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0nce1nabluemoon · 27 days
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多様性という言葉が死んでいる。
それぞれの個を尊重するということ。個を尊重することは、単になんでもありという相対主義ではなく、さまざまな(これまで認識されてこなかった/認識されていても疎外、排除、差別されてきた)他者の存在と私の関係をつなげ、私たちが変化していくためにある。それは、結局は私に返り、そして、それがまたあなたへと広がっていくものだ。
決して、私たちと彼(彼女)らという線引きを行うものではない。あなたはあなた、わたしはわたし、という区別、分断、無関心につながることは、その本意ではない。
政治的なあるいは経済的な言説として、「多様性」あるいは「ダイバーシティー」は、市場経済に絡め取られている。それは、上位下達のごとく、そういう時代だからというお馴染みのセリフとともに、私たちの間に中身のない認知を広げているだけだ。なぜそれが出てきたのか、なぜそれを尊重する必要があるのかという根本的な認識は問われることなく、ただ義務感として、あるいは装飾品として存在するような言葉に、日本においてはなっている。
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0nce1nabluemoon · 1 month
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本棚は生き生きとした意思で溢れていた。自然と人が惹きつけられるような。
#Mar, 2024
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0nce1nabluemoon · 2 months
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一つの街に入る。何も知らない部外者たちが、そこで起きた事件の背景を探ろうと、取材と称してズカズカと穿った目つきで街を徘徊している。そこには生活がある。人が住んでいる。古くからその地域の歴史が脈々と受け継がれている。部外者の私は情報を知っている人を探し出して質問をする。全てを知ったような気になり、それが世に出される。でも、なにかわだかまりのようなものが、澱として残る。それが何かはよくわからない。
ただ、暴力的だな、と思う。
たまたま話しかけた70代のおばあちゃんが、ここら辺は、昔から靴を作る工場が多かったと教えてくれた。でも最近はその多くが潰れてしまって、そこにどんどんと高層マンションが建って、随分と街は変わったと話した。行政から補助金が出て、まるで高層マンションが誘致されるような形になっているらしい。「すごいでしょ」と、マンションが建ってしまったせいで、全く日が当たらなくなった一軒家の近くを通るたびに、訴えるように何度も言った。風の流れもマンションが建って変わり、強風が自宅の一軒家に吹き付けると言っていた。
おばあちゃんは、30年近く駅前で喫茶店を経営していた。80年代。経済成長期で、物事が大きく変わる場面を間近で見てきたという。そんなエピソードを色々と教えてくれた。事件とは関係ない話だったが、面白くてずっと喋っていた。
街にもそこに住んでいる人にも歴史がある。形には残らないのだけど、それは複雑な文脈を持つ記憶として、様々な感情と共にその人の中に根付いている。
その一部分だけを刈り取って、収奪しているような感覚になる時がある。
ある事件で、事件の関係者と親しくしていたという高齢の男性に、他にも知り合いの方を紹介してくれないかと頼むと、「うーん...あんまり紹介したくないな。いい話ならともかく...」と断られた。男性は親切に色々と話してくれたが、そのお願いに対しては困ったように、しかし一線を引くような目つきでこちらを見ていた。
ズカズカと、土足で他者の記憶に踏み入る。インスタントに必要な情報だけを摘み取り、そこにある様々な感情は踏み躙っているような気持ちになる時がある。
慣れてしまうと、何も感じなくなってしまう。でも、それは、やはり暴力的だと心に留めておかないといけない。
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0nce1nabluemoon · 3 months
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BBCの輪島朝市の被災地取材の映像が、とても映画的なカットを積み重ねて、いくらかそれは審美的で、エモーショナルな印象を強く与える映像だった。Twitter上でそのことが震災直後に少し賑わっていた。一部には、日本のテレビにはできない映像手法だと誉めている人もいたが、僕は、BBCはイギリスが仮に同じような状況になったとしても、あのような映像の撮り方をするのか疑問に感じた。
地震と火災で瓦礫になってしまった場所に美を見出すかのようなカット。それは、映像に対する道徳観の違いから来るものなのか、伝え方の違いからくるものなのか。
元日にテレビで朝市が真っ赤に燃え続ける空撮映像がテレビで流れていた。東日本大震災でも、どこかのタンクが燃えて、一面真っ赤な映像が映し出されていたことがフラッシュバックした。あの時、一瞬でも、赤く燃える画面に呆然としながら、ただどこかで美しいものをぼんやりと見るような気持ちがあったかもしれない。
震災から2週目に朝市の現場に行った。大捜索が行われていた。人がまだ瓦礫の下にいるということを、規制線の間近に行けば行くほど感じずにはいられなかった。骨が見つかっているというニュースが後日報じられていた。そこに美的な感覚は存在しなかった。
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0nce1nabluemoon · 4 months
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never be able to touch.
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0nce1nabluemoon · 4 months
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She was ...
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二人は、似ている部分が多かった。
彼も彼女も童顔だった。ひどい時には10歳近く年齢を若く見られることもあったと彼女は話したし、彼も未だに年齢確認される時があると言った。確かに、お互いに26歳でありながら、まだ20歳前後のような、そんな顔立ちをしていた。
それは、老けて見られる人の悩みとはまた違う、幼く見られ馬鹿にされやすいことを、二人はよく理解していた。二人はすぐに、お互いが同じような経験をしてきたことを、会話をするなかで理解した。
そして、あまり自分に自信がないということも二人の間に共通の性格だった。自分達が格好がつくタイプの人間ではないことを、二人とも自覚していた。
彼女は、自分がうまくできないことを隠そうとせず、素直に認め、そうしたコミュニケーションをとるタイプの人間だった。その一方で、彼は、プライドが高いがゆえに、彼女のように開き直って、相手に自分を開示することに、まだ抵抗を持つ部分があった。しかし、彼にとって幸いだったのは、彼女がそうしたコミュニケーションを初めの段階からしてくれたおかげで、自分自身も素直になれたのだった。
彼女は自分自身の弱さも欠点も受け入れて、そして相手の弱さも欠点もその人として受け入れる大らかさがあった。
のちに彼は、そうしたコミュニケーションのあり方は、彼女が生きるなかで培ってきた方法だということを理解するようになった。それは、実は彼女は人一倍プライドや負けん気が強いということを後々に知ったからである。あるいは控え目でありながら、自信がないような態度を見せながら、それでいてそういう自分のことが嫌いというわけではなかった。そのことを彼が理解できたのも、同じような経験をしてきたからだった。
そうした意味で、二人はお互いに対等になれる相手であり、一緒にいて楽な相手でもあった。
そして、何より感性が似ていた。
彼女はよく周りの人や状況を観察する人だった。今あの人がおかしかった、といって急に笑ったりする人だった。そして彼もまた、周りをよく観察する人だった。彼が彼女と一緒にいるとき、周りで起きていることを伝えると、彼女はふふっと少し笑った。彼女もまた、彼のそうした部分が自分と似ていることに、なんとなく嬉しさとおかしさを感じていた。
彼は彼女の着る服や、持ち物を気に入っていた。それは、街でよくみる、流行りの服装に身を包み、一見すると見分けがつかない量産型の女子とは明らかに違い、自分自身の好みというものがはっきりしているからだった。そして、何より、そのセンスが、自分と似ているからだった。ある時、彼は、男の服装であまりにもかっちりと決めている服が苦手で、どちらかというと体に余裕のある服装が好きだと彼女に話した。そうすると彼女も、女子アナみたいな、女女している服にまったく興味がないと言った。2人とも自分自身を取り繕うよりも自然体でいられる服装を好んだ。そういう意味で価値観が合っていた。
彼は唐突に、「季節の中で一番好きな季節はいつ?」と彼女に聞きたくなった。彼女は、まるで青春ドラマのセリフのような質問に、少し馬鹿にするように鼻で笑った。そういうシニカルなところが彼女にはあったし、彼にとっても、そういう感覚を持っている人の方が好きだった。だから、かはわからないが、彼女は手をつなぐのも、恋人つなぎにするとすぐに手をほどいて、腕を組むことを好んだ。鼻で笑いつつも、彼女は秋かなと言った。彼は嬉しくなって、俺も秋が好き。金木犀の匂いが好きなんだよねと言った。今度は彼女は笑わなかった。
彼は彼女のことをよく観察した。
猫背な歩き方。お箸の持ち方。スマホの触り方。食べ物の食べ方。甘えくるときの体の動かし方。一緒にいる時に周りの人を観察して笑ったりするところ。カバンを後ろで手を組んで持つところ。えーって甘えた時の声。ねぇねぇって話しかけるあなた。会話がない時に、「静か」って少し笑うように優しくつぶやくあなた。ニャーと猫がいる時に鳴き真似していたこと。手を繋いでて嬉しそうにブンブン振っていたこと。ちょっといじるとムッとするところ。コーヒー飲めなくてめちゃくちゃ甘くして飲むところ。笑うと、エクボではないけど、頬に線が入るところ。仕事のせいで手が荒れていて、前はきれいやったんやで、と何回も言うこと。逆膝枕してくるようなところ。
全部好きだと思った。
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0nce1nabluemoon · 5 months
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昔読んだ本で、人にはいろんな断片があって、ある部分においてはマジョリティだけど、ある部分においては人とは異なっていることがあるよね、というようなことを書いた文章をよく思い出す。誰もが、そうしたグラデーションのなかで生きているということを心に留めておくこと、そうした想像力を持つこと。それが大事だと思うのは、やはり自分もマイノリティだと感じる場面が多いからだろう。もやもや、違和感。他の人が何も感じていない些細な言葉や社会の雰囲気に、もやもやと違和感が同居している。
多くの人が「ふつう」としていることを他の人にも当てはめて、押し付けることは暴力的だ。ここ数年来感じていることの一つに、そうした想像力が社会全体で欠如しているのではということがある。ある種の道徳の崩壊が、SNS空間上の醜い言葉の暴力に、人種差別に、ミソジニーに、一部政党の政治家たちのひどい怠慢の数々に、そして何より、社会に生きる一人ひとりの「見たくないものは見ない」という姿勢への燃料になっている気がしてならない。
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0nce1nabluemoon · 6 months
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国連総会でガザへの人道的停戦を求める決議があった。ほとんどの国が賛成するなかで、日本は棄権。アメリカは反対。そして、あれだけ広島の原爆資料館への訪問で成功と騒ぎ立てたG7の国々は、フランス以外は棄権、もしくは反対。そこで大量に人が殺されている事実よりも、国家間のバランス取りのほうが重要で、そのために人が殺されることになっても何ら問題はないということに等しい。アメリカをはじめとした大国のダブルスタンダード。すべての発言は政治的であり、そこに道徳や倫理観は存在しない。存在するとしても、それは利用され自らを正当化する言説となって喧伝されるに過ぎない。人権というものは政治的な立ち位置でその定義が変わるもののようだ。そして、なんとも皮肉であるのは、ウクライナはこの決議に明確に賛成するべきであるはずなのに、棄権している。この世界はなんなのだろう。どうして誰もが明らかに矛盾していて、おかしいと心ではわかっているはずなのに、誰かに忖度して、心を抑圧して、どうしようもない事情を飲み込まなければならないのか。一部の為政者の行為がこの世界を作り上げている。矛盾に満ちた混沌の偽善的なこの世の中を。
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0nce1nabluemoon · 7 months
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トイレのような場所で、入口の方を不安げに見る人たち。遠くで鳴る銃声、叫び声、隠れる人影。言葉はわからないが、その言動から怯えや恐れが伝わってくる。投稿された文面を見ると、そこに映っている人たちはその数分後に全員殺されたと書いてある。
どれだけの恐怖があるだろう。どれだけの恐怖がこのいまこの世界を支配しているだろう。
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0nce1nabluemoon · 9 months
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なんやかんやこんな風景が残ってる実家周りが好きである。
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0nce1nabluemoon · 9 months
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商店街で祭りをやっていた。
都心なのに、こんなに祭りに人が集まるんだと思うくらい、道路には人で溢れていた。
人混みという言葉で表されるものとは違う、もっと活気があって、人の暖かみを感じられる、人工的でない人の集まり。あるいは、商業的でないそれ。自然と、その場に集まった人たちがお互いに繋がっているかのような。
出店自体は大したものではないし、お店側からすると祭りに参加することで、もしかしたら1日の売り上げが下がってしまうのかもしれない。
普段は見ることのない、古い構えをした米屋の前で老齢の店主がさばく焼きそばに、長蛇の列ができていた。タイ料理のお店の前で、タイ人のスタッフが笑顔だった。経済的な損得感情ではなく、祭りに参加すること自体が大事なんだよなぁと思った。
通りすがりに外国の方が、思わず顔を綻ばせながら目をキラキラさせていたのが印象的だった。
そんな光景を久しぶり見た気がして、自然と心がワクワクしていた。
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0nce1nabluemoon · 10 months
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道を歩いていると、どこからともなくシャンプーの匂いが漂ってくる。
一瞬で、頭の中で時がかける。それは朧げで、きちんとした輪郭をもたない、いくつものぼんやりとした記憶。
でも、こういう時のシャンプーの匂いは不思議といつでも同じで、そして、いつも夏の暑い日だったなと思った。
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0nce1nabluemoon · 10 months
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具体的に言えば、三〇年前なら、健康、教育、生殖、家庭生活、公安、国家の安全保障、刑事司法、環境保護といった社会領域において、その財やサービスの分配に市場を利用することはなかったのに対し、今日では、「その大半が当然のことと考えられている」。つまり、商品取引とは異質の、人間の本質に関わるような社会領域において、金銭を媒介として財やサービスを分配したり、人びとに特定の行為を促したり、特定の社会関係を形成させたりしようとしている。(…)サンデルは、「この社会において市場が演じる役割を考え直す必要がある。市場をあるべき場所にとどめておくことの意味について、公に議論する必要がある。この議論のために、市場の道徳的限界を考え抜く必要がある。お金で買うべきではないものが存在するかどうかを問う���要がある」と主張する。(…)
必要なのは、「こんな生き方がしたいのかどうかを問う」ことである。
麻野雅子「マイケル・サンデル『市場の道徳的限界論』の意義と課題(一)」
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0nce1nabluemoon · 10 months
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「なんでそんな難しい文章読んでるんですか」と後輩に言われた。
「興味があるから」としか言えなかった。
「いいですね」と、少し緊張した感じで後輩が言った。
「いいね」と心の中で後輩にも呟いた。
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0nce1nabluemoon · 10 months
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逸脱
 トンネルの入り口に蔦が絡み付いている。名前が書かれたプレートはもうすぐで文字が見えなくなってしまいそうで、まるで血脈を広げるように蔦がトンネルの中へと触手を伸ばしているようだった。僕は、いずれこのトンネルごと蔦に飲み込まれてしまう景色を思い浮かべた。
 多くの通勤者にとって、このトンネルは都心の会社へとつながる道程だった。車道の横に歩道が整備され、車が通ることはほとんどなかった。僕は、このトンネルに毎朝足を踏み入れるたびに、いつもむくむくと心の中で天邪鬼が燻り始めるのを感じる。それというのも、あまりにも綺麗に、歩行者が左と右に分かれて歩いているからである。無論、それは指示されているわけでもなく、導線がひかれているわけでもない。ただ自発的に左側通行を当然のこととして、おそらく無意識のうちに自分の体を左側に寄せるように足が動くのである。その結果、長い列が糸を引くように左右に出来上がるのである。
 それはルールとして当然だろう、という声が自分の中から聞こえてくる。しかし一方で、その行列の中にいる自分を俯瞰的に見ると、違和感を覚えるのだった。あまりにも秩序だった光景のなかに、己が埋没して窒息してしまうような気持ちになった。靴が地面に当たる音がトンネルのなかに一定のリズムで響く。皆、前を向いて、その秩序を乱すまいとするかのような空気。一列の長い行列を作ってトンネルに進入する僕らは、その出口で完成形の戦力として吐き出される企業戦士だった。僕の中の天邪鬼は「お前、真ん中を歩いてみろ」と囁いてくる。しかし、そうすることが憚られるほど、その空間は秩序だっていて、隙間というものが存在しなかった。
 しかし、その秩序のなかに一ヶ所だけ、乱れが生じる場所があった。それは、トンネルのちょうど真ん中あたり。白髪で髭の伸びた男性が、地べたにダンボールを敷いて座っている場所だった。いくばくかの生活の必要なものを詰めたと思われるリュックを横に、いつも男性はじっとうずくまっていた。まるで、一定方向に流れる川の流れが岩にぶつかり、その周りだけ曲線が膨らむように、トンネルの流れは、男性の周りだけ弛緩していた。物理法則のように、男性の周り��け膨らむ流れは、実際にところは不明だが、多くの通行者にとって男性の存在がその場所にある物のように見えていることを強調しているように見えた。
 僕は、その男性の横を通るときいつも、大勢の靴が地面を蹴る音が、彼にはどのように聞こえているのだろうかということを考えていた。その靴の音はまるで、私たちとその男性の間に一本の線を引くように、暴力的にトンネルの中を鳴り響いていたからである。僕には、その音が、仕事をするもの、しないもの、あるいは生産活動に従事するもの、しないものという、ただその一点のみに集約された区分を強迫的に私たちに突きつけているように感じられた。
 その男性は、あるときは全く姿を見せなくなったり、そうかと思えば、夜、仕事を終えて駅に向かって歩いていると、またそこに戻っているというような具合で生活をしていた。あるときは、どこかで拾ってきた本を読んでいたり、あるときはどこかで調達してきたおにぎりやお弁当を手に持っていたり、そしてあるときは、見知らぬ誰かが、「食べてください。困ったことがあればいつでも連絡ください」とポストイットとともに食料が置いてあることもあった。男性は姿を見かけるときはいつも、静かにそこに佇んでいた。その姿が、僕には全てを達観している仙人のように見えて、いつしか僕はその男性のことを師匠と勝手に心の中で呼ぶようになっていた。
 僕は、師匠が駅の近くで動き回っている様子を見かけたことがあった。車がビュンビュンと走り抜ける通りの反対側で、道端で体を折り曲げながら、なにやらゴミ袋のようなものを運んでいたように見えた。それは、暑い初夏の日で、師匠にも容赦なく太陽が照りつけていた。近くで見ていたわけではないのに、額から汗が吹き出して、汗で背中に服が張り付いている様子が目に浮かんだ。師匠にとってはそれが日常だったのだろう。
 次第に、師匠は僕の決まり切った毎日の生活のなかで、唯一、僕自身という水面に波紋を引き起こす存在となっていった。師匠は孤独ではないのか、師匠にとって生きるとはいかなる意味を持つものなのか、師匠はなぜ生きているのか。そうした問いが僕の中で生まれてはぐるぐると回って、次第にそれは己の中の奥深い部分へと侵入するかのように、全て自分へと問い返されるのであった。
 事件が起きたのは、ちょうどお盆を迎えようかという8月の半ばごろだった。僕がそのことを知ったのは、ネットの記事によってだった。スマホの画面上にいつも歩いているトンネルの遠景写真が載っていた。捜査員が路上で現場検証をしている様子が写っていた。未明に3人の少年によって、ホームレスの男性が襲撃され死亡。師匠のことに間違いなかった。
 僕は、翌日、あのトンネルへと足を運んだ。入り口から出口まで、規制線が張られ、警察官が立っていた。誰もいなかった。
 師匠は誰によって殺されたのか。
 僕の頭から離れなかったのは、少年たちの供述として書かれた一文だった。
「遊びみたいなもんだった。ホームレスの人たちを見下していた」
 その一文が僕にとって大きな意味を持った。なぜなら、そうした社会の空気を作り出しているのは、自分がしている仕事そのものではないかと思ったからだった。
 ホームレスは視聴率が取れる。そんな言葉を職場でしばしば耳にすることがあった。僕は、テレビでニュース番組を作る仕事していた。ニュースと言っても、ワイドショーと大差ないようなもので、常に映像にインパクトがあるものが求められた。それが高い視聴率をとる上で鉄則とされていた。ホームレスの人たちは、だから格好のネタと認識されていて、先輩たちは、その認識を疑うこともなく口にした。しかし、どれもこれも、まるで私たちとは違う生き物を興味本位で覗き見するかのような内容のものがほとんどで、それらは単なる好奇な眼差し以上のなにものでもなかった。肥大化した大衆の欲望を刺激し続けるメディアにとって、普通から逸脱した存在は、格好の捕食対象だった。それが僕のしている仕事の本質なのかもしれなかった。
 僕が日々仕事として生産しているものとはなんなのだろうか。それは果たして社会の役に立っているのであろうか。急に僕の目の前にトンネルの光景が広がった。トンネルを歩く人たちと師匠との間に大きな溝が広がっていた。その溝をせっせと掘っているのは、他でもない自分自身だった。そして、一方の溝の縁に立って、多くの群衆が師匠に溝の中に飛び込むように囃し立てていた。僕はただそれを遠巻きに眺めているだけだった。
 師匠を殺したのは誰なのか。
 僕の目の前には、いつもと変わらぬ日常がありふれていた。いつものように、スーツを着た無数の人たちが、いつものように駅のコンコースを歩いて行く。
 あのトンネルに差し掛かろうとしていた。
「お前、真ん中を歩いてみろ」
 天邪鬼が僕に囁いてくる。
 しかし僕はいつものように、体を左側に寄せて群衆の中へと引き寄せられていく。師匠がいた場所の周りは弛緩することなく、革靴がトンネルの中を響いていた。間違いなく僕もそのなかの一人だった。
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0nce1nabluemoon · 11 months
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わかったように薄っぺらい知識をひけらかして、居酒屋レベルの会話をしてへらへら笑ってる大人が腹立たしい。なぜならそれはその場限りのしょうもない笑いに還元されるだけで、本気では何も考えていないから。そしてそこで発される言葉は時に、誰かにとっては鋭利な刃物にしかならないから。
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0nce1nabluemoon · 1 year
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ベルリンの壁崩壊後の東ドイツにおいて、最も重要で最も有名な実在のシンガー・ソングライター、ゲアハルト・グンダーマン。多くの顔をもち矛盾に満ち溢れたこの男の人生を通して、わたしたちはようやく東ドイツという国を理解することができるだろう――。 グンダーマンは、昼間は褐炭採掘場でパワーショベルを運転する労働者だが、仕事が終わるとステージに上がり、自ら作った曲を仲間とともに歌う。彼の希望や夢、理想に満ちた歌は、多くの人々に感動を与え人気者になっていった。その一方、当時の秘密警察(シュタージ)に協力するスパイとして友人や仲間を裏切っていたが、1990年の東西ドイツ統一後、自らも友人にスパイされていたことを知り、その矛盾を自らに問うこととなる…。
 党に楯突いていてたグンダーマン、シュタージに協力していたグンダーマン、この矛盾をどう理解すればいいのか。  彼は当初、自分がシュタージに協力していて、それによって被害を受けた人たちへの想像力が及んでいなかったように思えた。自分も被害者だと、そこにすがるように当時の記録を探し求めていた。しかし、あったのは加害記録だけ、しかも自分が調査報告した分厚い記録をほとんど覚えていなかった。  彼は、炭鉱の労働環境に意義を唱えていた。しかし、彼は社会主義そのものに批判的であったとは思えない。むしろ、炭鉱夫として働くことにこだわり、東ドイツという国を愛していたのではないかと思う。
 彼にとってもっともショックだったのは、自分も仲間から監視されていたということを知ったとき。自分が信じていたもの(祖国)が瓦解する。しかし、では自分は?自分もシュタージに協力していたではないかと。  シュタージは何かを発信したいと思っている人のところへ入り込んでくる。そしていつの間にか監視役として協力させられている。  加害者であり被害者であるという彼の認識はその通りなのだろうと思う。彼自身も監視されていたし、当時の社会で生きるということがどういうことか、自分が密告した記録を覚えていないのは、「忘れたかったから」というセリフがそれを物語っているような気がした。  しかし一方で、そうではなかった人たちもいた。「裏切りは裏切りだ」と。彼が向き合わなければならなかったのは、自分自身だった。  そして、これを自分に引きつけて考えた場合、旧社会主義国の話だと留めて置くことができるのだろうか。
 劇中の歌に惹きつけられてやまなかった。
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