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エゾシカとの付き合い方
今日の稚内は暴風雨。早朝には鹿の数もまばらで、やっぱり林の中で雨宿りをしているのかなとがっかりしていたのですが、朝食後に再度出かけてみるとあちこちで出会うことができて、いい撮影ができました。でも、本当に風が強くて、台風の中継をしているアナウンサーってこんな感じなのかなと思ったほど。さすがに夕方は少し早めに切り上げました。
こんなにエゾシカに会える稚内ですが、やはり害獣とみなされているのか、土産物屋さんに行っても、キタキツネやヒグマのグッズはあるのに、エゾシカをモチーフにしたものは全然見当たりません。代わりに見つけたのが、エゾシカの角煮やカレーなどの缶詰。あくまでもジビエとしての活用なんですね。
稚内は最北端の宗谷岬や利尻島、礼文島へのフェリー乗り場など観光客が訪れる要素はいろいろあるのですが、街自体は空き家が多くあまり元気がないように見えます。観光客はエゾシカを見つけると嬉しそうに撮影しているので、ここは思い切って北の奈良として観光資源にしちゃえばいいのに、って思うのは私だけでしょうか。
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アウトサイダーズ
撮影で稚内に来ています。
北海道なのでエゾシカたちが棲んでいます。ニホンジカの亜種の中でもっとも大きくて見ごたえがあります。今はちょうど雄鹿たちの角が生え変わる時期で、去年の角がすでに落ちて新しい袋角が生えてきている鹿たちが多数派ですが、まだ白くて堅い立派な角をつけている雄たちもいます。
北海道ではエゾシカは害獣扱い。稚内では昨年度は過去最多の852頭が捕獲されました。市街地では銃が使えないので、吹き矢で捕獲をしているそうです。とはいっても、忍者に委託しているわけではなく、札幌のNPO法人が実施しているのだとか。
こうした報道に接するたびに、稚内で鹿に会えるのかな、と気がかりになるのですが、今回も無事巡り合うことができました。
奈良でも稚内でも可愛かったりかっこ良かったりする鹿ですが、人間との関係性は真逆。そのアンビバレントさをどう写真で表現できるのか、というのが今のテーマです。
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いのちに向き合う
4月30日放映のNHK「ノーナレ」で、「けもの道 京都いのちの森」と題して罠猟師の千松信也さんの密着取材を放送していました。
千松さんは、シカやイノシシと人間の間に優劣を置かずにフラットに向き合い、体力と知恵をこらして自分たちが生きるために必要な分だけ命をいただくという信念に基づいて日々を暮らしています。
番組のWEBサイトによると「動物の命が消えていく数分間、僕は動物と二人きりでその時間を過ごします。17年猟をやっていても慣れない時間ですが、その時間を共有する覚悟はありますか?」と問いかけた上で、密着取材を受けたのだそうです。
番組中では有害獣駆除で殺されたシカやイノシシを焼却する施設も紹介されていました。その施設の方はジビエとして有効活用したいけれど、それが難しい現実について語っていました。ポリ袋に詰められたイノシシやシカの躯が焼却されて骨と角だけになり産廃として処理されることに無情さを感じる一方で、その現実とも向き合うことが大切なんだと思います。
千松信也さんは『僕は猟師になった』、『けもの道の歩き方』(ともにリトルモア刊)という著書も出されているので、ぜひ読んでみてください。
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『ニッポン鹿めぐり』はじまり、はじまり♪
このブログを立ち上げた時には、最初の写真集にちなんで『しかしか情報局』と名づけましたが、このたび、次の目標に向かっていくという決意を込めて、 『ニッポン鹿めぐり』にタイトルを変えました。
これからは毎日更新していきたいと思います。コメント、感想、大歓迎です!よろしくお願いします(^^)。
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『Life』に込めた思い
初めて、鹿の写真を撮ったのは2011年3月のことでした。 出張で久しぶりに奈良を訪れて、せっかくだからとカメラを手にして外に出かけてみると、ホテルの前で雄鹿2頭が戦っていたり、交差点の真ん中に2頭の鹿が堂々と立っていたりしました。
東日本大震災から2週間足らずだったので、福島の避難地域でさすらう「はぐれ牛」のことを思い出したのもあるでしょう。早朝で、人影がまばらな奈良の街は、鹿の惑星のように見えました。「こんな光景、見たことない!」好奇心満開で、鹿シリーズが始まりました。
そんなきっかけでスタートした鹿の写真だったので、当初は「被写体を突き放している感じだね」といわれることが多く、私自身、鹿に対しては、都市風景の中にいる珍しい野生動物、という感覚だけでした。
なのに、今は、「鹿、好きなんですねぇ」とよく言われます。
鹿のことは、リスペクトも込めて、ペットとは違うと言っていますが、確かに、7年も鹿の写真を撮っていると、だんだん愛着も湧いてきますし、鹿にも詳しくなります。
自分が鹿とつながったなと思ったきっかけは、今回の『Life』で展示している濁流の中で「溺れている(かのように見える)鹿」を撮った時かもしれません。
その時の話は、『しかしか情報局その4: ゲリラ豪雨と鹿と』と題して書いたことがあるので、そちらでご覧くださいね。
今回の展示は、7年間鹿たちを見つめてきて生まれてきた共感の思いを込めて作品をセレクトしました。関東からはちょっと遠いですが、2月4日までとまだ会期も長いので、機会があればぜひお立ち寄りくださいね!
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ニッポン鹿めぐり:ツシマジカ
ニホンジカの亜種7種コンプリートに向けて最後に残ったのはツシマジカでした。
ツシマジカは長崎県対馬に生息しています。1966年に「対馬のシカ」として長崎県の天然記念物指定を受けましたが、個体数が増えて林業被害が発生したため、1983年に指定地域が縮小された後、1994年からは雌雄を問わず狩猟獣に加えられました。2015年現在、39200頭のツシマジカがいると推定されていますが、長崎県では適正頭数を3500頭として管理計画を立てています*。
対馬には2017年のゴールデンウィークに訪れました。4万頭近い鹿が対馬にいるはずなのですが、日中、探しても全く見かけません。有害獣駆除の対象になっているので、警戒心が高まっているのでしょう。地元の方にいろいろヒアリングをしてあちこちで探しましたが、結局、早朝に一度、夜に一度会えただけでした。
以前は、あそうベイパークで飼われていたのですが、今はその鹿たちもいなくなったそう。対馬で日中、鹿が見られるところを探しまくって、ようやくある公園で飼われているのを見つけて撮影をコンプリートしました。
対馬は山が多いので、農地は少ないのですが、その耕作地に行くと高い柵が張り巡らされていて、地元の農家にとっては鹿が厄介者であることはよくわかります。でも、対馬の固有種として大切に保護されているツシマヤマネコに比べると、観光ガイドに記載がなく、まるでいないことになっているようなスルーのされ方にはちょっと違和感を覚えます。
対馬は古代から中世にかけての大陸、朝鮮との交流など、豊かな歴史が残る地なのですが、その価値や���力に比べるとあまり知られていないと思います。その一方で、韓国からの観光客が多数やってくるので、繁華街の看板ではよくハングルを見かけます。そんな不思議な島に密かに暮らしている鹿たちのことをさらに調べていきたいと思います。
*長崎県の第二種特定鳥獣(ニホンジカ)管理計画(平成29年4月)による。
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ニッポン鹿めぐり:ヤクシカ
2017年の鹿写真家生活を振り返って、一番大きな出来事は、ニホンジカの7つの亜種をコンプリートしたということです。
図鑑として7つの亜種の写真を揃えることが目的ではなく、日本各地での鹿と人間の多義的な関係を描くことが大切なので、あくまでも通過点ですが、一段階クリアしたという思いもあります。
今年、初対面を果たしたのは、ヤクシカとツシマジカの2種ですが、時系列にヤクシカのことから記しましょう。
初めて屋久島を訪れたのは2017年3月。屋久島国際写真祭に参加するためでした。小規模ながらフランスを中心とした海外からのレビューワーや参加作家も来ていて、楽しい集いでした。
せっかく屋久島に行くのだからヤクシカを撮影しなくては、と事前リサーチをしたところ、ヤクシカがなかなか見られなくなっているということがわかってきました。
屋久島は1993年に全面積の���2割が世界自然遺産に登録されています。樹齢数千年のヤクスギをはじめとして、多くの固有植物、絶滅の恐れがある動植物が生息、自生しているというのが理由です。
しかし、この島での鹿は、保護の対象ではありません。ヤクシカの採食等により森林の植生や希少植物の生育などに悪影響が出ている、とされ、対策を講じるためにワーキンググループが設置され、ヤクシカの捕獲が行わています。
実際、現地に行ってみると、2年前にはヤクシカを簡単に見ることができたという白谷雲水峡でまったく見かけず、ヤクスギランドでも1頭見かけただけでした。捕獲の影響で数自体が減ったほかに、人目につかないように行動するようになったということはあるでしょう。一時期、病気が流行って連日鹿が死んでいるのを見かけたという情報も聞きました。
唯一、高い確率で鹿に会える西部林道で、無事、撮影をすることはできました。もっと早く屋久島に来るべきだったという思いはありますが、その分、これから屋久島の鹿事情を見つめていかなければと強く思いました。
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バリ島のザ・鹿ホテル
バリ島の西武国立公園に隣接する「ザ・鹿」という名前のホテルに来ています。
もちろん、本当の名前は日本語ではなくてThe Menjanganというのですが、ムンジャンガンとはインドネシア語でシカという意味なのです。
その名の通り、敷地の中を野生の鹿が自由に歩き回っています。まさに、鹿写真家には最高のリゾートです。
ムンジャンガンは奈良にいるホンシュウジカよりちょっと大きい鹿です。ニホンジカは、危険を感じると花のように開く尾鏡(びきょう)と呼ばれる白いしっぽの毛が可愛いのですが、ムンジャンガンのしっぽは体と同じ茶色です。日本人的にはちょっと鹿感が薄い気もしますが、すらりとした優美な姿はやはりシカだなと思います。
ザ・鹿ホテルの部屋の前に広がるビーチには、朝、鹿がやってきて、海に入ったり、砂浜で寛いだりしています。ホテルの従業員がビーチの清掃を始めると立ち去っていきますが、森を散策しているとゆったり緑を食んでいる姿に出合います。
ホテル周辺で見かけるのは雌が多いのですが、船で40分ほど沖にあるムンジャンガン島には雄のグループがいます。昨日、島に渡ったのですが、顔見知りの鹿が元気に暮らしていたので嬉しくなりました。個体識別ができるわけではないのですが、その子はちょっと顎が曲がっているので覚えやすいのです。
バリ西部国立公園には、小さな鹿のキジャン(Kijang)もいるのですが、警戒心が強くてなかなか姿を見せてくれません。明日までの滞在中に会えるといいなと思っています。
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広報という仕事
今日はちょっと、広報という仕事について振り返ってみます。
20年ちょっと広報業務に携わっていますが、担当をするようになったきっかけは、ちょっとした偶然でした。
フランス語の通訳を目指して、1年留学して帰ってきて、でも、通訳専業でやっていくにはあまり仕事がないなあと思っていた時に、前職の会社でWEBサイトの担当者を探している求人を見つけました。
当時はまだ企業がWEBサイト(ホームページと呼んでいました)を作り始めたばかりの頃で、たまたまパソコン通信(知ってますか?)でネット関係のことがほかの人よりちょっとわかるという程度でも、WEBマスターを名乗れる時代でした。フランス語の翻訳もできる、ということであっさり採用が決まりました。配属されたのが広報部でした。
"ホームページ”の立ち上げをして、一通り軌道に乗ってからは、WEBサイトのコンテンツ作りの一つとして、サーキットでレースについてのレポートを書いたり、写真を撮ってアップしたりするようになりました。
今から思うととても無謀だったのですが、パドックの内側にいるメリットを生かして、自分で写真を撮って原稿も書いて、異色さ満載のページを作ってました。
そのうちプロのライターやカメラマンの知り合いもできて、餅は餅屋に任せる体制を作ったのですが、それなりに知名度のある会社がよくそんなことをさせてくれていたなぁと思います。
当時、モータースポーツの責任者からは「プロが書くレースレポートはどこでも読めるから、自分の会社の製品やテクノロジーについて伝わる内容にしよう」と言われていました。
「自分たちが伝えたいことは何か」ということが、すべての基本にあるなと思うようになったきっかけでした。
前職での最初の上司は、ゴールにたどり着くためのやり方は各担当者に任せてくれるようなおおらかさのある魅力的な方で、そんな風にいろんなチャレンジをさせていただきました。
その方がリタイアした後、PR会社から転職してきた広報のプロが上司になり、最初はあまりのやり方の違いに面食らいました。この2番目の上司は風のようにやってきて風のように去っていきましたが、自分の広報業務に対する考え方やアプローチはその方からたくさんのことを学ばせていただいたんだなと思います。Look professional、プロらしく仕上げること、ふるまうこと、というのが一番印象的な言葉でした。
広報のプロとして仕事をしようと肩肘を張って、ワーカホリックな日々を送っていたのですが、大きなイベントで、メディア対応だけでなくイベントの運営や通訳・翻訳、写真撮影の手配などを背負い込む羽目になり、イベントが終わった時に燃え尽きました。達成感があったわけでなく、どんなにがんばっても、ちゃんとできなかったことは汚点になる、という苦い思いでした。
2週間の休暇をもらって、かねてから行ってみたかったマダガスカルへ旅行に行くことにしました。「せっかくそんな遠い国に行くんだから」と思って、出発の3日前に一眼レフを買ったのが、写真を始めたきっかけです。
今も会社員としての仕事を続けていますが、 広報の仕事を最前線で頑張っているというよりは、人間関係を築いてきた方々に地道に情報発信をしているという感じです。 がむしゃらに頑張っていた昔に比べると、何を今すべきかということに自覚的になったと思います。
今度、「写真家のための広報講座」と題してお話しますが、写真界の中での発表の仕方やコネクションづくりはもっと長けている方がたくさんいらっしゃいますから、私からは企業広報の現場で細長く仕事をしてきた経験と技術の一端をお話しさせていただきます。ぜひ、遊びに来てくださいね。
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写真展『LIFE』を開催します
2018年1月13日から2月4日まで、神戸で個展「LIFE」を開催していただくことになりました。
会場 のMirage Galleryは、六甲山国際写真祭のディレクターである杉山武毅さんが主宰しているギャラリーです。この写真祭には第1回から参加させていただいていて、海外での写真展やスライドショーに繋がるたくさんの出会いと学びに恵まれました。それだけに、今回、杉山さんから展示させていただく機会をいただいて本当に嬉しく思います。
今回展示する作品は、奈良の鹿たちが県庁所在地にしては意外なほど豊かな自然の中で光と水の恵みを享受しながら生きている姿を捉えたものです。
今まで発表してきた『しかしか』と『境界線を越えて』では、人の街を自由に闊歩する鹿たちを描いてきました。人工物の中にいる野生動物という被写体には新鮮で意外感があり、私自身、夢中になって撮影していたのですが、それと並行して、燦燦と降り注ぐ光や青空を映した水の中にたたずむ鹿たちにも惹かれてシャッターを押してきました。7年近く奈良で撮りためてきた小さな自然の中の鹿のシリーズをまとめてみると、とても愛おしく感じます。
1/13(土)の初日には、 18時15分から  『写真家のための広報入門』として レクチャーを開催します。また、1/14(日)、2/4(日)に在廊し、2/3(土)にはアーティストトークを18時から行います。ぜひ、お越しくださいませ。
石井陽子写真展『LIFE』 ・会場:Mirage Gallery (ミラージュ・ギャラリー) ・住所:〒650-0012 神戸市中央区北長通3丁目9-10 青柳ビル303号室 ・電話番号:078-335-6510 ・会期:2018年1月13日土曜日~2018年2月4日日曜日 ・時間:12時~18時 ・休廊:月曜日、火曜日、祝日
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変わりゆく野崎島
五島列島の野崎島に行ってきました。
野崎島を訪れるのは4回目。私のお目当てはこの島に棲む420頭ほどのキュウシュウジカですが、この島にある旧野首協会と舟森集落跡が「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一つとして来年7月に世界遺産に登録される見込みで、このところ脚光を浴びています。日本政府がユネスコに推薦することが正式に決まってから訪れるのは今回が初めてなので、静かな無人島も少しずつ変わっていくのかなと予感しながら現地に向かいました。
変化は島に渡るところから起きていました。佐世保から小値賀島を経由して野崎島に行くのですが、町営船がピカピカの新船に!出航すると、救命胴衣の着用法のビデオ���続いて、野崎島のプロモーションビデオが流れました。今までは、ライフジャケットの説明すらなかったなぁと思いながら、ドローンの空撮も入ったかっこいいビデオに見入ってしまいました。今までの船が20年以上経って耐久年数に達していたという理由もあるようですが、観光客を意識しているのがありありと感じられます。
野崎港に着くともう一つの変化が。船着き場にビジターセンターが建築中で11月に完成するそう。また、保存状態のよい空き家が一軒、古民家としてレストア中でした。野崎島の魅力が高まるのはいいけれど、今までは離島マニアと教会巡りの人々が訪れるだけの知る人ぞ知る島だったのがメジャーになっていくと、人と鹿の関係も変わっていくのかなとちょっと気がかりです。
島で唯一の宿・野崎自然学塾村は、廃校になった小学校の校舎を使用しています。かつての調理室で自炊して教室を改造した部屋で眠るというシンプルさは相変わらず。町営船が休航になる第3日曜日を挟んでの滞在だったので、私以外の宿泊者は某テレビ関係者一名だけでした。塾長さんこと、宿の管理人さんと「世界遺産になったらこの島はどうなるんだろうね、本当はこのまま静かに鹿が暮らす日々が変わらないといいんだけどね」、としみじみ語り合いました。
撮影のほうは、日曜日に雨に見舞われてしまったのが残念だったのですが、考えようによっては晴れの日も雨の日もあったほうがバリエーションが広がっていいのかもしれません。鹿たちは春夏の明るい茶色に白い斑点の鹿の子柄からオスはこげ茶、メスは褐色の冬毛に衣替え。オスたちは恋のシーズンを迎えて雄たけびを上げていました。
これで野崎島の春・夏・秋を撮影したので、今度は冬に訪れてみようと思っています。オフシーズンなので静かな島でストイックに撮影に専念できそうです。でも、きっと寒いだろうなー。
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しかしか情報局その23: 金華山の鹿・猿合戦
金華山に行くたびに、黄金山神社でボランティアをしている三上さんと鹿談義をさせていただいています。石巻在住の三上さんは、金華山の鹿に魅せられて、長年撮影を続けていたのですが、東日本大震災の時に津波で自宅が流され、撮りためていた写真もフィルムもすべて失ってしまったそうです。今残っているのは、金華山に奉納したパネルと数枚の写真。鹿と猿と鴉の三つ巴の戦いをテーマに撮っていたという三上さんの作品は迫力があって、すべての写真が残っていたらさぞ見応えがあっただろうなと思います。
震災や台風で崩れた建物や道の補修を手伝っている三上さんは、78歳になった今もとてもお元気そうなのですが、写真撮影はやめてしまったとのこと。鹿撮影スポットに案内してくれる時には、大変な健脚で私は後れをとってしまうほど。もっとも私のほうも動物を被写体にしている割には身体能力が低くて山歩きが苦手なので、比較の対象としてふさわしくないのですが。
今日、仕事の合間に鹿たちが寛いでいる草原に案内してもらって、芝生の上に座って話をしたのですが、「体もきつくなってきたので、ボランティアも今年いっぱいかな」とぽつりと言われました。今までは、「今回も三上さんに会えるかなぁ」と思いつつ、特に約束を交わすこともなく、ごく自然に再会していたのですが、その言葉を聞いて、あ、これって当たり前ではなくて、とても貴重なことなんだなと改めて感じました。
若いボランティアさんたちに慕われ、私にも惜しげもなく鹿の生態や生息地を教えてくれる三上さん、ご自宅も写真も失われてしまったけれど、大震災を生き延びて私たちと出会ってくださって本当にありがたいと思います。「自分は写真を撮らなくなってしまったけれど、誰かが金華山の鹿の写真を撮り続けてくれたらいいなと思っていたんですよ。そんな時に石井さんに会いました」との言葉をいただいて、すごく大きなものを託していただいた気がします。
金華山黄金山神社には3年連続の参拝を果たしたけれど、金華山の鹿のことはこれからもとり続けていこうと改めて思いました。
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しかしか情報局その22: みちのく霊島・金華山で見つけた1ピース
今夜はみちのく霊島・金華山の参集殿で原稿を書いています。
金華山にはホテルや民宿はなく、宿泊できるのは金華山黄金山神社の宿泊施設のみです。快適な和室なのですが、普通の宿とちょっと違うのは、朝6時に起床して、ご祈祷に出ることがきまりになっていることです。
鹿の撮影は日の出前から始めるので、早起きするのは問題ないのですが、朝の撮影タイムに拘束されるのはちょっと辛いところ。でも、大護摩祈祷や神楽奉納は神秘的で、神道に帰依していない私も、なんだか心身とも清められて鹿運が上がる気がします。
今日は初めて、金華山の山頂に登ってきました。標高444mでそんなに高くなく、普通の人なら1時間で登頂できるのですが、日頃、運動らしい運動をしていない上に、望遠レンズと標準ズームをつけたフルサイズのカメラ2台を抱えての山歩きだったので、すっかりバテてしまいました。山道では鹿には会えなかったので、骨折り損のくたびれ儲けではあるのですが、鹿を見かけることもあるそうなので、その時にカメラがなかったら悔しいですものね。金華山で撮影しているからには、区切りの3年目の来島に山頂の大海祇(おおわたつみ)神社に参詣してよかったです。
今日の最大の収穫は、帰り道に通った滑石貯水池の看板に「玉垣の中にある滑石神社は武甕槌神を祭ったもので、島に住んでいる神鹿を従えて渡ってきた神と伝えられている」という記述を見つけたこと。今まで欠けていた「金華山の鹿がなぜ神鹿なのか」という1ピースが見つかったので、ストーリーが綴れるような気がしました。
明日は帰りの船まで、鹿との出会いに恵まれますように。
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しかしか情報局その21: そうだ、金華山に行こう!
今日は仙台に来ています。明朝、石巻経由で女川に行き、船に乗って金華山に行くためです。
金華山に行くのはこれで3年連続3回目。3年続けて参拝すると一生お金に困らないというありがたい言い伝えがあるので、ぜひそうなってほしいのですが、もちろん、旅の目的は鹿の撮影です。
金華山は出羽三山、恐山とならぶ東奥三霊場のひとつ。日本初の金の産地と言われていて、聖武天皇の御代、天平21年(749年)に大仏建立のための黄金を寄進したのだそうです。この慶事にちなんで、金華山黄金山神社が建立されました。
金華山には野生の鹿が棲んでいて、その数は450頭前後と言われています。金華山の鹿は神鹿だとされていますが、その謂れはよくわかりません。黄金山神社のご祭神は金を司る金山毘古神(かなやまひこのかみ)と金山毘賣神(かなやまひめのかみ)なのですが、「牡鹿町史」によると王郷山人座から5分の場所にある滑石(なめらいし)神社の主神が、鹿島神宮から春日大社へ白い鹿に乗って降臨したという武甕槌命だそうなので、奈良の神鹿信仰とつながりがあるのかもしれません。(東北電力の広報誌「白い国の詩」2008年秋号を参照させていただきました。)
夏に金華山を訪れるのは今回が初めてです。鹿たちがどんな姿を見せてくれるのか、とても楽しみです!
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しかしか情報局その20: 8月は角自慢の季節
どの季節でも鹿撮影にはそれぞれ面白さがあるのですが、中でも雄鹿の角が完成する8月はベストシーズンだと思います。
鹿の角は毎年3月から4月に自然に落ちて、新しい角が生えてきます。袋角といわえる生え始めの角はぶくっと柔らかそうでとてもかわいいです。産毛が生えていて逆光できらきら光り、触ると温かいのですが、鹿は嫌がるのであまり触らないほうがいいでしょう。
6月、7月と角はぐんぐん伸びてきて、大人の雄の場合は3つに分かれて4つの枝角が生える「三又四尖(さんさよんせん)」になります。8月から9月にかけて、角が固くなってきて表皮が剥けて、秋から冬に向けて白く硬い角になっていきます。
ところが、奈良ではお盆過ぎから角切りが始まります。秋は発情期で雄たちは気がたっていますし、硬く尖った角を振り回しながら鹿せんべいをねだられても危ないです。角を切られた雄たちはなんだか元気がないように見えてかわいそうですが、万一、観光客がケガをして、「こんな危険な野生動物を野放しにしていていいのか」なんて騒ぎになっても困るので、やむを得ないのかもしれません。
角きりを行っているのは奈良の鹿愛護会の方々です。麻酔を使って鹿も人もけがをしないように捕まえて、鹿苑で角を切って放します。角ぶりのよい子たちは鹿苑に留められて、10月第2週の週末に開催される角切りの行事に出演します。江戸時代に始まったというこの行事では、勢子さんたちが鹿苑を逃げ回る鹿を捉えて、神主さんの装束の方がのこぎりで角を切ります。全力で走る鹿と勢子さんたちの捕物劇は見ごたえがありますが、鹿の立場で見るとかわいそうで、逃げる鹿を応援するお客さんも少なくありません。でも、ケガをしたり、心臓発作を起こさないうちに早く捕まって切られてくれたほうが本当はよいのですが。
というわけで、8月は雄鹿たちの角自慢の季節。私もまた奈良に撮影に行きます。立派な角鹿に会うのがとても楽しみです。
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しかしか情報局その19: オウンゴール
8月4日、函館市の市街地にエゾシカが出没し、約2時間にわたる捕獲作戦の末、高校のグラウンドにあるサッカーのゴールに飛び込んでネットに絡んだところで捕まったというニュースが報道されました。
新聞やTVで「オウンゴール、それシカなかった」などとユーモラスなタイトルで取り上げられたので、ご覧になった方も多いかもしれませんね。
警察官や市職員、猟友会会員など約20人がかりでの大捕物だったそうで、学校では「鹿がグラウンドにいるので外に出ないように」という校内放送があったのだとか。北海道ではエゾシカが道路や線路に出没して交通事故や電車との衝突などの問題が起きているので、鹿が一頭、街に出てきただけでこれだけ大騒ぎになるのかなぁと思いましたが、函館では市中心部に鹿が出没したことはなかったそうです。
今年3月27日には広島市の中心部で鹿が現れて、9時間にわたって逃げ続けた後、住宅街で捕獲されたというニュースも報道されました。この時も、「同じ広島県内の宮島に行けば、鹿が町の中を自由に歩き回っているのに、そんなに驚くことかなぁ」と意外な気がしました。
どちらの場合も、捕らえられた鹿は殺されることなく山に返されています。北海道でも広島でも鹿は有害獣駆除の対象になっているのですが、メディア的に注目されるケースでは自然に還したということにするんですね。そういうところにも、人間の事情が表れている気がします。
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しかしか情報局その18: マゲシカ男子は褐色イケメン
マゲシカに会う旅@阿久根大島の続きです。
 阿久根大島は無人島ですが、夏は海水浴場として賑わっています。宿泊施設や海の家風の食堂もあります。なんと、奈良から取り寄せているという鹿せんべいも売られていて、マゲシカと交流することもできます。とはいえ、奈良の鹿ほど馴れている感じではなく、鹿せんべいを差し出しても反応が薄かったり逃げてしまう子も多いです。
さすが、一つの亜種と認められているだけあって、マゲシカは奈良や宮島のホンシュウジカとは見かけが違います。体つきは少し小柄で、毛色は雌や小鹿は茶色ですが、雄は茶褐色。この季節だと、ニホンジカは雄も雌も明るい茶色に白い斑点の鹿の子柄なのですが、マゲシカでは鹿の子になっているのは雌と子鹿の一部という感じです。
角もだいぶ違います。奈良では、春から初夏にかけては明るい茶色の表皮をかぶっているのですが、マゲシカの角は焦げ茶色の表皮です。私が会った子が若い雄が多かったのか、三又四尖という完成系の角はほとんど見られず、一本角か二又の子が多かったです。
全体的な印象は、同じ南方系のケラマジカに似ている感じです。こうなるとご近所さんのヤクシカがどんな感じなのか会いに行ってみたくなります。7つの亜種コンプリートまであと2種類!鹿巡りの旅はこれからも続きます。
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