のりを自転車で通いました。散歩にも出かけ、野の花や小鳥なんかをスケッチしたりもしました。 全てはうつ病を克服するためだけに、日々を過ごしました。認知療法、行動療法、薬物療法すべて行いました。 1か月後、再発しました。 休職期間も残り1か月ともなると、緊張と不安が絶え間なく襲ってきます。また寝れない日々が続きます。食欲もなくなり、何をするのも億劫です。 復職1週間前ともなるとある思いが心を支配します。 (死にたい…) とにかく私は死にたかったのです。 いわゆる、希死念慮です。 簡単に言うと自殺願望なのでしょうが、色んな自殺の方法を探りました。 結局は首を吊る事に落ち着きました。 妻の居ない日中に、何度も何度もタオルなどで首を吊りました。でも死に切れませんでした。 勇気を振り絞って復職しました。 3か月ほど働いたでしょうか。職場での日々は、私にとって正に地獄でした。常に緊張していました。頭が上手く回転しません。真っ直ぐ歩くことさえままならず、何故か柱や机の角にぶつかりました。トイレに用がなくても頻繁に入り、周りの好奇な目から逃げました。その度にトイレの窓から飛び降りたい気持ちになりました。自殺を試みた人間に対して、同僚は腫れ物に触るように対応します。 毎週末、今日こそはと思い、首つりを繰り返しました。しかし、最後まで出来ません。 私は思い込みの世界で生き、想像の世界で苦しんでいました。 自殺未遂をしてから、うつ病と告知されてから、いやもっとずっと前から私は、私自身の妄想に自縄自縛の状態でした。 あいつは仕事が出来ない。 あいつのせいでみんな迷惑している。 自殺未遂するぐらいなら仕事を辞めればいいのに。 それでも上司は私を励まします。 君なら出来る。死んだ気になってがんばりなさい。みんな君の事を心配しているんだ。恩返ししないとね。 妻も私を励ましてくれました。 折角、頑張って公務員になったのに、今辞めたらもったいないよ。家のローンはどうするの。その年から転職なんて出来ないよ。あなたの大好きな柴犬も手放して、動物も飼えないようなアパートに移る事になるよ。今が頑張りどきよ。 私はもう限界でした。いや、もうとっくに限界だったのでしょう。主治医からは兎に角強い睡眠剤と抗うつ剤を処方してもらいました。 起きていても何時もボーッとしていました。 漢字もどう書くのかよく分からなくなりました。 ひらがなさえ、「あ」と「お」の違いさえよく分からなくなり、度々授業中の計算ミスを子どもに指摘されました。 ある日、子どもに問いかけられました。 「先生、なんで死のうと思ったの?前の先生が、H先生はぼくたちのことが嫌いで死のうとしたって言ってたけど、本当?」 「そんなことないよ。死のうとなんかしてないよ。」 咄嗟に取り繕いました。 代行の先生が、断片的で恣意的な情報を子どもたちに伝えていたようでした。 再休職することになりました。 うつ病の原因は今だからよく分かります。 新しい学校に移動したものの、子どもたちと以前のような信頼関係を築けないことからの自己嫌悪。 同僚とも良好な関係を持てないことからの苛立ち、不安、不満。 それらから派生するように、仕事への自信喪失。 40過ぎても子どもを持てないことへの落胆。 35年住宅ローンの重圧。 自分の故郷が地震と津波で壊滅的な状況なのに、何も出来なかったことへの後悔。 妻とも友人とも、会話が噛み合わないことからの孤独感。 当時の私は客観的に見ても、八方塞がりでした。 でも多くの方たちも、多かれ少なかれ40も過ぎれば仕事や家庭で問題を抱えています。しかし、うつ病にはならないでしょう。だからこそ私は私自身に失望しました。失望感は再休職したことからさらに募り、積み重なった失望感は、絶望感へと集約されました。 再休職して、私はまさに生きるしかばねの様でした。 以前の休職期間のように、前向きにうつ病治療をすることも有りません。ただ、ただ死なないように生きているだけです。 誰かの歌詞にあったように、 私は小さく死にました。 当時の私は死にたいと云うよりも、「楽になりたかった」のです。 40も過ぎて再休職し、再び同僚や子どもたちに迷惑をかけ、上司の配慮や期待にも応えることが出来ず、その上、妻への罪悪感は筆舌に尽くし難いものがありました。 いつ自殺が成功しても大丈夫なように、定期的に遺書を書きました。妻への謝罪、同僚たちへの謝罪、両親兄姉への謝罪、毎日毎日こんな自分が生きていることが申し訳ありませんでした。 妻は週末になると、神社へとわたしを連れ出しました。近所の神社、箱根神社、鶴岡八幡宮、春日大社にも行きました。 2時間で2万円もするカウンセリングも受けました。 主治医から処方される薬は、5種類まで増えました。病院でのカウンセリング担当医は、大学を卒業したばかりのような若い女性です。彼女なりに真摯に私と向き合ってくれましたが、私は彼女から助けてもらえるとはとても思えませんでした。主治医で院長でもあった先生は、薬を処方するだけです。もしうつ病が治らず、教員を退職する事になったら精神障害者として生活保護を受けるしかないと言われました。 一向に良くならない私の状況に、妻は失望し、疲弊しました。あとで知った事ですが、リストカットなどの自傷行為をしていたようです。 毎晩、妻から叱責をされるようになりました。 このままだとどうなるか分かる?あなたがうつ病を治さないとどうなるか分かる?いい加減、治してよ!どれだけあなたが沢山の人たちに迷惑を掛けているのか分かる?だから早く治して! 時には包丁を持ち出され、一緒に死のうと懇願されました。 一度、人は道を踏み外すととことんまで堕ちるのだと思いました。しかも、底がありません。どこまでも堕ちるのです。 生き地獄でした。 翌年の4月、私は別の学校に移動し復職することになりました。 私は私を偽りました。うつ病は治っていません。しかし、治った事にしないと妻がもちません。 治ったと偽り、主治医にも復職を許されました。 復職して、3週間後の朝、自宅の梁に電気コードを括り付け、椅子を倒し首吊り自殺しました。 死んでいませんでした。 気づくと愛犬の柴犬が必死に私を舐めていました。 何も見えません。呼吸が止まっていたのでしょうか。私は必死に呼吸をしました。呼吸を繰り返し繰り返し行うと暗闇に光が差し込んできました。 何故かコードは解けていました。今際の際で、コードを解いていたようです。しかし自分が何をしたのか暫く理解できませんでした。失禁していることに気づきました。脱糞までしていました。眼球は出血し、白目部分は真っ赤に染まっていました。左半身が上手く動きませんでした。 その日、再入院することになりました。 主治医から、電気ショック治療を勧められました。一定の効果は期待できるが、全身に激しい電気ショックが流れるので多少の骨折や記憶の欠落などのリスクは覚悟してくれと言われました。妻の反対で行いませんでした。 もはや、自分が何をしたいのか、生きたいのか死にたいのか全く分かりません。ただただ矮小で卑屈で社会のゴミのような存在だと思いました。 生きている意味などあろうはずもありません。 でも私は生きていました。あの日以来首を吊るのも止めました。何も考えず何もせず、出されたものを食し排泄し、夜になれば睡眠剤でぐっすり寝て朝になれば看護師に起こされ、何もない1日が始まります。 2か月後退院しました。暫くして、教員を辞めました。無職になりました。新築の家も売りに出しました。妻には当然ですが、見放され東北の実家に帰ることになりました。実家にはまだ思春期の姪たちがいたので、兄がアパートを探してくれそこに1人で暮らす事になりました。 私は何も考えなくていいように、中古のゲーム機を買って一日中ゲームをしていました。たまにスーパーに食料を買いに行きますが、誰かに見られるのが恥ずかしくて、短時間で目につくものをそそくさと買ってアパートに戻ります。何も考えません。感情も有りません。風呂にも入りません。歯も磨きません。ある時、履けるパンツが無く、Tシャツを逆さにして履きました。チンチンが寒かったです。 以前の主治医から実家近くの病院を紹介され、紹介状も持たされていましたが、そこの病院に行く事は有りませんでした。もう精神科医も抗うつ剤も睡眠薬も私には必要ありませんでした。 なぜなら私は人の形をした、ただの醜いぬけがらでしたから。 時間も季節も、世間も仕事も、私には何の意味も有りません。物欲、金欲、食欲といった欲求もありません。ただ日々死なないように生き、金を食いつぶし、秋が来て、冬が来て、春が来ました。 定期的に父から電話がありました。その日は今までにない雰囲気で、もうアパートを引き払えと言ってきました。 実家で両親と兄家族と暮らす事になりました。 父は頻繁に私を外に連れ出しました。80も近い父の運転で、被災地の風景を見たり、故郷の野山を見たり、桜を見たりしました。 5月過ぎ、父が帯状疱疹になりました。 6月になると、胃腸に何らかの不調を訴えるようになりました。 7月、近隣の中核病院に入院することになりました。 最初は泌尿器系の病気が疑われ、手術を受けましたがあまり体調が改善されません。その後、ガンが疑われましたが、その部位が分からないと言われました。原発不明ガンと診断されましたが、本人には告知していませんでした。 父が体調を崩してから、病院の送り迎え、入院の準備や手続き、お医者さんの対応など、私が行いました。初めは嫌々でしたが、結局手が空いているのは私しかおりませんから、仕方なく対処していました。 原発不明のガンなので、具体的な治療方針が決まりません。何故か、一時退院が許されました。 退院してから、定期的に通院する事になりました。その日は泌尿器科の受診の日でした。泌尿器の主治医がお休みで代理の先生に診てもらいましたが、受診後父の様子が変で、帰り道に尋ねるとガンだと告知されたと言います。 何年ぶりでしょうか。私の中に忘れていた感情が芽生えました。 怒りです。 その日告知してきた先生は、あくまで泌尿器科の主治医の代理で、しかもガンの部位はおそらく消化器系だろうと言うことで告知する時期は消化器科の主治医と治療方針と共にこれから考えていきましょうという段取りになっていたのです。 父の落胆は見るからに明らかでした。父はタバコも吸いません。深酒もしません。健康番組が大好きで、健康に人一倍気を使っていました。 食事の世話も私が行っていましたが、食欲もめっきり無くなりました。歩くのも酷く疲れるようになりました。 私は消化器科の主治医とアポを取り、抗議の為病院に赴きました。何の相談もなく、科も違う代替���生が告知をしてしまった事に、平謝りでした。 それから私は、ガンについてできうる限り勉強しました。通院の際は、ノートを持ち込んで先生の所見を事細かくメモしました。 PET検査なるものでガンの所在が分かるかもしれないと聞き、検査機のある病院まで連れて行きました。 しかしながら、ガンの所在、及び部位は特定できませんでした。 8月になり、いつも以上に辛そうな父を見て再入院させる事にしました。病院に着くともう自力では歩くことが出来ず、車椅子に乗せて診察室まで連れて行きました。 父は気丈で弱音を吐くことを聞いた事がありません。 私が小学生の頃、車のドアで親指を挟み、骨が見えていても自分で運転し整形外科に行き、夕方には仕事をしていました。 私が中学生の時には、母が粉砕機で薬指を切り落としてしまいました。側にいた父は、すぐさま薬指を拾い、氷袋に入れて母を病院まで連れて行きました。指はくっつきませんでしたが。 そんな父が、自ら車椅子に乗っている姿に愕然としました。 主治医からは、胸水が溜まっているのでお辛いのでしょうと言われました。とりあえず、入院治療することになりました。 胸水を抜いてもらい、多少楽になったのか父に少しだけ笑顔が戻ってきました。後から来た母とも談笑していました。 数日後、父は永眠しました。 死因は、原発不明ガンとのことですが直接的な死因は、窒息死です。深夜になって吐いたものが気管に詰まり、自力では解消されず看護師が気づいた時には亡くなっていたのです。 解剖はしませんでした。 母の取り乱しようは筆舌に尽くし難く、身内一同呆然としました。 それでも、お通夜や葬儀は粛々と進められます。 葬儀が終わり、明日早朝に火葬を残すのみという晩の頃、私は葬儀会場で棺の中にいる父と2人きりになりました。 止め処無く涙が溢れてきました。あんなに泣く事はもはやないだろうと思います。 おそらく1時間ほど泣き続けたでしょうか。その間、私は心の中で同じ言葉を繰り返していました。 (ごめんなさい。ごめんなさい。) (もう大丈夫だから。) ほぼ平均寿命とは言え、父は80手前で亡くなるような人ではありません。ましてや、ヘビースモーカーで高血圧の祖父より早死にするような人ではないのです。 では何故、こうも早逝してしまったのか。 原因は、私です。 私の存在がストレスとなり、私のうつ病が治らないこともストレスとなり、40過ぎの息子が無職になって帰ってきて引きこもりになっている現実がこの上なく父に負担を掛けたのは間違いありません。帯状疱疹になったのも、胃腸に不調をきたしたのも、がんと診断されて1か月余りで亡くなったのも、私のせいです。身内は誰も口には出しませんが、みんなそう思っている事でしょう。 それなのに私は、父の棺の前で1時間ほど泣いて泣いて泣き疲れた後、気づいたのです。 うつ病が治ったと…。 皮肉なものです。父の病と死が、私のうつ病を寛解に導いたのです。 半年前まで、私は私の抜け殻でした。 何もせず、何も考えず、ただ無意味に時間とお金を浪費する肉の塊に過ぎませんでした。他人と会話する事は勿論のこと、身内ですら顔を見て話すことも出来ませんでした。 それが3か月前から止むを得ず、父の世話をするようになってお医者さんと交渉したり、看護師と話したり、父の様子を親戚に伝えたりするうちに何となく、うつ病は回復の兆しを見せ始め、最終的にに父の死によって寛解に至ったのです。 父は全く意図していなかったでしょうが、結果的に父の病と死が、私を深い深い谷底から救ってくれたのです。 結局のところ、私のうつ病を治したものは医者でも無く、カウンセリングでもなく、ましてや薬でもありません。タイミングときっかけ、そして行動です。 以下は私の経験則からの私見です。異論がある方もいらっしゃると思いますが、ご容赦ください。 うつ病は、薬で治る病気ではありません。 一般的な解釈としては、うつ病は過剰なストレスなどにより、セロトニン、ドーパミン、ノルアドレナリンといった神経伝達物質が上手く働かなくなり、シナプス間における電気信号が不調となる為、活動性が低下し、感情が失われていくとされています。 抗うつ剤などの薬は、上記の神経伝達物質を良好に分泌させる為のものですが、あくまで一時的なものです。言わば、身体が疲れた時のユンケルみたいなものです。ユンケルのような滋養強壮剤の効果は、有って小一時間ぐらいらしいです。医者に聞きました。寧ろ(俺はりぽDを飲んだから元気だ!)といった暗示の副作用の方が大きいといいます。抗うつ剤も同じです。気休め程度にしかなりません。しかも抗うつ剤を服用し続ける事は何の根本的な解決にはなりません。また様々な種類があり、強いものを飲み続けると廃人になるようなものも有ります。ハイリスクローリターン��す。 私が知っている精神科医で、うつ病を本気で治せると思っている人はおりません。彼らは、薬を処方し点数を稼ぎ、報酬を得ているに過ぎません。私が暫く通院していた病院は、正にそうでした。2年ほど通いましたが、沢山の精神病患者で寛解に至った方を私は知りません。私の主治医だった精神科医は、患者を1時間待たせ5分の問診で処方箋を書き、効率よく病院に富を蓄積させます。おそらくそれが出世の処方箋なのでしょう。 先日、NHKドラマで阪神淡路大地震を体験した精神科医の話がありました。患者の話を30分でも1時間でも真摯に聞く先生でした。私もそういう精神科医に出会ったら違っていたのでしょうが。 現実は違います。それでも精神科医に診てもらいたければ、開業医をお勧めします。少なくとも組織の中にいる精神科医はダメです。 カウンセリングもお金と時間がかかるばかりで、効果のほどは期待できないと思います。 中には、行動療法や認知療法で寛解する方もいらっしゃるとは思いますが、私は懐疑的です。 そもそもうつ病の根幹的な治療は何か? まず、うつ病に至ったストレスを無くすことです。私は公務員という立場や家のローン、世間体などから仕事を辞めるという選択肢を選ぶのか遅すぎました。 そして、死なないように生き、どこかのタイミングで行動を起こすことです。具体性に欠けますが、深い深い闇の中にいて、抗うつ剤や他人の空虚な言葉が一筋の光になる…なんて事は現実的ではありません。 最初はどんな行動でも構いません。ポイントは、うつ病を患ってからした事がない行動です。 よくうつ病を患った人に、「神様から休みなさいって言われているんだよ。」という方がいますが、うつ病患者は休んでいるわけではありません。深く傷つき、深い闇の中でいつ終わるとも分からない嵐が過ぎ去るのを息を殺し、感情を捨て、ただただ耐えているのです。 話が逸れました。 質問者の方は、生きている意味があるかと問いかけられていますね。 私の答えは、「ない」です。 そもそもが、生きているだけで意味がある人間なんてどれほどいるのでしょうか?人間は人間を特別視し過ぎです。過去には、人間ひとりの命は地球よりも重いと言った政治家が居ました。馬鹿げています。 この地球には、既知の部分だけでも175万種の生命体がいるそうです。未知を含めたら500万とも800万とも言われています。その多種多様な生き物が懸命に命を繋いでいます。その中で、何故人間の命だけが尊いと言えるのでしょうか。 周りを見渡せば、ニュースを見れば犬、猫より価値の無い生き方をしている人が沢山います。蜂や蟻よりも生産性の無い生き方をしている人間がありふれています。 人間の命、そのものには意味がないのです。 あるとすれば、意味ではなく「時間」だと思います。 そして時間があるからこそ、「行動」ができるのです。 重度のうつ病患者は、行動が出来ません。 行動が出来ないということは、時間が止まっているのです。 故に今のあなたが、生きている事の意味を問いかけるのははっきりいって無意味です。 それはあなた自身が本当は理解されているはずです。 けれども今あなたがその漆黒の闇を抜け出せるその日が来た時、あなたの(生)に価値が生まれます。あなたが自分の足で、自分の意思で前に進み始めた時、時間が再び動き出します。 生きている限り、意味はなくてもあなたには「時間」がある。時間があるという事は、あなたの人生は何度でもやり直せるのです。 更にあなたが価値ある、より良い行動をとることで、あなたの(人生)に意味が生まれると思うのです。 人の(生)に意味があるとすれば、価値ある行動を実践した時、初めて生まれると思うのです。 人の人生の評価は何で決まるのでしょうか? 財産、出世、肩書き…人それぞれでしょうが、私は行動だと思います。どれだけ価値ある行動を人生で出来たか、だと思うのです。 だからまずあなたがするべき事は、死なないように生きることです。そして、私のようにきっかけを待つか、自らきっかけを作り行動することです。 正直言って、私のようなきっかけを待つことはお勧めできません。 だからこそ、私のところに遊びに来ませんか? もしかしたら、何かのきっかけになるかも知れません。仮にならなくても、きっかけのきっかけぐらいにはなるかも知れません。 私は今、農業に従事しています。何故、東北から南九州に来て、農業をしているかの経緯は割愛しますが、私はうつ病が寛解してから2年ほどの、50手前のおじさんです。 うつ病が治り、取り敢えず3つの事を目標に掲げました。 ①飼っている柴犬を、日本一幸せな柴犬にする事。 ②最低限、父の年齢まで生きる事。 ③世界の真理を一つでも多く学ぶ事。 です。 農業では、無農薬、無化学肥料での、循環農法を実践しています。なるべく、F1の種に頼らず固定種の種から作付けして、この土地に合った野菜を育て、種取りをして、安全、安心な、究極的には硝酸態窒素を過剰に含まない、ガンにならない野菜作りを目指しています。 知らない土地に来てからの挑戦なので、苦労もありますがやり甲斐も有りますし、生き甲斐も感じています。 何よりも、何度となく死んでしまってもおかしくない我が身がこうしてお天道様の光を浴びて働けることが、嬉しくて嬉しくて仕方が有りません。 昔、ドイツの哲学者が言っていました。 (自らを否定して否定し尽くした時、あなたは超人となるだろう。) 私のうつ病期は、自己否定の繰り返しでした。 もちろん、私は超人には成れておりません。 ただ、周りの人達よりちょっとだけ物事の本質を理解出来るようになったかなと思います。 一昨日、東日本大震災から9年経ちました。 2万人以上の方が亡くなられました。 彼らにはもう時間が有りません。行動を起こすことも出来ません。 だからこそ我々生きている人間は、然るべき行動により、震災を語り継ぎ、亡くなった方たちを忘れずに生きねばなりません。 あなたは生きている。 あなたには時間がある。 あなたは行動を起こせる。 大丈夫。時は必ず訪れます。 最後にアメリカの詩人の言葉をご紹介します。 (寒さに震えた者ほど 太陽の暖かさを感じる 人生の悩みをくぐった者ほど 生命の尊さを知る これから私は幸福を求めない 私自身が幸福だ) 長文につき、乱筆、乱文ご容赦ください。
私はうつ病です。昔の事も思い出せず、感動せず、感情もわからず、物を覚えられず、体を動かすのもつらく、毎日ただひたすら苦しく、生きているだけでお金がかかるのに生きてる意味ってありますか? - Quora
6 notes · View notes
jaguarmen99 · 2 years
Quote
●南極で9シーズンを、院生とフルタイムの研究者の両方で働いた。 この話を誰にしても、興奮して「すごーーく、すばらしいに違いない!」とか「ぜひやりたい!」と言ってくる。 地球科学の院生はこうした野外採集に異常にワクワクする。……公平に言うと、それがどういうものか理解した上でやりたがる。15年前の自分もそうだった。 しかし……そこにはやはり「しかし」がある。目新しさやあこがれ、クールさは2日で薄れる。そして残りの2~3か月は全面的に過酷となる。常に寒く、飢えて、汚れている……そして疲労している。常に凍傷に悩み、靴下を何枚履こうがつま先は温まらない。 自分のように科学(氷コアの古気候学)に100%をささげていたら価値はあるが、もしあなたが21歳で、単に未知の世界を探検したいと夢見ているだけなら、大陸に来ても巨大な現実に打ちのめされる。 今まで何人もの若い子が、すべてを辞めて南極の生の素晴らしさを体験するためにやって来た。そして3~6か月の孤独と、心が麻痺するきつい内容の契約をしたことを実感する。 特にマクマード基地には、大勢の若者が南極大陸に来るためだけに「何でもする」と契約をしてしまう。そして数日後には、ドームルームの掃除や雑用のために、南極大陸から身動きできないことを知る。 12時間シフトで汚い建物から建物へと移動する。研究者たちがフル装備で野外へ展開しているのを、彼らは眺めていることしかできず、臭いディーゼルタウンのマクマード基地から出られない。 そんな生活に飽き飽きし、野外に出る研究者に嫉妬する。もちろんマクマード海峡やロイヤルソサエティレンジやマウントディスカバリーの景色は美しいが、その目新しさはすぐに消える。 自分は次の配置を待ちながらマクマードに18日間滞在したことがあるが、気が狂いそうになった。マクマード基地にバーが1つではなく2つあるのにも理由がある……そして全てのトイレのゴミ箱が避妊具でいっぱいなのも。みんな孤独で鬱になる。 自分は仕事は好きだし、野外活動や科学にはそれがつきものだが、南極の氷の上のテントで6か月暮らし、シャワーもなし、つねにべとべとの日焼け止めで覆われ、寒くて疲弊しているのは本当に本当にキツく、魅力的でもなければ、情熱的でもない。何千枚のすばらしい写真も撮ったが、誰かに話すときにはたいそうなことは言わない。 ↑これはなかなか興味深いスローな映画になると思う。
「あこがれる人は多いけど、働いてみたらサイテーだった仕事はある?」体験談いろいろ:らばQ
2 notes · View notes