Tumgik
ama-gaeru · 4 months
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孝行息子
※暴力的な表現があります。
 自分がこの世に出荷される瞬間を、いわゆるご出産ビデオかなんかで見たことがある奴はそれなりにいるだろうけど、どうやって仕込まれたのかを見るはめになったって奴はそんなに多くはないんじゃねぇかな。
 俺を入れても世界に五万人、いるかいないかくらいだろ。これって多いか少ないか微妙なラインかな?
 わかんねぇけど。適当に言っただけだから。
 あんたは俺の母さんの名前も知りゃしない。
 そりゃまぁ、そうだろう。あんたにとってはどうでもいいもんな。そんなの。
 俺が会いにいくまで母さんのこともすっかり忘れてたんじゃねぇの? 
 すごいよなぁ。あんたが人の親なんだもんなぁ。あんたみたいなのがさぁ。人生のセカンドチャンスってヤバいよなぁ。生きてさえいればワンチャンあるってやつだよなぁ。娘ちゃんと息子ちゃん、奥様ちゃんは今頃お家で寝てるよ。全てが終わるまで目は覚さない。俺の叔母さん。父さんの妹はそういうのが得意なんだ。今頃あんたの家族の頭を撫でてると思うぜ。まぁ、安心しなよ。叔母さんは父さんや俺と違って優しいから、寝ている間に何かしたりはしないぜ。多分ね。
 まぁ、いいや。それよりこれ見てくれよ。俺のiPad。見れるだろ? あぁ、体がだるいのは車の中でチクッとやったやつのせいだよ。大丈夫、死にはしないから。意識ははっきりしてるだろ?
 ほら、これ。このページ。行方不明の子供たちの情報サイトの、ここ。ここに載ってる写真さ。いい写真だろ? 1984年のクリスマスの写真。
 こんとき母さんは11歳。息子の俺がいうとマザコンっぽいけどさ、可愛いよな、実際。
 リトルフラミンゴコンテストでいい線まで行ったんだ。勿論、知ってるよな。だってあんたらはコンテストで母さんを見つけたんだから。いや、いや。母さんをっていうか、リタ・ワッツをだな。優勝した子。
 最初はその子の所に行ったんだけど運悪く……か、運良くかは見方によって変わるだろうけど、ワッツ家はグアムに向かう飛行機の中だった。
 それで、仕方なくあんたらはリタのバーターで、母さんを選んだのさ。
 仕方がねぇ、こいつでいいやって。
 あんたがもしもグリンレーズバーグで暮らしてたら、きっと毎日この顔を目にしていただろうと思うね。あの町の街路樹っていう街路樹にこの写真を使った「この子を探しています」のポスターが貼ってあるんだからさ。
 30年以上経った今でもだぜ。信じらんねぇだろうけど、マジなんだぜ。Googleストリートビューでみてみろよ。そこら中爺さんと婆さんが貼ったポスターだらけだから。全く。痛ましいったらないぜ。
 三日前の夜に二人とも老衰で死んじまったけど、そりゃぁ安らかな死だったそうだぜ。滅多にない「眠るように」ってやつ。父さん、相当奮発したんだろうな。あれで結構、愛妻家なんだ。幾らかかったか教えちゃくれなかったけど、「眠るように」って高いんだぜ。叔母さんは身内割引してくれないタイプだしな。あんたは知らないだろうけどさ。
 母さんはアリス・コーミアって名前で、普通の家で暮らす普通の女の子だった。このサイトの婆さんと爺さんのコメントによればね。
 1985年の8月14日。午後六時にチャイムがなって、外から「郵便でーす」って声が聞こえてきた時、洗い物で手が塞がっていた婆さんは「アーリースー」って言ったんだと。これって「アリス、お母さんは今忙しいんだから代わりに荷物を受け取って頂戴。漫画は後で読みなさい」っていうのの短縮な。
 それで、母さんは嫌々漫画を読むのを止めて玄関を開けた。
 ものを知らない奴なら「そこには死神が立っていた」とか、そんな風に言うんだろうけど、そりゃ最悪の例えだな。本当。マジでさ。あんたは知らないだろうけど死神ってやつははヒューゴボスかアルマーニしか着ないんだ。宅配業者風の汚れたジャケットなんて絶対着ないし、キャップもかぶらないし、スニーカーを履くくらいなら裸足で歩くだろうさ。気取りやなんだよ。
 ドアの向こうに立っていたあんたのお友達、ゲイリー・リチャーズは銃を持っていて、それを母さんの顔に向けていた。で、言ったんだよな?
「黙れ。喚くな。車に乗れ。騒いだら殺す。お前も、お前の家族も皆殺しだ」
 で、母さんはそうした。そりゃ、そうするよ。騒いだ瞬間にいきなりバンバンってくるかもしれないし。死にたくないもんな。
 けどそれが母さんのポカだったんだよ。
 彼女はどうしたって、そこで叫ぶべきだった。絶対にそうすべきだった。まぁ、いきなりのことだから声が出せたかどうかわからないけど、そうするべきだったんだよ。例え頭をパンされてもさ。絶対にそうするべきだった。
 母さんが車に乗るとそこにはあんたとあんたのろくでもない仲間がいて、それで、車がグリンレーズバーグからレージスイッチに着くまでの3時間、車の中に地獄が生まれた。
 うるせぇなぁ。なんだよ、今更。ビデオを見たんだ。あんたらが撮影してたやつだよ。撮っただろ。「俺じゃない」って? ばーか。何のために裸に剥いたと思ってんだよ。背中のタトゥーが一緒じゃねぇか。ばーか。
 車は一度、バズノー川の前で停まって、あんたはゲイリーと運転を交代。それも撮ってたよな。
 レージスイッチに着いたら、あんたらは母さんをリチャーズ家の地下に閉じ込めた。
 つまり、今、あんたと俺がいるここにだよ。ここに。
 そいつの家は町からかなり離れた場所にあったし、リチャーズにはあんた以外にお友達がいなかったからな。誰も尋ねて来やしない。悪いことするには最高の場所だよな。
 で、あんたらはしたいようにした。車の中でしたみたいに。
 今、あんたが座っているその腐った象みたいなくせぇソファーが、それからずっと、母さんの居場所になった。
 あんたらは……なんていうか、馬鹿で痛い連中だったな。黒魔術の呪文とか唱えたり、生け贄だの、闇の紋章だの、処女との交わりが悪魔バルゼブブを召還するだのなんだの。来る訳ないだろ、ベルゼブブが。
 カメラに向かってノリノリで喋ってたけど、俺に言わせりゃあんたらはコスプレしたロリコンのペドフィリアのクソだ。あんたらがこの世に生み出せるものなんてクソしかない。クソの製造機だ。あんたらは誰一人として悪魔なんか信じちゃいなかったし、黒魔術のことなんて少しも調べちゃいなかった。どうでもよかったんだ。魔法陣だって滅茶苦茶だしな。見てみろよ、あの壁に書かれた魔法陣やら呪文やら。恥ずかしいったらないぜ。
 あんたらは理由が欲しかったんだ。11歳の女の子を無茶苦茶にするのに、理由が欲しかったんだよ。その子の歯を抜いたり、クソを食べさせたり、飼ってる犬に犯させたり、そういうことをしてみたかったんだ。だからしたんだ。そうだろう。
 一体、あんたらは自分達をなんだと思ってたんだ? 悪魔の弟子か何かか? 黒魔術師の見習い? 
 あんたは母さんに言葉を教えるのが好きだったな。あんたが大学でやってるフランス語の授業みたいに。「皆さん、先生に続いて言ってみましょう。Bonjour!」って。あぁ、俺、何回かあんたの授業に出たんだぜ。あんた、中々いい授業をするね。
 それで、あんたは母さんのケツに突っ込みながら色々言わせたっけな。彼女が絶対に思っていないことを言わせたっけな。上手に言えるようになるまで何回も何回も何回も。あんたは誘拐されて酷い目にあわされてる女の子が、自分を酷い目にあわせているクソ野郎相手に「家に帰りたくない。ずっとここにいさせてください」って言わなきゃいけないって、どんな気分だか想像できなかったのかな? 想像できてたからこそ、そう言わせたのかい? そういうので興奮するのか? いや、いや? 本当は女の子のことなんかどうでもよかったのかもしれないな。あんたが本当に特別な関係になりたかった相手はリチャーズ。でもあんたもリチャーズもゲイじゃないし、肉欲とか恋愛感情とかそういうのでもなかった。だから母さんを使って、特別な絆を築きたかったのかも? 
 あぁ、ちょっと臭うかい? 悪いね。あの隅っこにちょっと色々おいてあるもんで。まぁ、でも、あの臭いには慣れておいた方がいいと思うぜ。これからあんたにとっては馴染みの臭いになるんだろうし。
 さて、どこまで話したっけ? そう。あんたらが酷かったって話だ。すげぇ、酷かったって話。
 本当に、あんたらは好き勝手やってくれたよ。俺の母さんにさ。あんたらは母さんを便所代わりにして、サンドバッグ代わりにして、ペットの欲求不満のはけ口にして���灰皿代わりにした。それを全部撮影した。
 「お父さんとお母さんに見せてやるよ」って言ってたよな。
 「お前が犬の子供をたくさん産んだら、記念撮影をしてクリスマスカードにしよう。それをお前の家に贈ろう。人間と犬のハーフの赤ちゃんをお前に抱かせてやる。犬の子を産め。そしたら家に返してやるから」って。
 泣くな、泣くな。まじで。何泣きなの? 何を泣くのよ? 
 ちょっと待ってな。ちょっと準備するから。
 ほら、見える? 床にある黒い染み。染みっていうか、床のあそこら辺だけ腐食が激しいでしょ? 何かわかる?
 そう。あそこで母さんは死んだの。
 いやいや、わかるよ。そんなわけないって言うの。お前とリチャーズは母さんの死体をこの地下室のバスタブで溶かしたんだもんな。
 母さんの死因はショック死。だと、あんたらは思ってた。いつ死んだのかわからない。いつもみたいに母さんとお楽しみしてたら、気がついたら息してなかった。あんたは「クソッ!」って言ったよな。「死体とヤっちまった。病気になるかも」って。バカなのか?
 で、あんたらは母さんを処理することにした。細かくバラバラにして、どっかに埋めようか? それとも燃やそうか? 
 リチャーズは最初からどうするか決めてた。今日の日のためにホームセンターで肉を溶かすあれこれを準備しておいたのさ。園芸に使う粒々したやつと、車の洗浄に使う液体を混ぜて完成する魔法の薬。
 それをバスタブにたっぷり注いで、母さんを漬け込んだ。
 すごい悪臭がしたよな。あんたらはたまらずバスルームの扉を閉めて、地下室を後にした。二、三時間漬けとけば母さんは泡になって消えるってリチャーズは言ったよな。
 ところでこの臭い。この部屋の臭い。その時の臭いに似てるだろ? というか、おんなじなんだ。
 ほら、あそこに、あの部屋の隅っこに、ごろっとした大きいのがあるだろ? 見えるかな? ちょっと体を起こしてやろう。
 よいしょ。ほら。あ、わかった? 見えた? よかった、よかった。あれがリチャーズだよ。あんたより早く、俺がここに連れてきたんだ。いつだっけ? たぶん半年くらい前かな? おーい。リチャーズ。まだ耳は聞こえるかな? お友達のホワイトマンがここにいるよ。ジャック・ホワイトマン。
 あ、ほら。動いてるね。あんな、どこが顔でどこが体かわかんない感じに溶けてるのに、動いてるね。あんたをここに連れてくる前まで、風呂に浸けておいたんだよ。何日漬けたと思う? 大体、5日くらいかな。手足は無くなったし、目や耳や鼻も無くなったけど、まだほら、原型は残ってるだろ?
 二、三時間じゃ泡になんかならないんだよ。どんなに小さな女の子でもね。
 母さんはね、お風呂の中で生き返ったんだよ。体が溶けていく中で、生き返ってしまったんだ。
 母さんは強い女の子だった。世界で一番強い女の子だった。皮膚がなくなった指でバスタブの縁をつかみ、風呂から這い出した。ブヨブヨの、今にも解けてしまいそうな体で床を這った。
 母さんはあんたらが床に描いた厨二病丸出しのインチキ黒魔術の魔法陣の上を這った。あんたらが母さんの血で描いた魔法陣の上を這った。そしてそこ、あの染みの場所でとうとう動けなくなった。
 母さんはもう、あんたらが与えた苦しみと恐怖と屈辱と絶望のせいでほとんど壊れてしまっていた。でも、生きようとした。生きるためならば、なんだって捧げる。どうなってもいいと母さんは思った。もうこれ以上、どうなる余地があるとも言えない体で。
 母さんは正しい手順を踏んだ。血を捧げ、涙を捧げ、悲鳴を捧げ、苦痛を捧げ、命を捧げ、自らを捧げた。こうして、母さんは父さんと出会った。
 叔母さんが言うには、父さんはあんたらに相当イラついていたらしい。あんたらは父さんの名を叫び、父さんの名の下に出鱈目な儀式を繰り返し、それでいて父さんのことを信じちゃいなかった。父さんはアンチよりも、ファンを騙る迷惑野郎の方が自分の格を下げると知ってたのさ。
 「あんたのファンってロリコンの変態ばっかなんだってね、ぷぷっ」なんて言われたら、プライドが傷つくだろう?
 でも呼ばれちゃいなからな。呼ばれない限りは父さんだってどうにもできない。ただイライラするだけさ。
 そこで母さんが父さんを呼んだ。本当に正しい手順で、父さんをお招きした。こちら側にね。
 父さんはその場で母さんにプロポーズした。ロリコンってわけじゃないぜ? 契約的なものさ。父さんの妻になった者はこの世のあらゆる苦痛から解き放たれ、自分が受けた苦しみや悲しみや絶望を他の者に与えることができる。そして未来永劫、幸せに何不自由なく暮らせるんだ。つまり、父さんなりの労りってことさ。あれで結構、お人よしなところがあってね。こうやって妻にした老若男女で父さんの後宮はいつも満タンなんだ。
 母さんは父さんに連れられて、父さんのとこで今は幸せに暮らしてるよ。今頃、爺さんと婆さんとも会えてるかもしれない。なぁに。死んだら人間はみんな父さんの管轄に行くんだよ。今日、上の方に行けるやつなんか生まれたばかりの赤ん坊か、子犬くらいだよ。
 そう。それで、母さんはあんたらのことは少しも覚えちゃいないんだ。母さんがあらゆる苦痛から解き放たれるためには、あんたらのことを忘れる他ないからね。
 父さんもあんたらに何かしてやる気はないらしい。まぁ、あんたらは凡庸で、よくいるタイプのクソ野郎だから、わざわざ出向くほどでもないってさ。
 ただ、あんたらが父さんをイラつかせたのは事実だし、何もしないっていうのもメンツに関わる。
 そこで、俺がきたわけだよ。父さんは母さんの抱えている嫌な記憶と、母さんの中に残った犬の精子と、自分の血をちょっとだけ混ぜて、俺を作ったってわけ。なんでって? 父さんや母さんは呼ばれなきゃこっちに来れないけど、俺みたいな混ざったのなら、どっちにも行けるからさ。人間と犬と地獄のミックスだよ、俺は。ほら、犬歯があるだろ? それにまぁ、見せる気はないけどオシャレな尻尾もあるんだぜ。後は極々普通の青年さ。あんたらと対して変わらないわけよ。こっちでの名前もあるんだぜ? 教えないけどさ。とにかく、まぁ、父さんはその場のノリで俺みたいなのを作る癖があるんだよな。兄弟多いんだぜ? 俺。まぁ、妻の復讐の代行者ってとこだな。愛妻家なんだよ、父さんは。子供への愛情には欠くけどね。
 それでな、母さんは俺のことを知らないし、俺を見ても息子だなんて思わないわけよ。外見だけなら俺のほうが年上で、お兄さんって感じだしな。向こうで会っても挨拶するだけさ。時々、一緒におままごとしたりするけどね。いい子なんだよ、母さん。あんたらにはわかんないだろうけど。俺は母さんのことが好きだよ。幸せになってほしいんだ。
 それで、実は今日が母さんの誕生日なんだよ。母さんにはピニャータとおもちゃのシャボン玉マシーンを持ってくつもりなんだけど、まぁ、特別なものを添えようかなって。それがね、あんたらなんだよね。
 これからあんたらをあのお風呂に漬けるんだ。顔だけ出しておくね。そのうち、今の薬が切れて、悲鳴を上げられるようになると思う。あんたらがゆっくり溶けていく姿を動画撮影して、母さんのお誕生日会で流すムービーにするんだ。誕生日が終わった後は、この動画は父さんのとこの人間ならいつでも誰でも見られるようにしておくよ。ここの住所もテロップで入れとく。あそこは結構暇だからね。あんたらはいい娯楽になると思うよ。やんちゃな連中があんたらをいじりにくるかもしれないけど、相手してやってくれよな。
 ああ。リチャーズを見ればわかると思うんだけどさ。あんたらはこれから死んだりはしないから。絶対に。
 だって父さん、あんたらみたいな連中が本当に嫌いなんだよね。来てほしくないんだよ。父さんの管轄に。だからあんたらのところにヒューゴボスもアルマーニも来ない。父さんが未来永劫、迎えにいくなって命じたんだぜ。
 あんたらはこれから、じっくり時間をかけてあの中で溶ける。溶けて、ドロドロになってもまだ生きてる。そのうち水分が乾いて、あんたらは粉末になる。でも生きてる。ずっと生きてる。その間、ずっと痛いぜ。叔母さんもあんたらのところには来ない。あんたらは夢も見られない。そういうことだよ。終わりがないって、怖いよな?
 ほら、じゃぁ。そろそろ行こうか。
 母さんはあんたらを覚えていないけど、あんたらが苦しむのを見たら母さんの魂は喜びでいっぱいになるんだよ。だって母さんはもうそういう場所の奥方様だからね。 
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ama-gaeru · 4 months
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タンブラーブログテーマを更新
スマートフォンのtumblerアプリからこのサイトを見ると、小説まとめページが表示されないということが発覚いたしました(だめじゃん、tumblerアプリ😖)
アプリではなく、インターネットブラウザで見るとちゃんと表示されるみたいです(たぶん)
タンブラー自体ほぼほぼ放置しちゃっていたので、この機会にちょっとブログテーマデザインを変更いたしました。
前よりはみやすいはず...多分ね!
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ama-gaeru · 6 months
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 そういえばtumblerには書いてませんでしたが、結婚したんですよね、イェーイ。
 遠距離恋愛数年を経ての結婚でございます。毎日楽しく暮らしております。
 結婚→新居移住→仕事の引き継ぎ→各種届出→両家顔合わせ→親族顔合わせなどなどの怒涛のスケジュールで生きております。
 文フリも参加予定で申し込みも完了していましたが、怒涛スケジュールに押し流され、今回はキャンセルです…悲しみ…
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ama-gaeru · 6 months
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 先日、産まれて初めて飛行機のプレミアムシートに乗りました💺
 添乗員さんが挨拶に来てくれたり、お食事が豪華だったり、そもそもお席自体が広くて快適だったりで、非常に幸せでした。
 旦那さんが席予約をしてくれていたのですが、まさかこんなにいいお席だとは思わず、激しく動揺してしまいましたね🫨
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ama-gaeru · 2 years
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コロナ陽性でした
 これを書いている時点ではまだ自宅療養という名の医療崩壊による放置を喰らっておりますが、なんとか山場は越えました。やったー。あたいは生き抜いたんだー。
 思い返せば喉にいがいがした違和感を覚え、「あら風邪かしらん? はいはい葛根湯&ルル&早めに就寝ー」と、風邪のひき始め定番ムーブをかましたあの日。
 覚醒と睡眠の間に 「手洗いうがいを徹底し、マスクも常につけ、通勤も自転車に切り替え、ワクチンも2回射ったこの私が果たして風邪などにかかるのか? これは風邪なのか?」という嫌な予感がしたわけでね。こういう嫌な予感は当たって欲しくない時ほどよく当たる。
 翌日も喉のいがいがは居座っており、熱も味覚異常もないものの不安が拭えず、全ての予定をキャンセルして常備していた抗原検査キットを開封。
 結果、陰性だったわけですが「喉めっちゃ痛いし、気がついたら声が全然でない。しかもそれ以外の症状が全くこれっぽっちもない。今までこんな変な風邪はひいたことがない。なんか変だぞこれ」という経験に基づく警戒心が発動。
 急遽会社を休んでかかりつけ医にかけこんだところ、まぁ、陽性でした。
 喉の痛みは凄まじく、本当に凄まじく、唾を飲んでも痛い、呼吸しても痛い、とにかく痛い。
 パンパンに腫れ上がった喉と鼓膜を、金属製の大根おろしで内側からスリスリされているような痛みでございました。呼吸したり、唾を飲むたびにそのスリスリされてけばけばになった肉がこすれ合うイメージです(can you imagine?)
 割と飲み食いはできました。潤いが喉の痛みを軽減していた感じ。むしろ口の中に何か入っていた方が楽。
 問題は睡眠ですね。寝ようとしても唾飲むたびに激痛が走って目が冷める。ようやく眠りにつけたとしても激痛により覚醒。本当にしんどかったです。
 こんな状況でもテレワークでばっちり働き続けていたので、自分の社畜適応度の高さに驚いています(仕事は好きだし、なんだかんだで共同体依存マインドがあるんで、職場に迷惑かけとうないという気持ちも高かったんよ)
 コロナには薬がないので、通常の風邪薬(喉の炎症止め)だけ処方されたのですが、本当に通常の風邪と違って薬の効きが悪い。
 ラスボスに初期装備で挑むしかない感じで大変心細かったのですが、「俺にはこの薬しかねぇ! だからこの薬が世界で最高の薬なんだぁ!」の気持ちで飲み続けました。
 私は本当に幸運で、感染はしたものの発熱せずに済み、痛みも4日で収まり���一週間すぎて声も出るようになりました(かなりのハスキー&セクシーボイスにはなりました。いつ元のぷりてーぼいすに戻るのかは不明。あと倦怠感めっちゃある。常時体力が75%までしか回復しない状態にされた感じ)
 まだ自宅療養期間は残っているけれど、もうこのままテレワークに移行してしまおうかと考えております。
 声が完全にでなくなっていた数日間は「救急車呼べないな。一人暮らしだし、状態が悪化したら私はここで助けを呼べずに死ぬことになるんだな」という限りなく現実味の強い死の気配が常に自分を取り巻いている状態で、しんどかったです。
 まぁ、何が書きたいかというと「めちゃくちゃ辛いし、死はかなりそばにきたし、みんな無事にコロナが解決した後の世界で会おうな。文フリとか参加したかったけど、マジで無理」ということです。
自宅療養中に助かったもの
1:のどに貼るタイプのトローチ飴
2:加湿呼吸器(ちっちゃいやつでいい)
3:パルスオキシメーター(自治体が貸し出してくれるけど数日は届かないから先に買っといた方がいい。最初の数日の一番やばい時に酸素濃度測れないとメンタルにくる)
4:のど潤いマスク
5:多めの野菜(冷蔵庫にいれとこうな)
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ama-gaeru · 2 years
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テキストリハビリ
 しばらくログインしないうちにタンブラーの投稿ツールが新しくなっていたのでテスト中。以前よりも打ちやすくなったような気がします。
 最近はやりたいこととやるべきことのバランスが偏っており、運動して、家事をやって、読書をしたらすぐ1日が終わってしまっているような状態です。
 自分としては生活スペースは綺麗に保っているつもりなのですが、掃除するたびに汚れが見つかり、生きているだけで環境を汚染している気分です。
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ama-gaeru · 3 years
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日々
なんやかんや楽しく生きてはいるんですが、まぁ、社会や政治にげんなりする状態が続きすぎてだいぶグロッキーです。
同人誌や停止してしまった連載含め、全然思い通りにならないでいますがまぁ、できることから進めてゆきます。
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ama-gaeru · 4 years
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自分ドロップを公募に出しました
 ですので、今まで公開していたおまけページも念のために非公開にいたしました。(小説本編ではないのだけど、念のために)
 結果がでたらまた都度報告いたしますね。
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ama-gaeru · 4 years
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同人誌通販のご案内
・サイトなどに掲載していた短編を収録した同人誌「テッピとデータディータとジェノベーゼのお話 死と暴力にまつわる8つの陽気な物語」の通販のご案内です。
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タイトル:テッピとデータディータとジェノベーゼのお話 死と暴力にまつわる8つの陽気な物語
サイズ:文庫サイズ
ページ数:198ページ
価格  :1500円(+税+送料+振込手数料など)
概要 :戦争によって故郷と家族、自分自身を失った青年の救済なき日々を描いた表題作「テッピとデータディータとジェノベーゼのお話」を始め、マイホームが自殺の名所になってしまった家族を描いた喜劇「スーサイドイン我が家」、社会に弾かれた孤独な男の日常が綴られた「モップとエンドレスワルツ」など、暴力と血と死で満ちた陽気な8つの短編を収録(2000年代からネットに掲載していた作品に加筆を加えたものです)
    ��作品によってはかなりの加筆と修正を加えていますので、ネットで読んだ方も興味があればぜひに。
通販方法:アリスブックスさんに委託しています。
     こちらからどうぞ。
 ※アリスブックスさんに登録していなくても購入できます。
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ama-gaeru · 5 years
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創作について色々
1:「錯視上ブルーエンド」は書いてはいます。が、がんばるぞう。ちょっと生活が色々変わったので創作に力を入れられない状況が続いています。
このところいつも時間が割けないので、もう「年に一回くらい更新してて、気がついたら消えてる」みたいなルートでは? って気がしています。人生、意外とやることいっぱいある。
2:11月の文学フリマに参加します。長いこと(もしや20年近いのでは?)ネット上で文章を書いてきましたが、自分の創作作品でサークル参加は初めてですね。私は身の程をわきまえた地に足のついたパーソンなので、ちゃんと持ち帰らないで済む数量だけ作ります(知っているんだ。ネット上のいいねとイベントの購入率は1/500くらいだってことくらい、ぼかぁ知っているんだぞ)。
3:サイトに掲載している作品のボリュームアップ版を書籍にします。書き下ろしをつける予定でしたが、全然かけないので書き下ろしはなしです。(もしもイベントに間に合えば、コピーとかで出すかもしれませんが、まぁ、わかんないです。
4:「自分ドロップ」を一時非公開にしました。公募にだしますので(のでので)。
気に入っている作品なので、まぁダメだったとしても同人誌にするつもりですが、もう2年以上前に書いた作品なんで、まぁ、どうなんでしょうね。
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ama-gaeru · 5 years
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オフライン活動について
 ツイッターやサイトなどでは告知しておりましたが、素敵なアンソロジーに参加いたしました。  以下、あいうえお順にて参加アンソロジーをご紹介いたします。 **********************************  まずは終末をテーマにしたアンソロジー「終わりの世界を君と歩く」。  前回参加させて頂きましたアンソロジー、「夜の世界で君と遊ぶ」と同じ主催者様です。  つまり物凄く面白くて盛りだくさんで参加者の個性がぎゅっと詰まっているアンソロだということです。(今回も「同人誌とは?」と怪訝になるくらい本格的です。すごい。小口とかすごいのです。)  私は「死後に生まれるチャーリー・クレイの物語」というおとぎ話風の物語で参加しています。  詳細はこちらの素敵なアンソロジー告知特設サイトにてご確認ください。  http://mmsakura.sakura.ne.jp/offline/a-end/  サイト内にて収録作品全ての試し読みが可能ですので、是非に。  (「夜の世界で君と遊ぶ」の収録作品「パトリック・ソローの素晴らしき夜」はカクヨムさんに掲載しましたが、今回の作品はネット上をはじめ、他の媒体には掲載いたしません)
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**********************************  そし��掌編小説アンソロジー「コトバ小曲集」。  ランダムに決定したテーマを元に、執筆者が書き上げた掌編が多数収録。  音楽アルバムを聞くように、小説を読めるアンソロジーです。  コンセプトに沿って作成されたCDアルバム風のユニークな装丁も魅力的です。  おまけ小冊子も付くので、ワクワクが止まりませんね。  私のテーマは「聖譚曲」でした。  「五秒後。私は彼を見つけ、歓喜と共に駆け出した」という掌編で参加しております。  (こちらの作品もネット上をはじめ、他の媒体には掲載いたしません)
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**********************************   アンソロの通販や参加イベントについては各アンソロジーアドレスや主催者様SNSなどをご確認ください。(ググればでてきます)
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ama-gaeru · 5 years
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雑記
1:すっかり報告を忘れていましたが、カクヨムコン4ホラー/ミステリー部門の中間選考に「自分ドロップ」が残りました。結果は来月発表予定なので、あと数週間の間はドキドキワクワクを抱えたまま生きてゆけます。嬉しいなぁ。
2:「錯視上ブルーエンド」の更新と同人誌の予定が遅れに遅れておりますが、進めてはいます。ちょっとアンソロジー原稿の詰めを最優先にして動いているのです。若干「これ、スランプなんじゃねぇのぅ?」と感じているのですが、書かなきゃ脱出できないものなので、ガツガツ書いては「なんだこれ、つまんないなぁ!」と焼き捨てている状況です。がんばるぞぅ。
3:あ、冬の文フリに出る予定です。(べ、別に私が前々から好きだった作家さんが前回一気に参加していたのに仕事の都合で遊びにいけなくて、友達はその作家さんにお会いできてたことが、羨ましかったわけじゃないんだからね)
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ama-gaeru · 5 years
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雑記
1:とりあえず「錯視上ブルーエンド」の年内更新はここまでです。
  来年の2月くらいまでにコツコツ水面下でエンディングまで書き上げておく予定です。
  キラリサワヤカキリンレモンシュワシュワ的なものを書きたいという欲望が原動力ですから、この調子で最後まで人が死んだりしないで進められればと思うていますよ。
2:そろそろカクヨムコン4の開催が近づいてきたので、既存作品の誤字脱字修正などに時間を割きます。
  「自分ドロップ」をホラー・ミステリー部門で出すつもりです。
  元々SFジャンルで出してるものなんですが、カクヨムコンが「SF・現代ファンタジー」と「ホラー・ミステリー」にジャンルがわかれており、編集者さんからのアドバイスとか応募要項を読んだ感じだと、「自分ドロップ」は「ホラー・ミステリー」部門の方が合っているのかなぁ? と思うたのです。
  コンテストが終わったら「SF・現代ファンタジー」ってくくりがなくなるんで、またSFに戻すと思います。そうだよ。ぼかぁ、ジャンルがなんなのかぼんやりとしかわからないんだ。なんなんだ、ジャンルって。全部小説じゃないか。
3:サイトではまだ書いてなかったような気がしますが、現在、同人誌をコツコツ作っています。
  サイトに掲載した小説の中で比較的反応がよかったものを改稿して収録するのと、書き下ろしを何作かつける予定です。
  現時点で200P超えてるんで結構分厚い本になります。まぁ、15年以上だらっと続けてきた活動の、初めての同人誌なのでこれくらいにはなりますよね(ねー?)。
  休日が割と不安定なのと、単純にイベント参加というきちんと自己管理できる人じゃないと乗りこなせない高度な趣味人の遊びに適応できないとわかったので、イベントには出られませんが、通販などであれこれするつもりではいます。
4:「自分ドロップ」も自分では結構「おいおい、イケてるの書けたじゃん」って思っているので、カクヨムコンの結果によっては同人誌でだそうかなと思うています。
5:まぁ、予定は未定なんですけどもね(ねー?)
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ama-gaeru · 5 years
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錯視上ブルーエンド14
14話:8月16日(午前10時58分)耐え続けるx崩れ続ける 
 西郷に唇を噛まれた時、肉をホチキスでバチンと留められたと感じた。
 骨まで伝わったあの振動。バチン。それも2回。バチン。バチン。頭が真っ白になるとは、ああいった状態を指すのだろう。
 口の中にシロップで濡れた氷を押し込まれた感触がまだ残っている。舌さえ触れなければ、あれをキスだとは思わなかっただろう。
 いかにもあいつらしい不器用さだが、その不器用さを今は好意的に受け止めることはできない。これから先もずっとそうだろう。ぶっきら棒だが可愛げのあるお気に入りの後輩は消えてしまった。そもそもそんな奴は、最初からいなかったのだ。
 あいつも所詮、嘘つきの蛇だった。この2年、西郷と築いてきたと思っていたものは、全部嘘だったのだ。
 反吐が出そうだ。
  昨日は家に帰るなり眠り込んでしまったから、自分の顔がどうなっているのかを確認する余裕がなかった。
 あの衝撃に相応しい、さぞや深い傷になっているのだろうと覚悟して鏡をのぞいてみたが、鼻と唇の間にある窪み──人中(じんちゅう)の少し右と下唇の左端に、わずかに歯型が残っているだけだった。
 触れるとひりつくが、この程度なら数日後には消えているだろう。あのバチンという音は、きっと精神に受けた衝撃音だったのだ。
 こんな大したことない傷じゃ、あれ自体がまるで大したことじゃないと言われている気になる。俺は口の周りの肉を全て齧り取られているべきだし、第一次世界大戦の負傷兵のように顎を失っているべきだ。
 だが、鏡の中にはいつもと変わらない俺がいる。現実の内側と外側が噛み合っていない。誰かに裏切られる度にいつもそう思う。心の傷が──安い言葉だ──肉体に反映されるものなら、俺の体で傷がついていない箇所などほとんどないだろう。残り少ない無傷な部分も、昨日1つ失った。
 やってくれたよ。西郷。お前って奴は。
 洗面台の蛇口をひねり、流れ出す水を手のひらですくい取って、口をすすいだ。どんなに丁寧に磨いてもいつの間にか赤カビでぬめるようになっている洗面台の上を、蟻が1匹歩いてゆく。ので、潰した。まだ触覚が動いているそれを排水溝に向かって指で弾く。蟻は水の渦に飲まれ、コポポポポと音を立てる穴に吸い込まれて消えた。また1匹現れたので、また潰す。ほぼ反射的に潰した1匹めとは違い、今度はどうせ殺すのならばと、そいつを西郷だと思って潰した。幾らか胸がスッとする。ブラジルで蝶が羽ばたけばテキサスで竜巻が起きるように、あの蟻と西郷の運命が人知の及ばない複雑な法則でもってリンクして、あいつがどこかで何かの下敷きになって死んでいればいいと思う。線香くらいはあげてやろう。俺は優しいから。そのはずだ。俺は優しく、善良で、憎めない、いい人間だ。だからそういう人間らしい振る舞いをするのだ。俺はそういった俺を俺自身で作り上げるのだ。だから俺は、あの時、西郷を責めずに許したのだ。最初から何もなかったことにしてやった。俺が俺でなければ、誰があんな嘘つきに許しなど与えるものか。
 壁、床、屋根、窓。
 この家はいつもどこかに穴や隙間が空いていて、虫や爬虫類が入ってくる。眠っているうちに体の上を何かが這っていくことも多い。どんなに清潔に保とうとしてもどうにもならない。夏だから一層酷い。
 服や靴や鞄はいつもコンビニのビニール袋の中にいれて、硬く口を縛っている。こうすれば虫が入ってこない。学校で服に虫がついてるところでも見られてみろ。「結局お前はあの地区の人間なんだ」という憐れみの目に突き刺される羽目になる。それは避けなければならない。誰にも俺を憐れませるものか。俺はずっと高尚な人間なんだ。お前らなんかよりもずっと、ずっと。
 部屋の真ん中の畳の間から1つ、琉球朝顔の蔓が伸びて、扇風機の風に揺れている。毟っても、毟っても、蔓はそこから顔を出した。きっと床下は朝顔の根と茎とで満ちているはずだ。最近、家の中でよく見る、小指の爪ほどの大きさの不気味な甲虫は、朝顔についているものなのだろう。
 下着姿の父が平たい布団にうつ伏せになったまま、その蔓を指で弄んでいる。
「このまま育てたら、ここでも花が咲くかな」と父は言った。
「その前に朝顔の根に柱をやられて、家が崩れる」と答える。
「そうかよ」と言って父は蔓から手を離した。しかし毟ろうとはしない。家が崩れ、潰れて死ぬことを望んでいるのかもしれない。俺は巻き添えになりたくない。
 元々こんな花は生えていなかった。俺の家にも、周囲のどこにもだ。
 何処かの誰かが面白半分で家の基礎コンクリートの通気口に種を投げ込んだのだろう。きっとここをゴミ屋敷と呼び、笑いながら様々なゴミを投げ込んでいく連中のうちの誰かの仕業だ。例えばあのスクーターの連中とか。奴らはここらの人間じゃない。鴨川ナンバーの観光客だ。ここでなら何をしてもいいと思ってるクズ。
 悪ふざけによって芽吹いた緑は床下で爆発し、家は見えないところから崩れていく。このまま俺の家が朝顔に飲まれて消えたら、その誰かは少しでも悪いことをしたと思うだろうか。いや、そんなことは決してない。奴らは笑うのだ。こんな面白いことを自分はできるのだと自らのジョークを誇るのだ。いつだったか、シャッター通り商店街にゴミを捨てた西郷のように。
 あれが西郷に対して失望を覚えた1回めだった。
 あの時に完全に切っておけばよかった。中途半端に「もしかしたらこいつも少しは変わるかも」なんて期待してしまうから、こんな裏切りを受ける。もっと素早く、人を見切れるようにならなくてはならない。正しい時に正しい振る舞いを、少しの心の揺らぎもなく、できるようにならなくては。
 瞬きする間に、おかっぱ頭の恋人の顔が浮かんだ。きっと彼女なら、西郷のような男をなんの躊躇もなく切れるに違いない。
 あの子の迷いのなさが好きだ。あの子はいつも正しい。他人に嫌われようと、疎まれようと自分を突き通す。磨き抜かれた槍のようだ。あの子のように生きれたら、きっと人生はもっと生きやすいはずだ。物事を全て白黒で判断する。揺らぎなんかない。素晴らしいことだ。
 彼女が俺を見て、他人に向けている冷たい無表情な顔が崩れる時、俺は本当に幸せな気持ちになれる。あの子の目は、俺を素晴らしい人間なのだと実感させてくれる。彼女はいつも正しい。だから彼女が選んだ俺も、間違いなく正しい人間なのだ。
 俺は彼女のことを考えるのをやめる。こんな家で彼女のことを思いたくない。今や彼女だけが俺が手にしている唯一の美しいものだ。こんなところで彼女を思うべきじゃない。誰が肥溜めの中で神に祈る? 祈るのなら、祈りに相応しい美しい場所でだ。それはここではない。
 俺は水を止め、洗面台のすぐ横にある台所に移動する。冷蔵庫はとっくの昔に壊れていて、中にはほとんど使うことのない食器と、安物のカップ麺が詰め込まれている。それから『ボランティア』の連中が置いていくレトルトの健康食品。俺の体を気遣っているつもりなんだろう。1食で1日分の野菜が取れる中華丼や、カレーや、豆腐ステーキの素を冷蔵庫に詰めれば、それで俺にむけるやましさはチャラになると思ってる。ふざけるな。
「何食べる? シーフードと豚骨とカレーと」
「この暑いのにラーメンなんか」と言いながらも父は「シーフード」と答えた。
 ヤカンに水を入れ、コンロに火をつけるとゴトクの下からまだ成長しきっていない小さなゴキブリが数匹這い出して逃げていった。
 湯を沸かしている間に、シンクに投げ込まれているカップ麺の容器や割り箸をゴミ袋に投げ入れていく。
 何度言っても父はゴミをゴミ袋に入れずにシンクに投げ込む。ひどい時は窓から投げ捨てる。まるで俺がしていることが、全て無駄なのだと言うように。結局ここはゴミ溜めで、それ以外にはなりようがないのだと俺に納得させようとでもするように。
 それが父の目論見なのだとしたら、成功してる。こうして家に父と2人でいると、俺は自分をゴミのように感じるのだ。父が俺を、そういう目で見るから。
 俺さえここにいれば逃げ出した母が戻ってくるだろうと目論んで、父は俺を引き取る条件で離婚に同意した。仮に母が戻らなくとも、母の再婚相手から俺の養育費を得られるだろうと父は思っていた。だが結局、母は戻らず、養育費は俺の高校進学と共に送られて来なくなった。父は俺を「期待はずれ」という目で見る。
 ゴミを片付けながら、俺に向けられている父の視線を忘れるために、西郷のことを考える。考えたくて考えるわけじゃない。考えずにはいられないからだ。あんなことがあったんだ。無理もないだろう。
 西郷好太は俺によく懐いていた。散歩の時間になると自らリードを銜えて玄関前で待っている犬を連想させる程だ。あいつの容姿は少しも犬には似ていないが。
 短い睫毛に囲まれた大きすぎて丸過ぎる目と、大きすぎる口。ガタガタの歯並び。彼は何かの間違いで地上に上がって、そのまま人間になってしまってうろたえているサメのように見えた。
 学校という陸地での西郷は、トラックを走り回っている時以外は息苦しそうに見えた。あれは周囲に合わせた振る舞いができないタチなのだ。器用さに欠く。
 入学したての頃は周囲に嫌われたりバカにされたりすることを恐れ過ぎるあまり、わざと舌打ちをしたり、髪を派手な色に染めたり、趣味の悪い服を着たりして、先手を打って嫌われようとしていた。
 「嫌われたり、バカにされたくないのなら、努力して嫌われたり、バカにされたりしないようにすればいいんじゃないの? なんで真逆のことをするの?」と、学校の連中は思うだろう。だが、俺には西郷がなぜそんな不器用な選択をしたのかがわかっていた。時に、嫌われる理由があるということ自体が、人を救うこともあるのだ。少なくとも「何もしていないのに嫌われた」という絶望を遠ざけることはできる。
 学校では常に居心地悪そうに見えた西郷も、団地という陸地に食い込んだ海の中では自分自身を取り戻したように見えた。
 一緒に帰る時、俺たちはいつもあいつの団地の前で別れた。
 「じゃあな」と手を振った後、そのままそこに立ち止まっていると、団地の階段の踊り場から中学生くらいの子供が顔を出して「コータくーん! おかえりー!」と声をかける様子や、小学生くらいの子供たちが次々とあいつに駆け寄り、ハイタッチしたり、足に絡みついたり、肩車をねだる様子が見えるのだ。あいつは子供たちを雑ではあるが愛情に満ちた態度で相手にしながら、団地の庭の花壇をいじっていた中年の女性と挨拶したり、ベンチに座っている老人に手を振ったりしながら団地の中へと消えてゆく。
 俺はあいつの団地での振る舞いを見る度に、胸が焼けるような気持ちになった。少なくともあいつは、どんなに学校で息苦しかろうが、本当の意味で孤独にはなりようがないのだ。あいつを気にかけている人間が、あんなにたくさんいる。あいつは恵まれている。あいつは、あの灰色の無骨な建物の中では安心して眠れる。それが酷く、妬ましかったのだ。
 俺は小さい頃から多種多様のクズを見てきた。バリエーション豊かな自己愛の塊たち。全部書き出したら分厚い図鑑も作れるだろう。
 母の浮気を疑い、顔が蘭鋳(らんちゅう)みたいに膨れ上がるまで殴りつけた父。幼い俺を連れて出戻った母を一度は迎え入れたくせに、母を追いかけてきた父の狂人じみ��振る舞いを恐れ、母と俺にわずかな金を握らせて追い出した祖父母。仕事を世話してやるからと母を囲い者にした旅館の板前。父に居場所がバレることを恐れて俺の戸籍を登録しなかった母。書面上、どこにも存在しない俺を、これ幸いにといいように扱った連中──どいつもこいつも口を開けば「お前のため」と言う。俺のためだと言えば、俺に触れる手からやましさが消えるかのように。やましいことをするのは、俺がやましいことをされるような奴だと言うかのように。
 そう言った連中に比べれば、西郷は上等だった。十分に人間だった。世渡りの下手くそさも好意を持つに至る一因だった。俺は確かに、あいつが好きだったのだ。
 あいつは俺と話す時、常に俺がどう感じるかを想像していた。
 俺の機嫌を損ねやしないか、俺に嫌われるかどうか、俺に好かれるかどうかを、あいつは常に気にしていた。
 その目が、俺を人間のままでいさせた。俺に自尊心を与えた。俺自身に「俺はゴミではないのだ。まともな人間なんだ」と実感させた。
 西郷は俺が必要としているものを俺に与えた──尊重だ。
 だから、今回のことはとても腹立たしかった。
 あいつは俺の意思を考えもしなかったのだ。
 俺がどう感じるのかすら、どうでもよかったのだろう。
 あいつは俺を軽んじたのだ。
 それも、俺が、誰にも吐露したことがない悩みを告白し終えた直後に。いわば、お前を信頼しているのだと俺が心を開いた直後にだ。
 俺の足の下で波に飲まれてもがいていた西郷を思い出す。
「あのまま殺しちまえばよかった」
「誰が誰を殺すって?」
「独り言だよ」
 ヤカンから激しく湯気が立ち上ったのでコンロの火を止め、父と自分の分のカップ麺に湯を注いだ。2人分の箸とカップ麺を持ち、父のいる部屋に戻る。この家に部屋はこの6畳間しかない。あとはトイレと風呂だけ。どちらもカビだらけで、窓は割れていて、どこも壊れてないはずなのにひどい臭いがした。
 2つの布団の真ん中にあるプラスチックの小さなテーブルにカップ麺を置くと、父はもぞもぞと毛虫のように身をよじって起き上がる。痩せた体に骨が浮き出していて、腹だけがポコリと膨らんでいる。まるで地獄絵巻にでてくる餓鬼のようだ。幼い頃、俺を殴りつけた手も、俺を踏みつけた足も、枯れ枝にしか見えない。
 父は病院に行きたがらないので確認しようがないが、もう長くはないと思う。あの薄い皮の下で、病魔が巣を作っているのだ。いや、父自体が巣なのだろう。病が父の内側に死という名の卵を産み付けているのだ。
「ありがてぇなぁ。お前は何でもやってくれる。俺にはもう、お前だけだよ。なんたって最後は血だよ。血が全てなんだ。たった2人の父と息子だからな。お前みたいないい息子を授けてくれたこと、仏様に感謝しねぇと」
 父はそう言って俺を拝む。薄寒く、嘘だらけの拝みの仕草に苛立ちが増す。
 この縋り付くような目が嫌いだ。俺をゴミとしか思っていないくせに、それでも俺を自由にしようとはしない。それに父がこういう目で俺を見るのは、俺に何かをさせようとする時だけだ。わかってる。今日はボランティアがくるのだ。それを父は知ってる。幾らか金も受け取ったに違いない。どうせ死ぬのに、それでも金が欲しいのか。惨めな人間だ。
「俺ももう長くねぇから、歩けるうちに歩いとこうと思ってな。今日は公民館まで行ってくるから」
 俺は首の後ろに手をやる。付け根よりやや下に指を伸ばせば、人差し指がへこみに触れる。この間、ボランティアに噛まれた痕だ。
「戻んのは夕方だなぁ。お前、留守を頼むよ。人が訪ねてきた時、誰もいねぇんじゃ困るからさ」
 この傷はそう簡単には消えないだろう。ここを噛まれた時は痛み以外には何も感じなかった。完全に俺に対する感情を隠していた西郷と違って、ここを噛んだ人間は、最初から俺に対する欲情を少しも隠していなかった。初めて会った時から、俺に対する欲情が目の中で燃えていた。それは部活にやってきたあのバカ女共のからかい混じりの目線などが児戯に思える程の下劣さだった。おぞましかった。
 俺はできるだけ2人きりにならないようにしていたが、先月、ボランティアがきた時になぜか父は「ちょっと散歩」と言って家をでていった。
 俺は「用があるなら俺が代わりに行くから、父さんはボランティアの人と話をしなよ」と表面上にこやかに、内心では「嘘だろ! なんだよ!」と叫びながら言ったが、父は「お前から話した方がいいだろ。こういうのは子供の方が素直なんだから」と言って、出て行ってしまった。
 あの男が「2人だけでできることもあるからね」と言って俺を後ろから抱きしめた時、俺は恐怖のあまり身動きとれなかった。
 まさか父が本当に俺を見捨てるわけがないと、まだ信じていたのだ。
 ──おいおい、そんな大げさに騒ぐなよ。ちょっと噛んだだけじゃないか。ふざけてただけだよ。君が暴れるから、つい力を込めすぎちゃったじゃないか。私には弟がいてね、小さい頃よく噛み合いっこをしたから、君も喜ぶかと──。
 ──勘弁してくれよ。俺には妻も子供もいるんだ。ここには福祉できてるだけで、君にそういう感情は持ってないよ。当たり前だろう。女じゃあるまいし、男同士で体に触ったくらいで大騒ぎするなよ──。
 ──もしもこれをそういうものだと感じたなら、さぁ? 君もそういうことに興味があるってことなんじゃないのか? ──。
 ──もしかしてもう経験があるんじゃないか? いや、いや、これは興味本位で聞いてるんじゃないよ。私にはこの地区の子供達の成長を見守るという役目があるんだ。だからもしも、もしも君がそういうことをする大人にあったことがあるのなら、素直に言ってほしいな──。
 ──君がいう「そういうことはしてない」っていうのは、お金は受け取ってないってことかい? 恥ずかしがることないよ、君くらいの年齢だとそういうことに興味があって当たり前だし、実は私も高校の時に……わかるだろう? まぁ、君ほど綺麗な子じゃなかったけどね──。
 ──次に来る時までに機嫌が直ってると期待してるよ。君はね、生まれ持った才能を生かすべきだよ。もちろん陸上もそうだけど、陸上だけが全てじゃないからね。もっと広い視野で、これからの人生について考えてみるべきだよ。必要な支援を、君の生活態度によっては与えてあげられるかもしれないし──。
 俺は父に向かって言う。
「学校の用事があるから、今日は俺も出かけるんだよ。散歩なら明日でもいいだろう」
 父は俺を拝んでいた時の愁傷な顔を一変させる。しばらく父は無言で俺を睨んでから、カップ麺を掴んで俺に投げつけた。まだ熱いスープと麺が顔と髪に絡まる。
「風呂入って臭ぇ体洗ってこい。誰のおかげで生きてられると思ってんだよ。ボケナスが。俺は出かける。テメェは家にいろ。留守番もまともにできねぇガキに育てた覚えはねぇんだよ、俺は! グダグダ言ってるとブチ殺すぞ!」
 死にかけの骸骨のような父に、俺の中に残っている小さな俺が震え上がる。今は俺の方が大きいし、強いとわかっているのに。
 俺は立ち上がり、風呂場ではなく台所に向かう。風呂場に入る気はしない。いつも、台所で水を浴びて体を洗っている。
 蛇口から流れる水に頭を突っ込んで、髪についた汚れを洗い流す。
 水音の向こう側から、父の声が聞こえる。
「テメェのクソちんぽを変態に1つ、2つしゃぶらせたところで減るもんじゃねぇだろうが」
 ああ。もう俺があいつに何をされるのかを、隠す気すらないのか。
 うんざりだ。うんざりだ。みんな死ね。死んでくれ。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。
前話:次話
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ama-gaeru · 5 years
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錯視上ブルーエンド13
13話:8月16日(午前10時53分)自分がやられていやなことx人にしてしまうこと 
 「夏休みに入ってから、先輩との付き合いに反対するお前の叔母さんに別荘に軟禁されていたと。そんで隙をみて逃げ出して、ボロッボロになりながら笹巳まで徒歩で帰ってきたはいいけど、先輩の家の周りをお前の父親の車がグルグル監視してたから迂闊に近寄れず、かといって家に戻るわけにもいかず、途方に暮れていたところにうちの団地が目についたから、人が住んでねぇ部屋に勝手に忍び込んだってか。最初は1階、次は2階と短期間で移動して足つかねぇようにして、そんで昨日は最上階と」
 西郷君はキッチンから2人分のグラスと麦茶のボトル、それからアクエリアスを抱えてリビングに戻ってきた。西郷君は軽く手を伸ばすだけで天井にタッチできるくらい背が高いので、椅子に座っている私は彼の顔を見るのにかなり顎を持ち上げなければならなかった。首が痛い。
 西郷君は大きな口を開き、舌の上で「ハッ!」という笑い声を転がした。
「バッカじゃねぇの」
 魚みたいにまん丸い目の中にある、黒い瞳が冷ややかに私を見下ろしている。黒い色は深すぎると青みを帯びる。墨汁やタールはその黒い表面に、本当なら含まれていないはずの青を浮かばせる。西郷君の黒い瞳も、どこにもない青い色を滲ませている。
 あれは彼の中でずっと燃え続けている怒りの炎の色だと感じる。敵意、怒り、嫌悪感──私がシルキーを川に落とした日からずっと、彼はこういう目でしか私を見ない。あんなことを私がしてしまう前は──ほんの少しの短い間だけど──ただの友達みたいに話せていた時期があったことを、西郷君はもう覚えてはないんだろう。それがとても悲しい。悲しめるような立場じゃないけれど。
 彼を前にすると背骨の中に鉄串を通されたみたいな気分になる。ただでさえ、思っている通りに動いてくれない顔の筋肉が、完全に無表情に固定されてしまう。
「普段、ス��ェ細けぇどーでもいーことでクラスメイトや部活の連中に説教しまくるくせに、自分はなんなんだよ。不法侵入とか。普通に犯罪じゃん。最低だな」
 西郷君はテーブルにグラスを並べ、モンスターズインクの柄がプリントされているグラスにアクエリアスを注ぎ始める。
「後で管理人室行って、空き部屋で寝泊まりしてたこと詫びろ。お前のせいで団地に住んでるみんなが不安だったんだ。不審者かホームレスが住み着いたって、見回りまでしてたんだぞ。ああ、これは言わねぇでも知ってるか。おっさんたちに見つかンねぇようにするために、ベランダにぶら下がったんだもんな」
 ハッとまた西郷君は笑う。サメが笑うとしたら、きっとこんな顔だろうと思った。テーブルの下、腿の上で重ね合わせた手が震えないようにする。指先が冷���くなったように感じるのは、このリビングの冷房のせいじゃない。
 私は彼の前だと萎縮してしまう。だって西郷君は、私の最悪な部分を見てしまった人だから。彼は私の罪を知ってる。そしてそれを決して他の人には言わない。神父のように沈黙を守る。彼の中に私の罪を留める。だから、私は公に責められることがなく、そして許されることがない。
「一歩間違ったら死んでただろ。あんなことするくらいなら、普通に『ごめん』って謝って家に帰りゃいいだろ。2、3発ビンタ食らうかもしんねぇけど、そりゃ迷惑料だ。親に心配かけんな。他人にも迷惑かけんな。バカなことする前に話し合えよ。つーか、表向きははいはい別れますっつといて、隠れて付き合い続けりゃいいだろ。そんぐらい考えつかねぇのかよ」
 西郷君はアクエリアスを私に差し出し、それから残ったグラスに麦茶を注いで、私の正面に座った。
 彼は私に非難の目を向ける。胃がキリキリする。こうして面と向かって話をするのは、小学校の時以来だ。部活でもクラスでも西郷君は私に話しかけてこなかったし、私も彼に話しかけられなかった。彼の目、態度、纏う空気。全てが私に棘を向けていた。少しでも近づいてきたら突き刺してやるからなって。
 私は彼にちゃんと謝罪をしないといけないと思う。
 団地に忍び込んだこともそうだし、布団を貸してもらったこともそうだし、熱中症を起こしかけていた私を朝まで付きっ切りで看病してくれていたこともそうだし、何より、シルキーのことを彼に謝らないといけないと思う。
 『西郷君。本当にごめんなさい。他に選択肢がなかったの。謝って済むことじゃないってわかってるし、許してもらえると思ってない。何度も謝ろうとしたの。でも、謝ろうとするとどうしても言葉が別のものにすり替わってしまうの。信じてくれないだろうけど、私、自分が思ってることを、ちゃんと言えないの。そういう風にされちゃってるの』
 頭の中で繰り返し、口を開く。大丈夫。きっとできる。だって私は、あの叔母さんからも逃げることができたんだから。ここまで自力で歩いてくることもできた。野宿もできた。警察からも逃げられた。
 私はなんだってできる。自分で考えて、自分で行動することができる。私は変わることができる。もう、西郷君が知ってる最悪の私じゃない。それを伝えなきゃ。
「西郷君、私」
 ──どうして梨花さんが謝るの? あなたは何も悪いことしてないでしょ? あなたはやるべきことをしただけよ──
 叔母さんの声が頭の中に響く。唇から音が消える。ダメ。ダメ。消えないで。
 ──取り乱しちゃダメ。みっともないでしょう。ちゃんとした子に育ってちょうだい。あなたは完璧な梨花ちゃんにならなきゃいけないでしょう。あなたにはそうしなきゃいけない責任があるの。あなたのために、私が何を失ったと思ってるの。責任を果たしなさい。あなたが生きてることの、責任を──
「私、少ししたら出て行きます。本当にご迷惑をおかけしました。管理人室には帰る時に立ち寄りますので、大体の場所を教えてくれると助かります」
 こんなことを言いたいんじゃないのに、こんなことしか口に出せない。声を上げて泣き出したいのに、表情がガチガチに固まっているのが自分でもわかる。私はきっと、外からみたらものすごく変な奴だ。無表情で、平坦な声で喋るロボ。鉄仮面。変人。麗子像。そう呼ばれてるのを知ってる。好きでこうなったわけじゃないのに。
 西郷君は目を細めて私を睨んだ。
「出て行った後、どーすンの? 家、戻ンの?」
「そうするつもりです。西郷君の言う通り、私はバカなことをしました。父と叔母に謝罪して許してもらうつもりです」
 嘘だ。家には絶対に戻らない。……だからといって、どこに行けばいいのかわからない。先輩に会いたいけど、父さんに見つかる可能性があるから近づけない。警察もそろそろ見回りを始めているかもしれない。私から先輩のところに行くんじゃなくて、先輩が私のところに来てくれたら……。
「……西郷君。先輩に私がここにいるって連絡して貰えませんか?」
 西郷君は不意に水をかけられたような顔で私を見た。
「なんで、俺が?」
「私はスマホを取り上げられてしまったままですし、家に戻ったら次に先輩に会えるのいつになるかわかりません。だから、西郷君から私がここにいるって連絡してくれれば……」
「無理。今、俺ら微妙だから」
 西郷君はそういってなんとも言えない複雑な表情を浮かべた。自分を責めているような、先輩を責めているような顔だ。
「まさか、喧嘩したんですか? 西郷君と先輩が?」
「お前に関係ねぇだろ」
 驚いて聞き返した声は、鋭い声に切り落とされる。
「つか、お前、それ飲んだら帰る前に風呂入れよ。もう風呂入れるくらいには回復してんだろ。沸かしてあるから。ホームレスに間違われんのも無理ねぇよ、お前の格好と臭い。その包帯は洗面台の側のゴミ箱に捨てろ。そんなに汚れてたら包帯の意味がねぇ。替えの包帯と日焼け用の塗り薬、あとで置いといてやるから、風呂からあがったら自分でやれよ」
 西郷君はそう言うと麦茶を一気に飲み干し、「風呂場、あっち。洗濯機と乾燥機は好きに使っていーから、風呂入ってる間に服洗っとけ」と廊下の先を指差して立ち上がった。
「あとその敬語、ウゼェからやめろよ。普通に喋れんの知ってんだからな。小坊(しょうぼう)の時も、2人っきりになると普通に喋ってただろーが。覚えてンだからな」
 石垣が風呂に入ってる間に俺はスマホを操作し、LINEを立ち上げた。
「……クソッ」
 覚悟していたけど、やっぱりブロックされてる。クソッ。そりゃそうだよ。
 俺はきっとダメだろうと思いながらも、先輩のアドレスにメールを送る。これも多分、ダメだろうな。迷惑メールフォルダに振り分けられるのが眼に浮かぶ。……となると、電話か。
 俺はハァーッと大きなため息を吐いてから、先輩の番号を呼び出す。コール音を聞きながら、シャツの胸元を握る。どーせ出ないだろうと思いながらも、万が一、繋がった時のことを考える。
 一体、どんな声でどんな風に話せばいーんだかわかんねぇ。まさか『よぉ、先輩。俺、西郷。昨日、先輩に告って、キスして、ぶん殴られて、見捨てられて、海に置いてかれた、あの西郷。それは一旦置いといて、お探しの彼女が今、俺ん家にいんだけど、これから来れる?』とでも言うわけにいかねぇし。
 何度かのコール音の後、電話が繋がった。
「先ぱ」
「お客様のご希望により、電話をおつなぎすることはできません」
 ……。マジかよ。電話まで着信拒否か。クソッ。
「これで損してんの、俺じゃなくてテメェと石垣だからな。クソ原」
 俺は呻きながら髪をかき混ぜる。石垣と別れたくねぇって泣いてた先輩の顔が頭ン中にはっきりと浮かぶ。あー。クソ。ひっでぇ告り方して、悲惨に振られたのに、そんでもまだ、先輩に泣いて欲しくねぇって気持ちが優ってる。
 精神的な疲労と肉体的な疲労がダブルパンチだ。マジで死にそう。昨日今日とジェットコースター過ぎんだろうが、俺の人生。
 昨夜。
 俺が「日野原先輩と別れンの?」と聞くやいなや、石垣はばね仕掛けの人形みたいに勢いよく立ち上がって「絶対に別れない!」と鉄仮面のまま叫んだ。そして砂が崩れるようにゆっくりと座り込み、そのまま気絶しやがった。
 俺は鼻血をだらっだら流し続けている石垣を部屋に運び、布団の上に寝かせた。
 室内灯の下で見る石垣の姿はそりゃ酷ぇもんだった。顔から胸までは鼻血で真っ赤に染まっていたし、手足を包む包帯はあちこちから膿が染み出していたし、両手の皮はズルムケ、足の裏や指は血豆だらけ、包帯に覆われてない部分の皮膚は日焼けしすぎでヒビが入って、ヒビの下からピンク色の肉が見えてた。完全にゾンビだった。俺がウォーキング・デッドのキャラだったらその場で頭を叩き割ってたと思う。
 おまけにチビた体には洒落にならない程の熱がこもっていた。熱中症を起こしかけてるってすぐに気がつけたのは、運動部部員が必ず受けることになってる応急処置の特別授業のおかげだ。あと練習中にぶっ倒れた三国の世話をした経験も活かせたんだと思う。
 俺は気絶した石垣を叩き起こし、薄い塩水を飲ませられるだけ飲ませた。それから氷を詰めたビニール袋をタオルで巻いて、それを首の後ろと両脇の下と太ももの付け根に置いて、太い血管を冷やした。濡らしたタオルで腕や額や足を覆って、体から熱が外にでるようにするのも忘れなかった。
 そのまま大人しく寝ててくれりゃ楽だったのに、石垣は体から多少熱が出て行くと「大丈夫です。お世話になりました。帰ります」と言って立ち上がろうとした。
 最初は相手が──石垣とはいえ──怪我人だから、できるだけ静かに「寝てろ」と命じていたが、あまりにもしつこく立ち上がろうとするので、最終的に俺はキレた。
「大丈夫じゃねぇ奴が、大丈夫って判断してんじゃねぇよ! この場で冷静なのはどっちだ!? 俺か、テメェか、どっちだよ!? 俺だろうがっ! 次立ち上がろうとしやがったら、動けねぇように体縛り上げるからな、クソがァ!」と俺が怒鳴って、ようやく石垣は無理に起き上がろうとするのを諦めた。
 その後。俺が濡れたタオルを取り替えたり、深夜営業しているコンビニまで氷を買いに行ったり──クソ遠い。学校の反対側まで行かなきゃいけない──している間に、石垣はウトウトと眠り始め、俺も疲労が込み上げ���きて床に尻餅を付いた。
 本当はその場に大の字になって眠りたかったけど、結局、俺は朝までずっと起きて石垣の様子を伺っていた。流石に嫌じゃん。目を覚ましたら冷たくなってましたとか。
 「……クソ。どういう状況だよ。あの石垣が俺ん家にいるとか。冗談だろ。信じらんねぇ」
 俺は欠伸を嚙み殺しながら独り言ちる。
 あいつ、ここから出たら家に帰るとか言ってたけど、絶対ぇ嘘だろ。こんな団地に忍び込むくらい嫌がってる家に、俺に見つかった程度でホイホイ帰るわけねぇもん。大方、団地から出たらまた別の潜伏先探すんだろうな。ホームレス女子高生だ。遅かれ早かれ事件か事故に巻き込まれて酷い目にあうルートじゃん。……まぁ、俺には関係ねぇけど。
 俺は自分の両腕をお姫様抱っこをする時の形にする。あいつメチャクチャ軽かったな。2週間かそこら、家出続けてるっつてたっけ。その間、飯どうしてたんだ? コンビニ飯かなんかか? ハッ! バッカじゃねぇの。
 「これ、もしかして私にですか?」
 風呂から出てリビングに戻ってきた石垣は、テーブルの上の雑炊を指差して俺に尋ねた。冷蔵庫のあまりもんぶち込んで作ったやつだ。ぐずぐずに煮込んだから、胃が弱ってても食えんだろ。
「お前以外に誰がいンだよ。とっとと座って食え。昨日の夜から何も食ってねぇだろ。全部食えねぇなら食えねぇでいーけど、ちょっとは腹になんか入れろ。家帰るまでに倒れられたら寝覚め悪ぃからな」
 石垣は鉄仮面のまま俺の正面の椅子に座り、「ありがとうございます」と言って頭を下げた。シャワーと、シャンプーと、リンスと、ドライヤーの力で、鳥の巣みたいだった石垣のおかっぱ頭がいつも通りの無駄な輝きを取り戻している。あいつが頭を動かすと髪がサラサラーッと流れて揺れた。ふーん。これがサスーンクオリティ。
 痛々しいばかりだった包帯も綺麗に巻き直されていて、だいぶゾンビ感は払拭されていた。今の石垣はゾンビではなく、ただの座敷わらしだ。ちょっとは人間に近づいた。
「お前のスポーツバッグ拾って来たから。後で中身確認しとけよ」
 俺はソファーの上に置いた赤いスポーツバッグを指差す。石垣が昨日、ベランダの柵にぶら下がる前に少しでも体を軽くしようと地面に落としたものだ。団地内の誰かの落し物だと思われていたらしく、植え込みの側のベンチの上に『誰が落としたか知りませんけど、落し物はここですよー』と言わんばかりに置いてあった。
 石垣はスポーツバッグと、雑炊を何度か交互に見てから俺に顔を向け、「どうしてですか?」と聞いた。
「何が」
「西郷君、私のこと嫌いでしょう?」
「わかってんなら一々聞くなよ」
「私のこと嫌いなのに、どうして優しくしてくれるんですか?」
 ……あ?
「誰がいつお前に優しくしたよ?」
 しねーよ!
「だって、寝ないで看病してくれたり、お風呂貸してくれたり、ご飯まで」
 ハッ!
「お前はただそいつが嫌いだって理由で、鼻血流しながらぶっ倒れたボロ雑巾みてぇな人間をそのまま転がしとくのかよ。バッカじゃねぇの。怪我人の面倒みンのと、そいつが好きか嫌いかは別だろーが。そんなの、優しさの問題じゃねぇよ、ボケナス。ズレてるとこ、昔っから変わんねぇよな。あと敬語やめろっつたろ。イライラする」
「……ごめん」
 ケッ!
「その鉄仮面みてぇな面も、えっらそーなチクリ魔ぶりも相変わらずだな。高校生なんだから、ちょっとはマシになると思ってたけどな」
「少しはマシになってたんだよ」
 ほんの少し、石垣の鉄仮面が揺らいで感情らしきものが見えた気がした。反発とか、苛立ちとかだ。生意気じゃん。お前が俺に何をイラつくってんだ。
「どこがだよ? クラスでも部活でもズレまくりの浮きまくりじゃねぇか。ホームルームでクラスメイトのミスをネチネチ晒しあげンのやめろよ。クソウザいから。自分でわかんねぇの? あーゆーことすっからいつまでたっても、どこにいても嫌われンだよ。お前、女子とすら喋れてねぇじゃねぇかよ」
 石垣はスプーンで雑炊の表面を突きながら「わかってるよ」と言った。
「わかってるけど、どうにもできないんだよ。それでも、中学校の時はかなりマシに抑えられてたんだけど、高校に入ってからぶり返しちゃったんだ」
 石垣は何か言いたげに俺を見た。
「んだよ? 人の顔ジロジロみンなよ」
 ごめん、と石垣は俯く。
「でも、私、最近ちょっとずつ変わってきてるんだよ。話しを聞いてくれる人が側にいてくれてるから」
「日野原先輩とか?」
「……うん。先輩の前にいると、普通でいられるんだ。先輩、私のズレてるところを絶対にバカにしないで、褒めてくれるから。梨花ちゃんはそこがいいんじゃないかって笑ってくれるんだ。ちゃんと私の話しを聞いてくれる人、先輩だけなんだ。私、先輩と一緒にいられたら、もっとマシになっていけると思う」
 冷たい感情が湧いてきた。先輩がそうやってお前を受け入れてんのは、お前の本性を知らねぇからだろ。
「お前はマシな人間になんかなれねぇよ」
 石垣は無表情だった顔をわずかに赤くした。
「なれるよ。西郷君は私を知らないでしょう。私、本当にちょっとずつ変わってき──」
「ガキの頃、テメェは俺にも言ったよな。『私の話しを聞いてくれるの、西郷くんだけだから』って。そんで打ち解けたみたいな振りして俺を油断させておいて、最後に何したよ? なぁ? それで、今度は先輩か? さぞ打ち解けてんだろうよ。先輩もお前に気を許してんだろうよ。そんで、次はどーすンの? 先輩の可愛がってる猫か犬でも殺すの? 俺とシルキーにしたみたいにさ?」
 鉄仮面のまま、サァーッと石垣の顔が白くなる。
「西郷くん、私、本当に、あの、あの時のことは、本当に」
「別にイーんじゃねぇの。気にせず、忘れて生きていけばぁ? テメェにとってはどーでもいーことなんだろ。害獣1匹、処分しただけだもんな。けど、俺は絶対忘れねぇから。お前がどんなに自分で『マシになった』って思っても、実際、『マシになった』ように見えたとしても、俺は覚えてるからな。テメェがどういう人間なのか」
 俺は石垣を睨みつける。
「テメェが俺の目の前でシルキーを川に捨てた。俺が川に飛び込んで、シルキーの入った袋を拾ったんだ。俺が1人で穴を掘って、俺が1人でシルキーを埋めて、1人で墓を立てたんだ。俺は全部みたんだぞ。お前がシルキーに何をしたのか、あの袋の中を、全部みたんだ」
 石川の顔からは全ての表情が消えていた。少しだけでも罪悪感を持ってるのか? 涙の1つも流しそうにねぇじゃねぇかよ。
「シルキー、お前に懐いてたよな。簡単だったんだろうよ。人間を信用しきってて、傷つけられるなんて考えてすらいない子猫をあんな風にいたぶるのはさ。俺はな、あんなことをする人間は永遠に改心なんかしねぇと思ってるよ。テメェがこの先、どんなに表向きマシになったとしても、どんなに周りの人間が、先輩が、お前自身が、そのマシな姿を信じ込もうと、俺はテメェの本当の姿を見抜いてるからな。テメェはマシな人間になんかなんねぇ。ずっとずっと、あの時のままだ」
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ama-gaeru · 5 years
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錯視上ブルーエンド12
12話:8月16日(午前9時27分)敵対x関係 
 救円会(きゅうえんかい)総合病院の3階。短期特別入院患者用の個室。
 ベッドの上で半身を起こし、腰から下は布団で覆った状態で、石垣花笑(はなえ)は私が手渡したタブレットを見つめていた。
 画面に表示されているのは、市川(いちかわ)のコンビニの監視カメラの映像だ。スポーツバッグを肩にかけた小柄な少女が何かを買い、ややふらふらした足取りで出て行くところまでが収められている。
 花笑は映像を最後まで見ると「間違いありません。姪の梨花です」と言った。彼女は私にタブレットを返すと、胸を手のひらで抑え、背中を丸めて長い溜息を吐いた。2週間ぶりに目にした姪の姿に心底安堵しているといった素ぶりだが、大袈裟で芝居がかっていると感じる──端的に言うと、嘘くさい。
 未成年の家出人の保護を担当するようになってから、それなりの経験を積んできた。駆け出しの頃は相手を見誤り手痛い失敗を犯したりもしたが、ベテランと呼ばれる年齢になった今では、家出した子供に問題があるのか、それとも家出された保護者に問題があるのかは、それなりに見抜けるようになったという自負がある。
 経験に裏付けされた勘は、目の前にいるいかにも繊細で弱々しい女を、その見た目の印象通りに受けとるのは危険だと告げている。
「このあとの足取りはわかりませんか?」
 私は石垣花笑の手からタブレットを受け取る。
「千葉県のウォーキング用地図を買っていたという記録が残っていました。恐らくは徒歩か、それに近い手段で���巳に戻ろうとしていたのではないかと。市川から笹巳に向かう道のあちこちで目撃情報がありますし」
 隣に立っている後輩の金山(かなやま)が私の言葉を引き継いだ。
「このコンビニから15キロほど先の河川側で、『女の子が野宿してる』という通報も入っています。警察が到着する前にすでに立ち去ってしまっていましたが、身体的特徴からして、姪御さんで間違いはないはずです。もしかしたらもう笹巳市内に入っているかもしれません」
 石垣花笑は額に貼られた大きなガーゼを細い指で抑えながら「徒歩に野宿……行き倒れにでもなったり、変な人に目をつけられたらどうするつもりなの。あの子、自分1人の力で生きていると勘違いしているんじゃないかしら。なんて無責任な」と呻いた。
 私は『娘のように育ててきた姪御さんに気絶するほど強く殴られるなんて、本当に災難でしたね。わかります、わかります』という表情を作って石垣花笑を見つめるが、あのガーゼの下にあるのはちょっとした切り傷の痕と、青紫色のタンコブだけだと知っている。どんな病院にも1人くらいは、警察手帳を取り出して『ぜひご協力を』と魔法の呪文を唱えるだけで、ベラベラと患者のプライバシーを喋ってくれるちょろい看護師がいるものだ。
 件の看護師曰く『あの程度で気絶なんかありえないですよ。本人が痛い痛いって騒ぐからレントゲンもとりましたけど、出血が派手だっただけのタンコブですよ。あんなので本当に気絶したというなら、それは殴られたことがあまりにショックだったからじゃないですか? それか、大騒ぎして入院日数増やすのが目的かも。いるんですよ、そういう当たり屋みたいなの』だそうだ。
 大方、単なる家出だと警察が真面目に捜査しないと思って考え出した浅知恵だろう。だとしたら──きっとそうだろうが──やはり信用できない。警察相手に顔色ひとつ変えずにサラッとすぐにバレる嘘を吐くなんて、余程のバカか、嘘を吐き慣れているかのどっちかだ。
 私はタブレットの中にいる少女に視線を向ける。
 石垣梨花。16才。
 父・石垣柳(りゅう)と母・香苗(かなえ)は彼女が赤ん坊の時に離婚。以降、叔母・石垣花笑と3人で千葉県笹巳市笹巳本町で暮らす。
 笹巳本町と言えば、知る人ぞ知る本物の一等地だ。立ち並んでいる家々は田園調布や青葉台なんかの豪邸と比べりゃ地味に見えるが、その実、あそこら辺のぽっと出の成金どもとは格も歴史も違う。笹巳本町に住んでいるのは地元に深く根を貼った、日本昔話に出てくるような時代からの土着の金持ちたちだ。
 石垣家はそういった連中の筆頭。大地主。この病院も、マルハラ食品の工場地帯も、笹巳大の敷地も、笹巳大付属高校の敷地も、笹巳市役所の敷地も、全て石垣家が数十年単位で貸し出しているものだ。
 つまり、石垣梨花は正真正銘のお嬢様というわけだ。地味な顔つきもそういう背景込みで見ると品のいい和風顔に見えてくる。実際、鼻筋の通ったいい顔だと思う。10年後には同窓会で「あの時、声かけときゃよかった」って周囲をざわめかせるタイプになるかもしれない。まぁ、つまり、今はただの座敷わらしだ。もしくは無表情な麗子像。
 梨花は私立笹巳大付属高校の2年生。陸上部所属。親しい友人も、親しくない友人も0。小学校、中学校、高校通してだ。普通の親なら自分の子供に友達が1人もいないなんて相当不安になるだろうが……。
 私はベッドを挟んだすぐ向こう側で、椅子に腰掛けている石垣柳に目を向ける。彼は私たちなどここに存在しないかのように、手元のスマートフォンをいじり続けている。
 子供が家出をした時、母親と比べて父親は少しマッチョぶりたがる傾向がある。『心配かけたいだけなんですよ! ほっときゃそのうち帰ってくるんだから! 俺は警察なんて大げさだって言ったんですが、女房がね! どうしてもって言うから!』ってな感じでだ。だから彼のこの無関心な態度も最初はその手の強がりかと思っていたが、どうも違うようだ。
「ご確認いただけますか?」
 私は動画を最初のシーンに戻してから、柳にタブレットを差し出した。柳はタブレットを一瞥しただけで、手に取ろうとすらしない。
「姉が梨花だと言うなら、梨花なんでしょう」
「柳」
 花笑がたしなめるように名を呼ぶと、彼は面倒くさそうにタブレットに目を向ける。私にタブレットを持たせたまま画面を操作して動画を再生し、数秒だけ画面を見てから、「娘ですね」と素っ気なく言った。私は彼が他にも何かを言うのではないかと思ったが、それで終わりだった。
 花笑は肩を竦め、わずかに唇の端を持ち上げて私を見た。小さな子供が駄々をこねる側で「この子ったらしょうがないわよね。でも、子供ってそういうものだから仕方ないわ。あなたもそう思うでしょう?」と同意を求めてくる母親みたいな顔だ。知るか。こいつもあんたもいい年した大人だろ。
「もしかしたら途中で歩き疲れて電車やバスを使うかもしれませんよ。あ、それとレンタルサイクルとか。夏休みは家出が増えますからね、千葉県内のレンタルサイクル店とはすぐに連絡がとれるようになってるんです! 梨花さんがお店に現れたらすぐに連絡がきますよ! 全店舗に千葉県警パートナーシップ店のシールも貼ってあります!」
 得意げに胸を叩く金山に、花笑は冷ややかな目を向ける。
「そんなシールが貼ってあるような場所に、家出中の子供が近寄ると思いますか? それに電車やバスなんかのいかにも警察が待ち構えていそうな場所も、あの子は避けますよ。最初に電車で笹巳まで行こうとした時に、ファミレスであなたたちに捕まりかけていますからね。あの子、用心深いから。ああ、あの時、捕まえてくださっていれば……」
 金山は顔を真っ赤にして俯いてしまった。バカめ。
「その節は、本当に大変申し訳ございませんでした! 私もまさか、唐辛子フレークを目に投げつけられるとは思わず! まともに眼球に入ってしまって! はい!」
 金山はでかい図体を2つに曲げ、勢いよく頭を下げる。このバカは一体、あの件を何回詫びるつもりなんだ。もう済んだ話だろうに。っていうか謝ってるつもりなのか。言う必要があるのか、唐辛子フレークとか。ちょっと面白くなっちゃってるじゃねぇかよ、バカ。
 うんざりするが、私だけ頭を下げないわけにもいかない。万が一、億が一、石垣梨花が何らかの事故や犯罪に巻き込まれてしまっていた場合、『警察は真面目に捜査してくれなかった! それに柿原(かきはら)刑事は初動のミスに対して頭を下げようともしなかったんだ!』なんて、後出しで騒がれたらたまったもんじゃない。
 私も金山の隣で頭を下げ、「こちらの落ち度です」と静かに言った。1、2、3とカウントし、こちらの謝罪が十分伝わっただろうタイミングで頭をあげる。短すぎては逆上されるし、長すぎても舐められる。さじ加減が難しいのだ。
「本当に、申し訳ございません!」
 まだ頭を下げたままだった金山が叫んだ。舌打ちを堪える。この筋肉バカはなんでもやり過ぎなんだ。ペコペコしてると足元見られんだよ。
「悪いと思っていらっしゃるなら、早くあの子を保護してください。心配で、心配で、気が気じゃありません」
 石垣花笑の声にこちらを詰(なじ)るような色が滲み始めた。
 ほらみたことか。例えこちらに非があろうと、隙を見せるべきじゃないんだ。
 私は素行不良の家出娘に振り回される親向けの表情を作る。適度に誠実そうで、適度に高圧的で、協力はするが奉仕はしないという仮面だ。
「家出した子供はほとんどの場合、自宅周辺で見つかります。それか、ご両親が離婚されている場合は、もう片方の親の元に」
「それは絶対にありません!」
 花笑が甲高い声をあげた。今にも崩れ落ちそうな弱々しい女性のコスプレが崩れ、目を血走らせた般若が出現する。おーっと。ご家庭の地雷を踏んだようだ。
「あの子の母親は娘を捨てたんです。あの子もそれをわかってます。私の梨花は母親のところには行きません!」
「……可能性の話しですから。まぁ、今回は笹巳に戻ってきていると考えてほぼ間違いはないでしょうし、今後もご自宅の周り、駅の周り、カラオケ店や24時間営業のファミレスなどを中心に見張りを続けますので、どうぞあまり思いつめずに。退院したらできるだけ家にいてください。彼女のように普段の素行に問題がない子供の場合は、冷静になって家族の元に戻ってくる可能性も高いので。戻ってきても、あまり怒らないでやってくださいね。高校生なんてまだまだ子供なんですから」
 石垣花笑はじっと私を見つめている。般若状態は脱したようで、また元のミス薄幸に戻っていた。色白は美人の条件だとよく言われるが、ここまで白いと美醜どうこうの前に気持ちが悪いという感情が先にくる。まるで生乾きの紙粘土でできた人形のようだ。
「刑事さん、あの子は利用されているんです。タチの悪い男友達に」
 眉が八の字に下がり、大きな三白眼が侮蔑の色を滲ませながら細まってゆく様は、恐ろしく出来のいいクレイアニメのようだった。彼女の表情は彼女の内側からくる感情から動いているのではなく、彼女の外側にいる不可視の何者かが手を加えて動かしているように感じる。
「あの男の子と付き合うようになってから、姪は変わってしまいました」
「あー。高校生の恋愛ではよくあることですよ。私もそれくらいの年齢の時は随分、恋に恋する青春を」
 私は金山の靴の先を踏み、ゆっくりと体重をかける。テメェは黙ってろの合図だったが、金山は不思議そうな顔で私を見下ろし「柿原さん、踏んでますけど?」と言った。ますけどじゃありません。踏んでんですよ。
「これ以上、あの男の子と一緒にいたら決定的に道を踏み外してしまうと思ったんですよ。ですから夏休みの間は私と2人、笹巳から離れた町で生活するつもりだったんです。幸い、そういう時のための家なら幾つかありましたしね。しばらく連絡を取らずにいれば逆上(のぼ)せ上がった頭も冷静になって、正しい行いができるようになると思ったのに」
 そう言って彼女はわずかに顔を下に向けた。閉じかけた雨傘のようななで肩から伸びた細い首と頭は、えのき茸を思わせる。ちょっと乱暴に振り回せば、笠の部分がポロリと落ちそうだ。
「姪御さんの彼氏、日野原青海くんのことですね」
 日野原青海。
 同じ高校の陸上部の先輩。学校での評判は教師からも同級生、下級生からも二重丸。時々テレビにも出るような有名人で、いわば学校のアイドルだ。
 100Mの記録保持者で、「美麗」という大仰な言葉すら嫌味なくハマる容姿の持ち主であることを考えれば、一時期の羽生結弦並みにメディアに露出しても不思議じゃないが、そうならないのは彼が住んでる地区のせいだろう。
 あそこは警察だって『上』の許可がなければ捜査ができないし、許可が取れることなんてほとんどない地区だ。とても表には出せないやばいものをゴミ箱代わり投げ込んでいたら、地区全体が表には出せない代物になっちまったっていうバカみたいな場所。一度、完全に更地にでもしない限り、あそこが普通の町になることはないだろう。
 あの地区のあちこちに建てられた箱物は一体誰が建てたのかとか、入居者のほとんどいない高層マンションは本当は誰が使っているのかとか、少し掘り返すだけで解除不可能な地雷がゴロゴロ出てくる。浦安で行方不明になったフィンランドからの観光客が錯乱状態で発見されたり、栃木で行方不明になった小学生の半裸死体があの地区のマンホールから出てきたりしたが、いずれも捜査は途中で打ち切られている。独自調査を続けていたジャーナリストはホテルで自殺してしまった。両手足を縛った状態で首の血管を切っていたということが、それでも『自殺』になるのだ。あの地区では。
 メディアもたかが『もしかしたら金メダルをとるのかもしれない男子高生』程度のために、あんな地区に関わりたくないのだろう。
「正直に申し上げますとね、刑事さん。私にはあんな場所で生まれ育った子が、私たち一般の日本人と同じようなまともな感覚を持ち合わせているとはとても思えないのです。あの子は最初からうちの梨花を誘惑して、利用するために近づいたのかもしれません。だってあの顔ですからね、そういうことは慣れているのかもしれません。あの顔は他人に媚びる顔です。悍(おぞ)ましいったらないわ! それにあの地区の人間のくせに、普通のご家庭の男の子のような身なりをしいたのもずっと気にかかっていたんです。一体、どこから出たお金で買っていたのか、わかったもんじゃありません。今思えば、うちに遊びにきてる時も変な感じだった気がします。礼儀正しい普通の子を装っていたけど、目があちこちにさまよってて、全く落ち着きがありませんでした。まるでうちの中を値踏みしているように感じましたよ。それにおやつだって、毎回全部食べてしまうんです。全部ですよ。犬みたいにがっついて……ああ、なんであんな子と付き合ったりなんか!」
 彼女は掛け布団の縁を両手で掴んだり、離したりを繰り返す。人はストレスがたまると、腹の底から吹き上がってくる行き場のないエネルギーを発散するために無意識に体を動かすものだ。
「落ち着いてください。そう興奮しなくても……」
「刑事さん。これはただの家出ではないんですよ。叔母に対する暴行と、傷害と、強盗です。梨花は家出中の罪のない未成年ではなく、事件の容疑者なんです」
 柳が口を開いた。
 逆八の字型に眉を跳ね上げ、花笑とお揃いの三白眼で私を睨む。恨みがましい目で人を睨むのが様になる姉弟だ。
「もう少し真剣に探してくれてもいいのでは? いつになったら本物の刑事さんを担当に回してくれるんですか? これなら探偵でも雇った方がまだマシでしたよ」
 柳は眼鏡のツルを軽く持ち上げながら私に尋ねる。気障(キザ)ったらしい上に嫌味ったらしい。
「……石垣さん、私たち生活安全課も本物の警察ですよ。もちろん、警察は全力でお嬢さんを探しています。ただ、こういうケースはガムシャラに動けばいいという話でもありませんし、あまり大ごとにするとお嬢さんが後々、学校生活を送りにくくなる可能性も──」
「それは娘の自業自得ですから、刑事さんが気にすることではないでしょう。それで、日野原くんにはいつ話を聞きにいくつもりですか? 梨花が笹巳に戻ったら、一番に駆け込むのは彼のところですよ。見張りは置いてるんですか? 昨日、見に行った時は、彼の家の周辺には誰の姿も見えませんでしたが」
「見に行ったんですか?」
「警察のみなさんがお忙しいようなのでね。何度か直接、足を運んでますよ」
 柳は不快そうに顔を歪め「ろくでもない地区です。ヤクザみたいな連中が私の車を取り囲んで、サイドミラーをへし折って行ったんです。走行中にですよ!」と吐き捨てた。
 ザマー! という感情を深い同情を浮かべる仮面を被って隠す。
「梨花さんが家出していることや今までに起きたことを全て日野原くんに話す形になりますが、それでも構わないということですね? でしたら何か梨花さんについて知っていることがあるかどうか、彼に聞きに行きますよ。これからでもね。ええ」
 私は金山の肩を叩いて病室のドアに向かった。
 が、ドアを開けて廊下に出ても後ろに誰もついてこない。
 振り返ると、金山は不思議そうな顔をして自分の肩と私を交互に見ていた。ベッドの側から少しも動いていない。
「……金山くん」
「はい」
「行くよ?」
 私は廊下の先を指差し、『全然怒ってないよ』とタイトルのついた仮面を被る。
「あー。はい。じゃぁ、失礼しますね。お嬢さんは必ず保護しますから」
 金山は石垣姉弟にバカ丁寧に頭を下げてから、ようやく病室からでてきた。私は『なんでもないんですよー?』の仮面を被って、病室に残った2人に向かって「それでは」と会釈してドアを閉めた。
 ……。えいっ。
「柿原さん、なんで俺の足を踏むんですか?」
 不思議そうに金山は首をかしげる。私は金山の右足のつま先を踏んでいた足を持ち上げ、もう一度バンッと踏みつけた。
「わぁ! 吃驚したぁ!」と金山が叫び、廊下を歩いている患者たちが怪訝な顔でこちらを見た。
「大声を出すな。病院だぞ」
「だって、だって、柿原さんが急に! なんなんですか、もー! さっきから肩叩いたり、つま先踏んだり! 暴力はよくないですよぉ! 柿山さん、力弱いから痛くはないけど、吃驚するじゃないですかぁ、心臓に悪いですぅ!」
 私は脳みそスカスカ熊男の胸ぐらを掴んで引き寄せる。何でこんな手取り足取り教えなきゃ何もわからんようなアホに育っちまったんだか!
「かーなやーまくぅん!」
「柿原さん、顔が近いです。あと両足が俺の足踏んでますよ」
「踏んでますよじゃねぇですよ、踏んでんですよ! 君は私が全部言葉で説明しねぇと意図すらわかんねぇんですか! 私が肩叩いたら、部屋を出てくってことですよ! つま先踏んだら黙れってことですよ! 悟れ! 前後の空気で、悟れよ! 朴念仁(ぼくねんじん)!」
 あー、なるほど! と金山は手を叩いた。
「ツーカーの以心伝心な刑事コンビって感じで格好いいですもんね、そういうの!」
 金山はにっこりと私を見下ろす。『もー。しょーがないなー。ごっこ遊びがしたいならそう言ってくれなきゃー』とでも言うような顔。
 ……なんで私がわがまま言ってるみたいな感じになってんだ!
 病室のドアが開き始めた瞬間、私は金山の胸ぐらを掴んでいた手を離し、足から降りた。ドアが開ききって、柳が出てくるまでの間に『真面目で実直で適度に高圧的な顔』の仮面を被る。
「おや、石垣さん。どうしました?」
 私がそう聞くと、柳はドアを閉めてからこう言った。
「例えばですが。娘が姉を襲って金を奪った行為が全て、日野原青海の指示だったとしたらどうなりますか?」
 ……。何言い出してんだ、こいつ。
「それは……何か根拠があってのことですか?」
 柳は否定も肯定もせずに肩を竦め「もしもそうだったら、どうなるのかと思っただけですよ。ちょっと可能性を考えてみただけです。ちゃんと逮捕してくれるのかなって。ほら、悪い芽は早めにって言うでしょう」と答えた。
 逮捕と言った時、柳の顔に蛇のような笑みが浮かんだ。
「石垣さん、まずは娘さんが無事に帰ってくることだけを考えましょう。私たち警察も、全力で協」
「いいです。他の可能性を考えますから」
 言い終わる前に柳はドアを閉めて病室に引っ込んでしまった。
 ……。うわっ。
「柿原さぁん」
「あ?」
「俺、あの人のこと嫌いだなぁ」
 ……。
「私も」
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ama-gaeru · 6 years
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錯視上ブルーエンド11
11話:8月16日(深夜2時54分)ベランダx遭遇
 「クッソがぁーっ!」
 湧き上がる自己嫌悪を夜に響かせながら坂を駆け上がる。殴られた痕に汗が染みた。
「テメェが! 海なんか誘うから! 風なんか吹くから! キラキラしてんじゃねぇーよ! わかっちゃったんだよ! あんな、ドラマチックにキラキラしやがンからよォ! もうこれで、二度とこんなことないなって! わかっちゃったからさぁー! これを逃したら、何にもねぇなぁって! 今飛ばなきゃ、二度と飛べないなって! そーゆーのだなってわかっちゃったからァー! わかっちゃったからさァアーッ!」
 深夜の商店街に俺の罵声がこだまする。構うかよ。どーせ月しか聞いてねぇし! こんなこと、相談できる相手なんか人類に1人もいねぇし!
「バーカ! バァーカ! バァーカァッ! 死ね! 俺なんか死ね! 死んじまえ! 死んじまえばよかったんだよ!」
 商店街最後の店を超えた。あとは団地までこのまま坂を走る。
 走る。走って、全部体から出すんだ。絞り切るんだ。空っぽにして、何にも考えないようにして、あとは水でも浴びて布団で気絶してやる!
 わけわかんねぇ告り方しちまった後。
 俺をガン見しながら硬直している先輩を置いて、俺は人ごみをかきわけ、海に向かって全力で走り出した。冗談でしたで誤魔化せるもんじゃねぇってわかってた。
 海に飛び込んで死んじまおうとか思っていたわけではなくて──そうしちまえばよかった──、波打ち際の方が砂が海水で引き締まって走りやすくなっているはずだから、逃げ切れる可能性が高いと思ったんだ。パニクった時って妙に打算的になるもんだよな。
 波打ち際にたどり着いた時点で海の家からはかなり離れていたし、先輩はまだ硬直したまま動かないでいたから、俺はイケる! 逃げ切れる! って思ってた。ガーッと走って駅に戻って、電車に飛び乗ってはい、さようなら! ってな。
 全然イケなかったし、可能性でどうこうなるレベルじゃなかった。 
 日野原先輩は、ゆっくりと俺の方に顔を向け、足を踏み出した。
 で。速攻。追いつかれた。
 そりゃー! そーだよ! あったりめぇだろ!
 あの人、100メートル9秒99だぞ! ジュニア世界記録の上から数えてベスト10に入ってんだ! なんで逃げられると思ったんだよ! 無理に決まってんだろ!
「バカーッ! 死んじゃえよ、俺!」犬みたいに月に吠えた。
 加速がエグかった。ほんっとにエグかった。超怖かった。なんだったんだあれ。俺が1歩進む間に先輩は2歩進んでいて、俺の真後ろにつけていた。
 先輩は俺のアロハの端を掴んで引っ張ると、そのまま思いっきり俺の脇腹に膝蹴りを入れた。肋(あばら)が折れたんじゃねぇかってくらいキツい蹴りだった。俺は砂浜に倒れて転がり、先輩は倒れた俺をまた蹴って仰向けに転がし、馬乗りンなって胸ぐらを掴み上げた。
 先輩は腹の底から突き上げてくる言葉を吐き出さまいとするみたいに、口を硬く引き結んでいた。顔は真っ赤で、肩は大きな鳥が羽をバサバサやるみたいに激しく上下してた。きっと湧き上がってくる罵声を外に出さないように耐えていたんだ。
 あんな唇ブルブル震わせて、顔真っ赤にするくらいなら、言っちまえばよかったじゃねぇかよって思う。気持ち悪ぃってよ! どーせ思ってたんだろうし! 別に! そういう風に言われるのなんか、想像しまくってたから今更だし! 想像するだけで丸1日メンタル死んでたんだから、実際に言われたら、実際に死んだろうけどよ! そっちの方がずっとよかったよ!
 先輩は超絶ブチキレてて、見開いた目から眼球が転げ落ちてきそうだった。あそこまでブチキレてる顔を見たのは初めてだった。
 先輩は怒ってる時も笑うから、怒ってる時に怒ってる顔してるのを見て、俺はすげぇビビってんのに「あ、よかった」って思っちまったんだ。この人、ちゃんと心のままの顔もできるんじゃんって。それで、また余計なことを言った。
 「俺、その顔、すげぇ好き」
 余計なことを口走った代償は、左頬が支払った。先輩のパンチには容赦ってもんがなかった。首がもげるかと思ったし、目の前で星が飛んで、ついでに意識も一瞬飛んだ。先輩が何か言ったけど、聞こえなかった。聞こえなくてよかったと思う。だってあの状況だ。「死ね」か「キモッ」かのどっちかしかねーじゃんよ。
 殴られた頭が濡れた砂にめり込んだところで、引いていた波が一気にゔぁぁーっときて、俺に覆いかぶさった。砂混じりの海水が目や鼻や口に流れ込んできた。俺は体を起こそうとしたけど、先輩が片方の膝を俺の胸の上に乗せて体重をかけてきた。俺は起き上がることができず、波が引くまで海水の中で溺れ続けた。
 水ン中で乱反射する光と、砂と、小さな貝殻と、歪んだ先輩の姿が、一つの情景記録みたいになって、今も目ン中に入ったゴミみてぇに俺ン中に残ってる。取ろうとしても取れねぇし、無視しようとしても無理。
 波が引いて、飲み込んだ海水を吐き出して、咳き込みながら息を吸った。胸の上の膝にグッと力がこもったので、また波ン中に浸けられんのかと思った。けど、先輩はすげぇ短(みじけ)ぇ一息だけの笑い声を残して立ち上がった。その「ハッ」て笑い声をmp3かなんかにして、ファイル名をつけるとしたらこう──「侮蔑」。
「もういいよ。お前」
 先輩は笑ってた。
「俺はもう帰るから。西郷も落ち着いたら帰れ。気をつけてな」
 先輩は自分の左頬を指差して「俺も殴ったし、今日のは全部チャラにしよう。最初から何にもなかったんだよ。俺たちには」と笑い、駅の方へ向かって歩き去った。
 俺は波打ち際に座り込んだまま、先輩の背中が人の波に紛れて消えて、完全に見えなくなるまでそこにいた。打ち寄せる波が体温を奪っていって指先が震えてもそこにいた。照りつける太陽が首の後ろと背中を焼き、ヒリヒリと痛み出してもそこにいた。声は出なかった。涙は出た。
 切り捨てられたんだ。あれはそーゆー笑顔だった。
 古い自販機の前を駆け上がり、そのままスピードを落とさずに団地の前に戻って来た。
 足を止めた途端、疲労が体に覆いかぶさってくる。ガタガタと揺れる膝を両手で抑え、呼吸を整える。呼吸をするたびに毛穴から汗が吹き出した。
 クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、ドロドロしたもんが、消えやしねぇよ!
「ンだよ! 疲れただけじゃンよ、クソが!」
 俺は生まれたての子鹿みてぇに足を揺らしながら団地の門を通り抜け、花壇の前を通り過ぎ、団地の階段にたどり着いた。4階まで行くのがしんどい。なんでエレベーターねぇんだよ。つけとけよ。
 手すりにしがみついて階段を上がり始める。1階から2階へ。2階から3階の踊り場へ向かう。
 複数の足音と話し声が上から聞こえてきた。大人の男。2人か3人くらい。懐中電灯の光が壁に当たってる。
 体が強張る。こんな時間に誰かが団地ン中を歩いてるなんて考えもしなかった。昼間におばさん達が話していた、団地に忍び込んでいる不審者の話を思い出す。
 鉢合わせしないように階段を降りるべきか悩みかけたところで、その声が聞き覚えのあるものだと気が付いた。ンだよ。ビビって損した。俺はため息を吐いて再び階段を上り始める。
「誰か上ってきてねぇか? 足音聞こえるぞ?」
 雲ン中で転がる雷みてぇな声が言った。
「俺っすよ。4階の西郷」と、答えたが聞こえなかったらしく、返事はなかった。
 3階の踊り場を懐中電灯が照らす。
「おい! そこにいんのは誰だ?」
 雲ン中の雷が踊り場に向かって落ちてきた。相変わらず怖ぇし、柄が悪ぃ。
「だから、俺だって。どーも」
 俺は踊り場に上り、懐中電灯の光の中に入る。
 思った通り、懐中電灯を持っていたのは神原兄妹の親父さんだった。体も顔も岩みたいにゴロゴロしている。イワポケモンだ。
「なんだお前(め)ぇ。コータ君じゃねぇの」
 神原兄妹の親父さんは懐中電灯の光を俺の顔に向ける。眩しさに顔をしかめたら「おお、悪ぃな」と言って懐中電灯を下に向けた。
「こんな夜中にガキが何やってんだ? あぶねぇぞ?」
「走り込み。昼間は暑くて、全然練習できねぇから」
 尤もらしい嘘を吐く。
 神原の親父さんは後ろに控えていた2人のおっさんたちに「4階の子だよ。うちのガキ共の友達。笹高の陸上部なんだよ」と俺のことを説明した。
 2人の顔にも見覚えがある。タンクトップを着てるのは1階に住んでる人で、赤いTシャツを着てるのは確か管理人さんの息子だか、孫だかだ。全員が全員、絵本に出てくる鬼みたいなごつごつした体つきをしている。腕には「朝陽(あさひ)団地防犯隊」と書かれた腕章をつけていた。
 いつもブラジル団地って呼んでるし、呼ばれてるから、正式名称で書かれている文字をみると変な気分になる。団地の中の一部の人はブラジル団地って呼び方は「外の連中が呼び始めた蔑称だからすべきじゃない」って言っていて、また一部の人は「母国を蔑称だと考えるのがおかしい」って言っていて、度々小競り合いが起きる。
「練習頑張るのはいいけどよぉ、こんな真夜中にやるのはやめとけよ。せめて日付が変わる前にしとけ。アッチの方から、悪ぃのが来るかもしんねぇからな?」
「うっす」
 神原の親父さんは他のおっさん達を引き連れて階段を下りてゆく。
「おじさん達は何やってるんですか? こんな夜中に懐中電灯なんか持って」
 タンクトップのおっさんが「見回りだよ」と答え、その言葉を赤いTシャツのおっさんが引き継ぐ。
「不審者が空き部屋に入り込んでるらしいんだよ。今日も空き部屋から物音がしたって聞いてな。様子見てきたとこなんだ。503号室」
 と、Tシャツおじさんは鍵の束をジャラッと見せる。
 503。俺ん家の真上の部屋じゃん。
 俺は階段を下りてゆくおっさんたちの背中に尋ねる。
「どうだったんスか? なんかあったんスか?」
「意見が割れてる」と神原の親父さんが笑いながら答えた。
「誰かがいた跡なんかねぇな、不審者がいたって噂のせいでみんなが敏感になってんだろってんのが俺と山ちゃんの意見」
 神原の親父さんはタンクトップと一緒にうんうんと頷く。
「そんで竹ちゃんだけ『誰かがいた跡を消してる』ってんだよ」
 竹ちゃんと呼ばれた管理人さんの息子だか孫だかが顔を歪めて「絶対に人がいたって。なんか気配がしたんだって」と唸る。
 おじさん達はもう俺の存在など忘れたようで「んなこと言ったって、風呂ん中も、押入れも、天井も、天袋ん中まで探したけど何もなかったじゃねぇか」だの「神経質になりすぎなんだよ。変なとこなかったろ」と言い合いながら階段を下りて行った。
 今にも崩れそうになる体を無理やり動かして家の前にたどり着き、首から下げていた鍵を取り、扉を開けた。
 ずっと窓を締め切っていたから、室内の空気はゼリーみたいにぶよついていた。エアコンつけっぱにしときゃぁよかった。
 汗を吸ったシャツと、ハーフパンツと、パンツと、靴下を廊下に脱ぎ落としながらキッチンに向かって歩く。服は明日拾えばいーや。
 素っ裸になって冷蔵庫のドアを開ける。冷気が滝みてぇに汗まみれの肌の上を流れ落ちていく。気持ちいい。麦茶の入ったボトルを手に取り、そのまま直飲みする。水分を失っていた体の中を、口から喉、喉から食道、食道から胃の底へと、冷えた麦茶が落ちていくのを感じる。乾いていた体の細胞が息を吹き返す。口に入りきらなかった麦茶が喉、鎖骨、胸と体を下って床に溢れた。明日ふきゃぁいーや。面倒なことは全部後回し。今日はそーゆー日だ。許されるだろ。そンくらいよ。
 俺は麦茶を飲み干して��ら冷蔵庫を閉め、風呂場に向かった。
 シャワーのコックをひねり、頭から水をかぶる。水と言ってもこの猛暑のせいで随分ぬるい。身体中の汗を流し、髪を洗って、雑に体を拭きながら外にでる。髪を乾かすのもめんどくせぇ。寝よう。今日は許される。寝よう。
 俺は自分の部屋にいって下着だけ履いて、またリビングに戻る。
 エアコンのある部屋はリビングだけだから、じいちゃんと母さんがブラジルに行ってからはリビングで寝ている。
 エアコンの設定をいつもの27度から20度にして、風量も強にして、電気を消し、床に敷いた布団の上に倒れこむ。風邪引きそうだけど別にいー。風邪引いて苦しくなれば、ちったぁ気が逸れんだろ。
 枕に顔を埋めた瞬間に、意識が一気に布に染み込んで、俺は何もかもを忘れて意識を失い──はしなかった。
 音がする。音っつうか、振動? 何かを叩いたり、ぶつけたりするような振動が床から布団に伝わってきた。窓の外からだ。
 ……どうせなんか、コウモリとかそんなんが物干し竿にでもぶつかってん──。
 バンッ! という大きな衝撃が響いてきた。眠気が覚める。なんだよ。今の音。閉じていた目を開けると、またバンッ! と音が響いた。    俺は重たい体を布団から体を起こし、窓に顔を向ける。向けたところでカーテンが閉じているので何が起きているのかわかんねぇけど。
 振動と音は明らかにベランダから伝わってきていた。絶対にコウモリじゃねぇ。何か、重たいものが金属を叩いているような音だ。でも叩いているだけならもっと音は響くはずだ。叩いたあとですぐにその金属を掴んで、振動を止めているような音。なんだよ、これ。
 疲労と眠気をねじ伏せて立ち上がり、窓に向かう。
 寝ている時は気がつかなかったけど、音は上階から響いてくる。上のベランダからだ。
 おっさん達が言ってた不審者のことが頭を過ぎる。
 ……小動物。猫とか、ハクビシンとか、でかいネズミとか。そーゆーのであってくれ。マジで。今日はいっぱいいっぱいなんだよ。限界なんだよ。つか、不審者って具体的にどんな奴だよ。クソ。特徴くらい聞いときゃよかった。
 あれだ。熊と一緒で大きな音を立てて「ここに人がいるぜ」っていうのを気づかせてやりゃぁ、向こうの方から離れてくれんじゃねぇのか。
 ……いや。ダメだ。この団地、今、そんなに人いねぇし。小さい子供がいる家とか結構あるし、うちみてぇに旦那が出張で女子供しかいない家もあるし。俺んとこから消えて、そーゆー家んとこに行っちゃったら最悪じゃん。不審者ならなおさら、ここでとっ捕まえねぇと。
 俺は足音がしないようにソッと窓に近く。
 さすがに手ぶらじゃ不安だったので、途中で床に転がしたままだった箒を拾う。不意打ち狙えば勝てるっしょ。
 窓の前に立ち、指でカーテンを少しだけ広げる。
 思った通り、ここのベランダには誰もいない。またヴォン! という音が聞こえた。やっぱり。上の階のベランダに誰かいる。
 俺は静かにカーテンを開け、さらに詳しくベランダの様子を伺う。
 さっきは音のことばかり気にしていて気がつかなかったけど、ベランダに影が落ちている。上のベランダからの影。それもでかさからして、もう完全に人。人の影だ。ただ、影の輪郭はぼやけていて、影の主人がどんなポーズをしているのかまではわからない。滲んだ大きな墨汁の染みに見える。
 きっと人だろうと思ってはいたけど、本当に人かよ。クソ。気持ち悪ぃ。どーゆー奴が団地に忍び込むんだよ。
 人生で初めての変質者との戦いだ。俺は箒を硬く握りしめ、音がしないようにより慎重になって窓の鍵を外し、音のする方を見上げながらゆっくりと窓を開ける。大丈夫。ぜってぇ勝てる。
 ガラスに遮断されて聞こえなかった音が耳に届いた。
 ハァハァという荒い呼吸音と、グッとかンッとかいううめき声。
 俺は箒を構え、ゆっくり、ゆっくり外に出た。
 その時だ。
 突然、上の階のベランダから下に向かって、2本の足がぬるりと伸びてきた。足首から太ももまで包帯でぐるぐる巻きだ。
 驚きすぎて声が出なかった。
 声が出ない代わりに、さっき飲んだばかりの麦茶がクッソ冷てぇ汗に変わって吹き出した。
 足は空中で自転車を漕ぐように動き始めた。いや、あれは、なんか立てる場所でも探してんのか? いや、思いっきり空中だぞ。無理だろ。ハァッ! ハァッ! という息遣いが大きくなる。一瞬足の動きが止まり、またバァン! と音が上から響く。
 んだよ。なんなんだよ、これ。なんだこれ。幻覚かよ。いや、幻覚ではねぇけど。わーってるけどよ。なんで足が。
 この足の持ち主は上階のベランダの柵棒にしがみついているみたいだ。体を持ち上げようと棒をつかみ直すたびに、ヴォン! とかバァン! とかいう音が響いているらしい。
 ちょっとずつ足全体が下がってきている。太ももまでしか見えなかった足が腰まで見えるようになった。
 この鹿みてぇな細い足。
 ……。
「……石垣?」
「えっ!?」
 あっ! あっ! あっ! という声が破裂するように聞こえ、空中で静止していた足がズルズルと下がってくる。
「さ、さ、さ、さ、さいご、西郷君?」と足は言った。
 ……石垣だ。
 捲れたシャツと、臍。そこまでゆっくり降りてきたところで、足がだらっと一直線になる。
「わた、わたし、落ちちゃ」
 その言葉のあと、Tシャツ姿のおかっぱ女が落ちてきた。ベランダの外に。
 俺は悲鳴を上げながら猛ダッシュした。
 両手を広げ、今まさに4階のベランダをバンザイの姿勢で通り過ぎようとしていた石垣の両手を掴む。
「ンなんだよっ!?」
 落下する石垣の勢いに負けて体が引っ張られる。
 肋骨がベランダの手すりに激突し、大きな音を立てた。衝撃で指の力が一瞬緩み、俺の左手から石垣の手がすり抜けた。
 俺はもう1本の石垣の手を両手で掴む。石垣の手は足と同じように包帯でぐるぐる巻きで、その包帯は汗でぬるぬるしていて、ものすごく掴みにくかった。長時間は掴んでられない。こいつが小学生みてぇなチビで本当によかった。普通の女子の体格だったら、多分、掴みきれてなかった。
 俺は石垣の手の骨を握りつぶすくらい強く掴み、そのまま一気に石垣を引っ張り上げた。背筋が痙攣する。
「あああああああーっ!」
 やっててよかった! 上半身の筋トレ!
 石垣の胸が手すりの高さまにくるあたりまで引っ張ると、俺は石垣を掴んだまま後ろに下がった。大きなカブでも引き抜くように仰け反る。
「うらあああーっ!」
 石垣の小さい体はベランダの手すりの上を滑り、外干しされてる布団みたいに2つに折れてから、ベターン! という派手な音を立ててベランダの内側に落ちた。俺が片手を掴み続けていたせいで受け身を取れず、まるで片手を突き出したポーズのまま垂直落下したスーパーマーンみたいになっていた。
 俺は背中から窓にぶつかり、そのままずるずると座り込んだ。
 石垣がうめきながら体を起こす。両手で顔を抑えている。指の間から血が流れていくのが見えてギョッとしたけど、「大丈夫か」の声も出てこない。
 わっ……けわかんねぇ! 一体、なんなんだよ! なんなんだよ、この状況!
 石垣は俺に顔を向ける。鼻を抑えた両手が血だらけだ。
 オカッパ頭はたんぽぽの綿毛みたいに爆発してるし、よくみりゃ身体中垢まみれで、ドロドロだった。ジャングルに逃げ込んだ日本兵みてぇだ。食いもんねぇから、味方の肉を食べるとかそういう感じのやつ。
 まだ手に、石垣の手がぬるっとすり抜けた瞬間の感触が残ってる。体が恐怖で震える。あとほんの少しでも何かが遅れてたら、こいつ、死んでたんだ。
 俺は石垣を見つめたまま、乱れまくった呼吸を整えた。石垣は石垣で俺を見つめたまま、肩で息をしている。
「……石垣」
 俺は声を絞り出す。
「石垣、石垣……テメェ」
 なんで上から落ちてくるんだ。なんでうちの団地にいるんだ。なにやってたんだ。なんだその格好。鼻血大丈夫かよ。なんだその包帯。それによくみりゃガリガリじゃねぇか。どーなってんだ、お前。
 色々な言葉が頭ん中でぐるぐるしてたけど、最初に口をついて出たのは全然頭に浮かんでない言葉だった。
「日野原先輩と別れンの?」
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