若い頃から海外青年協力隊でインドに行ったり、ペルーに住んだり、海外旅行が趣味の友人(10歳くらい上のお姉ちゃん)が、エクアドルへ旅立ったのは数ヶ月前。2月に一時帰国して、少し前にまた旅立って行った。
3年前くらいから、エクアドルに恋人がいて、彼の元へ行った。エクアドルの言葉はスペイン語で、友人は英語は喋れるけれどスペイン語はそこまで堪能では無く、日本にいる間にスペイン語の勉強をしていて、スペイン語でインスタライブとかしたりしていた。
エクアドルの彼とは、そう長い期間一緒にいたわけじゃなくて、旅先でたまたま出会った……と話していたけれど、なんだかほんとうに凄いなぁと感心してしまう。
ちょうど、旅立つ1週間前にたまたま会って話したら「疫病もあって、2年間メールと電話だけの繋がりだから、これからどうしていくかとりあえず会って考える」と言っていた。
この話を聞いた人は、その女性はお金にも時間にも余裕がある恵まれた人なのね、と思うかもしれないけれど、彼女はヒッピーだった。もちろん組織に属して働く…なんてしておらず、アクセサリーを作ったり、色鮮やかなペルー料理(どれもとても美味しい)を販売して、ゲストハウスみたいなところでその日暮らしをしているような感じだった。
私も、好きな人と暮らすために何十時間もかけて、地球を半分くらい飛ぶ度胸があれば、恋人と、どこかでのんびり暮らしたりできるのだろうか、とついつい考えてしまう。そんなことをいくら考えたって意味はないのに。
私の恋人は国内にいて、家をでて飛行機に乗ったりバスに乗ったり電車に乗ったりして5時間くらいあれば会える。お互いの実家も国内にあって、同じ言語を話す。でも、それなのにやっぱり笑えるくらい遠くて、のんびり暮らせる日なんて本当にくるの?って思っちゃう。
恋人に会いたいなあ。
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所 人生史ep.0 帰省記録
めちゃくちゃ久々にtumblerをあけました。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
ということで今ココ↓
ダブルベッド・2人用の部屋着……
コレって…… えっ……まさか………
みたいな環境で本当に1人で目の前のダブルベッドをつまみに飲んでる。や〜贅沢。
第一章 東京・第二章 名古屋・第三章 大阪…とだんだん西に流れている所には、第0章 熊本産声編がありまして。
もう本当に中学生ぶりの生まれ故郷で、まあうっすい記憶しかないけど、なんとなく良い旅になったので温度感高いうちに記録しようかと。
___________________________
福岡にも寄ろう〜♪ そうだな〜、12時の新幹線乗ろう♪ →12時起床
起きれるわけがない時間設定を音符マークつけて決めないこと。
5分で出ると神に誓う。メイクなど貴族の戯れ、着替えもパンツとブラだけでいっか!
とこだわるべき所を全放棄したのに、最後に前髪気になって切り出す女、所渚紗(24)
お得意の時間計算・予定全てぶち壊し行動、17時にしか着けなくて何ができるのであろうか酒を飲むことしかできないだろうがもっとフラフラ観光したかった… と自分の中の学級委員会の会長が嘆き散らかし…
初心者さんはここで新幹線内でふて寝してしまいますが、ここでポイントです。絶対に新幹線内で飲酒しましょう。
必ずその時は来ます。
そんなこんな��福岡に着いて一通りクソデカ駅で迷ったあと、福岡の大好きバンドnape'sの晴久くんと西岡くんが迎えに来てくれて早速my town状態に。なんと1年?ぶり?らしい。
さっそく一双のラーメン(バカウマ)を食べた後に飲酒しに行った。
福岡のかっこいい音鳴らす友たちとの再会&初めましてにエキサイトした夜、みんな対ありでした。次は急にライブ観にいきゃす。
解散後、まあまあ酔ったけど泊まる格安ゲストハウスにそういえばbarスペースみたいな所あったな〜と思って酒購入、福岡に「ウチまだやれます!」の姿勢を提示しに殴り込むtokoromantic。
寝坊から始まってる福岡、このままじゃ終われない___。
端に座ってた男性がどうやら韓国人だったのでK-POPに命かけてた時に習得したやんわり韓国語で話しかけると、ゴリゴリの日本語で会話してくれて、一緒に飲んでくれることになった。
イェーイと思ってたらそこに洒落ストリート男性とメガネ大学生くんが集い、みんなで各々の生活や仕事、学業や旅の話をした。ストリート男性さんは東京の立川の人らしく、IKEAの横にあるスケートパークとかの話をした。福岡に来てニア地元立川の話で盛り上がれるとは…
誰?すぎる相手との""ホンモノの笑顔"" の写真が撮れた。
これがもう朝の6時とかでマジでみんな朝までごめん、と思いを馳せつつあまり反省はせず自分も満身創痍2時間睡眠で熊本へ。
着いた瞬間あまりにも怖すぎる生き埋めくまモンがご挨拶。メッセージ性強すぎる。
中学生ぶりの生まれ故郷、当時くまモンは我々クソガキにとって "死ぬほど可愛くない目が怖すぎる突然出現した熊" だったが、この町ではもう彼は大スターということを痛感した。
「ま」と「も」の繋げ方無理がありすぎるし字が汚い。こむらさきの味はあまり覚えてなかったけど好きだったし、きっと変わらず、美味しかった。にんにくチップ懐かしかった〜。
熊本について覚えてる景色と覚えていない景色、全く新しい景色、色々あった。
震災があって、くまじいとくまばあ(所家ではくまもとのじいちゃんとばあちゃんのことをこう呼んでいる)のお家は大ダメージを受けた。←という報告を受けた。
直接は見てないが、写真はとっても胸が痛かったことを覚えていて…
ガーン。奥に車の車庫があって、右にお家があったのに!それ以外の、昔ボール遊びしてボールを侵入させまくっていたご近所のお家は残っているのに!
くまじいとくまばあの家だけがポッカリ無くて、どうしようもない気持ちになった。
熊本城は、一部がまだ修復されてなかったり、中の展示が音声や図ばっかりになっていたりで、垣間見えるダメージって感じだったけど想像より数倍きれいだった。
そして上通り下通り。相変わらずチンチン電車は走っていて、久々に乗れてエキサイトした。
上通り下通りでよく買い物やらしてた記憶があり、いろいろ歩いていたら気になりライブハウスNAVAROが近いことが分かり、そちらの方へ向かった。
そうすると上通りの裏の道がとっても面白くて、なんていうんだろう、原宿に対する裏原みたいな。そもそも上通り≠原宿だけど。
そこで見つけた良いお店↓
ここの店主さんがめちゃくちゃ音楽ヲタクぽくて話が早く、いろいろ教えてくれた。他の古着屋さんもよかった。なんとなく、カルチャーはここら辺にぎゅっとしてる気がしたけど、こうなってきたのは結構最近らしい。おもろ〜だった。
そして今回のメイン、この食卓。
家がボロボロになって壊して、新しいこのアパートの全然知らない部屋だったけど、知っているあったかさの食卓でよかった。
くまじいもくまばあもだいぶ小さくなっていたし、私はデカくなり、声がガラガラになった。なんてったっていつぶりの再会、孫の声がコレになっていたときの気持ちとは。
でも、くまじいは相変わらず自分のイケメンだった頃の写真を持ち歩いてるし、くまばあの唐揚げは世界で1番美味しかった。
ママとパパの馴れ初めの話になり、けんじが「娘さんと結婚を前提にお付き合いさせてください!」とベロベロでくまじいに言ったというので、大ファザコンの私はもうお気持ちの大号泣が止まらず
結婚を前提に…… 来世で………絶対に…と成仏してしまった。
めちゃくちゃな子で、めちゃくちゃするだけでなんにも恩返しできてなくて、って思っていたけど、会いに来てくれてありがとうと大感謝されてしまい、もう少しだけがんばってまた強くなって現れることを誓った。
変わらないこと、変わったこと、この歳になって見えたこと、色々あって大変満足だった。また時々来たい。未だにオギャァ〜言うて生きてるから熊本側もびっくりだったと思うけど、次来る時はもう少し大人になれてると尚良し。
いかがだったでしょうか。
皆さんもぜひ、"産声の大地に突然帰る" プレイしてみてください。
セピア野球部みたいになってしまうパジャマを添えて。
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初体験がふたつも重なって、脳がパンクしそうだった。
「 人生アドリブ。」
アクリル絵の具、岩絵の具、シャーペン、パウダー
今日は、ローソン(LAWSON)の話を少ししたいと思う。
とくにあらたまった話ではないし、なにかローソンに対して不満があるとか、嫌な思いをしたとか、クレームとか、そんな話ではないので。
これを読んでいる人で、ローソンに勤めているとか関係者であるって人がいてもまったく身構える必要はないです。
あるとすれば、近所にローソンがほとんど無いのでよくわからん、ぐらいか。 セブンイレブンばっかり、なのさ。
実は、ぼくは19才まで、ローソンのことをまったく知らなかった。
超のつく田舎もんだからね。
そんなコンビニエンスストアなんてハイカラなもんは当時の愛媛のド田舎には無かった。
大学受験に失敗して、香川県高松市のとある予備校に行くことになり、その予備校の寮生活をしているときに、寮でとなりの部屋の友人Tが、「おい、今日ローソンに行こうぜ。」って言ってきたのだ。
ろーそん?
なんか、聞いたことあるぞ。。
あれ、、たしか、アニメ「タッチ」の店じゃなかったっけ? なんや、こいつアニメオタクか。。意外やな。
って、思った。
アニメファンの人には申し訳ないが、そのときは正直、少しだけ「キモっ」って思った。
けれど、傷つけたくない、傷つけてはいけない、自分が引いていることを悟られてはならないので、無難に「 ろーそん? ええよ。おれは外で待ってるわ。」と答えた。
なぜ、ローソンがタッチの店だなんて思ったかと言うと、
当時、テレビのCMではローソンがタッチを使ってコラボして宣伝していたのだ。
よく考えてみてほしい。
ローソンが、何の店かなんてCMで説明したことある? 無いんだよ。
だから、ぼくは、なんの疑いもなくローソンはタッチのグッズ販売の店だと思っていたんだ。
ちなみに、あだち充が嫌いとかでは無いから。
俺の中では、タッチでもH2でもなく、最高傑作は「みゆき」だから。
異論は一切認めない。
ちゃんと読んでるんだから。
ただ、グッズとか、そういうのは興味ないんだ。
で、話をもどそう。
予備校の帰りに、ローソン?なるものの店に寄ることになった。
ぼくは、ちょっと、いや、、かなり恥ずかしいので外で待ってることにした。
人には、いろんな趣味があるのだ。こんなに堂々とタッチのグッズショップに入ることが出来るコイツは凄いヤツなのかもしれん。
俺も、こういう風に堂々と生きていかなきゃなあ。
なんて、思いながら外で待っていたのだが、なかなか出てこないので、いや、俺も勇気を出そう!と思って、プールの中ではじめておめめをあけてみる、くらいの勇気をもってお店に入った。
あれ? あれ? なんやここ? タッチなんか無いやん。。っていうか、何の店やねん。。ここ、何の店やねん、、?(錯乱)
Tは、「おう、お前も何か買うんか。」って聞いてきた。
え??、、いや、、「 あれ? タッチは?」って聞いたら、そいつはタッチを知らなかっ���みたいで
「 ?? たっち? なにそれ? そんなことよりさー、このあとそこのマクド行かへん?」って聞いてきた。
広い道路の向こう側には、赤と黄色で大きな「M」の字が。
そうなのである。
そんなものはまったく知らないのである。マクドナルドなんて聞いたこともなかったのである。
なんや、あの店!! めっちゃ高いんちゃうんか? 大きいレストランやないかい!! オシャレそうやし。おれ、そんなおカネ持ってないぞ。
これが、最初に思った本音の言葉だ。
ローソンとマクドナルド、初体験がふたつも重なって、脳がパンクしそうだった。
外食なんて、「うどん亭いよ」、くらいしか知らないのである。
ローソンを出た僕らは、向かい側のマクドナルドに行った。
そこには、煌びやかで華やかな空間が広がっていた。オシャレした若い女の子たちがたくさんたむろっていてお喋りしていた。
あかん。 都会や。 これが「都会」や。
すげえ。
まず、誰も席に案内してくれないのである。
まあ、うどん亭いよ、だって勝手に座るもんな、って思ったので勝手に空いてる席に座ってじっと注文を待っていたら、T が、
「おい、、お前何してんねん。。 地蔵かよ 」
なんやココは。
こんな大きな綺麗なレストランなのに注文も来てくれへんのか?!
そして、ぼくは、人生初のマクドナルドを食べた。
今でも覚えている。
食べたのは、チキンタツタとコーラだ。
はっきり言おう。
味なんかぜんぜんわからなかった。し、美味くなかった。しかも、結構な値段で高かった。
うどん亭いよの釜揚げうどんのほうが、ずっと安いし多いし美味しいわ。って思った。
Goda worldは、たかだかこんなド田舎出身の人間なのだ。
たしかこのとき(浪人生のとき)は西暦1990年だったはず。
もちろん、今現在の2022年ではわざわざ100km先の高松まで行かなくても、我がふるさとの田舎にも車で10分も行けばローソンはある。
たいして、コンビニについて思うことも実はそんなに無いのだが、
100円のドリップコーヒーで一番美味しいのはローソンだと思うね。が、これもコロナ前の自分の感想なので、この3年?くらいで変わっているかも知れない。
いや、競争率の高いコンビニコーヒーだから変わるだろうね。
そもそも、あの値段で出せるクオリティでは無いんですよ。完全に赤字でしょ。
そして、あとはローソンと言えば、からあげクンはレッドに限る。っていうか、からあげクンってまだありますかね?
ゴーダです。
なんか最近ちょっと調子が悪くて、ブログを読みかえしてみたら僕はいっつも調子が悪いみたいに見えますね。 まあ、良くはないんだけれど。
やっと届いたこの本(中古)。「上海の西、デリーの東」 素樹文生
中古しかなかった。
この本は、インドに行ったときに持っていった、たった1冊の本。
旅の途中で一緒に同行していた人に、ネパールで別れる時にあげたんだ。
日本に帰ってきて、その人も半年後くらいに帰国したときに久しぶりに会うことになったんだけれど、その時に本のことを聞いたら、どこかネパールのまだ山奥のレー?インド? ラダック?だったかな? かどこかのゲストハウスに置いてきたらしい。
その人曰く、
「 いや、僕なんかが持っているよりも、いろんな人に渡るほうがいいよ。よかったね。ゴーダさんのあの本は、これからずっといろんな旅人たちに読まれていくんだよ。今もこの世界のどこかで旅しているよ。」
って。
ちなみに、その人の本の感想は「 うーん、正直言って、ちょっとしか読んでないけれど、あんまり面白いとは思わなかったかな。内容が重くて。 あ、っそう、って感じ。ごめんね。」
な感想だった。
その場では、ああそーなんだー、いいよいいよ!って言ったけれど、
本当は、ちょっとショックで悲しかったのを覚えているなあ。
一応、自分のお気に入りの本だったので。
この人ならわかってくれるんじゃないか(1週間くらい一緒にいたのかな?)、って、まあ、期待した自分がいけなかったんだろうけど。
本なんて人に押しつけちゃダメなんだと勉強になった。
それ以来、求められてもない人に勝手に本は貸さないし渡さないことにしたね。
けれど
自分のお気に入りだった本が、旅人たちから旅人たちへとこの地球の世界中を渡っている、と考えたら、それはそれでたしかに素敵なことだなあと思った。
またどこかでその本に出会えたら面白いね。
最近ネットで中古で買いなおしたこの本が、さっき届いた。
心のどこかで、『 これが、俺が買った本が戻ってき���んだったら凄いのにな。』って思ったりもしたけれど、そんなことはなく、中古にしては綺麗な状態の本だった。(自分のは、もっとボロボロだったし)
これ、結構分厚くて、今見たら450ページある。
もう内容も忘れたけれど、なんか好きだった記憶がある。
もう一度読んでみたいなあって。20代の僕は何を考えてこれを持っていったんだろうって。
もう今さら、これを読みかえしたからと言って「 よし!俺もまた旅に出るぞ!」とはならないだろうし。
もう、いつのまにか家族も出来て、自分の子供までいるんだ。20代の頃の自分とはぜんぜん違うもんね。
あれからただただ、がむしゃらに生きてきただけだけれど。
ただ、家族が出来たことは確かだし、そこは違うよ。大きな違いだ。
それにしても、
今のバックパッカーってどんな旅をしてるんだろう?
もう、このようなある意味冒険に満ちた、みたいな旅は出来ないよね。
だって、ネットでぜんぶ繋がっているし、情報はスマホで全部入手できるし、そうだよ、そもそもスマホで電話が出来るんだから。困ることはほとんど無いんじゃないかな。
ある意味、あの時代に一人旅に行けて良かったなあと、しみじみ思う。
他にも旅の本はたくさんあるんだけれど、沢木耕太郎の「深夜特急」はたまに読みかえすくらいかな。沢木耕太郎の旅はめちゃくちゃストイックだ。
でも、僕的には、こっちの本のほうが自分に近くて好きだったような記憶がある。
これから、読書に耽(ふけ)るっす。楽しみ。
いつまでも人生はアドリブで生きたいな。
Goda world
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