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wallgreen-rite-aid · 6 months
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wallgreen-rite-aid · 7 months
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(日曜に想う)少数派の痛み、見ぬふりしない 編集委員・吉田純子
 いつの世も己の心を殺すのは、弱い立場にある人々だ。傷つくのを恐れ余計なことを考えまいとする。
 少数の人々の痛みをきわめて高い感度で察知し、決して置き去りにしなかった音楽家がいる。中田喜直さん。「夏の思い出」「雪の降る町を」などの作曲者だが、この人が妥協のない姿勢で闘い続けた人でもあったことを知る人は少ないのではないか。自著にサインするたび「よく考えて」という言葉を添えた。「戦時中、国にたくさんウソをつかれたから」。禁煙運動の先頭にも立った。今年、生誕100年になる。
     *
 1940年、東京音楽学校(現東京芸大)ピアノ科に入学。情感がこぼれ出すようなショパンを奏で、「芸大のショパン」と呼ばれた。
 翌年、太平洋戦争が勃発。文科系の学生に対する徴兵猶予特権が廃止となり、東北の陸軍飛行学校へ。半年繰り上げられた卒業式で、激情ほとばしるショパン畢生(ひっせい)の大作、ピアノソナタ第3番ロ短調を弾く。
 飛行将校となった中田さんはフィリピンへ赴き、特攻隊になると告げられる。しかし、別の任務に就いて帰国。そのまま終戦を迎える。将校は銃殺されるという噂(うわさ)を耳にしたため、その日のうちに家族や友人に遺書を書いた。サンサーンスの協奏曲を、一度弾いてみたかったと。
 その後中田さんは、夢だったピアニストではなく作曲家になった。手があまりにも小さかったから。しかし、幼い子どもたちが指をいっぱいに広げ、重い鍵盤を必死にたたいているのを見て、疑問がわく。バイオリンにもスキー靴にも、体格や発達段階に応じたいくつものサイズがあるのに、ピアノにはなぜないのだろう。そもそも体の小さい日本人が、なぜ欧米人が作った規格をそのまま受け入れなければいけないのか。
 かつてのピアノは形状も音色も多様だったが、産業革命を経て無愛想な黒い塊と化してゆく。20トンに至る鉄の張力に耐える骨組みを設計し、聴衆の熱狂に応える音量を生む技術力は、各国の経済力や国力を総合的に測るバロメーターにもなった。
     *
 中田さんは本気だった。通常より1オクターブが約1センチ狭いピアノを考案。はからずもそれはショパンの時代のピアノとほぼ同じサイズだった。ショパンも手が小さかった。
 甘党の中田さんをケーキで誘い出して雑談した時、このピアノの話になった。「現実には難しいのでは」と問うと、こう返した。「難しいとしか言わない人は、大体において現状を変えたくない人なんですよ」
 手が小さいから仕方がない。戦争だから仕方がない。仕方がない、と諦めざるを得ない立場にいる人々への労(いたわ)りと、そう言わせている人々への怒りが強い語調ににじんだ。あなたひとりが頑張ってもどうしようもないのだ。そんな風に個の意志を冷笑する人たちが、やがて多数派という「権力」になってゆくのだと。
 99年、特注したピアノを携えてドイツとオーストリアへ。講演で普及を呼びかけた。「大好評。帰ったら、詳しく報告します」。角張った文字が3枚の便箋(びんせん)の上で誇らしげに躍っていた。翌年、がんで旅立った。鍵盤幅の狭いピアノの開発は今も、ピアニストのダニエル・バレンボイムらが独自に取り組んでいる。
 音楽は他者にとっての静寂を尊重する心から生まれる。美しいものを率直に美しいと言わせなくするのが戦争。中田さんはそうも言った。
 冬支度に向かう私たちのせわしない心を、中田さんの「ちいさい秋みつけた」のあたたかな叙情が包む。大切な人のささやかな喜びや、こらえている涙に気付く感性を培うのが芸術なのだと、中田さんの旋律に宿る途方もない優しさにふと気付く。
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wallgreen-rite-aid · 11 months
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米オープンAIのサイトに表示された「チャットGPT」の文字=AP 写真・図版写真・図版
 「ChatGPT(チャットGPT)」などの生成AIの規制のありかたについて、議論が進みます。主要7カ国(G7)の閣僚宣言などで「責任あるAI」が掲げられる中でも、各国の温度差は目立ち、日本は規制に慎重です。  哲学者で、関西外国語大准教授の戸谷洋志さんは、「日本社会にはAI信仰がある」と指摘しつつ、「チャットGPTに目を奪われていると、もっと基礎の部分の変化を見失う」とも話します。どういうことでしょうか。 戸谷洋志さん「正直に言うと…」  ――チャットGPTが急速に浸透しています。どんな功罪があると思いますか。  「チャットGPT=悪」とするとわかりやすいですが、現時点ではそこまで言うことができません。正直に言うと、チャットGPTが、アマゾンのネット通販(EC)やグーグルのGメールのように誰もが使うように浸透していくかは微妙なところで、今はおもちゃのようなものだと思います。  それよりも、チャットGPTに多くを求める社会の問題、私たちの問題が大きいと思います。  ――どういうことでしょうか。  まず、「立ち止まって考えたくない」「速く答えがほしい」という非常に強い潜在的な欲望が私たちの中にあります。  チャットGPTは、質問を入力して回答が寄せられるまで数分かかることがありますが、それが遅く感じるというネット上の記事を見かけました。  その数分も待てないのは、さすがに度が過ぎるのではないでしょうか。考える間もなく次の答えがほしいという強迫観念が社会の中に巣くっています。  私は哲学者なので、何も持たずに机の前で腕を組んでむーっと考えることをよくしますが、今の社会の中では「コスパ」が悪いとみなされるでしょう。社会全体がゆっくりじっくり考えることから遠ざかっています。 破局後、思考力は残っているか  ――それによる副作用は何でしょうか。  いま誰も困っていないならいいと思うかもしれません。しかし、AIに基づいて形成された私たちの「当たり前」が、災害や戦争などに見舞われて崩壊し、混乱に陥る時が来るかもしれません。その際に出てくる問題については自分で判断しないといけませんが、そうした時に私たちに、最善の選択をできる思考力が残されているでしょうか。  過去には、第1次世界大戦で経済困窮して疲弊したドイツで、自分で考えるのをやめてしまった人々がナチスの行動様式に同調し、結果的に虐殺へと加担してしまったという歴史があります。  破局が起きた時、「AIの判断は間違っている」と指摘する能力を持っているでしょうか。そのためには、日頃からAIとそのシステムと距離をとる余白が必要だと思います。  チャットGPTだけに目を奪われていると、基礎の部分の変化を見失ってしまうと思います。 論点を委ねるのは責任の放棄  ――チャットGPTによる変化はそこまで大きくない?  チャットGPTに社会課題について何か聞こうとすると、色んな意見を網羅しようとします。例えばジェンダー平等について聞くと、こんな意見もあってあんな意見もあってと並列し、結論は出してくれない。論点を増やしていく印象です。課題解決に使おうとすると、むしろ選択を困難にさせます。  人間っぽい文章は書けるけれど、そこから人間が判断したり選択したりすることをむしろ妨げるのではないかと思います。  ジェンダー問題には本当に色んな論点があって、どの立場をとっても相対的に問題をはらむ中、選択の責任を意識せざるをえません。  ――選択する以前のところで、回答自体に問題はありませんか。  もちろん、個々の回答を選択する以前に、なぜその論点を考えるのか、という手前の段階でも、私たちは選択をします。AIに議論をゆだねることは、その次元の責任を放棄することになるでしょう。  チャットGPTが論点を網羅していると思い込むのは危うく、AIが提示している以外の選択肢や視点を考えていく力がだんだん失われていくのは問題だと思っています。  チャットGPTはネット上にある既存の情報をもとに回答しています。既存のデータ自体の妥当性は問い直されないので、ジェンダーや人種による差別を無批判に再生産してしまうリスクをはらみます。 政治や司法の現場では  ――チャットGPTを使うことについて良心の面での懸念は。  現状ではまだありません。もし今後出てくることがあるとすると、政治や司法の現場でしょう。国会の質疑に使った議員もいたようですが、今のところパフォーマンスにとどまっています。  例えば社会保障政策の予算配分をAIに考えさせるとすると、高齢者はこれから生きる期間が短いから給付金を減らそうなどという差別につながりかねません。  政治や司法のシステムで人間の責任において語って意思決定するモデルが維持されていてそれが崩れない限り、明確な良心の破局はこないと思います。  ――そうした現場で表だって使っていなくても、実は使っているということもありそうです。  ありそうですね。AIを使っていてもなお、その判断や提案を自分の判断や提案と思えるか、自分でした行為の責任を自分でした行為として引き受けるかがポイントです。それを見ずにAIが提案しているからしょうがないと思うのは無責任で、悪だと思います。  日本はAIに対する信仰がすごく強い国だと思います。例えばAIが登場する欧米製作のドラマでは、AIに脅かされることの恐怖とあわせて、AIに対する人間の責任が強固に描かれることが多くあります。これが日本にはあまりなく、AIがある種自然にやっていて誰もあらがえないから適応しようという受け身の姿勢が強いと感じます。  世界規模で議論を俯瞰(ふかん)し、相対化して、高まる投機熱から一歩引いて眺めることが必要不可欠です。(聞き手・田渕紫織)
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wallgreen-rite-aid · 1 year
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Letha Wilson
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wallgreen-rite-aid · 1 year
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wallgreen-rite-aid · 1 year
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Matt Connors / Turn-er, 2021
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https://ocula.com/art-galleries/the-modern-institute/artworks/matt-connors/pieta/
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wallgreen-rite-aid · 1 year
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Bruce Nauman
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wallgreen-rite-aid · 2 years
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wallgreen-rite-aid · 2 years
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wallgreen-rite-aid · 2 years
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wallgreen-rite-aid · 2 years
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wallgreen-rite-aid · 2 years
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Jules de Balincourt (Paris, France 1972) moved to the United States with his family from Paris in the 1980s. He graduated from the California College of Arts and Crafts in San Francisco in 1998 and moved to New York in the year 2000. He obtained his Master of Fine Arts from Hunter College in New York in 2005 and from 2006-2009 directed the Starr Space Alternative Community Cultural Center in Brooklyn, New York. He currently lives and works between Brooklyn, USA and Malpaís, Costa Rica, where he has built his studio and a retreat for artists.
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wallgreen-rite-aid · 3 years
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wallgreen-rite-aid · 3 years
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