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#カナダでバイトを探す
liddopixie · 2 months
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カナダの面接でよく聞かれる質問:カナダ人の体験から書いてみました!
海外でバイトをすることは、誰でも緊張します。私はカナダでも日本でもバイト面接を何回も受けましたので、私の体験について書いてみました。
カナダで働きたいと思いますか?なら、面接を受けなければなりません!私はカナダでも日本でもバイトの面接をたくさん受けたことがありますから、今日は私の体験について書いてみたいです! どこで働きたい?申し込むこと英語の履歴書カバーレター身元保証人前もって研究例えの質問バイトと全く関係ない質問バイトと関係ある質問レストランでの面接化粧品店での面接最後に どこで働きたい? もちろん、バイト探しは「どこ」で始まります!レストランのウェイターは古着の店員ととても違うバイトなので、もちろん面接はもとても違います。準備をする前に、まずはどこで働きたいを決めたら、もっとスムーズに進みます。 申し込むこと この頃、オンラインでバイトを申し込むのは普通になりました!紙の履歴書を持って店員に渡すことはもうしません。従って、面接に行っても、紙の履歴書を持たないで行きます。 カナダ、人気があるバイト探しア…
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junikki · 6 months
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バイト初日、自転車で行ったんだけども思いっきり行く場所を間違えた。ググって調べたら全然違う所に。どんだけゆっくりでも自転車で30分ぐらいで着く場所だった。坂道とか徒歩だけど、どうにかなったよ。電動自転車のバッテリーなしバージョン、まじで重い…でも実際折り畳み自転車もそこまで乗り心地は良くないわけだから、まあ仕方ない。初回だからビデオ見せられたんだけども、それがめちゃくちゃ長くて正直驚いた。1時間ぐらいあったかも。それで休憩とか言って、休憩もやたら長かったし。だから何も疲れてないのに休憩入ってwわけわからんかったわ。
仕事自体は、レジですら機械化されまくってるこのご時世に、なぜ機械化されてないのかと思うほど、超単純作業で、ただベルトコンベアに流れてくる荷物の数字を見て、自分の持ち場の数字の荷物を引き込んで、荷物の流れが止まった時に整理するだけっていうかんじ。でもなんか初日だから数字を追うのに精一杯で、わけわからんくなった。単純作業なのに。肉体労働久しぶりすぎて、持参の水では足りずに喉めちゃくちゃ渇いて帰りにジュース買っちゃったわ。
肉体労働の割には食事少ないから痩せそう。一見そこまで太ってないように見えるけど、自分の背中や腹の贅肉を感じるから、少しシュッとなればなと期待。朝ごはんは卵かけご飯、夕食がメインだけども焼きそばとご飯と魚少しって感じでそこまでたくさん食べてない。肉体労働の割にはお腹そこまで空かないからね。なんか肉体労働すると疲れすぎてあんまり食べれない。喉乾くから水はたくさん飲むけども、水飲んでお腹膨らませる感じになってしまう。
大阪市内に住んでた時は、地下鉄の利便性とかから難波や梅田まで徒歩で行くことが多かったからから、毎週60kmぐらい歩いてたけども、今日は確認したら1700歩ぐらいしか歩いてなくてびっくりした。まあ同じ場所をウロウロしてるだけやもんな…そりゃそうか。
こういう倉庫系の人間ってなんかすぐ暴言吐いたりするイメージあったけども(実際若い頃はそういうおっさんおばさんだらけのところで働いてた)、なんか普通に聞けば教えてくれるし、ちょっとミスしても別に全然怒られんし。変に絡んでくることもなくてよかった。作業してると大変だけども時間過ぎるの早いから、そこは良い。でも今月だけだからって思うと働ける場所って感じではある…15日間だけの辛抱だから。こ12月はデータ入力系の仕事探したい。
ᙏ̤̫͚
そういえばみかんの入れ物のところにゴキブリが出たとお母さんが言ってたけども全然驚かんわ。こんだけ汚くしてたら当然だろうという感じ。コップも使ってるから!とか言って、ちゃぶ台の上にたくさん乗せてるんだけども、どれもいつ洗ったんだよってレベルで汚れてて。そもそも、ものが多すぎて調理スペースがなさすぎる。スタバの使用済みコップとかも置いてあってびっくりした。母はスタバなんてほとんど行かないから、紙コップを記念として大事に取っておいたのだろう。でもスタバの紙コップなんて、カナダではホームレスがお金恵んでくださいってお金入れてもらうための賽銭箱なんだよな。日本じゃそんな文化ないからお金入れて貰えんだろうけども、日本以外の結構いろんな国ではそういうの見かける。欧米だけじゃなく、韓国でも見かけたことある。
母は強迫性障害なんだけども、多分発達障害でもある。発達障害だから、強迫性障害はむしろ二次障害でもあるのだろう。発達障害の人も物が捨てられなかったりするし。姪っ子がADHDらしいが、母に似たのだろうとも思う。
創価信者の家って実は割と汚いんだろうなとか思う。うちの親は共働きで、母は料理や掃除、家事全般苦手な方だと思う。長年やってるのに料理下手だし。子供の頃、母が働きに出るのが悲しくて寂しくて、辛かった。わたしの子供時代の日本はバブル期だったので専業主婦のお母さんも多くて、友達の家に行くとお母さんがいておやつ用意してくれたりしてすごくうれしかった記憶。
でも母は家にいるよりも働いたり外に出る方が好きなんだろうなって思った。創価信者って人の家に行って会合したりするから、割と毎日忙しくて働いた後会合ってなると家事なんて碌にできないのが普通やと思う。わたしは家でいるのが割と好きなタイプだから、母とは性格真逆なんだよな。子供の頃から、家に帰れるってめっちゃうれしかった。家事も好きな方だと思う。まあ掃除とかあんまりしょっちゅうしなかったけども。料理は毎日してたし、裁縫はすごく好きだし、洗濯も割と好きな方だから、家にいるのはそこまで苦痛じゃない。コロナ禍のステイホームとかめっちゃよかったわ。あの期間でかぎ編み覚えたし、洋裁も学べた。母は台所に娘を立たせたくないタイプで、大人になるまでほとんど料理らしい料理したことなかったんだけども、���れであんたはなんも家事でけへんみたいに言ってたけども、それは母自身のことだったんじゃないかと今では思う。わたしはどちらかというと、手先は器用な方で、絵を描いたり手芸したりは子供の頃からすごく好きだったから、料理も手伝わせてくれれば、実際そこそこ上手くできたんじゃないかと思う。
母はいわゆる料理教室に通ったのに料理下手だからね。致命的だわ。私はバイトで調理補助とかやったぐらいだけども、そこそこ美味しいご飯作れる。
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kininaru-text · 9 months
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この記事を書いていて思い出したのですが、昔カナダのジュエリーショップでバイトしていた時の事。男の人が「彼女の誕生日に彼女の好きな緑色の宝石のついたネックレスをプレゼントしたい。」と来店されました。ネックレスエリアに移動して緑色の宝石であるペリドット、プリナイト、ターコイズなどを紹介しました。が、彼が「これいいな」と指さす物の多くがシトリンというオレンジ色の宝石。「? えと、緑色でお探しですよね?」と言うと「あれ、これ緑じゃないの?ごめん、俺目に障がいがあって緑が見えないんだよ」と。返答に戸惑いながらも、サイズ、値段、好きなデザインを聞いて緑の宝石を別のトレイに移して見てもらいました。その後その内のひとつを気に入ってもらい、会計する事に。その時に、まだラッピングしていないそのネックレスを見つめながら彼がつぶやいたセリフが忘れられません。「俺、緑ってどんな色かわかんないけど、彼女の好きな色なんだから、きっと綺麗なんだろうな…」言葉につまりながらも「爽やかで、とっても落ち着く綺麗な色ですよ」というと少し切ない表情で微笑んでいました。
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endekashi · 1 year
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BOMKAY FILMINGツアー。
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本日はBomkay film works とのコラボツアーでフィルミングツアーでした。天候にも恵まれ、凍るかと思ったぞコンチクショー!
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彼がBomkay film worksの主宰者、ボンバーK。自分とはカナダのワーホリの時に出会い、意気投合。その後、お互い帰国してから電話で話してて「ねえ優作、なんか仕事無い?」なんて言ってくるから八方の今はなき伝説の蕎麦屋、御母屋がバイト探してたよって伝えた次の日に来て働き始め、そのまま10年くらい(だっけか?)いたという軽すぎるフットワークを持つ男。
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その後、フィルマーの道を志し、SNOW,SK8,ART,MUSIC,TRIPをテーマに自身の作品『CRAZE TV』を三作残し、兵庫へ移住。テレビ局の仕事を通じてプロの仕事を学んだりしながらもしつこくヨコノリ業界にまとわり付いているおじさんです。
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平日開催に関わらずも沢山のお客さんが来てくれましたー!(主に白馬の友達)おしょっ様です。
今回はボンバーが滑りを撮影してくれて編集して参加者にプレゼントするという企画。
しかし惜しむらくは天気!明日は良さそうなのによー!!晴れたらドローン飛ばせるのによー!本日は昼頃から結構降る予報。でも、楽しむしかないね!!
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ところでボクちゃん、今日はデジカメ忘れちゃった、まあ携帯で撮るけど今日は映像のプロがいるから堪忍してけろ〜。
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さーて、撮影開始です!
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フォウ!!
昨日までの沈降した雪の上にフレッシュスノーが乗っかるマジカルなコンディション!
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一人一人アングルを変えて撮っていきます。
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場所を移してもう一本!
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なかなか良い降りになって参りました〜。
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次のスポットもバッフバフで最高だったのですが、なんせさみ〜!!
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カメラのアングルを変えたり、調整したりで待ってる時間も結構長くてきちいっす。まあでも、これも含めて撮影体験ですよね。ライダー達もこういう環境の中で素晴らしい作品を残しているんですねえ〜。すごいですね〜。
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寒さも限界に近づいてきたんで下山しましょ〜。深いなせ(勾配の緩い)なほうていを滑っていくのでみんなで協力してラインを伸ばしていきます。
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そんなこんなで無事下山!いやぁ、撮影の緊張感や面白味、大変さを感じられたでしょうか?
あれ?なんだか今日のブログあっさりじゃねえかって?さては、デジカメ忘れて携帯で写真撮ってたけど後半寒すぎて携帯出すの嫌になってほとんど写真撮ってねえんじゃねかだと!?フッその通りだコンチクショー!!今日は映像のプロがいるからそれで我慢しろこんにゃろめー!後ほど、今日のダイジェスト映像あげまーす!
とりあえず皆様、寒い中、本当にお疲れ山でしたー!&おしょっ様でしたー!!
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liberte-gal-kaho · 4 years
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めっちゃwhy berlinって聞かれる
ホームシックから解き放たれて明るくなった私です。ベルリンに来て3週間が経ちました。最初の1週間はありえないくらい長かったけど、今は一日が程よい長さに感じるな。
実は私、ドイツ語が全く分からないのです。唯一知っている言葉はダンケシェン(ありがとうございます)。感謝の気持ちをその土地の言葉で伝えられたら十分かなと思って、ドイツ語を全く勉強する気持ちにもまだなれず、今の所は英語だけで暮らしています。スーパーに行くときはgoogle翻訳の画像で検索できる機能に頼りまくって何とかしている感じ。
ドイツ、特にベルリンは移民がとっても多く、英語ができる人が多い(特に若い人はネイティブレベルで英語を話す)ので、英語だけで生きていけるのです。たまに不便だけど、どうにかなる。私の大学の授業も全部英語だし。
で、何でベルリンの大学を選んだの?という話なんですよね。アメリカとかイギリスとか、カナダとかアセアニアの方じゃないの?って。大きな理由は3つありまして。
まず一つ目は金銭的な問題。日本人が進学すなら主要英語圏の大学の学費は高すぎる。(コミカレ=短大は高くないけど)相当のお金持ちか、ネイティブレベルで英語ができて成績もとっても良くて返済不要の給付型奨学金がもらえる人、もしくは将来絶対に出世して怒涛の奨学金返済するぞ!というガッツのある人しか進学できないのは事実。もちろん私はどれにも該当しません。
二つ目。海外進学といえばアメリがじゃん。みたいなのがめちゃくちゃ嫌だった。日本人やアジア人が多いところにはあまり行きたくなかった、なぜか。みんな(みんなって誰を指すの?という感んじだが)が行きたいor行くところには行きたくなかった。
三つ目。人種が多様で、カルチャーが混在するアートが盛んな街に行きたかった。感性磨かれそうだし。
私は別に小さい頃から英語を勉強していたわけでも、ディズニーチャンネルを観て育ったわけでもなく、英会話教室にも通ったことはないし、両親も英語は全く話せない。高校に入るまで外国に行ったことも無かったし、海外旅行ってお金持ちだけができるものだと思っていた。ただ、地元でのつまらない毎日に悶々としていた中学1年生の時にアメリカの某ミュージカル風の学園ドラマ(G○ee)にハマり、外国(当時は主にアメリカ)の音楽や文化、社会情勢に興味を持ち始めたことをきっかけけに、英語を使えた方が絶対に人生は楽しくなると確信した。それ以降、洋楽を聴きまくりながら自分で英語を勉強し始めました。
高校は、外国語や異文化理解の教育に力を入れている公立校に進学して、とーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっても楽しくて有意義な3年間を過ごせた。目的意識や確固たる自分を持っている子が多くて、毎日刺激的だった。語彙力や表現力があってお喋りが得意な人、音楽の趣味が合う友達もいたし、クリエイティブな子も多かったから自分の感性も磨かれた。誰一人として取り残されない暖かい環境だった。高校の人本当に大好きだよ。
その高校に進学した時から、英語だけは真面目に勉強しようと心に決めていた。だから”英語だけ”は頑張った。海外に進学したかったし。高2に進級した時くらいから時間があればずーっと世界中の大学を調べていたけど、現実的に無理かも、と思い始めた。気がつけばいつのまにか高校3年生の冬になっていて、周りはセンター試験に向けてヒーヒー言いながら勉強していた。そんな中私は、すぐに大学進学しなくていいや〜人生のギャップイヤー過ごすわ〜と異端的な決断をした。高校の先生も程よく放任主義だったから変に心配されることもなくて有り難かった。
みんなが大学生活を始める中、私は地元に残ってゲストハウスでバイトをしていた。アルバイトの割には責任のある仕事で慣れるまでは本当に大変だった。でもその分とっても楽しかった。宿泊客のほとんどが外国人だったから英語の実践的な勉強にもなったし、旅人が集まる空間には常に有益な情報や面白い人生論が飛び交っていていた。話が盛り上がった宿泊客と、私進学先決まってないけどどこに行くべきだと思う?とかあの国に旅行したら何するべき?とか色々お話したな。一緒に働いていた人も個性的で面白くてラブリーでワイルドで頭が冴えていて、ずっと繋がっていたいと思えるそんな人ばかりだった。
でも焦りも感じていた。同級生が大学に進学して新生活を始める中、あれだけ外国に行きたいと言っていた私は日本でフリーター。それと同時に、何で大学行くんだっけ?という気持ちにもなり始めた。人生の路頭に迷っていた訳ではなく、色々な情報や考えを得て深めていくにつれ、大学にいかなくてもいいかな〜と本気で思った時期もあった。でも結局、大学に進学することにした。自分の人生に対して色々思いはあったし、将来なりたい自分も高校3年生の時点で決まっていた。私はモラトリアム人間ではなかった。でも、大学に行かないで、その”なりたい自分”になれるか、と考えた時に、もしかしたらなれるかもしれないけど恐らく大学で教養や経験を積んで、人脈を作って、英語力も上げたほうが確実に近道になるということに気がついた。たとえ学費という大きな出費があったとしても。
1年半まわりより遅れて大学生になったけど、その時間が無駄だったとは一度も思ったことはない。むしろ最高だった。焦って進学しないでこの決断をした高校3年生の私ありがとう!という気持ち。そして呑気な私を見守ってくれた家族もありがとう。あなたの人生なのだから好きなことをしなさい。でもその分の責任は自分で負うのだよ、と母が言っていた。自由は最高だけど、それ以上の責任が伴うのです。
大学探し、情報収集、出願、試験、契約等の書類関係、学校とのお金のやり取りや海外送金、家探し、保険、現地の銀行口座の開設、何から何まで全部ひとりでした。留学エージェントとかに頼むこともできたけど、お金が勿体無い。親は英語分からないし、頼れる人がいなかったから必然的に一人��やるしか無かったけど、フリーターの私は時間だけはあったので、勉強にもなるし、全部手探りでどうにかした。てか、自分のことだから自分でやるのが当たり前か。全て半信半疑だったけど、特に問題もなく今に至っているので私がした手続きは全て問題無かったのです。自信にもなるし!
私はベルリンで映像制作関係の勉強をしています。まだ始まったばかりなので何とも言えないけど、楽しくなりそうな予感。楽しくならないと困る、いや、私が楽しくするのだ。でもライティングやリーディングの授業もあって憂鬱なのよね…とほほ。
だんだん寒くなってきたなぁ。みなさん心も体も暖��くしてお過ごしください。生姜をすりおろしまくって何にでも入れてください。代謝上がりますよ。最後に先週買った巨大な生姜をシェアしますね。70円くらいだった。ドイツ野菜安くて天国。
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su-sanpo · 3 years
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お暇120日+11日目。
授業開始まで103日。
さてさて、仕事をしなくなってからも
大分月日が経ってしまったなあ、
と改めて感じます。
状況は日々変化していないように見えて
トータルで見ると色々変わっていて
ゆったりですが前に進んでいると
感じられることは
モチベーションに繋がっている。
今の状況について整理
【留学について】
VISA取得待ち
英語の勉強 ← これに尽きる
Hello Talkを始めてみたけど
1日で続かなくなった
【デザインについて】
バナーコンペで優勝した
ワードプレス講座に受かった
インスタで繋がった人と
オンライントークをした
【バイト】
日雇い派遣のバイトを3種類した
・ワクチン接種の案内
・倉庫でギフト商品の準備
・宅配の仕分け、積み込み
【その他】
SnowManのオタ活
ワクチン接種が決まった
仕事を辞めて、時間が増えて
今まで出来なかった経験が増えていっていることは良いこと。
だけど、全力で頑張れているか、
進めているか、
と聞かれると全然出来ていないので
反省してしまう。
変わりたい、と思うこと、
挑戦できていることはいいけど
そのための努力が出来ていないと
ただの口だけの人。
だけど、がむしゃらに出来ない自分。
考えてないでやれ、に尽きるなあ。
こんなんじゃ、カナダに行っても
何も変われないんじゃないかと思ってしまう。
日本でできないひとは、カナダでもできないよ...
自分が行動できる環境を作らないとな。
なんかマイナスな気持ちになってしまったから
気持ちを変えて、
派遣の仕事をした上での気持ちを。
まずは、どの仕事も疲れるし大変。
労働者への敬意を感じた。
そして、日雇いの仕事の過酷さ。
たしかに、内容はすぐに覚えられて単純なことが多いけど、
それを永遠に続けなくてはいけない
私にとってはハード。
責任もほとんどない。
言われたことをこなす大切さ。
ただし、休めない。
ロボットのように、言われたことを
ただこなすことが1番大事。
ただ、言われることがない中で
(教育も指示もほとんどない)
自分で何をしなくちゃいけないかを
咄嗟に判断して、これでいいのかなあ、と
疑心暗鬼になりながらもこなしていかなくては
ならないハードさがあった。
ワクチン接種の案内は、女性多め、
学生、主婦多め、わりときちんとしていて
教育もしてくれる。
ただ、立ちっぱで腰が死にそうだし、
単純案内に時間が長く感じる。
人に案内して、笑顔になってもらえることは
嬉しかった。
倉庫のギフト商品を入れる仕事は
パートさんの中での緊迫した雰囲気があって
シールは曲がっちゃだめ
流れ作業でつまらないように
早く正確に効率よく、が永遠に
繰り返され、精神的にも
すごく気が張って疲れた。
もちろん立ちっぱなので、腰がやられた。
あと、だらだらしゃべりながらやる、
なんてことは全くなく、
度々パートさんの怒号が飛び、
その空気感がすごく怖かった。
だけど、クッキーの箱1つでも
こうやって賞味期限のシールを貼って
クッキー1枚1枚を手作業で入れてくれてる人が
いるんだな、と思うととても
新しい発見だった。
高級なギフトだったので、
それなりにちゃんとした仕事をしなくては
ならないし、
でも、それに携わっている人の労働環境は
いいとは言えなくて、
なんか社会の縮図的なのを感じた。
宅配便の仕分け、積み込みの派遣が
まあ1番ハードでビックリで
社会科見学のようでした。
まず、駅からの送迎バスには
汚らしいおじさん達と、
金髪ロン毛の若者達が多くて、
今から一緒に働くかと思うと
ビビっていた(偏見がひどい)
現場に到着しても、特に案内とかもなく
これでいいの?が悶々と。
でも、1日ぽっきりの日雇いなんだから
いちいち指導することなくね?っていう
考えももちろん分かるけど
何も案内がないとめちゃめちゃ不安になるし
教育体制の大切さを感じた。
宅配の仕事は、ほぼシールの番号を見て
仕分けて積む!に尽きる。
ベルトコンベヤーに
どんどん運ばれてくる荷物を
シールの番号で分けて積み込んでいく。
大きな荷物、冷蔵の荷物、メール便、
その3つの場所に行ったけど、
やることはどこもほぼほぼ一緒だった。
だけど、環境がすさまじい。
指示がないから、
何をどうやっていいのかがわからん。
でも次々に荷物が来るからやらなきゃいけない。
聞いても周りも派遣だから
いまいちわかってなかったり、
求める答えがなかったり
各々必要最低限しか喋らない
ロボット化した場所だった。
一言で言うとしんどかったし
もう来たくないな、とも思った。
だけど、ここに毎日来て、
こうやって感情を無にしながら
荷物を仕分けてくれる人がいて、
その分野において極めていて
テキパキ頑張ってくれている人がいることを
知れたことは、かなり自分にとって
刺激的な一日だった。
どの仕事も大変な部分があって
お金を稼ぐってことの
大変さを改めて感じた。
あと、日雇いだからこそ
責任感とかはほとんどないし
やることも単純だけど、
ひたすら同じことをやり続けなくては
いけない、休めない環境と
やりがいは見つけにくいであるな、と思っ��。
誰にでもできる、はいいように見えて
自分じゃなくてもいい、悲しさもあった。
というか、
なんで機械がやらないんだろう?
と思う仕事もあったけど、
この仕事を頼りに生きている人も
こうやってたくさんいるのかと思ったら
立派な仕事なんだなとも思う。
自分は1日だけでもいいと言える
ご身分な立場で、仕事も選べて
別に働かなくても生きていけて
海外に特に大きな目的もなく行けて
なんて恵まれた立場なのだろうと思う。
ぬくぬくと生きていないで
せっかく恵まれているんだから
もっとガムシャラにならないと
もったいない、と思う。
長くなったけど、以下、
今回の経験から特に覚えておきたいこと。
「責任がつくほど、やりがいがある」
 だれでもいいは
 自分にしかできないの逆
 私にしかできないことを探すと、
 どうしたって責任は伴う
「何の仕事か、よりも誰とするか」
 もちろん仕事内容も大事だけど
 同じ倉庫の仕事でも、仲が良かったり
 気が合う人とだったら、
 楽しく考えられそうだし、
 その仕事すら楽しく感じられそう。
 私は楽しく仕事がしたいので
 誰とするか、はとても大事。
「単純作業は飽きる」
 これは自己分析。2日で限界、と感じた。
 変わりない毎日を送ることは耐えられない。
 日々成長を感じられる仕事がいい。
 となると、保育士はわりと合ってる
 仕事なんだな、と改めて思う。
 あと、立ちっぱは腰がしんどいし、
 何もしない時間もしんどい。
 webデザイナーの仕事は、
 クリエイティブが求められる部分
 でもあるので飽きはそれほど来なそうだし
 立ちっぱでもないし、何もしないもないし
 やっぱり向いているかも!と思っている。
「自分がなんとなく生活している部分に
 たくさんの人の仕事が隠れている」
 1つのギフト商品には、
 その商品を作って、箱を作って、
 箱に詰めて、検品して、出荷して、
 それをまた仕分けて、トラックに詰めて、
 車で届けて...って何人もの人が
 携わってくれている有り難さを感じた。
「楽しいだけじゃ仕事にならない」
 誰かのためになっていないと
 お金は稼げない。
 逆に誰かのためになって
 自分でも楽しいと思えることがあれば
 楽しくお金が稼げる。
 そこを見つけてピタッと合わせていくことが
 自分が1番楽しく過ごせていける方法
 なんだろうな、と思う。
 さあて、8月悔いなく生きよう!
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sakuraph · 6 years
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. . . あまり、記憶力がない子供だった というよりは何事にも関心が浅かったのだと思う 本当に楽しかったり、悲しかったりしたことも 今振り返ってみれば記憶は曖昧なものになってる それが嫌だった
綺麗だ、と心動いた空を 綺麗だ、と思った友達を 忘れたくないと思える人のことを 忘れたくなかった 留めておきたかった
カメラを手にするのは私からすれば 自然な成り行きだったのかもしれない
今、私は私のことが��きだ こんなふうに考えられる日が来るとは ほんの二年前の私は想像もできないだろうな
小学生の時に両親が離婚し、よくわからないまま母親について行った 高校生になった時、母親に彼氏ができた 気持ち悪かった 母親が女になってた 吐き気がした 家に帰らなくなった 居酒屋のバイトを夜明けまでこなして 誰にも合わない時間に家に帰って寝てた 当然学校は行けなくなった そもそも、家からでなくなった 家にいるのは嫌いだった苦痛だった ただそれよりも帰らなきゃいけないと考えるほうが しんどかった 帰りたくないから家からでなくなった
高校は卒業できなかった 友達も、先生もおいでよ、なんで?聞くよ? 優しかったから、幼稚で羞恥な理由で行けないと 言えなかった 口にしたら本当のことだと認めるような気がして 認めたくなかった 言葉にしたくなかった
それでも聞いてくれた人がいた それは6歳から通っていた英会話スクールの カナダ人の先生だった
もし、僕が君のお母さんでお父さんだったなら
わからなかった 悔しかった 悲しかった 言葉の壁をぶち壊したいと思った
そうして高校卒業程度認定試験に挑戦して 英検3級に挑戦して外国語の専門学校を受けて 全部合格した 家で寝る以外の時間は ずっと英会話スクールでテキストを拡げていた しんどかった 死にたかった どれ一つたりとも落とせない試験だった 目の下はくぼんで体重はみるみるうちに減った 身長163cmで体重42キロまで落ちた
全部終わって鏡を見るまで気づかなかった 鏡に映る私は血色が悪く不幸せそうに見えた
専門学校生活、最初張り切りすぎて疲れた また休みがちになってしまった 辞めた
それでも在学中に取得した ワープロ技能試験と英検2級は 学歴コンプレックスの私に自信をくれた
学校も辞めて半年バイトに明け暮れていた その頃から母の家を出て父と住んでいた 朝6時から3時間コンビニ 昼の11時から16時まで居酒屋のランチと仕込み 夜は17時から20時までコンビニ 生きる楽しみがなかった でも写真は好きだった 犬の散歩する時はカメラを携帯した 寝落ちしたお父さんを収めた 布団に潜り込んでくる猫にフラッシュをたいた
夏、標高2000mで働く元同級生から一緒に働かないかと誘いを受けた 涼しいから行くって決めた そこは変な人たちがたくさんいた シーズンオフになると北海道で仕事をする人 夏は日本で働いて冬は東南アジア旅する人 冬に閉山するまで働いたらタイに移住したい人 みんな30代のいい大人だった 好き放題に生きてた いいんだ、好きなことして そっか、もう子供じゃないんだ 山もいい加減飽きたしカメラの仕事、探してみるか そう思って見つけたのが美ら海水族館でのカメラワークだった
最初は本当につらかった まず日本人だけじゃない、中国、韓国、台湾、香港、フランス、カナダ、アメリカ、タイ、インド、イギリス、スペイン、ロシア、オーストラリア、私が思い出せるだけでこれだけの国の人たちが来た 言語が通じない ここでぶつかったのも言葉の壁だった 必死で学んだ 挨拶だけでもその国の言葉で迎えたい 挨拶だけなら10ヶ国以上は覚えた
仕事は本当に忙しかった 世界一の水族館 多忙期は30分に90組近くの記念写真を撮った 汗が止まらなかった なんでこんな忙しいんだろう なんだこんなうまくいかない なんで なんで 仕事しながら笑いながら泣いてた それでも必死だった 仕事が身についてくると考えながら働いた どんな言葉が響くのか 話すスピード 声のトーン 表情 話題 マニュアル通りではあるめののマニュアル化しないような接客を心がけた 本当に楽しかった 自信になった カメラの仕事、やっぱりやりたい そう決心できたのは、ここ沖縄でしぬほど考えて悩んで泣いて笑って一生懸命生きてこられたからだと思う 沖縄ありがとう
春からの仕事は自分で決めた 運もあった アポイントなし 履歴書持ち込みで 訪問した二件目でその場面接合格をいただいた 運だったけどその運も自分で引き寄せた自信がある
これからの未来が楽しみで楽しみで仕方ない そう思える日が来ること、 生きるのが楽しいって思える日があることを、 18.19の頃の私にこっそり耳打ちしてあげたい
絶望のどん底を見た 這い上がったというよりは そのどん底を抱えて一緒に今生きてる
きっとまた新たなどん底に 落ちることもあるかもしれない
それでも先に待ってるのは楽しい未来だって 知ってる私は強いと思う
何だって乗り越えられる自信がある 私は好きだ 私のことが大好きだ
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dadlivingthedream · 4 years
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「海外移住」ってイメージすると ものすごいキラキラした楽園のような 生活を妄想してる人は多いです。 違いますか? もちろんそういうポジティブな部分が あるから憧れるんですが、 勘違いしてはいけません!     いきなりあなたのひかり輝く理想の 移住生活をぶっ壊すようで 申し訳ないですが、    まず最初に、移住は甘くないということ は知っておかねばいけません。       あなたがもし独り身なら環境への適応は 比較的苦労しないでしょう。     しかしあなたが私のように家族で移住を しようというなら、以下はしっかり目を通してください。     では、少しだけ例を挙げていきますね。     もしあなたが私のように子供がいる場合、 安定的に収入を得る仕事の確保が 必要ですから 職場は誰でもできるバイト的なぺーぺー 仕事などやってられません。     ちなみに私は何か特別なスキルが あったわけではありませんでした。 大変ですよ。     あなたがより高い報酬を得られる 仕事を得るために現地での キャリアアップも考慮した 仕事を探さねば長く理想の地で 生きていくのは困難です。     ということは好きなことばかり しているわけにもいかず 例えば 勉強して資格とったり 英会話もかなりのレベルに上げる 必要があります。     一方で子供が大きくなるにつれ 地元社会への参加も求められてきます。     ここでもやはり英会話。 習い事や学校のイベントなどの 申し込みからスケジュール管理 送り迎え、メールでのやりとり。。。     日本にても(英語は使いませんが) 同じことやらないといけませんよね? 当然移住してもここからは逃げられません。     個人の生活レベルの話だけではありません。     国が違えば文化も「当たり前」も違います。 こっちで日本と同じ価値観で動くと 「???」と反応されることも多々あります。     教育もまったく違います。 日本の教育が普通だと思って 子供を現地の学校に通わせると 本当に「大丈夫か?」って不安になりますよ。     医療制度&保険、年金制度、学資保険 も大きく異なります。 カナダの場合はむしろ素晴らしすぎますが。     税金は大きな関心ごとではないでしょうか? 所得税が低い事だったり 税金の使い方だったり。     移住しようというあなたなら当然 これらは調査済みと思いますが、 実際にその環境の中で何年か住んでみないと 分からないもんです。     時間が経てば現地の環境も変わります。 自分の家族の事情も変わります。 さらに自分の価値観も動いていきます。     当然ですが このようにただの数年の滞在と 現地に腰を据えて人生を送るのとでは まったく日々の生活で感じることが 違ってきます。       私は日本のサラリーマンライフや 特有の「みんなと同じが良い」文化 に強い違和感を覚え 日本とカナダの生活を比較してました。     だから移住前はカナダの生活にかなりの 期待をしていました。     しかし時間が経つにつれて見えてきたことは カナダにも日本にもそれぞれ長所と短所 がある、ということ。     人間で例えるなら 様々な人間がいて、誰もが特殊で 良いとか悪いとか判断できないのと 一緒です。     ちなみにカナダでは小学校からこういう 「違い」を受け入れることを教えています。     今回の結論はこれ!     「その土地の良いところも嫌なところも 受け入れるということ」     これを覚悟してから移住することが 肝要です。     忘れないでください。 どんな決断もすべてあなたの「選択」なんです。 誰かのせいにはできないのです。     自分でしっかり調査してください。     その上で、「違い」や「長所&短所」を 受け入れる覚悟を持ってください。     移住しても結局日本にいるのと変わらない 生活をしている人は実は非常に多いものです。     帰国してしまう人も多く見てきました。     物事は変化します。 常に全てのものが美しくキラキラと輝いて 見えるわけではありません。     今見えなくて、後で見えてくることは 多いですから。     行動を起こすあなたは どんな変化も受け入れるという覚悟を。       ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆   自由な海外移住ライフ。   夢の生き方は手に入る!   DAD LIVING THE DREAM   高石周   ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
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oharash · 5 years
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砂浜の教室
「アヅサはいいよね。学校以外に行くところあるんだから」
小5の夏、人間関係に悩んでいた友人にそんなことを言われた。
嫌なら話さなければいいじゃん、とかそんなことを俺は言ったのだろう。
彼の目にかすかにちらついていた怒りとも憎しみともわからない火の粉は俺の皮膚を焼いた。火傷みたいに。
「アヅやっぱり制服似合うね、中学の学ランもよかったけどブレザー着るとカッコイイ感じ。指定ジャージも送って! 友達とお昼食べてる写真とか送って、ていうかもう毎日何か撮って送って」
「そんな撮るものなくね? 」
「あるよ、もうね鞄とか文房具とか教科書ノートとか全部見せて欲しい。あー高校生いいな、俺もアヅと制服デートしたい」
机の上に立てたタブレットの向こうで、頭に寝癖をつけたユウくんがぼやいている。日本とカナダ・トロントの時差は約13時間。こっちが夜ならあっちは朝だ。練習を終えて帰宅するとユウくんからのスカイプが入っていた。朝ギリギリまで寝ている彼からすると珍しいことだ。
「昨日帰ってきたらそのまま寝ちゃってさ。9時間寝てんのこれでも。目が覚めたらもう寝れなくって、アヅが帰ってくるまで待ってよーって。あ、俺ね✖️✖️に日本に帰るよ。東京で仕事。平日なんだけどさあ」
リラックスして喋っていたユウくんの声が少し早口になる。先週新しくしたiPadはトロントとのスカイプもほぼ時差なく映すけど、目元のこわばりや声の硬さが伝わるほどではない。そのはずなのに、ユウくんの早口が俺の凪いだ心に雫を落とした。波紋が音なく広がりユウくんの緊張が伝わる。
「ごめ、平日は学校行かなきゃいけないから」
「だよね。東京からアヅんちだとギリ日帰りできないしなー。仕方ないね」
俺は一年の半分を海外で過ごす上、日本にいるときも調整や大会が入れば遠征にでかけてゆく。だからスノボ関連のスケジュールがない日は絶対に学校に行くことにしている。小中から父に厳しく言われたことだが、今は俺の意思だった。
けど、時々後ろめたくなる。ユウくんは俺以上に忙しく競技の他に取材や撮影、さまざまなタイアップをこなしていて、俺たちが会えるのはオフシーズンのそれも俺の学校のない夏休みか土日、そしてユウくんが帰国していてスケジュールの空く日。これらが合致する奇跡的なタイミングのみだ。学校、というのは恋人に悲しい思いをさせても優先するべきものなんだろうか。一日くらいいいんじゃないのか。けれどひとつ特例を作ったらほかの何かも瓦解する気がして、俺は未だ頑なだった。そしてユウくんはそれに対して何を言うでもなかった。
「シーズン前の帰国はそれでラスト?」
「ううん、お盆に帰れると思う。じいさんの初盆なんだ。時間作るからさ。会お」
それでもこの半年の付き合いでその奇跡が何度も起きて、話もしたし手も繋いだしキスもセックスもした。世界の未知をふたりでつかむような心地だった。「俺ら運命だよね」と言うユウくんのポジティブさを、俺は結構愛している。
「じゃあそろそろ支度するね。愛してるよアヅ」
7インチの画面の中で、小さなユウくんがウインクをする。ラテン系のスクールメイトと仲良くなってからよく使うようになった仕草だが俺はいつも即座に反応できない。曖昧に笑って通話を切った。
なだらかでない世界を克服してゆく、本質的な強度を備えているユウくん。不器用で怠惰であるがゆえに、世の中に振り回されて日常生活の些細な達成に喜びを見出す人とは違うところにいる。でも、無神経ではない。
石川さんの唇が数回、何かを言いかけて震えた。
初夏の日差しが教室に差し込み、学校指定のハーフパンツから覗く彼女の膝を照らしている。進学したと思ったら球技大会が始まり、間を空けずに体育祭がやってきた。俺は体育祭当日は遠征。一年はコスプレをしての応援合戦に棒倒し、四人5脚にリレーと種目が多い。当日不在なことと接触系が多いこともあって俺は競技の練習には不参加。いよいよ準備に大詰めのラスト一週間、俺にあてがわれたのは横断幕の作成だった。
俺は絵も字も書けない、というかペンキ自体触ったことがない。ペイント用のクラッカーの方がまだ馴染みがある。幸いにもひとりではなくて、足首を捻挫していて体育祭に参加できない石川藍は俺より少しは頼りになりそうだった。
「いいフォント探して、それ拡大コピーしてレタリングしよ」。石川さんはスマホに「黎明」と表示させて俺に突き出した。チームのお題、というかテーマ。読み方を尋ねると石川さんは呟くように「レイメイ」と教えてくれた。
そうしてスマホとコンビニのコピー機を駆使して、俺たちは横断幕サイズの「黎明」の文字を手に入れた。カーボン紙を敷いて、A3のコピー用紙をパズルのように並べてゆく。コピー用紙の上を膝で移動するとぺたぺたと音が響く。それくらい教室は静かだった。ブラバンの音が遠く響いている。
「…音楽かけてもいい?」
静寂と、慣れない人が至近距離にいるのが落ち着かなかった。かと言って何を喋っても続かない気がする。
石川さんの唇が何かを言いかけて震え、恐らく始めに思いついたのとは違う言葉を差し出した。是。
iPodを取り出して、あまりハードでないプレイリストをタップする。ゆるいヒップホップが教室の空気を眠くしていった。
体育祭は来週の水曜日。土日を考えると明後日の金曜までには完成させておきたい。なるべく忠実に元の字をなぞっていく。
「北野って結構几帳面なんだね」
「…そうかな。やったことないから怖くて」
「すごい丁寧だと思う。私もちゃんとやろ。今日美術の松田に‘もっと丁寧に書けっていわれちゃったよ」「…そう」「北野は芸術、何とってるの」「音楽」「ああ、それっぽい。河野くんとかと一緒だ」クラスの半分は名前と顔が一致しない俺だが、コウノとは初日に‘やべえ! 銀メダリスト!’と声をかけてきて以来、多分そこそこ仲がいい。「河野くん、歌上手いよね。応援歌練習のとき隣だったんだ」「そうかも。桑田佳祐のモノマネも上手いよ」「あーそれ聴いたことある! わかる! ぜつみょーに上手い!」石川さんは鉛筆を掲げるように振って歯を見せた。靄がかかっていた教室に花が咲いたみたいだった。「あいつノートとか貸してくれるし、助かってる」「ああ北野いないこと多いもんね」「体育祭の日も遠征だからこの横断幕、デビューするとこ見れない」「じゃあ写真送ってあげる。LINE教えて」言われるままに画面を開く。俺のアイコンはチョコバナナ。ボード仲間のタクミが勝手に設定した。「片山じゃん」「…?」「かたやま」石川さんは俺が聞き取りやすいようにか、気持ちゆっくりと発音した。ゆるい川のように流れていた会話が俺の側で滞る。石川さんが顔を上げた。ああこれきっと、いつものやつだ。俺だけがわかんないやつ。「世界史の片山、タイと靴下の色合わせるじゃん。前に茶色いスーツに黄色いタイと靴下履いててさ。それがチョコバナナっぽいって。私の周りだけの内輪ネタだったかも、ごめんね」石川さんは過剰に笑う。笑顔にペンキをぶちまけるように。ペンキの飛沫は俺の膝を汚して、それ以上は侵食してこなかった。プレイリストのヒップホップが会話の空白をゆるく埋めてゆく。
中学は小学校からの持ち上がりで、義務教育は同じメンツで過ごした。あまり行けない学校はそれでも人見知りの俺にとってはどこか安心する場所だった。「高校で色んな出会いがあるといいね。俺とかアヅは普通の学生やってたら全然会えない人にたくさん会えるけど、学校の友達って特別だから」俺の入学前にユウくんが言っていた。俺には地元の友達もスノボ仲間もスケボー仲間もたくさんいて、仲間を積極的に増やす必要はないような気もする。けれどそれらはほとんど年上の人たちだった。そのことに対する漠然とした危機感と、新しい制服に身を包んだ高揚感が俺の舌を走らせた。
「俺、あんまりそういうのわかんないんだ、一年のうち8ヶ月くらい海外にいるから、日本の流行りとか全然わかんない」言いたいことはそれではないのだけれど、伝える語彙がない。世界史の教師のスタイリングは日本の流行りではないのわかっているが、もっと言うなら暗黙の了解だとか、これを言うとみんなが笑う、みたいなのがわからない。言語、価値観、それはなんて言うんだろう。もっとつかみどころのない、明日になれば忘れるランディング。
「そういうのってかっこよさじゃん」
石川さんは手をとめず、ハーフパンツの裾をまくるの同じナチュラルさで言った。
「ううんと、北野がそう言えるのってかっこよさじゃん。内輪ネタなんて大事なことじゃないし、学校を一歩出たら伝わらないしね」
その通りだ。この学校の広さはどれくらいだろう。そして世界はその何倍あるのだろう。教室の30人と、この時間にしか存在しない頼りないマークのようなもの。けれど時々、そんな薄雪のようなものが欲しくなる。ピンで刺した場所だって、ピンが増えればいつか大陸になる。ユウくんもこんな気持ちになったことがあるだろうか。
「わかったらわかったで面倒だよ。私とかそういうものばかり気にしちゃう。ソフトやるために来たのにさ」
「…ソフト部なんだ」石川さんは恐らく気を使って、自分を下げて言ってくれているのだろうに、俺のコミュニケーション能力ときたらこれだ。石川さんは足首のギプスを振り返って「これだけどね」と呟いた。まつげの先に光が粒を作っている。骨を感じさせないまるい頰が、やけに幼くみえた。
「体育祭出れないメンツふたりで横断幕つくることになった。相手女子だし俺人見知りだから沈黙作業になるかと思ったけど、少しコミュニケーションがとれた。俺も少し成長してね???」
帰り道、バスの中でユウくんにメッセージを送る。時差があるのでリアルタイムの返事はない。ユウくんがくれたイヤフォンは重低音がよく響く。窓の外を景色が流れてゆく。田植えの終わった水田から短い稲がまっすぐ天に向かってのびている。その清々しさと黄色くなってきた光の物悲しさがせめぎ合う時間帯だ。作業着のじいさんが腕を組んで農道に佇んでいる。次の角を曲がると海が見える。俺はこの山と畑と田んぼと海しかない田舎を結構愛していた。冬はこの町にいることはほとんどないから、春と初夏の風景を。
横断幕を作る作業はあと1日。嫌な作業でなくてよかった。学校に行くのが億劫になってしまうのは避けたかった。夜、練習から帰ってきたユウくんと少ししゃべった。「どんな子? かわいい?」「んー、運動部って感じ」「そうでもないってことね。何話したの?」「暗黙の了解。教師のあだ名とか。俺がそういうのわかんないって言ったら北野はそれでいいんじゃないみたいなこと言われた」「あー、俺らあるあるだよね。学校の内輪ネタみたいなのわかんない」「そうそれ。寂しいわけじゃないけど、わかんねえなって思う」「アヅは気になるの?」「んー…」画面の向こうではユウくんがストレッチをしている。股関節がべったりと開く。「気になる、っていえば、なる。…」沈黙が落ちる。俺は思ったことは似たような言葉に乗せないでちゃんと船を作って相手に届けたい。面倒なときもあるけど、少なくともメディアで喋る時とユウくんと話すときは逃げないでトライしたい。ユウくんはこの沈黙を許してくれて、かつ罪悪感を持たなくて済む珍しい人だった。「小中は同じメンツだったから、あんまり感じなかったけど。俺はクラスの人全部覚えてないけど向こうは俺のこと知ってて。お客さんみたいに扱われてる感じがする。それが学校だっていうのが、何か、俺だけ置いてかれてる気がする。みんな同じバスに乗ってるところを原付で追いかけていくみたいな」でもそれって、内輪ネタがわかんないからってだけなんだろうか。「ああ、置いてかれる、ね」ユウくんは笑うと目がすっと細くなる。「ちょっとわかるよ。あー、アヅの近くに行きたいな。嫌かも知れないけど、俺と次会うまでその気持ち持っててよ。消化しないで時々思い出して、新鮮なままにしてて」
俺が所属するのはスポーツ科で、学校が力を入れている野球と陸上、ソフトボールの生徒が多かった。スノーボードをやっているのは俺だけだ。寮生活をしてる奴も多いからか、自然と部活ごとにグループができる。自然とぼっちになりかけた俺によく絡んでくれるコウノは陸上部だった。日焼けしていて手足が長く、眉と髪がいつも嫌味なく整えられている。コウノと一緒にいる陸上部の奴らもよく声をかけてくれる。石川さんからみたら、俺もこのグループにいるように見えるんだろうか。
三限の移動教室の帰り、講義室Bに忘れ物をした俺はひと足遅れて階段を降りていた。視界の端には教室の前に備え付けられたロッカーが見える。その手前で女子がひとつの生き物のように塊になっていた。抱きついたり顔を寄せたり、女の子のコミュニケーションは密だ。みんな短髪で日焼けしている。制服と同じようにそれが揃っていて、その中に石川さんを見つけた。これがソフトボール部の子たちか。ふと、楽しそうにじゃれあっていた女子たちが動きを止めた。ほんの一瞬。その瞬間に彼女たちは分裂するように個々の生き物になった。石川さん以外の女子はお互いに顔を見合わせて、困ったような含み笑いをして教室に入っていく。
不安げに視線を上げた石川さんと目が合った。彼女の唇はわなないていたけど、言いたいことがあるようには見えなかった。喉の奥にぬるいものが引っかかる。石川さんはこの光景を誰にも見られたくなかったろう。迷った末に挨拶のつもりで左手を挙げた。彼女は眉を釣り上げ、肩をいからせて教室に駆け込んで行った。
さらさらと天気雨が降っている。教室は昨日より暗くて、机を寄せて作った作業スペースが昨日より広く感じた。
下書きを終えた俺たちはペンキで文字の縁をなぞり始めた。黎明。レイメイ。石川さんは俺の斜め向かいで筆先を睨むように作業していた。今日のプレイリストはトゥデイズヒッツ。洋楽邦楽男女ソロバンドグループ。スマホは脈絡のない音を流し続けて、音は砂のように俺たちの間に積もっていった。「…この曲」「うん?」積もった砂を蹴ちらさない、静かな足取りのような声。「✖️✖︎駅ってタイトルじゃん。うちの実家の最寄駅なの。待合にこの曲の宣伝ポスターたくさん貼ってあってさ、この人のファンクラブみたいになってる」「…そうなんだ。✖︎✖︎駅ってどこにあるの?」「S区」「へえ。じゃあ実家東京なんだ」「そう」砂が積もり続ける。このままでは泥になる。こういうときユウくんならどうするんだろう。石川さんがすごくコミュニケーションが上手いとか、すごく美人だったら俺の舌ももう少し饒舌だったのだろうか。興味を持って。昼間見た光景が蘇る。俺は何もしてやれないし、それについて聞くのも気持ち悪がられる気がした。この場だけの会話を楽しく進める方法も思いつかない。泥に足をとられる。
石川さんが立ち上がり、部活用のウインドブレーカーを羽織って戻ってきた。日焼けした指先には血の気がない。女の子には今日の気温は寒いのだろうか。このまま泥に膝まで浸かって時間をやり過ごすのはダサい気がした。小学生のときに言われた「アズはいいよね」という言葉を思い出す。そうだ、だって俺は命がけでその居場所を作っているのだから。でも本当にそれでいいんだろうか。誰かのことを一生わからないとしても、まだ諦めるのは早い気がする。ユウくんのことを思い出した。石川さんの額をじっと見た。ユウくんは俺から言葉を引き出したいとき、何も言わず目に力をこめる。自分の視線の力を疑わないかのように。「…何?」石川さんの声がざらついた。胸の奥が冷えた。逃げないためには地面を踏みしめなくてはいけない。期せずして我慢比べのように石川さんと睨み合うかたちになってしまった。
泥から抜け出したい。
開け放した窓から入ってきた風が布と床の隙間に入り込み、布を波打たせた。文字とそこに停滞していた空気がふわっと動き、視界が揺れたみたいな印象を与えた。見ていた俺の脳髄が揺れたのかもしれない。
先に表情を解いたのは石川さんだった。肩を落としてゆっくりと静かに息を吐く。「何か言いたいことあるなら言ってよ。先回りして私に考えろっていうの。いくら北野がスゴイ奴だからってそこまで私にさせる権利ない」石川さんが身体中にトゲを立てた。今度は俺が唇を震えさせる番だった。うん、とか、えーと、とか言えば言うほど自分を追い詰める言葉しか出てこない。「…4限の前」「やっぱりそれかあ。北野って結構おせっかいっていうか、スマートじゃないよね」踏み入った報復とばかりに、石川さんが俺の心を刺す。その声は低く、けれどふくらみがあって、どこか優しかった。丸い頰の石川さんんが俺よりずっと年上に見えた。
「なんか、気になって」「うん」
「4月の初めにたくさん雪が降ったの覚えてる? さすが新潟だね雪ヤバイ、って言ったの。ちょっと調子に乗ったようにか、無神経に聞こえたのかな。みんなに、直接は何も言われないけどすごく嫌がられた。東京から来たんだもんね、って。なんかそれから、部活も寮も馴染めない。シカトとかハブるとかはないけど、私が話すと、まあ見たとおりだよ」石川さんは所在なさげにギプスに触って、ぐにゃりと顔を歪めた。「でもまだ学校入って2ヶ月だし、家にも帰れない」「…ごめん」「謝るくらいなら聞かないでよ、何がしたいの」「うん」
プレイリストはいつの間にか終わっていて、ハードなヒップホップになっていた。ラッパーのしゃがれた声が教室に似合わない。‘SNSでくだらねえことを垂れ流す豚になるな。俺らは先へゆく。’ボードに乗っているときはあれほど高揚感をくれる音や言葉が、はるか遠くに聞こえた。雨はいつのまにか上がっていて青い空だけが浮かんでいた。
「じゃあ私も北野に聞くよ。何がいいかなあ…」
石川さんが、きっと優しさでもって空気を動かす。彼女が新潟の女の子にとって無神経に見えたとしても彼女が優しいか否かとは別の話だ。
「北野、彼女いるの」
相変わらず俺はダサく絶句するしかなかった。絶句。四句。杜甫。テストに出すって今日古典の中村が言ってた。行く先々で聞かれる質問なのでそれなりに答えは用意してあった。けれど今は、自分の心の柔らかい部分のベールをあげてくれた石川さんには、それで答えるのはフェアじゃない。不道徳や道ならぬことより今は嘘のほうが罪が重い。
「あっ人に言えない感じ? 人妻とか⁉︎」
「…人妻じゃない。年上だけど」
「ふうん。どっちから告白したの? 北野?」
首を振る。テーブルの下で手を握られた日のことを思い出す。‘俺ら付き合うべきだ。そう思わない? ’初めて目が合った時から、俺はユウくんの言うがままだ。
「何だ違うの。いいね、私も好きな人がいるんだ」
気づけば文字の着色が終わっていた。石川さんが四隅を引っ張って布をぴんと張り直す。その一方で、俺たちを繋ぐ微かな糸がたわむ。
「これで乾かして終わりだね。今日はこのまま帰ろ。私明日、朝練の前に来て後のことやっておくから」
「…ありがとう。頼む。コウノとかに手伝わせる? 俺、言っとくけど」
「今の私が男子に手伝ってもらったりしたらまじでハブられかねないからやめて。北野と作業してるのだってギリギリなんだよ。大丈夫、あの子たちこれくらい手伝ってくれる」
石川さんは安心しきれない悲しい顔で笑った。
下足箱の前でスニーカーに履き替える。いつの間にか雨はやみ、外は白いほど明るくて、校舎の中は真っ暗だった。しばらく学校に来れないから、教科書やワークブックを詰め込んだデイパックが肩に食い込んだ。校門を出るとようやく深く息が吸える気がする。帰ったらスケボーに乗って体を温めて、夕飯を食べて体をよくほぐしてから車に乗ろう。
校門を出て左に曲がって、フェンス沿いを歩くと公園が見えてくる。いつもはうちの生徒もたむろしているけど、今日は体育祭の前だからか小学生ばかりだった。ひとりだけ、フードを被った若い男がリフティングをしている。フリースタイルフットボールだろうか。あまり上手くはないけれど、この辺では珍しい。ウエアがアンダーアーマーなのが日本っぽい。サンクレメンテで見るボーラーたちはみんなNIKEかPUMAだ。
「…はっ?」
腹筋が動いた。結構なボリュームで俺は間抜けな声を出して、耳からイヤフォンを引き抜いた。
ボーラーは俺の姿を目に止めると手を振ってゆっくりと近づいてきた。背後の民家の二階の窓が揃って青く浮かび上がる。
「アヅお疲れー。わあ本当に高校生してる、制服眩しー。そろそろかなって電話しようと思ってたところ。アヅから見つけてくれるなんて、俺たち本当に運命だね」
「いや何してんの。は? 東京で仕事って言ってたじゃん」
「明日からね。空港から直で来ちゃった。北陸新幹線サイコー」
「じゃなくて帰りは」
「新幹線じゃ間に合わなくても、車なら明日の朝までに帰れるんだなあ。プータローしてる友達がいたからバイト頼んだの、あとで合流してレンタカーで帰るから安心して。車の中で寝てけるし。アヅ電車の時間まであと50分あるでしょ。っていうかせっかく来たんだからもっと喜んでよ」
何で俺の通学電車のダイヤを知っているんだ。いやユウくんならそれくらい調べる。GoogleアースとGoogle検索を駆使して、徒歩電車バスの乗り継ぎまで把握してるだろう。
「マジで? そのために来たの? その、50分のために?」
「うん、本当はアヅの家まで送って行きたいんだけど、車の中じゃふたりきりになれないからね」
そういう問題ではない。ベンチに座らされてミネラルウォーターを渡される。俺の好きな銘柄。ユウくんが使っていたサッカーボールはところどころ擦り切れていた。誰かの忘れ物を使っていたのか、それくらい使い込んでいるのか。全く判断がつかなかった。 されるがままにペットボトルを開けて水を口に含む。キンとした冷たさが額に響いた。渦を巻いていた言葉たちが凪いできた。
「ユウくんがうちのうちの学校の前にいんの、なんかシュール」
「ええどういう意味? 夢みたいってこと?」
「夢みたいにありえない。ていうかユウくんいつからフットボール始めたの」
「んんーついこの間。ネットでストリートスポーツ見てたら見つけて。スケボーとかスノボはできないけど、これならできるかな? って」
それであんまり上手くなかったのか。氷上でなら世界一をとるユウくんがボールを転がしている姿は結構不恰好だった。俺は微塵もスケートに関心を示さないのに、この人はエクストリームスポーツやストリートスポーツに興味を持ってくれる。こういうところがユウくんと俺の違いなんだろうか。いやもっとシンプルなものか。時間だとか体力だとかを考慮して、たぶんほとんどの人は50分のために片道6時間をかけて移動はしない。けれど最後に決めるのは自分だ。自分で決めて、欲しいものは手に入れる。それを突き詰めるとこんな変な人間になるのだ。俺はユウくんのつるりとした頰に触れた。
ベンチでの時間は瞬く間に過ぎた。ユウくんと肩を並べて駅までの道を歩く。身長差が7センチもあるので、俺がユウくんに話しかけるときは自然と斜めから見上げる格好になる。
「ユウくんは高校の友達と今でも会ってる?」
「んー? 俺高校で友達ほとんどいなかったよ。うちのスポクラ、男子は野球部多かったから。俺とかすごく嫌われてた。わかるでしょ?」
「え、自分は友達いないのに俺には友達作れって言ったの︎」
「そうだよ。俺友達欲しかったし。アヅ、この間のLINEで‘ちょっとコミュニケーションとれた’なんて無理してたけど、その女の子と少しちゃんと話せたみたいだね。この間俺がそのままでいてって言ったのに、今寂しくなさそうだよ」
それはユウくんが来てくれたからだろう。ふと、学校を振り返った。駅までほど近いところまで来てしまってはもう校舎は見えない。石川さんはもう帰っただろうか。居辛いという、寮に。
改札は人がまばらだった。「キスしたいな」というユウくんを小突いた。肩を引かれ、7センチ上から唇を寄せて囁かれる。「じゃ、次会ったらエッチしよ」もう一回小突く羽目になった。ユウくんは目を糸のように細めてケラケラ笑っている。得体の知れない魔物のように。フィストバンプをして別れを告げる。「来てくれてありがとう」「んん、いつでも。アヅがいるところに行くよ」
定期を通して改札を通って、何度も振り返った。ユウくんは胸のあたりで手のひらを振っていた。テレビで見るより少し無骨な仕草だった。‘アヅサ’と、声を出さずに口のかたちだけで俺を呼ぶ。普段呼ばない本名を呼ばれて、どうということはないのに鼻の奥がじんわり熱くなって、イヤフォンを耳に突っ込んだ。会えない時間より別れの瞬間の方が、心が台風みたいになる。
翌日、空港に向かう道中で車であくびをしていると、石川さんからメッセージが届いた。「頑張ってね」の言葉と櫓にかけられた‘黎明‘の横断幕。雨は降らなかったようで、まだ人のまばらなグラウンドに俺らの旗がひらめいていた。
1ヶ月の遠征を終えて帰国すると、田んぼは力強く青さを誇っていた。俺は初めての夏服に袖を通してユウくんに写真を送った。帰ってはきたがひと息ついている暇はなかった。南半球のオンスノーで得た手応えとか課題を日本でこなさなくてはいけない。そうしているうちにあっという間にシーズンインだ。俺の一年は子どもの頃からスノボでまわっている。
久しぶりの学校は少し緊張した。コウノはわざとらしい大声で歓迎してくれた。そこで俺はやっと石川さんが退学したことを聞いた。コウノは「体育祭から後くらい? からこなくなった。先週HRで川北先生が退学しましたって言ってたわ。家庭の事情だって」と特に何も知らない様子だった。やがて石川さんの話題は夏の高校総体の話や考査の範囲にこぼれ落ちて波に飲まれ、ゆっくりと俺たちの足元に沈んでいった。
あのとき石川さんのメッセージに俺はなんて返したっけ。ありがとう、とかそんなだった気がする。もっと何か聞くべきことがあったのは知っていたけれど、帰ったら会えるしまあいいか、と手を止めていた。トークルームを開くと石川さんのアカウントはunknownになっていた。昼休みにベランダで電話を鳴らしてみたが使われていない番号です、というアナウンスが遠く響いた。
石川さんのギプスと、ユウくんのことを思った。担任に食いさがって連絡先を教えてもらうとか、クラスの女子たちに手当たり次第に聞くとか、やってるかわからないけどSNSを辿るとか、きっと何かしら石川さんに連絡をとる方法はあるだろう。けれどそれをして、俺は彼女に何を言うんだろう。ユウくんとのトークルームを開いて閉じた。ユウくんは誰よりも好きな人だけどこの気持ちは共有できないし、間違わずに手渡せる自信がなかった。石川さんは辛さを俺に渡してくれたのに。
みぞおちの奥に、さらさらと砂が積もっていく、砂浜のようなあの教室を思い出す。退屈で薄暗くて、蜂蜜みたいに濃密だった時間。「きたのーメシ食おうぜー」とコウノが窓から顔を出した。上手く笑えない笑顔で返して、俺は教室へ戻る。外の明るさに慣れた目が、一瞬教室の中を暗くした。すぐに目は慣れてしまって、俺は教室の喧騒に溶けていった。
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idol-is-my-drug · 5 years
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20190616
お久しぶりです。最後の投稿(弟が実家を出たやつ)から約一年ぶりぐらいですね。
今から書くブログは本当にしょうもない、本当にどうしようもない、何もかも足りていない器の小さいダメな男の世界一無駄な戯言だと思って読んでください。
僕の最後の本格的なアイドルヲタク活動は後藤萌咲さんの16歳の生誕祭だった。あれからTwitterのドルヲタアカウントを消したり、アイドルを本気で追いかけなくなったり、好きな女性のバンドの曲を無理やり聴いてみたり、最終的には(最近のことなんだけど)その女性とはダメになったり、本当に色々あった。今でもその女性のことを好きかと言われたらもちろん「はい」と答える。でももう僕の居場所はその女性にはないんだけど。
その女性と出会ったときはコンビニでフリーターをしてた。2回目のデートで記憶を無くすほど酔っぱらってしまって、そのときの僕はとても愉快だったらしい。町田の仲見世の沖縄料理屋さんに終わりまで居座って、酷く酔っぱらってトイレに引きこもって、出てきたら出てきたでお会計でクレカを店員さんに渡したと思ったらそれがキャッシュカードで。やっと退店したと思ったら彼女の肩を借りてフラフラになりながら仲見世の閉まっているシャッターに次々にガンガンぶつかったらしい。そしてカルディーの入り口で座ってキスしたらしい。記憶には全くないんだけど。でも、彼女のことが本当に本当に本当に大好きで、有頂天になって沖縄泡盛2杯を飲んで楽しくお話してたところまでは覚えてる。目が覚めたら実家のベッドの上だった。マウンテンパーカーはゲロまみれ。布団には鼻血がついてた。バイトの同僚の人に実家まで送ってもらったらしい。僕は実家の玄関で笑顔で彼女に手を振っていたんだってさ。
それからほとんど強引に彼女の住んでるところに入り浸って、毎日3回くらいエッチして(祝・童貞卒業)、一緒に色んなところに行った。どうして今の僕はフリーターなんだろう?そうじゃなかったらすぐに結婚とかできるのに、とか生意気にも思ってた。
アイドルを追いかけなくなった理由というか追いかけないようにしてた理由を書きます。7D2とか、後藤萌咲さんとか、アイドルソングとか、アイドル��ンテンツを楽しませてもらってるときはいつも「現実を頑張って」ってって、自分が応援しているようで本当は応援してくれていて、それに応えなくちゃいけなくてそういう存在だと思ってた。やっと自分にとって”頑張れる”時がきたんだ。アンテナよろしく(1番好きなSKE48の楽曲のことです)、”出会いは探すものじゃなく偶然いくつか重なって目の前にいる”って思えた気がした。だから、もうアイドルと真剣に向き合うのは辞めよう、その時間を全部彼女のために使おう、って思いこませるようにしたんです。アンテナ、良い曲だよね。まぁ結果、すべて僕のせいで全くうまくいかなかったんですけど。
彼女がカナダにワーホリに行くことになって、1年日本で待つことになった。本当は彼女のために色々頑張るべきだったんだろうけど、いかんせんそれまで自分のためだけに人生を生きてきたからするべきことを何もできなかった。
それから時間がたって彼女が日本に帰ってきた。彼女は私とすぐにでも暮らしたくて、すぐに職に就いた。でも私は全部を勝手に諦めてたんですよ。自分が彼女とずっと幸せにすることを。
ある日とんでもない喧嘩をして、このままじゃダメだな、とやっと思って、就活をすることにした。フリーターじゃなくなったらちゃんと人並みに、彼女とずっと幸せになれるかななんて淡い気持ちを抱いてた。
山手線の満員電車に乗っていると「なんで私はここにいるんだろう?」「ここにいる人達はきっと自分の為だけじゃなくて他人、あるいは大切にしたい人の為にここにいるのかな?」なんて思ってとても寂しくなるんですよね。
心のスポーツ(ドルヲタのことです)を真剣に突き詰めてすることが出来ず、たった1人の女性のために最終的に何もすることが出来なかった私が愛想をつかされるのはも��ともの話で、毎日毎日自分に人間的に魅力がないことが分かってしまう。他に好きな人が出来るのも、少し考えたら誰にだって分かる、ねぇ、たったひとつ確かなことがあるとするならば「君は綺麗だ」。(ブロックされて永遠に既読にならない元カノとのLINEにOfficial髭なんちゃらとかいう糞バンドの歌詞を沢山送った私の話、します?)
もっと違う設定で、関係で、性格で、価値観で出会える世界線、選べれば良かった。君の運命の人は僕じゃない。
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junikki · 2 years
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2022/02/06
日記しばらくサボっていました。今日は逆誕生日(6/2生まれ)なのでケーキ食べました。チーズケーキ♡
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@cosmeまた最近よくみてて、私自身アカはあるものの10年くらい前に投稿して以来放置。その@cosmeのブログで2013年に投稿したポーチの中身が載ってた。今見るとめちゃくちゃシンプルだなあ。
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当時インテグレートのアイシャドウ使ってたんだっけ。あんまりアイメイクしてた記憶が無いんだが底見えしてるし。当時はこの薄ピンクだけ使ってまぶたに軽くツヤを出すだけのメイクだったらしい。二十代の頃はコスメほとんど買わなかったから、普通に底見えしてるし割と使い切ってたんだよな。アイシャドウの底見えとかしたことないとか思ってたんだけども。当時はそこまでアイシャドウに興味ないから無駄にアイシャドウも買わんかったんだよなあ。底見えするほど気に入ってたけども、インテグレートのアイシャドウは途中まぶたが恐ろしい程かぶれたので全部使わずに処分した記憶がある。それがトラウマでしばらくアイシャドウ全く使わずに過ごしていた。今でもアイシャドウでなぜか荒れる時はあります。それにしてみエテュセのBBクリーム懐かしいわ。当時BB必須だったな。ググったら今はもう廃番なんだってね。
インテグレートの薄ピンクは類似色探してリピしたいなーとか思ったけども、Barbieのハイライターで代用できそうだから別に新たにはいらんか。
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https://girlschannel.net/topics/3820493
育児あるある読んでると自分の子供時代を思い出す。ガチャガチャや食玩大好きだったなあとか。ゲーセンやプリクラも。でもカナダにはどれも無い。あることはあるけどしょぼかったりするし。カナダで子育てしたらガチャガチャとか滅多に無いし、日本より基本的に誘惑が少ないから楽なのかもしれないと思った。無限シャワーもカナダでは水道代は家賃込みとか激安なので節水の感覚が薄いから問題ないし。
つくづく日本って誘惑の多い国だよなあ、とは思う。カナダでも子供にとって惹かれるゲームやおもちゃってほとんど日本関連のものばっかりだわ。日本は罪深い国だよ。でも買い物するなら日本以上にいい国はなかなか無い。実際上に載せた10年近く前の可愛いコスメたちは全部プチプラだし、ポーチは雑誌付録だし、ぬいぐるみはUFOキャッチャーのやつだし、安価でここまで可愛い色々なものが手に入る国って日本ぐらいやで。そう考えると日本って安カワなものが多すぎる。そりゃ大人でも物欲がすごいことになるわ。
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今日は寒さが少し和らいでいる。とはいっても最高-2度で最低-7度とかだけどもね。家の近くのいつもの小道。雪が白い花のよう。
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雪が太陽光で光っててめちゃくちゃ綺麗だった。ラメみたいにキラキラ。こういうアイシャドウ欲しいとか思った。
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https://news.yahoo.co.jp/articles/7a44c5cda84d183499816d1181a425f34229f533
最近ピッコマで読んでる漫画が何気に衝撃的で毎日楽しく読んでるんだけども、それがYahooニュースの記事になってた!
でも結構コメ欄荒れてるなあ。たしかに奥さんの負担が大きすぎるわ。奥さんにメリットがあまり無さそうな結婚。この漫画では旦那さんがきっちり丁寧な暮らししているけども奥さんは大雑把で金遣いが荒くて、みたいな内容なんだけども、私からみたら奥さんも充分まめな方だしそんなに無駄遣いしてるとは思えない。お弁当に可愛いイラストの手紙を毎回添えるとか凄すぎる。字も綺麗だし。そりゃ旦那さんもめちゃくちゃうれしいだろうなあって思うわ。ていうかパン屋さんなら奥さんにお弁当作ってもらわなくとも売れ残りのパンでも食べとけば良いのに、とか思ってしまう。本当に奥さんの方が旦那さんにベタ惚れだからどうにかやっていけるんだろうなーって読んでてめちゃくちゃ思った。旦那さんは一応パン屋のオーナーっぽいのに、二人合わせて月12万しか使えないって、どんだけ酷いんだろう…バイトの方がよっぽど稼げるだろうね。東京だからテナント料でかなり持っていかれるのかもしれんし、書かれていないけども実は借金があって返しているからかもしれんけども、とにかく二人で月12万だけしか使えないのは謎すぎる。結婚して旦那さんの方がむしろ生活が楽になったんだと思う。家賃の負担も旦那さんの方が少ないみたいだし。
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今日のアイメイク。目尻にANNA SUIのピーコックグリーン、目頭にMacのスターリーナイトを乗せたメイク。スターリーナイトの青み偏光カラーがピーコックグリーンと本当によく馴染む。髪色をターコイズ系に変えてからは毎日このANNA SUIのピーコックグリーンのアイシャドウを使ってます。��ーメイドのイメージで。今日の服は黒系で統一。
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モノを買うことから2050年の視点
例えば自分へのご褒美とか、新品のモノを買ってあれこれ試したりとか、やってみたけど、する度に不意に落ちなかった時期が大学1、2年の時くらいにあった。今から10年近く前だから、その時で2006,7年。
二十代のその辺りって、周りがおしゃれに決め込んでるから「あ、これについてかなくちゃいけないのね」と沿うのは大抵の場合の〝普通″で、バイトしては街へ出かけ、流行りのものとか自分の好きなものとかを探して買って、身に着けてたのだけど、新しく作り出されたモノに使われた資源とか、それらが作られた経路とか、明らかにモノで溢れ返ってる中古屋だったりとか、そういうところを別にして、自己投資が目的のほとんどに過ぎない購入を続けては捨てるということへの抵抗感が拭えず、友だちと買い物へ向かう道中、「これでいいのか?なんかひっかかるんだけど」が心中で繰り返されていた。加えて、ステータス目的っていうのも、もはや古い感覚な気がしてたのもあったっけ。
他にも、スーパーでプラスチックの袋に入れてもらったりするのにもひっかかりがあって、ある日、夜ごはんを食べてる時に、冷蔵庫にかかった溜まっていくスーパーの袋の入った袋から目が離せず、「これは一体どうすればいいんだ?」ってなったこととか。
これらは「リサイクルしますから」と言っても気持ちが軽くなって目をつぶっているだけで、根本的に解決しなくちゃならない、「行き過ぎた消費社会からの脱出」に成功しているわけではない。
それらに苦しくなって大学2年の終わり頃、どうしても必要でこれから使い続けられるものでない限り、新品を買うのをやめた。
髪を染めたりパーマをかけたり、化学薬品たっぷりのシャンプーや動物性の化粧品を使ったり、そういう自分に満足感を与えるためだったり、ステータス維持だったりの行為をしなくなったのも大体その時くらいで、同じ理由だった。
それから10年以上が経って、今ではショッピングモールはもちろん、そこらのスーパーでさえ、大げさだけど行く度に「人類の終わり」を見ているかのような気持ちになる。
相方に「この世の葬式みたいね。人類最後の〝華″を見せられてるみたい。」っていうと笑われるけど、その後に「確かにそうかもね、このモノの溢れ具合は異常だね。僕らにできることを学んで、やっていこう」って返ってくる。
私は、売れ残ったものを廃棄し続けた過去へ後悔する未来を待つだけなんて、さみしすぎる気がして仕方がない。
誰かが何とかしてくれる、そんなの私には関係ないから、ってやってていいのもとっくに終わってなければならないはずなのに、まだあるのはなんで?
何やってんだ。
経済加担ばっかりじゃ、気づけば足元救われてる。
国のことで話すと、カナダではアメリカとは反対に(トランプとは反対にが正確かな。)気候変化は否めないという考えが全うで、バンクーバーでは2050年に向けた都市改革が少しずつ行われている。その頃には変化がさらに著しくなるのはもちろん、7、8メートル海抜が上がると推測されている。もし日本で7、8メートル海抜が上がったら、街の発展が海沿いにある島国はどうなるのか、誰でも想像できる範囲にあると思う。
また、その頃の農業は厳しくなり、モノの価値は失われ、資源確保という人類の基盤を奪い合うことになるらしい。現段階で資源が豊富なカナダでは減少するものの資源はあり、ますます移民が増えるらしいけれど、国は国民を守る義務があるため、例えば国境では違法移民を殺すことになるんじゃないか、という具体的なところまで想定されていて、(詳しくは残念ながら英語ですがCBCのポッドキャスト「2050」を。)ものすごいリアルだから恐怖感すら生まれるんだけど、リスナーにそうまでさせて考えさせたいことがあるってことなんじゃないかな。
だからそれを受け止めて、私たちはより真摯に行動しようと決意している。
「そんなのわかんない」は、結局いいわけね。
「できることを個人でできる範囲でやってればそのうちなんとかなる」も、限界ありかな。
枠の大きさで動くことも変わってくるから、自分がどこに属しているのか、つまりどんな環境にあるのかを知って、その上でどう動けるのか、どう動かなくちゃいけないのかを考えるって大事だね。
って話して、さらに勉強しているところ。
京都議定書が思うように進まない日本も国として、対策を立ててる風でなく、少しずつ動いていくべきかな。多くの人々を抱えている限り、変えていこうとすればそれなりの時間がかかるのだから、今のうちから。歴代のアメリカ大統領にぶら下がってるだけじゃ、痛い目みるのは残されてく世代。
例えばFBとかで投稿のある友だちの子どもはもちろん、街で知らない子どもたちにも、みかける度「ごめんね」って気持ちになりたくない。
難しいなら、町や村単位での動きがあるとこを参考にして、マネすることからでも実行していけたら、少しは救いがあるのだろうか。
せっかくだから、もっと「モノ」から掘り下げて学んでいこうと思います。
LOVE for EVERYTHING
HANA
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su-sanpo · 3 years
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お暇90+18日目。
あっという間に4ヶ月が経とうとしてる。
11月から1年4ヶ月カナダで
頑張ってみることに決めた。
でも毎日どうしたって不安になってしまう。
それは他人と比べてしまい
自分の選択に自信が持てなかったり
頑張れてる自信がないから
不安になってしまうんだろうな。
現状をしっかりと見つめて
ブレない心を持ちたい。
会社を辞めて偉い。
将来に対して悩んで偉い。
なりたかった自分になろうと
勇気を踏み出して偉い。
WEBの勉強を始めて偉い。
英語の勉強を続けて偉い。
今、1番必要なことはやっぱり語学力。
毎日を無駄にしないで、
カナダにいった時、自分が少しでも
困らないように、
なりたい自分を叶えるために
努力していかなくては...!
それとweb!
あれもこれも欲張ってちゃだめ!
まずは講座の面接!
ダメだったら自分でがんばればいい!
またチャンスを探せばいい!
失敗しても泥臭くいきていこう!
そしてうだうだ悩んだら気分転換!
悩んでる時間がもったいない!
うまい話にのってるくらいなら
努力した方が早いという
翔くんの話を聞いて
そりゃそうだと思った。
目標
1. 1ヶ月後のTOEICで750点とる!
2. バナートレースを続けて、
 8月中に出品する!
3. 週1バイトを入れて気晴らししてみる!
他のことに気を逸さず、
TOEICまではこの目標でがんばろう!!!
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ta-neko · 7 years
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トロントの一週間と日本社会への考察
まだトロントのダウンタウンも知らないし 観光もしていない。 美術館にも行っていない7日間です。
理由は、ただ体力がないから! もう身体がおかしくって眠れないし 昼間は眠たいし、気持ち悪いし心配になりました。 でもそろそろ大丈夫。慣れてきたかもー!
今週は火曜日に ウェルカミングパーティーで 久しぶりにクラブでビールとテキーラを引っ掛けて飛び跳ねて韓国人の子達と仲良くなりました。
したらその帰りに 真っ暗な中で降りるバス停がわからず 結局終点までいって運転手さんに地図を見せて助けを求め そしたら彼が他のお客さんや、道を歩く人にまで、わざわざバスを停めて聞いてくれて 何とか帰ったということもありましたが 良い経験になりました。笑
運転手さんと、ペットホスピタルの場所を教えてくれたお客様に心から感謝。
あとはプリペイド携帯買ったら向こうがメールアドレス間違えて登録したり 駅でウィークリーパス買おうとしたら もうないよって3駅くらいで言われたり 不便なこともありますが、みんな親切で 拙い英語もよく聞いてくれます。
あとは日差しがとても強くて 天気が変わりやすいんだよなー。
化粧しないとすぐ真っ赤になるし 毎日夏と冬を行ったり来たり。 晴れてるのに夕方からサンダーストームが来るよって言われてたら、急に雨降ってきたり。 だからか、みんな天気予報よく見てます。
あとはカナダ文化に浸る っていうよりは、多文化社会のこの国 いろいろな文化の違いを感じる日々でもあります。
まずはホストファミリーはフィリピン出身! だからかご飯がエスニック!
ランチはいつも美人マザーのLarisaが用意してくれてます! ご飯に肉とインゲンの炒め物みたいなやつとか ご飯におかず、バナナかオレンジ、カップケーキやオレオ、いろいろ持たせてくれます。 これは完全に太るフラグ!!!
あとはディナーがね、ヌードルやスープや春巻きや、スイートチリソース等の味付け。 欲しい物あったら自由にとってねって冷蔵庫にはカップケーキ! ショッキングピンクのクリームにアラザンが載った甘くて凶悪で依存性のあるやつね…!
ただ、眠過ぎて夕ご飯食べないで寝てたり スプーン持ってき忘れてバナナとかだけ食べて ランチを夕ご飯にしたりしてるので なんかとても心配されてます。笑
わたしのためにスーパーでシリアル買ってくれたり お腹痛かったら塗り薬くれたり とにかく優しいです! ただ、ダウンタウンから1時間かかるのと 遅く帰って心配かけるのが申し訳ないので 延長はしない…はず。
体調悪いときにも助けになってくれるのは 本当に恵まれているんだけどね 金銭的なこともあるし 来月からはシェアハウスがいいなー。 早く探さねば!
Luisも土曜日の今日、仕事が遅番だったので やっとご飯一緒に食べれたけど とても親切だし日本にも理解があるし ただ、インコのスカイに話しかけるときだけ 声が高くなってます。笑
そんなお家。
あとカナダにきてわたし 初めて韓国人のお友達ができました! ウェルカミングパーティーで他の国の子に 頑張って話しかけにいったの!
やっぱり、最初は同じ国の人同士で固まってるし ブラジル人日本人韓国人は多いから 本当はダメだけど、学校内でも母国語が聞こえてきます。 だけど、日本人と出会うのは日本でも出来るからね、極力避けているこの頃。
韓国人の子は日本に留学していて 日本語話せる子もいるけど、それは後々英語で会話するということで、見逃してください。笑
ただ同じアジア人でも文化や慣習は違うよね。
まず、韓国の方はフレンドリーで親日家が多くてオープンマインド、家族思いでおしゃれ、日本人より表情が豊か。 深夜まで続くシビアな学習と男性は兵役を切り抜けてきているので、メンタルが強い。
男の子はなぜか女の子の扱いに長けているので なんでだろうね?って日本人の18歳の女の子と話し合いました。
ちなみにこの子は授業外で唯一話した日本人だけど、日本人ぽさを感じさせない関西人で、若くて真っ直ぐで大胆、とても面白い子でした。 わたしとは正反対!甘え上手で人見知りしない! 可愛くて眩しかった! 見た目はヤンキーだけどな!
あとは前職柄というか、日本の教育と社会について。
日本は大学がもはや全入制というか 奨学金借りたり、なくても勉強してら国立入ったり、だいたいみんな行けると思う。 もしかしたら私が貧困を知ることなく育ってきたから言えることかもしれないよ。 だから、これはあくまでわたしの知識の限りの結論ですが
韓国はとにかく格差があって、お金がある子が、義務教育中は毎日深夜までとか、めちゃくちゃ勉強して勝ち抜きにいってる。
日本は公立の学校はだいたい部活をしてるけど 韓国は英語とか数学の部活なんだって。つまり放課後も学習!
いますごく努力してるのは韓国人だけど 日本は、社会に出てから企業で育てる体制がある。 だから全体の水準が高い。 韓国人の子もわたしも同じような意見。
日本ってすごく自由度が高い国だと思う。 若年層の自殺率は高いけど 本当は新卒で就職失敗しても全然平気だし 今は少子化進んでて売り手市場だし 転職もいくつもサイトが出来るくらい多い!
おじいちゃんやおばあちゃんが ファストフード店で働いてる時代。 職を選ばなければ生きていける。 生活保護もある。
でも貧困層が少なくて 順調に大学出て就職すれば 良い会社に就職して、稼ぐ人も多いから 失敗が怖くなってしまうんだろう。
自分達が何もしてないのに 制度はもう整ってるから大丈夫なんて きっと実感しにくい。
成功しないと生きてる気なんてしない。 でも成功するためにはチャレンジするか失敗してみる必要がある。
やっぱり何事も経験しないと 失敗したって平気だなんて言えないし やって初めて気づくこと、外に出て初めて気づくことばかり。
国内って、恵まれすぎていて ハードルの低いチャレンジが最早しにくくなってるのでは? だって周りにあるもの、サービスから制度、物まで全部質が高い。
そういう人ほど海外に出てみたらいいと思う。 ちょっと留学するくらいのお金なら バイトでもネットビジネスでも稼げるもん。
高品質に囲まれすぎて 外が見えなくて 自殺してしまう人が多いんだろうなー 真面目な国民性もあるんだろうなー 一方で世界はもっとてきとーですよーと 悩んでる誰かに言ってあげたい。
わたしももっと勉強しなくっちゃ。
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