Tumgik
custard--c · 4 years
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2020/07/25
生活が枯れすぎてツイッターでアホなつぶやきができなくなってしまったので(ていうかアホになろうとしてもなぜかツイッターで重い話題ばかりが目に付く)しばらくここをツイッターみたいに使おうかなと思います 言うて全然続かんと思う、日記がまともに書けるのは幼稚園時代までだよ タンブラー、長文を投稿し続けるには使い勝手わるすぎて困るしここって絵の方(メインブログ?)を消したらみちづれで消えるらしいし、さすがに・・・・なので別のどこかに移ろうかなとは思ってる、まあどちらにせよ全然使ってないから投稿するとき以外は問題ないんだけど…(投稿するときにこそ問題という話をしているのでは?)(もう括弧がないとまともな文章が書けないことに戦慄してる、レポートでうっかり使ってないか心配になって来た)(枯れ枯れの生活)
ツイッターで重い話題が目に付くというよりは”世界”に重い話題が溢れまくっていてその火の粉っていうか氷山の一角がツイッターなんだろうなと思うから、私は普通に現実を見るのが辛くなってるだけなんだけど、そんなこといわれてもねえって感じだよ だって春から生活自体はずっとこんな感じだし、よくわからないけど「閉じこもっていなさい」といわれて閉じこもっていたら妹も弟も父親も母親も学校と仕事で外でがんばりはじめたからなぜか私が自堕落な引きこもりみたいになってきてる おかしくない!?雨がクソヤバい
部活辞めたい辞めたい辞めたいって散々言いながら色々請け負ってるしこういうの、自分から苦しむことを選んで苦労してる自分に安心する営みなんだろうな 部活辞めてえ~けど部活を辞めた自分がいっこも改善しないことを想像すると嫌になるしガチの”ぼっち”になってしまうので辞めん
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custard--c · 4 years
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平均に固執する
2年くらい意図的にまともに体重をはかっていない
ネットで調べる平均体重から数キロ多いというだけで動悸がして涙が出そうになる、もう肥満ではなく、軽肥満でもなく、太り気味ですらおそらくないことが逆に辛い おいしいものをおいしく食べるのが好きで拒食にも過食にもなったことがないけど、糖質制限や食事制限に成功したこともない ちなみに運動療法に成功したこともない(でしょうね)
どう考えても痩せぎみの世界にいる人間が冗談でデブになったとか自分デブだからとか言っているのをみるとくたばれ!と思う 実際そう思っていないのにそう言えるのはあなたが誰から見ても「太っていない」ことを確信していてまたそう言って貰えると確信しているからじゃないんかと思う でも本当はその人もほんとにそう思って言っているのかもしれないし、そもそもこれがある意味超特大ブーメランであることも忘れてはいけない しかしデブは悪であり太っているというだけでなんとなく好感を持たれないというかあの人ちょっと太っているから話しかけづらいよねとかそういうふうになることがあるということもしっかり知っている デブは悪 そんなことはない人間に「デブ」という種類はない、これは蔑称で、誰しもに等しく人権がある……というのはただの論理だ 本当にそうか? 本当にそれを信じてもいいのか?早く殺してくれ なんでおれが死ななあかんねんふざけんな
わたしのような体型の人間が「体型に悩んでいます」と一丁前に言ったところで、所謂体型に悩む人からすればかなり傲慢な態度に見えるだろうしこんなレベルで悩むなどと吐かすなと自分でも思う(そんなことないよというのは頭ではわかっている)
ただ明らかにわたしのそれは「平均体重」ではない 物心ついたときからわたしが「平均体重」を下回ったときは小学校6年生以来いちどもない
健康なレベルか、医学的に適正かどうかは全く問題にならず、わたしが恐れるのはこっちの「平均体重」のほうで、みんなが「平均的だな」と見なすような体型の範囲にわたしが入っているかということがすごくすごく重要になってくる 訊いてもわたしが「平均的」かどうかは誰も教えてくれない 女の子は女の子にほんとうのことを言わない 明確に線引きのできない「みんな」のことをわたしはずっと気にかけている それはクラスの人々だったり駅前の知らない人々だったり家族であったりする 客観的な、配慮のない評価がほしいけど、それで太っているとジャッジされたとしたらわたしは本当に終わってしまうかも知れない
「どこにでもいそうな」体に死ぬほど憧れる ガワじゃない「中身」の固有の魅力はもちろん要らない訳ではないけど、それ以前にわたしの体が平凡で、ぱっと見では他の同年代の人間と見分けがつかず、どこにでもいそうであると死ぬほど言われたい 「普通」がほしい わたしがもうデブといわれることがなく、またそう思われることもないということを証明してほしい メチャクチャなこといってるけど伝わる?まあ伝えるためにかいてるわけでもないけど
わたしが自分を普通で、どこにでもいそうな容姿だ、ということを認めても意味がない そこらじゅうの全員に、そう言われないと気が済まない そうしてこれがいつか愛情を伴わない性的消費の対象となることを自分から望むようになってしまうかも知れないということがすごく怖い そんな風にはなりたくない でもひたすらに「ただの女の子」として見られたい(白状すると、その延長として、ただの女として性的に見られたいもなくはない) わたし固有のかわいさだの魅力だのは、その後でいいし、何ならわたしが決める ワルガキにデブといわれまくった時代から、父親に脚がごついと当たり前の顔でいわれた時代から(当時はそう言われても言い返せない体型にあった、そしておそらく今も)、わたしは自分のことを、どれだけその形が変わっても「醜い」と盲信している
ありのままの自分を愛したことがあるか?また、愛そうと思ったことがあるか?自分が愛する、愛されるに足る人間だと思ったことがあるか?
わたしは少なくとも自分の体においてはない あらゆるありのままの自分の体を愛そうという思想と動きがあることは知っているが、そうすることがわたしは、当分出来ないと思っているし、というかあまり理解できないし、わたしはそれをあまり望まない 自分が肯定することはおろか、自分の体をたとえ他人にどれだけ肯定されても嬉しくなれない 本気で何を言っているんだと思う ありのままのあなたを肯定しなよ、そうでないのなら早く痩せなよ←マジでわかる なんでどっちもできないんだろう 甘えだな
ミニスカートを選べずノースリーブが選べず姿見が見られない 買ってきてくれた服が入らないと頭が真っ白になる 「この服を着られる人たちというのがあり自分はそこから弾き出されている」のを理解して気がおかしくなる 首から下を直視すると嫌な気分になる 自分に痩せる気があるのかどうかすらわからない 見たくないなら見る必要はないし、鏡の少ない環境で自分の体を直視せずに生きてゆけば解決すると思っていたけど、それでも行動を起こさないために体がどうにも変わらないという事実は変わらず、結局あんまり解決してない 太っていても美しい人がいるということを知っている 太っていることを人間の醜さの理由にしてはいけない 頭ではわかっているけど、わたしは太っていることを明らかに醜いと、そして自分のことを太っていると思い込んでいる 本当に太っていると思っている 実際に太っているのだろうし一生こうなんだろうと思う
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custard--c · 4 years
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LIP×LIP(2)
というか夢ファンファーレ(2020/06/04) ツイートコピペ見返す用
1つめはこっち https://custard--c.tumblr.com/post/616737309015097344/lip-lip
LIP×LIPの彼らはこれをファンに向けて歌うと同時にお互いとそれから自分自身に向けて歌っていて、自分の中のしがらみなり苦悩なりに向き合って、そうやってはじめて歌に説得力を持たせることができている気がする…ので…
→ だからサビが3回あるんだということをMVが強調してくれる お互いに響かせあってから、その上でだからあなたも、というふうにさ…ううう・・・・・・・
ていうか柴崎愛蔵の"同じレール"って何なんだ…兄と?親と?
染谷勇次郎のほうにはおそらく「染谷家」というのがあって、それを継ぐことが正当であって、でも華がないという理由でそこから外されかけている状況だから「レール」は明確にあるんだけど(同じ色になりかけるっていうのがだからいまいち分からん)、柴崎愛蔵は多分そうじゃないからな…
共感というよりLIP×LIPが「媚びず夢を貫」いていることが、好き…
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custard--c · 4 years
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メモ
ツイートのコピペ 見返す用
・# sailormoonredrawと著作権(2020/05/17) リメイクのこと
なんか著作権云々はもう常識の範囲で頑張ってくれツイートボタン押すのに躊躇してくれというかんじだけど、それは置いといて、周りのみんながやってる+便乗して絵を見てもらえるのコンボでこれほど簡単に普段なら叩かれるようなことが容認されているのが怖いと思います(作文)
セーラームーンのやつそのうち著作権の問題を訴える声が大きくなってそれがまたひとつの勢力となり絵描きの間でお気持ちツイートがたくさん出来ていくんだと思うと全然ダメなことじゃないのにゾワゾワするので、インターネットをやめます
あれが自分の描いた絵のトリミングだったら発狂するでしょうが
全然違うのわかってるけど、他人の小説に「絵をつけてみました!」「漫画にしてみました!」って勝手にその二次創作をアップする人と、"加工師"って、同じようなもんなのでは?
→わたしはチョロいしフォロワーに甘いし"関わってくれること"自体が嬉しいので別にどっちも喜んでしまうけど、なんかそういう曖昧な線引きを「自分が嬉しいかどうか」で善と悪に分けるの勝手じゃない?(?)
→これを思い出してた ちょっと状況が変われば白い目で見られるようなことでもただの"流行り"になっちゃうの怖いな…
・ぬいぐるみバース(2020/05/18)
「倫理的でないとわかったうえで好きだった」なのか「倫理的でないと思ってなかった」ではだいぶ違うと思うんだけど
客観的にどれほど非倫理であっても好きになるのは自由だし、だれもそれを誹れないけど、それが非倫理である事を自覚せずにこれかわいくない?みんな!とやるのはめちゃくちゃ危険でしょ
「性癖がやばい」というのは創作の場所でかなり見る言葉で、それを好きでいること自体が悪いわけでは全然ないんだけど、その「やばい性癖」への認識が麻痺して自分(あるいは、その"界隈")以外にも受け入れられるものであると思いこんだときにこういうことが起こるのかな
具体的には「かわいそうかわいい」などがあたります
・議論(最新2020/05/18)
議論で喧嘩腰になって揚げ足とったり煽るような言い方した時点でどれだけいいこと言っててもそいつの負け感ある 煽らないと勝てないのかお前は(喧嘩腰)
何回か言ってるけど「根拠はあるんですか?」というやつね 本当に根拠が知りたいならそう言えばいいしそうでないのなら「それは根拠がありません」と断言すればよろしい
後、そんな言い方する奴はだから○○なんだよ!みたいなのも議論の内容に全然関係ないし普通に中傷じゃないんかと思う
煽りとしての「根拠はあるんですか?」「よくわかりませんね」「わかりますか?/わからないのですか?」、やめろよ………と思う 別にケンカならいいけど議論でそういう煽りをされると卑怯だな思う 相手の感情に頼って勝とうとするな 「根拠がありません」「破綻しています」でいい(2020/05/05)
議論で反語表現使う人、見ててイライラする 感情に任せて物を言うな、ツイッターじゃないんだから(2020/03/31)
全然関係ない去年のディベートのこと思い出してるけど、「議論」の場において論題から明らかにズレた部分(所謂"言い方")に難癖をつけて相手を逆上させて議論をメチャメチャにする奴本当に嫌だったな それ揚げ足をとるって言うんだよ でも言い方が悪い奴の方が悪い(2020/03/30)
→討論中に相手の主張への返事として「ちょっとよく分かりませんね💢」とか「○○ではないんですか?」とか「根拠はあるんですか?」とか、全部ダメだよ わかりません、は「わからないのかよ」ってなるし、根拠はあるんですか?は、示されたらオワリだよ
→ただこういうとき、当たり前だけど、根拠はあるんですか?の問に対して根拠を示せないとき、その人の負けだからな
・文芸(最古2020/01/07)
話・キャラクターとかがその巧拙を上回って好きなのなら我慢して読めばいいってだけじゃない?ましてや辞めて欲しいって何?すごい小説連載してるみたいだけど稚拙な文は矯正してなんぼじゃないからな 自分で書くうちにきっとわかってくるしやめろ!って言ってやめさせればいいわけじゃないやん(2020/01/17)
→わたしは誤文とか言葉の誤用を探すのが好きだけどみんなやめろよとは思ってない 見たくないは確かにあるけど避ければいいし、退くのはこっちだと思ってる こういう言葉遣いをしてるけど、たとえ承認欲求のためだけにだとしても、文芸をしているというのがすごく大きなことだと思う、ていうかお前誰だ
→選択肢とか口調から「やめてほしい」「そんな言葉遣いでの文芸は許されない」「そうだよな?みんな」が混ざってるのが本当に嫌
→きちんとした言葉での文芸が大事と思うならそれでいいし間違ってないけど蔓延が許せなかったりましてや正されるべきとまで思ってしまうならお前がなろうを去れよ
コミュニティから退くべき人というのがいるとすれば、それはいつでも当然"そのコミュニティ自体に不服がある人"でしょうが(文芸云々の話を思い出している)(2020/01/17)
ヤバい………よこれは なんでそういうこと言うの? 「対価を得る出版物としての完成度」ってじゃあなんなの? 百歩譲ってそれを言える立場であるならばそんな匿名の箱を使わずにタイマンくらい張りなよ かわいそう………………………かわいそう…(2020/05/28)
→ 言葉の誤用や文法の未熟さ文体の稚拙さを理由に文芸を文芸と見做さないのおかしいよ
→ 拘るだの美しい文章だの、全部、"あなた"が思っていることにすぎずそれをすべての文芸に当てはめようとすることは傲慢だと思う
初めに「あなたの支援者ですが」って前置くの残酷だ(2020/05/28)
→ 「あなたの支援者ですが」とかいている時点で「傷つけるかもしれない」ということがわかっていたはずなのにそれでも言ってしまうのはそれほど言葉につよいこだわりがあるからか言葉の稚拙さを無駄に論って落ち込ませたいかどっちかでしょ 前者としても言葉の巧拙を文芸の価値としている時点で…じゃん
・詩画(最古2020/01/15?)
詩画というものをマジで本当に理解できなくて苦しい 背景の物語で補完されてこそ成り立つ詩では弱すぎないですか?もしそうでなくその詩が独立した詩として成り立つ強さを持っているならその背景に綺麗な画像を持ってくる意味はあんのか?逆もしかり(2020/01/15)
→これかなり前から言っていることなんだけど、最近出したひとつの可能性が「詩と背景が融合することで詩と背景それぞれが元々持っていた物語・意味合いが影響しあって新たな物語・意味合いを作り出すのかも」というやつです
→オチとしてこれ当たり前なのかもしれん…普通にみんな知ってんのかもしれん…と落ち込むまである
→少なくとも音楽と動画の融合ではそれだよねという気がする CDで聴いてたイメージがMVで全然違った感じに塗り替えられること、よくある それが作曲者・動画製作者が意図してたかどうかはともかくだけど・・・・
ツイッターでの画像での小説投稿、フォントや背景の具合といったリアル"行間"に凝ることができるぶんある意味視覚芸術ではある(2020/05/05)
→ほんとうは文芸はこのような視覚効果がなくてもあってもおなじ印象を読者に与えるべきでは…と一応思っている
視覚芸術になった瞬間からそれはもう文芸ではなく文字という「画像に添えられた記号」になってしまう(過激派の言うことは聞かなくていいです) でもそれがだめとかではないんだけど、もしフォントや背景が変わることで意味合いや印象まで変わるような文芸は、弱いと思う(2020/05/05)
よくそんな至極当たり前のことをいい感じに画像にできるわね 才能?(2020/04/30)
「死にたい」は、今まで生きてきた証拠。とかでしょ?左足出して右足出せば歩いてるのと同等やんけ(2020/04/30)
こんな奴らがいるからいつまでも「ポエム」が自己陶酔文を揶揄する言葉から脱却できないんだよ チラ裏にシャーペンで書いても同じ光を放つか吟味してからやれ(2020/04/30)
ツイッターで最も嫌いなものはいい感じの写真か真っ白の背景にはんなり明朝で薄っぺらいことをいい感じに書いてバズってる画像だけど、しかるねこはその次くらいに嫌い(2020/03/19)
・無断転載(2020/04/30)
インターネットに上げられた作品の"無断転載・自作発言の犯罪性"を説明するとき、それは誰かが「個人的に作ったもの」だからそれを勝手に自分のものにしたりフリー素材的に使ってはいけない
という認識をまずつけるべきであって、その人がかけた時間や努力を無下に〜!とかは二の次なのでは?と思う→
何も知らない人に、それならばどうでもいいやつならいいんか?と言われると、そうじゃないでしょ
大抵この説明を行うのは「クリエイター側」だからその作品にかけられた情熱がしばしば取り上げられるけど、それは"無断転載・自作発言の犯罪性"には関係ない
どんな中身の人が作ったどんなに適当な落書きでも、無断で公的な場所で使われることは(ほんとは私的に楽しむことも許可がなければ)許されないことをむしろ強調しないといけないでしょ だってデジタルにしてもアナログにしてもイラストを1から作ることの実感が、描いたことない人には湧かないんだよ
ツイッターお絵描きクラスタがみんなお絵描きに対してなみなみならぬ情熱を注いでいるかと言われるとそうじゃないし、ひらたくいえば無断転載はパクツイと同じようなもんだよな・・
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custard--c · 4 years
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乳と卵
乳と卵(川上未映子)のネタバレ
全部憶測と覚え書き
乳…乳房、母乳 卵…鶏卵、卵子
背表紙のとこに身体と言葉の交錯ってあったけどよく分からなかった
・夏ちゃんと緑子が電子辞書で言葉を調べるところが好きだった(91) ・風呂で他人の身体を見ているとき(55)巻子は自分の胸について自分が普通でないと思っていることと他人の胸について自分が普通でないと思うことについて考えていたのかな 様々な人間の胸の形があり、それよりも自分の胸の形が圧倒的に劣っていて”豊胸すべき胸”であることを確認していたのかな ・女が男のために自分の身体を改造するのがおかしいのかどうかの話(41)  たとえ「豊胸をしたい」と思うことが無意識下に刷り込まれてある男性的精神(男性とセックスをし子供を産み人類が存続してゆくために女性のからだがありそれは男性がセックスをしたがるに値すべきであるという考え方のこと?男性的精神って何?)に基づいていたとしても、それが意志としてあるならばおかしいことはないというのはまず思う(男性的精神に基づいているということの是非はともかく)そうしてどのような根拠にあっても「豊胸をしたい」という意思を表明することを不用意で無知とするのもなんか……短絡的?だと思う。  そのうえで……、「あなたの、自身の胸を大きくしたいという願望が本当は純粋な意志でなく深層にある男性的精神に操られているのではないか?」という主張と「男性的精神とかどうでもいいので私の自分の胸を大きくしたいという純粋な願望を邪魔すんな」という主張はマジで噛み合ってないというかえんえん終わらないというか、胸を大きくしたい子は自分が男性とまぐわう時とかいう限定なしに自分の胸が大きくあればいいと思っているだけだと強く思っているので実はその願望の奥に男性的精神というものがあろうがなかろうがどうでもいいわけで、口をはさむ女の子の指摘はどこまでいっても響かないんだよな……と思う あと豊胸願望の奥の男性的精神の可能性を指摘するのであれば自分の化粧へのこだわりの奥にもその可能性を考えろよとは思う 豊胸と化粧は全然違うと言うが起源以外に何が違うのか分からない 胸が大きいほうがいいとする男も化粧が濃いほうがいいとする男もどっさりいるだろ そんなこと関係ないのかな……知らん わからん
・「若いとかじゃない」(62)ってどういうこと?  豊胸をすることでコンプレックスをひとつ大人しくさせると同時に、胸へのコンプレックスの原因のひとつとなっている「母乳を出した=緑子を産み育てた」ことを心から前向きに捉えられるようになる……ため? でも電話口で、緑子にも聞こえるところでそのことを口にするくらいだからそんなことは気にしてないのかも  もしくは、豊胸をおこなうことで自分の漠然とした焦燥感や緑子との不和を解消できると思い込むことで精神の安定を保ってるのかもしれないな
・勝手に生まれて勝手に大きくなって勝手に繁殖のための機能を備えていく(69)の、気持ち悪くて怖いよね そうしてそれが親にはわかってもらえないだろうと思っている……
・巻子は子供を産み、それで失ったものを豊胸手術で埋めるという、緑子からすれば彼女を”産まなかったに等しい身体”にしようとしている。その、あたかも子供を産むことが負担であったかのような振る舞いや、それで失ったものが無機物でも埋められることができるということが緑子の「子どもを産み育てて生きること」への不信感や純粋な恐怖を増幅させる。子どもを作ることは人間にとって喜ばしいことなのか?悲嘆すべきことなのか?緑子の「みんなが生まれてこんかったら、なんも問題はないように思える」(80)というのは、それ(母親の豊胸手術の根拠のひとつに緑子の出産があること)に基づいているのだから、彼女が子供を産みたくないと思う(64)のも自然なことに思える……
・最後の卵を頭にぶつけるところが二人の間にあった何かの明確な崩壊の比喩というか、鶏卵は無精卵で月経も無精卵で……とか考えた 少しは分かり合えたらいいなと思うけど、この親子は分かり合えてないとかではなくて、なんか……なに?
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custard--c · 4 years
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LIP×LIP
2020/04/29
【無観客ライブ】夢ファンファーレ/LIP×LIP youtu.be/BtGs72KGgJw
youtube
より以下ツイートコピペ
このさあ…LIP×LIPのふたりはさあ…お互いが自分の境遇に苦しんでることを理解しながら自分が辛いあまり相手のそれを羨んでしまってこじれるやつでしょ(急に何?)
本編?みたいなのがあるか知らないしあっても読めてないけど
共通していることはアイドルをただやりたくて、そのために親からの期待とかまわりからの抑圧を振り切って逃げ切ってきたことだけで、そこだけでぎりぎり分かり合えるんだろうな…苦しいだろうな…
そのふりきるものの重さを、どうしても自分の方が大きいと思ってしまえるくらいには2人とも大変で、でもその重さはベクトルが違うから比較できないから…
そのうえでこうやって夢ファンファーレを、表面的なアイドルの皮をぬいだ笑顔で演じるのはなんていうか強すぎるでしょ 説得力がある 説得力がある…
ただ私たちに綺麗事を押し付ける歌ではなくて、彼ら自分自身とお互いのための…彼らによって一番説得力を持たせることができる歌だからアツいんだよ…
「僕らわがまま育てて媚びず夢を貫け」が明らかにファンよりアイドルを掴み取った自分たちに向けて歌っているので本当に最高になる2020/05/01
追記2020/05/29
染谷勇次郎、期待をふりきってアイドルになったというよりは期待されない自分だからこそ自分の道を見つけたってことなのか てか彼に華がなかったら誰に華があるんやというかんじだが…
かわいいからおにぎりを取り合うな💢と思ったけど、高校生だよね 高校生だしね…
そもそもどっちのkissか選ばせて頂けるんですか?という次元だよこっちは(おこるなよ)
アイドルとして好きなんだけどファンとして認識されたくないって言うかアイドルをやってる彼らが好きと言うか、まあ………………なんでもいいです………
ノンファンタジーのひよりちゃんの位置に立ちたいんじゃなくてその位置にいるひよりちゃんなり誰なりを含めて「見ていたい」というか………
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custard--c · 4 years
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号泣する準備はできていた
私はお話を読んだ後に巻末についている別の作家による「俺の解釈」みたいな寄稿(”解説”と呼ばれているもの)がめちゃくちゃ嫌いで、いつも止めとけばいいのにいらいらしながら読んじゃうし、知った風なことを言いやがって(何様?)……とあたまの中で悪態をついて読書を終わらせるんですけど、結局自分でもこういうものを書こうとしてしまうので最悪ですね だからお話を読んでない人も読んだ人も読まなくていいです。中身の方は、すごいよかったです。以下、江國香織の短編集『号泣する準備はできていた』のネタバレです。
●『そこなう』と『熱帯夜』が好きだった 
 『そこなう』にて、待ち望んだ恋人の離婚が叶い、彼と二人で生きていけるようになったはずのみちるは「人生が突然恐く」なる(217)。追いかけることはすごく安心することだと思う。何かを追いかけたり待ったりしていると、安心する。人生や生活に目的があるように思える。ただし、それが遂に叶ったとき、焦がれていたものが手に入ってしまったとき、どうしようもなく寂しくなって、怖くなる。「どうしてだか、新村さんを失いそうな気がした。あるいはすでに失っているような気がした。」(218) 
 みちるは新村への感情が度を越えないための”歯止め”として別の男と、事情をわかってもらったうえで交際をしていた。しかし、その”歯止め”が、新村の離婚によって必要なくなったとき、みちるは歯止めのきかない自分と新村がうまくやっていけないだろうと思ってしまう(220)のである、苦しく、待つ期間だったはずのものが、破綻への猶予だったのではないかと思ってしまったのかもしれないなと思う。
  みちるには新村が全てで、新村にはみちるが全てだと、お互い思い込んでいたが、実は二人とも、”歯止め”という名前で、別の異性と交際をしていた。しかしそれは、彼女らの、お互いがすべてだ、ということに矛盾する。これ以上好きになってしまわないように(219)とあったが、それは自分にとって、というだけで、相手には自分が全てでいてほしかったということだと思う。関係を崩さないようにやってきたはずのことが、カミングアウトによって「相手は自分がすべてではなかった」ということだけが共有される。そこに「相手も自分を好きになりすぎないようにしなければならなかったのだ」という共感はない。なぜなら、歯止めがきかない状態だと破綻する、と思っているのは自分自身に対してのみだからである。それが、この話の悲しいところである。このとき損なわれたものは、それまで相手から注がれていたはずの愛情への信頼とか、それまで彼女らをそれぞれ支えていた「(自分には”歯止め”が居るが)相手は自分しか見ていない、自分だけを愛している」という自信とかなのだと思う。みちるの心中文に「私たちは二人で、離婚を達成したのだと思っていた」(223)とあるが、新村にしてみればみちるが彼を待つために誰かをクッションにしていたなど思いもよらなかったことなのだろう。
  一方で『熱帯夜』の二人には、(一見満たされているようには見えるが、)何もない。彼女らの生き方は刹那的で、彼女らには未来がない。これからを見つめて生きていくのではなく、いまそのときだけを生き繋いでいる。何も待っていない、何も追いかけていない。そこには彼女らの愛のために必要なすべてがあり、彼女らの人生のために必要なすべてがない。彼女らは、「行き止まりにい」て(51)、「世界の外側に出」ている(55)。べつの恋人がいるのに二人で沖縄に行くという「背信行為」(56)だってやってのける。ぽんと、ジャンプでもするように手を繋いで世界の外側に出てしまう。ここでいう世界とは、男女や怨恨や序列、生活や学歴や家庭のルールにがんじがらめになった場所のことだ。
  彼女らのような生き方をする人は少なく、私はそれがずるいと思う。あまりにもフィクションだ。彼女らの望みはみんな一旦叶えられてしまった。二人きりで暮らし、暑い日には桃をたべ、食後にバーに行き、手を繋いで歌いながら帰る。それでも話をただきれいなものとして鑑賞するだけでなくどうしてもずるい、と話の中に移入してしまうのは、千花がその自身の状況の刹那性を、大きすぎるくらい自覚しているからなのではないかなと思う。千花は、自分が世界の外側の幸福な場所にいながら、それが長くは続かないことを悔やんでいる。大地震が起きて二人きりになってしまうことを切望しながら、社交的な秋美をとりまくたくさんの幸せな人々のこと、生活のこと、生きていくということを思い起こして、それは無理なのだ、と悟っている。それでもなお、脆いぎりぎりの場所で秋美と、かぎりなく刹那的に生きたがっている。それが、すごくうらやましい。
●『じゃこじゃこのビスケット』
  女の子のコンプレックスをすっごいえぐってくるなと思った。わたしだけ? 問題児でも優等生でもない、退屈な娘であると、真由美は自身を評価した。上京して入った女子高で彼女が出会う女の子たちはお金持ちの大学生とつきあっていて、ドライブに連れて行ってもらう。彼らは「親切で頭が悪く見える」と描写される。彼らに趣味を訊かれても、都会のいまどきの女の子の「遊び」を知らない真由美はうまく答えられないのである。ここで描かれる「17歳の女の子」はくだらないでたらめを信じている。男の子はお酒を飲む女の子が嫌いだとか、男の子はセックスするとき相手が処女だとこまるとか。それは真由美に根付いていった観念で、そういった経験は真由美にもともとなく、そうして私にもなかったものだ。大人から見ればくだらない、下世話でちゃちな、いまどきの女の子の常識のようなものが、どうしてかすごく輝いて楽しそうに見える。自分が、つまらなくて退屈な女の子だと錯覚してしまう。むりやり男の子を誘って無免許で海に繰り出した真由美は、それをやってみて、それが全くの失敗に終わったとき、真由美は女の子のもつものが幻想であることに気づいたのかもしれないし、あるいは自分がいまどきの女の子になれないことを悟ったのかもしれない。でも、あとからその全く楽しくなかった思い出が、哀愁と一緒に思い出される。それが、なんていうか、垢ぬけられない自分への諦めみたいなものを刺激してきてつらかった
●そのほか 
 くたびれた女性のキャラクターがしばしば出てくる。上手く言えないんだけど、とにかくどこかくたびれている。例えば『こまつま』の美代子は、デパートでいつもときっちり同じ買い物をして同じ店でご飯を食べる。それがアイデンティティであり、安心の軸であり、プライドでもあるのだが、皺が目立つ老婦を見て、悪気はなくとも目をそらしてしまう。あるいはふとすれ違う、三人の子どもを育てるという、美代子には到底できないことをやってのける母親に対して、驚愕しながらも「いかにも母親としての先輩然として」(110)微笑んでしまう。自分は家庭を持つ妻として、母として、忙しく、老いも見せず、女性としてやるべきことをしっかりやっている、といったふうにある種の”孤高”を演出しようとする。ご飯屋で時間を気にせず楽しむ女性たちを「愚か��孤独な若い女や、暇で孤独な主婦」(112)と呼ぶ。そこには軽蔑と、もしかすると少しの諦めや願望があるのではないかと思う。そういうところが、まずくたびれている、と感じる。
  そのあと、美代子はご飯屋でルーチンからはずれたことをしてしまう。棚に飾ってある酒の美しい瓶に惹かれるのである。その「清潔で可憐な様子」(112)に、「なにか孤高の佇まい」(112)を見いだし、おそらくはそれを自分の信じる”孤高”と重ね合わせたのだろう。しかしウエイトレスに頼んでから瓶をカウンターに置きっぱなしにされ(それが常識なのかもしれないし、私にはわからない)、「これでは自分が何をのんでいるか、みんなにわかってしまうではないか」(114)と狼狽える。しかもほとんど水みたいな見た目のお酒は非常に強く、簡単には飲めない。うっかりすると、彼女は飲みなれないお酒で恥をかいてしまうのである。なんとかして飲んだ後、「美味しいじゃないの」(116)とにっこりする。孤高のお酒に、自分はつりあっている、と。そういうところも、くたびれてるなあ、と思う。
  『洋一も来られればよかったのにね』では、夫のために別れた魅力的な恋人のことを思いながら義母と気まずい旅行をするなつめが、『溝』(これ、ホラーかと思った)では離婚の予定を隠したまま、気まずい思いをしながら夫の実家に帰省する志保が、それぞれくたびれた女性として登場しているように思う。
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custard--c · 4 years
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mariabeetle
2019/11/15にぷらいべったーに書いた伊坂幸太郎「マリアビートル」の蜜柑と檸檬についてです。ネタバレを含みます
 友情でもなくおそらくは恋慕でもなく、こういう“言葉にできない感慨”をお互いに抱きながら職業上なんとか繋がっているふたり、すごいですよね 好きなんです 大事というのも因縁というのでもなくて、もっとドライな、でもけっして切れていない縁が、なんていうのかな、強いて言えば愛着、っていうか、いやそれもちがうな……。檸檬が眠いのに耐えながら、しかも敵(暫定)である王子に最後に言った言葉が蜜柑への伝言だったの熱い
 いつ死んでもいいような雰囲気の会話してたの、相手がいつ死んでもいいって思ってたわけじゃなくて、なんだかんだこいつは死なないだろうなという薄い確信がお互いにあったからなんだと思う 実際強かったみたいだし ていうか檸檬はあそこで死ぬ必要あったのかな あんなにあっさり……でもそのあっさりさも、今思えば檸檬らしいと言えなくもないよね なんか結局、蜜柑も檸檬も死ぬ運命だったわけで、それも含めて私は彼らが好きなんだと思う だから死んでほしくなかったとは思わないというか いやもちろん彼らが好きなのでスピンオフみたいなのがあったらすごくすごく読みたいけど、それはスピンオフとしてなんだよね 生き返られたらそれはなんか、嫌
 檸檬がすごく好き もともと飄々とした感じのキャラクターに惹かれるところはあったんだけど、あんな風に無邪気で、天然で、馬鹿で、でも大事なところで頭が切れて、身軽で、そうして運が悪い……の 好きなんですよね 死んだときは混乱したけど、今は死んだことも含めて檸檬のことが好きです。いや、運が悪いというより、たぶん王子の運がよすぎて相対的に運が悪かっただけなんだけど。それから、トーマスが好きなところ 蜜柑についてもそうだけど、彼らに何かが「好き」と思える心がある、ということが本当に好き……好きだ……
 混乱といえば檸檬の死体を目にした時の蜜柑のとこさ……あそこ名シーンだよね この本で一番覚えてる 簡単には死なないだろうという気はあっても、彼に檸檬の死を想定することは普通にできるんだよね それは多分檸檬が蜜柑に対してもそうであるはずで、まあ、職業が職業だから……
 井坂がわざとそうしたのかわからないけど、463ページ、わざとここでページ区切ったのかな……
 蜜柑にも檸檬にも、お互いに対する“言葉にできない感慨”の自覚はなくて、それはお互いが、そのどちらかが死んだときにはじめてむき出しになって彼らを襲うようにできてるんだなと思った 檸檬の好きだったもの、よく口にしていた台詞、癖、表情、そういったものを自分が意外と細かく覚えていたこと、自分の頭の中の意外とたくさんの部分を彼が占有していたこと、蜜柑は檸檬が死ぬまでわかんなかったんだよな 引用していいですか?
『蜜柑は自分の胸が裂け、細かく割れ、そこに冷え冷えとした風が吹き込み、小さくざわめくような感覚になり、しかも、そのようなざわめきは初めてであったため、動揺する。』
 王子は動揺した蜜柑を見て、大事な相棒を失ったときの一般的な心情、まあ悲しみとか、戸惑いとかを想像して、「脆いじゃないか」とうれしくなるけど、それは的外れな推測なんだよね そもそも蜜柑は知らなかったんだから 自分が檸檬のことをどう思っていたか、そうして檸檬の死体を目にしたときの彼の動揺は悲しみや絶望というよりは、それ以前のなにかなんだと思う 檸檬の脈を見るとき、どんな気持ちだったんだろう
 そこから蜜柑が王子をしずかに質問責めにするんだけど、そのとき初めから、蜜柑には王子に黒いディーゼルがくっついてること、知ってたんだよね……ううう そこからがさあ 蜜柑は黒いディーゼルが何を表すかを、「あれだけいつも、あいつに言われてれば、少しは覚える」から覚えていて、檸檬はそれをわかっているにしてもいないにしても、それに賭けたわけなんだよね それってすごいよ……そのあとの「頑張って、ここまで読んだみたいだな」というところで、檸檬が蜜柑を少しは理解しようとしていたことが露になるんだけど、それもすごくて 愛じゃん 愛とか言っていいのか?こんな、こんなところでそんなものを噛みしめて、二人がおそらくは無意識に根底のところで信じあっていて、少しでもわかりあおうとしていて、それが嬉しかったのだということ、幸せだったのだということを反芻していること、すごすぎる それを蜜柑は「あいつも俺も負けず嫌いで素直じゃなかった」って形容してるわけなんですよね
“言葉にできない感慨”が結局なんであろうと、檸檬が好きだったものを蜜柑は記憶していて、蜜柑の好きだったものを檸檬は理解しようとしていたことは事実で、それは多少なりともお互いの尊重で、形はよくわからなくても、愛だったんだろうなって 思います……
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custard--c · 4 years
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goldenslumber
井坂幸太郎の「ゴールデンスランバー」多分にネタバレ
もういろんなブログとかで明らかになっていることばかりだけど、自分のために ()のなかが空欄のところは、見つけられなかったところ
●好きだったとこ ・樋口伸幸が七美に死んだバッタのありかを訊かれたときに七美の胸を指して「七美の胸にいるんだよ」と言ったとこ(280) ・行け、青柳屋(648) ・児島が泣くとこ(586)
●明らかにされていないことたち ・倉田愛(痴漢被害者、偽青柳計画に関わりあり?)と井ノ原梅子(ハロワの友達、ラジコンが趣味)の事故死(92) ・落合勇蔵(ラジコン店主、偽青柳と関わりあり)の事故死 不自然な飲酒(90)→P251井ノ原の台詞引用「落合さんとかはいろいろ分析してて、今晩テレビに出るらしいよ」 ・小林ヒカル子(金田の愛人)の自殺の際、日記が盗まれている(89) ・楠美純子(ファミレスのウエイトレス)の誤った証言(91)→のちに後悔して「警官が暴れていた」と(本当のこと?)言ったのは自分が青柳のファンだった(254)から……? ・仙台病院センターの医師二人の自殺(92)→三浦と偽青柳計画関係の男の死体を処理したから? 院長の大河内が警視庁と何らかのやりとり ・佐々木一太郎の退職が、青柳事件のあいだに重要な秘密を掴んでしまい、���わりたくなくなったからかもしれないこと(94) ・仙台の整形医師の「自分も事件に関わっていたのだ」発言(95)→凜香と青柳の整形(657)?もしくはその同業者のことかも(576) ・近藤守の退職が、日記によれば、青柳の後輩男性(小野和夫)への違法捜査の口封じへの反発によるものであること(96) ・金田宛てに届いたとされる中傷の手紙に青柳の指紋が確認されたこと(59)→海老沢絡みだし偽青柳のものなのか、でっちあげなのかな…… ・アイドルの凜香宅は防音にすぐれていた?(56) ・青柳宅の金田の写真にバツ印がついていた(53)のはなんで?
ビルの屋上でラジコンを操作していた人物は鵜飼(海老沢により設置された調査委員会の最高裁判事)実際は落合によく似ていた(90)→落合が偽青柳計画に携わっていた可能性がある
●偽青柳計画に携わっていたかもしれない登場人物 小鳩沢、佐々木一太郎、海老沢克男、倉田愛、井ノ原梅子、落合勇蔵、森田森吾、楠美純子、大河内、鵜飼、仙台の整形医師の同業者(576)、病院で三浦に刺された男(517)、とんかつ屋の主人(54)※晴子によって本物の青柳がご飯粒を残しがちであることがわかっている(261、283)、※本物の青柳はクレジットカードを持っている()
結局「警察関係者」「偽青柳が訪れた店の人」とかでくくればそれはそうなんだけど、作中にでてきたぶんだけでも・・。
●第三章”事件から二十年後”のノンフィクションライターは青柳である? ・P82引用「筆者は昔、若者たちが「世の中の悪いこと全部が、自分たちのせいにされる。アメリカみたいだ」と嘆いていたのを聞いたことがあるが、まさにアメリカとはそういう宿命にあるのかもしれない」 P489引用「悪いことが起きると何でも俺たちのせいだぜ。アメリカみたいだよな」
・P97引用「そこでは森の声も聴こえない」 事件に巻き込まれて亡くなった(多分)青柳の友人、森田が頻繁に自分が「森の声が聴こえる」と口にしていた(101) 関係ないかもだけど森田の墓も山の中の霊園にあるな……(675)
●鎌田昌太は三浦が居たアパートの住人である ・P665引用「一年半ぶりに、アパートに帰ってきた。」 P665引用「いくら、大金を積まれたからとはいえ、見知らぬ男に部屋を又貸しすべきではなかったか」 赤のオープンカー、日本中を旅行、整形後の青柳が前に一度お邪魔している(666)
三浦がアパートの住人にオープンカーで日本中を旅できるほどの金を渡してアパートを貸してもらった描写(356)
●雑感 ・病院にいる小野和夫に近藤が証言を求めにきた(566)あと、どうなったんだろう……これが”違法捜査”? ・状況がまずいとき?に先輩を「先輩」呼びする小野和夫の癖(276)がP211の通話のときにも出ているのかな ・P561「警察も電話かけてくるし」→P243で彼女とのことにされた通話。このあと「来る」と言った(244)のも彼女ではなく警察だし、「そうだな、俺はやったよ」に緊張をみせた(248)のもわかる ・副題が「A MEMORY」なの良いな、時系列がばらばらだったけど、だからこそ事件を”終わったことの回想”として読むことができたし……。オー!ファーザーの副題が「a family」なのがよかったと思ったこと思い出した ・整形後の青柳を「歯並びが悪い」と描写している(666)のが気になって整形前の他のとこにその描写がないかなと探したけど見つからなかった ・病院の中学生、マリアビートルの王子に似てるな・・ ・地位でも清廉潔白さでもない”なにか大事なもの”(ここでは「逃げる」ということ、そのための心の通じ合いとか、信念)が貫かれててそれが報われていると感じる だから感動するし、見ていて爽快 ・青柳、運がよすぎる ここまで選択で「あたり」を引きつづける主人公おる? 保土ヶ谷とか、三浦とか、協力的すぎない? ・井坂幸太郎、親切なヤンキーみたいな存在が好きだよね・・そういうところが私も好き 今回は権力とか「おとな」への反抗みたいなものを感じたからぼくらの七日間戦争を読んでるときと同じような気分になった
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