矢沢です。
昔々あるところに、お爺さんとお婆さんがワオワオしてたんだけどさ。
お爺さんが山へ柴刈りに、お婆さんが川で洗濯してたら、ビッグな桃が流れてきたわけ。
ドンブラコ、ドンブラコって。ノッてくれ、ノッてくれって。婆さんつい拾っちゃったのよ。
その桃を切ったらさ、赤ん坊が生まれたのよ。この時点でもう、スターの素質があったのかな。
じゃあ桃から生まれたから、桃太郎にしようって。んでお爺さんが一回、俺のところに相談にきたんだよね。永ちゃん、この名前どうすかって。
んで、俺は言ったよね。いいね、その名前。いい名前なんだけどさ、俺はいいんだけど、YAZAWAがなんて言うかな?
結局、桃太郎に決まったんだけどさ。桃から生まれた子供。ヤバイ、って思ったよね。
それから桃太郎はスクスク育つんだけど、ある日急に、鬼ヶ島へ鬼退治に行きますとか言い出して。
すごいよね。桃から生まれて、鬼とケンカするとか。スケールがデカい。ドラマチックな生き方しかできないんだろうね。
お爺さんが言ったんだよ。「やっちゃえMOMOTAROH」って。
そんで、桃太郎が旅だったのよ。お婆さんから団子もらって。
NIPPON ICHIって書いてあるタオルを振り回してさ。ビッグマウス叩いて。
若いころにありがちだよね。成り上がってやろうって。でもこういうやつ、矢沢は嫌いじゃない。
そしたらさ、動物が三匹現れたのよ。ギラギラした目で、桃太郎に言ったんだよね。
「桃ちゃん、きび団子をくれたら、鬼ヶ島へお伴しゃっす」
桃太郎は思ったね。それ、最高。今どきいないじゃない。団子で命張れるやつって。
そんで犬と、キジと、ファンキーモンキーベイベー連れて、鬼ヶ島へ行ったんだよね。
そしたらさ、でかいのよ、鬼が。強そうなのよ。怖いのよ。
犬がさ、ビビっちゃって。吠えるのよ。どうすんすか、桃ちゃん。勝てるんすかって。そしたら桃太郎は言ったんだ。
「俺いる、犬いる、猿いる、キジいる。これ、余裕」
鬼達が桃太郎に気付いて、なんだお前らって言ったのよ。桃太郎も負けずに睨み返してさ、こうつっぱったわけ。
「俺、桃太郎だけど。お前ら倒して、大金掴んでビッグになるんで。そこんとこ、ヨロシク」
もう居ても立ってもいられななくってさ、全員そろって鬼に飛びかかって。シャバダバよ。
鬼達みんなボコボコにしちゃって。そしたら鬼達、もう悪さはしませんって謝るのよ。
そんで、金銀財宝とか、BRAVIAとか、プレミアムモルツとか持ち帰って、幸せに暮らしたんだけどさ。
桃太郎達が、死にものぐるいで戦って、一生かけて稼ぐ金額。矢沢の二秒。
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ただ「原子爆弾は怖くない」という感想だけでは終わらない。「被害が大きいというのは嘘である」、「正しい対処をしない人が死ぬ」という論旨が強調され、脳裏に焼き付いてしまう。 実は、それこそが情報統制と防空法の恐ろしさである。「戦争や空襲を怖がる人」は間違った考えの人であり、「原爆で死亡・負傷した人」は間違った対処法をとった人とされてしまう。 こうして、国民の間に、異論を唱えない空気と、被害者を嘲笑する空気が醸成される。
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怪しいインビテーション・フロム彼方
夏休みに、知らない人に誘われて、知らない人たち5人と、知らない国の知らない場所を旅することになった。twitterで、今まで全く交流がなかった人から突然誘われたのだ。なぜ誘われたのかもわからないし、なぜ、自分がその誘いに応じたのかもわからない。
当時の私は、激務で有名な会社の、最も激務と噂される部署で働いていた。会社の机で眠り、近くのジムでシャワーを浴び、充血した目でエクセルを叩く。正月もゴールデンウィークもなかった。ウイグル旅行の誘いが届いたのは、そんな折だった。
メッセージが目に入るやいなや、発作的に行きたいと返事をしてしまったが、後になって疑念が湧いてきた。メッセージの主は、いったいどんな人なんだろう。私は当時、人と絡まない孤高のスタイルでtwitterをしていたのでDMがきたこと自体初めてだった。
とにかく、行くと言ってしまったのだから、休みをとらなければならない。その時点で夏休みを取得する予定はなかった。取得できるのかもわかっていなかった。
どうしてウイグルなんかに行くんですか
休暇取得を申し出る私に対し、職場のみんなはやさしかった。みんな忙しいのに、「仕事は引き取るから」「ゆっくり休んで」と言ってくれた。しかし、旅行の詳細を聞くと、同僚たちの善良な笑顔はさっと曇った。
彼らは問う。
「どうして、ハワイでもセブ島でもなく、ウイグルなのか」
「どうして、親しい友人や家族と行かないのか」
もっともな疑問だ。私は、どうして、気が合うかわからない人々と、楽しいかわからない場所に行こうとしているのだろう。自分にもわからない。どちらかといえば、こちらが問い返したいくらいだ。
「どうして私は、知らない人とウイグルに行くのでしょう?」
私は、夏休みまでに仕上げなければいけない書類の山を見つめた。
羽田からウルムチへ
早朝の羽田空港国際ターミナルで、私は疲れ果てていた。休暇を目前にひかえる中で押し寄せる仕事の波に飲み込まれ、家に帰れない日々が続いていたからだ。最終日も仕事が終わらず、徹夜で職場から直接空港に向かう羽目になった。
今回の旅行メンバーは、男性3人・女性3人。私以外は、大学時代のサークルを中心としたつながりのようだった。それだけ聞くと、「あいのり」や「テラスハウス」のような、青春の匂いただよう若い男女の旅行なのだが、グループからはそれをかき消す不穏なバイブスが満ち満ちていた。
なかでも完全におかしいのは、グループの中に「尊師」と「レーニン」を称する人物がいることだ。通常、「尊師」というのは、オウム真理教教祖の麻原彰晃(本名・松本智津夫)を意味し、「レーニン」というのは、ロシア社会民主労働党の指導者であり、ソビエト連邦を建国した人物であるウラジミール・イリイチ・レーニンを意味する。
テロ、あるいは革命という形で、国家体制の転覆をめざした宗教的・政治的指導者が、なぜ一同に会しているのだろう。空港前で集合しているだけで、破壊活動防止法(通称・破防法)の適用対象団体となってしまいそうだ。
ともあれ、この時点で、今回の旅行が恋と友情の甘酸っぱい青春旅行になる可能性は限りなくゼロだ。麻原彰晃とウラジミール・レーニンが旅を通じて友情を深め、それがいつしか愛に変わる……。そんな突飛な話は、両者の思想的相違点を考慮すればおよそ考えられないだろう。
私は、国家転覆を試みる宗教家でもなければ、社会主義の革命的指導者でもない。どうしてこの旅に誘われたのだろう。ぷくぷくとふくらむ疑問と不安を乗せて、飛行機は羽田を旅立とうとしていた。
尊師とレーニン
羽田からウルムチへの長い移動中に分かったことがある。尊師は、工学の修士号を持つ知識人であり、特定の宗教とのつながりはないということだ。「尊師」というのは、極めて不謹慎なあだ名にすぎない。
では、旅の同行者にふさわしい安全な人物かというと、そんなことは決してなかった。尊師は、無邪気な下ネタをガンガン投下してくるという反社会的��性質を有していた。
例えば、北京の空港でのことだ。
「マーン・コーヒーだ!見てください!マーン・コーヒーですよ」
尊師は、北京空港内のオシャレなカフェチェーンを指差し、目をキラキラ輝かせて写真を撮りはじめた。そのとき、私は「どこにでもあるチェーン店になぜ興奮しているのだろう」と不思議だったのだが、後になって、それが低レベルすぎる下ネタであることに気がついた。もっと早く気づいてしかるべきだったのだが、工学の修士号を持つ知識人が、そんな知性ひかえめのジョークを言うとは思わなかったのだ。
他の同行者もまた、尊師の被害を受けていた。
尊師 「ちんマ!? ちんマ!?」
同行者「ちんマってなんですか?」
尊師 「ちんマというのは、ちんちんマッサージのことです」
同行者「……」
それ以来、その人は、尊師には何も質問しないと決めたという。
尊師が、大きな身体のうるさいお兄さんである一方、レーニンは、小柄でツインテール姿の、無口でちょっぴりエッチな美少女だった。
ちなみに、ちょっぴりエッチというのは、彼女が尊師の下ネタをときどき拾ってあげていたのを私が面白おかしく書き立てているだけだ。実際には、彼女は、渾身の下ネタをたびたびスルーされ、ときにはうるさいと一喝される尊師を気遣っていたのだと思う。
なので、正確には「レーニンは、小柄でツインテール姿の、無口で心優しい美少女」ということになる。それでいてソ連のコミンテルンを率いる革命的指導者であり思想家だなんて、今すぐアニメの主人公になれそうだ。
それにしても、尊師もレーニンも、私の凡庸な日常生活には絶対にあらわれないタイプのキャラクターだ。二人とも、普段は善良な労働者として社会に潜伏しているらしいので、本当は自分のまわりにもいるのかもしれないが、それを知るすべはない。
「ずいぶん遠いところにきちゃったなあ……」
あまりの非日常感にめまいがした。まだ、目的地にさえついていない。
謎の秘密結社・うどん部
新疆ウイグル自治区は、中国の最西部に位置しており、国境を接して南にはインドがあり、西にはカザフスタン・キルギス・タジキスタン・パキスタンが連なる。古くからシルクロードの要衝として栄え、ウイグル人・カザフ人などの多民族が住む、ムスリムが多い中央アジア文化圏だ。
今回の旅程は、新疆ウイグル自治区の玄関口であるウルムチを経由し、前半は電車でトルファン、カシュガルを巡り、後半は車でパキスタンとの国境であるタシュクルガンまで足を伸ばすというものだ。
羽田からウルムチまでの移動にまる一日かかるため、実質的な旅のスタートは二日めのトルファンからになる。隣の国のはずなのに、移動の体感的にはヨーロッパと同じくらい遠い。
私たちがトルファンに到着して最初に向かったのは、ウイグル料理店だった。
「やはり我々うどん部としては、まずはラグメンの調査からですよね」
旅行の主催者である女性は、ニコニコしながらそう言った。ラグメンとは、中央アジア全域で食べられている麺類で、うどんのような麺に、トマト味のソースがかかった食べ物だ。
なんでも、今回の旅行は「某大うどん部」という、大学のうどん愛好家サークルの卒業生を中心としたメンバーで構成されているらしい。旅の目的のひとつも、ラグメンを食べることで古代中国で生まれたうどんの起源を探ることにあるのだという。
「うどん部……?」
私は思わず考え込んでしまった。特にうどん好きというわけでもない自分が誘われた理由がわからないと感じたこともあるが、一番の理由は、今回のメンバーが「うどん部」という言葉がもつ牧歌的かつ平和的な響きからはおよそかけ離れた集団のように思えたからだ。
先程言及した「尊師」と「レーニン」が名前からして不穏なのはもちろんだが、他のメンバーたちの話題もとにかく不穏だった。
「前進チャンネル」の話
中核派Youtuberが、警視庁公安部のキャンピングカーを紹介したり、不当逮捕された同志の奪還を訴えたりしている番組の話。
北朝鮮脱北ノウハウの話
中国と北朝鮮の国境地帯に住んでいたことがあるうどん部員による、脱北ノウハウの話。北朝鮮脱北者が、国境近辺に住む中国人民を襲い、金品と身分証を奪いとることで中国人として生きようとするが、中国語が話せないことからバレてしまい、強制送還されるという救いのない事件が多発しているらしい。
スターリンに乾杯した話
「ヨシ」という名前のうどん部員が、スターリンの故郷であるジョージアを訪ねたところ、「ヨシ」は同志スターリンの名前だと歓迎され、「ヨシフ・スターリンに乾杯」と密造酒をすすめられた話。
一言でいうと、うどんは関係ない。
うどんは関係ない上に、思想的にかたよっている。うどんを愛する心に右も左もないと思うのだが、一体どういうサークル勧誘をすればこんなことになるのだろう。世界がもし100人のうどん愛好家の村だったら、中核派は0名、教祖も0名、スターリンの故郷を訪ねた人も0名になるのが普通だ。
今回の旅行メンバーはたった6人なのに、公安にマークされそうな発言をする人しかいない。思想・良心の自由が限りなく認められたコミュニティ���あるともいえるが、うどんを隠れ蓑とした何らかの過激な団体である可能性も捨てきれない。謎の秘密結社・うどん部だ。
「こうした旅行は、よく企画されるんですか?」
私は、うどん部の背景を探るべく、おそるおそる尋ねた。
「主催者さんは、旧ソ連圏に関する仕事をしているんです。その関係で、旧ソ連の珍しいエリアへの旅行をよく企画しますよ」
「でも、どういうわけか、たまに、その旅行に行った人たちが仕事や学校を辞めてしまうんですよ」
「この前の旅行では、社会主義国家によくある、労働を賛えるモニュメントをめぐっていたら、一緒に旅行していた学生の友人が『労働意欲が湧いてきた。学校はやめるぞ』と言って、突然中退してしまったんです」
「僕も仕事を辞めたしね」
社会主義国家を旅することで、反社会性が養われてしまうとは……。
「旧ソ連圏への旅行は、うどんとは関係あるんですか?」
「うどんとは関係ありません。ただ、うどん部員には、真っ赤な血が流れているんです」
これまでの話をまとめると、「うどん部」とは、うどんの絆で連帯し、ときに資本主義社会から人をドロップアウトさせる赤い集団ということになる。なにがなんだか、全くわからない。
主催者の女性は、旧ソ連圏に関する仕事をしているだけあって、中央アジア文化に詳しかった。彼女は、うどん部員らしい話題として、シルクロードにおける麺の広がりについて話をしてくれた。
「トルクメン人も、カザフ人も、ウズベク人も、友人たちは口を揃えてラグメンはウイグルが一番美味しいというんですよ」
全中央アジアの人民が認めるウイグルラグメンは、たしかにおいしかった。もちもちした手延べ麺の感触と、オイリーなソースに絡まるたっぷり野菜のバランスがよく、濃い味なのにいくらでも食べられてしまう。
特に、ニンニクでパンチを効かせたラグメンは癖になるおいしさで、そのジャンクかつ中毒性が高い味わいから、勝手に「ウイグルの二郎」と命名されていた。
内装も異国情緒が爆発していた。天井から階段までいたるところがタイルやステンドグラスで彩られている。細やかな幾何学模様を見ていると、確かに中央アジア文化圏に来たのだということを実感する。
中央アジアを旅行するたびに思うのだけれど、彼らの、あらゆる場所を「美」で埋め尽くそうとする情熱はすごい。衣服やクッションの細かな刺繍、木彫りのアラベスク、色とりどりのランタン……。よくみると、料理に使うボウルまで鮮やかな矢絣模様がついている。
私は、ステンドグラスが貼られた天井を見つめた。
「遠い場所に場所にきたんだ」
そう思ったが、どういうわけか実感がなかった。足元だけが、なんだかふわふわしている気がした。
砂漠は空中浮遊する尊師の夢をみるか
午後から本格的な観光がスタートした。最初に訪れたのは、交河城址という遺跡だ。紀元前2世紀頃に作られ、14世紀まで実際に街として使われてい要塞都市だ。地平線が見えそうなほど広い。
地面の上にレンガを重ねるのではなく地面を掘って街を作ったところに特徴があるらしいのだが、これだけの土地を彫り抜くなんて、想像もつかない労力だ。中国の圧倒的なマンパワーを感じる。
遺跡が広すぎる一方で観光客があまりいないため、とても静かだ。どこまでも続く風化した街並みを歩き、静謐な空気に触れ、かつては賑わっていたであろう都市の姿を想う……そんな触れ込みの場所なのだけれど、正直言って、そうしたロマンチックな思い出は一切残っていない。
なぜなら、悠久の大地を包む静寂を切り裂くように、尊師がマシンガントークを繰り広げていたからだ。麻原彰晃がおしゃべりだったのかは知らないが、少なくともウイグルの尊師は非常におしゃべりで、一人で優に5、6人分は話していた。観光中、常にニコニコ動画の弾幕が飛んでいるような状況であり、センチメンタルな旅情の入り込む隙はない。
尊師の話は、基本的にどれも「興味深いがどうでも良く、とにかく怪しい」内容で統一されている。
・中国の深センで売られている「Android搭載のiPhone」の話
・中国貴州省の山奥に住むラブドール仙人の話
・中国の内陸部では旅行カバンの代わりに尿素袋が使われているという話
・中國の伪日本製品に書かれている怪レい日本语が好きだという話……。
気がつくと、夕暮れ時になっていた。
乾いた大地は茜色に染められて、民族音楽の弾き語りが響く。旅行者としてのセンチメンタリズムが刺激され、私はこの地の長い歴史に思いを馳せる。しかし、次の瞬間には、そんなセンチメンタリズムを切り裂くように尊師の怪しい話が炸裂し、安易な旅情に回復不可能な一撃を加える。
たちまち、私の心の中で放映されていた「NHK特集 シルクロード」の映像は乱れ、テーマソングを奏でる喜多郎は、へなへなと地面にへたり込む。
砂漠で果敢にも空中浮遊を試み転落する尊師、唐突に尊師マーチを歌い始める尊師、中国の怪しいガジェット情報に詳しい尊師……。
トルファンでの私の思い出は、尊師色に染め上げられていった。
遊牧民が住む砂漠の街で不慮のノマドワーカーになる
まさかウイグルで徹夜をすることになるとは思わなかった。
観光を終えてホテルに戻った私を待っていたのは、職場から送られてくる容赦ないメールの数々だった。
「夏休み中恐縮ですが、添付の資料につき18時までにご確認お願いします」
「確認が終わるのは何時頃になるでしょうか」
「こちらも限界です、連絡ください」
休暇を申し出たときの「ゆっくり休んでください」はなんだったのか。そもそも、今日、日本は日曜だし明日は月曜で祝日のはずだ。私が旅行にでかけたのは土曜日なので、まだ夏休みは始まってさえいない。どうしてこんな惨状になっているのだろう。
ひとつ断っておきたいのは、私の職場の同僚たちは、基本的に優しく善良な人たちであるということだ。本当に仕事が回らなくなり、やむを得ずメールをしてきたのだろう。
今回の夏休みは「正月がなかったのはあまりにも気の毒だから」と上司が、わざわざチームに根回しをしてくれてようやく取得に至ったものだ。上司のただひとつの誤算は「現場に人が足りていない」という根本的な問題は、根回しでは決して解決しないということだ。
私はその夜、ホテル近くの雑貨店でレッドブルとコーヒーを買い込み、目を真っ赤にしてキーボードを叩き続けた。
空が白み、まばゆい朝日がきらきらと射しこむ時間になっても、私の仕事は終わらなかった。他の人々には私を置いて観光に行ってもらい、一人で仕事を続けた。そんな私を気遣って、尊師が食事を買ってきてくれた。
ようやく仕事が終わったのは、太陽が高くのぼり、熱された大地が蜃気楼で揺れるころだった。
鳥の声しかしない場所
午後、観光に出ていた他のメンバーと合流し、タクシーで訪れたトルファン郊外はのどかな場所だった。乾いた土地に葡萄溝やバラ園が広がっていて、木陰で商売をするスイカ売りやぶどう売りが、こちらにおいでと手招きをする。
ぶどうはいつも無料だった。一房分を買おうとするのだが、安すぎてお金を受け取ってもらえないのだ。口に含むと、雨の降らない土地で育つ果物特有の凝縮された甘みを感じる。
観光名所とされている遺跡にはだれもおらず、車の音も人の声もしない。絶え間なく響く鳥の声を聞き、強い光が地面に落とす影を見ていると、数時間前まで仕事に追われていたのが、遠い昔の記憶のように思えてくる。
静かな場所だった。太陽が眩しくて、あたまがぼんやりした。
ふと見ると、道端でビニール袋に入れられた羊の頭蓋骨が風化していた。その後も、私たちは、農地の側溝や休憩所のトイレ等、そこかしこで羊の頭蓋骨を見つけることとなる。この土地で暮らす人々には、お弁当がわりに羊の頭を持ってくる風習があるのだろうか。
私は、以前、イランのホームステイ先で「イランでは朝ごはんに羊の脳みそのスープを飲む」「日本でいうと、みそ汁的な存在」と言われたことを思い出した。「羊の頭がみそ汁の具として扱わている地域があるなら、お弁当がわりに羊の頭をぶらさげる人々がいても不思議はない」と思う。
私は、強い日差しから逃れ、木陰に座ってこの土地で暮らしてきた人々のことを思った。日本にはまだ神話の神様さえいなかった遠い昔に、砂漠のオアシスで暮らし、羊を飼い、ときには西瓜で喉を潤していたかもしれない人々のこと。彼らの聞いていた鳥の声と、私たちが聞いている鳥の声は同じだろうか。
夏の光にまみれてきらきらする西瓜の皮と、そばに落ちる暗い影を眺めていると無気力が押し寄せてきて、労働の意義も経済成長の意味もわからなくなった。
私はふと、今回の旅行について話したときの、同僚たちの反応を思い出した。
「どうしてウイグルなんかに行くんですか」
彼らの疑問は、要するに「その夏休みの使い方に、確かな価値はあるのか」という点に集約できる。たまの休みなのだから、確実に楽しく、気分良く過ごせる場所に行くべきだ。彼らはそういっていたのだろう。
同僚たちの疑問に対し、そのとき私は答えることができなかった。
職場の同僚たちは「この先、生き延びるにはどうすればいいか」という話をよくしていた。真夜中から始まる飲み会で、明け方の6時や7時まで話す人もいた。生き延びるとはなんだろう。
生産性が自分の人生を覆い尽くし、人間性がわかりやすい価値で塗りつぶされていくのを受け入れること。「使える」人とだけつるみ、評価されること。夏休みはハワイに行くこと。
生き延びるとは、きっとそういうことだった。
忙しいことには慣れていた。仕事に慣れてしばらくたったあるとき、もう必要がないからという理由で、少しずつ集めていたアンティークの食器や学生時代に好きだった小説を捨てた。重要なのは、「役割」を果たすことであり、社会の共通言語で話すことだと考えた。
でも、私は突然、久しぶりの夏休みを、確実に楽しい場所ではなく、楽しいかよくわからない場所で過ごしてみたくなったのだ。知らない人に誘われて、どういうわけか、そういう気持ちになったのだ。
農家のおばさんからもらって持て余していたぶどうを一粒、口に含んだ。日本のものとは全く違う、知らない味がした。
星降る夜行列車に乗って
疲れからか、やたらと物憂げな気持ちになっていたところに、尊師の「バ〜ニラ、バニラ高収入〜!」という歌声が響いてきて、現実にひきもどされた。そろそろ、この街を離れる時間だ。
それにしても、すっかり考え込んでしまった。私は、「うどん部の旅行に参加した人は社会からドロップアウトしがちである」という話を思い出した。
葡萄溝の木陰で、やたらとメランコリックな気持ちになったのも、この旅行の危険な効果だろうか。このままでは、謎の秘密結社・うどん部の陰謀の思う壺だ。
夜行列車で過ごした夜は、楽しかった。
トルファンのぶどうで作った珍しい白酒をたくさん飲んで、加熱する仕掛けが施されたインスタントの火鍋をつついた。
普段は飲まない強いお酒にはしゃぎすぎて寝てしまい、気がつくと真夜中だった。
夜行列車の窓から空を見上げると、満天の星空だった。肌寒い寝台で、毛布をだきしめながら、流れていく星空を見つめた。まばたきも、呼吸もできなかった。体中の神経が粟立ち、スパークした。
私は、冷凍されていた自分の人生が、急激に自分の身体に戻ってくるのを感じた。
もしかして、私は、生き延びることから遠ざかっているのだろうか。
このときの私はまだ、自分がその数カ月後、仕事を辞める運命にあることを知らなった。
(カシュガル編につづく)
補足とおしらせ
ウイグル旅行記は、長くなってしまったので数回に分けて書きます。今後の予定はこんな感じです。
・ カシュガルで公安警察から"重点旅客"として熱烈歓迎されてしまった話
・ ウイグルの果てでゾロアスター教の遺跡を探し、廃墟の温泉に入った話
・ 突如の軍事パレード開始により限界帰国チャレンジを強いられた話
旅の写真は、twitter(@eli_elilema)にもあげているので、よかったら見てみてください。
��� 尊師はとても良い人でした。
https://note.mu/elielilema/n/nb8baf42077cd
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4歳娘が「シンデレラはお城に行きました。すると上から犬が100匹、猫が8匹落ちてきました。シンデレラは助けようとしたが、一匹も助けられませんでした」という新しいタイプのシンデレラの話をしていた。0歳は絶対意味分かってないけど、大爆笑しながら聞いていた
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Sさんが俺に缶を渡す。きんきんに冷えている。500mlのロング缶。どこからどうみてもストロングゼロだった。実物を見るのは初めてだった。俺にとってストロングゼロは文学の中にしか存在しない酒だった。Sさんが語りだす。
「ストロングゼロってのはね、平成の終わりに咲いた徒花みたいなものだと思うんだ。信じられないかもしれないけど、当時はどこでもいくらでも手に入ったよ。そこらじゅうのコンビニで山ほど売られてた。それが当たり前だった。特に疑問も感じてなかったな。
年号が変わってもまだしばらくは合法だった。みんな当たり前にストロングゼロを飲んでた。やっぱり東京オリンピックが良くなかったね。あれが致命的だった。あれのせいでストロングゼロの存在が世界中に知れ渡ってしまったんだ。ヘブンズドリンクなんて呼ばれるようになったのは、2020年以降のことだよ。
僕はね、今年の初めに北海道から逃げてきたんだ。今の北海道はひどいよ。名目上はロシアと北朝鮮が共同で統治してるということになってるけど、実態はちがう。内戦状態だよ。ロシアと北朝鮮と道民の三つ巴さ。僕ら道民はほぼ壊滅状態。そんなこと、こっちのマスコミは一切報道しないけどね。まあひどいもんさ。だから僕は命からがら逃げてきたんだ。
君は東京でできた初めての友人だ。だからこのストロングゼロを友情の証しとしてプレゼントする。めったに手に入らない代物だよ。密造酒ではないよ。そう単純な話ではないんだ。いま、闇で出回ってるストロングゼロはすべて平成末期に造られたものなんだ。それを保存する施設が札幌にあって....
ごめん、これ以上は言えない。なんだか今日は喋りすぎてる。だいぶ酔ってるみたいだ。まあ飲んでくれよ。正真正銘、本物のストロングゼロだぜ」
Sさんがプルトップを開けてくれた。俺は一口飲んだ。舌全体に甘美な絶望が広がった。
2026年 冬
https://anond.hatelabo.jp/20171207223625
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お茶が見える!
投稿者Yuuki2016年5月29日
Amazonで購入
お茶さんが溶けてお水さんの中に広がっていく様子がよく見えます。「わーい!」と言っているようで、私の妻も喜んでいました。その妻とは先日別れました。
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