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#アースバックハウス
nahomi-r · 2 years
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エッサウィラの旅day1 スマーフが出てきそうなおとぎのお家、アースバックハウス! 初めてワークショップに参加させてもらったのは @nishi_no_kaito 滋賀県にある現在ご夫婦自身で建設中のアースバックハウスでした。 夫が突然、これを建てる!と言い出したのは今年の春。 YouTubeで見たアースバックハウスはとても夢があって、建築が大好きな夫は目がキッラキラ(笑) ご縁があって、日本にいる間にワークショップにまで参加させてもらえて、本当に素晴らしい経験をさせてもらいました。 日本にも熊本、奈良、滋賀など各地に存在する袋に土を詰めて重ねて行くという建設方式。 土なので暑い日は中が涼しく、寒い日は中は暖かいという素晴らしい構造。 今回見学させてもらった所は森の中をどんどん進んでいくと突然出てくる不思議な光景。 周りにあるのは自然のみ! こんな素晴らしくてワクワクする場所は久しぶりでした。 壮大に広がるオリーブの木から、一本道で探し当てていくという入り口からワクワク。 テーマパークかと思った(笑) とっても親切なスタッフさん達に囲まれて、美味しいオーガニックのランチと、デザートを頂きました。 旅の始まりからもうお腹いっぱい胸いっぱい。 さてこれから移動してエッサウィラの中心へ! 今回はどんな旅になるのかな? @hayanatural @jardinsdevillamaroc #エッサウィラ #旅 #子連れ旅行 #モロッコ #3歳男の子 #7歳女の子 #hayanatural #わくわく #旅行好きな人と繋がりたい #アースバックハウス #自然 https://www.instagram.com/p/ChtYxBFKyR5/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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wkmn · 2 years
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(アースバックハウスの形いろいろ 日本の気候にあった、おすすめのアースバックハウスはこれ! | ヒガバナシから)
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shimizumai728 · 6 years
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原点に立ち返る
だいぶ鬱だったけど、ものすごく久しぶりに脳みそが動いたのでまとめてみた。
まなだむ、ありがとう。。。 1ジャーナリストに憧れた10代 2ひねくれ者の大学生時代
3番組制作会社勤務時代
4アクティブニート時代
5引きこもりニート時代
6そして建築を学ぶ夜間学校生になった
7未だに逃れられない「生きづらさ」
8久しぶりに思い出した「原点」
9どうしてゾンビ化するのか?
10「ままならぬ現実」をサバイブしていこう
11ゾンビ化した自分が教えてくれること
<ジャーナリストに憧れた10代>
中高大学生の頃は、中二病を拗らせて、ただ単純に「ジャーナリスト」になりたい一心で、脳みそは理数系だったけど、文系に進んで数学受験を選択し、立教大学のメディア社会学科に進学した。
「ジャーナリスト」に憧れたのは、昔から私が世の中に「生きづらさ」を抱えやすかったからで、そういう「生きづらさ」を生み出す社会構造に直にアプローチして伝達して社会を変えるんだっていう青臭い願望を抱えてたから。
田原総一郎とか大杉栄とか素人の乱とか気流舎とかヒッピー的なカルチャーなどに憧れつつ、何かしらそういうものにコミットしたいと思っていた。
 <ひねくれ者の大学生時代>
意気揚々と大学に進学し、共同通信社でアルバイトしたり渋谷の夜間パトロールのボランティアに精を出したり、バックパッカー旅行をしたりしていた。
しかし、大学3年生の時に「週刊朝日」の編集部で長期のインターンシップに参加して精神的にへこたれてインターンシップを途中でバックれた。
(渋谷のパトロールもリーダー認定の直前でバックれた)
また、就職活動が始まってもジャーナリストへの近道である新聞記者という職種には、捻くれ者の私は応募せず、適当に小さい出版社を受けたり海外就職のサイトを調べまくったりして、実にロクでもない人間だった。
一般的なルートから逸脱して、ライターの技能を身につけて、いずれ「フリーランスのライター」になりたいとだけ思っていた。
 <番組制作会社勤務時代>
「ジャーナリズム」的なものにどうにかこうにか携わりたいけど、どうやらそういう職種は「記者」しかなく、とても狭き門ということを就職活動の過程で知って絶望した私は、ネットサーフィンをしまくり、報道に強いテレビ番組制作会社を見つけた。そこに応募し、ADとしてバイト採用され、そのまま就職することになった。
働いてみると、その会社が作っている番組は雇用問題、介護保険問題、貧困問題などに焦点を当てた非常に質の高いジャーナリスティックな番組が多く、とても楽しくて、会社が過去に製作した番組のアーカイブDVDを夜な夜な漁って鑑賞しては感動に浸る日々だった。
「文章を書く」仕事ではないけど「映像」の分野からジャーナリズム的なものに携われた私は、仕事内容はきついけど、やり甲斐がとてもあり、進んでアグレッシブにAD業務をこなしていった。
今でも、入社した会社の制作している番組はどれもとても大好きだし、尊���する上司のおじさんやカメラマンさんなどに働いていた時はとても可愛がってもらって充実感を持って働けていたように思う。
だけど、同期入社の人たちは全員辞めていき、仲の良かった先輩は体調を壊して退社し、後輩も入ってくることがなく、ADとしての能力だけはメキメキ上がっていきつつも、ディレクターに上がれない焦りと仕事の愚痴を言える相手が誰もいない環境からどんどん死にたくなっていった。
けど、作っている番組はどれもこれも面白くて大好きだった。
そのうち5分以上、下を向くことのできないガッチガチの体になり、泣きながら社長に辞めたいと相談したらディレクターに上げてもらうことができた。
コンテンツ内容は素晴らしいものを作っていたと思うけれど、勤務環境が異常だった。
だけど、それは私だけじゃなくて、他の番組制作会社だろうとテレビ局であろうと同じように辛い勤務環境に置かれている人間は沢山おり、そもそもその環境に耐えられない人間はさっさと業界から離れていくものだし、よく言われるのが「残る人間だけ残る」ということだった。
そして、会社の制作しているドキュメンタリー番組が大好きだった私にとって、「辞める」という選択肢はほぼ皆無に等しかった。
 ただ、大学生の頃から「フリーランス」の生き方に憧れていて、早くディレクターとして一人前となって「フリーランスのディレクターとして働くこと」。同時に、自給自足的な拠点を自分で持って、畑を耕しながら、ディレクターをするのが夢でもあった。いわゆる2足のわらじというやつだ。
そのために、会社はいずれ辞めるつもりでいた。
 <アクティブニート時代>
2014年の年末、たまたま大学時代の親友と再会。
2足のわらじの話の延長線上で「ゲストハウスかシェアハウスをしながらディレクターとしても働きたい」という夢を伝えたところ、「私もゲストハウスがやりたいと思っていた」ということで意気投合。
二人で2年後に古民家ゲストハウスを開業しようという話になった。
それから今に至るまでの人生は非常に激動的である。
人生史上最大の躁状態になり、シェアハウスに引越し、会社をバックれて辞めてしまい、都内のシェアハウスや地方のシェアハウスなどを転々とする生活を送るようになり、もの凄いアクティブすぎるニートとして2015年から2016年の初めまでを過ごした。
この間に、facebookの友人は700人を超え、1日に換算すると毎日2〜3人の新しい知り合いが増えるという生活を送っていたのだった。
 <引きこもりニート時代>
多種多様な生き方をしている人を知り、いろんな人と会いすぎて、初対面でなんとなくその人がどういう人物なのか?一瞬にして分かってしまうような特殊技能までも身につけたが、あまりにも知り合いが増えすぎて人間疲れが生じたのと、ロクでもない失恋の繰り返しが重なり、引きこもるようになった。
全ての人間関係をシャットダウンしてゾンビのような6ヶ月間を過ごした。
もともと働いている時も、大学生の時も、ゾンビ期と活動期が定期的に訪れており、常に元気でいるというのは私には難しいことであったように思う。
でも、ゾンビ期の後には想像を絶するような楽しいことに毎回遭遇し、軽度の躁状態が訪れた。そして、その躁状態の終焉もいつも唐突に訪れた。
いつもジェットコースターに乗っているようで、実に自己管理能力の低い人間だなぁと我ながら呆れてしまう。
 <そして建築を学ぶ夜間学校生になった>
5年間の番組制作会社勤務をバックれ、アクティブニート、引きこもりニートを経て、今、私は2級建築士の資格を取るために夜間学校生をしている。
引きこもりニート時分に、親と相談したところ、「家業を継ぐ気があるなら『2級建築士』の資格をとってほしい」と言われたことがきっかけだ。
その提案に私は非常に乗り気になった。
それは、アクティブニートの時分に一番感銘を受けたのがパーリー建築という素人の旅する建築家集団との出会いとアースバックハウスというこちらも建築の素人が生み出したセルフビルドの新しい建築のワークショップであったからだ。
「素人でも可愛い土のお家が安価で建てられる!」「素人でも古民家をパーリーしながら楽しく改築することができる!」
その価値観、世界観、生き様と出会えたことは、実に幸せなことであった。
いつしかアクティブニート時代には「ジャーナリズム」に対する関心も消え失せていき、そうした楽しくセフルビルドをしながら暮らす人たちの生き方に憧れるようになっていった。
 <未だに逃れられない「生きづらさ」>
しかし、どうしても私は「生きずらさ」の世界から未だに逃れられないでいる。
突如ゾンビ期が現れ、自分をひたすらに責め続け、自己肯定感の下がる行為を繰り返してしまう。
 昨年の後期に入ってから、私よりもめちゃくちゃ才能溢れて優秀な同級生たちと自分を比較しまくり、自分の才能やポテンシャルのなさを嘆きまくり、「建築」に対するモチベーションを完全に喪失しかけている。
私は昼間働いてないのに、昼間働いていたり大学に通っている同級生の方が私よりも遥かに優秀で、時間的にも場所的(学校から徒歩15分のところに住んでいる)にも恵まれている私は彼らの足元にも及ばない状況だ。。。
もう圧倒的な敗北感に打ちひしがれた感じである。。。
そうして1年生の前期にはハイテンションで目を輝かせていた私は、今、後期の授業を終えて完全に自虐モードに入っている。
そして、将来の自分の進路に関して死ぬほど模索を繰り返し、ひたすら絶望していた。
 <久しぶりに思い出した「原点」>
今日、この文章を書き連ねていて、大切なことを思い出した。
自分の原点だ。
私は、自分の作りたい映像を作ってお金を稼ぎ、「衣食住」は自力でDIYや畑を耕したりしながら生活コストを下げて暮らしたいと思っていた。
ただそれだけだった。
実家を継ぐとか、建築士の資格を取って転職するとかじゃなくて、自給自足できる畑を耕し、安いお家をDIYし、生活費を必要最低限に下げて、やりたいことだけで飯を食っていきたかったのだった。
もう一度、自分の人生をそのために構築し直そう。
 <どうしてゾンビ化するのか?>
ゾンビ化の要因を考えてみた。
幼少期のゾンビ化は、家庭にも学校にも自分の居場所がないと感じていたこと。
大学時代のゾンビ化は、ジャーナリストになる道がとても狭き門だと知ったこと。
会社勤務時代のゾンビ化は、自分がディレクターになれないことへの焦り。
ニート時代のゾンビ化は人疲れ。
現在のゾンビ化は建築士として生きていくことの難しさを知ったこと。
全ては、自分が思い描いていた「夢の破綻」から生じている。
 <「ままならぬ現実」をサバイブしていこう>
私にとっての「生きづらさ」は、自分の思い描いたように生きられないままならぬ「現実そのもの」であるようだ。
しかし、そのままならぬ「現実」の中からも常に自分の夢や目標を模索して生きてきた。私が思い描いた夢たちは何度も何度も破綻を繰り返し、その度に私はゾンビ化し、また生まれ変わってきた。
そして原点に立ち戻るとどうだ。なんの事はない。
私は何一つ変わっていない。本来の自分が求めていた生き方から外れそうになると勝手に絶望ゾンビ化し、また原点を思い返すことをひたすらに繰り返し続けている。
 <ゾンビ化した自分が教えてくれること>
ゾンビ化した私は、私を絶望させる事で「お前の生き方はそうじゃないだろ」とひたすら私に優しく語りかけてくれていたようだ。
私はジャーナリスト、ディレクター、建築家という肩書きを持って生きたいわけではなかった。
農的なDIYのライフスタイルを送りながら、自分のやりたいことでお金を稼ぐというライフスタイルが送りたかっただけなのだ。
それは会いたい人、行きたい場所にいって文章や映像を作ったり、自分で設計したセルフビルドの家を作ることなどになるだろう。
それは、建築家として一番になることでも一流の映像ディレクターになることでもなく、自分の「好き」「好奇心」を究極的に突き詰めるという行為になるのかもしれない。
肩書きではなく、自分の「好奇心」「感性」にもっと忠実に生きていけるようになりたいものだ。
上手い下手の追求よりも(技術的には大事だが)、それ以上に自分の感性を究極的に愛していくということ。
 ああ。ありがとう。まなだむ。
今日、まなだむに嘆いて嘆いて共感してもらって、すごい心が軽くなって、自分の原点を思い出すことができた。
ほんとありがとう。。。
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sousouutsuutsu · 6 years
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2018/10/4
年一とかの頻度でもユルく会える間柄ってとても貴重。 わたしがコミットメントに挫折したと思うコミュニティは星の数ほどあるけど、どの場所でも「会えて良かった」と思えるたった一人の人との出会いが残っている気がしてて、ほんと良かったなぁと今は思ってるよ。 まなだむ、SATLの方々、みさとちゃん、ひらたくん、ひらばやし、めいめい、移動式ゲストハウスでは今井社長、アースバックハウスではたかちゃん、パーマカルチャーは松澤先生に設楽さん、まさにこれからって感じ。最近は菅谷にも救われてるよ。
私が面白いのは、どこのコミュニティにも所属してなくて、ただただ濃ゆい個人個人とは繋がれているところかなぁ。
渋家ではどうだろう。いい経験をさせてもらったなとは思う。
何より、わしゃもじと会ってドラム始めたのは大きい変化だよ。
れいとくんとはわだかまりないかなぁ。
パーリー建築も大好きだし、西村さん、ませさんにもお世話になった。
私は大好きな人たちが多すぎるんだけど、全部を全部大事にはできない。
人と人を繋げるようなことは出来るかもしれないけど、どこかに染まりきることも出来ていない。
けど、パーマカルチャーはガチで自分色に私なりの私色のパーマカルチャーデザインをして、実践していきたいなとガチで思ってるよ。
何色にも染まれなかった私が、あらゆるレイヤーの人と人を繋げられるような場所を作れたらいいな。
森は複雑で多様性を増せば増すほど安定化するらしい。
私自身がそういう人間になって、そういう場を形成するようなことがしていきたいよ。
だから日本仕事百貨の発想にはすごい感銘を受けたというか、ブックレビュー読んで書いてみようかな。
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3d-luna · 6 years
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週末、なんでこんなところにこんな施設が、というところに泊まっていた。なんとも不思議なところだった。アースバックハウス。 #earthbackhouse #izu #shizuoka #architexture #travel #travelgram https://ift.tt/2JifZED
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cultureamakusa · 10 years
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[SHOP]Tiny Market (長崎県諫早市)
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『ささやかな市場』 長崎県諫早市宇都町26−21 OPEN水〜日 am10:00~pm10:00 VEGE LUNCH, 酵素ジュース,オーガニックビールetc,,,, ドライフルーツ、ナッツ、紅茶の量り売り、CDなどなど、ぼちぼち☆ BLOG>> http://newwwday.blogspot.jp/ FB>> https://www.facebook.com/pages/Tiny-Market/1394289324127774?fref=ts
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nahomi-r · 2 years
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#アースバック @nishi_no_kaito アースバックハウス建設のお手伝いに参加させてもらいました! めちゃくちゃ楽しくて、全然帰りたくなかった(笑) 自分が住んでいる所がどんな素材で作られていて、どれだけの人がそこに携わってくれていて、どれだけの資材を利用して、なんて考えた事もなかった10年前。 人に助けを求めるのは恥ずかしい事と思い込んで、人と関わる事が面倒と思った事もあったけど、 今は新しい出会いって学びだなと、色々教えてもらえる環境が本当にありがたい。 今回突然会った事も、話した事もない人達と、2日間一緒にアースバックハウス建設という同じ目標に向かって、もくもくと作業をさせてもらいました! 一緒に全員分のご飯を作ったり、土を詰めて渡したり、 高い所に登って釘をうったり、働くってこういう事なんだなとひしひしと感じました。 お金を払ってプロの人に作ってもらうのも、そこには背景があって、素晴らしい物が作れるけど、 自分で勉強して、誰かに手伝ってもらって、資材を作って、一つずつ工程を踏んでいく過程もいろんな学びがあって、 自分で作るお家も素晴らしいなぁと。 夫がやりたいと毎日色んな所で話していたお陰で、こんなに楽しい経験ができました! 夫よ、ありがとう💪 皆んなと一緒に、楽しく笑って過ごした日々は、子ども達にとっても大切な想い出になったと思います。 貴重な経験をさせて頂いて、本当にありがとうございました! またお会いできる日を楽しみに✨ みんなモロッコに遊びに来てね〜! @nishi_no_kaito @wadamaki_tsumugi @natsumi_snippet_ @buttabi_christina @kitchen_ho @obanzai_hakobera @hironobita @michi0827 @s.miya222 #アースバックハウス #高島市 #達成感 #完成が楽しみ #ありがとう #また会える日まで https://www.instagram.com/p/CeK5kxxP4wN/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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shimizumai728 · 7 years
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高法寺のアースバックハウス@高知県
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shimizumai728 · 7 years
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アースバック建築探訪@高法寺
高知県にあるお寺がアースバック建築を作るためにクラウドファンディングを行なっているのを知ったのは、確かイケダハヤトさんのブログ記事から。
せっかく高知にいるなら、これを見に行かねばと思い、沢田マンションから徒歩2時間くらいかけて行ってきた。
都内でだいぶ長いこと引きこもっており、運動不足の私には、大変いい運動になった。
お寺は、かなり急な坂を登った上にある非常に見晴らしの良い場所にあった。 
こちらで作られたアースバックは、チューブ状の土嚢袋ではなく、一般的な土嚢袋を1つ1つ積み上げていった形。
ワークショップに一��参加した身としてきになるのが、土嚢袋と土嚢袋の間にある隙間たち。これって、こんなんで大丈夫なの???
1つの建造物の構造として、かなり心配なのですが。。。
屋根は木造で、屋内にも木造の横たわれるようなスペースがあった。
前日、たまたま「ひろめ市場」の帰りがけに寄ったオーガニックカフェ「光の種」で見かけたフンドシが、なぜかここ、高法寺の中でも販売してあった。
よく調べてみると、NPO法人「虹の種」という団体が行っている事業の理事をこちらのご住職がされているようだ。
「虹のタネ」の詳細はこちら↓
http://www.nijinotane.com/
パンフレットを見ると、なんと、タイの現地にアースバックハウスのような物が!
「虹の種」のしている活動は非常に素晴らしいものだし、アースバックハウスを見たいし、これは是非一度タイの現地に行ってみたいと思った。
特に何のオチもないけど、覚書終わり。
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sousouutsuutsu · 6 years
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理想の自分像
・  自分の陰も陽も愛せている
・  脳みそが冴え渡り、自分の意見をきちんと言える
・  嫌なことをされたら、きちんと拒絶ができる
・アースバックハウスでお家を建てて暮らしている
・地球1個分の生活
・多拠点居住
・映像作家
・2足のわらじ
→映像制作&ペンション経営?
・地に足ついた生活をしている
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sousouutsuutsu · 6 years
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2017,11,14
思考停止している。
毎日漫画を読んで寝転がって現実逃避しかしていない。
やるべきことができていない。
どうしてこんなに自堕落的なのか?
自分で自分に嫌気がさす。
私は実にダメな人間だ。弱々しい人間だ。
書物にも逃げている。
こうなったきっかけは何だろうか?
失恋し、旅をし、抱えきれない映像編集やら何やらを抱えて鬱々とした日々を終え、何もしない月間を入れて、いま。
小屋を作り、映像を作り、他人から見れば実に自由気ままに見えるだろうが、事実、自由気ままではあるのだが、それでも満たされない心。
男にすぐにすがりたくなる自分に嫌気がさし、気がつくと男から言い寄られることで承認欲求を得ようとしているというか、男としか遊んでいない自分を気持ち悪く感じ、(下心のある)男の手を借りないと何もできない自分にも嫌気がさし、人間不信に陥った先月。
ダウナーな女友達を集めて「夢を語って励まし合う会」を結成してみたものの、それでも満たされぬ虚無感。
建築士として食っていく、生きていくのが実に難しそうなことを知って、何とも言えずまたトーンダウン。
同級生たちは学校と仕事を両立しているというのに、何もしていない自分にも自己嫌悪。
どうしても他人と自分を比較し、世界の一般的なルートに適合できない自分に絶望。お先真っ暗。
そんなのが最近の私のメンタリティ。
じゃあどうしたいのか?って?
アースバックハウスを作りたい。
ゲストハウスかシェアハウス作りたい。
パーマカルチャー的なDIY生活送りたい。
「たい」じゃなくて「やる」だよね。
いま、何がやりたいんだ?わたしは。
自分の心がワクワクすることがしたい。
ドキドキワクワクすることがしたい。
けど、それが分からない。
過去にあったドキドキワクワクは?
パーマカルチャー講座。
アースバックハウスワークショップ。
旅行。野宿。ピクニック。
自転車。美術館。博物館。映画。
面白い映像編集。読書。
ものが作りたいのかな。
日常に張り合いがなさすぎて、どうすればいいか分からないよ。
何か、こう、打ち込める趣味が欲しい。目標が欲しい。
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